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《10》
 BOX(インターネット・ストーレッジ版)

BOX Essays 版 ……●
2003年 03月27日
2003年 05月20日
上記BOXへアクセスできないときは、直接……●

件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■3-27

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 663人
最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)  ……読者数(Nr. of Readers)  90人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
☆===================☆==================

★★★★★★★★★★★★★★
03−3−27号(200)  ★200号、達成しました!★
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 日記を読んでいただけます!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。 
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●マガジンの購読申し込みは……
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●また、本文がつまっていて読みにくいときは、やはり一度ワードにコピーしていただくと、ぐん
と読みやすくなります。お試しください。毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご
利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )        今日のメニュー
   γ ρρ   │σ σ ρ )        【1】子育てポイント 
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )        【2】Touch your Heart
   人   υ ( `) (  )         【3】子育てエッセー
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)          【4】フォーラム
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
電池を入れかえれば動く!
死は厳粛に(失敗危険度★★)

●死を理解できるのは、三歳以後
 「死」をどう定義するかによってもちがうが、三歳以前の子どもには、まだ死は理解できない。
飼っていたモルモットが死んだとき、「乾電池を入れかえれば動く!」と言った子ども(三歳男
児)がいた。「どうして起きないの?」と聞いた子ども(三歳男児)や、「病院へ連れて行こう」と
言った子ども(三歳男児)もいた。

子どもが死を理解できるようになるのは、三歳以後だが、しかしその概念はおとなとはかなり
違ったものである。三〜七歳の子どもにとって「死」は、生活の一部(日常的な生活が死によっ
て変化する)でしかない。ときにこの時期の子どもは、家族の死すら平気でやり過ごすことがあ
る。

●死への恐怖心
 このころ、子どもによっては、死に対して恐怖心をもつこともあるが、それは自分が「ひとりぼ
っちになる」という、孤立することへの恐怖心と考えてよい。たとえば母親が臨終を迎えたとき、
子どもが恐れるのは、「母親がいなくなること」であって、死そのものではない。

ちなみに小学五年生の子どもたちに、「死ぬことはこわいか?」と質問してみたが、八人全員
が、「こわくない」「私は死なない」と答えた。一人「六〇歳くらいになったら、考える」と言った子
ども(女子)がいた。質問を変えて、「では、お父さんやお母さんが死ぬとしたらどうか」と聞くと、
「それはいやだ」「それは困る」と答えた。

●死は厳粛に
 子どもが死を学ぶのは、周囲の人の様子からである。たとえば肉親の死に対して、家人がそ
れを嘆き悲しんだとする。その様子から子どもは、「死ぬ」ということがただごとではないと知
る。そこで大切なことは、「死はいつも厳粛に」である。死を茶化してはいけない。もてあそんで
もいけない。どんな生き物の死であれ、いつも厳粛にあつかう。たとえば飼っていた小鳥が死
んだとする。そのときその小鳥を、ゴミか何かのように紙で包んでポイと捨てれば、子どもは
「死」というものはそういうものだと思うようになる。しかしそれではすまない。

死があるから生がある。死への恐怖心があるから、人は生きることを大切にする。死をていね
いにとむらうということは、結局は生きることを大切にすることになる。が、死を粗末にすれば、
子どもは生きること、さらには命そのものまで粗末にするようになる。

●死をとおして生きることの大切さを
 どんな宗教でも死はていねいにとむらう。もちろん残された人たちの悲しみをなぐさめるという
目的もあるが、死をとむらうことで、生きることの大切さを教えるためと考えてよい。そんなこと
も頭に入れながら、子どもにとって「死」は何であるかを考えるとよい。

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

許して忘れる

●何を与え、何を得るのか
 人とのトラブルで私が何かを悩んでいると、オーストラリアの友人は、いつも私にこう言った。
「ヒロシ、許して忘れろ。OK?」と。英語では「Forgive and Forget」と言う。聖書の中の言葉らし
いが、それはともかく、私は長い間、この言葉のもつ意味を、心のどこかで考え続けていたよう
に思う。「フォ・ギブ(許す)」は、「与える・ため」とも訳せる。同じように「フォ・ゲッツ(忘れる)」
は、「得る・ため」とも訳せる。「では何を与えるために許し、何を得るために忘れるのか」と。

●「お前の子どもは、お前の子ども」
 ある日のこと。自分の息子のことで思い悩んでいるときのこと。ふとこの言葉が、私の頭の中
を横切った。「許して忘れる」と。「どうしようもないではないか。どう転んだところで、お前の子ど
もはお前の子どもではないか。誰の責任でもない、お前自身の責任ではないか」と。とたん、私
はその「何」が、何であるかがわかった。

●その度量の深さで、親の愛が決まる
 あなたのまわりには、あなたに許してもらいたい人が、たくさんいる。あなたが許してやれば、
喜ぶ人たちだ。一方、あなたには、許してもらいたい人が、たくさんいる。その人に許してもらえ
れば、あなたの心が軽くなる人たちだ。つまり人間関係というのは、総じてみれば、(許す人)と
(許される人)の関係で成り立っている。

そこでもし、互いが互いを許し、そしてそれぞれのいやなことを忘れることができたら、この世
の中は何とすばらしい世の中になることか。……と言っても、私のような凡人には、そこまでで
きない。できないが、自分の子どもに対してなら、できる。私はいつしか、できの悪い息子たち
のことで何か思い悩むたびに、この言葉を心の中で念ずるようになった。「許して忘れる」と。つ
まりその「何」についてだが、私はこう解釈した。「人に愛を与えるために許し、人から愛を得る
ために忘れる」と。

子どもについて言えば、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる」
と。これは私の勝手な解釈によるものだが、しかし子どもを愛するということは、そういうことで
はないだろうか。そしてその度量、言いかえると、どこまで子どもを許し、そしてどこまで忘れる
ことができるかによって、親の愛の深さが決まる……。

●受け入れることを恐れずに
 もちろん「許して忘れる」といっても、子どもを甘やかせということではない。子どもに好き勝手
なことをさせろということでもない。ここでいう「許して忘れる」は、いかにあなたの子どもができ
が悪く、またあなたの子どもに問題があるとしても、それをあなた自身のこととして、受け入れ
てしまえということ。「たとえ我が子でも許せない」とか、「まだ何とかなるはずだ」と、あなたが考
えている間は、あなたに安穏たる日々はやってこない。一方、あなたの子どももまた、心を開
かない。しかしあなたが子どもを許し、そして忘れてしまえば、あなたの子どもも救われるが、
あなたも救われる。

 何だかこみいった話をしてしまったようだが、子育てをしていて袋小路に入ってしまったら、こ
の言葉を思い出してみてほしい。「許して忘れる」と。それだけで、あなたはその先に、出口の
光を見いだすはずだ。

     ⌒⌒⌒⌒
    ((( (( (( 
     ⌒  ⌒ 
     ・。・ β
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \   みなさんのご家庭で、このマガジンが役だって
 ゜\/│ // │ / /    いますか?
   Γ ̄ ̄│──|○   何かテーマがあれば、掲示板にでもお書きください。

   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
すなおな生き方

●拾ったサイフ

 道路にサイフが落ちていた。中を見ると、一万円札が一〇枚! 暗い夜道だ。まわりには、
だれもいない。民家も、まばら……。

 こういうとき、あなたはどうするだろうか? 私は、中学生たち七人に、聞いてみた。「君たち
なら、どうするか?」と。予想したとおり、意見はつぎの二つに分かれた。

A君「中のお札だけ抜いて、サイフは捨てる」
B君「交番へ届ける」
(一人だけだが、「そのままにしておく」という子どももいた。)

 A君の意見は、子どもの本音である。本心と言ってもよい。しかしB君の意見は、エセ。そこで
私はB君に聞いてみた。

私「君は、本当にそう思うか。君なら、交番に届けるか?」
B「……届ける」
私「それは君の、本当の気持ちか? 本当にそう思うか? 本当の気持ちを言ってごらん」と。

 しばらくするとB君は、はにかみながら、こう言った。「交番へ届けるということになっているけ
どオ……」と。

 そこでさらに私はB君に、こう聞いた。

私「なぜ、君は、ぼくに交番へ届けると言ったのか?」
B「それが正しいことだと思ったから……」
私「自分で正しいと、思ったのか」
B「それが正しいということになっているから」
私「だれが、そう言ったのか?」
B「学校の先生も、そう言っている……」
私「ちがう。君は、私という先生の喜びそうな意見を、言っただけではないのか。そういうふうに
言えば、私が喜ぶと考えて、そう言っただけではないのか?」

 そう、B君は、学校でも、優等生と言われている子どもである。何かにつけて、クラスでは、リ
ーダー的な存在である。するとB君は、今度は、こう言った。「しかし、そのお金は、他人のお金
だし……。きっと落した人は困っているかもしれない」と。

私「本当に、そう思っているのか? 落した人は困っていると、君は、本当にそう思っているの
か?」
B「困っていると思う。だからやはり、交番へ届けたほうがいい」
私「待て! 君は、お金を落して、困ったことがあるのか?」
B「ぼくは、ない」
私「落したことがない人間が、どうして落して困っている人間の気持ちがわかるのか? それは
君の想像ではないのか?」
B「じゃあ、先生は、そのお金はどうすればいいと思っているの?」
私「それが問題ではない。君は、自分をいい子にみせようと、無理をしている。そこが問題なの
だ」
B「どうして?」
私「君は、お金を拾ったら、絶対に、交番には届けない」
B「届ける」
私「どうして、そういうウソをつく!」
B「ウソじゃ、ない」
私「ウソでなければ、ごまかしだ。どうして自分の心を、そうまでごまかす! 本当のことを言
え。本心を言え。さあ、そのサイフをどうする!」と。

 このタイプの子どもには、「自分」がない。いつも心のどこかで模範解答を用意し、その解答
にそって、考えたり、行動したりする。それはいわば、保身術のようなものかもしれない。そうす
ることによって、よい子を演出する。つまりそうしていれば、親や先生にほめられる。自分の立
場を守ることができる。

 一方、「中のお札だけ抜いて、サイフは捨てる」と答えたA君は、自分の心をすなおに表現し
ている。

私「どうしてサイフは捨てるのか?」
A「サイフがあると、証拠になってしまう」
私「どういう証拠になるのだ」
A「お金だけなら、だれのお金かわからないけど、サイフが残っていると、盗んだのがバレてし
まう」
私「一〇万円だぞ。大金だぞ。それはバレないのか」
A「少しずつ使えば、親にバレない」と。

●疲れる子どもたち

 本音と建て前。本当とウソ。正直とごまかし。今の子どもたちは、幼いときから、この二つを使
い分けることを教えられる。その結果、その両方を、うまく使い分けられる子どもほど、「学校」
という社会を、スイスイとうまく生きていかれる。そうでない子どもは、そうでない。

 もちろんだからといって、A君のように、拾ったお金を使ってよいというのではない。ないが、A
君のような生き方のほうがわかりやすい。子ども自身も疲れない。心もゆがまない。しかしB君
のような生き方をしていると、それだけで疲れてしまう。その結果、心がゆがむこともある。

 自分の内部に潜む誘惑に打ちかち、拾ったお金を交番へ届けるというのは、かなりむずかし
いことである。強い精神力と、それを支える道徳性が必要である。そしてその道徳性は、たえ
まない反省と思考によって、はぐくまれる。そこらの中学生くらいに、それができるわけがない。
私が「本当のことを言え!」と迫ったとき、もしB君がそれでも、「交番へ届ける!」と言ったら、
私はB君の道徳性を認める。しかしそれとて、私という「他人の目」を感じているから、そう言う
にすぎない。

 ……と書いて、実は、これは親たちの問題でもある。子育ての問題と言ってもよい。たとえば
ある親が自分の子どもに向かって、「学校では、友だちと仲よくするのですよ」と言ったとする。
しかしこの言い方は、「拾ったお金は、交番へ届けるのですよ」という言い方と、どこも違わな
い。

 が、その親が、子どもがもちかえったテストを見ながら、「何だ、この点数は! あのC君は、
何点だった? もっと勉強しろ!」と言ったとする。これは母親の本音と考えてよい。親は、こう
言っているのだ。「C君は、あなたの敵だ。そのC君を負かせ」と。

 かわいそうなのは、そう言われた子どものほうである。一方で、「仲よくしなさい」と言われ、他
方で、「敵と思え」と言われる。拾ったサイフにたとえるなら、一方で、「交番へ届けろ」と言わ
れ、他方で、「拾ったお金は自分のものにしろ」と言われるのに似ている。「同じ」とは言わない
が、「似ている」。

 こうした相反する矛盾の中で、要領のよい子どもは、その二つを、うまく使い分ける。が、そう
でない子どもは、そうでない。そして底なしの自己矛盾の世界へと落ちていく……。しかしそれ
はきわめて不安定な世界でもある。子どもによっては、その不安定さに耐えかねて、非行に走
ったり、引きこもったり、あるいは家庭内暴力を起こしたりする。そこまで進まなくても、自分の
中で葛藤(かっとう)する子どもは、いくらでもいる。

 それはさておき、要領の悪い子どもは、この段階で二つの道に分かれる。徹底して、よい子
ぶるか、それとも居直るか、のどちらかである。冒頭にあげた、B君が、そのよい子ぶっている
子どもということになる。それに対して、A君は居なおっているということになる。

●本音で生きる

 子どもの世界を見ていると、それはそのまま、私たちおとなの問題であることがわかるときが
ある。この問題もそうだ。私たちおとなも、昔は、子どもだった。そしてほとんどの人は、その子
ども時代の自分を、みな、そのまま引きずっている。たとえばあなた自身は、どうだったか。さ
らには、あなた自身はどうかということになる。

「今」という時点で考えてみよう。今、あなたは本音で生きているだろうか。あなたが妻なら、夫
や子どもに対して、本音で生きているだろうか。それとも、あなたは、ここでいうような「いい子」
ぶってはいないだろうか。

 が、これだけは言える。もしあなたが他人との世界の中で、「疲れ」を覚えるようなら、あなた
は、いつも心のどこかで自分をごまかして生きていないかを、少しだけ反省してみるとよい。あ
なたのそうした気負いは、あなた自身を疲れさせるだけはなく、あなたの夫や、子どもまでも疲
れさせてしまう。要は、ありのままの自分を生きるということ。飾ることはない。気負うことはな
い。ごまかすこはない。ありのままでよい。

 一〇万円が入ったサイフを拾い、お金がほしいと思えば、そのまま中身を抜いて、サイフだ
けを捨てればよい。が、もしそれを「よし」としないのなら、交番へ届ければよい。そしてそのサ
イフのことは忘れる。自分にすなおに生きるというのは、そういう意味で、わかりやすい人生を
送ることを意味する。

 そうそう、先のB君も、私が「正直に言え」と迫ると、最後にこう言った。「やっぱり、先生、お金
がほしいから、もらってしまうよ」と。私はその意見を聞いて、安心した。B君には、まだ自分を
取り戻す力が残っていた。すなおな気持ちが、残っていた。私は最後に、B君にこう言った。

 「自分に無理をしてはいけない。先生は、今でも、サイフを拾うたびに、迷う。しかし今は、そう
いうふうに迷う自分がいやだから、何も考えないで、近くに交番があれば、交番に届けるように
している。先日は、コンビニの前で拾ったから、コンビニに届けた。よいことをしているとか、悪
いことをしているとか、そんなふうに考える必要もない。要するに気負わないこと。

 しかしね、誠実に生きることは、とても気持ちがよいことだよ。ウソだと思ったら、一度、拾っ
たお金を交番へ届けてみてごらん。そのあと、ものすごく、気持ちがよくなる。その気持ちのよ
さは、お金では買えないよ」と。
(030319)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

以上のことを、もう少し、掘りさげて書いてみたのが、つぎの原稿です。少しむずかしいかもし
れませんが、お子さんを見つめなおす、一つのヒントになると思います。

+++++++++++++++++++++++++


●あなたの子どもは、よい子? それとも優等生?
 ……しかし、そのよい子、優等生にも、思わぬ落とし穴がある!

+++++++++++++++++++++++++++++ 

子どもの反動形成

 抑圧された「自分」が長くつづくと、その人は、本来の「自分」とは逆の「自分」を、徹底的に演
ずるようになる。これを心理学の世界では、「反動形成」という。学校の教師を例にとって、考え
てみる。

今でも、聖職者意識をもっている教師は多い。そういう教師が、聖職者は、禁欲的でなければ
ならないというイメージをもったとする。するとその教師は、そのイメージに従って、徹底的に、
禁欲者であろうとする。自らを、そうしむける。そして結果として、生徒が「セックス」という言葉
を口にしただけで、それを露骨に嫌ったり、そういう会話をたしなめたりするようになる。

 子どもでも、幼いときから、「あなたはお兄ちゃんだから……(お姉ちゃんだから……)」と言
われつづけると、本来の自分を押し殺して、別の子どもを演ずるようになることがある。そして
「さすが、お兄ちゃんだね……(お姉ちゃんだね……)」とか、ほめられたりすると、さらに別の
自分を演ずるようになる。もちろん本人には、演じているという意識はない。

 もちろんすべての反動形成が悪いわけではない。その反動形成が、よいほうに作用して、そ
の人や子どもを伸ばすこともある。たとえば何かの欲求不満をもっていて、その欲求不満を克
服するため、別の自分を演ずることがある。つい先日までヘビースモーカーだった人が、自分
が禁煙したとたん、猛烈な嫌煙家になるなど。そういうことはあるが、しかしどこか不自然にな
ることが多い。

 たとえばウーマンリブ闘争の闘士のような女性に、Z女史という人がいる。マスコミにもよく顔
を出し、相手の男性に向かって、「それはセクハラだ! 謝れ!」とか、「女性蔑視発言だか
ら、取り消せ!」などと言って騒いでいる。一見、女性の代表のような顔をしているが、しかしあ
のZ女史ほど、「女」を感じさせない女性はない。動作やものの言い方まで、男性そのもの。お
そらく子どものときから、「女の子」に扱ってもらったことがないのだろう。それから生まれる欲
求不満が、Z女史をして、今のZ女史にしたと考えられなくもない(失礼!)。

一方、子どもの世界でも、「ブリッ子」という、よく知られた言葉がある。

 勉強もよくできる。スポーツも万能。その上、容姿もきれい。そこで親や先生から、「あなたは
すばらしい子」と、言われる。で、このタイプの子どもは、そういう親や教師、さらには周囲の仲
間からの期待に答えようと、ますます拍車をかけて、よい子を演ずるようになる。

 まだ小学生なのに、「地球の環境を守るのは大切なことです」「皆が、平和に暮らすことは大
切なことです」「弱い人を助けるのは、私たちすべての義務です」などと、言ったりする。あるい
はいじめの現場を目撃したりすると、いじめている子どもに向かって、「そういうことをして、恥
ずかしくないの!」と、まさに優等生ぶって見せる。

 しかしこうした反動形成が問題になるのは、その底流に、抑圧された自己欺瞞(ぎまん)があ
るということ。はっきり言えば、エセ。それだけではない。本当の自分をどこか別のところに置
き、別の自分を演ずるというのは、それ自体、たいへん疲れることである。その「疲れ」が、あ
る一定の範囲内に収まっていれば問題はないが、その限界を超えたとき、この反動形成は、
一挙に崩壊する。

 たとえば小学生の間は優等生だったが、中学生になったとたん、集団少年(少女)になるとい
うケースは、よくある。J君(中三男子)が、そうだった。

 J君は小学六年生のときには、その学校の児童会長までした。夏期合宿のときは、リーダー
として、大活躍した。しかし中学へ入ったとたん、そこでプツン。夜な夜な、コンビニの前で、ほ
かの仲間とたむろするようになってしまった。やがてタバコを覚え、さらにシンナーまで覚えてし
まった。あとはお決まりの外泊と、家出。親は「どうして?」と、深刻な表情で相談にきたが、こう
いうケースは、決して珍しくない。

 そこで子どものばあい、こんなことに注意したらよい。

 子どものばあい、(心の状態)と、(外に現れる表情や様子)が、一致している子どもを、すな
おな子どもという。しかし何らかの理由で、それが一致しなくなることがある。ここにあげたブリ
ッ子も、その一つ。子どもが、どこかで無理をしているなと感じたら、できるだけ早い時期に、そ
ういう無理から解放してあげること。早ければ早いほどよい。いわんや、子どもを、「お兄ちゃん
だから……(お姉ちゃんだから……)」と、安易な「ダカラ論」で、追いつめてはいけない。

 子どもの世界でこわいのは、仮面と遊離。これについては、また別のところで考えるが、要す
るに、子どもは、子どもらしいのが一番。そういう自然さを大切にする。「この子は、よくできた
子だな」と思ったら、まず疑ってかかるのがよい。
(030319)

【追記】
 このエッセーを書いていて、私自身も、ここでいう「自己欺瞞」に気づいた。私は考えてみれ
ば、自己欺瞞だらけの人間である。今、思い出した話に、こんなのがある。

 私は子どものころ、台風が好きだった。台風がやってくると聞いただけで、ワクワクした。しか
しそのことを、だれにも話せなかった。子どもながらに、そういう自分はおかしいと思っていた。

 で、子どもたちを教えるようになってからも、自分をだましつづけた。とても子どもたちの前
で、「先生は、台風が好きだ」とは言えなかった。しかし、だ。台風が好きなのは、私だけではな
いことを知った。

 アメリカ人の友人が、ある日、私にこう言った。「ヒロシ、台風がくると、楽しいね。ぼくは台風
がやってくると、ベランダにイスを置いて、ものが飛んでいくのを見ている」と。そのアメリカ人の
家は、高層マンションの八階にあった。

 そのアメリカ人の話を聞いて、私は、「ナーンだ、そういうことだったのか」と思った。そしてそ
のときから、私は、子どもたちに向かって、正直に、「先生は、台風が好きだよ」と言うことがで
きるようになった。

 台風がやってくるたびに被害にあう人も多いので、こういった話は、軽々にはできない。しか
し「教師」という仕事には、こうした自己欺瞞が、好むと好まざるとにかかわらず、無数にからみ
ついてくる。自己欺瞞のかたまりと言ってもよい。しかし、だ。こういう自己欺瞞は、疲れる。本
当に疲れる。自己欺瞞だけならまだしも、反動形成をするうち、自分を見失ってしまうこともあ
る。だから私はあるときから、自分をだますことをやめた。ありのままの自分を、できるだけ外
に出すようにした。子どもたちと直接、接しているときは、とくにそうだ。 

 ……しかし、こうして考えてみると、人間だれしも、ありのまま生きるということは、むずかしい
ことだとわかる。みんな、それぞれの立場で、自分をごまかしながら生きている? それが悪い
というのではないが、しかしこうしたごまかしは、できるだけ少ないほうがよい。ごまかせばごま
かすほど、自分を見失う。時間をムダにする。

+++++++++++++++++++++

【子どもの反動形成についての補足】

●自我の分裂

 こうした反動形成で、こわいのは、実は、ここに書いたことだけではない。それが度を超すと、
自我そのものが分裂してしまう。優等生を例にあげて考えてみる。

 優等生と呼ばれる子どもは、一種独特のものの考え方をしているのがわかる。主体的なフリ
をしながら、どこにも主体性がない。

 たとえばだれかが、教室のスミで、別のだれかをいじめていたとする。それを見たとき優等生
は、自らの正義感で、そのいじめを止めるのではない。まず頭の中で、模範解答を作り、その
模範解答に従って行動しようとする。「こういうときは、止めなければいけない。また止めるのが
正解」「止めなければ、あとで、先生に自分が責められる」「自分は、そういういじめを止めなけ
ればならない義務がある」と。つまり自分の意思ではない、別の自分に動かされて、そうする。
ほかに……

○先生に意見を求められる。→できるだけ、すばらしい答を出して、みなを感心させてやりた
い。
○何かの役をする。→自分がその役をするのは、当然のこと。みなの期待に答えたい。
○友だちが困っている。→まず自分が、模範を示すべき。そうすればみなから、尊敬される、
と。

 さらにたとえば進学を考えるときも、勉強したいからではなく、優等生として、それにふさわし
いコースを自分で想定し、そのコースに自分を当てはめようとする。いつも自分の意思というよ
りは、そういう自分を上から見ているもう一人の、別の自分の意思に従って、自分の行動を決
めようとする。「私にふさわしいのは、A大学のA学部。そこへ入れば、親も喜ぶし、先生も納得
するだろう」と。

●幼児期にできる方向性

こうした方向性は、実は、すでに幼児期にできる。しかもそうした方向性をつくるのは、子ども
自身というよりも、親である。ある子ども(男子高校生)は、こう言った。

 「ぼくは、自分の子ども時代を振りかえってみたとき、自分がどこにもいなかったような気がす
る。食事にしても、食べたいから食べたのではなく、朝食時間や夕食時間になったから食べた
だけ。寝る時間も、そうだ。幼稚園の先生に、きちんとあいさつをすると、先生や親は喜んだ
が、ぼく自身は、自分がロボットだと感じたこともある。塾へもいくつか通ったが、親が行けと言
ったから行っただけ。そこでよい成績をとってくると、親は喜んだが、いつか、そうして親を喜ば
すのが、ぼくの義務のようになってしまった。また親が喜んでいる間だけ、自分は自分でいるこ
とができた。また自分の立場を守ることができた」と。

 この子どもも、優等生だった。親も、そう思い、喜んでいた。しかし自分の中に、自分でない自
分をもつことは、たいへん危険なことでもある。度を超すと、そのまま自我が分裂してしまう。そ
して自分でない自分に、自分が振り回されてしまう。子どもによっては、ある日突然、自暴自棄
になって暴れたり、反対に、他人との交流ができなくなり、引きこもってしまったりするようにな
る。そこまで進むことはないにしても、たいていは、思春期を迎えるころから、自分自身と、自
分の中の自分でない自分との間で、はげしい葛藤(かっとう)を繰りかえすようになる。

 そういう意味でも、幼児期において、「いい子」と呼ばれる子どもほど、警戒して観察してみる
必要がある。そこであなたの子どものチェックテスト。ここに書いたようなことで、いくつか思い
当たるような点があれば、あなたの子どもは、かなり無理をしている子どもということになる。

(1)うちの子は、優等生で、よくできた子と思うことが多い。ものの道理をよくわきまえている
し、しっかりしている。どこへ出しても、恥ずかしくない。
(2)幼稚園の先生や小学校の先生にも、よくほめられる。いろいろな仕事を与えられ、それを
ソツなくこなしているようだ。ほかの父母にもほめられることが多い。
(3)概して、親に従順で、たいていは親の決めた設計図や、スケジュールに従って行動してく
れる。今のところ、順調にコースに乗っているようだ。
(4)ときどき、「アレッ!」と思うようなアンバランスなところがあるにはある。一〇〇点をとった
答案用紙の裏に、むごたらしい悪魔の絵を描いたりするなど。
(5)ときどき何を考えているかわからないときがある。喜怒哀楽の感情を押し殺してしまうよう
なところがある。親の前でも、静か。親に従順で、あまり反抗しない。
 
 これは補足の補足ということになるが、この話を、ある懇談会でしたら、ひとりの母親がこう言
った。「私が、その優等生でした。今も、その後遺症に苦しんでします」と。そういうケースも、少
なくない。さて、あなたはだいじょうぶか?

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ボブのこと

 ボブ君夫婦が、七月に日本に来るという。奥さんのメイと、いっしょに来るという。楽しみだ。

 そのメイは、ベトナム人。あの戦争を逃れて、オーストラリアへやってきた。そしてボブと結婚
した。今は、南オーストラリア州のB町で、女医をしている。

 考えてみれば、私の留学時代の仲のよかった連中は、みんな、アジア人の女性と結婚してい
る。

 P君は、日本人のY子さん。D君は、台湾人のLさん。H君は、日本人のU子さん。そしてボブ
は、ベトナム人のメイさん。

 ボブは、大の鉄道ファン。「狂い」と言ってもよい。数年前は、数キロに渡って、本物の鉄道を
自分たちで復元してしまった。そして古い機関車を修復して、その上を走らせた。今も世界中を
まわりながら、列車を見てあるいている。電話で話すと、いつも、「お金はワイフが稼いでくれる
から」と笑っている。うらやましい!

 息子と娘がいる。二人とも、アデレード大学を卒業した。息子のほうは技術者で、今年婚約し
た。娘は、母親と同じように、女医の道を歩んでいる。何度か会ったことがあるが、頭のよい子
どもたちだった。ゲームボーイ(任天堂)をプレゼントしたことがあるが、ものの数分で、使い方
をマスターしてしまった。

 しかし正直言って、いまだにボブの英語はよくわからない。南部ナマリというか、日本語でい
えば、東北弁のような感じがする。それにスラングが多い。あのあたりまでいくと、「It is OK.」
を、「She will be an apple.」などと言ったりする。「ホント!」というときも、「フェア、ディンカム」な
どという。もちろん辞書にも、そんな単語は、載っていない。

 しかしそのボブも、歳をとった。丸々と太って、ビヤ樽のようだ。先日も、学生時代の写真を
送ってやったら、自分の写真を見ながら、「これがぼくだって?」と驚いていた。そう、ボブは、
私のオーストラリアの最初の友人だった。私がカレッジに入ったその翌日、昼食のとき、私に
話しかけてきてくれた。以来、三三年! 三三年だ! 私にとっては、友人というより、私の年
輪そのものと言ったほうがよい。あるいは人生、そのもの。

 今朝も電話で話すと、オーストラリア人らしく、大声で笑ってばかりいた。陽気な男だ。……し
かし、どうしてオーストラリア人というのは、ああまで陽気なのか? ……なれるのか? 国民
性というより、民族性の違いなのか。彼はいわゆるドイツ系オーストラリア人である。いつもビ
ールを片手に、飲んで歌っている。そんな感じがする。

 それに大の車ファン。今は、トヨタのランドクルーザーを数台、もっている。先日も、「ランクル
4は、左前輪のサスペンションが、右前輪のサスペンションよりかたい。どうしてか調べてくれ」
などと言ってきた。私には、さっぱりわからない質問だった。そこでトヨタの本社に問い合わせ
ると、こう教えてくれた。「ランクルは、重心がやや右よりになっている。そこで右サスペンション
を、ややかたくしている。多分、あなたの友人のオーストラリア人が使っているサスペンション
は、トヨタ純正のサスペンションではなく、シンガポール製のKを使っているのではないか。それ
で結果的に、左前輪のサスペンションをかたく感ずるのでは……」と。私など、車のサスペンシ
ョンのことなど、今まで、考えたこともない。
 
 ボブの話は、つきない。そうそう今朝のメールには、こんなことが書いてあった。

 「ジューン(母)は元気です。今も絵を描いている。今では、ぼくでも、アポイントを取らないと
会えないような状態になっている」と。ボブの母親は、あのあたりでは、有名な画家である。三
〇年ほどまえ、絵をもらったことがあるが、そういえば、あの絵は、今、どこにあるのか? 今
度、さがしてみよう。ボブが日本へ来るまでに……。
(030320)

    ┌┐
    │ト
    ≧≦ ∪          z
   ━━━━━━        z
  /      \
 /        \く⌒\  ∩      では、みなさん、次回も
/  〜       〆  へく ^川     どうか、よろしくご購読ください。
〜―ノ∵しへ〜へ〜〜〜〜――//―人〇       どうか、お体を大切に!
   w         ⊂ノ            お元気で!
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞





件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■3-29

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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 667人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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★★★★★★★★★★★★★★
03−3−29号(201)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 日記を読んでいただけます!
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。 
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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●また、本文がつまっていて読みにくいときは、やはり一度ワードにコピーしていただくと、ぐん
と読みやすくなります。お試しください。毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご
利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )        今日のメニュー
   γ ρρ   │σ σ ρ )        【1】子育てポイント 
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )        【2】Touch your Heart
   人   υ ( `) (  )         【3】子育てエッセー
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)          【4】フォーラム
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

緒に学校へ抗議に行ってほしい!
親の身勝手(失敗危険度★★★★)

●「しっかりめんどうをみろ」
 三〇人もいれば、いろいろな生徒がいる。たとえあなたの子どもに問題がないとしても、多い
か少ないかと言えば、問題のある子どものほうが多いに決まっている。中には親ですら、手に
負えない子どももいる。そういう子どもを三〇人も一人の先生に押しつけて、「しっかりめんどう
をみろ」はない。もっと言えば、あなたという親から見れば、先生とあなたの関係は一対一かも
しれないが、先生のほうから見れば、一対三〇になる。たとえばあなたは「一〇分くらいの相談
ならいいだろう」と思って電話をするかもしれないが、三〇人ともなると、それだけで計五時間と
なる。五時間である! が、親にはそれがわからない。どの親も、「私だけ」と思って行動する。
あるいは自分や自分の子どものことしか考えない。こんなことがあった。

●一〇〇%完ぺきな授業はない
 ある日一人の母親が血相を変えて私の家にやってきた。そしてこう言った。「今日、学校で席
決めのとき、先生が『好きなどうし並んでもよい』と言ったという。ウチの子(小二男児)のよう
に、友だちがいない子どもはどうしたらいいのか。そういう子どもに対する配慮が足りない。こ
れから学校へ抗議に行くので、一緒に行ってほしい」と。もちろん私は断った。

すべての子どもに対して満点の指導など、実際には不可能だ。九〇%の子どもによかれと思
ってしても、残りの一〇%の子どもにはそうでないときもある。たまには自分の子どもが、その
一〇%に入るときもある。そういうことでいちいち目くじらを立てていたら、学校の先生だって指
導ができなくなる。

●本当の問題
 学校や学校の先生に対して完ぺきさを求める親というのは、それだけで依存心の強い人と
みる。もし教育は親がするもの、その責任は親がとるものという考えがもう少し徹底すれば、こ
うした過関心は、少しはやわらぐはず。このタイプの親は、「何とかせよ」と学校や学校の先生
に迫ることはあっても、その責任は自分にあるとは思わない。席決めを問題にした親にしても、
先生の発言よりも、むしろその子どもに友だちがいないことこそ問題にすべきではないのか。
「なぜ友だちがいないのか?」と。また友だちがいないからといって、それは先生の責任ではな
い。子ども自身が自分で、「ぼくには好きな子がいない」とでも言えば、それはそれでわかる
が、そうでなければ、先生にそこまで把握することは不可能。家へ帰ってから子どもが親に、
「ぼくには友だちがいない」と訴えたとしても、それは子ども自身の問題と考えてよい。

 子どものことに関心をもつのは、それはしかたないことだが、しかしそれが過関心になり、こ
まかいことが気になり始めたら、心の病気の初期症状と思ったらよい。ほうっておけば、あなた
は育児ノイローゼになって、自らの心を狂わすことになる。

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

今を生きる子育て論

●休息を求めて疲れる
 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようにもなって
いる格言である。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、結
局は何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生き方をしてはいけま
せん」と教えている。

 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人がい
る。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大学へ入
るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未
来」のために犠牲にするという生き方は、ここでいう愚かな生き方そのものと言ってもよい。い
つまでたっても子どもたちは、自分の人生を、自分のものにすることができない。あるいは社会
へ出てからも、そういう生き方が基本になっているから、結局は自分の人生を無駄にしてしま
う。「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた……」と。

●『今を生きる』生き方
 ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。「今という時を、偽らずに
生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二つのはざまで、一人の高校
生が自殺に追いこまれるという映画である。この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて
疲れる』という生き方の、正反対の位置にある。これは私の勝手な解釈によるもので、異論の
ある人もいるかもしれない。しかし今、あなたの周囲を見回してみてほしい。あなたの目に映る
のは、「今」という現実であって、過去や未来などというものは、どこにもない。あると思うのは、
心の中だけ。だったら精一杯、この「今」の中で、自分を輝かせて生きることこそ、大切ではな
いのか。子どもたちとて同じ。子どもたちにはすばらしい感性がある。しかも純粋で健康だ。そ
ういう子ども時代は子ども時代として、精一杯その時代を、心豊かに生きることこそ、大切では
ないのか。

●やるべきことをやる
 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」とい
うことは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力するといっても、そのつどな
すべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。たとえば私は生徒たちに
は、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではないか。それでいい。結果はあとか
らついてくるもの。学歴や名誉や地位などといったものを、真っ先に追い求めたら、君たちの人
生は、見苦しくなる」と。

 同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親たちは子
どもに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。日本では「がんばれ!」と拍車
をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。ごくふつうの日常
会話だが、私はこういう会話の中に、欧米と日本の、子育て観の基本的な違いを感ずる。その
違いまで理解しないと、『休息を求めて疲れる』の本当の意味がわからないのではないか……
と、私は心配する。

     ⌒⌒⌒⌒
    ((( (( (( 
     ⌒  ⌒ 
     ・。・ β
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \   みなさんのご家庭で、このマガジンが役だって
 ゜\/│ // │ / /    いますか?
   Γ ̄ ̄│──|○   何かテーマがあれば、掲示板にでもお書きください。

   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
「私」さがし(2)

 私には、私の問題がある。たとえば私は、何よりも、「孤独」がこわい。しかしこれは私の精神
的な欠陥(けっかん)によるもの。私は今まで、ずっと孤独だった。今も、孤独だ。その理由は、
自分なりにわかっている。が、そういう欠陥を改めることが、いまだにできないでいる。これから
先、一〇年とか、二〇年がんばっても、その欠陥を乗り越えることはできないだろう。努力はし
てみるが、自信はない。私自身の問題点を、整理してみる。

【私は、人を愛することを知らない?】
 私は、幼児のときから、親にさえ、愛されていなかった。父に抱かれたことは、ただの一度も
ない。母が抱かせなかった。一方、母は、私を溺愛したようだが、それは本来の親の愛とは異
質なものだった。よく母は私を抱いて寝たが、それは私が求めたというより、母は自分がさみし
かったから、そうしたのではないか? 母自身も、人を愛することを知らなかったのでは? だ
から私は子どものころから、毎日、不安でならなかった。自分の居場所すら、なかった。

【私は、温かい家庭に飢えていた】
 私は子どものころから、そんなわけで、いつも温かい家庭に飢えていた。全幅に安心できる
家庭を、いつも求めていた。で、私はそれを、自分の結婚生活に求めた。今のワイフと結婚し
て、その温かい家庭を作ろうとした。しかし悲しいかな、私の頭の中には、その設計図すら、な
かった。気負いばかりが強く、いつも「こうでなければ」「こうであってはいけない」と、そんなこと
ばかり考えていた。

【私は、だれにも心を開くことができない】
 私にとっての人間関係は、すべて、打算の上に成りたっていた。どんな人とつきあうときでも、
損得の計算をした。言いかえると、自分にとって損になるような人とは、つきあわなかった。反
対にだれかが心を開いてきても、それをすなおな気持ちで受けいれることができなかった。相
手の裏を見ようとした。下心をさぐろうとした。だから結果的に、私には、友人ができなかった。
程度の問題もあるが、今も、心を割って話せる友人がいない。ひょっとしたら、私は、ワイフに
さえ、心を許していないのではと思うことがある。

【私には、私がない?】
 私はいつも、自分をごまかして生きてきた。今も、その傾向は強い。他人は、私のことを、「お
もしろい人」「楽しい人」という。実際、笑わせ名人だが、しかしそれが本当の私かというと、私
自身は、決してそうは思っていない。私は忠誠心が弱く、いつも他人に迎合してしまう。自分を
前面に出して嫌われるより、自分を隠して、好かれることのほうを優先させてしまう。だから、若
いころ(今でもそうだが)、他人と接していると、それだけで疲れてしまった。

 以上、私の欠点を並べてみたが、もちろんよい面(?)もある。

【私は、正義感が強い】
 「私はまちがったことが大嫌い」と言えば、かっこよく聞こえるが、実は、これは反動形成によ
るものかもしれない。もともとまちがいだらけの人間だから、そういう自分がいやで、その反動
として、正義感が強くなったのかもしれない。事実、ときどき、銀行強盗を計画してみたり、悪の
大王を夢想することがある。悪の大王となって、世界を征服する。また若いころは、ポルノ小説
家になろうと考えたこともある。ヤクザの世界に、あこがれたこともある。

【私は、クソまじめ】
 私はたしかにクソまじめなところがある。借金はしたことがない。金銭的に、他人に迷惑をか
けたことは、一度もない。支払いも、一週間以上、延ばしたことはない。しかしこうした私の姿勢
は、私自身の道徳性が高いからではなく、他人に頭をさげるのがいやだったからではないか。
他人にものを頼むのがいやだったという、私自身の性格的な閉鎖性によるものかもしれない。
そしてこうしたまじめさも、反動形成によるものかもしれない。本当の私は、ルーズで、小ズル
く、そして小心者。失敗を恐れるから、慎重なだけ。同じように、人に裏切られるのがこわいか
ら、裏切られないようにしているだけ?

【私は、家族を大切にする】
 理由は、簡単。私には、財産と言えるようなものは、家族しかいない。反対に、家族を取った
ら、私には何が残る? 名誉や地位、肩書きなどというものには、若いときから興味がなかっ
た。それに私は、子どものころから、温かい家庭に飢えていた。その「家庭」に対する思いは、
人一倍、強い。今、私が家族を大切にするのは、あくまでも結果論にすぎないのでは?

【私は、問題意識が強い】
 アメリカへ行ったときのこと。私は、道端(みちばた)の花壇を見ただけで、頭の中でバチバチ
と火花が飛び散るのを感じた。形や、植え方、肥料の置き方などまで気になった。もちろんどん
な花が咲いているのかも、気になった。こうした問題意識は、それがある人にとっては、当たり
前のことかもしれない。そういう意味では、私は自分に、そういう特徴があると意識したことはな
い。そういう意識というのは、それがない人とくらべてはじめて、「ある」ということがわかる。私
のばあい、問題意識がない人を見ると、「どうして?」と思うことが多い。

【ものの考え方が、論理的】
 私は子どもころから、理詰めでものを考えるクセがある。どうしてそうなったかは知らないが、
ともかくも、そうなった。伯父がそのころの私を思い出して、こう言ったことがある。「浩司は、子
どものころ、『どうして?』『なぜ?』と、うるさくてし方なかった」と。逆に私のばあい、非論理的な
ことを言われると、頭の中がショートしてしまう。よい例が、占いとかおまじないの類(たぐい)。
信ずるとか信じないとかいうレベルの問題ではない。体が受けつけない。

●自分への挑戦
 孤独と戦うためには、こうした私の欠陥を克服しなければならない。しかしそれは簡単なこと
ではない。こうした欠陥は、原罪的なもので、私の体質の中に、しっかりとしみこんでいる。私
自身と言ってもよい。

 そこで私は、まず、自分の分析をしてみた。ここに書いたのが、その一部ということになる。
が、ここで別の問題にぶつかる。ここに書いた「私」は、あくまでも、今の私が気づいた私に過
ぎないということ。もっと自分を掘りさげれば、さらに別の私が出てくるかもしれない。その可能
性がある以上、今、わかっている「私」をもとに、結論を出すことはできない。

 つぎに、仮に私がわかったとしても、「私」は、脳のCPUの部分の問題だから、それで、脳の
CPUの問題が解決することにはならないということ。たとえば難解な数学の問題が解けたから
といって、私自身は変わらない。同じように、私がわかったとしても、私がもつ問題が解決する
ということにはならない。たとえばある人が、「私は冷たい人間だ」ということがわかったとして
も、そのときから、その人が心の温かい人になるということは、ありえない。

 しかし私は、今、こうして懸命に自分さがしをして、自分の中に潜む、原罪的な欠陥と戦って
いる。何もしないよりは、ましというだけかもしれないが、しかし一方で、何もしないわけにはい
かない。そして、だ……。
 
 私がもっているような問題は、形は違うかもしれないが、みな、もっている。問題のない人な
ど、いない。この種の問題は、そういう問題があることではなく、そういう問題があることに気づ
かず、その問題に振りまわされることである。しかしそういう問題があるということに気づけば、
その問題を解決することはできないにしても、その問題を、意識的に回避することはできる。そ
ういう意味で、つまり今、こうした原罪的な問題をかかえて悩んだり、苦しんだりしている人に
は、私のものの考え方は、参考になるのでは。私のばあい、何としても、自分の中の孤独感
を、解決したい。それが私の精神的欠陥によるものだとするなら、なおさらだ。そういう願いを
こめて、このエッセーを書いてみた。
(030321)

【追記】
 「私は私」「私のことは、私が一番よく知っている」と思っているあなたも、一度、自分を疑って
みてほしい。どこからどこまでは、「本当の私」であり、どこから先が、「作られた私」であるか、
と。

 ほとんどの人は、「私」でない私にあやつられながら、それが「私」だと思いこんでいる。このこ
とは、幼児を観察していると、わかる。たとえばわかりやすい例では、分離不安の子どもがい
る。母親の姿が見えなくなっただけで、大声で泣き叫んで、あとを追いかけたりする。そういう
子どもとて、そういう行動をとりながら、「私は私」と思いこんでいるに違いない。つまり私たちお
となも、程度や形こそ違え、同じようなことを、日常的にしているのではないかということ。そう
疑ってみることは、結局は、自分を発見する第一歩ということになる。

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
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   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

老後の不安

●時の流れ
 ときどき、今まで無事に生きてこられたことを、不思議に思うことがある。そういう意味では、
私はラッキーだった。この三〇年間、いろいろあったが、しかし人生の流れに大きな影響を与
えるような事件は、なかった。家族は、みんな健康だったし、それに、ぜいたくはできなかった
が、お金に困るというようなこともなかった。このところ仕事は低調だが、こういう時勢だから、
これはし方ない。何とか仕事がつづけられるというだけでも、感謝しなければ……。

 街をひとりで歩く。歩いてY書店に立ち寄り、本を立ち読み。帰りに夕食の弁当を買って、また
街を歩く。三〇年も住んでいると、このあたりのことは、何でもわかるようになる。「あの店がで
きてから、もう二〇年になる」「この店ができてから、もう一〇年になる」と。そんなことを知って
いたからといって、どうということはないが、しかしときどき、そんなことを考えながら、しみじみと
した気分になる。

 しかし三〇年間も無事だったというのも、奇跡のようなものかもしれない。その上、私の時代
は、よい時代だった。平和だったし、活気があった。ちょうど私が大学を卒業するころ、日本は
高度成長期に入った。以後、それから二〇年間。一時は、アメリカのGDPを追い抜くところま
できた。そういう「流れ」の中で、仕事ができた。家族を支えることができた。

 もちろんそうでない、仲間もいた。IM氏は、四〇歳前で食道ガンで倒れた。焼酎(しょうちゅ
う)と、タバコを手から離したことがない人だった。「いつかぼくの小説を本にする」と言っていた
が、結局、それはできなかった。浜松へ私が来た当時、いつもいっしょにいた人だったから、I
M氏が死んだときは、本当につらかった。

 それにもともと「世」という漢字は、「十」が三つ重なってできたそうだ。つまり「一世代は三〇
年」という意味が、そこにこめられているという。何となくこじつけぽい感じがしないでもないが、
たしかに三〇年ごとに、一世代ずつ、過ぎていく。三〇年前に少年だった子どもが、今、同じ年
齢の子どもをもっている。

 さてこれからの三〇年間、私をとりまく周囲は、大きく変わるだろう。そしてその変わり方は、
今までよりも、もっとはげしくなるだろう。人生を船にたとえるなら、若いときは、スピードを出す
から、船は揺れる。しかし歳をとると、船を止めておいても、まわりの波で、船は揺れる。これ
からの私は、もっと揺れるようになるかもしれない。心して、これからの人生を歩みたい。
(030321)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

雑談

 アメリカとイラクの戦争について考えているとき、ふと、こんなことを思いついた。距離感など
というものは、実にいいかげんなものだということ。たとえばこの浜松市に住んでいると、静岡
市がずいぶんと遠くに感ずる。直線距離にすれば、約六八キロ。新幹線のこだまで、約三〇
分。

 しかしアメリカやオーストラリアなどでは、六八キロなど、何でもない。ほんの隣町。「六八キロ
を遠い」などと言おうものなら、笑われてしまう。

 で、改めて、イラクの地図を見る。クウェートに駐留していたアメリカ軍が、イラクの首都バグ
ダットに向かって進軍し始めたという(三月二一日)。そこで調べてみると、クウェートの首都、
クウェートから、バクダットまでは、東京から青森までの距離とほぼ同じくらいということがわか
った。「東京から青森」と聞くと、ずいぶんと遠い距離に私たちは感ずるが、多分、アメリカ人に
は、そうではない。東京から青森までといっても、フロリダ半島の長さ。彼らにしてみれば、伊豆
半島を制圧するような感覚ではないか。

 で、なぜ私がこんなことを書くかといえば、こうした距離感というのは、その人が住む世界の
広さに反比例して、小さくなるものだということ。たとえば私は子どものころ、郷里のM市から、
たった八キロしから離れていなかったS市を、遠くに感じたものだった。しかしそのあと、世界中
をとび回ってみるようになると、八キロなど、同じ町内のようなものだと感ずるようになった。今
では日本全体が、小さな島に感ずることもある。(実際、そうだが……。)こんなことがあった。

 オーストラリアの友人が、ある日、私に、こう聞いた。「君は、どの島から来たのか?」と。私
はムッとして、「本州(メイン・コンティネント)だ」と答えると、まわりにいたものたちまでが、どっ
と笑った。私が冗談を言ったと思ったらしい。メイン・コンティネントというと、アジア大陸とか、ヨ
ーロッパ大陸とかいうような、「大陸」を意味する。私が二二歳のときのことだった。

 だからといって、日本がちっぽけな国というのではない。ただここで注意しなければならないこ
とが二つあるということ。ひとつは、その「小ささ」を自覚した上で、日本の未来を考えねばなら
ないということ。もう一つは、安っぽい民族主義をかかげ、傲慢(ごうまん)になってはいけない
ということ。先日も、「林君、君には、大和民族としての誇りはないのかね? 日本人には、日
本人としてのアイデンティティが必要だ。どうして君には、それがわからないのか?」と、私を攻
撃してきた人(五〇歳くらい、高校教師)がいた。

 しかしこうした感覚も、ここでいう距離感が変わってくると、変わってくる。江戸時代には、薩摩
(さつま)とか、長州(ちょうしゅう)などと言った。互いに争って、戦争までした。しかし今どき、九
州人とか四国人とか言う人はいない。「県」を意識するとしたら、高校野球くらいなものだ。それ
以外、私のばあい、「私は岐阜県人である」とか、「静岡県人である」とかいうことを、意識した
ことは、この三〇年間、ほとんど、ない。

むしろ私たちに求められているのは、「韓国人も、中国人も、そしてすべての人間は、同じ仲間
である」という、コスモポリタン(世界主義)的な感覚ではないのか。安っぽい民族主義は、こう
した世界の流れというか、人類が究極的にめざす世界に対して、マイナスになることはあって
も、プラスになることは、何もない。むしろこうした民族主義は、危険なものですら、ある。ときと
して、民族主義は、愛国主義者に利用されやすい。戦争の引き金となりやすい。あのバーナー
ドショーも、こう書いている。「人類から愛国主義者をなくすまで、平和な世界はこないだろう」
(語録)と。

 以前、こんな原稿(中日新聞発表済み)を、書いた。

++++++++++++++++++++

処刑になったタン君

●日本人にまちがえられたタン君
 私の一番仲のよかった友人に、タン君というのがいた。マレーシアン中国人で、経済学部に
籍をおいていた。最初、彼は私とはまったく口をきこうとしなかった。ずっとあとになって理由を
聞くと、「ぼくの祖父は、日本兵に殺されたからだ」と教えてくれた。そのタン君。ある日私にこう
言った。「日本は中国の属国だ」と。そこで私が猛烈に反発すると、「じゃ、お前の名前を、日本
語で書いてみろ」と。私が「林浩司」と漢字で書くと、「それ見ろ、中国語じゃないか」と笑った。

そう、彼はマレーシア国籍をもっていたが、自分では決してマレーシア人とは言わなかった。
「ぼくは中国人だ」といつも言っていた。マレー語もほとんど話さなかった。話さないばかりか、
マレー人そのものを、どこかで軽蔑していた。

 日本人が中国人にまちがえられると、たいていの日本人は怒る。しかし中国人が日本人にま
ちがえられると、もっと怒る。タン君は、自分が日本人にまちがえられるのを、何よりも嫌った。
街を歩いているときもそうだった。「お前も日本人か」と聞かれたとき、タン君は、地面を足で蹴
飛ばしながら、「ノー(違う)!」と叫んでいた。

 そのタン君には一人のガールフレンドがいた。しかし彼は決して、彼女を私に紹介しようとし
なかった。一度ベッドの中で一緒にいるところを見かけたが、すぐ毛布で顔を隠してしまった。
が、やがて卒業式が近づいてきた。タン君は成績上位者に与えられる、名誉学士号(オナー・
ディグリー)を取得していた。そのタン君が、ある日、中華街のレストランで、こう話してくれた。
「ヒロシ、ぼくのジェニーは……」と。喉の奥から絞り出すような声だった。「ジェニーは四二歳
だ。人妻だ。しかも子どもがいる。今、夫から訴えられている」と。そう言い終わったとき、彼は
緊張のあまり、手をブルブルと震わした。

●赤軍に、そして処刑
 そのタン君と私は、たまたま東大から来ていたT教授の部屋で、よく徹夜した。教授の部屋は
広く、それにいつも食べ物が豊富にあった。T教授は、『東大闘争』で疲れたとかで、休暇をも
らってメルボルン大学へ来ていた。教授はその後、東大の総長特別補佐、つまり副総長になら
れたが、タン君がマレーシアで処刑されたと聞いたときには、ユネスコの国内委員会の委員も
していた。

この話は確認がとれていないので、もし世界のどこかでタン君が生きているとしたら、それはそ
れですばらしいことだと思う。しかし私に届いた情報にまちがいがなければ、タン君は、マレー
シアで、一九八〇年ごろ処刑されている。タン君は大学を卒業すると同時に、ジェニーとクアラ
ルンプールへ駆け落ちし、そこで兄を手伝ってビジネスを始めた。しばらくは音信があったが、
あるときからプツリと途絶えてしまった。何度か電話をしてみたが、いつも別の人が出て、英語
そのものが通じなかった。

で、これから先は、偶然、見つけた新聞記事によるものだ。その後、タン君は、マレーシアでは
非合法組織である赤軍に身を投じ、逮捕、投獄され、そして処刑されてしまった。遺骨は今、兄
の手でシンガポールの墓地に埋葬されているという。T教授にその話をすると、教授は、「私な
ら(ユネスコを通して)何とかできたのに……」と、さかんにくやしがっておられた。そうそう私は
彼にで会ってからというもの、「私は日本人だ」と言うのをやめた。「私はアジア人だ」と言うよう
になった。その心は今も私の心の中で生きている。

+++++++++++++++++++++

 それぞれの人は、それぞれの距離感をもっている。その距離感は、大きければ大きいほどよ
い。私はときどき、こんなことを想像する。いつか、人類がかぎりなく宇宙へ飛び出したときのこ
とだが、やがて、宇宙対抗のオリンピックのようなものがなされるのではないかということ。「地
球人対火星人」「火星人対木星人」と。「金メダルは、土星人、五〇個、冥王星人、四五個…
…」と。想像するだけでワクワクするような未来だが、決してそれはありえないことではない。

 距離感の話から、とんでもない話にまで脱線してしまったが、これはあくまでも雑談。あまり意
味のない雑談。しかし平和論と、ここでいう距離感とは、それほど関係ないとも言えないのでは
ないか。距離感を大きくもてばもつほど、平和についての考え方も、変わってくる……? あの
ジョンレノン※も、そう言っている。それを信じつつ、この雑談は、ここまで……。
(030322)

+++++++++++++++

※かつてジョン・レノンは、「イマジン」の中で、こう歌った。

♪「天国はない。国はない。宗教はない。
  貪欲さや飢えもない。殺しあうことも
  死ぬこともない……
  そんな世界を想像してみよう……」と。

少し前まで、この日本でも、薩摩だの長州だのと言っていた。
皇族だの、貴族だの、士族だのと言っていた。
しかし今、そんなことを言う人は、だれもいない。
それと同じように、やがて、ジョン・レノンが夢見たような
世界が、やってくるだろう。今すぐには無理だとしても、
必ず、やってくるだろう。
みんなと一緒に、力をあわせて、そういう世界をめざそう。
あきらめてはいけない。立ち止まっているわけにもいかない。
大切なことは、その目標に向かって進むこと。
決して後退しないこと。
ただひたすら、その目標に向かって進むこと。


    ┌┐
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■3-31-2

後半部です。
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
私の中の二重人格性

 私だけなのか、それとも、どの人にもそのような傾向があるのかは知らないが、私はときど
き、どちらの自分が本当の自分なのかわからないときがある。

 一人の自分は、タフで、独立心が旺盛で、こわいもの知らず。正義感が強く、がんこ。一方の
自分は、気が小さく、依存心が強く、おくびょう。優柔不断で、いいかげん。そのときどきにおい
て、自分という人間が、変化する。そして一方の自分から他方の自分を見ると、「どうしてあん
なことで悩んだのだろう」とか、反対に「結構、自分も無茶したな」などと、思ったりする。

 ほかにもいろいろある。私は昔から笑わせ名人で、人を笑わせるのがうまい。相手の心に取
り入るのがうまい。しかしそれは本当の私ではない。自分でも、無理をしているのが、よくわか
る。だからそういう自分を演じたときというのは、そのあと、ものすごく疲労感を覚える。

 で、改めて考えてみる。「本当の私は何か?」と。

 私は子どものときから、いつも不安でならなかった。家庭環境に原因があったのか、それとも
社会のしくみに原因があったのかはわからないが、ともかくも不安だった。とくに学生時代は、
先の見えない不安に、いつもおびえていた。よく覚えているのは、高校生のとき、教室で、補習
授業を受けているときのこと。私は山の端(は)に隠れつつあった夕日を見ながら、「早くこの時
期が過ぎてくれれば」と、それだけを懸命に願っていた。

 こうした不安感は、受験生や、受験生をもつ親たちを見ているとわかる。「私もそうだった…
…」と思うことが、しばしばある。

 しかし社会へ出てからも、その不安は消えなかった。生きていくということは、そのまま不安と
の戦いであるといってもよい。私のような生活をしていると、数週間から数か月先くらいまでの
ことはよくわかるが、その先が、まったくわからない。そういう不安は、いつもついてまわる。

 が、世の中には、こうした不安とは無縁の人も、いるにはいる。先日、ある小学校の校長(女
性、五〇歳前後)と、昼食をともにした。しかし彼女などは、まったくといってよいほど、その不
安を感じないという。

 「私は、毎日、朝、起きるのが楽しみです」
 「父も健在で、いっしょにテレビをみています」
 「地域の活動も、私が率先してやっています」と。

 そして最後にこう言った。「世の中には、あれこれ不満だらけの人もいますが、私は、不満と
いうものは、もったことがありません。毎日、みなさんに感謝して生きています。ですから、食事
もおいしいし、生きているのがうれしいです」と。

 私はその校長と話しながら、うらやましいと思う前に、驚いてしまった。あまりにも自分とは違
ったからだ。「世の中には、こういう恵まれた人もいるのだなあ」と、へんに感心もした。「どうす
れば、私もそう考えられるようになるのかな」と思いつつも、「私には無理だろうな」とも、思っ
た。

 人間は、そしてあらゆる動物は、不安を基底として生きているというのが、心理学での常識に
なっている。これを「基底不安」という。そしてその基底不安は、胎盤から離れて、産み落とされ
たときから始まるという。だから人間は、そしてあらゆる動物は、その胎盤にかわるものを求め
ながら、自分の不安をしずめようとする? もちろん胎盤の中に戻ることはできない。そこで人
間は、もろもろの代償行為を繰りかえすというわけである。 

 考えてみれば、私の二重人格性は、こうした基底不安を原因として、生まれたのかもしれな
い。「不安な自分」、そして「その不安と戦う自分」。そういう二面性が、一〇年、二〇年とかけ
て、自分の中に作られたとも考えられる。それは「理想」と「現実」との戦いであるといってもよ
い。「理想の中で生きたい」という自分と、「現実はそうでない」という自分。たとえば受験勉強な
どというのは、まさにそのかたまりであると言ってもよい。

 「友だちと仲よくしなさい」と言われる一方で、「他人を追い抜け」と教えられる。そういう自己
矛盾と戦うためには、二面性がないと生きていかれない。要するに理想と現実を、そのつど、
どううまく使い分けるかということ。そういう使い分けをしているうちに、私の中に、二重人格性
ができたとも考えられる。

 そんなわけで、こうした二重人格性は、だれにでもあるとも言える。ない人は、それだけでハ
ッピーな人ということになるが、しかしそういう人は、いったい、どれだけいるというのか。来年
の心配などしなくてもよい、老後の心配をしなくてもよいと自信をもって言えるような人は、いっ
たい、どれだけいるというのか。私たちは、みな、不安なのだ。不安であって当然なのだ!

 ……と居なおったところで、このエッセーの結論。結局は、こうした二重人格性を器用に使い
分けることができる人が、世渡りの名人ということになる。一方、それができない不器用な人
は、現代の社会に同化できず、社会からはじき飛ばされてしまうということになる。子どもの世
界について言うなら、「受験勉強など、くだらない」と思ってしまうと、その子どもは、学歴社会そ
のものから、はじき飛ばされてしまう。損をすることはあっても、得をすることは何もない。しかし
皮肉なことに、そういう子どもにこそ、つまりそのつど問題意識をもち、矛盾を感ずる子どもに
こそ、本当は、社会のリーダーになってもらいたいのだが……。
(030323)

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

金XXさん、もう、およしなさい!

 北朝鮮の軍事情報を集めれば集めるほど、あまりのお粗末さに、驚くばかり。たとえば……

【再処理施設の再稼動】
 ブッシュ政権の高官は、つぎのように述べている。「北朝鮮は、核施設の再稼動を、一週間
七日、二四時間の作業を行っているが、放射科学実験室などの施設の老朽化が著しく、難行
しているもよう」(朝鮮日報)と。

 要するに、古くて使いものにならないということらしい。またクリントン政権時代に、分析担当
官を務めたロバート・アバレッズ氏も、つぎのように述べている。「再処理施設を本格的に稼動
させる前に、一度実験稼動を行わねばならない。その際、その作業は、遠隔操作で行わねば
ならないが、北朝鮮にはその施設はない。だから北朝鮮では、人が直接、手で操作することに
なる。そのため事故が起きるのは当然」(朝鮮日報)と。

 つまり金XXは、核開発にやっきになっているが、どうもうまく進んでいないらしいということ。あ
あいう男だから、さぞかしカッカしていることだろう。この一か月以上、公式の場に姿を見せて
いないというが、多分、こういう失敗が重なっているためではないかと考えられる。

【ミサイル実験】
 三月までに二回の巡航ミサイル実験をしたが、すべて失敗したらしい。発射前に暴発したり、
途中で落ちたり。やっと届いたミサイルも、標的を一五〇メートルもはずれたとか。もともとベー
スとなった、中国製のシルクワームというミサイルは、博物館にあってもおかしくないミサイルだ
そうだ。そういうミサイルで、このザマだから、あとは推してはかるべし。

【軍備】
 私もあちこちから軍事雑誌を買って、一応、調べたが、あまりにもお粗末で、あきれてしまっ
た。「戦闘機はどれも、旧式なものばかり。最新鋭のミグ29にしても、飛べるのは、二機しなか
ない」とか、「ミゼット級潜水艦にしても、潜水能力は、せいぜい、七〜八メートル」とか、など。
戦艦にしても、旧ソ連から譲渡された船ばかり。整備状態も悪く、写真で見ても、サビだらけ?
 笑ってはいけないのだろうが、笑ってしまう。

 金XXさん、もうバカげた先軍政治など、おやめなさい。これから春にかけて、九八年当時に
匹敵するほどの食糧危機がやってくるとか。すでにその兆候が見られているという。ユニセフ
のメア・カン担当官(東アジア担当)は、つぎのように述べている。「国際社会に一二〇〇万ドル
の緊急援助支援を要請したが、現在(三月)のところ、五〇万ドル分しか集まっていない。現
在、一五〇万人の女性と子どもが、援助を必要としており、栄養失調の子どもが、七歳以下だ
けでも、七万人もいる。また三分の一の母親の栄養状態がよくなく、貧血の状態にある」と。

 この状態は、これから春にかけてさらにひどくなり、九八年当時のように、餓死者が続出する
だろうと言われている。今の今でさえ、二五万トンの食料が不足しているという(ユニセフ)。地
方では、昨年九〜一〇月から、食料の配給は、全面停止され、ピョンヤンでも、一か月につ
き、一五日分の食料配給がやっとという状態。ビョンソン科学院の博士でさえ、トウモロコシが
二〇日分しか配給されていないという(朝鮮日報)。

 こういう状態で、金XXさん、日本はともかくも、アメリカと、どうやって戦争するつもりなのか。
仮に沖縄の米軍基地にミサイルを一発打ちこめば、北朝鮮全土は、その翌日には、石器時代
に逆戻りすることになるという。もちろんあなたの命も、その日のうちに消える。今のイラクを見
ればわかるように、北朝鮮の人たちが、「将軍様、バンザーイ」と血相を変えて叫ぶのは、あな
たが尊敬されているからでない。こわいから、そうしているだけ。金XXさん、多分あなたも、そ
れをもう、薄々感じているはず。

 だから私は、あえてこう言う。「金XXさん、もうバカな政治は、おやめなさい」と。東アジアの人
たちにとってはもちろんのこと、北朝鮮の人たちにとっても、もっともよい方法は、金XXさん、あ
なた自身が失脚すること。みぐるしい悪あがきはもうやめて、ほんの少しだけ、世界というカガ
ミに、自分の姿をうつして見ること。そうすれば、あなたも、少しは自分の醜悪な姿に、気がつく
はず。
(030322)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


豊橋の多米(ため)峠に行く

 今日は、ワイフと、ドライブを楽しんだ。……こう書くと、ほとんどの人は、私が運転したかの
ように思うかもしれない。が、私は運転しない。車の運転免許証を、もっていない。

 まず、国道一号線で、湖西(こさい)市に向かう。そこから浜名湖(はまなこ)に沿って北上し、
途中を左折。豊橋(とよはし)方面に向かう。多米(ため)峠を抜けるつもりだったが、着いたと
ころは、JRの二川(ふたがわ)駅。つまり大回りしただけ。

 途中で、レストランに入った。豊橋名物のきしめんを食べようと思ったが、あいにく、そのレス
トランには、きしめんはなかった。しかたないので、私はザルソバ、ワイフは、てんぷらソバを注
文。そこで多米峠までの道のりを聞く。

 しばらくすると店の主人が、大きな地図をもってきてくれた。親切な人だ。「この先、二つ目の
信号を、右へ回って……」と、地図を見ながら、教えてくれた。私はそれを忘れないように、手
帳に地図を描き写す。こうしたナビゲーションは、私の役目。

 目的は、友人の家を訪問すること。友人の家は、その多米峠の下、豊橋市多米町にあった。
友人は家を建ててもう一〇年になるという。「一度、行こう」と思いつつ、あっという間に、その一
〇年が過ぎてしまった。

 だいたい地図ももたないで、見知らぬ土地へ行くことのほうがおかしい。おかしいが、私たち
はいつも、そうしている。あちこち道を聞きながら旅をするのが、私たちのやり方になってしまっ
た。ときどき道に迷って、とんでもないところへ入りこんでしまうこともある。本当のところ、今日
も、あぶなかった。だいたい多米峠がどこにあるかも知らなかった。「峠」というから、山の途中
にあるだろうくらいにしか、考えていなかった。

 が、その日は、あのソバ屋の主人のおかげで、ほとんど道に迷わず、友人の家にたどりつく
ことができた。実際には、数キロ先まで行き過ぎてしまっていたが、その程度のミスなら、まだ
よいほう。電話をすると、友人は、娘さんと二人で、大通りまで迎えに来てくれていた。

 友人の家で一時間ほど過ごす。私の話し相手は、もっぱら、娘さん(三五歳)のほう。特別擁
護老人ホームで働いているとか。話を興味深く、聞く。ワイフは、友人と話しこむ。ときどき、大
声で笑っていた。

豊橋市は浜松市から、車で一時間弱の距離だが、私たち夫婦には、そのあたりの土地カン
は、まったくといってよいほど、ない。おかしなことだが、浜松市に住んでいる人は、東京の方
に向かって、目がついている。自分たちは関東の人間だと思っている。名古屋市のほうが、は
るかに近いのに、だ。一方、豊橋市の人は、名古屋市の方に向かって、目がついている。浜松
市の人と豊橋市の人は、背中合わせに、ちょうど逆の方向を向いていることになる。

 帰りは、そのまま多米峠を通って、引佐(いなさ)町のほうへ向かう。途中、浜名湖が一望で
きるところがある。夜景が美しいそうだ。帰りに私たちの山荘に寄って、山の水を取ってくるつ
もりだったが、疲れてしまい、そのまま自宅へ。気賀(きが)駅前の「T見」という、うなぎの白焼
きを売っている店で、白焼きを二本、買う。このあたりでは、よく知られた店で、私たちが行った
ときも、七〜八人の行列ができていた。

 家に帰ってからは、部屋を掃除して、一日は、おしまい。夕方、暗くなってから、白焼きを焼き
なおして、ワイフと食べる。肉が厚くて、おいしかった。「さすが、T見のうなぎ!」と言いながら、
それを食べた。
(030323)※

【今日のコース】浜松市(静岡県)→(国道一号線)→湖西市→二川(愛知県)→多米→多米峠
→引佐町(静岡県)→自宅。朝一一時ごろ出発して、家に帰ったのが、四時半ごろ。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 667人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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★★★★★★★★★★★★★★
03−3−31号(202)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 日記を読んでいただけます!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。 
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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と読みやすくなります。お試しください。毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご
利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
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   γ ρρ   │σ σ ρ )        【1】子育てポイント 
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   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
費用もかえって安いのじゃないかしら?(1235)
七五三の祝いを式場で?(失敗危険度★★★)

●費用は一人二万円
 テレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた。何でも今では、子どもの七五三の祝い
を、ホテルかどこかの式場でする親がいるという。見ると、結婚式の花嫁衣裳のような豪華な
着物を着た女の子(六歳ぐらい)が、中央にすわり、これまた結婚式場のように、列席者がそ
の前に並んでいた。費用は一人二万円くらいだそうだ。レポーターが、やや皮肉をこめた言い
方で、「(費用が)たいへんでしょう」と声をかけると、その母親はこう言った。「家でするより楽
で、費用もかえって安いのじゃないかしら」と。

●ため息をついた私と女房
 私と女房は、それを見て、思わずため息をついた。私たちは、結婚式すらしてない。と言うよ
り、できなかった。貯金が一〇万円できたとき、(大卒の初任給がやっと七万円に届くころだっ
たが)、私が今の女房に、「結婚式をしたいか、それとも香港へ行きたいか」と聞くと、女房は、
「香港へ行きたい」と。それで私の仕事をかねて、私は女房を香港へ連れていった。それでお
しまい。実家からの援助で結婚式をする人も多いが、私のばあい、それも望めなかった。反対
に私は毎月の収入の約半分を、実家へ仕送りしていた。

 そののち、何度か、ちょうど私が三〇歳になるとき、つぎに四〇歳になるとき、「披露宴だけ
でも……」という話はあったが、そのつど私の父が死んだり、女房の父が死んだりして、それも
流れてしまった。さすが五〇歳になると、もう披露宴の話は消えた。

●「何か、おかしいわ」
 その七五三の祝いを見ながら、女房がこう言った。「何か、おかしいわ」と。つづけて私も言っ
た。「おかしい」と。すると女房がまたこう言った。「私なら、あんな祝い、招待されても行かない
わ」と。私もそれにうなずいた。いや、それは結婚式ができなかった私たちのひがみのようなも
のだったかもしれない。しかしおかしいものは、おかしい。

 子どもを愛するということ。子どもを大切の思うということ。そのことと、こうした祝いを盛大に
するということは、別のことである。こうした祝いをしたからといって、子どもを愛したことにも、
大切にしたことにはならない。しないからといって、子どもを粗末にしたことにもならない。むし
ろこうした祝いは、子どもの心をスポイルする可能性すらある。「自分は大切な人間だ」と思う
のは自尊心だが、「他人は自分より劣っている」と思うのは、慢心である。その慢心がつのれ
ば、子どもは自分の姿を見失う。こうした祝いは、子どもに慢心を抱かせる危険性がある。

 さらに……。子どもが慢心をもったならもったで、その慢心を維持できればよいが、そうでな
ければ、結局はその子ども自身が、……? この先は、私の伯母のことを書く。

●中途半端な人生
 私の友人の母親は、滋賀の山村で生まれ育った女性だが、気位の高い人だった。建具屋の
夫と結婚したものの、生涯ただの一度も金づちさえ握ったことがない。店の窓ガラスさえ拭いた
ことがないという。そういう女性がどうこうというのではない。その人はその人だ。が、問題はな
ぜその女性がそうであったかということ。その理由の一つが、その女性が育った家庭環境では
ないか。その女性は数一〇〇年つづいた庄屋の長女だった。農家の出身だが、子どものころ
畑仕事はまったくしなかったという。そういう流れの中で、その女性はそういう女性になった。

●虚栄の世界で
 たとえばその女性は、医師の妻やその町のお金持ちの妻としか交際しなかった。娘と息子が
いたが、医師の娘が日本舞踊を習い始めたりすると、すぐ自分の娘にも日本舞踊を習わせ
た。金持ちの娘が琴を学び始めたりすると、すぐ自分の娘にも琴を習わせた。あとは一事が万
事。

が、結局はそういう見栄の中で、一番苦しんだのはその女性自身ではなかったのか。たしかに
その女性は、親にかわいがられて育ったのだろうが、それが長い目で見てよかったのかどうか
ということになると、それは疑わしい。結局友人の母親は、建具屋のおかみさんにもなれず、さ
りとて上流階級の奥様にもなれず、何とも中途半端なまま、その生涯を終えた。

●子どもはスポイルされるだけ?
 話を戻すが、子どものときから「蝶よ、花よ」と育てられれば、子ども自身がスポイルされる。
ダメになる。それだけの財力と実力がいつまでもともなえば、それでよいが、そういうことは期
待するほうがおかしい。友人の母親のような末路をたどらないとは、だれにも言えない。

 で、その女性にはつづきがある。その女性は死ぬまで、家のしきたりにこだわった。五月の
節句になると、軒下に花飾りをつけた。そして近所に、甘酒を配ったりした。家計は火の車だっ
たが、それでもそういうしきたりはやめなかった。友人から、「ムダな出費がかかってたいへん」
という苦情が届いたこともある。

●子どもというのは皮肉なもの
 子どもというのは不思議なものだ。お金や手間をかければかけるほど、ダメになる。ドラ息子
化する。親は「親に感謝しているはず」と考えるかもしれないが、実際には逆。

 一方、子どもは使えば使うほど、すばらしい子どもになる。苦労がわかる子どもになるから、
やさしくもなる。学習面でも伸びる。もともと勉強には、ある種の苦痛がともなう。その苦痛を乗
りこえる忍耐力も、そこから生まれる。「子どもを育てる」という面では、そのほうが望ましいこと
は言うまでもない。

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

父のうしろ姿

●ズタズタになったプライド
 私の実家は、昔からの自転車屋とはいえ、私が中学生になるころには、斜陽の一途。私の
父は、ふだんは静かな人だったが、酒を飲むと人が変わった。二、三日おきに近所の酒屋で
酒を飲み、そして暴れた。大声をあげて、ものを投げつけた。そんなわけで私には、つらい毎
日だった。プライドはズタズタにされた。友人と一緒に学校から帰ってくるときも、家が近づくと、
あれこれと口実を作っては、その友人と別れた。父はよく酒を飲んでフラフラと通りを歩いてい
た。それを友人に見せることは、私にはできなかった。

●「どうやって隠せばいいのだ」
 その私も五二歳。一人、二人と息子を送り出し、今は三男が、高校三年生になった。のんき
な子どもだ。受験も押し迫っているというのに、友だちを二〇人も呼んで、パーティを開くとい
う。「がんばろう会だ」という。土曜日の午後で、私と女房は、三男のために台所を片づけた。
片づけながら、ふと三男にこう聞いた。「お前は、このうちに友だちを呼んでも、恥ずかしくない
か」と。すると三男は、「どうして?」と聞いた。理由など言っても、三男には理解できないだろ
う。私には私なりのわだかまりがある。私は高校生のとき、そういうことをしたくても、できなか
った。友だちの家に行っても、いつも肩身の狭い思いをしていた。「今度、はやしの家で集まろ
う」と言われたら、私は何と答えればよいのだ。父が壊した障子のさんや、ふすまの戸を、どう
やって隠せばよいのだ。

●私は父をうらんだ
 私は父をうらんだ。父は私が三〇歳になる少し前に死んだが、涙は出なかった。母ですら、
どこか生き生きとして見えた。ただ姉だけは、さめざめと泣いていた。私にはそれが奇異な感じ
がした。が、その思いは、私の年齢とともに変わってきた。四〇歳を過ぎるころになると、その
当時の父の悲しみや苦しみが、理解できるようになった。商売べたの父。いや、父だって必死
だった。近くに大型スーパーができたときも、父は「Jストアよりも安いものもあります」と、どこ
かしら的はずれな広告を、店先のガラス戸に張りつけていた。「よそで買った自転車でも、パン
クの修理をさせていただきます」という広告を張りつけたこともある。しかもそのJストアに自転
車を並べていたのが、父の実弟、つまり私の叔父だった。叔父は父とは違って、商売がうまか
った。父は口にこそ出さなかったが、よほどくやしかったのだろう。戦争の後遺症もあった。父
はますます酒に溺れていった。

●孤独の耐え方を教えてくれた父
 同じ親でありながら、父親は孤独な存在だ。前を向いて走ることだけを求められる。だからう
しろが見えない。見えないから、子どもたちの心がわからない。ある日気がついてみたら、うし
ろには誰もいない。そんなことも多い。ただ私のばあい、孤独の耐え方を知っている。父がそ
れを教えてくれた。客がいない日は、いつも父は丸い火鉢に身をかがめて、暖をとっていた。
あるいは油で汚れた作業台に向かって、黙々と何かを書いていた。そのときの父の気持ちを
思いやると、今、私が感じている孤独など、何でもない。

 私と女房は、その夜は家を離れることにした。私たちがいないほうが、三男も気が楽だろう。
いそいそと身じたくを整えていると、三男がうしろから、ふとこう言った。「パパ、ありがとう」と。
そのとき私はどこかで、死んだ父が、ニコッと笑ったような気がした。

     ⌒⌒⌒⌒
    ((( (( (( 
     ⌒  ⌒ 
     ・。・ β
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \   みなさんのご家庭で、このマガジンが役だって
 ゜\/│ // │ / /    いますか?
   Γ ̄ ̄│──|○   何かテーマがあれば、掲示板にでもお書きください。

   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【3】入園おめでとう!∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
■■はじめての登園■■

幼稚園、保育園、ご入園、おめでとうございます。

はじめての登園での注意事項をいくつか、考えてみます。はじめて何かのおけいこ塾や幼児教
室へ子どもを連れていくときにも応用できますので、ぜひ参考にしてみてください。

【対人恐怖症に注意】
 子どもの恐怖症に注意してください。以前、高所恐怖症、閉所恐怖症などになった子どもほ
ど、注意します。思考プロセスが脳の中にできているため、ちょっとしたことから、対人恐怖症
になることがあります。集団に対して一度、恐怖心をもつと、それがこの先、ずっとベースにな
ってしまいます。それが原因で、集団生活が苦手になったり、「内弁慶、外幽霊」になる子ども
も、珍しくありません(※1)。

 とくに今まで、あまり多人数の中でもまれることがなかった子どもほど、注意します。親子だけ
の狭い世界で、マンツーマンの生活をしてきた子どもなど。集団に対して免疫性ががない分だ
け、恐怖心をもちやすいと言えます。

【前向きの働きかけ(ストローク)を大切に】
 あなたの子どもに過敏傾向や神経質な面があるなら、子どもに恐怖感をもたせないように注
意してください。幼稚園や保育園は、楽しいところという印象づくりをします。前もって一度、子
どもと園を訪れてみるのもよいでしょう。そして「すてきなところね」「お友だちがいっぱいできる
よ」「先生は、みんなやさしい人よ」と、前向きの暗示を与えておきます。「幼稚園の先生はこわ
い」「服を着られないと、先生にたたかれる」式の脅しは、タブーです。

 この時期は、「はじめの一歩」を大切にします。はじめの印象が、大切だということです。そこ
でもし、あなたのお子さんに、つぎのような症状が見られたら、「無理をしない」を大前提に、お
子さんの心を大切にしてあげてください(※2)。

 また子どもが園へ通うようになったら、家族で前向きの働きかけ(ストローク)を子どもに与え
るようにします。「幼稚園へ通うようになって、あなたはますますいい子になったわ」「幼稚園の
先生がほめていたわ」など。「絵がじょうずになった」「歌がうまくなった」と、そのつどほめるの
も効果的。この時期、子どもは、やや自信過剰ぎみなほうが、あとあとよく伸びます。欠点を補
おうと考えるのではなく、得意分野をさらに伸ばすのが、子どもを伸ばすコツ。

【子どもの様子を観察してください】
 集団を見たとき、体をこわばらせる。親のうしろに隠れる。どこかおびえたような様子や警戒
したような様子を見せる。緊張する。 

 この時期、集団や新しい環境に、ある程度、警戒する様子を見せることは、悪いことではあり
ません。むしろはじめから、傍若無人に平気で振る舞う子どものほうが、どちらかというと心配
な子どもとみます。多動性のある子どもや、知恵の発達が遅れ気味の子どもほど、警戒心が
なく、平気で、ワーワーと騒いだりします。

 「ここはどこだろう?」「みんなはどんな子どもだろう?」「何をするのだろう?」というような様
子で、周囲を観察する様子を見せたら、その一つずつに、ていねいに答えてあげてください。
頭ごなしに、「グズグズしないで」「うるさいわね」式に言うのは避けます。

 こうした最初の対処が悪いと、子どもによっては、集団に対して恐怖感を覚えます。園での生
活になれるについて、少しずつ症状は収まっていきますが、しかしそのままその子どもの生活
態度として定着してしまうこともあります。ですから、無理をしないことです。

【分離不安の注意】
 その中でも、とくに注意したのが、分離不安です(※3)。母親の姿が見えなくなっただけで、
狂乱状態になって泣き叫んだりします。分離不安の原因は、「捨てられるのでは?」という妄想
です。はじめての登園が引き金になることは、よくあることです。

 子どもがこうした症状を見せたら、(見せる前に適切に対処しなければなりませんが)、無理
をしないこと。先生によっては、親を遠ざけ、「集団になれさせます」「やがてなれます」「私たち
に任せてください」などと言って、強引に親子を分離させる人もいますが、これはたいへん危険
な行為です。しばらくすると、見た目の症状は消えますが、それでなおったわけではありませ
ん。「潜った」とみます。無理をすれば、あとあと、かえっていろいろな情緒不安症状を引き起こ
す原因となりますから、注意してください。

 もしあなたの子どもが、はじめての登園で、分離不安の症状を見せたら、遠慮せず、お子さ
んのそばについてあげてください。そして「何でもないのよ」「ママも、びっくりしているのよ」とい
うような言い方をして、子どもの心をなぐさめるようにします。「わがままを言わないで!」「ひと
りでいなさい!」式に、子どもを叱ってはいけません。心の問題は、突き放せば突き放すほど、
症状がこじれます。

【情緒障害の引き金にも……】
 また子どもにとっては、はじめての集団生活は、かなりショッキングなできごとと理解してあげ
てください。かん黙症や自閉症、自閉傾向なども、はじめての集団生活が原因で起こることも
あります。

 もしあなたのお子さんが、どこか手こずるような様子を見せたら、とにかく無理をしないことで
す。たいていの親は、「保育園や幼稚園は、行かねばならないところ」と考え、行けない子ども
を、問題児扱いします。しかしこれはまったくの偏見です。

 また一日が終われば、いつもより気を楽にさせることを考えてあげます。子どもよっては、数
日目くらいから、顔色が悪くなったり、吐く息が臭くなったりします。そういうときはさらにスキン
シップを濃厚にして、子どもの心を休めることだけを考えます(※4)。

【適当に行けばよい】
 オーストラリアなどでは、最初は、週三日程度の通園ですましている幼稚園もあります。私の
経験でも、四年保育までは必要ないと思います。私が幼児教育の世界に入ったときは、二年
保育が主流でした。一年保育という子どもも珍しくありませんでした。それが三年保育になり、
四年保育になったのは、率直に言えば、園の経営方針が変わったためです。少子化で生徒が
少なくなるたびに、園は、保育の年数をふやしていったという経緯があります。

