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《11》
 BOX(インターネット・ストーレッジ版)

BOX Essays 版 ……●
2003年 05月22日
2003年 07月13日
上記BOXへアクセスできないときは、直接……●

件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■5-22A

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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03−5−22号(230)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
● 5月19日(月)愛知県枇杷島家庭教育推進協議会 
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    /八))))ハ   ミミヽ
    / / へ へ   へ ミミ  ─┐     今日のメニュー
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    )("  ) ")  ζ  ∂ ぅ             【2】Touch your Heart
   / 八 ー 八┐ ( __  ノ─┐           【3】子育てエッセー
   ((  >−< | >−< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  / みなさんからいただきましたテーマを
  / \   (3-─┼─-ε)  /   マガジンに反映させています。お声を
  ──────────────┐    どうか、お届けください!
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
新子育て格言(5)

●不安がデマを呼ぶ

毎年、受験期が近づくと、いろいろなデマが飛び交うようになる。おもしろいのは(失礼!)、毎
年、同じデマだということ。親にしてみれば、その年一回だけだから、それがわからない。しか
し毎年みていると、それがわかる。もっと言えば、毎年親や子どもは移り変わるが、親や子ども
の質は変わらないということ。

 S小学校の入試についても、今までこんなデマがあった。

○今年は受験者数が多い。男子(もしくは女子)が、とくに多いので、不利。
○学校の内部資料(合格基準)が漏れている。一〇〇万円出せば、手に入る。
○幼稚園から内申書が行くようになった。幼稚園の先生には、よくしておいたほうがよい。
○不合格者も、四〇〇万円寄付すれば、合格にしてもらえる。
○親の職業が重要視される。母子家庭の子どもは合格できない。
○S小学校の現役(もしくは退職)教師が、個人レッスンをしている。受けたほうが有利。

さらに具体的になると、「ハサミやホッチキスが使えない子どもは合格できない」「あいさつがき
ちんとできなければ、不利」「野菜の名前をすべて知っていないと、合格できない」などなど。こ
れらすべてが、デマ(ウソ)だから、すさまじい。

 こうしたデマの背景には、親の不安がある。その不安が、正常な判断力をなくし、ふつうなら
(?)と思うような話まで、信じてしまう。そしてそれが人から人へと伝わるうちに、勝手にどんど
んとふくらんでいってしまう。

 「受験」という制度は避けては通れないものかもしれないが、しかし合格したからといって、そ
の人が優秀だとか、反対に不合格だったから、その人が劣っているということにはならない。だ
いたいにおいて、基準そのものが、いいかげんである。どこがどう「いいかげんか」ということに
なると、話が長くなるが、ともかくも、いいかげんである。そういうものを基準にして、人間の価
値まで決められたら、たまらない。

 もっとも親が不安になるのは、親の勝手。デマを飛ばしあうのも、親の勝手。しかしその不安
を子どもにぶつけてはいけない。あるいはそのデマで、子育てを見失ってはいけない。私はと
きどき親たちにこう言う。「あるがままの子どもを育てましょう。そういう子どもがダメだというの
なら、こちらからそんな学校は、蹴飛ばしてやりましょう!」と。親が子どもの心を守らなかった
ら、だれが守る? そんな心構えも、子どもの受験には必要だということ。


●夫婦円満は、教育の要

子どもは絶対的な安心感のある家庭で、心をはぐくむことができる。「絶対的」というのは、疑
いを抱かないということ。そのためには、子どもの前では、夫婦は円満に。よく誤解されるが、
夫婦が子どもの前でベタベタする姿を見せるのは、悪いことではない。悪いことでないことは、
外国へ行ってみればわかる。欧米の夫婦は、(もちろん仲のよい夫婦だが)、日常的にベタベ
タしている。日本人の私たちが見ていても、恥ずかしいほどだが、だからといって、子どもがど
うこうということはない。子どもたちは子どもたちで、ごく日常的な光景として、それを受け入れ
てしまっている。

 一般論として、心豊かな家庭で、親の愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、どっしりとした
落ち着きがある。態度も大きく、ばあいによっては、ふてぶてしい。そうでない子どもは、どこか
セカセカいて、愛想はよいが、心を許さない。許さない分だけ、心をゆがめやすい。ひねくれ
る、いじける、ひがむ、つっぱるなど。が、夫婦が円満であることには、もっと大切な意味があ
る。

 子どもは親たちが、助けあい、いたわりあい、慰めあい、励ましあい、教えあう姿を見て、自
分の中に、あるべき家庭像や夫婦像をつくる。つまりそういう家庭で育った子どもは、いつか自
分が親になったとき、自然な形で、よい家庭や夫婦関係を築くことができる。そうでなければそ
うでない。これも一般論だが、不幸にして不幸な家庭に育った人ほど、夫婦関係や親子関係
が、ぎくしゃくしやすい。「親像」「家庭像」が、脳にインプットされていないとみる。このタイプの
人は、「いい家庭をつくろう」「いい親にならなければ」という気負いばかりが先行する。いわゆ
る「気負い先行型」の子育てというのは、こういう子育てをいうが、親が気負えば気負うほど、
親も疲れるが、子どもも疲れる。この疲れが、たがいの間に、ミゾを入れる。

 ……だからといって、不幸な家庭に育った人が、すべてよい家庭作りに失敗するというので
はない。人間は、学習によって、あるべき夫婦や、あるべき家庭の姿を学ぶことができる。友
人や知人の家庭を見たり、親類や映画の中の家庭を見たりして、それを自分のものにするこ
とができる。いろいろ回り道をすることはあるかもしれないが、幸福な家庭や、よい親子関係を
築いている人は、いくらでもいる。

 ともかくも、子どもの前では、夫婦は円満に。中には、「夫婦げんかは子どもに見せろ。意見
の対立を教えるにはよい機会だ」(C大元教授)と、とんでもないことを言う人もいる。夫婦で哲
学論争でもするならともかくも、ほとんどの夫婦げんかは、とるにたりない痴話げんか。そんな
ものは子どもに見せる必要はない。見せてはならない。


     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<          
    /†_____†ヽ//      心豊かで、暖かい子育てをめざしましょう。
    ( ('    ξヽ        みんなでがんばれば、日本の子育ては
  ┏ ||   o//\) )(      変わります。よくなります。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

不安なあなたへ

 埼玉県に住む、一人の母親(ASさん)から、「子育てが不安でならない」というメールをもらっ
た。「うちの子(小三男児)今、よくない友だちばかりと遊んでいる。何とか引き離したいと思い、
サッカークラブに入れたが、そのクラブにも、またその友だちが、いっしょについてきそうな雰囲
気。『入らないで』とも言えないし、何かにつけて、不安でなりません」と。

 子育てに、不安はつきもの。だから、不安になって当たり前。不安でない人など、まずいな
い。が、大切なことは、その不安から逃げないこと。不安は不安として、受け入れてしまう。不
安だったら、大いに不安だと思えばよい。わかりやすく言えば、不安は逃げるものではなく、乗
り越えるもの。あるいはそれとじょうずにつきあう。それを繰りかえしているうちに、心に免疫性
ができてくる。私が最近、経験したことを書く。

 横浜に住む、三男が、自動車で、浜松までやってくるという。自動車といっても、軽自動車。
私は「よしなさい」と言ったが、三男は、「だいじょうぶ」と。で、その日は朝から、心配でならなか
った。たまたま小雨が降っていたので、「スリップしなければいいが」とか、「事故を起こさなけ
ればいいが」と思った。

 そういうときというのは、何かにつけて、ものごとを悪いほうにばかり考える。で、ときどき仕事
先から自宅に電話をして、ワイフに、「帰ってきたか?」と聞く。そのつど、ワイフは、「まだよ」と
言う。もう、とっくの昔に着いていてよい時刻である。そう考えたとたん、ザワザワとした胸騒
ぎ。「車なら、三時間で着く。軽だから、やや遅いとしても、四時間か五時間。途中で食事をして
も、六時間……」と。

 三男は携帯電話をもっているので、その携帯電話に電話しようかとも考えたが、しかし高速
道路を走っている息子に、電話するわけにもいかない。何とも言えない不安。時間だけが、ジ
リジリと過ぎる。

 で、夕方、もうほとんど真っ暗になったころ、ワイフから電話があった。「E(三男)が、今、着い
たよ」と。朝方、出発して、何と、一〇時間もかかった! そこで聞くと、「昼ごろ浜松に着いた
けど、友だちの家に寄ってきた」と。三男は昔から、そういう子どもである。そこで「あぶなくなか
ったか?」と聞くと、「先月は、友だちの車で、北海道を一周してきたから」と。北海度! 一
周! ギョッ!

 ……というようなことがあってから、私は、もう三男のドライブには、心配しなくなった。「勝手
にしろ」という気持ちになった。で、今では、ほとんど毎月のように、三男は、横浜と浜松の間
を、行ったり来たりしている。三男にしてみれば、横浜と浜松の間を往復するのは、私たちがそ
こらのスーパーに買い物に行くようなものなのだろう。今では、「何時に出る」とか、「何時に着
く」とか、いちいち聞くこともなくなった。もちろん、そのことで、不安になることもない。

 不安になることが悪いのではない。だれしも未知で未経験の世界に入れば、不安になる。こ
の埼玉県の母親のケースで考えてみよう。

 その母親は、こう訴えている。

●親から見て、よくない友だちと遊んでいる。
●何とか、その友だちから、自分の子どもを離したい。
●しかしその友だちとは、仲がよい。
●そこで別の世界、つまりサッカークラブに自分の子どもを入れることにした。
●が、その友だちも、サッカークラブに入りそうな雰囲気になってきた。
●そうなれば、サッカークラブに入っても、意味がなくなる。

小学三年といえば、そろそろ親離れする時期でもある。この時期、「○○君と遊んではダメ」と
言うことは、子どもに向かって、「親を取るか、友だちを取るか」の、択一を迫るようなもの。子
どもが親を取ればよし。そうでなければ、親子の間に、大きなキレツを入れることになる。そん
なわけで、親が、子どもの友人関係に干渉したり、割って入るようなことは、慎重にしたらよい。

 その上での話しだが、この相談のケースで気になるのは、親の不安が、そのまま過関心、過
干渉になっているということ。ふつう親は、子どもの学習面で、過関心、過干渉になりやすい。
子どもが病弱であったりすると、健康面で過関心、過干渉になることもある。で、この母親のば
あいは、それが友人関係に向いた。

 こういうケースでは、まず親が、子どもに、何を望んでいるかを明確にする。子どもにどうあっ
てほしいのか、どうしてほしいのかを明確にする。その母親は、こうも書いている。「いつも私の
子どもは、子分的で、命令ばかりされているようだ。このままでは、うちの子は、ダメになってし
まうのでは……」と。

 親としては、リーダー格であってほしいということか。が、ここで誤解してはいけないことは、
今、子分的であるのは、あくまでも結果でしかないということ。子どもが、服従的になるのは、そ
もそも服従的になるように、育てられていることが原因と考えてよい。決してその友だちによっ
て、服従的になったのではない。それに服従的であるというのは、親から見れば、もの足りない
ことかもしれないが、当の本人にとっては、たいへん居心地のよい世界なのである。つまり子ど
も自身は、それを楽しんでいる。

 そういう状態のとき、その友だちから引き離そうとして、「あの子とは遊んではダメ」式の指示
を与えても意味はない。ないばかりか、強引に引き離そうとすると、子どもは、親の姿勢に反発
するようになる。(また反発するほうが、好ましい。)

 ……と、ずいぶんと回り道をしたが、さて本題。子育てで親が不安になるのは、しかたないと
しても、その不安感を、子どもにぶつけてはいけない。これは子育ての大鉄則。親にも、できる
ことと、できないことがある。またしてよいことと、していけないことがある。そのあたりを、じょう
ずに区別できる親が賢い親ということになるし、それができない親は、そうでないということにな
る。では、どう考えたらよいのか。いくつか、思いついたままを書いてみる。

●ふつうこそ、最善

 朝起きると、そこに子どもがいる。いつもの朝だ。夫は夫で勝手なことをしている。私は私で
勝手なことをしている。そして子どもは子どもで勝手なことをしている。そういう何でもない、ごく
ふつうの家庭に、実は、真の喜びが隠されている。

 賢明な人は、そのふつうの価値を、なくす前に気づく。そうでない人は、なくしてから気づく。健
康しかり、若い時代しかり。そして子どものよさ、またしかり。

 自分の子どもが「ふつうの子」であったら、そのふつうであることを、喜ぶ。感謝する。だれに
感謝するというものではないが、とにかく感謝する。

●ものには二面性

 どんなものにも、二面性がある。見方によって、よくも見え、また悪くも見える。とくに「人間」は
そうで、相手がよく見えたり、悪く見えたりするのは、要するに、それはこちら側の問題というこ
とになる。こちら側の心のもち方、一つで決まる。イギリスの格言にも、『相手はあなたが相手
を思うように、あなたを思う』というのがある。心理学でも、これを「好意の返報性」という。

 基本的には、この世界には、悪い人はいない。いわんや、子どもを、や。一見、悪く見えるの
は、子どもが悪いのではなく、むしろそう見える、こちら側に問題があるということ。価値観の限
定(自分のもっている価値観が最善と決めてかかる)、価値観の押しつけ(他人もそうでなけれ
ばならないと思う)など。

 ある母親は、長い間、息子(二一歳)の引きこもりに悩んでいた。もっとも、その引きこもり
が、三年近くもつづいたので、そのうち、その母親は、自分の子どもが引きこもっていることす
ら、忘れてしまった。だから「悩んだ」というのは、正しくないかもしれない。

 しかしその息子は、二五歳くらいになったときから、少しずつ、外の世界へ出るようになった。
が、実はそのとき、その息子を、外の世界へ誘ってくれたのは、小学時代の「ワルガキ仲間」
だったという。週に二、三度、その息子の部屋へやってきては、いろいろな遊びを教えたらし
い。いっしょにドライブにも行った。その母親はこう言う。「子どものころは、あんな子と遊んでほ
しくないと思いましたが、そう思っていた私がまちがっていました」と。

 一つの方向から見ると問題のある子どもでも、別の方向から見ると、まったく別の子どもに見
えることは、よくある。自分の子どもにせよ、相手の子どもにせよ、何か問題が起き、その問題
が袋小路に入ったら、そういうときは、思い切って、視点を変えてみる。とたん、問題が解決す
るのみならず、その子どもがすばらしい子どもに見えてくる。

●自然体で

 とくに子どもの世界では、今、子どもがそうであることには、それなりの理由があるとみてよ
い。またそれだけの必然性があるということ。どんなに、おかしく見えるようなことでも、だ。たと
えば指しゃぶりにしても、一見、ムダに見える行為かもしれないが、子ども自身は、指しゃぶり
をしながら、自分の情緒を安定させている。

 そういう意味では、子どもの行動には、ムダがない。ちょうど自然界に、ムダなものがないの
と同じようにである。そのためおとなの考えだけで、ムダと判断し、それを命令したり、禁止した
りしてはいけない。

 この相談のケースでも、「よくない友だち」と親は思うかもしれないが、子ども自身は、そういう
友だちとの交際を求めている。楽しんでいる。もちろんその子どものまわりには、あくまでも親
の目から見ての話だが、「好ましい友だち」もいるかもしれない。しかし、そういう友だちを、子
ども自身は、求めていない。居心地が、かえって悪いからだ。

 子どもは子ども自身の「流れ」の中で、自分の世界を形づくっていく。今のあなたがそうである
ように、子ども自身も、今の子どもを形づくっていく。それは大きな流れのようなもので、たとえ
親でも、その流れに対しては、無力でしかない。もしそれがわからなければ、あなた自身のこと
で考えてみればよい。

 もしあなたの親が、「○○さんとは、つきあってはだめ」「△△さんと、つきあいなさい」と、いち
いち言ってきたら、あなたはそれに従うだろうか。……あるいはあなたが子どものころ、あなた
はそれに従っただろうか。答は、ノーのはずである。

●自分の価値観を疑う

 常に親は、子どもの前では、謙虚でなければならない。が、悪玉親意識の強い親、権威主義
の親、さらには、子どもをモノとか財産のように思う、モノ意識の強い親ほど、子育てが、どこか
押しつけ的になる。

 「悪玉親意識」というのは、つまりは親風を吹かすこと。「私は親だ」という意識ばかりが強く、
このタイプの親は、子どもに向かっては、「産んでやった」「育ててやった」と恩を着せやすい。
何か子どもが口答えしたりすると、「何よ、親に向かって!」と言いやすい。

 権威主義というのは、「親は絶対」と、親自身が思っていることをいう。

 またモノ意識の強い人とは、独特の話しかたをする。結婚して横浜に住んでいる息子(三〇
歳)について、こう言った母親(五〇歳)がいた。「息子は、嫁に取られてしまいました。親なんて
さみしいもんですわ」と。その母親は、息子が、結婚して、横浜に住んでいることを、「嫁に取ら
れた」というのだ。

 子どもには、子どもの世界がある。その世界に、謙虚な親を、賢い親という。つまりは、子ど
もを、どこまで一人の対等な人間として認めるかという、その度量の深さの問題ということにな
る。あなたの子どもは、あなたから生まれるが、決して、あなたの奴隷でも、モノでもない。「親
子」というワクを超えた、一人の人間である。

●価値観の衝突に注意

 子育てでこわいのは、親の価値観の押しつけ。その価値観には、宗教性がある。だから親子
でも、価値観が対立すると、その関係は、決定的なほどまでに、破壊される。私もそれまでは
母を疑ったことはなかった。しかし私が「幼児教育の道を進む」と、はじめて母に話したとき、母
は、電話口の向こうで、「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア!」と泣き崩れてしまった。私が二三
歳のときだった。

 しかしそれは母の価値観でしかなかった。母にとっての「ふつうの人生」とは、よい大学を出
て、よい会社に入社して……という人生だった。しかし私は、母のその一言で、絶望の底にた
たき落とされてしまった。そのあと、私は、一〇年ほど、高校や大学の同窓会でも、自分の職
業をみなに、話すことができなかった。

●生きる源流に 

 子育てで行きづまりを感じたら、生きる源流に視点を置く。「私は生きている」「子どもは生き
ている」と。そういう視点から見ると、すべての問題は解決する。

 若い父親や母親に、こんなことを言ってもわかってもらえそうにないが、しかしこれは事実で
ある。「生きている源流」から、子どもの世界を見ると、よい高校とか、大学とか、さらにはよい
仕事というのが、実にささいなことに思えてくる。それはゲームの世界に似ている。「うちの子
は、おかげで、S高校に入りました」と喜んでいる親は、ちょうどゲームをしながら、「エメラルド
タウンで、一〇〇〇点、ゲット!」と叫んでいる子どものようなもの。あるいは、どこがどう違うの
というのか。(だからといって、それがムダといっているのではない。そういうドラマに人生のお
もしろさがある。)

 私たちはもっと、すなおに、そして正直に、「生きていること」そのものを、喜んだらよい。また
そこを原点にして考えたらよい。今、親であるあなたも、五、六〇年先には、この世界から消え
てなくなる。子どもだって、一〇〇年先には消えてなくなる。そういう人間どうしが、今、いっしょ
に、ここに生きている。そのすばらしさを実感したとき、あなたは子育てにまつわる、あらゆる
問題から、解放される。

●子どもを信ずる

 子どもを信ずることができない親は、それだけわがままな親と考えてよい。が、それだけでは
すまない。親の不信感は、さまざまな形で、子どもの心を卑屈にする。理由がある。

 「私はすばらしい子どもだ」「私は伸びている」という自信が、子どもを前向きに伸ばす。しかし
その子どものすぐそばにいて、子どもの支えにならなければならない親が、「あなたはダメな子
だ」「心配な子だ」と言いつづけたら、その子どもは、どうなるだろうか。子どもは自己不信か
ら、自我(私は私だという自己意識)の形成そのものさえできなくなってしまう。へたをすれば、
一生、ナヨナヨとしたハキのない人間になってしまう。

【ASさんへ】

メール、ありがとうございました。全体の雰囲気からして、つまりいただいたメールの内容は別
として、私が感じたことは、まず疑うべきは、あなたの基本的不信関係と、不安の根底にある、
「わだかまり」ではないかということです。

 ひょっとしたら、あなたは子どもを信じていないのではないかということです。どこか心配先行
型、不安先行型の子育てをなさっておられるように思います。そしてその原因は何かといえ
ば、子どもの出産、さらにはそこにいたるまでの結婚について、おおきな「わだかまり」があった
ことが考えられます。あるいはその原因は、さらに、あなた自身の幼児期、少女期にあるので
はないかと思われます。

 こう書くと、あなたにとってはたいへんショックかもしれませんが、あえて言います。あなた自
身が、ひょっとしたら、あなたが子どものころ、あなたの親から信頼されていなかった可能性が
あります。つまりあなた自身が、(とくに母親との関係で)、基本的信頼関係を結ぶことができな
かったことが考えられるということです。

 いうまでもなく基本的信頼関係は、(さらけ出し)→(絶対的な安心感)というステップを経て、
形成されます。子どもの側からみて、「どんなことを言っても、またしても許される」という絶対的
な安心感が、子どもの心をはぐくみます。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味
です。

 これは一般論ですが、母子の間で、基本的信頼関係の形成に失敗した子どもは、そのあと、
園や学校の先生との信頼関係、さらには友人との信頼関係を、うまく結べなくなります。どこか
いい子ぶったり、無理をしたりするようになったりします。自分をさらけ出すことができないから
です。さらに、結婚してからも、夫や妻との信頼関係、うまく結べなくなることもあります。自分の
子どもすら、信ずることができなくなることも珍しくありません。(だから心理学では、あらゆる信
頼関係の基本になるという意味で、「基本的」という言葉を使います。)具体的には、夫や子ど
もに対して疑い深くなったり、その分、心配過剰になったり、基底不安を感じたりしやすくなりま
す。子どもへの不信感も、その一つというわけです。

 あくまでもこれは一つの可能性としての話ですが、あなた自身が、「心(精神的)」という意味
で、それほど恵まれた環境で育てられなかったということが考えられます。経済的にどうこうと
いうのではありません。「心」という意味で、です。あなたは子どものころ、親に対して、全幅に
心を開いていましたか。あるいは開くことができましたか。もしそうなら、「恵まれた環境」という
ことになります。そうでなければ、そうでない。

 しかしだからといって、過去をうらんではいけません。だれしも、多かれ少なかれ、こうした問
題をかかえているものです。そういう意味では、日本は、まだまだ後進国というか、こと子育て
については黎明(れいめい)期の国ということになります。

 では、どうするかですが、この問題だけは、まず冷静に自分を見つめるところから、始めま
す。自分自身に気づくということです。ジークムント・フロイトの精神分析も、同じような手法を用
います。まず、自分の心の中をのぞくということです。わかりやすく言えば、自分の中の過去を
知るということです。まずいのは、そういう過去があるということではなく、そういう過去に気づか
ないまま、その過去に振りまわされることです。そして結果として、自分でもどうしてそういうこと
をするのかわからないまま、同じ失敗を繰りかえすことです。

 しかしそれに気づけば、この問題は、何でもありません。そのあと少し時間はかかりますが、
やがて問題は解決します。解決しないまでも、じょうずにつきあえるようになります。

 さらに具体的に考えてみましょう。

 あなたは多分、子どもを妊娠したときから、不安だったのではないでしょうか。あるいはさら
に、結婚したときから、不安だったのではないでしょうか。さらに、少女期から青年期にかけて、
不安だったのではないでしょうか。おとなになることについて、です。

 こういう不安感を、「基底不安」と言います。あらゆる日常的な場面が、不安の上に成りたっ
ているという意味です。一見、子育てだけの問題に見えますが、「根」は、ひょっとしたら、あな
たが考えているより、深いということです。

 そこで相手の子どもについて考えてみます。あなたが相手の子どもを嫌っているのは、本当
にあなたの子どものためだけでしょうか。ひょっとしたら、あなた自身がその子どもを嫌ってい
るのではないでしょうか。つまりあなたの目から見た、好き・嫌いで、相手の子どもを判断して
いるのではないかということです。

 このとき注意しなければならないのは、(1)許容の範囲と、(2)好意の返報性の二つです。

 (1)許容の範囲というのは、(好き・嫌い)の範囲のことをいいます。この範囲が狭ければせ
まいほど、好きな人が減り、一方、嫌いな人がふえるということになります。これは私の経験で
すが、私の立場では、この許容の範囲が、ふつうの人以上に、広くなければなりません。(当然
ですが……。)子どもを生徒としてみたとき、いちいち好き、嫌いと言っていたのでは、仕事そ
のものが成りたたなくなります。ですから原則としては、初対面のときから、その子どもを好き
になります。
 
 といっても、こうした能力は、いつの間にか、自然に身についたものです。が、しかしこれだけ
は言えます。嫌わなければならないような悪い子どもは、いないということです。とくに幼児につ
いては、そうです。私は、そういう子どもに出会ったことがありません。ですからASさんも、一
度、その相手の子どもが、本当にあなたの子どもにとって、ふさわしくない子どもかどうか、一
度、冷静に判断してみたらどうでしょうか。しかしその前にもう一つ大切なことは、あなたの子ど
も自身は、どうかということです。

 子どもの世界にかぎらず、およそ人間がつくる関係は、なるべくしてなるもの。なるようにしか
ならない。それはちょうど、風が吹いて、その風が、あちこちで吹きだまりを作るようなもので
す。(吹きだまりというのも、失礼な言い方かもしれませんが……。)今の関係が、今の関係と
いうわけです。

 だからあなたからみて、あなたの子どもが、好ましくない友だちとつきあっているとしても、そ
れはあなたの子ども自身が、なるべくしてそうなったと考えます。親としてある程度は干渉でき
ても、それはあくまでも「ある程度」。これから先、同じようなことは、繰りかえし起きてきます。
たとえば最終的には、あなたの子どもの結婚相手を選ぶようなとき、など。

 しかし問題は、子どもがどんな友だちを選ぶかではなく、あなたがそれを受け入れるかどうか
ということです。いくらあなたが気に入らないからといっても、あなたにはそれに反対する権利
はありません。たとえ親でも、です。同じように、あなたの子どもが、どんな友だちを選んだとし
ても、またどんな夫や妻を選んだとしても、それは子どもの問題ということです。

 しかしご心配なく。あなたが子どもを信じているかぎり、あなたの子どもは自分で考え、判断し
て、あなたからみて好ましい友だちを、自ら選んでいきます。だから今は、信ずるのです。「うち
の子は、すばらしい子どもだ。ふさわしくない子どもとは、つきあうはずはない」と考えのです。

 そこで出てくるのが、(2)好意の返報性です。あなたが相手の子どもを、よい子と思っている
と、相手の子どもも、あなたのことをよい人だと思うもの。しかしあなたが悪い子どもだと思って
いると、相手の子どもも、あなたのことを悪い人だと思っているもの。そしてあなたの前で、自
分の悪い部分だけを見せるようになります。そして結果として、たいがいの人間関係は、ますま
す悪くなっていきます。

 話はぐんと先のことになりますが、今、嫁と姑(しゅうとめ)の間で、壮絶な家庭内バトルを繰り
かえしている人は、いくらでもいます。私の近辺でも、いくつか起きています。こうした例をみて
みてわかることは、その関係は、最初の、第一印象で決まるということです。とくに、姑が嫁に
もつ、第一印象が重要です。

 最初に、その女性を、「よい嫁だ」と姑が思い、「息子はいい嫁さんと結婚した」と思うと、何か
につけて、あとはうまくいきます。よい嫁と思われた嫁は、その期待に答えようと、ますますよい
嫁になっていきます。そして姑は、ますますよい嫁だと思うようになる。こうした相乗効果が、た
がいの人間関係をよくしていきます。

 そこで相手の子どもですが、あなたは、その子どもを「悪い子」と決めてかかっていません
か。もしそうなら、それはその子どもの問題というよりは、あなた自身の問題ということになりま
す。「悪い子」と思えば思うほど、悪い面ばかりが気になります。そしてあなたは悪くない面ま
で、必要以上に悪く見てしまいます。それだけではありません。その子どもは、あえて自分の悪
い面だけを、あなたに見せようとします。子どもというのは、不思議なもので、自分をよい子だと
信じてくれる人の前では、自分のよい面だけを見せようとします。

 あなたから見れば、何かと納得がいかないことも多いでしょうが、しかしこんなことも言えま
す。一般論として、少年少女期に、サブカルチャ(非行などの下位文化)を経験しておくことは、
それほど悪いことではないということです。あとあと常識豊かな人間になることが知られていま
す。ですから子どもを、ある程度、俗世間にさらすことも、必要といえば必要なのです。むしろま
ずいのは、無菌状態のまま、おとなにすることです。子どものときは、優等生で終わるかもしれ
ませんが、おとなになったとき、社会に同化できず、さまざまな問題を引き起こすようになりま
す。

 もうすでにSAさんは、親としてやるべきことをじゅうぶんしておられます。ですからこれからの
ことは、子どもの選択に任すしか、ありません。これから先、同じようなことは、何度も起きてき
ます。今が、その第一歩と考えてください。思うようにならないのが子ども。そして子育て。そう
いう前提で考えることです。あなたが設計図を描き、その設計図に子どもをあてはめようとすれ
ばするほど、あなたの子どもは、ますますあなたの設計図から離れていきます。そして「まだ前
の友だちのほうがよかった……」というようなことを繰りかえしながら、もっとひどい(?)友だち
とつきあうようになります。

 今が最悪ではなく、もっと最悪があるということです。私はこれを、「二番底」とか「三番底」と
か呼んでいます。ですから私があなたなら、こうします。

(1)相手の子どもを、あなたの子どもの前で、積極的にほめます。「あの子は、おもしろい子
ね」「あの子のこと、好きよ」と。そして「あの子に、このお菓子をもっていってあげてね。きっと
喜ぶわよ」と。こうしてあなたの子どもを介して、相手の子どもをコントロールします。

(2)あなたの子どもを信じます。「あなたの選んだ友だちだから、いい子に決まっているわ」「あ
なたのことだから、おかしな友だちはいないわ」「お母さん、うれしいわ」と。これから先、子ども
はあなたの見えないところでも、友だちをつくります。そういうとき子どもは、あなたの信頼をど
こかで感ずることによって、自分の行動にブレーキをかけるようになります。「親の信頼を裏切
りたくない」という思いが、行動を自制するということです。

(3)「まあ、うちの子は、こんなもの」と、あきらめます。子どもの世界には、『あきらめは、悟り
の境地』という、大鉄則があります。あきらめることを恐れてはいけません。子どもというのは不
思議なもので、親ががんばればがんばるほど、表情が暗くなります。伸びも、そこで止まりま
す。しかし親があきらめたとたん、表情も明るくなり、伸び始めます。「まだ何とかなる」「こんな
はずではない」と、もしあなたが思っているなら、「このあたりが限界」「まあ、うちの子はうちの
子なりに、よくがんばっているほうだ」と思いなおすようにします。

 以上ですが、参考になったでしょうか。ストレートに書いたため、お気にさわったところもある
かもしれませんが、もしそうなら、どうかお許しください。ここに書いたことについて、また何か、
わからないところがあれば、メールをください。今日は、これで失礼します。
(030516)

     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

Q:このところ、うちの子が、よくない友だちと交際を始めています。交際をやめさせたいのです
が、どう接したら、いいでしょうか?

A:イギリスの教育格言に、『友を責めるな、行為を責めよ』というのがある。これは子どもが、
よくない友だちとつきあい始めても、相手の子どもを責めてはいけない。責めるとしても、行為
のどこがどう悪いかにとどめるという意味。コツは、「○○君は、悪い子。遊んではダメ」など
と、相手の名前を出さないこと。言うとしても、「乱暴な言葉を使うのは悪いこと」「夜、騒ぐと近
所の人が迷惑をする」と、行為だけにとどめる。そして子ども自身が、自分で考えて判断し、そ
の子どもから遠ざかるようにしむける。

 こういうケースで、友を責めると、子どもに「親を取るか、友を取るか」の二者択一を迫ること
になる。そのとき子どもがあなたを取れば、それでよし。そうでなければ、あなたとの間に、深
刻なキレツを入れることになる。さらに友というのは、子どもの人格そのもの。友を否定すると
いうことは、子どもの人格を否定することになる。

 またこういうケースでは、親は、そのときのその状態が最悪と思うかもしれないが、あつかい
方をまちがえると、子どもは、「まだ以前のほうが、症状が軽かった…」ということを繰り返しな
がら、さらに二番底、三番底へと落ちていく。よくあるケースは、(門限を破る)→(親に叱られ
る)→(外泊するようになる)→(また親に叱られる)→(家出する)→(さらに親に叱られる)→
(集団非行)と。

が、それでもうまくいかなかったら…。そういうときは、思いきって引いてみる。相手の子ども
を、ほめてみる。「あの○○君、おもしろい子ね。好きよ。今度、このお菓子、もっていってあげ
てね」と。
 あなたの言ったことは、あなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わる。それを耳にし
たとき、相手の子どもは、あなたの期待に答えようと、よい子を演ずるようになる。相手の子ど
もを、いわば遠隔操作するわけだが、これは子育ての中でも、高等技術に属する。あとはそれ
をうまく利用しながら、あなたの子どもを導く。

 なおこれはあくまでも一般論だが、少年少女期に、サブカルチャ(非行などの下位文化)を経
験した子どもほど、おとなになってから常識豊かな人間になることがわかっている。むしろこの
時期、無菌状態のまま、よい子(?)で育った子どもほど、あとあと、おとなになってから問題を
起こすことが多い。だから、親としてはつらいところかもしれないが、言うべきことは言いながら
も、今の状態をそれ以上悪くしないことだけを考えて、様子をみる。あせりは禁物。短気を起こ
して、子どもを叱ったり、おどしたりすればするほど、子どもは、二番底、三番底へと落ちてい
く。
  
°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ       
°◎_/ ̄⌒―――∩      みなさんのお近くで、講演するとき、
 ///―――――∫       よろしかったら、おいでください。        
⊂⊂/      ∫        マガジンの読者と一言、言ってくだされば、
             講演をしていても、ぐんと元気が出ます。ホントです!
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

頭痛

 昨日は、朝から教室づくり。ジュータンを張り、イスの加工をした。イスの加工というのは、ふ
つうサイズのイスを、幼児用に脚を短くしたということ。朝、一〇時ごろから始めて、夕方四時ご
ろ、終わった。途中、ある団体の幹部の方たちと、今度の講演の打ちあわせをした。終わった
ころには、それほど暑い日ではなかったが、汗だくだくになっていた。

 帰りに、Sという最近できたイタリアンレストランで昼食兼夕食をとる。そこまではすこぶる快
調。で、家に帰ってパソコンに向かったとたん、猛烈な睡魔に襲われた。そのとき眠ればよか
った。が、そこでどういうわけか、無理に体を起こしてしまった。とたん、前頭部に上からシャワ
ーを浴びるような痛みを感じた。吐き気もあった。

 最初は、すぐ収まるだろうと考えていた。が、時間とともに痛みがひどくなった。「以前にも似
たような症状があった」と思いつつ、しかしあまり経験しない頭痛だけに、不安になった。

 で、風呂に入った。が、痛みはそのままだった。いつもは一一時前後に床に入るが、九時に
床に入った。が、頭痛がひどくて眠られなかった。一〇時ごろ一度起きて、ジュースをコップ一
ぱい飲む。しかし頭痛はそのまま。ますますひどくなった。髪の毛をかきむしるような頭痛だっ
た。湿布薬をひたいと首に、ペタペタ張ったが、あまり効果がなかった。

 偏頭痛の痛さではない。どこか二日酔いのような痛さだった。……と書いて今、原因がわか
った。あの料理だ。レストランで食べた、あの肉料理だ。あの料理に、ワインが使われてい
た! そうだ、二日酔いだ!

 私は一滴も酒を飲めない。奈良漬けを食べただけで、二日酔いになる。いわんやワインを、
や。それも一度火にかけたワインは、私にとっては、毒薬そのもの。一番最近は、金沢の友人
が送ってくれたフグのカス漬けを食べて、二日酔いになったことがある。何しろビールを、コップ
の三分の一飲んだだけで、三日酔いになるほどである。

 それはさておき、昨夜は、その原因がわからないまま、フトンの中で四転八転した。ズキンズ
キンとつきあげるような痛み。しかし二日酔いの頭痛は、眠っている間は、収まる。(偏頭痛
は、夢の中でも痛い。)そんなわけで眠ることはできたが、しかし目をさますたびに、また頭痛
が、暗い穴の底からわきあがるように始まる。

 朝になってはじめて頭痛薬を飲んだ。そしてまたフトンの中に。昼ごろになってやっと痛みが
収まってきた。しかし原因がわからなかった。ワイフも、今になって、「くも膜下出血じゃないか
と、心配したわ」と言う。ホント。私も、実はそれを心配した。「ああ、これで私もおしまいか」と。

 それにしても、ひどい頭痛だった。もう酒は、こりごり。本当に、こりごり。
(030516)※

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞







件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■5-24

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M ″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /       ありがとうございます!
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です! 
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∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
● 5月19日(月)愛知県枇杷島家庭教育推進協議会 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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    )("  ) ")  ζ  ∂ ぅ             【2】Touch your Heart
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   ((  >−< | >−< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  / みなさんからいただきましたテーマを
  / \   (3-─┼─-ε)  /   マガジンに反映させています。お声を
  ──────────────┐    どうか、お届けください!
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
●子どもの自立

 アメリカには「要保護者遺棄罪」という、恐ろしい法律がある。子どもを家に残し、夫婦だけで
外出したりすると、その罪に問われる。アメリカに住む二男がそのことについて、「日本はいい
国だね」と言った。何でもアメリカでは、子どもだけで外へ遊びに行くということすら、考えられな
いというのだ。「そんなことをすれば、すぐ誘拐されてしまう」と。

 しかし日本では、そこまでうるさくない。そういう意味では安全な国だ。ここで書くことは、その
「安全」を前提にしてでのことだが、私は以前、『夫婦で外出』という格言を考えた。子どもがあ
る程度大きくなり、子どもたちだけで何となく生活ができるようになったら、できるだけこまめ
に、夫婦だけで外出するとよい。親にすれば、子離れの準備ということになるし、子どもに対し
ては、親離れをうながすということになる。

 一般的に、子どもは、小学三〜四年生ごろ、親離れを始める。それまで学校でのできごとを
話していた子どもも、急に話さなくなる。親と一緒に、入浴しなくなる。家族と一緒の外出をしぶ
るようになる。あるいは自分だけの部屋を求めるようになる。こうなれば親離れの時期は近い
とみる。ただそのとき、子どもの情緒は不安定になり、幼児期にもどったり、あるいは妙におと
なびてみせたりする。それを繰り返す。幼児にもどれば、幼児に、おとなびたりしてみせたら、
それなりにおとなに扱う。いきなりあるときからおとなあつかいをするとか、反対に幼児ぽくなっ
たりすることを、叱ったりしてはいけない。

 コツは、成長することを喜ばせながら、そのつどおとなあつかいをする。「あんたも、おとなの
スカートがはけるようになったね」とか、「一度、ネクタイをしめてみるか」などと言ってみる。親
どうしが外出したあとも、きちんと家の管理ができていれば、それをほめる。「あんたももう、一
人前ね」と。こうした前向きな指導が、子どもを伸ばす。

 さらにそれができるようになったら、金銭的な自立、生活的な自立をうながす。ひとりで祖父
母の家まで旅をさせる。親どうして、子どもを交換するという方法もある。ただし無理をしないこ
と。無理をすると、夜中に迎えに行くということになりかねない。またこれは私の個人的な経験
だが、こんな方法も効果的である。

 私は思い立ったとき、息子たちを連れてよく、「目的なしの思いつき旅行」に連れていった。行
き先は、その先々で子どもたちと相談して決める。が、いつもうまくいくとは限らない。ある夜な
どは、泊まる宿をさがして、夜中の一時ごろまで、その小さな町をさまよい歩いた。しかしそうい
う旅をするごとに、子どもたちが精神的にたくましくなっていくのを、肌で実感することができた。
結構、お金のかかる旅になるが、子どもの自立をうながすという意味では効果がある。


●『深い川は静かに流れる』

 『深い川は静かに流れる』は、イギリスの格言。日本でも、『浅瀬に仇(あだ)波』という。つまり
思慮深い人は、静か。反対にそうでない人は、何かにつけてギャーギャーと騒ぎやすいという
意味。

 子どももそうで、その子どもが思慮深いかどうかは、目を見て判断する。思慮深い子どもの
目は、キラキラと輝き、静かに落ち着いている。会話をしていても、じっと相手を見据えるような
鋭さがある。が、そうでない子どもは、そうでない。

 私は先日、ある女性代議士の目をテレビで見ていて驚いた。その女性は何かのインタビュー
に答えていたのだが、その視線が空を見たまま、一秒間に数回というようなはやさで、左右、
上下にゆれていたのだ。それはまさに異常な視線だった。その女性代議士は、毒舌家として
有名で、言いたいことをズバズバ言うタイプの人だが、しかしそれは知性から出る言葉というよ
り、もっと別のところから出る言葉ではないのか。私はそれを疑った。これ以上のことはここに
は書けないが、そういうどこかメチャメチャな人ほど、マスコミの世界では受けるらしい。

 が、この時期、親というのは、外見的な派手さだけを見て、子どもを判断する傾向が強い。た
とえば本読みにしても、ペラペラと、それこそ立て板に水のうように読む子どもほど、すばらしい
と評価する。しかし実際には、読みの深い子どもほど、一ページ読むごとに、挿絵を見たりし
て、考え込む様子を見せる。読み方としては、そのほうが好ましいことは言うまでもない。

 これも子どもをみるとき、よく誤解されるが、「情報や知識の量」と、「思考力」は、別。まったく
別。モノ知りだから、頭のよい子どもということにはならない。子どもの頭のよさは、どれだけ考
える力があるかで判断する。同じように、反応がはやく、ペラペラと軽いことをしゃべるから、頭
のよい子どもということにはならない。むしろこのタイプの子どもは、思考力が浅く、考えること
そのものから逃げてしまう。何か、パズルのような問題を与えてみると、それがわかる。考える
前に、適当な答をつぎからつぎへと口にする。そして最後は、「わからない」「できない」「もう、
いや」とか言い出す。

 その「考える力」は、習慣によって生まれる。子どもが何かを考える様子を見せたら、できる
だけそっとしておく。そして何か新しい考えを口にしたら、「すばらしいわね」「おもしろいね」と、
それを前向きに引き出す。そういう姿勢が、子どもの考える力を伸ばす。


     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<          
    /†_____†ヽ//      心豊かで、暖かい子育てをめざしましょう。
    ( ('    ξヽ        みんなでがんばれば、日本の子育ては
  ┏ ||   o//\) )(      変わります。よくなります。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

こわれた心

 親子でも、人間関係は、こわれるときには、こわれる。しかしここで親子のズレが生まれる。

 親のほうは、何とか修復しようとするが、子どものほうは、そういう親の姿勢そのものを、うる
さく感ずる。つまり親が何とかしようとあせればあせるほど、逆効果。その関係は、ますます破
壊される。

 ある母親(五六歳)は、そのさみしさに耐えかねて、ほとんど毎日、近くの神社に参拝したとい
う。「どうか、息子が、心を入れかえてくれますように」と。つまりその母親は、そういう形で、親
子の関係を、修復しようとした。しかしそれを聞いた息子のほうは、ますます母親を疎遠に感じ
たという。

 こわれた親子関係について悩んでいる人は多い。ほとんどは親のほうだが、しかし昔から、
こう言うではないか。『覆水、盆にかえらず』と。一度こぼれた水は、盆にはもどらないという意
味である。

 こういうケースでは、親はあきらめて、そういう状態を受け入れるしかない。受け入れて、あと
は、時間を待つ。親がせいぜいできることと言えば、ドアだけはあけておくということ。子どもが
いつか戻ってきたとき、子どもが入れるドアだけは、用意しておくということ。そのとき親は、もう
この世の人ではないかもしれないが、そのドアを閉ざすことだけは、してはならない。

 日本では、昔から、『親子の縁は切れない』というような言い方をして、親子の関係を絶対し
する傾向が強い。とくにマザコンタイプの息子や娘ほどそうで、つまり親を絶対視することによ
って、自分のマザコン性を正当化しようとする。「私の親は、私がそうするにふさわしいほど、す
ばらしい親だ」とである。ある男性(五七歳)は、だれかが彼の死んだ親を批判しただけで、激
怒してみせた。「おれの親を悪く言うヤツは許さん!」と。つまり彼はそう言うことによって、自分
のマザコン性を正当化していた。

 一方、そういう世俗的な常識にしばられて、自分を失格人間と思いこんでいる息子や娘も多
い。親に孝行しないことを、心のトゲに思っている人も少なくない。(私は「孝行」という言葉その
ものに、大きな疑問をもっている。)周囲の人も、「親のめんどうをみるのは、当然」というような
言い方で、そういう息子や娘を責める。しかし、だ。

 親子の関係がこわれるには、それなりの理由がある。そしてそのほとんどは、他人がはかり
知ることができないほど、根が深く、そして大きい。たしかに親子の関係は、ふつうの人間関係
とは違う。その違いを乗り越えて、こわれるのだから、そこにいたる確執には、相当なものがあ
る。ある男性(四八歳)はこう言った。

 「私は母とは、もう二〇年、会っていません。親戚の人たちは、あれこれ心配してくれますが、
いらぬ節介というものです。実は私は、父との間にできた子どもではなく、母と祖父との間にで
きた子どもなのです。しかしそんな話を、親戚のだれにできますか」と。

 親子といえども、それを最後につなぐのは、純然たる人間関係である。「親子」という関係に、
親も、そして子どもも、甘えてはいけない。またそれを理由にして、相手をしばってはいけない。
たがいに尊敬し、尊敬される関係をめざす。しかしそれができないからといって、失敗したと
か、そういうふうに考えてはいけない。「私は私」であるということは、「私の家族は、私の家
族」。私に「形」はないように、家族にも「形」はない、もちろん親子にも「形」はない。その形で、
自分をしばってはいけない。子どもをしばってはいけない。他人をしばってはいけない。

●王国を統治するよりも、家庭を治めるほうが、むずかしい。(モンテーニュ「随筆集」)
●家庭よ、閉ざされた家庭よ、私は汝(なんじ)を憎む。(ジイド「地の糧」)
(030517)

     ⌒⌒    Ω
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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

Q:このところ調子が出ず、スランプにおちいっている様子。学校での成績も、さがりぎみ。子ど
もにどのようにアドバイスしたらいいでしょうか。※

A:「がんばれ」式の励まし、「こんなことでは…」の脅しは、禁物。英語国では、こういうとき親
は、「テイク・イッツ・イージィ(気を楽にしなさい)」と言う。あくまでも、子どもの立場に立った言
い方をする。あなたより子どものほうが、ずっと、つらい思いや、いやな思いをしている。

 ところで『宝島』という本を書いた、R・スティーブンソンは、こう言っている。『我らの目的は、
成功することではない。失敗にめげず前に進むことだ』(語録)と。

 この言葉を少し変えると、こうなる。「勉強する目的は、いい点数を取る(学校へ入る)ことで
はない。失敗してもめげないで、前に進むことである」と。あなたの子どもにも、一度、そう言っ
てみてはどうだろうか。

 が、さらに症状がひどくなり、無気力、無感動などの燃え尽き症候群が見られたら、思いきっ
て、親は一歩も二歩も、引きさがる。何とかしようと、あせればあせるほど、逆効果。方法として
は、子どもの側からみて、親の存在を感じさせないほどまで、子どもから視線をはずす。その
ため部屋が散らかっても、言動がぞんざいになっても、何も言わない。

 …こう書くと、「それではうちの子は、ますますダメになってしまう」と言う親がいる。しかし子育
てには、「限界のカベ」はつきもの。あって当たり前。親は、そのつどカベにぶつかりながら、そ
れを受け入れ、あきらめる。「うちの子はやれば、できるはず」と思ったら、すかさず、「やってこ
こまで」と思いなおす。あとは許して忘れる。その度量の広さこそが、親の愛の深さということに
なる。

 それに「ダメな子」というのは、いない。どういう子どもをダメな子というのか。その子どもをダ
メな子と思うのは、親だけ。そして親は、えてして、「子どものため」と言いながら、自分のエゴを
子どもに押しつける。自分の思いどおりの子どもにしようとする。しかしあなた自身が、あなた
の親の思いどおりになっていないのと同じように、あなたの子どもも、あなたの思いどおりには
ならない。以前、「親は玉ネギのようなもの」と書いた人がいた。「子どもは一枚ずつ、親の期待
をはぎ取りながら、成長する」と。

 が、それよりも大切なのは、親子のパイプを切らないということ。家族には、わかりあい、守り
あい、助けあい、いたわりあい、教えあうという五つの原則がある。その原則に立ちかえって、
親子のあり方を見つめなおす。この日本では受験勉強は避けて通れない道だが、それで家族
のパイプを破壊してしまっては、意味がない。また受験勉強には、家族を犠牲にするだけの価
値はない。

 
°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
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°◎_/ ̄⌒―――∩      みなさんのお近くで、講演するとき、
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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

キズと、じょうずにつきあう

●前夫の子どもにつらく当たる母親

 だれしも、心にキズ(心的外傷)がある。ない人は、いない。問題は、そうしたキズがあるとい
うことではなく、そのキズに気づかないまま、そのキズに振り回まわされること。たとえばフロイ
トは、ヒステリー患者について調べ、「治療した一八人について、その原因は、幼児期の性的
外傷体験がその原因である」(1896年)と発表したことがある。

 フロイトのこの意見は、当時としては突飛もないものに考えられた。仲がよかったブロイエル
という医師も、フロイトのこの意見に反発し、フロイトのもとを離れている。

 それはさておき、私たちの言動は、意識的であるにせよ、無意識的であるにせよ、何らかの
形で、自分の過去と深く結びついている。ある母親から、こんなメールが届いた。その母親に
は、小学四年生になる息子と、三歳になる娘がいる。上の息子は、学生結婚したときにできた
子どもだが、その後しばらくして離婚。下の娘は、再婚してできた子どもである。その上の息子
について、「横顔が、離婚した前夫そっくりで、どうしても好きになれません。ときどき上の息子
につらく当たることがあります」(愛知県在住、MN)と。

 この母親のケースでは、その母親が、なぜ、上の息子につらく当たるか、その理由がほぼわ
かっている。「その息子は、自分を捨てた男との間にできた子」というわけである。「そして前夫
そっくりな横顔を見るたびに、その夫との生活を思い出し、不愉快になる」と。

 こうした心のキズは、ちょうど顔についた切りキズのようなもの。一度ついたら、簡単に消えな
い……というより、生涯、消えることはない。もう少し、その母親の心理を分析してみよう。

 その母親は、学生結婚をした。周囲の反対もそれなりにあったのだろう。そういう意味では、
大恋愛だったと思われる。しかし若気のいたりというか、その準備ができていなかった。その自
覚もまだじゅうぶんでなかった。やがて男が去るという形で、その結婚は破局を迎える。

 しかしここで誤解してはいけないのは、離婚そのものが、キズとなったわけではないというこ
と。恐らくそのキズは、その母親自身の、精神的混乱と、将来への不安が重なってできたもの
と思われる。小さな乳児をかかえ、路頭に放り出されたのだから、当然と言えば、当然。家族
や世間の冷視は相当なものであっただろう。いくら大恋愛とはいえ、その母親は、心の一部
で、自分の行為を悔やんだにちがいない。つまり心のキズは、そうした一連の騒動の中でつい
たものと思われる。

 だからその母親は、こう訴えている。「私のキズは、消えるでしょうか。またどうすれば消える
でしょうか」と。

 しかしここにも書いたように、心のキズは、簡単には消えない。軽いキズなら、忘れるという方
法で遠ざかることはできる。しかし大きなキズとなると、そうはいかない。私のばあいも、いろい
ろなキズがある。

●私のキズ

 私の父は、今でいうアルコール依存症だった。ふだんはやさしく、静かな父だったが、酒を飲
むと、人が変わった。大声でわめき散らし、家具を手当たりしだい、こわした。目の前で母が殴
られたり、蹴られたりしたのを、何度も見たことがある。

 そんな中、私の人生の中で、最大の事件があった。その夜、私と姉は、父の恐ろしさから逃
れるため、物干し台の一番奥に逃げた。そこへ父が母をさがすためにやってきて、いつものよ
うに大声で怒鳴った。父は隣の部屋まで来ていた。私はそのとき、「姉ちゃん、こわいよ、姉ち
ゃん、こわいよ」と、体を震わせて泣いた。私が六歳のときのことである。

 この事件はそれで終わった。私も、こうした恐怖体験が、そのあと、自分の心に大きなキズを
残したということに、気づくことはなかった、しかしいろいろな場面で、ひょっとしたらあの夜のこ
とが原因ではないかと思うことが、いくつかあった。夜が苦手とか、酒臭い男が嫌いとか、な
ど。しかしその中でも、自分ではどうしてそうなるか、わからないものに、不安発作があった。

 私はワイフと結婚してからも、ときどき、極度の不安発作に苦しんだ。夜、床についてから、し
ばらくすると、それが起きた。ふだんは、「暗闇が苦手」という程度だった。しかし一度そういう
状態になると、体がガタガタと震えだした。私は体を丸めて、その言いようのない恐怖をどうす
ることもできなかった。が、ある夜のこと。

 私がワイフに、父のアルコール依存症について話していたときのこと。いつしか話は、父の酒
乱の話になり、やがてあの夜の話になった。と、そのときのことである。私がワイフに、「あの
夜、ぼくは『姉ちゃん、こわいよ』と泣いたよ」と話したときのこと。例のあの発作が起きた。「姉
ちゃん、こわいよ」と言ったところで、言葉がつづかなくなってしまった。私はただわけもわから
ず、「姉ちゃん、こわいよ」「姉ちゃん、こわいよ」と、叫びながら、体をガタガタと震わせた。

 私は私の不安発作は、その症状からして、あの夜のできごとが原因であったことを知った。
私はあの夜、体をガタガタと震わせて、その恐怖におびえた。そしてそういう私から、思い出だ
けが消え、症状だけが残った。それが私の不安発作というわけである。

 が、あの夜を思い出したとき、あの夜の恐怖体験がよみがえった。そしてそれと同時に、同じ
症状が起きた。私はこれらのことから、私の不安発作の原因は、あの夜の恐怖体験であった
ことを知った。

●心のキズとは、じょうずにつきあう

 心のキズは、簡単には消えない。現に私のばあい、あれからもう半世紀になるが、今でもそ
のキズは残っている。ただ以前とは違い、私の不安発作の原因がわかっているため、そういう
状態になっても、意味もなくおびえるということは、なくなった。またそのため、回数は、ぐんと減
った。若いころは、一年に数回、ひどいときには、一か月のうちに、数回起きたが、今では、数
年に一度になった。しかも今は、発作が起きても、「また始まったな」とか、そんなふうに考え
て、短時間ですますことができるようになった。

 そこでこれは、あくまでも私の個人的体験からの教訓だが、こうしたキズは、消そうと思わな
いこと。消すのではなく、じょうずにつきあうこと。居直るというか、そういうふうにして対処する。
「私は私だ」と。

 こうしたキズは、多かれ少なかれ、だれにでもある。あったからといって、恥じることはない。
隠さねばならないようなことでもない。(だから私は、こうして自分のキズについて書いてい
る!)とくに私のような団塊の世代、つまり戦後の混乱期に生まれた人間は、みな、もってい
る。私の子ども時代というのは、今のアフガニスタンか、イラクのような状態ではなかったか。
あるいはもっと悪かった。親たちですら、自分たちが食べていくだけで精一杯。家庭とか、家族
とか、子どもの心とか、そんなことを考える余裕など、どこにもなかった。

 さて冒頭の母親の話にもどる。その母親は、なぜ上の息子につらく当たるか、その原因がす
でにわかっている。こういうケースでは、問題は、ほぼ解決したとみてよい。ただこの先、「つら
く当たる」という症状だけは、しばらくつづく。ここにも書いたように、心のキズは消えない。そし
てそのキズは、何かにつけて、その人を裏から操る。もともと無意識下の行動だから、それを
コントロールするのは、容易ではない。

 しかしやがて時間が解決してくれる。もしできるなら、こうしたキズは、世代伝播(でんぱ)しや
すいから、こうしたキズは、つぎの世代(=上の息子)には、伝えないようにする。親がつらく当
たることにより、子ども自身もそれでキズつく。そして今度は、その子どもがいつか、自分のキ
ズで苦しむことになる。それは避けなければならない。

 さあ、あなたも居なおったらよい。
 みんなあるのさ、心のキズ。
 そのキズを背負って生きるのが人生、と。
(0305017)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

パソコン

 近くの隣人の奥さんが、パソコンを始めた。今、週に一回、パソコン教室に通っているという。
まず手始めは、ワードによる文書作成。

 が、まったくの素人。笑えてくるほど、素人。まず初日。パソコン教室で与えられた宿題ができ
ないからといって、私の家にやってきた。行ってみると、フロッピーに保存したデータが読み出
せないとのことだった。

 「まず、ワードを起動して、ファイルを開きます。ここに3・5インチディスクとあるから、それを
クリックします。ついで、『すべてのファイル』をクリックすると、文書の一覧表が出てきます。そ
の中から、文書を選びます」と。

 また翌日、今度は、「パソコンがこわれたから、みてほしい」と言って、やってきた。また行って
みると、フロッピーが入れたままになっていた。機種によっては、フロッピーを入れたままだと、
パソコン自体が立ちあがらないことがある。そこでフロッピーを抜いてから、再度、エンターキ
ーを叩いてやった……、などなど。

 が、またその翌日も。今度はプリンターを買ったが、動かないと言ってきた。その奥さんは、
パソコンを電気製品か何かのように思っているらしい。プリンターは、つないだだけでは、動か
ない。「ドライバーは?」と聞くと、「ある」と。そこで「もってきて」と言うと、ネジ回しのドライバー
をもってきた。

 しかし買いそろえたものだけは、すごい。いきなりデジタルカメラも買ったし、それにY社の無
線ルーターまでもっていた。「インターネットはするの?」と聞くと、臆面もなく、「はい」と。しかし
これも電話線につないだまま。「どこか、プロバイダーに申し込みはしたのですか?」と聞くと、
「電話局にですか?」と。私はものすごい絶望感を覚えた。

 こういうケースでは、あまり深入りしないほうがよい。へたに深入りすると、つぎつぎと相談が
もちかけられる。まさに相談の洪水。その上、万が一、パソコンにウィルスでも侵入しようもの
なら、すべて私の責任になってしまう。クワバラ、クワバラ。

 デジタルカメラにしても、記録媒体(メディア)も買ってないし、パソコンに接続するメディアリー
ダーも買ってない。どうやって写真をパソコンに取り入れるのだろうか……と、心配するのも、
ヤボなこと。その奥さんは、カメラさえあれば、それでOKと考えているようだ。

 「ダンナさんは、パソコンをしてないのですか?」と聞くと、「わからないことは、林さんに聞けと
言っています」とのこと。それはそうかもしれないが、ここまで落差があると、どこからどう教え
たらよいのか、皆目、見当すらつかない。

 ワイフに相談すると、「あの人ならワードで文章を打てるようになるまでに、一年はかかるわ」
と。かなりの電気オンチらしい。が、悪い人ではない。昨夜は、お皿いっぱいの料理を届けてく
れた。気持ちはヨークわかるが、食べれば食べるほど、私は、どこか気が重くなった。

 さていつか、その奥さんが、インターネットをするようになり、私のマガジンを購読するようにな
るかもしれない。そのとき、この文章を読んだら、その奥さんは、私をどう思うだろうか。まあ、
多分、そのときは、私を許してくれるだろうと思う。そう思いながら、先ほども、その奥さんの家
に行ってきた。今度はいきなり、「私も自分のホームページをつくりたい。どうしたらいいか」だ
った。私はまたまた心底、ゾーッとした。
(030517)
     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞










件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■5-26-1

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M ″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /       ありがとうございます!
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03−5−26号(232)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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    /八))))ハ   ミミヽ
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    )("  ) ")  ζ  ∂ ぅ           【2】子どもの学力を伸ばす法
   / 八 ー 八┐ ( __  ノ─┐         【3】子育てエッセー
   ((  >−< | >−< /|         【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  / みなさんからいただきましたテーマを
  / \   (3-─┼─-ε)  /   マガジンに反映させています。お声を
  ──────────────┐    どうか、お届けください!
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●不自然さは要注意(2120)

 子どもの動作や、言動で、どこか不自然さを感じたら、要注意。反応や歩き方、さらにはしぐ
さなど。「ふつう、子どもなら、こうするだろうな」と思うとき、子どもによっては、そうでない反応
を示すことがある。最近、経験した例をいくつかあげてみる。

○教室へ入ってくるやいなや、突然大声で、「先生、先週、ここにシャープペンシルは落ちてい
ませんでしたか!」と。「気がつかなかった」と答えると、大げさなジェスチャでその女の子(小
五)は、あたりをさがし始めた。しばらくすると、「先生、今日は、筆箱を忘れました」と。そこで
私が、「忘れたら忘れたで、最初からそう言えばいいのに」とたしなめると、さらに大きな声で、
「そんなことはありません!」と。そして授業中も、どうも納得できないというような様子で、とき
おり、あたりをさがすマネをしてみせる。私が「もういいから、忘れなさい」と言うと、「いえ、たし
かにここに置きました!」と。

○A君(小三男児)が、連絡ノートを忘れた。そこでまだ教室に残っていたB君(小三男児)にそ
れを渡して、「まだA君はそのあたりにいるはずだから、急いでもっていってあげて!」と叫ん
だ。が、B君はおもむろに腰をあげ、のんびりと自分のものを片づけたあと、ノソノソと歩き出し
た。それではまにあわない。そこで私が「いいから、走って!」と促すと、こちらをうらめしそうな
顔をして見るのみ。そしてゆっくりと教室の外に消えた。


○R子(小六)が教室に入ってきたので、いつものように肩をポンとたたいて、「こんにちは」と
言ったときのこと。何を思ったからR子は、いきなり私の腹に足蹴りをしてきた。「この、ヘンタイ
野郎!」と。ふつうの蹴りではない。R子は空手道場に通っていた。私はしばらく息もできない
状態で、その場にうずくまってしまった。そのときR子の顔を見ると、ぞっとするような冷たい目
をしていた。

こうした「ふつうでない様子」を見たら、それを手がかりに、子どもの心の問題をさぐってみる。
何かあるはずである。が、このとき大切なことは、そうした症状だけをみて、子どもを叱ったり、
注意してはいけないということ。何か原因があるはずである。だからそれをさぐる。たとえばシ
ャープペンシルをさがした女の子は、異常とも言えるような親の過関心で心をゆがめていた。B
君は、いわゆる緩慢行動を示した。精神そのものが萎縮している子どもによく見られる症状で
ある。また私を足蹴りにした女の子は、そのころ父親から性的虐待を受けていた、など。

 一方、心がまっすぐ伸びている子どもは、行動や言動が自然である。「すなお」という言い方
のほうがふさわしい。こちらの予想どおりに反応し、そして行動する。心を開いているから、や
さしくしてあげたり、親切にしてあげると、そのやさしさや親切が、スーッと子どもの心にしみて
いくのがわかる。そしてうれしそうにニコニコと笑ったりする。「おいで」と手を広げてあげると、
そのままこちらの胸に飛び込んでくる。そこであなたの子どもを観察してみてほしい。何人か子
どもが集まっているようなところで観察するとわかりやすい。もしあなたの子どもの行動や言動
が自然であればよい。しかしどこか不自然であれば、あなたの子育てのし方そのものを反省し
てみる。子どもではない。あなた自身の、だ。

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<          
    /†_____†ヽ//      心豊かで、暖かい子育てをめざしましょう。
    ( ('    ξヽ        みんなでがんばれば、日本の子育ては
  ┏ ||   o//\) )(      変わります。よくなります。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

学力を伸ばす法・30の鉄則・BYはやし浩司

 今日、近くの書店で、何冊か本を買ってきた。ほかに、その本屋で目についたのが、「子ども
の学力を伸ばす法」というようなタイトルの本。何冊か、並んで平積みにしてあった。こういう時
代だから、そういう本のほうがよく売れるのだろう。

 そこで私も考えてみた。多分、マガジンの読者の中には、子どもの学力で悩んでいる人も多
いはず。そういうニーズに答えるのも、私の役目かもしれない。

(鉄則1)学習のリズムをつくる

 子どもの学習にリズムをつくる。毎日の学習、毎週の学習、毎月の学習というように、一日単
位、週単位、月単位のリズムをつくる。毎日の学習は、学校から帰ってきたら、一定時間勉強
する。週単位の学習は、土日をうまく活用しながら、組み立てる。また月単位の学習は、月刊
雑誌などを利用して、組み立てる。

(鉄則2)無理をしない

 家庭での学習は、決して無理をしないこと。三〇分くらいなら勉強しそうだったら、思い切って
一五分程度にする。一時間くらいなら勉強しそうだったら、思い切って三〇分にするなど。家で
の学習は、復習を中心として、子どもの能力よりワンランクさげたものにするのがコツ。

(鉄則3)ワークブック選びは、慎重に

 ワークブックは、大工さんにとっての道具のようなもの。やりやすく、子どもに負担のないもの
を選ぶこと。字がこまかいとか、難解なのとか、量が多いのは、避ける。またワークブックは、
一番の問題と、最後の問題を見て、選ぶ。一番が極端に簡単で、最後の問題が極端にむずか
しいようなのは、避ける。これを「問題の落差」という。その落差の大きいワークブックは、避け
る。たった一冊のワークブックが、子どものやる気を奪ってしまうということは、よくある。

(鉄則4)本読みが、基本

 国語は当然だが、理科にせよ、社会にせよ、理科的な国語、社会的な国語と考える。つまり
「本読み」が、学習の基本であることを忘れてはならない。言いかえると、国語力がない子ども
は、理科も、社会も苦手になる。そこで一つの方法として、図書館を利用する。毎週決められ
た曜日の、決められた時間に、子どもといっしょに図書館で、一、二時間過ごすとよい。最初は
「勉強」をあまり意識せず、子どもと遊ぶつもりで行く。また子どもがどんな本を読んでも、干渉
したり、あれこれ指示してはいけない。子どもに読書習慣を身につけさせるには、半年単位の
時間がかかると思うこと。

(鉄則5)毎日、少しずつが、コツ

 漢字と計算練習は、毎日、少しずつするのがコツ。しかしその時間は、小学校の高学年で
も、一五〜三〇分程度が限度。学校から帰ってきたらすぐするとか、生活の中で習慣化すると
よい。このばあいも、無理をしないこと。子どもの立場で、「楽にできる」ことが、何よりも大切。

(鉄則6)無理、強制は最小限に

 能力を超えた学習を与えることを、無理という。罰則などをもうけて、子どもに学習を強いる
のを、強制という。こうした無理や強制は、子どもの指導には、ある程度必要だが、子どものや
る気を奪ってしまうほど、無理をしたり、強制してはいけない。

(鉄則7)条件、比較はタブー

 「これだけしたら、〜〜を買ってあげる」「おこづかいをあげる」式の条件は、タブー。「勉強は
あなたのため」「自分のためにするもの」という姿勢を貫く。また「〜〜君は、もう掛け算ができ
るのよ」「私が子どものころは……」式の比較も、タブー。一時的な効果はあっても、長い目で
見て、子どものやる気を、確実につぶす。

(鉄則8)先生との相性をよくする

 子どもの前では、学校の先生をほめる。「あなたの先生は、すばらしい先生よ」と。先生の悪
口、批判は、タブー。あなたが子どもに言った言葉は、必ず先生に伝わる。それだけではな
い。もしあなたが学校の先生を批判したりすると、子どもは学校の先生の指示に従わなくなる。

(鉄則9)王道、近道はないと思う
 
 技術的なコツというのは、いくらでもある。しかし「勉強」には、王道も近道もないと思うこと。た
とえばどこかの進学塾が、夏期特訓などと称して、めちゃめちゃな指導をすることがある。一時
的な効果はあっても、それまでかかってつくりあげた学習のリズムは、その時点でこなごなに
破壊される。そうしたデメリットもよく考えて、子どもの学習は考えること。

(鉄則10)量より、質

 子どもの勉強は、本格的な受験期をのぞいて、「量より、質」と考えること。時間が多ければ
多いほど、よいというものではない。学習の量が多ければ多いほど、よいというものでもない。
短時間で、ぱっぱっとすますほうが、好ましいことは言うまでもない。「うちの子は、もっとやれ
ばできるはず」と思ったら、「やってここまで」と思いなおすこと。

(鉄則11)フリ勉、ダラ勉に注意

 子どもがオーバーヒートしてくると、独特の症状を示す。その一つが、フリ勉、ダラ勉。フリ勉
というのは、「いかにも勉強しています」という様子だけをとりつくろうこと。ダラ勉というのは、時
間ばかりダラダラとかけて、ほとんど先へ進まないことをいう。こうした症状が見られたら、思い
切って、学習量を半分以下に減らす。その時期は早ければ早いほど、よい。

(鉄則12)一芸をもたせる

 「勉強、一本!」という子どももいるが、しかしこのタイプの子どもは、一度、勉強でつまずく
と、あとは坂をころげ落ちるかのように成績がさがる。そういうときのため、……というわけでは
ないが、子どもには、一芸をもたせる。スポーツでも、趣味でもよい。その一芸が、子どもの心
を支える。これからは一芸の時代であることも、忘れてはならない。

(鉄則13)ほどほどのところで、あきらめる

 あきらめることによって、子どもに対する姿勢が、一八〇度変わる。「まだ何とかなる」「そん
なはずはない」と、親が思っている間は、子どもは伸びない。しかしあきらめたとたん、それが
「よくやっている」「こんなものだ」という見方に変わる。子どもの学習では、あきらめることを恐
れてはいけない。

(鉄則14)「核」をつくる

 オールマイティな子どもを求めない。もしあなたの子どもが今、勉強で行きづまっているような
ら、一科目だけ、集中的に指導する。そのとき、一番の得意科目を選ぶとよい。あるいは算数
なら算数で、掛け算だけをとくに得意にするという方法もある。これを「核づくり」という。この核
を育てながら、少しずつ、ワクを広げていく。

(鉄則15)自学の心を大切に

 塾を利用することは悪いことではない。しかし大切なことは、塾に依存しないこと。ずるい塾
は、親や子どもに依存心をもたせることによって、経営の安定化をはかる。「この塾をやめた
ら、成績はさがる」という恐怖心を、いつも与えるようにしている。しかし勉強の基本は、「自
学」。自分で本やテキストを読んで、理解する。そういう姿勢を大切にする。

(鉄則16)バカな親のフリをする

 子どもを伸ばすコツは、いつも子どもに、前向きの暗示をかけること。「あなたはこの前より、
できるようになった」「どんどんすばらしくなる」と。そのため、時期がきたら、親はバカなフリをし
て、子どもの自立を促す。子どもの側からみて、「こんなバカな親に頼るくらいなら、自分でした
ほうがマシ」と思わせるようにする。私も、小学三、四年生を境に、生徒たちに、そう思わせな
がら、自立を促すようにしている。

(鉄則17)子どもを楽しまる

 あなたの子どもが勉強嫌いなら、今は、楽しませることだけを考える。いっしょに机の横にす
わり、子どもに好き勝手なことをさせる。一時間座って、五〜一〇分、勉強らしきことをすれ
ば、しめたものと思うこと。決して、カリカリしてはいけない。「勉強は楽しい」という思いが、子ど
もを、前向きに引っぱっていく。

(鉄則18)先入観を捨てる

 勉強というのは、勉強机の前で、黙々とするものという先入観をもっている人は、今でも多
い。しかしアメリカなどでは、図書室でも、子どもたちはみな、寝そべって本を読んだりしてい
る。日本人は何かにつけて、「型」を気にする民族。勉強にも、勉強の「型」があるというわけで
ある。しかしそういう型など、クソ食らえ!……と考えること。

(鉄則19)未来に希望をもたせる

 「フランスで、ルーブル博物館を見たいね」「ウィーンでコンサートに行きたいね」「オーストラリ
アで、カンガルーを見たいね」というような前向きな、夢を、子どもにいつも語ること。子どもの
「力」の範囲にある夢を語ること。「宇宙飛行士のM氏のように、宇宙飛行士になろうね」式の
言い方は、かえって子どもの夢をつぶすから、注意する。

(鉄則20)未来をおどさない

 「こんなことでは、あなたはS中学へ入れない」「このままではダメになる」式のおどしは、タブ
ー中のタブー。ある愚かな母親は、子どもをホームレスの人がいるところへつれていき、「あな
たも勉強しないと、ああなるのよ」と教えたという。こうしたおどしは、絶対にしてはならない。

(鉄則21)受験屋のエサにならない

 進学塾の説明会などに行くと、まずビデオを見せられる。たいていは受験勉強のビデオだ
が、後半は、不合格になって力を落とす母親や子どもの姿。つまりそういうシーンを見せること
によって、親や子どもに恐怖心を与える。大手の進学塾ほど、こうした戦略を、組織的にする
ので、注意。

(鉄則22)設計図を、押しつけない

 親がある程度の設計図をもつことはしかたないにしても、その設計図を、子どもに、押しつけ
てはいけない。「子どもは子ども」と思うこと。仮に設計図があるとしても、その設計図は、常に
変更可能なものであること。また変更することを、恐れてはいけない。その時点、時点で考えな
おせばよい。

(鉄則23)安定した安心感を与える

 子どもの適応能力には、すばらしいものがある。しかし一方、子どもは愛情問題には、たい
へんもろい。家庭がぐらつくようなとがあると、その影響は、ぞのまま子どもの学習態度に現れ
る。子どもに勉強してもらいたかったら、親は親で、自ら、家庭を安定させること。そのための
努力を怠らないこと。家庭がガタガタで、子どもに向かっては、「勉強しなさい!」は、ない。

(鉄則24)環境で包む

 「うちの子は、どうしても勉強しない」と悩んだら、子どもは環境で包む。まず親が、自ら勉強
する姿勢を手本として、見せる。本を読んだり、新しいことにチャレンジしてみせる。この方法
は、少し時間がかかるが、子どもに勉強グセをつけるには、もっとも効果的である。私も、勉強
グセのない子どもを、よく、年上の子どもたちの教室の中に置き、好きな勉強をさせることがあ
る。

(鉄則25)達成感を大切に

 どんな勉強でも、結果ではなく、「やりとげた」という達成感を大切にする。結果は、あくまでも
結果。たとえばワークブックでも、まず簡単なものを与え、「やりとげた」という満足感を覚えさ
せるようにする。結果は、気にしない。なお、こまかいミスは、大目に。一〇問、計算問題をし
て、八〜九問正解だったら、大きな丸をつけてやる。そういうおおらかさが、子どもを伸ばす。

(鉄則26)追い討ちをかけない

 学校での成績が悪かったようなとき、子どもに向かって、「どうしてこんな点しか取れないの」
式の追い討ちをかけてはいけない。子どもは子どもで、じゅうぶん、苦しんでいる。だから言う
べきことは、「あなたはよくがんばったわ」「気を楽にしなさい」である。とくに落ちこんでいる子ど
もに向かって、「がんばれ」式の励ましは、禁物。

(鉄則27)見え、メンツ、世間体と戦う

 見え、メンツ、世間体……どれも同じようなものだが、この三つから解放されたら、子育てに
まつわる悩みのほとんどは、解決する。親は、この三つのしがらみの中で、もがき、苦しむ。あ
なたがもし、心のどこかで他人の目を感じたら、まずあなたがすべきことは、その視野の狭さと
戦うことである。

(鉄則28)時期とタイミングを待つ

 イギリスの格言に、『馬を水場につれていくことはできても、水を飲ませることはできない』とい
うのがある。最終的に勉強するかしないかを決めるのは、子ども自身ということ。つまりあと
は、子ども自身がやる気を起こすまで、じっとがまんする。そして時期とタイミングを待つ。

(鉄則29)受験カルトと戦う

 最近では、白い衣装をまとったカルト教団が話題になっている。そういう教団のおかしさは、
だれにでもわかるが、実はごくふつうの親でも、そのカルトに染まることがある。たとえば日本
がもつ、受験競争というのは、まさにそのカルト。それに気づくかどうかは、結局は視野の広さ
ということになる。アメリカでは、学校の先生に落第を勧められると、親はそれに喜んで従う。
「喜んで」だ。ウソでも誇張でもない。「そのほうが子どものため」と考えるからである。こうした
違いがなぜ生まれるかということを考えていくと、その先に、日本のカルトが見えてくる。

(鉄則30)家族の絆(きずな)を守る

 どんなに子どもの受験勉強に狂奔しても、家族の絆だけは、守ること。決して犠牲にしてはい
けない。中に「私は嫌われてもいい。息子がいい中学に入ってくれさえすればそれでいい」と言
う親がいる。しかしこの考え方は、基本的な部分で狂っている。家族の絆は、親として守らなけ
ればならない、最後の砦(とりで)である。それを犠牲にして、子どもの勉強は、ない。

 ここに書いたようなことは、いわば常識のようなもの。しかし同時に、それは正攻法でもある。
中に特異な方法を説いて、「こうすれば、あなたの子どもの学力は伸びる」などと主張する人も
いるが、そういうのは、まず疑ってかかってよい。私は書店に並んだ本について、表紙だけは
見たが、中は読まなかった。内容については、だいたい察しがつく。たとえばこういう感じでは
ないか?

●テストでは、やさしい問題は、多少時間を余計にかけて、確実にこなせ。
●消しゴムを使うヒマがあったら、一本線を引いて先へ進め。
●難しい問題は、一度読んだあと、ほかの問題が終わったあと、再度チャレンジせよ。
●作文では、常識的なことを書け。奇異な意見は、かえって試験官の印象を悪くする。
●面接では、短い文章で、的確に答えろ。まわりくどい言い方はしない。わからないことは、「わ
かりません」と、すなおに言え、など。

それがよいのか悪いのかは別にして、(それが現実だから)、こうしたハウツーものの本のほう
が、よく売れる。私も、今より二〇歳若ければ、そういう本を書いたかもしれない。しかし今は、
時間がない。そう思いながら、私は、その書店から出た。
(030517)

     ⌒⌒    Ω
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   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子どもの強迫観念

 五、六年前だが、近くの湖で、水死体があがった。若い男だったという。自殺らしかった。が、
その直後から、近くの小学校で、「こわいから、学校へ行きたくない」という子どもが、続出し
た。

 子どもは、ふとしたことから、この脅迫的恐怖を感じやすい。これは一五年ほど前のことだ
が、「学校の花子さん」というテレビ番組がはやったときのこと。やはり「小学校へ入学したくな
い」という園児が続出した。「学校には、花子さんがいるから、行きたくない」と。

 こうした強迫観念が、一時的かつ一過性のもので終わればよいが、そうでないときもある。子
どもによっては、こうした強迫観念を、さらに頭の中でふくらませてしまう。さらに現実と空想の
区別がつかなくなってしまうこともある。直観像素質者と呼ばれるタイプの子どもである。

 このタイプの子どもは、論理や分析が苦手で、その反面、空想の世界にハマってしまう。よく
知られたケースとして、淳君殺害事件を起こした少年Aがいる。その少年Aなどは、ビジュアル
な感覚だけが異常に発達し、現実と空想の世界がわからなくなってしまったと考えられている。

 結論を先に言えば、こうした恐怖体験は、乳幼児期には、避ける。受け取る子ども側の感受
性の問題もあるが、当然のことながら繊細で、デリケートな子どもほど、その影響を受けやす
い。私の経験では、自意識が芽生え、自己管理ができるようになる満六歳前後までは、子ども
は、穏やかな環境で、静かに育てるのがよい。それ以後は、子ども自身が、理性の範囲で、情
報を選択したり、取捨したりするようになる。ただし、こんな例もあるから注意してほしい。

 ある父親が、第二次大戦中の実録ビデオを借りてきて、小学三年生になる息子に見せた。
戦争の残虐さを教えるためである。が、その子どもは、かえって残虐なシーンに興味をもつよう
になってしまった。ノートに描く絵は、その種類のものばかり。会話も、その種類のものばかり。
テレビなどでも、残虐なシーンが出てくると、目を輝かせて見るようになってしまったという。

 一度、乳幼児期に強迫観念を経験した子どもは、いろいろな場面で強迫観念をもちやすくな
る。思考プロセスができるためと考えるとわかりやすい。そんなわけで、子どもに与える情報に
は、親はもっと慎重でなければならない。
(030517)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

Q:自分の子ども(小一)ですが、どうしても好きになれません。いい親を演ずるのも、疲れまし
た。

A:不幸にして不幸な家庭に育った人ほど、「いい家庭をつくろう」「いい親でいよう」と、どうして
も気負いが強くなる。しかしこの気負いが強ければ強いほど、親も疲れるが、子どもも疲れる。
そしてその「疲れ」が、親子の間をギクシャクさせる。

 子どもが好きになれないなら、なれないでよい。無理をしてはいけない。大切なことは、自然
体で子どもと接すること。そして子どもを、「子ども」としてみるのではなく、「友」としてみる。「仲
間」でもよい。実際、親離れ、子離れしたあとの親子関係は、友人関係に近い関係になる。い
つまでもたがいに、ベタベタしているほうが、おかしい。

 ただ心配なのは、あなた自身に、何かわだかまりがあるとき。これをフロイト(オーストリアの
心理学者、一八五六〜一九三九)は、「偽の記憶(false memory)」といった。「ゆがめられた記
憶」と私は呼んでいるが、トラウマ(精神的外傷)といえるほど大きなキズではない。心のゆが
みのようなもので、そのためどこかすなおになれないことをいう。そのゆがめられた記憶は、そ
のつど、あなたの心の中で「再生(recover)」され、あなたの子育てを、裏からあやつる。もしあ
なたが子育てをしていて、いつも同じ失敗を繰りかえすというのであれば、このわだかまりをさ
ぐってみたらよい。

望まない結婚であったとか、予定していなかった出産であったとか。仕事や生活に大きな不安
があったときも、そうだ。あるいはあなた自身の問題として、親の愛に恵まれなかったとか、家
庭が不安定であったとかいうこともある。この問題は、そういうわだかまりがあったということに
気づくだけでも、そのあと多少時間はかかるが、解決する。まずいのは、そのわだかまりに気
がつかないまま、そのわだかまりに振りまわされること。そのわだかまりが、虐待の原因となる
こともある。

 今、「自分の子どもとは気があわない」と、人知れず悩んでいる親は多い。東京都精神医学
総合研究所の調査によっても、そういう母親が、七%はいるという。しかもその大半が、子ども
を虐待しているという(同調査)。

 あるいは兄弟でも、「上の子は好きだが、下の子はどうしても好きになれない」というケースも
ある。ある母親はこう言った。「下の子は、しぐさから、目つきまで、嫌いな義父そっくり。どうし
ても好きになれません」と。

 親には三つの役目がある。ガイドとして、子どもの前を歩く。保護者として、子どものうしろを
歩く。そして友として、子どもの横を歩く。そのうち友として子どもの横を歩くことだけを考えて、
あとはなりゆきに任せればよい。一〇年後、二〇年後には、あなたは必ず、すばらしい親にな
っている。

 
°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ       
°◎_/ ̄⌒―――∩      みなさんのお近くで、講演するとき、
 ///―――――∫       よろしかったら、おいでください。        
⊂⊂/      ∫        マガジンの読者と一言、言ってくだされば、
             講演をしていても、ぐんと元気が出ます。ホントです!
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ジャスミン

 今、山荘の周辺では、野生のジャスミンが咲き誇っている。甘い香りが、あたり一面を包んで
いる。上品でやさしい香り。いくらかいでもあきない。

朝早く起きて、マガジン用の原稿を書いていると、ワイフが茶碗一杯の野イチゴをもってきてく
れた。「小さなアリがいるかもしれないから……」と言ったが、私は気にしない。私はもともと、
野性的な男なのだ。そんな私が、ジャスミンの香りにうっとりとする?

 ウグイス(ホーケキョ)、コジュケイ(チョットコイ、チョットコイ)、それに今朝はまだ薄暗いうち
から、ホトトギス(テッペン・カケタカー)も鳴いた。遠くではカラスも鳴いている。どこか初夏を感
じさせる、冷たいが生暖かさの混ざった風。そして燃えるような木々の緑。

 昨夜は遅くまで、ワイフと、ビデオを見ていた。実にくだらないビデオだった。あくびも出ないほ
ど、つまらないビデオだった。しかし見ていたのは、ほかにすることもなかったから。で、そのと
き、せんべいを食べ過ぎたためだろう。今朝は、まったく食欲がない。「今朝は、朝食はいらな
いから」とワイフに言うと、「私もいらない」と。

 そうそう今朝は、もう一つ、仕事をした。山荘周辺には、ジャリを敷きつめているが、その間
から、こまかい雑草が無数に出てきた。それで先ほど、除草剤をまいた。友人のT氏は、「手で
抜けばいい」といつか言ったが、このところ、それがめんどうになった。それで除草剤をジョーロ
にとかして、ダイナミックにザーッとかけた。
 
 で、今は、五月一八日、日曜日、午前一〇時ちょうど。うすぐもり。これから服を着がえて、山
荘の掃除を少しする。それから……、今のところ、予定はなし。ここでT氏の話が出たので、T
氏の山荘へ行ってみようかと考えている。車で四〇分くらいのところにある。しばらく行っていな
い。隣に、陶芸の釜を置く小屋を作ったということだ。ワイフの体のコンディションを聞いてから
決める。

 しかし明日は愛知県のB町で講演。今日は無理をしないでおこう。先週は、F市で講演をさせ
てもらったが、途中で鼻がつまってしまい、その息苦しさといったら、なかった。明日は、そうい
うことはあってはならない。ついでだが、私は講演がある日には、こんなことに注意している。

(1)食事を減らす……私はもともと低血圧なので、胃に何かが入ると、すぐ眠くなってしまう。数
年前だが、大阪市で講演したときは、講演の途中だが、一瞬、眠ってしまった。講演の前に、
出された昼食を食べたのが悪かった。

(2)運動をする……脳細胞を刺激するために、運動をする。ぼんやりした頭では、講演はでき
ない。これは私のばあいだけかもしれないが、講演している最中には、二つの脳が同時に働
く。講演の内容を考えている脳と、そしてそういう自分を客観的に外から見ながら、それをコン
トロールする脳の二つである。前者は、講演の内容そのものということになるが、後者は、「あ
と残り時間は二〇分、急げ」「この話は、時間がないので、カット」というように、私に指示を与え
る。ぼんやりしていると、とくに後者の脳が機能しなくなる。

(3)朝風呂に入る……どんなに寒い朝でも、シャワーをあびるか、朝風呂に入ることにしてい
る。頭をしゃきっとするためである。

(4)原稿を書く……講演の内容とは関係ない文章を書く。これは私の話し言葉を正確にするた
めである。私は講演では、「エート」とか、「アノー」とか、「マア」とかいうようなあいまいな表現
は、一切使わない。そのまま原稿に起こしてもおかしくない言い方をするようにしている。その
ために、講演の前には、文章を書き、自分の頭の中の言葉力を整えることにしている。

(5)手を抜かない……当然のことだが、私は、どんな講演でも、またどんな小さな講演でも、手
を抜かない。「今日が最後だ。明日は、交通事故で死ぬかもしれない」と自分に言ってきかせ
る。ときどき途中で、疲れて、気が遠くなりそうなこともある。そういうとき、自分をふるいたたせ
るために、そう言ってきかせる。

 ……とまあ、大きく脱線してしまったが、しかしそのくせ、今まで、一度たりとも、満足に終わっ
た講演はない。いつも終わるたびに、「ああ言えばよかった」「こう言えばよかった」と後悔す
る。これは講演自体がもつ、限界のようなものか。同じように舞台に立つのだが、そういう点で
は、歌手はいいなと思うことがある。いつも同じ歌を歌えばよいのだから……。

 今、ワイフがやってきて、「帰る?」と聞いた。「ウン」と私は答えた。掃除を少しして、帰る。七
月には、B君(オーストラリア人)が、ここに泊まることになっている。昨日、電話で話したら、「ワ
イフがヒロシの山荘に泊まりたいと言っているから」とのこと。「君の近くには山はないのか?」
と聞いたら、「四〇〇キロ先にある」と。では……。

 みなさんに、このすばらしいジャスミンの香りが届けられないのが、残念!
(030518)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

悪妻、毒妻

 夫婦の関係が冷えたら、離婚。それはわかる。しかし離婚しないで、がんばっている(?)妻
もいる。

 Y子(四〇歳)は、今から一〇年ほど前、一五歳年上の男性と結婚した。見合いだった。婚期
の遅れた息子のために、息子の父親が設定したものだった。

 で、その見合いはうまくいった(?)。二人は、結婚した。しばらくはY子は、それなりに新婚生
活を楽しんだ。が、数か月もすると、たがいの間はぎくしゃくし始め、半年もすると、「形だけの
結婚生活」(息子)になってしまった。理由は無数にあったが、この際、理由は、あまり関係な
い。

 この一〇年の間に、Y子はたびたび息子とけんかを繰りかえし、実家にもどっている。実家
は、四国のK県にあった。それでも二人の間には、二人の子どもが生まれた。Y子が、突然、
強くなったのは、下の子どもが生まれてからだった。

 「強くなった」というのは、強引に、義父、つまり息子の両親の財産を求め始めたことをいう。
義父は、昔からの財産家で、静岡市の郊外の一等地に、数一〇〇坪単位の土地を、いくつか
もっていた。Y子は、手始めに、息子名義の預金通帳を、自分に渡すように要求した。しかしそ
の通帳は、義父が、いわば息子の名前を借りて預金していたものだ。が、Y子は、納得しなか
った。「夫名義のものは、私のもの」と。

 つぎにY子は、長男が小学校に入学するについて、義父の家から学校へ通わせたいと申しで
た。義父は、そのあたりでもきわだって目立つほどの豪邸に住んでいた。所有していた土地の
一部が、区画整理にかかり、その補償金で建てた家だった。

 が、これに義父の妻が反対した。妻は、Y子の下心を見抜いていた。が、これにY子は激怒し
た。「祖母なら、孫のめんどうをみるべきだ」と。

 こうしたトラブルは、当事者の神経を、とことんすりへらす。義父は、その間に、一度軽い脳梗
塞を起こして倒れている。妻も、胃腸を悪くして、数週間、入院している。が、それ以上に義父
と妻を悲しませたのは、Y子が、二人の子どもを切り離してしまったことだ。義父は、私にこう言
った。

 「電話をかけても、孫たちを、電話口にも出してくれないのです。以前は、孫たちのほうから、
毎日のように電話がかかってきたのですが、それも止めているようです」と。

 Y子は、義父と妻を、わざとさみしがらせることで、自分の要求を通そうとしていた? が、そ
んなときY子に、大事件がもちあがった。何とその義父と妻のいる家に、夫の妹夫婦が同居す
ることになったのだ。

 夫の妹、つまり義理の妹は、鎌倉に住んでいたが、いろいろ事情があって、静岡市にもどっ
てきた。(本当のところは、義父の妻が呼び寄せたのかもしれない。)しかもその妹と、Y子は、
仲が悪い。とたん、Y子のもくろみは、総崩れになりそうになった(?)。

 このケースは、ここまで。目下、現在進行中。これから先、どうなるか私にもわからない。しか
し似たようなケースは、いくらでもある。

●頼りない財産家の息子。
●その息子と結婚した、妻。
●妻がやがて目をつけるのは、夫の両親の財産。
●その財産をめぐって、醜い骨肉の争い。

こういうケースで興味深いのは、妻の意識の中に、夫がいないということ。夫を飛び越えて、義
父母と妻の関係になること。本来なら離婚したほうがよいのだが、離婚はしない。(このY子の
ケースでは、夫も離婚をしぶっている。だからY子は、ますます高姿勢になっている。)「義父の
財産イコール、夫のものイコール私のもの」と考える。

 こうした感覚がなぜ生まれるかかだが、それにはY子自身の人生観がからんでくる。(はたし
て人生観などという高邁なものがあるかどうかは、別にして……。)Y子はY子なりに、殺伐(さ
つばつ)とした結婚生活の中で、「マネーがすべて」という感覚を身につけたのだろう。

 しかしこういうのを悪妻というのではないか。毒妻といってもよい。私は「男」だから、どうして
も「夫」の立場でものごとを考えてしまう。しかし本当に悪いのは、夫のほうかもしれない。Y子
にしても、「私の人生はどうなるの!」「私の人生を返して!」と言いたいのかもしれない。これ
から先、二人の息子の将来を考えるなら、なおさらだ。

 一般論として、結婚生活に失敗した人は、夫にせよ、妻にせよ、その代償として、別の世界
で、何かを求め始める。そのため自分を高める人もいれば、低める人もいる。ソクラテスも、夫
の立場で、こう言っている。『汝が良妻をもたば、幸福者にならん。しかし悪妻をもたば、哲学
者にならん』(卓談)と。(ソクラテスの妻も、きっと悪妻だったのだろう。)で、このソクラテスの
言葉を妻の立場でいうと、こうなる。『汝が良夫をもたば、幸福者にならん。しかし悪夫をもた
ば、毒妻にならん』と。

 ああ、世の親たちよ、財産のないことを、もっとすなおに喜ぼうではないか。
(030518)

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
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 マガジンの原稿は、たいてい朝早く起きて書くことにしている。あるいは土日など、休みの日
に、できるだけたくさん、書きためておくことにしている。毎回、A4サイズの用紙(40字x36行)
で、15枚前後を目標に、みなさんに送信している。足りないときは、以前書いた原稿で、できる
だけ未発表のものを送るようにしている。

 目標は、ただ一つ。第1000号まで、つづけること。今日現在(五月一八日)、第225号だか
ら、あと775号! 1000号につづくあとのことは、考えていない。多分、1000号まで出せ
ば、私は自分のすべてを吐き出せると思う。それ以後は、ひからびたがい骨? しかしそれま
でエネルギーがつづくだろうか? 健康はどうだろうか? いろいろ考える。しかし今は、やるし
かない。迷っているヒマは、ない。

 読者のみなさんへ、これからも一生懸命書いていきます。どうか、一行でもよいですから、ご
購読ください。よろしくお願いします。みなさんと、この広い宇宙の、そしてその瞬間に、こうして
小さな接点をもつことができたことを、心から感謝しています。
(030518)※

Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞











件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■5-30

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M ″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /       ありがとうございます!
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★★★★★★★★★★★★★★
03−5−30号(234)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
● 5月19日(月)愛知県枇杷島家庭教育推進協議会 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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  / \   (3-─┼─-ε)  /   マガジンに反映させています。お声を
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

お休みします。ごめんなさい!

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<          
    /†_____†ヽ//      心豊かで、暖かい子育てをめざしましょう。
    ( ('    ξヽ        みんなでがんばれば、日本の子育ては
  ┏ ||   o//\) )(      変わります。よくなります。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

孤独な人たち

 猛烈な接近と、今度は手のひらを返したような忌避。人間関係をうまく結べない人は、この二
つを交互に、繰りかえす。

 ショーペンハウエルのヤマアラシ論。ある寒い夜、二匹のヤマアラシが、たがいに体をよりそ
って、暖をとろうとした。しかし近づきすぎると、たがいのハリで、体を痛める。しかし離れると、
寒い。そこで二匹のヤマアラシは、ほどよいところで、体を離したり、くっつけたりしながら、暖を
取りあった……。

 人間関係をうまく結べない人は、その原因の一つとして、自分のさらけ出しができない。あり
のままの自分を、ありのままに見せることができない。どこかで無理をする。いい人ぶる。仮面
をかぶる。だから人前に出ると、キズつきやすく、疲れやすい。

 さらにその原因はというと、その人の乳幼児期にある。このタイプの人は、とくに母親との関
係において、基本的信頼関係を結ぶことができなかった人と考えてよい。子どもというのは、絶
対的な安心感を得られる環境の中で、心を開くことができる。「絶対的」というのは、「疑いす
ら、抱かない」という意味。「どんなことをしても、どんなことを言っても、自分は守られるのだ」と
いう安心感をいう。

 この段階で、育児拒否、冷淡、拒否的態度、家庭不和、無視などが重なると、子どもは、心を
開くことができなくなり、ついで基本的信頼関係を結ぶというよりは、その結び方のし方そのも
のを、身につけることができなくなる。またこの時期、一度失敗すると、それが基本的不信関係
となり、その後の子どもの心の発育に大きな影響を与える。

 基本的信頼関係は、その文字が示すとおり、「基本的」なもの。この信頼関係が基本となっ
て、園や学校の先生、さらには友人との信頼関係へと発展していく。しかし基本的信頼関係が
結べない子どもは、さまざまな分野で、信頼関係を結べなくなる。具体的な症状としては、つぎ
のようなものがある。

●忠誠心が弱く、だれにでも愛想がよくなる。
●へつらう、機嫌をうかがう、小ずるくなる。
●心を開かない分だけ、心がゆがみやすい。ひねくれる、いじける、つっぱる、ひがむなど。
●孤独で、さみしがり屋。個人的な利益誘導型の人生観をもつ。
●人間関係の調整ができず、衝突、別離を繰りかえす。
●よい人ぶる、仮面をかぶる。疲れやすい。キズつきやすい。
●独断的、ひとりよがりになりやすい。偏屈、がんこになる。
●猜疑心が強く、嫉妬深い。裏切られる前に裏切るという姿勢になる。

 こうした心の問題は、そういう問題があるということではなく、そういう問題があることに気づ
かないで、同じ失敗を繰りかえすこと。しかし問題を解決するためには、まず冷静に自分の過
去をさぐり、そしてそういう問題があることに気づくこと。そのあと少し時間はかかるが、問題は
解決する。あるいは自分をコントロールすることができるようになる。

 なおこのタイプの人で、注意しなければならないことは、その人自身というよりも、その人の周
辺で、困惑している人が多いということ。冒頭に書いたように、猛烈な接近と、忌避を繰りかえ
すため、周囲の人が、それに翻弄(ほんろう)されてしまう。このタイプの人は、あるときは、ベタ
ベタと異常なまでに接近してきたかと思うと、今度はそれが拒否されたようなとき、一転、忌避
に向う。だから周囲の人は、その人がどんな人か、わからなくなってしまう。私の印象に残って
いる女性に、R子(三五歳)という女性がいた。

 R子は、ある時期は、こちらが望んでもいないのに、いろいろなものを送ってくれたり、届けて
くれた。しかしそれを断ると、今度は、一転、冷淡な態度をとる。それを周期的に、たとえば数
か月おきに繰りかえした。

 自己中心性が強く、会話をしても、自分の話題ばかり。たとえばR子は、望んでもいないの
に、電話をかけてきては、「ここのラーメンはおいしい」「あそこのラーメンはまずい」というような
話をする。さらには隣町のラーメンの話までする。で、一度、「今は、忙しいので、そういう話は
またのときにお願いできますか」と断ると、「ああ、そう!」と言って、電話をガチャンと切る。で、
以後、数か月、まったく音沙汰なし……。

 こうした姿勢が子どもに向かうと、当然のことながら、その影響は、子どもにおよぶ。このタイ
プの母親は、(1)ささいなことを気にして、それをことさら大げさに問題化する。(2)一方的な思
い込みで、子どもに無理を強いたり、強制したりする。(3)ものごとを極端に考える傾向が強く
なる、など。子ども自身も、基本的信頼関係を、母親との間に結べなくなることも多い。

 教える側からすると、もっとも相手にしたくない親ということになる。つかみどころがなく、機嫌
をそこねると、今度は徹底した反感をもつ。そして教える教師に対して、攻撃的になったり、あ
るいは敵意をもった行動をするようになる。つまりは、安心してつきあえなくない。その人自身
が不安になるのは、その人の勝手だが、このタイプの人は、他人をも不安にする。
(030522)

     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

孫を手なずける……?

 ある女性(六三歳)が、私のワイフにこう言った。

「孫ができたら、かわいがってあげなさいよ。あとでいいことあるから……」と。

 そこで私が、横から、「どんなことがあるのですか?」と聞くと、こう話してくれた。「あとでね、
おばあちゃん、おばあちゃんと心配してくれるからね。『足が痛い』と言うとね、『おばあちゃん、
足をもんであげる』と言ってくれますよ。孫は、かわいいもんですよ」と。

 この女性の言っていることを、もう少し整理してみよう。

●孫は、かわいがってやれ。
●あとで、あれこれ心配してくれる。
●孫は、かわいいものだ、と。

この女性のばあい、「かわいがる」というのは、「孫によい思いをさせること」をいう。孫のほしい
ものを買ってあげたり、小づかいをあげたりすることをいう。楽をさせることも、それに含まれ
る。

 そしてその女性が孫に、「足が痛い」と訴えると、孫が、心配して、その女性の足をもんでくれ
るという。だから「孫は、かわいいもんですよ」と。

 しかし、だ。この女性の言っていることは、すべておかしい。順に考えてみよう。

 まず、この女性は、孫に見返りを求めている。(してあげる)という意識も強い。つまり無私の
状態で、孫に愛情を注いでいるのではなく、孫を、自分のために手なずけようとしている。

 つぎに『足が痛い』と言うと、孫が心配してくれる。それをその女性は、喜んでいる? そして
そういうふうに孫に心配をかけ、それに対して心配してくれる孫を、「かわいい」と言う。そして全
体として、孫はそういう孫にしなければならない。そのために、「孫をかわいがれ」と。

 私はこういう意見を聞くと、生理的な嫌悪感を覚える。一つは、子どもの立場で。もう一つは、
自分の立場で。

 子どもの立場というのは、もう少し踏み込んだ言い方をれば、「人権」ということになる。古来
より日本では、「子どもは家の財産」という考え方をする。「人間」というよりは、「モノ」に近い。
そういう感覚を、この女性の意見の中に感ずる。

 もう一つ「自分の立場」というのは、私自身が、実のところ、こうして祖父母、そして父母に育
てられたという思いがあることをいう。まさに私は手なずけられた。つまりは私は、ここでいう
「かわいい孫」であり、「かわいい息子」だった。そういう思いからくる、嫌悪感である。

 私はその女性の意見を聞きながら、あまりにも日本的な、どこまでも日本的な意見に、驚い
てしまった。「今どき、この日本で……」とさえ思った。しかし一方で、あまりにも遠い距離を感じ
たので、反論することができなかった。仮にその女性に私の考えを伝え、理解してもらおうとす
るなら、何年もかかるかもしれない。いや、その必要はない。その女性はその女性だ。だから
私はこう言った。「そうですね。孫は、かわいいものですね」と。

 あああ、またまた私は、相手に迎合してしまった。私の悪いところだ。
(030521)
 
°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ       
°◎_/ ̄⌒―――∩      みなさんのお近くで、講演するとき、
 ///―――――∫       よろしかったら、おいでください。        
⊂⊂/      ∫        マガジンの読者と一言、言ってくだされば、
             講演をしていても、ぐんと元気が出ます。ホントです!
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

N市での講演

 N市で講演をした。その結果を、担当のK氏(N小学校教頭)が、届けてくれた。うれしかっ
た。そのまま、それを紹介させていただく。

++++++++++++++++

(1)今回の講演会の内容について、
      家庭教育の内容として、とても適していた……  79%
      家庭教育の内容として、適していた   ……  21%
      家庭教育の内容として、あまり適していなかった……0%
      家庭教育の内容として、適していない  ……   0% 

(2)講師(はやし浩司)の話し方は、
      とてもわかりやすかった        ……  77%
      わかりやすかった           ……  23%
      あまりわからなかった         ……   0%
      その他                ……   0%

(3)講演会の今後の開催について、
      これからも、実施してほしい      ……  99%
      実施なくてもいい           ……   0%
      その他                ……   1%(講師次第)

     (数値は、集計数/全体で、計算。パーセント表示にした。)

+++++++++++++++++

(寄せられた意見より、OCRで、選択することなく、そのまま収録)

●子育てが,子どもを育てるのではなく,子育ての仕方を教えるという点が参考になり
ました。

●いろいろなことが自分に当てはま り,悩んでいたことも今日お話が聞けてとても参考
 になりました。 楽しく, わかりやすく話が聞けてとても良かったです。

●子どもも−人の人間としてもっとつき合っていきたい。

●よく育児は育自と聞きます。自分自身が成長しなくてはいけないと反省します。

●もっと幼児期に限ったお話を聞いてみたかった。

●どんな評論家の話を聞いても,子育てに正解はないと思いました。

●子どもによって親が成長できるということ, 子育てで悩んでも,親である私の成長途
 中ということで,当たり前のことで,発展していける肥やしとなることと思います。
 子どものことを−人の人間として接していきたいです。

●はやし先生も親なんだと、とても親近感が持てました。

●子育てをするためには,親自身も自分を見つめ,成長していく必要があるということ
 がよく分かりました。良いお話をしていただき, ありがとうございました。

●子どもを育てていくにあたり, これから先,とても参考になり, いきずまったら先生
 のお話を,思い出してやっていきたいと思います.

.●また,機会がありましたら,先生のリズム論も聞いてみたいです。

●「子どもに子育ての見本を見せる」このことを常に頭に入れながら子どもに接していき
 たいと思いました。これからの私自身の態度も少し変われそうです。

●すべてにおいてとても参考になりました。精神分析のお話は特に学生時代より興味の
 ある分野でしたので,勉強することができ、 嬉しく思いました。

●4つの方向性というのは,少し難しい気がしましたが,子どもを一人の人間として見
 るということは改めて考えさせられ,子育ての見直しをするという気持ちになりました。

●笑いが混じったとても楽しい講演会でした。思い当たる事がいくつかあり, 反省させ
られました。

●もう遅いと思いますが,これからの教育の中で,参考にさせていただきたいと思いました。

●子育てを違う目で見つめ直せた様な気がします。また,はやし先生のお話を聞いてみ
 たいと思いました。

.●素晴らしい内容でした。 ありがとうございました。とても参考になりました。

●子育てはいろんな面から見ていくことが大切。親は子供の自立をさせていくよう自信を
もって子どもの背中を押してやることが大切と思いました。

●私も常に,子どもに子育てを教えてもらっているという気持ちで、日々過ごしていま
 す。 失敗しながら子どもと一緒に成長していければと思っています。

●中2, 小6, 小2の子どもをもっています。子どもの横に立って歩くことを意識して
 再スタートしたいと思います。長男の依存心は,2 〜3才ぐらいの時から気付きまし
 た。 手出しより口だしつまり先回りしてアドバイスしてしまう自分があった事に気付
 きましたが腓自分の意志をもつように意識しておりますが難しいですね。また,変
 化することを信じ,私自身日々勉強中です。仕事があるので,途中までしか話が聞け
 ず残念です。

●本日は,本当におもしろいお話をありがとうございました。今日のお話を夫にぜひ聞
 かせたかったです。私自身にも過去があり,その過去をひきずっていることを子ども
 と接する中で気付くことができました。

++++++++++++++++++++

 N市から帰ってくるとき、電車の中で、ふとこんなことを考える。「こうして講演活動ができるの
も、あと何年だろう?」と。六〇歳とか七〇歳になっても、講演ができる人というのは、ごく限ら
れた健康な人だ。つまり講演というのは、それくらい、体力的にたいへんな仕事である。

 そのときのために、その数日前から体のコンディションを整えておかねばならない。これは当
然のことだが、それだけでは足りない。当日の朝になって、「今日は、風邪ですから、休みま
す」というようなことは許されない。仮に一か月に、四か所で講演をするとなると、その月の健
康状態は、パーフェクトでなければならない。

 私は今、五五歳だが、この年齢というのは、微妙な年齢である。健康の曲がり角と言ってもよ
い。去年、大学の同窓会に出たが、約三分の一が、生死にかかわるような大病を経験してい
る。死んだのもいる。そういう現実を見せつけられると、「つぎは私」と思ってしまう。

 それに以前は、そういうことはなかったが、講演している途中で、ときどき気力が消え入りそう
になるときがある。緊張感がつづかないというか、自分でも何を話しているかわからないときが
ある。そういうときは、「今日が最後だ」と、自分にムチを打つ。またずっと立ちっぱなしという状
態だから、腰が痛くなる。終わって控え室へ入っても、座ることすらできない。

 だから「浜松を離れて、できるだけ遠くでみなさんに話してみたい」という気持ちが強い一方、
「遠くは、たいへんだから、断ろう」という気持ちも生まれてくる。しかし、だ。こうした講演会の感
想をもらうと、何かしら報われたような気持ちになる。講演をしてよかったという気持ちになる。
またこういう励ましがあるから、つぎの講演ができる。N市のみなさん、どうもありがとうござい
ました。
(030523)※
     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市リズム幼稚園
8・ 6  ……浜北市(詳細未定)
7・31  ……浜松市東部公民館
7・ 9  ……豊岡小学校
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・24  ……静岡市アイセル21
6・14  ……入野小中学校区健全育成会・入野町学校
6・ 7  ……都築保育園
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2003年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page090.html
2003年度は、「子育て相談、Q&A」で一年間、連載させていただきます。よろしく!
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●「はやし浩司のサイト」オリジナル・テーマ音楽ができました。
       http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page317.htmlから、おいでください。
●J−BOOKでの本のお求めは……
       http://sch.jbook.jp/s.asp?category_id=00&key=%82%CD%82%E2%82%B5%8D_%8Ei
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

*********************************
●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page295.html
  
   ξ《《》》
   ξξσσξ
   ξξ~▽~ノξ
   「 ∞∞∩∩
   l/  (・・)
   /  ⊂▼▼⊃     いつもこのマガジンを購読してくださり、
  /    │ ∈       心から感謝しています。
 **********∪ ̄∪        これからもよろしくご購読ください。
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(イラストは、パナソニックパソコン付録のフリーソフトを転用・改変しました。)









件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■6-1A

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M ″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
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03−6−1号(235)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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です! 
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∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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と読みやすくなります。お試しください。
    /八))))ハ   ミミヽ
    / / へ へ   へ ミミ  ─┐     今日のメニュー
   ( | σ σ |  ∂  へ ミ  |         【1】子育てポイント
    )("  ) ")  ζ  ∂ ぅ             【2】Touch your Heart
   / 八 ー 八┐ ( __  ノ─┐           【3】子育てエッセー
   ((  >−< | >−< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  / みなさんからいただきましたテーマを
  / \   (3-─┼─-ε)  /   マガジンに反映させています。お声を
  ──────────────┐    どうか、お届けください!
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

悲しきウソ

 父親に虐待さてた子ども(小四男児)がいた。その子どもをは、いつも体中、アザだらけだっ
た。で、その子どもを担当した、小学校の校長が、私にこう話してくれた。

「子どもというのは悲しいですね。そういうアザでも、決して父親にそうされたと言わないのです
ね。自分でころんでそうなったとか、自分が悪いから、そうなったとか言うのですね」と。

 心理学的には、これはウソではない。子ども自身が、本気でそう思い込んでいる。つまり子ど
もは、自分にとって不愉快な記憶を消すために、虚偽の記憶(フォールスメモリー)を別につく
り、その中に自分を追いこむ。これを心理学では、防衛機制という。

 子どもの立場で考えてみると、それがわかる。

 子どもにとっていくら虐待する父親であっても、その父親しかいない。父親に嫌われたら、自
分の居場所すらない。そこで子どもとしては、自分の父親を悪く言うことはできない。だから自
分の記憶の中に、別の記憶をつくり、その中に自分を追いこむ。この追いこむことを、心理学
では「隔離」という。

 しかし問題は、ここで終わるわけではない。隔離がひどくなると、そこで人格の分離が始ま
る。心理学でも、やはり「人格の分離」という。もっとわかりやすく言えば、二重人格性、さらに
は多重人格性をもつようになる。同じ一人の人間の中に、もう一人別の人格をもった自分をつ
くる。

 ふつうこういう別の人格は、本来の人格とは、別の人格をもつことが多い。性格そのものが
違う。ある男性(五〇歳)はこう言った。「別人格になったとき、どちらの自分が、本当の自分か
わからなくなります」と。その男性のばあい、何かのことでカッと頭に血がのぼると、別人格にな
るという。「ふだんの私はさみしがり屋ですが、怒ったとたん、自信家に変身します」と。

 冒頭にあげた小学生も、このままでは人格の分離が始まる可能性が、きわめて高い。そして
生涯にわたって、その後遺症に苦しむ可能性が、きわめて高い。つまり「ウソ」と片づけてよい
ほど、決して簡単な問題ではない。子どもの虐待の問題には、こうした問題も隠されている。
(030525)

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<          
    /†_____†ヽ//      心豊かで、暖かい子育てをめざしましょう。
    ( ('    ξヽ        みんなでがんばれば、日本の子育ては
  ┏ ||   o//\) )(      変わります。よくなります。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

今を生きる

 定年退職が近づくと、それぞれが退職後の夢を話し始める。「田舎へ入って農業をする」「妻
と船で世界を回る」「自動車で日本を一周する」など。「四国八十八か所を歩いて回る」と言った
人もいた。しかし人生観などというのは、退職と同時にそんなに簡単に変えられるものではな
い。「組織」というバーチャル(仮想現実)な世界に生きてきた人が、退職と同時に、「生きる本
分」に戻れるとは、私は思わない。このタイプの人は、自分がバーチャルな世界にいることすら
気づいていない。退職と同時に、その気力も消えうせ、仮に旅に出たとしても、帰ってきてから
の仕事ばかり考えるにちがいない。また退職後、しばらく仕事をしないでいると、体そのものが
動かなくなることだってある。いや、それまで健康がもつかどうかさえあやうい。

 地位、肩書き、名誉、さらに学歴、家柄がすべてバーチャルであるように、実のところ未来も
バーチャルとみる。そんなものはどこにもない。ないことは、飼っている犬を見ればわかる。庭
の土の上をうごめくアリを見ればわかる。そんなものはすべて、ここ一〇〇〇年、あるいは二
〇〇〇年のうちに人間が勝手に作り出したもの。数一〇万年もの人間の歴史からみれば、ほ
んの一瞬のうちにできたものにすぎない。

大切なことは「今」という現実の中で、精一杯、自分らしく、この「時」をしっかりとつかみながら
生きること。過去という存在しないものにこだわる必要はない。同じように、未来という存在しな
いもののために、「今」を犠牲にしてはいけない。結果はあくまでも、あとからついてくる。あるい
はその結果として、地位、肩書き、名誉があるとするなら、それはそれでかまわない。大切なこ
とは生きる本分を忘れないことだ。これを忘れると、バーチャルな世界にハマってしまう。

 夢があるなら、「今」すればよい。決してあと回しにしてはいけない。田舎へ入って農業をした
ければ、今からする。近くに畑を借りて、野菜を育てるのもよいだろう。妻と船で世界を回りた
ければ、手始めに、韓国や台湾あたりに行ってみればよい。自動車で日本一周をしたけれ
ば、今度の日曜日には、あなたの町を一周してみればよい。今、やるべきこと。今、やれること
は、いくらでもある。それが「今を生きる」ということになる。

 子どもにしてもしかり。大切なことは、子どもが子どもらしく、いかに「今」という時の中で、自
分を輝かせていきるか、だ。それともあなたは……、いや、こんな愚かな母親だいた。息子(中
三)が高校受験に失敗したとき、その母親は息子にこう言った。「幼稚園のときから英語教室
や算数教室に通ったけど、みんなムダだったわね」と。バーチャルな世界に生きる人は、そう
いうようなものの考え方をする。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子どもの集中力

 集中力と子どもの知的能力は、表裏の関係にある。集中力のある子どもは、すぐれた知的
能力をみせる。このタイプの子どもは一度何かに集中し始めると、他人を寄せつけない気迫に
包まれる。一方、集中力のない子どももいる。何ごとにつけあきっぽく、しばらくするとすぐ、「退
屈〜ウ」とか、「つまらな〜イ」とか言い出す。

 そんなわけで、つまり知的能力を高める方法があまりないのと同じように、集中力をつける方
法というのも、それほどない。あるとすれば、集中力をなくさせるようなことをしないという消極
的なものでしかない。たとえば無理、強制、条件、比較などを日常的にして、子どもからやる気
をうばう。慢性的な睡眠不足状態にするなど。言いかえると、子どもの集中力を最大限引き出
すためには、できるだけこうした方法を避けるということになる。が、それでも集中力が続かな
いとしたら……。答は簡単。あきらめる。それがその子どもの能力の限界と知ったうえで、あき
らめる。

 よく誤解されるが、サッカーならサッカーで、すぐれた集中力をみせるからといって、知的な面
でも集中力があるということにはならない。(もちろん両面ですぐれた集中力を示す子どももい
るが……。)脳の中でも運動面をつかさどるのが、大脳半球の中の運動野(中心前回)という
部分。知的能力をつかさどるのが、連合野という部分。連合野は人がサルから進化する過程
でとくに発達した部分であり、運動をつかさそる運動野とはまったく別物と考えるのが正しい。

 ただ教育的には方法がないわけではない。子どもの方向性を見きわめたうえで、うまく好奇
心を引き出しながらそれに集中させるなど。算数はきらいでも、虫が好きで、虫のこととなると
夢中で調べる子どもは、いくらでもいる。あるいは英語には、「楽しく学ぶ子どもはよく学ぶ」と
いうのもあるが、子どもを好きにさせるという方法もある。まずいのは、満腹状態の子どもに、
さらに食事を与えるような行為。集中力がなくなって当然である。

 この集中力がなくなると、子どもは、フリ勉(まじめに勉強しているフリだけをする)、ダラ勉
(ダラダラと身をもてあます)、時間ツブシ(つめをほじったり、やらなくてもよいような簡単な問
題ばかりをする)がうまくなる。こうした症状が出てきたら、できるだけ早い時期に、家庭教育の
あり方を猛省したほうがよい。小学低学年で一度そういう症状を身につけると、なおすのは容
易ではない。
 
     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●引っ張る子ども、ぶらさがる子ども

 子どもを大きく分けると、集団の中で、仲間を前向きに引っ張っていくタイプと、集団の中で、
ぶらさがっていくタイプに分かれる。もう少し具体的には、こうなる。

 言われたことに対して、二倍、三倍とするタイプと、言われたことしかしない。あるいは言われ
たことの数分の一しかしないタイプがある。さらに具体的には、こうなる。

 たとえば「明日、客がくるから、教室をきれいにしてください」と、子どもたちに指示したとす
る。そのとき、つぎつぎと、「ああしたらよい」「こうしたらよい」と、考えるタイプの子どもがいる。
E君という子ども(年長児)がそうだった。

 ある朝、園の先生が、「今日は、お母さんたちが、参観にきますから、スリッパを並べておい
てね」と指示したときのこと。E君は、遠くから母親たちがやってくるのを見つけると、玄関まで
出て、「スリッパをどうぞ」と言ったという。それだけではない。炊事室のおばさんに頼んで、お
茶まで用意させたという。

 一方、こんな子どももいる。……と言っても、こういうタイプがほとんどだが、言われたことしか
しない。「机の上をきれいにしてください」と指示すると、机の上のゴミを、下に落すだけというタ
イプの子どもである。そこで「下に落ちたゴミを拾ってください」と指示すると、「どのゴミ?」と。

 要するに、しなければならないことを自分で考えてするタイプと、言われたことだけを、その範
囲ですまして終わるタイプということになる。しかしこうした生きザマは、当然のことながら、その
子どもの人生そのものに、大きな影響を与える。

●「ヘンなヤツ」
 
 親分か、子分か? そう問われれば、親分のほうがよいに決まっている……と、旧世代の人
は、そう考える。しかし時代が変わった? 最近の子どもたちは、「リーダーになって苦労する
より、服従して、楽な道を行きたい。その中で、自分の好き勝手なことをしたほうがよい」と考え
ているようだ。たとえばHK市の中学校で校長している、I氏は、私にこう話してくれた。

 「勉強で苦労するのはいやだから、部活でがんばって、推薦で高校へ入りたいと考えている
中学生がふえています。全体の約六〇%が、そうであるとみてよいでしょう」と。私が驚いてい
ると、さらにこうも話してくれた。「市内の有数の進学校には行きたくないと言うのですね。勉強
で苦労するのはいやだからというのが、その理由です」と。

 私が中学生や高校生のときには、勉強ができるということが、一つのステータスになってい
た。そして学級委員でも、生徒会の役員でも、それが一つの基準になっていた。しかし今は、
違う。HM市の進学高校の高校生たちと、こんな会話をしたことがある。私が、「君たちも、がん
ばって勉強をして、A君(その高校ですばらしい成績をあげている子ども)のようになったらどう
か」と言ったときのこと。その高校生たちは、こう言った。「ぼくら、あんなヘンなヤツとは違う」
と。

 昔でいう、いわゆるガリ勉タイプの子どもは、「ヘンなヤツ」というのだ。たしかに冷静に考え
てみれば、そうだ。しかし、そういう意味でも、「勉強」という概念は、今、質的に大きく変わりつ
つある。さらに私が、「生徒会の仕事はしないのか?」と聞くと、こう言った。「あんなことをして
いるヤツは、バカだ」と。つまり生徒会などで、リーダー的な仕事をしている仲間は、バカだ、
と。理由を聞くと、「自分の時間がなくなる」と。

 いろいろ言いたいことはあるが、このつづきは、また考えてみる。
(030527)
 
°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ       
°◎_/ ̄⌒―――∩      みなさんのお近くで、講演するとき、
 ///―――――∫       よろしかったら、おいでください。        
⊂⊂/      ∫        マガジンの読者と一言、言ってくだされば、
             講演をしていても、ぐんと元気が出ます。ホントです!
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

シダ植物

 明日、このあたりでは、シダ植物の研究家と知られている人と、昼食をともにすることにして
いる。私が料理する。が、私は、シダ植物については、まったくの門外漢。山荘のまわりは、そ
のシダ植物だらけだが、先月、除草剤をまいてしまった。電話で、その研究家が、「あのあたり
は、シダがたくさんあって、楽しみです」と言ったときには、ドキッとした。「あのあたり」というの
は、明日、昼食をともにする、私の山荘周辺のことをいう。あああ。

 そこでシダ植物について、急きょ、勉強することにした。今では、インターネットで調べれば、
瞬時に、情報は手に入る。そういう意味では、情報の価値は、かぎりなく、軽くなった。

 で、そのシダ植物。スギナ(トクサ科)や、ゼンマイ(ゼンマイ科)、ワラビなど、一般によく知ら
れたものも多い。が、それだけではない。その種類の多さには驚いた。ある研究家の「シダ図
鑑」をのぞいてみたが、(ヒカゲノカズラ科)(イワヒバ科)(ウラジロ科)(フサシダ科)……など、
「科」のつくものだけで、22種類以上。それぞれの「科」に、さらに、10〜50種類前後のシダ
植物がある。「シダ植物の世界は、広い」と、いつも、その研究家は言っているが、ホント!

