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《13》
 BOX(インターネット・ストーレッジ版)

BOX Essays 版 ……●
2003年 08月10日
2003年 09月29日
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■8-10-1

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【1】子育てポイント
   【2】Touch your Heart
      【3】子育てエッセー
        【4】フォーラム
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

とにかく聞く

 子どもが自分の悩みや苦しみ、悲しみを話し始めたら、「とにかく聞く」。これが子どもの心を
開示させる、大前提である。

 この手法は、実は、カウンセリングの基本にもなっている。心理療法でいうカウンセリングで
は、(1)自己一致(自分を偽らないこと)、(2)肯定的尊重(相手が何を言っても、それを批判し
たり、否定しないこと)、(3)共感(いつも相手の立場で、ものを考える)の三つが求められる。

 これはそのまま子育てでも、応用できる。まずすべてを話させる。それによって子どもは、心
を開き、自分をさらけ出すことができる。が、それだけではない。

 人間の信頼関係は、(さらけ出し)と(絶対的な受け入れ)の二つがあって、その上に構築さ
れる。そのうちの一つでも欠けると、信頼関係そのものを結ぶことができなくなる。そこで親とし
てのあなたの自己診断。あなたは、つぎのうちの、どれに近いだろうか。

(1)子どもが何かを訴えても、たいていは親のほうで判断し、「ああしなさい」「こうしなさい」と、
命令することが多い。子どもが、何を考えているかわからないときがあるが、子どもというの
は、そういうもの。いちいちかまっていない。

(2)子どもが何かを訴えてきたときには、いつも最後まで耳を傾けるようにしている。子どもの
ほうも、ひととおり言うだけ言うと、満足するようなので、あとは子ども自身の判断に任せる。何
かあると、あれこれ子どものほうから話しかけてくる。

 言うまでもなく、(2)のほうが好ましいことは言うまでもない。親子といえども、そこは一対一の
人間関係。「子どもだから……」、あるいは「どうせ子どもではないか」という、甘えを、親はもっ
てはいけない。それでも、甘えてしまうのが、親子かもしれないが、しかしそういった心構えだけ
は、忘れてはいけない。
(030802)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(029)

希望

 いつか私は、「子どもの受験勉強くらいで、親子の絆(きずな)を破壊してはいけない」と書い
た。受験勉強には、その価値はない、と。ある母親が、自分の子どもが高校受験に失敗したあ
と、「絶望しました」と書いてきたときのことである。それについて、もう少し、掘りさげて考えて
みたい。

+++++++++++++++++++

 何のために生きているか……それがわからなくなったとき、人は、人生の袋小路に入る。そ
の人の問題意識の深さにもよるのだろうが、袋小路でもがくときほど、みじめなことはない。ば
あいによっては、絶望することもある。ただの絶望ではない。それで自らの命を断つこともあ
る。シェークスピアも、ハムレットの中で、こう書いている。「絶望か、さもなければ、死か」と。

 それは事実だが、しかしどんな苦境にあっても、反対に、希望さえあれば、人はその希望に、
生きることを託すことができる。私も、何度か、その希望に、自分を託すようなことがあった。あ
れは、私が三五歳くらいのときではなかったか。

 小さな幼児教室(全体でも一二畳もないような小さな教室)だったが、そのころ、教室は経営
的にたいへんむずかしくなっていた。毎日、忙しかったが、それはどれも、まったくお金にならな
い「忙しさ」ばかりだった。私は、休みの時間には、ひとり、床に寝ころび、「もう、だめだ」と何
度も思った。天井が涙で、うるんで見えなくなったこともある。

 そんなとき、G社という出版社からひとつの仕事が入った。新しい企画の仕事だった。東京に
住んでいれば、もう少し頻繁(ひんぱん)に仕事が入ったかもしれない。が、浜松に住んでいる
と、それはない。よほどの「ひいき」がないと、仕事は回ってこない。

 私はその仕事に、自分を託すことができた。毎晩、夜中の、二時、三時まで仕事をした。おか
げで私は、その危機を乗り越えることができた。しかし、だ。本当のところ、私を救ってくれたの
は、家族だった。そう、何が希望になるかといって、家族のやさしさほど、暖かい希望になるも
のはない。そんなときワイフは、いつもこう言ってくれた。「やるだけやって、それでダメなら、ま
た一から、やりなおせばいいのよ」と。

 仕事で疲れたとき、うちひしがれたとき、失敗したとき、苦しいとき、家族の暖かい思いやり
が、ふとそのさみしさをやわらいでくれる。言いかえると、そこに家族が、家族である、その意
味がある。あなたもいつか、子どもの喜ぶ顔を見たくて、家路を急いだことがあるだろう。あな
たもいつか、子どもの安らかな寝息を聞きながら、生きる喜びを感じたことがあるだろう。あな
たもいつか、夫や妻のやさしい励ましに、涙をこぼしたことがあるだろう。それにまさる希望は、
この世界にはない。

 そういう意味では、愛は希望の母体ということになる。愛があるから、そこから希望が生ま
れ、愛があれば、絶望ということはない。それが死にいたる絶望であっても、愛があれば、その
絶望を乗り越えることができる? 反対に、いくら大きな仕事をしたとしても、愛がなければ、そ
れを希望とすることができない?

 希望について書いていたら、いつの間にか、愛の話になってしまった。しかしこれだけは言え
る。一見、意味がなく見える人生でも、「家族のため」と思うことで、そこに生きる意味を見出す
ことができる。事実、そうしてがんばっている人は、いくらでもいる。私も、最後の最後で、歯をく
いしばって、踏みとどまることができたのは、結局は、家族がいたからにほかならない。

 冒頭の母親は、子どもが高校受験に失敗したとき、「絶望した」と言った。しかしそんなもの
は、絶望でも何でもない。人間が勝手につくりあげた虚像に、振りまわされているだけ。本当の
絶望というのは、愛が途切れたときにやってくる。だからどんなことがあっても、この愛だけは、
消してはいけない。この愛は、すべてに優先する。

 が、この母親のばあい、虚像に振りまわされながら、親子の絆(きずな)そのものまで切ろうと
している。それはたとえて言うなら、絹のハンカチで鼻をかんで、そのハンカチを捨てるようなも
の。たかが受験競争くらいのことで、親子の絆を犠牲にしてはいけない。

 子どもが受験戦争で失敗したら、そのときこそ、子どもに希望を与えるのが、親の役目では
ないか。親が絶望をしていて、どうする? どうなる? そういうとき親が言うべきことは、「あな
たはよくがんばった」と、ねぎらいの言葉をかけ、子どもを暖かい愛で、包んであげること。そし
てそれが、子どもにとっても、そしてその母親にとっても、明日への希望につながる。
(030801)

      ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          どの人も問題なく生きているように見えますが、
 \※/            問題のない子育てなど、ありません。
  ‖                
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

【Q9】子どもたち(小5、小3、2歳)の気持がよくわかりません。何を考えているのか、わかりま
せん。とくに小5の子どもが、わかりません。私は親として、ダメなのでしょうか。信頼関係も、う
まくできていないように思います。どうしたらよいでしょうか(MH)。

【A、はやし浩司より】

 「何を考えているかよくわからない状態」というのは、ふつうは、「心を閉じた状態」をいいま
す。もしそうなら、親子関係が、かなり危険な状態に入っているとみてよいのではないでしょう
か。信号で言えば、これから赤になる黄信号というところです。

 こういうときの鉄則は、「今の状態をなおそう」と考えるのではなく、「今の状態を、これ以上、
悪くしない」ことだけを考えて、対処します。小学五年生という時期は、そういう意味では、たい
へん微妙な時期です。あせって何かをすれば、かえって問題がこじれてしまう可能性がありま
す。もっとはっきり言えば、親子関係が、このまま断絶してしまう危険性があるということです。

 たがいに心を開くということは、たいへんむずかしいことです。しかしそれ以上にむずかしい
のは、一度、閉じた心を開くことです。そこでここでは、(1)断絶と、(2)心を開くの、二つのテ
ーマについて考えてみます。つぎの原稿(「ファミリス」などに掲載済み)が、それです。

++++++++++++++++++++++++

親子の断絶が始まるとき 

●最初は小さな亀裂
最初は、それは小さな亀裂で始まる。しかしそれに気づく親は少ない。「うちの子に限って…
…」「まだうちの子は小さいから……」と思っているうちに、互いの間の不協和音はやがて大き
くなる。そしてそれが、断絶へと進む……。

 今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は五五%もいる。「父親のようになりたく
ない」と思っている中高校生は七九%もいる(『青少年白書』平成一〇年)(※)。が、この程度
ならまだ救われる。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。
まさに一触即発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもはやり返す。そこで親
は親で、「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの大喧嘩!

……と、書くと、たいていの親はこう言う。「うちはだいじょうぶ」と。「私は子どもに感謝されてい
るはず」と言う親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。

●休まるのは風呂の中
あなたの子どもが、学校から帰ってきたら、どこで体を休めているか、それを観察してみてほし
い。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気にしないで、体を休め
ているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好とみてよい。しかし好んであな
たの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げて行くようであれ
ば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中学生の多くが、心が休まる場所としてあげ
たのが、(1)風呂の中、(2)トイレの中、それに(3)ふとんの中だそうだ(学外研・九八年報
告)。

●断絶の三要素
 親子を断絶させるものに、三つある。(1)権威主義、(2)相互不信、それに(3)リズムの乱
れ。

(1)権威主義……「私は親だ」というのが権威主義。「私は親だ」「子どもは親に従うべき」と考
える親ほど、あぶない。権威主義的であればあるほど、親は子どもの心に耳を傾けない。「子
どものことは私が一番よく知っている」「私がすることにはまちがいはない」という過信のもと、
自分勝手で自分に都合のよい子育てだけをする。子どもについても、自分に都合のよいところ
しか認めようとしない。あるいは自分の価値観を押しつける。一方、子どもは子どもで親の前で
は、仮面をかぶる。よい子ぶる。が、その分だけ、やがて心は離れる。

(2)相互不信……「うちの子はすばらしい」という自信が、子どもを伸ばす。しかし親が「心配
だ」「不安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。人間の心は、鏡のようなもの
だ。イギリスの格言にも、『相手は、あなたが思っているように、あなたのことを思う』というのが
ある。つまりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、あなたの子どもも、あなた
を「すばらしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子の間を密にする。が、そうでなけ
れば、そうでなくなる。

(3)リズムの乱れ……三つ目にリズム。あなたが子ども(幼児)と通りをあるいている姿を、思
い浮かべてみてほしい。(今、子どもが大きくなっていれば、幼児のころの子どもと歩いている
姿を思い浮かべてみてほしい。)そのとき、(1)あなたが、子どもの横か、うしろに立ってゆっく
りと歩いていれば、よし。しかし(2)子どもの前に立って、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩
いているようであれば、要注意。今は、小さな亀裂かもしれないが、やがて断絶……ということ
にもなりかねない。

このタイプの親ほど、親意識が強い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と豪語
する。へたに子どもが口答えでもしようものなら、「何だ、親に向かって!」と、それを叱る。そし
ておけいこごとでも何でも、親が勝手に決める。やめるときも、そうだ。子どもは子どもで、親の
前では従順に従う。そういう子どもを見ながら、「うちの子は、できのよい子」と錯覚する。が、
仮面は仮面。長くは続かない。あなたは、やがて子どもと、こんな会話をするようになる。親「あ
んたは誰のおかげでピアノがひけるようになったか、それがわかっているの! お母さんが高
い月謝を払って、毎週ピアノ教室へ連れていってあげたからよ!」、子「いつ誰が、そんなこと、
お前に頼んだア!」と。

●リズム論
子育てはリズム。親子でそのリズムが合っていれば、それでよし。しかし親が四拍子で、子ども
が三拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、二つの曲を同時に演奏すれば、それは騒
音でしかない。

このリズムのこわいところは、子どもが乳幼児のときに始まり、おとなになるまで続くというこ
と。そのとちゅうで変わるということは、まず、ない。たとえば四時間おきにミルクを与えることに
なっていたとする。そのとき、四時間になったら、子どもがほしがる前に、哺乳ビンを子どもの
口に押しつける親もいれば、反対に四時間を過ぎても、子どもが泣くまでミルクを与えない親も
いる。たとえば近所の子どもたちが英語教室へ通い始めたとする。そのとき、子どもが望む前
に英語教室への入会を決めてしまう親もいれば、反対に、子どもが「行きたい」と行っても、な
かなか行かせない親もいる。こうしたリズムは一度できると、それはずっと続く。子どもがおとな
になってからも、だ。

ある女性(三二歳)は、こう言った。「今でも、実家の親を前にすると、緊張します」と。また別の
男性(四〇歳)も、父親と同居しているが、親子の会話はほとんど、ない。どこかでそのリズム
を変えなければならないが、リズムは、その人の人生観と深くからんでいるため、変えるのは
容易ではない。

●子どものうしろを歩く
 権威主義は百害あって一利なし。頭ごなしの命令は、タブー。子どもを信じ、今日からでも遅
くないから、子どものリズムにあわせて、子どものうしろを歩く。横でもよい。決して前を歩かな
い。アメリカでは親子でも、「お前はパパに何をしてほしい?」「パパはぼくに何をしてほしい?」
と聞きあっている。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。

※……平成一〇年度の『青少年白書』によれば、中高校生を対象にした調査で、「父親を尊敬
していない」の問に、「はい」と答えたのは五四・九%、「母親を尊敬していない」の問に、「はい」
と答えたのは、五一・五%。また「父親のようになりたくない」は、七八・八%、「母親のようにな
りたくない」は、七一・五%であった。この調査で注意しなければならないことは、「父親を尊敬
していない」と答えた五五%の子どもの中には、「父親を軽蔑している」という子どもも含まれて
いるということ。また、では残りの約四五%の子どもが、「父親を尊敬している」ということにもな
らない。この中には、「父親を何とも思っていない」という子どもも含まれている。白書の性質
上、まさか「父親を軽蔑していますか」という質問項目をつくれなかったのだろう。それでこうし
た、どこか遠回しな質問項目になったものと思われる。

+++++++++++++++++++++++++

あるがままを受け入れる

 親子にかぎらず、人間関係というのは、相互的なもの。よく「子どもは、あるがままを受け入
れろ」という。それはそうだが、それは口で言うほど、簡単なことではない。簡単なことでないこ
とは、親ならだれしも知っている。

 で、こう考えたらどうだろうか。「あるがままを受け入れる」ということは、まず自分も、「あるが
ままをさらけ出す」ということ。子どもについていうなら、子どもにはまず、あるがままの自分をさ
らけ出す。心を許すということは、そういうことをいう。しかしそうでない親もいる。

 Tさん(五五歳)は、息子(四〇歳)に、「子ども(Tさんの孫)の運動会を見にきてほしい」と頼
まれたとき、「足が痛いから行けない」と言った。しかしそれはウソだった。Tさんは、何か別の
理由があったので、運動会へは行きたくなかった……らしい。それで「足が痛い」と。

 この話の中で大切なポイントは、本当のこと(本音)を言えないTさんの心の状態にある。親で
ありながら、子どもに心を許していない。行きたくなかったら、「行きたくない」と言えばよい。し
かしTさんは、自分という親をよく見せるために、ウソをついた。つまりその時点で、親子であり
ながら心を開いていないことになる。しかしこういう関係では、子どものほうも心を開くことがで
きない。子どもの側からして、親のあるがままを受け入れることができなくなってしまう。そういう
状態を一方でつくっておきながら、「うちの子どもは心を開かない」はないし、そうなればなった
で、今度は「どうしても子どものあるがままを受け入れることができない」は、ない。

 少しこみいった話になってしまったが、親子も、互いに自分をさらけだすことが、互いのきず
なを深めるコツということ。そのために親は親で、子どもは子どもで、自分をさらけだす。美しい
ものも、きたないものも、みんな見せあう。また少なくとも、親子はそういう関係でなければなら
ない。が、もしそれができないというのであれば、もうすでにその段階で、親子の断絶は始まっ
ているということになる。

 ただここで注意しなければならないのは、あなたが子どもに自分をさらけ出したからといっ
て、子どももそれに応ずるとはかぎらないということ。ばあいによっては、子どもはあなたに幻
滅し、さらには軽蔑するようになるかもしれない。しかしそうなったとしても、それはしかたないこ
と。親子関係もつきつめれば、人間関係。つまりさらに言いかえると、親になるということは、そ
れだけきびしいことだということ。

よく「育自」という言葉を使って、「子育てとは自分を育てること」という人がいる。それはそうだ
が、しかしそれをしなければ、結局は子どもにあきられる。よい親子関係をつくりたかったら、さ
らけ出しても恥ずかしくないほどに、親自身も一方で自分をみがかねばならない。

+++++++++++++++++++++++++

 あなたは決して、「ダメな親」ではありません。どの人も、みな、自分の限界状況の中で、懸命
に生きているのです。で、問題は、その限界があるということではなく、限界があることを知ら
ず、その中で生きてしまうことです。
 
 幸いなことに、MHさんは、「自分がダメ?」という形で、自分の限界に気づいておられます。
大切なことは、「だからダメ」ということではなく、ここを原点に、前向きに生きるということです。
もっとわかりやすく言えば、限界というカベを突き破って、前に進むということです。

 子育てについていうなら、もうそろそろ、子どものことは構わないで、あなたはあなたとして、
つまりは一人の人間として、自分の生きザマを追求します。そして結果として、自分の生きザマ
を子どもに見せていく。いわば、居直りの論理ですが、今さらあなたも、そうは自分を変えられ
ないと思います。

 いいじゃないですか、子どもに嫌われても。子どもは、子ども。あなたはあなた。あなたはあな
たで、一貫性をもって生きればよいのです。その一貫性に、いつか子どもが気づいたとき、あ
なたの子どもは、必ず、あなたのところにもどってきます。それを信じて、あなたはあなたのや
り方を、これからも通しなさい……というのが、私の答(?)です。参考にしていただければ、う
れしいです。最後に、その「一貫性」についての原稿を添付しておきます。

+++++++++++++++++++++++++

信頼性

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外ではな
い。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、反対
にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような調子で、答え
てあげること。こうした一貫性をとおして、子どもは、あなたと安定的な人間関係を結ぶことが
できる。その安定的な人間関係が、ここでいう信頼関係の基本となる。

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基本的
信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの三つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。これ
を第一世界という。園や学校での世界。これを第二世界という。そしてそれ以外の、友だちとの
世界。これを第三世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第二世界、つづいて第三世界へと、応用していくこ
とができる。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第二世界、第三世界での
信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後の信頼関係の基
本となる。だから「基本的信頼関係」という。

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親側の情
緒不安。親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなばあい、子ども
は、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、人間関係になる。こ
れを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分野で
現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ねたみ症状な
どは、こうした基本的不信関係から生まれる。第二世界、第三世界においても、良好な人間関
係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れる。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安心して」
というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分をさらけ出しても、気に
しない」環境をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意するのは、親の役目ということにな
る。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなことに注意したらよい。

●「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
●子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じように接す
る。
●きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くなるというの
は、避ける。


    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
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━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│   みんなで力をあわせて、前向きに
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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●ギャング集団









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子どもの学力を伸ばす(2)

●プラスの強化

 「勉強したら、ほめられる」……これをプラスの強化という。一方、「勉強しなければ、叱られ
る」……これをマイナスの強化という。どちらも、子どもに勉強させるという意味では、効果的。
しかし長い目で見ると、マイナスの強化を受けた子どもは、確実に、勉強を嫌いになる。つまり
学力は、さがる。

 子どもは、本来的に、自発的に行動する力をもっている。これをスキナーという学者は、「オ
ペラント」と名づけた。しかしその自発的行動の原動力になるものには、二種類ある。それがこ
こでいうプラスの強化と、マイナスの強化である。どちらがよいかは、もう改めて説明するまでも
ない。

 プラスの強化をするための、一つの方法として、達成感を利用するというのがある。最近の
大脳生理学では、脳の中枢部の辺縁系にある、帯状回(たいじょうかい)という組織が、どうや
ら、その「やる気」をコントロールするということまでわかってきた(伊藤正男氏の「思考システ
ム」)。

 達成感が満足されると、脳の中に、エンケファリン系やエンドロフィン系の麻薬様物質が放出
され、それがここちよい感覚を生みだすという。心理学では、こうした現象を、「好子」という名
前を使って説明している。

 そこで子どもの学力を伸ばすためには、いかにして、その達成感を覚えさせるかを、いつも
考えながらする。

 たとえばワークブックでも、子どもが懸命にやる様子を見せたら、多少、まちがっていても、そ
れには目を閉じて、大きな丸をつけてやる。こうした大らかさが、子どもを伸ばす。しかし中に
は、そうでない親もいる。

 「答が違っているのに、どうして丸をつけるのですか?」
 「ハネやハライが、メチャメチャです。しっかりみてください」
 「しっかりと、ワークブックを採点してください」と。

 毎年のように、そういう苦情を言ってくる親がいる。しかし私は、答に丸をつけるのではなく、
一生懸命したことに対して、丸をつける。だいたい、あのワークブックほど、いいかげんなもの
はない。(無数の学習教材を作ってきた私がそう言うのだから、まちがいない。)「半分は、お絵
かきになってもよい」と思うこと。こまごまとしたことを言って、子どもを勉強嫌いにしたら、それ
こそ、元も子もない。

 もちろん正解であればほめる。しかしそれ以上に大切なのは、子どもにプラスの強化が働い
ているかどうかということ。もしマイナスの強化を使わなければ、子どもが勉強しないというので
あれば、あなたの家庭教育は、すでに失敗している。じたばたすればするほど、逆効果。へた
をすれば、底なしの悪循環の世界に入ってしまうかもしれない。じゅうぶん、注意されたし。
(030804)

      ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          どの人も問題なく生きているように見えますが、
 \※/            問題のない子育てなど、ありません。
  ‖                
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

【Q7】二人の子ども(上が年長男児、下が年少女児)の、こづかいのことです。近所に共働き
の家の子どもがいて、毎日、100〜200円の小づかいをもらっています。うちでは、小学3年
生くらいになったら、あげようと考えていますが、どうしたらよいでしょうか。自分の家庭だけで、
子育てをしようとしても、まわりが変わらないとできない面もあります。どのようにしたらよいでし
ょうか(YS)。

【A、はやし浩司より】

 小づかいが悪いのではありません。お金でものを買い、それで自分の欲望を満足させるとい
う、その方法に、注意したらよいと、私は講演で話しました。世界的にみても、日本人ほど、お
金でものごとを解決しようと考える国民は、いないのではないでしょうか。今、私の家には、オ
ーストラリア人夫婦が、ホームステイしていますが、彼らの生活を見ていると、実に質素である
ことがわかります。(驚くほど、質素ですが、「驚く」というのは、そのまま、私と彼らの生活の質
の違いをいうわけですね。)

 持論のひとつである、「小づかい100倍論」(中日新聞掲載済み)を、ここに添付しておきま
す。どうか、参考にしてください。もともとこの原稿は、「子どものゲーム」について相談を受けた
とき書いたものです。それについての原稿も、ここに添付しておきます。

+++++++++++++++++++++++++

●小づかい一〇〇倍論

子どもの金銭感覚

子どもに与えるお金は、一〇〇倍せよ

 子どもの金銭感覚は、年長から小学二、三年にかけて完成する。この時期できる金銭感覚
は、おとなのそれとほぼ同じとみてよい。が、それだけではない。子どもはお金で自分の欲望
を満足させる、その満足のさせ方まで覚えてしまう。これがこわい。

 そこでこの時期は、子どもに買い与えるものは、一〇〇倍にして考えるとよい。一〇〇円のも
のなら、一〇〇倍して、一万円。一〇〇〇円のものなら、一〇〇倍して、一〇万円と。つまりこ
の時期、一〇〇円のものから得る満足感は、おとなが一万円のものを買ったときの満足感と
同じということ。そういう満足感になれた子どもは、やがて一〇〇円や一〇〇〇円のものでは
満足しなくなる。中学生になれば、一万円、一〇万円。さらに高校生や大学生になれば、一〇
万円、一〇〇万円となる。あなたにそれだけの財力があれば話は別だが、そうでなければ子
どもに安易にものを買い与えることは、やめたほうがよい。

子どもに手をかければかけるほど、それは親の愛のあかしと考える人がいる。あるいは高価
であればあるほど、子どもは感謝するはずと考える人がいる。しかしこれはまったくの誤解。あ
るいは実際には、逆効果。一時的には感謝するかもしれないが、それはあくまでも一時的。子
どもはさらに高価なものを求めるようになる。そうなればなったで、やがてあなたの子どもはあ
なたの手に負えなくなる。

先日もテレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた。何でもその朝発売になるゲーム
ソフトを手に入れるために、六〇歳前後の女性がゲームソフト屋の前に並んでいるというの
だ。しかも徹夜で! そこでレポーターが、「どうしてですか」と聞くと、その女性はこう答えた。
「かわいい孫のためです」と。その番組の中は、その女性(祖母)と、子ども(孫)がいる家庭を
同時に中継していたが、子ども(孫)は、こう言っていた。「おばあちゃん、がんばって。ありがと
う」と。

 一見、何でもないほほえましい光景に見えるが、この話はどこかおかしい。つまり一人の祖
母が、孫(小学五年生くらい)のゲームを買うために、前の晩から毛布持参でゲーム屋の前に
並んでいるというのだ。その女性にしてみれば、孫の歓心を買うために、寒空のもと、毛布持
参で並んでいるのだろうが、そうした苦労を小学生の子どもが理解できるかどうか疑わしい。
感謝するかどうかということになると、さらに疑わしい。苦労などというものは、同じような苦労し
た人だけに理解できる。その孫にすれば、その女性は、「ただのやさしい、お人よしのおばあち
ゃん」にすぎないのではないのか。

 イギリスの教育格言に、『釣竿を買ってあげるより、一緒に魚を釣りに行け』というのがある。
子どもの心をつかみたかったら、釣竿を買ってあげるより、子どもと魚釣りに行けという意味だ
が、これはまさに子育ての核心をついた格言である。少し前、どこかの自動車のコマーシャル
にもあったが、子どもにとって大切なのは、「モノより思い出」。この思い出が親子のきずなを太
くする。

日本人ほど、モノに執着する国民も、これまた少ない。アメリカ人でもイギリス人でも、そしてオ
ーストラリア人も、彼らは驚くほど生活は質素である。少し前、オーストラリアへ行ったとき、友
人がくれたみやげは、石にペインティングしたものだった。それには、「友情の一里塚(マイル・
ストーン)」と書いてあった。日本人がもっているモノ意識と、彼らがもっているモノ意識は、本質
的な部分で違う。そしてそれが親子関係にそのまま反映される。

 さてクリスマス。さて誕生日。あなたは親として、あるいは祖父母として、子どもや孫にどんな
プレゼントを買い与えているだろうか。ここでちょっとだけ自分の姿勢を振りかってみてほしい。

++++++++++++++++++++++++

●ハングリー精神を大切に

 子どもを伸ばす、最大の秘訣は、子どもをいつも、ややハングリーな状態におくこと。与えす
ぎ、しすぎは、かえって子どもの伸びる芽をつんでしまう。「子どもには、これくらいすればいい
かな」とか、「ここまでさせようかな」と迷ったら、その一歩手前でやめる。たとえば子どもの学習
量にしても、三〇分くらいは勉強しそうだなと思ったら、思い切って、一五分でやめる。ワークブ
ックでも、二ページくらいならしそうだと思ったら、一ページでやめる、など。要するに、ほどほ
ど、に。

 とくに注意しなければならないのが、「欲望の満足」。子どものばあい、安易に欲望を満足さ
せてはいけない。たとえば子どもが「ゲームを買ってほしい」と言ったとする。「ほしい」というの
が、その欲望ということになる。問題は、欲望を満足させることよりも、それになれてしまうこと
である。たとえば幼児期に、一〇〇円、二〇〇円の買い物になれてしまった子どもは、中学
生、高校生にもなると、一万円や二万円の買い物では、満足しなくなる。いわんや、幼児期に、
一万円、二万円のものを手に入れることになれてしまったら、その子どもは、どうなるか?

 中には、「うちの子だけ、ゲーム機をもっていないと、友だちから仲間ハズレにされる」と、悩
んでいる親がいる。「いつも友だちの家に行って、ゲームばかりしている」とも。「だから買って
あげるしかない」と。

 ケースバイケースだから、そのつど親が判断するしかない。が、これだけは言える。今の日
本人ほど、モノやお金に固執する民族は、そうはいないということ。五〇年前とくらべても、日本
人は大きく変わった。今、ほとんどの親たちは、あまりにも安易に子どもにモノを買い与えてい
る。そして「子どものほしいものを買ってあげたから、子どもは親に感謝しているはず」「親子の
パイプも太くなったはず」と考える。しかしこれは誤解。あるいは逆効果。

 たとえばこのケースでも、親が子どもにゲーム機を買ってあげれば、子どもは親に、一応「あ
りがとう」と言うかもしれない。しかしそれはあくまでも、「一応」。さらにこわいのは、こうしてでき
た親子のリズムは、そのまま一生つづくということ。いつかその子どもがおとなになったとき、そ
の親は、こう考えるようになる。

 「うちの子だけ大学を出ていないというのでは、みんなに仲間ハズレにされる」「うちの子だ
け、あんなC結婚場で結婚すれば、バカにされる」と。ものの考え方がズレているが、そのズレ
にすら気がつかない。リズムというのは、そういうもので、自分で自分のリズムに気づくというこ
とは、まずない。その狂ったリズムが、いつまでもつづく。

 子どもをハングリーな状態におく……。一見簡単なようで、実際には、そうでない。子育て全
体のリズムの中で考えるようにする。

+++++++++++++++++++++

●それでも、ゲームを買ってあげたい、あなたへ、

 「そうは言われても、やっぱり子どもにゲームを買ってあげたい」と思っているあなたは、こう
すればよい。

 クリスマスや誕生日には、心のこもった温かいものをプレゼントする。手作りのものがよい。
そしてゲームは、父親が自分で買ったという前提で、別の日に、買う。そして子どもには、「とき
どきパパに貸してもらおうね」と言えばよい。こうすれば、あとあと指導もしやすくなる。「これは
パパのものだから、パパに借りて使うのだよ」と言うこともできるし、「友だちが遊びにきたら、
パパに使っていいかって聞くのよ」と言うこともできる。遊ぶ時間も、それで決められる。「パパ
が、一時間なら使っていいと言ったよ」とか。

 またこうすることに、つまり父親が主導権をにぎり、子どもと一緒に遊ぶことにより、親子のパ
イプも太くなる。あくまでも一つのアイディアだが……。

+++++++++++++++++++++++++

YSさんへ、

 ついでに、子どもへの小づかいの実情についても、調べてみました。浜松市内の小学生に聞
いてみたものです(03年7月調査)。で、わかったことは、どの家も、バラバラで、定型がないと
いうことです。参考にしてください。

+++++++++++++++++++++++++

小3女児……お小遣いというのはない。ほしいものは、そのつど、買ってもらう。

小3女児……毎日500〜100円もらう。そのときで、いろいろ。「500円も!」と驚いて見せる
と、「毎日じゃあ、ないけどね」と言って、笑った。

小3女児……誕生日とか、お正月にもらうことはあるが、それ以外は、もらったことがない。「買
って」というと、親が買ってくれる。安いものは、自分のお金で買う。

小3女児……1か月に1000円と決まっている。それ以上に高いものは、お母さんに買っても
らっている。

小3男児……もらってない。ほしいものは、ねだると買ってくれる。

小3男児……わからない。小遣いって、何? お金のこと? お金なら、ときどきもらう。

小3男児……毎日200円くらいかな。もらえるとき、もらえないときがある。

小4女児……1か月2500円と決まっている。

小4女児……学校のテストで、100点を5枚取ると、100円もらえることになっている。

+++++++++++++++++++++++++

 あなたから見て、どうも心配……という友だちとつきあい始めたときの鉄則は、ただ一つ。
『友を責めるな、行為を責めよ』です。イギリスの教育格言です。

 これはどんなばあいも、友だちの名前を出してはいけないということ。「○○君は、悪い子だ
から、遊んではダメ」とです。こういうときは、その子どもの行為の、どこがどう悪いかだけを指
摘して、それで終わります。「買い食いすることは悪いこと」「お母さんの了解なしで、アイスを食
べることは悪いこと」とです。

 あとは子ども自身が判断します。こういうケースで、友だちの名前を出すと、「友を取るか、親
を取るか」、その択一を迫ることになります。子どもが、親を取ればよいのですが、そうでないと
きは、親子の間に、深刻なキレツを入れることになります。この格言は、思春期の子どもに、と
くに大切な格言ですから、覚えておかれるとよいと思います。

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  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
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/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│   みんなで力をあわせて、前向きに
  ┃     ┃   ///─┘┤    生きていきましょう!
  ┃     ┃  刧凵^ | │  
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

紫外線対策

 このところ学校や、幼稚園単位で、紫外線対策をするところが、ふえてきた。しかしそれでじ
ゅうぶんなのか? 何人かの子どもに、聞き取り調査をしてみた。

 浜松市内のT小学校……体育の時間には、帽子の着用。昼休みは、自由。
      F小学校……体育の時間には、帽子の着用。
      K小学校……体育の時間と、昼休みには、帽子の着用。
      T中学校……とくにうるさくは言われない。体育の時間も、帽子なし。
      M中学校……とくに指導なし。体育の時間も帽子なし。半そでシャツ。
      S中学校……とくに指導なし。UVカットクリームは、各自の判断で持参。

 ここで帽子といっても、英語でいう「CAP」帽子。前側だけにあるツバのある帽子をいう。私立
幼稚園によっては、首や肩をおおうほどの帽子をかぶるように指導しているところもある(K市
M私立幼稚園ほか)。しかしじゅうぶんか、じゅうぶんでないかとなれば、じゅうぶんとは、とても
言えない。

 そんなある日。夏休みに入ってまもなくのこと。中学三年生のT君が、まっかに日焼けして教
室へ入ってきた。子どものころは、アトピーで苦しんだ子どもで、皮ふは、もともとじょうぶでは
ない。私はT君を見て、驚いた。

 顔中、皮ふが、ただれるように赤むけていた。そしてその間の皮ふは、反対に赤黒く(?)、カ
サカサにかわいているといった感じだった。「どうしたんだ、その日焼けは?」と聞くと、「部活
で、焼けた……」と。

 「日焼け止めクリームは、使わなかったのか?」と私。
 「一応、もっては行ったけど……」とT君。
 「どうして使わなかったのだ?」
 「だって、みんなが使わなかったから……」
 「あのな、今、紫外線に肌をさらすということは、自殺行為だぞ。わかっているのか?」
 「うん、わかっている」
 「だったら、どうして……?」

 オーストラリアでは、皮ふガンが、深刻な社会問題になっている。毎年、一〇%ずつの勢い
で、患者がふえている※。友人のB君の娘の、ボーイフレンドも、つい先日、手術をしたばかり
だという。年齢は、まだ二〇代! 日本人は白人と違うという考え方は、通用しない。バカげて
いる。とくに初夏の今ごろは、紫外線が強くなる。オゾン層も薄くなっている。にもかかわらず、
紫外線対策を、何もしないとは?

【全国の教育関係者のみなさんへ】

 今からでも、早過ぎることはない。紫外線対策を、日本人も、こうずるべきである。方法は、オ
ーストラリアにならって、つぎのようにする。

(1)帽子は、ツバの広い、首や肩まですっぽりとおおうような帽子にする。
(2)帽子は、紫外線カット(UVカット)素材の帽子とする。
(3)日ざしの強い日は、長袖、長ズボンの着用を義務づける。
(4)体育、野外活動のときは、サングラスの着用を義務づける。
(5)紫外線カットのクリームを常時、用意する。
(6)紫外線情報を常に出し、紫外線の量が一定量を超えたら、外出禁止とする。

 学校に、それを要求する。こうした要求は、当然の権利である。遠慮することはない。もし学
校が応じないなら、親たちが、それをする。「政府や学校が、何とかしてくれるだろう」とか、「み
んなと同じでよい」と考えるのは、甘い。本当に、ア・マ・イ。少なくとも、あなたの子どもは、あな
たが守る。

この日本だって、オーストラリアのあとを、約一〇〜二〇年おいかけて、皮ふガンの患者数
が、急増している。具体的に、患者数がふえてから対策をねっても、この問題だけは、遅すぎ
る! 紫外線は、放射線。その症状が出るのは、数年後から、数一〇年後。 

 いつか今の子どもたちが、おとなになり、今の時代を振りかえるときがやってくる。そのとき今
の子どもたちが、こう言う。「ぼくが、皮ふがんにならずにすんだのは、子どものころから親が、
注意をしてくれたからだ」と。私たちが目ざすべき親は、そういう親ではないだろうか。
(030804)

※……オーストラリアでは、紫外線がたいへん大きな問題になっている。そのため皮膚がん
が、ふえている。一九九二年までの七年間だけをみても、皮膚がんによる死亡件数が、毎年
一〇%ずつふえている。日光性角皮症や白内障も急増している。

 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
**\\⊂'↓°⊃//**
*  \\_▽_//  *
    \\∧//
     Y☆Y
     〓〓〓             何か、テーマがあれば、どうぞ
    /|||\             お寄せください。
     ̄Π ̄Π ̄               お待ちしています。
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

誘惑

 身のまわりから、ハレンチ文化を一掃して、もう一か月。聖人・はやし浩司(Saint・浩司)は、
日々に、聖職に励んでいる。

 しかし、誘惑も多い。そのつど、誘惑と戦わねばならない。先週も、美容院へ行ったら、そこ
で。今日も、歯科医院へ行ったら、そこで。若い女性の美容師や、歯科技工士が、あれこれし
ながら、胸を、ぐいぐいと、頭に押しつけてくる!

 あのね、押しつけるのはかまわないが、しかし男の頭というのは、敏感なところなの。髪の毛
と、衣服の向こうにある、それを感じてしまう。大きさ、形、弾力性……。ゼーンブ、わかる! 
まさか「胸が当たっています」とは、言えないし……。

 ワイフにそれを言うと、「相手の女性は、何も考えていないわよ」と。そしてこう言った。「あん
たを、男と思っていないからよ」と。ナルホド!

 「あのな、男の頭って、敏感なんだぞ」
 「敏感って?」
 「髪の毛が、ほんの少しさわっても、その先がどうなっているか、わかるんだぞ」
 「ヘエ〜。昆虫の触覚みたいね」
 「まあ、それに近いだろうな」と。

 しかしこういう誘惑とは、どう戦えばよいのか。別に不愉快ではないが、(本当は、うれしいが
……)、しかし私は、そういう世界とは、決別しようとしている。そういう高貴なこころざしが、無
残にも破壊されていく!

 禁断症状というのは、とくになかったが、ネットサーフィンをしているとき、ふとスケベサイトへ
入りそうになったことは、何度か、あった。しかし心を鬼にして、(それほど大げさではないが…
…)、私は、近寄らなかった。

 しかし、こんな現象も起きつつある。
 
 一つは、すべての女性が美しく見え始めたこと。私の教室は、すべて公開しているため、たい
ていどのクラスにも、参観の母親たちがくる。その母親たちが、みな、美しく見える! 今まで、
そういうふうに思ったことは、めったになかったが……(失礼!)。

 それにもう一つの変化は、ハレンチ文化にどっぷりとつかっている男が、そういう男と、わか
るようになったこと。低俗に見えるというか、低劣に見えるというか。数日前も、テレビで、一人
のコメンテーターが、女子中学生が下着を売っていることを批判していた。しかし私はその男を
見て、こう思った。「何、言ってるんだ。一番先に、そういうものをほしがりそうな顔をしているく
せに!」と。

 そういうことがわかるようになった。だから、高貴な気分になるのは、悪いことではない。より
高い山(私が高いということではないが……)に登れば登るほど、それまでの山が低く見える。

 もう少し、聖人・はやし浩司をつづけてみる。これは心の実験のようなもの。自分の心がどう
変化していくかを観察するのは、おもしろい。そのうち欲求不満が爆発するかもしれない。そう
でないかもしれない。私は、本当に、聖人になってしまうかもしれない。しかし、それはどうや
ら、ありえない。ワイフも昨夜、こう言った。「あんた、最近、少しヘンよ。発情期みたい。それと
も老人になる前の、狂い咲き?」と。

 このつづきは、また報告する。
(030804)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

拉致(らち)問題

 昨日の記者会見で、官房長官のF氏は、さかんにこう言っていた。「日本の立場は、アメリカ
も韓国も、よくわかっていてくれるはずです」「日本の立場は、じゅうぶん説明してあるので、わ
かってくれているはずです」と。

 まさに日本という国家そのものが、依存国家とみてよい。こういう会話は、依存性の強い人ほ
ど、好む。

 少し前だが、こんな子ども(小五女児)がいた。「明日の遠足を休む」と言うので、「担任の先
生に連絡したのか?」と聞くと、「先生は、わかっていてくれるはず」と。

 「どうして?」と私。
 「だって、今日、おなかが痛いと、言ったから」と、子ども。
 「しかし休むなら休むで、しっかりと先生に言ったほうがいいのでは?」
 「いいの。先生は、わかっていてくれるはずだから」と。

 日本語には、「だから、何とかしてくれ言葉」というのがある。たとえばのどがかわいても、「水
がほしい」とは言わない。「のどがかわいたア〜」と言う。子どもだけではない。ある女性(五〇
歳)は、子どもや親類に電話をかけるたびに、「私も年をとったからネー」を口ぐせにしていた。
つまり、「だから、何とか、せよ」と。

 しかし国の「長」ともあろうF氏まで、そういう言い方をするとは! 「ハズ論」で動かないのが、
国際社会。少なくともアメリカ人には、通用しない。そう言えば、五、六年前、ときの外務大臣の
K氏が、あの北朝鮮に、百数十万トンもの米を援助したことがある。そのときも、K氏は、そう
言っていた。「日本も、これだけのことをしてあげたのだから、北朝鮮も、何か答えてくれるは
ず」と。

 が、結果は、ゼロ。K氏は、「これで北朝鮮が何もしてくれないなら、私は責任をとる」とまで言
い切ったが、その責任をとった形跡は、どこにもない。

 こうした依存性は、親子の間にもある。

 「これだけのことをしてあげたのだから、うちの子どもは、私に感謝しているはず」「親子の絆
(パイプ)は、太くなったはず」と。つまり日本の親たちは、まず子どもに、いい思いをさせる。つ
いで親としての優越性を、子どもに見せつける。「私に従えば、いいことがある」「私には、これ
だけの力がある」と。

 つまり外堀を埋めるような形で、子どもの周辺を、少しずつ、しばりあげていく。そして結果と
して、子どもに依存心をもたせ、ついで、自分も、子どもに依存していく。

 ついでに拉致問題について。

 本来なら、日本の軍隊が突入し、被害者を救出しても、おかしくない事件である。しかしこの
日本には、おかしな平和主義がはびこっている。「ことなかれ主義」を、平和主義と誤解してい
る人もいる。平和主義もよいが、相手が、日本を攻めてきたときには、どうするのか? あるい
はそんなときでも、日本は、「アメリカが何とかしてくれるはず」「世界が黙っていないはず」とで
も、主張するつもりなのだろうか。

 日本政府の考え方は、甘い。本当に、甘い。「大国」としての誇りも、自覚もない。現に今、北
朝鮮のあの金XXは、核兵器の開発をしている。もちろんターゲットは、日本。韓国やアメリカで
はない。この日本。本来なら、アメリカや韓国の先に立って、この問題を解決しなければならな
い。しかし「ハズ論」だけで、みなのうしろをついていく?

 しかしそれにしても、北朝鮮の小さいこと、小さいこと。小細工ばかりしている。先週も、拉致
被害者の子どもたちに、手紙まで書かせている。そんな些細なことにまで、気を配っている。あ
きれるより先に、ゾッとする。

私が金XXなら、拉致被害者の子どもたちを、すぐ日本へ返す。恥ずかしいか、恥ずかしくない
かということになれば、つぎからつぎへと脱北者が出ることのほうが、よほど、恥ずかしい。金X
Xよ、恥を知れ!

 で、近く、六か国協議が始まる。しかしそれを望むわけではないが、この協議は、失敗する。
理由は簡単。北朝鮮は、核査察など、絶対にさせない。そんなことをすれば、金XXの悪行の
数々が、白日のもとにさらされてしまう。一説によると、あの金XXは、すでに数十万人以上の
人を、殺害しているという。

 つぎにアメリカにしても、(安保理決議)→(経済制裁)→(金XX体制の崩壊)という図式を、す
でに描いている。中国やロシアを参加させるのは、「やれるだけのことはやってみなさい。どう
せダメだから」ということを、証明するためのものでしかない。

 日本にしても、あの金XX体制を経済援助するということは、隣の暴力団に、資金を手渡すよ
うなもの。そう簡単には、できない。してはならない。

 問題は中国とロシアだが、彼らにしても、日本のマネーがほしいだけ。日本に金を出させ、そ
の金で、中国やロシアのものを買わせる。あるいは今までの借金を、返済させる。ただこの力
が強ければ、皮肉なことに、六か国協議は、成功する可能性はある。しかしそのときは、日本
は、屋台骨を数本、抜くぐらいの覚悟はしなければならない。「東京で、核兵器が爆発するより
は、いいだろう」と。

 さらに中国人や韓国人の、反日感情には、ものすごいものがある。仲よくなりかけると、アホ
な政治家が、S国神社を参拝したり、「南京虐殺はウソ」などと言っては、相手を怒らせている。
S国神社を参拝するのに反対しているのではない。「何も、こういう時期に、あえてしなくてもい
い」ということだ。

 どちらにせよ、今度の六か国協議は、日本にとっては、戦後、最大の山場になる。決裂すれ
ば、この秋には、米朝戦争が始まるかもしれない。もしそうなれば、日本も未曾有の大惨事に
巻き込まれる。日本だけが無事ということは、絶対にありえない。

 六か国協議で日本がどのような主張をするか。また世界は、どのような反応を示すか。拉致
問題もあって、目が離せない。
(030805)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●もう少し、考えよう!

もうすぐ、国の借金が、一〇〇〇兆円になる。
すでに超えていると言う学者もいる。
日本の人口を約一億(おとな)とすると、
一人当たり、約一〇〇〇万円! 
国の税収が、約四〇兆円だから、
何と、年収の二五倍ということになる。
仮にあなたの年収が五〇〇万円とするなら、
たとえて言うなら、国の借金は、
その二五倍の、約一億二五〇〇万円!
約一億二五〇〇万円の借金ということになる!
そんなお金、返せるわけがない。

なのに、借金に借金を重ねて、
バカなものばかり、作っている。
道路だの、建物だの、そんなものばかり作っている。
この静岡県でも、今度、空港を作ることになった。
採算性は、もちろん度外視。
浜松市の近くに作るならまだしも、
下駄の産地の静岡市の近くに作って、
どうする? どうなる? ハア〜?

もうやめよう、こんなバカな政治。アホな政治。
山荘の近くでも、道路工事が始まった。
一日に、数台も車が通らないような山道。
そんな山道ですら、舗装工事。
豪華な擁壁(ようへき)工事。
さらに少し山奥へ入ると、第二東名。
ギリシャのパルテノン宮殿を思わせる、
巨大な円柱が、延々とつづいている。
その工事費が、何と約一二兆円。
国家税収の四分の一! ゾーッ!

こんな借金を、つぎの世代に残して、
いったい、この日本は、どうするつもり?
もう、私は、知らないぞ! 知ったことか!
……と言いつつ、ア〜、子どもたちがかわいそう。

ある役人は、私にこう言った。
「国民っていうのはね、作るまではうるさいが、
作ってしまえば、静かになるの」と。
だったら、私は、うるさく言ってやる。

この浜松市には、総工費が、二〇〇〇億円とも、
三〇〇〇億円ともいわれる、Aタワーを、駅前に作った。
一体、いくらの税金が使われたのか、使われなかったのか。
複雑な経理のカラクリがあるので、私たち市民には
知るよしもない。しかしぜいたくな建物であることには、
ちがいない。

が、今では、どの階も、閑古鳥が鳴いている。
最上階の展望台には、平日だと、二〇〇人程度しか、
見学者がいないという(エレベーターガイド嬢の弁)。
市はさかんに「黒字になった」と宣伝しているが、
土地、建物、人件費は、タダという前提で計算しているから
話にならない。

「ないよりは、あったほうがよい」という論理だけで、
湯水のごとくお金を使えば、この日本は、いったい
どうなる? こんな簡単なことさえ、
日本の政治家たちは、わからないのか?
 
今日もテレビを見ていたら、若い女性たちが、
「ベッカムさま! ベッカムさま!」と騒いでいた。
ああいうノー天気な若い人たちを見ると、
「かわいそう」と思う前に、「私もあそこまでアホになれたら
いいなア〜」と思う。……思ってしまった。

世の中のみなさん、もう少し、日本のことを考えよう。
つぎの時代の、子どもたちのために!
(030803)

++++++++++++++++++++

Nearly all men can withstand adversity; if you want to test a man's character, give him 
power. - Abraham Lincoln
ほとんどすべての人は、逆境にあえば、それと戦う。もしその人の性格を試してみたいと思うな
ら、彼に力を与えてみろ。(A・リンカーン)

They that can give up essential liberty to obtain a little temporary safety deserve neither 
liberty nor safety. - Ben Franklin, "Historical Review Of Pennsylvania"
ささやかな一時的な安全を得るために、基本的な自由をあきらめるような人は、自由も安全
も、もつことはない。(B・フランクリン)

Government is the Entertainment Division of the military-industrial complex. - Frank Zappa
政府というのは、軍産共同体の、娯楽部門のようなもの。(F・ザッパ)

The body politic, as well as the human body, begins to die as soon as it is born, and carries 
in itself the causes of its destruction. - Jean Jacques Rousseau
政治体というのは、人間の体と同じように、生まれたときから、死に始める。つまりそれ自体
が、破滅の原因をもっている。(J・J・ルソー)

The more that is given the less people will work for themselves, and the less they work the 
more their poverty will increase. - Leo Tolstoy
与えられれば与えられるほど、民衆は自分のために働かなくなる。そして働かなくなればなる
ほど、彼らの貧困は、増大する。(L・トルストイ)

Politicians are the same all over. They promise to build a bridge even when there is no river. 
- Nikita Khrushchev
政治家なんてものは、みな、同じ。川がないのに、橋をかけてやると、約束する。(N・フルシチ
ョフ)

You only have power over people as long as you don't take everything away from them. But 
when you've robbed a man of everything he's no longer in your power -- he's free again. - 
Nobel Prize-Winning Author Alexander Solzhenitsyn
あなたがすべてを奪い取らない限り、あなたはその人たちの上に、力を行使できる。しかしす
べてを奪えば、もうかれは、あなたの力の中にはいない。その人は、再び、自由になる。(ノー
ベル賞受賞者、A・ソルジェニツィン)

Politics is perhaps the only profession for which no preparation is thought necessary. - 
Robert Louis Stevenson
政治というのは、この世界で、唯一、準備のいらない職業である。(R・L・スティーブンソン)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

山荘ライフ

 途中で、弁当を一個買う。幕の内弁当。二人で、一個。それでじゅうぶん。最近の弁当は、量
が多い。

 二週間ぶりの山荘。進入路に草が生えていた。クサリをはずすと、私は、そのままかがん
で、草を抜いた。ワイフは、車を、日陰に置いた。遠くで、ヒグラシが鳴いていた。とたん、私
は、うれしくなった。

 カナカナカナ……。カナカナカナ……。

 山荘へ入ると、お茶を飲みながら、そのままソファに。ひんやりとした、かわいた風。強くはな
いが、ゆったりとした大波のような風が、居間を通りぬける。私はそのまま目を閉じる。

 気がつくと、ワイフも、その横で座ったまま、居眠り。ワイフは、いつも座ったまま眠る。私に
はできない芸当である。私が動くとワイフが目をさます。じっとがまんしていると、私まで眠って
しまった。

 浅い眠りだった。何かしら、夢を見たようだが、よく覚えていない。相変わらず、遠くで、ヒグラ
シが鳴いていた。私は、ヒグラシの声が、大好き。夏の夜は、その声を聞いていると、眠るのも
惜しくなる。

 昼までに気温は、三〇度を超えた。ワイフがそう言った。しかし山荘では、クーラーは、不要。
軽く扇風機をあてるだけで、寒さを感ずるほど、体が冷える。体を起こすと、時計は、ちょうど、
一二時を示していた。二時間も眠ったのか?

 あれこれこまかい仕事をする。B君夫妻が、もうすぐオーストラリアへ帰るので、絵を描こうと
思ったが、うまく描けない。しばらく描かないと、感覚も消えるようだ。あきらめて絵具をかたづ
ける。そして昼食。

 「やはり、みやげは、どこかで買おうか?」と私。
 「今までに描いた絵をあげたら?」とワイフ。
 「……どれがいい……?」
 「和室に飾ってあるのがいいんじゃない?」
 「あれか……? どうも、パッとしないし……。まだ日があるから、ゆっくりと考えてみる……」

 この山荘では、無数の絵を描いた。しかし描けば描くほど、どんどんヘタになっていくようだっ
た。だからある日、描くのをやめた。最後に描いてから、もう四年になるのでは? 

 昼食が終わると、今度はワイフが、「昼寝をしたい」と言い出した。町の中にはない、心地よ
い風が、あいかわらず、居間を吹き抜けていた。私たちは和室へ移ると、横になった。ワイフも
横になった。それからまた二時間? 

 結局今日の山荘ライフは、昼寝ざんまいで終わってしまった。帰る前、タンクの洗浄と、庭の
草取りをした。それだけ。それでおしまい。だから書くことも、とくになし。何ともぜいたくな一日
だった。
(030803)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

老後

 子育てが終わると、どんとやってくるのが、老後。それについては、もう何度も書いた。そのこ
とを、四〇歳くらいの母親に話すと、「本当ですか?」と驚いた。本当も何もない。簡単な計算を
すれば、だれにでもわかること。

 あなたの子どもは、何年後に、大学を卒業する? 一〇年後なら、今のあなたの年齢に、一
〇を加えればよい。それがあなたの、老後。子育ての最中は、年齢を忘れる。子育てには、そ
ういう「力」がある。

 今日も、ドライブをしながら、ワイフとそれについて話す。途中、完全看護の老人ホームが見
えた。それを見ながら、「あそこへ入るだけでも、入居時に、一人、三〇〇〇万円くらい、かか
るそうだ」と私。「三〇〇〇万円……ねえ……」と、ワイフ。「それに毎月、一人、二〇万円くらい
払わねばならない」「二〇万円……ねえ……」と。

 私の近所には、老人が多い。しかしどの人も、元公務員。その中でも、とくに優雅なのは、旧
国鉄職員の人たちではないか。月額の年金だけでも、三三、四万円もあるという。それに奥さ
んの年金。合計で、五〇万円近くもらっている人もいる。

 旧国鉄の人たちの年金が多いのは、退職日を、一日ずらして、四月一日にしているからだそ
うだ。この世界にも、いろいろとズルいカラクリがあるようだ。(ほかの公務員は、三月三一日
付けで退職している。つまり国鉄職員だけは、一年分、勤続年数が加算される。……た。)

 (注、このあたりの数字は、あくまでも伝聞なので、必要な方は、自分で確かめてほしい。)

 「国民年金なんて、あてにならないから……」
 「そうね……」

 一つの方法として、オーストラリア方式がある。老後は、街中のマンションに移り住むという方
法である。バス停や医院に近いところなら、よい。買い物に便利なところなら、よい。

 「しかし元気な、今のうちに、それをしたほうがいいかもよ」
 「そうね。病気になったら、おしまいだし……」
 
 何ともわびしい会話がつづく。しかしそれが老後。「何とかなるのでは……」という甘い考え
も、ないわけではないが、しかしそれは、ア・マ・イ。自分でも、それがよくわかっている。

 しかしこの日本。公務員だけは、メチャメチャ、保護されている。それが老後になると、ますま
すよくわかる。が、そういう国を作ってきたのも、私。いまさらグチを言っても始まらない。

 「あと一〇年をめどに、今の土地と家を売って、街中のマンションに移ろうか?」
 「それがいいわ」
 「そうしよう。あとはそこで死ぬ」
 「そういうことね」と。
 
【子育て最前線のあなたへ】

今が人生の華(はな)ですよ。いろいろ苦しいことや、つらいこともあるでしょうが、子育てをする
ことで、自分の年齢を忘れることができる。あるいは年をとることに、納得できる。

 しかし子育てが終わると、そうはいかない。へたに「誕生日、おめでとう」などと言われると、
「何が、めでたい!」と、思わず言いそうになる。それに、何か、くだらないことで一日がつぶさ
れたりすると、「一日を、返せ!」と、思わず言いそうになる。老後というのは、そういうもの。は
はは。(笑ってごまかす。)
(030803)

     ▲   ▲
    ▲▼▼ ▼▼▲
   ▼  ▲◎▲  ▼
     ▲◎◎▲▲
    ▲  口  ▲
    ▼  口  ▼         毎週月曜日、午後10時JUST
       口              に、チャットルームを開放しています。  
     凸凸凸凸凸             どうぞ、おいでください。
 〜〜〜凹凹凹凹凹凹凹〜〜〜   
  〜〜 〜〜 〜〜〜 〜
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞








件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■8-14

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●恐怖症

 初めまして。小学3年生の長男のことでご相談したくメールさせていただきます。下に六歳の
妹がいます。主人の転勤で、和歌山県から、母である私の実家(大阪市)に引っ越してきまし
た。子どもの様子を見ていて、がく然としました。

 通学班の子どもたちとも一言も口を聞きません。名前を呼ばれても返事すら出来ません。授
業参観に行っても、隣の子が懸命に話しかけているのに首を立てに振るか、横に振るかでし
か、返事をしません。

 母親である私がそばにいても第3者がいるところでは、私にも話かけません。世間に出るとま
ったく話をしません。自宅の庭で遊んでいても前の道を子どもが通ると隠れてしまいます。

 通学帽を目が隠れるほど深くかぶって、人との交流を避けているようです。最初は、それまで
の小規模校から、マンモス校に変わって緊張しているせいかと思っていましたが、新聞で場面
かん黙児のことを知り、我が子がそうではないかと悩むようになりました。

 和歌山にいたころも、男子10人のクラスで遊びにいけるのは、2人だけでした。それでも他
の子とも少しは話していたと思います。今は誰とも話さないので、友達も出来ず、孤独です。
 
 生まれた時から体が弱くて、喘息の慢性特定疾患児でした。思えば、少しでも健康になるな
らと何かと無理をしたようなところがあり、それでしゃべらなくなったような気がします。

 なにしろ家では普通に話すので、まさか我が子がかん黙児とは、気づきもしませんでした。3
歳までは明るく元気な子どもでした。それが、どこかスパルタ的な、指導がきびしい幼稚園で過
ごさせてしまいました。

 それで体も弱く、おとなしい長男は、かん黙するしかなかったのかもしれません。それでも1人
だけ仲良く遊べる友達がいたようで、その子の家にはお泊りもいけます。その子の家に、他の
子が何人かいるとしゃべらなくなるようです。

 特に年上の子と、女の子とはほとんど話せません。3年間の幼稚園時代にもそうだったと思
います。

 他の人に、じぶんの気持ちを伝えられないので、親である私にすら何かあった時、理由を尋
ねても、かん黙を通すことがあります。外で緊張しているのだから、家では楽しくすごさせたい
と、私が遊び相手になりますが、限界になると、悪いとはわかっていながら「友達を作りなさい
ね」と言ってしまいます。
 
 このまま、ほうっておいてかん黙は、なおるのでしょうか? カウンセリングを受けたいです。
かん黙は、大きくなるほどなおりにくくなるのでしょうか? アドバイスをお願いいたします。どう
か助けてください。
(大阪市・REより)

【REさんへ】

かん黙(貝殻を閉ざしたように話さなくなる)というのは、あくまでも症状です。かん黙するから、
かん黙児ということにはなりません。

 私はいただいたメールを読むかぎり、かん黙症ではなく、対人恐怖症、もしくは回避性障害で
はないかと思います。いわゆるかん黙症のときは、かん黙症状にあわせて、(1)視線を合わせ
ない、(2)体をこわばらせる、(3)意思の疎通ができなくなるなど、極度の緊張状態になるの
が、外からでもわかるようになります。かん黙しているときの様子を、観察してみてください。

 またかん黙児のばあいは、心の状態と表情が、遊離することが多いです。まったく無表情に
なったり、反対に意味のわからない、柔和な表情をしてみせたりするなど。外から見て、まった
く心の状態がつかめなくなります。

 また私の立場では、診断することはできませんので、心配なら、もよりの児童相談所か、保
険所の相談窓口に問い合わせてみられたらよいと思います。

 どういう診断名であるにせよ、あなたの子どもの心は、緊張状態にあることは事実です。その
緊張状態のところに、不安や心配が入り込むと、その不安や心配を解消するため、情緒が不
安定になります。そしてそれを解消するため、子どもによって、(1)攻撃的に出たり(プラス
型)、(2)回避したりする(マイナス型)などの方法をとります。これを心理学では、防衛機制と
言います。

 あなたの子どもは、そのうちの後者かと思われます。が、だからといって、かん黙症とはかぎ
りません。小学三年生という年齢や、また「隣の子が懸命に話しかけているのに首を立てに振
るか、横に振るかでしか、返事をしません」という症状からしても、かん黙症というよりは、対人
恐怖症ではないかと思われます。(かん黙症の子どもは、首を振るような反応すら見せませ
ん。)

 が、だからといって、安心というわけではありません。攻撃的に出れば、家庭内暴力。回避的
に出れば、引きこもりという状態に進んでしまうかもしれません。

 そこで対処方法としては、第一に、心の緊張感を理解し、それをほぐすことに全力をあげま
す。「気はもちよう」とか、「子どものわがまま」と、決して、安易に考えてはいけません。またこ
の症状は、少なくとも、半年単位、一年単位で考えてください。症状が、一、二か月で症状が軽
減するとか、そういうことはありえません。気を長くもって、根気よく対処してください。

 具体的には、つぎのようにします。

(1)できるだけ、人との接触を避け、無理をしない。恐らくあなたの子どもは、学校という場だけ
で、神経をヘトヘトにすり減らしていますので、家庭へ帰ってまで、他人との接触を求めてはい
けません。「たくさんの人と接触すれば、なれるだろう」式に考えてはいけません。

(2)家では、できるだけ、ぼんやりとさせてあげます。生活習慣が乱れることもあるでしょうが、
こまごまとしたことは言わないことです。のんびりと、くつろげるようにします。「話しなさい」「どう
して話せないの」と子どもを、追いつめてはいけません。反対に、「この前より、声が大きくなっ
たわ」「あなたのことをも、みんなは、かっこいいと言ってるわ」と、プラスのストロークをかけて
いきます。

(3)濃厚なスキンシップが有効です。年齢的にむずかしいところもありますが、この際、ベタベ
タのスキンシップを繰り返してみてください。添い寝、いっしょに風呂に入るなど。コツは、子ど
もが求めてきたときには、絶対に、拒否しない、です。幼稚園でのスパルタ方式はともかくも、
それ以前に、あなたと子どもの間の、「信頼関係」が、不じゅうぶんかと思われます。あなたの
子どもは、あなたに対して、全幅に、心を開いていますか? またあなたはそれを全幅に受け
入れていますか? あなた自身が、緊張感から抜け出られないということも考えられます。(親
が緊張していて、どうして子どもが気を休めることができるでしょうか?)

(4)心の緊張感をほぐし、動揺を抑えるため、CA、MGなどの多い、食生活に改めてみてくだ
さい。冷蔵庫から、甘い食品を一掃します。海産物、魚類がよいことは言うまでもありません。

(5)「子どもを、なおそう」と考えてはいけません。「今の状態を、これ以上悪くしないことだけ」
を考えて対処します。そして改めるべきは、子どものほうではなく、あなたや、子どもを包む家
庭環境です。どうすれば、子どもの側からみて、心の休まる家庭環境になるか、それだけを考
えてください。本来なら、学校を休んで、心の静養をさせるのがよいのですが、それができない
というのであれば、土日や、夏休みを、うまく利用します。この状態で、へたに無理をしてなおそ
うと考えると、不登校、引きこもり、拒食過食などの節食障害へと、一挙に進んでしまう危険性
すらあります。くれぐれもご注意ください。

(6)かん黙症、恐怖症の原稿は、「はやし浩司のサイト」に収録してあります。ヤフーの検索機
能を使って、「はやし浩司 かん黙」、もしくは、「はやし浩司 恐怖症」で検索してみてください。
しかし診断名をつけても、意味はありません。(あなたの立場では、そんなことをしても意味は
ありません。)あなたの子どもは、心の緊張感に苦しんでいます。あなた以上に、苦しんでいる
のです。それをまず、理解します。

(7)「あなたはダメな子」式の、言葉は、タブー。「友だちをつくりなさいよ」式の言い方は、かえ
って子どもを追い込んでしまいます。「あなたはよくがんばっているわ」「お母さんも、家でのん
びりしているほうが楽しい」というような言い方で、子どもの心を救うことだけを考えてください。

 幼稚園を責めても意味はありません。もう過去のことです。そのときはそのときで、正しい選
択だとあなたは思ってしたわけですから、それはそれでよかったと思います。(私は、乳幼児に
対するスパルタ教育には反対ですが……。してはならないと、いつも原稿に書いていますが…
…。)

 またこの時期は、そろそろ自己意識が、強くなってくるころです。その自己意識をうまく利用し
て、子ども自身が、自分をコントロールできるようにします。そのためにも、プラスの暗示をかけ
ていきます。繰りかえしますが、ここで「ぼくはダメだ」と思わせてしまうと、そのまま二番底、三
番底に落ちてしまいます。くれぐれも、ご注意ください。

 いただいたメールだけでは、よくわからないところもありますので、また何か新しいことがわか
れば、教えてください。とくに、かん黙しているときの様子を、もう少し詳しく書いてくださると、う
れしいです。
(030806)

      ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          どの人も問題なく生きているように見えますが、
 \※/            問題のない子育てなど、ありません。
  ‖                
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

【Q6】上の子ども(小四女児)が、たいへん意地っ張りで困っています。とくに母親の私に対し
てです。このところ少しずつなおってきてはいますが、少し心配です。どう考えたらよいでしょう
か(MK)。

【A、はやし浩司より】

 「がんこ」と、「意地」は、分けて考えます。がんこというのは、理由や意味もなく、かたくなに自
分のカラにこもることをいいます。たとえば「同じ青いズボンでないと、学校へ行かない」とがん
ばるなど。

 一方、意地というのは、自己主張を貫くための、強い意思的行動をいいます。それについて
以前、書いたのが、つぎの原稿です。何かの本(「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社))
のために書いた原稿です。

++++++++++++++++++++++++++

●根性のある子ども
 
 自分の意思を貫こうとする強い自我を、根性という。この根性さえあれば、この世の中、何と
かなる。反対にこの根性がないと、せっかくよい才能や頭脳をもっていても、ナヨナヨとした人
生観の中で、社会に埋もれてしまう。

 ある男の子(年長児)は、レストランで、「もう一枚、ピザを食べる」と言い出した。そこで母親
が、「お兄ちゃんと半分ずつにしなさい」と言うと、「どうしても一枚食べる」と。母親はあきらめ
て、もう一枚注文したが、その子どもは、ヒーヒー言いながら食べたという。あとで母親が、「お
となでも二枚はたいへんなのに」と笑っていた。

 またある幼稚園で先生が一人の男の子(年中児)に、「あんたなんか、もう、おうちに帰りなさ
い!」と言ったときのこと。先生は軽いおどしのつもりでそう言っただけなのだが、その子ども
は先生の目を盗んで教室を抜け出し、家まで歩いて帰ってしまった。先生も、まさか本当に帰
るとは思っていなかった。母親もまた、「おとなの足で歩いても、一時間はかかるのに」と笑って
いた。こういう子どもを、根性のある子どもという。

 その自我。育てる、育てないという視点ではなく、引き出す、つぶすという視点で考える。つま
りもともとどんな子どもにも、自我は平等に備わっているとみる。それは庭にたむろするスズメ
のようなものだ。あのスズメたちは、犬の目を盗んでは、ドッグフードをかすめ取っていく。そう
いうたくましさが人間にもあったからこそ、私たちは、何十万年もの長い年月を、生きのびるこ
とができた。

 が、多くの親たちは、その自我をつぶしてしまう。過干渉や過関心、威圧的な子育てや親の
完ぺき主義、さらには親の情緒不安が、子どもの自我をつぶす。親が設計図をつくり、その設
計図にあてはめるのも、まずい。子どもは小さくなり、その小さくなった分だけ、自我をそがれ
る。

 反対に自我を引き出すためには、まず子どもは、あるがままを認める。そしてあるがままを
受け入れる。できがよくても、悪くても、「これがうちの子だ」と納得する。もっとはっきり言えば、
あ・き・ら・め・る。一見いいかげんな子育てに見えるかもしれないが、子どもは、そのいいかげ
んな部分で、羽を伸ばす。自分の自我を引き出す。

 ただしここでいう自我と、がんこは区別する。自分のカラに閉じこもり、かたくなな様子になる
のは、がんこという。たとえばある男の子(年長児)は、幼稚園では同じ席でないと、絶対に座
らなかった。また別の男の子(年長児)は、二年間、ただの一度もお迎えにくる先生に、あいさ
つをしなかった。そういうのは、がんこという。

 また自我は、わがままとも区別する。「この前、お兄ちゃんは、○○を買ってもらったのに、ど
うしてぼくには買ってくれないのか」と、主張するのは自我。しかし理由もなく、「あれ買って!」
「これ買って!」と泣き叫ぶのは、わがままということになる。ふつう幼児のばあい、わがままは
無視するという方法で対処する。「わがままを言っても、誰も相手にしませんよ」という姿勢を貫
く。

+++++++++++++++++++++++++

 この原稿の中で、「自我」について書きましたが、簡単に言えば、「私は私」という意識のこと
です。もう一つ原稿(中日新聞発表済み)を、ここに添付します。どうか参考にしてください。

+++++++++++++++++++++++++

●フロイトの自我論

 フロイトの自我論は有名だ。それを子どもに当てはめてみると……。

 自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、も
のの考え方が現実的(頼れるのは自分という考え方をする)で、創造的(将来に向かって展望
をもつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行動
できる。

 反対に自我の弱い子どもは、物事に対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよく口
にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、占いや手相にこ
る)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くなる。たとえ
ばほしいものがあると、それにブレーキをかけられない、など。

 一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみ
どころが、はっきりとしている。生活力も旺盛(おうせい)で何かにつけ、前向きに伸びていく。
反対に自我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているか分
からない子どもといった感じになる。

 その自我は、伸ばす、伸ばさないという視点からではなく、引き出す、つぶすという視点から
考える。つまりどんな子どもでも、自我は平等に備わっているとみる。子どもというのは、ある
べき環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、威圧的な過干渉(親
の価値感を押しつける。親があらかじめ想定した設計図に子どもを当てはめようとする)、過関
心(子どもの側からみて息の抜けない環境)、さらには恐怖(暴力や虐待)が日常化すると、子
どもの自我はつぶれる。そしてここが重要だが自我は一度つぶれると、以後、修復するのがた
いへんむずかしい。たとえば幼児期に一度ナヨナヨしてしまうと、その影響は一生続く。特に乳
幼児から満四−五歳にかけての時期が重要である。

 人間は、ほかの動物と同様、数十万年というながい年月を、こうして生き延びてきた。その課
程の中でも、むずかしい理論が先にあって、親は子どもを育ててきたわけではない。こうした本
質は、この百年くらいで変わっていない。子育ても変わっていない。変わったと思う方がおかし
い。要は子ども自身がもつ「力」を信じて、それをいかにして引き出していくかということ。子育
ての原点はここにある。

+++++++++++++++++++++++++

 MKさんのお子さんが、どのような状態なのか、いただいた質問だけでは、よくわかりませ
ん。しかしここに書いたような、「自我」の表れであるなら、それはそれとして、「ああ、うちの子
はたくましく育っている」と思いなおしてみることも、大切ではないでしょうか。

 またこの時期(小2から、小4)にかけては、軽い反抗期に入ることが知られています。この時
期の子どもは、幼児期と少女期の間を、行ったりきたりしながら、情緒的にも不安定になる時
期です(=心が緊張状態になるときです。)。ときに幼児のときのように甘えてみたり、反対に、
子ども扱いをされると怒ってみせたり。さらに反対に、おとなぶってみたりするなど。

 「このところ少しずつなおってきてはいますが……」ということですので、ここに書いたことを参
考に、今しばらく、様子をみては、いかがでしょうか。


    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│   みんなで力をあわせて、前向きに
  ┃     ┃   ///─┘┤    生きていきましょう!
  ┃     ┃  刧凵^ | │  
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子どもを非行から、守るために……

 子どもを、どうやって非行から守るかなどということは、いくら議論しても、意味はない。子ども
を、非行から遠ざけても、意味はない。

 子どもの世界には、無数の誘惑があり、そのつど、誘惑が、子どもを襲う。それはインフルエ
ンザの菌のようなもの。子どもをいくら隔離しても、隔離しきれるものではない。また隔離すれ
ばするほど、問題を先送りするだけ。子どもは、温室育ちになってしまう。

 大切なことは、子どもに、抵抗力をつけること。誘惑があっても、それをはねのけるだけの、
「力」をつけておくこと。

 では、どうするか?

 方法は、二つある。一つは、常、日ごろから、子ども自身に考えさせること。二つ目には、そう
した誘惑に、適当に、さらしておくこと。
 
【自分で考える子ども】

 子どもから考える力を奪うものに、過干渉、過保護、過関心、溺愛がある。このうち、とくに警
戒しなければならないのは、過干渉である。親が子どもの行動のみならず、ものの考え方ま
で、支配してしまう。結果、子どもは、自分で考えることができない子どもになってしまう。

【適当にさらす】

 子どもを、ある程度、サブカルチャ(下位文化)にさらすことは、(できれば、避けたいが…
…)、必要なことと考えてよい。そのハバが広ければ広いほど、抵抗力も強くなる。

 だからあなたの子どもが、あなたから見て、好ましくない友だちとつきあい始めたら、頭から
それを否定するのではなく、様子をみる。そしてあとは、『友を責めるな、行為を責めろ』(イギ
リスの格言)に従って行動する。

 これはどんなことがあっても、相手の友だちを責めてはいけないということ。行為のどこがどう
悪いかだけを話して、あとは子どもの判断に任す。こういうケースで、「あの子は悪い子だから
遊んではダメ」と子どもに迫るのは、子どもに「親を取るか、友だちを取るか」の、択一を迫るよ
うなもの。子どもがあなたを取れば、それでよし。もしそうでなければ、あなたとあなたの子ども
の間に、大きなキレツを入れることになる。

 抵抗力のある子どもは、誘惑があっても、その場で、判断して、それから遠ざかることができ
る。そうでない子どもは、そのまま誘惑に負けてしまう。喫煙、夜間外出、万引き、集団非行な
ど。

 が、それでも誘惑に負けてしまったら……。いくつかの鉄則がある。

【誘惑に負けてしまったら……】

 子どもが非行の世界に入るのは、きわめて短い時間である。子どもによっては、ほんの数週
間程度で、非行の世界に入ってしまう。そのため親がそれに気づくことは、まずない。気がつい
たときには、すでに手遅れ。そうなることが多い。

 そういう非行が目につくようになると、たいはんの親は、叱ったり、説教したりする。しかしそ
れがはげしければ、はげしいほど、子どもの心は、別のほうに動いてしまう。

 そういう点では、「非行は、心の病気」と考えたほうがよい。あるいはそれまでの積み重ね
が、その背景にある。子どもが非行に走るのには、それなりの理由がある。それだけに「根」は
深い。叱ったり、説教したくらいでは、なおらない。

 さらに、非行には、二番底、三番底、さらには、四番底がある。(門限破り)を叱っているうち
に、(外泊)→(家出)というケースになることは多い。だから子どもが非行を繰り返すようになっ
たら、「今の状態を、それ以上悪くしないことだけ」を考えて、対処する。すでに家庭教育は失
敗しているとみてよい。(それを認めるのは、親としても、勇気のいることだが……。)

 また子どもが非行を繰り返すようになると、親は、進学問題などで、子どもをおどすことがあ
る。「こんなことで、高校へ行けないわよ!」と。しかしその程度ですめば、まだよいほうである。
かろうじてでも、まだ学校や塾へ通っているなら、それを喜び、満足する。反対に「あなたはよく
がんばっている」とほめる。そういうやさしさが、子どもを、非行から立ちなおらせる。
(030806)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【参考】(以前書いた原稿を、添付します。)

+++++++++++++++++++++

子どもの抵抗力をます法

(東洋医学の発想で防げ!)

子どもが非行に抵抗するとき 

●あやしげな男だった
 あやしげな男だった。最初は印鑑を売りたいと言っていたが、話をきいていると、「疲れがと
れる、いい薬がありますよ」と。私はピンときたので、その男には、そのまま帰ってもらった。

 西洋医学では「結核菌により、結核になった」と考える。だから「結核菌を攻撃する」という治
療原則を打ちたてる。これに対して東洋医学では、「結核になったのは、体が結核菌に敗れた
からだ」と考える。だから「体質を強化する」という治療原則を打ちたてる。人体に足りないもの
を補ったり、体質改善を試みたりする。これは病気の話だが、「悪」についても、同じように考え
ることができる。私がたまたまその男の話に乗らなかったのは、私にはそれをはねのけるだけ
の抵抗力があったからにほかならない。

●非行は東洋医学的な発想で 
 子どもの非行についても、また同じ。非行そのものと戦う方法もあるが、子どもの中に抵抗力
を養うという方法もある。たとえばその年齢になると、子どもたちはどこからとなく、タバコを覚
えてくる。最初はささいな好奇心から始まるが、問題はこのときだ。たいていの親は叱ったりす
る。で、さらにそのあと、誘惑に負けて、そのまま喫煙を続ける子どももいれば、その誘惑をは
ねのける子どももいる。

東洋医学的な発想からすれば、「喫煙という非行に走るか走らないかは、抵抗力の問題」とい
うことになる。そういう意味では予防的ということになるが、実は東洋医学の本質はここにあ
る。東洋医学はもともとは、「病気になってから頼る医学」というよりは、「病気になる前に頼る
医学」という色彩が強い。あるいは「より病気を悪くしない医学」と考えてもよい。ではどうする
か。

●子育ての基本は自由
 子育ての基本は、自由。自由とは、もともと「自らに由る」という意味。つまり子どもには、自
分で考えさせ、自分で行動させ、そして自分で責任を取らせる。しかもその時期は早ければ早
いほどよい。乳幼児期からでも、早すぎるということはない。自分で考えさせる時間を大切に
し、頭からガミガミと押しつける過干渉、子どもの側からみて、息が抜けない過関心、「私は親
だ」式の権威主義は避ける。暴力や威圧がよくないことは言うまでもない。

「あなたはどう思う?」「どうしたらいいの?」「どう始末したらいいの?」と、いつも問いかけなが
ら、要は子どものリズムに合わせて「待つ」。こういう姿勢が、子どもを常識豊かな子どもにす
る。抵抗力のある子どもにする。

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***ミ☆川川川☆彡***
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    /|||\             お寄せください。
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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

B君夫妻のこと

 B君夫妻は、べつべつに洗濯をしている。それについて、今朝、B君に聞いた。「どうして?」
と。

 B君は、こう言った。「M(ワイフ)は、ぼくより長い時間、仕事をしている。だからMに、洗濯を
してくれるところまでは、期待していない」と。

 「オーストラリアでは、夫が、洗濯をするのか?」と聞くと、「それが、どうした?」と。

 B君は、こう言った。

 「今では、洗濯は、簡単にできる。CDのスイッチを入れるのと、どこも違わない。どうしてヒロ
シは、そうまで洗濯を深刻に考えるのか?」と。

 「日本では、洗濯までする夫は少ない」と私。
 「どうして?」とB。
 「洗濯に対して、偏見があるせいかもしれない」
 「そこが、奇妙だ」
 「奇妙?」
 「洗濯は、簡単なことだ。汚れたものを入れて、スイッチを押すだけ。それだけのことだろ?」
 「しかし日本の男性には、抵抗がある」
 「ヒロシは、しないのか?」
 「洗濯だけは、しない。山荘のほうでは、ときどきするが……」
 「それはおかしい。CDのスイッチを入れるのと、同じだろ」
 「……ナルホド!」

 オーストラリアでは、夫も洗濯をするそうだ。しかし夫婦別々に洗濯をする家族は、少ないと
のこと。「ぼくたちは、結婚当初から、そうしてきた。だから、今でもそうしているだけ……」との
こと。

 思い出してみると、私も、はじめて自分の汚れた下着を、ワイフに洗ってもらったときは、恥
ずかしかった。あのとき、自分で洗濯をする習慣があったら、(あったが……)、そのまま、別々
に洗濯をしたかもしれない。B君夫妻のばあいは、それがハウスの習慣として定着してしまった
ということらしい……。

 そのB君夫妻が、明日、シンガポール経由で、オーストラリアへ帰る。何となくさみしくなってき
た。
(030806)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

自然

 アインシュタインは、かつてこう言った。

The human mind is not capable of grasping the Universe. We are like a little child entering a 
huge library. The walls are covered to the ceilings with books in many different tongues. The 
child knows that someone must have written these books. It does not know who or how. It 
does not understand the languages in which they are written. But the child notes a definite 
plan in the arrangement of books--a mysterious order which it does not comprehend, but 
only dimly suspects. - Albert Einstein

人間は、宇宙の全体像を知ることはできない。私たち人間は、巨大な図書館に入り込んだ、小
さな子どものようなものである。壁は天井まで、いろいろな言語で書かれた書物が、ぎっしりと
並べられている。その子どもは、だれかがこれらの本を書いたということは知るかもしれない
が、だれが、どうやって書いたかまでは、わからない。それらの言語を理解することもない。
が、その子どもは、その本の並べ方について、一定の約束、つまり理解はできないが、ぼんや
りとした疑いを感じながらも、神秘的な秩序があることに気づくだろう。

 最近、こんなことが、少しずつわかってきた。つまり日本人が言うところの「自然」と、英語で
言うところの「Nature(自然)」とは、どうやら異質のものではないか、と。

 日本人は、平気で、「自然を大切にしましょう」と言う。が、恐らく、そんなことをいうのは、日本
人だけではないか。ブラジルへ行ったとき、ブラジル人は、あのアマゾンに対して、敵意すら感
じているというような話を聞いたことがある。またアラブの砂漠の国へ行くと、彼らにとっては、
自然とは、砂漠を意味する。へたに「自然を大切にしましょう」などと言おうものなら、「お前は
バカか」と言われるかもしれない。

 また日本が緑豊かな国なのは、日本人が、それだけ自然を愛しているからではない。大切に
守っているからでもない。たまたま放っておいても、緑だけは、豊富に育つという国だからにほ
かならない。むしろ日本人ほど、自然を粗末にする国民は、いない。

 先日も、オーストラリアの友人が日本の山々と見ながら、私にこう聞いた。「どうして日本人
は、山を、コンクリートでおおうのか?」と。日本人の私には見慣れた風景でも、オーストラリア
人には、奇異に見えるらしい。官僚と土建業と政治家。この三者が一体となって、そうした日本
独特の風景をつくりあげた。

 そこでアインシュタインの言葉だが、彼がいう「自然」は、日本人が考えている自然より、ずっ
とスケールが大きい。彼は宇宙を見て、「自然論」を説いている。いわく「私たち人間は、巨大な
図書館に入り込んだ、小さな子どものようなものである」と。謙遜して、そう言っているようにも
思えるが、これは自然に対する、 畏敬の念を表した言葉とみるべきではないか。アインシュタ
インは、あるときいつか、この大宇宙に思いをはせながら、その実大さに、恐れおののいたの
かもしれない。

 さてさて現在、地球は、たいへんな危機に直面しつつある。地球温暖化がそれである。もちろ
ん温暖化を阻止することは重要だが、しかしそれ以上に大切なことは、私たちがもつ自然への
意識を変えることである。でないと、結局は、「いたちごっこ」で終わってしまう。それについて、
これから先、一つのテーマとして、いろいろと考えてみたい。その手始めに、アインシュタインの
言葉について、考えてみた。
(030805)

     ▲   ▲
    ▲▼▼ ▼▼▲
   ▼  ▲◎▲  ▼
     ▲◎◎▲▲
    ▲  口  ▲
    ▼  口  ▼         毎週月曜日、午後10時JUST
       口              に、チャットルームを開放しています。  
     凸凸凸凸凸             どうぞ、おいでください。
 〜〜〜凹凹凹凹凹凹凹〜〜〜   
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各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
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11・ 8 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・23 ……奥山小学校
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9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
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9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
詳しい講演日時は、
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■8-16A

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【1】子育てポイント
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【今週の幼児教室より】

 今週は、「善と悪」をテーマにした。少し、おおげさかな……?

 この年齢で多いのが、交通事故。私はいつも、交通事故の様子を迫真の演技で、子どもたち
にしてみせる。決して、手を抜かない。中には、涙ぐむ子どももいる。そしてそれが終わると、デ
ィスカッション。

 「道路を渡るときは、何に気をつけるかな?」
 「自動車!」
 「自動車じゃ、ない!」
 「……じゃあ、先生、何?」
 「自動車を運転している、運転手だよ。いいか、道路を渡るときは、運転手の顔を見るんだ。
顔の中でも、目を見るんだ。見るだけではいけない。にらむんだ。わかったかな?」と。

 ほとんどの子どもは、自動車を見る。しかしそれでは安全か、どうかはわからない。自動車を
運転している、運転手を見る。そのとき、運転手の視線と、こちらの視線が合えばよし。そうで
なければ、油断をしてはいけない。

 最近では、携帯電話をかけたまま運転する人がふえている。わき見運転も多い。だから、運
転手の顔を見る。目を見る。そういうクセをつけておけば、こちらも安全。これは三三年間の自
転車通勤で、私が身につけた、生きる知恵。

 それと平行して、「棒を口に、くわえてはいけない」「袋を、頭にかぶってはいけない」「マッチで
遊んではいけない」「ナイフや、カッターで遊んではいけない」などを教える。

 一五年ほど前、「子どもには、ナイフを渡せ」と、とんでもないアホなことを言う、評論家がい
た。「親が子どもを信頼している証(あかし)になる」と。日本でもよく知られた評論家だったが、
その評論家は、やることなすこと、それに言うことが、いつもどこか常識からハズれていた。

 また「最近の子どもは、ナイフで鉛筆も削れない」などと、批判する人も多い。しかし鉛筆など
というものは、鉛筆削りで、削ればよい。それを私が主張すると、「鉛筆削りでは、鉛筆がムダ
になる」と反論した人がいた。それに対して、私はこう反論した。「ナイフで削っていたら、時間
がムダになる」と。

 ときどき、こういう時代錯誤的な評論をする人がいる。(私もその一人かも知れないが……。)
じゅうぶん、注意してほしい。

 善と悪の判断は、むずかしい。最後にこんな問題を出して、テーマをしめくくった。

 「道を歩いていると、お金が落ちていました。そこでその子どもは、そのお金で、アイスキャン
デーをたくさん買いました。公園へ行くと、小さい子どもがたくさんいました。みんなにアイスキャ
ンデーを分けてあげました。小さい子どもたちは、みんな、『ありがとう』と言って、それを喜んで
食べました。さて、その子どもは、いい子かな。それとも悪い子かな?」と。

 年中児のほとんどは、「いい子」と答える。年長児でも、三〜四割の子どもは、「いい子」と答
える。そこで、順に、「拾ったお金は、どうするの?」「子どもが勝手に、食べ物を買うことはいい
ことかな?」などと、話しあいながら、誘導していく。で、レッスンが終わるころには、みな、「悪
い子」と答えるようになる。
(030809)

      ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          どの人も問題なく生きているように見えますが、
 \※/            問題のない子育てなど、ありません。
  ‖                
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

過去の亡霊にしがみつく人たち

 退職前の肩書きや、地位にぶらさがって生きる人は、少なくない。そういう人は、概して、恐ろ
しく権威主義的で、何かにつけ、「形」にこだわる。そして「上」の人に対しては、必要以上にペ
コペコする反面、「下」の人に対しては、いばる。

もっともそういう人にとっては、それが人生。権威を否定するということは、そのまま自己否定
につながる。だから、権威を認めない人には、猛烈に反発する。子どもが何かのことで、反論
したりすると、「親に向かって、何だ!」と叫ぶ人は、たいていこのタイプの人とみて、よい。

 A氏(六八歳)も、その一人。退職前は、ある国の出先機関の「副長」まで勤めた。彼は私に
こう言った。「日本には日本のよさがある。林君は、そういうよさまで否定するのか!」と。彼は
いつも、テレビドラマの『水戸黄門』を、いつも涙をこぼすほど笑いながら見ている。

 しかし人間の価値は、当然のことながら、中身で決まる。いまどき、肩書きや地位など、そこ
らにころがっている犬にクソほどの価値しかない(失礼!)。それらはまさに人間社会がつくり
あげた、亡霊のようなもの。肩書きや地位は、あれば便利なものだが、しかしそれに毒される
と、自分を見失う。

 A氏については、無数のエピソードがある。地位がひとつあがるたびに、親戚や近所の人に、
それを知らせて回った。「どうだい、私は、こんなに偉いのだぞ!」と。しかしそう思うのは、その
人の勝手だが、それを他人に押しつけてはいけない。押しつけられたほうは、えらい、迷惑。
「おめでとう!」と言いながらも、別の心で、「かわいそうな人だ」と思ってしまう。

 人生には、前向きの人生と、うしろ向きの人生がある。前向きばかりでは、疲れるが、しかし
うしろ向きの人生は、少なければ少ないほど、よい。うしろ向きになったとたん、そこで人生は
よどむ。腐る。そしてその人の人生を見苦しくする。

 私は八〇歳を過ぎても、なお、乳幼児医療の無料化運動をしている女性に、出会ったことが
ある。すばらしい女性だった。何度目かに会ったとき、私は思わず、こう聞いてしまった。「何
が、あなたを、そうさせるのですか?」と。するとその女性は、こう言った。「私はずっと保育園
の園長をしてきました。今、ここで、その総仕上げをしたいのです」と。

 今、私は、人生の大きな岐路に立っているような気がする。どこかものの考え方が、うしろ向
きになってきた。一方で、このままではいけないと思っている。そうした戦いが、心の中で、火花
を飛ばしている。前向きに生きるということは、決して楽なことではない。うしろ向きに生きるほ
うが、実のところ、生き方としては、楽。「どうして、お前は、あえて苦しい道を選ぶのか?」とい
う、声も聞こえないわけではない。

 しかしここで負けたら、おしまい。私の人生は、このままズルズルと、うしろ向きになってしま
う。そしてあのA氏のように、過去の亡霊にしがみつきながら、みじめな人生を送ることにな
る?

 さあ、どうしようか……と、考えたところで、このエッセーはおしまい。A氏の問題を考えていた
ら、自分の問題になってしまった。しかもこの問題は、現在進行中。何ともわけのわからないエ
ッセーになってしまった。ごめんなさい!
(030809)

    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│   みんなで力をあわせて、前向きに
  ┃     ┃   ///─┘┤    生きていきましょう!
  ┃     ┃  刧凵^ | │  
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

学力をつける(3)

 自分の子どもの学力が、どの程度のところにあるか。それを知ることは、重要。しかしむずか
しい。どんな親も、「うちの子は、やればできるはず」と考える。それはそうだが、しかし(やる・
やらない)も、力のうち。「やればできるはず」と思ったら、すかさず、「やってここまで」と思う。

 まずいのは、十人中、七、八位の能力しかないのに、子どもに、二位、三位の成績を求める
こと。実際、私も、「何とか、二位、三位に……。せめて四位まで……」などという相談を親から
受けると、絶望感すら覚える。

 親の欲望には、際限がない。もっともこういう欲望があるからこそ、日本の教育は成り立って
いる。受験競争もそこから生まれる。学歴信仰や、学校神話が、それを側面から支える。この
欲望がなかったら、日本の教育そのものが、崩壊するかもしれない。

 多分、長い間、公務員をしている人には、こういう感覚はわからないかもしれない。しかしこ
の世の中、生きていくだけでも、不安がつのる。不安がいっぱい。一寸先は闇という言葉があ
るが、仕事によっては、一年先、一か月先は闇。公的な保護を受け、公的な援助にぶらさがっ
て生きている人だけが、のんきに生きていくことができる。

 そういう現実を、親たちは、いやというほど思い知らされている。だから、子どもには、こう言
う。「勉強しなさい!」と。そういう親を、いったい、だれが笑うことができるだろうか。

 で、子どもを伸ばそうと思ったら、まず、子どもの学力がどの程度なのか、正確に知る。七
位、八位であれば、まずそれを知る。よく能力は平等だと主張する人がいる。しかしこと、学力
についていえば、平等ではない。ないことは、少し教えた経験のある人なら、だれでも知ってい
る。少なくとも、七位、八位にいる子どもが、半年や一年くらいで、二位、三位になることは、あ
りえない。いわんや、小学六年とか、中学一年になるころには、その「力」は、固定されている。

つぎに子どもの「力」より、やや上に目標を設定する。子どものやる気は、達成感があってはじ
めて、生まれる。大脳生理学の分野では、脳の中の帯状回という組織が、その「やる気」に深
く、かかわっていると説明する人がいる。

 大脳皮質部からの適度な刺激が、帯状回に伝わると、帯状回で、モルヒネに似た物質が放
出される。それが、心地よい感覚を生むというわけである。こうしたメカニズムをうまく利用すれ
ば、子どもは、伸びる。そうでなければ、そうでない。

 今、子どもの教育で、失敗する親が、本当に多い。「うちの子にかぎって……」と思っているう
ちに、どんどんと深みにはまってしまう。子どもが、脳の慢性的な機能障害※におちいっている
にもかかわらず、「勉強させるのは、どうしたらいいか」と相談してくる親すら、いる。

 子どもの学力を伸ばそうと考えたら、「どう伸ばすか」ではなく、「どう伸ばす芽をつぶさない
か」を考えてする。こうした謙虚な姿勢が、子どもを伸ばす。そのためにも、まず冷静に、自分
の子どもの学力が、どの程度の位置にあるかを知る※。

※……抑圧感が日常的に続くと、子どもの脳の機能は、変調する。チック、吃音(どもり)など
がよく知られているが、ほかに、夜驚、ねぼけ、夜尿、頻尿など。わざと人前でころんでみせる
などの、自虐的行為に出る子どももいる。神経症の診断チェックについては、私のサイト((は
やし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)に収録しておいた。

※……ただし進学塾でするような、テストでは、「位置」は正確にはわからない。またそこで示さ
れるような順位は、ここでいう「位置」ではない。進学塾では、テストをし、順位をつけることで、
親や子どもに緊張感をもたせ、もって「金儲け」につなげる。頭のよい子どもは、幼児期から、
光る。そうでない子どもは、そうでない。私がいう「位置」というのは、それをいう。
(030810)

 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

山荘ライフ

 二週間ぶりに山荘へ来た。入り口のところで、マムシが休んでいた。多分、眠っていた。私は
カマをもってきて、柄が折れるほど、(実際、折れてしまったが……)、力いっぱい叩いた。マム
シは、頭を切られて、即死。残酷な殺し方だが、こうした作業では、手加減は禁物。一撃、必
殺!

 ちぎれた体を、遠くへ投げ捨てていると、ワイフが、「よく見つけたわね」と言った。私は、ヘビ
だけには、注意を欠かしたことがない。とくにマムシは、そう。かまれたら、おしまい。あの世行
き。

 山荘へ入ると、カビ臭いのに驚いた。梅雨はあけたとはいえ、この数日、台風の影響で、ず
っと雨だった。私とワイフは、窓という窓を、あけた。夏とはいえ、ひんやりとした涼しい風が、ス
ーッと部屋を抜けた。

 こういうところに来ると、緑の大切さが、よくわかる。街の中では、コンクリートの照り返しもあ
って、実際以上に気温は高くなる。しかし緑の中では、気温は高くても、涼しさを感ずる。この
違いは、大きい。

 夜になって、空を見ると、くっきりとした空に、月が美しく輝いていた。ロマンチックな空だっ
た。もう少し若ければ、詩の一つでも書くのに、と思った。しかしこのところ、ますます自信がなく
なってしまった。

 いや、先日も、小学二年生のH君が、私にこう言った。「林先生も、おじいさんになったねっ
て、うちのママが言っていたよ」と。

 H君の母親は、美しい人だった。少なからず、好意をもっていた。その母親が、子どもには、
そう言っていた! ショックだった。悲しかった。そのときは、笑って何とかごまかしたが……。
 
 ところで今日は、一つ、告白したいことがある。これは私の密かな楽しみの一つである。つま
り、私は、山荘で、立小便をするのが、何よりも楽しい。気もちよい。丘の上に立って、下をめ
がけて思いっきり、放尿する。

 そのとき、尿意があっても、できるだけがまんする。あるいはどんどんと、水を飲みつづける。
ワイフは、「自虐的な楽しみ」と笑うが、その限界状態の中で、放尿する。それは実に爽快(そう
かい)なもの。一度、ワイフに、「お前もしてみろ!」と言ったことがあるが、もともと女性には無
理。いや、ワイフはこう言った。

 「女性だって、お尻を、外に向けてすれば、立小便くらいできるわよ」と。

 そう言えば、子どものころ、そういう姿勢で小便をしている女性を、どこかで見かけたことがあ
る。しかしそのあと、ワイフはこう言った。

 「しかしね、そういうし方をすると、お尻や足が、おしっこで、ベタベタになるわ」と。どうやらワ
イフは、その経験者らしい? ここだけの話だが……。

 今夜は山荘で一泊。私は、原稿を書く。寝るのがおしく感ずるほど、気持ちのよい夜だ。がん
ばろう! 今、時刻は、ちょうど一二時。八月一〇日になったところだ。
(030810)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

睡眠障害

 このところ、どうもうまく、睡眠がうまくとれない。寝苦しいこともある。朝早くから、鳥が鳴いた
り、セミが鳴いたりすることもある。慢性的な、睡眠不足状態にあるようだ。気をつけよう。

 私のばあい、ふとしたことで、眠りそこねる。すると、それが朝方までつづいてしまう。先週
は、一度、不注意にも濃いお茶を飲んでしまった。「しまった!」と思ったときには、遅かった。
で、その夜は、朝の二、三時ごろまで眠られなかった。

 最近は、何といっても、朝早く目がさめてしまう。「七時ごろかな……」と思って起きてみると、
まだ五時だったりする。

 そこで私は、不足分を、昼寝でカバーすることにしている。幸いにも、私のばあい、ほぼ自由
に、毎日の時間を設定できる。まさに「自由業」の強みである。が、それも妨げられることがあ
る。

 今日も、昼食後、扇風機をかけて、うとうとしていると、そこへ「さお屋」がやってきた。「アオヤ
ー、さお竹エ〜」という、あれである。しかもボリュームは、最大! 数ブロック離れた、町内の
向こうから聞こえてくる。目がさめたというより、怒りで、目がさめてしまった。

 どうしてああいうもの売りが、野放しになっているのか。さお屋だけではない。わらびもち売
り、廃品回収、オートバイ回収など、日曜日など、いくつかが重なってくることある。苦情を言い
たくても、会社名や個人名など、どこにもない。車のナンバーも、たいてい隣町のT市になって
いる。今日も、道路へ出ていって、文句を言おうかと思ったが、私は、下着姿だった。

 静かに眠るということさえ、ままならないのか。そういう意味では、私たちは、騒音に対して、
少し無関心すぎるのでは……? これは、せまい国土で、軒をつらねて、ひしめきあって生きて
きた結果とも考えられる。

 騒音の種類と内容を並べてみる。

 隣人のTさん夫婦は、毎朝、四時ごろ起きて、宗教儀式や料理を始める。
 隣人のKさんは、毎朝、六時少し前に、雨戸をガラガラとあける。
 その間に、バイクに乗った新聞配達や牛乳配達がやってくる。
 少し明るくなると、家の前の森に住むカラス、もしくはヒヨドリが鳴きだす。
 夏の今ごろは、セミも鳴きだす。

 ……と、朝から、こうした騒音が、途切れることなく、何だかんだと、ほぼ夕方までつづく。

 私の睡眠障害は、こうした騒音とは決して無縁ではない。とくにつらいのは、隣人のRさんの
宝石研磨。ときおり耳もつんざくような音で、ガリガリ、バリバリ、グイングインとやりだす。歯医
者で、歯をけずるような音だ。しかし……。それがRさんの生きがい? 私が「やめてほしい」な
どと言うと、Rさんは、生きる目的をなくし、自殺してしまうかもしれない。ホント!

 ワイフはこう言う。「山荘にいるときだけ、ぐっすりと眠られる」と。実のところ、私もそうだ。今
ごろは、真夜中まで、ヒグラシの声が聞こえる。そう、自然の音は、むしろ子守り歌。

 若いころは、ほとんど気にしなかったが、年齢を重ねるごとに、よい睡眠が、大きなテーマに
なってきた。同時に、私の睡眠障害が、気になるようになってきた。

そうそう、よく誤解されるが、老齢になるほど、音に敏感になるというのは、ウソ。老齢になるほ
ど、睡眠が浅くなる。その結果として、睡眠が、音に左右されるようになる。決して音に敏感に
なるわけではない。 
(030807)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

富士山

 二つの書店を回ってみた。しかし、なかった。そこで市内の書店へ行った。店員に、「富士山
の写真集はありますか?」と聞くと、そこへ案内してくれた。

 富士山。日本を代表する名山だが、写真集となると、意外に少ない。浜松市内でも最大手の
書店でも、数種類しかなかった。私は、その中の一冊を選んだ。「月と富士山」というようなタイ
トルの写真集だった。

 約二か月の滞在期間中、B君夫妻は、北は青森から、南は、姫路まで。金沢も高山も、京都
も奈良も回った。もちろん日光も。その旅行の中で、奥さんのMは、富士山にこだわった。箱根
へ、二度も行ったのは、そのためだった。

 しかしいずれのときも、そして何度か、新幹線で通りすぎたときも、あいにくの悪天候。このと
ころ、毎日、雨ばかり。B君夫妻は、結局は、一度も、富士山を見ることができなかった。

 B君夫妻を、名古屋空港へ送っていく朝。私たちは、「富士見橋」へ立ち寄ることにした。その
名前のとおり、その橋からは、富士山が見える。が、行ってみると、驚いた。ちょうど視界をさえ
ぎる形で、水門ができていた。

「これじゃあ、見えないよ」と私。
「……」とワイフ。

 私は車の外へ出た。出て、水門の向こう側に回ってみた。富士山が見えるといっても、もちろ
ん天気がよくなければ、見ることはできない。しかも、かなりクリアな天気の日だけに、かぎられ
る。

「ああ、見える」と私。

 佐鳴湖をはさんで、医療センターのビルが見える。富士山は、丘陵の、ちょうど切れ目のとこ
ろ。センターのビルの右側に見えた。朝焼けのオレンジ色の空を背景に、鈍い赤茶色の肌を
見せながら、そこに立っていた。

 B君夫妻が、小走りに、私のところへやってきた。そして「見える!」「見える!」と喜んだ。運
転していたワイフも車から出てきて、「見える」と。

 もっとも浜松市から見る富士山は、近くの山々より、低い。その上、富士山といっても、小さな
三角にしか見えない。

「雪がないわ」と、奥さん。
「雪があるのは、冬だけよ」とワイフ。互いに笑った。

 B君は、突っ立ったまま、何も言わなかった。私は、そういうB君を、しばらく見守った。
 
 空港へは予定どおり、着いた。B君夫妻は、旅なれた様子だった。あれこれ順に手続きをす
ませると、こう言った。「今度は、君たちがオーストラリアへ来る番だ」と。私はうなずいた。目頭
が、ジンと熱くなった。そのとき、私は、あの写真集をカバンから取り出した。

 「これは、富士山の本だ」と。

 B君は、満面にうれしさを表現しながら、私にもう一度、握手を求めてきた。私も、それに負け
ないほどの力で、B君の手を握りかえした。
(030808)

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       口              に、チャットルームを開放しています。  
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■8-18-2

【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●浜松市内で発行されている、電子マガジンに掲載してもらった記事より。私はこの中で、「静
かに考える時間」の大切さについて、書いた。

+++++++++++++++++++++++++

子育てワンポイントアドバイス2! by はやし浩司

【静かに考える時間】

●考える時間
 いかにすれば、自分の時間がもてるか? 自分の時間というのは、静かに考
 える時間のことをいう。五分や一〇分では足りない。数時間単位の時間をい
 う。その数時間を、日々の生活の中で、いかにすれば作ることができるか?

 残念ながら日本人は、その時間がない。時間をもつという習慣もない。ない
 ことは子どもの生活をみればわかる。朝、起きるとすぐ学校へ送り出され、
 そこで「いわしの缶詰」のような教育を受け、家へ帰ってくると、テレビと
 ゲームづけ。考えない人間がどうなるか。それは夜のバラエティ番組を見れ
 ばわかる。実に軽薄そうな、つまりIQ(知的品質)の低そうなタレントた
 ちが、これまた軽薄なことをギャーギャーと言っては騒いでいる。ああなる。

 静かに考える時間をもつことは、それだけで最高のぜいたくである。しかし
 多くの人は、そのぜいたくさに気づかない。気づかないばかりか、そういう
 時間をムダと決めてかかる。もしそれがムダというなら、何がムダでないの
 かということになる。あるいは何のために生きているかということになる。
 ひとつの例で考えてみよう。

●時間を大切にすること

 道路を車で走っていると、ときどき、サーカスのようなハンドルさばきで、
 つぎつぎと車を追い越していくドライバーに出会う。本人は急いでいるのか、
 それともそれを楽しんでいるのかは知らないが、まわりのものにとっては、
 これほど迷惑な運転もない。そのたびにドキッとさせられる。ばあいによっ
 ては、身の危険すら感ずる。が、何よりも不愉快なのは、そういう心ないド
 ライバーのおかげで、自分たちのリズムが崩され、心の静寂が乱されること
 だ。それはちょうど、静かな山間で、物干し竿(ざお)売りのトラックに出
 会うようなものだ。ホトトギスやコジュケイの鳴き声を楽しんでいるところ
 で、「アオヤー、サオダケー」とやられたら、たまらない。

 で、そうして急いで運転している人たちが、時間を大切にしているかという
 ことになると、それは疑わしい。時間を大切にするということは、もっと別
 のことである。私のばあい、時間を大切にするということは、私の中に「私」
 を感ずることをいう。しかしこれはあくまでも、私の個人的な意見にすぎな
 い。人は人、それぞれだし、それぞれが、自分の時間を大切にしている。が、
 消去法で考えていくと、どうしても私はやはり私の考え方になってしまう。
 順に考えてみよう。

(日々の生活)これは生きていくためには必要なことだが、しかしそれはあく
 までも「生きていくため」のもの。生きる目的ではない。たとえば子どもが
 朝、顔を洗い、身支度を整えて、学校へでかける。あるいはその前に朝食を
 食べる。こうした一連の行為は、必要な行為かもしれないが、目的ではない。

(娯楽をすること)映画を見たり、テレビを見たり、あるいは本を読んだりす
 る。先日も一人の小学生が、ハリーポッターの魔法のかけかたの本を熱心に
 読んでいた。実に意味のない本だった。たとえば「朝、うさぎが北の方角に
 走っていくのを見たら、xxxxと呪文を唱えるとよい。太陽が真上にのぼ
 るころ、昨日の希望がかなう」と。娯楽は娯楽だが、こうした娯楽を繰り返
 したところで、どれほどの意味があるというのか。

(仕事をすること)人は人の中で評価されてこそ、達成感を味わうことができ
 る。その達成感が生きる目的になることはある。音楽家や芸術家にせよ、は
 たまた作家にせよ政治家にせよ、結局は他者とのかかわりの中で生きている。
 そのかかわりが仕事であり、それが生きる目的になることは、ある。子ども
 が、志望校を決め、その受験勉強をして、目的を達するのも、そのひとつ。
 しかし、だ。「それがどうなのか?」と聞かれたとき、私たちは何と答える
 だろうか。

●人間がつくった幻想と幻覚

 私たち人間は、えてして自分たちがつくりあげた幻想と幻覚の中で、自分た
 ちの価値観をつくりあげてしまうことがある。子どもたちがするテレビゲー
 ムに、その例を見る。たとえば少し前、あのたまごっちというゲームが流行
 したとき、私が不用意にその「生き物(?)」を殺してしまったことがある。
 するとその子ども(小一女児)は、「先生が殺してしまったア」と、大声で
 泣き始めた。私が「死んではいないよ」といくら説明してもムダだった。あ
 るいはテレビゲームの世界で、ポイントがふえればふえるほど、喜ぶ子ども
 もいる。たわいもない喜びだが、私たちおとなも、日常生活の中で、これと
 同じことをいくらでもしている。そのひとつが、仕事(労働)ということに
 なる。

 いや、こう書くからといって、仕事を否定しているのではない。仕事は仕事
 として、大切なものだ。しかし戦後の多くの日本人がそうだったように、い
 わゆる仕事人間を見ていると、もののあわれさを覚える。とくに私たち戦後
 生まれの団塊の世代は、その仕事のために、人生そのものを犠牲にしたよう
 なところがある。リストラされ、やっとヒマになったと思ったら、人生も終
 わっていた……と。

 大切なことは、こうした幻想や幻覚を、どのレベルで、どのように気づくか
 ということ。それはつまるところ、その人の視点の高さと、視野の広さによ
 る。視点が高ければ高いほど、また広ければ広いほど、その幻想や幻覚に気
 づく。それはちょうど、子どもたちが夢中になっているハリーポッターの魔
 法のようなものだ。おとなの私たちは、それをバカげていると思う。思うこ
 とができるのは、それだけ視点が高く、視野が広いということになる。反対
 に低ければ低いほど、また狭ければ狭いほど、そのバカさかげんがわからな
 い。

●自分らしく生きること

 そこで結論は、いかに自分の人生を生きるかということは、自分らしく生き
 るかということになる。そして自分らしく生きるということは、いかにすれ
 ば視点をより高くし、また視野をより広くすることができるかということ。
 そして高ければ高いほど、そして広ければ広いほど、それまでの自分が小さ
 く、愚かに見えてくる。それに気づくということは、より「私」に近づくこ
 とになる。私が最初に書いた、「考えること」は、そのための手段というこ
 とになる。言いかえると、人は考えることで、自分の中の「私」に近づくこ
 とができる。そしてもっと言えば、人間がほかの動物たちと違うところは、
 この考えるところにある。パスカルが「パンセ」の中で書いた、『人間は考
 えるアシである』『思考が人間の偉大さをなす』という意味は、そこにある。

 ただ視点の高さにせよ、また視野の広さにせよ、それは相対的なものにすぎ
 ない。ここにも書いたように、より高くなればなるほど、そして広くなれば
 なるほど、それまでの自分が小さく、愚かに見える。だから、結局は、人間
 は死ぬまで、それを繰り返すことになる。あのゴータマ・ブッダ(釈迦)が、
 スッタニパーダ(原始仏教典)の中で説いた、「精進」という意味もここに
 ある。決してゴールはないし、ゴールの向こうには、さらなる原野が広がっ
 ている。その原野を前向きに歩くことが、本当の意味で、「生きる」こと。
 自分の時間をもつということは、その第一歩ということになる。
 
++++++++++++++++++

【補足】

 日本の教育の最大の欠陥は、子どもに考えさせないこと。考える時間すら与えない。あるい
は自分の考えすら、もたせない。「個人の考えなど、無価値」という風潮すら、ある。その結果、
日本人は、どうなったか?

 ためしに夜のバラエティ番組を見てみればよい。見るからに軽薄そうな男女が、これまた軽
薄なことを口にして、ギャーギャーと騒いでいる。彼らは、実のところ、何も考えていない。脳に
飛来する情報を、右から左へと、思いついたまま、口にしているだけ。

 思考と、情報は、まったく別のもの。たとえば全国の駅の名前を、ソラで言えたからといって、
頭のよい子どもということにはならない。しかし世の多くの親たちは、「もの知りの子ども」イコー
ル、「頭がいい子」と誤解している。

 しかしこれだけインターネットが普及してくると、情報など、ほとんど価値がない。これから二
〇年、三〇年先には、さらに価値がなくなる。パソコンにせよ、今のノートのようになる。必要な
情報は、そのつど、そのノートから取り出せばよい。

 重要なのは、思考。情報を組み立てて、ものを考える力。その力が、これからの日本や、日
本人の運命を決める。そういう私の気持を、このエッセーの中に感じてもらえれば、うれしい。
(030812)

 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
**\\⊂'↓°⊃//**
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    \\∧//
     Y☆Y
     〓〓〓             何か、テーマがあれば、どうぞ
    /|||\             お寄せください。
     ̄Π ̄Π ̄               お待ちしています。
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

老人観察

 明日はわが身……、それが老人である。私は今まで、子どもの世界ばかりを見てきた。しか
しこのところ、それと同じくらい、老人の世界が気になるようになった。

 人間は、何歳くらいから、進歩を止めるのか。あるいはそれまでの人生を、惰性で、繰り返す
ようになるのか。

 私の経験では、その年齢は、満四五歳前後ではないかと思う。思うだけで根拠はない。それ
に三〇歳で進歩を止めてしまう人もいるし、二〇歳で止めてしまう人もいる。反対に、五〇歳に
なっても、六〇歳になっても、進歩しつづける人もいる。ここでいう四五歳「前後」というのには、
そういう意味が含まれる。

 若いうちは、自分の気力で、自分をごまかすことができる。しかしその気力(自己意識)が弱く
なってくると、自分が、モロに外に出てくる。このことは、ちょうど、子どもの世界の反対の現象
ということができる。

 たとえば多動児と呼ばれる子どもがいる。そういう子どもでも、自己意識が発達してくると、自
分で自分をコントロールするようになる。そのため小学三、四年生を境として、症状的には、外
からはわかりにくくなる。

 それと反対に、年齢とともに、その気力(自己意識)が弱くなると、もともとの自分が、そのま
ま、外に出てくる。これがこわい。

 たとえばAさんという女性がいた。子どものころは、ウソばかりついていた。おとなになって結
婚してからも、人をごまかして生きるのが、当たり前になっていた。もともと深い人間性も、道徳
もなかった。

 そのAさんが、今年、六〇歳になった。近所を歩きながら、これはと思うものがあると、何でも
盗んでしまうのである。しかもそうして盗んできたものを、隠そうともしない。そこで盗まれた人
が、「返してほしい」と抗議に行くと、「証拠を出せ」「名誉毀損で訴えてやる」「同じものは、この
世の中に五万とある」と。

 こういう例は、たいへん多い。ひょっとしたら、あなたの周辺にも、こうした例があるかもしれな
い。

 ……と考えると、子どもを、よい子に育てるのはむずかしいが、それ以上に、自分をよい老人
に育てるのは、もっとむずかしい……ということになる。大半の親たちは、(ほとんどがそうだが
……)、「子どもを伸ばす」という言葉を使う。しかし「自分を伸ばす」という言葉は使わない。「私
は完成された人間」と、だれしも思い込んでいる。しかしそれは誤解。まちがい。

 私は、正直言って、自分が老人になるのが、こわくてならない。私は、もともと小ずるくて、小
心。邪悪な人間である。そういう自分を、かろうじてごまかして生きているだけ。今は、自分の
気力でそれを隠して生きているが、やがて、それが外にモロに出てくる? 俗に言う、「化けの
皮がはがれる」?