 つまり最初は、「行きたいときに行けばよい」という大らかさを大切にしてください。園の先生
によっては、「集団になじめなくなります」「遅れます」「休みグセがつきます」などと、親を脅しま
すが、これなどは、まったく根拠のないデマです。あまり気にしないように! とくに母親自身
が、学歴信仰、学校神話にこりかたまっている人ほど、注意してください。「保育園や幼稚園は
行かねばならないところ」「行けないのは、落ちこぼれ」という、まちがった先入観があれば、そ
れを捨てます。

 「気が向いたら行こうね」で、よいのです。そういう姿勢を大切にします。

【家では、息を抜かせる】
 子どもが園へ通うようになったら、家でのしつけを、大幅にゆるめます。子どもによっては、神
経疲れを起こし、ピリピリしたり、ぐずったりします。コツは、親の視線を感じさせないほどまで
に、好き勝手なことをさせることです。あれこれ気をつかうのは、逆効果です。園から帰ってき
て、家の中でゴロゴロしているようなら、そのままにさせておきます。

 それでも様子がおかしくなったら、先にも書いたように、スキンシップを多くし、CA、MGの多
い食生活にこころがけます。あとは睡眠時間を、それまでより多くします。とくに寝る前の一時
間は、子どもの脳を刺激しないようにします。はげしい動きのあるテレビやゲームは、避けま
す。もし就寝時刻が乱れるようでしたら、ベッドタイムゲームを大切にします。

【うちの子は、うちの子……】
 よその子と、何かにつけて比較しやすくなります。比較が悪いわけではありませんが、一度ク
セになると、そういう目でしか自分の子どもを見なくなります。そしていつの間にか、自分の子ど
もを見失ってしまいます。

 いつも、「うちの子は、うちの子……」という視点を大切にしてください。要するに人のことは気
にしない。マイペースで、ということです。そして親とのつきあいは、如水淡交が原則(※5)。中
に、(私の経験では、一〇人に一人くらいの割合で)、たいへん気むずかしい母親がいますの
で、注してください。こういうタイプの母親にからまれると、これからの園での生活に、あれこれ
問題が起きてきます。コツは、そういう母親とのつきあいは、園での活動の範囲に収め、プライ
ベートなつきあいはしないことです。

【終わりに……】
 子育てには不安はつきもの。しかしその不安の大半は、親自身が、自らつくるものです。わ
かりやすく言えば、不安だと思うから不安なのであって、そうでなければ、そうでないということ
です。もし子育てで不安に思ったり、迷ったりしたら、子育ての原点に立ち返ってみてください
(※6)。

 あとは子ども自身が伸びる力を信じて、子どもの肩をたたいてあげます。この時期、どうして
も親は神経質になります。それはし方ないことですが、しかし、それも度を超すと、育児ノイロー
ゼになったりします。あるいはかえって子どもの伸びる力をつぶしてしまうこともあります。もし
何か、心配なことがあれば、一、二歳年上の子どもをもつ親に相談してみるとよいです。ほとん
どの問題は、それで解決します(※7)。

++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【参考】

 ここに書いたことの中で、参考になりそうな記事を、今までに書いた原稿の中から、選んで集
めてみました。どうか参考にしてください。
(無断で転載、引用などはしないでください。よろしくお願いします。)

++++++++++++++++++++++++はやし浩司

(1)子どもの神経症

神経症は親を疑う

 子どもの神経症(心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害)は、ま
さに千差万別。「どこかおかしい」と感じたら、この神経症を疑う。その神経症は、大きくつぎの
三つに分けて考える。

(1)精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状
(周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩
む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱してわけのわからないことを言ってグズグズしたり、反
対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもある。

(2)身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、
頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発
熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面で
の神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号とと
らえて警戒する。

(3)行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面
に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無
関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出
歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもある。

 こうした神経症が表れると、親は園や学校、さらには友人関係を疑うが、まず疑うべきは、家
庭環境である。こんな母親がいた。学校でその子ども(小四男児)の吃音(どもり)が笑われた
というのだ。その母親は「教師の指導が悪いからだ」と怒っていたが、その子どもにはほかに、
チックによる症状(目をクルクルさせる)もあった。問題は「笑われた」ということではなく、現に
今、吃音があり、チックがあるということだ。たいていは親の神経質な過干渉が原因で起こる。
なおすべきことがあるとするなら、むしろそちらのほうだ。子どもというのは、仮に園や学校でつ
らい思いをしても、(またそういう思いをするから子どもは成長するが)、家庭の中でキズついた
心をいやすことができたら、こうした症状は外には出てこない。

 神経症が子どもに現れたらら、子どもの側からみて、親の存在を感じないほどまでに、家庭
環境をゆるめる。親があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。子どもがひとりでぼんやりと
できる時間と場所を大切にする。

+++++++++++++++++++++++はやし浩司

(2)子どもの神経疲れ

子どもの疲れは、神経疲れ

 子どもが「疲れた」と言うときは、神経疲れ(精神疲労)を疑う。この段階で、吐く息が臭くなっ
たり、顔色が悪くなったりする、腹痛や頭痛を訴えることもある。一方、子どもというのは、体力
や知力を使って疲れるということは、まずない。そういうときは、「眠い」という。あるいは本当に
眠ってしまう。

その神経疲れだが、子どもは、この神経疲れにたいへんもろい。それこそ五〜一〇分だけで
も神経をつかっただけで、子どもによっては、ヘトヘトに疲れてしまう。とくに敏感児タイプの子
ども、つまり俗にいう神経質な子どもは、神経疲れを起こしやすい。このタイプの子どもは、い
つも心が緊張状態にあることが知られている。その緊張した状態のところに不安が入ると、そ
の不安を解消しようと一挙に緊張感が高まる。このとき、その緊張感を外へ吐き出すタイプ(暴
れる、大声を出す、泣く)と、内へこめるタイプ(ぐずる、引きこもる、がまんする、よい子ぶる)
に分かれる。前者をプラス型というのなら、後者はマイナス型ということになる。教える側からす
れば、一見プラス型のほうがあつかいにくくみえるが、実際にはマイナス型のほうが、はるかに
むずかしい。

どちらのタイプであるにせよ、子どもが神経疲れを起こしたら、子どもの側からみて、だれの視
線も感じないような環境を用意する。親があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。子ども
がひとりで、ぼんやりできるようにする。生活習慣が乱れても、目をつぶり、子どもがしたいよう
にさせる。子どもが求めるようであれば、温かいスキンシップをじゅうぶん与え、あとはカルシウ
ム分やマグネシウム分の多い食生活にこころがける。

こうした神経疲れが慢性化すると、子どもは神経症(チック、どもり、夜尿、夜驚、夢中遊行な
ど)、さらには恐怖症(対人恐怖症、集団恐怖症など)や、情緒不安定症状を示すようになり、
それが高じて精神障害(摂食障害、回避性障害、行動障害など)になることがある。もちろん不
登校の原因になることもあるので注意する。
 
++++++++++++++++++++++はやし浩司

(3)分離不安

女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られたコラムニスト
のものだが、いわく、「うちの娘(三歳)を初めて幼稚園へ連れて行った時のこと。娘は激しく泣
きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを見て、親子の絆(きずな)の深さに感動した」と。
そのコラムニストは、ワーワーと泣き叫ぶ子どもを見て、感動したと言うのだ。とんでもない! 
ほかにもあれこれ症状が書かれていたが、それはまさしく分離不安の症状。「別れをつらがっ
て泣く子どもの姿」ではない。

 分離不安。親の姿が見えなくなると、発作的に混乱して、泣き叫んだり暴れたりする。大声を
上げて泣き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオドするタイプ(マイ
ナス型)に分けて考える。似たようなタイプの子どもに、単独では行動ができない子ども(孤立
恐怖)もいるが、それはともかくも、分離不安の子どもは多い。四−六歳児についていうなら、
十五〜二十人に一人ぐらいの割合で経験する。親が子どもの見える範囲内にいるうちは、静
かに落ち着いているが、親の姿が見えなくなったとたん、ギャーッと、ものすごい声を張り上げ
て、その後を追いかけたりする。

 原因は……、というより、分離不安の子どもを見ていくと、必ずといってよいほど、そのきっか
けとなった事件が、過去にあるのが分かる。激しい家庭内騒動、離婚騒動など。母親が病気で
入院したことや、置き去り、迷子を経験して、分離不安になった子どももいる。さらには育児拒
否、親の暴力、下の子どもが生まれたことが引き金となった例もある。子どもの側からみて、
「捨てられるのでは…」という被害妄想が、分離不安の原因と考えると分かりやすい。無意識
下で起こる現象であるため、叱(しか)ったりしても意味がない。

表面的な症状だけを見て、「集団生活になれていないため」とか、「わがまま」とか考える人もい
るが、無理をすればかえって症状をこじらせてしまう。いや、実際には無理に引き離せば混乱
状態になるものの、しばらくするとやがて静かに収まることが多い。しかしそれで分離不安がな
おるのではない。「もぐる」のである。一度キズついた心は、そんなに簡単になおらない。この分
離不安についても、そのつど繰り返し症状が表れる。

 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場で優しく丁寧に説得を繰
り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、そういう親子を観察す
ると、たいてい親の方が短気で、顔をしかめて子どもを叱ったり、怒ったりしているのが分か
る。「いい加減にしなさい!」「私はもう行きますからね」と。こういう親子のリズムの乱れが、症
状を悪化させる。子どもはますます被害妄想を持つようになる。分離不安を神経症の一つに分
類している学者も多い(牧田清志氏ほか)。

 分離不安は四〜五歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここに書いたよう
に、一度キズついた心は、簡単にはなおらない。ある母親はこう言った。「今でも、夫の帰宅が
予定より遅くなっただけで、言いようのない不安に襲われます」と。姿や形を変えて、大人にな
ってからも症状が表れることがある。

+++++++++++++++++++はやし浩司

(4)睡眠不足

「では今夜から早く寝させます」・睡眠不足の子ども

 睡眠不足の子どもがふえている。日中、うつろな目つきで、ぼんやりしている。突発的にキャ
ーキャーと声をあげて、興奮することはあっても、すぐスーッと潮が引くように元気がなくなって
しまう。顔色もどんより曇っていて、生彩がない。睡眠不足がどの程度、知能の発育に影響を
与えるかということについては、定説がない。ないが、集中力が続かないため、当然、学習効
果は著しく低下する。ちなみに睡眠時間(眠ってから目を覚ますまで)は、年中児で平均一〇時
間一五分。年長児で一〇時間。小学生になると、睡眠時間は急速に短くなる。

 原因の大半は不規則な生活習慣。「今日は土曜日だからいいだろう」と考えて、週に一度で
も夜ふかしをすると、睡眠時間も不安定になる。ある女の子(年長児)は、おばあさんに育てら
れていた。夜もおとな並に遅くまで起きていて、朝は朝で、おばあさんと一緒に起きていた。つ
まりそれが原因で睡眠不足になってしまった。また別の子ども(年長児)は、アレルギー性疾患
が原因で熟睡できなかった。腹の中のギョウ虫が原因で睡眠不足になったケースもある。で、
睡眠不足を指摘すると、たいていの親は、「では今夜から早く寝させます」などと言うが、そんな
簡単なことではない。早く寝させれば寝させた分だけ、子どもは早く目を覚ましてしまう。体内時
計が、そうなっているからである。そんなわけで、『睡眠不足、なおすに半年』と心得ること。生
活習慣というのは、そういうもので、一度できあがると、改めるのがたいへん難しい。

 なお子どもというのは、寝る前にいつも同じ行為を繰り返すという習性がある。これを欧米で
は、「ベッド・タイム・ゲーム」と呼んで、たいへん大切にしている。子どもはこの時間を通して、
「昼間の現実の世界」から、「夜の闇の世界」へ戻るために、心を整える。このしつけが悪い
と、子どもは、なかなか寝つかなくなり、それが原因で睡眠不足になることがある。まずいのは
子どもを寝室へ閉じ込め、いきなり電器を消してしまうような行為。こういう乱暴なことが日常化
すると、子どもは眠ることに恐怖心をもつようになり、床へつくことを拒否するようになる。ひど
いばあいには、情緒が不安定になることもある。毎晩夜ふかしをしたり、理由もないのにぐずっ
たりする、というのであれば、このベッドタイムゲームのしつけの失敗を疑ってみる。そこで教
訓。

 子どもを寝つかせるときは、ベッドタイムゲームを習慣化する。軽く添い寝をしてあげる。本を
読んであげる。やさしく語りかけてあげる、など。コツは、同じようなことを毎晩繰り返すようにす
ること。次にぬいぐるみを置いてあげるなど、子どもをさみしがらせないようにする。それに興
奮させないことも大切だ。年少であればあるほど、静かで穏やかな環境を用意する。できれば
夕食後は、テレビやゲームは避ける。なおこの睡眠不足と昼寝グセは、よく混同されるが、昼
寝グセの残っている子どもは、その時刻になると、パタリと眠ってしまうから区別できる。もし満
五歳を過ぎても昼寝グセが残っているようならば、その時間の間、ガムをかませるなどの方法
で対処する。

+++++++++++++++++++++はやし浩司

(5)親とのつきあい

負けるが勝ち

 この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこじれ
て、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともかくも、間に子
どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。

 まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。この世界、「教
育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それに皆が皆、ま
ともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある人もいる。さらに
は、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、四〇歳前後で、二〇人に一人はい
る。このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをいう。そういうま
ともでない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことになる。

 つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。相手が
先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」とか何とか
言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろう。しかしそれでも
頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせは、子どものところに集
まる。しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですから…
…」となる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが勝ち。

 ……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているようでわか
らないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。すべてではな
いことは、実はあなた自身が一番よく知っている。あなたは子どものころ、あなたの親は、あな
たのすべてを知っていただろうか。それに相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういっ
た苦情が耳に届くということは、よほどのことと考えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝
ち」。これは親同士のつきあいの大鉄則と考えてよい。(は

++++++++++++++++++はやし浩司

(6)生きる源流に視点を

 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に気づ
き、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子どものよさも、
またしかり。

 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。その二人の息子が
助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手という人が、魚釣りを
していて、息子の一人を助けてくれた。以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、
「生きていてくれるだけでいい」と思いなおすようにしている。が、そう思うと、すべての問題が解
決するから不思議である。特に二男は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校
を繰り返した。あるいは中学三年のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女
房も少なからずあわてたが、そのときも、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切
ることができた。

 私の母は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っている。人というのは、上を見れ
ば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだという意味だが、子
育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではない。下から見る。「子ど
もが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにする。朝起きると、子どもがそこ
にいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことをし、自分は自分で勝手なことをして
いる……。一見、何でもない生活かもしれないが、その何でもない生活の中に、すばらしい価
値が隠されている。つまりものごとは下から見る。それができたとき、すべての問題が解決す
る。

 子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。この本のどこかに書いたように、フ
ォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘れる)は、「得る・た
め」とも訳せる。つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもか
ら愛を得るために忘れる」ということになる。仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉を、
「as you like」と英語に訳したアメリカ人がいた。「あなたのよいように」という意味だが、すばら
しい訳だと思う。この言葉は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。

 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難しい。さ
らに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を歩みながら、そ
の真の親にたどりつく。楽な子育てというのはない。ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を
越え、谷を越える。そして一つ山を越えるごとに、それまでの自分が小さかったことに気づく。
が、若い親にはそれがわからない。ささいなことに悩んでは、身を焦がす。先日もこんな相談を
してきた母親がいた。東京在住の読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授
業についていけない。この先、将来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受
けるたびに、私は頭をかかえてしまう。

++++++++++++++++++++はやし浩司

(7)トラブルは親に聞く

 子どものことでトラブルが起きたら、一に静観、ニに静観、三、四がなくて、五に親に相談。少
子化の流れの中で、親たちは子育てにますます神経質になる傾向をみせている。そうである
からこそなおさら、「静観」。子どもにキズがつくことを恐れてはいけない。子どもというのはキズ
だらけになって成長する。で、ここでいう「親」というのは、一、二歳年上の子どもをもつ親をい
う。そういう親に相談すると、「うちもこんなことがありましたよ」「あら、そうですか」というような
会話で、ほとんどの問題は解決する。

 話が少しそれるが、私は少し前、ノートパソコンを通信販売で買った。が、そのパソコンには
一本のスリキズがついていた。最初私はそのキズが気になってしかたなかった。子どももそう
だ。子どもが小さいうちというのは、ささいなキズでも気になってしかたないもの。こんなことを
相談してきた母親がいた。何でもその幼稚園に外人の講師がやってきて、英会話を教えること
になったという。それについて、「先生はアイルランド人です。ヘンなアクセントが身につくので
はないかと心配です」と。子育てに関心をもつことは大切なことだが、それが度を超すと、親は
そんなことまで心配するようになる。

 さらに話がそれるが、子どものことでこまかいことが気になり始めたら、育児ノイローゼを疑
う。症状としては、つぎのようなものがある。
(1)生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞、
(2)思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低
下)、
(3)精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、
日常活動への興味の喪失)、
(4)睡眠障害(早朝覚醒に不眠)など。さらにその状態が進むと、Aさんのように、
(5)風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)、
(6)ムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)、
(7)ささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)、
(8)同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロールができなく
なる(感情障害)、
(9)他人との接触を嫌う(回避性障害)、
(10)過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。
(11)また必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。こうした兆候が見ら
れたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながることも珍しくない。子ども
が間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。

 要するに風とおしをよくするということ。そのためにも、同年齢もしくはやや年齢が上の子ども
をもつ親と情報交換をするとよい。とくに長男、長女は親も神経質になりやすいので、そうす
る。……そうそう、そう言えば、今では私のパソコンもキズだらけ。しかし使い勝手はずっとよく
なった。そういうパソコンを使いながら、「子どもも同じ」と、今、つくづくとそう思っている。

(030322)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩








件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■4-2-1A

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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 666人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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03−4−2号(203)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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です! 
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●03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそう。ごめんなさい! 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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●また、本文がつまっていて読みにくいときは、やはり一度ワードにコピーしていただくと、ぐん
と読みやすくなります。お試しください。毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご
利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

    /八))))ハ   ミミヽ
    / / へ へ   へ ミミ  ─┐     今日のメニュー
   ( | σ σ |  ∂  へ ミ  |         【1】子育てポイント
    )("  ) ")  ζ  ∂ ぅ             【2】Touch your Heart
   / 八 ー 八┐ ( __  ノ─┐           【3】子育てエッセー
   ((  >−< | >−< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  /
  / \   (3-─┼─-ε)  /   私たちは、安心子育て、めざしましょう!
  ──────────────┐     そうだね……。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<           安心できる情報と、
    /†_____†ヽ//          正しい知識をもとに、
    ( ('    ξヽ           考える力を忘れないで
  ┏ ||   o//\) )(         前向きに、子育てをしていきましょう。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

 こちらの頭のほうがヘンになる
イメージが乱舞する子ども(失敗危険度★★★)

●収拾がつかなくなる子ども
 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、あ
あ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポ
ンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよ
う。動作も一貫性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突
然神妙な顔をして、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。
その間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こち
らの頭のほうがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、症状が
急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。三〇年前に
はこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ一〇年、急速にふえた。小一児で、一〇人
に二人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに
数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑
えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級
 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答え
た先生が、六六%もいる(九八年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。「指導の疲れから、病
欠、休職している同僚がいるか」という質問については、一五%が、「一名以上いる」と回答し
ている。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、九
〇%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(七五%)、「友だちをたたく」
(六六%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(六六%)、「配布物を破ったり捨てたり
する」(五二%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ
 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが
最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使う人もい
る。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの
教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。

日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を
感ずる」というのが、二〇%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」
(一四%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(一〇%)と続く。そしてそ
の結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、八%、「かなり感ずる」「やや感ず
る」という先生が、六〇%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?
 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲー
ムをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊
家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子ど
もが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、
アメリカでも起きている。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期
に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていたのがわかる。

ある母親はこう言った。「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているとき
は、話しかけても返事もしませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児
向けにせよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲ
ームもそうだ。動きが速い。速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する
 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりや
すく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。その
証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができ
ない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚
が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろいが、直
感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつか
さどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こ
うした今まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えている
ことはじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということにな
る。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊を
あげる。

     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

前向きの人生、うしろ向きの人生

 一度、うしろ向きになると、人生は、どこまでもうしろ向きになる。ものの考え方が否定的にな
る。悲観的になる。不平、不満が多くなる。たとえば仕事が行きづまる。いくつかトラブルが重
なる。不安や心配が、それに拍車をかける。そうなると人は、「あれが悪い」「これが悪い」と言
い出す。そして原因を周囲の者や、過去に求め、思わぬ人を責めたり、また別のトラブルを引
き起こしたりする。

 子育ても、これに似たようなところがある。一度、うしろ向きになると、子どもの悪い点ばかり
が気になる。子どものささいな欠点や、もう忘れてよいはずの昔の失敗が、ことさら気になる。
それを責めたりする。叱ったりする。それこそ子どもが、お茶をこぼしただけで、「いつになった
ら、あなたはしっかりでくるの!」と、こぶしをあげたりする。

 そこであなた自身の姿勢をチェック。あなたはつぎの二つの親のうち、どちらのタイプに近い
だろうか。もちろんその中間もあるだろうし、ときとばあいによって、揺れ動くということもあるだ
ろう。あるいは子どもでも、兄と弟では、感じかたも違うということもある。

(前向きママ)うちの子は、外の世界でも、よくがんばっていると思う。一〇年後、二〇年後にし
ても、今の私よりは、すばらしい人間になっていると思うし、私より希望にあふれたよい生活を
していると思う。自分でも、「うちの子はすばらしい」と思うことがある。

(うしろ向きママ)うちの子は何をしても心配だし、将来についても、あまり期待していない。子ど
もの一〇年後、二〇年後を考えると、気が重くなる。同年齢のほかの子どもと比較しても、どこ
か見劣りがする。いつも、何か失敗をするのではないかと、ハラハラすることが多い。

 問題は、そういう親の姿勢ではなく、そういう姿勢が、子どもに、悪い影響を与えているので
はないかということ。そういう意味では、子どもの心はカガミのようなもの。長い時間をかけて、
あなたの心は、そっくりそのまま子どもに伝わる。禅宗の世界にも、「以心伝心」という言葉が
ある。師の心は、言葉ではなく、心を通して、弟子に伝わるという意味だが、親子のばあい、も
っと濃密に、その心が伝わる。

 もしあなたがここでいう「うしろ向きママ」なら、子どもの問題はさておき、あなた自身の心を作
り変えることを考える。方法がないわけではない。称して、「子育て改革作戦」。

【チャレンジ作戦】たとえば「うちの子は、あれができない、これができない」と悩むのではなく、
あなた自身が、それにチャレンジしてみる。そしてその緊張感の中に、子どもを巻き込んでして
いく。子どもに本を読ませたかったら、あなたがまず本を読んでみせる。あなたが図書館へ行
く。そのついでに、子どもも図書館へ連れていく。

【あきらめ作戦】悪い点や欠点については、いさぎよくあきらめる。そしてこどものよい面や、得
意な面だけを見ながら、さらにそれを伸ばす。このいさぎよさが、子どもの心に穴をあける。も
ちろんあなたの心も、それで明るくなる。

【許して忘れる作戦】どこまで子どもを許し、そして忘れるかで、親の愛の度量の深さが決ま
る。子どもの問題や欠点は、あなたの問題や欠点として、受け入れてしまう。「まだ何とかなる」
「何とかしよう」とあなたが考えている間は、あなたに安穏たる日々はやってこない。しかし「ま
あ、うちの子はこんなもの」と割り切ったときから、あなたは、その重圧感から身を解き放つこと
ができる。

【リズム作戦】子育てのリズムを、子どもに合わせる。子どものリズムで考え、子どものリズム
で行動する。たいていこのタイプの親は、うしろ向きである分だけ、いつも子どものほうを振り
返りながら、子育てをしている。前を向いていない。だから目標を見失ってしまう。親は、ときと
して子どもの前に立ち、ガイドとして、子どもを引っぱっていくが、そのとき、心配過剰、不安過
剰になっていないかを注意する。ガイドになるためには、目的地を見ながら進むことを忘れて
はいけない。

【案ずるより産む作戦】子どもというのは、あなたという親の思い通りには、育たないもの。その
ことは、あなたが一番よく知っているはず。言い換えると、あなたが何かをしたからといって、そ
のようにはならないし、しないからといって、育たないものではないということ。子どもに任すとこ
ろは任す。子育てには、親子でも、一〇%のニヒリズムをもつこと。とくに過保護、溺愛、過関
心気味の母親は、心のどこかでブレーキをかけるようにする。

【愚かな親作戦】親は、ときとしてバカなフリをして、子どもに自信をもたせ、ときとして愚かなフ
リをして、子どもの自立を促す。まずいのは、「私は親である」という気負い。この気負いが強け
れば強いほど、親も疲れるが、子どもも疲れる。要するに肩の力を抜いて、子どもの横に、友
として立つこと。日本人は元来、親意識が強く、友として子どもの横に立つのが苦手。「子ども
に頭をさげるなって!」ともし、あなたが思っているなら、それこそ、まさに権威主義。これから
は親の権威で、子どもをしばる時代ではない。

【口ぐせ作戦】親の心を作り変えるためには、親自身の口ぐせを変える。これについては、以
前、書いた原稿を、末尾に張りつけておく。子どもというのは、長い時間をかけて、親の口ぐせ
どおりの子どもになる。

+++++++++++++++++++++

子どもの心を変える法(信じて伸ばせ!)

親の口グセが子どもを伸ばすとき

●相変わらずワルだったが……  
 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい面を見せようとする。そういう性質を
利用して、子どもを伸ばす。こんなことがあった。

 昔、私が勤めていた幼稚園にどうしようもないワルの子ども(年中男児)がいた。友だちを泣
かす、けがをさせるは、日常茶飯事。それを注意する先生にも、キックしたり、カバンを投げつ
けたりしていた。どの先生も手を焼いていた。が、ある日、ふと見ると、その子どもが友だちに
クレヨンを貸しているのが目にとまった。私はすかさずその子どもをほめた。「君は、やさしい
子だね」と。数日後もまた目が合ったので、私はまたほめた。「君は、やさしい子だね」と。それ
からもその子どもはワルはワルのままだったが、しかしどういうわけか、私の姿を見ると、パッ
とそのワルをやめた。そしてニコニコと笑いながら、「センセー」と手を振ったりした。

●子どもの心はカガミ
 しかしウソはいけない。子どもとて心はおとな。信ずるときには本気で信ずる。「あなたはよい
子だ」という「思い」が、まっすぐ伝わったとき、その子どももまた、まっすぐ伸び始める。

 正直に告白する。私が幼稚園で教え始めたころ、年に何人かの子どもは、私をこわがって幼
稚園へ来なくなってしまった。そういう子どもというのは、初対面のとき、私が「いやな子ども」と
思った子どもだった。つまりそういう思いが、いつの間にか子どもに伝わってしまっていた。人
間関係というのは、そういうものだ。

イギリスの格言にも、『相手は、あなたが相手を思うように、あなたを思う』というのがある。つま
りあなたが相手をよい人だと思っていると、相手も、あなたをよい人だと思うようになる。いやな
人だと思っていると、相手も、あなたをいやな人だと思うようになる。一週間や二週間なら、何と
かごまかしてつきあうということもできるが、一か月、二か月となると、そうはいかない。いわん
や半年、一年をや。思いというのは、長い時間をかけて、必ず相手に伝わってしまう。では、ど
うするか。

 相手が子どもなら、こちらが先に折れるしかない。私のばあいは、「どうせこれから一年もつ
きあうのだから、楽しくやろう」ということで、折れるようにした。それは自分の職場を楽しくする
ためにも、必要だった。もっともそれが自然な形でできるようになったのは、三〇歳も過ぎてか
らだったが、それからは子どもたちの表情が、年々、みちがえるほど明るくなっていったのを覚
えている。そこで家庭では、こんなことを注意したらよい。

●前向きな暗示が心を変える
 まず「あなたはよい子」「あなたはどんどんよくなる」「あなたはすばらしい人になる」を口グセ
にする。子どもが幼児であればあるほど、そう言う。もしあなたが「うちの子は、だめな子」と思
っているなら、なおさらそうする。最初はウソでもよい。そうしてまず自分の心を作りかえる。人
間関係というのは、不思議なものだ。日ごろの口グセどおりの関係になる。互いの心がそうい
う方向に向いていくからだ。が、それだけではない。相手は相手で、あなたの期待に答えようと
する。相手が子どものときはなおさらで、そういう思いが、子どもを伸ばす。こんなことがあっ
た。

 その家には四人の男ばかりの兄弟がいたのだが、下の子が上の子の「おさがり」のズボンや
服をもらうたびに、下の子がそれを喜んで、「見て、見て!」と、私たちに見せにくるのだ。ふつ
う下の子は上の子のおさがりをいやがるものだとばかり思っていた私には、意外だった。そこ
で調べてみると、その秘訣は母親の言葉にあることがわかった。母親は下の子に兄のおさが
りを着せるたびに、こう言っていた。「ほら、あんたもお兄ちゃんのものがはけるようになったわ
ね。すごいわね!」と。母親はそれを心底、喜んでみせていた。そこでテスト。

 あなたの子どもは、何か新しいことができるようになるたびに、あるいは何かよいニュースが
あるたびに、「見て、見て!」「聞いて、聞いて!」と、あなたに報告にくるだろうか。もしそうな
ら、それでよし。そうでないなら、親子のあり方を少し反省してみたほうがよい。
(030324)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩

 
子どもの前を歩く

 親はガイドとして、子どもの前を歩く。それは当然のことだ。しかしその歩くとき、子どもの手を
引きすぎてはいけない。一方、子どものほうを、振りかえってばかりいてはいけない。要は、子
どもの歩調に合わせて、子どものリズムで歩く。

 子どものリズムで歩いていない親は、すぐわかる。実際、いっしょに歩いている姿を見ればよ
い。子どものリズムで歩いていない親は、子どもの手をぐいぐいと引きながら、前を歩く。子ども
は子どもで、体を引っぱられるようにして、親についていく。そういうとき親は、たいていこう言
う。「何をぐずぐずしているの? 早く来なさい!」と。そして子どもは子どもで、「待って、待っ
て!」と、泣き叫ぶ。

 そこであなたはどうだろうか? 子どものリズムで子どもの前を歩いているだろうか。おけい
ごとでも、塾でも、子どもの意思や心を確かめながら、入会を申し込んでいるだろうか。あるい
は何でも、親のほうで勝手に決めてしまっていないだろうか。やめるときもそうだ。子どもの意
思や心を確かめながら、やめているだろうか。

 また親は、子どものほうを、振り返ってばかりいてはいけない。親は、子どもの前に立ち、そ
のゴールにまっすぐ頭を向けて歩く。親が道に迷っていて、どうして子どもを前に導くことができ
るというのか。親は親として、自分の生きザマを子どもに示す。そのためにも、顔はまっすぐ前
に向けて歩く。こんなことがあった。

 その学校に、どうしようもないワルで、ドラ息子のA君(小三)がいた。そこで正義感の強いB
君(小三)が、A君をある日、たたきのめしてしまった。B君の行為を、クラスのみなが、たたえ
た。

 しかしB君の家は、母子家庭。しかも運の悪いことに、B君の母親は、A君の父親が経営する
工場で、働いていた。B君がA君をたたきのめしたと知った母親は、少なからずあわてた。そこ
でその夜、母親は、いやがるB君を連れて、A君の家にあやまりに行った。(何となく、できすぎ
た話のように思う人がいるかもしれないが、これは一〇年ほど前、私の近辺で、実際にあった
話。)

 そのB君、母親がA君の前で、あやまるように何度も言ったが、B君は、がんとして頭を振ら
なかった。当然だ! が、問題は、そのあと起きた。B君は、母親とも口をきかなくなってしまっ
たという。私はそのB君の気持ちが、痛いほど、よく理解できた。私も子どものころ、同じような
経験をしたことがある。

 このケースでは、あやまりに行くなら、母親だけで行けばよかった。B君にしてみれば、A君に
あやまるということは、プライドがズタズタにされることに等しい。平気であやまることができる
ほうが、おかしい。で、このケースでは、母親は、B君の気持ちを理解し、B君の行為を支持す
べきだった。B君が、母親の姿勢に幻滅したのは、これまた当然ということになる。

 子育てをしていると、子どもの前で、親の生きザマを示さなければならないようなときが、しば
しばやってくる。そういうとき、親は、(あるいはあなたは)、どこまで自分の生きザマを、子ども
に示すことができるか。親としてではなく、一人の人間として、だ。親というのは、そういう場で、
人間性そのものが、しばしば試される。まっすぐ前を見て歩くということには、そういう意味も含
まれる。
(030324)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

あなたは夫(妻)に対して、全幅に心を
開いているだろうか。あなたは夫(妻)と
心を一体化しているだろうか。ここでは
それについて考えてみたい。

+++++++++++++++++++

●夫 VS.妻

 レストランで食事をしたようなとき、欧米人では、たいてい夫のほうが、代金を支払う。オース
トラリアでも、そうだ。が、この日本では、たいてい妻のほうが、支払う。これについて、一度、オ
ーストラリアの友人に「どうしてか?」と聞いたことがある。それに答えて、その友人は、こう教え
てくれた。

 「オーストラリアでは、夫の地位が、日本とくらべて相対的に、低い。だから夫は自分の地位
を守るために、サイフを、妻に渡さないのではないか」と。具体的には、必要な家計費は、妻側
の申し出に応じて、そのつど、妻に手渡すという。

 私の家庭では、私が得た収入は、一度すべて、ワイフに渡す。渡したあと、ワイフから、小づ
かいという形で、私は昼食代などをもらったりする。私のばあい、「夫の収入」「妻の収入」とい
う観念は、まったくといってよいほど、ない。

 一方、中国では、「夫の収入」「妻の収入」という区別が、欧米人より、さらにはっきりとしてい
る。夫と妻が、たがいの収入を取りあって喧嘩(けんか)することも少なくない。私もあるところ
で、そういう場面に出くわしたことがあるが、それはものすごい喧嘩だった。中国では、夫婦別
姓がふつうだから、そういうことも関係しているのかな、と、そのときは、そう思った。

 夫婦の考え方も、国によって違うらしいが、しかしここに書いたようなことは、あくまでも表面
的なこと。だからといって、欧米人や中国人は、夫婦間がそれだけ冷めているとか、日本人は
反対に濃厚ということではない。夫婦の一心性は、もっと別の尺度でみなければならない。そ
れについて、改めて、ここで考えてみる。

●一心性

 たとえば夫が、何か名誉なことをして、社会的に評価されたとする。そのとき、妻は、どの程
度まで、自分のこととして、それを喜ぶことができるかということ。それがここでいう「一心性」で
ある。大半の妻は、自分のことのように慶ぶだろう。しかしそうでないケースも多い。つまり夫と
妻の一心性は、必ずしも同じではない。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

【事例1】
 ある父親が、東京で一人住まいをしている娘(二五歳)に、電子レンジを送った。その父親
が、会社からの帰り道、電気屋で買ったものだ。その父親は、ポケットマネーをはたいて、それ
を買った。

 が、数日後、娘から母親のほうに、礼の電話が入った。そのとき、母親は、「いいんだよ、お
礼なんか……」と言ったが、母親は、父親が買ったということは、一言も言わなかった。それで
電話が終わったあと、その電話を横で聞いていた父親が、母親をなじった。「どうして一言、あ
の電子レンジは、私が買ったものだと言わなかったのだ! お前は、夫の私をバカにしてい
る!」と。

【事例2】
 母親(七六歳)と、同居している長男(四五歳)が、親戚の家に一泊した。帰ってきてから、長
男は、その親戚の家に礼状を書き、地元の産物を送った。そのとき、長男は、長男だけの名
前で、それを送った。そのことについて、母親が、長男を責めた。「どうして、私の名前を書き添
えてくれなかったのだ! 親を粗末にするな!」と。

 この二つの事例を読んで、あなたはどう考えただろうか。(事例1)のほうでは、母親は、一
言、「あれはお父さんが買ってくれたものだよ。お父さんに、お礼を言ってね」と、言うべきだっ
た。また(事例2)では、息子は、母親と連名にすべきだった。……と、もしあなたが考えるよう
なら、それは少し、待ってほしい。

 ここで「一心性」の問題が、生まれる。(事例1)のほうでは、妻は、夫と一心化しているのが
わかる。「夫の行為は、私の行為」と。だから妻は、夫のことは何も言わなかった。一方、夫
は、妻と一心化していない。夫は、心のどこかで、「私の行為」「妻の行為」と、無意識のうちに
も、区別している。(事例2)も、同じように考えられる。(事例2)のほうでは、息子はともかくも、
母親のほうが、息子と一心化していない。

●一心性とは?

 (事例1)を、もう一度、読んでみてほしい。父親は、娘にと、電子レンジを買った。そしてそれ
を娘に送った。それを見て、母親のほうは、「私たちが送った」と考えた。「私が……」という意
識すらなかったかもしれない。一方、父親のほうには、「私が……」という意識がある。実は、こ
こが問題である。父親は、「私が送ったのに、私のことは何も言わなかった。妻は自分だけが
いい子になろうとした」と感じた。だから、「夫の私をバカにしている!」と。

 この事例では、夫は、妻に、心を開いていない。全幅に、信頼もしていない。夫婦でありなが
ら、その間に、見えない壁(かべ)をはさんでいる。が、ここで考えなければならないことは、そ
の壁があることではなく、その壁があることに、夫が、気づいていないということ。多分その夫
は、日ごろ、こう考えているかもしれない。「妻や娘を、食わせてやっているのは、私だ」「私が
仕事をするから、妻や娘は生活ができる」「妻や娘は、私にもっと、感謝すべきだ」「私は一家
の柱だ。主人だ」と。

 こうした考え方を夫がもつのは、その夫の勝手だが、そういう考え方をすればするほど、まわ
りの妻や娘が、さみしい思いをする。夫は、そういう妻や娘のさみしさにすら、気づいていな
い?

●当事者の問題

 この問題は、その当事者である、夫や妻、親や子どもが、それに気づかねばならない。ふつ
うは、そういう状態が定着してしまっていて、当事者たちは、気がつかないでいる。私も、こうし
た一心性の問題に気づいたのは、ごく最近のことだ。こんなことがあった。

【事例3】
 その家には、三〇歳になる長女と、二八歳になる二女がいた。しかし長女は、高校生になる
ころから、拒食症と過食症を繰りかえすようになり、そのままほとんど部屋に閉じこもったまま
になってしまった。体は、骨と皮だけ、という感じになってしまった。母親は、何度も長女を病院
に入院させようとしてが、父親がそれを許さなかった。「近所に、恥ずかしい」「家系にキズがつ
く」というのが、その理由だった。

 が、二女が、結婚することになった。そのときのこと。父親は、あれこれ理由をつけて、長女
を結婚式に出さなかった。そして結婚式では、「長女は、肺炎になりまして……」と、ウソを言っ
た。
 
 この話を聞いたとき、まず私が感じたのは、「どうして?」という疑問。父親は長女の心が変
調したことを、「恥ずかしい」と言う。つまり父親が、長女の病気を受け入れていないのがわか
る。が、この状態で、本当にキズつくのは、長女のほうである。長女がそうなったのも、ひょっと
したら、そういう父親に原因があったのかもしれない。父親が、長女に対して、心を開いていな
い。その結果、長女も、父親に対して、心を開けなくなってしまった。そしてそれが遠因となっ
て、長女は、その病気になってしまった? ……と、いうより、もし長女が、父親や母親に、もっ
とすなおに心を開くことができたら、それほどまでに症状が重くならなくて、すんだかもしれな
い。もう一つ、こんな話もある。これは私の友人から、直接、聞いた話である。その友人(五四
歳・男性)は、こう言った。

 「ぼくは、日曜日など、家の中でブラブラしていると、何か悪いことをしているような気がしま
す。妻や娘たちが、どこかで『何をしているの!』と怒っているように感ずることもあります。妻
はぼくのことを、『貧乏性』と言いますが、自分でもそう思います。いつも何かに追われているよ
うな感じがしてならないのです。妻や娘たちが、私を一家の主人と認めてくれるのは、私がそれ
なりに仕事をしているからなんですね。しかしもし、私が仕事をするのをやめたら、あるいはで
きなくなったら、妻や娘たちの、私に対する態度は、大きく変わると思います。そういう不安感
から、どうしても抜け出ることができません」と。

●チェックテスト 

 心を開いている人も、開いていない人も、何か特別の事情がないかぎり、自分でそれに気づ
くことは、まずない。一方、心を開いている人にしてみれば、開いていない人が想像できない。
心を開くことができない人にしてみれば、開いている人が想像できない。

 夫婦でも、たがいにそれに気づかないということも多い。たとえば夫が、心を開けなく、妻が、
心を開いているというケース。こういうケースでは、「性格が違う」というような言い方で、問題の
本質を見逃してしまう。さらに一〇年、二〇年と結婚生活がつづくと、先にも書いたように、そ
の状態で、人間関係が定着してしまう。

 そこであなた自身を、チェックテストしてみよう。このテストは、夫婦の間の心の開きぐあいを
チェックするものだが、親子の関係も、同じようにチェックできる。

(1)あなたは夫(妻)が、何か特別なことができるようになったとき、それを自分のことのよう
に、喜ぶことができる。
(2)あなたは、どんなことがあっても、夫(妻)が、自分を支えてくれると思っている。またそれを
疑ったことがない。
(3)あなたは、どんな恥ずかしいことや、悲しいことでも、夫(妻)には安心して、話すことができ
る。
(4)あなたはあなたの夫(妻)に、ときには、子どもや赤ん坊のように甘えたり、ダダをこねたり
することができる。
(5)あなたはあなたの夫(妻)は、どんなことがあっても、自分を裏切ることはないと確信してい
る。あるいはそれを疑ったことがない。

 (1)から(5)まで、ほとんどそうであれば、あなたは夫(妻)に対して、心を開いていることにな
る。一心性が高いとみる。しかしつぎの、(6)から(10)まで、ほとんどそうであれば、あなたは
夫(妻)に対して、心を開いていないことになる。一心性が低いとみる。(1)〜(5)と、(6)〜(1
0)の項目は、それぞれ対照的になっている。

(6)「私は私、夫(妻)は夫(妻)」と割りきることが多い。自分のことで、夫(妻)が喜んでみせて
くれても、それは儀礼的なものと思うことが多い。
(7)夫婦といっても、ギブ・アンド・テイクの関係で成りたっていると思う。与えるものがなくなっ
たら、夫(妻)は、自分のもとを去ると思うことがある。
(8)夫婦といえども、そこには限界がある。それは、夫婦としての、たしなみのようなもの。隠し
ごとや秘密があっても、悪くないと思う。
(9)夫(妻)に対して、甘えるということは、あまりしない。夫(妻)には、そういう雰囲気がない。
自分の弱みは、夫(妻)には見せたくない。
(10)夫(妻)は、いつか私を裏切るかもしれない。そういう点では、私は猜疑心(さいぎしん)が
強いし、嫉妬(しっと)深い。

 さてあなたは、夫(妻)や子どもたちに対して、心を開いているだろうか。もしそうならそれでよ
し。そうでないなら、まず、自分の心が閉じていることに気づくこと。すべてはここを原点として、
出発する。

●ついでに、私のこと

 私たち夫婦は、表面的には、心を開きあっている。たがいに言いたいことを言い、したいこと
をしている。まあ、それなりに仲のよい夫婦だ。他人が見れば、そう思うだろう。しかしワイフは
ともかくも、私は、いまだに全幅に、心を開けないでいる。今夜(三月二五日)も、ワイフとその
ことで、話しあった。そして私は謝った。「ぼくたちは、結婚して三〇年になるけど、ぼくは、いま
だにお前には、心を開いていないような気がする。こういう夫をもって、さみしい思いをしている
のは、お前のほうだと思う。ごめんな」と。それに答えて、ワイフは、こう言った。

 「わかっているわ。あなたはかわいそうな人ね。私だけではないわ。もっと他人の親切や、や
さしさを、素直に受けいれればいいのよ。しかし、あなたには、それができないというわけ。そ
れがあなたを、孤独にしていると思うわ」と。

 私がワイフに対してさえ心を開けないというのは、私の乳幼児期のどこかに原因があると思
う。私は、もの心つくころから、ずっと、孤独だった。不安だった。それはともかくも、今も、基本
的には、こうした孤独や不安の上に、自分がいる。もっとも、そう感ずるのは、私の問題。私の
勝手。そういう私という人間を夫にもって、ワイフは苦労をしたと思う。そのあと私が、「しかしお
前も、ぼくのような夫をもって、よく耐えることができたね。ふつうの女性なら、とても耐えられな
かったと思うよ。お前のばあい、あきらめたのか。それとも、ぼくを受け入れたのか?」と聞く
と、ワイフは、こう言った。

 「結婚というのは、夫婦だけの問題ではないでしょ。私の兄弟や家族、あなたの兄弟や家族、
それに子どもたちもいるから……。そういったものが、私たち夫婦の輪郭(りんかく)を作るとい
うこともあるのよ。完ぺきな夫婦なんてものはないのよ。みんな、それぞれが、いろいろな問題
をかかえて、それぞれの輪郭の中で、がんばっているのよ」と。

 ……しかし、人生も半世紀を過ぎてから、それに気づくとは! 私は何という夫だったのか!
 何という人間だったのか! 孤独にせよ、不安にせよ、私が戦ってきた相手は、実は自分自
身が作りだしてきたものだった! 自分の中に。その原因があった! もっとわかりやすく言え
ば、私は一方で、自ら孤独や不安を作りだしながら、もう一方で、それと戦っていただけという
ことになる。

●結論

 お金の払い方から始めて、話がかなり脱線してしまったが、夫婦の一心性を考えていたら、
こういうエッセーになってしまった。脱線はいつものことだが、ただここで言えることは、夫婦の
一心性の問題は、(親子の一心性もそうだが……)、それ自体が、たいへん奥が深く、重要な
問題だということ。

つまり心を開き、心を許しあうから、夫婦という。親子という。口でそう言うのは簡単なことだ
が、しかしそれはそんな簡単な問題ではないということ。簡単な問題ではないということが、ここ
での結論ということになる。何とも、中途半端な結論になってしまったが、このつづきは、また別
の機会に考えてみたい。
(030325)

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    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
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●03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそう。ごめんなさい! 
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
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と読みやすくなります。お試しください。毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご
利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

    /八))))ハ   ミミヽ
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   ((  >−< | >−< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  /
  / \   (3-─┼─-ε)  /   私たちは、安心子育て、めざしましょう!
  ──────────────┐     そうだね……。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

今回は、お休みします。

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<           安心できる情報と、
    /†_____†ヽ//          正しい知識をもとに、
    ( ('    ξヽ           考える力を忘れないで
  ┏ ||   o//\) )(         前向きに、子育てをしていきましょう。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++


部屋の中はまるでクモの巣みたい!
砂糖は白い麻薬(失敗危険度★★)

●独特の動き
 キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、突発的
にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。

原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考えると
わかりやすい。そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)だそうだ(ア
メリカ小児栄養学・ヒューパワーズ博士)。つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を
大量に摂取すると、インスリンが大量に分泌され、そのインスリンが脳間伝達物質であるセロト
ニンの大量分泌をうながし、それが脳の抑制命令を阻害する、と。

●U君(年長児)のケース
U君の母親から相談があったのは、四月のはじめ。U君がちょうど年長児になったときのことだ
った。母親はこう言った。「部屋の中がクモの巣みたいです。どうしてでしょう?」と。U君は突発
的に金きり声をあげて興奮状態になるなどの、いわゆる過剰行動性が強くみられた。このタイ
プの子どもは、まず砂糖づけの生活を疑ってみる。聞くと母親はこう言った。

 「おばあちゃんの趣味がジャムづくりで、毎週そのジャムを届けてくれます。それで残したらも
ったいないと思い、パンにつけたり、紅茶に入れたりしています」と。そこで計算してみるとU君
は一日、一〇〇〜一二〇グラムの砂糖を摂取していることがわかった。かなりの量である。そ
こで私はまず砂糖断ちをしてみることをすすめた。が、それからがたいへんだった。

●禁断症状と愚鈍性
 U君は幼稚園から帰ってくると、冷蔵庫を足で蹴飛ばしながら、「ビスケットをくれ、ビスケット
をくれ!」と叫ぶようになったという。急激に砂糖断ちをすると、麻薬を断ったときに出る禁断症
状のようなものがあらわれることがある。U君のもそれだった。夜中に母親から電話があった
ので、「砂糖断ちをつづけるように」と私は指示した。が、その一週間後、私はU君の姿を見て
驚いた。U君がまるで別人のように、ヌボーッとしたまま、まったく反応がなくなってしまったの
だ。何かを問いかけても、口を半開きにしたまま、うつろな目つきで私をぼんやりと私を見つめ
るだけ。母親もそれに気づいてこう言った。「やはり砂糖を与えたほうがいいのでしょうか」と。

●砂糖は白い麻薬
これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のないも
のを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、子どもの
必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約一〇〜一五グラム。この量は
イチゴジャム大さじ一杯分程度。もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶
暴になったり、あるいはキーキーと声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すよう
なら、一度、カルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、砂糖断ちをしてみるとよ
い。効果がなくてもダメもと。砂糖は白い麻薬と考える学者もいる。子どもによっては一週間程
度でみちがえるほど静かに落ち着く。

●リン酸食品
なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食品を与え
ると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出してしまう。と言っ
ても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。たとえば、ハム、ソーセージ(弾力性
を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けても流れ
ず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせず、歯
ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味をおだや
かにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水によく溶
けるようにするため)など(以上、川島四郎氏)。かなり本腰を入れて対処しないと、リン酸食品
を遠ざけることはできない。

●こわいジャンクフード
ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物を生み
出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということは、不必要
なことである」と。つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を
加えた食品(ジャンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジャ
ンクフードは)疲労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコール処理不
能、アレルギーなどの原因になっている」とも。

●U君の後日談
 砂糖漬けの生活から抜けでたとき、そのままふつう児にもどる子どもと、U君のように愚鈍性
が残る子どもがいる。それまでの生活にもよるが、当然のことながら砂糖の量が多く、その期
間が長ければ長いほど、後遺症が残る。

U君のケースでは、それから小学校へ入学するまで、愚鈍性は残ったままだった。白砂糖はカ
ルシウム不足を引き起こし、その結果、「脳の発育が不良になる。先天性の脳水腫をおこす。
脳神経細胞の興奮性を亢進する。痴呆、低脳をおこしやすい。精神疲労しやすく、回復がおそ
い。神経衰弱、精神病にかかりやすい。一般に内分泌腺の発育は不良、機能が低下する」(片
瀬淡氏「カルシウムの医学」)という説もある。子どもの食生活を安易に考えてはいけない。
 
     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
スポイルされる子ども

●生意気な子ども

 少し前、「生意気な子ども」というテーマで、エッセーを書いた(マガジン・三月二五日号)。そ
の中で、「ある一定の確率で、こうした子どもは生まれる」「総じてみれば、男子より、女子のほ
うに多い」と書いた。このエッセーについて、何人かのマガジン読者の方から、Eメールをもらっ
た。「うちの娘には、その傾向がある」(静岡県Aさん)、「どうすれば、防げるか」(静岡県Bさん
ほか)、と。

 そこで私は、こうした子どもが、いつごろから、どのようにして生まれるかを、観察してみた。
こういうことができるのは、幼稚園の年中児から、高校三年生まで直接教えている、私の「強
み」でもある。

 で、おおざっぱな報告で恐縮だが、こうした傾向は、だいたい小学二、三年生ごろに現れるこ
とがわかった。特徴としては、(1)おとなをなめた言動が多くなる(「あんたの授業、つまらない
ね」「毎年、やっていることは、同じだね」)。(2)世間ずれしたものの考え方をするようになる
(「私も、どうせ結婚するなら、金持ちの人がいい」「私は、おとなになっても働きたくない」)。
(3)おとなびたものの考え方をする(「先生、あんたも、この不景気でたいへんだね。がんばり
なよ」)。(4)おとな社会の「裏」を見たような発言が多くなる。私が筆箱の中に入っていたあや
しげな小物をつまんで、「これ、何?」と聞いたとき、なまめかしい声で「いいじゃア〜ン。文句あ
んノ〜?」と言った子ども(小六女子)などがいた。

 どこか言動がシャキシャキしているので、おとなから見ると、どこかませた子ども、どこかしっ
かりしている子ども、どこかソツのない子どもといった感じになる。総じてみれば、裕福な家庭
の子どもに多い。頭も悪くないから、勉強も、そこそこにできる。決して放任家庭、崩壊家庭の
子どもというわけではない。ほとんど親は、ふつう以上に教育に関心があり、熱心である。

 が、この段階で一つの大きな問題にぶつかる。それを親に告げるべきかどうかという問題で
ある。

●親への報告
 
 こうした問題では、「もしまちがっていたら……」という迷いが、いつもついて回る。親に不要な
心配をかけたり、あるいは親を不安にさせるのは、極力さけなければならない。その前に、説
明をするにしても、時間がかかりすぎる。「生意気な子ども」と言っても、ほとんどの親には、そ
の知識すら、ない。またこのタイプの子どもほど、人前では、むしろ行動的で、積極的。そういう
子どもを評して、「あなたの娘さんは、将来、問題のある子どもになりますよ」などとは、とても
言えない。

 で、私のばあいは、親のほうから相談があるまで、私のほうからは、何も言わないようにして
いる。私ができる範囲で、私が指導するようにしている。しかしここでもまた別の問題にぶつか
る。

 このタイプの子どもは、年齢とともに、基本的な「まじめさ」が、急速に消えていく。私は決して
権威主義者ではない。ないが、しかし、子どもを指導するには、ある程度、「まじめな人間関
係」が必要である。「先生」と、私を敬(うやま)ってくれないと、指導そのものができない。その
まじめさを、子ども自身が否定するようになる。一度こうなると、あとは何を言ってもムダ。少し
おどけてみせたりすると、「くだらネエ〜」。少しやさしく接すると、「うッセ〜」と。粗放な態度を叱
ると、すさんだ目つきで、「文句あんノカ〜」と。

 こうしてこのタイプの子どもは、やがて自ら、私から去っていく。理由など、いくらでもつけられ
る。たいていは、「あの林は、くだらない」「まじめの教えない」「もっとほかの進学塾で、自分を
きたえたい」などと言う。そういうことを知っているから、だからますます私の口はかたくなる。親
に話せなくなる。

●子育ての宿命

 ほとんどの親は、「うちに限って……」「うちの子はだいじょうぶ……」「そういう問題は、他人
の問題であって、私の問題ではない……」と、考えて、その前兆を見落としてしまう。そしてやが
て問題が大きくなる。親の目にも、それがわかるようになる。が、この段階でも、「まさか……」
「まだ何とかなる……」と安易に考えて、親は子どもを叱ったりする。そしてあとはお決まりの悪
循環! 一番底から二番底、そして三番底へと落ちていく。

 しかしこうした宿命は、子育てから切り離すことはできない。本来なら、その前兆が見られた
とき、その段階で、子育てのあり方を、軌道修正しなければならない。しかしたいはんの親に
は、その兆候すら、わからない。そこで私のような立場のものが、何かをしなければならない…
…ということになるが、しかしここでもまた別の問題にぶつかる。

 ほとんどの親は、「勉強ができるようにするのが教育」「いい学校へ入るのが教育」と思ってい
る。そして「心」をどこかへ置き去りにしたまま、「教育」を組みたてる。よい例が進学塾の、進
学指導だ。

今年も、地元のX進学塾では、「A高校、二〇〇人合格、B高校、一五〇人合格……」と、その
成果(?)を、塾の宣伝に大々的に使っている。しかしその陰で、どれだけ多くの子どもが、不
合格になっていることか。また、たとえばA高校だけでも、毎年、五〜一〇%の子どもが、バー
ントアウトしている。そういう事実を、進学塾の経営者たちは、どう考えているのか。さらにメチ
ャメチャな進学競争で、キズつき、暖かい人間的な心をなくす子どもとなると、数知れない。し
かし親たちは、「A高校へ入ってくれれば、それでいい」「A高校へ入ったから、すべてメデタシ」
というような考え方をする。そういう考え方が主流の世界で、何が、心だ! 何が、生意気な子
どもだ! 私の知ったことか! ……というのは、少し言いすぎだが、しかし結局は、そういうこ
とになってしまう。

●チェックテスト

 つぎのような症状が見られたら、生意気な子どもになる前兆を考えてよい。しかしこれは子ど
もの問題というより、親の問題である。ここに書いたことで思い当たることがいくつかあれば、
あなたは子育てのあり方を、かなり反省したほうがよい。

★子どもが乳幼児のときから、不自由を感ずることがない環境で、余裕をもって、子育てをして
きた。そのため、子どもには、したい放題のことをさせてきた。クリスマスや誕生日なども、世間
一般の子どもたちよりは、お金をかけて、おおげさに祝ってきた。

★乳幼児のときから、おとなの世界を楽しませることを、何かにつけて優先してきた。そのため
子育てのし方が、どちらかというと、享楽的になることが多かった。休みごとに、どこかへ旅行
したりするなど。子ども自身の努力よりも、子どもに楽しませることのほうを、大切にしてきた。

★子どもに、おとなびたことをさせることに、あまり抵抗感がない。子どもの髪の毛を茶髪にし
てみたり、高価なドレスを身につけさせるなど。「七五三の祝いを式場した」というような話を聞
くと、それを疑問に思う前に、「うちも、そうしよう」などと考える傾向が強い。

★「子どもをかわいがる」ということは、子どもに不自由な思いをさせないことをいう。そういう子
育て観が、柱になっている。子どもが、わがままなことを言っても、ある程度は、し方のないこ
と。子どもというのは、そういうものだし、わがままを言いあえるということは、大切なこと。それ
に答えてやるのが、親の務めだと思う。こうした努力があれば、いつか親である私は子どもに
感謝され、その分、親子の絆(きずな)は太くなると思う。

★自分自身も、依存心が強い。子どもに甘えられるとき、それが悪いことだと思う前に、「かわ
いい子」「たがいに依存しあうのは、親子の絆が太いから」と思うことが多い。いつかは、私は
子どもの世話になりたいし、もちつもたれつの関係になるのが、理想的だと思う。

 もちろんこういう傾向があるからといって、あなたの子どもが生意気な子どもになるというわけ
ではない。しかし一度、反省してみる必要はある。世界的にみても、日本の子どもほど、スポイ
ルされている子どもも、そうはいない。全体的におかしいので、それに気づく親も少ないし、子
どもにしても、自分がスポイルされているとは思っていない。

 この「生意気な子ども」という問題には、日本の子育てがかかえる、原点的な矛盾が隠されて
いるように思う。決して安易に考えてはいけない。なお、とても残念なことだが、一度、おとな社
会の「裏」を見た子どもは、もとにはもどらない。よい意味でも、悪い意味でも、カゴの外に出た
鳥は、カゴには、もどらない。

 ただし一言。ここでいうようなスポイルされたからといって、子育てが失敗したとか、その子ど
もがダメになるということではない。「スポイル」そのものは、ほかのいろいろな問題とくらべて
も、それほど深刻な問題ではない。少なくとも、子ども自身は、失敗とは思っていない。またこう
した生意気な子どものほうが、今の世の中を、うまく渡りあるくことができる。また仮にここでい
う生意気な子どもになったとしても、たいていは一過性のものとして、終わることが多い。

●終わりに……

 今まで私の前を無数の子どもたちが通りすぎ、それと同じくらい無数の親たちが通りすぎてい
ったが、どの親子もそれぞれに、自分たちのドラマをつくりあげている。もちろん子どもは、スポ
イルされないで育ったほうがよいことは言うまでもない。しかし全体としてみれば、ここにも書い
たように、この問題は、それほど深刻な問題ではない。もし、あなたの子どもがここでいうような
子どもになったら、あるいは、今、そうなら、「これもドラマ」と一歩、退いてみる。そして「うちの
子は、こんなもの」と、あきらめてみる。そういう冷めた視点も、子育てには必要だということ。
そしてあとは、冷たい言い方かもしれないが、子どもの人生は子どもの人生と、割りきる。

 Aさん、Bさん、Eメール、どうもありがとうございました。
(030327)

【事例1】
 印象に残っている女の子に、Tさんという子どもがいた。転勤で、神戸からやってきて、私の
教室には、二年ほど、いた。小学五年生になると同時に、どこかの進学塾へ移っていった。頭
の回転がはやく、その分、勉強もよくできた。

 そのTさんのうわさを再び聞いたのは、それから約三年後のこと。同じ中学へ通っているG君
が、ある日、こう言った。「先生、あのTさん、覚えてる?」と。Tさんのことはよく覚えていた。背
が高く、端正な顔だちをしていた。それにおとなのユーモアをよく理解した。

 が、そのTさん、学校では、たいへんな非行少女だというのだ。私が「まさか!」と言うと、G君
は、「そうだ」と。「勉強中も、机を蹴飛ばして、教室から出ていくこともあるよ」「授業中でも、携
帯電話をかけているよ」と。で、「教室から出て、どこへ行くんだ?」「だれと電話をしている
の?」と聞くと、「そのまま街へ行くってエ」「へんな仲間と、電話で話している」と。

 実のところ、そのTさんについても、「多分、そうなるだろうな」とは、私は心配していた。この
時期、子ども、とくに女の子は、一週間単位で、様子が変わることがある。そういうとき親がそ
の変化に気づき、適切に対処すればよいが、たいていは、その段階で、親は子どもを、はげし
く叱ったり、説教したりする。が、叱れば叱るほど、一時的な効果はあっても、逆効果。門限を
破るようになる(一番底)→外泊するようになる(二番底)→家出する(三番底)→お決まりの非
行コースへと、一挙に進んでしまう。

 Tさんについての情報はほとんどないが、私のところをやめたときは、ちょうどその兆候が、
表に出てくるときだった。印象に残っているのは、ワークブックを忘れたときのこと。私がそれを
注意すると、なまめかしい声で、こう言った。「いいじゃん、先生。そんなことオ〜」と。腰をゆら
しながら、座っている私に体をこすりつけてきた。

 そのTさんは、中三になるとき、父親の転勤とともに、今度は横浜に行ってしまった。一度、連
絡をとって会ってみたいと思っていたが、その希望はかなえられなかった。

°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ
°◎_/ ̄⌒―――∩
 ///―――――∫           
⊂⊂/      ∫      無断で、転送、引用、転載は、なさらないでください。
         ∫              よろしくご協力ください。       
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

家族の絆VS仲間の絆

 日本人は、何かにつけて、「家」単位でものを考える。こうした日本人独特の傾向は、アメリカ
人やオーストラリア人とくらべると、よくわかる。アメリカに住む二男が、こんなことを言った。私
が「アメリカには親戚も家族もいないから、いろいろ不安なこともあるだろう」と話したときのこ
と。

 「アメリカでは、生活に困ったようなときは、教会とか、慈善団体があって、そこが助けてくれ
る。で、自分たちは、そういうときのために、今は、教会とか、慈善団体を通して、困った人を助
けている。それはちょうど、貯金のようなもの。保険と考えている人もいる。こちらでは、貯金を
する人は少ない。その分、保険制度がカバーしている」と。

 日本では、家どうしのつながりの中でするようなことを、アメリカでは、仲間どうしでするという
ことらしい。こうした仲間意識は、反対に、日本人には、理解しがたいものかもしれない。たとえ
ばボランティア活動がある。あちこちの学校で、今、そのボランティア活動を奨励している。が、
日本では、なかなか根づかない? その理由の一つが、そもそも、仲間意識そのものが違う?

 反対に、あまり仲間意識を強くすると、家どうしの絆(きずな)を破壊することになるかもしれな
い。理想としては、両方とも大切にすることだが、人間ができることには、限りがある。英語の
格言にも、「二人の人には、いい顔ができない」というのがある。日本でも、「二兎を追うもの、
一兎も得られず」という。要は、バランスの問題ということか?

 が、その一方で、この日本では、今、家どうしの絆(きずな)が、バラバラになりつつある。家
どうしの絆といっても、親戚づきあいのことだが、今では、親戚づきあいをほとんどしないという
家族も、珍しくない。中学一年生のK君はこう言った。「おじいちゃん、おばあちゃんには、小学
生になってから会ったことがない」と。父方の祖父母のことを言った。そこで「おじいちゃんや、
おばあちゃんは、君に会いたがらないのか?」と聞くと、「別に……」と。そういうケースは、今、
少なくない。

 そこで本来なら、こうした「家」にかわって、たとえばアメリカ式の仲間意識が育たねばならな
いのだが、日本では、そちらのほうがまだ未熟? だからますます日本人は、追いつめられて
いく? ひとりぼっちになっていく? 孤独になっていく?

 どちらがよいというわけではない。所詮(しょせん)、人間は、それぞれが助けあって生きてい
かねばならない。それが家どうしの絆であるにせよ、仲間であるにせよ、中身は同じ。家どうし
の絆をとるか、仲間をとるか? あるいは、バランスよく、間をとるか?

 ついでに小学生三、四年生たち、八人に聞いてみた。祖父母と同居している子ども二人は別
として、残りの六人は、全員、「お母さんのおじいちゃん、おばあちゃんの家へはよく行くが、お
父さんのおじいちゃん、おばあちゃんの家にはあまり行かない」と答えた。母方の祖父母のほう
が、父方の祖父母よりも、密着度が高いというわけである。

 また親類づきあいについては、「いとこと、よく遊ぶ」と答えた子どもが、ほとんどいなかったの
には、驚いた。二人が、「お祭りのとき、ときどき遊ぶ」「おばあちゃんの家の近くにいる」と答え
たのみ。「いとこって、何?」と聞いた子どもさえいた。

 一方、私には六〇人近い、いとこがいる。そしてたがいに濃密な人間関係をつくりあげてい
る。子どものときから、何かにつけて、いとこ、いとこと言って、つきあった。今も、その中の何
人かとは、毎年、行ったり来たりしている。そういう私だから、「親戚づきあいをしていない」「い
とこと遊ばない」という子どもがいるのを知ると、何だか奇異な感じがする。

 そこで大切なことは、人間関係などというものは、人それぞれということ。たがいに認めあい、
尊重しあうということ。自分たちがそうだからといって、相手にそれを求めてはいけない。もちろ
ん強要してもいけない。私のばあいも、ワイフと結婚して、ワイフの親戚づきあいのし方が、私
のそれと、あまりにも異なっていたのには、驚いた。かなりとまどった。このことは反対に、ワイ
フもそうだったと思う。ワイフはいつも、こう言った。「浜松の人は、そこまでの交際はしないわ」
と。

 その上、今度は二男が、アメリカ人の女性と結婚した。結婚そのものは、二人の問題だが、
相手の両親は私たちに合わせようとしたし、私たちは相手の両親に合わせようとした。が、か
えってチグハグになってしまった。向こうでは、結婚に先だって、家族の紹介を、ことこまかに書
面でする習わしがあるという。一方、日本には、結納だとか、そういったものがある。一度は、
手紙の便箋(びんせん)の色について聞いてきたこともある。「日本では、白い紙を使うと失礼
ということになっているそうだが、本当か」と。どこかでそれを聞いたらしく、それで、わざわざ黄
色い便箋を手に入れて、それに家族の紹介を書いてくれたりした。(もちろんそんな風習は、日
本にはない。)

 ただ、こう書くからといって、日本人の人間関係のほうが濃密で、アメリカのほうが希薄だとい
うころではない。私はそうは思わない。「家族」というものに対する考え方そのものが違うし、関
係のもち方も違う。たとえば日本では家族というときは、そこに「家」をからめる。しかしアメリカ
で家族というときは、「家」をからめない。家を守るとか、家を継ぐとかいう発想そのものが、な
い。その上での、家どうしの絆であり、仲間の絆ということになる。

 話をもどす。日本も欧米化の流れの中で、好むと好まざるとにかかわらず、家族のあり方も、
また欧米化する。それはし方ないとしても、一方で、今まで日本がもっていた「よさ」を、どこか
で補わないと、日本人そのものが、宙ぶらりんの状態になってしまう。これは日本人にとって、
たいへん不幸なことでもある。

 そこで私たち夫婦は、今、こんなことに心がけている。私たちについても、実のところ、家どう
しの絆が、年々、薄くなってきている。そういうつながりのない状態で、「家族」という小さな世界
に閉じこもってはいけないということ。仮に家どうしの絆が薄くなったら、その絆にかわって、別
の「つながり」を周囲につくらねばならないということ。ボランティア活動というほど、大げさなも
のでないとしても、何らかの形で、社会にかかわっていかねばならないということ。二男の言葉
を借りるなら、「貯金として」、あるいは「保険として」ということになる。

 方法は、いろいろある。人それぞれだと思う。私はこうして原稿を書き、講演にでかけたりし
ている。地域の仕事としては、子ども会の役員や、自治会の役員なども、してきた。小さな活動
だが、こうした「家」にかわる活動を大きく、ふくらませていく。これからの生き方として、そういう
方向性を、今、考えている。
(030329)※

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


緑を求める心、嫌う心

 私の自宅の周辺には、まだ多くの空き地がある。そのため、緑も多い。とくに私の家の前に
は、このあたりの大地主でもあったT家、代々の墓地がある。あたりはすっぽりと緑に包まれて
いる。私は、その緑が好きだったし、自分でも、たくさんの木を植えきた。心のどこかで、「私は
自然保護に貢献している」と思ったこともある。

 が、住んで二六年になると、それぞれの木が大木になってしまった。植えたときは親指ほど
の細い木だったものが、今では、直径三〇センチほどになっている。そしてそういう木の枝が、
私の家や庭を、おおうようになった。しかしこうなると、「緑が好きです」とは、とても言えなくな
る。

 まず芝生が全滅。畑も、花壇も全滅。しかしこうした変化というのは、不思議なもので、私は
その変化にほとんど気づかなかった。が、ある日、昔の写真を見て、驚いた。我が家の庭に、
何と、さんさんと、陽光が降り注いでいるではないか! その陽光の下で、ワイフや子どもたち
が、畑の収穫をしているではないか! とたん、「これではいけない」と思うようなった。

 そこでT家の人に頼んで、少し、木を切ってもらうことにした。が、T家の子孫の人たちはみ
な、今は、東京に住んでいる。ちょっと頼んで切ってもらうというわけにも、いかない。かといっ
て、自分で切るわけにもいかない。下のほうの小枝は切ることはできても、上の方は無理。幸
いなことに、手紙を出すと、T家の人たちは、すぐそれに応じてくれた。業者に頼んで、とりあえ
ずということで、家の周辺の木を切ってくれた。

 ここで私の中に、大きな変化が起きた。それまでは、緑を大切にするために、木を切っては
いけないと考えていた。が、あたりが少し明るくなると、「この状態を維持しなければならない」と
思うようになった。庭に降り注ぐ陽光は、緑と同じくらい大切なもの。それに気づいた。

 それからだ……。私は、少しでも雑草が生えてきたり、小さな木がのびてきたりすると、それ
をこまめに抜くようになった。小枝も切ったり、折ったりするようになった。そのときはそうでなく
ても、数年も放っておくと、またまた庭は、雑木でおおわれてしまう。以前の私とは、大違い。自
分でも、「残酷になったものだ」と思う。思いながら、そうする。

 そこで私は、改めて自分の意識の変化を観察してみる。なぜ小枝を折ることにすら抵抗を覚
えていた私が、平気で、小枝を折ることができるようになったか? また小枝すら折ってはいけ
ないと考えていた私が、小枝の段階で、それを折らねばならないと考えるようになったか? ま
わりの条件が変わったといえば、それだけのことだが、しかし条件が変わったくらいで、意識が
こうも変わるものなのか? 意識だけではない。そういった意識の上に、自分の思想を組みた
てたこともある。自然論を書いたこともある。が、その私が、変わった?

 理由のひとつに、そもそも、「緑が好きだ」というのは、好みの問題。それほど大きな哲学的
根拠があったわけではない。そしてそのときは、陽光のありがたさを、それほど理解していなか
った。が、その陽光が、毎年少しずつなくなり、結果として、庭にほとんどそれが入らなくなっ
た。そこで陽光のありがたさを、改めて思い知らされた。

 これに似たようなことは、人生の中でも、しばしば経験する。少し回りくどい説明になるかもし
れないが、ガソリンスタンドを経営する知人(四〇歳くらい)が、ある日、私にこう言った。

 「林さんは、毎日、時間に決められた仕事をよくしますね。私なんか、そんなふうに時間を決
められたら、それだけでノイローゼになってしまいますよ」と。

 また別の、バス会社で運転手をしている知人(五〇歳くらい)も、こう言った。

 「林さんは、自分で仕事を作るといいますが、私には、とてもできません。私は、だれかにちゃ
んと指示してもらわないと、何もできませんよ」と。

 実は人間の意識というのも、最初は簡単な「好み」の問題から出発する。が、長い時間をか
けて、その人自身の生きザマになってしまう。そうした意識が無数に集合して、一つの思想にな
ることもある。

 しかしここが重要だが、こうした意識の違いというのは、それほど大げさなものではないという
こと。それこそ周囲の条件が変われば、ある時点でコロリと変わるものだということ。思想も、
そうだ。あのドストエフスキーも、モンテーニュも、私と同じようなことを書いている。「思想は現
実的なもの」「移り変わるもの」と。たとえば私のばあい、少し前までは、「緑は大切だ」と思って
いたので、だれかが家の前の森を伐採しようとしたら、それに猛烈に反対したであろう。事実、
一度、ワイフにこんなことを言ったことがある。

 「もし家の前の森がなくなったら、どこかもっと緑の多いところに引っ越しをしよう」「この緑を
守るために、みんなで土地を買いあげよう」と。

 しかしその私の意識は、絶対的なものではなかった。つまり最初の「思いつき」を、そのまま
補強しただけということになる。そしてその最初の意識というのは、何かの哲学があったからそ
ういう意識になったというよりは、「好み」に近いものだった。つまりいいかげんなものだった。

 このことはたとえば、何かの宗教を信じている信者についても言える。たいていの人は、当然
のことながら、その宗教を知り尽くしたあとに、その宗教に身を寄せるのではない。たいていは
人に勧められたりして、割りと軽い気持ち(失礼!)で、入信する。そしてそのうち、その宗教の
世界に、のめりこんでいく。わかりやすく言えば、宗教的意識というのも、そのあとの信仰の中
で、少しずつ補強されていくということ。

 が、どんな意識であれ、そして思想であれ、それは変わりえるもの。また意識や思想というの
は、そういうもの。意識や思想は絶対的なものではない。また絶対的な意識や思想というの
は、ない。今、私やあなたがもっている意識や思想についても、そうだ。そんなわけで、変わる
ことを恐れてはいけない。また変わったからといって、恥じることもない。

……というようなことを考えながら、私は今、雑草を抜いたり、小枝を切ったりしている。「私の
自然保護運動も、たいしたことないな」「私が書いた自然論って、何だったのか」と思いながら
……。ホント!
(030328)

●「人は、思想をとらえようとするが、思想はつねに、人間よりも現実的である」(ドストエフスキ
ー「罪と罰」)
●「日ごとに新たなる思想があり、われわれの心は天気とともに、移り変わる」(モンテーニュ
「随想録」)

【追伸】
 ワイフにこの原稿を読んで聞かせると、こう言った。「なるほど。思想というのは、変わっていく
もんなんだ。歳とともに……」と。

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
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9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市リズム幼稚園
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7・ 8  ……浜松市南部公民館
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 665人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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★★★★★★★★★★★★★★
03−4−6号(205)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそう。ごめんなさい! 
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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と読みやすくなります。お試しください。毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご
利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

はやし浩司の子育て格言

●大きな魚は、下を泳ぐ
 ときどき、一〇〇人に一人とか、二〇〇人に一人とかいう、優秀な子どもに出会うことがあ
る。遺伝子そのものが違うのではないかと思われるような子どもである。D君(年中児)もそうだ
った。しかしはじめてD君に会ったとき、私は、D君は、何か問題のある子どもだと思った。何を
言っても、反応がなく、じっと黙ったままだったからだ。しかしやがて、それがとんでもない誤解
だということを知った。D君にしてみれば、あまりにもレベルの低いレッスンに耐えられなかった
だけだった。やがてD君は、飛び級に飛び級を重ねて、小学四年生になるころには、中学生と
一緒に勉強をするようになった。

 こうした飛びぬけて優秀な子どもというのは、目つきを見て判断する。何かテーマを与える
と、それを何度も頭の中で反芻(はんすう)するような様子を見せる。それに人を寄せつけない
集中力と、緊張感をもっている。そのためむしろ、集団の中では、かえって目立たないことが多
い。『大きな魚は、下を泳ぐ』というのは、そういう意味である。


●ほめるな、顔とスタイル

 子どもはほめて、伸ばす。しかしほめるとしても、やさしさと努力にかぎる。頭については、ほ
めてよいときと、そうでないときがあるので、ほめるにしても、慎重にする。

 しかし顔とスタイルは、ほめないほうがよい。小さいときから、「かわいい」「かっこいい」「スタ
イルがいい」などと言われると、関心がそちらのほうばかりにいってしまうようになる。が、それ
だけではすまない。

 こうした外見を重んじる生きザマは、やがてその子どもの生きザマのあらゆる部分に影響を
与えるようになる。見栄、メンツ、体裁、世間体も、そこから生まれる。さらに人生観そのもの
も、ゆがめることがある。言うまでもなく、外見にこだわればこだわるほど、「私は私、人は人」
という生き方ができなくなる。

 ついでに……

 人間の価値は、中身で決まる。わかりやすく言えば、「心」で決まる。外見、つまり「肉体」は、
あくまでも心を包む、入れものにすぎない。……と言うのは、言い過ぎかもしれないが、肉体な
どというものは、どんなに抵抗しても、やがて老化し、衰える。しかし心はそうでない。いつか人
は、肉体から自分を解き放ち、心の豊かさを求めるようになる。またそうでもしないと、「老い」
からくるさみしさと、戦うことができない。

で、その時期は、早ければ早ほどよい。もっとわかりやすく言えば、外見にこだわればこだわる
ほど、心の豊かさを求めるための時間が、犠牲になる。あるいはそのスタートが、遅れる。若
い人には、未来は永遠だが、老人には、過去は、一瞬でしかない。そして老人は自分の過去
を振りかえりながら、残された先の時間も、一瞬であることを知る。「急がねばならない」という
思いは、同時に、「なぜ、もっと早く始めなかったのだ」という思いに変わる。

 子どもたちの人生は、子どもたちの人生だが、しかしできるなら、子どもたちには、あまり回り
道をしてほしくない。できるだけ若いときから、心の豊かさを求めてほしい。そういう願いもこめ
て、私は改めて、こう思う。「ほめるな、顔とスタイル」と。
(030331)

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<           安心できる情報と、
    /†_____†ヽ//          正しい知識をもとに、
    ( ('    ξヽ           考える力を忘れないで
  ┏ ||   o//\) )(         前向きに、子育てをしていきましょう。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

学校の先生が許せない!
自分を知る、子どもを知る(失敗危険度★★★★)

●汝自身を知れ
 自分を知ることはむずかしい。スパルタの七賢人の一人、キロンも、『汝自身を知れ』という
有名な言葉を残している。つまり自分のことを知るのはそれほどむずかしい。理由はいくつか
あるが、それはさておき、自分の子どものことを知るのは、さらにむずかしい。

 一般論として賢い人には、愚かな人がよく見える。しかし愚かな人からは賢い人が見えない。
もっと言えば、賢い人からは愚かな人がよく見えるが、愚かな人からは賢い人が見えない。か
なり心配な人(失礼!)でも、自分が愚かだと思っている人はまずいない。さらにタチの悪いこ
とに、愚かな親には、自分の子どもの能力がわからない。これが多くの悲喜劇のモトとなる。

●「ちゃんと九九はできます」
 学校の先生に、「どうしてうちの子(小四男子)は算数ができないのでしょう」と相談した母親
がいた。その子どもはまだ掛け算の九九すら、じゅうぶんに覚えていなかった。そこで先生が、
「掛け算の九九をもう一度復習してください」と言うと、「ちゃんと九九はできます」と。掛け算の
九九をソラで言えるということと、それを応用して割り算に利用するということの間には、大きな
へだたりがある。が、その母親にはそれがわからない。九九がソラで言えれば、それで掛け算
をマスターしたと思っている。子どもに説明する以上に、このタイプの親に説明するのはたいへ
んだ。その先生はこう言った。

 「親にどうしてうちの子は勉強ができないかと聞かれると、自分の責任を追及されているよう
で、つらい」と。私もその気持ちはよく理解できる。

●神経質な家庭環境が原因 
が、能力の問題は、まだこうして簡単にわかるが、心の問題となるとそうはいかない。ある日、
一人の母親が私のところへきてこう言った。「うちの子(小一男子)が、おもらししたのを皆が笑
った」というのだ。母親は「先生も一緒に笑ったというが、私は許せない」と。だから「学校へ抗
議に行くから、一緒に行ってほしい」と。もちろん私は断ったが、その子どもにはかなり強いチッ
ク(神経性の筋肉のけいれん)もみられた。その子どもがおもらしをしたことも問題だが、もっと
大きな問題は、ではなぜもらしたかということ。なぜ「トイレへ行ってきます」と言えなかったのか
ということだ。もらしたことにしても、チックにしても、神経質な家庭環境が原因であることが多
い。

●ギスギスでは教育はできない
学校という場だから、ときにはハメをはずして先生や子どもも笑うときがあるだろう。いちいちそ
んなこまかいことを気にしていたら、先生も子どもも、授業などできなくなってしまう。また笑っ
た、笑われたという問題にしても、子どもというのはそういうふうにキズだらけになりながら成長
する。むしろそうした神経質な親の態度こそが、もろもろの症状の原因とも考えられる。が、そ
の親にはわからない。表面的な事件だけをとらえて、それをことさらおおげさに問題にする。

●子どもを知るのが子育ての基本
 まず子どもを知る。それが子育ての基本。もっと言えば子どもを育てるということは、子どもを
知るということ。しかし実際には、子どもを知ることは、子育てそのものよりも、ずっとむずかし
い。たとえば「あなた」という人にしても、あなたはすべてを知っているつもりかもしれないが、実
際には、知らない部分のほうがはるかに多い。「知らない部分のほうが多い」という事実すら、
気がついていない人のほうが多い。

人というのは、自らがより賢くなってはじめて、それまでの愚かさに気がつく。だから今、あなた
が愚かであるとしても、それを恥じることはないが、しかし、より賢くなる努力だけはやめてはい
けない。やめたとたん、あなたはその愚かな人になる。
 
     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
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  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
家、そして故郷

 あなたは「故郷(ふるさと)」という言葉を聞いたとき、心の中に、どんなイメージを、どのように
思い浮かべるだろうか。このエッセーを読む前に、それを、少しだけ、頭の中で、想像してみて
ほしい。

(10、9、8,7,6,5,4,3,2,1……)

 私は、よく夢を見る。そういう夢の中でよく出てくる、故郷というのは、「家」というよりも、その
家を包む、あたりの光景である。「光景」というよりは、そこに現れる人々である。「人々」という
よりは、思い出である。「思い出」というよりは、何らかのわだかまりや、こだわりである。私の
ばあいは、心豊かな、暖かな夢というのは、あまり見ない。

 よい夢も悪い夢もある。よい夢を見たときというのは、それからさめたとき、(あるいは見てい
るときも)、何ともいえない懐かしさや、切なさに包まれる。悪い夢を見たときというのは、何とも
言えない悔恨の念や、緊張感に包まれる。

 しかし私のばあい、こと故郷について言うなら、ここにも書いたように、あまりよいイメージは
ない。母は、今でも、「ここはお前の故郷ではないか!」と、私を叱るが、残念ながら、私はこと
あの故郷について言うなら、よい思い出は、ほとんど、ない。私は毎日、まっ暗になるまで、寺
の境内や、隣の山の中で遊んでいたが、それとて家に帰りたくなかったからだけ? そのころ
の自分の心理状態はよく覚えていないが、家の中には、私の居場所さえなかった。

 ……と書いたところで、今、私の頭の中を横切ったのは、「では、マンション住まいの子どもた
ちはどうか?」という問題。

 これは私の体験だが、厚いコンクリートで包まれたビルの一室というのは、いくら窓が大きく
ても、また見晴らしがよくても、一戸建ての住宅にない、圧迫感がある。私はそういう一室に身
を沈めながら、その圧迫感はどこからくるのか、自分の心の中を観察してみたことがある。

 で、私は、いくつかのことに気づいた。一つは、窓の外へ出られないという、窮屈(きゅうくつ)
感。それに閉じ込められているという、閉塞(へいそく)感。上の階にも、下の階にも人が住んで
いるという、威圧感など。カベが厚い分だけ、そういったものが総合されて、孤立感を誘う。が、
何よりも、圧迫感を与えるのは、「この世界しかない」という恐怖感ではないか。ちょっとベラン
ダに出て、たき火をするというわけにはいかない。ちょっと窓の外へ、生ゴミを捨てるというわけ
にもいかない。(私のばあい、生ゴミはコンポートの中で腐らせ、肥料にしている。)水道が止ま
っても、ガスや電気が止まっても、なすすべがない。一見、便利な世界だが、よい点は、何もな
い。

 ……と書くと、今、マンションに住んでいる人は、怒るかもしれない。「マンションにだって便利
なところがある」「マンション生活は快適だ」と。もちろん、そうだと思うし、マンションには、一戸
建ての住宅にはない、よさもある。それはそれとして、これについて、以前、つぎのような原稿
をまとめたので、参考にしてほしい。マンションに住んでいる人には、かなりショッキングな原稿
かもしれない。

++++++++++++++++++++++

子どもが環境に影響されるとき 

●オムツがはずせない子ども
 今、子どもたちの間で珍現象が起きている。四歳を過ぎても、オムツがはずせない。幼稚園
や保育園で、排尿、排便ができず、紙オムツをあててあげると、排尿、排便ができる。六歳に
なっても、大便のあとお尻がふけない。あるいは幼稚園や保育園では、大便をがまんしてしま
う。

反対に、その意識がないまま、あたりかまわず排尿してしまう。原因は、紙オムツ。最近の紙
オムツは、性能がよすぎる(?)ため、使用しても不快感がない。子どもというのは、排尿後の
不快感を体で覚えて、排尿、排便の習慣を身につける。たとえば昔の布オムツは、一度排尿
すると、お尻が濡れていやなものだった。この「いやだ」という感覚が、子どもの排尿、排便感
覚を育てる。

 このことをある雑誌で発表しようとしたら、その部分だけ削られてしまった(M誌・九八年)。
「根拠があいまい」というのが表向きの理由だったが、実は同じ雑誌に広告を載せているスポ
ンサーに遠慮したためだ。根拠があるもないもない。こんなことは幼稚園や保育園では常識
で、それを疑う人はいない。紙オムツをあててあげると排尿できるというのが、その証拠であ
る。

●流産率は三九%!
 ……というような問題は、現場にはゴロゴロしている。疑わしいが、はっきりとは言えないとい
うようなことである。その一つが住環境。高層住宅に住んでいる子どもは、情緒が不安定にな
りやすい……? 実際、高層住宅が人間の心理に与える影響は無視できない。こんな調査結
果がある。

たとえば妊婦の流産率は、六階以上では、二四%、一〇階以上では、三九%(一〜五階は五
〜七%)。流・死産率でも六階以上では、二一%(全体八%)(東海大学医学部逢坂文夫氏)。
マンションなど集合住宅に住む妊婦で、マタニティブルー(うつ病)になる妊婦は、一戸建ての
居住者の四倍(国立精神神経センター北村俊則氏)など。母親ですら、これだけの影響を受け
る。いわんや子どもをや。が、さらに深刻な話もある。

●紫外線対策を早急に
 今どき野外活動か何かで、まっ赤に日焼けするなどということは、自殺的行為と言ってもよ
い。私の周辺でも、何らかの対策を講じている学校は、一校もない。無頓着といえば、無頓
着。無頓着すぎる。オゾン層のオゾンが一%減少すると、有害な紫外線が二%増加し、皮膚が
んの発生率は四〜六%も増加するという(岐阜県保健環境研究所)。実際、オーストラリアで
は、一九九二年までの七年間だけをみても、皮膚がんによる死亡件数が、毎年一〇%ずつふ
えている。日光性角皮症や白内障も急増している。

そこでオーストラリアでは、その季節になると、紫外線情報を流し、子どもたちに紫外線防止用
の帽子とサングラスの着用を義務づけている。が、この日本では野放し。オーストラリアの友人
は、こう言った。「何も対策を講じていない? 信じられない」と。ちなみにこの北半球でも、オゾ
ンは、すでに一〇〜四〇%(日本上空で一〇%)も減少している(NHK「地球法廷」)(※)。

●疑わしきは罰する
 法律の世界では、「疑わしきは、罰せず」という。しかし教育の世界では、「疑わしきは、罰す
る」。子どもの世界は、先手、先手で守ってこそ、はじめて守ることができる。害が具体的に出
るようになってからでは、遅い。たとえば紫外線の問題にしても、過度な日焼けはさせない。紫
外線防止用の帽子を着用させる、など。あなたが親としてすべきことは多い。

※ ……日本の気象庁の調査によると、南極大陸のオゾンホールは、一九八〇年には、面積
がほとんど〇だったものが、一九八五年から九〇年にかけて南極大陸とほぼ同じ大きさにな
り、二〇〇〇年には、それが南極大陸の面積のほぼ二倍にまで拡大しているという。この日本
でも北海道の札幌市での上空オゾンの全量が、約三七〇(m atm-cm)から、三四〇(m atm-
cm)にまで減少しているという。

 なお本文の中の数値とは多少異なるかもしれないが、気象庁は次のように発表している。
「成層圏のオゾンの量が一%減ると、地上に降りそそぐ紫外線Bの量は、一・五%ふえる。国
連環境計画(UNEP)一九九四年の報告によると、オゾン量が一%減少すると、皮膚がんの発
生が二%、白内障の発生が〇・六〜〇・八%ふえると予測している」と。

●危険な高層住宅?
 逢坂文夫氏(東海大学医学部)は、横浜市の三保健所管内における四か月健診を受けた母
親(第一子のみを出生した母親)、一六一五人(回収率、五四%)について調査した。結果は次
のようなものであったという。

 流産割合(全体)       …… 七・七%
     一戸建て       …… 八・二%
     集合住宅(一〜二階) …… 六・九%
     集合住宅(三〜五階) …… 五・六%
     集合住宅(六〜九階) ……一八・八% 
     集合住宅(一〇階以上)……三八・九%

 これらの調査結果でわかることは、集合住宅といっても、一〜五階では、一戸建てに住む妊
婦よりも、流産率は低いことがわかる。しかし六階以上になると、流産率は極端に高くなる。ま
た帝王切開術を必要とするような異常分娩についても、ほぼ同じような結果が出ている。一戸
建て、一四・九%に対して、六階以上では、二七%など。これについて、逢坂氏は次のようにコ
メントしている。

「(高層階に住む妊婦ほど)妊婦の運動不足に伴い、出生体重値の増加がみられ、その結果
が異常分娩に関与するものと推察される」と。ただし「流産」といっても、その内容はさまざまで
あり、また高層住宅の住人といっても、居住年数、妊娠経験(初産か否か)、居住空間の広さ
など、その居住形態はさまざまである。その居住形態によっても、影響は違う。逢坂氏はこの
点についても、詳細な調査を行っているが、ここでは割愛する。詳しくは、「保健の科学」第36
巻1994別冊七八一ページ以下に掲載。

●流・死産の原因
 流・死産の原因の一つとして、「母親の神経症的傾向割合」をあげ、それについても 逢坂文
夫氏は調査している。

 神経症的傾向割合 全体     …… 七・五%
     一戸建て        …… 五・三%
     集合住宅(一〜二階) …… 一〇・二%
     集合住宅(三〜五階) ……  八・八%
     集合住宅(六階以上) …… 一三・二%

 この結果から、神経症による症状が、高層住宅の六階以上では、一戸建て住宅に住む母親
より、約二・六倍。平均より約二倍多いことがわかる。この事実を補足する調査結果として、逢
坂氏は、喫煙率も同じような割合で、高層階ほどふえていることを指摘している。たとえば一戸
建て女性の喫煙率、九・〇%。集合住宅の一〜二階、一一・四%。三〜五階、一〇・九%。六
階以上、一七・六%。

+++++++++++++++++++

 こうしたことを考えあわせると、マンションに住んでいる子どものもつ「故郷」は、そうでない子
どものもつ「故郷」とは、異質なものではないかということになる。どこの学校でも、今、「郷土を
愛する」というのが教育の柱になっている。しかしマンションに住んでいる子どもには、郷土の
「土」そのものがない? そこでマンションに住んでいる人は、いつも外へ出ようとする。具体的
な統計があるわけではないが、広い住空間に住んでいる人ほど、外出しない? 狭い住空間
に住んでいる人ほど、よく外出する?