 考えてみればこれは、当然のこと。恐竜の時代、あるいははるかそれ以前から、シダ植物
は、この地球上に生えていた。原始植物というよりは、進化に進化を重ねた植物である。そこ
に隠された秘密は、想像を絶するほど、奥が深い。明日、会うことになっている研究家も、いつ
もそう言っている。「シダの世界は、広いですよ」と。

 シダ植物の話は別として、こうした「何かをもっている研究家」と話をするのは、本当に楽し
い。そのたびにバチバチと頭の中で、火花が飛び散るのを感ずる。数年前だが、アリの研究を
している人と会ったことがある。どこにでもいるアリだが、そのアリにも、縄張りというか、人間
の「民族」のようなものがあるという。違った民族のアリどうしが、その境界線で、し烈な戦争を
繰りかえしているという。いろいろな資料をどっさりと送ってもらったが、しかし残念ながら、その
ままになってしまった。

 「これについては、私はだれにも負けない」というようなものをもつことは、楽しいことだ。絶対
的なプロになるということ。そこで私自身はどうかと、考えてみる。

 で、ハタと今、気づいた。私には、何もない? 「これだけは人に負けない」というものが、な
い? 毎日、何かの研究(?)をしているようで、何もしていない? あえて言えば、東洋医学?
 育児論? 発達心理? ……しかし、どれもまだ中途半端。それぞれの世界で、私より詳し
い人は、いくらでいる。改めて自分を見つめなおしてみるが、頭の中は、カラッポ? 本当に、
何もない?

 私のばあい、趣味も、周期的に変化する。ある時期、そればかりしたと思うと、やがてあきて
しまい、つぎの趣味へと移っていく。長いので、数年。短いのだと数か月で、あきてしまう。一つ
のことに、たとえば生涯をかけて打ちこむということができない。今まで、趣味としたものに、つ
ぎのようなものがある。

石、宝石
ボート
野菜づくり
木工、大工
ラジコン
キャンピング
料理
作曲
絵画
ペインティング(自然の中に落ちているものを拾ってきて、ペインティングする)
山荘づくり
パソコン、などなど

 それぞれの趣味にこるたびに、家の中には、それに関するものが、あふれかえった。大工道
具については、大きなポリ容器で、数箱分はある。電動カンナ、電動ノコ、ミゾ切りルーター、電
動糸ノコなどなど。山荘を作るときは、電動チェーンソーとエンジンチェンソーなども買いそろえ
た。野菜づくりのときは、耕運機まで買った。(ホント!)

 そういう意味では、私は、「広く浅く」というタイプかもしれない。もともと深入りできないタイプ。
そういう意味では、移り気がはげしい。だから、生涯にかけて、その道を研究しつくしている人
に会うと、私にない部分だけに、強烈な刺激を受ける。それが先に書いた、「バチバチ」であ
る。そういう人に会って別れると、エッセーにしたいテーマが、取りとめもなくわいてくる。

 ……そう言えば、このところマガジンのために書いているエッセーが、種切れになってきた。
明日は、そういう意味でも、楽しみだ。うんとおいしい料理を作ってやろう。
(030524)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●みなさんの意見から

 マガジン読者の方にアンケート調査をお願いした。日ごろ、どのように読んでいただいている
かを、知りたかった。結果、三人の方から返事をいただいた。

 三人とも、「量が多すぎる」だった。つぎに内容については、「だいたい読んでいる」とのこと。
もっとも、これら三人の方は、読者の方でも、よく読んでくれている方だと思う。私もそうだが、
他人のマガジンを読むときは、まずざっと全体を見て、「これは!」と思う部分だけを読む。そ
んなわけで、私としては、「まあ、半分。せめて三分の一でも読んでもらえれば、感謝しなけれ
ば……」と思っている。(あるいはそれより少なくても、感謝しなくてはと思っている。)

 うれしかったのは、一人の方から、「1000号まで読む」と言ってもらったこと。がんばって、1
000号までつづけたい。……つづける。その先に何があるかわからないが、やってみる。

 また「読むのは子育てに関する記事だけ。時事問題は読まない」という人もいた。私として
は、いろいろな分野について書いてみたい。もともと法科出身なので、時事問題には、興味が
ある。

【読者のみなさんへ】

 いつもこのマガジンを購読してくださり、ありがとうございます。あちこちで最新の情報を集
め、皆さんの子育ての現場で役にたつ記事を載せていきますので、これからもよろしくお願いし
ます。

                                はやし浩司

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

うつ状態

 このところ、どうも気分が晴れない。何かと忙しかった。その忙しいときは無我夢中で、自分
を忘れるが、それが終わると、どんと疲労感が襲う。

 私のばあい、うつ状態になると、小さなことと大きなことの区別がつかなくなる。たとえば先
週、隣の空き地の竹を、数本、切った。が、地主の承諾を得て切ったわけではない。しかしそ
んなことでも、心にひかかる。「隣の人が、私を訴えたらどうしようか」と。

 ワイフに恐る恐る相談すると、「バカねえ。そんな竹を切ったくらいで、訴える人など、いない
わよ」と。よくよく考えてみれば、そのとおり。今年も、無数の新しい竹が生えてきた。

「そういうのを被害妄想というのよ」とワイフ。
「妄想だね」と私。
「そうよ。訴えてきたら、訴えてきたときに考えればいいのよ」
「そうだね」と。

 つぎにうつ状態になると、とんでもないことが心配になる。たまたま今夜(五月二五日)、ある
テレビ番組で、地球の磁場が逆転するかもしれないというようなことを言っていた。事実、現
在、年々、地球の磁場は弱くなっているという。逆転するとき、理論的には、一時的に磁場は
ゼロになるという。そうなると、未曾有の大災害が起きるという。

 内心では、「そんなバカな」と思った。あるいは「まだ、ずっと先のことだ」と思った。しかし一〇
〇〇年とか、二〇〇〇年も先のことではない。早ければ、一〇〇年後だという。「私はともかく
も、子どもたちがかわいそうだ」と思ったとたん、またまた言いようのない不安感が私を襲っ
た。

 が、何よりも不愉快なのは、冒頭に書いたように、気分が晴れないこと。ワイフは、「男の更
年期症候群よ」と言うが、そう言えば、このところ、精力が急速に衰えてきた感じがする。男性
と女性の区別がつかなくなってきた。女性のヌード写真を見ても、「こんなものかなあ」と思って
しまう。

 しかし解消法がないわけではない。私のばあい、こうして文章を書き、自分の心を整理するこ
とで、うつ状態から抜け出ることができる。友人のN氏に言わせると、「本当にうつ状態になっ
たら、文章も書けなくなる」ということだそうだ。つまり私はまだこうして文章を書けるから、それ
ほど、重症ではないということらしい。

 で、インターネットで、あちこちのニュースを読む。どこかのマンションで、また若い男女が、集
団自殺したというニュースもあった。こういうときというのは、そういうニュースほど気になる。
「死ぬことないのに」と思ったり、「彼らは彼らなりに、将来を悲観したのだろうな」と思ったりす
る。

 そうそう、こういう状態になると、自己嫌悪にもおちいる。「自分がいやだ」という思いである。
私という人間が、小さく、つまらない人間に見えてくる。生きている価値などないのではないかと
さえ思うこともある。そういう点では、自殺する人と、心理状態は、それほど違わないのではな
いか? テレビを見ながら、ワイフとこんな会話をする。

「私だって、本当に気分のよい日というのは、一週間のうちでも、一日くらいしかないわ」とワイ
フ。
「本当か?」と私。
「そうよ。ときどき気分のよい日には、自分でも、今日は珍しいわと思うほどよ」
「お前がそんなふうに言うなんて、信じられない」
「そうよ。私も更年期よ」
「更年期って、そうなるのか?」
「そうよ。みんな、体調がおかしくなるのよ」
「ぼくも、か?」
「そうよ、あなたも更年期よ。でもね、この時期を過ぎれば、また元気が出てくるそうよ」
「元気がないわけではないよ」
「元気がないわよ。クヨクヨ悩んで、バカみたい……」
「そうだな」と。

 明日は朝から忙しい。来客もあるし、街で人と会う約束もある。午後は、教室の改装工事もし
なければならない。うつ状態だからといって、家の中に引きこもっているわけにはいかない。が
んばろう。がんばるしかない。がんばります。何をどうがんばればよいのか、本当のところはよ
くわかっていないが、がんばります。みなさんも、どうか心と体を大切に。おやすみなさい。

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞






件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■6-3-1

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M ″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /       ありがとうございます!
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 ===○=======○====KW(8)
★★★★★★★★★★★★★★
03−6−3号(236)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
● 5月19日(月)愛知県枇杷島家庭教育推進協議会 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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  / \   (3-─┼─-ε)  /   マガジンに反映させています。お声を
  ──────────────┐    どうか、お届けください!
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
岩手県のMKさん(母親)よりの相談から……

 林先生、はじめまして。いつも HP、メルマガを拝見させていただいております。

さて、小学三年生の息子について相談させていただきます。とにかく、学校での緊張が強くて
疲れやすいので困っています。休み時間は、元気に遊んでいるようですが、授業中は、先生に
叱られては、いけない、上手く発言したいなどの意識が強いようです。プライドが高くて、結果ば
かり気にしているようです。また、気が小さいわりに頼まれると、クラスで応援団の代表の一人
に選ばれたりしますが、隣の子が叱られていても、びくびくして涙ぐむタイプです。

 一人目で、四歳下の妹がいますが、小さいときから、神経質に私がなりすぎたせいか、気が
小さいです。今も、寝るときは、ぬいぐるみ(ぼろぼろの雑巾状態)を持って、指しゃぶりをしな
がらでないと眠れません。私が添い寝をすると安心するようです。

 学校から帰ると毎日友達と、ゲームや外遊びをしています。私が専業主婦なので、七人くら
いの友達が来ることもあります。いつもは三、四人で遊んでいます。家では、野生のサルのよう
に活発ですが、「宿題は?」というと、ひどく怒ります。家では、私が何も言わないと機嫌よく友
達と遊び、寝る前に宿題のみをして、寝るような毎日です。

 私が、あまり温かな家庭に育ってないせいか、子育てに張り切りすぎて子どもをゆがめてしま
ったようです。私は、進学校で落ちこぼれ、店員をしていました。主人は、月の半分が出張で、
働いていますが、腎臓の難病をかかえています。

 私の実の弟は、不登校から心身症になり実家で、療養中です。

 はやし先生、よろしければアドバイスをお願いします。 

++++++++++++++++++ 

MKさんへ

 心の緊張状態がとれないことを、情緒不安といいます。その緊張状態に、不安や心配が入り
こむと、心はそれを解消しようと、一挙に不安定になります。つまり情緒不安は、あくまでも症
状にすぎないということです。

 そしてその症状は、子どもによって異なります。攻撃型(乱暴になる、暴力的になる)、固着型
(過去にこだわる、クヨクヨする)、固執型(毛布の切れ端や、ものにこだわる)、内閉型(ぐず
る、引きこもる)に大きく分けて考えます。

 で、問題は、なぜ心の緊張感がとれないかですが、基本的には、人間関係の結び方ができ
ないとみます。自分の心をさらけだして、自己開示ができない。あるいはそれが不十分というこ
とです。原因は、乳幼児期の、母子関係が不全であったことが疑われます。

 子どもは、対母親との関係で、基本的人間関係を結びます。父親ではありません。母親で
す。そういう意味では、子どもにとっては、母親は絶対的な存在です。その母親に対して、絶対
的な安心感を覚えることで、子どもは、基本的信頼関係の結び方を覚えます。「絶対的」という
のは、「まったく疑いをいだかない」という意味です。

 この基本的信頼関係は、その後、父親や家族、園の先生、さらには友人との信頼関係の基
本となります。だから「基本」という言葉を使います。が、母親との信頼関係を結ぶことに失敗し
た子どもは、その後、母親以外の人たちとも、うまく人間関係を結ぶことができなくなります。た
とえば症状としては、仮面をかぶる。心が遊離するなど。あるいはさらにはひどいケースでは、
人格の分離が始まります。「遊離」というのは、心と表情が一致しないこと。このタイプの子ども
は、いわゆる何を考えているかわからないタイプの子どもといったふうに、なります。

 全体的にみて、MKさんのお子さんは、この流れの中にあるとみます。恐らく、子どもの側か
らみて、(MKさんには、その意識はなくても……)、生後まもなくから、乳児期にかけての時
期、どこかで母親の冷淡、無視、拒否を感じたのかもしれません。(あるいはひょっとしたら、子
どもの誕生について、大きな不安やわだかまりがあった? 望まない子どもであったとか…
…?)

そのため、お子さんは、いつも不安を基底とした心理状態になったのだと考えられます。このタ
イプの子どもは、何をしていても不安なのです。そしてその不安を解消しようと、つまりは自分
を忘れる行動に走りやすくなります。行動が、どこか享楽的になるのは、そのためです。

 以上が一般論ですが、ではMKさん自身はどうであったかという問題もあります。MKさんご
自身が言っておられるように、「あまり温かい家庭に育っていなかった」ということが、「根」にあ
ることは、十分疑ってみてよいと思います。そこでMKさんは、「よい母親になろう」「家庭という
のは、こういうものでなければならない」「よい家庭を築こう」という、気負い先行型の子育てをし
てしまった。実は、問題の根本は、ここにあります。わかりやすく言うと、子どもが緊張状態から
解放されないのは、MKさん自身が、その緊張状態にあるためです。そういう意味で、子どもの
心は、カガミのようなものにすぎないということです。

 子どもに何か問題があると、たいていの母親は、子どもだけをみて、「子どもをなおそう」と考
えます。しかし問題の根本は、母親自身にあります。まずMKさん自身が、それに気づくことで
す。

 MKさん、あなたは、子どもに、心を開いていますか。安心して、自分をさらけ出しています
か。よい親ぶっていませんか。よい子を求めすぎていませんか。よい家庭を築こうと、気負いす
ぎていませんか。過大な要求を、子どもにぶつけていませんか。そして子どもの側からみて、あ
なたやあなたの家庭は、安心感にあふれた、心豊かな家庭になっていますか。子どもにとっ
て、あなたや家庭が、体や心を休める場所になっていますか。あなたの目の前で、子どもが心
を全幅に開き、好き勝手なことをしていますか。もしそうならそれでよし。そうでないなら、あな
たや家庭のあり方を、まず反省してみてください。それをしないと、あとは、いくら、何をしても、
対症療法に終わってしまいます。

 順に考えてみましょう。

(1)とにかく、学校での緊張が強くて疲れやすいので困っています。休み時間は、元気に遊ん
でいるようですが、授業中は、先生に叱られては、いけない、上手く発言したいなどの意識が
強いようです。プライドが高くて、結果ばかり気にしているようです。また、気が小さいわりに頼
まれると、クラスで応援団の代表の一人に選ばれたりしますが、隣の子が叱られていても、びく
びくして涙ぐむタイプです。

このタイプの子どもは、いわゆる内弁慶外幽霊のタイプと考えます。外の世界で無理をする分
だけ、家の中では、粗放化します。そこで大切なことは、「ああ、うちの子は、外でがんばってい
るから、家の中ではその反動で、粗放化するのだ」と、理解してあげることです。家の中で、乱
暴な言葉を使っても、大目に見てあげてください。家の中で、こまごまと、神経質な接し方をして
はいけません。部屋の中が散らかっていても、子どもの好きなようにさせます。また子ども自身
は、学校でがんばっているようなので、その点を高く評価してあげてください。応援団の代表に
選ばれたら、「すごいわね」と、心底、喜んでみてあげてください。

(2)一人目で、四歳下の妹がいますが、小さいときから、神経質に私がなりすぎたせいか、気
が小さいです。今も、寝るときは、ぬいぐるみ(ぼろぼろの雑巾状態)を持って、指しゃぶりをし
ながらでないと眠れません。私が添い寝をすると安心するようです。

妹さんも、どこかでいつも不安を覚えていると考えてよいようです。こういうケースでは、とにか
く、スキンシップを濃厚にしてみてください。ベタベタがよいというのではありません。子どもがス
キンシップを求めてきたら、それに対して、良質なスキンシップ(ぐいと、力いっぱい抱くなど)を
与えるということです。たいていは一〇秒〜長くて一分程度で満足するはずです。コツは、親側
からベタベタするのではなく、子どもが求めてきたら、いとわないということです。


(3)学校から帰ると毎日友達と、ゲームや外遊びをしています。私が専業主婦なので、七人く
らいの友達が来ることもあります。いつもは三、四人で遊んでいます。家では、野生のサルの
ように活発ですが、「宿題は?」というと、ひどく怒ります。家では、私が何も言わないと機嫌よく
友達と遊び、寝る前に宿題のみをして、寝るような毎日です。

 「宿題」という言葉が、キーワードになっていることが、これでよくわかります。つまり緊張状態
を一挙に不安定にさせる、キーワードになっているということです。こうした反応は、習慣化して
いるはずなので、この言葉は、子どもの前では使わないようにしてください。

 「家では、私が何も言わないと機嫌よく友達と遊び」というのは、MKさんが、過干渉気味の母
親であることを示しています。全体としてみればそうでないかもしれませんが、子どもがかなり
不安定な状態のときは、ふつう程度の干渉でも、そのまま過干渉になってしまいますから、注
意してください。つまり子どもの側からみて、MKさんは、「小うるさい存在」なのです。私があな
たなら、子どもは、学校で、無理をしているので、家の中では、好き勝手なことをさせますが…
…。

(4)私が、あまり温かな家庭に育ってないせいか、子育てに張り切りすぎて子どもをゆがめて
しまったようです。私は、進学校で落ちこぼれ、店員をしていました。主人は、月の半分が出張
で、働いていますが、腎臓の難病をかかえています。

 ほとんどの人は、気負い先行型の子育てをしています。だからMKさん、あなただけが、問題
があるというのではありません。だからどうか肩の力を抜いてください。あなたはすでに十分、
すばらしい母親です。(だから、こうして私のところにメールをくださり、私も返事を書いていま
す。)あなたは今、懸命に自分をさがしておられる。そういう姿勢が、必ず、あなたやあなたの
子育てを前向きに引っ張っていきます。

 あなた自身も、言いたいことを言い、したいことをすればよいのです。「落ちこぼれた」などと
言っていないで、今、あなたがしたいことをすればよいのです。あなた自身が、こうした挫折感
を覚えているから、子どもに向かっては、「勉強は?」「宿題は?」となってしまうのです。つまり
あなたは自分の不安を子どもに、ぶつけているだけなのです。それがわかりますか?

 あなたは落ちこぼれでも何でもありません。むしろ受験勉強をして、スイスイと勝ち組になっ
たかにみえる連中のほうが、これからどんどんと落ちこぼれていくのです。だから自分のこと
を、絶対に、「落ちこぼれ」と言ってはいけません。「私は懸命に生きてきた。そのつど、懸命に
最善の道を選んできた。これが私の人生よ。ほかに何があるの!」と。そう居直りなさい。つま
りそういう形で、あなたの中に潜む、受験信仰(カルト)と戦うのです。それを克服したとき、あな
たは自分の子どもにこう言うようになるでしょう。

 「宿題? そんなもの、適当にすればいいのよ!」と。

この大らかさが、子どもに伝わったとき、あなたの子どももまた、あなたに心を開くことができる
ようになります。

 今、あなたの子どもは、あなたに対して、心を開くことができず、もがいています。苦しんでい
ます。そしてあなたはあなたで、それを孤独に感じている。つまりたがいにキズつきあっている
だけ。もう、そういう愚劣なことはやめましょう。でないと、今度は、あなたの子どもがいつか父
親になったとき、やはり心豊かな家庭作りに失敗するだけです。だから今は、あなたがここで
ふんばって、それを断ち切るのです。

 まず、自分を子どもの前でさらけ出してみてはどうでしょうか。「宿題なんて、いやなものだっ
たわ。お母さんも、大嫌いだった。いやだったわ。お母さんも、勉強ばかりする高校へ入ったけ
ど、勉強なんて、したくなかったわ」と。もしできればそのとき、一方的に「宿題をしなさい」では
なく、「いっしょに、しようね」と声をかけてみてはどうでしょうか。勉強はさせるものではなく、親
子で楽しむもの。テレビやゲームをしながらでも、三〇分かけて、五分程度勉強すれば、しめ
たもの。そういう大らかさを大切にしてください。

 ご主人のご病気、たいへんですね。まだお若いかと思いますが、どうかくれぐれもよろしくお
伝えください。ご健康を念願しています。最後に、家族は、守りあい、助けあい、教えあい、励ま
しあい、教えあう。そんな心を、これからも大切にしていきましょう。また何かあれば、ご連絡く
ださい。今日は、これで失礼します。

はやし浩司

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<          
    /†_____†ヽ//      心豊かで、暖かい子育てをめざしましょう。
    ( ('    ξヽ        みんなでがんばれば、日本の子育ては
  ┏ ||   o//\) )(      変わります。よくなります。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

受験競争の魔力

 受験競争に巻き込まれれば巻き込まれるほど、子どもはもちろんのこと、親もその住む世界
を小さくする。この世界では、勝った負けたは当たり前。取るか取られるか、蹴落とすか蹴落と
されるか……。教育とは名ばかり。その底流では、ドス黒い人間の欲望がはげしくウズを巻い
ている。ある母親は受験どころか、子ども(中学生)がテスト週間を迎えるたびに病院通いをし
ていた。いわく「テスト中は、お粥しかのどを通りません」と。子どもの受験競争が高じて、親どう
しがいがみあう例となると、まさに日常茶飯事。幼稚園という世界でも、珍しくない。現に今、言
ったの言わないのがこじれて、裁判ザタになっているケースすらある(小学校)。さらに息子(中
三)が高校受験に失敗したあと、自殺をはかった母親だっている!

 こうした狂騒は部外者が見ると、バカげているとわかるが、当の本人たちはそうでない。それ
はまさしく命がけ、血みどろの戦い。もっともこうした戦いが親の世界だけでとどまっているなら
まだしも、子どもの世界まで巻き込んでしまう。さらに学校という教育の世界まで巻き込んでし
まう。この受験競争だけが原因とは言えないが、そのため心を病む教師はあとを断たない。東
京都の調べによると、東京都に在籍する約六万人の教職員のうち、新規に病気休職した人
は、九三年度から四年間は毎年二一〇人から二二〇人程度で推移していたが、九七年度
は、二六一人。さらに九八年度は三五五人にふえていることがわかった(東京都教育委員会
調べ・九九年)。この病気休職者のうち、精神系疾患者は。九三年度から増加傾向にあること
がわかり、九六年度に一時減ったものの、九七年度は急増し、一三五人になったという。この
数字は全休職者の約五二%にあたる。(全国データでは、九七年度は休職者が四一七一人
で、精神系疾患者は、一六一九人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ
病、うつ状態が約半数をしめていたという。

 何だかんだといっても、受験が教育の柱になっている。もしこの日本から、受験という柱を抜
いたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育ですら崩壊する。問題はなぜ受験が教育の柱にな
っているかだが、それについては別のところで考えるとして、結論から先に言えば、受験が子
どもや親を大きくする要素などどこにもない。仮にそれに打ち勝ったとしても、「何とかうまくやっ
た」というあと味の悪さが残るだけ。
受験競争は決して教育ではない。そういう前提で、一歩退いてつきあう。そういう冷静さがあな
たの心を守り、あなたの子どもの心を守る。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

一〇%のニヒリズム

 テレビドラマに「三年B組金八先生」※というのがある。まさに熱血漢教師のドラマだが、実際
にはああいう教師はいない。それはちょうどアクションドラマの中で、暴力団と刑事がピストルで
バンバンと撃ちあうようなものだ。ドラマとしてはおもしろいが、現実にはありえない。仮に金八
先生のような教師がいたとすると、その教師はあっという間に、身も心もボロボロにされる。第
一、この世界には内政不干渉の原則というのがある。いくら問題が家庭におよんでも、教師は
家庭問題までクビをつっこんではいけない。またその権利もなければ義務もない。つっこんだら
つこんだで、たいへんなことになる。私にもいろいろな経験がある。

 私はある時期、毎日のように母親教室を開いていた。が、それがよくなかった。ある朝まだ床
の中で眠っていると、一人の男がいきなり飛び込んできて、こう叫んだ。「うちの女房が妊娠し
た。どうしてくれる!」と。寝耳に水とはまさにこのこと。私が驚いていると、その様子から察した
のか、その男はこう言った。「すまんすまん。カマだ」と。話を聞くと、その男の妻がその前夜か
ら家出をしたという。そこでその男は、妻がよく口にしていた私のところへ逃げてきたと思ったら
しい。その妻というのは、私の母親教室の熱心な受講生だった。以来私は、毎日の母親教室
を、週一回に減らした。同時に、子どもの子育ての問題以外、「私は関係ない」という姿勢を貫
くようにした。

 こうしたトラブルは、本当に多い。毎年少しずつ賢くなったつもりだが、つい油断をすると、同
じような失敗を繰り返す。そこで一〇%のニヒリズム。昔、どこかの教師が懇談会の席でそう教
えてくれた。「どんなに教育に没頭しても、一〇〇%、全力投球してはいけない。最後の一〇%
は自分のためにとっておく。裏切られてもキズつかないようにするためだ」と。実際、この世界、
報われることよりも、裏切られることのほうが多い。一〇%のニヒリズムは、そのための処世
術である。

     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

自己嫌悪

 ある母親から、こんなメールが届いた。「中学二年生になる娘が、いつも自分をいやだとか、
嫌いだとか言います。母親として、どう接したらよいでしょうか」と。神奈川県に住む、Dさんから
のものだった。

 自我意識の否定を、自己嫌悪という。自己矛盾、劣等感、自己否定、自信喪失、挫折感、絶
望感、不安心理など。そういうものが、複雑にからみ、総合されて、自己嫌悪につながる。青春
期には、よく見られる現象である。

 しかしこういった現象が、一過性のものであり、また現れては消えるというような、反復性があ
るものであれば、(それはだれにでもある現象という意味で)、それほど、心配しなくてもよい。
が、その程度を超えて、心身症もしくは気うつ症としての症状を見せるときは、かなり警戒した
ほうがよい。はげしい自己嫌悪が自己否定につながるケースも、ないとは言えない。さらにそ
の状態に、虚脱感、空疎感、無力感が加わると、自殺ということにもなりかねない。とくに、それ
が原因で、子どもがうつ状態になったら、「うつ症」に応じた対処をする。

 一般には、自己嫌悪におちいると、人は、その状態から抜けでようと、さまざまなな心理的葛
藤を繰りかえすようになる。ふつうは(「ふつう」という言い方は適切ではないかもしれないが…
…)、自己鍛錬や努力によって、そういう自分を克服しようとする。これを心理学では、「昇華」
という。つまりは自分を高め、その結果として、不愉快な状態を克服しようとする。

 が、それもままならないことがある。そういうとき子どもは、ものごとから逃避的になったら、あ
るいは回避したり、さらには、自分自身を別の世界に隔離したりするようになる。そして結果と
して、自分にとって居心地のよい世界を、自らつくろうとする。よくあるのは、暴力的、攻撃的に
なること。自分の周囲に、物理的に優位な立場をつくるケース。たとえば暴走族の集団非行な
どがある。

 だからたとえば暴走行為を繰りかえす子どもに向かって、「みんなの迷惑になる」「嫌われる」
などと説得しても、意味がない。彼らにしてみれば、「嫌われること」が、自分自身を守るため
の、ステータスになっている。また嫌われることから生まれる不快感など、自己嫌悪(否定)か
ら受ける苦痛とくらべれば、何でもない。

 問題は、自己嫌悪におちいった子どもに、どう対処するかだが、それは程度による。「私は自
分がいや」と、軽口程度に言うケースもあれば、落ちこみがひどく、うつ病的になるケースもあ
る。印象に残っている中学生に、Bさん(中三女子)がいた。

 Bさんは、もともとがんばり屋の子どもだった。それで夏休みに入るころから、一日、五、六時
間の勉強をするようになった。が、ここで家庭問題。父親に愛人がいたのがわかり、別居、離
婚の騒動になってしまった。Bさんは、進学塾の夏期講習に通ったが、これも裏目に出てしまっ
た。それまで自分がつくってきた学習リズムが、大きく乱れてしまった。が、何とか、Bさんは、
それなりに勉強したが、結果は、よくなかった。夏休み明けの模擬テストでは、それまでのテス
トの中でも、最悪の結果となってしまった。

 Bさんに無気力症状が現れたのは、その直後からだった。話しかければそのときは、柔和な
表情をしてみせたが、まったくの上の空。教室にきても、ただぼんやりと空をみつめているだ
け。あとはため息ばかり。このタイプの子どもには、「がんばれ」式の励ましや、「こんなことで
は○○高校に入れない」式の、脅しは禁物。それは常識だが、Bさんの母親には、その常識が
なかった。くる日もくる日も、Bさんを、あれこれ責めた。そしてそれがますますBさんを、絶壁へ
と追いこんだ。

 やがて冬がくるころになると、Bさんは、何も言わなくなってしまった。それまでは、「私は、ダ
メだ」とか、「勉強がおもしろくない」とか言っていたが、それも口にしなくなってしまった。「高校
へ入って、何かしたいことがないのか。高校では、自分のしたいことをしればいい」と、私が言
っても、「何もない」「何もしたくない」と。そしてそのころ、両親は、離婚した。

 このBさんのケースでは、自己嫌悪は、気うつ症による症状の一つということになる。言いか
えると、自己嫌悪にはじまる、自己矛盾、劣等感、自己否定、自信喪失、挫折感、絶望感、不
安心理などの一連の心理状態は、気うつ症の初期症状、もしくは気うつ症による症状そのもの
ということになる。あるいは、気うつ症に準じて考える。

 軽いばあいなら、休息と息抜き。家庭の中で、だれにも干渉されない時間と場所を用意す
る。しかし重いばあいなら、それなりの覚悟をする。「覚悟」というのは、安易になおそうと考え
ないことをいう。心の問題は、外から見えないだけに、親は安易に考える傾向がある。が、そん
な簡単な問題ではない。症状も、一進一退を繰りかえしながら、一年単位の時間的スパンで、
推移する。ふつうは(これも適切ではないかもしれないが……)、こうした心の問題について
は、(1)今の状態を、今より悪くしないことだけを考えて対処する。(2)今の状態が最悪ではな
く、さらに二番底、三番底があることを警戒する。そしてここにも書いたように、(3)一年単位で
様子をみる。「去年の今ごろと比べて……」というような考え方をするとよい。つまりそのときど
きの症状に応じて、親は一喜一憂してはいけない。

 また自己嫌悪のはげしい子どもは、自我の発達が未熟な分だけ、依存性が強いとみる。満
たされない自己意識が、自分を嫌悪するという方向に向けられる。たとえば鉄棒にせよ、みな
はスイスイとできるのに、自分は、いくら練習してもできないというようなときである。本来なら、
さらに練習を重ねて、失敗を克服するが、そこへ身体的限界、精神的限界が加わり、それも思
うようにできない。さらにみなに、笑われた。バカにされたという「嫌子(けんし)」(自分をマイナ
ス方向にひっぱる要素)が、その子どもをして、自己嫌悪に陥れる。

 以上のように自己嫌悪の中身は、複雑で、またその程度によっても、対処法は決して一様で
はない。原因をさぐりながら、その原因に応じた対処法をする。一般論からすれば、「子どもを
前向きにほめる(プラスのストロークをかける)」という方法が好ましいが、中学二年生という年
齢は、第二反抗期に入っていて、かつ自己意識が完成する時期でもある。見えすいた励ましな
どは、かえって逆効果となりやすい。たとえば学習面でつまずいている子どもに向かって、「勉
強なんて大切ではないよ。好きなことをすればいいのよ」と言っても、本人はそれに納得しな
い。

 こうしたケースで、親がせいぜいできることと言えば、子どもに、絶対的な安心を得られる家
庭環境を用意することでしかない。そして何があっても、あとは、「許して忘れる」。その度量の
深さの追求でしかない。こういうタイプの子どもには、一芸論(何か得意な一芸をもたせる)、環
境の変化(思い切って転校を考える)などが有効である。で、これは最悪のケースで、めったに
ないことだが、はげしい自己嫌悪から、自暴自棄的な行動を繰りかえすようになり、「死」を口
にするようになったら、かなり警戒したほうがよい。とくに身辺や近辺で、自殺者が出たようなと
きには、警戒する。

 しかし本当の原因は、母親自身の育児姿勢にあったとみる。母親が、子どもが乳幼児のこ
ろ、どこかで心配先行型、不安先行型の子育てをし、子どもに対して押しつけがましく接したこ
となど。否定的な態度、拒否的な態度もあったかもしれない。子どもの成長を喜ぶというより
は、「こんなことでは!」式のおどしも、日常化していたのかもしれない。神奈川県のDさんがそ
うであるとは断言できないが、一方で、そういうことをも考える。えてしてほとんどの親は、子ど
もに何か問題があると、自分の問題は棚にあげて、「子どもをなおそう」とする。しかしこういう
姿勢がつづく限り、子どもは、心を開かない。親がいくらプラスのストロークをかけても、それが
ムダになってしまう。

 ずいぶんときびしいことを書いたが、一つの参考意見として、考えてみてほしい。なお、繰り
かえすが、全体としては、自己嫌悪は、多かれ少なかれ、思春期のこの時期の子どもに、広く
見られる症状であって、決して珍しいものではない。ひょっとしたらあなた自身も、どこかで経験
しているはずである。もしどうしても子どもの心がつかめなかったら、子どもには、こう言ってみ
るとよい。「実はね、お母さんも、あなたの年齢のときにね……」と。こうしたやさしい語りかけ
(自己開示)が、子どもの心を開く。
(030527)

°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ       
°◎_/ ̄⌒―――∩      みなさんのお近くで、講演するとき、
 ///―――――∫       よろしかったら、おいでください。        
⊂⊂/      ∫        マガジンの読者と一言、言ってくだされば、
             講演をしていても、ぐんと元気が出ます。ホントです!
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

クーラー

 我が家も、やっとクーラーを入れることにした。人生、五五年。今までクーラーなしでやってき
た。しかしここ数年、夏の暑さが身にこたえるようになった。温暖化の影響もあるようだが、や
はり、年齢か。昔のように、ジリジリと汗をかきながら、暑さ意に耐えるということができなくなっ
た。

 で、近くの大型店へ行ってきた。二台で、一〇万円というクーラーを買うことにした。で、その
契約をしているときのこと。相手は三五歳前後の男だったが、かなりイライラしているようだっ
た。表情はそれなりに穏やかな顔をしていたが、私には、相手の心の中まで読めてしまう。

(その男が私にイライラしている理由)

●私が閉店まぎわにやってきたこと。
●私が安物買いの客であること。
●私がいろいろ説明を求めること。
●私ができるだけ安くすまそうとしていること。
●つまり私は、あまり好ましくない客?

そこで私は、思わず、こう言ってしまった。「どうか、あまりイライラしないでください。落ちつい
て、落ちついて!」と。もちろんストレートな言い方をしたのではない。冗談ぽく、やわらかな言
い方をした。とたん、その男は、自分の心を見すかれた気まずさからか、ニヤッと笑った。悪い
人ではなさそうだ。

 以前、『トワイトライト・ゾーン』(旧称は、『ミステリーゾーン』)という映画があった。その中の一
つ。あるとき一人の男が、道端の物乞いにコインを投げる。するとそのコインが、どういうわけ
か、垂直に立つ。とたん、その男に奇跡が起きる。人々の心の中がそのまま、聞こえるように
なる。……そんなような映画だった。

 私のばあい、そういった超能力ではないが、しかしそれに近いと言ってもよいほど、相手の心
が読める。とくに相手が子どものばあい、その心の状態が、手に取るようにわかる。これは毎
日、多くの子どもに接していること。また心の中を読むのが、私の仕事になっていること。そう
いう仕事を、三〇年以上もしてきたことによる。ただし、映画のように、その人と、すれちがった
だけで、相手の心が読めるというわけではない。その人と、ある程度の時間、会話をしてはじ
めて読める。

 あとでそのことをワイフに話すと、ワイフも、「私もときどき、あなたのことを、気味が悪いと思
うときがあるわ」と言った。だから実際には、自分で自分にブレーキをかけて、できるだけ相手
の心を読まないようにしている。一度に何人もの人の心を読んだりしていると、それが全体とし
て、ザワザワとした騒音のようになることがある。それが結構、うるさい。

 その男と直接、会話をしていたのは、ワイフだった。私はそういう二人の会話を観察しなが
ら、いろいろなことを考えた。……考えたというより、その男の心理状態だけではなく、性格、ク
セ、育った環境、現在の環境などをさぐった。……いや、さぐったというより、それが映画か何
かを見るかのように、よく見えた。とたん、おかしな現象が起きた。

 その男のもつフィーリングが、私のフィーリングとは合わないのである。何とも居心地が悪
い。それに不愉快だった。相手の男は、明らかに私を拒絶していた。営業マンらしい謙虚さは
あったが、それが商売用の演技であることが、よくわかった。私には、心をまったく開いていな
かった。

 そこで私は席をたち、契約はワイフに任せて、あたりをうろついた。こういうときは、その場を
離れたほうがよい。私の目的は、クーラーを買うこと。その男と親しくなることではない。またそ
の男のカウンセリングをすることでもない。しばらくして振りかえると、ワイフがその男に頭をさ
げながら、席を立つところだった。私は、やがてワイフが来るであろう通路に立って、ワイフを
待った。

「どうだった?」と私。
「明日の朝、連絡してくれるって……」とワイフ。
「何を?」
「在庫の確認よ」
「ふうん」と。

 それでその男のことは忘れた。同時に、不愉快な思いも、消えた。
(030527)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

好子(こうし)と嫌子(けんし)

 何か新しいことをしてみる。そのとき、その新しいことが、自分にとってつごうのよいことや、
気分のよいものであったりすると、人は、そのつぎにも、同じようなことを繰りかえすようにな
る。こうして人間は、自らを進化させる。その進化させる要素を、「好子(こうし)」という。

 反対に、何か新しいことをしてみる。そのとき、その新しいことが、自分にとってつごうの悪い
ことや、気分の悪いものであったりすると、人は、そのつぎのとき、同じようなことをするのを避
けようとする。こうして人間は、自らを進化させる。その進化させる要素を、「嫌子(けんし)」とい
う。

 もともと好子にせよ、嫌子にせよ、こういった言葉は、進化論を説明するために使われた。た
とえば人間は太古の昔には、四足歩行をしていた。が、ある日、何らかのきっかけで、二足歩
行をするようになった。そのとき、人間を二足歩行にしたのは、そこに何らかの好子があった
からである。たとえば(多分)、二足に歩行にすると、高いところにある食べ物が、とりやすかっ
たとか、走るのに、便利だったとか、など。あるいはもっとほかの理由があったのかもしれな
い。

 これは人間というより、人類全体についての話だが、個人についても、同じことが言える。私
たちの日常生活の中には、この好子と嫌子が、無数に存在し、それらが複雑にからみあって
いる。子どもの世界とて、例外ではない。が、問題は、その中身である。

 たとえば喫煙を考えてみよう。たいていの子どもは、最初は、軽い好奇心で、喫煙を始める。
この日本では、喫煙は、おとなのシンボルと考える子どもは多い。(そういうまちがった、かっこ
よさを印象づけた、JTの責任は重い!)が、そのうち、喫煙が、どこか気持ちのよいものであ
ることを知る。そしてそのまま喫煙が、習慣化する。

 このとき喫煙は、好子なのか。それとも嫌子なのか。たとえば出産予定がある若い女性がい
る。そういう女性が喫煙しているとするなら、その女性は、本物のバカである。大バカという言
葉を使っても、さしつかえない。昔、日本を代表する京都大学のN教授が、私に、こっそりとこう
教えてくれた。「奇形出産の原因の多くに、喫煙がからんでいることには、疑いようがない」と。

 体が気持ちよく感ずるなら、好子ということになる。しかし遺伝子や胎児に影響を与えること
を考えるなら、嫌子ということになる。……と、今まで、私はそう考えてきたが、この考え方はま
ちがっている。

 そもそも好子にせよ、嫌子にせよ、それは「心」の問題であって、「モノに対する反応」の問題
ではない。この二つの言葉は、よく心理学の本などに出てくるが、どうもすっきりしない。そのす
っきりしない理由が、実は、この混同にあるのではないか?

 たとえば人に親切にしてみよう。仲よくしたり、やさしくするのもよい。すると、心の中がポーツ
と暖かくなるのがわかる。実は、これが好子である。

 反対に、人に意地悪をしてみよう。ウソをついたり、ごまかしたりするのもよい。すると、心の
中が、どこか重くなり、憂うつになる。これが嫌子である。
 
 こうして人間は、体型や体の機能ばかりではなく、心も進化させてきた。そのことは、昔、オー
ストラリアのアボリジニーの生活をかいま見たとき知った。彼らの生活は、まさに平和と友愛に
あふれていた。つまりそういう「心」があるから、彼らは何万年もの間、あの過酷な大地の中で
生き延びることができた。

 言いかえると、現代人の生活が、どこか邪悪になっているのは、それは人間がもつ本来の姿
というよりは、欲得の追求という文明生活がもたらした結果ともいえる。そのことは、子どもの
世界を総じてみればわかる。

 私は今でも、数は少ないが、年中児から高校三年生まで、教えている。そういう流れの中で
みると、子どもたちが小学三、四年生くらいまでは、和気あいあいとした人間関係を結ぶことが
できる。しかしこの時期を境に、先生との関係だけではなく、友だちどうしの人間関係は、急速
に悪化する。ちょうどこの時期は、親たちが子どもの受験勉強に関心をもち、私の教室を去っ
ていく年齢でもある。子どもどうしの世界ですら、どこかトゲトゲしく、殺伐としたものになる。

 ひょっとしたら、親自身もそういう世界を経験しているためか、子どもがそのように変化しても
気づかないし、またそうあるべきと考えている親も少なくない。一方で、「友だちと仲よくしなさい
よ」と教えながら、「勉強していい中学校に入りなさい」と教える。親自身が、その矛盾に気づい
ていない。

 結果、この日本がどうなったか? 平和でのどかで、心暖かい国になったか。実はそうではな
く、みながみな、毎日、何かに追いたてられるように生きている。立ち止まって、休むことすら許
されない。さらにこの日本には、コースのようなものがあって、このコースからはずれたら、あと
は負け犬。親たちもそれを知っているから、自分の子どもが、そのコースからはずれないよう
にするだけで精一杯。が、そうした意識が、一方で、またそのコースを補強してしまうことにな
る。恐らく世界広しといえども、日本ほど、弱者に冷たい国はないのではないか。それもそのは
ず。受験勉強をバリバリやりこなし、無数の他人を蹴落としてきたような人でないと、この日本
では、リーダーになれない?

 ……と、また大きく話が脱線してしまったが、私たちの心も、この好子と嫌子によって、進化し
てきた。だからこそ、この地球上で、何十万年もの間、生き延びることができた。そしてその片
鱗(へんりん)は、今も、私たちの心の中に残っている。

 ためしに、今日一日だけ、自分にすなおに、他人に正直に、そして誠実に生きてみよう。他人
に親切に、やさしく、家族を暖かく包んでみよう。そしてそのあと、たとえば眠る前に、あなたの
心がどんなふうに変化しているか、静かに観察してみよう。それが「好子」である。その好子を
大切にすれば、人間は、これから先、いつまでも、みな、仲よく生きられる。
(030529)

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市リズム幼稚園
8・ 6  ……浜北市(詳細未定)
7・31  ……浜松市東部公民館
7・10  ……湖西市教育委員会・家庭学級講座
7・ 9  ……豊岡小学校
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・24  ……静岡市アイセル21
6・24  ……金指小学校
6・14  ……入野小中学校区健全育成会・入野町学校
6・ 7  ……都築保育園
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■6-5-1A

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M ″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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です! 
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
● 5月19日(月)愛知県枇杷島家庭教育推進協議会 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

不安になる母親たち

 どうして日本では、親たちが、こうまで子育てを不安に思うのだろうか。また親たちは、不安に
なるのだろうか。

 総じてみれば、日本という社会は、構造的に、不安の上に成りたっている。どっしりとした安
定感がない。本来なら、宗教などがそれを補うのだろうが、たとえば日本の宗教にしても、「心」
を支える宗教というよりは、どこか利益誘導的? 「この信仰すれば、金がもうかり、幸福にな
れる」「しかしこの信仰から離れると、地獄へ落ちる」と?

 こうした不安感は、親から子へと、代々と受け継がれる。親が不安だから、子どもも不安にな
る。加えて、社会そのもののしくみがそうなっている。たとえば弱者に冷たい。落ちこぼれに冷
たい。ワクに入らない人間に冷たい、など。

 民族性の問題もある。日本人は、何かにつけて、「型」を大切にする。私は若いころ、アメリカ
の学校の図書館を訪問して、驚いたことがある。子どもたちは、みな、床に寝そべって本を読
んでいた。が、もし当時、日本でそんなことをしたら、日本の先生や親は、何と言っただろうか。
「本というのは、机の前にきちんと座って読むもの」という型が、日本には、あった。今も、そう
いう型にこだわる日本人は、多い。

 こうした全体としての流れが、日本に、「コース」というものを作った。子育てのコースである。
「いい学校」から、「いい仕事」という考え方も、そこから生まれた。こうしたコースは、いわば料
理のコースのようなもので、あれば便利なものだが、その一方で、親たちは、自分の子ども
が、そのコースからはずれることを、必要以上に恐れるようになった。いや、こうしたコースとい
うか、身分制度は、江戸時代の昔から、あった。

 武士は、武士のコース。農民は、農民のコース、と。

 それについて書いたのが、つぎの原稿である(中日新聞、発表済み)。少し話が脱線するが
……。

+++++++++++++++++++++

親が子どもを叱るとき 

●「出て行け」は、ほうび
 日本では親は、子どもにバツを与えるとき、「(家から)出て行け」と言う。しかしアメリカでは、
「部屋から出るな」と言う。もしアメリカの子どもが、「出て行け」と言われたら、彼らは喜んで家
から出て行く。「出て行け」は、彼らにしてみれば、バツではなく、ほうびなのだ。

 一方、こんな話もある。私がブラジルのサンパウロで聞いた話だ。日本からの移民は、仲間
どうしが集まり、集団で行動する。その傾向がたいへん強い。リトル東京(日本人街)が、その
よい例だ。この日本人とは対照的に、ドイツからの移民は、単独で行動する。人里離れたへき
地でも、平気で暮らす、と。

●皆で渡ればこわくない
 この二つの話、つまり子どもに与えるバツと日本人の集団性は、その水面下で互いにつなが
っている。日本人は、集団からはずれることを嫌う。だから「出て行け」は、バツとなる。一方、
欧米人は、束縛からの解放を自由ととらえる。自由を奪われることが、彼らにしてみればバツ
なのだ。集団性についても、あのマーク・トウェーン(「トム・ソーヤの冒険」の著者)はこう書い
ている。『皆と同じことをしていると感じたら、そのときは自分が変わるべきとき』と。つまり「皆と
違ったことをするのが、自由」と。

●変わる日本人
 一方、日本では昔から、『長いものには巻かれろ』と言う。『皆で渡ればこわくない』とも言う。
そのためか子どもが不登校を起こしただけで、親は半狂乱になる。集団からはずれるというの
は、日本人にとっては、恐怖以外の何ものでもない。この違いは、日本の歴史に深く根ざして
いる。日本人はその身分制度の中で、画一性を強要された。農民は農民らしく、町民は町民ら
しく、と。それだけではない。日本独特の家制度が、個人の自由な活動を制限した。

戸籍から追い出された者は、無宿者となり、社会からも排斥された。要するにこの日本では、
個人が一人で生きるのを許さないし、そういう仕組みもない。しかし今、それが大きく変わろうと
している。若者たちが、「組織」にそれほど魅力を感じなくなってきている。イタリア人の友人
が、こんなメールを送ってくれた。「ローマへ来る日本人は、今、二つに分けることができる。一
つは、旗を立てて集団で来る日本人。年配者が多い。もう一つは、単独で行動する若者たち。
茶パツが多い」と。

●ふえるフリーターたち
 たとえばそういう変化は、フリーター志望の若者がふえているというところにも表れている。日
本労働研究機構の調査(二〇〇〇年)によれば、高校三年生のうちフリーター志望が、一二%
もいるという(ほかに就職が三四%、大学、専門学校が四〇%)。職業意識も変わってきた。
「いろいろな仕事をしたい」「自分に合わない仕事はしない」「有名になりたい」など。三〇年前
のように、「都会で大企業に就職したい」と答えた子どもは、ほとんどいない(※)。これはまさに
「サイレント革命」と言うにふさわしい。フランス革命のような派手な革命ではないが、日本人そ
のものが、今、着実に変わろうとしている。

 さて今、あなたの子どもに「出て行け」と言ったら、あなたの子どもはそれを喜ぶだろうか。そ
れとも一昔前の子どものように、「入れてくれ!」と、玄関の前で泣きじゃくるだろうか。ほんの
少しだけ、頭の中で想像してみてほしい。

+++++++++++++++++++++++

 このエッセーを書くようになった理由は、ある母親から、こんな相談をもらったからだ。子ども
の多弁性を心配した、母親から(福井県のDEさん)のものだった。

+++++++++++++++++++++++

●福井県F市の、DEさんより……

長男の多弁性が気になります。
性格はやさしく、私の言うことをよく聞いてくれますが、
よくしゃべるのですが、勝手なことばかりしゃべっています。
話の内容も、めちゃめちゃで、よくわかりません。
今は、小学六年生ですが、友だちも少ないようです。
最近も、仲がよかった友だちのA君にも、遊んでもらえなくなり
心配しています。また手をかけすぎたためか、小学三年生のとき、
先生から、生活面で、きびしい指導を受けました。
本人もつらいのではないかと思います。
息子を否定したくありませんが、「こんな子では
この先どうなるか、不安です。何か問題が起きるたびに、
「またか!」という気持ちになります。
(以上要約)

++++++++++++++++++++++++

DEさんの相談を読んでいて、最初に感じたのは、「ああ、この母親も、不安なんだな」というこ
と。とくに、最後の「息子を否定したくありませんが……」というところ、である。

 ほとんどの親たちは、それほど深い人生観や哲学をもたないまま、結婚し、子どもをもうけ
る。それはそれでしかたないにしても、子どもをもった喜びが一巡すると、そのあと今度は、子
どもの前に立ちふさがる暗雲に、あぜんとする。

 はたしてうちの子は、無事、おとなになっていくのだろうか、と。

 ここでいう「無事」というのには、二つの意味がある。一つは、ここでいうコースをいう。もう一
つは、これも日本人の民族性にからんでいるが、仲間意識をいう。どういうわけだか日本人
は、仲間からはずれることを、極端に恐れる。つまり「個性」「個性」と一方では言うが、日本の
社会というのは、その個性を認める社会には、なっていない。だから個性的であろうと思えば
思うほど、その人は、社会そのものから、はじき飛ばされてしまう。

 もちろん親たちも、それを知っている。だからたとえば自分の子どもが不登校を起こしたりす
ると、たいていの親は、その時点で狂乱状態になる。自分の子どもがコースからはずれていく
ことは、恐怖以外の何ものでもない。

 全体としてみると、DEさんの相談は、その上にのっている。だからこうした相談に答える私の
ほうの姿勢としては、二つの方向性が生まれる。それはたとえていうなら、病院のドクターがす
るアドバイスに似ている。たとえば成人病をもつ患者がやってきたとする。そういうとき、とりあ
えずは、その患者が訴える病状の治療にあたる。しかし同時に、生活習慣の改善を指導しな
ければならない。対症療法だけでは、問題は、解決しない。

 同じようにDEさんの相談を考える。こういうケースでも、「とりあえずは……」と考える部分と、
「全体として……」と考える部分である。ふつうこうした子育て相談は、前者の視点で考える。私
はDEさんに、つぎのような返事を書いた。

【DEさんへ】

 六年生という年齢は、すでに自己意識(自意識)も発達し、自我も確立している年齢です。こ
こでいう自己意識というのは、自分を客観的に見て、自分自身を、自らコントロールする意識
のことです。また自我の確立というのは、「私は私」という意識をもっていることです。

 DEさんは、子どもの多弁性を大きく問題になさっていますが、多弁性そのものは、乳幼児期
は、脳の機能的な問題がからんでいるため、簡単には、なおりません。(またなおそうと考える
必要もありません。)が、自己意識が発達してくると、……時期的には、小学三、四年生前後で
すが、「そういうことをすると、嫌われる」「先生に叱られる」「みんなに迷惑をかける」と考えるよ
うになり、自分で自分をコントロールするようになります。

 DEさんのケースとは違いますが、かなり問題のある子ども、たとえばADHD児(集中力欠如
型多動性児)の子どもでも、この時期を境に、症状は、急速に収まってくるのは、そのためで
す。

 大切なことは、そういう問題が子どもにあるということではなく、それ以前に、親があせって、
問題をこじらせてせいまうことです。たとえばADHD児のケースでも、幼児期にそれがわかり、
親がはげしく叱ったり、無理をしたりする。そういう姿勢が、症状をこじらせてしまいます。DEさ
んが、そうだとは思いませんが、いただいた文面からは、どこかにそういう雰囲気を感じてしま
います。子ども自身をみながら、子どもの心を守るというよりは、どこか、他人の目を意識した
子育て、あるいはコースを意識した子育て、さらにあるいは、頭の中に「ふつうの子」を描き、そ
の理想像に自分の子どもをあてはめようとした子育て、など。

 子どもが小学六年生にもなったのですから、今さら、心や性格をいじっても、ムダだということ
です。ヘタにいじれば、本人自身が、ますます自信をなくしてしまうでしょう。本来なら、子どもの
心を守るべき立場にいる母親が、自分の不安をそのまま、子どもにぶつけてしまっている? 
……私には、そんな感じすら、します。順に考えていきましょう。

 まず多弁性ですが、どの程度か、よくわかりません。ポイントは、多弁なとき、興奮状態にな
るかどうかという点です。それが他人の言動を受けつけなく、一方的に話しつづける程度なの
か、それとも、独り言のようにぶつぶつ話しつづけるのか。さらに話しながら、つぎつぎと思いつ
いたまま、ペラペラと前後の脈絡もなく話しつづけるか、など。機能的なものであれば、脳の微
細障害なども疑われます(福島章著・PHP新書「子どもの脳があぶない」)。

 しかしどうであれ、つまり原因や症状がどうであれ、今は今、です。現に今、「6年になってか
らはがんばって、いろんなことに責任感をもってとりくんでいるようでした。私達も(ようやくみん
なにおいついてきたかな?)」という状態なら、まずそれを率直に、前向きに評価すべきではな
いでしょうか。そのあと、「『またか』という気持ちです」と書いておられますが、こうした子どもの
問題は、漸次的に軽減していくのではなく、そのつど、ゆれ戻しをしながら、軽減していきます。
ですから、そのときの症状に一喜一憂しないことです。全体としてみて、たとえば一年前、二年
前と比べてどうだというような判断をしてみてください。

 ただ気になることもあります。「本人もつらいと思うので……」とありますが、どこか、過干渉
的? どこか溺愛的? ……といった印象をもってしまいます。子どもの心の状態まで、親が
勝手に決めてしまうことを、過干渉といいます。また親子の間にカベがないことを、溺愛といい
ます。子ども自身は、何とも思っていないはずです。

 さらに「否定したくありませんが……」とありますが、とんでもない意見です。だいたいこういう
言葉が出てくること自体、おかしいのです。絶対に否定などしてはいけないし、また二度とそう
いうことを考えてはいけません。いいですか、子どもは、受け入れるのです。どんなことがあっ
ても、許して忘れる。それを念じて、受け入れるのです。私の印象では、あなたの子どもが、今
のようであるのは、大きくは、あなた自身に責任があるように感じます。先にも書きましたが、
あなたは毎日、自分が感じている不安を、子どもにぶつけているだけではありませんか。「つら
い」と感じているのは、あなたであって、子どもではないのです。そしてそういう姿勢が、子ども
の心をこじらせてしまっている。

 『またか……』という思いは、まさに子どもに対する不信感を象徴しています。「何をしても心
配だ」という思いが、そういう言葉になってきます。これでは、子どもがかわいそうです。では、
どうするか?

 今日からでも遅くないから、あなたは自分の口グセを変えます。子どもに向かっては、こう言
うのです。

 「あなたはすばらしい子になったわ」
 「あなたは大きくなればなるほど、すばらしくなるわ」
 「お母さん、うれしいわ。わなた自慢の息子よ」
 「他人のことなど、気にしなくてもいいのよ。私があなたの親友よ」
 「ほかの子は、あなたのよさがわからないのよ」
 「あなたの話のおもしろさがわからないなんて、みんな、バカよ」
 「もっと、おもしろい話をしてちょうだい。できたら、ノートにいっぱい書いてくれると、うれしい
わ」と。

 その上で、子どもの問題を、考えてみます。

(1)自分勝手な話題が多い……自己中心性が強いとみますが、その原因はといえば、他者と
のかかわり方が、じょうずでないということになります。うまく人間関係が結べないため、言動が
攻撃的になるわけです。下に二人、子どもがいるということから、私の推察では、恐らく、こうし
た傾向は、下の子ども(二男)の誕生直後から始まったのではないかと思います。愛情不足、
愛情飢餓などが、子どもの心を不安定にしたのではないかということです。


(2)性格は優しいのですが……「優しい」というのは、他人への気配りがあるという意味でしょう
か。それとも、ナヨナヨして、他人に対して随行的という意味でしょうか。多分、後者だと思いま
すが、もしそうなら、自我の確立そのものが、軟弱とみます。自信喪失、自己否定などが重な
ると、子どもは、そうなります。子どもの成長に対して、あなた自身の姿勢が、心配先行型、不
安先行型、否定的な育児姿勢になっていないかを反省してみてください。

(3)友人がいない……生活態度が、受動的なところも気になります。「遊んでもらえる」というよ
うな言い方ではなく、「遊んであげる」という視点で、考えなおしてみては、どうでしょうか。その
上で、いっしょに遊べないなら遊べないで、かまわないのではないでしょうか。私など、まったく
酒が飲めないので、この一〇年以上、同窓生からも声がかからなくなりました。だいだいこの
日本では、集団教育のしすぎです。そういう視点も忘れないように。学校で、「いわしの缶詰」の
ような生活をしてくるのですから、家へ帰ってきてからは、のんびりと、ひとりでいる時間を大切
にしてあげましょう。

(4)自分勝手なことばかり話し、友だちに嫌われる……一人、二人くらいの子どもに、そう言わ
れたからといって、おおげさに考えてはいけません。この時期、子どもは多様な仲間と、広く浅
く交際しながら、試行錯誤的に友人を捨てたり、選んだりします。恐らく、その部分(多弁性)に
焦点をあてているため、相手の子どもも誘導される形で、そう言ったのではないでしょうか。ふ
つうは、よくしゃべる子どもは、楽しく、人気者であることが多いです。(反対に無口な子どもほ
ど、嫌われたり、いじめにあったりします。)

(5)担任の先生から生活指導を受けました……先生の目にそう映ったということは、そういうこ
とでしょう。恐らく、手のかけすぎなどを指摘されたのではないでしょうか。それはそれとして、つ
まり三年前のことですから、今さら、気にしても、しかたありません。ただ子育てというのは、リ
ズムでなされるものですから、今でも、そのリズムはつづいていると考えてください。仮に母親
のほうが、かなり反省したとしても、効果が現れてくるのは、数年後。あなたのケースでも、やっ
と今ごろでしょう。

 以上ですが、問題のない子どもはいません。だから問題のない子育てもありません。だから
問題を問題と思うのではなく、子育てというのは、そういうものだという前提で、します。コツは
いくつかあります。

 子どもの中に問題を発見したら、自分自身に原因を求めること。「子どもをなおそう」と考えた
ら、「自分をなおそう」と考えること。さらにこうした子どもの問題は、「今の状態をより悪くしない
ことだけ」を考えて、対処するということです。あせって何かをすればするほど、こうした問題は
逆効果。裏目、裏目に出てきてしまいます。どうかご注意ください。

 そして全体として、子育てがうしろ向きになっていないかを反省してみてください。子どもの欠
点や問題点ばかりを気にしていないか、とです。そのためには、まず口グセをなおします。そし
て子どもの中のよい部分、よい面を見つけて、それを積極的にほめるようにします。プラスのス
トローク(働きかけ)をかけていきます。やがてすぐ、あなたの子どもは、第二反抗期へ入って
きます。いよいよ少年期から、おとなへと脱皮します。今は、その原点にいると思い、ここは慎
重に対処してください。ここで子どもが自信喪失になったり、自己否定をするようになると、これ
から先、しばらくはおとなしくていい子で通るかもしれませんが、問題は先送りされ、もっと深刻
な問題になる可能性があります。どうかくれぐれも、ご注意ください。

 では、また何かあれば、ご連絡ください。

++++++++++++++++++++++++

【子育てを考えよう】

 日本の社会そのものが、構造的に、不安の上に成りたっている……と、私はここに書いた。
小さな島国で、競争を原理とした社会になっている。わかりやすく言えば、食うか、食われるか
の社会。少し油断をしていれば、すぐ追い抜かれてしまう。立ち止まって休むことすら、許され
ない。

 そういう日本の社会そのものが、子どもの世界にも、影を落している。受験競争が、まさにそ
れ。私の近くでも、今度、公立の中高一貫校ができた。当初、説明会に来た入学希望者は、定
員の約六〇倍だったという(数字は、不正確)。なぜそうなのかという点に、日本の教育の矛盾
が集約されている。

 それはちょうど、新築の家の上棟式でまかれる餅まきのようなものかもしれない。取れるもの
は、取る。取らなければ損、と。そしてひとたび餅がまかれると、みはな、地面にはいつくばっ
て、夢中で餅をとる。

 しかしこうした姿勢が、一方で、勝者と敗者を分ける。勝者は、自分の優越性を喜び、誇る。
一方、敗者は嘆き、落胆する。本来なら、ここで勝者は、自分の姿を少しだけ反省し、社会を
改革しなければならないのだが、勝者は勝者で、その利権の上に、あぐらをかいてしまう。敗
者は、そのまま、おし黙ってしまう。

 親たちが感ずる不安というのは、そういう社会の上にある。自分のことならまだしも、子ども
のこととなると、そうはいかない。母親なら、なおさらだ。だから母親たちは、臆面もなく、子ども
にこう言う。「勉強しなさい!」と。

 DEさんは、DEさんの子どもの問題で悩んでいる。問題そのものは、各論的だが、しかしなぜ
母親が本来の、母親としての力量を発揮できないかといえば、DEさんを大きく包む、社会の問
題がある。だから多くの母親たちは、こう言う。「子どもは伸び伸びと、明るく楽しく過ごしてくれ
ればいいと思います。しかし現実は、現実ですから……」と。中には、こんな乱暴な母親もい
る。

 その母親には、小学五年生になる息子がいる。中学受験をひかえて、毎日、毎晩、「勉強し
なさい!」「うるさい!」の大乱闘。その母親は、こう言った。「息子に嫌われているのは、よくわ
かります。しかし無事(?)、目的の中学校に入学してくれれば、息子も、私を許してくれるでし
ょう」と。

 しかし残念ながら、そう思うのは、その母親だけ。子どもは、決して許さない。感謝もしない。
その母親は、自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。もっと言えば、自分の不安感を消す
ために、子どもを利用しているだけ。それに気づいていない。

 では、どうするか。

 もしあなたに今、幼い子どもがいるなら、どんな子どもにも、できれば、より弱い立場にいる子
どもにやさしく、親切にしてみてほしい。相手の子どもより、自分の子どもがすぐれていることを
喜んだり、誇ってはいけない。そういうふうに心のどこかで思ったら、それはあなたの中に潜
む、邪悪な心と思って、排斥する。つまりそういうやさしさを、あなたがもったとき、同時に、あな
たは自分の不安感を軽減することができる。それはすばらしく、大らかで、心豊かな世界といっ
てもよい。それを感じたとき、あなたの子どももまた、今まで以上に、すばらしく見えてくる。心
の実験の一つと思い、ぜひ、一度、試してみてほしい。

 ……そしていつか、こういう無数の心が集約されたとき、日本は本当にすばらしい国になる。
そして今、私たちが感ずる、構造的な不安感は、解消される。みんなで力をあわせて、そういう
未来をめざそう!
(030530)

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<          
    /†_____†ヽ//      心豊かで、暖かい子育てをめざしましょう。
    ( ('    ξヽ        みんなでがんばれば、日本の子育ては
  ┏ ||   o//\) )(      変わります。よくなります。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

食で困ったら、冷蔵庫をカラに

 体重一五キロの子どもが、缶ジュースを一本飲むということは、体重六〇キロのおとなが、四
本飲む量に等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを四本は飲めない。飲めば飲んだで、腹の中
がガボガボになってしまう。アイスやソフトクリームもそうだ。子どもの顔よりも大きなソフトクリ
ームを一個子どもに食べさせておきながら、「うちの子は小食で困っています」は、ない。

 突発的にキーキー声をはりあげて、興奮状態になる子どもは少なくない。このタイプの子ども
でまず疑ってみるべきは、低血糖。一度に甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を大量に
与えると、その血糖値をさげようとインスリンが大量に分泌される。が、血糖値がさがっても、さ
らに血中に残ったインスリンが、必要以上に血糖値をさげてしまう。つまりこれが甘い食品を大
量にとることによる低血糖のメカニズムだが、一度こういう状態になると、脳の抑制命令が変
調をきたす。そしてここに書いたように、突発的に興奮状態になって大声をあげたり、暴れたり
する。このタイプの子どもは、興奮してくるとなめらかな動きがなくなり、カミソリでものを切るよ
うに、スパスパした動きになることが知られている。アメリカで「過剰行動児」として、二〇年ほ
ど前に話題になったことがある。日本でもこの分野の研究者は多い(岩手大学名誉教授の大
澤氏ほか)。そこでもしあなたの子どもにそういう症状が見られたら、一度砂糖断ちをしてみる
とよい。効果がなくて、ダメもと。一周間も続けると、子どものによってはウソのように静かに落
ち着く。

 話がそれたが、子どもの小食で悩んでいる親は多い。「食が細い」「好き嫌いがはげしい」「食
事がのろい」など。幼稚園児についていうなら、全体の約五〇%が、この問題で悩んでいる。
で、もしそうなら、一度冷蔵庫をカラにしてみる。お菓子やスナック菓子類は、思いきって捨て
る。「もったいない」という思いが、つぎからのムダ買いを止める力になる。そして子どもが食事
の間に口にできるものを一掃する。子どもの小食で悩んでいる親というのは、たいてい無意識
のうちにも、間食を黙認しているケースが多い。もしそうなら、間食はいっさい、やめる。

(小食児へのアドバイス)
(1)ここに書いたように、冷蔵庫をカラにし、菓子類はすべて避ける。
(2)甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を断つ。
(3)カルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがける。
(4)日中、汗をかかせるようにする。
 ただ小食といっても、家庭によって基準がちがうので、その基準も考えること。ふつうの家庭
よりも多い食物を与えながら、「少ない」と悩んでいるケースもある。子どもが健康なら、小食
(?)でも問題はないとみる。
子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(117)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

常識は静かに引き出す

 ものごとを静かに考え、正しい判断をくだし、その判断に従って行動する力のことを、「バラン
ス感覚」という。このバランス感覚がないと、子どもはかたよった考え方や、極端なものの考え
方をするようになる。たとえば「この地球上の人間は、核兵器か何かで、半分くらいは死ねばい
い」と言った男子高校生がいた。あるいは「私は結婚して、早く未亡人になり、黒い喪服を着て
みたい」と言った女子高校生がいた。そういうようなものの考え方をするようになる。

 このバランス感覚を別の言葉で言いかえると、「豊かな常識」ということになる。この常識とい
うのは、だれにも平等に備わっているかのようにみえるが、そうではない。常識のない人はいく
らでもいる。しかも幼児期にすでにそれが決まる。そこで「教育!」ということになるが、実際に
は子どもに教えるのはたいへんむずかしい。いや、教えて教えられるものではない。親として
せいぜいできることがあるとすれば、常識を奪わないということ。威圧的な過干渉、権威主義
的な押しつけ、神経質な過関心が日常化すると、子どもはいわゆる常識ハズレの子どもにな
る。昔、一生懸命粘土をコンセントに詰めて遊んでいた子ども(年長男児)がいた。先生のコッ
プに殺虫剤を入れた子ども(中学男子)がいた。バケツに絵の具を溶かして、それを二階のベ
ランダから下を歩く子どもにかけていた子ども(年長男児)などがいた。ふつう子どものいたず
らというと、どこかほのぼのとした子どもらしさを感ずるが、それがない。常識というブレーキが
かからないためと考える。

 一般に子どもがドラ息子化すると、子どもからこのバランス感覚が消える。子どもというのは
きびしさとやさしさが、ほどよく調和した環境の中で、心をはぐくむ。が、たとえば父親が極端に
きびしく、母親が極端に甘いとか、あるいはガミガミときびしい反面、結局は子どもの言いなり
になってしまうような甘い環境が続くと、子どもはドラ息子化する。症状としては、自分勝手でわ
がまま、約束や目標が守れない、依存心が強い割に無責任になるなど。

 常識力を養うためには、子どもには自分で考える時間を、たっぷりとあげる。「あなたはどう
思うの?」「あなたはどうしたいの?」と聞きながら、子どもが何かを答えるまでじっと待つ。そう
いう姿勢が子どもを常識豊かな子どもにする。

     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞






件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■6-5-2

後半部です。
はやし浩司

【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

みなさんからの相談より……

 I町のT保育園の方たちから、いくつかの相談をいただいた。それについて……

【Aさんより】

 父親の育児態度に悩んでいます。子どものすぐ横で、父親が新聞を読んでいます。そのとき
子どもが、「おもちゃが、こわれたア」と言って、台所で食事の支度をしている私のところへやっ
てきます。私は忙しいから、「お父さんになおしてもらいなさい」と言うのですが、父親は、まった
く知らぬ顔をしています。私の声が聞こえているはずなのに、です。育児に参加しない父親に、
イライラしています。母親として、妻として、どのように考えたらよいのでしょうか。

【Bさんより】

 四歳と、一歳と少しの二人の娘がいます。その下の娘が、最近、「いや!」とばかり言って、
反抗ばかりします。「自分でやってほしい」と思うことが多いのですが、自分でしないため、私は
怒ってばかりいます。上の子は上の子で、生まれたときから、祖母といっしょに寝ています。そ
のためか、何か仕事を頼んだりすると、すぐ、「バアバ!」と、祖母のところに助けを求めていき
ます。私としては助かってはいますが、依存心が心配です。

【Cさんより】

 ついカッとなってしまい、いつも子どもを叩いてしまいます。あとで後悔して、子どもにあやまる
のですが、そういう自分が悲しくなります。子どもの気持ちを考えると、申し訳ない気持ちになり
ます。感情をコントロールできない自分が、なさけなくなります。冷静に子どもと向き合うには、
どうしたらよいでしょうか。

【Dさんより】

 毎日、仕事と家事で、子どもと接する時間が少なくて、悩んでいます。子どもといっしょにいる
時間が、どうしてもとれません。少しの時間をうまく利用して、子どもとじょうずに接するには、ど
うしたらよいでしょうか。子どもが何かを言ってくると、「家事をしてから」と、すぐ叱ってしまうの
が現実です。どうしたらよいでしょうか。

【Aさんへ】

 育児にほとんど参加しない父親は、私の調査でも、約四〇%いることがわかっています(浜
松市で、九九年調査)。もちろん家事もしません。「男は仕事、女は家事」と考える、昔風の男
尊女卑型の男性とみます。

 一方、欧米では、「育児は権利」と考えます。つまり「育児は、楽しむための権利の一つ」とい
うわけです。今、日本は、その過渡期にあるとみます。同じ調査ですが、同じく約四〇%の父親
は、積極的に育児にかかわっています。

 で、育児に参加しない父親ですが、その父親自身が、そういう家庭で生まれ育ったのが原因
と考えます。つまり「根」は深く、多少、説得した程度では、改善は望めないということ。あなた
自身が生まれ育った家庭の「父親像」や、あなたが考える理想の父親像を、夫に求めても、無
理ということです。要するに、あきらめて、「うちはこういう父親だ」という前提でつきあうしかない
ようです。へたにあなたが無理をすれば、かえって不満やストレスがたまるだけです。

 そういう前提で、これからのことを考えます。何か共通の趣味や、楽しみをもたせる。何か仕
事を押しつけてしまう。いろいろなサークルの人とつきあう。園での活動をしてみらうなどがあり
ます。しかし私の経験では、どれもうまくいかなようです。ですからあなたはあなたで、あなたの
方法で育児をするしかないようです。

 ただし忘れてはいけないのは、「どんなばあいも、父親をたてる」です。子どもの前で父親の
批判や悪口は、タブーです。「あなたのお父さんは、すばらしい人」「私は、お父さんが好きよ」
「お父さんを尊敬している」を、口グセにすること。何か重要な決断をするようなときは、必ず、
「お父さんに決めてもらおうね」とか、あるいは何か珍しいものが手に入ったら、「お父さんに見
せようね」と言います。たとえ父親(夫)が、興味を示さなくても、そうします。決して、短気を起こ
してはいけません。五年、一〇年かけて、少しずつ、父親の心を開いていきます。

 こうすることで、今度は、あなたの子どもが、父親や母親になったとき、自分がどうすべきな
のか、どうあるべきなのかを学びます。「今は、過渡期」と書きましたが、つぎの世代では、失
敗しないように(別に失敗というわけではありませんが)、します。

 子育ては本能ではなく、学習によって身につきます。そういう意味では、あなたの夫は、父親
像のない男性とみます。理由は、夫自身も、自分が子どものとき、そういう環境で育てられたと
いうことです。「根が深い」という意味は、そこにあります。

【Bさんへ】

 一歳の子どもが反抗するのは、当然の姿です。第一反抗期とみます。この時期の反抗の特
徴は、何でも「いや!」と言うことです。「写真をとろうね」「いや」「おでかけしようね」「いや」と。
子どもは、相手を否定することで、親や周囲の人たちの、自分への反応を確かめます。いわば
乳児期から幼児期への、移行期と考えるとわかりやすいでしょう。子どもは、この時期を通し
て、親子の密着状態から、自己を分離し始めます。自我が芽生える時期と解釈する学者もい
ます。つまり、「親の言いなりにはなりたくない」という思いが、「いや」という言い方になるという
わけです。

 特徴としては、親の補助そのものを拒否する自立性、何でも自分でやりたがる自発性、新し
いものに興味をもつ探索性がああります。こうした現象は、子どもの心身の発育には、むしろ
好ましいものです。反抗的な態度だけをみて、「悪いこと」と決めてかかってはいけません。むし
ろ、それを強引に押さえつけてしまったりすると、子どもの心に深刻な影響を与えますから、注
意してください。

 祖父母との同居については、少し前、同じような相談を受けましたので、それをここに転載し
ておきます。

++++++++++++++

●義父母・父母との違い

1 子どものほしがるものは何でも与えてしまう姑。特に、お菓子やおもちゃは、わが家なりの
ルールを決めて、守らせたいのに。今まで一生懸命に言い聞かせてきたのが無駄になる!

★昔の人は、「子どもにいい思いをさせるのが、親の愛の証(あかし)」「いい思いをさせれば、
子どもは親に感謝し、それで絆(きずな)は太くなるはず」と考えて、子育てをしました。今でも、
日本は、その流れの中にあります。だから今でも、誕生日やクリスマスなどに、より高価なプレ
ゼントであればあるほど、あるいは子どものほしがるものを与えれば与えるほど、子どもの心
をとらえるはずと考える人は少なくありません。しかしこれは誤解。むしろ、逆効果。イギリスの
格言に、『子どもには、釣竿を買ってあげるより、いっしょに釣りに行け』というのがあります。つ
まり子どもの心をつかみたかったら、モノより、思い出というわけです。しかし戦後のひもじい時
代を生きた人ほど、モノにこだわる傾向があります。「何でも買い与える」という姑の姿勢の中
に、その亡霊を見ることができます。

★また昔の人は、「親(祖父母)にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、いい
子」と考える傾向があります。そして独立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、「鬼の子」
として嫌いました。今でも、そういう目で子どもを見る人は少なくありません。あなたの姑がそう
だとは言いませんが、つまりこうした問題は、子育ての根幹にかかわる問題なので、簡単には
なおらないということです。あなたの姑も、子ども(孫)の歓心を買うことにより、「いいおばあち
ゃん」でいたいのかもしれません。そこでどうでしょうか。この私の答を、一度、姑さんに読んで
もらっては? しかし子育てには、その人の全人格が集約されていますから、ここにも書いたよ
うに、簡単にはなおりません。時間をかけて、ゆっくりと説得するという姿勢が大切です。


2 嫁と舅・姑の違いって必ずあるし、それはしかたないことと割り切っています。でも、我慢し
て「ノー」と言えないのでは、ストレスもたまるいっぽう。同居するとますます増えそうなこのモヤ
モヤ。がまんにも限度があると思うから、それを越えてしまったときがこわい!

★もう、同居している? それともしていない? 祖父母との同居問題は、最終的に、「別居
か、もしくは離婚か」というところまで覚悟できないなら、あきらめて、受け入れるしかありませ
ん。たしかに問題もありますが、メリットとデメリットを天秤(てんびん)にかけてみると、メリット
のほうが多いはず。私の調査でも、子どもの出産前から同居しているケースでは、ほぼ、一〇
〇%の母親が、「同居してよかった」と認めています。

★問題は途中同居(つまり子どもがある程度大きくなってからの同居)ですが、このばあいも、
祖父母との同居を前向きに生かして、あなたはあなたで、好きなことをすればよいのです。仕
事でも、趣味でも、スポーツでも。「おじいちゃんやおばあちゃんが、いっしょにいてくださるの
で、助かります」とか何とか言って、です。祖父母の甘やかしが理由で、子どもに影響が出るこ
ともありますが、全体からみれば、マイナーな問題です。子ども自身の自己意識が育ってくれ
ば、克服できる問題ですので、あまり深刻に考えないようにしてください。

★なお、「嫌われるおじいちゃん、おばあちゃん」について、私は以前、その理由を調査してみ
たことがあります。その結果わかったことは、理由の第一は、健康問題。つぎに「子どもの教育
に口を出す」でした。今、日本の子育ては、大きな過渡期にあります。(孫の教育に口を出す祖
父母の時代)から、(祖父母は祖父母で、自分の人生を生きる時代)へと、変化しつつありま
す。そこで今は今で、そのストレスをしっかりと実感しておき、今度は、あなたが祖父母になっ
たとき、(その時代は、あっという間にやってきますが……)、そういうストレスを、つぎの若い夫
婦に与えないようにします。


3 何かあると自分の子育て論で迫る母。「昔は8か月でオムツが取れた」とか「昔は○○だっ
たのに」など、自分の時代にことを持ち出して、いい加減なことばかり。時代は進んでいるの!
 今のやり方をもっと認めて!

★『若い人は、老人をアホだと思うが、老人は、若い人をアホだと思う』と言ったのは、アメリカ
の詩人のチャップマンです。「時代は進んでいる」と思うのは、若い人だけ(失礼!)。数十万年
もつづいた子育てが、一世代くらいの時間で変わるはずもないのです。いえ、私は、このこと
を、古い世代にも、若い世代にも言いたいのです。子育てに「今のやり方」も、「昔のやり方」も
ないのです。もしそう見えるなら、疑うべきは、あなた自身の視野の狭さです(失礼!)。

★もっともだからといって、あなたの姑の子育て観を容認しているのではありません。子離れど
ころか、孫離れさえできていない? いや、それ以上に、すでに姑とあなたの関係は、危険な
状態に入っているかもしれません。やはりイギリスの格言に、『相手は、あなたが相手を思うよ
うに、あなたを思う』というのがあります。これを心理学では、「好意の返報性」と呼んでいます。
つまりあなたが、姑を「昔風の子育てを押しつけて、いやな人」と思っているということは、まっ
たく反対の立場で、姑も、あなたのことを、「今風、今風って、何よ。いやな嫁」と思っているとい
うことです。

★実のところ子育てでまずいのは、個々の問題ではなく、こうしたギクシャクした人間関係で
す。つまりこうした不協和音が、子育て全体をゆがめることにもなりかねません。そこでどうでし
ょうか。こういうケースでは、姑を、「お母さんは、すばらしいですね。なるほど、そうですか!」と
もちあげてみるのです。最初は、ウソでもかまいません。それをつづけていると、やがて姑も、
「よくできた、いい嫁だ」となります。そしてそういう関係が、子育てのみならず、家庭そのものを
明るくします。どうせ同居しなければならないのなら、割り切って、そうします。こんな小さな地球
の、こんな狭い日本の、そのまたちっぽけな家庭の中で、いがみあっていても、し方ないでしょ
う!

【Cさんへ】

 子育てはまさに、条件反射のかたまりのようなものです。いちいち考えながら、子育てをして
いる人はいません。しかしいつも同じようなパターンで、同じように失敗するというのであれば、
あなた自身の中に潜む「わだかまり」、もしくは、「こだわり」をさぐってみてください。何かあるは
ずです。

 望まない結婚であったとか、望まない子どもであったとかなど。あるいはあなた自身の乳幼児
期を、さぐってみてださい。あなたは心豊かな環境で、親の温かい愛情に包まれて育てられま
したか。もしそうならそれでよし。そうでないなら、あなたの心のどこかに、何らかのキズがある
はずだと疑ってみてください。

 しかし問題は、そういうキズがあることではありません。というのも、この種のキズは、だれに
でもあるものですからです。問題は、キズがあることではなく、そういうキズがあることに気づか
ないまま、そのキズに裏から、操られることです。そのためにも、まずキズが何であるかを知り
ます。いわば自分で自分の心を解剖します。

 少し前、こんな原稿を書きましたので、転載します。

++++++++++++++++++++

固着(わだかまり)

 日本人は、「心」を大切にする民族である。おそらく世界一ではないか。もっともデリケートな
民族と言ってもよい。たとえば心理学を勉強していると、「こんなこと、日本では常識ではない
か」と思うような場面に、よくであう。その一つが、「固着」。

 心理学で固着というのは、何らかの精神的外傷を受けた人が、無意識のうちにも、その外傷
に支配されることをいう。たとえば子どものころ、身体のことで、みなにからかわれた人が、そ
の後、自分の容姿を過剰なまでに気にするようになる。あるいは自分の容姿のことで、悶々と
悩みつづけ、人との接触を避けるようになる、など。容姿にこだわりながら、自分自身は、どう
してこだわっているのかわからない。あるいはこだわっているという意識そのものが、ない。

 ……と書くと、どこか仰々しいが、日本語では、これを簡単に、「わだかまり」、もしくは、「こだ
わり」という。「固着」という名前をつけるから、かえって話がわかりにくくなる。「結婚のとき、い
ろいろありましてね。それが今でも、夫婦の間のわだかまりになっています」などというときの、
わだかまりである。

 わだかまりが大きければ大きいほど、それにこだわるあまり、自分の心を解放ですることが
できなくなる。どこかしら束縛されたような状態になる。そういう状態を、心理学では、「固着」と
いう。

 そこで、その固着、つまり、わだかまりについて……。

 このわだかまりというのは、人間の心を裏から操(あやつ)る。しかし操られるほうは、ふつ
う、操られていることにすら、気づかない。あくまでも、自分の意思でそうしていると思っている。
ときどき、「なぜ、自分はこんなことをしているのだろう」と思うことはあるが、それでも気づくこと
はない。いろいろな例がある。

 ある母親は、小学一年生の息子が、母親の服のそでをつかんだだけで、その息子を、「イヤ
ー!」と叫んで、手で払いのけていた。ときには、押し倒してしまうこともあった。自分でもなぜ
そうするかわからないと言っていたが、何度か、カウンセリングするうちに、理由がわかった。

 その母親は、独身時代、一人の男のストーカー行為に苦しんでいた。高校時代の友人たちと
東北を旅したときも、その男は、見え隠れしながら、その母親についてきたという。で、いろいろ
あって、その母親は、その男と結婚してしまった。本来なら、結婚などしてはいけなかったが、
その母親はこう言った。「結婚を断ったら、事件になったかもしれません。実家の両親に迷惑を
かけたくなかったし、私ひとりががまんすればいいと思い、結婚しました」と。その母親は、心の
やさしい人だった。

 が、当然のことながら、それにつづく結婚生活は、味気ないものだった。そこでその母親がつ
ぎにとった方法は、子どもをつくることだった。「子はかすがいといいますから、子どもができれ
ば、何とかなると思いました」と。その子どもが、小学一年生の息子だった。

 この母親のばあい、息子が母親にまとわりついたとたん、無意識のうちにも、独身時代の不
愉快な経験が、その母親の中でよみがえったことになる。そしてそれが、その母親を裏から操
っていたということになる。そして「いやだ」という思いだけが独走し、子どもを手で払いのける
……。

 こうしたわだかまりは、大小さまざま、それぞれの人に無数にある。わだかまりがない人は、
いない。もちろん、あなたにもある。しかし問題は、そういうわだかまりがあるということではな
く、そのわだかまりに振りまわされ、同じような失敗を繰りかえすこと。そこで今度は、あなた自
身のことを振りかえってみてほしい。あなたは、日々の生活のどこかで、いつも同じように、同
じようなパターンで、失敗していないだろうか。子育てでだけではない。夫婦げんかにせよ、近
隣とのトラブルにせよ、何でも、そうだ。もしそうなら、あなたの心のどこかに潜む、わだかまり
を、さぐってみるとよい。この問題は、そのわだかまりが何であるかがわかるだけで、そのあ
と、しばらく時間がかかるが、それで解決する。

++++++++++++++++++

 自分の心を解剖するというのは、勇気がいることです。しかしこれはあなたと、あなたの子ど
ものためと思い、どうかしてみてください。

【Dさんへ】

 愛情は、量ではなく、質の問題です。ベタベタに量が多いからとよいというものでも、また少な
いから心配というものでもありません。少ない時間なら、その少ない時間をうまく使って、濃厚
で、質の高い愛情表現をしてみてください。

 ある父親は、子どもが求めてきたようなとき、力いっぱい、子どもを抱いていました。要する
に、いかにして子どもに安心感と満足感を与えるかが、重要なポイントということになります。

 同じような相談が多いので、以前書いた原稿を添付します。

+++++++++++++++++++++

●ある母親の相談
 今日、一人の母親から、こんな相談を受けた。何でも三歳になる娘が、父親になつかなくて、
困っているというのだ。「父親は、子どもが起きる前に仕事に行き、いつも子どもが寝てから、
仕事から帰ってきます。それで父子が接触する時間がないのです」と。

 しかしこの母親は、大きな誤解している。娘が父親になつかないのは、接触時間が少ないか
らだと、この母親は言う。これが誤解の第一。

 ずいぶんと前だが、私は接触時間と、子どもへの影響を調べたことがある。その結果、「愛
情は、量ではなく、質の問題である」という結論を出した。こんな例がある。

 その子ども(年中男児)は、やはり父親との接触時間がほとんどなかった。母親は、「うちは
疑似母子家庭です」と笑っていたが、そういう環境であるにもかかわらず、その子どもには、心
のゆがみが、ほとんどみられなかった。そこで母親にその秘訣(ひけつ)を聞くと、こう話してく
れた。

 「夫(父親)は、休みなど、たまに顔をあわせると、子どもを力いっぱい、抱きます。そして休
みの日などは、いつもいっしょに遊んでいます」と。

 要するに子どもの側からみて、絶対的な安心感があるかどうかということ。この絶対的な安
心感があれば、子どもの心はゆがまない。「絶対的」というのは、その疑いすらいだかないとい
う意味。そういうわけで、愛情は、量ではなく、質の問題ということがわかった。

 で、冒頭の母親の話だが、子どもの様子を聞くと、こう話してくれた。

 「私のひざなら、何時間でもじっと座っているのですが、夫(父親)のひざだと、すぐ体を起こし
て逃げていきます。そこでエサで魚を釣るように、娘がほしがりそうなものを見せて、抱っこしよ
うとするのですが、それでも、うまくいきません」と。

●心を開く
 ふつう子どもがスキンシップを避けるという背景には、親か、子か、あるいは両方かもしれな
いが、たがいに心を開いていないことがある。このことがわからなければ、男女の関係を思い
浮かべてみればよい。夫婦でも、こまやかな情愛が行き交い、たがいに心を開きあっていると
きは、抱きあうと、体がしっくりとたがいになじむ。しかしそうでないときは、男の側からみると、
何かしら丸太を抱いているような感じになる。抱き心地がたいへん悪い。

 子どももそうで、たがい心を開いているときは、子どもを抱くと、子どもはそのままベッタリと親
に体をすりよせてくる。さらに心が通いあうと、呼吸のリズム、さらには心臓の鼓動のリズムま
で同調してくる。こういう状態のとき、子どもの心は、絶対的な安心感に包まれていると考えて
よい。もちろん情緒も安定している。

 が、抱いても、抱き心地が悪いとか、あるいは抱っこしても、子どもがすぐ逃げていくというの
であれば、どちらかが心を開いていないということになる。このケースのばあい、子どもが心を
開いていないということになるが、実は、その原因は、子どもにあるのではない。父親のほうに
ある。子どもが心を開けない状態を、父親自身がつくりだしている。もっとはっきり言えば、父
親が、心の開き方を知らない。子どもは、それに応じているだけ。

●原因は父親の幼児期に
 このケースでは、私はここまでしか話を聞かなかったので、これ以上のことは書けない。しか
し一般論として、こういうケースでは、父親自身の幼児期を疑ってみる。たいてい、父親自身
が、何らかの理由で、その親から、じゅうぶんな愛情を受けていないことが多い。そういう意味
で、親像というのは、親から子へと、代々、受け継がれていく。よくあるケースは、その親の親
が、昔風の権威主義的なものの考え方をしていたようなとき。

 A氏(四〇歳)の父親は、昔からの醤油屋を経営していた。祖父は、旧陸軍の少将にまでなっ
た人だった。そういう家風だから、家族の序列も、厳格だった。風呂でも、祖父が一番、ついで
父が二番、そのA氏(長男)が三番が……と。祖父はおろか、父親にさえ口答えするなどという
ことは、考えられなかったという。

 そういう家庭でA氏は、生まれ育ったから、「親子の間で、心を開きあう」ということなどという
ことは、ありえなかった。この話を私がA氏に話したときも、A氏は、「心を開く」という意味すら
理解できなかった。そればかりか、自分自身も、そういう権威主義的なものの考え方にどっぷ
りとつかっていて、「父親には、父親としてのデンとした権威が必要でではないでしょうか」など
と、私に言ったりした。

 たしかに権威主義は、「家」の秩序を守るには、たいへんうまく機能する。しかし「人間」を考
えると、権威主義は、弊害になることはあっても、利点は何もない。

 だからA氏の子育ては、いつもギクシャクしていた。A氏の妻が、現代的な女性で、権威を認
めないような人だったから、ときどき夫婦ではげしく対立したこともある。A氏は家事はもちろん
のこと、子どもの世話も、まったくといってよいほどしなかった。子どもの運動会や遊戯会、さら
には父親参観会にも、一度も顔を出したことがない。それはA氏の体にしみこんだ「質」のよう
なものだった。「父親がそんなことするものではない」という意識があったのかもしれない。い
や、その意識以前に、そういう親像そのものが、頭の中になかった。

●親像がない?
 これは私の推察だが、冒頭にあげた父親にしても、父親としての親像の入っていない親とみ
てよい。不幸にして、不幸な家庭に育ったのかもしれない。あるいは今の年代の親の親たち
は、日本がちょうど高度成長期を迎え、だれもかれもが、仕事、仕事で、子育てなどかまってい
るヒマさえなかった。そういうことがあったのかもしれない。ともかくも、親像がないため、どうし
ても子育てが、ギクシャクしてくる。(これとは反対に、自然な形で親像が入っている親は、これ
また自然な形で子育てができる。)

 こういうケースでは、「子どもが親になつかない」という視点で考えるのではなく、親自身が、
子どもに対して、いかにして心を開くかという視点で、問題を考える。とくにここに書いたように、
心のどこかで権威主義的なものの考え方をする人は、つい「親に向かって」とか、「私は親だ」
という親意識を出してしまう。その親意識が、子どもの心を閉ざしてしまう。

 ……と書いても、この問題の根は深い。本当に深い。日本人が、民族の基盤としてもってい
る土台にまで、その根がおよんでいる。だから、そんなに簡単にはなおらない。「では明日か
ら、権威主義を捨て、対等の立場で、子どもには心を開きます」とは、いかない。私もその母親
と別れるとき、一応言うべきことは言ったが、内心では、「むずかしいだろうな」と思った。ただ
最後にこう言った。「今度、父親を相手にした講演会で、そういう話をしてください」と。

【みなさんへ】

 では、近く、みなさんの保育園へおうかがいできることを楽しみにしています。

                        はやし浩 
°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ       
°◎_/ ̄⌒―――∩      みなさんのお近くで、講演するとき、
 ///―――――∫       よろしかったら、おいでください。        
⊂⊂/      ∫        マガジンの読者と一言、言ってくだされば、
             講演をしていても、ぐんと元気が出ます。ホントです!
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

リピドー

 「リピドー」という言葉がある。精神分析の世界では、常識的な言葉である。「心のエネルギ
ー」(日本語大辞典)のことをいう。フロイトは、性的エネルギーのことを言い、ユングは、より広
く、生命エネルギーのことを言った。

 人間のあらゆる行動は、このリピドーに基本を置く。たとえばフロイトの理論に重ねあわせる
と、喫煙しながらタバコを口の中でなめまわすのは、口愛期の固着。自分の中にたまったモヤ
モヤした気分を吐き出したいという衝動にかられるのは、肛門期の固着。また自分の力を誇示
したり、優位性を示したいと考えるのは、男根期の固着ということになる。(固着というのは、こ
だわりと考えると、わかりやすい。)

 問題は、それぞれの人は、それぞれの段階で未熟なまま、おとなになることがあるというこ
と。たとえば喫煙をやめられない人や、思ったことをコントロールできないまま口にしてしまう
人、さらには世間体や見えを気にする人は、それだけ精神的なもろさのある人とみてよい。順
にもう少し、詳しく例をあげてみよう。

 先日、電車に乗っていたら、若い男性だったが、指しゃぶりをしている人がいた。年齢は、二
四、五歳だっただろうか。指しゃぶりといっても、幼児がするようなしゃぶり方ではない。親指の
横を、口でかむようにして、しゃぶっていた。かなり情緒的に不安定な男性とみてよい。あるい
は精神的に未発達な男性とみてよい。服装などは、流行を追いかけたものだったが、その様
子は、軽薄そのものだった。これは口愛期の固着。

 少しカッとなると、本来なら言ってはならないことを言ってしまう女性がいる。自分で自分をコ
ントロールできないらしい。その女性は、小さな設計事務所を、夫と共同で経営していたが、そ
のため社員といつも衝突していた。実際には、ほとんど社員は、長くて数年でやめていた。夫
はこう言った。「先日も、取り引き先の人に向って、『あんたは口が臭いから、迷惑なのよ』と言
ってしまいました」と。これは肛門期の固着。

 ある男性の家の玄関には、いろいろな動物のはく製と並んで、よろいかぶとが飾ってある。
家の横には、古いベンツが置いてあるが、すでに車検は切れている。ときどき近所を乗り回し
てはいるようだが、これらすべてが、「見え」と「メンツ」のためというから、すごい! その男性
は、ことあるごとに、「私の家は、先祖代々の由緒ある家で……」と言っている。これは男根期
の固着。
 
 ふつう人は、こうした時期を、つまりは克服しながら通り過ぎる。しかし何らかの原因や理由
で、その成長が阻害されると、その部分が未熟なまま、あるいは未完成のまま、つぎの段階に
進んでしまう。こうして問題を先送りしながら、おとなになってしまう。

 で、こうした行動の原点にあって、その人を動かしているのが、リピドーということになる。この
リピドーを知ることによって、その人の、そして子どもの心理状態を、さらに詳しく知ることがで
きる。

 たとえば小学生でも、髪いじり、指しゃぶり、鉛筆かじりなどの症状を示す子どもは多い。ほと
んどは満たされない欲求に対する、代償行為と考えてよい。で、さらにその原因はといえば、情
緒的不安定、さらには精神的未完成がある。問題は、なぜそうなのかということよりも、なぜそ
うなったかである。そういう視点で、子どもを観察する。

 また言ってよいことと、悪いことの区別がつかない子どもがいる。太っている仲間に、「デブ」
とか「ブス」とかいう。「あんたがいると、うっとおしい」と言った子ども(小五女児)もいた。判断
能力が弱いというふうにも見えるが、このタイプの子どもは、総じてみれば、自分で自分をコン
トロールできないのがわかる。行動が享楽的で、その場を楽しめばそれでよいというような考え
方をする。

 さらに子どもでも、自己顕示欲が異常に強く、たとえばほかの子どもが、先生にほめられたり
すると、露骨にそれに反発したりする。先生が、「あなたの書く字はじょうずだね」と、別の子ど
もをほめたりすると、「ぼくのほうがじょうずだ」とか反論する。こうした現象は、幼児にはよく見
られるが、それが小学生や中学生になっても残る。ある高校生は、クラス代表にA君が選ばれ
たときのこと。それ以後、何かにつけて、A君に意地悪をしたり、A君の行動をじゃまするように
なった。

 もっともこうしたリピドーは、人間の生きる原点になっているから、それを否定してはいけな
い。そのリピドーのほとんどは、その人を前向きに伸ばしていく。またこうしたリピドーが、それ
ぞれの世界で、無数のドラマを形成する。
(030526)

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市リズム幼稚園
8・ 6  ……浜北市(詳細未定)
7・31  ……浜松市東部公民館
7・10  ……湖西市教育委員会・家庭学級講座
7・ 9  ……豊岡小学校
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・24  ……静岡市アイセル21
6・24  ……金指小学校
6・14  ……入野小中学校区健全育成会・入野町学校
6・ 7  ……都築保育園
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■6-7

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M ″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /       ありがとうございます!
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄    これからも、よろしくお願いします!
 ===○=======○====KW(8)
★★★★★★★★★★★★★★
03−6−7号(238)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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●また、本文がつまっていて読みにくいときは、やはり一度ワードにコピーしていただくと、ぐん
と読みやすくなります。お試しください。
    /八))))ハ   ミミヽ
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    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  / みなさんからいただきましたテーマを
  / \   (3-─┼─-ε)  /   マガジンに反映させています。お声を
  ──────────────┐    どうか、お届けください!
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

お休みします。ごめんなさい!

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<          
    /†_____†ヽ//      心豊かで、暖かい子育てをめざしましょう。
    ( ('    ξヽ        みんなでがんばれば、日本の子育ては
  ┏ ||   o//\) )(      変わります。よくなります。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

個性とは

 「私は私」という生きざまを貫くことを、個性という。しかしこの日本にはそれを支えるだけの土
壌がまだない。社会のしくみそのものもそうだ。昨年(二〇〇一年)、東京に「フリーター撲滅運
動」なるものを始めた高校の校長がいた。「撲滅」というのは、「たたきのめして滅ぼす」という
意味だ。高校の校長という、きわめて恵まれた環境、つまり酸素もエサも自動的に与えられる
水槽のような世界に住んでいる人が、そういうことを言うからおかしい。私はそのフリーターを、
もう三〇年近くもしてきた。たしかに社会的に不利だが、不利なのは、社会の制度がそれだけ
不公平だからにほかならない。

 教育もまた、個性を伸ばすしくみになっていない。たとえば全国の小学校で英語教育が実験
的になされているが、いまだに「すべきかどうか」で議論している。その議論はちょうど平成元
年のころ議論が始まったから、もう一三年になるのでは……? しかし北海道のハシから沖縄
県のハシまで同じ教育というのはおかしい。英語についていえば、英語教育が必要だと思う親
もいれば、そうでないと思う親がいる。英語を学びたいと思っている子どももいれば、そうでな
いと思っている子どももいる。英語教育をしたいと思っている教師もいれば、そうでない教師も
いる。だったら、そういうのは、個人の選択に任せればよい。その分学校を早く終わって、ドイ
ツのように子どもたちはクラブへ行けばよい。こうした実用的な教育は民間に任せたほうが、
はるかに効率よくいく。またこういうのを教育の自由化、あるいは規制緩和というのではないの
か。学校の先生にしても、教育はもちろんのこと、しつけから心のケア、さらには家庭問題ま
で、こうまで押しつけられたらたまらない。……と思っていると思う。ある小学校の教師はこう言
った。「忙しすぎて、授業中だけが休みの場所です」と。

 「子どもの個性を伸ばせ」と簡単に言うが、ではあなた自身が、そういう個性を認めているか
どうかというと疑わしい。あるいは個性というのがどういうものか、本当にわかっているだろう
か。さらにあなたは「私は私」という生き方をしているだろうか。私たちは尾崎豊の言葉を借りる
なら、「しくまれた自由」(「卒業」)の中で、あがきもがいているだけではないのか。

 個性とは生きざまの問題。「私は私」という生きざまをどう確立するかで、その人の個性が決
まる。くだらないことだが、子どもの髪の毛を茶パツに染めたりすることは、個性とはいわな
い。また個性というのは、そのレベルの問題ではない。またどこか常識ハズレのことをするの
を個性と思っている人は多い。しかし個性というのは、繰り返すが、どこまでも生きざまの問題
であって、行動の問題ではない。またそのレベルの問題ではない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

赤ちゃんがえりを甘く見ない

 幼児の世界には、「赤ちゃんがえり」というよく知られた現象がある。これは下の子ども(弟、
妹)が生まれたことにより、上の子ども(兄、姉)が、赤ちゃんにもどる症状を示すことをいう。本
能的な嫉妬心から、もう一度赤ちゃんを演出することにより、親の愛を取り戻そうとするために
起きる現象と考えるとわかりやすい。本能的であるため、叱ったり説教しても意味はない。子ど
もの理性ではどうにもならない問題であるという前提で対処する。

 症状は、おもらししたり、ぐずったり、ネチネチとわけのわからないことを言うタイプと、下の子
どもに暴力を振るったりするタイプに分けて考える。前者をマイナス型、後者をプラス型と私は
呼んでいるが、このほか情緒がきわめて不安定になり、神経症や恐怖症、さらには原因不明
の体の不調を訴えたりすることもある。このタイプの子どもの症状はまさに千差万別で定型が
ない。月に数度、数日単位で発熱、腹痛、下痢症状を訴えた子ども(年中女児)がいた。ある
いは神経が異常に過敏になり、恐怖症、潔癖症、不潔嫌悪症などの症状を一度に発症した子
ども(年中男児)もいた。

 こうした赤ちゃんがえりを子どもが示したら、症状の軽重に応じて、対処する。症状がひどい
ばあいには、もう一度上の子どもに全面的な愛情をもどした上、一からやりなおす。やりなおす
というのは、一度そういう状態にもどしてから、一年単位で少しずつ愛情の割合を下の子ども
に移していく。コツは、今の状態をより悪くしないことだけを考えて、根気よく子どもの症状に対
処すること。年齢的には満四〜五歳にもっとも不安定になり、小学校入学を迎えるころには急
速に症状が落ち着いてくる。(それ以後も母親のおっぱいを求めるなどの、残像が残ることは
あるが……。)

 多くの親は子どもが赤ちゃんがえりを起こすと、子どもを叱ったり、あるいは「平等だ」という
が、上の子どもにしてみれば、「平等」ということ自体、納得できないのだ。また嫉妬は原始的
な感情の一つであるため、扱い方をまちがえると、子どもの精神そのものにまで大きな影響を
与えるので注意する。先に書いたプラス型の子どものばあい、下の子どもを「殺す」ところまで
する。嫉妬がからむと、子どもでもそこまでする。

 要するに赤ちゃんがえりは甘くみてはいけない。

     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ドラ息子症候群

 手をかける。時間をかける。お金をかける。……さんざん、し放題のことをしておいて、「どうし
てうちの子は……?」は、ない。

 昔は、金持ちの息子や娘が、ドラ息子やドラ娘になった。しかし今は、違う。ごくふつうの家庭
の、ごくふつうの子どもが、ドラ息子やドラ娘になる。その第一の特徴。忍耐力がない。

 子どものばあい、忍耐力というのは、「いやなことをする力」をいう。台所の生ゴミを始末する
とか、風呂場の排水溝にたまった毛玉を始末するとか、など。トイレ掃除も、それに含まれる。
が、このタイプの子どもは、そういうことをいっさい、していない。していないから、しない。

 ものの考え方が、享楽的(欲望のおもむくまま、楽しむ)で、せつな的(その場だけ、楽しけれ
ばよいと考える)。少しでもいやなことがあると、「いやだあ」「退屈だあ」「やりたくない」と叫ぶ。

 率直に言うと、こういう症状が、年中児になるくらいまでに一度、現れると、もう「なおる」という
ことは、ない。子どもだけの問題ではないからである。子どもが、そういう子どもになるのは、そ
の背景に、親、あるいは、その子どもを包む家庭環境の問題がある。それが変わらないかぎ
り、子どもはなおらない。また親や家庭環境を変えるのは、子どもをなおすより、ずっとむずか
しい。だからなおらない。

 印象に残っている子ども(年中男児)に、S君という子どもがいた。まさに絵に描いたようなド
ラ息子(失礼!)で、わがままで自分勝手。自分の座りたい席に、だれかが座っていると、その
席が自分のものになるまで、泣き叫んでいた。そして少しでも、自分の思うようにならないと、机
やイスを足で、蹴っ飛ばし、「ぼく、帰る!」と泣いた。あるいはほかの子どもが、何かのことで
ほめられると、「どうして、ぼくは、ほめてくれないのか!」と泣いたこともある。

 こういう子どもに出あうと、「どう、教えるか」ではなく、「どう、母親を指導するか」という問題に
なる。あるいは、ときには、「どう、自分の怒りを抑えるか」という問題になる。さらに「こういう子
どもには、知恵をつけたくない」と思うことさえある。

 しかしそういう子どもをもつと、親も苦労するが、結局は、苦労するのは、その子ども自身とい
うことになる。さらに……。

 このタイプの子どもは、今、決して少なくない。一〇〜一五人もいれば、必ず、一人はいる。
で、指導する側は、それなりに苦労をするが、そういう苦労が、報われない。親は、そういうドラ
息子症状にとまどいながらも、それが「ふつう」と、思いこんでいる。あるとき、そういう親に、私
は、こう言った。

 「もっと、家で家事をさせなさい。子どもは使えば使うほど、いい子になりますから」と。すると
その若い母親は、キッと顔をこわばらせて、こう言った。「ちゃんと、させています!」と。驚いて
私が、「どんなことをさせていますか?」と聞くと、「箸並べに、クツ並べ!」と。

 箸並べやクツ並べなど、家事には入らない。ままごとにもならない。子どもを使うということ
は、家庭の緊張感の中に、子どもを巻きこむことをいう。「あなたがそれをしなければ、みんな
が困るのだ」という、責任を分担させることをいう。

 が、どういうわけか、今でも、子どもに楽をさせること。子どもに楽しい思いをさせることを、
「子どもをかわいがること」と考えている人は多い。そういう誤解が、この日本には、蔓延(まん
えん)している。しかし誤解は、誤解。とんでもない誤解! こうした誤解が、子育てそのもの
を、あらゆる場面で、ゆがめる。

 子どもにもいろいろ、いる。子育てにもいろいろ、ある。その子育てが失敗することは、いくら
でもある。そしてその結果、ここでいうような子どもが生まれる。が、不幸にして、ここでいうよう
な子どもになってしまったら……。そのときは、あきらめる。こうした問題は、親がジタバタすれ
ばするほど、子どもはつぎの底をめざして、落ちていく。ほとんどの親は、子どもにここでいうよ
うなドラ息子、ドラ娘症状が現れると、「今が、最悪」と思うかもしれないが、その最悪の下に
は、さらに最悪がある。そんなわけで、親がせいぜいできることといえば、それ以上、症状を悪
化させないこと。また、その状態で、満足する。何とも消極的な対処法だが、それしかない。
(030530)
 
°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ       
°◎_/ ̄⌒―――∩      みなさんのお近くで、講演するとき、
 ///―――――∫       よろしかったら、おいでください。        
⊂⊂/      ∫        マガジンの読者と一言、言ってくだされば、
             講演をしていても、ぐんと元気が出ます。ホントです!
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
死後のこと

 今朝、ワイフが朝食をとりながら、こんなことを言った。

 「新聞の投書に、夫の遺骨をめぐって、夫の実家の家族と、妻とが、騒動を起こしているとい
うのがあったわ」と。

 話を聞くと、こうだ。夫が死んだ。そのあと妻は、夫の遺骨を、自分の実家の墓に納めてしま
った。それで夫の実姉や実母が、それに反発して、その遺骨を返せと、妻に迫っているという。

 その話をしながら、ワイフが、しみじみとこう言った。「あなたは、あなたの遺骨を、私が預か
れというけど、あなたのお母さんや姉さんが、あなたの遺骨を渡してほしいと言ったら、私はど
うしたらいいの?」と。

 私は、死んでも、実家のあの墓には入りたくない。「死んでもいやだ」という言い方は、おかし
いが、死んでもいやだ。とくにあの墓地のある丘からは、M高校が見える。母校ということにな
っているが、私には悪夢のかたまりのような高校である。

 「遺言にはっきりと、そう書いておくから心配しないでいい」と私。
 「でも、私が海へまくというと、お母さんたち、猛烈に反対するわよ」とワイフ。
 「それも、しっかりと書いておくから、それでいい」
 「でも、私、自信、ないわ……」
 「……」
 「だからあなた、実家のお母さんや姉さんたちより、絶対に、先に死なないでね」と。

 遺骨を海にまくと、海が汚れるという意見は、ナンセンス。毎日、糞便のみならず、生活から
出る排出物や廃棄物を、海へどんどんと垂れ流している人間が、わずか一キログラム前後の
遺骨を海へ流したからといって、それがどうだというのか。もし人間の遺骨がだめなら、日々に
生まれ、そして死んでいく魚はどうなのかということになる。遺骨は、まさに人間がつくりだす、
最終的な自然の産物。畑にまく、骨粉のようなもの。海へ流したところで、益になることはあっ
ても、害になることは、何もない。

 もっとも遺骨にこだわる理由も、必要も、本来、ない。なぜ骨が遺骨で、それ以外のものは、
遺骨ではないのかということになる。理屈の上では、脳ミソこそ、遺骨(?)というにふさわしい
のでは……。しかし脳ミソは、保存するのには適さない。だからやはり、「骨」ということになる。

 となると、さらに遺骨にこだわるのも、おかしな話ということになる。どうして人間は、遺骨をも
って、故人の形見とするのか? ……といろいろ考えるが、ものごとは理屈だけでは動かな
い。仮にそれが愛する人の遺骨なら、その遺骨をみながら、その愛する人をしのぶに違いな
い。それがたとえおかしいとわかっていても、そのおかしさを乗り越える力が、はたして私には
あるのか。人間にはあるのか。

 私が死んだあと、ワイフが私の遺骨を見ながら、私をしのぶというのであれば、それはワイフ
の勝手。しかしそれは「私」ではない。むしろ私という私は、今、こうして書いている文の中にい
る。だからもし、いつか私をしのんでくれるというのなら、こうして書いている文を読んでほしい。
私も、そのつもりで、こうして文を書いている。

 しかしいつの間にか、私も、こんなことを考えるようになってしまった。少し前まで、人生は永
遠と思っていたようなところがある。が、それが今、急速にしぼみつつある。そしてそれにかわ
って、私は、死んだあとのことを考えるようになった。

【遺言】
 私が死んだら、遺骨は、どんなことがあっても、妻、Aが、預かる。そのあとの処分は、すべて
妻、Aに任す。どんなことがあっても、M市にある、実家のあの墓地には、入れるな。どう処分し
てほしいかは、すべて妻、Aに話してあるので、何人も、妻、Aに異議を唱えてはならない。

 ……とまあ、どこかの偉人のようなことを書いてしまったが、だれも私の遺骨のことなど、心
配しない。もともと私の骨は、馬の骨。とるに足りない、ただの一人の人間。こういうのを自意
識過剰というのか。そう、私はもともとどこか、自意識過剰のようなところがある。

+++++++++++++++++

【補足】自意識過剰

 この言葉で、いろいろなことを思いついたので、ここに書く。

 自分を大切にするということと、自意識過剰は、別の問題である。自意識過剰というのは、自
分が世界の中心にいて、世界中が自分に注目していると、錯覚することをいう。

 概して言えば、若い女性に多いのでは? 昔、ある女性週刊誌の編集長をしていた、I氏がこ
んな話をしてくれた。その週刊誌は、当時、表紙に外国人モデルを好んで載せていた。そこで
私が、「日本の女性が読む雑誌に、外国人を載せるのは、おかしくないですか。日本人の読者
が、違和感を覚えませんか」と聞いたときのこと。そのI氏は、こう言った。

 「日本の若い女性たちは、だれも、自分が日本人だとは思っていませんよ。欧米人だと思っ
ていますよ。他人はともかくも、自分の顔立ちだけは、欧米人に近いと思っていますよ」と。
 
 ところで今、「ベッカムさま」(イギリスのサッカー選手、D・ベッカムのこと)に、狂っている女の
子(高校一年生)がいる。明けても暮れても、「ベッカムさま」「ベッカムさま」。ベッカムが骨折し
たというニュースを聞いたときは、本気で心配していた。その女の子と、こんな会話をした。

私「ベッカムには、奥さんも、子どももいるんだよ」
女「私は、かまわない」
私「かまわない……って?」
女「私が奪ってやる」
私「ベッカムが、それではかわいそうだ」
女「私が幸せにしてあげる」
私「そう思うのは、君の勝手だけど、ベッカムは、君を相手にしないかもよ。それにそう思ってい
る日本の女の子は、何万人もいるよ、きっと……」
女「私が、ベッカムさまのことを、一番、深く、思っている」と。

 どこか冗談のようで、冗談でない会話だった。彼女は、真剣だった。それはわかるが、こうい
うのも自意識過剰という。

 私も若いころは、かなり自意識過剰のようなところがあった。「私が世界を動かしている」とい
うようなことを思ったこともある。考えてみれば、今もそうかもしれない。本当のところは、だれも
私など、相手にしていない。しかし当の私は、相手にされていると思いこんで、こうして自分のこ
とを書いている。ちょうど若い女性が、自分では日本人とは思っていないように、私は自分で
は、ただの「もの書き」とは思っていない?
 