 そこで私は、こんなことに注意している。その一つは、いつもありのままの自分でいようと思う
こと。なかなかむずかしいことだが、努めてそうしている。そういう自分で、ダメなら、それはそ
れでしかたのないこと。

 まずありのままの自分をさらけ出してみる。その上で、自分という人間を、他人の目の中にさ
らけ出してみる。非難されたり、批判されたりするとするなら、それはそのとき改めればよい。

 つぎに、仏教でいう「精進(しょうじん)」。いつも考えながら、前に向かって進む。立ち止まった
とたん、私の本来の人間性が、出てきてしまう。それはたとえて言うなら、健康に似ている。健
康というのは、前向きに求めてこそ、維持できる。立ち止まって怠惰な生活をしたとたん、持病
が、どんと前に出てくる。

 そういう意味では、釈迦がスッタニパーダの中で言っているように、「死ぬまで精進」ということ
になる。今の私には、それしかない。言いかえると、これはあくまでも私見だが、自分を育てる
ということは、それが何であれ、前向きに生きるということになる。考え、努力し、挑戦する。そ
ういう姿勢の中から、つぎに新しい何かが生まれてくる。

 「さあ、いよいよ正念場だぞ」と、私は、思い始めている。ここで舵(かじ)取りを誤ると、私は
まっすぐ、見苦しい老人をめざして、どんどんと落ち込んでしまう。私が老人になるのは、もう時
間の問題。さてさて、どんな老人になることやら……? 本当のところは、まったく自信がない。
(030810)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

世界の格言

●世界の格言を、イギリスのあるホームページから、拾い出してみた。かなり荒っぽい翻訳な
ので、必要な方は、英文のほうを、自分で翻訳してほしい。

●この中で気になったのは、「The reverse side also has a reverse side - Japanese proverb
(裏には裏がある)」という、日本の(?)格言。「そんなのあったかなあ?」と思いつつ、翻訳し
てみた。私の不勉強かもしれない。

++++++++++++++++++++++

Four things come not back -- the spoken word, the sped arrow, the past life, and the 
neglected opportunity. - Arabian Proverb
四つのものは、帰ってこない。口から出た言葉、放たれた矢、過去の生活、そしてムダにした、
せっかくの機会。(アラビア)

Until lions have their historians, tales of the hunt shall always glorify the hunter. - African 
Proverb
ライオンたちは歴史をもつまで、狩の話は、ライオンを喜ばす。(アフリカ)

When two elephants fight it is the grass that suffers. - African Proverb
二頭の象がけんかをするときというのは、草を取りあうとき。(アフリカ)

If the enemy within cannot kill us, then the enemy without can do us no harm - African 
Proverb
内部の敵が我々を殺すなら、外部の敵は、害はない。(アフリカ)

The enemy of my enemy is my friend. - Arabian proverb
敵の敵は、私の友。(アフリカ)

Fuck it. Let's do it. - Australian Proverb
やってしまえ。さあ、それをしよう。(オーストラリア)

Enough is a feast - Buddhist Proverb
じゅうぶんということが、ごちそう。(仏教)

That the birds of worry and care fly above your head, this you cannot change, but that 
they build nests in your hair,this you can prevent. - Chinese Proverb
鳥が頭の上を飛ぶことは、だれにも止められない。しかしあなたの髪の毛の中に巣をつくるこ
とは、止められる。(中国)

If you want happiness for a lifetime - help the next generation. - Chinese Proverb
人生を幸福に過ごしたいなら、つぎの世代を助けろ。(中国)

Only after the last tree has been cut down; Only after the last fish has been caught; Only 
after the last river has been poisoned; Only then will you realize that money cannot be 
eaten. - Cree Indian Prophecy 
最後の木が倒されたあとだけ、最後の魚がとらえられたあとだけ、最後の川が汚されたあとだ
け、そのときだけあなたはお金が、食べられないことを知る。(インド)
In the rich man's house there is nowhere to spit but in his face - Diogenes
niet geschoten altijd mis - Dutch Proverb
金持ちの家では、相手の顔以外に、つばをひっかけるところがない。(オランダ)

When spiders unite, they can tie down a lion. - Ethiopian Proverb
クモが力をあわせれば、ライオンを倒すことができる。(エチオピア)

The death of a friend is equivalent to the loss of a limb. - German Proverb
友の死は、足をなくすようなもの。(ドイツ)

Man has himself as his only friend and his only enemy. - Indian Proverb
人は、自分の中に友をもち、敵をもつ。(インド)

The frog does not drink up the pond in which it lives - Indian proverb
カエルは、決して自分が住んでいるところの池の水を飲み干すことはない。(インド)

Dance as if no one's watching, sing as if no one's listening, and live everyday as if it were 
your last. - Irish proverb
だれも見ていないかのように、踊れ。だれも聞いていないかのように歌え。毎日の人生を、最
後だと思って生きろ。(アイルランド)

At the end of the game, the pawn and the king go back in the same box. - Italian Proverb
ゲームの終わりには、歩兵も王も、同じ箱に戻る。(イタリア)

If you stand up like a nail you will get hammered down. - Japanese Proverb
出る釘は、叩かれる。(日本)

The reverse side also has a reverse side - Japanese proverb
裏には裏がある。(日本)

If God lived on earth, people would break his windows. - Jewish Proverb
神が地上に住むときは、人々は、窓を割る。(ユダヤ)

Turn your face to the sun and the shadows fall behind you - Maori Proverb
太陽に顔を向けろ。影はうしろにできる。(マオリ)

It is better to live one day as a lion, than a thousand days as a lamb. - Roman proverb
羊として、1000日生きるよりも、ライオンとして一日生きたほうがよい。(ローマ)

He who doesn't risk never gets to drink champagne. - Russian Proverb
リスクを犯さないものは、シャンペーンを飲むことはできない。(ロシア)

The church is close, but the road is icy. The bar is far, but I will walk carefully. - Russian 
Proverb
教会は近いが、道は凍っている。バーへの道は遠いが、注意深くあるくだろう。(ロシア)

Water that does not move, is always shallow... - Sami proverb
動かない水は、いつも浅い。(サミ)

They talk of my drinking but never my thirst - Scottish Proverb
人は、私が飲むことを話題にするが、私の乾きについては話題にしない。(スコットランド)

Be humble for you are made of earth. Be noble for you are made of stars. - Serbian proverb
あなたは大地から生まれたから、謙虚に。あなたは星から生まれたから、高貴に。(セルビア)

Don't speak unless you can improve upon the silence - Spanish Proverb
沈黙の重要さを知らないなら、話すな。(スペイン)

I don't want the cheese, I just want out of the trap. - Spanish Proverb
チーズがほしいのではない。ワナから抜け出たいだけ。(スペイン)

Fear less, hope more; eat less, chew more; whine less, breathe more; talk less, say more; 
hate less, love more; and all good things are yours. - Swedish Proverb
恐れを少なく、希望を多く。食べる量を少なく、よくかめ。息をたくさん吸って、話を少なくせよ。
恨みを少なく、人を愛せよ。そうすれば、あなたにもっとよいことが……。(スウェーデン)
(030811)

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【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
11・ 8 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・23 ……奥山小学校
10・18 ……天竜中学校区健全育成会(天竜中、中ノ島小、和田東小、和田小合同)
10・13 ……浜松市上島にて(ママアンドパパス・保育所開園式)
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9.12  ……愛知県岩倉市
9・ 9  ……愛知県稲沢市福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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【名古屋市周辺のみなさんへ……】
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
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9・ 9  ……愛知県稲沢市・福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
   午前10:00〜より、聴講問い合わせなど……052−524−6665まで
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自己の一致性

 自分を、自分の心と、どう一致させるか。簡単なようで、むずかしい。これは私のばあいだ
が、ふと油断していると、相手にへつらってしまう。コビを売ってしまう。歓心を買ってしまう。も
っとわかりやすく言うと、自分をごまかしてしまう。

 たとえばだれかが天皇制について論じていたりする。その人が、天皇制肯定派だったりする
と、「そうですね」と、相手に同調してしまう。反対に、その人が、天皇制否定派だったりすると、
そのときも、「そうですね」と、相手に同調してしまう。ときどき、「本当の私は何を考えているの
か?」「どこにいるのか?」と、それがわからなくなってしまう。

 そういう意味では、私はかなり不幸な乳幼児期を過ごしている。犬にたとえていうなら、だれ
にでもシッポを振る、捨て犬のような犬かもしれない。何かにつけて、愛想を振りまき、他人に
取り入ろうとする。無理をする。が、その分だけ、自分がない。

 私のような人間は、一見、人づきあいはよい。しかしそれはいわば仮面のようなもの。ヘラヘ
ラしているわりには、心を許さない。相手の心をさぐりながら、ついついよい人間を演じてしま
う。だから疲れる。

 そこで私は、あるときから、自分をつくるのをやめた。努めて、やめた。ありのままの自分をさ
らけ出し、その時点で、居直るようにした。「相手が、どう思うと知ったことか!」と。

 が、それとて簡単なことではない。自分の体にしみついた人間性というのは、そういうもの。
ふと気がつくと、やはり元の自分にもどってしまっている。しかし最近、同時に、こんなことも考
える。

 自分をごまかして生きるのも、やさしさの一つではないか、と。

 たとえばAさんが、「演歌はいいですね」と言ったりする。私自身は、演歌といっても、美空ひ
ばりの『悲しい酒』以外の曲は、歌ったことはない。しかしそういうとき、何も、Aさんに向って、
「演歌は嫌いです」と言う必要はない。言ってはならない。そういうときは、相手に合わせて、
「そうですね」と言えばよい。またそう言ったところで、自分をごまかしたことにはならない。

 ……となると、話がまた振りだしにもどってしまう。

 自分を、自分の心と一致させるということは、どういうことなのか、と。一つのヒントとして、「さ
らけ出し」がある。「ありのままの自分を、さらけ出す」ということ。見栄を張ったり、飾ったりして
はいけないということ。そうでなければ、それほど気にしなくてもよいのでは……?

 たとえば私は、善人ぶったり、偉人ぶったりする人が、どうしても好きになれない。こういうの
を心理学では、反動形成という。ケチな人が、ケチを嫌ったり、泥棒が、自分の家を厳重に戸
締まりするのが、それ。女遊びばかりしている男が、自分の妻を一歩も外に出さないのも、そ
れにあたる。

 つまり人間というのは、自分の弱点をごまかすために、まったく正反対の自分を演ずることが
ある。私が、善人ぶったり、偉人ぶったりする人を嫌うのは、私自身にそういう要素があるから
にほかならない。

 だから私のばあい、「さらけ出す」というのは、無理に善人ぶったり、偉人ぶったりしないこと
をいう。見栄を張ったり、飾ったりしないことをいう。そしてそれが、結局は、自分と、自分の心
を一致させることにつながる。

 「自己の一致性」という、どこか哲学的なタイトルをつけたが、要するに、「あるがまま生きる」
ということ。簡単そうで、とてもむずかしいことだが……。
(030811)

      ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          どの人も問題なく生きているように見えますが、
 \※/            問題のない子育てなど、ありません。
  ‖                
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

【YKさんの相談より】

 今年から、幼稚園へ通うようになりました。現在、三歳です。毎日のように、幼稚園へ行きたく
ないと、ぐずります。「ママといっしょにいたい」と言います。以前は、泣きながら幼稚園へ行きま
したが、今は、やっと泣かなくなりました。外の世界では、思ったことも、言えなく、がまんしてし
まうので、それではないかと思います。見ていると、それなりに友だちと、遊んではいますが…
…。どのように接したらよいのか、私自身もわからなくなりました。

【はやし浩司より、KYさんへ】

 こういう相談では、最悪のケースから考えていきます。それはドクターの診断に似ています。
「この病気か? でないとするなら、この病気か?」とです。

 KYさんのケースでは、いくつか、疑われます。思いついたままですが、たとえば、(1)母子分
離不安、(2)対人(集団)恐怖症、(3)強迫症など。下にお子さんがいるなら、(4)赤ちゃんが
えりによる、情緒不安や、神経症なども疑ってみます。

 いただいた文面だけでは、何とも判断しかねますが、よい方向に向っているのは事実のよう
ですから、(1)無理をしない、(2)質の高い愛情表現、(3)食生活の改善、(4)暖かい無視を
組み合わせて、対処します。

 「無理をしない」というのは、お子さんの心を大切に、という意味です。心理学(カウンセリン
グ)の世界でも、(1)自己一致、(2)肯定的尊重、(3)共感を大切にします。しかしこれは同時
に、子育ての世界でも、そのまま応用できます。

 自己一致……要するに、お子さんをだますためのウソは言わないということ。「幼稚園へ行か
ないと、先生に怒られる」式のおどしがよくないことは、言うまでもありません。

 肯定的尊重……よき聞き役になれということです。そしてお子さんが何を言っても、「そうね」
「ママもそう思うわ」と、お子さんの心をくみあげてやります。

 共感……お子さんの立場で、考えてあげるということです。「幼稚園へ行きなさい!」と突き放
すのではなく、「毎日、たいへんね」と、ねぎらってあげます。

 つぎに「質の高い愛情表現」ですが、お子さんが求めてきたときには、濃密なスキンシップで
こたえてあげます。ぐいと力強く抱くなどが、効果的です。お子さんに、安心感を覚えさせるよう
にするのが、コツです。

 「食生活の改善」は、お子さんの心がどこか不安定になったら、CA、MGの多い食生活にこ
ころがけます。海産物、魚類がよいことは、言うまでもありません。同時に、甘い食品を一掃し
ます。

 最後に「暖かい無視」ですが、幼稚園から帰ってきたら、こまごまとしたことは言わないで、お
子さんの側から見て、くつろげる家庭環境を用意します。とくに神経疲れを起こしているような
ら、家の中では、ゆるめます。多少生活態度がぞんざいになっても、「ああ、うちの子は、外の
世界でがんばっている」と思いなおすようにします。

 ここに「神経症のチェックシート」を同封しておきますので、一度、家庭で、自己診断してみてく
ださい。得点が平均点より、高いようでしたら、ここに書いたことを参考にしてみてください。し
かし平均点より下ということであれば、今のところ、心の問題はないものと思われますから、お
子さんを暖かく見守る程度で、よいかと思います。

 いくつか参考にしていただけそうな原稿を、ここにはりつけておきます。

++++++++++++++++++++

恐怖症を軽く考えない

子どもが恐怖症になるとき

●九死に一生
 先日私は、交通事故で、あやうく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして
文を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れ
た。夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように
感じた。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった
……。恐怖症である。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。

 たとえば以前、『学校の怪談』というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたく
ない」と言う園児が続出した。あるいは私の住む家の近くの湖で水死体があがったことがあ
る。その直後から、その近くの小学校でも、「こわいから学校へ行きたくない」という子どもが続
出した。これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。
それが恐怖症だが、この恐怖症は子どものばあい、何に対して恐怖心をいだくかによって、ふ
つう、次の三つに分けて考える。

(1)対人(集団)恐怖症……子ども、とくに幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程
度の警戒心をもつことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注
意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無頓着で、はじめて行ったような場所
でも、わがもの顔で騒いだりする。が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に
出ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこ
わくて行けなくなる(学校恐怖症)などの症状が表れる。さらに症状がこじれると、外出できな
い、人と会えない、人と話せないなどの症状が表れることもある。

(2)場面恐怖症……その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗
れない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。これはある子ども(小一男
児)のケースだが、毎朝学校へ行く時刻になると、いつもメソメソし始めるという。親から相談が
あったので調べてみると、原因はどうやら学校へ行くとちゅうにある、トンネルらしいということ
がわかった。その子どもは閉所恐怖症だった。実は私も子どものころ、暗いトイレでは用を足
すことができなかった。それと関係があるかどうかは知らないが、今でも窮屈なトンネルなどに
入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。

(3)そのほかの恐怖症……動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、死や幽霊、お化けをこわが
る、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。何かのお面をかぶって見せただけ
で、ワーッと泣き出す「お面恐怖症」の子どもは、一五人に一人はいる(年中児)。ただ子ども
のばあい、恐怖症といってもばくぜんとしたものであり、問いただしてもなかなか原因がわから
ないことが多い。また症状も、そのとき出るというよりも、その前後に出ることが多い。

これも私のことだが、私は三〇歳になる少し前、羽田空港で飛行機事故を経験した。そのため
それ以来、ひどい飛行機恐怖症になってしまった。何とか飛行機には乗ることはできるが、い
つも現地ではひどい不眠症になってしまう。「生きて帰れるだろうか」という不安が不眠症の原
因になる。また一度恐怖症になると、その恐怖症はそのつど姿を変えていろいろな症状となっ
て表れる。高所恐怖症になったり、閉所恐怖症になったりする。脳の中にそういう回路(パター
ン)ができるためと考えるとわかりやすい。私のケースでは、幼いころの閉所恐怖症が飛行機
恐怖症になり、そして今回の自動車恐怖症となったと考えられる。

●忘れるのが一番
 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、叱っても意
味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子どもの
視点で、子どもの心を考える。無理な誘導や強引な押しつけは、タブー。無理をすればするほ
ど、逆効果。ますます子どもはものごとをこわがるようになる。いわば心が熱を出したと思い、
できるだけそのことを忘れさせるようにする。症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。

私のときも、その事故から数日間は、車の速度が五〇キロ前後を超えると、目が回るような状
態になってしまった。「気のせいだ」とはわかっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと
汗をかいていた。が、少しずつ自分をスピードに慣れさせ、何度も自分に、「こわくない」と言い
きかせることで、克服することができた。いや、今でもときどき、あのときの模様を思い出すと、
夜中でも興奮状態になってしまう。恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではど
うにもならない。そういう前提で、子どもの恐怖症には対処する。

(付記)
●不登校と怠学
不登校は広い意味で、恐怖症(対人恐怖症など)の一つと考えられているが、恐怖症とは区別
する。この不登校のうち、行為障害に近い不登校を怠学という。うつ病の一つと考える学者も
いる。不安障害(不安神経症)が、その根底にあって、不登校の原因となると考えるとわかりや
すい。

+++++++++++++++++++++

原因を家庭の中に

子どもの心が不安定になるとき 

●情緒が不安定な子ども
 子どもの成長は、次の四つをみる。(1)精神の完成度、(2)情緒の安定度、(3)知育の発達
度、それに(4)運動能力。このうち情緒の安定度は、子どもが肉体的に疲れていると思われる
ときをみて、判断する。運動会や遠足のあと、など。そういうときでも、ぐずり、ふさぎ込み、不
機嫌、無口(以上、マイナス型)、あるいは、暴言、暴力、イライラ、激怒(以上、プラス型)がな
ければ、情緒が安定した子どもとみる。子どもは、肉体的に疲れたときは、「疲れた」とは言わ
ない。「眠い」と言う。子どもが「疲れた」というときは、神経的な疲れを疑う。子どもはこの神経
的な疲れにたいへん弱い。それこそ日中、五〜一〇分、神経をつかっただけで、ヘトヘトに疲
れてしまう。

●情緒不安とは……?
 外部の刺激に左右され、そのたびに精神的に動揺することを情緒不安という。二〜四歳の
第一反抗期、思春期の第二反抗期に、とくに子どもは動揺しやすくなる。

 その情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を許さ
ない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目を気にする、よい子ぶるなど。その緊張状
態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安
定になる。症状が進むと、周囲に溶け込めず、引きこもったり、怠学、不登校を起こしたり(マ
イナス型)、反対に攻撃的、暴力的になり、突発的に興奮して暴れたりする(プラス型)。表情に
だまされてはいけない。

柔和な表情をしながら、不安定な子どもはいくらでもいる。このタイプの子どもは、ささいなこと
がきっかけで、激変する。母親が、「ピアノのレッスンをしようね」と言っただけで、激怒し、母親
に包丁を投げつけた子ども(年長女児)がいた。また集団的な非行行動をとったり、慢性的な
下痢、腹痛、体の不調を訴えることもある。

●原因の多くは異常な体験
 原因としては、乳幼児期の何らかの異常な体験が引き金になることが多い。たとえば親自身
の情緒不安のほか、親の放任的態度、無教養で無責任な子育て、神経質な子育て、家庭騒
動、家庭不和、何らかの恐怖体験など。ある子ども(五歳男児)は、たった一度だが、祖父に
はげしく叱られたのが原因で、自閉傾向(人と心が通い合わない状態)を示すようになった。ま
た別の子ども(三歳男児)は、母親が入院している間、祖母に預けられたことが原因で、分離
不安(親の姿が見えないと混乱状態になる)になってしまった。

 ふつう子どもの情緒不安は、神経症による症状をともなうことが多い。ここにあげた体の不調
のほか、たとえば夜驚、夢中遊行、かん黙、自閉、吃音(どもり)、髪いじり、指しゃぶり、チッ
ク、爪かみ、物かみ、疑惑症(臭いかぎ、手洗いぐせ)、かみつき、歯ぎしり、強迫傾向、潔癖
症、嫌悪症、対人恐怖症、虚言、収集癖、無関心、無感動、緩慢行動、夜尿症、頻尿症など。

●原因は、家庭に!
 子どもの情緒が不安定になると、たいていの親は原因さがしを、外の世界に求める。しかし
まず反省すべきは、家庭である。強度の過干渉(子どもにガミガミと押しつける)、過関心(子ど
もの側からみて神経質で、気が抜けない環境)、家庭不和(不安定な家庭環境、愛情不足、家
庭崩壊、暴力、虐待)、威圧的な家庭環境など。夫婦喧嘩もある一定のワク内でなされている
なら、子どもにはそれほど大きな影響を与えない。が、そのワクを越えると、大きな影響を与え
る。子どもは愛情の変化には、とくに敏感に反応する。

 子どもが小学生になったら、家庭は、「体を休め、疲れた心をいやす、いこいの場」でなけれ
ばならない。アメリカの随筆家のソロー(一八一七〜六二)も、『ビロードのクッションの上より、
カボチャの頭』と書いている。人というのは、高価なビロードのクッションの上に座るよりも、カボ
チャの頭の上に座ったほうが気が休まるという意味だが、多くの母親にはそれがわからない。
わからないまま、家庭を「しつけの場」と位置づける。学校という「しごきの場」で、いいかげん疲
れてきた子どもに対して、家の中でも「勉強しなさい」と子どもを追いまくる。「宿題は終わった
の」「テストは何点だったの」「こんなことでは、いい高校へ入れない」と。これでは子どもの心は
休まらない。

●子どもの情緒を安定させるために
 子どもの情緒が不安定になったら、スキンシップをより濃厚にし、温かい語りかけを大切にす
る。叱ったり、冷たく突き放すのは、かえって情緒を不安定にする。一番よい方法は、子どもが
ひとりで誰にも干渉されず、のんびりとくつろげるような時間と場所をもてるようにすること。親
があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。

 ほかにカルシウムやマグネシウム分の多い食生活に心がける。とくにカルシウムは天然の
精神安定剤と呼ばれている。戦前までは、日本では精神安定剤として使われていた。錠剤で
与えるという方法もあるが、牛乳や煮干など、食品として与えるほうがよいことは言うまでもな
い。なお情緒というのは一度不安定になると、その症状は数か月から数年単位で推移する。
親があせって何とかしようと思えば思うほど、ふつう子どもの情緒は不安定になる。また一度
不安定になった心は、そんなに簡単にはなおらない。今の状態をより悪くしないことだけを考え
ながら、子どものリズムに合わせた生活に心がける。

 (参考)
●子どもの神経症について
心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症という。子どもの
神経症は、精神面、身体面、行動面の三つの分野に分けて考える。

(1)精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状
(周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩
む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱してわけのわからないことを言ってグズグズしたり、反
対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもある。

(2)身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、
頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発
熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面で
の神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号とと
らえて警戒する。

(3)行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面
に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無
関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出
歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもある。

++++++++++++++++++++++

砂糖は白い麻薬

 キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、突発的
にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。

原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考えると
わかりやすい。そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)である(アメ
リカ小児栄養学・ヒューパワーズ博士)。つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を
大量に摂取すると、インスリンが大量に分泌され、そのインスリンが脳間伝達物質であるセロト
ニンの大量分泌をうながし、それが脳の抑制命令を阻害する、と。

これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のないも
のを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、子どもの
必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約一〇〜一五グラム。この量は
イチゴジャム大さじ一杯分程度。もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶
暴になったり、あるいはキーキーと声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すよう
なら、一度、カルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、砂糖は白い麻薬と考
え、砂糖断ちをしてみるとよい。子どもによっては一週間程度でみちがえるほど静かに落ち着
く。

なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食品を与え
ると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出してしまう。と言っ
ても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。たとえば、ハム、ソーセージ(弾力性
を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けても流れ
ず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせず、歯
ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味をおだや
かにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水によく溶
けるようにするため)など(以上、川島四郎氏)。かなり本腰を入れて対処する。

ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物を生み
出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということは、不必要
なことである」と。つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を
加えた食品(ジャンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジャ
ンクフードは)疲労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコール処理不
能、アレルギーなどの原因になっている」とも。
 
+++++++++++++++++++++
子どもの分離不安

子どもが分離不安になるとき

●親子のきずなに感動した!?     
 ある女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られたコラム
ニストの書いたものだが、いわく、「うちの娘(三歳)をはじめて幼稚園へ連れていったときのこ
と。娘ははげしく泣きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを見て、親子の絆の深さに感
動した」と。そのコラムニストは、ワーワーと泣き叫ぶ子どもを見て、「親子の絆の深さ」に感動
したと言うのだ。とんでもない! ほかにもあれこれ症状が書かれていたが、それはまさしく分
離不安の症状。「別れをつらがって泣く子どもの姿」では、ない。

●分離不安は不安発作
 分離不安。親の姿が見えなくなると、発作的に混乱して、泣き叫んだり暴れたりする。大声を
あげて泣き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオドするタイプ(マイ
ナス型)に分けて考える。似たようなタイプの子どもに、単独では行動ができない子ども(孤立
恐怖)もいるが、それはともかくも、分離不安の子どもは多い。四〜六歳児についていうなら、
一五〜二〇人に一人くらいの割合で経験する。親が子どもの見える範囲内にいるうちは、静
かに落ちついている。が、親の姿が見えなくなったとたん、ギャーッと、ものすごい声をはりあげ
て、そのあとを追いかけたりする。

●過去に何らかの事件
 原因は……、というより、分離不安の子どもをみていくと、必ずといってよいほど、そのきっか
けとなった事件が、過去にあるのがわかる。はげしい家庭内騒動、離婚騒動など。母親が病
気で入院したことや、置き去り、迷子を経験して、分離不安になった子どももいる。さらには育
児拒否、冷淡、無視、親の暴力、下の子どもが生まれたことが引き金となった例もある。子ど
もの側からみて、「捨てられるのでは……」という被害妄想が、分離不安の原因と考えるとわか
りやすい。

無意識下で起こる現象であるため、叱ったりしても意味がない。表面的な症状だけを見て、「集
団生活になれていないため」とか、「わがまま」とか考える人もいるが、無理をすればかえって
症状をこじらせてしまう。いや、実際には無理に引き離せば混乱状態になるものの、しばらくす
るとやがて静かに収まることが多い。しかしそれで分離不安がなおるのではない。「もぐる」の
である。一度キズついた心は、そんなに簡単になおらない。この分離不安についても、そのつ
ど繰り返し症状が表れる。

●鉄則は無理をしない
 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場ではやさしくていねいに
説得を繰り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、そういう親子
を観察すると、たいてい親のほうが短気で、顔をしかめて子どもを叱ったり、怒ったりしている
のがわかる。「いいかげんにしなさい」「私はもう行きますからね!」と。こういう親子のリズムの
乱れが、症状を悪化させる。子どもはますます強く被害妄想をもつようになる。分離不安を神
経症の一つに分類している学者も多い(牧田清志氏ほか)。

 分離不安は四〜五歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここに書いたよう
に、一度キズついた心は、簡単にはなおらない。ある母親はこう言った。「今でも、夫の帰宅が
予定より遅くなっただけで、言いようのない不安発作に襲われます」と。姿や形を変えて、おと
なになってからも症状が表れることがある。

(付記)
●分離不安は小児うつ病?
子どもは離乳期に入ると、母親から身体的に分離し始め、父親や周囲の者との心理的つなが
りを求めるようになる。自我の芽生え、自立心、道徳的善悪の意識などがこの時期に始まる。
そしてさらに三歳前後になると、母親から心理的にも分離しようとするが、この時期に、母子の
間に問題があると、この心理的分離がスムーズにいかず、分離不安を起こすと考えられてい
る(クラウスほか)。小児うつ病の一形態と考える学者も多い。症状がこじれると、慢性的な発
熱、情緒不安症状、さらには神経症による諸症状を示すこともある。

+++++++++++++++++++++

【終わりに……】

 「泣きながら通った」ということで、お子さんの心には、かなりのキズがついたものと思われま
す。本来なら、そうした無理は、最小限にしたほうがよいわけです。一番心配されるのは、対人
恐怖症の「種」をつくってしまったということです。

 つまりそれはこれからの、一つの「負い目」になることは、じゅうぶん考えられます。新しいお
けいこ塾へ入るとき、小学校へ入学するときなど。そのつど、ほかの子どもよりは、より慎重な
配慮が必要になることは、言うまでもありません。「うちの子は、新しい環境には、すぐなじまな
い」程度の、理解は必要かと思います。

 ただだれにも、どんな子どもにも、その程度の負い目はあるわけですから、だからといって、
深刻に考えてはいけません。ただ「より慎重に」というだけのことです。無理をすれば、……とい
うより、現在、お子さんは、「それなりに友だちと、遊んではいますが……」ということなので、そ
れほど心配しなくてもよいのではと思います。

 こうした対人関係の不調が、情緒不安や、神経症による症状を示せば、それはそのときどき
で、ケースバイケースで、対処しなければなりません。が、ほかに症状がなければ、今の状態
を暖かく見守るという程度で、じゅうぶんではないかと思います。(もし同封の「診断テスト」で、
得点が極端に高いようでしたら、またご連絡ください。)

 いただいた文面だけでは、詳しいことがわかりません。そのため何とも不十分な回答になっ
てしまいましたが、どうか、お許しください。今日は、これで失礼します。

                                 はやし浩司
    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│   みんなで力をあわせて、前向きに
  ┃     ┃   ///─┘┤    生きていきましょう!
  ┃     ┃  刧凵^ | │  
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞









件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■8-20

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

基底不安

●不安を基底とした生きザマ

 母子の間で、基本的な人間関係を結ぶことに失敗した子どもは、それ以後、「不安」を、「基
底」とした生き方になる。

 このタイプの子どもは、何をしていても、不安。何をしても、不安。勉強していても、不安。休
みになっても、不安。そういう状態になる。

 基本的な人間関係を結べない人は、孤独。人を信ずることができない。できないから、「信じ
られる」ということが、どういうことかも、わからない。猜疑心(疑い深い)が強くなり、一方で、嫉
妬心(ねたみ、うらみ)が強くなる。

 一度、そういう状態になると、(孤独)イコール、(不安)。(不安)イコール、(孤独)という状態
になる。

 孤独だから不安になり、不安だから孤独になる。もっといえば、孤独と不安が一体化する。

●何をしていても、不安……

 Sさん(女性、三五歳)は、何をしていても、自分の心の中から、不安感をぬぐい去ることがで
きなかった。結婚してからも、実家へたびたび帰ることがあったが、その実家でも、心を落ちつ
けることができなかった。たとえば実家に着いたとたん、家のことが心配になった。

 「家族で旅行に行っても、着いたそのとたん、家のことが心配になりました。最初は、ただの
心配性と思いましたが、どうもそうではないようです」と。

 ほかにたとえば、日曜日などに、娘(小五)が遊んでいたりするのを見ても、言いようのない
不安に襲われたという。「こんなことでは、うちの子は、ダメになってしまう」と。「だからつい、娘
に向って、勉強しなさいと、きつく言ってしまうのです」と。

 こうした不安、それを基底不安というが、一度、それがその人の生きザマになると、それを改
めるのは、容易ではない。生まれつきというか、原因が、生後まもなくからの母子関係にある
からである。

●母子の間で生まれる、信頼関係

 人間の基本的信頼関係は、母子の間で生まれる。父子ではない。母子の間で、相互に(さら
け出し)と、(絶対的な受け入れ)があって、その上に、信頼関係が結ばれる。「絶対的」という
のは、疑いをいだかないという意味。

 わかりやすく言えば、心豊かな環境で、母親のあふれんばかりの愛情に恵まれた子どもに
は、こうした問題は起きない。が、何らかの原因で、その母子関係が不全になると、子どもは、
(絶対的な安心感)を覚えることができず、そのまま、ここでいう不安を基底とした人間関係を
築くようになる。

 この母子の間に生まれる基本的な信頼関係は、その後、子どもの人間関係に、大きな影響
を与える。

 保育園や幼稚園での、先生との信頼関係、さらには友人との信頼関係、さらには結婚してか
らの夫や妻との信頼関係など。あらゆる面で、ぎくしゃくしてくる。だからこれを心理学の世界で
は、「基本的信頼関係」という。

 が、問題は、ここで止まらない。

●悲劇はつづく……

 このタイプの子どもがおとなになり、結婚して、母親になったとき、今度はその子どもとの間
で、基本的信頼関係を結べなくなる。こうした世代間の連鎖を、「世代伝播」とか、「世代連鎖」
とかいう。

 母親が自分の子どもを全幅に信頼できないために、子どもも、母親を全幅に信頼できなくな
る。こうして不幸な母親から、これまた不幸な子どもが生まれる。

 が、何と言っても最大の悲劇は、そういう状態にありながらも、そういう状態であることに気づ
かないまま、それを基盤として、親子関係をつづけるところにある。ふつうでない権威主義(親
風を吹かす)の親は、たいていこのタイプの人であるとみてよい。

 Dさん(女性、五五歳)は、三〇歳近くになった息子や娘が、口答えしただけで、「親に向かっ
て、何だ!」と叫んでいた。あるいは息子(三一歳)に向かって、いつも、「親を粗末にする人間
は、地獄へ落ちる」と言っている。

 つまり基本的な信頼関係が結べないから、「形」や「ワク」で、人間関係をしばろうとする。そ
の一つが、ここでいう権威主義というわけである。

 親子だから、たがいに信頼しあうというのは、幻想でしかない。あるいは「信頼しあっているハ
ズ」と考えるのも、幻想でしかない。親子であるがゆえに、むしろ、一般世界よりは、きびしい人
間関係が求められる。

 「親だから……」と甘えていると、結局は、人間関係そのものまで破壊してしまう。ただ、今ま
では、それでよかった。そういう面もある。

●こわい権威主義

 権威主義の親の、これまた権威主義の息子や娘。あるいはベタベタに子どもに依存する親
に、これまたベタベタに親に依存する息子や娘。そういう関係であれば、それなりに親子関係
も、(表面的には)うまくいく。……うまくいっているように見える。このタイプの息子や娘は、自
分の依存性をごまかすために、親を、必要以上に美化するので、それでわかる。森進一が歌
う、『おふくろさん』の世界に、それをみることができる。

 かく言う私も、基底不安型人間。乳幼児期の不幸な家庭環境が、原因になっている。まだ自
意識でコントロールできるから救われるが、そうでなければ、私は、不幸を不幸ともわからな
い、不幸な人間になっていただろうと思う。しかし不安は、不安。孤独は、孤独。恐らく死ぬま
で、そうではないか。

 ……だから、世の母親たちよ、赤ちゃんを産んだら、赤ちゃんを、全幅に愛せよ。許せ。受け
入れろ。赤ちゃんが何をさらけ出しても、それを全幅に受け入れろ。赤ちゃんは、そういう人間
関係を基本として、安心して自分をさらけ出すことを学ぶ。そしてそういう(さらけ出し)があっ
て、その子どもは、他人と信頼関係を結ぶことができる。

 あなたの過去が、不幸なものであったら、なおさら、そうする。
(030812)

      ――
      /)氷)
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くし∨≫ゞ
┌―――┐          どの人も問題なく生きているように見えますが、
 \※/            問題のない子育てなど、ありません。
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   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

日々、アラカルト

●数日前、「007の新作」を見た。北朝鮮が、はげしく反発した映画だったので、たいへん興味
があった。

 しかし実際には、むしろ北朝鮮の科学技術力(?)をたたえる映画。将軍にしても、割と人間
味にあふれる人物に描かれていた。どうして北朝鮮が、その映画に、ああまで反発したのか?
 映画としては、三流。途中で、何度も、あくびが出て、最後まで見ることができなかった。

●盆休みに、ワイフが船に乗りたいと言ったので、Bツアー社に電話をした。が、すべて「客が
集まらないので、キャンセル」とのこと。これには驚いた。私はむしろ反対に、「今ごろ申し込ん
でも、アキはないだろうな」と思っていたのだが……。

●B君夫妻と花火大会に行ったら、そこで何人かの人たちと知りあいになった。写真を撮って
もらった。で、その写真を、その中の一人が、先日、送り届けてくれた。隣の浜北市善地に住
む、S氏という人だった。お礼に、名古屋名物の、きしめんセットを送った。たいへん喜んでくれ
た。善良な人と、善良なつきあいをするのは、本当に楽しい。

●私が住んでいるI町と、佐鳴湖周辺の町内の合同の花火大会があった。で、ワイフとフラフラ
と歩いていると、自治会長に呼び止められた。で、テントの中に入ると、元県会議員のI氏、市
議会議員のO氏、さらにI中学校の教頭がいた。で、いっしょにお茶を飲みながら、特等席で、
花火を楽しむ。……本当に特等席だった。ちょうど花火大会が終わったところで、スコール。家
に帰ったときは、びしょ濡れだった。しかし気持ちよかった。

●スーパーへ行くと、インスタント写真機を売っていた。昔はポラロイド社のが、よく知られてい
た。が、それは日本のF社製のもの。アメリカにいる二男のために、購入。フィルムを50枚セッ
トして、合計で9000円弱。孫が今月、満一歳になるので、そのプレゼントということにした。

●ワイフが、まだ海にこだわっているので、明日、沼津まで行き、そこから船に乗るつもり。土
肥(とい)まで行って、帰ってくる。何ともわびしい家族旅行(?)だが、こういうご時勢だから、そ
れもしかたない。

●昨夜は、遅くまで、ALEX KERRという人が書いた、「DOGS AND DEMONS」(ペンギ
ンブックス)を読む。鋭い日本人観に驚く。その本をくれたオーストラリア人のR君に、インター
ネットでお礼を言うと、「もともとは日本語で書かれた本だから、日本語の本もあるはず」とのこ
と。しかしこういう本は、英文で読むにかぎる。わかってもわからなくても、英語で伝わってくる
雰囲気が、楽しい。

●K市教育委員会のSさんが、ある母親から預かったという、子育て相談の用紙を届けてくれ
る。「FAXでいいですよ」と何度も言ったのだが……。まじめな人には、体のシンから染み出る
ような誠実さを感ずる。他人のために動き回っている人には、そういう誠実さがある。

 今、多くの若い母親たちが、子育てに不安を覚えている。その相談も、そうだった。しかしどう
してこの日本で、子育てをしていると、こうまで不安になるのか。どこかに構造的な欠陥がある
のではないか?

●このところかなりの運動不足。体がだるくてしかたない。明日こそは、自転車に乗るぞ、と思
っている。今年の夏は、すずしいので、よかった……と思っている。
(030812)

    ☆ 
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  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│   みんなで力をあわせて、前向きに
  ┃     ┃   ///─┘┤    生きていきましょう!
  ┃     ┃  刧凵^ | │  
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

情緒不安

●心の緊張状態が原因

 よく誤解されるが、「情緒不安であるかないか」は、あくまでも結果。おとなも、子どもも関係な
い。

 心のどこかが緊張状態にあったとする。その緊張状態に、不安や心配が入りこむと、その不
安や心配を解消しようと、心の状態が、一挙に不安定になる。それが「情緒不安」である。

 だからふだんは平静な人でも、その緊張状態を刺激したりすると、情緒が不安定になるとい
うことは、よくある。

 ある女性(四〇歳)は、実家の父親と、うまくいっていなかった。「盆暮れに帰らなければと思
うだけで、イライラします」と言った。で、実の兄弟の理解もあり、盆暮れに帰るとしても、たいて
いは日帰りですましていた。

 が、こうした女性の態度を、叔父の一人が、そのつど、「もっと親を大切にしなよ」「あんたも、
娘だろが」と、責めた。で、その女性は、こう言う。

 「叔父から電話がかかってくるたびに、心臓がドキドキします。何か言われるのではないかと
思うと、夜も眠られません。頭が痛くなることも、よくあります」と。

●痛いところ

人にはだれでも、弱点をもっている。「痛いところ」ということか。そこをつつかれると、結果とし
て、情緒は、不安定になる。ただし、症状は、さまざま。

 動悸、不眠、食欲不振など。それが長期におよぶと、いろいろな神経症から、情緒障害、さら
には精神障害におよぶこともある。たいていは妄想が妄想を呼び、取り越し苦労をしたり、
悶々と気をもんだりする。

 だからこうした情緒不安を自分の中に感じたら、心の緊張状態をつくらないようにする。ある
いは、その緊張状態を、刺激しないようにする。忘れたり、遠ざかったりする。

 子どもも同じように考えてよい。ある女の子(年長児)は、母親が「ピアノのレッスンをしよう
ね」と声をかけただけで、混乱状態になってしまった。母親に向って、包丁を投げつけたことも
ある。

 その子どものばあい、(ピアノのレッスンをする)ということが、どこかで緊張感をつくってい
た。内心では、(レッスンをしなければならない)と思っていたのかもしれない。そのため、母親
がそれを指摘したとたん、一挙に、情緒が不安定になった。

●緊張感をとる

だからまず、何が、心の中で緊張状態にあるかを知る。人間関係、生活、仕事関係など。日ご
ろから悩んだり、考えたりしていることが、多い。子どもについていうなら、交友関係や、先生と
の問題、進学や成績問題など。

 しかし実際には、こうした緊張感を取りのぞくことは、ほぼ不可能。その人(子ども)自身の性
癖や、人生観と深くからんでいるため、それを改めるのは、容易ではない。また一度、クセにな
ると、ちょっとしたことでも、すぐ心は、緊張状態になる。形や姿を変えて、いつも心の中に常駐
するようになる。

 そこで大切なのが、リラックスということになる。心を日常的にゆるめるということ。そのため
の場所と時間を用意する。「ストレス解消」という言葉があるが、それに準じて考えればよい。し
かしここでも問題が起きる。

 ケースによっては、その問題から遠ざかれば遠ざかるほど、逃げれば逃げるほど、緊張感が
ますということがある。こういうばあいは、「攻撃が最大の防御」ということになる。問題そのもの
に立ち向かっていく。が、いつもうまくいくとは、かぎらない。それもままならないとわかると、か
えって緊張感が増大してしまうので、注意する。

 私のばあいは、その緊張感に弱いので、できるだけ、緊張感のタネとなるような原因を作らな
いようにしている。臆病といえば、臆病。小心といえば、小心。しかしそれでも、緊張感が生ま
れてしまう。

 しかし、ここに書いたような心のメカニズムがわかれば、対処のし方も変わってくる。意味もな
く恐れるということも少なくなる。心を知るということは、そういうことをいう。日ごろ、「私の情緒
は不安定?」と思っている人は、ここに書いたことを、参考にして、一度、自分の心の中をのぞ
いてみるとよい。
(030812)

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***ミ☆川川川☆彡***
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     Y☆Y
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    /|||\             お寄せください。
     ̄Π ̄Π ̄               お待ちしています。
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

客を迎える

 姉の嫁ぎ先は、いわゆる本家。だから盆や正月には、多くの親戚が集まる。今年も、あちこ
ちから人が来るという。「いそがしいね?」と言うと、「もう、なれたから」と。

 しかし客を迎えるということは、たいへん。食事の世話から始まって、すべてを用意しなけれ
ばならない。私も、ときどき客を迎えるが、数日も接待すると、ヘトヘトに疲れてしまう。たとえば
朝食にしても、家族だけなら、適当にお茶づけを食べてごまかすことができる。が、客がいる
と、そういうわけにはいかない。

 つい先日、我が家に二か月滞在した、B君夫妻が、オーストラリアへ帰っていった。私にとっ
ては、旧友だから、それなりに楽しかった。が、ワイフには、そうでない。かなりの重労働だった
ようだ。「二キロ、体重が減った」と言っていた。それに帰ったあとも、ふとんを干したり、シーツ
を洗ったり……。あと始末も、結構、たいへんだった。

 が、世の中には、ノー天気な人もいるものだ。近くで農業を営んでいる、Tさん(四五歳、女
性)が、こんなことを言った。「うちも本家だから、盆には、親戚が集まります。中には、妻や子
どもを連れてきて、一週間も泊まっていく人もいます」と。

 「一週間は、たいへんだア」と私。
 「そうですよ。だから三日目くらいからは、食事も、自分たちで用意してもらうようにしています
……」とTさん。
 「お金をとったら?」
 「そんなことはできません……」
 「帰るとき、少しくらい、お金を置いておくのですか?」
 「いえ、それが来るときは、いつも菓子箱一つだけです」
 「菓子箱一つで、一週間も?」
 「そうです。それにダンナ(Tさんにとっては義理のいとこ)が酒飲みで、毎晩、ビールや酒を
飲み放題」
 「そりゃア、たいへんだア!」と。

 B君夫妻は、よく家事を手伝ってくれた。食後のあと始末は、ほとんど、自分たちでしてくれ
た。それに裏の別棟の家に住んでいたから、そうでないときは、自分たちで勝手なことをしてい
た。しかし、それでも気をつかう。疲れる。

 それぞれの家族や家庭には、それぞれにしきたりや習慣がある。しかしどんな関係であるに
せよ、泊めてもらったら、それなりの家事は分担すること。男も、女も、関係ない。それにある
程度、飲み食いしたら、その費用も、分担すること。これは客として、最低限守らなければなら
ない、マナーではないか。

 私も最初のころは、山荘へ客を招いた。しかしやがてそれが、想像以上に重労働だというこ
とがわかった。食事の世話はもちろん、風呂、就寝の世話など。客が床についてからも、半時
間は、あれこれあと始末をしなければならない。もちろん朝は、客が起きる一時間前から、食
事の準備。

 帰ってからも、シーツを洗ったり、フトンを干したり、など。せっかくの土日が、それでつぶれて
しまった。で、今は、本当に大切な客だけを招くようにしている。私自身が、心を許せる客という
ことか。接待しても疲れない客と言ってもよい。あるいは、疲れ甲斐のある客と言ってもよい。

 で、これは私のばあいだが、私はどこかに泊めてもらうときは、その家の人には、絶対、負担
をかけないようにしている。たとえば一泊を、一人、一万円と計算するなら、その分にみあっ
た、みやげなどを用意する、など。最近では、食事の用意やあと始末も、努めて手伝うようにし
ている。もしそれがいやなら……、つまり泊めてもらうことに、気をつかわねばならないような相
手なら、私は、泊まらない。近くのホテルや旅館に泊まるようにしている。

 こういう私の意見に対して、「林君の考え方は、水臭い」と言う人がいる。「もっと、他人に甘え
てもいいのではないか」と。

そう言えば、B君夫妻は、私の家を、自分の家のように使っていた。冷蔵庫でも、何でも、勝手
にあけては、飲み食いしていた。私はそういうB君夫妻を見ながら、うれしかった。「心を許して
くれているのだなア」と思ったこともあるし、「私を家族のように思っていてくれるのだなア」と思
ったこともある。

 だから私の考え方が正しいとは、決して思わないが、しかし客という立場に甘えてはいけな
い。たとえ家族として迎えてもらったとしても、(……であるなら、なおさら)、家事を分担する程
度のことは、しなければならない。姉は、こう言った。

 「今では、息子たちの嫁さんたちが、みんなしてくれるので、私は座っているだけ。かえってい
つもより、仕事が楽なくらい……」と。それなら、よい。
(030813)

     ▲   ▲
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   ▼  ▲◎▲  ▼
     ▲◎◎▲▲
    ▲  口  ▲
    ▼  口  ▼         毎週月曜日、午後10時JUST
       口              に、チャットルームを開放しています。  
     凸凸凸凸凸             どうぞ、おいでください。
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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞








件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■言葉による虐待

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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

言葉による虐待

 虐待にも、いろいろある。暴力による、肉体的な虐待のほか、無視、冷淡、拒否的態度など。
しかしこれらと同列、それ以上に深刻に考えてよいのが、「言葉による虐待」である。

 ある母親と話していたときのこと。A子さん(小六)の弟(小三)のB君の話になった。そのと
き、B君の母親は、ふと、「Bは、バカだから」と口をすべらせた。どこかはき捨てるような言い
方だった。

 いろいろな母親がいるが、自分の子どもを、「バカ」と呼ぶ親は少ない。その言葉が、ずっと
私の耳に残った。

 それから数年後。私はそのB君と、接する機会があった。夏休みになって、まもなくのことだ
った。が、私はB君を見て、驚いた。ナヨナヨしていて、まるでハキがない。オドオドしているとい
ったほうが正確かもしれない。私が何かを言っても、「ママが、怒るから……」と、力ない声で言
った。ときにブツブツと、ひとりごとを言い、何を言っているか、わからないこともあった。

 私は、A子さんを通して、B君のことを聞きだそうとした。しかしA子さんの言葉は、さらに衝撃
的だった。

私「B君も、もうすぐ中学生だね」
A「あんなヤツ、嫌い」
私「嫌いって……?」
A「あいつ、バカだもん」
私「でも、あなたの弟でしょ。いっしょに、遊ばないの?」
A「遊ばない」
私「どうして?」
A「私、Bなんて、大嫌い。Bがバカなのは、生まれつきよ」
私「生まれつきって、どうして、それが君にわかるの?」
A「ママが、いつも、そう言っている」と。

 A子さんの母親は、B君を産むとまもなく、離婚。現在の夫は、再婚した夫だった。その母親
にしてみれば、B君は、望まない子どもだったかもしれない。こういうケースは、少なくない。

 つまり望まない結婚から、望まない子どもを産んだ。その結果として、その子どもに愛情を感
ずることができず、その子どもを、虐待するようになる。これは別のケースだが、「自分を捨て
た男にそっくりだったから……」という理由で、中学生の男の子を虐待していた母親もいた。

 言葉による虐待には、つぎのような特徴がある。

(1)日常的につづく。ささいなことで叱る、怒る。
(2)冷淡、無視、拒否的態度、否定的姿勢。
(3)「あなたはダメな子」式の、人格の否定。不信感。
(4)親の命令的な口調、姿勢。子どもに向かっては、服従を強いる。
(5)神経質な過干渉。行動の制限。過関心。

 一方、親は(母親に多い)、そうした自分の虐待を隠すために、人前では、むしろ子ども思い
の、よい親を演ずることが多い。ことさら子どもを愛していると言う。そして子どもに現れた症状
を正当化するため、「(子どもが萎縮しているのは)、生まれつき」という言葉をよく使う。「うちの
子が、ああなのは、生まれつきです」と。

 しかし生まれたときから、その子どもが萎縮しているかどうかは、熟練した産婦人科医でもわ
からない。「生まれつき」という言葉を使う親は、それだけ卑怯(ひきょう)な親と考えてよい。

 結果、子どもは、大きく、二つのタイプに分かれる。(1)攻撃的に、反発するタイプ。(2)性格
が内閉し、萎縮するタイプ。同じ兄弟でも、兄が萎縮し、弟が粗放化するというケースも、珍しく
ない。どちらにせよ、(ますます虐待する)→(症状が悪化する)の悪循環の中で、最終的には、
行き着くところまで、行く。

 言葉による虐待は、肉体的な虐待とちがい、外からは、たいへんわかりにくい。母親自身も、
それを隠す。あるいは反対に、その反動形成として、むしろ子ども思いの、よい母親を演ずる
ことが多い。しかし冒頭にも書いたように、深刻さという点では、肉体的な虐待と同等に考えて
よい。

 さらに深刻なのは、その背景に、子どもに対する、憎しみ、嫌悪感があること。こうした感情
が、姿を変えて、子どもを虐待する。つまりこうした感情を克服しないかぎり、言葉による虐待
は、解決しない。ついでに、B君の症状について、当時の記録を、ここに載せておく。

【B君、小六】

 柔和で、おだやかな表情をしているが、ハキがない。すべてに自信がなさそうで、逃げ腰。
「どんなテレビを見ているの?」と聞くと、「ママが、怒る」と。そしてあとはブツブツとひとり言を
言い始める。意味がよくわからない。緩慢行動、言葉のオウム返しもみられた。軽い自閉傾向
も観察される。何をしたいとか、何をしなければならないということが、わかっていないよう。命
令には従順に反応するが、自分では何もしようとしない。B君の書いた文字は、異常にきれい
で、ていねい。最近ローマ字を覚えたらしく、こちらが求めもしないのに、自分からローマ字を
書いてみせた。軽くほめてあげると、はじめてニッコリと笑った。
(030815)

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【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

山荘にて

今日は、雨。弁当を食べて、A・ドヴォルザークの「新世界」を聞く。正式には、「交響曲第九番」
という。指揮は、小澤誠爾。日本でも「家路」として、よく知られているメロディは、第二楽章の
「ラルゴ」にある。今、ちょうど、その部分が聞こえている。

 この新世界を聞くときは、ボリュームの調整がむずかしい。静かな部分は、メチャメチャ静
か。しかし突然、フォルテになって、ドドン、バリバリと。A・ドヴォルザークという作曲家は、激情
的な人だったのだろう。この曲は、昼寝のBGMには、向かない。

 窓の外は、雨とモヤで、白く煙っている。近くの木々の葉からは、無数の雨だれが、白い宝石
のように、下へしたたり落ちている。この時期になると、アジサイは枯れ、キンモクセイの白い
花も、どこか色あせる。

 目の前にはいくつかの山の端(は)が、折り重なり、その向こうでは、白い山々が、空の雲に
そのまま溶けこんでいる。水墨画の世界。雨を嫌う人も多いが、しかし雨の日の山荘は、すば
らしい。心静かに、時だけが、だれにも知られず過ぎていく。

 しばらく何も考えずに、新世界に耳を傾ける。手だけが勝手にパチパチと動いて、パソコンの
上で、文を連ねる。ああ、たった今、第三楽章の「スケルツォ」が始まったところだ。ドラムがと
きおり、バリバリと鳴る。

 あなたは今、どこにいて、何をしていますか。
 何を思い、何を考えていますか。
 この白い光のもとで、あなたは今、
 どこにいて、何をしていますか。

 ふと、まだ見知らぬ、読者のことを思いやる。私はこうして今、生きている。生きて、こうして文
を書いている。そしてその文は、やがてインターネットにのって、読者の方に配信される。考え
てみれば、おかしな関係だ。私は、その人を知らないまま、その人に向かって、文を書いてい
る。そしてその人は、目の前に見える白い空の下の、どこかに住んでいる。

 新世界は、第四楽章の「アレグロ・コン・フォーコ」に入った。相変わらず抑揚のはげしいメロ
ディがつづく。耳をすまして聞いていると、すぐそのあとは、耳を押さえて聞かねばならないよう
な大音響。「この曲が終わったら、昼寝をしよう」と、今、思ったところ。……と思ったが、つづい
て、『スラヴ歌曲集』は始まってしまった。この曲を聞くたびに、タマラ・ファクターという女性を思
い出す。学生時代の友人だ。「マックス・ファクターの子孫?」と聞くと、いつか彼女は、「そうか
もね」と笑った。彼女の母親は、そのスラヴ人だった。

 いつか、寒い冬の日だった。二人で、海岸を散歩したことがある。その前後のことはほとんど
覚えていないが、黒い長いドレスが、ヒラヒラと風に舞っていたのだけは、印象に残っている。
何本かのヒモを首に巻いていた。そのヒモを片手で押さえながら、下を向いて笑っていた。あれ
から、もう三三年になる?

 無数の思いが、とりとめなく頭の中をかけめぐり始めた。睡魔が襲ってきた。このあたりで昼
寝をしたほうが、よさそうだ。しばらく休憩。おやすみなさい。
(030814)

    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│   みんなで力をあわせて、前向きに
  ┃     ┃   ///─┘┤    生きていきましょう!
  ┃     ┃  刧凵^ | │  
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

親の呪縛

●恩着せがましい育て方

 私は、三人の息子を、もっている。その子育てで、一番、気をつかったことは、「恩を着せな
い」ということ。

 私自身は、私の親に育てられながら、つねに、恩を着せられた。親だけではない。親戚の叔
父や叔母、さらには祖父母にも、着せられた。

父や母は、いつも口ぐせのように、こう言っていた。「産んでやったからな」「育ててやったから
な」「大学を出してやったからな」と。そして私が何か口ごたえすると、「親に向かって、何だ!」
と。叔父に、「だれのおかげで、ここまで大きくなれたと思っている! このバチ当たり」と、怒鳴
られたこともある。

もっともそのことに気づいたのは、私が三〇代になってからだが、私は、自分の息子たちに対
しては、それをしてはいけないと心に誓った。

●自分がそうしたかったから、そうした

 私が息子たちを、かわいがったのは、自分が、「かわいい」と思ったからにほかならない。息
子たちを育てたのは、それが親の義務だと思ったからにほかならない。むしろ私は、息子たち
に、感謝している。私は息子たちを育てることで、自分の人生を、うるおい豊かなものにするこ
とができた。楽しむことができた。それに、息子たちのおかげで、自分も成長することができ
た。

 しかし親たちからの呪縛(じゅばく)から、逃れるのは、容易なことではない。私はそういうふう
に育てられながら、一方で、強烈な依存心を、植えつけられた。親に反発すればするほど、自
分自身の中で、自分が崩壊していくのを感じた。わかりやすく言えば、心が、引きちぎられるの
を感じた。

 この時点で、生きザマは大きく、二つに分かれる。

●二つの考え方

 一つは、そういう自分を受け入れ、親に同調すること。もう一つは、反発を貫くことである。

 受け入れるのは、簡単なこと。同じような環境で育ち、それを受け入れてしまった従兄弟(い
とこ)も少なくない。このタイプの人間は、従兄弟にかぎらず、親孝行を美徳とし、一方で、そう
した自分の依存心を正当化するために、親を、必要以上に、美化する。つまり「自分が、これ
だけ親を思うのは、親がそれだけすばらしい人間だから」と。

 このタイプの人は、だれかが親を批判しただけで、猛烈に反発する。「親の悪口を言うヤツ
は、許さない!」と。そして親の言葉に呼応して、「生んでいただきました」「育てていただきまし
た」と言う。

が、私は違った。私は、父や母に、さんざん、こう言われた。「親の悪口を言うヤツは、地獄へ
落ちるぞ!」と。

 もう一つは、反発を貫くことだが、これは簡単なことではない。反発するということは、自己を
否定することになる。体質としてしみついた「自分」を変えることは、容易なことではない。その
ことを知ったのは、K氏(四五歳、男性)の事件を聞いたときだ。

●子どもをだます親

 K氏には、そのとき、七五歳になる母親がいた。そのK氏が、半年の予定で、中国の上海へ
家族をつれて赴任したときのこと。K氏の母親は、K氏から預かった土地を、勝手に転売してし
まった。

 あとでK氏がそれを責めると、K氏の母親は、こう言ったという。「先祖を守るために、息子の
財産を使って、何が悪い!」「親を捨てて、上海へ行った、息子のお前が悪い!」と。

 それでK氏と母親の関係は切れた。しかしそれは簡単なことではなかった。K氏は、それ以
後、約一〇か月もの間、怒りと悔しさで、毎晩、妻の介抱を受けたという。K氏は、こう言った。

 「毎晩、床につくと、怒りが腹の底からこみあげてきて、体中が熱く、ほてりました。心臓の鼓
動も大きくなり、ときに息苦しく感じたこともあります」「親にだまされるということが、あなたに
は、どういうことか、わかりますか?」と。

 K氏は、K氏自身を束縛している「親像」をはらいのけるために、一〇か月も苦しんだ。しかし
それは壮絶な苦しみだった。

 こういうK氏のようなケースは、決して少なくない。親をだます子どももいるが、世の中には、
子どもをだます親もいる。しかしこのタイプの親にかぎって、だましても、だましたという意識す
らない。K氏は、こうも言った。「私の母は、いまだにとぼけています。何もかも承知のはずなの
に、ときどき、菓子などを送ってきます。『元気か?』と言います。もう、話になりません」と。

●依存性の強い親

 依存性の強い親、つまり情緒的に未熟な親や、精神的な欠陥のある親は、子どもを、しばる
ことで、自分の立場をつくる。「産んでやった」「育ててやった」という言葉は、そういう無意識の
意識から、出てくる。

 だから私は、自分の息子たちを育てるとき、とくに意識して、息子たちに恩を着せる言い方を
避けた。今も、避けている。そして反対に、いつもこう言っている。

 「お前たちの人生は、お前たち自身のもの。親孝行なんて、バカなことを考えるヒマがあった
ら、前向きに、生きていけ。うしろを振り返ってはだめだ。私たちは、お前たちを育てることで、
じゅうぶん、人生を楽しんだ。それ以上、何も、望んでいない。ありがとう」と。

●さて、あなたのこと

 あなたが育った家庭環境がどうであれ、親の呪縛から逃れることは、容易なことではない。よ
きにつけ、あしきにつけ、親の呪縛というのは、そういうもの。あのガチョウは、最初に聞いた
声の持ち主を、生涯、親だと思いこむという。人間にも、そういう「性(さが)」がある。脳にしっ
かりと、親像が、そのまま刷りこまれてしまう。

 だから、あなたも一度、どういう形で、自分の「親像」が、子どもたちの心の中に刷りこまれて
いるか、静かに観察してみるとよい。ここから先は、あなた自身の問題だから、私は干渉しな
い。しかしこれだけは、言える。「親の恩を押し売りしたり、恩を着せるような、卑怯なことはして
はだめだ!」と。

私が、ここに書いたことは、まちがっているだろうか?
(030813)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

老人の性(さが)

 久しぶりに、大学時代の友人に会った。が、会うとすぐ、彼の父親について、話し始めた。「う
ちのオヤジは、こまかすぎる」と。

 友人の父親は、今年、七六歳。戦争経験はないが、昔からの旧家の長男。そのためか、家
のしきたりには、ことさらうるさい。盆の飾りつけにしても、ほんの数センチ、位置がずれていた
だけでも、やりなおしをさせられるという。

 「年齢とともに、ますますこまかくなってきた」と。

 老人には、老人特有の、脳の老化現象があるようだ。がんこになる、偏屈になる、わがまま
になる、意地悪になる、など。その一つに、ここに書いた、「こまかさ」がある。

 一般論からすれば、(こまかい)ということは、それだけ(人生観がせまい)ということ。(住む
世界が、小さい)ということ。老人になると、その世界が、かぎりなく小さくなるらしい。

 「しかし君の父親は、学校の先生をしていたのだろう?」
 「そうなんだ。それなりに、知識人のはずなんだが……」
 「住む世界が小さくなったとは、考えられない」
 「いや、本当のところは、昔から、小さかった……。こまかいのは、今も昔も変わらない。おや
じといっしょにいると、気がヘンになることもあった」と。

 先日、NHKの教育テレビを見ていたら、宇宙誕生の話をしていた。二〇億年とか、三〇億年
とか。さらに距離にしても、何万光年とか、何一〇万光年とか。聞いているうちに、気がヘンに
なりそうだった。

 昨日もある雑誌(MONO・8・16日号)を読んでいたら、こんな記事が載っていた。

 宇宙飛行士のジーン・サーナン(アポロ17号の船長)へのインタビュー記事だが、は、月から
見た地球について、サーナンは、つぎのように話している。

 「それ以外の空は、完全な黒だ。暗黒ではない。"黒"なんだ。空には太陽が輝いている。地
球も輝いている。月面も光っている。それらが明るすぎて、星の光をかき消してしまうんだ。そ
の黒は、宇宙の空間的な無限さと、永遠の時間そのものだ。その漆黒を見るとき、時を超える
んだ。月面で地球を写した写真を見たことがあるかもしれないけど、それは二次元だろ? で
も、月では三次元だ。地球を見るだけじゃなくて、感じるんだ。完全な漆黒の空と、グレイの月
面に囲まれて、地球を見ると、とてもカラフルだ。海の青、大地の茶、雲の白。本当にダイアモ
ンドだ。それを手で触れるような感覚なんだよ。しかもそれが目の前で回転するのが見えるん
だよ。たしかに忙しかったけど、絶えず自問させられるんだ。これは本当なのか? これは現
実なのか? 夢じゃないのかって、ね。ものすごく明るいのに、まわりは真っ暗なんてことは、
地球ではありえないからね」と。

 私はこの部分を、何度も読みかえした。読みかえしながら、頭の中で、彼が見た世界を想像
しようとしてみた。「たしかに高い山に登ると、遠近感がなくなる」「山の頂上が、手で触れること
ができるのではないかと思えるほど、近くに感ずることがある」「色のない宇宙は、暗闇ではな
く、漆黒の黒か」と。

 一方で、こうした情報がつぎからつぎへと、人間の社会に流されている。そういう社会にいな
がら、一方で、「盆の飾りつけがどうのこうの」とは?

 その盆にしても、ていねいに祭っている人には失礼な言い方かもしれないが、もとを正せば、
今のイランあたりの土着宗教にルーツがある※。それに中国の土着宗教(祖霊祭と農耕祭)が
からんで、日本へ入ってきた。仏教とはいうが、本来の釈迦仏教とは、縁もゆかりもない。

そんなものの飾りつけにこだわったからといって、極楽浄土へ行けるのでも、またこだわらなか
ったから、行けないというのでもない。私のこの説に疑いをもつなら、一度、自分で確かめてみ
たらよい。確かめないで、一生、意味もない習慣を繰りかえすか。それとも、賢くなって、別の
道をさがすか。それはあくまでも、あなた自身が決めることである。

 どんな人でも、必ず、老いる。それを避けることはできない。しかし他人は、老いたあなたを
見て、あなたを総合的に評価する。そのとき、あなたがその評価に耐えられる人間であるか、
そうでないかは、ひとえに、それまでの生きザマにかかっている。

 「こまかい人間」ということは、「つまらない人間」という意味。こまかいことを気にし始めたら、
こまかいことを気にするのではなく、自分の「小ささ」を気にしたらよい。でないと、いつか、長い
時間をかけて、その人は、確実につまらない人間になる。

※盆は正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)といって、『仏説盂蘭盆経』という経典がもとになって生
まれ定着した。起源となる『仏説盂蘭盆経』はインドから中国への途上、西域あたりで成立した
ものと言われている。「ウラボン」という言葉そのものが、イラン系のソグド人の用いる言葉ウル
ヴァン(霊魂)に由来すると言われている。 ウルヴァンが、中国語で、「盂蘭盆」になり、ついで
日本語で、「うらぼん」になった。

【追記】
 こう書くと、「盆会(ぼんえ)などくだらない」と、私が言っているように思う人もいるかもしれな
い。しかし私は、そうは言っていない。

 どんな宗教でも、そしてその宗教に、どんな問題があったとしても、その宗教とともに生きてき
た人や、そのドラマまで否定してはいけない。盆会にしても、盆会そのものは、おかしな迷信と
思い込みによって生まれたものである。しかしその盆会を守ることで、死者との対話をしてきた
人は、億万といる。また盆会をすることで、なぐさめられ、励まされている人も多い。そういう人
たちは、そういう人たちで、そっとしておいてやるのも、私たちの役目ではないか。

 ただ盆会も、それがある一定の範囲で、なされている間は、問題はない。それは何かのかけ
ごとのようなものではないか(失礼!)。どこかに自分をしっかりともちつつ、それをするのな
ら、問題はない。しかし盆会が、その範囲を超えて、いわば狂信的になったとき、その盆会は、
その人自身を狂わす。

 これはカルトのみならず、どんな宗教にも共通して言えることだが、信仰するにしても、最後
の最後まで、私たちは、常識をなくしてはいけない。「おかしいものは、おかしい」と思う常識で
ある。その常識をなくすと、教祖の髪の毛を煎じて飲んでみたり、死んでミイラ化した人を「生き
ている」とがんばってみたりする。さらには体にたまった電磁波を、棒でたたいて出すなどという
ことを、平気でするようになる。
(030814)

 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
**\\⊂'↓°⊃//**
*  \\_▽_//  *
    \\∧//
     Y☆Y
     〓〓〓             何か、テーマがあれば、どうぞ
    /|||\             お寄せください。
     ̄Π ̄Π ̄               お待ちしています。
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

旅行記

●電車に乗る

 ワイフと、電車に乗る。八時一分発の静岡行き。急ぐ旅でもない。普通列車にした。天気は
曇り。しかし真夏のはずなのに、涼しかった。

 切符は、沼津まで。片道2400円と少し。2リットル入りのウーロン茶のペットボトルを持参。
私は水分をいつも補給していないと、体の調子が悪くなる。血圧が低いことと関係があるらし
い。

 途中、都会人の悪口を言いあう。悪口は、ストレス解消には、よい。

 「都会人は、冷酷だ」
 「都会人は、いばっている」
 「都会人は、田舎をバカにしている」
 「都会人は、自分たちのほうが、偉いと思っている」と。

 一方、田舎人には、都会コンプレックスというのがある。この浜松でも、「東京から来た」とい
うだけで、何でもありがたがる風潮がある。日本は、奈良時代の昔から、中央集権国家。

 知人の中にも、東京に住んでいるというだけで、いばっている人がいる。元官僚で、今は、退
職し、優雅な年金生活。年齢が私より5歳ほど上ということもあるが、横柄な態度には、もう、う
んざり。

 「あの人は、過去の肩書きにしがみついて生きているのさ」
 「かわいそうな人ね」と。

 静岡へ着くまで、こうして悪口を言いあって、すごす。

 静岡駅で、熱海行きに乗り換える。時間が少しあったので、おにぎりを二個、買う。200円。

 夏休みということもあって、家族連れが目立った。しかし騒々しいのは、子どもたちではない。
おばさん連中。かん高い声で、ペチャペチャとしゃべる。本当にうるさい。その上、どうでもよい
ような話ばかり。少し眠っていこうと思ったが、その思惑は、狂った。

●感激!

 沼津へは、10時半ごろ、着いた。タクシーで、港へ向かう。土肥(とい)までの切符を買った
あと、港の近くの食堂へ。

 私たちが入ったのは、魚市場のはずれにある、「どんぶりや」という店。が、ここで大感激。私
は、海鮮どんぶり。ワイフは、焼きサーモンといくら丼というのを頼んだ。値段は780円だった
が、その豪華さには、驚いた。汁碗(しるわん)もついていた。

 「安いね」
 「ホント!」と。

 食べながら、浜松の物価の高さに、怒りすらこみあげてきた。「浜松だと、最低でも1500円
はするぞ」「いや、もっと高いわ」と。

 船に乗った。しかし近く、その航路(会社)は、廃止になるという。不景気か? しかしそれだ
けでは、なさそうだ。船員たちの服装も、態度も、だらしなかった。切符を切った男は、ヨレヨレ
のTシャツを着ていた。どこかやる気がなさそう?

●土肥の金山

 土肥へは、昼過ぎに着いた。思い出のある港である。もう33年になるだろうか。私は学生の
とき、ひとりで、この港へ来たことがある。で、することもなく、半日、波止場に座って、海や魚を
見ていた。

 そこで小学生の女の子と知りあった。「君の家は、どこ?」と聞くと、その女の子は、「あそこ」
と、海沿いの旅館を指さした。その旅館は、立派な、ホテルに変身していた。「きっとあのホテ
ルの女将になって、活躍しているのだろう」と、私は思った。

 私とワイフは、土肥金山へと歩いた。それは歩いて、10分ほどのところにあった。学生のと
きも来たが、そのときは、ただの洞窟だった。しかし今は、すっかり観光地化され、施設も驚く
ほど、豪華になっていた。私とワイフは、ためらわず、中に入った。

 が、閉所恐怖症の私には、どこか勇気のいる行為だった。正直言って、こわかった。たしか
学生のときは、中へ、入れなかったと思う。10メートルほど進んだところで、足がすくんでしまっ
た。

 しかし今日は、ワイフが手をつないでくれた。私はワイフの肩に頭をのせるようにして、中へ
進んだ。金の採掘の様子が、人形仕掛けで説明してあった。結構、おもしろかったので、土肥
のほうへ行く機会があれば、一度訪れてみるとよい。中で、ワイフとこんな会話をした。

 「ぼくがこんなところで働かされたら、すぐ脱獄する」
 「ひどいところね」
 「刑務所より悪い」
 「死んだ人も多いはずよ」
 「そうだな」と。

 頭の中で、いろいろとその方法を考える。一番よいのは、竹を組んでいかだを作り、夜中に
脱出するというのだ。風向きをうまく利用すれば、駿河湾を越えて、静岡の方へ逃げられる。

 出たところで、ソフトクリームを一個、買う。ワサビ入りのソフトクリームだった。「ワサビ入
り!?」と、驚いた。が、食べてみたら、ワサビの、ほのかなにおいがして、おいしかった。

 帰りは、三時四〇分発、土肥発、清水行きのフェリーに乗った。フェリーの中ではただひたす
ら居眠り。うしろの席にすわったおばさん連中が、これまたかん高い声で、おしゃべり。が、今
度は、睡魔のほうが強かった。目がさめると、清水港の巨大なクレーンが、いくつか目に飛び
込んできた。

 港からはタクシーで、清水駅まで。普通列車で、浜松まで戻ってきた。
(030813)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【おまけ】

ジョーク

In order for three people to keep a secret, two must be dead. - Ben Franklin 
三人で秘密を守ろうとしたらね、二人が死んでいればいいのさ。(B・フランクリン)

In order to keep a true perspective of one's importance, everyone should have a dog that 
will worship him and a cat that will ignore him. - Dereke Bruce
自分の重要性のバランスをとりたかったら、自分をあがめる犬と、自分を無視するネコを飼う
ことだよ。(D・ブルース)

I do not want people to be agreeable, as it saves me the trouble of liking them - Jane 
Austen
ぼくは、みんなに同意してもらいたくない。めんどうなことに、彼らを好きにならねばならないか
らね。(J・オースティン)

Humor is the absence of terror, and terror the absence of humor. - Lord Richard Buckley
ユーモアには、恐怖はない。恐怖には、ユーモアはない。(ロード・R・バックレイ)

When choosing between two evils, I always like to try the one I've never tried before. - Mae 
West (1892-1980)
二つの悪魔から一つを選べと言われたらね、以前、選んだことがないほうの悪魔を選ぶよ。
(M・ウェスト)

Be careful about reading health books. You may die of a misprint. - Mark Twain
健康の本を読むときは注意しな。ミスプリントが原因で、死ぬことがある。(マーク・ツウェイン)

The clothes make the man. Naked people have little or no influence on society. - Mark Twain
衣服が人間をつくるよ。裸の人間というのはね、社会にほとんど影響を及ぼさない。(マーク・ツ
ウェイン)

Why don't you write books people can read? - Nora Joyce, To Her Husband James (1882-
1941)
どうして人が読めるような本を書かないのかい。(ノラ・ジョイス)

Fashion is a form of ugliness so intolerable that we have to alter it every six months. - 
Oscar Wilde
ファッションというのは、あまりにも、見苦しいので、6か月ごとに変えなければならないもの。
(オスカー・ワィルド)

Some cause happiness wherever they go; others whenever they go. - Oscar Wilde
どこへ行っても幸福をもたらすものもいれば、いつ行っても、幸福をもたらすものもいるよ。(オ
スカー・ワイルド)

Physics is like sex: sure, it may give some practical results, but that's not why we do it. - 
Richard Feynman
物理学というのは、セックスのようなものだよ。それは何らかの実用的な結果をもたらすが、し
かしそれが目的というわけではないよ。(R・フェイナム)

We had gay robbers last night. They broke in and rearranged the furniture. - Robin Williams
昨夜、おもしろいドロボーがうちに入ったよ。うちに押し入って、家具を並べ替えてくれたよ。(ロ
ビン・ウィリアムズ)

Three o'clock is always too late or too early for anything you want to do - Sartre
3時という時刻は、いつも、何かをするには、遅すぎる時刻であり、何かをするには、早すぎる
時刻である。(サルトル)

If you have weird vegetarian friends it is best not to invite them to a barbecue. - Scott 
Adams
あなたにもし、ベジタリアンの友人がいるなら、その友人は、バーベキューには、誘わないこと
だ。(S・アダムズ)

If your lips are extended beyond your nose then you are about to do something rude. - 
Scott Adams
唇が、鼻より前に出たなら、それはあなたが何か、失礼なことをするときだ。(S・アダムズ)

I don't make jokes. I just watch the government and report the facts. - Will Rogers
私は冗談を言わない。私はただ、政府が、事実を報告するかどうか、それを監視するだけだ。
(W・ロジャーズ)
【以上、イギリスのフリーソフト掲載ボードより】

     ▲   ▲
    ▲▼▼ ▼▼▲
   ▼  ▲◎▲  ▼
     ▲◎◎▲▲
    ▲  口  ▲
    ▼  口  ▼         毎週月曜日、午後10時JUST
       口              に、チャットルームを開放しています。  
     凸凸凸凸凸             どうぞ、おいでください。
 〜〜〜凹凹凹凹凹凹凹〜〜〜   
  〜〜 〜〜 〜〜〜 〜
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞







件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■心の変調

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M ″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
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03−8−24号(277)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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です! 
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

親の意欲、子の意欲

 親の過剰期待は、子どもの意欲をつぶす。わかりやすく言えば、親の期待が大きければ大き
いほど、子どもは、やる気をなくす。

 一方、親自身が、意欲がないケースがある。生活自体がマンネリ化していて、毎日が、惰性
で流れていく。そういう家庭環境では、やる気のある子どもは、生まれない。

 言いかえると、この二つをうまくコントロールすれば、子どもはやる気のある子どもになるし、
そうでなければ、そうでないということになる。いろいろな失敗例をあげてみる。

【「やればできはず」と、A君(中一)を責めた、母親】

 そのときA君は、50番中、30〜40番の成績をとっていた。しかしそれがA君には、精一杯
の成績だった。が、たまに、A君は、よい点を取った。たぶん、何かズルイ手をつかったのだろ
う。しかし母親には、それがわからなかった。だから、その点を基準に、「あなたは、ちゃんとや
ればできる。だから勉強しなさい」と、A君を叱った。

【サッカーを、やめさせた母親】

 B君(小五)の楽しみは、何といっても、サッカーだった。体は小柄だったが、その分、小回り
がきき、すばしっこい動きができた。が、小学五年になるころから、成績がさがり始めた。母親
は、B君を、近くの進学塾へ入れることにした。が、ここで問題が起きた。塾の時間と、サッカー
クラブの練習日が重なってしまった。母親は、サッカーをやめさせることにした。

【難解なワークブックを与えられたC子(小六)さん】

 母親はC子さんを、夏休み前に、X進学塾へ体験入塾させた。そしていきなり、テストと順位。
成績は30人中、25番。この結果に、母親は驚いた。そしてC子さんを叱り、その足で、近くの
書店に。母親は、難解なワークブックを、どっさりと買った。最初のころは、C子さんも、一日2
ページと決め、それなりにがんばったが、すぐオーバーヒート。

【こまかいミスを注意した母親】

 その母親は、こまかいことを気にした。漢字にしても、トメ、ハネ、ハライを、神経質なまでに、
子どもに守らせた。学校のテストでも、まちがったところは、すべてノートに書き写させ、それを
子どもにやらせた。計算問題でも、まちがえると、「どうして、こんな簡単なのができないの
か!」と、子どもを責めた。
 
 子どもとて、人間。こんな簡単なことさえわからない親は、多い。ではどうするか。

 ドイツのマクレランドという学者は、おもしろい実験をしている(「発達心理学」ナツメ社)。

 母親の意欲の強さを、(1)最高意欲、(2)高意欲、(3)意欲普通、(4)低意欲の四つに分
け、その子どもたちの意欲の強さを調べたところ、(3)の普通意欲の母親の子どもの意欲が、
一番強かったというのだ。順に並べてみると、

(3)普通意欲→(4)低意欲→(2)高意欲→(1)最高意欲

 つまり親の意欲が強すぎると、子どもはやる気をかえってなくすということ。子どもに向かっ
て、「勉強しなさい」と、あれこれこまかい指示を出せば出すほど、逆効果だということ。むしろ
ここでいう低意欲(子どものことは子どもに任すタイプ)の親のほうが、子どものやる気を引き
出すということもわかっている。

 しかし一方で、子どもにかまわず、外の世界に向かって伸びつづける親の子どもは、伸びる
ということもわかっている。家庭の中に、緊張感が生まれ、その緊張感が、子どもの意欲によ
い方に作用するからである。

 そんなわけで私は、昔、こんな格言を考えた。『親は外に向かって伸びる』と。子どもに、自分
の夢や希望を託すことは悪いことではない。しかし自分のできなかったこと、できないことを、
子どもに求めてはいけない。親は親。子どもは子どもである。ある母親は、こう言った。「どうし
て、うちの子は、本を読まないのでしょうか?」と。

 そこで私が、「一番、よい方法は、あなたが毎週、図書館へ行って、本を読むことです。子ど
もがついてくるというなら、連れていけばいい」と。それに答えて、その母親は、こう言った。「私
は、もう終わりましたから」と。

 こういう身勝手さは、どんな親にもある。しかしその身勝手さが、子どものやる気をつぶす。

 子どもに勉強させようと考えたら、命令や、おどしを使うのは、最後の最後。子どものやる気
を、じょうずに育てることこそ、何よりも大切。わかりきったことなのだが……。
(030815)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

孫のかわいさ

 孫がかわいく見えるのは、まぼろしか、現実か。

 二男がときどき、インターネットで、孫の写真を送ってくれる。そういう写真を見ながら、私は、
正直、「かわいい」と思う。ワイフも、「かわいい」と言う。しかし、それはまぼろしか、現実か。

 よく、「うちの孫です。かわいいでしょう」と言って、写真を見せてくれる人がいる。しかし正直
に告白するが、その人が「かわいいでしょう」と迫るほど、かわいくはない。しかしその人は、
「かわいい」「かわいい」と言って、その写真に、ほお擦りをする。

 そういう光景を何度か見ているので、私は、自分の孫の写真を見ながら、ふと、こう思う。「セ
イジ(誠司、Sage)が、かわいいと思うのは、私だけ。他人が見れば、そうは思わないのではな
いか?」と。

 で、冷めた目で、少し距離を置いて、孫の写真を見る。「かわいいのか、かわいくないのか」
と。しかし、やはり、かわいい。かわいいものは、かわいい。かわいい顔をしている。身内の欲
目とはわかっているが、それをさし引いても、かわいい?

 「本当に、この子は、かわいいのか?」と私。
 「かわいいわよ」とワイフ。
 「しかし他人が見ると、そうは思わないよ」
 「他人が見ても、かわいいわよ」
 「いや、それが、欲目というもの。そう思うのは、ぼくたちだけだよ」
 「いいじゃ、ない。他人がどう思うとも……」
 「そうじゃなくて、今まで、孫がかわいいと言った人が何人もいた。しかしそれほど、かわいい
と思わなかった。ふつうの顔をしていた。今のぼくたちも、そうではないかということ」
 「そうね。それはあるかもね」と。

 目は大きく、どこか宇宙人ぽい? 瞳(ひとみ)も大きい。額が広く、髪の毛は、もう六〇歳の
老人のよう。見る人が見たら、エイリアンと思うかもしれない。しかしそんな顔でも、ずっと見て
いると、だんだんかわいくなってくる。不思議な感覚だ。

 ……で、またまた考えてしまった。この感覚は、まぼろしか、現実か、と。だれかが、私の孫
の写真を見て、「かわいいですね」と言っても、私は、信じない。おせじだ。だれだって、そう言
う。しかし私には、かわいい。

 あああ。私も、とうとうジジ・バカの世界に入ったようだ。まぼろしの世界に入ったようだ。それ
ほどかわいくないものを、かわいいと思い始めている。いったい、この感覚はまぼろしなのか。
それとも、現実なのか?

 孫の写真は、「宗市のサイト」(私のサイトの、右上)から見ていただけます。どうか、見てくだ
さい。http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/(はやし浩司のサイト)
       http://dstoday.com(林宗市のサイト)
(030816)

【宗市のサイトの見方】
左上に、画像選択用のメニューがあります。そこを適当にクリックしてくださると、月別、日別
に、写真が出てきます。

      ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          どの人も問題なく生きているように見えますが、
 \※/            問題のない子育てなど、ありません。
  ‖                
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

ハンバーガーショップで…… 

 土曜日の夕方、近くのハンバーガーショップへ行った。夏休みということもあって、多くの家族
連れで、混雑していた。で、親子、ウォッチング!

【母と、娘(中1?)、息子(小四?)】

 最初から、最後まで、こまめに動き回っていたのは、母親だけ。最後のあとかたづけも、母親
が一人でしていた。ハンバーガーを食べ終わったとき、息子のほうが、ソフトクリームを食べた
いと言ったらしい。母親は、「待っていなよ」と言い残して、やがて二つ、買ってきた。一つは、娘
用。娘と息子は、ソフトクリームをペロペロとなめていた。その間に、母親は、ゴミを捨て、近く
で遊んでいた、もう一人の息子(五歳?)を呼びにいった。(隣が、ゲームコーナーになってい
た。)

【母と、娘(中二?)】

 最初、二人は並んで、店に入ってきた。まず娘が、席につき、座った。母親は「席をとってい
なさい」とでも言ったのか。娘は、そのままずっと、座ったまま。その間に、母親が、トレーにの
せて、セットを運んだ。テーブルにそれを置くと、今度は、水をとりに行った。水は、セルフサー
ビス。娘は、母親がもどってくるのを待ちきれず、ひとりでハンバーガーを食べ始めていた。

【夫婦と、子ども二人。一人は、八歳くらい。もう一人は、六歳くらい】

 夫と、子どもたちは、テーブルに座ったまま。夫は、子どもの世話をしていた。その間に、母
親は、行ったり来たり。水を運んだのも、母親一人だけ。子どもたちは、席を離れたり、父親と
何やら遊んでいるだけ。母親のほうに、一べつもしなかった。

 日本では、見慣れた光景だが、やはり、おかしいものは、おかしい。「女性」は、メイドかと言
いたくなるが、その「女性」である娘が、手伝っているケースは、なかった。つぎに「母親」は、メ
イドかと言いたくなるが、この日本では、どうやら、そうらしい。母親自身が、そういう献身的な
サービスをすることに、何も、疑問をもっていないといったふう。ごく当たり前に、ごく自然に、そ
ういう行為をしていた。

 私はワイフに、こう言った。「親は、子どもの友になれと、ぼくは言う。しかし奴隷になってはい
けない。友なら、平等な立場で、家事を、分担すべきだ」と。

世の母親たちよ、
もう、およしなさい!
夫や、子どもたちに、
ムダなサービスするのを、
もう、およしなさい!

あなたは一人の、人間だ。
メイドでも、奴隷でもない。
あなたの役目は、
もし専業主婦であるなら、
家庭の中に、憩いとやすらぎを
用意すること。

もしあなたが職業をもっているなら、
同等の権利と立場を、夫や
子どもたちに、主張すること。
一人の人間としての生きザマを、
家族のみんなに、見せること。

相手に楽をさせるのが、
家庭の主婦の役目と考えているなら、
それは、とんでもない誤解。
相手が楽をすれば、
それで感謝しているはずとか、
親子のパイプが太くなったと思うのも、
とんでもない、誤解。
いや、かえって逆効果。

こんな愚劣な男尊女卑差社会は、
文化でも、伝統でもない。
誇るべき日本の風習でもない。
恥ずべき、そして改めるべき、
悪しき日本の体質。愚劣な風習。

世の母親たちよ、
もっともっと、一人の人間として、
自分を追求しようではないか。
決して、メイドや奴隷になってはいけない。
(030816)

【子どもの人権】
 
 子どもの人権を守るということは、子どもによい思いをさせたり、子どもに楽をさせることでは
ない。

 子どもの人権を守るということは、子どもを、一人の人間として、尊重することである。子ども
を決して、親のペットや、道具にしてはいけない。

 もちろん私たちは親だから、親として、やるべきことはする。しかしその限度を超えてはいけ
ない。

 日本では、古来より、親にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコール、よい子とした。そ
してベタベタの依存心を、無意識のうちにもつけさせた。一方、自分も、子どもに依存した。し
かしそういう関係では、子どもは、いつまでたっても、自立できない。親も自立できない。

 親は親として、いつも前向きに生きる。子どもは子どもで、いつも前向きに生きる。一見、冷
たい親子関係に見えるかもしれないが、親子といえども、つきつめれば、そこは一対一の人間
関係。親子であるという関係に、親も、そして子どもも、甘えてはいけない。

 私の姉は、ボランティアで、老人の介護活動をしている。老人たちが集まる溜まり場にも、よく
顔をだす。そんな姉が、こんな話をしてくれた。

 「老人たちはね、集まるとすぐに、息子や娘の自慢話ばかりしているよ。『うちの息子が温泉
へ連れていってくれた』『うちの娘が、羽ぶとんを買ってくれた』とね。でもね、みんな、ウソの話
ばかり。自分を飾っている。あの年齢になっても、見栄や、メンツにこだわるのかねエ〜」と。

 自立できない子どもが、老齢になると、やはり自立できない老人になる。……そのままなって
しまう。そしていつの間にか、生きザマが、うしろ向きになってしまう。中には、「親孝行な子ども
をつくることが、よい親の証(あかし)」と考えている人もいる。

さらには、会う人ごとに、「私は、いい息子をもって、幸せです」「いい娘をもって、幸せです」と
言っている老人がいる。ベタベタの依存心をもちながら、その依存心にすら、気づいていな
い?

 ……そんなことを考えながら、私はそのハンバーガーショップを出た。

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この原稿に関連して、以前、書いた原稿を、再掲載します。
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●赤ちゃん言葉

 日本語には幼稚語という言葉がある。たとえば「自動車」を「ブーブー」、「電車」を「ゴーゴー」
と言うなど。「食べ物」を「ウマウマ」、「歩く」を「アンヨ」というのもそれだ。英語にもあるが、その
数は日本語より、はるかに少ない。

 こうした幼稚語は、子どもの言葉の発達を遅らせるだけではなく、そこにはもうひとつ深刻な
問題が隠されている。

 先日、遊園地へ行ったら、六〇歳くらいの女性が孫(五歳くらい)をつれて、ロープウェイに乗
り込んできた。私と背中あわせに座ったのだが、その会話を耳にして私は驚いた。その女性の
話し方が、言葉のみならず、発音、言い方まで、幼児のそれだったのだ。「おばーチャンと、ホ
レ、ワー、楽チィーネー」と。

 この女性は孫を楽しませようとしていたのだろうが、一方で、孫を完全に、「子ども扱い」をし
ているのがわかった。一見ほほえましい光景に見えるかもしれないが、それは同時に、子ども
の人格の否定そのものと言ってもよい。もっと言えば、その女性は孫を、不完全な人間と扱う
ことによって、子どもに対するおとなの優位性を、徹底的に植えつけている! それだけその
女性の保護意識が強いということになるが、それは同時に、無意識のうちにも孫に対して、依
存心をもたせていることになる。

ある女性(六三歳)は、最近遊びにこなくなった孫(小四男児)に対して、電話でこう言った。「お
ばあちゃんのところへ遊びにおいで。お小づかいをあげるよ。それにほしいものを買ってあげ
るからね」と。これもその一例ということになる。結局はその子どもを、一人の人間として認めて
いない。

 欧米では、とくにアングロサクソン系の家庭では、親は子どもが生まれたときから、子どもを
一人の人間として扱う。確かに幼稚語(たとえば「さようなら」を「ターター」と言うなど)はある
が、きわめてかぎられた範囲の言葉でしかない。

こうした姿勢は、子どもの発育にも大きな影響を与える。たとえば同じ高校生をみたとき、イギ
リスの高校生と、日本の高校生は、これが同じ高校生かと思うほど、人格の完成度が違う。日
本の高校生は、イギリスの高校生とくらべると、どこか幼い。幼稚っぽい。大学生にいたって
は、その差はもっと開く。

これは民族性の違いというよりは、育て方の違いそのもの。カナダで生まれ育った日系人の高
校生にしても、日本の高校生より、はるかにおとなっぽい。こうした違いは、少し外国に住んだ
経験のある人なら、だれでも知っていること。その違いを生み出す背景にあるのが、子どもを
子どものときから、子ども扱いして育てる日本型の子育て法にあることは、言うまでもない。

 何気なく使う幼稚語だが、その背後には、深刻な問題が隠されている。それがこの文をとお
して、わかってもらえれば幸いである。

    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│   みんなで力をあわせて、前向きに
  ┃     ┃   ///─┘┤    生きていきましょう!
  ┃     ┃  刧凵^ | │  
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

中学生の夜尿

 少し前、兵庫県A市に在住の母親から、子ども(中二男子)の夜尿についての相談があった。
原因は、「受験勉強と、塾通い」とあった。その母親は、自分の過干渉と過関心に気づき、それ
を改めた。「塾もやめさせました。家での学習も、ゆるめました。しかし夜尿が止まりません。ど
うしたらいいでしょうか」と。

 睡眠状態になると、脳の中で複雑なメカニズムが働き、腎臓での尿生産が止まる。安眠を妨
げないようにするためである。しかしそのメカニズムが狂うときがある。もっとわかりやすく言え
ば、脳の機能そのものが、乱れるときがある。夜尿は、決して、習慣でも、クセもない。その背
景には、もっと深刻な問題が隠されている。

 脳の機能が変調すると、子どもには、さまざまな症状が現れる。ここでいう夜尿もその一つだ
が、ほかに、

(1)生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞、
(2)思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低
下)、
(3)精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、
日常活動への興味の喪失)、
(4)睡眠障害(早朝覚醒に不眠)など。さらにその状態が進むと、
(5)注意力欠陥障害(うっかり事故が多くなる)、
(6)行為障害(意味のないものを、買い集める)、
(7)不安障害(ささいなことを気にして、不安がる)、
(8)感情障害(同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロール
ができなくなる)、
(9)回避性障害(他人との接触を嫌う)、
(10)摂食障害(過食や拒食)を起こしたりするようになる。
(11)また必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。こうした兆候が見ら
れたら、黄信号ととらえる。

 こうした症状が、外に出てくると、親はあわてて、それをなおそうとする。その気持は理解でき
ないわけではないが、なおすべきは、子どもではなく、家庭環境である。

 幸いにも、この相談のケースでは、母親は、原因は、自分のきびしいしつけであることに、気
づいている。だから、一応、それでよいということになる。が、ここでもう一つの問題にぶつか
る。

 こうした脳の機能が変調することによる症状は、簡単には、消えないということ。環境が改善
されても、そのまま症状だけは残る。しかもそのあと、一年単位で、症状は推移する。たとえば
幼児のチックや吃音(どもり)にしても、それに気づいてから、数年以上、症状が残ることは珍し
くない。脳の変調というのは、そういうもの。

 そこでこの母親にアドバイスできることは、つぎのようなことである。

(1)今の症状を、これ以上悪くしないことだけを考えて、様子をみる。
(2)症状が消えるまで、一年とか二年はかかる。気長に考えること。環境を改めたからといっ
て、すぐ症状が消えることは、ありえない。
(3)また一度、こうした変調が起きると、いろいろな形で、再発しやすいので、注意する。夜尿
が、摂食障害になったり、回避性障害になったりするケースは、珍しくない。
  
 子どもの心は一見タフだが、慢性的に抑圧感がつづくと、子どもの心は緊張状態になる。そ
してその緊張状態を解消しようと、別の心のメカニズムが働く。これを「防衛機制」という。ここ
でいう「変調」もその一つだが、しかしこれはいわば黄信号。安易に考えていると、今度は「障
害」というレベルにまで進んでしまう。これは私から、その母親への警告ということになる。
(030816)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

おとなの優位性

 おとなの優位性を、ことさら見せつける「おとな」がいる。このタイプのおとなは、精神的に、未
熟なおとなとみてよい。

 よくあるのは、財力や、金力を見せつけて、子どもを自分の支配下に置こうとするケース。あ
る女性(六〇歳)は、ことあるごとに、孫(小四)に、高価なものを買い与えていた。そしてそれ
を、楽しみの一つにしていた。「おばあちゃんの言うことを聞いていると、いいことがあるよ」と。

 おとなが、子どもより、優位な立場にあるのは、当然のことではないか。知恵も、知識も、経
験もある。しかしそれを子どもに、押しつけてはいけない。子どもが、おとなの社会に、ある程
度の劣等感をもつことは、しかたのないこと。子どもは、常にその劣等感と戦いながら、おとな
になっていく。しかし、限度を超え、その劣等感に押しつぶされてしまうと、子どもは、自我その
ものも、つぶされてしまう。

 ある男性(三〇歳)は、何をするにも、自信をもてなかった。能力もあったが、ここ一番という
ときになると、逃げ腰になってしまった。おとなの世界、つまり社会で生きていくことについて、
恐怖心すらもっていた。自我がつぶされると、そうなる。

 もちろん暴力や、威圧によって、子どもに優位性を押しつけるケースもある。まだ四歳や、五
歳の子どもに向かって、はげしい体罰を加えている親は、いくらでもいる。「こんなことで、どう
するの!」と。しかしこういう親は、卑怯(ひきょう)だ。たとえて言うなら、相手をロープで縛った
上で、その相手と、格闘するようなものだ。

 優位な立場にあるものは、たとえ親でも、そうでない立場にあるものに対しては、謙虚でなけ
ればならない。それが、人間がもつ、基本的なやさしさではないか。もしあなたが、子どもに対
して優越感を覚えるなら、それはとりもなおさず、あなたの精神的な未熟性の現れとみてよい。
たわいもない子どもに、優越感を覚えるということ自体、あなたの精神は、おとなになりきって
いない。つまり未熟な人間とみる。
(030816)

 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
**\\⊂'↓°⊃//**
*  \\_▽_//  *
    \\∧//
     Y☆Y
     〓〓〓             何か、テーマがあれば、どうぞ
    /|||\             お寄せください。
     ̄Π ̄Π ̄               お待ちしています。
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

パソコン・ストレス

 得体の知れない恐怖。それがパソコン・ストレス。私も何度か、冷や汗をかいたが、そのたび
に恐怖が増大する。今度も、WINDOWをアップデートしたとたん、パソコンがフリーズ(ハング
アップ)するようになってしまった。「もしや……」と思いながら、「復元」「リカバリー(再セットアッ
プ)」を繰り返す。しかし状態は、まったく変わらず。

 そのたびに、データはすべてパー。プログラムの再入力。各種辞書、データの再入力など。
結局、丸二日、この作業で終わってしまった。が、それでも、不調はなおらず……!

 で、NECのサービスセンターに電話する。あれこれ会話をしていると、「そう言えば……」と、
こんな情報を教えてくれた。

 「機種によって、WINDOWをアップデートすると、フリーズすることがあります。BIOS(バイオ
ス)を書き改めれば、なおります」と。

 しかし私のような素人には、バイオスの変更など、できるわけがない。失敗すれば、即、修理
工場へ、……という、恐ろしい変更である。で、あれこれ電話で聞きながら、指示に従う。その
間も、冷や汗、タラタラ。こういう恐怖は、本当に、健康に悪い。作業が終わったあとも、パソコ
ンを信じられなかった。「これで仕事をしてよいものか、どうか?」と、半日も悩んだ。

 で、今のところ、調子は、よい。もっとも、私のばあい、現在、九台のパソコンをそれぞれの部
屋に置き、仕事を分担させている。インターネットはインターネット専用。ホームページは、ホー
ムページ専用というように。それこそウィルスが入ったら、おしまい。NECのパソコンは、居間
において、もっぱらワープロ用に使っている。(今、そのパソコンで、この文を書いている。)

 が、調子がよいパソコンをいじっていると、反対に、今度は、気持ちよい。快感すら覚える。そ
ういうことはあるが、しかしこういったトラブルが原因で、そのままパソコンから離れてしまう人も
多い。知人の奥さんは、三〇万円も出して、恐ろしく性能のよいパソコンを買った。しかし数か
月後には、もうお蔵入り。「どうしましたか?」と声をかけると、「もうコリゴリ……」と。その気持
ち、ヨ〜ク、わかる。

 (そう言えば、今度、そのパソコンを、売ってくれないか、聞いてみよう。ひょっとしたら、安く、
売ってくれるかもしれない。PEN4、3GH、120G、ATI・RADEONつきの、ものすごいパソコ
ンだ。)

 パソコンとつきあうときは、要するに、余計なことをしないこと。おとなしく動いてくれているとき
は、そのままソーッと使う。それにかぎる。が、そうはいかなくなってきた。それが今度の、「MS
ブラスト」(別名、ラブサン)というウィルス。インターネットをしているだけで、勝手に侵入してき
てしまうという。ゾーッ。

 しかしよくもまあ、こうも、つぎつぎと新手のウィルスを考える、バカがいるものだ。みんなに迷
惑をかけて、どうしてそれが楽しいのか。それだけの知恵と知能をもっているなら、もっと別の
ことに使えばよいのに。人生も晩年になったとき、必ず、後悔するぞ!

 まだ当分、パソコン・ストレス※とは、縁を切れないようだ。要・厳戒態勢というところか。
(030815)

※……このウィルスが入っているかどうかは、つぎの方法で、簡単にわかる。

(1)(Shift)(Ctrl)(Esc)キーを、三つ同時に押す。
(2)タスクマネージャーが出てくるので、その中の「プロセス」をクリック。
(3)その一覧表の中に、「MSblast」というのがあれば、それがウィルス。
(4)もしあれば、マイクロソフト社のホームページを開いて、そのガイダンスに従って、削除す
る。
(駆除のし方は、各自の判断と責任において、してください。)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

今日で、夏休みは、終わり

 八月一七日。日曜日。今日で、夏休みは終わり。
 
 昨夜は一晩中、はげしい雨が降っていた。私はフトンをかぶって寝た。寒かった。それにうる
さかった。起きたのは、八時すぎ。よく寝た。今は、曇り空。あとでハナ(犬)を、海岸まで連れ
ていくつもり。少し運動をして、体をならす。

 今朝の朝食は、トウモロコシ、一本。あとはお茶。このところ、何かと、ぜいたくなものばかり
食べている。体によくない。少し太ってきた。私の一番の適正体重は、六四キロ。六六キロにな
ると、少し、だるくなる。

 この夏休みも、だらしなく過ごしてしまった。こまごまとしたことは、いっぱいあったが、それに
振り回されているうちに、終わってしまった。そんな感じ……。

 「時」について、世界の賢者は、つぎのように考えている。

++++++++++++++++++

Nothing is a waste of time if you use the experience wisely. - Auguste Rodin 
あなたが自分の経験を、賢く使うことほど、時をムダにすることはない。(A・ロディン)

Lost time is never found again. - Benjamin Franklin
失われしときは、もどらない。(B・フランクリン)

Time hasn't stopped for any troubles, heartaches, or any other malfunctions of this world, 
so please don't tell me it will stop for you. - C.S. Lewis
時は、この世で、どんなトラブルがあったときも、止まることはなかった。だから時があなたのた
めに止まるだろうなどと、そんなことは言わないでほしい。(C・S・ルイス)

Time flies like an arrow, fruit flies like a banana. - Groucho Marx
時は矢のように過ぎる。フルーツは、バナナのように飛ぶ。(G・マークス)


Time is like a drug. It kills you if you have too much of it. - Terry Pratchet, "Small Gods" In 
History 
時は、薬のようなもの。のみすぎると、あなたを殺す。(T・パトリック)

Time takes it all, whether you want it to or not. Time takes it all, time bears it away, and in 
the end there is only darkness. Sometimes we find others in that darkness, and sometimes 
we lose them there again. - Stephen King, "The Green Mile", In Loneliness 
時は、望むと望まないとにかかわらず、すべてのものを持ち去る。時は、持ち去り、時は流し去
り、最後にやってくるのは、暗闇。私たちは時には、他人の中に、その暗闇を見、そして再び、
時に、彼らを見失う。(S・キング「グリーンマイル」)

Time: that which man is always trying to kill, ends in killing him - Herbert Spencer, In 
Philosophy 
時というのは、いつも人が、なんとかつぶそうとするもの。しかし反対に、その時に、人は殺さ
れる。(H・ペンサー)

Take death for example. A great deal of our effort goes into avoiding it. We make 
extraordinary efforts to delay it and often consider its intrusion a tragic event. Yet we'd find 
it hard to live without it. Death gives meaning to our lives. It gives importance and value to 
time. Time would become meaningless if there were too much of it. If death were indefinitely 
put off, the human psyche would end up, well, like the gambler in the "Twilight Zone" 
episode. - Ray Kurzweil, In Death 
「死」を例に考えてみよう。それを避けるために、多くの努力がなされる。死を遅らせるために、
たいへんな努力をする。その死を、悲劇ととらえるからだ。しかし悲劇なしで、生きることは、む
ずかしい。死は、我々に、生きる意味を教える。そして時の重要性と、価値を教える。もし時
が、ありあまるほどあるとするなら、時は、意味がなくなってしまう。もし死が、永遠に延ばされ
るなら、「ツワイライト・ゾーン」に出てくる、ギャンブラーのように、人間の魂は、終わりを迎える
だろう。(R・クルツヴェイル)
(030817)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【イラストを販売します】

 以前、本の挿し絵などに使った、イラストを、販売します。販売といっても、賛助会に入ってく
ださった方に、お分けしています。(同じことですが……。)

 イラストの見本などは、ホームページのほうに、載せておきます。どうか、ご覧ください。絵の
サイズは、ハガキ大前後です。額に入れて、送ります。マガジンの終わりに、賛助会の案内コ
ーナーを作っておきました。

 賛助会に入ってくださった方は、名簿に、地域名とお名前を、掲載させていただきます。今
後、子育て相談など、機会があれば、何かと便宜を図らせていただきます。

【賛助会の費用は……】

 みなさんからいただきました、賛助金は、つぎの目的で使います。

(1)ホームページ掲載のための、プロバイダーへの諸費用。
(2)インターネット・ディスク社への諸費用。

【はやし浩司より】

 これらのイラストは、もちろん一枚一枚、手描きで書いたものです。白黒の墨絵のように仕上
げたものもあります。皆さんの近くで飾っていただければ、うれしいです。「はやし浩司」の印章
を押し、サインを書いておきます。早く申し込んでくださった方から、できのよい絵を送ります。
で、……。

 先日、こんな会話をしました。小学五年生のS君との会話です。

私「あのね、ぼくの絵は、50年後には、130万円になるよ」
S「今は、いくら?」
私「今は、2000円だけど、50年後は、130万円だ」
S「フ〜ン、じゃあ、お母さんに頼んで、買ってもらう」
私「一度、相談してみてよ」
S「わかった!」
私「だけどね、50年後には、ラーメンが一杯、100万円になっているかもしれないよ」
S「ラーメンが一杯が、100万円?」
私「そうだ。お金の価値が、どんどんさがっていくからね」
S「ラーメンと、先生の絵が同じ値段?」
私「そうだよ」
S「じゃあ、やめたア!」と。

 いつか絵の価値があがるように、別の方面でがんばりますので、どうか、お買い求めくださ
い。はやし浩司は、まだまだ成長します。がんばります。決して、みなさんの期待を裏切るよう
なことはしません。(ホント!)

 ……というより、こういう形で、つまり電子的な形ではなく、手描き的な形で、読者のみなさん
と、何らかのつながりをもつことができたらと願っています。よろしくご理解の上、ご協力くださ
れば、うれしいです。

 なお申し込み、送金方法などは、このマガジンの末尾、もしくはホームページのほうから、「賛
助会」へお進みください。そのコーナーに、郵便振替の方法などを、書いておきます。
(030815)

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    ▲  口  ▲
    ▼  口  ▼         毎週月曜日、午後10時JUST
       口              に、チャットルームを開放しています。  
     凸凸凸凸凸             どうぞ、おいでください。
 〜〜〜凹凹凹凹凹凹凹〜〜〜   
  〜〜 〜〜 〜〜〜 〜
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
11・ 8 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・23 ……奥山小学校
10・18 ……天竜中学校区健全育成会(天竜中、中ノ島小、和田東小、和田小合同)
10・13 ……浜松市上島にて(ママアンドパパス・保育所開園式)
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9.12  ……愛知県岩倉市
9・ 9  ……愛知県稲沢市福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2003年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page090.html
2003年度は、「子育て相談、Q&A」で一年間、連載させていただきます。よろしく!
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■基底不安

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
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03−8−26号(278)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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です! 
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【1】子育てポイント
   【2】Touch your Heart
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        【4】フォーラム
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    _/ ̄/
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

Q:子ども(四歳男児)が甘えてきます。抱きグセがつくのが心配です。どの程度抱けばよいの
か、教えてほしい(埼玉県K市、TMより)。

●子どもを抱く

 ベタベタのスキンシップが、よくないことは、言うまでもない。では、どうするか?

 子どもがスキンシップを求めてきたら、それを決して、こばんではいけない。悪いことと決めつ
けて、はねのけてはいけない。子どもを、ぐいと抱くだけでも、よい。あるいは抱いていると、子
どものほうから、離れていくしぐさを見せる。そのときまで、抱く。

【A子さん(四歳)のケース】
 お父さんが座っていると、そのひざの中に入りたがる。お父さんが、しばらく抱いていると、そ
のまま眠ってしまったり、あるいはほかに何かやりたいことがあると、またひざから出て行く。

【B君(五歳)のケース】
 母親が何かをしていると、ふいに母親を、うしろから抱きついたり、母親の胸に触れようとす
る。で、そのまま母親がじっとしていると、10〜20秒前後で、離れ、また好き勝手なことをし始
める。

 子どもが求めてきたときには、それにはていねいに応ずる。これがうまくできる母親を、「ほど
よい母親」(ウィニコット)という。母親は、この「ほどよい母親」をめざす。やりすぎるのも、また
不足するのも、よくない。

 この段階で、たとえば、子どもを拒絶したり、子どもに冷淡に接すると、子どもは、「拒絶され
た」と感ずるようになる。母親に対して、悪い感情をいだくようになる。そしてそれが抑うつ感の
原点となり、母親のみならず、他者に対して、攻撃的になることが知られている(クラインほ
か)。

 スキンシップの求め方には、個人差がある。心の緊張感がほぐせない子どもは、母親と接す
ることで、それをいやそうとする。しかしそれができないとわかると、緊張感は、一挙に高まる。
ささいなことで、激怒したり、ぐずったりするようになる。

 だからあくまでも、自分の子どもを見て、判断する。子どもの世界には、標準もないし、平均も
ない。またそういう基準に、振り回されてはいけない。「子どもが求めてきたときは、必要なと
き」と考える。が、もしそれがあまりにも度を越しているようであれば、子どもが、なぜそうする
かを、疑ってみる。たいていは、その背景に、愛情問題がからんでいる。

 よくあるのは、下の子が生まれて、愛情が、飢餓状態にあるケース。放置すれば、赤ちゃん
がえりを起こす。(赤ちゃんがえりを、決して、安易に考えてはいけない!)ほかに家庭不和、
夫婦喧嘩など。子どもの側からみて、絶対的な安心感を得られないとき、子どもの心は、緊張
状態になる。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。

 相談のTMさんのケースでは、文面からだけではよくわからない。が、それが日常的な生活
の範囲であれば、子どもを、ほどよく抱くということは、大切なことと考える。コツは、求めてきた
ら、拒まない。ぐいと力いっぱい抱くだけでも、よい。

 反対に、母親のほうが、自分の心のすき間(情緒不安)を埋めるために、子どもを抱くケース
もある。溺愛ママと言われるタイプは、たいていこのタイプの母親と考えてよい。これについて
は、また別のところで考える。

 なお日本では、「抱きグセ」という言葉を使って、子どもを抱くことを拒む人が多い。しかし反
対に、今、親に抱かれない子どもがふえている。乳児期に母子との関係で、人間関係を結ぶこ
とに失敗した子どもは、その後、あらゆる場面で、適切な人間関係を結べなくなる。そういう深
刻な問題がいっぽうにあることを知ると、「抱きグセ」など、何でもない。軽い問題ということにな
る。

 全体にみても、日本人ほど、スキンシップに偏見をもっている民族は少ない。もっと言えば、
親子、夫婦、兄弟の間でも、スキンシップが、少なすぎる。そういうこともどこかで考えながら、
子どもへのスキンシップを考えるとよい。
(030817)

      ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          どの人も問題なく生きているように見えますが、
 \※/            問題のない子育てなど、ありません。
  ‖                
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

恨(うら)み

 恨みは、人間を小さくする。腐らす。そしてその恨みが多ければ多いほど、深ければ深いほ
ど、その人の人生を、見苦しくする。

 いろいろな賢者が、その「恨み」について、語っている。

 
Hatred comes from the heart; contempt from the head; & neither feeling is quite within our 
control. - Arthur Schoperhauer
恨みは、心から生ずる。侮蔑は頭から生まれる。ともに、我々の意思ではコントロールできな
い。(A・ショーペンハウエル)

I will permit no man to narrow and degrade my soul by making me hate him - Booker T. 
Washington
だれも、私をしてその人を恨ませるようなことで、私の魂を小さく、低めることはできない。(B・
T・ワシントン)

Hating people is like burning down your house to kill a rat - Henry Fosdick
人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ。(H・フォスディック)

Nothing Brings People together more, then mutual hatred - Henry Rollins
互いに恨みあうことほど、互いを近づけるものはない。(H・ロリングズ)

If you hate a person, you hate something in him that is part of yourself. What isn't part of 
ourselves doesn't disturb us. - Hermann Hesse
あなたがだれかを恨むなら、あなた自身の中の何かを恨むということ。私たち自身の中にない
ものであれば、それで心がわずらわせられるということはない。

Don't hate, it's too big a burden to bear. - Martin Luther King, Sr.
人を恨むな。それは耐え難いほどの重荷になる。(M・L・キング・SR)

Hate and bitterness are the only weapons wielded by the blade. - Thomas Gregory
恨みと辛苦は、剣をもって戦う、唯一の武器である。(T・グレゴリー)


 こうして並べてみると、自然と、その答が、出てくる。人を恨むということは、短い人生の、そ
の貴重な「時」を、ムダにするということか。では、どうするか。オーストラリアの格言に、「もうす
べては終わった。さあ、前に向って、笑って進もう」というのがある。どうにもならない問題に、い
つまでも引き回されていると、やがてその泥沼に引きずりこまれてしまう。

 そして、H・フォスディックが言っているように、「人を恨むというのは、ネズミを殺すために(=
つまらない人間にかかわっていることは)、家(=人生)を燃やす(=ムダにする)ようなものだ」
ということになる。「恨み」は、「ネズミ」ということか。

 人間の心には、無数のゴミがある。そのゴミがあることは、しかたないことだが、できるだけ、
そのゴミは、少ないほうがよい。ゴミが多ければ多いほど、その人の生活態度は、醜悪なもの
になる。顔も醜悪になる。よい例が、J党の中枢部でがんばっている政治家たちである。見る
からに醜悪な顔をしている。ああなる。

 そのゴミになるものとして、邪悪な心、横しまな心、嫉妬、ねたみ、策謀、インチキなどがあ
る。ここでいう恨みも、その一つ。

 だから、あなたも、もうすべては終わった。さあ、前に向って、笑って進もう! それですべて
は、解決する。
(030817)

    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│   みんなで力をあわせて、前向きに
  ┃     ┃   ///─┘┤    生きていきましょう!
  ┃     ┃  刧凵^ | │  
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

不安

 私は、不安を基底とした、生き方をしている。つまりは、不安定な土台の上に載った、家のよ
うなもの。その中で生活している。

 原因は、よくわかっている。不幸な乳幼児期が、関係している。戦後という、社会世相もあっ
た。しかしそれ以上に、私の生まれ育った家庭は、「家庭」として、機能していなかった。

 私のような人間は、不幸である。外見上は、楽しそうに振る舞うことも多いが、しかしその内
心では、不安と戦っている。あるいは、いつも不安に追いたてられている。人を信ずることがで
きない。人から、信じられることもない。たまに親切にされると、それを素直に喜ぶ前に、相手
の下心を疑ってしまう。

 そのため、いつも私の心は、緊張している。いつかある友人が、こう言った。「林君、あんた
は酒を飲めないというが、では、どうやって、自分を発散させているのか?」と。が、発散してい
ないわけではない。「我」を忘れる方法は、いくらでもある。

 その一つが、実は、幼児教室である。私は幼児と接することで、自分を発散させることができ
る。で、ときどき、こんなふうに思うことがある。「私は月謝をもらって教えているが、しかし本当
は、私のほうが、月謝を払わなくてはいけないのでは」と。

 実際、医者にならなくてよかったと思っている。実は、大学一年の終わりに、大学の学生課に
呼ばれ、「医学部に転学しないか?」という誘いを受けたことがある。当時、教養学部で、法科
と医学部の学生は、、ほとんど同じ授業を受けていた。その医学部に、欠員ができた。もちろ
ん私は、断った。

 もし今、私がドクターなら、毎日、気が滅入ってしかたないだろうと思う。ときどきドクターの仕
事を横で見ながら、「よくも、まあ、あのように暗い(失礼!)仕事ができるものだ」と感心するこ
とがある。

 先日も、「医者になりたい」と言った中学生がいた。そこで私は、「本当に君はなりたいか?」
と聞いた。そしてついでに、こう言った。「毎日、病臭プンプンのおじいちゃんや、おばあちゃん
のウンチやオシッコと、戦わねばならないのだぞ。決して、楽な仕事ではなないぞ。その覚悟が
あるなら、医者になれ!」と。

 いっぽう、幼児教室には、生きる活力がみなぎっている。どんなに私が落ちこんでいても、幼
児は、それを許してくれない。抱きついてきて、「先生!」と叫ぶ。とたん、心の中が、パッと明
るくなる。

 もともと私は、暗い人間である。そういう人間が、かろうじて、こうして元気でいられるのは、ま
さに仕事のおかげということになる。つまり私が幼児教育の道を選んだというよりは、私には、
その道しかなかったということになる。それはちょうど、水が、低いところを求めて流れて行くよ
うに、行き着くべきして、行き着いた仕事、ということになる。

 もちろんだからといって、不安が消えるわけではない。教室が終わると、いつも、どんと疲れ
が襲ってくる。そしてもとの私にもどる。そういうことはあるが、少なくとも、仕事中は、我を忘れ
る。……忘れることができる。自分を発散できる。だから……。

 私は死ぬまで、今の仕事をやめることはできないだろう。やめたとたん、気がヘンになってし
まう。結論から言えば、私の基底不安は、死ぬまでなおらない。もうあきらめた。これが私なの
だ。あとは、その不安と、じょうずに、つきあっていくだけ。これはいわば、心の持病。そう、心
の持病なのだ。
(030818)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

基底不安(2)

●悪夢

 基底不安型の人間には、いくつかの特徴がある。たとえばフロイトは、夢判断を用いたが、こ
のタイプの人は、独特の夢を見る。

 追いかけられる夢
 乗り物に乗り遅れる夢
 道や、ホテルをまちがえる夢
 危険な道を走る夢
 迷子になる夢
 事故の夢や、戦争の夢
 取り残される夢
 失敗する夢
 試験や、それができない夢
 見知らぬ土地を歩く夢
 人に拒絶される夢
 電車やバスの発車時刻を気にする夢
 旅行をする夢

 当然のことながら、重症の人ほど、毎晩のように、そうした悪夢に苦しめられる。ある女性
は、こう言った。「ほとんど毎日、悪夢にうなされます。穏やかな夢など、見たことがありません」
と。

 こうした基底不安について原稿を書いたが、それを読んで、ある女性(滋賀県在住・AOさん)
は、つぎのようなメールをくれた。

 「不安に感じているのは、私だけかと思いました。実は、私は何をしていても、不安なのです。
パーティなんかで、みんながパーッと盛りあがっているときでさえ、こんなことをしていていいの
だろうかと不安になります。もちろん子育てをしていても、あれこれ、毎日が、不安でなりませ
ん」と。

 その人の乳幼児期における、母子関係に、その原因があることは、もう何度も書いた。ここで
は、もう一歩、その先を考えてみたい。

●人間関係への影響

基底不安型の人は、人前で、自分をさらけ出すことができない。いつも「こんなことをすれば、
相手は、自分をダメな人間だと思うにちがいない」「相手は、自分を嫌うにちがいない」「バカに
される」「がっかりするにちがいない」と思う。

 そのため、他人に心を許すことができない。開くことができない。もっともこのタイプの人ほ
ど、人前では仮面をかぶる。いい人ぶる。そのため、疲れやすい。神経疲労を起こしやすい。

 一般的に、相手にへつらう、愛想をふりまく、機嫌をとるなど、服従的な姿勢を見せることが
多いが、この(1)服従型のほか、(2)攻撃型(相手を攻撃したり、威圧したりして、自分にとっ
て居心地のよい世界をつくろうとする。少年少女期によくみられる)、(3)依存型(ベタベタ甘え
ることで、自分にとって、居心地のよい世界をつくる)、(4)同情型(弱々しい自分を演ずること
で、自分にとって、居心地のよい世界をつくろうとする)などが、ある。

 しかしこのタイプの人は、原則として、他人と良好な人間関係を結べない。結んでも、表面
的。儀礼的。形式的。そのため、いつも孤独。

 だからこのタイプの人は、その孤独を解消しようと、ときに派手に人間関係を展開する。派手
なパーティを開いてみせたり、ことさら友人が多いことを、吹聴してみせるなど。が、やはりす
ぐ、疲れてしまう。

 こうした状態を、ショーペンハウエルという哲学者は、「二匹のヤマアラシ論」で説明した。近
づけば、互いの針で傷つけあう。それがこわい。しかし離れれば寒い……、と。

●親子(夫婦)関係への影響

基底不安型の親は、同時に、子どもと、良好な人間関係を結ぶのにも、失敗しやすい。「いい
親でいよう」「いい家庭をつくろう」という、気負い先行型の子育てをしやすい。

 とくに夫との関係において、自分をさらけ出すことができない。さらけ出すことに、大きな不安
があるためである。そのため、夫婦関係が、どこかぎくしゃくする。……しやすい。

 こうした状態を正当化するため、このタイプの人は、妙に権威主義的になったり、教条的なも
のの考え方をするようになる。極端な武士道、道徳観、孝行論などをもちだしたりする。どこ
か、「?」的な子育て論を展開する。

 もっとも、本人が不安なのは、それでかまわないが、それに振り回される周囲が、迷惑をす
る。

 ある日、突然近寄ってきて、あれこれ大サービスをしてくれたかと思うと、今度は手のひらを
返すかのように、遠ざかっていく。このタイプの人は、心を許さないため、いつもどこかに緊張
感をただよわす。ピリピリする。ツンツンする。その緊張感が、人を寄せつけない。人をはねの
ける。

●子育てへの影響

仮に、親子関係がうまくいっていても、不安が基底にあるから、何かにつけ、自分の価値観や
ものの考え方を、子どもに押しつけようとする。いわゆる不安先行型の子育てをしやすい。

 過干渉タイプの親、過関心タイプの親は、たいていこのタイプの親とみてよい。

 たまの日曜日などでも、子どもが家でゴロゴロしているのを見たりすると、「勉強は?」「宿題
はすんだの?」「今度のテストは、だいじょうぶ?」などと、子どもに干渉しやすい。つまりは、自
分の不安感を子どもにぶつけているだけなのだが、それに気づかない。むしろ「自分は、子ど
もの将来を心配する、いい親」と思いこむことが多い。

 が、そういう親の心の状態は、当然のことながら、子どもの心にも深刻な影響を与える。一義
的には、家庭が、疲れた体や心をいやす「家庭」としての、機能を失う。

 さらに親子の間に、キレツを入れることになる。放置すれば、断絶へと進むこともある。つまり
はたがいに、わかりあえない親子ということになる。

●では、どうするか?