 私たち夫婦も、二間しかないアパートに住んでいたときには、毎日のようにドライブばかりして
いた。食事も、ほとんど外ですましていた。意味もなくデパートをうろついたことも多い。つまりそ
ういう形で、心の中にたまった圧迫感を、解消していたのかもしれない。

 ……となると、子どもたちも、そうなのか。印象に残っている女の子(小一女児)に、Fさんが
いた。Fさんは、いくつかの神経症(爪かみ、髪いじり、夜尿症)の症状のほか、帰宅拒否によ
る症状も見せていた。毎日、学校から帰ってくるときも、目的もないまま、いつも回り道や寄り
道をしていた。何度か、学校から帰ってくるFさんを見かけたことがあるが、家に向かってまっ
すぐという歩き方ではなかった。そのFさんは、高層マンションの最上階に住んでいた。

 そのFさんが、印象に残ったのは、その歩き方に、私自身の子ども時代が重なったからであ
る。私も子どものころ、家に向かって、一目散に帰る……ということは、なかった。回り道や寄り
道をして帰るということが、いつの間にか、当たり前になってしまった。学校の近くの公園や川
原で、一遊びしてから帰ったことも多い。

 そのFさんの家庭は、私が育った家庭のようではない。Fさんは、知的な両親と、経済的にも
恵まれていた。だから私のように、「家」イコール、「故郷」に悪いイメージをもつことはないにし
ても、しかしよいイメージをもつこともない。こう断言してよいものかどうかは、わからないが、そ
の可能性は大きい。あるいははたして、Fさんは、「故郷」という言葉に、どんなイメージをもつ
ようになるのか?

 親が子どもに残せるものに、何があるか。財産か? 名誉か? それとも昔、ロシアの民謡
で歌ったように、たくましい体か? しかし私は、親が子どもに残せる、最高の財産は、やはり
「故郷」だと思う。豊かな愛情に包まれた、暖かい「思い出」だと思う。まだその結論を出す年齢
にはなっていないが、今は、そういう結論になりつつある。

そこであなたも、あなたの子どもが、故郷について、今、どのようなイメージをもち始めている
か、ほんの少しだけ、観察してみたらよい。つまりあなたも一度、子どもの視点で、「今の生活」
が、子どもの心にどのように残っていくかを、想像してみる。もしそれが心豊かで、暖かいもの
であればよし。マンションだとか、一戸建てだから、どうということではない。しかしそれがもし、
好ましくないものであれば、見なおす必要がある。よい「故郷観」を子どもの中につくるのは、親
の、大切な義務の一つと考えてよい。
(030330)

【チェックポイント】
○あなたの子どもは、毎日、意気揚々と、誇らしげに、園や学校から帰ってくるか。
○あなたの子どもは、どこか遠くの親戚をたずねたようなとき、家や故郷の自慢をするか。
○あなたの子どもは、家の中で、思う存分、体や心を休めているか。またその場所はあるか。

°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
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         ∫              よろしくご協力ください。       
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

低俗文化

 Aという女性歌手がいる。若い人たちの間では、少し前まで、人気、ナンバーワンだった。で、
その歌手が、あるテレビ番組に、レギュラーで出ることになった。(たまたまチャンエルをかえた
ら、レギュラーで出ていることがわかったというほうが、正しいが……。)私は、そのHを見て、
驚いた。目が、死んだ魚の目ように、どんよりとしていた。にごっていた!

 「あれが、A?」と聞くと、ワイフは、「あれがそうよ」と。「あんな女性が、ナンバーワン?」と再
び聞くと、「そうよ」と。その少し前、近くのビデオレンタルショップで、Aという歌手の、巨大なポ
スターを見たことがある。

 地方に住んでいると、「東京文化」という言葉をよく耳にする。経済や産業は別として、こと「文
化」について言うなら、東京文化は、劣悪。醜悪。低劣。しかし悲しいかな、その東京文化が、
この日本を支配している。たとえばAという歌手が、東京という地方だけで有名なら、私はそれ
はそれで構わない。しかしその東京という地方で有名になると、そのまま日本全体で有名にな
る。否応なしに、そうした情報は、私たちの地方にも流れてくる。私たち地方に住む人間には、
そうした情報の選択権すら、ない。

 おかしな発音。
 文章になっていない、言葉。
 思考力もIQも、ゼロ。
 歌も聴いたが、音程がズレている!

 ……私は、Aという女性歌手を見ながら、そう感じた。失礼か失礼でないかということになれ
ば、ああいう低劣な女性歌手を、地方の私たちに押しつけるほうが、よほど、失礼というもの。
が、もし私がここで、そのAという女性歌手の実名を書けば、私は若い人の袋だたきにあうだろ
う。しかしそれ以上に、かわいそうなのは、ああいう女性歌手というより、若い人たち自身であ
る。その背後でうごめくプロダクションの巧みな商魂に、操られるまま操られている。

 もっとも、批判されるべきは、Aという女性歌手だけではない。同じようなタイプのタレントは、
五万という。ほとんどが、そうであると言ってもよい。だからAという女性歌手だけを批判して
も、意味がない。むしろ、Aという女性歌手にしても、そういう流れの中にいるワンオブゼムにす
ぎない。

 ただかわいそうなのは、ここにも書いたように、若い人たちである。操られていることにすら、
気づいていない。さらに、私のような立場のものが、「君たちは、操られているだけだよ。自分
で考えて、一度、冷静に判断してみてごらん」などと言おうものなら、むしろ私のほうを、排斥し
てしまう。しかしあえて、もう一度、言う。

 みなさん、もう一度、Aという女性歌手にせよ、テレビのバラエティ番組をにぎわすタレントに
せよ、冷静な目で見てみてほしい。たまたま昨夜も、あるバラエティ番組では、女性の「巨乳」を
テーマに取りあげていた。若い人たちには興味あるテーマかもしれないが、ああいう番組を見
て、いかに多くの若者たちが、思考力をなくしていることか! 自分を見失っていることか! 
そしてますます低劣、低俗になっていることか!

 最後にワイフもこう言った。「こんな女性がねえ……?」と。私もそれに応じて、こう言った。
「ぼくには、もう、わけがわからない」と。
(0303031)

【チェックポイント】
○あなたの子どもは、毎日、意気揚々と、誇らしげに、園や学校から帰ってくるか。
○あなたの子どもは、どこか遠くの親戚をたずねたようなとき、家や故郷の自慢をするか。
○あなたの子どもは、家の中で、思う存分、体や心を休めているか。またその場所はあるか。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

二人ぼっち

 「ひとりぼっち」と書くときは、「独りぼっち」と書くのが正しい? それとも、「一人ぼっち」? し
かし「ふたりぼっち」は、やはり「二人ぼっち」?

 どちらにせよ、このところ、ワイフとの会話で、この言葉がよく出てくるようになった。「ぼくたち
は、二人ぼっちだし……」とか、「二人ぼっちになってしまったね」とか。

 子育てが終わると、どんとやってくるのが、老後。今でも、何となく子育てはつづいているが、
それは金銭的な援助だけ。実際には、末っ子が大学へ入学したり、社会へ出たりすると同時
に、たいていの人は、子育てを終える。そして、それまで気づかなかった、老後を、そこに感ず
る。

 若いときは、体力も気力も、永遠につづくものと思いがち。老年の人たちがヨボヨボしている
のを見たりすると、「どうしてシャキッとできないのか?」などと、思ったりする。しかしその体力
や気力は、決して、永遠のものではない。

 まず体力だが、これは年齢とともに、少しずつ衰える。同じ運動をしても、若いときのように長
くはつづかない。すぐ疲れる。そしてその疲れが長く、残る。

 気力は、衰えるというよりも、変化する。若いときは、休みになれば、あちこちへ出かけ、変わ
ったことをするのが、楽しかった。しかし老年になると、「どこかでのんびりしたい」「家の中でゴ
ロゴロしていたい」というふうに、意識そのものが変わる。たとえば私は、四〇歳代のはじめの
ころには、山荘づくりに情熱を注いだ。しかし今、同じことをしろと言われても、とてもできない。
その気分にすらなれない。今では、「よく、あんな面倒なことを、毎週、毎週したものだ」と、ヘン
に感心したりする。「面倒なこと」というのは、ユンボを運転し、土地づくりをしたり、石垣を組ん
だりしたことをいう。

 が、それ以上に大きく変化するのは、人間関係ではないか。子育ての最中というのは、子ど
もとの人間関係に埋没してしまうため、その分、外の人たちとの人間関係が、おろそかにな
る。子ども中心の人間関係といってもよい。PTAの活動にしても、子どもの部活動、さらには進
学の問題にしても、その中心には、いつも子どもがいる。

 しかしこうした人間関係は、子どもの巣立ちとともに、消滅する。そして気がついてみると、そ
れ以外の人間関係がない? ここでいう「二人ぼっち」という感覚は、どうやら、そういうところ
から生まれるらしい。

 結局は、残されるのは、夫婦だけ? 私のばあい、それはちょうど、ザワザワした川の流れ
の底に、小石を見つけたような感じだった。何ともおかしなたとえだが、私はそう感じた。若いと
きは、陽光を浴びて、川の表面がキラキラと光る。光るから、川の底が見えない。しかし気がつ
いてみると、その下に、きれいな小石があった。

 「二人ぼっちになってしまったね」と私。
 「そうね」とワイフ。
 「どうせ二人ぼっちだから、うんと、楽しいことをしようか」
 「どんなこと?」
 「手始めに、富士宮へ行ってみないか?」
 「何をしに?」
 「名物の焼きそばを食べるのさ」
 「いいわね」と。

 さて、今は、春休み。四月四日まで、まるまるの休み。今のうちに、二人ぼっちを、うんと楽し
むか……と、そう思った。で、今日は、その富士宮まで行くつもり。さてさて電車で行こうか、車
で行こうか……?
(030331)


     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【浜松の情報は……】http://www.eiyus.com/Enews/(E'news Hamamatsu)
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市リズム幼稚園
7.31  ……浜松市東部公民館
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・24  ……静岡市アイセル21

詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2003年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page090.html
2003年度は、「子育て相談、Q&A」で一年間、連載させていただきます。よろしく!
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●「はやし浩司のサイト」オリジナル・テーマ音楽ができました。
       http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page317.htmlから、おいでください。
●J−BOOKでの本のお求めは……
       http://sch.jbook.jp/s.asp?category_id=00&key=%82%CD%82%E2%82%B5%8D_%8Ei
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●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●私の教室の生徒さんの募集をしています。
とくに来ていただきたいのは、幼稚園、保育園の、年長児、年中児の
みなさんです。見学は自由にしていただけるようにします
ので、おいでください。子どもの「笑い声」を、大切にした教室です。
詳しくは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page044.html
まで、どうぞ!  電話053−452−8039(常時留守番電話になっています。)
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●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page295.html
  
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(イラストは、パナソニックパソコン付録のフリーソフトを転用・改変しました。)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 667人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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03−4−10号(207)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそう。ごめんなさい! 
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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●また、本文がつまっていて読みにくいときは、やはり一度ワードにコピーしていただくと、ぐん
と読みやすくなります。お試しください。毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご
利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

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    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  /
  / \   (3-─┼─-ε)  /   私たちは、安心子育て、めざしましょう!
  ──────────────┐     そうだね……。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
子どもの物欲

 物欲は、満たせば満たすほど、ますます強くなる。物欲を海水にたとえる人もいる。のどのか
わきをとるため海水を飲むと、のどは、ますます焼けるようにかわくという。私は海水を、そうい
う目的で飲んだことがないので、その感じはわからないが、もしそうなら、うまいたとえだと思
う。

 で、子どものばあい、物欲を満たすのは、必要最小限に。とくにお金で満たすやり方は、でき
るだけ避ける。年長児から小学二年くらいにかけて、子どもの金銭感覚は完成する。この時
期、同時に子どもは、お金で物欲を満たす方法を覚える。「お金があれば、何でも手に入る」
と。一度、この方法を覚えてしまうと、子どもはあともどりできなくなる。それだけではない。物欲
は、年齢とともに、際限なく大きくなる。ふくらむ。幼児のころは、一〇〇円、二〇〇円で満足し
ていた子どもでも、高校生になると、一万円、二万円でないと、満足しなくなる。

 そこで教訓。

(1)物欲には、苦労をともなわせる。……子どもが何かをほしがったら、それを手に入れるた
めに、何らかの苦労をさせる。ただし勉強や学習を、それに利用してはいけない。「一〇〇点
を取ったら、小づかいを一〇〇〇円」式の条件は、避ける。

(2)ややハングリーにする。……いつもややハングリーな状態に、子どもを置く。「何か満たさ
れない」という思いが、子どもを伸ばす原動力となる。「子どもにいい思いをさせるのが親の務
め」と、もしあなたが考えているなら、そういう誤解は、早めに取り除く。 

(3)見せる質素、見せぬぜいたく。……子どもの前では、質素であることを旨とする。ぜいたく
をするとしても、子どものいないところで、また見えないところでする。一度ぜいたくを覚えると、
子どもはあともどりができなくなる。

(4)心の豊かさを大切に。……「家族どうしのプレゼントは、買ったものはダメ」というハウスル
ールをつくるのも一案。誕生日にせよ、クリスマスにせよ、それぞれが自分で用意したものを交
換するようにする。「より高価なものであれば、子どもは喜ぶはず」「親に感謝するはず」「家族
の絆は太くなるはず」という考え方は、捨てる。 

(5)モノより思い出。……イギリスの教育格言に、「(子どもの心をつかみたかったら)、釣りザ
オを買ってあげるより、いっしょに釣りに行け」というのがある。モノでは、子どもの心をつかめ
ないということ。これは子育てすべてに当てはまる大鉄則。

(6)貧しいことを恥じない。……貧しいことは、何ら恥ずべきことではない。だから貧しくても、
親は自分を卑下してはいけない。質素な生活は、堂々と誇示すればよい。貧しいからといっ
て、子どもの心がゆがむことはない。まずいのは、親が自分を卑下したとき。そのぎこちなさ
が、子どもの心をゆがめる。また「うちは貧しい」と教える必要もない。つつましく生きる姿や、
堂々と生きる姿が、子どもに前向きに生きる原動力を与える。親は、子どもの前では、いつも、
どこでも、誇り高く生きる。いっぱいのかけソバを、親子で分けてあって食べるような、みじめな
ことはしてはいけない。こういう親の姿は、子どもの心を卑屈にする。

(7)うしろ姿の押し売りはしない。……子育てや生活で苦労している姿を、日本では、「親のうし
ろ姿」という。日本では、そういううしろ姿を見せることを、美徳のように考えている人がいるが、
これは誤解。見せたくなくても、見せてしまうのが、うしろ姿かもしれないが、親は、それを、子
どもに見せてはいけない。親は、子どもの前では、どこまでも誇らしく、どこまでも前向きに、生
きる。

 物欲におぼれた子どもは、いくらでもいる。このタイプの子どもは、自分で自分をコントロール
できなくなる。「ほしい」という思いが、犯罪につながるケースも少なくない。そんなわけで子ども
の物欲には、警戒したほうがよい。

【チェックテスト】

 もしあなたの子どもに、つぎのような症状が見られたら、家庭教育のあり方を、かなり真剣に
反省したほうがよい。

●お年玉でも、小づかいでも、あっという間に使ってしまう。貯金して、より高価なものを買うと
いうよりも、そのときどきにおいて、せつな的に使ってしまうことが多い。

●買ったものを見ると、将来に結びつくものというよりは、享楽的なものが多い。意味のないゲ
ームソフトや、ゲーム類など。

●「ほしい」と言い出したら、そればかりを主張する。そして結局は、何だかんだと、短期間のう
ちに、自分のものにしてしまう。

●子どもの周辺には、以前、買ったものや、もらったものが、散乱している。それらで遊ぶとし
ても、一時的で、あまりものを、大切にしない。あるいは、すぐあきる。同じものをいくつも、買
う。

●値段の高低による価値観がとぼしい。数万円もするようなおもちゃを、他人にくれてやったり
するなど。お金の管理がルーズで、小銭が無造作に箱の中に入っていたりする。

【改善点】

 こうした症状が見られたら、子どもの周辺から、ものを減らす。部屋の中をガラガラにする。
そして生活全般を、努めて質素にする。ものを買わない、買い与えない、など。「ほしい」と言っ
ても、相手にしない。無視する。要するにお金とは無縁の状態を用意する。ただし子どもが中
学生や高校生になってからでは、手遅れ。ここにも書いたように、物欲が、非行の原因となるこ
ともある。徐々に、半年単位で、子どもを包む環境を改善する。
(030403)※


     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<           安心できる情報と、
    /†_____†ヽ//          正しい知識をもとに、
    ( ('    ξヽ           考える力を忘れないで
  ┏ ||   o//\) )(         前向きに、子育てをしていきましょう。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

昔は子殺しというのも、あったからねえ!
女性の三悪(失敗危険度★★★★)

●人間そのものを狂わす
嫉妬、虚栄心、母性本能を、女性の三悪という。ここで母性本能を悪と決めつけるのは正しく
ないかもしれないが、性欲や食欲と同じように考えてよい。この本脳があるからこそ、親は子を
育てるが、使い方をまちがえると、人間そのものを狂わす。そういう意味で、三悪のひとつに加
えた。

(1)まず嫉妬……こういう話は、プライバシーの問題がからむため、ふつうは正確には書かな
い。しかしそれにも限度がある。あまりにもふつうでない話のため、あえて事実を正確に書か
ねばならないときもある。こんな話だ。

●ライバルの子どもを足蹴り
 H市の郊外にU幼稚園という小さな幼稚園がある。あたりは高級団地で、そのレベルの家の
子どもたちがその幼稚園に通っていた。そこでのこと。その母親は自分がPTAの会長であるこ
とをよいことに、いつもその幼稚園に出入りしていた。そして自分のライバルの子ども(年中女
児)を見つけると、執拗ないじめを繰り返していた。手口はこうだ。まずその女の子の横をそれ
となく通り過ぎながら、足でその女の子を蹴飛ばす。その勢いで倒れた女の子を、「どうした
の?」と言いながら抱くフリをしながら、またカベに投げつける……。年中児なら、かなり詳しく
そのときの状況を話すことができる。

 その女の子は、その母親の姿を見ただけで、まっさおになっておびえるようになったという。
当然だ。そこでその女の子の母親が「どうしたらいいか」と相談してきた。いや、その前に、そ
の母親は相手の母親に、それとなく抗議したというが、相手の母親は、とぼけるだけで話にな
らなかったという。しかも相手の母親の夫というのは、ある総合病院の外科部長。自分の夫
は、同じ病院でもヒラの外科医。夫の上司の妻ということで、強く言うこともできなかったという。

●珍しい話ではない
 こういう話は、この世界では珍しくない。嫉妬がからむと、人間はとんでもないことをする。脳
のCPU(中央演算装置)そのものが、狂うときがある。これも実話だが、ある母親は同じ団地
に住む別の母親の子ども(四歳児)を、エレベータの中で見つけると、いつも足蹴りにしていじ
めていた。そのためその子どもは、エレベータを見るだけでおびえるようになったという。

問題は、なぜ、そこまで母親というのは狂うかということ。先にあげた母親は、幼稚園でもPTA
の会長をしていた。多分会合の席なのでは、それらしい人物として振舞っていたのだろう。考え
るだけでもぞっとするが、しかし人には、その人でない部分がある。この話を叔母にすると、叔
母はこう言った。「昔は子殺しというのもあったからねえ」と。母親も嫉妬に狂うと、相手の子ど
もを殺すことまでする……?

 つぎに(2)虚栄心。「世間」という言葉を日常的に使う人ほど、虚栄心の強い人とみる。いつ
も他人の目の中で、自分を判断する。価値観というのが、いつも相対的なもので、他人より財
産があれば、豊かと感じ、そうでなければ貧しいと考える。子どもにしても、このタイプの母親に
は、「飾り」でしかない。もともと自己中心性が強いため、親意識も強い。「私は親だ」と。そして
その返す刀で、子どもに向っては、「産んでやった」「育ててやった」と恩を着せる。

●他人の不幸を喜ぶ親
 このタイプの母親には、他人の不幸ほど、楽しい話はない。ここに書いたように価値観が相
対的であるため、他人が不幸であればあるほど、自分がより幸福ということになる。Tさん(三
五歳女性)がそうだった。幼稚園へはいつも、ものすごい着物でやってきた。そして若い先生に
会ったりすると、その場できどった言い方で、こう言った。「アーラ、先生、お元気そうザーます
ね。まあ、すてきな香り、よいご趣味ザーますわね」と。私はてっきりすごい家柄の母親だとば
かり思っていた。そしてこんなこともあった。

 幼稚園で遠足に行くことになったときのこと。母親たちの間で、昼の弁当はどうするかという
話がもちあがった。二、三人の親が、サンドイッチはどうかしらと提案したそのとき、Tさんはあ
たりをおさえるようにして、こう言った。「ア〜ら、(幼稚園生活で)最後の遠足ザーますから、皆
さんで仕出し弁当か何かを頼んだら、いかがザーますかしら」と。

 で、どういうわけだかそのときは反対する人もなく、その仕出し弁当になってしまった。何でも
Tさんの知人がそのお弁当を作ってくれるという。値段は「割安」とは言ったものの、当時の平
均的な弁当の二倍以上の値段だった。私はそのとき三〇歳少し前。年上の母親には何も言え
なかった。

●豪華な着物
 そのTさんだが、子どもへの執念にも、ものすごいものがあった。たとえば誕生会は、市内の
レストランで開いていた。しかも招待するのは、そのレベルの人たちばかり。私にも招待の声
がかかったが、何を着ていこうかと迷ったほどである。そしてさらに秋の遊戯会でのこと。その
クラスで、浦島太郎をすることになった。が、Tさんは、「どうしてもうちの息子に、乙姫様をやら
せたい」と申し出てきた。男の子が乙姫様というのもおかしいという声もあったが、結局Tさんに
押し切られてしまった。が、驚いたのは最後のリハーサルの日のこと。Tさんがもちこんだ着物
は、日本舞踊で使うような、これまた豪華な着物だった。これには担任の若い先生も驚いて、
「そこまではしない」ということになったが、Tさんは悪びれる様子もなく、こう言った。「うちには
昔からのこういった着物がありますザーますの。皆さんにもお貸ししましょうかしら、ホホホ」と。

 Tさんは、ただ着物をみせびらかしたかっただけだった。

●私はわが目を疑った!
 私は少なからずTさんに興味をもった。大会社の社長の夫人か。それとも大病院の院長の夫
人かと思った。が、ある日のことだった。それは偶然だった。私が何かの用事で、ふらりとある
大型スーパーの、そのまたある売り場へ行ったときのこと。そこで私はわが目を疑った。(こう
書くからといって、そういう人がザーます言葉を使ってはだめだと言っているのではない。誤解
がないように!)何とそのTさんが、頭にタオルを巻いて、その店で裏方の仕事をしていたの
だ。髪の毛も、幼稚園へくるときとは、まったく違っていた。それに目がねまでかけていた。それ
を見て、私は声をかけることもできなかった。何か悪いものをみたように感じ、その場をそそく
さと離れた。

 そして(3)母性本能……前にも書いたが、母性本能があるから悪いといっているのではな
い。この本脳というのは、扱い方が本当にむずかしい。母親自身もそうなのだろうが、まわりの
ものにとっても、である。この母性本能が狂い始めると、親と子が一体化する。これがこわい。

●子どもは芸術品
 母親にとっては、子どもは芸術品。それはわかる。だから子どもを批評したり、けなしたりす
ると、子ども以上に、母親はそれを不愉快に思う。それもわかる。が、それにも限度がある。こ
んなことがあった。

 M君(年中男児)は、かん黙症の子どもだった。かん黙症といっても、全かん黙と、場面かん
黙がある。私はこのほか、条件かん黙というのも考えている。ある特定の条件下になると、か
ん黙してしまうのである。M君もそんなタイプの子どもだった。何かの拍子に、ふとかん黙の世
界に入ってしまった。そのときもそうだった。順に何かの発表をさせていたのだが、M君の番に
なったとたん、M君はだまりこくってしまった。視線をこちらに合わせようともしない。やさしく促
せば促すほど、逆効果で、柔和な笑みを一方で浮かべながら、ますますかたくなに口を結んで
しまった。

●M君の問題点
 実はそのとき私はM君の母親に、それとなくM君の問題点を見てもらうつもりでいた。教育の
世界では、ドクターが患者を診断して診断名をくだすような行為はタブー。こういうケースでも、
「あなたの子どもはかん黙児です」などとは、言ってはならない。わかっていても、知らぬフリを
する。フリをしながら、それとなく親に悟ってもらうという方法をとる。M君のケースでも、私はそ
う考えた。で、その少し前、M君の母親に会ったとき、そのことについて話すと、M君の母親は
そのまま激怒してこう言った。「うちではふつうです。うちの子は、新しい環境になじまないだけ
です!」と。それで私はその日は母親に参観に来てもらうことにした。が、その日にかぎって、
ほかに三、四人の母親も参観に来ていた。それがまずかった。

 じりじりとした時間が流れていくのが、私にはわかった。ふつうならそこで隣の子にバトンタッ
チして、その場を逃げるのだが、そういう問題点を母親にも見てほしかった。それでいつもより
時間をかけた。私「あなたの番だよ、どうかな?」、M「……」、私「こちらを見てくれないか
な?」、M「……」、私「もう一度言うから、よく聞いてね?」、M「……」と。

●激怒したM君の母親
こういうとき親のほうから、「どうしてでしょう?」という問いかけがあれば、そのときから指導が
できる。問いかけがなければそれもできない。少し時間はかかるが、親自身が子どもの問題点
に気づくのを待つしかない。私はM君の母親の心の中を思いやりながら、時間が過ぎるのを待
った……。が、そのときだった。

M君の母親がものすごい勢いで子どもたちのほうの席へやってきた。そしていきなりM君の腕
をつかむと、M君をそのままひきずるようにして、部屋の外へ出て行ってしまった。本当にあっ
という間のできごとだった。ただ最後に、M君の母親が、「M! 行くのよ!」と言ったのだけ
は、よく覚えている。

 が、それですんだわけではない。M君の母親からその夜、猛烈な抗議の電話がかかってき
た。「あなたの指導方法はうちの子にあっていません」と。私は平謝りに謝るしかなかった。M
君の母親は、こう言った。「うちの子をあんな子にしたのは、あなたの責任です。ちゃんと話せ
ていたのに、話せなくなってしまった。どうしてくれるんですか! 明日園長に話して、責任をと
ってもらいます」と。いろいろあって、私にも微妙な時期だったので、私は「それだけは勘弁して
ください」としか、言いようがなかった。

●自分で行き着くところまで行くしかない
 しかし今でもときどきあのM君を思いだすときがある。そしてこう思う。親というのは、結局自
分で行き着くところまで行って、はじめて、自分に気がつくしかない、と。またその途中で、それ
に気づく親はいない。いても、「まだ何とかなる」「そんなはずはない」と無理をする。「うちの子
に限って、問題はない」と思う親もいる。子育てにはそういう面がいつもついて回る。それは子
育ての宿命のようなものかもしれない。
 
     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】気分転換∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ジョーク

 私が今まで、聞いたジョークの中で、「これは!」と思ったのが、これ。

●ジムはクソッタレ!

 ある朝、ジム・クリントン大統領が起きてみると、ホワイトハウスの周囲は、一面の銀世界。
前日から降った雪が、三〇センチほど積もっていた。が、クリントン大統領がふと窓の外をみ
ると、明らかに、小便で書いたと思われる字で、「ジムのクソッタレ!」とあった。

 怒ったクリントン大統領は、FBIの長官を呼びつけ、だれが書いたかを調査するように命じ
た。

 で、数時間後、FBIの長官がクリントン大統領のところにやってきて、こう言った。

 「ミスター大統領、よいニュースと悪いニュースがあります。よいニュースは、あの文字の小便
は、ゴア副大統領のものとわかったということです。しかし悪いニュースがあります」と。

 クリントン大統領は、緊張した様子で、こう言った。「遠慮せず、悪いニュースを言いたまえ」
と。すると、FBIの長官は、こう答えた。「筆跡は、ヒラリー夫人のものと判明しました」と。


●鳴らなかった鈴

ある寺の住職が、老齢になり、つぎの住職をだれにするかで悩んでいた。そこで坊主たちを本
堂に集めて、こう言った。「私の命は、この先、もう長くない。そこでお前たちの中から、つぎの
住職を選ばねばならなくなった」と。

 そこで法主は、坊主たちを裸にさせると、それぞれのチンチンの先に小さな鈴を結ばせた。
そしてこうつづけた。

 「お前たちの中で、一番、煩悩(ぼんのう)を捨て去ったものを、つぎの住職とする」と。

 しばらく坊主たちが静かに座っていると、数人の素っ裸の女が、本堂に入ってきた。そして体
をくねらせて、踊り始めた。とたん、チリチリとあちこちで、鈴がいっせいに、鳴り始めた。それ
を聞いて住職が、「やはりだめか……」と思っていると、一人だけ鈴の鳴らない坊主がいた。そ
こで住職は、その坊主のところに近寄り、こう言った。

 「お前こそ、つぎの住職にふさわしい男だ。よく、がまんした」と。

 するとその坊主は、こう言った。「いえ、ご住職さま、私の鈴は、とっくの昔に、吹っ飛んでしま
ったのです……」と。


●森首相の英語

 森首相が、アメリカのクリントン大統領に会うことになった。そこで急きょ、英会話を習うことに
した。で、外務省の高官が、森首相にこう教えた。

 「大統領に会ったら、『ハウ、アー、ユー?(ごきげんいかがですか)』と言いなさい。そしてそ
のあとクリントン大統領が何かを言ったら、『ミー、ツー(私も、です)』と答えればいいです」と。

 で、クリントン大統領に会うと、森首相は、こう言った。

森「フー・アーユー?(あなたはだれですか)」
ク「私は、ヒラリーの夫です」
森「ミー・ツー(私も、です)」と。

(注、これはジョークではなく、本当にあった話という説もある。)


●亀子という女

昔、亀子という若い女がいた。そのころは、夜這いが、半ば風習のようになっていて、毎晩、亀
子の家には、男たちが夜這いにやってきた。が、気が気でなかったのが、亀子の母。何度亀
子を叱っても、亀子は、それをやめなかった。

 そこで母は、亀子の横で添い寝をすることにした。男が入ってきたら、男を追い払うつもりで
いた。が、亀子はそれを嫌って、母と反対向きに寝た。

 その夜も、一人の男が亀子の部屋に入ってきた。そしていつものようにセックスを始めようと
した。が、まちがえて母の口の中に、アレを入れてしまった。驚いたのは母。母には歯がなかっ
た。

男「オオオ……」
母「フガフガ……」
男「オオ、亀や、亀や」
母「かめん、かめん」
男「亀や、亀や」
母「かめん、かめん」と。
(030402)

°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ
°◎_/ ̄⌒―――∩
 ///―――――∫           
⊂⊂/      ∫      無断で、転送、引用、転載は、なさらないでください。
         ∫              よろしくご協力ください。       
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

いかに老いるか?

 山荘に向かう車の中で、私はS氏の話をした。たまたま今日の午前中、私の家に寄ってくれ
た友人から、S氏の話を聞いた。それをワイフに話した。ワイフは、興味深そうに、私の話に耳
を傾けていた。

●莫大な資産家のS氏

 S氏は、元国立大学教授。現在八一歳。その大学の学部長まで勤めた。そのあと、ある私立
大学の教授を歴任し、現在は、悠々自適の隠居生活。いくらとは書けないが、一般人とはかけ
離れた年金を手にし、ごく最近まで、ある財団の理事長までしていた。が、S氏で驚くのは、そ
のことではない。ある地方都市に、数千坪単位の土地をもっている。「管理と相続税がたいへ
んだから、土地なんかいらないですよ」と、昔、S氏が私に、さも自慢げに、そうこぼしたのを覚
えている。

 そのS氏が、数年前、前立腺ガンを患った。年齢も年齢だからということで、結局、手術はし
なかった。しかしそのガンが、最近、大腸に転移したという。こちらのほうは手術をしないわけ
にはいかないので、その手術をしたという。S氏の妹氏(七八歳)は、こう言った。「転移したと
いうことですから、もうダメでしょう」と。

 しかしそのS氏。私が驚いているのは、そのことではない。何とそのS氏、たった一〇坪足ら
ずの土地のことで、今、T氏という人と、裁判で争っている。T氏はこう言った。「つい先日も、電
話で、私に三〇分以上、怒鳴りました」と。「どんなことで?」と私が聞くと、T氏はこう言った。

 「S氏はこう言うのですね。『あの土地は、私が三〇年来、管理してきたものだ。毎年、シルバ
ー(人材センター)に頼んで、草刈りもしてきた。登記簿がどうなっているか知らないが、取得時
効で、私のものだ。もしお前の土地なら、管理費を全額返せ』と、です」と。

 その土地というのが、私の近所の土地のことで、私は一度、S氏とT氏が、道路をはさんで、
怒鳴りあっているのを、たまたま見かけたことがある。しかしそれはふつうの喧嘩ではなかっ
た。この喧嘩については、以前、私のコラムに書いたので、それはそれとして、私は、S氏の心
情が、どうにもこうにも、理解できない。

 元大学教授。
 現在、八一歳。
 前立腺ガンから、大腸ガンを併発。
 数十億円もの資産家。
 言い忘れたが、子どもはいない。
 現在は、妻と二人暮し。
 そのS氏が、たった一〇坪のことで、裁判を起こし、今、その所有権を争っている!

 私はワイフにこう言った。「S氏の人生って、何だったのだろうね?」と。するとワイフは、こう
言った。

 「歳をとると、がんこになるという人の話は、私は、前にも聞いたことがあるわ」
 「しかし、元教授だぞ。知性や理性のかたまりのような人だぞ」
 「……そうではないということね」
 「しかし、もしぼくが今、S氏なら、つまりS氏の立場なら、もう人と争う気力など、ない」と。

 私とワイフは、車の中で、すっと、S氏について話しあった。そして最後に、私はこう言った。
「どうすればぼくは、S氏のようにならなくてすむだろうか。S氏だけが、特別の老人とは思わな
い。だからひょっとしたら、ぼくもああなるかもしれない。いったい、S氏の人生は、何だったの
かね」と。

●いかに老いるか?

 五〇歳をすぎると、それまでの持病が、どんと前面に出てくる。それまでは体力がそれをカバ
ーしているが、その体力が衰えるためと考えてよい。同じように、六〇歳をすぎると、それまで
の性格が、どんと前面に出てくる。それまでは気力がそれをカバーしているが、その気力が衰
えるためと考えてよい。よい性格なら問題ないが、悪い性格は、困る。つまりごまかしがきかな
くなる。

 善人ぶるのは、簡単なこと。さも知ったかぶりの顔をしながら、にこやかな笑みを浮かべてい
ればよい。あとはきれいごとを並べていればよい。しかし自分の中に潜む醜悪さを消すのは、
簡単なことではない。一度、幼児期や、少年少女期にそれをつくってしまうと、それを消すの
は、一生、不可能とさえ言える。

 が、気力が充実しているときは、そういう醜悪さを、おおい隠すことができる。言ってよいこと
や悪いこと、してよいことや悪いことを、そのつど判断して、自分をよい人間に仕立てることが
できる。また自分でも、よい人間だと思うことができる。

 しかしその気力が衰えてくると、その醜悪さが、そのままモロに前面に出てきてしまう。私は、
その境目は、六〇歳くらいではないかと思う。これは私がそう思うだけで、若い人でも、醜悪な
人はいくらでもいる。そこで問題は、いかにして気力を保つかではなく、いかにして、それまでに
自分の中に潜む醜悪さを消しておくか、である。そしてそれが、結局は、いかに老いるかという
問題につながってくる。

●私の中の醜悪さ

 私はもともと醜悪な人間である。生まれが生まれだから、あまり自分でも期待していない。ウ
ソは平気でついたし、またごまかすのが、日常という環境の中で、幼児期と少年期をすごして
いる。経済的にはそれほど苦労しなかったが、しかし恵まれた環境ではなかった。

 だから私が、よい人間であるはずがない。たまたま今、いろいろな子どもたちに接している
が、私が育ったような環境で育った子どもに、まともな子どもはいない。誠実さや忠誠心はない
から、平気で人を裏切る。悪いことをしても、後悔しない。他人の悲しみや苦しみを見ても、どこ
か平気なところがある。が、そのくせ、あらゆる精神病と情緒障害を、平均的に、かつ、まんべ
んなく、背負っている。私はひがみやすく、いじけやすく、嫉妬深く、猜疑心が強く、その上、も
のの考え方が、ひねくれている。

 私はあるときから、幼児を教えながら、結局は、それは自分との戦いであることを知った。幼
児を知れば知るほど、自分の過去がわかり、またそれがわかればわかるほど、そういう自分
がいやになった。ある時期は、親をうらんだ。今も、その気持ちが消えたわけではないが、母
がことあるごとに、「産んでやった」「育ててやった」「大学を出してやった」と言うたびに、私は自
分の生まれてきた環境を、心底、のろった。

 だから、いつも心のどこかで、ハラハラしている。今は、偉そうな顔をして、講演会場に立った
り、こうして子育て論を書いたりしているが、私のような人間の心は、ボロボロだし、そのボロボ
ロの自分が、いつボロを出すか、わかったものではない。あるいはもうすでに出ているのかもし
れない。もっとも今は、自分の気力で、必死にそれを押さえこんではいるが、その気力も、この
ところ、弱くなってきた。「私」という私のすぐ下で、醜悪な私が、薄気味悪い笑みを浮かべて、
その「私」を見ているのが、よくわかる。 

 歳がくれば、だれでも老いる。この文を読んでいる、あなたも、だ。例外はない。しかしどう老
いるかは、それぞれの人が決める。そしてその結果として、その人の老後が決まる。

 冒頭にあげたS氏の話だが、今のS氏がS氏なのは、老後になって、そうなったというより
は、いよいよごまかしがきかなくなって、そうなったというほうが正しいのでは? 恐らく大学の
教授や学部長を勤めていたころは、それなりに社会的評価も高く、人望もあったに違いない。
しかしそういう部分は、S氏が自分の気力でつくりあげたS氏だったかもしれない。もっと言え
ば、仮面? その仮面の下の本当のS氏は、仮面からは想像もつかないほど、醜悪な人間だ
ったかもしれない。

 私はS氏の話を聞きながら、S氏が、自分の老後の姿に思えてならない。恐らくというよりも、
絶対、S氏が五五歳のときは、私よりはるかにすぐれた人だったに違いない。S氏は、五四歳
のときにその大学の学部長に就任している。そのS氏ですら、このザマ(失礼!)だから、私の
ような者が、今のS氏以上の人間になることなど、考えられない。

 「ぼくも、そのうち、ボロを出すよ」と私。
 「Sさんは、ずっと、人にチヤホヤされてきたでしょう。だからああいう人間になったのよ。あな
たは、だれにもチヤホヤされていないわ」とワイフ。
 「しかし本当のぼくは、小ズルくて、小心者で、どうしようもない」
 「そうねとは、言わないけど、あなたはSさんとは、違うわ」
 「どう違う?」
 「あなたは、それに気づいているもの。Sさんは、今でも、自分の本当の姿に気づいていない
と思うわ」
 「そうだな……」

 気がつくと、車は、山荘につづく小道へと入っていた。私は、車の窓をあけ、春の生暖かい、
草のにおいの混じった陽気を、思いきり肺の中に吸い込んだ。
(030403)

【追記】
 老齢になって、反対に光り輝くようになる人もいる。若いときから、他人にたたかれ、下積み
生活を長くした人ほど、そうではないか。しかしとても残念なことだが、そういう人ほど、社会的
にも経済的にも恵まれない。また光り輝いたからといって、それを認め、評価する人も少ない。
ただの「いい人」で、終わってしまう。日本人全体の精神構造が、そうなっているためではない
か。

 そこで老齢に近づくにつれて、人は、二つの道を選択し始める。ひとつは、それでも我が道を
行くという姿勢を貫く人。かぎりなく自己満足の世界に入る人もいる。ひとつは、過去の栄華
(肩書き、地位、名誉)にしがみつきながら、それを誇りに生きる人。もうひとつ、惰性で、その
日、その日を何となく生きていくという人もいるが、これは論外。

 私のばあい、これはあくまでも私のばあいだが、私はいつももう一人の自分と戦っている。そ
のもう一人の自分が、いつも私にこうささやく。「どうしてお前は、がんばるのか?がんばっても
ムダだぞ。いくらがんばっても、先が知れている。お前が歩いている道は、すでに無数の人が
通った道。だったら、もっと安楽な道を選び、人生を楽しめばいい。人生は短いぞ。お前は、だ
れのためにがんばっているのか。だれもお前のやっていることなど、認めやしない。もっと自分
のためにがんばれ」と。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


自由

 今さらわかりきったことだが、「北朝鮮は、世界最大規模の監獄体制」(アメリカ・スコット・カー
ペンター国務次官補)(四月一日、外信センターにて)だ、そうだ。「北朝鮮は、最悪的で、もっと
も恐ろしい最大規模の監獄である。北朝鮮の問題は、根本的な問題であり、アメリカとしては、
いかにその状況を解決すべきか、見当もつかない」とも。しかしそれを笑う日本が、では、本当
に自由な国かというと、それは疑わしい。日本は、世界に名だたる、管理国家。管理、管理
の、管理国家。奈良時代の昔から、中央官僚による管理国家。

 自由というのは、自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとることをいう。もちろんこの日本
にも、自由がある。しかしその自由は、まさに「しくまれた自由」(尾崎豊)でしかない。その範囲
で、そこそこのことをする自由は、ある。しかしそれを超えての自由は、ない。昨年、こんなこと
があった。

 アメリカのヒューストン国際空港で、国内便に乗りかえたときのこと。たまたま豪雨で、出発
が、半時間ほど、遅れた。飛行機では、よくあること。で、私とワイフは、そのまま飛行機の中
で出発時間を待った。そのときのことだ。

 飛行機は、双発のターボプロップ機。乗客は、四〇〜五〇人ほどだった。見ると、飛行機の
中で、雨漏りがしているではないか! 多分、排気口のどこからか、雨が逆流してきたに違い
ない。その雨が、ポタポタというより、もう少し大粒の雨が、パラパラと落ちているといった感じ
であった。

 私が驚いたのは、雨漏りしていることもさることながら、その下にいる太った大男が、頭と肩
を雨でぬらしながら、平気で、座席に座っていることだった。ときどき、天井を見あげるようなこ
とはしていたが、それほど、気にしていないといったふう。そこへ一、二度、スチュワーデスがや
ってきて、タオルで座席を拭いたりしていたが、スチュワーデスも、それほどあわてているといっ
たふうでもなかった。

 あいにくと飛行機は満員で、ほかに空いた席もない。多分、スチュワーデスは、「離陸すれ
ば、雨漏りも止まりますから」というようなことを言ったと思う。男はその席に座ったまま、そして
頭から背中を、雨でビショビショにぬらしながら、何と、配られたスナック菓子を食べ始めたの
だ……!

 私とワイフは、その光景を見ながら、「ああ、これが自由なんだなあ」と、どこか場違いな印象
をもった。日本ならこういうとき、乗客は、ワーワーと騒ぐに違いない。「雨が漏る」「服がぬれ
る」「何とかしろ!」と。

 人間は管理されればされるほど、その管理に対して服従的になる。管理する者に対して、依
存性をもつようになる。いわゆる保護と依存の関係が、そこで生まれる。つまり保護と依存の
関係が深まれば深まるほど、一方で、自由を犠牲にすることになる。印象に残っている事件
に、こんなのがあった。

 もう一〇年ほど前のことだが、北九州で、カラカラ天気がつづき、断水騒ぎが起きたことがあ
る。そのときのこと、テレビのカメラに向かって、「(水不足は)行政の怠慢だ。行政は責任をと
れ」と叫んでいた男性(五〇歳くらい)がいた。

 ちょうどそのころ、私とワイフは、山荘に引く水で苦労をしている最中だった。山荘の水は、約
五〇〇メートル離れた山から、パイプで引いた。もちろん工事は、自分たちでしなければならな
かった。その上、少し大雨が降ると、パイプはつまる。雨が少なければ、断水する。「水」という
のは、簡単に手に入るものではない。それをいやというほど、思い知らされていたから、その男
性の言葉を聞いたとき、私は思わず、こう叫んでしまった。「何を、甘ったれたことを言ってい
る!」と。

 そう、保護、依存の関係は、まさに「甘ったれた関係」そのものと言ってもよい。言うまでもな
く、こうした甘ったれた関係に、どっぷりとつかればつかるほど、自由が犠牲になる。自由の価
値がわからなくなる。

 たとえば数年前だが、あのミシシッピー川が大雨で氾濫(はんらん)したことがある。そのとき
州政府は、ミシシッピー川の護岸堤防工事を申し出たが、それに反対したのが、何と地元住民
たちである。その理由が、おもしろい。地元住民たちは、こう言った。「護岸工事をすれば、川
の美観をそこねる。莫大な費用もかかる。こうした洪水は、何十年に一度しかない。家が流さ
れたら、その分、家を補償してくれたほうが、よい。費用も安くつく。税金をムダにしない」と。

 一方同じころ、名古屋市のあるところで、大雨が原因で、浸水騒ぎが起きた。そのときその
地域の住民たちは、「浸水は、行政の怠慢が原因」という理由で、市を訴えた。現在も係争中
らしい。だからといって、名古屋市のその住民たちのしたことがまちがっているというのではな
い。しかしあまりにも、「自由」に対する考え方が違うので、私は驚いた。

 もちろん教育とて例外ではない。日本のように、学校を離れて道はなく、学校以外に道はない
という世界では、学校が、まさにすべてになる。子どもが不登校を起こそうものなら、それだけ
でたいていの親たちは、半狂乱になる。一方、アメリカでは、子どもが落第を勧められると、親
は、喜んで、それに従う。「喜んで」だ。これはウソでも、誇張でもない。むしろ親のほうから、落
第を求めていくケースも多い。「うちの子は、今の勉強がまだよくわかっていないようだから、も
う一年、落第させてくれ」と。

 自由とは何か。もう一度、私たちは静かに考えてみるべきではないだろうか。先日も、北朝鮮
の人たちが、テレビのインタビューに答えて、こう言っていた。「私たちは、将軍様の指導のも
と、豊かな生活を楽しんでいます。自由がないなんていうのは、まったくのウソです」と。そういう
北朝鮮の人たちの意見を聞いていると、「では、日本人はどうなのか」と、そこまで考えてしま
う。北朝鮮の人たちは、外から見た世界はどうであれ、自分たちは自由だと思い込んでいる?

 さて、今、アメリカは、イラクで、戦争をしている。「イラクを解放する」というのが大義名分にな
っているようだが、その背景には、こうした「自由観」の違いがある。「イラクを解放する」と言わ
れても、どうも日本人には、ピンとこない。こないから、日本人は、「アメリカが戦争するのは、
石油の利権のためだ」とか、何とか言う。たしかにそういう側面はないわけではないが、しかし
彼らがもつ自由観は、日本人がもつ自由観とは、根本的な部分で異質なものである。わかりや
すく言えば、その自由観を理解しないかぎり、アメリカがなぜ戦争をするのか、その理由を理解
できない。

 さて、遠く離れたアメリカが、なぜ、アジアの問題に触れ、「北朝鮮は、世界最大規模の監獄
体制だ」と言うのか。言うことができるのか。反対に、なぜ、その隣の国の日本が、それを言わ
ないのか。言うことができないのか。その違いも、結局は、「自由」に対する意識が、アメリカと
日本では違うことに由来する。
(030403)

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     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞







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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
●5月 9日(金)富士市市民文化会館・ロゼシアター 10:30〜12:00
        主催  富士市立幼稚園PTA連合会(九園合同) 
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    /八))))ハ   ミミヽ
    / / へ へ   へ ミミ  ─┐     今日のメニュー
   ( | σ σ |  ∂  へ ミ  |         【1】F先生へ
    )("  ) ")  ζ  ∂ ぅ             【2】心を開こう!
   / 八 ー 八┐ ( __  ノ─┐           【3】子育てエッセー
   ((  >−< | >−< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  /
  / \   (3-─┼─-ε)  /   私たちは、安心子育て、めざしましょう!
  ──────────────┐     そうだね……。
【1】F先生へ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

F先生へ

拝啓

 お元気ですか。
 こちらは元気です。
 昨日は、突然、思い立って、ワイフと、花見に行ってきました。
 I町に、M山というところがあります。
 その中腹が、花見の名所で、それでそこに行ってきました。

 お手紙、ありがとうございました。
 いろいろご多忙の中、ご活躍なさっておられるようですね。
 うらやましいです。

 私のほうは、今、乳幼児期の心の形成に、たいへん興味をもっています。
 この時期、親は、子どもに、いたたまれないほどの愛情を覚えます。
 これを愛着行動と言いますが、実は、乳幼児も、親に向かって、懸命に、愛着行動を繰りか
えしているのですね。

 先日も、スーパーの中を歩いていたら、乳母車を引いた母親を見かけました。
 子どもは、生後、四〜六か月くらいだったと思います。
 母親のほうは、視線をあちこちに配りながら、商品のほうを向いていました。
 しかし子どもを見ると、手足をややバタつかせながら、懸命に、母親に向かって、話しかけて
いるといったふうでした。
 子どもは笑顔を浮かべていました。

 母親のほうは、子どものほうを向いていないのに、です。
 つまり子どもの側から、親に向かって、愛着行動をしていたわけです。

 こうした相互愛着が、親子の絆(きずな)を太くします。
 それは当然ですが、実は、この絆をとおして、子どもは、心の基盤を形成するわけです。

 よい例が、人見知りという現象です。
 子どもは、生後六、七か月前後から、一歳半にかけて、人見知りというよく知られた反応を示
します。
精神医学の世界では、ある種の恐怖反応ということになっていますが、どうやらそれだけでは、
ないようです。
それには、もっと深い意味があるようです。

たとえば施設児の問題があります。
生後直後から、施設などに預けられ、濃密な親の愛情を受けられなかった子どもは、独特の
症状を示すことが知られています。
知恵の発達が遅れがちになる。表情が乏しくなる。貧乏ゆすりなど、独特のクセがつきやすく
なるなど。
その中でも、特徴的なのは、だれにも愛想がよくなるということです。

このタイプの子どもは、特定の人(親)と、太い絆をもつことができないため、不特定多数の人
に愛想をよくすることで、自分の身の保全をはかろうとします。
いわば子どもの、悲しき防御作用と言えるべきものです。

で、当然のことながら、このタイプの子どもは、人見知りをしません。
ふつうの子どもが、人見知りする時期に、このタイプの子どもは、だれにも愛想がよくなるわけ
です。みなに好かれようとします。

さて、問題は、ここから始まります。

子どもの世界では、愛想がよいということは、あまり好ましいことではありません。
私の経験でも、心豊かな環境で、親の愛情を濃密に受けて育った子どもほど、愛想が悪いこと
がわかっています。どこかどっしりとしています。
反対に、そうでない子どもは、どこかセカセカとしています。
相手にへつらうような様子を、よく見せます。

で、長い間、その理由がわかりませんでしたが、どうやらその分かれ道は、このあたりにある
のではないかと思うようになりました。
つまりこうした違いは、生後直後から、満一、二歳前後の、親子関係のあり方に、起因すると
いうこと、です。

この時期、親の濃密な愛情を受けられなかった子どもは、第一に、「さらけ出し」ができなくなり
ます。
「さらけ出し」というのは、言いたいことを言い、したいことをすることをいいます。
そのさらけ出しが、じゅうぶんできてはじめて、子どもは、何をしても許されるのだという、安心
感を覚えます。
そしてこのさらけ出しが、信頼関係をつくる基礎となります。
その信頼関係がうまく、結べないと、やがて子どもは、他人との人間関係をうまく、築けなくなり
ます。精神的に、いわゆる不全状態になるわけです。

こうなると、いろいろな症状が出てきます。

昔、ショーペンハウエルという学者が、こうした現象を説明するために、「二匹のヤマアラシ」の
話を書きました。
ある寒い夜、二匹のヤマアラシが、たがいに体を寄せあって、暖をとろうとしたのですが、近づ
きすぎると、たがいのハリで、キズつけてしまう。
そこで離れるのですが、離れすぎると、今度は、寒くなってしまう。

子どもの世界でも、同じことが起きます。
このタイプの子どもは、精神的な不全感からか、独特の孤独感を覚えます。
つまり、基本的には、さみしがり屋なのです。
が、さみしいと思う反面、他人との人間関係が、うまく、築けない。

そこでこのタイプの子どもは、つぎの四つのタイプに分類された行動をとります。

攻撃型、内閉型、服従型、同情型です。

攻撃型には、二種類あります。
ひとつは、相手の子どもに対して、暴力行為、威圧行為を繰りかえして、屈服させる方法。
もう一つは、自虐的な訓練などをして、相手に自分の力を認めさせる方法。
ガリ勉タイプの子どもや、メチャメチャな練習をする子どもに、このタイプの子どもを多くみるこ
とができます。

内閉型というのは、人との接触を避けるタイプです。
引きこもりなどの、回避性障害もこれに含まれます。
このタイプの子どもは、他人をキズつけるのがこわいから、接触を回避するのではありませ
ん。
自分がキズつくのが、こわいから、回避するのです。

服従型というのは、自分を劣位の立場において、相手に服従することで、居心地のよい世界を
つくろうとするタイプです。
このタイプの子どもは、相手に対して、まさに奴隷のように服従するので、それがわかります。

最後に同情型ですが、私はこれを、老人たちを観察していて、知りました。
かく言う私も、もう老人の仲間に入りつつありますので……。

同情型というのは、相手に同情させることで、相手を自分の思いどおりに動かすというやり方で
す。
よく老人が、息子や娘に向かって、「私も、歳をとったからねえ……」と、弱々しい声で言うとき
がありますね。
あれです。
こうした老人は、信頼関係を基本とした親子関係が結べないため、子どもに同情させることで、
自分の立場を守ろうとするわけです。
もちろん、子どもの世界にも、似たような現象が見られます。

で、こうした症状のほか、たとえば忠誠心や、自律心の問題もあります。

子どもが人見知りする時期に、それがなく、だれにも愛想がよくなってしまうことにより、人間関
係が、うまく結べなくなってしまう。
これについては、ここで説明したとおりですが、問題は、それだけではありません。
その一つが、忠誠心の問題です。

このタイプの子どもは、それだけ忠誠心が弱くなり、親子の絆だけではなく、結婚してからも、
夫婦の絆などを、平気で踏みにじったりします。
病的な浮気グセは別として、私自身は、よく妻や夫を裏切る夫や妻というのは、その忠誠心が
弱い人だと思っています。

もちろん自律心をも弱いので、誘惑にも負けやすくなります。

ともかくも、育児拒否、家庭崩壊、はげしい家庭騒動などを経験すると、子どもは、「不安を基
底とした」心理状態になります。
このタイプの子どもは、何をしても不安なわけです。

不安だから、友だちを攻撃する。
不安だから、猛勉強をする。
不安だから、友だちを避ける。
不安だから、友だちに服従する。
不安だから、友だちに同情を求める、と。

こうした基底的な不安感を、心理学では、基底不安と呼びますが、子どもによっては、夏休み
前に、夏休み後のテストを心配したりするようになります。

こうした不安が基底にありますから、ほかの人を信じられない、ほかの人に心を開けないな
ど、いろいろな症状が出てくるわけです。
いわゆる「いい子ぶる」という症状も、ここから出てきます。

このタイプの子どもは、親や先生が、喜びそうな答を、自分で考えて出します。
たとえば「友だちと仲よくするのは大切なこと」「緑を大切にしましょう」「世界が平和になること
を望みます」などと、親や先生にとって、耳ざわりのよい意見を、つぎつぎと言います。

そういう意見を言えば、他人に評価されることを、よく知っているからです。
「愛想がよい」ということには、こうした、「他人に迎合した仮面づくり」という意味も含まれます。

しかし「いい子ぶる」ことについては、もっと深刻な問題が隠されています。
その状態が、重くなると、そこで人格の分離が始まります。
(本当の自分)と、(仮面の自分)の中で、葛藤が始まるというわけです。

よく情緒障害児が、「遊離」という症状を示します。
これは心(情意)と、表情の不一致をいったものですが、同じように、人格の分離が始まると、
心(情意)と、表情が不一致するようになります。

もちろん遊離という現象は、脳の機能的な障害が原因で起こるもので、必ずしもここでこの言
葉を使うのは適切ではないかもしれません。
が、症状面で似ているところがあるので、私は「遊離状態」という言葉で説明しています。

このタイプの子どもは、こうした遊離状態の中で葛藤するため、現象としては、いろいろな問題
を引き起こします。代表的なものとしては、家庭内暴力(攻撃型)、引きこもり(内閉型)、集団
非行(服従型)、グズグズ(同情型)など。

症状は、まったく異なったものですが、共通するのは、(さらけ出しができない)→(心を開くこと
ができない)→(相手と、心豊かな信頼関係が結べない)→(人間関係が築けない)という点で
す。

そしてその原因は、ひとえに、乳幼児期にあるというわけです。

何となく暴論ぽいことを、一挙に書きあげてしまいましたが、しかしこう考えることによって、今
までともすれば現象面に引き回され、バラバラになっていた子どもの心の問題を、一つにまと
めることができます。
また、それで説明がつくようになり、かつ、そのルーツは、実は乳幼児期にあるという結論に達
することができます。

細かい部分では、説明不足で、「アレッ?」と思われるかもしれませんが、もし、何か、補足的
な説明が必要であれば,お申しつけください。
資料などを、お送りします。

長い手紙になってしまいましたが、どうかお許しください。
ここに書いたようなことが、このところ、私の心をとらえてはなしません。
何かの参考にしていただければ、うれしいです。

では、今日は、これで失礼します。
ワイフが、「どうしても、戦場のピアニストを見たい」と言っていますので、これから劇場へ行っ
て、見るつもりです。
昨夜、アカデミー賞の授賞式をしていましたので、その影響だと思います。

では、どうか、お体を大切に!
また手紙を書きます。

敬具

はやし浩司

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<           安心できる情報と、
    /†_____†ヽ//          正しい知識をもとに、
    ( ('    ξヽ           考える力を忘れないで
  ┏ ||   o//\) )(         前向きに、子育てをしていきましょう。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

心を開こう!

 自分をさらけ出せない人は多い。他人に対してなら、まだ話がわかるが、夫や子どもに対し
て、もだ。

 このタイプの人は、自分をさらけ出すことに、大きな不安をいだいている。原因は、全幅に相
手を、信頼できないことによる。さらにその原因はといえば、その人の乳幼児期にある。

 子どもというのは、絶対的な安心感のある家庭で、心をはぐくむことができる。「絶対的」とい
うのは、疑いをもたないという意味。「どんなことをしても、私は守られる」「どんなことをしても、
私は捨てられない」という安心感が、子どもの心を安定させる。

言うまでもなく、たがいの信頼関係は、このさらけだしの上にできる。何を言っても、何をして
も、相手は自分を受け止めてくれる。一方、相手が何を言っても、何をしても、自分はそれを受
け止めることができる。そういう人間関係があってはじめて、たがいに信頼関係を結ぶことがで
きる。

 が、何らかの理由で、この絶対的な安心感をもてなかった子どもは、それ以後、ずっと不安
を基底においた精神状態になる。わかりやすく言えば、自分をさらけ出すことができない。その
ため、相手に合わせて自分をつくったり、飾ったり、ときにはへつらったりする。このタイプの子
どもは、相手をキズつけることを恐れているのではない。自分をさらけだすことで、自分がキズ
つくことを恐れる。

 そして乳幼児期に、一度、そうなると、その精神構造は、ほぼ一生、つづく。

 そこで今、あなた自身はどうかということを、自問してみてほしい。あなたは夫(妻)に、安心し
て、すべてをさらけ出すことができるだろうか。あるいはさらけ出しているだろうか。あるいは子
どもに対しては、どうだろうか。さらにあなたの夫(妻)や子どもは、あなたに対して、安心して、
自分をさらけだしているだろうか。もしそうなら、それでよし。しかし、あなたの夫や子どもが、ど
こか仮面をかぶったり、心を隠したり、いい夫やいい子ぶっているようなら、あなたは家庭のあ
り方というより、あなた自身の精神構造を、本気で反省してみる必要がある。

 もし、あなたが、自分をさらけ出すことができないタイプの人なら、勇気を出して、自分をさら
けだしてみよう。心を開いてみよう。まず、あなたが心を開く。すべては、ここから始まる。つま
りあなたが心を開かないで、どうしてあなたの夫(妻)や子どもが、あなたに心を開くことができ
るだろうか。

 気取ることはない。気負うこともない。あなたは、どこまでいっても、あなたなのだ。さあ、あな
たも勇気をだして、自分をさらけだしてみよう。そしてあなた自身の中に潜む、暗い過去を、こ
なごなにつぶしてみよう!

+++++++++++++++++++++

●いい子ぶるのは、やめよう

こう言えば、親が喜ぶだろう。
先生が、ほめてくれるだろう。

こうすれば、友だちにかっこよく見えるだろう。
まわりが、自分のことを、いい子に思ってくれるだろう。

そんな仮面をかぶるのは、もうやめよう。
そんなふうに、自分を作るのは、もうやめよう。

他人がどう思うが、そんなことは気にすることはない。
君は、君。どこまでいっても君は、君。

したいことをすればいい。
言いたいことを言えばいい。

無理をすることはない。
へんにがんばってはいけない。

さあ、君も、今日から、
勇気をだして、いい子ぶるのをやめよう。
ありのままの自分で、生きよう!

++++++++++++++++++++

●いい親ぶるのは、やめよう

いい親でいよう。
いい家庭をつくろう。

こういうのを親の気負いという。
しかし、そんな気負いなど、クソ食らえ!

気負いが強ければ強いほど、
あなたも疲れるが、子どもも疲れる。

あなたは、あなたのまま。
一人の人間として、あなたは生きる。

ただ、親の気負いと、親としての責任は別。
だからといって無責任な親になれということではない。
どうか、誤解のないように!

【追記】
 たまたまこの原稿を書いているとき、こんな事件があった。「一人の中学生が、(親の前で)い
い子ぶるのが嫌になったから、家に放火した」というのだ。

 「埼玉県T署は、自宅に放火したとして、同県T市の市立中学三年の男子生徒(一四)を、現
住建造物等放火容疑で緊急逮捕した。(中略)調べによると、男子生徒は同日午前一時ごろ、
T市内の木造二階建て住宅の二階自室で、毛布にライターで火をつけた疑い。住宅は、二階
部分の約四〇平方メートルを焼失した。男子生徒は、調べに対し、『家でいい子ぶっているの
が嫌になったので、火をつけた』と話しているという。

男子生徒は、四人家族で、出火当時、会社員の父親(51)と母親(46)、高校三年生の姉(1
7)が就寝中で、父親は目にやけどを負う重症、母親も顔などに、軽いやけどを負った」(Y新
聞)。

 他人の目を気にすればするほど、本当の自分と、仮面をかぶった自分が、遊離する。遊離す
るだけなら、ともかくも、本当の自分をさらけ出せないということは、その人にとっても、とても苦
しいことである。この放火をした少年も、そういう苦しさに耐えられなかったのだろう。だからと
いって、放火を肯定するわけではないが、しかし私には、その少年の気持ちがわかるような気
がする。
 
     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

浮気する夫、浮気しない夫

 浮気(不倫)する夫は、それだけ忠誠心の弱い男とみる。妻に対する忠誠心が弱いから、浮
気する。モラルの問題とか、道徳の問題とかいう人もいるが、浮気という本能がからむ問題
は、そうしたモラルや道徳で、コントロールできるものではない。

 その忠誠心は、乳幼児期に決まる。この時期、親の愛情をたっぷりと受けて、親子の相互愛
着をしっかりとした子どもほど、忠誠心が強くなる。私はこのことを、二匹の犬を飼ってみて、知
った。

 私の家には、二匹の犬がいる。一匹は、保健所で処分される寸前だったのを、もらってきた
もの。これをA犬とする。もう一匹は、愛犬家のもとで、手厚く育てられた犬。生後三か月のとき
に、もらってきたもの。最初の一週間は、毎晩、私がフトンの中で抱いて寝た。これをB犬とす
る。

 この二匹の犬は、まるで性格が違う。その中の一つが、ここでいう忠誠心。A犬は、まったく
忠誠心がない。裏の戸が少しでもあいていようものなら、たいていそのまま逃げていってしま
う。ときどき追いかけていくのだが、一度は、私の姿を見て、さらに逃げていこうとした。もちろ
ん番犬にはならない。見知らぬ人が来ても、平気な顔をして、シッポを振る。散歩の途中でも、
何度叱っても、道路の中央で、便をする。そういう意味では、本当に始末が悪い。

 一方、B犬のほうは、「してはダメ」ということは、絶対に、しない。散歩のときも、決して道路で
は便をしない。驚いたのは、散歩の途中では、決して、ものも食べないということ。ときどき遠出
をしたときなど、コンビニで牛乳などを買ってあげるのだが、それすら飲まない。もちろんB犬
のほうは、番犬になる。見知らぬ人が家の中に入ってきたりすると、ワンワンとけたたましくほ
える。

 実は人間も犬と同じと考えてよい。何らかの理由で、親の心豊かな愛情を受けられなかった
子どもは、ここでいうA犬のような症状を示す。そこで話が、ぐんと飛躍するが、結婚してから、
浮気するとかしないとかいう問題は、結局は、この忠誠心の問題ということになる。結論から言
えば、忠誠心の強い夫は(妻もそうだが……)、浮気しない。忠誠心が弱い夫は、浮気する。浮
気しても、そこに罪の意識を感じない。あるいはブレーキそのものが働かない。

 中に浮気ばかりしている夫がいる。よくテレビなどでも、そういう夫がよく取りあげられる。もち
ろん浮気といっても、病的な浮気や行為障害としての浮気もある。そういう浮気は別として、そ
ういう点では、浮気は、原罪的なもので、妻が怒ったり、叱ったりしてなおるようなものではな
い。そもそも妻に対する忠誠心そのものが、ない。忠誠心のない夫に、「浮気するな」と言って
も、ムダ。

 そこでこのエッセーを読んでいる人が、妻(女性)なら、あなたの夫が浮気をしているかどうか
を疑う前に、あなたの夫が、どういう乳幼児期を過ごしたかを知るとよい。そしてここでいうB犬
のような家庭環境であったなら、まず夫の浮気を心配する必要はない。しかしA犬のような、家
庭崩壊、育児拒否、夫婦騒動、両親の愛情欠損など経験しているなら、忠誠心そのものがな
いという前提で、考えたらよい。

 たとえば幼児というのは、生後七、八か月くらいから、一年半くらいにかけて、「人見知り」とい
う、よく知られた現象を示す。いわゆる相互愛着がしっかりとなされた子どもほど、この人見知
りという現象が、顕著に現れる。しかし生後まもなくから、施設や保育園などに預けられっぱな
しになった子どもほど、この人見知りという現象が現れない。この「人見知り」という現象は、こ
こでいう忠誠心の、ちょうど裏返しの現象と考えてよい。わかりやすく言うと、人見知りの強かっ
た子どもほど、それだけ忠誠心も強いということになる。そうでなければ、そうでないということ。

 さて、私のことだが、私は、不幸にして不幸な家庭環境に育ったため、いわゆるここでいうA
犬のようなところがある。いつも相手に合わせてシッポを振る。振ってしまう。そしてその分、忠
誠心も弱い。子どものころから、損得の計算をしながら、平気で人を裏切るようなところがあっ
た。(今も、ある?)で、浮気ということになれば、私のような男ほど、浮気をしやすい男はいな
かったと思う。

 そういう私がたまたま、何となくまじめに生きてきたのは、(浮気をしたとか、しなかったと言っ
ているのではない)、一方で、女性恐怖症があったこと。それにもともとモテるタイプの男ではな
かったこと。さらには、そのチャンスが少なかったことによる。(正直に告白するが、今のワイフ
と結婚してからも、ワイフ以外の女性に、心を奪われたことはたびたびある。「男とはそういうも
の」と、自分ではそう思っているが、そうでない男もいるにはいる。本当のところは、よくわから
ないが……。)もしそういうブレーキがなかったら、私は浮気ばかりしていただろうと思う。

 そこで、診断テスト

●あなたの夫(息子)は、忠誠心が強いか?