 要するに近視眼的になればなるほど、自意識も過剰になるということか。それは若い母親た
ちの子育て観をみていると、わかる。ずいぶんと昔だが、こんなことを言った母親がいた。「私
の家は、本家(ほんや)ですから、息子には、それなりの学歴を身につけてもらわないと、困り
ます」と。

 その母親の視野の中には、彼女が住む、「本家と、新家(あらや)」の世界しかない。ひょっと
したら、本当は、だれも、そんなことなど気にしていないのかもしれない。しかしその母親は、
「気にしている」と思いこんでいる。実のところ、こうしたケースは、本当に多い。「教育」の場そ
のものが、この自意識の戦いの場になっている? 言いかえると、世の母親たちが、ほんの少
しだけ自意識を抑えてくれると、もう少し、教育の世界も風通しがよくなるのでは……?

 この問題は、私自身の問題ともからんでいるので、もう少しゆっくりと考えてみる。今日は、こ
こまで。
(030531)※
+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


北朝鮮問題

 とうとうアメリカの海兵隊が、沖縄から、撤退することになった。……というのは、あとになって
誤報ということがわかったが、このニュースは、日本人を心底、驚かせた。日本政府は、「寝耳
に水」(五月二九日)と言っているが、本当のところは、どうか? あの北朝鮮は、すでに数発
の核兵器をもっている。アメリカへ亡命した北朝鮮の元科学者は、これから先、北朝鮮は、数
百発の核兵器を製造する計画をもっていると言っている。……となると、ゾーッ!

 誤報にせよ、こうした話が出てくる背景には、理由が、二つある。ひとつは、日本や韓国に嫌
われてまで、日本や韓国を守らねばならない理由などないということ。それにもう一つは、北朝
鮮との戦争準備。アメリカは、いよいよ北朝鮮との戦争を、本気で覚悟したとみてよいというこ
と。日本や韓国に、多人数のアメリカ兵を置いておくと、かえって戦争がやりにくくなる。

 こうした流れにあわてた、韓国の首相が、先日、日本へやってきて、こう言った。「今年の秋
が、あぶない。力を合わせて、(アメリカが北朝鮮を攻撃することがないように)、アメリカを説
得しよう」と。韓国の立場は、わからないわけではないが、こんな申し出に、日本が応ずるわけ
がない。時間がたてばたつほど、日本は、危機的な状況に追いこまれる。アメリカにしても、そ
れこそ数百発の核兵器を、世界に拡散させるわけにはいかない。

 本来なら、ああいった狂った国は、一挙に兵糧攻めにするのがよい。しかし今年も韓国は、
二〇万トンの肥料と、四〇万トンの穀物を、援助することにしている。あの金大中は、金XXと
会う前、数百億円もの現金を、金XXに手みやげに渡している! こういう中途半端なことばか
りしているから、いつまでたっても、問題は解決しない。かえって北朝鮮の、一般の人たちを、
苦しめることになる。

 それにしても、やっかいな国ではないか。本当にやっかい。何といっても、ふつうの常識が通
じないところが、やっかいである。アメリカにしても、日本にしても、北朝鮮など侵略する意図な
ど、毛頭、ない。ないことは百も承知の上で、「攻めてくる」「攻めてくる」と、勝手に騒いでいる。
わかりやすく言えば、ありもしない外国の脅威を盾にとって、独裁政権維持のために、利用して
いるだけ。韓国にしても、今の状態では、南北統一などしたくないというのが、本音。今、南北
統一するということは、韓国が、莫大な多重債務を引きうけるのに等しい。

 が、当の金XXは、自国民を満足に食べさせられない状態にもかかわらず、「南北を統一す
る」と、息巻いている。統一される韓国こそ、えらい迷惑である。あの男には、そういうことが、
まったくわかっていない。

 さて、私たちは、一般市民として、何をどのように覚悟したよいのか。

 今や、米朝関係は、一触即発の状態とみる。明日、何が起きてもおかしくない。ただ皮肉なこ
とに、金XXは独裁者。その独裁者の常として、金XXには、自分の命を危険にさらすような度胸
も、勇気もない。アメリカに戦争をしかけるとしたら、北朝鮮国内が、にっちもさっちもいかなくな
ったときだ。が、今の状態で、アメリカ軍に戦争をしかければ、その翌日には、金XXの王朝
は、廃墟になってしまう。金XXも、それをよく知っている。

 が、それでも戦争になってしまったら……? 東京だけではなく、私が住むこの浜松市も、北
朝鮮の攻撃目標になっているという。そうであるならなおさら、そのときは、逃げるしかない。核
兵器でなくても、彼らは無数の生物兵器や化学兵器をもっている。またそれらを使う可能性
は、きわめて高い。「まさか、そこまでしないだろう……」と考えている人がいたら、それは甘
い。自国民が、数百万人、餓死しても、平気な国である。日本人を、数百万人殺すことくらい、
平気と考えてよい。少しでも雲行きがあやしくなったら、逃げるしかない。またそのためのルー
トと方法を、考えておく。

 しかし日本も、バカなことをしたものだ。この場に及んでも、正義を主張することすらできな
い。あのニューヨークの貿易センタービルが、アルカイダによって破壊されたとき、ブッシュ大
統領は、「第二のパールハーバー」と口火を切った。もしあれが、第二のパールハーバーなら、
ビンラディンは、東条英機。オマル師は、天皇ということになってしまう。また世界各地で起こる
自爆テロですら、日本は、面と向かって非難することもできない。もし自爆テロを「悪」と決めて
かかってしまうと、では、あの特攻隊は何だったのかということになってしまう。

 第二次大戦中、日本はドイツから核兵器を輸入しようとしていたし、化学兵器も生物兵器も
生産していた。関東軍七三一部隊は、そうした兵器で、人体実験までしていた。その犠牲者だ
けでも、数千人と言われている。

 さらに戦後、日本は、すべてを、ナーナーですませてしまった。いまだに戦争責任すら、認め
ていない。アジアではアメリカは嫌われているが、日本は、それ以上に嫌われている。そういう
現実が、まったくわかっていない。仮に日朝戦争ということにでもなっても、韓国は北朝鮮側に
加担する。統一旗をかかげて、いっしょに日本へやってくるかもしれない。つまり、悲しいかな、
それが現実なのである。

 願わくは、金XX体制が、自然崩壊すること。北朝鮮国内で、クーデターのようなものが起き
て、政権が転覆(てんぷく)すること。あるいは何らかの理由で、金XXが失脚すること。しかしそ
れは今のところ、望みようもない。ああああ。

 私たちは、どうしても、この日本や日本の子どもたちを守らねばならない。今日も年中児の子
どもたちを教えながら、ふと、そんなことを考えた。「こんなあどけない顔をした子どもたちを、
決して犠牲者にしてはいけない」と。そう、どんなことをしても、私たちは、子どもたちを戦争か
ら、守らねばならない。どんなことをしても、だ。
(030530)

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞







件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■6-9

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
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    \\__ノ\ ∠__ × |
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  / \   (3-─┼─-ε)  /   マガジンに反映させています。お声を
  ──────────────┐    どうか、お届けください!
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

気が小さい子ども

 よく「うちの子は、気が小さいです」という親がいる。どこか軽く考える傾向があるが、そんな簡
単な問題ではない。

 気が小さいというのは、軽いうつ状態か、さもなければ、うつ状態そのものにあるとみる。子
どもにかぎらず、人はうつ状態になると、ささいなことを悶々と悩んだりする。被害妄想ももちや
すくなる。そしてあらぬことまで思いをはせ、いわゆる取りこし苦労をするようになる。子どもも、
また同じ。

 「今度のテストで失敗したら、どうしよう?」
 「明日、友だちに何か言われるのではないか?」
 「先生に、叱られるかもしれない」など。

 親からみれば、「どうしてそんなことで悩むの?」となるが、当の子どもには、それがわからな
い。反対に頭から否定すると、子どもをかえって窮地に追いことになる。あくまでも子どもの立
場で、子どもの心の中をのぞくようにする。

 こうした症状が見られたら、情緒不安に準じて、子どもの心を考えるようにする。子どもの側
からみて、安心できる家庭環境、安らぐことができる家庭環境、心や体を、休めることができる
家庭環境を用意し、年少の子どもであれば、スキンシップを濃厚にしてみる。コツは、子どもが
それを求めてきたときは、それをいとわないこと。ぐいと抱いてあげるだけでも、よい効果が得
られる。

(情緒不安については、はやし浩司のサイトを参考にしてください。ヤフーなどの検索エンジン
を使って、「はやし浩司 情緒不安」で検索できます。)

 反対に情緒が安定している子どもは、態度も大きく、どこかどっしりとしている。子どもの心の
中をのぞくひとつのバロメーターとするとよい。
(030601)

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<          
    /†_____†ヽ//      心豊かで、暖かい子育てをめざしましょう。
    ( ('    ξヽ        みんなでがんばれば、日本の子育ては
  ┏ ||   o//\) )(      変わります。よくなります。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。(635まで)
+++++++++++++++++++

子どもを叱れない親

叱れない……ということ自体、すでに断絶状態にあるとみる。原因は(1)リズムの乱れ(親側
がいつもワンテンポ早い)、(2)価値観の衝突(親側が旧態依然の価値観に固執している)、そ
れに(3)相互不信(「うちの子はダメだ」という思いが強い)。この状態で子どもを叱れば、あと
はドロ沼の悪循環!

親には三つの役目がある。(1)ガイドとして子どもの前を歩く。(2)保護者(プロテクター)として
子どものうしろを歩く。(3)友(フレンド)として子どもの横を歩く。日本人はこのうち三番目が苦
手、……というより、「私は親だ」という親意識だけがやたらと強く、子どもを友として見ることが
できない。

もしあなたが子どもをこわくて叱れないというのであれば、まず子どものリズムで歩き、親の価
値観を一方的に押しつけるのをやめる。そしてここが重要だが、子どもを対等の友として受け
入れる。英語国では、親子でも「お前はパパに何をしてほしい?」「パパは、私に何をしてほし
い」と聞きあっている。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。また一度断絶状態になったら、
「修復しよう」などとは考えないで、今の状態をより悪くしないことだけを考えて対処する。

 「叱る」というのは、本当のところは、たいへんむずかしい。子どもを叱るというのは、叱る側
にそれだけの「人格」がなければならない。たとえば教える立場でいうと、よく宿題を忘れてくる
子どもがいる。宿題ならまだしも、テキストや鉛筆すら忘れてくる子どもがいる。しかし私は、ど
うしてもそういう子どもを叱ることができない。理由は簡単だ。私自身もよく忘れ物をするから
だ。自分でもできないのに、どうして子どもを叱ることができるのか。それともあなたは、あなた
の子どもに向かって、「正しいことをしなさい」「まちがったことをしてはだめだ」と子どもを叱るこ
とができるとでもいうのか。もしそうなら、きっとあなたはすばらしい人だ。

 私は幼児を教えるようになって、もう三〇年になるが、どういうわけだか「叱る」ということに対
して、おおきな抵抗を感ずる。ときどきは叱ることもあるが、そのたびに心のどこかで、「何を偉
そうなことを」と自分で思ってしまう。そして叱ることをやめてしまう。……そういう意味でも、子ど
もを叱るというのは、とてもむずかしい。この問題については、また別のところで考えてみる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

温室育ちは風邪をひきやすい

 過保護といっても、内容はさまざま。食事面で過保護にするケース、行動面で過保護にする
ケースなど。しかしふつう過保護というときは、精神面での過保護をいう。子どもにつらい思い
や苦しい思いをさせない。あるいは子どもがそういう状態になりそうになると、すぐ助けてしまう
など。「(近所の)A君は乱暴な子だから、あの子とは遊んではダメ」「あの公園にはいじめっ子
がいるから、あそこへは行ってはダメ」と、交友関係をせばめてしまうのも、それ。こういう環境
にどっぷりとつかると、子どもは俗にいう、『温室育ち』になる。

 過保護児の特徴は、(1)依存心が強く、自立した行動ができない。わがままな反面、目標や
規則が守れず、自分勝手になる。鉛筆を落としても、「鉛筆が落ちたア〜」と言うだけで、自分
では拾おうとしない。(2)幼児性が持続し、人格の「核」形成が遅れる。年齢に比べて幼い感じ
がし、教える側からみると、「この子はこういう子どもだ」というつかみどころがはっきりしない。
(3)何ごとにつけ優柔不断で、決断力がない。生活力も弱く、柔和でやさしい表情はしているも
のの、野性的なたくましさに欠ける。ブランコを横取りされても、ニコニコ笑いながら、それをあ
け渡してしまうなど。そのためいじけやすく、くじけやすい。ちょっとしたことで、すぐ助けを求め
たりする。よく『温室育ちは外へ出ると、すぐ風邪をひく』というが、それは子どものこういう様子
を言ったもの。

親が子どもを過保護にする背景には、何らかの「心配」がある。この心配が種となって、親は
子どもを過保護にする。このテストで高得点だった人は、まずその種が何であるかを知る。もし
「うちの子は何をしても心配だ」ということであれば、不信感そのものと戦う。(過保護にする)→
(心配な子になる)→(ますます過保護にする)の悪循環の中で、あなたの子どもはますます、
その心配な子どもになる。

 ひとつの方法として、今日からでも遅くないから、「あなたはいい子」「あなたはどんどんいい
子になる」を子どもの前で繰り返す。最初はどこかぎこちない言い方になるかもしれないが、あ
なたがそれを自然な形で言えるようになったとき、あなたの子どもは、その「いい子」になる。そ
ういう意味では、子どもの心はカガミのようなもの。長い時間をかけて、あなたの子どもはあな
たの口グセどおりの子どもになる。

     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子どもの達成感

 子どもを伸ばすカギを握るのが、達成感。この達成感をうまく利用して、子どもを伸ばす。し
かしこの達成感をつぶす六悪に、つぎのようなものがある。

【与えすぎ】
 あれもこれも、与える。あるいはつぎからつぎへと、与える。こうした状況がつづくと、子ども
は、満腹症状を示すようになる。「もうたくさん!」と。

【お膳立てのしすぎ】
 子どもの進むべき道を、あらかじめ用意し、その道に沿って子どもを導こうとする。「誘導され
ている」と子どもが感じたとき、それはそのまま子どもの挫折感となってはねかえってくる。

【否定的姿勢】
 せっかく子どもが何かをできるようになっても、親が「何よ、そんなこと!」と言ってしまったら、
おしまい。

【過剰期待】
 少しでも子どもが進歩を見せたりすると、「もっと」とか、「さらに」と親は思う。子どもに夢を託
すのは悪いことではないが、その夢を、子どもに押しつけてはいけない。子どものほうが、息切
れをしてしまう。

【過関心】
 子どもの動機づけは、おおらかに。ワークブックでも、少しくらいのミスは、大目に見る。がん
ばってしたことだけをほめ、あれこれこまかいことでうるさく言わないのがコツ。

【評価の欠落】
 達成感は、おとなの評価によってしめくくる。オーストラリアの学校では、(世界中どこでもそう
だが)、教育はいつも、評価とペアになっている。私が「こういうことを教えています」などと言う
と、向こうの先生たちは、「では、どうやって進歩(プログレス)を評価していますか?」と質問し
てくる。評価は、正当に、かつ前向きに。

 以前、このことに関して、こんな原稿を書いた。ここに転載する。

+++++++++++++++++++++++

成長を喜ぶ

 まずテスト。あなたの子どもは何か新しいことができるようになったり、おもしろいことを発見し
たようなとき、あなたのところにやってきて、「見て、見て!」と言うだろうか。もしそうならそれで
よし。しかしそういう会話が親子の間から消えているようなら、あなたはあなたの子育てをかな
り反省したほうがよい。

 子どもを伸ばす三大要素に、(1)好奇心(いつもあらゆる方向に触覚がのびている)、(2)生
活力(自立し、自分で何でもできる)、(3)頭の柔軟さ(頭がやわらかく、臨機応変にものごとに
対処できる)がある。もちろん生まれつきの能力も関係するが、これは遺伝子の問題だから、
教育的にはあまり論じても意味がない。で、こうした三大要素を側面から支えるのが、家庭、な
かんずく「親」ということになる。こんな家庭があった。

 その家庭には三人の男の子がいたが、皆、表情が明るく、伸び伸びとしていた。そこでその
秘訣をさぐると、それは母親の言葉にあるのがわかった。子どもたちが何か、新しいことがで
きるようになるたびに、その母親がそれを心底、喜んでみせるのである。下の子が上の子のお
さがりをもらうときもそうだ。母親は下の子に、上の子のおさがりを着させながら、「おお、あん
たもお兄ちゃんのが着られるようになったわね」と、喜んでみせていた。こうした家庭のリズム
が、子どもたちを伸びやかにしていた。

 子どもを伸ばすためには、子どもの成長を喜んでみせる。ウソではいけない。本心からそう
する。そういう前向きな姿勢が親にあってはじめて、子どもも伸びる。が、そうでない親もいる。
「あんたはダメな子ね」式の言い方をいつもする親である。子どもの表情が暗くなって当然。こ
ういう家庭では、子どもは決して、「見て、見て!」とは言わない。「どうせ、ぼくはダメだ」と逃げ
てしまう。もしそうなら、今日からでも遅くないから、子どもの成長を喜ぶようにする。たとえテス
トの点が悪くても、「去年よりはずっとよくなったわね」などと言う。そういう姿勢が子どもを伸ば
す。子どもの表情を明るくする。

+++++++++++++++++++++++++

 子どもの学習の動機づけを考えるときは、(1)興味づけ、(2)方向づけ、(3)努力、そしてこ
こでいう、(4)達成感を大切にする。
(030601)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

オペラント(自発的行動)

 人間が人間であるのは、無数のランダム性と、それから生まれる無限の可能性があるから
である。ほかの動物にもあるが、人間の比ではない。つまり人間は、だれから教えられなくて
も、自発的に行動する能力をもっている。これを「オペラント(自発的行動)」という。

 日本語には、「試行錯誤」という言葉がある。英語では、「トライ・アンド・エラー」という。これら
は意図的な行動をいうが、オペラントというときは、必ずしも、意図的な行動とは限らない。「何
かをしていたら、偶然、発見した……」という行動も、それに含まれる。むしろ、その偶然性の
ほうが、人間の進化には重要な働きをしてきた。たとえば蚊がいる。

あの蚊は、実に複雑な飛び方をする。一方向にまっすぐ飛ぶというよりは、ランダムに、あらゆ
る方向に変則的に向きを変えながら飛ぶ。恐らく、太古の昔には、一方向に飛ぶ蚊もいたのだ
ろう。しかしそういう蚊は、すぐ叩き落されてしまった。が、ある日、(多分?)、ランダムに方向
を変えて飛ぶ蚊が生まれた。とたん、叩き落されることが少なくなった。そしてそういうランダム
に飛ぶ蚊が生き残り、一方向に飛ぶ蚊は、絶滅した?

これは進化の話だが、人間の個々の発達にも、このオペラントがからんでいる。あのニュート
ンにしても、リンゴが木から落ちるのを見て、万有引力を発見したという。さらに、子どもの世界
にも、それがある。

 たとえばある子どもが、砂場で砂を掘っていたら、小さな石を発見したとする。それはまさに
偶然による発見である。そこでその石を先生に見せると、先生が、それをほめてくれた。「あ
ら、すごいわね」と。その子どもは、先生のそういう姿勢を見て、「発見することの喜び」を知る。

 子どもを伸ばすコツは、言うまでもなく、人間が、そしてあらゆる動物が本性としてもってい
る、このオペラントを、うまく利用することである。もちろん、オペラントは、あらゆる子どもに、あ
る。ない子どもは、いない。もしそのオペラントがないとするなら、それは子ども自身の責任とい
うよりは、不適切な子育てや、失敗によって、つぶしてしまったと考えるべきである。

 具体的には、子どもは、常に、このオペラントを繰りかえす。そのとき、好ましいオペラントで
あれば、それをほめる。そうでないものであれば、それを抑える。これを「オペラント条件づけ」
(発達心理学)という。たったそれだけのことだが、子どもは、自らの力で前向きに伸びていく。
さらにうまく指導すれば、子どもは、その石に、論理的な理由づけをするかもしれない。ある子
ども(年長男児)は、「石は土の中から生まれる。小さな石は、石の赤ちゃん」と言った。

●まず、ほめる……幼児期におけるオペラント条件づけの基本は、「まず、ほめる」。すべては
ここへ行きつく。こうした親の姿勢は、私の教室へくる親たちの姿を見ればわかる。たとえばあ
る日、突然、子どもをつれて見学にきたとする。そのとき、ある程度の時間、その子どもに、私
の生徒の中にすわってもらう。しかし子どもにしてみれば、はじめての教室だから、とまどった
り、警戒する。しかしそうするのはごく自然な行為である。が、親には、それがわからない。ほ
かの子どもたちと比較して、「どうしてうちの子は、元気がないのでしょう?」「どうしてうちの子
は、できないのでしょう」と。さらには、「どうしてうちの子は、ちゃんと座っていないのでしょう?」
とか、言う。そこで私はこう答えることにしている。「はじめて来たのですよ。まずそれをほめて
あげましょう」と。

●押しつけをしない……親の価値観や、設計図を、子どもに押しつけない。ここにも書いたよう
に、オペラントは、あくまでも自発的行為をいう。「自発的」というのは、子ども自身の内部から、
自然な形で、わきあがってくるものをいう。好奇心(動くものに興味をもつ)、探索心(あちこち歩
き回る)、探究心(理由や原因を考える)、試行心(何でもためしてみる)など。そういう子どもの
自然な姿の中から、何が好ましいもの(好子)であり、何が好ましくないも(嫌子)であるかを教
えていく。この段階で親がなしえることは、せいぜい方向性をもたせることでしかない。船にたと
えて言うなら、舵取りということか。強引に子どもを誘導しようとしても、失敗する。あるいは先
にも書いたように、オペラントそのものを、つぶしてしまう。言い忘れたが、このオペラントはた
いへんデリケートなもの。また一度、つぶしてしまうと、ほぼ修復は不可能とさえ言える。

【オペラント失敗例(1)】

 子どもが年中児くらいになると、たいていの親は、「さあ、教育!」と、身構えてしまう。とくにこ
の日本では、子どもの未来に、はっきりとしたコースが見えてくる。親は、そのコースに、何と
か、自分の子どもを、当てはめようとする。

 ある母親から、こんな相談があった。「うちの子は、毎日、プリント学習を、二枚することにな
っていますが、なかなかしてくれません。させようとする、ぐずったり、反発したりします。どうし
たらいいでしょうか?」と。

 この母親が考えている指導というのは、まさに「先取り教育」以外の何ものでもない。「勉強が
必要だ」「勉強というのは、こういうものだ」と。しかし相手は、まだ四歳の子どもである。学ぶこ
とよりも先に、学ぶことの楽しみを味わうべき年齢である。こうした無理が重なれば、子ども
は、確実に勉強嫌いになる。そしてここが重要だが、一度勉強嫌いになった子どもは、二度
と、勉強が好きになるということはない。仮に好きになっても、そのときには、その子どもはおと
なになっている。つまりここでいうコースから、そのときには、はずれてしまっている。

【オペラント失敗例(2)】

 その親は、何かにつけて、子どもを否定していた。「そんなことをしてはダメ」「こんなことをし
てはダメ」と。しかしさらにその原因は何かというと、子どもに対する不信感。さらに愛情不足。
さらに望まない結婚に、望まない出産があった。

 こうした育児環境に育った子どもは、不幸である。ナヨナヨとした性格に、ナヨナヨとした人生
観。いつも世間の波に流されるまま生きている。親は、「生まれつきそうです」などと言うが、そ
ういう子どもにしたのは、親自身にほかならない。子どもは不安を基底とした生きザマを身につ
け、何をするにしても、心配と不安を訴える。「私は私」という考え方そのものが、できない。

 J氏(四五歳)という男性がいた。それまでにもいくつかの縁談の話があったが、そうした縁談
をことごとくつぶしてしまったのは、実は、母親だった。「あんな嫁では、財産を食いつぶされる」
「あんな性格の悪い嫁では、家が崩壊する」と。本来ならここでJ氏が反発しなければならない
のだが、J氏は、まさに、骨のズイまで、母親に魂を抜かれていた。それこそ食事の量や内容
まで、徹底的に管理されていた。そう、その母親も、いつもこう言っていた。「あの子がああなの
は、生まれつきです」と。無責任な母親が、自分の責任を棚あげにするとき、よく使う言葉であ
る。

【オペラント失敗例(3)】

 以前、こんな原稿(中日新聞発表済み)を書いた。

+++++++++++++++++++++++

動機づけの四悪

 子どもから学習意欲を奪うものに、(1)無理、(2)強制、(3)条件、(4)比較の四つがある。
これを、『動機づけの四悪』という。

 まず(1)無理。その子どもの能力を超えた無理をすれば、子どもでなくても、学習意欲をなく
して当然。よくある例が、子どもに難解なワークブックを押しつけ、それで子どもの学習意欲を
そいでしまうケース。子どもの勉強は、「量」ではなく「密度」。短時間でパッパッとすますようで
あれば、それでよし。……そうであるほうが好ましい。また子どもに自分でさせる勉強は、能力
より一ランクさげたレベルでさせるのが、コツ。ワークやドリルなど、半分がお絵描きになっても
よい。答が合っているかどうかということよりも、「ワークを一冊、やり終えた」という達成感を大
切にする。

 (2)強制。ある程度の強制は勉強につきものだが、程度を超えると、子どもは勉強嫌いにな
る。時間の強制、量の強制など。こんなことを相談してきた母親がいた。「うちの子は、プリント
を二枚なら、何とかやるのですが、三枚目になると、どうしてもしません。どうしたらいいでしょう
か」と。私は「二枚でやめることです」と答えたが、その通り。このタイプの母親は、仮に子ども
が三枚するようになればなったで、「今度は四枚しなさい」と言うに違いない。子どももそれを知
っている。

 (3)条件。「この勉強が終わったら、△△を買ってあげる」「一〇〇点を取ったら、お小づかい
を一〇〇円あげる」というのが条件。親は励ましのつもりでそうするが、こういう条件は、子ども
から「勉強は自分のためにするもの」という意識を奪う。そればかりではない。子どもが小さい
うちは、一〇〇円、二〇〇円ですむが、やがてエスカレートして、手に負えなくなる。「(学費の
安い)公立高校へ入ってやったから、バイクを買ってくれ」と、親に請求した子ども(高一男子)
がいた。そうなる。

 最後に(4)比較。「近所のA君は、もうカタカナが書けるのよ」「お兄ちゃんは、算数が得意な
のに、あなたはダメね」など。こういう比較は、一度クセになると、日常的にするようになるか
ら、注意する。子どもは、いつも他人の目を気にするようになり、それが子どもから、「私は私。
人は人」というものの考え方を奪う。

 イギリスでは、『馬を水場へ連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない』と言う。
子どもを馬にたとえるのも失礼なことかもしれないが、親のできることにも限界があるというこ
と。ではどうするか。もう一つイギリスには、『楽しく学ぶ子どもは、よく学ぶ』という格言もある。
つまり子どもに勉強をさせたかったら、勉強は楽しいということだけを教えて、あとは子どもに
任す。たとえば文字。いきなり文字を教えるのではなく、いつも子どもをひざに抱いて、本を読
んであげるなど。そういう経験が、子どもをして、「本は楽しい」「文字はおもしろい」というふうに
思わせるようになる。そしてそういう「思い」が、文字学習の原動力となっていく。子どもの勉強
をみるときは、「何をどの程度できるようになったか」ではなく、「何をどの程度楽しんだか」をみ
るようにする。

++++++++++++++++++++

 このオペラントを、どううまく利用するかが、子育てのコツということになる。私も幼児を教える
ようになって、もう三三年になる。が、今は「教える」という意識は、ほとんどない。それにかわっ
て、「子どもを楽しませる」ということだけを考えるようになった。私たちができることは、せいぜ
いここまで。あとは子ども自身が、自分で伸びる。またそういうふうに、仕向けるのが私の仕事
である。

 が、残念なことに、そういう私の姿勢が理解できず、それをことごとくつぶしていく親も少なくな
い。子どもが、少し勉強に興味をもったりすると、「もっと……」「さらに……」と欲を出す。そして
結果として、子ども自身がもつオペラントをつぶしてしまう。よくある例は、もともとそれほど能力
が高くない子どもが、自分の力で伸びようとしている矢先、親が「進学塾へ入れれば、もっとで
きるようになるはず」と考えるケース。そしてそれまで積み重ねた成果を、自らドブへ捨ててしま
う。このH市では、だいたいその時期は、子どもが小学校の三、四年生とみてよい。しかしたい
てい一、二年もすると、子どもの学力は、今度は、空回りをするようになる。しかしそのときは、
もう手遅れ。先にも書いたように、学習の動機づけには、二度目はない。

 発達心理学でいうオペラントとは、多少ニュアンスは違うかもしれないが、子どもの自発的行
動を説明するには、わかりやすい言葉なので、私はときどきこうして借用している。大切なこと
は、あせらないこと。幼児期は、「学ぶことは楽しい」という前向きな姿勢を、徹底的に充電して
おくこと。またその充電の量が多ければ多いほど、子どもは、あとあと伸びていく。結論は、そう
いうことになる。
(030601)

 
°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ       
°◎_/ ̄⌒―――∩      みなさんのお近くで、講演するとき、
 ///―――――∫       よろしかったら、おいでください。        
⊂⊂/      ∫        マガジンの読者と一言、言ってくだされば、
             講演をしていても、ぐんと元気が出ます。ホントです!
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

基底不安(2)

 不安を基底にしている人は、常に不安をかかえながら生きている。子どもにかぎらない。おと
なでも、である。しかも五〇歳、六〇歳をすぎたおとなでも、である。しかし本人自身が、それに
気づくことはない。もしあなたが、つぎの項目のうち、三個前後、当てはまれば、あなたは基底
不安型人間とみてよい。

(1)休みの日なども、休みを楽しむ前に、翌日からの仕事のことを心配にすることが多い。
(2)いつも自分ひとりという生き方が基本になっている。そういう意味では、何でも自分でしない
と気がすまない。他人に任せると、心配でならない。
(3)私はよくがんばっているほうだと思うが、その原動力になっているのは、不安との戦いであ
る。
(4)悪夢を見ることが多い。追いかけられる夢、列車に乗る夢、乗り遅れる夢など。
(5)信じられるのは、結局は自分だけ。他人とかかわっていると、どこかで演技をしている自分
を感ずる。そのため、疲れやすい。

 基底不安型の人は、他人との信頼関係をうまく結ぶことができない。心を開かない。あるい
は自分をさらけ出すことができない。自分がそれをできないのは、し方ないとしても、問題は、
他人もそうだと思いこんでしまうこと。またそういう前提で、人間関係を結ぼうとする。そのた
め、猜疑心や嫉妬心がつよくなる。すべてを、「疑う」ことから始める。

 原因は、乳児期の母子関係が、不全であったことによる。母親の拒否的態度、否定的子育
て観、権威主義的なものの考え方、さらには育児崩壊、家庭崩壊、家庭環境の不全など。あな
たという子どもの側からみて、全幅に、心を開くことができない環境にあったとみる。が、問題
は、そのことというより、あなたと夫(妻)との関係、さらにはあなたと子どもとの関係にまで、影
響がおよぶということ。あなたの子ども自身も、あなたとの関係において、不安を基底とした人
間関係になってしまう。つまり基底不安は、代々と、つぎの世代へと伝播(でんぱ)する。

 もしあなたがここでいう基底不安型人間なら、まず自分自身がそうであることに気づくこと。そ
してそれと戦うこと。自分の心を偽っているようなら、その偽りを取りのぞく。ありのままを、さら
け出してみる。そして「私は私」と居なおってみる。その点、夫婦というのは、よいものだ。親子
というのは、よいものだ。そういうあなたを、受け止めてくれる。まず手始めに、あなたの夫
(妻)や子どもの前では、ありのままをさらけ出してみる。こと夫婦についていうなら、セックスと
いうのは、自分をさらけ出す、絶好の機会でもある。さらけ出して、さらけ出して、とことんさらけ
出す。……と、まあ、教育エッセーらしからぬことを書いてしまったが、ここに書いたことは、ま
ちがってはいない。参考にしてほしい。
(030601)

●男女相愛して、肉欲に至るは自然なり。肉交なき恋は、事実にあらずして、空想なり。(国木
田独歩「断片」)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

性欲

 私の年代の者は、(こう決めてかかってはいけないが)、「性」について論ずるのとき、どこか
に抵抗を覚える。何かしら、不潔なもの、不浄なもの、さらには、何かしら秘められしものという
ような考え方をする。しかしよくよく考えてみれば、性欲は、食欲と並んで、何ら恥ずべきことで
も、隠すべきことでもない。……とわかっていても、なかなかありのままを書くことができない。
が、あえて挑戦。

 少し前、インターネットであちこちをのぞいていたら、とんでもないスケベサイトに出会ってしま
った。とんでもないというのは、まったく無修正の画像が、そのまま掲載されているサイトであ
る。驚いたというより、年甲斐もなく、連日、連夜、それを見て、私は興奮してしまった。

 が、それも一巡すると、つまりある一定の期間、そういう興奮状態がつづいたあと、今度は、
そういう行為が、何でもない行為に思われるようになった。女性のことはいまだによくわからな
いが、男性というのは、女性の裸体を見て、発情する。そしてひと通り射精が終わると、今度
は、一転、女性への関心を急速に消失する。それには複雑なメカニズムが働くらしいが、とに
かく現象としては、そういうことだ。

 言い忘れたが、私だって、ワイフとセックスをする。オナニーもする。そういう意味では、私
は、ごくふつうの男だし、そのことを恥じる気持ちは、まったくない。ただバーやキャバレーなど
というところは、商社マンであった一時期、通ったことはあるが、浜松に移り住むようになって
からは、一度もない。(クラブのようなところへは、数回、行ったことがある。よく覚えていないが
……。)

 ただ私はサービス精神が旺盛で、若いころからセックスするときも、自分が楽しむというより
は、いつも相手の女性を楽しませることだけを考えていた。私が楽しむのは、いわば「おまけ」
のようなもの。……自分では、そう考えていた。だからよく私は、相手の女性にこう言われた。
「あなたとセックスしていると、スポーツをしているみたい」と。

 あああ。ここまで書いてよいものか? きっとワイフは、このエッセーを読んで、怒るにちがい
ない。ワイフは、どこか古風で、こういう話を好まない。だからこの話は、ここまで。もう少し、ア
カデミックな話にする。

 男というのは、(こう決めてかかってはいけないが)、いつもどこかで、不倫を夢想するもの。
すてきな女性を見たりすると、その女性とのセックスを想像する。とくに私は、想像力が旺盛だ
から、それが簡単に想像できる。かなりビジュアルに、かつ具体的に想像できる。言いかえる
と、私には、ホモセクシュアル的な部分は、まったくない。この長い人生の中で、数度、そういう
男性に迫られたことはあるが、そのつど、ゾーッとした嫌悪感に襲われたのを覚えている。

 また幼児教育をしていると言うと、ロリコン的な要素を疑われることもある。しかしこの場を借
りて、正直に書くが、私には、まったく、それはない。幼稚園で講師をしているときから、女児に
ついては、頭と手以外は、触れたことはない。親のいないところで、抱いたこともない。頭という
のは、頭をほめてなでるとき。手は、握手するとき。「抱く」というのは、子どもの情緒の安定度
を確かめるときである。心を開くことができる子どもは、抱きあげてみると、力を抜く。そうでな
い子どもは、そうでない。たとえば自閉症児やかん黙児などは、抱いても、体をこわばらせたま
まにする。

 そういう意味では、私はほぼ正常な男である。「ほぼ」というのは、だれにでも性癖があるよう
に、私にもある。それについては、また別の機会に書くことにして、こうした性欲があるからこ
そ、人間が織りなすドラマは、豊かで、おもしろいものになる。もしそれがなかったら、私を包む
この世界は、何とつまらないものになることか。あのフロイトでさえ、すべての心的エネルギー
(リピドー)の根底に、性欲を置いている!

 子どもたちについても、子どもどうしが異性を意識し始めるのは、はやい子どもで、小学二年
生くらいから。だいたい小学五、六年生を境に、その意識は、急速に強くなる。今では、小学六
年生くらいで、「フェラ」「クリニングス」程度の言葉の意味を覚える。また女子についていうな
ら、中学生から高校生にかけて、たいはんの子どもが、セックスを経験する。そういう時代であ
る。セックスにある種の「うしろめたさ」を感ずるのは、私たちの世代だけかもしれない。
(030601)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

台風一過

 六月一日。台風一過。気持ちがよいほど、空が晴れ渡った。強い日ざし。照りかえす木々の
緑。その緑がまぶしいばかり。

 山荘の入り口のところには、二本のビワの木がある。一本は、自宅にあったものを植えかえ
たもの。もう一本は、自然発生。植えかえたほうは、丸みをもった実をつける。自然発生のほう
は、やや小ぶりだが、もう一本のと比べると、やや細長い。味は、どういうわけか、自然発生の
ほうが、よい。そのビワが、来週には食べられそうな気配になってきた。今日、一、二個食べて
みたが、ビタミンCの味が、ジワッと口の中に広がった。

 昼寝をしていると、ワイフが、梅の実を袋いっぱいとってきた。「帽子はかぶったのか?」と聞
くと、「かぶったわよ」と。こういう日に、帽子なしで外に出るのは、自殺行為に等しい。そう言え
ば、先週、町の中の中学校を通りすぎたとき、中学生たちが運動場で、何かの練習をしてい
た。「紫外線のことなど、何も気にしていないのかね?」と聞くと、ワイフは、「何もしてないみた
いね」と。短いソデのシャツに、頭にのせる程度の帽子しか、かぶっていなかった。

 となりのK市のある幼稚園では、長いツバの帽子をかぶるようになったそうだ。そういう幼稚
園も一部にはあるが、小中学校では、まさに野放し? 日本もそろそろ紫外線情報を出し、そ
れに応じた対策を考えるべきときにきているのではないか。紫外線というのは、まさに放射線
の一種。軽く考えてはいけない。

 目をさましてから、窓をいっぱい開けて、ベートベンの第五交響曲を聞いた。第一楽章もすば
らしいが、第二楽章もすばらしい。聞きながら、またまたうとうとしてしまった。遠くでは、いつも
のようにウグイスが鳴いていた。ワイフは、ホトトギスの声も聞こえると言ったが、私には聞こえ
なかった。私の耳は、半分、機能を失っている。とくに低い音が苦手。

 帰るとき、またビワの実をいくつか食べてみた。今度は、高いところにある、より色づいた実
を口に含んでみた。「来週は、食べられるね」と言うと、「そうね」とワイフは言った。その二本の
木のおかげで、ここ数年、毎年、食べきれないほどのビワの実をとることができる。一口かじっ
て、ポイなどというもったいなこともしている。いろいろな木の実があるが、ビワの実は、上品で
おいしい。そうそう、カラスもねらっているから、毎年、カラスと競争しながら食べている。

 真っ白な日ざし。さわやかな風。夏は、すぐそこまで来ている! 「来週は、草刈り機で草を刈
らなければ」と言いながら、私たちは山荘をあとにした。
(030601)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

マガジン読者の方へ

 ときどき、私のマガジンをどんな人たちが読んでいるのかと想像することがある。数名、顔の
知っている人もいるが、それ以外の人は知らない。よくメールをくれる人もいるが、M県のPさ
ん以外は、顔を知らない。まさか「写真がほしい」とも言えない。だから、そのたびに、ほかでは
感じないおかしな気持ちになる。

 それはちょうど、間につい立のようなものを置いて、会話をするようなものではないか。言葉
だけが聞こえて、顔が見えない。どこかはがゆいが、しかしそれはどうしようもない。近くの人な
のか、遠くの人なのかもわからない。男性か女性かもわからない。わからないまま、私がただ
一方的に書き、マガジンを送っている。

 このマガジンは、役にたっていますか?
 満足していただいていますか?
 あるいは、あなたは私にどんなことを聞きたいですか?
 
 一方で、私は私と思う。今まで、「こんなことは書かないほうがいいのでは」と迷ったことも、し
ばしばある。しかしそのつど、「ええい、ままよ!」とばかり、送信している。中には、私のエッセ
ーを読んで怒っている人もいるかもしれない。事実、きわどいことを書いたりすると、読者がそ
のつど減ったりする。

 あなたはどんな人ですか?
 どこに住んで、どんな生活をしていますか?
 さみしくありませんか?
 それとも、今、幸福ですか?
 
 そう書く肝心の私の心は、ボロボロ。情緒も不安定だし、精神も弱い。毎日、どこかしら満た
されない心を、何とかごまかしながら生きている。その上、孤独で、さみしがり屋。私が求める
幸福にせよ、真理にせよ、ほんのすぐそこまできているような気がする。が、どうにもこうにも、
手が届かない。そんな私が、偉そうな顔をして、偉そうなことを書いている? あああ、どうした
らいいのだ!

 この原稿の配信予定日は、六月九日、月曜日。毎週月曜日、午後一〇時〜一一時は、チャ
ットルームのほうにいます。何か、テーマがあれば、お寄せください。お待ちしています。では、
おやすみなさい。
(03年6月1日、午後11時50分)

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞









件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■6-11-1

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M ″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /       ありがとうございます!
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄    
 ===○=======○====KW(8)
★★★★★★★★★★★★★★
03−6−11号(240)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

長野県のHさんより

 友人の子ども(小一女児)が、不登校児になりました。
 幼稚園のときも、一度、不登園を起こしています。
 林先生のホームページを読んで、友人に、そのままアドバイスしています。
 しかし学校の先生は、「とにかく学校へ連れてくるように」と言っているようです。
 友人に何か、よいアドバイスをしていただけませんか?
 (長野県 Hより)

【Hさんへ】

 こういうケースでは、私はまったく無力です。ご本人から直接、相談があれば、それなりにアド
バイスできますが、間接的なばあい、私としては、何ともしようがありません。とても残念です
が、私の立場では、「そっとしておいてあげましょう」という程度しか、言いようがありません。本
当に残念ですが……。

 相手の方(あなたの友人)の心の状態は、今、最悪かと思われます。落胆、焦燥、悔恨、不
安、心配、激怒……。そういったものが、混然と、相手の方を包んでいます。そういう方のとこ
ろへ、相手の方が望んでもいないのに、私の方からあれこれ言うことは許されないことです。で
すから、もし私の力が役にたつようなら、その方に、直接、私に相談してくれるよう話してみてく
れませんか。あなたのお名前は、よく覚えておきますので、あなたの紹介ということであれば、
喜んで力になります。

 私たちは、いつも限界状況の中で生きています。できることと、できないこと。しなければなら
ないことと、してはならないこと。そういうものを、どこかで分けながら生きています。いえ、決し
て見て見ぬフリをしろということではありません。こういうケースでは、自分の無力感をひししと
感じながらも、それに耐えるしかないということです。私たちがせいぜいできることといえば、相
手の方が助けを求めてきたとき、相手の立場で、相手の心になって、その問題を、いっしょに
考えてあげる程度のことでしかありません。

 仮にどんなに相手の心が理解できたとしても、私たちは、相手の立場をとってかわることもで
きませんし、今すぐ、その子どもの不登校をなおせるわけでもありません。だからここは静か
に、相手の方を、見守るしかないのではないでしょうか。少なくとも、私はずっとそうしてきまし
た。とくにこの不登校の問題は、その親や、その親を包む環境の問題が、集約されています。
学校神話。受験神話。学歴信仰などなど。日本の風土的歴史も、それにからんでいます。だか
らその親自身が、からんだクモの巣をほぐすように、一つずつ、問題を克服していくしかないの
です。

 私は、無力です。ずっと無力でしたし、これからも無力です。どうしようもないほど、無力です。
ですから私は、いつも、その無力感に、じっと耐えています。長い間、ずっとそうしてきましたか
ら、今では、それが当たり前になってしまいました。しかし、ね。Hさん。希望も、絶望も、人間が
つくりあげた幻想ですよ。希望を希望と思うから、希望は希望になり、絶望を絶望と思うから、
絶望は絶望になるだけです。みんな、その幻想の中で、その幻想にとりつかれて、右往左往し
ているだけ。あなたの友人も、です。

 Hさんへ。ここは、相手の方を、そっとしておいてあげましょう。また、今は、それが最善かと
思います。いかがでしょうか。こんな返事で、すみません。そうそう、私が自分の無力感を、人
生の中で一番強く感じたのは、一磨君という、小学生が、脳腫瘍で死んだときのことです。その
とき書いた、エッセー(中日新聞発表済み)を、転載しておきます。よろしかったら、お読みくだ
さい。

++++++++++++++++++++

脳腫瘍で死んだ一磨君

 一磨(かずま)君という一人の少年が、一九九八年の夏、脳腫瘍で死んだ。三年近い闘病生
活のあとに、である。その彼をある日見舞うと、彼はこう言った。「先生は、魔法が使えるか」
と。そこで私がいくつかの手品を即興でしてみせると、「その魔法で、ぼくをここから出してほし
い」と。私は手品をしてみせたことを後悔した。

 いや、私は彼が死ぬとは思っていなかった。たいへんな病気だとは感じていたが、あの近代
的な医療設備を見たとき、「死ぬはずはない」と思った。だから子どもたちに千羽鶴を折らせた
ときも、山のような手紙を書かせたときも、どこか祭り気分のようなところがあった。皆でワイワ
イやれば、それで彼も気がまぎれるのではないか、と。しかしそれが一年たち、手術、再発を
繰り返すようになり、さらに二年たつうちに、徐々に絶望感をもつようになった。彼の苦痛でゆ
がんだ顔を見るたびに、当初の自分の気持ちを恥じた。実際には申しわけなくて、彼の顔を見
ることができなかった。私が彼の病気を悪くしてしまったかのように感じた。

 葬式のとき、一磨君の父は、こう言った。「私が一磨に、今度生まれ変わるときは、何になり
たいかと聞くと、一磨は、『生まれ変わっても、パパの子で生まれたい。好きなサッカーもできる
し、友だちもたくさんできる。もしパパの子どもでなかったら、それができなくなる』と言いました」
と。そんな不幸な病気になりながらも、一磨君は、「楽しかった」と言うのだ。その話を聞いて、
私だけではなく、皆が目頭を押さえた。

 ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の冒頭は、こんな詩で始まる。「誰の死なれど、人の
死に我が胸、痛む。我もまた人の子にありせば、それ故に問うことなかれ」と。私は一磨君の
遺体を見送りながら、「次の瞬間には、私もそちらへ行くから」と、心の奥で念じた。この年齢に
なると、新しい友や親類を迎える数よりも、死別する友や親類の数のほうが多くなる。人生の
折り返し点はもう過ぎている。今まで以上に、これからの人生があっと言う間に終わったとして
も、私は驚かない。だからその詩は、こう続ける。「誰がために(あの弔いの)鐘は鳴るなりや。
汝がために鳴るなり」と。

 私は今、生きていて、この文を書いている。そして皆さんは今、生きていて、この文を読んで
いる。つまりこの文を通して、私とあなたがつながり、そして一磨君のことを知り、一磨君の両
親と心がつながる。もちろん私がこの文を書いたのは、過去のことだ。しかもあなたがこの文
を読むとき、ひょっとしたら、私はもうこの世にいないかもしれない。しかし心がつながったと
き、私はあなたの心の中で生きることができるし、一磨君も、皆さんの心の中で生きることがで
きる。それが重要なのだ。

 一磨君は、今のこの世にはいない。無念だっただろうと思う。激しい恋も、結婚も、そして仕
事もできなかった。自分の足跡すら、満足に残すことができなかった。瞬間と言いながら、その
瞬間はあまりにも短かかった。そういう一磨君の心を思いやりながら、今ここで、私たちは生き
ていることを確かめたい。それが一磨君への何よりの供養になる。
(030603)※


       ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          
 \※/
  ‖
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。(635まで)
+++++++++++++++++++

スキンシップと甘えるという行為

 スキンシップには、人知を超えた不思議な力がある。魔法の力といってもよい。もう二〇年ほ
ど前のことだが、こんな講演を聞いたことがある。アメリカのある自閉症児専門施設の先生の
講演だが、そのときその講師の先生は、こう言っていた。「うちの施設では、とにかく『抱く』とい
う方法で、すばらしい治療成績をあげています」と。その施設の名前も先生の名前も忘れた。
が、その後、私はいろいろな場面で、「なるほど」と思ったことが、たびたびある。言いかえる
と、スキンシップを受けつけない子どもは、どこかに「心の問題」があるとみてよい。

 たとえばかん黙児や自閉症児など、情緒障害児と呼ばれる子どもは、相手に心を許さない。
許さない分だけ、抱かれない。無理に抱いても、体をこわばらせてしまう。抱く側は、何かしら
丸太を抱いているような気分になる。これに対して心を許している子どもは、抱く側にしっくりと
身を寄せる。さらに肉体が融和してくると、呼吸のリズムまで同じになる。心臓の脈動まで同じ
になることがある。で、この話をある席で話したら、そのあと一人の男性がこう言った。「子ども
も女房も同じですな」と。つまり心が通いあっているときは、女房も抱きごこちがよいが、そうで
ないときは悪い、と。不謹慎な話だが、しかし妙に言い当てている。

 このスキンシップと同じレベルで考えてよいのが、「甘える」という行為である。一般論として、
濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受けた子どもほど、甘え方が自然である。「自
然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい柔和な表情で、人に甘える。甘えることがで
きる。心を開いているから、やさしくしてあげると、そのやさしさがそのまま子どもの心の中に染
み込んでいくのがわかる。

 これに対して幼いときから親の手を離れ、施設で育てられたような子ども(施設児)や、育児
拒否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、他人に心を許さない。許さない分だけ、人
に甘えない。一見、自立心が旺盛に見えるが、心は冷たい。他人が悲しんだり、苦しんでいる
のを見ても、反応が鈍い。感受性そのものが乏しくなる。ものの考え方が、全体にひねくれる。
私「今日はいい天気だね」、子「いい天気ではない」、私「どうして?」、子「あそこに雲がある」、
私「雲があっても、いい天気だよ」、子「雲があるから、いい天気ではない」と。

 抱こうとしても抱かれない子どもが、四分の一もいるという事実もある(二〇〇〇年・『臨床育
児・保育研究会』(代表・汐見稔幸氏))。それが自然にできる子どもにすれば何でもないことか
もしれないが、親に甘え、親の肌をそれとなく求めてくる子どもというのは、それだけでも、心が
まっすぐに育っているということになる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

スキンシップは量より質

 スキンシップについて、どの程度が適量なのかという具体的な調査はない。ないが、全体とし
てみると、日本人は欧米の人とくらべても、極端に少ない。親子のみならず、夫婦、友人の間
でも少ない。日本人は肌を合わせるということについて、独特の文化をもっていて、それがこう
した違いを生みだしたとも言える。

 ただこういうことは言える。スキンシップは量ではなく、質の問題である、と。こんなことがあっ
た。その子ども(年長男児)の家庭は、母親の言葉を借りるなら、「擬似母子家庭」。父親は仕
事が忙しく、子どもと接する時間がほとんどなかった。が、その子どもには、母子家庭の子ども
に見られるような心のゆがみがほとんどなかった。で、ある日、私は母親にその秘訣を聞いて
みた。すると母親はこう教えてくれた。「夫は日曜日になると、子どもをいつも抱いています。ま
たたまに朝や夜、顔をあわせるときがあると、夫は子どもを腕に寄せ、力いっぱい抱いていま
す」と。

 もちろんベタベタのスキンシップがよいわけではない。ときどき一日中ペットの犬を胸に抱い
ている人を見かける。あのタイプの人は犬をかわいがっているというより、自分自身の情緒的
欠陥を「抱く」という行為で補っているに過ぎない。こういうのを代償的行為というが、子どもの
爪かみ、指しゃぶりと同じに考えてよい。もっとも相手が犬というペットなら、それほど弊害はな
いが、子どもだと、その弊害は子どもに表れる。精神や情緒の発育そのものが遅れることもあ
る。

 子どもをどの程度抱けばよいかという質問はよくある。しかしここにも書いたように、スキンシ
ップは質の問題。抱く側が、「愛していますよ」「安心していいのよ」という明確な意思をもって抱
くようにすればよい。またそういう意思を表示するためのスキンシップであれば、回数は多くて
もかまわない。

 なおこのスキンシップには、人知を超えた不思議な力がある。「人知を超えた」というのも、少
しおおげさに聞こえるかもしれないが、私はその不思議な力に驚かされることがしばしばある。
そんなことも考えながら、子どもへのスキンシップを考えるとよい。

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  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│ このマガジンが役立ちそうな人が
  ┃     ┃   ///─┘┤   いらっしゃれば、このマガジン
  ┃     ┃  刧凵^ | │  のことを話していただけませんか。
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●子どもの内面化

 子どもはその成長過程で、倫理や行動規範を身につける。またそうすることで、社会に適応
しようとする。そういう発達過程を、「内面化」という。体を「外面」というのに対して、心(mind)
を、「内面」という。

 この内面化の中で、子どもは、さまざまな反応を示す。探索、実験、試行、冒険、偶発、努力
など。そしてその結果、落胆、失望、羞恥、歓喜、満足、不快、快感などのさまざまな心理的反
応を示す。私はこうした一連の、子ども特有の反応と結果を、「削り出し」と読んでいる。

 「削り出し」というのは、「子どもは、削られながら、成長する」という意味。たとえば「盗み」にし
ても、ほとんどの子どもは、その成長過程で、一度は盗みを経験する。が、この段階で、盗み
が悪いと決めてかかってはいけない。問題は、子どもが盗みをしたあと、どうそれをおとなたち
が処理するかである。

 大切なことは、盗みが悪いことであることを、子どもの悟らせること。子ども自身が、盗みを悪
いことだと思わせるように仕向けることである。この指導をまちがえると、ここでいう内面化に失
敗する。私は以前、『子どもは削って伸ばす』という格言を考えた。つぎの原稿が、それであ
る。

+++++++++++++++++++++++
 
●子どもは削って伸ばす

 『悪事は実験』ともいう。子どもは、よいことも、悪いことも、ひと通りしながら、成長する。たと
えば盗み、万引きなど。そういうことを奨励せよというわけではないが、しかしそういうことがま
ったくできないほどまでに、子どもをおさえつけたり、頭から悪いと決めてかかってはいけない。
たとえばここでいう盗みについては、ほとんどの子どもが経験する。母親のサイフからお金を
盗んで使う、など。高校生ともなると、親の貯金通帳からお金を勝手に引き出して使う子どもも
いる。

 問題は、そういう悪事をするということではなく、そういう悪事をしたあと、どのようにして、子ど
もから、それを削るかということ。要は叱り方ということになるが、コツは、子ども自身が自分で
考えて判断するようにしむけること。頭から叱ったり、威圧したり、さらには暴力を加えたり、お
どしたりしてはいけない。一時的な効果はあるかもしれないが、さらに大きな悪事をするように
なる。

 子どもにはまず、何でもさせてみる。そしてよい面を伸ばし、悪い面を削りながら、子どもの
「形」を整える。『子どもは削って伸ばす』というのは、そういう意味である。

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 この内面化は、子どもの心の発育には、必要不可欠なものだが、それをコントロールするの
が、倫理や道徳である。しかしそれだけでは足りない。倫理や道徳にせよ、それらは、基本的
信頼関係という、「信頼的基盤」の上になければならない。信仰の世界でいえば、「宗教的基
盤」ということになる。

 ただ私のばあい、宗教や信仰を否定はしていないが、自分の生きザマの中では、宗教的人
生観はあくまでも「参考」でしかない。従って、「信頼的基盤」こそが、倫理や道徳の基盤である
と考える。

 この基盤は、いわば大地のようなもの。その上に、倫理や道徳が載る。そしてそれを道しる
べに、子どもは、そしておとなも、自分の進むべき方向性を見いだす。とくに子どものばあい、
この信頼的基盤がないと、内面化そのものに失敗する。社会に不適応を起こしたり、社会その
ものを拒絶したりするようになる。

 症状としては、暴力的、攻撃的になるタイプと、服従的、従属的になるタイプ。さらに依存的に
なるタイプと、引きこもったりするタイプに分類できる。しかし今、子どもたちの世界で、その内
面化に失敗する子どもが、多い。あまりにも多い。

 その理由の第一は、言うまでもなく、母子関係の不全性である。生後まもなくから、乳児期に
かけて、母親との関係で、信頼関係を結べない、もしくは、結び方を知らないまま、つぎの幼児
期、さらには少年少女期を迎えてしまう。

 このタイプの子どもは、信頼的基盤をもっていないから、あるいはそれが軟弱であるため、そ
の上で、倫理や道徳をうち立てることができない。できないから、内面化しようにも、方向性が
定まらないということになる。

●信頼的基盤

 母親と子どもの関係は、父親と子どもの関係とは、異質のものである。母親にしてみれば、
子どもは、自分の体の一部ということになる。父親にもそれに似た意識が芽生えることはある
が、あくまでも「似たもの」でしかない。

 このことは、子どもの立場で考えてみればわかる。基本的には、父親はいなくても、子どもは
生きていかれる。しかし母親は、乳をもらうという意味で、絶対的な存在である。あのジークム
ント・フロイトも、血統空想と言葉を使って、このことを説明している。つまり父親との関係(血
統)を疑う子どもはいるが、母親との関係を疑う子どもはいない。

 こうした発想は、たとえばカトリック教会などにも、表れている。カトリック教会などでは、イエ
ス・キリストに対して、母、マリアは絶対的な存在だが、そのマリアに比較して、父、ヨセフの影
は、薄い。ヨセフは、あくまでも付随的な立場でしかない。

 なぜ母親と子どもの関係が特別なものになるかは、子どもが誕生したときから、子どもが、大
便や小便と同じような立場で誕生することにある。つまりこの段階から、母親は、子どものすべ
てを受け入れ、許す。

 この「許し、受け入れる」という関係が、実は、信頼関係の基本になる。子どもの側からみれ
ば、絶対的な安心感の中で、すべてをさらけ出すことができる。この相互の関係が、ここでいう
信頼的基盤となる。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

 おそらくこの原稿を読んでいるのは、若い母親たちか、その近くにいる父親たちである。そこ
であなた自身は、あなたの夫(妻)に対して、すべてをありのままに、安心してさらけ出すことが
できるか。さらにあなたの夫(妻)は、そういうあなたを、全幅に受け入れているかどうかを自問
してみてほしい。

 たとえばいっしょに風呂に入るとき、おしりからポロリと、ウンチのかたまりが落ちることもあ
るだろう。あるいはいっしょに寝ているとき、どちらかが、強烈な臭いのするガスを発射すること
もあるだろう。そういうとき、あなたの夫(妻)は、それを許し、受け入れるかどうか。

 そういうさらけ出しと、それにつづく受け入れが、信頼関係を結ぶ基本となるということにな
る。もしあなたがた夫婦のうち、どちらか一方が、それができないというのであれば、ここでいう
信頼的基盤がないということになる。

 もっとも夫婦のばあいは、最終的には、離婚という方法で、他人にもどることができる。しかし
親子、なかんずく、母親と子どものばあいは、それができない。できないだけに、このプロセス
を誤ると、深刻な症状が、子どもに現れる。またそれだけに、重要な問題ということになる。

 なお、一言付記。

 このことをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。「しかしね、あなた、新生児や乳幼児に、記
憶はあるの?」と。

 これはとんでもない誤解である。最近の研究によれば、新生児や乳幼児にも、しっかりとした
記憶がある。その記憶の深さと量は、それ以後の子どもやおとなの量とは比較にならないほ
ど、濃密であると考えられる。ただ、こうした記憶は格納されるだけで、取り出しができないとい
うだけ。だから現象としては、記憶が残らないように見えるだけということになる。

 「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えられて
いた。だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられている」(ワシント
ン大学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。

 新生児や乳幼児の記憶を、決して、安易に考えてはいけない。絶対に!
(030603)

【追記】母親との間で、基本的信頼関係を結ぶことに失敗した子どもは、不幸である。その後
遺症は、さまざまな形で、死ぬまでつづく。ひょっとしたら、今のあなたがそうであるかもしれな
い。しかし問題は、それに失敗したということではなく、失敗したということにすら気づかないま
ま、それに引き回されることである。

 人間には、「私であって私である」部分と、「私であって私でない」部分がある。私であって私で
ある部分は、問題はない。しかし私であって私でない部分は、そうではない。それ自体も問題
だが、ほとんどの人は、私であって私でない部分まで、私だと思いこんでしまう。それが問題で
ある。

 そのことは、子どもを見ているとわかる。

 原因や理由はともかくも、すなおでない子どもというのは、いる。ひねくれた子ども、いじけた
子ども、つっぱった子ども、ひがみやすい子どもなど。そういう子どもは、私は私と思って、そう
しているが、その実、ここでいう「私であって私でない」部分に振り回されているにすぎない。

 子どもだけではない。あなたという「おとな」も、実は、ここでいう「私であって私でない」部分に
操られている。それにまず、気づく。それはある意味で不快なことであり、恐ろしいことかもしれ
ない。しかし勇気を出して、自分をのぞいてみる。

 心のキズ(心的外傷)にせよ、こうした過去と結びついている問題は、簡単には消えない。消
えないが、それが何であるかを知るだけでも、そうした「私であって私でない」部分と、戦うこと
ができる。かく言う私も、おぼろげなら「私」がわかるようになったのは、四〇歳も過ぎてからで
ある。私を知るというのは、そういう意味でも、むずかしい。
(030603)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

誠実な人、不誠実な人

 誠実な人は、意識的であるにせよ、無意識的であるにせよ、他人を信じ、自分を信ずる。「信
じあうという基盤」が自然な形でできている。誠実な人は、そういう互いの信頼感にこたえよう
と、ますます誠実になる。「無意識的」というのは、ほとんど意識することなく、という意味。

 一方、不誠実な人は、自分を信じられないから、他人も信じない。無理に善人を演ずることは
あっても、それは人の目があるときだけ。そうでないときは、そうでない。しかしいつもそういう
緊張感を保つことができるというわけではない。ときには、ボロが出る。そしてそれが不誠実な
人間となって、外に現れる。

 つまりその人が誠実かどうかは、もっと心の奥でその人を支える、人間と人間の信頼関係に
よって決まる。それについて、考えてみる。

●不誠実な男

 近くのJ店で、クーラーを二台つけてもらった。買ったのはJ店だが、取りつけにきたのは、そ
のJ店で下請けをしているHという男だった。

 最初、あいさつだけして、私は部屋にもどった。もどって、原稿を書いた。しばらくすると、眠
気が襲ってきたので、そのまま、うとうとと眠った。どれほど眠っただろうか。支払いのことが気
になったので、工事の進みぐあいを見にいった。クーラーは、一台目の設置がすみ、二台目
も、室外機をとりつけるところだった。

 よくしゃべる男だった。パチンコが趣味で、野球と酒が大好きと言った。が、よく見ると、配管
を包むカバーが、やや左に倒れて傾いている。「あのう、傾いていますが……」と声をかける
と、「ははは、傾いているかね。私はいいと思うけど……」と。そして乱暴に、手でドンドンとたた
きながら、「これでどうですかい?」と。

 私は不満だったが、そのときは、「まあ、いいや」という思いで、終わった。で、工事は終わり、
支払いをすませた。本当なら、その前に点検をすべきだった。が、そのときも、「まあ、いいや」
という思いで、終わった。が……。

 室外機と土台を固定しているビスが、どこか浮きあがっていた。ドライバーをもってきて、自分
でしめなおすと、ネジがきかない。電気ドライバーか何かで、力任せにしめたため、ネジ山をつ
ぶしてしまったらしい。

 つぎに部屋に入ってみると、コードが見苦しく、約四、五〇センチほど壁にたれさがっていた。
そこでそれを中へ納めようと、クーラーの配管あたりをみる。穴はパテで埋めるはずなのだ
が、パテらしきものは見えない。そこでややクーラーをもちあげてみると、金具をビスでとめると
ころが、それぞれ一箇所しかビスでとめてない!

 一事が万事というか、かなりの手抜き工事である。私はその夕方、数時間をかけて、自分で
しなおした。が、配管の傾きは、私ではどうにもならない。J店へまた頼んで、つけなおしてもら
う。

●どうしてそういう人間が生まれるのか?

 ……と、クーラーの話を書くのが、このエッセーの目的ではない。私は、Hという男の、あの小
ずるそうな目を忘れない。どこかコセコセとしていた。多分、そういう男から見ると、私のような
人間は、まぬけな人間に見えるのだろう。

 世の中には、不誠実な人間が、いる。ずるいことをしたり、他人をだましても、みじんも恥じな
い人間である。ずいぶんと昔だが、T商事という会社があった。架空の金取り引きをたくみに利
用して、莫大な利益をあげた会社である。その社長は、最後は、暴力団の男に刺されて死ん
だが、あの事件のとき、どうしてああいう男が生まれるのか、そちらのほうに興味をもった。

 もちろんT商事の社長とくらべると、電気工事での手抜きなど、何でもない。私とてそういう現
実をよく知っているから、そういうものだと割り切って考えることにしている。そしてそのあと、た
とえばこうした工事のあとは、たいてい自分で工事しなおすことにしている。私のばあい、それ
があまり苦痛ではない。むしろ楽しい。

 で、子どもの世界にも、誠実な子どもと、そうでない子どもがいる。しかし総じてみれば、学校
という世界では、どこか小ずるく、小回りのきく子どものほうが、すごしやすい。一方、まじめな
子どもほど、つまりものごとをまじめに考える子どもほど、すごしにくい。それはそれとして、し
かしその分かれ道は、どこにあるのか? 人は、どの時点で、どのようにして、誠実な人間と、
そうでない人間に分かれるのか?

●誠実な子ども

 しつけというのは、自立規範のことをいう。人は、成長する過程で、してよいことと、してはい
けないことを学んでいく。してよいことは、ここちよい響きがし、同時に、みなに称(たた)えられ
ることを学ぶ。一方、してはいけないことは、いやな響きがし、みなに非難されることを学ぶ。そ
してやがて自分で自分を律するようになる。こうして人は、社会的な人間としての基礎をつくる。
その過程のことを、心理学では、「内面化」と呼ぶ。

 この内面化する段階で、親も含めて、他者と信頼関係を結ぶことができない子どもは、不信
を基本とした人間関係を結ぶようになる。猜疑(さいぎ)心が強くなり、人の心を裏から見るよう
になる。たとえばだれかが親切にしてくれても、その親切をそのまま受けいれることができな
い。それを疑ったり、下心をさぐったりする。

 あるいは他人の心にとり入るのがうまくなる。へつらう。よい人(子ども)ぶる。そういうごまか
しを繰りかえすうち、人をだますことを覚え、まただますことに免疫性をもつようになる。つまり
平気になる。

 だからこのタイプの人(子ども)に、ウソをついてはダメとか、正直に言いなさいと言ってもあま
り意味がない。不信が基本になっているから、そういった言葉すら、その意図を疑ったりする。
あるいはその場だけを、うまくくぐり抜けようとする。私は、このことを、ある男(四五歳)を通し
て、知った。

●土下座して、謝った……

 ある日、その男は、突然、私の事務所にやってきた。そしてこう言った。「先生、うちの息子
が、二三歳になりました」と。話を聞くと、彼の息子が、私の教え子だという。しかし私には記憶
がない。ないが、礼儀上、「そうですか。それはそれは……」と、私は言った。で、そのあと、そ
の男は、私にこう言った。

 「今、教材のセールスをしています。ついては、先生の教え子たちの名簿を貸してほしい」と。
私は名簿を貸すことは断ったが、かわりにその男がもってきた、パンフレットを配ってやると約
束した。

 男は、かなりの数の注文を受けた。が、そのあとのこと。その男は、注文した父母の家を一
軒、一軒回りながら、こう言った

 「私と林先生は、三〇年来の親友です。ついては、今後、あなたのお子さんの家庭学習は、
私が指導することになりました」と。平均して一時間。長い家で、数時間もその家でねばった。
そしてあろうことか、高額な百科辞典などを売りつけた。

 苦情がいくつか届いた。「娘の机の中まで調べられた」「三〇万円の教材を売りつけられた」
「三時間も、帰ってくれなかった」など。私はその男を、私の家に呼びつけた。とたん、その男
は、ワーッと泣き崩れ、そのまま床の上に、土下座した。「許してください!」と。

 が、それはまったくの演技だった。そのあと、いろいろあったが、それからもつぎつぎとウソを
言った。それがあきれるようなウソばかりだった。謝りながら、あれこれ理由を言ったが、その
理由そのものも、ウソだった。そのときも私は、そのウソよりも、どうしてそういう人間が生まれ
るのか、そちらのほうに興味をもった。

●誠実な子どもにするために……

 つきつめれば、誠実な人間になるかどうかは、乳幼児期に、とくに母親との関係で、子どもが
いかにして信頼関係を結ぶかで、決まる。この時期に、母子の間で信頼関係を結ぶことができ
なかったり、もしくは、その結び方を知らないまま育った子どもは、そののち、園や学校の先
生、さらには、友人との関係でも、信頼関係を結べなくなる。あるいは、失敗しやすくなる。

 このタイプの人がやっかいなのは、「自分がそうだから」という理由で、他人をもそういう目で
みるということ。ここまで書いて、こんな話を思い出した。

 一人の男がいた。その男は、結婚してからも、浮気ばかりしていた。ときには、同時に三人の
愛人もいた。しかしその男は、そういう自分でもあるにもかかわらず、自分の妻については、一
歩も外へ出さなかった。妻の帰宅が、少しでも予定より遅くなったりすると、その男は、妻を責
めた。で、やがて自分の娘が、高校を卒業し、勤めるようになった。そのときのこと。その男
は、その娘のありとあらゆることを、疑うようになった。電話がかかってきても、手紙が届いて
も、その男は、娘に執拗(しつよう)に、相手がどんな男かを、問いただした。言い忘れたが、妻
を一歩も外へ出さなかったのは、妻が浮気をするのを心配していたからである。

 こういう例は、多い。たとえば『泥棒の家は、戸締まりが厳重』という。自分が泥棒だから、人
を信じられないというわけである。

 一般論として、基本的不信関係にある人は、自分が信頼関係を結べないだけではなく、いつ
も他人を疑うから、他人からも信頼されない。「だまされる前にだませ」「取られる前に取れ」と
いうようなものの考え方をする。そしてこういう関係が、相互に作用して、結果として、その人を
不誠実な人間にする。

 もうおわかりかと思うが、子どもを誠実な子どもにしたかったら、親子、とくに母子の信頼関係
を大切にする。何でもさらけ出せる関係。たがいに心を開き、何でも許しあえる関係。疑いをい
だくことがない、絶対的な安心感。そういう関係から、ここでいう基本的信頼関係が生まれる。
またそういう関係がないと、基本的信頼関係は、生まれない。

 さて、あなたはだいじょうぶか?

 あなたは、子どもを全幅に信頼しているだろうか。子どもは、あなたを全幅に信頼しているだ
ろうか。親子の関係でわかりにくかったら、夫婦の関係で考えてみるとよい。あなたは夫(妻)
を、全幅に信頼しているだろうか。あなたは、夫(妻)に、全幅に信頼されているだろうか。つま
りあなたは基本的信頼関係型の人間だろうか。もしそうでないというのなら、現在のあなたと夫
(妻)との関係を疑う前に、あなた自身の乳幼児期はどうだったかをさぐってみるとよい。あなた
という人間は、そのころ、できた。

 誠実な人間であるかどうかは、要は、「私は信頼されている」という安心感によって決まる。そ
の安心感に、日常的にひたっている人は、ほうっておいても、誠実な人間になる。が、人を信じ
られない人は、回りまわって、自分をも信じられなくなる。それから生まれる不安感が、その人
を、これまた回りまわって、不誠実な人間にする。

●工事のやりなおし

 工事のやりなおしを頼んだわけではない。私がJストアのありのままを話すと、店員は、即座
に、「やりなおしをさせます」と言った。私は、「何もそこまで……」と言ったが、誠実でない人も
いるが、それ以上に、誠実な人も、まだ多い。帰り際、ワイフとこんな会話をした。

「Jストアの人も、かなり気にしたみたいだ」と私。
「そうね。ああいう工事をすると、Jストアの信用にキズがつくわ」とワイフ。
「こういう時代だから、あの人も、クビにならなければいいね」
「それはないと思うけど……」と。

 こうしたトラブルは、私にとっても不愉快なものだが、しかし同時に、まだこの日本には、こうし
た不愉快さを修復する復元力がある。「まだまだ日本も、捨てたものではない。ぼくたちは善良
な人たちだけとつきあっていこう」と私が言うと、ワイフも、うれしそうに、それにうなずいた。
(030602)

●誠実は人間の保ちうる、もっとも高尚なものである。(チョウサー「カンタベリー物語」)
●お金によってもたらされた忠実さは、お金によって裏切られる。(セネカ「アガメムノン」)
●至誠にして、動かざるもの、いまだにあらざるなり。(吉田松陰「語録」)

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***ミ☆川川川☆彡***
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*  \\_▽_//  *
    \\∧//
     Y☆Y
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     ̄Π ̄Π ̄ 
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

散歩

 まだ台風の余波が残る、土曜日の午後。私は犬のハナを連れて、中田島砂丘まで散歩に行
った。ハナは、ポインター種。猟犬。走るために生まれてきたような犬だ。

 散歩といっても、いつも私は自転車に乗る。右手でハナをつないだヒモをもち、左手で自転車
のハンドルを握る。強い風と、モヤのかかったような、どこか生暖かい、湿った空気。坂をくだり
ながら、グイとヒモを引いて、ハナのスピードをおさえる。

 まず南に向う。やがて住宅街をはずれ、新幹線のガードをくぐる。JRの東海道線を渡る。つ
いで国道一号線を横切り、いくつかの路地を抜けると、とたんあたりは開ける。砂地の畑地
帯。

 ハナには、潮風のにおいがわかるはず。ときおり強烈な突風が、顔面を襲う。半ば後悔しな
がら、しかしどこかでスリリングな気持ちを楽しみながら、そのまま走りつづける。「雨が降った
ら、濡れればいい」と。

 いつもならそのまま砂丘に入るが、手前で、おおがかりな道路工事をしていた。一度、自転
車をおりて、大きな段差のある工事現場を渡る。ザワザワとゆれる松林。水気をたっぷりと含
んだ砂。足元から伝わってくる感触は、いつもと違う。

 大きな土手を登ると、目の前は、太平洋。台風の影響で、見たこともないような灰色の大波
が、砂浜に打ち寄せていた。「君子、危うきに……」などと勝手なことをつぶやきながら、私は、
はるか手前の、草地のところで立ち止まった。

 案の定、砂丘には、だれもいなかった。ふだんなら、海釣りの男たちが、ズラリと並んでい
る。散歩の家族も多い。ハナのヒモをほどくなどということは、できない。しかしその日は、違っ
た。ヒモをほどくと、ハナは一瞬、飛びはねた。それにあわせて、私は「さあ、走れ!」と叫ん
だ。

 ハナは、一目散に、視界から消えた。砂浜といっても、小山のような砂丘がうねるようにつづ
いている。それに数百メートル先は、モヤにかかっている。瞬間、「戻ってくることができるだろ
うか」という不安が、胸を横切る。それにハナは、まだ海の恐ろしさを知らない。波に巻きこま
れたら……と。

 しかしハナは、私の心配など、まったく気にするふうでもなく、海辺で休むカラスを追いかけて
いた。ハナのいるあたりで、ときどきカラスが、不規則に舞いあがった。私はそれを見ながら、
聞こえるはずはないと知りつつも、「ハナ!」「ハナ!」と呼んだ。

 犬という動物は、喜びを体で表現する。顔や言葉ではない。ときどきハナは私のところに戻っ
てきては、それを体で表現した。頭や体を、私の足にこすりつけた。が、しばらくすると、今度
は、反対の方向へ……。

人間と犬とでは、行動半径が違う。基準が違う。あっという間に、ハナは数百メートルから一キ
ロ前後を走る。正確にはわからないが、二、三キロ先までは行っているのでは……。こういう日
は、とくに遠近感がある。ゴーゴーと打ち寄せる波。霧のような波しぶき。それが強い風にのっ
て、地面をたたきつける。

 私はじっと立って、ハナが行った方向を見る。「波にのまれなければいいが」と思ったあとで、
「あいつは波よりも速く走ることができる」と思いなおす。「迷子にならなければいいが」と思った
あとで、「あいつは、そこまでバカでない」と思いなおす。

 着いたときは、まだ明るかったが、どこか暗くなったように感じた。時刻は、もう五時半を回っ
ているはず。台風は遠ざかりつつあるとはいうが、かえって鉛色の空が低くなってきた。何度目
かにハナが私のところにもどってきたとき、ハナの体にヒモを巻いた。ハナはそのまま私に静
かに従った。

 「よかったな、今日は。だれもいなかったからな」と私。そう言いながら頭をなでてやると、ハナ
は、長い舌をたらしながら、耳をさげた。満足そうな顔をしていた。私はそのまままた、土手の
ほうに向った。近くをカラスが飛んでいたが、ハナは見向きもしなかった。

 家に帰ると、ワイフが、「遅かったわね」と。「海まで行ってきた」と言うと、ややあきれ顔で、
「こんな日に?」と。見ると、庭先ではまだ強風が、松の木を大きくゆらしていた。私はいつもの
ようにヒモをかたづけると、居間の中に入った。曇ったメガネをふきながら、「手伝うか?」とワ
イフに声をかけると、「もう、いい。できたから」と。その夕の献立は、私の好物のサシミだった。
(030602)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

TD先生への手紙

拝啓

 二通も、お手紙をいただきながら、返事も書かないですみませんでした。このところ、何かと
あわただしく日々が過ぎています。それでつい、明日……と思いつつ、今日になってしまいまし
た。

 小さな教室ですが、この六月一日から、改装した教室に移りました。すべて私が、ひとりで改
装しました。ジュータン張り、内装など。五月一〇日ごろ始めて、二〇日間、かかりました。

 で、今度は、本物志向。カベには、ミロや、カトランの本物の絵を飾りました。本物といって
も、リトグラフですが、いわゆる印刷物ではありません。私のばあい、先生のように定年という
のは、ありませんが、その分、自分を燃焼させたいという要求がたいへん強いです。「もう人生
も、長くないから、今のうちに自分を燃やしつくしたい」という思いです。

 本当のところ、昔から、こと子どもと対峙するときは、損得の計算は考えたことがありません。
先生の世界から見ると、「損得」という言い方そのものが、おかしく見えるかもしれませんが、私
の世界では、切実な問題を含んでいます。

 五、六年前まで、たとえば教え子が高校受験を迎えたようなときは、だいたい七月から一二
月の最終試験が終わるまで、毎日、四、五時間、教えていました。(毎日、です!)もちろんまっ
たくの無料です。親のほうがつらがって、いくらかのお金を包んでくれたこともありますが、受け
取ったことはありません。「もらうなら、何十万円も、もらわなければ、割にあわない。どうせもら
わないなら、ただのほうが気が楽」と、です。

 こうしたボランティア精神は、一方に、生活費を稼がねばならないという思いがあるから、生
まれます。ほかに三〇代のころは、どこか問題のある子ども(幼児)だけを集めて、教えさせて
もらっていました。こちらからきてほしいと頼んだわけですから、これももちろん無料です。

 つまり「無料」と意識しなければならないところに、私の仕事の悲しさがあるわけです。どこか
で気構えないと、私のばあい、仕事どころか、生活そのものができなくなります。

 で、今の教室も、市の中心部(伝馬町)の一等地の一角にあります。正直に言って、部屋代
がたいへんです。広さは二〇坪近くあります。

 ずいぶんと前ですが、たとえば年中児クラスが、三、四人というときがありました。(今も、そう
ですが……。)で、半年ほど、三、四人のままでした。で、秋口から少しずつ、生徒がふえ、七、
八人になったところで、一人の母親が、きつい顔をして、私にこう怒ってきました。「先生、いっ
たい、何人まで生徒を、ふやすおつもりですか!」と。

 で、私はこう言いました。「仮に五、六人でも、合計しても、学生の家庭教師代より安いのです
よ。どうか、そういう言い方は、勘弁してください」と。その上での、部屋代です。

 今も、こういう時代ですから、実際、三、四人のクラスもあります。しかし損得を考えたら、とて
もできる仕事ではありません。何というか、自分が、みじめになります。たとえばたった、四、五
人の生徒を教えるために、部屋全体を空調し、合計で、三〇本近い蛍光灯をつけ、三二イン
チのテレビと、二台のパソコンを稼動させるのですから……。だからそういうことは、考えない
ようにしています。

 自分のことばかり書いてすみません。先生のお手紙を読んで、「たいへんだなあ」と思いまし
た。「教師の目ざす方向と、終着点」ですか。いえ、ここまで読んだとき、大きなため息が出まし
た。

 今、その「目ざす方向」にせよ、「終着点」が、本当にわかりにくくなってきています。もし私も
どこかの学校に勤めていて、校長に、それを言われたら、考えこんでしまうと思います。昔のよ
うに、つまり夏目漱石の「坊ちゃん」の時代のように、高い進学率をめざすというような「方向
性」であれば、それなりにわかりやすいのでしょうが、今は、そういう時代ではないし……。

 それに「終着点」ですか。私はいつも、挫折感ばかり味わってきましたから、親にせよ、子ども
にせよ、今では、ほとんど期待していません。はじめから、期待などしていないというのが、事
実です。誠心誠意、「今」を大切に、「今」の中で、子どもの指導をしていくという姿勢です。あれ
これ考えたら、またまた今の仕事など、できなくなります。今、できること、今、やるべきこと、そ
れをします。あとは、あとのことです。

 ただ先生は、校長だから、プラス管理者としての立場がある……。幸か不幸か、私には、そ
ういう立場はないので、その点は気楽です。むしろ、そういう立場を、ずっと、避けてきました。
本能的に、「気楽さ」を奪うものを、避けてきたということです。だから気楽といえば、気楽です。

ときどき、どこかの経営者が、園長をしてほしいとか、どこかの大学の教授会が、講師になって
ほしいと言ってきたこともありますが、今まで、すべて断ってきました。そういうのが、体になじま
ないのですね。(本当は、給料面での、折りあいがつかなかった?)そのかわり私は毎日、好き
勝手なことができます。……しています。言うなれば、風来坊のようなもの? ふと自分の人生
を振りかえってみたようなとき、どこかにもの足りなさを感ずることはありますが、今は、「私の
人生は、こんなものだ」と、思いなおすようにしています。

 それから学校の「結束力」にせよ、「方向性」にせよ、どこの学校へ行っても、校長たちが「今
は、なくなった」とこぼしています。決して、先生のところだけの問題でもないように思います。こ
んな言い方は失礼かもしれませんが、どうか、ご自分を追いこまないように! I町のI小学校
へ、先日も講演に行ったときも、そこの校長が、こうこぼしていました。

 「少しでも子どもどうしのトラブルが起きると、いじめだなんだと親が騒ぐ。校長や教師の監督
が足りないと、怒る。今では、子どものシリを叩くことも許されない。体罰になりますからね。現
場の教師たちが萎縮してしまっています」と。

 しかし……。またまた考えてしまいました。「終着点」ですか? 先生のばあい、「あと○年で
退職」という、時限的な切実感があるから、なおさらでしょうね。しかしそうしたい思いは、私も
同じで、このところ、「あと何年、この体力がつづくだろうか」と考えます。それまでに終着点が
見つかればよし。そうでなければ、みじめだろうなと思います。

 しかし「何を求めて、今の仕事をしているのか?」と、だれかに聞かれたら、本当に困ってしま
います。私のような人間は、ただひたすら「今」を懸命に生きるだけ。あまり後先のことは、考え
ていないのです。そのうち、脳梗塞か、心筋梗塞。あるいは交通事故で、ポックリと死ぬ。その
ときまでの、「今」なのです。またまた大きなテーマを先生に、いただいたような気分です。

 このところ、台風一過。さわやかな朝を迎えています。が、どこか、夏の暑さを予感させます。
これから暑くなりますが、先生も、どうかお体を大切に。奥様に、くれぐれもよろしくお伝えくださ
い。では、今日は、これで失礼します。

敬具
                        





件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■6-13-2

●子どもの不登校

はじめまして。静岡県清水市に住むADというものです。
うちの子は小学一年生の男の子です。今、不登校中です。
幼稚園の年中児のとき、ある日突然行きたくないと言い出し、それを無理に車に乗せ、連れて
行っていました。

まさに、子供の心の状態を悪化させていたのです。

その頃は、理由もよくわからないまま、その園を退園し、近くの幼稚園に転入させました。
慣れるまで、一か月かかりました。その一か月間は私もお弁当を持って、子供と一緒に園へ行
く日々をすごしました。

先生方には事情を説明していたので、いろいろと協力していただき、温かく見守ってくださいま
した。

お友達もでき、だんだん楽しくなって、私がいなくても元気にいけるようになりました。
その後、主人の妹に「前の幼稚園で、牛乳を飲んでいる時に、男の子が汚いことをして、オエ
〜っと吐いてしまったから、いやだったし、先生もいやだった」と話をしたそうです。
 
四月、学校に入学し、元気にはりきって行っていました。給食も牛乳も平気でした。
五月の中旬頃から、給食がいやだ! 牛乳がいやだ!と言い、学校に行きたがらなくなりまし
た。

私も、以前登園拒否をしていたようになるのでは……と不安はありました。
それが的中、最初に行きたくないと言ったときは、学校を休ませ二人でお買物に行きました。

六月になる前から、休ませています。
家での様子は、元気で明るく、食欲もあります。
お友達が学校から帰ってきたら、一緒に遊びたいとも言います。
「ねえ、ねえ、ママ……」といつもおしゃべりしています。
一日中、しゃべり続けている感じ。

私も、はやしさんの書いたものを読み、そうだったなと納得し、しばらく様子をみようと決心し
て、学校へ行くと、それを否定され(とくに校長が否定します。担任の先生は私の意見も聞こう
としてくれますが……)、「なんとか、いい方法で連れてきてください」と言われ、いろいろ悩み考
えました。

それで、私自身で答えをみつけました。
あの幼稚園のころに戻り、あの時してあげられなかったことを、してあげようと思いました。

ついさっき、また先生によばれ、また学校に行ってきましたが、「何とか学校へ連れてきてほし
い」ということしか言われず、また今、心が不安になってしまいました。
 
はやしさん、どうか私にアドバイスをお願いします。

【ADさんへ】

 私のサイトの学校恐怖症についての原稿を、まず、お読みくださればうれしく思います。症状
からすれば、イギリスのI・T・ブロードウィンが指摘した、「学校恐怖症」そのものかと思われま
す。もしそうなら、AM・ジョンソンが述べるような経緯を経て、症状は進むと思われます。(原稿
は、改めて、ここに添付しておきます。)

 この問題で、最初に注意しなければならないのは、心もたまには、風邪をひくということ。しか
しその心の風邪は、外から見えない分だけ、親や周囲の人たちは、安易に考えやすいというこ
とです。

 しかしたとえばあなたは、風邪で熱を出している子どもを、水泳に行かせますか? 答えは
「ノー」のはずです。心の風邪も、同じように考えてください。繰りかえしますが、決して、安易に
考えてはいけません。

 その第一。心の風邪は、半年単位。あるいは一年単位で、症状が推移します。ここで重要な
のは、一週間単位、あるいは数日単位では、決してないということです。ですから「今日は、少
し学校へ行った」「ああ、よかった」とか、「今日は行かなかった」「もうだめだ」とかいうように、
そのときどきの変化で、一喜一憂してはいけないということです。

 その第二。親やその周囲の人たちは、「今の症状」だけをみて、「今が最悪」と思うかもしれま
せんが、対処の仕方をまちがえると、さらに二番底、三番底へと落ちていきます。ですから、
「今の状態を、今より悪くしないことだけ」を考えて対処してください。よくある失敗例は、たとえ
ば「一時間だけでも学校へ……」と思って、子どもを学校へ連れていくようなケースです。そのと
き子どもが、仮に一時間でも授業に出たりすると、今度は親は、「できれば給食時間まで……」
と考えます。そして給食を食べたりすると、「何とか、午後まで……」と。

 こういうときは、一時間でも授業に出たら、そのことをほめます。そしてその状態を、少なくと
も、一か月単位でキープします。「無理をしない」が、大原則です。仮に三時間くらいなら授業に
出られそうだったら、二時間できりあげます。週に三日くらい出席できそうだったら、二日できり
あげます。そういう割りきりが、子どもの立ちなおりを早めます。そしてあとは、「よくがんばった
わね」とほめて、仕あげます。

 反対に無理をすれば、本来数か月ですむはずだった不登校が、一年になったり、数年になっ
たりします。

 その第三。苦しんでいるのは、子ども自身です。それを忘れてはいけません。家にいるとき
は、平気な顔をしているかのように見えますが、心は、緊張状態にあるとみます。その緊張状
態を、どうやってほぐすかを考えます。DAさんのケースでは、「牛乳」が、キーワードになってい
ます。大きなわだかまり(固執性)があることがわかります。しかしこういうとき、「何よ、そんなこ
とで!」式に、子どもを払いのけてはいけません。そういうときは、むしろ逆に、「そうよね。いや
だよね。私も、あなたの気持ちがよくわかるわ」式の理解を示してあげてください。「私も牛乳、
嫌いよ」「お母さんも、学校の給食が食べられないわ」と、です。

 その第四。子どもの不登校の問題は、一見、子どもの問題に見えますが、その実、これは親
の問題だということです。親が自分の不安や心配を、子どもにぶつけているだけです。「子ども
が学校へ行かなくなったら、どうしよう」「落ちこぼれてしまったら、どうしよう」とです。自分が不
安で心配だから、つまり自作自演の形で不登校を問題にし、それをおおげさに考えているだけ
です。子ども自身は、何とも思っていない。学校へ行きたくないし、行かない日は、それなりに
ハッピーなのです。この意識のズレが、子どもを理解するさまたげになりますから、注意してく
ださい。

 その第五。不登校は、なおそうと思ってはいけません。許して忘れて、その状態を受けいれる
のです。病気にたとえてみると、よくわかります。先に書いた話のつづきですが、子どもが風邪
で熱を出し、水泳に行けなくなったとします。そのとき「不水泳(?)をなおそう」と、あなたは考
えますか? あるいは水泳に行かないことを、まちがっているとか、おかしいと、あなたは考え
ますか? 答は「ノー」のはずです。

 問題は、水泳に行かないことではなく、あるいは学校に行かないことではなく、風邪、もしくは
心の風邪にかかっていることなのです。

 私は学校恐怖症ではありませんが、飛行機事故にあってから、数年以上、まったく飛行機に
乗れなくなってしまいました。飛行機恐怖症というのです。そののちも、何とか飛行機に乗るこ
とはできるのですが、帰りの飛行機がこわくて、先方のホテルなどでは、一睡もできなくなりまし
た。それで結果的に、飛行機が苦手になってしまいました。

 そういうときの私の気持ちに対して、「気のせいだ」「気はもちようだ」とだれかが言ったら、私
は、猛烈に反論するだろうと思います。それはそんな簡単な問題ではない。つまり自分でも、恐
怖症を何度も体験しているため、学校恐怖症(ジョンソン)になった子どもの心がよく理解でき
るのです。

 本当にこわいのです。DAさんの子どもは、学校を、本当にこわがっているのです。それは
「慣れる」とか、「慣れない」の問題ではなく、意識(自己意識)では、コントロールできない無意
識の世界の問題なのです。ですから説教したり、話しあったりして解決できる問題ではないの
です。どうかその点を理解してあげてください。

とくにこのタイプの子どもは、午前中に症状が重く、午後から夕方にかけて症状が軽くなりま
す。これを症状の日内変動といいます。そこで寝る前になると、「明日は学校へ行く」などと言っ
たりします。しかしこうした言動に、一喜一憂してはいけません。あくまでも、全体として、そして
数か月単位で、子どもの症状をみます。「先月とくらべてどうだ」「半年前とくらべてどうだ」とで
す。

 では、どうするか?

●あきらめる……学校は、あきらめなさい。その時期と程度は、早ければ早いほどよい、で
す。無理にがんばればがんばるほど、その緊張感は、そのまま子どもに伝わってしまいます。
お母さんが、まず、自分自身の中の緊張感と戦い、それをたたき出すことです。繰りかえします
が、今、緊張状態にあるのは、子どもよりも、あなたという母親なのです。

しかし心配無用。今の学校教育は、昔とちがい、かなり余裕があります。簡単な算数と、本読
みさえ、どこかで補っておけば、学力的に問題になるということはありません。「うちの子はダメ
になる」式に絶望する必要は、ありません。どうかおおらかに考えてください。

幸い、メールによると、症状がたいへん軽く、まだ初期の段階かと思われます。あなたのほうか
ら、「明日は学校を休んで、動物園でも行ってみようか」と話しかけてみてはどうでしょうか。あ
なた自身の緊張感も、それでほぐれるはずです。

●濃厚なスキンシップ……スキンシップには魔法の力があります。濃厚なスキンシップにこころ
がけてみてください。子どもの側からみて、やすらぎのある、そして温かいスキンシップを大切
にします。とくに子どものほうから求めてきたようなときは、おっくうがらずに、どんどんと与えて
あげてください。ぐいと力強く抱くだけでも、効果があります。

●CA、Mgの多い食生活……徹底して、白砂糖を少なくし、CA、MG分の多い食生活にこころ
がけてみてください。海産物が好ましいことは言うまでもありません。一方で、リン酸食品を避
けます。リン酸食品は、心の大敵と考えてください。原稿は、ここに添付しておきます。CA、M
Gは心を落ちつかせます。突発的にキーキー声を出したり、暴れるようなら、とくに効果的で
す。

以上が基本的な対処法ですが、同時に、あなた自身の中に潜んでいる、学歴信仰、学校神話
とも戦ってください。「学校とは行かねばならないところ」とあなたが考えているなら、それ自体
が、カルトです。あなた自身が、「そうね。学校なんて。行きたくなければ行かなくてもいいのよ」
と、本気で、そして気楽に言えるようになるまで、自分を高めてください。

 教育は、原則として親がするものです。またそれが理想なのです。ですから、あなたが子ども
を教えるために、家の中で子どもと遊んだところで、何ら恥ずべきことではないのです。もっと
堂々と胸を張って、そしてあなたの子どもには、こう叫ぶのです。宣言するのです。

 「あんたは、私が守ってあげる。どんなことがあっても、私が守ってあげる。世間の人があな
たを冷たく言うようなら、私がそういう人たちを許さない。戦ってあげる。あなたはあなたの道を
行きなさい!」と。

 そしてあなた自身には、こう叫びます。宣言します。

 「ようし、ひとつくらいなら、十字架を背負ってやる。これが人生よ。荒波の一つや二つが、何
よ。さあ、来い!」と。

 こうして今の状況を、前向きにとらえていきます。いいですか、決してうしろ向きになってはい
けません。へたに「不登校児の会」か何かに出て、たがいに慰めあうような、そんなみじめなこ
とをしてはいけません。あなたは何も、まちがってはいない。あなたの子どもも、どこもおかしく
ない。心の風邪など、だれだってひくのです。

 これからのことですが、やがてあなたも、学校からの誘いや、心配をうるさく感ずるようになる
でしょう。子どもの心がわかればわかるほど、そうなります。そして今は、まだわからないかもし
れませんが、何が本当に大切か、それがわかるようになるでしょう。それは実におおらかで、
心豊かな世界です。つまりあなたの子どもは、あなたにそれを教えるために、今、ここにいて、
問題(問題ではありませんが……)らしきものを起こしているのです。

 何も恐れないこと。仮にあなたの子どもの不登校がしばらくつづいても、あるいは断続的につ
づいても、その先では、必ず、あなたの子どもは、あなたの子どもとして、そこにいます。そして
いつか、今の状態を、笑い話にします。どうか、どうか、それを信じてください。およばずなが
ら、私が力になります。

 これから先、あなたが「何とか学校へ行かせよう」と思えば思うほど、あなたにも、そしてあな
たの子どもにも、安穏たる日々はやってこないでしょう。そして問題(問題ではありませんが…
…)、いつまでもつづきます。が、あなたの心に安らぎが訪れたとき、あなたの子どもも安らぎ、
あなたの子どもは、ごく自然な形で、学校へ行くようになるでしょう。子どもというのは、不思議
なもので、そういうものです。

 あえて言うなら、今、あなたは親の愛を試されていると思ってください。真の愛です。それにつ
いては、またいつか、あなたにお伝えしたいと思っています。今は、どうかあなた自身を信じ
て、そして子どもを信じて、前向きに生きてください。「私の子だ。おかしい子どものはずがな
い。おかしな子どもになるはずがない」とです。そう、あなたの子どもは、すばらしい子どもです
よ。

 またいつでも、迷ったり、不安になったら、メールをください。力になります。

++++++++++++++++++++++

子どもが学校恐怖症になるとき

●四つの段階論  同じ不登校(school refusal)といっても、症状や様子はさまざま(※)。私の
二男はひどい花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。が、その中
でも恐怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」、行為障害に近い不登校を「怠学
(truancy)」といって区別している。これらの不登校は、症状と経過から、三つの段階に分けて
考える(A・M・ジョンソン)。心気的時期、登校時パニック時期、それに自閉的時期。これに回
復期を加え、もう少しわかりやすくしたのが次である。 
●(1)前兆期……登校時刻の前になると、頭痛、腹痛、脚痛、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠
感、吐き気、気分の悪さなどの身体的不調を訴える。症状は午前中に重く、午後に軽快し、夜
になると、「明日は学校へ行くよ」などと、明るい声で答えたりする。これを症状の日内変動とい
う。学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったりする。そこでA君を排
除すると、今度は「B君がいじめる」と言いだしたりする。理由となる原因(ターゲット)が、その
つど移動するのが特徴。 
●(2)パニック期……攻撃的に登校を拒否する。親が無理に車に乗せようとしたりすると、狂
ったように暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう今日は休んでもいい」などと言うと、
一転、症状が消滅する。ある母親は、こう言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌まで
歌っていました」と。たいていの親はそのあまりの変わりように驚いて、「これが同じ子どもか」
と思うことが多い。 
●(3)自閉期……自分のカラにこもる。特定の仲間とは遊んだりする。暴力、暴言などの攻撃
的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。ただ心の緊張感は残り、どこかピ
リピリした感じは続く。そのため親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりする
ことはある(感情障害)。この段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的
な不安感をもつ。おののく)の症状を示すこともある。が、ふだんの生活を見る限り、ごくふつう
の子どもといった感じがするため、たいていの親は、自分の子どもをどうとらえたらよいのか、
わからなくなってしまうことが多い。こうした状態が、数か月から数年続く。 
●(4)回復期……外の世界と接触をもつようになり、少しずつ友人との交際を始めたり、外へ
遊びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、や
がて登校できるようになる。日に一〜二時間、週に一日〜二日、月に一週〜二週登校できる
ようになり、序々にその期間が長くなる。

●前兆をいかにとらえるか  要はいかに(1)の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置をとる
かということ。たいていの親はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけて、無理を
する。この無理が症状を悪化させ、(2)のパニック期を招く。この段階でも、もし親が無理をせ
ず、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわよ」と言えば、その後の症状は軽くす
む。一般にこの恐怖症も含めて、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを
考える。なおそうと無理をすればするほど、症状はこじれる。悪化する。 

※……不登校の態様は、一般に教育現場では、(1)学校生活起因型、(2)遊び非行型、(3)
無気力型、(4)不安など情緒混乱型、(5)意図的拒否型、(6)複合型に区分して考えられてい
る。

 またその原因については、(1)学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活動な
ど不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、(2)家庭生活起因型(生活環境
の変化、親子関係、家庭内不和)、(3)本人起因型(病気など)に区分して考えられている(「日
本教育新聞社」まとめ)。しかしこれらの区分のし方は、あくまでも教育者の目を通して、子ども
を外の世界から見た区分のし方でしかない。

(参考)
●学校恐怖症は対人障害の一つ 
 こうした恐怖症は、はやい子どもで、満四〜五歳から表れる。乳幼児期は、主に泣き叫ぶ、
睡眠障害などの心身症状が主体だが、小学低学年にかけてこれに対人障害による症状が加
わるようになる(西ドイツ、G・ニッセンほか)。集団や人ごみをこわがるなどの対人恐怖症もこ
の時期に表れる。ここでいう学校恐怖症はあくまでもその一つと考える。

●ジョンソンの「学校恐怖症」
「登校拒否」(school refusal)という言葉は、イギリスのI・T・ブロードウィンが、一九三二年に最
初に使い、一九四一年にアメリカのA・M・ジョンソンが、「学校恐怖症」と命名したことに始ま
る。ジョンソンは、「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登校時のパニック時期(3)自閉期
の三期に分けて、学校恐怖症を考えた。

●学校恐怖症の対処のし方
 第一期で注意しなければならないのは、本文の中にも書いたように、たいていの親はこの段
階で、「わがまま」とか「気のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまうことである。
あるいは子どもの言う理由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある子どもの心の問題を見
落としてしまう。しかしこのタイプの子どもが不登校児になるのは、第二期の対処のまずさによ
ることが多い。

ある母親はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバーでドアをはずし
た。そして泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ連れていった。
その母親は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖心から、子どもをはげしく叱り
続けた。が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、子どもの心に取
り返しがつかないほど大きなキズを残す。もしこの段階で、親が、「そうね、誰だって学校へ行
きたくないときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症状はそれほど重く
ならなくてすむかもしれない。

 また第三期においても、鉄則は、ただ一つ。なおそうと思わないこと。私がある母親に、「三
か月間は何も言ってはいけません。何もしてはいけません。子どもがしたいようにさせなさい」
と言ったときのこと。母親は一度はそれに納得したようだった。しかし一週間もたたないうちに
電話がかかってきて、「今日、学校へ連れていってみましたが、やっぱりダメでした」と。親にす
れば一か月どころか、一週間でも長い。気持ちはわかるが、こういうことを繰り返しているうち
に、症状はますますこじれる。

 第三期に入ったら、(1)学校は行かねばならないところという呪縛から、親自身が抜けるこ
と。(2)前にも書いたように、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考え
て、子どもの様子をみる。(3)最低でも三か月は何も言わない、何もしないこと。子どもが退屈
をもてあまし、身をもてあますまで、何も言わない、何もしないこと。(4)生活態度(部屋や服
装)が乱れて、だらしなくなっても、何も言わない、何もしないこと。とくに子どもが引きこもる様
子を見せたら、そうする。よく子どもが部屋にいない間に、子どもの部屋の掃除をする親もいる
が、こうした行為も避ける。

 回復期に向かう前兆としては、(1)穏やかな会話ができるようになる、(2)生活にリズムがで
き、寝起きが規則正しくなる、(3)子どもがヒマをもてあますようになる、(4)家族がいてもいな
くいても、それを気にせず、自分のことができるようになるなどがある。こうした様子が見られた
ら、回復期は近いとみてよい。

 要は子どものリズムで考えること。あるいは子どもの視点で、子どもの立場で考えること。そ
ういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を未然に防ぎ、立ちなおりを早くする。

●不登校は不利なことばかりではない
 一方、こうした不登校児について、不登校を経験した子どもたち側からの調査もなされてい
る。文部科学省がした「不登校に関する実態調査」(二〇〇一年)によれば、「中学で不登校児
だったものの、成人後に『マイナスではなかった』と振り返っている人が、四割もいる」という。不
登校はマイナスではないと答えた人、三九%、マイナスだったと答えた人、二四%など。そして
学校へ行かなくなった理由として、

友人関係     ……四五%
教師との関係   ……二一%
クラブ・部活動  ……一七%
転校などでなじめず……一四%と、その多くが、学校生活の問題をあげている。  

+++++++++++++++++++++++

砂糖は白い麻薬

 キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、突発的
にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。

原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考えると
わかりやすい。そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)である(アメ
リカ小児栄養学・ヒューパワーズ博士)。つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を
大量に摂取すると、インスリンが大量に分泌され、そのインスリンが脳間伝達物質であるセロト
ニンの大量分泌をうながし、それが脳の抑制命令を阻害する、と。

これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のないも
のを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、子どもの
必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約一〇〜一五グラム。この量は
イチゴジャム大さじ一杯分程度。もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶
暴になったり、あるいはキーキーと声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すよう
なら、一度、カルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、砂糖は白い麻薬と考
え、砂糖断ちをしてみるとよい。子どもによっては一週間程度でみちがえるほど静かに落ち着
く。

なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食品を与え
ると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出してしまう。と言っ
ても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。たとえば、ハム、ソーセージ(弾力性
を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けても流れ
ず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせず、歯
ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味をおだや
かにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水によく溶
けるようにするため)など(以上、川島四郎氏)。かなり本腰を入れて対処する。

ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物を生み
出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということは、不必要
なことである」と。つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を
加えた食品(ジャンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジャ
ンクフードは)疲労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコール処理不
能、アレルギーなどの原因になっている」とも。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~
hhayashi/)

++++++++++++++++++

●リン酸食品
なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食品を与え
ると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出してしまう。と言っ
ても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。たとえば、ハム、ソーセージ(弾力性
を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けても流れ
ず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせず、歯
ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味をおだや
かにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水によく溶
けるようにするため)など(以上、川島四郎氏)。かなり本腰を入れて対処しないと、リン酸食品
を遠ざけることはできない。

●こわいジャンクフード
ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物を生み
出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということは、不必要
なことである」と。つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を
加えた食品(ジャンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジャ
ンクフードは)疲労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコール処理不
能、アレルギーなどの原因になっている」とも。
(030604)


 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
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     Y☆Y
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     ̄Π ̄Π ̄ 
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
クーラー事件

 近くのJ店という大型店で、クーラーを二台つけてもらった。

 業者が帰ってからみると、和室の部屋のコードが、約四〇〜五〇センチにわたって、下に垂
れさがっている。このあたりの言葉を使うなら、それが「ぶしょったい」。つまり見栄えが悪い。

 そこで私はそのコードをクーラー本体の中に押しこむことにした。が、クーラーは、壁にぴった
りとすえつけてある。しかたないので、マニュアルを読む。クーラーの下の小さな穴から、奥を
のぞく。

 設置マニュアルには、「配管用の穴には、パテを必ずつめること」と、書いてある。「必ず」と。
しかし穴からのぞいても、パテらしきものが、どこにも見えない?

 こうした工事で、手抜きは、日常茶飯事。そこで私は、シリコンを買ってきて、自分で穴を、つ
めることにした。が、しかし、その前に、クーラーのはずし方がわからない。そこで、私は、外か
らシリコンをつめればよいと考えた。が、そこでも、室外機がかなり傾いているのに気づいた。

 雨で地盤がゆるんだのかもしれない。室外機を少しもちあげると、何と、土台から室外機が
離れてしまったではないか! 見るとビス止めは、かざりだけ。恐らく電動のドライバーで、力い
っぱいビスをしめたため、そのときネジ山をつぶしてしまったらしい。これはあくまでも私の推測
だが……。

 自分でドライバーをもってきて、ビスをしめようと考えたが、四本のビスすべてが、まったくき
かない。本当は八か所とめることになっているはずだが……。

 怒りが充満してきた。とたん、配管用のパイプが、傾いていることも気になり始めた。さらに和
室の壁には、無数の擦り傷がついていた。これについては、補修用のパテなどで、私が自分で
補修したが、それにしても……。

 翌日、またその店に行ったついでに、事情を説明した。私は「クーラーをあげてもらえば、自
分でシリコンをつめるので、あげ方を教えてほしい」と言っただけだ。しかし係の男は、「すぐな
おさせます」と言った。係の男は、どこまでも良心的だった。

 翌日、別の業者が修理にきた。しんみょうな顔をしていた。その気持ちは、よくわかる。多
分、私のことを、神経質でうるさい客だと思っているのだろう。事実、そのとおりだが、しかしこう
した工事で、私はうるさく言ったことは、一度もない。

 ひと通り、補修工事は終わった。パテをつめ、ビスをとめなおし、配管をなおしてくれた。しか
しその工事を見ているとき、またまた怒りが、充満してきた。こまかいところで、あちこち、いい
かげんさが目についたからだ。

 が、当日も、翌日も、その店から、謝罪の言葉は一言もなかった。

 私はこんなことはしたくないと思いつつ、パイプの長さを実測した。四メートルまでの配管は、
配管の基本料金に含まれている。

 一か所のパイプは、二メートル五〇センチ。これは四メートル以内だから、問題、ない。しか
しもう一か所は、実測値で、五メートル九〇センチ。最長の長さで測って、五メートル九〇セン
チである。が、領収書を見ると、延長配管、三メートルとある! ゆうに一メートルの過剰請求
である!

 世の中の人は、そしてその店の店員も、たかが一メートルと思うかもしれない。私もそう思う。
しかし今回は、事情が違う。私の気持ちが許さない。どういうわけだか、許さない。もし私があ
のパテに気づかなかったら、そのままになっていたはずである。加えて、店員がすすめてくれる
まま、私は、五年間の長期保証にも入った。しかし何が、五年間だ! 何が、長期保証だ!

 私はデジタルカメラに配管の写真をおさめると、実測値を書きこんだ。あとで、その写真を、
その店に届けるためである。少なくとも、その差額は返してもらう。これは小さな、小さな、正義
の戦いである。
(030604)

【後記】

 その後、どうなったか?

 J店へ写真と、領収書をもっていくと、店員が、とてもていねいに応対してくれた。私は事実だ
けを話した。店員は、あとで、連絡すると言った。それで別れた。

 夜、家に帰ると、サービス部門の責任者から、留守番電話に連絡が入っていた。「一度、おう
かがいして、謝りたい」というような伝言だった。それを聞いて、私のほうから電話をした。

 で、結論は、「おおげさにしたくないし、おおげさにしなければならないような話ではないから、
もうやめましょう」だった。相手の担当者は、しきりに「一度お会いして……」と言っていたが、こ
ういう話は、わずらわしい。「みなさんの誠意は、よくわかりましたから、これでいいです」と、私
のほうは断った。つまり、それでおしまい。このあと、どうなるかわからないが、今は、これでお
しまい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

私のグチ

 わずらわしいことは、日々の生活の中で、波のようにやってくる。大波、小波、そして中波。生
活するということは、そういった波を、うまく舵をきりながら、乗り越えるということか。

 その波のない人生はない。そうならそうで、前向きに生きるしかない。波をこわがってもいけ
ない。波から逃げてもいけない。……と、それはわかっているが、ときとして、その波に立ち向
かうのがおっくうになる。どうして生きていくことは、こうもわずらわしいのか。

 立ち止まることすら、許されない。休むことさえ、ままならない。みながみな、大きなレールの
上を、ゾロゾロと歩いている。少しでも歩く速度を落すと、容赦なく、背中を叩かれる。

 自由? ……この日本のどこに自由がある? 与えられたワクの中で、それなりのことだけ
をしていれば、たしかに不自由なことはない。しかしそのワクを越えることはできない。

 平等? ……この日本のどこに平等がある? 保護格差は、年々広がるばかり。目に見えな
いことをよいことに、その立場にある人たちは、まさにしたい放題。犠牲になるのは、無知で善
良な市民だけ。

 正義? ……いまだに日本は、自分の正義すら主張することができない。いまだにあの朝鮮
併合は正しかったと主張する人は、あとを絶たない。もしそうなら、逆に、反対のことをされて
も、日本よ、日本人よ、文句を言うな。

 平和? ……いまや日本の平和は、風前のともし火。かろうじて平和なのは、悲しいかなアメ
リカという、うしろ盾があるからだ。もしなかったら、六〇年代は、毛沢東中国に、七〇年代は、
韓国、北朝鮮の連合軍に、日本は報復されていた。そして今は、北朝鮮の攻撃にさらされてい
る?