まず、自分のそうした欠陥(?)に気づくこと。基底不安型の人は、原因はともあれ、そういう自
分であることに気づくこと。

 だれしも、一つや二つ、心の欠陥(=心の問題)をもっている。もっていない人など、いない。
欠陥があることを恥じることはない。また隠す必要もない。

 問題は、そういう欠陥があることではなく、そういう欠陥があることに気づかないまま、その欠
陥に振り回され、同じ失敗を繰りかえすことである。こうした欠陥は、その人を、無意識の世界
から操(あやつ)る。

 この問題は、「自分がそうである」「そうであるかもしれない」と気づくだけでも、その大半は解
決したとみる。あとは、時間が解決してくれる。

 最後に、こうした基底不安は、乳幼児期の母子関係に起因するため、生涯にわたって、つづ
く。簡単にはなおらない……というより、なおそうと思わないこと。あとは、その基底不安と、うま
くつきあう。つきあいながら、自分をコントロールしていく。

 方法としては、いろいろある。

(1)自分をさらけ出す。思い切って、だれかに恥ずかしいこと、いやなこと、隠していることを話
してみる。飾ってはいけない。ありのままを話してみる。

(2)不安であることを悪いことと決めてかかってはいけない。その不安感が、その人を慎重に
したり、注意深くしたりする。事業で、成功することも多い。

(3)「私は人間関係づくりはヘタ」と認めたうえで、居なおる。自分を責めてはいけない。過去や
親をうらんでもいけない。「私は私」と思うこと。

 このタイプの人は、えてして、自分がそうであるかという理由だけで、他人もそうであると思い
やすい。たとえば自分が不安に思っていることについて、他人もそうである、と。

 そこで自分が、ここでいう基底不安型の人間であるなら、そういう自分には、いつもブレーキ
をかけるようにする。たとえば他人との交際についても、どこか極端になりやすいので、注意す
るなど。

 ともかくも、まず、自分が、そうであることに気づくことが、何にもまして重要である。そこでチ
ェックテスト。

【基底不安・チェックテスト】

以下の項目のうち、10個〜該当すれば、あなたは基底不安型人間とみてよい。

( )他人との交際が、苦手、ときに苦痛に感ずる。
( )同窓会やパーティなどでも、溶け込めない。無理をする。そのため疲れやすい。
( )さみしがりや。孤独を感ずることが多い。他人を信じられない。
( )他人に何かをされるよりも、してあげるほうが多い。またそのほうが、気が楽。
( )旅行をするにも、知人や友人の家に泊めてもらっても、落ち着かない。
( )他人との接触を避ける。あるいはつきあっても、儀礼的、形式的。
( )いつも自分をさらけ出すことができない。虚栄を張ったりすることもある。
( )電車に乗り遅れたり、追いかけられたりする悪夢をよく見る。
( )たまの休みに体を休めていても、「これでいいのか?」と不安になることが多い。
( )子どもの将来、家族の将来、自分の老後などを考えると、不安がふくらむ。
( )夫(妻)や子どもにも言えないようなことが、たくさんある。秘密も多い。
( )よく心配性と言われる。ときに妄想的に、不安がふくらむこともある。
( )いつも人間関係を、損得の計算で判断するようなところがある。
( )疑い深く、嫉妬深い。ときに攻撃的に、相手を支配しようとすることがある。
( )ものごとに慎重で、ときに石橋を叩いて渡るようなところがある。

(030819)

【追記】

 戦後、日本の社会そのものが、基底不安状態にあるのではないか。高度成長を支えた力
も、ひょっとしたら、この基底不安だったかもしれない。みな、不安だったから、懸命に働い
た?

 ひとつの「国」も、そういう視点でながめてみると、おもしろいのでは……?

 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
**\\⊂'↓°⊃//**
*  \\_▽_//  *
    \\∧//
     Y☆Y
     〓〓〓             何か、テーマがあれば、どうぞ
    /|||\             お寄せください。
     ̄Π ̄Π ̄               お待ちしています。
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

地域の方言

 方言というのが、ある。その地域、独特の言い方をいう。しかし言葉だけではない。言い回し
も、ある。

 たとえば私が生まれ育った、岐阜県の美濃地方では、「私も○○歳だからねえ〜」というの
が、一つの方言になっている。私は、そのことを、浜松に住むようになってから知った。

 たとえば、美濃地方の人は、何かあるたびに、年齢を口実にする。たとえば、「林君、ぼくも、
五五歳なんだよ」「あの○○さんも、六〇歳になったからねえ」とか。

 この言い回しは、子どもがよく使う「だから何とかしてくれ」言葉に似ている。依存心の強い子
どもは、おなかがすいたとき、「〜〜を食べたい」とは言わない。「おなかがすいたア〜」と言う。
つまりそう言いながら、「だから、何とかせよ」と。

 叔母も、その一人。電話がかかってくるたびに、「おばちゃんも、○○歳になったからねエ〜」
と。弱々しい声で、そう言う。

 少し前まで、私は、こうした言い方を、聞き流していた。が、このところ、どこか気になるように
なった。何となく、何かを請求されているように感ずる。

先日も、ある人が私にこう言った。「私も、六五歳だよ」と。そのとき私は、ふと、こう思ってしま
った。「だから、どうなの?」と。

しかしいっぽう、浜松の人は、めったにそういう言い方をしない。ワイフの兄弟、叔父、叔母と
も、よく電話をしあうが、しかしそういう言い方を聞いたことがない。それで私は、気がついた。
「これは方言だ」と。

 で、その背景にある違いといえば、浜松の人は、岐阜の人にくらべて、独立心が旺盛。もとも
と街道の宿場町として発達したということもある。いつも外部からの刺激にさらされている。少
なくとも、岐阜の美濃地方とは違う。

 いっぽう、私の郷里では、たがいにベタベタに依存しあいながら生きている? そういう人間
関係が、独特の言い回しを作ったとも言える。「私も歳をとった。だから、何とかせよ」と。

 それがよいのか悪いのかという判断は、ここではしない。悪いと言えば、美濃地方の人たち
に、失礼になる。しかしよいとは、とても思えない。だから、私は、今、(もうずいぶんと前からだ
が……)、私は、そういう言い回しをしないと心に決めている。

 「パパも、歳をとったヨ〜。もう五五歳だからねエ〜」と、息子たちに言ったら、私はおしまい。
人生の敗北を認めたことになる。生きザマが、うしろ向きになったことを意味する。

 だから、息子たちに言うとしても、こうだ!

 「パパは、まだ五五歳だ。人生は、これからだ。くだらない心配は、するな!」だ。
(030817)

【追記】
しかし、こんな強がりをいつまで言っておられるのか。本当のところは、あまり自信がない。そ
のうち、息子に電話でもして、今にも死にそうな声で、こう言うかもしれない。「あのなア〜。パ
パも歳をとったでナ〜。もう五五歳なんだよ。わかるか? 五五歳なんだよなア〜」と。(ああ、
いやだ!)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

詮索(せんさく)好きな人たち

 用もないのに、ときどき、こちらの動きをさぐっている人がいる。ただの興味本位。理由は、
何でよい。「君の夢を見たから……」「最近、連絡がないから……」と。

 一見、心配しているようなフリをするが、心配などしていない。「だれもアドバイスなんか、ほし
くない。ほしいのは手助け」(J・スタインバック)なのだ。

 このタイプの人は、実に小さな人生観で成りたっている。親戚を語り、友人を語り、近所を語
り、そして何かにつけ、さぐりを入れてくる。そしてこちらがうまくいっていると、それをねたみ、こ
ちらがうまくいってないと、それをあざ笑う。

 本当に心配してくれている人は、静かだ。穏やかだ。言葉より先に、行動となって現れる。そ
ういう人が、真の親戚であり、真の友であり、真の隣人なのだ。

 反対に、私は、それほど親切な人間ではない。それをよく知っている。だから、他人の詮索
は、ほとんどしない。とくに家庭問題について言えば、それぞれの家庭には、私たちが推しは
かることができないほど、いろいろな事情がある。経済的な困苦や、金銭的な問題をかかえて
いる人も多い。そういう問題に、何もできない「私」が、介入すべきではない。また、してはなら
ない。

 が、本当に世の中には、ヒマな人がいる。そういうゴシップを、たがいの間で楽しんでいる。酒
の肴(さかな)にしている。一応、本人は、「心配している」とは言うが、それはウソ。

 人間には、「周囲人格」というものがある。その人が、そうであるなら、その人の周囲にも、そ
ういう人格を感じさせる基盤があるということ。

たとえば日ごろは、何百万円もする豪華な衣装に身を包んでいるテレビタレントが、ある日突
然、アフリカの難民の救済を、涙ながらに訴えたとする。そういう人は、表に出てくる人格と、そ
の周囲で感ずる人格が、チグハグ。バラバラ。つまり、エセということ。私たちの世界では、こう
いう人を、偽善者と呼ぶ。

 だったら、無理をしない。無理をしたところで、すぐ化けの皮は、はがれる。ありのままの自分
で生きるということには、そういう意味も含まれる。

 私の周辺にも、もっともらしい顔をして近づいてくる人は多い。しかし本当に私のことを心配し
てくれているかどうかは、その周辺を見ればわかる。そしてその周辺を見て、その人を判断す
る。

 もう少し若ければ、そういう人たちとでも、それなりにうまくつきあうのだろうが、私には、もう
自分の時間をムダにする余裕はない。だからそういう人とは、決別することにしている。が、そ
ういう人にかぎって、しつこい。こちらが連絡を取らなければ取らないで、「病気でもしているの
か?」とか、「事故にでもあったのか?」と、問いあわせてくる。

 ウルサイ!
 もう放っておいてくれ!
 自分で自分の人生を、勝手に生きろ!

 そういえば、高校の同窓会で、いつも、私に向って、皮肉を言う男がいる。会うたびに、「林
君、君だけは、出世すると思っていたが……」とか、「君だけは、いつか同窓会に、肩で風を切
ってやってくると思っていたが……」と。何をどう、ひがんでいるのか知らないが、そういう男も
いる。

 大切なことは、他人の詮索はしないこと。詮索するということは、自分の人生を、相手の最低
部分に、従属するということ。つまりは、時間のムダ。バカヤロー!
(030817)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

月は、巨大な宇宙船だって?

 月は、巨大な宇宙船という説がある。今、おもしろいので、その本を、毎晩、寝る前に数ペー
ジずつ読んでいる。

 何でも、月の中は空洞だというのだ。外郭の外側(つまり地球から見える部分)は、厚さ2〜3
マイルの粗い岩石。その下は、20〜30マイルの、金属性の外郭でおおわれているという。

 荒唐無稽なところが、おもしろい。一つずつ、証拠(?)をあげているところが、おもしろい。読
んでいると、「本当に、そうかなあ?」と思ってしまうところが、おもしろい。

 考えてみれば、あの月には、ナゾが多い。ナゾ、だらけ。しかし巨大な宇宙船という前提で考
えると、ナゾがすべて解ける? そう言えば、映画『スターウォーズ』に出てきた、デス・スター
も、月にそっくりだった。大きさも、月くらいではなかったか。

 私とワイフは、巨大なUFOを目撃しているので、月が宇宙船と言われても、それほど、驚か
ない。ありえない話ではない。

で、もちろん月の中には、宇宙人が住んでいる。どんな宇宙人かは知らないが、よく雑誌など
で紹介されるような、やたらと目の大きい、あごのとがった生物かもしれない。会ってみたいと
は思わないが、だれかが会っているのを、横で見るのは、かまわない。(私は、臆病なのだ。)

 しかしものごとは、より高い視点で考えれば考えるほど、よい。空想でもかまわない。仮に宇
宙から自分たちの世界を見るクセがついたら、この地球上のトラブルなど、どれもちっぽけに
思われるだろう。それが、たまには、宇宙人の視点でも、よいのではないか。

 しかし宇宙から見た地球は、小さいだろうな。その地球の上にはびこる(失礼!)人間は、さ
らに小さいだろうな。人間のつくるこの世界を、「カビのようだ」と表現した人もいる。その通りか
もしれない。

 ホント! 宇宙から見たら、日本だの、アメリカだのと言っているほうがおかしい? 私だの、
あなただのと言っているほうが、おかしい? しかし現実には、日本だの、アメリカだのと言って
いる。私だの、あなただのと言っている。それがおかしい。

 私はその本を読むようになってから、月を見るたびに、「あれは宇宙船かな?」と思うようにな
った。深刻な問題というよりは、いわば、これはロマン。空想的ロマン。(ロマンは、すべて空想
だが……。)ひとり密かに、楽しんでいるだけ。それが結構、おもしろい。

 そう言えば、私は、若いころから、その月の入り口から、月の内部へ入っていく夢を、よく見
る。細い六角形の通路を、いくつもの関門を通り抜けながら下へおりていくと、そこには、広大
な別世界がある。

 球面の内側にある世界だ。

見あげると、中心に、白い人工太陽が鈍く光っていて、その向こうには、反対側の都市や山や
湖が見える。道路はない。そこの住人たちは、みな、空飛ぶ自動車のようなもので、移動を繰
りかえしている。

 おかしなことに、そこにある建物などは、どれひとつをとっても、四角ぽいものがない。どれも
不規則にまがったり、変形したりしている。ゆがんでいる。何もかもが、ユラユラとした景色だ。
窓らしきものはあるが、その窓も、いろいろな形をしている。丸い窓の横に、ゆがんだ四角の
窓があるというように。

 人工太陽があるといっても、あたりは、目をよくこらさないと、よく見えない。地球で言えば、夕
方遅くになってからの明るさ程度か。が、そこの住人たちは、暗いところでも平気のようだ。

 人が歩くような通路はたくさんあり、空を無数の乗り物が行きかっている。が、いるはずの住
人の姿は、見えない。あちこちで、その気配は感ずるが、やはり見えない。私はただまって、白
いベッドの上に寝ているだけ……。そして私は、やがて別の眠りの世界に落ちていく……。

 ……多分、本当に月の内部に別世界があるとするなら、こんな世界かもしれない。しかし私
は、どうしてこんな夢をよく見るのだろう。何度か見ているうちに、頭の中に地図のようなものさ
えできてしまった。

 そういう自分の夢と重なるから、その本は、おもしろい。「バカな!」とか、「まさか!」と思いな
がら、その本を読んでいる。
(030818)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●マガジン読者

 Eマガの読者が、837人(8月17日)になった。メルマガの読者が、124人。計961人。

 私はあるときから、読者の数は、気にしないように努めた。こういう数字は、一度気にすると、
ずっと気になる。私にとって大切なことは、文を通して、自分を吐き出すこと。読者の数が、増
えたり減ったりすることで、一喜一憂したくない。

 が、837人という数字には、特別の意味がある。Eマガ社の読者数ランキングで、上位100
番に入った。(837人で、99位。)

 Eマガ社だけで、発行マガジン数が、3000本くらいあるというから、上位99番ということの
は、悪い成績ではない。私は、率直に言って、うれしかった。ワイフも、「よかったね」と、何度も
喜んでくれた。

 しかしここでいくつかの問題が、生まれた。題して、「成績論」。

●成績
 
 ランキング表で、私のマガジンが99位になったのを知ったとき、それまでにはなかった、おか
しな考えが生まれた。

 一つは、その前後の、つまり90番から100番までのマガジンが、どんなマガジンが、知りたく
なったこと。

 つぎに100番のマガジンの購読者数を見ながら、「3人差か。あぶないな」と、思ったこと。

 さらに「98番になるためには……」「97番になるためには……」と考えたこと。ふと気がつく
と、自分が、数字に振りまわされ始めているのを知った。

 それは本当に、おかしな考えだった。私は私だし、私の書いた文章は、私の文章。そういう私
の文章だから、たとえ読者が一人でも、その人が熱心に読んでくれるなら、それでよい。それ
以上、何を望むか? ……望むことができるか?

 しかしそういう私が、数字を気にしている? 実際のところ、読者の数が、500人になったと
きも、今の837人になったときも、その実感は、まったく、なかった。ときどき、「本当に、そんな
に読者がいるのかな?」と思ったり、「まあ、ざっと目を通してもらえるだけでも、ありがたい」と
思ったことはある。

●気になる順位

 順位は、励みにもなるが、しかし使い方をまちがえると、自分を見失う? それには、こんな
ことがある。

 私はマガジンを発行するとき、ときどき、「こんなことを書くと、読者の中には、不愉快に思う
人もいるだろうな」と考えることがある。しかし、そこは無料のマガジン。決して「無料であるこ
と」に甘えているわけではないが、そういうとき、「嫌われてもいいや」と、居なおることが多い。

 たとえば私はもともと法科出身の人間なので、その政治的なことを書くときがある。教育の世
界では、政治について話したり、書いたりするのは、タブーになっている。そういうときも、「ええ
い、ままよ!」と、思いきって発行してしまう。読者が減ることも、覚悟の上である。

 しかし順位や数字を気にし始めると、そこに邪念(?)がわいてくる。「また100番の外に出る
のはいやだな」という思いが、どこかで読者にコビを売る姿勢に、すりかわってしまう。「もっと
読者をふやしたい」という欲望が、ムラムラとわいてくる。そしてそのためには、どうしたらよい
かを、考えるようになる。つまり、私から、「私」が、どんどんと離れていく。

 いわんや、ほかのマガジンをのぞいてみるなどということは、私の主義にも反する。しかしそ
の誘惑を断ちきるのは、本当にむずかしい。

●落される恐怖

 これは子どもの心理と共通しているのではないか。つまり99番になったとたん、98番になろ
うという気持ちが生まれるのと同時に、番外に落される恐怖が生まれてくる。本来なら、100番
に入ったことを喜べばよいはずなのに、同時に、背中からだれかに、叩かれているような気分
になる。

 これは実に、不愉快な気分だ。たとえて言うなら、みなに隠れてボランティア活動をしていた
のが、新聞か何かで、騒がれたときのような気分だ。それまでは、「いつでもやめられる」という
思いがあったとしても、騒がれたとたん、今度は、それが義務になってしまう。「やらなければな
らない」と、自分で自分を、追いこんでしまう。

 私は、こうしてマガジンを発行しているが、それは、あくまでも自分を吐き出すため。そのた
め、1000号まで(読者が1000人ということではない!)発行するのを、目標にしている。それ
は自分との戦いを意味する。戦う相手は、あくまでも、自分だ。

 言うなれば、「99番」という数字は、名誉? 肩書き? 地位? それに近い。人間が勝手に
つくりあげた幻想のようなもの。はっきり言って、どうでもよい。が、気になる。気になるものは、
気になる。

 それは私の弱点なのか。それとも、こういう競争社会で生きてきたことによる、バグなのか。

●子どもの成績

 子どもの成績も、同じように考えてよい。私たちは親として、いつも、子どもには、こう言う。

 「今やるべきことを、懸命にやろう。結果はあとからついてくる。そしてその結果が悪くても、
気にすることはない。大切なことは、失敗にめげず、前に進むことだ」と。

 こんなわかりきったことでも、そこに成績という邪念(?)が入ってくると、いとも簡単に、それ
が、打ち消されてしまう。そしていつの間にか、子どもを、その邪念の世界に、追いこんでしま
う。「よくがんばったわね」とほめる一方で、「もっとやりなさい」と、ハッパをかけてしまう。

 いつかこんなことを言った人がいた。成績などというものは、馬の前にぶらさげたニンジンの
ようなものだ、と。つまり馬は、そのニンジンを食べようと、前に進む。しかし同時に、ニンジン
も前に行く。かくして馬は、走らされるだけで、いつまでたっても、そのニンジンを食べることが
できない。

●数字は、気にしない

 私はやはり、今までどおり、原稿を書いていく。マイペースで、マガジンを発行していく。大切
なことは、私が経験した事実や、知識、知恵を、多くの人に伝えることだ。その本分だけは、忘
れないようにしたい。

 そのためにも、数字は、気にしない。気にしては、いけない。私は私だ。どこまでいっても、私
は私だ。

 しかし……。そうは言っても、うれしいものは、うれしい。弱点だろうが、バグだろうが、うれし
いものは、うれしい。

●みなさんへ……

 率直に……。読者のみなさん、マガジンを購読してくださり、ありがとうございます。みなさん
が読んでくださると思うからこそ、それが励みになって、毎日、原稿を書くことができます。これ
からも、みなさんの、お役にたてるような記事を、どんどんと書いていきますので、よろしくお願
いします。

 何か、テーマをいただければ、それについて考えてみますので、掲示板などに書きこみをして
ください。ともかくも、こうして多くの方に、読んでいただけるようになり、うれしく思っています。
ありがとうございます。

 ……はじめから、こう書けばよかったですね。私は、どこか、性格がゆがんでいます。自分で
も、それがよくわかっています。ハイ。
(030818)

【追記】
 上位100番に入ったので、その日昼食は、近くの中華レストランでした。お祝いのつもりだっ
た。私がギョーザ定食。ワイフが、ラーメン。何かにかこつけて、そのつどレストランへ行くの
が、私たちの習慣になっている。

     ▲   ▲
    ▲▼▼ ▼▼▲
   ▼  ▲◎▲  ▼
     ▲◎◎▲▲
    ▲  口  ▲
    ▼  口  ▼         毎週月曜日、午後10時JUST
       口              に、チャットルームを開放しています。  
     凸凸凸凸凸             どうぞ、おいでください。
 〜〜〜凹凹凹凹凹凹凹〜〜〜   
  〜〜 〜〜 〜〜〜 〜
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
11・ 8 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・23 ……奥山小学校
10・18 ……天竜中学校区健全育成会(天竜中、中ノ島小、和田東小、和田小合同)
10・13 ……浜松市上島にて(ママアンドパパス・保育所開園式)
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9.12  ……愛知県岩倉市
9・ 9  ……愛知県稲沢市福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■学習性無気力

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M ″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /       ありがとうございます!
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄    
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03−8−28号(279)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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です! 
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【名古屋市周辺のみなさんへ……】
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9.12  ……愛知県岩倉市(全家研)
9・ 9  ……愛知県稲沢市・福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
   午前10:00〜より、聴講問い合わせなど……052−524−6665まで
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  これは静岡県のお祭りのようなものです。よろしくお願いします! 
  今日のメニュー
【1】子育てポイント
   【2】Touch your Heart
      【3】子育てエッセー
        【4】フォーラム
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子育てポイント

 格言風に、子育てポイントをまとめてみた。テーマは、「スキンシップ」。

●求めてきたら、拒むな、そらすな、スキンシップ。
 スキンシップは、子どもが求めてきたときが、必要なとき。親には、その意識がなくても、親が
それをためらうと、子どもは、それを拒否されたと感ずる。短時間でもよいから、こまめに応じ
てあげるのが、コツ。

●スキンシップは、量より質。
 子どもに与えるスキンシップは、量より、質を高くする。子どもの側からみて、安心できるよう
なスキンシップを与えるのがコツ。ベタベタのスキンシップがよくないことは言うまでもない。親
は、自分の心にすきまを埋めるために、子どもを利用してはいけない。

●スキンシップには、魔法の力。
 スキンシップには、まだ解明されていない、不思議な力がある。「子どもの心を癒(いや)す」
力と言ってもよい。あるいはそれ以上の力かもしれない。「魔法の力」というのは、そういう意
味。もしあなたの子どもが、理由がわからないまま、ぐずったり、だだこねたら、抱き寄せてみ
るとよい。最初は抵抗する様子をみせるかもしれないが、やがて落ちつく。そのとき、子どもの
心も、それで落ちつく。

●抱きグセと依存心は、関係ない。
 よく抱きグセと依存心を混同する人がいる。「抱きつづけると、依存心がつく」と。子どもが抱
かれることを求めてくるのは、それなりの理由がある。むしろ心配すべきは、スキンシップの不
足。スキンシップが不足すると、子どもの心にさまざまな問題が起きる。もちろん親側が、自分
のつごうで、子どもを抱くのはよくない。また子どもの依存心は、別の角度から論じられるも
の。あくまでも生きザマの問題。抱きグセとは、関係ない。

●抱いてみればわかる、子どもの心。
 子どもの心が開いているかどうかは、抱いてみればわかる。心を開いている子どもは、抱い
てみると、スーッと体を、そのままこちらにすり寄せてくる。そうでない子どもは、体をこわばら
せる。抱く側の印象としては、何かしら、丸太を抱いているような感じになる。今、親に対してで
すら、その心を開けない子どもがふえている。

●本は、抱いて読む。
 たとえば、子どもを本好きな子どもにしたかったら、子どもを抱きながら、本を読んであげる。
本を読んであげるというより、スキンシップの温もりを子どもに感じさせる。その温もりが、子ど
もを本好きにする。

いつか子どもが本を自分で読むとき、子どもはそれを意識することはないかもしれないが、子
どもは本に、母親(父親)の温もりを感ずるようになる。その温もりが、子どもを前向きに伸ばし
ていく。この方法は、いろいろに応用できる。子どもに何かを好きにさせるには、たいへん効果
がある。

●心は抱いて伝える。
子どもに本当に伝えたいことがあったら、子どもを抱いて、それを話す。心というのは、言葉よ
りも、体から体に伝わる。とくに子どもは、そうで、子育てをしていて、行きづまったら、この方法
を試してみてほしい。

 以前、幼稚園で、どうしようもなくワルの子ども(年長児)がいた。母親がいくら叱っても、効果
がなかった。しかしある日、その母親は、その子どもを抱きながら、「もう、やめようね」と言った
ときのこと。その子どもは、はじめて、「ごめんね」と謝ったという。スキンシップには、そういう力
がある。

【追記】発達心理学の世界では、「母親のおっぱいが、出ないと、子どもは拒絶されたように感
じて、その後、子どもに深刻な影響が出る」と説く。しかし私は、(おっぱいが出る・出ない)は、
あまり関係ないと思う。おっぱいが出なくても、母親が乳首を吸わせれば、子どもは、満足した
ような様子を見せる。子どもが、欲求不満になるのは、おっぱいが出ないことが原因ではなく、
出ないからムダと、母親が、子どもを遠ざけてしまうのが、原因ではないか。

 子どもがおっぱいを求める理由は、二つある。一つは、空腹感を満足させるため。もう一つ
は、口唇を通して、母親との接触(アッタチメント)を求めるため。もちろんおっぱいが出れば、
それでよいが、出なくても、子どもに乳首をふくませるのは、決してムダなこうイではない。
(030820)

      ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          どの人も問題なく生きているように見えますが、
 \※/            問題のない子育てなど、ありません。
  ‖                
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

学習性無力感

 学校教育は、子どもを伸ばす場所と考えている人は多い。それはまちがっていないが、しか
し一方で、できない子どもに、「あなたはできない」とレッテルを張る部分が、ないとは言えな
い。

 つまり教育には、(教えようとして教える部分)と、(教えずして教えてしまう部分)の二つがあ
る。たとえば、算数や国語の科目を通して教える部分は、前者ということになる。が、こわいの
は、後者の部分である。

 たとえば勉強が苦手な子どもは、毎日の学習の中で、「自分はやはり、ダメな人間」と教え込
まれていく。そしていつの間にか、無力感を学び、その無力感に順応していく。このタイプの子
どもは、その先、四つのタイプに分かれる。

 攻撃的になっていくタイプ。静かに同情を求めていくタイプ。ベタベタの依存心をもつようにな
るタイプ。他人に服従していくタイプ。子どものばあい、最後の、服従的になるタイプが多い。そ
れが教育として、積極的に、利用されることも少なくない。

 明治時代の教育は、そうであった。

 明治時代には、「もの言わぬ従順な民づくり」が、教育の基本だった。つまり明治時代の教育
では、ほんの一部のエリートを作り出す一方、ほとんどの子どもたちは、「あなたは、どうせダメ
な人間だから、偉い人の言うことをおとなしく聞きなさい」という、あきらめの心を植えつけられ
た。

 こうした教育が、結果として、当時の軍国主義に利用されたことは言うまでもない。

 で、話をもどす。

 日ごろの勉強の中で、自信をなくし、キズつけられた子どもは、やがて無力感を覚え、さらに
は、その無力感と戦うことすら、あきらめてしまう。こういう子どもを作らないようにするのが、教
育の重要な役目でもある。が、しかし集団教育には、限界がある。上位一〇%の(できる子ど
も)が生まれれば、当然のことながら、下位一〇%の、(できない子ども)も生まれる。

 しかし、それはまったく、運、不運で決まる。上位一〇%に入る子どもも、下位一〇%に入る
子どもも、親や子どもの能力や、家庭環境というよりも、運、不運で決まるということ。それほど
恵まれた家庭環境になくても、上位一〇%に入る子どもは、いくらでもいる。反面、恵まれた家
庭環境にあっても、下位一〇%に入る子どもも、いくらでもいる。

 そして結果として、下位一〇%の子どもたちは、自ら、「自分はダメ人間」と、レッテルにレッ
テルを張りつづけ、ここでいう学習性無力感を覚える子どもになっていく。

 本来なら、年齢による学年制度を撤廃し、その子どもの能力と、到達度に応じて、進度をあ
わせていくのが望ましい。しかしこの日本では、明治の昔から、「学年制度」が、教育の基本に
なっている。つまり、あらかじめコースが用意され、そのコースの中に、子どもを当てはめるの
が教育になっている。

 実のところ、今、私が教えている小学生の中にも、この学習性無力感に陥(おちい)っている
子どもが、何人かいる。しかし私ができることには、限界がある。いくら励ましても、また勇気づ
けても、それよりはるかに大きい力で、そういう子どもの心は、ふみにじられてしまう。それはた
とえて言うなら、せっかく育てた苗を、ブルドーザーか何かで、踏みつぶされてしまうようなも
の。率直に言えば、「かえって学校へは、行かないほうがよいのでは」と思うことさえある。

 しかしこれだけは、覚えておくとよい。たまたまあなたの子どもが、できがよいからといって、
それを喜んではいけない。あなたが喜べば喜ぶほど、いつかその喜びが、あなたの孫、さらに
はその子どもを苦しめることになる。あなた自身も、苦しむようになるかもしれない。

 大切なことは、いつも、弱者の立場で、ものを考えること。その人の気持になって、ものを考
えること。そういうやさしさが、この日本に充満したときはじめて、この問題は、解決する。
(030820)

++++++++++++++++++

これに関連して、こんな原稿を以前、書きました。(中日新聞、掲載済み)

+++++++++++++++++++

学校は人間選別機関? 

 アメリカでは、先生が、「お宅の子どもを一年、落第させましょう」と言うと、親はそれに喜んで
従う。「喜んで」だ。

あるいは子どもの勉強がおくれがちになると、親のほうから、「落第させてくれ」と頼みに行くケ
ースも多い。これはウソでも誇張でもない。事実だ。そういうとき親は、「そのほうが、子どもの
ためになる」と判断する。が、この日本では、そうはいかない。

先日もある親から、こんな相談があった。何でもその子ども(小二女児)が、担任の先生から、
なかよし学級(養護学級)を勧められているというのだ。それで「どうしたらいいか」と。

 日本の教育は、伝統的に人間選別が柱になっている。それを学歴制度や学校神話が、側面
から支えてきた。今も、支えている。だから親は「子どもがコースからはずれること」イコール、
「落ちこぼれ」ととらえる。しかしこれは親にとっては、恐怖以外、何ものでもない。その相談し
てきた人も、電話口の向こうでオイオイと泣いていた。

 少し話はそれるが、たまたまテレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた(九九年
春)。ある人がニュージーランドの小学校を訪問したときのことである。その小学校では、その
年から、手話を教えるようになった。壁にズラリと張られた手話の絵を見ながら、その人が「ど
うして手話の勉強をするのですか」と聞くと、女性の校長はこう言った。「もうすぐ聴力に障害の
ある子どもが、(一年生となって)入学してくるからです」と。

 こういう「やさしさ」を、欧米の人は知っている。知っているからこそ、「落第させましょう」と言
われても、気にしない。そこで私はここに書いていることを確認するため、浜松市に住んでいる
アメリカ人の友人に電話をしてみた。彼は日本へくる前、高校の教師を三〇年間、勤めてい
た。

私「日本では、身体に障害のある子どもは、別の施設で教えることになっている。アメリカでは
どうか?」
友「どうして、別の施設に入れなければならないのか」
私「アメリカでは、そういう子どもが、入学を希望してきたらどうするか」
友「歓迎される」
私「歓迎される?」
友「もちろん歓迎される」
私「知的な障害のある子どもはどうか」
友「別のクラスが用意される」
私「親や子どもは、そこへ入ることをいやがらないか」友「どうして、いやがらなければならない
のか?」と。

そう言えば、アメリカでもオーストラリアでも、学校の校舎そのものがすべて、完全なバリアフリ
ー(段差なし)になっている。

 同じ教育といいながら、アメリカと日本では、とらえ方に天と地ほどの開きがある。こういう事
実をふまえながら、そのアメリカ人はこう結んだ。「日本の教育はなぜ、そんなにおくれている
のか?」と。

 私はその相談してきた人に、「あくまでもお子さんを主体に考えましょう」とだけ言った。それ
以上のことも、またそれ以下のことも、私には言えなかった。しかしこれだけはここに書ける。
日本の教育が世界の最高水準にあると考えるのは、幻想でしかない。日本の教育は、基本的
な部分で、どこか狂っている。それだけのことだ。

    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│   みんなで力をあわせて、前向きに
  ┃     ┃   ///─┘┤    生きていきましょう!
  ┃     ┃  刧凵^ | │  
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

中学生の夜尿

 少し前、中学生の夜尿について書いた。それについて、「もう少し詳しく話してほしい」という依
頼があった。福岡県に住む、ある母親からのものだった。

 私は、「中学生の夜尿は、脳の機能の変調によるもの」と書いた。「変調」という言い方は、私
の独特の言い方で、正式なものではない。正式には、「神経性習癖(しゅうへき)」という。神経
症が原因で、「クセ」のようになった症状一般を、さす。

 慢性的な抑圧感がつづくと、子どもはそれを代償的に解消しようと、さまざまな反応を見せ
る。よく知られたものに、チック、吃音(どもり)、爪かみ、髪いじり、指しゃぶり、ものかみ、貧乏
ゆすり、手洗いグセ、夜驚、夢中遊行などがある。夜尿もその一つ。

 ここで誤解してはいけないのは、これらの行為は、それなりに、子どもにとっては、快感をとも
なうものであること。たとえば指しゃぶりをしている子どもを、見てみればよい。実に気持よさそ
うに、指をしゃぶっている。

 だから、頭から、それらの行為を禁止しても、意味はない。それは風邪で熱を出している子ど
もに、水をかけるようなもの。原因は、ここに書いたように、慢性的な抑圧感である。その原因
の除去こそ、最優先されなければならない。

 ポイントは、愛情問題。とくに、母子の関係を疑ってみる。母子の関係がゆらぐと、子どもの
心は緊張状態におかれ、ついで、ささいなことで、情緒がたいへん不安定になる。中学生だと、
人間関係を疑ってみる。

 言いたいことが、言えない。したいことが、できない。結果が、うまく出てこない。ものごとが、
うまくいかない。気をつかう。神経をすり減らすなど。

 神経症による症状は、千差万別で、定型がない。よくあるのは、腹痛や頭痛などの身体的変
化。そしてそれが進行すると、行動面で、症状が現れてくる。不登校や引きこもり。摂食障害
や、回避性障害(人との接触を避ける)など。非行や万引きなどの行為障害に走ることもある。

 では、どうするか。

 家庭では、思い切って、手綱をゆるめる。「暖かい無視」に徹する。生活態度がだらしなくなっ
ても、態度が横柄になっても、何も言わない、しない。この原則を守る。心の病気にかかったと
思い、あきらめる。

 夜尿にせよ、なおそうと思って無理をすればするほど、かえって症状は、こじれる。へたをす
れば、さらに二番底、三番底に落ちていく。また生活環境を改変したとしても、こうした神経性
習癖は、そのまま残ることが多い。幼児のチックにしても、そのあと、数年から五、六年、残る
ことがある。

 この中学生の夜尿にしても、それを悪いことと決めてかかるのではなく、「したければしなさ
い」と、あきらめてかかる。そういうおおらかさが、子どもの心に、穴をあける。いろいろな問題
があるが、夜尿など、汗のようなもの。深刻に考えてはいけない。考えるべきは、息の抜けな
い、神経質な家庭環境である。
(030820)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

無理な学習

【問】Aさん、Bさん、Cさんのもっているお金を合わせると、300円です。Bさんは、Aさんのお
金の2倍より、20円少なく、Cさんは、Bさんのお金の半分より10円多いそうです。Aさんは、
いくらもっていますか。

 この問題を解くには、いくつかの技術が必要である。途中、負の数も出てくる。で、ある母親
が、この問題を私に見せながら、「こういう問題が、解けるようにするには、どうしたらいいです
か」と相談してきた。「今、何年生ですか?」と聞くと、「小学五年生です」と。

 そこで試しに、この問題を、中学三年生の受験生たちにさせてみた。結果、一〇人のうち、で
きたのは、六人。あとは時間切れ(一〇分程度)で、ギブアップ。むずかしいというよりは、たと
えていうなら、幼稚園児に、割り算の問題を出すようなものである。できないからといって、その
子どもに問題があるとは、言えない。もともとこれは、小学五年生の問題ではない。

 そのとき私が、「この問題は、どこの問題ですか」と聞くと、「K進学塾の、入塾テストの問題で
す」と。その進学塾では、入塾に先だって、テストをする。親は、「レベルが高い」と驚いていた
ようだが、こういう問題を出すからといって、レベルが高いとは言わない。何なら、二次方程式
の問題でも出したらどうか?

 しかし、だ。世の中には、こういう問題を、スラスラと解く子どももいるにはいる。しかも、方程
式とか、そういうものを知らなくても、解いてしまう。私が教えた子どもの中で、印象に残ってい
る子どもに、つぎのような子どもがいた。

【Aさん、女児】
 そのころ、私は英語を教えていた。で、夏休みの間だけ、ほぼ毎日、教えた。その結果、小
学三年生で、英語検定試験の四級に合格したのが、三人。小学四年生で、三級に合格したの
が、一人。Aさんは、その小学四年生だった。(三級というのは、中学三年生でも、合格がむず
かしいという試験である。)

 Aさんは、そののち、県内でもナンバーワンと言われるK進学高校に進み、推薦で名古屋大
学の医学部に進学している。

【N君、男児】
 N君は、低学年のときから、ズバぬけてできた。「できた」というのは、できたということ。母親
が、こっそりとこう教えてくれた。「うちの子は、まわりから何でもできると思われています。でき
て当たり前とみられています」と。で、私のところでも、小学五年のときには、中学二年。小学六
年のときは、中学三年の勉強をしていた。

 特別に教えたわけではない。「わからないところがあったら、もっておいで」というような指導だ
けで、じゅうぶんだった。が、テストをしても、中学三年生たちよりも、よい成績をとっていた。

 そのN君で、印象に残っているのは、いつも態度が、ふてぶてしいほど、大きかったこと。小
学生なのに、ドシッとしていた。

 N君は、現在、東京の麻布高校の三年生である。母親から年賀状が届き、それには、「身長
が、一八〇センチ近くになりました」とあった。

【D君、男児】
 年中児で私の教室へきたとき、私は、その様子から、どこかに問題がある子だと誤解した。
しかし、それはやはり誤解だった。彼にしてみれば、あまりにもレベルの低いレッスンに耐えら
れなかっただけだった。

 ある日、立体の見取り図(サイコロの見取り図)を見せたときのこと。ふと見ると、その見取り
図を、D君が描いているではないか!

 立体の見取り図が、描けるようになるのは、小学三年生以上とみる。小学三年生でも、半数
以上の子どもは、どこかこわれたような箱を描く。いわんや、幼稚園児では、いない。年中児で
は、さらにいない。

 あとで母親に、「どこかで教えましたか?」と聞くと、「とくに、教えてはいません」とのこと。

 そののちD君は、小学六年まで、私の教室にいて、東京の麻布中学に進学していった。その
あと、東北大学の医学部に進学し、現在は、どこかの病院で、勤務医をしている。

【O君、男児】
 私の三三年間の教師経験の中で、最高の知能をもっていたのが、O君だった。彼のすごいと
ころは、ありきたりの数学では解けないような問題を、スイスイと解いてしまったことだ。高校
で、微分、積分として学ぶような問題を、彼はそれを使うことなく、解いてしまった。

 小学六年生になったとき、本当は、高校生のクラスに入れたかったが、あいにくと、高校生の
クラスは、どれも夜八時以後しかなかった。しかたないので、私は、中学三年生といっしょに教
えていた。そのクラスは、中学三年生の中でも、トップクラスの子どもが集まっていたが、その
中学生たちですら、O君の前では、タジタジだった。

 天才という言葉があるが、O君のような子どもを、天才という。柔軟な思考と、鋭い分析力と
論理力をもっていた。が、問題を解くときの彼の様子は、少し違っていた。半ば目を閉じ、どこ
かぼんやりとした様子で、そうした問題を解いていた。

 しかし中学の進学でつまずいた。彼は、社会と国語が苦手だった。とくに社会が足をひっぱっ
た。東京のいくつかの私立中学を受験したが失敗。現在は、北海道の函館ラサール中学に通
っている。

 こういう頭のよい子どもの特徴は、すでに幼児期から、光っているということ。恵まれた環境
にあることも事実。偶然か、ここに書いた、Aさん以外の、N君、D君、O君の三人の父親は、ド
クターだった。(N君の父親は、市内S病院の外科医。D君の父親は、整形外科医。O君の父
親はH大学の附属病院で、産婦人科医をしていた。)

 Aさんのばあいは、兄が二人いたが、二人とも、東京大学に進学している。(兄については、
私は教えていない。)ただAさんの父親は、小さいながらも、書店を経営していた。そのため幼
いときから、本に埋もれて育った。私の推察では、それがよい方向に作用したのではないかと
思う。

 しかしこういう子どもたちは、まさに例外。こう書くと、語弊があるかもしれないが、私はいつも
そういう子どもたちに接しながら、「遺伝子が違う」という印象をもった。ただ不幸なことに、日本
の教育システムの中では、こういう子どもを伸ばす制度も、機関もない。そればかりか、こうい
う子どもたちの能力を、評価するシステムもない。

 ここに書いたO君は、「生意気」という理由で、いつも先生の目のカタキにされていた。しかし
O君は、決して生意気な子どもではなかった。あまりにもかったるい授業に、ついていけなかっ
ただけ。先生に、O君の力が理解できなかっただけだ。

 で、最初の話にもどる。

 この程度の問題なら、ここにあげた子どもたちなら、あっという間に解いてしまっただろう。し
かしだからといって、ほかの子どもたちにできるかどうかということになると、それはまったくの
別問題。学校で、かなり優秀な子どもと思われている子どもでも、この問題は、できない。

 反対に、小学四年生でも、(300引く56)の問題ができない子どもは、いくらでもいる。小学
五年生でも、掛け算の九九が、まだよくわかっていない子どもも、多い。ある調査によれば、中
学一年生で、掛け算の九九ができない子どもは、一〇〜二〇%近くもいるという。(どういう状
態を、「できない」というかという判断もむずかしいが……。)

 その進学塾の入塾問題は、明らかに常識にはずれている。ただ意図は、わからないわけで
はない。そうしたテストをすることで、親や子どもに緊張感をもたせ、金儲(もう)けにつなげるた
めである(失礼!)。

私「こういう問題は、小学校ではしませんが……」
母「だから、どうしたらいいのですか?」
私「こういう問題は、中学校ですることになっていますが……」
母「では、どうしたらいいのですか?」
私「それはその塾が出した問題です。その塾に、お聞きになってくださるのが、一番いいかと思
うのですが……」
母「……?」と。

 ……これ以上のことは、たいへん微妙な問題なので、ここには書けない。ただこれだけは言
える。

 日本の教育は、教育といいながら、人間選別の道具になってしまっている。「皆が一〇〇点
では困る。差がつかないから。しかし皆が〇点だと、もっと困る。差がわからないから」が、基
本になっている。こうした進学塾は、そうしたゆがんだ教育観の上に、成りたっている。

 今、「それではいけない」と、教育改革が急ピッチでなされている。が、結局は、親たちの意識
が、変わらないかぎり、日本の教育は変わらない。もちろん、親たちにも言い分がある。この日
本、公的な保護を受ける人は、徹底的に受け、そうでない人は、まったくと言ってよいほど、受
けない。こうした不公平がある以上、「先生、そうは言ってもですねエ〜」となる。

 もし本気で日本の教育を改革しようとするなら、奈良時代からつづいた官僚制度の是正、つ
まりは構造改革ということになる。が、それはむずかしい。むずかしいことは、みなさん、よくご
存知のとおりである。

 今夜も、全国津々浦々の家庭で、「勉強しろ!」「うるさい!」の、罵声(ばせい)が飛びかって
いる。私には、そういう声が、よく聞こえる。
(030819)

【追記】
 私も一度だけ、幼児クラスで、知能テストをして、点をつけ、順位(度数分布表)を配布してし
まったことがある。これは大失敗といってもよい。そのあと、親たちが、ヒステリー状態になって
しまった。あと始末もたいへんだった。だからその一回だけで、こりてしまい、以後、一度も、そ
の類のことをしていない。

 しかしそういうあくどいことを、進学塾では、堂々と、何の疑いもなくしている? もうそろそろ
世の親たちも、そのおかしさに気づいてもよい時期に、きているのではないだろうか。


 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
**\\⊂'↓°⊃//**
*  \\_▽_//  *
    \\∧//
     Y☆Y
     〓〓〓             何か、テーマがあれば、どうぞ
    /|||\             お寄せください。
     ̄Π ̄Π ̄               お待ちしています。
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

セックス

 どうして教育の世界では、セックスについて語ることを、タブー視するのか。教師の間にも、い
まだに聖職者意識があって、セックスについての話題を、毛嫌いする傾向がある。しかし、も
う、こんな偽善は、やめよう。教師だって、教師である前に、人間なのだ。

はっきり言おう。小学校であれ、中学校であれ、校長でも、教頭でも、それが満たされないとき
は、みな、マスターベーションをしている。かく、言う、私だってしている。しかし、それが悪いこと
なのか。隠すべきことなのか。

 だいたいにおいて、セックスが嫌いな人はいない。女性のことは、よくわからないが、それほ
ど、男性と違わないと思う。だったら、もっと、堂々と、「私はセックスが好きだ」と言えばよい。
が、どうして、それを言ってはいけないのか。

 昔、今東光は、東京の築地のがんセンターに見舞うと、私にこんな話をしてくれた。

 「オレは、若いころ、修行修行で、青春をムダにした。一九歳から二二歳まで、まったく女っ気
なしのところで、修行をした。だからこの歳になっても、ときどき、『しまった!』と思って、ベッド
からとび起きて、女を買いに行くベエ」と。

 そのとき今東光は、大腸がんで、末期だった。もっとも今東光がいう、「買う」というのは、セッ
クスが目的ではなく、裸婦のモデルとして、「買う」という意味だった。晩年の今東光は、好ん
で、女性のヌード画を描いていた。

 先に話を進める前に、世界の賢者の言葉を拾ってみる。

●An intellectual is a person who has discovered something more interesting than sex. - 
Aldous Huxley
知的人間というのは、セックスより楽しい何かを発見する人をいう。(A・ハックスレイ)

●Sex concentrates on what is on the outside of the individual. It's funny because I think it's 
better inside. - Alex Walsh
セックスは、その個人の外側にあるものに、集中する。しかしそれはおかしい。私は内側のほ
うがすてきだと思う。(A・ウォルシュ)

●Great sex is great, but bad sex is like a peanut butter and jelly sandwich - Billy Idol
すばらしいセックスは、すばらしい。しかしつまらないセックスは、ピーナツバターとジャリーの
サンドイッチのようなもの。(B・アイドル)

●Sex is one of the 9 reasons for reincarnation, the other 8 are unimportant. - Henry Miller
セックスは。生まれ変わりのための9つの理由の一つ。あとの8つは、重要ではない。(ヘンリ
ー・ミラー)

●One half of the world cannot understand the pleasures of the other - Jane Austen (1775-
1817)
世界の半分の人は、他の半分の人の喜びがわからない。(J・オーステン)

●When authorities warn you of the sinfulness of sex, there is an important lesson to be 
learned. Do not have sex with the authorities. - Matt Groening, From "Basic Sex Facts For 
Today'S Youngfolk" In Life In Hell
もしその道の権威者が、セックスの不道徳性を説くなら、学ぶべき重要なことがある。それは
その権威者とは、セックスをするなということ。(M・グローニング)

●It is an infantile superstition of the human spirit that virginity would be thought a virtue 
and not the barrier that separates ignorance from knowledge - Voltaire
処女性が美徳であり、知識から無知を分けるバリヤーであろうと考えるのは、人間の魂の子ど
もっぽい、迷信である。(ボルテール)

 よく性欲は、食欲と並べて考えられる。それはそのとおりで、食事は、生きるために欠かせな
い。同じように、セックスは、人間の生命力の原点になっている。あのフロイトも、「リピドー」と
いう言葉を使って、それを説明している。つまり「性的エネルギーが、生きる力の源泉である」
と。

 このフロイトの意見に対して、ユングなどは、「リピドーというのは、心的エネルギーだ」などと
反論しているが、この際、どちらでもよい。人間のあらゆる行動の陰には、異性がいる。また異
性がいるから、この世はおもしろい。楽しい。

 そこで大切なことは、いかにして、すばらしいセックスをするかということ。ただの排泄であれ
ば、B・アイドルが言っているように、「サンドイッチのようなセックス」になってしまう。そうであっ
てはいけないし、それこそ、時間のムダ。すばらしいセックスというのは、狂おしいほどに、相手
の体をむさぼり、気が遠くなるほど、相手の体をなめまわす。俗な言い方をすれば、「やってや
って、やりまくる」。そういうセックスをいう。

 ……と書いて、今日はここまで。私自身も、セックスについて書くのを、どこかタブー視してき
たようなところがある。育児マガジンだから、そういうことを書くのは、不謹慎なことだ、と。

 しかしすべての子どもは、男女のセックスの結果として生まれる。(人工授精は別だが…
…。)つまりセックスも、育児も、同じ流れの中にある。(どこか、ヘ理屈みたいだが……。)わ
かりやすく言えば、セックスすると同時に、そのときから、育児が始まる。もともとセックスは、
子どもをつくるためにする。(これも、ヘ理屈みたいだが……。)

 むずかしい話はさておき、私は、ここに宣言する。これからは、もっと、オープンに、セックス
について、論ずる、と。私は、もともと好色な男なのだ。若いころは、梶山俊之にあこがれて、
ポルノ小説家になりたいと思ったことさえ、ある。実際には書いたことはないが、その気になれ
ば、悩殺ポルノを書くことができる。その自信はある。

 ……ただし、これから先については、すべてワイフ様の了解がないとできない。だから、今日
は、ここまで。乞う、ご期待!
(030820)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

運動と健康

 健康を守るためには、運動は欠かせない。しかし大切なことは、どう運動するかではなく、ど
う運動する習慣を身につけるかである。

 私は、あるときから自転車に乗るようになった。そしてそれがもう三〇年以上になる。おかげ
で、足腰は強く、成人病とも無縁。ありがたいことだと思っている。が、問題がないわけではな
い。

 少し怠けたりすると、その反動というか、とたんに体の調子が悪くなる。気分も悪くなる。自分
の体を重く感じたり、だるく感じたりすることもある。頭の働きも、鈍くなる。そこで運動! ……
ということになる。

 実は、おとといから、本格的に、また自転車に乗り始めた。このところ、雨つづきで、すっかり
ご無沙汰になってしまった。しかし、ただ、ダラダラと乗っても、あまり意味はない。

 私のばあい、足でペダルをこぐのは当然としても、全身を、グイグイと使うようにしている。肩
を上前方に突き出すようにして、乗る。人が見たら、おかしな乗り方だと思うかもしれないが、
それはあまり気にしない。要は、健康になればいい。

 三〇分も走ると、汗ダクダクになる。心地よい、透明な汗だ。その状態で、扇風機にあたった
りすると、うっとりするほど、気持ちよい。それを毎日、二回、繰りかえす。

 話は少しそれるが、時の流れというのは、不思議なものだ。若い人からみると、五〇代、六
〇代は、ずっと先にことに見えるかもしれない。しかし五〇代、六〇代の人にとっては、やはり
「今は今」で、その違いを感じない。そういう意味では、年齢という「数字」は、ただの数字。子ど
ものテレビゲームの得点と、どこも違わない。

 つまりもし、あなたが今、一〇年後、二〇年後も、今のように健康でいたいと思うなら、その
準備だけはしておいたほうがよいということ。何歳になっても、「私は、老人だから、健康も半分
でいい」などとは、絶対に、思えないということ。わかるかな……?

 もう少し、詳しく説明しよう。

 健康というのは、守るものでも、維持するものでもないということ。「作るもの」。前向きに、積
極的に戦ってこそ、健康は維持できるということ。そしてそのとき、「私は五〇歳だから、不健
康でもいい」とか、「病気になってもいい」とかいうふうに、あきらめることは、絶対に、できない
ということ。それはちょうど、今の若いあなたが、あきらめることができないのと同じである。

 だから今から、運動の習慣だけは、作っておいたほうがよい。スポーツクラブに入るのもよ
し、日常生活の中に、そういうリズムをつくるのもよし。最初は、めんどうで、つらいかもしれな
いが、そこは、がまんする。がんばる。耐える。

 やがてそれが習慣になると、今度は、体が、それを求めるようになる。これを、悪循環に対し
て、「良循環」という。その良循環に入れば、あとは自然に、健康になる。

 健康について、多くの賢者が、ものを書いている。参考までに、ここにあげておく。

●健康には、自由がある。健康は、すべての自由で、第一のものである。(アミエル「日記」)
●健康は、第一の富である。(エマーソン「人生読本」)
●人生にとって健康は目的ではない。しかし最初の条件なのである。(武者小路実篤「人生
論」)

ただ忘れてはならないのは、肉体の健康と同じくらい、精神の健康も大切だということ。賢者た
ちが説く健康論には、むしろ精神的な健康を説いたものが多い。

●魂の病は、身体のそれよりも危険であり、恐ろしい。(キケロ「箴言」)
●健康は身体のコンディションの問題ではなく、心の問題である。(エヴァ夫人「科学と健康」)
●健全なる精神は、健全なる肉体に宿る。(エヴェナリス「諷刺詩」)
             (以上、翻訳、梶山健「世界名言辞典」より)

 こうして汗をたっぷりとかいた日は、睡眠も順調。それに体も軽いから、心も軽くなったように
感ずる。本当のところ、今日は、どこか疲れている。サボりたい気持も、ないわけではない。
が、そこは心を鬼にする。鬼にして、がんばる。

 そうそう自転車は、運動には、よいそうだ。関節への負担もないし、全身運動にもなる。みな
さんも、どうかお体を大切に! 
(030820)

【追記】
 子どもを大切にするということと、健康を大切にするということは、似ている。

 子どもを大切にするということは、子どもに楽をさせ、よい思いをさせることではない。子ども
を大切にするということは、子どもが自立できるように、子どもの心身を鍛えておくということで
ある。

同じように、体を大切にするということは、体を休ませ、楽にすることではない。体を大切にする
ということは、体を未来に向かって、鍛えておくということ。……またまた新しい考え方を発見を
したぞ!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

ウィルス

 こんどの、BLASTERワームは、少し、やっかいだ。インターネットを介して、こちらが何もし
なくても、勝手に入ってきてしまう。

 入ったかどうかは、簡単にチェックできる。

(Shift)(Ctrl)キーを押しながら、(Esc)キーを押す。すると、「タスクマネージャー」が開く。こ
の中の「プロセス」のタグを、開くと、イメージの一覧表が出てくる。

 この一覧表の中に、「Msblast」とか、「〜kids(亜種)」、あるいは「penis〜(亜種)」などとい
う表示があれば、そのワームに感染していることを示す。 

 私も、Xpを使っているので、早速、マイクロソフト社の指示に従って、パッチをあてた。パッチ
というのは、穴をふさぐ、パッチという意味だそうだ。あとはパソコンを使うときも、できるだけ、
インターネットケーブルを抜いている。もちろん、McAfeeのウィルス・スキャンで、常時監視。
が、それでも安心できない。

 参考になるかどうかわからないが、私は、つぎのようにして、ウィルスの侵入を防いでいる。

(1)パソコンを使い分けている。ホームページ作成用のパソコン、ワードで文書を作成するパ
ソコン、インターネットをするパソコンと、原則として、三つを使い分けている。

(2)プロバイダーのウィルスチェックと、パソコンごとのウィルスチェックの、二重の関門をもう
けている。

(3)あやしげなメールは、絶対にプレビュー画面に開かない。件名(Re)だけを読んで、「?」と
思われるものは、すべてそのまま削除。見知らぬ人からのファイル付のメールは、すべて削
除。おかしな件名のメールは、すべてそのまま削除。

 しかし今回のBLASTERワームのようなものは、防ぎようがない。XpのOSが勝手に門を開
き、招き入れてしまう? そこでさらに私は、今は、古い、Window98パソコンで、インターネッ
トをしている。Window98は、感染しないという。

 ウィルスに、一度、侵入されると、パソコンのデータはメチャメチャにされる。そればかりか、
多くの人に迷惑をかける。恨まれる。ここ数年は、以上のような対策で、ウィルスの侵入は一
度もなかったが、こうしたトラブルは、健康にも悪い。ハラハラドキドキするのは、もうコリゴリ!

 数日前、中学生六人に聞いてみた。「君たちのお母さんは、インターネットをしているか?」
と。すると、それまでしていた四人の母親、全員が、もうやっていないとのこと。理由は、もちろ
んウィルス。わかる、わかる、その気持! 中に一人、今度のBLASTERワームに入られ、パ
ソコンを見るのもいやになったという母親もいた。

 これから先も、ウィルスと、防御のイタチごっこは、いつまでも続く。だからエンドユーザーの
私たちとしては、こうしたウィルスとは、うまくつきあうしかない。
(030820)

     ▲   ▲
    ▲▼▼ ▼▼▲
   ▼  ▲◎▲  ▼
     ▲◎◎▲▲
    ▲  口  ▲
    ▼  口  ▼         毎週月曜日、午後10時JUST
       口              に、チャットルームを開放しています。  
     凸凸凸凸凸             どうぞ、おいでください。
 〜〜〜凹凹凹凹凹凹凹〜〜〜   
  〜〜 〜〜 〜〜〜 〜
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
11・ 8 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・23 ……奥山小学校
10・18 ……天竜中学校区健全育成会(天竜中、中ノ島小、和田東小、和田小合同)
10・13 ……浜松市上島にて(ママアンドパパス・保育所開園式)
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9.12  ……愛知県岩倉市
9・ 9  ……愛知県稲沢市福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■権威主義社会

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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です! 
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と読みやすくなります。お試しください。
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【名古屋市周辺のみなさんへ……】
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9.12  ……愛知県岩倉市(全家研)
9・ 9  ……愛知県稲沢市・福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
   午前10:00〜より、聴講問い合わせなど……052−524−6665まで
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
★☆★静岡県ホームページ・グランプリに、清き一票をどうか、ご投票ください。★☆★
   http://hpg.pref.shizuoka.jp/entry/vote.asp?m_id=36
  これは静岡県のお祭りのようなものです。よろしくお願いします! 
  ●●今日のメニュー●●
         *         
        / \        
       /   \       
      / ___ \      【1】子育てポイント
       ̄ ̄\_/ ̄ ̄      【2】Touch your Heart
   =| ̄ ̄ ̄ ̄* ̄ ̄ ̄ ̄|=   【3】子育てエッセー
    |__  *  __|    【4】フォーラム
  :  : |___|::   : 
 :\::\:  !!  :/: :/:
  :\ :\  !!  /:  /: 
●もうすぐ、秋ですね。カードを送ります。安全は確認してあります。
    http://www.dayspring.com/ecards/card.asp?ID=336b49-bhp
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【今週のBW教室】

●数の得意な子どもにするために

 今週は、少し予定を変更して、「数」」の学習をした。年間四四レッスンで調整しているが、今
年は、五月の学習から、「お絵かき」を抜いた。それで一回分ずつ、予定より、一週早くなっ
た。

 まず、早数え。
 
 計算力は、早数えで決まる。たとえば子ども(幼児)の前で手をパンパンと叩いてみせてほし
い。早く数えることができる子どもは、五秒前後の間に、二〇回前後の音を数えることができ
る。そうでない子どもは、「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」と数えるため、どうしても遅くなる。

 そこで子どもが一〜三〇前後まで数えられるようになったら、早数えの練習をするとよい。最
初は、「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」でも、少し練習すると、「イチ、ニ、サン……」になり、さらに
「イ、ニ、サ……」となる。さらに練習すると、ものを「ピッ、ピッ、ピッ……」と、信号にかえて数え
ることができるようになる。これを数の信号化という。

こうなると、五秒足らずの間に、二〇個くらいのものを、瞬時に数えることができるようになる。
そしてこの力が、やがて、計算力の基礎となる。たとえば、「3+2」というとき、頭の中で、「ピ
ッ、ピッ、ピッ、と、ピッ、ピッで、5」と計算するなど。

 要するに計算力は、訓練でいくらでも早くなるということ。言いかえると、もし「うちの子は計算
が遅い」と感じたら、計算ドリルをさせるよりも先に、一度、早数えの練習をしてみるとよい。た
だし一言。

 計算力と算数の力は別物である。よく誤解されるが、計算力があるからといって、算数の力
があるということにはならない。たとえば小学一年生でも、神業にように早く、難しい足し算や引
き算をする子どもがいる。親は「うちの子は頭がいい」と喜ぶが、(喜んで悪いというのではな
い)、それは少し待ってほしい。

計算力は訓練で伸びるが、算数の力を伸ばすのはそんな簡単なことではない。子どもというの
は、「取った、取られた」「ふえた、減った」「多い、少ない」「得をした、損をした」という日常的な
経験を通して、算数の力を養う。またそういう刺激が、子どもをして、算数ができる子どもにす
る。そういう日常的な経験も忘れないように!

 ほかに今週は、年長児には、口を閉じて数えさせる訓練と、こんな早数えの練習をした。

 まず、(10、20,30、40……)の10飛びの練習をしたと、「1、2、3、4、5、6、7、8、9、1
0!、1,2,3,4,5,6,7,8,9、20!……」と。

 この方法を身につけると、100までのものなら、あっという間に数えられるようになる。

++++++++++++++++++++++

●中学一年クラスで

 今夜の最後のクラスは、中学一年生のクラスだった。全員で一〇人。うち三人は、小学五年
生と、六年生。飛び級で、中学生のクラスにきている。

 夏休みということもあって、授業が始まる前に、こう言った。「今夜は、何時まで、勉強する?」
と。一応八時半に終わることになっていた。「あのな、もし一一時まで勉強したいと言うなら、一
一時まで、つきあってあげるよ。夜中の一二時でもいい。徹夜でもいい。帰る時刻は、君たち
が決めなさい」と。

 このクラスの生徒は、みんなすばらしい。頭のキレもよい。たがいの仲もよい。私の教室は、
進学塾ではないから、小学四、五年生になると、たいていの子どもたちは、ほかの進学塾に移
っていく。そのクラスの子どもたちも、みな、家では、ほかの塾に移るように言われているらし
い?

 するとみなが、「ぼくは、九時でいい」「やはり、八時半に帰る」「どうしようかな?」と言い出し
た。

私「この教室は、勉強したい人だけがくればいい。勉強したくない人は、来なくていい」
生「じゃあ、ぼくは、九時にする」
私「根性ないなあ。一一時では、だめか?」
生「だめだめ」
私「では、一〇時では?」
生「それもだめ」
私「じゃあ、やっぱり、九時か?」
生「そんなら、いい」と。

 そんなとき、電話がかかってきた。数か月まえに私の教室をやめ、ほかの進学塾に移った生
徒の親からだった。

親「また、BW(私の教室)に戻りたいのですが……」
私「はあ……?」
親「来月から、また来てもいいでしょうか?」
私「はあ、とても残念ですが、そういうことはしていませんので……」
親「わかっています……。やはり、うちの子は、進学塾には向いていないようです」
私「お子さんは、何と言っていますか?」
親「子どもは、もともとBWをやめたくなかったのです」
私「それは、わかっていました。しかし、多分、うまくいかないと思います」と。

 こういうケースは、本当に多い。が、私には、どうしようもない。別にやめたことを、怒っている
のではない。こだわっているわけでもない。ただこの三〇年間、ずっとそうしてきた。

 ここで「うまくいかない」と言ったのは、ほんの小さなわだかまりでも、それがあると、私のばあ
い、うまくいかないということ。

こうした教育というのは、私と生徒、私と親の信頼関係で成りたっている。「またいつか、フイと
やめるかもしれない」という思いがあると、教える熱意がわいてこない。むしろ、心がまったく白
紙の、新しい生徒のほうが、うまくいく。それに私は、中学生については、もう損得の計算を考
えていない。五、六年前までは、毎日、無料で教えていた。そういったことができなくなる。

 時間がきた。授業に入る前に、私はこう言った。「わかった。では、今日は、九時までにする。
次回は、夏休み最後の勉強になる。勉強したい人は、徹夜で勉強するつもりで、おいで。朝ま
でだって、つきあってあげるよ」と。

 子どもたちは、「いやだあ」とか、「ゲーッ」とか言った。しかし私は、本気だった。たった一人
でも、朝まで勉強するという生徒がいたら、朝までつきあうつもりでいる。そう思いながら、その
日の教材を、配り始めた。
(030822)

  ‖                 
 :−−           ‖   
  ‖            :−− 
        ‖      ‖    テーマがあれば、どうかお寄せください。
       :−−           具体的に、相談内容を書いてくだされば
        ‖              うれしく思います。
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●落ち込んでいる、あなたへ

どんな小さなことでもいい、
どんなささいなことでもいい、
あなたのまわりにある、
幸せを、一つずつ、
ていねいに数えてみよう。

青い空、さわやかな風、
緑の葉、木々の間を舞う小鳥、
うるおい豊かな土の色とにおい。
白いカーテン、やわらかなクッション、
テーブルの上に並んだ、食べ物の残り……。

ドアにしみついた、汚れ、
床についた、キズ、
色あせたシャツ、投げ出された服、
並んだ本に、雑誌、それにカレンダー、
写真たてに、壁にかけられた絵。

今までに受けた、人のやさしさ、
家族との出会いと、楽しかった思い出、
旅行をしたときのこと、
友だちと、語りあったときのこと、
ひとつずつ、ゆっくりと数えてみよう。

その幸せが、100になったとき、
その幸せが、200になったとき、
その幸せが、300になったとき、
そして、その幸せが、そして1000になったとき、
あなたは、必ず、こう叫ぶ。
「人生は、すばらしい。私は幸福だ!」と。

(030823)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

ブルーな気持

 私は、過去において、何度か、失業の危機に直面したことがある。仕事先を、クビになったこ
ともある。飛行機事故に遭遇し、以後、飛行機に乗れなくなってしまったこともある。当時、通訳
や、貿易の代行もしていた。そういう私にとって、飛行機に乗れないということは、致命的だっ
た。その事故のすぐあと、イタリアへ行くという仕事があった。しかし、その数日前に、その仕事
をキャンセルしてしまった。それが最後だった。

 今は、幼児教室と、それにつづく学習塾で生計をたてている。が、この不況下。それに少子
化。私の仕事も、大きな影響を受けている。このままいけば、赤字になるのは、時間の問題?

 が、それ以上にこわいのは、体力が、年々、弱くなってきていること。今では、土日は、たっぷ
りと休息しなければ、翌週の仕事に、さしさわりが出るようになってしまった。そのため土日は、
人にもできるだけ会わないようにしている。

 しかし、仕事がなくなるというのは、まさに恐怖。恐ろしいほどの恐怖。生活ができる、できな
いということではなく、自分の価値や存在すら否定されてしまうかのような、恐怖である。

 リストラされ、それが理由で自殺する人がいる。中高年の自殺者数が、大幅にふえている。
私には、そういう人たちの気持ちが、よくわかる。本当によくわかる。自分を否定されることぐら
い、恐ろしいことはない。その恐怖を味わうくらいなら、死んだほうがまし?

 しかしこのところ、一方で、何のために仕事をしているか、わからなくなるときがある。生きる
ためとはいうが、明日が、今日の繰りかえしという人生に、どれだけの意味があるというのか。
「今日できることは、今日しよう」と、自分を励ましている。が、どこまでがんばれることやら?

 通りを歩きながら、同年代らしい男の人とすれ違うと、ときどき、こんなことを考える。「この人
たちは、どんな夢や希望をもっているのだろうか」と。おかしなことだが、ビルの軒下にうずくま
っているホームレスの人たちをみると、妙な親近感を覚える。私と彼らの違いはと言われれ
ば、私は、かろうじて、ふんばっているだけ。土俵の端に追いつめられながら、ふんばっている
だけ。

 しかし今は、何とか、仕事だけはある。家族もいるし、それに健康だ。ほかに何を望むことが
できるか。もし今、仕事がなくなったり、大きな病気になったりしたら、私は、どうなる? 私に
は、それに耐える力はないだろう。勇気も、度胸もないだろう。

賢明な人は、ふつうの価値を、なくす前に気づくという。しかしどうすれば、私はその賢明な人
に、なれるのか。あるいは私は、ふつうの価値を、なくしてから気づくかもしれない。私は、やは
り、愚かな人間かもしれない。

 とりとめもないことを書いてしまったが、今夜の私は、少し落ちこんでいる。ブルーな気持。い
ろいろと、いやなことがあった。それに疲れている。睡眠不足もある。しっかりと今夜は眠って、
明日は、心機一転、がんばろう。とにかく、今は、今を大切にして、少しでも、前に進むしかな
い。
(030821)

●The reward of suffering is experience. - Aeschylus
 苦しみの代償は、経験である。(アエスキュラス)

●When suffering knocks at your door and you say there is no seat for him, he tells you not 
to worry because he has brought his own stool. - Chinua Achebe
苦しみがドアをノックしたら、彼が座るところはないとあなたは言う。しかし彼はこう言う。心配な
い。私は自分のイスをもってきたから、と。(C・アキベ)

●I have never been able to carry out any work coolly. On the contrary it is done, so to 
speak, with my own blood. - Jim Dine
私はどんな仕事も、うまくできたことがない。それとは対照的に、いわば、私の血でもって、それ
はなされただけ。(J・ダイン)

         ,ミヽ  ミヽ
         へ ミ ヽ へ ミヽ
        ∂  ミミ∂ へミミ
        ζ  っノι ∂ ミミ8彡
        ヒ___ノ 人v "丿彡'
    |)─○  / ヽ  `>−<
     // \\_/_∧ \_/_/ ヽ ≡=   賛助会にどうか、ご入会ください。
   ___//  \_/_ξ ̄ ̄ノ_ __)      現在、お礼に、イラスト(額つき)を
  / _ \  / ____ ̄フ _____ノ  ≡=−   送っています。
  // \ \ / /   ̄/ /   ̄)
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


意識

 一九六八年。東京オリンピックのとき。日本の選手団は、一糸乱れぬ、入場行進をした。そ
れを見ながら、私たちは、みな、感激した。実況中継していたアナウンサーも、「日本の行進が
一番、すばらしい」というようなことを言っていたと思う。

 それから三五年。意識は変わった。今、韓国の大邱(テグ)で、ユニバシヤード・テグ大会が
開かれている。韓国日報の報道によれば、北朝鮮の選手も応援団も、かなり開放的になった
という。しかし違和感がないわけではない。いわゆる美女軍団の応援風景を見ていると、不気
味ですらある。応援しているというより、応援させられているといった感じ。人間が、ロボット化し
ている?

 こうして自分の過去を振り返ってみると、私は、あの東京オリンピックの時代の人間である。
「私は自由だ」と思っていたが、その自由というのは、かぎられた範囲での中の、自由だった?
 今から、思うと、そんな気がする。

 もっとも私のばあい、大学を卒業すると、オーストラリアへ渡った。ラッキーだった。私はあの
オーストラリアで、本物の自由を知った。満喫した。

 恐らく今の、北朝鮮の人たちも、自分たちは自由だと思っているに違いない。意識というのは
そういうもので、より高い視点に立つことにより、それまでの自分が低い位置にいたことを、知
る。言いかえると、今の自分を知るためには、より高い視点から、自分をながめなければなら
ない。

 そこで改めて、自分のことを考えてみる。「私の意識は、どのレベルか?」と。最近でも、こん
なことがあった。

 アメリカに住んでいる二男が、こう言った。「パパ、日本では、パパのような生き方は認められ
ないよ。アメリカへおいでよ」と。

 その言葉を聞いて、私は、ハッとした。学生としてオーストラリアにいるころ、日本という国が、
すごく小さく見えた。国土が小さいというより、精神そのものが、小さく見えた。そのとき私は、
「日本が、オーストラリアのような国になるのは、三〇年先か。五〇年先か。あるいは永遠に不
可能か」と思った。

 が、そののち、日本は、高度成長を遂げ、世界に名だたる経済大国になった。日本も変わっ
たが、日本人の意識も変わった。しかしそういう日本でも、二男から見ると、まだ小さい?

 実際、あのアメリカの中西部の州から見ると、(当然だが……)、そこには、日本の「ニ」の字
もない。日本など、まったく相手にされていないといった感じ。(日本人は、そうは思っていない
が……。)恐らくその視点は、日本人が、ブルネイ=ダルサラーム(ブルネイ)を見るようなもの
ではないか。ほとんどの大学生は、日本がどこにあるかさえ知らない。それともあなたは、ブル
ネイ=ダルサラームという国が、どこにあるか知っているだろうか。

 二男は、そういう視点をもっているから、「アメリカへおいでよ」と。

私「アメリカには、人種差別はないか?」
二「それは、どこの国へ行っても、ある」
私「アメリカでは、できる仕事がないし……」
二「でも、アメリカでは、やる気があれば、何だってできる」
私「しかし、それだけに、きびしい社会だ」
二「でも、日本にいて、あれこれ文句ばかり言っていても、しかたないよ」
私「日本を、よくしたいだけだ」
二「日本は、よくならないよ。ムダだよ」と。

 私が、自分の視点をもう一度、レベルアップするためには、外国へ出るしかない。しかしその
自信は、まったくない。「また一から、すべてを始めなければならない……」という思いが、目の
前の道路をふさぐ。……となると、私の意識も、この程度どまりか? が、望みがないわけでは
ない。

 こうして毎日、文章を書いて考えていると、一年前や二年前の自分が、小さく見えてくるときが
ある。さらに五年前や、一〇年前の自分が、小さく見えてくるときがある。とくに文章はそうで、
一〇年前に自分が書いた本を、読みなおしながら、「よくもまあ、こんなアホなことを書いたもの
だ」とあきれることも、多い。

 意識というのは、あくまでも内面世界の問題。だとするなら、思考を重なれば、自分の意識を
高めることができる? 今、北朝鮮の金XXを見ていると、実に小さな国の小さな指導者に見え
る。そういう視点で、やがて自分自身を見ることができるようになるかもしれない。

 そう言えば、昔、オーストラリアへやってきた、日本の訪問団も、大学の構内を、一列に並ん
で行進していた。たった三三年前のことだが……。

+++++++++++++++

それについて書いたのが、つぎの原稿です(学生新聞、掲載済み)。

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日本の全体主義(総理府の使節団がやってきた)

●総理府の使節団
 一〇月へ入ると、メルボルンの気候は、不安定になる。そんなある日、領事館のほうから連
絡が入り、日本の総理府から派遣された使節団が来るから、私のほうで接待してほしいと言っ
てきた。が、ハウスの事務に相談すると、「ハウスとしては、歓迎しない」とのこと。英語で「歓迎
しない」というのは、「いやだ」という意味。

たとえば「I don't like you.」というのは、「好きではない」という意味ではない。「嫌いだ」という意
味だ。「not」の意味そのものが、違う。そこで話を聞くと、昨年やってきた使節団の評判が悪か
ったからだという。「日本人は排他的で、ハウスの学生と打ち解けない」というのが、その理由
だった。

が、大学の上部ルートからの要請もあって、結局は私のハウスで、彼らを迎え入れることにな
った。日本人の留学生は、私一人だけだった。彼らは、「内閣総理大臣の使節団」ということ
を、全面に歌っていた。

 その日は来た。が、その前夜に、メンジス・オーストラリア元首相が夕食に来たこともあって、
日本の使節団のことは、ほとんど話題にならなかった。が、私は心中、穏やかではなかった。
当時いろいろな使節団が、日本からやってきたが、どの使節団も、オーストラリアから見ると、
どこか異様だった。おそろいのスーツを着て、無表情で、そのくせいばっていた。オーストラリア
の学生があれこれ話しかけても、ニヤニヤ笑っているだけ。そして案の定、その使節団もそう
だった。彼らがハウスへ入ってくるとき、私はたまたまコモンルームにいて、彼らを見たが、や
はり紺色のおそろいのスーツを着ていた。しかも胸には、マッチ箱大の日本の国旗が縫いこん
でいた。

●国粋主義か、それとも……?
 外国で生活するようになると、日本人は二つのタイプに分かれるという。井口領事がそう話し
てくれた。一つは、国粋主義者になる日本人。日本の国旗を見ただけで涙をこぼすタイプ。もう
一つは、日本人であることを忘れてしまうタイプ。このタイプは、その国に徹底的に同化しようと
する。私はそのときは、後者のタイプだった。はじめのころは前者だったが、気がついたら、そ
うなっていた。

そういう意味で、私は日本の使節団を、オーストラリア人の目を通して見ていた。使節団は、あ
れこれ私に感謝していたが、私は感謝される立場ではなかった。一人の男性は「あなたは、世
話好きな人ですね」と言ったが、しかし私は見るに見かねて、つまりやむをえず接待しただけ
だ。使節団は当たり構わず、日本のバッジを配っていたが、心の中で、何度、「ヤメロ!」と叫
んだことか。使節団は、ハウスの中では一列に並んで整然と歩いていたが、心の中で、何度
「ヤメロ!」と叫んだことか。日本の使節団は、そういうことがまったくわかっていない。

使節団がホテルへ帰ったあと、コモンルームで雑誌を読んでいると、一人のオーストラリア人
が恐る恐る話しかけてきた。「ヒロシ、ああいう連中をどう思うか」と。そこで私がすかさず、「ヤ
ッキィ(イヤだ)」と答えると、その学生は、「君がそう言ってくれて、安心した」とだけ言った。

 当時の日本は、東京オリンピックを成功させ、新幹線を走らせ、まさに高度成長期へと突入
していた。日本も必死だったが、しかし同時に日本は過去の亡霊をまだ引きずっていた。全体
主義という亡霊である。日本をあの忌まわしい戦争に駆り立てた、あの全体主義である。「皆と
同じことをしていれば安全」という、あの全体主義である。その全体主義的な考え方が、当時の
日本人にはまだ色濃く残っていた。

+++++++++++++++++

 意識というのは、変化しうるもの。絶対的な意識というのはないし、普遍的な意識というものも
ない。変化するのが悪いのではない。大切なことは、意識というのは、そういうものであるという
前提で、つきあうこと。まずいのは、自分の意識に、かたくなにしがみつくこと。そのとき、その
人の進歩は、停滞する。
(030822)

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      〜〜〜〜〜〜〜    役に立つ情報を、書きとめておこうと思います。
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

権威主義社会

 日本独特の「上下意識」。これが日本の権威主義の「柱」になっている。この権威主義から、
これまた日本独特の出世主義、さらにはそこから学歴社会が生まれた。

 滋賀県在住の、ある女性から、その地方の風土について、レポートをもらった。それには、こ
うあった。

●子どものときから、勉強さえできれば、子どもはよいという風潮があった。
●盆や正月に、親類へ、遊びに行くと、反対に「受験生が、こんなことをしていいの?」と、叔父
や叔母に叱られたこともある。
●親どうしのあいさつも、「こんにちは」につづいて、「お宅の子、成績はどう?」と聞かれること
が多い。
●このあたりでは、出身高校(大学ではない)で、その人の価値が判断されることが多い。
●有名進学校を出た人は、その分、プライドが高く、人を見くだしたような態度をする。
●今でも、古い世代では、「学校出(=学卒)」という言葉を使う。
●アパートに住んでいる人を、バカにする。一方、多額の借金があっても、一軒家に住んでい
る人は、出世したと見られる。
●いとこが集まるような席でも、都会の一流大学を出たような人が、自然と、席の中央にすわ
る。中学や、高校しか出ていないような女性は、末席で、接待をする。
●都会へ出た人が、勝ち組。田舎に残った人が、負け組みと見られる傾向が残っている。

似たようなことだが、H市内の、ある都市銀行の家族寮でも、こんな話もある。

そこでは夫の地位に応じて、妻たちの地位も決まるという。何かの集会でも、夫の地位順に妻
たちの席順が決まる、と。地位が高い夫をもつ妻と通路ですれちがうときは、皆が道をあける。
あけなければならない。相手が自分よりはるかに若い妻でも、だ。そこではこんなことも……。

課長の子どもと次長の子どもが、同じA中学校を受験することになった。こういうケースで、仮
に課長の子どもが落ちて、次長の子どもが合格したりすると、さあ、たいへん! 次長の子ども
は入学を辞退するか、さもなければ、引越しをしなければならない。私が「何も、そこまでしなく
ても」と言うと、次長の妻はこう言った。「それは現実を知らない人の言うことです」と。

 もっとも、こうしたエッセーを書くとき、一つ、注意しなければならないことがある。それは、方
的な意見ばかりではいけないということ。そこであれこれ、考えてみる。日本の出世主義や学
歴社会には、よい面はないのか、と。

 しかし、だ。どこをどうつついても、私には、悪い面しか、浮かびあがってこない。むしろこうい
ったものが、日本の社会をゆがめ、そして教育をゆがめている。言いかえると、こういったもの
を改めないかぎり、日本の社会はよくならないし、教育もまた、是正されない。

では、その元凶は何かというと、改めて言うまでもない。冒頭にあげた、「日本独特の上下意識
と、それから生まれる権威主義」ということになる。私たちは、みんなで力をあわせて、これと戦
い、これをつぶさなければいけない。

 どうして男が上で、女が下なのか。夫が上で、妻が下なのか。教師が上で、生徒が下なの
か。親が上で、子が下なのか。

 権威というのは、原始的な社会や家族関係を統制するには、便利な道具だった。また今まで
の日本は、それによって、一定の秩序が保たれていた。しかし今、「どうして上?」「どうして
下?」と聞かれたとき、それに満足な答を出すことができる人がいるだろうか。

+++++++++++++++++++++++

権威主義が親子の間にはびこると、親子の関係その
ものをゆがめる。以前、書いた原稿を添付します。

+++++++++++++++++++++++

権威主義は断絶のはじまり

 「私は親だ」というのが、親意識。この親意識が強いと、子どもはどうしても親の前でいい子ぶ
るようになる。もう少しわかりやすく言うと、仮面をかぶるようになる。その仮面をかぶった分だ
け、子どもの心は親から離れる。

 親子の間に亀裂を入れるものに、三つある。リズムの乱れと相互不信、それに価値観のズ
レ。このうち価値観のズレの一つが、ここでいう親の権威主義である。もともと権威というの
は、問答無用式に相手を従わせるための道具と考えてよい。「男が上で女が下」「夫が上で妻
が下」「親が上で子が下」と。

もっとも子どもも同じように権威主義的なものの考え方をするようになれば、それはそれで親子
関係はうまくいくかもしれない。が、これからは権威がものを言う世界ではない。またそういう時
代であってはならない。

 そこであなた(あなたの夫)が権威主義者かどうか見分ける簡単な方法がある。それには電
話のかけ方をみればよい。権威主義的なものの考え方を日常的にしている人は、無意識のう
ちにも人間の上下関係を判断するため、相手によって電話のかけ方がまるで違う。地位や肩
書きのある人には必要以上にペコペコし、自分より「下」と思われる人には、別人のように尊大
ぶったりいばってみせたりする。

このタイプの人は、先輩、後輩意識が強く、またプライドも強い。そのためそれを無視したり、
それに反したことをする人を、無礼だとか、失敬だとか言って非難する。もしあなたがそうなら、
一度あなたの価値観を、それが本当に正しいものかどうかを疑ってみたらよい。それはあなた
のためというより、あなたの子どものためと言ったほうがよいかもしれない。

 日本人は権威主義的なものの考え方を好む民族である。その典型的な例が、あの「水戸黄
門」である。側近のものが三つ葉葵の紋章を見せ、「控えおろう!」と一喝すると、周囲のもの
が皆頭をさげる。ああいうシーン見ると、たいていの日本人は「痛快!」と思う。しかしそれが痛
快と思う人ほど、あぶない。このタイプの人は心のどこかでそういう権威にあこがれを抱いてい
る人とみてよい。ご注意! 
(030821)

++++++++++++++++++++++

【権威主義者、自己診断】

( )子どもに向かって、「親に向かって、何よ!」と叱ることが多い。(夫であれば、妻に向かっ
て、「亭主に向って何だ!」と言う。
( )無意識のうちにも、相手を、上下関係をもって判断しようとする。地位や、名誉、学歴が気
になる。
( )「偉い」「出世」という言葉を多用する。「あの人は、偉い」「あの人は、出世した」とか。
( )「男だから……」「夫だから……」「親だから……」という「ダカラ論」をふりかざすことが多
い。またそれに自分自身もしばられるこが多い。
( )テレビドラマの「水戸黄門」はおもしろいと思う。痛快。「尊敬する人は、だれ?」と聞かれた
りすると、戦国の武将の名前をあげたりする。

 これらの項目のいくつかに、あなたや、あなたの夫(妻)が当てはまれば、かなりの権威主義
者とみてよい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

権威主義(2)

 世の中には、いろいろな人たちがいる。中には、戦国時代の武士道をもちだし、「今の日本
に必要なのは、武士道」と説く集団がある。ふつうの人たちの集団ではない。れっきとした「学
校の先生たちの集団」である。

 私は私だし、その人たちは、その人たちである。私は、そういう人たちの、考え方を批判はす
るが、否定はしない。しかしそういう人たちは、私の考え方に対して、「君の考え方は、欧米か
ぶれしている」と、攻撃してくる。

 江戸時代がどういう時代であったか? 改めてここに書くまでもない。しかし日本の江戸時代
は、歴史上、かつ世界でも類を見ないほどの、暗黒かつ恐怖政治の時代であった。今の北朝
鮮の独裁政治を見て、「?」と思う人は多い。しかし江戸時代は、あんなものではなかった。そ
れにつづく、明治、大正、昭和の戦前の時代ですら、日本は、まだ暗闇の時代の中にあった。

 人は、自由になって、はじめて、自由というものが、どういうものかを知る。同じように、人は、
明かりを見て、はじめて、暗闇というものが、どういうものであるかを知る。もちろん歴史は歴史
だから、冷静に、判断しなければならない。しかし、あの江戸時代を、決して美化してはいけな
い。

 徳川家康にしても、このS県では、偉人とたたえる。家康の出身地であることもある。しかし江
戸時代に、家康の批判など夢のまた夢。家康につごうの悪い事実は、繰りかえし、徹底的に、
末梢された。

 今、私たちがもつ家康像は、あくまでもその結果でしかない。

 同じように、武士道を支える人たちは、自分が武士にでもなったかのような立場で、それを説
く。しかし日本人の大半は、その武士たちに虐げられた民衆であった。そのことを忘れてはな
らない。

 明治のはじめですら、きびしい身分制度が残っていた。山荘の近くに住む、女性(当時、八〇
歳)は、昔、こんな話をしてくれた。

 「Mさんの祖父は、士族でね。明治時代になっても、刀をさして歩いていた。二本のサヤが、
歩くと、カチャカチャと鳴ってね。それでその音が、峠の向こうから聞こえてくると、みんな、道の
ワキによって、正座して、頭をさげたものだよ」と。

 武士道を説く人たちは、こんな時代に逆戻りしてもよいと考えているのだろうか。

 かりに武士道がすぐれていると説くなら、同時に、封建時代の闇の部分についても、説かね
ばならない。その闇の部分がわかった上で、武士道を説くなら、それは問題ない。私を批判す
るなら、問題ない。

 話はそれるが、私とワイフは、伊豆半島にある、土肥(とい)の金山へ行ってきた。三〇年前
とは違い、きれいに整備され、すっかり観光地かされていた。で、中に入ると、これまたきれい
な人形が、さも楽しそうに、作業をしていた。人形は、機械仕かけで動いていた。「さあ、風呂に
入ろうか」「いいね」というような会話も、録音で、流れていた。

 こうした「美化」は、日本中でなされている。ほかに、たとえば関所や、城の遺跡にも見られ
る。しかし金山で働くということが、どういうことであった。それがわからない人は、いまい。小さ
な説明書きだが、それには、こうあった。「一人、一〇日が原則だった」と。つまり一度、金鉱に
入ったら、一〇日間は、出てこられなかったという。

 関所にしても、関所を破ったりすると、その人だけではなく、その家族、兄弟、親類まで、打ち
首になったという(静岡県新居関所跡)。

 こういう事実を、日本人は、もっと冷静に見るべきではないのか。そしてその上で、封建時代
を考え、武士道を考える。武士道は、まさに、武士という特権階級を守るための、身勝手な行
動規範でしかなかった。

 だから今の今、あの北朝鮮で、きわめて非人間的な圧制がなされていたとしても、日本人
は、それを批判することすら、できない。そういう視点そのものがない。ないから、正義を主張
することもできない。

 へたに北朝鮮を批判しようものなら、自ら、自己否定の世界に陥ってしまう。そう、今の北朝
鮮は、戦前の日本以上に、日本的な国なのである。今の北朝鮮は、江戸時代の日本以上に、
江戸時代的な国なのである。

 こうした復古主義的な考え方は、これからも、どんどんと出てくる。それはそれで構わない。つ
まり、そういう考え方が、日本の主流であるなら、それはそれで構わない。私がとやかく言う問
題ではない。

 またそれに並行して、私のような考え方が、小さくなっていくなったとしても、それまた構わな
い。私がとやかく言う問題ではない。人は人。私は私、だ。

 あくまでも、それを判断するのは、一般の多くの人たちである。たとえばこの文章を読んで、
「林はおかしい」と思う人が、私から去っていったとしても、しかたのないこと。しかしもしみなさ
んの中で、「林の考え方に賛同できる」と思ってくれる人がいるなら、こうした考え方を、あなた
の隣人や友人に語ってみてほしい。そういう力が、これからの日本を変える。

 みんなで力を合わせて、愚劣な権威主義社会を、打倒しよう。そして私たち、ひとりひとりが、
一人の人間として、もっと住みやすい社会や国をつくろう! ゴールは、近い。あと一歩だ!
(030821)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

秋のロマン

 WINDOW(XP)には、付録として、「月の写真」が、添付されている。デスクトップのテーマと
して選ぶと、オープニングのとき、いつもそれを見ることができる。

 この月の写真を見ていると、不思議なことに気づく。

 月の表面には、大小さまざまのクレーターがあり、その周囲には円形の外輪山(これを「山
脈」という)がある。それらの中で、比較的小さいものは、その中央に、隕石による衝突の跡が
あり、そこを中心として、放射線状に、外へ爆発した痕跡(「光条」)が広がっているのがわか
る。明かに隕石が衝突してできたクレーターということが、それでわかる。

しかしそれよりも大きな「海」(平原部)には、それがない。まったく平らというか、カガミのように
スベスベしている。爆発した痕跡も、ない。まったく、ない。中には、クレーターの輪郭のみが残
された、「ゴーストクレーター」というものまである。クレーターの上を、薄い溶岩がおおったもの
だとされている。

 天文学者は、こうした「海」は、溶岩の流出でできたと説明する。しかし火山活動のない月で、
どうやって溶岩が流出したというのか。しかも、中には、ヨーロッパ大陸と同じくらい広い「海」が
ある。「静かの海」(アポロ11号が着陸した地点として有名)も、その一つだが、いくら重力が地
球の六分の一とはいえ、どうやって、そんなに広く、しかも、まんべんなく、溶岩が広がったとい
うのか。

 ……というような、回りくどい言い方はやめよう。

 あの月には、謎が多い。多すぎる。本当に、多い。月の土を調べたら、四〇億年前とか、五
〇億年前とかいうのは、ザラ。中には、七〇億年前、さらには一〇〇億年前とかいうものまで
あるという。つまりこの太陽系より、古いという……?!

 私は今、月にたいへん興味をもっている。本屋へ行っても、すぐ月について書いた本のコー
ナーに、足が向いてしまう。一度、徹底的に調べてみようかと考え始めている。

 しかしどうして今まで、こんなことに気がつかなかったのだろう。世界には、「月学会」のような
ものがあって、毎年、その道の科学者たちが、会議を開いているという。そういうところでは、こ
うした謎について、何らかの説明をしているかもしれない。一度、そういう学会のサイト(ホーム
ページ)をのぞいてみたい。

 それにしても、これから月が美しくなる季節。ただぼんやりとながめているだけでは、もったい
ない。何でもなく見える月だが、「?」と思って見ると、また見方も変わってくる? 私のような素
人が、とやかく言ってもはじまらないが、しかしロマン(夢)をもつことは、私にも許される。

 山荘には、倍率二〇〇倍の天体望遠鏡が置いてある。明日は土曜日。じっくりと月を観察し
てみるつもり。ワクワク。
(030822)

【追記】インターネットの検索機能を使って、「月」を調べてみた。結果、「月には謎がある」と説
くサイトは、月以上に、あやしげなサイトばかり。(私のサイトも、その一つ?)だからやはり、こ
の問題は、あまり深入りしないほうが、よさそうだ。

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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ● | ̄ ̄ ̄    役立ちそうな方がいらっしゃれば、
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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞







件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■無気力な子ども

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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03−9−1号(281)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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  :  : |___|::   : 
 :\::\:  !!  :/: :/:
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【今週のBW教室から】

 年中児の前で……。

 丸(●)が、五個描いてあるカードを見せながら、(しかし一個は、指で隠してある)、「いくつか
な?」と。

 子どもたちは、「四個だ」「四個だ」と答える。

 そこでカードを、くるりと回しながら、「じゃあ、数えてみよう。1、2、3、4、5。五個だ!」と。

 すると子どもたちは、「ズルイ」「ズルイ」と騒いだ。

 つぎに今度は、六個描いてあるカードを見せながら、(大きく指で覆ってはいるが、今度は、
隠してない)、「いくつかな?」と。

 子どもたちは、「きっと隠している」「本当は、七個だ」「そうだ」「七個だ、七個だ」と言った。

 そこで指をはずす。何も隠してない。「正解は、六個でした」と。

 また子どもたちは、「先生は、ズルイ」「ズルイ」と。

 三度目は、一個だけ、とくに小さく書いた丸を、指先で隠しながら、「いくつかな?」と。すると
今度は、子どもたちは何も隠してないと思ったのか、「五個だ」と。

 最初のときと同じように、カードをくるりと回しながら、「では、数えてみよう。1、2、3、4、5、
6。六個だ!」と。

 ここまでくると、子どもたちは、興奮状態になる。(しかし、そういう興奮状態にするのが、私の
目的。こうした興奮性は、脳の大脳新皮質の新新皮質部をかぎりなく刺激する。)

 最後に、今度は、二個を指で隠しながら、カードを見せ、「いくつかな?」と。

 子どもたちは、指の間から少し丸が見えていることを理由にしながら、「ぜんぶで、七個だ。
先生、ズルイことしても、ムダだよ。見えているよ」と。

 そこで私はまたカードを回し、「では、数えてみよう。1、2、3,4,5,6,7,8。八個だ!」と。

 ここまでは、予定通りの展開だった。しかしここでハプニングが起きた。

 F君が、本気で怒ってしまったのだ。半ば、泣きべそをかきながら、「先生は、ズルイ。ズルイ
よオ〜!」と。

 私はすかさず、こう言った。

 「F君、君は、すばらしい子どもだ。君の正義感は、すばらしい。君のような人が、日本の総理
大臣になったら、日本は、まちがいなく、いい国なる。がんばれ! 君は、未来の、日本の総理
大臣だ」と。

 F君は、その言葉にとまどって、泣いてよいのやら、笑ってよいのやら、はたまた怒ってよい
のやら、喜んでよいのやら……というような、複雑な表情をしてみせた。ただ参観していた母親
たちは、みな、満足そうな笑みを浮かべて、F君を見ていた。それが印象的だった。
(030823)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【E氏より】

甥っ子についてなんですが、小学二年生でサッカークラブに入っています。ところがこのとこ
ろ、することがないと、ゴロゴロしているというのです。

とくに友だちと遊ぶでもなく、何か自分で遊ぶのでもなく……。サッカーもヤル気がないくせに、
やめるでもない。こういう時は、どこに目を向ければいいのでしょうか。

やる気がないのは、今、彼の家庭が関心を持っている範疇にないというだけで、親自身が持っ
ている壁を越えさせることがポイントかな、と思ったりしたのですが……。 

【はやし浩司より】

●消去法で

 こういう相談では、最悪のケースから、考えていきます。

 バーントアウト(燃え尽き、俗にいう「あしたのジョー症候群」)、無気力症候群(やる気が起き
ない、ハキがない)、自我の崩壊(抵抗する力すらなくし、従順、服従的になる)など。さらに回
避性障害(人との接触を避ける)、引きこもり、行為障害(買い物グセ、集団非行、非行)など。
自閉症はないか、自閉傾向はないか。さらには、何らかの精神障害の前兆や、学校恐怖症の
初期症状、怠学、不登校の前兆症状はないか、など。

 軽いケースでは、親の過干渉、溺愛、過関心、過保護などによって、似たような症状を見せ
ることがあります。また学習の過負担、過剰期待による、オーバーヒートなどなど。この時期だ
と、暑さにまけた、クーラー病もあるかもしれません(青白い顔をして、ハーハーあえぐ、など)。

 「無気力」といっても、症状や程度は、さまざまです。日常生活全体にわたってそうなのか。あ
るいは勉強面なら勉強面だけにそうなのか。あるいは日よって違うのか。また一日の中でも、
変動はあるのかないのか。

こうした症状にあわせて、何か随伴症状があるかないかも、ポイントになります。ふつう心配な
ケースでは、神経症による緒症状(身体面、行動面、精神面の症状)が伴うはずです。たとえ
ばチック、夜驚、爪かみ、夜尿など。腹痛や、慢性的な疲労感、頭痛もあります。行動面では、
たとえば収集癖や万引きなど。

さらに情緒障害が進むと、心が緊張状態になり、突発的に怒ったり、キレたりしやすくなりま
す。この年齢だと、ぐずったりすることもあるかもしれません。

こうした症状をみながら、順に、一つずつ、消去していきます。「これではない」「では、これでは
ないか?」とです。

●教育と医療

 つまりいただいた症状だけでは、私には、何とも判断しかねるということです。したがって、ア
ドバイスは不可能です。仮に、そのお子さんを前に置いても、私のようなものが診断名をくだす
のは、タブーです。資格のあるドクターもしくは、家の人が、ここに書いたことを参考に、自分で
判断するしかありません。

 治療を目的とする医療と、教育を目的とする教育とは、基本的な部分で、見方、考え方が違
うということです。

 たとえばこの時期、子どもは、中間反抗期に入ります。おとなになりたいという自分と、幼児
期への復帰と、その間で、フラフラとゆれ戻しを繰りかえしながら、心の状態が、たいへん不安
定になります。

 「おとなに扱わねば怒る」、しかし「幼児のように、母親のおっぱいを求める」というようにで
す。

 そういう心の変化も、加味して、子どもを判断しなければなりません。医療のように、検査だ
けをして……というわけにはいかないのですね。私たちの立場でいうなら、わかっていても、知
らないフリをして指導します。

 しかしそれでは、回答になりませんので、一応の答を書いておきます。

 相談があるということから、かなり目立った症状があるという前提で、話をします。

 もっとも多いケースは、親の過剰期待、それによるか負担、過関心によって、脳のある部分
(辺縁系の帯状回)が、変調しているということ。多くの無気力症状は、こうして生まれます。

 特徴としては、やる気なさのほか、無気力、無関心、無感動、脱力感、無反応など。緩慢動
作や、反応の遅延などもあります。こうした症状が慢性化すると、昼と夜の逆転現象や回避性
障害(だれにも会いたがらない)などの症状がつづき、やがて依存うつ病へと進行していきま
す。(こわいですね! Eさんのお子さんのことではなく、甥のことということで、私も、少し気楽
に書いています。)

 ですから安易に考えないこと。

●二番底、三番底へ……

 この種の問題は、扱い方をまちがえると、二番底、三番底へと落ちていきます。さらに最悪の
状態になってしまうということです。たとえば今は、何とか、まだサッカーはしているようですが、
そのサッカーもしなくなるということです。(親は、これ以上悪くならないと思いがちですが……。
決して、そうではないということです。)

 小学二年生という年齢は、好奇心も旺盛で、生活力、行動力があって、ふつうなのです。そ
れが中年の仕事疲れの男のように、家でゴロゴロしているほうが、おかしいのです。どこかに
心の病気があるとみてよいでしょう。

 では、なおすために、どうしたらよいか?

 まず、家庭が家庭として、機能しているかどうかを、診断します。

●家庭にあり方を疑う……

 子どもにとって、やすらぎのある、つまり外の世界で疲れた心と体を休める場所として機能し
ているかどうかということです。簡単な見分け方としては、親のいる前で、どうどうと、ふてぶてし
く、体を休めているかどうかということです。

 親の姿を見たら、コソコソと隠れたり、好んで親のいないところで、体や心を休めるようであ
れば、機能していないとみます。ほかに深刻なケースとしては、帰宅拒否があります。反省す
べきは、親のほうです。

 つぎに、達成感を大切にします。「自身が持っている壁を越えさせることがポイント」というの
は、とんでもない話で、そういうやり方をすると、かえってここでいう二番底、三番底へと、子ど
もを追いやってしまうから注意してください。

 この種の問題は、(無理をする)→(ますます無気力になる)→(ますます無理をする)の悪循
環に陥りやすいので、注意します。一度、悪循環に陥ると、あとは底なしの悪循環を繰りかえ
し、やがて行き着くところまで、行き着いてしまいます。

 
「壁を越えさせる」のは、風邪を引いて、熱を出している子どもに、水をかけるような行為と言っ
てもよいでしょう。仮に心の病にかかっているということであれば、症状は、この年齢でも、半年
単位で推移します。今日、改めたから、明日から改善するなどということは、ありえません。

 私なら、学校恐怖症による不登校の初期症状を疑いますが、それについても、私はその子ど
もを見ていませんので、何とも判断しかねます。

 ただコツは、いつも最悪のケースを考えながら、「暖かい無視」を繰りかえすということです。
子どものやりたいようにさせます。過関心であれば、親は、子育てそのものから離れます。

 多少生活態度がだらしなくなっても、「うちの子は、外でがんばっているから……」と思いなお
し、大目にみます。

 ほかに退行(幼児がえり)などの症状があれば、スキンシップを濃厚にし、CA、MGの多い食
生活にこころがけます。(下にお子さんがいらっしゃれば、嫉妬が原因で、かなり情緒が不安定
になっていることも、考えられます。)

 子どもの無気力の問題は、安易に考えてはいけません。今は、それ以上のことは言えませ
ん。どうか慎重に対処してください。親やまわりのものが、あれこれお膳立てしても、意味がな
いばかりか、たいていは、症状を悪化させてしまいます。そういう例は、本当に多いです。

 またもう少し症状がわかれば、話してください。症状に応じて、対処方法も変わります。あまり
深刻でなければ、そのまま様子を見てください。では、今日は、これで失礼します。

                             はやし浩司
(030824)

  ‖                 
 :−−           ‖   
  ‖            :−− 
        ‖      ‖    テーマがあれば、どうかお寄せください。
       :−−           具体的に、相談内容を書いてくだされば
        ‖              うれしく思います。
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

すばらしい母親

 K君(小学生)には、やや問題があった。しかし母親は、私にこう言った。

 「教室に入れていただけますか?」と。

 最初に、そう聞く、母親は少ない。たいていの母親は、(当然、入れる)という前提で、私のと
ころにやってくる。私は、この言葉がうれしかった。が、それだけではなかった。「勉強の楽しさ
を教えてほしいのです。だから、一年、下のクラスにお願いしたいのですが……」と。

一、二度会ってみると、K君がたいへんきまじめな子どもであることがわかった。何か問題を与
えると、それを懸命に考えようとした。「できたね」とほめてあげると、細い目を、さらに細い目に
して、喜んだ。

これは、K君とは違い、多動性のある子どもの話。数か月前、K県で幼稚園の経営をしてい
る、T氏(W市立幼稚園理事長、園児数430人)が、私の山荘に泊まってくれたときのこと。そ
こでT氏は、こんな話をしてくれた。子どもをもつ母親たちには、かなりショッキングな話かもし
れないが、そのまま書く。

 「うちの幼稚園では、入園に先立ち、三者面談をするんですがね。しかし内実は、多動性の
ある子どもを、その段階で、ふるい落とすためなんですよ。いわば、入園テストのようなもので
す。

 しかし園としては、一人でも多くの生徒がほしい。200人を切ったら、経営そのものが、成り
たたなくなるでしょ。経営のボーダーラインは、200人です。しかしたとえば多動児が入ってくる
と、指導そのものが、メチャメチャになってしまいます。

 遊戯会でも、運動会でも、そういう子どもが、メチャメチャにしてしまいます。すると、親たち
は、その子どもがもつ問題を理解する前に、園の指導を疑ってしまいます。そうなると、園の評
判を落すのみならず、親どうしの雰囲気が、ピリピリしてきます。さらに翌年の入園募集にも、
影響が出てきます。弟は、ほかの幼稚園にしよう、とね。

 本来なら、こういう子どもでも指導できる体制をしっかりとつくらねばならないのですが、実際
には、不可能です。ですから、三者面談を通して、入園を断ることにしているのです」と。

 が、ここで大きな問題が起きる。

 その園では、そういう子どもをもつ親に対して、こんな手紙を書いている。「当園の教育指導
方針と、お子さんのもつ方向性とが、合致しないところがあると判断したため、今回は、とても
残念ながら、入園をお断りすることにしました」とか。が、それに対して、半数以上の親が、猛
烈に反発してくるという。

 T氏はこう言った。

 「ふつうの反発ではないですね。基準を示してほしいとか、理由を話してほしいとか言います。
狂乱状態になる母親もいます。しかし園としては、それを口にするわけにはいかない。だから、
徹頭徹尾、頭をさげて、あやまるしかないのです。で、そのために、指導主任で年配の教師特
別に、その役をやらせています」と。

 こういう例は、多い。

 多動性のある子どもに向かって、「落ちつきなさい」としかりつづけた、母親。
 かん黙児の子どもについて、「どうしてうちの子は、ハキがないのでしょう」と、先生に、相談し
つづけた母親。
 チックや吃音のある自分の子どもを見て、「幼稚園の先生の責任だ。指導が悪いから、こう
なった」と抗議しつづけた母親など。

 しかし幼稚園の先生にせよ、診断名をくだすのは、タブー中のタブー。私の教室でも、診断名
をほのめかしただけで、たいていの親は、怒って、そのままやめてしまう。

 しかし冒頭にあげた、K君の母親は、ちがっていた。K君の問題点をよく理解していたし、そ
れ以上に、K君をつつむ、あふれんばかりの愛情をもっていた。私はK君の母親にこう言った。

 「私に任せてください。やってみます!」と。

私は、一晩かかって、K君の記録を残した。指導計画を立てた。その第一に、「まず、自信をも
たせること」と書いた。本当のところ、私のばあい、おかしなことだが、こういう親や子どもに接
すると、モリモリとやる気がわいてくる。「見てなさいよ。はやし浩司の実力を見せてやるから
ね」と。
(030823)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

日々の積み重ね

●青銅の壷(つぼ)

 日々の積み重ねが、月となり、月々の積み重ねが、歳となる。そしてその歳が、その人の人
格をつくる。こんな例を聞いた。

 ある女性(七七歳)なのだが、若いころから、手グセが悪かった。窃盗や、万引きのようなこと
はしなかったが、(あるいはしていたのかもしれない)、平気で、近所のものを、もってきてしまう
のである。

 その女性が、浜松に嫁いできた娘(五二歳)のところに、青銅製の壷(つぼ)を送ってきた。
が、その壷というのは、その女性の姪(めい)の家にあったものだった。その女性(七七歳)が、
その家から、盗んだものだった。

 その娘(五二歳)は、こう言う。「たまたまその壷のことは、いとこから話を聞いていましたの
で、送られてきたときには、まさかと思いました」と。

 「たいした金額の壷ではないのです。そこらの店で、数千円で売っているようなものです。そ
れを母は、盗んで自分のものにしたのですね。そしてそれを私に送ってきました。母ももう少し
若ければ、慎重になったのでしょうが、このところ、少し頭がボケてきましたから……」とも。

 ひょっとしたら、その女性は、盗んで手に入れたものであることすら、忘れてしまったのかもし
れない。あるいは日常的に、人のものを盗んでばかりいた……? だから区別がつかなくなっ
てしまった……? が、それよりも、その娘(五二歳)を、驚かせたのは、それに同封してあっ
た、手紙だった。それにはこうあったという。

 「あなたがたの幸福を願っています。家に昔からある、壷を送ります。私も、お迎えが近くなっ
たようですからね」と。

 その娘(五二歳)は、こう言う。「何となく、何かを請求されているような、いやな内容の手紙で
した。手紙を読むかぎり、頭はしっかりとしているように思えるのですが……」と。

●ボロが出る

 こういう例は、多い。それまでは何とかごまかしてきた、邪悪な部分が、年齢とともに、外に出
てきてしまう。それまでは、それを内面世界に閉じこめておくだけの、気力がある。しかしその
気力が弱くなったとき、それがそのまま外に出てきてしまう。

 これを俗に、「ボロが出る」という。

 それはちょうど、健康に似ている。若いころは、体力もあるから、何とか持病をごまかして、生
活できる。しかしその体力が衰えてくると、持病が、どんと前に出てくる。

 そこで私自身のこと。

 私にも、たいしたことはないが、いくつかの持病がある。今は、まだ体力もじゅうぶんあるか
ら、それらを押さえこんでいる。しかし「心」はそういうわけにはいかない。

 「今」というこの時点においてすら、別の心が、せっこらせっこらと、邪悪な自分が顔をのぞか
せる。そしてそれらが、ふと油断すると、心の外へ飛び出してくる。私はもともと、忠誠心も弱い
し、小ズルイ人間。それに小心で、卑怯(ひきょう)。……そういう部分が、たくさんある。

 たとえば私が政治家になり、目の前に、大金が積まれたとする。「電話一本で、自分のものに
なる」と思ったら、とてもそれを断る勇気はない。

 落ちていたサイフについては、(最近は拾ったことがないので、わからないが)、数年前に一
度、拾ったときは、そのままコンビニの店長に渡すことができた。あとは、スーパーなどで店員
が、つり銭をまちがえて多くくれたときは、即座に、返すことができるようになった。

 道路の交通規則は、守れるようになったし、ゴミやツバを、道路に吐いたことは、この三〇年
間、一度もない。あるいは正確には、一九六八年からだから、三五年間ということになる。その
三五年間、一度も、ない。

 しかし、それでもこわい。

●みじめな老後

 私の老後は、みじめなものになるだろう。このところ、強く、そう思うようになった。友はいない
し、家族も、バラバラ。人並みにうまくはやっているが、本当のところは、どうか? 