(1)あなたの夫(息子)は、生後直後から、二歳くらいまでの間、両親のしっかりとした愛情に
包まれながら、心暖かい環境で育てられた。
(2)あなたの夫(息子)は、幼児のとき、人見知りという現象をしっかりと経験してきた。

 (1)と(2)の点について、何ら心配がないなら、あなたの夫(息子)は、ここでいう忠誠心の強
い夫(息子)とみてよい。そうでなければ、そうでない。
 
 ……と、夫(息子)のことばかり書いてきたが、妻(娘)だって、浮気することはある。もしこの
エッセーを読んでいるのが女性なら、あなた自身の夫に対する忠誠心は、どうかを疑ってみた
らよい。あなたは夫に対して、忠誠心が強いだろうか。それとも弱いだろうか。どちらにせよ、
その原因は、あなたの乳幼児期にある。
(030405)

++++++++++++++++
これに関連して、以前書いた原稿
(中日新聞掲載済み)を添付します。
++++++++++++++++

教育を通して自分を発見するとき 

●教育を通して自分を知る
 教育のおもしろさ。それは子どもを通して、自分自身を知るところにある。たとえば、私の家
には二匹の犬がいる。一匹は捨て犬で、保健所で処分される寸前のものをもらってきた。これ
をA犬とする。もう一匹は愛犬家のもとで、ていねいに育てられた。生後二か月くらいしてからも
らってきた。これをB犬とする。

 まずA犬。静かでおとなしい。いつも人の顔色ばかりうかがっている。私の家に来て、一二年
にもなろうというのに、いまだに私たちの見ているところでは、餌を食べない。愛想はいいが、
決して心を許さない。その上、ずる賢く、庭の門をあけておこうものなら、すぐ遊びに行ってしま
う。そして腹が減るまで、戻ってこない。もちろん番犬にはならない。見知らぬ人が庭の中に入
ってきても、シッポを振ってそれを喜ぶ。

 一方B犬は、態度が大きい。寝そべっているところに近づいても、知らぬフリをして、そのまま
寝そべっている。庭で放し飼いにしているのだが、一日中、悪さばかりしている。おかげで植木
鉢は全滅。小さな木はことごとく、根こそぎ抜かれてしまった。しかしその割には、人間には忠
実で、門をあけておいても、外へは出ていかない。見知らぬ人が入ってこようものなら、けたた
ましく吠える。

●人間も犬も同じ
 ……と書いて、実は人間も犬と同じと言ったらよいのか、あるいは犬も人間と同じと言ったら
よいのか、どちらにせよ同じようなことが、人間の子どもにも言える。いろいろ誤解を生ずるの
で、ここでは詳しく書けないが、性格というのは、一度できあがると、それ以後、なかなか変わ
らないということ。

A犬は、人間にたとえるなら、育児拒否、無視、親の冷淡を経験した犬。心に大きなキズを負っ
ている。一方B犬は、愛情豊かな家庭で、ふつうに育った犬。一見、愛想は悪いが、人間に心
を許すことを知っている。だから人間に甘えるときは、心底うれしそうな様子でそうする。つまり
人間を信頼している。幸福か不幸かということになれば、A犬は不幸な犬だし、B犬は幸福な犬
だ。人間の子どもにも同じようなことが言える。

●施設で育てられた子ども
 たとえば施設児と呼ばれる子どもがいる。生後まもなくから施設などに預けられた子どもをい
う。このタイプの子どもは愛情不足が原因で、独特の症状を示すことが知られている。感情の
動きが平坦になる、心が冷たい、知育の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつ
きやすい(長畑正道氏)など。が、何といっても最大の特徴は、愛想がよくなるということ。相手
にへつらう、相手に合わせて自分の心を偽る、相手の顔色をうかがって行動する、など。一
見、表情は明るく快活だが、そのくせ相手に心を許さない。許さない分だけ、心はさみしい。あ
るいは「いい人」という仮面をかぶり、無理をする。そのため精神的に疲れやすい。

●施設児的な私
実はこの私も、結構、人に愛想がよい。「あなたは商人の子どもだから」とよく言われるが、どう
もそれだけではなさそうだ。相手の心に取り入るのがうまい。相手が喜ぶように、自分をごまか
す。茶化す。そのくせ誰かに裏切られそうになると、先に自分のほうから離れてしまう。

つまり私は、かなり不幸な幼児期を過ごしている。当時は戦後の混乱期で、皆、そうだったと言
えばそうだった。親は親で、食べていくだけで精一杯。教育の「キ」の字もない時代だった。…
…と書いて、ここに教育のおもしろさがある。他人の子どもを分析していくと、自分の姿が見え
てくる。「私」という人間が、いつどうして今のような私になったか、それがわかってくる。私が私
であって、私でない部分だ。私は施設児の問題を考えているとき、それはそのまま私自身の問
題であることに気づいた。

●まず自分に気づく
 読者の皆さんの中には、不幸にして不幸な家庭に育った人も多いはずだ。家庭崩壊、家庭
不和、育児拒否、親の暴力に虐待、冷淡に無視、放任、親との離別など。しかしそれが問題で
はない。問題はそういう不幸な家庭で育ちながら、自分自身の心のキズに気づかないことだ。
たいていの人はそれに気づかないまま、自分の中の自分でない部分に振り回されてしまう。そ
して同じ失敗を繰り返す。それだけではない。同じキズを今度はあなたから、あなたの子どもへ
と伝えてしまう。心のキズというのはそういうもので、世代から世代へと伝播しやすい。

が、しかしこの問題だけは、それに気づくだけでも、大半は解決する。私のばあいも、ゆがんだ
自分自身を、別の目で客観的に見ることによって、自分をコントロールすることができるように
なった。「ああ、これは本当の自分ではないぞ」「私は今、無理をしているぞ」「仮面をかぶって
いるぞ」「もっと相手に心を許そう」と。そのつどいろいろ考える。つまり子どもを指導しながら、
結局は自分を指導する。そこに教育の本当のおもしろさがある。あなたも一度自分の心の中
を旅してみるとよい。
 

°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ
°◎_/ ̄⌒―――∩
 ///―――――∫           
⊂⊂/      ∫      無断で、転送、引用、転載は、なさらないでください。
         ∫              よろしくご協力ください。       
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ロード・ツ・パーティション

 トム・ハンクスとポール・ニューマン主演の『ロード・ツ・パーティション』を見た。すばらしい映
画(ビデオ)だった。俳優それぞれの心の動きと個性が、しっかりと表現されていた。最初から
最後まで、安心して見ることができた。

 で、たまたまその映画を見終わって、テレビのチャンネルをかえると、BS放送で、Nという俳
優が主演している、『宮本武蔵』を放映していた。もちろん日本映画である。トム・ハンクスの名
演技のあとだから、よけいにそう思ったのかもしれないが、どうして日本の俳優たちの演技は、
ああまで不自然なのか。無理に力んでしまうため、演技そのものが、わざとらしくなってしまう。

 で、映画界にも、日本独特の権威主義がはびこっている。「有名な俳優だから、演技はすば
らしいはず」という前提で、演技そのものを評価してしまう。反対に、批評を許さない。そしてあ
とは皆で、祭りあげてしまう。

 こうした権威主義のこわいところは、一方的に、その著名人に名声や地位が集まってしまうこ
と。力のある人たちが、犠牲になってしまうということ。そしてその分、たとえば映画の世界で
は、活力そのものが押さえ込まれてしまうということ。このことは、極端な例だが、北朝鮮の映
画を見るとわかる。

 北朝鮮では、映画のラストは、必ずといってよいほど、朝日が昇るシーンで終わる。朝日は、
金XXを象徴しているのだそうだ。しかし一事が万事。映画のあらゆる部分で、こうした検閲が
なされているという。で、結果として、北朝鮮独特の映画になるわけだが、見ていて、本当に、
つまらない。あくびも出ないほど、つまらない。

 もちろんアメリカ映画にも、駄作は多い。このところ粗製らん造という感じで、「これは」と思っ
て選んでも、最後まで見るのは、二、三本に一本。さらにその中でも、「すばらしい」と思う映画
は、四、五本に一本くらいしかない。同じトム・ハンクスの映画でも、でき、ふできがある。たとえ
ば少し前、『グリーン・マイル』を見たが、私は、それほどすばらしい映画だとは思わなかった。
どこか「奇跡の押し売り」という感じさえもった。

 しかし今回の『ロード・ツ・パーティション』は、全体のストーリーの中で、父親と息子の、心こま
やかな交流描写がみごとなほど、表現されていた。私は一本、筋の通った哲学を感ずる映画
が好きだが、この映画には、その哲学を感じた。最後に父親が、命かながら、XXするシーンを
見終わったとき、「なるほど、そのとおり」と、もう一度、自分の心にダメ押しをすることができ
た。(XXの部分は、どうか映画のほうで……。)

 『フォレスト・ガンプ(一期一会)』で見た感動を、私はもう一度、この映画の中で感じることが
できた。好き嫌いもあるだろうが、男っぽい、骨のある映画が好きな人には、お薦め。私の評
価では、五つ星評価で、★★★★(四つ星)。ワイフの評価では、★★★(三つ星)。ワイフの評
価は、いつも辛い。私が「三つ?」と聞きなおすと、「そうねえ、三・五星くらいかな」と笑った。
(030405)

【追記】もちろん日本にも、少ないが、すばらしい俳優がいる。緒方拳や、三国連太郎など。こう
した俳優は、世界に誇るべき日本の名優である。ただそうした名優とは別に、日本映画の悪い
ところは、全体として、演技がわざとらしく、不自然なこと。明らかにIQの低そうな俳優が、知的
な人物を演じてみたり、どこかインチキ臭さそうな俳優が、安っぽい正義感を振りまわしたりす
る。演技だけではない。
 
 昔、『N』という映画があった。おばすて山を描いた映画だった。この映画は、フランスで何と
か賞を受賞したとかで話題になった。しかしもともと「おばすて」という風習は、貧しい農村で生
まれた。食糧が不足し、やむにやまれず、その地域の人は、老人を、山の中に捨てた。

 しかしその映画に出てくる俳優は、皆、丸々というか、ブヨブヨに太っていた。日本映画の不
自然さは、すべてこの一点に集約される。有名な俳優を並べて、名作(?)をつくったが、「飢餓
状態」という切迫感が、私にはまるで伝わってこなかった。

 同じように、Nという俳優が演じた『宮本武蔵』にしても、「剣の達人というのはこういうもの」と
いう、押し売り的な演技ばかりが目立つ。かっこうをつけているだけで、中身がない? 当時す
でに、Nという俳優は、押しも押されぬ大俳優。そのせいか知らないが、かいま見た上半身は、
やはりブヨブヨに太っていた。

 またまたきびしい映画評論をしてしまったが、映画という一つの文化を支えるためには、その
映画文化を支える周囲文化が必要である。しかしその周囲文化をつくるのは、実は、この私た
ち自身である。つまり私たち自身が、もっと目を肥やし、批評力や批判力をもち、同時に高い
文化性をもつ。その結果として、日本でも、すばらしい映画が生まれる。何となく弁解がましい
が、こうした私の辛らつな映画批評は、そのための一つと考えて、許してほしい。日本映画のフ
ァンの方や、Nという俳優のファンの方へ。

●「言うは易し、行うは難し」、つまり批評するのは簡単だが、実際に映画をつくるのは、むず
かしい。……よくわかっているが、しかしもう少し、日本の映画には、がんばってほしい。なおア
メリカやオーストラリアなどの学校には、「ドラマ」という科目があって、子どもたちは、小さいと
きから、演劇を学んでいる。日本では、「役者」の社会的地位が低く、演劇に対する理解も乏し
かった。私が子どものころでさえ、そうした偏見が、まだ根強く残っていた。そのせいかどうか
は知らないが、こと「演劇」という分野においては、日本は、世界からかなり遅れているとみてよ
い。

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞







件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■4-16-1

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 674人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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03−4−16号(210)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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です! 
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
●5月 9日(金)富士市市民文化会館・ロゼシアター 10:30〜12:00
        主催  富士市立幼稚園PTA連合会(九園合同) 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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●また、本文がつまっていて読みにくいときは、やはり一度ワードにコピーしていただくと、ぐん
と読みやすくなります。お試しください。
    /八))))ハ   ミミヽ
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   ((  >−< | >−< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  /
  / \   (3-─┼─-ε)  /   私たちは、安心子育て、めざしましょう!
  ──────────────┐     そうだね……。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

私の考えが絶対に正しい!
自分の世界で子育てをする母親たち(失敗危険度★★)

●「林先生は、ちゃんと指導していない」
 年中児になると、子どもというのは、とくに教えなくても文字を書けるようになる。もちろん我流
だが、それはそれとしてこの時期はおお目に見る。で、ある日私が子ども(年中男児)の書いた
文字に大きな花丸をつけて返したときのこと。その日の夕方、母親から抗議の電話がかかって
きた。「あんなメチャメチャな字に、花丸などつけないでください!」と。そしてその電話のあと園
長にまで電話をかけ、「林先生は、ちゃんと指導していない。どうしてくれるのか」と迫った。

●祖父が教師へ飛び込んできた
 これに宗教がからむと、さらにやっかいなことになる。ある日赤ペンで、その子ども(年中女
児)の名前を書いたときのこと。あとからその子どもの祖母から抗議の電話があった。いわく、
「赤字で名前を書くとはどういうことですか。もし万が一、うちの孫に何かあったら、あなたのせ
いですからね!」と。何でも赤字で名前を書くのは、不吉なことなのだそうだ。またこんなこと
も。

 ある日、私が肩が痛いと言うと、「なおしてあげる」と申しでてきた子ども(小五男児)がいた。
「ありがたい」と思って頼むと、その子どもは私の肩に手をかざして、何やらを念じ始めた。で、
私が「そんなのならいい。どうせなおらないから」と言うと、その子どもは笑いながら手を離し
た。私も笑った。

が、その翌日、まず祖父が教室へ飛び込んできた。「貴様は、うちの孫に何てことを教えるの
だ!」と。つづいて母親までやってきて、「うちの宗教を批判しないでください!」と。その家族は
ある宗教団体の熱心な信者だった。さらに……。

●「あなたはせっかくのチャンスをムダにした」
 クラスの生徒の家庭に不幸があるたびに、「私なら何とかできます」と申し出てきた女性(四
一歳)がいた。私の知人の姉にあたる人だった。話を聞くと、「私なら救うことができます」と。そ
のときもそうだった。子ども(小二)が、重い小児ガンになっていた。私も何とかしたいと思って
いたので、つい気を許して、「お願いします」と言ったが、それからがたいへんだった。

その女性はまず箱いっぱいの書籍をもってきた。みるとその教団の教祖が書いた本だった。
が、それで終わらなかった。ついで、そのガンの子どもの家を紹介してほしいと迫ってきた。し
かし、それはまずい。相手の人は、相手の人で、毎日壮絶な苦しみと戦っている。そういう家族
に、本当に救えるのならまだしも、宗教をすすめるのは、まずい。しかしその女性にはそれが
わからない。私はていねい断ったのだが、こう言った。「あの子は私の力で治せる。あなたはせ
っかくのチャンスをムダにした」と。

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<           安心できる情報と、
    /†_____†ヽ//          正しい知識をもとに、
    ( ('    ξヽ           考える力を忘れないで
  ┏ ||   o//\) )(         前向きに、子育てをしていきましょう。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】特集・好意の返報性∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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好意の返報性
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●好意の返報性

 心理学の世界に、「好意の返報性」という言葉がある。あなたに好意をもっている人には、あ
なたはよい印象をもち、反対に自分に反感をもっている人には、悪い印象をもつようになる。つ
まり相手の心の状態が、こちらがもつ印象に影響を与える。それを好意の返報性という。

 こうした好意の返報性は、子どもには、とくに強く現れる。「この子はいい子だ」と、親や教師
が思っていると、子どもも、その親や教師に、よい印象をもつようになる。反対に、そうでないと
きは、そうでない。この性質をうまく利用すると、子どもを伸ばすことができる。

 私も若いころ、初対面で、「この子は、教えにくい子どもだ」と思ったことがある。そういう子ど
もはたいてい、半年、一年もすると、「林先生なんて、嫌い」「幼稚園へ行きたくない」と言い出し
た。

 そこで私は、初対面のとき、仮にそういう思いが心の中を横切っても、それを打ち消すように
している。そして心底から、「この子はいい子だ」と思いなおすようにしている。すると子どもの
ほうも、やがて私に対してよい印象をもつようになり、「林先生が、好き」と言い出す。しかしそ
れはその子どものためというよりは、私自身のためでもある。私はそうすることで、自分の仕事
をしやすくする。

 そこで教訓。もしあなたが自分の子どもに対して、「うちの子はダメ」「うちの子は心配」と思っ
ているなら、そういう思いは、今すぐ、改める。そして最初はウソでも構わないから、「うちの子
は、すばらしい」「うちの子は、いい子」と思うようにする。これはあなたの子どものためというよ
りは、あなた自身のためである。

+++++++++++++++++++

●好意の返報性(2)

 あなたが周囲の人を嫌ったり、批判したりすると、そのときはあなたに同調する人も現れるか
もしれないが、やがてあなた自身も、嫌われたり、批判されたりするようになる。こうした現象
も、好意の返報性で、説明される。

 たとえばあなたが園や学校の先生を、嫌ったり、批判したりしたとする。あるいは先生の悪口
を言ったとする。その人があなたと親しい人なら、あなたの意見にそのときは、耳を傾けるかも
しれない。しかしやがて、今度は、あなたが嫌われたり、批判されたりするようになる。

 そこであなたが皆に、好かれるためには、この反対のことをすればよい。あなたがあなたの
周囲の人を好きなったり、ほめたりすればよい。そのときは多少、反発する人もいるかもしれ
ないが、やがてあなたは、皆に好かれるようになる。

 家庭では、こんなことを注意する。

 あなたは子どもの前では、夫や家族を、ほめる。楽しいできごとだけを口にして、それを喜
ぶ。そして夫や家族の前では、子どもをほめる。子どものすばらしい面だけにスポットをあて、
それを皆で、たたえる。こうした相互作用が、あなたの評価を高める。それだけではない。家庭
全体が、温もりのある家庭になる。

++++++++++++++++++++

●好意の返報性(3)

英語の格言に、『友を責めるな、行為を責めろ』というのがある。仮にあなたの子どもが、あな
たからみて好ましくない友だちと交際していても、その友だちを責めてはいけない。名前を出し
てはいけない。その友だちの行為の、どこがどう悪いかだけを指摘して、あとは子どもの判断
に任せる。

 それについて以前、こんな原稿(中日新聞発表済み)を書いたので、ここに転載する。この中
で書いた、「遠隔操作」も、好意の返報性の一つと考えてよい。

++++++++++++++++++++

友を責めるな、行為を責めよ

 あなたの子どもが、あなたから見て好ましくない友人とつきあい始めたら、あなたはどうする
だろうか。しかもその友人から、どうもよくない遊びを覚え始めたとしたら……。こういうときの
鉄則はただ一つ。『友を責めるな、行為を責めよ』、である。これはイギリスの格言だが、こうい
うことだ。

 こういうケースで、「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」と子どもに言うのは、子どもに、
「友を取るか、親を取るか」の二者択一を迫るようなもの。あなたの子どもがあなたを取ればよ
し。しかしそうでなければ、あなたと子どもの間には大きな亀裂が入ることになる。友だちという
のは、その子どもにとっては、子どもの人格そのもの。友を捨てろというのは、子どもの人格を
否定することに等しい。あなたが友だちを責めれば責めるほど、あなたの子どもは窮地に立た
される。そういう状態に子どもを追い込むことは、たいへんまずい。ではどうするか。

 こういうケースでは、行為を責める。またその範囲でおさめる。「タバコは体に悪い」「夜ふか
しすれば、健康によくない」「バイクで夜騒音をたてると、眠れなくて困る人がいる」とか、など。
コツは、決して友だちの名前を出さないようにすること。子ども自身に判断させるようにしむけ
る。そしてあとは時を待つ。

 ……と書くだけだと、イギリスの格言の受け売りで終わってしまう。そこで私はもう一歩、この
格言を前に進める。そしてこんな格言を作った。『行為を責めて、友をほめろ』と。

 子どもというのは自分を信じてくれる人の前では、よい自分を見せようとする。そういう子ども
の性質を利用して、まず相手の友だちをほめる。「あなたの友だちのB君、あの子はユーモア
があっておもしろい子ね」とか。「あなたの友だちのB君って、いい子ね。このプレゼントをもっ
ていってあげてね」とか。そういう言葉はあなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わ
る。そしてそれを知った相手の子どもは、あなたの期待にこたえようと、あなたの前ではよい自
分を演ずるようになる。つまりあなたは相手の子どもを、あなたの子どもを通して遠隔操作する
わけだが、これは子育ての中でも高等技術に属する。ただし一言。

 よく「うちの子は悪くない。友だちが悪いだけだ。友だちに誘われただけだ」と言う親がいる。
しかし『類は友を呼ぶ』の諺どおり、こういうケースではまず自分の子どもを疑ってみること。祭
で酒を飲んで補導された中学生がいた。親は「誘われただけだ」と泣いて弁解していたが、調
べてみると、その子どもが主犯格だった。……というようなケースは、よくある。自分の子どもを
疑うのはつらいことだが、「友が悪い」と思ったら、「原因は自分の子ども」と思うこと。だからよ
けいに、友を責めても意味がない。何でもない格言のようだが、さすが教育先進国イギリス!、
と思わせるような、名格言である。

+++++++++++++++++++++++

●好意の返報性(4)

 子育ての要(かなめ)は、こういうわけで、子どもの叱り方にあるということになる。これについ
ても、以前、こんな原稿(中日新聞発表済)を書いたので、ここに転載する。

+++++++++++++++++++++++

子どもの叱り方、ほめ方

 子どもを叱(しか)るとき、最も大切なことは、恐怖心を与えないこと。『威圧で閉じる子どもの
耳』と覚えておく。中に親に叱られながら、しおらしくしている子どもがいる。が、反省しているか
ら、そうしているのではない。怖いからそうしているだけ。親が叱るほどには、効果はない。叱
るときは、次のことを守る。

(1)人がいるところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)

(2)大声で怒鳴らない。そのかわり言うべきことは、繰り返し言う。「子どもの脳は耳から遠い」
と覚えておく。説教が脳に届くには時間がかかる

(3)相手が幼児の場合は、幼児の目線にまで、おとなの体を低くする(威圧感を与えないた
め)。視線を外さない(真剣であることを示すため)。子どもの体を、しっかりと親の両手で固定
し、きちんとした言い方で話す。にらむのはよいが、体罰は避ける。特に頭部への体罰は、タブ
ー。体罰は与えるとしても「お尻」と決めておく

(4)子どもが興奮状態になったら、手をひく。あきらめる。そしてここが重要だが、

(5)叱ったことについて、子どもが守れるようになったら「ほら、できるわね」とほめてあげる。

 次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも『忠告は秘(ひそ)かに、賞賛は公(お
おやけ)に』と書いている。子どもをほめるときは、少しおおげさにほめる。そのとき頭をなで
る、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめる。特に子どものやさ
しさ、努力については、遠慮なくほめる。が、顔やスタイルについては、ほめないほうがよい。
幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見てくれや、かっこうばかりを気にするようにな
る。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女子中学生がいた。

また「頭」については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので慎重にする。頭をほめすぎ
て子どもがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。

 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、励まし方。すでに悩んだり、苦しんだり、さらには頑張っ
ている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。意味がないばかりか、かえって子どもから、
やる気を奪ってしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなことでは!」式の脅しもタブー。結
果が悪く、子どもが落ち込んでいるようなときはなおさら「あなたはよく頑張った」式の前向きの
理解を示してあげる。

++++++++++++++++++++++++

好意の返報性(5)

 「好意」といっても、それがいつも好ましいものとはかぎらない。好意をもたれることで、かえっ
てその人に嫌悪感を覚えることだってある。

 たとえばあなたが財産家であったとする。そういうあなたに、何かのセールスマンが近寄って
きて、あれこれあなたをほめたとする。しかしそういうときあなたは、そのセールスマンの言うこ
となど、信じないだろう。あるいは反対に、そのセールスマンを毛嫌いするかもしれない。この
ばあい、あなたは、セールスマンの行為に、下心があるのを知るからである。

 好意が好意として、返報性をもつためには、同調性が必要である。「同調性」というのは、こ
ちら側もまた、相手の好意に対して、同調するということ。もう少しわかりやすく説明してみよ
う。

 たとえばあなたが、絵を描いて、何かの賞をもらったとする。そのときまったく絵のことを知ら
ないAさんが、その絵を見て、「あなたの絵はすばらしい」と言ったとする。するとあなたは、
「何、言ってるのよ!」と思うかもしれない。あるいは日ごろからあなたの悪口ばかり言っている
Bさんが、同じようにほめたとする。するとそのときも、あなたは、「何、言ってるのよ!」と思う
かもしれない。つまり同調性がないことになる。

 ほかにたとえば、ここでいう下心を、ほめられたほうが感ずると、同調性が消える。つまりそう
いう状態で、相手が、いくら好意を表現しても、効果がない。ないばかりか、かえって逆効果に
なることもある。子どもも、また同じ。

 子どもをほめるときは、それなりに、ほめる側にも、同調性がなければならない。そこでつぎ
のことに注意するとよい。

○おせじ的なほめ方はしない。へつらわない。機嫌をとらない。
○子どもに同調するために、こちら側のレベルもあげる。子どもをほめるときには、なぜほめ
るかという理由を、はっきりともつ。「レベルをあげる」というのは、ほめる側も、それなりの知識
をもつということ。具体的には、なぜほめるか、その理由を、しっかりと子どもに伝えられるよう
にするとよい。「あなたの絵は、見る人をほっとさせるような、やさしさがあるわ。そういうところ
が、審査員の先生たちの心をとらえたのね」と。
○好意には、下心をもたない。心底、無の状態で、子どもをほめる。親にとっては、なかなかむ
ずかしいことかもしれないだが、努めて、そうする。

このように「好意の返報性」といっても、奥が深い。家庭で子どもを指導するときの、一つのコツ
として覚えておくと、役にたつ。
(030407)

     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
賢い人、愚かな人

 どんな山にも登ってみるものだ。低い山だと思ってみても、登ってみると意外と視野が広い。
たとえば浜松市の北西に舘山寺温泉という温泉街がある。その温泉街の反対側に、小さな湖
をはさんで大草山という山がある。ロープウエィで一〇分足らずで登れる小さな山だが、そんな
山でも浜松市はもちろんのこと、遠くは太平洋すら一望できる。

 人もそうだ。どんなささいなことでもよい。賢くなった状態から、そうでない人を見ると、その人
の愚かさがぐんとよくわかる。しかし愚かな人にはそれがわからない。対等だと思っている。も
っとはっきり言えば、賢い人には愚かな人がわかるが、愚かな人には賢い人がわからない。

 ……と考えて、実は人は、もちろん私も、賢い部分と愚かな部分をいつも同時にもっている。
さらに賢いか愚かかということは、あくまでも相対的なものでしかない。私より賢い人はいくらで
もいる。つまり私が賢いと思っているのは、それは愚かな人に対してだけである。一方、そうい
う私を愚かだと思っている人はいくらでもいる。

たとえば同じAさんならAさんとくらべても、「この部分はAさんより賢いぞ」と思う部分もあれば、
「そうでない」という部分もある。さらに自分のことについても、同じことが言える。何か新しいこ
とがわかったとする。すると、それまでの自分が愚かに見えることがある。それは無数の道を
同時に走るマラソンのようなものだ。一本の道をマラソンで走るなら、Aさんが一番、Bさんが二
番と、その順位がよくわかる。だれが賢くて、だれがそうでないか、よくわかる。が、無数の道を
同時に走ったら、それはわからない。少し入り組んだ話になってしまったが、要は、いかにして
人は賢くなるかということ。

 方法はいくらでもある。しかしここで重要なことは、技術や知識では人は賢くならないというこ
と。いくらすぐれた技術にたけていたとしても、また世界中の科学者の名前を知っていたとして
も、それは「賢い」とは言わない。もっとわかりやすい例で言えばこうだ。たとえば一人の幼稚
園児が、剣玉をスイスイとしてみせても、また掛け算の九九をソラでペラペラと言っても、賢い
子どもとは言わない。となると、人の賢さは何によって決まるかということ。ここが重要だ。一つ
の方法としては、人間が本来的にもっている「愚かさ」を、徹底的に追及するという方法があ
る。その愚かさを追及することによって、他方で賢さを浮かびあがらせる。

 たとえば夜の繁華街を歩く。そこにはケバケバしいネオンサインが立ち並び、遊ぶ男と遊ぶ
女が、あたかもゾンビのように動き回っている。せっかくすばらしい健康と、明晰(めいせき)な
頭脳をもちながら、彼らは流れ行く「時」を、流れていくままムダにしている。あるいは威圧や暴
力を売り物にして、他人から金銭をまきあげている人がいる。ウソやゴマカシばかりをして、コ
ソコソと生きている人がいる。もっと身近な例では、空き缶やゴミを空き地へ平気で捨てていく
人がいる。こういう行為に愚かさの原型があるとするなら、賢くなるためには、そうした世界か
らの脱却をめざせばよい。しかしここ別の問題が起きる。仮に脱却するとしても、学校の先生
が子どもたちに校則のようにあたえるような、教条主義ではいけない。一つ、夜遊びはしないこ
と。二つ、暴力を振るわないこと。三つ、ウソはつかないこと。四つ、ゴミを捨てないこと、と。

 こうした教条を守る人は、一見賢い人に見えるかもしれないが、しかし賢い人とは言わない。
人の賢さというのは、もっと根源的なもので、その人の底辺から上に向かって湧き出るようなも
のをいう。つまりそういう「教え」があるからするのではなく、「自らがつかんだ知恵」によってし
なければならない。「知性」や「智慧」と言ってもよい。問題のすべては、ここに集まる。「自らが
つかんだ知恵」だ。(再)
 
++++++++++++++++
以前掲載した原稿を、再掲載します。
以前、お読みくださった方は、とば
してください。
++++++++++++++++

知識と思考を区別せよ!

思考と情報を混同するとき 

●人間は考えるアシである
パスカルは、『人間は考えるアシである』(パンセ)と言った。『思考が人間の偉大さをなす』と
も。よく誤解されるが、「考える」ということと、頭の中の情報を加工して、外に出すというのは、
別のことである。たとえばこんな会話。

A「昼に何を食べる?」
B「スパゲティはどう?」
A「いいね。どこの店にする?」
B「今度できた、角の店はどう?」
A「ああ、あそこか。そう言えば、誰かもあの店のスパゲティはおいしいと話していたな」と。

 この中でAとBは、一見考えてものをしゃべっているようにみえるが、その実、この二人は何も
考えていない。脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話として外に取り出し
ているにすぎない。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。たとえば一人の園児が掛け算の
九九を、ペラペラと言ったとする。しかしだからといって、その園児は頭がよいということにはな
らない。算数ができるということにはならない。

●考えることには苦痛がともなう
 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、無意識のうちに
も、考えることを避けようとする。できるなら考えないですまそうとする。中には考えることを他
人に任せてしまう人がいる。あるカルト教団に属する信者と、こんな会話をしたことがある。

私が「あなたは指導者の話を、少しは疑ってみてはどうですか」と言ったときのこと。その人は
こう言った。「C先生は、何万冊もの本を読んでおられる。まちがいは、ない」と。

●人間は思考するから人間
 人間は、考えるから人間である。懸命に考えること自体に意味がある。デカルトも、『われ思
う、ゆえにわれあり』(方法序説)という有名な言葉を残している。正しいとか、まちがっていると
かいう判断は、それをすること自体、まちがっている。こんなことがあった。ある朝幼稚園へ行
くと、一人の園児が、わき目もふらずに穴を掘っていた。「何をしているの?」と声をかけると、
「石の赤ちゃんをさがしている」と。その子どもは、石は土の中から生まれるものだと思ってい
た。おとなから見れば、幼稚な行為かもしれないが、その子どもは子どもなりに、懸命に考え
て、そうしていた。つまりそれこそが、パスカルのいう「人間の偉大さ」なのである。

●知識と思考は別のもの
 多くの親たちは、知識と思考を混同している。混同したまま、子どもに知識を身につけさせる
ことが教育だと誤解している。「ほら算数教室」「ほら英語教室」と。それがムダだとは思わない
が、しかしこういう教育観は、一方でもっと大切なものを犠牲にしてしまう。かえって子どもから
考えるという習慣を奪ってしまう。もっと言えば、賢い子どもというのは、自分で考える力のある
子どもをいう。いくら知識があっても、自分で考える力のない子どもは、賢い子どもとは言わな
い。頭のよし悪しも関係ない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母はこう言ってい
る。「バカなことをする人のことを、バカというのよ。(頭じゃないのよ)」と。ここをまちがえると、
教育の柱そのものがゆがんでくる。私はそれを心配する。

(付記)
●日本の教育の最大の欠陥は、子どもたちに考えさせないこと。明治の昔から、「詰め込み教
育」が基本になっている。さらにそのルーツと言えば、寺子屋教育であり、各宗派の本山教育
である。つまり日本の教育は、徹底した上意下達方式のもと、知識を一方的に詰め込み、画
一的な子どもをつくるのが基本になっている。もっと言えば「従順でもの言わぬ民」づくりが基本
になっている。戦後、日本の教育は大きく変わったとされるが、その流れは今もそれほど変わ
っていない。日本人の多くは、そういうのが教育であると思い込まされているが、それこそ世界
の非常識。ロンドン大学の森嶋通夫名誉教授も、「日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育
である。自分で考え、自分で判断する訓練がもっとも欠如している。自分で考え、横並びでない
自己判断のできる人間を育てなければ、二〇五〇年の日本は本当にダメになる」(「コウとうけ
ん」・九八年)と警告している。

●低俗化する夜の番組
 夜のバラエティ番組を見ていると、司会者たちがペラペラと調子のよいことをしゃべっている
のがわかる。しかし彼らもまた、脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話と
して外に取り出しているにすぎない。一見考えているように見えるが、やはりその実、何も考え
ていない。思考というのは、本文にも書いたように、それ自体、ある種の苦痛がともなう。人に
よっては本当に頭が痛くなることもある。また考えたからといって、結論や答が出るとは限らな
い。そのため考えるだけでイライラしたり、不快になったりする人もいる。だから大半の人は、
考えること自体を避けようとする。

 ただ考えるといっても、浅い深いはある。さらに同じことを繰り返して考えるということもある。
私のばあいは、文を書くという方法で、できるだけ深く考えるようにしている。また文にして残す
という方法で、できるだけ同じことを繰り返し考えないようにしている。私にとって生きるというこ
とは、考えること。考えるということは、書くこと。モンテーニュ(フランスの哲学者、一五三三〜
九二)も、「『考える』という言葉を聞くが、私は何か書いているときのほか、考えたことはない」
(随想録)と書いている。ものを書くということには、そういう意味も含まれる。

°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ
°◎_/ ̄⌒―――∩
 ///―――――∫           
⊂⊂/      ∫      無断で、転送、引用、転載は、なさらないでください。
         ∫              よろしくご協力ください。       
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●健康論

 何か体の不調が現れると、私はまず第一に、「この症状は以前にもあったか?」と自問する。
そして以前にもあった症状なら、それで安心し、そうでなければ不安になる。いや、ときどき以
前にもあったはずなのに、それを思い出せないときがある。少し前も昼になって鏡を見たら、目
の眼白がまっかだった。理由はわからないが、結膜出血である。とたん、言いようのない不安
感が私を包んだ。遠い昔、同じような症状があったはずだが、どうも思い出せない。女房に聞く
と、「ほら、前にもあったでしょ」と笑ったが、私は笑えない。

 賢明な人は、健康の価値を、それをなくす前に気づく。愚かな人はその価値を、なくしてから
気づく。『健康は第一の富である』と言ったのは、あのエマーソンだが、たしかに健康はすべて
の財産にまさる。いや、中には金銭的な財産をなくして、自ら命を断つ人もいる。が、しかしこう
いうことは言える。「死を前にしたら、すべての財産が無価値になる」と。健康あっての財産であ
る。健康あっての生活であり、健康あっての仕事である。……というようなことは頭の中でもわ
かっている。問題はこのことではなく、その先である。では、健康であればよいのかというと、そ
うでもない。

健康というのは、何かの目的のために有意義に使ってはじめて価値がでる。極端な言い方だ
が、ただ無益に生きても、意味はない。むしろ生きるということを考えるなら、死の恐怖を目前
に感じていたほうが、生きる意味が鮮明にわかる。もっとはっきり言えば、健康と「生きる」こと
は別物である。健康だから生きていることにはならないし、死が近いから生きていないことには
ならない。実はここが重要な点だ。

私の家の近くに、小さな空き地がある。そこは老人たちのかっこうの溜まり場になっている。う
ららかな春の日ともなると、いつも七〜八人の老人たちが、何かをするでもなし、しないでもな
し、一日中何やら話し込んでいる。のどかな光景だが、しかしそれがあるべき老人の姿なの
か? 竹の子の季節になると、交替で見張り番をしている。昨年も私が不用意にその竹やぶ
に入ったら、いきなり一人の老人が飛び出してきて、「お前は、どこのバカだ!」と叫んだ。そう
した老人たちが健康なのかどうかは、外からはわからないが、生きているかどうかという視点
でみると、それは疑わしい。

生きるということは、日々の生活の中で前進することだ。もし今日が昨日と同じ。明日は今日と
同じということになったら、その人はもう「生きていない」ということになる。健康であるとかないと
かいうことは、関係ない。若いとか老人であるとかいうことも関係ない。言い方を換えるなら、若
い人でも「生きていない」人はいくらでもいる。老人でも、あるいは重病人でも「生きている」人は
いくらでもいる。

もちろん健康であることにこしたことはないが、しかし健康は「生きること」の前提ではない。い
わば健康は、その人が当然大切にすべきものであるのに対して、「生きること」は、その人の
心の問題である。わかりやすく言えば、健康はハード、生きることはソフトということになる。いく
らすばらしいハードをもっていても、ソフトがなければ、パソコンにたとえて言うなら、ただの
「箱」。少なくとも私はそういう人生には耐えられない。

……と書いて、私のことだが、私はもう二〇代の後半から自転車通勤を欠かしたことがない。
真冬の寒い夜でも、あるいは多少小雨がパラつくときも、自転車通勤を欠かしたことがない。
健康のためという意識はあまりなかったが、それを欠かすと、とたんに体の調子が悪くなる。一
方、同年齢と思われる男たちが、乗用車で私を追い越したりすると、「いいのかなあ」と思った
りする。健康というのは、それがしっかりとある間から守ってはじめて守れる。病気になってか
ら健康を考えても遅い。老人に近づいてから健康を考えても遅い。そういう意味で、「もっと運
動をしなくてもいいのかなあ」と思った。

で、今、おかげでというか、多少の持病はあるにはあるが、しかし成人病とは無縁だし、生涯に
おいて、病院のベッドで眠ったことは一度もない。しかしそれでも不安はある。冒頭に書いたよ
うに、今までに経験したことがない症状が出たりすると、「ハッ」と思う。とくに私は不安神経症
のところがある。いちどそれが気になると、ずっとそれが気になる。「このまま失明したらどうし
ょう」とか、「もっと悪い病気で、眼球摘出ということにでもなったらどうしよう」とか。が、内心の
どこかで、「そんなはずはない。お前は健康には気を配ってきたではないか」と思いなおして、
それを打ち消す。……打ち消すことができる。そのために二六年間も自転車通勤を続けてき
たのだ!

と、書いて、しかしそこにそれでは満足できない自分を知る。健康でない人には、たいへんぜい
たくな話かもしれないが、「だからどうなの?」という問題に、そこでぶつかってしまう。たとえば
今私は、最新型のパソコンをもっている。ペンチアム四の二ギガヘルツのすごいパソコンだ。し
かしワープロで使う程度なら、実のところこんなすごいパソコンはいらない。一昔前の中古パソ
コンでも、じゅうぶんだ。もちろん最新型であることはすばらしいことだが、健康もそれに似てい
る。「だからどうなのか?」という部分を煮詰めないと、健康論もただの健康論で終わってしま
う。

話が繰り返しになってきたので、ここで私の健康論はやめる。ただ私にもわかっている。今あ
る健康にしても、それは薄い氷の上に建つ城のようなものだということ、を。また健康をなくせ
ば、当然心も影響を受けて、まともに考えられなくなるということ、をも。そういう意味で、私にと
っては「健康である」ことと、「生きる」ことは競争のようなものだ。時間との勝負といってもよい。
この「健康な」状態はいつまで続くかわからない。五年か、一〇年か。それとも一年か。私はそ
の間に生きなければならない。一歩でも二歩でも、前に進まねばならない。まだまだ知りたいこ
とは山のようにある。少なくとも空き地にたむろして、竹の子の見張り番をするようなことだけは
したくない。そしてとてもぜいたくな言い方に聞こえるかもしれないが、そのための健康であると
するなら、私は健康なんかいらない。(再)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

私がおかしいのか?

●よかった?

 イラク戦争で、がぜんアメリカが優勢になってきた。このところ朝、起きると、一番にテレビに
スイッチを入れる。その日のニュースを見る(四月八日)。

 私は今度の戦争について、開戦前は、「開戦は思いとどまったほうがよい」「アメリカは、もう
少し待って、国連による査察の様子みたほうがよい」と考えていた。しかし始まってしまってから
は、「アメリカに早く勝ってほしい」「早く終わればいい」と考えるようになった。そんな私だから、
それから三週間足らずで、アメリカ軍が、フセイン大統領の宮殿に進駐したことについて、よか
ったと思っている。

 が、ここで大きな問題にぶつかった。「よかった」という言い方をしてよいものか、どうかという
問題である。

 そこで報道番組に出てくる、コメンテーターの意見に耳を傾けてみた。しかし、だ。だれ一人と
して、「よかった」と言う人がいない。「アメリカ軍による大量殺戮(さつりく)」「大義名分のない戦
争」「ここらでもう一度、今回の戦争を洗いなおしてみる必要がある」(四月八日朝のワイドショ
ー各局)と。中には、「イスラエルも査察すべきですね」「アメリカだって、数万発の核兵器をもっ
ているわけだから、偉そうなことは言えない」という意見もあった。

 そこで私は、考えてしまった。私がおかしいのか、それとも、みなが、おかしいのか、と。しか
しどう心の中をさまよってみても、私は「よかった」と思う気持ちが消えない。戦争に賛成してい
るわけではないが、しかし宮殿の中庭で寝そべっている二人のアメリカ兵の姿が、画面にうつ
し出されたとき、「よかった」と、思った。ワイフとこんな会話をした。

私「ぼくが、おかしいのか?」
ワ「私も、よかったと思っているわ」
私「しかし、だれも、そんなこと言わないよ」
ワ「そう言えば、そうね。おかしいわね」
私「戦争と病気は、似ている」
ワ「どう?」
私「病気になる前は、病気にならないように、あれこれ気をつかう。しかしね、病気になったら、
今度は、早く治ることを考える。で、早く治れば、よかったと思う。ぼくの気持ちは、それに近い」
と。

 日本はアメリカの同盟国になっている。日本の自衛隊も、ペルシャ湾に派遣されている。危
険度は小さいとはいえ、危険は危険。そういう現実の中で、まるでアメリカが勝ってはいけない
ような論調ばかりが目立つ。どうしてか? もし仮に、今度の戦争が泥沼にでも入っていたとし
たら、こうしたコメンテーターたちは、「それみろ!」とばかり、アメリカをこきおろすに違いない。
 
●変化した私の平和主義

 私は正直に告白するが、今回の北朝鮮による核開発問題が起きてから、平和に対する考え
方が、大きく変わってしまった。それまでは、「他国と仲よくするのが平和主義」「他国を侵略し
ないのが平和主義」と考えていた。

 しかし現実は、そんな甘いものではない。北朝鮮は、明らかに日本攻撃を企てている。ミサイ
ルをもち、そのミサイルに載せる核兵器を開発している。彼らにも彼らなりの理由があるのだ
ろう。そういう理由や、過去のいきさつがどうであれ、しかし私は、それを許さない。絶対に、許
さない。

 北朝鮮がふつうの国なら、まだ話しあいということも考えられるが、しかし北朝鮮は、金XXに
よる独裁国家。ああいう国や、ああいう指導者には、まともな論理は通じない。その金XXとや
ることなすこと、何から何までよく似ているのが、イラクのフセイン大統領。それに、もし、フセイ
ン大統領のような独裁者が、中東の原油を牛耳るようになったら、その影響を一番受けるの
は、ほからならぬ、この日本なのである。たとえばもし、あのとき、つまり先の湾岸戦争で、イラ
クがクウェートを併合していたとしたら、あの地域はどうなっていたかを、ほんの少しだけ、頭の
中で想像してみればよい。日本は、そのあとも、今と同じように、クウェートから石油を輸入でき
ていただろうか。

 こうした私に対して、「相手がだれであろうとも、石油は買えばいい。中東と日本は離れてい
る。日本には関係ない」という意見もある。しかしもしそういう論理がまかりとおるなら、逆に、ヨ
ーロッパ各国が、「北朝鮮とヨーロッパは離れている。ヨーロッパには関係ない」「北朝鮮がミサ
イルや核兵器を開発しても、私たちには関係ない」と言ったとしても、日本は、何も文句を言え
ないことになる。

●アメリカだけが同盟国?

 悲しいかな、今という現状の中で、ゆいいつ日本を同盟国と認めてくれるのは、アメリカしか
いない。ブッシュ大統領には、いろいろ言いたいこともあるが、あのブッシュ大統領は、「同盟
国(日本)が、大量破壊兵器(核兵器など)で攻撃されたら、同盟国(日本)を守るために、アメ
リカはただちに報復する」(〇二年末)と言ってくれた。本当にそうしてくれるかどうかは別とし
て、「大統領のこの言葉が、北朝鮮に対して、たいへんな抑止力になっているのは事実」(小泉
首相)。

日本という国は、アジアの中では、アメリカ以上に嫌われている。なぜ、嫌われているかという
ことについて、その理由など、ここに改めて書くまでもない。あるいは、日本が核攻撃されたと
き、中国やロシアは、北朝鮮を制裁してくれるとでもいうのだろうか。韓国にいたっては、北朝
鮮といっしょになって、日本に攻めこんでくるかもしれない。

 そういうアメリカが、今、体を張って、イラクと戦争をしている。だれだって戦争などいやだ。こ
の気持ちは、アメリカ人も同じだろう。しかしいやだという論理だけで、戦争反対を訴えても意
味がない。意味がないことは、今の日本と北朝鮮の関係をみればわかる。

 「日本と北朝鮮が戦争になれば、韓国は、日本の味方をしてくれるの?」とワイフ。
 「それはありえない。韓国はむしろ、北朝鮮の側に立つ」と私。
 「……北朝鮮が核兵器をもったら、日本は、北朝鮮の言いなりね」
 「まさに、そのとおりだ。日本は何もできなくなる。あるいは本当に攻撃されるかもしれない」
 「そうなっては困るわ」
 「そうだ。だから今は、アメリカにはがんばってもらうしかない」

 こういう感想をもつ、私がおかしいのか? 「よかった」と思う、私がおかしいのか? 今日も
また、アメリカ人の知人のRK氏に、つぎのようなメールを書いた。

 「日本の報道各社は、アメリカの勝利は目前と報道しています。喜んでいます。早くこの戦争
が終わり、ほかのアメリカ人たちが、無事、イラクから戻ってくることを心から願っています」と。
(030408)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

『戦場のピアニスト』(映画)

 エイドリアン・ブロディ主演の『戦場のピアニスト』を、劇場で見てきた。すばらしい映画だっ
た。最初から最後まで、ハラハラさせられっぱなしだったが、その一方で、あれこれ考えさせら
れる映画だった。実話にもとづいているという。監督のロマン・ポランスキー自身の体験も織り
込まれているという。見ていて、それだけに迫力のある映画だった。全編を通して、あちこちに
流れるショパンの名曲の数々もすばらしかった。家に帰ってから、改めて、CDを聞きなおし
た。

 見終わってから、ワイフが、こう言った。「ドイツは、なぜあんなひどいことをしたのかしら?」
と。それを聞いて、私は以前書いた原稿を思い出した。つぎの原稿が、それである(末尾に添
付)。

 ただ敗戦と同時に、ドイツは連合国によってバラバラに解体されてしまった。まったくあとかた
もないほどまでに、だ。「ヨーロッパのドイツ化をめざしたドイツは、戦後は、完全にヨーロッパ
化された」と説明する学者もいる。

 一方、日本は、ほとんどそのまま、戦後に引き継がれた。たとえば旧文部省にしても、あれほ
どまでの軍国主義教育を推し進めてきたにもかかわらず、戦前から戦後にかけて、クビになっ
た文部官僚は一人もいない。それが日本にとってよかったのか悪かったのかという話は別とし
て、ドイツと日本が、戦後、まったく別の道を歩むようになった理由は、ここにある。

 つまりドイツは、ヨーロッパに対して、はっきりと責任をとった形で、戦後復興を始めた。かた
や日本は、責任の所在そのものを、あいまいにしたまま、戦後復興を始めた。そのせいかどう
かは知らないが、今でも、日本人の中には、「日本の(中国や朝鮮に対する)植民地政策は、
正しかった」と主張する人は、多い。

 『戦場のピアニスト』は、映画だから、ある部分は誇張され、またある部分はそうでないかもし
れない。しかし映画とはいえ、あまりの残虐さに、映画であることを忘れ、私はときどき目を伏
せてしまった。そのため、そのつど映画の主題そのものが、どこかへ飛んでしまったのは残念
だった。

 すばらしい映画だったが、正直言って、そんなわけで見終わったあとの感じは、あまりよくな
かった。アカデミー賞(脚本賞、主演男優賞)を受賞した作品ではあるが、娯楽としてみる映画
ではない。たとえば数年前に大ヒットした、『タイタニック』のような心地よさは、感じなかった。
「もう一度見たいか?」と聞かれたら、私は「ノー」と答えるだろう。『戦場のピアニスト』は、私に
とっては、そういう映画だった。
(030408)

++++++++++++++++++++++

●日本はだいじょうぶか?

 ……そこでこんな仮定をしてみよう。仮に、だ。仮にこの日本に、一〇〇万単位の外国人不
法入国者がやってくるようになったとしよう。そしてそれらの不法入国者が、もちまえの勤勉さ
で、日本の経済を動かすまでになったとしよう。さらに不法入国者が不法入国者を呼び、日本
の人口の何割かを占めるようになったとしよう。そしてあなたの隣に住み、あなたよりリッチな
生活をし始めたとしよう。もうそのころになると、日本の経済も、彼らを無視するわけにいかな
い。

が、彼らは日本に同化せず、彼らの国の言葉を話し、彼らの宗教を信じ、さらに税金もしっかり
と払わないとする。そのとき、だ。もしそうなったら、あなたならどうする? あなた自身のことと
して考えてみてほしい。あなたはそれでも平静でいられるだろうか。ヒットラーが政権を取ったこ
ろのドイツは、まさにそういう状況だった。つまり私が言いたいことは、あのドイツですら、狂っ
たということ。この日本が狂わないという保証はどこにもない

++++++++++++++++++++++

●戦争の責任論

 日本政府は戦後、一貫して自らの戦争責任を認めていない。責任論ということになると、その
責任は、天皇まで行ってしまう。象徴天皇を憲法にいだく日本としては、これは誠に都合が悪
い。そこで戦後、政府は、たとえば「一億総ざんげ」という言葉を使って、その責任を国民に押
しつけた。戦争責任は時の政府にではなく、国民にあるとしたわけである。が、それでは「日本
はますます国際社会から孤立し、近隣諸国との友好関係は維持できなくなってしまう」(小泉総
理大臣)。そこで、二〇〇一年の八月、小泉総理大臣は、「先の大戦で、わが国は、多くの
国々、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」(第五六回全国戦没者追悼
式)と述べ、「わが国」という言葉を使って、その戦争責任(加害主体)は「政府」にあることを、
戦後はじめて認めた。が、しかし戦後、六〇年近くもたってからというのでは、あまりにも遅すぎ
る。

(参考)
 この「平和教育を語るとき」の原稿と同時に書いたのが、次の「杉原千畝副領事のビザ発給
事件」である。

●杉原千畝副領事のビザ発給事件 C
 「一九四〇年、カウナス(当時のリトアニアの首都)領事館の杉原千畝副領事は、ナチスの迫
害から逃れるために日本の通過を求めたユダヤ人六〇〇〇人に対して、ビザ(査証)を発給し
た。これに対して一九八五年、イスラエル政府から、ユダヤ建国に尽くした外国人に与えられ
る勲章、『諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)』を授与された」(郵政省発行二〇世紀
デザイン切手第九集より)。

●たたえること自体、偽善
 ナチス・ドイツは、ヨーロッパ全土で、一一〇〇万人のユダヤ人虐殺を計画。結果、アウシュ
ビッツの「ユダヤ人絶滅工場」だけでも、ソ連軍による解放時までに、約四〇〇万人ものユダ
ヤ人が虐殺されたとされる。杉原千畝副領事によるビザ発給事件は、そういう過程の中で起き
たものだが、日本人はこの事件を、戦時中を飾る美談としてたたえる。郵政省発行の記念切
手にもなったことからも、それがわかる。が、しかし、この事件をたたえること自体、日本にとっ
ては偽善そのものと言ってよい。

●杉原副領事のしたことは、越権行為?
 当時日本とドイツは、日独防共協定(一九三六年)、日独伊防共協定(三七年)を結んだあ
と、日独伊三国同盟(四〇年)まで結んでいる。こうした流れからもわかるように、杉原副領事
のした行為は、まさに越権行為。日本政府への背信行為であるのみならず、軍事同盟の協定
違反の疑いすらある。杉原副領事のした行為を正当化するということは、当時の日本政府がし
たことはまちがっていると言うに等しい。その「まちがっている」という部分を取りあげないで、今
になって杉原副領事を善人としてたたえるのは、まさに偽善。

いやこう書くからといって、私は杉原副領事のした行為がまちがっていたというのではない。問
題は、その先と言ったらとよいのか、その中味である。当時の日本といえば、ドイツ以上にドイ
ツ的だった。しかも今になっても、その体質はほとんど変わっていない。どこかで日本があの戦
争を反省したとか、あるいは戦争責任を誰かに追及したというのであれば、話はわかる。そう
した事実がまったくないまま、杉原副領事のした行為をたたえるというのは、「今の日本人と戦
争をした日本人は、別の人種です」と言うのと同じくらい、おかしなことなのだ。

●日本はだいじょうぶか?
 そこでこんな仮定をしてみよう。仮に、だ。仮にこの日本に、一〇〇万単位の外国人不法入
国者がやってくるようになったとしよう。そしてそれらの不法入国者が、もちまえの勤勉さで、日
本の経済を動かすまでになったとしよう。さらに不法入国者が不法入国者を呼び、日本の人口
の何割かを占めるようになったとしよう。そしてあなたの隣に住み、あなたよりリッチな生活をし
始めたとしよう。もうそのころになると、日本の経済も、彼らを無視するわけにいかない。

が、彼らは日本に同化せず、彼らの国の言葉を話し、彼らの宗教を信じ、さらに税金もしっかり
と払わないとする。そのとき、だ。もしそうなったら、あなたならどうする? あなた自身のことと
して考えてみてほしい。あなたはそれでも平静でいられるだろうか。ヒットラーが政権を取ったこ
ろのドイツは、まさにそういう状況だった。つまり私が言いたいことは、あのドイツですら、狂っ
たということ。この日本が狂わないという保証はどこにもない。現に二〇〇〇年の夏、東京都
の石原都知事は、「第三国発言」をして、物議をかもした。そして具体的に自衛隊を使った、総
合(治安)防災訓練までしている(二〇〇〇年九月)。石原都知事のような日本を代表する文化
人ですら、そうなのだ。

●「日本の発展はこれ以上望めない」
 ついでながら石原都知事の発言を受けて、アメリカのCNNは、次のように報道している。「日
本人に『ワレワレ』意識があるうちは、日本の発展はこれ以上望めない」と。そしてそれを受け
てその直後、アメリカのクリントン大統領は、「アメリカはすべての国からの移民を認める」と宣
言した。日本へのあてこすりともとれるが、日本が杉原副知事をたたえるのは、あくまでも結果
論。チグハグな日本の姿勢を見ていると、どうもすっきりしない。

石原都知事の発言は、「私たち日本人も、外国で同じように差別されても文句は言いません
よ」と言っているのに等しい。多くの経済学者は、二〇一五年には日本と中国の経済的立場は
逆転するだろうと予測している。そうなればなったで、今度は日本人が中国へ出稼ぎに行かね
ばならない。そういうことも考えながら、この杉原千畝副領事によるビザ発給事件、さらには石
原都知事の発言を考える必要があるのではないだろうか。

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞








件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■4-18-2A

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

こだわる人たち

 家柄や学歴にこだわる人は多い。地位や肩書きにこだわる人も多い。人はそれぞれだが、
この「こだわり」が強ければ強いほど、現実の自分を見失う。言うならばこれらはバーチャル
(仮想現実)の世界。そういうものにこだわっている人は、テレビゲームに夢中になっている子
どもと、どこも違いはしない。あるいはどこがどう違うというのか。

 人は生きるために食べる。食べるために働き、仕事をする。それが人間の原点だ。生きる本
分だ。しかしバーチャルな世界に生きている人にはそれがわからない。仕事をするために生き
ている。中には仕事のために生きることそのものを犠牲にする人さえいる。いや、仕事がムダ
と言っているのではない。要は「今」をどう生きるかであり、その本分を忘れてはいけないという
こと。こんな人がいる。

 マクドナルドといえば、世界最大のハンバーガーチェーンだが、その創始者は、R・マクドナル
ド氏。九八年の七月に八九歳でなくなっているが、その少し前、彼はテレビのインタビューに答
えてこう言っている。氏は、一九四〇年にハンバーガーショップを始めたが、それからまもなく、
一九五〇年にはレストランの権利を、R・クロウ氏に売り渡している。それについて、レポーター
が、「損をしたと思いませんか」と聞いたときのこと。「もしあのままあの会社にいたら、今ごろは
ニューヨークのオフィスで、弁護士と会計士に囲まれて、つまらない生活をしていることでしょ
う。(農場でのんびりと暮らしている)今の生活のほうが、ずっと幸せです」と。

 子どもの教育も同じ。たしかにこの日本には学歴社会があり、それにまつわる受験競争もあ
る。それはそれだが、ではなぜ私たちが子どもを教育するかといえば、心豊かで幸福な生活を
送ってほしいからだ。その本分を忘れてはいけない。その本分を忘れると、学歴や受験のため
に子育てをすることになってしまう。言うなれば教育そのものをゲーム化してしまう。そして本来
大切にすべきものを粗末にし、本来大切でないものを、大切だと思い込んでしまう。しかしそれ
は同時に、子ども自身が子どもの人生を見失うことになる。

 先日も姉(六〇歳)と話したら、こんなことを言った。このところ姉の友だちがポツリポツリとな
くなっていくという。それについて、「どの人も仕事だけが人生のような人だった。何のために生
きてきたのかねえ」と。生きる本分を忘れた人の生き様は、それ自体、さみしいものだ。その人
が生きたはずの「人生」がどこからも浮かびあがってこない。それこそ「ただ生きた」というだけ
になってしまう。それともあなたは、あなたの子どもにそういう人生を送らせたいと思っている
か。いやいやその前に、あなた自身は生きる本分を忘れないで生きているだろうか。一度、自
問してみてほしい。(再)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
迎合主義

 四月九日、イラクのバグダットに侵攻したアメリカ軍は、バグダットのほぼ全域をその支配下
においた。朝のテレビ報道を見ていると、例によって例のごとく、コメンテーターたちは、安っぽ
い平和論をふりかざしながら、さも深刻そうな顔で、戦争を批判していた。

 が、一転、今度は、ニューヨーク・ヤンキーズに移籍した松井選手が、満塁ホームランを打っ
たというニュースにかわった。とたん、それまでの深刻な顔を吹き飛ばし、立ち並んだコメンテ
ーターたちが、一斉に、「ヤッター!」と飛びあがった。司会者と女性、それに丸い虫メガネのよ
うなメガネをかけたコメンテーターの、三人だった。

 私はふと、こんな意地悪なことを考えた。こういうとき、もし「私はプロ野球には興味はありま
せんからと言ったら、どうなるか」と。しかしそれにしても、彼らの感情の切りかえの早さには、
驚いた。私は一視聴者にすぎないが、それでもとてもああまで早くは、感情を切りかえることが
できない。「戦争」という、限りなく深刻なテーマを考えたあと、松井選手のニュースになったとた
ん、小おどりしてみせる……。私は、そのとき、ふと、「ああ、この人たちも、結局は、踊らされ
ているだけだ」と思った。

 ……実のところ、こう書く私は、すぐ相手の意見に合わせてしまうようなところがある。こういう
のを迎合主義という。私はいつからか、そういう自分がいやになり、そうであってはいけないと
思うようになった。しかしその迎合主義的な体質が、私から消えたわけではない。今でも、油断
すると、自分の主義主張を、平気でねじまげてしまう。ときどき、「私には、主義主張がないの
かもしれない」と思うことさえある。

 彼ら三人が、満面に笑顔を浮かべているのを見ながら、「この人たちは、本当に、そうまでう
れしいのか」と思った。同時に、つい先ほどまで、戦争の問題を、深刻そうに話していたが、同
じように、「本当に、深刻に思っていたのか」と思った。私がそうであるから、彼らも、そうである
とは思いたくないが、ひょっとしたら彼らは、そのときどきに、視聴者という相手に迎合している
だけかもしれない。

 まさか、戦争の話のとき、「アメリカ軍が勝ちそうでよかったですね」とは、言えない。それは
わかる。一方、松井選手の話のとき、「たかがボールのゲームでしょう」とも、言えない。それも
わかる。私は三人のコメンテーターたちを見ながら、そしてそこに自分自身のことを重ねなが
ら、別のところ、「どうして日本人は、みな、こうまで迎合主義なんだろう」と思った。

 昔から日本では、「長いものには巻かれろ」と教える。その前は、聖徳太子ですら、「和を以っ
て貴しと為す」と言っている。日本人独特の、集団帰属意識が、こうした言葉に集約されてい
る。そうした傾向は、実は、子どもの世界でも、よく見られる。以前、ポケモンが全盛期のころ、
「ピカチュウのどこがかわいいの?」と言っただけで、私は子どもたちの袋だたきにあってしま
った。

 みなと同じことをしていれば、この日本は、安全。すごしやすい。しかしみなと変わったことを
したとたん、集団そのものから排斥されてしまう。冒頭にあげた三人のコメンテーターとて例外
ではない。ちょうど相撲や歌舞伎のように、ある一定の「形」が決まって、その形の中で動いて
いるだけ。戦争の話になったら、適当にマユをしかめて見せる。そして松井選手の話になった
ら、パッと表情を明るくして見せる。そういう「形」に、自分たちを、まさに「迎合」させている。

 そこで改めて「個性とは何か」について、考えてみる。あのマーク・トーウェン(「トム・ソーヤ」
の著者、一八三五〜一九一〇)も、こう書いている。「人と同じことをしていると感じたら、自分
が変わるとき」と。
 
 さあて、私は、どうしようか。あえて、私は、アメリカ軍が勝っていることを喜んで見せようか。
松井選手の活躍には、無視して見せようか。(いや、本当は気になるが、小躍りして喜ぶような
ニュースではない。ヤンキーズが勝っても負けても、松井選手が活躍すればそれでよいという
応援のし方は、まさに島国的! 私には、こうした日本人の心理が、どうにもこうにも、理解で
きない。ホント!)

 聖徳太子で思い出したのが、つぎの原稿。以前、こんな原稿を書いた。

+++++++++++++++++++++++
 
『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』

●密度の濃い人生
 時間はみな、平等に与えられる。しかしその時間をどう、使うかは、個人の問題。使い方によ
っては、濃い人生にも、薄い人生にもなる。

 濃い人生とは、前向きに、いつも新しい分野に挑戦し、ほどよい緊張感のある人生をいう。薄
い人生というのは、毎日無難に、同じことを繰り返しながら、ただその日を生きているだけとい
う人生をいう。人生が濃ければ濃いほど、記憶に残り、そしてその人に充実感を与える。

 そういう意味で、懸命に、無我夢中で生きている人は、それだけで美しい。しかし生きる目的
も希望もなく、自分のささいな過去にぶらさがり、なくすことだけを恐れて悶々と生きている人
は、それだけで見苦しい。こんな人がいる。

 先日、三〇年ぶりに会ったのだが、しばらく話してみると、私は「?」と思ってしまった。同じよ
うに三〇年間を生きてきたはずなのに、私の心を打つものが何もない。話を聞くと、仕事から
帰ってくると、毎日見るのは、テレビの野球中継だけ。休みはたいてい魚釣りかランニング。
「雨の日は?」と聞くと、「パチンコ屋で一日過ごす」と。「静かに考えることはあるの?」と聞く
と、「何、それ?」と。そういう人生からは、何も生まれない。

 一方、八〇歳を過ぎても、乳幼児の医療費の無料化運動をすすめている女性がいる。「あな
たをそこまで動かしているものは何ですか」と聞くと、その女性は恥ずかしそうに笑いながら、こ
う言った。「ずっと、保育士をしていましたから。乳幼児を守るのは、私の役目です」と。そういう
女性は美しい。輝いている。

 前向きに挑戦するということは、いつも新しい分野を開拓するということ。同じことを同じよう
に繰り返し、心のどこかでマンネリを感じたら、そのときは自分を変えるとき。あのマーク・トー
ウェン(「トム・ソーヤ」の著者、一八三五〜一九一〇)も、こう書いている。「人と同じことをして
いると感じたら、自分が変わるとき」と。

 ここまでの話なら、ひょっとしたら、今では常識のようなもの。そこでここではもう一歩、話を進
める。

●どうすればよいのか
 ここで「前向きに挑戦していく」と書いた。問題は、何に向かって挑戦していくか、だ。私は「無
我夢中で」と書いたが、大切なのは、その中味。私もある時期、無我夢中で、お金儲けに没頭
したときがある。しかしそういう時代というのは、今、思い返しても、何も残っていない。私はたし
かに新しい分野に挑戦しながら、朝から夜まで、仕事をした。しかし何も残っていない?

 それとは対照的に、私は学生時代、奨学金を得て、オーストラリアへ渡った。あの人口三〇
〇万人のメルボルン市ですら、日本人の留学生は私一人だけという時代だった。そんなある
日、だれに書いたかは忘れたが、私はこんな手紙を書いたことがある。「ここでの一日は、金
沢で学生だったときの一年のように長く感ずる」と。決してオーバーなことを書いたのではな
い。そのとき私は本当にそう感じたから、そう書いた。そういう時期というのは、今、振り返って
も、私にとっては、たいへん密度の濃い時代だったということになる。

 となると、密度の濃さを決めるのは、何かということになる。これについては、私はまだ結論
出せないが、あくまでもひとつの仮説として、こんなことを考えてみた。

(1)懸命に、目標に向かって生きる。無我夢中で没頭する。これは必要条件。
(2)いかに自分らしく生きるかということ。自分をしっかりとつかみながら生きる。
(3)「考える」こと。自分を離れたところに、価値を見出しても意味がない。自分の中に、広い世
界を求め、自分の中の未開拓の分野に挑戦していく。

 とくに(3)の部分が重要。派手な活動や、パフォーマンスをするからといって、密度が濃いと
いうことにはならない。密度の濃い、薄いはあくまでも「心の中」という内面世界の問題。他人が
認めるとか、認めないとかいうことは、関係ない。認められないからといって、落胆することもな
いし、認められたからといって、ヌカ喜びをすることもない。あくまでも「私は私」。そういう生き方
を前向きに貫くことこそ、自分の人生を濃くすることになる。

 ここに書いたように、これはまだ仮説。この問題はテーマとして心の中に残し、これから先、
ゆっくりと考え、自分なりの結論を出してみたい。

(追記)
 もしあなたが今の人生の密度を、二倍にすれば、あなたはほかの人より、ニ倍の人生を生き
ることができる。一〇倍にすれば、一〇倍の人生を生きることができる。仮にあと一年の人生
と宣告されても、その密度を一〇〇倍にすれば、ほかのひとの一〇〇年分を生きることができ
る。極端な例だが、論語の中にも、こんな言葉がある。『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死
すとも可なり』と。朝に、人生の真髄を把握したならば、その日の夕方に死んでも、悔いはない
ということ。私がここに書いた、「人生の密度」という言葉には、そういう意味も含まれる。

+++++++++++++++++++

もう一つ、おまけに……。

+++++++++++++++++++

個性とはバイタリティ(中日新聞発表済み)

 頭からちょうちんをぶらさげて、キンキラ金の化粧をすることを、個性とは言わない。個性とは
バイタリティ。「私は私」という生きざまを貫くバイタリティをいう。結果としてその人は自分流の
生きざまを作るが、それはあくまでも結果。私の友人のことを書く。

 私はある時期、二人の仲間と、ある財界人のブレーンとして働いたことがある。一人はAK氏
(日本人)。日韓ユネスコ交換学生の一年、先輩。もう一人はPL氏(オーストラリア人)。メルボ
ルン大学時代の一年、後輩。私たちは札幌オリンピック(七二年)のあとの、国家プロジェクト
の企画を任された。が、ニクソンショックで計画はとん挫。私たちは散り散りになったが、それ
から二〇年後。AK氏は四〇歳そこそこの若さで、日本ペプシコの副社長に就任。またPL氏
は、オーストラリアで「ベンティーン」という宝石加工販売会社を起こし、やはり四〇歳そこそこ
の若さで、巨億の財を築いた。オーストラリア政府から、取り扱い高ナンバーワンで、表彰され
ている。

 三〇年前の当時を思い出して、彼らが特別の人間であったかどうかと言われても、私はそう
は思わない。見た感じでも、ごくふつうの青年だった。しいて言えば、彼らはいつも何かの目標
をもっていたし、その目標に向かってつき進む、強烈なバイタリティをもっていた。AK氏は副社
長になったあと、あのマイケル・ジャクソンを販売促進のために日本へ連れてきた。PL氏は稼
ぐだけ稼いだあと、会社を売り払い、今はシドニー郊外で、悠々自適の隠居生活をしている。
生きざまを見たばあい、私は彼らほど個性的な生き方をしている人を、ほかに知らない。が、
問題がないわけではない。

 実は私のことだが、この私とて、当時は彼らに勝るとも劣らないほどの、バイタリティをもって
いた。が、結果としてみると、彼ら二人は個性の花を開かせることができたが、私はできなかっ
た。理由は簡単だ。AK氏は、その後、外資系の会社を渡り歩いた。PL氏は、オーストラリアへ
帰った。つまり彼らの周囲には、彼らのバイタリティを受け入れる環境があった。しかし私には
なかった。私が「幼稚園の教師になる」と告げたとき、母は電話口の向こうで、泣き崩れてしま
った。学生時代の友人(?)たちは、「あのはやしは頭がおかしい」と笑った。高校時代の担任
まで、同窓会で会うと、「お前だけはわけのわからない人生を送っているな」と、冷ややかに言
ってのけた。

 世間は、「個性を伸ばせ」という。しかし個性とは何か、まず第一に、それがわかっていない。
次に個性をもった人間を、受け入れる度量も、ない。この三〇年間で日本もかなり変わった
が、しかし欧米とくらべると、貧弱だ。いまだに肩書き社会に出世主義。それに権威主義がハ
バをきかせている。組織に属さず、肩書きもない人間は、この日本では相手にされない。い
や、その前に排斥されてしまう。

 そんなわけで、個性を伸ばすということは、教育だけの問題ではない。せいぜい教育でできる
ことといえば、バイタリティを大切にすること。繰り返すが、その後、その子どもがどんな「人」に
なるかは、子ども自身の問題であって、教育の問題ではない。
(030409)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

現実を見よう!

●よかった!

 四月一〇日(木曜日)、衝撃的なニュースが、イラクのバグダットから飛び込んできた。何とあ
のフセイン大統領の銅像が、民衆によって、引き倒されたというのだ。そこで今朝の各新聞
は、「フセイン政権、崩壊」と、報じた。

 よかった! 本当によかった!

 私が親米派か、そうでないかと問われれば、親米派に決まっている。私の二男も孫も、アメリ
カ人。二男の嫁も、アメリカ人。どうして反米派になれるだろうか。だからといって、アメリカのす
ることすべてに賛成しているわけではない。今度の対イラク戦争についても、開戦には反対だ
った。「アメリカは国際的な合意ができるまで、待つべきだ」と。しかしひとたび戦争が始まって
からは、「早くアメリカの勝利で終わればいい」と考えるようになった。何だかんだと言ったとこ
ろで、アメリカは日本の唯一の同盟国。仮に北朝鮮が日本に戦争をしかけてきたら、どこが日
本の味方をしてくれるというのか。味方までしてくれなくても、間に立ってくれるというのか。中国
か? ノー。ロシアか? ノー。フランスやドイツか? ノー。韓国にいたっては、むしろ北朝鮮
側に立つ。

●反米国家、韓国?
 
 そういう現実を前にして、反米を唱えるのは、どうか。その前に日本はひとり立ちしなければ
ならない。そのひとり立ちすらできないのに、反米を唱えるというのは、あまりにも現実離れして
いる。よい例が、隣の韓国である。

 現在のノ・ムヒョン大統領は、反米を唱えて、政権の座についた。何十万人というデモ隊を組
織し、その中央で、巨大な星条旗をビリビリに破いてみせた。(このデモが、ノ・ムヒョン氏によ
って組織されたものかどうかは、明らかではない。しかし組織的な反米デモであったことは事
実。またあれほどのデモは、政党単位のバックアッパがなければ、組織できるものではない。
ノ・ムヒョン氏は、その反米デモの流れにのって、今の政権の座を勝ち取った。)

 そのせいか、ノ・ムヒョン氏の大統領当選が確実になったときでも、アメリカのブッシュ大統領
は、しばらく沈黙を守った。とても「おめでとう」と言えなかったのだろう。

 しかし三八度線に張りついて韓国を防衛しているのは、ほかならぬアメリカである。その数、
三万七〇〇〇人から八〇〇〇人。言うなれば、アメリカは体を張って、最前線で北朝鮮でにら
みをきかしている。北朝鮮が韓国を攻めるとき、イの一番に攻撃されるのが、最前線のアメリ
カ軍である。「アメリカ軍、人質論」も、こういうところから生まれた。

 で、ノ・ムヒョン氏が大統領に就任すると、すぐ始まったのが、アメリカ軍の削減問題。アメリカ
のほうが言い出した。「われわれは、韓国民が望まないなら、いつでも撤退する」(アメリカ軍高
官)と。アメリカにしてみれば、当然のこと。「出て行け」と言うような国を、どうして命がけで守ら
ねばならないのか。冷戦時代ならいざ知らず。今のアメリカにしてみれば、韓国に軍隊を駐留
しなければならない理由など、どこにもない。

しかしこれにあわてたのが、ほかならぬ、ノ・ムヒョン政権。四月九日、ハンナラ党を中心とする
国会議員、一三三人が連名で、「駐韓米軍撤去反対の集会」を開いた。つまり「撤去してもらっ
ては困る」と。

 しかしこれほど身勝手な集会もない。一方で反米を唱え、一方で、今までのようにアメリカ軍
に最前線で盾(たて)になれ、と。私はアメリカ人ではないが、末端のアメリカ兵だって、こんな
身勝手さを知れば、怒るだろう。事実、そのあとアメリカは、一方的に、今後一〇年をかけて、
アメリカ軍を半減する、アメリカ軍を、漢江の南(後方)に移動すると決めてしまった。

 こうした米韓の動きに対して、(1)韓国の若者たちは、日本の若者たち以上に、平和ボケし
ている。(2)反米闘争をしても、アメリカは韓国から出て行かないだろうという甘えが、韓国民
にあったという説もある。どういう説であるにせよ、韓国は、とんでもないミスをおかした。韓国
には、韓国の事情や立場があるのだろうが、何がミスかといって、ノ・ムヒョン氏を大統領にす
えたのが、最大のミスである。

●現実を見ない日本

 同じように日本も、今、たいへんな立場に置かれている。北朝鮮は、約二〇〇発のミサイル
を、日本に向けて設置している。いくら彼らの武器が旧式であるとはいっても、仮に東京都のど
真ん中で、核兵器が爆発すれば、その瞬間から日本の政治経済は、完全にマヒする。現にあ
の金XXは、「日本は存在させてはならない国だ」と、言明している。

こういう現状の中で、日本はどうあるべきか、また日本をどう守るべきか。しかし悲しいかな、
今は、アメリカに泣きつくしかない。もっと言えば、たまたま今、日本が平和なのは、日本人が
平和を守っているからでも、また守ってきたからでもない。平和を愛する民族だからでもない。
かろうじて日本が平和を保っていられるのは、アメリカ軍が、日本に駐留しているからにほかな
らない。

 私たちは、もっと正直に、そしてすなおに現実を見なければならない。日本の置かれた立場、
日本の力、そして周囲の状況など。が、それだけでは足りない。つまり東洋の島国で、自分さ
えよければと、こっそりと金儲けをしているだけでは、いけないということ。世界の中で、日本が
どうあるべきかということに視野を広げなければならない。

●日本にとってのイラク戦争

 さて、今度のアメリカとイラクの戦争について、この日本では、きわめて反米的な意見ばかり
が目立つ。その中でも興味をひいたのが、月刊誌の『SP誌』(4・23号)である。たまたま今週
発売になったが、タイトルだけでもすごい。「空爆の爪痕(つめあと)・ブッシュ憎しの怨念」「ホン
ネは国連無視の自国主導」「アメリカは、必ずしっぺ返しをくらうだろう」と。国際評論家のON
氏ですら、「イラク戦争はルールなき、戦争の実験場と化した」と題して、「戦争はドロ沼化し、
長期化する」(同誌)などと書いている。

 さらに漫画家のKY氏となると、もっとすごい。「あまりにも道義に反した戦争を支持すること
が、大きく国益を損ねることを考えておくべきだった」「この(イラク戦争は)長期化する」「もはや
バグダットを包囲するだけで勝てるという見とおしは甘い」「凄惨な市街戦が始まるに違いない」
(同誌)と。そして最後は、「日本は(アメリカの)侵略戦争を支持したという現実を、知るときがく
る」と、まさに書きたい放題。小泉首相の答弁を、「こんなフ抜けた演説を……」と酷評したの
ち、「アホだ」と言いきっている。

 まるでアメリカが悪の化身か、さもなければ、アメリカがイラクで戦争するのは、まちがってい
る、あるいは勝つことはありえないという論調である。まさかこうまで劇的にイラクが崩壊すると
は、思っていなかったのだろう。雑誌に書かれた記事は、出版という手続きがあるため、早くて
も一週間程度の期間を置かねばならない。そのため、こういう時差(タイムラグ)が生じた。そ
れにしても、同盟国アメリカが戦っている戦争に対して、何という書き方! 

 アメリカを批判するのは、簡単なこと。反米を唱え、安っぽい平和主義を唱えるのも簡単。戦
争に賛成する人など、いない。いるわけがない。だれだって争いはいやだ。殺しあいとなれば、
なおさらだ。しかし、北朝鮮が日本めがけて核攻撃をしようとしている今、だれが、それを止め
てくれるというのか。平和ボケも、ほどほどにしておかないと、それこそ、日本は世界の笑いも
の。あの『NC』の司会者のKH氏ですら、堂々とこう言い放った。「アメリカだって核兵器をもっ
ているじゃありませんか」(〇三年三月)と。つまり「北朝鮮に核開発を放棄しろなどと偉そうな
ことを、アメリカには言う資格はない」と。まったくノー天気。あきれるほど、ノー天気。

 「アメリカは原油の利権を確保するために、イラクに戦争をしかけた」と主張する人もいる。先
のKY氏は、「アメリカは確実に侵略者なのである」「フセインが中東で英雄化するだけだ」と書
いている(「SP誌」)。しかし日本は、そのアメリカが確保した利権の上にあぐらをかいて、アラ
ブの国々から原油を輸入している。クウェートの例を出すまでもない。もしあの湾岸戦争で、ア
メリカが介入していなければ、今ごろ日本は、原油の最大の輸入先を失っていたことになる。
相手が独裁者であろうがなかろうが、原油さえ売ってもらえれば、文句はないという論理は、あ
まりにも島国的である。

 どうして日本は、日本人は、アメリカ軍が今度の戦争で圧勝したことを、もっとすなおに喜ば
ないのか。何も、戦争を喜べというわけではない。同盟国、アメリカが勝ったことを喜び、強圧
的なフセイン政権が倒れたことを喜ぶ。だいたいこの日本だって、ペルシャ湾に、自衛隊を派
遣しているではないか。後方支援とはいえ、危険な任務であることには、違いない。その自衛
隊が、これで日本に無事に帰ってくることができる。どうしてそういう事実を、もっとすなおに喜
ばないのか。「よかったね」と。

 今日の新聞の朝刊には、アメリカ軍を見て、喜ぶイラク国民の姿も載っていた。テレビでは、
アメリカ兵に花束を渡す女性や、キスする子どもの姿も映し出された。『SP誌』で、アメリカ軍を
さんざんこきおろしたOM氏やKY氏は、そういうイラク国民の姿を見て、今ごろは、どう思って
いるのか。私は気になったので、この原稿を書く前に、『NC』のコメンテーターが何と言うか耳
を傾けてみた。いわく、「喜んでいるのは一部の人たちだけです。そうでない人は、家の中で静
かにしています」(四月一〇日夜)と。「殺戮(さつりく)の首都」という文字は、ニュースの間、画
面からずっと消えなかった。『NC』のいう「殺戮」というのは、「アメリカ軍による、イラク国民の
殺戮」という意味である。さらに「殺戮」というのは、「むごく人を殺すこと」(広辞苑)という意味で
ある。

●やがてくる正念場

 さあて、問題は、日本は、どうやってこの日本を、あの北朝鮮から守るか、だ。すでに北朝鮮
は、核兵器を保有している。アメリカは、そうした核兵器が、テロリストの手に渡ることを恐れて
いるようだが、日本に向けて使われる可能性のほうが、もっと高い。北朝鮮のような独裁政権
は自然死させるのが一番よいのだが、肝心の韓国が、それを望んでいない。ロシアからパイプ
ラインを引いてやるとか、食糧援助をするとか、さらにはアメリカが止めた原油を提供すると
か、復興支援をするとかまで言い出している。先の南北首脳会の前日には、金XXに、数百億
円の現金すら手渡している。韓国の政権内部には、北朝鮮の核兵器容認論まであるという。
「すでに保有している核兵器については、黙認する」と。日本にとっては、とんでもない意見であ
る。

 しかしここで日本は、もう一歩、踏み込んで考えなければならない。もし韓国と北朝鮮が、平
和統一ということになったら、日本はどうなるか、と。わかりやすく言えば、徹底した反日感情を
もった強大な軍事国家が、日本のすぐ隣に出現することになる。ふつうの反日感情ではない。
そのときも日本は、ノー天気に、「平和を守ります」「平和が大切です」などと言っておられるだ
ろうか。
 
 日本は、まさに正念場を迎えつつある。今が正念場というわけではない。しかし腹をくくって、
覚悟しなければならないときが、刻一刻と、近づきつつある。少なくともあの北朝鮮が、理不尽
なことを言って戦争をしかけてきたら、それとは戦わねばならない。アメリカに守ってくれとか、
日本の若者たちに、戦争に行けというのではない。私が行く。私たちが行く。志願兵となって、
行く。日本と、日本の子どもたちと、そして日本の自由と平和を守るために!
(030410)

【注】この原稿は、去る四月一〇日に書いたものです。この原稿を発表するときには、世界情
勢はさらに一歩、動いているかもしれません。

 また私は決して、戦争を肯定しろと言っているのでもありません。またその前に、やるべきこ
とは、いくらでもあります。たとえば私が考えているのは、カード型ラジオを、風船か何かにつけ
て、北朝鮮に飛ばすという方法です。太陽電池で受信できるラジオなら、北朝鮮でも使えるでし
ょう。適当な風の吹く日に、船で北朝鮮の沖あいで、それを飛ばせばよいのです。そんなことも
考えています。

●妥協による平和は、たいてい長つづきしない。(ウィンフィールド・スコット「語録」)
●あなたが平和を求めるなら、戦いの準備をすることだ。長い平和よりも、短い平和を求め
ろ。(ニーチェ「ツァラトゥストラ」)

    ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞







件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■4-18-1

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 679人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
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03−4−18号(211)
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
●5月 9日(金)富士市市民文化会館・ロゼシアター 10:30〜12:00
        主催  富士市立幼稚園PTA連合会(九園合同) 
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    /八))))ハ   ミミヽ
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    )("  ) ")  ζ  ∂ ぅ             【2】子どもの世界を考える
   / 八 ー 八┐ ( __  ノ─┐           【3】子育てエッセー
   ((  >−< | >−< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  /
  / \   (3-─┼─-ε)  /   私たちは、安心子育て、めざしましょう!
  ──────────────┐     そうだね……。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

何をお高くとまってんの!

神経質になる母親たち(失敗危険度★★★★)

●「あなたの教育方針は何か」
 ある日一人の母親が四歳になる息子をつれて音楽教室の見学にやってきた。音楽教室の先
生は、三〇歳そこそこの若い先生だった。音大を出たあと、一年間ドイツの音楽学校に留学し
ていたこともある。音楽教室の中では、そこそこに評価の高い先生だった。しかしその母親
は、その先生にこう食いさがった。「あなたの教育方針は何か」「子どもの未来像をどう考えて
いるか」「あなたの教育理念をしっかりと話してほしい」と。

●幼児と教育論?
 「たかが……」と言うと叱られるが、「たかが週一回の音楽教室ではないか」と、その音楽教
室の先生は思ったという。が、こうした質問にていねいに答えるのも仕事のうち、と考えて、あ
れこれ説明した。が、最後にその母親はこう言って、その教室をあとにしたという。「これから家
に帰って、ゆっくり息子と話しあってきます」と。まさか四歳の息子と教育論?

●「失礼」を知らない母親たち
 私のところにも、こんなことを相談してきた親がいた。「うちの子は今度、E英会話教室に通う
ことにしましたが、先生がアイルランド人だというではありませんか。ヘンなアクセントが身につ
くのではないかと心配です」と。さらに中には電話で、私に向かって、「あなたの教室と、K式算
数教室とでは、どちらがいいでしょうか?」と聞いてきた母親さえいた。

さらに「うちの子はBW(私の教室の名前)に入れたくないのですが、どうしても入りたいと言う
のでよろしく」と言ってきた母親もいた。こういう母親には、「失礼」とか「失敬」という言葉は通じ
ない。で、私は私で、そういう失敬さを感じたときは、入会そのものを断るようにしている。が、
それすら口で言うほど簡単なことではない。

●「フン、何をお高くとまってんの!」
 こうした母親に入会を断ろうものなら、デパートで販売拒否にでもあったかのように怒りだす。
「どうしてうちの子は入れてもらえないのですか!」と。「紹介? あんたんどこは紹介がないと
入れないの? フン、何をお高くとまってんの! そんな偉そうなこと言える教室じゃないでし
ょ」と悪態をついて電話を切った母親すらいた。つい先日もこんなことがあった。

●初対面のときとは別人
 父親と母親につれられて中学一年生になったばかりの男子がやってきた。見るからにハキ
のなさそうな子どもだった。いやいや両親につれられてやってきたということがよくわかった。会
うと父親は、「どうしてもA高校へ入れてほしい」と言った。ていねいな言い方だったが、どこかイ
ンギン無礼な言い方だった。で、一通り話は聞いたが、私は「返事はあとで」とその場は逃げ
た。親の希望が高すぎるときは、安易に引きうけるわけにはいかない。

で、その数日後、私がファックスで入会を断ると、直後、父親がものすごい剣幕で電話をかけ
てきた。「貴様は、うちの息子は教えられないというのか。A高校が無理なら無理と、はっきりと
いったらどうだ!」と。初対面のときとはうって変わった声だった。私が「息子さん能力とは関係
ありません」と言うと、さらにボルテージをあげて、「今に見ろ。ちゃんとうちの子をA高校に入れ
てみせる!」と怒鳴った。もっともこの父親は、それから半年あまりあとに、脳内出血でなくなっ
てしまった。私と女房は、妙にその事実に納得した。「うむ……」と。(これは本当の話!)

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<           安心できる情報と、
    /†_____†ヽ//          正しい知識をもとに、
    ( ('    ξヽ           考える力を忘れないで
  ┏ ||   o//\) )(         前向きに、子育てをしていきましょう。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】子どもの世界を考える∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

変わる子どもたちの世界

●テクノストレス

 テクノストレスという言葉がある。コンピュータに代表されるハイテクと、人間の関係が不調に
なったときに感ずるストレスをいう。このストレスが、一方で、人間どうしのつきあい方にまで、
影響を与えている。

●たとえば携帯電話。

 携帯電話をもつ子どもがふえている。調査のたびに、ぐんぐんとうなぎ昇りにふえているの
で、調査そのものがあまり意味がない。が、それと同時に弊害も表面化してきた。それらを並
べると……

(1)マジックミラー症候群……膨大な情報量の中で、知りたい相手の情報は見ても、自分の情
報は流さない。一方的に相手を観察するだけで、自分の正体は明かさない。あるいは他人の
意見を知り、それを攻撃することはできても、自分の意見は述べない。情報が一方通行化す
る。たとえば以前は、まず自分の名前を名乗ってから、電話をかけたり、手紙を書いたりした。
しかし今は、住所はもちろんのこと、名前すら名乗らない人がふえている。

(2)リセット症候群……一度、嫌いになると、ちょうどスイッチを切るかのように、相手を自分の
世界から抹殺してしまう。その後その相手からメールが入っても、それを受けつけないか、無
視する。ある日、突然、人間関係をゼロにしてしまう。

(3)オセロ症候群……白黒はっきりした人間関係をつくろうとする。敵の敵は味方という考え方
をしながら、その色分けをはっきりする。中間色的なつきあいができなくなる。

(4)マトリックス症候群……バーチャルな人間関係を結ぼうとする。相手は無臭、無味、体温
の感じない状態のほうが、つきあいやすい。自分の側の臭いや味、感情も文の上でコントロー
ルしようとする。一方、現実の世界の人間とは、心を結べなくなる。ある高校生は、こう言った。
「環境が破壊されても、青い空はコンピュータで再現できる」と。ものの考え方が、当然のことな
がら、現実離れしてくる。

(5)字幕症候群……相手からの文字に、自分の心をのせて相手の文を読む。たとえば相手が
「バカだなあ」と書いたとする。相手は冗談のつもりで書いたとしても、その「冗談」の部分はわ
からない。わからないから、こちらの感情でその文を読んで、ときには憤慨したり、怒ったりす
る。

(6)携帯電話依存症候群……携帯電話がないと落ち着かない。気分がすぐれない。携帯電話
に固執する。ある高校生は、教科書を忘れても、家にとりに戻らないが、携帯電話を忘れる
と、昼間でも、家にとりに戻るという。四六時中、かたときも、携帯電話を自分の体から離さな
い子どもは多い。

(7)カプセル症候群……メール用語、メールの世界だけでしか通用しない用語だけで会話をし
ようとする。またそれを知らない人を、よそ者として排斥しようとする。言葉の短縮、隠語、絵文
字、独特の表現など。

(8)ワイヤレス症候群……膨大な情報の中に埋もれてしまい、自分がわからなくなる。無能
化、愚鈍化が進む。一日の行動が決められず、電話の運勢占いにすべてをかける。情報が多
すぎる反面、自分にとってつごうのよい情報しか取り入れないため、ものの考え方が、偏(かた
よ)る。そのためきわめて狭い範囲の専門知識はもつことはあっても、総合的な判断ができなく
なる。

(9)グラフィック症候群……音声の会話ができなくなる。メールでは何でも話せるのに、いざそ
の人と直接対面すると、何も話せない。家の中でさえ、携帯電話で会話(?)している若い夫婦
もいるという。さらに日常会話そのものが、携帯電話的な会話になることもある。「エッヘ〜」
「ギョッ!」「ウソ〜!」と。ものの考え方がイメージ先行型になる。

(10)ボーダーレス現象……性情報が氾濫し、それが見境なく低年齢層の世界まで入り込んで
いる。小学生の間でも、「フェラ(フェラチオ)」「クリ(クリニングス、クリトリス)」などという言葉
は、今では常識。「性」そのものが、ギャグ化されつつある。

(11)情報のフェザー現象……情報の価値が限りなく軽くなり、その分、思考力が浅くなり、も
のの考え方が直観的になる。会話能力の低下、思考能力の低下をきたす。

(12)ほかに、親指人間現象、会話能力欠如現象、言葉の短文化現象、感情の短絡化現象、
文字のマンガ化現象などがある。

通学電車の中。昔は高校生や中学生の笑い声やはしゃぐ声が聞こえた。が、今は違う。誰も
が黙々と携帯電話のボタンを押している。携帯電話をもっていない子どもも、もっている子ども
に遠慮して何も話しかけない。静かだ。しかしおかしい……?