 つかの間の休息よ。つかの間の平和よ。そしてつかの間のやすらぎよ。砂場で見つける小さ
な宝石のように、私たちはそれにしがみつく。小さな希望。小さな夢。小さな未来。

 ああ、私は自由になりたい。自由になって、この広い空を、思う存分、飛んでみたい。私に
は、過去もない。未来もない。あるのは、「今」という現実だけ。その現実では、どの人も、み
な、平等。そして正しいと思うことだけを口にし、争いも戦いもない。そんな世界を、思う存分、
飛んでみたい。

……かなわぬ夢だとはわかっているが、私はいつも、そんな世界を夢見ている。夢見ながら、
今日も、性懲(こ)りもなく、打ち寄せる波の一つずつと、戦っている。私はそんなふうに、生き
てきたし、生きているし、生きていくしかない。
(030605)

【追記】
 この原稿をワイフに読んで聞かせたら、ワイフはこう言った。「そんなのは、あなたのグチよ。
このところ、グチっぽい原稿が多くなったわね。ジクジク考えないで、パッと遊んできたら!」と。

 だからこのエッセーのタイトルを、「私の夢」から、「私のグチ」に変えた。

     ▲   ▲
    ▲▼▼ ▼▼▲
   ▼  ▲◎▲  ▼
     ▲◎◎▲▲
    ▲  口  ▲
    ▼  口  ▼         何か、テーマがあれば、お寄せください。
       口         メールは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/   
     凸凸凸凸凸      より、トップページの封筒をクリックしてください。
 〜〜〜凹凹凹凹凹凹凹〜〜〜   
  〜〜 〜〜 〜〜〜 〜
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
8・ 6  ……浜北市(詳細未定)
7・31  ……浜松市東部公民館
7・10  ……湖西市教育委員会・家庭学級講座
7・ 9  ……豊岡小学校
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・28  ……富塚中学校区(小学校)健全育成会
6・24  ……金指小学校
6・24  ……静岡市アイセル21
6・14  ……入野小中学校区健全育成会・入野町学校
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■6-13-1

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
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 ===○=======○====KW(8)
★★★★★★★★★★★★★★
03−6−13号(241)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

心的外傷後ストレス障害(PTSD、Post−traumatic Stress Disorder)、私のばあい
 
 その人の処理能力を超えた、強烈なストレスが加わると、その人の心に、大きな影響を与え
る。そのときそれがふつうの記憶とは異なり、脳に外傷的記憶として残ることがある。そして日
常生活において、さまざまな症状や障害を示すことがある。こうした一連のストレス性障害を、
心的外傷後ストレス障害という。

 Aさんは、あやうく上の子どもを、水死させるところだった。家族でキャンプに行ったときのこと
だった。水から救い出したときには、すでに意識はなかったが、幸い、父親が人工呼吸をほど
こしたところ、息を吹きかえした。上の子どもが六歳、したの子どもが四歳のときのことだった。

 以後しばらくは、その子どもが無事だったとことを喜んだが、しかしそれが落ちつくと、ここで
いう心的外傷後ストレス障害が現れた。当時の事故のことを思い出すと、極度の不安状態に
なるという。あるいはその事故のことを忘れようと、思えば思うほど、当時の状況が、思い出さ
れてしまうという。届いたメールから、引用させてもらう。

●私は、それ以来今では少なくなっていますが、夜ふとんに入ると思い出して眠れなくなってし
まうことがあります。

●子どもの下校時間が近づくとそわそわして、家の中と外とを行ったりきたりしてしまいます。

●これから先もずっと心配していかなければいけないかと思うと将来が不安でしかたがありま
せん。

●まわりに相談しても、助かったんだからとか、子離れしたらとか言われます。
主人もいろいろ考えてはくれますが、どうしたらいいのか分からないみたいです。
結局は自分の中で勝手にいろいろ想像して勝手に悩んでるだけなのですが、何とかこの状態
からぬけだしたいです。

 心的外傷後ストレス障害では、その種の状況になると、強い感情的反応が現れることが知ら
れている。言いようのない不安感や恐怖感、絶望感や虚脱感など。ときに当時の状況をその
まま再体験、もしくは心の中で再現したりする。これを「フラッシュバック」という。

 強度の心的外傷後ストレス障害になると、日常生活にも影響が出てくる。感情鈍麻、麻痺、
回避性障害(人と会うのを避ける)、行為障害(ふつうでない行動を繰りかえす)など。多く見ら
れるのが、不眠である。

【心的外傷後ストレス障害、私のばあい】

 私もまったく同じような経験をしている。家族で、近くの湖へ海水浴に行ったときのことであ
る。三人の息子を連れていったが、とくに二男については、今、こうして命があるのは、まさに
奇跡中の奇跡である。

 その直後の私は、たしかにおかしかった。二男が生きているにもかかわらず、生きていること
を不思議に思い、思うと同時に、背筋が何度も凍りつくのを感じた。「ほんのもう少しまちがって
いたら、私が殺していた」という、自責の念にかられた。そして夜、床についたあとなど、その日
のことを思い出すと、そのまま興奮状態になり、眠られなくなってしまった。

 それは恐怖、そのものであった。しかしその恐怖は、外からくる恐怖ではなく、自分自身の内
部から、襲ってくる恐怖であった。つかみどころがなかった。「もしもあのとき……」と、そんなこ
とを考えていると、妄想が妄想を呼び、わけがわからなくなってしまった。それに、思い出したく
はないのだが、事故の生々しい様子が、心にペッタリと張りついて、それが取れない。かきむし
っても、かきむしっても、取れない。

 本来なら、二男が生きていることを喜べばよいのだが、そういう気持ちにはなれない。「よか
った」と思うより先に、「どうしてあんなことをしたのだろう」と、自分を責めてしまう。そして一度、
そういう状態になると、足元をすくわれるような不安状態になってしまう。じっとしておられないと
いうか、何をしても、手につかない状態になってしまう。

 よく覚えているのは、そのあと、湖を見るのもこわかったということ。実際には、それ以後、一
度も、湖へは行っていない。正確には、海水浴には、行っていない。おかしな妄想が頭にとりつ
いたこともある。「今度、息子たちを湖へ連れていったら、湖の悪魔に、命を取られるぞ」と。そ
ういうオカルト的な現象など、まったく信じていない私が、である。

 私のばあいは、「湖」とか、「海水浴」が、心的外傷後ストレス障害のキーワードになってい
た。それでそれを避けることで、やがて、少しずつだが、気持ちが和らいでいった。あれからも
う、二〇年になるが、こうして思い出してみると、いつの間にか、それが一つの思い出になって
いるのに、今、気づく。以前のような、フラッシュバックに陥るということは、もうない。

 ただあのとき、二男を湖から救い出してくれた恩人(私はいつも「恩人」と呼んでいる)につい
ては、その恩を忘れたことはない。二男に何かあるたびに、私とワイフ、ときには二男を連れて
あいさつに行っている。中学を卒業したとき。アメリカへ出発したときなど。相手の人は、ひょっ
としたらそういう私たちを迷惑がっているかもしれないが、私はどうしても、それをしたい。しな
いわけにはいかない。つまりすることによって、二男が、助かるべきして助かったという実感を
ものにしている。

 専門的には、心的外傷後ストレス障害の人に対して、グループ治療や、行動療法が効果的と
いう説もある。私のばあいは、精神科のドクターの世話になることはなかった。ただワイフが、
たいへん精神的にタフな女性で、その点では、ワイフに助けられた。私がフラッシュバックに襲
われたときも、私に、「あんたは、バカねえ。助かったのだから、それでいいじゃない」と言ってく
れたりした。

【Aさんへ】

 私の経験では、こうした心的外傷後ストレス障害は、なおらないということ。そのため、なおそ
うと思わないことだと思います。それを悪いこと、あるいは、あってはならないことと思ってしまう
と、かえって自分を責め、ストレスが倍加してしまいます。

 もっとも効果的な方法は、とにかく忘れること。そのため、その事故を思い起こさせるようなで
きごとを、自分から遠ざけることです。私のばあい、一時は、湖の方角さえ向きませんでした。
ただそのあと、水泳の能力の必要性を痛感し、息子たちを水泳教室へは入れました。

 そしてここが重要ですが、あとは時間が解決してくれます。『時は、心の治療人』と考えてくだ
さい。こうしたもろもろの心の問題は、心的外傷後ストレス障害にかぎらず、時が解決してくれ
ます。悪いことばかりではありません。

 とくに二男は、生きていることのすばらしさを、そのあと、教えてくれました。また心的外傷後
ストレス障害といいますが、そういう状態になると、感性がとぎすまされ、他人が見ることができ
ないものが、見えてきたりします。言いかえると、そういう経験をとおして、あなたの子どもは、
今、あなたに何かを教えようとしているのです。

 ここに添付したような原稿(中日新聞に発表済み)は、そういう私の気持ちを書いたもので
す。どうか、参考にしてください。何かのお役にたてるものと思います。今の私の立場で言える
ことは、「どうか、一日も早く、いやな思い出は忘れて、明るい太陽の方に顔を向けてください」
という程度でしかありません。

●苦しんでいるAさんへ、

 心を解き放て!
 解き放って、空を飛べ!
 あなたは、今、生きている。
 あなたの子どもも、今、生きている。
 それを、友よ、すなおに喜ぼうではないか。

 苦しんでいるあなたは、幸いなれ!
 あなたには、他人に見えないものが見える。
 命の尊さ、命の美しさ、
 そして命のあやうさ、
 だからあなたは、人一倍
 自分の人生を大切にする。
 生きる尊さを、まっとうする。

 事故?
 とんでもない!
 あなたの子どもは
 あなたに、生きる意味を、教えるために
 今、そこにいる。
 それを、友よ、すなおに受け入れようではないか。
 そして、友よ、あなたの子どもに感謝しようではないか。
 あなたのおかげで、私は生きる意味がわかったわ、と。

 苦しんでいるあなたは、幸いなれ!
 真理への道は、いつも苦しい。
 その苦しさを通ってのみ、
 あなたは、その真理にたどりつく。
 だから友よ、恐れてはいけない。
 だから友よ、逃げてはいけない。
 あなたは自分を受け入れ、
 あなたの子どもを受け入れる。

 さあ、友よ、明日からあなたは、
 新しい人生を歩く。
 勇気を出して、歩く。
 もうこわがるものは、何もない。
 なぜなら、あなたは、今、
 生きる意味を、知っている。

++++++++++++++++++++++++++

よろしかったら、お読みください。また二男については、私のホームページのトップページから、
二男のサイトにアクセスできます。去年、かわいい孫が生まれました。一度、見てやってくださ
い。あなたの子どもも、いつか、孫をつれてあなたのところにやってきますよ。

++++++++++++++++++++++++++

子どもが巣立つとき

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私はそん
な年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の
腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子
が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ
をしめてやったとき。そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのこ
とだ。二男が毎晩、ランニングに行くようになった。

しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちのために伴走しているのよ。同じ
山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそうだから」と。その話を聞いたと
き、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人
間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わっ
てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ
る。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてや
ればよかった」と、悔やむこともある。そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹
いてきて、またどこかへと去っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生
も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこ
と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかっ
た。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房が、「S
よ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手
なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭
い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そ
ういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわ
からなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 子育てとい
うのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいなあ」と思ってし
まう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新
幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだった
なあ」と。

 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、
何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が
人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やが
てくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 

++++++++++++++++++++++

無条件の愛

●「子どもの世界」一〇〇回目を記念して

 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。「私は自由
だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。が、もしその恐
怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。しかしそれは可能なのか
…? その方法はあるのか…? 一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっ
としたら私は、死の恐怖から、自分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中
で、私はこんな経験をした。

 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会話をし
た。

息子「アメリカで就職したい」
私「いいだろ」
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカでは、花嫁の居住地で式をあげる習わしになってい
る。式には来てくれるか」
私「いいだろ」
息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」
私「いいだろ」と。

その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグイと押し殺
さなければならなかった。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のときは、さすがに私も声
が震えた。息子「アメリカ国籍を取る」私「日本人をやめる、ということか…」息子「そう」「…いい
だろ」と。私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛する
がゆえに、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には「無条件の愛」という言葉があ
る。私が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私は、自分の
心が抜けるほど軽くなったのを知った。
 
「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめることでもない。
「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、許し、愛し、受け
入れるということ。「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなければ、死をこわがる理由など
ない。一文なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、
おいでになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれができれば、私
は死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。その境地に達することができ
るようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし一つの目標にはなる。息子が
それを、私に教えてくれた。

+++++++++++++++++++++++++

生きる源流に視点を

 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に気づ
き、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子どものよさも、
またしかり。

 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。その二人の息子が
助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手という人が、魚釣りを
していて、息子の一人を助けてくれた。以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、
「生きていてくれるだけでいい」と思いなおすようにしている。が、そう思うと、すべての問題が解
決するから不思議である。

特に二男は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校を繰り返した。あるいは中
学三年のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女房も少なからずあわてた
が、そのときも、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切ることができた。

 私の母は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っている。人というのは、上を見れ
ば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだという意味だが、子
育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではない。下から見る。「子ど
もが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにする。朝起きると、子どもがそこ
にいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことをし、自分は自分で勝手なことをして
いる……。一見、何でもない生活かもしれないが、その何でもない生活の中に、すばらしい価
値が隠されている。つまりものごとは下から見る。それができたとき、すべての問題が解決す
る。

 子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。この本のどこかに書いたように、フ
ォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘れる)は、「得る・た
め」とも訳せる。つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもか
ら愛を得るために忘れる」ということになる。仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉を、
「as you like」と英語に訳したアメリカ人がいた。「あなたのよいように」という意味だが、すばら
しい訳だと思う。この言葉は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。

 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難しい。さ
らに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を歩みながら、そ
の真の親にたどりつく。楽な子育てというのはない。ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を
越え、谷を越える。そして一つ山を越えるごとに、それまでの自分が小さかったことに気づく。
が、若い親にはそれがわからない。ささいなことに悩んでは、身を焦がす。先日もこんな相談を
してきた母親がいた。東京在住の読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授
業についていけない。この先、将来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受
けるたびに、私は頭をかかえてしまう。

++++++++++++++++

Aさんへ、いっしょに、がんばりましょう!
(030605)※


       ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          
 \※/
  ‖
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。(635まで)
+++++++++++++++++++

子どもの欲求不満

 子どもは自分の欲求が満たされないと、欲求不満を起こす。この欲求不満に対する反応は、
ふつう、次の三つに分けて考える。

(1)攻撃・暴力タイプ
 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状態に
あり、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。私が「このグラフは正確でないから、
かきなおしてほしい」と話しかけただけで、ギャーと叫んで私に飛びかかってきた小学生(小四
男児)がいた。あるいは私が、「今日は元気?」と声をかけて肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ
野郎!」と私を足げりにした女の子(小五)もいた。こうした攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩す
る、暴力を振るう、暴言を吐く)と、裏に隠れてするタイプ(弱い者をいじめる、動物を虐待する)
に分けて考える。

(2)退行・依存タイプ
 ぐずったり、赤ちゃんぽくなったり(退行性)、あるいは誰かに依存しようとする(依存性)。こ
のタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを叱れば叱るほ
ど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが多い。

(3)固着・執着タイプ
 ある特定の「物」にこだわったり、あるいはささいなことを気にして、悶々と悩んだりする(固着
性・執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。最近多
く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起こ
す。ある男の子(小五)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、まだ大切そ
うにカバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その子どもはこう言
った。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメだというんでチョ」と。子どもの
未来を日常的におどしたり、上の兄や姉のはげしい受験勉強を見て育ったりすると、子どもは
幼児がえりを起こしやすくなる。

 またある特定のものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすためにする行為と
考えるとわかりやすい。これを代償行為というが、よく知られている代償行為に、指しゃぶり、
爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで何らかの快感を覚えることで、自分の欲求不満を
解消しようとする。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子どもの非行

 子どもが非行に走るようになると、独特の症状を見せるようになる。脳の機能そのものが、変
調すると考えるとわかりやすい。「心の病気」ととらえる人もいる。実際アメリカでは、非行少年
に対して薬物療法をしているところもある。それはともかくも前兆がないわけではない。その一
つ、生活習慣がだらしなくなる。たとえば目標や規則が守れない(貯金を使ってしまう。時間に
ルーズになる)、自己中心的(ゲームに負けると怒る。わがままで自分勝手)になり、無礼、無
作法な態度(おとなをなめるような言動、暴言)が目立つようになる。この段階で家庭騒動、家
庭崩壊など、子どもを取り巻く環境が不安定になると、症状は一挙に悪化する。

 その特徴としては、(1)拒否的態度(「ジュースを飲むか?」と声をかけても、即座に、「イラネ
エ〜」と拒否する。意識的に拒否するというよりは、条件反射的に拒否する)、(2)破滅的態度
(ものの考え方が、投げやりになり、他人に対するやさしさや思いやりが消える。無感動、無関
心になる。他人への迷惑に無頓着になる。バイクの騒音を注意しても、それが理解できない)、
(3)自閉的態度(自分のカラに閉じこもり、独自の価値観を先鋭化する。「死」「命」「殺」などと
いう、どこか悪魔的な言葉に鋭い反応を示すようになる。「家族が迷惑すれば、結局はあなた
も損なのだ」と話しても、このタイプの子どもにはそれが理解できない。親のサイフからお金を
抜き取って、それを使い込むなど)、(4)野獣的態度(行動が動物的になり、動作も、目つきが
鋭くなり、肩をいからせて歩くようになる。考え方も、直感的、直情的になり、「文句のあるヤツ
は、ぶっ殺せ」式の、短絡したものの考え方をするようになる)など。心の中はいつも緊張状態
にあって、ささいなことで激怒したり、キレやすくなる。また一度激怒したり、キレたりすると、感
情をコントロールできなくなることが多い。

 家族でも先生でも、誰かと一本の「糸」で結ばれている子どもは、非行に走る一歩手前で、自
分をコントロールすることができる。が、その糸が切れたとき、あるいは子どもが「切れた(捨て
られた)」と感じたとき、子どもの非行は一挙に加速する。だから子どもの心がゆがみ始めたら
(そう感じたら)、なおさら、その糸を大切にする。「どんなことがあっても、私はあなたを愛して
いますからね」「どんなことがあっても、私はあなたのそばにいますからね」という姿勢を、徹底
的に貫く。

    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
子どもの虚言癖

 ファミリスという雑誌の五月号に、「子どもの虚言癖」について、書いた。つぎの原稿がそれで
ある。

++++++++++++++++++++++

(1)子どものウソ

Q 何かにつけてウソをよく言います。それもシャーシャーと言って、平然としています。(小二
男)

A 子どものウソは、つぎの三つに分けて考える。(1)空想的虚言(妄想)、(2)行為障害によ
る虚言、それに(3)虚言。空想的虚言というのは、脳の中に虚構の世界をつくりあげ、それを
あたかも現実であるかのように錯覚してつく、ウソのことをいう。行為障害による虚言は、神経
症による症状のひとつとして考える。習慣的な万引きや、不要なものを集めるなどの、随伴症
状をともなうことが多い。

これらのウソは、自己正当化のためにつくウソ(いわゆる虚言)とは区別して考える。

ふつうウソというのは、自己防衛(言いわけ、言い逃れ)、あるいは自己顕示(誇示、吹聴、自
慢、見栄)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついているという自覚がある。

母「だれ、ここにあったお菓子を食べたのは?」、子「ぼくじゃないよ」、母「手を見せなさい」、子
「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから…」と。

 同じようなウソだが、思い込みの強い子どもは、思い込んだことを本気で信じてウソをつく。
「ゆうべ幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というのが、それ。  

その思い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態を、空想的虚言
という。こんなことがあった。

 ある日一人の母親から、電話がかかってきた。ものすごい剣幕である。「先生は、うちの子の
手をつねって、アザをつくったというじゃありませんか。どうしてそういうことをするのですか!」
と。私にはまったく身に覚えがなかった。そこで「知りません」と言うと、「相手が子どもだと思っ
て、いいかげんなことを言ってもらっては困ります!」と。

 結局、その子は、だれかにつけられたアザを、私のせいのにしたらしい。

イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせては
ならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世界
にハマるようであれば、注意せよという意味である。このタイプの子どもは、現実と空想の間に
垣根がなく、現実の世界に空想をもちこんだり、反対に、空想の世界に限りないリアリティをも
ちこんだりする。そして一度、虚構の世界をつくりあげると、それがあたかも現実であるかのよ
うに、まさに「ああ言えばこう言う」式のウソを、シャーシャーとつく。ウソをウソと自覚しないの
が、特徴である。

どんなウソであるにせよ、子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうして」だけを
繰り返しながら、最後は、「もうウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、
はげしく叱れば叱るほど、子どもはますますウソの世界に入っていく。

++++++++++++++++++++++++

 ここまでは、いわば一般論。雑誌の性格上、この程度までしか書けない。つぎにもう少し、踏
みこんで考えてみる。

 子どものウソで、重要なポイントは、子ども自身に、ウソという自覚があるかどうかということ。
さらにそのウソが、人格的な障害をともなうものかどうかということ。たとえばもっとも心配なウ
ソに、人格の分離がある。

 子どものばあい、何らかの強烈な恐怖体験が原因となって、人格が分離することがある。た
とえばある女の子(二歳)は、それまでになくはげしく母親に叱られたのが原因で、一人二役(と
きには、三人役)の独り言を言うようになったしまった。それを見た母親が、「気味が悪い」とい
って、相談してきた。

 このタイプの子どものウソは、まったくつかみどころがないのが特徴。ウソというより、まったく
別人になって、別の人格をもったウソをつく。私の知っている女の子(小三、オーストラリア人)
がいる。「私は、イタリアの女王」と言うのだ。そこで私が「イタリアには、女王はいない」と説明
すると、ものごしまで女王ぽくなり、「私はやがて宮殿に迎えいれられる」というようなことを繰り
かえした。

 つぎに心の中に、別の部屋をつくり、その中に閉じこもってしまうようなウソもある。これを心
理学では、「隔離」という。記憶そのものまで、架空の記憶をつくってしまう。そしてそのウソを繰
りかえすうちに、何が本当で、何がウソなのか、本人さえもわからなくなってしまう。親に虐待さ
れながらも、「この体のキズは、ころんでけがをしてできたものだ」と言っていた、子ども(小学
男児)がいた。

 つぎに空想的虚言があるが、こうしたウソの特徴は、本人にその自覚がないということ。その
ためウソを指摘しても、あまり意味がない。あるいはそれを指摘すると、極度の混乱状態にな
ることが多い。私が経験したケースに、中学一年生の女の子がいた。あることでその子どもの
ウソを追及していたら、突然、その女の子は、金切り声をあげて、「そんなことを言ったら、死ん
でやる!」と叫び始めた。

 で、こうした子どもの虚言癖に気づいたら、どうするか、である。

 ある母親は、メールでこう言ってきた。「こういう虚言癖は、できるだけ早くなおしたい。だから
子どもを、きびしく指導する」と。その子どもは、小学一年生の男の子だった。

 しかしこうした虚言癖は、小学一年生では、もう手のほどこしようがない。なおすとか、なおさ
ないというレベルの話ではない。反対になおそうと思えば思うほど、その子どもは、ますます虚
構の世界に入りこんでしまう。症状としては、さらに複雑になる。

 小学一年生といえば、すでに自意識が芽生え、少年期へ突入している。あなたの記憶がそ
のころから始まっていることからわかるように、子ども自身も、そのころ人格の「核」をつくり始
める。その核をいじるのは、たいへん危険なことでもある。へたをすれば、自我そのものをつ
ぶしてしまうことにも、なりかねない。そのためこの時期できることは、せいぜい、今の状態をよ
り悪くしない程度。あるいは、ウソをつく環境を、できるだけ子どもから遠ざけることでしかな
い。仮に子どもがウソをついても、相手にしないとか、あるいは無視する。やがて子ども自身
が、自分で自分をコントロールするようになる。年齢的には、小学三,四年生とみる。その時期
を待つ。

 ところで私も、もともとウソつきである。風土的なもの、環境的なものもあるが、私はやはり母
の影響ではないかと思う。それはともかくも、私はある時期、そういう自分がつくづくいやになっ
たことがある。ウソをつくということは、自分を偽ることである。自分を偽るということは、時間を
ムダにすることである。だからあるときから、ウソをつかないと心に決めた。

 で、ウソはぐんと少なくなったが、しかし私の体質が変わったわけではない。今でも、私は自
分の体のどこかにその体質を感ずる。かろうじて私が私なのは、そういう体質を押さえこむ気
力が、まだ残っているからにほかならない。もしその気力が弱くなれば……。ゾーッ!

 そんなわけで小学一年生ともなれば、そういう体質を変えることはできない。相談してきた母
親には悪いが、虚言癖というのはそういうもの。その子ども自身がおとなになり、ウソで相手を
キズつけたり、キズつけられたりしながら、ウソがもつ原罪感に自分で気がつくしかない。また
親としては、そういうときのために、子どもの心の中に、そういう方向性をつくることでしかない。
それがどんなウソであるにせよ……。
(030605)

【補足】
 以前、こんな原稿(中日新聞掲載済み)を書いた。内容が重複するが、参考までに……。

+++++++++++++++++

子どもがウソをつくとき

●ウソにもいろいろ
 ウソをウソとして自覚しながら言うウソ「虚言」と、あたかも空想の世界にいるかのようにして
つくウソ「空想的虚言」は、区別して考える。

 虚言というのは、自己防衛(言い逃れ、言いわけ、自己正当化など)、あるいは自己顕示(誇
示、吹聴、自慢、見栄など)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついているという自覚
がある。母「誰、ここにあったお菓子を食べたのは?」、子「ぼくじゃないよ」、母「手を見せなさ
い」、子「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから……」と。

 同じようなウソだが、思い込みの強い子どもは、思い込んだことを本気で信じてウソをつく。
「昨日、通りを歩いたら、幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というのがそれ。その思
い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態を、空想的虚言とい
う。こんなことがあった。

●空想の世界に生きる子ども
 ある日突然、一人の母親から電話がかかってきた。そしてこう言った。「うちの子(年長男児)
が手に大きなアザをつくってきました。子どもに話を聞くと、あなたにつねられたと言うではあり
ませんか。どうしてそういうことをするのですか。あなたは体罰反対ではなかったのですか!」
と。ものすごい剣幕だった。が、私には思い当たることがない。そこで「知りません」と言うと、そ
の母親は、「どうしてそういうウソを言うのですか。相手が子どもだと思って、いいかげんなこと
を言ってもらっては困ります!」と。

 その翌日その子どもと会ったので、それとなく話を聞くと、「(幼稚園からの)帰りのバスの中
で、A君につねられた」と。そのあと聞きもしないのに、ことこまかに話をつなげた。が、そのあ
とA君に聞くと、A君も「知らない……」と。結局その子どもは、何らかの理由で母親の注意をそ
らすために、自分でわざとアザをつくったらしい……、ということになった。こんなこともあった。

●「お前は自分の生徒を疑うのか!」
 ある日、一人の女の子(小四)が、私のところへきてこう言った。「集金のお金を、バスの中で
落とした」と。そこでカバンの中をもう一度調べさせると、集金の袋と一緒に入っていたはずの
明細書だけはカバンの中に残っていた。明細書だけ残して、お金だけを落とすということは、常
識では考えられなかった。そこでその落としたときの様子をたずねると、その女の子は無表情
のまま、やはりことこまかに話をつなげた。「バスが急にとまったとき体が前に倒れて、それで
そのときカバンがほとんど逆さまになり、お金を落とした」と。しかし落としたときの様子を覚え
ているというのもおかしい。落としたなら落としたで、そのとき拾えばよかった……?

 で、この話はそれで終わったが、その数日後、その女の子の妹(小二)からこんな話を聞い
た。何でもその女の子が、親に隠れて高価な人形を買ったというのだ。値段を聞くと、落とした
という金額とほぼ一致していた。が、この事件だけではなかった。そのほかにもおかしなことが
たびたび続いた。「宿題ができなかった」と言ったときも、「忘れ物をした」と言ったときも、その
つど、どこかつじつまが合わなかった。そこで私は意を決して、その女の子の家に行き、父親
にその女の子の問題を伝えることにした。が、私の話を半分も聞かないうちに父親は激怒し
て、こう叫んだ。「君は、自分の生徒を疑うのか!」と。そのときはじめてその女の子が、奥の
部屋に隠れて立っているのがわかった。「まずい」と思ったが、目と目があったその瞬間、その
女の子はニヤリと笑った。

ほかに私の印象に残っているケースでは、「私はイタリアの女王!」と言い張って、一歩も引き
さがらなかった、オーストラリア人の女の子(六歳)がいた。「イタリアには女王はいないよ」とい
くら話しても、その女の子は「私は女王!」と言いつづけていた。

●空中の楼閣に住まわすな
 イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせて
はならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世
界にハマるようであれば、注意せよという意味である。このタイプの子どもは、現実と空想の間
に垣根がなくなってしまい、現実の世界に空想をもちこんだり、反対に、空想の世界に限りない
リアリティをもちこんだりする。そして一度、虚構の世界をつくりあげると、それがあたかも現実
であるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式のウソを、シャーシャーとつく。ウソをウソと自
覚しないのが、その特徴である。

●ウソは、静かに問いつめる
 子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうして」を繰り返しながら、最後は、「も
うウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、はげしく叱れば叱るほど、子
どもはますますウソがうまくなる。

 問題は空想的虚言だが、このタイプの子どもは、親の前や外の世界では、むしろ「できのい
い子」という印象を与えることが多い。ただ子どもらしいハツラツとした表情が消え、教える側か
ら見ると、心のどこかに膜がかかっているようになる。いわゆる「何を考えているかわからない
子ども」といった感じになる。

 こうした空想的虚言を子どもの中に感じたら、子どもの心を開放させることを第一に考える。
原因の第一は、強圧的な家庭環境にあると考えて、親子関係のあり方そのものを反省する。
とくにこのタイプの子どものばあい、強く叱れば叱るほど、虚構の世界に子どもをやってしまう
ことになるから注意する。

++++++++++++++++++++

【FGさんからの相談より】

 ある日学校の保健室の先生から呼び出し。小学二年生になった息子を迎えにいくと、私に抱
きついて泣きじゃくる。

 理由を聞こうとすると、保健室の先生が、「昨夜から何も食べていないとのこと。昨夜もおな
かが痛く、嘔吐もしたとのこと……」と。

 しかし息子は、元気だった。昨夜の夕食もしっかりと食べたし、嘔吐もなかった。

 こうしたウソは、息子が三歳くらいのときから始まった。このままでは、仲間からウソつきと呼
ばれるようになるのではないかと、心配。どうしたらいいでしょうか。(神奈川県K市在住、FGよ
り)

++++++++++++++++++++

 ほかにもいくつかの事例が書いてあったが、問いただせば、ウソと本人が自覚する程度のウ
ソということらしい。それまでは、虚構の世界に、自らハマってしまうよう。

 このタイプの子どもは、自分にとって都合の悪いことが起こると、それを自ら、脳の中に別の
世界をつくり、自分をその中に押しこんでしまう。そしてある程度、何回もそれを反復するうち、
現実と虚構の世界の区別がつかなくなってしまう。いわば偽の記憶(フォールスメモリー)をつく
ることによって、現実から逃避、もしくは現実的な問題を回避しようとする。これを心理学の世
界では、防衛機制という。つまり現実の世界で、心が不安定になるのを避けるために、その不
安定さを避けるために、自分の心を防衛するというわけである。

 原因は……、理由は……、引き金は……、ということを、今さら問題にしても意味はない。幼
児期の子どもには、こうしたウソをつく子どもは珍しくない。ざっとみても、年長児のうち、一〇
〜二〇人には、この傾向がある。やや病的かなと思われるレベルまで進む子どもでも、私の
経験では、三〇〜四〇人に一人。日常的に空想の世界にハマってしまうようであれば、問題だ
が、そんなわけで、ときどき……ということであれば、つぎのように対処する。

(1)その場では、言うべきことを言いながらも、決して、追いつめない。子どもを窮地に立たせ
れば立たせるほど、立ちなおりができなくなる。完ぺき主義の親ほど、注意する。

(2)小学三、四年生を境に、自己意識が急速に発達し、子ども自身が自分で自分をコントロー
ルするようになるので、その時期を目標に、つまりそういう自己意識で自らコントロールできる
ような布石だけはしておく。ウソをつけば、友だちに嫌われるとわかれば、またそういう経験を
実際にするうちに、自分で自分をコントロールするようになる。

 子ども(幼児、小学校の低学年児)のばあい、ウソを強く叱ると、「ウソをついたこと」を反省す
る前に、恐怖を覚えてしまい、つぎのとき、さらにウソの世界が拡大してしまうことになる。ウソ
は相手にしない。ウソは無視するという方法が、好ましい。しかし子どもが病的なウソをつくよう
になると、ほとんどの親はあわててしまい、「将来はどうなる?」「このままではうちの子は…
…?」と、深刻にに騒ぐ。

 しかし心配無用。人間は、どこまでも社会的な動物である。その社会でもまれることにより、
また、自己意識が発達することにより、自ら自分を修復する能力をもっている。大切なことは、
この自己修復能力を、大切にすること。この相談のFGさんのケースでも、ここ数年のうちに、
子どものウソは、急速に収まっていく。要は、今、あわてて症状をこじらせないこと。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司








件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■6-15

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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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です! 
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●活発な子ども、静岡県O郡のKYさんより

私には二人、九才(小三)の息子と、七歳の息子がいます。
上の九歳の息子のことなのですが、
調子に乗ってしまうと周りが見えない、
そのせいで友達が少ないのでは?……と
これが心配なのです。

息子は小さい頃から元気な子どもで、
特に保育園の頃までは友達とのトラブルが絶えませんでした。
近所に同年代の子ども達が多いので
入園の前からよく毎日数人〜一〇人くらいの子供達を
一緒にあそばせていましたが、
(お互いの家を行き来して)
そんな中ではよくケンカもあり、
誰かが泣くとたいていうちが原因でした。

年少の頃に、近所の友達の母から急に電話があり、
「このままじゃ、あんたの子どもも、いつか、大事件を起こすようになるかもよ。
このままじゃ安心してうちの子とも遊ばせることが出来ないから、
保育園の先生にも相談しましょう!」と言われたことがあります。

その時には保育園の先生と、近所の人二人と私の四人で話をしました。
かなりいろいろ責められましたが、
全部話を聞き終わった担任の先生は、
「大丈夫、今年の年少の子達はみんなおとなしい子が多いからそう思っちゃうの。
目立っちゃうだけ。よくあることだから安心して。」と
逆にその近所の人たちを説得してくださいました。

でも、その人たちは納得してくれず、
周りのほかの人たちにいろいろと言っていたようです。
うちの子どもが遊ぼう、と言っても
お母さんに怒られるからお前はダメ、と仲間はずれにされたこともあります。
(これは保育園の頃です)

その時から私自身の中で、
仲よくやって来たつもりの人たちも実はあんなふうに思っていたんだ、
との思いがぬぐいきれずに、ずっと尾を引き、今に至っています。

年中の頃には私にもわかってくれる友達も見つかり、
子どももその後小学校に入ると少しずつは落ち着いてきているかと思います。

学校の個人面談などで先生に聞いてみても、
「元気ですね。よくケンカはしますけど、原因を聞いて自分が悪いと思えば謝ります
し、特に問題はないですよ」とのことです。

ただ、いまだにお調子者のところがありまして、
自分が楽しくて舞い上がってしまうと周りが見えないといいますか、
自分が楽しい=友達も楽しい、と思ってしまうところがあるようです。

はじめは一緒にふざけていても途中で相手が嫌がった時に
すぐにそれがわからない、やめられない、
というようなところがあるようです。
これは担任の先生もおっしゃっていました。

学校は好きなようで毎日元気に出かけますし、
放課後はたまに友達と遊んだり、サッカークラブに通ったりしています。
近所には同学年の子どもがたくさんいるのですがその中に仲良しはいません。
近所の友達には疎外されているのか、
登校の時など同学年の子に避けられているように見える時もあります。
本人はあまり気にしていないのか、
それとも気が付いていないのかわかりません。
学校に行けば仲のいい子もいるようです。

私自身は子どものころからとても、人の目が気になる、というか、
友達が自分をどう思っているのか気になるところがあったように思います。
人に嫌われるのが恐かった、そう言ってもいいかもしれません。
最近はようやく、全ての人と上手く行くはずはない、
気の合う人とそうでない人がいて当たり前、
といくらか思えるようになりました。

子どもの人間関係のことが心配になる私はおかしいのでしょうか。
(これは過干渉なのかな?)
あまりに年少の頃のことが尾を引きすぎているのでしょうか。
(とてもとてもショックでしたので)

気にはなるものの、子供のケンカには口出ししないようにしています。
子ども自身で解決できる力を見につけて欲しいと思っています。
でも中には、小学生のうちならまだまだ親が代わりに言ってあげないと、
と言う人たちがいます。

うちの子どもは学校の話や友達の話など、
結構話してくれている方だとと思います。
多少自分に都合よく話しているかもしれませんが……。
楽しかったことはもちろん、時にはケンカをした話や
頭に来た話などもいろいろします。

そんな時は出来るだけ話を聞くようにしています。
このまま、このお調子者の性格は放っておいていいのでしょうか。
時々とても不安になります。

本当に突然のメールで失礼しました。
お気を悪くされなければいいのですが……。
お忙しいと思いますし、
メルマガを読ませていただいているので、
そちらの方に何かアドバイスを書いてくださってもかまいません。
勝手に一方的で本当にすみません。

わかりにくいメールに付き合ってくださってありがとうございました。
それでは失礼します。
(静岡県S郡T町、KYより)

【KYさんへ】

 お子さんを、K君とします。K君の、かなり活発な様子がよくうかがえます。しかしこういうケー
スでは、保育園や学校の先生を、何よりも尊重なさるのが、一番かと思います。先生たちが、
「だいじょうぶ」とおっしゃっているなら、私も、そう思います。子どもの活発さを判断するとき
は、つぎのポイントをみます。

●多動性があるかどうか。無遠慮、無警戒、無頓着、無秩序にあわせて、「抑え」が重要なポ
イントになります。抑えがきくかどうかということです。それなりのところでは、それなりに静かに
できれば、問題はないとます。

●攻撃性があるかどうか。他人に対して、暴力的、威圧的、攻撃的であるかどうかということで
す。嫌われたり、みなに恐れられていることを、むしろ得意に思ったり、楽しんだりしていないか
どうか。

●注意力が欠けていないかどうか。いわゆるそそっかしさがないかどうかということ。歩いてい
て平気で、茶碗を落とし、その茶碗を拾いながら、もう一方の手で花瓶を落してしまうような行
為はないかどうか。

●遅進性がないかどうか。知育の発育に遅れがないかどうか。してよいことと、悪いことの判断
ができるかどうかということ。知育の発育に問題があると、いわゆるとんでもないいたずら(コン
セントに粘土をつめるなど)をします。

以上が、心配な症状です。

 が、つぎのようであれば、心配はありません。

●好奇心が、きわめて旺盛。あらゆることに興味をもち、つぎからつぎへと好奇心が移ってい
く。何でもやりたがり屋で、失敗しても、まったくめげる様子がない。多芸多才で、趣味も多い。
交際範囲も広い。

●活動的で行動派。少しでも動き回れる空間があると、じっとしておられない。走り回ったり、
飛び回ったりする。体を動かすことが大好きで、汗をかくことを何とも思っていない。

●世話好き。友だちのことにも、平気で口を出したり、干渉したりする。黙っておられないタイ
プ。それだけ世話好きで、めんどうみがよい。クラスでも、人気者。あるいはどこにいても、存
在感があり、目立つ。

●態度が大きい。いわゆる伸び伸びしていて、態度が大きい。何についても、「私がやってや
る!」「やりたい!」というような様子を見せる。声も大きく、自己主張もはげしい。相手が年上
でも、ワーワーと食ってかかることがある。

 ざっと考えてみましたが、KYさんのお子さんは、どちらに近いでしょうか。もし、上記の四つの
ほうに近いとなれば、「心配」ということになりますが、しかしそれでも心配は、無用。

 仮に心配なタイプでも、やがて子どもは、自分で判断して、自分で自分をコントロールするよう
になります。こうした自分で自分を判断する意識を、自意識といいます。

 たとえばおとなは、(あなたも私も)、自分の弱点や欠点をよく知っています。そしてそういう弱
点や欠点を、カバーするため、自分をコントロールします。それが自意識です。

 しかし子どものばあい、こうした自意識、つまり自分自身を外の世界から客観的にみて判断
できるようになるのは、小学三、四年生前後とみます。それ以前の子どもには、まだこの自意
識は、軟弱で、自分で自分の姿を見ることはできません。たとえば落ちつきのない子どもがい
ます。そういう子どもに、「落ちつきなさい」と言っても、ムダだということです。「落ちつく」という
意味すら、理解できません。

 しかし三、四年生になると、自分で自分の姿を客観的に見ることができるようになります。そう
なると、「こんなことをすると、先生に叱られる」「みんなに嫌われる」というようなことが、わかっ
てきます。そして自分で自分をコントロールするようになります。

 そんなわけで、それ以前に、何か問題がある子どもでも、この自意識をうまく利用すると、そ
の問題を解決することができます。解決そのものができなくても、症状を軽減することができま
す。最近話題になっている、ADHD児(多動児)でも、この時期を境に、症状が急速に軽減する
のは、そのためです。

 しかし問題があります。それまでの段階で、あれこれ子どもをいじりすぎてしまい、かえって子
ども自身の自意識をつぶしてしまうということもあるというです。きびしいしつけや、暴力、暴言
など。たとえばここにあげたADHD児にしても、幼児期に、はげしい指導を受け、かえって症状
をこじらせてせいまうということは、よくあります。

 ですからこの時期、つまり幼児期から小学一〜三年生の時期は、言うべきことは言いながら
も、症状をこじらせないことだけを考えてください。仮に問題があるとしても、です。

 しかし最初の話に戻りますが、KYさんのケースでは、先生たちが、「問題ない」と言っておら
れるのですから、私もとくに問題はないと思います。先生が言っておられるように、むしろ、今、
どこかナヨナヨした子ども(とくに男児)が多いのも事実です。そして昔風の、わんぱく少年が、
むしろ脇に追いやられています。そういう意味では、活発で、たくましい子どものほうが、できの
悪い子どもということになってしまいます。これは悲しむべき現象と言ってもよいかもしれませ
ん。

 以上が、私の考えということになります。直接、お子さんを見ていませんので、これ以上のこと
は、私にはわかりません。しかし私があなたなら、先生の言葉を信じます。では、また何か、あ
れば、ご連絡ください。

 なお、いただいたメールを、このような形で、マガジンに載せたいのですが、どうかご理解の
上、ご了承ください。よろしくお願いします。
(030606)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

自分を解放する

 自分の心のうちにたまった、怒りやうっぷん、モヤモヤや悩み、それを思う存分、吐き出して
みる。叫んだり、泣いたり、怒鳴ったりしながら……。心の問題を解決するのに、これにまさる
方法は、ない。子どもとて、例外ではない。

 もう、あれから三年になる。不登校の、その一歩手前で、苦しんでいる子ども(中三男子)が
いた。学校へは何とか行くが、そのまま保健室へ。幸い、その段階で、母親から私に相談があ
った。私はいくつかのアドバイスをした。その中でも、強調したのは、一番苦しんでいるのは、
子ども自身であること。親がなしえることは、許して忘れること。その度量の深さによって、親の
愛の深さが決まること。今が、正念場であること。高校入試など、親子の絆(きずな)を犠牲に
するだけの価値はないということ。「正念場」というのは、ここで対処のし方を誤ると、一年です
む不登校が三年になる。三年ですむ不登校が、おとなになるまでつづくということをいう。母親
は、一言一句、私の言うことを、かみしめるように聞いてくれた。

 その翌日、また母親がたずねてきてくれた。そしてこう言った。

 「私がK男に、今まで、たいへんだったんだねと声をかけると、ワーッと泣き出しました。そし
て一時間ほど、自分のほうからあれこれ、話してくれました」と。

私「きっと、今までのお母さんと、違ったお母さんに見えたんですよ」
母「そうだと思います。今までの私は、『宿題は?』『テストは?』『成績は?』と、いつも子どもを
追いつめてばかりいました」
私「それはよかったですね。こういうケースでは、ふつう子どものほうは、何も話さないもので
す。しかし話したということは、かなり早い回復が期待できます」と。

 この母親のばあい、捨て身で子どもと対峙したのが、よかった。「何とか、学校へ行かせよう」
という気持ちを捨てた。そしてすべてをあきらめきった状態で、「今まで、たいへんだったのね」
と、ねぎらいの言葉をかけた。そういう姿勢が、子どもの心を開いた。子どもの心に大きな風穴
をあけた。

 言いたいことを言う。したいことをする。それが信頼関係の基本である。が、それだけではな
い。こういう互いの解放が、心のバランスを保つには、必要不可欠である。つまり人は、言いた
いことを言い、したいことをしながら、自分の心を調整する。それが悪いことだと、決して、頭か
ら抑えつけてはいけない。

 まずいのは、親子でも、たがいにいい子ぶること。仮面をかぶること。一度そういう状態にな
ると、子どもは、親からみて、「何を考えているか、わからない子」になり、親は、子どもからみ
て、「うるさい親」になる。まさに親子断絶の初期症状とみる。

 ……しかしこのことは、夫婦についても言える。夫婦でも、たがいに言いたいことも言えず、し
たいこともできないというのなら、かなり危険な状態とみてよい。だからといって、夫婦げんかを
しろということにもならないが、しかし夫婦げんかもしない夫婦というのは、本当に理想的な夫
婦と言えるのだろうかという疑問もある。ときには、たがいに自分の感情をぶつけあう。そうし
た操作を繰りかえして、夫婦は夫婦でいられる。

 その母親を玄関先まで見送りながら、「私たち夫婦は、だいじょうぶだろうか?」と、ふと、そ
んなことを考えた。
(030606)

       ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          
 \※/
  ‖
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。(635まで)
+++++++++++++++++++

祖父母との同居

 祖父母との同居について、アンケート調査をしたことがある。その結果わかったことは、「好
かれるおじいちゃん、おばあちゃん」の条件は、(1)健康であること、(2)やさしいこと、(3)経
験が豊富であること、(4)控えめであることだった(一九九三年・浜松市内で約五〇人の同居
世帯で調査)。

 反対に同居する祖父母との間のトラブルで一番多いのが、子育て上のトラブル。母親の立場
でいうと、一番苦情の多かったトラブルは、「子どもの教育のことで口を出す」だった。「甘やか
しすぎて困る」というのが、それに続いた。さらに「同居をどう思うか」という質問については、子
どもが生まれる前から同居したばあいには、ほとんどの母親が、「同居はよかった」と答えてい
るのに対して、途中から同居したばあいには、ほとんどの母親が、「同居はよくない」と答えて
いた。祖父母との同居を考えるなら、子どもが生まれる前からがよいということになる。

 そこで祖父母との間にトラブルが起きたときだが、間に子どもがからむと、たいていは深刻な
嫁姑戦争に発展する。母親もこと自分の子どものことになると、妥協しない。祖父母にしても、
孫が生きがいになることが多い。こじれると、別居か、さもなくば離婚かというレベルまで話が
進んでしまう。そこでこう考える。これは無数の相談に応じてきた私の結論のようなもの。

(1)同居をつづけるつもりなら、祖父母とのトラブルを受け入れる。とくに子どもの教育のこと
は、思い切って祖父母に任す。甘やかしなど問題もあるが、しかし子育て全体からみると、マイ
ナーな問題。メリット、デメリットを考えるなら、デメリットよりもメリットのほうが多いので、割り切
ること。

(2)子どもの教育は任せる分だけ祖父母に任せて、母親は母親で、前向きに好きなことをす
ればよい。そうした前向きの姿勢が子どもを別の面で伸ばすことになる。

(3)祖父母の言いたそうなことを先取りして子どもにいい、祖父母には「助かります」と言いな
がら、うまく祖父母を誘導する。

(4)以上の割り切りができなければ、別居を考える。
 大切なことは、大前提として、同居を受け入れるか入れないかを、明確にすること。受け入れ
るなら、さっさとあきらめるべきことはあきらめること。この割り切りがまずいと、母親自身の精
神生活にも悪い影響を与える。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子どもの性教育

 ある母親からこんな相談が寄せられた。いわく、「私が居間で昼寝をしていたときのこと。六
歳になった息子が、そっと体を私の腰にすりよせてきました。小さいながらもペニスが固くなっ
ているのがわかりました。やめさせたかったのですが、そうすれば息子のプライドをキズつける
ように感じたので、そのまま黙ってウソ寝をしていました。こういうとき、どう対処したらいいので
しょう。

 フロイトは幼児の性欲について、次の三段階に分けている。(1)口唇期……口の中にいろい
ろなものを入れて快感を覚える。(2)肛門期……排便、排尿の快感がきっかけとなって肛門に
興味を示したり、そこをいじったりする。(3)男根期……満四歳くらいから、性器に特別の関心
をもつようになる。

 自慰に限らず、子どもがふつうでない行為を、習慣的に繰り返すときは、まず心の中のストレ
ス(生理的ひずみ)を疑ってみる。子どもはストレスを解消するために、何らかの代わりの行為
をする。これを代償行為という。指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、体ゆすり、手洗いグセなど。自
慰もその一つと考える。つまりこういう行為が日常的に見られたら、子どもの周辺にそのストレ
スの原因(ストレッサー)となっているものがないかをさぐってみる。ふつう何らかの情緒不安症
状(ふさぎ込み、ぐずぐず、イライラ、気分のムラ、気難しい、興奮、衝動行為、暴力、暴言)を
ともなうことが多い。そのため頭ごなしの禁止命令は意味がないだけではなく、かえって症状を
悪化させることもあるので注意する。

 さらに幼児のばあい、接触願望としての自慰もある。幼児は肌をすり合わせることにより、自
分の情緒を調整しようとする。反対にこのスキンシップが不足すると、情緒が不安定になり、情
緒障害や精神不安の遠因となることもある。子どもが理由もなくぐずったり、訳のわからないこ
とを言って、親をてこずらせるようなときは、そっと子どもを抱いてみるとよい。最初は抵抗する
そぶりを見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。
 この相談のケースでは、親は子どもに遠慮する必要はない。いやだったらいやだと言い、サ
ラッと受け流すようにする。罪悪感をもたせないようにするのがコツ。

 一般論として、男児の性教育は父親に、女児の性教育は母親に任すとよい。異性だとどうし
ても、そこにとまどいが生まれ、そのとまどいが、子どもの異性観や性意識をゆがめることが
ある。

    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│ このマガジンが役立ちそうな人が
  ┃     ┃   ///─┘┤   いらっしゃれば、このマガジン
  ┃     ┃  刧凵^ | │  のことを話していただけませんか。
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

一磨君の絵

 今度、私の教室を、大改造した。まったくの大改造。旧教室の面影は、まったくない。すべて
消した。私も、昔で言えば、定年退職の年齢。何年かおきに改造を重ねてきたが、おそらくこ
れが最後の改造になるだろう。そういう思いも、強かった。

 で、旧教室のものは、一部のロッカーと、イスをのぞいて、すべて処分した。教材類も、ほとん
どを、処分した。すべて、だ。が、最後に、どうしても処分できないものがあった。一磨君の絵
だ。一磨君は、少し前、脳腫瘍でなくなっている。その一磨君が、私に、病床で描いてくれた絵
だ。私はその絵を、ずっと、旧教室の入り口に飾っておいた。

 一磨君について書いた原稿は、一作だけ。中日新聞で発表してもらった。(ここに添付。)今
も、ときどき……というより、その絵を見るたびに、一磨君のことを思い出す。本当のところは、
一磨君がいつも座っていた席を見るたびに、一磨君のことを思い出す。彼の席はいつも決まっ
ていた。最前列の、左から二番目だった。病気と闘うようになってからも、私の教室へ来たいと
言ってくれた。そして最後の最後まで、つまり入院するまで来てくれた。

 旧教室をこわすとき、私はその絵を、最後に、その教室から持ち出した。古い生徒の写真や
名簿、資料も、すべて捨てた。少し前まで、入会してきた生徒については、一人一人、すべてポ
ラロイドカメラで写真にとっていた。写真というのは、その写真をいう。そういう意味でも、今回
の改造は、まさに背水の陣。少しおおげさかもしれないが、すべての未練を断ち切るために、
そうした。「どうせ、死ねば、私の仕事は、そこでおしまい」と。一磨君の絵については、最後ま
で、迷った。捨てるべきかどうか、と。しかし結局、捨てられなかった。

 独自のカリキュラム。独自の姿勢。独自の教材。そんな独自性に、どれほどの意味があるの
か。この日本では、超有名(有名になったからといって、内容があるわけではないが……)、超
有名にでもならないかぎり、つぎの世代には残らない。私も、とっくの昔に、あきらめた。一時
は、自分のしてきたこと、していることを、つぎの世代に残したいと思ったこともある。しかし、あ
きらめた。もうこの日本に期待することは、何もない。だからすべてを捨てた。

 率直に言えば、今、私のところへ来ている生徒の親たちにも、何も期待していない。この仕事
は、報いられることよりは、裏切られることのほうが、はるかに多い。しかしいちいちそういうこ
とを気にしていたら、体も心も、いくつあっても足りない。もともと「教育」というのは、そういうも
の。この日本では……。

 いつかこの仕事をやめたとき、私に、何が残るだろうか。……よく、そんなことを考える。い
や、恐らく、何も残らないだろう。どこかのすし屋が、すし屋を閉めたとき、何も残らないように、
私も何も残らない。何百枚という生徒の顔写真を捨てたとき、ふと、そんなことを考えた。ワイフ
が、「本当に、捨てるの?」と、何度も聞いたが、今、捨てるか、私が死んでからだれかが捨て
るか。その違いだけだ。

 私ができることは、生徒たちの心のどこかに、数万分の一、数十万分の一でもよいから、私
の生きザマを残すこと。もちろん生徒たちは、それが私のものだと知ることは、ない。知る必要
もない。私の中に、無数の人間が生きているように、私も彼らの中に生きる無数の人間のひと
りであればよい。それでじゅうぶん。それでたくさん。それとも、私は、何を望んでいるのか。望
むことができるのか。

 私は一磨君の描いた絵を、新教室のロッカーの上に置いた。そのうち、場所を決めて、どこ
かの壁に飾るつもり。ひょっとしたら、私が過去、三三年間、幼児教室をしてきたのは、たった
一枚のこの絵のためだったかもしれない。そう思いながら、その横で、この原稿を書いた。
(030606)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

(少し前にも転載しましたが……)

++++++++++++++++

脳腫瘍で死んだ一磨君

 一磨(かずま)君という一人の少年が、一九九八年の夏、脳腫瘍で死んだ。三年近い闘病生
活のあとに、である。その彼をある日見舞うと、彼はこう言った。「先生は、魔法が使えるか」
と。そこで私がいくつかの手品を即興でしてみせると、「その魔法で、ぼくをここから出してほし
い」と。私は手品をしてみせたことを後悔した。

 いや、私は彼が死ぬとは思っていなかった。たいへんな病気だとは感じていたが、あの近代
的な医療設備を見たとき、「死ぬはずはない」と思った。だから子どもたちに千羽鶴を折らせた
ときも、山のような手紙を書かせたときも、どこか祭り気分のようなところがあった。皆でワイワ
イやれば、それで彼も気がまぎれるのではないか、と。

しかしそれが一年たち、手術、再発を繰り返すようになり、さらに二年たつうちに、徐々に絶望
感をもつようになった。彼の苦痛でゆがんだ顔を見るたびに、当初の自分の気持ちを恥じた。
実際には申しわけなくて、彼の顔を見ることができなかった。私が彼の病気を悪くしてしまった
かのように感じた。

 葬式のとき、一磨君の父は、こう言った。「私が一磨に、今度生まれ変わるときは、何になり
たいかと聞くと、一磨は、『生まれ変わっても、パパの子で生まれたい。好きなサッカーもできる
し、友だちもたくさんできる。もしパパの子どもでなかったら、それができなくなる』と言いました」
と。そんな不幸な病気になりながらも、一磨君は、「楽しかった」と言うのだ。その話を聞いて、
私だけではなく、皆が目頭を押さえた。

 ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の冒頭は、こんな詩で始まる。「誰の死なれど、人の
死に我が胸、痛む。我もまた人の子にありせば、それ故に問うことなかれ」と。私は一磨君の
遺体を見送りながら、「次の瞬間には、私もそちらへ行くから」と、心の奥で念じた。この年齢に
なると、新しい友や親類を迎える数よりも、死別する友や親類の数のほうが多くなる。人生の
折り返し点はもう過ぎている。今まで以上に、これからの人生があっと言う間に終わったとして
も、私は驚かない。だからその詩は、こう続ける。「誰がために(あの弔いの)鐘は鳴るなりや。
汝がために鳴るなり」と。

 私は今、生きていて、この文を書いている。そして皆さんは今、生きていて、この文を読んで
いる。つまりこの文を通して、私とあなたがつながり、そして一磨君のことを知り、一磨君の両
親と心がつながる。もちろん私がこの文を書いたのは、過去のことだ。しかもあなたがこの文
を読むとき、ひょっとしたら、私はもうこの世にいないかもしれない。しかし心がつながったと
き、私はあなたの心の中で生きることができるし、一磨君も、皆さんの心の中で生きることがで
きる。それが重要なのだ。

 一磨君は、今のこの世にはいない。無念だっただろうと思う。激しい恋も、結婚も、そして仕
事もできなかった。自分の足跡すら、満足に残すことができなかった。瞬間と言いながら、その
瞬間はあまりにも短かった。そういう一磨君の心を思いやりながら、今ここで、私たちは生きて
いることを確かめたい。それが一磨君への何よりの供養になる。

 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
**\\⊂'↓°⊃//**
*  \\_▽_//  *
    \\∧//
     Y☆Y
     〓〓〓      
    /|||\
     ̄Π ̄Π ̄ 
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

フェンス

 今日(六月七日)は、庭に、フェンスをつくることにした。もう一〇年越しに何とかしようと思っ
ていた。すると、突然、ワイフが、横ヤリ。

 「あんた、フェンスより、目隠しよ」と。

 ワイフは通りから庭の中をのぞかれるのが、いやらしい。「あのな、お前、いつもそういうこと
を言うから、フェンスができないのだ。今日は、フェンス!」

 設計図はできている。寸法も、測ってある。色も白と決めてある。あとはDIYショップへ行っ
て、材料を仕入れるだけ。……と、私のうほうは、こうして準備ができている。しかし肝心のワイ
フは、洗面所からなかなか出てこない。だからその間、こうして意味のない原稿を書いている。

 今日は曇り。家の前の林で、ヒヨドリが、けたたましく鳴いている。リスかカラスが、巣をねらっ
ているのだろう。「助けに行こうか」とも考えるが、キリがない。これも自然界の掟(おきて)。し
かしやっぱり、助けに行こう。そんなわけで、このエッセーは、ここまで。何とも中途半端なエッ
セーで、申しわけない。
(030607)

【追記】

 パイプを接着剤でつないで、フェンスを作ることにした。費用、約一万八〇〇〇円。しかしそ
の店で、抽選会をしていた。ワイフが引いて、何と一等賞! 一万円の商品券をゲット!

 そのお金で日用雑貨を買って、また抽選会へ。今度は、四等賞! 五〇〇円の商品券をゲ
ット! 今度は、それで犬のガムを買う。計、一万五〇〇円の商品券。めったに、……というよ
り、ほとんどクジで当たったことがない私たちが、である。

 何となく得した気分で、途中、寿司を買う。五〇〇円の寿司どんぶりを三つ買う。それを食べ
てから、フェンスを作る。

 結構、たいへんな作業だった。途中、おかしなところで接着剤がかたまってしまい、一部、ム
ダにした。一時ごろから作業を始めて、終わったのが三時半。これから一休みして、今夜は、T
保育園へ。講演が終わったら、帰りは、山荘へ。そこで一泊の予定。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

マスコミ的人気

 「統計学」と、身がまえるほどのことではないが、こんなことがある。

 Aさんは、テレビによく出る。1000人の人に知られている。
 Bさんは、マスコミの世界では、ほとんど知られていない。10人の人にしか、知られていな
い。

 が、あるとき、ある月刊誌が、「上司にしたい人物はだれ」というテーマで調査した。結果、Aさ
んは、200票を獲得。Bさんは、5票を獲得。そこでその月刊誌は、「上司にしたい人物ナンバ
ーワンは、Aさん」と発表した。

 しかしこの話は、どこかおかしい。Aさんが、大量の票を獲得するのは、当然。が、ここで重要
なのは、Aさんを嫌っている人も、多いということ。「Aさんの顔がテレビに出たら、チャンネルを
かえる」という人が、500人いたとする。しかしそういう数字は、外に現れてこない。

 実は、ここにマスコミ的人気の、大きな問題点が隠されている。Aさんは、人気の相乗効果と
いうので、ますます、その人気が作られていく。知名度もあがる。しかし、だ……。

 みなさんも、一度、冷静に、あの夜の番組をにぎわすバラエティ番組を見てほしい。そしてそ
の番組をにぎわす、タレントたちを、見てほしい。冷静に、だ。私たちのほとんどは、何の疑い
もなく、ああいう人たちを、有名人として祭りあげてしまうが、本当に、それにふさわしい人なの
か、と。

 いや、私は子どもたちの世界を心配している。先日も、小学五年生のU君が、興奮気味にこ
う言った。「先生、あのBが、浜松へ来たんだって! ぼく、見に行ったけど、遅かった。チクショ
ー!」と。Bというのは、元お笑いタレント。今も、その類のタレント。しかし同年代の一人の男
性としてみても、私には、インチキの塊(かたまり)のような人間にしか見えない。そういうタレン
トを、小学生たちは、神様、あるいは仏様のように錯覚している!

 そこで私はワイフとこんな会話をした。

私「知名度も大切だが、嫌悪度も調査すべきではないのか」
ワ「悪いことをして有名になる人もいるから、有名だから、善人ということにはならないわ」
私「そこなんだ。いくら200人の人に支持されているとしても、500人の人に嫌われているとし
たら、その人には『?』マークをつけるべきだ」
ワ「しかし今は、直接、テレビで、その人の顔を見ることができるのだから、その人がどうい人
か、わかるはずよ」
私「そうなんだ。みんなも、もっと冷静に、『本当にこの人が文化人なのか』という視点で、判断
すべきだと思う。でないと、日本の文化は、ますます低俗化してしまう」

 実のところ、私は、このところ、ほとんどテレビを見ていない。見るとしても、ニュース程度。あ
あいった低俗バラエティ番組を見て、ムダにする時間など、もうない。ときにハハハと笑って見
ることもあるが、そのあと襲ってくるむなしさをいったい、どうしたらよいのか。私自身の脳の奥
底に潜む低俗さをを、えぐら出されるようなむなしさと言ってもよい。このところそれをますま
す、強く感ずるようになった。
(030608)

【追記】

 ここまで書いて、こんな話を思い出した。

 山荘の床の間には、一枚の掛け軸が飾ってある。彩色山水画である。中国人の友人の結婚
式に出たとき、その友人がくれたものだ。中国本土でも、かなり力のある人が描いた力作らし
い。よくある印刷物ではない。

 で、ある日、私の山荘へ、ある美術商の男がやってきた。もともとは仏画を専門にしている男
だった。その男が、その掛け軸を見て、こう言った。

 「この掛け軸はたいしたことないですね」と。

 詳しい専門用語は忘れたが、その理由の一つ。表装が、三段でしかないということ。台紙の
上に、計三枚しか表装されていないことをいう。

 「よい掛け軸となると、四段、五段……となっています。つまりこの掛け軸は、簡単な表装で
す」と。

 もう一つの理由は、これも専門用語は忘れたが、掛け軸の下にさがっている重(おも)しの石
の質が、よくないこと。「この石は、荒削りですね」と。

 つまりその男は、掛け軸の絵を見るのではなく、外見ばかり見ていた。そこで私がこう反論し
た。

 「反対に、表装だけ、何段もごまかし、重しだけいいものを使って、ひどい絵を高価に見せる
こともあるでしょう」と。

 するとその男はこう言った。

 「もしいい絵なら、簡単な表装はしないでしょう」と。

 要するに表装の立派さは、よい絵の必要条件ということらしい。つまり友人が私にくれた掛け
軸は、簡単な表装だから、そもそも美術的評価には、値しないと。

 この話は、どこかバラエティ番組に出てくるタレントの評価とどこか、似ている? それとも似
ていない? 今朝の私は、どこか頭の中がぼんやりとしている。だからこの話は、ここまで。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


ビワの収穫

 山荘のまわりに、三本のビワの木がある。そのうち、一本は、今が収穫期。朝早くから、収穫
を始める。

 私が枝のついたままビワの実を下へ、落とす。それをワイフがハサミで、一個ずつ、切り離
す。ビワというのは、おもしろい木で、枝を切れば切るほど、翌年、また実を実らせる。あまり高
い木にすると、収穫がしにくくなるので、上に伸びた枝を容赦なく切る。

 途中、隣りのおばさんが、犬を連れて散歩にくる。一枝、分けてあげる。しばらく立ち話。そし
てそのあと、また収穫。

 ワイフが、「食べきれないわ」と何度も言う。「来週は、カラスのエサだ。カラスには、ビワはや
らない」と私。

 結局、二〇〜三〇キロの収穫。袋にして、二杯分。脚立をもってきて、高いところの枝を切っ
ていると、朝の白い陽光が顔を照らす。ジリジリとした夏のにおい。

 「こんなところにハチの巣がある」
 「ハチはいるの?」
 「あぶなかったな。去年は気がつかなかった」
 
 ハサミで、ハチの巣をたたき落とす。そしてビワの実がついた枝を、ワイフのほうにめがけて
投げる。

 「もう、いらない」
 「もったいなから、おいしそうなのだけを、取ればいい」

 そう言いながら、脚立の上で、ビワをほうばる。水っぽい、淡白な味。それがジュースを飲ん
だときのように、ジワーッと口に広がる。その中に上品な甘さ。少しすっぱさを感じるのは、ビタ
ミンCのせい? 去年は、肥料をたくさんまいた。それで今年のビワは甘い?

 ビワの収穫のし方。

(1)枝ごと切り落とす。
(2)枝どうしを、パンパンとたたく。
(3)下に落ちた実だけを拾う。
(4)残りの枝と実は、捨てる。

 これは私流のやり方。熟した実は、枝から離れやすい。そうでない実は、離れにくい。簡単な
原理だ。ワイフは、相変わらず、ハサミで、一個ずつ切り離している。

 「どうして、そんなめんどうなことをする?」
 「だって、このほうが、見栄えがいいでしょう」
 「味は変わらない」
 「だからあなたは、風情(ふぜい)がないのよ」
 「ああ、今朝の朝食はビワだ」

 そう言って、おいしそうなビワだけを食べる。まずいのは、一口かんで、捨てる。それを繰りか
えす。が、ますます日差しが、強くなったようだ。

 「もう、やめようか」
 「そうね」と。

 残った枝とビワは、そのまま近くのヤブの中に捨てる。ビワの入った袋は、もう一つふえてい
た。
(030608)※


     ▲   ▲
    ▲▼▼ ▼▼▲
   ▼  ▲◎▲  ▼
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    ▲  口  ▲
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
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よくある相談から

●園での授業風景を見ていると、姿勢が悪い……疑うべきは、カルシウム不足。筋肉の緊張
感が持続できないとみる。このタイプの子どもは、体をクネクネさせることにあわせて、あきっ
ぽく、集中力がない。

●鼻くそばかりほじる……疑うべきは、慢性の副鼻炎(蓄膿症)ほか。一度、耳鼻科で診察して
もらうとよい。

●キーキーと興奮性が強い……疑うべきは、低血糖。甘いものを断続的に、多量にとったりし
たりすると、その反動で低血糖になり、興奮性が強くなる。甘い食品を遠ざけてみる。

●指しゃぶりをする……心の緊張状態をほぐすため、子どもは指しゃぶりをする。幼児のばあ
い、たいてい愛情問題がからんでいるとみる。指をしゃぶることによる快感が、不安や心配を
やわらげる。指しゃぶり、髪いじり、ものかみなど。

●内弁慶、外幽霊である……対人恐怖症、かん黙症などが疑われる。それが何であるにせ
よ、このタイプの子どもは、外の世界では緊張しやすいので、家の中では、その反面、気が楽
にできるような雰囲気をつくってあげる。

●小食である……冷蔵庫を、とにかくカラにする。日常生活で、食べ物が不足状態にする。
「小食」と悩んでいる家庭ほど、食べ物がゴロゴロしている。まず生活習慣を改める。

●どこか乱暴である……ぬいぐるみをうまく利用する。母性(父性)が、自然な形で育っている
子どもは、ぬいぐるみを見せたり抱かせたりすると、うっとりするような表情を見せる。

●字がへた……運筆能力が育っていないとみる。ぬり絵などを、日常的にさせてみるとよい。
字の練習に先立って、この練習をしっかりしておくとよい。

●鉛筆のもち方がおかしい……約五〇%の子どもが、正しく鉛筆をもち、三〇%がクレヨンを
もつようにしてもち、残りの二〇%が、きわめて変則的なもち方をすることがわかっている(年
長児、筆者調査)。基本的には親指と人差し指で鉛筆をつかみ、うしろから中指で押さえるの
がよいが、あまりうるさく言っても意味がない。

●けんかばかりする……幼児のばあい、攻撃型(乱暴)も、内閉型(ぐずり)も、「根」は同じと
みる。心の緊張感がとれないことが原因と考え、何が緊張させているかを、判断する。

以上、よくある相談を、簡単にまとめてみた。
(030608)

       ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          
 \※/
  ‖
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。(635まで)
+++++++++++++++++++

人格形成と勉強は別

 「人格形成と勉強は別」というタイトルにしたが、このタイトルの中の「勉強」を、「学力」もしくは
「知識」にしようかで、私はかなり迷った。で、その結果、「勉強」にした。わかりやすく言えば、
勉強ができるから人格的にすぐれた人間になるとか、もっと言えば、学歴があるから人格的に
すぐれた人間になるとか、そういうことはありえない。ありえないことは子どもを教えてみればす
ぐわかる。人格形成と勉強は、まったく別のものである。

 人格形成は日々の鍛錬の中からなされる。日々の鍛錬というのは、日々の思考と行動と、そ
れに困苦の三つをいう。こう決めてかかるのは危険なことかもしれないが、少なくとも人格とい
うのは、教育だけでできるものではないし、知識があるから人格者ということにはならない。た
とえば家事の手伝いをよくしている子どもと、そうでない子どもとは、見ただけで判別できるほ
ど、違いがよくわかる。家事をよく手伝っている子どもは、どっしりとした人間的な深みがあっ
て、おとなの私ですらも包んでくれるような包容力がある。が、家事をほとんどしない、いわゆる
ドラ息子、ドラ娘にはそれがない。こうしたことと、掛け算の九九をペラペラと言うとか言わない
とか、あるいは漢字をたくさん書けるとか書けないとかいうこととは、まったく関係ない。

 が、この日本では、勉強ができる人、つまり学歴が高い人ほど、人格もまた高邁(こうまい)で
あるということになっている。子どもの世界もそうで、勉強ができる子どもほど、人格的にもすぐ
れた子どもということになっている。あるいは日本の社会全体、それを受ける教育全体が、そう
いう錯覚の上に成りたっている。しかし錯覚は錯覚。これは一つの例だが、有名進学高校ほ
ど、その内部での生徒どうしのいじめが多い。しかもそのいじめは陰湿かつ執拗。具体的な数
字があるわけではないが、こんなことは教師の間では常識である。

もちろん学問することはムダではない。ないが、問題はその学問のし方である。もっと言えば、
学問しながら、そこで自分の「思考」をいかにはぐくむか、だ。どこかの寺の本山で学ぶ小僧の
ように、ただ覚えて、覚えて、覚えるだけの学問には、意味がない。学問が学問として意味をも
つのは、考えて、考えて、考え抜くところにある。が、考えるだけでは足りない。そうした思考
に、行動や困苦がともなってはじめて、思考は意味をもつ。つまりその人の人格の基礎とな
る。

 どこかバラバラなことを書いたが、要するに子どもにはよく考えさせ、よく行動させ、家事の手
伝いをよくさせる。これが子どもの人格を育てる基本ということになる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

日本人の依存性

 日本人が本来的にもつ依存心は、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、日本人がそれ
に気づくには、自らを一度、日本の外に置かねばならない。それはちょうどキアヌ・リーブズが
主演した映画『マトリックス』の世界に似ている。その世界にどっぷりと住んでいるから、自分が
仮想現実の世界に住んでいることにすら気づかない……。

 子どもでもおなかがすいて、何か食べたいときでも、「食べたい」とは言わない。「おなかがす
いたア、(だから何とかしてくれ)」と言う。子どもだけではない。私の母などは、もう四〇歳のと
きから私に、「お母ちゃん(自分)は、歳をとったでナ。(だから何とかしてくれ)」と言っていた。

 こうした依存性は国民的なもので、この日本では、おとなも子どもも、男も女も、社会も国民
も、それぞれが相互に依存しあっている。こうした構造的な国民性を、「甘えの構造」と呼んだ
人もいる。たとえば海外へ移住した日本人は、すぐリトル東京をつくって、相互に依存しあう。
そしてそこで生まれた子ども(二世)や孫(三世)は、いつまでたっても、自らを「日系人」と呼ん
でいる。依存性が強い分だけ、その社会に同化できない。

 もちろん親子関係もそうだ。この日本では親にベタベタと甘える子どもイコール、かわいい子
とし、そのかわいい子イコール、よい子とする。反対に独立心が旺盛で、親を親とも思わない
子どもを、親不孝者とか、鬼っ子と言って嫌う。そしてそれと同時進行の形で、親は子どもに対
して、「産んでやった」「育ててやった」と依存し、子どもは子どもで「産んでもらった」「育ててもら
った」と依存する。こうした日本人独特の国民性が、いつどのようにしてできたかについては、
また別のところで話すとして、しかし今、その依存性が大きく音をたてて崩れ始めている。イタリ
アにいる友人が、こんなメールを送ってくれた。いわく、「ローマにやってくる日本人は、大きく二
つに分けることができる。旗を先頭にゾロゾロとやってくる日本人。年配の人が多い。もう一つ
は小さなグループで好き勝手に動き回る日本人。茶髪の若者が多い」と。

 今、この日本は、旧態の価値観から、よりグローバル化した新しい価値観への移行期にある
とみてよい。フランス革命のような派手な革命ではないが、しかし革命というにふさわしいほど
の転換期とみてよい。それがよいのか悪いのか、あるいはどういう社会がつぎにやってくるの
かは別にして、今という時代は、そういう視点でみないと理解できない時代であることも事実の
ようだ。あなたの親子関係を考える一つのヒントとして、この問題を考えてみてほしい。

    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

友だちができない子ども

●私の経験から

 三〇歳、四〇歳、五〇歳となると、人間的に、ますます小回りがきかなくなる。自分がかたま
るというか、余裕がなくなるというか……?

 たとえば私は昔から、団体旅行が苦手だった。そういう場面になると、どこか自分だけ、別行
動を試みた。みなが出かけたあとなど、勝手にバスの中で居眠りしていたこともある。

 しかしバス会社の用意する、団体旅行は、格安なものが多い。だから旅行というと、そういう
ものを利用するしかなかった。で、息子たちがまだ小さいうちは、多い年には、数回、そういうも
のを利用した。

 が、私が四〇歳になったときのこと。郵便貯金の旅行会があった。かなり豪華な旅行だった
が、一人分しかなかった。しかたないので、私はひとりで、行くことにした。そのときのこと。

 バスが、高速道路に入ったところで、大きな違和感を覚えた。みなが、酒を飲みだし、カラオ
ケを歌いだした。私は、酒は飲めない。それに中学のときから、学生時代は、合唱団にいた。
カラオケというものには、どこかなじまない。カラオケというより、カラオケでよく歌われる演歌と
か歌謡曲に、だ。

 酒をすすめられた。歌を歌うように言われた。若いころの私なら、そういうとき適当にその場
をごまかして、それなりに振る舞うこともできたかもそれない。しかしそのときは、違った。「たま
の休みではないか。どうしてこういう苦痛を受けなければならないのか」と。

 そう思ったから、最初の休憩でバスがとまったとき、私はバスをおりた。そしてそこからタクシ
ーを呼んで、帰ってきてしまった。

●心を開く

 友だちになるかどうかは、心を開くことができるかどうかで、決まる。その人に対して、心を開
くことができれば、友だちになれる。そうでなければ、そうでない。ただ心を開いたからといっ
て、友だちになれるとはかぎらない。しかし心を開くというのは、友だちになる大前提と考えてよ
い。

 心を開くというのは、安心して、自分をさらけ出すことをいう。自分が何を言っても、何をして
も、相手はそれを許してくれるだろう。あるいは受け入れてくれるだろうという、絶対的な安心感
をいう。「絶対的」というのは、「疑いすらいだかない」という意味。疑った瞬間、それは絶対的で
はなくなる。

 人と、友だちになれない人は、心を開くことができない人とみてよい。表面的な様子にだまさ
れてはいけない。たとえば他人に、ヘラヘラと、たいへん愛想がよい人がいる。一見、人づきあ
いがよい人に見える。しかしそういう人ほど、演技でそうしているだけ。もっと言えば、本当の自
分は別のところにいて、自分をごまかしているだけ。つまり愛想をよくすることによって、相手の
心に取り入ろうとする。

 子どももそうで、極端に愛想のよい子どもは、何を考えているかわからない子どもと同じに考
える。一応、警戒したほうがよい。こんな失敗をしたことがある。

 ある日、小学三年生のA君が、イスから立って、フラフラと歩いていた。そこで私が、「A君、パ
ンツにウンチがついているなら、立っていていい」と言った。ふだんならそこで、A君がイスにす
わり、話が終わるはずだった。しかしそのとき、ハプニングが起きた。

 まわりにいた二人の子どもが、そのままA君のおしりに顔をあて、「先生、本当にこいつのお
尻、臭い!」と叫んでしまった。クラスが爆笑した。A君も、バツがわるそうだったが、笑ってい
た。そしていつものように、A君はおどけてみせた。

 が、その夜、A君の父親から、ものすごい剣幕の電話がかかってきた。「パンツのウンチのこ
とで、息子の恥をかかせるとは、どういうことだ!」と。

 すべて私に責任がある。そのときは、ただひたすら謝るしかなかった。しかし……。

 私はこの事件を契機に、子どものもつ、もう一つの側面に気づいた。つまり表面的な様子に
だまされてはいけないということ。似たようなケースだが、みなの前に立つと、何かにつけて笑
わせ名人で、おどける子どもがいる。そういう子どもは、恥をかくのを回避するために、そうして
いることが多い。たとえば勉強ができない子どもが、先生に指されたとたん、ひょうきんなかっ
こうをして、おどけて見せるなど。

●友だちができない子ども

 友だちができない子ども。あるいは友だちができない人でもよい。このタイプの子どもは、他
人とのかかわりをもつとき、(1)攻撃型になる。(2)服従的になる。(3)依存的になる。(4)同
情を求めるの、四つのどれかの行動をとることが多い。

 攻撃型というのは、威圧や暴力によって、相手を自分の支配下に置こうとする。このタイプの
子どもは、みなに嫌われることによって、自分の存在感をアピールしようとする。だから「そんな
ことをすれば、みんなに嫌われるよ」と言っても、意味がない。

 服従的になるというのは、いわゆる子分に徹するということ。先生に対しても、また友だちに
対しても、である。服従的であるというのは、それ自体、居心地のよい世界である。言われたこ
とだけを従順に守っていれば、身の安全だけは保証される。

 依存的になるというのは、いわゆる「甘える」ということ。いわゆる甘えじょうずということにな
る。生活態度も、甘い。約束を守らない、規則を守らない。そこで先生が叱ったりするが、ヘラ
ヘラと笑ってごまかしてしまう。

 同情を求めるというのは、何かにつけて、自分は同情されるべき人間と見せる。いわゆるぶ
りっ子も、このタイプに含まれる。やさしい人間、弱い立場の人間であることを演じながら、相手
を支配しようとする。子どもには少ないが、老人になると、ふえる。弱々しい母親を演ずること
で、子どもの同情をかおうとする。私の知りあいにも、電話をかけてきて、今にも死にそうな声
で、「おばちゃんも、年をとったからねえ……」と言う女性がいる。

 こうして四つのタイプに分けたが、ふつうは、複合的であることが多い。あるいは相手に応じ
て、依存的になったり、服従的になったりすることもある。

 これに対して、だれにも心を開くことができる子どもは、その分だけ、友だちが多い。またそう
いう子どもは、そういう子どもどうしで、仲間をつくる。このことが、かえって、そうでない子ども
を、外の世界に追いやることになる。

●自分を知る

 テレビを見ていたら、いじめについて、高校生たちが話しあっていた。その中の一人。女子高
校生だったが、切々と、自分がみなに、いじめを受けていたことを話していた。教室へ入って
も、みなに無視されたとか。あいさつをしても、無視されたとかなど。

 さぞかしつらかっただろうと思う。実は、私も高校生のとき、一時期、そういういじめを受けた
ことがある。しかし当時は、そういった問題については、関心も知識もなかった。いじめを受け
るほうは、ただ一方的に、自分のカラにこもるしかなかった。

 しかし今から思うと、そういういじめを受けた私は、では、被害者だったのかというと、どうもそ
うでないような気がする。そのことは、私が四〇歳くらいのときに気づいた。つまり私自身にも、
責任があった。私に友だちができなかったのは、まわりが悪かったというより、私自身が、心を
開かなかった。心を許さなかった。そういう私に、みなが反応していただけだ、と。

 私はテレビで、自分に対するいじめを語っている高校生を、静かに観察してみた。ひとつ気に
なったのは、高校生らしい、ハツラツとした明るさがなかったこと。どこか、暗い。それにコメン
テターが、あれこれアドバイスするたびに、こまかいミスを指摘しては、それに反論していた。ど
うも人の話を、すなおに聞くことができない性格のようだ。と、そのとき、私は、こう感じた。

 「この女子高校生は、被害者の立場ばかりを強調しているが、彼女も、自分自身が内在的に
もつ問題について、気がつくべきではないのか」と。

 ……実のところ、こう書くのは、たいへん勇気がいる。以前も、ある雑誌で同じようなことを書
いたことがあるが、そのときは、猛烈な抗議の手紙をもらった。それには、「あなたのような人
間には、評論家の資格はない」というようなことまで、書いてあった。私は何も、いじめを肯定し
ているわけではない。またいじめられる側に、責任があると言っているのではない。デリケート
な問題であるだけに、誤解を招きやすい。

●では、どうするか?

 子どもに、友だちができないことを悩んでいる母親は、多い。「仲間はずれにされる」「仲間に
してもらえない」「遊びに入れてもらえない」「いつも子分で、命令ばかりされている」など。

 友だちというのは、その子どもにとっては、全人格的な問題といえる。そのため、そう簡単に
は解決しない。またその「根」は、想像以上に、深い。新しいクラブへ入れたから、それで友だ
ちができるという簡単な問題ではない。

 親がせいぜいできることと言えば、そういう環境を用意し、相手に対して、心の開き方を教え
ることでしかない。しかしそれとて、限界がある。イギリスの教育格言に、『馬を水場につれてい
くことはできても、水を飲ませることはできない』というのがある。つまりその先を決めるのは、
子ども自身であるということ。子どもに任せるしかない。

 ……ということで、子どもの問題として、「友だち」を考えてみた。しかしそれは同時に、私たち
自身の問題でもある。親子の問題、夫婦の問題、そしてあなたと両親の問題など。そこで私は
今、こんなことを考えている。

 この七月に、オーストラリアの友人のB夫妻が、一か月ほど、私の家にホームステイすること
になった。学生時代からの友人である。その友人が私の家に来ることについて、もちろん私は
うれしい。しかし同時に、不安もある。私は彼にとって、「友」というに、ふさわしい人間かどうか
という不安である。私はもともと、ワイフと、実の姉くらいにしか、心を開くことができない。その
ほかの人に対しては、自分自身を、さらけ出すことができない。
 
 そういう私に対して、さみしい思いをしているのは、むしろその友人のほうではないか。もしそ
うなら、私は、私という、実につまらない人間と、三五年も、つきあわせたことになってしまう! 
三五年だ! だから私は、今度こそ、彼に対して、心を開いてみようと思う。私も、「友を迎え
る」と、気を張るのはやめる。ありのままで、ありのままの気分で、B夫妻を迎えようと思う。そ
れがうまくできるかどうかは、本当のところは自信がないが、努力はしてみる。
(030609)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

孤独な人

 人間関係が、うまく結べない人は、孤独になりやすい。当然である。原因の多くは、心を開け
ない。あるいは人間関係を、打算、利益、損得で判断する。

 しかしまったくの孤独でいることはできない。そこでこのタイプの人は、何らかの方法で、夫
(妻)、友人、あるいは子どもを支配しようとする。不安や心配は、それ自体が恐怖である。そ
の恐怖から、心を防衛しようとする。これを心理学では、防衛機制という。

 タイプとしては、(1)攻撃型、(2)同情型、(3)依存型、(4)服従型に分類される。

 ある雑誌に、こんな相談が載っていた。奈良県に住む、REさんという女性(四〇歳)のものだ
った。

 「夫(四五歳)が、私から離れません。自営業ですが、ほとんど一日中、いっしょにいたがりま
す。私が『苦痛ではないの?』と聞くと、『全然』と言います。ときどき……というより、よく私のほ
うが苦痛になります。しかし夫が、外へ出してくれません。旅行に行きたいなどというと、猛烈に
嫉妬します。ときに暴力をふるいます」(要約、一部改変)と。

 この夫は、ここでいう(1)の攻撃型と、(3)の依存型の二つを混在してもっているのがわか
る。ふだんは、妻だけには心を許せるため、孤独を解消するために、妻といたがる。しかしそ
の妻が、自分から遠ざかると感ずると、嫉妬という形で攻撃型になる。

 しかし夫が妻に示している愛情(?)は、本物の愛情ではない。妻を自分の支配下において、
妻を思いどおりにしたいという愛情である。よく子どもの受験勉強に狂奔する母親がいる。この
タイプの母親も、子どもを自分の思いどおりにしたいだけ。こういうのを、代償的愛という。自分
勝手で身勝手な愛だと思えばよい。もっとわかりやすい例では、ストーカーがもつ愛がある。相
手の迷惑など、考えない。

 原因は、ここにも書いたように、人とうまく人間関係を結べないことによる。まず自分をさらけ
出すことができない。自分がせきないから、相手がさらけ出しても、それを受けいれることがで
きない。
 
 さらにその原因はといえば、乳児期の母子関係にある。つまり母子関係が、不全であったと
みる。そのため、母親との間で、基本的信頼関係を結べなかった。このときできる信頼関係
が、それから先、すべての信頼関係の基本になるという意味で、基本的信頼関係という。

 その夫は、結婚してから一五年(メール)になるというが、いまだに妻との間で信頼関係を結
べないでいるとみる。だからそのあたりまでメスを入れないと、この問題は、解決しない。方法
としては、一度、夫が何らかの形で、心の中のすべてを開示すること。「夫だから」「メンツがあ
る」「恥ずかしい」とか、そんなことを言っていてはいけない。すべてをさらけ出す。そして妻との
間で、新しい信頼関係をつくる。

 ついでながら、この相談に対して、回答者(著名な女性評論家)は、つぎのように答えてい
た。あまりにもトンチンカンなので、私は笑ってしまった。

 「夫の深い愛情を感じませんか。人を愛するには、いろいろな形があります。あなたの夫は、
そういう形で、あなたを愛しているのです。そうでない夫婦が多いという現状の中で、うらやまし
いではありませんか。そういう状態を不満に思うのではなく、前向きに夫の愛情を受けとめたら
どうでしょうか」(要約、一部改変)と。
(030608)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

会話のない父子

●Gさん(五六歳・女性)が、こう相談してきた。「夫と、父親が、まったく会話しません。そういう
状態が、結婚のときからつづいています。どうしたらいいでしょうか」と。

++++++++++++++

 Gさん父子(七三歳と四八歳)は、この三〇年間、ほとんど会話をしていない。同居していて
も、だ。毎日が一触即発。ささいな言い争いが、そのまま大げんかになることも珍しくない。

 原因は、父子の確執(かくしつ)。だれしもそう考える。しかし心理学では、そうは考えない。原
因は、息子の側の心の緊張感がとれないこと。息子自身が気がついているかどうかは別にし
て、息子は、父親を前にしたとたん、心が緊張状態になる。こういう例は多い。

 Aさん(三五歳、女性)は、盆暮れに実家へ帰るのが苦痛でならないという。親を前にすると、
ピンとした緊張感が走り、あとは何をしても疲れるだけ、と。

 Bさん(三五歳、女性)もそうだ。ときどき実母が遊びにくるのだが、帰るたびに、はげしい偏
頭痛に襲われるという。

 父子だから、信頼しあうなどというのは、もはや幻想でしかない。ざっとみても、約五〇%の
父子は、「うまくいっていない」。「うまくいっていない」というのは、「うまくいっていない」というこ
と。

 問題は、なぜ心の緊張感がとれないかということ。あるいは親を前にすると、子どもが緊張し
てしまうかということ。さらに悲劇的なことに、そういう状態を、子どもも気がつかないが、それ
以上に、親も気がつかないということ。

 この問題の「根」は深い。深いだけに、簡単にはなおらない。

 子どもは、絶対的な安心感のある家庭で、親子の信頼関係を結ぶことができる。「絶対的」と
いうのは、疑いすらもたないという意味。したいことをし、言いたいことを言うという環境である。

 推察するに、Gさん父子には、そうした信頼関係がないとみる。父親のほうはともかくも、子ど
ものほうには、それがない。不信関係というのではない。信頼関係そのものがない。もっとわか
りやすくいうと、子どもの側が、安心して父親に心を開くことができない。つまり子どもが、乳幼
児のときに、すでにそういう状態になってしまった。

 こういうケースでは、息子は、子どものころ、親の前では仮面をかぶるようになる。いわゆる
「いい子ぶる」ということ。だから父親は、ますます子どもの心を見失う。見失ったまま、「私はす
ばらしい親だ」と錯覚する。あるいは、「うちの息子は、できのいい息子」と誤解する。

 こういう心のズレがやがてキレツとなり、さらには断絶へと発展する。気がついたときには、
「会話のない父子」になる。

 では、どうするか。

 こういうケースでは、父親のほうができることは、ほとんど、何もない。母親ができることは、さ
らにない。また親たちが何かをすればするほど、逆効果。一方、子どもの側は、その緊張感を
取りのぞくのは、並大抵の努力ではできない。もしそんなことができれば、この世の中には、情
緒が不安定な人はいないということになってしまう。人間関係というのは、そういうもの。人間の
心というのは、そういうもの。

 では、どうするか。

 一度、そういう状態になったら、もうあきらめるしかない。皮肉なことに、こういうケースでは、
父親が死んだとき、はじめて、問題が解決する。よほどのことがないかぎり、それまでは無理。
つまり「私たち父子は、こういうもの」と、割り切るしかない。そしてあとは、たがいに気にせず、
それぞれが自分の道を進むしかない。

 ただ、誤解してはいけないのは、たがいの絆(きずな)は、表面的な関係はともかくも、しっか
りとあるということ。あるいはふつうの親子よりも、太いかもしれない。いざとなれば、息子は、
親子の意識にのっとり、行動する。それを信じて、自分の道を進む。
(030608)

【追記】

 よく「人と接すると、疲れる」と言うひとがいる。これは対人関係において、緊張感がとれない
ためにそうなると考えると、わかりやすい。あるいは人と接すると、心が緊張状態になってしま
う。

 問題は、なぜ緊張状態になるかということ。一つには、安心できない。一つには、相手に対し
て、心を開くことができないなどがある。しかしやはり、こういうケースでも、他人と、信頼関係を
結ぶことができないのが、基本的な原因と考える。

 つぎのような人は、信頼関係の結び方が、苦手な人とみる。

●他人と接するのが苦手。近所づきあいをしても、すぐ精神的に疲れてしまう。
●他人の前に出ると、いい子(人)ぶってしまう。無理をする。自分をかざる。
●他人に心を許すことができない。いつも警戒してしまう。思ったことも言えない。
●相手の意見の合わせてしまう。追従的になることが多い。(あるいは攻撃的になることもあ
る。)

さて、あなたはだいじょうぶか?

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

教えることを楽しむ

 子どもを伸ばす秘訣は、教える側が、教えることを、楽しむこと。この一語につきる。

 先日、神奈川県に住む一人の母親から、こんなメールをもらった。

 「うちの息子は、四歳になったときから、S教室(全国的なチェーン教室)に通っています。親
子いっしょでテンポのはやいレッスンで、ついていくのがやっとです。たいていは私のほうが答
を教えてしまい、それで終わりという状態です。

 内容も小学校でやるようなワークばかり。それに毎日一枚のプリント学習が宿題でつきます。
『これだけやっておかないと、学校へ入って困るから』とのことです。が、このところ息子(五歳)
が、どうしてもそれをやりたがりません。プリントを見ただけで、いやだいやだと、泣きます。

 プリントの内容は、簡単な漢字は、計算練習まであります。ときどき掛け算の九九練習まであ
ります。テープを聞きながら、歌で覚えます。それと日記など。課題が多いのはいいのですが、
ここまでしなければいけないかと思うと、気が重くなります。どうしたらよいでしょうか」(要約)
と。

 この相談もさることながら、教えている指導者(先生とはよても呼べない!)が、教えることを
楽しんでいるのかなと、私は思った。子どもを苦しめているだけ? もしそうなら、その指導者
は、最悪!

 子どもを伸ばす。そのために、子どもを楽しませようと考えると、とてもこんな指導はできな
い。すべてのS教室がそうだとは思わないが、それにしても、ひどい? 私などは幼児を教えて
三四年目に入るが、いつも「勉強なんてものはね、適当にやればいいの」を口ぐせにしている。

 大切なことは、子どもといっしょに、楽しむこと。笑うこと。たとえば私の教室では、笑いが絶え
ない。また絶やさないようにしている。しかし無理をする必要はない。子どもたちと自然な形で
接していると、子どものほうが笑わせてくれる。「自然」というのは、教えようと気負うことはな
い。自然体で、という意味。

 そういう状態でしばらくレッスンをつづけていると、子どものほうから、伸び始める。一人の母
親からのメールを、そのまま紹介させてもらう。

 「いつ林先生の所に行くのかと、最近すごく楽しみにしています。前回も、玩具を頂いてきた
ら、玩具が教室のにおいがする。BW(私の教室)へ又行きたくなちゃった。と言っていました。
これからもご指導よろしくお願いいたします」(K町SUより)と。

 何となくコマーシャルぽい内容になってしまったが、「幼児教室」というと、誤解も多い。その誤
解(偏見)を解きたかったから、こういうエッセーを書いてみた。もっとも、S教室のようなところ
もあるから、誤解も生まれるのかもしれないが……。
(030608)


 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
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*  \\_▽_//  *
    \\∧//
     Y☆Y
     〓〓〓      
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     ̄Π ̄Π ̄ 
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
ワイフの誕生日

 六月XX日は、ワイフの誕生日である。今年XX歳になる。で、先日、誕生日プレゼントを買っ
てきた。夏用の、麻でできた帽子。値段は、XX円! 

 「まだ誕生日じゃないけど?」と言ったので、「忘れないうちに買った」と。こういうことは、しっ
かりと恩を着せておかなければならない。

 私のワイフのよいところ(?)は、いわゆるブランド品には、まったく興味がないこと。上から下
まで、身につけているのは、安物ばかり。ときどき私のほうが、恥ずかしくなるくらい。実は、私
も、そういったものには、ほとんど、興味がない。

 だからなおさら、プレゼントには、困る。どこかに方向性があれば、その方向性にそって、買
い物をすればよい。しかしワイフには、それがない。一方、私は、そのつど趣味が変化するの
で、つかみどころがない。今は、パソコンの周辺グッズだが、ワイフには、どんなものがよい
か、わかるはずもない。だからプレゼントというと、あたりさわりのないものになる。たいていは
衣類とか、そういうもの。そういえば、去年のクリスマスプレゼントは、私からワイフへは手袋、
ワイフから私へは、下着だった。実用的なものばかり?

 そういえば、バブル経済、華やかりしころのこと。ワイフが、「(誕生日には)サイフがほしい」
と言った。そこで数千円をもって、Mデパートへ行った。が、どれも、数万円のものばかり。小さ
なサイフでも、四万円とか五万円とか! 私はその数千円をにぎりしめたまま、自分がなさけな
くなった。「こんな小さなサイフ一つ、買えないのか!」と。

 あのころを振りかえってみると、もうあんな時代は、こりごり。たくさん。今は、大不況の時代
で、当時のバブル経済をなつかしむ人もいる。銀行や証券会社に勤めている友人などは、決
まって、こう言う。「いい時代だったなあ」と。しかし私は、とてもそうは思えない。

 反対に、今は、デフレ経済。本当にモノが安くなった感じがする。ふつうの扇風機が、二千円
以下で買える。掃除機も、だ。このところ、「本当に、この値段?」と思いながら買い物をするこ
とが多くなった。しかしここにも書いたように、大不況は、大不況。私自身も、失業の一歩手
前。かろうじて家計を支えている。このところ、「もうどうにでもなれ」という気分が生まれてき
た。

 翌日見ると、ワイフは、帽子をかぶっていなかった。「どうしてかぶらないのか?」と聞くと、
「今日は曇りだから」と。

 そのまた翌日もかぶっていなかった。今度は、聞くのをやめた。で、そのかわり、ワイフにこう
言った。「あのな、あの帽子。いくらだか、知っているか? 千円のバーゲン品だ」と。腹いせの
つもりだった。するとワイフは、ふとさみしそうな顔をして、こう言った。「だいじなときにかぶろう
と思っていたのに……」と。

 とにかく、ワイフさま、誕生日、おめでとうございます!
(030609)※

     ▲   ▲
    ▲▼▼ ▼▼▲
   ▼  ▲◎▲  ▼
     ▲◎◎▲▲
    ▲  口  ▲
    ▼  口  ▼         何か、テーマがあれば、お寄せください。
       口         メールは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/   
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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞







件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■6-19A

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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
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【1】特集……子どもの燃え尽きについて
   【2】Touch your Heart
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【特集】無気力症候群

無気力になる子どもたち

 バーントアウトしてしまい、無気力になってしまった子どもを観察してみると、興味深い事実に
気がつく。H君(高一男子)という高校生がそうだった。目的のA進学高校に入学はしたものの、
それ以後、まったく勉強しようとしなくなってしまった。親は、「受験勉強で、疲れたため」と思っ
ていたが、夏休みを過ぎても、症状は、まったく改善しなかった。

 そこでいろいろ教えてみると、たとえば中学一、二年レベルの数学や、英語すらできないの
がわかった。H君が中学生のころ、スラスラと解くことができた問題である。

私「中学生のとき、簡単にできた問題だよ」
H「忘れちゃった」
私「忘れたって、もう覚えていないということ?」
H「そう。もう何年も前のことだし……」
私「そんなはずはないよ」
H「でも、だれだって、そうじゃないかな。忘れるということもあるよ」

 子どもというのは、どこかで無力感を覚えると、自ら「もうできない」「自分はダメ人間」「何もで
きない」「やってもムダ」と考えはじめる。これを心理学では、学習性無力感という。無力感を繰
りかえし経験(学習)するうち、抵抗する力さえなくしてしまうことをいう。

 H君のケースでは、意識的に「できない」と思いこんでいるというよりは、そういった意識すら
感じなかった。教える私のほうから見ると、何かしら、小学生に方程式の問題を与えているよう
な感じすらした。教えている私のほうが、「これは、だめだ」と思ったほどである。

 子どものばあい、一度、こうした症状を示すと、回復するまでに数年単位の時間がかかる。
親は、「大学に進学できなくなる」と嘆いていたが、その程度ですめば、まだよいほうだ。

 大切なことは、子どもをそういう状態に追いこまないこと。しかしこれがむずかしい。ほとんど
の親は、自分で失敗するまで、それに気づかない。「うちの子にかぎって……」「まだ、何とかな
る……」と無理をする。そして結局は、行き着くところまで行く。

 受験勉強にかぎらず、何かのことでがんばったあと、つぎのような症状が見られたら、バーン
トアウトの初期症状とみてよい。

●無口、無言、無視がつづく。家庭での会話が極端に少なくなる。親からみて、何を考えている
かわからない子どもになる。
●生活態度が、だらしなくなる。ボサボサの髪の毛。洗っていない顔。不潔な服装など。生活
習慣が不規則になり、乱れることもある。
●まじめに勉強している様子だが、能率が悪くなっているようだ。勉強時間に比較して、成績が
伸び悩む。悪い成績をとる。
●落ち込みがはげしいが、励ましたり、叱ったりすると、それについては、穏やかに反応する。

概して、まじめで、几帳面な子どもほど、ここでいうバーントアウトしやすい。しかしそれは、子ど
もの意識下で起こる現象なので、子ども自身でもコントロール不能。つまりまわりのものが、励
ましたり、説教しても、ムダということ。つぎに今までに書いた原稿を、いくつか添付する。それ
ぞれ、一部内容がダブるが、許してほしい。

++++++++++++++++++++++++++

行きつくところまで行く(失敗危険度★★★★★)

●「うちの子にかぎって……」
 子育ては、失敗してみて、それが失敗だったとはじめて気づく。その前の段階で、私のような
ものがあれこれ言ってもムダ。ほとんどの親は、「うちの子に限って」とか、「まだ何とかなる」と
考えて、無理に無理を重ねる。が、やがてそれも限界にくる。

●燃え尽きる子ども
 よくある例が、子どもの燃え尽き(バーントアウト)。概してまじめで、従順な子どもがなりやす
い。はげしい受験勉強をくぐりぬけ、やっとの思いで目的の学校へ入学したとたん、燃え尽きて
しまう。浜松市内でも一番と目されている進学校のA高校のばあい、一年生で、一クラス中、二
〜三人。二年生で、五〜六人が、燃え尽き症候群に襲われているという(B教師談)。一クラス
四〇名だから、一〇%以上の子どもが、燃え尽きているということになる。この数を多いとみる
か、少ないとみるか? 

●初期症状を見落とすな
 燃え尽きは初期症状を的確にとらえ、その段階で適切に対処することが大切。登校前に体
や心の不調や、無気力、倦怠感を訴えたりする。不登校の初期症状に似た症状を示すことも
ある。そういうとき親が、「そうね、だれだってそういうときがあるよ」と言ってあげれば、どれだ
け子どもの心は救われることか。が、親にはそれがわからない。ある母親はあとになって、私
にこう言った。

「無理をしているという気持ちはどこかにありましたが、目的の高校へ入ってくれれば、それで
問題のすべては解決すると思っていました」と。もっともこういうふうに反省できる親はまだよい
ほうだ。中には、「わかっていたら、どうしてもっと早くアドバイスしてくれなかったのだ」と、私に
食ってかかってきた父親がいた。

●子どもの心を守る大原則
 結論を先に言えば、結局は親というのは、自分で行き着くところまで行かないと、自分で気づ
かない。一度(無理をする)→(症状が悪化する)→(ますます無理をする)の悪循環に入ると、
あとは底なしの泥沼状態に陥ってしまう。これは子育てにまつわる宿命のようなものだ。そこで
大切なことは、いつどのような形で、その悪循環に気づき、それをその段階で断ち切るかという
こと。もちろん早ければ早いほどよい。そしてつぎのことに気をつける。

(1)あきらめる……「あきらめは悟りの境地」という格言を以前、私は考えたが、あきらめる。

(2)今の状態を保つ……「何かおかしい」と感じたら、なおそうと考えないで、今の状態をそれ
以上悪くしないことだけを考える。

(3)一年単位でみる……子どもの「心」の問題は、すべて一年単位でみる。「心」の問題はその
つど一進一退を繰り返すが、それには一喜一憂しない。

 これは燃え尽きに限らず、子どもの心を考えるときの大鉄則と考えてよい。

++++++++++++++++++++++

●のびたバネは、必ず縮む
 
 無理をすれば、子どもはある程度は、伸びる(?)。しかしそのあと、必ず縮む。とくに勉強は
そうで、親がガンガン指導すれば、それなりの効果はある。しかし決してそれは長つづきしな
い。やがて伸び悩み、停滞し、そしてそのあと、今度はかえって以前よりできなくなってしまう。
これを私は「教育のリバウンド」と呼んでいる。

 K君(中一)という男の子がいた。この静岡県では、高校入試が、人間選別の関門になってい
る。そのため中学二年から三年にかけて、子どもの受験勉強はもっともはげしくなる。実際に
は、親の教育の関心度は、そのころピークに達する。

 そのK君は、進学塾へ週三回通うほか、個人の家庭教師に週一回、勉強をみてもらってい
た。が、母親はそれでは足りないと、私にもう一日みてほしいと相談をもちかけてきた。私はと
りあえず三か月だけ様子をみると言った。が、そのK君、おだやかでやさしい表情はしていた
が、まるでハキがない。私のところへきても、私が指示するまで、それこそ教科書すら自分では
開こうとしない。明らかに過負担が、K君のやる気を奪っていた。このままの状態がつづけば、
何とかそれなりの高校には入るのだろうが、しかしやがてバーントアウト(燃え尽き)。へたをす
れば、もっと深刻な心の問題をかかえるようになるかもしれない。

 が、こういうケースでは、親にそれを言うべきかどうかで迷う。親のほうから質問でもあれば
別だが、私のほうからは言うべきではない。親に与える衝撃は、はかり知れない。それに私の
ほうにも、「もしまちがっていたら」という迷いもある。だから私のほうでは、「指導する」というよ
りは、「息を抜かせる」という教え方になってしまった。雑談をしたり、趣味の話をしたりするな
ど。で、約束の三か月が終わろうとしたときのこと。今度は父親と母親がやってきた。そしてこう
言った。「うちの子は、何としてもS高校(静岡県でもナンバーワンの進学高校)に入ってもらわ
ねば困る。どうしても入れてほしい。だからこのままめんどうをみてほしい」と。

 これには驚いた。すでに一学期、二学期と、成績が出ていた。結果は、クラスでも中位。その
成績でS高校というのは、奇跡でも起きないかぎり無理。その前にK君はバーントアウトしてし
まうかもしれない。「あとで返事をします」とその場は逃げたが、親の希望が高すぎるときは、受
験指導など、引き受けてはならない。とくに子どもの実力がわかっていない親のばあいは、な
おさらである。

 親というのは、皮肉なものだ。どんな親でも、自分で失敗するまで、自分が失敗するなどとは
思ってもいない。「まさか……」「うちの子にかぎって……」と、その前兆症状すら見落としてしま
う。そして失敗して、はじめてそれが失敗だったと気づく。が、この段階で失敗と気づいたからと
いって、それで問題が解決するわけではない。その下には、さらに大きな谷底が隠れている。
それに気づかない。だからあれこれ無理をするうち、今度はそのつぎの谷底へと落ちていく。K
君はその一歩、手前にいた。

 数日後、私はFAXで、断りの手紙を送った。私では指導できないというようなことを書いた。
が、その直後、父親から、猛烈な抗議の電話が入った。父親は電話口でこう怒鳴った。「あん
たはうちの子には、S高校は無理だと言うのか! 無理なら無理とはっきり言ったらどうだ。失
敬ではないか! いいか、私はちゃんと息子をS高校へ入れてみせる。覚えておけ!」と。

 ついでに言うと、子どもの受験指導には、こうした修羅場はつきもの。教育といいながら、教
育的な要素はどこにもない。こういう教育的でないものを、教育と思い込んでいるところに、日
本の教育の悲劇がある。それはともかくも、三〇年以上もこの世界で生きていると、そのあと
家庭がどうなり、親子関係がどうなり、さらに子ども自身がどうなるか、手に取るようにわかるよ
うになる。が、この事件は、そのあと、意外な結末を迎えた。私も予想さえしていなかったことが
起きた。それから数か月後、父親が脳内出血で倒れ、死んでしまったのだ。こういう言い方は
不謹慎になるかもしれないが、私は「なるほどなあ……」と思ってしまった。

 子どもの勉強をみていて、「うちの子はやればできる」と思ったら、「やってここまで」と思いな
おす。(やる・やらない)も力のうち。そして子どもの力から一歩退いたところで、子どもを励ま
し、「よくがんばっているよ」と子どもを支える。そういう姿勢が、子どもを最大限、伸ばす。たと
えば日本で「がんばれ」と言いそうなとき、英語では、「テイク・イッツ・イージィ」(気を楽にしなさ
い)と言う。そういう姿勢が子どもを伸ばす。

ともかくも、のびたバネは、遅かれ早かれ、必ず縮む。それだけのことかもしれない。

++++++++++++++++++++++

【子どもの燃え尽き症候群】(中日新聞掲載済み)

●「助けてほしい」   
 ある夜遅く、突然、電話がかかってきた。受話器を取ると、相手の母親はこう言った。「先生、
助けてほしい。うちの息子(高二)が、勉強しなくなってしまった。家庭教師でも何でもいいから、
してほしい」と。浜松市内でも一番と目されている進学校のA高校のばあい、一年生で、一クラ
ス中、二〜三人。二年生で、五〜六人が、燃え尽き症候群に襲われているという(B教師談)。
一クラス四〇名だから、一〇%以上の子どもが、燃え尽きているということになる。この数を多
いとみるか、少ないとみるか?