 それよりも、邪悪な自分が、そろそろ顔を出すころだ。今まで、私を信じてくれていた人まで、
それを知って、去っていくにちがいない。ワイフだって、あぶない。(もっとも、私のワイフは、強
い人だから、私がいなくても、平気で生きていくだろう。)どこか、私から、最近、逃げ腰になって
きている……?

 私は、子どものころから、ずっと、邪悪な人間だった。ものの考え方が、ひねくれていた。いじ
けていた。ひがみやすく、嫉妬深かった。小心だから、大きな悪さはできなかったが、チョコチョ
コと、悪いことを重ねた。

 当時は、戦後の混乱期ということもあったが、それは理由にはならない。家庭環境も、よくな
かった。しかしそれも理由には、ならない。

 若いころは、好色だったから、女性を、いつもおもちゃのように考えていた。だましたり、だま
されたり、そんなことは、しょっちゅうだった。セックスをするのが、何よりも楽しかった。

 そんな私が、かろうじて(まじめ?)になったのには、いくつか理由がある。それについては、
もう何度も、あちこちで書いた。しかし基本的には、変わっていない。私は、自分の中で、息を
潜めて出るのを待っている、そういう邪悪な部分を、よく知っている。

 だから、老後を迎えることが、こわくてならない。もう時間の問題といってもよい。冒頭の女性
(七七歳)の話を聞いたとき、心底、「明日は、我が身」と思った。だからワイフは笑ったが、私
は笑えなかった。

 ただできることは、今の、この瞬間において、「善」を積み重ねること。ささいなことでよい。ち
ょっとしたことでよい。そういう積み重ねが、日々の積み重ねになる。冒頭の「日々の積み重ね
が、月となり、月々の積み重ねが、歳となる。そしてその歳が、その人の人格をつくる」という言
葉は、私が考えた言葉だが、私は、この言葉を信じて、前に進む。……進むしかない。
(030823)

         ,ミヽ  ミヽ
         へ ミ ヽ へ ミヽ
        ∂  ミミ∂ へミミ
        ζ  っノι ∂ ミミ8彡
        ヒ___ノ 人v "丿彡'
    |)─○  / ヽ  `>−<
     // \\_/_∧ \_/_/ ヽ ≡=   賛助会にどうか、ご入会ください。
   ___//  \_/_ξ ̄ ̄ノ_ __)      現在、お礼に、イラスト(額つき)を
  / _ \  / ____ ̄フ _____ノ  ≡=−   送っています。
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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子育て談話

●服従的な生き方

 だれかに服従して生きるというのは、生き方としては、楽。相手が喜ぶことだけを考えて、生
きればよい。

 ある宗教団体では、入信すると同時に、「あなたは、教導様のために、何ができるか?」と聞
かれる。そして指導者のために何かをするのが、入信の条件となる。

 こうした服従的な生き方というのは、戦前の女性たちに、多く見られた。今でも、そういう生き
方を、美徳と考えている人は多い。

 ところであのK国を見ていると、どの人も、「将軍様に、喜んでいただくために」という言葉を使
う。国民全体が、服従的になっていることを示す。しかしここで誤解してはいけないのは、傍(は
た)から見ると、何とも息苦しい社会だが、本人たちにとっては、そうではないということ。意外
と、住み心地がよい世界かもしれない。

 服従的であるということは、何も考えなくてもよいということ。(何も考えないから、服従的にな
るということも、反対に考えられる。)

 子どもの世界にも、同じような現象が見られる。よい例が、高校野球である。あの野球という
ゲームは、選手ひとりひとりは、ほとんど何も考えないで行動している。バッターボックスに立っ
た選手ですら、つぎにどう打つか、その指示を監督に、ちくいち求めている。

 そういう意味では、「考えるスポーツ」というよりは、「何も考えないスポーツ」ということになる。
(だからといって、野球はつまらないと言っているのではない。誤解のないように……。)

 「学習」という世界でも、服従的な子どもは、いくらでもいる。言われたことだけを、きちんとす
るが、それ以上のことは、何もしないというタイプの子どもである。一見、従順で教えやすいが、
それがよいことかということになると、悪いに決まっている。

 で、問題は、こうした服従性は、一度、その人の人生観に入りこむと、以後、さまざまな形で、
その人を支配するということ。そして一生、つづくということ。しかもその原点は、子ども時代、な
かんずく、幼児期に決まるということ。

 強圧的な環境、威圧的な育児姿勢が日常化すると、子どもは服従的になる。過度の過干
渉、過関心が原因になることもある。とくに母子の関係で、母親が、命令を主体とした子育てを
すると、子どもは、服従的になる。じゅうぶん、注意されたい。

 あなたが子どもに、何か不合理な仕事(あくまでも、不合理な仕事)を頼んだとき、あなたの
子どもは、はげしくそれに反発するようなことがあるだろうか。もしそうなら、それでよし。ハイハ
イと従順に従うようなら、ここに書いたことを参考に、子育てのあり方を、反省してみてほしい。

●子育ては主義の問題

 ある母親から、こんなメールが届いた。私の講演を聞いたあと、今度は、S氏という評論家の
講演を聞いたというのだ。その結果、「頭の中が混乱してしまいました」と。

 S氏というのは、このあたりでも、貝原益軒(かいばらえっけん)の「養生訓」風の子育て論を
説くことで、よく知られている。貝原益軒というのは、江戸時代の儒学者である。S氏も、「親の
威厳こそが、家族をまとめるカギである」というようなことを、あちこちで話している。

 私の考え方とは、一八〇度違う。だからといって、私はS氏の思想を否定しているのではな
い。人それぞれ。私は私。人は人。

 そこで大切なことは、いろいろな人の意見には、耳を傾けつつも、「私は私」という部分を、自
分の中につくること。でないと、この母親のように、混乱してしまう。

 子育てというのは、一見、ただの子育てに見えるかもしれないが、実は、そこに、その人の
「主義」がからんでくる。その人の生きザマや人生観が、そこに、集約される。学歴信仰とはよく
言ったもので、まさに「信仰」に近い部分もある。

 だから子育てをするとき、大切なことは、どんな小さなものでもよいから、そこに「主義」をもつ
こと。これを心理学の世界では、「一貫性」という。一貫性が大切とか大切でないとかいうことで
はなく、その一貫性がない子育てほど、こわいものはない。

 たとえば貝原益軒なら貝原益軒でもよい。親が、一本、スジの通った主義をもてば、子どもは
それに適応する。適応しながら、ときには、親を反面教師としながら、自分の生きザマを勝ち取
っていく。まずいのは、「混乱」である。

 そこで私のばあいは、「教師は、子ども※」と決め、めったに、ほかの人の教育論は読まない
ようにしている。話も聞かないようにしている。議論はよくするが、それは対等の立場の議論。
もし本を読む機会があれば、できるだけ教育とは無縁の本を読むようにしている。

 それは私自身が、自分の主義を確立するためでもある。またそういう主義を、自分の育児論
の中に、織りこむためでもある。とくに私は、どこか迎合しやすい性質をもっている。すぐ相手
に合わせて、自分の意見をねじまげてしまう。

 私の講演を聞いて、つづいてあのS氏の講演を聞けば、だれだって、わけがわからなくなる。
私は、「親子といえども、一対一の人間関係」と説く。一方S氏は、「親の尊厳論を説き、よい子
どもを育てるためには、先祖の墓参りが重要」と説く。

 どちらをとるかは、それはみなさん、一人ずつの問題。私の意見がよいと思う人は、私の意
見を参考に、自分の主義をもったらよい。そうでない人は、そうでない主義をもったらよい。そ
れは私の問題ではない。冷たいことを言うようだが、仮に、あなたが私の意見に同調してくれた
としても、私が得るものは、何もない。得をすることも、何もない。

 ただ私自身は、この宇宙に生まれた一つの証(あかし)として、ほんの数センチでも、あるい
はほんの数ミリでも、人間の社会を、一歩、前進させたい。そういう願いをもって、ものを書き、
自分の意見を述べている。

 だからその母親の意見には、こう答えるしかなかった。

 「あっちのカベ、こっちのカベにぶつかっていると、やがて子育ての輪郭が見えてきますよ。そ
れがあなたの子育てです。混乱するということは、一歩、その手前にいるということ。恐れない
で、もう一歩、前に、足を踏み出し、進んでみてください」と。

※……これは私の重要な主義。子育て論を組み立てていて、わからないときがあると、本を調
べるよりも先に、子どもを観察し、子ども自身に問うことにしている。この世界へ入ってからとい
うもの、私はただひたすら、くる日も、くる日も、アンケート調査を繰りかえした。「教師は子ど
も」というのは、そういう意味。

●役割形成

 子どもは成長しながら、自分の身のまわりで、自分の世界をつくっていく。たとえば男の子と
は、男の子らしくなる。女の子は、女の子らしくなる。だれが教えるわけではない。子どもは、ま
わりを観察したり、自分の方向性に合わせたものを、自ら取り入れることによって、自分がどう
あるべきかを、つくっていく。

 これを役割形成という。

 この役割形成が、混乱することがある。子どものもつ方向性を、じゃましたり、否定したりする
と、そうなる。これをそのまま、「役割混乱」という。

 実は、親たちは、この役割混乱を、日常的に繰りかえす。繰りかえしながら、それに気づかな
い。たとえば干渉。たとえば押しつけ。たとえば指導。たとえば教育。

 たとえば「花屋さんになりたい」と言っている子どもに向かって、「何よ、こんな成績! こんな
成績では、○○中学へ入れないでしょ!」と言うのが、それ。

 子どもにしてみれば、「花屋と○○中学は、どういう関係があるの?」ということになる。そして
ここでいう役割混乱を、起こす。

 一般的に、役割混乱を起こすと、子どもにかぎらず、緊張状態に置かれ、情緒がたいへん不
安定になることが知られている。ささいなことでキレやすくなったりする。さらにこの混乱状態が
つづくと、精神不安。さらには自己嫌悪から、自己否定へとつながる。

 「自己否定」が、いかに恐ろしいものであるかは、それを経験したことがあるものでないとわ
からない。それはたとえて言うなら、ひとりのサラリーマンに、スカートをはかせて会社へ行か
せるようなもの。あまりよいたとえではないが、それに近い。中には、自己否定から、自殺に走
る人もいる。

 そこで大切なことは、子どもの方向性を見きわめたら、それを認め、それを励まし、それを核
として、子どもを伸ばすこと。たとえば子どもが花屋さんになりたいと言ったら、植物の勉強に
つなげ、実際に、いろいろな植物を栽培してみる、など。

 今、夢のある子どもが少なくなった。夢がないわけではない。ただ親たちが、それをあまりに
も無頓着に、つぶしているだけ。「花屋さんなんて……」と。その結果、子どもたちは、夢をもて
なくなった。

 だから大学へ入っても、目的がないから、遊ぶ。目的がないから、勉強しない。そうならない
ためにも、ここでいう「役割形成」を、考えなおしてみたい。
(030824)

           ◯   
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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●山荘にて……

さわやかな朝の、つんとした冷気、
谷の下で、遠慮がちに、ヒグラシが鳴いている。
風はなく、静まりかえった、森の木々、
たった今、その向こうの山で、ヒヨドリが、
かん高い声で、鳴き始めた。

時刻は、午前五時より、少し前。
レースのカーテンを引き、網戸をあける。
近くの山から順に、やさしい朝もやに包まれ、
空は、曇った水色。濃紺の山の端に、
たった今まで見えていた火星が、今は、もう消えた。

空気を吸うと、それを胸の奥まで、ぐいと押し込む。
緑のにおいが、プンと鼻をつく。あのにおいだ。
いつかこの山荘に来た友人が、そう言った、
「山には、緑のにおいがある」と。
私はもう一度、大きく、息を吸った。そして止めた。

谷間の底を、白い鳥が飛んだ。すぐ隠れた。
カラスも鳴いた。コジュケイも鳴いた。
ゆらゆらと、一匹の虫が飛んでいる。
遠くで犬が鳴いて、下を走る国道を、自動車が走った。
ブォーッという低い音が、山々にこだまする。
どこか空が、先ほどより白ばんできたよう。
水色のカーテンを通して見るように、
その向こうの山々が、目の前に、大きく広がった。

++++++++++++++++++++

【怒り】

 山荘から谷をはさんど、その向こうに、一本の農道が見える。ふだんは、日中でも、ほとんど
車が通らない。それもそのはず。そのあたりには、数軒の民家しかない。その上、谷間の手前
には、平行して国道が走っている。わざわざその向こうの農道を利用する人はいない。

 しかしその農道に今、工事が入った。大変な工事である。二階建ての家の二倍ほどの高さか
ら山を削り、道路を作りなおしている。工事といっても、これほどムダな工事はない。まさに「や
ることにこと欠いて、税金を使うためだけの工事」といった感じ。このあたりの農家の人でさえ、
「お上のやることは、わからない」と言っている。

 今、全国の津々浦々で、こうしたムダな工事がなされている。本当にムダ。それぞれの地域
の人は、「このあたりだけだろう」と思っているが、そんなハズはない。人口六〇万人のH市で、
土木建設費は、約二〇〜二五%。こんなアホな税金の使い方をしている国が、ほかにどこに
ある?

 日本人が、緑を愛する国民というのは、まったくのウソ。こうして山荘から見ているだけでも、
それがよくわかる。目の前の山にも、去年、ブルドーザーが入り、ちょうど野球場くらいの広さ
の森が切り倒された。あと一〇年もすれば、このあたりの景色も一変するにちがいない。

 考えてみれば、都会で、受験勉強した子どもだけが、この日本を支配する。またそういうしく
みが、できあがっている。しかし緑のありがたさは、田舎に住んだものでないと、わからない。
昨日あたりも、京都では、気温が三六度を超えたという。体感温度は、四〇度以上。都会の人
たちは、クーラーを全開にして、寝苦しい夜と戦ったにちがいない。

 しかし森の中では、そういった暑さは、まったくない。H市から車で半時間たらずのこの山荘
でさえ、夜は寒くて毛布をかぶるほど。少し窓をあけておけば、さわやかな冷気が、一晩中、心
地よく肌を包んでくれる。森全体が、天然のクーラーになる。

 では、どうすればよいのか。

 とりあえずは、政治を変えるしかない。このH市にしても、市議会議員の約三分の一以上が、
何らかの形で、土木事業に関連しているという。あるいはもっと多いのかもしれない。土木委員
会や建設委員会に属する議員が、一番、力もあり、発言力もある。もちろん金もある。日本の
政治そのものが、土木事業を主体として、動いている。正義でもない。道義でもない。自由や
平等でもない。土木だ。

 つぎに教育のシステムを変える。

 今のように、勉強しかしない。勉強しかできない。そんな子どもだけが、スイスイと受験勉強を
切り抜けていく。そういうシステムは、おかしい。狂っている。小中学校での改革は、急ピッチで
進んでいるが、しかし問題は、大学入試。そしてその前の高校における、大学受験。ここにメス
を入れないかぎり、日本の教育は、絶対によくならない。

 反対側の山の中腹まで、黄色い朝日が当たり始めた。時刻は、六時少し前。ワイフがそろそ
ろ起きてくる。これから朝食の用意をしなければならない。献立は、焼きそば風スパゲッティ。

今日も、朝早くから、頭が熱くなってしまった。せっかく気持ちよく目ざめたのに、あの道路工事
が悪い。あれを見るたびに、ムラムラと怒りが充満してくる。

 まあ、それはひとまず忘れて、みなさん、おはようございます!

+++++++++++++++++++

【感謝】

 今年は冷夏だったが、栗は、どうやら大豊作になりそう。山荘には、二本の栗の木が植えて
ある。もう七年になるだろうか。毎年、枝を切っているが、その生命力には、驚かされる。

 近所のおばさんが、「たくさんできるねエ」と、びっくりしていた。

 柿も、今年は収穫できそう。しかしカラスが先に食べるか、人間が先に食べるか。考えてみれ
ば、いつもカラスに先に食べられている。今年は、防鳥ネットをかけるつもり。

 ニンニクの苗は毎年植えるが、いつの間にか、なくなってしまう。これはどうしたことか。それ
から今ごろ、梅の葉が、きれいになくなってしまう。毛虫に食べられると言うが、私は、その毛
虫を見たことがない。

 レモンは、今年は、数えるほどしかできていない。レモンは、当たり年とハズレ年の差がはげ
しい。あとは、キンカンと、あけび。スモモもアンズも、数本ずつあるが、実は、すべて野鳥のエ
サになるだけ。ミカンの木は、大きいのが、二本ある。しかしここ数年、肥料を与えてないの
で、できが悪い。

 イチジクは、このああたりは、生育がよい。岐阜のほうでは、そのイチジクを、凶木(きょうぼ
く)と言って、嫌う。が、私はそういうことは、まったく気にしない。そう言えば、銀杏(ぎんなん)の
木も嫌う。山荘には、そのイチジクが二本、銀杏が一本ある。

 寺がそういう重要な薬木を独占したいがため、こうした迷信を広めた? 寺だけには、そうい
う木がある。もちろん寺の存在感を高めるためである。

実家の寺だけがそうなのかもしれないが、私は五五年間つきあっているが、住職から、仏の教
えらしい教えを、聞いたことがない。いつも迷信ばかり。「あの人は、バチが当たった」とか、
「功徳があった」とか、そんな話ばかり。

 木に凶木も、そうでないのも、ない。あるとすれば、私にとっては、カブレの木とツタの木。「カ
ブレの木」というのは、ウルシの木をいう。汁にふれると、ヒフが、ゴボゴボにただれる。ツタ
は、大木でも枯らしてしまう。この二つは、見つけるたびに、切る。

 さあ、自然の恵みに感謝しよう。もうすぐ秋だ。収穫の秋だ。ここ浜松では、一二月の中旬ま
で、紅葉が楽しめる。Happy Autumn! バンザーイ!
(030824)

●オーストラリアの首相、ジョン・ホワード氏のニックネームは、「ボ・ン・サ・イ」だそうだ。アメリ
カ追従外交ばかりしているから、「小さなブッシュ(林)」、つまり「盆栽」だそうだ。

USA government people have started to call the Australian Prime Minister, John Howard, 
bonsai. Because he is a small Bush.
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

山荘にて

●火星を見る

 八月二三日。土曜日。夕方は、あいにくの曇り空。しかし八時を過ぎるころから、雲が切れ、
やがて快晴に。

 天体望遠鏡を庭に出し、準備開始。まず近くの電灯に向けて、スコープの位置を合わせる。
しかしこれがむずかしい。こうした調整は、昼間の明るいときにしておかねばならない。

 あれこれしているうちに、すぐ半時間ほどたってしまった。倍率をさげて、位置決めをしやすく
したが、それでも、暗闇の中での作業は、むずかしい。どうむずかしいかは、やってみた人だ
けが知っている。

 九時ごろ、ワイフが、「あっ、出てきた」と。

 見ると、山の端から、明るい星が顔を出した。まちがいなく火星である。私はスコープの位置
決めをあきらめ、いきなり火星に望遠鏡を向ける。そしてゆらゆらと望遠鏡をゆらしながら、火
星をさがす。

 しかし天体望遠鏡は、上下左右が、反対に動く。そこで地上用のレンズにかえる。倍率はぐ
んと落ちるが、星は、さがしやすい。

私「ぼくは、中学生のとき、天文部にいた」
ワ「コーラス部じゃ、なかったの?」
私「両方していた」
ワ「知らなかった……」
私「でも、星なんか、めったに見なかった」
ワ「じゃあ、何をしていたの?」
私「毎日昼は、レンズみがき。それにのぞき……」
ワ「のぞき……?」
私「毎日、みんなで、屋上から、よその家の中をのぞいて、遊んでいた」
ワ「あんたらしいわ」
私「バカ言え! のぞきというのは、芸術だぞ」
ワ「また勝手な、理由を並べている」
私「そう、顧問の先生が、いつも下から、怒っていた。『おーい、お前ら、望遠鏡が下を向いてい
るぞオ〜』ってね」

 ワイフのヌードでも、堂々と見せつけられると、何も感じない。しかし風呂場のドアからかいま
見えたりすると、ゾクゾクとする。のぞきには、そういうパワーがある。どうしてか知らないが…
…。

 望遠鏡で見る火星は、丸いが、ただの丸だった。

ワ「あんた、火星っていうのは、上が青で、下が赤なのね」
私「それはね、レンズの偏光によるもの。安い望遠鏡だと、そう見える」
ワ「それに火星は、丸いわ」
私「それだけでもわかれば、もうけもの。三角や四角でなくて、よかったね」
ワ「月みたい」
私「また、おおげさなことを言って……。そんなに大きく見えるわけないだろ」
ワ「でも、月みたい」

 私も双眼鏡をもってきて、火星を見た。倍率は最大で、六〇倍。しかし双眼鏡で見ると、火星
がゆらゆらと尾を引いて流れるだけ。「精子みたい」と思ったが、それはワイフには言わなかっ
た。このところ、何かにつけて、「あんた、発情期みたい」と言われる。

 結局、火星は、白い大きな丸にしか見えなかった。火星のシマ模様などを期待したが、流れ
星が流れるたびに、そちらのほうばかり気を取られた。

ワ「飛行機がよく飛ぶわね」
私「この上は、東京と大阪を結ぶ、航路になっている」
ワ「あの中に、人がいるのね」
私「そうだな。それを思うと、不思議な感じがするね」
ワ「みんな、いろんな思いをもって、飛行機に乗っているのよ」
私「悲しんでいる人も、喜んでいる人も、落胆している人も、希望に胸をふくらませている人も、
ね」
ワ「……」

 部屋へ入って、久しぶりに、喜太郎の「♪シルクロード」を聞く。ワイフは、居間へ行き、テレビ
を見始めた。私はパソコンにスイッチを入れて、この文章を書き始めた。先ほどまで、クツワム
シが、ガチャガチャと鳴いていたが、いくぶん静かになったようだ。時計を見ると、九時を過ぎ
ていた。

 私はウーロン茶をコップに注いで、それを飲んだ。ふと庭を見ると、テーブルの上に、ビール
やつまみが、そのままになっていた。山荘でのあと片づけは、すべて私の仕事ということになっ
ている。それをすますと、部屋にもどり、また「♪シルクロード」に耳を傾けた。
(030823)

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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
11・ 8 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・23 ……奥山小学校
10・18 ……天竜中学校区健全育成会(天竜中、中ノ島小、和田東小、和田小合同)
10・13 ……浜松市上島にて(ママアンドパパス・保育所開園式)
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9.12  ……愛知県岩倉市
9・ 9  ……愛知県稲沢市福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■心因性の便秘(2)

【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

お休みします。
         ,ミヽ  ミヽ
         へ ミ ヽ へ ミヽ
        ∂  ミミ∂ へミミ
        ζ  っノι ∂ ミミ8彡
        ヒ___ノ 人v "丿彡'
    |)─○  / ヽ  `>−<
     // \\_/_∧ \_/_/ ヽ ≡=   賛助会にどうか、ご入会ください。
   ___//  \_/_ξ ̄ ̄ノ_ __)      現在、お礼に、イラスト(額つき)を
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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

上には上……

 もう一五年ほど前になるだろうか。そのころ、スキーにでかける若者たちが、手ぶらででか
け、手ぶらで帰ってくるようになった。「?」と思っていると、こう教えてくれた人がいた。「みん
な、(スキー用具は)、宅急便で送るのですよ」と。ナルホド。

 これに驚いていたら、空港から荷物を宅急便で送るという人もふえてきた。外国から帰ってき
たような人が、それを利用する。それはわかるが、若者たちも、それをまねし始めた。大学生
までそれをしていたので、私はこう言った。「お金をかけるくらいなら、自分で荷物くらい運べ」
と。

 それに答えて、みな、こう言った。「疲れて帰ってきて、その上、荷物まで運ばされたら、たま
んないヨ〜」「先生、遅れてるウ〜」と。

 さらに……。都会で、豪勢なマンション生活をしている大学生がいた。母親はパートの仕事に
出て、爪に灯をともすようにして、生活費を送金していた。で、ある日、その母親が、その学生
のマンションを訪れて、驚いた。春先だったというが、一日中、暖房はつけっぱなし。玄関先に
は、五〇CCだったが、三〇万円もするような、キンキラキンのバイクが置いてあったという。

 そんな中、一人の母親から、こんな相談があった。二五歳になる、娘についての相談だっ
た。いわく、

 「家事は、まったくしません。フリーターとかで、結構、それなりに収入があるようですが、家に
は、一円も入れてくれません。すべて衣服と、化粧代、それに遊興費に消えていきます。洗濯
すら、自分でしません。育て方が悪かったといえば、それまでですが、しかし、どうしたらいいで
しょうか」と。

 が、私は、こう言った。「その程度なら、まだいいほうですよ」と。

 実際、上には上がいる。(下には、下と言うべきか……?) こんな話を聞いた。

 その家には、二人の娘がいる。上が、二八歳、下が二六歳。ともに結婚する様子は、まったく
なし。生活費は一円も入れないばかりか、毎日、夕食は、母親が、娘たちの部屋まで運んでい
るという。居間兼食堂には、クーラーがないからである。娘たちは、こう言っているという。「今ど
き、クーラーのない台所なんかで、食事はできない」と。

 が、さらに上がいる。

 自称、シングルマザー。本当は、父親がだれだか、わからない。で、本人は、子どもを親に預
けて、遊び放題。狭いマンションだが、娘は、しょっちゅう男を連れてくる。そのたびに、両親と
子どもは、どこかへ疎開。男には、「私が仕事をして、両親を養ってやっている」と、うそぶいて
いるという。子どもについては、男によって、「私の子」と言ってみたり、「姉の子を預かっている
だけ」と言ってみたりしているという。

 そういう娘だが、親はこう言う。「何も言えません。何かを言うと、すぐけんかになってしまいま
す」と。

 こうした話は、決して、他人ごとではない。今では、そうでない子どもをさがすほうが、むずか
しい。あるいはあなた自身が、ここでいうドラ息子、ドラ娘かもしれない。が、あなたはともかく
も、これだけは覚えておくとよい。

 子どもドラ息子であるにせよ、ドラ娘であるにせよ、いつか結局は、苦労するのは、子ども自
身であるということ。子どもというのは、一度ぜいたくを覚えてしまうと、あともどりができない。
それだけの生活が維持できれば問題はないが、しかしこういう時代になってくると、それもむず
かしい。

 子どもは、質素に育てる。決して、目いっぱいのことは、してはいけない。もしあなたが、子ど
もを楽しませること、子どもに楽をさせることが、親の愛の証(あかし)と考えているなら、そうい
ったまちがった子育て観は、今すぐ、改めたほうがよい。

 最後に、私は、その母親にこう言った。

 「私たちの世代は、かわいそうな時代です。親に取られ、子どもに取られ、いわば両取られの
世代です。しかも大部分の人は、家族にひもじい思いをさせたくないと、懸命にがんばってき
た。しかし今の子どもたちは、(ひもじい)という言葉の意味すら、わからない。がんばって、家
族のためにしてきたことが、かえって裏目に出てしまった……。そんな感じですね」と。
(030825)

●自分の子どもを、かわいいと思うのは、その人の勝手だが、そのかわいさに負けて、やりす
ぎてはいけない。限度をわきまえる。サービス過剰は、決して子どものためにはならない。

 たとえば子ども(小学生)が、八月の終わりになって、夏休みの宿題が、まだやってないと訴
えたとする。そのときあなたは、どうするだろうか。

(1)子どもがかわいそうだから、徹夜をしてでも、いっしょに宿題を片づけてやる。
(2)子どもが悪いのだから、放っておく。「学校で叱られてきなさい」と、子どもを突き放す。

 (1)と(2)は、両極端な考え方だが、子どもにとっては、(2)に近いほうがよいことは言うまで
もない。「ほどよい親」「暖かい無視」が、子どもの自立をうながす。もし(1)のようであれば、家
庭教育のあり方を、基本的な部分で見なおす。でないと、あなたの子どもは、まちがいなく、こ
こでいうドラ娘、ドラ息子になる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
サービスと限度

 子どもには、どこまでサービスをすべきなのか。また限度があるとすれば、どこにそれを求め
たらよいにか。サービスと限度……この二つの問題は、子育てをしていると、いつもついてまわ
る。
  
【サービス】

 以前、クリスマスになると、部屋中どころか、家中を、飾りたてる人がいた。「近所でも、私の
家ほど、クリスマスを祝う家はない」と、その人(女性・三四歳)は、言っていた。もちろん二人の
息子(上が小一、下が年中児)のためだった。

 あるいは「子ども新聞」と称して、毎月、新聞を発行している人(女性・三〇歳)がいた。そして
それを親戚や、近所、幼稚園の先生たちに配っていた。

 子どもが六歳になったときのこと。市内のホテルを借りて、七五三の祝いを開いた人がい
た。会費制だったが、費用は一人、二万円。子どもは、結婚式の新郎新婦よろしく、豪華な衣
装を身につけ、ひな壇に座っていた。

 こう書くからといって、クリスマスをしてはいけないとか、子ども新聞を発行してはいけないと
か、あるいはホテルで七五三の祝いをしてはいけないと言っているのではない。ただやり方を
まちがえると、サービス過剰となり、子どもの生きザマを、ゆがめてしまうということ。それに
は、こんな理由がある。

 子どもを大切にするということと、子どもをかわいがるということは、まったく別のこと。古来よ
り日本では、親にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子とし、子どもをかわいがるというこ
とは、子どもに、その甘える子どもにすることを意味した。

 そしてその「かわいい子ども」にするために、子どもを「かわいがった」。日本では、「子どもを
かわいがる」というのは、「子どもに楽をさせること」「子どもにいい思いをさせること」を意味し
た。

 わかりやすく言えば、依存心をもたせることに、日本の親たちは、あまりにも、無頓着すぎ
た。それは自分自身も、子どもに依存したいという、「甘えの構造」が、その背景にあったから
にほかならない。よい例が、「産んでやった」「育ててやった」という、恩着せである。

 つまり親は、子どもに恩を着せることで、自分も、子どもに依存しようとした。そして子どもに
対するサービスは、そのためのものでしかなかった。「これだけ子どもにしてあげたのだから、
子どもは、私に感謝しているはず」「親子のパイプは太くなったはず」と。そのためのクリスマス
であっては、いけないということ。そのための子ども新聞であっては、いけないといこと。そして
そのための七五三の祝いであっては、いけないということ。

 一方、子どもを大切にするということは、子どもの人格や人権を認め、一人の人間とて、自立
させることをいう。これは簡単なようで、むずかしい。そのむずかしいのが、子育てということに
なる。

【限度】

 そこで私たちは、どこでどのような限度を、もうけるべきかということになる。やりすぎはよくな
い。(もちろん足りないのもよくないが……。)こんなことがある。

 私たちの世界には、「手取り、足取り教育」というのがある。子どもの手を取り、足を取るよう
にして、ていねいに教えることをいう。しかしこの方法は、一見親切に見えるが、子どもは依存
心をもつようになり、かえって子どものためには、ならない。

 どこかで子どもを突き放す。たとえばあと一歩で、子どもが理解できそうなときは、「自分で考
えてごらん」と言って、自分で考えさせる。そのタイミングのよさとコツが、子どもを伸ばす。

 家庭教育もまさにそうで、その手綱(たづな)さばきこそが、家庭教育の真髄(しんずい)という
ことになる。もう少し、具体的に考えてみよう。私はそのため、いくつかの教育格言を考えた。

●あと一歩で、やめる……子どもに何かをしてやるときは、何でも、その一歩手前でやめる。
やりすぎがよくないことは、言うまでもない。

●成果よりも努力……ワークブックでも何でも、子どもが一生懸命したら、その「懸命さ」をほ
める。でき、ふできは、問題にしない。

●何でも半分……靴下をはかせるときでも、片方だけはかせて、あとは自分でさせるなど。「何
でも半分」と決めておくと、一つの行動規範になる。

●まず親が楽しむ……子どもを楽しませようと考えたら、まず親が楽しむ。その楽しみの中
へ、子どもを引き込むようにする。子どもの機嫌をとらない。子どもにへつらわない。

●恩を着せない……「子育てをしたいから、子育てをする」という気持ちに徹する。「産んでやっ
た」式の恩着せは、しない。

●親は気高く……親は親で、前向きに、気高く生きていく。子どもに何かをしてほしかったら、
まず自分でそれをしてみせる。

●ややハングリーが最善……「もう少しやりたい」という状態で、何でもやめる。子どもの心を
満腹にしてはいけない。

●子どもは使う……子どもは、使えば使うほど、よい子になる。社会性が生まれるのみなら
ず、根性も、忍耐力も、そこから生まれる。

●うしろ姿は見せない……生活や子育てで苦労している姿を、「親のうしろ姿」という。見せたく
なくても見せてしまうかもしれないが、「見せない」という前提で子育てをする。

こういう姿勢の中から、自然に、「親としての限度」が現れてくる。してよいことと、してはいけな
いことの、限界が見えてくる。あとは、その限界にしたがって、行動すればよい。
(030825)

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      〜〜〜〜〜〜〜    役に立つ情報を、書きとめておこうと思います。
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

クーラー

 今年、はじめて、二つの部屋にクーラーを設置した。もう一部屋、クーラーのある部屋がある
が、そこは以前、「教室」として使っていた。

 私の世代にとっては、クーラーは、ぜいたく品。そういうことになっている。それにあの不自然
な冷気は、どうも体に合わない。そこで今まで、基本的には、クーラーなしの生活に、こころが
けてきた。

 が、数年前からの猛暑。体のほうが、それに耐えられなくなった。そこで今年、クーラーを設
置した。二台で、ちょうど、一〇万円。安くなったものだ。私とワイフは、「これで一人前」と喜ん
だ。

 ところが、である。今年は、まれにみる冷夏。八月だというのに、毛布をかぶって寝ることもあ
った。クーラーは、使わないままでいた。しかしここ数日、猛烈に暑くなった。そこでワイフと私
は、クーラーのある部屋で、寝ることにした。

 「温度は、何度にする?」と私。
 「二五度くらいじゃ、ない」とワイフ。
 「一番、快適なのは、二二度ということだ」
 「それじゃ、冷えすぎよ」
 「じゃあ、何度にする?」
 「二四度くらい?」
 「タイマーは、どうする?」
 「二時間くらいかな」
 「三時間にしようか?」と。

 何とも、初心者的な会話がつづく。そしてなれないせいか、一晩中、クーラーが気になってし
かたなかった。ときどき目をさまし、タイマーが作動しているかどうかを見た。冷えすぎていない
かどうを確かめた。

 ワイフも、同じだったようだ。朝、起きると、いつものように、窓があいていた。扇風機も回って
いた。「夜中に、二度もトイレに行った」と、ワイフは言った。私は、三度だ。寝る前にスイカを食
べた。それにクーラーのせいで、汗をかかなかった。それで三度になった?

 健康のためには、自然に合わせた生活のほうがよいことは、言うまでもない。東洋医学でも、
そう教えている。夏の暑気を体に蓄えることによって、冬の風邪(ふうじゃ)に耐えることができ
る、と。夏に汗をタラタラとかいておけば、冬に、風邪(かぜ)をひきにくくなるということ。

 朝食のとき、私が、「やっぱり、扇風機だけのほうが、よく眠られる」と言うと、ワイフも、「そう
ね」と、ポツリと言った。

 そこで小学五年生たちに、こう聞いてみた。「君たちは、寝るとき、クーラーをつけている
か?」と。すると、九人のうち、一人をのぞいて、八人が「つけている」と。そのうち、三人は、一
日中、つけていると答えた。都会のマンションでは、クーラーなしの生活は、考えられないよう
だ。そのせいか、その三人は、どこか青白い顔をしていたが……。

●Therefore I tell you, do not worry about your life, what you will eat or drink, or about your 
body, what you will wear. Is not life more important than food, and the body more important 
than clothes? (Matthew 6-25)

それゆえに、あなたが何を食べたり飲んだりしようとも、あなたの命のことは心配するな。あな
たが何を着ようが、体のことは心配するな。命が、食べ物より大切なのか。衣服が体より大切
なのか(マタイ伝6章25節)。

 快適な生活というのは、一方で、何か、もっと大切なものを、犠牲にする。快適な生活をする
ことによって、自分を見失うこともある。あるいは快適な生活をしたからといって、その人が崇
高になるということは、ありえない。

 だからといって、快適な生活を否定しているのではない。快適さを求めることが、人間の生き
る原動力にもなっている。しかしそれに溺れてはいけない。どこかでしっかりとした歯止めをか
けておかないと、ズルズルとその深みにはまってしまう。

 小さな虫一匹を見ただけで、逃げ回る子どもは、いくらでもいる。自分の家のトイレ以外は、
使えない子どもも多い。さらにその意識もなく、おしっこをもらしてしまう子どもも多い。これは紙
おむつのせいだと思うが、生きザマが、どこか不自然になる。

 これから先、しばらく、心の中で、クーラー問答がつづきそうな感じがする。
(030826)

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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】

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10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・23 ……奥山小学校
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10・13 ……浜松市上島にて(ママアンドパパス・保育所開園式)
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9・ 9  ……愛知県稲沢市福祉会館(全家研)
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9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
詳しい講演日時は、
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■心因性の便秘(1)

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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03−9−3号(282)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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       /   \       
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       ̄ ̄\_/ ̄ ̄      【2】Touch your Heart
   =| ̄ ̄ ̄ ̄* ̄ ̄ ̄ ̄|=   【3】子育てエッセー
    |__  *  __|    【4】フォーラム
  :  : |___|::   : 
 :\::\:  !!  :/: :/:
  :\ :\  !!  /:  /: 
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【あるお母さんからの相談】

●便秘する子ども

はじめてメールさせて頂きます。インターネットで、「幼児・心因性・便秘」のキーワードで検索し
て行きましたところ、このホームページにたどり着きました。

私は、岡山県W市に住んでいます、HEと申します。

現在、2才10ヵ月と1才4ヵ月になります男の子の母親です。今日は、その2才10ヵ月の長男(就
園前です)について、御相談にのっていただきたく、メールさせていただきました。

発端は、一年と少し前の事になるのですが、それまで生まれてこの方、便秘などしたこともない
長男が、急に1週間程、便が出ない日が続きました。1週間後にやっと便が出たときには、ウ
ンチはカチカチで少し出血してしまいました。ですがその時はただの便秘だろうと、あまり気に
はしなかったのですが、その日から現在まで、ずっと便秘(?)がつづいています。

これだけなら小児科へ連れて行って便秘薬をもらってくれば済む話なのですが、どうやら息子
は、便秘(便意をもよおさない)なのではなく、「意識的に便意を我慢している」ようなのです。

最初はそれに気づかず、小児科でもらった薬を根気よく飲ませていたのですが、どうにも息子
の様子がおかしいので、よくよく観察して見ると、便意をもよおすと、最初のうちはジッと動か
ず、それでは我慢しきれなくなってくると、今度はトントンとイスやテーブルなどに、つかまりなが
ら足踏みを始めます。親に力一杯、抱きついてくることもあります。

そこで、再度小児科を受診して、今度はちゃんと「ウンチを我慢してしまうんです」と、お医者様
に訴えたのですが、「反抗期なのでしょう」「お母さんの方で頑張ってみて」とおっしゃっていただ
くにとまり、いただいたお薬の方も子ども用の便秘薬では息子が我慢し切れてしまうため、効
果がありません。

仕方がないので3〜4日程度たって、いよいよ、お腹が満杯状態だなと思うころ、浣腸やぬるま
湯などをおしりから入れてやり、どうにも我慢できない状態にして無理に出させています。それ
も当然の事ながら、息子がとても嫌がるので、見ていると、とてもつらいです。

小児科へ行ってもダメ、自分なりにインターネットや知りあいなどからも情報収集してみたもの
の、ただの便秘ならとてもポピュラーで色々ヒットするものの、「ウンチを我慢する子ども」となる
と全くと言っていい程情報が入ってこないのです。そこで、わらをもすがる思いで先生に御相談
させていただこうと思った次第なのです。

それ以外の息子の様子、性格ですが、他に親から見て、「困った事、歯がゆく思うこと、変わっ
た癖」など、気になることはほとんどないと思います。性格も明るく、人懐っこいので、誰からも
割と好かれますし、子どもどうしでも、例えばスーパーのガチャガチャコーナーなどに居合わせ
た初対面の子どもなどとも、スムーズに溶け込んで友達になれたりしています。家と外での態
度も、ほとんど変わりませんし、いつも大声で騒ぎ笑っています。

●赤ちゃんがえり?

この騒動が始まったのが、ちょうど次男の出産と重なる時だったため、最初は赤ちゃん返り
(?)などが原因になっているのではないかとも思ってみたのですが、ある程度次男が成長した
現在では、兄弟仲も、とても良く、親が1階にいても、兄弟二人で連れ立って2階にあるおもち
ゃの部屋へ行き、二人きりでも仲良く遊んでいます。


そういう時には、あまり様子を見に行ったりしないのですが、長男が次男を、親が見ていない所
でいじめている様子もないようです。時々「ワーッ」と次男の泣き声が聞こえてきたりもします
が、積み木で作ったものを壊された長男が、怒って次男を叩いたり突き飛ばしたりと、長男にし
てみればちゃんと理由がある事のようですし、長男によって、次男がひどい怪我をしたようなこ
とも、今までに一度もありません。なので、やっぱり「赤ちゃん返り」とはちがうのではない
か・・、と思ってみたりもするのです。

数少ないインターネットから獲た情報で、「これくらいの歳の幼児(とくに男児)に、時に自分の
ものを出したくないという心理から、ウンチを我慢してしまう子がいる。」というような事が書いて
あるのを見ました。それ以外には、「何か心にトラウマみたいなものがあって、それが影響す
る」とも・・。

ですので、私としては、「きっと大した意味もないのだろう。いつか良くなる」と思えたり、「何か
私が気付かないうちに、息子の心に傷を負わせてしまったのだろうか」などと、ぐるぐると前向
きと後ろ向きの考えが行ったり来たりする毎日です。

この件についての夫の意見は(夫婦仲は良好です)、「便意にまでいどむなんて、RT(息子)ら
しい。きっとそのうち飽きるよ。ほっとけ」です。(夫と息子の仲も良好だと思います)ですが、毎
日必死で便意を我慢している息子を見ていると、やはり何か深い理由があるのではないかと
思えて来てしまうのです。

今日、恐る恐る、お絵書き中の息子に、「お母さんの絵描いてみてよ」と頼んでみました。する
と、その時持っていたブルーの色鉛筆で、紙一面に「これ母ちゃん」と言って、この位の歳の子
特有の、顔から手足が伸びているような絵をニコニコと嬉しそうに描いてくれました。Vリーグキ
ャラクターのバボちゃんに似た感じの絵です。

その後、頼んだ訳ではないのですが、「これはRT」と言ってその紙の裏側に自分の絵、そのす
ぐ隣に「これはSEくん(弟)」と言って、SEちゃんを含め、全部で3人、楽しそうに描いてくれまし
た。

この子が本当に何か、大きな心の傷に苦しんでいるんだろうか・・。考えれば考える程、分から
なくなってくるのです。

便意を我慢してしまう、という以外には何も息子に対して重大な心配事が無いにも関わらず、
何故そこまで私がウジウジと悩んでしまうのか、それには私個人の問題が関係しているのかも
知れません。

●私の過去

私の育った家庭はあまり幸せではなかった気がします。一つの家庭しか知らなかったので、子
ども時代はそれに気付きませんでしたが、いわゆる「だれのおかげだ」的なことを言う父と、自
分の思い通りにならないとすぐキレる母でした。子ども時代の私はいつもビクビクおどおどして
いましたし、今思うと、かなりの分離不安もあったのだと思います。

小学校低学年までは、母が参観会でもないのに一人で教室のうしろで見学していたこともあり
ます。何十人といるクラスの中でも極めて心に大きな問題のある生徒だったのではないでしょ
うか。

ちなみに、担任の先生に呼ばれて見学した母は「あの先生細かいこと言い過ぎ」などと言って
いました。子ども時代の私は、それを「そうなんだ、先生の方が悪いんだ」と思ってしまっていた
のです。母は絶対でしたから。

父や母に言われたりされたりした事の中で、強く印象に残っていることを幾つかあげさせて下さ
い。

●父母のこと

ある日突然父から、「今日は高速道路を通って保育園行こうね」と言われ、そのまま遠方の叔
母の家に預けられました。後から知ったのですが妹が入院する事になったためだったそうです
が・・・。悔しかったです。

母はずっと専業主婦でしたが、あまり遊んでもらった記憶はありません。保育園や学校から帰
って来ると、たいてい母が家にいましたが、私がしつこく話しかけたり、遊ぼうなどと言ったりす
ると、怒られました。いつも部屋の隅にまでおいつめられ、物や素手で叩かれていました。小学
生の頃一度、腕をつねられて倍の太さはあろうかと思うほど腫れ、痛みで一晩眠れなかったこ
ともあります。

髪型も中学に上がってしばらくは母に決められていました。美容院に連れて行かれ、「短くして
下さい」などと、母が注文をするのです。私は黙って従うしかありませんでした。

自分の好きな髪型にできないので、当然の事ながら私は美容院が大嫌いだったのですが、美
容院に行く事に対して抵抗すると、ハサミを持って家中追いかけまわされました。風呂場へ引
きずっていかれ、頭から水をかけられたこともあります。

美容院で髪をつんつるてんにされ家に帰って来てからメソメソ泣いていると、また「わずらわし
い」と言って怒鳴られました。

そのころ、ちょうど思春期に入るような頃だったと思うのですが、少しずつ私も胸が出はじめ、
母にブラジャーをすすめられた時の事ですが、私はまだ気恥ずかしいし、窮屈だしで「まだシャ
ツでいい」といったのです。すると母は、「へっへ〜! おっぱい、ブーヨブーヨ〜!!」と言いました。

私は恥ずかしさと悔しさで、その場で泣叫びたい気持ちでした。それが原因で胸を隠そう隠そう
としているうちに、私は猫背になってしまったのですが、それについても、母には「お前は姿勢
が悪い。だらしない」と怒られていました。

いつもそんな感じでした。「お前はセンスがないね。ださいね」とか、「明日引っ越しなのに、熱
なんか出さないでくれる?」とか・・。

今さら恨んでも何にもならないのは分かっているのですが、いまだに心のどこかで母のことが
許せないでいるのです。

ですが、母もまた不幸な家庭に育ちました。母は4人兄妹の末っ子なのですが、母がまだ赤ん
坊の頃、母親が出て行ってしまったそうです。原因は父親にあるのですが、(酒、女遊び)そう
いう子どもって、捨てた(?)側の母親を恨むものなのですね。そのあたりは私にも理解できな
いのですが。

それでもやはり祖母は自分の子どもが気がかりだったらしく、私が中学生の時に一度、祖母か
らうちの母に、電話がかかってきたことがありました。当時は父の仕事柄、引っ越しが多かった
ので、色々な人に行方や電話番号を聞いて、かけて来てくれたのだと思うのです。

しかし母は、「いいえ私じゃありません。知りません」と言って、他人のふりをして切ってしまった
のです。理屈ではなく、どうしても自分の母親を許せなかったのでしょう。母もまた、自分の中
のトラウマと闘っているようでした。

そう考えてみると、離婚もせず一つの家庭を守り抜いた母は、母なりに悪循環のリングを断ち
切る事ができたのでしょう。そういう意味では、母には一定の評価はしています。冷たい言い方
なのですが・・。

でも、祖母を許せなかった母、母を許せないでいる私・・。この悪循環が、私の子育てにもし影
響を及ぼしていたらと思うと、不安で仕方がないのです。息子たちも、私や母がそうだったよう
に、親を恨むようになってしまうのではないかと。

そう言うわけで、子どもがうんちを我慢してしまう、というそれだけのことで、「私のせいなのか
私のことが嫌いなのか不満があるのか」とぐるぐるぐるぐると考えてしまうのです。

息子たちには、誰かを恨むことなく、自由に生きて欲しいと思っているのですが・・。

長々しくなってしまって、申し訳ありません。つたない文章をここまで根気よく読んでいただき、
本当にありがとうございます。どうか、息子の心因性の便秘の件、良きアドバイスをお願いしま
す。原因を取り除くカギや、息子がモジモジとし始めたとき、知らんふりをしていれば良いもの
なのか、それとも積極的に「我慢なんてしてはだめだよ」みたいな言葉をかけてあげたほうが
良いのか、対応に迷っているのです。

何か、アドバイス頂けたら幸いです。どうかよろしくお願いします。

最後に、もし先生の専門外のとんちんかんな質問でしたら、どうかお許し下さい。

W市 HEより

【はやし浩司より】

●赤ちゃんがえりが遠因による排便障害(異常)

年齢を逆算すると、長男は、二男誕生以後、排便障害が始まったことがわかります。赤ちゃん
がえりが、依存うつを併発し、それがこじれて、心因性の便秘になったものと、私は考えます。

排便、排尿障害には、定型がありません。多いのが、夜尿、頻尿、遺尿、おもらしなどです。便
秘もその一つですが、排便をこらえるため、ふつうでない太いウンチや、大量のウンチ、下痢
をしたりします。HEさんのお子さんのように、血便まじりの便秘については、私もはじめての経
験ですが、ありえないことではないと思っています。

よくあるのは、受験期にいる子どもが、気うつが原因で、便秘になるケースです。この時期に
は、一週間〜一〇日という便秘も珍しくありません。(修学旅行先で、それが原因で、救急車で
病院へ運ばれた子どものケースを知っています。浣腸がささらなかったほどの便秘だったそう
です。)

赤ちゃんがえりを、親たちは軽く考えますが、決して軽く考えてはいけません。「嫉妬」という、き
わめて原始的な感情をいじるため、症状も千差万別、かつ複雑です。おとなでも、嫉妬に狂う
と、自分を見失うことは、よくありますね。

表面的な症状だけをみると、弟思いの、よい兄といった感じがしますが、反動形成が疑われま
す。嫉妬が転じて、よい兄を演ずるというのが、それです。RT君は、外では明るい子どもという
ことですが、それもやや気になります。その反動形成は、こういうケースでは、よく見られる現
象で、決して珍しいものではありません。(反動形成については、原稿をここに添付しておきま
す。)

で、なぜ便秘か、ですが、年齢によります。逆算すると、ちょうど満一歳六か月のときに、下の
子どもが生まれたことになります。この時期は、まだ「顔見知り(マザー・アタッチメント)」が残る
時期でもあり、フロイトがいうまさに、「肛門期」※にあたります。

※……このころ、トイレットトレーニングができるようになります。うまくいかないと、消極・内向
的になりと言われています。またがんばりすぎるタイプは、ケチになると言われています(精神
分析的人格理論)。

排便による快感を覚える時期に、それができなかった……? もし私がフロイトなら、こう結論
づけるでしょう。

「肛門期の排泄(トイレットトレーニング)障害」と。

ですから、対処方法は、ただひとつ。濃厚なスキンシップの復活です。子どもの側からみて、絶
対的な安心感を覚える環境づくりを大切にします。ここで重要なのは、このことには、HEさんの
過去が、密接にからんでいるということです。それについては、もう少しあとで説明するとして、
便秘について、もう少し、考えてみます。

フロイトがいう肛門期というのは、「体内にたまった不要なものを排泄する喜びを感ずる時期」
という意味です。大便は、その象徴でしかありません。

抑圧された心を、外に排泄することに対して、恐怖をいだき、それが便秘という症状になったと
私は考えます。こうした無意識下の行為は、子どもの世界では、珍しくありません。そのため、
つぎのような症状も見られるはずです。

(1)親の前でいい子ぶる。(よい兄を演ずる。)
(2)愛想がよい子に見え、周囲の人に迎合する。自分を隠す。好かれようと無理をする。
(3)親からは、がまん強い、できのよい子どもに見える。(お父さんが、「RTらしい」と思ってい
る部分が、それです。)
(4)どこか親からみて、何を考えているかわからないところがある。
(5)ほかにも、神経症による症状があるはず。(くわしく観察してみてください。神経症による症
状は、私のサイトの、子ども診断のところに書いてあります。爪かみ、髪いじり、指しゃぶりな
ど。症状は千差万別です。定型がないのが、特徴です。)

 あとは赤ちゃんがえりに準じて、対処します。全体に、もう一度、RT君に、すべての愛情を注
ぎ、様子をみながら、少しずつ手を抜きます。ただしかなり根気のいる作業で、赤ちゃんがえり
(退行性)が、数年にわたってつづくように、簡単にはなおらないと覚悟してください。まだ三歳
ということを考えるなら、一年単位での観察が必要かと思われます。

 が、本当の問題は、このことではありません。もう一つ、大きな問題が隠されています。それ
が、HEさん自身の、トラウマ(心的外傷)の問題です。

●基底不安が原因による育児不安

HEさん自身が、自覚しているかどうかはわかりませんが、HEさんは、全幅に、子どもに対し
て、心を開いていない可能性があります。またその可能性が大です。つまりHEさん自身が、心
の開き方を知らないでいる。だから長男のRT君も、母親である、HEさんに、心を開けないでい
る?

本当なら、RT君は、母親のHEさんに向かって、大声を出したり、泣き叫んだりしながら、愛情
の復活を要求しても、おかしくないのです。弟に対して、乱暴したり、意地悪したりして、よいの
です。(むしろ、そのほうが自然であり、あとあと、問題も軽くすみます。)

しかし、RT君は、言いたいことも言えず、したいこともできないで、「いい子」ぶっている。もっと
も甘えたい時期に、下の子どもが生まれ、それができなくなってしまった。RT君のかかえた、
欲求不満は、相当なものであったと考えられます。

で、その原因はといえば、親として、自分の子どもにすら自己開示できない、HEさん自身にあ
るということです。

HEさんは、RT君に対して、自分をさらけ出していますか? 自分の心を正直に、話しています
か。HEさん、あなた自身が、子どもの前や、夫の前で、あるがままの自分をさらけ出していま
すか?

実は、ここが重要なのです。

あなたはひょっとしたら、あるがままの自分をさらけ出すことに、大きな不安を覚えている。だ
からこう悩むのです。「この悪循環が、私の子育てにもし影響を及ぼしていたらと思うと、不安
で仕方がないのです。息子たちも、私や母がそうだったように、親を恨むようになってしまうの
ではないか」と。

こういうのを心理学では、基底不安と言います。HEさんは、そのため子どものときから、他人と
のかかわりが苦手だったはずです。孤独で、さみしがり屋である反面、人とかかると、心的な
疲労感を覚えやすいというように、です。

で、他人とのかかわりは、それでよいとしても、多くのばあい、親子、さらには夫婦の間でも、同
じような問題が起きるということです。そしてそのことが原因で、今度は、子どもの側も、安心し
て、親であるHEさんに心を開けないということになります。こういう関係が積み重なって、子ども
は親の前で、仮面をかぶるようになり、一方、親は、本来楽しいはずの子育てが、苦痛に満ち
たものになります。

そこでその原因は何かというと、HEさんご自身がすでに気づいておられるように、HEさんと両
親の問題がからんでいます。

しかし今さら、HEさんの幼児期を悔やんだり、両親を恨んでもしかたのないことです。ただ事実
は冷静に見ます。この問題は、「そういう過去」があったということがわかるだけでも、問題の大
半は解決したとみます。あとは時間が解決してくれます。

●はやし浩司より、HEさんへ

 この問題は、ここに書いたように、一義的には、赤ちゃんがえりがこじれたことが原因と考え
られます。同時に、あなた自身の複雑な過去が、それにからんでいます。いくつかのポイント
を、もう一度、整理してみます。

(1)ゆがめられたRT君の心……嫉妬するならするで、本来なら、RT君は、それを全身をつか
って表現したら、よかった。しかしそれができなかった。よくある例は、下の子いじめ。嫉妬がか
らむと、上の子は、下の子を、「殺す」寸前までのことをします。これをプラス型というなら、ネチ
ネチと甘えたり、赤ちゃんのようにグズったりするのは、マイナス型ということになります。が、R
T君のケースは、母親との特殊な関係が、症状をこじらせたと考えられます。時期的には、まさ
に肛門期の排泄障害となったわけです。

(2)自己開示できないRT君……メールからだけでは、よくわかりませんが、RT君は、便秘だ
けではなく、生活のさまざまな面で、かなり無理をしていることが、考えられます。だいたい「い
いお兄ちゃん」であること自体、おかしいのです。本来なら、親に対して、欲求不満を、正面か
らぶつけてよいはずです。が、それができないというのは、RT君に責任があるというより、母親
であるHEさんが、子どもに対して、全幅の自己開示をしていないことに原因があると考えられ
ます。

(3)不安を基底としたHEさんの子育て……HEさん自身が、不安を基底とした子育てをしてい
ます。しかし本当は、子育てが不安なのではなく、HEさんのようなタイプの母親は、何をして
も、不安なのです。その一つが、たまたま今、子育てに向いているだけです。「子どもはいつ
か、自分の心を見ぬくのではないか」とです。そしてさらにその原因はといえば、HEさんと、
親、とくに、母親との関係があります。HEさんの母親自身も、不幸にして、不幸な家族関係を
経験している。そういうリンク(HEさんの言葉)が、つながって、今のHEさんとRT君の関係をつ
くっています。

(4)HEさんの過去……しかしここが重要ですが、こうした過去があることを、とやかく言っては
いけません。だれしも、その程度の不幸(失礼!)は、もっています。問題は、そういう過去があ
ることではなく、そういう過去があることに気づかないまま、その過去に振りまわされることで
す。しかし幸いなことに、そしてとても賢明なことに、HEさんは、そういう過去があることにすで
に、気づいています。つまりすでに、問題の大部分は、解決しているということです。

(5)では、どうすればよいか……もっと心を解き放ちなさい。あなたはRT君の便秘のことで悩
んでいますが、RT君の「ウンチ」は、あなたの心の中にたまったゴミだと思ってください。あなた
がそのゴミを外に出さないでいる。それをそっくりそのままRT君が、自分の体を使って、あなた
に教えているのです。わかりますか? この子育ての深遠な不思議を、です。あなたが母親を
うらみたいなら、もっと大声を出してうらめばよいのです。うらんで、うらんで、うらみまくる。その
結果として、つまりそれが限界に達したとき、あなたは、母親に対して、ある種のあわれみを覚
えるはずです。そのとき、あなたの心は解放されます。RT君もあなたの心を開き、「ママ、さみ
しいよ。ぼくもかわいがってよ」と言うだろうと思います。あなたがいい子ぶっていて、どうしてR
T君が、仮面をはずすことができるでしょうか。

(6)夫との関係……HEさんは、夫との関係は、良好だと言っておられます。もしそうなら、それ
は問題ありません。しかし本当に、あなたは夫に対して、全幅に心を開いているかどうか。そし
てあなたの夫は、あなたを全幅に受けとめているかどうかを冷静に、判断してみてください。ひ
ょっとしたら、そういうあなたに対して、あなたの夫は、心さみしい思いをしているかもしれませ
ん。あなたは夫の前で、すべてをさらけ出していますか? 夫の胸の中で、過去や、つらかった
思い出を、すべて話すことができますか。あるいは話していますか。もしHEさんが、夫の前で、
仮面をかぶったり、いい妻を演じているなら、そうであってはいけないということだけを、よく覚
えておいてください。

(7)最後に……身体的な変調、つまりがんこな便秘については、ドクターに相談なさっておられ
るようですから、そのドクターの指示に従うのが、よいか思われます。しかし夜尿症が簡単にな
おらないのと同じように、心因性の便秘も、簡単にはなおりません。環境が大きく改善されて
も、症状だけは、今、しばらくつづきます。そこでつぎのことに注意してみてください。

●濃厚なスキンシップの復活。下の子が生まれる前の状態に、生活習慣を、一度、もどしま
す。添い寝、いっしょに風呂に入る、手つなぎ、抱っこなど。子どもが求めてきたら、こまめに、
そしてていねいに応じてあげるのが、コツです。

●Ca、Mg分の多い食生活に心がける。海産物、魚類が好ましいことは、言うまでもありませ
ん。もちろん便通によい食生活も、大切にします。Ca、Mgは、天然の精神安定剤と思ってくだ
さい。

●HEさん、あなた自身も、「いい家庭をつくろう」とか、「いい母親でいよう」とか、そういう気負
いを捨てなさい。あなたはあなたです。居直りなさい。そして先にも書いたように、心を解放しな
さい。あなたがまず、心を開いてみせるのです。RT君は、あなたにつづいて、自分の心を解放
します。

●とりあえず、あなたの夫に、胸のうちを、洗いざらい、話してみることです。とくにあなたの過
去について、です。徹底した自己開示をしてみます。そして悲しいことや、つらいことが頂点に
達したら、ワーッと泣けばよいのです。泣いて、叫んで、怒鳴ればよいのです。「チクショー、バ
カヤロー!」とです。こういう自己開示を。カタルシスと言いますが、カタルシスをすると、そのあ
と、心が安らぐはずです。一度、試してみてください。なぜなら、あなたの夫も、ひょっとしたら、
心のどこかでさみしい思いをしているかもしれないからです。

 以上、ざっと考えてみました。繰りかえしますが、もうすでにHEさん、あなたは自分の過去に
気づいています。多分、若い方だと思いますが、その若さで、ここまで気づいておられるという
ことだけでも、すばらしいことです。だから自信をもって、前向きに進んでください。トンネルの
出口はそぐそこですよ。

 またRT君の便秘も、あなたが考えるほど深刻な問題ではありません。むしろ心配するとすれ
ば、RT君が、あなたの前で仮面をかぶっていることです。こうした仮面は、扱い方をまちがえる
と、心の遊離、さらには、さまざまな心の問題へと発展していきます。くれぐれもご注意くださ
い。言うなれば、便秘は、その黄信号ということになりますね。

 以上が、私のアドバイスです。参考にしていただければ、うれしいです。また何かあれば、ご
連絡ください。

                              はやし浩司

++++++++++++++++++++++++

●子どもの反動形成

 抑圧された「自分」が長くつづくと、その人は、本来の「自分」とは逆の「自分」を、徹底的に演
ずるようになる。これを心理学の世界では、「反動形成」という。学校の教師を例にとって、考え
てみる。

今でも、聖職者意識をもっている教師は多い。そういう教師が、聖職者は、禁欲的でなければ
ならないというイメージをもったとする。するとその教師は、そのイメージに従って、徹底的に、
禁欲者であろうとする。自らを、そうしむける。そして結果として、生徒が「セックス」という言葉
を口にしただけで、それを露骨に嫌ったり、そういう会話をたしなめたりするようになる。

 子どもでも、幼いときから、「あなたはお兄ちゃんだから……(お姉ちゃんだから……)」と言
われつづけると、本来の自分を押し殺して、別の子どもを演ずるようになることがある。そして
「さすが、お兄ちゃんだね……(お姉ちゃんだね……)」とか、ほめられたりすると、さらに別の
自分を演ずるようになる。もちろん本人には、演じているという意識はない。

 もちろんすべての反動形成が悪いわけではない。その反動形成が、よいほうに作用して、そ
の人や子どもを伸ばすこともある。たとえば何かの欲求不満をもっていて、その欲求不満を克
服するため、別の自分を演ずることがある。つい先日までヘビースモーカーだった人が、自分
が禁煙したとたん、猛烈な嫌煙家になるなど。そういうことはあるが、しかしどこか不自然にな
ることは多い。

 たとえばウーマンリブ闘争の闘士のような女性に、Z女史という人がいる。マスコミにもよく顔
を出し、相手の男性に向かって、「それはセクハラだ! 謝れ!」とか、「女性蔑視発言だか
ら、取り消せ!」などと言って騒いでいる。一見、女性の代表のような顔をしているが、しかしあ
のZ女史ほど、「女」を感じさせない女性はない。動作やものの言い方まで、男性そのもの。お
そらく子どものときから、「女の子」に扱ってもらったことがないのだろう。それから生まれる欲
求不満が、Z女史をして、今のZ女史にしたと考えられなくもない(失礼!)。

一方、子どもの世界でも、「ブリッ子」という、よく知られた言葉がある。

 勉強もよくできる。スポーツも万能。その上、容姿もきれい。そこで親や先生から、「あなたは
すばらしい子」と、言われる。で、このタイプの子どもは、そういう親や教師、さらには周囲の仲
間からの期待に答えようと、ますます拍車をかけて、よい子を演ずるようになる。

 まだ小学生なのに、「地球の環境を守るのは大切なことです」「皆が、平和に暮らすことは大
切なことです」「弱い人を助けるのは、私たちすべての義務です」などと、言ったりする。あるい
はいじめの現場を目撃したりすると、いじめている子どもに向かって、「そういうことをして、恥
ずかしくないの!」と、まさに優等生ぶって見せる。

 しかしこうした反動形成が問題になるのは、その底流に、抑圧された自己欺瞞(ぎまん)があ
るということ。はっきり言えば、エセ。それだけではない。本当の自分をどこか別のところに置
き、別の自分を演ずるというのは、それ自体、たいへん疲れることである。その「疲れ」が、あ
る一定の範囲内に収まっていれば問題はないが、その限界を超えたとき、この反動形成は、
一挙に崩壊する。

 たとえば小学生の間は優等生だったが、中学生になったとたん、集団少年(少女)になるとい
うケースは、よくある。J君(中三男子)が、そうだった。

 J君は小学六年生のときには、その学校の児童会長までした。夏期合宿のときは、リーダー
として、大活躍した。しかし中学へ入ったとたん、そこでプツン。夜な夜な、コンビニの前で、ほ
かの仲間とたむろするようになってしまった。やがてタバコを覚え、さらにシンナーまで覚えてし
まった。あとはお決まりの外泊と、家出。親は「どうして?」と、深刻な表情で相談にきたが、こう
いうケースは、決して珍しくない。

 そこで子どものばあい、こんなことに注意したらよい。

 子どものばあい、(心の状態)と、(外に現れる表情や様子)が、一致している子どもを、すな
おな子どもという。しかし何らかの理由で、それが一致しなくなることがある。ここにあげたブリ
ッ子も、その一つ。子どもが、どこかで無理をしているなと感じたら、できるだけ早い時期に、そ
ういう無理から解放してあげること。早ければ早いほどよい。いわんや、子どもを、「お兄ちゃん
だから……(お姉ちゃんだから……)」と、安易な「ダカラ論」で、追いつめてはいけない。

 子どもの世界でこわいのは、仮面と遊離。これについては、また別のところで考えるが、要す
るに、子どもは、子どもらしいのが一番。そういう自然さを大切にする。「この子は、よくできた
子だな」と思ったら、まず疑ってかかるのがよい。

【追記】
 このエッセーを書いていて、私自身も、ここでいう「自己欺瞞」に気づいた。私は考えてみれ
ば、自己欺瞞だらけの人間である。今、思い出した話に、こんなのがある。

 私は子どものころ、台風が好きだった。台風がやってくると聞いただけで、ワクワクした。しか
しそのことを、だれにも話せなかった。子どもながらに、そういう自分はおかしいと思っていた。

 で、子どもたちを教えるようになってからも、自分をだましつづけた。とても子どもたちの前
で、「先生は、台風が好きだ」とは言えなかった。しかし、だ。台風が好きなのは、私だけではな
いことを知った。

 アメリカ人の友人が、ある日、私にこう言った。「ヒロシ、台風がくると、楽しいね。ぼくは台風
がやってくると、ベランダにイスを置いて、ものが飛んでいくのを見ている」と。そのアメリカ人の
家は、高層マンションの八階にあった。

 そのアメリカ人の話を聞いて、私は、「ナーンだ、そういうことだったのか」と思った。そしてそ
のときから、私は、子どもたちに向かって、正直に、「先生は、台風が好きだよ」と言うことがで
きるようになった。

 台風がやってくるたびに被害にあう人も多いので、こういった話は、軽々にはできない。しか
し「教師」という仕事には、こうした自己欺瞞が、好むと好まざるとにかかわらず、無数にからみ
ついてくる。自己欺瞞のかたまりと言ってもよい。しかし、だ。こういう自己欺瞞は、疲れる。本
当に疲れる。自己欺瞞だけならまだしも、反動形成をするうち、自分を見失ってしまうこともあ
る。だから私はあるときから、自分をだますことをやめた。ありのままの自分を、できるだけ外
に出すようにした。子どもたちと直接、接しているときは、とくにそうだ。 

 ……しかし、こうして考えてみると、人間だれしも、ありのまま生きるということは、むずかしい
ことだとわかる。みんな、それぞれの立場で、自分をごまかしながら生きている? それが悪い
というのではないが、しかしこうしたごまかしは、できるだけ少ないほうがよい。ごまかせばごま
かすほど、自分を見失う。時間をムダにする。

+++++++++++++++++++++

【子どもの反動形成についての補足】

●自我の分裂

 こうした反動形成で、こわいのは、実は、ここに書いたことだけではない。それが度を超すと、
自我そのものが分裂してしまう。優等生を例にあげて考えてみる。

 優等生と呼ばれる子どもは、一種独特のものの考え方をしているのがわかる。主体的なフリ
をしながら、どこにも主体性がない。

 たとえばだれかが、教室のスミで、別のだれかをいじめていたとする。それを見たとき優等生
は、自らの正義感で、そのいじめを止めるのではない。まず頭の中で、模範解答を作り、その
模範解答に従って行動しようとする。「こういうときは、止めなければいけない。また止めるのが
正解」「止めなければ、あとで、先生に自分が責められる」「自分は、そういういじめを止めなけ
ればならない義務がある」と。つまり自分の意思ではない、別の自分に動かされて、そうする。
ほかに……

○先生に意見を求められる。→できるだけ、すばらしい答を出して、みなを感心させてやりた
い。
○何かの役をする。→自分がその役をするのは、当然のこと。みなの期待に答えたい。
○友だちが困っている。→まず自分が、模範を示すべき。そうすればみなから、尊敬される、
と。

 さらにたとえば進学を考えるときも、勉強したいからではなく、優等生として、それにふさわし
いコースを自分で想定し、そのコースに自分を当てはめようとする。いつも自分の意思というよ
りは、そういう自分を上から見ているもう一人の、別の自分の意思に従って、自分の行動を決
めようとする。「私にふさわしいのは、A大学のA学部。そこへ入れば、親も喜ぶし、先生も納得
するだろう」と。

●幼児期にできる方向性

こうした方向性は、実は、すでに幼児期にできる。しかもそうした方向性をつくるのは、子ども
自身というよりも、親である。ある子ども(男子高校生)は、こう言った。

 「ぼくは、自分の子ども時代を振りかえってみたとき、自分がどこにもいなかったような気がす
る。食事にしても、食べたいから食べたのではなく、朝食時間や夕食時間になったから食べた
だけ。寝る時間も、そうだ。幼稚園の先生に、きちんとあいさつをすると、先生や親は喜んだ
が、ぼく自身は、自分がロボットだと感じたこともある。塾へもいくつか通ったが、親が行けと言
ったから行っただけ。そこでよい成績をとってくると、親は喜んだが、いつか、そうして親を喜ば
すのが、ぼくの義務のようになってしまった。また親が喜んでいる間だけ、自分は自分でいるこ
とができた。また自分の立場を守ることができた」と。

 この子どもも、優等生だった。親も、そう思い、喜んでいた。しかし自分の中に、自分でない自
分をもつことは、たいへん危険なことでもある。度を超すと、そのまま自我が分裂してしまう。そ
して自分でない自分に、自分が振り回されてしまう。子どもによっては、ある日突然、自暴自棄
になって暴れたり、反対に、他人との交流ができなくなり、引きこもってしまったりするようにな
る。そこまで進むことはないにしても、たいていは、思春期を迎えるころから、自分自身と、自
分の中の自分でない自分との間で、はげしい葛藤(かっとう)を繰りかえすようになる。

 そういう意味でも、幼児期において、「いい子」と呼ばれる子どもほど、警戒して観察してみる
必要がある。そこであなたの子どものチェックテスト。ここに書いたようなことで、いくつか思い
当たるような点があれば、あなたの子どもは、かなり無理をしている子どもということになる。

(1)うちの子は、優等生で、よくできた子と思うことが多い。ものの道理をよくわきまえている
し、しっかりしている。どこへ出しても、恥ずかしくない。
(2)幼稚園の先生や小学校の先生にも、よくほめられる。いろいろな仕事を与えられ、それを
ソツなくこなしているようだ。ほかの父母にもほめられることが多い。
(3)概して、親に従順で、たいていは親の決めた設計図や、スケジュールに従って行動してく
れる。今のところ、順調にコースに乗っているようだ。
(4)ときどき、「アレッ!」と思うようなアンバランスなところがあるにはある。一〇〇点をとった
答案用紙の裏に、むごたらしい悪魔の絵を描いたりするなど。
(5)ときどき何を考えているかわからないときがある。喜怒哀楽の感情を押し殺してしまうよう
なところがある。親の前でも、静か。親に従順で、あまり反抗しない。
 
 これは補足の補足ということになるが、この話を、ある懇談会でしたら、ひとりの母親がこう言
った。「私が、その優等生でした。今も、その後遺症に苦しんでします」と。そういうケースも、少
なくない。さて、あなたはだいじょうぶか?

++++++++++++++++++++++++

●反動感情

 人は、ときとして、本当の自分の心を隠し、それと正反対の感情をもつことがある。私は、こ
れを勝手に「反動感情」と呼んでいる。心理学の世界に、「反動形成」という言葉がある。反動
形成というのは、自分の心を抑圧すると、その反動から、正反対の自分を演ずるようになるこ
とをいう。

たとえば性的興味を押し殺したような人は、他方で、人前では、まったく性には関心がないよう
に振るまうことがある。性に対して、ある種の罪悪感をもった人が、そうなりやすい。ほかに、た
とえば神経質な人が、外の世界では、おおらかな人間のフリをするのも、それ。その反動形成
に似ているから、「反動感情」とした。……余計なことだが。

(030826)

  ‖                 
 :−−           ‖   
  ‖            :−− 
        ‖      ‖    テーマがあれば、どうかお寄せください。
       :−−           具体的に、相談内容を書いてくだされば
        ‖              うれしく思います。








件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■愛について(1)

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M ″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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★読者のみなさんへ、カードです。(安全は確認してあります。)
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【今週の教室から……】

 今週は、知恵テストをした。私立小学校の入試問題を、使った。以前、私はこの種の教材制
作を頼まれたことがある。そのときの資料が、今でも、山のようにある。(ホント!)

 過去三〇年間で、一度だけ採点をし、その結果をグラフ表示したことがある。私は(ていねい
なサービス)と考えて、それをした。しかし、その結果、母親たちは、パニック状態になってしま
った。

 それまでなごやかだった教室の雰囲気は、一変した。順位が上のほうの子どもの親は、それ
なりに満足したが、下のほうの子どもの親は、そうでなかった。中には、採点に納得できないと
か、まちがえたところを補うためには、どうしたらよいかと相談してくる親もいた。

 で、採点し、グラフ表視したのは、その年、一回だけ。今年も、テストをしながら、一枚ごとに
子どもに説明し、それで終わった。全員、花丸。「よくがんばったね」と、ほめて仕上げた。

 私の目的は、子どもたちに、学ぶ楽しさを教えること。味あわせること。そういう楽しい思い出
が、子どもを前向きに、伸ばしていく。採点して、順位をつけるなどということは、邪道の邪道。
……と思うというより、あんな経験は、もうこりごり。
(030827)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●思うようにならないと、泣き叫ぶ子ども

ある母親から、こんな相談があった。(電話で、H市在住。NSさん)

 「何か友だちとゲームをしていても、負けそうになると、途中でそのゲームを、放り出してしま
います。そこで私が、それを叱ると、『ママは、○○ちゃん(友だち)の味方ばかりする』と言っ
て、泣いて暴れます。手がつけられません。どうしたらよいでしょうか。娘は、現在、幼稚園の
年長児です』と。

【はやし浩司より】

 この子どもの症状は、三つの問題が複合している。(1)ドラ娘症候群。(2)かんしゃく発作。
それに(3)母子間の不信関係。

 自分の思いどおりにならないと、緊張状態になるというのは、すでにその子どもが、かなりの
ドラ娘になっていると考えてよい。原因は、サービス過剰の家庭環境と、甘い生活規範。

 つぎに泣いて暴れるというのは、その程度にもよるが、興奮状態(錯乱状態)になるというの
は、かんしゃく発作と考えてよい。原因は、家庭教育の失敗。よくデパートなどで、自分の思い
どおりにならないと、ギャーギャーと泣いて暴れる子どもがいる。地面に寝転んで泣き叫ぶ子ど
ももいる。あれがその一例。

 三つ目に、これは電話で話していて気づいたことだが、その母親は、何をしても、自分の娘は
悪い娘だという前提で、ものを考えようとしているのがわかった。娘の立場で、どうしてそうなる
のか、耳を傾けようという姿勢が感じられなかった。頭から「自分の娘がまちがっている」と決
めてかかっているようなフシがあった。

 「基本的な部分で、あなたとお嬢さんの間に、何か大きなわだかまりがあるように感じますが
……」と私。
 「実は、あるかもしれません。結婚を決める前に妊娠してしまった子どもなものですから……」
と母親。
 「望まない子どもだったのですか?」
 「いえ、それはなかったですが、不安でした」
 「その不安が、姿を変えて、子どもへの不信感になっている可能性は、じゅうぶん、考えられ
ます」
 「はあ〜」
 「だから何をしても、悪いほうへ、悪いほうへと解釈してしまう。だから子どもは、それに対し
て、泣いて抵抗するというわけです」
 「では、どうしたらいいのでしょうか?」
 「たとえば自分の子どもを、わがままと決めつけないで、どうしてそうなのか、耳を傾けてあげ
ればいいのです」
 「しかし、何をしても、わがままなのです」
 「そこなんです。最初から、そう決めつけてしまっている。それがいけないのです」

 具体的には、つぎのようにアドバイスした。

(1)ドラ娘症候群については、今からでも遅くないから、家事を分担させることで子どもを、どん
どんと使うこと。「使えば使うほど、いい子」と考える。

(2)かんしゃく発作については、今の段階では、発作をできるだけ起こさせないようにするしか
ない。発作が起きても、それ以上興奮させないようにする。時期的には、収まってくる年齢だ
が、しかし興奮性が残ると、おとなになってからも、何かにつけて、症状が現れることがある。
緊張状態になると、静かに落ちついて会話ができなくなる、など。

(3)母子間の不信感については、これは母親の問題。まず原因が何であるかを冷静にみつめ
る。この母親のばあい、簡単な会話で、それに気づいてくれた。あとは時間が解決する。でき
れば、心をつくりかえるという意味で、「うちの子はいい子」を、念仏のように、繰りかえすとよ
い。

 一見簡単に見える問題でも、いくつかの問題が複合していることがある。大切なことは、それ
ぞれの問題に気づき、適切に対処していくこと。そういう視点を見落とすと、何がなんだか、わ
からなくなる。そういうことは、この世界では、よくある。

(ドラ息子症候群と、かんしゃく発作については、「はやし浩司のサイト」を参考にしてください。)
(030828)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●中学生クラスで……

 今夜は、午後一〇時まで、中一の子どもたちと、つきあった。「何時まで勉強する?」と聞い
たら、みなが、「一〇時!」と言った。それで一〇時にした。本当のところ、「一二時」と答えた
ら、どうしようかと思っていた。このところ、どうも疲れがたまってしかたない。油断をすると、偏
頭痛が始まる。

 まだ教室には、クーラーはつけてない。古い教室のを移動しようとしたら、五〇万円かかると
言われた。そんな余裕は、どこにもない。それでズルズルと、今日までがんばった。幸いにも、
今年は冷夏。

 今夜は、夏休みの最終日。「宿題をしたい」とMさんが言った。「国語をしていいか」と、Kさん
が言った。S君と、H君は、「教科書をする」と言った。私は、「自分でしたい勉強をしなさい」と
言った。ほかにO君や、Kさん、H君、Kさん。U君。全員で九人。

 一人、おしゃべりな子どもがいる。この女の子一人を抑えれば、あとはいつも静かになる。最
初に集中的に、注意を繰りかえす。で、そのうち、その女の子も、自分のリズムの中に入り始
めた。

 私は何もすることもなく、明日のクラスの教材を作ったり、プリントを整理したりする。ときど
き、机の間を回って、進み具合をチェックする。この時期の子どもに、三時間という勉強は、か
なりハード。しかしどの子どもも、勉強グセはしっかりとしている。Mさんをのぞいて、みな幼稚
園の年中児からの生徒である。Mさんだけは、小一になってから、私の教室にきた。そのMさ
ん、今では、身長が、一七五センチもある。

 私は今まで、こうして無数の生徒を迎え、そして送り出してきた。そういう仕事が、もう三三年
になる。その実感はないが、そのころ高校生だった生徒は、今、四九歳になるのか。中学生だ
った生徒は、四六歳、小学生だった生徒は、四三歳。幼児だった生徒は、三八歳!

 しかし私の仕事では、自分だけが歳をとっていく。いや、実際には、自分が歳をとっていくこと
すら、わからない。あるときから、「おじさん」と呼ばれ、またあるときから、「ジジイ」と子どもた
ちに呼ばれるようになった。そういうときはじめて、はっと自分の年齢に気づく。

 恐らく、死ぬまで、この仕事はつづくのだろう。やがてヨボヨボになり、足腰が立たなくなる。そ
の前に、頭が回転しなくなる。ロレツが回らなくなる。脳梗塞(こうそく)か心筋梗塞で倒れるか
もしれない。しかしそのときでも、今の状態は、変わらないだろう。私はここにいて、生徒たち
は、そこにいる。

 H君が、少し疲れた様子で、体をくねらせ始めた。J君は、さきほどから、あくびを繰りかえし
始めた。S君は、何度も腰を浮かせて、問題と取り組んでいる。それぞれの子どもには、それ
ぞれのリズムがある。そのリズムをうまくつかむのが、教えるコツ。たとえて言うなら、鵜飼(う
かい)の鵜匠(うしょう)のようなもの。

 糸をたくみに操りながら、勉強させる。今は、その最高潮の時。ときおり扇風機に舞うノートの
音が聞こえる。スーッと息をもらす音が聞こえる。テキストをパラパラとめくる音が聞こえる。こう
いうときは、子どものリズムに任せたほうがよい。あとは自分で伸びてくれる。

 この子どもたちも、やがて日本のリーダーになっていくだろう。論理的なものの考え方。分析
力。思考の柔軟性。静かな落ちつきという点では、私の生徒は、だれにも負けない。しかし私
は、いつもこう言っている。

 「ここは進学塾ではないから、進学を本気で考えたら、どこか進学塾へ移りなさいよ」と。私の
教室は規模が小さい。小さいから、組織的な指導はできない。それに点をつけて、順位を出し
て、子どもたちを苦しめるのは、私のやり方ではない。だいたい、幼児のときからきている生徒
に、そんな残酷なことが、できるだろうか。

 仮に学校のテストで悪い点をとってきたとしても、私が言うべきことは、ただ一つ。「気にする
な。ぼくがついているからね。君はよくがんばったよ。お母さんには、ぼくのほうから、謝ってお
いてあげるからね」だ。

 やがて時間がきて、一〇時になった。しかしだれも、動く気配がない。しばらく様子をみて、ゆ
っくりと私はこう言った。「そろそろ終わろうか。よくやったね」と。すると、緊張感から一斉に解
放されて、ドヤドヤとした音が、教室にみなぎった。

 私は席を立ち、出席ノートを返し、そしていつものように、次回の指示を出す。

 「来週から、九月だね。来週は、反比例に入るから、休まないでね」と。

 子どもたちが帰ったあと、掃除。机ふき。ゴミの始末。戸じまり。消灯。

 廊下へ出ると、秋のさわやかな風が、身を包む。「こんなにも涼しかったのか」と、一瞬、驚
く。私はいつものように自転車にまたがり、力いっぱい、ペダルを下へふみこむ。とたんさらに
さわやかな風が、全身をつらぬいた。
(030828)


  ‖                 
 :−−           ‖   
  ‖            :−− 
        ‖      ‖    テーマがあれば、どうかお寄せください。
       :−−           具体的に、相談内容を書いてくだされば
        ‖              うれしく思います。
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●愛について

愛についての名言は、多い。それだけ関心が高いということ。当然だ。人間が、生きている目
的の一つが、「愛」である。

 人恋しい季節。たとえ結婚していても、人を恋すること、人を愛することを、ためらってはいけ
ない。それが不倫であるとか、不道徳であるとか、夫や妻に対する背信であるとか、そんなふう
に、自分を責めてはいけない。

 愛は、もっと自然なもの。青い空を白い雲が漂うように、あなたの心も自然に任せたらよい。
それが生きるということ。それが、あなたがあなたであるということ。

 しかしここで大切なことは、そういった感情を相手に伝えてはいけないということ。いくらあな
たが相手を愛しても、その心は、あなたの心の奥深くに秘めておく。それはあなた自身のため
でもあるが、同時に、あなたの夫や妻のため。そして愛する相手のためでもある。

 あなたがなすべきことは、ただ一つ。相手の幸福を、乱さない。相手の幸福を、静かに見守
る。その一語につきる。自己犠牲を伴わない愛は、そもそも愛ではない。

 しかし……。恋は切ない。愛はもっと切ない。その切なさを感じながら、生きるのも、これまた
人生。その切なさを、チビリチビリと味わいながら生きていくのも、そんなに悪いものではない。

 できれば、明るい日差しがさんさんと輝く太陽のもと。男も女も、素っ裸で、好き勝手なことが
できればよい。しかしそれには、同時に、あなたの夫や妻にも、それを許すという前提がなけ
ればならない。あなただけが、好き勝手なことをし、夫や妻には、それを許さないというのであ
れば、それこそそれは、身勝手な愛ということになる。

 夫でありながら、妻でありながら、人知れず、愛に苦しんでいる人は多い。そういう人たちの
参考になればと思い、世界の賢者の言葉を訳してみた。

+++++++++++++++++

★Peggy- "Tell me you love me, Al" Al-"I love football, I love beer, let's not cheapen the 
meaning of the word." - Al Bundy
ペギー「私を愛していると、言ってちょうだい」
アル「フォットボールを愛している。ビールを愛している。そういうふうに、その言葉を安っぽく使
いたくないよ」(アル・バンディ)

★There isn't any formula or method. You learn to love by loving. - Aldous Huxley
愛に公式はないよ。人を愛しながら、愛を学ぶよ。(アルドス・ハクスレイ)

★True love is like a butterfly. Once it is gone it has flown away it is nearly impossible to 
recapture it. - Anonymous
真の愛は、チョウのようなもの。一度飛び去ると、それを再び捕らえるのは、ほとんど、不可
能。(作者不詳)

★To the world you may be one person, but to one person you may be the world. - 
Anonymous
世界に対しては、あなたは一人の人間かもしれない。しかし一人の人に対しては、あなたはま
さに世界かもしれない。(作者不詳)

★If you love something, let it go. If it comes back,  great. If not, it's probably having dinner 
with someone more attractive than you - Bill Grieser
あなたが何かを愛するなら、あるがままにしておけ。それがもどってくるなら、すばらしいこと
だ。もどってこないなら、あなたよりすばらしいだれかと、夕食をともにしたらよい。(ビル・グリ
ーザー)

★Who needs love when you've got a gun? - Black Flag
あなたが銃をもっているとき、だれが、愛を必要とするか。

★"I met a young man who was wounded in love, I met another man who was wounded in 
hatred." - Bob Dylan
私は愛で傷ついた若者を知っている。また私は、恨みで傷ついた若者も知っている。(ボブ・デ
ィラン)

★Born to lose, I've lived all my life in vain. All my dreams have only caused me pain. All my 
life I've always been so blue. Born to lose and now I'm losing you - Bouncing Souls
なくすために生まれた……私はすべての人生を、ムダに過ごした。すべての夢は、私に苦痛を
もたらした。人生、すべてブルーだった。私はなくすために生まれた。そう、今、私はあなたをな
くしつつある。

★Friendship often ends in love; but love in friendship - never. - Charles Caleb Colton
友情は、しばしば愛で終わる。しかし愛は、決して友情で終わらない。(C・C・コルトン)

★Never close your lips to those to whom you have opened your heart. - Charles Dickens
あなたが心を開いた人に対して、決して唇を閉じてはいけない。(C・ディキンソン)

★There is a battle that goes on between men and women. Many people call it love. - 
Edvard Munch
男と女の間で、戦闘がつづく。多くの人は、それを愛と呼ぶ。(E・マンチ)

★"if two people love each other, there can be no happy end to it" - Ernest Hemingway
もし二人の人が、たがいを愛するなら、それには、ハッピーエンドはありえない。(アーネスト・ヘ
ミングウェイ)

★Life without love is meaningless and goodness without love is impossible. - Greg 
Jurkiewicz, "The Neo-Reconstructionist Manifesto"
愛のない人生は、意味がない。愛のない善は、不可能。(G・ジュルキウェイッツ)

★Talk not of wasted affection; affection never was wasted. - Henry Wadsworth Longfellow
ムダな愛を説くな。愛は決してムダにはならない。(H・ワズワース)

★My night has become a sunny dawn because of you. - Inb Abbad
私の夜は、あなたのおかげで、太陽が輝く夜明けになる。(I・アバド)

★I say I'm in love with her. What does that mean? It means I review my future and my past 
in the light of this feeling. It is as though I wrote in a foreign language that I am suddenly 
able to read. Wordlessly, she explains me to myself. Like a genius, she is ignorant of what 
she does. - Jeanette Winterson, "The Passion"
私は彼女を愛しているという。それが何の意味があるのか。それはこの感覚の中で、私の未
来と過去をもう一度、見ることを意味する、それは私が突然読むことができるようになった、外
国語を私が書くようなもの。言葉なしで、彼女は、私自身に説明する。天才のように、彼女は、
彼女のすることに気づかない。(J・ウィンターソン)

★People think love is an emotion. Love is good sense. - Ken Kesey
人々は、愛は感情だという。愛は、よいセンス。(K・ケッセイ)

★And ever has it been known that love knows not its own depth until the hour of 
separation. - Khalil Gibran, "The Prophet"
別れのときまで、愛はその深さを知らないということは、よく知られたことである。(K・ギブラン)

★When the heart speaks, however simple the words,  its language is always acceptable to 
those who have hearts. - Mary Baker Eddy
どんな簡単な言葉でも、心が話すとき、その言葉は、心をもった人に、受け入れられる。(M・
B・エディ)

★We can do no great things; only small things with great love. - Mother Teresa
だれもすばらしいことはできない。ただ偉大な愛をもって、小さなことをするだけ。(マザー・テレ
サ)

★"I have found the paradox, that if you love until it hurts, there can be no more hurt, only 
more love." - Mother Theresa
私はパラドックスを発見した。つまりあなたが、あなたを痛めるまで人を愛したなら、もう痛みは
ない。それ以上の愛があるだけ。(マザー・テレサ)

★A woman in love will do almost anything for a man, except give up the desire to improve 
him. - Nathaniel Branden
愛をもった女性は、一人の男のために、何でもする。ただ、彼を高めようとすることだけは、し
ない。(N・ブランデン)

★In the arithmetic of love, one plus one equals everything, and two minus one equals 
nothing. - Ninon De L'Enclos (1616-1706)
愛の算術においては、1たす1は、すべてに等しい。そして2ひく1は、何もない。(N・D・レンコ)

★Keep love in your heart. A life without it is like a sunless garden where the flowers are 
dead. - Oscar Wilde
心に愛を保て。愛のない人生は、日光のない庭のようなもの。花は死んでいる。(オスカー・ワ
イルド)

★To love yourself is the beginning of a lifelong affair! - Oscar Wilde, "An Ideal Husband"
自分を愛するということは、生涯つづく愛だ。(オスカー・ワイルド)

★To be loved, be lovable. - Ovid
愛するということは、愛くるしいということ。(オービド)

★At the touch of love, everyone becomes a poet. - Plato
愛に触れると、だれしも、詩人になる。(プラト)

★Love is an irresistible desire to be irresistibly desired. - Robert Frost
愛というのは、抵抗できないまま、求められる、抵抗できない要求。(ロバート・フロスト)

★Love is the distance between reality and pain. - Robyn_hitchcock
愛は、現実と苦痛の間のもの。(R・ヒッチコック)

★If you have it [love], you don't need to have anything else, and if you don't have it, it 
doesn't matter much what else you have. - Sir James M. Barrie 
愛があれば、ほかに必要なものはない。もし愛がなければ、ほかにいくら多くあなたがもってい
ても、意味がない。(サー・J・M・バリー)

★It takes only a minute to get a crush on someone, an hour to like someone, and a day to 
love someone, but it takes a lifetime to forget someone. - Unknown
だれかに会うには、一分しか、かからない。好きになるのには、一時間。愛するには、一日。し
かしその人を忘れるのには、一生かかる。(不明)

★Somewhere there's someone who dreams of your smile, and finds in your presence that 
life is worth while. So when you're lonely remember it's true: somebody somewhere is 
thinking of you. - Unknown
あなたのほほえみを夢見るだれかがいる。そしてあなたを前にすると、その人生が意味をも
つ、人がいる。それであなたが孤独だと感じたら、このことが本当だということを思い出せ。誰
かが、どこかで、あなたのことを思っている。

★Love is eternal. The aspect of it may change, but the essence remains the same. - 
Vincent Van Gogh
愛は永遠。その様子は変わるかもしれないが、その枢要な部分は、同じ。(ゴッホ)

★"I don't want to live... I want to love first, and live incidentally." - Zelda Fitzgerald
私はただ生きるというのはいやだ、。まず、人を愛したい。その結果として、生きたい。(Z・フィ
ッツゲラルド)


★Love does not consist in gazing at each other, but in looking outward together in the 
same direction. - Antoine de Saint, Exupery, In Literature/Shakespeare 
愛というのは、たがいに見つめあうことではない。愛というのは、外に向って、同じ方向を見る
ことである。(A・D・S・エクスペリ−)

★Love comes in at the eye. - W.B. Yeats, In Senses/Sight 
愛は、まず目に出る。(W・B・イェーツ)

★Love college. Hate class. - 8th Floor East, Duquesne University, In Education/College Life 
愛大学の、憎しみ学科。 

+++++++++++++++

【追記】

 同じ「愛」でも、こんな調査結果がある。東京都における調査では、高校三年生の性体験の
比率は、女子で、一九九〇年の17%から、二〇〇二年に46%、男子も22%から37%に急
増しているという(産婦人科医・家坂清子氏調査・読売新聞03・8・27)。

 わかりやすく言えば、女子の約半数は、高校三年生までに、性体験をすますということ。男子
も、それを追いかけているということ。

 そしてこれは非公式の調査だが、こうした女子高校生のうち、多くは、不特定多数の男性と、
繰り返しセックスをしているという。中には、一年で、数十人の男性とセックスをしている女子高
校生もいるという(週刊誌)。

 一方、これまたおかしなことだが、結婚してすぐから、セックレス夫婦になるケースも多いとい
う。たまたま今朝の読売新聞(八月二八日)の朝刊の人生相談コーナーには、こんなのがあっ
た。

 「結婚してから、ほとんどセックスがない。共働きだから、疲れているせいかもしれない。私は
子どもがほしいが、夫が、応じてくれない。しかし友だちのような、仲のよい夫婦です」と。

 ワイフは、これを読んで、「へえ、セックスなしの夫婦もいるのね」と驚いていた。

 私の考えでは、つまり自分自身の体験を織りまぜるなら、「愛」と「セックス」は、分けて考えた
ほうがよいのではないかということ。愛は、心の問題だし、セックスは、体(本能)の問題。これ
を同一レベルで考えるから、話がおかしくなる。

 愛は愛として考え、セックスはセックスとして、合理的に考える。ほかの男性や女性とセックス
をしたから、愛が影響を受けるというものではないし、しないからといって、これまた愛が影響を
受けるというものではない。

 私のワイフなんか、若いとき、その気がないときは、私に、「ベタベタ、うるさいわねえ。あん
た、ストリップでも見てきたら!」と言って、私を、よく家から追い出したものだ。そういう考え方
も、ある。

 ……といっても、私のばあい、こうした意識改革をするのは、二〇年、遅かった。今さら、こと
私に関して言うなら、意識改革しても遅いということ。愛とセックスを分けて考える必要は、もう
ない。だいたいにおいて、体がついてこない。

 しかし若い人は、もう少し合理的に考えてよいのではないか。グループセックス、よし。スワッ
ピングパーテー、よし。今はやりの、ハプニングバーで遊ぶのも、よし。私の知人の男性(六七
歳、六七歳だぞ!)は、三七歳の人妻と、月に一、二回会って、セックスを楽しんでいる※。

 私の考えでは、セックスを、スポーツのように楽しむ時代は、もうすぐそこまできているように
思う。もちろん、そういう流れに対して、道徳面や倫理面で、反発する人もいる。しかし人は、そ
れぞれ。夫婦も、それぞれ。愛に形はない。同じように、セックスにも形はない。夫婦について
言えば、たがいに納得し、同意すれば、何をしてもかまわないのではないか……?

 ただ高校生のセックスについて言えば、エイズ感染や性病の問題がからんでくる。妊娠、中
絶の問題もある。さらに早期に性体験をすると、子宮ガンになりやすいというデータもあるとい
う(同、家坂氏)。テニスやスキーのようなスポーツと同じように考えるわけには、いかない。

 まあ、親として、あなたに息子や娘がいるなら、「うちの子はだいじょうぶ」とか、「うちの子は
関係ない」と思っているとしたら、とんでもないまちがいだということ。それだけは覚悟しておい
たほうがよい。この割合で増えていくと、あなたの子どもが高校生になるころには、七〇〜八
〇%の子ども(女子)が、性体験をするようになる。
(030828)

※……これは本当の話。偶然か、ある事情で、私は、その女性と話をしたことがある。その女
性は、実にあっけらかんとしていて、「そうです」と言って笑っていた。あまりにもあっけらかんと
していたので、あれこれ聞く前に、私も笑ってしまった。ただ、その女性は、私のタイプではなか
ったので、嫉妬はしなかった。もしその女性が、私のタイプだったら、心底、「チクショー」と思っ
たかもしれない。


         ,ミヽ  ミヽ
         へ ミ ヽ へ ミヽ
        ∂  ミミ∂ へミミ
        ζ  っノι ∂ ミミ8彡
        ヒ___ノ 人v "丿彡'
    |)─○  / ヽ  `>−<
     // \\_/_∧ \_/_/ ヽ ≡=   賛助会にどうか、ご入会ください。
   ___//  \_/_ξ ̄ ̄ノ_ __)      現在、お礼に、イラスト(額つき)を
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名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■愛について(2)

【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●元気を出そう!

 「日本の経済は、今、元気がない」と訴えたら、メルボルンに住んでいるR君が、「TIME」誌、
八月一一日号(シンガポール版)を送ってくれた。TIMEは、「What's right with Japan?
(何が、日本で正しいのか)」と題して、日本特集を組んでいた。つまり、「まだまだ日本の実力
は、捨てたものではない!」と。

 そのTIMEを読む。

 「日本は長くて、暗い不況の時代に入っていると言われているが、その一方で、数多くの面
で、めざましく世界をリードしている。

 ダイハツのクーペ。
 ムラカミのルイ・ビトン。
 そしてマリナーズのイチロー」と。

 そして何と、一六ページにもわたって、日本の「実力」を紹介している。順に並べてみる。

若者の、ファッションの分野
小型化から大型化、ドコモの腕時計型電話
禅などの独特な文化
破壊と創造の国
アニメ産業
超高級産業(ゴルフ用具や和牛)
電子機器産業
芸術産業
モダンな住宅産業

そして「未来のランド」と称して、いくつかのハイテク商品を紹介している。

スケルトンのバン(ホンダ)
折りたたみ式のソファ
超薄型の携帯電話
電子バイオリン
透明の盾
デジタルカメラなど。

 アメリカやオーストラリアのホテルに泊まってみるとわかるが、彼らの国には、何もない。冷蔵
庫は、オランダ製、電話は台湾製、テレビは日本製。かろうじてある、戸棚にしても、とても世
界へ輸出できるようなモノではない。

 アメリカについて言えば、電子産業と軍需産業、それに航空産業(プラス映画産業)をのぞい
たら、何も残らない。経済構造は、ブラジルと同じ、農業国。オーストラリアともなると、さらにひ
どい。日本の経済は悪い、悪いと言われているが、「まだまだ捨てたものではない」ということに
なる。

 さあ、私もがんばるか!
 みんな、がんばっているぞ!
 グチグチ言っていても、始まらないし……!

I thank you very much for your kindness to have sent me the magazine, which has 
encouraged me very much. What is right with Japan? Whatever it is, I have no choice but to 
love this country. Hiroshi
(030828)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

逆転

 若いころ、東大のT教授の研究室に遊びにいったときのこと。私が、「これからの研究で、ど
んな分野が成長株ですか」と聞くと、T教授は、こう話してくれた。「遺伝子工学かな……」と。
「コンピュータはどうですか?」と聞くと、「これからでは、もう遅いでしょう」と。私が二五歳。今か
らちょうど、三〇年前のことである。

 当時T教授は、光合成の研究をしていた。触媒を使って、水を酸素と水素に分離できれば、
無尽蔵のエネルギーを、人間は、手にすることができる、と。

 で、それからしばらくして、また遊びに行くと、こんなことを言った。「遺伝子工学が、ここまで
発達するとは、思ってもみなかった……」と。負けず嫌いのT教授が、ふともらした弱音である。

 そのころT教授の研究は、私が感じたところ、大きなデッドロックにのりあげていたように思
う。(私が勝手に、そう思っただけだが……。)T教授はその後、東大の総長特別補佐(副総
長)や、国際触媒学会の会長などを歴任している。

 が、最近、その「触媒」が、急速にクローズアップされてきている。マスコミでも騒がれている。
産業への応用も広がり、今まで予想もしなかった分野でも使われ始めた。私はこの分野は、ま
ったくの門外漢だが、「ひょっとしたら遺伝子工学に匹敵(ひってき)するほどの分野ではない
か」と、思い始めている。

 昨年(02)、その触媒学会が、このH市で行われた。全国から数百人もの研究者が訪れたと
いう。そのほとんどが、T教授の息のかかった弟子たちだという。T教授自身も、数年前、日本
学士院賞を受賞している。

 その学会のあいまをぬって、T教授は、私の山荘へ遊びにきてくれた。夜中になって、T教授
をホテルへ送っていくとき、私が、「触媒が、にわかに騒々しくなりましたね」と言うと、T教授
は、うれしそうに笑った。

こういうのを「逆転」というのか。T教授のような先駆者がいたおかげで、日本の触媒学は、今、
世界を一歩リードしている。戦後、基礎科学の分野で、日本がはじめて世界をリードできた分
野といってもよい。

 メルボルン大学で、T教授にはじめて会ったとき、T教授は、毎日黙々と、大学の研究室に通
っていた。あのときのT教授の頭脳が、今、世界で光り輝きはじめている。それを思うと、何か
しら不思議な感じになる。

口の悪いことだけは、天下一品で、会うたびに、私はT教授にこきおろされる。が、私は、生涯
において、T教授と知りあいになれたことを、誇りに思っている。教授は、まさに研究の分野で
は、神の領域に入った人である。

 今夜、T教授に、メールを送ろう。このエッセーを添えて……。
(030828)

【追伸】
このエッセーを送ったら、T先生こと、田丸先生より、原稿が送られてきました。少しむずかしい
ですが、世界でも超一級の論文ですから、先生の許可をもらい、ここに紹介します。

++++++++++++++++++++++
【参考】

太陽エネルギーを用いる水からの水素製造

堂免一成  田丸謙二

化石資源の消費、枯渇からもたらされるエネルギー問題と二酸化炭素発生などによる地球環
境問題は、我々が直面する深刻な課題である。これらの問題は、放っておけばいつか解決す
るという類のものではない。我々の生活に直結しており、我々自身で積極的に取りくんでいか
ねば決して解決しない問題である。この問題の本質は、現代の人類の生活が多量のエネルギ
ーを消費する事によって維持されているという点である。しかも現在そのエネルギーを主に担
っている化石資源は、有限な資源であり必ず枯渇するだけでなく、それを使い続ける事は地球
環境を破壊する危険性が高い。

  もともと石油や石炭などの化石資源は、光合成によって固定された太陽エネルギーを何億
年もかけて地球が蓄えてきたものであり、それとともにわれわれの住みやすい地球環境が形
成されてきたはずである。我々はそのような地球が気の遠くなるような時間をかけてしまいこん
できたエネルギーを「かってに」掘り出し、その大半を20世紀と21世紀のたった200年程度で使
い切ってしまおうとしている。

したがって現在の時代を後世になって振り返れば、人類史上あるいは地球史上極めて特異な
浪費の時代と映っても不思議ではない。かけがえのない資源を使い切ってしまいつつある時代
に生きる我々は、それについて微塵も罪の意識を持っていないが、少なくともわれわれにとっ
ては地球環境を破壊しない永続的なエネルギー源を開発することは、後世の人々に対する重
大な義務である。その為には、核融合反応や風力などいくつかの選択肢があろう。なかでも太
陽エネルギーをベースにしたエネルギー供給システムは、枯渇の心配のない半永久的でクリ
ーンな理想的なエネルギー源であろう。

  太陽光を利用する方法もいくつかの選択肢がある。例えば最も身近な例は太陽熱を利用し
た温水器である。また太陽電池を用いて電気エネルギーを得る方法も既に実用化している。し
かし、これですぐにエネルギー問題が解決するわけでない事は誰でも実感している事であろ
う。

ここで太陽エネルギーの規模と問題点について少し考えてみる。太陽は、水素からヘリウムを
合成する巨大な核融合反応炉であり、常時莫大なエネルギー(1.2 x 1034 J/年)を宇宙空間に
放出している。その中の約百億分の一のエネルギーが地球に到達し、さらにその約半分(3.0 
x 1024 J/年)が地上や海面に到達する。一方、人間が文明活動のために消費しているエネル
ギーは約3.0 x 1020 J/年であり、地球上に供給される太陽エネルギーの約0.01 %である。ちな
みにそのうちの約0.1 %、3.0 x 1021 J/年、が光合成によって化学物質、食料などの化学エネ
ルギーに変換されている。

また、地球上にこれまで蓄えられた石油や石炭などの化石資源がもつエネルギー量は、もし
地球上に降り注ぐ太陽エネルギーを全て固定したとすれば約10日分にすぎない。このように
考えれば太陽エネルギーは我々の文明活動を維持するには十分な量であることがわかる。

では、なぜ太陽エネルギーの利用が未だに不十分なのであろうか。理由は太陽光が地球全体
に降り注ぐエネルギーであることである。したがって太陽光から文明活動を維持するための十
分なエネルギーを取り出すためには数十万km2(日本の面積程度)に展開できる光エネルギー
の変換方法を開発しなければならない。ただしこの面積は地球上に存在する砂漠の面積のほ
んの数%程度であることを考えれば我々は十分な広さの候補地を持っていることになる。その
様な広大な面積に対応できる可能性をもつ方法の一つが人工光合成型の水分解による水素
製造である。

もし太陽光と水から水素を大規模に生産できれば人類は太陽エネルギーを一次エネルギー源
とする真にクリーンで再生可能なエネルギーシステムを手にすることができる。水素の重要性
は、最近の燃料電池の活発な開発競争にも見られる様に今後ますます大きくなってくることは
間違いない。しかしながら現在用いられている水素は化石資源(石油や天然ガス)の改質によ
って得られるものがほとんどである。これは水素生成時に二酸化炭素を発生するのみでなく、
明らかに有限な資源であり環境問題やエネルギー問題の本質的な解決にはならない。

もし、太陽光の中の波長が600nmより短い部分(可視光、紫外光)を用いて、量子収率30%で、
1年程度安定に水を分解できる光触媒系が実現すると、わが国の標準的な日照条件下1km2
当たり1時間に約15,000 m3(標準状態)の水素が発生する。この時の太陽エネルギー全体の
中で水素発生に用いられる変換効率は約3%程度であるが、この水素生成速度は現在工業
的にメタンから水素を生成する標準的なリフォーマーの能力に匹敵する。したがってこの目標
が達成されれば研究室段階の基礎研究から太陽光による水からの水素製造が実用化に向け
た開発研究の段階に移行すると考えられる。

現在、水を水素と酸素に分解するための光触媒系として実現しているのは、固体光触媒を用
いた反応系だけである。他にも人工光合成の研究は数多く行われているが、以下、不均一系
光触媒系に話を限定する。水を水素と酸素に分解する為に必要な熱力学的条件は、光触媒と
して用いる半導体あるいは絶縁体の伝導帯の下端と価電子帯の上端がH+/HおよびO2/OH-
の二つの酸化還元電位をはさむような状況にあればよい。

個々の電子のエネルギーに換算すると、1.23 eVのエネルギーを化学エネルギーに変換すれ
ばよい。また、光のエネルギーで1.23 eVは波長に換算するとほぼ1000 nmであり、近赤外光の
領域である。つまり、全ての可視光領域(400nm 〜 800nm)の光が原理的には水分解反応に
利用できる。ただしこれらの条件はあくまで熱力学的な平衡の議論から導かれるものであるか
ら、実際に反応を十分な速さで進行させるためには活性化エネルギー(電気化学的な言葉で
いえば過電圧)を考慮する必要があるので、光のエネルギーとして2 eV程度(光の波長で
600nm程度)が現実的には必要であろう。

固体酸化物を用いた水の光分解は、1970年頃光電気化学的な方法によって世界に先駆けて
我が国で初めて報告され、本多―藤嶋効果と呼ばれている。この実験では二酸化チタン(ルチ
ル型)の電極に光をあて、生成した正孔を用いて水を酸化し酸素を生成し、電子は外部回路を
通して白金電極に導き水素イオンを還元し水素を発生させた。

このような水の光分解の研究は、その後粒径がミクロンオーダー以下の微粒子の光触媒を用
いた研究に発展した。微粒子光触媒の場合、励起した電子と正孔が再結合などにより失活す
る前に表面あるいは反応場に到達できるだけの寿命があればよい。さらに微粒子光触媒の場
合、通常電極としては用いることが困難な材料群でも使用できるメリットがあるため、多くの新
しい物質の研究が進んでいる。現在では紫外光を用いる水の分解反応は50%を超える量子
収率で実現できる。

しかしながら太陽光は550nm付近に極大波長をもち、可視光から赤外光領域に広がる幅広い
分布をもっているが、紫外光領域にはほんの数%しかエネルギー分布がない。つまり太陽光
を用いて水を分解するためには可視光領域の光を十分に利用できる光触媒を開発することが
必要である。しかしながら、これまでに開発された水を効率よく分解できる光触媒は全て紫外
光領域の光あるいはほんの少しの可視光領域で働くものである。

  最近になって新しく可能性のある物質群が見出され始めている。それらは、d0型の遷移金
属カチオンを含み、アニオンにO2-だけでなくS2-イオンやN3-イオンをもつ材料群である。例え
ばSm2Ti2O5S2やTa3N5、LaTiO2Nなどのようなものであり、オキシサルファイド、ナイトライド、
オキシナイトライドと呼ばれる物質群である。

これらの材料では価電子帯の上端はO2p軌道よりも高いポテンシャルエネルギーを持ったS3p
軌道やN2p軌道でできている。しかし、このような物質はまだ調製が容易ではないが、酸化剤
や還元剤の存在下では水素や酸素を安定に生成することが確認されており、これまで見出さ
れていなかった、600nm付近までの可視光を用いて水を分解できるポテンシャルを持った安定
な物質群であることがわかってきた。

したがって、このような物質の調製法の開発および類似化合物の探索によって、太陽光を用
いる水からの水素生成が、近い将来実現する可能性も十分にある状況になっている。安価で
安定な光触媒を広い面積にわたって水と接触させて太陽光を受けることにより、充分の量の
水素を得るのも夢ではない。 

このような触媒の開発に成功し、大規模な応用が可能となれば、21世紀の人類が直面する大
きな課題であるエネルギー問題と環境問題に化学の力で本質的な解決を与える可能性があ
る。

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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

人間関係の整理

 若いうちは、いろいろな人とつきあう。それはとても重要なことだ。しかし年齢とともに、それ
がたいへん煩わしくなる。

 そのように考える私は、それでよいのか。それはまちがっているのか。

 以前、エイズに感染し、余命がそれほどないという若者の手記を読んだことがある。アメリカ
人の若者が書いた手記だった。その中で、その若者は、こう書いている。「つまらない人間と、
つまらない会話をするような時間は、ぼくにはない」と。

 私は、以前は、いくつかの私塾連の連盟に属し、そういう人たちとの会合に顔を出していた。
しかし五〇歳を過ぎることから、それがいやになった。中には、「おまえは、知識をひけらかす
バカだ」と私に言う男さえいた。オメデタイというか、そんな男に、知識をひけらかしても、しかた
ないと思うのだが……。

 だから、G団体を最後に、先日、私は、そういう人たちとのつきあいを、清算することにした。
中には、一人、二人、すばらしい人もいたが、イギリスの格言にもあるように、同時に二人によ
い顔はできない。個人的にはつきあいたいが、そうはいかないだろう。

 で、これからはどうするか?