今では中学生の約六〇%、高校生の約八〇%が携帯電話をもっている(〇一年)。すでに「持
ち物」という範囲を超え、携帯電話は子どもたちの間では必需品にすらなりつつある。「携帯電
話がないと、仲間ハズレにされる」「友だちができない」と言った中校生もいる。もちろんそれが
子どもたちに与える影響は大きい。今どき、テレクラ・ナンパ・援助交際を問題にするほうがお
かしい。有害な性情報は、容赦なく子どもたちの世界に入り込んでいる。携帯電話には便利な
部分もあるが、その一方で、子どもたちの心までむしばみ始めていることを忘れてはならない。

●時代の流れ

問題は、こうした変化をどうとらえるかだが、鉄則の第一、逆らっても、意味がないということ。
鉄則の第二、こうした問題は、私たちがどうこうしようとして、それでどうにかなる問題ではない
ということ。実のところ、私たち自身ですら、その流れの中にある。

 私たちが小学生のころは、マンガが、大きな問題になった。一度は、県全体で、「マンガ禁止
令」なるものも出されたこともある(G県)。「マンガは読んではダメ」と。当時、すでに手塚治虫
氏が活躍していたから、この禁止令が、いかにおかしなものであったかがわかる。

 こうした変化は、まさにときの流れそのもの。かつ同時に、旧世代から、いつも攻撃される。
私の祖父は、いつも、「今どきの若いものは……」と言った。同じように、その祖父も、若いこ
ろ、そのまた祖父から、「今どきの若いものは……」と言われた。

 で、その「流れ」を知る私たちとしては、その流れに添ったものの考え方を、理解することでし
かない。今となって、「携帯電話はだめだ」「パソコンゲームをやらせてはだめだ」と言ったとこ
ろで、意味はない。仮に百歩譲って考えても、正すべきは、子どもの世界ではなく、私たちおと
なの世界である。たとえば援助交際にしても、援助交際をする女子高校生や中学生を責めて
も意味はない。責めるべきは、おとな自身である。たとえ携帯電話が、そのための道具になっ
ていたとしても、携帯電話を取りあげても、意味はない。

 今の時代を生きる子どもや若者たちは、三〇年後、あるいは五〇年後には、今の私たちの
知る世界とは、まったく違った世界をつくるに違いない。しかしそれがどんな世界であれ、それ
はその世界に住む、その人たちの世界である。少なくとも、「現在」という今を生きる私たちが、
とやかくいう問題ではない。

 ここで取りあげた、テクノストレスにしても、問題は、そういうストレスがあるということではな
く、それをどう解決していくかということである。

●私のばあい
 
 このところ無性に、携帯電話がほしくなった。今まで、二度ほどためしに購入してみたが、そ
のつど、息子たちに取られてしまった。が、それから、もう、四年になる。

 私は子どものころから、機械いじりが好きで、いつも機械をバラバラにして遊んでいた。そう
いう名残が今でもあって、機能がいっぱいついた電気製品を見たりすると、今でも、ゾクゾクす
る。で、最近の携帯電話では、動画が送受信できることはもちろんのこと、カメラつきのまであ
るという。こうなると私の好奇心が、黙っていない。何としても、そのカメラつきの携帯電話が、
ほしい……。と、考えて、さて本題。

 つまるところ、私が結局は、その「流れ」の中にあることがわかる。そういう私を見て、「林は、
おかしい」と言うなら、それを言う人のほうがおかしい。そしてさらにその結果として、私がデジ
タルカメラつきの携帯電話をもち歩き、かつ人間関係に影響が出てきたとしても、そのときは、
そのとき。時代は、そのときをベースとして、またつぎの流れの中に入っていく。

 そういう点では、私は現実主義者。現実というものを、まず肯定的にとらえる。そしてその上
で、未来を考えていく。空理空論は、私がもっとも嫌うところ。空想は好きだが、夢想するの
は、あまり得意ではない。もともと、というか、子どものころから、たいへん理屈っぽい人間。

 そこでこのエッセーの結論としては、人間を取り巻く環境は今、急速に変化しつつあるし、そう
した変化については、謙虚に耳を傾ける。その結果として、また別の価値観が生まれたとして
も、それはそれとして受け入れる。大切なことは、旧態の価値観を若い世代に、押しつけない
こと。私のばあい、たとえばこれだけは、若い人に向かっては、言わないようにしている。「今ど
きの、若いものは……」という言葉である。私は、若いころ、そういう言葉を、さんざん浴びせか
けられた。だから、つぎの世代の人たちには、この言葉だけは、言いたくない。

 そうそうあの山本五十六も、「書簡」の中で、こう書いている。「『いまの若い者は』などと、口
はばたきことを申すまじ」と。
(030410)

●「一般的に言って、ひとつの世代は、その世代中に産み出された世界観によって生きるより
も、むしろ、前時代に産み出された世界観によって生きるものである」(シュヴァイツアー「文化
と倫理」)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

自己中心的な人たち

 自己中心性の強い人は、自分を中心に世界が回っていると錯覚する。自分だけが、唯一の
人間であり、もっとも尊い存在だと錯覚する。そしてこのタイプの人は、他人をも客観的にみる
ことができないから、相手がまちがっていると一度、思い込むと、その相手を徹底的に攻撃し
たり排斥したりする。

子どもはある時期、この自己中心的なものの考え方をする。ある男の子(小一)は、こう言っ
た。「ぼくが前を向いているときは、うしろの景色は消えてなくなる。しかしうしろを向いたとき、
またうしろの景色が現れる」と。そこで私が、「君が前を向いていても、うしろの景色はちゃんと
あるよ。ぼくが見ているからまちがいない」と言うと、「それはおかしい。先生だって、消えてなく
なっているはずだ」と。そこでさらに「でも、声はするだろ」と言うと、「それは声だけだ。姿はない
はずだ」と。

 こうした幼稚な自己中心性は、実はおとなにもよく観察される。確たる統計があるわけではな
いが、老人になればなるほど、この自己中心性が強くなるのでは。こんな女性(七〇歳)がい
る。その女性は、郷里の田舎町から外の町へ引っ越していく人を、ことごとく「逃げていった」と
いうような言い方で、軽蔑するのだ。実のところ私にもそう言ったので、私はあきれて、それ以
上、何も言えなくなってしまった。その女性にしてみれば、その町こそが、世界の中心なのだ。
そのため、その町から引っ越していく人は、皆、負け犬(ルーザー)ということになる。

 「私はすばらしい人間だ」と思うのは、自尊心だが、その返す刀で、「相手は自分より劣ってい
る」と思うのは自己中心性。「私は私」という生き方を貫くのは、個人主義だが、その生き方を
相手に押しつけたり、「相手の生き方には価値がない」と思うのは、自己中心性。その自己中
心性のあるなしは、たとえばものの話し方をみればわかる。たいていは極端なものの言い方を
する。

先日もある女性(三五歳)が私のところにやってきて、こう言った。何かのことで、その女性は、
どうやら友人と喧嘩をしたらしい。それはそれでよくあることだが、こう言った。「あの人の叔父
は、市議会議員をしているというではありませんか。あんな人の叔父が、議員というもの、おか
しなことです。私、今度の選挙では、絶対、あの議員を落選させてやります」と。

 さらにこの自己中心性が強くなった状態が、カルトである。一度私もあるカルト教団をある本
の中で批判したことがあるのだが、以後、執拗な攻撃にさらされた。「林は地獄へ落ちる」と
か、「あの夫婦は離婚状態だ」とか、まあ、とんでもないことをさんざんと言われた。彼らにして
みれば、自分や自分たちの世界が絶対であり、それ以外の人や世界は、「まちがっている」と
いうことになる。そして彼らの世界を批判する私のような人間を、「悪魔の手先」として否定す
る。

 ……と書いて、この問題は、結局は自分自身の問題でもある。ここにも書いたように、老人に
なればなるほど、この自己中心性が強くなる(?)。言い換えると、老人になればなるほど、自
分の中の自己中心性を見抜き、それと戦わねばならない。で、そこで考える。その方法はある
のか、と。またどうすれば、それと戦うことができるか、と。

(自己中心性の発見)
 もともと私のように「評論」をするものには、自己中心性が強い人が多い。(私もそうかもしれ
ないが……?)自己中心性があるから、評論できるということにもなる。一本、スジを通すという
ことは、そういうことになる。

そこで一つの尺度だが、自分の意見が批判されたとき、どのように反応するかで、自己中心性
がわかるのではないかということ。自己中心性の強い人は、自分の意見が批判されるのを許
さない。あるいはふつうでない反応を示す。ある女性(五〇歳)は、自分のまちがいを指摘され
たとき、ヒステリー状態になってしまった。それを目撃した知人は、「狂人のようだった」と言っ
た。

そうでない人は、批判されても、「そういう意見もあるのかな」というふうに、相手の意見を受け
入れることができる。あるいは批判されても、即座に相手のレベルを見抜き、それが取るに足
りないものであれば、無視することができる。要するに、相手や相手の生き方をどの程度容認
することができるかで、自己中心性を知ることができる。

(自己中心性との戦い)
 で、自分の中にそういう自己中心性を発見したら、どうやってそういう自分と戦うか。「まあ、
いいや」と居直なおることもできるが、しかし自己中心的になればなるほど、結局はどこかゆが
んだ世界へ入ってしまう。居なおるのは、たいへん危険なことでもある。そこで一つの方法は、
できるだけいろいろな人と接し、いろいろな情報を得ることなのだが、どうもそれだけでは足り
ないような気がする。情報といっても、それは一つの刺激に過ぎない。大切なことは、いかに大
きく、広いポケットを自分の心の中に用意するかだ。これがないと、せっかくの情報が、自分の
体の中にしみ込んでこない……? そこでこれはあくまでも私のばあいだが、私はこうしてい
る。

 まずものを考えても、これが絶対だとは思わないようにしている。仮に「1足す1は、2」と言っ
たところで、心のどこかで「そうかな?」と思うようにしている。(だからといって、「1足す1は、
3」という人を容認するわけではないが……。)実際のところ、「これは正しい」と思って書いた自
分の文であっても、数年を経て読んでみると、「おかしい」と思うことはよくある。そういう意味で
も、ものを書くのは大切なことかもしれない。つまりそういう形で、自分を絶対化しないことにこ
ころがけている。

 つぎに悪意をもって私を批判する人は別として、他人の批判はすなおに受け入れる。あるい
は批判されても、それがどんなものであれ、それから感ずる不愉快さが心の中から消えるま
で、「文」の中でその批判と戦う。そういう意味では、その「個人」は相手にしない。相手にして
も、ほとんど意味はない。形としては相手を無視する。相手は相手だし、私はその相手に対し
て、その相手のまちがいを指摘してあげなければならない責任はない。

先日もメールで、「先祖を否定するような教育者はまちがっている。あちこちの学校で講演する
資格はない」と言ってきた女性(四〇歳くらい)がいた。こうしたケースでも、その女性など相手
にしても意味はない。その人はその人だ。その人はその人の人生観でもって、そう言う。また
それなりに価値のある意見ならともかくも、そもそもレベルが低すぎる。乾電池のつなぎ方も知
らない子どもが、発光ダイオードの色の悪さを問題にするようなものだ。だから無視する。

しかしこの時点で大切なことは、そういう人もいるということを、心の中で受け入れるということ。
世の中、賢い人ばかりではない。親鸞も言っているように、愚かな人を導くところに、法の意味
がある。評論の意味がある。

     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

家庭は兵舎

 「家庭は、心休まる場所」と考えるのは、ひょっとしたら、男性だけ? 家庭に閉じ込められた
女性たちの重圧感は、相当なものである。

 心的外傷論についての第一人者である、J・ハーマン(Herman)は、こう書いている。

 「男は軍隊、女は家庭という、拘禁された環境の中で、虐待、そして心的外傷を経験する」
と。

 つまり「家庭」というのは、女性にとっては、軍隊生活における、「兵舎」と同じというわけであ
る。実際、家庭に閉じ込められた女性たちの、悲痛な叫び声には、深刻なものが多い。「育児
で、自分の可能性がつぶされた」「仕事をしたい」「夫が、家庭を私に押しつける」など。が、最
大の問題は、そういう女性たちの苦痛を、夫である男性が理解していないということ。ある男性
は、妻にこう言った。「何不自由なく、生活できるではないか。お前は、何が不満なのか」と。

 話は少しそれるが、私は山荘をつくるとき、いつも友だちを招待することばかり考えていた。
で、山荘が完成したころには、毎週のように、親戚や友人たちを呼んで、料理などをしてみせ
た。が、やがて、すぐ、それに疲れてしまった。私は、「家事は、重労働」という事実を、改めて、
思い知らされた。

 その一。客人でやってきた友人たちは、まさに客人。(当然だが……。)こうした友人たちは、
何も手伝ってくれない。そこで私ひとりが、料理、配膳、接待、あと片づけ、風呂と寝具の用
意、ふとん敷き、戸締まり、消灯などなど、すべてをしなければならない。その間に、お茶を出し
たり、あちこちを案内したり……。朝は朝で、一時間は早く起きて、朝食の用意をしなければな
らない。加えて友人を見送ったあとは、部屋の片づけ、洗いものがある。シーツの洗濯もある。

 で、一、二年もすると、もうだれにも山荘の話はしなくなった。たいへんかたいへんでないかと
いうことになれば、たいへんに決まっている。その上、土日が接待でつぶれてしまうため、つぎ
の月曜日からの仕事が、できなくなることもあった。そんなわけで今は、「民宿の亭主だけに
は、ぜったい、なりたくない」と思っている。

 さて、家庭に入った女性には、その上にもう一つ、たいへんな重労働が重なる。育児である。
この育児が、いかに重労働であるかは、もうたびたび書いてきたので、ここでは省略する。が、
本当に重労働。とくに子どもが乳幼児のときは、そうだ。これも私の経験だが、私も若いころ
は、生徒たち(幼児、四〇〜一〇〇人)を連れて、季節ごとに、キャンプをしたり、クリスマス会
を開いたりした。今から思うと、若いからできたのだろう。が、三五歳を過ぎるころから、それが
できなくなってしまった。体力、気力が、もたない。

 さて、「女性は、家庭で、心的外傷を経験する」(ハーマン)の意見について。「家庭」というの
は、その温もりのある言葉とは裏腹に、まさに兵舎。兵舎そのもの。そしてその家庭から発す
る、閉塞感、窒息感が、女性たちの心をむしばむ。たとえばフロイトは、軍隊という拘禁状態の
中における、自己愛の喪失を例にあげている。つまり一般世間から、隔離された状態に長くい
ると、自己愛を喪失し、ついで自己保存本能を喪失するという。

家庭に閉じ込められた女性にも、同じようなことが起きる。たとえば、その結果として、子育て
本能すら、喪失することもある。子どもを育てようとする意欲すらなくす。ひどくなると、子どもを
虐待したり、子どもに暴力を振るったりするようになる。その前の段階として、冷淡、無視、育
児拒否などもある。東京都精神医学総合研究所の調査によっても、約四〇%の母親たちが、
子どもを虐待、もしくは、それに近い行為をしているのがわかっている。

東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏らの調査によると、約四〇%弱の母親が、虐待も
しくは虐待に近い行為をしているという。妹尾氏らは虐待の診断基準を作成し、虐待の度合を
数字で示している。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」な
どの一七項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」「ときどきある……一点」
「しばしばある……二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あ
り」が、有効回答(四九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、「虐待なし」が、六一%で
あったという。

 今まさに、家庭に入った女性たちの心にメスが入れられたばかりで、この分野の研究は、こ
れから先、急速に進むと思われる。ただここで言えることは、「家庭に入った女性たちよ、もっ
と声をあげろ!」ということ。ほとんどの女性たちは、「母である」「妻である」という重圧感の中
で、「おかしいのは私だけ」「私は妻として、失格である」「母親らしくない」というような悩み方を
する。そして自分で自分を責める。

 しかし家庭という兵舎の中で、行き場もなく苦しんでいるのは、決して、あなただけではない。
むしろ、もがき苦しむあなたのほうが、当たり前なのだ。もともと家庭というのは、J・ハーマンも
言っているように、女性にとっては、そういうものなのだ。大切なことは、そういう状態であること
を認め、その上で、解決策を考えること。

 一言、つけ加えるなら、世の男性たちよ、夫たちよ、家事や育児が、重労働であることを、理
解してやろうではないか。男の私がこんなことを言うのもおかしいが、しかし私のところに集まっ
てくる情報を集めると、結局は、そういう結論になる。今、あなたの妻は、家事や育児という重
圧感の中で、あなたが想像する以上に、苦しんでいる。
(030409)

●「男は仕事、女は家庭」という、悪しき偏見が、まだこの日本には、根強く残っている。だから
大半の女性は、結婚と同時に、それまでの仕事をやめ、家庭に入る。子どもができれば、なお
さらである。しかし「自分の可能性を、途中でへし折られる」というのは、たいへんな苦痛であ
る。

Aさん(三四歳)は、ある企画会社で、責任ある仕事をしていた。結婚し、子どもが生まれてから
も、何とか、自分の仕事を守りつづけた。しかしそんなとき、夫の転勤問題が起きた。Aさん
は、泣く泣く、本当に泣く泣く、企画会社での仕事をやめ、夫とともに、転勤先へ引っ越した。今
は夫の転勤先で、主婦業に専念しているが、Aさんは、こう言う。「欲求不満ばかりがたまって、
どうしようもない」と。こういうAさんのようなケースは、本当に、多い。

私もときどき、こんなことを考える。もしだれかが、「林、文筆の仕事やめ、家庭に入って育児を
しろ」と言ったら、私は、それに従うだろうか、と。育児と文筆の仕事は、まだ両立できるが、Aさ
んのように、仕事そのものをやめろと言われたらどうだろうか。Aさんは、今、こう言っている。
「子どもがある程度大きくなったら、私は必ず、仕事に復帰します」と。がんばれ、Aさん!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

女性的マゾヒズム

 ときとして、夫や家族に対して、異常といえるほどまでに、献身的な女性がいる。このタイプの
女性は、まさに身を粉々にして夫や子どもに仕える。仕えるだけではない。夫の暴力や、不
倫、さらに貧困であることにも、一言も不平をもらすことなく、朝から晩まで、懸命に働く。

 Hさん(六〇歳女性)が、そうである。二人の子どもはそれぞれ独立し、結婚している。孫も三
人、いる。そのHさんは、いつもこう言う。「私は、夫や子どもが、幸福になればそれでいいので
す」と。昔は、こういう女性を、理想の女性とした。女性のカガミとした。しかしその心理は、そん
な単純なものではない。

 マゾヒズムという言葉がある。「肉体的、精神的苦痛を与えられることに、性的満足を見いだ
す異常性欲の一種」(日本語大辞典)のことをいう。もともとは、オーストリアの作家のザッヘ
ル・マゾッホの名に由来する。わかりやすく言えば、自分の肉体や、精神をわざと苦しめなが
ら、そこに性的な快感を覚えることをいう。ふつうは、性的な意味で、肉体的な苦痛を楽しむこ
とをいう。しかし肉体ばかりではない。

 こんな例がある。

 A子(二五歳)は、B男(三〇歳)と、恋愛関係にあった。しかしたび重なる婚約の申し込み対
して、A子は、それをかたくなに拒みつづけていた。B男が理由を聞くと、「私には、学歴もない
し、貧しい家の娘。あなたの結婚相手としてふさわしくない」と。そしてA子は、ある日突然、B男
に一通の手紙を残し、そのままひとり、イギリスへ旅立ってしまった。その手紙には、こうあっ
た。「私は、あなたのことを忘れるため、イギリスに行きます。向こうで英語の勉強をして、ソー
シャルワーカーになります。あなたは、あなたにふさわしい女性を見つけて、どうか幸せになっ
てください」と。

 B男は、こう言う。「別れる理由などないし、なぜA子が、好んで、自らより困難な道を選ぶの
か、わからない。A子は、いつも自分で自分を、悲劇の主人公にしてしまうようなところがある」
と。

 これがここでいう「女性的マゾヒズム」である。もう少しわかりやすい例では、映画『タイタニッ
ク』を、一〇回も見たという若い女性がいた。あの映画は、アカデミー賞を総ナメにしたすばら
しい映画だが、しかし一〇回とは! 

 実は、その若い女性は、その映画がすばらしかったから、一〇回も見たのではない。自分の
精神を痛め、涙を流すという快感を味わうために、その映画を、繰りかえし見たのである。「何
度も見ても、涙が出る」、「涙を流す場面が決まっていて、そこで思いっきり泣くと、そのあと気
分がスッキリする」と。

 こうした女性的マゾヒズムは、多かれ少なかれ、ほとんどの女性にあるとみてよい。そしてそ
れが高じて、異常なまでに、夫や子どもに献身的になることがある。冒頭にあげたHさんは、ほ
かにたとえば、自分の衣類はほとんど買ったことがない。いつも粗末なものばかりを食べてい
る。しかし異常心理は、異常心理。「今どき……」という言い方は適切ではないかもしれない
が、今どき、こういう生き方は、サマにならない。

 問題は、なぜ女性には、女性的マゾヒズムがあるかということ。(もちろん男性にも、似たよう
な症状を示す人はいる。)フロイトは、「無意識的罪悪感に起因する、自己処罰心理」が、原因
であると説明する。つまり自分では気づいていないが、心のどこかに大きな心的外傷があっ
て、自ら「私は幸福であってはいけない」と、決めつけてしまうことによるというのだ。

 実はHさんは、自分の不注意で、実の妹を、交通事故でなくしている。(本当は、不注意でも
何でもなく、Hさんが、そう思い込んでいるだけだが……。)Hさんが、五歳のとき、妹が、四歳
のときのことだった。で、Hさんは、ずっとそのことを心のどこかで負い目に思っていたのかもし
れない。それ以後、ことあるごとに、自らより困難な道、より不幸な道ばかりを選ぶようになっ
た。美しい人だったが、結婚した相手は、酒グセがわるく、定職をもたない男だった。その男
は、女性関係も、だらしなかった。

 さて、あなたはどうだろうか。あなたは「私は、幸福になるべき人間だ」「みなは、私を幸福に
なって当然と考えている」と思っているだろうか。もしそうなら、それでよし。しかし心のどこか
で、幸福になることを、自ら避けているようなら、一度、ここに書いたことを参考に、自分の心の
中をのぞいてみるとよい。それが何であるにせよ、自分で自分を痛めつけても意味はない。当
然のことだが、ここでいう女性的マゾヒズムなるものは、ないならないで、そのほうがよいに決
まっている。
(030409)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
先生を雑務から解放しよう!

全休職者のうち、約五二%が精神系疾患によるものとし、九七年度には一六一九人がそのた
め休職している。もちろんこれは氷山の一角で、精神科へ通院している教員はその一〇倍、さ
らにその前段階で苦しんでいる教員はそのまた一〇倍はいる。

 理由の第一は、多忙。今、教師は忙し過ぎる。雑務に続く雑務。ある教師(小二担任)はこう
言った。「教材研究? そんな時間がどこにありますか。唯一息を抜ける時間は授業中だけで
す」と。が、それだけではない。こんなこともある。

 俗に「アルツハイマー」と呼ばれる病気がある。脳障害の病気の一つ※だが、その初期症状
は、ひどい物忘れ。が、その初期症状のそのまた初期症状というのがあるそうだ。(1)がんこ
(自分の意見をゆずらない)、(2)自己中心性(自分が正しいと確信する)、(3)繊細さの欠落
(ズケズケとものを言う)など。しかも、だ。四〇歳から、全体の五%前後の人にその傾向が見
られるようになるという※。

四〇歳といえば、子どもがちょうど中学生になるころ。一クラスに三〇人の生徒がいたとする
と、六〇人の親がいることになり、そのうち三人が、あぶない(?)ということになる。家族の一
人がアルツハイマーになると、その周囲の家族もたいへんだが、そのまた外にいる人も、何ら
かの影響を受ける。たとえば学校の先生。

 ある日一人の母親が、私のところへやってきて、こう言った。「小学校で英語教育をするとい
うが、そんな教育は必要ない。日本語もまだ満足に話せない子どもに、英語教育するのは、お
かしい」と。ものすごい剣幕である。しかしそれはそれから続いた不毛の議論の、ほんの始まり
に過ぎなかった。

「学校五日制はやめたほうがよい」「中高一貫教育には疑問がある」など。毎月のように電話
やメールで、あれこれ言ってきた。が、そのうち私のほうが疲れてしまい、適当に答えている
と、最後はこう言った。「あんたは教育評論家だそうだが、その資格はない。あんたが本を書け
ば書くほど、社会に害毒を流すことになる」と。これには私も怒った。怒って電話をすると、夫が
出て、こう言った。「すみません、すべてわかっています」と。そして数日後、夫から手紙が届い
たが、それにはこうあった。「妻の様子がおかしいので、今、病院へ通っているところです」と。
もっとも私のばあい、それまでにもこのタイプの親は最初ではなかったので、それほどキズつ
かないですんだが、若い未経験の先生だと、そうはいかない。とことん神経をすりへらす。

 結論から言えば、学校の先生には、まず授業に専念してもらう。そういう環境を用意する。ち
ょうど医療機関におけるドクターのよう、だ。原則として、先生を雑務から解放する。だいたい
今のように、教育はもちろんのこと、しつけから果ては、子どもの心の問題、さらには家庭問題
まで押しつけるほうがおかしい。ある先生はこう言った。「毎晩親たちからのメールの返事を書
くだけで、一時間くらいとられます」と。こんな状態で、今の先生に「よい授業」を期待するほうが
おかしい。

たとえばカナダ(バンクーバー市など)では、親が先生に直接連絡をとることすらできない。また
原則として先生は、授業以外のことでは一切責任をとらないことになっている。日本も方向性と
しては。やがてそうするべきではないか。(1132)(再)

°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ
°◎_/ ̄⌒―――∩
 ///―――――∫           
⊂⊂/      ∫      無断で、転送、引用、転載は、なさらないでください。
         ∫              よろしくご協力ください。       









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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
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03−4−20号(212)
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
●5月 9日(金)富士市市民文化会館・ロゼシアター 10:30〜12:00
        主催  富士市立幼稚園PTA連合会(九園合同) 
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    ( \   / | \ )  /
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  ──────────────┐     そうだね……。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

R君の悩み

●自分で自分を追いこむ

 中学三年生のR君は、こう言った。「今度の期末テストがこわい」と。「どうして?」と聞くと、
「悪い点を取るのがこわい」と。

 このところR君は、元気がない。話しかけても、うわの空。反応がない。ときどき恥ずかしそう
に、にっこりと笑うだけ。あとは、ため息ばかりついている。

 私「点が悪いと、お父さんに叱られるのか?」
 R「ううん」
 私「じゃあ、お母さんか?」
 R「ちがう……」
 私「じゃあ、どうしてこわいの?」
 R「ぼくは、今、こうしてがんばっている。これだけがんばっているのに、もし悪い点だったら、
ぼくは、自分に自信をなくしてしまう。ぼくは、それでおしまい。それがこわい」と。

 そこで私は、こう言った。「あのね、今日、がんばったから、明日、いい結果が出るということ
はないよ。何か月も、あるいは何年も先に、結果が出るということもある。だから、そんなふうに
考えてはいけないよ」と。

 R君は、自分で自分を追いつめていた。R君自身が、学歴カルトの信者になっている。だれか
が、R君をそういう子どもにしむけたというわけではない。家庭の雰囲気、学校の雰囲気、そし
て友だちの雰囲気などなど。そういう雰囲気の中で、R君は今のR君になった。このタイプの子
どもに、「学校なんか、どこでもいいじゃないか」などと言うのは、その信仰を信じている人に、
「あなたの信仰はまちがっている」と言うに等しい。かえってその子どもを、混乱状態におとしい
れてしまう。

●気うつ症
 
 抑圧された精神状態が長くつづくと、子どもでも気うつ症になる。見た目にも、暗く沈み、元気
がなくなる。しかしこういう症状が、だれの目にもわかるようになったときというのは、すでにか
なり心が病んでいるとみる。つまりそうなる前に、親が、その前兆をとらえ、適切に対処しなけ
ればならない。

が、実のところ、これがむずかしい。前兆をとらえるのがむずかしいのではなく、仮に前兆があ
っても、ほとんどの親は、それを無視してしまう。「気のせいだ」「わがままだ」「疲れているだけ」
と。さらには「一時的なもの」「そのうちなおるだろう」と、安易に考えてしまう。

 たとえばその前兆として、つぎのようなものがある。

(1)感情の起伏がはげしくなる。……ちょっとしたことで、カッと怒りだしたり、そうかと思うと、ソ
ファの上で、ぼんやりとしているなど。親子の会話が少なくなり、親からみて、「何を考えている
かわからない」といったふうになる。R君の母親も、「このところ家では、何も話してくれなくなり
ました」と言っていた。

(2)疲れ(倦怠感)を訴える。……何をしても、「疲れた」と言う。子どものばあい、体力を使って
疲れたようなときには、「眠い」という。子どもが「疲れた」というときは、精神的疲労をいう。ちょ
っとしたことで、その疲れを訴えることが、多くなる。

(3)いろいろな神経症を発症する。……神経症は、千差万別で定型がない。不眠、早朝覚醒、
悪夢、腹痛、頭痛、脚痛のほか、「おかしな行為だ」と思ったら、神経症を疑ってみる。(検索サ
イトで、「はやし浩司 神経症」で検索。)

(4)生活態度がだらしなくなる。……部屋が散らかったり、身のまわりのことが、ぞんざいにな
る。髪の毛がボサボサになる、体臭、口臭がひどくなる、何日も、風呂に入らなかったりするな
ど。約束を忘れたり、「うっかり事故」が多くなる。

(5)生活習慣が乱れる。……夜と昼が逆転したり、その前の段階として、真夜中まで起きてい
て、朝、起きられないなど。反対に、日中、ぼんやりするなどの症状が見られることもある。R
君は、こう言った。「ときどき、授業中でも、眠っている」と。

(6)行動に統制がとれなくなる。……目的そのものを喪失するため、「あれをしてみたい」「これ
をしてみたい」などといって、そのつど、周囲のものを引き回す。しかしもともと目的がはっきり
しないため、しばらくすると、また別のものに移動していく。R君は、そのため、その前後の半年
間だけでも、二回も塾をかえ、今度は「インターネット学習をしたい」と言いだしている。が、そ
れも一巡すると、目的そのものを喪失する。「何をしたいの?」と聞いても、「わからない」などと
言ったりする。

(7)体型が変化することもある。……こうした状態が長くつづくと、子どもによっては、気うつ症
独特の雰囲気をもつようになる。顔中が、ぽってりと太ったり、動作が緩慢(かんまん)になった
りするなど。R君のばあいも、どこか水太りのような感じになり、顔色もどんよりと曇り、子どもら
しい、生彩が消えた。

 そのR君が、大きく変化したのは、冒頭にあげた期末試験の直後だった。R君は、ポツリとこ
う言った。「先生、何もできなかったよ……」と。

●テスト中、眠ってしまったR君

 期末試験のとき、テスト用紙を見たとき、R君は、その内容が、今まで勉強してきた内容と、
まったく違っているのを知った。中学二年のレベルでは、たとえばその時期、二次方程式、あ
るいはその文章題が出ることになっていた。しかし第一問は、「一個50円のミカン、一個100
円のリンゴ、一個500円のメロンがある。全部で、10個、金額も、1000円以内におさめた
い。全部で何通りの買い方があるか」と。

 最近は、中学校でも、この種の問題がふえた。「できる・できない」をみるのではなく、「考える
かどうか」を試す。それはそれとしてよい傾向だが、しかしR君は、それまで見たこともない問題
にとまどった。とたん、パニック! 「頭の中が、真っ白になりました」と言った。

 この時点で、注意しなければならないことがある。

 子どもは(もちろん、おとなも)、最初にこうだと思った状況を、自ら、つくりだしてしまうことが
ある。これを私は、「具現理論」と呼んでいる。内心で思っていることを、自ら、無意識のうちに
も、具体的に作りだしてしまうことをいう。いろいろな例がある。

●具現理論

 Aさん(高二女子)が、ある日、こう言った。「先生、私、明日、交通事故にあう」と。「どうして、
そんなことがわかるの?」と聞くと、「私には、自分の未来が予言できる」と。

 で、それから数日後、見ると、Aさんは、顔の右半分、それから右腕にかけて包帯を巻いてい
た。私はAさんの話を忘れていたので、「どうしたの?」と聞くと、「自転車で走っていたら、うしろ
から自動車が来たので、それを避けようとしたら、体が塀にぶつかってしまった」と。

 このAさんのケースでは、自らに「交通事故を起こす」という暗示をかけ、そしてその暗示が、
無意識のうちに、事故を引き起こしてしまったことになる。つまり無意識下の自分が、Aさん自
身を裏からコントロールしたことになる。こうした例は多い。

 毎朝、携帯電話の占いを見てくる女性(二五歳くらい)がいる。「あんなものインチキだよ」と私
が言うと、猛然と反発した。「ちゃんと、当たりますよ。不思議なくらいに!」と。彼女はいろいろ
な例をあげてくれたが、それもここでいう具現理論で説明できる。

 彼女の話によると、こういうことらしい。「今日は、ちょっとしたできごとがあるので、ものごとは
控え目に」という占いが出たとする。「で、その占いにさからって、昼食に、おなかいっぱい、ピ
ザを食べたら、とたんに、気持ち悪くなってしまった。控え目にしておかなかった、私が悪かっ
た」と。

 しかしこの占いはおかしい。仮に昼食を控え目にして、体調がよければよいで、それでも、
「当たった」ということになる。それにものごとは、何でも控え目程度のほうが、うまくいく。つまり
彼女は、「控え目にしなければならない」という暗示を自らにかけ、同時に、「それを守らなけれ
ば、何かおかしなことになる」という予備知識を与えてしまったことになる。あとは、「おかしなこ
と」という部分を、自ら、具体的に作りだしてしまったというわけである。つまり占いが当たった
わけではなく、自分をその占いに合わせて、つくってしまった。

●R君の具現理論

 R君は、テストの前から、「今度のテストで失敗すれば、自分はおしまいだ」という暗示を、自
分にかけた。そして懸命に、そのテストに向けて、勉強した。しかしその勉強は、自らがしたくて
した勉強ではない。「しなければ、自分はダメになる」という強迫観念の中で、いわば追いたて
られてした勉強である。
 
 で、その強迫観念が、テスト用紙を見たとき、頂点に達した。が、見たこともない問題ばか
り! ふつうならこういうとき、「何とか別の方法で……」と考えるが、R君のばあい、自ら、「失
敗する」という暗示を同時にかけてしまったのかもしれない。そこでパニック状態になってしまっ
た。

 私「どうして、考えようとしなかったの?」
 R「見たこともない問題で、どうしたらいいかわからなくなってしまった」
 私「でも、君の力で、解ける問題だよ」
 R「しばらく問題を見つめていたら、眠くなってしまった」
 私「眠い……?」
 R「そう、それで、ぼく、眠ってしまった」
 私「テスト中に、か?」
 R「うん……」と。

 心がパニック状態になると、今度は、心の防衛機能が働く。これを心理学の世界では、「防衛
機制」という。この防衛機制には、攻撃型(人やものごとに攻撃的、暴力的になる。自虐的な攻
撃型もある)、回避型(人と接するのを避けるようになる。引きこもる)、同情型(弱い自分を演
出して、相手を同情させながら、相手をコントロールする)、服従型(徹底的に相手に忠誠を誓
い、自分にとって、居心地のよい世界をつくる)などがある。

 R君のばあいは、ここでいう回避型と考えてよい。パニック状態になったとき、そのパニック状
態を回避するために、眠ってしまったというわけである。

●R君の父親に会う

 私はR君の家にでかけた。R君の家は、昔からの呉服店で、父親は、自らその店先で仕事を
していた。感じのよい人だった。あらかじめ母親にも話してあったので、母親もそこにいた。時
計は、夜の一〇時を示していた。まだどこか肌寒さが残っていた。

 父「思い当たることはないのですが……。無理に勉強を強いたわけでもありませんし。本人に
は、好きなようにしなさいと言っているのですよ」
 私「いえ、決して、お父さんやお母さんのせいだと言っているのではありません」
 母「ただ、あの子が通っている学校が学校でしょ。みんな、進学の話ばかりしているのです。
それで自分で自分を追いこんだのかもしれません」
 私「そういうことは、よくあります」

 しかしこういう問題では、だれかを責めても意味はない。もちろん本人の責任でもない。

 私「私が心配するのは、このままでは、本人が、バーントアウトしてしまうことです」
 父「バーントアウト?」
 私「そうです。燃え尽きてしまうということです」
 父「どういうことですか?」
 私「完全な無気力状態になってしまうということです。まったく何もしないで、ぼんやりとしてし
まうということです。しかしそれだけではありません。その前後に、いろいろな神経症による症
状が出てくることもあります。情緒障害や、精神障害の遠因になることもあります」
 母「このところ、そう言えば、あれほど好きだった、サッカーをやめたいと言いだしています」
 父「そうなんですよ。理由を聞いても言わないし……」
 私「私が今、ここで言えることは、サッカーはやめないほうがいいということ。今ここでやめる
と、それこそ糸の切れた凧(たこ)のようになってしまいます」
 父「糸の切れた凧、ですか?」
 私「無気力状態が、一挙に加速するということです」
 
●どうすればよいのか?

幸いR君のばあいは、症状が軽かった。両親も理解してくれた。まだR君には、自分の意識
で、自分をコントロールする力をもっていた。こうした子どもの気うつ状態は、長くつづけばつづ
くほど、回復がより困難になる。私はつぎのようにアドバイスした。

(1)学校から帰ってきたら、ひとりでぼんやりできる時間をふやす。周囲の人があれこれ気を
つかうのは、かえって逆効果。子どもの側から見て、親の視線をまったく感じないようにするの
が望ましい。とくに土日の過ごし方は、本人のまったくの自由にする。

(2)学校での成績のでき、ふできは、あきらめる。「がんばれ」式の励まし、「こんなことでは…
…!」式のおどしは、禁物。「よくがんばっているね」式の理解を、示してあげる。

(3)負担を少しずつ、減らす。急に減らすと、今度は、立ちなおりができなくなる。学習塾も、週
二回程度にする。サッカー部は、やめないほうがよい。

(4)Ca、Mg分の多い食生活に心がけ、生活のリズムは大切にする。無理な夜更かし、不規
則な生活は禁物。一度サイクルが狂い始めると、どんどん狂っていくので、注意する。

(5)なおそうと考えるのではなく、今の状態をより悪化させないことだけを考える。一か月単位
で、様子をみる。数日単位で、瞬間的になおったかのように見えるときもあるが、そういう姿に
だまされてはいけない。説教したり、叱ったりするのは、タブー。

 実のところ、ここで「症状が軽かった」と書いたが、私自身は、「間にあった」と、ほっとしてい
る。あと数か月とか、半年放置していたら、R君は、もう少し深刻な状態になっていたかもしれ
ない。一番考えられるのは、引きこもりによる不登校である。あるいはその程度では、すまなか
ったかもしれない。今のところ、学校へは、何とか通っているので、この状態をじょうずに保て
ば、R君は、このまま立ちなおっていくものと思われる。
(030412)

【追記】何か目標にしていることを、頭の中で具体的に描いてみる。たとえば自分が、何かの競
技で一等賞をとり、表彰されている姿を、想像するなど。具体的であればあるほど、よい。そう
すると、無意識下の自分が、無意識のうちに自分を動かし、その目標を達成することができ
る。この方法は、多くの学者が効果があると、実証している。これも、ここで私が言う「具現理
論」で説明できる。

【注】勝手に「具現理論」と名づけたが、心理学の世界には、専門用語がすでにあるかもしれな
い。勉強不足を、許してほしい。

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<           安心できる情報と、
    /†_____†ヽ//          正しい知識をもとに、
    ( ('    ξヽ           考える力を忘れないで
  ┏ ||   o//\) )(         前向きに、子育てをしていきましょう。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++
はやし浩司の「健康論」

 何か体の不調が表れると、私はまず第一に、「この症状は以前にもあったか?」と自問する。
そして以前にもあった症状なら、それで安心し、そうでなければ不安になる。いや、ときどき以
前にもあったはずなのに、それを思い出せないときがある。先日も昼になって鏡を見たら、目
の眼白がまっかだった。理由はわからないが、結膜出血である。とたん、言いようのない不安
感が私を包む。遠い昔、同じような症状があったはずだが、どうも思い出せない。女房に聞く
と、「ほら、前にもあったでしょ」と笑ったが、私は笑えない。

 賢明な人は、健康の価値を、それをなくす前に気づく。愚かな人はその価値を、なくしてから
気づく。『健康は第一の富である』と言ったのは、あのエマーソンだが、たしかに健康はすべて
の財産にまさる。いや、中には金銭的な財産をなくして、自ら命を断つ人もいる。が、しかしこう
いうことは言える。「死を前にしたら、すべての財産が無価値になる」と。健康あっての財産であ
る。健康あっての生活であり、健康あっての仕事である。……というようなことは頭の中でもわ
かっている。問題はこのことではなく、その先である。では、健康であればよいのかというと、そ
うでもない。

健康というのは、何かの目的のために有意義に使ってはじめて価値がでる。極端な言い方だ
が、ただ無益に生きても、意味はない。むしろ生きるということを考えるなら、死の恐怖を目前
に感じていたほうが、生きる意味が鮮明にわかる。もっとはっきり言えば、健康と「生きる」こと
は別物である。健康だから生きていることにはならないし、死が近いから生きていないことには
ならない。実はここが重要な点だ。

私の家の近くに、小さな空き地がある。そこは老人たちのかっこうの溜まり場になっている。う
ららかな春の日ともなると、いつも七〜八人の老人たちが、何かをするでもなし、しないでもな
し、一日中何やら話し込んでいる。のどかな光景だが、しかしそれがあるべき老人の姿なの
か。竹の子の季節になると、交替で見張り番をしている。昨年も私が不用意にその竹やぶに
入ったら、いきなり一人の老人が飛び出してきて、「お前は、どこのばかだ!」と叫んだ。そうし
た老人たちが健康なのかどうかは、外からはわからないが、生きているかどうかという視点で
みると、それは疑わしい。

生きるということは、日々の生活の中で前進することだ。もし今日が昨日と同じ。明日は今日と
同じということになったら、その人はもう「生きていない」ということになる。健康であるとかないと
かいうことは、関係ない。若いとか老人であるとかいうことも関係ない。言い方を換えるなら、若
い人でも「生きていない」人はいくらでもいる。老人でも、あるいは重病人でも「生きている」人は
いくらでもいる。

もちろん健康であることにこしたことはないが、しかし健康は「生きること」の前提ではない。い
わば健康は、その人が当然大切にすべきものであるのに対して、「生きること」は、その人の
心の問題である。わかりやすく言えば、健康はハード、生きることはソフトということになる。いく
らすばらしいハードをもっていても、ソフトがなければ、パソコンにたとえて言うなら、ただの
「箱」。少なくとも私はそういう人生には耐えられない。

……と書いて、私のことだが、私はもう二〇代の後半から自転車通勤を欠かしたことがない。
真冬の寒い夜でも、あるいは多少小雨がパラつくときも、自転車通勤を欠かしたことがない。
健康のためという意識はあまりなかったが、それを欠かすと、とたんに体の調子が悪くなる。一
方、同年齢と思われる男たちが、乗用車で私を追い越したりすると、「いいのかなあ?」と思っ
たりする。健康というのは、それがしっかりとある間から守ってはじめて守れる。病気になって
から健康を考えても遅い。老人に近づいてから健康を考えても遅い。そういう意味で、「もっと
運動をしなくてもいいのかなあ?」と思った。

で、今、おかげでというか、多少の持病はあるにはあるが、しかし成人病とは無縁だし、生涯に
おいて、病院のベッドで眠ったことは一度もない。しかしそれでも不安はある。冒頭に書いたよ
うに、今までに経験したことがない症状が出たりすると、「ハッ」と思う。とくに私は不安神経症
のところがある。いちどそれが気になると、ずっとそれが気になる。「このまま失明したらどうし
ょう」とか、「もっと悪い病気で、眼球摘出ということにでもなったらどうしよう」とか。が、内心の
どこかで、「そんなはずはない。お前は健康には気を配ってきたではないか」と思いなおして、
それを打ち消す。……打ち消すことができる。そのために二六年間も自転車通勤を続けてき
たのだ!

と、書いて、しかしそこにそれでは満足できない自分を知る。健康でない人には、たいへんぜい
たくな話かもしれないが、「だからどうなのか?」という問題に、そこでぶつかってしまう。たとえ
ば今私は、最新型のパソコンをもっている。ペンチアム四の二・〇ギガヘルツのすごいパソコ
ンだ。しかしワープロで使う程度なら、実のところこんなすごいパソコンはいらない。一昔前の
中古パソコンでも、じゅうぶんだ。もちろん最新型であることはすばらしいことだが、健康もそれ
に似ている。「だからどうなのか?」という部分を煮詰めないと、健康論もただの健康論で終わ
ってしまう。

話が繰り返しになってきたので、ここで私の健康論はやめる。ただ私にもわかっている。今あ
る健康にしても、それは薄い氷の上に建つ城のようなものだということ、を。また健康をなくせ
ば、当然心も影響を受けて、まともに考えられなくなるというこということ、も。そういう意味で、
私にとっては「健康である」ことと、「生きる」ことは競争のようなものだ。時間との勝負といって
もよい。この「健康な」状態はいつまで続くかわからない。五年か、一〇年か。それとも一年
か。私はその間に生きなければならない。一歩でも二歩でも、前に進まねばならない。まだま
だ知りたいことは山のようにある。少なくとも空き地にたむろして、竹の子の見張り番をするよ
うなことだけはしたくない。そしてとてもぜいたくな言い方に聞こえるかもしれないが、そのため
の健康であるとするなら、私は健康なんかいらない。
 
     ⌒⌒    Ω
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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●教室から(1) 

 方言もあるのだろうが、このあたりの子どもは、「あ」と「お」の発音が、はっきりしない。「え」
に近い「あ」、「う」に近い「お」を発音する。そこできのう、子どもたち(年長児)に、「『う』の音
は、お父さんとチュウするような口にして、言うんだよ」と言ったら、すかさず、Aさん(女児)が、
こう言った。「私、パパと、チュウしたことないもん」と。

 そこで私が、「エッ、ないの? 今度してもらいなさいよ」と言うと、となりの席の子ども(女児)
が、「パパとママは、いつもチュウしいる!」と。すると別の子ども(女児)が、ニヤニヤしなが
ら、「私、チュウするところを、見たことあるもんね」と。

 クラス中が、騒然としてしまった。「どこで?」「いとこの結婚式で、いとこがみんなの前でチュ
ウしていた!」と。

 年長児くらいから、こういう話がわかるようになる。そこでさらに私が、「パパのこと、好きだっ
たら、君たちのほうから、チュウしてと言えばいい」と言うと、一人の子ども(女児)が、真顔で、
「私、林先生(私!)のほうが、好き!」と。

 そこで私は神妙な顔をして、こう言った。「あのね、ぼくには、女房も子どもも、それに今度は
孫もいるから、あきらめてね」と。その子どもは、どこかポカンとした表情で、私のほうを見てい
た。

●教室から(2)

 子どもは、落書きが好きなんですね。禁止しても意味がない? いくら注意しても、これは子
どもの本能(?)のようなもの。放ってほくと、机はもちろん、壁などにも落書きする。

 そこで私は、教室の特製ノートをつくり、最終ページは、落書きコーナーにした。またそれぞれ
の机には、透明のシートを置き、その下に、落書き用の紙を置いた。子どもたちが自由に落書
きができるようにした。

 こうして落書きコーナーをつくってあげると、子どもは、そこに落書きをするようになる。とた
ん、ほかの場所での落書きが、ほとんど、なくなった。

 こうした指導法は、幼児のばあい、いろいろな場面に応用できる。「押してだめなら、思いきっ
て、引いてみる」の要領である。

 たとえば指しゃぶり。「指をしゃぶってはダメ」ではなく、大きな指の模型を渡して、「この指を
吸ってごらん」とか、あるいは哺乳ビンを渡して、「これをしゃぶってみる」と言うなど。ときどき、
「おいしそうな指だね。先生にもなめさせて」言うときもある。子どもの世界では、できrだけ、
「〜〜いてはダメ」式の、禁止命令は避ける。
 
°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ
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 ///―――――∫           
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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

人は生きるも裸

 「裸の王様」という寓話(ぐうわ)がある。王様は立派な衣服を身に着けていると思っていた
が、王様が裸であることを見抜いたのは、子どもたちだった。通俗世間の人の目はごまかせて
も、子どもの目はごまかせない。

先日も「来週は講演で東京へ行くことになっている」と話したら、ぐるりとあたりを見回したあと、
「どうしてあんたなんかが……」と言った子ども(中二女子)がいた。私はいつもそういう目にさら
されているから、そう言われても気にしない。「さあね、きっと人選ミスだよ」と笑うと、その子ど
もも、「そうだよねえ」とうれしそうに笑った。それが裸の王様を見抜いた子どもの目だ。

 肩書きや地位やあれば、こうまでバカにされなくてすむだろうなと思うことは、しばしばある。
事実、この日本では、肩書きや地位やものを言う。そしてそれにぶらさがって生きている人は、
いくらでもいる。一度、どこかでそういう肩書きや地位を身につけると、あとは、次から次へと、
死ぬまで要職が回ってくる……。

しかし肩書きや地位にどれほどの意味があるというのか。たとえばだれかが箱いっぱいのサツ
マイモを届けてくれたとする。地位や肩書きのある人は、そういう好意を、果たして好意と受け
取れるだろうか。どこかで「下心」を感ずるに違いない。一方、私のような、何の地位も肩書き
もない人間は、そういう好意を好意として、すなおに受け入れることができる。(再)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

定年後

 定年まぎわの人には、ひとつの大きな特徴がある。多分内側に見せる顔は、もっと別の顔な
のだろうが、外側に向かっては悲しいほど、虚勢を張ってみせる。「定年退職をしたら、地元の
郷里に帰って市長でもしようかな」と言った銀行マンがいた。「国際特許の翻訳会社でもおこし
て、今の会社の顧問をする」と言った大手の自動車会社の社員もいた。しかし悲しいかな、そ
こはサラリーマン。その人がその人なのは、「会社」という看板を背負っているからにほかなら
ない。また定年まぎわの人は、それなりにその会社でもある程度の地位にいる人が多い。自
分という存在が、会社というワクを飛び越えてしまう。それで自分の姿を見失う。

 が、現実はすぐやってくる。たいていの人は、「こんなはずはない」「こんなはずではなかった」
と思いつつ、その現実をいやというほど見せつけられる。退職と同時に、山のように届いてい
た盆暮れのつけ届けは消え、訪れる人もめっきりと減る。自分が優秀だと思い込んでいた
「力」も、現実の世界ではまったく通用しない。それもそのはずだ。その人が優秀だったのは、
「会社」という小さな、特殊な世界でのこと。そのワクの中での処理にはたけていたのかもしれ
ないが、そんな力など、広い世界から見れば、何でもない。その「何でもない」という部分が、わ
かっていない。

 で、そのあと、このタイプの人は大きく分けて、二つの道を歩む。一つは、過去の経歴を忘
れ、人生を再出発する人。もう一つは、過去の経歴にしがみつき、その亡霊を引きずって生き
る人。もともと肩書きや地位とは無縁だった人は別だが、しかし肩書きや地位が立派(?)だっ
た人ほど、退職後、社会に同化できない。できないまま、悶々とした日々を過ごす?

M氏(六三歳)は、退職まで、県の出先機関の「副長」まで勤めた人である。何かの違反を取り
締まっていたが、そのため現役時代には、暴力団の幹部ですらMさんの前では、借りてきた猫
の子のようにおとなしかったという。が、六〇歳で退職。それまでも近所の人には、あいさつも
しなかったが、その傾向は退職後さらに強くなった。いくつかの民間会社に再就職を試みた
が、どれもていねいに(?)断られてしまった。

 「私はすぐれた人間だ」と思うのは自尊心だが、その返す刀で、「ほかの人は劣っている」と
思うのは、自己中心性。「私は私」と思うのは、個人主義だが、「相手も私に合わせるべきだ」と
考えるのは自己中心性。人も老人になると、この自己中心性が強くなる。脳の老化現象ともい
えるものだが、アルツハイマーの初期症状の一つでもあるそうだ。(物忘れがひどくなるという
主症状のほか、繊細さの欠如、がんこになるなど。)

言い換えると、この自己中心性と、どう戦うかが、脳の老化の防止策にもなる(?)。いや、防
止にはならないかもしれないが、少なくとも人に嫌われないですむ。私の遠い親戚に、こんな男
性がいた。中学校の校長を最後に、あとは悠々自適の生活をしていたが、会う人ごとに、「君
は何をしているのかね?」と。そしてその人が、その男性より肩書きや地位の高い人だと、必
要以上にペコペコし、そうでないと威張ってみせた。私にもそうだった。私が「幼稚園で働いて
います」と言うと、こう言った。「君はどうせ学生運動か何かをしていて、ロクな仕事にありつけ
なかったのだろう」と。こういう人は嫌われる。その男性は数年前、八〇歳近くになって他界し
たが、葬式から帰ってきた母がこう言った。「あんなさみしい葬式はなかった」と。
  
その人の進歩はいつどのようにして停止するのか。ものを書いていると、それがよくわかる。た
とえば私は、毎日いろいろなことを考えているようで、実際には堂々巡りをしているときがあ
る。教育もそうだ。ある日気がついてみると、一〇年前、あるいは二〇年前と同じことをしてい
ることに気づくときがある。こういった部分については、私の進歩はその時点で停止しているこ
とになる。

 そういった視点で見ると、人がまた別の角度から見えてくる。この人はどこまで進歩している
だろうか。あるいはこの人はその人のどの時点で進歩を止めているだろうか。そういう視点で
その人を見ることができるようになる。ただ「進歩」といっても、二種類ある。一つは、常に新し
い分野に進歩していくという意味での「進歩」、今の専門分野をどこまでほりさげていくかという
意味での「進歩」である。この二つはよく似ているようだが、実のところまったく異質のものであ
る。

 たとえば医療の分野に興味をもった人が、そのあと今度は法律の分野に興味をもつというの
は、前者だ。一方、その分野の研究者が自分の研究を限りなく掘り下げていくというのは、後
者だ。どちらにせよ、人は油断すると、その進歩を自ら停止してしまう。そしてある一定の限ら
れた範囲だけで、それを繰り返すようになる。こうなるとその人はもう死んだも同然……といっ
た状態になる。毎日、読む新聞はといえば、スポーツ新聞だけ、仕事から帰ってくると野球中
継を見て、たまの休みは一日中、パチンコ屋でヒマをつぶす。これは極端な例だが、そういう
人に「進歩」を求めても意味がない。(実際、野球にしても、毎年大きな変化があるようで、一〇
年前、二〇年前の野球と、どこも違わない。パチンコにしてもそうだ。)

 これは職業には関係ない。たとえばここに証券マンがいたとする。彼は毎日、証券業務に追
われていたとする。しかしある時期までくると、その業務はそれまでの繰り返しになる。マイナー
な変化はあるだろうが、それは「進歩」と言えるほどの変化ではない。世間一般の「仕事」という
業務からみると、ささいな変化だ。そこでその証券マンは、さらに専門化していくが、それはまさ
に重箱の底をほじるような世界へと入っていくようなもの。自分自身では「進歩」と思い込んで
いるかもしれないが、それは本当に「進歩」と言えるようなものなのか。

 一方、農家のお百姓さんがいる。「百姓」というだけあって、オールマイティだ。そのオールマ
イティさは、プロのお百姓さんに会ってみるとわかる。(中国語で、「百姓」というのは、もともと
「労働者」という意味だそうだ。)

私の親しい友人にKさんという人がいる。農業高校を出たあと、農業一筋の人だが、彼のオー
ルマイティさには、驚くしかない。農業はもちろんのこと、大工仕事から、土木作業、農機具の
修理まで何でもこなす。先日遊びに行ったら、庭先で、工具を研磨機で研いでいた。もちろん
山村の生活で使うようなありとあらゆる道具に精通している。その上自然相手の生活だから、
そのつど作物は変わる。キーウィ生産もしているし、花木の生産もしている。そういうKさんとも
なると、いつもどこかで挑戦的に進歩しているのがわかる。こと、生きる力ということになれば、
Kさんのほうが、はるかに、その力がある。

 そこで私はこう考えた。専門的にその世界へどんどんと入っていってつかむのが、「知識」。
一方、外の世界へ常識の世界を広げていくのが、「教養」と。そういう意味で知識と教養は別物
である。そして知識のある人が必ずしも、教養があるということにはならない。反対に教養のあ
る人が知識があるということにもならない。こんなことを言った人がいる。『知識と教養は別物で
す。……教養を身につけた人間は、知識階級よりも職人や百姓のうちに多く見出される』と。福
田恒存という人が「伝統に対する心構」の中で書いている一節である。

このことは子どもを見ればすぐわかる。勉強ができるから人格的にすぐれた人物ということに
はならない。むしろ勉強のできない子どものほうにこそ、人格的にすぐれた子どもを見ることが
多い。(そもそもこの日本では、人格的にすぐれた子どもほど、あの受験勉強になじまない。こ
れは日本の教育そのものがかかえる、致命的な欠陥といってもよい。)

 ところが進歩をしようとしても、今度は脳の物理的な限界を感ずることがある。記憶という分
野にしても、自分でもはっきりとそれがわかるほど、年々退化している。そして構造そのものも
退化するというか、がんこになることがわかる。自分では進歩しつづけたいと思いつつ、それが
どこか限界に達しつつあるように感ずる。進歩をこころがけていない人はなおさらで、その人は
その時点で完全に停止してしまう。

これも一つの例だが、私の近所には定年退職したあと、のんびりと(?)年金生活をしている人
が何人かいる。しかし彼らの生活を見ていると、五年前、さらには一〇年前の生活とどこも違
わない。それはちょうど、子どもがブロックで遊びながら、小さな家を作っては、また壊すという
作業に似ている。壊したあとから、また同じものを作っているから、何となく生きているようには
見えるが、また小さな家を作ってはこわしてしまう。そんな感じだ。

 生きるということは、それ自体が、生きるための大きなテーマである。しかし生きるだけでは
足りない。人はいつも、どう生きるかを模索しなければならない。たとえていうなら、生きること
は、ビン。どう生きるかは、中身ということになる。どちらが欠けても、人生には意味がない。
(再)

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞







件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■4-22-1

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 681人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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03−4−22号(214)
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
●5月 9日(金)富士市市民文化会館・ロゼシアター 10:30〜12:00
        主催  富士市立幼稚園PTA連合会(九園合同) 
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    ( \   / | \ )  /
  / \   (3-─┼─-ε)  /   私たちは、安心子育て、めざしましょう!
  ──────────────┐     そうだね……。
【1】トピックス∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

浜松祭り

 毎年、五月三、四、五日の三日間、このあたりでも最大規模の祭りが、この浜松で催される。
「浜松祭り」である。私も、二〇代のころは、よく「練り」に出た。「練り」というのは、「ワッショ、ワ
ッショ」という掛け声とともに、屋台の前後を練ることをいう。しかし悲しいかな、私は、「よそ
者」。どこかで違和感を覚えるようになり、それ以後は、もっぱら観客に徹している。

 浜松祭りの見どこから、何といっても「凧(たこ)あげ」。今は、中田島砂丘を舞台にして、無数
の凧が、糸切り合戦をする。おもしろいといえばおもしろいが、やはり浜松祭りは、自分で参加
したほうが、おもしろい。祭りにもいろいろあるが、浜松祭りは、参加型の祭り。見て楽しむ祭り
ではない。

 しかしこの一〇年ほど、こんなことを書くと、浜松の人には叱られるかもしれないが、私はそ
の連休中は、山荘にこもって、好き勝手なことをすることにしている。客が来たときは、祭りを
案内するが、その客がいないときは、逃げる。祭りが嫌いというのではない。私は人ごみが苦
手。例年、五〇万人前後の観光客がくるという。ものすごい数である。そういう人たちを見る
と、祭りを楽しむ前に、目が回ってしまう。

 しかしこの浜松祭りは、この三〇年間だけも、大きく変わった。

その一。三〇年ほど前には、練りに出る女性は、ほとんどいなかった。今は、約半数近くが、
女性! 

その二。また三〇年前には、練りどうしが、衝突。そのままそこで、けが人が出るほどの喧嘩
になった。救急車の音がひっきりなしに聞こえていた。が、今は、警察の管理下に置かれてい
る。

その三。そのためか、祭りに出る人まで、管理されるようになった。祭りの衣装をつけていない
とダメとか、いろいろある。昔のように、その町内のハッピを着て、こっそりその町内の人になり
すまして出るなどということができなくなった。

 そんなわけで、浜松祭りから、野性的なおもしろさは、完全に消えた。ある意味で、学校の運
動会のようになってしまった。こうした変化を歓迎する人もいるが、嘆く人もいる。「キバを抜か
れたライオンみたい」と。

 で、その浜松祭りが、今年も近づいてきた。町内ごとに、ラッパや、太鼓の練習が聞こえてく
るようになった。私のワイフなどは、根っからの浜松っ子だから、今でもこう言う。「私、あのラッ
パの音を聞くと、今でも、体がムズムズする」と。祭りというのは、そういうものか。更年期に入
り、倦怠(けんたい)期も過ぎているのに、祭りのラッパには、体が反応するようだ。

 さて、今年の連休はいそがしい。予定がいくつか入っている。久しぶりに、御殿屋台(ごてん
やたい、このあたりでは、そう呼んでいる)でも見に行くか。四日、五日の夜は、市内を五〇〜
七〇の屋台が並ぶ。私はいつも、今のザザシティの反対側あたりに立って見ることにしてい
る。皆さんも、どうぞ。そうそう御殿屋台を見るなら、天気にもよるが、五日の夜がよい。午後七
〜八時前後が、いつも最高に盛りあがる。
(030413)

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<           安心できる情報と、
    /†_____†ヽ//          正しい知識をもとに、
    ( ('    ξヽ           考える力を忘れないで
  ┏ ||   o//\) )(         前向きに、子育てをしていきましょう。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

(お休みします)
 
     ⌒⌒    Ω
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   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
さだまさしの「案山子(かかし)」

 さだまさしのヒット曲に、『案山子(かかし)』がある。「♪元気でいるか、町には慣れたか、友
達出来たか、寂しかないか、お金はあるか、今度いつ帰る……」という、あの歌である。

 すばらしい曲だ。この歌を聴いて、しんみりする人も多いはず。それは事実だが、この歌は別
として、こうした名曲を評論するのは、実際のところ、気が引ける。数年か前も、私が、窪田聡
の『かあさんの歌』を新聞で批評したら、何人かの人から、抗議の電話をもらった。ある中学校
で、講演をしたときもそうだった。そのあとPTA会長に、「私はいい歌だと思います」と、逆に批
判(非難?)されてしまった。

 しかし、だ。この歌には、子離れできない父親の心情、甘えてもらいたいという父親の心情、
子育てが終わって、何か虚しい父親の心情が、切々と織り込まれている。一番、気になるの
は、「お金はあるか……」という部分。ほかのところでは、「♪"金頼む"の一言でもいい」とあ
る。

 親子関係が良好なときは、こういう言い方は、たしかに子どもの心を動かす。しかしそうでな
いケースもある。たとえばあなたが親の過干渉、過関心、あるいは溺愛を息苦しいほどに感じ
ていたとする。そしてそういう親の呪縛から逃れたいと、親のもとを離れたとする。そして、やっ
とひとりになることができた。そういうとき、父親から、こういう手紙をもらったら、あなたはそれ
をどう感ずるだろうか。

 ある意味で、この歌は、父親から子どもへの、一方的な愛の押し売りを表したものと考えてよ
い。もしそれがわからなければ、子どもの立場で考えてみればよい。

 あなたは、今、生活で困っている。お金がない。お金がほしい。そういうとき父親から手紙が
きて、「お金はあるか?」と。ケースによっては、つまり親子関係が良好でない状態なら、こうい
う手紙はイヤミに聞こえる。

 だいたい、そもそも良好な関係なら、父親は、こんな手紙を書かない。書く必要もない。子ど
ものほうから、「今月は、もうお金がなくなった。少し助けてほしい」と、すなおに、心を開いて言
ってくるはず。そうでないから、親のほうが、どこか遠慮がちに、どこか押し売り的になる。「♪"
金頼む"の一言でもいい」となる。もう少し分析すると、こうなる。

 この父親は、息子(娘)に、「金頼む」と言ってほしいのだ。頭をさげてほしいのだ。そして頼ま
れることによって、自分の父親としての立場を確認したいのだ。実は、こういう言い方は、日本
人独特の、子育て観に、深く根ざしている。日本では、子どもを育てながら、子どもに対して
は、「親がいなければ、あなたは生きていかれない」という意識をもたせるようにする。恩を着
せようとする。よい例が、「産んでやった」「育ててやった」という言葉である。

 この歌の中でも、父親は、こんな会話ができることを期待しているかもしれない。

父「頼むと言え」
子「……うん、お父さん、頼む」
父「そうか、では、助けてやろう」と。

 仮に内心で、そう思っていたとしても、しかし父親が息子に、手紙で書くようなことではない。
いや、実のところ私は、自分の子どもたちがまだ小さいころは、この歌が好きだった。CDも買
った。しかし実際、息子たちが巣立ち始めると、この歌に対する印象が一変した。あるときは、
「何という、女々しい歌」とさえ思った。

 たしかに遠く離れて住む息子(娘)をもつと、その心配はつきない。しかしそれ以上に大切な
ことは、息子(娘)に、自分のことで心配をかけないことだ。先日も、こんなことがあった。

 息子の一人が、軽い事故を起こしたらしい。それをずいぶんとあとになってから私に話したの
で、「どうして私に言わなかったのだ!」と責めたら、息子はこう言った。「パパやママに、いらぬ
心配をかけたくなかったから」と。それを聞いたとき、それはそのまま私たち夫婦の気持ちであ
ることを知った。私たち夫婦も、そのつど、いろいろな問題をかかえている。しかしそのほとん
どは、息子たちには、話していない。いらぬ心配をかけたくないからだ。

 そういうたがいの思いやりというか、やさしさが、良好な親子には必要である。あるいは良好
な関係にあれば、そういう思いやりや、やさしさが、自然と、生まれてくる。そしてそれが相乗効
果となり、たがいの人間関係を、よりよくする。そしてそういう関係になると、たがいに「便りがな
いのは、よい知らせ(No news is a good news)」となる。が、その均衡が崩れたというか、「♪"
金頼む"の一言でもいい」とは? 何とも日本人の琴線に触れる言い方ではあるが、そんなわ
けで私は、この歌の中に、自立できない、もっと言えば、子離れできない、未熟な父親を感じて
しまう。

 「さだまさしの案山子(かかし)では、最後にはこうある。『♪手紙が無理なら、電話でもいい』
と」と、私。
 「かなり親子関係が、こわれているわね」とワイフ。
 「そうなんだよな。そのあとは、『♪"金頼む"の一言でもいい。お前の笑顔を待ちわびる、お
ふくろに聴かせてやってくれ』とある。何だか息子か娘か知らないが、親と喧嘩して、家出した
ような雰囲気なんだよな」
 「そう言えば、そうね」
 「ふつうなら、……こういう言い方は好きではないけど、ふつうなら、親は、子育てから解放さ
れて、ほっとしてもいいはずなんだけどさ」
 「そういう親もいるわ。私の友だちの、Kさんね。あの人なんか、いつも子どもは子どもで勝手
にやればいい。自分たちも子どもの世話にはならないと言っているわ」
 「そういうふうに考える親がふえてきた。しかしこういう曲を聴いて、涙を流す人も多いというこ
と。それにもう一言付け加えるなら、この父親は卑怯だよね」
 「どうして?」
 「だってさ、自分が子どもに会いたいのに、『お前の笑顔を待ちわびる、おふくろに……』と、
妻のせいにしている。自分で会いたかったら、自分でそう言えばいい。この父親という人は、き
っと気の小さい人なんだろうね」
 「そうね。このタイプの父親は、自分では、いい父親でいたいのよ」
 「そうだね」

 ……とまたまた、日本の名曲を、たたいてしまった。批判もふえることだろう。叱られるのを覚
悟で、今まで私が批評して書いた原稿を、ふたつ、ここに添付しておく。ともに中日新聞で発表
済のものである。

+++++++++++++++++++++

(1)日本人の依存性を考えるとき 

●森進一の『おくふろさん』
 森進一が歌う『おふくろさん』は、よい歌だ。あの歌を聞きながら、涙を流す人も多い。しかし
……。日本人は、ちょうど野生の鳥でも手なずけるかのようにして、子どもを育てる。これは日
本人独特の子育て法と言ってもよい。あるアメリカの教育家はそれを評して、「日本の親たち
は、子どもに依存心をもたせるのに、あまりにも無関心すぎる」と言った。そして結果として、日
本では昔から、親にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコール、「よい子」とし、一方、独
立心が旺盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。

●保護と依存の親子関係
 こうした日本人の子育て観の根底にあるのが、親子の上下意識。「親が上で、子どもが下」
と。この上下意識は、もともと保護と依存の関係で成り立っている。親が子どもに対して保護意
識、つまり親意識をもてばもつほど、子どもは親に依存するようになる。こんな子ども(年中男
児)がいた。

生活力がまったくないというか、言葉の意味すら通じない子どもである。服の脱ぎ着はもちろん
のこと、トイレで用を足しても、お尻をふくことすらできない。パンツをさげたまま、教室に戻って
きたりする。あるいは給食の時間になっても、スプーンを自分の袋から取り出すこともできな
い。できないというより、じっと待っているだけ。多分、家でそうすれば、家族の誰かが助けてく
れるのだろう。そこであれこれ指示をするのだが、それがどこかチグハグになってしまう。こぼ
したミルクを服でふいたり、使ったタオルをそのままゴミ箱へ捨ててしまったりするなど。

 それがよいのか悪いのかという議論はさておき、アメリカ、とくにアングロサクソン系の家庭で
は、子どもが赤ん坊のうちから、親とは寝室を別にする。「親は親、子どもは子ども」という考え
方が徹底している。こんなことがあった。一度、あるオランダ人の家庭に招待されたときのこ
と。そのとき母親は本を読んでいたのだが、五歳になる娘が、その母親に何かを話しかけてき
た。母親はひととおり娘の話に耳を傾けたあと、しかしこう言った。「私は今、本を読んでいるの
よ。じゃましないでね」と。

●子育ての目標は「よき家庭人」
 子育ての目標をどこに置くかによって育て方も違うが、「子どもをよき家庭人として自立させる
こと」と考えるなら、依存心は、できるだけもたせないほうがよい。そこであなたの子どもはどう
だろうか。依存心の強い子どもは、特有の言い方をする。「何とかしてくれ言葉」というのが、そ
れである。たとえばお腹がすいたときも、「食べ物がほしい」とは言わない。「お腹がすいたア〜
(だから何とかしてくれ)」と言う。ほかに「のどがかわいたア〜(だから何とかしてくれ)」と言う。
もう少し依存心が強くなると、こういう言い方をする。

私「この問題をやりなおしなさい」
子「ケシで消してからするのですか」
私「そうだ」
子「きれいに消すのですか」
私「そうだ」
子「全部消すのですか」
私「自分で考えなさい」
子「どこを消すのですか」と。

実際私が、小学四年生の男児とした会話である。こういう問答が、いつまでも続く。

 さて森進一の歌に戻る。よい年齢になったおとなが、空を見あげながら、「♪おふくろさんよ
……」と泣くのは、世界の中でも日本人ぐらいなものではないか。よい歌だが、その背後には、
日本人独特の子育て観が見え隠れする。一度、じっくりと歌ってみてほしい。

+++++++++++++++++++++

(2)子どもの心が離れるとき 

●フリーハンドの人生 
 「たった一度しかない人生だから、あなたはあなたの人生を、思う存分生きなさい。前向きに
生きなさい。あなたの人生は、あなたのもの。家の心配? ……そんなことは考えなくていい。
親孝行? ……そんなことは考えなくていい」と、一度はフリーハンドの形で子どもに子どもの
人生を手渡してこそ、親は親としての義務を果たしたことになる。子どもを「家」や、安易な孝行
論でしばってはいけない。負担に思わせるのも、期待するのも、いけない。もちろん子どもがそ
のあと自分で考え、家のことを心配したり、親に孝行をするというのであれば、それは子どもの
勝手。子どもの問題。

●本当にすばらしい母親?
 日本人は無意識のうちにも、子どもを育てながら、子どもに、「産んでやった」「育ててやった」
と、恩を着せてしまう。子どもは子どもで、「産んでもらった」「育ててもらった」と、恩を着せられ
てしまう。

 以前、NHKの番組に『母を語る』というのがあった。その中で日本を代表する演歌歌手のI氏
が、涙ながらに、切々と母への恩を語っていた(二〇〇〇年夏)。「私は母の女手一つで、育て
られました。その母に恩返しをしたい一心で、東京へ出て歌手になりました」と。はじめ私は、I
氏の母親はすばらしい人だと思っていた。I氏もそう話していた。しかしそのうちI氏の母親が、
本当にすばらしい親なのかどうか、私にはわからなくなってしまった。五〇歳も過ぎたI氏に、そ
こまで思わせてよいものか。I氏をそこまで追いつめてよいものか。ひょっとしたら、I氏の母親
はI氏を育てながら、無意識のうちにも、I氏に恩を着せてしまったのかもしれない。

●子離れできない親、親離れできない子
 日本人は子育てをしながら、子どもに献身的になることを美徳とする。もう少しわかりやすく
言うと、子どものために犠牲になる姿を、子どもの前で平気で見せる。そしてごく当然のこととし
て、子どもにそれを負担に思わせてしまう。その一例が、『かあさんの歌』である。「♪かあさん
は、夜なべをして……」という、あの歌である。戦後の歌声運動の中で大ヒットした歌だが、しか
しこの歌ほど、お涙ちょうだい、恩着せがましい歌はない。窪田聡という人が作詞した『かあさ
んの歌』は、三番まであるが、それぞれ三、四行目はかっこ付きになっている。つまりこの部分
は、母からの手紙の引用ということになっている。それを並べてみる。

「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」
「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」
「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」

 しかしあなたが息子であるにせよ娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、あなたは
どう感ずるだろうか。あなたは心配になり、羽ばたける羽も、安心して羽ばたけなくなってしまう
に違いない。

●「今夜も居間で俳句づくり」
 親が子どもに手紙を書くとしたら、仮にそうではあっても、「とうさんとお煎べいを食べながら、
手袋を編んだよ。楽しかったよ」「とうさんは今夜も居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」
「春になれば、村の旅行会があるからさ。温泉へ行ってくるからね」である。そう書くべきであ
る。つまり「かあさんの歌」には、子離れできない親、親離れできない子どもの心情が、綿々と
織り込まれている! 

……と考えていたら、こんな子ども(中二男子)がいた。自分のことを言うのに、「D家(け)は…
…」と、「家」をつけるのである。そこで私が、「そういう言い方はよせ」と言うと、「ぼくはD家の跡
取り息子だから」と。私はこの「跡取り」という言葉を、四〇年ぶりに聞いた。今でもそういう言
葉を使う人は、いるにはいる。

●うしろ姿の押し売りはしない
 子育ての第一の目標は、子どもを自立させること。それには親自身も自立しなければならな
い。そのため親は、子どもの前では、気高く生きる。前向きに生きる。そういう姿勢が、子ども
に安心感を与え、子どもを伸ばす。親子のきずなも、それで深まる。子どもを育てるために苦
労している姿。生活を維持するために苦労している姿。そういうのを日本では「親のうしろ姿」と
いうが、そのうしろ姿を子どもに押し売りしてはいけない。押し売りすればするほど、子どもの
心はあなたから離れる。 

 ……と書くと、「君の考え方は、ヘンに欧米かぶれしている。親孝行論は日本人がもつ美徳
の一つだ。日本のよさまで君は否定するのか」と言う人がいる。しかし事実は逆だ。こんな調査
結果がある。平成六年に総理府がした調査だが、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた日
本の若者はたったの、二三%(三年後の平成九年には一九%にまで低下)しかいない。自由
意識の強いフランスでさえ五九%。イギリスで四六%。あのアメリカでは、何と六三%である
(※)。欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。今、日本は、大きな転換期に
きているとみるべきではないのか。

●親も前向きに生きる
 繰り返すが、子どもの人生は子どものものであって、誰のものでもない。もちろん親のもので
もない。一見ドライな言い方に聞こえるかもしれないが、それは結局は自分のためでもある。
私たちは親という立場にはあっても、自分の人生を前向きに生きる。生きなければならない。
親のために犠牲になるのも、子どものために犠牲になるのも、それは美徳ではない。あなたの
親もそれを望まないだろう。いや、昔の日本人は子どもにそれを求めた。が、これからの考え
方ではない。あくまでもフリーハンド、である。ある母親は息子にこう言った。「私は私で、懸命
に生きる。あなたはあなたで、懸命に生きなさい」と。子育ての基本は、ここにある。

※……ほかに、「どんなことをしてでも、親を養う」と答えた若者の割合(総理府調査・平成六
年)は、次のようになっている。
 フィリッピン ……八一%(一一か国中、最高)
 韓国     ……六七%
 タイ     ……五九%
 ドイツ    ……三八%
 スウェーデン ……三七%
 日本の若者のうち、六六%は、「生活力に応じて(親を)養う」と答えている。これを裏から読
むと、「生活力がなければ、養わない」ということになるのだが……。 
(030414)

°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ
°◎_/ ̄⌒―――∩
 ///―――――∫           
⊂⊂/      ∫      無断で、転送、引用、転載は、なさらないでください。
         ∫              よろしくご協力ください。       
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

外国人用パス

 JRでは、外国人用に、21日間、列車乗り放題の、フリーパスを販売している。ただし日本国
内では、販売していない。しかも日本人は、ダメ。

 それによると、普通車用パスが、59600円、グリーン車用パスが、79600円。

 少し計算してみて、私は驚いた。安い! グリーン車乗り放題(もちろん新幹線も)パスのば
あいでも、一日、約3800円。その3800円で、日本中が、グリーン車で旅行できる。しかも当
然のことながら、すべて座席指定!

 で、さらに調べてみると、各国も、同じようなことをしているのがわかった。たとえばヨーロッパ
も、同じようなことをしている。外国へ行って、同じように列車による旅をしようと思ったら、この
方法がよいかも。頭の中に入れておこう。

 ……と書いて、指が止まってしまった。これ以上、書くことがない。

いや、こんなことを調べたのは、今度七月に、オーストラリアの友人夫妻が、我が家へくるから
だ。目的は、八月六日に、広島で原水爆反対の運動に参加して、パレードに出るため。それま
で、日本のあちこちを「気が向くまま(follow the nose)」旅行したいという。で、国によっても違う
が、オーストラリアやアメリカでは、飛行機で移動するのが、好ましい。何といっても、広い。一
方、日本では、鉄道網が発達している。「車はどうか?」と聞いてきたので、「車はやめたほうが
よい。道路が、クモの巣のようにからんでいる」と教えてやった。

 オーストラリアのその友人のばあい、数年おきくらいに、外国を旅行している。今、五三歳だ
が、そのつど約二か月くらいをかけて旅行している。うらやましいと思うと同時に、いつも、「どう
して、そんなに長く休暇が取れるのだろう」と思うことがある。……と、言いながら、実は、そこ
には、こんなカラクリがある。

 オーストラリアでは、ある一定額以上の年収になると、とたんに税率が高くなる。そこで従業
員を雇う企業は、社員の給料を一定額以下に抑え、それを超えた差額分は、会社の利益とし
て社内でプールしておく。そして数年ごとに、会社は、そのプールしたお金を使って、その社員
を、海外へ、「出張」という名目で、派遣する。出張といっても、もちろん中身は、旅行。社員
は、全額会社負担という形で、世界を旅行する。だから彼らは、長期間の休暇を取ることがで
きる。うらやましい!

 そういう友人たちを見ていて、若いころ気づいたことは、彼らは、休暇を、心いっぱい楽しむ
姿勢ができているということ。日本人とは、そもそも、原点が違う。オーストラリア人は、「生きる
ために仕事をする」。一方、日本人は、「仕事をするために生きる」。この違いは、大きい。

 たとえば彼らは、こう言う。「土日に、家族と楽しく過ごすために、週日は仕事をする」と。わか
りやすく言えば、「自分の生活を楽しむために、仕事をする」と。あくまでも家庭が「主」、仕事が
「従」というわけである。これに対して日本では……。ここに改めて書くまでもない。だから彼ら
の発想からすれば、家庭を犠牲にしてまで仕事をするということは、考えられない。

 「日本人なら、休暇になると、仕事の心配ばかりするよね」と私。
 「ゆっくりと休暇を楽しむことができないのよ」とワイフ。
 「そうだ。たまに旅行しても、『もったいないから』といって、名所、旧跡を急いで回ったりする。
そしてその証拠にと、写真ばかりとっている」
 「でも、今の若い人たちは、変わってきたわよ」
 「そうだな。どんどん変わってきている。ゆっくりと時間を楽しむという姿勢も、生まれてきた」

 ……外国人パスの話から、何か話をつづけようとしたら、こんなエッセーになってしまった。何
とも支離滅裂なエッセーになりそうなので、この話は、ここまで。ついでに、「旅行」にまつわる、
名言をいくつか。

●旅は、私にとって、精神の若返りの泉。(アンデルセン「自叙伝」)
●人が旅をするのは、到達するためではなく、旅行するためである。(ゲーテ「格言と反省」)
●母国を決して離れない者は、偏見に満ちている。(ゴールドーニ「パメラ」)

さあ、すばらしい季節になった。私も、旅行をするぞ!
(030414)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

SARS

 「SARS」という、新型肺炎が流行している。「コロナウィルス」と言われても、ピンとこないが、
そういうウィルスらしい。このところウィルスのこわさは、コンピュータウィルスで、いやというほ
ど思い知らされているから、……関係ない、か。

 その新型肺炎の発生源は、どうやら中国の広東省あたりらしい。あのあたりでは、動物の家
畜や魚の養殖などに、めちゃめちゃ構成物質を使うという。そのためウィルスが、突然変異し
たのでは……?、というのが、私の考えだが、本当のところは、わからない。

 それがどういうウィルスであれ、恐ろしい肺炎であることには違いない。何よりもこわいのは、
死亡率が高いことと、空気感染すること。数千人の感染者に対して、約一〇〇人程度の死亡
率らしい。仮に一億人が感染すれば、五〇〇万人程度が死亡することになる。日本でも、死者
が一万人を超えるようになれば、パニック状態になるだろう。この新型肺炎を軽く見てはいけな
い。

 それにしても、よくもまあ、こういう病気が、つぎからつぎへと生まれるものだ。科学や化学の
発達で、人間生活は便利になったが、その一方で、こうした病気をつくり出しているとしたら? 
だからといって、科学や化学を否定してはいけないが、人間は、何かしら、壮大なムダをしてい
るような気がしてならない。たとえば……。

 ワイフなんかは、距離的にして一キロもないような公民館へ、車で出かけて行っては、テニス
をしている。「運動のため」と言っているが、もしそうなら歩いていけばよい。そして汗を流したあ
とは、おなががすいたといっては、何かを食べ、今度は、太るといけないからといって、何やら
高価なダイエット食を食べている。どちらかというと、家の中では、ゴロゴロしているほう。洗濯
は、全自動の洗濯機に任せきり。料理も、このところ、簡単にできるものが多くなった。

 要するに人間は、一時的な便利さを求めて、一方で、副産物として別の問題をつくりだしてい
る。そしてその問題を解決するために、あれこれ、もともとしなくてもよいような苦労をしている。
今度の新型肺炎を見ていると、私にはそんな感じがしてならない。

 そこでこうした問題については、二つの考え方がある。ひとつは、そういうムダにブレーキを
かけるというシステムを、つくること。何か新しいことを始めようとするときは、将来起こりうる危
険性を、あらかじめ予測する。「これはいいぞ」と思ったら、「これは、どういう問題を起こすか」
を同時に考える。そしてその問題についての、予防策をこうじておく。

 もうひとつは、生活をいつも、原点に立ち返って考えるようにする。原点というのは、原始生
活のこと。原始生活にもどれということではない。しかし人間の生活は、原点ではどうであった
かを考えることは、とても大切なこと。私はこのことを、自分で山荘生活をするようになって気づ
いた。

 たとえばあのあたりの女性たちは、実によく歩く。道といっても、山道。そういうところをスタス
タと歩く。もちろん農作業もある。山荘の裏で、毎日のように畑を耕している女性は、今年、八
〇歳だという。そういう環境の中では、運動不足は考えなくてもよい。ダイエットも考えなくても
いい。町の人のように、ポテポテと太った人は、ほとんどいない。(いることは、いるが、少な
い。)

 さて、SARSはまだ、よい。今のところ、何とか防げそうな感じになってきた。しかしたとえば、
空気伝染するようなエイズのような病気が現れたらとしたら! しかも伝染力が、きわめて強い
としたら! そういう可能性はないとは言えない。現に今、K国は、生物兵器をもっているとい
う。週刊誌(P誌、今週号)によれば、その生物兵器を、東京都で使われたら、都民の三分の
一から四分の一が死亡するということだそうだ。そういう細菌も実際にあるから、油断は禁物。

 五月に、アメリカにいる二男夫婦が、日本へ来るという。「SARSがはやっているから、様子
をみろ」とメールを書いたら、「そうする」とのこと。我が家も、決してSARSとは無縁ではない。
何とか早く、収束すればよいと、心から願っている。
(030415)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


北朝鮮レポート

 あちこちのウェブサイトをのぞいていたら、北朝鮮系の、日本S団体が出しているサイトをヒッ
トした。どんなことを考えているかと思い、興味があったので、読んでみた(四月一二日)。

●将軍様(金XXのこと)が、拉致(らち)事件を認め、謝罪した。にもかかわらず、日本人は、
将軍様を責めている。謝罪したにもかかわらず、責任をいまだに追及するのは、将軍様に対し
て、失敬だ。

●アメリカでさえ、政治と人道支援を区別し、北朝鮮に食糧援助をしている。にもかかわらず、
日本政府が、食糧援助をしないのは、どういうことか、などなど。

要するに、「わが国の将軍様に、謝罪させたのは失敬だ」「日本政府は、わが国に食糧援助を
しろ」ということらしい。「わが国」という言葉は使っていなかったが、この文章を書いた人は、日
本に長く(?)住みながら、心はまったくの北朝鮮人。日本人が北朝鮮を受け入れていない以
上に、日本を受け入れていない。私はあきれるより先に、どうしてこういう発想で、ものを考えら
れるのか、そちらのほうを不思議に思った。

金XXは、北朝鮮では、すばらしい人かもしれないが、そういう価値観を、日本人の私たちに押
しつけてもらっては困る。それに「援助するのが当たり前」という発想で、ものごとを考えてもら
うのも困る。「謙虚になれ」とまでは、言わないが、もう少し、北朝鮮系の在日朝鮮人の人たち
は、謙虚になってほしい。

 北朝鮮の人たちが、困っているのは、よくわかる。今年(〇三年)も、約一〇〇〜一五〇万ト
ンの穀物が不足するという(世界食糧計画・WFP)。もともと正確な統計がない国だから、本当
のところいくら不足するか、わからないという。しかしたいへんな量であることには違いない。
「子どもの七〇%が栄養失調。満七歳で、平均身長が一〇五センチしかない。こうした栄養不
足は、次世代にまで、深刻な影響をもたらすだろう」(WFP)とのこと。北朝鮮の軍隊を取材し
た日本のあるカメラマンも、こう言った。「どの男性も、日本人より、一回り小さいので驚いた。
おとなでも平均身長は、一五五〜一六〇センチくらいしかないのではないか」と。そう言えば、
あの金XXも、いつもハイヒール靴を愛用しているという。

 北朝鮮の人たちには、同情する。しかし日本に向けて、二〇〇発(中国側の発表では、一〇
〇発)以上ものミサイルを向けているという現状の中では、どうにもこうにも、その同情を、理解
や援助に結びつけることができない。過去において、日本は歳によっては、一〇〇万トン以上
もの食糧援助をしている。しかし北朝鮮は、礼どころか、恩を仇(あだ)で返すようなことを平気
でしてきた。あるいは援助が少しでも遅れがちになると、「約束が違う」と、日本を非難した。あ
る外務省高官は、こう言った。「援助しているのに、叱られるなんて、考えたこともなかった」と。

 S団体が出しているサイトの記事の中にも、そういうニュアンスが読み取れる。「援助しないの
は、どういうことか」と。ワイフにこのことを話すと、「何を、甘ったれたことを言っているんでしょ
うね」と。そう、完全に、甘ったれている。しかし問題は、こうした異常なまでの依存性が、いっ
たいどこから生まれてくるかということ。心理学の世界でも、被害妄想にとりつかれた人が、よく
こうした依存性をもつことはよく知られている。「私が失敗したのは、社会のせい。だから社会
は、私を保護すべきだ」と。金XXの心理も、これに近いのでは……? 独裁国家だから、指導
者の心理が、そのまま国家の姿勢として、反映される。

 北朝鮮を、「たかり国家」(SG氏)と評する学者もいる。かつてはソ連や、東欧諸国の援助に
頼っていた。それが中国になり、今度は、アメリカや韓国になった。最後は、日本というわけで
ある。そういう体質が、脈々と流れているから、たかりながらも、それが「たかり」とさえ気づか
なくなっている?