●燃え尽きる子ども
 原因の第一は、家庭教育の失敗。「勉強しろ、勉強しろ」と追いたてられた子どもが、やっと
のことで目的を果たしたとたん、燃え尽きることが多い。気が弱くなる、ふさぎ込む、意欲の減
退、朝起きられない、自責の念が強くなる、自信がなくなるなどの症状のほか、それが進むと、
強い虚脱感と疲労感を訴えるようになる。

概してまじめで、従順な子どもほど、そうなりやすい。で、一度そうなると、その症状は数年単
位で推移する。脳の機能そのものが変調する。ほとんどの親は、ことの深刻さに気づかない。
気づかないまま、次の無理をする。これが悪循環となって、症状はさらに悪化する。その母親
は、「このままではうちの子は、大学へ進学できなくなってしまう」と泣き崩れていたが、その程
度ですめば、まだよいほうだ。

●原因は家庭、そして親
 親の過関心と過干渉がその背景にあるが、さらにその原因はと言えば、親自身の不安神経
症などがある。親が自分で不安になるのは、親の勝手だが、その不安をそのまま子どもにぶ
つけてしまう。「今、勉強しなければ、うちの子はダメになってしまう!」と。そして子どもに対し
て、しすぎるほどしてしまう。ある母親は、毎晩、子ども(中三男子)に、つきっきりで勉強を教え
た。いや、教えるというよりは、ガミガミ、キリキリと、子どもを叱り続けた。子どもは子どもで、
高校へ行けなくなるという恐怖から、それに従った。

が、それにも限界がある。言われたことはしたが、効果はゼロ。だから母親は、ますますあせ
った。あとでその母親は、こう述懐する。「無理をしているという思いはありました。が、すべて
子どものためだと信じ、目的の高校へ入れば、それで万事解決すると思っていました。子ども
も私に感謝してくれると思っていました」と。

●休養を大切に
 教育は失敗してみて、はじめて失敗だったと気づく。その前の段階で、私のような立場の者
が、あれこれとアドバイスをしてもムダ。中には、「他人の子どものことだから、何とでも言えま
すよ」と、怒ってしまった親もいる。私が、「進学はあきらめたほうがよい」と言ったときのこと
だ。そして無理に無理を重ねる。が、さらに親というのは、身勝手なものだ。子どもがそういう
状態になっても、たいていの親は自分の非を認めない。「先生の指導が悪い」とか、「学校が合
っていない」とか言いだす。「わかっていたら、どうしてもっとしっかりと、アドバイスしてくれなか
ったのだ」と、私に食ってかかってきた父親もいた。

 一度こうした症状を示したら、休息と休養に心がける。「高校ぐらい出ておかないと」式の脅し
や、「がんばればできる」式の励ましは禁物。今よりも症状を悪化させないことだけを考えなが
ら、一にがまん、二にがまん。あとは静かに「子どものやる気」が回復するのを待つ。

+++++++++++++++++++++

 要するに、子どもの力を見きわめながら、ほどほどのところであきらめ、ほどほどのところ
で、子どもをほめるということ。「よくやったね」と。この一言が、子どもの心に風邪穴をあける。
子どもを伸ばす。
(030610)

【追記】
 「ここで無理をすれば、この子どもはかえってダメになるだろうな」と思っていても、私の立場
では何も言えない。信頼関係があるとかないとかいう問題ではない。子どもの勉強には、こうし
た問題が、いつもついてまわる。

 よくある例は、ほどほどに勉強ができるようになると、たいていの親は「進学塾へ入れれば、
もっとできるようになるはず」「家庭教師なら、もっとていねいに勉強をみてくれるはず」と考え
る。もちろん、それでうまくいくケースも、ある。

 しかしこのとき、「では、子ども自身は、どうなのか?」という問題がある。このときも、たいて
いの親は、「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」とばかり、子どもの進路も親のほ
うで決めてしまう。子どもが小学生くらいなら、そのまま親に従う。しかし一方で、子ども自身が
つくり始めている、学習のリズムまで親が、粉々に破壊してしまう。学習のリズムばかりではな
い。心まで破壊してしまう。

 いろいろな例がある。

●ある日、I君(小四)が、廊下でこんなことを言った。「ここ(私の教室)の月謝は、六〇〇〇円
かア! タケーナア! 一回で、一五〇〇円だぞ!」と。頭のよい子だった。

●Y君は、市内でも一番という進学高校の一年生だった。彼は私に月謝を渡すとき、袋を指先
で、ポンとはじいて、「おい、先生、あんたのほしいのはこれだろ。取っておきな!」と。

●D君がある日、こう言った。「今度、家庭教師に習うことにした。先生、ここ、やめるからね」
と。そしてそのあと、しばらくしてこう言った。「しばらく家庭教師に習ってみて、成績があがらな
かったら、またここへもどってくるからね。お母さんが、そう言っていた」と。

こういう例は、まさに日常茶飯事。いちいち腹をたてていたら、仕事にならない。しかしこういう
現実を、今の親たちは、いったいどこまで知っているのだろうか。

 もちろん、そうでない、すばらしい子ども多い。私の印象に残っている子どもたちに、つぎのよ
うな子どもがいる。

○「大学へは行かない」と言った女子高校生がいた。「どうして?」と聞くと、「早く働いて、お金
をもうけたいから」と。そこでさらに理由を聞くと、「お兄ちゃんが、大学へ行くようになって、お母
さんが仕事をするようになった。朝早くから仕事にでかけるのを見ていると、お母さんに悪くて、
大学なんて行けない」と。

○H君(高一男子)は、心のやさしい子どもだった。ある日、背中を見ると、チョークで落書きが
してあった。明らかにだれかにいたずらされていたらしい。そこで「どうした?」と聞くと、「おばあ
ちゃんには、言わないでほしい。心配するから……」と。H君は、そのとき家の事情で、おばあ
さんのところで生活をしていた。

○O君(高三男子)は、毎回、息を切らせて、私の教室へやってきた。ある夜、「夕食は食べた
のか?」と聞くと、「まだ……」と。そこでときどき夕食を用意してやった。彼は学校から、夕食も
食べないで、私の教室へ来た。今でも、毎年、O君から年賀状が届く。ある研究機関で、主任
研究員をしている。

こうしたすばらしい子どもに共通するのは、おとなに対する謙虚な姿勢と、忍耐力である。「学
ぶ」ということが、どういうことか、よくわかっている。このことは、そうでない子どもと比較してみ
るとわかる。そうでない子どもは、どこかおとなを、なめたようなものの言い方をする。忍耐力も
なく、何か仕事を言いつけると、「どうして私がしなければいかんのか!」などと言う。

 こうした違いが、どうして生まれるか。それについては、また別の機会に書いてみたい。

       ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          
 \※/
  ‖
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。(635まで)
+++++++++++++++++++

過関心は子どもをつぶす

 子どもの教育に関心をもつことは大切なことだが、しかしそれが度を超すと、過関心になる。
こんなことがあった。

ある日一人の母親が私のところへやってきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、
『好きな子どうし、並んでいい』と言ったが、うちの子(小二男児)のように友だちがいない子ども
はどうすればいいのか。そういう子どもに対する配慮に欠ける行為だ。これから学校へ抗議に
行くので、あなたも一緒に来てほしい」と。さらに……。

 子どもが受験期になると、それまではそうでなくても、神経質になる親はいくらでもいる。「進
学塾のこうこうとした明かりを見ただけで、カーッと血がのぼる」と言った母親もいたし、「子ども
のテスト週間になると、お粥しかのどを通らない」と言った母親もいた。しかし過関心は子ども
の心をつぶす。が、それだけではすまない。母親の心をも狂わす。

 子どものことでこまかいことが気になり始めたら、育児ノイローゼを疑う。症状としては、ささ
いなことで極度の不安状態になったり、あるいは激怒しやすくなるのほか、つぎのようなものが
ある。(1)どこか気分がすぐれず、考えが堂々巡りする、(2)ものごとを悲観的に考え、日常生
活がつまらなく見えてくる。さらに症状が進むと、(3)不眠を訴えたり、注意力が散漫になったり
する、(4)無駄買いや目的のない外出を繰り返す、(5)他人との接触を避けたりするようにな
る、など。

 こうした症状が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながること
も珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。
 過関心にせよ、育児ノイローゼにせよ、本人自身がそれに気づくことは、まずない。気づけば
気づいたで、問題のほとんどは解決したとみる。そういう意味でも、自分のことを知るのは本当
にむずかしい。『汝自身を知れ』と言ったのはキロン(スパルタの七賢人の一人)だが、哲学の
世界でも、「自分を知ること」が究極の目的になっている。

で、このタイプの親は明けても暮れても、考えるのは子どものことばかり。子育てそのものにす
べての人生をかけてしまう。たまに子どものできがよかったりすると、さらにそれに拍車がかか
る。いや、その親はそれでよいのかもしれないが、そのためまわりの人たちまでその緊張感に
巻き込まれ、ピリピリしてしまう。学校の先生にしても、一番かかわりたくないのが、このタイプ
の親かもしれない。

 あなたがここでいう過関心ママなら、母親ではなく、妻でもなく、女性でもなく、一人の人間とし
て、生きがいを子育て以外に求める。ある母親は、娘が小学校へ入学すると同時に手芸の店
を開いた。また別の母親は、医療事務の講師をするようになった。そういう形で、つまり子育て
以外のところで、自分を燃焼させる場をつくり、その結果として子育てから遠ざかる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

進学は話題にしない

 病気の人に、「何の病気?」「どこが悪いの?」「どこの病院へ通っているの?」などと聞くもの
ではない。同じように受験生をもった親に、「どこを受験するの?」「受験日はいつ?」「何学部
に受験するの?」などと聞くものではない。私はいつか、『受験家族は病人家族』という格言を
つくったが、その通り。受験生をかかえる家族は、(もちろんそうでない家族も多いが)、「病人
家族」と考え、そっとしておいてあげることこそ、心づかいというもの。が、中には無神経な人が
いる。先日も会うと、いきなりこう話しかけてきた女性(五〇歳)がいた。

 「あら、林さん、お宅の子、今年受験なさったのでないかしら? で、どこを受験なさいました
の? 林さんのお子さんのことですから、さぞかしいいところに入ったのでしょうね」と。元、幼稚
園の教師で、数年間一緒に仕事をしたこともある女性だった。私はあまりのレベルの低い会話
にア然とした。いや、それ以上に、その女性が私を彼女と同レベルに思い込んでいる様子が不
愉快だった。

 こうした会話がいかに愚劣なものかは、世界を歩いてみるとわかる。たとえば台湾やシンガ
ポールでは、相手の出身大学を聞きあうのが初対面の会話のようにもなっている。「あなたは
どこの大学ですか?」「で、学位は?」とかなど。新しいタイプの身分意識といってもよい。どこ
か時代が逆戻りして、封建時代へ向かいつつあるかのような錯覚すら覚える。今のこの日本で
はそこまでひどくはないが、一〇年前には、あるいは二〇年前には、台湾やシンガポール以上
に、学歴を気にした。今でも気にしている人は多い。

 しかしやはりこうした会話は、相手が進んでするばあいは別として、するものではない。家族
によっては、極度の緊張状態にある家族もある。子どもが受験期を迎えると、大半の親たちは
食事もノドを通らないほど、それを気にする。それがおかしいとか、おかしくないとかいう前に、
事実はそうなのだ。だから「進学校は話題にしない」。これは会話のエチケットのようなものだ。
 
    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

世間ズレする子どもたち

 昔は、「都会っ子」と呼んだ。妙におとなびていて、早熟。情報だけは、たくさんもっていて、流
行に敏感。しかし最大の特徴は、おとなをなめきった態度。生意気なものの言い方。ドラ息子
(娘)症候群の一つだが、今では、そうでない子どもをさがすほうが、むずかしい。

 どうしておとなを、なめるのか? ……言うまでもなく、その責任は、おとなの私たちにある。
子どもに、それにふさわしい姿勢やものの考え方を示すことができない。あるいは軽蔑される
ようなことを、平気でしている。そういったことに加えて、子どもの言いなりになる、甘い環境。そ
ういったものが、複合して、世間ズレした子どもをつくる。

 「甘やかす」と書いて、「われながら古風な言い方だ」と思った。私は長い間、こうして原稿を
書いているが、「甘やかす」という言い方で書いたのは、これがはじめてではないか。いいかげ
んな規範(ハウス・ルール)、結局は子どもの言いなりになってしまうような、生活環境。それら
を総称して、「甘やかす」という。

 またおとなびているというのは、それだけ情報過多であることを示す。よく誤解されるが、もの
を知っているからといって、必ずしも、賢いということにはならない。もっと言えば、情報と、思考
は、まったく別のもの。だからここでいうような、世間ズレしているからといって、その子どもが
優秀だとか、賢いということにはならない。

 だからといって、世間ズレしていることを、まちがっているというのではない。また世間ズレし
ていてはダメということでもない。ただ世間ズレすることによって、子どもは、純朴なまじめさを
なくすのも事実。それゆえに、世間ズレには、それなりに警戒したほうがよい。極端な例だが、
女子中学生でも、セックスを体験した子どもは、その雰囲気から、それがすぐわかる。男を見
る目つき、そのものが、変わる。

私「これは何だ?」
子「うふん、いいじゃあん……」
私「いいって、これは何?」
子「うふん、いいじゃあん……。わかってるくせに……」と。

 一般論として言えば、おとなの裏を見た子どもほど、世間ズレする。そして一度、裏を見た子
どもは、あともどりできない。それはちょうどパンドラの箱※をあけるようなものではないか。

(※ゼウスがすべての悪と欲望を封じいれて、パンドラに与えた禁断の箱。パンドラというの
は、人類最初の女性。パンドラがこの箱をあけたため、ありとあらゆる欲望が飛びだした。ギリ
シャ神話。)

 この問題については、これからまたゆっくりと考えてみるが、ここまでの結論として、こんなこ
とは言える。

 学ぶ人は、いつも謙虚である。またその謙虚さがなければ、その人は、学ぶことはできない。
そういう意味で、学ぶ人、つまり子どもは、謙虚であるほうがよい。少し前だが、こんなことがあ
った。

 中学一年生に、英語の単語のテストをしたときのこと。「desk」と書くところを、「Desks」と書
いた子どもがいた。(本当は、どうでもよいことだが……。)私が、「単語のテストでは、単数形
で書くのがふつうだよ。それに必要でないかぎり、最初は小文字で書くんだよ」と言うと、その子
どもは、こう言った。「本当かどうか、今度、S進学塾の先生に聞いて、確かめてみる!」と。

 謙虚さのない子どもは、そういうような言い方、平気でする。
(030611)

【補足】
いい子にするための三か条

●いつもがまんさせよ。そのためにはメリハリのきいた、子育てをせよ。
●いつも質素に育てよ。結果として子どもの言いなりにならないようにせよ。
●子どもは使え。使えば使うほど、生活力も生まれ、忍耐力も育つ。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 

メリハリのきいた子育て

 オーストラリアで、友人の家に泊めてもらっていたときのこと。たまたまそこへ、別の友人から
私あてに、電話がかかってきた。その電話を受けた奥さんが、私の意向も何も聞かないまま、
その電話の相手に向って、こう言った。

 「ヒロシは、今、食事中です。あと一時間ほどしたら、また電話をしてほしい」と。そしてそのま
ま電話を切ってしまった。

 日本では考えられない光景だけに、私はとまどった。「なるほど……」と思ったり、「しかし…
…」と思ったり。

 こういうケースで、つまりそうした奥さんの行為が正しいかどうかを、論じても意味はない。そ
の奥さんは、自分の考えをもち、その考えに従って行動した。これがこのタイトルの、「メリハ
リ」という意味である。

 親が子どもに接するとき、このメリハリを大切にする。もちろん一方的な押しつけはまずい
が、しかしそれにあわせるかどうかは、子どもの問題。メリハリがあれば、やがて子どものほう
が、親のリズムをつかみ、それにあわせるようになる。

 これは教室という場で、子どもを指導するときも、同じ。

 最近、私は、教室を大改造した。で、クツは、玄関先でぬがせることにした。そして渡り板を
通ったところで、スリッパをはかせることにした。そこでルールをつくった。

 クツやスリッパは、必ず、並べる。ペタペタの素足では、教室には入らない。これは教室全体
にジュータンを敷いたことによる。ジュータンを敷いたというより、私が自分で苦労をして、ジュ
ータンを敷いたからだ。その作業に、丸二日、かかった。

 最初、子どもたちはとまどったようだ。「どうして、靴下をはかねばならないのか」と抗議をして
きた子どももいた。しかし私は、「はきなさい。文句があるなら、教室をやめなさい」と。

 そう、もう妥協はしない。したくない。あと何年、今の仕事ができることやら。それがあるから、
親や子どもに、コビを売って仕事など、したくない。生意気な口をきく子どもは、さっさとやめて
もらう。そのかわり、私の教育のすべてを、今の仕事で燃焼する。最高の教育を提供する。こ
れはお金の問題ではない。私の人生の問題なのだ。

 話しはそれたが、家庭でも同じ。「子どもに嫌われるのでは……」と、いちいち子どもの機嫌
をうかがっていては、何もできない。親は親で、自分の生きザマを、前向きに示していく。それ
がここでいうメリハリのきいた子育てということになる。今まで、ナーナーですましてきた家庭で
は、なかなかとむずかしいことかもしれないが、あなたも一度、試してみるとよい。胸がスカッと
するはずである。
(030611)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

幼稚っぽい子ども

 その年齢にふさわしい人格の「核」ができているかどうか? 多人数の中で、比較してみる
と、よくわかる。

 人格の核形成がおくれると、子どもは、その年齢に比して、幼くみえる。あるいは幼い言動を
繰りかえす。これを「幼児性の持続」という。(幼児だから、幼稚ということではない。人格的な
完成度がおくれていることを、幼稚性という。)

 特徴としては、つぎのようなものがある。

●言動が、ひょうきん。突飛もない。まじめになるべきところと、そうでないところの区別ができ
ない。意図的にふざけるというよりは、まじめになることができない。

●教える側が真顔で注意しても、それを茶化してしまう。あるいは言葉じりをつかまえて、ふざ
けてしまう。私が「○○君、注意します!」と言うと、「イヤーン、チューして」と答えたりする。

【A君(小一男児)の例】

 バブル経済、まっさいちゅうのころだった。A君(小一男児)という子ども、私の教室にやって
きた。子どもらしいクリクリとした表情をしていたが、警戒心は、ほとんどなかった。しばらくA君
の母親と話していると、A君は、その横で、ひょうきんなジェスチャを繰りかえして、踊り始めた。
母親が何度か制止したが、効果がなかった。

 そのA君のことは、ほかの子どもたちも、よく知っていた。休み時間などでも、みなに自分の
チンチンを見せたりしていたからだ。パンツを脱いで、お尻を見せたこともあったという。

 その母親から相談があったのは、夏休みになる少し前のことだった。当時の私の記録には、
つぎのようにある。

●テストの名前の欄に、「ドラエもんジュニア」と書いて、先生に注意された。
●学校で掃除の時間のとき、バケツをかぶって遊んでいて、先生に注意された。
●算数の問題づくりのとき、「ウンチが三個と……」というような問題をつくり、先生に注意され
た。
●音楽の時間のとき、自分で替え歌をつくり、それを歌い、先生に注意された。

 A君には、多動児特有の症状はみられなかった。見方によっては、伸びやかで明るい子ども
ともとれる。私も当初は、そう思っていた。しかしそのうち、こまかいジェスチャが、幼稚ぽいの
に気がついた。

 たとえば手をあげるときも、踊るように手をゆらしながらあげたり、あいさつをするときも、わ
ざとズデンところんでみせるなど。注意をしても、その場だけの効果しかない。少し目を離すと、
すぐに隣の子どもを巻きこんで、ケチャケチャとふざけあっている。一方に、ドシリと落ちついて
いる子どもがいる。そういう子どもと比較してみると、することなすこと、すべてが幼稚っぽい。

 こうした幼児性の持続は、過保護、過干渉、溺愛などが複合的に作用して、起こる。子ども自
身の問題というよりは、その子どもを包む、子育て環境の問題ということになる。そのため、な
おすのは、容易ではない。その上、親自身にも、その意識がない。そういう子どもにとまどいな
がらも、むしろお茶目で、かわいい子どもという評価をくだすことが多い。

 話はぐんとそれるが、こうした幼児性は、日本人全体がかかえる問題といってもよい。よく日
本の大学生は、アメリカの高校生のようだとよく言われる。事実、そのとおりで、外国でみる日
本人は、同年齢のアメリカ人とくらべても、かなり子どもっぽい。

 さらにおとなも、そうである。私が、去年、ある国際空港で、乗りつぎのため、飛行機を待って
いたときのこと。何組かの新婚カップルといっしょになった。日本人の新婚カップルである。私
は彼らを見て、驚いた。あまりにも幼稚というか、まるで小学生のカップルのように見えたから
だ。「この人たちは、本当にこれから、社会人として生活していくのだろうか」とさえ思った。

 つまり幼児性の持続は、それぞれ個人の問題というよりは、日本人全体がかかえる問題の
ようでもある。理由はたくさんる。原因もある。それについては、また別のところで考えるとし
て、端的に言えば、日本の子どもたちは、子どものときから、一人の人間として育てられていな
い。それが結果として、こうした幼稚っぽいおとなをつくった。

 しかしもちろん、人格の核形成が、しっかりとできている子どもも、少ないが、いる。このタイプ
の子どもは、どっしりとした落ち着きがある。私の印象に残っている女の子に、Aさん(小三女
子)がいる。

 ある日、バス停で、いっしょになった。そこで私が、「ジュースを買ってあげようか」と声をかけ
ると、Aさんは、こう言った。

 「いいです。私、これから家で夕食を食べますから。ジュースを飲んだら、夕食が食べられなく
なります」と。

 日ごろから、自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとるという姿勢ができている子ども
は、そういうような態度を、ごく自然な形で、表現することができる。つまりは、それがここでいう
人格の「核」ということになる。
(030612)

**  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
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*  \\_▽_//  *
    \\∧//
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     ̄Π ̄Π ̄ 
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

英語力

 このところ、英語力が、ぐんと低下しているのを感ずる。それに加えて、外人と英語で話して
いると、一、二時間で、疲れを感ずるようになった。若いころは、こんなことはなかったが……。

 義理の娘のDに、英語でメールを書く。州立大学のアメリカ文学部を、オナーディグリー(上位
成績)で卒業している。英語力では、かなわない。そういう思いもあるから、よけいに、こちら側
からのメールは、いいかげんになる。どんなふうに書いても、理解してくれるだろうという甘えが
ある。

+++++++++++++++++

はやし浩司からDへ、

Hi, D!

 Thanks for your mail with kind words. My wife and I are very happy to know all of you have 
been doing well these days. We have been too. We have summer as you have in the States 
but we have a rainy season, so-called "Tsu-yu" before we have dry and hot summer. The 
Tsu-yu usually lasts a month or so. 

 親切なメール、ありがとう。 妻と私は、みなさんが、うまくやっていることを知り、喜んでいま
す。私たちも、うまくやっています。ここ日本でも、合衆国と同じ夏を迎えましたが、日本には、
その前に「梅雨」と呼ばれる、雨の季節があります。そのあと、暑くて乾いた夏がやってきま
す。

 My wife has been eager to see Sage and so have I. Sometimes my wife says she wishes to 
fly to you like a bird to see Sage and so do I. As for us time flies so quick and in the 
meantime Sages grows so quick too. Without a help of the internet, we would have missed 
the most wonderful and shining moment of life, which is your life now. We are very glad to 
share the moment with you who are in the midst of happiness, though in the midst of 
business of raising Sage.

 妻は、セイジにたいへん会いたがっています。ときどき飛んで行きたいなどと言っています。
私もそうです。私たちにとっては、時は、まさに飛んでいくように感じます。そしてその間に、セイ
ジは、大きくなっていく。もしインターネットがなければ、この人生でもっともすばらしいときを、見
逃してしまっていたことでしょう。もっとも輝いていて、幸福な、この瞬間をです。それをあなたと
共有できることを、喜んでいます。

 For the women in the house with a baby, the house itself is a kind of prison as someone 
said in his book. Most women in the house have to stop their carrier on the way. I ams sure 
you have your own dream and wish in your life. The more important thing for you is to 
chase them up. Please don't give them up. You are a mother. You are a wife. But together 
you are a man who seeks your own possibility in your life. Especially you are very much 
talented lady and clever. So why don't you re-start your carrier together with raising up 
Sage. This is very important to keep you alive and young. For one thing one day I wish I 
could read poems you write. 

 家庭にいる女性にとっては、どこかの作家が書いていますが、家庭は監獄のようなもので
す。家庭に入った女性は、自分のキャリアを途中であきらめねばなりません。あなたにも夢や
希望があったことでしょう。大切なことは、それをあきらめず、追いかけることです。あなたは妻
や母であると同時に、一人の人間です。あなたは自分の可能性を追求したらよいのです。とく
にあなたは、才能に恵まれています。だからキャリアを再び始めたらよいのです。それがあな
たを生き返らせ、若返らせます。たとえば私は、いつかあなたの書いた詩を読むのを、たいへ
ん楽しみにしています。

 One thing which I like about you is that you are a lady who has a very straight mind.I don't 
think you can undestand what I mean here. The Japanese are the people who hide their 
mind or the people who pretends to be a different person in the public. I mean here that the 
Japanese are the people who have winding-minds. You have a beautiful and pure mind and 
now I can undestand the more why Soichi fell in love with you.

 あなたについて好きなことは、あなたはたいへんまっすぐな心をもった女性だということです。
こう書いても、あなたには理解できないでしょう。というのも、日本人というのは、心を隠す民族
だからです。そして人前では、別人を装うことをします。つまり曲がった心をもっているというこ
とです。しかしあなたは純粋で、たいへん美しい心をもっている。だから今、なぜ二男が、あな
たに恋をしたか、よくわかります。

 It is 5 oclock in the morning. I have to go to my hometown to see my sister and mother 
who has a small operation in her sore-leg. She is OK now and so please don't worry at all. 
She is over 80 years old and she is tough for her age. I have to come back again here 
before 4 oclock in the afternoon. Frankly I hate to go to my hometown. Some people love 
their hometowns but some other people don't. I belong to the latter. One day I wish I can 
talk about it to you. I also hate politeness and winding in the families. Let's be straight and 
unpolite to each other. This is very impotant for us to strengthen our bonds. Don't you think 
so?

 今は、午前五時です。これから私は故郷へ言って、姉と母に会ってきます。昨日母は、足の
手術をしました。簡単な手術ですから、心配しないでください。母も八〇歳を過ぎています。しか
し率直に言えば、私は、ふるさとへ帰るのがいやです。ふるさをを愛する人もいます。そうでな
い人もいます。私は後者の人間です。いつかその理由を、あなたに話すことができればと思っ
ています。私は家族の間では、隠しごとやつくりごとがあってはならないと思っています。すべて
のことにストレートであることが、家族の絆を太くするためには、重要なことだと思っています。

 Now I have to say good moring to you, "O-ha-yo" in Japanese. It s a bright and clear day 
though it is rainy season now. Say hello to Soichi and Sage, together to your wonderful 
parents、Mr. & Mrs.Wilsons. Bye for now!

 さて、あなたに「おはよう」と言います。今日は梅雨なのに、明るく晴れた日のようです。皆さん
によろしくお伝えください。

Hiroshi
浩司

June 12th、2003
(0306012)※

++++++++++++++++++++++++++++

Dから、はやし浩司への返信

I would like to continue with my education and career, but to be honest, I still really don't 
know what profession to pursue. I want to do something that makes me happy and makes 
me feel good about myself, but I don't know what that is.  

私の教育と、キャリアをつづけたいとは思っています。しかしどんな専門職につくべきかどうか、
わからないでいます。自分にとって、何かよいこと、自分を幸福にすることをしたいとは思って
いますが、それが何だか、よくわかりません。

For now, being a house wife and mother makes me happy, but I don't know what to do after 
that. I feel like I made a bad decision choosing English as a major. Sometimes I feel going 
into business would have been much wiser.  

今のところ、主婦であり、母であることが、私を幸福にしています。しかしそのあと、何をすべき
なのか、わかりません。英語学を選んだのがまちがいだったような気もします。何かビジネスの
世界を選んだほうがよかったような気もします。

I wish I had been in the "real world" for awhile instead of just high school before I made 
that decision. But what is done is done. Everything will work out eventually and I will have 
some idea of what to do. Thanks for your encouragement about my writing. I really don't 
think I am that talented, but you make me feel like I should try harder, so I will. You and my 
sister have suggested that a few times. That is a sign that I should start listening.

その決定をする前に、高校へ入るのではなく、実世界へ入るべきだったような気もします。しか
しすんだことは、すんだこと。すべてのことは、結果でしかありません。何をすべきか、そのう
ち、わかるでしょう。書くことについて、私を励ましてくれて、ありがとう。私は、才能があるとは
思っていませんが、あなたがそう思うなら、さらに熱心にトライしてもようと思っています。あなた
や私の姉は、何度か、そう提案してくれました。それが私が耳を傾けるべき、サインだと思いま
す。

I agree that families should be straight-forward, friends too. I can't stand people that are "
two-faced" and "stab others in the back". Are you familiar with these expressions? They 
deal with hypocrisy, something that Soichi hates especially. I think you two are very similar 
in that aspect.  

家族は、ストレートであるべきという意見に同意します。人が二つの顔をもつということには、耐
えられません。英語では、「うしろで他人をSTABする」と言います。あなたはこの表現を知って
いますか。つまり自分を偽ることです。夫は、それをたいへん嫌っています。そういう意味で、あ
なたと夫は、たいへんよく似ています。

If I ever seem too polite, I guess it's because I am scared to offend anyone of who I am not 
sure will accept me again. With your spouse, parents, siblings, close friends, etc., you know 
that even if you mess up, they will most likely forgive you and be as close to you as they 
ever were. But with people who don't know you so well, you just don't know how they would 
react and you don't want to lose their good opinion.  

気を使いすぎるということは、私が思うところ、自分を受け入れてくれるかどうかよくわからない
人を、怒らせないようにするためだと思います。配偶者や両親や友など、ほとんどのばあい、ス
トレートであっても、あなたを理解し、許してくれ、そしてさらに親しくなるだろうと思います。しか
しあなたをよく知らない人では、あなたにどう反応するかわからないということもあります。

(Does that make sense? I don't explain things as well as I should sometimes.) I know that 
we have met a few times, but it is scary to be a daughter-in-law. I want you all to like me, 
but I know we haven't gotten to know each other very well yet. But I know will.  

(意味がわかりますか。ときどきうまく説明できないときがあります。)つまり私たちはまだ数度
しか会っていないので、義理の娘であることに恐れています。私はみなさんに好きになってもら
いたいのですが、まだ私たちはたがいをよく知らないところがあります。知るだろうと思います
が……。

     ▲   ▲
    ▲▼▼ ▼▼▲
   ▼  ▲◎▲  ▼
     ▲◎◎▲▲
    ▲  口  ▲
    ▼  口  ▼         何か、テーマがあれば、お寄せください。
       口         メールは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/   
     凸凸凸凸凸      より、トップページの封筒をクリックしてください。
 〜〜〜凹凹凹凹凹凹凹〜〜〜   
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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・20  ……名古屋市(詳細未定)
9・9   ……稲沢市(詳細未定)
9・8   ……名古屋市(詳細未定)
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
8・ 6  ……浜北市(詳細未定)
7・31  ……浜松市東部公民館
7・10  ……湖西市教育委員会・家庭学級講座
7・ 9  ……豊岡小学校
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・28  ……富塚中学校区(小学校)健全育成会
6・24  ……金指小学校
6・24  ……静岡市アイセル21
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html








件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■6-21-1

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\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄    
 ===○=======○====KW(8)
★★★★★★★★★★★★★★
03−6−21号(245)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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何でも聞きかえす子ども

 ある母親(鳥取県Y町のTNさん)より、こんな相談があった。

 「うちの子(小三男児)は、何でも聞きかえすクセがあります。たとえば算数の問題でも、『5か
ける5は……?』と聞くと、すかさず、『何だって? ……5かける5?』とです。掛け算の九九な
どは、即座の答が出てこなければならないはずですが、万事がこの調子なのです。学校の参
観日でも、先生が何かを聞くたびに、そのつど、聞きかえしています。どうしたらなおるでしょう
か」と。

 これはクセではない。わかりやすく言えば、言語の発達が遅滞することによる症状(言語発達
遅滞)で、それだけに簡単にはなおらない。つまり大脳皮質部などの高次神経系の働きに問題
があるとみる。さらに詳しく言えば、こうなる。外から与えられた情報は、一度脳のあちこちに格
納されたあと、その脳の中で、あちこちに受け渡しされる。その受け渡しがうまくできないとき、
ここでいうような症状が現れる。言葉を覚え始めたころの幼児には、よく見られる現象だが、小
学校の低学年児についてみれば、二〇〜三〇人の一人くらいの割合で出現する(筆者推
計)。

 脳障害の一つに考える学者もいる。が、「障害」といっても、脳のばあい、ひとつのところがお
かしくても、ほかの部分がそれを補完するようになるので、それほど大げさに考える必要はな
い。年齢が大きくなるにつれて、それがやがてわからなくなる。中学生になっても、それまでの
習慣が、残像的なクセとして残ることはあるが、そのときは、あくまでもクセ。学習に影響を与
えるということは少ない。ただ全体としてみると、脳の機能が不全である分だけ、とくに小学生
のころには、学習面での遅れが目立つことが多い。

 このタイプの子どものばあい、指導で注意しなければならないのは、何かを口頭で指示して
も、即座に反応できないこと。そのため注意力が散漫に見えたり、話を聞いていないのではな
いかと誤解されやすい。しかし実際には、(音として入った情報)→(言葉として理解する)→(理
解したことを、分析判断し、行動に移す)という、それぞれの段階で、情報の受け渡しができな
いために、そうなる。本人を責めても、意味はない。

 こうした子どもの指導法としては、数度、繰りかえしてやるのもよいが、情報そのものは、脳
の一部に残っているので、それが理解できるまで、一呼吸、間をおくようにするとよい。さらに
気になったら、算数の問題などは、一度、ノートなどに、書き写させるとよい。そしてあとは、時
期を待つ。その時期は、ここにも書いたように、中学に入学する前後ということになる。それま
でにあせって、なおそうとしたり、無理をすると、かえって逆効果になるので注意する。

【Y君、小四男児の例】

 最初気になったのは、Y君独特の会話法であった。私が何を話しかけても、「何?」「えっ!」
「ふん」と、一度は、言いかえしてくる。算数の勉強のときも、そうだ。たとえば「二番の問題を読
んでください」と話しかけると、「えっ? 問題? 二番?」と。いきなり指したときなどは、とくに
そうで、何も聞いていなかったような反応を示す。

【Hさん、小五の例】

 物語を読んであげても、どこかポカンとした表情を示す。あとで内容を聞いても、ほとんど理
解していない。ほかに「この本を、Bさんに渡してください」と指示すると、一度、自分の心の中
で、それを復唱しているのがわかる。「この本ね、Bさんにね、渡すのね」と。このHさんも、私
が何か話しかけても、一瞬とまどった様子を見せ、いちいちそれを聞きかえしてくる。

 大切なことは、それがその子どものもって生まれた宿命と思い、あきらめて受け入れること。
脳の機能の問題とからんでいるため、本人の自意識や指導でなおる問題ではない。ただ私の
ばあい、できるだけ情報をビジュアル化させることで、指導するようにしている。たとえば「3+
4」の問題でも、即座に、頭の中に、三個の丸と、四個の丸を思い浮かばせ、それを数えさせ
るようにするなど。しかしそれとて、一年単位の根気が必要である。
(030613)

       ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          
 \※/
  ‖
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。(635まで)
+++++++++++++++++++

自己中心ママ

自己中心性の強い母親は、「私が正しい」と信ずるあまり、何でも子どものことを決めてしまう。
もともとはわがままな性格のもち主で、自分の思いどおりにならないと気がすまない。

 このタイプの母親は、思い込みであるにせよ何であるにせよ、自分の考えを一方的に子ども
に押しつけようとする。本屋へ行っても、子どもに「好きな本を買ってあげる」と言っておきなが
ら、子どもが何か本をもってくると、「それはダメ、こちらの本にしなさい」と、勝手にかえたりす
る。子どもの意見はもちろんのこと、他人の話にも耳を傾けない。 

 こうした自己中心的な子育てが日常化すると、子どもから「考える力」そのものが消える。依
存心が強くなり、善悪のバランス感覚が消える。「バランス感覚」というのは、善悪の判断を静
かにして、その判断に従って行動する感覚のことをいう。そのため言動がどこか常識ハズレに
なりやすい。たとえばコンセントに粘土を詰めて遊んでいた子ども(小一男児)や、友だちの誕
生日のプレゼントに、虫の死骸を箱に入れて送った子ども(小三男児)がいた。さらに「核兵器
か何かで世界の人口が半分になればいい」と言った男子高校生や、「私は結婚して、早く未亡
人になって黒いドレスを着てみたい」と言った女子高校生がいた。

 ところで母親にも、大きく分けて二種類ある。ひとつは、子育てをしながらも、外の世界に向
かってどんどんと積極的に伸びていく母親。もう一つは自分の世界の中だけで、さらにものの
考え方を先鋭化する母親である。外の世界に向かって伸びていくのはよいことだが、反対に自
分のカラを厚くするのは、たいへん危険なことでもある。こうした現象を「カプセル化」と呼ぶ人
もいる。一度こうなると、いろいろな弊害があらわれてくる。
たとえば同じ過保護でも、異常な過保護になったり、あるいは同じ過干渉でも、異常な過干渉
になったりする。当然、子どもにも大きな影響が出てくる。五〇歳をすぎた男性だが、八〇歳の
母親の指示がないと、自分の寝起きすらできない人がいる。その母親はことあるごとに、「生ま
れつきそうだ」と言っているが、そういう男性にしたのは、その母親自身にほかならない。

 子育てでこわいのが、悪循環。子どもに何か問題が起きると、親はその問題を解決しようと
何かをする。しかしそれが悪循環となって、子どもはますます悪い方向に進む。とくに子どもの
心がからむ問題はそうで、「以前のほうが症状が軽かった」ということを繰り返しながら、症状
はさらに悪くなる。
 自己中心的なママは、この悪循環におちいりやすいので注意する。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

見栄、メンツ、世間体

 見栄、メンツ、世間体。どれも同じようなものだが、この三つから解放されたら、子育てにまつ
わるほとんどの問題は解決する。言いかえると、多かれ少なかれ、ほとんどの親はこの三つの
しがらみの中で、悩み、苦しむ。が、日本人ほど、世間体を気にする民族は少ない。長く続い
た封建時代の結果、そうなったと考えられる。「皆と同じことをしていれば安心だが、そうでなけ
ればそうでない」と。

 世間体を気にすればするほど、親もそして子どもも、他人の目の中で生きるようになる。子ど
もの見方も相対的なものになり、「うちの子は、A高校だから優秀だ」「隣の子はB高校だから、
うちの子より劣っている」と。が、それだけではすまない。ある母親は息子(中三)の進学高校
別の懇談会には、一度も出席しなかった。「(そんな高校では)恥ずかしい」というのが理由だっ
たが、こうしたものの考え方は、親子のきずなを決定的なほどまでに粉々にする。こんな例も
ある。

 「私は私」「うちの子はうちの子」「他人がどう思うとも、私は自分の子どもを信ずる」という割り
きりが、子育てをわかりやすくする。子どもの心を守る。そしてそういうものの考え方が、一方で
親子のきずなを深める。こんなことがあった。 

ある男性が彼の母親に、それまでの会社勤めをやめ、幼稚園の教師になると告げたとき、彼
の母親は電話口の向こうで、オイオイと泣き崩れてしまった。「恥ずかしいから、それだけはや
めてくれ!」と。その男性はこう言う。「私は母だけは私を信じ、私を支えてくれると思いました。
が、母は『あんたは道を誤ったア!』と。それまでは母を疑ったことはないのですが、その事件
以来、母とは一線を引くようになりました」と。
ここでいう「ある男性」というのは、私自身のことだが、だからといって私は母を責めているので
はない。母は母として、当時の常識の中でそう言っただけだ。

 生きる美しさは、いかにその人らしく生きるかで決まる。また生きる実感もそこから生まれる。
言いかえると、他人の目の中で生きれば生きるほど、結局は自分の人生をムダにすることに
なる。

 何かにつけ世間体が気になる人は、一度自分の人生観を洗いなおしてみたらよい。世間体
というのはそういうもので、一度気にし始めると、それがその人の生き方の基本になってしま
う。私の母も八五歳をすぎたというのに、いまだに「世間」という言葉をよく使う。「世間が笑う」
「世間体が悪い」と。その年齢になったら、もう他人の目などは気にせず、「私は私」という人生
を貫けばよいと思うが、母にはそれができない。が、はた(世間)から見ても、それほど見苦し
い人生ほない。皮肉といえば、これほど皮肉なことはない。

    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│ このマガジンが役立ちそうな人が
  ┃     ┃   ///─┘┤   いらっしゃれば、このマガジン
  ┃     ┃  刧凵^ | │  のことを話していただけませんか。
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

混乱から受容へ

 子どもの将来を決定的に左右する……というよりは、親自身の処理能力を超えた問題が起
きると、親は、当然のことながら、パニック状態になる。しかしこうしたパニック状態は、長つづ
きしない。人間の心理は、不安定な状態に弱い。そこで人間は、自分の心を守るため、自らを
調整しようとする。これを防衛機制という。そしてつぎのような段階を経て、自分の心を整理す
る。

 子どもの不登校を例にとって、考えてみる。

【混乱期】
 たとえばある朝、突然、自分の子どもが「学校へ行かない」と言い出したとする。それまでは
心のどこかに不安を感じていたものの、たいていの親は、「まさか!」と思い、ついで、「どうして
うちの子が!」と思う。

 そして「このままではうちの子は、だめになってしまう」「落ちこぼれてしまう」と、妄想が妄想を
呼び、パニック状態になる。それはそれまで順当(?)に進んできた、レールからの脱線、もしく
は、組み立ててきた教育観の崩壊を意味する。ある母親は、自分の子どもがそうなったとき、
高いビルにのぼり、突然、ハシゴをはずされたような感じだったと言った。また別の母親は、崖
から落とされたような感じだったと言った。

 が、それだけではない。子どもが不登校を起こすと、たいていの親は、親として否定されたか
のように思ったり、親として失格という烙印を押されたかのように感ずる。それはおそろしいほ
どの衝撃である。

 さらにそれまで、他人の子どもの不登校を見ながら、それを批判してきた人ほど、その衝撃
は大きい。そういう自分に天罰がくだったかのように感ずる人もいる。

 ともかくも、こうした混乱が突発的に起こる。そしてそれが突発的であるため、不安の連鎖が
始まり、親は、限りなくパニック状態に陥る。この時期に共通した症状としては、つぎのようなも
のがある。

●無理をしてでも、学校へ行かせようとする。

【抵抗期から激怒期】
 こうしたパニック状態が一巡すると、親は、自分の置かれた立場、子どもに現れた症状を否
認するようになる。「そんなはずはない」「うちの子にかぎって」と。そして「悪いのは、自分や子
どもではなく、原因は外の世界にある」と思いこむ。

 たいていの親は、「いじめが原因だ」「学校の先生が悪い」と、原因さがしを始める。子どもは
子どもで、親に聞かれるまま、あれこれ理由らしきことを口にする。もちろん理由がないわけで
はない。しかしそれはいわば引き金となった理由であって、本当に理由ではない。問題の「根」
は、もっと深いところにある。

 この段階で、相手の子どもの家に、「お宅の子どもが原因で、うちの子が、学校へ行けなくな
ってしまった。どうしてくれる!」と、怒鳴り込んでいった親がいる。学校の校長に、「担任の先
生をかえてくれ」と、要求していった親もいる。さらに朝の四時(朝の四時!)に、相手の子ども
の親に、抗議の電話を入れた親もいる。この時期に共通した症状としては、つぎのようなもの
がある。

●子どもが口にするターゲット(理由づけ)に振りまわされ、先生や相手を攻撃したり、ときには
転校したりする。

【取り引き期】

 少し冷静になったところで、「どうすれば学校へ行くようになるか」を考える。あるいは「学校で
勉強できない分を、どうやって補うか」を考える。

 子どもに対しては、激励、説得、懇願、ときには、機嫌取りや叱咤を繰り返す。「このままで
は、○○中学へ行けなくなる」と、脅すこともある。しかしこうした一連の行為は、風邪をひい
て、熱を出している子どもに向かって、水をかけるようなもの。効果がないばかりか、かえって
症状を悪化させる。

 しかし親は、取り引きをやめない。家庭教師を雇ってみたり、学校へ頻繁に相談に行ったり
する。そして子どもに、「一時間でもよいから」「給食だけでもよいから」と、あれこれ働きかけ
る。そして週に一度でも、そして一時間でも学校へ行ったりすると、それを喜んだり、「せめて二
日」「せめて二時間」と願ったりする。

 この段階で子どもの症状は、一進一退する。親はそのつど、はかない希望をいだいたり、あ
るいは反対に絶望したりする。この振幅が、親を、さらに不安にする。「この問題は、半年単位
で考えなさい」と言っても、親には理解できない。親にしてもれば、一か月どころか、一週間でも
長い。

【トンネル期】

 やがて親は、長くて暗いトンネルに入る。精神状態そのものが、抑うつ状態になる人も多い。
元気で登校する子どもをみると、「どうしてうちの子だけが」「どうして私だけが」と悩む。

 あちこちの相談会に行ったり、本を読んだりするのが、この時期。しかし同時に、自分の心を
整理するという作用も生まれる。「学校とは何か」「教育とは何か」と。さらに「希望とは何か」
「絶望とは何か」、「子どもを愛するということは、どういうことか」というレベルまで考える人もい
る。

 そしてやがて、その人なりに、何が本当に大切で、何がそうでないかを考えるようになる。そ
してそうした思いが優勢になってくると、トンネルの先に、光見るようになる。なおこの時期は、
その親ががんばればがんばるほど、また学歴信仰度が高ければ高いほど、長くつづく。共通し
た症状としては、つぎのようなものがある。

●心に張りついた抑うつ感、子どもへの怒りといとおしさが混在する。

【受容期】

 現状を受け入れ、あきらめるようになる。学校や他人からの働きかけを、うるさく感ずるよう
になる。しかしトンネル期が、それで終わるわけではない。ときどき思い出したように、トンネル
に入ったり、出たりする。しかしその回数が減り、やがて親はここでいう受容期に入る。

 最初は、「あなたの好きなようにしなさい」と言ってみる。どこか勇気のいる言葉である。しか
しそれがだんだんと自然な言葉で言えるようになる。世間の目や他人の目が、それほど気にな
らなくなる。また家の中でも、子どもの存在感が小さくなり、相対的に、親のほうに心の余裕が
できてくる。この時期、こう言った母親がいた。「いろいろやってはみましたが、結局は、うちの
子も、ふつうの子だとわかりました。そのふつうに気がつくまでに、親は遠い回り道をするので
すね」と。

 子どもといっしょに散歩に行ったり、旅行したりするようになる。「将来はどうなるのか」という
不安より、「今、できることを一生懸命しておこう。結果はあとからやってくる」というような考え
方になってくる。共通した症状としては、つぎのようなものがある。

●おおらかで、豊かな親子関係。友だち的な親子になる。

 以上、四期に分けて考えてみた。もちろんこれはどちらかというと理想的な形(?)。中には、
トンネルへ入ったまま、そこから抜け出ることができない親もいる。また短期間で、最後のステ
ージまでたどりつく親もいれば、反対に、最初の段階で、つまずいてしまう親もいる。

 しかし忘れてならないのは、これらは親の問題であって、子どもの問題ではないということ。こ
こに例としてあげた不登校にしても、子ども自身にとっては、「学校に行きたくない」「行くことが
できない」というだけのことで、何ら問題ではない。わかりやすく言えば、親が勝手に騒いでいる
だけ。そしてその心配や不安を、子どもにぶつけているだけ。

 こうした子どもの問題をかかえたら、できるだけ良質な情報をたくさん集めて、その問題を理
解することも大切なことだが、それ以前に、こうした問題があることを知り、ある程度の予備知
識を頭の中に入れておくことも大切である。こうした予備知識は、いわば道に迷ったときの地
図の役割をはたしてくれる。
(030613)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

病院で

やせこけた頬
かわいた茶色の皮膚
それをおおう、白い、不精ひげ
鼻には、透明の細いホースがつけられ
ぼんやりと、その老人は、ぼんやりと空をみつめる。

白いパイプのベッド
それをおおう、さらに白いシーツ
消毒薬のにおいと、あたりにただよう病臭
水色の服を着たヘルパーさんが
表情も変えず、ただ黙々と、行き来する。

それは私の未来か?
はたまた、あなたの未来か?
老齢は、だれにも平等にやってくる。
「私は違う!」と、いくら払いのけても
あの老人の顔が、脳裏に焼きついて離れない。

あの老人は、何を考えていたのか。
うつろな目で何を見ていたのか。
なつかしく、若々しいころの自分か。
それとも、やがてやってくる死の恐怖か。
あるいは、心を無にしているだけなのか。

いつか私も、逆の立場で、ベッドに横たわり、
通路に立ち止まる男を見るだろう。
そのとき私は、きっとその男に
こうつぶやくに違いない。
「これがお前の、つぎの姿だ」と。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

乳幼児の記憶

 新生児や、乳幼児にも、記憶はある。科学的にそれを証明したのは、ワシントン大学のメル
ツォフ(発達心理学)たちである。しかもその記憶の量と質は、私たちが想像するよりも、はる
かに濃密なものであると考えてよい。

 その一例として、野生児がいる。生後直後から、人間の手を離れ、野生の世界で育てられた
人間をいう。よく知られた野生児に、フランスのアヴェロンで見つかった、ヴィクトールという少
年。それにインドで見つかった、アマラ、カマラという二人の少女がいる。

 アヴェロンの野生児についていえば、発見されたときは、推定一二歳ほどであったが、死ぬ
までの四〇歳の間に覚えた単語は、たった三つだけだったという。またインドの二人の少女
は、完全なまでに動物の本性と生活条件を身につけていたという。感情表現もなく、おなかが
すいたときに怒りの表情。肉を食べたとき、満足そうな表情を見せた以外、生涯、ほほえむこ
ともなかったという。

 この野生児からわかることは、乳幼児期の記憶、なかんずく、生活環境が、きわめて濃密な
形で、その人間の人格形成に影響を与えているということ。またその時期にできた、いわゆる
人格の「核」というのは、その後、生涯にわたって、その人のまさに「核」となって、その人の生
きザマに影響を与えるということ。

 私たちは新生児や乳幼児を見ると、そのあどけなさから、「こういう幼児には記憶などあるは
ずがない」とか、あるいは、自分自身の記憶と重ねあわせて、「人間の記憶が始まるのは、
四、五歳の幼児期から」と考えやすい。しかしこれは誤解というより、まちがいである。

 子どもは生まれたときから、そして乳幼児期にかけて、ここにも書いたように、きわめて濃密
な記憶を、脳の中にためこんでいく。しかも重要なことに、人間は、自分の子育てをしながら、
自分が受けた子育てを、再現していく。これを私は、勝手に「人格の再現性」と呼んでいる。子
育てを再現するというよりは、その人自身の人格を再現するからである。

 わかりやすい例でいえば、たとえば自分の子どもが中学生になると、ほとんどの親は、言い
ようのない不安や心配を覚える。しかしそれは自分の子どもの将来についての不安や心配と
いうよりは、自分自身が中学時代に覚えた不安や心配である。将来に対する不安、人間が選
別されるという恐怖。それを自分の子どもを通して、親は再現する。

 私も、最近、こんな経験をしている。

 昨年、孫が生まれた。二男の子どもである。二男は、インターネットで、子育ての様子を伝え
てくれるが、その育て方を見ていると、二男は恐らく、自分では、自分は自分の子育てをしてい
るつもりかもしれないが、どこかしこというより、全体としてみると、私が二男にした子育てと同
じことを繰りかえしているのがわかる。

 こうしたことからも、つまり現象面から見ても、新生児や乳幼児にも、記憶がしっかりと残って
いることがわかる。そういう意味では、ワシントン大学のメルツォフたちの研究は、それを追認
しただけということになる。

 さてここが重要である。

 あなたはあなたの子どもの記憶を、決して安易に考えてはいけない。子どもが泣いていると
き、あるいはひょっとしたら眠っているといでさえ、子どもの脳は、想像を超える濃密さで、その
ときの状況を、記憶として蓄積している。そしてそれがそのまま、その子どもの人格の核となっ
ていく。

 これに対して、「私は自分の記憶を、四、五歳くらいまでしか、たどることができない。だから
それ以前は、記憶はないのではないか」という意見もある。しかしこれについては、もう一度、
はっきりと否定しておく。

 記憶は、記銘(脳の中に記録する)、保持(その記憶を保つ)、そして想起(思い出す)という
操作を経て、人間の記憶となる。ここで重要なことは、想起できなからといって、記憶がないと
いうことではないということ。事実、脳の中心部に辺縁系と呼ばれる組織があり、その中に海馬
(かいば)という組織がある。

 この海馬には、ぼうだいな量の記憶が保持されている。が、その記憶のほとんどは、私たち
の意識としては、想起できないことがわかっている。いわば担保に取られた貯金のようなもの
で、取り出すことはもちろん、使うこともできない。しかしそしてそうした記憶は、無意識の世界
で、その子どもを、そして現在のあなたを、裏から操る……。

 繰りかえすが、新生児や乳幼児の記憶を、決して、安易に考えてはいけない。
(030614)

+++++++++++++++++
これに関連して書いた原稿が、つぎの原稿(中日新聞発表済み)である。
+++++++++++++++++

親が過去を再現するとき

●親は子育てをしながら過去を再現する 

 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。それまでは
そうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は言いようのない不安に襲わ
れる。受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「受験勉強」ではない。受験にまつわる、
「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。それらが、たとえば子どもが受
験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。

つい先日も、中学一年生をもつ父母が、二人、私の自宅にやってきた。そしてこう言った。「一
学期の期末試験で、数学が二一点だった。英語は二五点だった。クラスでも四〇人中、二〇
番前後だと思う。こんなことでは、とてもS高校へは入れない。何とかしてほしい」と。二人とも、
表面的には穏やかな笑みを浮かべていたが、口元は緊張で小刻みに震えていた。

●「自由」の二つの意味

 この静岡県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、最
難関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したのに驚い
た。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分に気がつくの
は、一体、いつのことだろう」と思った。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由はとも
かくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされた。たいて
いはこんな夢だ。……どこかの試験会場に出向く。が、自分の教室がわからない。やっと教室
に入ったと思ったら、もう時間がほとんどない。問題を見ても、できないものばかり。鉛筆が動
かない。頭が働かない。時間だけが刻々と過ぎていく……。

●親と子の意識のズレ

親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がいる。
「こんなことでどうするの!」と。そういう親に向かって、「今はそういう時代ではない」と言っても
ムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが、ズレている。親は親で、「すべては子どものた
め」と、確信している。

こうしたズレは、内閣府の調査でもわかる。内閣府の調査(二〇〇一年)によれば、中学生で、
いやなことがあったとき、「家族に話す」と答えた子どもは、三九・一%しかいなかった。これに
対して、「(子どもはいやなことがあったとき)家族に話すはず」と答えた親が、七八・四%。子ど
もの意識と親の意識が、ここで逆転しているのがわかる。つまり「親が思うほど、子どもは親を
アテにしていない」(毎日新聞)ということ。が、それではすまない。

「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先生に話す」
はもっと少なく、たったの六・八%! 本来なら子どものそばにいて、よき相談相手でなければ
ならない先生が、たったの六・八%とは! 先生が「テストだ、成績だ、進学だ」と追えば追うほ
ど、子どもの心は離れていく。親子関係も、同じ。親が「勉強しろ、勉強しろ」と追えば追うほ
ど、子どもの心は離れていく……。

 さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってからだ。試
験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、違った方向
に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行こうよ、オレたち
は。あせってみたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるようになった。……とたん、少しおおげさ
な言い方だが、私の魂は解放された!

●一度、自分を冷静に見つめてみる

 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない。気
づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそうだ。それまで
の二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。が、子どもが中学生になった
とたん、雰囲気が変わった。そこで……。あなた自身はどうだろうか。あなた自身は自分の過
去を再現するようなことをしていないだろうか。今、受験生をもっているなら、あなた自身に静
かに問いかけてみてほしい。あなたは今、冷静か、と。そしてそうでないなら、あなたは一度、
自分の過去を振り返ってみるとよい。これはあなたのためでもあるし、あなたの子どものため
でもある。あなたと子どもの親子関係を破壊しないためでもある。受験時代に、いやな思いをし
た人ほど、一度自分を、冷静に見つめてみるとよい。
(030614)※

 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
**\\⊂'↓°⊃//**
*  \\_▽_//  *
    \\∧//
     Y☆Y
     〓〓〓      
    /|||\
     ̄Π ̄Π ̄ 
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

未来と過去

 未来を思う心と、過去をなつかしむ心は、満五五歳くらいを境にして、入れかわるという。ある
心理学の本(それほど権威のある本ではない)に、そう書いてあった。しかしこれには、当然、
個人差がある。

 七〇歳になっても、あるいは八〇歳になっても、未来に目を向けている人は多い。反対に、
四〇歳の人でも、三〇歳の人でも、過去をなつかしんでいる人は多い。もちろんどちらがよい
とか、悪いとかいうのではない。ただ満五五歳くらいを境に、未来を思う心と、過去をなつかし
む心が半々くらいになり、それ以後は、過去をなつかしむ心のほうが大きくなるということらし
い。

 が、私のばあい、過去をなつかしむということが、ほとんど、ない。それはほとんど毎日、幼児
や小学生と接しているためではないか。そういう子どもたちには、未来はあっても、過去は、な
い。

が、かといって、その分私が、未来に目を向けているかというと、そういうこともない。今度は、
私の生きザマが、それにかかわってくる。私にとって大切なのは、「今」。一〇年後、あるいは
二〇年後のことを考えることもあるが、それは「それまで生きているかなあ」という程度のことで
しかない。

 ときどき、「前世や来世はあるのかなあ」と考えることがある。しかし釈迦の経典※をいくら読
んでも、そんなことを書いてあるところは、どこにもない。イエス・キリストも、天国の話はした
が、前世論や来世論とは、異質のものだ。

(※釈迦の生誕地に残る、原始仏教典『スッタニパータ』のこと。日本に入ってきた仏教典のほ
とんどは、釈迦滅後四、五〇〇年を経て、しかもヒンズー教やチベット密教とミックスされてでき
た経典である。とくに輪廻転生、つまり生まれ変わり論を、とくに強く主張したのが、ヒンズー教
である。)

 今のところ、私は、「そういうものは、ない」という前提で生きている。あるいは「あればもうけも
の」とか、「死んでからのお楽しみ」と考えている。本当のところはよくわからないが、私には見
たこともない世界を信じろと言われても、どうしてもできない。

 本来なら、ここで、「神様、仏様、どうか教えてください」と祈りたいところだが、私のようなもの
を、神や仏が、相手にするわけがない。少なくとも、私が神や仏なら、はやし浩司など、相手に
しない。どこかインチキ臭くて、不誠実。小ズルくて、気が小さい。大きな正義を貫く勇気も、度
胸もない。小市民的で、スケールも貧弱。仮に天国があるとしても、私などは、入り口にも近づ
けないだろう。

 だからよけいに未来には、夢を託さない。与えられた「今」を、徹底的に生きる。それしかな
い。それに老後は、そこまできている。いや、老人になるのがこわいのではない。体力や気力
が弱くなることが、こわい。そしてその分、自分の醜いボロが出るのがこわい。

 個人的な意見としては、あくまでも個人的な意見だが、人も、自分の過去ばかりをなつかしむ
ようになったら、おしまいということ。あるいはもっと現実的には、過去の栄華や肩書き、名誉に
ぶらさがるようになったら、おしまいということ。そういう老人は、いくらでもいるが、同時に、そう
いう老人の人生観ほど、人をさみしくさせるものはない。

 そうそう釈迦は、原始仏教典の中でも、「精進(しょうじん)」という言葉を使って、「日々に前進
することこそ、大切だ」と教えている。しかも「死ぬまで」と。わかりやすく言えば、仏の境地な
ど、ないということになる。そういう釈迦の教えにコメントをはさむのは許されないことだが、私も
そう思う。人間が生きる意味は、日々を、懸命に、しかも前向きに生きるところにある。過去で
はない。未来でもない。「今」を、だ。

 一年前に書いた原稿だが、少し手直しして、ここに掲載する。

++++++++++++++++++++++++

前向きの人生、うしろ向きの人生

●うしろ向きに生きる女性
 毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、人生はおしまい。偉そ
うなことは言えない。しかし私とて、いつそういう人生を送るようになるかわからない。しかしでき
るなら、最後の最後まで、私は自分の人生を前向きに、生きたい。自信はないが、そうしたい。

 自分の商売が左前になったとき、毎日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる女性(七〇歳)
がいた。その一五年前にその人の義父がなくなったのだが、その義父は一代で財産を築いた
人だった。くず鉄商から身を起こし、やがて鉄工場を経営するようになり、一時は従業員を五
人ほど雇うほどまでになった。が、その義父がなくなってからというもの、バブル経済の崩壊も
あって、工場は閉鎖寸前にまで追い込まれた。(その女性の夫は、義父のあとを追うように、義
父がなくなってから二年後に他界している。)
 
 それまでのその女性は、つまり義父がなくなる前のその女性は、まだ前向きな生き方をして
いた。が、義父がなくなってからというもの、生きザマが一変した。その人には、私と同年代の
娘(二女)がいたが、その娘はこう言った。「母は、異常なまでにケチになりました」と。たとえば
二女がまだ娘のころ、二女に買ってあげたような置物まで、「返してほしい」と言い出したとい
う。「それも、私がどこにあるか忘れてしまったようなものです。値段も、二〇〇〇円とか三〇〇
〇円とかいうような、安いものです」と。

●人生は航海のようなもの
 人生は一人で、あるいは家族とともに、大海原を航海するようなもの。つぎからつぎへと、大
波小波がやってきて、たえず体をゆり動かす。波があることが悪いのではない。波がなければ
ないで、退屈してしまう。船が止まってもいけない。航海していて一番こわいのは、方向がわか
らなくなること。同じところをぐるぐる回ること。もし人生がその繰り返しだったら、生きている意
味はない。死んだほうがましとまでは言わないが、死んだも同然。

 私の知人の中には、天気のよい日は、もっぱら魚釣り。雨の日は、ただひたすらパチンコ。
読む新聞はスポーツ新聞だけ。唯一の楽しみは、野球の実況中継を見るだけという人がい
る。しかしそういう人生からはいったい、何が生まれるというのか。いくら釣りがうまくなっても、
いくらパチンコがうまくなっても、また日本中の野球の選手の打率を暗記しても、それがどうだ
というのか。そういう人は、まさに死んだも同然。

 しかし一方、こんな老人(尊敬の念をこめて「老人」という)もいる。昨年、私はある会で講演を
させてもらったが、その会を主宰している女性が、八〇歳を過ぎた女性だった。乳幼児の医療
費の無料化運動を推し進めている女性だった。私はその女性の、生き生きした顔色を見て驚
いた。「あなたを動かす原動力は何ですか」と聞くと、その女性はこう笑いながら、こう言った。
「長い間、この問題に関わってきましたから」と。保育園の元保母だったという。そういうすばら
しい女性も、少ないが、いるにはいる。

 のんびりと平和な航海は、それ自体、美徳であり、すばらしいことかもしれない。しかしそうい
う航海からは、ドラマは生まれない。人間が人間である価値は、そこにドラマがあるからだ。そ
してそのドラマは、その人が懸命に生きるところから生まれる。人生の大波小波は、できれば
少ないほうがよい。そんなことはだれにもわかっている。しかしそれ以上に大切なのは、その
波を越えて生きる前向きな姿勢だ。その姿勢が、その人を輝かせる。

●神の矛盾
 冒頭の話にもどる。
 
信仰することがうしろ向きとは思わないが、信仰のし方をまちがえると、生きザマがうしろ向き
になる。そこで信仰論ということになるが……。

 人は何かの救いを求めて、信仰する。信仰があるから、人は信仰するのではない。あくまで
も信仰を求める人がいるから、信仰がある。よく神が人を創(つく)ったというが、人がいなけれ
ば、神など生まれなかった。もし神が人間を創ったというのなら、つぎのような矛盾をどうやって
説明するのだろうか。これは私が若いころからもっていた疑問でもある。

 人類は数万年後か、あるいは数億年後か、それは知らないが、必ず絶滅する。ひょっとした
ら、数百年後かもしれないし、数千年後かもしれない。しかし嘆くことはない。そのあと、また別
の生物が進化して、この地上を支配することになる。たとえば昆虫が進化して、昆虫人間にな
るということも考えられる。その可能性はきわめて大きい。となると、その昆虫人間の神は、
今、どこにいるのかということになる。

 反対に、数億年前に、恐竜たちが絶滅した。一説によると、隕石の衝突が恐竜の絶滅をもた
らしたという。となると、ここでもまた矛盾にぶつかってしまう。そのときの恐竜には神はいなか
ったのかということになる。数億年という気が遠くなるほどの年月の中では、人類の歴史の数
十万年など、マバタキのようなものだ。お金でたとえていうなら、数億円あれば、近代的なビル
が建つ。しかし数十万円では、パソコン一台しか買えない。数億年と数十万年の違いは大き
い。モーゼがシナイ山で十戒を授かったとされる時代にしても、たかだか五〇〇〇年〜六〇〇
〇年ほど前のこと。たったの六〇〇〇年である。それ以前の数十万年の間、私たちがいう神
はいったい、どこで、何をしていたというのか。

 ……と、少し過激なことを書いてしまったが、だからといって、神の存在を否定しているので
はない。この世界も含めて、私たちが知らないことのほうが、知っていることより、はるかに多
い。だからひょっとしたら、神は、もっと別の論理でものを考えているのかもしれない。そしてそ
の論理に従って、人間を創ったのかもしれない。そういう意味もふくめて、ここに書いたのは、
あくまでも私の疑問ということにしておく。

●ふんばるところに生きる価値がある
 つまり私が言いたいのは、神や仏に、自分の願いを祈ってもムダということ。(だからといっ
て、神や仏を否定しているのではない。念のため。)仮に一〇〇歩譲って、神や仏に、奇跡を
起こすようなスーパーパワーがあるとしても、信仰というのは、そういうものを期待してするもの
ではない。ゴータマ・ブッダの言葉を借りるなら、「自分の中の島(法)」(スッタニパーダ「ダンマ
パダ」)、つまり「思想(教え)」に従うことが信仰ということになる。キリスト教のことはよくわから
ないが、キリスト教でいう神も、多分、同じように考えているのでは……。

生きるのは私たち自身だし、仮に運命があるとしても、最後の最後でふんばって生きるかどう
かを決めるのは、私たち自身である。仏や神の意思ではない。またそのふんばるからこそ、そ
こに人間の生きる尊さや価値がある。ドラマもそこから生まれる。

 が、人は一度、うしろ向きに生き始めると、神や仏への依存心ばかりが強くなる。毎日、毎
晩、仏壇の前で拝んでばかりいる人(女性七〇歳)も、その一人と言ってもよい。同じようなこと
は子どもたちの世界でも、よく経験する。たとえば受験が押し迫ってくると、「何とかしてほしい」
と泣きついてくる親や子どもがいる。そういうとき私の立場で言えば、泣きつかれても困る。い
わんや、「林先生、林先生」と毎日、毎晩、私に向かって祈られたら、(そういう人はいないが…
…)、さらに困る。もしそういう人がいれば、多分、私はこう言うだろう「自分で、勉強しなさい。
不合格なら不合格で、その時点からさらに前向きに生きなさい」と。
 
●私の意見への反論
 ……という私の意見に対して、「君は、不幸な人の心理がわかっていない」と言う人がいる。
「君には、毎日、毎晩、仏壇の前で祈っている人の気持ちが理解できないのかね」と。そう言っ
たのは、町内の祭の仕事でいっしょにした男性(七五歳くらい)だった。が、何も私は、そういう
女性の生きザマをまちがっているとか言っているのではない。またその女性に向かって、「そう
いう生き方をしてはいけない」と言っているのでもない。その女性の生きザマは生きザマとし
て、尊重してあげねばならない。

この世界、つまり信仰の世界では、「あなたはまちがっている」と言うことは、タブー。言っては
ならない。まちがっていると言うということは、二階の屋根にのぼった人から、ハシゴをはずす
ようなもの。ハシゴをはずすならはずすで、かわりのハシゴを用意してあげねばならない。何ら
かのおり方を用意しないで、ハシゴだけをはずすというのは、人として、してはいけないことと言
ってもよい。

 が、私がここで言いたいのは、その先というか、つまりは自分自身の将来のことである。どう
すれば私は、いつまでも前向きに生きられるかということ。そしてどうすれば、うしろ向きに生き
なくてすむかということ。

●今、どうしたらよいのか?
 少なくとも今の私は、毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、
人生はおしまいと思っている。そういう人生は敗北だと思っている。が、いつか私はそういう人
生を送ることになるかもしれない。そうならないという自信はどこにもない。保証もない。毎日、
毎晩、仏壇の前で祈り続け、ただひたすら何かを失うことを恐れるようになるかもしれない。私
とその女性は、本質的には、それほど違わない。

しかし今、私はこうして、こうして自分の足で、ふんばっている。相撲(すもう)にたとえて言うな
ら、土俵際(ぎわ)に追いつめられながらも、つま先に縄をからめてふんばっている。歯をくいし
ばりながら、がんばっている。力を抜いたり、腰を浮かせたら、おしまい。あっという間に闇の世
界に、吹き飛ばされてしまう。しかしふんばるからこそ、そこに生きる意味がある。生きる価値
もそこから生まれる。もっと言えば、前向きに生きるからこそ、人生は輝き、新しい思い出もそ
こから生まれる。……つまり、そういう生き方をつづけるためには、今、どうしたらよいか、と。

●老人が気になる年齢
 私はこのところ、年齢のせいなのか、それとも自分の老後の準備なのか、老人のことが、よく
気になる。電車などに乗っても、老人が近くにすわったりすると、その老人をあれこれ観察す
る。先日も、そうだ。「この人はどういう人生を送ってきたのだろう」「どんな生きがいや、生きる
目的をもっているのだろう」「どんな悲しみや苦しみをもっているのだろう」「今、どんなことを考
えているのだろう」と。そのためか、このところは、見た瞬間、その人の中身というか、深さまで
わかるようになった。

で、結論から先に言えば、多くの老人は、自らをわざと愚かにすることによって、現実の問題か
ら逃げようとしているのではないか。その日、その日を、ただ無事に過ごせればそれでよいと
考えている人も多い。中には、平気で床にタンを吐き捨てるような老人もいる。クシャクシャに
なったボートレースの出番表を大切そうに読んでいるような老人もいる。人は年齢とともに、よ
り賢くなるというのはウソで、大半の人はかえって愚かになる。愚かになるだけならまだしも、古
い因習をかたくなに守ろうとして、かえって進歩の芽をつんでしまうこともある。

 私はそのたびに、「ああはなりたくはないものだ」と思う。しかしふと油断すると、いつの間か
自分も、その渦(うず)の中にズルズルと巻き込まれていくのがわかる。それは実に甘美な世
界だ。愚かになるということは、もろもろの問題から解放されるということになる。何も考えなけ
れば、それだけ人生も楽?

●前向きに生きるのは、たいへん
 前向きに生きるということは、それだけもたいへんなことだ。それは体の健康と同じで、日々
に自分の心と精神を鍛錬(たんれん)していかねばならない。ゴータマ・ブッダは、それを「精進
(しょうじん)」という言葉を使って表現した。精進を怠ったとたん、心と精神はブヨブヨに太り始
める。そして同時に、人は、うしろばかりを見るようになる。つまりいつも前向きに進んでこそ、
その人はその人でありつづけるということになる。

 改めてもう一度、私は自分を振りかえる。そしてこう思う。「さあて、これからが正念場だ」と。
(030613)

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    ▼  口  ▼         何か、テーマがあれば、お寄せください。
       口         メールは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/   
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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞










件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■6-23-2

後半部です!
はやし浩司


【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。(635まで)
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溺愛ママ

 親が子どもに感ずる愛には、三種類ある。本能的な愛、代償的な愛、それに真の愛である。
本能的な愛というのは、若い男性が女性の裸を見たときに感ずるような愛をいう。たとえば母
親は赤ん坊の泣き声を聞くと、いたたまれないほどのいとおしさを感ずる。それが本能的な愛
で、その愛があるからこそ親は子どもを育てる。もしその愛がなければ、人類はとっくの昔に滅
亡していたことになる。

つぎに代償的な愛というのは、自分の心のすき間を埋めるために子どもを愛することをいう。
一方的な思い込みで、相手を追いかけまわすような、ストーカー的な愛を思い浮かべればよ
い。相手のことは考えない、もともとは身勝手な愛。子どもの受験競争に狂奔する親も、同じよ
うに考えてよい。「子どものため」と言いながら、結局は親のエゴを子どもに押しつけているだ
け。

三つ目に真の愛というのは、子どもを子どもとしてではなく、一人の人格をもった人間と意識し
たとき感ずる愛をいう。その愛の深さは子どもをどこまで許し、そして忘れるかで決まる。英語
では『Forgive & Forget(許して忘れる)』という。つまりどんなに子どものできが悪くても、また
子どもに問題があっても、自分のこととして受け入れてしまう。その度量の広さこそが、まさに
真の愛ということになる。

それはさておき、このうち本能的な愛や代償的な愛に溺れた状態を、溺愛という。たいていは
親側に情緒的な未熟性や精神的な問題があって、そこへ夫への満たされない愛、家庭不和、
騒動、家庭への不満、あるいは子どもの事故や病気などが引き金となって、親は子どもを溺愛
するようになる。

 溺愛児は親の愛だけはたっぷりと受けているため、過保護児に似た症状を示す。(1)幼児
性の持続(年齢に比して幼い感じがする)、(2)人格形成の遅れ(「この子はこういう子だ」とい
うつかみどころがはっきりしない)、(3)服従的になりやすい(依存心が強いわりに、わがままで
自分勝手)、(4)退行的な生活態度(約束や目標が守れず、生活習慣がだらしなくなる)など。
全体にちょうどひざに抱かれておとなしくしているペットのような感じがするので、私は「ペット
児」(失礼!)と呼んでいる。柔和で、やさしい表情をしているが、生活力やたくましさに欠ける。

 溺愛ママは、それを親の深い愛と誤解しやすい。中には溺愛していることを誇る人もいる。
が、溺愛は愛ではない。このテストで高得点だった人は、まずそのことをはっきりと自分で確認
すること。そしてつぎに、その上で、子どもに生きがいを求めない。子育てを生きがいにしな
い。子どもに手間、ヒマ、時間をかけないの三原則を守り、子育てから離れる。 

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

まじめ七割、いいかげんさ三割

 子育ては『まじめ七割、いいかげんさ三割』と覚えておく。これはハンドルの「遊び」のようなも
の。この遊びがあるから、車も運転できる。子育ても同じ。
たとえば参観授業のようなとき、親の鋭い視線を感じて、授業がやりにくく思うことがある。とき
にはその視線が、ビンビンとこちらの体をつらぬくときさえある。そういう親の子どもは、たいて
いハキがなく、暗く沈んでいる。ふつう神経質な子育てが日常的につづくと、子どもの心は内閉
する。萎縮することもある。(あるいは反対に静かな落ち着きが消え、粗放化する子どももい
る。このタイプの子どもは、神経質な子育てをやり返した子どもと考えるとわかりやすい。)

 子育ての三悪に、スパルタ主義、極端主義、それに完ぺき主義がある。スパルタ主義という
のは、きびしい鍛練を主とする教育法をいう。また極端主義というのは、やることなすことが極
端で、しかも徹底していることをいう。おけいこでも何でも、「させる」と決めたら、毎日、それば
かりをさせるなど。要するに子育ては自然に任すのが一番。人間は過去数一〇万年もの間、
こうして生きてきた。子育てのし方にしても、ここ一〇〇年や二〇〇年くらいの間に、「変わっ
た」と思うほうがおかしい。心のどこかで「不自然さ」を感じたら、その子育ては疑ってみる。

 完ぺき主義もそうだ。このタイプの親は、あらかじめ設計図を用意し、その設計図に無理やり
子どもをあてはめようとする。こまごまとした指示を、神経質なほどまでに子どもに守らせるな
ど。このタイプの親にかぎって、よく「私は子どもを愛している」と言うが、本当のところは、自分
のエゴを子どもに押しつけているだけ。自分の欲望を満足させるために、子どもを利用してい
るだけ。

 子どもが学校に入り、大きくなったら、家庭の役割も、「しつけの場」から、「いやしの場」へと
変化しなければならない。子どもは家庭という場で、疲れた心をいやす。そのためにも、あまり
こまごまとしたことは言わないこと。アメリカの劇作家のソローも、『ビロードのクッションの上に
座るよりも、気がねせず、カボチャの頭のほうがよい』と書いている。こまごまとしたことが気に
なるなら、このソローの言葉の意味を考えてみてほしい。

 また子どもに何か問題が起きたりすると、「先生が悪い」「友だちに原因がある」と騒ぐ人がい
る。しかしもし子どもが家庭で心をいやすことができたら、そのうちのほとんどは、そのまま解
決するはずである。そのためにも「いいかげんさ」を大切にする。「歯を磨かなければ、虫歯に
なるわよ」と言いながらも、虫歯になったら、歯医者へ行けばよい。痛い思いをしてはじめて、
子どもは歯をみがくようになる。「宿題をしなさい」と言いながらも、宿題をしないで学校へ行け
ば、先生に叱られる。叱られれば、そのつぎからは宿題をするようになる。そういういいかげん
さが、子どもを自立させる。たくましくする。

    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│ このマガジンが役立ちそうな人が
  ┃     ┃   ///─┘┤   いらっしゃれば、このマガジン
  ┃     ┃  刧凵^ | │  のことを話していただけませんか。
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ファミリス掲載記事(6月号)より

●雑誌「ファミリス」につぎのような原稿を掲載してもらった。

Q 学年がかわり、勉強の遅れが目立ってきました。このままでは、うちの子はどうなるかと、
心配でなりません。(小四女)

A アメリカでは、学校の先生が、子どもに落第をすすめると、親は、喜んでそれに従う。「喜ん
で」だ。これはウソでも誇張でもない。反対に子どもの学力が心配だと、親のほうから落第を求
めていくこともある。「まだうちの子は、進級する準備ができていない」と。アメリカの親たちは、
そのほうが子どものためになると考える。

 日本では、そうはいかない。いかないことは、あなた自身が一番よく知っている。しかし、二〇
年後、三〇年後には、日本もそうなる。またそういう国にしなければならない。意識というのは
そういうもので、あなたが今もっている意識は、普遍的なものでも、また絶対的なものでもな
い。

 さて、もし子育てで行きづまりを覚えたら、子どもは『許して忘れる』。英語では、「フォ・ギブ
(許し)・アンド・フォ・ゲッツ(与える)」という。つまり「(子どもに)愛を与えるために、許し、(子ど
もから)愛を得るために、忘れる」ということになる。子どもをどこまで許し、どこまで忘れるか
で、親の愛の深さが決まる。子どもの受験勉強で狂奔しているような親は、一見、子どもを愛し
ているかのように見えるが、その実、自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。自分の設計
図に合わせて、子どもを思いどおりにしたいだけ。しかしそれは、真の愛ではない。

 否定的なことばかり書いたが、勉強だけがすべてという時代は、もう終わりつつある。(だか
らといって、勉強を否定しているのではない。誤解のないように!) 重要なのは、そのときどき
において、子どもが、いかに心豊かに、自分を輝かせて生きるかということ。その中身こそが、
大切。

 相談のケースでは、何かほかに得意なことや、特技があれば、それを前向きに伸ばすように
する。子どもには、「あなたはサッカーでは、だれにも負けないわよね」というような言い方をす
る。子どもの世界には、『不得意分野を伸ばすより、得意分野を、さらに伸ばせ』という鉄則が
ある。子どもというのは不思議なもので、ひとつのことに秀でてくると、ほかの分野も、ズルズル
と伸び始めるということが、よくある。

 さらにこれからは、一芸がものをいう時代。ある大手の自動車会社の入社試験では、学歴は
不問。そのかわり面接では、「君は何ができる?」と聞かれるという。そういう時代は、すぐそこ
まできている。

 ところで『宝島』という本を書いた、R・スティーブンソンは、こう言っている。『我らの目的は、
成功することではない。失敗にめげず前に進むことだ』(語録)と。あなたの子どもにも、一度、
そう言ってみてはどうだろうか。

+++++++++++++++++++++++
そのスティーブンソンについて書いたのが、つぎの原稿
です。再送信します。
+++++++++++++++++++++++

私たちの目的は、成功ではない。失敗にめげず、前に進むことである

 ロバート・L・スティーブンソン(Robert Louise Stevenson、1850−1894)というイギリスの
作家がいた。『ジキル博士とハイド氏』(1886)や、『宝島』(1883)を書いた作家である。もと
もと体の弱い人だったらしい。四四歳のとき、南太平洋のサモア島でなくなっている。

そのスティーブンソンが、こんなことを書いている。『私たちの目的は、成功ではない。失敗に
めげず、前に進むことである』(語録)と。

 何の気なしに目についた一文だが、やがてドキッとするほど、私に大きな衝撃を与えた。「そ
うだ!」と。

 なぜ私たちが、日々の生活の中であくせくするかと言えば、「成功」を追い求めるからではな
いのか。しかし目的は、成功ではない。スティーブンソンは、「失敗にめげず、前に進むことで
ある」と。そういう視点に立ってものごとを考えれば、ひょっとしたら、あらゆる問題が解決す
る? 落胆したり、絶望したりすることもない? それはそれとして、この言葉は、子育ての場で
も、すぐ応用できる。

 『子育ての目的は、子どもをよい子にすることではない。日々に失敗しながら、それでもめげ
ず、前向きに、子どもを育てていくことである』と。

 受験勉強で苦しんでいる子どもには、こう言ってあげることもできる。

 『勉強の目的は、いい大学に入ることではない。日々に失敗しながらも、それにめげず、前に
進むことだ』と。

 この考え方は、まさに、「今を生きる」考え方に共通する。「今を懸命に生きよう。結果はあと
からついてくる」と。それがわかったとき、また一つ、私の心の穴が、ふさがれたような気がし
た。

 ところで余談だが、このスティーブンソンは、生涯において、実に自由奔放な生き方をしたの
がわかる。一七歳のときエディンバラ工科大学に入学するが、「合わない」という理由で、法科
に転じ、二五歳のときに弁護士の資格を取得している。そのあと放浪の旅に出て、カルフォニ
アで知りあった、一一歳年上の女性(人妻)と、結婚する。スティーブンソンが、三〇歳のときで
ある。小説『宝島』は、その女性がつれてきた子ども、ロイドのために書いた小説である。そし
てそのあと、ハワイへ行き、晩年は、南太平洋のサモア島ですごす。

 こうした生き方を、一〇〇年以上も前の人がしたところが、すばらしい。スティーブンソンがす
ばらしいというより、そういうことができた、イギリスという環境がすばらしい。ここにあげたステ
ィーブンソンの名言は、こうした背景があったからこそ、生まれたのだろう。並みの環境では、
生まれない。

 ほかに、スティーブンソンの語録を、いくつかあげてみる。

●結婚をしりごみする男は、戦場から逃亡する兵士と同じ。(「若い人たちのために」)
●最上の男は独身者の中にいるが、最上の女は、既婚者の中にいる。(同)
●船人は帰ってきた。海から帰ってきた。そして狩人は帰ってきた。山から帰ってきた。(辞世
の言葉)

【追記】
 いろいろな雑誌があるが、とくに今年度に入ってからの「ファミリス」の編集の充実ぶりには、
目を見張るものがある。すばらしい。静岡県では、県内のすべての小中学校に配布されている
が、県外の人も購読できる。申し込みは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
のトップページより。毎月300円のお買い得!
(030615)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

幼児の遠近感覚

 「お父さんやお母さんが、車で走っていて、いてばんこわがるものは、何ですか?」と聞くと、
年長児の子どもたちが、勝手なことを言い始めた。

 「怪獣」
 「おばけ」
 「交通事故」と。

 そこで私が、「もっとこわいものがあるよ」と言うと、「教えて、教えて!」と。私は一呼吸を置い
て、こう言った。「幼稚園の子ども」と。

 すると子どもたちが、「どうしてエ〜? どうして私たちが、こわいのサア〜?」と。

 今週のレッスンは、ここから始まった。私は「だって、子どもは、すぐ道路へ飛び出すだろ。だ
からこわいのさ」と。

 子どもの遠近感覚がはっきりしてくるのは、満五歳前後。自分の家の置かれた位置を、高い
ところから見るように、客観的に見ることができるようになる。そしてこの時期、少し指導をする
と、簡単な地図を書くことができるようになる。

 何でもないようなことだが、自分の置かれた位置を、客観的に知るという能力は、自意識の
発達にも欠かせない。「自意識とは何か」ということはよく話題になるが、私は、「自分を客観的
にとらえる能力」と、理解している。

 位置だけではない。立場や、能力、方向性など。この自意識が未発達なままだと、自己中心
的なものの考え方が強くなる。「自分こそが、世界の王者である」とか、「自分の住んでいる家
が、世界の中心である」とか。幼児期では、「私は、人に大切にされて当然。またそれにふさわ
しい人間」と考える。いわゆるドラ息子(娘)の初期症状と考えてよい。

 かく言う私にも、こんな経験がある。

 オーストラリアで学生生活を送っていたときのこと。一人のオーストラリア人の学生が、私にこ
う聞いた。「君は、どの島から来たのか?」と。私はその質問にムッとして、「島ではない、本州
(メイン・コンティネント)だ」と答えると、その学生のみならず、まわりにいた学生たちまで、どっ
と笑った。私が冗談を言ったと思ったらしい。

 英語で「本州(メイン・コンティネント)」というときは、ヨーロッパ大陸とか、オーストラリア大陸
とかいうような、「大陸」を意味する。つまりそのときの私は、まさに「井の中のかわず(カエル)」
だった。

 日本は、世界的に見れば、どうしようもないほど、小さな島国である。あることは、世界に出て
みると、わかる。(だからといって、日本がつまらない国だと言っているのではない。誤解のない
ように。)しかしそれだけに、どこかまともでない、どこかおかしな民族性があるのも事実で、そ
れらは日本に住んでいるかぎり、ぜったいに、わからない。

 私はあらかじめ親たちから教えられた情報をもとに、「近くに、スーパーがあるの? そのス
ーパーと、郵便局は、どちらが遠いの?」と聞いたあと、子どもたちに地図をかかせた。遠近感
覚の発達している子どもは、まっすぐな道路を何本かかき、その間に、自分の住んでいる家
や、建物をかく。そうでない子どもは、グニャグニャとした道路をかく(年長児)。私はそれを見
ながら、心のどこかで、「私はどうなのか?」と、何度も思った。つまりこのところ、どうもその遠
近感覚が鈍ってきたように感ずる。何かにつけて、日本中心のものの考え方をするようになっ
た。この問題は、決して、子どもだけの問題ではないようだ。
(030615)

 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
**\\⊂'↓°⊃//**
*  \\_▽_//  *
    \\∧//
     Y☆Y
     〓〓〓      
    /|||\
     ̄Π ̄Π ̄ 
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

思い切って、捨てる

 あふれかえるもの。もの、また、もの。

 こういうときは、ただひたすら、捨てるのがよい。「また使うかもしれない」「またどこかで使お
う」「役にたつこともある」などという、ケチな根性はもたないほうがよい。大きなもので、三年。
小さなもので、一年使っていないものは、思い切って、捨てる。

 ものが多くて不便を感ずるか。あるいは、ものが少なくて不便を感ずるか。要はどちらを選ぶ
かだが、私はこのところ、後者を選ぶようになった。若いころは、キャンプへ行くにも、海水浴に
行くにも、そのつど、一式買いそろえた。しかしたいていのものは、一度使っただけで、そのま
ま押入れや戸棚へ。気がついてみたら、家中、ものだらけになってしまった。

 しかも買い物習慣というのは、こわいもの。ある一定の期間をおいて、同じものを買う。たとえ
ばドライバーセット。数年置きに、どういうわけかドライバーセットを買う。しかし三〇年間には、
それが何セットもになる。もちろんドライバーセットだけではない。あらゆるものが、そういうサイ
クルで、身のまわりで、ふえていく。

 そこでここ一〇年、私はほとんどものを買わなくなった。部屋について言えば、ゴチャゴチャと
いろいろなものがつまっている部屋より、どこかカランとした部屋のほうに、安らぎを覚えるよう
になった。多少、不便なこともあるが、耐えられないほどではない。

 ただワイフは、まだそういう心境に達していない。私が何かを捨てようとするたびに、「ダメダ
メ、これはまだ使うから」「それはとっておいて」などと言う。息子たちの衣類や、ふとん類など
は、そんなわけで、今でも、押入れにどっさりとある。まあ、そのうち、捨てるだろうと思っている
が、そう思いながら、もう一〇年になる。ワイフは、ああいったものを、どうするつもりなのだろう
か。

 捨てるのは、たしかにもったいない。ほとんどは、お金で買ったものだ。しかしやはり、捨てる
のがよい。どうせ財産価値はない。財産価値も生まれない。いや、生まれるかもしれない。こん
なことがあった。

 私がかいた絵を、子ども(小四男児)に、あげようかと声をかけると、その子どもは、こう言っ
た。「先生の絵なんか、いらない!」と。そこで私はこう言った。「いいや、ぼくの絵はね、二〇年
後には、一〇〇万円くらいにはなるかもしれないよ」と。

 するとその子どもは、「そんなら、もらう」と。が、しばらく間をおいて、私はその子どもに、こう
言った。「だけどね、二〇年後には、ラーメンいっぱい、一〇〇万円になっているかもしれない
よ」と。

 さあ、あなたも不要なものは、思い切って捨ててみよう。家の中だけではなく、心の中もスッキ
リ。今日は、日曜日。実は、今、その掃除が、終わったところ。かなりのものを、捨てた。燃やし
た。さわやかな汗が、まだしっとりと気持ちよい。
(030615)

++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

肛門

 若いころ、私は、七年をかけて、「東洋医学経穴編」(学研)を書いた。七年である! 今でも
その本は、学研から販売されている。「経穴」というのは、「ツボ」のこと。

 その本を書いているとき、どこかで、「肛門はなぜツボになっていないのか?」と疑問に思っ
たことがある。お尻の肛門である。ツボというのは、読んで字のごとく、くぼんだ部位をいう。肛
門は、まさに、人体の中でも最大の、その、くぼんだ部分である。

 肛門の少し前に、「会陰(えいん)」というツボがある。少しうしろには、「長強(ちょうきょう)」と
いうツボがある。しかし肛門は、ツボではない?

 この肛門が、きわめて重要なツボであることは、それなりにスケベな人なら、みんな知ってい
るはず。(ただし私は、オカマではない。念のため……。)ここを刺激すると、脳内にモルヒネに
似た麻薬様の物質が、充満する。

 私はそのことを、シャワートイレを使うようになってから発見した。つまり肛門は、頭痛、とくに
偏頭痛の特効穴(けつ)である。もし読者の中で、慢性的な頭痛もしくは、偏頭痛に悩んでいる
人がいたら、一度、シャワートイレに入って、一〇〜三〇分、肛門を刺激してみるとよい。たい
ていの頭痛は、それでなおるはず。

(私はドクターでないから、こういう無責任なことが、平気で書ける!)

 ついでに思い出したが、昔、漢方(東洋医学)を独学していたころ、台湾から来ていたC先生
に出会った。C先生は、毎週、台湾から東京へきて、東京の厚生年金会館で、講義をしてい
た。私はその講義に出席していた。

 そのC先生が、講義の合間に、こんな肩こりの治し方を教えてくれた。(私自身は、肩こりにな
ったことがないので、効果があるかどうかは、わからないが、人に試みたところ、効果があるら
しいということは確認している。)

 方法は、まず片方の腕を、手をのばしてまっすぐ水平にする。そしてだれかに、指を、外側に
向けて、力いっぱい、引っ張ってもらう。指は一本ずつ、タオルか何かに巻いて引っ張ってもら
うとよい。指が抜けるかと思うほど、力いっぱい引っ張ってもらうのがコツ。(決して指は抜けな
いし、痛くないから安心してほしい。)

 一方の手が終わったら、今度は、反対側の手でそれをしてもらう。こうして交互に、三〇分前
後、つづける。C先生は、「肩こりを治す、裏技だ」というようなことを言っていた。

 ……漢方の世界は、足を洗って、もう一五年になる。しかし私が二九歳のときに書いた「東洋
医学基礎編」(学研)は、いまだに全国の医学部や鍼灸学校のの教科書になっているという。
それはそれとして、漢方については、いやな思い出ばかり。それで漢方についての原稿は、め
ったに書かないが、たまたま今夜、ワイフとシャワートイレの話をした。それで、こんな原稿を書
いてみた。

 いや、私が「ウォシュレットを知っているか?」と聞いたら、ワイフが、「シャワートイレって言う
のよ」と教えてくれた。実は、我が家も、去る五月から、そのシャワートイレにした。温水つき
の、すぐれものである。……そう言えば、このところ、どこか頭が軽くなったような気がする?

 ついでに一言。先日、私が、私の生徒たちに、「うちもね、ウォシュレットにしたよ」と話した
ら、生徒たち(小三クラス)が、みな、こう言った。「遅れてル〜。今ごろオ?」と。そこで「みんな
のうちは、ウォシュレットか?」と聞くと、全員、「そうだヨ〜」と。

 時代も変わった? ……と思って、この話は、ここまで。このところ、トイレに入るのが楽しい
……ということで、何とも、下品な話で失礼!
(030616)※

     ▲   ▲
    ▲▼▼ ▼▼▲
   ▼  ▲◎▲  ▼
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    ▲  口  ▲
    ▼  口  ▼         何か、テーマがあれば、お寄せください。
       口         メールは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/   
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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・20  ……名古屋市(詳細未定)
9・9   ……稲沢市(詳細未定)
9・8   ……名古屋市(詳細未定)
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
8・ 6  ……浜北市(詳細未定)
7・31  ……浜松市東部公民館
7・10  ……湖西市教育委員会・家庭学級講座
7・ 9  ……豊岡小学校
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・28  ……富塚中学校区(小学校)健全育成会
6・24  ……金指小学校
6・24  ……静岡市アイセル21







件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■6-23-1

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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

善なる心を信じよう!

 人間の心は、基本的には、善である。だからこそ、人間は、人類は、過去数十万年という長
い年月を生き延びることができた。

 もし人間が悪なら、とっくの昔に、絶滅していたはずである。つまり人間の肉体が、時間をか
けて進化したように、その魂もまた、進化した。そのことは世界のあちこちに住んでいる原住民
を見ればわかる。

 私が直接知っているのは、オーストラリアのアボリニジーと呼ばれる原住民だが、彼らは、実
に平和で、のどかな生活をしていた。見方によっては、現代社会よりはるかに心豊かな社会を
つくりあげていた。

 恐れることはない。迷うことはない。とまどうことはない。「私は善人だ」と、あなたも声をあげ
て叫んでみよう。そして大切なことは、そういう自分を信ずること。あとはそれを信じて、前向き
に生きていく。

 もしあなたの周辺に悪があるとするなら、その悪は、善の上につくられた虚妄にすぎない。た
とえば新聞をにぎわす、暴力、殺人、戦争、争い、犯罪すべて、それらは善という基盤の上に
できた、虚妄にすぎない。そういうものがあるからといって、人間が善であるという基盤は、みじ
んもゆるがない。

 もちろん子どももそうだ。この世界には、悪い子どもはいない。いるとすれば、それは「作られ
た子ども」とみる。不幸にして不幸な環境、不適切な環境、ゆがんだ教育によって、作られた子
どもである。どんな子どもでも、あるべき環境で、あるべき方法で育てれば、そのまま善(よ)い
人になる。決して悪い子どもにはならない。なぜなら繰りかえすが、人間は基本的には、善であ
るからである。

私は善人だ。
あなたは善人だ。
みんな善人だ。
この世界には、
悪人はいない。
もしいるとするなら、
彼らこそ、
現代社会が生んだ
あわれな犠牲者にすぎない。
さあ、あなたも
自分の中の善を、
もっと勇気を出して
信じよう。
そして声を出して
叫んでみよう。
私は善人だ。
あなたは善人だ。
みんな善人だ、と。
(0306014)

【科学的な視点から】
 脳の中心部に、辺縁系と呼ばれる組織がある。その中に扁桃体と呼ばれる部分があるが、
どうやらその扁桃体が、ここでいう「善」の中核になっていることが、最近の研究でわかってき
た(伊藤正男)。

 たとえば快、不快の判断をするのは、大脳の新皮質ではなく、この扁桃体だという。人に親
切にしたり、やさしくすると、心地よい響きがある。その「心地よさ」は、扁桃体がコントロールし
ているという。もっと科学的には、この扁桃体から、エンドルフィン系、エンケファリン系の脳内
麻薬が脳内に放出され、その人を心地よくするという。

 その結果、満足、不満足の感情が生まれ(新井康允)、人間は、自ら、よいことをするように
仕向けられるという。これから先、こうした研究がさらに進むことを期待したい。

 また現象面では、つまり発達心理学の分野では、好子(こうし)、嫌子(けんし)という言葉を使
って、同じことが説明されている。これについては、別のところで考えてみたい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

六月一四日、山荘にて

 昼過ぎ、山荘に着く。小雨。しかし誤解しないでほしいのは、山荘は、雨の日が最高。あたり
一面、白いモヤに包まれていた。ワイフが何度も、「深い山の中みたい」「富士山の山頂にいる
みたい」と言った。

 着くとまもなく、遅い昼食。その前に、大きなビニール袋いっぱいの、ビワを収穫。もっと収穫
できたが、雨がひどくなったので中断。しかし昼食を食べると、私もワイフも眠くなってしまった。
で、そのままイスに座ってうたた寝。

 そのあと、部屋を移して、また昼寝。しかしどこでどう眠ったのか知らないが、気がつくと、時
刻は、午後九時。時計が狂ったと思ったほど。ワイフに「もう九時だって?」と驚いてみせると、
「そうみたい」と。

 お茶を一杯飲んで、ビデオを見る。「チェンジングレーン」というビデオ。山荘へ来る前に、ビ
デオショップで借りてきた。今、この原稿を書いている横で、それが始まったところ。

 場所はニューヨーク。貿易センタービルが、瞬間だが見えた。よい映画は、最初の十数分を
見ればわかる。今のところ、どうやら合格のようだ。動きも展開も、おもしろい。

(しばらくビデオを見るために中断。)

【チェンジングレーン】

 二人の事情をもった男が、ともに裁判所へ行く途中で、接触事故を起こす。すべてはここから
始まる……。

 途中で話が、少し入り組んできた。めんどうになてきた。このところこういったタイプのビデオ
は見ない。わかりやすいビデオのほうがよい。しかしこのビデオは、シリアス。いくつかのハプ
ニングが重なり、事情はますますエスカレートする……。

 この映画には、都会生活の醜悪さが、満ちあふれている。山荘で見ると、よけいにそれを強く
感ずる。陰謀、策略、雑踏、駆け引き、そしてビジ・ネス(多忙業)。都会生活がすべてそうだと
は思わないが、しかしそうでないとは、もっと思えない。はからずもこんなセリフがある。「この
世は綱わたり。落ちずにわたるんだ」と。つまり「うまく、悪いこともせよ」と。

私はそのビデオを見ながら、マクドナルド(ハンバーガーチェーン)の創始者のR・マクドナルド
を思い出していた。彼は早い段階でマクドナルドの営業権利を手ばなし、それ以後は、地方の
農村で、悠々自適(ゆうゆうじてき)の田園生活。その彼は、生前、テレビのインタビューに答え
て、こう答えている。「もしあのまま会社に残っていたら、今ごろはニューヨークのオフィスで、弁
護士や会計士に囲まれてつまらない生活をしていることでしょう。(こういう農場でのんびり暮ら
している)今のほうが、ずっと幸せです」と。

 ビデオの最後は、みなさんで見てほしい。(本当のところは、書けない。ビデオにも著作権の
ようなものがあるのかも?)私の好みとしては、★★二つ。ハッピーエンドで終わったものの、
どこか、軽くあしらわれた感じ。

 時計を見ると、時刻は、午後一一時、少し前。山荘に泊まるかどうか、迷った。が、自宅に帰
ることにした。一六日(月曜日)は休みなので、その日に、また山荘にきて、草を刈るつもり。明
日は、一日、原稿書き。ポッカリとヒマになったから、マガジン用の原稿を書きためる。私には
貴重な一日だ。では、みなさん、おやすみなさい。
(030614)

+++++++++++++++++
2002年に書いた原稿を添付します。
+++++++++++++++++

生きることを原点に

 リチャード・マクドナルドという人がいた。数年前に八九歳でなくなったが、あのハンバーガー
チェーンの「マクドナルド」の創始者と言えば、だれでも知っている。が、当のマクドナルド氏自
身は、早い時期にレストランの権利を別の人物に売り渡している。それについて生前、テレビ
のレポーターが、「損をしたと思いませんか」と聞いたときのこと。マクドナルド氏はこう答えてい
る。「もしあのまま会社に残っていたら、今ごろはニューヨークのオフィスで、弁護士や会計士に
囲まれてつまらない生活をしていることでしょう。(こういう農場でのんびり暮らしている)今のほ
うが、ずっと幸せです」と。 

 話は大きくそれるが、私には三人の息子がいるが、そのうちの二人をあやうく海でなくしかけ
たことがある。とくに二男は助かったのが奇跡としか言いようがない。そんなこともあって、私は
二男に何か問題があるたびに、「こいつは生きていてくれるだけでいい」と思いなおすことで、
それらの問題を乗り越えることができた。生きることを原点にしてものを考えるということは、そ
ういうことをいう。

 私はマクドナルド氏の話を聞いて、大きな衝撃を受けた。日本人には信じられないような生き
方だが、アメリカやオーストラリアでは珍しくない。私の友人のピーター君も、宝石加工会社を
おこし、四〇数歳の若さで「輸出高ナンバーワン」で、オーストラリア政府から表彰されている。
しかしそののちまもなく権利を売り渡し、今はシドニー郊外で悠悠自適の隠居生活を楽しんで
いる。ほかにもこういう例は多い。よく知られた人物としては、ジェームズ・ルービン報道官がい
る。彼は妻の出産を理由に、ホワイトハウスの報道官を退任。今はロンドン郊外で「主夫業」
(報道)をしている。

 ものの考え方というのは相対的なものである。日本人が「あれっ!」と思うということがあれ
ば、ちょうどその反対のことで、彼らもまた同じように、「あれっ」と思うもの。アメリカ人やオース
トラリア人にしてみれば、日本人の生き方のほうが奇異に見えることだって多い。……いや、だ
からといって日本人の生き方がまちがっているというのではない。日本人は日本人で、今、精
一杯がんばっている。こういう生き方しかできないといえば、それはし方ないことだ。しかし心の
基本が、どこにあるかで生き方そのものも変わってくる。ものの考え方も変わってくる。もちろ
ん子育てのし方も変わってくる。仕事は大切だ。名誉も地位も肩書きも大切だ。しかしそれは
決して世界の常識ではない。世界の常識は、もう少し違った位置にある。

 要は、生きる本分を忘れないということ。忘れると、世界から日本はいつも奇異な目で見られ
る。個人について言えば、結局は自分の人生をムダにすることになる。

+++++++++++++++++++

少し長いエッセーですが、以前書いたものを
手直ししてお送ります。読んでいただければ
うれしいです。

+++++++++++++++++++

「おしん」と「マトリックス」

●私の実家は閉店状態に……
 昔、NHKドラマに「おしん」というのがあった。一人の女性が、小さな八百屋から身を起こし、
全国規模のチェーン店を経営するまでになったという、あのサクセス物語である。九七年に約
二〇〇〇億円の負債をかかえて倒産した、ヤオハンジャパンの社長、W氏の母親のカツさん
がモデルだとされている。

それはともかくも、一時期、日本中が「おしん」に沸いた。泣いた。私の実家の母も、おめでた
いというか、その一人だった。ちょうどそのころ、私の実家の近くに系列の大型スーパーがで
き、私の実家は小さな自転車屋だったが、そのためその影響をモロに受けた。はっきり言え
ば、閉店状態に追い込まれた。

●生きるために働くが原点
 人間は生きる。生きるために食べる。食べるために働く。「生きる」ことが主とするなら、「働
く」ことは従だ。しかしいつの間にか、働くことが主になり、生きることが従になってしまった。そ
れはちょうど映画「マトリックス」の世界に似ている。生きることが本来」母体(マトリックス)であ
るはずなのに、働くという仮想現実の世界のほうを、母体だと錯覚してしまう。一つの例が単身
赴任という制度だ。

もう三〇年も前のことだが、メルボルン大学の法学院で当時の副学部長だったブレナン教授
が、私にこう聞いた。「日本には単身赴任(短期出張)という制度があるそうだが、法的規制は
何もないのか」と。そこで私が「ない」と答えると、まわりにいた学生までもが、「家族がバラバラ
にされて何が仕事か!」と騒いだ。教育の世界とて例外ではない。

●たまごっちというゲーム
あの「たまごっち」というわけのわからないゲームが全盛期のころのこと。あの電子の生き物
(?)が死んだだけでおお泣きする子どもはいくらでもいた。私が「何も死んでいないのだよ」と
説明しても、このタイプの子どもにはわからない。一度私がそのゲームを貸してもらい、操作を
誤ってそのたまごっちを殺して(?)しまったことがある。そのときもそうだ。そのときも子ども
(小三女児)も、「先生が殺した!」とやはり泣き出してしまった。いや、子どもだけではない。当
時東京には、死んだたまごっちを供養する寺まで現れた。ウソや冗談でしているのではない。
マジメだ。中には北海道からかけつけて、涙ながらに供養している女性(二〇歳くらい)もいた
(NHK「電脳の果て」九七年一二月二八日放送)。

●たかがゲームと言えるか?
常識のある人は、こういう現象を笑う。中には「たかがゲームの世界のこと」と言う人もいる。し
かし本当にそうか? その少しあと、ミイラ化した死体を、「生きている」とがんばったカルト教
団が現れた。この教団の教祖はその後逮捕され、今も裁判は継続中だが、もともと生きていな
い「電子の生物」を死んだと思い込む子どもと、「ミイラ化した死体」を生きていると思い込む信
者は、どこが違うのか。方向性こそ逆だが、その思考回路は同じとみてよい。あるいはどこが
違うというのか。仮想現実の世界にハマると、人はとんでもないことをし始める。

●仮想現実の世界
さてこの日本でも、そして世界でも、生きるために働くのではなく、働くために生きている人はい
くらでもいる。しかし仮想現実は仮想現実。いくらその仮想現実で、地位や名誉、肩書きを得た
としても、それはもともと仮想の世界でのこと。生きるということは、もっと別のこと。生きる価値
というのは、もっと別のことである。地位や名誉、肩書きはあとからついてくるもの。ついてこな
くてもかまわない。そういうものをまっ先に求めたら、その人は見苦しくなる。

●そんな必要があったのか
あのおしんにしても、自分が生きるためだけなら、何もああまで店の数をふやす必要はなかっ
た。その息子のW氏にしても、全盛期には世界一六カ国、グループで年商五〇〇〇億円もの
売り上げを記録したという。が、そんな必要があったのだろうか。私の父などは、自分で勝手に
テリトリーを決め、「ここから先の町内は、M自転車屋さんの管轄だから自転車は売らない」な
どと言って、自分の商売にブレーキをかけていた。仮にその町内で自転車が売れたりすると、
夜中にこっそりと自転車を届けたりしていた。相手の自転車屋に気をつかったためである。し
かしそうした誠意など、大型スーパーの前ではひとたまりもなかった。彼らのやり方は、まさに
めちゃめちゃ。それまでに祖父や父がつくりあげてきた因習や文化を、まるでブルドーザーで
地面を踏みならすようにぶち壊してしまった。

●私の父は負け組み?
晩年の父は二、三日ごとに酒に溺れ、よく母や祖父母に怒鳴り散らしていた。仮想現実の世界
の人から見れば、W氏は勝ち組、父は負け組ということになるが、そういう基準で人を判断す
ることのほうが、まちがっている。父は生きるために自転車屋を営んだ。働くための本分を忘
れなかった。人間性ということを考えるなら、私の父は生涯、一片の肩書きもなく貧乏だった
が、W氏にまさることはあっても、劣ることは何もない。おしんもある時期までは生きるために
働いたが、その時期を過ぎると、あたかも餓鬼のように富と財産を追い求め始めた。つまりそ
の時点で、おしんは働くために生きるようになった。

●進学塾の商魂
 もちろん働くのがムダと言っているのではない。おしんはおしんだし、現代でいう成功者という
のは彼女のようなタイプの人間をいう。が、問題はその中身だ。これも一つの例だが、二〇〇
二年度から、このH市でも新しく一つの中高一貫校が誕生した。公立の学校である。その説明
会には、定員の約六〇倍もの親や子どもが集まった。そして入学試験は約六倍という狭き門
になった。親たちのフィーバーぶりは、ふつうではなかった。ヒステリー状態になる親も続出し
た。

で、その入試も何とか終わったが、その直後、今度は地元に本部を置くS進学塾が、そのため
の特別講座の説明会を開いた(二〇〇二年二月)。入試が終わってから一か月もたっていな
かった。商売熱心というべきか、私はその対応の早さに驚いた。私も進学塾の世界はかいま
見ているから、彼らがどういう発想で、またどういうしくみでそうした講座を開くようになったかが
よくわかる。わかるが、そのS進学塾のしていることはもう「生きるために働く」というレベルを超
えている。あるいはそうまでして、彼らはお金がほしいのだろうか。現代でいうところの成功者と
いうのは、そういうことが平気でできる人のことを言うもだろうが、そうだとするなら「成功」とは
何かということになってしまう。あの「おしん」の中でも、おしんの店の安売り攻勢にネをあげた
周囲の商店街の人たちが、抗議に押しかけるというシーンがあった。

●自分を見失う人たち
 お金はともかくも、名誉や地位や肩書き。そんなものにどれほどの意味があるというのか。生
きるためには便利な道具だが、それに毒されたとき、人は仮想現実の世界にハマる。自分を
見失う。日本では、あるいは世界では、W氏のような人物を高く評価する。しかしそのW氏の
サクセス物語の裏で、いかに多くの、そして善良な商店主たちが泣いたことか。私の父もその
一人だが、その証拠として、あのヤオハンジャパンが倒産したとき、一部の関係者は別として、
W氏に同情して涙をこぼした人はいなかった。

●仮想現実の世界にハマる人たち
 仮想現実の世界にハマると、ハマったことすらわからなくなる。たとえば政治家。ある政治家
が土建業者から一〇〇〇万円のワイロをもらったとする。そのときそのワイロを贈った業者
は、その政治家という「人間」に贈ったのではない。政治家という肩書きに贈ったに過ぎない。
しかし政治家にはそれがわからない。自分という人間が、そうされるにふさわしい人間だから
贈ってもらったと思う。政治家だけではない。こうした例は身近にもある。

たとえばA氏が取り引き先の会社のB氏を接待したとする。A氏が接待するのは、B氏という人
に対してではなく、B氏の会社に対してである。が、B氏にはそれがわからない。B氏自身も仮
想現実の世界に住んでいるから、その世界での評価イコール、自分の評価と錯覚する。しかし
仮想現実は仮想現実。仮にB氏が会社をやめたら、B氏は接待などされるだろうか。たぶんA
氏はB氏など相手にしないだろう。こうした例は私たちの身のまわりにはいくらでもある。

●子育ての世界も同じ
 長い前置きになったが、実は子育てについても、同じことが言える。多くの親は、子育ての本
分を忘れ、仮想現実の中で子育てをしている。子どもの人間性を見る前に、あるいは人間性を
育てる前に、受験だの進学だの、有名高校だの有名大学だの、そんなことばかりにこだわって
いる。ある母親はこう言った。「そうは言っても現実ですから……」と。つまり現実に受験競争が
あり、学歴社会があるから、人間性の教育などと言っているヒマはない、と。

しかしそれこそまさに映画「マトリックス」の世界。仮想現実の世界に住みながら、そちらのほう
を「現実」と錯覚してしまう。が、それだけならまだしも、そういう仮想現実の世界にハマることに
よって、大切なものを大切でないと思い込み、大切でないものを大切と思い込んでしまう。そし
て結果として、親子関係を破壊し、子どもの人間性まで破壊してしまう。もう少しわかりやすい
例で考えてみよう。

●人間的な感動の消えた世界
 先ほど私の祖父のことを少し書いたが、その祖父の前で英語の単語を読んで聞かせたとき
のこと。私が中学一年生のときだった。「おじいちゃん、これはバイシクルといって、自転車とい
う意味だよ」と。すると祖父はすっとんきょうな声をあげて、「おお、浩司が英語を読んだぞ! 
英語を読んだぞ!」と喜んでみせてくれた。が、今、その感動が消えた。子どもがはじめて英語
のテストを持ち帰ったりすると、親はこう言う。「何よ、この点数は。平均点は何点だったの? 
クラスで何番くらいだったの? これではA高校は無理ね」と。「あんたを子どものときから高い
月謝を払って、英語教室へ通わせたけど、ムダだったわね」と言う親すらいる。こういう親の教
育観は、子どもからやる気を奪う。奪うだけならまだしも、親子の信頼関係、さらには親のきず
なまでこなごなに破壊する。

 仮想現実の世界に住むということはそういうことをいう。親にしてみれば、学歴社会があり、
そのための受験競争がある世界が、「現実の世界」なのだ。もともと「生きるための武器として
子どもに与える教育」が、いつの間にか、「子どもから生きる力をうばう教育」になってしまって
いる。本末転倒というか、マトリック(母体)と、仮想現実の世界が入れ替わってしまっている!

●休息を求めて疲れる
 仮想現実の世界に生きると、生きることそのものが変質する。「今」という時を、いつも未来の
ために犠牲にする生き方も、その一つだ。幼稚園は小学校入学のため。小学校は中学校や
高校の入学のため。さらに高校は大学入試のため、大学は就職のため、と。こうした生き方、
つまりいつも未来のために現在を犠牲にする生き方は、結局は自分の人生をムダにすること
になる。たとえばイギリスの格言に、『休息を求めて疲れる』というのがある。愚かな生き方の
代名詞にもなっている格言である。「楽になろう、楽になろうとがんばっているうちに、疲れてし
まう」と。あるいは「やっと楽になったら、人生も終わっていた」と。

●あなた自身はどうか 
 こうした生き方をしている人は、それが「ふつう」と思い込んでいるから、自分の生きざまを知
ることはない。しかし客観的に自分を見る方法がないわけではない。

 たとえばあなた自身は、次の二つのうちのどちらだろうか。あなたが今、二週間という休暇を
与えられたとする。そのとき、(1)休暇は休暇として。そのときを楽しむことができる。(2)休み
が数日もつづくと、かえって落ち着かなくなる。休暇中も、休暇が終わってからの仕事のことば
かり考える。あるいはもしあなたが母親なら、つぎの二つのうちのどちらだろうか。あなたの子
どもの学校が、三日間、休みになったとする。そのとき、(1)子どもは子どもで、休みは思う存
分、遊べばよい。(2)子どもが休みに休むのは、その休みが終わったあと、またしっかり勉強
するためだ。

 (1)のような生き方は、この日本では珍しくない。「仕事中毒」とも言われているが、その本質
は、「今を生きることができない」ところにある。いつも「今」を未来のために犠牲にする。だから
未来の見えない「今」は、不安でならない。だから「今」をとらえて生きることができない。

●日本人の結果主義
 もっともこうした日本人独特の生き方は、日本の歴史や風土と深く結びついている。たとえば
仏教という宗教にしても、常に結果主義である。「結果がよければそれでよい」と。実際に、「死
に際の様子で、その人の生涯がわかる」と教えている教団がある。この結果主義もつきつめれ
ば、「結果」という「未来」に視点を置いた考え方といってもよい。日本人が仏教を取り入れたと
きから、日本人は「今」を生きることを放棄したと考えてもおかしくない。

●なぜ今、しないのか?
 こうした生き方は一度それがパターンになると、それこそ死ぬまでつづく。そしてそのパターン
に入ってしまうと、そのパターンに入っていることすら気づくことがなくなる。脳のCPU(中央演
算装置)が狂っているからである。たとえば私の知人にこんな人がいる。何でもその人はもうす
ぐ定年退職を迎えるというのだが、その人の夢は、ひとりで、四国八八か所を巡礼して回ること
だそうだ。私はその話を女房から聞いたとき、即座にこう思った。「ならば、なぜ、今しないの
か」と。

●「未来」のために「今」を犠牲にする
 その人の命が、そのときまであるとは限らない。健康だって、あやしいものだ。あるいはその
人は退職しても、巡礼はしないのでは。退職と同時に、その気力が消える可能性のほうが大き
い。私も学生時代、試験週間になるたびに、「試験が終わったら映画を見に行こう」とか、「旅
行をしよう」と思った。思ったが、いざ試験が終わるとその気持ちは消えた。抑圧された緊張感
の中では、えてして夢だけがひとり歩き始める。

 したいことがあったら、「今」する。しかし仮想現実の世界にいる人には、その「今」という感覚
すらない。「今」はいつも「未来」という、これまた存在しない「時」のために犠牲になって当然と
考える。

●今を生きる
 こうした生き方とは正反対に、「今を生きる」という生き方がある。ロビン・ウィリアムズ主演の
映画に同名のがあった。「今を偽らないように生きよう」と教える教師と、進学指導中心の学校
教育。そのはざまで一人の高校生が自殺に追い込まれるという映画である。

 あなたのまわりを見てほしい。あなたのまわりには、どこにも、過去も、未来もない。あるの
は、「今」という現実だけだ。過去があるとしても、それはあなたの脳にきざまれた思い出に過
ぎない。未来があるとしても、それはあなたの空想の世界でのことでしかない。だったら大切な
ことは、過去や未来にとらわれることなく、思う存分「今」というこの「時」を生きることではない
のか。未来などというものは、あくまでもその結果としてやってくる。

●再起をかけるW氏
聞くところによると、W氏は再起をかけて全国で講演活動をしているという(夕刊フジ)。これま
たおめでたい人というか、W氏はいまだにその仮想現実の世界にしがみついている。ふつうの
人なら、仮想現実のむなしさに気がつき、少しは賢くなるはずだが……。いや、実際にはそれ
に気づかない人は多い。退職後も現役時代の肩書きを引きずって生きている人はいくらでもい
る。私のいとこの父親がそうだ。昔、会うといきなり私にこう言った。「君は幼稚園の教師をして
いるというが、どうせ学生運動か何かをしていて、ロクな仕事につけなかったのだろう」と。彼は
退職前は県のある出先機関の「長」をしていた。が、仕事にロクな仕事も、ロクでない仕事もな
い。要は稼いだお金でどう生きるか、だ。が、この日本では、職業によって、人を判断する。稼
いだお金にも色をつける。が、こんな話もある。

●リチャード・マクドナルド
マクドナルドという、世界的に知られたハンバーガーチェーン店がある。あの創始者は、リチャ
ード・マクドナルドという人物だが、そのマクドナルド氏自身は、一九五五年にレストランの権利
を、レイ・クロウという人に、それほど高くない値段で売り渡している。(リチャード・マクドナルド
氏は、九八年の七月に満八九歳で他界。)そのことについて、テレビのレポーターが、「(権利
を)売り渡して損をしたと思いませんか」と聞いたときのこと。当のマクドナルド氏はこう答えてい
る。

 「もしあのままレストランを経営していたら、私は今ごろはニューヨークかどこかのオフィスで、
弁護士と会計士に囲まれていやな生活をしていることでしょう。こうして(農業を営みながら)、
のんびり暮らしているほうが、どれほど幸せなことか」と。マクドナルド氏は生きる本分を忘れな
かった人ということになる。

●残る職業による身分制度
私が母に「幼稚園で働く」と言ったときのこと。母は、電話口の向こうで、「浩ちゃん、あんたは
道をまちがえたあ!」と言って、泣き崩れてしまった。当時の世相からすれば、母が言ったこと
は、きわめて常識的な意見だった。しかし私は道をまちがえたわけではない。私は自分のした
いこと、自分の本分とすることをした。

一方、これとは対照的に、この日本では、「大学の教授」というだけで、何でもかんでもありがた
がる風潮がある。私のような人間を必要以上に卑下する一方、そういう人間を必要以上にあ
がめる。今でも一番えらいのが大学の教授。つぎに高校、中学の教師と続き、小学校の教師
は最下位。さらに幼稚園の教師は番外、と。こうした派序列は、何かの会議に出てみるとわか
る。一度、ある出版社の主宰する座談会に出たことがあるが、担当者の態度が、私と私の横
に座った教授とでは、まるで違ったのには驚いた。私に向っては、なれなれしく「林さん……」と
言いながら、振り向いたその顔で、教授にはペコペコする。こうした風潮は、出版界や報道関
係では、とくに強い。

●マスコミの世界
実際この世界では、地位や肩書きがものを言う。少し前、私が愛知万博(EXPO・二〇〇五)
の懇談会のメンバーをしていると話したときもそうだ。「どうしてあなたが……?」と、思わず口
をすべらせた新聞社の記者(四〇歳くらい)がいた。私には、「どうしてあんたなんかが……」と
聞こえた。つまりその記者自身も、すでに仮想現実の世界に住んでいる。人間を見るという視
点そのものがない。私のような地位や肩書きのない人間を、いつもそういう目で見ている。自
分も自分の世界をそういう目でしか見ていない。だからそう言った。が、このタイプの人たち
は、まさに働くために生きているようなもの。そういう形で自分の人生をムダにしながら、ムダ
にしているとさえ気づかない。

●人間を見る教育を
 教育のシステムそのものが、実のところ人間を育てるしくみになっていない。手元には関東地
域の中高一貫校、約六〇校近くの入学案内書があるが、そのどれもが例外なく、卒業後の進
学大学校名を明記している。中には別紙の形で印刷した紙がはさんであるのもあるが、それ
が実に偽善ぽい。それらの案内書をながめていると、まるでこれらの学校が、予備校か何か
のようですらある。子どもを育てるというのではなく、教育そのものが子どもを仮想現実の世界
に押し込めようとしているような印象すら受ける。

●仮想現実の世界に気づく
 ともかくも、私たちは今、何がマトリックス(母体)で、何が仮想現実なのか、もう一度自分のま
わりを静かに見てみる必要があるのではないだろうか。でないと、いらぬお節介かもしれない
が、結局は自分の人生をむだにすることになる。子どもの教育について言うなら、子どもたち
のためにも生きにくい世界を作ってしまう。しめくくりに、こんな話がある。

 先日、六〇歳になった姉と電話で話したときのこと。姉がこう言った。何でも最近、姉の夫の
友人たちがポツポツと死んでいくというのだ。それについて、「どの人も、仕事だけが人生のよ
うな人ばかりだった。あの人たちは何のために生きてきたのかねえ」と。その一言が、このエッ
セーの結論ということになる。
(030614)

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      /)氷)
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■6-25

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★★★★★★★★★★★★★★
03−6−25号(247)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
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最近のニュースから

●エイズ感染者が、若者を中心に、もうすぐ二万人!