 人間関係には、総量がある。一〇人の人と、一〇ずつの人間関係をもてば、総量は一〇〇
になる。それを一〇〇人の人に広めれば、一人、一ずつになる。一〇〇人の人と、一〇ずつ
の人間関係をもつのは、不可能。時間とエネルギーの問題が、それにからんでくる。

 そこで今度は反対に、五人の人とつきあえば、一人、二〇ずつの関係になる。つまりその
分、濃密になる。私がこれから先、すべきことは、そういう濃密な人間関係を大切にすること
だ。

 ……と書いて、「?」と思った。実は、それだけではない、と。

 仕事上のつきあいとか、営業上のつきあいというのは別にして、自分をごまかして生きるのも
疲れる。もっとも今までは、「適当につきあっておけばよい」とか、「またそのうち、何かのことで
役にあることもあるだろう」とか考えて、つきあってきた。が、このところ、そういう自分自身のズ
ルさが、つくづく、いやになった。

 先の私塾連の人たちについても、どこかそういうズルいつきあいを、私はしてきた。今まで
は、それでよかったのかもしれないが、もしそういうエネルギーがあるなら、もっとほかのことで
使いたい。

 で、清算することにした。そして、その結果だが、胸の中が、清々した。何というか、背中にリ
ュックサックを背負って、野原を歩き出したような気分である。どうせ私はひとり。生まれて死ぬ
のも、ひとり。たった一度しかない人生だから、私は私の人生を、生きる。

 ……とまあ、かっこうのよいことを言っているが、本当のところは、よくわからない。ただこうい
うことは言える。私はもっと、自分を大切にしたい。もっと時間を大切にしたい。

今日も、仕事に出かけるとき、ふと見ると、近くの空き地に、五、六人の老人たちが、集まっ
て、何やら話しあっていた。男性が四人、女性が二人。男性たちはイスに座っていた。ほとんど
毎日、一日中、そこにいる。

「どうしてああまで、時間をムダにすることができるのだろう?」と、私は思った。「若い人ならと
もかく、もう残された時間は、少ないのに……」と。

そう考える私は、正しいのだろうか。それともまちがっているのだろうか。この結論は、もう少し
先に出すことにする。
(030827)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

ガブリエル・フォーレ

 学生時代は、一応、合唱団にもいた。中学、高校は、一応、コーラス部にいた。若いころは、
合唱が好きだった。

 で、メサイアは、ヘンデルも、バッハも歌った。しかし、ガブリエル・フォーレは、知らなかった。

 オーストラリアの友人のE君が、そのフォーレのメサイアのCDを送ってくれた。手紙は入って
いなかったが、CDをかけると、その理由はすぐわかった。

 私は、これほどまでにすばらしい、「癒(いや)しの音楽」に出会ったことがない。……正直に
告白するが、知らなかった。何という不覚! 人生、五五年にして、フォーレに出会うとは! 
聞けば聞くほど、心が休まる。落ちつく。洗われる。が、それだけではなかった。フォーレの音
楽を聞きながら、同時に、私は、私にはまだ知らないことが、山ほどあることを思い知らされ
た。

 一〇ほど前までは、コンピュータ音楽に興味をもち、機器も一そろい、そろえた。もちろん作
曲もした。だから作曲者の、そのときの心情が、少しは理解できる。つまりフォーレは、まさに
神々の心境で、このメサイアを作曲したにちがいない。また、そういう心境でないと、こういう曲
は生まれない。

 それにもう一つ、重要なことを発見した。自分の世界をつくりあげることは、大切なことだが、
同時に、見知らぬ未知の世界にも、飛びこんでいくことも、大切なことだ、と。私はメサイアとい
えば、ヘンデルのメサイアが最高だと、思いこんでいた。E君がいつか、「フォーレはすばらし
い」と言ったときも、「何、言ってるんだ」と思ってしまった。

 もちろんヘンデルのメサイアはすばらしい。今でも全曲、バリトン部だけなら、ほとんどソラで
歌える。しかしそのとき、「ほかのメサイアは、つまらない」と結論づけてしまうのは、まちがって
いる。それを思い知らされた。

 日本ではあまり知られていない作曲家だが、(知らなかったのは、私だけ……?) もしどこ
かでガブリエル・フォーレのメサイアを聞く機会があったら、ぜひ聞いてみてほしい。とくに、心
が疲れているときには、よい。すばらしい。本当に、心が洗われる。
(030827)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 

宇宙人

 月に興味をもち、あれこれ自分でも調べてみた。その結果だが、出てくるわ、出てくるわ…
…! 今ではインターネットを介して、その種の情報は、居ながらにして、手に入る。

 で、私は驚いた。本当に、驚いた。火星にも、水星にも、金星にも、そしてそれらを回る衛星
にも、人工的な基地だらけ。わかりやすく言えば、宇宙人の基地だらけ。月にいたっては、まさ
に地球上の都市なみ! いつか、月の裏側をアポロで回った宇宙飛行士が、「ラッシュアワー
のときのように、UFOが飛びかっている」と言ったというような話を聞いたことがある。「まさ
か?」と、そのときは、そう思った。しかし、そうであっても、まったくおかしくない。

 こうした情報をアメリカのNASAはもっているというが、外に出てくるのは、ほんの一部。その
一部に修正ミスがあったりして、私たちが知るところとなる?

 「何をアホなことを!」と思っている人は、ホームページのアドレスをここ紹介しておくので、一
度、のぞいてみるとよい。そして自分で確かめてみるとよい。私も最初は、半信半疑だったが、
これだけ証拠(?)を並べられると、「ひょっとしたら……」と思うようになってしまった。

 実のところ、私とワイフは、真夜中に巨大なUFOを目撃している。それ以来、それを信ずると
か信じないとかいうレベルを超えてしまった。「あの夜、私たちが見たものは何だったのか」と。
そればかりを考えてきた。が、そんな疑問など、吹き飛んでしまった。繰りかえすが、この太陽
系は、宇宙人の基地だらけ! (あくまでも、そうした写真の内容を信ずるなら、という条件つき
だが……。)

 しかしこうまで太陽系に、宇宙人の基地があるとすると、この地球にはないというほうが、無
理ということになる。そして、私たち人間が、そうした宇宙人と無縁と言うほうが、おかしいという
ことになる。

 ……というのは、やはりロマンということにしておく。もっとも私のばあい、そのときは信じて
も、それから離れたとたん、それを忘れてしまう。そういう便利な脳の構造をしている。

 そういう意味では、めったにハマらない。キリスト教の聖書を読んでいるときは、結構、クリス
チャンのような気分になる。しかしそのあとすぐに、仏教の経典を読んでも、まったく違和感なく
読むことができる。

 今回も、インターネットをのぞいているときは、「ホホー」とか、「ゲーッ」とか、そのつど変に感
心して見ていたが、離れたとたん、「ロマン、ロマン」と割り切ることができる。

++++++++++++++++++

いつか書いたUFOの目撃談のエッセーを
ここに転載しておきます。これは中日新聞
で発表したものです。

++++++++++++++++++

●見たぞ、巨大なUFO!

 見たものは見た。巨大なUFO、だ。ハバが一、二キロはあった。しかも私と女房の二人で、
それを見た。見たことはまちがいないのだが、何しろ二五年近くも前のことで、「ひょっとしたら
……」という迷いはある。が、その後、何回となく女房と確かめあったが、いつも結論は同じ。
「まちがいなく、あれはUFOだった」。

 その夜、私たちは、いつものようにアパートの近くを散歩していた。時刻は真夜中の一二時を
過ぎていた。そのときだ。何の気なしに空を見あげると、淡いだいだい色の丸いものが、並ん
で飛んでいるのがわかった。私は最初、それをヨタカか何かの鳥が並んで飛んでいるのだと思
った。そう思って、その数をゆっくりと数えはじめた。あとで聞くと女房も同じことをしていたとい
う。が、それを五、六個まで数えたとき、私は背筋が凍りつくのを覚えた。

その丸いものを囲むように、夜空よりさらに黒い、「く」の字型の物体がそこに現れたからだ。
私がヨタカだと思ったのは、その物体の窓らしきものだった。「ああ」と声を出すと、その物体は
突然速度をあげ、反対の方向に、音もなく飛び去っていった。

 翌朝一番に浜松の航空自衛隊に電話をした。その物体が基地のほうから飛んできたから
だ。が、どの部署に電話をかけても、「そういう報告はありません」と。もちろん私もそれがUFO
とは思っていなかった。私の知っていたUFOは、いわゆるアダムスキー型のもので、UFOに、
まさかそれほどまでに巨大なものがあるとは思ってもみなかった。

が、このことを矢追純一氏(現在、UFO研究家)に話すと、矢追氏は袋いっぱいのUFOの写真
を届けてくれた。当時私はアルバイトで、日本テレビの「11PM」という番組の企画を手伝って
いた。矢追氏はその番組のディレクターをしていた。あのユリ・ゲラーを日本へ連れてきた人で
もある。私と女房は、その中の一枚の写真に釘づけになった。私たちが見たのと、まったく同じ
形のUFOがあったからだ。

 宇宙人がいるかいないかということになれば、私はいると思う。人間だけが宇宙の生物と考
えるのは、人間だけが地球上の生物と考えるくらい、おかしなことだ。そしてその宇宙人(多
分、そうなのだろうが……)が、UFOに乗って地球へやってきても、おかしくはない。

 もしあの夜見たものが、目の錯覚だとか、飛行機の見まちがいだとか言う人がいたら、私は
その人と闘う。闘っても意味がないが、闘う。私はウソを書いてまで、このコラムを汚したくない
し、第一ウソということになれば、私は女房の信頼を失うことになる。

 ……とまあ、教育コラムの中で、とんでもないことを書いてしまった。この話をすると、「君は
教育評論家を名乗っているのだから、そういう話はしないほうがよい。君の資質が疑われる」と
言う人もいる。しかし私はそういうふうにワクで判断されるのが、好きではない。

文を書くといっても、教育評論だけではない。小説もエッセーも実用書も書く。ノンフィクションも
得意な分野だ。東洋医学に関する本も三冊書いたし、宗教論に関する本も五冊書いた。うち
四冊は中国語にも翻訳されている。そんなわけで私は、いつも「教育」というカベを超えた教育
論を考えている。たとえばこの世界では、UFOについて語るのはタブーになっている。だからこ
そあえて、私はそれについて書いてみた。

(030827)

【追記】この記事を発表したあと、「同じものを見た」という人が、二人現れた。今でもときどき、
たがいに連絡を取りあっている。


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         *         
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       /   \       
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  :  : |___|::   : 
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●はやし浩司から、みなさんへ、カードです! (安全は確認してあります。)
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【今週の幼児教室から】

 「♪めだかの学校」の歌詞を、「♪お正月」のメロデーで歌う。すると子どもたちが、「おかし
い」「ちがう」と言う。

 そこで今度は、「♪こいのぼり」のメロデーで歌う。すると子どもたちが、「違う、違う、そうじゃ
ない、こうだ」と言って、「♪めだかの学校」を歌いだす。すかさず私が、「君、歌がうまいねエ
〜。前でひとりで歌ってよ」と声をかける。その子どもは、「ウン」と言いながら、得意そうに、前
へ出てきて、歌を歌う。

 こうした技法は、幼児教室では、たいへん重要である。バカなフリをしながら、子どもの自尊
心を引き出す。おとなの優位性を、決して押しつけてはいけない。今週は、ほかにも、こんな技
法を使った。

 大きな声で「ア」「イ」と発声させる。息をたくさん出し、口を動かせる。で、そのつぎに、「ア…
…イ……のつぎは、何だったかな?」と迷ったフリをすると、「ウだ!」「ウだ!」と。そこで「ちが
うよ、アイ(愛)のつぎは、チューだろ。君たちは幼児のくせに、そんなことも知らないのか」とや
る。

 こうなると、子どもたちは興奮状態になる。勝手に、「ウーだ、ウーだ」と、騒ぐ。つまりこうし
て、「ウ」の音を出させる。

 言い忘れたが、今週のテーマは、声を出させること。歌をみなの前で歌わせること。歌にあわ
せてリズムをとらせること。そして全体として、ものおじしない、発表力を身につけさせる。

 コツは、教える私が楽しむこと。私が勝手に楽しんでいると、子どもたちがその輪の中に入っ
てくる。

 最後に、「今日のレッスンは、おしまい」と声をかけると、子どもたちは、「いやだ」「もっとした
い」と言った。(これは本当。読者の中には、私の教室の親も多いから、ウソは書けない。……
書かない。)

 で、再度、「おしまい」と、きっぱりと言うと、何人かの子どもが、「早い、早い!」と騒いだ。す
かさず私が、「ぼくの名前は、ハヤイではない。ハヤシだ。まちがえるな」と言うと、みながゲラ
ゲラと笑った。

 私の教室では、レッスンのおしまいは、笑いでしめくくるようにしている。「笑えば、子どもは伸
びる」が、私の持論でもある。

 時間は、その日は、たっぷり六〇分。数年前、私の教室へ見学にきた幼児教室の経営者
が、こう言って驚いていた。「幼児教室は、三〇分が限度だとばかり思っていました」と。ハハー
ン。私のところは、正味五〇分! 実力がちがう! (これはコマーシャル?)
(030830)

  ‖                 
 :−−           ‖   
  ‖            :−− 
        ‖      ‖    テーマがあれば、どうかお寄せください。
       :−−           具体的に、相談内容を書いてくだされば
        ‖              うれしく思います。
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

人間の運命

 昨夜、三男と電話で長く、話す。三男は、今、大きな人生の岐路に立って、悩んでいる。苦し
んでいる。

 「今、やるべきことを、懸命にやればいい。結果は、必ず、あとからついてくる。そして大切な
ことは、どんな結果になろうとも、現実を、すなおに受け入れることだ」と。

 もしも……という言い方はおかしいが、「もしも……」ということを、私はよく考える。「もしも私
が、あのままM物産という商社にいたら、私はどうなっていたか?」と。

 恐らく私はあのまま、金(マネー)の虫となって、今ごろは脳梗塞か心筋梗塞を起こして死ん
でいるにちがいない。あるいは、死なないまでも、頭が狂い、精神も破壊され、廃人になってい
るかもしれない。そこそこの支店長くらいにはなったかもしれないが、そのあとリストラされ、今
ごろは、人生の悲哀をしみじみと味わっているかもしれない。

 当時は、だれも見向きもしなかった幼児教育の世界だが、そしてさげすまれた世界だった
が、結果としてみると、それが私の道だったように思う。それはちょうど、水が低いところを求め
て流れるように、私が自然と求めた道ということになる。もしそれを「運命」というのなら、それが
私の運命だった。

 「たとえばお前が、Aの道に進もうと思っている。そのとき、Aの道に進めなくても、それで失敗
したとか、そんなふうに思ってはいけない。そして結果として、Bの道に進んだからといって、そ
れで失敗したとか、そんなふうに思ってはけない。今度は、そのBの道で懸命に生きればい
い。『運命』という言葉は、あまり使いたくないが、いつか自分の人生を振りかえるようなときが
やってくる。そのとき、おまえは、それがおまえの運命だったと知るだろう」と。

 だからといって、私が人生の成功者だとか、そんなことを言っているのではない。客観的にみ
れば、私は、負け犬。敗残者。失敗組。ワイフもときどきこう言う。「あなたは自分で苦労ばかり
背負って、何もいいことは何もなかったわね」と。

 しかしそれでも、私は、「これが私の人生だ」と思っている。あきらめるとか、居なおるというこ
とではなく、私はそのつど、懸命に生きてきた。その結果が、「今」なのだ。それ以上、何を望む
ことができたのか。何を望めるか。どこまでいっても、「私は私」なのだ。地位も、名誉も、肩書
きもない。それでも私は私なのだ。

 「ただ、人間には、そのつど、いろいろな可能性がある。その可能性だけは、自分で、つぶし
てはいけない。今のおまえだけの判断で、おまえの未来を考えてはいけない。おまえの知らな
い世界が、まだまだ大きく広がっている。そういう世界には、謙虚でなければならない」と。

 電話を切るとき、三男はこう言った。「来週にも、一度、帰るよ」と。それに答えて、私はこう言
った。「うん、帰っておいで。いっしょに、おいしいものを、食べよう」と。
(030831)

         ,ミヽ  ミヽ
         へ ミ ヽ へ ミヽ
        ∂  ミミ∂ へミミ
        ζ  っノι ∂ ミミ8彡
        ヒ___ノ 人v "丿彡'
    |)─○  / ヽ  `>−<
     // \\_/_∧ \_/_/ ヽ ≡=   賛助会にどうか、ご入会ください。
   ___//  \_/_ξ ̄ ̄ノ_ __)      現在、お礼に、イラスト(額つき)を
  / _ \  / ____ ̄フ _____ノ  ≡=−   送っています。
  // \ \ / /   ̄/ /   ̄)
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子どもの受験勉強

●C氏の言葉

 進学塾では、(できる子ども)を求める。そういう子どものほうが、教えるのも楽だし、それに
経営的にも、メリットがある。

 一方、(できない子ども)は、教えるのもたいへん。それにそういう子どもが多ければ多いほ
ど、塾の評判はさがる。が、それだけではない。(できない子ども)ほど、動きがはげしい。少し
成績があがれば、すぐどこかへ移ってしまう。あがらなければあがらないで、すぐまたやめてし
まう。

 たとえば小学校の高学年や中学生で、すでに(できない)状態になっている子どもは、その段
階で、すでにかなり、キズついている。こじれている。学習態度も悪い。たいていは無気力にな
っている。自信をなくしていることも多い。

 さらにどこかでつまづいているから、それを補充しようとすると、このタイプの子どもほど、そ
れをバツととらえる。だからますます勉強が、できなくなる。

 さらに問題は、つづく。(できない子ども)が、多少できるようになっても、親は、「効果があっ
た」とは言わない。「当たり前」とか、「やはりうちの子は、やればできるはず」と思う。そう思っ
て、無理を重ねる。効果がなければないで、ある日、突然、フイと塾をやめていく。

 ……ここまでの話は一五年近く、進学塾の講師をしたことのある、C氏(四三歳)が、私に話
してくれたことである。C氏は、今、まったく別の仕事をしているが、私にこう言った。「進学指導
なんて、もうコリゴリです」と。わかる、その気持ち!

●子どもの心

 少し前、残り勉強が話題になった。ときの文部省が、音頭を取った。学力の足りない子ども
は、学校で残り勉強をさせるというものだった。しかしこうした試みは、確実に失敗する。理由
は、明白。子どもは残り勉強を、自分のためとは、とらえない。ここでいう「バツ」ととらえる。

 またこの段階で、残り勉強を教えてくれる先生には、絶対に感謝などしない。「自分のため」と
いう自覚すら、ない。

 残り勉強が、「自分のため」と理解するためには、その前提として、子ども自身が、「もっとで
きるようになりたい」という意欲がなければならない。その意欲も、また希望もない子どもに、
「あなたには、残り勉強が必要だ」と言っても、理解など、できるはずもない。喜んで勉強など、
するはずもない。

 これは進学塾についても、同じ。「うちの子は、塾に通う必要がある」と思うのは、親の勝手だ
が、子ども自身は、そうは思っていない。そういう状態で、子どもを進学塾に通わせても、効果
がない。ないばかりか、かえって、親子のパイプを、破壊してしまう。

 ある母親が、高校生になった娘に、「あんたはだれのおかげで、ピアノを弾けるようになった
と思っているの? ママが、毎週、高い月謝を払って、あんたをピアノ教室へ連れていってあげ
たからよ!」と言ったときのこと。その娘は、こう叫んだという。「いつ、だれが、あんたにそうし
てくれと頼んだア!」と。

 こうした意識のズレは、とくに子どもの受験勉強では、起こりやすい。親は、「子どものため」
と考えるかもしれないが、子どもは、そうは思わない。「いらぬおせっかい」と、とらえる。

●誤解と幻想

 この世界には、誤解と幻想がある。

 その第一。「やればできるはず」という幻想。たとえば親が、本屋へ行き、中学入試問題集を
手にしたとする。そのとき自分の子どもが、小学六年生だとすると、「うちの子に、できないはず
はない。うちの子だって、小学六年生だ」と考える。

 そこでその問題集を、買う。家で、子どもにやらせる。しかし子どもは、できない。とたん、親
は、大きな不安感に包まれる。しかしこのとき、「問題集がおかしい」とか、「自分の子どもにそ
の能力がない」とか思う親は、まずいない。ほとんどの親は、「うちの子ができないのは、やらな
いからだ」「小さいときから、勉強をしていないからだ」「やればできるはず」と思う。

 だから親は、進学塾の門をたたくとき、弁解がましく、必ず、こう言う。「今まで、あまり勉強さ
せませんでしたから……」「伸び伸びと遊ばせてきましたから……」と。

 そして家では、お決まりの親子げんか。「勉強しなさい!」「うるさい!」と。

 第二に、進学塾へ行けば、安心という幻想。勉強というのは、リズムの問題。そのリズムがあ
るかないかで、できる、できないが決まる。が、親には、それがわからない。進学塾だけで足り
ないと思うと、今度は、家庭教師をつける。さらにそれでも足りないと思うと、また別の塾にも通
わせる。

 こういうことを安易に繰りかえせば、その子どものリズムは、決定的なほどまでに、破壊され
る。しかしその深刻さに、気づく親は、少ない。それはたとえて言うなら、多重債務をかかえ、い
くつかのサラ金業者に追いまくられるようなもの。あたふたしている間に、何がなんだか、わけ
がわからなくなってしまう。

●では、どうするか?

 進学塾を利用するにしても、その内容やレベルよりも、「リズム」を大切にする。よい進学塾
には、そのリズムがある。そしてそのリズムに子どもが乗ったら、そのリズムを大切にする。

 たとえば週二回のレッスンがあれば、それを。定期的な試験があれば、それを、ひとつのリ
ズムにする。こういうリズムの中で、子どもの勉強グセを作っていく。

 一方、そうでない進学塾は、リズムがバラバラ。突然思い立ったようにテストをしてみたり、思
い立ったように、むずかしいワークブックを渡したりする。あるいはやらなくてもよいようなとき
に、特別レッスンをしてみたり、それほど用もないのに、親を呼びつけたりする。

 講師の言っていることも、メチャメチャ。どこかおかしい。チグハグ。ささいなことを、ことさら大
げさに問題にしてみたり、トンチンカンなことを言ったりする。ある研究会に顔を出したときのこ
と。一人の塾教師(幼児教室の講師)は、さも自信たっぷりに、こう言った。

 「幼児の心を知りたかったら、自分でオムツをしてみればいいです。老人用のオムツがありま
すから、それをしてみればいいです。それで幼児の心がわかります」と。

 とんでもない意見だが、その人は、すごく真剣だった。

 つぎにもちろん、子どもの能力とレベルをわきまえること。よく進学塾では、「今年はXX人、S
S高校に入学しました」などと発表する。しかし同時に、それ以上の数の子どもが、受験に失敗
している。そういった事実を、客観的に見る。

 進学塾へ入って、成績を伸ばす子どももいるが、かえってさげてしまう子どももいる。むしろ、
さげる子どものほうが多い。それもそのはず。進学を目的にした塾では、できる子どもに合わ
せて授業を進める。できる子ども方が、冒頭に書いたように、経営的に大切。だから、それは
当然のことではないか。

 無理をしても意味がないばかりか、かえって逆効果だということ。……こう書くと、「ではあきら
めろということか?」と言う人がいるかもしれない。それには、私は明確に答える。「そう、あきら
めなさい」と。

 勉強にかぎらず、こうした子どもの問題には、必ず、二番底、三番底がある。「今が最低」と
親は思うかもしれないが、無理をすると、さらに二番底、三番底へと、子どもは落ちていく。だ
から「あきらめる」。

 子どもというのは、不思議なもので、親があきらめると、その時点から伸び始める。反対に、
「まだ何とかなる」「こんなはずはない」と親が、がんばればがんばるほど、子どもの成績はさが
る。最後に、一〇年ほど前に私が経験した、M君(中三男子)のケースを書く。

●M君のケース

 M君が、私の教室にきたのは、小学六年生になってからだった。このM君のばあいは、教え
ることよりも、リズムをつくるのがたいへんだった。私がやっとのことで、リズムをつくっても、親
が介入してきて、それをことごとく破壊してしまった。

 たとえば簡単なワークブックを一日、一枚すると決めたとする。で、そういうリズムが軌道にの
るまでには、最低でも数か月はかかる。(数か月だ!)が、そのリズムができる前に、親がやっ
てきて、「このワークブックもやらせてほしい」「今度、D中学校を受験することにしたので、その
入試問題もやらせてほしい」と言ってきた。

 中学へ入ってからも、この状態は変わらなかった。私はカセットテープを聞きながら、毎日英
語を書かせるという指導を始めた。この学習とて、やはり数か月単位の、根気のいる作業が必
要である。

 が、それについても、「今度、K塾にも入ったから」とか、「ときどき親類のお兄ちゃんに勉強を
みてもらっているから」と、破壊していく。

 結局M君は、最後まで、自分のリズムをつかむことができなかった。中学三年生になるころ
には、私の教室へきても、ただ眠っているだけ。そんなとき、私を心底、失望させる事件が起き
た。

 ある日母親がやってきて、こう言った。「今度、S塾にも行かせることにした。ついては先生の
ところと時間が合わないので、今、週二回きているが、週一回にしてほしい」と。私が何と答え
てよいかわからないでいると、突然会話をはぐらかし、「アーラ、先生、センスのよいシャツを着
てらっしゃいますのねエ」と。

 私が、やっとの思いで、「もしそうなら、今日で、私の教室をやめてほしいのですが」と言うと、
その母親は、かなり驚いて様子で、こう言った。「うちの子は、楽しんできています。あなたにう
ちの子をやめさせる権利はないでしょう」と。

 M君は、親にひきずり回されているだけだった。もちろん自分のリズムなど、もっていない。
言われるまま、親に従っていた。そののち、M君が、どうなったか。今さら、ここに書くまでもな
い。しかしこうした失敗は、実に多い。何割かがそうであると言ってもよい。

 あなたも一度、あなたの子どもがどんなリズムをもっているか。あるいはもっていないか、そ
れを冷静にみてみたらよい。
(030830)

           ◯   
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      〜〜〜〜〜〜〜    役に立つ情報を、書きとめておこうと思います。
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

山荘にて……

 今夜は、外では、虫たちの大合奏。ものすごい、大合奏。今週から、スズムシもそれに加わ
った。コオロギも加わった。ガチャガチャと鳴くのは、クツワムシ。

 ときどき庭へ出ると、その大合奏に驚く。それが波打ち際に打ち寄せる、波の音のように、ザ
ランザランと聞こえる。

 で、そういう虫の声を聞いていると、この地上は、虫たちの世界ということが、よくわかる。恐
らく山荘の周辺だけでも、数万から数十万匹の虫がいるにちがいない。町にたとえるなら、こ
の浜松市がもつ人口に等しい?

 が、人間は、この地上は、自分たちだけの世界だと、思いこんでいる。とくに町に住んでいる
人は、そうだ。虫を見る機会など、めったにない。しかし、だ。繰りかえすが、まちがいなく、この
地上は、虫たちの世界である。少なくとも、この日本は、そうだ。

 以前、アリの研究家という人に会ったことがある。日本でも有数の研究家である。週のうち何
日かは、全国を旅して歩いているという。その人が、こんな話をしてくれた。

 その種族のアリは、別の種族のアリと、最前線で、熾烈(しれつ)な、戦いを繰りかえしてい
る、と。そしてその最前線が、ときとして、大都市のど真中ということもある、と。

 あのアリにしても、私たちの知らないところで、縄張り争いをしているというわけである。そして
その規模は、私たち人間が想像するより、はるかに規模が大きい、と。種族によっては、日本
を二分して戦っているのもいる、と。ヘエーッ!

 実は山荘生活のすばらしいところは、ここにある。人間というものが、いかに小さいかを、思
い知らされる。つまりその分、謙虚になる。ためしに、草むらをはう虫をじっとながめてみるとよ
い。しばらく見ていると、「何だ、人間だって、虫と変わらないではないか」と思えてくる。つまり
人間としての自分を、より客観的に見ることができるようになる。

 日本の周辺でも、小さな島の領有権を争って、日本と台湾、日本と韓国、日本とロシアの間
で、毎年のように小競(こぜ)りあいを繰りかえしている。虫を見ていると、そういう人間の争い
が、実につまらなく見えてくる。

 ただ誤解しないでほしいのは、だからといって、「人間がつまらない」と言っているのではな
い。実はその反対で、人間を超えた、「生きることのすばらしさ」を、思い知らされる。人間と
か、虫とか、そんなことを言っているほうが、おかしい。

 今週も、いろいろあった。楽しいことばかりではない。いやなことのほうが、多かった。しかし
今、こうして虫たちの大合奏を聞いていると、心が癒(いや)されるのは、そのためではない
か。
(030830)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

ジャン・ピエール・カシニョール

 ある時期、私はカシニョールの絵が好きで、何枚か、買い求めたことがある。と、言っても、ど
れも値段が高く、おいそれとは買えなかった。そんなとき、画商をしているO氏が、一枚のリトグ
ラフ(石版画)を届けてくれた。サインがあれば一〇〇万円以上ということだったが、サインがな
いのでXX万円でよい、と。それが、今、教室に飾ってある、カシニョールの絵である。

 その女性は、つばの広い大きな帽子をかぶって、向こうむきに立っている。足元には、白い
道がつづき、左右には、花畑が広がっている……。

 女性はやや体をかたむけ、何か、もの思いにふけっているよう? やさしい風が、彼女を包
む。きしゃな人だ。青と黒のまざった水玉模様のワンピースが、その風に軽くなびいている…
…。

 その女性は、そこで立ち止まった。二本の足は、動きを止めている。どうやら散歩でもなさそ
うだ。花畑へ来るのが、目的だったのか。頭の上は、この種の絵の構図としては珍しく、深い
緑の木の葉がおおっている。しかし圧迫感は、まるでない。さわやかな枝ずりの音さえ、聞こえ
てくる。

 あなたは広い帽子の下で、にこやかに笑った。
 どこかいたずらっぽく、どこか子どものように。
 振りかえって、明るい頬を、日の光にさらした。
 あなたは一瞬、燃えるように輝いた。
 
 平坦な絵だが、不思議と、遠近感がある。それがカシニョールの絵の特徴なのか。しかしそ
の遠近感は、そのまま、その絵を見る人と、絵の中の人物の間の距離感ということになる。そ
れはちょうど、グリーンハウスの中で咲く、真っ赤なランのよう。手が届きそうで、届かない…
…。そう、その女性は、私の手の届かないところにいる。

 その絵は、「教室に飾ってある」と書いた。しかしどの壁に、どのように掛けるたらよいのか、
わからないでいる。だから戸棚の上に、並べたまま。しばらくそっと、そのままにしておこう。や
がて気が向いたら、気が向いたところに掛けておこう。女性も、絵も、そういう意味では似てい
る。どこか気まぐれ。近づけば遠ざかり、遠ざかれば近づく。

 カシニョールの絵を見ていると、どこか切なくなるのは、そのためか……。
(030829)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

金XXの精神分析

 独裁国家では、その独裁者の精神状態が、そのまま国の姿勢として、反映される。独裁国家
が極端であればあるほど、そうだ。今のあの、K国。それがその独裁国家である。

【回避性障害】金XXは、めったに外交の世界に顔を出してこない。カリスマ性を守るためとか、
そういうふうに言われているが、それはどうか? 金XXは、外の世界には、出られないのだ。
自分をさらけ出す勇気もなければ、度胸もない。まさに虚飾の独裁者。恐らく小学生が書くよう
な作文、一枚、書けないのでは? だから、それがバレるのが、何よりも、こわい? 

【行動障害】よく世界の要人が、K国を訪れたりすると、帰りに、とんでもないみやげを贈られ
る。日本の首相も、前回、飛行機いっぱいの、マツタケを贈られたという。こういう極端な、つま
りは常識ハズレな行為は、人間関係をうまく結べない人に共通する。まさにショーペンハウエル
が言う、「二匹のヤマアラシ」の世界。

【人間的劣等性】ある月刊誌で、「短小コンプレックス」と、評されたことがある。私も、かなり前
に、それに気づいていた。その一つが、あの異常なまでに高い、ハイヒール靴。底だけでも、二
重、三重になっている。ふだんは長いズボンで隠しているからよくわからないが、そこから先
は、ぐんと上にそりあがり、足の甲が不自然なまでにねじ曲がっている。実際の身長は、見た
目よりも二〇〜一五センチは、低いのではないか?

【被害妄想性】ありもしない外国の脅威をことさらおおげさに問題にして、ギャーギャーと騒いで
いる。国内内部の引きしめともとれるが、そうばかりとは言えない。金XX自身の被害妄想性
が、そのまま外に現れているとみてよい。ささいな問題をとりあげては、そのつど、おおげさに
反応するのも、その一つ。自分は、したい放題のことを勝手にしておきながら、他人のミスは絶
対に許さない。

【人間性の喪失】拉致された人たちが、家族に会いたいといくら叫んでも、それには、まったく
耳をかさない。そもそもそういう人間の「悲しみ」や、「苦しみ」が理解できない。恐らく貧弱で、
悲惨な乳幼児期を過ごしたにちがいない。この点については、日本人にも、責任がある。日本
の軍国主義が、ああいった人間を、無数につくってしまった。それはそれとして、金XXのよう
な、心の欠けた人間に、いくら人間性を求めても、意味はない。

【行為障害】意味もない武器ばかりを買いこんでいる。買うべきは、食料であり、燃料。しかし金
XXには、それがわからない。それは家の奥にひきこもった中年男が、リカちゃん人形ばかり買
い集めるのに似ている。このタイプの男には、「じゅうぶん」ということがない。同じものでも、ど
んどんと買い集める。予算や値段など、どうでもよい。そういう計算力もない。

【情緒不安】いつも心は緊張状態にある。だからささいなきっかけで、極端な情緒不安状態に
なる。ユニバシアードに参加すると言ってみたり、とりやめると言ってみたり。そして今度は、一
転、参加すると言ってみたり。金XXのような人物とつきあっていると、本当に疲れる。ふつうの
世界なら、こんな人間とは、絶対につきあわない。あたふたと、振りまわされるだけ。こちらま
で、気がヘンになる。

【異常な依存性】過去五〇年間、K国が、外国のために何かをしたということが、まったく浮か
びあがってこない。食料も燃料も、すべて、外国に依存してきた。東欧諸国やソ連が崩壊する
まで、まさに「たかり国家」(某政治学者)。今は、アメリカにたかり、中国にたかり、日本や韓国
にたかっている。あまりにも依存性が強いので、依存していることすらわからなくなってしまっ
た? 「世界が自分たちのめんどうを見るのは当たり前」と考えている。

【犯罪国家】主な輸出産品が、偽札と覚せい剤、それにミサイルというから、話にならない。金X
Xはそのつど、「私は知らない」「関係ない」というようなフリをしているが、それを信ずる人は、
だれもいない。極端な独裁国家であるがゆえに、金XXがそれを指示しているというのは、まさ
に自明の理。

 まだいろいろ書きたいことはあるが、今日は、ここまで。今ごろ金XXは、どこかの地下奥深く
に住み、悶々と眠られない毎日を過ごしていることだろう。美女軍団だか何だかは知らない
が、人間をロボット化し、私物化し、奴隷化して、それがどうして楽しいというのか。『すべてをも
つものは、すべてを恐れる』というのは、ある賢者の言葉だが、金XXは、今ごろは、すべてを
恐れ、ビクビクしているにちがいない。

 なぜなら彼にとっての敵は、アメリカでも自国民でもない。彼にとっての敵は、自分自身だか
らである。そう、自分を敵に回した人間ほど、あわれな人間は、ない。金XXは、まさにそういう
人間である。
(030830)

【追記】
 なぜK国は、アメリカとの間に、相互不可侵条約を結びたがっているか。それは当然、日本と
の戦争を念頭に置いているからである。アメリカとの間に、不可侵条約があれば、仮にK国が
日本を攻撃しても、アメリカは、K国に、手も足も出せない。アメリカ本土が攻撃されなければ、
反撃できないのだ。K国のねらいは、そこにある。

 一方、韓国とアメリカ、韓国と日本の間が、たいへんぎくしゃくしている。韓国は、内部的に
は、北朝鮮の核武装を、容認している。以前、そのような発言が、政府高官の口から出たこと
もある。今のノ政権は、親北政権。おかしなことだが、自由主義国家の中で、もっとも反米的な
国家なのが、今の、韓国である。

 アメリカは、今、イラクとアフガニスタンをかかえ、とても北朝鮮どころではない。ブッシュ大統
領の支持率も、どんどんさがっている。経済的にも余裕がない。もし日本人が、「最後のところ
で、アメリカが何とかしてくれるだろう」と考えているとしたら、それは甘い。逆の立場で考えてみ
ればわかる。

 ゆいいつの救いは、中国とロシアが、K国と離反し始めていること。まともな国なら、離反す
る。当然だ。しかし、だ。この両国でも、K国の核武装を止める力は、ない。かりにK国が核実
験をしたとしても、口で非難する程度が、関の山。あのイスラエルにしても、インドやパキスタン
にしても、世界は、核武装を止めることができなかった。

 で、これから先、日本は、どうなるか? もしK国が核武装すれば、日本は、まさにK国の言
いなり。そのつど脅されて、金もモノも、取られ放題。願わくは、あの金XX政権が、自然死する
ことだが、しばらくはそれもなさそうだ。あの韓国が、せっこらせっこらと、K国を助けている。ま
たまた「アメリカとK国の仲介役をする」などと言い出した。気持ちはわかるが、K国は、韓国が
相手にできるような国ではない。

 さてこの日本。表には出てこないが、今回の六か国協議を前に、姑息な工作をして、アメリカ
政府を、どうやら激怒させてしまったようだ。原因はイラク問題。そのうちマスコミに出てくると思
うが、それにしても、日本外交のお粗末ぶりには、ただただあきれるばかり。

 日本は、まさに今、四面楚歌。しかし最大の悲劇は、日本人の多くが、そして若者のほとんど
が、それに気づいていないということ。平和というのは、平和なときには、空気のようなもの。平
和のありがたすらわからなくなる。しかしその平和に安住してはいけない。「いざとなったら、戦
う」という気構えをもってはじめて、平和は維持される。なぜなら、世界の国は、まともな国ばか
りではない。今のK国がそうだ。

 ●Those who make peaceful revolution impossible will make violent revolution inevitable. - 
John F. Kenned
平和的な革命を不可能にするものは、暴力的な革命を不可避にする。(J・F・ケネディ)

●"What the hell is this?" "Its a Peace symbol sir." "What does your helmet say?" "Born to 
kill sir." "What the hell is going on?" "I guess I was just trying to point out the duality of 
mankind." - Full Metal Jacket, In Movies 
「これは一体何なんだ?」
「それは平和シンボルです」
「じゃあ、そのヘルメットは何なんだ?」
「人を殺すための道具です」
「一体、どうなっているんだ!」
私はそのとき、人間のもつ二重性を指摘していたのだと思う。(映画、「フル・メタル・ジャケット」
より)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

戦争

 平和とは、戦争と戦争の間の、つかのまの休息なのか。人間というのは、本来的に、欲望か
ら解放されることはない。その欲望が、集積されて、戦争となる。

 あのA・リンカーンは、つぎのように書いている。

Allow the President to invade a neighboring nation, whenever he shall deem it necessary to 
repel an invasion, and you allow him to do so, whenever he may choose to say he deems it 
necessary for such a purpose -- and you allow him to make war at pleasure. If today, he 
should choose to say he thinks it necessary to invade Canada, to prevent the British from 
invading us, how could you stop him? You may say to him, 'I see no probability of the British 
invading us' but he will say to you, 'Be silent; I see it, if you don't.'" - - Abraham Lincoln
 他国からの侵略をやり返すために、隣国を、先に侵略してもよいと、大統領がそれをするの
を許せば、大統領はいつでも、自分が必要と思ったとき、それを口実に、戦争をするだろう。つ
まり大統領は、思いのまま、戦争をすることができる。もし今日、英国がアメリカを侵略するの
を防ぐため、カナダを侵略することが必要と大統領が思ったなら、だれが大統領を止めること
ができるだろうか。あなたが、「英国が我々を侵略する可能性はないと思います」とあなたが言
えば、大統領はこう言うだろう。「黙れ、あんたにはわからなくても、私にはわかるのだ」と。

 今度のアメリカとサダム・フセイン(イラク)の戦争を見ていると、リンカーンの教訓が、まった
く生かされていないのがわかる。どうも、あのブッシュ大統領という人は、頭が、あまりXXない
ようだ(失礼!)

 以下、世界の賢人たちの言葉を翻訳してみる。出典は、イギリスのフリーの投稿掲示板であ
る。(いろいろな人が、自分の好きな言葉を、もちよっている掲示板。)

なお、ざっと、目を通して読んでみて、そのあと、心のどこかに、つまりはモヤのように浮かんで
くるものが、常識。あとは、その常識に従って、ものを考え、行動すればよい。

++++++++++++++++++++

A country cannot simultaneously prepare and prevent war. - Albert Einstein
一つの国は、戦争の準備と、防止を同時にはできない。(A・アインシュタイン)

The pioneers of a warless world are the youth that refuse military service. - Albert Einstein
戦争のない世界の先駆者たちは、軍役を拒否する若者たちである。(A・アインシュタイン)

Never has there been a good war or a bad peace - Benjamin Franklin
いまだかって、よい戦争も、悪い平和もない。(B・フランクリン)

I may be compelled to face danger, but never fear it, and while our soldiers can stand and 
fight, I can stand and feed and nurse them. - Clara Barton
いかに危険に直面しようとも、私は恐れない。私たちの兵隊が立ち、戦うときは、私も立ち、彼
らを世話し、看護する。(クラーラ・バートン)

We have to face the fact that either all of us are going to die together or we are going to 
learn to live together and if we are to live together we have to talk. - Eleanor Roosevelt
私たちは、皆、いっしょに死に、いっしょに生き、もしいっしょに生きるなら、話さなければならな
いという事実に、直面すべきである。(エレナー・ルーズベルト)

All men are brothers, like the seas throughout the world; So why do winds and waves clash 
so fiercely everywhere? - Emperor Hirohito
すべての人は、世界の海のように兄弟である。なのになぜ、風や波は、ひどくあちこちで衝突
するのか。(日本国・天皇)

Never think that war, no matter how necessary, nor how justified, is not a crime. - Ernest 
Hemingway 
いかに必要でも、いかに正当化されても、戦争は罪でないと考えるな。(E・ヘミングウェイ)

They wrote in the old days that it is sweet and fitting to die for one's country. But in 
modern war, there is nothing neither sweet nor fitting in your dying. You will die like a dog for 
no good reason. - Ernest Hemmingway
彼らはかつて、古い時代に、国のために死ぬのは、すばらしいことだと言った。しかし近代戦に
おいては、死ぬことは、すばらしいことでも何でもない。あなたは理由もなく、犬のように死ぬの
だ。(E・ヘミングウェイ)

What difference does it make to the dead, the orphans, and the homeless, whether the mad 
destruction is wrought under the name of totalitarianism or the holy name of liberty and 
democracy? - Gandhi
狂った破壊が、全体主義の名のもとでなされようが、はたまた自由や民主主義などの神聖な
名前でなされようが、死人をつくり、孤児をつくり、ホームレスをつくることに、どんな違いがある
だろうか。(ガンジー)

Vietnam was the first war ever fought without any censorship. Without censorship, things 
can get terribly confused in the public mind. - General William Westmoreland
ベトナム戦争は、検閲なしでなされた最初の戦争である。検閲のない戦争では、民心の心が混
乱するだけだ。(W・ウェストモーランド将軍)

Older men declare war. But it's the youth who must fight and die! - Herbert Hoover
老人は、戦争を宣言する。しかし実際に戦って死ぬのは、若者たちだ。(ハーバート・フーバー)

Violence is the first refuge of the incompetent - Isaac Asimov
暴力は、無能な人間がする最初の逃げ場だ。(アイザック・アシモフ)

You know the real meaning of PEACE only if you have been through the war - Kosovar
戦争になってはじめて、君は、「平和」の本当の意味がわかるのさ。(Kosovar)

Anyone, who truly wants to go to war, has never truly been there before! - Larry Reeves
本当に戦争に行きたがる人間というのはね、戦争に行ったことがない連中だよ。(L・リーブズ)

Only the dead have seen the end of war - Plato
死人のみが、戦争の終わりを知る。(プラト)

Today we did what we had to do. They counted on America to be passive. They counted 
wrong. - Ronald Reagan
今日、我々はしなければならないことをした。彼らはアメリカが保守的であることを、あてにし
た。しかし彼らはまちがっていた。(R・レーガン)

History teaches that war begins when governments believe the price of aggression is cheap. 
- Ronald Reagan
歴史は、つぎのことを教える。つまり戦争は、一国の政府が、侵略が安くできると信じたときに
始まる、と。

I think that technologies are morally neutral until we apply them. It's only when we use them 
for good or for evil that they become good or evil - William Gibson
技術というものは、それが応用されるまで、道徳的に中立であるべきと思う。よい目的であるに
せよ、悪い目的であるにせよ、それが使われたとき、よいものになり、悪いものになる。(W・ギ
ブソン)

The United States is like giant boiler. Once the fire is lighted under it, there is no limit to the 
power it can generate. - Winston Churchill
アメリカが週国は、巨大なボイラーのようなもの。その下で火が一度入れられると、それが発
電するエネルギーは、制限なし。(W・チャーチル)

+++++++++++++++++++++++

【追記】

 世界の賢者の言葉を、さらっと読んでみると、そこから一つの思想のようなものが浮かびあ
がってくる。思想といえるほど、形はないかもしれない。ばくぜんとした、モヤのようなものだ。し
かしそれが、私がいう、「常識」である。

 平和を考えるにしても、それを煮詰めて、平和論を説くにしても、大切なことは、偏屈にならな
いこと。片よらないこと。常識で考えること。勇ましい好戦論も、極端な平和主義に、まどわされ
てはいけない。「おかしいものは、おかしい」と、率直に思えばよい。言えばよい。そしてあと
は、自分自身の常識を信じて、それにそって、ものを考えていく。生きていく。

 むずかしいことではない。人間は、過去数十万年という長い年月を、それで生きてきた。今も
生きている。これからも生きていく。ただ忘れてならないことは、いつもその常識をみがくこと。
その努力だけは、怠(おこた)ってはいけない。怠ったとたん、その人の常識は、常識でなくな
る。
(030829)

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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
11・ 8 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・23 ……奥山小学校
10・18 ……天竜中学校区健全育成会(天竜中、中ノ島小、和田東小、和田小合同)
10・13 ……浜松市上島にて(ママアンドパパス・保育所開園式)
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9.12  ……愛知県岩倉市
9・ 9  ……愛知県稲沢市福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2003年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page090.html
2003年度は、「子育て相談、Q&A」で一年間、連載させていただきます。よろしく!
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞








件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■フランスの教育事情

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      / ___ \      【1】フランスの教育事情
       ̄ ̄\_/ ̄ ̄      【2】Touch your Heart
   =| ̄ ̄ ̄ ̄* ̄ ̄ ̄ ̄|=   【3】子育てエッセー
    |__  *  __|    【4】フォーラム
  :  : |___|::   : 
 :\::\:  !!  :/: :/:
  :\ :\  !!  /:  /: 

【読者のみなさんへ】

カードです! (安全性は確認してあります。安心して開いてください。)
http://greeting.rakuten.co.jp/view/rakuten/108994212823477784

【1】フランスの教育事情∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

フランス在住の、Sさん(日本人、夫は、フランス人)から、フランスの子育て事情についてのレ
ポートをいただきました。みなさんに、報告します。

+++++++++++++++

はやし先生

お返事ありがとございました。

今年の夏は本当に暑くて、ここブルターニュは避暑地ということで、夏は涼しいはずなのに、今
年は暑かったです。部屋の中を暗くして熱い空気を遮断して、扇風機をまわすという生活を初
めてしました。テラスの食事もとてもできず、夜10時頃になってやっと外にでるといった具合で
した。

ご質問の件、地方にもよって違うのですがお役にたてればいいのですが。

【はやし浩司からの質問1】フランスでは、満何歳くらいから幼稚園へ入園しますか。

3歳になる年でオムツがとれたことを基準に入園ができます。(9月から数えて)入園時期はバ
カンスあけの9月。12月のクリスマス前。4月の復活祭前か、学校側が希望する場合がおお
いです。

★時間帯 朝8時50分から11時50分
   午後13時30分から16時30分

★お昼は各自家に帰って食べる子が多い。
(朝、昼、午後、夕方とお迎えにいく)

 週に4日制と5日制がある
 K太(息子)は4日制。月、火、木、金に通います。
 5日制の方が、その分、バカンスが長い。

【はやし浩司からの質問2】費用はいくらくらいですか。親の負担はどれくらいですか。

幼稚園は3種類にわけられて、

1,公立幼稚園。すべて無料。

2,カトリック系の学校(K太が行っている学校)は、年間9ヶ月分(バカンスが3ヶ月分) 1Eur
o=約125円として計算してみました
  
  幼稚園       月 16,40Euro (2050円) 
  小学校       月 21,81Euro (2726円) 
  中学校       月 27,53Euro (3441円)

 ちなみに給食 幼稚園、小学校   月 53,20Euro (6650円)
             中学校   月 55,22Euro (6902円)

 兄弟わり引きがあり、2人目は10パーセント、3人目は25パーセント、4人目は40 パーセ
ントわり引きになります。

 時間外の預かりもできる。
 朝7時半から始まるまで 1,55Euro       (193円)
 4時半から5時     1,15Euro       (143円)
 5時から6時      2,35Euro(おやつ付き)(293円)
 6時から7時      3,35Euro       (418円)

 3,地方言語の幼稚園。ここはブルトン語の幼稚園
  有料

公立幼稚園、カトリックの幼稚園、市によってバイリンガルクラスがもうけられている。
たとえば、午前中ブルトン語・午後フランス語といった風に。

親が申し込むときに希望をする。
2005年からは英語とフランス語のバイリンガル幼稚園もできるようです。

【はやし浩司からの質問3】幼稚園では1クラス生徒は何人くらいですか。

 20人から30人のあいだ。
 K太は幼稚園準備クラスなので、毎日来る子は少ない。一日おきか昼間まで。
 先週、朝は15人くらい
 金曜日の午後は2人。(マンツーマンである)
 今日の午後  3人

【はやし浩司からの質問4】男の先生は、どれくらいいますか。
  K太の幼稚園は非常勤の先生が男の先生・・・・1人

【はやし浩司からの質問5】フランスの子どもは、何歳から、どのようなクラブ(日本で言う、おけ
いこ塾)に通いますか。

 3歳ぐらいから リトミック体操、水泳、乗馬、など、始めている子は少ない。
 5歳ぐらいから 柔道、ピアノ、カヌー、バレエ、など種類も増えてくる。
  泊まり込みでキャンプなども5歳から。

【はやし浩司からの質問6】フランスでは、父親は、積極的に、子育てにかかわっていますか。

  2002年より父親が育児休暇として休みが15日もらえることになりました。
  (これは休みをとる1ヶ月前に申請しなくてはならない)
  
我が家は夏休み休暇を1ヶ月とり、2児誕生と共に1ヶ月半の休み。
  日曜大工をするのもお父さんと一緒。
  お父さんが子供連れで買い物している姿もよくみます。
  お父さん同士が子供連れで海にいったりもよくあることです。

 朝市だと、リュック系の子供を背負うのがありお父さんが子供を背負い、お母さんが買い物
かご。

  夜、食事に招かれた時もお父さん達がオムツ変えたり、おしっこ!!といえば走っていくす
がたも普通(外でする人が多いからでしょうか?)
  
力仕事のおおい子育てなので、助かります。

【はやし浩司からの質問7】フランスの人の子育ての基本は、どんなところにありますか。日本
ではその先に、どこか進学を考えたものが多いようです。
 
 主人に聞いたら、基本といったらあいさつをしたりあやまったりとか、この先といえば自分で
職業を見つけて自立することではないかなと、言っていました。

私も以前どこかで聞いた、自分を助けれる人になってほしいと。
 
自分が健康で、(弱っている人を助けるのは自分が健康じゃないとできないから)走ったり、泳
いだり、生活していく上の知識をみにつけてほしいと。
 
料理ができたり、機械が得意とか、得意分野がおおいほど自分も便利だし、友人にもよろこば
れるから(人件費が高い国だから、とくに……)

 長い文になってしまいました。必要なことだけ抜き取ってください。
 マガジンに活用していただければうれしいです。
 日本の幼稚園制度が今ひとつわからないので、どうかなという感じですが。

 ちなみに養育費は妊娠6ヶ月から3歳まで、毎月、約18000円の支給があります。
2004年からは出産準備費用ということで 10万円の支給が国からでることが決まりました。
(2人目つくるのが早かったかしら・・・?)

日本とフランスは時差が7時間です。

こちらは今日はいい天気ですが、気温は低めの18度です。

お元気で、マガジン楽しみにしています。

(フランス在住、Sより)

++++++++++++++++++++++++ 

●フランスの国内事情

Sさんからのメールで、気がついたことをいくつか……。

 これはヨーロッパ全体に共通することだが、「一律……」という考え方が主流。たとえばドイツ
では、子どもをもっていれば、毎月一定額の「チャイルド・マネー」が、一律支払われる。

 貧富や、収入には、関係ない。一見、不合理に見えるが、その分、役所の人件費が安くす
む。

 一方、この日本では、公立保育園の保育料金ですら、その家庭の収入に応じて、ことこまか
にランク分けされ、かつ保育園料が違う。つまりその分、役所の仕事が煩雑になり、人件費が
高くなるということ。官僚主義国家と言われるゆえんは、こんなところにもある。

ヨーロッパの人と話していると、必ず出てくるのが、「自立」という言葉。Sさんもこう言っている。
「主人に聞いたら、基本といったらあいさつをしたりあやまったりとか、この先といえば自分で職
業を見つけて自立することではないかなと、言っていました」と。

さらにこうも……。「私も以前どこかで聞いた、自分を助けれる人になってほしいと。自分が健
康で、(弱っている人を助けるのは自分が健康じゃないとできないから)走ったり、泳いだり、生
活していく上の知識をみにつけてほしいと。料理ができたり、機械が得意とか、得意分野がお
おいほど自分も便利だし、友人にもよろこばれるから(人件費が高い国だから、とくに……)」と
も。

 またオーストラリアでもそうだが、毎日、月曜日から金曜日まで、しかも朝から夕方まで幼稚
園へ通うということは、ないようだ。(オーストラリアでは、月、水、金の三日通う子どもと、火、
木、土通う子どもなどがいる。)

 私もたとえば三〜四歳児は、週に二〜三日、幼稚園へ通えばじゅうぶんではないかと思って
いる。こういう自由な発想ができないところが、日本の教育の特徴でもある。

 このあたりが、世界の常識ということになるのではないだろうか。
(030902)

  ‖                 
 :−−           ‖   
  ‖            :−− 
        ‖      ‖    テーマがあれば、どうかお寄せください。
       :−−           具体的に、相談内容を書いてくだされば
        ‖              うれしく思います。
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

お休みします。

         ,ミヽ  ミヽ
         へ ミ ヽ へ ミヽ
        ∂  ミミ∂ へミミ
        ζ  っノι ∂ ミミ8彡
        ヒ___ノ 人v "丿彡'
    |)─○  / ヽ  `>−<
     // \\_/_∧ \_/_/ ヽ ≡=   賛助会にどうか、ご入会ください。
   ___//  \_/_ξ ̄ ̄ノ_ __)      現在、お礼に、イラスト(額つき)を
  / _ \  / ____ ̄フ _____ノ  ≡=−   送っています。
  // \ \ / /   ̄/ /   ̄)
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
●リズムをつくる

 生活の中に、リズムをつくるのは、たいへんなことである。とくに一つの新しいリズムをつくる
のは、たいへんなことである。

 私も少し前、陶芸に興味をもち、陶芸教室に通おうとしたことがある。しかし結局、時間帯が
あわず、断念した。問題は、ここである。

「時間帯があわない」。しかし本当のところは、時間帯の問題ではなかった。陶芸教室へ通うと
なると、それまでの生活のリズムを変えなければならない。たかが趣味(失礼!)のために、生
活のリズムを変えるというのもどうか?

 人は、だれしも一定の生活のリズムをもっている。朝起きて、仕事に行き、夜、帰ってくる。そ
れが、そのリズム。このリズムは、一日単位、週単位、月単位、年単位で動いている。

 しかしこのリズムが大きく乱れることがある。不意の来客、事件、家族内の不幸、仕事上での
つまづき、病気など。そのときリズムが乱れるが、同時に、それまでの調子が、一変することが
ある。

 たとえば私は、毎日、朝早く起きて、こうして原稿を書く。それが一段落すると、朝食をとり、ま
たしばらく眠る。今は、一日おきに電子マガジンを発行するのを、人生の目標にしている。100
0号まで出すのが、目標である。

 が、このリズムが乱れるときがある。不意の原稿依頼や、講演など。本当のところ、今は、ほ
かのことで、原稿は書きたくない。マガジンに載せる原稿を、最優先している。そのため、こうし
た一日のリズムを乱されるのは、たいへんつらい。

 ……と、書いて、子どもの学習。

 子どもに勉強させようと考えたら、リズムを大切にする。このリズムのしっかりしている子ども
は、学習面で伸びる。そうでない子どもは、そうでない。

しかしそのリズムを子どもの生活の中につくるのは、簡単なことではない。数か月から半年単
位の根気が必要である。こまめな、そしてていねいな指導が必要である。励ましたり、いっしょ
に喜んだりしてやる。何か新しいことをやらせようとするなら、そのリズムの上に、つぎのリズム
を重ねていく。決して、それまでのリズムを、ぶち壊すようなことは、してはいけない。

 が、世の中には、子どものリズムを平気でぶち壊す親がいる。子どもの勉強にあれこれ介入
したりするのが、それ。そういう親のほうが、多いかもしれない。少し学習面で子どもが伸び始
めたりすると、「さらに……」「もっと……」と無理をする。子どもの意向や希望など、まったく無
視。

 「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と、思いこんでいる親ほど、失敗しやすい。
おけいこ塾でも、あれこれ親のほうで、勝手に決め、またやめるときも、親のほうで、勝手に決
める。

 しかしリズムというのは、一度壊れると、それを修復するのは、ほぼ不可能。それだけではな
い。新しいリズムをつくろうとしても、まちがいなく、失敗する。子ども自身が、リズムをつくれなく
なる。で、この段階で、子どものばあい、二つのタイプに分かれる。

 そのまま勉強から遠ざかっていくタイプ。もう一つは、服従的に親に従いつづけるタイプ。従う
といっても、ただ従っているだけ。フリ勉、ダラ勉、時間ツブシがうまくなるだけ。どちらにせよ、
子どもにとって、よいことは、何もない。

 つまり、子どものもつ、リズムは大切にする。そのことがわからなければ、自分のことで考え
てみればよい。それが、冒頭に書いた私の陶芸教室の話である。
(030831)

++++++++++++++++++++

以前、書いた、子どものやる気論を、
少し手なおしして、送ります。

++++++++++++++++++++

●やる気論

 人にやる気を起こさせるものに、二つある。一つは、自我の追求。もう一つは、絶壁(ぜっぺ
き)性。

 大脳生理学の分野では、人のやる気は、大脳辺縁系の中にある、帯状回という組織が、重
要なカギを握っているとされている(伊藤正男氏)。が、問題は、何がその帯状回を刺激する
か、だ。そこで私は、ここで(1)自我の追求と、(2)絶壁性をあげる。

 自我の追求というのは、自己的利益の追求ということになる。ビジネスマンがビジネスをとお
して利潤を追求するというのが、もっともわかりやすい例ということになる。科学者にとっては、
名誉、政治家にとっては、地位、あるいは芸術家にとっては、評価ということになるのか。こう
決めてかかることは危険なことかもしれないが、わかりやすく言えば、そういうことになる。こう
した自己的利益の追求が、原動力となって、その人の帯状回(あくまでも伊藤氏の説に従えば
ということだが)を刺激する。

 しかしこれだけでは足りない。人間は追いつめられてはじめて、やる気を発揮する。これを私
は「絶壁性」と呼んでいる。つまり崖っぷちに立たされるという危機感があって、人ははじめて
やる気を出す。たとえば生活が安定し、来月の生活も、さらに来年の生活も変わりなく保障さ
れるというような状態では、やる気は生まれない。「明日はどうなるかわからない」「来月はどう
なるかわからない」という、切羽つまった思いがあるから、人はがんばる。が、それがなけれ
ば、そうでない。

 さて私のこと。私がなぜ、こうして毎日、文を書いているかといえば、結局は、この二つに集
約される。一つは、その先に何があるか知りたいということ。「その先に何があるかを知りた
い」というのは、立派な我欲である。ただ私のばあい、名誉や地位はほとんど関係ない。とくに
インターネットに原稿を載せても、利益はほとんど、ない。ふつうの人の我欲とは、少し内容が
違うが、ともかくも、その自我が原動力になっていることはまちがいない。

 つぎに絶壁性だが、これはもうはっきりしている。私のように、まったく保障のワクの外で生き
ている人間にとっては、病気や事故が一番、恐ろしい。明日、病気か事故で倒れれば、それで
おしまい。そういう危機感があるから、健康や安全に最大限の注意を払う。毎日、自転車で体
を鍛えているのも、そのひとつということになる。あるいは必要最低限の生活をしながら、余力
をいつも未来のためにとっておく。そういう生活態度も、そういう危機感の中から生まれた。もし
この絶壁性がなかったら、私はこうまでがんばらないだろうと思う。

 そこで子どものこと。子どものやる気がよく話題になるが、要は、いかにすれば、その我欲の
追求性を子どもに自覚させ、ほどよい危機感をもたせるか、ということ。順に考えてみよう。

(自我の追求)
 教育の世界では、(1)動機づけ、(2)忍耐性(努力)、(3)達成感という、三つの段階に分け
て、子どもを導く。幼児期にとくに大切なのは、動機づけである。この動機づけがうまくいけば、
あとは子ども自身が、自らの力で伸びる。英語流の言い方をすれば、『種をまいて、引き出す』
の要領である。

 忍耐力は、いやなことをする力のことをいう。そのためには、『子どもは使えば使うほどいい
子』と覚えておくとよい。多くの日本人は、「子どもにいい思いをさせること」「子どもに楽をさせ
ること」が、「子どもをかわいがること」「親子のキズナ(きずな)を太くするコツ」と考えている。し
かしこれは誤解。まったくの誤解。

 三つ目に、達成感。「やりとげた」という思いが、子どもをつぎに前向きに引っぱっていく原動
力となる。もっとも効果的な方法は、それを前向きに評価し、ほめること。

(絶壁性)
 酸素もエサも自動的に与えられ、水温も調整されたような水槽のような世界では、子どもは
伸びない。子どもを伸ばすためには、ある程度の危機感をもたせる。(しかし危機感をもたせ
すぎると、今度は失敗する。)日本では、受験勉強がそれにあたるが、しかし問題も多い。

 そこでどうすれば、子どもがその危機感を自覚するか、だ。しかし残念ながら、ここまで飽食
とぜいたくが蔓延(まんえん)すると、その危機感をもたせること自体、むずかしい。仮に生活
の質を落としたりすると、子どもは、それを不満に転化させてしまう。子どもの心をコントロール
するのは、そういう意味でもむずかしい。

 とこかくも、子どものみならず、人は追いつめられてはじめて自分の力を奮い立たせる。E君
という子どもだが、こんなことがあった。

 小学六年のとき、何かの会で、スピーチをすることになった。そのときのE君は、はたから見
ても、かわいそうなくらい緊張したという。数日前から不眠症になり、当日は朝食もとらず、会場
へでかけていった。で、結果は、結構、自分でも満足するようなできだったらしい。それ以後、
度胸がついたというか、自信をもったというか、児童会長(小学校)や、生徒会長(中学校)、文
化祭実行委員長(高校)を、総ナメにしながら、大きくなっていった。そのときどきは、親としてつ
らいときもあるが、子どもをある程度、その絶壁に立たせるというのは、子どもを伸ばすために
は大切なことではないか。

 つきつめれば、子どもを伸ばすということは、いかにしてやる気を引き出すかということ。その
一言につきる。この問題は、これから先、もう少し煮つめてみたい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

幼児の肛門期

 「排出」することの快感は、多くの場で経験する。もっともわかりやすいのは、大便や小便。大
便や小便を排出するときは、気持ちよい。(汚い話で、すみません。)

女性には、便秘症の人は多いという。「さぞ、タイヘンだろう」と思いがちだが、本人は、どうも
そうではないようだ。「ドンブリ、二杯分くらいの大便をしたあとは、すごく気持いい」(ある週刊
誌での告白コーナー)と言った人がいた!

 子どもは、ある時期、排出する快感を覚える。それが、フロイトがいう「肛門期」である(「性欲
と肛門愛」(一九〇五)。

 この肛門期を通して、子どもは、「排出」の快感と「保持」の苦痛を経験するという。排出と保
持は、いわばペアの関係とみてよい。

 たとえば自分が何かの重大な秘密を知ったとする。たとえばUFOを目撃したとか。こうした秘
密をもつと、だれかに話したいという衝動にかられる。あるいは反対に、自分だけのとっておき
の秘密にしておきたいと思うかもしれない。(話したい)というのが、排出。(秘密にしておきた
い)というのが、保持ということになる。

 (ずいぶんと勝手な解釈で、フロイト研究者の方に、叱られそうだが、この際、そんなことはど
うでもよい。フロイトがまずいなら、「はやし浩司学説」でもかまわない?)

 つまり排出する快感は、何も大便や小便にかぎらないということ。大便や小便は、あくまで
も、その象徴にすぎない。

 一方、排出の反対側に、保持がある。たとえば子どものばあい、赤ちゃんがえりから、心因
的な便秘を繰りかえすことがある。本来なら、弟(妹)にはげしく嫉妬(しっと)し、弟(妹)を、攻
撃したいのかもしれない。しかしそういう自分をさらけ出すと、自分の立場そのものがなくなる。
そこで(自分を出すこと)を、がまんする。これが保持である。便秘というのは、あくまでも、その
象徴にすぎない。

 実際のところ、保持するというのは、不愉快なこと。徒然草の中にも、「もの言わぬは腹ふくる
る業(わざ)なり」(吉田兼好)というくだりがある。「言いたいことも言えないというのは、不愉快
なことだ」と。

 A君(三歳男児)は、慢性的な便秘症であった。下の子ども(弟)が生まれてから、そうなっ
た。母親の話では、一週間くらい大便を出さないこともあるという。

 そのA君は、親の前では、よい兄を演じていた。親も、そう思っていた。ときおり弟とけんかす
ることもあったが、そのけんかも、「ある一定の範囲のけんか」だったという。A君は、日常的
に、自分を押し殺していた(?)。それが便秘という形で現れた(?)。

 自分をさらけ出すということは、それ自体が、快感である。解放感がともなう。私もオーストラ
リアでの学生時代、ストリーキングを経験している。紙袋だけを頭にかぶり、素っ裸で、カフェの
テーブルの間を走り回るという、あれである。あのとき感じた解放感は、今でも忘れることがで
きない。

 したいことをする。
 言いたいことを言う。
 
 それがここでいう排出ということになる。そしてその原点は、乳幼児期の「肛門期」にあるとい
うわけである。

 が、その排出がうまくできない人がいる。どこかでがまんしてしまう。がまんするだけならまだ
しも、自分をごまかしてしまう。そしてそういう「歪(ひずみ)」が、その人自身の精神状態を不安
定にし、人間性をゆがめることがある。

 先にあげたA君も、人前では、弟思いの、心のやさしい兄で、とおっていた。しかしそれは本
来のA君の姿ではない。どこがどのようにゆがんでいるかは、今の段階ではわからないが、そ
のうちわかってくる。

 さて、問題は、子どもというより、あなた自身である。あなたは、自分を排出しているだろう
か。あるがままの自分をさらけ出し、伸び伸びと生きているだろうか。そうなら、それでよし。も
しそうでないなら、一度、自分自身の過去をのぞいてみるとよい。そのとき、あなたの子ども
が、ヒントになる。あなたの子どもを参考にしてみる。そう、あなたの子どもは、今、自分をさら
け出して生きているかどうか、それを客観的に判断してみるとよい。それを手がかりに、自分を
知るとよい。
(030901)

●幼児教育の世界では、自分の姿を、あるがままにさらけ出すことができる子どもを、「すなお
な子ども」という。

           ◯   
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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●青年の樹(き)

雲が流れる 丘の上
花の乱れる 叢(くさむら)に
共に植える ひともとの
ひともとの
若き希望と 夢の苗
空に伸びろ 青年の樹よ


嵐すさぶ 日もあらん
憂いに暗い 夜もなお
腕組み合わせ 立ち行かん
立ち行かん
熱き心と 意気地もて
森に育て 青年の樹よ


多感の友よ 思わずや
祖国の姿 今如何に
明日の夜明けを 告げるもの
告げるもの
我等をおきて 誰かある
国を興(おこ)せ 青年の樹よ

(作詞、東京都知事・石原慎太郎氏)

 私は学生時代、悲しいことやつらいことがあると、決まってこの歌を口ずさみ、自分をなぐさ
めた。今でも、ときどき、この歌が、口から出てくる。

 で、この歌には、こんなエピソードがある。

 私がオーストラリアのカレッジで、この歌を歌っていると、一人の友人(オーストラリア人)が、
「それは何の歌か?」と。そこで私が、「これはすばらしい歌だ。訳してあげよう」と言って、訳し
てやった。

「雲が、丘の上に流れて、みんなで青年の木という木を植えた。その木よ、伸びろという歌だと
教える」と、その友人は、顔をかしげて、「何だ、そんな歌か」というような顔をした。

 で、私が「いい歌詞だろ」とたたみかけると、「ヒロシ、雲が丘の上にあるって、そんなことは何
でもないではないか」と。彼らには、日本的なデリカシーが理解できないようだ。

 しかし、これと反対のことがある。

 ずいぶんと昔だが、一人の高校生(男子)が、興奮したおももちで私のところにやってきて、こ
う言った。「先生、すばらしい歌がある。翻訳してほしい」と。

 それがロッド・スチュアートの「セーリング」だった。が、訳してみると、何でもない歌詞。

 「ぼくは、航海している。ぼくは航海していると、何でもないよ。海を横切って、あなたのところ
へ帰るって、ね」と。

 その高校生は、がっかりした様子だったが、それからしばらくしたあとのこと。私はその曲を
聞いて、たいへんなまちがいをしたことを思い知らされた。「セーリング(sailing)」は、すばらし
い曲だった。

 あとで、その高校生にあやまったことは、言うまでもない。

●Sailing

               
I am sailing, I am sailing,
home again 'cross the sea.
I am sailing, stormy waters,
to be near you, to be free.


I am flying, I am flying,
like a bird 'cross the sky.
I am flying, passing high clouds,
to be with you, to be free.


Can you hear me, can you hear me
thro' the dark night, far away,
I am dying, forever trying,
to be with you, who can say.


Can you hear me, can you hear me,
thro' the dark night far away.
I am dying, forever trying,
to be with you, who can say.


We are sailing, we are sailing,
home again 'cross the sea.
We are sailing stormy waters,
to be near you, to be free.


Oh Lord, to be near you, to be free.
Oh Lord, to be near you, to be free,
Oh Lord.

(Written by Rod Stewart)

 若いお父さん、お母さんは、「青年の樹」も、「セーリング」も知らないかもしれない。不思議な
ものだ。しかしこういった歌を口ずさむと、そのときの光景のみならず、友の顔、雰囲気、心の
様子まで心の中によみがえってくる。歌というのは、そういうものか。

 そしてもう一つ。そういう歌が出てくるときというのは、そのときの心情と共通するとき。「青年
の樹」が出てくるということは、今がそのさみしいとき、つらいときかもしれない。がんばろう!
(030831)

●ロッド・スチュアートは、最後にこう歌う。
「♪オー、主よ。あなたに近づくために、魂を解放するために。
  オー、主よ、あなたに近づくために、魂を解放するために。
  オー、主よ」と。

 こういう歌を堂々と歌える人が、うらやましい。

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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
11・ 8 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・23 ……奥山小学校
10・18 ……天竜中学校区健全育成会(天竜中、中ノ島小、和田東小、和田小合同)
10・13 ……浜松市上島にて(ママアンドパパス・保育所開園式)
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9.12  ……愛知県岩倉市
9・ 9  ……愛知県稲沢市福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2003年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
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2003年度は、「子育て相談、Q&A」で一年間、連載させていただきます。よろしく!
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名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■悲しき道化師A

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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03−9−11号(285)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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      / ___ \      【1】子育てポイント
       ̄ ̄\_/ ̄ ̄      【2】Touch your Heart
   =| ̄ ̄ ̄ ̄* ̄ ̄ ̄ ̄|=   【3】子育てエッセー
    |__  *  __|    【4】フォーラム
  :  : |___|::   : 
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●はやし浩司から皆さんへ、カードです。(安全性は確認してあります。)
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安心して、開いてください。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【今週の幼児教室より】

 今週は、数の遊びをテーマにしている。簡単な足し算と引き算を、練習した。そのとき、「リン
ゴが4個と、3個では、あわせていくつですか?」と聞いた。子どもたちは、「7個!」と答える。

 そこで私は、電卓をもってきて、「ええーと、3足す、4は……」と。

 それを見ていて、一人の女の子が、こう言った。「あんた、本当に、先生?」と。

 すかさず、私はこう言った。「ええと、この電卓は、何々、ホグワーツ、グリフィンドール、ハリ
ーポッター……?」と。

子「何、それ?」
私「これは、ハリーポッターが使っている、魔法の計算機だ」
子「魔法?」
私「そう……。何でも、未来がわかるそうだ」
子「……?」
私「ところで、君の名前は、何というの?」
子「コイズミ・マサコ……」
私「小泉雅子さんね……。20年後の小泉雅子さんは……、(電卓をパチパチ叩きながら)、エ
エート、すごいねえ。君は、20年後には、世界で一番すばらしい科学者になっているよ。20年
後の今日、あなたはアメリカで、自分の意見を発表しているよ」と。

 これを数人の子どもたちに繰りかえすと、子どもたちの表情が、どんどんと明るくなっていくの
がわかる。

 すると一人の子どもがこう言った。「先生の20年後は?」と。

 そこで私が、「ハヤシ・ヒロシの20年後は……」と言いながら、電卓をたたき、そのあと、思い
っきり、暗い表情をしてみせる。

子「どうしたの、先生?」
私「……ワーッ……」
子「どうしたの?」
私「言えない……」
子「いいから、言ってよ」
私「ワーッ、アアアア」
子「どうしたの? どうなるの?」
私「この魔法の電卓によれば、ぼくは、……20年後には、クソジジイになって、死んでいるって
……」と。

 子どもたちは、うれしそうにゲラゲラと笑ったので、私はこう言った。「君たちは、人の不幸
が、そんなにうれしいのか!」と。

 幼児教室では、絶対に、子どもの未来を脅してはいけない。明るい夢と希望だけをもたせ
る。それについてだけ、話す。これは幼児教育の大原則! 改めて言うまでもないことだが…
…。
(030904)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

R幼稚園での質問より

●突発的にキーキー声をあげて、母親にかみついたりする。どうしたらよいか。……過剰行動
児が疑われるので、砂糖断ちをする。身辺から甘い食品を一掃する。一週間ほどで、落ちつい
てくる。

●長男を好きになれない。……根が深い問題なので、あせってはいけない。一つのヒントとし
て、自分自身の幼児期、なかんずく、自分と実父の関係を疑ってみる。何か大きなわだかまり
があるはすである。この問題は、そのわだかまりがあることだけでも気づくだけでよい。あとは
時間が解決してくれる。

●年長児の息子だが、いつもおっぱいを求めてくる。……スキンシップを求めてきたときが、与
えどき。こまめに、ていねいに与えてあげる。短時間、ぐいと抱くことで、じゅうぶん。その母親
は「恥ずかしいから、やめてね」と言っているそうだが、「恥ずかしい」という言葉は、使ってはい
けない。恥ずかしいことではない。言うとしても、「くすぐったいから、やめてね」と。

●弟(年長児)のほうが、できがよく、兄(小三)が、何かにつけて負ける。弟が、兄をバカにす
るような言動がみられる。……兄への愛情をしっかりと守る。親が、「兄はダメな子」と思ったり
すると、その心は、確実に弟に伝わる。そういう「心」だけは、絶対にもたないようにする。兄弟
といえども、そこは、純粋な人間関係。親が立ち入ることができない部分もある。あとは「流れ」
に任すしかない。

【余談】

 質問の席で、「おっぱい」の話が出たのには、正直言って、困惑した。私は幼児教育をして、
三三年になるが、女生徒はもちろん、女児について、頭(撫でるとき)と、背中(姿勢を正すと
き)以外は、体に触れたことがない。抱くときも、親の許可をもらってから、抱くようにしている。

 そういうこともあって、「おっぱい」について、今まで論じたことは一度もない。が、その話題に
なったとき、近くにいた母親まで、「うちの娘も……」「うちの息子も……」と、ワイワイと言い出し
た。

 だから私も言ってしまった。「どうして子どもが、母親のおっぱいを求めてはいけないのです
か? 私も大好きです」と。そういう話題が、若い母親から出るということは、ますます私が「男」
に見られなくなったことを、意味する。あああ。

 結論から言うと、おっぱいの嫌いな子どもはいない。一応「嫌い」と言う子どももいるが、それ
は体面上、そう言っているだけ。子どもにかぎらず、ふつうの男(おとな)なら、みな、好き。本
当に嫌いという男(おとな)がいるとしたら、どこかまともでないと疑ってかかってよい。

 いろいろな相談を受けてきたが、この質問のときは、居心地が悪かった。で、私としては、そ
の質問には、簡単に答えて、早く逃げたかった。しかしそういう質問にかぎって、長々とつづく。

私はそういう言葉を平気で口にする、若い母親たちを見ながら、「私だって、男だぞ!」と、何
度も心の中で叫んだ。みなさん、若くてきれいな人ばかりだった……。だからよけいに、そう思
った。
(030905)

  ‖                 
 :−−           ‖   
  ‖            :−− 
        ‖      ‖    テーマがあれば、どうかお寄せください。
       :−−           具体的に、相談内容を書いてくだされば
        ‖              うれしく思います。
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

自信がない?

 女子高校生たちの間で、こんなアルバイト(?)が、はやっているという。「エッチなし。体にタ
ッチだけで、一時間一万円というアルバイト」だ、そうだ(Y新聞・九月三日付)。

 そういう記事を読むと、「一時間一万円かあ?」と、おかしな気分になる。それはちょうど、銀
行強盗か何かで、短時間で大金を手にした人の話を聞くのに似ている。だからといって、実際
に行動するかどうかは別として、また、それを容認するわけでもない。が、しかし……?

 私のことを、聖人のように思っている人は多い。「教育評論をしています」と言うと、なおさら
だ。しかし私は聖人でも何でもない。ただの人間。ただの男。しかし世間は、それを許してくれ
ない。そのことは、親たちが、私を見る目をみればわかる。

 しかし私は、ときどき、(本当はいつも)、そういう目を、うるさく思う。私はいつも、親たちの前
では、優等生でなければならない。模範生でなければならない。何か質問されても、それなりの
答を言わなければならない。それをときどき、(本当はいつも)、苦痛に感ずることがある。

 私は、その記事を読んで、ふとこう思った。「こういう記事を書いている記者自身は、どうなの
か?」と。つまり、こういうことを、さも善人ぶって批判して書いている記者自身は、そういう感覚
とは、無縁の世界に生きているのか、と。

 私はこうしてマガジンを発行していて、ときどき(本当はいつも)、無力感を感ずることがある。
「いくらがんばっても、スケベマガジンにはかなわない」という無力感である。私のマガジンの読
者は、やっと、1100人。しかしスケベマガジンの読者は、どれも万人単位。一〇万人を超える
のも、ある。スケールが違う?

 私は、自分の弱さを知っている。知っているから、(そういう世界)には、近づかないようにして
いる。たとえばきれいな女子高校生が寄ってきて、「おじさん、一時間一万円でどう?」と言った
としたら、私はどうするだろうか。私は、それを断るだろうか。それを断る勇気はあるだろうか。

 経験がないので、何とも言えない。が、断るにしても、それは自分の意思というよりは、立場
を考えてのこと。知人の中には、それこそ何も考えないで、そういう(遊び)をしている男もい
る。しかし私はそういう状況になったら、考えこんでしまうと思う。だから、結局は、断ると思う。

 つまり私には、自信がない。ないから、「一時間一万円かあ?」と思ってしまう。これは私の若
いころからの密かな計画だが、ときどき寝る前に、あれこれ銀行強盗のし方を考える。

 もちろん考えるだけで、実行するつもりはない。しかし私の考えている方法は、すごい! 絶
対、成功する。いつかハリウッド映画に、アイデアを売ってみたいと考えている。そう言えば先
週も、銀行で待たされているとき、そのことを頭の中で考えていた。

 だからこの問題、つまり女子高校生たちの(遊び)については、コメントのしようがない。ただ
言えることは、こういうこと。

(1)アメリカ並に、未成年者と、ハレンチな行為をしたら、そのおとなを、厳罰に処する。

 私のような弱い人間も多いはずだから、そういう人間は、そういう形で、法律によってしばるし
かない。実のところ、私自身が、それを望んでいる。刑罰が重いとわかっていれば、女子高校
生に声をかけられても、即座にそれを断るだろう。そういうだらしない私のような人間のために
も、法をきびしくしてほしい。ホント!
(030904)

         ,ミヽ  ミヽ
         へ ミ ヽ へ ミヽ
        ∂  ミミ∂ へミミ
        ζ  っノι ∂ ミミ8彡
        ヒ___ノ 人v "丿彡'
    |)─○  / ヽ  `>−<
     // \\_/_∧ \_/_/ ヽ ≡=   賛助会にどうか、ご入会ください。
   ___//  \_/_ξ ̄ ̄ノ_ __)      現在、お礼に、イラスト(額つき)を
  / _ \  / ____ ̄フ _____ノ  ≡=−   送っています。
  // \ \ / /   ̄/ /   ̄)
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

二重苦、三重苦

●K塾へ入った、M君

 あのね、学校でさんざんいやな思いをしている子どもを、また塾へ入れて、いやな思いをさせ
たら、どうなりますか? ものごとは、子どもの立場で考えましょう。

 よくあるのは、学校での成績がおもわしくないという理由で、塾へ入れるケース。子どもがそ
の(必要性)を感じていれば話は別だが、そうでないときは、かえって子どもを苦しめることにな
る。もう少し、具体的に例をあげて考えてみよう。

 M君(小五)は、学校では、「悲しい道化師※」だった。勉強が苦手ということを、ごまかすた
めに、皆の前で、いつもふざけてばかりいた。一見、明るい子どもに見えたが、それはまさに
彼、独特の、演技だった。

 たとえば先生にさされて、黒板の前に立つときも、わざとちょろけたり、ほかの子どもにちょっ
かいを出したりした。冗談を言ったり、ギャグを口にすることもあった。M君は、みなにバカにさ
れるよりは、おもしろい男、楽しい男と思われることで、その場を逃れようとした。それは意識
的な行動というよりは、無意識に近い、行動だった。

 そんなM君を、親は、指導がきびしいことで有名な、K塾に入れた。K塾では、毎月テストをし
て、その成績順に生徒をイスに座らせた。M君は、その塾でも、悲しい道化師を演じようとし
た。しかし、K塾では勝手が、ちがった。

 M君は、いつもそのクラスの、左側の一番うしろに座った。そのクラスでも、成績がビリの子
どもが座る席である。ふざけたくても、ふざけられるような雰囲気すら、なかった。M君は、ただ
小さくなっているだけだった。

 M君が、どんな気持ちでいたか。それがわからなければ、あなた自身のことで考えてみれば
よい。

 学校でさんざん、いやな思いをしている。そういうあなたが、また塾で、いやな思いをさせられ
たら、あなたはどうなる? こういうのを二重苦という。が、それだけではすまなかった。M君
は、今度は、家に帰ると、母親に叱られた。「こんな成績で、どうするの!」「いい学校に入れな
いわよ!」と。二重苦ではなく、三重苦が彼を襲った。

●できない子どもほど、暖かく

 簡単なことだが、勉強が苦手な子どもほど、家庭や、塾では、暖かく迎える。「学校」を大切に
考えるなら、そうする。

 だいたいにおいて、生徒に点数をつけ、順位を出して、さらにその成績順に席を決めるという
のは、人間のすることではない。この日本では、そういうのを教育と思っている人は多い。その
ため疑問に思う人は少ない。しかしこんなアホなことを「教育」と思いこんでいるのは、日本人
だけ。家畜の訓練でさえ、そんなアホなことはしない。

 が、ここで大きな問題にぶつかる。親自身が、こうした暖かさを否定してしまうことがある。中
には、きびしければきびしいほどよいと考える親がいる。このタイプの親にとって、「きびしい」と
いうのは、「子どもをより苦しめる」ことを意味する。「苦しめば、それをバネとして、より勉強す
るはず」と。

 しかしこうした(きびしさ)は、成功する例よりも、失敗する例のほうが、多い。最初に書いたよ
うに、子ども自身が、それだけの(必要性)を感じていれば、話は別だが、そういうケースは、少
ない。

 M君は、やがて塾へ行くのをしぶり始めた。当然だ。あるいはあなたがM君なら、そういう塾
へ行くだろうか。が、親は、塾からもらってくる成績を見ながら、ますますK君を責めたてた。こ
うなると、行きつく先は、明白。気がついたときには、M君から、あの明るい笑顔は消えてい
た。

 今、M君は、小学六年生になったが、学校でも、先生にさされても、うつろな目で、ボーッとし
ているだけ。ふざけて、みなを、笑わす気力もない。

 もちろん中には、精神的にタフというより、どこか鈍感に見える子どももいる。しかしそういう
子どもでも、深くキズついている。心のキズというのは、そういうもので、外からは見えない。見
えないだけに、安易に考えやすい。だから教訓は、ただひとつ。

 できない子どもほど、暖かく。
 できない子どもほど、二重苦、三重苦に追いこんではいけない。

 最後に、「ではどうすればいいのか?」という親に一言。そういうときは、「あきらめる」。あな
たがごくふつうの人であるように、あなたの子どもも、ふつうの人間として、それを認める、受け
入れる。その割り切りのよさが、子どもの心に風穴をあける。

 こういうM君のようなケースでは、親が、「まだ何とかなる」「そんなはずはない」「うちの子は、
やればできるはず」と思えば思うほど、かえって子どもの成績はさがる。親子の関係もおかしく
なる。さらに子どもの心もゆがむ。まさに百害あって一利なし、という状態になる。
(030902)

●「悲しき道化師」というのは、私が考えた言葉。
勉強ができない子どもは、さまざまな形で、それをみなに知られるのを、防ごうとする。その一
つが、「道化師」を演ずること。まわりを茶化すことで、自分ができないことをみなに、知られな
いようにする。ひょうきんな顔をして見せたり、ふざけたりする。バタバタと暴れてみせたり、先
生をからかったりする。このタイプの子どもは、「勉強ができない仲間」と思われるより、「おもし
ろい仲間」と思われることを望む。つまりそうすることによって、自分の自尊心(プライド)がキズ
つくのを防ぐ。一見、楽しそうに見えるが、心の中は、悲しい。だから「悲しき道化師」と、私は
呼んでいる。

           ◯   
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      〜〜〜〜〜〜〜    役に立つ情報を、書きとめておこうと思います。
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

心の不思議

 A氏(五七歳)は、親から億単位の遺産を受けついだ。土地、各種債権、貯金など。うらやま
しい話である。

 しかしそのA氏、それまで以上に、ケチになった。祭りの寄付金にすらケチるようになった。さ
らには、自分の土地の管理費までケチるようになった。近所の人がそれとなく批判すると、こう
言ったという。「税金が、バカにならないんだよ」と。

 こういう例は、多い。常識で考えれば、(あくまでも私の常識だが……)、どうせ天から降って
きたようなお金。そんなにこだわることはないと思うのだが、こういうとき、人間の心には、別の
作用が働くようだ。こんなこともある。

 子どもが出世(この言葉は、好きではないが……)したとたん、威張りだす親がいる。概して
みれば、母親に多い。自分のことではないのに、自分のことのように思ってしまうらしい。

 先のA氏も、そうだ。自分で稼いだお金ではないのに、自分で稼いだお金のように思ってしま
う? しかしこうした心理は、人間が全体としてもつ心理かもしれない。

 たとえば若い男女が、自分の容姿を、自分のものと思いこんでしまうのも、そう。指一本、そ
の指にある細胞一つ、自分でつくったわけでもないのに、自分のものと思いこんでしまう。そし
てその容姿に、一喜一憂してしまう。

 遺産にせよ、子どもにせよ、はたまた体にせよ、もちろん「その人のもの」だが、しかし、それ
以上に、自分のものと思いこんでしまう。「それ以上」というのは、どこかで一線を超えるという
こと。(だからといって、お金や子ども、体を粗末にしてよいということではない。誤解のないよう
に!)

 こんなこともあった。

 息子の一人が、悪友にお金を貸し、かなり不愉快な思いをしたらしい。わずかな金額だか
ら、それほど気にすることもなかったはず。それにそのお金というのは、私がもともと小づかい
として、渡したもの。その私が、「またあげるから、そんなお金のことは忘れろ」と言ったが、息
子は、納得しなかった。

 そのときも、同じように、「?」と思った。もともと自分で苦労して稼いだお金でもない。そのお
金に、息子は、なぜ、こうまで執着するのか、と。

 私は、こうした現象は、脳ミソの欠陥によるものだと思う。一度、「自分のもの」と思いこんでし
まうと、その時点から、それを基準にしてものを考え始めてしまう。視野がせまくなるというか、
短絡的になるというか……。

 実は、こう書きながら、この問題には、さらに大きなテーマが潜んでいるのがわかる。「人生」
とか、「命」とか、そういうものを考えたときも、同じことが言える。

 私はこうして、自分で考えてものを書いている。苦労して集めた資料も多い。で、先日も、「学
校恐怖症」についての記事を集めていたら、何と、私が新聞に発表した記事を、そっくりそのま
ま、自分のホームページに載せている人がいることを知った。

 そのとき、私はかなりカチンときたが、すぐ、「私がかいたものは、私のものか」と思いなおす
ことで、怒りをしずめることができた。(だからといって、許しているわけではない。誤解のない
ように!) もしこの段階で、カリカリすれば、貸したお金のことで、イライラした息子と、どこも違
わないことになる。

 さらに、人生はどうなのか? 命はどうなのか?、という問題もある。私たちは皆、「私のも
の」という大前提で考えているが、本当に、そうなのか、と。あるいは、そう思いこんでいるだけ
ではないのか、と。

 今、じっと、自分の手をながめる。たしかに、私の手だ。しかしこの手は、私がつくったもので
はない。少なくとも、苦労した覚えは、ほとんど、ない。しかし私のものだ。ためしに、指を少し、
動かしてみる。動く……。当たり前のことだが、その当たり前のことが、不思議でならない。

 話がこみいってきたが、冒頭にあげたA氏の話は、わかりやすい。しかし実は、A氏と同じこ
とを、私たちは、自分の人生や、命にもしているのでないかということ。「どうせ自分でつくったも
のではないではないか」と、心のどこかで考えることも、必要ではないかということ。

 繰りかえすが、だからといって、お金や子ども、それに体を粗末にしてよいということではな
い。誤解のないように!
(030902)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

今、考えていること

●インターネット時代の人間関係

 インターネットをするようになって、他人との関わり方が、かなり変わってきた。たとえば、年
賀状を書くにも、暑中見舞いを書くにも、それをすごくめんどうに思うようになったことがある。
実際には、枚数が、ぐんと減った。今年などは、暑中見舞いは、ほんの数枚しか書いていな
い。年賀状も、この数年、毎年、一〇〇枚単位で減っている!

 若いころは、盆暮れのつけ届けも、欠かしたことがなかった。毎年、世話になった人には、こ
まめに礼状を出していた。それも、この数年、極端に少なくなった。不況だということもある。

 一方、人間関係が、広くなった。信じられないほど、広くなった。そしてそのつど、瞬時に、あ
いさつをしたり、礼を言うようになった。テンポが、メチャメチャ。メチャメチャ、早くなった? 以
前なら、数か月かけて、人間関係をつくったが、今では、その気になれば、数日で、同じことが
できる。

 もちろんその分だけ、別れるのも早い? つぎからつぎへと、波のように打ち寄せる人間関
係。こういった人間関係をつづけていると、ときどき、だれがだれなのか、さっぱりわからなくな
ることさえある。

 それがよいことなのか、悪いことなのか、今はまだ結論を出せないでいる。仮に悪いことだと
しても、やがてそういう欠陥は、補われることになる。たとえば今は、文字情報が主体だが、そ
のうち、相手の顔を見ながら交信するということも、一般的になる。だから今、あれこれ問題が
あるからといって、インターネットを否定することはできない。

●数字の世界

 プロ野球は、まさに数字のかたまり。打率にはじまって、防御率だの、打点数だの、糖類数
だの。それぞれに、順位があって、実にこまめに、それが記録される。

 同じように、インターネットも数字のかたまり。マガジンにしても、ホームページにしても、こち
らが望んでもいないのに、数字で、アクセス数を報告してくれる。最近、GOOでも、ホームペー
ジを登録したが、こちらでは、一時間ごとのアクセス数まで、グラフで表示してくれる。

 ほかにマガジンも、毎日、読者数とランキング。ホームページを、各種、専門の検索ガイドに
載せると、そのつど、やはりアクセス数と順位。あっちをのぞいても、こっちをのぞいても、まさ
に数字だらけ!

 言うなれば、こうした数字は、テストをしたあとに発表される、点数と順位のようなもの。そうい
った数字が、怒涛(どとう)のように、押しよせる。

 が、問題は、この先。

 つい油断していると、そういった数字を、気にするようになる。……なってしまう。ときどきいろ
いろなランキング表を見て、「だいじょうぶかな?」と思ってみたり、「どうしたんだろ?」と心配し
たりする。いつの間にか、自分が数字に振りまわされていることを知る。

 私はそんなわけで、プロ野球を見ながら、「さぞかし、選手のみなさんも、たいへんだろうな」
と思ってしまう。試合ごとに、「今日は、五打席、ノーヒットでしたね」と、レポーターが報告してい
るのを見ると、選手がかわいそうにすらなる。ひょっとしたら、選手は、そういった数字を気にす
ることなく、ただ野球を楽しみたいだけなのかもしれない。

 私も、だから、最近は、あまり数字をみないようにしている。(それでも、見てしまうが……)。
マガジンの読者数にしても、「読んでくれる人がいれば、それでいいのでは」と思いなおすように
している。

 それに……。仮に読者数が、一〇人でも、また一万人でも、私はそのつど、懸命に書いて、
自分を吐き出すだけ。また一〇万人になったところで、世界の人口は何百億! しょせん、ドン
グリの背比べ? 今のペースで行っても、1000号までに、読者が2000人になればよいとこ
ろ。スケベマガジンなどは、どれも、数万人もの読者をかかえている! しょせん、勝ち目がな
い。あああ。
(030902)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

K国の金XX

 とうとう中国が、正規軍15万人を、中朝国境に配置した。香港「星島日報」によれば、「中国
は今年8月半ばから下旬にかけ、北朝鮮との国境地域一帯に配備された従来の武装警察に
代わり、3個軍団兵力15万余人からなる人民解放軍に交替配備する作業を終えた」とのこと
(9月4日)。

 わかりやすく言えば、中国は、K国の金XXを、見限ったということ。これでK国の金XXを支援
する国は、一つもなくなった。さすが、中国、やることが早い!

 さらに同じ「星島日報」によれば、中国は、「中朝友好合作相互援助条約」(軍事条約)の見な
おしにも着手したもようである。わかりやすく言えば、仮にアメリカとK国が軍事衝突をしても、
中国は、K国に加担しないということ。

 あたりまえだ。あんな頭の狂った金XXと、同盟関係を結ぶほうが、おかしい。まちがってい
る。こういうのを、「四面楚歌」という。金XXが、知る由もない言葉だが……。

 それにしてもトンチンカンなのが、韓国外交。この場におよんでも、アメリカとK国の仲介役を
するなどと言っている。日本人も平和ボケしているが、韓国人の平和ボケも、すごい。まったく
現実が、わかっていない。

 問題はこれからだ。

 K国は、すでにもっている核兵器を使って、やがて核実験をしてみせるだろう。パキスタンか
ら買った核兵器だが、あたかも自分で作ったかのように見せて、そうするだろう。金XXのやり
そうなことだ。

 で、一挙に、アメリカ、中国は態度を硬化。韓国だけは、最後の最後まで、K国の肩をもつか
もしれないが、それもやがて破綻する。中国は、援助を停止。そこでK国は、外に向かって戦
争をしかける。

 その矛先が、日本。で、ここが重要だが、日本は、絶対に、その挑発にのってはいけない。ど
んなことがあっても、のってはいけない。のったら最後、ミサイルがビュンビュンと飛んでくる。と
くに注意してほしいのが、東京都知事のI氏。ああいう人は、頭が熱くなりやすいので、注意す
る。

 ここは国際世論に訴えて、そして世界と歩調をあわせて、経済制裁をする。そのためにま
ず、安保理での非難決議を取りつける。あとはK国をしめあげて、金XX体制を自然死させる。
K国の人たちを、解放する。

 以上、はやし浩司の、K国時評。

(この原稿は、9月4日に書いたものです。9月9日に大きな動きがあると思われますので、そ
のときは、ここに書いたのとは、ちがった状況になっているかもしれません。もちろん平和であ
るにこしたことはありませんが、私たち日本人も、覚悟すべきことは、覚悟するしかないのでは
ないのではないでしょうか。)

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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞






件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■運命論

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   =| ̄ ̄ ̄ ̄* ̄ ̄ ̄ ̄|=   【3】子育てエッセー
    |__  *  __|    【4】フォーラム
  :  : |___|::   : 
 :\::\:  !!  :/: :/:
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●はやし浩司から皆さんへ、カードです。(安全性は確認してあります。)
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安心して、開いてください。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

軽い問題、重い問題

 子どもの左利きのことで、悩んでいる親は多い。中には、真剣に悩んでいる親もいる。そうい
う親からの相談を受けると、「そんなことは、何でもないですよ」と、つい言いそうになる。

 一方、子どもの重い障害で悩んでいる親もいる。そういう親から相談を受けると、自分の無力
感を、つくづくと思い知らされる。「私では、どうしようもないのだ」と、つい言いそうになる。

 軽い問題で悩んでいる親は、それだけハッピーな親ということになる。つい先日も、教室を参
観したあと、こう言った母親がいた。「うちの子は、みなが手をあげるようなとき、まわりをキョロ
キョロ見ています。どうしたらいいでしょうか」と。その母親は、その母親なりに、真剣だった。

 つまり親というのは、そのレベルで、そのつど、いろいろな問題を自らつくり、その範囲で悩む
ということ。軽いなら軽いなりに、重いなら重いなりに……。そこで大切なことは、どういうレベル
にあるにせよ、自分を客観的に見る目をなくしてはいけないということ。

 子育てをしていて、一番こわいのは、自分や子どもの姿を見失い、袋小路に入ってしまうこ
と。そしてときに、どうでもよいような問題に振りまわされ、一方、深刻な問題を見落としてしまう
こと。

 こんな例がある。

 その子ども(小五)は、いわゆる「破壊的行動障害児※」だった。最近、アメリカで話題になっ
ているタイプの子どもである。ADHD児と違うのは、それなりにきびしく指導すれば、ある程度
は落ちつくということ。ただ突発的に、破滅的な言動を繰りかえす。言動に予想がつかない。学
校の授業などでも、ギャーギャーと騒いで、それを破壊してしまう。

 しかし母親には、まったくその認識がなかった。ないばかりか、「うちの子は、計算がのろい」
「うちの子は、見取り図がじょうずに描けない」「うちの子は、テストのとき、問題をよく読まない」
などと、いわばどうでもよいようなことばかりを、問題にしていた。

 多分、家庭では、きびしいしつけなどで、その子どもは、それなりにおとなしくしているのかも
しれない。あるいは、母親自身が、ほかの子どもを知らないため、自分の子どもを客観的に見
ることができないのかもしれない。私は、その子どもの相談を受けるたびに、「問題は、別のと
ころにあるのですが……」と、つい言いそうになった。

 が、しかしこういうことは言える。

 どんな問題であるにせよ、レベルをほんの少しだけ変えてみれば、問題が問題でなくなってし
まうということ。私のばあい、長男と二男を、私の不注意で、あやうくなくしそうになったことがあ
る。

 それ以来、とくに二男については、「生きていてくれるだけでいい」という思いで、子育てをする
ようになった。またそういう視点で、子どもをみると、あらゆる問題が、その場で解決してしまう
から不思議である。

 不登校を繰りかえしたときも、受験勉強を放棄してしまったときも、「生きているだけでいい」
と。つまりそれが私は子育ての原点ではないかと思っている。

 あなたが子育てでふと行きづまりを覚えたら、ここに書いたことを参考に、少しだけレベルを
変え、視点を変えてみるとよい。それでほとんどの問題は、解決する。

++++++++++++++++++++

以前、書いた原稿を添付します。

++++++++++++++++++++

※破壊的行動障害

 その子どもの破壊的、挑戦的、突発的、衝動的、否定的、拒否的な行動が、一定の秩序あ
る環境になじまない状態にあること、「破壊的行動障害」という。多くは多弁性や、多動性をとも
なう(DSM−Wの診断基準を参考)。

 ADHD児についての関心は大きくなり、各方面で研究がなされ始めているが、この「破壊的
行動障害児」についての研究は、今、日本でも始まったばかりといってよい。軽重の問題もあ
るが、私の経験でも、二〇〜三〇人に一人前後の割合で経験する。U君(小五)という子ども
がそうだった。

 U君は、私が何を注意しても、すべてをギャク化してしまった。まじめな会話ができないばかり
か、私が、まじめか、そうでないかも、判断できなかった。瞬間的なひらめきは鋭いため、学習
面での遅れはそれほど目立たなかった。が、少し目を離すと、周囲の子どもたちを巻きこん
で、騒いでばかりいた。

私「U君、静かにしなさい! 先生は、怒っているんだぞ!」
U「怒ってる、怒ってる、タコみたい」
私「あのな、先生は、今、まじめに怒っているんだぞ!」
U「ははは、怒れば、脳の血管、破れて、先生は、あの世行き」
私「静かに、私の話を聞きなさい!」
U「聞いてる、聞いてる、きいてるのは、肩の湿布薬」と。

 このタイプの子どもの指導のむずかしいのは、叱っても、一時的な効果しかないこと。つぎに
教室という「場」がもつ秩序を、破壊してしまうこと。それにたいていは、家庭できびしいしつけを
受けているため、家庭では、それなりに「いい子」ぶっていていること。そのため親にその認識
がないことなどがある。

 原因については、いろいろいわれているが、性格や性質というより、もっと機質的な部分に原
因がるような印象を受ける。脳の微細障害説を唱える学者(福島章氏ほか)もいるが、じゅうぶ
ん疑ってみる価値はある。

 このタイプの子どもの、もう一つの特徴としては、自己意識によるコントロールができないこと
がある。ふつう、小学三、四年生を境として、自己意識が発達し、子どもは自らをコントロール
するようになる。そして外からは、その症状がわかりにくくなる。が、このタイプの子どもには、
それがない。あたかも意図的に、自ら騒々しくしているといった印象を受ける。

 本来なら、親の協力が不可欠なのだが、ここにも書いたように、たいていは家庭でのきびし
いしつけが日常化していて、家では、それなりに「いい子」であることが多い。(むしろ明るく、活
発な子どもと誤解するケースが多い。)またこうした行動障害は、集団教育の場で現れることが
多く、そのため、家庭では、ほとんど目立たない。しかし家庭でのしつけがきびしければきびし
いほど、その反動として、外の世界で、強く、その症状が現れる。

 対処方法としては、まず親の理解と協力を得るしかない。つぎに、家庭でのきびしいしつけ
を、軽減してもらう。頭ごなしの説教や、威圧、暴力がよくないことは、言うまでもない。このタイ
プの子どもは、「叱られる」ことについて、かなりの免疫力をつけていることが多い。つまりそう
いう免疫力をつけさせないようにする。たとえばこのタイプの子どもは、ふつうの叱り方では、
効果がない。そこで勢い、大声を張りあげて……ということになるが、それは集団教育の場で
は、できるだけ避けなければならない。

 いろいろ問題はある。私のばあい、もう少し若ければ、こうした子どもと直接対峙して、マンツ
ーマンの教育をしてみるだろうが、このところ、その体力の限界を感ずるようになった。これか
らの若い先生方に、解決の方法を考えてもらいたい。
(030724)

  ‖                 
 :−−           ‖   
  ‖            :−− 
        ‖      ‖    テーマがあれば、どうかお寄せください。
       :−−           具体的に、相談内容を書いてくだされば
        ‖              うれしく思います。
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●運命論

They say that time changes things, but you actually have to change them yourself. - Andy 
Warhol 
時がものを変えるという。しかし実際には、あなたが自分で、それらを変えなければならないの
だ。(A・ワーホール)

To keep our faces toward change, and behave like free spirits in the presence of fate, is 
strength undefeatable. - Helen Keller
変化に対して、顔を向け、そして運命の前で、自由な魂のように振る舞うことは、決して敗れる
ことのない力である。(ヘレン・ケラー)

Things do not change; we change. - Henry David Thoreau
ものごとは変わらない。われわれが変えるのだ。(H・D・ソロー)

Be the change you want to see in the world. - Mahatma Gandhi
あなた自身が、世界で見たいところの変革であれ。(M・ガンジー)

+++++++++++++++++++

運命論

 水が低いところを求めて流れるように、
 煙が、高いところをも求めて流れるように、
 あなたは自分の人生を、自分で決めて生きている。
 それを人が運命というなら、それが運命。生きる道。

 今のあなたがあなたであるのは、あなたがそうであるから、そうなった。
 だれが決めたわけではない。あなた自身が、懸命に生きてきた結果として、
 そして懸命に生きている結果として、そうなった。

 だから今、私たちがなすべきことは、今を懸命に生きること。
 その結果として、明日はやってくる。来年はやってくる。一〇年後はやってくる。

 そのとき、あなたは、こう気がつくだろう。
 私は今、なるべくしてこうなった。これ以外に、道はなかったし、
 またこれが私が進むべき道だった、と。

 そう、それを人が運命というなら、それが運命。生きる道。

++++++++++++++++++++

 私は、自分の人生を振りかえって、ふと、こんなことを考える。私は、たいしたことはできなか
ったし、たいしたこともしていない。しかしこれが私の人生だったのか。人生なのか、と。

 若いころ知りあった人の中には、そののち、名をあげた人も多い。いつもいっしょに遊んでい
た近所の「お姉さん」は、そののち、日本の総理大臣(海部元総理大臣)の妻になった。中学時
代いっしょにいたコーラス部の仲間の弟は、歌手(野口五郎)になった。

 静岡市のテレビ局で、英会話の番組を教えていたとき、その合間に歌を歌ってくれていた女
性は、そののち、日本を代表する歌手(ピンクレディ)になった。浜松でいっしょにブラブラして
いた男も歌手(なぎら健壱)になった。ハローワールドという雑誌を創刊するとき、マスコットガ
ールになってもらった女の子も、有名なタレント(西田ひかる)になった。三井物産で隣のデスク
にいた、男は、そののち、日本を代表する経済評論家(寺島実郎)になった、などなど。

 だれしも、あなたのまわりに、そういう人物がいるにちがいない。ひょっとしたら、あなた自身
が、そうであるかもしれない。で、そういう人たちを見ていると、運、不運もあるが、なるべきし
て、そうなったという感じがする。どこか、最初から、違っていた?

 もちろん、その反対もある。東急デパートの催しもの会場で、いっしょに仕事をしていた、和田
何とか(コウジだったか、コウタロウだったか、忘れた)という人物は、そのあとしばらくしてか
ら、あの日航の123便事故で命を落としている。「和田式痩身美容」というのをしていた。

 身近なところでは、消息を絶ってしまった友人もいる。「K国に拉致されたのでは……」とうわ
さする人もいる。どこかへ旅をしている途中で、事故にでもあったのかもしれない。ほかにもい
ろいろある。

 しかし運命というのは、自分で切り開くもの。世界の賢者たちも、みな、異口同音にそう言っ
ている。それにかりにそれがあるとしても、最後の最後で、懸命に足をふんばって生きるのは、
私たち自身にほかならない。またそのふんばるところに、生きる美しさがある。

 ヘレン・ケラーはこう書いている。「変化には顔を向けつづけろ」と。つまり自分のまわりで起
こる変化から、顔をそむけてはいけない、と。そしてここが大切だが、かりに運命というものが
あるとしても、その運命の前では、魂を自由にしろ、と。決して、運命だからとあきらめてはいけ
ない。受け入れてもいけない。なぜなら運命というのは、そのつど、いつも結果としてやってくる
ものだからである。

 若いころは、「運命なんてものはない!」と、私はいつもはき捨てていた。しかしこのところ、
「これが運命だったのかな」と思うことが多くなった。そんな思いをこめて、このエッセーを書い
た。
(030906)

         ,ミヽ  ミヽ
         へ ミ ヽ へ ミヽ
        ∂  ミミ∂ へミミ
        ζ  っノι ∂ ミミ8彡
        ヒ___ノ 人v "丿彡'
    |)─○  / ヽ  `>−<
     // \\_/_∧ \_/_/ ヽ ≡=   賛助会にどうか、ご入会ください。
   ___//  \_/_ξ ̄ ̄ノ_ __)      現在、お礼に、イラスト(額つき)を
  / _ \  / ____ ̄フ _____ノ  ≡=−   送っています。
  // \ \ / /   ̄/ /   ̄)
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

本質的な問題

●ある相談

 あなたなら、つぎのような相談を受けたら、何と答えるだろうか。

 「小学三年の兄と、年長児の弟をもつ母親です。その兄についてですが、生活態度がだらし
なく、困っています。食事中も、食べものを、ボロボロとこぼします。居間で、おせんべいを食べ
ているときも、そうです。いくら注意しても、なおりません。どうしたらよいでしょうか?」(A町在
住、母親)と。

 この問題について考える前に、昔、恩師のM先生(A幼稚園元理事長)が、話してくれたこと
を書く。

 M先生の初恋の人は、女学校の男先生だったという。M先生が、一六、七歳のときのことだ
った。が、M先生は、そのことを打ち明けることができず、悶々としていたという。そんなある日
のこと。

 いつものようにM先生が、その男先生の授業を受けていると、その男先生が、鼻をほじりな
がら、机の間を回って自分のところにやってきたという。で、自分のそばにその男先生が立っ
たとき、上からポロリと鼻くそが落ちてきたという。

 M先生は、その鼻くそを汚いと思わなかったという。思わないばかりか、その鼻くそがいとお
しくて、いとおしくてならなかったという。

 相手が好きになるということは、どうやらそういうことらしい。昔から『アバタもエクボ』という
が、こういうケースでは、『鼻くそも、……』ということになる。

 さて冒頭の相談の件にもどる。

 母親は、兄の生活態度のだらしなさを問題にしているが、本当に、そうだろうか。こうした相
談では、問題の本質を見誤ると、トンチンカンな答を出してしまう。ついでに、もう一つ、こんな
話がある。

 ある父親だが、自分の子ども(一歳)が、やっとヨチヨチと歩き始めたときのこと。たまたまお
むつをしていなかった。そのとき、子どもが、突然りきんで、ウンチをした。その父親は、思わ
ずそのウンチを、手で受け止めてしまったという。

 「ああいうときというのは、汚いとは思わないものですね」と、その父親は笑っていたが、それ
と似た話だが、こんな話も聞いたことがある。

●みんな、ウンチまるけ!

 家族でいっしょに風呂に入っていたときのこと。やはり一歳の子どもが、風呂の中でウンチを
してしまったという。そのため、父親も、母親も、体中、子どものウンチだらけになってしまった
という。

 そのときも、その話をしてくれた上の子ども(年長女児)は、こう言った。「パパも、ママも、ウ
ンチだらけと、笑っていた」と。

 もうおわかりかと思う。

 冒頭の母親は、子どもの生活態度のだらしなさを悩んでいたが、問題の本質は、そこにある
のではない。

私「弟さん(年長児)も、同じようにこぼすと思うのですが、弟さんのほうは、気にならないのです
か?」
母「なりません。まだ小さいから……」
私「そんなことないでしょう。お兄ちゃんのほうは、ずっと気になっているのではないですか? 
幼児のときから……?」
母「そう言えば、そうです」
私「弟は気にならない。しかし兄は気になる……? 同じようなことをしても、お兄ちゃんは叱
り、弟さんは、叱らない。そういうことですか?」
母「そう言われれば、そうです」と。

 こういうケースでは、母親の心の奥底までのぞいてみる必要がある。母親は、兄に対して、何
か、大きなわだかまり(固着)をもっていると考えてよい。望まない結婚であったとか、望まない
子どもであったとか。あるいは不本意な「できちゃった婚」だったかもしれない。

 さらに不安先行型の子育てだったかもしれないし、生活の問題がからんだ、心配先行型の子
育てだったかもしれない。そういうものが基盤にあって、兄のすることなすこと、悪い方向から
見ているのかもしれない。

 話しこんでいくと、その母親は、「そう言えば……」と言って、いろいろなことを打ちあけてくれ
た。そして最終的には、「弟はかわいいと思うのですが、兄は、どうも好きになれません」と。

 しかしこのことは、つぎの新しい問題を引き起こしてしまった。その母親は、顔を曇らせなが
ら、こう言った。

●では、どうすれば?

 「では、どうすればいいのですか?」と。つまり「兄が好きになれないことについて、どうすれば
いいのですか?」と。

 現在、「自分の子どもをどうしても好きになれない」と、人知れず悩んでいる母親は、七〜一
〇%いる。こうした母親は、そういう状態に罪悪感を覚え、「母親として失格だ」とか、「子どもに
自分の心を悟られるのがこわい」と思って、悩んでいる。

 では、どうするか。

 こういうケースで、問題なのは、そういう問題があることではなく、そういう問題があることに気
づかず、同じ失敗を繰りかえすことである。わかりやすく言えば、まず自分の心の奥底に潜
む、わだかまりを知る。知った上で、なぜ、現在の自分がそうなのかということを知る。

 たとえば自分の子ども好きになれないなら、なれないでよい。無理をすることはない。いわん
や、母親として失格であるとか、そういうふうに大げさに考える必要はない。ただ、なぜ自分が
そうなのかという原因だけは、しっかりと知っておく。でないと、いつまでも同じ失敗を繰りかえ
すことになる。

 冒頭の相談は、一見、何でもない、どこの家庭にでもある、しつけの問題だが、しかしその
「根」は深い。その根の深さに気づくだけでも、この母親は、その問題を解決することができる。
そのあと、多少、時間はかかるが、時間が解決してくれる。

私「あなたの中に、何か、大きな、兄に対するわだかまりがあって、それが姿を変えて、出てく
るのですね」
母「兄は、だらしないと思っていました」
私「本当は、だらしなくなんか、ないのです。兄に対するわだかまりがあるから、ささいなことで
も気になるだけです」
母「じゃあ、どうしたらいいのでしょう……」
私「自分の子どもについては、許して、忘れる。この言葉を、いつも念ずるようにしてください。
許して、忘れるのです」
母「はあ、許して、忘れる、ですか……?」
私「そうです。あとは、時間が解決してくれます」と。
(030906)

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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

近況アラカルト

●我が家の隣は、空き地になっていて、そこは老人たちの、かっこうの集会場になっている。と
ころが、である。夏場になると、まだ夜があけきらぬうちから、あちこちから老人たちが集まって
きて、ワイワイと、大声で話し始める。やっとセミの声が消えたと思っていたら、今度は、老人た
ちの声!