 さてさて、どうしたものか。拉致問題は、解決していない。金XXは、謝罪したが、それとて、当
然のことではないのか。で、食糧援助だが、今のこの状況の中では、たいへんむずかしい。朝
鮮日報(韓国系新聞社)の報道によれば、韓国が送った肥料は、もっぱらケシ畑(韓国側の発
表では、「楊貴妃」、つまり大麻栽培)で使われているという。つまり麻薬の生産に回っていると
いう。まさに一事が万事。今のままでは、世界が何をしても、北朝鮮に対しては、「援助」ではな
く、「悪の幇助(ほうじょ)」になってしまう。

 さて昨日(四月一二日)、北朝鮮が、突然、「各問題について、多国間協議に応じてもよい」と
言いだした。この突然の変化について、あれこれ言われているが、アメリカの強硬な姿勢に、
金XXが恐れをなしたと考えるのが、正しい。(韓国側の発表では、中国側から、強力な働きか
けがあったという。)しかしこうした見せかけの変化に、だまされてはいけない。その下に、何
か、あるはずである。北朝鮮は、まさに謀略国家。自国の民衆さえ、平気でだましつづけてい
る国である。世界をだますなどということは、朝飯前。私には、核兵器を完成させるための、時
間稼ぎにしか見えないのだが……。
(030413)

●北朝鮮の食糧事情……
 「北朝鮮の2002年11月から2003年10月の食料需要は前年対比6万トン増の632万トン
となろう。これに対して北朝鮮の穀物総生産量見通しは413万トンとなる見通しで、219万トン
の供給不足となる見通しであると見られている。現在、世界食糧計画の支援穀物51万トン、
各国からの食糧支援25万トン程度が見込まれているが、これらを考慮しても北朝鮮の穀物は
140万トン強の不足となるものと見られている。北朝鮮は国際社会の食糧支援が今年も不可
欠な状況にあると見るべき」(韓国政府・統一部と農業振興庁)とのこと。

【注】北朝鮮情勢は、日々に変化します。この原稿は、去る四月一三日に書いたものです。どう
かそういうことをご考慮のうえ、お読みください。

 一般論として、教育の世界(学校や幼稚園)では、政治と宗教の話は、タブー中のタブーにな
っています。しかし私は、どの団体にも属していません。どの組織からも、恩恵を受けていませ
ん。ですから、このように政治問題について自由に発言することができます。私は、こういう自
由を、大切にしたいです。よろしくご声援ください。

【追記】今回のイラク戦争で、「?」と思ったのは、朝のワイドショーの連中たちが、みな、「フセ
インさん」「クサイさん」「ウダイさん」と、「……さん」づけで呼んでいたこと。今朝(一四日)も、ま
だ「フセインさん」と、「……さん」づけで呼んでいる人がいた。

 戦争に反対する気持ちは理解できる。イラクに同情する気持ちも、理解できる。しかし現に戦
争が始まり、日本の自衛隊がペルシャ湾に派遣されている今、いわば敵国の指導者を、「……
さん」づけで呼ぶ心理は、いったい、どういうとこころからくるのか。残念ながら、私には、理解
できない。
 
     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。

【おまけ】
 このところ、何かと憂うつで、笑いたい人へ……(笑いのページへ)
           http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page165.html

Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞








件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■4-24

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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★★★★★★★★★★★★★★
03−4−24号(216)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
●5月 9日(金)富士市市民文化会館・ロゼシアター 10:30〜12:00
        主催  富士市立幼稚園PTA連合会(九園合同) 
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    / / へ へ   へ ミミ  ─┐     今日のメニュー
   ( | σ σ |  ∂  へ ミ  |         【1】子どもの心理
    )("  ) ")  ζ  ∂ ぅ             【2】Touch your Heart
   / 八 ー 八┐ ( __  ノ─┐           【3】子育てエッセー
   ((  >−< | >−< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  /
  / \   (3-─┼─-ε)  /   私たちは、安心子育て、めざしましょう!
  ──────────────┐     そうだね……。
【1】子どもの心理∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

母親の力

 世話だけすれば、それで子どもが育つと考えるのは、まちがい。子どもは、世話をしてやるだ
けでは育たない。生きることさえできない。

 生後まもなくから、施設に預けられ、多人数の子ども用ベッドで並べられて育てられたような
子どものばあい、死亡率がきわめて高いということは、以前から指摘されている。(程度の問題
もあり、具体的な数字を出すことはできないが、これは発達心理学の世界では、常識。)が、そ
ういう子どもでも、母親的な愛情を注いでみたところ、死亡率がぐんとさがったという。(これも
常識。)

 つまり母親というのは、ただ単に、子どものミルクを与え、子どもを大きくするためだけの存
在ではないということ。母親とのつながりが、子どもの命そのものを守るということになる。その
「つながりのない状態」を、「マターナル・デプリィベイション(deprivation)」という。日本語では、
「はく奪(だつ)」と訳す。「母親の愛情がはく奪された状態」ということで、デプリィベイションとい
う。

 このデプリィベイションは、子どもの心に深刻な影響を与える。最近問題になっている、表情
のない子ども、笑わない子ども、感情表現ができない子ども、さらにはサイレントベービなども、
このデプリィベイションが原因と言われている。あるいはそれ以前の段階として、表情が乏し
い、知恵の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどの、独特のクセが身につきやすくなるなど
を指摘する学者もいる。

 そういう意味では、乳幼児期には、母親は子どもに対して、積極的に働きかけること。スキン
シップのほか、語りかけ、身辺の世話など。こうした一連の接触が、子どもに生きる力を与え
る。決して、安易に考えてはいけない。
(030417)
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子どもの心理(1)

●子どもの不安は、親がつくる

 私の教室でも、ニコニコ笑いながらくる子どもは、その表情も明るい。反対にそうでないとき
は、暗い。一般論として、子どもの不安感は、親がつくると考えてよい。それがもっとも顕著に
現れるのは、小学校入試である。

 入試に不合格になったようなとき、極端に落ちこむ子どもと、そうでなく、平気な子どもがい
る。もちろん子ども自身は、入試がどういうものであるか、あるいは合格、不合格がどういうも
のであるか、知らない。知らないから、本来なら不合格になったところで、子どもはそれによっ
て、影響を受けるはずもない。

 子どもは、まわりの人たち、なかんずく母親の様子を見て、自分の置かれた立場を知る。た
とえば不合格になり、母親がそのまま寝込んでしまうようなケースがある。子どもはそういう母
親の姿を見て、自分がとんでもないことをしてしまったのを知る。……知らされる。

 あるいはその前の段階として、親が緊張すればするほど、子どものほうも緊張する。そして不
合格になり、親の緊張感が崩れたとき、子どもの緊張感も崩れる。そしてそのとき子どもの心
も不安定になる。このことは犬を観察してみるとわかる。

私の飼っている犬の一匹は、ポインターという猟犬である。この犬は、私の心の様子に応じて、
敏感に反応する。私が庭の向こうを見つめ、じっと緊張したようなフリをしてみせると、犬のほう
も、ピタリと動きを止め、私が見ている方向を見る。犬は犬で、私の様子を参考にしながら、周
囲の状況を判断している。

 子どもの前では、親は、自分の不安や心配を見せない。これは子育ての鉄則。とくに子ども
が乳幼児期においては、そうで、この時期、親の精神状態が日常的に不安定になると、子ども
は、その影響をまともに受ける。子どもは不安を基底としたものの考え方をするようになり、そ
れがそのまま子どもの心の中で、ほぼ一生残ることになる。

 おとなの中にも、「子どものときから何をしていても、いつも、不安だった」「仕事の休みなど
で、遊んでいると、かえって不安になる」「これから先のことを考えると、言いようのない不安に
かられる」という人がいる。そういう人は、乳幼児期のこの時期に原因があると考えてよい。

 A氏(四〇歳・男性)は、何をしていても不安でならない。せっかくの休みでも、考えるのは、仕
事のことばかり。家族とどこかへでかけても、「こんなことをしていていいのだろうか」と、そんな
ことばかり考える。で、A氏は、休みでも、会社へ行き、仕事をすることがあるという。そういうA
氏に、妻は不満でならない。ある日、私にこう言った。「ときどき、かわいそうになるときがあり
ます」と。

 で、いつごろからそういう不安になったかを聞くと、A氏は、「もの心つくころから、そうでした」
とのこと。で、A氏は、そういうA氏になったのは、自分に責任があるからだと思っていた。しか
しこういうケースでも、まず疑ってみるべきは、A氏自身の乳幼児期。とくに母親の心理状態が
どうであったかということ。それについてA氏は、こう言った。

 「当時、私の親たちは、離婚状態でした。いつ離婚してもおかしくなかったのですが、世間体
を気にして、それもできなかったようです。毎晩、喧嘩ばかりしていました」と。そういう不安定な
家庭環境が、A氏の心に大きな影響を与えたものと思われる。

 親は、子どもの前では、朗らかに。明るくする。子どもを育てるということは、そういうことをい
う。


●愛着(アタッチメント)

 昔は、子どもは、親に依存するものと考えた。「保護と依存が、親子のあるべき人間関係」と
考える人もいた。今でも、親のことを、「保護者」というが、それはそういう考え方に根ざしてい
る。

 その後、しばらくすると、「マザーリング(愛撫)」という言葉が生まれた。親子の関係は、親側
からの濃厚な愛情と、スキンシップが基本という考え方である。今でも、この考え方を支持する
人は多い。しかしさらに最近になって、親子の関係は、必ずしも、親から子どもへの一方的なも
のではなく、子どもの側からも、親に対して「働きかけ」があるのが、わかってきた。この働きか
けを、「アタッチメント(働きかけ)」という※。

 もっともこの言葉は、英語の世界では、昔からよく使われている言葉である。もともと「アタッ
チメント」というのは、「くっつく」という意味。日本語になおすと、「甘える」というニュアンスに近
い。「うちの息子には、強いマザー・アタッチメント(母親への密着)がある(My son is having 
Mother Attachment)」というような言い方をする。「親から離れられない子ども」という意味で、
「人見知り」あるいは「分離不安」的な症状を示す子どもにも、この言葉が使われる。

 この子どもの側からのアタッチメント(愛着行動)に対して、親が、それにじゅうぶん答えてや
らないと、子どもは、さまざまな問題を引き起こすことがわかっている。親の拒否的な育児態
度、冷淡、無視、暴力、威圧、虐待が、悪いことは、言うまでもない。そこで大切なことは、子ど
も側からの愛着行動(親に向かってほほえむ、手足をバタつかす、甘える、親の体に触れたが
る、意味もなくぐずる)が見られたら、親は、それにていねいに応じてあげねばならないというこ
と。たいていは、しばらく静かに抱いてやると、そのまま落ちつく。

 中には、「甘えん坊になりませんか?」「抱きグセがつくのでは?」と心配する人もいるが、子
どもがスキンシップを求め、愛着行動を示す背景には、それなりの理由があるはずである。そ
ういう前提で、子どもの心を大切にする。もちろんベタベタのスキンシップや溺愛がよくないこと
は、言うまでもない。密度の濃い、質の高いスキンシップを大切にする。

※…… 母親は新生児を愛し、いつくしむ。これを愛着行動(attachment)という。これはよく知
られた現象だが、最近の研究では、新生児の側からも、母親に「働きかけ行動」があることが
わかってきた(イギリス、ボウルビー、ケンネルほか)。こうした母子間の相互作用が、新生児
の発育には必要不可欠であり、それが阻害されると、子どもには顕著な情緒的、精神的欠陥
が現れる。その一例が、「人見知り」。

 子どもは生後六か月前後から、一年数か月にかけて、人見知りするという特異な症状を示
す。一種の恐怖反応で、見知らぬ人に近寄られたり、抱かれたりすると、それをこばんだり、拒
否したりする。しかしこの段階で、母子間の相互作用が不完全であったり、それが何らの理由
で阻害されると、「依存うつ型」に似た症状を示すことも知られている。基本的には、母子間の
分離不安(separation anxiety)は、こうした背景があって、それが置き去り、迷子、親の育児拒
否的な態度(子どもの誤解によるものも含む)などがきっかけによって起こると考えられる。


●スキンシップには、魔法の力

 スキンシップには、魔法の力がある。「未知の力」と言ってもよい。そのスキンシップが不足す
ると、さまざまな弊害が現れることは、よく知られている。それはそれとして、その一方で、子ど
もの心のことで、「どこかおかしい」と感じたら、スキンシップをふやしてみる。抱く、手をつなぐ、
添い寝をするなど。たいていの問題は、それで解決する。

 同じ親でも、母親と子どもの関係は、特別なものである。その関係は、父親との関係とは、決
して同一のものでも、同質のものでもない。子どもにとって、母親は、「自分の命」そのもの。一
方、父親は、「精液、一滴」の関係でしかない。フロイトも、「血統空想」という言葉を使って、「自
分と父親との関係を疑う子どもはいても、母親との関係を疑うものはいない」と説明している。

 ここでいうスキンシップは、母親が子どもに与えるスキンシップをいう。父親のスキンシップ
は、どうなのかという意見もよく聞くが、そういう意味では、父親が子どもに与えるスキンシップ
は、補助的なものと考えてよい。子どもは、母親とのスキンシップに、(1)保護、(2)安全、(3)
心の安定、(4)やすらぎ、(5)休息を求める。子どもの脳の中で、エンドロフィン系、エンケファ
リン系の麻薬様の物質が分泌されているのだろう。胸に抱かれた子どもは、ある種の陶酔感
にひたっているのがわかる。

 大切なことは、スキンシップを求めてくる子どもには、ていねいに応じてあげるということ。求
めてくる背景には、それなりの理由や原因があるとみる。「うるさい」式に拒絶してはいけない。
(030415)

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<           安心できる情報と、
    /†_____†ヽ//          正しい知識をもとに、
    ( ('    ξヽ           考える力を忘れないで
  ┏ ||   o//\) )(         前向きに、子育てをしていきましょう。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●お休みします
 
     ⌒⌒    Ω
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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
●お休みします

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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

雑感

 北京に住んでいる日本人留学生が、こんな報告を届けてくれた。

 今、中国では、SARS(新型肺炎)が、ご存知のように、大流行している。それでその留学生
が言うには、「リアル・アメリカンは、みな、アメリカへ帰ってしまった。北京に残っているアメリカ
人は、中国系アメリカ人とか、そういうアメリカ人だけ」と。

 理由は、明白。「アメリカでは、治療費がべらぼうに高いから。へたに病気になると、親の財
産ですら吹っ飛んでしまうから」だそうだ。ちなみに、二男が、昨年、アメリカで虫歯になり、二
本、歯の治療をしてもらったが、その費用が、約三〇〇〇ドル。日本円で、約四〇万円!

 そのかわり、向こうでは、医療保険が発達している。そのあと、病院で発行する領収書を、し
かるべきところに提出すると、その分、保険会社が治療費を払ってくれる。そういうしくみはあ
るにはあるが、それにしても、高額! 「アメリカでは、簡単には病気になれない」と、よく言わ
れるが、本当にそうだ。(ああ、日本人で、よかった!)

 そのアメリカで思い出したが、あの「チップ制度」というのは、ほんとうにいやなもの。支払額
の、一〇〜一五%が、チップの相場ということになっている。ふと忘れて、チップを払わないで
いたりすると、彼らは露骨に、不愉快な表情をしてみせる。そういうとき私は、「しまった!」と思
うのだが、それと同時に、それまでの楽しい気分が、半減してしまう。(ああ、日本人で、よかっ
た!)

 で、レストランでも、そのチップをめぐって、店員どうしが客の奪いあいをする。たとえばAとい
う客が、最初に、Bという店員に注文を出したとする。すると、その店員は、ずっとAという客の
めんどうをみる。Aという客も、ずっとBという店員をとおして、オーダーを出さねばならない。途
中で、Cという店員をつかまえてオーダーを出しても、Cという店員は、見向きもしてくれない。あ
とでAという店員と、もめるのが、いやだからだ。そういうことがわかっているから、客のほうも、
最初に声をかけてくれた店員にだけ、オーダーを出す。

 これはレストランでの話しだが、こうした気配りは、どこでも必要。とくにうるさいのは、ホテ
ル。ドアボーイ、カウンター、レストランなど、そのつど、気をつかわねばならない。そのかわり
親しくなると、こまめにめんどうをみてくれる。そういうことはあるが、やはりうるさいと言えば、う
るさい。あるアメリカ人の友人は、こう言った。私が「日本のいいところはどこか?」と聞いたと
きのこと。「チップを払わなくてもいいところだ」と。その気持ちは、ヨ〜クわかる。

 さて冒頭の話。私はアメリカへ行くときは、いつも最高額の保険をかけることにしている。最
高額といっても、一〇日間の保険で、五〜六万円程度だが、それで三〜五〇〇〇万円程度ま
での治療費をカバーしてくれる。三〇〇〇万円の治療費というと、たいへんな重病を想像する
人もいるかもしれないが、虫歯一本で、数一〇万円という国である。油断できない。みなさん
も、アメリカへ行くときは、くれぐれも、ご用心を!
(030417)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


塾長ブルース

 大手、あるいは中堅の進学塾で講師をしていると、自分のしていることが、バカらしく思えると
きがある。給料は、意外なほど、安い。月額二〇万円から三〇万円。若い新任の講師だと、一
五万円前後。しかし教える生徒数は、一クラス、二〇人〜三〇人。大手の進学塾では、四〇
人というところも少なくない。給料が安いのは、年齢が若いことによる。この世界では、経験よ
りも、生徒の人気のほうが重視される。年配のおじいさんぽい講師は、お呼びではない。(……
という。)

一人、二万円〜三万円の月謝。中間の数字で計算しても、六三万円(2.5万円X25人)稼い
で、講師が受けとるのは、二五万円ということになる。差し引き、三八万円は、経営者の収入と
いうことになる。実際には、塾生二〇〇人前後の中堅塾で、講師数は、四〜五人だから、講師
一人当たり、四〇人前後の生徒を受けもつことになる。そういうことを知れば知るほど、講師
は、自分のしていることが、バラらしく思えてくる。(……という。)

 塾の講師になる人は、もともと計算が得意な人が多い。そこでしばらく講師をしていると、た
いていの講師は、こう考えるようになる。「こんなに儲かるなら、自分でしたほうがよい」と。力
(?)のある講師ほど、そういうふうに考える。(……という。)

 そこで講師は、生徒を教えながら、一方で、独立することを考える。進学塾といっても、いつも
経営者が見ているわけではない。生徒から、住所と名前を聞きだすことぐらい、わけがない。
あるいは名簿は、事務局に聞けば、手に入る。(ふつうは教えないことになっているが……。)

 講師はこう考える。「生徒が一〇人で、今の給料分がカバーできる。だったら、一〇人、生徒
を連れてやめれば、生活には困らない。一〇人以上になるなら、もっと儲かる」と。そこで進学
塾で教えるかたわら、独立するための教室を、物色する。塾というのは、机とイス、それに黒板
があれば、何とか開業できる。小さな塾なら、五〇万円もあれば、じゅうぶん。一応の形はでき
る。

 一度そういう計画ができると、講師は、自分と生徒の関係づくりに精をだす。こまめに生徒や
父母と連絡をとりあい、相談にのったりする。自分が退職すると同時に、生徒が自分について
きてくれるようにするためである。

 そしていよいよ決行の日。たいていは、二月とか、三月の年度末。講師は、自分が勤めてい
た進学塾に、退職届を出す。理由など、どうでもよい。要するに独立が目的なのだ。と、同時
に、自分の教え子たちに、手紙を出す。「今度、独立することにしました。ついては、○○町に、
XX進学塾を開くことになりました。今後は、どうかそちらへおいでください」と。

 この方法は、たいていうまくいく。講師が退職すると同時に、ほとんどの生徒はその講師につ
いていく。それまでに濃密な人間関係ができているためである。生徒も、「今までどおり、あの
先生に習えるなら」「月謝も割安」「ていねいに教えてもらえるかも」と考える。

 こうして一年目は、無事(?)、営業できる。その余力で、二年目も何とか、営業できる。しか
し問題は、三年目から。

 この世界、やはり資金力がものをいう。今では、四色刷りの豪華なチラシでないと、生徒は集
まらない。一色刷りや二色刷りでは、相手にもされない。それに進学塾は、情報量が信用の基
盤。模擬試験をするにしても、一塾だけのデータだけではどうにもならない。(小塾が集まって
情報を交換している地域もあるにはあるが……。)

 三年目になると、とたんに生徒が減り始める。そこで講師は、週二回を三回、四回と、レッス
ン日をふやす。これは塾の常套(じょうとう)手段である。あるいは対象学年を、さげる。それま
では小六から教えていたのを、小五からにしたり、小四からにしたりする。(……という。)

 しかしそうなれば、仕事量ばかりがふえて、その分、それに見あっただけの収入がふえない。
疲ればかりがたまり、同時にやる気も半減する。……あとは、この悪循環。(……という。)

 こうして五年、生き残る塾は、五〇%。一〇年、生き残る塾は、さらにそのうちの五〇%とな
る。実際には、一〇年をめどに、ほとんどの塾は、つぶれる。(……という。)

 こうした塾は、あなたのまわりにもあるはず。大手の進学塾の横で、個人の塾が新しく生まれ
たら、その塾は、こうして生まれた塾と考えてよい。こういう塾では、開業と同時に、「どうしてあ
んなに生徒が集まるのだろう?」と思うくらい、最初は、生徒が多い。

 しかし世の中、そんなに甘くない。ある中堅の進学塾の経営者が、こう話してくれた。

 「うちの塾では、生徒の人気度で、その講師を評価します。やはり若くてハンサムな講師ほ
ど、いいようです。で、そうでない講師は、わざと独立を促して、退職するように仕向けます。た
しかに生徒を連れていかれるのは、つらいですが、それはいわば退職金のようなものです。こ
れは進学塾が構造的にもつ、宿命のようなものです。しかたないですね」と。

 実際には、いくつかの教室があるときには、講師を定期的に移動させることにより、講師と生
徒が個人的なパイプをつくるのを防ぐ。経営者の目を盗んで、生徒を連れだす講師も講師な
ら、経営者も経営者だ。そこには、「教育」の理念など、ひとかけらもない?
(030415)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

進学塾ブルース

 今年のはじめ、最後まで入っていた、進学塾のグループから、抜けた。進学塾といっても、た
いはんは金儲け主義。しかし私が所属していた、K研究団体は、まじめな、アカデミックな団体
だった。それで二〇年近くも、そこに所属していた。 

 「抜けた」のには、大きな理由は、ない。もともとその研究会は、東京都と埼玉県を中心とす
る団体で、距離的にも、遠かった。毎月、会合があったが、私のばあい、年一回程度、参加す
るのが精一杯。何となく、疎遠になり、それで抜けた。

 アカデミックな団体であることはすばらしい。しかしそういうところで議論していると、いつもあ
る種のむなしさを感じた。皆は、「教育とは……」「日本の教育とは……」と、まさに口角にアワ
をとばして、意見を戦わせていた。が、あるとき、みなの討論を横で聞いているとき、ふとこんな
ことを思った。「こんなことを議論して何になるのだろう」と。また別のときは、「どうせ、私たち
は、だれにも相手にされていないのに」と。

 そう、私たちは、世間的には、まったく相手にされていなかった。団体そのものが、公的に認
知されているわけではない。どこからの補助も、援助もない。さらに、だれに頼まれているわけ
でもない。つまりいくら意見を述べても、ただの自己満足? それぞれの塾に子どもを通わせ
る父母にしても、そんな意見など、聞きたくもないだろう。

 生きる誇りをもつことは、大切なことだ。高邁な思想と哲学をもって、意見を戦わせることは、
大切なことだ。しかしそれが自己満足の世界にはいったとき、そしてさらにそれが、他人に対し
て、押しつけ的になったとき、その思想や哲学は、地に落ちる。

その団体の中にも、どういうわけか、私を目の仇(かたき)にして、ああでもない、こうでもないと
議論を吹っかけてくる男がいた。一度は、私に、「あんたは知識をひけらかす、バカだ」と言っ
た。酒の勢いもあったが、私はその男と議論する前に、「どうぞ、ご勝手に」と思ってしまった。
「どうぞ、ご勝手に、そう思いたければ、思え」と。いくつか彼の書いた作文(論文と言えるような
ものではない)を読んだことがあるが、あまりの不勉強に、驚いたことがある。そのためその男
を説得しようなどという気持ちが、どうしても起きなかった。

 しかし二〇年もつきあっていると、そのうちの何人かの人とは、親しくなる。私にとっては、す
ばらしい人たちだ。人間として、すばらしい。しかしそういう団体を抜けると言うことは、同時に、
そういう人たちとの「別れ」を意味する。それはつらい。まあ、もっともそれで、ズルズルと、二〇
年もつきあったという面もないわけではないが……。しかしこのところ、それ以上に、そういうい
いかげんな人間関係をつづける自分が、いやになった。「つきあっておけば、何かの役にたつ
だろう」という思いがなかったわけではない。しかしそういう思いは、いわば心のススのようなも
の。そういうススが、自分でもいやになった。

 こうして、昨年は、埼玉県下の、「M会」(塾連盟)。愛知県下の、「S会(塾連盟)から抜けた。
二年前には、東京都の「D会」(幼児教室の会)と、「P会」(文筆家クラブ)から抜けた。で、今
度、最後まで所属していた、K研究団体を抜けた。そんなわけで今は、どこにも所属していな
い。まったくのフリー。

 ふと、さみしくなることもあるが、そのかわり、新しい人たちとのつきあいも、始めている。今
は、できるだけ、異業種というか、私の仕事は関係ない人とのつきあいを大切にしている。こと
「教育」「子育て」については、私はもう、やりすぎるほど、やった。だからこれからは、別の世界
の人たちとのつきあってみたい。そういう思いもあって、K研究団体から抜けた。

 さようなら、K研究会のみなさん。それから私に「知識をひけらかすバカ」と言った、Oさん。あ
なたのおかげで、私も目が覚めました。ありがとう。私はそのとおりの人間でした。どうか、ご活
躍を!
(030416)

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞







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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
● 5月19日(月)愛知県西枇杷島家庭教育推進協議会
●5月 9日(金)富士市市民文化会館・ロゼシアター 10:30〜12:00
        主催  富士市立幼稚園PTA連合会(九園合同) 
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   ( | σ σ |  ∂  へ ミ  |         【1】子どもの心
    )("  ) ")  ζ  ∂ ぅ             【2】雑感t
   / 八 ー 八┐ ( __  ノ─┐           【3】子育てエッセー
   ((  >−< | >−< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
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  / \   (3-─┼─-ε)  /   私たちは、安心子育て、めざしましょう!
  ──────────────┐     そうだね……。
【1】子どもの心∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子どもの警戒心(子どもの心理)

 新しい場所へ連れていったようなとき、(1)周囲をキョロキョロ見ながら、警戒する子どもと、
(2)まるで無頓着で、平気で振るまう子どもがいる。場所や年齢にもよるが、子どもが三〜四
歳前後なら、警戒する子どものほうが望ましい。多動性の強い子どもや、知恵の発達が遅れ
がちの子どもほど、警戒心が薄い。薄い分だけ、平気な顔をしている。が、それだけではない。

 親子の絆(きずな)の太さは、親が子どもから離れたときの様子を観察すれば、わかる。子ど
もだけ残して、親が、その場を離れ、子どもの見えないところに移動する。そのとき親がいなく
なったことで、(3)不安感や警戒心を顔に出す子どもと、(4)平気で、そのまま遊びつづける子
どもがいる。子どもの側からの愛着(アタッチメント)が強い子どもほど、親がいなくなると、不安
な様子を見せる。一方、そうでない子ども、つまり親子の結びつきが弱い子どもほど、平気な
顔をしている。

 さらに、今度は、しばらくして再び、親が子どものところに戻ってみる。そのとき(5)親の姿を
見て、うれしそうな顔をして、親を迎える子ども、(6)親がいなかったことを責め、ぐずったり、
怒りつづける子ども、さらに(7)まったく平気な顔をしている子どもがいる。 

 親子の信頼関係がしっかりしている子どもは、(5)のような様子を見せる。しかし親子の関係
に不安感を覚えている子どもは、(6)のような様子を見せる。さらに親の育児拒否、冷淡、無
視などが日常化しているようなばあいには、(7)のような様子を見せる。言うまでもなく、(5)の
ようであるのが、親子の関係として、望ましい。

 さて、今度は、おとなの話。先日、こんなことを話してくれた女性(四〇歳、家庭の主婦)がい
た。何でも彼女の夫は、短気だというのだ。「私が車で駅へ迎えに行くときでも、一〇分とか一
五分、遅れただけで、機嫌が悪くなるのです。『道路が渋滞(じゅうたい)していたので、遅れ
た』とあやまっても、わかってくれません。私をガミガミと叱りつづけます。どうしてでしょうか」
と。

 この夫のケースでは、まず夫の態度そのものもが、幼児性をおびていることに注目してほし
い。迎えにきてくれた妻に対して、機嫌が悪いのが、それ。この夫は、感情のコントロールが、
うまくできないらしい。私はこの話を聞いたとき、「おとなも子どもも、同じだな」と思った。この夫
を、上の(1)〜(7)のどれかに当てはめると、(6)の「親がいなかったことを責め、ぐずったり、
怒りつづける子ども」に相当する。この夫のばあい、ひょっとしたら、そうした不安定性は、幼児
期からつづいているのかもしれない。もしそうなら、原因は、乳幼児期の親子関係にあると考え
てよい。

 さて、あなたの子どもは、どうだろうか。(……どうだっただろうか。)ほどよい警戒心があった
だろうか。あるいはあなたとの関係はどうだろうか。園や学校から帰ってきたようなとき、あなた
の顔や姿を見て、うれしそうな顔をするだろうか。ほっとするような様子を見せるだろうか。もし
そうなら、それでよし。が、そうでないなら……。しかしこの問題は、子どもが乳幼児期のころの
問題。この世界には、「手遅れ」ということもある。要は、できるだけ早い時期にそれに気づき、
適切に対処するということ。子どもが、三、四歳になってからでは、ことこの問題については、
手遅れ! あとは「うちの子は、こういう子なんだ」と、あきらめて、それを受け入れるしかない。
(030417)

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<           安心できる情報と、
    /†_____†ヽ//          正しい知識をもとに、
    ( ('    ξヽ           考える力を忘れないで
  ┏ ||   o//\) )(         前向きに、子育てをしていきましょう。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】雑感∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

自己誇示と自尊感情

 四歳にもなると、未熟で未経験な部分はあるが、その基本的な精神構造は、おとなのそれと
同じとみてよい。このころの子どもでも、嫉妬(しっと)はするし、名誉心も誇りもある。自尊心
(自尊感情)もあれば、劣等感もある。

 ところで感情には、二種類、ある。他人に対する感情と、自分自身に対する感情である。「あ
の人は好き」「あの人は嫌い」というのが、他人に対する感情。「自分はすばらしい」「ときどき
自分がいやになる」というのは、自分に対する感情。自分に対する感情のことを、「自我感情」
という。

 この自我感情は、生後一年くらいから芽生え始め、以後、急速に発達する。自己誇示や自尊
感情は、こうした過程で生まれる。

【自己誇示】

 人間は、他者とのかかわりなくしては生きていかれない。とくに子どもはそうで、その他者は、
(親)→(園の先生)→(友だち)と、年齢とともにワクを広げていく。「認められたい」「優位に立
ちたい」「目立ちたい」「注目されたい」など。

 子どもを伸ばすコツは、この自尊感情を、うまく利用すること。「自分はすばらしい」と子ども自
身が自覚したとき、子どもは、自らの力で伸び始める。そのためにも、子どもは、ほめる。遠慮
せずに、ほめる。たとえば子どもが、はじめてぬり絵をしたようなとき、はじめて絵を描いたよう
なとき、はじめてピアノの鍵盤をたたいたようなとき、さらには、はじめて文字を書いたようなと
き。そういうとき、「じょうずだね」と言ってみる。その一言が、子どもを伸ばす原動力となる。

 この時期、子どもは、ややうぬぼれ気味のほうが、望ましい。何か新しいテーマを見せたよう
なとき、「やる!」「やりたい!」と食いついてくればよし。「いやだ」「やりたくない」と、逃げ腰に
なるのは好ましくない。親は、そういう逃げ腰になる子どもについて、「生まれつきそうだ」と言う
が、そういう子どもにしたのは、親自身である。(「生まれつきそうだ」というのは、無責任な親
が、自分の責任を回避するために、よく使う言葉。こういう言葉を口にする、親は、卑怯だ!)

【自尊感情】

 子どものばあい、自尊感情は、「名前」を使って、指導する。「あなたの名前は、すばらしい名
前だ」「いい名前だ」「名前を大切にしようね」と。

 たとえば子どもの名前の出た、新聞や雑誌は、切り抜いて高いところに飾る、アルバムに張
るなど。そういう親の行為を通して、子どもは、自分を大切にすることを学ぶ。この自尊感情
が、子どもの倫理、道徳の基本になるのみならず、子ども自身の生きる原動力になることがあ
る。

 これは私のばあいだが、原稿などに「はやし浩司」の署名を入れるときには、今でも、ピンと
した緊張感が走る。「いいかげんなことは書けないぞ」「書いたことについては、責任をとるぞ」
と。

 よく盗作問題が、世間をにぎわす。数年前も、ある自然派作家(?)が、盗作問題で話題にな
った。東北なまりの独特の話し方をする、一見、純朴そうな男だった。当時は超売れっ子で、毎
週のようにテレビに出ていた。で、当の作家は、盗作が発覚すると、テレビ画面の前で、「相手
の方に許していただきました」と、オイオイと泣いてみせた。で、そのとき私は、「どうしてああい
うことができるのだろう?」と思った。盗作も盗作だが、みなの前で泣いてみせる行為も行為
だ!

 ものを書くとき、一番神経をつかうのが、この盗用問題である。(盗作など、言語道断!)疑
われるのもいやだ。だから私のばあい、だれかほかの人が、同じようなことを言い出したら、自
説でもひっこめるようにしている。それにこんなこともある。

 よく、何かと話題を届けてくれる人がいる。それはそれでたいへん参考になるのだが、たまた
ま似たような話題で原稿を書いたりすると、「どうして私のことを書くのですか!」と言われてし
まう。そういう面でも、神経をつかわねばならない。(プライバシーに関することは避けなければ
ならないのは、当然だが……。)

 話がそれたが、「はやし浩司」の名前を載せるということは、同時に、自分を大切にするという
ことでもある。ただ、これには、問題がないわけではない。

 自己誇示にせよ、自尊感情にせよ、一つまちがえると、自己中心となりやすい。これについて
はまた別の機会に考えるとして、しかしこれはもう少し大きくなったばあい。子どもが自己意識
で自分をコントロールできるようになれば、自己誇示も自尊感情もコントロールするようにな
る。それまでは、ここにも書いたように、子どもはややうぬぼれ気味のほうが、あとあとよい結
果を招く。(もちろんうぬぼれすぎは、困るが……。)
(030418)
 
     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
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          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子どもの国語力を伸ばす法

(会話能力を磨け!)

子どもの国語力が決まるとき

●幼児期に、どう指導したらいいの?
 以前……と言っても、もう二〇年近くも前のことだが、私は国語力が基本的に劣っていると思
われる子どもたちに集まってもらい、その子どもたちがほかの子どもたちと、どこがどう違うか
を調べたことがある。結果、次の三つの特徴があるのがわかった。

(1)使う言葉がだらしない……ある男の子(小二)は、「ぼくジャン、行くジャン、学校ジャン」と
いうような話し方をしていた。「ジャン」を取ると、「ぼく、行く、学校」となる。たまたま『戦国自衛
隊』という映画を見てきた中学生がいたので、「どんな映画だった?」と聞くと、その子どもはこ
う言った。「先生、スゴイ、スゴイ! バババ……戦車……バンバン。ヘリコプター、バリバリ」
と。何度か聞きなおしてみたが、映画の内容は、まったくわからなかった。

(2)使う言葉の数が少ない……ある女の子(小四)は、家の中でも「ウン、ダメ、ウウン」だけで
会話が終わるとか。何を聞いても、「まあまあ」と言う、など。母「学校はどうだったの?」、娘「ま
あまあ」、母「テストはどうだったの?」、娘「まあまあ」と。

(3)正しい言葉で話せない……そこでいろいろと正しい言い方で話させようとしてみたが、どの
子どもも外国語でも話すかのように、照れてしまった。それはちょうど日本語を習う外国人のよ
うにたどたどしかった。私「山の上に、白い雲がありますと、言ってごらん」、子「山ア……、上に
イ〜、白い……へへへへ」と。

 原因はすぐわかった。たまたま子どもを迎えにきていた母親がいたので、その母親にそのこ
とを告げると、その母親はこう言った。「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ。ホントにモウ、ダ
メネエ、ダメネエ」と。原因は母親だった!

●国語能力は幼児期に決まる
 子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんずく母親の言葉能力によって決まる。毎
日、「帽子、帽子、ハンカチ、ハンカチ! バス、バス、ほらバス!」というような話し方をしてい
て、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。こういうケースでは、たとえめんどう
でも、「帽子をかぶりましたか。ハンカチを持っていますか。もうすぐバスが来ます」と言ってあ
げねばならない。……と書くと、決まってこう言う親がいる。「うちの子はだいじょうぶ。毎晩、本
を読んであげているから」と。

 言葉というのは、自分で使ってみて、はじめて身につく。毎日、ドイツ語の放送を聞いている
からといって、ドイツ語が話せるようにはならない。また年中児ともなると、それこそ立て板に水
のように、本をスラスラと読む子どもが現れる。しかしたいていは文字を音にかえているだけ。
内容はまったく理解していない。なお文字を覚えたての子どもは、黙読では文を理解できない。
一度文字を音にかえ、その音を自分の耳で聞いて、その音で理解する。音読は左脳がつかさ
どる。一方黙読は文字を「形」として認識するため、一度右脳を経由する。音読と黙読とでは、
脳の中でも使う部分が違う。そんなわけである程度文字を読めるようになったら、黙読の練習
をするとよい。具体的には「口を閉じて読んでごらん」と、口を閉じさせて本を読ませる。

●幼児教育は大学教育より奥が深い
 今回はたいへん実用的なことを書いたが、幼児教育はそれだけ大切だということをわかって
もらいたいために、書いた。相手が幼児だから、幼稚なことを教えるのが幼児教育だと思って
いる人は多い。私が「幼稚園児を教えています」と言ったときのこと。ある男(五四歳)はこう言
った。「そんなの誰にだってできるでしょう」と。しかし、この国語力も含めて、あらゆる「力」の基
本と方向性は、幼児期に決まる。そういう意味では、幼児教育は大学教育より重要だし、奥が
深い。それを少しはわかってほしかった。

°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ
°◎_/ ̄⌒―――∩
 ///―――――∫           
⊂⊂/      ∫      無断で、転送、引用、転載は、なさらないでください。
         ∫              よろしくご協力ください。       
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

アメリカ、北朝鮮に核施設の解体を要求へ 

 四月一八日(金)、北朝鮮問題に関して、TBSは、つぎのように報道した。
 「北朝鮮の核開発を巡り、 23日に中国の北京で開かれる アメリカ・中国・北朝鮮の 三か国
協議で、アメリカ政府は、北朝鮮にすべての核施設の解体と核開発計画の全面放棄を求める 
方針をかためた。

 これは17日付けの ニューヨーク・タイムズが 報じたもの。それによると、 ブッシュ大統領
は、 3か国協議にのぞむ アメリカの代表団に対し、北朝鮮の核開発計画は 凍結だけでは不
十分で、ヨンビョンにある核施設すべての即時解体と、核開発計画の全面放棄を迫るよう 指
示したという。

 また、大統領は15日、 パウエル国務長官に核開発の脅威が 払しょくされるまで、北朝鮮と
いかなる条約も結ぶ用意がないとの考えを 伝えたという」(以上、TBS報道より)と。

 一方、同日(一八日)、昼のNHKニュースでは、「パウエル国防長官は、北朝鮮に多額の資
金援助をしている、中国と日本は、北朝鮮に対して、もっと指導力を発揮すべきだと述べた」と
伝えている。会議に先だって、アメリカ側が強硬姿勢に出たともとれる。一方、韓国はかねてか
ら、「核施設の凍結でじゅうぶん」という主張を繰り返してきた。しかし「凍結(現状維持)」と「廃
棄」では、まるで意味が違う。わかりやすく言えば、アメリカは、やる気らしい!

 私たちはこの北朝鮮問題を、「ああいうおかしな国が、核武装したらどうなるか」という前提で
考えなければならない。異常な独裁国家、完全な全体主義、それに恐怖政治。彼らが口にす
る「外国の脅威」というのは、自国民をだますための方便にすぎない。今の日本に、北朝鮮を
侵略する意図など、毛頭ない。ないことは百も承知の上で、日本に向けて、約二〇〇発ものノ
ドンミサイルを設置している。

 核兵器は別として、こうしたミサイルが生物兵器、化学兵器を搭載しているのは、もう常識。
もし仮に生物兵器搭載のノドンミサイルが、数発東京都に撃ちこまれたら、東京都の人口の三
分の一から四分の一が、死亡するという。私が住んでいる浜松市とて無事ではない。北朝鮮の
攻撃目標として、リストアップされている。この浜松市には、自衛隊基地があり、ここにはエー
ワックス(早期空中警戒機)が数機配備されている。

 私は北朝鮮の良識を信じたいが、しかしその良識が通じないから、そら恐ろしさを覚える。と
きどき金XXを迎える市民の様子が、テレビなどで報道されるが、皆、狂ったように、そして同じ
笑みを浮かべて旗を振っている。ああいうのを見ると、不気味としか、言いようがない。

いろいろいきさつはある。日本も、過去にまちがいを犯した。朝鮮が、韓国と北朝鮮に分断さ
れたのも、もとはといえば、日本に責任がある。だから、日本も遠慮すべきところは、遠慮す
る。謙虚になるべきところは、謙虚になる。しかしそれでも、今度の大量破壊兵器(核、生物、
化学兵器)の問題は、別である。私たち日本人にも、妥協できるところと、できないところがあ
る。妥協してもよいところと、してはいけないところがある。

 願わくば、北朝鮮が、アメリカの要求に、すなおに応じてくれること。そして核兵器を廃棄し、
核施設を放棄してくれること。さらに願わくば、現在の金XX体制が崩壊し、北朝鮮の人たち
が、恐怖政治から解放されること。で、問題は、はたしてそういう状態になるかどうかというこ
と。

 私のカンでは、(あくまでもカンだが……)、もうすでにアメリカと中国の間には、何らかの密約
ができているのではないかということ。昨年末より、金XXがたびたび北京へ使者を送り、中朝
首脳会談を申しいれてきたが、中国側がそれを断りつづけてきたこと。一方、中国の要人が、
頻繁に、ホワイトハウスを訪問していること。この二つを考えあわせると、中国と北朝鮮の関係
は、外の世界から想像する以上に、崩壊していると考えるのが正しい。一時的であるにせよ、
中国は北朝鮮への原油を停止したこともある。さらに中国側はすでに脱北者を中心に、特別
キャンプをつくり、反政府組織を訓練しているという情報さえある。

 では、日本と韓国はどうか。日本はともかくも、アメリカは、韓国については、完全に見かぎっ
ている。「選挙という手続きを経て、民主主義国家の韓国に反米政権ができたのだから、これ
は韓国民の総意であると理解する」というようなことを、ホワイトハウスの高官が言っている。つ
まり「これからは、韓国抜きで、北朝鮮問題を考える」と。もっと言えば、「アメリカと北朝鮮が戦
争状態になり、その結果、韓国がその戦争に巻き込まれても、知ったことか」と。

 日本については、何かと、お金を出し渋っていることについて、アメリカは、かなり不愉快に思
っているらしい。悲しいかな、日本には、そのお金がない。それがパウエル国防長官の、「中国
と日本は、北朝鮮に対して、もっと指導力を発揮すべきだ」という言葉である。「お前たちも、い
つまでもアメリカに頼ってばかりいないで、少しは、自分で何とかしろ」と。

 日本や韓国は、北朝鮮の暴走を心配しているが、北朝鮮の軍部はともかくも、金XXには、そ
の度胸も、勇気もない。ハイヒール靴をはいて身を飾るような男である。どうして自分の命をか
けて、戦争などできるだろうか。……と言っても、油断は禁物。過去の歴史の中でも、たいてい
の戦争は、ささいな偶発事件が引き金となって起きている。ブッシュ大統領や金XXには、その
気がなくても、戦争が起きる可能性はきわめて高い。

 そこで私たちは、何をすべきなのか。

(1)北朝鮮に対しては、き然とした態度で臨む。とくに核兵器、核開発関連施設については、
「廃棄」を、明確な形で、要求する。
(2)国内では、一刻も早く、防災訓練を実施する。とくに北朝鮮の攻撃目標としてリストアップさ
れている市町村は、生物兵器、化学兵器に対して、それなりの準備と、防災訓練をする。(たと
えば浜松市などは、国の指導がなくても、独自の見解と立場で、こうした訓練をすればよい。)

 この中で、(1)について、ともすれば日本人は、「とりあえず、日本さえよければ」という考え方
をしがちである。たとえば「シアトル・マリナーズが勝っても負けても関係ない。イチローだけが
活躍してくれれば」「ニューヨーク・ヤンキーズが勝っても負けても関係ない。松井だけが活躍し
てくれれば」と考えがちである。今回の一連の北朝鮮問題についても、「アメリカが何とかしてく
れるだろう」と考えている人は多い。つまりこの国際性のなさこそが、日本人の最大の問題でも
ある。何度も繰りかえすが、東京で核兵器が使われてからでは、遅いのである。

 さてこうしたアメリカの動きに対して、北朝鮮は、どう反応するだろうか。相も変わらず、虚勢
をはりつづけるだろうか。さらに核開発や軍事衝突をにおわせ、アメリカを恫喝(どうかつ)しつ
づけるだろうか。あるいは反対に、コロリと、アメリカ側の要求をのむ可能性もある。どちらに
せよ、二三日の会談が注目される。
(030418)

【注】この原稿は、去る四月一八日に書いたものです。この原稿をマガジンで発表するころに
は、情勢が大きく変化しているかもしれません。(四月二六日号として、配信予約を入れま
す。) 

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
10・11 ……北浜東小学校
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市リズム幼稚園
7.31  ……浜松市東部公民館
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・24  ……静岡市アイセル21
6・ 7  ……都築保育園
5・19  ……愛知県枇杷島家庭教育推進協議会
5・ 9  ……富士市市立幼稚園PTA連合会・ロゼシアター(中ホール)
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■4-28

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
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03−4−28号(218)
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

Q:子ども(小六)の受験のことを考えると、不安でなりません。育児ノイローゼ? 不安神経
症? あれこれ考えていると、自分をどう取り戻したらいいのか、わからなくなります。(TE、東
京都・母親)

A:不安の構造について、今回は、少し別の角度から考えてみます。

●拒否恐怖

似たものの夫婦という言葉がある。夫婦というのは、どこか、たがいに釣りあいがとれている。
それもそのはず。そもそも結婚するに際して、たがいに、自分と釣りあいのとれた相手を選
ぶ。

 人は、何かのことで拒否されると、そこに恐怖感を覚える。これを「拒否恐怖」という。そこで
人には、無意識のうちにも、この拒否されることを、自ら避けようとする性質がある。たとえば
目の前に、あなたから見て、たいへんかっこいい男がいたとする。マナーもよい。たとえて言う
なら、ベッカムさまのような男だ。

 そういう男に、あなたは交際を申し込むだろうか。いや、申し込んでも、断られることがわかっ
ている。そういうときは、あなたは、交際を申し込むようなことはしない。「どうせ、ダメだから」
と。一見、あきらめたかのように見えるが、しかし本当のところは、あきらめたのではない。断ら
れ、自分の自尊感情(プライド)がキズつくのがこわいから、申し込まないだけだ。

 その拒否恐怖は、自尊感情と深く結びついている。反対の立場で、考えてみよう。もしあなた
から見て、あなたとは不釣あいなほど、かっこ悪い男から交際を申し込まれたとする。するとあ
なたはきっと、こう思うに違いない。「バカにしないいでよ。私はあんたのような男と、つきあうよ
うな女ではないわ」と。

 交際を申し込んで、断られるというのは、自尊感情を、ひどくキズつけることになる。一方、自
分にふさわしくない男から、交際を申し込まれても、自尊感情は、キズつく。そこで男と女は、そ
れぞれ、ほどほどのところで釣りあいのとれた相手を選び、そして交際する。結婚する。つまり
こうして、似たもの夫婦ができあがる。

 もっとわかりやすく言えば、人には、それぞれ自尊レベルがある。その自尊レベルをはるか
に超えたとき、そこで人は拒否恐怖を感ずるということ。そしてそれが不安や心配の原因とな
る。

 実は、子どもの受験競争にも、この拒否恐怖がついて回る。「子どものため」とは言うが、そ
の実、親は、自分自身の中に潜む拒否恐怖にかられて、子どもの受験勉強に狂奔する。「S中
学に落ちたらどうしよう」「A高校に落ちたらどうしよう」と。子どもが選別されるという、選別恐
怖。子どもの将来が見えないという、盲目恐怖。それに自分だけが取り残されていくように感ず
る、孤立恐怖。この三つが、親の心をむしばむ。

 で、この拒否恐怖も、それをさらに解剖してみると、その根底に、自尊感情があることがわか
る。もし子どもが、最初から、その力のところで、ほどほどの進学校をめざせば、こうした拒否
恐怖は起きない。しかし子どもがC中学へ入れそうだとわかると、親は、「何とかB中学へ」と考
える。B中学へ入れそうだとわかると、今度は、「何とかA中学へ」と考える。親はギリギリのと
ころで、つまり子どもの実力がやっと届く学校を選ぶ。

 仮にC中学しか入れないとわかっているなら、一か八かでカケのような受験をするケースは
別として、親は、決して最上位のS中学の受験を望まない。不合格になれば、親としての自尊
感情にキズつくからだ。しかし学校の先生が、D中学を勧めたとすると、今度は、反対の立場
で、反発する。「うちの子は、D中学へ入るような子どもではありません」と。

 そこでもし、あなたが子どもの受験のことで、ここでいう拒否恐怖を味わっているなら、一度あ
なた自身の自尊感情を、解剖してみるとよい。つまり子どもの受験勉強で、もしあなたが悩ん
だり苦しんだりしているなら、それは子どもの問題ではなく、あなた自身の問題だということ。あ
なた自身の自尊感情が、いわば自作自演の形で、あなたの中に、問題を作っているだけという
ことになる。

 やがてあなたの子どもは、子どもの力に見あったところで、ほどほどの人生を歩むようにな
る。それが悪いというのではない。しかし今のあなたが、自分の力に見あったところで、ほどほ
どの人生を歩んでいるように、子どももそうなる。夫婦にも、似たもの夫婦というのがあるのと
同じように、子どもにも似たもの人生というものがある。要は、それぞれの立場で、幸福になる
こと。そしてその幸福とは、本来、自尊感情とは、無縁のものである。ベッカムさまと結婚した
から、幸福になれるというものでも、また、ベッカムさまと結婚できなかったから、不幸になると
いうものではない。同じように、A中学に合格したから、幸福になれるというものでも、また、A中
学に合格できなかったから、不幸になるというものでもない。もっとわかりやすく言えば、自尊
感情というのは、まさに幻想。その人が勝手につくりあげた、幻想にすぎない。それに気づけ
ば、ここでいう拒否恐怖から、自分を解放することができる。

 さてTEさんへ、

 自尊感情がだれにでもあるように、こうした不安や心配は、子育てにはつきものです。みんな
平気そうな顔をしていますが、しかし同時に、みな、人知れず、こうした不安や心配と戦ってい
ます。決して、TEさん、あなただけがそうではないのです。

 そこでどうでしょう。こう考えたら? あなたの心の中で、(あくまでもあなたの心の中だけです
が)、子どもに対する自尊レベルを、一つさげるのです。B中学へ入れそうだったら、「C中学で
もいい」と思いなおすようにします。この世界には、『あきらめは悟りの境地』という言葉があり
ます。不思議なことですが、子どもというのは、親が「まだ何とかなる」「こんなはずはない」と思
っている間は、伸びません。しかし「まあ、うちの子はこんなものだ」と思ったとたん、伸び始め
ます。が、それだけではありません。

 あなた自身が、ここでいう拒否恐怖から解放されます。わかりやすく言えば、心に風穴があ
き、そこを風が通るようになります。不安や心配も、それで半減するはずです。
(030419)

++++++++++++++++++
これに関連して、以前発表した原稿(中日新聞
掲載済み)を、ここに張りつけておきます。
++++++++++++++++++

あきらめは悟りの境地

 子育てをしていると、「もうダメだ」と、絶望するときがしばしばある。あって当たり前。子育てと
いうのは、そういうもの。親はそうい絶望感をそのつど味わいながら、つまり一つずつ山を乗り
越えながら、次の親になっていく。そういう意味で、日常的なトラブルなど、何でもない。進学問
題や不登校、引きこもりにしても、その山を乗り越えてみると、何でもない。重い神経症や情緒
障害にしても、やはり何でもない。山というのはそういうもの。要は、どのようにして、その山を
乗り越えるかということ。

 少し話はそれるが、子どもが山をころげ落ちるとき(?)というのは、次々と悪いことが重なっ
て落ちる。自閉傾向のある子ども(年中女児)がいた。その症状がやっとよくなりかけたときの
こと。その子どもはヘルニアの手術を受けることになった。医師が無理に親から引き離したた
め、それが大きなショックとなってしまった。その子どもは目的もなく、徘徊するようになってしま
った。が、その直後、今度は同居していた祖母が急死。葬儀のドタバタで、症状がまた悪化。
その母親はこう言った。「もう何がなんだか、わけがわからなくなってしまいました」と。

 山を乗り越えるときは、誰しも、一度は極度の緊張状態になる。それも恐ろしいほどの重圧
感である。混乱状態といってもよい。冒頭にあげた絶望感というのがそれだが、そういう状態
が一巡すると、……と言うより、限界状況を越えると、親はあきらめの境地に達する。それは
不思議なほど、おおらかで、広い世界。すべてを受け入れ、すべてを許す世界。その世界へ入
ると、それまでの問題が、「何だ、こんなことだったのか」と思えてくる。ほとんどの人が経験す
る、子どもの進学問題でそれを考えてみよう。

 多かれ少なかれ日本人は皆、学歴信仰の信者。だからどの人も、子どもの進学問題にはか
なり神経質になる。江戸時代以来の職業による身分意識も、残っている。人間や仕事に上下
などあるはずもないのに、その呪縛から逃れることができない。だから自分の子どもが下位層
(?)へ入っていくというのは、あるいは入っていくかもしれないというのは、親にとっては恐怖以
外の何ものでもない。だからたいていの親は、子どもの進学問題に狂奔する。「進学塾のこう
こうとした明かりを見ただけで、足元からすくわれるような不安感を覚えます」と言った母親が
いた。「息子(中三)のテスト週間になると、お粥しかのどを通りません」と言った母親もいた。私
の知っている人の中には、息子が高校受験に失敗したあと、自殺を図った母親だっている!

 が、それもやがて終わる。具体的には、入試も終わり、子どもの「形」が決まったところで終
わる。終わったところで、親はしばらくすると、ものすごく静かな世界を迎える。それはまさに
「悟りの境地」。つまり親は、山を越え、さらに高い境地に達したことを意味する。そしてその境
地から過去を振り返ると、それまでの自分がいかに小さく、狭い世界で右往左往していたかが
わかる。あとはこの繰り返し。苦しんでは山を登り、また苦しんでは山を登る。それを繰り返し
ながら、親は、真の親になる。

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<           安心できる情報と、
    /†_____†ヽ//          正しい知識をもとに、
    ( ('    ξヽ           考える力を忘れないで
  ┏ ||   o//\) )(         前向きに、子育てをしていきましょう。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

子どものやる気を引き出す法

(四悪を避けろ!)

子どもがやる気をなくすとき 

●学習の四悪
 子どもを勉強嫌いにする四悪に、無理、強制、条件、それに比較がある。子どもの能力を超
えた学習を強要するのを、無理。時間や量を決めてそれを子どもに課するのを、強制。「テスト
で百点を取ったら、自転車を買ってあげる」というのが、条件。そして「お隣のA君は、もうカタカ
ナが書けるのよ。あなたは……」というのを、比較。この四悪が日常化すると、子どもは確実に
やる気をなくす。勉強嫌いになる。

●無理・強制・条件・比較

(1)無理……子どもに与える教材やワークは、子どもの能力より、ワンランクさげるのがコツ。
できる、できないよりも、子どもが勉強を楽しんだかどうかを大切にする。イギリスの格言にも、
『楽しく学ぶ子は、よく学ぶ』というのがある。前向きに学習する子どもは伸びるし、そうでない
子どもは伸びない。しかも子どもというのは一度うしろ向きになると、いくら時間とお金をかけて
も、一方的にムダになるだけ。親があせればあせるほど、かえって勉強から遠ざかってしまう。
そういうのをこの世界では、「空回り」というが、この空回りを感じたら、さらに思いきって内容を
ワンランクさげる。

(2)強制……やはりイギリスの格言に、『馬を水場へ連れていくことはできても、馬に水を飲ま
せることはできない』というのがある。子どもを馬にたとえるのも失礼なことかもしれないが、要
するに親にできることにも限度があるということ。最終的に子どもが勉強するかしないかは、子
どもの問題。よく親は、「うちの子はやればできるはず」と言うが、やる、やらないも、「力」のう
ち。「やればできるはず」と思ったら、「やってここまで」と思いなおす。あきらめる。そのあきら
めが子どもの心に風穴をあけ、かえって子どもを伸ばす。

(3)条件……条件は、年齢とともにエスカレートしやすい。小学生のうちは、自転車ですむかも
しれないが、高校生になれば、バイク、大学生になれば、自動車になる。あなたにそれだけの
財力があれば話は別だが、そうでなければやめたほうがよい。さらに条件が日常化すると、
「勉強は自分のためにする」という意識が、薄くなる。かわって、「(親のために)勉強してやる」
という意識をもつようになる。実際に「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言った高校生す
らいた。そうなる。反対に子どものほうから何か条件を出してくることもあるが、そういうときは、
「勉強は自分のためにするもの」と突っぱねる。こうしたき然とした姿勢が、時間はかかるが、
結局は子どもを自立させる原動力となる。

(4)比較……この比較が日常化すると、子どもから「私は私」という意識が消える。いつも他人
の目を気にした生き方になってしまう。見えや体裁、それに世間体を気にするようになる。そう
なればなったで、結局は自分を見失い、自分の人生そのものをムダにする。

 ……というのは、少しおおげさに聞こえるかもしれないが、日本人ほど、他人の目を気にしな
がら生きる民族も少ない。長い間、島国という閉鎖的な社会で、しかも封建時代という暗い時
代を経験したためにそうなった。そのため幸福観も相対的なもので、「隣の人よりもよい生活だ
から、私は幸福」「隣の人よりも悪い生活だから、私は不幸」というような考え方をする。たとえ
ば日本人は、「あなたは幸福なほうよ。みんなはもっと苦しいのだから」と言われたりすると、そ
れだけでへんに納得してしまう。しかしこの生き方は、これからの生き方ではない。要するに、
無理、強制、条件、比較は、子どもを手っ取り早く勉強させるにはよい方法だが、長い目で見
れば、結局は逆効果。かえって子どものやる気をつぶす。
 
     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
生まれつき、そうです

 親と話していると、よく「うちの子は、生まれつきそうです」と言う人がいる。健康のことならとも
かくも、性格や、できのよし悪しについて、そう言う。しかし私は、子どもの立場であえて、言う。
子どもの人権を守るためにあえて、言う。「生まれつきを口実にする親は、卑怯だ!」と。

 親が「生まれつきそうだ」と言う背景には、親の責任のがれがある。「私には関係ありません」
「私のせいではありません」と。さらにその背景といえば、親自身の精神的未熟性、もしくは子
どもへの愛情の欠落がある。Yさん(五四歳・女性)がそうだ。

 Yさんの息子は、今年二五歳になる。まったく目立たないと言えるほど、静かな人である。ハ
キもないし、存在感もない。が、それ以上に生活力もない。ナヨナヨしているというか、何を話し
かけても、ニコニコ笑っているだけ。明らかに、親(とくに母親)の過干渉と、過関心、それに情
緒的な不安定さが、その息子を、そういう息子にした。

 そのYさん、息子の話になると、きまって、つまり私のほうから聞く前に、こう言う。「あの子
は、生まれつき、ああですからねえ」と。私はこういう言葉を聞くと、生理的な嫌悪感を覚える。
繰りかえすが、生まれたばかりの赤子を見て、その子どもが、どういう性格かわかる人など、
絶対にいない。性質も、そうだ。それを「生まれつき!」とは!

 一般論として、自己中心的な親ほど、この言葉をよく口にする。「私は何も悪くない」「私は絶
対に正しい」と思いこんでいる。自分の子育てを静かに省みるということがない。しかしこの時
点でも、親に、愛があれば、まだ救われる。子どもを愛することによって、自分と、よりきびしく
対峙(たいじ)することができる。つまり子どもの悲しみや苦しみを共有することができる。しか
しその愛もないとなると、そのまま子どもを突きはなしてしまう。「生まれつき、そうです」と。

 もしこのことがわからなければ、反対の立場で考えてみればよい。もしあなたに何かの問題
があったとする。それについて、あなたの親が、「あなたは生まれつき、そうだ」と言ったとす
る。そのとき、あなたはその言葉に耐えられるだろうか。あなたの親は、「あなたの問題は、生
まれつきのものだから、どうしようもない。あきらめろ」と言っているのである。しかしこの言葉
ほど、残酷な言葉は、ない。

 で、Yさんに私はこう言った。「そんなことを言ったら、息子さんがかわいそうですよ」と。私は
精一杯の抗議の気持ちをこめてそう言ったのだが、Yさんは、こう言った。「そうなんです。あの
子は、かわいそうな子です」と。

 そういうYさんでも、人前では、「息子がかわいい」と、公言してはばからない。しかしYさんが
言う「かわいい」というのは、溺愛、もしくは、代償的愛のことをいう。もっと言えば、自分勝手な
愛。子どもを自分の支配下において、思いどおりにしたいだけ。Yさんは、自分の心を慰める道
具として、息子を利用しているだけ。

 ……しかし、それにしても、いやな言葉だ。この言葉は、そのまま幼児教育の否定、さらには
子育てや教育そのものの否定につながる。実際、親にそう言われると、返す言葉がない。「そ
うですね」とはもちろん言えない。一方、反論したくても、あまりにも遠い距離感を覚えてしまう。
「こういう親に、それがまちがっていることを教えるには、一〇年かかるだろうな」と。

 あなたのまわりにも、一人や二人、「生まれつき」という言葉を使う人はいるはずだ。もしそう
なら、私がここに書いたことを参考に、その人の心を観察してみるとよい。
(030419)

°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ
°◎_/ ̄⌒―――∩
 ///―――――∫           
⊂⊂/      ∫      無断で、転送、引用、転載は、なさらないでください。
         ∫              よろしくご協力ください。       
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

利己と利他

 自分への利益誘導を、「利己」という。他人への利益誘導を、「利他」という。一見、正反対に
見える人間の反応だが、方向性が、違うだけ。「根」は、同じ。利益誘導が自分に向かえば、利
己。他人に向かえば、利他。ここまでは常識だが、しかし、利己は利己のままだが、利他は、
結局は、利己にかえってくる。

 子どもは、成長過程において、乳児期の段階では、利己的な行動パターンが中心。自分へ
の利益を求めて、泣いたり、ぐずったりする。しかしやがて幼児期に入ると、他人を喜ばすこと
を覚え、そしてそれが結局は、自分にとっても、楽しいことであることを学ぶ。たとえばよく、幼
い子どもが、何か新しいことができるようになったとき、母親に向かって、「見て、見て、お母さ
ん、できるようになった!」と言ってくることがある。はじめて自転車に乗れるようになったとき。
はじめて文字が読めるようになったとき、など。

 これは(新しいことができる)→(母親が喜んでくれる)→(母親が喜んでくれれば、自分もうれ
しい)という心理作用による。子どもは、母親を喜ばすこと(=利他)によって、自分を満足させ
ている(=利己)のが、わかる。しかしこの段階で、もし子どもにとって、喜んでくれる人がいな
ければ、子どもは、利己を利他に結びつけることができないことになる。つまり利己の世界だけ
で、自分を満足させることになってしまう。

 ところで人間の美しさは、いかに利他的に生きるかで決まる。他人をいたわり、他人を思い
やり、他人に同情する。そういう自分を離れた行為のハバが広ければ広いほど、その人の生
き方も、充実してくる。神の世界でいう愛、仏の世界でいう慈悲も、その延長線上にある。

 一方、利己的であればあるほど、その人の生きザマは見苦しくなる。どう見苦しいかは、今さ
ら、ここに書くまでもない。が、見苦しいだけではない。その人自身も、孤独の世界で、悶絶す
ることになる。自分を理解してくれる人がいない。自分を喜んでくれる人がいない。さらには自
分を愛してくれる人がいない。それはまさに「無間地獄」そのものということになる。

 で、教育の世界では、子どもたちを、いかにして利他的にするかが、たいへん重要なテーマと
なる。当然のことながら、利他的な人がふえればふえるほど、私たちの住む、この世界は、住
みやすくなる。まわりの人だけではない。その人自身にとっても、住みやすくなる。

 そこで最初の話にもどる。利他的な子どもにするには、どうしたらよいかだが、実は、そのカ
ギを握るのは、母親ということになる。子どもの側から見て、自分の成長を喜んでくれる人がい
てはじめて、子どもはそこで、利己を、利他に転換することができる。園や学校の教師でも、母
親の代用をすることはできるのだろうが、その時期、つまり子どもが利己から利他への転換を
学ぶ時期は、もっと早い段階である。おそらく〇歳〜一、二歳までの時期ではないか。その時
期は、どうしても母親と子どもの関係が、主体となる。

 子どもがはじめて自分の足で立つ。そのとき、母親が(父親も)、喜ぶ。ほめる。子どもがはじ
めて、はう。そのとき、母親が(父親も)、喜ぶ。そういう母親の姿を見て、子どもは、利己を利
他に転換することができる。

 結論は、もうおわかりかと思う。子どもを、利他的な人間、つまり心のやさしい、人の心の痛
みのわかる子どもにしたかったら、方法は簡単。子どもの成長を、そのつど心底、喜んでみせ
る。そういう母親側からの働きかけ(ストローク)があってはじめて、子どもは、利己的な人間か
ら抜け出て、利他的な人間になることができる。

【追記(1)】
 乳幼児期に、自分の成長を喜んでくれる人が、周囲にいないというのは、その子どもにとって
も、きわめて不幸なことである。利己を利他に転換できないまま、(あるいはその技術を身につ
けないまま)、子どもは大きくなってしまう。

 そういう利己的な子どもがどうなるかは、ここに改めて書くまでもない。そこで今、私たちが周
囲の人たちを見回してみたとき、心の暖かい人もいれば、冷たい人もいる。あるいは話してい
ると、ほっとするような親しみを覚える人もいれば、表面的なつきあいしかできない人もいる。

 で、そういう人が、どのような心理状態が基本になっているかを観察してみるとよい。その一
つの方法が、利己的か、利他的かということ。当然のことながら、利己的な人ほど、年齢を重
ねれば重ねるほど、他人とのつきあいが希薄になる。利他的な人ほど、濃厚になる。(仕事や
商売などの、利害関係をともなう人間関係は、別。)

 さらにその人が、どのような乳幼児期をすごしたかを観察してみるとよい。親の愛情をたっぷ
りと受けて、心豊かな環境で育った人は、当然のことながら、利他的になる。しかし不幸にして
不幸な家庭に育った人ほど、利己的になる。さらに……。

 親自身が無意識のうちにも、子どもを利己的な人間にすることがある。たとえば子どもがせっ
かく文字らしきものを書いたにもかかわらず、「何よ? この字は! もっとじょうずに書けない
の! となりの○○君は、もうカタカナが書けるのよ!」と。親が子どもの成長を喜ぶどころか、
子どもの成長そのものを否定してしまう。そうなれば子どもの心が冷たくなって、当然。こういう
ことは、乳幼児期には、絶対に、あってはならない。

【追記(2)】
 こうして考えていくと、この問題も、結局は、私たち自身の問題であることに気づく。「では私
は、どうなのか?」と。

 私自身(はやし浩司)は、心の冷たい人間である。利己的であるか、利他的であるかというこ
とになれば、利己的な人間である。少なくとも、若いころは、ずっとそうだった。

 その原因は、やはり、私自身の乳幼児期にあるのだと思うが、記憶がないため、それはよく
わからない。ただそれほど冷たい人間ではなかったように思う。小学生五、六年生のとき、『フ
ランダースの犬』という本を読んだとき、読みながら、オイオイと泣いたのをよく覚えている。

 その私が、きわめて利己的な人間になったのは、あの受験勉強が原因だと思う。そのときは
それがわからなかったが、今、こうして自分の過去を振りかえってみると、それがよくわかる。
私は高校生のころ、ライバルの仲間が病気か何かで学校を休んだりすると、心のどこかで「よ
かった」と思ったのを覚えている。心のゆがんだ、何ともつまらない人間であったことが、こうい
う事実からもわかる。

 さて、このエッセーを読んでいる、あなた自身は、どうか?
(030422)

●子どもの成長は、そのつど、心底喜んでみせてあげよう。あなたの子どもは、心暖かく、やさ
しい子どもになる。
●子どもを、安易に、受験勉強や競争で追ってはいけない。あなたの子どもの心は、そのつ
ど、少しずつ破壊される。

【補足】

●あなたは利己型人間? それとも利他型人間?

つぎの項目のうち、丸が多いほうが、あなたの「型」ということになる。

( )いつも心のどこかで、損得の計算をしているようなところがある。損になることは、できるだ
け避けようとする傾向が強い。
( )他人の失敗や苦労を耳にしても、「自分はだいじょうぶ」とか、「あの人はバカだから」と、
割り切って考えることができる。
( )人にしてあげることより、してもらうことのほうが多い。してあげるときも、心のどこかでいつ
も見返りを期待する。それがないと、怒ったり、不愉快になったりする。
( )他人に心を許すということはしない。「渡る世間は鬼ばかり」というような考え方をすること
が多い。見知らぬ人には、とくに警戒する。
( )孤独を感ずることが多い。ときどき自分が死んでも、だれも悲しんでくれないだろうと思うと
きがある。【以上、利己型人間】

( )近所とのつきあい、自治会やPTAの仕事など、損得を忘れて行動できる。奉仕精神が旺
盛で、見返りなど、最初から期待していない。
( )よく「お人好し」と評されることがある。頼まれれば、何でも引き受けてしまう。そのため結
局は、あれこれと、いらぬ苦労することが多い。
( )他人が喜ぶ顔を見ると、うれしい。他人でも、かわいそうな人がいると、何とかしてあげた
いと思うことが多い。
( )何でも信じやすいほうで、よく人にだまされる。が、だまされても、自分が悪いと思って、あ
きらめることができる。
( )何かと、知人や友人から相談を受けることが多い。年齢とともに、仕事以外で知りあった
同年齢の友人が、ふえてきた。【以上、利他型人間】

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


信頼性

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外ではな
い。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、反対
にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような調子で、答え
てあげること。こうした一貫性をとおして、子どもは、あなたと安定的な人間関係を結ぶことが
できる。その安定的な人間関係が、ここでいう信頼関係の基本となる。

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基本的
信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの三つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。これ
を第一世界という。園や学校での世界。これを第二世界という。そしてそれ以外の、友だちとの
世界。これを第三世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第二世界、つづいて第三世界へと、応用していくこ
とができる。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第二世界、第三世界での
信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後の信頼関係の基
本となる。だから「基本的信頼関係」という。

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親側の情
緒不安。親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなばあい、子ども
は、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、人間関係になる。こ
れを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分野で
現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ねたみ症状な
どは、こうした基本的不信関係から生まれる。第二世界、第三世界においても、良好な人間関
係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れる。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安心して」
というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分をさらけ出しても、気に
しない」環境をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意するのは、親の役目ということにな
る。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなことに注意したらよい。

●「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
●子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じように接す
る。
●きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くなるというの
は、避ける。
(030422)


     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
10・11 ……北浜東小学校
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市リズム幼稚園
7.31  ……浜松市東部公民館
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・24  ……静岡市アイセル21
6・ 7  ……都築保育園
5・19  ……愛知県枇杷島家庭教育推進協議会
5・ 9  ……富士市市立幼稚園PTA連合会・ロゼシアター(中ホール)
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞









件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■4-30

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M ″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 686人
最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)  ……読者数(Nr. of Readers)  95人
はやし浩司の世界(Eマガ)         ……読者数(Nr. of Readers)  65人 
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
☆===================☆==================

★★★★★★★★★★★★★★
03−4−30号(219)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
● 5月19日(月)愛知県枇杷島家庭教育推進協議会
●5月 9日(金)富士市市民文化会館・ロゼシアター 10:30〜12:00
        主催  富士市立幼稚園PTA連合会(九園合同) 
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    /八))))ハ   ミミヽ
    / / へ へ   へ ミミ  ─┐     今日のメニュー
   ( | σ σ |  ∂  へ ミ  |         【1】子育てポイント
    )("  ) ")  ζ  ∂ ぅ             【2】Touch your Heart
   / 八 ー 八┐ ( __  ノ─┐           【3】子育てエッセー
   ((  >−< | >−< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  /
  / \   (3-─┼─-ε)  /   私たちは、安心子育て、めざしましょう!
  ──────────────┐     そうだね……。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●埼玉県のMさん(小一男児をもつ母親)より、こんな相談をもらった。「うちの子は、いつも仲
間の間で、子分的な存在です。とくにその中のA君(同年齢)に命令されてばかりいる。こんな
ことでいいでしょうか」と。

●居心地のよい世界

 人は、無意識のうちにも、自分にとって居心地のよい世界をつくろうとする習性がある。(当
然だが……)。子どものばあい、大きく分けて、つぎの四つの世界を考えるとよい。

【攻撃型世界】攻撃的に仲間を支配しようとする。暴力を振るったり、威圧したりする。このタイ
プの子どもは、相手の子どもをこわがらせることで、自分にとって居心地のよい世界をつくろう
とする。

 ただこの攻撃性は、他人に向かうときと、自分自身に向かうときがある。他人に対しては、暴
力的になるが、自分に向かうときは、自虐的になる。メチャメチャなガリ勉をしたり、スポーツの
練習をしたりするなど。そういう形、つまり相手に自分を認めさせることで、自分の立場をつく
る。そして結果として、相手を支配しようとする。

【服従型社会】相手に徹底的に服従することで、居心地のよい世界をつくろうとする。一見、き
ゅうくつな世界に見えるが、服従していれば自分の安全は保障される。あれこれ悩む必要もな
い。 

【依存型世界】いわゆる甘えることで、自分にとって居心地のよい世界をつくる。わざとバカなフ
リをしたり、みなの前でおどけて見せたりする。困難にぶつかったり、いやなことがあったりする
と、だれかに助けを求めて、その場から逃げようとする。いわゆる「甘えん坊」と言われる子ど
もが、このタイプ。その年齢に比して、人格の形成が遅れる。

【同情型世界】相手に同情させることによって、結果として、相手を自分の思いどおりに動かそ
うとする。悲劇の主人公、弱者、敗者を演ずることが多い。わざと弱々しい言い方をしてみせた
り、涙をこぼしたりする。

 これらの症状は、どれもまったく別な症状に見えるが、「居心地のよい世界」をつくろうという
点では、共通している。私はこのことをTさん(中一、女子)という女の子を観察していて気づい
た。

 Tさんは、これら四つの世界を、相手に応じて、たくみに使い分けていた。ときには攻撃的に
なったり、ときには依存的になったり。また別のときは、弱々しい悲劇の主人公を演じて見せた
りするなど。Tさんのばあいは、自分より明らかに弱い立場にいる相手には、暴力的になった
り、威圧的になったりした。そうでないときは、依存型になったり、服従型になったりした。さらに
相手が、体力や能力面で、自分よりはるかに優位な立場にいるとわかると、今度は一転、同
情型になったりした。

●Mさんのケース

 Mさんは、自分の子どもが「子分的」であることを悩んでいる。「親としてつらい」ともあった。し
かしここで注意しなければならないのは、子ども自身は、そういう状態であることを、何とも思っ
ていないということ。「つらい」と思うのは、親だけであって、子どもではない。子分の立場で、相
手の言うように動いているというのは、決して居心地の悪い世界ではない。むしろ、ここにも書
いたように、居心地のよい世界である。

 そこでもしそういう状態が、親から見て心配なら、まったく別の世界で、別の人間関係を考え
るのがよい。子どもの世界では、一度、人間関係が固定化すると、それを変えるのは容易では
ない。そこで一芸論(とくに秀でた一芸を伸ばす)などが有効である。また今まで同年齢、もしく
は年齢が上の子どもとの交際が中心であったなら、何かの方法で、年少の子どもとの交際を
積極的に応援するという方法もある。

 ただ子分的であるということは、悪いことばかりではない。今度は別の世界で、立場が変わっ
たようなとき、子分、つまり弱者の立場が、よりよく理解できるようになる。人は子分になって、
はじめて親分になることができる。子分の気持ちがよく理解でき、それだけ子分の心の把握が
できるようになるからである。

 どちらにせよ、子どもの人間関係は一つと考えてはいけない。今のA君との関係は、あくまで
もその中の一つにすぎない。子ども自身もこれからどんどんワクを広げていく。またそういう状
態になるよう、親も積極的に、子どもの交友関係を広げるようにする。この問題は、「A君との
交友関係をどうこうしよう」と考えるのではなく、「A君とは別の交友関係を、新しく作っていく。そ
してその結果として、A君との交友関係を、ワンオブゼムにする」という姿勢で、対処する。

 学校でもA君だけ、家へ帰ってからもA君だけというのは、好ましくない。どこかスポーツクラ
ブや、おけいこ教室など、A君とは関係のない、別の世界を用意してあげる。それをとおして、
子どもの周囲に、別の人間関係をつくる。そして結果として、A君から遠ざかる。
(030423)※


     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<           安心できる情報と、
    /†_____†ヽ//          正しい知識をもとに、
    ( ('    ξヽ           考える力を忘れないで
  ┏ ||   o//\) )(         前向きに、子育てをしていきましょう。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

子どもに勉強ぐせをつける法

(五悪に気をつけろ!)