「国内のエイズ感染者の数は、三年後の二〇〇六年には、二万二〇〇〇人になる。発症した
患者は、五〇〇〇人に達する」と。

厚生労働省の研究班の報告である。班長の橋本氏は、「国内のHIV感染者は、欧米に比べて
急激に伸びている。危機感をもって対策を強化すべきだ」と。

最近の高校生や大学生のおおかたの意見は、「エイズはこわくない」になりつつある。「感染し
ても、発症しない」「薬で抑えることができる」などと言う子どももいる。

 しかしエイズのこわさは、病気そのものもさることながら、それだけではない。浜松市内のIセ
ンターで感染症の治療にあたっているY医師は、こう話してくれた。「エイズのこわさは、実は治
療費の問題にあります」と。治療費が、高額だというのだ。「どれくらいですか?」と聞くと、「ふ
つうのサラリーマンの給料では、とても払いきれない額です」とのこと。それを生涯にわたって、
払いつづけねばならない。

 しかし二〇〇六年で、エイズ感染者がとまるわけではない。このままいけば、二〇一五〜二
〇年には、何と、一五万人になるという推計もある。一五万人! 決して他人の問題ではな
い。これはあなたの子どもの問題である。

 こうした問題を防ぐ唯一の方法は、あなたの子どもを、自ら考える子どもにすること。何が大
切で、そうでないか、それを静かに考える子どもにすること。そして子ども自身を、常識豊かな
子どもにすること。倫理だの道徳だの、あるいは宗教だの、そういうものを頭から、押しつけは
いけない。……そのために、私の、はやし浩司のマガジンを読むこと……というのは、自己宣
伝過ぎるが、本当にそう思う。


●中高校生は、睡眠不足

厚生労働省の研究班の調査によると、中高校生の睡眠時間は、つぎのようだという(03年)。

一日の平均睡眠時間が、六時間未満だったのは、

   中学1年……12%
     2年……17%
     3年……29%
   高校1年……38%
     2年……40%
     3年……43%(小数点以下、四捨五入)だそうだ。

全国の中高校生、一〇万六三〇〇人についての調査結果だという。(一〇万人とは! 厚生
労働省だからできる調査!)それはさておき、高校三年生で、半分近くの子どもが、六時間も
眠っていないとは!

 これらの子どもは、「昼間も、強い眠気を感ずる」(13%)、「夜、寝つきにくい」(16%)と。さ
らに睡眠の質に満足していない子どもも、四〇%もいたという。研究班は、「眠りと心の健康に
は、密接な関連がある」と警告している。

 で、総じてみると、日本の社会は、不健康型社会になりつつある。……なってしまった。享楽
的で、せつな的。まさに「退廃(たいはい)文化」が、大手を振って、この日本の社会の上に君
臨している。ウソだと思うなら、若者たちがこっそりと(あるいは堂々と?)見ている、バラエティ
番組をのぞいてみるとよい。天下の大放送局が、最新のハイテク映像機器を使って、夜な夜
な、低俗なエロ番組を流している。 

言い忘れたが、高校三年生の43%が六時間以下というのは、受験勉強が理由でそうなってい
るのではない。あくまでも遊ぶのが忙しくて、そうなっている。ちなみに、平均的な高校生は、毎
日、四〜五時間、テレビを見ている! 四〜五時間といえば、高校生が一日に学校で受ける
授業時間より長い!

 こういう愚かな子どもにしたくなかったら、私、はやし浩司のマガジンを読むこと……というの
も、やはり自己宣伝?


●日本の子どもは、肥満型

もう一つこんなショッキングな報告もある。「日本の子どもたちは、アメリカの子どもたち並に太
ってきており、心臓病や糖尿病になる危険がふえている」と。アメリカ疫病対策センター(CDC)
による調査結果である。

研究員のシファン・ダイ氏によると、新潟県新発田市の、七〜一五歳までの子ども、369人に
ついて調べたところ、つぎのようなことがわかったという。

 血液中の総コレステロールは、男子 1デシリットルあたり、平均約167ミリグラム、
               女子、173ミルグラム。

 この値は、「アメリカの子どもたちより、やや高かった。しかし皮下脂肪の厚さや、身長や体
重から計算される肥満度は、アメリカの子どもと同程度」(同報告)と。 

 ダイ研究員は、「(日本の子どものほうが低いと思って調査をしたが)、逆に日本の子どもの
肥満傾向が明らかになってしまった」と述べている。

 このところ、親たちの肥満に対する基準が変わってきたのではないか。子どもというのは、そ
の時期、どこかガリガリしてふつうなのだが、親自身が、それを望まない。約三分の一の母親
たちが、子どもの小食で悩んでいるのも、それ。「食が少ない」「好き嫌いがある」「遅い」など。
つまり母親たちは、どこかポッテリと太っている子どもを、「ふつうの子ども」と考えているので
はないか。

 いや、昨日も、蛍光灯が切れたので、近くの大型店まで足を運んでみた。その大型店は、夜
の一一時まで営業している。その大型店の一角にある、食堂を見て驚いた。夜の九時前後だ
ったが、一〇組近い親子づれが、ハンバーガーや、ラーメンを食べていた。子どもの顔ほども
ある大きなソフトクリームをなめている子ども(推定四、五歳)もいた。親自身が、子どもの成人
病のタネまきをしているようなもの。

 どこか日本の食生活も、めちゃめちゃになりつつある? ……そう思って、その大型店を出
たが、CDCによる調査は、それをはからずも、裏づけたということになる。

 さあ、みなさんも、私といっしょに、子どもの将来を考えよう。そのために私、はやし浩司のマ
ガジンを読もう!……というのも自己宣伝過ぎる。ハイ。
(030616)

【追記】しかしね、みなさん。私たちおとながもっと賢くならないと、この日本は、本当にダメにな
ってしまうのではないでしょうか。むずかしいことではありません。私たちがもつ、常識を、もっと
もっとみがけばよいのです。おかしいものは、おかしいと言う勇気。そんな勇気が、日本を救う
のです。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
【今週の幼児教室(1)】

●今回から、幼児指導の、コツとポイントを解説します。静岡県F市にお住まいの、Tさんから
のアイディアです。

+++++++++++++++++++++++

●「長さ」について

長さを、数で表現できることを、まず指導する。方法としては、五両の赤い電車と、三両の青い
電車を見せ、「どちらが長いかな?」と子どもに聞く。そのとき年長児であれば、「いくつ長いか
な?」「違いはいくつかな?」というところまで、指導する。

やがて電車の種類をふやす。黄色い電車や、緑の電車など。「一番長い電車はどれかな?」
「短い電車はどれかな?」という話しあいをする。

長さの指導の目的は、「いくつ分の長さ」ということがわかるようにすること。たとえば幼児の多
くは、(+――+――+――+)を、「4の長さ」と数える。しかし長さは、間を数えてわかる。そ
こで私の教室では、間に、「♪お山が一つ、お山が二つ……」と、山をかかせ、その山を数えさ
せるようにして指導する。このばあいは、「3の長さ(間は3)」ということになる。なお小学二年
生でも、長さの取り方を知らない子どもは、約半数はいる。
(030618)※

      ――
      /)氷)
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くし∨≫ゞ
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【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。(635まで)
+++++++++++++++++++

気負いは子育てを疲れさせる

 「いい親子関係をつくらねばならない」「いい家庭をつくらねばならない」と、不幸にして不幸な
家庭に育った人ほど、その気負いが強い。しかしその気負いが強ければ強いほど、親も疲れ
るが子どもも疲れる。そのため結局は、子育てで失敗しやすい……。

 子育ては本能ではなく、学習によってできるようになる。たとえば一般論として、人工飼育され
た動物は、自分では子育てができない。「子育ての情報」、つまり「親像」が、脳にインプットさ
れていないからである。人間とて例外ではない。「親に育てられた」という経験があってはじめ
て、自分も親になったとき子育てができる。こんな例がある。

一人の父親がこんな相談をしてきた。娘を抱いても、どの程度、どのように抱けばよいのか、
それがわからない、と。その人は「抱きグセがつくのでは……」と心配していたが、彼は、彼の
父親を戦争でなくし、母親の手だけで育てられていた。つまりその人は父親というものがどうい
うものなのか、それがわかっていなかった。しかし問題はこのことではない。

 だれしも、と言うより、愛情豊かな家庭で、何不自由なく育った人のほうが少ない。そんなわ
けで多かれ少なかれ、だれしも、何らかのキズをもっている。問題は、そういうキズがあること
ではなく、そのキズに気づかないまま、それに振りまわされることである。よく知られた例として
は、子どもを虐待する親がいる。

このタイプの親というのは、その親自身も子どものころ、親に虐待されたという経験をもつこと
が多い。いや、かく言う私も団塊の世代で、貧困と混乱の中で幼児期を過ごしている。親たちも
食べていくだけで精一杯。いつもどこかで家庭的な温もりに飢えていた。そのためか今でも、
「家庭」への思いは人一倍強い。が、悲しいことに、頭の中で想像するだけで、温かい家庭とい
うのがどういうものか、本当のところはわかっていない。だから自分の息子たちを育てながら
も、いつもどこかでとまどっていた。たとえば子どもたちに何かをしてやるたびに、よく心のどこ
かで、「しすぎたのではないか」と後悔したり、「してやった」と恩着せがましく思ったりするなど、
どこかチグハグなところがあった。

 ただ人間のばあいは、たとえ不幸な家庭で育ったとしても、近くの人たちの子育てを見たり、
あるいは本や映画の中で擬似体験をすることで、自分の中に親像をつくることができる。だか
ら不幸な家庭に育ったからといって、必ずしも不幸になるというわけではない。そこで大切なこ
とは、たとえあなたの過去が不幸なものであったとしても、それはそれとしてあなたの代で切り
離し、つぎの世代にそれを伝えてはいけないということ。その努力だけは忘れてはならない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

学歴信仰

 「学歴信仰はもうない」という人もいる。が、身分による差別意識はまだ根強く残っている。ど
こにどう残っているかは、実はあなた自身が一番よく知っている。日本人は肩書きや地位のあ
る人にはペコペコする反面、そうでない人は、ぞんざいにあつかう。またこの日本、公的な保護
を受ける人は徹底的に受け、そうでない人は受けない。そういう不公平を親たちは毎日肌で感
じている。だから親はこう言う。「何だかんだといっても、結局は学歴ですよ」と。

 が、学歴で生きる人は、結局はその学歴で苦しむことになる。Y氏(四五歳)がそうだ。Y氏は
ことあるごとに、S高校の出身であることを自慢していた。会話の中に、それとなく出身校を織
り込むというのが、彼の言い方だった。「今度、S高校の同窓会がありまして」とか、「S高校の
仲間とゴルフをしましてね」とか。が、S氏の息子がいよいよ高校受験ということになった。が、
息子にはそれだけの「力」がなかった。だから毎晩のように、S氏と息子は、「勉強しろ!」「うる
さい!」の大乱闘を繰り返していた。

 一方アメリカでは、入学後の学部変更は自由。大学の転籍すら自由。勉強したい学生は、よ
り高度な勉強を求めて、大学間を自由に転籍している。しかもそれが今、国際間でもなされ始
めている。彼らにしてみれば、最終的にどこで学位を認められるかは重要なことだが、そんな
わけで「出身校」には、ほとんどこだわっていない。大学教育のグローバル化の中で、やがて
日本もそういう方向に向かうのだろうが(向かわざるをえないが)、少なくともこれからは学歴
や、地位、それに肩書きをぶらさげて生きるような時代ではない。それに親が受験競争に狂奔
すればするほど、子どもの心はあなたから離れる。

たとえば子どもが受験期を迎えるまでは、日本のばあい、親子関係がほかの国とくらべても、
とくに悪いということはない。しかし子どもが受験期を迎えると、親子関係は急速に悪化する。
なぜそうなのかというところに、日本の子育ての問題点が隠されている。一度あなたも、自分
の心にメスを入れてみてはどうだろうか。

    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│ このマガジンが役立ちそうな人が
  ┃     ┃   ///─┘┤   いらっしゃれば、このマガジン
  ┃     ┃  刧凵^ | │  のことを話していただけませんか。
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

さらけ出す

●すなおな心

 人間関係に悩んでいる人は多い。富山県に住んでいるMさん(四〇歳、女性)もそうだ。厳格
な祖父母と、形だけの夫婦の両親のもとで育てられた。そのためかどうかはわからないが、
(そのためと考えて、ほぼまちがいないようだが……)、Mさんは、他人との信頼関係がうまく結
べなくなってしまった。Mさんが訴えるところの症状を並べてみる。

●同窓会などに出ると、どうしてみなは、ああも楽しそうなのかと思う。それで自分も楽しもうと
思うが、どうしても楽しめない。また楽しもうと思えば思うほど、かえって疲れてしまう。

●何をしても不安で、心配。あとでほかの人が、「じょうずにできたじゃない」などと言ってくれる
と、かえって不安になってしまう。私自身は、自分では失敗したという思いから、抜けでることが
できない。

●子ども(二人の男女)に対しても、何かにつけて完ぺき主義で、ついこまかいことを言ってし
まう。子どもを信ずることができない。子どもも、集団の中で、どこかオドオドしているよう。そう
いう姿を見ると、自分を責めてしまう。

●実家へ帰っても、心が休まらない。たまに一泊することもあるが、かえって疲れてしまう。父
も母も、それなりにいい人だと思うが、どうしても心を許すことができない。親子なのに、たがい
に、あれこれ気をつかう。

●子どものときから、親に「あんたは長女だから」と、いつも言われつづけた。いい子でいるの
が、当たり前という環境だった。弟のできがよかったこともあり、いつも弟と比較された。「どうし
てあんたはできないの!」と、よく叱られた。

こういうケースでは、まず身近なことから、少しずつ、自己開示をしてみる。自分の心を偽ら
ず、正直に表現してみるということ。私にも、こんな経験がある。

 私は、子どものときから、台風が好きだった。台風が接近してくると、内心では「こっちへくれ
ばいい」と願った。あの緊迫感が何とも言えない。しかしそれは悪いことだと思っていた。私は
学校や、人前では、優等生(?)だった。だから人前では、「台風がくると被害が出るから、こな
いほうがいい」などと自分を偽っていた。

 が、ある日のこと。私が三五歳もすぎてからのことだが、一人のアメリカ人の友人が、私にこ
う言った。「ヒロシ、ぼくは台風が好きだよ。台風の日には、ベランダにイスを置いて、それに座
って台風を見ているよ」と。

 この言葉には驚いた。そこで「何が、楽しいか?」と聞くと、「風にのって、ものが飛んでいくの
を見るのは、本当に楽しい」と。

 その言葉を聞いて、私は「何だ、そうだったのか」と、へんに感心した。以来、私は、すなお
に、「台風が好きだ」と言うようになった。

 これは一例だが、こうして自分の心を少しずつ、開示していく。ただし、簡単にはできない。た
いていの人は、本来の心がどういう状態なのかわからないほどまでに、布や糸で、心がぐるぐ
る巻きになっている。がんじがらめになっている。そういう布や糸を、ひとつずつ、ていねいにほ
どいていかねばならない。

●さらけ出す 

 自分をさらけ出すのは、むずかしい。今日もワイフと、ラーメン屋でラーメンを食べながら、こ
んな話をした。

私「自分をさらけ出すというのは、簡単なことではない」
ワ「そう……?」
私「たとえば目の前に、胸のすてきな女性がいたとする。そういう女性に向って、『あなたの胸
にさわってみたい』とは言えない」
ワ「当たり前でしょう」
私「しかし、お前の胸やお尻なら、さわりたいとき、さわれる」
ワ「それも当たり前でしょう」
私「そこなんだ。夫婦だったら、たがいにさらけ出しができる。だからそれを基盤として、信頼関
係を結ぶことができる。が、他人では、できない」
ワ「それが人間関係というものじゃ、ないの?」
私「そう。そうなると、他人と信頼関係を結ぶためには、どうしたらいいのか。たとえば反対に、
夫婦のばあい、言いたいことも言えない、したいこともできないというのであれば、もうその夫婦
は、危険な状態にあるとみていい。親子でもね」と。

 そこで大切なことは、まず自分に正直に生きること。そのために、自分の心に静かに耳を傾
けてみること。その上で、がまんすべきことは、がまんする。妥協すべきことは、妥協する。

 ここにも書いたように、いくら正直といっても、「あなたの胸にさわりたい」と言えば、その時点
で、相手を侮辱(ぶじょく)したことになる。セクハラになる。そこでがまんする。同じように、時と
ばあいによっては、妥協もしなければならない。それが社会生活というもの。

 そこで、もしあなたが、人とうまく人間関係が結べないようなら、こうしたらよい。

(1)無理をしない。……そういう自分がおかしいとか、まちがっているとか、そんなふうに思って
はいけない。「私は私」と割り切る。この世界には、完ぺきな人間はいない。他人との交際が苦
痛だったら、「私は苦痛だ」と言えばよい。避けたかったら、避ければよい。大切なことは、無理
をしないこと。

(2)正直に生きる。……仮面をかぶってはいけない。いい子ぶってはいけない。いい人に見せ
ようと、がんばることもない。それを開示するかどうかは別として、自分の正直な気持ちを大切
にすればよい。

(3)居直る。……あとは、「私はこういう人間だ」と居直ればよい。私も人前で話すことが多くな
った。だからどうしても、自分をつくってしまう。飾ってしまう。が、そうすると、そのあと本当に疲
れる。今は、ありのままの自分をさらけ出すようにしている。それで人が去っていくようなら、そ
れはそれでよい。しかたのないこと。

(4)そういう自分とうまくつきあう。……どんなばあいも、自分の欠点や欠陥に気づいたら、そ
れをなおそうと思ってはいけない。思う必要もない。それに気づいたときから、それとうまくつき
あうようにする。
 
 さあ、あなたも勇気を出して、自分の気持ちを、すなおに、正直に話してみよう。一つのヒント
として、『クレヨンしんちゃん』の母親の、みさえを見習うとよい。(コミック本のほうが、よい。とく
にv1〜v7、8あたりまでが、参考になる。テレビのアニメは、つくりすぎていて、不自然?)

 みさえは、実にわかりやすい生き方をしている。すがすがしい。それで人との信頼関係が結
べるかどうかは別にして、さらけ出しは、人との信頼関係を結ぶためには、必要条件。自分を
ごまかして生きている人は、他人を信頼することもできないし、他人から信頼されることもない。
(030617)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

カルト・サイト

●カルト・サイトに注意

 カルト教団が、その身分を隠して、あちこちでサイトを開いている。とくに教育や育児の世界
には多い。目的は、最終的には、信者の獲得。そのサイトを開いて読んでいたら、いつの間に
か信者にされていた……ということは、よくある。そんなわけで、どうかみなさんも、くれぐれも
注意してほしい。

 もちろん信仰は、個人の自由だから、私のようなものが、とやかく言っても始まらない。また
一度、その信仰に染まってしまうと、その人は、それなりにハッピーになる。しかも脳のCPU
(中央演算装置)そのものが狂うから、自分で狂っていることがわからない。

 あぶないサイトには、つぎのような特徴がある。

(1)やけにサービス精神が旺盛。……何か相談すると、親切にそれにのってくれる。あれこれ
資料を送り届けてくれたりする。
(2)サイトが、個人ではなく、組織的に、かつ集団で運営されている。……カルト教団は、原則
として、個人の信者が勝手に行動するのを許さない。配信元の企業や団体が明確でないサイ
トは、要注意。
(3)資金の出どころが、不明。あやしげ。……プロが手を加えたようなサイトは、それなりの制
作費と維持費がかかる。そういう費用の出どころがよくわからない。とくに立派なサイトほど、要
注意。
(4)集会や催しものへの誘いがある。……何かにつけて、読者を外の世界につれだし、人との
接触を勧誘しようとする。バザーに行ってみたら、信者獲得のための集会だったということはよ
くある。
(5)むしろまったく宗教色や政治色をにおわせないことが多い。子育てサイトのばあい、どれ
も、さわやかで明るい。オリジナルのキャラクターを登場させたりして、読者に警戒心をもたせ
ないようにしている。

 もっとこわいのが、カルト教団が運営する、電子マガジン。その影響力は、サイトの比ではな
い。サイトは、読みたい人が読みたいときだけ読む。しかし電子マガジンは、(私のマガジンの
ように)、どんどんと送られてくる。そのためもしどこかにカルト性を感じたら、即、購読中止をす
るとよい。

 中にはずるい電子マガジンがある。購読のときに、パスワードを登録するが、そのパスワード
がないと、解約できないようになっているのがある。パスワードを覚えていればよいが、忘れて
しまうと、簡単には解約できない。私も、Kマガジンというのを、しばらく購読していたが、そのう
ちパスワードを忘れてしまい、解約できなくなってしまったことがある。

●私の経験から……

 科学的だから、カルトではないと思うのはまちがい。最近でも、電磁波がどうのこうの、宇宙
人がどうのこうの、さらには数年前だが、彗星とともに、あの世へ行くというのもあった。

また「おどし」と「希望」、「利益」と「バチ」をペアにするのも、カルトの特徴。「今に地球は滅ぶ」
とおどしておいて、「この信仰をしたものだけが救われる」などと説く。さらに「この信仰から去っ
たものは、不幸になる」「地獄へ落ちる」などと説くこともある。

 中には、どこかで超自然的な力を肯定してみたり、露骨に、霊や、心霊現象を説くこともあ
る。あるいは「あなたは霊の存在を信じますか?」などと、聞いてくることもある。あとはお決ま
りの、運命論や宿命論。前世論や来世論など。

 が、問題は、その本人というよりも、その周辺にいる人たちである。ある夫は、妻にこう怒鳴
ったという。「お前は、だれの女房だア!」と。その女性(妻)は、明けても暮れても、布教活動
ばかり。夫の言うことを、まったく聞かなくなってしまった。さらに息子や娘が、カルト教団に入
信してしまい、親子の関係が、バラバラになってしまったというケースも多い。その深刻さは、想
像以上のものである。

●常識で、カルトに対抗しよう!

 こうしたカルトと戦うには、「常識」しかない。むずかしいことではない。おかしいものは、おか
しいと思う。へんなものは、へんと思う。たったそれだけのこと。あとはその常識を、みがき、自
分で掘りさげていけばよい。

************************

 以前、書いた詩を転載します。

************************

 子どもたちへ

 魚は陸にあがらないよね。
 鳥は水の中に入らないよね。
 そんなことをすれば死んでしまうこと、
 みんな、知っているからね。
 そういうのを常識って言うんだよね。

 みんなもね、自分の心に
 静かに耳を傾けてみてごらん。
 きっとその常識の声が聞こえてくるよ。
 してはいけないこと、
 しなければならないこと、
 それを教えてくれるよ。

 ほかの人へのやさしさや思いやりは、
 ここちよい響きがするだろ。
 ほかの人を裏切ったり、
 いじめたりすることは、
 いやな響きがするだろ。
 みんなの心は、もうそれを知っているんだよ。
 
 あとはその常識に従えばいい。
 だってね、人間はね、
 その常識のおかげで、
 何一〇万年もの間、生きてきたんだもの。
 これからもその常識に従えばね、
 みんな仲よく、生きられるよ。
 わかったかな。
 
そういう自分自身の常識を、
 もっともっとみがいて、
 そしてそれを、大切にしようね。
(詩集「子どもたちへ」より)

***********************

 さあ、みなさん、自分の常識を信じよう。そしてその常識をみがき、その常識で、思想を武装
しよう。そしてくだらないカルトと戦おう。
(030618)

 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
**\\⊂'↓°⊃//**
*  \\_▽_//  *
    \\∧//
     Y☆Y
     〓〓〓      
    /|||\
     ̄Π ̄Π ̄ 
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

高徳な人々

 姉が、そういう活動をしているらしいということは、もう一〇年以上も前から知っていた。何で
も姉の住む近隣だけでも、静かな農村地域だが、八、九人の独居老人がいるという。それも、
みんな八〇歳以上だという。

 姉はいつからか、福祉のボランティア活動をするようになった。無資格だから、もちろん無
料。無料で、在宅介護のボランティア活動をしている。訪問介護はもちろん、訪問入浴の手伝
いや、ときには、食事の世話まで。大便や小便のめんどうまでみることもあるという。

 今夜そのことで、私が姉に、「姉さんが、そこまでするような人になるとは思ってもいなかった」
と電話で話すと、姉は笑いながら、こう言った。「もっと、すごい人がいるわよ」と。

 その男性は、まだ三五歳くらいらしい。市のほうへ訪問介護を申請すると、その男性が、組
み立て式の簡易バスなどをもって来てくれるという。が、もってくるだけではない。老人の介護
や入浴を、手助けしてくれるという。

 「しわくちゃの老人でもね、浩ちゃん、風呂の中で洗ってあげると、ボロボロと、アカが出るん
だよ。足の指の間なんか、下の赤い皮膚が見えるほどまでになるんだよ。そういう老人を、そ
の男性は、いやな顔ひとつ見せず、洗ってくれるんだよ」と。

私「男の人がそこまでするの?」
姉「そうよ。そこまでするのよ」
私「若いのに……?」
姉「うちのKちゃん(姉の長男)と、同じ年齢なのにね」
私「……」
姉「その男の人は、ときに大便の始末も、手でしているんだよ。もちろん薄いゴムの手袋をは
めているけどね。『そういうことは、私がします』と言っても、『いいんです』と言って、自分でして
いるよ」と。

 私はその話を聞いて、たたきのめされた。何という、敗北感。何という、挫折感。私は今夜こ
そ、姉に、「姉さんを尊敬する」と言いたかった。それだけを伝えるために電話した。が、このザ
マ!

 この世の中には、高徳な人がいる。どこかの宗教団体の長とか、修行している人ではない。
私が言う、高徳な人というのは、名も知られず、社会の片すみで、黙々と、弱い人のために働
いている人だ。あえて言うなら、その若い男性のような人をいう。

 ……このあと、私は文が書けなくなってしまった。本来なら、ここで結論らしいことを書いて終
わるのだが、どうにもこうにも、これにつづく文が頭の中に浮かんでこない。だからこのエッセ
ーは、ここで終わる。ただここで言えることは、私は、今、心の中がとても温かい。何かしら、生
きる勇気のようなものを感じている。「その男性は、どんな人だろう」「一度、会ってみたい」と思
っている。
(030616)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

先輩

 突然、H氏という方から、メールをもらった。本の注文だった。が、つづく一文を読んで、驚い
た。胸が熱くなった。何と、私の大学の先輩だった。「Iゼミにいました」とあった。I先生は、よく
は知らないが、しかし私も講義を受けた。

 で、あれこれ返事を書いた。書きながら、どんどんと自分が学生時代のあのときに、引き込ま
れていくのを感じた。そしてつぎのエッセー(中日新聞掲載済み)を添付した。

++++++++++++++++++++++++

三一年ぶりの約束(時の流れは風のようなもの)

 ちょうど三一年前の卒業アルバムに、私はこう書いた。「二〇〇一年一月二日、午後一時二
分に、(金沢の)石川門の前で君を待つ」と。それを書いたとき、私は半ば冗談のつもりだっ
た。当時の私は二二歳。ちょうどアーサー・クラーク原作の「二〇〇一年宇宙の旅」という映画
が話題になっていたころでもある。私にとっては、三一年後の自分というのは、宇宙の旅と同じ
くらい、「ありえない未来」だった。

 しかしその三一年がたった。一月一日に金沢駅におりたつと、体を突き刺すような冷たい雨
が降っていた。「冬の金沢はいつもこうだ」と言うと、女房が体を震わせた。とたん、無数の思い
出がどっと頭の中を襲った。話したいことはいっぱいあるはずなのに、言葉にならない。細い路
地をいくつか抜けて、やがて近江町市場のアーケード通りに出た。いつもなら海産物を売るお
やじの声で、にぎやかなところだ。が、その日は休み。「初売りは五日から」という張り紙が、う
らめしい。カニの臭いだけが、強く鼻をついた。

 自分の書いたメモが、気になり始めたのは数年前からだった。それまで、アルバムを見るこ
とも、ほとんどなかった。研究室の本棚の前で、精一杯の虚勢をはって、学者然として写真に
おさまっている自分が、どこかいやだった。しかし二〇〇一年が近づくにつれて、その日が私
の心をふさぐようになった。アルバムにメモを書いた日が「入り口」とするなら、その日は「出
口」ということか。しかし振り返ってみると、その入り口と出口が、一つのドアでしかない。その
間に無数の思い出があるはずなのに、それがない。人生という部屋に入ってみたら、そこがそ
のまま出口だった。そんな感じで三一年が過ぎてしまった。

 「どうしてあなたは金沢へ来たの?」と女房が聞いた。「……自分に対する責任のようなもの
だ」と私。あのメモを書いたとき、心のどこかで、「二〇〇一年まで私は生きているだろうか」と
思ったのを覚えている。が、その私が生きている。生きてきた。時の流れは、時に美しく、そし
て時に物悲しい。フランスの詩人、ジャン・ダルジーは、かつてこう歌った。「♪人来たりて、ま
た去る……」と。部分的にしか覚えていないが、続く一節はこうだった。「♪かくして私の、あな
たの、彼の、彼女の、そして彼らの人生が流れる。あたかも何ごともなかったかのように……」
と。何かをしたようで、結局は、私は何もできなかった。時の流れは風のようなものだ。どこか
らともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。つかむこともできない。握ったと思っても、そ
のまま指の間から漏れていく。

 翌一月二日も、朝からみぞれまじりの激しい雨が降っていた。私たちは兼六園の通りにある
茶屋で昼食をとり、そして一時少し前にそこを出た。が、茶屋を出ると、雨がやんでいた。そこ
から石川門までは、歩いて数分もない。歩いて、私たちは石川門の下に立った。「今、何時
だ?」と聞くと、女房が時計を見ながら、「一時よ……」と。私はもう一度石川門の下で足をふん
ばってみた。「ここに立っている」という実感がほしかった。学生時代、四年間通り抜けた石川
門だ。と、そのとき、橋の中ほどから二人の男が笑いながらやってくるのに気がついた。同時
にうしろから声をかける男がいた。それにもう一人……! そのとたん、私の目から、とめども
なく涙があふれ出した。

+++++++++++++++++++++++

 この中で、ダルジーの詩を引用した。

人来たりて、また去る
人来たりて、また去る
かくして、私の
あなたの
彼の
彼女の
そして彼らの人生が
流れる。
あたかも何ごとも
なかったかのように……

 この詩は、私が当時、暗記したもの。だから不正確。そこでヤフーの検索エンジンを使って、
「ジャン・ダルジー」を調べてみた。が、ない? 「ジャン」「ジャン ダルジ」で検索してみたが、
やはり、ない?

 当時の私は、フランスではよく知られた詩人だとばかり思っていた。だからここに書いた詩
が、本当に正確なものかどうか、ますますわからなくなってしまった。しかしこの詩は、私の心
のどこかにずっと、あった。改めて、この詩をもとに、自分の心を歌ってみる。

++++++++++++++++++

●人、来たりて、また去る

時の流れは、風のようなもの
どこからか吹いてきて、
またどこかへと去っていく。

あなたはいま、どこにいるのか
あなたはいま、何をしているのか
あなたはいま、何を思っているのか。

  風にのって、あなたはやってきた
  そして私と、笑い、泣き、歌い、それが終わると、
あなたは、そのまま風にのって、去っていった。

「時よ、止まれ!」と、
私は何度叫んだことか
何度、そう願ったことか

振り向けば、もうそこにあなたはいない
かわいた風が、円陣を描いて舞いあがるだけ
あのときのあなたは、どこへ行ってしまったのか。

あなたに会いたい
あなたと話して、
あなたと笑いたい。

しかしそれはかなわぬ夢
つかんでも、つかんでも、
時は、手の指の間からこぼれていく。

ああ、かくして、私の、そして
あなたの人生が流れていく。
  あたかも何ごとも、なかったかのように……。

【ジャン・ダルジーの詩を歌いながら……。どうもヘタクソな詩でごめんなさい。削除しようかと
迷いました。また近く、この詩を推敲(すいこう)してみます。今日は、これでごめんなさい。それ
にしても、まとまりのない、ヘタクソな詩です。ホント!】

+++++++++++++++++++++++

今夜の私は、たいへんセンチのようだ。久しぶりに、学生時代の思い出に酔った。もしHさん、
このマガジンを購読してしてくださっているなら、これからもよろしくお願いします。今夜は、メー
ルをいただき、本当にうれしかったです。

     ▲   ▲
    ▲▼▼ ▼▼▲
   ▼  ▲◎▲  ▼
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    ▼  口  ▼         何か、テーマがあれば、お寄せください。
       口         メールは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/   
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●BW教室の改装が終わりました。新教室はこうなりました!
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【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・20  ……名古屋市(詳細未定)
9・9   ……稲沢市(詳細未定)
9・8   ……名古屋市(詳細未定)
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
8・ 6  ……浜北市(詳細未定)
7・31  ……浜松市東部公民館
7・10  ……湖西市教育委員会・家庭学級講座
7・ 9  ……豊岡小学校
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・28  ……富塚中学校区(小学校)健全育成会
6・24  ……金指小学校
6・24  ……静岡市アイセル21
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■6-27-1

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【今週の幼児教室(2)】

 今週は、ぬり絵とお絵かき。

 四枚の景色を、白黒で描いた絵を渡す。昼の絵、夜の絵、雨の絵、雪景色の絵。それにペン
で色をぬらせる。

 色彩感覚の発達している子どもは、おとなが見ても、ほっとするような色づかいで色をぬる。
そうでない子どもは、そうでない。また色も、常識的。中に、木の色を赤や茶色でぬる子どもも
いる。感覚異常が疑われるが、それを指摘するのは、私の仕事ではない。親のほうから相談
があれば、「一度……」というようなことは、話す。

 つづいて、お絵描き。今年は、ミロのリトグラフを模写させた。「絵を描き終わるまで、自分の
絵を見てはダメ」と教えて、絵を描かせる。年長児たちは、私の指示に従い、顔を絵に向けた
まま、手だけを動かし、絵を描いた。

 それが終わったら、彩色。幼稚園児の描く絵には、すばらしいものがある。個性が、そのまま
強烈に現れる。つぎに無我で描くから、線がすばらしい。年齢が大きくなると、おとなにコビを売
ったような絵になるからつまらない。

 残りの一五分くらいを使って、「形」の学習。私の教室では、大きく、一五分のユニットを、三
つ繰りかえす。こうすることで、あきない、テンポのはやいレッスンを、展開することができる。
今日(一八日)に見学にきていた母親が、小二のクラスを見て、「ものすごい迫力ですね」と驚
いていた。そういう目で、子どもたちの様子を見たことがないので、「そういう印象のもち方もあ
るのだなあ」と思った。私には、いまだにかったるいレッスンに見えるのだが……。
(030619)

【追記】
 自分の顔をあげたまま、つまり自分の絵を見ないで、模写するという指導法は、以前、アメリ
カに住んでいる画家に習った。何度か私の教室に指導に来てもらったことがある。私が「ニュ
ーヨークでは、こういう方法で、絵の指導をするのですか」と聞くと、その画家は、こう言った。
「アメリカでは、ほとんどの学校で採用している指導法です」と。

 自分の絵を見ながら、模写すれば、そっくりの絵は生まれるが、絵からはダイナミズムが消
える。子どもが描く絵で最悪なのは、リカちゃんの絵。絵が死んでいる。つまらない。

 しかしこの方法だと、子どもの心の状態がそのまま反映されるので、おもしろい絵が生まれ
る。コツは、サインペンのようなペンで描かせたあと、カラーペンで彩色させる。見本として見せ
る絵は、ミロやシャガール、ビュッフェがよい。こういう画家の絵に共通しているのは、線がすば
らしいということ。また写真の絵より、実物がよい。実物といっても、私のばあい、リトグラフを使
っている。

+++++++++++++++++++++++++++

文字の前に運筆練習を

 文字を書くようになったら、(あるいはその少し前から)、子どもには運筆練習をさせるとよ
い。一時期、幼児教育の世界では、ぬり絵を嫌う時期もあったが、今改めてぬり絵のよい点が
見なおされている。子どもはぬり絵をすることで、運筆能力を発達させる。ためしにあなたの子
どもに丸(○)を描かせてみるとよい。

運筆能力の発達した子どもは、きれいな(スムーズな)丸を描く。そうでない子どもは多角形に
近い、ぎこちない丸を描く。言うまでもなく、文字は複雑な曲線が組み合わさってできている。そ
の曲線を描く力が、運筆能力ということになる。またぬり絵でも、運筆能力の発達している子ど
もは、小さな四角や形を、縦線、横線、あるいは曲線をうまく使ってぬりつぶすことができる。そ
うでない子どもは、横線なら横線だけで、無造作なぬり方をする。

 ところでクレヨンと鉛筆のもち方は基本的に違う。クレヨンは、親指、人差し指、それに中指で
はさむようにしてもつ。鉛筆は、中指の横腹に鉛筆を置き、親指と人差し指で支えてもつ。鉛筆
をもつようになったら、一度、正しい(?)もち方を練習するとよい。(とくに正しいもち方というの
はないが、あまり変則的なもち方をしていると、長く使ったとき、手がどうしても疲れやすくな
る。)ちなみに年長児で約五〇%が鉛筆を正しく(?)もつことができる。残りの三〇%はクレヨン
をもつようにして鉛筆をもつ。残りの二〇%は、それぞれたいへん変則的な方法で鉛筆をも
つ。

 さらに一言。一度あなた自身が鉛筆をもって線を描いてみてほしい。そのとき指や手、さらに
は腕がどのように変化するかを観察してみてほしい。たとえば横線は手首の運動だけで描くこ
とができる。しかし縦線は、指と手が複雑に連動しあってはじめて描くことができる。さらに曲線
は、もっと複雑な動きが必要となる。何でもないことのように思う人もいるかもしれないが、幼児
にとって曲線や円を描くことはたいへんな作業なのだ。

 「どうもうちの子は文字がへただ」と感じたら、紙と鉛筆をいつも子どものそばに置いてあげ、
自由に絵を描かせるようにするとよい。ぬり絵が効果的なことは、ここに書いたとおりである。

      ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          
 \※/
  ‖
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。(653まで)
+++++++++++++++++++

日本人と親意識

「私は親だ」という意識を「親意識」という。たとえば子どもに対して、「産んでやった」「育ててや
った」と考える人は多い。さらに子どもをモノのように考えている人さえいる。ある女性(六〇歳)
は私に会うとこう言った。「親なんてさみしいものですね。息子は横浜の嫁に取られてしまいま
したよ」と。息子が結婚して横浜に住んでいることを、その女性は「取られた」というのだ。日本
人はこの親意識が、欧米の人とくらべても、ダントツに強い。長く続いた封建制度が、こうした
日本人独特の親意識を育てたとも考えられる。

その親意識の背景にあるのが、上下意識。「親が上で、子が下」と。そしてその上下意識を支
えるのが権威主義。理由などない。「偉い人は偉い」と言うときの「偉い」が、それ。日本人はい
つしか、身分や肩書きで人の価値を判断するようになった。

ふつう権威主義的なものの考え方をする人は、自分のまわりでいつも、人間の上下関係を意
識する。「男が上、女が下」「夫が上、妻が下」と。たった一年でも先輩は先輩、後輩は後輩と
考える。そして自分より立場が上の人に向かっては、必要以上にペコペコし、そうでない人に
はいばってみせる。私のいとこ(男性)にもそういう人がいる。相手によって接し方が、別人のよ
うに変化するからおもしろい。

この親意識が強ければ強いほど、子どもにとっては居心地の悪い世界になる。が、それだけで
はすまない。子どもは親の前では仮面をかぶるようになり、そのかぶった分だけ、心を隠す。
親は親で子どもの心をつかめなくなる。そしてそれが互いの間に大きなキレツを入れる……。

昔は「控えおろう!」と、三つ葉葵の紋章か何かを見せれば、人はひれ伏したが、今はそういう
時代ではない。親が親風を吹かせば吹かすほど、子どもの心は親から離れる。親意識の強い
人は、あなたというより、あなたが育った環境を思い浮かべてみてほしい。あなた自身もその
権威主義的な家庭環境で育ったはずである。そして今、あなた自身があなたと親の関係がどう
なっているか、それを冷静に見つめてみてほしい。たいていはぎくしゃくしているはずである。た
とえうまくいっている(?)としても、それはあなた自身も権威主義的なものの考え方にどっぷり
とつかっているか、あるいは親に対して服従的もしくは親離れできていないかのどちらかであ
る。

++++++++++
これに補足して、以前
こんな原稿を書きました。
++++++++++

悪玉親意識

 親意識にも、親としての責任を果たそうと考える親意識(善玉)と、親風を吹かし、子どもを自
分の思いどおりにしたいという親意識(悪玉)がある。その悪玉親意識にも、これまた二種類あ
る。ひとつは、非依存型親意識。もうひとつは依存型親意識。
 非依存型親意識というのは、一方的に「親は偉い。だから私に従え」と子どもに、自分の価値
観を押しつける親意識。子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしようとする。子
どもが何か反抗したりすると、「親に向って何だ!」というような言い方をする。

これに対して依存型親意識というのは、親の恩を子どもに押し売りしながら、子どもをその
「恩」でしばりあげるという意識をいう。日本古来の伝統的な子育て法にもなっているため、た
いていは無意識のうちのそうすることが多い。親は親で「産んでやった」「育ててやった」と言
い、子どもは子どもで、「産んでもらいました」「育てていただきました」と言う。

 さらにその依存型親意識を分析していくと、親の苦労(日本では、これを「親のうしろ姿」とい
う)を、見せつけながら子どもをしばりあげる「押しつけ型親意識」と、子どもの歓心を買いなが
ら、子どもをしばりあげる「コビ売り型親意識」があるのがわかる。「あなたを育てるためにママ
は苦労したのよ」と、そのつど子どもに苦労話などを子どもにするのが前者。クリスマスなどに
豪華なプレゼントを用意して、親として子どもに気に入られようとするのが後者ということにな
る。以前、「私からは、(子どもに)何も言えません。(子どもに嫌われるのがいやだから)、先生
の方から、(私の言いにくいことを)言ってください」と頼んできた親がいた。それもここでいう後
者ということになる。

 これらを表にしたのがつぎである。

   親意識  善玉親意識
        悪玉親意識  非依存型親意識
               依存型親意識   押しつけ型親意識
                        コビ売り型親意識
 
 子どもをもったときから、親は親になり、その時点から親は「親意識」をもつようになる。それ
は当然のことだが、しかしここに書いたように親意識といっても、一様ではない。はたしてあな
たの親意識は、これらの中のどれであろうか。一度あなた自身の親意識を分析してみると、お
もしろいのでは……。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子どもへの過干渉

 口うるさいことを過干渉と誤解している人がいるが、口うるさい程度なら、それほど子どもに
影響はない。過干渉が過干渉として問題になるのは、(1)親側に、情緒的な未熟性があると
き。親の気分で、子どもに甘くなったり、反対に極端にきびしくなったりするなど。とらえどころの
ない親の気分は、子どもの心を不安にする。ばあいによっては、子どもの心を内閉させ、さら
にひどくなると萎縮させる。年中児(満五歳児)でも、大声で笑えない子どもは、一〇人のうち、
一〜二人はいる。

 親が子どもを過干渉にする背景には、子育て全体にわたる不安や不満がある。そしてさらに
その背景には、何らかの「わだかまり」があることが多い。望まない結婚であったとか、望まな
い子どもであったとか、など。妊娠や出産時の心配や不安、さらには生活苦や夫への不満が
わだかまりになることもある。このわだかまりが形を変えて、子どもへの過干渉となる。

言いかえると、子どもに過干渉を繰り返すようであれば、そのわだかまりが何であるかを知る。
問題はわだかまりがあることではなく、そのわだかまりに気がつかないまま、わだかまりに振り
まわされること。同じパターンで同じ失敗を繰り返すこと。わだかまりは、あなたの心を裏から
あやつる。これがこわい。

 過干渉児の特徴としては、(1)子どもらしいハツラツさが消え、ハキのない子どもになる。(反
対に粗放化するタイプの子どももいるが、このタイプの子どもは、親の過干渉をたくましくやり
返した子どもと考えるとわかりやすい。よくあるケースとしては、兄が萎縮し、弟が粗放化すると
いうケース。)(2)自分で考えることが苦手になり、ものの考え方が極端になったり、かたよった
りするようになる。常識ハズレになり、してよいことと悪いことの区別がつかなくなるなど。薬のト
ローチを飴がわりになめてしまうなど。(3)心が萎縮してくると、さまざまな神経症を発症し、行
動ものろくなる。また仮面をかぶるようになり、いわゆる「何を考えているかわからない子」とい
った感じになる。

 過干渉タイプの人は、まず自分の情緒を安定させること。『親の情緒不安、百害あって一利
なし』と心得る。が、それより大切なことは、子どもをもっと信ずること。子どもというのは、なる
ようにしかならないものだが、同時に、何もしないでもちゃんと育っていくもの。昔の人は『親の
意見とナスビの花は、千にひとつもアダ(ムダ)がない』と言ったが、これをもじると、『親の不安
とナズビの茎は、千に一つも役立たない』となる。あなたが不安に思ったところで、子どもは悪く
なることはあっても、よくなることは何もない。

    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

学習性無気力

 いくつかいやなことが重なると、やる気をなくすことがある。子どもにかぎらない。おとなの私
たちだって、そうである。「親と口論した」「お金を落とした」「信号であやうく自動車にはねられ
そうになった」など。そういうことがいくつか重なると、「もう、どうにでもなれ」という気分になる。
このように、抵抗する気力すらなくした状態を、学習性無気力という。繰りかえし学習するうち
に、無気力症状が出てくることをいう。

 このところ街を歩いていると、日本全体が、学習性無気力にひたっているような感じがする。
とくに飲食店が、悲惨である。土日の午後だというのに、どこも閑古鳥(かんこどり)が鳴いてい
る。しかしその割に、入ってみると、「この値段で、よくこんな料理ができるものだ」と感心するほ
どの、料理が並ぶ。採算度外視? 投げやり? デフレというより、自暴自棄?

 実のところ、私にも、その学習性無力感が漂うようになった。どこか「なるようになれ」という気
分が強くなった。地球温暖化? ……なるようになれ。北朝鮮の核問題? ……なるようにな
れ。日本の経済? ……なるようになれ、と。それではいけないと思うが、私のような人間が叫
んだところで、いったい、何が、どうなるというのか。

 家庭でも、そうだ。このところあれこれと、一〇万円単位の出費がかさんだ。家計も健全なう
ちは、毎月のバランスシートを考えながら、支出をおさえたりする。が、一度崩れると、「何とか
なる」という甘い考えばかりが先行するようになる。そして気がついたときには、メチャメチャ。
今は何とか貯金を切り崩して、体勢を立てなおしてはいるが、こんなことが何回も重なると、私
の家の家計は、やがてパンクする。

 こうした学習性無力感とは、どう戦えばよいのか。子どもの無気力症に準じて考えると、つぎ
のようになる。

(1)休養と趣味……心と体を休める。何か無心になってできる趣味をもつとよい。
(2)生活のコンパクト化……自分の住む世界を、スリムにし、思い切って縮小する。

 やはり休養が大切。のんびりと、何もしないで、時の流れに身を任す。さらに具体的には、私
のばあい、こうしている。

●土日は、たっぷりと休む。以前は、山荘に人を呼んだりしていたが、今は、本当に会いたい
人だけを呼ぶ。生徒や、その父母とは、土日には、会わない。相談にものらない。電話も受け
つけない。しかし実際には「休む」という意識はあまりない。私のばあいは、「好き勝手なこと
を、気が向くままする」のが、何よりも、よいようだ。計画は、たてない。計画に、しばられない。
エンジンつきの草刈り機で、バリバリ草を刈っていると、自分を忘れる。気分が爽快(そうかい)
になる。

つぎにやはり、年齢に応じて、生活をコンパクト化する。若いころは、どんどんと手を広げていく
ものだが、ある年齢になると、かえってそれが重荷になる。だから先手を取って、不必要なもの
を削り、コンパクト化する。たとえば、テレビでも、買いかえるたびに、二〇インチ、二四インチ、
二八インチ……と、より大型のものにしたが、今度は、再び、二〇インチ程度のものにしようか
と考えている。自宅の土地も、三分の一ほどにして、あとは売却しようかと考えている。

 つまりコンパクト化することで、自分の意識を変える。もっとわかりやすく言えば、無理をせ
ず、ほどほどのところで、あきらめ、納得する。学習性無力感が起きる前に、先手を取って、自
分を小さくする。そうすれば精神的な負担を軽くすることができる。軽くなれば、その分、ダメー
ジも小さくなる。子どもでいうなら、たとえば志望校をさげるとか、そういうことになる。

【追記】

 実のところ、この数日間、私は、何をしてもすぐ疲れてしまい、気力がつづかなかった。国際
情勢も大きく動いているのに、新聞を読む気さえ起きなかった。「とうとう私も、学習性無力にお
ちいってしまった」と心配したが、昨夜、ワイフが風邪をひいた。その症状をみて、私の症状だ
ったことを知った。私は風邪をひいていた? 今度の風邪は、軽い頭痛と、気分の悪さが特徴
か。熱は出ない。体はだるかったが、ほかに大きな症状もない。で、ワイフといっしょに、あわて
て私も風邪薬をのんだら、気分がぐんと楽になった。みなさんも、どうかお体を大切に! 風邪
をひいて、無気力になることもあるようだ。
(030619)※

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

障害のある子ども

 障害児をもつ親から相談があった。それで何冊か、それに関する本を買ってきた。読んだ。
調べた。しかしつまらない。役にたたない。

 たとえば……。

 障害児には、(1)精神遅滞、(2)学習障害、(3)運動能力障害、(4)コミュニケーション障
害、(5)広汎性発達障害、(6)行動障害がある……、と。

 学者の先生たちは、やたらとこういうことを分類したがる。そしてそれでもって、「自分は専門
家」と、胸を張りたがる。悪いクセだ。恐らく、現場で、親身になって、子どもを指導したことなど
ないのだろう。

 さらに別の本には、「障害の段階」と称して、(1)生理学的障害、(2)能力的障害、(3)適応
行動的障害があると説いている。もっともこの分類法は、国際連合で承認されたもので、私の
ようなものが異議を唱えても、まったく意味がない。しかしこんな分類法を押しつけられたほう
だって、困る。

 同じようなことを、以前も感じたことがある。不登校について、調べていたときのことである。
それには、こうあった。

 「不登校の態様は、一般に教育現場では、(1)学校生活起因型、(2)遊び非行型、(3)無気
力型、(4)不安など情緒混乱型、(5)意図的拒否型、(6)複合型に区分して考えられている。

 またその原因については、(1)学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活動な
ど不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、(2)家庭生活起因型(生活環境
の変化、親子関係、家庭内不和)、(3)本人起因型(病気など)に区分して考えられている」
(「日本K新聞社」まとめ)と。

 しかしこんな分類をして、いったい、何の役にたつというのだろうか。「テーブルには、丸型、
四角型、楕円型がある。脚の数は、四本型、三本型、二本型がある。材質によって、金属型、
樹脂型、木造型がある」と分類するのと同じ。あるいはそれ以下。まさか親に向かって、「お宅
の子どもは、学校生活起因型の不登校児です」とでも、言うつもりなのだろうか。

 私たちがすべきことは、いわゆる障害児と呼ばれる子どもをもつ親の、不安や心配を軽減す
ることである。またそのためにどうしたらよいかを、考えることである。だいたいにおいて、「障
害児」という言葉がおかしい。英語では、「disorder」「disability」とかいう。日本語に訳せば、「乱
れ」「できない」を意味する。言葉のニュアンスが、ぐんとやさしい。「障害」というのは、どこかに
「ふつうの健常児」を念頭に置いた言葉である。だから「障害児」という言葉を聞くと、「のけ者」
という印象をもってしまう。だいたいにおいて、人間をさして、「害」とは、何ごとか! バカヤロ
ー!

 この世の中に、障害児などいない。ふつうの子どもがいないように、そうでない子どももいな
い。問題のある子どもは、五万といるが、反対に、問題のない子どもはいない。大切なことは、
どんな子どもにも問題がある。あって当たり前という前提で、教育を組みたてること。問題のあ
る子どもを、そうでない子どもと、区別してはいけない。

 たとえば最近、気になっているのに、「高次脳障害」という言葉がある。「高次脳」というのは、
つまりは、大脳新皮質部の脳のことをいう。高度な知的能力をつかさどる部分に障害があるか
ら、「高次脳障害」という。

 いろいろな指導者が現れて、懸命に、その脳の回復を試みている。テレビでも、よく紹介され
る。しかし全体としてみると、「子どもは、そうであってはいけない」という発想ばかりが目だつ。
それにおもしろくない。私が見た番組では、指導者が、カードを一〇枚前後並べ、一枚ずつそ
れをめくりながら、そのカードが何であるかを、子どもに暗記させていた。

 しかしこんなつまらない指導を、毎日、毎日受けさせられたら、子どもは、どうなる? 子ども
は、どう感ずる? その指導者は、「先月までは、五枚しか暗記できませんでしたが、この訓練
で、七、八枚までできるようになりました」と喜んでいた。あああ。

 私は立場上、「治す」とか、「直す」とかいう言葉は使えない。しかし簡単な情緒障害や精神障
害なら、子どもは、笑わすことで「なおす」ことができる。だから私は、幼児を教えるとき、その
「笑い」を、何よりも大切にしている。「笑えば伸びる」が、私の持論でもある。どうして今の教育
には、そういう発想がないのか。中には、「勉強とは、黙々とするもの」、またそれをしつけるの
が幼児教育と思いこんでいる人がいる。とんでもない誤解である。

 これから先、「障害児」をテーマにして、いろいろ考えてみたい。その第一歩として、最近読ん
だ本を、評論してみた。
(030619)

【追記】
 へたに「障害」という言葉をつけられてしまうから、親はあわてる。不安になる。心配になる。
そしてしなくてもよいことをして、結局は、むしろ症状を悪化させてしまう。さらに子ども自身も、
心の緊張感から解放されない。不幸な幼児期、少年少女期を送ることになる。

 学者の先生たちは、「原因をさがせ」「早期に診断せよ」「適切な指導をしろ」と教える(F教授
「子どもの心理学」)。それはそうかもしれないが、そう言われた親は、いったい、何をどうしたら
よいのか。

 私はやはり、教育の世界でも、子どものあるがままを認め、それぞれの子どもに合った学習
を組みたてるのが、一番よいと思う。たとえば多動児(ADHD児)にしても、小学三、四年生に
なり、自意識が育ってくると、その症状は、急速にわからなくなってくる。子ども自身が自分で自
分をコントロールするようになるからである。

 私は、そういう子ども自身の「力」を認め、それを育てるのも、教育ではないかと思っている。
ここでは「思っている」としか書けないが、今はそう思う。このつづきは、また考えてみる。

●何かと悩んでいるお母さんへ、

「あなたはすばらしい子どもよ。どんなことがあっても、お母さんが、あなたを守ってあげるから
ね」という安心感を、子どもが感じたとき、子どもは、その能力を、二倍、三倍と発揮していきま
す。そういう子どものもつ「力」を信じて、子育てを前向きに考えていきましょう!

 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
**\\⊂'↓°⊃//**
*  \\_▽_//  *
    \\∧//
     Y☆Y
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     ̄Π ̄Π ̄ 
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

三位一体(さんみいったい)

 メルボルン大学の一角に、「トリィニティ・カレッジ」というのがある。その「トリィニティ(The 
Trinity)」というのは、「三位一体」という意味である。

 もともと三位一体というのは、キリスト教の基本教義の一つで、「父(=神)、子(=イエス・キリ
スト)、精霊の三位は、もともと一体」という意味である。それが転じて、「三つのものが、一体と
なること」(「国語大辞典」)を意味するようになった。「ペア」が、「二つのもの」というのに対し
て、「トリィニティ」は、「三つのもの」という意味で使う。

 その三位一体という言葉が、小泉首相の口から、このところ、頻繁(ひんぱん)に出てくるよう
になった。要するに、地方交付税を削減し、その分を地方が独自に徴収できるようにするとい
う意味らしい。どこか政府や官僚のやることは、信用できないが、これはよいことだと思う。中
央の官僚に頭をさげなければ、地方は何もできないという図式は、少しでも変えたほうがよい。

 問題は、三位一体という言葉。メルボルン大学のトリィニティ・カレッジは、由緒あるカレッジ
で、中世の城を思わせるようなカレッジである。だから今でも、「トリィニティ」という言葉を聞く
と、どこかズシリとした響きを感ずる。私ですらそうなのだから、キリスト教徒にとっては、なおさ
らではないか。そういう言葉を、日本の政治家は、平気で、政治用語にする? 「無神経だな
あ」と思うのは、はたして私だけだろうか。

 が、考えてみれば、「トリ」は、「三」を意味し、「ニティ」は、「ユニット」に音が通ずるから、本来
は、「三つのものが一つ」という意味だったのかもしれない。となると、気楽に使ってもよいとい
うことになる。「三つのものが、ワンセットで、一つ」と。

 ……と書いて、このエッセーがまとまらなくなってしまった。「三位一体」という言葉を、軽々しく
使うことに対する疑問を書くつもりだったが、ここまで書いたところで、「どうでもいいや」という
気分になってしまった。そのかわり、『世にも不思議な留学記』で書いた原稿を、ここに添付す
る。イギリス流のカレッジがどういうものか、わかってもらえると思う。

+++++++++++++++++++++

カレッジライフ((3))

●ハリーポッターの世界

 最近、私は『ハリーポッター』という映画を見た。しかしあの映画ほど、ハウスでの生活を思い
起こさせる映画はない。ハウスも全寮制で、各フロアには、教官がいっしょに寝泊りしていた。
食事のときや講義を受けるときは、正装の上に、ローブと呼ばれるガウンをまとった。映画の
中でもときどき食事風景が出てくるが、雰囲気もまったくあの通り。教官やシニアの学生が席
に着くハイテーブルと、学生たちが席に着くローテーブルに分かれていた。たとえば夕食はこう
して始まる。

●ハウスの夕食

 まず学生たちは、コモンルームに集まる。コモンルームというのは、談話室。そこで待ってい
ると、午後六時半きっかりに合図のチャイムが鳴る。それに合わせて、学生たちが食堂に入
り、ローテーブルの前で立って待つ。その途中で、円筒形に巻いた、ナプキンを棚から取り出し
てもっていく。ナプキンは、定期的に洗濯される。そうしてしばらく待っていると、シニアのコモン
ルームから、寮長(ウォードン)を最後尾に、シニアの学生と教官たちが、ぞろぞろと入ってく
る。そして寮長が座るのを見届けてから、学生たちも席に着く。

 食事の前のあいさつは当番制になっている。一人の学生がハイテーブルの隅に立ち、こう言
う。「これらすべての良きものに、感謝の念をささげ、このハウスに恵みのあらんことを」「アーメ
ン」と。すると一斉に食器を回す音がし、片側の柱のかげから、給仕たちが食事を運び始め
る。会話は自由だが、大声で話したり、笑ったりするのは禁止。もしその途中でベルが鳴った
ら、絶対的な静粛が求められる。たいてい寮長からの連絡事項が告げられる。「明日は、○○
国○○大使が晩餐にくるから、遅刻は許さない」とかなど。一度、その話の途中で、不用意に
スプーンで食器をたたいてしまった学生がいた。その学生は、その場で退室させられた。つま
りその夜は食事抜き。

 食事は、毎回例外なく、フルコース。スープに始まる前菜、メイン料理、それに付随する数品
の料理のあと、デザート。「ディナー」と呼ばれる晩餐会では、さらに数品ふえる。ワインも並
ぶ。ワインは、賓客と乾杯するために配られる。だいたい一時間ほどをかけて、夕食を終え
る。ディナーのときは、賓客のスピーチもあったりして、終わる時間は、まちまち。時には九時
を過ぎることもあった。

そして皆が終わると、入ってきたときとは、まったく逆に、まず寮長以下、ハイテーブルの教官
たちが席を立ち、食堂から出る。それを見届け、学生たちも食堂を出て、コモンルームに移
る。そこには、コーヒー、紅茶、ワインなどが用意してある。食事のあとは自由行動で、コモン
ルームへ行かないまま、自分の部屋に戻る学生もいた。

●夢のような生活

 寮長はディミック氏だった。イギリスきっての超大物諜報部員だったという。(もう亡くなってい
るので、暴露しても構わないと思う。)これはずっとあとになってのことだが、彼はその後、その
功績が認められて、「サー」の称号を受けたそうだ。いつかだれだったか、ジェームズボンド
は、彼がモデルだったと言ったが、そんなわけでありえない話ではない。ただ映画のボンドとは
違い、ディミック氏は映画監督のヒッチコックを連想させる、太った大柄な人物だった。

 こうした厳格なカレッジライフを嫌う学生も少なくなかった。とくに私がいたインターナショナル
ハウスは厳格だったということだが、それは私が帰国してから友人に聞いて知ったこと。私自
身は、厳格であるかないかということより、恵まれた環境を楽しんでいた。当時の寮費だけで
も、留学生のばあい、月額約二〇万円(一ドル四〇〇円)。日本の大卒の初任給がやっと五万
円を超えた時代である。私には夢のような生活だった。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

孤独の意味

 孤独はやってくるものではなく、自ら、作りだすもの。たいていは、自分自身の精神的欠陥が
原因である。

 世の中には、自分をごまかして生きている人は多い。いくらでもいる。が、そういう人でも、自
分をごまかして生きているという意識は、ほとんど、ない。それがそのままその人の生きザマに
なってしまっている。しかも衣(ころも)が衣をかぶるように、原型をとどめないほどまでに、自分
でも、本当の「私」は何か、それがわからなくなってしまっている。

 しかし、だ。自分をごまかして生きている人を、どうやって信頼したらよいのか。いや、その前
に、自分をごまかして生きている人は、どうやって他人を信頼したらよいのか。

 実は、私が、そういう人間の一人かもしれない。

 私という人間を冷静に観察してみると、私は、小心者、小ずるくて、無責任。めんどうくさがり
屋で、ずぼら。その上、好色漢で、忠誠心が弱い。ひがみやすく、いじけやすい。精神的に弱
く、情緒もボロボロ。そういう私が、一方で、教育を論じ、子育ての話をする。考えてみれば、こ
れほど分厚い「衣」もない。

 だから私は、孤独? 自分をごまかしているから、他人を信頼することができない。他人にも
信頼されない。いつも心のどこかでビクビクしている。「いつか化けの皮がはがれるぞ」と。ある
いは相手を見ながら、「この人もいつか、私の本性を見たら、きっとがっかりするだろうな」と。

 そこで私はある日、決意した。「自分をごまかすのをやめよう」と。飾るのも、やめた。かっこう
よく見せるのも、やめた。(私は、もともと飾っても、どうしようもない男だし、かっこうよく見せよ
うにも、見せる方法もない。だからこの点は心配ないが……。)

 しかし「自分をごまかさない」というのは、簡単なようで、むずかしい。若いころのクセという
か、ついつい相手に合わせてしまう。へつらってしまう。愛想よくしてしまう。そのときは、そうは
感じないが、そのあと、どっと自己嫌悪におちいる。だいたい私のような人間には、おく病者が
多い。おく病だから、人に嫌われるのを、こわがる。

 しかし少しずつ、自分を変えていかねばならない。人生は年々、短くなってきている。私は私
の人生を生きたい。生きねばならない。それを徹底させるために、教室での教え方も変えた。
先日も、どうしようもないほど生意気な女子中学生がいたので、こう言ってやった。

 「私の教え方に文句があるなら、次回からこの教室に来なくていい。さっさやめなさい。何な
ら、私のほうから、君のお母さんに連絡しておこうか」と。

 胸がスカッとした。気持ちよかった。その女子中学生が、私にこう言ったからだ。「くだらねえ
話なんかしてねえで、ちゃんと英語、教えろや」と。私が、イギリスの歴史について、簡単な説明
をしていたときのことだ。

 さあて、その中学生は、次回は来るだろうか。来ないだろうか。迷いが、まだ心に残る。私が
私であるためには、この迷いから抜け出なければならない。そうすることがつまり、結局は自分
自身の孤独との戦い、ということになる。
(030618)

●お前の本当の腹底から出たものでなければ、人を心から動かすことは決してできない。(ゲ
ーテ・「ファウスト」)
●へたなへつらいは、根拠のない叱責よりも、もっとわれわれに屈辱を感じさせる。(エッシェン
バッハ「箴言集」)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

多重人格性

 私が自分の多重人格性に気づいたのは、四五歳もすぎてからではないか。それまでは、多
重人格者の話を聞いても、他人ごとのように思っていた。そして自分とは、関係のない話だと
思っていた。

 しかし私は、多重人格者かもしれない。いや、こう断言するのは危険なことだが、程度の差こ
そあれ、どんな人でも、そういう側面があるのかもしれない。たとえば怒りを感じたとき、ただ怒
りを感ずるのではなく、私のばあい、人格そのものまで変化する。

 ふだんの私は、冗談好きで、おだやか。お茶目なところがあって、さみしがり屋。よく「おもし
ろい人」と評される。人を笑わすのがうまい。これを「私A」とする。

 が、怒りを感ずると、別人のように強くなる。これを「私B」とする。そういうときは、「これからヨ
ットを買って、ひとりで太平洋を横断してやる」とさえ思うことがある。こわいものが消える。相手
が暴力団の親分でも、平気で直談判できるような気がする。

 その怒りを感ずるときというのは、いろいろなばあいがある。よくあるのは、ワイフとの夫婦げ
んか。あるいは、何か目の前で不正なことを見せつけられたようなとき。頭にカッと血がのぼる
と、見境なく、相手に向っていってしまう。

 ただおかしなことに、そういうとき、もう一人の「私A」が、別のところにいて、「私B」を見ている
ということ。そしてときどき、「やめろ」とか、「よせよせ」とブレーキをかける。が、怒りを感じてい
るときの「私B」は、「うるさい」「黙っていろ」とか言って、それをはらいのけてしまう。

 もしこのとき、つまり「私B」になったとき、「私A」であるときの記憶が消えたりすれば、人格障
害者ということになる。が、私のばあい、まだ連続性があるから救われる。どちらの自分になっ
ても、もう一方の自分の言ったことや、したことをよく覚えている。

 そこでさらに自分を観察してみると、「私」という人間は、それぞれのとき、それぞれの人格に
なって微妙に変化するのがわかる。ワイフに話すと、「だれにでもそういうことはあるわよ」と言
ったが、本当にそうか? 他人の心の中に入ったことがないのでわからないが、しかしこういう
ことはある。

 ふだんの「私A」が、ふだんの生活をしていたとする。そこで何か事件が起きたとする。そのと
きは、私はそれを笑ってすます。しかし、だ。何かのことで、「私B」とか、「私C」とかになったと
き、私はあれこれ、それをほじくりかえして、そのことについて怒る。たぶん「私A」が気にしない
ことでも、「私B」とか、「私C」が別のところにいて、それを気にしているためではないか。

 たとえば私の大切にしている何かが、だれかにこわされたとする。そのときは、「まあ、いい
や」という思いで、それを笑ってすます。しかしずっとあとになって、「私B」になったようなとき、
「どうして、あれをこわしたのだ!」と、相手を責める。

 こうして考えてみると、人間の人格には、多重性があるということになる。私という一人の人間
だけをみて、そう判断するのは、ここにも書いたように危険なことである。しかしいろいろな人に
会って話を聞いてみると、みな、同じようなことを言う。私のワイフですらも、何かのことで不愉
快になったとたん、まったくの無口になってしまう。ものの言い方がつっけんどんになり、何かに
つけて反抗的になる。

 この問題は、私自身のこととも関係しているので、これから先、もう少し、ほりさげて考えてみ
たい。今日はこれから何人かの人に会わねばならないので、ここまで。

 ところで今の私は、多分「私C」。論理的で、冷静。学者風で、紳士。しかしどこか本当の私で
はないような気がする……。
(030620)※

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

パン

 毎週水曜日に、Sさん(女性)という方が、パンを届けてくれる。それがもう一年以上になる。
手作りのパンで、何でも趣味で作っているとか。しかし素人くささは、まったくない。で、そのパン
を毎週、木曜日から金曜日にかけて食べる。少し乱暴な食べ方だが、ワイフと指でちぎりなが
ら食べる。やわらかなパンの感触がそのまま伝わってきて、その食べ方が一番おいしい。私は
もともと焼いたパンが好きではない。生のまま、何もつけないで食べる。

 パンにも、「奥」がある。いつか自分でもパンを作ってみたが、家庭でうまく焼くのは、本当に
むずかしい。それがわかっているから、一度、Sさんに聞いたことがある。が、Sさんは、「ふつ
うのパン製造機で作っています」とのこと。「パン製造機」と書いたが、本当の名前は忘れた。
電気釜のようになった製造機をいう。小麦粉などを入れて、スイッチを入れると、半日後にはパ
ンができているという、あれである。

 しかし習慣というのは、こわいもの。こういう好意に甘えていると、それがいつの間にか、当た
り前になってしまう。たまに水曜日にパンが届かなかったりすると、「Sさんは、どうしたのか?」
と心配になる。反対に、ふっくらと、じょうずにできたパンをもらったりすると、「今週は、調子が
いいんだな」と思ってしまう。言い忘れたが、Sさんは、毎週、無料でパンを届けてくれる。

 しかしこうした好意ほど、うれしくも、また同時に、こわいものはない。いつしか私はパンをもら
うたびに、「こんなことをしてもらっていいのか」と思うようになり、ついで、「私は、それにふさわ
しい人間か」と思うようになった。少し大げさな言い方に見えるかもしれないが、私はもともと、
そういう好意に値する人間ではない。小ずるく、小心。忠誠心も弱い。人間関係をいつも、打算
で判断するようなところがある。だから実際には、何回か、Sさんに断ったこともある。

 が、それが一年以上になる! 考えてみれば、私の人生の五〇分の一以上ということにな
る。その長い間、こうしてSさんの好意に触れることができたというのは、私にとっても、すばら
しい経験になった。……なりつつある。いつか今の時代を思い出すときがくると思うが、Sさん
の好意が、そのとき、さん然と輝くにちがいない。

 ……と書いたところで、また私の心を、こんな思いが横切った。「こうした好意を受けるにふさ
わしい人間になろう」と。今の私には、とてもむずかしいことのように思うが、しかしそれが、Sさ
んの好意に答える最善の方法のように思う。昔、イエス・キリストは、弟子たちにパンをちぎっ
て分け、「これが私の肉体だ」と言ったという。しかし私は、Sさんのパンを食べるたびに、「一
口ずつ食べて、お前の心を浄化しろ」「いいかげんな人間になるな」と言われているような気が
してならない。

 Sさんも、このマガジンを読んでくださっているとか。驚かれたことと思いますが、この場を借り
て、心からお礼申しあげます。ありがとうございます。いつもご好意に甘えてばかりいて、すみ
ません。
(030619)

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    ▼  口  ▼         何か、テーマがあれば、お寄せください。
       口         メールは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/   
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■6-29-1

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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
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Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【今週の教室から】

 教室を大改装した。以前の教室は、あとかたもなく消えた。同時に、教え方も変えた。

 以前は、「遊び」中心の指導法だった。しかしそれだけでは、教室はまとまらない。そこで、し
ゃもじによる背中たたき、釣りざおによる、遠隔操作などの罰を作った。注意ランプが三つつく
と、退場という罰則ももうけた。(このあたりは、「?」と思う人もいるかもしれないが、適当に飛
ばして読んでほしい。つまりゲーム感覚の授業を展開していたということ。)

 が、改装してからは、罰も罰則もやめた。それについて、小六クラスの生徒に話すと、みな、
「ヤッター!」と喜んだ。

私「六月から、バツも罰則も、廃止した」
生「ヤッター!」
私「これからは教え方も、変える」
生「きびしくなるということ?」
私「いや。もう、注意しない。君たちは君たちで、勝手に勉強すればいい」
生「ヤッター!」
私「しかし喜ぶのは、早い」
生「何?」
私「もう注意しない。騒ぎたかったら、騒げばいい。そのかわり、勉強したくない人は、BW(=
私の教室)を、さっさとやめてもらう」
生(ギョッ!)

 私の教室では、だいたい一五分単位で、内容を変えていく。おおまかに言えば、(復習)(遊
び)(学習)(確認)という四つのサイクルを考えて構成する。(確認)というのは、テストのこと。
また(学習)というのは、教科書に準じた内容をいう。しかし教えていて一番楽しいのは、(遊
び)の時間。(遊び)といっても、知恵遊びをいう。

 先週も、小一クラスで、こんな問題を出した。

 「車が三台、あります。タイヤの数は全部で、いくつですか?」と。

 まだ掛け算を知らないから、子どもたちは、懸命に頭の中で考え始めた。そしてやがて、「1
0」とか、「12」とか言いだした。が、そのうち、「12」が、主流になってきた。「12だ!」「12
だ!」と。

 そこで私は、背中にもう一個スペアタイヤを積んだ四WDの自動車の写真を見せ、「三台で
は、一五個だよ」と。直後、子どもたちは猛反発。「先生、ずるい!」と。

 しかしこうして子どもたちの脳ミソを、ひっくりかえしてやる。実は、それが楽しい。決められた
ことを、何かの指導書にそって教えることくらい、つまらないものはない。私にとっては……。
(030621)
 
      ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          
 \※/
  ‖
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞653
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
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すばらしいと言え、親の仕事

 こんなことがあった。その息子(高一)が、家業である歯科技工士の仕事を継ぐのをいやがっ
て困っているというのだ。そこで「どうしたらいいか」と。

 今、子どもたちの間で、赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりという奇妙な現象が起きている。
自分の将来に不安や恐怖心をもつと、子どもはおとなになるのを無意識のうちにも拒否するよ
うになる。そして幼児期に使ったおもちゃや本を取り出し、それを大切そうにもちあるいたりす
る。一人の小学生(小六男児)が、ボロボロになったマンガの本をかばんの中に入れていたの
で、「それは何だ」と声をかけると、その子どもはこう言った。「どうちぇ、読んではダメだと言う
んでちょ、言うんでちょ」と。この子どものケースでは、父親に原因があった。父親はことあるご
とに、「中学校へ入ると、勉強がきびしいぞ」「毎日五、六時間は勉強しなければならないぞ」
と、その子どもをおどしていた。こうしたおどしが、子どもの心をゆがめていた。

 で、私は先にあげた高校生を家に呼んで、理由をたずねてみた。するとその高校生はこう言
った。「あんな歯医者にペコペコする仕事なんか、いやだ。それにオヤジは、いつも『疲れた、
疲れた』と言っている」と。

 そこで私は母親にこう話した。「これからは子どもの前では、家の仕事は楽しい、すばらしい
と言いましょう」と。結果的にその子どもは今、歯科技工士をしているので、私のアドバイスはそ
れなりに効果があったのかもしれない。

 子どもを伸ばす秘訣は、未来に希望をもたせること。あなたはすばらしい人になる、あなたの
未来はすばらしいものになると、前向きの暗示を与える。幼児でもそうだ。少し前、『学校の怪
談』というドラマがあった。そのため「小学校へ行きたくない」という子どもが続出した。理由を聞
くと、「花子さんがいるから」と。やはり幼児には、「学校は楽しいよ」「友だちがいっぱいできる
よ」「大きな運動会をするよ」と、言ってあげねばならない。そして……。

 子どもには、「お父さんの仕事はすばらしいよ」と言う。いや、言うだけでは足りないかもしれ
ない。生き生きと楽しそうに仕事をしている前向きの姿勢をどんどんと見せる。そういう姿勢が
子どもを伸ばす。

    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
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  ┃     ┃   ///─┘┤   いらっしゃれば、このマガジン
  ┃     ┃  刧凵^ | │  のことを話していただけませんか。
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

少しかたいテーマで書いて見ます。
ところどころ読んでいただいても、役に
たつようになっていますので、
ところどころだけでもよいですから
読んでくだされば、うれしいです。

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男女共同参画社会VS父親の育児参加

 今度、H市の教職員組合支部の研修会で、講師をすることになった。あわせてテーマをもらっ
た。メールには、つぎのようにあった。

 「私たちの活動の重点は、男女共同参画社会の教育の在り方を見つけていくことです。現
在、私たちがおかれている職場環境、家庭環境もさることながら、学校教育、家庭教育におい
てどのようなことをしていくことが、これからの男女共同参画社会を築いていくことになるのか、
それを勉強していきたいと考えています。
 
先生は、主に、子育てについてご講演されることが多いかと思いますが、父親が積極的に子育
てに関わっていくことも今の時代大切なことだということをこの会の中でも、話してくださるので
はないかと期待しております」と。

 この中には、いくつかの重要なキーワードがある。

 (1)男女共同参画社会、(2)父親の積極的な育児参加など。

 私はこうした新しいテーマをもらうと、モリモリと元気がわいてくる。スリルや緊張感を覚える。
何というか、登山家が高い山を、目の前にしたときの気持ではないか。あるいはヨットで大海原
(うなばら)に出航するときの気持ではないか。どちらも私には経験のない世界だが、しかし私
は似ていると思う。あのニュートンは、こんな有名な言葉を残している。

 『真理の大海は、すべてのものが未発見のまま、私の前に横たわっている』(ブリューター「ニ
ュートンの思い出」)

 新しい真理を求めて出発するということは、まさに大海に向けて出航することに等しい。ゾク
ゾクする。ワクワクする。

 ……と、長い前置きはここまでにして、男女共同参画社会について。要するに、男女平等と
いうこと。要するに、「性」にまつわる差別や、偏見を撤廃するということ。

 最初に思いついたのが、ベッテルグレン女史という女性だった。スウェーデンの性教育協会
の、元会長である。そのベッテルグレン女史について書いたのが、つぎの原稿である。

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●男女平等

 若いころ、いろいろな人の通訳として、全国を回った。その中でもとくに印象に残っているの
が、ベッテルグレン女史という女性だった。スウェーデン性教育協会の会長をしていた。そのベ
ッテルグレン女史はこう言った。

「フリーセックスとは、自由にセックスをすることではない。フリーセックスとは、性にまつわる偏
見や誤解、差別から、男女を解放することだ」「とくに女性であるからという理由だけで、不利益
を受けてはならない」と。それからほぼ三〇年。日本もやっとベッテルグレン女史が言ったこと
を理解できる国になった。

 実は私も、先に述べたような環境で育ったため、生まれながらにして、「男は……、女は…
…」というものの考え方を日常的にしていた。高校を卒業するまで洗濯や料理など、したことが
ない。たとえば私が小学生のころは、男が女と一緒に遊ぶことすら考えられなかった。遊べば
遊んだで、「女たらし」とバカにされた。そのせいか私の記憶の中にも、女の子と遊んだ思い出
がまったくない。が、その後、いろいろな経験を通して、私がまちがっていたことを思い知らされ
た。その中でも決定的に私を変えたのは、次のような事実を知ったときだ。

つまり人間は男も女も、母親の胎内では一度、皆、女だったという事実だ。このことは何人もの
ドクターに確かめたが、どのドクターも、「知らなかったのですか?」と笑った。正確には、「妊娠
後三か月くらいまでは胎児は皆、女で、それ以後、Y遺伝子をもった胎児は、Y遺伝子の刺激
を受けて、睾丸が形成され、女から分化する形で男になっていく。分化しなければ、胎児はそ
のまま成長し、女として生まれる」(浜松医科大学O氏)ということらしい。

このことを女房に話すと、女房は「あなたは単純ね」と笑ったが、以後、女性を見る目が、一八
〇度変わった。「ああ、ぼくも昔は女だったのだ」と。と同時に、偏見も誤解も消えた。言いかえ
ると、「男だから」「女だから」という考え方そのものが、まちがっている。「男らしく」「女らしく」と
いう考え方も、まちがっている。ベッテルグレン女史は、それを言った。

 これに対して、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」と答えた女性は、七六・七%いる
が、その反面、「反対だ」と答えた女性も二三・三%もいる。つまり「昔のままでいい」と。男性側
の意識改革だけではなく、女性側の意識改革も必要なようだ。ちなみに「結婚後、夫は外で働
き、妻は主婦業に専念すべきだ」と答えた女性は、半数以上の五二・三%もいる(厚生省の国
立問題研究所が発表した「第二回、全国家庭動向調査」・九八年)。こうした現状の中、夫に不
満をもつ妻もふえている。

「家事、育児で夫に満足している」と答えた妻は、五一・七%しかいない。この数値は、前回一
九九三年のときよりも、約一〇ポイントも低くなっている(九三年度は、六〇・六%)。「(夫の家
事や育児を)もともと期待していない」と答えた妻も、五二・五%もいた。 

+++++++++++++++++++++
家庭とは、本当に天国か?
世の男たちは、そう思っているかもしれないが、
家庭に閉じ込められた女性たちの重圧感は、
相当なものである。それについて書いたのが
つぎの原稿です。
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●家庭は兵舎

 「家庭は、心休まる場所」と考えるのは、ひょっとしたら、男性だけ? 家庭に閉じ込められた
女性たちの重圧感は、相当なものである。

 心的外傷論についての第一人者である、J・ハーマン(Herman)は、こう書いている。

 「男は軍隊、女は家庭という、拘禁された環境の中で、虐待、そして心的外傷を経験する」
と。

 つまり「家庭」というのは、女性にとっては、軍隊生活における、「兵舎」と同じというわけであ
る。実際、家庭に閉じ込められた女性たちの、悲痛な叫び声には、深刻なものが多い。「育児
で、自分の可能性がつぶされた」「仕事をしたい」「夫が、家庭を私に押しつける」など。が、最
大の問題は、そういう女性たちの苦痛を、夫である男性が理解していないということ。ある男性
は、妻にこう言った。「何不自由なく、生活できるではないか。お前は、何が不満なのか」と。

 話は少しそれるが、私は山荘をつくるとき、いつも友だちを招待することばかり考えていた。
で、山荘が完成したころには、毎週のように、親戚や友人たちを呼んで、料理などをしてみせ
た。が、やがて、すぐ、それに疲れてしまった。私は、「家事は、重労働」という事実を、改めて、
思い知らされた。

 その一。客人でやってきた友人たちは、まさに客人。(当然だが……。)こうした友人たちは、
何も手伝ってくれない。そこで私ひとりが、料理、配膳、接待、あと片づけ、風呂と寝具の用
意、ふとん敷き、戸締まり、消灯などなど、すべてをしなければならない。その間に、お茶を出し
たり、あちこちを案内したり……。朝は朝で、一時間は早く起きて、朝食の用意をしなければな
らない。加えて友人を見送ったあとは、部屋の片づけ、洗いものがある。シーツの洗濯もある。

 で、一、二年もすると、もうだれにも山荘の話はしなくなった。たいへんかたいへんでないかと
いうことになれば、たいへんに決まっている。その上、土日が接待でつぶれてしまうため、つぎ
の月曜日からの仕事が、できなくなることもあった。そんなわけで今は、「民宿の亭主だけに
は、ぜったい、なりたくない」と思っている。

 さて、家庭に入った女性には、その上にもう一つ、たいへんな重労働が重なる。育児である。
この育児が、いかに重労働であるかは、もうたびたび書いてきたので、ここでは省略する。が、
本当に重労働。とくに子どもが乳幼児のときは、そうだ。これも私の経験だが、私も若いころ
は、生徒たち(幼児、四〇〜一〇〇人)を連れて、季節ごとに、キャンプをしたり、クリスマス会
を開いたりした。今から思うと、若いからできたのだろう。が、三五歳を過ぎるころから、それが
できなくなってしまった。体力、気力が、もたない。

 さて、「女性は、家庭で、心的外傷を経験する」(ハーマン)の意見について。「家庭」というの
は、その温もりのある言葉とは裏腹に、まさに兵舎。兵舎そのもの。そしてその家庭から発す
る、閉塞感、窒息感が、女性たちの心をむしばむ。たとえばフロイトは、軍隊という拘禁状態の
中における、自己愛の喪失を例にあげている。つまり一般世間から、隔離された状態に長くい
ると、自己愛を喪失し、ついで自己保存本能を喪失するという。

家庭に閉じ込められた女性にも、同じようなことが起きる。たとえば、その結果として、子育て
本能すら、喪失することもある。子どもを育てようとする意欲すらなくす。ひどくなると、子どもを
虐待したり、子どもに暴力を振るったりするようになる。その前の段階として、冷淡、無視、育
児拒否などもある。東京都精神医学総合研究所の調査によっても、約四〇%の母親たちが、
子どもを虐待、もしくは、それに近い行為をしているのがわかっている。

東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏らの調査によると、約四〇%弱の母親が、虐待も
しくは虐待に近い行為をしているという。妹尾氏らは虐待の診断基準を作成し、虐待の度合を
数字で示している。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」な
どの一七項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」「ときどきある……一点」
「しばしばある……二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あ
り」が、有効回答(四九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、「虐待なし」が、六一%で
あったという。

 今まさに、家庭に入った女性たちの心にメスが入れられたばかりで、この分野の研究は、こ
れから先、急速に進むと思われる。ただここで言えることは、「家庭に入った女性たちよ、もっ
と声をあげろ!」ということ。ほとんどの女性たちは、「母である」「妻である」という重圧感の中
で、「おかしいのは私だけ」「私は妻として、失格である」「母親らしくない」というような悩み方を
する。そして自分で自分を責める。

 しかし家庭という兵舎の中で、行き場もなく苦しんでいるのは、決して、あなただけではない。
むしろ、もがき苦しむあなたのほうが、当たり前なのだ。もともと家庭というのは、J・ハーマンも
言っているように、女性にとっては、そういうものなのだ。大切なことは、そういう状態であること
を認め、その上で、解決策を考えること。

 一言、つけ加えるなら、世の男性たちよ、夫たちよ、家事や育児が、重労働であることを、理
解してやろうではないか。男の私がこんなことを言うのもおかしいが、しかし私のところに集まっ
てくる情報を集めると、結局は、そういう結論になる。今、あなたの妻は、家事や育児という重
圧感の中で、あなたが想像する以上に、苦しんでいる。
(030409)

●「男は仕事、女は家庭」という、悪しき偏見が、まだこの日本には、根強く残っている。だから
大半の女性は、結婚と同時に、それまでの仕事をやめ、家庭に入る。子どもができれば、なお
さらである。しかし「自分の可能性を、途中でへし折られる」というのは、たいへんな苦痛であ
る。

Aさん(三四歳)は、ある企画会社で、責任ある仕事をしていた。結婚し、子どもが生まれてから
も、何とか、自分の仕事を守りつづけた。しかしそんなとき、夫の転勤問題が起きた。Aさん
は、泣く泣く、本当に泣く泣く、企画会社での仕事をやめ、夫とともに、転勤先へ引っ越した。今
は夫の転勤先で、主婦業に専念しているが、Aさんは、こう言う。「欲求不満ばかりがたまって、
どうしようもない」と。こういうAさんのようなケースは、本当に、多い。

私もときどき、こんなことを考える。もしだれかが、「林、文筆の仕事やめ、家庭に入って育児を
しろ」と言ったら、私は、それに従うだろうか、と。育児と文筆の仕事は、まだ両立できるが、Aさ
んのように、仕事そのものをやめろと言われたらどうだろうか。Aさんは、今、こう言っている。
「子どもがある程度大きくなったら、私は必ず、仕事に復帰します」と。がんばれ、Aさん!

++++++++++++++++++++++

●男女共同参画基本法より

内閣府の「男女共同参画基本計画」では、つぎのようになっている。

★男女の人権の尊重

男女の個人としての尊厳を重んじましょう。男女の差別をなくし、「男」「女」である以前にひとり
の人間として能力を発揮できる機会を確保していきましょう。

★社会における制度又は慣行についての配慮

固定的な役割分担意識にとらわれず、男女が様々な活動ができるよう、社会の制度や慣行の
在り方を考えていきましょう。

★政策等の立案及び決定への共同参画

男女が、社会の対等なパートナーとして、いろいろな方針の決定に参画できるようにしましょ
う。

★家庭生活における活動と他の活動の両立

男女はともに家族の構成員。お互いに協力し、社会の支援も受け、家族としての役割を果たし
ながら、仕事をしたり、学習したり、地域活動をしたりできるようにしていきましょう。

★国際的協調

男女共同参画社会づくりのために、国際社会と共に歩むことも大切です。他の国々や国際機
関とも相互に協力して取り組んでいきましょう。

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こうした流れの中で、男女共同参画基本法が制定された。

●夫の暴力に対する対処(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律)

殴ったり蹴ったりするなど、直接何らかの有形力を行使するもの。
刑法第204条の傷害や第208条の暴行に該当する違法な行為であり、たとえそれが配偶者間
で行われたとしても処罰の対象になります。
■平手でうつ 
■足でける
■身体を傷つける可能性のある物でなぐる
■げんこつでなぐる
■刃物などの凶器をからだにつきつける
■髪をひっぱる
■首をしめる
■腕をねじる
■引きずりまわす
■物をなげつける
====================
心無い言動等により、相手の心を傷つけるもの。
精神的な暴力については、その結果、 PTSD(外傷後ストレス障害)に至るなど、刑法上の傷
害とみなされるほどの精神障害に至れば、刑法上の傷害罪として処罰されることもあります。
■大声でどなる
■「誰のおかげで生活できるんだ」「かいしょうなし」などと言う
■実家や友人とつきあうのを制限したり、電話や手紙を細かくチェックしたりする
■何を言っても無視して口をきかない
■人の前でバカにしたり、命令するような口調でものを言ったりする
■大切にしているものをこわしたり、捨てたりする
■生活費を渡さない
■外で働くなと言ったり、仕事を辞めさせたりする
■子どもに危害を加えるといっておどす
■なぐるそぶりや、物をなげつけるふりをして、おどかす

====================
嫌がっているのに性的行為を強要する、中絶を強要する、避妊に協力しないといったもの。
■見たくないのにポルノビデオやポルノ雑誌をみせる
■いやがっているのに性行為を強要する
■中絶を強要する
■避妊に協力しない

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【世の夫諸君へ】

 妻だから、ワイフだから……という甘えを捨てよう。夫婦とて、長い目で見れば、人間対人間
の関係。ちなみにオーストラリアあたりで、夫が妻に向かって、「おい、お茶!」などとでも言おう
ものなら、それだけで離婚事由になる。中に、日本人の離婚率は、アメリカより低いなどとうそ
ぶいている男がいるが、それは妻が夫に満足しているからではなく、がまんしているからにほ
かならない。これから先、女性の意識が高まるにつれて、日本の離婚率も、アメリカ並になる。
あるいはそれを超えるかも。世の夫諸君よ、今日からでも遅くないから、妻には、やさしく、微
笑作戦を展開しよう!

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●家事をしない男たち

 特別な事情のある男は別として、五〇歳以上の男について言うなら、彼らは、掃除、料理、
洗濯などの家事を、ほとんどしない。この年代は、旧態依然の男尊女卑思想、あるいは男女
差別思想にこりかたまっている。中には、「男には威厳が必要だ」「夫は、一家の主(あるじ)
だ」「存在感があればよい」などと、居直っている男さえいる。

 しかしこんな意識は、バカげている。またそういう意識にしがみついたからといって、伝統を守
ることにはならない。

 少し前まで、あのアフガニスタンでは、女性は教育を受けることも、仕事につくことも許されな
かった。外出するときは、あのマスクで顔を隠さねばならなかった。そういう報道を見聞きする
と、日本人は、「私たちは違う」と胸を張る。「私たちの国は、先進国だ」と。しかし、本当にそう
か。本当にそう言いきってよいか。

 私の家の近くには、小さな空き地があり、そこは近所の老人たちの、かっこうの、たまり場に
なっている。天気のよい、おだやかな日には、いつも、七、八人の老人が集まっている。そうい
う風景を目にするようになって、もう一〇年以上になる。

 しかし、だ。男たちは、ただイスに座って、何やら話しているだけ。草を取ったり、竹を切った
り、畑の世話をしているのは、女性だけ。私はこの一〇年以上の間、男たちが、ゴミを集めた
り、掃除したりしている姿を、一度も見たことがない。

 見なれた光景とはいえ、いつも大きな違和感を覚える。少し前までは、「男も、何か仕事をす
ればいい」と思った。しかし最近は、「つまらない男たち」と思うになった。そういう男たちのやる
ことと言えば、せいぜい、竹やぶに生えてくる竹の子の管理だけ。見知らぬ人が竹やぶに入っ
てきて、竹の子を取ろうとすると、集会場の男たちがやってきて、あれこれ文句を言う。

 しかしこのたまり場は、まさに日本の社会を、象徴している。「社会」というより、「男と女の関
係」を、象徴している。しかし意識とは恐ろしい。おそらくそういう関係をつくりながらも、そのた
まり場の男はもちろん、女も、それをおかしいとは思っていない。……だろう。が、それは、ちょ
うど、少し前までのアフガニスタンの人たちが、自分たちの社会をおかしいと思わなかったの
と、同じ? あるいはどこがどう違うというのか。

●意識改革 

 こうした男たちや女たちの意識を変えることは、不可能に近い。意識というのは、それが無意
識であればなおさら、脳のCPU(中央演算装置)に関係する。それを変えるということは、それ
までの生きザマを否定することにもなる。たとえば「任侠(にんきょう)」とか、「義理人情」とか、
そういうものにこりかたまっている人に向かって、「これからはそういう時代ではありません」な
どと言おうものなら、その人は猛烈に反発する。へたをすれば、こちらの腹を刺してくるかもし
れない。

 指導でできることがあるとすれば、せいぜい、習慣として、「家事を男に手伝わせる」ことでし
かない。あるいは「そういう意識では、いけない」ということを、わからせることでしかない。ある
いは、そのほかに、どんな方法があるというのか。そのことは、自分のこととして考えてみれ
ば、わかる。

 私も、昔風の、きわめて男女差別のはげしい家庭環境で育った。小学時代は、女の子と遊ん
だ経験がない。家庭でも、私が台所へ入っただけで、母などは、「男がこんなところにいるもん
じゃない!」と私を叱った。だから高校を卒業するまで、洗濯や料理など、ほとんどしたことがな
かった。掃除といっても、せいぜい、自分の部屋の掃除程度。

 その私が大きく変わったのは、留学時代があったからだが、もし留学していなければ、今の
私はあの私のままだったと思う。そして今も、家事は、いっさいしないでいると思う。とくに山荘
のほうでは、掃除、料理、家事一般、ほとんどすべて私がしている。が、だからといって、私の
意識が変わったというのではない。家事をするといっても、どこか趣味的にしている感じがす
る。もっとわかりやすく言えば、おとなのままごとをしているような感じがする。地に足がついて
いない?

 つまり私という人間は、外見こそ変わったが、中身は、ほとんど変わっていない。今でもふと
油断をすると、心のどこかで、「男は仕事……」と考えてしまう。男女は平等といいながら、男と
しての気負いが消えたわけではない。そういう私を見て、ワイフは、ときどき、(今でも)、こう言
う。「あんたは、私たちに気をつかいすぎよ」と。

 ワイフが言う「気をつかいすぎ」というのは、私の気負いをいう。私はいつもどこかで、「家族を
支えていくのは、私の役目」と考えている。ときにそれが重圧となって、私を苦しめる。ワイフ
は、それを言う。

 かたい話がつづいたので、少し前に書いた原稿を掲載する。

+++++++++++++++++++++++

真昼の怪奇

 Gというレストランに女房と入った。食事がほぼ終わりかけたとき、隣の席に、明らかに大学
生と思われる、若い男女が座った。そのときだ。

 やや太り気味の男は、イスにデンと座ったまま。恋人と思われる女が、かいがいしくも、水を
運んだり、ジュースを運んだり、スープを運んだりしていた。往復で、三度は行き来しただろう
か。私はただただそれを見て、あきれるばかり。その間、男のほうは、メニューをのぞいたり、
少し離れたところにあるプラズマテレビの画面をながめたりしているだけ。その女を手伝おうと
もしない。いや、そんな意識は、毛頭もないといったふうだった。

 私はよほどその男に声をかけようと思った。そしてこう聞きたかった。「あなたはどういうつも
りですか?」と。

 日本では見慣れた光景かもしれない。そしてそういう光景を見ても、だれもおかしいとは思わ
ない。「そういう仕事は、女がするものだ」と、男は思っている。そして女自身も、「そういう仕事
は女がするものだ」と思っている。が、それこそ、まさに世界の非常識。そういう非常識が、日
常的にまかりとおっているところに、日本型の社会の問題がある。

 いや、その男女が、五〇歳代とか六〇歳代とかいうのなら、まだ話はわかる。しかしどうみて
も大学生。そういう若い男女が、いまだにその程度の意識しかもっていないとは!
 あとで女房とこんな会話をした。「家庭教育が問題だ」と。いや、教育というよりは、その男女
にしても、家庭の中で見慣れた光景を、そのレストランで繰り返しているにすぎない。教育とい
うよりは、私たち自身の意識の問題なのだ。先日も、ある講演先で、「家事を夫も手伝うべき
だ」というようなことを言ったら、ある男性から反論のメールが届いた。いわく、「男は仕事で疲
れて帰ってくる。その男が家に帰って、家事を手伝うというのは現実的ではない」と。

 しかし言いかえると、世の男たちは、仕事にかこつけて、何もしない。「仕事」はあくまでも、方
便。方便であることは、その若い男女を見ればわかる。大学生といえば、たがいに平等のは
ず。その大学生の段階で、男の側にはすでに家事を手伝うという意識すらない。きっとあのレ
ストランの男も、いつか仕事から帰ってくると、妻にこう言うようになるだろう。「オイ、お茶!」
と。妻を奴隷のようにあつかいながら、その意識すらもたない。それは仕事で疲れているとか、
いないとかいうこととは関係、ない。

 私はまさに、真昼の怪奇を見せつけられた思いで、そのレストランを出た。

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 話をもどす。

 肉体と精神(人間の意識活動)は、入れものと中身のようなもの。入れのものが、ビンであろ
うが、パックであろうが、ジュースは、ジュース。たとえそれをコップに移したとしても、ジュース
はジュース。

 だからもともと、男だからとか、女だからとか、そういうことで、人間を区別するほうがおかし
い。私がそれを思い知らされたのは、実にたわいもないことからだった。それについて書いた
のが、つぎのエッセーである。内容が、一部ダブるが、許してほしい。

+++++++++++++++++++++++++

子どもに性教育を語るとき

●性の解放とは偏見からの解放 
 若いころ、いろいろな人の通訳として、全国を回った。その中でもとくに印象に残っているの
が、ベッテルグレン女史という女性だった。スウェーデン性教育協会の会長をしていた。そのベ
ッテルグレン女史はこう言った。「フリーセックスとは、自由にセックスをすることではない。フリ
ーセックスとは、性にまつわる偏見や誤解、差別から、男女を解放することだ」「とくに女性であ
るからという理由だけで、不利益を受けてはならない」と。それからほぼ三〇年。日本もやっと
ベッテルグレン女史が言ったことを理解できる国になった。

 話は変わるが、先日、女房の友人(四八歳)が私の家に来て、こう言った。「うちのダンナなん
か、冷蔵庫から牛乳を出して飲んでも、その牛乳をまた冷蔵庫にしまうことすらしないんだわ
サ。だから牛乳なんて、すぐ腐ってしまうんだわサ」と。話を聞くと、そのダンナ様は結婚してこ
のかた、トイレ掃除はおろか、トイレットペーパーすら取り替えたことがないという。私が、「ペー
パーがないときはどうするのですか?」と聞くと、「何でも『オーイ』で、すんでしまうわサ」と。

●家事をしない男たち
 国立社会保障人口問題研究所の調査によると、「家事は全然しない」という夫が、まだ五
〇%以上もいるという(二〇〇〇年)(※)。年代別の調査ではないのでわからないが、五〇歳
以上の男性について言うなら、何か特別な事情のある人を除いて、そのほとんどが家事をして
いないとみてよい。この年代の男性は、いまだに「男は仕事、女は家事」という偏見を根強くも
っている。男ばかりではない。私も子どものころ台所に立っただけで、よく母から、「男はこんな
ところへ来るもんじゃない」と叱られた。こうしたものの考え方は今でも残っていて、女性自ら
が、こうした偏見に手を貸している。「夫が家事をすることには反対」という女性が、二三%もい
るという(同調査)! 

 が、その偏見も今、急速に音をたてて崩れ始めている。私が九九年に浜松市内でした調査
では、二〇代、三〇代の若い夫婦についてみれば、「家事をよく手伝う」「ときどき手伝う」という
夫が、六五%にまでふえている。欧米並みになるのは、時間の問題と言ってもよい。

●男も昔はみんな、女だった?
 実は私も、先に述べたような環境で育ったため、生まれながらにして、「男は……、女は…
…」というものの考え方を日常的にしていた。高校を卒業するまで洗濯や料理など、したことが
ない。たとえば私が小学生のころは、男が女と一緒に遊ぶことすら考えられなかった。遊べば
遊んだで、「女たらし」とバカにされた。そのせいか私の記憶の中にも、女の子と遊んだ思い出
がまったく、ない。が、その後、いろいろな経験を通して、私がまちがっていたことを思い知らさ
れた。その中でも決定的に私を変えたのは、次のような事実を知ったときだ。

つまり人間は男も女も、母親の胎内では一度、皆、女だったという事実だ。このことは何人もの
ドクターに確かめたが、どのドクターも、「知らなかったのですか?」と笑った。正確には、「妊娠
後三か月くらいまでは胎児は皆、女で、それ以後、Y遺伝子をもった胎児は、Y遺伝子の刺激
を受けて、睾丸が形成され、女から分化する形で男になっていく。分化しなければ、胎児はそ
のまま成長し、女として生まれる」(浜松医科大学O氏)ということらしい。

このことを女房に話すと、女房は「あなたは単純ね」と笑ったが、以後、女性を見る目が、一八
〇度変わった。「ああ、ぼくも昔は女だったのだ」と。と同時に、偏見も誤解も消えた。言いかえ
ると、「男だから」「女だから」という考え方そのものが、まちがっている。「男らしく」「女らしく」と
いう考え方も、まちがっている。ベッテルグレン女史は、それを言った。

※……国立社会保障人口問題研究所の調査によると、「掃除、洗濯、炊事の家事をまったくし
ない」と答えた夫は、いずれも五〇%以上であったという。

 部屋の掃除をまったくしない夫          ……五六・〇%
 洗濯をまったくしない夫             ……六一・二%
 炊事をまったくしない夫             ……五三・五%
 育児で子どもの食事の世話をまったくしない夫   ……三〇・二%
 育児で子どもを寝かしつけない夫(まったくしない)……三九・三%
 育児で子どものおむつがえをまったくしない夫   ……三四・〇% 
(全国の配偶者のいる女性約一四〇〇〇人について調査・九八年)

●平等には反対?
 これに対して、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」と答えた女性は、七六・七%いる
が、その反面、「反対だ」と答えた女性も二三・三%もいる。男性側の意識改革だけではなく、
女性側の意識改革も必要なようだ。ちなみに「結婚後、夫は外で働き、妻は主婦業に専念す
べきだ」と答えた女性は、半数以上の五二・三%もいる(同調査)。

 こうした現状の中、夫に不満をもつ妻もふえている。厚生省の国立問題研究所が発表した
「第二回、全国家庭動向調査」(一九九八年)によると、「家事、育児で夫に満足している」と答
えた妻は、五一・七%しかいない。この数値は、前回一九九三年のときよりも、約一〇ポイント
も低くなっている(九三年度は、六〇・六%)。「(夫の家事や育児を)もともと期待していない」と
答えた妻も、五二・五%もいた。

+++++++++++++++++++++

【補足(1)】離婚率

 日本人の離婚率が、欧米より低いことについて、先に、「日本の女性が、それだけがまん強
いからだ」と書いた。それについて補足する前に、世界の離婚率を調べてみた。

離婚率 (人口1000人当たり) 日本   ……2・3人(2001年)
                 アメリカ ……4・1人(2000年)
                 イギリス ……2・6人(2000年)
                 韓国   ……2・5人(2000年)
                 ドイツ  ……2・3人(1999年)
                 フランス ……2・0人(1999年)
                 
                          (総務省統計局)

 この総務省の統計局の数字を見てわかることは、日本はアメリカよりも低いが、しかし他の
欧米諸国と比べてみると、それほど低くはないということ。ドイツと同じで、かつフランスより高
い。

 アメリカが高いのは、アメリカが多様な民族による移民国家であるためと考えられる。たとえ
ばテキサス州では、人口の約40%が、ヒスパニック系と言われている。

 日本の女性ががまん強いというのは、女性自身ががまん強いというよりは、社会制度の不
備、それに古い因習や慣習による拘束が、背景にあるためと考えられる。もしこうした不備が
改善され、日本の女性たちが古い因習や慣習から解放されたら、離婚率は、一挙に上昇する
かもしれない。日本の女性たちは、そういう拘束の中で、「離婚したくても、できない」という事情
に苦しんでいる。

 だからといって、離婚率が高くなればよいと私は言っているのではない。しかし無理をして、
結婚の体裁だけを整えている家族も多いのも事実。この日本では、女性が経済的に自立する
のは、むずかしい。とくに離婚した女性が、自立するのは、本当にむずかしい。そういう事情の
中で、多くの女性たちが、離婚したくてもできず、がまんしている。

【補足(2)】家庭は兵舎

 せっかくすぐれた才能をもちながら、「家庭」という「兵舎」に閉じ込められた女性が、そのの
ち、出産、育児を経験するうちに、その才能を鈍らせるというケースは、きわめて多い。が、そ
れだけではない。

 こうした才能にめざめた女性たちが感ずる、閉塞(へいそく)感は相当なもので、その閉塞感
が大きければ大きいほど、ストレスも増大する。「家庭が兵舎」という発想は、そういうところか
ら生まれる。

 たとえばマンションを購入する。仕事をしている夫にとっては、「家庭」かもしれないが、妻に
は、監獄に近い。しかし悲劇は、そういう事実を、夫が理解しないことにある。いくら見晴らしが
よくても、密閉された箱の中のような世界では、一日を過ごすことはできない。精神や肉体に与
える影響も大きい。

 たとえば、こんな調査結果がある。

妊婦の流産率は、六階以上では、24%、一〇階以上では、39%(一〜五階は5〜7%)。流・
死産率でも六階以上では、21%(全体8%)(東海大学医学部逢坂文夫氏)。マンションなど集
合住宅に住む妊婦で、マタニティブルー(うつ病)になる妊婦は、一戸建ての居住者の四倍(国
立精神神経センター北村俊則氏)など。 

 マンションなど、高層住宅に住んでいる女性の流産率は、40%もあるという。マタニティーブ
ルーになる女性は、一戸建ての家に住む女性の四倍もあるという!

 実際、私の実践教室は、市の中心部のビルの三階にある。見晴らしは悪くはないが、あの閉
塞感は、いかんともしがたい。窓の外へは一歩も出られないというだけで、閉じ込められた感じ
がする。そんなわけで、一時間でも休み時間があると、私は近くの書店で、本を立ち読みして
過ごす。設備はいろいろあるので、その気になれば泊まることもできるが、過去において、一
度だった泊まったことがない。

 そういうマンションに閉じ込められた女性にとっては、家庭はまさに、監獄に近いということに
なる。夫の発想では、「マンションも買った。……買ってやった。その家庭でのんびりできるでは
ないか。何が文句があるのか」ということになるが、それは女性たちが感じる現実とは、かなり
違うということ。仮に今の私が妻なら、そういう生活には、一日どころか、半日も耐えられないだ
ろう。

+++++++++++++++++++

 一〇年ほど前から、「父親の育児参加」が、声だかに叫ばれるようになった。つまりそれくら
い、日本の父親たちは、育児に無関心。「仕事だけしていれば、一人前」と考える。しかし育児
は、義務ではない。権利である。父親というより、人間としての権利である。反対に育児が満足
できないような職場環境なら、権利侵害で訴えてもよい。

 が、この問題だけは、いくら父親を説得しても、意味はない。先にも書いたように、それは脳
のCPUにも関係する、意識の問題だからである。仮に頭で理解しても、いざそれをするとなる
と、父親にとっては、それは苦痛でしかない。かえってストレスがたまるということにもなりかね
ない。無理に強制することは、できない。

 そこで意識改革ということになるが、先に書いた話に戻ってしまったので、このテーマは、また
別の日に考えることにする。
(030621)

++++++++++++++++++++++
もう一つ、おまけに……
以前こんな原稿を書いた。中日新聞掲載済み
++++++++++++++++++++++

仕事で家族が犠牲になるとき

●ルービン報道官の退任 
二〇〇〇年の春、J・ルービン報道官が、国務省を退任した。約三年間、アメリカ国務省のス
ポークスマンを務めた人である。理由は妻の出産。「長男が生まれたのをきっかけに、退任を
決意。当分はロンドンで同居し、主夫業に専念する」(報道)と。

 一方、日本にはこんな話がある。以前、「単身赴任により、子どもを養育する権利を奪われ
た」と訴えた男性がいた。東京に本社を置くT臓器のK氏(五三歳)だ。いわく「東京から名古屋
への異動を命じられた。そのため子どもの一人が不登校になるなど、さまざまな苦痛を受け
た」と。単身赴任は、六年間も続いた。

●家族がバラバラにされて、何が仕事か!
 日本では、「仕事がある」と言えば、すべてが免除される。子どもでも、「勉強する」「宿題があ
る」と言えば、すべてが免除される。仕事第一主義が悪いわけではないが、そのためにゆがめ
られた部分も多い。今でも妻に向かって、「お前を食わせてやる」「養ってやる」と暴言を吐く夫
は、いくらでもいる。その単身赴任について、昔、メルボルン大学の教授が、私にこう聞いた。
「日本では単身赴任に対して、法的規制は、何もないのか」と。私が「ない」と答えると、周囲に
いた学生までもが、「家族がバラバラにされて、何が仕事か!」と騒いだ。

 さてそのK氏の訴えを棄却して、最高裁第二小法廷は、一九九九年の九月、次のような判決
を言いわたした。いわく「単身赴任は社会通念上、甘受すべき程度を著しく超えていない」と。
つまり「単身赴任はがまんできる範囲のことだから、がまんせよ」と。もう何をか言わんや、であ
る。

 ルービン報道官の最後の記者会見の席に、妻のアマンポールさんが飛び入りしてこう言っ
た。「あなたはミスターママになるが、おむつを取り替えることができるか」と。それに答えてル
ービン報道官は、「必要なことは、すべていたします。適切に、ハイ」と答えた。

●落第を喜ぶ親たち
 日本の常識は決して、世界の標準ではない。たとえばこの本のどこかにも書いたが、アメリカ
では学校の先生が、親に子どもの落第をすすめると、親はそれに喜んで従う。「喜んで」だ。親
はそのほうが子どものためになると判断する。が、日本ではそうではない。軽い不登校を起こ
しただけで、たいていの親は半狂乱になる。こうした「違い」が積もりに積もって、それがルービ
ン報道官になり、日本の単身赴任になった。言いかえると、日本が世界の標準にたどりつくま
でには、まだまだ道は遠い。

++++++++++++++++++++++

みなさん、力をあわせて、日本人の意識改革を進めましょう!

++++++++++++++++++++++

●家庭は少女の監獄であり、婦人の矯正所。(バーナードショー「革命主義者のための格言」)

 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
**\\⊂'↓°⊃//**
*  \\_▽_//  *
    \\∧//
     Y☆Y
     〓〓〓      
    /|||\
     ̄Π ̄Π ̄ 
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

草刈り

 六月二一日。日曜日。晴れ。暑い。あとでニュースを見たら、浜松市内では、気温が三三度
近くまで上昇したという。

 そんな今日。私は、山荘周辺の草を刈った。ワイフが、「熱中症になるから、やめたら……」
と、何度も言った。しかし私は、この日、草を刈ると、数日前から心に決めていた。

 本当は、昼食をとる前に、草を刈るつもりだった。しかしスーパーで弁当を買ったときから、空
腹だった。だから先に、昼食をとってしまった。とたん、ものすごい眠気(ねむけ)。

 私は血圧が低い。低い分だけ、食事をとると、眠くなる。頭から胃のほうへ血液がさがるから
だ。で、昼寝をしようと考えたが、やめた。「ここで眠ったら、おしまい」と思った。草刈りはでき
なくなってしまう。

 誤解があるといけないので書いておくが、草刈りほど、楽しいものはない。エンジンをバリバリ
回して、背丈ほどに伸びた雑草を、バサバサと倒していく快感は、何ごとにも、かえがたい。

 で、服を着がえた。例年だと、五月の連休中に一回目の草刈りをする。しかし今年はそのこ
ろ体調が悪く、除草剤ですましてしまった。それで六月の今日になった。が、六月という時期
は、いろいろと問題がある。

 まず、マムシ対策。それにハチ対策。山荘の近くでは、二年に一度ほど、マムシが出る。そ
れにあちこち、ハチの巣だらけ。六月は、マムシはともかくも、ハチの動きが活発になるころ。
気をつけなければならない。

 ジーパンの作業ズボンと、厚手の長そでのシャツを着る。つぎに頭から首にかけて、タオルを
巻く。その上から、大きな帽子。そして目を保護するための防具と、ひざの上まで届く長ぐつ。
それだけでも結構、暑い。

 これも例年だと、草刈り機用の混合油を自分で調合する。が、今年は、スーパーで買ったも
ので、間にあわせた。かなりの割高。一リットルで、四〇〇円弱。自分で調合すれば、一〇〇
円前後。それを草刈り機に注いで、エンジン始動!

 そうそう三年前、草を刈っていたら、道路の上に、マムシがいた。で、草刈り機で地面をかす
めるように、はらうと、マムシのシッポが三分の一ほど切れた。が、マムシというヘビは、生命
力が強い。体を三分の一も切られたにもかかわらず、私から逃げようとした。そこで草刈り機
で再度攻撃を試みると、今度は、クルクルとトグロを巻いたかと思うと、大きく口をあけて、草刈
り機の歯に、自分から飛びついてきた。とたん、マムシの体は、バラバラに吹っ飛んでしまっ
た。ハハハ、ザマー見ろ!