中に数人、耳の不自由な老人がいるのだろう。その声の大きいことといったら、ない。窓をあけ
て眠ることさえできない。おかげでこのところ、やや不眠ぎみ。

昔「粗大ゴミ」という言葉が、問題になったことがある。いや、決して、そういう老人たちが粗大
ゴミというわけではない。実は、この私がその粗大ゴミになりつつある。またその可能性は、た
いへん高い。しかし、こんなことは言える。

老人たちも、そしてやがて老人になる私たちも、どこかで生きザマを確立しておかないと、やが
て粗大ゴミと呼ばれるようになるかもしれないということ。またそう呼ばれてもしかたなくなるとい
うこと。

その老人たちには悪いが、老人なら老人として、つまり人生の先輩として、ほかにもっとやるべ
きことはないのかということ。一日中、そうして何をするでもなし、何もしないでもなし、時間をも
てあましている。ヒマをつぶしている。見方によっては、のどかな風景だが、しかし別の見方を
すると、それくらい、だらしない人生も、ない。

かく言う私も、やがて、その老人たちの仲間入りをすることになるのだろう。そう思うと、文句も
言えず、耳をふさいでしまう。もう少し寒くなれば、老人たちも、出てこなくなるだろう。静かにな
るだろう。それまでのがまん、だ。

●今日(五日)、K国のM号(船)が、新潟港を出航した。報道によれば、大型スピーカーを使っ
て音楽を鳴らし、デッキで踊りながらの出航だったという。いろいろいきさつはあるが、K国の
人たちは、少し、やりすぎではないのか。日本人の神経を逆なでするようなことばかりしてい
る。

一方、日本側にも、余裕がない? 反対デモなんかしないで、もう少し、ユーモアをまじえて皮
肉ったら、どうか。「入航、反対!」ではなく、たとえば「地上の楽園へ、どうか無事、お帰りくだ
さい」とか何とか。「将軍様へ、伝言。心を開いて、世界を見てください」、あるいは、「覚せい
剤、偽札は、どうかお持ちかえりください」でも、よい。もともと本気で相手にしなければならない
ような人たちではない。

●今度、スティーブン・スピルバーグの映画『TAKEN』が、封切られる。それに先だって、竹書
房から本が出版された。レスリー・ボーエム原作、T・H・クック作の『TAKEN』(上下二巻)。そ
れを買ってきた。両方で、1180円なり。

今、(上巻)の三分の一ほどを読み終えたところだが、結構、おもしろい。ロズウェル空軍基地
などが出てくる。1947年にUFO墜落事件が起きた、あのロズウェルである。一度、ドキュメン
タリー映画見たことがあるが、私自身は、あの事件は、本当にあったと思っている。ウソを塗り
かためてできるような話ではない。映画が劇場で上映されたら、見にいくつもり。

●愛用のデジタルカメラを、アメリカにいる二男に送った。新しいカメラを買ってやろうと思った
が、スマートメディア(記録媒体)の機種は、もうなくなってしまった。二男のパソコンは、スマート
メディアでないと、画像を取りこめない。だから私のカメラ(スマートメディア対応)を、送った。

そこで私は、つぎのカメラを買うことを決めた。今度は、多分、ソニー製のカメラにすると思う。
現在使っている携帯電話(SO5050i)が、ソニー製だから、である。ついでに、パソコンも、今
度は、ソニー製にしようかと考えている。

それにしても、スマートメディアの命は、短かかった? たしかにスマートメディアは、使いにくか
った。金属の端子がむき出しになっていた。こうした製品は、将来性を考えて購入しないと失敗
する。しかし、ソニーのメモリースティックは、だいじょうぶだろうか? 今、主流は、XDカード
か、SDカードになりつつあるという? よくわからないが……。

●子どもたちの顔を見ていて、ふと気づいたこと。口を自然な形で閉じた状態で、ニッコリ顔に
なる子どももいれば、「へ」の字になる子どももいる。ニッコリ顔になる子どもは、何もしなくて
も、自然と、人に好かれる? 「へ」の字になる子どもは、どこか悪い印象をもたれる?

で、改めて自分の顔を、カガミに写して見る。結果、私の口は、ほんの少し「へ」の字型の水
平? よくもないし、悪くもない。

こうして見ると、「顔」というのは、不公平なものだ。ばあいによっては、顔だけで、すべてを判断
される。男女の好き嫌いも、たいていは「顔」で決まる。しかもその違いというのは、本当に微
妙なもの。昔、オーストラリアの友人が、「日本人の顔は、みな、同じに見える。区別がつかな
い」と言った。「違い」というのは、そういうものか?

●ハンゲコウボク湯という漢方薬がある。その漢方薬の中に、こわれたDNAを修復する物質
が発見されたと、ある薬学者(日本学士院賞受賞者)が言い出した。私はそれを信じて、毎
晩、寝る前に、そのハンゲコウボク湯をのんでいる。量は、耳かき一杯程度でよいという。それ
を舌の下で、ゆっくりと溶かしながら、のむ。

ハンゲコウボク湯というのは、もともとは、胃の薬。一方、女性の精神安定剤としても使われて
いる。で、ときどき、私は、自分の精神が不安定になったとき、ハンゲコウボク湯を一袋のむこ
とにしている。すると、たいてい朝まで、ぐっすりと眠られる。ワイフに「よく眠られる」と話すと、
「女性薬がきくなんて、あんたの精神は、女性的なのね」と笑った。……そうかもしれない。

●飼っている犬の一匹が、老衰で、このごろ少し、様子がおかしい。目は白内障でほとんど見
えないらしい。耳も、聞こえない。しかしそれ以上に、ボケてきた。庭で放し飼いにしているが、
あたりかまわず、小便をしたり、大便をしたりする。食事のとりかたも不規則になってきた。どう
やら固いえさは、食べられないようだ。虫歯だらけ?

そのことを、オーストラリアの友人の奥さん(女医)に話すと、「安楽死させたら?」と。しかしこ
の言葉には、ぞっとした。そういう発想は、日本人には、ない。

考えてみれば、あの国の人たちは、子羊の肉を、骨つきのまま食べる。しかも自分で飼って育
てた子羊を、である。それに老衰した羊は、つぎつぎと安楽死させる。私たち日本人とは、どこ
か発想が違うようだ。

●今日は土曜日。しかし午後に、ひとつ、保育士会で講演がある。それで山荘には、行けな
い。午前中は、こうして原稿書き。このところ、書くのを少し、サボっている。マガジンの発行
は、一週間前に予約を入れることにしているが、昨日やっと、九月一一日号の予約を入れたと
ころ。今日中に九月一三日号の予約を入れたいが、どうやら無理のようだ。このところ、かなり
疲れてきた。あとは、体力と、気力の勝負。
(030906)

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■■■■■■■■■| |■■■   お知り合いの方で、このマガジンが
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ● | ̄ ̄ ̄    役立ちそうな方がいらっしゃれば、
                 このマガジンのことを、話していただけませんか。
                      よろしく、お願いします。  
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
11・ 8 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・23 ……奥山小学校
10・18 ……天竜中学校区健全育成会(天竜中、中ノ島小、和田東小、和田小合同)
10・13 ……浜松市上島にて(ママアンドパパス・保育所開園式)
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9.12  ……愛知県岩倉市
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2003年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page090.html
2003年度は、「子育て相談、Q&A」で一年間、連載させていただきます。よろしく!
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●「はやし浩司のサイト」オリジナル・テーマ音楽ができました。
       http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page317.htmlから、おいでください。
●J−BOOKでの本のお求めは……
     http://sch.jbook.jp/s.asp?category_id=00&key=%82%CD%82%E2%82%B5%8D_%8Ei
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●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
++++++++++++++++++++++++++++
●BW教室の改装が終わりました。新教室はこうなりました!
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page056.html
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★☆★☆★☆★☆読者有志のみなさんへ★☆★☆★☆★☆★☆★☆
●4月、10月期に、「賛助会」へご協力をお願いしています。
詳しくは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page322.htmlまで。
賛助会に協力してくださった方に、直筆のイラストをお送りします。詳しくは、賛助会コーナー
を、ご覧ください。

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       ◯    / /⊃)
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 (θθ)┏━━━┓ (   σ
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δ   )  ┃ ┃
 η η   ┗⌒┛
+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩

【掲示板】
●マガジン読者の方のための、専用掲示板を用意しました。
どうか、おいでください。ご希望、ご質問、テーマなどいただければ、うれしいです。
会員、みなさんの相互連絡にも、ご利用ください。
     http://6302.teacup.com/bw884/bbs
    (マガジン読者の方のための、専用掲示板です)
【チャットルームへのご案内・毎週月曜日・午後10時JUST】∞∞∞∞∞∞∞∞
☆このマガジン読者の方どうしの方+はやし浩司の、チャットはいかがですか。
 http://8411.teacup.com/hhayashi/chat をクリックしてください。
☆ニックネーム、(BW)が、私こと、はやし浩司です。
☆毎週月曜日、午後10時JUSTにお待ちしています!
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 857人
最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)  ……読者数(Nr. of Readers) 123人
はやし浩司の世界(Eマガ)         ……読者数(Nr. of Readers)  84人 
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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☆(はやし浩司のサイト)http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/(はやし浩司のサイト)
(イラストは、パナソニックパソコン付録のフリーソフトを転用・改変しました。)







件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■自分をさらけ出すA

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03−9−15号(287)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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と読みやすくなります。お試しください。
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【名古屋市周辺のみなさんへ……】
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9.12  ……愛知県岩倉市(全家研)
9・ 9  ……愛知県稲沢市・福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
   午前10:00〜より、聴講問い合わせなど……052−524−6665まで
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  これは静岡県のお祭りのようなものです。よろしくお願いします! 
  ●●今日のメニュー●●
         *         
        / \        
       /   \       
      / ___ \      【1】子育てポイント
       ̄ ̄\_/ ̄ ̄      【2】Touch your Heart
   =| ̄ ̄ ̄ ̄* ̄ ̄ ̄ ̄|=   【3】子育てエッセー
    |__  *  __|    【4】フォーラム
  :  : |___|::   : 
 :\::\:  !!  :/: :/:
  :\ :\  !!  /:  /: 
●はやし浩司から皆さんへ、カードです。(安全性は確認してあります。)
http://greeting.rakuten.co.jp/view/rakuten/173654316138020594
安心して、開いてください。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

欲張りな長男

●G君の母親から

 上の子どもは、生活態度が、どうしても防衛的になる。わかりやすく言えば、ケチになる。(自
分のモノ)意識が強くなり、奪われることに、敏感に反応するようになる。しかしここがおもしろ
いところだが、自分自身には、ケチという自覚が、ほとんど、ない。

 G君(年中児)の母親(埼玉県在住)は、こう訴えた。

 「Gは、とても欲張りな性格で、お友だちのもっているもの、すべてがほしくなり、しつこく、貸し
て、貸してと言って、強引にモノを奪って、大げんかになることがあります。で、またその子が別
のもので遊び始めると、貸して、貸してと言って、同じパターンで大げんかになります。

 本当に欲張りです。私は、人がもっているものがほしくなっても、がまんすることが大切だとい
うことを、教えているつもりなのです。

 本人も、その場では、しっかりと理解しているはずなのですが、つぎの日になると、また同じけ
んかの繰りかえしです。私も同じ説教の繰りかえしです。

 そういうGを見ていると、私まで、イライラ、メラメラしてしまいます。このままでは、Gは、みな
に嫌われてしまい、友だちができなくなってしまうのではないかと心配しています。幼稚園の先
生も、『G君は不器用で、友だちとうまくかかわれないときがる』と言っています」と。

 このG君のケースでは、モノへの執着性が強いのがわかる。特定のモノへの異常な執着心を
見せるようであれば、行為障害が疑われる。ある特定のおもちゃや、ブランド品ばかりを買い
集める、など。

 さらにある特定のモノが一度ほしくなると、考えることは、そのモノばかりというケースもある。
そしてそれを手に入れるためには、手段を選ばない。ある特定のカードを手に入れるために、
母親のサイフからお金を盗んでは、買いつづけていた子ども(小学生)がいた。

 こうした執着性がみられたら、子どもを責めるのではなく、その背後にあるものをさぐる。慢
性的な欲求不満がその背景にあることが多い。何が、その原因になっているかを知る。まず疑
ってみるべきは、愛情問題である。

 愛情問題がからむと、子どもの心は緊張状態におかれる。子どもはその緊張状態をいやす
ために、さまざまな行動を繰りかえす。これを代償行為という。ふつうは快感をともなく行為を
繰りかえす。指しゃぶり、髪いじり、爪かみなどが、よく知られている。

●行為障害

 さらにそれが進行すると、ここでいうような行為障害が現れることがある。物欲を満足させる
というのは、それ自体が快感であり、そのためモノにこだわるようになる。

 で、G君のばあいは、年中児ということもあって、行為障害とまでは考えられない。しかしモノ
への執着心を強く感ずるようであれば、行為障害の前兆も疑ってみる。ポイントは、モノへのこ
だわりが、どの程度かを知る。つぎのような症状が思い当たれば、行為障害が考えられる。

(1)意味もないものを、異常にほしがる。
(2)同じようなモノ、同じモノをたくさん集める。求める。
(3)特定のモノに対する執着心が強く、それがないと、混乱状態になる。
(4)そのモノを得るために、盗みや借金を病的なまでに繰りかえす。
(5)そのモノを他人に触れられたり、見られたりするのを、極度にいやがる。

 G君のケースで気になるのは、G君には、二歳年下の弟がいること。母親は、「かなりひどい
赤ちゃんがえり症状も見られます」と書いている。G君の心は、かなりの緊張状態にあるとみ
る。その緊張状態の中に、不安や心配が入りこむと、その不安や心配を解消しようと、情緒が
一挙に不安定になる。

 その不安定な状態を自ら解消しようとして、代償行為におよぶわけだが、G君のケースでは、
それも考えられる。G君にしてみれば、モノによって、物欲を満足させることは、快感であると同
時に、自己防衛のための手段ということになる。

●自己防衛

 子どもの嫉妬を安易に考えてはいけない。嫉妬は、原始的な感情であるだけに、扱い方をま
ちがえると、子どもの心そのものを、ゆがめる。

 親は、「上の子も、下の子も、同じようにかわいがっています」と言うが、それは親の論理。勝
手な論理。上の子どもにすれば、「平等」ということ自体、不満なのだ。

それまで目一杯受けていた愛情を、ある日から、半分に減らされる。それはたとえて言うなら、
あなたの夫(妻)が、ある日突然、愛人をあなたの家につれてくるような行為に似ている。あな
たの夫(妻)が、平等にかわいがってやると言っても、あなたは納得するはずがない。

 その嫉妬がからむと、上の子どもは、下の子どもを、殺す寸前までのことをする。実際、それ
を疑わせるような事件は少なくない。弟を逆さづりにして、頭から落とした兄がいた。三輪車で
体当たりして、弟をけがさせた兄もいた。そこまでいかなくても、つまりその前の段階で、当然
のことながら、子どもの心をゆがめる。

 一般論から言うと、「ゆがめる」ということは、「すなおさが消える」ことを意味する。いじける、
つっぱる、ひがむ、ねたむなど。さまざまな症状となって、現れる。そしてその結果の一部とし
て、子どもは、つぎのような症状を見せる。

(1)喪失することに抵抗する……なくすことに敏感になる。減ることを許さない。いわゆるケチ
になる。

(2)ものの考え方が、保守的、防衛的になる……もともとあるべき状態に、ものごとをもどそう
とする。そしてそれに変化を加えるものにたして、防衛的に抵抗する。たとえば母親との関係で
も、寝る前になると、いつも同じパターンで、本を読んでくれとせがむなど。がんこになったり、
かたくなになったりすることもある。

●おとなの世界も同じ

子どもの世界は、おとなの世界と同じと言ったらよいのか。あるいはおとなの世界も、子どもの
世界と同じと言ったらよいのか。こうした子どもの心理がわからなければ、自分のこととして考
えてみるとわかる。

 たとえばあなたが家庭の主婦だったとする。それまでは平穏な生活を楽しんでいた。夫の愛
情もたっぷりと受け、何一つ、不自由なく暮らしていた。

 が、ある日のこと。あなたの夫が、年若い女性をつれてきた。そしてこう言った。「今日から、
この女性も、この家に住むことにした。ついては、仲よくしてほしい」と。

 あなたには、それに抵抗する力はなかった。夫に反対すれば、自分の立場そのものがなくな
る。第一、あなたには生活力がない。力もない。あなたの心は、一挙に、緊張状態に置かれ
る。ささいなことでピリピリする。しかし夫は、そういうあなたの心におかまいなしに、その愛人
にかかりっきりになる。少なくとも、あなたには、そう見える。

 何とかあなたは夫の愛情を取りもどそうとする。しかし夫は、「平等に愛情を注いでいる」と言
って、一歩も、ひきさがらない。あなたはやがて欲求不満から、頭が狂いそうになる。愛人を憎
む。ときには、激しい憎悪の念にかられる。しかしそのつど、「おまえは妻なんだから」「おまえ
は主婦だから」と、「ダカラ論」で、一蹴されてしまう。

 あなたはやがて悶々とした気持ちの中で、愛人から自分を守ろうとする。油断もスキもあった
ものではない。少し目を離したとたん、その愛人はあなたの部屋にやってきて、あなたの化粧
道具を使い放題。化粧道具だけではない。ありとあらゆる生活用具を、使い放題。やがてあな
たは、頭にくる!

 あなたは「自分のモノ」という意識を、強くもつようになる。そして愛人には貸さない。渡さな
い。あげないと心に誓う。そして何かと意地悪をする。

 が、ここで問題が起きる。そういうあなたを、夫は、「おまえは、ケチだ」とか、「もっと愛人にや
さしくしろ」と迫る。ときには強引にあなたのものを奪って、愛人に貸し与えてしまう。ますますあ
なたの立場が弱くなる。へたに抵抗すれば、「おまえはどうしてそんなに、欲張りなのか」と言わ
れる。

 やがてあなたは欲求不満から、それを解消しようと、デパートへ行って、やたらとモノを買い
あさるようになる。モノを買うというのは、それ自体が、快感である、食欲や性欲を満足させる
のと同じように、物欲を満足させるのは、気持ちがよい。

 こうしてあなたの行為障害が始まる。

●G君のケース

 G君の母親は、現象面だけをみて、子どもをしつけようとしているのがわかる。そしてその上
で、「ほかの子に嫌われたらかわいそう」と思っている。しかしもうおわかりかと思うが、問題の
「根」は、もっと深いところにある。つまりこういうケースでは、いくら母親がG君を叱ったり、説教
しても、ムダ。

 もしそんなことで、子どもの心がなおるようなら、この世界に、精神科医はいらない。幼児教
育家もいらない。

 では、どうするか? 

 このG君の心の問題の向こうには、愛情問題がからんでいる。しかも残念なことに、すでにそ
の問題は、かなりこじれている。そのこじれた結果として、G君は、モノにこだわるようになっ
た。多分、ほかにも、いろいろな症状が出ているはずだが、母親が指摘した症状は、その一つ
にすぎない。

 病気にたとえていうなら、肺炎を起こしている状態なのに、熱だけをおさえても意味がないの
と同じように、「欲張りはだめ」と子どもを説教しても、意味はない。あくまでも、ゆがんだ心を、
どうしてなおすかということを考えて、対処する。

 言うまでもなく、この問題は、赤ちゃんがえりが原因とする、そのバリエーションの一つと考え
る。またそれに準じて、対処する。このG君のケースでは、一度、親子関係を、下の子が生ま
れる前の状態にもどす。

(1)100%の愛情を上の子に注ぐ。
(2)少しずつ様子をみながら、半年単位、一年単位で、少しずつ手を抜いていく。
(3)濃密なスキンシップをいとわない。子どもが求めてきたときが、与えどき。求めてきたら、い
とわず、やさしくていねいに、スキンシップを与えてあげる。

●長男、長女はケチ

みなさんの周囲には、長男や、長女の人がいるはず。ひょっとしたら、あなた自身がそうである
かもしれない。

 そこで長男や長女の人が、どういう生活態度をもっているか、観察してみるとよい。たいてい
は、ここでいうようなケチなはずである。

私の周辺にもいる。私自身は、三男なので、ケチとは無縁の世界にいる。気前がよすぎて、か
えって別の問題を起こすことがある。しかし長男、長女の人がケチというのは、経験的にも正し
い。

 もう何十回とおごってあげているのに、一度も、おごってくれない。何かお金を出すべきときで
も、まず私たちに請求してくる、など。あるいは何年も前に借りた本を、忘れたころに、取りもど
しにきたこともある。

 なぜこういう生活態度が生まれたか。生まれるか。その原因は、要するに幼児期にある。そ
のことがわかるだけでも、幼児教育の深遠さがわかるのではないだろうか。これはあくまでも
余談だが……。

【G君のお母さんへ】

 いろいろとショッキングなことを書きましたが、G君の見せる様子は、もうそろそろ性格として、
かたまり始める年齢にさしかかっています。いろいろ気になることはあるでしょうが、今ここで、
子どもの理解も得られないまま、頭ごなしに「ダメ」と説教しても意味がありません。

 意味がないばかりか、子ども自身が、自信をなくしてしまいます。ケチで欲張り……そういう
面があったとしても、それはそれとして、認めてあげるしかないでしょう。またそれによって友だ
ちが少なくなっても、それはその子どもの問題。親として介入できる範囲にも限度があります。

 あとは子ども自身が自分で判断し、自分で気がつくしかありません。現に今、おとなでも似た
ような人はいくらでもいます。親が叱ったくらいで、また説教したくらいでは、どうしようもないの
です。

 接し方としては、今のお母さんの接し方でよいと思います。気がついたとき、そのつどていね
いに説明して終わります。あとは小学三、四年生になるころに、自己意識(自分を客観的に見
て判断する能力)が育ってきますので、その時期を待ってください。そのときまでに、今の症状
をこじらせないことです。

 全体に、やや強度の赤ちゃんがえり(ネチネチとした態度など)が見られるということですの
で、まずそちらを改善することを目標とします。

 メール、ありがとうございました。
(030906)

【追記】
 しかし世の中には、ケチな人がいるものだ。あるときある家に遊びにいったときのこと。私は
物干しに干されているものを見て、心底、驚いた。何と、コンドームが洗って、干してあった! 
いろいろなケチがいるが、コンドームを洗って使う人は少ない? その家の夫は長男。奥さん
も、長女だった。

  ‖                 
 :−−           ‖   
  ‖            :−− 
        ‖      ‖    テーマがあれば、どうかお寄せください。
       :−−           具体的に、相談内容を書いてくだされば
        ‖              うれしく思います。
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

自分をさらけ出す

 相手が、どう思おうと、知ったことではない。私は私だ。そういうふうに考え、ありのままの自
分を表現することを、「さらけ出し」という。

 この「さらけ出し」。できる人は、ごく自然な形でできるし、そうでない人は、そうでない。しかも
たがいに、その意識がない。そしてたがいに、反対の立場にいる人が理解できない。

 私のばあい、人前に出ると、どうしても、自分をつくってしまう。飾ってしまう。ふと気がつくと、
虚勢を張ってしまう。とくにいやなのが、高校時代の同窓会。

 過去の人たちと会うと、そのまま「心」までタイプスリップしてしまう。よくある現象である。同窓
会というのは、まさにそういうもの。自分では忘れたはずなのに、同窓会に出たりすると、その
ままあのころの「心」にもどってしまう。

 もちろん、なつかしいという思いもないわけではない。しかし私にとっては、まさに消し去りた
いほど、いやな、三年間だった。

 で、その同窓会に出ると、私だけではない。みなが、虚勢を張り始める。つまらない虚勢だ。
出さなくてもよいのに、「○○銀行支店長」とか、「常務取締役」とかいう名刺を、わざと、見せび
らかしたりする。

 そういう人はそういう人で、結構、ハッピーなのだろうが、ふと油断をすると、私まで、気がヘ
ンになる。私は、浜松市に住むようになってから、そういう意味では、まったく気楽な人生を歩
んできた。今もそうで、通勤と言っても、短ズボンにサンダル。そういうかっこうで、自転車で通
っている。他人の目を意識したことは、まったくない。

 居心地が悪い。本当に悪い。中に、一人、いつも私に皮肉を言う男がいる。よほど、私にコン
プレックスを感じていたのだろう。ふつうの男である私が、さも、うれしくてしかたないといったふ
うである。

 わざわざ私の横に席をとったりして、こう言う。「林君、君だけは出世すると思ったけどなあ」
と。同窓会のたびに、繰りかえし、同じセリフを言うから、恐ろしい。

 だからここ一五年以上、同窓会には出ていない。これからも出ない。同窓会に出るたびに、
私が私でなくなってしまう。

 私は今、自分をさらけ出して生きている。文を書くというのが、それ。そしてそれを本や新聞、
電子マガジンで発表しているというのが、それ。きれいに自分を飾ることは、もういやだ。したく
ない。

 ところで、最近、こんなことがあった。

 中学生に数学を教えているとき、ふと、私はこう言った。「あのね、勉強って、おもしろくないよ
ね」と。

 すると、みなが、目をクルクルさせて驚いた。一人、「先生が、そんなこと、言っていいの
オ!」と言った子ども(女子)がいた。そこで私はこう言った。

私「そうだよ。それはぼくの本心だよ」
中「考えてみれば、そうだよね」
私「そうだよ。おもしろくないよ。ぼくだって、子どものころ、勉強は嫌いだった」
中「でも、先生は、どうして勉強したの?」
私「勉強しなければ、自転車屋をしろって、母におどされたからだよ。だから、しかたなしに、し
たんだよ」
中「何だ、そうなのか」
私「おもしろくないよ。とくに受験勉強はね」
中「フーン」
私「教えているぼくが、そう思うのだから、しかたない」
中「じゃあ、どうして勉強するの?」
私「社会のしくみが、そうなっているからだ」
中「……」
私「そうだよ。今の日本の社会は、完ぺきなものではない。完成されてもいない。不完全でボロ
ボロだ。そのボロボロの社会のすき間を埋めるために、受験勉強がある」
中「ふーん。でも先生に、そう言ってもらって、気が楽になった」
私「つまりね、つまらないものだけど、社会が、そのくだらないものの上に成りたっている。人間
の社会は、未熟で、未完成だよ。しかしここが大切なことだが、無理に好きにならなければと思
う必要はない。嫌いなら嫌いでいい。そう思って、適当につきあえばいい」
中「適当にかア……。いい言葉だね」
私「そう、適当につきあえばいい」と。

 私も、とうとうこんなことまで言うようになってしまった。内心では「親が聞いたら、怒るだろう
な」と思いつつ、一方で、「それで私の教室をやめるなら、それもしかたない」と思った。

 残りの人生が、それほどあるわけではない。私はこれからは、もっともっと、自分をさらけ出し
て生きていきたい。
(030907)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

心の実験(自己開示)

●基本的信頼関係

 小学校四、五年生の子どもたちに、「君たちは、おっぱいが好きか?」と聞くと、全員、ニヤニ
ヤ笑いながら、「嫌いだヨ〜」と答える。幼稚園の年長児でも、そうだ。

 しかし年中児くらいになると、恥ずかしそうに、「好き」という子どもが現れる。どうやらその年
齢あたりを境にして、子どもたちは、本音と建前を使い分けるようになるようだ。

 言うまでもなく、人間の信頼関係は、さらけ出しと、受け入れで決まる。この二つが相互にあ
って、その基盤の上に、信頼関係が築かれる。もし、この二つが不十分なら、その上に成りた
つ信頼関係は、軟弱なものになる。

 さらけ出し……あるがままの自分を、そっくりそのままさらけ出すことをいう。思ったことを言
い、したいことをする。悲しかったら、悲しいと言う。つらかったら、つらいと言う。きれいごとを
言ったり、自分を飾ったりしない。へつらったり、愛想をよくしたりしない。あるがままを、さらけ
出す。

 受け入れ……相手が何を言っても、また何をしても、それを全幅に受け入れる。その典型的
な例は、母と子の関係に、みられる。子どもがウンチをしても、小便をしても、母親というのは、
それを自分のものとして、受け入れる。

 ここで大切なことは、自分がさらけ出すとき、そのとき自分が、どう感ずるかである。相手に
安心感を覚えれば、よし。あるがままをさらけ出そうとしたとき、「相手が、自分のことを悪く思う
のではないか」「へんに思うのではないか」と思うようであれば、さらけ出しはできない。

 そこで登場するのが、基本的信頼関係である。生後まもなくから、とくに母子の関係で、この
基本的信頼関係ができている人は、こうしたさらけ出しが、自然な形で、できる。そうでない人
は、そうでない。人間関係が、どこか、ぎくしゃくしやすい。

 それはそれとして、つぎの問題は、どの人に対して、どの程度まで、さらけ出しをし、受け入
れをするかである。

 夫婦や、親子の関係を100とする。結婚を目的とした恋人関係も、それに近い。深い友人関
係や、師弟関係も、それに準ずる。こうした関係で、反対に、言いたいことも言えないとか、した
いこともできないというようであれば、すでにその関係は、危機的な状態にあるといってもよい。

 そこで冒頭の話。

 小学生たちに、「君たちは、おっぱいが好きか?」と聞く。この段階で、子どものほうは、私と
の絶対的な信頼関係を求めていない。またそういう関係に、ない。だから、「嫌いだヨ〜」とウソ
を言う。もちろんその背景には、「文化」もある。そういうことをあからさまに言うことについて、
文化的な抵抗感がある。

 だからそれを聞く私のほうも、肯定的な答など、最初から期待していない。ウソを言うだろう、
あるいは自分の本心を隠すだろうということを、知りつつ、そういう質問をする。こうした関係
を、基本的信頼関係に対して、基本的社会関係という。

●基本的社会関係

 私はいくつかの仮面をかぶっている。教師としての仮面。評論家としての仮面。そして日常的
にも、無数の仮面をかぶっている。

 もしその私が、赤裸々な自分をさらけ出したら、社会生活そのものがいとめなくなる。たとえ
ば容姿のすばらしい母親から、何かの子育て相談を受けたとする。そのとき私は、「あなたの
肌はすてきですね」と内心で思ったとしても、それを口にしてはいけない。「あなたの胸やおしり
は、すてきですね」とか、さらに「あなたと一度、セックスしてみたい」などとは、さらに言ってはい
けない。

 つまりそこに、さらけ出しの制約が生まれる。私はその母親の相談にのりながらも、その母
親と信頼関係を結ぶつもりはない。母親とて、それを求めていない。だからいつものように、つ
まりは通りすがりの人として、その母親を軽くあしらう。母親の求めているものだけを与えて、そ
れで別れる。

 これが基本的社会関係である。こうした関係は、人間が社会的生活をつづける間は、いたる
場所、いたるときに起こる。また起きたからといって、それが問題というわけではない。私たち
は、ごく日常的に、仮面をかぶる。かぶって当然である。

 が、問題がないわけではない。

 ときとして、この基本的社会関係が崩れたり、誤解されることがある。さらには、こうした関係
に、限界を感ずることもある。実のところ、今の私がそうである。

 こういう仕事をしていると、無数の親たちから、いろいろな相談をもちかけられる。大半が若
い女性(母親)である。以前は電話での相談が多かったが、電話による相談は、すべて断って
いる。それにかわって今は、インターネットになった。

 が、当然のことながら、インターネットでは、顔が見えない。見えない分だけ、感情(心)がつ
かめない。それに、何人かの人から同時に相談を受けていると、だれがどの人か、わからなく
なる。……なってしまう。一番つらいのは、「先月、相談しました、○○県のAAです。そのあと、
あの問題は……」というようなメールをもらったとき。懸命に記憶をたどらなければならない。

 そこで私はさらけ出しの問題にぶつかる。相手は自分の問題をさらけ出してくる。しかしそれ
を受ける私はそれを全面的に受け入れているわけではない。ここがものの売買とは、違うとこ
ろである。そこでそれを受ける私としては、いつも何かしら、不完全燃焼のまま、相談に答え、
そして別れる。

 そこでいくつか、心の実験をしてみた。私は、一人の女性にお願いして、自分の心をさらけ出
してみた。……みることにした。心を許せると思った。F市に住むMさんという方だった。私はこ
うしてインターネットをするようになってはじめて、その女性に、こう頼んでみた。「写真を送って
いただけませんか」と。

 しかしこのあとのことは、その女性の許可を求めていないので、私は、何も書くことができな
い。ただ、その女性は、私の趣旨理解してくれ、写真を送ってくれた。が、そのとき私が受けた
衝撃は、ものすごいものだった。すべてが白黒という映画の中で、一本の花だけが、真っ赤に
なっている……そんなシーンを見たような衝撃だった。

 そう、それは生まれてはじめて、女性に会ったような気分だった。インターネットの中で、生ま
れてはじめて「人間」を感じてしまった。母親と呼ばれる女性たちには、ごく日常的に会っている
のに、そのとき感じた新鮮さは、いったい何だったのか。

 それはひょっとしたら、私が感じていた悶々とした閉塞感に、風穴があいたためではないか。
私は改めて、自己開示について考えなおしてみた。

●自己開示

 自分をどの程度まで、相手に開示できるか。それでその人との親密度を知ることができる。

(自己開示度1)自分の生年月日程度を開示する。
(自己開示度2)家族や、親類程度のことを開示する。
(自己開示度3)夫婦生活や、子どもの成績などを開示する。
(自己開示度4)夫婦生活や自分の過去、性体験などを開示する。
(自己開示度5)自分の犯罪歴、精神的な病や、性的性癖を開示する。

 この点、愛しあう男女は、自己開示度が高い分、信頼関係を結びやすい。素っ裸になり、狂
おしいほどに相手を求め、そして同じことを、相手に許す。夫婦であることのすばらしいさ、セッ
クスのすばらしさは、ここにある。

 言いかえると、夫婦でありながら、また親子でありながら、自己開示度が低いということは、そ
もそも家族が、家族として機能していないということになる。が、それはさておき、では、他人と
の関係は、どうなのかという問題がある。

 こうして考えてみると、自己開示度5まで開示できる相手というのは、きわめて限られることが
わかる。私にしても、ワイフや家族をのぞいて、ほんの数人ではないかと思う。もっと厳密に
は、実の姉と、二人の友人でしかない。

●個人的な問題

 私は、そういう意味では、閉塞的な人間である。子どものころは、自己開示ができなかった。
わかりやすく言えば、他人には、簡単には、心を開かなかった。……開けなかった。よく「浩司
は、商人の子だからなあ」と言われた。愛想はよく、だれにも好かれようと、へつらったからだ。
しかしそれは本当の自分ではなかった。本当の自分は、もっと別のところにいた。

 このことは社会人になってからも、同じだった。さらに結婚してからも、同じだった。今のワイ
フと結婚してからも、隠しごとばかりだった。自分の家族関係などは、あまり話さなかった。が、
幸運にも、そのあと、私は幼児教育をするようになり、子どもと接触するようになった。そしてそ
ういう子どもを見ながら、私が何であるかを、思い知らされるようになった。

 つまりは、「自分さがし」ということか。

 私はある日、思い切って、自分をさらけ出してみた。自分の過去を語ってみた。そのとき私が
最初に考えたのは、「相手がどう思うとかまわない」という居なおりだった。「どうせ二人の人
に、よい顔はできない」(イギリスの格言)と。

 しかしそれはすがすがしいほど、気持ちのよいものだった。そこでさらに自分をさらけ出して
みた。さらに気持ちよくなった。……あとは、この繰りかえし。私はいつしか、自分をさらけ出す
ことで、私の中の私が、何であるか、わかるようになった。

 もちろん気まずいこともあった。後悔することもあった。不用意なさらけ出しで、相手をキズつ
けてしまったこともある。そういう失敗もあるが、そういう流れの中で、私は、自分らしく生きるこ
とのすばらしさを学んだ。

●みなさんへ

 さあ、みなさんも、勇気を出して、自分をさらけ出してみよう。
 あなたはあなただ。あなたにどんな問題があったとしても、
 それはあなたの責任ではない。あなたが恥じるべきことではない。

 指が五本、あるように。体が空気を吸って吐き出すように、
 あなたはあなたであって、あなたではない部分がある。
 そのあなたでない部分が、あなた自身を見えなくしている。
 そこではあなたは、本当のあなたが何であるかを知るために、
 自分をさらけ出してみる。「これが私だ。どこが悪い!」と。

 飾ることはない。見栄やメンツ、虚栄を張ることもない。
世間体という、他人の目を気にすることもない。あなたはあなただ。

それでその相手があなたを嫌うなら、その相手とは、それまで。
あなたに失望したりするようなら、その相手とは、それまで。
しかし本当の妻や夫、家族や友人は、それでも残る。
残ったとき、そこを基盤として、たがいの真の信頼関係ができる。
(つづく)
(030908)

【追記】
 なんともまとまりのない文書ですみません。このつづきは、もう少し冷静になったとき、考えま
す。ボツにしようかと考えましたが、記録として残すことにしました。考えてみれば、私はこうして
マガジンを発行することによって、さらけ出しをしているのかもしれません。読者のみなさんは、
こうした文章を読んで、どのような印象をもちますか?

         ,ミヽ  ミヽ
         へ ミ ヽ へ ミヽ
        ∂  ミミ∂ へミミ
        ζ  っノι ∂ ミミ8彡
        ヒ___ノ 人v "丿彡'
    |)─○  / ヽ  `>−<
     // \\_/_∧ \_/_/ ヽ ≡=   賛助会にどうか、ご入会ください。
   ___//  \_/_ξ ̄ ̄ノ_ __)      現在、お礼に、イラスト(額つき)を
  / _ \  / ____ ̄フ _____ノ  ≡=−   送っています。
  // \ \ / /   ̄/ /   ̄)
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

一喜一憂

私の教室は、すべて公開している。そのため親たちには、自由に参観してもらっている。

 しかし問題がないわけではない。

 公開するということは、プライバシーが、つつ抜け。当然、子どものできのよし、悪し、さらに性
格や問題点も、すべてわかってしまう。

 そこで幼児教室では特殊な技術が必要となる。それについて書いていると長くなるので、ここ
では省略する。要するに、親を楽しませるようにする。なごやかな雰囲気をつくる。

 しかしそれでも、中には、神経質な親がいる。もう一五年ほど前になるだろうか。一人いつ
も、毎回、レッスンのあとに、「今日はどうでした?」「この前とくらべてどうでした?」と聞いてくる
親がいた。親の気持ちはよくわかるが、子どもというのは、数か月単位、半年単位で、その変
化をみる。そのつど、つまり一週単位で、一喜一憂してはいけない。が、このタイプの親には、
それがわからない。

 過関心、せっかちな子育てがその背景にあるが、さらにその背景には、子どもを信じられな
いという、不信が、ある。で、どうして子どもを信じられないかといえば、その親自身に、しっかり
とした親像がないことがある。たいていは不幸にして、不幸な家庭に育ったとか、何らかの形
で、親とのつながりが希薄であったことなどが考えられる。

 以前、こんなことを相談してきた父親がいた。娘を抱いても、どの程度抱けばよいのか、わか
らないというのだ。「抱き癖がつくのでは?」「抱きすぎではないか?」「それとも足りないので
は?」と、そのつど、悩んでいた。

 その父親は、早くにそのまた父親と死に別れ、母親の手だけで育てられていた。つまり父親
としての親像が、脳の中にインプットされていなかった。

 親像のない親は、子育てが、どこかぎこちなくなる。そのぎこちなさが、ときに過関心になった
り、せっかちな子育てになったりする。つまりこうしたケースでは、問題の本質は、その母親自
身にあるということになる。

 で、つぎに、新しい問題が生まれる。どの程度、どこまで説明すべきかという問題である。五
分とか一〇分とかいう時間しかなければ、さらっと表面的な話をして終わる。しかしそれでは足
りない。本気で説明しようとすれば、数時間、あるいは数日、かかる。しかしこの段階でも、母
親が真剣に話を聞いてくれればよいが、そうでないときは、ムダになる。

 この世界では、「権威」がものを言う。私のような立場のものが、いくら説明しても、若い母親
だと、耳も傾けてくれない。それがわかるときは、私のほうがさっと手を引く。だいたいにおい
て、その問題意識すら、ない。言い方をまちがえると、いらぬおせっかいになってしまう。
 
 話が大きく脱線したが、子どもというのは、不思議なもの。手をかけたから、よい子になると
いうわけではない。かけないからといって、悪い子になるというわけでもない。万事、ほどほど
に。ほどほどの子育てから、よい子は生まれる。バートランド・ラッセルも、「限度をわきまえる
ことが大切」と、教えている。そのときどの状況で、決して一喜一憂してはならない。
(030907)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

愛人がやってきた!

 A子さんは、それまで、夫のあふれんばかりの愛情に包まれ、何一つ、不自由のない生活を
楽しんでいた。夫婦仲も、満点に近かった。ほしいものも、ねだれば、何でも手に入った。

 しかしそんなある日。どうも夫の様子がおかしくなった。何かしら、A子さんへの関心が薄らい
でいくように感じた。このところ仕事も忙しそうなので、それが原因だと思っていた。結婚して、
四年目のことである。

 が、突然、夫が一週間ほど、出張で家をあけた。めったにないことだったが、その間、実家の
母が遊びにきてくれたこともあり、それほど心配しなかった。が、夫が帰ってきたとき、びっくり
仰天! 夫が、もう一人、女性をつれてきたではないか。しかも私より若い!

 「この人、だれ?」と聞くまでもなく、夫は、こう言った。「今日から、いっしょに暮らすからね。
仲よくしてよ」と。

 私には、反対する力はなかった。抵抗もできなかった。夫の、一方的な申し出に従うしかなか
った。しかしすぐ不満は、爆発した。夫は、その愛人にかかりきりになってしまったのだ。私が
そのことで不平をにおわすと、夫は、こう言った。「お前も、愛人も、平等にかわいがってやって
いる。どうしてそれが不満なのか」と。

 私は嫉妬で、狂いそうだった。こんな不合理なことがあるだろうか。しかもその愛人の態度の
大きいことと言ったら、なかった。私に遠慮することもなく、私の家で、我がもの顔でふるまって
いる! 私の大切にしていた化粧道具すら、どんどんと勝手に使っている!

 いつしか私はその愛人を憎むようになった。殺したいと思うようになった。

++++++++++++++++++

 もしあなたが、その妻のような立場におかれたら、あなたはどうするだろうか。どう思うだろう
か。どう感ずるだろうか。

 実は、これが下の子が生まれたときの、上の子の、共通した心理なのである。幼児の世界に
は、赤ちゃんがえりという、よく知られた現象がある。ほとんどの親は、その赤ちゃんがえりを、
軽く考える。しかし決して、軽く考えてはいけない。

 幼児の心理で、いじってならないものが、二つある。動物的な闘争心と、親子の愛情がから
んだ嫉妬心である。この二つをいじると、子どもの心は、確実にゆがむ。赤ちゃんがえりが、そ
の一つ。

 では、どうするか?

 下の子を妊娠したら、すぐ上の子教育を始めること。まずいのは、ある日、突然、下の子が
生まれたという状態にすること。先に書いた、あなたと愛人のような関係になる。

 ポイントは、上の子に、下の子が生まれるのを楽しみにさせるような雰囲気づくりをすること。
「もうすぐ、あなたの弟が生まれるのよ」「妹かもしれないわね」と。そして大きくなりつつあるお
なかを見せながら、「いっしょに遊んでね」とか、「どんなことをしてあげようか」と、上の子に話し
かける。

 よく下の子の出産のとき、上の子を立ち会わせるとよいと言う人がいる。それも、こうした嫉
妬を回避する手段として効果的かもしれない。とくに上の子が、女の子なら、見せておくこと
は、よいことかもしれない。(このあたりのことは、資料が不足しているので、何とも言えない。)

 以上、赤ちゃんがえりの補足として、愛人にたとえて、子どもの心理を考えてみた。
(030908)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

ある女子学生の電子マガジン

 私も、いくつか電子マガジンを購読している。その中に、ある女子学生のマガジンがある。中
国の北京の、ある語学校に留学している学生のものである。

 内容もさることながら、まったく飾らない、ありのままの留学記で、これが結構おもしろい。楽
しい。書き方も、今風。そのまま引用するわけにはいかないので、私のほうで、それをまねて書
いてみる。

……カフェで、けんか。日本男児のだらしなさ。「どうして殴るの?」と言うだけで、反発しない。
一発、かませばいいのに。だから日本男児は、なめられるんのヨ〜……

……ああ、今夜も、あの男と会ってやるか。私はただの、やりたがり屋。べつにいやな男でな
ければ、だれでもいいって、感じ。それにしても、あのインド人の男、少し、しつこい。そろそろ、
つきあうの、やめるかア……

……休みは、モンゴルまで行くの。安い、安い。信じられないほど、安い。日本だったら、何万
円もかかるのに、ここでは千円単位で行ける……と。

 自由奔放なところが、すばらしい。もちろんそのマガジンは、匿名。個人を特定できるような、
名前などはまったく、ない。しかし私はそのマガジンを読みながら、私はそういうふうに自由に
生きられる、その女性を、いつもうらやましく思っている。

 私たちは、自由なのか。行動の自由は、いろいろ制限される。それはしかたない。しかし魂
は、どうなのか。私たちの魂は、自由なのか。

 行動が自由になれば、魂は解放される。行動には、そういう力がある。しかし魂が自由になっ
ても、行動が自由になるとはかぎらない。残念ながら、人間が社会的動物である以上、当然の
ことながら、行動は、さまざまな分野で、制限される。しかし行動が制限されても、魂の自由を、
犠牲にしていはいけない。

 たとえば宗教を考えてみる。いろいろな宗教があるが、集団で、徒党を組んで活動する宗教
がある。巨大な宗教団体にまで成長したのも、ある。しかしその中の信者が、本当に自由かと
言えば、それは疑わしい。信者たちは、結構、「自由だ」「楽しい」「充実している」と言っている
が、本当のところは、どうか。空っぽの頭に、思想を注入されているにすぎない。自らの魂を、
組織の中に組みこむことによって、その魂を犠牲にしている。それにすら気づいていない。

 魂の自由。それは若いときから、もっと言えば、子どものときから、自分を解放させることを
知っている人のみが、手に入れることができる。いいかえると、自由人に育てるためには、子
どものときから、その子どもの魂を、解放させる必要がある。

 その女子学生は、どんな幼児期や少女期を過ごしたのだろうか。私は彼女が発行するマガ
ジンを読みながら、ときどきそんなことを考える。そして一方、こんなことも考える。

 学生時代、オーストラリアに渡ったとき、私は向こうの女子学生たちが、実に自由奔放な生き
方をしているのを知って、驚いた。そしてそういう女子学生と対比して、日本の女子学生たち
が、実に保守的な生き方をしているのを知って、驚いた。

 私は何度もガールフレンドに、「オーストラリアへおいでよ。いっしょに暮らそう」と手紙を書い
たが、いつも返事は、同じ。「(まだ結婚してないから)、できない」だった。彼女の母親は、こう
までいった。「そんなことをすれば、将来の結婚に、さしさわりが出る」と。日本は、まだ、そうい
う時代だった。

 が、日本も、日本の若者たちも、あのころのオーストラリアに近づきつつある。行動の自由
が、こうした自由奔放な若者をつくりつつある。そしてこうした若者たちがおとなになったとき、さ
らに深い、魂の自由を知るにちがいない。

 私は自由だと思ってきた。しかし私が知っている自由など、何でもない。それこそ、そこらの
石のように、どこにでもころがっている。おかしなことだが、その女子学生の電子マガジンを読
んでいると、そんなことまで教えられる。そう、遠い昔、私も、その時代としては、ずばぬけて自
由人だったのだが……。

+++++++++++++++++

オーストラリアのブッシュソング、それをなまりのある
オージー(英語)で、口ずさむと、甘酸っぱい香りが頭の中に広がる。

赤い大地、ディンゴーの鳴き声、クラバーの木、羊の群れ、
どこまでも広がる満天の空、うねるようにつづく牧場。

だれかが今、叫んだ。「ヒーロゥーシー(浩司)」と。
そんな声が、今でも、目を閉じると、聞こえてくる。
私にとって、人生で、至宝の瞬間だった。
私は、本当に自由だった。本当に、本当に、自由だった。

あああ、私は、もうあの時代の、あの自由を忘れてしまったのか。
(030907)

           ◯   
  へ          /\
    へへ    /\/゛
         /゛/゛         いつもこのマガジンをご購読くださり、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜          ありがとうございます。
    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜       今のうちに、できるだけたくさん
      〜〜〜〜〜〜〜    役に立つ情報を、書きとめておこうと思います。
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ヘマのない人生

 最近、パソコンを相手に、よく将棋をする。毎日、一、二回はしている。それほどレベルは高く
設定してないが、いつも、私のほうが負ける。

 理由は簡単。

 私はときどき、ミスをする。ヘマをする。しかしパソコンは、弱い割には、ミスをしない。ヘマも
しない。そして私がミスしたりすると、すかさず、そのスキをついてくる。だから私が負ける。勝
てるのは、一〇回のうち、数回くらいしかない。

 その将棋をしていて、ふと思う。「ミスのない将棋はつまらない」と。しかしこのことは人生に、
そのまま当てはまる。

 どんな人生でも、人生が人生として豊かになるのは、ミスがあるからではないか。あるいは人
間がヘマをするからではないか。たとえば人と将棋をさしていると、ときどき、相手が、「あっ、し
まった!」と言うときがある。私も、ときどき、そう言う。そう言いながら、たがいに笑ったり、なぐ
さめあったりする。

 しかしパソコンには、それがない。しかし、だからパソコンは、ダメというわけではない。たとえ
ば、こんなソフトを開発したらどうだろうか。

 対戦相手を、レベルで分けるのではなく、たとえば、(1)横丁のうっかり熊さん、(2)近所の学
者先生、(3)将棋クラブ、自称初段先生……というようにする。そしてそれぞれのクセを出す。
つまりランダムに、ミスをしたり、ヘマをしたりするようにする。

 またヘマをしたときには、「まいった、まいった!」とか、「うへ〜、待ってくれエ!」とか、言う。
この程度のプログラムなら、何でもない。つまりゲームを、より人間臭くする。

 もっとも私のばあいは、負けそうになると、途中で、ゲームをやめてしまう。もし相手が人な
ら、怒ってしまうだろう。二度目はないかもしれない。しかしパソコンは、絶対に怒らない。私の
ほうは、「ごめん、ごめん」と言って、ゲームをやめるが、本当なら、そんなことも言う必要はな
い。わかっている。

 その将棋。子どものころは、よく将棋をした。今でいうテレビゲームのような感じではなかった
か。将棋といっても、いろいろな遊び方があった。詰め将棋、はさみ将棋、それに積み木くずし
というのもあった。名前は忘れたが、将棋板のまわりを、すごろくのようにクルクルとまわりなが
ら、進むというゲームもあった。一周すると、位が一つずつあがり、最後は、「王将」に出世し
て、ゴール。

 私はその将棋が好きで、将棋板をかかえ、だれかれなく、いつも、「将棋しようよ」「将棋しよう
よ」と、頼んでまわっていた。今、ふと、そんなことを思い出した。
(030907)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

山荘にて……

 どこか白いモヤのかかった空。
 濃紺の山肌が、少しずつ色を変え、幾重にも重なっている。
 白い、上弦の月が、空を照らす。

 私は庭のベンチにすわり、冷えたウーロン茶を飲む。
 遠くでは、クツワムシが、どこか元気なさそうに鳴いている。
 夏は終わりか? 谷間からのぼってくる風は、もうじゅうぶんなほど冷たい。

 私は何も考えない。ただボーッと、深い山々の闇につつまれて、息をひそめる。
 静かな時。おだやかな時。ゆるやかに流れる時。美しい時。
 今日も一日、終わった。その満足感が、ふと、心の中を暖める。

++++++++++++++++++++++

 部屋にもどってから、CDをかける。いろいろ選曲する。今夜は、モーツアルトの「アイネ・クラ
イネ・ナハトムジーク」(セレナード第13番)にする。今夜の雰囲気にあっている。

 そう、今夜はすばらしいことがあった。何と、あの二男夫婦が、孫のセイジ(誠司)をつれて帰
ってくるという。一〇月二日の午後、だ。「チケットを買った」という連絡が、入った。

 春に帰ってくるつもりだったが、あのSARS騒動で、取りやめてしまった。で、この一〇月にな
った。三週間ほど、日本に滞在する。日本のあちこちを旅行するという。とくに山登りをしたとい
うようなことを言っていた。二男は、高校時代、ワンゲル部で部長をしていた。

 どう迎えてやろうか。一応、日本でも、披露宴を計画している。どこかのレストランを借りて、
簡単な結婚式をしてやるつもり。奥さんに、日本の着物を着せてあげたい。今夜もそのことで、
ワイフと、どこにしようかと話しあった。

 いろいろ考えていると、子どものように、あるいは子どものときのように、胸がワクワクしてく
る。そう、こういうことがあるから、生きることも、すばらしい。まだまだ捨てたものではない。ラ
イフ・イズ・ビューティフル!

+++++++++++++++++++++

 時計を見ると、もう一一時。
 今日は、保育士の方たちを前に、講演してきた。
 「心」について、話した。
 少しむずかしい話なので、終わったあと、
 少なからず、後悔した。

 私はときどき、りきんでしまう。
 そして場違いな話をしてしまう。

 あとで控え室にもどると、責任者のMさんが、
 「感激しました」と、涙をこぼしてくれた。
 うれしかった。しかし同時に、とまどった。

 私はただ、「今日が最後」と、懸命に話しただけ。
 「二度目はない」「人生、最後だ」と。

 しかしこんな講演も、いつまでできるのか。
 このところ、疲れを強く感ずるようになった。
 体力が、つづかないような気がする。

 今、何度目かの睡魔が、ぐんと襲ってきた。
 居間をのぞくと、ワイフが養老猛司氏の番組を見ていた。
 医学者で、評論家の人だ。
 先日、何かの会で、同席したことがある。
 私は会って話をしたとき、「この人は本物だな」と、
 直感した。そのとき、「人体の中は、宇宙です」
というようなことを、言っていた。

 今夜は、山荘で、よく眠られそうだ。
 今日も、一日、がんばった。満足とまではいかないが、
 その実感はある。

 では、みなさん、おやすみなさい。
(030906)

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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
11・ 8 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・23 ……奥山小学校
10・18 ……天竜中学校区健全育成会(天竜中、中ノ島小、和田東小、和田小合同)
10・13 ……浜松市上島にて(ママアンドパパス・保育所開園式)
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2003年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page090.html
2003年度は、「子育て相談、Q&A」で一年間、連載させていただきます。よろしく!
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞








件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■不誠実な男

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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         *         
        / \        
       /   \       
      / ___ \      【1】日常アラカルト
       ̄ ̄\_/ ̄ ̄      【2】Touch your Heart
   =| ̄ ̄ ̄ ̄* ̄ ̄ ̄ ̄|=   【3】子育てエッセー
    |__  *  __|    【4】フォーラム
  :  : |___|::   : 
 :\::\:  !!  :/: :/:
  :\ :\  !!  /:  /: 
【1】日常アラカルト∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●三重県のK町から講演依頼があった……インターネットで、三重県のK町から講演依頼があ
った。名古屋から紀伊線で、二時間ということらしい。私は、飛びあがって喜んだ。私は三重県
大好き人間。昔、電車から見た、あの美しい海が忘れられない。今でも、よく夢に出てくる。講
演をかねて、旅行ができる。こんなぜいたくなことはない。まだどうなるかわからないが、ぜひ
行ってみたい。この際、旅費だけ負担してもらえれば、講師料など、どうでもよい。ホント!

●どういう不調なのか……私は若いころから、寝ているとき、足がスカスカすると、眠られな
い。どこかに足をつっこんでいなければ、ならない。夏の暑い夜でもそうだ。だから夏でも、足
元に重いふとんを置いている。そのふとんに、足をつっこんで眠る。軽いふとんでは、ダメ。で、
最近だが、起きるとしばらく、足の裏が痛い。歩くのも、ままならないときがある。五〜一〇分も
すると、その痛みが消えるが、これはどういう体の不調によるものか。

●フランスのSさんへ……もうフランスにお着きになりましたか。この場を借りて、あいさつ申し
あげます。九日に日本をたたれたということでしたね。電話をしようと思っていましたが、いろい
ろバタバタしていて、できませんでした。ごめんなさい。どうか、すばらしいバカンスを!

●二男の嫁に花嫁衣裳……もうすぐ二男夫婦が日本へやってくる。小さなパーティを開くつも
り。で、私は嫁さんに、花嫁衣裳を着せてあげたい。K荘という結婚式場で相談すると、貸衣装
代だけで、一〇万円から。着付けに一〇万円。ほかに部屋代が八万円。料理が一人、一万五
〇〇〇円前後……。ざっと計算すると、二〇人ほどのパーティで、七〇万円! ギョッ! どう
するか、また振り出しにもどってしまった。

●今朝は、カミナリの音で、飛び起きた。別のカミナリがこわいわけではない。パソコンに接続
してあるコードや、電線を抜くためである。近くにカミナリが落ちたら、たいへん。少し前、ある
人に相談したら、「カミナリはだいじょうぶ。パソコンには影響ない」と言った。しかし私は信じな
い。が、やがてカミナリは収まった。気がつくとワイフがそこにいて、こう言った。「久しぶりの雨
ね」と。ワイフは、いつものんきだ。ワイフのパソコンが、カミナリで壊れても、知ったことか!

●このところ何かと睡眠不足。眠いときに、来客があったりして、がまんしてしまった。それがよ
くなかった。眠くはないが、睡眠不足がつづくと、かえって夜、眠られなくなってしまう。そしてま
すます睡眠不足になる。こういうのを悪循環という。若いころは、いつでもどこでも眠ることがで
きたが、年をとると、そうはいかない。

●今朝(一〇日)は、私ひとり。ワイフは、新しいテニスクラブの見学にでかけている。公民館
のテニスクラブだが、少し遠いところにあるという。ワイフには、しっかり運動をしてもらわねば
ならない。ともに元気なのが、一番、よい。しかし今の状態が、いつまでつづくことやら。がんば
りましょう。

●チャットルームから……このところ、午後一〇時ごろ床につくことが多くなった。で、毎週月曜
日のチャットルームだが、来てくれる人もなく、そろそろ閉鎖しようかと考えている。ところが、で
ある。この四か月、だれも来てくれなかったのに、今週はじめて、サニーさんが、来てくれた。
何でも、自動車のタイヤを盗まれたとか。かなり落ちこんでおられた様子。サニーさん、ごめん
なさい。
(030910)

  ‖                 
 :−−           ‖   
  ‖            :−− 
        ‖      ‖    テーマがあれば、どうかお寄せください。
       :−−           具体的に、相談内容を書いてくだされば
        ‖              うれしく思います。
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

心の実験(あと始末)

 新幹線に乗ったときのこと。私の座った席の前のアミの中に、ごみが、いっぱい、あった。空
き缶に弁当箱など。それまで座っていた人が、そのままにしておいたらしい。

 私はそのゴミを見ながら、こう考えた。

 「始末してやるべきか、いなか」と。

 よく子どもたちに、何かをしてくれと頼むと、子どもたちはこう言う。「何で、ぼくがしなければい
かんのかア?」と。いやな言葉だ。先日も、「スリッパを並べて帰ってね」と頼むと、小学二年生
のN君も、そう言った。「先生、どうしてぼくがしなくちゃ、いけないの?」と。そこで私が、「だれ
でもいいけど、君が一番先に、目についたから」と。

 そのあとN君は、しぶしぶ、本当にしぶしぶ、スリッパを並べてくれた。

 それを思い出しながら、私は再び、そのゴミを始末してやるべきかどうか、迷った。実はその
とき、あのN君と同じ言葉が頭の中を、横切ったから。「どうして、私がしなければいけないの
か?」と。

 何かよいことをすると、大脳の新皮質部から、脳の辺縁系の扁桃体というところに信号が送
られ、そこからモルヒネ様の物質が放出されるという。エンケファリン系、エンドロフィン系の物
質だと言われている。そこで私は、心の実験をしてみることにした。

 私は自分のもっていたペットボトルを飲み干すと、アミの中からゴミを取り出した。そしてそれ
らを一つにまとめると、通路へ立った。あいにく、ゴミ箱は遠かった。しかたないので、そこまで
歩いた。

 歩きながら、自分の脳の中の変化を観察した。私の理論によれば、そして大脳生理学の理
論によれば、そのとき、扁桃体から、モルヒネ様の物質が放出されるはずだった。そして陶酔
感に襲われるはずだった。しかし一向に、気持ちよくならない。

 私はゴミを捨てると、また自分の席に座った。しかしそれでも気持ちよくならない。はっきり言
えば、何の変化も起きなかった。「おかしいな?」とは思ったが、やはり何も起きなかった。私の
脳の中は、前と同じだった。

 で、実験は、終わり。「失敗」と書いたほうがよいのか。つまり、その程度の善行では、モルヒ
ネ様の物資は、どうやら放出されないらしい。それがわかった。あとでワイフに話すと、ワイフ
は、こう言った。

 「そんなの、したければすればいい。したくなければ、しなくていい。したからいいことをしたと
いうことにはならないわ。ああいうゴミは、ゴミを作った人が始末をすればいいのよ。あなたの
責任じゃ、ないわ」と。どうやら、それが、正解らしい。
(030908)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●美しき世界

にごりなく、
清らかで、
やさしく、
心の温かが、
満ちあふれ、
おだやかな、
どこまでも
おだやかな、
そんな世界は、
どこに
あるのだろうか。

時は流れる。
ゆるやかに、
静かに、
音もなく、
ただただ、
すべてを
飲みこみ、
すべてを、
包みながら。
そんな時は、
どこに
あるのだろうか。

しかし、
私は生きている。
あなたも生きている。
この世界で、
この宇宙で、
まばたくような、
この瞬間に、
生きている。

私は心から、
こう叫ぶ。
届かぬ声とは
知りつつも、
私は、叫ぶ。
私は、
人を愛し、
自然を愛し、
この世界を愛し、
この時を愛し、
すべてを、
愛している。 
あなたを、
心から
愛している、と。

 神よ。仏でもよい。だれでもよい。どうか教えてほしい。どうして私がここにいるのか。それを
教えてほしい。神よ。仏でもよい。だれでもよい。どうしてあなたは、そんなにも、私に冷酷なの
か。この世界の、この時に、私を引き出しておいて、「あとは自分で考えろ」とは!

 神よ。仏でもよい。だれでもよい。どうか教えてほしい。私はどこへ行けばよいのか。それを
教えてほしい。神よ。仏でもよい。だれでもよい。どうしてあなたは、そんなにも、私に冷酷なの
か。この世界の、この時に、私を引き出しておいて、「あとは勝手に生きろ」とは!

 神よ。仏でもよい。だれでもよい。しかし私は負けない。あなたに負けない。負けたくない。神
よ。仏でもよい。だれでもよい。私はあなたには、頭をさげない。私は私だ。私は私の人生を、
自分で生きてやる。不完全で、ボロボロで、どうしようもない人生かもしれないが、たった一度し
かない人生。だから自分で生きてやる。さあ、来い! 負けるものか!

ガブリエル・フォーレの「メサイア」を聴きながら、私は、そんなことを考えた。
(030909)

++++++++++++++

「なぜ私は生きているか」
それは学生時代からの、
私の大きなテーマでも
ありました。それについて
書いたのが、つぎの原稿
です(中日新聞掲載済み)。

++++++++++++++

子どもに生きる意味を教えるとき 

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからすれば
よい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。たとえば高校野球。私たちがなぜあの
高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからではないのか。

たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕事」だって、意味があるよう
で、それほどない。「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人
は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。

●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想的なミュ
ージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはなぜ生まれ、な
ぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。

それから三〇年あまり。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけ
ではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだした。

 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、人生の
目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエー
ル。そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進
むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。

つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などというものは、
生きてみなければわからない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っ
ている。『人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』
と。

●懸命に生きることに価値がある
 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャーも、
それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みんな必死だ。
命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが
宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、
そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあっ
て、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言うなら、懸命
に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。言いかえると、そうでない人に、人生
の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘志もない。毎日、ただ流されるまま、その日
その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわからない。

さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われたとき、私
たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その生きざまでしかない。

あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をしていた
ら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そういうものはいくら
繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。そういう人生からは、結局は何も生まれな
い。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。

         ,ミヽ  ミヽ
         へ ミ ヽ へ ミヽ
        ∂  ミミ∂ へミミ
        ζ  っノι ∂ ミミ8彡
        ヒ___ノ 人v "丿彡'
    |)─○  / ヽ  `>−<
     // \\_/_∧ \_/_/ ヽ ≡=   賛助会にどうか、ご入会ください。
   ___//  \_/_ξ ̄ ̄ノ_ __)      現在、お礼に、イラスト(額つき)を
  / _ \  / ____ ̄フ _____ノ  ≡=−   送っています。
  // \ \ / /   ̄/ /   ̄)
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

私にとっての学校

 私が私の生きザマをつかんだのは、学校の教育を通してではない。多分、この文を読んでい
る、みなさんも、そうではなかったか。私にとって「学校」というのは、ただものを覚え、知識を詰
めこむところだけだったように思う。それ以外に、何かを学んだかというと、いくら考えても、思
い当たるものがない。これはどうしたことか。 

 だからといって、学校がムダとか、そんなことを言っているのではない。ただ昔も、そして今
も、学校だけが、教育の場ではないということ。またそれを期待してもいけないということ。私た
ちが生きザマとして学ぶものは、学校を離れたところにあるということ。私のばあいは、学校を
離れたところの世界で、生きザマの大部分を学んだような気がする。
 
 たとえばみんなで、畑へ大根ドロボーに入ったことがある。そのときは、一〇人ほどの仲間
で、それをした。

 当時は、みな、いつも、おなかをすかしていた。お金もなかった。そこで食べ物は、ドロボーと
いうことになる。大根ドロボーにしても、当時は、みながしていた。で、その日も、ドロボーに行っ
た。私が小学三年生くらいのときだったと思う。

 ドロボーした大根を、近くの小川で洗い、ゴリゴリとそのまま食べる。それがけっこう、おいし
かった。

 が、その日は勝手が違った。私たちが、畑に入り、どの大根にしようかと迷っていたときのこ
とだった。突然、畑の向こうからおやじが現れて、「コラッ! ちょっと来い!」と、大声!

 みなは蜘蛛の子散らすように逃げたが、私は違った。おやじが、「ちょっと来い!」と言ったの
を聞いて、そのままその場に立ちすくんでしまった。そしてやがて、そのままおやじに向かって、
歩き始めてしまった。

 そのあとの記憶は、残っていない。多分、こっぴどく叱られたのだろう。それは覚えていない。
ただそのおやじに向かって歩いていく光景は、今でも記憶の中に鮮明に残っている。

 気が小さいくせに、おくびょうなくせに、度胸もないくせに、どういうわけか、そういうときになる
と、肝がすわってしまう。それが私だと思うが、そういう私をつくってくれたのは、もちろん学校で
はない。先生に教わったから、そうなったわけでもない。どこでどう学んだかは知らないが、し
かしそれは仲間の間で学んだ、私の生きザマであった。

 そうそう言い忘れたが、その事件のときは、私がリーダーだった。しかしこうした生きザマは、
そののちの私の生きザマの「柱」になっている。私はここにも書いたように、大根ドロボーを平
気でするような子どもだった。決して、善人ではなかった。今も、善人ではない。よく眠る前に、
銀行強盗のシナリオを考える。それが趣味のようにも、なっている。

 しかしその度胸はない。気が小さく、おくびょう。しかし頼まれると、何でもしてしまう。優柔不
断で、自分がない。愛想がよく、みなに好かれることを、まず第一に考える。またそのために行
動してしまう。

 が、その場になると、相手に向かってつき進んでしまう。正義感だけは、やたらと強い。ドロボ
ーに入った子どもが、正義感をふりかざすのもおかしなことだが、多分、そのときも、(まちがっ
たことをしている)という思いがあったからこそ、そのおやじに向かって歩き出したのだと思う。
逃げるのは、私の性分にはあわなかった。

 これだけではないが、自分というものを順にさがしていくと、その原点は、いつも学校の外に
あったことがわかる。もっとも当時は、まさに寿司づめ教育。中学のときも、一クラス、五五人
だった。前の年まで、六クラスだったが、私たちの学年からは、一一クラスになった。そういう時
代である。何かを学校に期待するという時代ではなかった。

 さてあなたはどうだろうか。あなたは学校で、どんなことを学んだだろうか。あるいは今の「あ
なた」は、いつ、どのようにしてできただろうか。あのアインシュタインは、こう書いている。

 『教育とは、学校で習ったことをすべて忘れたあとに、残っているところのものである』(「名言
辞典」)と。
(030910)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

ふるさと

 DeA社より、今度、「日本の歌、こころの歌」が、発売された。CD付きで、一冊390円。創刊
号、特別価格だという。私は書店で見つけて、二冊買った。一冊は、私のため。もう一冊は、ア
メリカに住む二男のため。

故郷
故郷の廃家
この道
故郷の空
朧月夜
旅愁
埴生の宿

 一冊を帰りの車の中で、封を切って、さっそく聞く。とたん、私は、あふれる出る涙を、どうす
ることもできなかった。

故郷(ふるさと)

兎追いし かの山
小鮒釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷

如何に居ます 父母
恙なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出ずる 故郷

志を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷

(高野辰之作詞)

 この「故郷」に特別の思いをもつ人は、多い。私もその一人。外国へ行くたびに、この歌を耳
にすると、心はそのまま日本へ戻る。もし「心の国歌は何か?」と問われれば、私は迷わず、こ
の「故郷」をあげる。国によっては、第二国歌というのもある。いろいろな意見が錯綜(さくそう)
しているが、日本も、第二国歌をもってもよいのではないか。

 付録の冊子の中にも、こうある。

 「外国で日本人が集まり、何か歌おうとなったとき、
  必ず選ばれる曲の一つに『故郷』がある。
  それを聴いた外国人は、言葉こそわからなくても、
  この美しい旋律に感動すら覚えるようだ。
  唱歌『故郷』は、そんな歌である」と。

 この意見にはまったく、同感である。まったく、まったく、同感である。「故郷」は、まさに日本
を、そして日本を代表する名曲である。

 私はそのとき、二男の気持ちになって、涙をこぼしていた。アメリカという地球の反対側で、心
細いこともあるだろう。つらいこともあるだろう。まちがいなく二男も、この「故郷」を聞きながら、
涙をこぼすに違いない。子どものときから、さみしがり屋の子どもだった。それを思ったとき、ま
すます涙があふれ出た。
(0300909)

【追記】

 北原白秋作詞の「この道」も収録されていた。
 小学時代、音楽が大嫌いだった私が、突然、好きになった、そのきっかけをつくってくれたの
が、この「この道」である。

 この歌は、ウィーン少年合唱団が主演した映画、「野ばら」(※)の中で歌われた。それがあま
りにもすばらしかったので、私はそのまま中学校で、コーラス部に入部した。単純といえば単
純。私は、そういう少年だった。

(※)「野ばら」は、ハンガリー動乱の際、オーストリアに逃れてきた孤児の少年が、ウィーン少
年合唱団に入団するまでを描いた映画(1957年作品)だったという。その映画だったと思う
が、確かではない。私が覚えているのは、ウィーン少年合唱団の一人が、文通相手を訪ねて、
日本のある少年を訪問するという映画だった。「野ばら」というのは、私の記憶違いかもしれな
い。

           ◯   
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      〜〜〜〜〜〜〜    役に立つ情報を、書きとめておこうと思います。
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

信仰のもつ愚鈍性

●宗教団体に、三〇〇〇万円の寄付?

 この話は、宗教の根幹にかかわる話である。だからあまりストレートに書くことができない。し
かし実際に、こんなことがあった。

 ある女性の夫が、半年近い闘病生活のあと、死んだ。夫が三六歳、妻が三七歳のときだっ
た。で、そのとき、生命保険金とか何かで、金額は、はっきりとはわからないが、五〇〇〇万円
近いお金が、妻の手に入った。

 その女性は、ある宗教団体の熱心な信者だった。その宗教団体では、一〇〇万円以上の寄
付をする人を、「シルバー会員」、一〇〇〇万円以上の寄付をする人を、「ゴールド会員」と呼
んでいた。特別扱いしていた。

 その女性は、手にしたお金のうち、何と、三〇〇〇万円というお金を、その宗教団体に寄付
した。(三〇〇〇万円!)「こんな大金が手に入ったのは、信仰していたおかげです」と。

 この話は、その宗教団体内部では、美談として、大きく取りあげられた。機関紙にも、匿名だ
が、取りあげられた。そして間接的ながら、私の耳にも入るところとなった。で、話を聞くと、そ
の女性は、決して裕福な家庭ではない。生前の夫は、ごくふつうのサラリーマン。それからの生
活を考えたら、寄付してはいけないお金だった。

 宗教のもつこわさは、こんなところにある。どこか常識をはずれる。どこかおかしくなる。そし
てそのおかしさに気がつかないまま、結局は、宗教団体の餌食(えじき)になってしまう。それに
この話は、どこかおかしい。

 もしその宗教にそんな力があるなら、そもそも夫を殺さなかったはず。それにその宗教団体
に、ふつうの常識があるなら、そんな金額は、受け取らなかったはず。「あなたも、これからの
生活があるから、そんなに寄付してはいけません」と。

 しかしその女性は、三〇〇〇万円も寄付してしまった。もちろんそのお金は、その女性のも
の。どう使おうと、その女性の勝手。私のような部外者がとやかく言っても、始まらない。

●政治は現実的であるべき

 が、政治の世界ともなると、そうはいかない。ちょうど三〇年ほど前のこと。韓国の前大統領
の金大中氏が、韓国のKCIAによって、東京のホテルから拉致(らち)されるという事件があっ
た※。

 そのとき金大中氏は、KCIAによって殺される運命にあったという。しかしその情報をいち早く
つかみ、それを止めたのは、ほかならぬアメリカのCIAだった。つまり金大中氏は、母国のKCI
Aに殺されかかったが、アメリカのCIAによって助けられた。

 そののちの金大中氏の政治信条は、この事件をきっかけに、大きく変わったとされる。結果
的には、狂信的なまでのクリスチャンになったという。そしてやがて金大中氏は、韓国の大統
領にまでのぼりつめるが、どこか政治手法が、現実離れしていたのは、そのためではないか。

 言うまでもなく、政治の世界では、「現実主義」が、第一。その柱でなければならない。いくら
大統領が、「私は清貧でいい」と思っていても、それを国民に押しつけてはいけない。いくら大
統領が、「私は、殺されても文句は言いません」と思っていても、それを国民に押しつけてはい
けない。あくまでも主人公は、大衆。それが政治。民主主義政治。

 ひょっとしたら金大中氏は、神の意思によって助けられたと思っているかもしれないが、金大
中氏を助けたのは、神ではない。アメリカのCIAである。実は、ここに宗教の愚鈍性が潜んで
いる。

●宗教のもつ、愚鈍性

 たとえばある人が病気になったとする。そこでその人は、一方でその人が身を寄せる宗教
に、毎日、毎晩おがむ一方、病院へ通ったとする。で、幸いにも、その人が、回復したとする。

 このときその人は、「私は病院のドクターによって病気を治してもらった」とは、決して思わな
い。「信仰によって、救われた」と思う。そして病院のドクターに感謝する前に、そしてそれ以上
に、その人が属する宗教団体に感謝する。

 しかしそれは、本当に信仰なのか? 正しい考え方なのか? キリスト教の世界にも、「天
(神)は自らを助けるものを助ける」という言葉がある。釈迦も、「島」という言葉を使って、同じ
ようなことを教えている。今風に言えば、「心の拠点」という意味か。それぞれが自分の世界
で、自分で「法」を打ちたてよ、と。
 
 密教の世界では、信仰によって病気を治したり、国を治めようとする。ついでに金もうけもしよ
うとする。しかしそれは本当に、あるべき信仰なのか? が、信仰をしていると、人は、どこかで
ご利益(りやく)を求めるようになる。「自分だけが、神(仏)の忠実な僕(しもべ)である。だから
自分だけは、守られる。神(仏)から、特別あつかいされる」と。

 しかしそんなことは絶対にありえない。ありえないことは、ほんの少しだけ、神や仏の立場に
なってみればわかる。

 私は神や仏ではないが、そういう私に、「先生、あなたのことを毎日、したって祈っています」
と言われても、私はうれしくかゆくもない。何ともない。ないばかりか、その人には、こう言うだろ
う。「私のことは忘れて、どうか、自分の道を進んでください」と。

 そういう意味では、日本の宗教は、どこかおかしい? 徒党を組んで、利益活動までしている
団体もある。またそうすることが、宗教活動だと、信者たちは思いこまされている。今は「?」と
しておくが、おかしいものは、おかしい。そのおかしさの一端が、冒頭に書いた、三〇〇〇万円
を寄付した女性である。
(030909)

【補足】※大韓民国前大統領金大中氏が一九七三年八月八日、東京のホテル・グランドパレ
スから拉致された事件をいう。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

不誠実な男

 六月に、クーラーを設置した。そのとき、Tという男がやってきた。見るからに不誠実そうな男
だった。心の中というより、体中、ゴミだらけといった感じの男だった。

 で、ものすごい、ひどい工事。配管のパテは、まったく詰めてなかった。土台のネジは、八本
必要だったのに、四本のみ。強くドリルで締めすぎたためか、ネジ山はつぶれ、ネジはきいて
いなかった。

 また外壁をはう配管は、上から下まで、何と六センチ前後、横にズレていた。まだある。クー
ラーを設置するとき、乱暴に扱ったため、クロスの壁がかなりこすれて、削れていた。

 一事が万事。最近になって、クーラーの室外機が、ゴミ取り専用のマンホールの真上にある
ことがわかった。しかも、一台のクーラーは、どうやら家の筋交(すじか)いを、まともにぶち抜
いているらしい(これは未確認)。

 配管の費用は、四メートルまでは、無料ということだったが、請求書は、七メートル。実際に
測ってみたら、六メートル弱しかなかった。つまり一メートル分、過剰請求!……などなど。

 ズルい人間は、年齢とともに、あらゆる面でズルくなる。一つだけということはない。全体に、
そうなる。まさに日々の積み重ねが、人格となるというわけである。

 このTという男は、改めて、私に大きな教訓を与えてくれた。

 善人も悪人も、それほど大きな違いはない。ほんの小さな、日々の積み重ねが、善人を善人
にする。悪人を悪人にする。その小さなことというのは、決してむずかしいことではない。ウソを
つかないとか、約束を守るとか、あるいは人に迷惑をかけないとか、そういうことである。

 そして日々の積み重ねが、やがてその人の人格をつくる。いや、日々というより、この瞬間、
瞬間の積み重ねといってよい。「今」のこの瞬間である。

 それは最初は、「勇気がいる」と言えるほど、覚悟が必要。しかし思い切って、近所の道路に
散っているゴミを拾ってみる。思い切って、倒れた自転車を起こしてやってみる。最初は、どこ
か、「やってやっている」という思いにかられるかもしれない。が、やがてそれが自然にできるよ
うになったとき、その積み重ねが、その人の人格となる。

 そのTという男は、どんな人生を歩んできたのか。年齢は私と同じくらいか。恐らく、日々の生
活の中で、ズルいことばかりしているのだろう。が、それ以上に彼にとって不幸なことは、もうこ
の年齢になると、軌道修正はできないということ。そういうズルい生き方が、体質として、彼の
中にしみこんでしまっている。だから、「一事が、万事」。

 で、また考えてみる。私はどうなのか、と。

 私はもともとそのTという男に、負けないくらい、ズルい男だった(?)。生まれ故郷の言葉で
は、「こすい子ども」だった(?)。戦後の混乱期に生まれた子どもは、みな、多かれ少なかれ、
そうだった。

 今でも、そうした体質が、たしかに残っている。ときどき、そういう自分と、戦わねばならない。
とくに困るのが、サイフを拾ったとき。一応、持ち主や、交番に届けるが、そのとき、「もらっちゃ
え」と叫んでいる自分が、どこかにいるのを知る。だから今では、サイフを拾うのも、こわい。だ
から、それらしきものが落ちていても、できるだけ目を閉じて、通り過ぎるようにしている。

 そしてここからが子育て論ということになる。

 私たちは親として、教師として、子どもの前に立つ。そのとき大切なことは、親や教師の心
は、そのまま、長い時間をかけて、そっくりそのまま子どもに伝わってしまうということ。親子、あ
るいは教育というのは、そういうもので、そこに親子であること、教育のすばらしさがあると同時
に、きびしさがある。

 そう、昔、息子たちと歩いているとき、そのサイフを拾ったことがある。私たちは、みんなで、
そのサイフの持ち主に届けた。そういった積み重ねが、子どもの心をつくる。おかげで、という
か、私の三人の息子たちは、みな、バカ正直と言えるほど、バカ正直な子どもたちになってくれ
た。今、ふと、「よかった……」と思った。
(030909)


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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞







件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■邪悪な人間性

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03−9−19号(289)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9.12  ……愛知県岩倉市(全家研)
9・ 9  ……愛知県稲沢市・福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
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   =| ̄ ̄ ̄ ̄* ̄ ̄ ̄ ̄|=   【3】子育てエッセー
    |__  *  __|    【4】フォーラム
  :  : |___|::   : 
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安心して、開いてください。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【今週の幼児教室から】

 音感というのは、年長児くらいまでに、かなりの部分が、決定されるらしい。この方面は、専
門でないので、私はよくわからない。ただ中学、高校、そして大学と、どういうわけか、私は合
唱団に属していたので、その方面だけは、やや明るい。

 言いかえると、この時期を過ぎると、以後、音的感覚もしくは、音楽的センスは、伸ばすのが
たいへんむずかしい。

 全体として、「♪とんぼのめがね」をテーマにして、レッスンを進めた。そして最後は、ベルを
つかって、皆で合奏。私ばかりが楽しんでいけないのだが、正直言って、楽しかった。

 このレッスンとは別に、教室のうしろに大きなテーブルを置いた。その上で、毎月、テーマを
決めて、いろいろな玩具を置くことにしている。今月は、ドミノ。数百個のドミノを買ってきた。そ
してそれをテーブルの上に置いた。

 しかしその(おもしろさ)に、改めて驚く。最初は子どもたちも、どこか遠慮がちだったが、その
うち夢中になって遊び始めた。が、それだけではない。せっかく並べても、だれかが不注意で
倒すと、爆笑、また爆笑。私が倒してしまったときには、みがが、よってたかってやってきて、
「先生の、バカ」「アホ」と言って、私の頭や体をたたいた。私は「ごめん、ごめん」と言って、体
を丸めた。楽しかった!

 この時期の子どもにとって大切なことは、「学ぶことは楽しい」という意識をもたせること。(教
えてやろう)という意識は控えめに。何をどう学んだかではなく、何をどう楽しんだかを考えなが
ら、教える。あとは子ども自身の力で伸びてくれる。またそういうふうに、しむける。

 最後に合奏が終わると、参観していた母親たちが、思わず拍手してくれた。うれしかった。そ
ういう(暖かさ)が、子どもを伸ばす。私の教室は、全国一(多分?)、暖かい教室なのだ! 
(ウソだと思うなら、見においで!)

 月謝は、10月から1万円。15年ぶりに、1000円だけ、値上げさせてもらうことにした。
(030911)

  ‖                 
 :−−           ‖   
  ‖            :−− 
        ‖      ‖    テーマがあれば、どうかお寄せください。
       :−−           具体的に、相談内容を書いてくだされば
        ‖              うれしく思います。
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

邪悪な人間性

 私が自分の邪悪性に気づいたのは、ワイフと結婚してから。私が、「お前は、そうは思わない
か?」と聞くと、ワイフは、いつも、こう答えた。「私は、そうは思わない」と。

 たとえば今、台風14号が、九州の西を北上している。中心気圧が910hPa(ヘクトパスカル)
という「猛烈な台風」(気象庁)である。どうやら、このまま進むと、朝鮮半島を直撃しそうな雰囲
気である。

 で、内心では、私は、「この台風は、K国へ行けばいい」と願っている。「将軍様とやらの祭り
に浮かれている、K国の人にとっては、よい冷や水になるだろう」と。去る九月九日に、K国で
は、政権樹立55周年を記念する100万人の「群衆パレード」が行われた。

 そこで改めてワイフに、「ぼくは、おかしいか?」と聞くと、「そうね、あんたは、少しおかしい
わ。ふつうは、そんなふうに、考えないもん」と。

 そう、私はどこかおかしい。それを最初に感じたのは、中学時代だと思う。何かの試合で、相
手チームの主要メンバーが、故障したときのこと。私は、「これで勝てる」と、それを喜んだ。つ
まりそのために、自分のチームが優位に立ったことを、喜んだ。わかりやすく言えば、相手のメ
ンバーが、故障したことを、喜んだ!

 当時、私は、だれもが、そう思っていると考えた。しかしやがて、そんなふうに考えるのは、私
だけと知らされた。とくに今のワイフと結婚してから、それを思い知らされた。

私「しかしあの台風が、K国を直撃すれば、金XX政権の崩壊が早まるかもしれない」
ワ「そのことと、台風で被害にあうことは、別のことよ」
私「しかし、被害が出れば、金XX政権は、大きな打撃を受ける」
ワ「結果的にそうなっても、それを望むのは、おかしいわ」
私「あのね、台風なんてものは、ぼくが望んだくらいで、進路を変えないよ」と。

 私はこうした私の邪悪性は、受験時代に生まれたものだと思っている。それまでの自分には
なかった発想である。あるいはあったのかもしれないが、そこまで鮮明ではなかった。私は中
学二年から三年にかけて、はげしい受験競争を経験している。

 そう、あの受験競争では、ライバルの低落は、即、自分の上昇を意味する。わかりやすく言え
ば、相手が成績を落としてくれれば、そのまま自分の成績があがることを意味する。小さな、つ
まり自分の学校だけで、こうした競争をしても意味はない。しかし当時の私には、自分の学校
が、すべてだった。全世界だった。

 こうした考え方は、今、受験生を教えてみるとわかる。少し前だが、ライバルの失脚を、声を
出して喜んだ子ども(中三男子)がいた。その喜び方が露骨だったので、かえってあっけにとら
れてしまった。が、同時に、自分の醜さを思い知らされた。

私「君は、A君が、入院したことが、そんなにうれしいのか?」
子「入院したことではなく、あいつは、ずっと、ぼくのライバルだったから」
私「そうか。ライバルがいなくなると、どうなる?」
子「英語では、ぼくが、クラスで一番になれる」
私「そうだよな。そういうことになるよな。しかしそういうライバルがいるから、励みになるというこ
ともあるよ」
子「しかし、あいつは、いやな男だから……」と。

 台風14号が、台湾や中国へ行ってほしいとは願わない。願うとすれば、九州地方をはずれ
ること。日本に上陸しないこと。とくに九州地方は、今年の六月、ひどいめにあっている。

 しかしそのことと、「K国へ行けばいい」と考えることは、別のこと。しかし私の内心にある、こ
の邪悪性は、どうしたものか? 「そう思ってはいけない」という自分と、「行け、行け」と願って
いる自分が、はげしく対立している。

 本当に、私という人間は、どこまでひねくれているのか。いじけているのか。こんなことでは、
私はとても、清廉潔白な人間には、なれない。真理に到達するとしても、まだまださらに遠回り
をしなければならない。

 私が願うべきことは、「台風が、どんな人にも、またどんな地方にも、被害を与えないこと。み
なが平穏で、無事な生活ができること」。しかしどうしても、あのK国にだけは、すなおに、そう
思えない。拉致された人たち、そしてその家族を、無事に返してくれれば、話は別だが、今の
状況では、どうしても、そう思えない。どうやらこのあたりに、私の人間性の限界点があるように
思う。
(030911)

●If only there were evil people somewhere insidiously committing evil deeds, and it were 
necessary only to separate them from the rest of us and destroy them. But the line dividing 
good and evil cuts through the heart of every human being, and who is willing to destroy his 
own heart? - Alexander Solzhenitsyn
どこかに陰に隠れて、こそこそと悪行をなす人がいるとすれば、私たちは彼らを分離し、彼らを
滅ぼす必要がある。しかし善と悪を分けるラインは、それぞれの人の中にある。が、だれが喜
んで、自分の心を破壊するだろうか。(A・ソルジェニーツィン)

(注釈)ソルジェニーツィンは、こう言っている。私たちは、悪人を排除しようとする。しかし善に
せよ、悪にせよ、その人自身の中にある。だから悪人を排除しようとすることは、自分自身を
排除することになる。しかしだれが、自分で自分を排除するだろうか、と。

The only thing needed for evil to prosper is for good men to do nothing - Edmund Burke, 
(1729-1797). 
邪悪な人が栄えるために必要な唯一のことは、よい人が何もしないことである。(E・バーク)

To defeat them, First we must understand them. - Elie Wiesel
彼らを打ち負かすためには、まず私たちは彼らを理解しなければならない。

The wicked are always surprised to find that the good can be clever. - Marquis de 
Vauvenargues, "R?flexions et Maximes"
邪悪な人たちはいつも、善人が賢いことを知って驚く。

The only difference between saints and sinners is that every saint has a past while every 
sinner has a future - Oscar Wilde
聖人と罪人の唯一のちがいは、どんな聖人にも過去があるということ。しかしどんな罪人にも
未来があるということ。(オスカー・ワイルド)
 
【追記】
 この中で、ソルジェニーツィンが言っていることに、私は同感です。くしくも、同じような原稿(中
日新聞掲載済み)を、私は以前、書いたことがあります。それをここに掲載します。

++++++++++++++++++++++++

子どもに善と悪を教えるとき

●四割の善と四割の悪 

社会に四割の善があり、四割の悪があるなら、子どもの世界にも、四割の善があり、四割の悪
がある。子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。おとなの世界をなおさないで、子どもの
世界だけをよくしようとしても、無理。子どもがはじめて読んだカタカナが、「ホテル」であった
り、「ソープ」であったりする(「クレヨンしんちゃん」V1)。

つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。時として教育をする者は、子
どもにはきびしく、社会には甘くなりやすい。あるいはそういうワナにハマりやすい。ある中学校
の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもその生徒を、プールの中に放
り投げていた。その教師はその教師の信念をもってそうしていたのだろうが、では自分自身に
対してはどうなのか。自分に対しては、そこまできびしいのか。社会に対しては、そこまできびし
いのか。親だってそうだ。子どもに「勉強しろ」と言う親は多い。しかし自分で勉強している親
は、少ない。

●善悪のハバから生まれる人間のドラマ

 話がそれたが、悪があることが悪いと言っているのではない。人間の世界が、ほかの動物た
ちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないというような世界になってしまっ
たら、何とつまらないことか。言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の世界を豊かでおも
しろいものにしている。無数のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書についても、こんな説話
が残っている。

 ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。(洪水で滅ぼすくらいなら、
最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いたときのこと。神はこう答え
ている。「希望を与えるため」と。もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はより
よい人間になるという希望をなくしてしまう。つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい
人間にもなれる。神のような人間になることもできる。旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」
と。

●子どもの世界だけの問題ではない

 子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。それが
わかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子どもの世界だけ
をどうこうしようとしても意味がない。たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問
題ではない。問題は、そういう環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。そうでないと
いうのなら、あなたの仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいることについて、あなたは
どれほどそれと闘っているだろうか。

私の知人の中には五〇歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。高校生の娘
もいる。そこで私はある日、その男にこう聞いた。「君の娘が中年の男と援助交際をしていた
ら、君は許せるか」と。するとその男は笑いながら、こう言った。「うちの娘は、そういうことはし
ないよ。うちの娘はまともだからね」と。私は「相手の男を許せるか」という意味で聞いたのに、
その知人は、「援助交際をする女性が悪い」と。こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆ
がめる。子どもの世界をゆがめる。それが問題なのだ。

●悪と戦って、はじめて善人

 よいことをするから善人になるのではない。悪いことをしないから、善人というわけでもない。
悪と戦ってはじめて、人は善人になる。そういう視点をもったとき、あなたの社会を見る目は、
大きく変わる。子どもの世界も変わる。


         ,ミヽ  ミヽ
         へ ミ ヽ へ ミヽ
        ∂  ミミ∂ へミミ
        ζ  っノι ∂ ミミ8彡
        ヒ___ノ 人v "丿彡'
    |)─○  / ヽ  `>−<
     // \\_/_∧ \_/_/ ヽ ≡=   賛助会にどうか、ご入会ください。
   ___//  \_/_ξ ̄ ̄ノ_ __)      現在、お礼に、イラスト(額つき)を
  / _ \  / ____ ̄フ _____ノ  ≡=−   送っています。
  // \ \ / /   ̄/ /   ̄)
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

電話相談

 今夜、久しぶりに電話相談を受けた。どこか気まぐれだった。私は、この四月から、電話によ
る相談を、たいてい断っている。時間的負担に耐えられなくなった。一〇年以上、電話相談を
受けていた。それを断るというのも、実のところ、つらかった。が、それで終わったわけではな
い。

 私の自宅の電話番号は、公開していない。しかしそれでも、電話はかかってくる。そうした電
話がかかってくるたびに、私は、「どこで番号を知ったのだろう?」と思う。それはそれとして、
今夜も、結局は、一時間半近く、その人と話した。

 電話のあと、自分の心の中を観察してみる。

 相談ということで、相手の悩みに答えたのだが、おかしなことに、満足感というか、充実感
が、あまり、ない? 本来なら、困っている人の相談にのったわけだから、それなりに、充実感
があって、当然なのだが……。なぜだろうか?

 理由の第一は、子育て相談の大半は、親の欲得(よくどく)にからんだものが多いということ。
わかりやすく言えば、「どうすれば、もっと、お金がもうかりますか」という相談に、どこか似てい
る。

 もちろん、親自身はそうは思っていない。「子どものため」と思いこんでいる。しかし実際に
は、たとえば不登校の相談にしても、親自身が、自分の不安や心配を、子どもにぶつけている
だけ。「このままでは、うちの子はダメになってしまう」という恐怖感にかられて、私に相談してく
る。子どものことを考えているようで、実は、子どものことなど、まったく考えていない。

 それに、学歴信仰とはよく言ったもので、こうした人と話していると、絶望感すら覚える。たが
いの間の距離が、あまりにも離れている。どこからどう説明しようかと考えているだけで、気が
遠くなってしまう。

私「今が、最悪の状態だと思わないでください」
母「うちの子は、なおらないということでしょうか?」
私「いえ、こうした子どもの心の問題には、その下に、二番底、三番底があるということです」
母「……?」
私「今、対処のし方をまちがえると、さらに症状が悪化するということです」
母「じゃあ、どうしたらいいのですか?」
私「今の状態を、悪くしないことだけを考えてください」
母「そんなことでは、うちの子は、ダメになってしまいます」
私「この問題は、一見、子どもの問題のように見えますが、実は、あなた自身の問題なのです」
母「どうして私の問題なのですか?」と。

 こんな問答が、繰りかえしつづく。相談してくる人も、必死だ。それはわかる。しかし子育てと
いうのは、もっと「根」が深い。その人の人生観、価値観、教育観すべてが、そこに集約されて
いる。

私「あなたの子どもが、学校から帰ってきて、ソファの上でゴロゴロしていると、あなたは気にな
ると言いますね。どうして気になるのですか?」
母「だらしないからです。だから、ちゃんと、座ってテレビを見なさいと叱ります」
私「どうして? あなたはそういう姿勢では、テレビを見ないのですか?」
母「私は、ちゃんと、座って見ます」
私「あのね、本当は、あなたはあなたの子どもを嫌っているのではないですか?」
母「嫌っている?」
私「そうです。子どもが何をしても、こまかいことが気になるというのは、内心の奥深くでは、嫌
っているからです。結婚、妊娠、出産と、そういう時期に、何か、大きなわだかまりを、つくりま
せんでしたか?」と。

 愛する子どものウンチは、それ自体が、美しい。しかしそうでない子どもの、ウンチは、臭い
すら、わずらわしい。そのわずらわしさが、形を変えて、こまごまとした(しつけ)になることが多
い。だから私は、「一見、子どもの問題のように見えますが、実は、あなた自身の問題なので
す」と言う。

 電話という道具は、たいへん便利だ。しかし使い方をまちがえると、やがてその負担に耐えら
れなくなる。以前は、ほとんど毎日、午前中は、その電話相談だけでつぶれてしまった。公(お
おやけ)の立場にあって、収入が保証されているならまだしも、私のような立場のものには、こ
れはたいへん、きつい。だから心を鬼にして、断ることにした。

 しかし……。今、多くの母親たちが、子育てで行きづまり、袋小路に入って悩んでいる。苦し
んでいる。そうした母親たちを、もっと効果的に指導する手だては、ないものか。子育て支援セ
ンターのようなもの、あるいは相談窓口のようなものは、全国の各地にできつつある。しかし今
ひとつ、もの足りない。庶民のところまでおりてこない。なぜだろうか?

 私は今夜、そんな相談を受けながら、別の心で、そんなことを考えていた。
(030911)

【追記】
 その点、インターネットは、便利だ。こちら側が、自分のあいた時間のときに、返事ができる。
それに文字情報の強みというか、きちんとした回答ができる。以前、どこかで経験したような相
談だと、それをコピーして送ることもできる。やはり、これからはインターネットの時代だと思う。

 最後に、その母親に、「インターネットはしていませんか?」と聞くと、「していない」と言った。
内心では、「早くすればいいのに……」と思ったが、それは言わなかった。

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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●愛知県岩倉市にて

 今日は、愛知県岩倉市にやってきた。総合体育センターというところで、話をさせてもらう。

 名古屋駅から、名鉄犬山線に乗り換え、二〇分ほどのところ。このあたりには、まったく土地
勘がない。一〇時三〇分の予定だが、九時三〇分に着いてしまった。だからひとり、こうしてロ
ビーのすみで、パソコンを開く。

 空は、あやしげな厚い雲がおおっている。その向こうから、飛行機の轟音がする。きっと小牧
空港に近いのだろう。ああ、道路が濡れているところを見ると、少し前に雨がふったのかもしれ
ない。

 今日の講演はそのセンターのホール。一〇人ほどの人が、何やら準備をしている姿が見え
る。遅刻するのもいやだが、しかし早く来すぎて、みなさんに迷惑をかけるのもいやだ。こうして
あまり意味のない文章を書きながら、時間をつぶす。

 おかしなことだが、長くのびすぎた髪の毛が気になる。床屋へ行こうと思いつつ、いつも限界
まで、がんばってしまう。床屋は嫌いではないが、めんどう。本当のところは、時間をつくるの
が、めんどう。だからついつい(のびのび)になってしまう。

 のびのび……「時間が延び延び」という意味と、「髪の毛が、伸び伸び」という意味。おもしろ
い掛け言葉だ。

 今朝は、五時に起きてしまった。おかげで、今、眠い。それに少し頭痛がする。朝食を抜いて
いるので、薬はのめない。こうした講演があるときは、朝食はとらない。頭がボーッとしてしま
い、使いものにならなくなる。

 岩倉市は、もちろんはじめて。駅から五分も車で走ると、静かな田園風景になる。このロビー
からも、周囲の畑が見える。センターそのものが、どこかポツンと、畑の中に建っている感じ。
「眠ろうか」と考えたが、パソコンをたたいているほうが、楽しい。今日は、こうしてパソコンをも
ってきた。

 今日は、「子どもの心」について話す。

 ほとんどの人は、自分自身にも子ども時代があったということで、子どもの心について、軽く
考えがち。つまり「子どもの心はよく知っている」と。

 しかしこれは誤解。実は、私たちの心の中には、(私であって私である)部分と、(私であって
私でない)部分が、共存している。このうち(私であって私でない)部分が、簡単に言えば、子ど
もの心ということになる。

 たとえばあなた自身の心の中をのぞいてみてほしい。

 あなたの中にも、(私であって私でない)部分がたくさんある。いじけやすい、ひがみやすい、
嫉妬しやすい、ねたみやすい、くじけやすいなど。こうした部分は、実は、あなたが子どものこ
ろ、あなたの中にできたものである。

 そのころできた心が、今もあなたの中にあって、あなたを裏から操っている。しかしここで、つ
ぎの問題が起きる。

 実はあなた自身が、そうした心に裏から操られながら、操られていることに気づかないでい
る。ひとつのわかりやすい例で考えてみよう。

 よく知られた子どもの心の変調に、「分離不安」というのがある。母子分離不安ともいう。母親
の姿が見えなくなっただけで、ギャーギャーと大声で泣き叫びならあとを追う(プラス型)と、混
乱状態になってオドオドする(マイナス型)がある。

 こうした分離不安は、成長とともに、表面的にはわからなくなる。子ども自身が、自己意識
で、コントロールするようになるからである。このコントロールする部分が、(私であって私であ
る)部分ということになるが、それはさておき、分離不安という、妄想性をともなった突発的な錯
乱性は、そのあとなくなるわけではない。その人の心の奥底にもぐる。

 まさに「もぐる」という言い方が適切である。消えるのではない。もぐる。

 ある女性(母親、四〇歳)は、こう言った。「今でも、夫の帰りが予定を一、二時間も過ぎると、
言いようのない不安にかられます」と。あるいは「夫を会社へ送り出すとき、あとを泣き叫んで
追いかけたい衝動にかられます」と。

 こうした母親に、「子どものころ、分離不安はありませんでしたか?」と聞いても、あまり意味
はない。ほとんどのばあい、その人自身は、それを覚えていない。ただひとり、こんなことを言
った男性(五〇歳)がいた。

 「ぼくは母親っ子でね。母がいないと、何もできなかった」と。

 覚えているとしても、その程度。つまり、ここに、(私であって私でない)部分がある。そしてそ
れが(子どもの心)ということになる。

 今日はここを導入部にして、子どもの心について話す。私の得意分野だが、しかし聴衆の受
けは、あまりよくない。だから……。今日は、どうしようかと、今、迷っている。

 こうした講演では、直前まで、つまり舞台に立つまで、話の内容が決まらないことがある。そし
て演壇に立ったとたん、話の内容を決めることがある。いいかげんなやり方に思う人がいるか
もしれないが、講演というのは、そういうもの。

 たとえばパッと見たとき、男性や年配の方が多いときは、そういう話に切りかえなければなら
ない。反対に、若い母親が多いときには、やはり、そういう話に切りかえなければならない。

 ホールの玄関があわただしくなってきた。「おはようございます」という、かけ声が多くなった。
時計を見ると、一〇時少し前。

 この原稿は、ここまで。そろそろ支度(したく)をしなければならない。洗面所へ行き、服装を
整えよう。体の調子は、あまりよくないようだ。しかしいつものように、がんばろう。がんばるしか
ない。では……。

+++++++++++++++++++++++

●帰りの電車の中で、こんなことを考えた。

 「報われる」という言葉がある。報酬の「報」ということになる。どんな仕事にも、報酬がともな
う。報酬のない仕事はない。しかしその「報」に慣れきってしまうと、いつも心の中で損得を考え
て行動するようになる。

 以前、これについては、かなり詳しく調べたことがあるが、この日本でも、貨幣が一般社会に
流通するようになったのは、江戸時代の中ごろだそうだ。貨幣そのものは、奈良時代からあっ
た。しかし今のような使われ方をするようになったのは、江戸時代の中ごろからだ、と。

 一方、私が子どものころには、戦後ということもあったが、まだ物々交換という風習が、残っ
ていた。(ホント!) 実際、私は、自転車の修理代とスイカ一個を交換している姿を見かけた
ことがある。ここまで日本人が「報」、なかんずく「お金」に敏感になったのは、ごく最近のことと
考えてよい。

 もちろん「報」というときは、お金にかぎらない。有形、無形、いろいろな報酬がある。そして私
たちは、何をするにも、心のどこかで、その有形、無形の報酬を考えながら行動している。無
我の境地で、まったく報酬を考えないで何かをするということは、ほとんど、ない。

 たとえば講演活動にしても、私はそれなりの講演料を受け取っている。こちらから金額を口に
することはない。ないが、無料ということではない。それは、その講演のために、それなりのお
金がかかるということもある。交通費はもちろんのこと、それに日当などなど。

 そのとき大切なことは、そうした報酬だけに気を取られていると、何のための講演なのか、わ
からなくなってしまうということ。本来、講演というのは、それを聞いてくれる人のためにするも
の。心や考え方を伝えるためにするもの。そういう精神が基本にあってはじめて、講演は成り
たつ。

 が、このところ、講演をするたびに、私はその「報」を考えるようになってしまった。ときどき、
「何の利益になるのだろうか」とさえ思う。私のばあい、講演料といっても、恐らく最低の金額で
はないか。たまたま今日の主催者のA氏は、前座で、こんなことを話していた。

 「東京大学の学生による家庭教師は、月額三〇万円が相場です」と。

 週に二回程度の家庭教師なのか。それとも一回なのか。そこは聞き漏らしたが、それにして
も、三〇万円とは! しかしこんな話を聞くと、講演など、バカ臭くて、できなくなる。

 しかし人間。損得だけで動くようになったら、おしまい。報われるにしても、報われないにして
も、それはあくまでも結果。結果がどうであれ、そのときは、そのときで、やるべきことを、懸命
に、全力ですればよい。講演にしても、呼んでもらえるだけでも、ありがたい。感謝すべきことな
のだ。

 何ともさみしい結論だが、私は、帰りの電車の中でそんなことを考えた。

++++++++++++++++++++

【追記】

 さらに家に帰ってから、講演の前に書いた文章と、そして帰りの電車の中で書いた文章を読
みなおしてみた。そして私は、こんなことに気づいた。

「思い」というのは、そのときの精神状態に左右されるということ。

 帰りの電車の中では、私は疲れていた。疲れていたから、内容が、どこかグチっぽくなった。

 前後が逆になったが、講演の前には、私は緊張状態にあった。だからものの考え方が、どこ
か理屈っぽくなった。

 これは私にとっては、重要な発見だった。つまり一見、確かと思える「思い」も、そのときどき
の心の状態によって、変化しうるものだということ。だからたとえば、同じテーマでも、心の状態
によっては、まったく別の結論になるかもしれない?

 そういう意味では、「思い」というのは、流動的なもの? そうであってはいけないと言う人もい
るが、しかしそういう前提で、自分の思想や他人の思想を考えてみることも、ときには、必要で
はないのか。少なくとも、文章というのは、そういうもの。書くときの心情で、どうにでもなる。あ
るいは書く人の技術で、どうにでもなる。

この先のことは、また別の機会に考えてみる。
(030913)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

どこかおかしいぞ、東京文化

 タレントのBT氏が、今度、フランスのある映画祭で、賞を取ったという。連日、新聞やテレビ
で大きく報道されている。私自身はまだその映画を見ていないので、何とも評論できないが、そ
の前の問題として、あのBT氏の作った映画など、見たくもない。

 ただ中国の北京に住むある女性が、どこでどのようにしてその映画を見たのか知らないが、
こう書いている。「チャンバラ映画の寄せ集めで、どうしてあんな映画が?」と。

 そのBT氏の話はさておき、東京から流されてくる「文化」は、大半が低俗で、目をおおいたく
なるようなものばかり。しかし地方は地方で、「東京からきた」と言うだけで、何でもかんでもあり
がたがる。もちろん東京の人もそれをよく知っている。逆に、それを利用して、地方の上に君臨
している。

 で、あのBT氏という人は、いったい、私たちに何を伝えようとしているのか。毎晩のようにバ
ラエテイ番組などに出ているから、その人間性は、だれでも知っている。知っているはずなの
に、どこかでだれかが、もちあげてしまう。そして東京都は、東京都を代表する文化人として、
またフランスでは、日本を代表する文化人として、BT氏を表彰している。

 どういう基準で、どういうところを見て、そういう賞が与えられるのか、私は知らない。しかしあ
あいうBT氏のような人が、そうした賞を受けるたびに、何というか、まじめに生きるのが、バカ
らしくなる。何でも今度も、その映画で、BT氏は、「三億円も、もうけた」(先の北京に住む女性
が発行するマガジン)そうだ。

 もちろんBT氏のファンの人も多い。子どもたちのしかし同時に、ああいう人に、眉をひそめて
いる人も多いはず。私もその一人だが、私はそうした自分のもつ、常識的なものの見方を信じ
ている。つまり、私はどこをどう見ても、BT氏が日本を代表する文化人には、見えない。……
思えない。

 もっとも私のこんな声など、BT氏には、蚊が刺すほどの意味もない。しかしこんなことは言え
る。あのBT氏の活躍(?)ぶりを見ていると、無力感すら覚える。せっかくみんなで、野原に木
の苗を植えた。そこへ巨大なブルドーザーがやってきて、そうした苗を、根こそぎ押し倒した。
そんな無力感である。BT氏の責任というよりは、私は無分別なマスコミの姿勢こそ、問題とさ
れるべきか。あるいはそういうマスコミを支える、私たちの姿勢こそ、問題とされるべきか。

 しかしこの日本で、BT氏のような、超有名人物を批判することには、ある種の勇気がいる。
どうしてかわからないが、ある種の緊張感に包まれる。それは日本という国が、全体としても
つ、体質に背を向けるような、緊張感といってもよい。自分自身を否定するかのような、緊張感
といってもよい。しかし、本当に、それでよいのか。本当に、このままでよいのか。
(030910)

【追記】BT氏の記者会見の模様をテレビで見たが、そうした(かしこまった場所)でも、BT氏
は、いつものBT氏のまま。質問を茶化したり、ギャグを飛ばしたり。話している内容も支離滅
裂。あのBT氏という人は、ちゃんとした話し方さえできない人ではないのかと、私は思ってい
る。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●故郷の空

 どこからか車で帰ってくるとき、みんなで歌を歌った。ワイフと私。それに三人の息子たち。大
声で歌を歌った。それが、「♪故郷の空」。

 もともとはスコットランド民謡だそうだ。知らなかった。いや、知っていたが、それを意識したこ
とはなかった。私は、何かうれしいことがあると、決まってこの歌を大声で歌う。どういうわけ
か、口から出てくる。多分そのときも、そうだった。

 反対に今、その歌を聞くたびに、あのときの車の中の情景を思いだす。二男と三男が、うるさ
いほどに車の中で騒ぐ。それを見て長男が、「黙れ」「静かにしろ」と言いながら、三つ巴(ども
え)にからんで騒ぐ。騒ぎながら、みんなで歌う。

 あの騒々しさは、どこへ消えたのか。あのときの三人の息子たちは、みな、どこへ行ってしま
ったのか。そしてあのときのあの歌は、どこへ行ってしまったのか。

夕空晴れて 秋風吹き
月影落ちて 鈴虫鳴く
思えば遠し 故郷の空
ああ わが父母 いかにおわす
      (大和田建樹作詞)

 時の流れは、風のようなもの。どこからともなく吹いてきて、またどこかへ消えていく。いくら
「止まれ!」と叫んでも、そのままどこかへ消えていく。気がついたときには、もうだれも、そこに
いない。
 
 かくしてつぎの瞬間には、私はこの世から消えていなくなる。つぎのつぎの瞬間には、この文
を読んでくれるあなたも、消えていなくなる。そしてそのかわり、新しい命が生まれ、またこの世
界を、喜びや悲しみ、楽しみや苦しみで満たす。

 めくるめく、時は過ぎて、無数の人たちが、無数のドラマを繰りかえす。そこに生きるすばらし
さがある。生きる私たちのすばらしさがある。もし人生に目的や意味があるとするなら、懸命に
生きること。その生きること自体に、目的や意味がある。

 私たちはなぜ生まれ、なぜ生きて、そしてなぜ死ぬのか。その答は、懸命に生きる、その姿
にある。もしそれを疑うなら、野に飛ぶ鳥を見たらよい。風にそよぐ緑の木々を見たらよい。彼
らとて、同じ生を受け、今、この瞬間に懸命に生きている。そしてそういうものたちが、みな、力
を合わせて、この地球上で、無数のドラマを展開している。

 そう、私たち自身が、その「時」なのだ。私たち自身が、その「時の主人公」なのだ。

 今、私は、「♪故郷の空」を、歌っている。大声ではないが、口から出てくる。理由はわかって
いる。もうすぐ孫の誠司が日本へやってくる。クリクリとしたかわいい目をした孫だ。

 その孫の写真を見ていると、ふと思わず、こう言いそうになる。「これからはお前たちの時代
だよ。ぼくは、もうじゅうぶん、人生を楽しんだ。もし席を譲れとお前たちが言うなら、ぼくは喜ん
で、その席を譲るよ」と。

 どんな歌かは知らないが、二男夫婦も、今ごろは誠司を囲んで、歌を歌っているにちがいな
い。そして彼らは彼らなりの方法で、「今」という時を、光り輝かせている。私という親がすべき
ことがあるとするなら、そっと脇により、彼らの行く末を、見守ることでしかない。

 みんな、ありがとう! 人生は、美しい。人生は、すばらしい。そう思いながら、もう一度、「♪
故郷の空」を歌う。目に熱い涙を浮かべながら……。
(030911)

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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
11・18 ……三重県紀伊長島町(紀伊長島町PTA連絡協議会)
11・ 8 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・23 ……奥山小学校
10・18 ……天竜中学校区健全育成会(天竜中、中ノ島小、和田東小、和田小合同)
10・13 ……浜松市上島にて(ママアンドパパス・保育所開園式)
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9.12  ……愛知県岩倉市
9・ 9  ……愛知県稲沢市福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
詳しい講演日時は、
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■ずる休みの勧め(1)

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      / ___ \      【1】子育てポイント
       ̄ ̄\_/ ̄ ̄      【2】Touch your Heart
   =| ̄ ̄ ̄ ̄* ̄ ̄ ̄ ̄|=   【3】子育てエッセー
    |__  *  __|    【4】フォーラム
  :  : |___|::   : 
 :\::\:  !!  :/: :/:
  :\ :\  !!  /:  /: 
●はやし浩司から皆さんへ、カードです。(安全性は確認してあります。)
http://greeting.rakuten.co.jp/view/rakuten/106980836626564961
安心して、開いてください。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子育てポイント

●買い物グセ

甘い食品、リン酸食品など、そういうものを毎日多量に摂取している子どもは、見た目にも、独
特の症状を示す。詳しくは「過剰行動児」を参考にしてほしい。で、そういう子どもをもつ母親
に、それなりの指導をすると、たいていの母親は、「では……」と言って、私のアドバイスに従っ
てくれる。

しかし長つづきはしない。理由は簡単。こうしたアドバイスは、一時的な効果しかない。やがて
母親は、もとの買い物習慣にもどってしまう。一、二か月もすると、スーパーなどで、また同じも
のを買い始める。つまり元の木阿弥(もくあみ)。

では、どうするか。

私はあわせて、つぎのようにアドバイスしている。

「家の中にある、甘い食品(ジュース、アイスクリーム、ジャムなど)、それにリン酸食品(かまぼ
こ、インスタントうどん、焼きそば、プリンなど)を、思い切って、袋に詰めて捨てなさい。もった
いないと思ったら、なおさら、そうしなさい。もったいないと思う気持ちが、ショックとなって、あな
たの買い物グセをなおします」と。

言うまでもなく、問題は子どもの食生活にあるのではなく、母親の買い物習慣にある。その買
い物習慣を改めないかぎり、子どもの食生活の問題はなおらない。子どもの小食(好き嫌い、
細い、遅い、少ないなど)に悩んだときも、同じように対処する。

●甘いものを食べて、低血糖?