子どもが勉強から逃げるとき 

●フリ勉、ダラ勉、ムダ勉
 子どもは勉強から逃げるとき、独特の症状を示す。まずフリ勉。いかにも勉強しているという
フリをする。頭をかかえ、黙々と問題を読んでいるフリをする。しかしその実、何もしていない。
何も考えていない。次にダラ勉。一時間なら一時間、机に向かって座っているものの、ダラダラ
しているだけ。マンガを読んだり、指で机をかじったり、爪をほじったりする。このばあいも、時
間ばかりかかるが、その実、何もしていない。ムダ勉というのもある。やらなくてもよいようなム
ダな勉強ばかりして、時間をつぶす。折れ線グラフをかくときも、グラフばかりかいて時間をつ
ぶすなど。

●一時間で計算問題を数問!
 こういう状態になったら、親は家庭教育のあり方を、かなり反省しなければならない。こんなこ
ともあった。ある母親から、「夏休みの間だけでも、息子(小二)の勉強をみてほしい」と。遠い
親戚にあたる母親だった。そこでその子どもを家に呼ぶと、その子どもはバッグいっぱいのワ
ークブックを持ってきた。見ると、どれも分厚い、文字がびっしりのものばかり。その上、どれも
子どもの能力を超えたものばかりだった。母親は難しいワークブックをやらせれば、それだけ
で勉強がよくできるようになると思っていたらしい。

案の定、教えてみると、空を見つめて、ぼんやりとしているだけ。ほとんど何もしない。同じ問題
を書いては消し、また書いては消すの繰り返し。一時間もかかって、簡単な計算問題を数問し
かしないということもあった。小学低学年の段階で一度こういう症状を示すと、なおすのは容易
でない。

●意欲を奪う五つの原因
 子どもから学習意欲を奪うものに、(1)過負担(長い学習時間、回数の多い塾通い)、(2)過
関心(子どもの側から見て、気が抜けない家庭環境、ピリピリした親の態度)、(3)過剰期待
(「やればできるはず」と子どもを追いたてる、親の高望み)、(4)過干渉(何でも親が先に決め
てしまう)、それに(5)与えすぎ(子どもが望む前に、あれこれお膳立てしてしまう)がある。

 たくさん勉強させればさせるほど、勉強ができるようになると考えている人は多い。しかしこれ
は誤解。『食欲がない時に食べれば、健康をそこなうように、意欲をともなわない勉強は、記憶
をそこない、また記憶されない』と、あのレオナルド・ダ・ビンチも言っている。あるいはより高度
な勉強をさせればさせるほど、勉強ができるようになると考えている人もいる。これについては
誤解とまでは言えないが、しかしそのときもそれだけの意欲が子どもにあればよいが、そうでな
ければやはり逆効果。

 要は集中力の問題。ダラダラと時間をかけるよりも、短時間にパッパッと勉強を終えるほう
が、子どもの勉強としては望ましい。実際、勉強ができる子どもというのは、そういう勉強のし
方をする。私が今知っている子どもに、K君(小四男児)という子どもがいる。彼は中学一年レ
ベルの数学の問題を、自分の解き方で解いてしまう。そのK君だが、「家ではほとんど勉強しな
い」(母親)とのこと。「学校の宿題も、朝、学校へ行ってからしているようです」とも。

 ついでながら静岡県の小学五、六年生についてみると、家での学習時間が三〇分から一時
間が四三%、一時間から一時間三〇分が三一%だそうだ(静岡県出版文化会発行「ファミリ
ス」県内一〇〇名について調査・二〇〇一年)。

●変わる「勉強」への意識
 もっとも今、「勉強」そのものの内容が大きく変わろうとしている。「問題を解ける子ども」か
ら、「問題を考える子ども」へ。「知っている子ども」から、「何かを生み出す子ども」へ。さらには
「言われたことを従順にこなす子ども」から、「個性が光る子ども」へ、と。少なくとも世界の教育
はそういう方向に向かって動いている。そして当然のことながら、それに合わせて教育内容も
変わってきている。大学の入学試験のあり方も変わってきている。だから昔のままの教育観で
子どもに勉強させようとしても、それ自体が今の教育にはそぐわないし、第一、子どもたちがそ
れを受け入れない。

たとえば昔は、勉強がよくできる子どもが尊敬され、それだけでクラスのリーダーになった。し
かし今は違う。「勉強して、S君のようないい成績をとってみたら」などと言うと、「ぼくらは、あん
なヘンなヤツとは違う」と答えたりする。「A進学高校へ行くと勉強させられるから、A進学高校
には行きたくない」と言う子どもも、珍しくない。それがよいのか悪いのかは別にして、今はそう
いう時代なのだ。
 ……などなど、そういうことも考えながら、子どもの勉強を考えるとよい。

     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
信頼性

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外ではな
い。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、反対
にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような調子で、答え
てあげること。こうした一貫性をとおして、子どもは、あなたと安定的な人間関係を結ぶことが
できる。その安定的な人間関係が、ここでいう信頼関係の基本となる。

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基本的
信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの三つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。これ
を第一世界という。園や学校での世界。これを第二世界という。そしてそれ以外の、友だちとの
世界。これを第三世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第二世界、つづいて第三世界へと、応用していくこ
とができる。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第二世界、第三世界での
信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後の信頼関係の基
本となる。だから「基本的信頼関係」という。

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親側の情
緒不安。親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなばあい、子ども
は、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、人間関係になる。こ
れを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分野で
現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ねたみ症状な
どは、こうした基本的不信関係から生まれる。第二世界、第三世界においても、良好な人間関
係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れる。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安心して」
というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分をさらけ出しても、気に
しない」環境をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意するのは、親の役目ということにな
る。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなことに注意したらよい。

●「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
●子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じように接す
る。
●きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くなるというの
は、避ける。
(030422)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子どもの論理

 つぎの文を、子ども(三〜四歳児)の前で、読んでみてほしい。

【文1】コップにミルクが入っています。そのミルクを、ナイフで半分に切って、ママと分けて食べ
ました。

【文2】お父さんは、めがねをかけていますが、女の人です。だから、いつも赤い車に乗ってい
ます。

【文3】電車に乗るときは、ほかの人の迷惑にならないように、服をぬいで、きちんとクツを並べ
て乗ります。

【文4】今日は寒いので、家の中で扇風機をつけました。外を見たら雪が降っていたので、庭で
プール遊びをしました。

【文5】買い物に行きましたが、お金が足りなかったので、ジュースを買うことができませんでし
た。それでしかたないので、ジュースを三本、買いました。

 これら五つの文を読みながら、子どもの反応を観察する。論理的に考えるクセのある子ども
は、そのつど、「ここがおかしい」「そこがおかしい」と言う。そうでない子どもは、そうでない。

 もう一つは、紙とクレヨン(ペン)を渡し、つぎのように指示して、絵をかかせる。なおこのテス
トでは、ひとつのものをかいているとき、つぎに何をかくかを教えてはならない。

(1)「山をかいてごらん」と言って、子どもに山の絵をかかせる。
(2)(山の絵をかき終えたら)、「今度は、川をかいてごらん」と言って、その絵のどこかに、川を
かかせる。
(3)(川の絵を書き終えたら)、「今度は、おうちをかいてごらん」と言って、その絵のどこかに、
家の絵をかかせる。

 無意識のうちにも、論理的に考えることができる子どもは、山の下に川をかく。山のどこかに
家をのせるようにしてかく。そうでない子どもは、山の上に川をかいたりする。あるいは山よりも
家を大きくかいたりする。

 子どもの論理性は、満四歳ぐらいから急速に発達する。この時期、論理的に考えることがで
きる子どもは、そのまま論理的に考えるのが得意になる。そうでない子どもは、そうでない。

 こうした子どもの論理性は、母親の影響が大きい。一般論として、過干渉(ガミガミと、押しつ
けがましい子育て)が日常化すると、子どもは、自分で静かに考えることができなくなる。非常
識になることもある。もちろん母親自身の論理性も影響を与える。ある母親は、あらゆること
を、神様のせいにしていた。

子「どうして雨は降るの?」
母「神様が、そうしているからよ」
子「どうして、お星様は落ちてこないの?」
母「神様がそうしているからよ」
子「どうして海は青いの?」
母「神様が、そういうふうにしたからよ」と。

 こうした言い方は、一見、答のように見えるが、その実、まったく答になっていないのがわか
る。少し誇張して書いたが、こういう言い方は、よく見られる。ある子ども(年中児)が母親に、
「なぜ、テレビは映るの?」と聞いたときのこと。その母親は、こう言った。「映るようにできてい
るからよ。映らないのは、テレビとは言わないのよ」と。

 この時期、子どもは、「なぜ」「どうして」を、よく口にする。そうした質問には、ていねいに答え
てやるとよい。そういう姿勢が、子どもの論理性を育てる。このテストで、「うちの子は、どう
も?」と思ったら、なおさらである。
(030422)※

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

モラトリアム人間

 一九七〇年ごろから、若者たちの間で、おかしな現象が見られるようになった。その一つが、
モラトリアム現象。おとなとしての自覚がなく、定職ももたず、親の家で、ぶらぶらしている。責
任感もとぼしく、目的意識も薄い。そういう症状をかかえた若者を、「モラトリアム人間」と言っ
た。もともと「モラトリアム」というのは、「国家の非常時に、債務を一定期間、猶予(ゆうよ)する
こと」をいう。それが転じて、心理学の世界では、「人間が成長して、なお社会的義務の遂行を
猶予される期間」(日本語大辞典)となった。「おとなになるのを猶予された人間」ということにな
る。

 モラトリアム人間……つまりわかりやすく言えば、「スネかじり人間」のこと。それまでは、二〇
歳を過ぎればおとなとみなされ、子どもは親の手を離れ、自立していった。しかしそれが二五
歳になり、三〇歳になった。今では、三〇歳を過ぎても自立できず、親に生活のめんどうをみ
てもらっている男性、女性がいる。

 結婚して子どもをもったからといって、自立したことにはならない。結婚式の費用、新居の費
用、さらには子どもの養育費まで、親(子どもからみれば祖父母)の世話になっている人もい
る。

 こうしたモラトリアム人間について、以前は、それがまちがっているという前提で、議論がなさ
れた。しかし当時のモラトリアム人間が、今は親になり、その親が、二〇歳代、三〇歳代の子
どもをもつようになった。そのため今では、ごく一般的に見られる現象になり、社会にすっかり
定着(?)してしまった感がある。しかし、やはり、おかしいものは、おかしい。

 あるA氏(四五歳・父親)は、今でも、実家から毎月、五〜一〇万円の生活費の援助を受けて
いる。子どもが二人いるが、上は小学六年生。下が小学四年生。「今の給料では、とてもやっ
ていけない」というのが、その理由らしい。しかしAさんは、市内の高級マンションに住み、大型
のバンを所有している。親から援助を受けるくらいなら、生活の「質」を落とせばよいとだれしも
考えるが、A氏には、そういう意識は、まったくない。

 そこで、なぜこういう現象が生まれるか、少し掘りさげてみる。で、最初に頭に浮かんだことに
こんなことがある。

 数年前だが、この大不況下、正月のお年玉を、五〇万円ももらった子どもがいた。小学一年
生の男児だった。五〇万円、である。その金額にも驚いたが、私はふと、こんなことを考えた。

 私自身の息子は、うまく就職ができず、そのときは、アルバイトで生活費を稼いでいた。時給
八〇〇円とか、一〇〇〇円のアルバイトである。そのアルバイトで、五〇万円を稼ごうと思った
ら、何か月もかかる。そこで「こういう子ども、つまりお年玉で五〇万円ももらうような子どもが、
将来、おとなになったら、アルバイトなど、バカ臭くてできなくなるだろうな」と。

 まさに日本型の子育てが、ここに集約されている。今でも、「子どもにいい思いをさせるのが、
親の愛の証(あかし)」と考えている人がいる。「子どもには、苦労させたくない」と考えている人
も多い。またそうすることで、親子のパイプが太くなると考える。その結果が、五〇万円!、で
ある。

 もっともこれは極端な例だが、これを薄めたような話なら、いくらでもある。私はここでいうモラ
トリアム人間というのは、その延長線上にいるような気がしてならない。もっとわかりやすく言え
ば、モラトリアム人間に、責任があるのではなく、そういう人間をつくった、親のほうに責任があ
る。A氏にしても、恐らく子どものときから、「蝶よ、花よ」と育てられたにちがいない。私たちか
ら見れば、高級マンションであり、大型のバンだが、A氏の両親にしてみれば、それが「標準」
なのだ。だからひょっとしたらA氏が援助を求めているのではなく、親のほうが望んで、援助を
しているのではないか?

 ひところは、モラトリアム人間は、社会の話題になった。しかし今では、その言葉を知る人さえ
少なくなってきた。これも時代の流れか。あるいはもう一つ先の時代に進んでしまったのか。し
っかりとした統計結果があるわけではないが、私の近所でも、親の自宅から仕事に通っている
若者(二〇〜三〇歳代)がふえている。話を聞くと、「小額の生活費を親に渡している若者」
が、約半数。しかし残りの約半数は、生活費を一円も渡していないという。三〇年前には、ほん
の一部だったモラトリアム人間が、今では、当たり前というわけである。しかし……。

【追記】私などは、二三歳ごろから、収入の約半額を、実家の母に仕送りしていた。しかし今に
いたるまで、母は、そのことをだれにも話していない。私の実姉ですら、「何も聞いていない」と
言う。そこで数年前、実姉のいる前で、母に、「お母さん、ぼくが、若いときから、毎月お金を仕
送りをしていたのを覚えている?」と聞いてみた。が、母は、「覚えていないなあ」と逃げてしまっ
た。母を責めているのではない。母には、母親としてのプライドがあるのだろう。それを認める
ことは、そのプライドにキズをつけることになる。だから、私は笑ってその場を、ごまかした。実
姉も、笑ってごまかした。母も、苦笑いして、その場をごまかした。私にとって、家族というの
は、そういうもの。今の若い人には、想像もつかないだろうが……。
(030423)

°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ
°◎_/ ̄⌒―――∩
 ///―――――∫           
⊂⊂/      ∫      無断で、転送、引用、転載は、なさらないでください。
         ∫              よろしくご協力ください。       
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

お休みします。

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
10・11 ……北浜東小学校
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市リズム幼稚園
7.31  ……浜松市東部公民館
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・24  ……静岡市アイセル21
6・ 7  ……都築保育園
5・19  ……愛知県枇杷島家庭教育推進協議会
5・ 9  ……富士市市立幼稚園PTA連合会・ロゼシアター(中ホール)
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2003年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page090.html
2003年度は、「子育て相談、Q&A」で一年間、連載させていただきます。よろしく!
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞








件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■5-2

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
● 5月19日(月)愛知県枇杷島家庭教育推進協議会
●5月 9日(金)富士市市民文化会館・ロゼシアター 10:30〜12:00
        主催  富士市立幼稚園PTA連合会(九園合同) 
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と読みやすくなります。お試しください。
    /八))))ハ   ミミヽ
    / / へ へ   へ ミミ  ─┐     今日のメニュー
   ( | σ σ |  ∂  へ ミ  |         【1】子育てポイント
    )("  ) ")  ζ  ∂ ぅ             【2】Touch your Heart
   / 八 ー 八┐ ( __  ノ─┐           【3】子育てエッセー
   ((  >−< | >−< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  /
  / \   (3-─┼─-ε)  /   私たちは、安心子育て、めざしましょう!
  ──────────────┐     そうだね……。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

お休みします

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<           安心できる情報と、
    /†_____†ヽ//          正しい知識をもとに、
    ( ('    ξヽ           考える力を忘れないで
  ┏ ||   o//\) )(         前向きに、子育てをしていきましょう。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

子どもを本好きにする法

(方向性は図書館で知れ!)

子どもの方向性を知るとき 

●図書館でわかる子どもの方向性
 子どもの方向性を知るには、図書館へ連れて行けばよい。そして数時間、図書館の中で自
由に遊ばせてみる。そしてそのあと、子どもがどんな本を読んでいるかを観察してみる。サッカ
ーが好きな子どもは、サッカーの本を読む。動物が好きな子どもは、動物の本を読む。そのと
き子どもが読んでいる本が、その子どもの方向性である。その方向性にすなおに従えば、子ど
もは本が好きになる。さからえば、本が嫌いになる。無理をすれば子どもの伸びる「芽」そのも
のをつぶすことにもなりかねない。ここでいくつかのコツがある。

●無理をしない
 まず子どもに与える本は、その年齢よりも、一〜二年、レベルをさげる。親というのは、どうし
ても無理をする傾向がある。六歳の子どもには、七歳用の本を与えようとする。七歳の子ども
には、八歳用の本を与えようとする。この小さな無理が、子どもから本を遠ざける。そこで「うち
の子どもはどうも本が好きではないようだ」と感じたら、思いきってレベルをさげる。本の選択
は、子どもに任す。が、そうでない親もいる。本屋で子どもに、「好きな本を一冊買ってあげる」
と言っておきながら、子どもが何か本を持ってくると、「こんな本はダメ。もっといい本にしなさ
い」と。こういう身勝手さが、子どもから本を遠ざける。

●動機づけを大切に
 次に本を与えるときは、まず親が読んでみせる。読むフリでもよい。そして親自身が子どもの
前で感動してみせる。「この本はおもしろいわ」とか。これは本に限らない。子どもに何かものを
与えるときは、それなりのお膳立てをする。これを動機づけという。本のばあいだと、子どもを
ひざに抱いて、少しだけでもその本を読んであげるなど。この動機づけがうまくいくと、あとは子
どもは自分で伸びる。そうでなければそうでない。この動機づけのよしあしで、その後の子ども
の取り組み方は、まったく違ってくる。まずいのは、買ってきた本を袋に入れたまま、子どもに
ポイと渡すような行為。子どもは読む意欲そのものをなくしてしまう。無理や強制がよくないこと
は、言うまでもない。

●文字を音にかえているだけ?
 なお年中児ともなると、本をスラスラと読む子どもが現れる。親は「うちの子どもは国語力が
あるはず」と喜ぶが、たいていは文字を音にかえているだけ。内容はまったく理解していない。
親「うさぎさんは、どこへ行ったのかな」、子「……わかんない」、親「うさぎさんは誰に会ったの
かな?」、子「……わかんない」と。もしそうであれば子どもが本を読んだら、一ページごとに質
問してみるとよい。「うさぎさんは、どこへ行きましたか」「うさぎさんは、誰に会いましたか」と。
あるいは本を読み終えたら、その内容について絵をかかせるとよい。

本を読み取る力のある子どもは、一枚の絵だけで、全体のストーリーがわかるような絵をかく。
そうでない子どもは、ある部分だけにこだわった絵をかく。また本を理解しながら読んでいる子
どもは、読むとき、目が静かに落ち着いている。そうでない子どもは、目がフワフワした感じに
なる。さらに読みの深い子どもは、一ページ読むごとに何か考える様子をみせたり、そのつど
挿し絵をじっと見ながら読んだりする。本の読み方としては、そのほうが好ましいことは言うまで
もない。

●文字の使命は心を伝えること
 最後に、作文を好きにさせるためには、こまかいルール(文法)はうるさく言わないこと。誤
字、脱字についても同じ。要は意味が伝わればよしとする。そういうおおらかさが子どもを文字
好きにする。が、日本人はどうしても「型」にこだわりやすい。書き順もそうだが、文法もそうだ。
たとえば小学二年の秋に、「なかなか」の使い方を学ぶ(光村図書版)。「『ぼくのとうさん、なか
なかやるな』と、同じ使い方をしている『なかなか』はどれか。『なかなかできない』『なかなかお
いしい』『なかなかなきやまない』」と。こういうことばかりに神経質になるから、子どもは作文が
嫌いになる。小学校の高学年児で、作文が好きと言う子どもは、五人に一人もいない。大嫌い
と言う子どもは、一〇人に三人はいる。

(付記)
●私の記事への反論
 「一ページごとに質問してみるとよい」という考えに対して、「子どもに本を読んであげるときに
は、とちゅうで、あれこれ質問してはいけない。作者の意図をそこなう」「本というのは言葉の流
れや、文のリズムを味わうものだ」という意見をもらった。図書館などで、子どもたちに本の読
み聞かせをしている人からだった。

 私もそう思う。それはそれだが、しかし実際には、幼児を知らない児童文学者という人も多
い。そういう人は、自分の本の中で、幼児が知るはずもないというような言葉を平気で並べる。
たとえばある幼児向けの本の中には、次のような言葉があった。「かわべの ほとりで、 ひと
りの つりびとが うつら うつらと つりいとを たれたまま、 まどろんでいた」と。この中だけ
でも、幼児には理解ができそうもないと思われる言葉が、「川辺」「釣り人」「うつら」「釣り糸」「ま
どろむ」と続く。こうした言葉の説明を説明したり、問いかけたりすることは、決してその本の「よ
さ」をそこなうものではない。が、それだけではない。意味のわからない言葉から受けるストレス
は相当なものだ。ためしにBS放送か何かで、フランス語の放送をしばらく聞いてみるとよい。
フランス語がわかれば話は別だが、ふつうの人ならしばらく聞いていると、イライラしてくるはず
だ。
 
     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
理解と怒り

 親が、自分の子どもに理解を示すとき。反対に、親が子どもに怒りを示すとき。一見、正反対
に見える親の反応だが、その違いは、まさに紙一重(かみひとえ)。

 たとえば子ども(幼児)が、お茶をこぼしたシーンを思い浮かべてみよう。おかげでテーブル
やじゅうたんは、びしょ濡れ!

【理解するとき】
 あなたの子どもは、ずっと病気で伏せていた。このところやっと元気になった。一時は、もうだ
めかと思ったこともある。しかし今は、生きていてくれるだけでもよい。そんなとき、子どもがや
っとの思いで、テーブルに手をかけ、その上にあったお茶をこぼした。

【怒りを示すとき】
 いくら叱っても、子どもが部屋の中で、ドトンバタンと暴れて遊んでいた。おかげで部屋中に、
ホコリが舞いあがっている。今日は、朝から風邪気味で、気分が重い。そんなとき、子どもがテ
ーブルにぶつかり、その上にあったお茶がこぼれた。

 「お茶をこぼす」という同じ行為でも、その子どもを包む状況によって、親の反応は、まるで違
う。「理解するとき」は、「あら、あぶなかったわ。やけどしなかった?」となる。しかし「怒りを示
すとき」は、「どうして、お茶をこぼすの! だめじゃない!」となる。

 こうした現象は、日常的に観察される。逆に、そうした親の反応を観察することによって、親
の心理状態をさぐることができる。

 たとえば今度は、子ども(小学生)が、学校のテストで、ひどい点をもらってきたばあいを、思
い浮かべてみよう。あなたはそれを知った瞬間、どのように感ずるだろうか。

【理解するとき】
 いつも自分の子どもは、能力以上にがんばっているので、「まあ、しかたない」と思う。「時に
は、こういうこともある」と思う。それに今度のテストのときは、調子が悪かったようだし、そうい
うこともあるのかとあきらめることができる。


【怒りを示すとき】
 いつも自分の能力を出し切っていないように思う。もう少しがんばれば、もっとよい点を取れ
るはず。テストの点数が悪いのは、努力不足。それに自覚がたりない。このところゲームばか
りしている。そういうときは、やはり子どもを叱るのがいいと思う。

 理解するときと、怒りを示すときの違いは、実は、最初のほんの「瞬間」で決まることがわか
る。道で言えば、どちらの分かれ道に入るかで、決まる。一方は「理解する道」、もう一方は「怒
りを示す道」。そしてつぎの瞬間には、それぞれの道を、一挙に進んでしまう。ふつう、あと戻り
はできない。そして「理解する道」へ入った親は、子どもを何かにつけて、子どもを理解しようと
する。「怒りを示す道」へ入った親は、子どもを何かにつけて、叱ろうとする。

 それはいわば条件反射のようなもの。いちいち頭で考えている人はいない。考える前に、ど
ちらかの道に入る。よく「頭の中ではわかっているのですが、ついその場になると、カッとなって
しまって……」という人がいる。それはそういう理由による。

 そこでどちらの道に入るか? その瞬間の判断が、子育てを楽しくもし、また子育てをいやな
ものにする。そこでもしあなたが、いつも同じパターンで子育てに失敗しているようなら、あなた
自身の心の作りかえをする。方法としては、つぎの方法がある。

(1)まず、自分の中に潜む、わだかまり、こだわりに気づく。
(2)自分の心に、ふだんから、そのわだかまりやこだわりとは、反対のことを念ずる。「うちの
子はダメな子」と思っているなら、今からでも遅くないから、「うちの子はすばらしい子」と思いな
おし、それを何度も、心の中で念ずる。
(3)子どもに向かっては、前向きの暗示(ストローク)をかけていく。「あなたはすばらしくなった
わ」「去年より、ずっといい子になったわ」「お母さん、楽しいわ」と。最初はウソだと感じても、そ
れを繰りかえす。心というのは、一見単純なようで、複雑。しかし同時に、複雑なようで、単純。
自分の心をだますのは、それほどむずかしいことではない。

 さて、あなたはどうか? 子育てが楽しいだろうか。楽しんでいるだろうか。あなたの子どもは
生き生きとしているだろうか。毎日、楽しそうにしているだろうか。もしそうなら、それでよし。し
かしそうでないなら、ここに書いたことを参考に、一度、あなた自身の心を作りかえることを考
えてみたらよい。実のところ、よい親になるか、それとも悪い親になるかは、紙一重。最初の、
その瞬間の心のもち方で決まる?
(030425)

°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ
°◎_/ ̄⌒―――∩
 ///―――――∫           
⊂⊂/      ∫      無断で、転送、引用、転載は、なさらないでください。
         ∫              よろしくご協力ください。       
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

不安神経症

 私のばあい、ふとしたことで、不安発作が起きる。不安神経症というのらしい。たとえば今が
そうで、今日は今朝から、こまかい事件が、いくつか重なった。それが理由で、今のようになっ
た。

 まず第一。今、中国の北京で、アメリカ、中国、北朝鮮の三者会談がなされている。そんな会
談のことなど心配しても、どうしようもないのだが、気になる。第二。詳しくは書けないが、先月
ある事件が起きた。いや、そのときはそれを知らず、その人に協力してしまった。が、その人
は、あるカルト団体の幹部だった。そのことが今朝、わかった。第三。今度家の裏の電線が、
六六〇〇ボルトの高圧線に変更になった。私の家の一番近いところからは、五メートル前後の
ところを、その高圧線が走っている。今、電磁波の弊害が、あちこちで指摘されている。六六〇
〇ボルトとわかったとたん、ゾーッとした。そのゾーッとした気持ちがそのまま、不安発作になっ
てしまった。

 心臓がドキドキする。胸の下に、何かしらボールが入ったような気分になる。汗をかくほどで
はないが、どこか手足の裏が、熱くなったようになる。落ちつかない。不安が不安を呼び、その
また不安がまた別の不安を呼ぶ。不安の連鎖というか、被害妄想というか。

 こういうときはワイフに助けを求める。「お前は、どう思う?」と。そういうような言い方をする。
するとワイフは、「考えすぎよ」「明日、電力会社に電話をしてみたら」と言う。そこでさらに「お前
は、不安にならないのか」と聞くと、「そりゃあ、心配は心配だけど、心配してもどうにもならない
でしょう」と。こういう会話を、何度も繰りかえす。

 私のばあい、こういう状態が長くつづくと、気が変になりそうになる。中途半端な状態には耐
えられない。そこでこういうときは、真正面からぶつかっていく。発想を変えるというか、最終的
な結論まで、その場で出すようにしている。

 「北朝鮮と戦争になったら、戦えばいい」「志願する」と。「あのカルト教団の男とは、縁を切れ
ばいい」「二度と連絡をとらない」と。そして電磁波については、「電力会社と直談判する」「それ
がダメなら、どこか別の場所に、引っ越せばいい」と。

 こうして自分の頭の中のモヤモヤを、一つずつ、整理していく。……と書いて気づいたが、私
のばあい、こうして文に書くのが、一つの解決法になっているようだ。ここまで書いて自分の心
の中をのぞいてみたが、先ほどよりも、ずっと静かになっている。ザワザワした不安感が消え
ている。

 今、時刻は、午前〇時半。四月二四日になったところだ。先ほど、ふとんの中に入ったが、眠
られなかった。ワイフに「薬をのんでくる」と言って、台所で薬をのんでから、そのままこの書斎
に入ってきた。薬といっても、漢方薬の胃薬。漢方薬の胃薬の多くには、精神を安らかにする
作用がある。そうそう、昔、かかりつけのドクターが、何かの精神薬をくれたが、私には、まった
くきかなかった。きかなかったというより、副作用が強くて、のめなかった。あとでドクターに聞い
たら、「熟睡剤」と教えてくれた。つまり、精神が不安定になったら、よく眠れということか。

 だいぶ心が静かになってきた。よかった。不安発作が起きると、「死んだらどうなる」「死んだ
らどうしょう」と、そんなところまで考えてしまう。おかしなことだ。

 ……でも、みなさん。人間は死んだら、どうなるのでしょうね。死ぬのはこわくないが、死ぬま
での自分が、こわい。私のような人間は、不安のウズの中で、苦しむのだろうと思う。……とい
うようなことを書くところをみると、まだ私の不安発作は、完全には収まっていないようだ。先ほ
どワイフは、こう言った。「朝になれば、忘れているわ」と。ワイフは、私のことをよく知っている。

(自己カルテ)

●数か月に一度くらいの割合で起きる。
●原因はささいなこと。それがどんどん大きくなってしまう。
●たいてい数時間はつづく。
●被害妄想、不安妄想にとりつかれる。
●問題の軽重の判断がつかなくなる。ささいな問題と、重大な問題が、頭の中でゴチャゴチャ
になってしまう。
●じっとしていることができなくなる。攻撃的に処理したくなる。
●あとになって思い出し、「どうしてあんなことで悩んだのだろう」と思うことが多い。しかしその
悩んでいる最中は、反対に、「どうしてみなは、この問題で悩まないのだろう」と思う。どちらの
自分が本当の自分か、わからなくなる。あるいは頭の中に、二人の自分がいるように感ずる。

では、みなさん、お休みなさい。
(030424)

【追記】
 上のエッセーを昨夜書いた。今朝は、やはりこわい夢を見た。どこかのホテルのロビーにい
る夢だった。飛行機が離陸する時刻まで、時間がない。まわりを見ると、みな、もうリムジンに
乗って行ってしまった。「タクシーで行けば、間にあう」と思っているが、そのタクシーが、見つか
らない。ワイフや子どもたちは、まだ部屋でしたくをしているようだ。ハラハラ、ドキドキ……。い
やな夢だった。

 こういう夢を見るときは、強迫観念に襲われているとき。精神状態がたいへん不安定になっ
ている。

 そこで朝から、行動、開始! まず中部電力へ、一番のり。しかしどうして電力会社の人たち
というのは、みな、低姿勢で、親切なのか。いろいろ話すと、午前中に、二人の男が、ガウス計
(電磁場測定器)をもって、私の家に計測に来てくれた。

 家の中で、0.1ミリガウス。窓の外で、0.2ミリガウス。電線から離れた部屋では、0・05ミリ
ガウス。スウェーデンでは、2ミルガウスが安全基準。(2ミリガウス以上になると、子どものば
あい、小児ガン(白血病)の発症率が、二倍くらいになるらしい。ただし日本の安全基準は、50
ガウス。つまりスウェーデンの基準の25000倍!) ついでに電子レンジにスイッチを入れ、
そのすぐ外で測定してもらった。それで35ミリガウス。部屋の中で、電気とテレビをつけると、
0・3ミリガウスくらい。つまり0・1〜0・2ミリガウス程度なら、「ほぼ問題がない」ということにな
った。(注※)

 それがわかったとたん、クーッとおなかがすいた。で、ワイフと、今度できた、Gハッチンという
レストランへ行った。が、玄関にも人があふれるほどの混雑ぶり。しかたないので、となりのサ
イXXXというイタリアレストランへ。一番安いハンバーグが290円。ライスの小が、100円。あ
と、何とかサラダと、トマトスパゲッティを注文して、計1100円(二人分)。今日の昼食は安くあ
がった。のどにつかえていた「かたまり」も消えて、おいしかった。

 ともかくも、ほっと、一安心。しかし「昨夜は、どうしてあんなことで悩んだのだろう」と、今は、
そう思う。心もときどき、変調するということか。では、みなさんも、どうか「お心」を大事に!
(030424)
 
(注※)ここに書いた数値は、あくまでも私の家での数値。私の家の前の電柱のつぎの電柱
で、6600ボルトの電線は、終点になっている。つまり6600ボルトといっても、このあたり10
世帯程度が使う電流しか流れていない。また測定したのは、電気の使用量がもっとも少ない春
の昼時。そのためさらに数値は低く出たようだ。

 もし、あなたの家の近くに、高圧電線があり、その電線を使って、近くの工場などが稼動して
いるときは、かなりの電流が流れているはず。そのときはここで示したような、0・1とか0・2ミリ
ガウス程度ではすまないはず。心配なら、一度、もよりの電力会社まででかけて行って、測定し
てもらうとよい。ただ残念ながら、この日本では、高い数値が出たからといって、ほとんど、打つ
手がないのが現状。シールド素材も販売されているが、私が調査したところ、20%前後のカッ
トしかできないとのこと。「要は、高圧電線の近くには、家を建てないこと」(Sシールド製造会
社・相談室)だそうだ。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


雑感

 このところ、予期していなかった出費が重なった。まず木を切っていたら、切った枝がメガネ
に当り、メガネが落ちて割れた。メガネ屋へ行き、レンズをかえてもらうことにした。その費用
が、29000円。硬質ガラスの高級品(?)にした。そうでないと、メガネがビンの底のようにな
ってしまう。結構、私も、見栄えを気にする。

 つぎにこのところテレビの映りが、急速に悪くなってきた。雨の日などは、ザーザーと画面が
乱れて、何も映らないときがある。そこで電気屋さんになおしてもらうことにした。その費用が、
50000円。これには、アンテナ代が含まれている。

 さらに……。いろいろあるが、生きていくだけでも、結構、お金がかかる。ときどき「どうしてこ
うも、お金がかかるのだろう」と思うことがある。しかしそう考えることは、同時に、老後の不安
でもある。へたに長生きすれば、みんなに迷惑がかかってしまう、と。かと言って、早く死ぬこと
もできない。できないというより、方法がわからない。まさか自殺するというわけにもいかない。
死ぬ前の日まで元気で仕事をしていて、翌日の朝になったら、フトンの中で死んでいる……と
いうのが、理想か?

 老人になることによって、好むと好まざるとにかかわらず、いろいろな状況が、大きく変化す
る。

 まず体力、気力が減退する。当然、収入が減り、交際範囲が狭くなる。が、私のばあい、そ
れ以上にこわいのは、頭の活動そのものが、鈍くなること。私にとって「生きる」ことは、「考え
る」こと。明日が今日と同じ、来年が今年と同じというようになったら、私は生きる希望をなくす
だろう。すでに私の年齢で、頭の活動が低調になり、どこかボケ始めたような人が、私のまわり
にも、何人かいる。ギョッ!

 ただ幸いなことに、私は毎日、幼児や小学生と接している。そして好き勝手なことを言って
は、ワイワイと騒いでいる。そういう職場から得る刺激は、何もにもかえがたい。こちらがボーッ
としていたくても、子どもたちが、それを許してくれない。

 しかしそれにしても、こうまで老後がきびしいものとは、思ってもみなかった。三〇歳代のころ
は、「老後なんて、ずっと先の話」と思っていた。四〇歳代のころは、「今のうちにうんと稼いで、
老後は、悠々自適(ゆうゆうじてき)の隠居生活をしよう」と思っていた。しかし五〇歳になって
みると、とたんに老後が、そこに見えてくる。しかしその老後というのは、悠々自適どころか、ま
さに不安と心配、それに喪失の恐怖そのもの。そういうものが、まとめて、どんと自分に押し寄
せてくる。

 今は「出費」程度ですむが、これからはもっと、予期していなかったできごと、予期していなか
った変化が、つぎつぎと起こるにちがいない。問題は、私には、それに耐えうる力があるかどう
かということ。たとえば「出費」については、今のところまだ現役で仕事をしているから、何とか
なるが、国民年金程度の年金生活者になったら、とても今のような生活はできない。29000
円のレンズを買ったら、それだけで年金の半額は、パー。

 老後のさみしさを表現した、識者は多い。その中でも、アミエルは、「日記」の中で、こう書い
ている。

 「いかに老人に成長するかを知ることは、英知の傑作であり、生活の中の偉大な技術におけ
る、もっともむずかしい章のひとつである」と。

 アミエル(Henri Frederic Amiel、1828〜81)という人は、スイス人の哲学者。今から一五〇
年ほど前に活躍した人である。「人生には、いろいろな章(段階)があるが、老人の章は、もっ
ともむずかしい」と。日本でも、最近、「いかにじょうずに老いるか」というテーマで論ずる人が、
多くなった。しかしアミエルに言わせると、「いかに老いるか」ということは、「いかにしてそれま
で得た英知を、そこに結集させるか」ということになる。つまりそのための戦いが、老後というこ
とになる?

 英知を結集できればよいが、しかしその前にボケてしまったら……? このところ少し自信が
なくなってきた。若いころなら、「予期せぬ……」などということは、ほとんどなかった。しかし今
は、その「予期」すら、ままならなくなってきた。それだけ注意力が、散漫になってきたということ
か。ギョッ!
(030425)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


映画「ダークブルー」を見る

 私のような飛行機ファンには、たまらない映画。それが「ダークブルー」(Dark Blue Worl
d)。おもしろかった。すばらしかった。それにストーリーもしっかりしていた。見終わったあと、
「いい映画を見た」という充実感が、心を満たした。

 映画に出てくる飛行機は、一部の爆撃機をのぞいて、すべて本物だった。確証はないが、そ
う思う。模型だとか、CGとかで作った映像とかではない。あるいはひょっとしたらそうだったか
もしれないが、私には見ぬけなかった。私は、子どものころ、戦闘機のパイロットにあこがれ
た。そういう思いが、映画の主人公と心が一体化し、共鳴した。

 私は映画を見ながら、今日(四月二五日)、全世界を流れた衝撃的なニュースのことを、とき
どき考えていた。今朝のテレビのニュースによれば、あの北朝鮮が、核兵器の所有を公式に
認めたというのだ。しかもCNNの報道によれば、核実験まですると言明したという。いったい、
あの国は、どこまで狂えば、気がすむのか。

 「ダークブルー」の主人公は、チェコスロバキア空軍のパイロット。しかしナチスドイツの侵攻
とともに、イギリスに渡り、今度は、イギリス空軍のパイロットとして活躍する。が、戦後、チェコ
スロバキアに戻るとそのパイロットは、反乱を起こす可能性のある人物として、そのまま投獄さ
れてしまった。チェコスロバキアは、戦後、ソ連共産党の支配下に入った。

 この映画を見ていて感じたことは、「戦争」というのは、こちらの意思に関係なく、向こうからや
ってくるものだということ。とくに「平和だ」「平和だ」と叫んでいる国ほど、あぶない? ひょっとし
たら、今の日本が、そうかもしれない。こういう危機的な状況になっても、手も足も出せない。こ
れから先、日本は、いろいろな場面で、北朝鮮の核兵器にビクビクしながら、生きていかねば
ならない。もっとも、北朝鮮が道理のわかる国なら、問題はない。その道理が通じない国だか
ら、ますます不安になる。

 できるだけ早く金XX体制を、自然死に追いこむ。数か月単位の短期間でもよい。あらゆる援
助を停止する。……と今まで、私は考えてきたが、今となっては、もう遅い。北朝鮮は、「経済
制裁は、戦線布告とみなす」と、勝手なことを言っている。本気かどうかは別にして、ああいう狂
った国家は、何をしでかすか、わかったものではない。

 「ダークブルー」の中の主人公は、戦前はナチスドイツと、戦後は、ソ連共産党の圧制と戦
う。考えてみれば、よいことなしの一生であった。私はそのパイロットの立場で、映画の間中、
「私なら、できるか」と自問しつづけた。「私なら、命をかけて、自由や平和のために戦うことが
できるか」と。子どものころあこがれた戦闘機のパイロットだっただけに、そう考えることには、
切々とした現実味があった。

 ただ救われるのは、今、北朝鮮が、崩壊状態にあるということ。エネルギー、食糧問題もさる
ことながら、経済政策も崩壊し、軍部そのものも、崩壊状態になりつつあるという。兵隊たちま
で栄養失調状態で、脱走兵があとを断たないと噂(うわさ)されている(朝鮮日報ほか)。同じ全
体主義国家といっても、ナチスドイツや、旧日本陸軍と、並べて考えることはできない。そう言
えば、オーストラリアの国防省で働いていたK君(オーストラリア人)が、先日、メールでこう書い
てきた。「北朝鮮が、コラプス(崩壊)するのは、時間の問題だ。だからあまり心配するな」と。ホ
ント! 早く崩壊してほしい。

 真っ青な空。真っ白な雲。眼下に広がる、緑の野原。その中を数機ずつ、戦闘機がかたまっ
て矢のように飛ぶ。戦争映画とはいえ、その美しさに、思わず息をのむ。昔、子どものころ、
「飛行機に乗っていて死ぬなら本望」と思ったことがあるが、それはまさしく「死んでも本望」の
世界だった。想像どおりの世界と言ってもよい。もしあなたが飛行機ファンなら、「ダークブル
ー」は、絶対に見逃してはいけない映画と言える。
(030425)

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
10・11 ……北浜東小学校
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市リズム幼稚園
7.31  ……浜松市東部公民館
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・24  ……静岡市アイセル21
6・ 7  ……都築保育園
5・19  ……愛知県枇杷島家庭教育推進協議会
5・ 9  ……富士市市立幼稚園PTA連合会・ロゼシアター(中ホール)
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■5-4-1

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 692人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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★★★★★★★★★★★★★★
03−5―4号(221)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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です! 
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
● 5月19日(月)愛知県枇杷島家庭教育推進協議会・創造センター・ドレミホール
●5月 9日(金)富士市市民文化会館・ロゼシアター 10:30〜12:00
        主催  富士市立幼稚園PTA連合会(九園合同) 
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   ( | σ σ |  ∂  へ ミ  |         【1】子育てポイント
    )("  ) ")  ζ  ∂ ぅ             【2】Touch your Heart
   / 八 ー 八┐ ( __  ノ─┐           【3】子育てエッセー
   ((  >−< | >−< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  /
  / \   (3-─┼─-ε)  /   私たちは、安心子育て、めざしましょう!
  ──────────────┐     そうだね……。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子どもの人間関係

 子どもどうしの人間関係に悩んでいる親は、多い。「いつも子分的だ」「つきあっている子ども
が、あまり好ましい子どもではない」「このところよくない遊びを覚えて困る」と。あるいは反対
に、「友だちと遊ばない」「友だちがいない」というのもある。

 田中熊次郎という学者は、子どもの友人関係を、つぎの四つに分けて考えている(1975)。

(1)相互的接近、(2)同情・愛着、(3)尊敬・共鳴、(4)集団的教導。

 子どもは、最初、友人を、自分の生活範囲の中で求めようとする。近所である。いつもいっし
ょに遊ぶ。親どうしが、友だちである。通園路が同じである。たまたま園で横の席に座った。お
けいこ塾でいっしょになる、など。これが(1)の相互的接近。

 つぎに子どもは、好きとか嫌いとか、自分の好みで、友だちを選ぶようになる。フィーリングが
あう、かっこいい、いっしょにいると楽しい、趣味や興味が同じ、悩みを分かちあえる、助けても
らえるなど。これが(2)の同情・愛着。

 さらに年齢が進むと、今度は、相手を、尊敬できるか、共鳴できるかという点で見るようにな
る。そして相手の能力を尊敬したり、主義主張に共鳴したりして、友に選ぶようになる。(2)の
同情・愛着による友人選びが、いわば外見にこだわったものであるとするなら、今度は、中身
にこだわったものとういうことになる。これが(3)の尊敬・共鳴。

 子どもの社会性がましてくると、個人から集団への帰順が大きくなる。そしてその集団的利益
の中で、友人を選ぶようになる。たとえば野球チームの仲間と、そのチームを支えるために友
人関係を結ぶなど。たがいに励ましあったり、力を認めあったりする。これが(4)の集団的教
導。

 田中氏の調査によれば、(1)と(2)には、年齢とともに、減少し、(3)と(4)は、年齢とともに
増大するという。つまり最初は、相互的接近、同情・愛着で友人を選んでいた子どもも、小学校
に入ったころから、だんだん尊敬・共鳴、集団的教導という視点で、友人を選ぶようになる、と。

つまり幼児期の友人関係は、絶対的なものではなく、その友人関係は、質的にも、年齢ととも
に、大きく変化するということである。だから「幼児期の今」だけを見て、子どもの友人関係を判
断してはいけない。また、それがこれからもずっとつづくと考えてはいけない。

【サブカルチャのすすめ】
 その一方で、ごく一般論として、少年少女期に、サブカルチャ(非行などの下位文化)を経験
した子どもほど、おとなになってから、常識豊かな子どもになることが知られている。この時期、
優等生だったり、いい子ぶっている子どもほど、あとあと問題を起こすことも知られている。

 だから「悪いことをしなさい」と子どもに言うこともできないが、しかし親側が、ある程度の「心
の広さ」を用意することは大切なことである。私はこれを「心の免疫性」と呼んでいる。反対に、
この免疫性がないと、子どもは、いわゆる「温室育ち」になり、外の世界ですぐ風邪をひくタイプ
の子どもになってしまう。

 もしあなたから見て、あなたの子どもが、好ましくない友だちとつきあい始めたら、鉄則はた
だ一つ。『友を責めるな、行為を責めろ』(イギリスの教育格言)である。(S県A市のTさんへ、
マガジンのほうでは、たびたび取りあげてきましたが、質問がありましたので、原稿を、ここに
添付しておきます。)

【よくも悪くも、子どもの世界】
 親は、子どもの世界のどの程度まで介入すべきなのか。また介入できるのかという問題は、
よく私たちの間でも話題になる。

 しかし結論から言えば、子どもが親離れを始める小学三年生(満八歳)あたりをめどにして、
親も、子離れを始めなければならないということ。そしてその時期をすぎたら、原則として、子ど
もの友人関係には、介入しない。

 こうした問題で、一番こわいのは、「親の押しつけ」。「あの子はいい子だから、つきあっては
ダメ」「この子は、悪い子だから、つきあってはダメ」と。こうした親の姿勢は、一事が万事と考
えてよい。いわゆる過干渉ママ、過関心ママの一形態ということになる。こうした姿勢に、威
圧、暴力が加わると、その弊害は、確実に子どもに現れる。三〇歳を過ぎた息子の縁談を、こ
とごとく破壊していた母親(六〇歳)がいた。「あんな女と結婚すると、財産を食いつぶされる」
「財産を奪われる」と。その息子は、ハキのない、ナヨナヨした男性だったが、そういう男性にし
たのは、ほかならぬその母親自身であった。

 親にもできることと、できないことがある。その「できないこと」に気づき、その分、いかに子ど
もを受け入れるかで、親の度量が決まる。「子どもは自分のモノ」という所有意識の強い親ほ
ど、子どもの世界に介入しようとする。もしそうなら、子どもの友人の問題は、子どもの問題で
はなく、あなた自身の問題ということになる。
 
+++++++++++++(付録)+++++++++++

●友を責めるな、行為を責めよ

 あなたの子どもが、あなたから見て好ましくない友人とつきあい始めたら、あなたはどうする
だろうか。しかもその友人から、どうもよくない遊びを覚え始めたとしたら……。こういうときの
鉄則はただ一つ。『友を責めるな、行為を責めよ』、である。これはイギリスの格言だが、こうい
うことだ。

 こういうケースで、「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」と子どもに言うのは、
子どもに、「友を取るか、親を取るか」の二者択一を迫るようなもの。あなたの子どもがあなた
を取ればよし。しかしそうでなければ、あなたと子どもの間には大きな亀裂が入ることになる。
友だちというのは、その子どもにとっては、子どもの人格そのもの。友を捨てろというのは、子
どもの人格を否定することに等しい。あなたが友だちを責めれば責めるほど、あなたの子ども
は窮地に立たされる。そういう状態に子どもを追い込むことは、たいへんまずい。ではどうする
か。

 こういうケースでは、行為を責める。またその範囲でおさめる。「タバコは体に悪い」「夜ふか
しすれば、健康によくない」「バイクで夜騒音をたてると、眠れなくて困る人がいる」とか、など。
コツは、決して友だちの名前を出さないようにすること。子ども自身に判断させるようにしむけ
る。そしてあとは時を待つ。
 ……と書くだけだと、イギリスの格言の受け売りで終わってしまう。そこで私はもう一歩、この
格言を前に進める。そしてこんな格言を作った。『行為を責めて、友をほめろ』と。

 子どもというのは自分を信じてくれる人の前では、よい自分を見せようとする。そういう子ども
の性質を利用して、まず相手の友だちをほめる。「あなたの友だちのB君、あの子はユーモア
があっておもしろい子ね」とか。「あなたの友だちのB君って、いい子ね。このプレゼントをもっ
ていってあげてね」とか。そういう言葉はあなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わ
る。そしてそれを知った相手の子どもは、あなたの期待にこたえようと、あなたの前ではよい自
分を演ずるようになる。つまりあなたは相手の子どもを、あなたの子どもを通して遠隔操作する
わけだが、これは子育ての中でも高等技術に属する。ただし一言。

 よく「うちの子は悪くない。友だちが悪いだけだ。友だちに誘われただけだ」と言う親がいる。
しかし『類は友を呼ぶ』の諺どおり、こういうケースではまず自分の子どもを疑ってみること。祭
で酒を飲んで補導された中学生がいた。親は「誘われただけだ」と泣いて弁解していたが、調
べてみると、その子どもが主犯格だった。……というようなケースは、よくある。自分の子どもを
疑うのはつらいことだが、「友が悪い」と思ったら、「原因は自分の子ども」と思うこと。だからよ
けいに、友を責めても意味がない。何でもない格言のようだが、さすが教育先進国イギリス!、
と思わせるような、名格言である。

++++++++++++++付録++++++++++++++

●先生は年上の子ども

 私はときどき、年少の子どもを年長の子どもの間に置いて、学習させることがある。たとえば
小学五年生の子どもを、中学生の間に座らせて勉強させるなど。しばらくの間はそれにとまど
うが、やがてそれになれてくると、子どもに変化が現れてくる。こんなことがあった。

 N君はどこかつっぱり始めたようなところがあった。目つきが鋭くなり、使う言葉が乱暴になる
など。そこで親と相談して、中学生の間に座らせてみることにした。で、それから数か月後、気
がついてみると、N君のつっぱり症状はウソのように消えていた。あとで母親に話を聞くと、こう
教えてくれた。N君の趣味はサッカー。その一緒にすわった中学生の中に、サッカー選手がい
たのだ。N君は毎回家へ帰ると、親たちにその中学生の話ばかりしていたという。それがよか
った。N君はいつしかその中学生をまねるようになり、勉強グセまでもらってしまった。母親はこ
う言った。「サッカーの試合があったりすると、こっそりと隠れて応援に行っていたようです」と。

 何が子どもに影響を与えるかといって、同年齢あるいはそれよりもやや上の子どもほど影響
をあたえるものはない。そこでもしあなたの周辺に、(1)一〜二歳年上で、(2)めんどうみのよ
い子どもがいたら、無理をしてでもよいから、その子どもと遊ばせるとよい。「無理をして」という
のは、親どうしが友だちになったり、仲よくしながらという意味である。あなたの子どもはその子
どもの影響を受けて、すばらしい子どもになる。

 もちろん悪い友だちもいる。親はよく一方的に交際を制限したり、相手の子どもを責めたりす
るが、そうすればしたで、それは子どもに向っては、友を取るか、親を取るかの二者択一を迫
るようなもの。あなたの子どもがあなたを取ればよいが、友を取ればその時点で親子の間に大
きなキレツを入れることになる。そういうときは、どこがどう悪いかだけを話し、あとは子どもの
判断に任せるようにする。
(030427)※

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<           安心できる情報と、
    /†_____†ヽ//          正しい知識をもとに、
    ( ('    ξヽ           考える力を忘れないで
  ┏ ||   o//\) )(         前向きに、子育てをしていきましょう。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。(NR54)
+++++++++++++++++++

 子どもを勉強に向かわせる法

(机は休む場所と考えろ!)

子どもが学習机から離れるとき

●机は休むためにある
 学習机は、勉強するためにあるのではない。休むためにある。どんな勉強でも、しばらくする
と疲れてくる。問題はその疲れたとき。そのとき子どもがその机の前に座ったまま休むことがで
きれば、よし。そうでなければ子どもは、学習机から離れる。勉強というのは一度中断すると、
なかなかもとに戻らない。

 そこであなたの子どもと学習机の相性テスト。子どもの好きそうな食べ物を、そっと学習机の
上に置いてみてほしい。そのとき子どもがそのまま机の前に座ってそれを食べれば、よし。もし
その食べ物を別のところに移して食べるようであれば、相性はかなり悪いとみる。反対に自分
の好きなことを、何でも自分の机に持っていってするようであれば、相性は合っているというこ
とになる。相性の悪い机を長く使っていると、勉強嫌いの原因ともなりかねない。

●机は棚のない平机
 学習机というと、前に棚のある棚式の机が主流になっている。しかし棚式の机は長く使ってい
ると圧迫感が生まれる。もう一五年ほども前になるが、小学一年生について調査したことがあ
る。結果、棚式の机のばあい、購入後三か月で約八〇%の子どもが物置にしていることがわ
かった。最近の机にはいろいろな機能がついているが、子どもを一時的にひきつける効果は
あるかもしれないが、あくまでも一時的。そんなわけで机は買うとしても、棚のない平机をすす
める。あるいは低学年児のばあい、机はまだいらない。たいていの子どもは台所のテーブルな
どを利用して勉強している。この時期は勉強を意識するのではなく、「勉強は楽しい」という思い
を育てる。親子のふれあいを大切にする。子どもに向かっては、「勉強しなさい」と命令するの
ではなく、「一緒にやろうか?」と話しかけるなど。

●学習机を置くポイント
 学習机にはいくつかのポイントがある。

(1)机の前には、できるだけ広い空間を用意する。 
(2)棚や本棚など、圧迫感のあるものは背中側に配置する。
(3)座った位置からドアが見えるようにする。(4)光は左側からくるようにする(右利き児のば
あい)。
(5)イスは広く、たいらなもの。かためのイスで、机と同じ高さのひじかけがあるとよい。
(6)窓に向けて机を置くというのが一般的だが、あまり見晴らしがよすぎると、気が散って勉強
できないということもあるので注意する。

 机の前に広い空間があると、開放感が生まれる。またドアが背中側にあると、心理的に落ち
つかないことがわかっている。意外と盲点なのが、イス。深々としたイスはかえって疲れる。ひ
じかけがあると、作業が格段と楽になる。ひじかけがないと、腕を机の上に置こうとするため、
どうしても体が前かがみになり、姿勢が悪くなる。中に全体が前に倒れるようになっているイス
がある。確かに勉強するときは能率があがるかもしれないが、このタイプのイスでは体を休め
ることができない。

 さらに学習机をどこに置くかだが、子どもが学校から帰ってきたら、どこでどのようにして体を
休めるかを観察してみるとよい。好きなマンガなどを、どこで読んでいるかをみるのもよい。た
いていは台所のイスとか、居間のソファの上だが、もしそうであれば、思い切って、そういうとこ
ろを勉強場所にしてみるという手もある。子どもは進んで勉強するようになるかもしれない。

●相性を見極める
 ものごとには相性というものがある。子どもの勉強をみるときは、何かにつけ、その相性を大
切にする。相性が合えば、子どもは進んで勉強するようになる。相性が合わなければ、子ども
は何かにつけ、逃げ腰になる。無理をすれば、子どもの学習意欲そのものをつぶしてしまうこ
ともある。

     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
SARS

 4月20日……1435人
 4月23日……3763人
 4月24日……4439人

 この数字は、中国当局が公式に発表した、中国国内(香港を含む)のSARS(新型肺炎)の、
感染者数である。もちろん死亡者数も、それにあわせて急上昇。とくに65歳以上の感染者とな
ると、死亡率は、25%前後になるという。ゾーッ! しかしそれにしても、この数字は何だ! 
単純に計算しても、毎日、750人(平均)ずつふえていることになる。このまま加速度的に感染
者がふえていけば、やがて、……想像するだけでも、そら怖ろしい状態になる。

 さて日本だが、4月25日現在、この日本でも、2人の感染者が確認されているという(WH
O)。「たった2人!」と考えてはいけない。こうした感染症の怖いところは、隠れ感染者がいる
ということ。さらに潜伏期間があり、その間に、どんどんと感染していくこと。日本が中国のあと
を追いかけるのは、もはや時間の問題といってよい。ゾーッ!

 そこで私は今日から、つぎのことを守る。
 
(1)人ごみは、避ける。
(2)街へ行くときは、マスクをする。
(3)最近、渡航してきた外国人との接触を、避ける。

 それにしても、いやな時代に突入した。ワイフも昨日、寝る前にこう言った。「何もいいことな
いわね」と。北朝鮮の核兵器だの、株価暴落だの、その上、SARSだの。楽天的なワイフです
ら、「いいことないわね」と。そうそう昨夜、テレビでエイズの報道もしていたが、今では、ごくふ
つうの病気になりつつあるという。その報道は、エイズの母子感染をテーマにしていたが、日本
も、いつの間にか、こうなってしまった!

 そこで、とりあえずは、自己防衛するしかない。

【北朝鮮の核問題】
 金XXが、核兵器の開発をやめるわけがない……というのが、おおかたの識者の見解であ
る。(昨日、仕事の帰りに、近くの書店で四〜五冊の週刊誌と、二〜三冊の月刊誌をかたっ端
から、立ち読みしてきた。)

 そこで今朝(二六日)、インターネットでアメリカの動きをさぐってみると、アメリカは北朝鮮の
経済制裁から海上封鎖も視野に入れ始めているという。先制攻撃も辞さないという。

 そうなれば、最悪のばあい、米朝戦争ということになり、当然のことながら、日本本土も戦場
化する。こわいのは、ミサイルなどの直接攻撃というよりは、日本国内に潜んでいる工作員た
ちによる破壊工作である。韓国に亡命した、北朝鮮の元工作員によれば、日本にはすでに10
0〜200人の工作員がいて、その日を待っているという。

 危機的な状況になったら、まず子どもたちを、安全な場所に疎開させ、外出を避けるしかな
い。あとは燃料と食料の確保だけは、しっかりとしておく。

【株価暴落】
 日本の経済が、瀕死(ひんし)の状態にあることは、もう言うまでもない。言うなれば年収の二
五倍もの借金をかかえた多重債務者が、その日その日を、新しい借金で、食いつないでいる
ようなもの。ノー天気な子ども(日本人)が、そういう親から、少しずつ小遣いをせびり、ガール
(ボーイ)フレンドと遊びまくっているようなもの。株価暴落は、あくまでも、その結果でしかない。
(経済学者は、株価がさがると、景気が悪くなると、逆のことばかり言っているが……。)

 私はもう、もともとたいした金額ではなかったが、銀行には、ほとんど預金していない。それら
のお金をどうしたかということについては、ここには書けないが、しかし今の金利水準で、貯金
したところで、それがどうだと言うのか。定期金利(一年)で、0・05%! 100万円を1年間預
けて、利息がたったの、500円! しかもそこから税を引かれると、手取りは、約400円! 
銀行がいつ閉鎖されてもおかしくないような状況の中で、たった400円のために、100万円を
人質に出すわけにはいかない。

 要するに危険と思われている銀行には、お金を預けないということ。あとはできるだけ質素な
生活を、さらに心がけるしかない。先手、先手で、生活のレベルをさげていく。支出を抑えてい
く。

【SARS】
 SARSについては、すでにここに書いたとおり。「もう少し世間が騒がしくなってから、予防し
よう」という発想では、絶対に予防はできない。自分のことは、自分で守る。そういう姿勢を貫
く。

 ……と、暗い話ばかり書いたので、数年前の私の失敗談を披露する。

 豊橋で、名鉄電車に乗ったときのこと。特急の指定席に乗った。が、となりの婦人(五〇歳く
らい)が、ゴホンゴホンと咳(せき)をしていた。たまたまインフルエンザが猛威を振るっていた
ので、私は、即座に、席を立った。立って、少しうしろの、あいている席にすわった。

 そこへ車掌が、切符を調べにやってきた。車掌は、私の切符を見ながら、こう言った。

車「このセキは……」
私(小声で)「セキがひどいものですから……」
車(あたりを見回しながら)「セキがひどい? ……ですか?」
私(小声で)「だから、その、私のセキのとなりの女性のセキがひどいものですから……」
車「ここは、あなたのセキではありません」
私(小声で)「わかっています。……ここに座ってはいけませんか?」
車「いいですが、どなたか来たら、自分のセキにもどってください」と。

 席(せき)と咳(せき)の話だった。

 では、みなさん、これからは、覚悟して、この大波を越えていきましょう。人生は、まさに航
海。今は船が、大嵐の中に入ったようなとき。心して、前に進みましょう! 決して負けてはだ
めですよ。いっしょに、がんばりましょう! 負けるものか!
(030426)

°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ
°◎_/ ̄⌒―――∩
 ///―――――∫           
⊂⊂/      ∫      無断で、転送、引用、転載は、なさらないでください。
         ∫              よろしくご協力ください。       
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

私は、ひょっとしたら……

 スーパーなどで、レジの女性が、代金をまちがえたときのこと。一〇〇〇円のものを、二〇〇
〇円と打ちまちがえたときは、私はすぐ文句を言った。しかし二〇〇〇円のものを、一〇〇〇
円と打ちまちがえたときには、私はそのままだまっていた。

 今の話ではない。私が二〇歳代のころの話である。その点私のワイフなんかは、正直な女
で、「これは一〇〇〇円ではなく、二〇〇〇円です」などと言って、お金をつけたして払ってい
た。そこで私はある日、ワイフをこう叱った。「向こうがまちがえて安くしたときは、だまっていれ
ばいい」と。

 しかしそれから三〇年。今から振りかえってみると、どうしてあんなことができたのだろうと思
う。今の私は、そういうことが、とてもできない。きのうも、こんなことがあった。

 隣の空き地の竹やぶから、大きな竹が伸びてきた。伸びたというより、風でたれさがってき
た。そして私の家をこすり始めた。そこで私は宵闇(よいやみ)にまぎれて、竹を切ることした。
本来なら、一言、隣人に断らなければならないが、隣人は、今、東京に住んでいる。それに重
病をわずらっている。

 そこで私は、まあいいだろうと自分に言い聞かせながら、竹やぶにおりた。そこで一本、切っ
た。ついでにもう一本、切った。さらにもう一本。とたん、心臓がドキドキし始めた。何かしら悪
いことをしているような気分になり、さらにもう少しすると、罪を犯しているような気分になった。

 とても不愉快な気分だった。何とも言えない、重苦しい気分だった。若いころの私なら、何で
も、「まあ、いいだろう」というような軽い気持ちで、かなりきわどいことでも、平気でできた。もと
もと私の「性」は、あまりよくない。そのため、今でも、行動のはじめには、「まあ、いいだろう」と
考えることがある。しかしいざ、実行に移ると、とたんに気持ちがしぼんでしまう。

 そのことをワイフに話すと、ワイフはこう言った。「あんたも、変わったね」と。

 そう、私は変わった? 私は、自分では悪人だと思っている。ずっと、そう思ってきた。私の中
では、邪悪な私が、いつも私に、「おいでおいで」と、手招きしている。若いころは、銀行強盗の
計画を練るのが、ひそかな楽しみの一つだった。どこかで銀行強盗があり、犯人がつかまった
りすると、「ドジなやつだ。私なら、こうするのに」などと思ったりした。

 しかしあるときから、そういう自分が、いやになった。自己嫌悪というのか。いろいろな思い出
があるが、ずるいことをして自分の欲望を満足させたときの私ほど、いやなものはない。本当
のところは、思い出したくもない。ちょうど歩いていて、嫌いな人が住んでいる家を避けるよう
に、そういう思い出に近づくと、それを迂回(うかい)して逃げてしまう。

 が、五〇歳をすぎるころから、自分がこわくなってきた。「今に、ボロが出るぞ。いくら善人ぶ
っていても、仮面がはがれて、みなは、お前の正体を知るぞ」と。私はいつもどこかで、もう一
人の邪悪な自分と戦ってきたように思う。しかしそういう邪悪な自分というのは、そうは簡単に
は消えない。

 しかし今、ほんの少しだが、希望が見えてきた。ひょっとしたら、私は、いい人間になれるかも
しれない、と。私は自分では、悪人だと思ってきたが、そういう悪人と決別することができるかも
しれない、と。そこでワイフにこう言った。

「なあ、お前、ぼくね、ひょっとしたら、いい人になれるかもしれないよ」と。するとワイフは、「どう
して?」と。

 「だってね、今のぼくなら、レジの女性が代金を打ちまちがえたら、正直に、まちがっています
と言うことができる」と。

 するとワイフは、ケラケラと笑ってこう言った。「何よ、そんなこと。あのね、そんなことは、当た
り前のことじゃない。あんた、バカみたい」と。

 なるほど。私はそのバカみたいなことで、若いころ、ずいぶんと時間をムダにした。遠回りを
した。しかしそれにしても、五〇歳を過ぎてから、それに気づくとは! 私のような人間を、本物
のバカというのか。ホント!
(030426)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


新緑

 今は、春。今日は、四月二六日。土曜日。時刻は、正確には午後二時三四分。

 少し前、ワイフと風呂に入った。出るとき、風呂の湯で、いろいろなものを洗濯した。少し前ま
で洗濯機があったが、市内の自宅の洗濯機が壊れたので、それで自宅のほうへもっていって
しまった。だから今は、洗濯は、風呂の残り湯でしている。

 出てから、トマトジュースを飲んだ。あまりおいしくなかった。そのあとウーロン茶で、胃をごま
かした。

 そして今、山の中から聞こえてくる鳥たちの声を聞きながら、こうしてレポートを書いている。

 チョットコイ、チョットコイと鳴くのは、コジュケイ。ときどき姿を見かけるが、ウズラのような鳥
だ。
 ホーケキョと鳴くのは、もちろんウグイス。
 カラスも、ものうげに、カーカーと鳴いている。
 それにたぶん、コガラか、シジュウカラだと思うが、ときどきチッチッ、ツーピクツーピクと鳴い
ている。のどかな昼さがり。ふと見あげると、山々の景色が飛びこんでくる。山荘ライフは、これ
からが本番。秋もすばらしいが、やはり若芽がいっせいに吹き出す、今ごろが、最高。

 ワイフは、少し前、散歩にでかけた。歩き方が、少し、どこかバーサン臭くなった。ポテポテと
した歩き方をする。ワイフも、今では、XX歳。若いころは、赤いミニスカートをはいて、さかんに
私を挑発していたのに……。

こういう生活が、あと何年できるのだろうか。ふと山々の燃えるような緑を見ながら、そんなこと
を考える。私が死んだあとも、またそのあとも、こうして自然は残り、その営みを繰りかえすの
だろうな、と。一〇〇年後も、二〇〇年後も。そう思ったとたん、自分が小さく見えた。

数えても意味はないが、緑の色は、決して一色ではない。「無数」と言ってもよいほど、それぞ
れの色は違う。濃い緑もあれば、薄い緑もある。黄色に近い緑もあれば、紺色に近い緑もあ
る。目の前のツバキの葉などは、岸辺に打ち寄せる小波のように、キラキラと輝いている。そ
れにここから見える森の木々は、どれもそれぞれの表情をもっている。サラサラした木。刺繍
(ししゅう)のようにボコボコした木。ツンツンとした木に、軽やかな木など。

 ときどき、小さな虫が空を横切る。下のほうにある竹やぶの竹が、大きくゆれる。またウグイ
スが鳴いた。カラスも鳴いた。春がすみというか、遠くの山々は、青白いモヤの中に包まれてい
る。その上に、水色の空が広がっている。隣の静岡市では、今日の気温は、七月上旬並みの
気温だったという。どこか蒸し暑いはずだ。春というより、もう初夏? 四月なのに? そう思い
ながら、また外を見る。ぼんやりする。

 ワイフが散歩から帰ってきた。「シイタケは取れた?」と聞くと、「今年は、もうおしまい。腐って
いた」と。

 そろそろ帰りじたくをしなければならない。結構、これがめんどう。戸締りだけでない。ゴミを
始末して、食器を洗って、それにときには、掃除もしなければならない。

では、山荘からのレポートはここまで。さようなら。
(030426)
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

北朝鮮、包囲網

みんなで守ろう、日本の平和、そして子どもたちの安全

 現在、北朝鮮を国家として承認している国は、ヨーロッパでは、以下の国々である。私は、さ
っそく、これらの国の大使館に、手紙を書いた。以下が、その手紙。もしみなさんの中に、ここ
ろざしを同じにする方がいらっしゃれば、この手紙をコピーし、かつそれぞれのみなさんの気持
ちを添えて、大使館に送ってほしい。(XXX部は、各自、ご記入ください。)

++++++++以下、文面、コピーして、お使いください++++++++++++

在日英国大使館

大使閣下、殿

拝啓

 突然、このような手紙を出す、非礼をお許しください。
 
 私は、日本に住む日本人の、林 浩司というものです。私はこのたび4月23日から中国の北
京で行われました、アメリカ、中国、北朝鮮三国の会談の中における、北朝鮮高官の、核兵器
保有発言、ならびに核開発継続発言を、深く憂慮しています。

 つきまして、貴国は、北朝鮮、つまり朝鮮民主主義共和国を国家として承認し、深い国交関
係にありますが、こうした関係を、再考していただけないものかと思い、このような手紙をさしあ
げることにしました。

 世界が、こういう無謀な独裁国家の、それ以上に無謀な行為に対して、抗議の声をあげ、何
らかの政治的圧力を加えるのは、世界の平和を守るという視点からも、たいへん重要なことか
と思います。その一つとして、国交断絶、承認取り消しなどの、北朝鮮に対する政治的制裁が
あります。まず私たちがすべきこととして、私はそれを切に望みます。

 よろしくご検討の上、貴国本国政府の関係各位に、私のこうした意思と希望をお伝えくださる
よう、お願い申し上げます。

敬具


              〒432−8061浜松市XXXXXXXX
                     пiFax)053−XXX−XXXXX

                         4月28日 2003年


Her Britannic Majesty's Embassy in Japan

His Excellency Sir Stephen John Gomersall KCMG

Dear Sir,
 
Please allow my irreverence to write to you on such an occasion but I am (Mr.) Hiroshi 
Hayashi, who is very anxious about the nuclear weapon possession and the nucleus 
development continuation of North Korea, which has been revealed by a North Korean high-
ranking official during the talk of USA, China, the North Korea, done this time in Beijing in 
China from April 23rd. I strongly oppose against North Korea's possession of nuclear 
weapons. 

The world should raise, I am sure, the voice of the protest to such a kind of reckless act 
and such a reckless dictatorial state as well. And also I am sure that to apply some political 
pressure against North Korea is a very important thing from the viewpoint to keep peace in 
the world, the pressure which may include the political punishment such as to extinct the 
diplomatic relations or to cancel political relationship..

I would appreciate your kind attention and examination to this letter, if you could pass this 
letter to the high officials of your country soonest in your convenient occasion, for which I 
thank you very much.

  Sincerely Yours,

  Hiroshi Hayashi
  XXXX Hamamatsu-city 432-8061, Japan 

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

資料(1)

北朝鮮承認国(ヨーロッパ)

スウェーデン
フィンランド
デンマーク
オーストリア
ポルトガル
イタリア
イギリス
オランダ
ベルギー
スペイン
ドイツ
ルクセンブルグ
ギリシヤ


資料(2)

各国、在日大使館住所

今回、私は、北朝鮮に特に影響力のある、以下の三か国に、この手紙を出しました。

●在日英国大使館
Her Britannic Majesty's Embassy in Japan
〒102‐8381 千代田区一番町1
 
特命全権大使:スティーヴン・ジョン・ゴマソール 閣下
His Excellency Sir Stephen John Gomersall KCMG

●在日フランス大使館
〒106-8514 東京都
港区南麻布4-11-44 

ベルナール・ド・モンフェラン大使閣下

●在日イタリア大使館
〒108- 8302
東京都港区三田2丁目5番地4号

H.E. Mr. Gabriele Menegatti 大使閣下

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


覆面(ふくめん)サイト

 私は知らなかった。ときどき仕事を回してくれたので、頼まれるまま、あれこれ仕事をさせても
らっていた。しかしその事務所が、あるカルト教団に運営されていたとは!

 それを知ったのは、偶然だった。しかし私は、むしろそれを教えてくれた人のほうを疑った。し
かし私自身があちこちを調べてみると、やはりその事務所は、カルト教団によって運営されて
いることがわかった。それを確信したとたん、ドキッ!

 おかげでその日は、そのときから、不快感が心に張りついたままだった。いくら信仰の自由
があるとはいえ、カルト教団は、別。その教団も少し前、ある事件を引き起こし、マスコミで騒が
れたことがある。

 こういう教団は、本当にズルイ。無垢(むく)な顔をして、私たちに近づいてくる。そしてスキを
みて、自分たちの世界に、私たちを取りこもうとする。自分たちが正しいと思うなら、もっと正々
堂々とすればよい。しかしどこかに「うしろめたさ」があるのだろう。あるいはもっと別の下心が
あるのか? それはわからないが、この世界、油断もスキもあったものではない。

 しかしよく誤解されるが、カルト教団があるから、信者がいるのではない。それを求める信者
がいるから、カルト教団がある。世の中には、だまされるのがいやだという人もいる。こういう人
は、まだ、まとも。しかし一方、世の中には、一抹の幸福感とひきかえに、だまされてもかまわ
ないと思っている人もいる。こういう人が、カルト教団に集まる。

 カルトがカルトとしてこわいのは、組織信仰。信者はいつの間にか、その組織の人間ロボット
となって動いてしまう。動かされているとは気づかないまま、動かされてしまう。一度、こんな会
話をしたことがある。ある仏教系のカルト教団に属する信者との会話である。

私「あなたがたは、自分たちの教祖を疑ってみたことがありますか」
信「ありません。あの教祖様は、絶対です」
私「しかし人間でしょ」
信「あの教祖様は、釈迦の生まれ変わりです」
私「証拠はあるのですか?」
信「経文に、そういう教祖様が今の世に出現すると書いてあります」
私「だからといって、その人が釈迦の生まれ変わりということにはならないでしょ」
信「いえ、その経文の中から、そのことを教祖様は自ら発見なさったのです。だから教祖様は、
釈迦です」
私「……?」と。

 こういう不毛の議論が延々とつづく。つかみどころがない。まさにああ言えば、こう言う。はぐ
らかされてしまう。住んでいる「知性」の次元そのものが違う。

 だからといって、こう書いている私が正統派だと言うつもりはない。しかし今、私はここでこれ
だけは明言できる。

 私は現在、どこの宗教団体にも属していない。会合にも出ていない。機関紙やその種の団体
が発行する雑誌なども、読んでいない。聖書も、経典も一通りもってはいるが、それはあくまで
も参考資料。「無神論者」と断言できるほど、強い人間ではないが、ほぼそれに近い。

 みなさんも、くれぐれも、カルト教団には、ご注意ください。彼らは虎視眈々(こしたんたん)と、
あなたの純朴な心をねらっています。
(030426)

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
10・11 ……北浜東小学校
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市リズム幼稚園
7.31  ……浜松市東部公民館
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・24  ……静岡市アイセル21
6・ 7  ……都築保育園(父親の会)
5・19  ……愛知県枇杷島家庭教育推進協議会
5・ 9  ……富士市市立幼稚園PTA連合会・ロゼシアター(中ホール)
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■5-6-1

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M ″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
● 5月19日(月)愛知県枇杷島家庭教育推進協議会
●5月 9日(金)富士市市民文化会館・ロゼシアター 10:30〜12:00
        主催  富士市立幼稚園PTA連合会(九園合同) 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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砂場論

●遊びが子どもの仕事

 「すべては幼稚園から始まった」という本の中で、「人生で必要な知識はすべて砂場で学ん
だ」と書いたのはロバート・フルグラムだが、それは当たらずとも、はずれてもいない。「当たら
ず」というのは、向こうでいう砂場というのは、日本でいう街中の公園ほどの大きさがある。オー
ストラリアではその砂場にしても、木のクズを敷き詰めているところもある。日本でいう砂場、つ
まりネコのウンチと小便の入りまざった砂場を想像しないほうがよい。また「はずれていない」と
いうのは、子どもというのは、必要な知識を、たいていは学校の教室の外で身につける。実は
この私がそうだった。

 私は子どものころ毎日、真っ暗になるまで近くの寺の境内で遊んでいた。今でいう帰宅拒否
の症状もあったのかもしれない。それはそれとして、私はその寺で多くのことを学んだ。けんか
のし方はもちろん、ほとんどの遊びもそうだ。性教育もそこで学んだ。……もっとも、それがわ
かるようになったのは、こういう教育論を書き始めてからだ。それまでは私の過去はただの過
去。自分という人間がどういう人間であるかもよくわからなかった。いわんや、自分という人間
が、あの寺の境内でできたなどとは思ってもみなかった。しかしやはり私という人間は、あの寺
の境内でできた。

 ざっと思い出しても、いじめもあったし、意地悪もあった。縄張りもあったし、いがみあいもあ
った。おもしろいと思うのは、その寺の境内を中心とした社会が、ほかの社会と完全に隔離さ
れていたということ。たとえば私たちは山をはさんで隣り村の子どもたちと戦争状態にあった。
山ででくわしたら最後。石を投げ合ったり、とっくみあいのけんかをした。相手をつかまえればリ
ンチもしたし、つかまればリンチもされた。しかし学校で会うと、まったくふつうの仲間。あいさつ
をして笑いあうような相手ではないが、しかし互いに知らぬ相手ではない。目と目であいさつぐ
らいはした。つまり寺の境内とそれを包む山は、スポーツでいう競技場のようなものではなかっ
たか。競技場の外で争っても意味がない。つまり私たちは「遊び」(?)を通して、知らず知らず
のうちに社会で必要なルールを学んでいた。が、それだけにはとどまらない。

 寺の境内にはひとつの秩序があった。子どもどうしの上下関係があった。けんかの強い子ど
もや、遊びのうまい子どもが当然尊敬された。そして私たちはそれに従った。親分、子分の関
係もできたし、私たちはいくら乱暴はしても、女の子や年下の子どもには手を出さなかった。仲
間意識もあった。仲間がリンチを受けたら、すかさず山へ入り、報復合戦をしたりした。

しかしそれは日本というより、そのまま人間社会そのものの縮図でもあった。だから今、世界で
起きている紛争や事件をみても、私のばあい心のどこかで私の子ども時代とそれを結びつけ
て、簡単に理解することができる。もし私が学校だけで知識を学んでいたとしたら、こうまです
んなりとは理解できなかっただろう。だから私の立場で言えば、こういうことになる。「私は人生
で必要な知識と経験はすべて寺の境内で学んだ」と。

●ギャング集団

 子どもは、集団をとおして、社会のルール、秩序を学ぶ。人間関係の、基本もそこで学ぶ。そ
ういう意味では、集団を組むというのは、悪いことではない。が、この日本では、「集団教育」と
いう言葉が、まちがって使われている。

 よくある例としては、子どもが園や学校へ行くのをいやがったりすると、先生が、「集団教育に
遅れます」と言うこと。このばあい、先生が言う「集団教育」というのは、子どもを集団の中にお
いて、従順な子どもにすることをいう。日本の教育は伝統的に、「もの言わぬ従順な民づくり」
が基本になっている。その「民づくり」をすること、つまり管理しやすい子どもにすることが、集団
教育であると、先生も、そして親も誤解している。

 しかし本来、集団教育というのは、もっと自発的なものである。また自発的なものでなければ
ならない。たとえば自分が、友だちとの約束破ったとき。ルールを破って、だれかが、ずるいこ
とをしたとき。友だちどうしがけんかをしたとき。何かものを取りあったとき。友だちが、がんば
って、何かのことでほめられたとき。あるいは大きな仕事を、みなで力をあわせてするとき、な
ど。そういう自発的な活動をとおして、社会の一員としての、基本的なマナーや常識を学んでい
くのが、集団教育である。極端な言い方をすれば、園や学校など行かなくても、集団教育は可
能なのである。それが、ロバート・フルグラムがいう、「砂場」なのである。もともと「遅れる」と
か、「遅れない」とかいう言葉で表現される問題ではない。

 だから言いかえると、園や学校へ行っているから、集団教育ができるということにはならな
い。行っていても、集団教育されない子どもは、いくらでもいる。集団から孤立し、自分勝手で、
わがまま。他人とのつながりを、ほとんど、もたない。こうした傾向は、子どもたちの遊び方に
も、現れている。

 たとえば砂場を見ても、どこかおかしい? たとえば砂場で遊んでいる子どもを見ても、みな
が、黙々と、勝手に自分のものをつくっている。私たちが子どものときには、考えられなかった
光景である。

 私たちが子どものときには、すぐその場で、ボス、子分の関係ができ、そのボスの命令で、バ
ケツで水を運んだり、力をあわせてスコップで穴を掘ったりした。そして砂場で何かをするにし
ても、今よりはスケールの大きなものを作った。が、今の子どもたちには、それがない。

 こうした問題について書いたのが、つぎの原稿である。なおこの原稿は、P社の雑誌に発表
する予定でいたが、P社のほうから、ほかの原稿にしてほしいと言われたので、ボツになった経
緯がある。理由はよくわからないが……。今までここに書いたことと、内容的に少しダブルとこ
ろもあるが、許してほしい。

++++++++++++++++

●養殖される子どもたち

 岐阜県の長良川。その長良川のアユに異変が起きて、久しい。そのアユを見続けてきた一
人の老人は、こう言った。「アユが縄張り争いをしない」と。武儀郡板取村に住むN氏である。
「最近のアユは水のたまり場で、ウロウロと集団で住んでいる」と。

原因というより理由は、養殖。この二〇年間、長良川を泳ぐアユの大半は、稚魚の時代に、琵
琶湖周辺の養魚場で育てられたアユだ。体長が数センチになったところで、毎年三〜四月に、
長良川に放流される。人工飼育という不自然な飼育環境が、こういうアユを生んだ。しかしこれ
はアユという魚の話。実はこれと同じ現象が、子どもの世界にも起きている!