 このあたりの農家の人も、ほかのヘビには寛大だが、マムシだけは容赦しない。見たら、即、
殺す。そういう習慣になっている。私もそれにならった。マムシは、きわめて危険な毒ヘビであ
る。かまれたら、ふつうでも、三〇日間、入院。死んだ人だっている。

 草刈りを半時間ほどしたところで、休憩。体中から、さわやかな汗が、吹き出るように流れ
る。日陰にはいって、風にあたる。その爽快(そうかい)感がたまらない。ワイフが、冷えたウー
ロン茶を二杯もってきてくれる。それを一気に飲みほす。

 心臓の鼓動が落ちついたところで、後半。今度は、北側の土地の草を刈る。そちらの土地は
平坦だから、作業は、ぐんと楽。こうした仕事は、やりにくいところからするのがコツ。最後に一
番やりやすいところの草を刈って、今日の作業は終了。

 シャワーをあびて、扇風機にあたっていたら、大型のヘリコプターがやってきた。私は、いつ
ものように、棚から日本の国旗を取りだして、そのヘリコプターに向けて振る。まったく意味の
ない行為だが、それが結構、楽しい。ときどきこちらに気づいて、上空を旋回してくれることもあ
る。

 身につけているものは、バスタオル一枚。今日もその姿で、旗を振っていると、ヘリコプター
が、山を越えて、また戻ってきた! 私が男か女か、確かめにきたのではないか。……そのと
きは、そう感じた。ヘリコプターは、機体をややななめにして、山荘をかすめるようにして飛んで
いった。

 私は大声で、こう叫んだ。

 「ハハハ、ザマー見ろ。男だ、男だ! 残念でした!」と。

 そのときワイフもシャワーを浴びて、バスタオル一枚で、居間へやってきた。とたんムラムラ
と、やる気。このあとのことは、ここには書けない。ハハハ、残念でした!
(030621)

     ▲   ▲
    ▲▼▼ ▼▼▲
   ▼  ▲◎▲  ▼
     ▲◎◎▲▲
    ▲  口  ▲
    ▼  口  ▼         何か、テーマがあれば、お寄せください。
       口         メールは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/   
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■7-1

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  ‖
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞653
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

スラスラ読んでも意味がない

 思考と情報の加工は、まったく別のもの。たとえばこんな会話。A「今度の休みにはどこかへ
行くの?」、B「そうだな。伊豆へでも行こうか」、A「伊豆なら、下田まで足をのばしたら」、B「そ
れはいい……」と。

 このAとBは、一見考えているように見えるが、その実、何も考えていない。脳の表層部分に
蓄えられた情報を、そのつど加工して外に出しているにすぎない。しかしふつうの人は、こうい
うのを「思考」と誤解している。錯覚と言ってもよいかもしれない。

 思考にはある種の苦痛がともなう。それは複雑な数学の問題を解くような苦痛である。だか
らたいていの人は、無意識のうちにも、できるだけ思考するのを避けようとする。あるいは他人
の思考をそのまま受け入れてしまう人がいる。カルト教団の信者がそうである。徹底した上意
下達方式のもと、「上」からの思想をそのまま脳の中に注入され、彼らはそれを自分の思想と
錯覚している。それはちょうどわけもわからず、掛け算の九九を暗記している幼稚園児のよう
なものである。掛け算の九九をペラペラと口にすると、一見賢い子どもに見えるが、その実何
もわかっていない。何も考えていない。いわんや算数ができる子どもということにはならない。

 そういう視点で子どもの世界をのぞくと、また別の見方ができる。たとえば年中児にもなると、
本をスラスラと読む子どもが現れる。一見、国語力のある子どもに見えるが、その実、その本
の内容はほとんど理解していない。ただ文字を音に変えているだけ。

 あるいはたいへんもの知りの子どもがいたとする。口だけは達者で、まさにああ言えば、こう
言う式の反論もしてくる。しかしだからといって、その子どもは頭のよい子ということにはならな
い。賢い子どもということにもならない。もっと言えば、情報が多いからといって、思考力がある
ということにはならない。

 先にも書いたように、思考するということは、それ自体たいへんなことである。そして思考をし
たからといって、何かの「考え」にたどりつくことができるとはかぎらない。それはちょうど砂場の
中で、小さな宝石を見つける作業に似ている。まさに見つかればもうけものという世界。だから
これまたたいていの人は、「考えるだけムダ」と考える前に、考えることをやめてしまう。

 話は飛躍するが、日本の教育の最大の欠陥は、「思考」と「情報」を混同し、情報を与えるこ
とを教育と誤解している点である。このことは日本という島国を一歩離れてみるとすぐわかるこ
とだが、それについてはまた別のところで書く。
    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│ このマガジンが役立ちそうな人が
  ┃     ┃   ///─┘┤   いらっしゃれば、このマガジン
  ┃     ┃  刧凵^ | │  のことを話していただけませんか。
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
子育ての一貫性

 以前、「信頼性」についての原稿を書いた。この中で、親子の信頼関係を築くためには、一貫
性が大切と書いた。その「一貫性」について、さらにここでもう一歩、踏みこんで考えてみたい。

 その前に、念のため、そのとき書いた原稿を、再度掲載する。

++++++++++++++++++++++

信頼性

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外ではな
い。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、反対
にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような調子で、同じ
ようなパターンで、答えてあげること。こうしたあなたの一貫性を見ながら、子どもは、あなたと
安定的な人間関係を結ぶことができる。こうした安定的な人間関係が、ここでいう信頼関係の
基本となる。

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基本的
信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの三つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。これ
を第一世界という。園や学校での世界。これを第二世界という。そしてそれ以外の、友だちとの
世界。これを第三世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第二世界、つづいて第三世界へと、応用していく。
しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第二世界、第三世界での信頼関係を
築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後の信頼関係の基本となる。だ
から「基本的信頼関係」という。

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親側の情
緒不安や、親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなばあい、子ど
もは、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、人間関係になる。
これを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分野で
現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ねたみ症状な
どは、こうした基本的不信関係から生まれる。第二世界、第三世界においても、良好な人間関
係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れる。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安心して」
というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分をさらけ出せる環境」を
いう。そういう環境を、子どものまわりに用意するのは、親の役目ということになる。義務といっ
てもよい。そこで家庭では、こんなことに注意したらよい。

●「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
●子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じように接す
る。
●きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くなるというの
は、避ける。

+++++++++++++++++++++

 よくても悪くても、親は、子どもに対して、一貫性をもつ。子どもの適応力には、ものすごいも
のがある。そういう一貫性があれば、子どもは、その親に、よくても、悪くても、適応していく。

 ときどき、封建主義的であったにもかかわらず、「私の父は、すばらしい人でした」と言う人が
いる。A氏(六〇歳男性)が、そうだ。「父には、徳川家康のような威厳がありました」と。

 こういうケースでは、えてして古い世代のものの考え方を肯定するために、その人はそう言
う。しかしその人が、「私の父は、すばらしい人でした」と言うのは、その父親が封建主義的で
あったことではなく、封建主義的な生き方であるにせよ、そこに一貫性があったからにほかなら
ない。

 子育てでまずいのは、その一貫性がないこと。言いかえると、子どもを育てるということは、い
かにしてその一貫性を貫くかということになる。さらに言いかえると、親がフラフラしていて、どう
して子どもが育つかということになる。
(030623)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

続・反動形成

 ときとして、人は、本来の自分とは、まったく正反対の自分を演ずることがある。これを心理
学では、「反動形成」という。たとえば私の世界でも、「子どもは、伸び伸びと明るく過ごすのが
一番です」「私は子どもに向かって、『勉強しなさい』と言ったことがありません」「子どもの成績
など、見たこともありません」と豪語する親ほど、要注意。うかつにそういう言葉を信じてしまう
と、あとで大やけどをする。

 反動形成の特徴としては、その人の言動が、どこか大げさで、ふつうでないことがある。極端
になることもある。「妙に正義感をふりまわす」「めちゃめちゃ親切だ」「がんこに否定する」な
ど。「オレは、そういうまちがったことが大嫌いだ!」と声を荒げる人ほど、本当は、そうでない
ことが多い。最近、「これぞ、反動形成!」と思った記事に、こんなのがある。

 北朝鮮の金XXの義姉 ソン・ヘラン(67)氏は6月23日、米国の時事週刊誌『タイム』とのイ
ンタビューで、こう答えている。「金総書記は特に、裏切られたり、だまされたと感じると、極め
て危険な性格になる」とし、「彼はウソつきを本当に嫌う。ウソほど彼を怒らせることはないだろ
う」(朝鮮日報)と。

 金XXは、ウソが大嫌いというわけである。しかしこれほどの反動形成も、あるまい。私は記事
を読んで、思わず、笑ってしまった。

 もちろん子どもの世界にも、反動形成がある。印象に残っている男の子にA君(小二男児)が
いた。A君は、まさに絵に描いたような優等生。数歳年下の妹がいたが、めんどうみがよく、そ
れにいつも仲がよかった。しかし私はある日、そんな彼に、ふつうの子どもにない、違和感を覚
えた。行動ひとつひとつが、わざとらしく、不自然なのである。

 たとえば妹思いのはずなのに、妹の話になると、瞬間、不愉快な顔をする。あるいはみなの
前で、A君をほめたりすると、喜ぶ前に、瞬間、不愉快な顔をするなど。

 実際、こういうケースは、少なくない。自分の立場を、攻撃的に守るために、まったく別の自分
を演じながら、よい子ぶる。A君のばあいも、「兄である」という重圧感が、彼の心をゆがめたと
考えられる。

 ……と書いたところで、ワイフと食事しながら、こんなことを聞いた。「お前にも、反動形成とし
て、思い当たることはないか?」と。すると、ワイフはあまり考えないで、「ないわ」と。そこで私
はこう言った。「本当は、お前は、私を嫌っているのかもしれない。しかしそれでは自分が不幸
になる。だから、そういう自分を押し殺すために、いい妻を演じているだけかもしれない」と。

 ……と考えていくと、私たちの日常生活には、この反動形成が、無数にあるような気がする。
「私」という人間そのものが、反動形成のかたまりのようにも感ずる。

私もウソが嫌い……それはもともと私がウソつきだから?
私はゴミを捨てない……それは、近所の空き地に捨てられたゴミ拾いばかりしているから?
私は権威が嫌い……それは、自分が権威者になれないから?

 ほかにもいろいろあるが、本来の自分がいやだから、そういう自分と戦って、別の自分になる
ということは、だれにでもあるのではないか。もしそうなら、反動形成イコール、悪と決めてかか
ることもできない。ただ、もともとの自分でないから、使い方を誤ると、仮面をかぶるということ
になりかねない。そしてそれが高じて、自分を見失うということにもなりかねない。それは避け
ねばならない。

 できるなら反動形成など、ないほうがよいに決まっている。すなおに、ありのまま生きるほうが
よいに決まっている。しかし人間関係が複雑になればなるほど、そうばかりは言ってはおられ
ない。自分をごまかさないと、生きていくことすら、ままならないこともある。反動形成は、その
ために人間が身につけた「知恵」とも考えられる。このつづきは、また別の機会に考えてみた
い。
(030624)※

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子どものリズム

 どんなに同じ条件にしても、作業を早くできる子どもと、そうでない子どもがいる。たとえば同
じ漢字を、二〇回、書かせてみる。早い子どもは、早い。しかし遅い子どもは、遅い。さらに中
には、極端に遅い子どもがいる。どこかのんびりしている。どこかダラダラしている。

 そこで「早く書いてよ」とせかすが、ほとんど、効果がない。せかしても、効果はその場だけ。
しかしそれがその子どもの、リズムということになる。

 ここで二つの問題が生まれる。

 早い子は、問題ないと片づける一方で、遅い子どもを、問題ありとみてしまうこと。もう一つ
は、集団教育の場では、遅い子どものペースに合わせていると、授業運営そのものが成りた
たなくなるということもある。

 こうしたジレンマは、集団教育にはいつも、ついてまわる。そこで最終的には、「もういいや」と
いう状態で、終わることも多い。つまりこうして子どもの間に、学力の差が生まれる。

 そこで親としては、当然のことながら、自分の子どものリズムが遅いとわかると、何とか、そ
れを早くさせようとする。「このままでは、うちの子は落ちこぼれてしまう」とか、「ダメになる」と
か、考える。
 
 親としては当然の気持ちだが、ここで親は、いくつかの誤解をする。その一つが、「子どもも
つらい思いをしているはず」と考えること。子ども自身は、何とも思っていないことが多い。つぎ
にその不安や心配を、子どもにぶつけてしまうこと。「こんなことで、あなたはどうするの!」と。
三つ目に、「遅れることイコール、子どもがダメになる」と考えること。子どもにはリズムがある。
そのリズムが多少人より遅いからといって、ダメになることはない。ダメになるとしたら、子ども
の責任というよりは、教育制度の欠陥によるもの。

 しかし結論から言えば、子どもが小学校の低学年児であるなら、子どものリズムに合わせ
て、教育を組みたてるしかない。この時期は、あせってもムダなばかりか、かえって症状をこじ
らせてしまう。子どもを勉強嫌いにすれば、それこそ、大失敗というもの。

 しかし小学三、四年生を境に、子ども自身に、自己意識が育ってくる。自分自身を客観的に
見ることができるようになる。そのとき、子どもは、自分で自分をコントロールするようになる。
その時期をうまく利用して、子どものリズムを、修正する。

 今も、一人の子ども(小一男児)が、目の前にいる。みなより一呼吸、いつもリズムが遅い。
何をするにも、マイペース。しかし屈託のない笑顔をしている。今は、この笑顔を大切にした
い。
(030623)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

二種類の愛情

 自分を愛するか。他人を愛するか。この二つを見ることによって、愛情は、二つに分けられ
る。

 いつか愛の深さは、「許して忘れる」、その度量の深さによって決まると書いた。その「許して
忘れる」を自分に向ければ、その人は、どこまでも自分勝手で、わがままになる。いいかげん
な人間になる。「許して忘れる」というのは、どこまでも、他人に向けられたものでなければなら
ない。

 自分を愛することを、利己的愛という。他人を愛することを、利他的愛という。しかし問題は、
自分の子どもだ。自分の子どもは、私であって、私でない。同時に他人であって、他人でない。
実は、このあいまいさが、子どもへの愛情を、わかりにくくしている。

 わかりやすい例で考えてみよう。

 たとえば子どもの受験で、狂騒している母親がいる。その母親は、「子どものため」と、信じて
疑わないでいる。泣き叫んで抵抗する子どもを、無理やり、勉強机に向わせる。子どもの成績
に一喜一憂し、そしてそのつど、子どもをほめたり、叱ったりする。ほかに塾への送り迎え、家
庭教師の接待などなど。こうした愛情は、利己的愛なのか、それとも利他的愛なのか。

 しかしこれは残念ながら、「愛」ではない。愛だという前提で、議論を始めるから、話がおかし
くなる。

 こういうケースでは、親は自分が感ずる不安や心配を、子どもにぶつけているだけ。もっとわ
かりやすく言えば、自分の不安や心配を解消するために、子どもを利用しているだけ。「子ども
ため」と言いながら、結局は自分の思いどおりに子どもを動かしたいだけ。

 愛ではない。こういうのを、代償的愛という。いわば愛もどきの愛。ストーカーが、自分のつご
うだけで相手を追いかけまわす、あの愛(?)のことだと思えばよい。(そう言えば、D・ベッカム
が日本へ来たとき、「ベッカムさまと結婚する」と本気で、テレビ画面に向って答えていた若い
女性がいた。本人は、D・ベッカムを愛しているつもりなのだろうが、それもここでいう代償的
愛。)

 子どものばあい、幼児期から少年少女期にかけて、利己的愛から利他的愛へと変化してい
く。しかしだれしも、利他的愛をもつようになるわけではない。それを指導し、はぐくむのは、結
局は親の役目ということになる。

 問題は、利己的愛である。

 この利己的愛は、自分を愛するあまり、自分の利益を、他人の利益よりも、優先する。そして
それが報われる間は、それなりに満足感を覚えるが、そうでないときには、嫉妬、羨望(せんぼ
う)、落胆、絶望、自虐的な闘争心へと発展しやすい。攻撃的に社会を否定することもある。子
育てについて、実際に、こんな事件があった。ふつうこう事例は、事実をオブラートで包むよう
な書き方をするが、これらの事件については、ありのままを書いた(中日新聞発表済み)。

+++++++++++++++++++++

いじめの陰に嫉妬

 陰湿かつ執拗ないじめには、たいていその裏で嫉妬がからんでいる。この嫉妬というのは、
恐らく人間が下等動物の時代からもっていた、いわば原始的な感情の一つと言える。それだけ
に扱いかたをまちがえると、とんでもない結果を招く。

 市内のある幼稚園でこんなことがあった。その母親は、その幼稚園でPTAの役員をしてい
た。その立場をよいことに、いつもその幼稚園に出入りしていたのだが、ライバルの母親の娘
(年中児)を見つけると、その子どもに執拗ないじめを繰り返していた。手口はこうだ。

その子どもの横を通り過ぎながら、わざとその子どもを足蹴りにして倒す。そして「ごめんなさい
ね」と作り笑いをしながら、その子どもを抱きかかえて起こす。起こしながら、その勢いで、また
その子どもを放り投げて倒す。以後、その子どもはその母親の姿を見かけただけで、顔を真っ
青にしておびえるようになったという。

ことのいきさつを子どもから聞いた母親は、相手の母親に、それとなく話をしてみたが、その母
親は最後までとぼけて、取りあわなかったという。父親同士が、同じ病院に勤める医師だった
ということもあった。被害にあった母親はそれ以上に強く、問いただすことができなかった。似
たようなケースだが、ほかにマンションのエレベータの中で、隣人の子ども(三歳男児)を、やは
り足蹴りにしていた母親もいた。この話を、八〇歳を過ぎた私の母にすると、母は、こう言って
笑った。「昔は、田舎のほうでは、子殺しというものまであったからね」と。

 子どものいじめとて例外ではない。Tさん(小三女児)は、陰湿なもの隠しで悩んでいた。体操
着やカバン、スリッパは言うに及ばず、成績表まで隠されてしまった。しかもそれが一年以上も
続いた。Tさんは転校まで考えていたが、もの隠しをしていたのは、Tさんの親友と思われてい
たUという女の子だった。それがわかったとき、Tさんの母親は言葉を失ってしまった。

「いつも最後まで学校に残って、なくなったものを一緒にさがしていてくれたのはUさんでした」
と。Tさんは、クラスの人気者。背が高くて、スポーツマンだった。一方、Uは、ずんぐりした体格
の、どうみてもできがよい子どもには見えなかった。Uは、親友のふりをしながら、いつもTさん
のスキをねらっていた。そして最近でも、こんなことがあった。

 ある母親から、「うちの娘(中二)が、陰湿なもの隠しに悩んでいます。どうしたらいいでしょう
か」と。先のTさんの事件のときもそうだったが、こうしたもの隠しが長期にわたって続くときは、
身近にいる子どもをまず疑ってみる。そこで私が、「今一番、身近にいる友人は誰か」と聞くと、
その母親は、「そういえば、毎朝、迎えにきてくれる子がいます」と。そこで私は、こうアドバイス
した。

「朝、その子どもが迎えにきたら、じっとその子どもの目をみつめて、『おばさんは、何でも知っ
ていますからね』とだけ言いなさい」と。その母親は、私のアドバイス通りに、その子どもにそう
言った。以後、その日を境に、もの隠しはウソのように消えた。

+++++++++++++++++++++
 
【利己的愛の特徴】

 つぎのような愛情であれば、あなた自身の利己的愛を疑ってみたらよい。

●何ごとにつけ、嫉妬しやすく、羨望しやすい。たとえば異性にもてる仲間がいたりすると、「く
やしい」とか、「自分もそうなりたい」とか、強く思う。
●自分がより幸福になるために、他人が自分より幸福になるのを許さない。他人が自分より不
幸なのを見ると、自分が幸福になったように思う。
●他人の失敗話や不幸話が、おもしろい。一応、同情したフリをすることはあるが、内心では、
その人をさげすんだり、笑ったりする。
●ときとして、自分を認めてもらうため、猛烈な攻撃心をもつことがある。運動や勉強で、自虐
的なまでの練習や、勉強をするなど。
●ときとして自分の思うようにならないようなとき、相手に泣きついたり、同情を求めたりして、
結局は自分の思いどおりに動かそうとする。

利他的愛については、究極なまでにそれを昇華した人が、あのインドのマザーテレサである。
つまりどこまで自分の愛情を利他的愛に高めるかができるかで、その人の人間的な深みが決
まる。宗教がそれを助けることもあるが、一方、宗教に頼らなくても、それは可能である。方法
としては、自分の中に潜む利己的愛と戦えばよい。その反射的効果として、利他的愛を、自分
の中に求めることができる。ここに書いたことが、一つのヒントになれば、うれしい。
(030622)

 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
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    \\∧//
     Y☆Y
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     ̄Π ̄Π ̄ 
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

食事

 近く、オーストラリアの友人が、奥さんを連れて、私の家にやってくる。約一か月、滞在する。

 で、今、一番、困っているのが、何を食事に出そうかということ。オーストラリア人の食べるも
のは、よく知っているが、しかしそういうものは、日本にない。駅前に、国際文化交流協会があ
るので、そこへ行ってみたら、たまたまそこにオーストラリア人の若い女性がいた。聞くと、「生
ものは、ダメ。焼いたものなら、いい」と。

 それもわかっているが、何とかして、サシミを食べさせたい!

 で、結論は、いろいろな材料だけを用意して、自分たちで料理してもらうこと。あとは車を一
台、貸してあげて、自分たちで買い物をしてもらうこと。好きなようにさせてあげるのが、一番よ
い。あれこれ気をつかうと、私たちも疲れるし、彼らも疲れる。とくに奥さんは、バリバリの女医
さん。地元の診療所で、所長もかねている。干渉されるのも、指示されるのも、いやだろう。

 しかしそんな奥さんだから、奥さんには、パチンコをやらせてみたい。あれはまさに日本の文
化? それに銭湯へ連れていく。浜松市内にも、遊園地感覚の巨大な銭湯がいくつかある。

 もちろんあちこちの寺を回る。浜名湖周辺を走る、トロッコ列車にも乗せてやる。あとは焼き
鳥、お好み焼き、串かつ、テンプラなどなど。浜松市には、フラワーパークやフルーツパークな
どの行楽地もある。毎日一つずつ回っても、回りきれない?

 最後に、八月六日の、広島デーで、夫婦で、平和行進に参加したいとか。私は広島までは、
行けそうにない。その前後に、講演をひかえている。

 しかし、うらやましい。その友人は、数年ごとに、数か月をかけて、世界中を旅している。「旅
は、私にとって精神の若がえりの泉」と言ったアンデルセン(自叙伝)や、「人が旅をするのは、
到達するためではなく、旅行するためである」と言った、ゲーテ(格言と反省)がいる。

 しかし同じ旅でも、こんな旅をした人がいる。

 昔、世話になった、S出版社のI氏は、奥さんが亡くなったあと、一年間、外国へ放浪の旅に
でかけた。またG社のS氏は、ガンと宣告されてから、数年間、ほとんど毎日、車でドライブをし
ていた。あとで奥さんに聞いたら、亡くなるまでに、北海道から九州まで、日本を数周したとか。

 私は旅は好きだが、飛行機が苦手。一度、飛行機事故を経験してから、飛行機に乗られなく
なってしまった。で、行動半径が、ぐんと、小さくなってしまった。しかし来年の三月には、ワイフ
と、オーストラリアへ行くつもり。メルボルンに一週間(たった一週間!)滞在するつもり。あくま
でも「つもり」。飛行機恐怖症のものにとっては、このストレスは大きい。どうなることやら。ワイ
フもそう言っている。

 しかし本音を言えば、私は山荘で好き勝手なことをしているのが、一番、楽しい。気が楽だ
し、心も体も休まる。何よりもよいのは、「何かをしよう」と、いちいち考えないこと。計画や予定
を立てたとたん、私のばあい、疲れてしまう。だから……。

 今度その友人が来たら、彼らの精神構造はどうなっているのか、それをじっくりと観察してみ
たい。
(030622)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

生きる目的

 これも、一応、著作権の問題がからむのか。こんな会話を耳にした。

 私が街の中の通りを歩いていると、たまたま二人の男が、私のうしろを歩いていた。そしてこ
んな会話をした。男は、二人とも、黒っぽいスーツを着て、どこかコメディアン風の男だった。

男A「お前な、どうしてバイオリニストは、バイオリンを弾くか、知っているか?」
男B「わからねえよな」
男A「それはな、自分の悲しみや苦しみを、一曲ずつ音楽を弾きながら、洗い流すためさ」
男B「ふーん」
男A「お前な、どうして画家は、絵を描くか知っているか?」
男B「わからねえよな」
男A「それはな、自分の悲しみや苦しみを、一枚ずつ書きながら、その中に塗りかためるため
さ」
男B「ふーん」
男A「ところでさ、お前な、どうして作家は、文を書くか、知っているか?」
男B「わからねえよな」
男A「それはな、自分の悲しみや苦しみを、一文ずつ書きながら、その中に吐き出すためさ」
男B「じゃあさあ、音楽家でも、画家でも、作家でもないオレたちはさ、どうやって悲しみや苦し
みと、戦えばいいのさあ?」
男A「今を、懸命に生きるということさ。毎日の、一瞬一瞬が、音楽であり、絵であり、そして小
説なのさ」と。

 私は、実はこの会話を、自分の夢の中で聞いた。六月二三日。月曜日。書斎でパソコンに向
っていたら、いつもの眠気。そこで寝室へおりていって、フトンの上で横になった。しばらく眠っ
た。ちょうど起きがけにこの夢を見た。だから、ここに書きとめる。
(030623)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

カルト

 こんなメールをもらった。高知県のT市に住む、女性からのものだった。

+++++++++++++++++++

高知県T市に住む、KEといいます。
昨年の2月xx日に先生に、「助けてください」というメールを送らせていただいた者です。

カルトの新興宗教からの脱会についての悩みと恐怖心を、相談させていただきました。
その節はすぐにお返事をいただき本当にありがとうございました。
また私のメールを読者からのメールとして、マガジンにて紹介したいとのことでしたが、他の皆
様に少しは役に立てたでしょうか?

あれから1年以上すぎましたが、おかげさまで今の私はとても元気に暮らしております。

あのあとで夏には、悪性腫瘍の疑いで精密検査を受ける事になったりもして、精神的にへとへ
とになり、体調を崩しましたが一所懸命に心をたて直し、先生の言葉「やめるとバチが当たると
いうのはカルトの常套手段だ」を信じ、とにかくこれが私の選んだ道だからと、人間として変な
宗教には頼らないで生きようと努力してきました。

おかげさまで精密検査の結果はまったくのシロでした。CTやエコーなどの検査上はセカンドオ
ピニオンを求めた医師までも「こんな事をしている場合ではないからすぐに手術を」という状態
だったのですが、精密検査の結果は大どんでん返しということになり、もしあのまま信仰を続け
ていたら「仏様のおかげ」と、さらに一生離れられなくなった事でしょう。

宗教の言う奇跡とは案外こんな事ではと、いまさらながらこっけいであり、恐ろしい世界だった
と痛感しています。本当にありがとうございました。

心配していました子どもの信仰心ですが、両親が何も言わなくなれば自然に忘れてしまうよう
で、何も言いませんでした。肌身につけていたお守りを「はずしていいよ」と伝えた時、「本当は
少しホッとする」というようなことを言いましたので、「みんなと違うなんだか怪しい世界」が、少し
負担だったのかもしれません。やめてよかったとつくづく思います。

あれから私たちには何の不幸も不都合も無く、子どもは相変わらず健やかに育っています。

あの時、何の面識もない突然のメールにすぐお返事をいただき、強く励ましていただいた事を
本当に感謝しております。

連絡が遅くなりましたが近況報告まで・・・・。
益々の御活躍をお祈りしています。

++++++++++++++++++++     

【KEさんへ】

 私は宗教を否定する者ではありません。神にせよ、仏にせよ、それは私たちの存在をはるか
に超越したものであり、それゆえに、神や仏というのです。

 そういう神や仏が、いちいち、それぞれの人間のすることに、かまっているだろうかというの
が、私のそのときの気持でした。神や仏に甘えてよいというのではありませんが、その心が無
量無辺に広いから、神や仏というのです。もしその信仰をやめたからバチを与えるという神や
仏がいるとしたら、それは神や仏の仮面をかぶった、悪魔です。あのときも、そう書いたと思い
ますが、そういう信仰なら、こちらから蹴飛ばしてやればよいのです。

 私たちは私たちで、つまり一人の人間として、自分の足で立って前に進みましょう。それはけ
わしくも、きびしい道ですが、しかしその道を歩むところに、私たちが生きる意味があるので
す。

 不完全を嘆くことはない。未熟であることを恥じることはない。もしそういう生きザマをまちがっ
ているというのなら、それを言う、神や仏のほうが、まちがっているのです。空を飛ぶ鳥を見た
らよいのです。野に咲く花を見たらよいのです。それぞれが、自分の命を懸命に生きている。
生きる美しさは、そういう懸命さから生まれるのです。

 もしあの世があるなら、そして神や仏がいるなら、それは死んでからのお楽しみ。私は最初に
迎えにきてくれた人の信者になります。あるいは、だれも迎えにこないかもしれない。しかし私
はかまわない。そうならそうで、あの世でも、放浪の旅をつづけます。

 教育と宗教は、よく似ていますね。このところ区別がつかなくなりました。ときどき子どもの問
題で、「どうしたらいいでしょうか?」と相談してくる親がいます。しかしそういうときでも、あれこ
れ解決方法を示すことはあっても、いきなりその問題を取りのぞいたりはしない。またそんなこ
とをしても、意味はない。

 いわんや、毎日、毎晩、「林先生、林先生……」と、名前を連呼されても困ります。そんなこと
をいくらしてくれても、私自身は、まったくうれしくない。かゆくもない。むしろ「そんなヒマがあっ
たら、本でも読みなさい」と言いたくなります。いわんや、お守りだとか、像だとか……?

 これからも、足をふんばって、がんばって生きていきましょう。仮に運命というものがあるとし
ても、その運命と戦うのも、人間ではないでしょうか。ただひとつ大切にしたいのは、私たちの
心の中で、私たちを照らす常識です。常識だけは大切に。そしてその常識をみがいて、豊かな
ものにしましょう。その努力だけは怠ってはいけないと思います。

 悪性腫瘍を疑われたとか。たいへんでしたね。私も一度、あります。しかしこれだけは言えま
す。今のKEさんは、私よりはるかに崇高な境地におられるということ。想像を絶するような心
の問題を解決なさったのですから、これからは、もうこわいものはないですね。どうか自信をも
って、前に進んでください。応援します。

 そうそう、いろいろな賢人が、「常識」について、語っています。

●「常識は、私が知っている、最良の分別である」(チェスターフィールド「所感」)
●「およそ、世にあるもので、もっとも公平に分配されているものが、常識である」(デカルト「方
法序説」)
●「常識の有無は、教育の有無とは関係ない」(ユーゴー「断片」)
●「常識は本能であり、それがじゅうぶんにあるのが、天才である」(バーナードショー「断片」)

(注、欧米では、常識(common sense)は、「良識(good sense)」という意味で使われることが多
い。)
(030623)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

男女共同参画社会(2)

 男も、女も、生まれたときは、まったく同じ人間。それが成長するにつれて、男は男に、女は
女に、作られていく。つまりこうした流れの中で、「性役割」が作られていく。

 たとえば赤ん坊にしても、男児は、いわゆる男っぽい玩具を与えられ、女児は、いわゆる女
っぽい玩具を与えられる。たとえばこの日本では、男っぽい色、女っぽい色というのがあって、
こうした色分けを手始めに、男女の区別がそののち、さらに加速される。

(名前と服装)

 男女の最初の区別は、名前によってなされる。男児は、たくましく、強い名前。女児は、やさし
く、かわいい名前と。私の年代では、80%の女子が、「○○子」と、「子」という文字を名前の最
後につけていた(高校の同窓会名簿で調査、105人中84人)。

 つぎに服装。私たちの年代では、服装も、かなり厳格に区別されていた。男はズボン、女は
スカートというのが常識だった。よく覚えているのは、自転車も、男用と女用に分かれていたこ
と。女用の自転車に乗っただけで、みなからバカにされた。実際には、女用の自転車に乗る男
はいなかったし、その反対は、さらにいなかった。

 こうした世界で、無意識のうちに、子どもは男はどうあるべきか。また女はどうあるべきかを
学んでいく。これを「観察学習」という。つまり、こうした意識は、人間が社会活動をする上で、
脳の中に新たにつくられていくものであって、決して本能的なものでも、生物学的なものでもな
い。

 簡単に言えば、男児がピンクのスカートをはいたからとって、それはまったくおかしくないとい
うことになる。現に今、ブルーのズボンをはいている女児はいくらでもいる。

(役割分担)

 「男は仕事、女は家事」という、役割分担は、小学低学年のころから始まる。今でこそ平等に
なったが、私が小中学生のころは、家庭科で料理や裁縫を学ぶのは、女子と決まっていた。男
子はその間、木工や機械いじりをした。

 こうした役割分担は、根拠がないだけに、バカげている。しかしそれを否定するということは、
封建時代の昔からつづいてきた、家制度、家長制度、家督制度などを、ことごとく否定すること
に等しい。さらには、男が上、女が下、夫が上、妻が下という、権威主義社会そのものを、こと
ごとく否定することに等しい。だから旧世代の人は、こうした役割分担に固執する一方、欧米型
の夫婦平等主義を、反対に否定しようとする。

 しかし今、若い世代を中心に、女性の意識が高くなるにつれて、男性の意識も変わってきつ
つある。具体的には、家事を分担する若い夫婦がふえている。九九年の私の調査だが、浜松
市内で、若い二〇代、三〇代の夫婦についてみると、約三五%の夫が、積極的に家事をする
ようになってきた。(「家事をよく手伝う」「ときどき手伝う」という夫が、六五%。しかしまったく手
伝わない夫も、三五%もいる。))
 
(参考)
※……国立社会保障人口問題研究所の調査によると、「掃除、洗濯、炊事の家事をまったくし
ない」と答えた夫は、いずれも五〇%以上であったという。

 部屋の掃除をまったくしない夫          ……五六・〇%
 洗濯をまったくしない夫             ……六一・二%
 炊事をまったくしない夫             ……五三・五%
 育児で子どもの食事の世話をまったくしない夫   ……三〇・二%
 育児で子どもを寝かしつけない夫(まったくしない)……三九・三%
 育児で子どものおむつがえを、まったくしない夫  ……三四・〇% 
(全国の配偶者のいる女性約一四〇〇〇人について調査・九八年)

(役割形成)

 役割分担が明確になってくると、「私は私」という、自我同一性(アイデンティティ)が生まれてく
る。そしてその自我に、役割や役職が加わってくると、人は、その役割や役職に応じたものの
考え方をするようになる。

 たとえば医学部を経て医者になった人は、その過程で、「私は医者だ」という自我同一性をも
つ。そしてそれにふさわしい態度、生活、ものの考え方を身につける。

 しかし少年少女期から青年期にかけて、この自我が混乱することがある。失望、落胆、失敗
など。そういうものが重なると、子どもは、「私」をもてなくなる。これを、「役割混乱」という。

 この役割混乱が起こると、自我が確立しないばかりでなく、そのあと、その人の人生観に大き
な影響を与える。たとえば私は、高校二年まで建築士になるのが、夢だったし、そういう方向で
勉強していた。しかし高校三年生になるとき、担任から、いきなり文学部を勧められ、文科系コ
ースに入れられてしまった。当時は、そういう時代だった。担任にさからうなどということは、で
きなかった。

 で、高校三年生の終わりに、私は急きょ、法学部に進路を変更した。文学は、どうにもこうに
も、肌にあわなかった。

 おかげで、そのあとの人生は狂いぱなしだった。最終的に幼児教育の道を選んだが、そのと
きですら、自分の選んだ道に、自身をもてなかった。具体的には、外の世界では、自分の職業
を隠した。「役割混乱」というのは、そういうことをいう。

(男女の役割)

 「男であるから……」「女であるから……」というのも、ここでいう自我同一性と考えてよい。ほ
とんどの人は、青年期を迎えるまでに、男らしさ、女らしさを、身につける。そして、その性別に
ふさわしい「自我」を確立する。

 しかしこのとき、役割混乱を生ずるケースも、少なくない。最近では、女児でも、まったくの
「男」として育てられるケースも、少なくない。以前ほど、性差が明確でなくなったということもあ
る。しかしその一方で、男児の女性化も進んでいる。その原因については、いろいろな説があ
るが、それはともかくも、今では、小学一年生について言うなら、いじめられて泣くのは、男児。
いじめて泣かすのは、女児という図式が、できあがってしまっている。

 この世界でも、役割混乱が生じているとみてよい。そして「男」になりきれない男性、「女」にな
りきれない女性がふえている。

 そういう意味では、社会的な環境が不整備なまま、「父親よ、育児をしなさい」「家事をしなさ
い」と、男に迫ることは、危険なことかもしれない。混乱するだけならまだしも、自我そのものま
で軟弱になってしまう。

(社会的環境の整備)

 私の結論としては、こうした意識の移行期には、一方的に、新しい価値観を、古い世代に押
しつけるのではなく、それなりのモラトリアム(猶予期間)を与えるべきだということになる。

 これは古い世代の価値観を認めながら、変化は、つぎの世代に託すという考え方である。
「価値観の共存」という考え方でもよい。ただし、変化は変化として、それは育てなければならな
い。たとえば、学校教育の場では、性差による生理的問題がからむばあいをのぞき、男女差
別を撤廃する、など。最近では、男女の区別なく、アイウエオ順に名簿を並べる学校もふえて
いる※。そういった改革を、これからはさらに徹底する。

 もちろん性差によって、職業選択の自由を奪ってはいけない。ごく最近、女性の新幹線の運
転士が誕生したというが、では今まで、どうだったのかということにもなる。そういう問題も、考
えなければならない。

 アメリカでは、どんな公文書にも、一番下の欄外に、「人種、性、宗教によって、人を差別して
はならない」と明記してある。それに反すれば、即、処罰される。こうした方法で、今後は、性に
よる差別を防がねばならない。そして今の時代から、未来に向けて、この日本を変えていく。意
識というのはそういうもので、意識革命は、三〇年単位で考えなければならない。
(030622)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

北朝鮮問題

 韓国の前大統領が、金大中。今は、週三回の人工透析を受け、その一方で、病気治療のた
め、入退院を繰り返しているという。彼の崇高な理念は、理解できないわけではないが、信仰
者独特の現実離れした政治政策は、どこかおかしかった。わざと北朝鮮による犯罪をもみ消し
てみたり、北朝鮮からの亡命者に対して、訪米禁止処分にしたりするなど。先の、北朝鮮の金
XXとの韓朝首脳会談に先立っては、数百億円もの裏金を、金XXに渡したとされる。おまけに
三人の息子たちは、みな、巨額の収賄事件と脱税事件で、起訴されたり、逮捕されている。

 後継者のノ大統領の政治理念は、これまた現実離れしていた。大統領の選挙運動中に、ア
メリカの国旗を破いてみせたり、「アメリカと朝鮮が戦争になったら、韓国は中立を守る」などと
いうことまで口にしたりしている。おまけに、「北朝鮮の核問題は、韓国が主導で解決する」と
か、さらに「これからはアメリカと対等に交渉する」とか、まで言い出した。これには、アメリカの
ブッシュ政権が、大激怒した。当然だ。北朝鮮との国境ぞいという最前線で、韓国の防衛に当
たっているのが、ほかならぬ、三万五〇〇〇人とも言われるアメリカ兵たちだからである。

 対日政策も、現実離れしている。もともと反日的であることはしかたないにしても、当初、日本
をまったく無視した形で、対北朝鮮外交を始めた。日本には、連絡の「レ」の字もなかったとい
う。が、結果は、ことごとく失敗。おまけに駐韓アメリカ軍の削減、撤退まで、議論されるように
なった。ようやくそのころになって、ノ大統領も、現実が少しずつわかってきたようだ。

 北朝鮮は、韓国民にとっては、同胞の国かもしれないが、同時に、残虐非道な独裁政権であ
る。金XXによって、粛清され、闇から闇へと葬られた国民は、数十万人もいるという。もちろん
その中には、多くの日本人妻も含まれているという。やがて金XX政権は崩壊し、金XXがした
悪業の数々が、白日のもとにさらけ出されるときがくるだろう。そのとき金大中前大統領や、ノ
大統領のした、愚かとまでは言えないが、しかし現実離れした政策のいくつかが、非難されるこ
とになるかもしれない。金XXは、まさにアジアが生んだ、ヒットラーそのものにほかならないか
らである。

 さて、この日本。数日前の報道によれば、北朝鮮は、小型核兵器をすでにもっているという。
ミサイルに積んで、日本を攻撃することも可能だという。過去のいきさつはともあれ、これが今
の日本が置かれた現実である。「戦争、反対!」と叫ぶのは、その人の勝手だが、私たちは
「座して、死を待つこともできない」(川口外相)。私たちは、何としても、あの金XX政権を、崩壊
させなければならない。方法としては、いくつかある。

●国際世論を味方につける。北朝鮮を、孤立化させる。
●兵糧攻めにする。麻薬と偽札、ミサイルの管理を徹底する。
●残虐非道な金XXの悪業を白日のもとにさらす。
●脱北者を、経済的に支援する。

こうした結果、金XXが暴走すれば、そのときは、そのときで覚悟するしかない。一説によると、
このまま北朝鮮が核兵器開発を進めれば、一、二年のうちに、北朝鮮は、数百発の核兵器を
もつことになるという。もしそうなれば、日本は、完全に、北朝鮮の手中に落ちることになる。あ
るいはそうならなくても、私たちは、毎日ビクビクして過ごさねばならない。戦争を望むわけでは
ないが、北朝鮮が暴走するならするで、その時期は、早ければ、早いほどよい。

 もちろん米中朝の三か国会議に、日韓が加わり、五か国会議になればよい。四つの国が力
をあわせて、みんなで袋叩きにすれば、金XXも、少しは現実がわかるようになるだろう。私の
印象では、金XXは、五か国会議に応じざるをえないとみる。外国の包囲網が定まったというよ
りは、国内経済そのものが、危機的な状況にある。へたに中国の意向にさからえば、原油供
給の停止などで、今度こそ、息の根を止められる。

 ただ金XXが、五か国会議に応ずるためには、どこかに落しどころがないと無理。今のよう
に、こぶしを振りあげたままの金XXに、会議に出てきなさいと言っても、出てこない。問題は、
その落しどころを、どうつくるか、だ。一番好ましいのは、アメリカ政府の高官が、何らかのラブ
コールをすることだが、それは期待できない。となると、日本ということになるが、日本側は拉
致(らち)問題で、身動きがとれない状態になっている。

 しかしこの閉塞感は、そのまま北朝鮮の置かれた立場そのものであるといってもよい。となる
と、金XXに残された道は、二つだけ。妥協して、核を放棄するか。それとも、暴走するか。

 暴走するのは金XXの勝手だが、その矛先は、アメリカでも、韓国でもない。日本である。今
の北朝鮮が、唯一、戦争開始の大義名分がたつ国が、日本だからである。今でも、北朝鮮と
日本は、交戦状態にある。休戦協定も、終戦協定も結んでいない。第二次世界大戦のままの
状態だと思えばよい。

 最後に、北朝鮮と対峙している韓国は、決して、日本の味方にはならない。仮に日朝戦争と
いうことになれば、もちろん韓国は中立を守るだろう。ばあいによっては、統一旗をかかげて、
北朝鮮の味方をするかもしれない。そういう現実も忘れてはならない。つまりそれくらい、日本
の置かれた立場は、きびしい。

 さて数日前のこと。アメリカの政府高官がこう発言した。「同盟国の日本が、北朝鮮に攻撃さ
れたら、アメリカは、ただちに、あらゆる武器を使って反撃する」と。

 ここまで言ってくれる国が、ほかにどこにある? ドイツかフランスか。ロシアか中国か。もち
ろんアメリカに頼りきるのは、よくない。しかし「今」という現実の中では、アメリカに頼るしかな
い。悲しいかな、これもまた、日本が置かれた現実なのである。
(030622)

(注、この原稿は、去る六月二二日に書いたものです。この原稿を発表するときには、国際情
勢は大きく変化しているかもしれません。)

【追記(1)】
 表面的な平和とは裏腹に、すでに日本政府や、防衛庁は、北朝鮮に対して、臨戦態勢に入
っているとみる。もちろんアメリカ軍も、である。私たち庶民も、決して油断してはいけない。ま
たその心構えだけは忘れてはいけない。政治は、常に、現実的に考える。これが私の持論で
もある。

【追記(2)】
 金XXが、もう少しまともな人間なら、多分、こんな手紙を直接、書く。しかし金XXは、あまりに
も常軌を逸した。だから、こんな手紙を出してもムダ?

「金XX閣下

  今の日本やアメリカに、貴国を侵害しようなどいう意図が毛頭ないことは、貴殿も、ほんの
少しだけ、日本やアメリカの情報を集めてみればわかることではないでしょうか。貴殿が、もう
少し、外の世界に向って心を開き、温かい風を入れてくださることを、心から願います。

 私たちには、不幸な歴史があります。しかし今、同時に、貴国がたいへんな窮状にあること
を、私たちはよく理解しています。ほんの少しだけ、私たちを信じていただけないでしょうか。私
たちは、あなたがたが思っているような悪人ではないのです。みんなで力をあわせて、極東ア
ジアの平和と安全を、構築しようではありませんか。

 今、貴国が世界に向って門戸を開けば、世界中が貴国を救済するために、立ちあがるでしょ
う。どうかそういう人間が基本的にもつ、善意を、どうか信じてください。」と。

 こんな手紙を書いてみたが、出すつもりはない。どこか虚(むな)しい。白々しい。


     ▲   ▲
    ▲▼▼ ▼▼▲
   ▼  ▲◎▲  ▼
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【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・20  ……名古屋市(詳細未定)
9・ 9  ……稲沢市(詳細未定)
9・ 8  ……名古屋市(詳細未定・名古屋駅前中小企業会館にて)
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
8・ 6  ……浜北市(詳細未定)
8・ 2  ……浜松市Iホール(静岡県教職員組合浜松支部研修会)
7・31  ……浜松市東部公民館
7・10  ……湖西市教育委員会・家庭学級講座
7・ 9  ……豊岡小学校
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・28  ……富塚中学校区(小学校)健全育成会
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2003年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、
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【1】静岡市のみなさんへ、ありがとうございました!∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

静岡市での講演

 六月XX日、静岡市のアイセル21(ホール)で、講演をした。定員をオーバーし、満席だった。
ゴザ席までもうけてあった。うれしかった……というより、私の講演ではありえないことだった。
私は、静岡市ではほとんど知名度がない。あとで主催者の方に聞いたら、参加者は、くじ引き
で、選んだとのこと。しかしこれは私の力ではない。主催者の方が、それだけの努力をしてくれ
たからだ。

 申し訳なかった。正直言って、そう感じた。本来なら、「大盛況」(「雑誌F」、編集長K氏のメー
ルより)をすなおに喜ばねばならないはずだが、そんな感じは、まったく起きなかった。「本当
に、それにふさわしい話をしたのだろうか」「できたのだろうか」と、そんなことばかり考える。

 失敗(1)……行きの新幹線の中で、眠気ざましのために買ったが菓子(フリスク)を、なめす
ぎた。おかげで講演の前に声がかれてしまい、ガラガラになってしまった。

 失敗(2)……講演の前に控え室で、担当の方とあれこれ議論をしていまい、集中力が分散し
てしまった。やや疲れた状態で、演台に立ってしまった。

 失敗(3)……前置きを長くしすぎたため、そのあとの話のバランスが崩れてしまった。時間が
一五分、短くなったことも影響した。どこか急ぎ足の講演になってしまった。

 静岡市全域の幼稚園、小中学校のPTAの役員の方々が集まってくれたということだが、そん
なわけで、私は逃げるようにして、静岡市から帰ってきた。改めて、スティーブンソンの『我らが
目的は、成功ではない。失敗にめげず、前に進むことだ』を、自分に言って聞かせる。しかし私
としたものが、何というザマ!

 以上、講演の反省記。しかし講演のこわいところは、そのあと、あれこれ後悔しなければなら
ないこと。「せっかく来てくれた人に……」と、そんなことばかり考える。そしてつぎに、「今度こそ
……」と思うが、今まで、ただの一度も、満足な講演ができたためしがない。いつになったら、
そういう講演ができるのか? 帰りの新幹線の中で、ふとこんなことを考える。「歌手の人は、
どんな気分なのだろう」と。「しかし他人が作詞、作曲した歌を、毎回、同じように歌うというの
も、つまらないし……」と。

 静岡市のみなさん、本当にありがとうございました。無事(多分?)終わって、ほっとしていま
す。
(030625)

      ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          
 \※/
  ‖
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞653
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

子どもの自我

 ほぼ三〇年ぶりにS氏と会った。会って食事をした。が、どこをどうつついても、A氏から、そ
の三〇年間に蓄積されたはずの年輪が伝わってこない。話そのものがかみあわない。どこか
ヘラヘラしているだけといった感じ。そこで話を聞くと、こうだ。

 毎日仕事から帰ってくると、見るのは野球中継だけ。読むのはスポーツ新聞だけ。休みは、
晴れていたらもっぱら釣り。雨が降っていれば、ただひたすらパチンコ、と。「パチンコでは半日
で五万円くらい稼ぐときもある」そうだ。しかしS氏のばあい、そういう日常が積み重なって、今
のS氏をつくった。(つくったと言えるものは何もないが……失礼!)

 こうした方向性は、実は幼児期にできる。幼児でも、何か新しい提案をするたびに、「やりた
い!」と食いついてくる子どももいれば、逃げ腰になって「やりたくない」とか「つまらない」と言う
子どもがいる。フロイトという学者は、それを「自我論」を使って説明した。自我の強弱が、人間
の方向性を決めるのだ、と。たとえば……。

 自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、も
のの考え方が現実的(頼れるのは自分という考え方をする)で、創造的(将来に向かって展望
をもつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行動
できる。

 反対に自我の弱い子どもは、物事に対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよく口
にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、占いや手相にこ
る)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くなる。たとえ
ばほしいものがあると、それにブレーキをかけられない、など。

 一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみ
どころが、はっきりとしている。生活力も旺盛(おうせい)で何かにつけ、前向きに伸びていく。
反対に自我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているか分
からない子どもといった感じになる。

 その道のプロなら、子どもを見ただけで、その子どもの方向性を見抜くことができる。私だっ
てできる。しかし二〇年、三〇年とたつと、その方向性はだれの目から見てもわかるようにな
る。それが「結果」として表れてくるからだ。先のS氏にしても、(S氏自身にはそれがわからな
いかもしれないが)、今のS氏は、この三〇年間の生きざまの結果でしかない。

 帰り際、S氏は笑顔だけは昔のままで、「また会いましょう。おもしろい話を聞かせてください」
と言ったが、私は「はあ」と言っただけで、何も答えることができなかった。

    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│ このマガジンが役立ちそうな人が
  ┃     ┃   ///─┘┤   いらっしゃれば、このマガジン
  ┃     ┃  刧凵^ | │  のことを話していただけませんか。
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子どもの自立

 ある母親(埼玉県U市在住のRYさん)から、こんなメールが届いた。 

「私には二人の子供がおります。
一番上の娘が中学二年生、下の男の子が小学校の四年です。
とても優しい子ども達に恵まれ毎日幸せに暮らしています。
 
私は自分の子供に、自らの足で立ち、自分の思うままの人生を
自分で考えて歩いてゆける人間に育って欲しい と思っていますが
子どもの自立のために、何かよいアドバイスがあれば、いただけませんか。

いくら頭で考え、子どもの人生や価値観を尊重しようと思っても、
実際問題として、日本の社会は目立つものは排除する社会に思えます。
馬鹿な親ですが、自分の子供には苦労をさせたくない、
社会に適応し、周りとうまくやって欲しい……と
おろかな望みを抱いてしまいます」

 この母親のメールを読んで、最初に感じたことは、「これは子どもの問題ではなく、母親自身
の問題」ということ。その母親自身はまだ気づいていないかもしれないが、母親自身が、自分
の住む世界で、窒息している。

 以前、こんな原稿(中日新聞経済済み)を書いた。

++++++++++++++++++++++++

母親がアイドリングするとき 

●アイドリングする母親
 何かもの足りない。どこか虚しくて、つかみどころがない。日々は平穏で、それなりに幸せの
ハズ。が、その実感がない。子育てもわずらわしい。夢や希望はないわけではないが、その充
実感がない……。今、そんな女性がふえている。Hさん(三二歳)もそうだ。

結婚したのは二四歳のとき。どこか不本意な結婚だった。いや、二〇歳のころ、一度だけ電撃
に打たれるような恋をしたが、その男性とは、結局は別れた。そのあとしばらくして、今の夫と
何となく交際を始め、数年後、これまた何となく結婚した。

●マディソン郡の橋
 R・ウォラーの『マディソン郡の橋』の冒頭は、こんな文章で始まる。「どこにでもある田舎道の
土ぼこりの中から、道端の一輪の花から、聞こえてくる歌声がある」(村松潔氏訳)と。主人公
のフランチェスカはキンケイドと会い、そこで彼女は突然の恋に落ちる。忘れていた生命の叫
びにその身を焦がす。どこまでも激しく、互いに愛しあう。

つまりフランチェスカは、「日に日に無神経になっていく世界で、かさぶただらけの感受性の殻
に閉じこもって」生活をしていたが、キンケイドに会って、一変する。彼女もまた、「(戦後の)あ
まり選り好みしてはいられないのを認めざるをえない」という状況の中で、アメリカ人のリチャー
ドと結婚していた。

●不完全燃焼症候群
 心理学的には、不完全燃焼症候群ということか。ちょうど信号待ちで止まった車のような状態
をいう。アイドリングばかりしていて、先へ進まない。からまわりばかりする。Hさんはそうした不
満を実家の両親にぶつけた。が、「わがまま」と叱られた。夫は夫で、「何が不満だ」「お前は幸
せなハズ」と、相手にしてくれなかった。しかしそれから受けるストレスは相当なものだ。

昔、今東光という作家がいた。その今氏をある日、東京築地のがんセンターへ見舞うと、こん
な話をしてくれた。「自分は若いころは修行ばかりしていた。青春時代はそれで終わってしまっ
た。だから今でも、『しまった!』と思って、ベッドからとび起き、女を買いに行く」と。「女を買う」
と言っても、今氏のばあいは、絵のモデルになる女性を求めるということだった。晩年の今氏
は、裸の女性の絵をかいていた。細い線のしなやかなタッチの絵だった。私は今氏の「生」へ
の執着心に驚いたが、心の「かさぶた」というのは、そういうものか。その人の人生の中で、い
つまでも重く、心をふさぐ。

●思い切ってアクセルを踏む
 が、こういうアイドリング状態から抜け出た女性も多い。Tさんは、二人の女の子がいたが、
下の子が小学校へ入学すると同時に、手芸の店を出した。Aさんは、夫の医院を手伝ううち、
医療事務の知識を身につけ、やがて医療事務を教える講師になった。またNさんは、ヘルパー
の資格を取るために勉強を始めた、などなど。

「かさぶただらけの感受性の殻」から抜け出し、道路を走り出した人は多い。だから今、あなた
がアイドリングしているとしても、悲観的になることはない。時の流れは風のようなものだが、止
まることもある。しかしそのままということは、ない。子育ても一段落するときがくる。そのときが
新しい出発点。アイドリングをしても、それが終着点と思うのではなく、そこを原点として前に進
む。方法は簡単。

勇気を出して、アクセルを踏む。妻でもなく、母でもなく、女でもなく、一人の人間として。それで
また風は吹き始める。人生は動き始める。

++++++++++++++++++++++

【RYさんへ】

 それがよいことなのか、悪いことなのかは別にして、アメリカ人の生きザマを見ていると、実
に自由を謳歌しているのがわかります。それだけにきびしい世界を生きていることになります
が、そういうアメリカ人や、アメリカとくらべると、日本の社会は、まさに「ぬるま湯社会」というこ
とになります。

 この「ぬるま湯」の中で、人生の入り口で権利を得た人は、たいていそのままずっと、その権
利をなくすことなく保護されます。それがRYさんが、おっしゃる、「日本の社会は目立つものは
排除する社会に思えます」ということではないでしょうか。社会そのものが、見えない糸で、がん
じがらめになっています。

 たとえば私の友人のユキコさん(三一歳女性、日系人・アーカンソー州リトルロック在住)は、
今、アメリカで、老人福祉の仕事をしています。日本でいう公務員ですが、こう言っています。
「アメリカでは、公務員といっても、どんどん自分から進んで何かをしていかないと、クビになっ
てしまう。また自分で何かアイディアを出したり、新しいことをしたいというと、上司が、もっとや
れと励ましてくれる」と。

 本当は、ユキコさんは、もっと過激なことを言っていますが、日本の社会の現状とは、あまり
にもかけ離れているため、ここでは控えめにしました。ユキコさんは、「社会のしくみそのもの
が、そうなっている。日本のように、上から言われたことだけをしていれば、安心という考え方
は、通用しない」とも言っていました。

 こうした傾向はオーストラリアにもあって、私の友人の多くは、生涯において、何度も職種そ
のものを変えています。またそういうことをしても、不利にならないしくみそのものが、できあが
っています。あのヨーロッパでは、EU全体で、すでに大学の単位は共通化されていて、どこの
大学で学んでも、みな同じという状態になっています。

 世界は、どんどん先へ行っている。アメリカだけでも、学校へ行かないで、家庭で学習してい
る、いわゆるホームスクーラーと呼ばれる子どもは、現在、二〇〇万人を超えたと推計されて
います。もっと世界の人は、自分の人生を、子どもの人生を、自由に考えている。あるいは自
由という基本の上に置いている。日本人の悪口を言うのもつらいですが、この程度の自由を、
「自由」と思いこんでいる、日本人が、実際、かわいそうに見えます。

 RYさん、これはあなたの子どもの問題ではありません。あなた自身の問題です。あなたが魂
を解き放ち、心を解き放ちます。そしてあなた自身が、大空を飛びます。それはちょうど、森へ
やってくる、鳥の親子連れと同じです。子どもの取りは、親鳥の飛び方を見て、自分の飛び方
を覚えます。あなたが飛ばないで、どうして子どもが飛ぶことができるでしょうか。

 「自分の子供には苦労をさせたくない。社会に適応し、周りとうまくやって欲しい」ですかあ?
 しかしそんな人生に、どれほどの意味があるというのでしょうか。私は、一片の魅力も感じま
せん。しかたないので、そういう人生を、私も送っていますが、しかし心意気だけは、いつも、そ
うであってはいけないと思っています。RYさんが言う「社会」というのは、戦前は、「国」のことで
した。「お国のため」が、「社会のため」になり、「お国で役立つ人間」が、「社会で役立つ人間」
になりました。今の中国では、「立派な国民づくり」が、中国の教育の合言葉になっています。
日本も、中国も、それほど違わないのではないでしょうか。

 今、行政改革、つまりは日本型官僚政治の改革は、ことごとく失敗しています。奈良時代の
昔からつづいた官僚制度ですから、そう簡単には変えることができません。それはわかります
が、この硬直した社会制度を変えないかぎり、日本人が、真の自由を手に入れることはないで
しょう。今も、子育てをしながら、RYさんのように悩んでいる人は多いはずです。小さな世界
で、こじんまりと、その日を何とか無事に過ごしている人には、それはわからないかもしれませ
んが、しかしこれからの日本人は、そんなバカではない。「しくまれた自由」(尾崎豊「卒業」)
に、みなが、気づき始めているのです。

 これは子どもの問題ではないのです。RYさん、あなた自身の問題なのです。ですからあなた
も勇気を出して、一歩、足を前に踏みだしてみてください。何かできることがあるはずです。そし
てあなた自身をがんじがらめにしている糸を、一本でもよいから取りのぞいてみるのです。

 私は母ではない!
 私は妻ではない!
 私は女ではない!
 私は、一人の人間だア!、と。

 いいですか、RYさん、母として、妻として、女として、「私」を犠牲にしてはいけませんよ。自分
を偽ってはいけませんよ。あなたはあなたの生きザマを、自分で追求するのです。それが結局
は、あなた自身の子育て観を変え、あなたの子どもに影響を与えるのです。そしてそれが、
今、あなたが感じている問題を解決するのです。

 家庭は、それ自体は、憩いの場であり、心や体を休める場です。しかしそれを守る(?)女性
にとっては、兵役の兵舎そのもの※。自分の可能性や、夢や希望、そういうものをことごとく押
しつぶされ、家庭に閉じ込められる女性たちのストレスは、相当なものです。(もちろん、そうで
ない女性も、約二五%はいますが……。)仕事をもっている男性には、まだ自由は、あります
が、女性には、それがない。

 だから家庭に入った女性たちほど、自由を求める権利があるのです。その中の一人が、RY
さん、あなたということになります。

 私たちは、ともすれば、自分の隠された欲求不満に気づかず、そのはけ口を子どもに求めよ
うとします。子どもを代理にして、自分の果たせなかった夢や希望を、子どもに果たさせようと
するわけです。しかしそんなことをしても、何ら解決しないばかりか、不完全燃焼の人生は、不
完全燃焼のまま終わってしまいます。

子どもにしても、それは負担になるだけ。あるいは子どもがあなたの期待に答えれば、それで
よし。しかしそうでなければ、(その可能性のほうが大きいのですが……)、かえってストレスが
たまるだけです。あるいはそれがわかるころになると、あなたも歳をとり、もうやり返しのできな
い状態になっているかもしれません。

 だから私は、「これはRYさん、あなた自身の問題だ」と言うのです。さあ、あなたも勇気を出し
て、その見本を、子どもに見せてやってください。

 「私は、自らの足で立ち、自分の思うままの人生を自分で考えて歩いているのよ。あんたたち
も、私に見習いなさい!」とです。それは、とっても、気持ちのよい世界ですよ。約束します。
(030625)

※「男は軍隊、女は家庭という、拘禁された環境の中で、虐待、そして心的外傷を経験する」
(J・ハーマン)。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

母親は、独裁者?

 母親と子どもの関係と、父親と子どもの関係は、決して対等ではない。あのフロイトも、そう言
っている。

 つまり母親と子どもの関係は、絶対的なものだが、父親と子どもの関係は、あくまでも「一し
ずく」。

 だから自分と父親との関係を疑う子どもはいくらでもいるが、自分と母親の関係を疑う子ども
はいない。子どもは、母親から生まれ、母親から乳を受け、「命」を与えられる。それが実感と
して、子どもの心の中に、残っている。

 しかし問題は、そういう関係にあるということではなく、そういう関係を、逆手に利用して、母親
が、子どもをしばるケースがあること。もっと深刻なケースとしては、虐待がある。

 子どもにすれば、父親に虐待されたようなときは、まだ母親のところに逃げることができる。し
かし母親に虐待されたようなときは、逃げ道そのものがない。行き場所がない。つまり絶体絶
命の状態になる。

 虐待といえば、虐待ということになるのかもしれない。こんなケースがある。

 K君(小一男児)は、この半年間、祖父母のところに遊びに行っていない。それまでは毎週の
ように、遊びに行っていた。車で、二〇分ほどのところに、祖父母は住んでいた。

 そこで私がK君に、「おじいちゃん、おばあちゃんのところへ、どうして行かなくなったの?」と
聞くと、「ママが、ダメって、言ったから」と。そこでさらに、「どうして?」と聞くと、「ママとおばあち
ゃんが、けんかしたから」と。

 わかりやすく言えば、K君の母親と、祖母がけんかした。そこでその腹いせに、母親は、祖母
と孫との関係を切った。「電話させない」「電話に出させない」「孫に会わせない」と。

私「おじいちゃんや、おばあちゃんは、さみしがっていないか?」
K「うん、さみしがっている」
私「君は、会いたくないのか?」
K「うん、会いたい。でも、ママがダメだって言うから……」と。

 もしK君が私の生徒なら、母親に何らかの説得を試みるということもできる。しかしそういう関
係でもなかった。私はこの話を聞いたとき、「いくら母親でも、そこまでする権利はあるのか」と
思った。

 しかし、そんな権利は、ない。その母親は、母親という、絶対的権利を、ふりかざして、子ども
を支配しているだけ。いわば、独裁者。K君にすれば、いくら横暴でも、母親に従うしかない。

 母親であることは、すばらしいこと。しかしその母親であることをいいことに、子どもに対して、
好き勝手なことをしてはいけない。だから、私は、このエッセーのタイトルをこうした。言葉は、
きついが、「母親は、独裁者?」と。つまりそういう言い方で、ともすれば暴走しがちな母親の横
暴に、ブレーキをかけたかった。

 この話を、ある懇談会で、一人の母親に話すと、その母親は、こう言った。

 「きっと、その母親にしてみれば、K君は、モノか財産のようなものなのですね。一人の人間と
して、K君を見ていない。K君が、かわいそうです」と。

 私も、その意見に、まったく同感だった。私の世界では、こういう愛を、代償的愛という。一
見、愛に見えるが、愛ではない。子どもを自分の支配下において、子どもを、自分の思いどお
りにしたいだけ。いわば子どもを、自分の不安や心配を解消するための道具として、利用す
る。子どもの心など、どこにもない。しかし代償的愛は、親として、もっとも警戒しなければなら
ない愛ということになる。さてさて、あなたはだいじょうぶか?
(030626)※


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***ミ☆川川川☆彡***
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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

殺される親

 三男が、今の大学をやめて、パイロットになりたいと言いだしたときのこと。私は内心では反
対だった。パイロットという職業が、悪いというのではない。しかしもし三男がパイロットになった
ら、これから先、飛行機事故のニュースを見聞きするたびに、私はハッとしなければならない。
その不安が、胸をふさいだ。が、三男は、会うと、こう言った。

 「パパ、ぼくの夢は、いつかパパを操縦席に乗せてあげること。そしてパパに、本物の操縦桿
(かん)を握らせてやること」と。

 この言葉に、私はあっけなく殺された。私の子ども時代の夢は、パイロットになることだった。
毎日、飛行機の本ばかり、読んでいた。小学生のとき、夏休みの自由研究は、すべて飛行機
に関するものだった。また、たまたま中学のときの国語の教師が、隼(はやぶさ)戦闘機の元
パイロット。私はその教師が、授業中脱線して、飛行機の話をしてくれるのを、何よりも楽しみ
にしていた。

 が、視力が落ちたことから、パイロットになるのはあきらめた。が、それで飛行機好きが消え
たわけではない。ラジコンの飛行機は、一通りした。模型も、無数、集めた。今は、パソコンで
フライトシミュレーターをするのが、日課的な趣味になっている。そういう私に、「操縦桿を握ら
せてやる」と。

 ホロリとした。そして一も二もなく、私は三男に、こう言った。「がんばれよ。応援するからな」
と。

 それでおしまい。殺されるということは、そういうことをいう。つまり私は三男の殺し文句に、殺
された。本当にあっけなく……。
 
 しかし子どもというのは、見ていないようで、その実、親の心を見ているもの。そういう私は、
親バカなのか。そのパイロットの試験が近づいてきた。本人は、どこか自信満々だが、私は
「?」と思っている。合格しても、不合格になっても、三男は、それで納得するだろう。私が学生
時代、納得したように……。親として、それ以上、何を望むことができるか。何ができるか。た
だただひたすら、三男を見守るだけ。
(030625)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
人生

人生は、先の見えない荒野を、
一人で、草をかき分けながら
進むようなもの。
どこにいるのかさえ、わからない。

それはきびしく、険しい道。
頼れるものは何もない。
そこにはいつも、ひょうひょうと
かわいた風が舞っている。

ふと振りかえると、
そこには一本の細い道。
あちこちで曲がりくねって、
より道ばかり。

進んだつもりが、またもとの道?
何かをしてきたようで、
残っているものが、何もない?
そんな道を見ながら、ただ、ため息。

その先に、ゴールはあるのか。
あるいはゴールはないのか。
それすらわからない。
しかし立ち止まることもできない。

今できることは、とにかく前に
足を踏みだすこと。
今できることは、とにかく懸命に、
草をかき分けてみること。

人生は、先の見えない荒野を、
一人で、草をかき分けながら
進むようなもの。
しかし、とにかく前に進むしかない。
迷っている時間は、もう、私にはない。
(030625)


    ▲   ▲
    ▲▼▼ ▼▼▲
   ▼  ▲◎▲  ▼
     ▲◎◎▲▲
    ▲  口  ▲
    ▼  口  ▼         何か、テーマがあれば、お寄せください。
       口         メールは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/   
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12・11 ……入野小学校
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・11 ……浜北市・内野小学校
10・ 4 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
9・20  ……名古屋市(詳細未定)
9・ 9  ……稲沢市(詳細未定)
9・ 8  ……名古屋市(詳細未定・名古屋駅前中小企業会館にて)
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
8・ 6  ……浜北市(詳細未定)
8・ 2  ……浜松市Iホール(静岡県教職員組合浜松支部研修会)
7・31  ……浜松市東部公民館
7・10  ……湖西市教育委員会・家庭学級講座
7・ 9  ……豊岡小学校
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・28  ……富塚中学校区(小学校)健全育成会
詳しい講演日時は、
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■7-5A

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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【幼児教室より】

 浜松地方の方言かもしれない。このあたりの子どもは、「同じ」と言うとき、「オンナジ」と、間
に「ン」を入れる。私は、ここに住むようになってから、そして今でも、この言い方には、どこか
違和感を覚える。

 言い忘れたが、今週は、「形」についての学習をした。いくつかの形を見せ、「どれとどれが同
じですか?」と聞く。子ども(年長児)は、「これと、これがオンナジ」と言って、指をさす。だから
私は、こう言った。

 「オンナジ、オンナジって、痔(じ)になるのは、女の人だけではないのだよ。男の人だって、痔
(じ)になるよ」と。

 こんなジョークを言っても、幼児にはわからない。こういうケースでは、自分だけが、つまりは
密(ひそ)かに楽しむために、そういうジョークを口にする。が、一人の女の子が、こう聞いた。

 「痔(じ)って、何?」と。

 私はこう言った。「ウンチが出る、出口のところに、スイッチができて、そのスイッチにウンチ
がさわると、ギャーと声が出るほど痛くなる病気だよ。女の人が痔になるから、オンナジかな」
と。

 この説明に、参観していた親たちが、腹をかかえて笑った。(子どもは、キョトンとしていた。)
すると別の子どもが、「じゃあ、先生、男の人が病気になると、オトコジ?」と。まじめな顔をして
いた。で、私は、「そうだ」と言った。

 で、形の学習が半分ほどすんだところで、私は粘土で四個のボールをつくり、それに四本の
棒をさした。四角をつくるためである。が、一個の粘土に、二本の棒をさしたところで、暑さで粘
土がゆるんでいたせいか、棒が、一本、フニャーと下へさがってしまった。それを見て、子ども
たちが笑った。で、その笑いが一瞬、やんだとき、私は、思わず、こうつぶやいてしまった。「元
気がないなア……」と。

 「しまった!」と思ったが、口から出た言葉は消せない。私は、とても参観している母親のほう
を見ることができなかった。下を向いてしまった。

 あとでワイフにこの話をすると、ワイフはこう言った。「あんたは、日ごろ、家でそんな話ばかり
しているから、そういうヒワイな言葉が出てくるのよ。気をつけなよ」と。

 ホント! しかし参観している母親たちの間からは、笑い声は聞こえなかった。きっとみなさ
ん、必死で笑うのをこらえていたのだろう。ごめんなさい。不謹慎な話で……。
(030626)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

木を描かせる

 一枚の紙を与えて、「大きな木を、できるだけていねいに、こまかく描いてね」と指示する。

 子どもの描いた木の絵を見て、子どもの心理や性格を知る方法は、今では、広く応用されて
いる。心理学のテキストにものっている。木の大きさ、形、葉の形、線の描き方、全体の構図を
見て、判断する。

【私の経験から】

 一枚の紙全体に、大きな木を描く子どもは、それだけ伸びやかとみる。心が萎縮している子
どもは、小さい。さらにそれが左隅(右利き児)に小さく描くようなら、性格が内閉しているとみ
る。右隅に小さく描くようなら、自信喪失の状態とみる。描くことに恐怖心を抱いている子ども
は、白い紙を前にして、手前に描こうとする。

 形については、親の影響が大きい。二〇〜三〇人に一人は、親が描く絵とまったく同じ絵を
描く。それだけ親子の密着度が高いということになる。(あらかじめ親が、子どものいないところ
で木を描き、あとで子どもの描いた木と比較してみると、それがわかる。)

 葉をみるとき、全体のやさしさ、こまかさ、線の流れをみる。このとき、あまり緻密な葉を、い
つまでも黙々と描くようなら、途中でやめさせたほうがよい。たとえば自閉傾向のある子ども
や、自閉症の初期症状の子どもなどは、小さな模様を、いつまでも黙々と描きつづける。中に
はぞっとするほど、緻密な絵を描く子どもがいるが、子どもの絵としては好ましくないことは、言
うまでもない。

 線については、子どものクセが大きく影響する。幼児は、ふつう曲線を描くのが苦手。だから
縦線、横線のみで木を描く子どもも、少なくない。そのとき、線の濃淡が大きく乱れる子ども
は、それだけ気分のムラのはげしい子どもとみる。(ただし、クセとして、濃淡が現れることもあ
るので、注意。たとえば右下がりの線は、太く、左上がりの線は細いというように。)

 全体の構図で注意するのは、「根元(幹)」部分。大きな木を描いたら、無意識のうちにも、子
どもは、太い根元を描く。知的能力のすぐれた子どもほど、無意識のうちにも、全体のバランス
を考えた絵を描く。そうでない子どもは、そうでない。中にときどき、植木鉢に入った木を描く子
どもがいる。都会のマンション住まいの子どもに、多い。

 こうした作画テストで注意しなければならないのは、子どもが、かりに心配な(?)絵を描いた
としても、その絵について、どうこう言ってはいけないということ。あくまでも子子どもの心の中を
のぞく、ひとつの手段として、利用する。「葉をもっと、こまかく描きなさい」「根元をもっと太くしな
さい」というような、指示を与えても、意味はない。
(030627)

      ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          
 \※/
  ‖
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞653
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++
こわい極端主義

 人類は過去、数一〇万年もの長い間、生きてきた。その間、親は代々、子どもを育ててき
た。その人類がいくら変わったといっても、ここ一〇〇年や二〇〇年の間に変わったと考える
ほうがおかしい。子育てもそうだ。いくら変わったといっても、ここ一〇〇年や二〇〇年の間に
変わったと考えるほうがおかしい。つまりもしだれかの子育て法をみて、「どこか不自然」と感じ
たら、その子育て法は疑ってみたほうがよい。

 たとえば少し前、Tヨットスクールという、これまたおかしな教育法を実践する団体があった。
当時の塾長は目下、刑事罰を受けているが、あれなどもその一例である。最近でも不登校児
やその親に向かって、はげしい罵声を浴びせかけて不登校をなおす(?)という人まで現れた。
私もその人の本を二冊読んでみたが、理論らしい理論がどこにもないのに驚いた。自身も非
行少女だったとかで、父親の目を盗んで車を無免許で運転していたとか……。そういうところ
から彼女の教育法を編み出した(?)ということらしいが、それ以上のことは書いてなかった。も
っとも私がもっている情報は、この二冊の本だけなので、ここでコメントすることはできない。ひ
ょっとしたら彼女の教育法は本当にすばらしい教育法なのかもしれない。あるいはそうでない
のかもしれない。しかしどこか不自然である。だいたいにおいて、「不登校をなおす」という言い
方がおかしい。不登校を悪と決めてかかっている。本当に不登校は、悪なのか? 正さなけれ
ばならないことなのか?

 話がそれそうなので、もとに戻すが、子育てで警戒しなければならないのが、極端主義であ
る。子育てというのは、どこか灰色のまま、何となくまあまあの状態でなされていくもの。白黒は
っきりさせるのも、ギスギスするのも、子育てではあまりよい結果は生まれない。そもそも人間
という生き物は、いいかげんな生き物なのだ。またそのいいかげんさがあるから、進化した。こ
こまで生き延びてくることができた。子どももまさにそうで、そのいいかげんさがあるから、その
中で羽をのばし、自分をのばすことができる。

 またまた話がそれそうなので、もとに戻す。要するに子育ては、『まじめ七割、いいかげんさ
三割』である。しかしこのことは別のところで書いたので、ここまでにしておく。

    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│ このマガジンが役立ちそうな人が
  ┃     ┃   ///─┘┤   いらっしゃれば、このマガジン
  ┃     ┃  刧凵^ | │  のことを話していただけませんか。
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

遊戯

 新しい教室に模様替えして、一か月。その教室の一角に、遊具テーブルを置いた。大きさ
は、縦1・8メートル、横2・7メートルほど。真っ白にペンキで塗り、その上にビニールカバーを
かけた。

 私はその遊具テーブル(勝手にそう呼んでいる)の上に、積み木、動物、自動車のおもちゃ、
自由素材玩具、ままごとセットなどを並べた。どれも、それぞれが小さな、子どもの手のひらサ
イズのもの。やがて教室へやってくる子どもたちは、レッスンの前に、その遊具で遊ぶようにな
った。

 最初は、子どもたちの発想に、驚いた。「よくもまあ、こんなことを考えつくものだ」と、しばしば
感心させられた。何がどうというのではない。毎回のように、おもしろいなと思いながら、それを
ながめていた。が、そのうち、興味深い事実に気づいた。

 一人、仲間に入れない子ども(小三男児)がいた。ほかの生徒と、打ちとけないというか、ほ
かの生徒が、近づいていかないというか。いつも黙々と教室へやってきては、また黙々と教室
から出ていくといったタイプの子どもだった。

 その子どもが、その遊具テーブルで遊び始めたとたん、様子が変わったのだ。何と、みなと、
笑いながら、遊んでいるではないか。見ると、その子どもは、人間の子どもの人形を寝させ、動
物たちが、その人間の子どもを食べているところを作っていた。テーマとしては、残酷なものだ
が、ほかの子どもと、キャッキャッと、笑いあっている!

 心理療法の一つとして、遊戯療法というのがある。児童中心遊戯療法を確立した、アクスライ
ンの遊戯療法などがよく知られている。自由におもちゃで遊ばせながら、その子どもの心を開
かせるという療法である。話には聞いていたが、しかしここまで効果があるとは! 回を重ねる
ごとに、その子どもの表情が、みちがえるほど、明るくなっていった。たった一か月の間に!

 子どもは、(そしておとなも)、無心に遊ぶことで、心を解放させる。そのとき、おもちゃという
素材は、子どもをさらに童心に返す作用がある? それもそのはず。おもちゃに、悪いイメージ
をもっている子どもは、まずいない。そういう思いが、心を開かせる。

 これから先、もう少し様子を見てみるが、しかしこの遊具テーブルには、不思議な力がある。
魔法の力かもしれない。当初はあまり深く考えないで置いたテーブルだが、このところ、あれこ
れ、その意味を考えるようになった。いつか近く、もう少し、この遊具テーブルについて報告で
きることを願っている。
(030628)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

適応障害

 子どもは、精神的な緊張感に、たいへんもろい。ほんの数分、緊張しただけで、精神的に疲
れる子どもはいくらでもいる。敏感傾向、過敏傾向の強い子どもほど、そうである。昔は、この
タイプの子どもを、「神経質な子ども」と言った。

 こうした緊張感に対する抵抗力には、そんなわけで、個人差がある。だから「ふつうは……」
とか、「よその子は……」という言い方で、自分の子どもを判断するのは、正しくない。あくまで
も、その子どもをみて、判断する。

 こうした緊張感、つまり心的ストレスに対して、子どもは、それに適応しようとする。これを心
理学では、ズバリ、「適応」という。そしてそのまま適応できればよし、それができないとき、子ど
もは、それと戦おうとする。これを「心を防衛する」という意味で、防衛機制という。

 この防衛機制の方法と、中身は、それこそ千差万別で、定型がない。それについては、また
別の機会に説明するとして、この防衛機制をもってしても、対処しきれないときがある。そして
子どもは、そのまま不適応症状を示すようになる。一般的には、神経症による症状(これも千
差万別で、定型がない。腹痛、頭痛、脚痛、爪かみ、ものいじりなど)を示すようになる。が、さ
らにそれが高じると、情緒不安、精神不安を引き起こす。

 こうした一連の不適応症状が、こじれ、「障害」と言えるほどまでになった状態を、「適応障
害」という。よく知られた例では、不登校や引きこもりがある。「障害」という言葉を使うことに
は、大きな抵抗を感ずるが、一般社会では、そうなっている。

 大切なことは、それぞれの段階で、つぎの段階に進まないように、いかにそれに気づき、そ
れを予防するかということ。しかしこれがむずかしい。たいていの親は、そういう兆候があって
も、それに気づかない。気づいても、その段階で、それをなおそうとして無理をする。症状その
ものをこじらせてしまう。しかし「なおすべき」は、子どもではなく、親自身である。

 さらに子どもに何か問題が起きると、親は、その状態を「最悪」と思う。しかしその「最悪」の
下には、さらに「最悪」がある。これを二番底という。さらにその底がある。これを三番底とい
う。そういう底に、つぎつぎと落ちながら、やがて行きつくところまで、行く。

 その途中で、私のような立場にあるものが、「お母さん、気をつけなさいよ」とアドバイスして
も、ムダ。今まで、それで気づいた親は、残念ながら、一人もいない。何百例と、子どもたちを
見てきたが、本当に、ゼロ! たいていの親は、「まさか、うちの子にかぎって……」「そんなは
ずはない」と、それを払いのけてしまう。これはもう、子育てにまつわる宿命のようなものかもし
れない。

 適応障害の話が、少し脱線してしまったが、適応障害を起こしたからといって、子どもを叱っ
ても意味はない。説得しても意味はない。もっと言えば、なおそうとしてなおる問題ではない。問
題の「根」は、子どもにあるというより、子どもを包む環境にある。だから子どものほうだけを向
いて、子どもをなおそうとしても、ムダ……ということになる。

 また適応障害を起こしたからといって、それはそれでしかたのないことではないか。私もとき
どき東京へ仕事で行くが、あの東京がもつ雑踏には、いまだに体をならすことができない。い
わば私が、東京に対して適応障害を起こしているわけだが、もしそういう私をおかしいという人
がいたら、私はこう言う。「君たちのほうが、おかしい」と。

 適応障害について少し、考えてみた。
(030627)

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***ミ☆川川川☆彡***
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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ショーペンハウエルの「二匹のヤマアラシ」論(2)

 寒い夜だった。二匹のヤマアラシは、たがいに寄り添って、体を温めようとした。しかしくっつ
きすぎると、たがいのハリで相手の体を傷つけてしまう。しかし離れすぎると、体が暖まらない。
そこで二匹のヤマアラシは、一晩中、つかず離れずを繰りかえしながら、ほどよいところで、体
を暖めあった。

 これがショーペンハウエルの「二匹のヤマアラシ」である。人間関係をうまく結べない人は、孤
独と接近、この二つを周期的に繰りかえす。つまり孤独になるから、急激かつ濃密に、他人と
の接触を試みる。しかしそれをすると疲れてしまうので、今度は、急速に人との接触を避けるよ
うになる。そして孤独になる。これを繰りかえす。

 Kさん(三九歳女性)が、そういう人だった。最初に相談があったのは、夫のほうからだった。
「妻の様子がおかしい」と。

 私は育児ノイローゼと判断したが、しかしこれは診断名ではない。またこういう診断名らしきも
のを口にするのは、私の世界では許されない。そのときの様子を書いたのが、つぎの原稿(中
日新聞発表済み)である。ただ、こうした原稿の性格として、事実を、そのまま正確に書くことは
許されない。そのため、内容的に、少し矛盾するところがあるかもしれないが、それは許してほ
しい。

+++++++++++++++++

母親が育児ノイローゼになるとき

●頭の中で数字が乱舞した    
 それはささいな事故で始まった。まず、バスを乗り過ごしてしまった。保育園へ上の子ども(四
歳児)を連れていくとちゅうのできごとだった。次に風呂にお湯を入れていたときのことだった。
気がついてみると、バスタブから湯がザーザーとあふれていた。しかも熱湯。すんでのところ
で、下の子ども(二歳児)が、大やけどを負うところだった。次に店にやってきた客へのつり銭
をまちがえた。何度レジをたたいても、指がうまく動かなかった。あせればあせるほど、頭の中
で数字が勝手に乱舞し、わけがわからなくなってしまった。

●「どうしたらいいでしょうか」
 Kさん(母親、三六歳)は、育児ノイローゼになっていた。もし病院で診察を受けたら、うつ病と
診断されたかもしれない。しかしKさんは病院へは行かなかった。子どもを保育園へ預けたあ
と、昼間は一番奥の部屋で、カーテンをしめたまま、引きこもるようになった。食事の用意は何
とかしたが、そういう状態では、満足な料理はできなかった。そういうKさんを、夫は「だらしな
い」とか、「お前は、なまけ病だ」とか言って責めた。昔からの米屋だったが、店の経営はKさん
に任せ、夫は、宅配便会社で夜勤の仕事をしていた。

 そのKさん。私に会うと、いきなり快活な声で話しかけてきた。「先生、先日は通りで会ったの
に、あいさつもしなくてごめんなさい」と。私には思い当たることがなかったので、「ハア……、別
に気にしませんでした」と言ったが、今度は態度を一変させて、さめざめと泣き始めた。そして
こう言った。「先生、私、疲れました。子育てを続ける自信がありません。どうしたらいいでしょう
か」と。冒頭に書いた話は、そのときKさんが話してくれたことである。

●育児ノイローゼ
 育児ノイローゼの特徴としては、次のようなものがある。

(1)生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞、
(2)思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低
下)、
(3)精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、
日常活動への興味の喪失)、
(4)睡眠障害(早朝覚醒に不眠)など。さらにその状態が進むと、Kさんのように、
(5)風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)、
(6)ムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)、
(7)ささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)、
(8)同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロールができなく
なる(感情障害)、
(9)他人との接触を嫌う(回避性障害)、
(10)過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる、
(11)また必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。

こうした兆候が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながること
も珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。

●夫の理解と協力が不可欠
 ただこうした症状が母親に表れても、母親本人がそれに気づくということは、ほとんどない。
脳の中枢部分が変調をきたすため、本人はそういう状態になりながらも、「私はふつう」と思い
込む。あるいは症状を指摘したりすると、かえってそのことを苦にして、症状が重くなってしまっ
たり、さらにひどくなると、冷静な会話そのものができなくなってしまうこともある。Kさんのケー
スでも、私は慰め役に回るだけで、それ以上、何も話すことができなかった。

 そこで重要なのが、まわりにいる人、なかんずく夫の理解と協力ということになる。Kさんも、
子育てはすべてKさんに任され、夫は育児にはまったくと言ってよいほど、無関心であった。そ
れではいけない。子育ては重労働だ。私は、Kさんの夫に手紙を書くことにした。この原稿は、
そのときの手紙をまとめたものである。

++++++++++++++++++++++++

 このKさんについて、ほかにもいくつかの気になる症状があった。夫は、私に、つぎのようなこ
とを話してくれた。

(1)Kさんは、気分がよいときには、必要以上に多い料理を、つぎからつぎへと作り、近所に配
ってまわる。しかし近所の人は、どちらかというと、それを迷惑に思っているようだ。が、Kさん
には、それがわからない。そこで夫が「そういうことはしないほうがいい」と言うと、「みんなは、
喜んでいる」と猛反発する。(躁状態になりやすい?)

(2)一度、友人に頼まれたこともあり、Kさんは、市内のデパートで、アルバイトをしたことがあ
る。しかしたった二週間で、上司とけんかしてしまい、そのアルバイトをやめてしまった。態度が
横柄で、接客マナーが悪かったからというのが、その理由だった。(激怒しやすい?)

(3)小学生の子ども(四年男児と一年男児)がいるが、Kさんは、いつも大声で怒鳴ってばかり
いる。漢字の書き方が少し雑だと、全部、消しゴムで消させてから書きなおさせるという。夫は
「いちいち消さなくても、新しいページにまた書けばいい」と言うのだが、Kさんは納得しない。
(完ぺき主義?)

(4)裏庭の小さな空き地に、もの置き小屋を建てた。しかし一か月もすると、雨で地盤がゆる
み、小屋が少し傾いた。そのときのこと。Kさんは、工事を請け負った業者に、毎日のように電
話をかけたり、その会社に、怒鳴り込んでいったりしたという。「ふつうの怒鳴り方ではなかっ
た。顔つきそのものまで、変わっていた」と、その業者の人は言った、など。

こうした症状が、どういう病気であるかはさておき、私が一番気になったのは、Kさん自身が、
そういう自分に気づいているかどうかということ。こういうのを「病識」という。病識があれば、ま
だ改善しやすい。しかしその病識がないと、改善は、望みようがない。「自分は、まとも」と思い
こんでしまう。

 が、Kさんには、その病識がなかった。ものの考え方が自己中心的である分だけ、他人の話
に耳を傾けない。見るに見かねたKさんの夫の両親、つまり義父母が、一度、精神科のドクタ
ーに相談してみたらと声をかけたことがある。が、Kさんは、「私は何ともない」と、最後までが
んばり、結局、病院へは行かなかったという。

 で、今はどうかいうと、先の原稿を書いてから、もう四、五年になるが、状態は、何も変わって
いない。ワイフと、近い関係にある人なので、それなりの交際はしているが、本音を言えば、私
自身はつきあいたくない。その人がヤマアラシになるのは、その人の勝手だが、それに振り回
される周囲の人には、Kさんのような人は、迷惑でしかない。
(030626)

【追記】
 自分を知ることは、本当にむずかしい。だれしも、ここでいうヤマアラシ的な部分はある。問
題は、そういう部分があるということではなく、そういう部分があることに気づかないまま、それ
に振り回されること。そしていつの間にか、周囲の人たちに迷惑をかけてしまうこと。

 孤独な人は多い。「私は孤独」と思っている人も多い。しかしそうした孤独というのは、結局
は、自分で、自ら作り出しているもの。つまり「孤独である」という状態は、あくまでも症状にすぎ
ない。もっとわかりやすく言えば、孤独と戦う方法があるとすれば、自分の中にその原因を求
め、その原因と戦うということになる。

 ここにあげたKさんも、さかんに「私はさみしい」と言っていた。しかしなぜそうなのか。Kさん
が、それに気づくことは、ここしばらくはないだろう。

【追記(2)】
 このKさんについて言うなら、Kさんは、独特の価値観をもっているのがわかる。「信じられる
のは、お金だけ」というような考え方をする。お金への執着心が強い。具体的に、こんな話を聞
いた。

 ある日、銀行へ行くと、夫名義の定期預金があるのを知った。夫の両親が、夫名義で、銀行
へ預けておいた定期預金である。つまりそれは夫の両親の貯金だった。しかもその定期預金
は、Kさんが結婚する前に、夫の両親が、銀行へ預けたものだった。

 しかしKさんは、「その定期預金は、私のもの」と主張して、がんとして譲らなかったという。こ
の話に、夫の母親、つまりKさんの義母が激怒した。こうしてKさんは、義父母すら敵に回してし
まった。

【追記(3)】
 こうして考えてみると、「孤独な人」「心の開けない人」「友だちのいない人」「信じられるのは、
お金やモノだけという人」「お金やモノに、執着する人」「疑り深く、嫉妬深い人」というのは、どこ
かで一連性をもっているのがわかる。しかしそういう人にかぎって、自分がそうであることに気
づかない。「他人も私と同じ」と考えることで、ますます人間不信の世界に入っていく。あとは、こ
の悪循環。

 言いかえると、「孤独である」というのは、その人の心の問題というよりは、その人の生きザマ
の問題。生きザマに問題があって、その人は孤独になる。だから私は、ここに書いたように、
「孤独というのは、結局は、自分で、自ら作り出しているもの」という考え方にたどりついた。

 だから孤独自体と戦っても、意味はない。よく、孤独になると、酒を飲んだり、皆と騒いだりす
る人がいる。しかしこういう方法では、孤独とは戦えない。気を紛らわすことはできても、孤独感
そのものは、消えない。

もし孤独を感ずるなら、あなたの生きザマそのものに、原因を求める。私のアメリカ人の友人
の、RK氏(六〇歳)は、いつもこう言っていた。「ヒロシ、真の財産は、お金ではない。友だちの
数だよ」と。私は彼の言葉の中に一つのヒントがあると思うが、しかしまだ、この先のことは、よ
くわからない。私自身、自分の感ずる孤独を、いまだにどうしようもないでいる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

生きているだけでいい……

 A市に住んでいるBさんという女性の方から、メールをもらった。A市でした、私の講演会に来
てくれた人だという。そのメールの最後には、こうあった。「生きているだけでいいという言葉
が、耳に残っています」と。私はその講演の中で、奇跡的に助かった二男のことを話した。それ
で「二男にも、いろいろ問題はあったが、そのつど、『こいつは生きているだけでいい』と思うこ
とで、乗り越えてきた」と話した。

 Aさんは、メールの中で、Aさんの実姉が重度の心身症になって、精神をわずらったこと。いと
この子どもが、脳炎をして、脳のかなりの部分がダメージを受けたことなどを書いてきた。そし
て「自分の子どもたちのことが心配です」と。

 講演をしていて、もっとも注意しなければならないのは、聞きにきてくれた人に、最後には安
心感を与えなければならないということ。二階の屋根にのぼった人から、はしごをはずしてしま
うようなことだけは、絶対にしてはならない。が、A市の講演会では、そのはしごを、はずすよう
なことをしてしまったようだ。自分でも、それがわかっている。

 私は、その講演会で、自分の過去がいかに、現在の自分に大きな影響を与えているかという
こと。そして、しかし、いかに過去に問題があったとしても、(問題のなかった人など、いな
い!)、重要なことは、そのことではなく、そういう問題があることに気づかないまま、それに振
りまわされることだと、話した。

 ここまでは、講演会で話したが、実は、そのつづきを忘れてしまった。時間が足りなかったこ
ともある。私はつぎのようにしめくくるつもりだった。

 こうした問題は、そういう問題があることに気づくだけでも、そのほとんどが解決したとみる。
つまり自分を知ることで、問題を解決する。ジークムント・フロイトの時代から、精神分析という
のは、そういう意味で利用されてきた。だからBさんについて言うなら、「心配はない」ということ
になる。Bさんは、すでに自分の過去を冷静に見ている!

 その上で、Bさんのいとこの子どもについて考える。メールには、「見舞いに行くと、いとこは
泣いていた」とあった。

 こういうケースでは、私としては、まったくの無力でしかない。それはBさんにしても、同じだろ
う。つらいとか、つらくないとか、そういうレベルの話ではない。またBさんのいとこには、どんな
慰めの言葉も、空々しく聞こえるだろう。またどんな努力をしても、Bさんのいとこの心を、慰め
ることはできない。つまり私たちは、いつもこうした限界状況の中で生きている。自分に対して
も、そして他人に対しても……。

 「生きているだけでいい……」というのは、しかし、決して、あきらめろという意味ではない。そ
うではなくて、子どもにどんな問題があっても、また起きても、それはそのまま、あなた自身のこ
ととして、受け入れ、許して、忘れてしまえということ。もっと言えば、子育てで行きづまったら、
子どもは、「生きている」という原点からみる。そうすれば……という言い方も、今のBさんのい
とこには、失礼な言い方になるかもしれないが、子育てにまつわる、あらゆる問題は、解決す
る。

 しかしこれだけは言える。私は、人間が本来的にもっている「善なる心」を信じている。どんな
人でも、基本的には、善人なのだ。だからあなたは、決して自分ひとりだと思ってはいけない。
自分ひとりだけが、不幸で、問題があると思ってはいけない。どの人も、あなたの立場で、あな
たの問題を共有し、そして悲しんでいる。ここでいうBさんのいとこについても、そのいとこの悲
しみや苦しみは、すべて私たちの悲しみであり、苦しみなのだ。

 そういう意味では、「生きているだけでいい」という言葉には、「生きていることを、もっと率直
に喜ぼう」という意味が含まれる。繰りかえすが、決して「あきらめろ」ということではない。
(030627)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

私の人生

 ときどき、ワイフとこんな話をする。「ぼくたちの人生は、こんなものだったね」と。するとワイフ
も、「そうね」と。

 私のばあい、結局は、たいしたことはできなかった。全体としてみれば、平凡な人生だった。
ワイフは、よく、「あんたの人生は、非凡よ」と言うが、私は、そうは思っていない。どこまでも平
凡だった。

 ただ、だれにというわけではないが、感謝しているのは、今まで、ずっと健康だったこと。それ
にお金には、それほど不自由しなかったこと。……というより、いつも収入以下の生活を、旨
(むね)としてきた。そういう意味では、ワイフも私も、質素な生活にこころがけてきた。

 おそらく今が、人生で、頂点ではないか。あるいは、もうくだり坂? 来年の生活が、今年より
よくなることは、考えられない。さ来年となると、さらにそうだ。このところ、体力や気力が、急速
に衰えていくのが、自分でもよくわかる。

 たとえば今、ほとんど一日おきに、電子マガジンを発行している。読者の方は、その分量につ
いて、「多すぎる」と言う。たしかに多い。ワイフですら、「多すぎる」と言う。しかし私としては、今
のうちにできるだけ書いておきたいと思う。来年になったら、もう書けないかもしれない。読者の
方には申し訳ないが、今しばらく、がまんしてほしい。そのうち、A四で数ページの、つまりは標
準的な、マガジンになると思う。

 とにかくそれを一〇〇〇号までつづけること。そのとき読者が、私のワイフ一人になっていて
も、それはそれでかまわない。一〇〇〇号までマガジンを出すということは、私自身への挑戦
なのだ。しかも、発行する分量を減らさないことによって、今の生活を、来年も同じようにつづけ
ることができる。来年が、よりよくなることはないにしても、今年よりは悪くしたくない。

 が、それでも、やがて私の人生は、終わる。そしてこれから先、どんなにあがいても、死ぬと
きになれば、やはり、「ぼくたちの人生は、こんなものだったね」と言うにちがいない。だからどう
したらよいのかは、私にはわからないが、ともかくも、今できることを、今、するしかない。何の
ために? どうして? ……それはわからないが、ともかくも、先に進んでみるしかない。

私「この先も、今のままだろうか」
ワ「ぜいたく言っちゃ、いけないわ」
私「どうして?」
ワ「今のままの状態が保てれば、すてきじゃない」
私「そうだな。これからは、そういう人生になるかな」
ワ「そうよ」と。
(030627)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

携帯電話

 教室の掃除をしていると、そこに携帯電話が落ちているのを知った。最近の子どもたちは、
みな、携帯電話をもっている。小学生でも、約半数がもっている。私はあまり考えないで、その
携帯電話を、「忘れものカゴ」に入れた。子どもたちの忘れものは、そのカゴに入れるようにし
ている。

 携帯電話といえば、大切なもの。そのうち、忘れた子どもから連絡があるだろうと思ってい
た。が、二日たっても、三日たっても、連絡はなかった。携帯電話を見てみたが、名前らしきも
のはない。が、四日、五日とたつと、さすがに心配になる。……になった。

 私は電話は、あまり好きではない。……と言うより、嫌い。何の前ぶれもなく、ズカズカと、家
の一番奥まで、入ってくる。しかも大半が、何かの勧誘だったり、宣伝だったりする。いわん
や、携帯電話を、や。かつて二度ほど、購入したことがあるが、すぐ息子たちにやってしまっ
た。

 そこで私は、張り紙をした。「携帯電話を預かっています。忘れた人は、取りにくるように」と。

 しかし一週間たっても、だれも来なかった。だからそのつど、子どもたちに聞いた。「携帯電
話を忘れた人はいませんか」と。しかしみな、「ちがう」と言った。参観にきた母親のものかもし
れない。そこで参観にやってくる母親それぞれに、「あなたのではないですか?」と聞いた。しか
しみな、「いいえ」と言った。

 私はそんなわけで、携帯電話の使い方を、ほとんど知らない。受話器をあげた絵をクリックし
て、そのあと電話番号を入れればつながるという程度のことは知っている。しかしそこまで。最
近の携帯電話は、機能が多い分だけ、複雑。機械いじりは嫌いではないが、しかし携帯電話
のことは知らない。

 そうして三週間が過ぎた。で、その携帯電話を見ながら、こう考えた。「電話番号が登録して
あるはず。だったら、その番号に電話をかけてみればいい」と。そこで改めて、その携帯電話
を手に取り、フタをあけてみた。きれいな映像がそこに映っていた。「最近の携帯電話は性能
がよさそうだ」と思った。が、どこか、おかしい?

 そこであちこちを押してみた。が、まったく反応がない。ダイアルも押してみた。横のボタンも
押してみた。しかしまったく反応がない。で、裏ブタをあけようとした。が、その裏ブタは、固定さ
れたまま、これまた反応がない。そこではじめて、私は、気がついた。「おもちゃだ」と。

 そう、その携帯電話は、携帯電話店で見本として並べてある、ダミーのおもちゃだった。とた
ん、私は、どこかがっくりとした。「ナーンダ!」と。

 そのあとしばらくして、私は、ますます携帯電話が嫌いになった。もちろんその携帯電話は、
今度は、そのままゴミ箱に捨てた。
(030627)
     ▲   ▲
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    ▼  口  ▼         何か、テーマがあれば、お寄せください。
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【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・11 ……浜北市・内野小学校
10・ 4 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
9・20  ……名古屋市(詳細未定)
9・ 9  ……稲沢市(詳細未定)
9・ 8  ……名古屋市(詳細未定・名古屋駅前中小企業会館にて)
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
8・ 6  ……浜北市(詳細未定)
8・ 2  ……浜松市Iホール(静岡県教職員組合浜松支部研修会)
7・31  ……浜松市東部公民館
7・10  ……湖西市教育委員会・家庭学級講座
7・ 9  ……豊岡小学校
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・28  ……富塚中学校区(小学校)健全育成会
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■7-7-1

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【名古屋市周辺のみなさんへ……】
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9・ 9  ……愛知県稲沢市福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
   午前10:00〜より、聴講問い合わせなど……052−524−6665まで
  今日のメニュー
【1】子育てポイント
   【2】Touch your Heart
      【3】子育てエッセー
        【4】フォーラム
       _
    _/ ̄/
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  ̄\_ \__――――_\
    \/        ̄
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

日本語

 若い人が発行している電子マガジンを、いくつか購入している。これが結構おもしろい。内容
もさることながら、日本語がおもしろい。少し、まねてみる。これからは、こういう日本語になる
のかもしれない。

++++++++++++++++++

 これから、洗濯機の掃除、つうか、清掃。
 オーストラリアの友人夫妻が、長期滞在すんので、
 山荘のほうに、一台、置いとこって、感じ。
 で、自宅にも一台、ほし〜ぃ。
 て、言ったのは、ワイフさま。で、もう一台、
 近くのスーパーで、買ってきた。
 値段は、二万八〇〇〇円。
 五キロで、この安さ。
 信じられな〜ぃ。
 もう少し安いのもあったけど、韓国製。
 韓国、がんばってのね。
 しかし、どこか心配。
 やっぱ、電気製品は、日本製にかぎるよね、ホント。

 で、問題は、どうやって、山荘まで、運ぶかっていうこと。きぃい!
 軽のバンがあるから、それで行こ。
 しかし今朝の天気、ホントにさわやか。
 気持い〜ぃ。
 しかしどこかフラフラすんの。
 三半規管が、どこか不調?
 よく寝たのに、まだ眠い?
 あくびばかり、出んの。
 朝ごはんを食べて、お茶飲んで、
 それから一休みして、行動開始。

+++++++++++++++++++++

 しかしこの日本語、おかしいと思う前に、正直言って、楽しい。この日本語で、一つ、子育てエ
ッセーを書いてみることにする。どんなエッセーになることやら……? つぎのエッセーが、そ
れ。

+++++++++++++++++++++

●父親の役割

そもそも、父親像のない父親に、父親らしくしろって、言っても、ムリなんの。
あまりムリすると、父親だって、自己否定になるわさ。
だって、そうだろ。みんながよってたかって、「あんたは、父親らしくないわさ」なんて言われて
さ、気持いいはずねえもんね。

役割形成っていう言葉を、知ってるか? 人間っていうのはさ、長〜〜〜〜〜ぃ時間かけてさ、
自分らしい自分をつくっていくというわけ。わかりやすい例で言うとさ、男が男らしくなるのは、こ
の役割形成という作用によるもの。わかる?
女だって、そう。ほとんどは、見ようみまねで、男は、男に、女は、女に、なるっていうわけ。つう
か、そういうふうに、仕立てられていくって、いうわけ。
こういうのを、観察学習っていうわけ。知ってた?

わかりやすく言うとさ、自分が、その父親に授業参観してもらったことがない父親に、「参観日
に出てきなさい」と言ってもさ、ストレスがたまるだけ、っていうこと。炊事や洗濯をしたことがな
い父親に、「家事を手伝え」と言っても、ストレスがたまるだけ。わかる、この気持?

しかしさ、その程度では、すまないの。「あんたはダメ」と、あんまり父親を責めると、父親だっ
て、自己否定の世界に陥ってしまうよ。こういうのを、役割混乱と、いうわけ。これがこわいよ。
きぃい!

わかりやすく言うとね、トラックの運転手に、リカちゃんの洋服を着せるようなもの。「あんたの
服装、ダサいから、今度、この洋服にしな」と言われても、困るでしょ。役割混乱を起こすと、人
間っていうのは、情緒がたいへん不安定になるの。もちろん自信喪失にもなるけどさ。

だからあんま、父親に、あれこれ言わないほうが、いいよ。やめときな。どうせ、ムリだもんね。
そういうもの。人間って、いうのはさ。

そのかわり、各論のほうから、少しずつ、攻めるのがいいよ。たとえば、さ、何か、子育てらしき
ことをしたらさ、「パパ、なかなか、やるじゃん」とか、何とか言って、おだててさ、そういうこと。

あんたの夫は、夫。どうせ、簡単にはなおらね〜〜〜〜〜よ。だったらさ、あきらめな。あきら
めて、つぎの世代に、望みを託しな。そのほぉが、いいよ。わかりやすいし、さ。

ほほほ。ケツロンを言えば、そういうこと。わかった?
(030629)

      ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          
 \※/
  ‖
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞653
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

寸劇指導法

 具体性をともなわない指示は、子どもには意味がない。よい例が「友だちと仲よくするのです
よ」とか、「先生の話をよく聞くのですよ」とかなど。こういうことを言っても、言う親の気休め程度
の意味しかない。こういうときは、たとえば「これを○○君にもっていってあげてね。○○君は喜
ぶわ」とか、「今日、学校から帰ってきたら、終わりの会で先生が何と言ったか、あとでママに話
してね」と言いかえる。「交通事故に気をつけるのですよ」というのもそうだ。

 交通事故について話す前に、こんな例がある。その子ども(年長男児)は何度言っても、下水
溝の中に入って遊ぶのをやめなかった。母親が「汚いからダメ」と言っても、効果がなかった。
そこでその母親は、家庭排水がどこをどう通って、その下水溝に流れるかを説明した。近所の
家からはトイレの汚水も流れこんでいることを、順に歩きながらも見せた。子どもは相当ショッ
クを受けたようだったが、その日からその子どもは下水溝では遊ばなくなった。

 交通事故については、一度、寸劇をしてみせるとよい。私も授業の中で、ときどきこの寸劇を
してみせる。ダンボールで車をつくり、交通事故のありさまを迫真の演技でしてみせるのであ
る。……車がやってくる。子どもが角から飛び出す。車が子どもをはね飛ばす。子どもが苦し
みながら、あたりをころげまわる……と。気の弱い子どもだと、「こわい」と泣き出すかもしれな
いが、子どもの命を守るためと考えて、決して手を抜いてはいけない。迫真の演技であればあ
るほど、よい。たいてい一回の演技で、子どもはこりてしまい、以後道路へは飛び出さなくな
る。

 もしあなたの子どもが、何度注意しても同じ失敗を繰り返すというのであれば、一度、この寸
劇法を試してみるとよい。具体的であるがために、説得力もあり、子どももそれで納得する。

    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│ このマガジンが役立ちそうな人が
  ┃     ┃   ///─┘┤   いらっしゃれば、このマガジン
  ┃     ┃  刧凵^ | │  のことを話していただけませんか。
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

内向的性格VS外向的性格

 よく「あの人は、内向的」とか、「あの人は外向的(外交的)」とか、言う。しかし幼児教育の世
界では、少し、違った意味でこれらの言葉を用いる(D・A・レアードほか)。

 内向的というのは、自分がもつ生命力を、自分に向けて攻撃的になること。外向的というの
は、他者(環境)に向けて攻撃的なることをいう。たとえば何かの失敗をしたとする。そのとき、
絶望感を覚え、極度の不安状態になるのは、内向的。反対に、失敗を恐れたり、他人の目を
気にしたりすることなく、他者に向って挑戦的になるのを、外向的という。外向性が強すぎると、
それが非行や犯罪に結びつくこともある。

【内向的なA君(中一男子)】

 A君が、ある日、こう言った。「今度、テストがあるから心配です」と。A君は、だれに対してもて
いねいな言葉づかいをした。「いつのテスト?」と聞くと、「九月の、夏休みあけのテストです」
と。そこで私が、「まだ二か月もあるじゃない」と驚くと、彼もまた、「たった二か月しかない……」
と言って、驚いた。

 A君は、いつも何かにおびえていた。時間に追われていた。一見、おだやかな表情をしてい
たが、どこかせっかちで、結果がすぐ現れないと、「失敗した」とか、「ぼくはやっぱりダメだ」と
か、言った。

【外向的なB君(中一男子)】

 B君は、幼児のときから、大の祭り好きで、祭りが近づくと、ときにはおとなたちにまじって、夜
遅くまで騒いでいたという。その傾向は、大きくなるにつれて、ますます強くなった。空手道場に
通うようになるころから、腕力に自信をもったのか、友だちを、暴力や暴言で、威圧するように
なった。B君が小学三年生のときだった。

 そんなB君が、飲酒で補導されたのは、小学六年のときのこと。補導した指導員は、小学生
だとは思わなかったという。B君は、ませた態度で、おとなびたものの言い方をしていた。今は
中学一年生だが、学校では、番長として、だれにも恐れられているという。

 一般論として、どんな人にも、内向的な面と、外向的な面があるとされる。つまり自分の中
で、バランスをとりながら生活している。あるいは日によって、内向的になったり、今度はその
反動として、外向的になったりする。落ちこむときもあれば、反対に、自信過剰になるときもあ
る。

 が、全体としてみると、子どもは思春期を迎えると、外向的になる。情緒も不安定になる。
が、その時期を過ぎると、今度は、反対に内向的になり、「自分」というものを、考え始める。

 要は、極端にならなければよいということ。極端に内向的になれば、いろいろな神経症を引き
起こす。反対に、極端に外向的になると、先にも書いたように、非行や犯罪を引き起こす。そこ
であなたの子どものチェックテスト。

【あなたの子どもは、内向的? それとも外向的?】

●つぎの項目のうち、五つ以上思い当たれば、あなたの子どもは、内向的ということになる。

(1)何かにつけて、クヨクヨと悩みやすい。
(2)決断力がなく、グズグズしやすい。
(3)指しゃぶり、チック、髪いじり、吃音(どもり)など、神経症による症状がある。
(4)どこでもまじめ風。よくできた子という印象を与える。
(5)外の世界で、子どもらしい、ハツラツさに欠ける。
(6)手洗いぐせ、恐怖症など、強迫観念をもちやすい。
(7)みんなとワイワイ騒ぐより、ひとり静かにしているほうを好む。
(8)感覚が繊細で、神経づかれを起こしやすい。
(9)よくあせったり、不安になったりする。心配性。
(10)何でも完ぺきでないと、気がすまないタイプ。

●つぎの項目のうち、五つ以上思い当たれば、あなたの子どもは、外向的ということになる。

(1)態度が横柄で、言動が荒い。存在感がある。
(2)行動してから考えるタイプで、失敗も多い。猪突猛進型。
(3)こまかいことを気にしない。そのため、他人の心に鈍感。
(4)友だちとよく口論したり、けんかする。暴力も振るう。
(5)言いたいことを言い、したいことをする。
(6)全体に伸び伸びとしていて、グループ行動を好む。
(7)約束が守れない。規則が守れない。どこかズボラ。
(8)わがままで、自分勝手なところがある。
(9)自分の思いどおりにならないと、かんしゃくを起こしやすい。
(10)暴力に対して抵抗がない。殴る、蹴るが日常化している。

 内向的であるにせよ、外向的にあるにせよ、それが子どもの性質と思い、「なおそう」と考え
てはいけない。ここにも書いたように、それがどちらであるにせよ、それはそれとして、認めたう
えで、子育てを組みたてる。いじればいじるほど、子どもの自我は混乱し、自我の形成が遅れ
る。自信喪失から、自己否定に走ることもある。
(030629)

 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
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     Y☆Y
     〓〓〓      
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     ̄Π ̄Π ̄ 
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

タイタニック

 昨夜(前編)と、今夜(後編)、二晩つづけて、テレビで映画「タイタニック」を見た。しかしあの
映画は、いつ見ても、また何度見ても、泣ける。どういうわけだか、泣ける。このところ、何かに
つけて、私は、涙もろくなった。本当に、涙もろくなった。

 青春が、人生の入り口というのは、ウソ。青春は、人生そのもの。それからあとの人生は、い
くらあがいても、その残り火のようなもの。いくらがんばっても、またいくら戻ろうとしても、その
流れに逆らうことはできない。気がついてみると、青春は、遠い波間の向こうに行ってしまって
いる。

 映画「タイタニック」のもつ、切なさは、私たち自身がもっている、青春への切なさそのもと言っ
てよい。純粋で、美しく、太陽の陽光を思う存分受けて、輝いていた。そんな過ぎ去りし青春へ
の思いがはげしく胸を打つ。

 もっとも若い人は、もっと違った目で、映画「タイタニック」を見ただろう。私には、そういう若い
人の気持はわからないが、それはそれとして、本当にすばらしい映画だった。映画というフィク
ションの世界を超えて、何かしら大切なものを、あの映画は、私に思い出させてくれる。

 このつづきは、またの機会に。今は、胸が熱い。主題歌を口ずさみながら、しばらくこの心地
よさに、静かに酔ってみたい。

では、読者のみなさん、おやすみなさい。生きているということは、本当にすばらしいことです
ね。
(030628)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

山荘ライフ

 今日(六月二九日)、朝一一時ごろ、山荘に到着。昨日は、T中学校区で講演をしたが、ただ
しゃべっただけという、最低、最悪の講演。野球の試合でいえば、三回バッターボックスに立っ
て、三回とも、三振をとられたような気分。だから昨日は、そのあと寝るまで、気分が重かっ
た。

 山荘へ着くと、久しぶりに、飛行機を作った。バルサと紙の飛行機である。落ちこんでいると
きは、これが一番。本来なら、料理は私がする。が、今日はワイフに任せた。料理をつくる気分
には、とても、なれなかった。

 飛行機は、数時間でできた。で、さっそく飛行。風は強かったが、数度、翼(つばさ)を調整す
ると、うまく風にのって飛ぶようになった。私が作る飛行機は、本当によく飛ぶ。私には、天才
的な才能がある……と思う。(ホント!)子どものころから、飛行機づくりだけは、だれにも負け
たことがない。小学生のとき、学校主催の、飛行機大会が、毎年、あった。飛行距離を競った
り、滞空時間を競ったりした。そういった試合でも、だれにも負けたことがない。手先が器用だ
ったし、それにだれよりも、飛行機が、好きだった。

 ただラジコンの飛行機だけは、今でも、どうしてもうまく飛ばせない。今までに何一〇機と挑戦
したが、やはりダメだった。どこかのクラブに入って、だれかに指導してもらえばよかったのだ
が、人に頭をさげることができなかった。子ども時代のプライド(?)が、かえってわざわいした
のかもしれない。

 飛行機を飛ばして帰ってくると、ワイフが、遅い昼食を用意してくれていた。新しい電気釜でた
いたご飯だと言った。少しかたい感じがしたが、はじめてにしては、まあまあのできだった。

 そのあと洗濯機の清掃。据えつけ。そして庭に、除草剤をまいた。日差しが強かったので、急
いでした。が、そのあと、ボンボンベッドに横になると、ものすごい睡魔。今日は、オーストラリア
のブッシュソングを聞きながら、眠ることにした。

 私は、オーストラリアのブッシュソングを聞くと、すぐそのまま、三〇数年前の自分に、タイム
スリップしてしまう。これも特殊な能力かもしれない。私の人生の原点は、あの留学時代にあ
る。あの時代が、私にとっては、すべて。それ以後の人生は、私にとっては、残り火のようなも
の。少しずつ、思い出を燃やしながら、そのあとの、つまり、今に至る三〇数年を生きてきた。

 で、横になって、今週、やってくるオーストラリア人のB君のことを考える。とたん、涙で目がう
るむ。眠いはずなのに、胸が熱くなって、かえって目がさめてしまった。ワイフが横にいた。

私「はじめてB君の家に行ったときね……」
ワ「……」
私「日本の生活とは、あまりにもかけ離れていたので、ぼくは驚いた」
ワ「……」
私「そういう生活を見ながら、日本人がこういう生活ができるようになるには、あと何一〇年も
かかる。あるいは永遠に不可能かもしれないと思った」
ワ「もう、その話は、何度も聞いたわ」
私「しかしね、今、日本は、あのときのオーストラリアと、それほど違わないところまできた。生
活面だけではなく、文化という面においてもね。ぼくは、それがうれしい」と。

 B君は、私がオーストラリアへ着いた翌日にできた、最初の友人だった。私が中庭で写真をと
っていると、B君がやってきて、声をかけてくれた。で、私は彼の写真をとった。そのときの写真
は、今でも、私の部屋に飾ってある。親指を立てて、「ハロー」と言っている、彼独特のポーズで
ある。が、それから三三年と、四か月! 