甘い食品(白砂糖の多い食品)を食べると、低血糖になると話すと、多くの母親は、「?」と思う
らしい。しかしそれには、こんなメカニズムが働く。

一時的に、多量の白砂糖をとると、当然のことながら、急激に血糖値があがる。そのとき同時
に、その血糖値をさげようと、体内で、多量のインスリンが分泌される。で、そのインスリンが、
血糖を分解する。それで血糖値はさがるが、しかしインスリンだけは血中に残り、さらに血糖値
をさげようとする。そして結果として、今度は、低血糖にする。

低血糖になると、脳の抑制命令がうまく働かなくなり、行動が、カミソリでスパスパと切るよう
に、鋭くなる。突発的にキーキー声をあげて、興奮しやすくなる。

行動するときは、(思考するときにも)、二つの命令が同時に、脳より発せられる。ひとつは、行
動命令。もう一つは抑制命令。この二つの命令が、バランスよく保たれたとき、人間の行動や
思考は、スムーズになる。なめらかになる。見た目にも、おだやかになる。

しかし血糖値があがると、脳間伝達物質である、セロトニンが、異常に分泌され、脳の機能が
乱される。こうして低血糖児特有の症状が現れる。

私が見聞きした低血糖児に、こんな子どもがいた。

ある病院で、小児糖尿病の患者を見舞ったときのこと。当然のことながら、小児糖尿病の子ど
もは、人工的に砂糖断ちをしている。その結果、ここでいう低血糖児になる。話には聞いてい
たが、その症状のはげしさには、驚いた。

昼の給食時だったが、突発的に暴れて、トレイごと床にたたきつけてしまった子どももいた。そ
の暴れ方が、ふつうではない。まさに突発的。錯乱状態になって暴れた。

そんなわけで、もし、あなたの子どもに、つぎのような症状が現れたら、砂糖断ちをし、合わせ
て、CA、MGの多い食生活にこころがけてみるとよい。具体的には、魚介類、海産物を中心と
した献立に切りかえてみる。

(ア)突発的に、キーキー声(超音波に近い声)をあげて、興奮する。暴れる。
(イ)小刻みにイライラしたり、言動に落ち着きがない。
(ウ)精神疲労を起こしやすく、興奮しやすい。感情の起伏がはげしい。

 イギリスでは、『カルシウムは紳士をつくる』という。それについては、すでに何度も書いてき
たので、ここでは省略するが、子どもの心で、「?」と感じたときには、まずCA、MGの多い食
生活にこころがけてみる。

●ダラダラとした姿勢も……
  
 ついでに、ダラダラとした姿勢も、CA,MGでなおすことができる。子どもの学習風景をうしろ
から見ると、それが判断できる。

 子どもをうしろから見たとき、背骨がぐにゃぐにゃと曲がってしまい、姿勢が悪いようだった
ら、まずCA、MG不足を疑ってみる。子どもによっては、筋肉の緊張感が持続できず、机にお
おいかぶさってしまうこともある。

 言うまでもなく、筋肉の緊張感をつくるのは、CA、MGである。正確には、カルシウムイオンと
いうことになる。これが不足すると、筋肉が緊張感を持続できず、ここでいうように、姿勢が悪く
なる。

 よく私の教室でも、姿勢が悪い子どもを見つけると、あとで、「どうしてあなたは、ちゃんと座っ
ておれないの!」と叱っている母親を見かける。しかしこの問題は、叱ってどうにかなる問題で
はない。原因は、かたよった食生活にあるとみる。

 なお、一週間ほど、CA,MGの多い食生活にこころがけ、かつリン酸食品を避け、砂糖断ち
をすると、子どもの姿勢は、劇的になおる。一度、ためしてみてほしい。

 (注)「砂糖断ち」といっても、完全に断つ必要はない。今ではありとあらゆる食品に砂糖が含
まれているので、意識しなくても、子どもはじゅうぶんすぎるほどの砂糖を摂取していることにな
る。ちなみに幼児に必要な摂取量は、一日、一〇〜一五グラムと言われている。意識して与え
る必要はない。

 またよくレストランなどで、子どもの顔よりも大きなソフトクリームを食べている子どもをよく見
かける。それがいかに多い量かは、あなた自身が、自分の顔より大きなソフトクリームを食べ
てみればわかる。

 体重一五キロの子どもが、ソフトクリーム一個を食べる量は、体重六〇キロのおとなが、四
個食べる量に等しい。それともあなたは、四個のソフトクリームを食べることができるとでも言う
のだろうか。それだけの量を子どもに与えておきながら、「どうしてうちの子は、小食なのでしょ
うか」は、ない。
(030914)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【今週の教室から】

●ときどき、サボる?

夏場になると、子どもたちの元気が、弱くなる。「弱くなる」……おかしな言い方に聞こえるかも
しれないが、「元気」というのは、もともとは、東洋医学の言葉。「真気」ともいう。天から鼻を経
て体内に入る、天の気。それに飲食物として、口から入る、地の気。この二つが体内で合体し
て、元気となる。その元気が弱くなる。日本語では、「元気がなくなる」と言いう。

そういうとき、「たこ焼きでも食べに行こうか」と声をかけると、みな、とたん、元気になる。それ
に甘えてはいけないが、こういうことができるのも、私と親たちの信頼関係ができているから。
子どもたちは、「行こう、行こう」と言い出す。

Z・シティの地下にあるたこ焼き屋まで、歩いて五分!

私は意識的に、じょうずなサボり方を教える。息の抜き方といってもよい。まじめに生きるだけ
が人生ではない。人間には、いつもあいまいな部分がある。そのあいまいな部分から、人間く
さいドラマが生まれる。それだけではない。

不登校児を見ていて気づくことは、子ども自身が、自分で自分を追いこんでいるということ。子
ども自身が、「学校は行かねばならないところ」と、自分で自分の首にクサリをかけてしまう。高
学年になればなるほどそうで、その呪縛(じゅばく)から、子どもを解き放つのは、容易ではな
い。

私はこうした事例をいやと言うほど多く見ているので、サボることの大切さを、よく知っている。
ときどき子どもたちに、「勉強なんてものはね、適当にやればいいんだよ。そのときになった
ら、真剣にやればいいんだよ」と教える。あるいは、「勉強なんて、つまらないね」と言うときもあ
る。そのときも、そうだった。

そのところずっと暗く沈んでいる中学生がいた。その中学生に、「勉強なんて、つまらないね」と
声をかけると、その中学生は、とたんに顔を明るくした。そしてこう言った。「先生も、そう思
う?」と。そこで私が「そうだよ。ぼくだって子どものころは、勉強は、大嫌いだった」と言うと、
「先生が、そんなこと言うと、思ってもみなかった」と喜んだ。

昔からこう言う。『押してダメなら、引け』と。

子どもに勉強させたかったら、「させよう」という意識だけでは、指導できない。ときには、思い
切って、引いてみる。それがサボり方ということになる。

ウソだと思うなら、たこ焼きを食べて帰ってくるときの子どもたちの表情を見たらよい。実に生
き生きしている。そしてそのあと、そのサボった分の数倍のノルマを、果たしてくれる。

しかし私の仕事は、おかしなものだ。こういうとき、親たちは、私に感謝してくれる。内心では、
叱られるのではないかと、ハラハラしているのだが、あとで決まって親たちはこう言う。「子ども
が喜んでいました。ありがとうございました」と。

そのことをワイフに言うと、「サボって、感謝されるなんて、あんたの仕事くらいなものね」と。私
も、そう思う。しかし一言。

本当のところは、教室の中で、その日のノルマを、静かにこなしたほうが、私にとっては、楽。
あの動きざかりの子どもたちをつれて、街の中を歩くのは、けっこう、しんどい。それに、お金も
かかる。どうか、誤解のないように……。
(030913)

  ‖                 
 :−−           ‖   
  ‖            :−− 
        ‖      ‖    テーマがあれば、どうかお寄せください。
       :−−           具体的に、相談内容を書いてくだされば
        ‖              うれしく思います。
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

不愉快な気分

 たまたま私は、その日、二つの経験をした。

店で、三〇〇〇円のものを買った。五〇〇〇円札を出したので、おつりは二〇〇〇円というこ
とになる。が、店の女性は、私におつりを、七〇〇〇円もくれた。

 「あのう……」言いかけたが、その女性の手を見ると、一万円札がしっかりと握られている。
私は「?」と思った。思ったとたん、言葉がひっこんでしまった。五〇〇〇円札を渡したのに、ど
うして……と考えているうちに、わけがわからなくなってしまった。そういうとき、「今、渡したの
は、五〇〇〇円札です」と言うと、かえって話が、混乱してしまう?

 店から出るとき、何とも言えない不快感が心の中に充満した。「どうして正直に言わなかった
のだ」と、自分で自分を責めた。しかしその女性は、たしかに一万円札をもっていた。私が五〇
〇〇円札だと思っていたのは、一万円札だったのか。それとも、途中で、その女性は、別の札
ともちかえたのか。私とて、すべてを見ていたわけではない。

 その不快感は、ずっと消えなかった。ふつうなら、「得をした」と喜んでよいはずだが、そういう
感覚は、なかった。「いいのかなあ?」と思っている間にも、足は、どんどんと、その店から遠ざ
かってしまった。

 同じ日の夜。今度は、こんな経験をした。

 夜、帰るとき、車の列を横切って、向こう側の車線に出ようとしたときのこと。そのとき、ワイフ
が車を運転していた。私たちは信号のない十字路にいた。が、半分ほど車を出したところで、
車が反対方向から、何台かやってきた。私たちは、車の列の中で、立ち往生してしまった。

 とたん、横の車が、はげしくクラクションを鳴らした。「どけ!」という意味である。一度や、二
度ではない。何度も鳴らした。ワイフが頭をさげたが、それでも、クラクションは、鳴りつづい
た。助手席にいた私が体を乗りだしてその車を見ると、運転していたのは、二七、八歳の若い
女性だった。

 やがて車の流れが切れ、私たちは反対車線に出たが、私は、何とも言えない不快感に襲わ
れた。ワイフは、「しかたないわよねえ……」と笑っていたが、私は、車から飛び出し、その女性
を怒鳴りつけたかった。

 たまたまその日は、私の精神状態がよくなかったのかもしれない。どこかピリピリしていた?
 が、そのままにしておくわけにはかない。夜、家に帰ると、ワイフにこう切り出した。

私「今日、お前がぼくに渡してくれたお金はいくらだった?」
ワ「旅費とお弁当代で、一万九〇〇〇円だったわ。バッグの一番外のポケットに入れておいた
わ」と。

 そこで私は、おつりの話をした。するとワイフは、「じゃあ、いくら使ったか明細を言ってよ。そ
れで計算できるわ」と。

 で、その結果、ワイフはこう言った。「やっぱり、あなたは、一万円札を渡したのよ。自分で五
〇〇〇円札と思いこんでいただけよ。でなと、計算が合わないもん」と。

 「ああ、よかった」と思ったとたん、胸の中のしこりが消えた。そしてつづいて、あの女性の話
をした。

私「お前は、ああいう女性を、どう思う?」
ワ「ああ、あの人ね。せっかちな人ね」
私「それだけ?」
ワ「それだけよ」
私「ぼくは、車から出て行って、怒鳴りつけてやりたかった」
ワ「あんな人、相手にしなければいいのよ」
私「そのあと、気にならなかったか?」
ワ「すぐ忘れたわ」
私「ぼくには、それができない。いつまでも気になる」
ワ「そうね。あんたは、そういう人ね」と。

 なぜ人間は、不愉快になるか。自分で自分を不愉快にすることもある。反対に、他人が自分
を不愉快にすることもある。私はその日、同時に二つの経験をした。しかしこうした不愉快は、
心の健康にもよくない。

 では、どうするか。もっとも、その日は、疲れていた。それでささいなことが気になった? 注
意力も、欠けていた。それでそういうことになった。しかし、私が感じた不快感は、まったく同質
のものだった。何でもないようなことだが、考えてみれば、これはおかしなことだ。

 一方は、自分で作りだした不快感。もう一方は、他人から与えられた不快感。その二つが同
質? 意識の上では、別の不快感かもしれないが、脳の中へ入ると、同じものになってしまう?
 あるいは、脳は、そこまでは区別できない? 

それはちょうど、たとえて言うなら、食べ物が胃袋に入るようなものか。フランス料理と日本料
理を別々に食べても、胃袋の中へ入れば、みな、同じ。もう区別できない?

私「人間の感情なんて、単純なものだね」
ワ「……何の話?」
私「いいの。どうせ、お前に話しても、お前には理解できないから……」
ワ「わけのわからないことを、言わないでよ」
私「ぼくと、お前とでは、脳ミソの質が違うということ」と。

 しかしその日は、よい経験をした。このつづきは、また別の日に考えてみたい。
(030914)

         ,ミヽ  ミヽ
         へ ミ ヽ へ ミヽ
        ∂  ミミ∂ へミミ
        ζ  っノι ∂ ミミ8彡
        ヒ___ノ 人v "丿彡'
    |)─○  / ヽ  `>−<
     // \\_/_∧ \_/_/ ヽ ≡=   賛助会にどうか、ご入会ください。
   ___//  \_/_ξ ̄ ̄ノ_ __)      現在、お礼に、イラスト(額つき)を
  / _ \  / ____ ̄フ _____ノ  ≡=−   送っています。
  // \ \ / /   ̄/ /   ̄)
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子どものスキンシップ

 心の緊張感がとれない子どもが、ものに固執することがあるというのは、よく知られている。
たとえば毛布の切れ端、タオル、ボタン、金物、小物など。そういうものを、片ときも離さず、手
にもっていたりする。

 指先から得る快感で、緊張感を取ろうとする。もう少し専門的には、指先に刺激を与えると、
その刺激は神経をとおして、脳に伝わる。そのとき脳の中で、エンドロフィン系の麻薬様物質を
放出される。その麻薬様の物質が、陶酔感を引き起こす。この陶酔感が、緊張感をやわらげ
る。(このメカニズムは、針麻酔に似ている。)

 おとなでも、毎晩、眠る前にオナニー、もしくはマスターベーションする人は多い。私のワイフ
の知人の夫は、毎晩、奥さんに、ペニスのマッサージをさせるそうだ。マッサージといっても、奥
さんが夫のペニスを握っているだけだそうだが……。(いいのかなあ、こんな秘密を暴露して!
 Xさん、ごめんなさい!)
 
 少し前、母親の乳房や乳首にさわりたがる子どもの話をした。これについて書いたら、いろい
ろな人から、意見をもらった。

 乳房や乳首も多いが、ほかに母親のくちびる、耳たぶ、髪の毛などに触れたがる子どもがい
ることがわかった。子どもによって、それぞれ部位が違うが、決して珍しいことではない。(何と
なく、内容がポルノ風になってきた……。私は、こういう話は、あまり得意ではない。)

 こうした快感は、つまりとくに性的快感は、人間が感ずる快感の中でも、特別な快感といって
よい。その善悪論を説いても、意味はない。こうした快感は、人間に、「命」の一つとして備わっ
ている。またそれがあるから、人間はセックスをし、子孫を、次世代に残すことができる。

 で、こうした子どもの行為を、母親は、どこまで容認すべきか。それが問題である。

無理に拒否したり、否定したりすると、子どもは、そうした行為に罪悪感をもつばかりではなく、
緊張感がほぐせなくなり、その結果として、情緒が不安定になる。

 これは子育ての基本だが、どんなささいな行為でも、子どもがそれを繰りかえすときには、そ
れなりの原因や理由があると考える。親の考えだけで、それを判断してはいけない。とくにこう
したクセ、これを「習慣性性癖」というが、同じ行為を繰りかえすときは、頭ごなしに、それを否
定してはいけない。よく知られた性癖としては、指しゃぶりなどがある。

 コツは、子どもが求めてきたら、短時間でもよいから、ていねいにそれに応じてあげる。「恥
ずかしいこと」という意識をもたせないようにする。くすぐったかったら、くすぐったいと正直に言
えばよい。

 私も子どものころ、貝殻のボタンをいじるのが好きだった。指先でいじっていると、うっとりとす
るような陶酔感を感じたのを、今でもよく覚えている。で、そのせいかどうかは知らないが、(多
分、そのせいだと思うが……)、パソコンを選ぶときも、指先から得る感触を大切にしている。
私のばあい、どこかツルツルして、丸みをおびたキーボードを、好む。

 先のX氏の奥さんは、実にあっけらかんとした人だ。ケラケラと笑いながら、そういう話を、ワ
イフにしたそうだ。私も、何度か、会ったことがあるが、女性も、四〇歳をすぎると、羞恥心がな
くなる? その奥さんは、こうも言ったそうだ。「ほとんど毎晩なのですよ。夫は、神経をつかう
仕事をしているので、しかたないと思っています。ただ握っていればいいのですね。フニャフニ
ャになったら、眠ったのだと思って、手をはなします」と。

 こういう話を書いていると、書いている私まで、おかしな気分になる。その奥さんは、肌のきれ
いな人だ。へんな想像を、頭の中でしてしまう。(私だって、ふつうの男だぞ!)

 そう言えば、少し前、産婦人科医をしている、I氏がこんな話をしてくれた。「女性を診察してい
て、感ずることはありませんか」と聞いたときのこと。I氏は、こう話してくれた。「そりゃあ、ありま
すよ。三〇歳の中ごろまでは、よくありました」と。

 私のばあい、心の緊張感をほぐすために……。この話は、ここまで。この先は、ワイフ様の
許可がないと書けない。どうぞ、ご自由に、想像を! 私とて、あなた、もしくはあなたの夫と、
同じ。それほど違ったことをしているわけではない。
(030912)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

進学

 よい高校から、よい大学へ。そしてよい就職先へ。しかし人間というのは、そんな単純なもの
なのか? 

 何も考えない。何も疑問に思わない。どこか単純な子どもには、そういうコースもあるのだろう
が、しかしすべての子どもに、それを押しつけてはいけない。

 むしろ自分で考える子どもは、こうしたコースから自ら、はずれていく。それは子ども自身に
問題があるというよりは、そうした多様性に応ずることができない、システムのほうに問題があ
るとみる。

 二男の例を出して恐縮だが、二男は、この地元でも、A、B、C、D、E……ランクの中でも、E
ランクの高校を卒業している。それにはいろいろないきさつがあるが、このクラスの高校になる
と、国立大学へ進学する子どもどもは、数年に、一人いるかいないかという程度になる。

 しかし二男の能力は、私は認めていた。だから二男がEランクの高校へ入学すると決めたと
きも、すべて二男に任せた。

 が、この日本では、このあたりで人生のすべてが決まってしまう。事実、高校を卒業するとき
になって、二男には、進学できる大学がなかった。それでアメリカへ渡ったが、はからずも、私
はここで日本とアメリカの教育システムの違いを、思い知らされるところとなった。

 アメリカでは、やる気と力があれば、人生のどの段階からも、そこを基盤として、前に伸びる
ことができる。二男は、私立大学で二年間学んだあと、今度は、州立大学へ移った。そしてそ
こで学位を得て、卒業した。

 こういうことは、日本では、可能なのか? 答えは、「NO!」

 名もない小さな私立大学へ入った学生は、その段階で、いくら猛勉強しても、すべてそこま
で。そのあと国立大学へ移籍するなどということは、常識で考えてもありえない。その「ありえな
い」という部分に、日本の教育の最大の欠陥がある。

 二男は、幼いころから、自分で考えて行動する子どもだった。私も、意識して、それを助け
た。伸ばした。しかしこういう子どもは、この日本では、損をすることはあっても、得をすることは
何もない。従順に体制に従う子どもほど、この日本では得をする。またそういう子どもほど、生
きやすい環境が、すでにできあがっている。まさに官僚主義国家と言われる理由は、こんなと
ころにもある。

 今、その二男を思いやりながら、ときどき、こんなことを考える。もしあのまま二男が、日本に
いたら、二男はどうなっていたか、と。コンピュータについては、天才的な思考能力をもってい
たが、今ごろは、どこかのパソコンショップで、パソコンの販売をしているのが、関の山ではな
いか、と。

 事実、二男は、小学三年生のときには、すでに自分でベーシック言語使って、ゲームを作っ
て遊んでいた。中学一年生のときには、C言語をマスターし、高校生のときには、アンチウィル
スのワクチンを自分で開発して、どこかのソフト会社に送っていた。

 日本には、そういう子どもを伸ばすシステムがない。同時に、勉強しかしない、勉強しかでき
ないような、どこか頭のおかしい子どもほど、得をする。スイスイと受験競争という階段をのぼ
っていく。こういうシステムの中で、いかに多くの日本人が、社会の底辺にうずもれたまま、損を
していることか。しかしそれは個人の「損」というよりは、社会そのものの「損失」と考えたほうが
よい。

 教育を否定してはいけない。しかしそれと同じほど、教育を盲信してはいけない。盲信して、
学歴信仰や、学校神話に陥(おちい)ってはいけない。人間は、そんな単純なものではない。ま
た、単純であってはいけない。そしてそれを受け入れる教育システムは、もっと大胆に、多様化
すべきである。でないと、本当に日本の未来は、このまま、終わってしまう。

 たとえばアメリカの小学校では、クラス名(ふつうはその教室を管理する教師名)はあっても、
学年はない。中学校でも単位制度を導入している。学校へ行かないホームスクーラーも、二〇
〇万人を超えたとされる(〇二年末)。また四、五年の飛び級を繰りかえし、大学で学んでいる
子どももいる。

 その大学にしても、入学後の転学、転籍は自由。学科、学部の、スクラップ&ビュルドは、自
由。そうそう公立小学校にしても、学校が独自にカリキュラムを組んで教えている。ほかにチャ
ータースクール、バウチャースクールなどもある。

 ドイツでは、大半の中学生は午前中だけで授業を終え、あとはクラブに通っている。ヨーロッ
パ全域では、大学の単位は、ほぼ共通化された。今では、日本のように出身大学にこだわる
学生は、ほとんどいない。いないというより、こだわっても意味がない。

 世界は、そこまできているというのに、この日本は、いったい、何をしている? いまだに地方
新聞の中には、「我が母校」「母校の伝統」だとか何とか、意味のない記事を連載しているのが
ある。江戸時代の身分制度が、あるいは家元制度が、母校意識に置きかえられただけ?

 ……というのは、少し言い過ぎだが、しかしこれだけは言える。

 生きザマには、コースなど、ない。人間よ、日本人よ、生きる原点にもう一度立ちかえって、
教育システムを、見なおそうではないか。
(030914)

【追記】
 静岡県でもナンバーワンと言われる進学高校でのこと。

 それくらいの進学高校になると、それぞれの部活にも、OB会というのがあって、総会のたび
に、壇上に、そのOBたちが、ズラリと並ぶ。そして言わなくてもいいのに、「私は○○回の卒業
生です」などと、自己紹介をする。

 かわいそうな人たちだ。あわれな人たちだ。自慢するものがないから、学歴をひけらかして、
生きている? 学歴にしがみつきながら、生きている? あるいは士農工商の身分制度が、学
歴制度に置きかわっただけ? いろいろ考えられるが、こうした封建時代の亡霊はまだ、日本
のあちこちに残っている。

+++++++++++++++++
これに関連して、以前、こんな原稿
(中日新聞掲載済み)を書きました。
ここに再掲載します。
+++++++++++++++++

常識が偏見になるとき 

●たまにはずる休みを……!

「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、たいてい
の人は目を白黒させて驚く。「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。しかしそれこ
そ世界の非常識。あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。

アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が一八歳のときにもっ
た偏見のかたまりである」と。子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑ってみる。たと
えば……。

●日本の常識は世界の非常識

(1)学校は行かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度がある。親
が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。希望すれば、
州政府が家庭教師を派遣してくれる。日本では、不登校児のための制度と理解している人が
多いが、それは誤解。

アメリカだけでも九七年度には、ホームスクールの子どもが、一〇〇万人を超えた。毎年一
五%前後の割合でふえ、二〇〇一年度末には二〇〇万人に達するだろうと言われている。そ
れを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教育は家
庭でこそできる」という理念がそこにある。地域のホームスクーラーが合同で研修会を開いた
り、遠足をしたりしている。またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、こ
うした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。

(2)おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ
通う。早い子どもは午後一時に、遅い子どもでも三時ごろには、学校を出る。ドイツでは、週単
位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることができる。そのクラ
ブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。

学習クラブは学校の中にあって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が一二〇〇円前後
(二〇〇一年調べ)。こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども一人当たり、二
三〇マルク(日本円で約一四〇〇〇円)の「子どもマネー」が支払われている。この補助金は、
子どもが就職するまで、最長二七歳まで支払われる。

 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特性
に合わせてクラブに通う。日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学校外教育に対
する世間の評価はまだ低い。ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をも
つが、それ以外には責任をもたない」という制度が徹底している。

そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号すら親には教えない。私が「では、親が
先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」と聞いたら、その先生(バンクーバー市日本文
化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう教えてくれた。「そういうときは、まず親が学校に電話を
します。そしてしばらく待っていると、先生のほうから電話がかかってきます」と。

(3)進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私立中
高一貫校の入学案内書を送ってくれた。全部で七〇校近くあった。が、私はそれを見て驚い
た。どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。別紙として、は
さんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。

この話をオーストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。そ
こで私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。そこはチャールズ皇太子
も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校がカリキュラムを
組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。木工が好きな子ども
は、毎日木工ができるように、と。そういう学校をよい学校という」と。なおそのグラマースクー
ルには入学試験はない。子どもが生まれると、親は出生届を出すと同時にその足で学校へ行
き、入学願書を出すしくみになっている。つまり早いもの勝ち。

●そこはまさに『マトリックス』の世界

 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っているようなことで
も、世界ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。そこで一度、あなた自身
の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。学校とは何か。教育はどうあ
るべきか。さらには子育てとは何か、と。その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではな
い。

学校神話とはよく言ったもので、「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにし
ても、結局は、学校神話を信仰している。「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」
と。それはまさに映画『マトリックス』の世界と言ってもよい。仮想の世界に住みながら、そこが
仮想の世界だと気づかない。気づかないまま、仮想の価値に振り回されている……。

●解放感は最高!

 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さんと
動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。実は私も何度となくそうした。平日に
行くと、動物園もガラガラ。あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。「私が子どもを教育して
いるのだ」という充実感すら覚える。冒頭の話で、目を白黒させた人ほど、一度試してみるとよ
い。あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことができる。

           ◯   
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      〜〜〜〜〜〜〜    役に立つ情報を、書きとめておこうと思います。
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

不安

 日本人の八〇%近くが、老後に不安を感じているという。少し前の調査で、そんなことがわか
った。

 私も、実は、その中の一人。そのうちどこかの老人ホームに入るつもりでいるが、かなりのお
金が必要だという。ワイフは、「土地と家を売れば、何とかなるわ」と言っているが、私の感じて
いる不安は、そんなものではない。

 問題は、老後の生活ではない。問題は、どうやって老後の孤独、絶望、疎外、空虚と戦うか、
だ。死への恐怖もある。どう考えても、その方法がわからない。それまでに人生観が確立でき
ればよいが、今のままでは、それも無理だろう。
 
 とくに私のように、戦後の高度成長期を生きてきた人間は、豊かな生活と引きかえに、もっと
大切な「心」を、犠牲にした。すべてを「マネー」に結びつけて生きてきた。今さら、「友だちの数
こそ、真の財産」「我を捨てて、慈悲の心をもて」と言われても、どこでどうすればよいのかさ
え、わからない。

 そう、私たちの生活には、「だからどうなの?」という部分がない。豪華な車に乗って、これま
た豪華なレストランで、おいしいものを食べる。しかしそのとき、ふと、こう考える。「だからどう
なの? それがどうしたの?」と。

オール電化の、便利な家を建てる。風呂の温度も、湯の量も、すべて自動化されている。暑け
ればクーラーをつければよい。しかしそのときも、ふと、こう考える。「だからどうなの? それが
どうしたの?」と。

つまり私たちは、「だからどうなの?」という部分を、置き去りにしたまま、ただがむしゃらに生き
てきた。たとえばそのことは、美術館で巨匠たちの描いた絵画を見たときに、思い知らされる。
「すばらしい絵だ」と思うのだが、「だからどうなの?」という部分で、その絵を、自分と、どうして
も結びつけることができない。そしてあろうことか、「この絵は、一億円の価値がある」「二億円
だ」と、そんなふうに考えてしまう。

私が感ずる老後の不安は、そんなところから生まれる。

 もし生きるだけなら、死ぬまで生きればよい。うまくいけば、ベッドの上で、寝たきりでも何で
も、数年間は生きられる。しかし、そんな人生に、どんな意味があるというのか。もっと言えば、
明日が今日と同じ。あるいは明日は、今日より、もっと悪くなるという人生に、どんな意味があ
るというのか。ただ生き長らえているという人生に、どんな意味があるというのか。

 若いとか、年をとっているとか、そういうことは関係ない。肉体などというものは、ただの入れ
物。パックに入っていようが、グラスに入っていようが、ミルクはミルク。問題は、そのミルクの
味、中身、それに鮮度なのだ。

 今の私には、孤独、絶望、疎外、空虚と戦う自信は、まったく、ない。このまま行けば、やがて
孤独という無間地獄の中で、気が狂ってしまうかもしれない。その可能性は大きい。そこで聖
書をひもとき、仏教の経典を開き、「心」をさがす。しかし頭の中では理解できても、それが実
践できない。実践しても、どうも身につかない。

 昨日も、ある親から、子育てについて、相談があった。二時間近く、電話で話した。このところ
毎日のように、電話がかかってくる。居留守をつかうという方法もあるが、ウソをつくのは、もっ
といやだ。だから電話に出る。

 で、こうした行為が、私の心に何かの「うるおい」をもたらすかというと、そういうことは、まった
く、ない。客観的に見れば、私は人助け(?)をした。よい思いをもって当然なのに、それがな
い。相変わらず、孤独は孤独のまま。絶望感も、疎外感も、空虚感もそのまま。

 私のどこが、どうまちがっているのだろう。おかしいのだろう。何かの見返りを求めているの
だろうか。ノー。感謝されることを願っているのだろうか。ノー。自分の優位性を楽しんでいるの
だろうか。ノー。

 一つ理由があるとすれば、私は、相手の立場になりきっていないということがある。口では、
「たいへんですね」と、同情したフリをするかもしれないが、それはあくまでもフリ。私はいつも、
そのフリだけで生きている。だからそういう相談に答えながらも、いわばハウ・ツー的な知識を
説明しているにすぎない。

 これではいけない。このままでは、さらにいけない。私の老後は、まちがいなく、悲惨なものに
なる。……私が感ずる老後の不安は、そんなところから生まれる。

 さあ、時間がないぞ。私はどうしても急がねばならない。あと五年か。それとも一〇年か。い
や、とても一〇年は、もたないだろう。それまでに、何としても、自分を立てなおさなければなら
ない。
(030914)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【山荘にて】

 九月一四日。快晴。さわやかな初夏のような風。ひんやりとした秋の冷気。朝風呂を浴びて、
居間で、扇風機に当たる。どこか眠いが、心地よい。

 朝日を浴びて、谷の向こうの山々が、明るい緑に光っている。深い緑。淡い緑。その間に、や
や色づき始めた広葉樹が、帯のようにつらなっている。ときおり谷の下から、タンポポの種が、
スーッとのぼってきて、上の屋根をまたいでいく。まるで下から上に降る、雪のよう。

 目の前はレモンの木。その横が、アジサイ。それに梅とキンモクセイの木がつづく。しばらく使
っていないが、その間から、一本の旗ざおが、天に向かってのびている。アルミの物干しざお
を、私が加工したもの。コンクリートの台座に上に立てた。 

 今、また風が強くなったようだ。あたりの木々がいっせいに揺れだした。白い日差しが、その
上でキラキラと輝く。同時に、肌を、風がこする。私は横にあるウーロン茶を、ぐいと飲み干す。
とたん忘れていたセミの声。遠くでツクツクボーシが鳴いている。

 そう言えば、今朝、聞きなれない鳥の声がした。トントントンと、まるで板を棒でたたくような声
で鳴く。最初、どこかのだれかが、宗教儀式をしているかと思ったが、それとも違った。あとで
ワイフに、「変わった鳥だね」と言うと、「私もはじめて聞いた」と驚いていた。この森に、外来の
鳥が、またやってきたようだ。

 今日は、草刈をするつもりだった。しかし朝、起きてみると、その元気はなかった。だから今
日は、とりやめ。また来週、することにした。今は、時刻は、午前一〇時少し前。今からでは、
どちらにせよ、もう遅い。風呂にも入ってしまった。

 都会の人には信じられないかもしれないが、こんな山荘でも、昨夜は寒くて眠られなかった。
一、二度、ふとんをかけるために目を覚ました。浜松市から車でたった半時間の距離なのだ
が、こうまで気温が違うのか。自然のありがたさというか、緑のありがたさというか、そういうも
のを、改めて、思い知らされた。

 さて、これから一仕事。掃除に、ふとん干し。それに壁にしみついたカビ取り。来月は村の祭
がある。その寄付金も届けなければならない。この山荘では、洗い物、片づけなどは、すべて
私がすることになっている。結構、忙しい。そう言えば、少し前、名古屋のいとこ夫婦がやって
きたとき、「浩ちゃんが、こんなことするなんて!」と驚いていた。そう、子どものころは、私は、
まったく家事などしなかった。母がさせなかった。おかしなことだが、ほんの少し前まで、日本は
まだ、そういう時代だった。

 しかし、だ。本音を言えば、家事はめんどうだが、楽しい。我を忘れることができる。台所のま
わりをピカピカにしたときは、心の中までスッキリする。

 もっと書きたいが、予定の一〇時を過ぎた。だから山荘からのレポートは、ここまで。また来
週。
(030914)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【近況アラカルト】

●近く、二男夫婦がアメリカから、奥さんを連れて、帰ってくる。奥さんは、日本料理の作り方を
覚えたいと言っている。「どこか、料理教室に頼んでみようか」と言うと、ワイフは、「そこまで
は、いいんじゃないの」と。どうやらワイフは、自分で教えるつもりらしい。まあ、いいか……。

●デジタルカメラ……とうとう買った。機種は、FujiのFine PixA310。Nという店で、25000
円にしてもらった。カメラはFujiと決めている。しかし記録メディアが、今度は、xDカードになっ
た。今までの機種は、スマートメディアだった。これで四台目。今までの三台は、みんな息子た
ちに取られてしまった。日常的に使うなら、これでじゅうぶん。ワイフが、「これが今年の誕生日
プレゼントよ」と言った。今年はこれでがまんする。しかたない。不景気だ。去年までは、毎年、
パソコンを買っていたのに……。

●朝日テレビ制作「TRICK」……ほとんど気まぐれで、一〇年ぶりに邦画のビデオを借りてき
た。劇場用に制作された、「TRICK」。わざとらしい演技の連続。手品を主題にした映画だが、
改めて日本映画のレベルを思い知らされる。何かも不自然。その不自然さが、全体としてごち
ゃごちゃになっているような映画だった。これでまた、しばらく、邦画を見ることもないだろう。

●地震予知……今月の一六日前後に関東地方で、直下型の地震があるという。今、あちこち
からそういう情報が流れてきている。避難用グッズが、ひそかに、しかし飛ぶように売れている
という。このマガジンが配信されるころには、その結果が出ていると思うが、私は、まったく信じ
ていない。だれかが言いだした予言らしいが、まあ、本当に地震が起きたとしても、それは偶
然。予言の類(たぐい)は、脳の中のセキュリティー・ホールをねらって、世にはびこる。いわ
ば、パソコンのウィルスのようなもの。相手にしないほうが、よい。

●ビタミン剤……Kさんから、ビタミン剤を、五〇〇錠分けてもらう。使用期限ギリギリのものだ
と、安く手に入る。薬局で買うと、数万円もするが、数千円でよいとのこと。この年齢になると、
こういうことにお金を使うようになる? 現在私が毎日のんでいる薬は、つぎのようなもの。

   カルシウム剤
   ビタミンB剤
   ビタミンC剤
   ハンゲコウボク湯
   ドリンク剤
  
 それにワイフが差しだす、わけのわからない薬。「黒酢で作った薬」というが、本当は、ヒ素か
もしれない。和歌山のあの事件の主人公も、確か、「ハヤシ」という名字だった。

●マガジン……このところ、配信予約が遅れがちになってきた。そのため少し原稿の量が少な
くなってきた。私のマガジンは、量が多いと、ときどき苦情が届く。だから少なくなって、ちょうど
よいのか。ただ内容が少し雑になってきたように思う。語句の乱れ、ダブリ、誤字、脱字が多く
なった? せっかく読んでくださる方に申しわけないので、ここは気をひきしめていきたい。あと
は気力と、体力の勝負。本当に1000号まで続けられるかどうか、少し不安になってきた。

●人恋しい季節……こうして夜の冷気を感じながら、パソコンに向かっていると、何かと、人恋
しくなる。いろいろな人が、つぎつぎと現れては、消える。そしてそのたびに、「今ごろ、どこで、
どうしているのだろう」と思う。おかしなもので、楽しく別れた人よりも、不完全燃焼のまま別れ
た人ばかりが、頭の中に浮かんでくる。……何という切なさ。何というやるせなさ。秋という季節
は、そういう季節なのかもしれない。たまたま今、私はCDで、シャノン作曲の「アイルランドの
子守唄」(NHK名曲アルバム)を聞いている。そのせいかもしれない。

●デジタルカメラ(2)……今では、USB端子を介して、パソコンと直接、データをやり取りする
ことができる。少し不安だったが、問題なく接続できた。あまりにも簡単だったので、「何だ
ア!」と思ってしまったほど。五年ほど前には、あちこちへ電話をかけまくって、大騒ぎしたのに
……! パソコンは、ますます便利になった。ホント。

●子育て相談……このところ毎日のように、インターネットで、子育て相談が届く。答えてあげ
たいが、時間がない。講演においでくださった方とか、マガジンの読者の方については、今のと
ころ、すべて答えている。しかしそれ以外の方は、残念ながら、断るようにしている。たいへん
残念だが、このところ、マガジン用の原稿を書く時間すら、ない。どうか、どうか、許してほしい。
私としても、いいかげんなアドバイスは、したくない。

●躁うつ病……知りあいの、Kさん(四〇歳女性)の様子が、このところ、また少し、おかしい。
四週間ほど前までは、さかんに外出して、週のうち、三日とか、四日とか、いろいろなクラブに
顔を出していた。が、このところ、まったく外へ出てこなくなった。夫のH氏(四五歳)は、Kさん
に一度病院でみてもらうように言っているというが、Kさんが、それを拒否しているという。「私は
何ともない!」と言って、こばんでいるという。こうした心の病気では、病識(自分が病気である
という認識)がないのが、いちばん困るという。あるドクターが、昔、そう話してくれた。本人に病
識があれば、対処のし方も、まだあるのだそうだが……。さて、私自身はだいじょうぶか? 
今、ふと、そんなことを考えた。この世界では、「私はまとも」と思っている人ほど、あぶない。…
…となると、私も、あぶない?

●あぶない宗教……あぶないといえば、宗教。夫や妻が、おかしな宗教に身を寄せて、家庭を
破壊してしまうというケースは、多い。本当に多い。もっとも、夫なり、妻なりが、そうした宗教に
身を寄せるときには、すでに家庭は破壊されているとみる。最後のところで、その破壊を食い
止めようと、どちらかが宗教に走る。よく誤解されるが、宗教があるから信者がいるのではな
い。宗教を求める信者がいるから、宗教がある。だから宗教を否定しても意味がない。ないば
かりか、かえって苦しんでいる人を、追い込んでしまうことにもなりかねない。私も一時期、カル
ト教団と戦ったことがあるが、そんなわけで、今は、もうやめた。
(030913)

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■■■■■■■■■| |■■■   お知り合いの方で、このマガジンが
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ● | ̄ ̄ ̄    役立ちそうな方がいらっしゃれば、
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                      よろしく、お願いします。  
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
11・18 ……三重県紀伊長島町(紀伊長島町PTA連絡協議会)
11・ 8 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・23 ……奥山小学校
10・18 ……天竜中学校区健全育成会(天竜中、中ノ島小、和田東小、和田小合同)
10・13 ……浜松市上島にて(ママアンドパパス・保育所開園式)
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html








件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■人間関係を結べない子ども
(1)

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9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9.12  ……愛知県岩倉市(全家研)
9・ 9  ……愛知県稲沢市・福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
   午前10:00〜より、聴講問い合わせなど……052−524−6665まで
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      / ___ \      【1】子育てポイント
       ̄ ̄\_/ ̄ ̄      【2】特集・人間関係をつくれない子ども
   =| ̄ ̄ ̄ ̄* ̄ ̄ ̄ ̄|=   【3】子育てエッセー
    |__  *  __|    【4】フォーラム
  :  : |___|::   : 
 :\::\:  !!  :/: :/:
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●はやし浩司から皆さんへ、カードです。(安全性は確認してあります。)
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安心して、開いてください。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【今週の幼児教室から】

おかしな話

 聞きなれた話でも、よくよく考えると、「おかしい?」と思うような話は、多い。たまたま今日は、
こんな話をした。

 私が、「うさぎさんと、カメさんが、かけっこをしました。で、うさぎさんは、猛スピードで走って、
はやくゴールに着きました。うさぎさんが勝ちました」と。

 すると子どもたちが、「その話は、おかしい」「カメさんが、勝つことになっている」「うさぎさん
は、途中で、居眠りをすることになっている」と。

 そこで私は、こう話しかけてみた。

私「どうしてうさぎさんが、途中で、居眠りなんか、するの?」
子「だって、カメさんが遅いから、それで木のそばで、一休みをするの!」
私「かけっこの途中で、居眠りするなんて、おかしいよ」
子「おかしくないよ。うさぎさんは、居眠りをするの。その間にカメさんが、うさぎさんを追いぬい
て、カメさんが、かけっこで、勝つの!」

私「それはおかしいよ。じゃあ、どうして、カメさんは、うさぎさんを、起こしてあげなかったの?」
子「起こしたら、カメさんが、負けてしまうよ」
私「それなら、カメさんは、ずるいよ。やはり起こしてあげるべきだと思う。『うさぎさん、眠ってい
てはだめだよ。起きなさい』と言うべきだったと思う」
子「きっと、うさぎさんは、起きなかったよ」
私「どうして?」

子「起こしたら、『うるさいなあ。寝させてよ』と、怒るかもしれない。それでカメさんは、うさぎさん
を起こさなかった……」
私「なるほど。そうか。しかし、ね。この話は、最初からおかしいよ」
子「どうして?」
私「足のはやいうさぎさんが、のろいカメさんとかけっこするところが、おかしい。はじめから、ど
っちが勝つか、決まっている」
子「どうして?」

私「うさぎさんが勝つに決まっているでしょう。ぼくがうさぎさんなら、カメさんと、かけっこなんか
しないよ。勝つに決まっているもの。ぼくがカメさんでも、かけっこなんか、しないよ。負けるに決
まっているもの」
子「……」
私「君たちだったら、お父さんと力くらべするかな?」
子「するよ。する、する」

私「お父さんに勝てなくても、するの?」
子「ううん、ぼくのほうが強いよ」
私「ああ、君のほうが強いの?」
子「そうだよ。パパのほうが、『降参、降参!』って、逃げていくよ」
私「なるほど、そういうことか」と。

 子どもたちがワイワイ言い始めたので、最後は、こう言ってしめくくった。

 「もしカメさんが、うさぎさんを起こしていたらね、どうなっていたと思う? うさぎさんは、きっ
と、カメさんに、こう言ったと思うよ。『カメさん、ありがとう。いっしょに、歩いて行こうね』と、ね。
つまりうさぎさんとカメさんは、仲よくゴールに着いたと思うよ」と。

 もし私がうさぎさんで、カメさんに起こしてもらったなら、そこで競争はやめただろうと思う。起
こしてもらったことをよいことに、そこからまた猛スピードで走るようなことはしない。あるいはそ
の時点で、負けを認める。さらに競争をつづけるにしても、そのあとは、カメさんの走るはやさ
で歩く。そして、多分、こんな会話をする。

う「やあ、カメさん、ぼくはうかつにも眠ってしまったよ」
カ「うさぎさん、それはまずいよ。本当は君が、勝った競争なんだから」
う「わかっているよ。だけど、起こしてくれてありがとう。起こしてくれなかったら、きっと、ぼくは、
君に、負けていたよ」
カ「ぼくだって、そんな方法で、勝ちたくないもんね」
う「そうだな。そうだよね。これからも仲よくしようね」
カ「うん」と。

 イソップ物語では、最初、うさぎさんが、カメさんを、「のろま!」とか呼んで、カメさんをバカに
する。そしてこの競争は始まる。が、うさぎさんは、油断したため、最後には、カメさんに負け
る? もしそうなら、話の流れはわかるが……。

 ……こうした指導で大切なことは、(1)常識を押しつけないこと。(2)常識を疑わせること。
(3)自分で考えさせること。そして(4)自分なりの結論をもたせること。そして結果として、どん
なことにでも、何らかの問題意識をもたせるように指導する。コツは、子どもに意見を言わせ、
それがどんな意見であっても、ほめるようにする。

 大切なのは、意見の内容ではない。その方向づけをすること。考えるクセをもたせること。そ
してその時期は、早ければ早いほどよい。小学校へ入ってからだと、遅すぎる。

 で、レッスンが終わるとき、一人、「あとで、パパに聞いてみる」と言った子どもがいた。「何
を?」と言うと、「やっぱり、あの話はおかしい」と。そういう子どもが、一人でも現れたということ
だけでも、喜ぶべきこと。今日のレッスンは、大成功だったということになる。
(030915)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●どんな雲にも銀のふちどり

 イギリスの格言に、『どんな雲にも銀のふちどり』という格言がある。つまりどんな雲にも、そ
のまわりには銀色に輝くふちどりがあることを言ったもの。「どんなに苦しいときでも、必ず希望
があるから、その希望を捨ててはいけない」と。

 ひとつの固定した視点からみると、どうしても絶望的にならざるをえない子どもというのは、た
しかにいる。K君(中一男子)がそうだった。何を教えても、ザルで水をすくうように、その教えた
ことがどこかへ消えていく。教室といっても、私の教室は一クラス五、六人の小さな教室だが、
しかしK君のような生徒がいると、ほかの生徒がどんどんとやめていく。それくらいK君というの
は学校でも有名な(?)子どもだった。で、彼が中学三年生になるころには、生徒は二人だけに
なってしまった。いや、少しでもK君がふざけた態度をしたら、それを理由に私はK君を教室か
ら追い出していたかもしれない。が、K君はただひたすらに私のところで勉強をした。そんなあ
る日のこと、私はK君にこう言った。「どんな大工でも建てたところからどんどん壊されたら、怒
るぞ」と。教えても教えてもそれがムダになっていく自分のはがゆさをK君にぶつけた。が、そ
れでも、K君は涙をこぼしながら私に従った。

 希望というのは、視点を変えると、それが希望でなくなるときがある。しかし視点を変えると、
今まで以上に明るく輝き始めるときがある。あるいは希望など何もないと思っていたところに、
実はすばらしい希望が隠されていたりすることがある。大切なことは、そのつど視点を変えた
り、あるいはもう一度、自分を振り返ってみることだ。もっと言えば希望は向こうからやってくる
ものではない。見つけるもの。

 その後K君は高校進学をあきらめ、調理師の専修学校に入学。今は家業であるラーメン屋
を手伝っている。で、ある日、そのラーメン屋へ行ってみると、K君がちょうど配達のラーメンを
どこかへ届けるところだった。私が母親に「元気そうですね」と声をかけると母親はこう言って
笑った。「まじめだけがとりえでねえ」と。K君にとっては、その「まじめ」こそが、銀のふちどりだ
ったということになる。
 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●内容のない本は身を飾る

 雑誌社などをのぞいてみると、実際教えたことがない人が、教材を作っていたりする。(だか
らといって教えている人が、すばらしい教材を作れるということにはならないが……。)そういう
ところでは、教材にせよ本にせよ、はたまた雑誌にせよ、それは「商品」でしかない。高邁な教
育観をもって教材開発に取り組んでいる編集者など、さがしてもいない。またそういうものを期
待するほうがおかしい。実際のところ、どこの編集部でも「いい教材」よりも、「売れる教材」を
念頭において、教材開発をする。あるいは制作と同時に、販売先の確保を優先する。編集部
よりも販売部のほうが力がある。

 長い前置きになったが、その商品を売るにはコツがある。そのひとつが、「飾る」。実際あっ
たことを書く。数年前だが、私は教育書の大手であるR社に原稿をもちこんだことがある。その
ときは「検討しておきます」ということだったが、数日後、編集部の部長から電話があり、長い世
間話のあと、おもむろにこう言った。「K教授をご存知ですよね。あのK教授です。あのK教授
の名前でなら、あなたの本を出してもいいのですが……」と。もちろん私は断ったが、こうした
出版方法は、この世界では珍しいことではない。

ベストセラーを何冊も出したような出版社ともなると、その教授専門のライターを置いているとこ
ろもある。私が九九%書いた本だが、ほかの人の名前になっている本だって、一〇冊はある。
よく盗作が話題になるが、盗作どころではない。盗作以上の盗作が、この世界では平気でなさ
れている。しかもその道の権威者と言われる「すばらしい教育者」(?)たちがそうしている。

 要するに「飾り」。飾りがあれば本は売れる。(これは本が売れない私のひがみのようなもの
かもしれないが……。)そのために出版社はあれこれ飾りを入れる。今でこそ少なくなったが、
ほんの少し前まで、ささいな教材や参考書にまで、○○大学××教授監修、あるいは指導と、
ぎょうぎょうしい肩書きを載せるのが慣習になっていた。そういうのを載せれば、よく売れるから
である。

 で、数年後のこと。近くの書店でR出版社のブックコーナーがあった。見るとあのK教授の新
刊書がずらりと並んでいた。いくつかをパラパラとめくって読んでみたが、どれもとても八〇歳
をこえた老人が書いたと思われないような若々しい文体の本ばかりだった。私は「ああ、あのと
きの本だな……」と思って、その場を離れた。

  ‖                 
 :−−           ‖   
  ‖            :−− 
        ‖      ‖    テーマがあれば、どうかお寄せください。
       :−−           具体的に、相談内容を書いてくだされば
        ‖              うれしく思います。
【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

人間関係を築けない若者たち

●新潟県M市で、中学三年の少女を、若い男が誘拐するという事件があった。これについて、
静岡県K市の母親から、「どう考えたらいいですか」という、質問をもらった。それを考える前
に、事件の概要について引用しておく。

+++++++++++++++++++++

新潟・少女連れ去り男の素顔に迫る 

 新潟県 M市で中学三年生の女子生徒が連れ去られた事件で、逮捕された26歳の男は、紐
で縛ったり、ナイフで脅すなどして連れ回していた。この26歳の男は、どのような人物だったの
か、その素顔に迫ってみた。

 未成年者略取の疑いで逮捕されたKJ容疑者(26歳)は、新潟県 佐渡にある中学校を卒
業。しかし、学校にはほとんど行っていなかったという。
 
Q.近藤容疑者について
 「内向的で消極的で、いじめられていた。成績は全く良くなくて、家にひきこもっていて、たまに
学校へ行く程度」(中学時代の同級生)
(TBS・news i、より引用)

+++++++++++++++++++++

●原因と考え方

新生児期から乳幼児期にかけて、とくに母子の関係で、基本的信頼関係を結ぶことに失敗し
た子どもは、そののち、他人との人間関係をうまく結べなくなる。そのため、(密着)と(離反)を
繰りかえすようになる。それをうまく説明したのが、ショーペンハウエルである。

●ショーペンハウエルの「二匹のヤマアラシ」

 寒い夜だった。二匹のヤマアラシは、たがいに寄り添って、体を温めようとした。しかしくっつ
きすぎると、たがいのハリで相手の体を傷つけてしまう。しかし離れすぎると、体が温まらない。
そこで二匹のヤマアラシは、一晩中、つかず離れずを繰りかえしながら、ほどよいところで、体
を温めあった。

 これがショーペンハウエルの「二匹のヤマアラシ」の話である。しかしこれと同じようなことは、
夫婦の間でも、そして親子の間でもある。

 男と女は、結婚する。電撃に打たれるような衝撃を受け、相思相愛で結婚したというケースは
別として、中には、孤独からのがれるために結婚する人も珍しくない。もともとは他人への依存
性が強い人で、心のスキ間を埋めるために結婚する。しかしこのタイプの人は、一方で、人づ
きあいが苦手。結婚はしたものの、結婚生活そのものが、わずらわしくてしかたない。だから、
たがいにつかず離れずを繰りかえしながら、ほどよいところで関係を保つ。

 親子でも、似たようなケースがある。子どもがそばにいないと不安でならない。「ママ、ママ」と
甘えてくれる間は、うれしい。しかしそれが一定の限度を超え、子どもがずっとそばにいると、う
るさくてしかたない。「子どもを愛している」という自覚はどこかにはあるが、しかし一方で、「で
きるだけ早く、子育てから解放されたい」と願っている。そのため親子関係も、どこかつかず離
れずの関係になる。

 奈良県のHYさん(母親)からの相談に、こんなのがあった。何でも夫がそばにいないと、さみ
しく思うのだが、しかしたまの日曜日など、夫が一日中、家の中でゴロゴロしているのを見る
と、わずらわしくてならないというのだ。いわく「ときどき私は、夫なんかいてもいなくても、どちら
でもよいと思うことがあります。しかしそのくせ夫が、そばにいないとさみしくて、気がへんになっ
てしまうのです」と。

 結論を先に言えば、このタイプの人は、乳幼児期の家庭環境に問題があったとみる。ふつう
子ども(人)というのは、絶対的に安心できる、心豊かな家庭環境の中で、心をはぐくむことが
できる。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。そういう環境があってはじめ
て、子ども(人)は心の開き方を学び、そこから、たがいの信頼関係の結び方を学ぶ。が、何ら
かの理由で、その「絶対的に安心できる、心豊かな家庭環境」が阻害されると、子ども(人)は
心を開けなくなり、ついで人との信頼関係を、じょうずに結べなくなる。

ここでいうHYさんは、まさにそのタイプの女性と考えてよい。HYさんは、夫や子どもにすら、心
を開くことができない。つまり信頼関係を結ぶことができない。そしてそれが夫婦関係や、親子
関係にまで影響を与えている。

 一般的に、心を開くことができない子ども(人)は、人と接するのが苦手。表面的には、快活
にふるまい、社交的になることはあるが、その分、精神疲労を起こしやすい。数時間、町内の
人といっしょに活動しただけで、ヘトヘトに疲れてしまったりする。しかしその一方で、心を開くこ
とができないため、孤独。さみしがり屋。ここにも書いたように、もともと他人への依存性も強
い。近くにだれかがいないと、自分の心を保つことさえできない。つまり、ここでショーペンハウ
エルの「二匹のヤマアラシ」の話にもどる。このタイプの人は、孤独(寒さ)から逃れるために人
(温もり)を求める。しかし人に近づきすぎると、自分がキズつく。それを恐れるあまり、今度は
そばには近寄れない。つまりつかず離れずの関係になる。

●「密着」と「離反」

このタイプの子ども(人)の最大の特徴は、そのため人づきあいが、どこかぎこちなくなること。
ほどほどのところで、ほどよい人間関係を築くことができない。あるとき急に接近してきたかと
思うと、今度は、同じように急に離れていく。これを心理学の世界では、「密着」「離反」という。

幼稚園の世界にも、『急速になれなれしてくる親には、要警戒』という言いまわしがある。たとえ
ばある日突然、幼稚園へやってきて、「ここの幼稚園が気に入りました。すばらしい幼稚園で
す。来年からうちの息子をここへ入れます。下にももう一人、子どもがいますが、その子どもも
ここに入れます」などとワーワーと騒ぐ。しかしそういう親ほど、離れていくのも早い。

 つまりこのタイプの子ども(人)は、相手を自分の思わくだけで、引きずりまわしてしまう。引き
ずりまわすほうは、それでかまわないが、引きずりまわされるほうは、たまらない。私も若いと
き、こんな経験をしたことがある。

 ある会社の社内報の編集を手伝っていた。社長じきじきの依頼で、それなりに張り切って仕
事をしていた。が、その社長は、大の電話魔。真夜中であろうが、早朝であろうが、電話をかけ
てきて、あれこれ私に指示してきた。それだけではない。そのつど怒涛(どとう)のように、「君
はすばらしい」「今度香港へ出張してほしい」「私がもっているアパートを君に使ってもらいたい」
「君の作る会報は一級だ。ついては予算を倍増したい」などと言う。

 最初のうちはそれを真に受けて、ワイフと二人で喜びあったが、そのうちどうも様子がおかし
いのに気がついた。私がそれらの話を煮つめるため、社長の自宅へ行くと、今度は、ああでも
ない、こうでもないと私の仕事にケチをつけて、「だから約束は守れない」と言い出した。まさに
私が遠ざかれば、近づいてきて、私が近づいていけば、遠ざかる……という感じだった。

 その社長は、いわゆる心を許さないタイプの社長だった。俗な言い方をすれば、コロコロと気
分が変わる。私の立場からすると、つかみどころがない。その社長は、まさに密着と離反を繰
りかえしていたことになる。
 
●さらけ出す
 
 信頼関係を結ぶためには、自分をさらけ出す。さらけ出しても、平気である。そういう自分へ
の確信をもつ。本来ならこうした信頼関係の原型は、乳幼児期に形成される。それが先に書い
た、「絶対的に安心できる、心豊かな家庭環境」ということになる。子ども(人)は、そういう環境
の中で、とくに親子関係の中で、自分をさらけ出すことを学ぶ。またさらけだしても、安心できる
ことを学ぶ。

 が、それが阻害されることがある。原因はいろいろあるが、その原因はともかくも、子ども
(人)側からみて、自分をさらけ出せなくなってしまう。さらけ出すことに自信がなくなるケースも
あるが、さらけ出すことに恐怖感を覚えることもある。母親に向かって「ババア」と言ってみた。
とたん、母親に殴られたとかなど。そういう無数の経験が積み重なって、自分をさらけ出せなく
なることもある。

 こういうことが重なると、子ども(人)は、仮面をかぶるようになる。自分を隠すようになる。た
いていは「いい子」ぶりながら、無理をするようになる。よくある例は、幼児期に、園の先生たち
に「いい子だ」「いい子だ」とほめられるようなケース。このタイプの子ども(人)は、いい子ぶる
ことで、自分の身の保全をはかる。相手(親や教師)に取り入るのがうまくなり、またその分、相
手の期待にこたえようとする。この無理が無数に重なって、やがて子どもの心をゆがめる。

 そういう意味では、幼児期から少年少女期にかけて、「いい子」で通った子どもほど、心配と
いうことになる。勉強もよくできる。言われたことは、ソツなくやりこなす。園でも学校でも、いつ
もリーダー格で、問題を起こすということもない。もちろん本来的に「いい子」というケースもない
わけではないが、たいていは「無理をしている」と考えたほうがよい。

 しかし問題は子ども(人)というより、あなた自身かもしれない。あなた自身は、夫(あるいは
妻)や子どもの前で、自分をさらけ出すことができるかということ。わかりやすい例では、あなた
は夫(あるいは妻)の前でも、平気でプリプリっと、おならを出すことができるか。あるいは悲し
いときやさみしいとき、自分の心を、すなおにそのまま表現できるか。それができればよし。し
かしそれができないようであれば、当然のことながら、子どももそれができなくなる。

 人というのは、自分がしていることには、寛容になる。していないことには、寛容になれない。
常、日ごろから、自分をさらけ出すことになれている親は、子どもがそれをしたとき、それを自
然な形で受け止めることができる。しかし自分をさらけ出すことができない親は、子どもがそれ
をするのを許さないばかりか、子どもが自分をさらけ出したりすると、それを悪いことだと決め
てかかってしまう。おさえてしまう。そしてその結果として、親が、子どもに仮面をかぶるようにし
むけてしまう。

●チェックテスト

 そこであなた自身をチェックテストしてみよう。

(1)あなたは夫(あるいは妻)の前で、したいことをし、言いたいことが言えるか。
(2)あなたは他人の中でも、それほど気をつかわず、自分をさらけ出すことができるか。
(3)あなたはあなたの親に対して、したいことをし、言いたいことをズケズケと言えるか。
(4)あなたは自分の子どもに対して、したいことをし、言いたいことを言えるか。
(5)あなたの子どもはあなたに対して、したいことをし、言いたいことを言っているか。

 このテストで、四〜五個、「YES」と答えたあなたは、いつもみなに、心を開いている人という
ことになる。信頼関係の結び方もうまく、人間関係もスムーズ。そのため友人も多いはず。

 しかしそうでなければ、まず「心を開く」ことから、始める。あなたの心を取り巻いている無数
のクサリを、一本ずつ解き放していく。根気のいる作業だが、しかし不可能ではない。もしあな
たがこのタイプの子ども(人)なら、夫(もしくは妻)の協力を得て、少しずつ心を開く訓練をす
る。

方法としては、夫(あるいは妻)の前で、したいことをする。言いたいことを言う。自分をさらけ出
してみる。というのも、この問題だけは、決してあなただけの問題ではすまない。そういう心の
開けないあなたといっしょに住むことによって、さみしい思いをしているのは、実はあなたの夫
(妻)であることを忘れてはいけない。さらにあなたという親が、そういう状態であるのに、どうし
て子どもに、「心を開け」と言えるだろうか。

 何でもないことのようだが、心を開くことができる人は、それをいとも簡単に、しかも自然な形
でできる。そうでない人には、そうでない。この問題は、その子ども(人)の乳幼児期までさかの
ぼるほど、もともと「根」の深い問題である。

 夫婦にせよ、親子にせよ、その基本は、ゆるぎない信頼関係で決まる。その信頼関係を結ぶ
ためにも、まずあなたは、あなたの心を開き、その心を空に解き放ってみる。勇気を出して、自
分をさらけ出してみる。自分を飾ることはない。自分をつくることはない。気負う必要もない。あ
なたはあなたのままでよい。そういう自分を、すなおにさらけ出してみる。

 そこはすがすがしいほど、広い世界。青い空がどこまでも、どこまでもつづく、広い世界。あな
たも心を取り巻いているクサリを解き放ち、その広い世界を、思う存分、羽ばたいてみよう! 
もし今、あなたが心の開けない人ならば……。

●攻撃型の子ども

他人との人間関係がうまく結べない子どもは、独特の症状を示すことが知られている。

大きく、(1)攻撃型、(2)服従型、(3)同情型、(4)依存型に分けられる。

攻撃型というのは、暴力や威圧をつかって、相手を自分の支配下におくというタイプ。ツッパリ
児が、その典型的な例ということになるが、この攻撃型にも、いろいろある。ガリガリの猛勉強
をする子どもも、この攻撃型の一つということになる。他人に対して攻撃的になるか、自分に対
して攻撃的になるかの違いと考えてよい。

 服従型というのは、服従する相手を決めて、その相手に徹底的に服従しようとする。親分、
子分の関係でいうなら、子分の立場ということになる。思考能力や判断力を、すべて相手に渡
す。集団非行を繰りかえす子どもの中に、このタイプの子どもが多いのは、そのためと考えて
よい。

 同情型というのは、弱い自分をわざと演じたり、人前でわざと病弱であることや、けがを強調
することで、自分の立場をつくる。相手が「どうしたの?」「だいじょうぶ?」と声をかけてくれる
のを、待っている。このタイプの子どもは、たとえば先生の前でも仮面をかぶり、よい子を演ず
ることが多い。

 依存型というのは、親や先生に、ベタベタ依存することで、自分の立場をつくる。俗にいう甘
えん坊ということになる。全体に人格の「核」形成が遅れ、見た感じ、その年齢に比して、子ども
っぽくなる。みなに、「かわいい子ね」と、あれこれ手をかけてもらうことを、無意識であるにせ
よ、求める。

 これら四つのタイプの子どもは、こうした環境を自分の周囲につくることによって、自分にとっ
て、居心地のよい世界をつくろうとする。だからたとえばツッパリ児に向って、「そんなことをす
ると、あなたはみんなに嫌われるよ」と説教しても、意味がない。このタイプの子どもは、わかり
やすく言えば、みなに恐れられることによって、自分の立場を作っている。

●冒頭の事件

 さて、未成年者略取の疑いで逮捕されたKJ容疑者(26歳)という男は、ここでいう(1)攻撃
型ということになる。

 KJ容疑者は、他人とうまく、人間関係が結べない。そのため攻撃的に、中学生を略取した。
そしてその原因は、ここにも書いたように、彼自身の幼児期にある。はからずもTBSのnew・i
は、こう報道している。

「Q.近藤容疑者について、内向的で消極的で、いじめられていた。成績は全く良くなくて、家に
ひきこもっていて、たまに学校へ行く程度だった」(中学時代の同級生)と。

 この一文が、すべてを語っている。
(030916)

         ,ミヽ  ミヽ
         へ ミ ヽ へ ミヽ
        ∂  ミミ∂ へミミ
        ζ  っノι ∂ ミミ8彡
        ヒ___ノ 人v "丿彡'
    |)─○  / ヽ  `>−<
     // \\_/_∧ \_/_/ ヽ ≡=   賛助会にどうか、ご入会ください。
   ___//  \_/_ξ ̄ ̄ノ_ __)      現在、お礼に、イラスト(額つき)を
  / _ \  / ____ ̄フ _____ノ  ≡=−   送っています。
  // \ \ / /   ̄/ /   ̄)
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
親子のさらけ出し

 親子で、どこまでたがいに、さらけ出しができるか。その度合いによって、信頼関係が決ま
る。

 子どもも、小学三年生くらいを境に、急速に親との間に距離を置くようになる。いわゆる「親離
れ」が始まる。

 このとき親が、それなりの覚悟と、そして子離れの準備をしていればよいが、そうでないとき、
いろいろな問題が起きる。子どもが幼児のころの親子関係にこだわり、その状態に戻そうとあ
がく親も、少なくない。

 とくに溺愛ぎみの親や、子育てを生きがいにしている親ほど、その傾向が強い。このタイプの
親にとっては、子離れそのものが、考えられない。中には、子どもが親離れを始めたとたん、
その絶望感(?)から、自己否定、自己嫌悪に陥(おちい)ってしまう親もいる。

 親子でも、たがいのさらけ出しが、信頼関係の基本だが、しかしその信頼関係は、子どもの
年齢とともに、質的に変化する。具体的に考えてみよう。

 以前、こんなことを相談してきた母親がいた。

 何でも最近、その母親の息子(小三)が、学校であったことを話してくれなくなったというのだ。
それまでは学校であったことを、あれこれ話してくれたが、それがなくなった。「それで、どうした
らいいか?」と。

 この時期を境に、子どもは急速に交友関係を広める。同時に、親子の関係は、希薄になる。
こうした関係の変化は、子どもの成長期には、よく見られる。が、それをもって、親子の信頼関
係が崩壊したと考えるのは、誤解である。

 この時期を境に、親子の関係は、「親子」から、「一対一」の人間関係に変化する。いつまで
も親が、親風を吹かし、上下意識をもつほうがおかしい。一方、子どもにしても、いつまでも、
「ママ、ママ……」「パパ、パパ……」と甘えるほうが、おかしい。

 そこで問題となるのが、自分の子どもであっても、いかにして、子どもを、一人の人間として見
ていくかということ。そして子どもではなく、一人の人間として、どこまで信頼していくかというこ
と。私が先に書いた、「質的な変化」というのは、そのことをいう。

 そこで自己診断。

【自己診断】

●信頼型ママ……いつも心のどこかで、「うちの子は、すばらしい」と思っている。「うちの子が
できなければ、ほかの子にできるはずはない」と思うこともある。子どもの失敗や、生活態度の
悪さは、ほとんど気にならない。

●不信型ママ……いつも心のどこかで、「うちの子は、何をしても心配だ」と思っている。「何か
失敗するのではないか」とか、「人に笑われるのではないか」と思うこともある。ささいなことが
気になって、それをよく叱る。

少し前も、「食事中、子どもがよく食べ物をこぼす。どうしたらいいか」と相談してきた母親がい
た。その母親は、子どものしつけを心配していたが、問題は、その「しつけ」ではない。母親自
身が、子どもに対して、大きな不信感をもっている。それが姿を変えて、こうした相談になった。
もし子どもを信頼していれば、子どもが食べ物をこぼしても、「あら、だめよ」と、軽くすますこと
ができるはずである。

 そこであなた自身はどうか、少し振りかえってみてほしい。あなたは子どもの前で、自分をさ
らけ出しているだろうか。あなたはさらけ出しているとしても、子どもは、どうだろうか。あなたの
前で、言いたいことを言い、したいことをしているだろうか。

 このとき、たいていの親は、「うちの子は、私の前では、伸び伸びしています」と言う。「言いた
いことも言っています。態度も大きいです。したいことも、もちろんしています」と。しかし本当に
そうだろうか。あるいはひょっとしたら、あなたがそう思いこんでいるだけではないだろうか。

 こういうケースでは、「私の子どものことは、私が一番よく知っている」「私と子どもの関係は、
すばらしい」と思っている親ほど、あぶない。親が傲慢であればあるほど、子どもは、その心を
閉ざす。

 一方、「どうもうちの子のことがわからない」「親子関係は、これでいいのか」と思っている親ほ
ど、子どもに対して謙虚になる。その謙虚さが、子どもの心を開く。このことがわからなけれ
ば、反対の立場で考えてみればわかる。もしあなたが、あなたの親に、つぎのように言われた
ら、あなたは、どのように反応するだろうか。

●「あなたはどう思う? 私は掃除したほうがいいと思うけど、ね。お客さんも来るし」と、相談を
もちかけられる。

●「掃除をしっかり、しなさい。お客さんが来るでしょ。こんなことではどうするの!」と、命令さ
れる。

もしあなたの子どもが、あなたの前で、小さくなっていたり、よい子ぶっていたりしたら、あなた
の親子関係は、かなりあぶない状態にあるとみる。表面的にはうまくいっているように見えるか
もしれないが、それはあくまでも「表面的」。たいていのばあい、あなたという親がそう思ってい
るだけと考えてよい。
(030915)

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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

依存性

 人というのは、それがモノであれ、人であれ、はたまた宗教であれ、何かに依存しないと、生
きていかれないものなのか。

 あのK国を見ていると、ときどき、こちらまで頭がヘンになる。ここ数日だけでも、こんなことを
言っている。

 「日本は拉致問題を取りあげて、反K国感情を、かきたてている」「六か国協議で、拉致問題
を取りあげ、協議のじゃまをしたのは、日本だ」と。きわめつけは、こんな意見。

「アメリカは、食糧を一〇万トン援助すると言ったが、まだ四万トンしか渡さない。約束を守
れ!」と。

 K国の論法をまともに耳を傾けていると、「我々は、悪いことをしたくないが、させられている
だけだ」「世界は、我々を助ける義務がある」というふうにも、聞こえる。もしこんなことを、ふつ
うの生活の中で言う人がいたら、まちがいなく、私は、こう言う。「甘ったれるのも、いいかげん
にしておけ!」と。

 で、今日(九月一五日)の朝刊によれば、もしK国が核実験をしたら、日本は、段階的な制裁
措置をとるという。しかしこれも、どこか、おかしい。「制裁」というのは、一方の側が優位に立っ
ているときのみに、使われる言葉。そこでたとえば、「制裁」という言葉ではなく、たとえば「縮
小」「遠慮」「停止」という言葉を使ったら、どうか。

 「貿易を縮小する」「人的交流を遠慮する」「協議を停止する」と。「日本だって、困るのだが…
…」という立場をつくる。K国の金XXは、「制裁イコール、即、戦線布告」と息巻いている。

 さて、依存性の問題。

 子どもというより、老人の問題ということになる。子どもにベタベタ甘えるというより、「子どもは
親のめんどうをみるべき」と、当然のように考えている老人は、多い。「産んでやった」「育てて
やった」という意識が、いつしか転じて、そうなる。このタイプの老人は、独特の人生観をもって
いる。

 親意識が強く、何かにつけて親風を吹かす。
 親は絶対という、権威主義的なものの考え方をする。
 孝行論を説き、親に尽くす子どもイコール、できのよい子と評価する。
 子どもそのものを財産のように考え、たとえば息子の嫁の人格を認めない。
 「家」「モノ」「財産」への執着心が強く、世間体、見栄、体裁を気にする。
 上下意識が強く、ものの考え方が出世主義。過去の栄華にしがみつく、など。

 こうしてあげたら、キリがない。

 つまりこうした考え方をもつことにより、「子どもは親のめんどうをみるべき」という考え方を、
自ら正当化する。よくマザコンタイプの男性(夫)が、自分のマザコン性を正当化するために、
親を必要以上に美化することがある。「私の親は、すばらしい親だ。だから私は、親を大切に
するのだ」と。

 同じように、依存性の強い親は、今度は反対に、権威主義をもちだし、自分の依存性をカモ
フラージュしたり、正当化したりする。このことは、あのK国をみれば、わかる。

 K国の高官たちは、ことあるごとに、「民族の誇り」を口にする。そしてささいなことを、針小棒
大に問題にしては、「侮辱(ぶじょく)した」と騒ぐ。つまりそういう形で、自分たちの依存性をカモ
フラージュし、正当化している。本来なら、頭をさげて、「食糧をください」と素直に言うべきなの
だが、K国の人たちには、それができない。

 こうして考えてみると、(依存性)と(権威主義)は、ちょうど、紙にたとえると、表と裏の関係に
あることがわかる。まったく別のように見えるが、しかしその奥では、たがいにしっかりと結びつ
いている。

たとえば宗教に依存する人は多い。しかしそういう人でも、権威のない宗教には、身を寄せな
い。あるいは身を寄せても、権威を大切にする。K国について言えば、金XXが、その最高権威
ということになる。

 では、人は、何に依存したらよいのか。

 あくまでも一つのヒントとして、こんなことがある。

 私はときどき、どうして自分が、こうした原稿を書いているか、わからないときがある。またど
うして読者が読んでくれるか、わからないときがある。私には、地位も肩書きも、権威もない。
が、そういう私を支えてくれるのは、実は私自身である。

 「私は、ほかのだれもまねできない経験をした。それを信じる」と。

 どこかの肩書きのある人と議論するときも、そうだ。彼らは最新の情報はもっている。しかし
私には、それがない。ないかわりに、私はいつも最前線で戦ってきた。その経験がある。それ
を心のどこかで信じながら、議論をする。つまりは、自分に依存する。

 人は、何かに依存しないと、生きていかれないものなのかもしれない。が、どうせ依存するな
ら、(私自身)ということになる。私自身なら、自分を裏切ることもない。依存先としては、もっと
も確実な依存先ということになるが、ちがうだろうか。
(030916)

+++++++++++++++++++++
この問題に関して、以前、つぎのような原稿を
書きました。参考にしていただければ、うれし
いです。
+++++++++++++++++++++

●子の気負い

 「親だから……」と気負うのを、親の気負いという。それはよく知られているが、「子だから…
…」という気負いもある。これを子の気負いという。

 Sさん(長野市在住・女性)も、その「子の気負い」で苦しんでいる。両親と祖母の問題。それ
に伯父、伯母の問題。こうした問題は、クモの巣のようにからんでいて、一筋縄ではいかない。
ときどき私は相談を受けるが、どこからどう手をつけてよいのか……? 

 そのSさん。今は、毎日、悶々と悩んでいる。祖母のボケが進んでいる。そのこともあって母
親が沈んでいる。うつ病かもしれない。父親とうまくいっていない。実家へ帰っても、父親と会話
をするだけで、疲れてしまう。祖母の介護のことで、伯父が口を出して、困る、などなど。

●相互依存性 

 こうした気負いは、相互的なもの。決して、一方的なものではない。親としての気負いの強い
人ほど、一方で、子としての気負いが強い。「よい親であろう」と思う反面、「よい子どもであろ
う」とする。だからどちらを向いても、疲れる。

 こうした気負いの背景にあるのが、依存性。もう少しわかりやすい言葉でいうと、「甘え」。親
に対しては、しっかりと親離れできていない。一方、子どもに対しては、しっかりと子離れできて
いない。結果として、どこかベタベタの人間関係になる。

 このベタベタの人間関係が、祖父母→親→自分→子へと、脈々とつながっている。だからふ
つう、その中にいる人は、それに気づかない。それがその人にとっては、ふつうの人間関係で
あり、またたいていのばあい、それが「あるべき人間関係」と考える。

●Sさんのケース

 Sさんのケースでは、Sさんが、親のグチのはけ口になっている。とくにSさんの母親は、何か
につけて、Sさんにグチをいう。「望まない結婚であった」「したいこともできなかった」「夫(Sさん
の父親)が何もしてくれない」と。

 こうした母親の不平、不満を聞きながら、Sさんは、ますます悶々と悩む。「両親たちは、見た
感じは、一見、仲のよい、理想的な夫婦に見えるのですが……」「友人がうらやましがることも
ありました」と。

 しかしそういうグチを、母親がSさんという子どもにぶつけること自体、おかしい。仮にぶつけ
たとしても、子どもが悩むところまで、子どもを追いこんではいけない。Sさんは、たいへん生真
面目(きまじめ)な人なのだろう。そういう母親のグチを聞きながら、適当にそれを聞き流すとい
うことができない。

●未熟な人間性

 依存型家庭につかっていると、依存性が強い分だけ、代々、子どもは精神的に自立できなく
なる。自立できないまま、それがひとつの「生活習慣」として定着してしまう。

 たとえば日本には「かわいい」という言葉がある。「かわいい子ども」「子どもをかわいがる」と
いうような使い方をする。

 しかし日本語で「かわいい子ども」と言うときは、親にベタベタと甘える子どもを、かわいい子
どもという。自立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、かわいい子どもとは、あまり言わ
ない。

 また「子どもをかわいがる」というのは、子どもに楽をさせること。子どもによい思いをさせるこ
とをいう。

 こういう子ども観を前提に、親は子どもを育てる。そしてその結果として、子どもは自立できな
い、つまりは、人間的に未熟なまま、おとなになっていく。

●親の支配

 依存型家庭では、子どもが親に依存する一方、親は、子どもに依存する。その依存性も、相
互的なもの。自分自身の依存性が強いため、同時に子どもが自分に依存性をもつことに甘く
なる。その相互作用が、たがいの依存性を高める。

 しかし親が、子どもに依存するわけにはいかない。そこで親は、その依存性をカモフラージュ
しようとする。つまり子どもに依存したいという思いを、別の「形」に変える。方法としては、(1)
命令、(2)同情、(3)権威、(4)脅迫、(5)服従がある。

(1)命令……支配意欲が強く、親のほうが優位な立場にいるときは、子どもに命令をしなが
ら、親は子どもに依存する。「あんたは、この家の跡取りなんだから、しっかり勉強しなさい!」
と言うのが、それ。
(2)同情……支配意欲が強く、親のほうが劣位な立場にいるときは、子どもに同情させなが
ら、結果的に、子どもに依存する。「お母さんも、歳をとったからね……」と弱々しい言い方で言
うのが、それ。
(3)権威……封建的な親の権威をふりかざし、問答無用に、子どもを屈服させる。そして「親
は絶対」という意識を子どもに植えつけることで、子どもに依存する。「親に向かって、何てこと
言うの!」と、子どもを罵倒(ばとう)するのが、それ。
(4)脅迫……脅迫するためによく使われるのが、宗教。「親にさからうものは、地獄へ落ちる」
「親不孝者は、不幸になる」などという。「あんたが不幸になるのを、墓場で笑ってやる」と言っ
た母親すら、いた。
(5)服従……子どもに隷属することで、子どもに依存する。親側が明らかに劣位な立場にた
ち、それが長期化すると、親でも、子どもに服従的になる。「老いては子に従えと言いますから
……」と、ヘラヘラと笑って子どもに従うのが、それ。

●親であるという幻想

 人間の自己意識は、三〇歳くらいまでに完成すると言われている。言いかえると、少し乱暴
な言い方になるが、三〇歳をすぎると、人間としての進歩は、そこで停滞すると考えてよい。そ
うでない人も多いが、たいていの人は、その年齢あたりで、ループ状態に入る。それまでの過
去を、繰りかえすようになる。

 たとえば三〇歳の母親と、五歳の子どもの「差」は、歴然としてあるが、六〇歳の母親と、三
五歳の子どもの「差」は、ほとんどない。しかし親も子どもも、それに気づかない。この段階で、
「親だから……」という幻想にしがみつく。

 つまり親は、「親だから……」という幻想にしがみつき、いつも子どもを「下」に見ようとする。
一方、子どもは子どもで、「親だから……」という幻想にしがみつき、親を必要以上に美化した
り、絶対化しようとする。

 しかし親も、子どもも、三〇歳をすぎたら、その「差」は、ほとんどないとみてよい。中には、努
力によって、それ以後、さらに高い境地に達する親もいる。しかし反対に、かなり早い時期に、
親よりはるかに高い境地に達する子どももいる。

 そういうことはあるが、親意識の強い親、あるいはそういう親に育てられた子どもほど、この
幻想をいだきやすい。この幻想にしばられればしばられるほど、「一人の人間としての親」、
「一人の人間としての子ども」として、相手をみることができなくなる。

●Sさんのケース

Sさんのケースの背景にあるのは、結局は、親離れできないSさん自身といってもよい。Sさん
は、実家の両親の問題に悩みながら、結局は、その実家にしがみついている。そういうSさん
にしたのは、Sさんの両親、さらにはSさんの祖父母ということになる。つまり大きな流れの中
で、Sさんは、Sさんになった。

 なぜ、Sさんは、「両親の問題は、両親の問題」と、割り切ることができないのか? 一方、S
さんの両親は、「私たちの問題は、私たちの問題」と、割り切ることができないのか? Sさん
は、両親の問題を分担することで、結局は両親に依存している。一方、Sさんの両親は、自分
の問題を娘のSさんに話すことで、Sさんに依存している。

 本来なら、Sさんは、両親の問題にまで、首をつっこむべきではない。一方、親は、自分たち
の問題で、娘を悩ませてはいけない。どこかで一線を引かないと、それこそ、人間関係が、ドロ
ドロになってしまう。

●批判

 こうした私の意見に対して、「林の意見は、ドライすぎる」と批判する人がいる。「親子というの
は、そういうものではない」と。「君の意見は、若い人向きだね。老人向きではない」と言ってき
た人(七五歳男性)もいた。

少し話はそれるが、ここまで書いて、こんな問題を思い出した。親は子どものプライバシーの、
どこまで介入してよいかという問題である。ある母親は、「子どものカバンの中まで調べてよい」
と言った。別の母親は、「たとえ自分の子どもでも、子ども部屋には勝手に入ってはいけない」
と言った。どちらが正しいかということについては、また別の機会に考えるとして、私が言ってい
ることは、本当にドライなのか? このことは、反対の立場で考えてみればわかる。

 あなたは、いつかあなたの子どもが、あなたの問題で、今のSさんのように悩んだとする。そ
のときあなたは、それでよいと思うだろうか。それとも、それではいけないと思うだろうか。Sさ
んは、メールで、こう書いてきた。

 「娘(中学一年)には、今の私のように、私の問題では悩んでほしくありません」と。

 私は、それが親としての、当然の気持ちではないかと思う。またそういう気持ちを、ドライと
は、決して言わない。

●カルト抜き

 こうした生きザマの問題は、思想の根幹部分にまで、深く根をおろしている。ここでいう依存
性にしても、その人自身の生きザマと、密接にからんでいる。だからそれを改めるのは容易で
はない。それから抜け出るのは、さらに容易ではない。

 しかも親子であるにせよ、そういう人間関係が、生活のパターンとして、定着している。生きザ
マを変えるということは、そういう生活のあらゆる部分に影響がおよんでくる。

 これは一例だが、Y氏(五〇歳男性)は、子どものころ、母親に溺愛された。それは異常な溺
愛だったという。そこでY氏は、典型的なマザコンになってしまったが、それに気づき、自分の
中のマザコン性を自分の体質から消すのに、一〇年以上もかかったという。

 親子関係というのは、そういうもの。それを改めるにしても、口で言うほど、簡単なことではな
い。それはいわばカルト教の信者から、カルトを抜くような苦痛と努力、それに忍耐が必要であ
る。時間もかかる。

●因縁を断つ

 そんなわけで、私たちが親としてせいぜいできるここといえば、そうした「カルト」を、子どもの
代には伝えないということ程度でしかない。少し古臭い言い方になるが、昔の人は、それを「因
縁を断つ」と言った。

 Sさんについていえば、仮にSさんがそうであっても、同じ苦痛や悩みを、子どもに伝えてはい
けない。つまりSさん自身は、親離れできない親、子離れできない子どもであったとしても、子ど
もは、親離れさせ、ついでその子どもが親になったときには、子離れできる子どもにしなければ
ならない。

 しかしこと、Sさんの子どもについて言えば、ここに書いたような問題があることに気づくだけ
でも、問題のほとんどは解決したとみてよい。このあと、多少、時間はかかるが、それで問題は
解決する。

 私はSさんに、こうメールを書いた。

 「勇気を出して、自分の心の中をのぞいてください。つらいかもしれませんが、これはつぎの
代で、あなたの子どもに同じような悩みや苦しみを与えないためです」と。

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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
11・18 ……三重県紀伊長島町(紀伊長島町PTA連絡協議会)
11・ 8 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・23 ……奥山小学校
10・18 ……天竜中学校区健全育成会(天竜中、中ノ島小、和田東小、和田小合同)
10・13 ……浜松市上島にて(ママアンドパパス・保育所開園式)
10・11 ……浜北市・内野小学校
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html








件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■引きこもり(1)

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       ̄ ̄\_/ ̄ ̄      【2】特集・引きこもり
   =| ̄ ̄ ̄ ̄* ̄ ̄ ̄ ̄|=   【3】子育てエッセー
    |__  *  __|    【4】フォーラム
  :  : |___|::   : 
 :\::\:  !!  :/: :/:
  :\ :\  !!  /:  /: 
●はやし浩司から皆さんへ、カードです。(安全性は確認してあります。)

安心して、開いてください。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●ドラ息子の五大症状

ドラ息子、ドラ娘には、つぎのような特徴がある。もしこれらの項目のいくつかに当てはまるよう
なら、あなたの子どもはかなりのドラ息子、ドラ娘とみてよい。今はまだ体も小さく、あなたの保
護のもとでおとなしくしているかもしれないが、やがてあなたの手に負えなくなる。

(1)ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分を喜
ばせるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。自分の思い
どおりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを許さない。いつも自分が
皆の中心にいないと、気がすまない。(2)ものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。
目標を定めることができず、目標を定めても、それを達成することができない。あれこれ理由
をつけては、目標を放棄してしまう。ほしいものにブレーキをかけることができない。生活習慣
そのものがだらしなくなる。その場を楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ
消費的な行動が多くなる。(3)ものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依
存心が強い割には、自分勝手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目
立つ。(4)バランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って
行動することができない、など。

 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(四・五歳)前後で表れてくる。しかし一度こ
の時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。ドラ息子、ド
ラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに原因がある
からである。また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱
って子どもをなおそうとする。あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、
それをはねのけてしまう。そういう姿勢が、子どもをますますドラ息子、ドラ娘にする。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●泥棒の家は戸締りが厳重

 昔から『泥棒の家は戸締りが厳重』という。人は何か負い目をもっていると、それをことさら気
にすることを言ったもの。たとえば女遊びを繰り返している父親ほど、自分の娘にきびしいな
ど。あるいは娘の交際相手をいつも疑ってかかる……?

 同じようなことだが、いつも学歴を笠に着て生きている人ほど、自分の子どもの学歴にうるさ
いなど。ある父親はいつもS高校の出身であることを、いばっていた。会話の中にそれとなく出
身校をにおわすというのが彼のやり方だった。「今度S高校の同窓会の幹事をやることになり
ましてね」と。で、その彼の息子がいよいよ受験ということになった。が、その息子にはそれだ
けの力がなかった。だからその父親と息子は、毎晩のように、「勉強しろ!」「うるさ!」の大乱
闘を繰り返していた。

 一般論として、子どもの進学に神経質な親ほど、どこかで学歴を強く意識した人とみてよい。
自分自身も高学歴であったり、あるいは反対に学歴にコンプレックスをもっていたりするなど。
人というのは、だれしも何かの負い目をもっているものであり、その負い目を気にしたり、ある
いは無意識のうちにも、その負い目に裏から操られたりする。問題はそうした負い目があるこ
とではなく、その負い目に振り回され、本来大切にすべきものを粗末にしたり、本来大切でない
ものを大切と思い込み、それに振り回されることである。

たとえば子どもの教育にしても、この日本では受験勉強は避けてはとおれないものかもしれな
いが、しかしその受験勉強には、親子関係を犠牲にするほどまでの価値はない。日本人は「い
い学校」は口にするが、「いい家庭」を口にしない。中には、「親子関係が犠牲になってもいい。
息子さえ、いい大学へ入ってくれれば。息子もいつかそれで私に感謝するはず」と言う親さえい
る。こうした教育観が、子育てそのものまでゆがめる。

 そこでどうだろう。もしあなたが今、子どもの勉強のことでカリカリしているようなら、あなた自
身の負い目を疑ってみたら。何かあるはずである。この問題も、その負い目に気づくだけでよ
い、あとは少し時間がかかるが、それでその負い目から解放される。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【今週の幼児教室から】

 今週のテーマは、手作業。わかりやすく言えば、脳の中でも、運動野に属する部分の学習。
(少し大げさかな?)

 たとえば(かかし)を、何十個も、描かせてみる。(大きさは、数センチ四方のワクの中に描か
れたかかし。)

 そのとき学習能力の高い子どもは、数個描いただけで、描き順を定型化し、能率よく描きつ
づける。そうでない子どもは、いつまでもその描き順が乱れる。

 また全体をながめて、つぎのように判断する。

 筆圧や形、大きさが、ある一定のリズムで乱れるのは、むしろ正常なことと判断される。しか
しそれが不規則に乱れるようであれば、それだけ気分的なムラのはげしい子どもとみる。

 ……などなど。こうした判断については、その場で、参観している親に説明した。

 そのあと、みんなで、アイロンビーズで遊んだ。「お母さんにすてきなプレゼントを作ってあげ
ようね」と。自分以外の人を喜ばすことを教える。言うまでもなく、やさしい人というのは、それが
自然な形でできる人のことをいう。

 アイロンがけは、もちろん私がした。で、子どもたちは基盤の上に並べたアイロンビーズをも
ってきたが、一人、私の不注意で、こわしてしまった子どもがいる。本当は怒って泣き叫びたか
ったのだろうが、がまんした。気持ちは、よくわかった。私は何度もあやまり、いっしょに、並べ
なおしてやった。
(030918)

+++++++++++++++++++++

やさしい人について、以前、こんな原稿を
書いたので、転載します。
(中日新聞発表済み)

+++++++++++++++++++++

●指示は具体的に

 具体性のない指示には、意味がない。たとえば「友だちと仲よくするのですよ」「先生の話をよ
く聞くのですよ」と言うのは、それを言う側の、気休め程度の意味しかない。「交通事故に気を
つけるのですよ」と言うのも、そうだ。そういうときは、こう言う。

友だちと仲よくしてほしかったら、「この○○を、A君にもっていってあげてね。きっとA君は喜ぶ
わ」と。先生の話をよく聞いてほしかったら、「今日、学校から帰ってきたら、先生がどんな話を
したか、あとで話してね」と言うなど。

交通事故については、一度、事故の様子を演技してみせるとよい。(自動車が走ってくる)→
(子どもが飛び出す)→(自動車が子どもをはねる)→(子どもがもがき苦しむ)と。迫真の演技
であればあるほど、よい。気の弱い子どもだと泣き出してしまうかもしれないが、子どもの命を
守るためだと思い、決して手を抜かないこと。茶化さないこと。こんな子どもがいた。

 その子どもは、母親が何度注意しても、近くの小川で遊んでいた。そこである日母親が、トイ
レの排水がどこをどう通って、その小川にどう流れていくかを、歩きながら順に追って見せた。
以後、その子どもは、その小川で遊ばなくなった。要するに子どもに与える指示には、具体性
をもたせろということ。この方法は、次のようにも応用できる。

 たとえば自尊心。「自分を大切にしなさい」と言っても、やはり意味がない。そういうときは、
「名前を大切にしようね」と教える。さらに具体的には、新聞でも雑誌でも、子どもの名前の出
ているものは、最大限尊重する。切りぬいて、高いところに張りつけたり、アルバムにしまった
りする。皆の前で、ほめるのもよい。そしてそのつど、「あなたの名前はいい名前だ」「すばらし
い名前だ」と言う。子どもは自分の名前を大切にすることによって、自分自身を大切にすること
を学ぶ。それが自尊心につながる。

 たとえばやさしさ。「人に親切にしようね」と言っても、やはり意味がない。そういうときは、そ
のつど、「こうするとパパが喜ぶよね」「これを分けてあげると、○○(妹)が喜ぶわね」と、相手
を喜ばすことを教える。また結局はそれが自分にとっても、楽しいことであることを教える。やさ
しい人というのは、それが自然な形でできる人のことをいう。

 たとえば命の尊さ。「命を大切にしようね」と言っても、やはり意味がない。子どもに命の尊さ
を教えようとするなら、どんな生きものであれ、その「死」をていねいに弔うこと。子ども自身が、
さみしさや悲しみを味わうようにしむける。

たとえばあなたのペットが死んだとする。そのときあなたがその死骸を、紙袋か何かに包んで、
ポイと捨てるようなことをすると、あなたの子どもは「命」というのは、そういうものだと思うように
なる。そして命、さらには生きていることそのものを、粗末にするようになる。どんな宗教でも、
死をていねいに弔う。それは死を弔いながら、その反射的効果として、生きていることを再確
認するためではないか。

そういうことも考えながら、死はどこまでも厳粛に。なお死への恐怖心(地獄論やバチ論など)
をもたせて、命の尊さを教える人もいるが、これは教育の世界では邪道。幼児や年少の子ども
には、決してしてはならない。

++++++++++++++++++++++

もう一つ、以前、書いた原稿を
再掲載します。

+++++++++++++++++++++

●利己と利他

 自分への利益誘導を、「利己」という。他人への利益誘導を、「利他」という。一見、正反対に
見える人間の反応だが、方向性が、違うだけ。「根」は、同じ。利益誘導が自分に向かえば、利
己。他人に向かえば、利他。ここまでは常識だが、しかし、利己は利己のままだが、利他は、
結局は、利己にかえってくる。

 子どもは、成長過程において、乳児期の段階では、利己的な行動パターンが中心。自分へ
の利益を求めて、泣いたり、ぐずったりする。しかしやがて幼児期に入ると、他人を喜ばすこと
を覚え、そしてそれが結局は、自分にとっても、楽しいことであることを学ぶ。たとえばよく、幼
い子どもが、何か新しいことができるようになったとき、母親に向かって、「見て、見て、お母さ
ん、できるようになった!」と言ってくることがある。はじめて自転車に乗れるようになったとき。
はじめて文字が読めるようになったとき、など。

 これは(新しいことができる)→(母親が喜んでくれる)→(母親が喜んでくれれば、自分もうれ
しい)という心理作用による。子どもは、母親を喜ばすこと(=利他)によって、自分を満足させ
ている(=利己)のが、わかる。しかしこの段階で、もし子どもにとって、喜んでくれる人がいな
ければ、子どもは、利己を利他に結びつけることができないことになる。つまり利己の世界だけ
で、自分を満足させることになってしまう。

 ところで人間の美しさは、いかに利他的に生きるかで決まる。他人をいたわり、他人を思い
やり、他人に同情する。そういう自分を離れた行為のハバが広ければ広いほど、その人の生
き方も、充実してくる。神の世界でいう愛、仏の世界でいう慈悲も、その延長線上にある。

 一方、利己的であればあるほど、その人の生きザマは見苦しくなる。どう見苦しいかは、今さ
ら、ここに書くまでもない。が、見苦しいだけではない。その人自身も、孤独の世界で、悶絶す
ることになる。自分を理解してくれる人がいない。自分を喜んでくれる人がいない。さらには自
分を愛してくれる人がいない。それはまさに「無間地獄」そのものということになる。

 で、教育の世界では、子どもたちを、いかにして利他的にするかが、たいへん重要なテーマと
なる。当然のことながら、利他的な人がふえればふえるほど、私たちの住む、この世界は、住
みやすくなる。まわりの人だけではない。その人自身にとっても、住みやすくなる。

 そこで最初の話にもどる。利他的な子どもにするには、どうしたらよいかだが、実は、そのカ
ギを握るのは、母親ということになる。子どもの側から見て、自分の成長を喜んでくれる人がい
てはじめて、子どもはそこで、利己を、利他に転換することができる。園や学校の教師でも、母
親の代用をすることはできるのだろうが、その時期、つまり子どもが利己から利他への転換を
学ぶ時期は、もっと早い段階である。おそらく〇歳〜一、二歳までの時期ではないか。その時
期は、どうしても母親と子どもの関係が、主体となる。

 子どもがはじめて自分の足で立つ。そのとき、母親が(父親も)、喜ぶ。ほめる。子どもがはじ
めて、はう。そのとき、母親が(父親も)、喜ぶ。そういう母親の姿を見て、子どもは、利己を利
他に転換することができる。

 結論は、もうおわかりかと思う。子どもを、利他的な人間、つまり心のやさしい、人の心の痛
みのわかる子どもにしたかったら、方法は簡単。子どもの成長を、そのつど心底、喜んでみせ
る。そういう母親側からの働きかけ(ストローク)があってはじめて、子どもは、利己的な人間か
ら抜け出て、利他的な人間になることができる。

【追記(1)】
 乳幼児期に、自分の成長を喜んでくれる人が、周囲にいないというのは、その子どもにとって
も、きわめて不幸なことである。利己を利他に転換できないまま、(あるいはその技術を身につ
けないまま)、子どもは大きくなってしまう。

 そういう利己的な子どもがどうなるかは、ここに改めて書くまでもない。そこで今、私たちが周
囲の人たちを見回してみたとき、心の暖かい人もいれば、冷たい人もいる。あるいは話してい
ると、ほっとするような親しみを覚える人もいれば、表面的なつきあいしかできない人もいる。

 で、そういう人が、どのような心理状態が基本になっているかを観察してみるとよい。その一
つの方法が、利己的か、利他的かということ。当然のことながら、利己的な人ほど、年齢を重
ねれば重ねるほど、他人とのつきあいが希薄になる。利他的な人ほど、濃厚になる。(仕事や
商売などの、利害関係をともなう人間関係は、別。)

 さらにその人が、どのような乳幼児期をすごしたかを観察してみるとよい。親の愛情をたっぷ
りと受けて、心豊かな環境で育った人は、当然のことながら、利他的になる。しかし不幸にして
不幸な家庭に育った人ほど、利己的になる。さらに……。

 親自身が無意識のうちにも、子どもを利己的な人間にすることがある。たとえば子どもがせっ
かく文字らしきものを書いたにもかかわらず、「何よ? この字は! もっとじょうずに書けない
の! となりの○○君は、もうカタカナが書けるのよ!」と。親が子どもの成長を喜ぶどころか、
子どもの成長そのものを否定してしまう。そうなれば子どもの心が冷たくなって、当然。こういう
ことは、乳幼児期には、絶対に、あってはならない。

【追記(2)】
 こうして考えていくと、この問題も、結局は、私たち自身の問題であることに気づく。「では私
は、どうなのか?」と。

 私自身(はやし浩司)は、心の冷たい人間である。利己的であるか、利他的であるかというこ
とになれば、利己的な人間である。少なくとも、若いころは、ずっとそうだった。

 その原因は、やはり、私自身の乳幼児期にあるのだと思うが、記憶がないため、それはよく
わからない。ただそれほど冷たい人間ではなかったように思う。小学生五、六年生のとき、『フ
ランダースの犬』という本を読んだとき、読みながら、オイオイと泣いたのをよく覚えている。

 その私が、きわめて利己的な人間になったのは、あの受験勉強が原因だと思う。そのときは
それがわからなかったが、今、こうして自分の過去を振りかえってみると、それがよくわかる。
私は高校生のころ、ライバルの仲間が病気か何かで学校を休んだりすると、心のどこかで「よ
かった」と思ったのを覚えている。心のゆがんだ、何ともつまらない人間であったことが、こうい
う事実からもわかる。

 さて、このエッセーを読んでいる、あなた自身は、どうか?
(030422)

●子どもの成長は、そのつど、心底喜んでみせてあげよう。あなたの子どもは、心暖かく、やさ
しい子どもになる。
●子どもを、安易に、受験勉強や競争で追ってはいけない。あなたの子どもの心は、そのつ
ど、少しずつ破壊される。

【補足】

●あなたは利己型人間? それとも利他型人間?

つぎの項目のうち、丸が多いほうが、あなたの「型」ということになる。

( )いつも心のどこかで、損得の計算をしているようなところがある。損になることは、できるだ
け避けようとする傾向が強い。
( )他人の失敗や苦労を耳にしても、「自分はだいじょうぶ」とか、「あの人はバカだから」と、
割り切って考えることができる。
( )人にしてあげることより、してもらうことのほうが多い。してあげるときも、心のどこかでいつ
も見返りを期待する。それがないと、怒ったり、不愉快になったりする。
( )他人に心を許すということはしない。「渡る世間は鬼ばかり」というような考え方をすること
が多い。見知らぬ人には、とくに警戒する。
( )孤独を感ずることが多い。ときどき自分が死んでも、だれも悲しんでくれないだろうと思うと
きがある。【以上、利己型人間】

( )近所とのつきあい、自治会やPTAの仕事など、損得を忘れて行動できる。奉仕精神が旺
盛で、見返りなど、最初から期待していない。
( )よく「お人好し」と評されることがある。頼まれれば、何でも引き受けてしまう。そのため結
局は、あれこれと、いらぬ苦労することが多い。
( )他人が喜ぶ顔を見ると、うれしい。他人でも、かわいそうな人がいると、何とかしてあげた
いと思うことが多い。
( )何でも信じやすいほうで、よく人にだまされる。が、だまされても、自分が悪いと思って、あ
きらめることができる。
( )何かと、知人や友人から相談を受けることが多い。年齢とともに、仕事以外で知りあった
同年齢の友人が、ふえてきた。【以上、利他型人間】

  ‖                 
 :−−           ‖   
  ‖            :−− 
        ‖      ‖    テーマがあれば、どうかお寄せください。
       :−−           具体的に、相談内容を書いてくだされば
        ‖              うれしく思います。
【2】特集・引きこもり∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●イギリスのBBCが、日本の子どもたちの「引きこもり」を特集して、報道した。その資料が届
いたので、翻訳してみる。イギリス人のM・A氏が、イギリスから、インターネットで送ってくれ
た。

Japan: The Missing Million
(日本、失われた100万人)

By Phil Rees
(日本特派員)

Teenage boys in Japan's cities are turning into modern hermits - never leaving their rooms. 
Pressure from schools and an inability to talk to their families are suggested causes. Phil 
Rees visits the country to see what the "hikikomori" condition is all about. 

日本の都市部の10代の子どもたちが、今、世捨て人になりつつある。部屋から出ようともしな
い。学校からの圧力と、家族と会話ができないことが、その原因と考えられる。フィル・リ−ズ
が、「引きこもり」がどのようなものか、現地で取材してみた。


I knew him only as the boy in the kitchen. 
私は息子を、台所で見かけるだけです。
His mother, Yoshiko, wouldn't tell me his name, fearful that neighbours in this Tokyo suburb 
might discover her secret. 
彼の母親の、ヨシコは、彼の名前すら呼ぼうとしない。近所の人たちに自分の秘密を知られる
のを、恐れているためである。
Her son is 17 years old. Three years ago he was unhappy in school and began to play 
truant. 
彼女の17歳の息子は、3年前、学校でいやなことがあり、学校を怠けるようになった。
Then one day, he walked into the family's kitchen, shut the door and refused to leave. 
が、ある日、突然、彼は家の台所へやってきて、ドアを閉め、そこから出ることを拒んだ。

Families adjust 
家族の適応
Since then, he hasn't left the room or allowed anyone in. The family have since built a new 
kitchen - at first they had to cook on a makeshift stove or eat take away food. 
それ以来、彼は台所から出ようとせず、だれも、その中に入れなくなった。
それで家族は新しい台所を作った。
で、最初のころは、ほかの家族たちは、移動用コンロを使い、テイクアウェイの料理を買ってき
て食べた。
His mother takes meals to his door three times a day. 
子どもの母親が、一日に三度、ドアのところまで、食事を運んだ。
The toilet is adjacent to the kitchen, but he only baths once every six months. 
トイレは、台所の中につくった。しかし彼は6か月に一度しか、風呂に入らなかった。
Yoshiko showed me pictures of her son before his retreat into isolation; he was a plump, 
cheerful young teenager, with no symptoms of mental illness. 
ヨシコは、息子のそれ以前の写真を見せてくれた。その写真では、彼は明るく、ふっくらとした
少年だった。そうなる兆候は、まったく見られなかった。

Bullying tipped the balance 
いじめが、心のバランスを崩した
Then a classmate taunted him with anonymous hate letters and scrawled abusive graffiti 
about him in the schoolyard. 
そのとき彼のクラスメートが、匿名の手紙をわたし、彼をいじめた。そして学校の校庭で、彼を
誹謗する落書きを書いた。
The boy in the kitchen suffers from a social disorder known in Japan as hikikomori, which 
means to withdraw from society. 
その台所の少年は、「引きこもり」として知られる、社会(適応)障害を起こすようになった。つま
り、社会からの引きこもりを意味する。
One psychologist has described the condition as an "epidemic", which now claims more than 
a million sufferers in their late teens and twenties. 
一人の心理学者は、この状態を「流行」という言葉を使って説明している。そしてその流行によ
って、今、10代後半から20代にわたって、100万人の子どもたちが苦しんでいるという。
The trigger is usually an event at school, such as bullying, an exam failure or a broken 
romance. 
その引き金は、学校であったり、いじめであったり、試験の失敗や失恋であったりする。

Unique condition 
特殊な状態
Dr Henry Grubb, a psychologist from the University of Maryland in the United States, is 
preparing the first academic study to be published outside Japan. 
合衆国メリーランド大学の心理学者、ヘンリー・グラブ博士は、日本の外で、最初の学術的研
究を準備している。
He says that young people the world over fear school or suffer agoraphobia, but hikikomori 
is a specific condition that doesn't exist elsewhere. 
彼はつぎのように言っている。若い人たちは、学校を恐れたり、「広場恐怖症」になりがちなも
のだが、日本の「引きこもり」は、ほかの国には、ないものである。
"It's really hard to get a handle on this" he told me, "there's nothing like this in the West." 
「このタイプの子どもへの対処は、たいへんむずかしい。西洋社会には、こうした問題はない」
と彼は、述べている。
Dr Grubb is also surprised by the passive, softly approach followed by parents and 
counselors in Japan. 
グラブ博士は、また日本の親や、カウンセラーの、受動的かつソフトな対応ぶりに驚いている。
"If my child was inside that door and I didn't see him, I'd knock the door down and walk in. 
Simple. But in Japan, everybody says give it time, it's a phase or he'll grow out of it." 
「もし私の子どもが、部屋の中に閉じこもり、もし彼を見なかったとしたら、私はドアをノックし、
中に入るだろう。簡単なことだ。しかし日本では、時間をかけろ。段階がある。やがて子どもは
出てくるだろうと言う」と。
If children refuse to attend school, social workers or the courts rarely get involved. 
子どもが不登校を起こしても、ソーシアルワーカーや、裁判所が、介入することは、めったにな
い。
Most consider hikikomori a problem within the family, rather than a psychological illness. 
日本では、ほとんどの人は、引きこもりは、心理学的な病気というよりは、家族内部の問題と
考えるようだ。
Historical origins 
歴史的な背景
Japan's leading hikikomori psychiatrist, Dr Tamaki Saito, believes the cause of the problem 
lies within Japanese history and society. 
日本の引きこもりの心理学者である、サイトー・タマキ博士は、その原因は、日本の歴史と社
会にあると言う。
Traditional poetry and music often celebrate the nobility of solitude. 
伝統的な詩や音楽は、孤独の尊さをしばしば、めでる。
And until the mid-nineteenth century, Japan had cut itself off from the outside world for 
200 years. 
そして19世紀中ごろまでは、日本は、200年近くも、外の世界から遮断されていた。
More recently, Dr Saito points to the relationship between mothers and their sons. 
ごく最近、サイトー博士は、母と子どもの関係を指摘している。
Most hikikomori sufferers are male, often the eldest son. "In Japan, mothers and sons often 
have a symbiotic, co-dependent relationship. 
ほとんどの引きこもり児は、男の子である。とくに長男である。日本では、母と息子は、象徴的
な、つまりは相互依存の関係にある。
Mothers will care for their sons until they become 30 or 40 years old." 
母親は、息子が30、40歳になるまで、息子のめんどうをみる。
After a period of time - usually a matter of years - some re-enter society. 
そのあとは、それは年数の問題だが、その中のある子どもは、社会復帰をする。

The mystery remains 
謎は残る
Increasingly, clinics are opening, offering a half-way house for recovering sufferers. 
苦しんでいる人を治療するために、「半分ハウス」を提供するクリニックが、このところ、ふえて
いる。
Another sufferer, Tadashi, spent four years without leaving his home. 
タダシ君というもう一人の引きこもり児は。4年間、家から出なかった。
Two years ago, he sought help and now has a part time job making doughnuts. 
2年前、彼は助けを求め、今は、ドーナツをつくるパートタイムの仕事をしている。
Tadashi is slowly re-entering society. 
タダシ君は、少しずつ、社会復帰をしつつある。
He still fears meeting strangers and is petrified that neighbours will find out that he once 
suffered from the disorder. 
彼はまだ人に会うのを恐れている。そして彼は今、彼がその障害児であったことを、近所に知
られるのではないかと、恐れおののいている。
But what bothers him most is not understanding why he lost four years of his life. 
が、もっとも彼を当惑させているのは、なぜ彼が4年間を失ったかを理解できないところにあ
る。
"I want to know the reasons," he told me. "You could say it's related to Japanese 
traditions. 
「ぼくは、理由を知りたい。あなたはそれが日本の伝統に関係していると言うことができるかも
しれない」と、タダシ君は言う。
"I just don't know. I suppose people are still trying to find out what hikikomori is all about." 
「私は、ただわからないだけ。いったい引きこもりが何であるか、人々が、それを知ろうとしてい
るところだと思う」と。
 

【後記】
 
●引きこもりが、日本独特の現象であるとしても、日本の文化と関係があるというのは、どう
か? S・T博士は、「日本人は、孤独をめでる国民だから」と。ホント?

●引きこもる子どもで、長男が圧倒的に多いというのは、事実である。むしろ疑うべきは、乳幼
児期の母子の間で形成される、基本的信頼関係ではないのか。

●このレポートの中で、引きこもり児をもった親も、また引きこもり児自身も、世間体を気にして
いるのがわかる。日本の文化で問題点があるとするなら、むしろこちらのほうではないのか。こ
うした障害児をもつことを、日本人は「恥」ととらえる。おかしな社会風潮である。

●またグラブ博士は、「ドアをノックして、中に入る」と言うが、これはまったくの認識不足。そん
な問題ではないことは、一人でも引きこもり児を経験した研究者なら、すぐわかる。

●引きこもりは、対人障害の一つとして考えるべきである。その原因は、乳幼児期の母子関係
の不全にある。そしてそれを助長するものとして、息の抜けない家庭環境、家屋構造、ゆがん
だ受験社会、それから生まれる人間関係がある。さらにこうした心の病気に対する、社会の認
識の甘さもある。こうした問題が複合して、子どもの引きこもりが起こる。

(030917)

【子どもが引きこもったら……】

 あれこれするのは、かえって逆効果。引きこもりから立ちなおった子ども(青年)は、みな、異
口同音に、こう言う。「家族が無視してくれたときが、一番ありがたかった」と。

 「暖かい無視」という言葉がある。子どもの心の病気を暖かく包みながら、無視するのが一番
よい。

 なお、このBBCのレポートでは、親側の対処のまずさについては、一言も触れられていな
い。恐らく子どもが引きこもる過程において、はげしい親子騒動があったものと推察される。そ
の騒動が、症状を、こじらせる。

 親は、こうした自分自身の失敗を隠す傾向がある。あるいはその認識すらない。しかしこうし
た子どもの心の病気では、当初の親の対処の失敗が、症状を重くする。たとえば学校恐怖症
(不登校)にしても、第二期のパニック期で、親が無理をすると、症状は一挙に悪化する。

 引きこもりにしても、必ず、なおる。そのとき大切なのは、親がまず子どもを信ずること。親が
不安になればなるほど、子どもは、その不安を敏感に察知して、立ちなおる機会さえ、見失っ
てしまう。

 またこうした心の病気は、恥ずかしいことでも何でもない。世間体が大切か、子どもが大切か
と聞かれれば、子どもに決まっている。世間体など、クソ食らえ! 子どもや子どもの病気を隠
す必要はまったく、ない。こうしたケースでは、親自身が、まずおとなになること。

         ,ミヽ  ミヽ
         へ ミ ヽ へ ミヽ
        ∂  ミミ∂ へミミ
        ζ  っノι ∂ ミミ8彡
        ヒ___ノ 人v "丿彡'
    |)─○  / ヽ  `>−<
     // \\_/_∧ \_/_/ ヽ ≡=   賛助会にどうか、ご入会ください。
   ___//  \_/_ξ ̄ ̄ノ_ __)      現在、お礼に、イラスト(額つき)を
  / _ \  / ____ ̄フ _____ノ  ≡=−   送っています。
  // \ \ / /   ̄/ /   ̄)
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

思考の停止

 飼っているイヌを見ていると、いろいろなことを考えさせられる。

 二匹いる。一匹は、雑種。もう一匹は、ポインター種。利口なイヌだというが、たしかに頭はよ
い。一度散歩に連れていけば、そのままその道を、覚えてしまう。で、そのイヌを見ながら、ふ
と、こんなことを思った。

 そのイヌは、ここにも書いたように、利口である。人間にはない能力をもっている。しかし一
方、人間とは違う。その違いというのが、「思考能力」。

 思考というのは、つぎのようなとき、停止状態になる。

(1)ループ状態……同じことを、繰りかえし考える。考えながら、いつも同じところにもどってし
まう状態をいう。そしてまた同じように考え始める。考えが堂々巡りしてしまう。
(2)固執……ひとつのことにこだわり、そればかりにとらわれる状態をいう。悶々と悩むだけ
で、先に進まなくなる。袋小路に入ったときも、同じような状態になる。
(3)忘失……以前に考えたことを忘れてしまうこと。せっかく考えても、その考えた内容を忘れ
てしまうから、また同じことを考える。年をとると、その傾向が、全体として強くなる。よくあるの
は、一〇年とか、二〇年前に書いた原稿を読みなおしてみるようなとき。「何だ、一〇年前も同
じことを書いていたのではないか」と、驚くことがある。
(4)狭小化……考えても、どんどんと小さな世界に入ってしまう状態をいう。重箱の底をほじる
ような思考状態になることをいう。どうでもよいようなことばかり、考えるようになる。
(5)パターン化……ものの考え方を定型化してしまう状態をいう。よくあるのは、「子どもは親
のうしろ姿を見て育つ」などというように、ものの考え方を教条化してしまうこと。一度パターン
化すると、それから抜け出るのは、容易ではない。
(6)退化……部分的に、思考能力が退化するということがある。たとえば以前書いた原稿のほ
うが、すぐれていると感ずることは、よくある。脳の老化とも関係があるのかもしれない。

 イヌは利口だが、ものを考えても、恐らく、ループ状態に入ってしまうのではないかと思われ
る。同じことだけを、毎日、同じように考えている。だから進歩しない。だからイヌはいつまでも、
イヌのまま?

 そこで私たち人間は、どうあるべきかということになる。この中で、とくにこわいのは、ループ
状態。人間は、ある程度まで思考すると、そこでループ状態に入る。同じことを、同じように考
え、またいつしか振り出しにもどる。そしてそこから考え始めて、また同じことと、同じように考え
る。

 こうしたループ状態に入ると、どんどん思考能力が落ち、やがて、思考そのものが硬直化し
てしまう。がんこになることもある。

 私はこのことを、ある知人と話していて気がついた。

 ほぼ二〇年ぶりに会ったときのこと。話しがはずんだが、私はあることに気づいた。彼が話
すことは、すべて以前、聞いたような内容ばかりなのである。もっともこういうことは、よくある。

 同じような状況で、同じ人に会うと、同じ話になる。それはあるが、私はその知人が、二〇年
前で、思考を停止しているのに気づいた。つまりその知人は、この二〇年間、思考をただルー
プさせていただけ?

 人間がなぜ、人間であるかといえば、思考するからである。もし思考しなかったら、イヌと同じ
(失礼!)ということになる。たいていの人は、「私はイヌとは違う」と思うかもしれないが、思考
が停止した状態では、ひょっとしたら、人間は、イヌ以下ということになってしまうかもしれない
(失礼!)。

 そこで私たちは思考するとき、思考すると同時に、先の五つの状態を避けなければならな
い。

 とくにこわいのが、思考のループである。同じようなことを、同じようなパターンで、繰りかえし
考える……。たとえば朝、起きる。日常生活が始まると、人間は、同じように考え始める。内容
ではない。そのパターンである。

 たとえば新聞を見ながら、「へえ、こんな事件が起きた!」と驚いてみせる。翌日も、同じよう
に、「へえ、こんなことがあった!」と驚いてみせる。そしてその翌日も、「これはひどい交通事
故だ!」と驚いてみせる。

 驚く内容はさまざまでも、(新聞を見て驚く)という行為は、一定のパターンで繰りかえしている
のがわかる。つまり思考が、ループ状態に入っていることを示す。

 このループ状態から抜け出るためには、自分自身を新しい環境に置くか、あるいは新しい刺
激を与えなければならない。恩師のT教授は、こう言った。「上の人と、もっとつきあいなさい」
と。「上」というのは、(それなりに業績を残した人)という意味だそうだ。

 そういう人と接しているだけで、よい刺激になる、と。

 が、何よりも大切なのは、問題意識。そして考える習慣である。この二つがないと、いくら刺
激を与えても意味がない。私は、そのことを子どもたちを教えていて、気づいた。たとえば同じ
テーマを与えても、それについて食いついてくる子どもと、そうでない子どもがいる。

 その違いはといえば、能力というよりも、(1)問題意識と、(2)考える習慣である。いつも何か
の問題意識をもっている子どもは、食いついてくる。そうでない子どもは、そうでない。そうした
生活態度が、習慣として身についているかいなか、である。

 ただイヌにも、その問題意識と、考える習慣というのは、あるように思う。先のポインター種の
イヌは、いつも庭の中で、探検をしている。虫を追いかけたり、つかまえたりしている。そんなと
き、瞬間だが、人間の哲学者のような表情を見せることもある。

 が、そうした思考を、言葉として論理化できない? だからその時点で、ループ状態に入って
しまう? だからイヌは、いつまでもイヌのままということになる。

 こんな素人ぽい結論を出すと、その道の専門家の方に笑われそうだが、今は、一応、こうし
た結論を出しておく。つぎに私がすべきことは、図書館で、調べること。こうした問題意識を、こ
の程度もてば、図書館で本を読んでも、スーッと頭の中に入ってくるはずだ。幸運にも、私に
は、その考える習慣が身についている。(……と、思う。)
(030917)

【追記】
 人間の思考力をコントロールしているのが、脳の辺縁系の中にある、帯状回という組織だそ
うだ(伊藤正男氏)。

 「同じ考えるにしても、乗り気で考えているときと、いやいや考えているときでは、おのずと差
が出てくる。結果がよければ、ますますやる気が出てくる。これをコントロールしているのが、帯
状回である」(新井康允氏「脳のしくみ」日本実業出版社)と。

 もちろん思考機能をもつのは、大脳皮質の連合野。しかもその中でも、新皮質が重要な働き
をしていると考えられている。しかし新皮質の働きだけでは、思考ができるわけではない。それ
をコントロールしているのが、帯状回というわけである。

 人間では、この新・新皮質部が、ほかの動物にくらべて著しく進化している。またそれがほか
の動物と人間を区別していると、考えられている。

 ついでに頭のよしあしは、脳のヒダ(大脳溝)で決まるという説もある。しかしヒダということに
なると、クジラやイルカのほうが、はるかに多い。そこでさらに調べてみると、そのカギを握るの
が、神経細胞の並び方であることがわかる。

 人間の大脳皮質の神経細胞は、整然と並んでいる。しかしクジラやイルカは、人間のそれとく
らべて不規則で、整然としていない。どうやら、そのあたりに、人間の脳の特徴があるようであ
る。

 ただだからといって、クジラやイルカの脳が、人間の脳より劣っていると考えるのは、まちが
いである。「クジラやイルカには、未知の力があるかもしれない」(新井康允氏)とのこと。


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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

性欲は、自然

 あからさまに「性」について語ることに、日本人は、大きな抵抗を感ずる。たいていの人は、そ
れを恥ずかしいことと考える。

 しかし性について語ることは、恥ずかしいことでも、何でもない。ごく自然な行為である。卑猥
(ひわい)なことを考えれば、男は勃起する。女は湿潤する。しかしこれは、ごく自然な、人体の
反応である。それは食物を口に含んだとき、唾液が出るのと同じである。

 だから男も、女も、もっと堂々と、性について語ればよい。遠慮することはない。がまんするこ
とはない。もし知りあいの男女が、たがいに、性について語りあうことができれば、そんなすば
らしいことはない。

男「あなたの性感帯はどこですか?」
女「私は、首すじですわ」
男「首ですか? うちのワイフなんか、やはりクリトリスだと言いますよ」
女「そうね。最終的には、そこかしら……」
男「ところで、お宅は、週に何度ほど?」
女「うちは、少ないわ。週に一、二度ということかしら」
男「それは少ない。あなたの若さなら、毎晩でもおかしくない」と。

 やがてそういう時代がくるのだろう。今では、小学生ですら、フェラチオとか、クリニングスと
か、そういう言葉を知っている。おとなの世界でも、スワッピングパーティや、乱交、ハプニング
バーなどが、大盛況である。ホームページの中には、ごくふつうの家庭の主婦たちがつくってい
る交際クラブさえある。「性」そのものが、解放されつつあるとみてよい。

 人体は、さまざまな快感を覚えるが、セックスで得る快感ほど、すばらしいものはない。その
瞬間、脳の中が、モルヒネ様の物質で満たされる。こうした快感が、なぜ悪なのか。なぜそれ
を隠さねばならないのか。

 私も実は、このところ、性についての考え方を、大きく変えつつある。私たちの世代は、あまり
にも抑圧されすぎた。セックスはもちろんのこと、それについて語ることさえ、許されなかった。
「オナニーは、悪」などと、オナニー罪悪論さえあった。

 しかし私たちは、もう一度、原点に立ちかえって、考えなおしてみる必要がある。たとえば不
倫(浮気)がある。その不倫にしても、夫婦だから、不倫をしてはいけないとか、不倫をしたか
ら、夫婦関係にヒビが入るとか、そういうふうに考えること自体、おかしい。

 どうしてセックスだけを、ほかのもろもろの行為と切り離して考えるのか。もちろんセックスに
は、濃密な肉体の接触がある。その結果として、女性は妊娠する。だからだれとでも、というわ
けにはいかない。しかし理づめで考えていくと、セックスを特別視することには、つぎつぎと矛盾
が生じてくる。

 だからといって、自由気ままにセックスをしろと言っているのではない。実は、この問題には、
もっと重大な問題が隠されている。

 私たちの「魂」には、無数のクサリがからんでいる。いくら「自由だ」と叫んでも、それはまさに
「しくまれた自由」(尾崎豊「卒業」)でしかない。

 そのクサリの象徴が、実は、「性の問題」ということになる。つまり性の問題には、日本人が、
何百年もかけて、つくりあげてきた、文化というクサリがまきついている。その性の問題を解決
するということは、そのまま魂の解放ということにつながる。

 セックスの嫌いな人はいない。スケベな話が嫌いな人はいない。だったら、みな、もっと堂々
と、セックスについて語ったらよいのではないか。何とも教育マガジンらしからぬエッセーになっ
てしまったが、だからこそ、よけいに、この問題について書いてみたかった。
(030917)

【追記】
 この問題と、ハレンチ文化の問題は、別である。大切なことは、性を精神文化として、高める
こと。たとえば食欲を満たすための料理が、ただの(空腹を満たすための料理)から、(食文化
を高めるための料理)に、昇華したように、性もまた、昇華すべきだということ。

 方法と手段は、これから先、いろいろ考えられるのだろうが、その第一歩として、みなが、もっ
と、性についてオープンに議論すればよいのではないかと思っている。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【近況アラカルト】

●オーストラリアの友人に、毎週、鉄道模型を送っている。彼は、大の鉄道マニア。昔、「君は
マニア(マニアック)だ」と言ったら、「ぼくは、マニアではない。エンシュージアスト(熱心なファ
ン)」だと怒った。「マニア」には、「狂った」というニュアンスが含まれる。

その模型が、今週は届かなかったという。で、調べてみたら、郵便局の女性が、渡してくれるの
を忘れていたという。日本では考えられない事故なので、驚いた。しかし何とものどかな郵便局
ではないか。オーストラリアの郵便局には、まだそういう牧歌的なぬくもりがある? それがよ
いことか悪いことかという議論は、さておいて……。

●三男が、四人、友人を連れてきた。今、(この文章を書いている朝)、部屋でまだ眠ってい
る。浜松周辺を、案内して回っているらしい。昨日は、砂丘へみんなで行ったらしい。きのう、夕
食をどうしようかとワイフが相談してきたので、小遣いだけを三男に渡した。「これで好きなもの
を食べてこい」と。

親は、いつまで子どもたちのめんどうをみなければならないのか。いつか老後は、めんどうを
みてもらわねばならないという負い目を感ずる人ほど、子どものめんどうを、みつづける。しか
し「私は私」と考える親ほど、子どものめんどうはみない。つまりこの問題は、親の自立心と深く
からんでいる。三男に小遣いを渡すとき、そんなことを、ふと考えた。

●私は、何か、新製品(電子製品)をいじっていないと、気が休まらない。これは私のビョーキ。
機能がごちゃごちゃとついている新製品ほど、よい。数日前は、デジカメを買ったが、新鮮さ
は、なし。あっという間に、あきてしまった。

今、ほしいのは、電子手帳。それに新しいパソコン。Office2003にも、たいへん興味がある。
最近、発売になった。しかしこういったものは、頭のボケ防止には、たいへんよい。勝手にそう
思い、そのつど、ワイフにお金を出させている。

●今のK国を見ていると、洗脳教育の恐ろしさを、つくずくと、思い知らされる。しかしそれと同
じようなことが、子どもの世界でも起きている。五年ほど前に起きた、ポケモンブームがそれ。
日本中の子どもたちが、ポケモンに狂った。

で、自分を振りかえりながら、「私はだいじょうぶか?」と、問いなおしてみる。「私は私か?」
「私は洗脳されていないか?」と。

こうした洗脳を防ぐためには、つまり、私が私であるためには、常に常識をみがくこと。音楽を
聞いたり、本を読んだり、テレビを見たり、人と話したりして、常識をみがくこと。それが停滞し
たとたん、常識は、常識でなくなってしまう。

それにしても、おかしな人たちが、多い。最近では、電磁波攻撃を避けるためとか何とか称し
て、あたりかまわず、「白」でおおっている人たちがいる。それなりの分別もありそうな人たちが
そうしているから、恐ろしい。ああいう人たちを見ていると、人間の脳が本来的にもつ欠陥を思
い知らされる。……と、同時に、自分の脳の欠陥を思い知らされる。さて、私はだいじょうぶ
か、と。

●常識をみがくためには、ごく常識的な生活をすればよい。ごくふつうの生活というか、ごく自
然な生活をすればよい。奇をてらったような修行や訓練など、しても意味がない。また、そうい
うものはしてはいけない。それがわからなければ、野に出て、自然の草木や動物、虫たちを見
ればよい。私たち人間も、彼らと同じようにして、過去数十万年という長い年月を生き延びてき
た。

人間が求めてやまない真理などというものは、そんなに遠くにあるものではない。あなたのすぐ
そばにあって、あなたに見つけてもらうのを、息をひそめて静かに待っている。

●今、ワイフが新聞を読みながら、「六万九〇〇〇円のパソコンだってエ!」と。見ると、D社の
パソコンだ。アメリカの学校では、ほとんどがD社のパソコンを使っている。しかしそれにして
も、液晶モニター付で、七万円以下とは! しばし全面広告に目を奪われる。

スペック(性能)も悪くない。家庭で、ふつうに使うなら、まったく問題はない。しかしこういうコマ
ーシャルを見るたびに、ふと「日本はだいじょうぶか?」と考えてしまう。日本製のパソコンは、
機能が多い。多い分だけ、値段が高い。S社のように、安いパソコンを出しているところも、あ
るにはあるが……。しかし七万円とは!

同時に、F社から、何とこれまた七〇〇万画素(有効画素数六二〇万)のデジタルカメラが売り
に出された。「写真発想」だという。ただただ「すごい!」の一言。この世界は、いったい、どこま
で進むのか? こちらのほうも、全面広告を使って、それを宣伝していた(Y新聞)。

●涼しくなった。朝夕は、日本中が、エアコンに包まれたような、ここちよい冷気に包まれる。気
持ちよい。すがすがしい。本格的な秋、到来というところか。私の誕生日も近い。私も、いよい
よ満五六歳になる。六〇歳までに、あと四年。がんばるぞ!

●おととい、近くのインド料理店へ行ったら、若い女性たちが、五、六人で食事をしていた。驚
いたのは、全員タバコを吸いながら、食事をしていたこと。あとでマスター(パキスタン人)に、
「奇形出産のほとんどの原因は、タバコと言われているんですよ」と話すと、「パキスタンでは考
えられない」と笑っていた。

はっきりとした数字は出てこないが、今、その奇形出産がふえている。二〇人に一人という説
もある。「流産」とか、別の名前で処理されると聞いている。それにしても、愚かな若者たちだ。
ムダな税金を払い、自ら病気を買っているようなもの。自分だけではなく、未来の子どもたちの
病気まで買っている。そして自分は、早死にする。タバコ一本吸うと、八分間、寿命が短くなる
という説もある。
(030918)

++++++++++++++++

【おまけ】


それでも あなたは タバコを すいますか?

たばこは ふくや かみのけを よごします。
たばこは ろうかを はやめ、 はや いえを ちゃいろにします。
かじの げんいんの ほとんどは たばこの ひの ふしまつに よるものです。
一にち 一はこの タバコをすうと、一ねんで 一リットルの タールが
からだの なかに はいります。
タバコを 一ぽんすうと、 八ふんかん じゅみょうが みじかくなります。
ふつうの がんは 一五ねんから 二〇ねんで おおきくなりますが、
タバコが げんいんの がんは、 三ねんで おおきくなり、 そのうち
五六パーセントの ひとが 三ねんいないに しにます。
そのほか タバコは りゅうざんや、 そうざんや、 
きけいじの げんいんにも なります。
あなたは それでも タバコを すいますか?
(B・マクビーン著、「ヘルス・ブック」より)


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■■■■■■■■■| |■■■   お知り合いの方で、このマガジンが
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ● | ̄ ̄ ̄    役立ちそうな方がいらっしゃれば、
                 このマガジンのことを、話していただけませんか。
                      よろしく、お願いします。  
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
11・18 ……三重県紀伊長島町(紀伊長島町PTA連絡協議会)
11・ 8 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・23 ……奥山小学校
10・18 ……天竜中学校区健全育成会(天竜中、中ノ島小、和田東小、和田小合同)
10・13 ……浜松市上島にて(ママアンドパパス・保育所開園式)
10・11 ……浜北市・内野小学校
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞










件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■孝行論(2)

【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

スズメの放し飼い

 拾ってきたスズメの子を育てる。ここまではよくある話である。しかしそのあと、そのスズメを
放し飼いにする人は少ない。

 しかしこんな人がいる。

 その人は、スズメを拾ってきて、育てた。ある程度、大きくなったところで、外に放した。その
ほうが、スズメにとってはよいと考えた。が、そのあとそのスズメは、毎日、エサを食べるため
に、その人の家に戻ってくるという(Y新聞、投書)。

 ……この話を聞いて、私は、新鮮な驚きを感じた。

 私も、私の友人も、よく子どものころ、スズメの子を拾ってきて、育てた。しかしそのとき、外の
世界へ放してしまう、というところまでは考えなかった。「放し飼い」といっても、人間によく慣れ
させたあと、ぜいぜい部屋の中で放し飼いにする程度である。

 しかしこの違いは、基本的な子育て観の違いといってもよい。

 スズメの子を拾ってきて育てる。そのとき、スズメの子を育てながらも、その自由には制限を
つける。無意識のうちに、そうする。「育ててやる。しかし逃げていくことは許さない」と。

 こうした子育て観は、日本人独特のものと考えてよい。そしてそれが、たとえば子どもの育て
方にも現れてくる。

 今、親たちは、子どもを育てている。しかし外の世界にまで「放し飼い」を許す親は少ない。大
半の親たちは、反対に、外の世界へ逃げてゆかないようにする。意識的な行為というよりは、
無意識のうちに、そうする。長い間の伝統の中で、日本人は、そうしてきた。そういう子育てを、
ほとんど考えることなしに、繰りかえしてきた。

 たとえば「子どもをかわいがる」という言い方がある。このとき親は、自分の子どもを、「かわ
いい子ども」に育てることを、目標にする。そして親にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい
子イコール、よい子とする。

 反対に親を親とも思わない子どもを、生意気な子とする。そういう子どものことを、私が生ま
れ育った岐阜のほうでは、「きつい子」、あるいは「鬼の子」とも言う。こんな例がある。

 K君は、岐阜市から車で、一時間半ほどの距離の田舎町に住んでいた。が、中学を卒業す
ると、岐阜市内の高校に通うことを希望した。学力もあった。そういうK君に喜びながらも、それ
に猛反対したのが、実はK君の母親だった。K君の母親は、あの手、この手をつかって、K君
が自分の手元を離れることを阻止しようとした。

 母親はまず、中学の先生のところに話しにいった。そして何とか、岐阜へ行くのを思いとどま
るよう説得してほしいと頼んだ。つぎに、K君の通っていた塾の先生にも、それを頼んだ。岐阜
市にいる叔父(母親の兄)にも、それを頼んだ。しかしK君の前では、何も言わなかった。母親
は、K君に嫌われるのを避けたかったようだ。

 今でこそ、こういう例は少なくなった。が、ないとは言えない。子どもは育てる。しかし最終的
には、自分のもとを離れることを許さない、と。

 この違いが、冒頭のスズメの話である。

 これはあくまでも仮定の話だが、あなたはどちらのタイプに近いだろうか。あなたがスズメの
子を拾ってきて、育て始めたときのことを想定してみてほしい。(もちろんあなたが小鳥が好き
という前提での話である。)

(依存型ママ)拾ってきたスズメを育ててやる。しかし育ててやるのは、私。自分が「かわいい」
と思う間は、外に放してやらない。あくまでも部屋の中で、あるいはカゴの中で育てる。そのほう
がスズメにとっても、安全と考える。勝手に逃げていくことを許さない。

(非依存型ママ)「かわいい」と思っても、やはり野生のスズメは、外の世界に放してやるのが一
番。さみしいと思うが、外に放してやる。育ててやったというような、恩は着せない。スズメにとっ
ては、きびしい世界かもしれないが、それが本来、あるべき姿だと思う。

 私も子どものころ、こんな経験がある。

 何かの映画だったと思うが、野生のライオンの子を育てた人の映画だった。その人はそのラ
イオンがある程度大きくなったところで、そのライオンを野生に帰すための努力を始める。その
映画を見ていたときのこと。私は、こう思った。

 「もったいない」と。「せっかく育ててやったのだから、自分でペットとして飼えばいい」とも。

 実のところ、そう思ったということは、私自身が依存型の子育てを、無意識のうちにも、容認し
ていたことになる。しかしそれは、私自身がそう思ったというよりは、日本がもつ大きな流れの
中で、そういう意識をつくられたといったほうが正しい。私の父も母も、親戚の人たちも、そして
地域の人たちも、みな、そういう考え方をしていた。……今も、している?

 だから私はその投書を読んだとき、新鮮な驚きを感じた。

私「育てたスズメを、外の世界に放してやるという発想は、ぼくの子ども時代には、なかった」
ワイフ「私は、小鳥を飼わなかったから……」
私「手なづけて、ペットとして飼うということは、考えた」
ワ「あくまでもペットね」
私「そう。日本人は、子どもを育てながら、どこかでペットを育てるようなところがある。一人の
人間として自立させるというよりは、自分のそばに置いて、かわいがるというようにね」
ワ「あくまでも自分のためね」
私「そう。子どものためではない。自分のため。ここに日本人が全体としてかかえる、精神的未
熟性がある」と。
 
(030920)

【追記】
いつか子どもは、あなたから去っていく。そのとき、あなたはどこまで無我の境地になれるだろ
うか。ある父親は、息子にむかって、ことあるごとに、こう言うという。「お前には、三〇〇〇万
円も、かけたからな」と。つまり「学費など、三〇〇〇万円もかかった」と。

 その父親は息子にそう言いながら、「だから何とかせよ」と迫っている。その息子氏は、私に
こう言った。「あれくらい、いやな言葉はない。それを言われるたびに、かえって親への感謝の
気持ちが、吹っ飛んでしまう」と。

 しかし父親がそう言うということは、そもそも父親の息子に対する愛情を疑ってみたほうがよ
い。何か、大きなわだかまりがあるのかもしれない。

親が子どもに対して犠牲的になるのはしかたないとしても、それを子どもに押しつけてはいけな
い。いわんや恩の押し売りをしてはいけない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

不幸な子育て

 不幸にして不幸な環境で子育てを始めた人ほど、子育てそのものに恩を着せやすい。「産ん
でやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」と。そうでも思わなければ、やりきれないか
らである。

 あなたの周囲にも、そういう人がいるはず。で、そういう人を静かに観察してみるとよい。まち
がいなく、ここでいう(不幸な子育てをした人)だとわかるはず。

 実際、子育てをしながら、「私の時間が犠牲になる」「したいことができない」「子どもがじゃま」
と考える人ほど、その一方で、「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」という
言葉を口にする。一見、犠牲的精神のある、すばらしい親に見えるが、その実、そうでない。

 子育ては、楽しむもの。楽しめばよい。あとのことは考えない。見返りも求めない。ただそのと
きを楽しめばよい。そしていつか子育てが終わったら、こう言う。

 「あなたのおかげで、私は人生を楽しむことができたわ。ありがとう」と。

 このタイプの人は、望んで結婚し、望んで子どもをもうけている。だから子育てがいつも前向
き。子どもが巣立ったあとも、その満足感を楽しむことができる。

 そこであなた自身はどうだろうか。日々に子どもの成長を喜び、子どもから与えられる生きる
喜びを感じているだろうか。もし、そうなら、それでよし。

 それとも子育てを負担に思い、日々に不平、不満を感じ、子育てから解放されたいと願って
いるだろうか。もしそうなら、いつかあなたの犠牲的精神(?)、献身的子育て(?)が、あなた
の子ども観をゆがめることになるので、注意する。昔は、こうした子育て観を美徳と考えたが、
今は、そういう時代ではない。また、そうであってはならない。

 英語国には、「無条件の愛」という言葉がある。子育ては無条件で始めて、無条件で終わる。
それが子育ての、一貫した、大原則である。ある女性(I・Tさん、八五歳)は、私に会うといつ
も、口ぐせのように、決まってこう言う。

 「林さん。子どもなんて、育てるもんじゃ、ないですよねえ。一人息子は、あれだけかわいがっ
てやったのに、横浜の嫁に取られてしまいました。親なんて、さみしいもんですわ」と。

 あなたなら、この女性の言っていることのおかしさが、理解できるはずである。
(030918)

【もし、あなたが……】

 もしあなたの子育てが、どこかうしろ向きなら、自分の中に潜むわだかまりをさぐってみるとよ
い。自分自身の幼児期のわだかまり、結婚時のわだかまり、出産時のわだかまり、など。

 この問題は、そのわだかまりが何であるかがわかっただけでも、その問題のほとんどが、解
決したとみる。いや、すぐには解決されないが、あとは、時間が解決してくれる。もし今のあなた
が、つぎのようであれば、一度、冷静に、自分の過去をのぞいてみるとよい。

●子育てをしていると、いつも重い負担感を覚える。
●思うようにならないと、すぐ子どもに八つ当たりをしてしまう。
●子どものおかげで、自分の人生が台なしになったように感ずることがある。
●子育てがわずらしくてならないときがある。
●親として、子どもに「してあげているという気分」が、いつもついて回る。
●親は、子どものために犠牲になるべき存在だと思う。
●子育てを何もしてくれない夫(妻)に、いつも不満を覚える。
●子どものささいな失敗が気になってしかたない。
●保育園(幼稚園)や学校へ、子どものために行くのが苦痛。
●心配先行型、不安先行型の子育てをしているよう。
●子どもに対する根強い、不信感がある。
(以上、I・Tさんと話していて、感じたことより)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

忠誠心

 相手に合わせて、すぐ自分を作ってしまう。へつらう。媚(こび)を売る。迎合する。歓心を買
う。

 だから自分がどこにいるか、わからなくなる。が、それだけではない。このタイプの人は、外
の世界では、仮面をかぶる。よい人ぶる。善人ぶる。自分をさらけ出せない。だから疲れる。

 ところで子どもの世界には、「愛想」という言葉がある。その愛想のよい子どもは、一見、人な
つこく、できのよい子どもに見える。しかし子ども自身にとって、それがよいことなのかとなると、
疑問が残る。

 ふつう、豊かな愛情に恵まれ、しっかりとした両親のもとで育てられた子どもは、どっしりとし
た安定感がある。態度も大きい。つまりその分だけ、愛想が悪い。何かを話しかけても、「何
だ!」というような態度をとる。

 そこで出てくる言葉が、忠誠心である。

 この忠誠心という言葉には、二つの意味がある。一つは、他人に対する忠誠心。もう一つ
は、自分自身に対する忠誠心。

 約束を守る、規則を守る、信義を守るというのが、他人への忠誠心。これについては、日本
人なら、だれでも知っている。

 一方、自分に対する忠誠心というのがある。たとえばこんな状況を考えてみよう。

 仲間から、何か、悪の誘いを受けたとする。そのときあなたは、(仲間の中でよく思われたい)
という思いと、(悪いことはしたくない)という思いの中で、迷うだろう。そのとき自分の中に、自
分があって、その自分に忠誠なら、そうした悪の誘いを、断る。

 しかし自分の中に自分がなく、その自分に忠誠する心がないと、その悪の誘いに、そのまま
乗ってしまう。いわゆる誘惑に弱い状態になる。

 このばあい、自分に対する忠誠心は、いわば病気に対する抵抗力として働く。抵抗力のある
人は、悪の誘惑から自分を守り、悪をはねのけてしまう。一方、そうでない人は、そうでない。

 そこで最初の話にもどる。

 相手に合わせて、すぐ自分を作ってしまう。へつらう。媚(こび)を売る。迎合する。歓心を買う
というのは、決して好ましい人間像ではない。とくに、子どもにおいては、そうである。

 だから……。幼児でも、ていねいに観察すると、将来、誘惑に強い子どもになるか、弱い子ど
もになるか、それがわかる。もしあなたの子どもが、つぎのようであれば、(誘惑に強い子ど
も)、あるいは、(誘惑に弱い子ども)ということになる。ポイントは、子ども自身がもつ、忠誠心
である。

(誘惑に強い子ども)
○どこか無愛想。相手の気持ちに、自分を合わせない。
○人に嫌われても、自分のしたいことをするといったふう。
○孤独に強い。ひとり遊びができる。何をするにもマイペース。
○正義感が強く、不正に対して、敏感に反応する。

(誘惑に弱い子ども)
●相手に合わせて、よい子ぶる。みんなに好かれようとする。
●集団でいるほうを好む。しかしそのくせ、集団の中では精神疲労を起こしやすい。
●善悪の見境なく、その場の雰囲気で、何でもしてしまうようなところがある。
●気が小さく、その場で、YES、NOが、はっきり言えない。

 こうした違いの原因はといえば、ここにも書いたように、乳幼児期の育て方にある。乳幼児期
に、母子の、相互アッタチメントがしっかりしているかどうかが、カギになる。もう一歩、話を進
めると、たがいの基本的信頼関係がしっかりしているかどうかということ。それがしっかりとして
いれば、ここでいう忠誠心の強い子どもになる。そうでなければ、そうでない。

 これはその一例だが、不幸にして不幸な家庭に育ち、母子関係が不全なまま育った子ども
がいる。生後まもなくから、施設に預けられたとか、保育園だけで育てられたとか。

 このタイプの子どもは、独特の症状を見せる。「施設児」と呼ばれるゆえんは、そんなところに
もあるが、その施設児の特徴の一つが、ここでいう「だれにでも愛想がよい」(長畑氏ら)であ
る。

 さて、あなたの子どもというより、あなた自身はどうだろうか。そういう視点で、一度この問題
を考えてみるとおもしろいのでは……?
(030918)

           ◯   
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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●けだるい朝

けだるい朝、おだやかな朝、
ボーッとして、頭の中は、からっぽ。
何かを書きたくて、何も書けない。
だからこんな文を書く。

Mさんは、言った。
「女は、心と体を別にできない」と。
「女は、一人の男性しか、受け入れることができない」とも。

男だって、それほど違うわけではない。
しかし無数の、切なさ、わびしさを通り過ぎるうち、
男の心は、やがてその切なさ、わびしさを楽しむようになる。

これは免疫によりものか。それとも、キズまるけになって、
そのキズが見えなくなるためか。
人生って、そういうものと、はたまた、割り切るためか。

ふと振りかえると、そこに家族の影。
それを見て、男も、女も、現実に立ちかえる。
所詮、男と女の関係は、まぼろしのようなもの。
そのまぼろしに酔い、まぼろしに溺れる。

こうして時は流れ、無数のドラマを残す。
あとに残るのは、ただただ、はかない一時の夢。
甘くて、すっぱい、ただの夢。
私には、もう手が届かない、遠い、遠い昔の、ただの夢。
あああ、死神は、すぐそこで、笑っている。

けだるい朝、おだやかな朝、
ボーッとして、頭の中は、からっぽ。
何かを書きたくて、何も書けない。
だからこんな文を書く。

(030919)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

ある夫婦のけんか

 ある老夫婦の会話。夫は七五歳くらい。妻も同じくらい。この夫婦の会話(けんか)がおもしろ
い。

夫「お前は、オレの話を聞かない」
妻「聞いている!」
夫「聞いていない!」
妻「聞いてるでしょ!」
夫「何も聞かないうちから、すぐさからう!」
妻「いつ、さからったの! 何もさからってないでしょ!」
夫「今だって、さからっている!」
妻「だから、何も、さからっていない!」
夫「だから、オレの話を、少し聞け!」
妻「聞いているでしょ!」
夫「だから、さからわないで、聞け!」
妻「あんたは、さからう、さからうって、言うけど、何も私はさからっていないわよ」
夫「さっきも、風呂の湯を止めたかと聞いても、人の話をよく聞かないうちから、止めたと言った
だろ。しかし風呂の湯は、止めてなかった」
妻「止めたと思ったから、止めたと言ったのよ」
夫「だから、オレの話を少しは聞いて、自分でたしかめろ!」
妻「だれだって、まちがいってものは、あるわよ」
夫「まちがいを怒っているんじゃ、ない。さからっていることを、怒っている」
妻「風呂の湯くらいで、どうして、そんなに怒るのよ」
夫「さからっていることを、怒っている」
妻「何も、さからっていない」
夫「さからうな」
妻「さからってない!」
夫「今だって、さからっている」
妻「どこが、さからっているのよ!」
夫「さからっている」
妻「さからっていないってば!」と。

 この夫婦のばあい、妻の脳ミソがかなり、かたくなっているようだ。自分の姿が、客観的に見
えないらしい。「さからっていない」という言葉を使って、相手にさからっている。実際、こういう会
話をされると、相手はかなり疲れる。イラつく。

 が、問題の「根」は深い。この妻は、夫に対して、かなりの反感をもっている。そしてその反感
の原因(わだかまり)は、恐らく結婚当初まで、さかのぼる。望まない結婚であったとか、不満
の多い生活であるとか。何か、ある。

 一見、のどかで(?)、それでいてトゲトゲしい会話(?)を横で聞きながら、私はこう思った。
「この夫婦は、もう死ぬまでこうだろうな」と。妻自身が、それに気づくことは、もうない。脳ミソと
いうのは、そういうもの。それにたがいの間にある(わだかまり)を溶かすのは、もう不可能。死
ぬまで引きずっていくしかない。
(030918)

【無意識の世界】
 心の中にある不満、わだかまりは、無意識のうちにも出てくるもの。しかも姿を変えて出てくる
から、それが何であるかに気づくことはない。

 あなたも自分の子どものことで、こまかいことが気になったら、子どもに問題があると思う前
に、一度、あなた自身の心の中をのぞいてみるとよい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

運命論

 「私は孤独だ」と言えば、「それ、みろ。わかりきったことではないか」と言う人がいるかもしれ
ない。私のような、どこかゆがんだ性格をもった人間は、人に相手にされなくて、当然。つまり、
その分、孤独になる。

 だから私のような人間は、あえて最下層を、静かに生きるしかない。音も立てず、人知れず、
おだやかに……。

 しかし私には、どうしてもそれができない。何かあると、すぐワーッと声をあげてしまう。そして
あちこちに、敵をつくってしまう。バカなのか。それとも、アホなのか。

 ほどほどのところで、ほどほどの人生を歩むほうが、よほど、楽。そう割り切って生きている
人は、五万といる。いや、ほとんどの人が、そうではないか。またそういう人ほど、友人も多く、
家族のきずなも、太い。

 私がかかえている問題のほとんどは、他人からもたらされたものというよりは、自分でもちこ
んだもの。それが一つずつ、よくわかるようになった。これも年の功。あるいは、少しは自分に
謙虚になったためか。

 たとえば一人の女性がいる。夫とは、結婚後半年で離婚。今は、四歳になっている一人娘を
育てている。

 その女性のホームページをのぞく。「いやし系ホームページ」と歌っているが、実は、はげしい
不平、不満の嵐。あっちに不平をぶつけ、こっちに不満をぶつけている。「あれが悪い!」「こ
れがなっていない!」と。

 その女性のホームページを読んでいると、何のことはない。私のしていることは、その女性の
していることと同じ。あるいは、どこが違うのか。そのはげしさゆえに、私でも、仮にその女性と
結婚したとしたら、半年どころか、一か月で離婚するだろう。

 実のところ、ワイフもときどき、こう言う。「私だから、あんたと結婚できたのよ」と。多分に恩
着せがましい言い方だが、このところ、「うん、そうだな」と答えることが多くなった。自分がわか
ればわかるほど、ワイフの言うことが正しいと思うようになった。

 運命というものはあるのか。それともないのか。それは私にもわからないが、しかしこれだけ
は言える。

 自分の進むべき道は、無数の要素(ファクター)が、無数に組みあわさって決まるということ。
あとは確率の問題。もちろんその無数の要素の一つずつを知ることは、不可能。だから結局
は、成りゆきのなかで、進むべき道は決まっていく。

 先の女性にしても、こう書くのは、たいへん失礼なこととは思うが、しかし、なるべくして、そう
なったのではないのか? ただその女性は、まだ若いから、自分の中の自分に気づいていな
い? だから世間を攻撃し、社会を攻撃している。はては、「女一人で生きていく、つらさや、き
びしさが、そこらの人間にわかってたまるか!」(投稿コーナー)と書いている。

 もちろんだからといって、私は、その女性を批判しているのではない。私も、若いときは、そう
だった。自分の姿が見えなかった分だけ、世間を攻撃し、社会を攻撃した。しかし、今は、そう
いう「甘え」は消えた。

 今の私が、今の私なのは、すべて私の責任である。すべて私の中の私が、今の私をつくっ
た。それは世間の責任でもないし、社会の責任でもない。それは近所のゴミ拾いとよく似てい
る。

 近所の空き地には、いつも無数のゴミが散乱している。そういうゴミを見ると、「地主が悪い」
「市役所が悪い」と思うかもしれない。しかし、もしそういうゴミが気になったら、自分で拾えばよ
い。つまり空き地にゴミが散乱しているのは、それを気にした、その人の責任ということにな
る。

 それにかわって、このところ、ほんの少しずつだが、私は生きていることの美しさを感ずるよ
うになった。苦しみも、悲しみも、そういったものが、渾然(こんぜん)一体となって、「美しさ」を
つくりあげている、と。もっと言えば、それぞれの人が、それぞれの立場で、懸命に生きてい
る。そういう無数のドラマが、全体として、「美しさ」をつくりあげている、と。

 そういう視点で、自分自身を振りかえってみる。私も、不完全で、ボロボロの人間だ。「何かを
した」という充足感は、ほとんどない。毎日が、後悔の連続。決して居なおっているわけではな
い。自分自身の限界がわかるようになった。そういう自分が、今、ここで懸命に生きている。

 そういう自分に、「美しさ」の連帯感を覚えるようになった。「孤独?」……よいじゃないの、と。
「失敗ばかり?」……よいじゃないの、と。「敵をつくる?」……よいじゃないの、と。

 この先のことは、まだよくわからない。このまま世間や社会に押しつぶされてしまうかもしれな
い。それとも、何かまた新しいことを発見するかもしれない。どうなるかわからないが、ともかく
も、がんばって生きていくしかない。
(030919)

【約束】
マガジンの読者の方には、お約束します。もし何か、新しいこと発見したら、一番にお知らせし
ます。

It was previously a question of finding out whether or not life had to have a meaning to be 
lived. It now becomes clear, on the contrary, that it will be lived all the better if it has no 
meaning. - Albert Camus
人生には生きる意味があるのか。それを疑問に思ってきた。しかし今、それとは対照的に、つ
ぎのことがはっきりとしてきた。つまり意味がなくても、まったく問題なく生きられるということが。
(A・カムス)

Few are those who can see with their own eyes and hear with their own hearts. - Albert 
Einstein
自分の目でものを見ることができる人は、ほとんど、いない。自分の心で聞くことができる人
も、ほとんど、いない。(A・アインスタイン)

To be ignorant of one's ignorance is the malady of the ignorant. - Amos Bronson Alcolt
自分の無知に無知なのは、無知な人の病気だ。(A・B・アルコット)

Another way in is the other way out; Never doubt where to exit; it is another entrance out. 
- Andrew S. Pudliner
入り口は、出口。どこから出ようと思うな。それは入り口がもう一つの出口。(A・S・パドライナ
ー)

We are what we repeatedly do. - Aristotle
我々というのは、我々が繰りかえすところのもの。(アリストテレス)

Happiness is something final and complete in itself, as being the aim and end of all practical 
activities whatever.... Happiness then we define as the active exercise of the mind in 
conformity with perfect goodness or virtue. - Aristotle
幸福というのは、それ自体が、最終的かつ完ぺきなもの。そしてそれが何であれ、すべての活
動の目的である。それゆえに、幸福を、私たちは、完ぺきな善と美徳と、心の調和と定義す
る。(アリストテレス)

For example, justice is considered to mean equality, It does mean equality- but equality for 
those who are equal, and not for all. - Aristotle
たとえば正義は、平等を意味する。それはたしかに平等を意味するが、それは平等な人にとっ
ての、平等。すべての人には、そうではない。(アリストテレス)

It's like a finger, pointing at the moon. If you stare at the finger, you miss all the heavenly 
glory - Bruce Lee "Enter The Dragon"
それは月を指さす、月のようなもの。もし指を見つめるなら、あなたは天の栄華を見逃すことに
なるだろう。(ブルース・リー「エンター・ザ・ドラゴン」)

Nothing is ever accomplished by a reasonable man. - Bucy's Law
道理のわかる男によって完成されたものは、何もない。

You have two ears and only one mouth for a reason - Buddhist Belief
あなたには二つの耳がある。しかし道理を語る口は、ただ一つ。(仏教)

To be is to do. - Descartes
生きることは、行動することである。(デカルト)

I think therefore I am. - Descartes
我、思う。ゆえに我、あり。(デカルト)

Learning how to stand up is easy. Learning how to stand up after you've fallen down, that is 
tough. - Dican
立つことを学ぶことは、簡単なこと。ころんだあとに、立つことを学ぶのは、つらいことだ。(ダイ
カン)

You can never lose what you never had. - Dican
もったことがないものを、なくすことはない。(ダイカン)

It is not the brains that matter most, but that which guides them---the character, the 
heart, generous qualities, progressive ideas. - Dostoyevsky
問題は、脳ではない。問題は、何が脳をガイドするか、だ。性格、心情、性質、思想など。(ドス
トエフスキー)

I don't suffer from insanity but enjoy every minute of it - Edgar Allan Poe
私は狂気に苦しまない。私はその瞬間、瞬間を楽しむだけ。(E・A・ポー)

Everything is but a dream within a dream." - Edgar Allen Poe
すべてのものは、夢の中の夢。(E・A・ポー)
Growth for the sake of growth is the ideology of the cancer cell. - Edward Abbey
成長のための成長というのは、ガン細胞のイデオロギーだ。(E・アビー)

There's a part of every living thing that wants to become itself: the tadpole into the frog, 
the chrysalis into the butterfly, a damaged human being into a whole one. That is spirituality 
- Ellen Bass
その範囲で生きるのは、簡単なこと。おたまじゃくしは、カエルになる。毛虫は、蝶になる。そし
てキズついた人は、完成される。それが精神だ。(E・バス)

In a real dark night of the soul, it is always three o'clock in the morning, day after day. - F. 
Scott Fitzgerald
魂の真夜中。それはいつも朝の三時。来る日も、来る日も、(F・S・フィッツゲラルド)

If you want to have clean ideas, change them as often as you change your shirts. - Francis 
Picabia
きれいな考えをもとうとするなら、シャツを替えるように、しばしば考えを変えることだ。(F・ピカ
ビア)

Do be do be do. - Frank Sinatra
生きて、すべきことをせよ(?)(フランク・シナトラ)

I no longer want to walk on worn soles - Friedich Nietzsche
もう破れた靴底の靴で歩きたくない。(F・ニーチェ)

Live simply that other may simply live. - Gandhi
ほかの人が簡単に生きられるように、簡単に生きろ。(ガンジー)

Nonviolence is the greatest force at the disposal of mankind. It is mightier than the 
mightiest weapon of destruction devised by the ingenuity of man. - Gandhi
不服なとき、非暴力は、もっとも強い武器である。それは人間の英知によってつくられたあらゆ
る武器よりも、強いものである。(ガンジー)

If I accept you as you are, I will make you worse; however, if I treat you as though you are 
what you are capable of becoming, I help you become that. - Goethe
あるがままのあなたを受け入れれば、私はあなたをより悪くしていまうだろう。もし私があなた
を、あなたがなれる人として扱うなら、私はあなたがそうなるのを助けることになる。(ゲーテ)

【注釈】
 フランク・シナトラの、「do be do be do」について、ヤフーで検索してみたら、こんな記事を
ヒットした。

Other than Brazilian music, though, Sinatra stayed away from developments in jazz beyond 
swing (unless one counts a quirk like his notorious "do-be-do-be-do" scatting at the close 
of "Strangers In the Night").

しかしブラジル音楽のほかに、シナトラは、ジャズ音楽をそれ以上、することはなかった。(「真
夜中のストレンジャー」で、歌われた、あの悪名高い「do-be-do-do」のような、意味のない単語
を並べた気まぐれな歌を、その数に数えないならの話だが……。)

つまり、「do-be-do-be-do」は、意味のない言葉だというのだ。私は「生きて、すべきことをせ
よ」と訳すまでに、かなり考えた。時間をムダにした。

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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■孝行論(1)

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03−9−27号(293)
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       ̄ ̄\_/ ̄ ̄      【2】Touch your Heart
   =| ̄ ̄ ̄ ̄* ̄ ̄ ̄ ̄|=   【3】子育てエッセー
    |__  *  __|    【4】フォーラム
  :  : |___|::   : 
 :\::\:  !!  :/: :/:
  :\ :\  !!  /:  /: 
●はやし浩司から皆さんへ、カードです。(安全性は確認してあります。)
http://greeting.rakuten.co.jp/view/rakuten/162561957614118621
安心して、開いてください。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto713

学習の動機づけ

●楽しませる

 子どもの「勉強」を考えたら、とにかく、楽しませる。「楽しい」「楽しかった」という思いが、子ど
もを前向きに引っぱっていく。

心理学の世界では、こうした前向きに引っぱっていく力を、「好子(こうし)」という。また大脳生
理学の世界では、辺縁系の帯状回が、「やる気」をコントロールしていると、説明する。それだ
けではない。

 子どもはこれから先、いろいろなカベにぶつかる。そのときそのカベを乗り越える原動力にな
るのも、ここでいう「楽しさ」である。「私はできる」「できるはず」「私には、できないことはない」と
いう、前向きのストロークが、子どもを伸ばす。

 たとえば文字学習を考えてみよう。

 子どもは満四・五歳(四歳六か月)を境に、急速に文字に興味をもつようになる。それまで
は、いくら教えても、一見、効果がないように見える。そしてこの時期を境に、見よう、見まね
で、文字らしき文字を書くようになる。

 このとき大切なことは、子どもがどんな文字を書いても、それをほめること。読んであげるこ
と。

 文字の使命は、言うまでもなく、意思の伝達である。意思の伝達に始まって、意思の伝達に
終わる。書き順、トメ、ハネ、ハライなどは、それを大切だと思う人に、任せておけばよい。ある
いは、どうして、そんなものが、大切なのか?

 そしてそれと平行して、「文字は楽しい」という思いを、子どもの心の中に焼きつけておく。具
体的には、子どもを抱いて、本を読んであげる。暖かい息を吹きかけながら、本を読んであげ
る。

 まずいのは、いきなり文字を教え、こまごまとした指導をすること。子どもは文字に恐怖心す
らもつようになる。しかし一度、この時期、そうなると、修復は不可能。いわんや、「勉強」を、子
どもの責め具に使ってはいけない。「毎日、三〇分、勉強しなさい!」と。

 ちなみに、年中児でも、文字に対して恐怖心をもっている子どもは、約半数はいる。中には、
「名前を書いてみようか」と声をかけただけで、体をこわばらせ、涙ぐむ子どもさえいる。こうな
ると、将来的に、文字嫌いのみならず、国語嫌い、本嫌い、さらには勉強嫌いになるのは、
明々白々。

 この日本には、無数の誤解がある。計算力があるから、算数ができるという誤解。よくしゃべ
るから、頭がよいという誤解。ものをよく知っているから、勉強がよくできるという誤解。そして、
きれいな文字を書くから、国語力があるという誤解。こうした誤解が、無数に集まって、日本人
独特の、「勉強観」をつくりあげている。

 では、どうするか?

 子どもを楽しませる。いつもそれに始まって、それに終わる。英語にも、『楽しく学ぶ子は、よ
く学ぶ』という格言がある。まさにポイントをついた格言である。
(030920)

●今、一人気になっている子ども(小六男子)に、S君がいる。彼は幼いときから、書道教室に
通っている。だから彼が書く文字は、まさに一級。きれいである。しかし一方で、作文がまったく
と言ってよいほど、書けない。「作文は大嫌い」と、いつも逃げてしまう。で、何とか書かせて、
励ますのだが、正直に言えば、とても、読むに耐えない内容。いつも的はずれで、トンチンカン
な作文を書く。もちろん本は、大嫌い。ときどき、「この本を読んでみたら」と単行本を貸すのだ
が、受け取ることさえ、拒絶する。どうしたらよいものか。親は、漢字のテストでよい点と取るこ
とや、きれいな文字だけを見て、「うちの子は、国語はだいじょうぶ」と思っている。

●以前、N君という小学生(当時二年生)がいた。彼もまた、きれいな文字を書いていた。が、
書くスピードが、遅かった。みなの二倍以上の時間がかかった。だからいつもひとりだけ、黙々
と文字を書いていた。しかしそのため、いつも、授業が中断してしまった。で、ある日、私はこう
言った。「ていねいに書くときは、書けばよい。しかし今は、黒板の文字を書き写すこと。だから
もっと速く、書きなさい」と。とたん、N君は、ふつうの(?)速さで書き始めた。が、私はN君の文
字を見て、びっくりした。ひどいなんてものではなかった。しかしそれが彼の、オリジナルの文字
だった。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

教育のジレンマ

 「習熟度」という、言葉がある。よくもまあ、こういう言葉を考えつくものだ。こういうものをつぎ
つぎと発明するのは、官僚の得意わざ。しかし習熟度とは、いったい、何か? 要するに、「勉
強ができる、できない」のこと?

 だったら、学年制を廃止し、単位制にし、学校外クラブを充実させればよい。「権限は譲らな
い。学校の権威は守る。しかしその範囲で改革をする」というのは、もはや限界にきている。こ
のままでは、日本の教育どころか、日本は、完全に沈没する。今ごろ改革とやらを進めても、
その効果が出るのは、二〇年後? 三〇年後? 教育というのは、常に、二〇年後、三〇年
後を見定めて、改革しなければならない。

 実は、この話を書くのが目的ではない。

 残念ながら、勉強ができない子どもというのは、いる。これは事実だから、どうしようもない。
しかもこのタイプの子どもは、ただできないだけではなく、(逃げる)→(ますますできなくなる)の
悪循環の中で、さらにできなくなる。が、それだけではない。

 教える側は、こうした子どもに対して、集中的に指導を繰りかえす。「その子どものため」と思
って、そうする。しかし当の本人は、そうは思っていない。バツととらえる。「苦しめられている」
とか、さらには、「いじめられている」ととらえる。多少、できるようになったところで、学校の勉強
に追いつくことさえできない。

 一人の子ども(小五、男児、架空の子ども)がいる。典型的な例として、考えてみる。名前を、
Y君とする。

 Y君は、先生が説明しているときは、何も聞いていない。上の空。あるいはフリ勉だけは、うま
い。何となく聞いているフリをして、その場をごまかす。

 そのあと先生が、各自に問題を与えて、「では、やってみてごらん」と指示する。とたん、Y君
は、パニック状態! 「わからない」「できない」を繰りかえす。

 たとえば小五で、公倍数、公約数を教えるとする。倍数の説明をする。が、この段階で、掛け
算がまだあやしい。今、日本では、掛け算を、小二で学ぶ。以前は、掛け算のできない子ども
は、残り勉強をさせてでも、学校の先生は、徹底的にそれを教えた。が、今は、だいぶ、事情
が違う。

 「教えることは、一応、一通り教える。しかしあとは子どもの問題」と、学校の先生が逃げてし
まう。学校の先生が、サラリーマン化して、もう二〇年になる。だから、子どもたちは、掛け算の
学習が終わると同時に、掛け算を忘れてしまう。「二年生で、掛け算を学んだから、掛け算がで
きるはず」と親は考えやすいが、しかしこれは誤解。

 東京都の調査でも、中学一年生で、掛け算のできない子どもは、約二〇%もいるという。九
九程度は言えるが、応用できない子どもとなると、もっと多い?

 で、倍数を教えるときには、掛け算は必須。しかしその掛け算ができないのだから、どうしよう
もない。さらに約数の話になると、今度は割り算が入ってくる。しかし割り算ができない子どもと
なると、もっと多い。

 こういう状態で、倍数、約数など、教えても意味がない。そこでY君だけを集中的に、教える。
掛け算の九九を言わせる。割り算をさせる。するとY君は、逃げてしまう。Y君は、そうした指導
を、ここにも書いたように、バツととらえる。その前に、公倍数や公約数を学ばねばならない必
要性がない。その問題意識もない。

 こうしてますますY君は、勉強から逃げる。あとはこの繰りかえし。

 文部科学省がいう、「習熟度」というのは、あくまでもその結果でしかない。「勉強ができない
から、わかるまで基礎からやりなおし」というような、単純な問題ではない。またそんな方法で
は、解決しない。

 こうした子どもを救うたもの、ゆいいつの方法は、学習内容を多様化するということ。今のよう
に、算数、国語、理科、社会という科目制ではなく、それぞれの子どもに合わせて、教科内容を
多様化する。しかしそれは今の学校制度の中では、不可能。

 そこで登場するのが、ドイツやイタリア、さらにはカナダで広く採用されているクラブ制である。
学校での学習は、基本的には午前中で終え、あとはクラブ教育に任せる。そして水泳が得意
な子どもは、毎日でもクラブで水泳ができるようにする。

 ドイツには、科学クラブ、算数クラブのほか、ありとあらゆるクラブがある。学校の外だけでは
なく、中にもある。そしてそうした費用は、「子どもマネー」として、政府が補助している。決して、
不可能な制度ではない。

 「習熟度」という言い方の中には、その前提として、基礎学力という概念がある。「人間とし
て、これだけの学力は必要」という、概念である。しかしそんな「学力」は、本当に必要なのか。
教育が黎明期(れいめいき)にあった明治時代ならいざ知らず、今は、もうそういう時代ではな
い。

 私は残念ながら、今の教育改革は、三〇年は遅れた。今ごろ改革を打ちだして、日本はいっ
たい、どうなるというのか。どうするというのか。私は、もう、そのあとというか、そのあとどうした
らよいかということを考えている。本来なら、Y君のような子どもには、こう言うべきなのかもしれ
ない。

 「もう、勉強はしなくていいよ。あなたもこれ以上、苦しむ必要はないよ。それよりも、何か得
意なことを見つけて、それを伸ばしたほうがいいよ」と。つまり習熟度なんて、クソ食らえ!、と。
(030920)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもとペット

 オーストラリアでは、子どもの本といえば、動物の本をいう。写真集が多い。またオーストラリ
アに限らず、欧米では、子どもの誕生日に、ペットを与えることが多い。つまり子どものときか
ら、動物との関わりを深くもたせる。一義的には、子どもは動物を通して、心のやりとりを学
ぶ。しかしそれだけではない。子どもはペットを育てることによって、父性や母性を学ぶ。そん
なわけで、機会と余裕があれば、子どもにはペットを飼わせることを勧める。犬やネコが代表
的なものだが、心が通いあうペットがよい。が、それが無理なら、ぬいぐるみを与える。やわら
かい素材でできた、温もりのあるものがよい。

 日本では、「男の子はぬいぐるみでは遊ばないもの」と考えている人が多い。しかしこれは偏
見。こと幼児についていうなら、男女の差別はない。あってはならない。つまり男の子がぬいぐ
るみで遊ぶからといって、それを「おかしい」と思うほうが、おかしい。男児も幼児のときから、
たとえばペットや人形を通して、父性を育てたらよい。ただしここでいう人形というのは、その目
的にかなった人形をいう。ウルトラマンとかガンダムとかいうのは、ここでいう人形ではない。

 また日本では、古来より戦闘的な遊びをするのが、「男」ということになっている。が、これも
偏見。悪しき出世主義から生まれた偏見と言ってもよい。その一つの例が、五月人形。弓矢を
もった武士が、力強い男の象徴になっている。三〇〇年後の子どもたちが、銃をもった軍人や
兵隊の人形を飾って遊ぶようなものだ。どこかおかしいが、そのおかしさがわからないほど、日
本人はこの出世主義に、こりかたまっている。「男は仕事(出世)、女は家事」という、あの日本
独特の男女差別思想も、この出世主義から生まれた。

 話を戻す。愛情豊かな家庭で育った子どもは、静かな落ちつきがある。おだやかで、ものの
考え方が常識的。どこかほっとするような温もりを感ずる。それもぬいぐるみを抱かせてみれ
ばわかる。両親の愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、ぬいぐるみを見せただけで、スー
ッと頬を寄せてくる。こういう子どもは、親になっても、虐待パパや虐待ママにはならない。言い
かえると、この時期すでに、親としての「心」が決まる。

 ついでに一言。「子育て」は本能ではない。子どもは親に育てられたという経験があってはじ
めて、自分が親になったとき、子育てができる。もしあなたが、「うちの子は、どうも心配だ」と思
っているなら、ぬいぐるみを身近に置いてあげるとよい。ぬいぐるみと遊びながら、子どもは親
になるための練習をする。父性や母性も、そこから引き出される。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●トラブルは親に聞く

 子どものことでトラブルが起きたら、一に静観、ニに静観、三、四がなくて、五に親に相談。少
子化の流れの中で、親たちは子育てにますます神経質になる傾向をみせている。そうである
からこそなおさら、「静観」。子どもにキズがつくことを恐れてはいけない。子どもというのはキズ
だらけになって成長する。で、ここでいう「親」というのは、一、二歳年上の子どもをもつ親をい
う。そういう親に相談すると、「うちもこんなことがありましたよ」「あら、そうですか」というような
会話で、ほとんどの問題は解決する。

 話が少しそれるが、私は少し前、ノートパソコンを通信販売で買った。が、そのパソコンには
一本のスリキズがついていた。最初私はそのキズが気になってしかたなかった。子どももそう
だ。子どもが小さいうちというのは、ささいなキズでも気になってしかたないもの。こんなことを
相談してきた母親がいた。何でもその幼稚園に外人の講師がやってきて、英会話を教えること
になったという。それについて、「先生はアイルランド人です。ヘンなアクセントが身につくので
はないかと心配です」と。子育てに関心をもつことは大切なことだが、それが度を超すと、親は
そんなことまで心配するようになる。

 さらに話がそれるが、子どものことでこまかいことが気になり始めたら、育児ノイローゼを疑
う。症状としては、つぎのようなものがある。

(1)生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞、
(2)思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低
下)、
(3)精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、
日常活動への興味の喪失)、
(4)睡眠障害(早朝覚醒に不眠)など。さらにその状態が進むと、Aさんのように、
(5)風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)、
(6)ムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)、
(7)ささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)、
(8)同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロールができなく
なる(感情障害)、
(9)他人との接触を嫌う(回避性障害)、
(10)過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。
(11)また必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。

こうした兆候が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながること
も珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。

 要するに風とおしをよくするということ。そのためにも、同年齢もしくはやや年齢が上の子ども
をもつ親と情報交換をするとよい。とくに長男、長女は親も神経質になりやすいので、そうす
る。……そうそう、そう言えば、今では私のパソコンもキズだらけ。しかし使い勝手はずっとよく
なった。そういうパソコンを使いながら、「子どもも同じ」と、今、つくづくとそう思っている。

  ‖                 
 :−−           ‖   
  ‖            :−− 
        ‖      ‖    テーマがあれば、どうかお寄せください。
       :−−           具体的に、相談内容を書いてくだされば
        ‖              うれしく思います。
【2】特集・孝行論(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

孝行論

●孝行は美徳か?

 日本では、親孝行を美徳と考えている人は多い。また孝行論を、教育論の柱にしている人も
多い。しかし、問題がないわけではない。

 「孝行」というのは、子ども側からの、一方的かつ、献身的な貢献を意味する。またそうであ
ればあるほど、孝行と評価される。そしてその背景には、「親は絶対」という、親絶対論があ
る。

 そこで最初の疑問。本当に、親は絶対なのか?

 江戸時代には、家督制度というのがあった。身分制度が、それを支えた。「家」は、絶対的な
存在であり、「家」を離れたら、身分制度そのものから、はじき飛ばされた。人間としての価値
すら、否定された。実際には、「無宿」とされ、逮捕されれば、そのまま、たとえば、佐渡の金山
へ送りこまれたりした。

(今のK国の社会制度と、よく似ていますね。あの国では、成分(身分)によって、すべてが決ま
るとか。そう言えば、金XXも、「将軍様」と呼ばれているそうで……。ハイ!)

 親絶対論は、こうした歴史的背景から生まれた。私が子どもころでさえ、「勘当(かんどう)」と
いう言葉が残っていた。また今でも、子どもにバツを与えるとき、「(家から)出て行け!」とい
う。そういう言い方が残っている。当時は、家から追いだされるということは、それ自体が恐怖
だった。

 もちろん社会制度の不備もあった。今でいう福祉制度もなかった。もちろん「老人福祉」という
言葉すら、なかった。親たちは一方で子どもを、「家」でしばりながら、一方で、老後は、子ども
たちに依存しようとした。話せば長くなるが、結論を先に言えば、そういうことになる。

 こうした背景から、日本独得の、「親孝行」という言葉が生まれた。

●孝行を強要する親たち

 本来、孝行というのは、子どもの側から自発的に始まるもの。しかしそれが長い間、伝統とし
て定着するうちに、親の側から子どもに求めるようになった。

 そして孝行な息子や、娘をもつことが、親としてあるべき姿ということになった。またそういう子
どもを育てることが、子育ての目標になった。だから今でも、息子や娘の孝行ぶりを自慢する
人は、いくらでもいる。

「Aさんの息子さんは、立派なもんじゃ。親を、あの九州のB温泉へつれていったそうな」
「いやいや、Bさんの娘さんは、もっと偉い。何でも二〇万円もする羽ぶとんを、親に買ってあげ
たそうな」
「とんでもない。孝行息子といえば、Cさんの息子さんじゃよ。今度、親のために、床の間つきの
離れを新築したそうな」と。

 こういう話を代々伝えることで、子どもに孝行というものが、どういうものであるかを教えてい
く。そしてそれが子どもとして、あるべき姿だと教えていく。

 私は、こうした孝行を否定するものではないが、しかし一方で、こうした親の呪縛に苦しんで
いる人も多い。親子という、一対一の関係ならともかくも、親戚ぐるみ、地域ぐるみで縛られると
いうこともある。K氏(四八歳、男性)もそうだ。

 「父は、人前ではいい父親を演じていますが、一対一になったようなとき、『親を粗末にする
と、地獄へ落ちるぞ』と、私をおどします。そういう父なんです。それでときどき盆や、暮れに帰
省することを避けているのですが、そうすると今度は、親戚の叔父から電話がかかってきま
す。『どうして、お前は、父親を粗末にするか。正月のあいさつをしろ』とです。父が、叔父たち
に電話をさせているのですね」と。

●形にしばられない人間関係

 親子といえども、基本は、一対一の人間関係。もちろんその間には、親子であるがゆえの、
特殊な感情や思惑が働く。たとえば母と子の関係というのは、母親にとっても、また子どもにと
っても、特殊な関係である。

 しかしそのことと、ここでいう「孝行論」は、別のことである。多くの誤解は、こうした特別な関
係と、孝行論を結びつけるところから起こる。

 たとえばよく議論されるが、(親がいるから、子どもがいるのか)、それとも(子どもがいるか
ら、親がいるのか)という問題。さらに実存主義の世界では、つぎのように考える。

 私たちは生まれた。生まれてみたら、そこに親がいた、と。

 孝行論を説く人たちは、当然のことながら、「親がいたから、子どもがいる」と考える。そして
その返す刀で、子どもに向かっては、「親のおかげで、お前がいる」と教える。産んでくれたの
は、親ではないか。育ててくれたのも、親ではないか。「だから子どもが、親に孝行するのは、
当然のことだ」と。

 ここでいう「母と子に特殊な関係」については、人間対人間という関係をいう。絶対的な信頼
関係というのがそれだが、それについては、もうすでに何度も書いてきた。しかしだからといっ
て、そこから孝行論が生まれるというわけではない。むしろここでいう絶対的な信頼関係と、孝
行論は、相反するものである。

●「だれが、産んでくれと頼んだ!」

 親が「私は親だ」という親風を吹かせば吹かすほど、子どもは、親の前で仮面をかぶるように
なる。いわゆる(わかりあえない親子)は、こうして生まれる。

 このとき、いくつかの悲劇も生まれる。その一つは、親自身が、独善の世界に入りやすいとい
うこと。このタイプの親ほど、「私はすばらしい親だ」「私たちの親子関係は、うまくいっている」と
思いがちになる。

 このとき子どもも、親の価値観と一致すれば、それなりに親子関係はうまくいく。子どもは子
どもで、親に絶対的に服従することで、親子関係をとりつくろう。しかし、このとき、子どもが親
に従わなかったとしたら……。

 ここで親子の間には、大きなキレツが入る。価値観の衝突というのは、そういうもの。どこか
宗教戦争に似ている。たがいに自分をかけて、衝突する。

親「親に向かって何だ! その言い方は!」
子「親だ、親だって、いばるな!」
親「何だ、その口のきき方は!」
子「口のきき方が、どうした!」
親「お前は、だれのおかげで、ここまで大きくなれたか、わかっているのか!」
子「うるさい!」
親「このバチ当りめ! 産んでもらった恩を忘れたか!」
子「だれが産んでくれと、お前に頼んだア!」と。

 昔なら親は、ここで伝家の宝刀を抜く。「貴様のような息子は、今日かぎり親子の縁を切る。
この家から出て行け!」と。

 しかし今は、そういう時代ではない。身分制度は、とっくの昔に廃止になった。「家だ」「親の威
厳だ」と言ったところで、子どもがそれに応じなければ、どうしようもない。

●ご先祖様 

 もちろん、人それぞれ。孝行論を説く人も、否定する人も、それぞれがぞれぞれの立場でハ
ッピーなら、それでよい。外部の人間が、とやかく言う必要はない。また言ってはならない。

 たとえば私の知人の中には、親絶対主義の人が、何人かいる。五〇歳以上の人は、ほとん
どが、そうではないか。A氏(五五歳、男性)もそうだ。他人が、死んだA氏の父親の批判するこ
とすら、許さない。だれかが批判めいたことを言おうものなら、猛然と、それに反発してくる。

 Bさん(六〇歳、女性)もそうだ。ことあるごとに、「ご先祖様」という言葉を使う。「ご先祖様あ
っての、私でございます」「ご先祖様がいたから、こういう生活ができるのです」「ご先祖様が
代々守ってくださった家風を守るのが、私たち子孫の務めでございます」と。

 しかしよくよく観察すると、親や先祖を大切にしろと教えることは、子どもに向かっては、「自分
を大切にしろ」と言っているようにも聞こえる。それがわかったのは、C氏(七〇歳、男性)と話
していたときのことだ。

 C氏は、このところ、「最近の若いものは、先祖を粗末にする」を、口ぐせにしている。C氏が
いうところの「先祖」というのは、自分のことではないか。まさか「自分を大切にしろ」とは言えな
い。だから「先祖」という言葉を使う?

 このことは、たとえば寺の住職が、「仏様を供養してください」と言うのに、似ている。似ている
というより、同じ。寺の住職が「供養せよ」と言うのは、信徒に向かって、「金を出せ」と言ってい
るのと同じ。まさか「金を出せ」とは言えない。だから、「供養せよ」と言う。それとも、仏様が、お
金を、使うとでもいうのだろうか。

 要するに、親だ、先祖だと言う人は、その一方で、自分の立場を守ろうとしているだけ。ある
いは「家」を守ろうとしているだけ。……というのは言い過ぎかもしれないが、それほど的をは
ずれていないと思う。

●孝行は子どもの問題

 孝行するかどうかということは、あくまでも子どもの問題。親は、それを子どもに期待してはい
けない。求めたり、強要してはいけない。親は、どこまでも無条件の愛をつらぬく。

 ……こう書くと、さみしい老後を心配する人もいるかもしれないが、現実は、逆。「孝行」にあ
たる言葉すらない英語国のほうが、むしろ日本的な孝行息子、孝行娘が多い。

こんな調査結果がある。平成六年に総理府がした調査だが、「どんなことをしてでも親を養う」
と答えた日本の若者はたったの、二三%(三年後の平成九年には一九%にまで低下)しかい
ない。自由意識の強いフランスでさえ五九%。イギリスで四六%。あのアメリカでは、何と六
三%である。欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。今、日本は、大きな転
換期にきているとみるべきではないのか。

 以上、そんなわけで私自身も、一〇年ほど前に、自分の考え方を、大きく変えた。……という
より、それまで日本や日本人が、全体としてかかえる問題に、気づかなかった。私もそれまで
は、ごく当たり前に、ごく自然なこととして、孝行論を唱えていたように思う。

 もちろん、だからといって、孝行論を否定しているわけではない。孝行している人を非難して
いるわけでもない。親であれ、自分以外の人のために、我を忘れて献身的に尽くすことは、そ
れ自体、すばらしいことである。

 ただ私がここで言いたいことは、だからといって、それに甘えて、今度は他人、とくに子どもに
向かって、それを求めたり、強要してはいけないということ。

孝行論を説く人も、それだけは、忘れてはいけない。
(030918)

++++++++++++++++++++++++++++++

以前書いた原稿を送ります。簡略版は、中日新聞で発表
させてもらいました。

++++++++++++++++++++++++++++++

子どもの心が離れるとき 

●フリーハンドの人生 

 「たった一度しかない人生だから、あなたはあなたの人生を、思う存分生きなさい。前向きに
生きなさい。あなたの人生は、あなたのもの。家の心配? ……そんなことは考えなくていい。
親孝行? ……そんなことは考えなくていい」と、一度はフリーハンドの形で子どもに子どもの
人生を手渡してこそ、親は親としての義務を果たしたことになる。

子どもを「家」や、安易な孝行論でしばってはいけない。負担に思わせるのも、期待するのも、
いけない。もちろん子どもがそのあと自分で考え、家のことを心配したり、親に孝行をするとい
うのであれば、それは子どもの勝手。子どもの問題。

●本当にすばらしい母親?

 日本人は無意識のうちにも、子どもを育てながら、子どもに、「産んでやった」「育ててやった」
と、恩を着せてしまう。子どもは子どもで、「産んでもらった」「育ててもらった」と、恩を着せられ
てしまう。

 以前、NHKの番組に『母を語る』というのがあった。その中で日本を代表する演歌歌手のI氏
が、涙ながらに、切々と母への恩を語っていた(二〇〇〇年夏)。「私は母の女手一つで、育て
られました。その母に恩返しをしたい一心で、東京へ出て歌手になりました」と。はじめ私は、I
氏の母親はすばらしい人だと思っていた。I氏もそう話していた。

しかしそのうちI氏の母親が、本当にすばらしい親なのかどうか、私にはわからなくなってしまっ
た。五〇歳も過ぎたI氏に、そこまで思わせてよいものか。I氏をそこまで追いつめてよいもの
か。ひょっとしたら、I氏の母親はI氏を育てながら、無意識のうちにも、I氏に恩を着せてしまっ
たのかもしれない。

●子離れできない親、親離れできない子

 日本人は子育てをしながら、子どもに献身的になることを美徳とする。もう少しわかりやすく
言うと、子どものために犠牲になる姿を、子どもの前で平気で見せる。そしてごく当然のこととし
て、子どもにそれを負担に思わせてしまう。その一例が、『かあさんの歌』である。「♪かあさん
は、夜なべをして……」という、あの歌である。

戦後の歌声運動の中で大ヒットした歌だが、しかしこの歌ほど、お涙ちょうだい、恩着せがまし
い歌はない。窪田聡という人が作詞した『かあさんの歌』は、三番まであるが、それぞれ三、四
行目はかっこ付きになっている。つまりこの部分は、母からの手紙の引用ということになってい
る。それを並べてみる。

「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」
「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」
「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」

 しかしあなたが息子であるにせよ娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、あなたは
どう感ずるだろうか。あなたは心配になり、羽ばたける羽も、安心して羽ばたけなくなってしまう
に違いない。

●「今夜も居間で俳句づくり」

 親が子どもに手紙を書くとしたら、仮にそうではあっても、「とうさんとお煎べいを食べながら、
手袋を編んだよ。楽しかったよ」「とうさんは今夜も居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」
「春になれば、村の旅行会があるからさ。温泉へ行ってくるからね」である。そう書くべきであ
る。つまり「かあさんの歌」には、子離れできない親、親離れできない子どもの心情が、綿々と
織り込まれている! ……と考えていたら、こんな子ども(中二男子)がいた。

自分のことを言うのに、「D家(け)は……」と、「家」をつけるのである。そこで私が、「そういう言
い方はよせ」と言うと、「ぼくはD家の跡取り息子だから」と。私はこの「跡取り」という言葉を、四
〇年ぶりに聞いた。今でもそういう言葉を使う人は、いるにはいる。

●うしろ姿の押し売りはしない

 子育ての第一の目標は、子どもを自立させること。それには親自身も自立しなければならな
い。そのため親は、子どもの前では、気高く生きる。前向きに生きる。そういう姿勢が、子ども
に安心感を与え、子どもを伸ばす。親子のきずなも、それで深まる。子どもを育てるために苦
労している姿。生活を維持するために苦労している姿。そういうのを日本では「親のうしろ姿」と
いうが、そのうしろ姿を子どもに押し売りしてはいけない。押し売りすればするほど、子どもの
心はあなたから離れる。 

 ……と書くと、「君の考え方は、ヘンに欧米かぶれしている。親孝行論は日本人がもつ美徳
の一つだ。日本のよさまで君は否定するのか」と言う人がいる。しかし事実は逆だ。こんな調査
結果がある。平成六年に総理府がした調査だが、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた日
本の若者はたったの、二三%(三年後の平成九年には一九%にまで低下)しかいない。自由
意識の強いフランスでさえ五九%。イギリスで四六%。あのアメリカでは、何と六三%である
(※)。欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。今、日本は、大きな転換期に
きているとみるべきではないのか。

●親も前向きに生きる

 繰り返すが、子どもの人生は子どものものであって、誰のものでもない。もちろん親のもので
もない。一見ドライな言い方に聞こえるかもしれないが、それは結局は自分のためでもある。
私たちは親という立場にはあっても、自分の人生を前向きに生きる。生きなければならない。
親のために犠牲になるのも、子どものために犠牲になるのも、それは美徳ではない。あなたの
親もそれを望まないだろう。いや、昔の日本人は子どもにそれを求めた。が、これからの考え
方ではない。あくまでもフリーハンド、である。ある母親は息子にこう言った。「私は私で、懸命
に生きる。あなたはあなたで、懸命に生きなさい」と。子育ての基本は、ここにある。

※……ほかに、「どんなことをしてでも、親を養う」と答えた若者の割合(総理府調査・平成六
年)は、次のようになっている。
 フィリッピン ……八一%(一一か国中、最高)
 韓国     ……六七%
 タイ     ……五九%
 ドイツ    ……三八%
 スウェーデン ……三七%
 日本の若者のうち、六六%は、「生活力に応じて(親を)養う」と答えている。これを裏から読
むと、「生活力がなければ、養わない」ということになるのだが……。 

         ,ミヽ  ミヽ
         へ ミ ヽ へ ミヽ
        ∂  ミミ∂ へミミ
        ζ  っノι ∂ ミミ8彡
        ヒ___ノ 人v "丿彡'
    |)─○  / ヽ  `>−<
     // \\_/_∧ \_/_/ ヽ ≡=   賛助会にどうか、ご入会ください。
   ___//  \_/_ξ ̄ ̄ノ_ __)      現在、お礼に、イラスト(額つき)を
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■いじめ

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   =| ̄ ̄ ̄ ̄* ̄ ̄ ̄ ̄|=   【3】子育てエッセー
    |__  *  __|    【4】フォーラム
  :  : |___|::   : 
 :\::\:  !!  :/: :/:
  :\ :\  !!  /:  /: 
●はやし浩司から皆さんへ、カードです。(安全性は確認してあります。)
http://greeting.rakuten.co.jp/view/rakuten/152574449314420335
安心して、開いてください。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto713

子どもの疲れは、神経疲れ

 子どもが「疲れた」と言うときは、神経疲れ(精神疲労)を疑う。この段階で、吐く息が臭くなっ
たり、顔色が悪くなったりする、腹痛や頭痛を訴えることもある。一方、子どもというのは、体力
や知力を使って疲れるということは、まずない。そういうときは、「眠い」という。あるいは本当に
眠ってしまう。

その神経疲れだが、子どもは、この神経疲れにたいへんもろい。それこそ五〜一〇分だけで
も神経をつかっただけで、子どもによっては、ヘトヘトに疲れてしまう。とくに敏感児タイプの子
ども、つまり俗にいう神経質な子どもは、神経疲れを起こしやすい。

このタイプの子どもは、いつも心が緊張状態にあることが知られている。その緊張した状態の
ところに不安が入ると、その不安を解消しようと一挙に緊張感が高まる。このとき、その緊張感
を外へ吐き出すタイプ(暴れる、大声を出す、泣く)と、内へこめるタイプ(ぐずる、引きこもる、
がまんする、よい子ぶる)に分かれる。前者をプラス型というのなら、後者はマイナス型というこ
とになる。教える側からすれば、一見プラス型のほうがあつかいにくくみえるが、実際にはマイ
ナス型のほうが、はるかにむずかしい。

どちらのタイプであるにせよ、子どもが神経疲れを起こしたら、子どもの側からみて、だれの視
線も感じないような環境を用意する。親があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。子ども
がひとりで、ぼんやりできるようにする。生活習慣が乱れても、目をつぶり、子どもがしたいよう
にさせる。子どもが求めるようであれば、温かいスキンシップをじゅうぶん与え、あとはカルシウ
ム分やマグネシウム分の多い食生活にこころがける。

こうした神経疲れが慢性化すると、子どもは神経症(チック、どもり、夜尿、夜驚、夢中遊行な
ど)、さらには恐怖症(対人恐怖症、集団恐怖症など)や、情緒不安定症状を示すようになり、
それが高じて精神障害(摂食障害、回避性障害、行動障害など)になることがある。もちろん不
登校の原因になることもあるので注意する。
 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

机は休む場所

学習机は、勉強するためにあるのではない。休むためにある。どんな勉強でも、しばらくすると
疲れてくる。問題はその疲れたとき。そのとき子どもがその机の前に座ったまま休むことがで
きれば、よし。そうでなければ子どもは、学習机から離れる。勉強というのは一度中断すると、
なかなかもとに戻らない。

 そこであなたの子どもと学習机の相性テスト。子どもの好きそうな食べ物を、そっと学習机の
上に置いてみてほしい。そのとき子どもがそのまま机の前に座ってそれを食べれば、よし。もし
その食べ物を別のところに移して食べるようであれば、相性はかなり悪いとみる。反対に自分
の好きなことを、何でも自分の机に持っていってするようであれば、相性は合っているというこ
とになる。相性の悪い机を長く使っていると、勉強嫌いの原因ともなりかねない。

 学習机というと、前に棚のある棚式の机が主流になっている。しかし棚式の机は長く使ってい
ると圧迫感が生まれる。日本人は机を暗い壁に向けて置く習性があるが、このばあいも、長く
使っていると圧迫感が生まれる。数か月程度なら問題ないかもしれないが、一年二年となる
と、弊害が現れてくる。

で、その棚式の机だが、もう一五年ほども前になるが、小学一年生について調査したことがあ
る。結果、棚式の机のばあい、購入後三か月で約八〇%の子どもが物置にしていることがわ
かった。最近の机にはいろいろな機能がついているが、子どもを一時的にひきつける効果は
あるかもしれないが、あくまでも一時的。そんなわけで机は買うとしても、棚のない平机をすす
める。あるいは低学年児のばあい、机はまだいらない。たいていの子どもは台所のテーブルな
どを利用して勉強している。

この時期は勉強を意識するのではなく、「勉強は楽しい」という思いを育てる。親子のふれあい
を大切にする。子どもに向かっては、「勉強しなさい」と命令するのではなく、「一緒にやろう
か?」と話しかけるなど。これを動機づけというが、こうした動機づけをこの時期は大切にす
る。
 
  ‖                 
 :−−           ‖   
  ‖            :−− 
        ‖      ‖    テーマがあれば、どうかお寄せください。
       :−−           具体的に、相談内容を書いてくだされば
        ‖              うれしく思います。
【2】特集・いじめ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

いじめ

●いじめに苦しむ中学生
 
ある母親(静岡県K市在住、STさん)から、相談のメールが入った。内容は、中学二年生にあ
る娘が、学校でいじめにあっているという。何をしても無視される。仲間はずれにされる。のけ
ものにされる。そしてそのたびに、娘はつらい思いをしている。だから「娘の心に、キズはつか
ないか?」と。

 こうした相談をもらうたびに、私は大きな無力感を覚える。その母親は、私に救いを求めてき
ている。しかし私には、その母親はもちろん、娘を救う力など、どこにもない。私がせいぜいで
きることと言えば、その母親や娘の立場になって、話を聞いてやることでしかない。

 実は、私も、中学時代のある時期、そして高校時代のある時期、同じような経験をしている。
こんなことがあった。高校一年の終わりか、二年のときのことだったと思う。

 遠足のバスの、その席決めをするときのこと。クラスに一人、リーダー格の男がいて、その男
が、バスの一番うしろに陣取ってしまった。あとはその仲間と取り巻きが、うしろから順に席をと
った。担任の教師が、「話しあって、自分たちで決めろ」と言った。それでそうなった。

 私は、前から二番目の席に座ることになった。となりは、学校ではまったく目立たない、B君
だった。授業中でも居眠りすると、口や鼻から、ダラダラと唾液をこぼす男だった。そのため、
とくに、女子からは嫌われていた。

 私は、だれも座りたがらない、そのB君の横に座った。親しくはなかったが、家が近かった。
それでよく遊びに行ったりは、していた。

 ほかにもいろいろあった。で、そういうときの自分の心理を、思いだしてみると、今でも何とも
言えない重苦しさを覚える。心が空回りしているというか、自分であって、自分でなかったような
……。

 毎日が、そういういじめと、それに対する、虚勢の張りあいの繰りかえしだった。当時の私
は、弱音を吐いたら、負けと思っていた。だからいくらいじめにあっても、それを気にしないフリ
をしていた。反対に、ときには、相手に向かって、殴りあいのけんかをしかけていったこともあ
る。

 私は、そういう点では、決してヤワな男ではなかった。そんな私でも、毎日、学校へ向かうの
が苦痛だった。いつもひとりぼっちだったし、心を許せる友だちはいなかった。私は、みなか
ら、孤立していた。

 今から考えると、その原因のほとんどは、担任のT教師にあったように思う。高校の入学当
時、私はズバ抜けて成績がよかった。だからT教師はいつも、「林に追いつけ」「林を追い越
せ」と、みなにハッパをかけていた。一方、追われる立場の私には、テストごとに、「お前は、こ
の科目では、XXに負けそうだ」「YYに追いつかれるぞ」と、脅した。

 そんなわけで私は、高校一年の夏休みには、すでに転校を考えていた。が、母がそれを許さ
なかった。母は、あの手、この手を使って、私の転校を阻止しようとした。私はやがて、八方ふ
さがりの状態に追いこまれていった。

 私に対する「いじめ」は、そのころから始まった。みなが私には、口をきいてくれなくなった。も
ちろんあいさつもない。そのつど、いろいろなスポーツ大会があったが、私はそれからも仲間
はずれにされた。

 ゆいいつ、私ができたことは、逆に、彼らを無視することだった。本当は無視などできなかっ
たが、気にしていないフリをした。「どうぞ、ご勝手に」と。

●私の経験から

 こうしてあの悪夢のような三年間は終わったが、その結果、私はどうなったか? 孤独に強く
なったというか、そういう生きザマが、身についてしまった。今でも、そのころの生きザマが、基
本になっている。他人に相手にされなくても、かまわないという生きザマ。結局は、生きていくの
もひとり、死ぬのもひとりという生きザマ。ときどきそんな自分を、「風来坊」とか、「無頼(ぶら
い)」とか思うことがある。そういう生きザマを身につけてしまった。

 いじめによる「キズ」は、たしかにある。ないとは言わない。しかし私のばあい、もう一つ大き
な問題があった。

 私が四、五歳のころから、父は酒におぼれるようになり、数日おきに酒を飲んでは暴れた。
私には、まさに地獄のような毎日だった。そのため、当然のことながら、心もゆがんだ。精神も
キズついた。今でも、当時のキズが、私を苦しめることがある。

 だから打たれ強いというか、免疫性ができていたというか、学校でのいじめは、あくまでも私
にとっては、マイナーな問題でしかなかった。学校にいるのも地獄なら、家の中にいるのは、さ
らに地獄だった。

 こうした私の経験が、その相談の人に役だつかどうかは知らないが、こういうことは言える。

 質問にもあるように、「キズつくかどうか」ということだが、キズはつく。まちがいなく、キズはつ
き、そのキズは一生残る。やわらぐことはあるが、決して消えることはない。今の私がそうだ
が、私はいつごろからか、もう消そうとは思わなくなった。そのかわり、キズと、うまくつきあうこ
とだけを考えるようになった。あきらめたというか、居なおったというか……。

 ただ、誤解しないでほしいのは、キズのない人はいないし、また人は、キズまるけになって成
長するものだということ。キズをつくような経験は、だれでもいやだ。しかし人は、キズまるけに
なって成長する。

 こんなことを書くと、その渦中にいる人に、叱られるかもしれない。以前、私に、「あんたはい
じめの本質がわかっていない。教育評論家として失格だ。筆を折れ。大馬鹿野郎!」と、手紙
を書いてきた女性がいた。私が、「いじめによって、子どもが、キズつくことを恐れてはいけな
い」と、何かのコラムに書いたときのことである。その女性は、私の文をしっかりと読まないま
ま、「いじめを容認する発言で、許せない」と怒っていた。私は、そんなことは一言もいないのだ
が……。

 私は何も、いじめを肯定しているのでも、容認しているのでもない。しかし人は、キズつくこと
で、そうでない人にはわからない、心のポケットをつくる。そしてそのポケットが多くなり、それぞ
れのポケットが深くなればなるほど、その人はやさしくなる。人格は重くなる。

 いじめた人は、そのときは、ある種の優越感にひたることができるかもしれないが、長い間の
人生では、確実に損をする。人生の真理から遠ざかった分だけ、時間をムダにする。

 しかし一方、いじめられた人は、そのときは、深い悲しみや苦しみに襲われるかもしれない
が、長い人生の中で、一直線に、真理に向かうことができる。ほかの人が見ることができない
世界を見、そしてその世界が、どんな世界かを、知ることができる。

 私も、もうずぐ五六歳になる。だから今まで、だれにも話さなかったことを告白しよう。

●クビ切りは、立ち話だった

 七年間勤めた幼稚園の講師だったが、クビを切られるときは、立ち話だった。ある日、幼稚
園の庭で園児を指導していると、交代したばかりの園長がやってきて、私にこう言った。「林
君、君は、来月からは、もう来なくていいから」と。

 そのとき私が受けた衝撃がどんなものであったか。それはともかくも、私はそれから数日間、
夜は一睡もできなかった。体中が熱をおび、息苦しさが、私を繰り返し襲った。ワイフが一晩
中、私を、介抱(かいほう)してくれた。

 で、その結果だが、私は、そのときの悔しさを、バネとすることができた。「いつかあいつをた
たきのめしてやる」と、燃えるような敵意さえ覚えた。もっとも、そのあと私が選んだ道は、決し
て楽なものではなかったが、ともかくも、そのときを境に、私の幼児教育に対しする姿勢は、大
きく変わった。

 今から思うと、そのときの反骨精神もまた、あの高校時代につかんだ生きザマからきている
のかもしれない。怒りを、生きるエネルギーにする。悔しさを、生きるバネにする。そして苦しみ
や悲しみ乗り越えながら、ますます強くなっていく。そういう反骨精神である。

 こういう経験から、いろいろなことが言える。

●いじめる側の意識

 私のばあい、高校時代、そうしたいじめにあっているとき、それをだれにも言わなかった。父
はもちろんのこと、母にも、そして担任の教師にも言わなかった。これは余談だが、最近になっ
て、高校の同窓生のY君にその話をすると、Y君は、こう言った。

 「林がいじめにあっていたなんて、信じられない。お前は、いつも明るく楽しそうだった。それ
にお前は、T(担任教師)に、かわいがられていたと思っていたよ」と。

 さらにこんなこともあった。ちょうど三〇歳になったころ。高校の同窓会があった。で、その中
の一人に、私はこう聞いた。X君といって、そのグループのナンバー2にいた男だった。「君は、
高校時代、かなりぼくに敵意を感じていたようだが、どうしてか?」と。

 するとその男は、けげんそうな顔をして、「ぼくがア……?」と。

 まったく覚えていないというか、記憶にないというような様子だった。私は、彼の態度に驚い
た。「私をいじめていたことを覚えていない?」と。

 しかしもしそのとき、そのとき彼が、「ああ、そうだったな」とでも言えば、私はその場でその男
を、殴り飛ばしていたかもしれない。その覚悟をもって、私はそう聞いた。が、その彼が、「ぼく
がア……?」と。

 最初、私は、彼がとぼけていると思った。しかしどうもそうでなかったようだ。どこか狐につま
まれたような気分だった。そしてつぎの瞬間、私は「では、あのいじめはいったい、何だったの
か」と思った。私の思い過ごし? 誤解? それとも被害妄想? わけがわからなくなってしまっ
た。

 で、あの状況の中で、つまり私が高校という場でキズまるけになっていたとき、だれかが私を
救うことができたかというと、それはできなかったと思う。父や母の出る幕はなかったし、担任
の教師の問題ではなかった。いじめるほうはともかくも、いじめられるほうにとっては、いじめの
問題は、どこまでも個人的な問題である。

 本当に助ける力があるなら、相手の子どもを排除するか、さもなければ、私を別の世界へ運
び出す。そこまでしてはじめて、そういうときの私を救うことができる。へたな励ましや、へたな
指導など、何の意味もない。あれこれ外部の人が口を出すと、かえって事情は複雑になる。た
とえそれが親や教師でも、だ。

 こうして考えてみると、最初に感じた無力感は、そのまま親の限界ということにもなる。つまり
親にできることにも、限界があるということ。親はいつも、その限界状況の中で、子育てをす
る。

 親がせいぜいできることと言えば、その限界状況の内側から、子どもの成長を、そっと静か
に見守ることでしかない。それは、とくにこうした問題をかかえた親には、つらくてきびしい経験
かもしれないが、どうしようもない。

 ゆいいつできることと言えば、家庭という場を通して、子どもの心と体をいやす程度でしかな
い。そしてどこまでも子ども立場で、子どもの心を理解することでしかない。「がんばれ」ではな
く、「あなたはよくがんばっているわ」と。

 少し話題を変えてみたい。

 ひとり、印象に残っている高校生に、ヒロシ君という子どもがいた。私は今でも、その子ども
を、尊敬の念をこめて、「ヒロシ君」と、「君」づけで呼ぶ。そのヒロシ君について書いた原稿を、
ここに掲載する。

++++++++++++++++++++++

●ヒロシ君

 ヒロシ君(中二)は、心のやさしい子どもだった。そういうこともあって、いつも皆に、いじめら
れていた。が、彼は決して、友だちを責めなかった。背中にチョークで、いっぱい落書きをされ
ても、「ううん、いいんだよ、先生。何でもないよ。皆でふざけて遊んでいただけだよ」と言ってい
た。 

 そのヒロシ君は、事情があって、祖父母の手で育てられていた。が、その祖父が脳梗塞で倒
れた。倒れて伊豆にあるリハビリセンターへ入院した。これから先は、ヒロシ君の祖母から聞
いた話だ。

 祖父はヒロシ君が毎週、見舞いに来てくれるのを待って、ひげを剃らなかった。ヒロシ君がひ
げを剃ってくれるのを、何よりも楽しみにしていたそうだ。そしてそれが終わると、祖父とヒロシ
君は、センターの北にある神社へ、お参りに行くことになっていたという。

そこでのこと。帰る道すがら、祖父が、「お前はどんなことを祈ったか」と聞くと、ヒロシ君は、
「高校に合格しますようにと祈った」と。それを聞いた祖父が怒って、「どうしてお前は、わしの
病気が治るように祈らなかったか」と。そこでヒロシ君はあわてて神社へ戻り、もう一度、祈りな
おしたという。

 この話を聞いて以来、私は彼を、尊敬の念をこめて、「ヒロシ君(実名)」で呼ぶようになった。
とても呼び捨てにはできなかった。いろいろな子どもがいるが、実際には、ヒロシ君のような子
どももいる。

 今、いじめが問題になっている。しかしいじめられる子どもは、幸いである。心に大きな財産
を蓄えることができる。一方、いじめる子どもは、大きく自分の心を削る。そしていつか、そのこ
とで後悔するときがくる。世の中の人はバカばかりではない。しっかりと人を見る人がいる。そ
ういう人が、しかっりと判断する。ヒロシ君にしても、学校の先生には好かれ、浜松市内のK高
校を卒業したあと、東京のK大学へと進んでいる。ヒロシ君は、見るからに人格が違っていた。

 自分の子どもが、学校でいじめられているのを見るのは、つらいことだ。しかし問題は、いつ
どこで親が手を出し、いつどこで教師が手を出すかだ。いじめのない世界はないし、人はいじ
められながら成長し、そしてたくましくなる。つらいが、親も教師も、耐えるところでは耐える。そ
うでないと、子どもがひ弱になってしまう。

今はこういう時代だから、ちょっとした悪ふざけでも、「そら、いじめだ!」と、親は騒ぐ。が、こう
いう姿勢は、かえって子どもから自立心を奪う。もちろん陰湿ないじめや、限度を超えたいじめ
は別である。

しかしそれ以前の範囲なら、一に様子を見て、二にがまん。三、四がなくて、五に相談。親や教
師ができることといえば、せいぜい、子どもの肩に手をかけ、「お前はがんばっているんだよ」と
励ましてあげることでしか、ない。それは親や教師にとっては、とてもつらいことだが、親や教師
にも、できることには限度がある。その限度の中で、じっと耐えるのも、親や教師の務めではな
いかと、私は思う。

++++++++++++++++++++++

●いじめの背後にあるもの

繰りかえすが、だからといって、もちろんいじめを、私は肯定しているわけではない。容認して
いるわけでもない。しかしこの問題は、親たちが考えているより、はるかに根が深い。

 今のような、つまり、日本のような競争主義の世界では、強者、弱者は必然的に生まれる。
「勉強しなさい」という、親たちが何気なく使う言葉が、一方で、子どもたちの世界で、軋轢(あつ
れき)を生み出す。

 さらに人間という生物そのものが、本来的にかかえる問題もある。弱者を踏みにじりながら、
あるいは弱者を排斥しながら、人間は進化を重ねてきた。理性を超えた、本能の部分で、いじ
めが起こることもある。

 本来なら、社会のリーダーたちが、その弱者の立場で、政治を考え、社会を考えなければな
らない。しかしこの日本では、皮肉なことに、はげしい受験構想を勝ちぬいた、つまりは、勉強
しかしない。勉強しかできないような、いわゆる強者でないと、そのリーダーになれない。もとも
と弱者の視点そのものがない。

 文化の完成度は、弱者にいかにやさしい社会かで、決まる。そのやさしさがある社会を、完
成された社会と呼び、そうでない社会を、不完全な社会と呼ぶ。豪華な劇場や、豪華な道路で
はない。あくまでも、「心の中身」で決まる。

 こうした社会や、人間性の欠陥を補うため、制度として、いじめに苦しんでいる子どもを救う
方法も考えなければならない。たとえばこの日本では、子どもたちには、いつもひとつのコース
しかない。考えてみれば、これほど、おかしな制度もない。いまだにこの日本は、明治時代の
富国強兵策から生まれた学校制度を、かたくなに守っている。

 融通のきかない制度。多様性を認めない制度。実はそういう硬直した世界で、子どもたち自
身が、窒息している。親たちも、窒息している。いじめに限らず、学校教育がかかえるほとんど
の問題は、こうした硬直した制度から生まれる。受験競争しかり。荒廃しかり。校内暴力しか
り。

 いじめの問題を、本当に解決しようと考えたら、こうした部分にまでメスを入れなければならな
い。しかし、それは今の日本では、可能なのか?

●どう接したらよいか?

 そこで、こう考えては、どうだろうか。これは私の経験をもとに、「こうあってほしかった」という
視点から考えた方法である。

(1)徹底して、家庭を、憩いとやすらぎの場にする。……家庭を、子どもが外の世界で疲れた
心と体を休める場所にする。そのために「暖かい無視」を大切にする。子どもの世界を、親の
暖かい愛情で包み、一方、子ども自身が親の目をほとんど感じないほどまでに、無視する。こ
うしたケースで、子どものほうから、何か救いを求めてこない間は、親のほうから、あれこれ、
口を出すのは、かえって逆効果。

(2)あくまでも子どもの立場で考える。……こうしたケースで、「がんばれ」式の励まし。「こんな
ことでは」式の脅しは、タブー。それについては、もう書いた。大切なことは、子どもの苦しみを
共有すること。「あなたはダメになってしまう」式に、不安や心配を子どもにぶつけてはいけな
い。さらに「学校が悪い」「友だちが悪い」式に、怒りやうらみを、他人にぶつけてはいけない。
愚かな人間たちを、あわれんでやる。そういう姿勢が、子どもの心を溶かし、そして豊かにす
る。

(3)コースは一つではない。……幸せになる道は、決して一つではない。近道もないし、回り道
もない。子どもの世界について言うなら、「学校」だけが、コースではない。だからといって、学
校教育を否定しているのではない。ないが、その学校教育には、限界がある。「学校」を絶対
視してはいけない。大切なのは、そうした幻想から、自らを解き放つこと。親が、その幻想にと
りつかれている間は、子どももまた、その幻想から解き放たれることはない。集団に属さない
から、落ちこぼれという考え方は、まちがっている。完全にまちがっている。もしまちがっている
というのなら、では、いったい、この私はどうなのか。私は二〇代のはじめから、集団には、ま
ったく属していない。

(4)高い文化をめざそう。……先にも書いたように、文化の高さは、社会的弱者にいかにやさ
しいかで、決まる。そういう「やさしい社会」を、みんなでめざそう。こうした教育のまつわる最大
の欠陥は、実は、親たち自身にある。親たちは、自分の子どもがその渦中にいるときは、あれ
これ大きく問題にする。しかし子どもが、卒業し、「学校」から離れると、その問題から遠ざかっ
てしまう。逃げてしまう。私が何か、助言を求めても、「私たちは、もう終わりましたから」と。こう
した親の気持ちが、理解できないわけではない。しかしこうした親の「割り切り?」が、問題を順
に先送りしてしまう。むずかしいことではない。ごく日常的な、ほんの身のまわりから、「やさし
さ」を見つけ、それを育てていく。そういう小さな努力が、この日本を変える。

 注意すべきこともある。こうしたいじめを経験した子どもは、そのあと、大きく、二つのタイプに
分かれる。

 ひとつは、いじめの邪悪性に気づき、人間的に自らを昇華していくタイプ。もうひとつは、その
邪悪さに、染まっていくタイプ。後者の子どもは、いじめられた経験をもとに、今度は反対に、い
じめる側に回ることが多い。

 このいじめとは関係ないが、私は、このことを、自分がドン底に落とされたとき、発見した。そ
のことについて書いたのが、つぎの原稿である。話が少しわき道にそれるが、許してほしい。

++++++++++++++++++++++

●善人と悪人

 人間もどん底に叩き落とされると、そこで二種類に分かれる。善人と悪人だ。そういう意味で
善人も悪人も紙一重。大きく違うようで、それほど違わない。私のばあいも、幼稚園で講師にな
ったとき、すべてをなくした。母にさえ、「あんたは道を誤ったア〜」と泣きつかれるしまつ。私は
毎晩、自分のアパートへ帰るとき、「浩司、死んではダメだ」と自分に言ってきかせねばならな
かった。ただ私のばあいは、そのときから、自分でもおかしいと思うほど、クソまじめな生き方
をするようになった。酒もタバコもやめた。女遊びもやめた。

 もし運命というものがあるなら、私はあると思う。しかしその運命は、いかに自分と正直に立
ち向かうかで決まる。さらに最後の最後で、その運命と立ち向かうのは、運命ではない。自分
自身だ。それを決めるのは自分の意思だ。だから今、そういった自分を振りかえってみると、
自分にはたしかに運命はあった。しかしその運命というのは、あらかじめ決められたものでは
なく、そのつど運命は、私自身で決めてきた。自分で決めながら、自分の運命をつくってきた。
が、しかし本当にそう言いきってよいものか。

 もしあのとき、私がもうひとつ別の、つまり悪人の道を歩んでいたとしたら……。今もその運
命の中に自分はいることになる。多分私のことだから、かなりの悪人になっていただろう。自分
ではコントロールできないもっと大きな流れの中で、今ごろの私は悪事に悪事を重ねているに
違いない。が、そのときですら、やはり今と同じことを言うかもしれない。「そのつど私は私の運
命を、自分で決めてきた」と。……となると、またわからなくなる。果たして今の私は、本当に私
なのか、と。

 今も、世間をにぎわしている偉人もいれば、悪人もいる。しかしそういう人とて、自分で偉人に
なったとか、悪人になったとかいうことではなく、もっと別の大きな力に動かされるまま、偉人は
偉人になり、悪人は悪人になったのではないか。

たとえば私は今、こうして懸命に考え、懸命にものを書いている。しかしそれとて考えてみれ
ば、結局は自分の中にあるもうひとつの運命と戦うためではないのか。ふと油断すれば、その
ままスーッと、悪人の道に入ってしまいそうな、そんな自分がそこにいる。つまりそういう運命に
吸い込まれていくのがいやだからこそ、こうしてものを書きながら、自分と戦う。……戦ってい
る。

 私はときどき、善人も悪人もわからなくなる。どこかどう違うのかさえわからなくなる。みな、ち
ょっとした運命のいたずらで、善人は善人になり、悪人は悪人になる。今、善人ぶっているあな
ただって、悪人でないとは言い切れないし、また明日になると、あなたもその悪人になっている
かもしれない。そういうのを運命というのなら、たしかに運命というのはある。何ともわかりにく
い話をしたが、「?」と思う人は、どうかこのエッセイは無視してほしい。このつづきは、別のとこ
ろで考えてみることにする。

+++++++++++++++++++++++

【STさんへ】

 相談のメール、どうもありがとうございました。ここでは、「いじめ」について、少し別の角度か
ら考えてみました。参考になったかどうかは、わかりませんが、今、私が思っていることを、そ
のまま書いてみました。

 お嬢さんが苦しんでおられる様子は、メールの内容から、よくわかります。またよく理解できま
す。しかしこの問題がかかえる、最大の問題は、その怒りや悲しみを、ぶつける先がないという
ことです。だれに、どう訴えたらよいのかわからないまま、袋小路に入ってしまいます。

 本来なら、「そんなに苦しいのなら、学校なんて、行かなくてもいいのよ」と言ってあげたいで
すね。しかしそれが自然な形で言えるようになるには、親自身、さらには社会全体がもっている
意識を変えなければなりません。

 大切なことは、お嬢さんの「心」を守るということです。いえ、キズつくことから守るというのでは
ありません。こうしたキズには、必ず、二面性があります。キズを、自分の心のポケットにする
子どももいれば、さらに邪悪な心に転化してしまう子どももいるということです。

 その分かれ道は、「やさしさ」で決まります。今こそ、あなたという親のやさしさの、その真価が
試されるときだと思ってください。あなたの愛情と、それから生まれ出るやさしさがあれば、あな
たのお嬢さんの心がゆがむということは、ありえません。どうか、それを信じて、前向きに進ん
でください。

 悲しいことに、いじめる側は、ほとんど無意識のまま、半ば「遊び」の連続として、それをしま
す。本人たちに、いじめているという意識そのものがないのが、ふつうです。言いかえると、こち
ら側が、まじめに考えるのが、アホらしくなるほどです。だったら、無視すればよいのです。とい
っても、それは口で言うほど、簡単なことではないですが……。

 そこでどうでしょう。こう考えては……。

 親は、子どもを産んで親になりますが、真の親になる道は、遠い、です。野を越え、山を越
え、嵐の中をくぐり抜けながら、前に進む。そしてその結果として、親は、子どもによって、真の
親へと育てられる。

 STさんがかかえておられる問題が、決して簡単な問題だと言っているのではありません。し
かしこの問題も、前向きにとらえることによって、あなたはあなたとして、それを自分を成長させ
るための道具とすることができるということです。

 そうです。これは深刻な問題です。先にも書いたように、社会全体、あるいは人間が本性とし
てかかえる問題です。だったら、みんなで、この問題を考えていこうではありませんか。……つ
まり、私がここでいう「前向き」というのは、そういう姿勢をいいます。

 本当に、無力で、ごめんなさい。しかしね、STさん。こうした無力感は、今、始まったばかりで
すよ。これから先、STさんも、親として、無数の無力感を覚えるはずです。どうしようもないカベ
にぶつかりながら、そのつど、「許して忘れる」。子育ては、まさにその連続です。

 一つ、視点を外に向ければ、格差、貧困、不公平社会。さらに外に向ければ、争い、飢餓、
戦争。いやおうなしに、子どもたちは、そういう世界に巻きこまれていきます。

 たとえば、こんなこともあります。私の息子の一人も、タバコを吸っています。それまでははげ
しく禁煙運動をしていた私ですが、以後、禁煙運動はやめました。無力感というか、大きな挫折
感を覚えたからです。

 しかし今、そういう息子を振りかえりながら、息子には息子の、タバコを吸いたくなるような、
心の状態があったことが理解できます。そして一方に、エイズだの、麻薬など、そういう問題が
あります。今では、「タバコなど、何でもないなあ」と思うようになってしまいました。

 こうした無力感を感ずるうちに、これは私のばあいですが、その怒りを、外に向けるようにな
りました。今、こうして評論活動をつづけているのも、その一つです。で、私たちが、親としてせ
いぜいできることと言えば、キズついて帰ってくる息子や娘たちが、心や体を休める場所を、静
かに提供することぐらいでしか、ありません。「いつでも、疲れたら、もどっておいで」とです。と
てもつらいことですが、そっと暖かく、見守ることでしかないということです。

 何の力にもなれません。たいへん、申し訳なく思っています。ただそれがどんな形であれ、あ
なたのお嬢さんは、今、懸命に、戦いながら生きています。いじめの問題はさておき、私はそう
いう姿の中に、懸命に生きる人間の尊さというか、美しさを感じます。どうかそういう視点で、あ
なたのお嬢さんの成長を、見守ってあげてください。約束します。あなたのお嬢さんが、この問
題を乗り切ったとき、あなたのお嬢さんは、まちがいなくすばらしい人間に成長します。そしてあ
なた自身も、すばらしい人間に成長します。

 どうかそれを信じて、前向きに、ただひたすら前向きに、進んでみてください。

 いっしょに、弱い人をいじめる、アホな連中を、あわれんでやろうでは、ありませんか。
 いっしょに、弱い人をいじめる、バカな連中を、あわれんでやろうでは、ありませんか。
 そんな気持を忘れずに。それが、私たちの、やさしさなのです。
(030922)

         ,ミヽ  ミヽ
         へ ミ ヽ へ ミヽ
        ∂  ミミ∂ へミミ
        ζ  っノι ∂ ミミ8彡
        ヒ___ノ 人v "丿彡'
    |)─○  / ヽ  `>−<
     // \\_/_∧ \_/_/ ヽ ≡=   賛助会にどうか、ご入会ください。
   ___//  \_/_ξ ̄ ̄ノ_ __)      現在、お礼に、イラスト(額つき)を
  / _ \  / ____ ̄フ _____ノ  ≡=−   送っています。
  // \ \ / /   ̄/ /   ̄)
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ロック・グループ

 豊橋から帰るとき、ローカル線にのった。いつもだったらガラガラの電車のはずだが、今日
は、違った。ラッシュアワー時の、山手線のようだった。「何ごとか?」と思ったが、それをだれ
かに聞くのも、おかしな話だ。私も、その中の一人だった。

 が、理由は、やがてわかった。電車が新居(あらい)駅を過ぎて、浜名湖へさしかかったとき
のこと。隣に立っていた若い女性たちが、「これが浜名湖オ〜?」と、いっせいに声をあげた。
どうやら、遠くから来たらしい。瞬間、「国体の応援か」と思ったが、雰囲気が違う。

 で、電車は、弁天駅にやってきたとき、若者たちが騒いでいるほうに視線をやると、ゾロゾロ
と人が歩いているのが見えた。「何かあるんですか?」と、視線が合った若い女性に声をかけ
ると、こう答えた。「Bのライブよ」と。

 「B?」
 「そう、B……」

 その女性は、Bも知らないのという目つきで、私を見た。そういうときの若者の心をよく知って
いる。老人から見れば、すべての若者は、バカに見える。同時に若者から見れば、すべての老
人は、バカに見える。

 B……人気ロック・グループのBをいう。三男が中学生のときから活躍しているから、もう一〇
年以上ということになる。それにしても、すごい人気だ。何といっても、動員力がすごい。ローカ
ル線を満員にした!

 弁天駅を出ると、電車は、今度は、カラッポになった。私は、その電車の中で、こう思った。
「もう、私の時代は、終わったな」と。どうしてかわからないが、そう思った。私はBというロック・
グループの名前を知らなかった。曲を聞いたこともない。彼らと、同じ日本人だというのに…
…。

 私は、子ども相手に、仕事をしているのではないのか?
 私は、子どもの世界を、何でもよく知っているはずではないのか?
 私は、未来の子どもたちのために、ものを考え、行動しているのではないのか?

 その私が、何も知らない。私と彼らは、まるで外国人どうし。日本語を話すということをのぞけ
ば、私と中国人、あるいは私とK国人。どこがどう違うというのか。それは、何というか、絶望感
のようなものだった。絶対勝ち目のない試合を前にしたときのような気分だった。

 若い父親や母親にはわからないかもしれない。しかしいつか、順ぐりに、あなたも私と同じ経
験をするはず。それはさみしくも、わびしい瞬間。しかしそのとき、あなたはひょっとしたら、こう
思うかもしれない。

 「私にも、ああいう時代があったなあ」と。そしておもむろに、こう言って、自分を納得させる。
「今度は、彼らが楽しむ番だ」と、

 私は、そう思って、自宅近くの高塚駅へおりた。外は、台風の影響で、小雨が降っていた。
(030920)

           ◯   
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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

英語

 このところ英文を訳していると、ほかでは感じない疲れを覚えるようになった。脳ミソの中で
も、英語を訳す部分は、使う部分が違うらしい。

 こうした現象は、ほかでも経験する。たとえば私は、単純な反復作業が苦手。すぐイライラし
てしまう。あるいはさがしものをしているときも、そうだ。

 脳ミソというのは、部分によって、それぞれが別の働きをもっているようだ。言いかえると、そ
のつどいろいろな部分を鍛えておかないと、やがて使いものにならなくなるということ。部分的
には、活発に動いていても、ほかの部分がダメになるということは、理論的には考えられる。

 そこでまた、あえて英文を訳してみる。訳しながら、あれこれ考えてみる。テーマは、「人生
論」。

●人生論

As long as a man stands in his own way, everything seems to be in his way: government, 
society, and even the sun, moon and stars. - Henry David Thoreau
人が、その本文を忘れないかぎり、すべてのものは、うまくいく。政府にせよ、社会にせよ、太
陽や月や星にせよ。(ソロー)

Disobedience is the true foundation of liberty. The obedient must be slaves. - Henry David 
Thoreau
不服従は、自由の源泉である。服従的な人は、奴隷でしかない。(ソロー)

If I have got false teeth, I trust that I have not got a false conscience. It is safer to employ 
the dentist than the priest to repair the deficiencies of nature. - Henry David Thoreau
もし私が入れ歯をしたとしても、私は、ニセの意識をもったとは思わない。自然の欠陥をなおす
ために牧師を雇うよりも、歯医者を雇ったほうが、安全だ。(ソロー)

Obstacles are those frightful things we see when we take our eyes off our goal. - Henry Ford
障害なんてものはね、目標から目をそらしたときに見る、恐ろしいもののことだよ。(=目標か
ら、目をそらすまで、障害はない。)(ヘンリー・フォード)

Don't do anything by half. If you love someone, love them with all your soul. When you go to 
work, work your ass off. When you hate someone, hate them until it hurts. - Henry Rollins
何でも中途半端なことをするな。だれかを愛するなら、心底、徹底的に愛せよ。仕事をするな
ら、ケツの穴が抜けるほど仕事をせよ。だれかを憎むなら、それで自分の心が痛むまで、徹底
的に憎め。(ヘンリー・ロリンズ)

Never let your sense of morals keep you from doing what is right. - Isaac Asimov
正しいことをするために、あなたの道徳を眠らせてはいけない。

For every problem, there exists a simple and elegant solution which is absolutely wrong. - J. 
Wagoner, U.C.B. Mathematics
どんな問題にも、それを快活するためにの、完ぺきにまちがっているところの、簡単で、魅惑
的な方法がある。

If something is boring after two minutes, try it for four. If still boring, then eight. Then 
sixteen. Then thirty-two. Eventually one discovers that it is not boring at all. - John Cage
二分間してみて、退屈に感じたら、四分間してみろ。それでだめなら八分間してみろ。さらに一
六分間してみろ。つぎに三二分間だ。そうすれば結果的に、あなたはそれが退屈でないと、知
るだろう。(J・ケイジ)

Man will often act and live as though he were apart from his body, as if improving it from 
the outside. - Karl Marx
男というのは、しばしば彼の肉体を離れているかのように行動し、生きるもの。あたかも肉体を
外から改善するかにように。(カール・マルクス)

When you are content to be simply yourself and don't compare or compete, everybody will 
respect you - Lao-Tzu
ただ自分に満足すればよい。戦うために比較するな。そうすれば皆があなたを尊敬するように
なるだろう。(ラオ・ツ)

The real question of life after death isn't whether or not it exists, but even if it does, what 
problems this really solves. - Ludwig Wittgenstein
死後の世界があるかどうかは、問題ではない。仮に存在したとしても、それがどんな問題を解
決するというのか。(L・ウィッチンゲンスタイン)

If the brain were so simple we could understand it, we would be so simple we couldn't. - 
Lyall Watson
脳ミソがそんなにも単純なもので、それを理解したとしても、我々は、そんなふうに理解できる
ほど、単純ではない。(L・ワットソン)

First they ignore you, then they laugh at you, then they fight you, then you win. - Mahatma 
Ghandi
最初は彼らがあなたを無視する。つぎに、あざ笑い、それからあなたに戦いをいどんでくる。そ
のとき、あなたは勝つ。(マハトマ・ガンジー)

In the end, we will remember not the words of our enemies, but the silence of our friends. - 
Martin Luther King Jr.
最後には、あなたは敵の言葉ではなく、友の沈黙のほうを覚えているだろう。(マーティンルー
サー・キング・Jr)

If a man hasn't discovered something that he will die for, he isn't fit to live. - Martin Luther 
King Jr.
死ぬための何かを発見することに失敗した人は、生きるのに適していないということ。(マーティ
ンルーサー・キング・Jr)

●広い世界

 要するに、いかにして自分の住む世界を広くするかということ。脳ミソのレベルでいうなら、い
ろいろな部分を刺激しつづけること。決して、かたよってはいけない。そう言えば、昔、こんな人
がいた。

 その人は、数学の世界では、かなり名の知られた人だった。小学校の算数教育の世界で
は、とくに有名だった。しかしその人は、五〇歳をすぎるころから、今でいうアルツハイマー型
痴呆症にかかっていたと思う。

 言うことなすこと、メチャメチャで、トンチンカンだったが、数学の問題だけは、難解な問題で
も、スラスラと解いていた。つまり彼のばあい、脳ミソのほかの部分は、おかしくなったが、数学
の問題を解く部分だけは、そうでなかったということ。もっとも、その部分も、やがてあとを追い
かけるように、おかしくなったが、そういうことはある。

 脳ミソ全体を活性化するためには、いろいろな方面に興味をもち、そのつどチャレンジしてい
かねばならない。たとえば、いわゆる専門バカになるのは、たいへん危険なことである。その部
分は活性化するかもしれないが、ほかの部分が、ダメになってしまう。

 ……と書いて、「では、私はだいじょうぶか?」と、今、思った。冒頭に書いたように、英文を翻
訳していると、昔は感じなかった、疲れを覚えるようになった。これはどういう現象によるもの
か。

 一説によると、言語野は左脳にあるという。しかし英語の意味を直感的に考える部分は、右
脳にあるという。となると、私が感ずる疲れは、左脳と右脳が情報をやり取りする部分、つまり
脳梁(のうりょう)に原因があるのではないか、ということになる。(あくまでも素人判断だが…
…。)

 そう言えば、このところ絵を描かなくなった。作曲もしなくなった。少なくとも、この一〇年、ほと
んど、していない。そういう点では、右脳がつかさどっているとされる、クリエイティブな力が落ち
てきたかもしれない。

 いかにして、脳ミソ全体を使っていくか。脳ミソに新しい刺激を与えていくか。ひとつの実験と
して、ポルノ小説を書いてみる。(あくまでも、創作小説だぞ!) あなたの脳ミソを活性化する
のにも、少しは役だつかもしれない。

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【ポルノ小説】

まじめな方、抵抗力のない方は、
どうか読まないでほしい!

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【あまりにも過激なので、省略しました。】



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 このポルノを書いているとき、当然のことながら、つぎつぎとヒワイな思いが、頭の中に浮か
んできた。しかし私は、こういう文章を、めったに書かない。書かないというより、こうした論理
的でない文章を書くのは、得意ではない。一度書いてみたいと思いつつ、実行したことがない。

 そこで私の脳ミソの動きを、静かに観察してみる。一つの変化は、どこか気分が浮ついてい
るということ。心臓の鼓動も速くなったようだ。それにつぎつぎと、いろいろな女性の体が、頭の
中に浮かんできては消える。

 しかしこうなると、反対に、もう論理的な文章は書けない。恐らく本能的な興奮が、脳全体を
支配し、左脳すらも、その支配下に置いたためではないか。つまり、ここらあたりで、一度、頭
を冷やしたほうがよいということ。

 これから居間へ行って、お茶を飲んでくることにする。このままでは、仕事にならない。実験
は、失敗?
(030921)

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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
11・18 ……三重県紀伊長島町(紀伊長島町PTA連絡協議会)
11・16 ……愛知県立田村・教育委員会
11・ 8 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・23 ……奥山小学校
10・18 ……天竜中学校区健全育成会(天竜中、中ノ島小、和田東小、和田小合同)
10・13 ……浜松市上島にて(ママアンドパパス・保育所開園式)
10・11 ……浜北市・内野小学校
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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