その間に、たがいに何度か行き来して、会ってはいるが、しかし会うたびに、やはり私の心は、
あの原点にもどってしまう。あの時代が、私にとっては、いつも入り口。そして会うたびに、その
ときが、出口。その入り口と出口の間には、何もない。部屋があるはずなのに、その部屋す
ら、ない。

 記憶というのは、そういうものかもしれない。いつもそういう感じで、現在と過去がつながって
しまう。

 夕方遅くなって、私は、浜松市内の自宅に帰ってきた。本当に今日は、すばらしい一日だっ
た。さわやかで、暑いが日陰に入ると、涼しいほどだった。「一年中こうだといい」と、今、そう思
った。
(030630)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
小学生による平和宣言

 今年も、暑い夏がやってきた。それにあわせて、全国各地で、終戦記念行事や、反戦運動
が、もよおされる。昨日は、沖縄で、戦没者慰霊祭が催された(〇三年六月末)。その模様が
テレビで映しだされた。小学生らしき少女が、しっかりとした口調で、平和の大切さを訴えてい
た。しかし……。

 つぎの原稿は、今年の二月に書いたもの。改めて、自分の書いた原稿を読んでみる。

+++++++++++++++++++++

 よくどこかの会場で、小学生くらいの子どもが、平和宣言をすることがある。「私たちは、平和
を守り……。戦争に反対し……。核兵器を廃絶し……」とか。たいていは、……というより、ほ
とんどは、おとなたちが用意した原稿を、子どもが読みあげているだけ。たまたま、この原稿を
書いているときも、「地雷をなくそう、全国子どもサミット」(〇三年二月八日)があった。疑問が
ないわけでもないが、しかしそういうのなら、私も、まだ理解できる。

 しかし子どもを使って、平和宣言など、子どもに言わせてはいけない。子どもをそういうふうに
利用してはいけない。それはあまりにも酷というもの。だいたいそんな子どもに、戦争だとか、
平和がわかるわけがない。だれだって、戦争より平和のほうがよいと思っているに決まってい
る。しかし平和というのは、それを求めて積極的に戦ってこそ、得られるもの。皮肉なことに、
戦争のない平和はない。ただ「殺しあいは、いやだから」という理由だけで、逃げまわっている
人には、平和など、ぜったいにやってこない。世界は、そして人間が本来的にもつ性(さが)
は、そんな甘いものではない。

 たとえば戦後、つまりこの五八年間、日本がかろうじて平和を保つことができたのは、日本人
がそれだけの努力をしてきたからではない。日本人が平和を愛したからでもない。日本が、戦
後、五八年間という長きにわたって平和を保つことができたのは、アメリカという強大な軍事力
をもった国に、保護されていたからにほかならない。

もし日本がアメリカの保護下になかったら、六〇年代には、中国に。七〇年代には、韓国や北
朝鮮に、そのつど侵略されていただろう。台湾やマレーシアだって、だまっていなかった。フィリ
ッピンに袋叩きにされていたとしても、おかしくはない。日本は、そういうことをされても文句は
言えないようなことを、ほかの国に対して、してしまった。しかももっと悪いことに、いまだに、公
式には、日本はその戦争責任を認めていない。中には、今でも「あの侵略戦争は正しかった」
と主張する日本人すら、いる。今の北朝鮮を容認するわけではないが、彼らが日本を憎む理
由には、そういう時代的背景がある。

 わかりやすく言えば、子どもが平和宣言をして、それで平和な国がやってくるというのは、まっ
たくの幻想。平和というのは、それ自体は、薄いガラスでできた箱のように、もろく、こわれやす
い。ときには、戦争そのもののように、毒々しく、醜い。仮に今、平和であるとしても、その底流
では、つぎの戦争を求めて、人間のどす黒い欲望が渦を巻いている。つまり、平和を口にする
ものは、一方で、そういうものと戦わねばならない。その戦う意思、その戦う勇気のあるものだ
けが、平和を口にすることができる。

子どもを使って平和宣言をさせるというのは、子どもを使って宣戦布告するのと同じくらい、バ
カげている。それがわからなければ、子どもに、援助交際反対宣言をさせてみればよい。子ど
もに、政治家の汚職追放宣言をさせてみればよい。あるいは覚せい剤禁止宣言でもよい。環
境保護宣言でもよい。そういうものが何であるかもわからないまま、無知な子どもに、そういう
ことを言わせてはいけない。そうそう、あの北朝鮮では、幼児までもが、「将軍様を、命がけで
守ります」などと言っている。幼児が自分の意思で、自分で考えてそう言うのなら話はわかる
が、そんなことはありえない。繰りかえすが、子どもを、そういうふうに利用してはいけない。

 そんなわけで、私は、小学生や中学生が、片手を空に向けて平和宣言をしている姿を見る
と、正直言って、ぞっとする。あるいはあなたは、アメリカやヨーロッパや、オーストラリアの子ど
もたちが、そういうふうに宣言をしている姿を、どこかで見かけたことがあるだろうか。残念なが
ら、私はないが、ああいうことを子どもに平気でさせる国というのは、全体主義国家か、あるい
はその流れをくむ国と考えてよい。

 「地雷をなくそう、全国子どもサミット」では、ある子ども(滋賀県在住の小学生)は、つぎのよ
うに話している。「地雷でケガをした人を見るのは初めてで、結構びっくりしたからそんなにしゃ
べったりできなかったけれど、何かちょっとずつだけど、声がかけられるようになったからよか
ったと思っています」(TBS報道)と。私たちが聞きたいのは、子どもたちのそういう生の声であ
る。

子どもたちのために平和を守るのは、私たちおとなの義務なのだ。どこまでいっても、私たちお
となの義務なのだ。それを忘れてはいけない。子どもに平和宣言をさせて、平和を守っている
フリだけは、絶対にしてはならない。

++++++++++++++++++++

 この原稿を書いて、四か月になる。いろいろな原稿を書いているが、四か月前に書いた原稿
という気がしない。遠い昔に書いたような気がする。ただ子どもに平和宣言させることに、全面
的に反対というわけではない。子どもに戦争の悲惨さを教え、ついで平和の尊さを確認させる
という点では、意味がある。しかしそれでも、私は、「それでいい」とは、どうしても思えない。

 いつだったか、どこかのカルト教団の取材に行ったときのこと。全国大会とかで、全国から数
万人の信者が集まっていた。その席でも、やはり小学生代表が、こう叫んでいた。「私たちは、
○○導師様の教えを守り、この信仰を、世界に広めていきます!」と。小学生による平和宣言
などというものは、私には、その延長線上にあるとしか思えない。

 繰りかえすが、平和を守り、子どもたちを守るのは、私たちおとなの義務である。しかしその
平和というのは、自ら戦って、勝ち得るもの。「殺しあいはいやだ」と逃げてまわっていては、平
和は絶対に守れない。

 同じく繰りかえすが、平和主義には、二つある。「殺されても、抵抗しません。文句を言いませ
ん」という平和主義。もう一つは、「平和のためなら、命すらおしくない。いざとなったら、戦争も
辞さない」という平和主義。ここにも書いたように、「殺しあいはいやだ」と逃げてまわるのは、
平和主義でも何でもない。ただの逃避主義でしかない。

 また先の原稿の中で書いたように、戦後の日本がかろうじて平和を保つことができたのは、
それだけ日本人が平和を守ったからではない。また日本人が平和を愛したからでもない。日本
がかろうじて平和を保つことができたのは、たまたまアメリカという国に占領され、その保護下
にあったからである。

 私は六〇年代に、交換留学生として、韓国に渡ったが、彼らがもつ反日感情というのは、感
情というレベルを超えた、「憎悪」そのものだった。今でも基本的には、その構図は、変わって
いない。仮に北朝鮮が日本にめがけて核ミサイルを撃ち込んだとしても、それを喜ぶ韓国人は
いても、悲しむ韓国人はいない。そういう現実を前にして、小学生を仕立てて平和宣言をする。
そのオメデタサは、いったいどこからくるのか。(だからといって、私が戦争を求めているのでは
ない。どうか誤解のないように!)

今朝の報道によれば、あの北朝鮮は、すでに核兵器を数個もち、さらに今後、半年の間に、五
〜六発の核兵器を製造する能力があるという。さらに今年の終わりには、核実験もするかもし
れないという(クリントン政権時代の北朝鮮担当官・ケネス・キノネス氏)。そうなれば日本は、も
うおしまい。金XXの影におびえながら、毎日ビクビクしながら、生活をしなければならない。

 小学生による平和宣言の話を書いているうちに、またまた頭が熱くなってしまった。私の悪い
クセだ。しかし、これだけは言える。どんな形であるにせよ、おとなたちは自分たちの政治的エ
ゴを追求するために、子どもを利用してはならない。子どもには、子どもの人権がある。その人
権だけは守らねばならないということ。決して、子どもたちを、猿まわしのサルのように利用して
はいけない。
(030628)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

文化性

 高い文化性は、何によって決まるか。またその文化性は、どう判断したらよいか。

 文化性は、ポケットの数と、その深さで決まる。「ポケット」というのは、心のポケットのこと。つ
まりは、経験ということか。体験でもよい。また「深さ」というのは、知性や理性の度合いをいう。
ポケットが多ければ多いほど、そしてそのポケットが深ければ深いほど、その人からは、深い
人間性がにじみ出てくる。

 私は最近、芸術のもつ意味を、改めて考えなおしている。究極のムダ、それが芸術ということ
になるが、そのムダを、いかに心の中に用意するかで、その人の文化性が決まるのではない
か、と。だからどんな芸術であるのせよ、その道の大家と呼ばれる人には、近寄りがたい、威
厳がある。反対に、そうでない人は、そうでない。

 たとえば私は、ある時期、コンピュータ音楽に没頭したことがある。あるいはある時期、毎
日、絵を描いていたことがある。趣味ということになるが、それによって利益を得ようとか、ある
いはだれかに聞いてもらおうとか、見てもらおうとか、そんなことはまったく考えなかった。あくま
でも、自分のためだった。

 そして今は、こうして毎日、文を書くことに挑戦している。こうした文を書いたからといって、利
益があるわけではない。読んでもらえればうれしいが、しかし読んでもらったからといって、どう
ということはない。読者の方が、どう思い、どう考え、どう利用しようが、それは私の問題ではな
い。

 しかしこういう、一見、ムダなことをすることにより、私は、自分をみがくことができる。そしてこ
こでいうポケットを、深くすることができる。また新しい分野の問題に、挑戦していくことによっ
て、ポケットの数をふやすことができる。ただその結果、高い文化性が生まれるかどうかは、そ
れはわからない。たとえば私などは、いくらポケットの数をふやしても、またそれを深くしても、
低劣なままである。しかしこれだけは、言える。

 自分に高い文化性がなくても、その結果、高い文化性をもった人と、そうでない人の区別はで
きるようになるということ。それはちょうど、高い山から、下を見るようなものではないか。低い
山にいる人は、高い山がどんなものかはわからない。しかし高い山に登ってみると、低い山の
ことが、よくわかる。そういう意味でも、ポケットの数をふやし、それを深くすることは、大切なこ
とである。

 だから……。「さあ、芸術を楽しもう」と書けば、このエッセーの意図が、バレバレになるが、し
かしそれほど、この考え方は、まちがっていないと思う。すばらしい音楽を聞いて、すばらしい
絵を見る。そしてすばらしい本を読んで、すばらしい映画を見る。そしてそのつど、深く、感動す
る。こういう心の作用が、その人の文化性を、高くする。

 以前、こんな原稿を書いた。この話とは関係ないかもしれないが、思い出したので、ここに添
付する。

++++++++++++++++++++++++

しつけは普遍

 五〇歳を過ぎると、その人の持病がドンと前に出てくる。しかし六〇歳を過ぎると、その人の
人格がドンと前に出てくる。ごまかしがきかなくなる。たとえばTさん(七〇歳女性)は近所でも、
「仏様」と呼ばれていた。が、このところ様子がおかしくなってきた。近所を散歩しながら、よそ
の家の庭先にあったような植木鉢や小物を盗んできてしまうのだ。人はそれを、Tさんが老人
になったせいだと話していたが、実のところTさんの盗みグセは、Tさんが二、三〇歳のときか
らあった。ただ若いときは巧妙というか、そういう自分をごまかすだけの気力があった。しかし
七〇歳近くもなって、その気力そのものが急速に弱まってきた。と同時に、それと反比例する
かのように、Tさんの醜い性格が前に出てきた……。

 日々の積み重ねが月となり、月々の積み重ねが歳となり、やがてその人の人格となる。むず
かしいことではない。ゴミを捨てないとか、ウソをつかないとか、約束は守るとか、そういうことで
決まる。しかもそれはその人が幼児期からの心構えで決まる。子どもが中学生になるころに
は、すでにその人の人格の方向性は決まる。あとはその方向性に沿っておとなになるだけ。途
中で変わるとか、変えるとか、そういうこと自体、ありえない。

たとえばゴミを捨てる子どもがいる。子どもが幼稚園児ならていねいに指導すれば、一度でゴ
ミを捨てなくなる。しかし中学生ともなると、そうはいかない。強く叱っても、その場だけの効果し
かない。あるいは小ずるくなって、人前ではしないが、人の見ていないところでは捨てたりす
る。

 さて本題。子どものしつけがよく話題になる。しかし「しつけ」と大上段に構えるから、話がお
かしくなる。小中学校で学ぶ道徳にしてもそうだ。人間がもつしつけなどというのは、もっと常識
的なもの。むずかしい本など読まなくても、静かに自分の心に問いかけてみれば、それでわか
る。してよいことをしたときには、心は穏やかなままである。しかししてはいけないことをしたとき
には、どこか不愉快になる。そういう常識に従って生きることを教えればよい。そしてそれを教
えるのが、「しつけ」ということになる。そういう意味ではしつけというのは、国や時代を超える。
そしてそういう意味で私は、「しつけは普遍」という。
(030630)

++++++++++++

【宣言】

●私は、不道徳なものを、すべて捨てる。

若いころ、私は、たくさんのスケベビデオを集めた。それがいつの間にか、引き出しいっぱいに
なったこともある。しかしそれらは、あるとき、すべて捨てた。そういうものを見て、自分を慰め
ている自分が、なさけなくなった。またそれを見るたびに、せっかくそれまで積み重ねてきた自
分の人間性が、粉々に破壊されるのを感じた。

パソコン時代になって、今も、その類の、スケベ写真などが、かなりある。「私も人間だ」「私も
男だ」という言い方で、そういう自分を正当化してきた。しかし今夜を境に、すべてを捨てること
を決意した。私の身のまわりから、そういうものを一掃する。こんな宣言は、世の女性たちに
は、理解しがたいものかもしれない。私のワイフも、そう言っている。しかし世の男性なら、そう
いうものを一掃するということが、どれだけたいへんなことで、決意のいることか、わかるはず。
「私」から本能を切り離すことは、それくらい、むずかしい?

ともかくも、今夜を境に、すべて捨てる。このあと、私がどう反応するか。それはその反応が現
れてからの、お楽しみ。またスケベ写真を集めるようになるかもしれない。あるいは、ならない
かもしれない。ますます、カタブツになり、おもしろくない男になるかもしれない。そういう心配も
あるが、しばらく静かに、自分がどう変化するか、観察してみる。報告は、そのあとで……。

     ▲   ▲
    ▲▼▼ ▼▼▲
   ▼  ▲◎▲  ▼
     ▲◎◎▲▲
    ▲  口  ▲
    ▼  口  ▼         何か、テーマがあれば、お寄せください。
       口         メールは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/   
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【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・11 ……浜北市・内野小学校
10・ 4 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9・ 9  ……愛知県稲沢市福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
8・ 6  ……浜北市(詳細未定)
8・ 2  ……浜松市Iホール(静岡県教職員組合浜松支部研修会)
7・31  ……浜松市東部公民館
7・10  ……湖西市教育委員会・家庭学級講座
7・ 9  ……豊岡小学校
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・28  ……富塚中学校区(小学校)健全育成会
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■7-9B

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【名古屋市周辺のみなさんへ……】
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9・ 9  ……愛知県稲沢市福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
   午前10:00〜より、聴講問い合わせなど……052−524−6665まで
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【1】子育てポイント
   【2】Touch your Heart
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        【4】フォーラム
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子育てポイント

●名前と容姿は、からかわない

これは教育の世界の大鉄則。家庭でも、同じ。話題にしたり、茶化すのも、よくない。とにかくア
ンタッチャブルの世界と心得ること。

●父親(母親)の悪口、グチは言わない

子どもの前で、父親(母親)の悪口、批判、グチは言わない。そのときは、それなりに話を聞い
てくれるかもしれないが、やがて子どもの心はあなたから、離れる。

●はじめの一歩を大切に

何でも、はじめの一歩を大切にする。最初に、きちんとしつけておくと、あとが楽。一度何かの
習慣ができてしまってから、それを変えようとすると、たいてい失敗する。

●子どもは、使う

子どもを伸ばす、最大の秘訣は、子どもを使うこと。子どもというのは、皮肉なもので、使えば
使うほど、すばらしい子どもになる。具体的には、どんどん家事をさせる。

●「尊敬される人になれ」と言う

「いい学校へ入れ」「立派な社会人になれ」「社会で役立つ人になれ」ではなく、「尊敬される人
になれ」と、子どもには言う。それを口ぐせにする。
(030702)

      ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          
 \※/
  ‖
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞653
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

性格は化学反応

 子どもの性格は、環境によって大きな影響を受ける。ここにあげるのは、あくまでも一般論だ
が、たとえばつぎのようなものがある。

(1)ケチの長男、ズボラな二男……一般的に長男や長女は防衛に回ることが多く、そのため
ケチになりやすい。それに反して二男や二女は、モノにこだわらなくなり、気前よくなったり、ズ
ボらになったりしやすい。

(2)男一人と、女一人は、ともに一人っ子……男の一人と、女の子一人の家庭では、ともに一
人っ子の性格をもちやすいことを言ったもの。ともにわがままで、社会性がなくなるなど。反対
に双子というのは、互いによい影響を受けやすく、社交的で活発になる。

(3)女二人は憎しみ相手……年齢の近い姉妹は、互いにはげしいライバルになりやすく、ばあ
いによっては、互いに憎しみあうことがある。私の知人の娘たちだが、一人の男性をとりあっ
て、まさに殺し合い寸前までのことをしたという。

(4)年上の姉と甘えん坊……年上のめんどうみのよい姉がいると、下の弟は、二人の母親を
もったような状態になり、甘えん坊になりやすいことを言ったもの。

(5)足して二で割ると、平均児……兄弟や姉妹では、互いにできふでき、性格などが正反対に
なりやすいことがある。兄には神経質に手をかけすぎたり、反対に弟は放任したりすることなど
によるが、そういうとき親はよくこう言う。「足して二で割れば、お互いに平均児なんですけどね
エ」と。

(6)年の近い姉は、男まさり……男の間でもまれて成長すると、女の子も男まさりになったりす
る。そのときでも、すぐ下に弟がいたりすると、さらに男まさりになったりする。いわゆる姉御(あ
ねご)タイプになりやすい。

(7)末っ子は甘えん坊……末っ子が甘えん坊になるのは、親側に、「この子が最後だ」という
思いが強いからである。そのため、どうしてもあれこれ手をかけてしまう。また親側にも、子育
ての余裕ができ、子どもをより広い包容力で包むことができる。そのため末っ子は甘えん坊に
なりやすい。つまり依存心がつきやすい。

(8)まん中の子は、人なつっこい……兄弟や姉妹が三人以上いると、まん中の子どもは、愛情
不足から、人なつっこくなりやすい。しかしその反面、心を許さないという面もある。

(9)総領の甚六……長男や長女は、それだけ期待もされ、手もかけられて育つため、おっとり
とした性格になることを言ったもの。つまりそれだけできが悪くなることを言ったもの。

 これらは冒頭に書いたように、あくまでも一般論である。子どもというのも、置かれた環境の
中で、長い時間をかけて性格がつくられていく。そういう面はたしかに否定できない。

    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

男女共同参画社会(3)

 男女平等って、言うけどさ、それを望んでいない
女性も、多いって、いうわけ。今さ、フリーターが、
あれこれ問題になっているけど、働きたくない女性も
多いって、いうわけ。公式の調査でも、二三%の女性が、
そうだって。知ってた?

 もう五、六年前の古い、資料で申し訳ないけど、
私が調べたところ、六人のうち、五人まで、今の
女子高校生たちは、「働きたくナ〜イ」と言ってるよ。
「どうするの?」と聞くと、「ダンナの給料だけで、
やっていきタ〜イ」って。これ、ホント。

 「今は、そういう時代ではないよ。女性も働いて
がんばる時代だよ」って、私が言うと、「奥さんの給料を
アテにするなんてネ〜ェ」と。つまり妻に働かせる夫とは、
結婚しないって、こと。

 でね、私が「どんな人と結婚するの?」って聞くと、
一にマスク、二に親の財産……とか。「心は、どうするの?」と
聞くと、「マスクのいい男は、心もイイに決まってル〜ゥ」と、さ。
「これ、オヤジのマンションって、言えるような
(金持ちの)男と結婚したい」って、言った女子高校生もいたよ。

 このあたりが、今どきの女子高校生の本音かな。
学校でよくするアンケート調査なんか、あまりアテにならないよ。
高校生が、本音を書かないもんね。仮面をかぶる、つうか、
いい子ぶるつうか、子どものときから、そうなっているのね。

 小学生でも、「お母さんが、料理しています。あなたはどうしますか?」って
聞くと、「手伝います」などと、言うよね。きれいな答しか返ってこない。
そこで「ホントにそう? あなたは、手伝うの?」って聞くと、
「でも、ママが、うるさいから、テレビでも見ててって、言う」と、答えるよ。

 男女共同参画社会とは言うけどさ、こういう問題もあるって、いうわけ。
道はけわしいね。ホント。

 でもね、ホントの問題は。女性ではないの。子どもなの。わかる?
戦後ね、女性はそれなりの地位を確立したけど、子どもだけは、
そのまま残されたというわけ。今でも、子どもをペットのようにしか
考えていない、親は、多いよ。子どもの気持ちや意思は、まったく無視。
そういう親ね。

 だから、私のようなものが、ワーワーと騒いでいるわけ。
あまり効果はないけどね。まあ、これからもがんばってみるね。
(030702)

 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
**\\⊂'↓°⊃//**
*  \\_▽_//  *
    \\∧//
     Y☆Y
     〓〓〓      
    /|||\
     ̄Π ̄Π ̄ 
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

人間性

 私は、幕の内弁当を食べるときも、まず、一番、食べたくないものから、食べ始める。しかし
ワイフは、一番、食べたいものから、食べ始める。

 私は、家事をするとき、一番いやな仕事から、始める。しかしワイフは、一番、やりやすい仕
事から、始める。

 先日も、山荘で草を刈っていたときのこと。私は、まず急斜面の、一番、やりにくいところか
ら、草を刈り始めた。見ると、ワイフは、山荘に一番、近い、平坦なところの草を、カマで刈り始
めた。

 この違いは、いったい、どこからくるのか?

 私はワイフに聞いた。

私「ぼくらの時代は、一番、おいしそうなものは、最後までとっておくという時代だった。いいもの
は、最後に、という考え方だった。お前は、ちがうのか?」
ワ「私も、子どものころは、そうだったわ」
私「そうだろ。仕事にしても、一番、やりにくそうで、いやな仕事を先にすませて、あとでゆっくり
と、楽な仕事をする」
ワ「私も、子どものころは、そうだったわ」
私「じゃあ、なぜ、お前は、幕の内弁当でも、一番、おいしそうなものから食べるのか?」
ワ「だって、おなかがふくれてしまったら、おいしいものでも、おいしくなくなって、しまうじゃない。
だったら、はじめにおいしそうなものを、おいしいと思って食べたほうが、いいに決まっているで
しょ」
私「……」

 そんなわけで、掃除のし方も違う。私が掃除するときは、家の中の一番奥から、順に、手前
のほうに向って掃除する。ワイフは、まず一番やりやすそうな、身のまわりから始めて、順に、
部屋の奥のほうへと進む。

 料理をするときもそうだ。私は、まずメインの料理を先にとりかかる。そのとき、簡単な料理
のことは、あまり考えない。ふつう、メインの料理ができあがった段階で、スープやサラダを考
える。が、ワイフは、まず、一番、簡単な、スープやサラダから作り始める。

 こうした違いは、人間性による違いか。それとも、長い間の習慣によって生まれた違いか。

 ワイフも、子どものころは、私と同じようだったという。もっとも、私の時代は、何かにつけて貧
しかった。そういう時代背景がある。一方、詳しく調べたことがないので、よくわからないが、最
近の子どもたちは、多分、一番、おいしそうなものから食べ始めるに違いない。仕事も、一番、
楽な仕事から、始めるに違いない。

 が、こうした違い、つまり私とワイフの違いが、今は、互いにうまく補完しあって、かえって生活
をスムーズにしている。掃除をするとき、私は、一番やりにくいところから始める。押し入れの
中とか、階段とか。つづいて部屋の中心に向う。が、そのころ、ワイフは、部屋の中心部は終
わっている。それでそのとき、掃除は終了。料理も、そうだ。つまりこうした違いは、ひょっとした
ら、人間性の違いというよりも、長い間の結婚生活の結果として、そうなったと考えるのが正し
い。

 ただし弁当を、いっしょに食べるときは、困る。ワイフは、さっさとおいしそうなものから食べ始
める。そして私が食べたいと思ったときには、もう、それはない。「エビ天は、どうした?」と聞く
と、「もう、私が食べた……」と。
(030630)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

宣言

 私は、そのつど、宣言をすることによって、自分を律してきた。よく覚えているのは、盆暮れの
つけ届けを、すべて断ったとき。

 今から、もう一五年前になるだろうか。私は、生徒の父母にはもちろんのこと、仕事で関係す
る人にも、それを宣言した。心のどこかには、「もらえるものは、もらっておけばいいのでは…
…」という、ずるい気持もあった。しかし「盆暮れのつけ届けは、いっさい、お断りします!」と。
結果、今年など、仕事関係の中元は、一つだけ。

 こういうものは、なければないで、いっこうに構わない。盆暮れのつけ届けについて言えば、
悪習そのもの。まったく、意味がない。ふつうなら絶対に買わない、包装だらけのプレゼントな
どもらっても、うれしくも何ともない(失礼!)。かえって腹がたつ(失礼!)。(誤解しないでほし
いのは、腹がたつのは、そのプレゼントをくれた相手に対してではなく、そういう包装だらけの
プレゼントを作った会社や、販売会社に対して、ということ。相手の人も、豪華な包装に、だまさ
れている?)

ひどいのは、ノリ。ていねいな包装紙をほどいてみると、豪華な化粧箱。その箱を開けてみる
と、カンがふたつ。これまた豪華な化粧カン。そこでカンをあけてみると、小さなノリが五枚前後
ずつ、透明の袋に入っている。乾燥剤まで一個ずつ、入っている。一度、ヒマだったので、ノリ
を並べてみたが、うまく買えば、スーパーで、X百円前後で買える量しか入っていなかった。あ
るいはもっと少ない?

 もしあなたがX百円のノリを、「お中元です」と言って手渡されたら、はたしてあなたはどう感ず
るだろうか。二〇年ほど前だが、「お中元です」と言って、ほうれん草一束をもらった学校の先
生がいた。ホント! その先生がどんな気持になったか、容易に察することができる。その先
生はこう言った。「本来なら、喜ばねばならないはずだが、自分がその程度の人間に思われて
いるかとわかって、悲しくなった。むしろ何ももらわないほうが、気が楽だった」と。つまり、盆暮
れのつけ届けというのは、その程度の、つまりは非常識な悪習にすぎない。

 が、盆暮れのつけ届けを、断るようになったのには、もう一つ、大きな理由がある。

 私も、以前は、ごくふつうの人のように、デパートやスーパーへでかけ、そこでつけ届けの注
文をしていた。そのとき、私は、人間関係を、値段で決めているのを知った。「Aさんと、Bさん
は、5000円。Cさんと、Dさんは、4000円。Eさんは、3000円でいい」と。

 そういう私が、ほかの人から、つけ届けをもらう。当時、すでに箱の横には数字が書いてあ
り、値段がわかるようになっていた。つまり今度は、反対の立場で、自分の価値が、モノの値段
で決められているのを知った。

 それは実に不愉快な体験だった。私がしたと同じ値ぶみを、相手がしていると知った。……と
感じた。そして毎年、それを繰りかえしているうち、不快感が増大し、それがやがて臨界点を超
えた。そこで廃止宣言をした!

 で、私のばあい、それなりにあいさつをしたり、礼をしなければならないときは、そのつどする
ようにした。盆だから……、暮れだから……というふうに考えるのは、やめた。しかしそれで不
都合なことは、何もない。

 で、私は昨日(六月二九日)、またこんな宣言をした。宣言というのは、みなに、公言するとい
うこと。もともと私は意思の弱い男だから、こういう形で、宣言でもしなければ、自分を律するこ
とができない。だからできるだけ、広く、宣言することにしている。今は、インターネットで、それ
が簡単にできる。

 ちなみに、読売新聞社が調査したところによると、「中元、歳暮は、なくても構わない」と答え
た人が、57%をしめたという(〇三年夏)。また「小中学校の先生への中元、歳暮」について
は、80%が、「よくないことだ」と答えている。

【宣言】
 自分の周辺から、ポルノビデオ、スケベ写真、スケベCD類など、すべて一掃する。これから
は、そういうものは、見ない。読まない。集めない。買わない。もっとも、ここ五、六年は、ほとん
ど見たことがないが、しかしあるには、あった。

 ワイフにそれを言うと、「あんたって、バカね」と。女性というのは、男性のヌード写真や、ポル
ノビデオなどには、興味がないようだ。(私のワイフだけかもしれないが……。一度、だれかに
聞いてみようと思いつつ、今まで、その機会がなかった。)

 が、あえてここに宣言する。そういうハレンチ文化とは、決別する。そういうものは、なくても困
らない。人間は、そういう状態で、過去数十万年も生きてきた。どこかに未練がないわけではな
いが、そのうち結果が出るだろう。あるいは反対に来年あたり、またポルノビデオを見ながら、
自分を慰めているかもしれない。そういう不安はあるが、少なくとも、今は、決別する。

 しかしこれだけは言える。世の夫諸君よ、あなたの妻のために、ああいうものは、見ないほう
がよい。女性の本当の美しさは、しわがれた乳房、三段になった腹、鳥のガラのようになった
足。白髪になった髪の毛にある。低俗文化に毒されていると、その美しさがわからなくなる。

顔を真っ白にした、SS。あれはお化けだ(失礼!)。いつも巨大なおっぱいに、ワックスかけ
て、プリプリ見せびらかしている、K姉妹。あれは……(ここには書けない。名誉毀損で訴えら
れる……?)

 少し頭が熱くなりすぎたようだ。だからこの話は、ここまで。私はますますカタブツ人間にな
る。……なりつつある。あああ。
(030630)

【追記】

若き妻たちへ、

 女性の美しさは、そのしわや、白髪や、崩れた体の線の中にある。妊娠し、出産すれば、体
の線が崩れて、当たり前。授乳が終われば、乳房の張りが消えて、当たり前。そして歳をとれ
ば、髪の毛が白くなって、当たり前。そういう女性の変化の中に、人生の記録が、一本ずつ、
刻まれていく。

 今、ワイフの友人の間では、プチ整形が、流行しているという。日帰りでできるような簡単な
整形手術を、プチ整形という。しかし、そんなことをして、いったい、何がどう変わるというのか。
……何を、どう変えられるというのか。もしあなたの夫が、そういうことでしか、あなたを評価し
ないとしたら、そういう夫を批判する前に、あなた自身をのろったらよい。そういう夫を選んだ、
あなた。そういう夫にしか、育てることができなかった、あなた。結局は、それはあなた自身の
問題ということになる。

 そう、あなたの美しさは、すべて、あなたの夫のためにある。そしてその美しさは、あなたがあ
なた自身で、夫の中につくりあげていくもの。だれのためでもない。あなたの夫のためである。
もし自分以外の、人の目を気にするとしたら、そういうことになる。

 若さが若さとして美しいのは、その純粋なエネルギーにある。姿や形ではない。そしてその純
粋なエネルギーがなくなることを、老いるという。姿や形ではない。中身だ。あなたの美しさは、
その中身で決まる。

 若き妻たちよ、心をみがけ。教養をつめ。そして考えろ。いつかそういうあなたに、あなたの
夫は、ひれ伏すときがやってくる。あなたのもつ、神々しいほどの美しさに感嘆するときがやっ
てくる。その日のために、心をみがけ。教養をつめ。そして考えろ。そういう美しさがわからない
ような相手なら、相手にしないこと。そんな相手なら、どう思おうが、あなたは気にすることは、
ない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

男性の排泄欲

 女性に生理があるように、男性には、排泄欲がある。ある程度のコントロールはできるが、し
かしそれは食欲と同じで、ある程度の期間(時間)がたつと、自然にわき起きてくる。女性が生
理を、自己意識で止められないように、男性もまた、排泄欲を自己意識で止めることはできな
い。そういう意味では、女性も、男性も、上半身と下半身は、別々の人間と考えたほうがよい。

 排泄である以上、対象が必要となる。一番よいのは、女性の体内で射精することだが、いつ
もそうできるとは限らない。若い男性なら、一日に二回とか三回とか、排泄欲がわき起きてく
る。相手が好きな女性だと、もっと多いかもしれない。

 が、年齢を重ねると、この排泄欲が、減退してくる。しかしなくなるわけではない。聞くところに
よると、男性のばあい、八〇歳になっても、排泄欲はあるという。ぞっとするような話だが、これ
はどうやら本当らしい。(ただ、そのあと、一週間は、フラフラになって、寝込むかも?)

 しかしこれらの欲望は、本能。その本能が人を裏から操る。が、操られている本人は、操ら
れているとは思わない。自分の意思で、そうしていると思いこんでいる。ここに「私」の不思議と
いうか、謎がある。つまり「私」には、(私であって、私である部分)と、(私であって、私でない部
分)がある。が、実際には、(私であって私でない部分)のほうが、はるかに多い。

 だったら、排泄は排泄として、さっさと排泄してしまえばよい。むずかしく考えることはない。ト
イレで、小便をするのと同じである。女性のことは、いまだによくわからないが、男性のばあい
は、そうである。

 が、ここで問題が起きる。ワイフだって、そうは応じてくれない。そこでマスターベーションとい
うことになるが、男性のばあい、ただ刺激を与えるだけでは、排泄できない。頭の中であれこれ
と空想したりして、視覚的に自分を刺激しなければならない。臨場感が必要なのである。そうい
う意味では、空想が得意な男性は、よい。しかし空想が苦手な男性というのもいる。そういう男
性は、ポルノビデオを見たりして、自分の脳を刺激するしかない。

 もっともこうした排泄が、排泄行為の範囲にあるなら、問題は、ない。排泄したと同時に、現
実の世界にもどることができればよい。この点も、食欲に似ている。おなかがすいてくれば、街
角をあちこちさまよい、おいしそうな店をさがす。しかしおなかがふくれれば、それを忘れて、今
度は仕事に没頭する。

 だから排泄を罪悪視するのは、正しくない。もしそれが悪いことだというのなら、女性の生理
だって、悪いことになってしまう。排泄が排泄の範囲を超えたときに、それは悪いことになる。そ
の範囲さえわきまえれば、排泄は、まさに自然な、男としての営みということになる。

 ……なぜ、こんな原稿を書いたかって? 少し前、ワイフと、こんな議論をしたからだ。ワイフ
が、こう言った。「そんなの宣言するほうが、おかしいわよ。だいたい、そんな恥ずかしい話を、
よく書くわね」と。私が、ハレンチ文化との決別を宣言したと話したときのことだ。ワイフは保守
的な女性で、いまだに男性の排泄欲が理解できないらしい。それでそれについて書くことは、
「恥ずかしい話」と。そういうワイフの意見に反論したかったから、この原稿を書いた。
(030701)

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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■7-11

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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

役割混乱

 少し前、W大学の学生らによる、集団輪姦(りんかん)事件が起きた。何ともおぞましい事件
だが、この事件は、起こるべきして起きた。しかもまさに氷山の一角。たいていの大学には、こ
の種の、集団デートサークルがあって、闇に隠れて、好き勝手なことをしている。

 こういう事件が起きると、「なぜ?」という声がわき起こる。しかしそんな疑問など、まったく意
味がない。ここにも書いたように、この事件は、起こるべきして、起きた。つまり大学生に、大学
生としての自覚がない。自分が何をすべきかさえ、わかっていない。どういう方向に進むべきか
も、わかっていない。つまりアイデンテティ(自我同一性)がない。これを心理学では、「役割混
乱」という。

 子どもというのは、その年齢を経るごとに、その方向に沿った、役割を形成していく。小学生
は小学生として、中学生は中学生として……。あるいは男児は男子らしくなり、女児は女子らし
くなる。これを「役割形成」というが、その方向性は、子どもによって、みな違う。違って、当然。
が、ここで問題が起きる。

 その方向に沿って、子どもがそのまま進めばよい。しかしそれが、ときに、たいていは外圧に
よって、混乱することがある。私自身の例で考えてみよう。

 私は、高校二年まで、建築家になるのが夢だった。建築家が無理なら、大工でもよかった。
だからそのころまでは、近所のどこかで新築の家が建ち始めると、毎日のようにその家を見に
いった。カンナやノミも、器用に使いこなせるようになっていた。つまり私はそのころすでに、建
築家としてのアイデンテティをもち始めていたことになる。

 が、高校三年になると同時に、突然、担任の教師が、私の進路を変えてしまった。「君は、K
大の文学部なら、入れるから、そこにしろ」と。当時は、そういう時代だった。が、このとき、私
は、大混乱した。もともと文学は好きではなかったし、その素養もなかった。

 で、こうした混乱は、そのあと、何度も繰りかえし、起きた。高校三年の終わりには、私は担
任に内緒で、志望学部を、文学部から、法学部に変えた。そうなると、混乱というより、メチャメ
チャ。まるで男の子が、ある日突然、髪の毛を長くして、スカートをはくようなものだ。

 何とか、そのあと、私は金沢大学の法文学部法科に入学したが、法律に触れたのは、そのと
きがはじめて。素養どころか、興味も、目的もないまま、法律の勉強をつづけた。もっと正直に
言えば、法律を勉強する前に、それから逃亡したい自分と、そのつど、戦わねばならなかっ
た。

 こうした状態は、いわば宙ぶらりの状態といってもよい。自分を定めることすらできない。たま
たま周囲の友人たちが、まじめで、私を励ましてくれたからよかったものの、もしそれがなく、あ
の状態で、何かの誘惑があったら、私は、その道へ入ってしまっていたかもしれない。事実、一
度、ヤクザの世界に、あこがれたことがある。私がここでいう「役割混乱」というのは、そういう
状態をいう。

 考えてみれば、目的意識をもって大学へ入る子どもは、いったい、どれだけいるというのか。
ほとんどの子どもは、(入れる大学の、入れる学部)という視点で大学を選んでいる。それも少
しでも知名度の高い、有名大学をと、考えている。こういう状況の中で、子どもたちは、どこで、
どのようにして、自分のアイデンテティをもつことができるというのか。

 実は、こうした状態は、すでに子どもが幼児期から始まっている。隣の子が、英語教室へ入
ったという理由だけで、自分の子どもを英語教室へ入れる。隣の子が、○×進学塾へ入った
からという理由だけで、自分の子どもを○×進学塾へ入れる。そういう親は、いくらでもいる。
つまりこうした形で、親自身が、子どもの役割形成を、混乱させている。そしてその結果として、
有名中学があり、進学高校があり、一流大学がある。そもそも子どもに、アイデンテティをもて
というほうが、無理なのである。

 これも私のばあいだが、本気で幼児教育をしようと考えはじめたのは、四〇歳も近くになって
からではないか。それまでの自分は、何をしても、また何をするにも、中途半端だった。つまり
それまでの自分には、アイデンテティがなかった。……というより、混乱したままだった。

 集団輪姦事件を起こした学生らは、まさにそういう学生だったといえる。天下のW大学に、入
るには入ったが、「自分」というものをもっていなかった。「入った」というだけで、目的も中身も
なかった。言いかえると、こういう子どもにしたくなかったら、どこかで子どものアイデンテティを
知り、そのアイデンテティにそった、子育てを組みたてる。たとえば子どもが、大工になりたいと
言ったら、それはそれですばらしいことではないか。ラーメン屋を開きたいと言ったら、それは
それですばらしいことではないか。そういう子どものアイデンテティを無視して、一方的に、「い
い大学へ入れ」と押しつけても、子どもは、混乱するだけである。
(030702)

【追記】世の親たちよ、「いい大学」「一流企業」は、ここでいう「役割」ではない。今、「自分の役
割」を見定めることができず、悩み、苦しみ、そしてもがいている若者が、いかに多いことか。
ひょっとしたら、あなた自身も、そうであったかもしれない。今も、そうかもしれない。しかしそれ
は道にたとえるなら、ムダな回り道。回り道をすればするほど、自分の時間をムダにする。自
分の人生をムダにする。

      ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          
 \※/
  ‖
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞653
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

子どもの性質

 子どもにも生まれつきの性質というものがある。その一つが、敏感児と鈍感児(決して頭が鈍
感という意味ではない)。たとえばA子さん(年長児)は、見るからに繊細な感じのする子どもだ
った。人前に出るとオドオドし、その上、恥ずかしがり屋だった。母親はそういうA子さんをはが
ゆく思っていた。そして私に、「何とかもっとハキハキする子どもにならないものか」と相談してき
た。

 心理反応が過剰な子どもを、敏感児という。ふつう「神経質な子」というときは、この敏感児を
いうが、その程度がさらに超えた子どもを、過敏児という。敏感児と過敏児を合わせると、全体
の約三〇%の子どもが、そうであるとみる。一般的には、精神的過敏児と身体的過敏児に分
けて考える。心に反応が現れる子どもを、精神的過敏児。アレルギーや腹痛、頭痛、下痢、便
秘など、身体に反応が現れる子どもを、身体的過敏児という。A子さんは、まさにその精神的
過敏児だった。

 このタイプの子どもは、(1)感受性と反応性が強く、デリケートな印象を与える。おとなの指示
に対して、ピリピリと反応するため、痛々しく感じたりする。(2)耐久性にもろく、ちょっとしたこと
で泣き出したり、キズついたりしやすい。(3)過敏であるがために、環境になじまず、不適応を
起こしやすい。集団生活になじめないのも、その一つ。そのため体質的疾患(自家中毒、ぜん
息、じんましん)や、神経症を併発しやすい。(4)症状は、一過性、反復性など、定型がない。
そのときは何でもなく、あとになってから症状が出ることもある(参考、高木俊一郎氏)。A子さ
んのケースでも、A子さんは原因不明の発熱に悩まされていた。

  ……というようなことは、教育心理学の辞典にも書いてある。が、こんなタイプの子どももい
る。見た目には鈍感児(いわゆる「フーテンの寅さん」タイプ)だが、たいへん繊細な感覚をもっ
た子どもである。つい油断して冗談を言い合っていたりすると、思わぬところでその子どもの心
にキズをつけてしまう。ワイワイとふざけているから、「ママのおっぱいを飲んでいるなら、ふざ
けていていい」と言ったりすると、家へ帰ってから、親に、「先生にバカにされた」と泣いてみせ
たりする。

このタイプの子どもは、繊細な感覚をもちつつも、それを茶化すことにより、その場をごまかそ
うとする。心の防御作用と言えるもので、表面的にはヘラヘラしていても、心はいつも緊張状態
にある。先生の一言が思わぬ方向へと進み、大事件となるのは、たいていこのタイプと言って
よい。その子ども(年長児)のときも、夜になってから、親から猛烈な抗議の電話がかかってき
た。「母親のおっぱいを飲んでいるとかいないとか、そういうことで息子に恥をかかせるとは、ど
ういうことですか!」と。敏感かどうかということは、必ずしも外見からだけではわからない。

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【3】雑感∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

原稿

 こうした原稿を書くとき、一番、神経をつかうことといえば、いかにして実例を、実例からはず
して書くかということ。そういう意味では、小説家の心境に似ている。実例をそのままズバリ書く
ということは、当然のことながら、許されない。できない。

 たとえばAさんから、家庭問題についての相談があったとする。そういうときは、親類の話にし
てみたり、近所の人の問題にしてみたりする。あるいは、生徒との会話から出てきた話にして
みたりする。

 メールで相談があったときは、その人の許可を求めてから、掲載する。そのとき、その人と特
定できるような部分があれば、修正、訂正する。これは当然の配慮である。部分的に引用する
ときも、私のばあいは、必ず、相手の人に了解を求めている。

 困るのは、名前も住所もない人からの相談。こういうケースでは、質問そのものにも、いっさ
い、答えないようにしている。テーマとしても、取りあげない。本当に、その人自身からの相談
かどうか、わからないからである。仮に、それが転送されてきたようなメールだったりすると、
(そういうことはないかもしれないが……)、あとあとトラブルの原因となりかねない。

 ただ相談に答えていると、ばあいによっては、一、二時間の時間を使うことになる。だからや
はり、相談には、名前と、簡単な住所でよいから、住所を書いてほしい。いくらインターネットの
時代になったとはいえ、これはお願いというより、エチケットのように思う。名前も住所もない人
からのメールを読んでいると、それだけで、不安になる。

 またパソコンの保安の問題もあり、あやしげなメールや、「?」メールは、プレビュー画面に表
示することなく、そのまま削除している。ファイルつきのメールについては、なおさらで、そういう
意味でも、(件名、Re:)のところに、名前と住所を書いてほしい。

 具体的に、こうしたマガジンに掲載する原稿は、どのように書くか、説明してみたい。

 たとえば、近所の女性(六五歳)から、「最近、嫁が孫に会わせてくれない」という話を聞いた
とする。そこで事情を聞くと、その女性が、嫁とけんかしたという。それでその嫁が、いじわるの
ため、自分の子ども(つまり孫)との接触を、禁止しているという。

 こういうケースでは、まず、その孫を、私の生徒に仕立てる。小学一年生の男児とする。そし
てその生徒との会話として、話をつくりあげていく。大切なことは、そういう状況ではなく、中身で
ある。フィクションといえば、フィクションということになるが、それはしかたのないことである。
(読者の方も、そのへんは、了解してくださっていると思う。)

 こうして私のエッセーが生まれる。だから実際あった、プライベートな話をそのまま暴露すると
いうことは、ありえない。一読すると、実際の話のような印象をもつ人もいるかもしれないが、そ
うではない。もしそんなことをすれば、毎週のように、私は、名誉毀損で訴えられることになる。

 が、そういう事情もわからないまま、中には、「林先生には、何も話せない。話すと記事にされ
てしまう」と言っている人がいる。「先生、この話はここだけの話ですよ。マガジンに書かないで
くださいね」と言ってくる人もいる。しかし心配は、ご無用。はやし浩司は、そんな愚か者ではな
い。バカでもない。そういった配慮には、細心の注意を払っている。

 だからもしみなさんの中で、何か相談ごとがあれば、テーマとしていただければ、うれしい。
「老人問題について書いてほしい」とか、「自閉症児について、書いてほしい」とか。一番、手っ
取り早い方法は、掲示板に書きこんでくれること。そうすれば、私のほうから、転載、引用の許
可を求めなくてもすむ。……これは私の勝手なお願いかもしれないが……。

 私は、つぎの鉄則は、守っている。

(1)現在、私の教室に通っている生徒や、その親の話は、いっさい、書かない。(ただし、その
子どもや、親をたたえる記事は、別。)
(2)私が経験した事件では、一〇年前後以前の話のみを、とりあげるようにしている。
(3)身内、親類の話は、(そういう設定で書くことはあるが……)、書かない。
(4)近くで、友人として交際している人から聞いた話は、いっさい、書かない。
(5)腹いせ、報復のための原稿は、絶対に書かない。(これは重要!)
(6)安易な引用、転載は、絶対にしない。すべて了解を得てから書く。(ただしテーマとして取り
あげることは、許してほしい。)

 一応原則なので、ときには、例外もある。そういうときは、その旨、断りを入れる。だから…
…。どうか、安心して、私のエッセーを読んでほしい。またどうか、安心して、私に、いろいろな
ことを話してほしい。私がほしいのは、「テーマ」。何か、未開拓で、未経験の分野のテーマをも
らうと、ゾクゾクとするほど、うれしい。
(030703)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

シェナンドーア

 オーストラリアで、学生生活を送っていたときのこと。カレッジの廊下の横に、音楽室があっ
た。ピアノが置いてあった。私は、さみしくなると、いつもその音楽室に入って、ひとりでピアノを
ひいていた。そのときの曲が、「シェナンドーア(シェナンド川)」である。

 「♪オー、シェナンドーア、私はあなたの娘を愛している。
   ハイホー、あなたは川となって流れ、
   オー、シェナンドーア、私はあなたの娘を愛している。
   遠く、遠く、あなたは、ミズリー川へと、流れる……」

 歌詞は、原詞とは違うかもしれない。長い間歌っている間に、自分で勝手に歌詞を作ってしま
った。私はこの歌を歌うたびに、ゆったりとした気分になれる。だから歌うときも、思いっきり、
ゆったりと歌う。そういう意味では、わかりきったことだが、歌には不思議な力がある。

 ほかに好きな曲と言えば、「上を向いて歩こう」とか、スコットランド民謡の「故郷の空」があ
る。ほかに北山修という人が作詞した、「風」。この曲は、若い人はあまり知らないかもしれな
い。「♪人は誰もただ一人 旅に出て、人は誰も故郷を 振り返る。ちょっぴり淋しくて 振り返
っても、そこにはただ 風が吹いているだけ。人は誰も人生に つまずいて、人は誰も夢破れ 
振り返る……」と歌う。

 多分皆さんもそうだと思うが、それぞれの心の状況に応じた歌というのがあって、そういう状
況になると、その歌が、自然と口に出てくる。で、今は、どういうわけか、……つまり、何もさみ
しいことはないはずだが、シェナンドーアが、口から出てくる。多分、理由は、明日、オーストラ
リアの友人が、名古屋空港に着くからではないか。さきほど、シンガポールにいる彼の奥さん
に電話したところ。「予定通り、名古屋に着くからよろしく」とのこと。

 心の中で、何かが作用して、(友人が来る)→(シェナンドーアを口ずさむ)という現象が起き
ているらしい。そこで私は気がついた。その人が口ずさむ歌を、知れば、そのときのその人の
心理状態を判断することができる、と。さしずめ、これは、フロイトの夢判断に対して、歌判断と
いうことになる。(ははは、またまた新発見!)

 話を戻すが、そんなわけで、私は、去年、アメリカへ行ったとき、ミズーリー川が見たくしてし
かたなかった。シェナンド川は、そのミズーリー川に流れ注いでいるという。アメリカに住む二男
にそのことを話すと、「今度、連れていってやる」と言ってくれた。楽しみだが、あまりアテにして
いない。……というより、あまりアメリカには行きたくない。何しろ飛行機で、一四時間もかか
る。

 ……とまあ、とりとめのないことを書いたが、今の私の気持そのまま。自分でも何が書きたい
のか、また書こうとしているのか、よくわからない。だからこの話はここまで。多分、この原稿
は。ボツになると思う。
(030704)

(今回は、原稿が少ない(?)ので、掲載することにしました。ごめんなさい!)

 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
**\\⊂'↓°⊃//**
*  \\_▽_//  *
    \\∧//
     Y☆Y
     〓〓〓      
    /|||\
     ̄Π ̄Π ̄ 
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

月は、巨大なUFO?

 このところ毎晩、眠る前に、「月の先住者」(ドン・ウィルソン著・たま出版)を読んでいる。かな
り前に買った本だが、それが結構、おもしろい。なかなかよく書けている。要するに、月には、
謎が多いということ。そしてその謎を集約していくと、月は、巨大なUFOということになる、とい
う。

 私が子どものころには、月の危機の海というところに、オニール橋というのがあった。オニー
ル(ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の科学部長であったJ・J・オニール)という科学者が
発見したから、「オニール橋」というようになった(一九五三年七月)。どこかの科学博覧会に行
ったら、その想像図まで展示してあった。一つの峰からつぎの峰にまたがるような、端から橋ま
で、二〇キロもあるような橋だったという。

 が、そんな橋が、月の上にあること自体、おかしなことだった。しかもそんな橋が、それまで発
見されなかったことも、おかしなことだった。それまでに、無数の天文学者が、望遠鏡で月をの
ぞいていたはずである。

 しかし、最大の謎は、その後まもなく、そのオニール橋が、その場所から消えたということ。な
ぜか。その本によれば、あくまでも、その本によればの話だが、それは巨大なUFOだったとい
う。(ありえる!)

 そこでインターネットを使って、オニール橋を調べてみた。ヤフーの検索エンジンを使って、
「月 オニール」で検索してみると、いくつか出てきた。結局、オニール橋は、一部の研究者の
「見まちがい」ということで、公式には処理されているようだ。(残念!)

 私自身は、信じているとかいないとかいうレベルを超えて、UFOの存在は、確信している。ワ
イフと私は、巨大なUFOを目撃している。私たちが見たのは、幅が数キロもあるような巨大な
ものだった。だからオニール橋が、巨大なUFOだったとしても、驚かない。

 しかしこういうのを、私たちの世界では、「ロマン」という。つまり、「夢物語」。だからといって、
どうということもないし、また何ができるということでもない。またそれを基盤に、何かをすること
もない。ただの夢物語。しかし心地よい夢を誘うには、この種の話が、一番。おもしろい。楽し
い。それはちょうど、子どもたちが、かぐや姫の話を聞いて、夜の空に、ファンタジックな夢をは
せるのと同じようなものではないか。

 興味のある人は、その本を読んでみるとよい。しかしあまりハマらないように! UFOの情報
は、インターネットで簡単に手に入るが、そのほとんどのサイトは、どこかの狂信的なグループ
(カルト)が、運営している。じゅうぶん注意されたし。

(030702)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

老人たちよ、もっとボランティア活動に参加しよう!

 子どもたちのボランティア活動がさかんになってきている。それはそれですばらしいことだ。し
かし問題は、老人たち。

 私の住む住宅地域には、老人が、たいへん多い。しかもこのあたりの人は、どの人も、優雅
な(?)老後生活を楽しんでいる。そういう人たちに、個人的な感情はない。私が知っている人
は、みな、よい人だ。しかし疑問がないわけではない。

 私はここに住むようになって、二六年になる。が、私じゃ、こうした老人たちが、地域活動にせ
よ、ボランティア活動にせよ、「公(おうやけ)」のために奉仕活動をしているのを、私は見たこと
がない。あるいは、ざっとみて、自治会の仕事など、何かの活動をしている老人は、二〇人に
一人くらいではないか。(現在の自治会長のK氏は、今でも、農業を営んでいる。)

 たとえば私の家の近くに広場があり、そこは老人たちのかっこうの憩いの場になっている。の
どかな風景だが、では、こうした老人たちが、たとえば、その周辺のゴミ集めや草刈りをするか
といえば、そういうことは、まったくない。ただ集まって、遊んでいるだけ。とくに、男性が、ひど
い。何もしない。まったく何もしない。

 そこで私の問題。私も、そろそろ老人の仲間入りの年齢になってきた。あと一〇年もすれば、
立派な老人だ。そこで「好かれるため」というレベルの話ではなく、「生きがいを得るため」に、
もっと地域のために奉仕活動をすべきではないかと、考え始めている。

 こんな話をすると、T町に住むI氏(六二歳)は、こう言った。I氏は、地域の奉仕活動を、いつ
も自ら買ってでるような人である。「いかにして、自分の人生を、社会に還元するか。それが今
の、私のテーマです」と。しかしそういうふうに考える老人は、それほど多くない。少なくとも、そ
の広場に集まる老人たちには、そういう姿勢を感じない。

 そこで提言。世の老人たちよ、もっとボランティア活動をしようではないか。そして社会に奉仕
し、かりに年金を手にしているなら、その年金を、社会に還元しようではないか。私たちは、先
輩なのだ。社会の先人なのだ。そういう自覚をもって、これからあとにつづく若い人たちのため
に、その見本を見せようではないか。

 今のままでは、老人、つまり私たちは、ますます社会の粗大ゴミになるだけ。嫌われるだけ。
そのうち、「早く死んでくれたほうが、日本のためになる」と言われるようになるかもしれない。し
かしそんなことを言われるようになったら、それこそ、おしまい。それほどさみしい老後生活は
ない。私たちがなぜ生きるかといえば、自分のしてきたことの「価値」を、つぎの世代に伝える
ためである。しかしそれができないというのであれば、自ら、それまでの人生を否定することに
なってしまう。何としても、それだけは避けなければならない。
(030702)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

防毒マスク

 インターネットの通信販売で、防毒マスク(細菌兵器、化学兵器兼用)を、二つ、購入した。予
算的には、二つが限度。一個は、横浜に住む三男に送るつもり。横浜は、アメリカ軍基地のあ
る、横須賀に近い。もう一個は……。

 一個、七五〇〇円。二個で、一万五〇〇〇円。実際、手にとってみると、不快感が、ズシリと
胸をふさぐ。こういうものを用意したという自分が、なさけない。「自分だけ助かろう」としている
自分が、許しがたい。何という重苦しさ。心にベットリと、どす黒い油が塗られたような感じ。し
かし……。

 この浜松とて、無事ではない。航空自衛隊の浜松基地には、エーワックスという、戦略レーダ
ー搭載機が、常駐している。事実、脱北した北朝鮮の元工作員によると、この浜松も、北朝鮮
の攻撃目標になっているという。風の強さにもよるのだろうが、化学兵器搭載のミサイルが、一
発落ちれば、瞬時に、数万人の人が死ぬという。(韓国軍の試算では、ソウルに、五〇発落ち
れば、四〇〇万人の人が、その場で死亡するという。ゾーッ!)

 さらにTBSの報道によれば、「アメリカの有力紙NYタイムズは、CIA高官の情報として、北朝
鮮が小型核弾頭をすでに 開発していると報じた」(6・02)とのこと。「目標は、日本」とも。これ
またゾーッ!

 しかし一個しかない、防毒マスク。どう使うか。まさかワイフと二人で、使うわけにもいかない。
私が使うか……? それともワイフが使うか……? もし危機が迫れば、多分、どちらも使わな
いだろうと思う。どちらが使っても、生き残ったほうが、あとで後悔する。となると、一個は、長男
にあげるしかない。

 しかし、日本に蔓延(まんえん)する、こののんきさは、何か? これほどまでに危機が、差し
迫っているというのに、その緊迫感がない。アメリカは、経済制裁も辞さないと言っている。北
朝鮮は、経済制裁したら、即、戦争と息巻いている。本来なら、防空演習や避難訓練を、しても
よいはず。

 ところで、このところ気になるのは、自衛隊の浜松基地が、にわかに騒々しくなってきたこと。
見たこともないような飛行機が離発着を繰りかえしている。以前は、一週間に一、二度しか上
空を横切らなかったヘリコプターも、毎日のように、何回も行き来している。一般の人たちが知
らないところで、きっと、何かが始まっているに違いない。

 先週、三男が横浜から帰ってきたとき、私は、こう言った。「何か、あやしげな動きがあった
ら、すぐ浜松のほうへ帰ってこい。それに間に合わなければ、風上の山の方角に逃げろ」と。
「政府が何かをしてくれるだろうとか、アメリカが何とかしてくれるだろうとか、そんなふうに、考
えてはいけない。自分を守るのは、自分しかいない」とも。

 防毒マスクなど、気休めにしかならないかもしれない。それはわかっているが、座して死を待
つわけにもいかない。とにかく、ほかにも、できることはしておこう。油断大敵。備えあれば、憂
いなし。しかしそれにしても、いやな時代になったものだ。平和がこんなにも、もろいものだった
とは……。それに、今まで心の中に積み重ねてきたものが、ガラガラと音をたてて崩れていくよ
うに感ずる。

戦争という状況下では、倫理や道徳など、日なたに浮かぶ、かげろうのようなもの。平和を守
るということは、同時に、私たちが積み重ねてきた、倫理や道徳を守るということにもなる。教
育論にせよ、子育て論にせよ、平和があってはじめて成りたつもの。何としても、平和だけは守
らねばならない。
(030703)

     ▲   ▲
    ▲▼▼ ▼▼▲
   ▼  ▲◎▲  ▼
     ▲◎◎▲▲
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    ▼  口  ▼         何か、テーマがあれば、お寄せください。
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ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・11 ……浜北市・内野小学校
10・ 4 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9・12  ……愛知県岩倉市
9・ 9  ……愛知県稲沢市福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
8・ 6  ……浜北市・北浜北小学校
8・ 2  ……浜松市Iホール(静岡県教職員組合浜松支部研修会)
7・31  ……浜松市東部公民館
7・10  ……湖西市教育委員会・家庭学級講座
7・ 9  ……豊岡小学校
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・28  ……富塚中学校区(小学校)健全育成会
詳しい講演日時は、
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■7-13

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【今週の幼児教室から】

 今週は、英語の勉強をした。ところどころ、英語だけで物語を話してあげたり、算数の問題を
出したりした。ここ数年、物語は、桃太郎をとりあげている。

 で、英語の話をしながら、(1)映画「ジョーズ」の最初の冒頭画面で、裸で泳いでいる女性
が、ジョーズに食いちぎられるシーン、(2)映画「タイタニック」の中で、ローズが、笛を吹いて助
けを求めるシーンを、まねして見せた。どちらも、私の得意芸。子どもたちは、そして参観の母
親たちも、ゲラゲラ笑っていた。(どちらも、英語に関係あるぞ! ジョーズの中では、「HEL
P!」を教える。タイタニックでは、「COME BACK!」を教える。こういう教え方をすると、子ど
もたちは、すぐ覚える。)
 
 幼児教室では、こうした笑いは欠かせない。やり方をまちがえると、母親たちが、神経質にな
ってしまう。そういう雰囲気を、やわらげる効果がある。とくに私の教室は、すべて参観授業。
要するに、教える側が、楽しむということ。そういう雰囲気が、子どもをなごやかにし、ついで母
親たちをなごやかにする。あとはその相乗効果というか、その雰囲気の中で、子どもたちは前
向きに伸びていく。

 私の教室では、私が鉛筆一本、落としただけで、子どもたちはゲラゲラ笑う。じっとにらんだ
だけで、子どもたちはゲラゲラ笑う。立ったり座ったりするだけで、子どもたちはゲラゲラ笑う。
そういう意味では、子どもたちは、笑いをつくる天才か。何でも、笑いに変えてしまう。(ウソでは
ないぞ! このマガジンの読者の中には、教室の母親も多いから、ウソは書けない。)

 レッスンが終わったとき、子どもたちに、「英語は好きか?」と聞くと、子どもたちは、「大好
き!」と答える。それが英語を教えた目的。あとは子ども自身の力で伸びればよい。それが私
の教え方。
(030706)

      ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐          
 \※/
  ‖
   ̄
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞653
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

伸びる子ども、伸び悩む子ども

「あなたはどんどん伸びる」「あなたはすばらしい子になる」と。そんな前向きな暗示が子どもを
伸ばす。実際、前向きに伸びていく子どもは、やや自信過剰なところがあり、挫折しても、それ
を乗り越えてさらに前に進んでいく力をもっている。そういう意味でも、この時期、とくに幼児期
から少年少女期にかけては、子どもはやや自信過剰なほうが、あとあとすばらしい子どもにな
る。

 反対に子どもの「力」をつぶしてしまう親がいる。力というより、伸びる芽をつんでしまう。過関
心や過干渉など。親はよく、「生まれつき……」という言葉を使うが、生まれつきそうであるかど
うかは、神様でもわからない。(それとも、あなたは赤ちゃんを見て、それがわかるというのだろ
うか?)そういう子どもにしたのは、親自身にほかならない。

そこで伸びる子どもと、そうでない子どもを分けると、つぎのようになる。
伸びる子ども……ものごとに攻撃的かつ積極的。「やる」「やりたい」という言葉が、子どもの口
からよく出る。現実感が強く、ものの考え方が実利的になる。頼れるのは自分だけというような
考え方をする。ほしいものがある。目の前にはお金がある。こういうときセルフコントロールが
でき、自分の行為にブレーキをかけることができる。自制心が強く、そのお金には手を出さな
い。将来性のある創造的な趣味をもつ。たとえば「お金をためて楽器を買う。その楽器でコンク
ールに出る」「友だちの誕生日のプレゼント用に、船の模型を作る」など。前向きに伸びようと
する。

伸び悩む子ども……ものごとに防衛的かつ消極的。「いやだ」「つまらない」という言葉が多い。
ものの考え方が非現実的になり、空想や神秘的なものにあこがれや期待を抱いたりする。一
時的な快楽を求める傾向が強く、趣味も退行的かつ非生産的。たとえば意味もないカードやお
もちゃをたくさん集める、など。もらった小遣いも、すぐ使ってしまう。衝動性が強くなり、ほしい
ものに対して、ブレーキをかけられない。盗んだお金で、ほしいものを買っても、欲望を満足さ
せたという喜びのほうが強く、悪いことをしたという意識がない。

    ☆ 
  。゜。☆。゜。    〃〃〃 〜♪
 ┏┫…┃ ┃…┣┓   σσ )
/◯┃‥┃ ┃…┃◯\__ワ_/⌒
/┗┫・┃ ┃‥┣┛\__ . │┐
  ┗━┛ ┗━┛    \' ││
━━┳━━━━━┳━━  /゜―」│ このマガジンが役立ちそうな人が
  ┃     ┃   ///─┘┤   いらっしゃれば、このマガジン
  ┃     ┃  刧凵^ | │  のことを話していただけませんか。
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

自我をつぶす

 親が子どもの設計図を、ある程度もつことは、しかたないとしても、それを子どもに押しつけ
てはいけない。無理をすれば、子ども自身の自我をつぶしてしまう。その結果、その子どもは、
わけのわからない子どもになってしまう。

 ここで「わけのわからない子ども」と書いたが、本当に、わけがわからない。この表現が、一
番、的確。何をしたいのか、何を望んでいるのか、どこに向っているのか、どこに子どもの心が
あるのか、それがまったくわからない。

 昔、G君(年長男児)という子どもがいた。彼がそのタイプの子どもだった。皆がゲラゲラ笑っ
ているときでさえ、笑っていいのかどうかとまどいながら、にが虫をかみつぶしたような顔をして
いた。わざとソッポを向いて、知らぬ顔をしてみせたりしていた。原因は、すぐわかった。

 母親が参観していたが、その視線が、教えている私の心をつらぬくほど、強烈だった。母親
は、G君のこまかい動きにまで視線を投げかけ、まさにそれを監視していた。異常な過関心と
過干渉。それが日常化しているようだった。

 こうした母親の背景にあるのは、母親自身の子どもへの不信感。もっと言えば、母親自身
が、子どもとの間に、信頼関係を結べない。たいていのばあい、不幸にして、不幸な家庭に育
った母親とみる。つまり母親自身が、子どもに対して、全幅に心を開いていない。……開くこと
ができない。独特の会話をするので、それがわかる。

私「元気がないようですが?」
母「いえ、私が迎えにくるのが、少し遅れたからです」
私「……今日だけではなく、このところずっと、そうですが」
母「いえ、そんなことはありません。音楽教室のほうでは、元気にやっています」
私「どこかで過負担になっているような気がするのですが……」
母「それはないと思います。きのうも、公園で、一日中、サッカーをしていましたから」と。

 このタイプの母親は、「子どものことは、私が一番よく知っている」と言わんばかりに、子ども
のことを、つぎつぎと、自分で決めてしまう。心の中まで、決めてしまう。

私「サッカーは、好きなのですか」
母「好きです」
私「ほかに何か、楽しむようなことはありませんか」
母「ありません」と。

 こういうケースでは、(こういうケースは、多くはないが……)、子どもを指導するというより、母
親を指導しなければならない。しかしガチガチに、石のようになってしまった母親の頭を、どこ
からどう変えたらよいのか。実際には、不可能。母親自身の幼児期の体験とからんでいるた
め、その「根」は深い。

 広く誤解されているが、幼児教育は、母親教育。母親の教育なくして、幼児教育は、ありえな
い。また母親の協力なくして、子どもを伸ばすことはできない。しかしこのタイプの母親には、そ
れがない。たいてい「自分は、完ぺきな、すばらしい親」と思いこんでいる。概して母親の学歴も
高い。

 いろいろなケースがあるが、そのG君のケースでは、私のほうから、「この教室は、G君に合
っていないような気がします」と告げた。が、これには母親が猛反発した。「楽しんできていま
す」「問題はない」「合っている」と。で、結局、二年間、私はG君を教えさせてもらった。当時の
記録には、こうある。

+++++++++++++++++++++

【G君、XX年Y月生まれ】

 極端なひねくれ症状あり。「よくできたね」とほめてあげても、「そんなはずはない」というような
表情をして、プイと横を向いてしまう。数日前も、「この教室は楽しいか?」と声をかけると、私
から視線をはずしてしまった。「来たい」とも言えなかったのだろう。反対に「来たくない」と言え
ば、母親に叱られるかもしれない。そんなような表情だった。私というより、おとなに対して、強
い不信感をもっているよう。

 入会時に母親と話したが、母親は、一度も、「入れていただけますか?」とは聞かなかった。
当然、入会できるという、傲慢(ごうまん)な態度だった。(私の教室は、そういう教室ではない
はずだが……。)そして一方的に、「うちの子は、やればできるはず。ビシビシと、しぼってほし
い」と言った。私はその言葉を聞いて、気が重くなった。

+++++++++++++++++++++

 結局、このG君のケースでは、母親は最後の最後まで、自分の姿を見ることができなかった
ようだ。それとなく何度も、「子どもに任せなさい」「もっと、自由にさせてあげなさい」「家では、も
っとほめてあげてください」と言ったが、ムダだった。小学校への入学が近づくと、母親の緊張
感はますます高まっていった。そしてそのまま私の教室を去っていった。「今度、K塾に入れま
すから」と。あっけない別れ方だった。

 この時期、つまり年中児くらいまでに、一度、自我をつぶしてしまうと、それ以後、子どもが立
ちなおるということは、まずない。子ども自身の問題というより、母親、さらに家庭環境の問題
がからむからである。で、最後は、行き着くところまで、行く。そしてにっちもさっちも行かなくな
って、母親は、はじめて自分に気づく。G君のケースでも、四、五年生のころからツッパリ症状
が現れ、中学校へ入るころには、非行グループに入り、学校へはほとんど来なくなってしまった
という。

 もう一度、「すなおな子ども」について、おさらいをしておきたい。

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仮面をかぶらせるな

 心(情意)と表情が遊離し始めると、子どもは仮面をかぶるようになる。表面的にはよい子ぶ
ったり、柔和な表情を浮かべて親や教師の言うことに従ったりする。しかし仮面は仮面。その
仮面の下で、子どもは親や教師の印象とはまったく別のことを考えるようになる。これがこわ
い。

 すなおな子どもというのは、心と表情が一致し、性格的なゆがみのない子どものことをいう。
不愉快だったら不愉快そうな顔をする。うれしいときには、うれしそうな顔をする。そういう子ど
もをすなおな子どもという。が、たとえば家庭崩壊、育児拒否、愛情不足、親の暴力や虐待が
日常化すると、子どもの心はいつも緊張状態に置かれ、そういう状態のところに不安が入り込
むと、その不安を解消しようと、情緒が一挙に不安定になる。

突発的に激怒する子どももいるが、反対にそうした不安定さを内へ内へとためこんでしまう子
どももいる。そしてその結果、仮面をかぶるようになる。一見愛想はよいが、他人に心を許さな
い。あるいは他人に裏切られる前に、自分から相手を裏切ったりする。よくある例は、自分が
好意をよせている相手に対して、わざと意地悪をしたり、いじめたりするなど。屈折した心の状
態が、ひねくれ、いじけ、ひがみ、つっぱりなどの症状を引き起こすこともある。

 そこでテスト。あなたの子どもはあなたの前で、言いたいことを言い、したいことをしているだ
ろうか。もしそうであれば問題はない。しかしどこか他人行儀で、よそよそしく、あなたから見
て、「何を考えているかわからない」といったふうであれば、家庭のあり方をかなり反省したほう
がよい。子どもに「バカ!」と言われ怒る親もいる。平気な親もいる。「バカ!」と言うことを許せ
というのではないが、そういうことが言えないほどまでに、子どもをおさえ込んではいけない。

子どもの心は風船のようなもの。どこかで力を加えると、そのひずみは、別のどこかに必ず表
れる。で、もしあなたがあなたの子どもに、そんな「ひずみ」を感ずるなら、子どもの心を開放さ
せることを第一に考え、親のリズムを子どもに合わせる。「私は親だ」式の権威主義があれ
ば、改める。そしてその時期は早ければ早いほどよい。満六歳でこうした症状が一度出たら、
子どもをなおすのに六年かかると思うこと。満一〇歳で出たら、一〇年かかると思うこと。心と
いうのはそういうもので、簡単にはなおらない。無理をすればするほど逆効果になるので、注
意する。  

+++++++++++++++++++

同じようなテーマで書いたのが、つぎの原稿です。
内容が一部ダブりますが、お許しください。

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たくましさは緊急時にわかる

 やさしさ……ブランコを横取りされたとき、ニコニコ笑いながら、黙って明け渡すような子ども
を、「やさしい子ども」と誤解している人がいる。しかしそういう子どもを、やさしい子どもとは言
わない。やさしい子どもというのは、相手を喜ばすことを知っている子どもをいう。ある男の子
(年長男児)は幼稚園でみかけると、いつもだれかを三輪車に乗せ、それを押していた。で、あ
る日、私が「たまには君が押してもらってはどう?」と聞くと、その子どもはこう言った。「ぼくはこ
のほうが楽しいもん」と。そういう子どもをやさしい子どもという。

 まじめ……言われたことをきちんとする子どもを、「まじめな子」と誤解している人がいる。従
順で、すなおな子どもを、だ。しかしこれも誤解。まじめな子どもというのは、自らを律する力を
もっている子どもをいう。こんな子ども(小三女児)がいた。バス停でたまたま出あったので、
「ジュースを買ってあげようか」と声をかけたときのこと。その子どもはこう言った。「これから家
でごはんを食べますからいいです」と。こういう子どもをまじめな子どもという。

 がまん……サッカーならサッカーを一日しているから、がまん強いということにはならない。そ
の子どもは好きなことをしているだけ。子どもにとって、がまんとは、いやなことをする力のこと
をいう。たとえば台所の生ゴミを手で始末するなど。おばあさんの吐いたものを、タオルでぬぐ
ってあげていた子ども(年長女児)がいたが、そういう子どもをがまん強い子どもという。

 すなお……心の状態と顔の表情が一致している子どもをすなおな子どもという。あるいは、い
じけ、ひがみ、つっぱり、がんこなど、心のゆがみのない子どもをすなおな子どもという。子ども
は、おとなもそうだが、心がゆがんでくると、心の状態と表情が一致しなくなる。これを心理学
の世界では、「遊離」と呼んでいる。こうした遊離は、たいへん危険なものである。親からすれ
ば、「何を考えているか、わけのわからない子ども」ということになる。子どもはその表情の裏
で、心をゆがめる。

 最後に、たくましさ……子どものたくましさは、緊急時をみて判断する。けんかが強いとか、そ
ういうことではない。ある子ども(年長男児)は、急用で家をあけなければならなくなったとき、食
事の世話、戸締り、消灯など、さらには妹の世話まで、すべてをひとりでやりこなした。こういう
子どもをたくましい子どもという。母親は「やらせればできるものですねえ」と笑っていた。

++++++++++++++++++++

 あなたは、子どもとの間で、信頼関係を築いているだろうか。また築くことができるだろうか。
心を許し、開いているだろうか。もしそうなら、それでよし。しかしそうでないなら、子どもに何か
問題が起きてからでは遅い。今から、そして今日から、心を許し、心を開いてほしい。つぎのよ
うなタイプの母親は、人との信頼関係が結べないという点で、注意したらよい。

【自己診断】

●概して、他人とのつきあいが苦手。つきあうとしても、気が合う人でないと、すぐ疲れてしま
う。人の好き嫌いがはげしく、嫌いになると、とことん嫌いになる。
●他人のささいな失敗や、いやな点が気になり、それを許せないと思うことが多い。そしてその
分、自分では完ぺきさを求めやすい。
●いつもよい人ぶるところがある。自分の心をさらけ出すことができない。仮面をかぶりやす
く、いい人と思われていないところでは、気が休まらない。
●夫や子どもというのは、自分のさみしさを紛らわす道具のようなもの。自分の思いどおりにな
らないと、不愉快。自分が一番正しいと思うことが多い。
●人にベタベタしたいと思う反面、ベタベタされると、うるさく感ずる。その振幅が、人と比べて
も、はげしく、大きい。

簡単なことのようだが、子どもを信頼するということは、(それができる人は、自然な形でできる
が)、本当にむずかしい。ひょっとしたら、あなた自身も、「私はだいじょうぶ」と思っているかも
しれない。しかし、そう思いこんでいるだけ? 一度、自分の心の中をのぞいてみるとよい。意
外と、意外……ということもある。

(心が開けない人へ)

 自分を飾るのをやめよう。
 あるがままの自分を、さらけ出してみよう。
 そしてそれを一年単位でつづけてみよう。
 一年! 一か月や二か月ではない。一年!
 この問題の解決のためには、
 それくらいの時間はかかる。
 とりあえずは、まずあなたの夫に、
 つぎにあなたの子どもに、
 そしてあなたの親や兄弟に、
 あるがままの自分を、さらけ出し手みよう。
 あなたの周囲の人も、あなたがそうしてくれるのを
 待っている。
 そういう人の心の暖かさを信じて、
 そうしてみよう。
 やがてあなたの心の中を、さわやかな風が
 通り始める。
 それを信じて、あなたは心を開いてみよう。
 
(030706)

 **  /Τ\  **
***ミ☆川川川☆彡***
**\\⊂'↓°⊃//**
*  \\_▽_//  *
    \\∧//
     Y☆Y
     〓〓〓      
    /|||\
     ̄Π ̄Π ̄ 
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

友を迎える

【初日・金曜日】

 まれに見る豪雨。心配していたが、翌朝は、かなり晴れていた。私は、午前六時三〇分発の
新幹線で、名古屋に向った。

 少し遅れて出発したが、名古屋には定刻に着いた。駅を出ると、道の反対側にある、バス停
に歩いた。そこから名古屋空港行きのシャトルバスに乗る。

 空港へは、予定より、ぐんと早く着いた。国際線の到着案内ボードを見ると、名古屋着が、予
定より三〇分遅れとあった。飛行機ではよくあること。一時間ほどあったので、私はイスに座っ
て、目を閉じた。

 その前の夜は、よく眠られなかった。寝る前に濃いお茶を飲んだのが、悪かった。で、結局、
朝の三時まで、起きていた。計算すると、数時間しか眠っていないことになる。「体がもつだろう
か?」と、自分でも心配になった。

 午前九時少し過ぎ、友人のB君が、奥さんといっしょに、ゲートから出てきた。私たちは抱き
あって、再会を喜んだ。B君が、太ったことは、写真などから知っていたが、さらに太ったよう
だ。歩くのも苦しそうな姿を見て、思わず、涙が出る。久しぶりの再会で、うれしかったこともあ
るのだが……。

 空港からは、タクシーで駅に向う。途中、時間を惜しんで、話しあう。家族のことや、友人たち
のこと。それにそれまでの人生のこと。B君は、さかんに、自分が太ってしまったことを茶化して
笑っていたが、私は、それについては、何も言わなかった。……言えなかった。ときどき「あの
スマートだった、Bは、どこへ行ったのか?」と思ったが、そう思ったとたん、悲しくなった。

 「どこも体のぐあいは悪くない」と、B君は、さかんに言っていたが、悪くないはずはない。少し
歩いただけで、額から透明な汗をタラタラと流していた。その汗を隠しながら、また、「ぼくは、O
Kだ」と言う。「こんなことでは、また会うことができないではないか」と、私は思った。一〇年後
にせよ、二〇年後にせよ、また会うことができるという期待があるからこそ、人はその人と別れ
ることができる。

 浜松駅へ着くと、ワイフが車で迎えにきてくれていた。簡単なあいさつをすますと、私たちは、
山荘に向った。B君の奥さんは、目ざとく、いろいろなものを発見して、そのつど、鋭い質問を
投げかけてきた。

 「この道路は、姫街道(クィーズ・ロード)と言ってね、女性しか通れなかった」と、私。
 「では、その東海道というのは、男しか通れなかったのか?」と、奥さん。
 「……そういうことはなかったと思う。姫街道というのは、殿様の奥さんのことを言った」
 「どうして男性と女性で、道を分けたのか?」
 「東海道のほうは、船に乗ったりしなければならなかったからではないか」
 「女性は、船に乗ってはいけなかったのか?」
 「そういうことはなかったと思うが、……よくわからない」

 何ともいいかげんな説明がつづく。車は姫街道を、そのままH町のほうへと走りつづけた。通
りなれた道だが、その日はすべてが違って見えた。多分、B君や奥さんの目を通して、まわり
の風景を見ていたからではないか。B君にしてみれば、三〇年ぶりの日本だった。

 「日本は、変わったと思うか」と、私。
 「うん、変わったと思うね」と、B君。
 「どう、変わった?」
 「変わったものが何かわからないほど、変わった」

 山荘へは昼ごろ、着いた。私たちは用意していた焼きそばを作り始めた。私が「日本では、
代表的な料理だ」と言うと、「それがいい、それがいい」と笑った。焼きそばは、一番簡単で、そ
れに失敗がない。テーブルの上で野菜や、シーフードを焼いていると、「日本では、テーブルの
上で焼くのか?」と、さかんに驚いていた。「オーストラリアでは、しないのか?」と聞くと、「しな
い」と。

 奥さんも、B君の肥満のことを心配しているようで、さかんに、あれこれ世話を焼いていた。奥
さんは、女医さんで、その点は心配ない。私が油を鉄板の上に流していると、「それは何の油
か?」と、心配していた。

 B君は、やさしい男だった。学生時代も、何かわからないことがあると、彼だけは最後の最後
まで、いろいろと私に教えてくれた。今となっては、それが何だったのかはよく覚えていないが、
彼のそばにいるだけで、ほっとする。その温もりこそが、私とB君が、学生時代、たがいにつく
りあげたものだ。

 その日は、午後二時ごろ別れる。「四時から、ティーチングがあるから」と言うと、そのまま納
得してくれた。本当のところは、眠くてしかたなかった。

【二日目・土曜日】

 朝は涼しかった。「よかった」と思った。山荘には、クーラーがない。私はひと通りの家事や雑
務をすますと、山荘に向った。途中で、ビデオショップで、ビデオを借りる。夜の山荘は、過ごし
方をまちがえると、退屈でしかたない。「ジョンQ」「バイオ・ハザード」「ロード・ツ・パーティショ
ン」など。

 うなぎを焼こうと思ったが、B君が、「携帯電話がほしい」と言って、一歩もゆずらない。B君
は、そういう融通のきかないところが、昔からある。見知らぬ異文化の国にいるから、何らかの
形で、オーストラリアと直接、つながっていたいのだろう。今では、トイレの中にさえ、携帯電話
をもっていく人がいる。B君も、そのタイプ?

 私たちは、外で昼食を食べることにして、でかけた。まず、浜松周辺で最大の観光スポット
の、「半僧坊」へ。私たちは「半僧坊」と呼んでいるが、正式には、臨済宗方広寺という。修行寺
になっている。土曜日だというのに、ガラガラ。本堂を一周する間も、ほかにだれとも会わなか
った。急な坂が多いだけに、B君が苦しそうだった。私が何度も手を貸そうとすると、半分笑い
ながら、しかしどこか悲しそうに、「OK」「OK」を繰りかえした。

 半僧坊の門を出たところにある茶屋で、私たちは、ソバやうどんを食べた。門を出て右側に
ある茶屋だが、おそらく浜松周辺では、一番おいしい店ではないか。私とワイフは、ソバやうど
んが食べたくなると、いつもこの店まで来て食べることにしている。そういうわけで、私たちには
食べなれた味だが、B君と彼の奥さんには、そうではない。どんな表情をして食べるか、気にな
った。

 「どんな味がするか?」と私。
 「おいしい」と、B君。実際には、「GOOD」とか、「NOT BAD」と言った。オーストラリアで、
「NOT BAD」と言うのは、「とてもいい」という意味になる。いつか、B君が、私にそう説明してく
れた。一番いいのが、「NOT BAD」。つぎにいいのが、「GOOD」。反対に、一番悪いのが、
「NOT GOOD」。つぎに悪いのが、「BAD」と。

 そこを出て、龍潭寺(りょうたんじ)へ寄り、フラワーパークに向った。龍潭寺は、井伊家の菩
提寺でもあるが、その美しい庭園でもよく知られている。が、ここも土曜日だというのに、ガラガ
ラ。おとといの大雨が災いしたのかもしれない。あるいは梅雨時で、みな、旅行をひかえている
ためかもしれない。私たちは、ゆったりとした気分で、いっしょに観光を楽しむことができた。も
っぱら、私が奥さんの世話をし、ワイフが、B君の世話をした。

 で、やっと、携帯電話ショップを発見。そこで使い捨ての携帯電話を買う。三〇〇〇円のカー
ドと両方で、一万円弱。が、ここからがたいへんだった。オーストラリアには、使い捨ての携帯
電話というのが、ないらしい。あれこれ説明を受けて、一時間もかかった。店員さんが、親切だ
ったのが、よかった。

 しかし、それにしても、携帯電話がここまで進化しているとは? 国際電話も、そのままかけ
られる。私がワイフに、「ぼくたちもほしくなったね」と声をかけると、「何に使うの?」と。携帯電
話中毒というのもあるから、ああいったものは、なければないで、そのほうがよい。便利すぎる
ものには、それなりの麻薬性がある。「そうだな」と言ったまま、買いたいと思う心を、消した。

 私の自宅で一服したあと、中国レストランで夕食。そして山荘へ。時刻は午後九時をすぎてい
た。私たちは、そのまま家に帰った。

 ……そんなわけで、今日はパソコンに向ったのは、三〇分だけ。その三〇分で、ここまで書
いた。頭の中には、モヤモヤしたものがいっぱいあるが、今は、それを吐き出す気力もない。
だから、今日は、ここまで。何ともつまらない日記になってしまったが、許してほしい。では、お
やすみなさい。
(03−0705)

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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■7-15-3

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

自己開示(2)

 自分をさらけ出すことを、自己開示という。そしてそれが極限にまで達したのを、「カタルシス
(除反応)」※という。心を最大限、開放させることにより、心理的、精神的負担を軽減させるこ
とをいう。

 他人との信頼関係をうまく結べない人は、まず自己開示をしてみるとよい、あなたが妻であれ
ば、夫や子どもに対して。あなたが夫であれば、妻や子どもに対して。家族には、そういう機能
がある……というより、これは家族の重要な機能の一つと考えてよい。

 方法としては、自分の過去を、あらいざらい、すべて告白するというのがある。悲しかった思
い出、つらかった思い出、恥ずかしかった思い出など。心の中に秘めている思い出を、すべて
吐き出してみる。

 これはたいへん勇気のいることだが、しかし自己開示することによって、あなたは自分の心を
開放することができる。が、それだけではない。自己開示することによって、(1)相手もあなた
に自己開示する。(2)あなたもそれまで気づかなかった自分に気づくことができるようになる。

 私はときどき、中学生に、こんな作文を書かせる。

【つぎの文につなげて、作文を書いてください。】

●私にとって、今まで、一番楽しかったことは、
●私にとって、今まで、一番悲しかったことは、
●私にとって、今まで、一番うれしかったことは、
●私にとって、今まで、一番つらかったことは、
●私には、人に話せないような思い出が、

ほかにもいろいろあるが、子どもが書く内容は、それほど重要ではない。(また、内容について
は、一切、不問にすること。)その子どもがどこまで、具体的に自己開示するかで、たがいの信
頼関係の深さを知ることできる。つぎに、子ども自身が、仮面をかぶっているかどうか、どこま
で自分と向き合っているかどうか、心の問題をもっているかどうかなどを、知ることができる。
「のぞく」という言葉は、あまり好きではないが、しかし、この方法で、子どもの心の中を、のぞく
ことができる。家庭では、たとえば、子どもに向かって、「あなたにとって、今まで、一番うれしか
ったことは、どんなこと?」というように聞いてみるとよい。

……と、書いたが、あなた自身はどうかということを、自問してみてほしい。

 あなたが妻なら、夫に話せない話もあるはず。結婚前の男性関係とか、身体的なコンプレッ
クスとか、など。子どものころの家庭環境も、それに含まれるかもしれない。もしそういうのがあ
れば、思い切って、夫に話してみる。

 あなたはそれで、人間関係が壊れると思っているかもしれないが、多少の混乱を経て、あな
たと夫の心の絆(きずな)は、それで太くなるはず。とくに、他人との人間関係がうまく結べない
人、他人と接すると、すぐ神経疲労を起こす人などは、まず、身近な人に対して自己開示して
みるとよい。つまりこうして、自分の心を作り変えていく。

 もっとも注意しなければならないのは、他人への自己開示である。信頼基盤そのものがない
人に、自己開示するのは、危険なことでもある。そういうときは、相手をより深く理解するという
方法に切りかえる。たとえば……。

 日ごろ、相手が、言いたいと思っていること、知りたいと思っていることを、相手の立場になっ
て聞く。「この前、あなたはこう言ったけど、その意味がよくわからないから、もう一度、話してく
れない」「あなたの言うことはよくわかるけど、もし私だったら、どうするか、いろいろ考えてみた
わ」とか。相手をより深く理解しようとしよう姿勢を見せることで、同時に、自分もまた相手に対
して、自己開示することができる。

 前にも書いたが、自己開示をすることは、違いの信頼関係を築く、基盤となる。たがいにわけ
のわからない状態で、信頼関係を結ぶことはできない。さあ、あなたも勇気を出して、自己開示
してみよう。心を解き放ってみよう!
(030707)

(ア)……自己開示することで、心理的、精神的負担を軽減することができる。ばあいによって
は、症状が焼失することもあるという。これをカタルシス効果という。自己開示には、そういう作
用もある。

++++++++++++++++++

【追記】
 
 四人の子どもに、ためしに作文を書いてもらった。

●Kさん(中二女子)

*私にとって、今まで、一番楽しかったことは、この前あった、学校の野外活動です。ナイトウ
ォークや、カレーづくり。一日中、ずっと友だちと過ごしているということが、なかなかないので、
とても楽しかったです。
*私にとって、今まで、一番悲しかったことは、(無回答)。
*私にとって、今まで、一番うれしかったことは、野外活動の先生が、私たちをたいへんほめて
くれたことです。ふだん「今の二年生は悪い」と言うだけの、いやな先生たちばかりなので、先
生たちを見返してやった気分でした。
*私にとって、今まで、一番つらかったことは、もうずいぶん前になるけど、かっていた犬が死
んでしまったことです。

●U君(中三男子)

*私にとって、今まで、一番楽しかったことは、友だちといっしょにいることが楽しいです。人と
笑うのが楽しいです。
*私にとって、今まで、一番悲しかったことは、とくにありません。あっても忘れてしまいます。
*私にとって、今まで、一番うれしかったことは、三年目にして、部活の県大会で優勝したこと
です。
*私にとって、今まで、一番つらかったことは、勉強。部活の練習も楽じゃないです。二つともと
てもつらいですが、楽しいです。

●R君(中三男子)

*私にとって、今まで、一番楽しかったことは、友だちと遊んでいたとき。友だちといっしょにい
たとき。
*私にとって、今まで、一番悲しかったことは、おじいちゃんが死んだとき。
*私にとって、今まで、一番うれしかったことは、(無回答)。
*私にとって、今まで、一番つらかったことは、勉強しているとき。部活。

●D君(小六男子)

*私にとって、今まで、一番楽しかったことは、サッカーです。
*私にとって、今まで、一番悲しかったことは、(無回答)。
*私にとって、今まで、一番うれしかったことは、サッカーでキャプテンになれたことです。
*私にとって、今まで、一番つらかったことは、サッカーで、何周もグランドを走ったことです。

 子どものばあい、身近な経験から、楽しかったことや、悲しかったことをさがしだそうとする。
つまり自分自身を、客観的に見る目が、まだじゅうぶん育っていない。しかし年齢が大きくなる
と、より自分を高い視点から、判断できるようになる。そして自分自身をより深く、見ることがで
きるようになる。「私を知る」というのは、そういう意味で、一見簡単そうで、むずかしい。


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【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
10・11 ……浜北市・内野小学校
10・ 4 ……江西中学校区健全育成会(浅間小学校にて)
9・20  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9・12  ……愛知県岩倉市
9・ 9  ……愛知県稲沢市福祉会館(全家研)
9・ 8  ……名古屋駅前・愛知県中小企業会館(全家研)
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市梨花幼稚園
8・ 6  ……浜北市・北浜北小学校
8・ 2  ……浜松市Iホール(静岡県教職員組合浜松支部研修会)
7・31  ……浜松市東部公民館
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2003年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page090.html
2003年度は、「子育て相談、Q&A」で一年間、連載させていただきます。よろしく!
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●「はやし浩司のサイト」オリジナル・テーマ音楽ができました。
       http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page317.htmlから、おいでください。
●J−BOOKでの本のお求めは……
     http://sch.jbook.jp/s.asp?category_id=00&key=%82%CD%82%E2%82%B5%8D_%8Ei
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●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
++++++++++++++++++++++++++++
●BW教室の改装が終わりました。新教室はこうなりました!
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page056.html
【相談、質問について】
●みなさんからの相談について、直接お答えすることもありますが、できるだけテーマとして、こ
のマガジン上で答えさせていただいています。みなさんからのメールを、一部であるにせよ、転
載するときは、必ず、ご了解をいただくようにしています。どうかご安心の上、ご相談ください。
なお、お名前と、ご住所のない方からの相談については、いっさい、お答えしていませんので、
ご了承ください。お名前、ご住所が明記されていない方からの相談については、テーマとして、
取りあげることも、メールを引用することもありません。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
∞    ∂
   ⌒
 (※ *)
  ⊂ ̄⊃
   ∫_ ヽ     暑い夏がやってきましたね。
′ ( ̄(  ヽ     今年も元気で、がんばりましょう!
   \暑\
    )い)        BW教室が、モデルチェンジしました。
   ( (           よろしかったら、見学においでください。
     ̄ ̄          見学は、053−452−8039です。
                 常時留守番電話になっています。
☆===================☆==================

(イラストは、パナソニックパソコン付録のフリーソフトを転用・改変しました。)
   MMMMM     \│/
  | ⌒ ⌒ |    ─○─
  q ・ ・ p    /│\
  (〃 ▽ 〃)   ⌒⌒
  / ̄    ̄\ ⌒⌒  ⌒⌒
 ̄(( ・ ・ )) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ̄ω ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ω ̄)   どうか、みなさんもお体を大切に!
 へへへへへへへへへ      また次回も、どうか、ご購読ください!
+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩

【掲示板】
●マガジン読者の方のための、専用掲示板を用意しました。
どうか、おいでください。ご希望、ご質問、テーマなどいただければ、うれしいです。
会員、みなさんの相互連絡にも、ご利用ください。
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    (マガジン読者の方のための、専用掲示板です)
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☆毎週月曜日、午後10時JUSTにお待ちしています!






件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■7-15-2

+++++++++++++++++++++++

【KEさんのお子さんについて】

 問題点を整理してみると、つぎのようになります。

●四月の下旬頃から学校へ行っていません。……いろいろなタイプの不登校がありますが、
心の緊張感がとれないことによる不登校と考えられます。
●友達と口論になったり、授業中に女の子にちょっと何か言われたりしたことがきっかけでキ
レ、学校を飛び出し先生に連れ戻され保健室や校長室に入れられ、「暴れている」と連絡を受
けたことが二週間の内、三度ありました。……「そう状態における、錯乱」と考えて対処します。
私は精神科医ではないので、診断名をつけることはできませんが、子どもの自己意識では、ど
うにもならない範囲の心の反応と考えて対処します。

●三度目の時はお父さんも休みでしたので、二人で駆けつけました。車にも乗ろうとしないので
お父さんがおんぶをして帰りました。はじめは嫌がって暴れていたようですが、次第におとなし
くなり、それからはなにかとおんぶをせがむようになりました。……問題は、ここです。「家に帰
りたがらなかった」という点です。帰宅拒否と疑われます。つまり家庭が家庭として、(あくまでも
子どもの視線から見たところですが)、機能していないことが考えられます。
●土日含めて五日休んだので、学校のことを切り出すと「勉強したくないから行かない」と言
い、今に至っています。……こうした理由は、あまりアテになりません。子どもは、自分の行為
を正当化するために、いろいろな理由をつけます。
●それからは、ほんの些細なことでキレる様になり、一度始まると二、三時間、物を投げたり
棒状のものでたたいて来たり、奇声を発したり、すごい状態が続きます。……錯乱状態とみま
す。いわゆる家庭内暴力です。
●特に弟のちょっとした言葉や態度が気に入らないらしく、仕返しをしたりします。ただ年齢差
があるので加減はしているのですが、私が引き離すまで、うすら笑いを浮かべて攻撃します。
私もいくつもあざが出来ました。……弟に対して、かなりの嫉妬、憎悪の念をもっています。そ
れまで一〇〇%の愛情を受けていたのが、半分以下に減ったのが原因です。
●お父さんがいる時は、落ち着いてから「暴力はやめて」など話しをしてくれるのですが、「その
時にならないとわからない」と言うそうです。……二重人格性が観察されます。こういうときは、
できるだけ「よいほうの状態」を保つようにします。
●確かに幼稚園に入ったばかりの五月に弟が生まれました。弟はアトピー性皮膚炎がひどく
(今はだいぶよいですが)、いつもだっこの状態で、夜も痒くて何度も起きるので私も寝不足で
イライラしていたと思います。……嫉妬は原始的な感情であるだけに、扱い方をまちがえると、
子どもの心をゆがめます。
●父親も最近は、しかる時も少し強く言い過ぎたり、時には脅すような態度をとってしまったと、
反省し謝りました。スキンシップも取るようにしました。……子どもの立場で、家庭の中に、自分
の居場所がなくなってしまったことが考えられます。
●二年生の時におたふくかぜから髄膜炎になり一週間入院しました。そういう事も何か関係あ
るのでしょうか?……よくわかりませんが、今までの私の経験では、関係ないと思いますが、ひ
ょっとしたら、こうした経験が、被害妄想、強迫観念を引き起こしたとも考えられます。
●友達がお手紙を持ってきてくれても会いませんし、弟とは五分も仲良く遊べません。親だけ
が遊び相手で自分の思うようにしないとまたキレます。(将棋やカードゲームなどわざとでも負
けないとダメです)最近、夜型になってしまい、私達もつらくて、つい暗くなってしまう時がありま
す。……まだ弟が生まれる前は、目いっぱい、愛情をかけられていたと思われます。そういう
意味では、わがままになっている部分があります。
●これから、弟が夏休みで一日中顔を合わせているとまた、キレる事が増えるのではないかと
思い憂鬱です。学校やクラスに馴染めないのならフリースクールなど他のところへと思うのです
が、「勉強するのが嫌だ」というのでそれも受けつけないと思います。……絶対に「排除」を考え
てはいけません。どうしてそういう発想をするのですか。どうしてフリースクールへ行かねばなら
ないのですか。子ども自身がそれを望んでいるのなら、話は別ですが、そんなことをすれば、
あなたと子どもの関係は、決定的に崩壊します。あなたの子どもは、暴れることで、自己防衛し
ています。つまり居心地のよい世界をつくろうとしているわけです。もっとわかりやすく言えば、
あなたの愛情を確認しているのです。今、あなたがすべきことは、「どんなことがあっても、あな
たを守ります」という親の姿勢を示すことです。そういう安心感を覚えたとき、あなたの子どもの
心は安定に向います。繰りかえしますが、絶対に「排除」(子どもの側からみて、それを感ずる
ような状態)にしては、いけません。これはとても重要なことです。

【はやし浩司からのアドバイス】

 あなたから見れば、最悪の状態かもしれませんが、こうした心の問題は、さらに二番底、三
番底があります。「なおそう」と思うのではなく、今の状態をより悪くしないことだけを考えて対処
します。しかも三か月単位とか、半年単位で考えます。今日何かしたから、明日どうかなるとい
う問題ではありません。一喜一憂しても、意味がありません。振り回されないように注意してくだ
さい。

 とりあえずしてみることは、スキンシップを濃厚にして、CA、MGの多い食生活に切りかえ、
一方で、甘い食品、飲料、ジャンクフードを一掃することです。スキンシップを濃厚にしるため、
添い寝もやむをえないでしょう。子どもが求めてきたとき、自然な形で、それに応じてあげるこ
とです。決してこばんだりしてはいけません。ぐいと力いっぱい、抱くだけでも、効果的です。

 また家庭では、心の休まる場所を用意します。何もしない。何も言わない。何も見ないという
状態にしますが、これが実のところたいへんむずかしいです。生活習慣や、態度が乱れても、
かなりの部分まで、おおらかにそれを包んであげます。かなりの覚悟が必要です。ここであせ
って、何かをすれば、問題をこじらせてしまいます。くれぐれもご注意ください。まだ年齢的に、
自己回復がじゅうぶん期待できる年齢ですし、かりに暴れても、それを抑えることができます。
ですからここはあせらないで、今の状態を今以上に悪くしないことだけを考えて、行動してくださ
い。

 また本文の中にも書きましたが、今はまだフリースクールへというようなことを考える段階で
はありません。あなたは、熱を出して苦しんでいる子どもを、水泳教室へ行かせるようなことが
できますか。できないと思います。それと同じです。ですから今は、とにかく心の静養を考えてく
ださい。こういうケースでは、子どもの側からみて、「排除される」と思われるようなことをするの
は、たいへん危険です。(かりにそうでなくても、です。)お子さんに必要なのは、絶対的な安心
感です。疑いをいだかない安心感です。それだけを考えて対処してください。

 過去のことを言われているようですが、この際、過去など、あれこれほじくりかえしても意味は
ありません。すんだことです。前向きに考えてください。そして「一つくらい、子どものために十
字架を背負ってやろうではないか」という、親としての、おおらかさを大切にしてください。

 問題のない子育てはありません。今のあなたにとっては、たいへんつらい経験かもしれませ
んが、そういう前提で、子育てを考えてください。暴れることについて、かなり心配しておられま
すが、反対に引きこもる子どもとくらべると、回復も早く。予後もよいです。終わってみると、「な
んだ」というような状態で終わります。約束します。学校へ行くことは、この際、あまり考えないこ
と。(あきらめろと言っているのではありません。)あなたが「早く学校へ……」と考えれば考える
ほど、話がおかしくなります。症状がこじれます。あなたの不安や心配を、子どもにぶつけては
いけません。どうかご注意ください。

 フリースクールは、もう少し落ちついてからから考えてください。決して反対しているわけでは
ありません。まだ不登校を始めて、数か月です。あせってはいけません。これは子どもとの戦
いというよりは、あなた自身との戦いです。不安で心配な気持はわかりますが、何でもないこと
です。

 とにかく暖かく、お子さんを、濃厚なスキンシップで包んであげてください。そうそう子どもの前
で、夫婦が仲良くしてみせることも大切です。子どもに安心感を与えます。「あなたはよくがんば
ったのよ。いろいろつらいことがあったのね」と、声をかけてみてください。へたな励まし、脅し
は禁物です。私のサイトのあちこちで、この問題について書いておきましたので、どうか参考に
してください。
(030706)


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***ミ☆川川川☆彡***
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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
ストレスのメカニズム

 以前、ストレスを三種類に分けた人がいた。正確には、「迷い」を、三種類に分けた人がい
た。何かの会合で、よもやま話として出てきた話である。

 一つは、どちらを選んでも、悪い結果が出るばあい。もう一つは、悪い結果が出る可能性が
高いものを、選ばねばならないばあい。三つ目は、どちらも選びたいが、どちらか一つにしなけ
ればならないばあい。人間というのは、こういう選択の場に立たされると、かなりのストレスを感
ずる。順に考えてみよう。

(1)どちらを選んでも、悪い結果が出るばあい。これを(−)(−)の選択とする。たとえば離婚
か、さもなければ別居かというような選択に迫られるとき。

(2)悪い結果が出る可能性が高いものを、選ばねばならないばあい。これを(−)(+)の選択
とする。たとえばガンの疑いがあって、大病院で、精密検査を受けるのを迫られるとき。

(3)どちらも選びたいが、どちらか一つにしなければならないばあい。これを(+)(+)の選択
とする。たとえば一〇万円しかなく、冷蔵庫とクーラーの、どちらを買うか、その選択に迫られる
とき。

 こうした選択の場というのは、日常的に、つぎからつぎへと、起きてくる。子どもの世界とて、
例外ではない。問題は「選択」ではなく、そうした選択から生まれるストレスである。

 たとえばA君は、明日から二学期というのに、夏休みの宿題が、かなり残っていた。親にそれ
を言えば、強制的に勉強させられる。しかし宿題をしないで学校へ行けば、先生に叱られる。
これはここでいう(−)(−)の選択である。

 B君は、今、X高校か、Y高校か、どちらを受験すべきか悩んでいる。Y高校なら合格できそう
だが、X高校は無理だと思っている。しかし親は、「X高校を受験してほしい」と言っている。X高
校の受験に失敗すれば、B君は、遠くにあるZ高校へ通わねばならない。これはここでいう
(−)(+)の選択である。

 C君は、夏休みに、仲間からキャンプに行こうと誘われている。しかし一方、同じころ、ガール
フレンドから、コンサートに行こうと声をかけられた。仲間を裏切ることもできない。しかしその
ガールフレンドと、デートもしたい。これはここでいう(+)(+)の選択である。

 よく誤解されるが、ストレスの原因となるストレッサーがあるから、人はストレスを感ずるので
はない。そのつど、選択に迫られるから、それがストレッサーとなって、ストレスを感ずる。もっ
とわかりやすく言えば、「選択」そのものが、ストレッサーということ。だからそのつど選択するこ
とをやめてしまえば、ストレッサーもストレッサーでなくなってしまう。

 ストレスとどう立ち向かうか。それをコーピング(coping)というが、私の経験では、いわゆる心
理学でいうコーピングは、実際には、あまり役にたたない。程度の問題もあるが、へたに人に
相談したりすると、「そんなことで!」と言われてしまう。

 ストレスというのは、立ち向かうのではなく、日常的な生活の場から、「選択」をできるだけ少
なくすることによって、解消できる。簡単に言えば、あるがままを、そのまますなおに受けいれ
てしまうということ。要するに「迷い」をなくしてしまえばよい。つまりこれが究極のストレス解消
法ということになる。

 そこでさらに話をわかりやすくするために、今、この瞬間に感じている私の「選択」について、
話す。

 私の家に滞在しているオーストラリア人のB君が、「今度の日曜日にコンサートに行きたい」と
言っている。そのチケットについて、私は、「私が購入して、彼にプレゼントすべきか、それと
も、あとでお金をもらうべきか」と、迷っている。これはいわば、(+)(+)の選択ということにな
る。プレゼントすれば、B君は喜びだろう。しかしお金をもらえば、私の負担は、少なくなる。ささ
いな選択だが、考えていると、心の中が悶々としてくる。

 つぎの心の中をふさいでいるのは、今日(八日)、これからする、講師の仕事。数日前から、
体の調子がおかしい。風邪をひいたようだ。そこで風邪薬をのみたいが、しかし風邪薬だけを
のむわけにはいかない。食事をしてからでないと、胃を荒らしてしまう。が、私は、講演の前に
は食事をしない。食事をとると、血圧が低いため、眠くなってしまう。頭がボンヤリしていては、
講演はできない。食事をとらないで、風邪の状態で講演をするか。食事をとって、風邪薬をの
むか。これはいわば、(−)(−)の選択ということになる。

 つまりこうした「選択」が、つぎからつぎへと、私に迫ってくる。そしてそのつど、それがストレッ
サーとなって、私にのしかかってくる。だから、私としては、そのつど、それはちょうど飛んでくる
矢を刀で払うようにして、やりすごすしかない。もしこの段階で、うまくやりすごすことができなけ
れば、ストレスだけが、どんどんとたまってしまう。

 そこで心は、自分を防衛しようとする。これを「防衛機制」というが、これについては、また別
のところで考えることにして、その防衛機制もうまく働かないとなると、今度は、精神に影響を与
えるようになる。ほとんどの「〜〜障害」と呼ばれる、心の病気は、こうして生まれると考えてよ
い。

 だから……。日常的に、「選択」については、サバサバと考えたほうがよい。サッサと割り切る
ものは割り切り、処理していく。つまりはそれが、このストレスの多い時代を生き抜くための処
世術の一つということになる。
(030708)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

迷信

 オーストラリア人のB君と、世界の迷信について話す。とくに、「家」についての迷信について
話す。「日本には、家相というのがあって、いろいろうるさい」と言うと、「どこの国にもある」と。
そしていろいろな国の迷信について、話してくれた。「世界の話」となると、オーストラリアほど、
かっこうの国はない。何しろ、あの国には、世界中から人が集まっている。

 そういう話を聞きながら、こんな印象をもった。概して言えば、アジアでは、廊下にうるさいと
いうこと。廊下がどうあるべきかということについての迷信が多い? 「廊下はまっすぐでなけれ
ばならない」とか、「出口はどうであるべきか」とか。「日本ではお墓のそばに家を建てるのを嫌
う」と話すと、「オーストラリア人でも嫌う人は多い」とのこと。

 こうした家相について書くのが、このエッセーの目的ではないので、この話は、ここまで。で、
私は、そういう話を聞きながら、改めて、迷信について考えた。「迷信とは何か?」と。

 最近の子どもたちを見ていて、気になるのは、子どもたちが、占いやおまじないに、凝(こ)っ
ていること。小学校高学年と中学校の子どもについて言うなら、男女の区別なく、ざっとみて、
約五〇%の子どもが信じているとみてよい。そこで占いに凝っている、一人の中学生(中二男
子)に聞いてみた。彼はこう言った。「いいことを言われると、元気が出るから」と。もう一人の
中学生(中一男子)は、「本当に当るから」と言った。

 もっとも信じているといっても、程度の問題もある。本気で信じている子どももいれば、遊びの
一つとして信じている子どももいる。遊びの範囲で信じているだけなら、それほど目くじらを立て
ることもないのかもしれない。しかし迷信にこだわればこだわるほど、合理的にものを考える
力、そのものをなくす。私の知人に、迷信のかたまりのような人がいた。

 新車を購入したときのこと。納入する日はもちろんのこと、納入する時刻、また方角まで、ディ
ーラーに指示していた。だからディーラーは、一度車を、その方角までもっていき、そこから彼
の家に向わねばならなかった。

 で、その人が、今度、家を改築することになった。ふつうなら、そのまま改築ということになっ
たが、彼のばあいは、その改築中の間、わざわざ別のところに、アパートを借り、そこで生活を
していた。「どうして?」と聞くと、「家(や)移りという行事のためだ」と。

 一事が万事。彼の生活は、すべて、この調子だった。決して年配の人ではない。この話を聞
いたとき、彼はまだ三九歳だった。で、それを指示していたのが、彼が所属する神社の神主。
彼はいちいち、その神主におうかがいをたてて行動していた。ほかにもある。

 社員旅行や、社員の採用も、方角を占ってもらって決めていた。一度、社員旅行の日、嵐か
何かで、それが取りやめになったことがある。ふつうなら、「では、来週に」ということになるが、
彼のばあいは、そうではない。またまた神主に占ってもらい、「とんでもない日」(社員)に変更し
たという。言い忘れたが、彼は、市内で、社員二〇名前後の会社を経営していた。(実際のオ
ーナーは、彼の母親だったが……。)

 迷信というのは、一度、とらわれると、それを自分から取りのぞくのは、簡単なことではない。
ものの考え方の基本になってしまう。そしてハタから見ればおかしなことを、おかしいと思わな
いまま、してしまう。つまり、迷信にこだわればこだわるほど、合理的にものを考える力、そのも
のをなくす。

 子どもを「自ら考える子ども」にするということは、同時に、こうした迷信と戦うということも意味
する。子どもがおかしなことを口にしたら、はっきりと否定してやる。そういうき然とした親の態
度を見ながら、子どもは、迷信を迷信と分けて考えることができるようになる。
(030708)

●「迷信は下劣な魂のもち主たちに可能な、唯一の宗教である」(ジューベル「パンセ」)
●「迷信は、恐怖と弱さと、無知の産物である」(フリードリヒ大王「語録」)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

母親(女性)の心

 母親というより、女性全般に共通する心理なのか? 私たちの世界では、『何かと親しげに言
い寄ってくる母親ほど、要注意』という鉄則がある。このタイプの女性は、たいていつぎのような
パターンを経る。

(好意を感じて、必要以上に相手と親しくなろうとする)→(自分の思いどおりに相手が反応しな
い)→(相手に拒絶、もしくは否定されたと感ずる)→(その相手に対して、反感、もしくは嫌悪、
憎悪の念をもつようになる)→(何かにつけて、敵対行為を繰りかえす)

 昨日の味方が、今日の敵というわけである。だから教える側にしても、『如水淡交』。水のよう
にサラサラと、淡く交際する。決して深入りしてはいけない。へたに深入りすると、その親自身
の精神状態に、入りこんでしまう。相談を受けているつもりだったのが、いっしょになって悩み
始めてしまったりする。自殺願望の人の相談にのっているうちに、その人に同情してしまい、い
っしょに自殺してしまうケースは、少なくない。

 好意をもってくれている間は、それなりによいが、しかしどこかでフィーリングが衝突すると、
今度は、それが敵意に変わってしまう。そうなると、今度は、このタイプの母親は、徹底して、敵
に回ってしまう。(「敵」という表現は、適切ではないかもしれない。)男性にも、そうした傾向は
あるが、これは女性特有の性質ではないか。……と思っている。

 気を許すとか、許さないとかいうレベルの話ではない。子どもが間にいるときは、あくまでも子
どもを見ながら、つきあう。それは母親にしても、教える側にしてもそうで、子どもというワクを
超えた、個人的な領域まで、たがいに足を踏み入れてはならない。ずいぶんと昔だが、こんな
母親がいた。

 私が幼稚園で仕事を終えるころ、その母親は、いつも幼稚園の門のところに車を止めて、私
を待っていてくれた。「帰り道が同じですから、どうぞ」と。私は、何度もそれを断った。しかしそ
れでもその行為はつづいた。ときには、幼稚園の中にまで、おしぼりを届けてくれたこともあ
る。

 こういうケースでは、絶対に、そういう車には乗ってはならない。で、私ががんこにそれを拒む
と、今度は、その母親は、あることないこと、あれこれ私の悪口を言い始めた。そのとき私は、
まだ二〇代の後半。女性の心理がよくわからなかった。ただ、「どうしてあれほど好意をもって
いてくれた人が、手のひらをかえしたように、そういうことをするのか」と、そんなふうに思ったの
は覚えている。

 そういう意味では、好意と嫌悪は、紙一重。心的エネルギーは、そのつど、状況に応じて、さ
まざまに変化する。ときには、まったく正反対に作用することもある。心的エネルギーが悪いと
いうのではない。要は、いかにしてそれをコントロールするかということ。このコントロールのし
方をまちがえると、問題を引き起こす。で、私のばあい、教えるという場では、つぎのような鉄
則を、自分で編みだした。

●母親とは、個人的なつきあいは、しない。(当然!)
●子どもの子育て、教育の相談以外は、のらない。(当然!)

もっとも同じころ、私は、「母親恐怖症」になったので、こうした鉄則がなくても、平穏無事(?)
に、仕事ができるようになった。しかし注意するに、こしたことはない。
(030707)

【母親恐怖症】
 二〇代から三〇代のころ、子どもをもつ母親が、恐ろしい存在に見えた。相手を「お母さん」
と呼んだとたん、背筋が、ツンと緊張したのを覚えている。つまりそれくらい、私は、母親たち
に、い・び・ら・れ・た! ホント!

 そうした傾向は、四五歳あたりを過ぎるころから、なくなってきた。多分、私のほうが歳をと
り、母親たちを、のむようになったためではないか。で、最近は、正直言って、どの母親を見て
も、すてきな女性に見える。ときどき心の中で、あらぬロマンスを思い浮かべることも多い。し
かし今でも、恐怖症こそなくなったが、やはり、相手を「お母さん」と呼んだとたん、シャボン玉が
パチンとはじけるように、そのロマンスは、消える。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司




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