 スコップを横取りされても、抗議できない。ブランコの上から砂をかけられても、文句も言えな
い。ドッジボールをしても、ただ逃げ回るだけ。先生がプリントや給食を配り忘れても、「私の分
がない」と言えない。これらは幼稚園児の話だが、中学生とて例外ではない。キャンプ場で、た
き火がメラメラと急に燃えあがったとき、「こわい!」と、その場から逃げてきた子どもがいた。
小さな虫が机の上をはっただけで、「キャーッ」と声をあげる子どもとなると、今では大半がそう
だ。

 子どもというのは、幼いときから、取っ組みあいの喧嘩をしながら、たくましくなる。そういう形
で、人間はここまで進化してきた。もしそういうたくましさがなかったら、とっくの昔に人間は絶滅
していたはずである。が、そんな基本的なことすら、今、できなくなってきている。核家族化に不
自然な非暴力主義。それに家族のカプセル化。

カプセル化というのは、自分の家族を厚いカラでおおい、思想的に社会から孤立することをい
う。このタイプの家族は、他人の価値観を認めない。あるいは他人に心を許さない。カルト教団
の信者のように、その内部だけで、独自の価値観を先鋭化させてしまう。そのためものの考え
方が、かたよったり、極端になる。……なりやすい。

 また「いじめ」が問題視される反面、本来人間がもっている闘争心まで否定してしまう。子ども
同士の悪ふざけすら、「そら、いじめ!」と、頭からおさえつけてしまう。

 こういう環境の中で、子どもは養殖化される。ウソだと思うなら、一度、子どもたちの遊ぶ風
景を観察してみればよい。最近の子どもはみんな、仲がよい。仲がよ過ぎる。砂場でも、それ
ぞれが勝手なことをして遊んでいる。私たちが子どものころには、どんな砂場にもボスがいて、
そのボスの許可なしでは、砂場に入れなかった。私自身がボスになることもあった。そしてほか
の子どもたちは、そのボスの命令に従って山を作ったり、水を運んでダムを作ったりした。仮に
そういう縄張りを荒らすような者が現われたりすれば、私たちは力を合わせて、その者を追い
出した。

 平和で、のどかに泳ぎ回るアユ。見方によっては、縄張りを争うアユより、ずっとよい。理想的
な社会だ。すばらしい。すべてのアユがそうなれば、「友釣り」という釣り方もなくなる。人間たち
の残虐な楽しみの一つを減らすことができる。しかし本当にそれでよいのか。それがアユの本
来の姿なのか。その答は、みなさんで考えてみてほしい。

++++++++++++++++++++

 総じて言えば、今の子どもたちは、管理されすぎ。たとえば少し前、『砂場の守護霊』という言
葉があった。今でも、ときどき使われる。子どもたちが砂場で遊んでいるとき、その背後で、守
護霊よろしく、子どもたちを見守る親の姿をもじったものだ。

 もちろん幼い子どもは、親の保護が必要である。しかし親は、守護霊になってはいけない。た
とえば……。

 子どもどうしが何かトラブルを起こすと、サーッとやってきて、それを制したり、仲裁したりする
など。こういう姿勢が日常化すると、子どもは自立できない子どもになってしまう。せっかく「砂
場」という恵まれた環境(?)の中にありながら、その場をつぶしてしまう。

 が、問題は、それで終わるわけではない。それについては、別の機会に考えてみる。
(030427)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【付録(1)】

子育ての原点

 スズメは、ヒヨドリが来ても逃げない。ヤマバトが来ても逃げない。しかしモズが来ると、一斉
に逃げる。モズは肉食だ。しかしではなぜ、スズメは、そんなことを知っているのか。それは本
能によるものなのか。それとも学習によるものなのか。

 スズメは子育てをする一時期を除いて、集団行動をする。それはよく知られた習性だが、子
育てのときもそうだ。子スズメたちは、いつも親スズメのあとをついて飛ぶ。そして親スズメに習
って、エサの取り方や食べ方を学ぶ。そのときのことだ。モズが来ると、親スズメがまず逃げ
る。そしてそれを追いかけるようにして、子スズメも逃げる。スズメたちがモズから逃げるのは、
本能によるものではなく、学習によるものだ。本能によるものなら、親スズメと同時か、場合に
よっては、親スズメより先に逃げるはずである。

 実は「子育て」の原点はここにある。教育の原点と言ってもよい。親は子どもを育てながら、
まず命を守る方法を教える。危険なものと、そうでないものを教える。将来生きていくために必
要な知識を、子どもたちに教える。経験を伝えることもある。子どもたちは、そういう知識や経
験を武器として、自分たちの世代を生きる。そして親になったとき、自分たちが教えられたよう
にして、次の世代に知識や経験を伝える。

が、この図式通りいかないところが、人間の世界だ。そしてこの図式通りでないところに、子育
てのゆがみ、さらに教育のゆがみがある。その第一。たとえば今の日本の子どもたちは、家事
をほとんど手伝わない。すべき家事すら、ない。洗濯は全自動の洗濯機。料理も大半が、電子
レンジで温めればすんでしまう。水は水道、ガスはガス管から運ばれる。掃除も、掃除機です
んでしまう。幼稚園児に、「水はどこから来ますか」と質問すると、「蛇口!」と答える。同じよう
に野菜はスーパー、電気は電線となる。便利になったことはよいことだが、その便利さに慣れ
るあまり、「生きることの基本」を忘れてしまっている。そして他方で、必要でもないような知識
を、人間形成に必要不可欠な知識と錯覚する。よい例が一次方程式だ。二次方程式だ。

私など文科系の大学を出たこともあって、大学を卒業してから今にいたるまで、二次方程式は
おろか、一次方程式すら日常生活で使ったことは、ただの一度もない。さらに高校二年で微分
や三角関数を学ぶ。三年では三角関数の微分まで学ぶ。もうこうなると、教えている私のほう
がバカバカらしくなる。こんな知識が一体、何の役にたつというのか。こうした事実をとらえて、
私の知人はこう言った。「今の教育には矛盾と錯覚が満々ちている」(学外研・I氏)と。

 教育、教育と身構えるから、話がおかしくなる。しかし子どもたちが自立できるように、私たち
が得た知識や経験を、子どもたちに伝えるのが教育。そしてそれを組織的に、かつ効率よく、
かたよりなく教えてくれるのが学校と考えれば、話がスッキリする。子育てだってそうだ。将来、
子どもたちが温かい家庭を築き、そしてそれにふさわしい親として子育てができるようにするの
が、子育て。そういうふうに考えて子育てをすれば、話がスッキリする。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【付録(2)】

壮絶な家庭内暴力

 T君は私の教え子だった。両親は共に中学校の教師をしていた。私は七、八年ぶりにそのT
君(中二)のうわさを耳にした。たまたまその隣家の人が、私の生徒の父母だったからだ。いわ
く、「家の中の戸や、ガラスはすべてはずしてあります」「お父さんもお母さんも、廊下を通るとき
は、はって通るのだそうです」「お母さんは、中学校の教師を退職しました」と。私は壮絶な家庭
内暴力を、頭の中に思い浮かべた。

 T君はものわかりのよい「よい子(?)」だった。砂場でスコップを横取りされても、そのまま渡
してしまうような子どもで、やさしく、いつも柔和な笑みを浮かべていた。しかし私は、T君の心
に、いつもモヤのような膜がかかっているのが気になっていた。

 よく誤解されるが、幼児教育の世界で「すなおな子ども」というときは、「自分の思っていること
や考えていることを,ストレートに表現できる子ども」のことをいう。従順で、ものわかりのよい
子どもを、すなおな子どもとは、決して言わない。むしろこのタイプの子どもは、心に受けるスト
レスを内へ内へとためこんでしまうため、心をゆがめやすい。T君はまさにそんなタイプの子ど
もだった。

 症状は正反対だが、しかしこの家庭内暴力と同列に置いて考えるのが、「引きこもり」であ
る。家の中に引きこもるという症状に合わせて、夜と昼の逆転現象、無感動、無表情などの症
状が現われてくる。しかし心はいつも緊張状態にあるため、ふとしたきっかけで爆発的に怒っ
たり、暴れたりする。少年期に発症すると、そのまま学校へ行かなくなってしまうことが多い。こ
のタイプの子どもも、やはり外の世界では、信じられないほど「よい子(?)」を演ずる。

 そのT君について、こんな思い出がある。私がT君の心のゆがみを、お母さんに告げようとし
たときのことである。いや、その前に一度、こんなことがあった。私が幼稚園の別のクラスで授
業をしていると、T君はいつもこっそりと自分の教室を抜け出し、私の教室へ来て、学習してい
た。T君の担任が、よく連れ戻しに来た。そこである日、私はT君のお母さんに電話をした。「私
の教室へよこしませんか」と。それに答えてT君のお母さんは猛烈に怒って、「勝手に誘わない
でほしい。うちにはうちの教育方針というものがあるから」と。しかしT君はそれからしばらくし
て、私の教室へ来るようになった。家でT君が、「行きたい」と、せがんだからだと思う。以後私
は、一年半の間、T君を教えた。

 で、その「ゆがみ」を告げようとしたときのこと。お母さんはこう言った。「あんたは、私たちが
お願いしていることだけをしてくれればいい」と。つまり「余計なお節介だ」と。

 子どもの心のゆがみは、できるだけ早い時期に知り、そして対処するのがよい。しかし現実
にはそれは不可能に近い。指摘する私たちにしても、「もしまちがっていたら……」という迷い
がある。「このまま何とかやり過ごそう」という、ことなかれ主義も働く。が、何と言っても、親自
身にその自覚がない。知識もない。どの人も、行きつくところまで行って、自分で気づくしかな
い。教育にはどうしても、そんな面がつきまとう。

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<          
    /†_____†ヽ//      心豊かで、暖かい子育てをめざしましょう。
    ( ('    ξヽ        みんなでがんばれば、日本の子育ては
  ┏ ||   o//\) )(      変わります。よくなります。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子どもを勉強好きにする法
(学ぶことを楽しませろ!)

子どもがワークをするとき 

●西田ひかるさんが高校一年生
 学研に「幼児の学習」「なかよし学習」という雑誌があった。今もある。私はこの雑誌に創刊時
からかかわり、その後「知恵遊び」を一〇年間ほど、協力させてもらった。「協力」というのもお
おげさだが、巻末の紹介欄ではそうなっていた。この雑誌は両誌で、当時毎月四七万部も発
行された。この雑誌を中心に私は以後、無数の市販教材の制作、指導にかかわってきた。バ
ーコードをこするだけで音が出たり答えが出たりする世界初の教材、「TOM」(全一〇巻)や、
「まなぶくん・幼児教室」(全四八巻)なども手がけた。一四年ほど前には英語雑誌、「ハローワ
ールド」の創刊企画も一から手がけた。この雑誌も毎月二七万部という発行部数を記録した
が、そのときの編集長のOT氏が横浜のアメリカンハイスクールで見つけてきたのが、西田ひ
かるさんだった。当時まだまったく無名の、高校一年生だった。

●さて本題
 ……実はこういう前置きをしなければならないところに、肩書のない人間の悲しみがある。私
はどこの世界でも、またどんな人に会っても、まずそれから話さなければならない。私の意見を
聞いてもらうのは、そのあとだ。で、本論。私はこのコラム(中日新聞「子どもの世界」)の中で、
「ワークやドリルなど、半分はお絵かきになってもよい」と書いた。別のところでは、「ワークやド
リルほどいいかげんなものはない」とも書いた。そのことについて、何人かの人から、「おかし
い」「それはまちがっている」という意見をもらった。しかし私はやはり、そう思う。無数の市販教
材に携わってきた「私」がそう言うのだから、まちがいない。

●平均点は六〇点
 まず「売れるもの」。それを大前提にして、この種の教材の企画は始まる。主義主張は、次の
次。そして私のような教材屋に仕事が回ってくる。そのとき、おおむね次のようなレベルを想定
して、プロット(構成)を立てる。その年齢の子ども上位一〇%と下位一〇%は、対象からはず
す。残りの八〇%の子どもが、ほぼ無理なくできる問題、と。点数で言えば、平均点が六〇点
ぐらいになるような問題を考える。幼児用の教材であれば、文字、数、知恵の三本を柱に案を
まとめる。小学生用であれば、教科書を参考にまとめる。しかしこの世界には、著作権というも
のがない。まさに無法地帯。私の考えた案が、ほんの少しだけ変えられ、他社で別の教材にな
るということは日常茶飯事。こう書いても信じてもらえないかもしれないが、二五年前に私が
「主婦と生活」という雑誌で発表した知育ワークで、その後、東京の私立小学校の入試問題の
定番になったのが、いくつかある。

●半分がお絵かきになってもよい
 子どもがワークやドリルをていねいにやってくれれば、それはそれとして喜ばねばならないこ
とかもしれない。しかしそういうワークやドリルが、子どもをしごく道具になっているのを見ると、
私としてはつらい。……つらかった。私のばあい、子どもたちに楽しんでもらうということを何よ
りも大切にした。同じ迷路の問題でも、それを立体的にしてみたり、物語を入れてみたり、ある
いは意外性をそこにまぜた。たとえば無数の魚が泳いでいるのだが、よく見ると全体として迷
路になっているとか。あの「幼児の学習」や「なかよし学習」にしても、私は毎月三〇〇枚以上
の原案をかいていた。だから繰り返す。

「ワークやドリルなど、半分がお絵かきになってもよい。それよりも大切なことは、子どもが学ぶ
ことを楽しむこと。自分はできるという自信をもつこと」と。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

常識は疑う

●お日様は、赤!

 黒板(私はテレビ画面を使っている)に、景色を描き、黄色い太陽を描いたら、即座に子ども
たち(小二児)が、「お日様は、黄色ではない!」と。そこで私が、「じゃあ、何色かな?」と聞く
と、全員、「赤だ、赤だ!」と。

 しばらく間をおいて、私はこう言った。「本当に、赤? 君たちは、お日様を見たことがある
の?」と聞くと、「見た」「赤だ」と。

 そこで私が、「アメリカでは、黄色だよ」と教えてやると、「へんな、お日様」「おかしい」と。さら
に「中国では、白だ」と教えてやると、さらに「それは、おかしい。お日様が白だってエ〜」と。教
室の中が、騒然となってしまった。

 「白」という漢字は、もともと「日」という漢字から派生している。「日」に、光線を表す線が上に
ついて、「白」となった。だから中国では、太陽は、白ということになる。そのことを、漢字を書き
ながら説明してやったのだが、「やっぱり、おかしい。お日様は、赤だよ」と。

私「本当に赤かな?」
子「赤だ」
私「どこで見たの」
子「夕日は、真っ赤な赤だ」

 日本の子どもたちは、夕日を見て、太陽の色は赤だと思っている。そこでさらに「昼はどうな
の?」と聞くと、「赤だ」と。たまたまその日は、雨。外を見ることができなかったので、私はこう
言った。「今度、天気のよい日に、お日様は、本当はどんな色か、調べてみてよ。だけどね、お
日様をじっと見ていてはいけないよ。チラッと見て、色を調べるんだよ」と。

●つくられる常識

 色彩感覚にかぎらず、私たちが「常識」と思っていることのほとんどは、自分でつくった常識と
いうよりは、まわりの人から、与えられるものである。たとえば日本では、「私」と指さすとき、自
分の鼻先を指さす。そこで私は、こうした常識がいつごろからできるのかを調べてみたことがあ
る。

小学二年生……全員、鼻先を指さす。
小学一年生……全員、鼻先を指さす。
年長児  ……ほとんどが、鼻先を指さすが、迷う子どもも多い。
年中児  ……鼻先を指さす子どもが、半分くらい。あとは、バラバラ。

 この「指さす」というジェスチャは、どうやら年中児(満五歳)から、年長児(満六歳)にかけて
身につくと考えられる。「ひとつ、ふたつ……」と、指で数える数え方も、そうだ。だいたいこの時
期に身につくと考えられる。日本人は、人さし指から順に一本ずつ指を伸ばすという、独特の
数え方をする。

 色彩感覚や、ジェスチャだけではない。たまたま同じ日、年長児のM君が、こう言った。「幼稚
園で、一番、偉い人は、園長先生だよ」と。そこで私が、「どうして偉いの?」と聞くと、「わかん
ない……」と。M君は、「偉い」という意味もわからず、多分、親たちの言ったことをまねしなが
ら、そう言ったのだろう。しかしこういう経験をとおして、子どもたちは、「園長先生は偉い」とい
う常識を身につけていく。

 もちろん常識が悪いというのではない。その常識があるから、日常生活のほとんどが、スム
ーズに流れる。ふだんの生活の中で、いちいち迷ったり、考えたりするのは、めんどうなこと
だ。しかし時として、その常識が、目を曇らすことがある。親子関係についても、今でも、こんな
常識を、口にする人は多い。

「親だから、子どもを愛しているはず」
「親孝行は、子どもの義務」
「母性本能は、本能で、だれにでもある」
「夫は仕事、妻は家事」

 常識が、格言になっていることもある。

「子はかすがい」
「子は、親のうしろ姿を見て育つ」
「子とフグリは、荷にならず」(フグリ……陰嚢のこと)
「子の恥は、親の恥」ほか。

 こうした常識のどこがおかしいかということについては、また別の機会に考える。しかし安易
にこうした常識を、正しいと思ってはいけない。そしてさらに、こうした常識を、絶対と思っては
いけない。常識は、いつも疑ってみる。とくにこの日本では、子育てにまつわる常識には、おか
しなものが多い。

 さてあなたは、太陽と言えば、何色の太陽を描くだろうか。
(030427)

     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子どものけんか

 子どもどうしのけんかにも、段階論がある。(1)身体的暴力期、(2)言語的暴力期、それに
(3)心理的暴力期の三つである。また内容的に分けて、(1)攻撃型(外に向かって暴力を振る
う)、(2)内向型(陰湿な策略を練る)がある。

 身体的な暴力というのは、相手に向かって、たたく、なぐる、蹴るなどの行為をいう。言語的な
暴力というのは、「バカ」「アホ」などの言葉による暴力をいう。そして心理的な暴力というのは、
いじめや、無視などの方法で、相手を心理的に追いつめる暴力をいう。

 幼児期は、このうち、身体的暴力期からやがて、言語的暴力期へと進んでいく。心理的暴力
期に進む子どもは、まずいない。大切なことは、それぞれの時期に、それぞれのけんかを、ほ
どよく経験しておくということ。今では、子どもどうしの暴力に過剰反応する親が多く、身体的暴
力を「悪」と決めつけて、それをおさえこんでしまう。しかしこうした親の姿勢は、かえって子ども
の心の発育を、つぶしてしまう。私自身の経験を書く。

 私が子どものころは、けんかは、日常茶飯事だった。私のまわりでは、いつもけんかがあっ
た。ささいなことで口論となり、そのまま取っくみあいのけんかになった。なぐりあいもあったが、
けがをすることはめったになかった。要は相手を威嚇(いかく)し、相手のやる気をうばえば勝
ち。私のばあい、そういう意味でのけんかには、めったに負けたことはない。

 けんかに勝つには、コツがある。最初にひるんだほうが、負け。最初に、大声をあげて、手を
振りまわし、そして頭からつっこんでいく。本当はこわいが、こちらがおびえている様子は、見
せてはいけない。

 もちろん負けることもある。そのときは、私のばあいは、あまり争わず、さっさと負けた。こうし
た関係から、私たちの世界には上下意識が生まれた。しかしその意識は、固定的なものでは
ない。学校での上下関係、公園や境内での上下関係、近所での上下関係など。同じ相手で
も、学校では子分、境内でのゲームでは、親分ということはよくあった。

 しかし今、振りかえってみると、あのころの私が、今の私の原点になっているように思う。私は
子どものころから、言いたいことを言い、したいことをした。そういう姿勢がほかの子どもとの衝
突に発展し、けんかになった。しかしけんかをすることで、ますます私は言いたいことを言い、し
たいことをした。今も、基本的には、この姿勢は変わりない。

 そんなわけで、幼児期は、子どもどうしのけんかは、どんどんさせたらよい。もっと具体的に
は、言いたいことを言わせ、したいことをさせる。そしてその結果、ほかの子どもと衝突しても、
それはそれとして、おおらかにかまえる。子どもは、けんかという衝突を繰りかえしながら、社
会生活における問題解決の技法を身につける。

 たとえばブランコを横取りされたようなとき。横取りされたほうは、けんかをしてもよい。あるい
は相手が、何かずるいことをしたようなとき。ずるいことをされたほうは、けんかをしてもよい。
そういうけんかは、必要なけんかである。ときに暴力沙汰(ざた)になることもあるが、それもと
きには、必要。けがをすることもある。私もよくけがをした。頭には、いくつかの大きなキズが、
今でもいくつか残っている。

 子どもは、削って伸ばす。最初から悪いことをさせないのではなく、悪いこともさせながら、そ
れがどう悪いかを教えていく。けんかも、その一つ。まずけんかをさせる。そしてそのあと、どう
してけんかが悪いかを教える。まず何でもさせてみて、そのあと、その悪い部分を削るようにし
て、子どもを伸ばしていく。それがここでいう「削って伸ばす」の意味である。

 小学生になってからのけんかについては、また別の機会に考えてみる。
(030428)

●相手が理不尽なことを言って、こぶしを振りあげてきたら、それには、抵抗する。たたかれた
ら、たたかれたままというのは、平和主義でも何でもない。ただの臆病(おくびょう)という。この
日本では、あたりさわりなく、静かに暮らすことを平和主義と思っている人は多い。しかしけん
かをしないから、平和主義者というのではない。平和を守るから、平和主義者というのでもな
い。平和を守るために積極的に戦う人を、平和主義者という。「いざとなったら、戦争も辞さな
い」と。もしそれがいやなら、座して死を待てばよい。……と、私のこうした平和主義についての
ものの考え方も、子どものころのけんかが原点になっているような気がする。
 
°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ       
°◎_/ ̄⌒―――∩      みなさんのお近くで、講演するとき、
 ///―――――∫       よろしかったら、おいでください。        
⊂⊂/      ∫        マガジンの読者と一言、言ってくだされば、
             講演をしていても、ぐんと元気が出ます。ホントです!
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

選挙

 今日(四月二七日)、浜松市長と市議会議員の選挙に行ってきた。あとでニュースを聞いた
ら、投票率は、四五%前後だったという。私もでかけるとき、ワイフに、「今日はやめようか?」
と声をかけた。今度の選挙は、どうも盛りあがりがない。するとワイフは、「選挙に行かないな
んて、あんたは非国民よ!」と。

 市長はXX氏にしようと決めていたから問題はなかったが、市議会議員は、決めていなかっ
た。で、公民館のポスターを見るまで、だれにしょうかと迷った。ポスターを見ても、迷った。本
来なら、こういう状態なら、投票はしないほうがよいのかもしれない。しかし白票を入れるという
のも、どうか。そこで候補者のポスターがズラリと並んだ掲示板の前で、候補者選びをすること
にした。 

A氏……にこやかな顔で、歯をむきだしにして笑っていた。きれいな歯だった。「この年で、こん
なきれいな歯の人は、珍しいね」と私。「きっと、修正しているのよ」とワイフ。「修正って?」「今
では、写真技術が発達したから、どんなことでもできるのよ。顔のシミを消したり、シワを消した
り……。そんなことは何でもないのよ」と。ただ英語でも、笑うは、ラーフ。ほほえむは、スマイ
ル。しかし歯を出してニヤけるのは、スニアという。「あざ笑う」という意味もある。ちなみにアメ
リカ人やオーストラリア人は、カメラの前では、めったに歯を出して笑わない。子どもでも、親
に、「口を閉じて笑いなさい」と、よく叱られる。「この人は歯を出して笑っているから、やめよう
か」と声をかけると、ワイフは、「そうね」と。だからA氏はやめた。(これは偏見か?)……こうし
て、歯を出して笑っている候補者は、すべて除外した。

B氏……どこかヤクザぽい。数年前に亡くなった演歌歌手のM氏によく似ていた。どこかIQも
低そう。「北朝鮮問題をどう思いますか?」と質問しても、「義理と人情で……」と言いそうな雰
囲気。ほかの職業ならいざ知らず、社会のリーダーになる人は、全身からにじみ出るような知
性がないとダメ。(だから私のような人間は政治家に向かない?)「こういう人は、議会の質問
書まで、役人にこっそりと書いてもらっているんだよ、きっと……」とワイフに言うと、「そうね。こ
の人はやめよう」と。……こうして、どこかヤクザっぽい候補者は、すべて除外した。

Cさん……女性。名前は、かわいい名前で、タレント風。しかし写真を見て、ワイフがこう言っ
た。「なんだ、すごいオバサンだア」と。(自分だって、オバサンのくせに!)「私、この人、三〇
歳くらいかと思っていた」と。「いや、この写真だって、一〇年前のものかもしれないぞ。女性の
中には、そういうことをする人は多い。雑誌に載せる写真でも、中には二〇年前の写真を出版
社に送ってくる人もいる」と私。「それに、XXXX(この部分は、その候補者の名誉の問題がある
ために書けない)」と。だからCさんも、やめた。……こうして、名前と顔が一致しない候補者
は、すべて除外した。

D氏……ポスターのセンスがよかった。どれも似たようなものだが、ポイントで入っているマーク
がよい。「この人にしようか?」とワイフに声をかけると、じっと見ながら、ワイフがこう言った。
「この人、どこかインチキ臭い?」と。「どこが?」と聞くと、「目つきが悪い。私、男の顔はよくわ
かる。こういう男は不誠実」と。……こうして、ワイフがダメだという候補者は、すべて除外した。

E氏……顔が真っ茶色。テカテカと光っていた。「この人は、きっと肝臓病だぞ。肝臓ガンかもし
れない。少なくとも、肝硬変にかかっている」と。「先が長くないわ」「そうだ。だからやめよう」と。
政治家は、まず健康でなければならない。不健康な人は、精神も腐る。「腹黒い人は、政治家
には向かない」と。……こうして、不健康に見える候補者は、すべて除外した。

F氏……たいへん動物的な顔をしていた。まさにゴリラのような顔をしていた。「しかし個性的な
顔だな、この人。浜松にも、こういう個性的な人がいるんだね」と私。「でも、こういう人は、名前
だけにして、顔写真はやめるべきだと思うわ」「どうして?」「公害のようなものよ。自分が同じ日
本人かと思うと、なさけなくなるわ」と。ワイフも、結構、ひどいことを言う。……こうして、個性的
すぎる風貌(ふうぼう)の候補者は、すべて除外した。

 で、結局、最後の最後まで、私は迷いに迷って、YY氏にした。どこか私の顔に似ていた。「私
の顔に似ている人には、悪い人はいない」と、勝手にそう思った。今回は、政党は関係なし。年
齢も性別も関係なし。ワイフは、ZZ氏に投票したようだ。前から、テニスクラブのコーチから頼
まれていたらしい。「あの人しか、いなかった……」と。

 公民館から出たあと、家具屋を回った。台所の食器戸棚がほしいと、前からワイフが言って
いた。近くのE屋、S家具を回ったが、客はほとんどいなかった。客の少ない家具屋は、何とな
くボラれそうで、こわい。そこで少し遠かったが、浜松市の北東にある、NTRという店に行っ
た。で、驚いた。安い! 全体的に、E屋、S家具の値段の、五〜七割程度。「ここで買おう」と
は決めたが、今日は買わなかった。大きな買い物は、こうして迷うのが楽しい。買ってしまえ
ば、その楽しみがなくなる。……と迷って、もう三か月になる。選挙も、家具選びも同じだなあと
思って、NTRを出た。

【追記】何とも不謹慎な候補者選びで、すみません。お許しください。つい先日、県議会議員選
挙があったばかりで、市議会選挙のことは、まったく頭にありませんでした。それでこういうこと
になってしまいました。ただ私のばあい、選挙違反ぽい接近のし方をしてくる候補者、小ズルさ
を感ずる候補者には、絶対、票を入れないことにしています。
(030427)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

イノシシ

 岐阜県G町に住む、いとこが、イノシシの肉を送ってくれた。赤い肉で、その周囲を分厚い脂
肪が取り囲んでいた。電話をすると、「脂肪を捨ててはだめだ。その脂肪がおいしいから」との
こと。

 この原稿を書いているときは、まだそのイノシシの肉を食べていない。明日か、あさって、食
べようと思う。そのイノシシには、こんな話がある。

 山荘の近くで、Kさんという農家の人が、野菜をつくっている。ゆるやかな山の斜面を利用し
て、段々畑風の畑で、それをつくっている。(そういうのを段々畑というが……。)その畑を見た
とき、山の斜面の上側に、二本の金属パイプが横に並べてあった。高さは、三〇〜四〇センチ
くらいだろうか。それを見て私が、「これは何?」と聞くと、Kさんが、「イノシシよけだよ」と。

 私は驚いた。畑がよくイノシシに荒らされるという話は聞いていた。しかしそんな程度のフェン
スで防げるとは思えない。そこで私が「こんな高さなら、イノシシはジャンプするでしょう?」と。
するとKさんは、「しないよ」と。さらに私が、「では、回り込んで畑の中に入ってくるでしょう?」と
言うと、「イノシシには、そんな知恵はないね」と。

 畑を囲むなら、「コ」の字型にフェンスをつくらなければ、意味がない。私はそう考えた。が、K
さんは、それについても、こう言った。「昔から、猪突猛進というだろ。イノシシは、直進しかしな
いよ。ジャンプするという知恵もないし、回り込んで畑へ入るという知恵もないよ。イノシシよけ
には、これでじゅうぶんだよ」と。ナルホド!

 相手がイヌやネコなら、こうはいかない。もう少し賢い。サルになると、もう人間そのものと言
ってよい。しかしイノシシが、そこまでバカだとは、思ってもいなかった。「イノシシって、バカです
ね」と言うと、Kさんは、うれしそうに、「バカだね」と笑った。

 そのバカなイノシシの肉を食べる。以前食べた人の話では、とてつもなく、おいしいそうだ。と
くに野生のイノシシは、格別だという。いとこに料理のし方を聞いたら、「味噌煮か、ステーキだ
ね」とのこと。多分、私はステーキにして食べると思う。明日が楽しみだ。
(030428)※

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

教室の改造

 今度、教室を改造することにした。そう決心した。理由は、気分刷新(さっしん)。それに今の
教室には、少し、あきた。机も、イスも、すべて手作りで用意したが、一〇年も使っていると、疲
れがしみつく。で、何とかしようと、一年近く、悩んだ。その結果である。

 今度の連休が終わったら、手始めに、カーペトを張りかえる。つぎに、机とイス。今度は家具
屋で、新調する。カーペットがブルーなら、机とイスは、白がよい。全体にモノトーンにして、上
品な感じにしたい。こういう時勢だから、冒険といえば、冒険だが、私も今の仕事を、あと何年
つづけられるか、わからない。ここらで失敗したところで、どうということはない。今まで、ほぼ三
四年間、こうして無事、仕事ができたことに感謝している。いろいろあったが、窮地に立たされ
るようなことはなかった。波風が立ったときは、あるにはあったが、何とか、乗り切ってきた。そ
う、いろいろあった。

 たとえば……。世間一般並に、離婚の危機もあった。家族の問題、親子の問題、それに近所
や友人との問題もあった。教室の経営も、何度か、崖ぷちに立たされたこともある。そういう意
味では、いつもどこか、不完全燃焼のままのような人生だった。が、あまりぜいたくは言えな
い。うらむことより、感謝することのほうが多い。遺産が入ったとか、宝くじに当たったとか、そう
いうことは、まったくなかった。しかしとくに損をしたとか、被害をこうむったということもない。家
族みなが、健康に恵まれた。成績風に言うなら、優もなく不可もなく、及第点というところか。
 
 そこで教室の改造。私のこの仕事は、私の代で終わる。後継者はいない。弟子もいない。私
はたったひとりで、今まで生きてきた。死ぬときもひとり。それで私の経験は、消える。私の知
識も、消える。すべてが、消える。少しおおげさに聞こえるかもしれないが、そんなわけで、これ
が私の最後の改造になるかもしれない。「……かもしれない」ではなく、内心では、確信してい
る。ただそう断言するほどの勇気は、ない。ないので、「かもしれない」と逃げる。ひょっとした
ら、何かよいことがあるかもしれない。そしていつか、自分を完全燃焼できるときがくるかもしれ
ない。そういう希望はある。ここで「最後の改造」と断言してしまうと、そういう希望と決別するこ
とになってしまう。

 今日も、何枚か、設計図を描いてみた。「こうすれば、子どもたちが喜ぶだろう」と考えなが
ら、設計図を描くのは、楽しい。あとはビルのオーナーに相談するだけ。ここは頭をフルパワー
にして、取り組んでみよう。
(030428)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

白装束集団

 またまた「?」な、カルト教団が現れた。テレビの報道によれば、「白装束集団」だという。衣
服も白なら、車も白。道路沿いの木々も、みんな白。「白は、電磁波をはねかえすから」という
のが、彼らの主張らしい。そして「(どこかの)共産ゲリラが、スカラー電磁波で攻撃してくる。だ
から各地を移動しながら、それを防いでいる」「(今年の)五月一五日に、すい星(惑星?)が大
接近する。そのとき地球は、大災害に襲われる」と。

 まあ、よくもまあ、こういう「?」な集団が、つぎからつぎへと現れるものだ。キリがない。どこか
科学的で、それでいて、まったく非科学的。どこか論理的で、それでいて、まったく非論理的。
反論するのもバカらしいが、問題は、なぜ人間は、こういう愚かなことを繰りかえすかというこ
と。そのあたりにメスを入れないと、結局はモグラ叩きのようなことになってしまう。あっちが顔
を出すから、ピシャリ。こっちが顔を出すから、ピシャリ、と。いつまでたっても、解決しない。

 もう少し情報を集めてみるが、とりあえず、五月一五日が、楽しみ。すい星(惑星)など、接近
してこない。大災害など、起きるわけがない。もっとも何も起きなければ起きないで、カルト教団
の連中は、こう弁解する。「私たちの信仰で、危機を回避することができました。私たちが世界
を救ったのです」と。それが彼らの常套(じょうとう)手段。今まで、そう言って責任逃れをしてき
たカルト教団は、いくらでもある。実に、オメデタイ人たちである。どうぞ、ご勝手に!

●どうすれば、子どもたちをカルトから守ることができるか

 カルトのこわいところは、ある日、突然、ふとしたきっかけで、ごくふつうの子どもが、入信して
しまうこと。その深刻さは、その外の世界にいる人には、想像もつかない。「息子を返せ」「娘を
返せ」と叫ぶ親たちの姿には、悲痛なものがある。

また最近、多いのは、妻がある日、突然、カルトに身を寄せてしまうケース。いくら信仰の自由
と言っても、カルトは話が、別。ある夫は、妻にこう言われた。「あんたと私は、前世の因縁では
結ばれていなかった。もともと結婚する仲ではなかった。かろうじて私たちが夫婦でいられるの
は、私の信仰のおかげよ。あなたにはそれがわからないの!」と。もしあなたがある日、妻
(夫)にそう言われたら、あなたはそれに耐えられるだろうか。

 私は私なりに、こうした子どもがどうして生まれ、どのような過程を経て、カルトに走るようにな
っていくかを調べたことがある。話せば長くなるが、その背景に、超能力だの、心霊だの、神秘
体験だの、わけのわからないものがある。そういうものへの「あこがれ」が、やがて「容認」とな
り、そして「信仰」へと進んでいく。

だから子どもたちの前では、(自信がなくても)、一度は、そういうものをはっきりと否定してやら
ねばならない。また否定した生きザマを見せてやらなければならない。「超能力? そんなもの
は、ない!」「霊? そんなものは、ない!」と。こうした毅然(きぜん)とした親の姿勢が、子ども
の中に、「合理の道」をつくる。合理の道というのは、ものごとを合理的に考える道筋をいう。こ
の道筋がないと、子どもは、とんでもない世界に入ってしまう。

 世相があやしくなればなるほど、ますますこの種のカルト教団が生まれる。そしてその分、よ
り多くの若者たちが犠牲になっていく。今、世間をにぎわせ始めた、白装束集団も、その一つ。
決して、他人ごとに思ってはいけない。
(030428)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

異常気象

 このところ、SARS(新型肺炎)だとか、北朝鮮問題とか、何かと世相が、騒がしい。で、そう
いう騒がしさにまぎれて、おととい(4月17日)、静岡県のS町で、31・5度という、観測史上は
じまって以来という、気温を記録した。たしか昨年(02年)は、5月末に、30度を超えたと思う。
そのときも、「観測史上はじめて」という言葉を聞いたような気がする。(あいまいな記憶で、申
し訳ありません。)それが今年は、去年より、約40日も、早まったことになる!

 私が子どものころは、30度を超えるのは、毎年梅雨あけの、7月に入ってからだった。それ
がふつうだった(岐阜県)。30度を超えると、「真夏日」ということになり、川で泳ぐのが許され
た。しかしそれとて、梅雨があけてからのこと。だいたい7月10〜15日過ぎのことだった。しか
し今では、4月の中旬に、30度を超える!? ゾーッ!

 気象庁には、「平年並み」という言葉がある。しかしこの言葉ほど、いいかげんな言葉はな
い。気象庁がいう平年並みというのは、過去30年間の平均気温をいう。だからもし30年ごと
に5度ずつ気温が上昇したとしても、平年並は、平年並になってしまう? 「今年の気温は平年
並みです」と。

 しかし地球温暖化は、確実に進行している。しかも予想より、はるかに早いペースで進行して
いる。数字の上では、この半世紀で、1度前後しか上昇していないというが、実感は、とてもそ
んなものではない。気象庁は、ひょっとしたら、世界の指導者と申しあわせて、ウソを言ってい
るのではないのか? ……つまりそう思ってもおかしくないほど、実感気温とかけ離れている。

 たとえば気象庁の記録によれば、2000〜02年度においてさえ、この浜松市での最高気温
は、31度前後(8月)ということになっている。しかしこんなのは、まっかなウソ。昨年は、わりと
涼しかったほうだが、それでも浜松市内では、連日、40度近くは、あった。「今日の最高気温
は、32度でした」などと報道されるたびに、私は温度計を見ながら、「どこの気温のことを言っ
ているのか?」と思った。

 しかしそれにしても、深刻な話である。地球温暖化が進めば、やがて地球は火星のようにな
ると言う人もいる。今のまま温暖化が進めば、その可能性は、きわめて高い。そこまでいかなく
ても、あと10年もすれば、2〜3月期に、30度を超えるようになるかもしれない。そうなれば日
本の気象状態は、完全に狂う。

……と、まあ、地球温暖化の問題を考えていると、SARSや北朝鮮の問題が、小さく見えてくる
から不思議である。それにSARSや北朝鮮の問題は、まだ人間の力で何とかなる。が、地球
温暖化はそうではない。人類滅亡どころか、すべての生物が死滅する。だから、地球温暖化を
考えていると、「どう解決するか」ということよりも、「どう静かに滅亡するか」という問題になって
しまう。いや、滅亡するなら滅亡するで、かまわない。問題は、それまでのプロセス。人間は、
決して静かには滅亡しないだろう。恐らく(というより、確実に)、まさに地獄を経験するに違いな
い。秩序やモラルは崩壊し、殺人や暴力が、日常的に横行するようになる。略奪や殺人が、日
常的に横行するようになるかもしれない。知能が高い分だけ、「末期」は、悲惨(ひさん)なもの
になる。

 そこで人類には希望がないのかというと、方法がないわけではない。一つは宇宙へ飛び出す
という方法。もう一つは、人類がたくわえた知識や知恵を、コンピュータの形で後世に残すとい
う方法。地球の周辺に、亜硫酸ガスをまいて、それで太陽光線をさえぎるという方法。あるいは
太平洋のど真ん中で、数千発の核兵器を爆発させて、地球の大気に「穴」をあけるという方法
などがある。どこかSF的だが、しかしすでにそういう方向で考えている科学者もいるという。い
ざとなれば、方法はいくらでもある?

 しかしまあ、人間も、好き勝手なことをしたものだ。もっとも、私たちおとなは、自業自得として
の結果だから、あきらめることができるが、かわいそうなのは、子どもたちである。これから
先、どういう未来を経験することやら? 申し訳ないことをしたと思うのと同時に、考えれば考え
るほど、気が重くなる。たいへん悲観的なことを言うが、この問題だけは、もうくるべきところま
できたような感じがする。単純な問題ではないだけに、どこから手をつけてよいのかさえわから
ない。たとえばこんなこともある。

 「地上オゾン(対流圏オゾン)」という言葉を聞いたことがあるだろうか。種々の排気ガスや煙
が化学的に反応して、それが地上オゾンになるという。温室効果ガスの一つだが、その地上オ
ゾンが、5%ふえると、農作物が約20%減少するという※。そこであの北朝鮮だが、近年、農
業生産が慢性的に不振状態にあるという。その原因のひとつが、地上オゾンではないかと言
われている。もちろん韓国も影響を受けているらしい。もちろんその発生源は、中国、ロシア。
日本も、沖縄あたりに影響が出始めているという。農作物だけではない。森林も影響を受け
る。そしてその結果として、ますます地球の温暖化は進む……。あああ。
(030419……この原稿は、去る、4月19日に書いたものです。)

※……この数値は、ある科学者から直接、会話の中で聞いたもので、確たる根拠があるわけ
ではありません。ただ沖縄地方における地上オゾン濃度の上昇率と、農作物の減少率が根拠
になっていると、その科学者は言っていました。(了解をもらっていないので、名前を出すことが
できません。)

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
10・11 ……北浜東小学校
10・11 ……浜北市・内野小学校
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9・ 4  ……静岡市リズム幼稚園
7.31  ……浜松市東部公民館
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・24  ……静岡市アイセル21
6・ 7  ……都築保育園
5・19  ……愛知県枇杷島家庭教育推進協議会・創造センター・ドレミホール
5・ 9  ……富士市市立幼稚園PTA連合会・ロゼシアター(中ホール)
詳しい講演日時は、
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■5-8-1

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M ″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
● 5月19日(月)愛知県枇杷島家庭教育推進協議会
●5月 9日(金)富士市市民文化会館・ロゼシアター 10:30〜12:00
        主催  富士市立幼稚園PTA連合会(九園合同) 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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   ((  >−< | >−< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
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  / \   (3-─┼─-ε)  /   マガジンに反映させています。お声を
  ──────────────┐    どうか、お届けください!
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

さつまあんまき

 鹿児島に住む友人が、「さつまあんまき」という食べ物を送ってくれた。(実名を出して、すみ
ません。)鹿児島県の銘菓だそうだ。しかし菓子というより、もち米を練ってつくった、少し変わ
ったおにぎりといった感じの食べ物である。

で、私がもらったのは、鹿児島県K郡にある「U」という商店(本舗)がつくった「さつまあんまき」
である。(あるいはこの商店でしか、作っていないのかもしれない。)私も、これをはじめて食べ
たが、本当に、おいしかった。食べ方のしおりが入っていたので、そのとおりに電子レンジで温
め、きなこをつけて食べた。

 しおりには、こうある。「もち米と、灰あくに、一晩つけ込み、それを竹皮に包んでしばり、六時
間ほど、ゆっくりと炊きあげます。灰あくの抜き方や火加減で風味が決まり……」と。何といって
も、歴史が違う。食べならが、ズシリと、その「時」の重みを感じた。「その由来は、文禄・慶長
の役にさかのぼる」ともある。文禄・慶長の役といえば、1592〜1598年に当たる。

 それぞれの地方には、こうした土着の産物が、残っている。かたくなまでに昔の製法を守り、
なおかつ、長い年月を生き延びてきた。そういう産物である。私はときどきそういう産物を食べ
ながら、「どうしてこういうものが、残っているのか」と考え、その一方で、「なるほど、こういうも
のだから、今まで残ることができた」と納得する。

 「さつまあんまき」についても、最近の菓子に見られるような派手さは、まったくない。竹の皮
にしても、その中身にしても、自然そのままの色である。こういう手法で作ったら、こうなるだろ
うという風格そのままである。私がもらったのは、木箱に入っていたが、それを除いたら、ムダ
な包装も、まったくない。竹の皮をほどいたら、そのまま「さつまあんまき」が出てきた。

私「これはおいしい」
ワ「本当!」
私「甘さも、ちょうどいい」
ワ「ほら、炭の香りがするわ」
私「本当だ!」

 ワイフは、しおりを片手に、「フンフン」とうなずきながら食べていた。私も、「もう一切れ、もう
一切れ」と言って、結局、一つ、全部食べてしまった。いろいろなものを食べてきたが、食べ物
に限らず、こういう「本物」に出会ったときというのは、本当にうれしい。「がんばって生きてきた
人たちがいるんだなあ」という思いが、そのまま「自分も生きていてよかった」という思いに変わ
る。

 しかしそれにしても、久々に、おいしいものを食べた。皆さんも、もし機会があれば、そして鹿
児島県のK町のほうへ行くことがあったら、この「さつまあんまき」を食べてみたらどうだろうか。
私のばあい、食べながら、何というか、「私も日本人だった」「日本人でよかった」ということを、
しみじみと、思い知らされた。
(030430)

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<          
    /†_____†ヽ//      心豊かで、暖かい子育てをめざしましょう。
    ( ('    ξヽ        みんなでがんばれば、日本の子育ては
  ┏ ||   o//\) )(      変わります。よくなります。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

子どもを叱る法(目線の高さで叱れ!)

親が子どもを叱るとき

●叱るときは恐怖感を与えない
 子どもを叱るとき、最も大切なことは、恐怖感を与えないこと。『威圧で閉じる子どもの耳』と
覚えておく。中に親に叱られながら、しおらしくしている子どもがいる。が、反省しているから、そ
うしているのではない。こわいからそうしているだけ。親が子どもを日常的に叱れば叱るほど、
子どもはいわゆる「叱られじょうず」になる。頭をさげて、いかにも反省しているといった様子を
見せる。しかしこれはフリ。親が叱るほどには、効果は、ない。叱るときは、次のことを守る。

●叱るときの鉄則
(1)人がいるところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)、
(2)大声で怒鳴らない。そのかわり言うべきことは、繰り返し言う。「子どもの脳は耳から遠い」
と覚えておく。話した説教が、脳に届くには、時間がかかる。
(3)相手が幼児のときは、幼児の目線にまで、おとなの体を低くする(威圧感を与えないた
め)。視線をはずさない(真剣であることを示すため)。子どもの体を、しっかりと親の両手で固
定し、きちんとした言い方で話す。にらむのはよいが、体罰は避ける。とくに頭部への体罰は、
タブー。体罰は与えるとしても、「お尻」と決めておく。
(4)子どもが興奮状態になったら、手をひく。あきらめる。そしてここが重要だが、(5)叱ったこ
とについて、子どもが守られるようになったら、「ほら、できるわね」と、ほめてしあげる。ちなみ
に私が調査したところ、相手が幼児のばあい、約五〇%の母親が何らかの体罰を加えている
のがわかった(浜松市にて調査)。げんこつ、頭たたき、チビクリ、お尻たたきなど。ほかに「グ
リグリ(げんこつで頭の両側をグルグリする)」「ヒネリ(げんこつで頭をひねる)」など。台所のす
みで正座、仏壇の前で正座というものもあった。「どうして仏壇の前で正座なのか?」と聞いた
ら、その子ども(中一男子)はこう話してくれた。「お父さんが数年前に死んだから」と。何でもと
ても恐ろしいことだそうだ。体罰ではないが、「(家からの)追い出し」というのも依然と多い。

●ほめるときは、おおげさに
 次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、『忠告は秘かに、賞賛はおおやけ
に』と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめる。そのとき頭
をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめる。

 ただ、一つだけ条件がある。子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。が、顔や
スタイルについては、ほめないほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見て
くれや、かっこうばかりを気にするようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女
子中学生がいた。また「頭」については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重に
する。頭をほめすぎて、子どもがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。

●励まし方
 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、励まし方。いつもプラスの暗示をかけるようにして、励
ますとよい。「あなたはこの前より、すばらしくなった」「去年よりずっとよくなった」など。またすで
に悩んだり、苦しんだり、さらにはがんばっている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。
意味がないだけではなく、かえって子どもを袋小路へ追い込んでしまう。「やればできる」式の
励まし、「こんなことでは!」式の脅しも、タブー。結果が悪く、子どもが落ち込んでいるようなと
きはなおさら、「あなたはよくがんばった」式の前向きな姿勢で、子どもを温かく包んであげる。
     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

昇華(しょうか)

 満たされない気持ちがあると、人は、そのエネルギーを、何かほかのことで発散しようとす
る。このことは、たとえば暴走族を見ていると、わかる。決して暴走行為を容認するわけではな
いが、彼らもまた、自分たちのもつエネルギーをもてあましている。そのもてあましたエネルギ
ーを、暴走という行為で表現している。

 こうしたエネルギーは、その人を悪い方向に向かわせるケースもあるが、ふつうは、その人
自身を前向きに伸ばす原動力となることが多い。こうしたエネルギーの転嫁(てんか)を、心理
学では、「昇華」という。いろいろな事例がある。

 ある母親は、下の娘が小学一年生になったのをきっかけに、手芸の店を出した。仲間が、そ
れに協力してくれた。それまでその母親は、何かしら満たされないものを、感じていたという。も
ともとはデザイナーの仕事をしたかったというが、結婚と同時に家庭に入り、その夢はつぶされ
た。その母親は、そういう悶々とした思いを、その店を出すことで、吹っ切ろうとした。

 ……などなど。いくつかの事例を書こうと思ったが、改めてここに書くまでもない。ひょっとした
ら、あなた自身も、今、そういう状態にいるかもしれない。実のところ、私も、そうだ。

 私は、少し前まで、原稿の発表先に苦労した。今でも苦労しているが、インターネットでマガジ
ンを発行するようになってから、気持ちが大きく変わった。以前は、「気に入ってもらえるような
ことを書こう」という気持ちが強かったが、今は、「今までの経験を、みなさんに伝えよう」とか、
「命があるかぎり書こう」という気持ちに変わった。発表先をさがす苦労がなくなった分だけ、さ
らに、つまり私がもつエネルギーを、書くことにぶつけることができるようになった。

 それに目標ができた。現在、第219号を発行したところだが、何としても1000号までつづけ
たい。二日おきに発行しても、まだ……?、エーと、四年以上かかる!? しかしその「1000
号までつづけよう」という気持ちが、ここでいう昇華ということになる。私は自分の中のエネルギ
ーを、「1000号まで発行する」という目標にぶつけることができる。

 実のところ、ここに子育ての原点というか、コツがある。どんな子どもも、それぞれ、エネルギ
ーは平等にもっている。そしてここが大切だが、どんな子どもでも、そのエネルギーを、プラス
の方向に使いたいと願っている。そういう子どものエネルギーを、じょうずに引き出し、それに
方向性をつけてあげる。それがうまくできれば、子どもは伸びるし、そうでなければ、そうでな
い。方法は、いろいろある。励ます、プラスのストローク(働きかけ)をしてみる、プラスの暗示を
かける、など。が、その前提として、子どもは認め、理解し、そして受け入れる。

(認める)子どもも、三、四歳になると、得意分野と不得意分野が現れてくる。このとき大切なの
は、不得意分野には目を閉じ、得意分野だけを見て、それを伸ばすということ。私がいう『一芸
論』も、ここで応用できる。

(理解する)子どもは、ときとして、親から見て「?」と思うようなことに興味をもったりする。この
とき大切なのは、親の価値観だけで子どもを判断したり、あるいは親の価値観を押しつけては
いけないということ。「子どものことは、何でも、私が一番よく知っている」と思っている親ほど、
注意する。

(受け入れる)子どもにどんな問題があっても、また問題を起こしても、子どもは、許して忘れ
る。その度量の広さが、子どもへの愛情の深さとなる。そのためにも、あきらめるべきことは、
さっさとあきらめる。そのまま子どもは受け入れる。「まだ何とかなる」と思っているうちは、あな
たにも、そして子どもにも、安穏なる日々はやってこない。「うちの子は、まあ、こんなものだ」と
思うようにする。その時期は、早ければ早いほどよい。小学校の低学年でも、早すぎるというこ
とはない。あなたがへたにがんばればがんばるほど、子どもは伸びない。それだけではない。
やがて親子の関係は、ぎくしゃくしたものになる。

●「幼児時代をもつということは、一つの生を生きる前に、無数の生を生きるということである」
(リルケ「パリの手紙」)
●「朝に昼の証(あかし)がわかるように、幼児時代を見れば成人の証がわかる」(ミルトン「楽
園回復」)
(030430)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


神経症

 子どもの神経症の原因について、さまざまなことが言われている。しかし簡単に言えば、(〜
〜をしたい)という願望と、(〜〜してはいけない)という禁止命令が、子どもの中で衝突したと
き、そのはざ間で、神経症が起こると考えるとわかりやすい。

 だから子どもが、チックや吃音(どもり)、夜尿症や爪かみ、手洗いグセやかみつきなどの神
経症による症状を見せたら、子どもの中のこの二つの衝突(これを「心理的葛藤」という)をさぐ
ってみるとよい。

 ある子ども(年中児)は、水曜日の午後遅くに見たいテレビ番組があった。しかし母親が、音
楽教室へその子どもを通わせることにした。子どもは「テレビが見られなくなる」と訴えたが、母
親は、「急いで帰ってくれば、間にあう」と説得した。子どもは、母親に言われるまま、それに納
得した。

 が、音楽教室へ通いはじめると、何かとレッスンが遅れ、ときには、その番組を見ることがで
きなくなってしまった。とたん、その子どもは、わけのわからないことを言ってぐずるようになり、
ときには、ささいなことで、激怒するようになった。

 この子どものケースでは、(テレビを見たい)という欲求と、(レッスンを受けなければならな
い)という抑圧感が、真正面からぶつかったことになる。そしてその葛藤が、情緒を不安定にし
たと考えられる。子ども自身の抵抗力や、忍耐力の問題もあるので、一概には言えないが、こ
うした「衝突」には、親は、慎重に対処しなければならない。慢性化すると、ここでいう神経症に
よる症状が現れてくる。

 ……と書きながら、教育には、大きな限界がある。その一つは、診断名をつけるのは、タブー
であるということ。明らかにそうであるとわかっていても、現場では、一応、「知らないフリ」をし
て教える。もう一つは、親からの質問が、具体的にあるまで、その問題には、いっさい触れては
ならないということ。そういう点で一番困るのは、親から、「最近、うちの子はどうでしょうか?」と
聞かれること。

 私のばあい、すかさず、「おうちではどうですか?」と聞き返すことにしている。そうすること
で、親が何を、どの程度知りたがっているのか、さぐりを入れることにしている。そして親が望
む範囲のことで、また親のレベルに合わせて、相談にのる。この時点でも、それ以上のこと
は、決して言ってはならない。

 だから実際には、神経症とわかっていても、教える私の側からは、何も言わない。言わない
で、できる範囲で、その子どもを「なおす」ことを考える。しかし最近でも、こんなことがあった。

 その子ども(年長児)には、軽いチックがあった。ときどき、ギクッギクッと、首を不自然にかし
げていた。そういう症状を知って、ある日、一人の母親がこう相談してきた。「先生、あのヘンな
クセは、なおらないでしょうか。いくら叱っても、なおりません」と。

私「あれは、クセではないと思います」
母「クセじゃない?」
私「はあ、クセではないと思います」
母「じゃあ、何ですか?」
私「神経症のようなものではないかと思っています」
母「神経症で、どうしてクビが動くのですか」
私「そういうことは、よくあります。どこかで神経を使っているのでしょうね」
母「そんなことはありません。いつもあの子のしたいようにさせています」
私「子どもの心は、おとなが考えるより、ずっとデリケートですよ。チックという言葉を知っていま
すか?」
母「聞いたことはあります」
私「チックを疑ってみたらどうでしょうか」
母「あの子は、チックではありません」
私「はあ……。チックではないですか……」

 ついでにチックとクセのちがい。筋肉の不随意な痙攣(けいれん)をチックという。一方、クセ
には、ふつう快感をともなう。それを繰りかえしている子どもは、陶酔感にひたる。指しゃぶりに
しても、しゃぶっている子どもは、気持ちよさそうな顔をする。

 ついでに一言。チックか、チックでないか、そんな簡単なことも見分けられないで、幼児教育
を三〇年もつづけている人は、いない。しかしそれでも、私たちは診断名をくだしてはいけな
い。(診断名をつけることができるのは、この日本では、ドクターだけ。)教育をする者は、いつ
も素人(しろうと)のフリをして、子どもに対峙する。これは教育の大鉄則。
(030430)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


心を守る

 人間の心は、不安(悲しみや心配)には、たいへんもろい。仮に心を不安にさせるようなこと
が起きると、人は、(1)その不安と戦う、(2)不安を忘れる、(3)どこか別の世界に逃げこみ、
その不安から遠ざかろうとする、(4)別の陶酔感を用意して、その不安をやわらげようとする。
(これを代償行為という。)つまり自分の心を、不安から守ろうとする。これを心理学の世界で
は、「防衛機制」という。

 この防衛機制の中でも代表的なものが、「抑圧」と「隔離」(フロイト学説)である。

●抑圧
 抑圧というのは、自分の不安を、心のどこかに押さえ込んでしまうことをいう。たとえばいやな
ことがあったりすると、人はそれを、意識的であるにせよ、無意識的であるにせよ、無意識の
世界に、閉じ込めようとする。フロイトは、ヒステリー患者を調べていて、それを知ったという
が、こうした現象は、私たちも、ごくふつうに、日常的に経験する。たとえばいやなことがあった
りすると、できるだけそれについては、考えないようにする。あるいは気分転換のために外出し
たり、散歩したりする。いやなこと自体は、それで解決するわけではないが、意識のすみにお
いやることで、そのいやなことから遠ざかることができる。

しかしその不安が、さらに大きなものであったりすると、外出や散歩程度では、遠ざかることは
できない。そこで人は、さらに別の方法で、その不安を、忘れようとする。子どものばあい、不
安の内容に応じて、陶酔感を覚える方法(指しゃぶりやオナニーなどの代償行為)や、攻撃的
あるいは逃避的な方法(引きこもりや不登校など)などがある。年齢が大きくなるにつれて、よ
り過激な方法をとることもあるが、基本的には、このパターンは変わらない。

(幼児期、少年少女期によく見られる、代償行為)
 指しゃぶり、爪かみ、鉛筆かじり、髪いじり
 スポーツやゲーム、オナニー、異物挿入など。

 こうした抑圧状態が長くつづくと、いろいろな神経症による症状が現れてくる。ただし神経症
による症状は、千差万別で、定型がない。チックや吃音(どもり)も、それに含まれる。「どうも、
うちの子は、おかしい」とか、「ふつうでない」と感じたら、この神経症を疑ってみる。が、さらに
進行すると、強迫観念(手洗いグセ、潔癖症、各種の嫌悪症)や情緒障害(かん黙、自閉症、
引きこもり、不登校)、さらには精神障害へと発展することもある。

 ふつうは、そういう状態になる前に、さまざまな防衛機制が働き、自ら自分の心を救済しよう
とする。だれかに不安を訴えたり、泣いたり、叫んだりする。もちろん不安そのものと戦うことも
ある。神秘主義におちいったり、何かの信仰に走るケースもある。

 私の知人の中にも、自分の妻をなくしたあと、その不安を解消するために、毎日一心不乱
に、仏壇の前で祈っている人がいた。その人は、信仰に没頭することで、自分の中の不安(悲
しみや心配)と戦っていた。信仰をする人の心理も、こうした「抑圧」で、説明できることが多い。
その一例として、カルトがある。

 カルトを信仰している人は、もともと「逃避」が目的だから、その宗教が正しいとか正しくないと
かは、あまり問題にしない。その人にとって大切なことは、その宗教に服従(隷従)することによ
って、身の保全を求め、ついで、不安から自らを遠ざかることにある。だからまわりの人が、
「あなたはだまされている」と説得しても、意味がない。カルトを信仰している人は、だまされたく
て、だまされている。それが彼らにとっては、居心地のよい世界だからである。

●隔離
 わかりやすく言えば、「とぼけ」のこと。そのとぼけが、極端になったのを、「隔離」という。

 Y氏(五〇歳)に会った友人が、かなり驚いた様子で、こう話してくれた。Y氏はそのとき、多額
の借金をかかえ、家庭も崩壊状態だった。そのY氏が、まったく平然としていたというのだ。

 「いやあ、そういう状態だから、かなり落ちこんでいるのかと思って、心配したのですが、本人
は、ケロリとしているのですね。いろいろ話しかけても、まるで他人ごとといったふうでした。借
金のことも、『もう解決した』『来月には、借金は、すべて返せる』と言うのですね。本当は、まっ
たく逆の状態なのに、ですね。何だか、こちらがキツネにつままれたような気分になりました」
と。

 中学生でも、来週はテストだというのに、平然としている子どもがいる。中には、入学試験が
もうすぐだというのに、まったく意に介していなかのように振るまう子どもすらいる。このタイプの
子どもは、「試験」といういやなものを、自分の心から隔離することによって、その不安を解消し
ようとする。ただ単に、「逃げる」というのとは、違う。「逃げる」という意識すら感じさせないほど
までに、平然としている。ここにあげたY氏のように、まったく別人格をもつこともある。このタイ
プの子どもは、独得の会話をするのでわかる。

私「来週、テストがあるんだろ?」
子「そうみたいね」
私「心配じゃないのか?」
子「心配しても、し方ないでしょ」
私「勉強しなくていいのか?」
子「しても、どうにもならないし」
私「でも、遊んでいていいわけじゃ、ないだろ?」
が、突然、激怒して、子「……うるさいわね。もう、いいから、放っておいてエ! 先生がそんな
こと言ったら、私、死んでしまうからねエ!」と。

 つまりどんどんと追及していくと、最後のところで、猛然と反発してくる。自分の心を開かれる
ことへの抵抗と考えてよい。「せっかく忘れようと努力しているのに、ほじくりかえさないで!」と
いうことか。

 また、何かのことで相手を責めたりすると、よく「心の古キズに触れられた」と言って、激怒す
る人がいる。あるいは何かのことで、とぼけていることを追及したりすると、突然、自分を取り
乱す人がいる。そういう人の心理も、この「隔離」で、説明できる。

 抑圧にせよ、隔離にせよ、子どもの世界では、よく見られる現象である。ただ少年少女期に、
こうした抑圧や隔離を、日常的にするようになると、その後遺症は、生涯つづくことになる。頭
の中に、「思考プロセス」ができるためである。このタイプの人は、何か不安(悲しみや心配)が
あると、それ自体と戦うというよりは、それを無理に抑圧したり、隔離したりする。そして結果と
して、どこか言動が反社会的になったり、チグハグになったりする。

 大切なことは、子どもの心を、安易に追いつめないこと。一見タフに見える子どもの心だが、
もろいときには、もろい。とくに幼児期は、愛情問題。少年少女期は、受験問題に注意する。
(030429)

 
°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ       
°◎_/ ̄⌒―――∩      みなさんのお近くで、講演するとき、
 ///―――――∫       よろしかったら、おいでください。        
⊂⊂/      ∫        マガジンの読者と一言、言ってくだされば、
             講演をしていても、ぐんと元気が出ます。ホントです!
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

さつまあんまき

 鹿児島に住む友人が、「さつまあんまき」という食べ物を送ってくれた。(実名を出して、すみ
ません。)鹿児島県の銘菓だそうだ。しかし菓子というより、もち米を練ってつくった、少し変わ
ったおにぎりといった感じの食べ物である。

で、私がもらったのは、鹿児島県K郡にある「U」という商店(本舗)がつくった「さつまあんまき」
である。(あるいはこの商店でしか、作っていないのかもしれない。)私も、これをはじめて食べ
たが、本当に、おいしかった。食べ方のしおりが入っていたので、そのとおりに電子レンジで温
め、きなこをつけて食べた。

 しおりには、こうある。「もち米と、灰あくに、一晩つけ込み、それを竹皮に包んでしばり、六時
間ほど、ゆっくりと炊きあげます。灰あくの抜き方や火加減で風味が決まり……」と。何といって
も、歴史が違う。食べならが、ズシリと、その「時」の重みを感じた。「その由来は、文禄・慶長
の役にさかのぼる」ともある。文禄・慶長の役といえば、1592〜1598年に当たる。

 それぞれの地方には、こうした土着の産物が、残っている。かたくなまでに昔の製法を守り、
なおかつ、長い年月を生き延びてきた。そういう産物である。私はときどきそういう産物を食べ
ながら、「どうしてこういうものが、残っているのか」と考え、その一方で、「なるほど、こういうも
のだから、今まで残ることができた」と納得する。

 「さつまあんまき」についても、最近の菓子に見られるような派手さは、まったくない。竹の皮
にしても、その中身にしても、自然そのままの色である。こういう手法で作ったら、こうなるだろ
うという風格そのままである。私がもらったのは、木箱に入っていたが、それを除いたら、ムダ
な包装も、まったくない。竹の皮をほどいたら、そのまま「さつまあんまき」が出てきた。

私「これはおいしい」
ワ「本当!」
私「甘さも、ちょうどいい」
ワ「ほら、炭の香りがするわ」
私「本当だ!」

 ワイフは、しおりを片手に、「フンフン」とうなずきながら食べていた。私も、「もう一切れ、もう
一切れ」と言って、結局、一つ、全部食べてしまった。いろいろなものを食べてきたが、食べ物
に限らず、こういう「本物」に出会ったときというのは、本当にうれしい。「がんばって生きてきた
人たちがいるんだなあ」という思いが、そのまま「自分も生きていてよかった」という思いに変わ
る。

 しかしそれにしても、久々に、おいしいものを食べた。皆さんも、もし機会があれば、そして鹿
児島県のK町のほうへ行くことがあったら、この「さつまあんまき」を食べてみたらどうだろうか。
私のばあい、食べながら、何というか、「私も日本人だった」「日本人でよかった」ということを、
しみじみと、思い知らされた。
(030430)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


Kさんへ

人生では、いろいろなことが起きますね。
私なんか、小さな鍵穴を通して、いつも他人の
人生をのぞいているだけような人間なので、
あまり偉そうなことは言えません。
が、しかしね、よく考えてみると、希望にせよ、
その反対側にある絶望にせよ、人間が
勝手につくりあげた幻想にすぎないのでは
ないかと思うことが多くなりました。
希望を希望と思うから、希望は希望になり
絶望を絶望と思うから、絶望は絶望になる。
 
これは実のところ、私自身の問題なのです。
この問題を何とか、クリアしないと、私自身の
老後は悲惨なものになってしまいます。
へたをすれば、孤独の世界で、悶絶死です。

しかし、ふと我が身を振りかえってみても、
何もない。私を支えるものが、何もない。
夢中で生きてきたつもりなのですが、何もない。
絶望があるとしたら、私のような人間こそ、
絶望のかたまりということになります。
ゾーッ!

いろいろ考えています。
とにかく前向きに生きていくしかないし……。
過去は悩まない。明日は、放っておいても
必ずやってくる。だからやはり、「今」を懸命に
生きるしかない。今日できること、今日やるべきことを
やるしかない。そう思っています。
明日のことを悩んでも仕方ないですよね……。
 
「女性にとって、家庭は兵役と同じ」と言った哲学者がいましたが、
大半の女性にとっては、そうではないでしょうか。
最近、やっとそこまで女性の心がわかるようになりました。
皆さんの意見を聞いているうちに、です。
 
しかし、ね。この日本で生きること自体、実のところ
兵役のようなものです。ふと心や体を休めたとたん、
生きていくことすら、できなくなってしまう。
みんな、それがこわくて、あくせくと生きている。
心や体を、休めることさえ許されない。
「自由だ」「自由だ」と言いますが、本当に私たちは、
自由なのでしょうか。

先日、イギリスのジェームズ・ホーア氏という人が
こう言っていました。北朝鮮のイギリス大使館の元大使です。
「北朝鮮の高官たちは、みな、自分たちは地上の楽園に住んでいると
思いこんでいる。そういう意識を変えるのは、切実な問題だ」(朝鮮日報)と。

あの北朝鮮でも、政府の高官たちは、自分の国を、「地上の楽園」と
信じているというのです。たしかに高官たちにとっては楽園かもしれませんが、
しかし、こうした近視眼性は、いったいどこから生まれるのでしょうか。

その北朝鮮とくらべると、日本はずっと自由の国ということになりますが、
ひょっとしたら、そう思っているのは、私たちだけかもしれない?
ちょうど北朝鮮の人たちが、自分たちの国を楽園と思っているように、です。
 
ああ、どこか南海の孤島でですね、男も女も、裸で、
のんびりと、魚でもとって生活ができたらいいですね。
労働時間は、一日三時間でじゅうぶん。仕事は
天気次第と。そういうのを自由というのでしょうか。
若いころは、そういう原始的な生活には、価値がないと考えていましたが、
このところ、そうではないのではと思うようになりました。
むしろ現代生活のほうが、どこかおかしい、とです。
価値がないとは言いませんが、その価値そのものが、
幻想かもしれないということです。
たとえば希望にせよ、絶望にせよ、
それらは幻想によってつくられた価値でしかない?
現代人は、その幻想に振りまわされているだけ?
 
だからといって、文明を否定するわけではありませんが、
「だから、どうなの?」という部分がない生き方には、
正直言って、うんざりし始めています。

おいしいものを食べた。……だからどうなの?
楽しい思いをした。……だからどうなの?
きれいな家に住んでいる。……だからどうなの?
高級車を買った。……だからどうなの?
生活は、あらゆる面で便利になった。……だからどうなの、と。

私の生きザマの、どこかが、まちがっている。
私の考え方の、どこかが、おかしい。
しかし、それがわからない。
あと一歩でわかるところにきているような気がしますが、
どうにもこうにも、それに手が届かない。

考えてみれば、何のことはない。
私自身が、まさに幻想のかたまりのような人間です。
その幻想に、今日も振りまわされて、
希望だの、絶望だのと言っている。
ごく日常的に、喜んだり、悲しんだりしている。

しかしね、もっとこわいのは、
このことではないです。
「このまま一生を終えるのか」と思うことが、
こわいです。幻想にとりつかれたまま、です。
Kさんは、若いですから、そういうことは
お考えにならないかもしれませんが、
来年は、今年より、さらに頭の働きが鈍るというのは、
私の年齢では恐怖です。
ますますその幻想と戦うことができなくなるからです、
いやですね。本当に。

だから……。
Kさんの悩みには、まったく答えることができません。
私自身が、まったくわかっていないのですから……。
ただね、今、逃げることもできないから、
がんばって生きていくしかないですね。
生きていきましょう。
その先には、きっと何かがあるでしょう。
それを信じて、生きていきましょう。

と、また、何とも無責任な答になってしまいましたが、
どうか、お許しください。

では、お体を大切に。今日は、これで失礼します。

はやし浩司
(030429)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


TR先生へ

拝啓

 お手紙、ありがとうございました。
 現場、復帰、おめでとうございます。よかったですね。やはり、子どもたちの声を聞いていてこ
そ、「私たち」があるのだと思います。委員会に閉じこもって、先生たちの管理をするというの
は、TR先生らしくないですよね。

 私も、いつの間にか、メインの収入源が、幼児教室になってしまいました。何度も、「この三月
でやめよう」と思ったことはあるのですが、結局、三〇年以上もつづけてしまいました。つづけ
たというより、やめられなかったのだと思います。私のように一匹オオカミで生きているの人間
には、健康管理が、何よりも重要になります。本を書いたり、教材を作ったりするのは、当時
は、結構、よい収入になりました。ときどき、「どうしてこんな安い月謝で、教えなければならな
いのか」と思ったこともあります。しかしもし規則正しく、街へ出て、仕事をしなければ、私のこと
ですから、たいへんだらしない生活になってしまっていただろうと思います。

 で、自宅から仕事場までは、ちょうど自転車で三〇分。往復、一時間です。私はほとんど毎
日、自転車で通っていますが、それがよい運動になっています。おかげで、この年齢になって
も、成人病とは無縁。また幼児教室の特質というか、子どもたちのパワーをそのままもらうこと
ができます。気分が落ち込んでいるときもありますが、子どもたちがそれを許してくれません。
で、最近は、「教える」とか「指導する」とかいうよりも、「いっしょに遊ぶ」という姿勢に変わって
きています。

 実のところ、この不況で、私の仕事も大きく影響を受けています。バブル経済のころは、市内
だけでも、一〇〜一五か所の幼児教室がありました。が、今、残っているのは、私のところだ
けです。いや、本当に、あのころはいやな時代でした。私のところが、月謝を六〇〇〇円とか、
六五〇〇円とかで、しかも生徒数は、一クラス、多くても六〜七人だったのですが、どこからか
教材を買ってきて、派手な宣伝で生徒を集めた教室が、一万二〇〇〇円とか、教室によって
は、二万円もとっていたのですから。ちなみに、私の教室は、過去において、一度もチラシを配
ったとか、宣伝をしたとかいうことはありません。「生徒がいなくなれば、それでやめ」と、どこか
冷めた気持ちで、少なくともこの二〇年、やってきました。

 私の教室は、すべて手作りです。机もイスも、です。もちろん教材は、すべて画用紙を切った
り張ったりして作っています。自分で、市販の教材を作ったこともありますが、それらを子ども
や父母に買わせたことは、一度もありません。正直言って、こういう誠意に、どれほどの意味が
あるのだろうと思うこともありました。が、しかし、とにかく、そうしてきました。

 何となく暗い話がつづきましたが、今度、少し、教室の模様替えをしようと考えています。私の
教室は、しかけがたくさんあり、「おもちゃ箱をひっくりかえしたような教室」になっています。そ
れを今度は、山小屋風にしようと考えています。しかけもたくさん作ります。目下、ちょうど、そ
の案をねっているところです。あと何年、仕事がつづけられるかわかりませんが、たとえば、線
香花火が、最後にパチンとはじけるように、美しくはじけてみたいと思っています。

 今、一番興味があるのは、幼児の発達心理学です。もともと出身は法学生で、心理学は、学
生時代に少しかじっただけですが、この分野は、本当におもしろいです。何というか、まさに「自
分さがし」なのですね。幼児を調べていけばいくほど、そこに「自分」がいることがわかります。
どうして心理学者にならなかったのかと、今になって悔やまれます。しかしものの考え方として
は、法律の勉強はムダではなかったと思っています。論理的にものごと考えていくという点で
は、かなり役に立っています。

 ほかに……。何といっても今は、北朝鮮の核問題と、SARSが、気になります。また「白装束
集団」というわけのわからない集団も気になります。一五年ほど前、あるカルト教団を相手に、
猛烈に戦ったことがあります。本も五冊書きました。雑誌や、週刊誌にも記事を書きました。ど
うして信者たちは、ああいったわけのわからないものに、心を奪われていくのでしょうか。それ
に興味をもったのがきっかけです。しかしまるでこれでは、モグラたたきのモグラですね。つぎ
からつぎへと、理解に苦しむものが生まれてきます。内心のどこかでは、「もう一度、やってみ
るか」という思いもないわけではありませんが、しかしああいう連中を相手にすると、本当に疲
れます。もう少し若ければ、黙ってはいないと思いますが、実のところ、このところ、少し疲れを
覚えるようになりました。「どうでもなれ」とか、「好きにしたら」とか、考えることも、しばしばで
す。ただ私の性格上、放ってはおけないというところです。で、今は、情報集めと、傍観です。

 で、先生のほうは、お元気ですか。私のほうは、おかげで、何とか元気でがんばっています。
昨夜も、猛烈な西風が吹いていましたが、その風にさからって、四〇分近く、自転車をこぎまし
た。こういう日は、さすがに疲れます。疲れるというより、全身が、ほどよく痛くなります。ほかに
運動をしていないため、いくらつらくても、これだけはやめるわけにはいきません。そうそう昨夜
は、それまでの天候が一転して、寒かったですね。またコタツにスイッチを入れました。おととい
は、七月上旬の気候だと言っていたのに、昨日は、また三月に逆戻り? 体調を崩す人も多い
と思います。先生も、どうか、お気をつけください。

 私の家族は、今のところ、問題なく、平和です。お嬢様はいかがですか。もう新婚、三年目?
 お元気ですか。私のところも、二男が、昨年、子どもをもうけ、無事(?)、私は祖父になりまし
た。今はアメリカに住んでいるため、祖父になったという実感はありませんが、それ以上に、自
分がその年齢になったという実感もありません。『人の老いて行くことを、だれが成長と考える
か。老いは成長でもなく進歩でもない。ただ変化である』と書いたのは、萩原朔太郎(桃李の
道)ですが、しみじみと「そうだなあ」と思っています。まあ、本当のところは、「なるようにしかな
らないだろう」と思いつつ、今日一日をがんばっているだけといったところですが……。

 ところで連休は、どうお過ごしですか。私のほうは、予定はありません。ひょっとしたら、下呂
のいとこが遊びにくるかもしれません。おととい電話で一時間ほど、話しました。子どものころ
からの悪ガキ仲間です。彼とは、本当に悪いことばかりしていました。しかし五〇年もたつと、
彼のようないとこが、一番、心を割って話せるのですね。ふつうなら見栄とか体裁で隠すような
話でも、彼には、話せるのです。そのいとこが、昨年、一億円もかけて、自宅を改築しました。
その金額から、彼がその道の成功者だということがわかってもらえると思います。こういう時代
に、です。けやきの囲炉裏を作ったと、自慢していましたから、今度、見に行ってやるつもりで
す。

 今朝は、不用意にも、午前二時に目が覚めてしまいました。理由は簡単です。昨夜は寒かっ
たからコタツを入れて寝た。しかし夜半に暖かくなり、それで暑くなって目が覚めてしまったとい
うわけです。で、この手紙を書いたあと、ある雑誌社(ベネッセ社)から依頼のあった原稿をまと
めて、また寝るつもりでいます。「子育て感の違い」というタイトルですが、「子育て観」と書くほう
が正しいのではと思っています。まあ、どちらでもよいのですが……。

 一度、山荘においでになりませんか。五月の中ごろの乾いた日には、ホトトギスが空を舞うよ
うになります。それに三週目には、ジャスミンが、一斉に咲き誇ります。それが終わると、今度
は野イチゴと、ビワの季節に入ります。これからの山の生活は、まさにシーズンです。先生のご
都合に合わせて、スケジュールをとります。土日は、たいてい自由になります。私の手料理の
昼食を一緒に食べていただければと願っています。いかがでしょうか。一度、「明日、行く」と
か、思い立ったときに、そのようにご連絡いただければ、ワイフと、お迎えにあがります。楽し
みにしています。

 奥様、お嬢様に、よろしくお伝えください。今日は、これで失礼します。

敬具


                                はやし浩司
                                 五月一日

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞







件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■5-10

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M ″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /       ありがとうございます!
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★★★★★★★★★★★★★★
03−5−10号(224)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
● 5月19日(月)愛知県枇杷島家庭教育推進協議会
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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●また、本文がつまっていて読みにくいときは、やはり一度ワードにコピーしていただくと、ぐん
と読みやすくなります。お試しください。
    /八))))ハ   ミミヽ
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   ( | σ σ |  ∂  へ ミ  |         【1】子育て相談より
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   ((  >−< | >−< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  / みなさんからいただきましたテーマを
  / \   (3-─┼─-ε)  /   マガジンに反映させています。お声を
  ──────────────┐    どうか、お届けください!
【1】子育て相談より∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
●嫁ぎ先の祖父母が、子どもに甘くて困ります。今までつくりあげてきたルールをことごとく、破
っていきます。甘いお菓子を買い与えながら、「お母さんには、内緒だよ。おばあちゃんが叱ら
れるからね」と、です。

★昔の人は、「子どもにいい思いをさせるのが、親の愛の証(あかし)」「いい思いをさせれば、
子どもは親に感謝し、それで絆(きずな)は太くなるはず」と考えて、子育てをしました。今でも、
日本は、その流れの中にあります。だから今でも、誕生日やクリスマスなどに、より高価なプレ
ゼントであればあるほど、あるいは子どものほしがるものを与えれば与えるほど、子どもの心
をとらえるはずと考える人は少なくありません。しかしこれは誤解。むしろ、逆効果。イギリスの
格言に、『子どもには、釣竿を買ってあげるより、いっしょに釣りに行け』というのがあります。つ
まり子どもの心をつかみたかったら、モノより、思い出というわけです。しかし戦後のひもじい時
代を生きた人ほど、モノにこだわる傾向があります。「何でも買い与える」という姑の姿勢の中
に、その亡霊を見ることができます。

★また昔の人は、「親(祖父母)にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、いい
子」と考える傾向があります。そして独立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、「鬼の子」
として嫌いました。今でも、そういう目で子どもを見る人は少なくありません。あなたの姑がそう
だとは言いませんが、つまりこうした問題は、子育ての根幹にかかわる問題で、簡単にはなお
らないということです。あなたの姑も、子ども(孫)の歓心を買うことにより、「いいおばあちゃん」
でいたいのかもしれません。そこでどうでしょうか。この私の答を、一度、姑さんに読んでもらっ
ては? しかし子育てには、その人の全人格が集約されていますから、ここにも書いたように、
簡単にはなおりません。時間をかけて、ゆっくりと説得するという姿勢で臨みます。


●同居している祖父母との対立が、このところ激化してきました。子どもの教育には口を出す
は、文句を言うは……。たまったストレスも、限界といった状況です。

★もう、同居している? それともしていない? 祖父母との同居問題は、最終的に、「別居
か、もしくは離婚か」というところまで覚悟できないなら、あきらめて、受け入れるしかありませ
ん。たしかに問題もありますが、メリットとデメリットを天秤(てんびん)にかけてみると、メリット
のほうが多いはず。私の調査でも、子どもの出産前から同居しているケースでは、ほぼ、一〇
〇%の母親が、「同居してよかった」と認めています。

★問題は途中同居(つまり子どもがある程度大きくなってからの同居)ですが、このばあいも、
祖父母との同居を前向きに生かして、あなたはあなたで、好きなことをすればよいのです。仕
事でも、趣味でも、スポーツでも。「おじいちゃんやおばあちゃんが、いっしょにいてくださるの
で、助かります」とか何とか言って、です。祖父母の甘やかしが理由で、子どもに影響が出るこ
ともありますが、全体からみれば、マイナーな問題です。子ども自身の自己意識が育ってくれ
ば、克服できる問題ですので、あまり深刻に考えないように。

★「嫌われるおじいちゃん、おばあちゃん」について、私は以前、その理由を調査してみたこと
があります。その結果わかったことは、理由の第一は、健康問題。つぎに「子どもの教育に口
を出す」でした。今、日本の子育ては、大きな過渡期にあります。(孫の教育に口を出す祖父母
の時代)から、(祖父母は祖父母で、自分の人生を生きる時代)へと、変化しつつあります。そ
こで今は今で、そのストレスをしっかりと実感しておき、今度は、あなたが祖父母になったとき、
(その時代は、あっという間にやってきますが……)、そういうストレスを、つぎの若い夫婦に与
えないようにします。


●なにごとにつけ、昔の子育てと比較します。今は、今のやり方があるので、祖父母には、干
渉してほしくありません。私は努めて仲よくしたいと思っていますが、祖父母のほうは、私のそう
した努力を認めてくれません。

★『若い人は、老人をアホだと思うが、老人は、若い人をアホだと思う』と言ったのは、アメリカ
の詩人のチャップマンです。「時代は進んでいる」と思うのは、若い人だけ(失礼!)。数十万年
もつづいた子育てが、一世代くらいの時間で変わるはずもないのです。いえ、私は、このこと
を、古い世代にも、若い世代にも言いたいのです。子育てに「今のやり方」も、「昔のやり方」も
ないのです。もしそう見えるなら、疑うべきは、あなた自身の視野の狭さです(失礼!)。

★もっともだからといって、あなたの姑の子育て観を容認しているのではありません。子離れど
ころか、孫離れさえできていない? いや、それ以上に、すでに姑とあなたの関係は、危険な
状態に入っているかもしれません。やはりイギリスの格言に、『相手は、あなたが相手を思うよ
うに、あなたを思う』というのがあります。これを心理学では、「好意の返報性」と言います。つま
りあなたが、姑を「昔風の子育てを押しつけて、いやな人」と思っているということは、まったく反
対の立場で、姑も、あなたのことを、「今風、今風って、何よ。いやな嫁」と思っているもの。

★実のところ子育てでまずいのは、個々の問題ではなく、こうしたギクシャクした人間関係で
す。つまりこうした不協和音が、子育て全体をゆがめることにもなりかねません。そこでどうでし
ょうか。こういうケースでは、姑を、「お母さんは、すばらしいですね。なるほど、そうですか!」と
もちあげてみるのです。最初は、ウソでもかまいません。それをつづけていると、やがて姑も、
「よくできた、いい嫁だ」となります。そしてそういう関係が、子育てのみならず、家庭そのものを
明るくします。どうせ同居しなければならないのなら、割り切って、そうします。こんな小さな地球
の、こんな狭い日本の、そのまたちっぽけな家庭の中で、いがみあっていても、し方ないでしょ
う!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て観の違い

 子育てにかぎらず、ものの考え方や価値観のちがいは、あらゆる場所で、ごく日常的に起き
ます。ここにあげたもののほか、園や学校の先生との衝突やズレ、もっと大きくは、国の教育と
の衝突やズレなど。

 しかしこうした考え方や価値観のちがいを感じたときの鉄則は、それと戦うのではなく、それ
を乗り越えるということです。夫との対立、ママ友だちとの対立、さらには、祖父母との対立にし
ても、それと争っても意味はありません。「対立する」ということは、相手と同レベルであるという
ことを意味します。あなたが相手はまちがっていると思えば、相手も、あなたをまちがっている
と思うもの。そういう状態では、争えば争うほど、袋小路に入ってしまいます。では、どうする
か?

 相手が納得するような、さらに高次元なものの考え方や価値観を、こちら側が追求します。そ
して結果として、相手のものの考え方や価値観を乗り越えます。相手が、それに気づいたと
き、対立は、ごく自然な形で、消滅します。たとえば……。

●山には登る

 遠くから見ると、低く見える山でも、登ってみると、意外と視野が広く見えるもの。子育ても、そ
の山登りに似ています。つまり高い山に登れば登るほど、それまでの自分がいかに小さな世
界で、右往左往していたかがわかります。

 そこでもし、相手がだれであるにせよ、その相手と子育ての見方、考え方で衝突したら、自分
の視野を高めることだけを考えます。相手の人が、つまらないと思えるなら、なおさらです。衝
突するということは、自分も相手と同じレベルだと認めるようなもの。しかしあなたが一歩、先に
出れば、相手が、小さく、とるに足りない相手とわかるはずです。たとえば私は、幼児や、暴走
族の若者たちに、「バカ!」と言われても、気にしません。もとから相手にしていないからです。
要するに、相手の子育て観を気にしないほどまでに、自分の子育て観を高めるということ。そ
の一つのヒントとして、「許して、忘れる」があります。

●子育ては、「許して、忘れる」の連続

 子どもへの愛情の深さは、どこまで子どもを許し、忘れるかで決まります。つまりどの度量の
広さこそが、親の愛の深さということになります。その「許して、忘れる」、英語では、「フォ・ギブ
&フォ・ゲッツ」と言います。「フォ・ギブ」という単語をよく見ると、「与える・ため」とも訳せます。
また「フォ・ゲッツ」は、「得る・ため」と訳せます。つまり「許して、忘れる」は、「子どもに愛を与
えるため、許し、子どもから愛を得るため、忘れる」ということになります。

 もちろんだからといって、子どもに好き勝手なことをさせろということではありません。ここでい
う「許して、忘れる」は、子どもにどんな問題があっても、また何か問題が起きても、子どもは、
ありのまま受け入れ、認め、そして許すということです。そういう視点で、もう一度、あなたの身
のまわりで起きている問題をながめてみてください。あらゆる問題が、ささいな問題に見えてく
るはずです。

●さらに自分を高めるために……

 子育てをしていて、道に迷ったら、つぎの四つの方向から、子どもをみます。まず未来をみ
る。あなたは子どもを育てているのではない。あなたは、子どもに子どもの育て方を教える。そ
れが子育てだ、とです。「あなたが親になったら、こういうふうに子ども(あなたからみれば孫)を
育てるのですよ。お母さんは、今、その見本を見せてあげるから、よく見ておくのですよ」と。そ
して同時に、「幸せな家庭というのは、こういうものですよ」「家族というのは、こういうふうに助
けあうのですよ」と。

 つぎに子育てをしながら、自分の過去をみます。もしあなたが、恵まれた環境で、何不自由な
く、両親の温かい愛に包まれて育てられたのなら、それでよし。そうでないなら(大半の人が、
そうですが……)、心のどこかがゆがんでいないかを冷静に判断します。ゆがんでいるのが、
こわいのではない。そのゆがみに気づかないまま、同じ失敗を繰りかえすのが、こわい。しかし
この問題は、そういう過去があったということに気づくだけでも、そのほとんどが解決したとみま
す。

 三つ目に、自分の子育てを「上」からみます。その視点は高ければ高いほど、よいということ
になります。まず近くの人の子育てをのぞいてもます。つぎに親戚や友人など。さらに世界の子
育てなど。子育てをしていて一番、こわいのは、「うちの子のことは、私が、一番よく知ってい
る」という過信と誤解。そして独断と偏見の世界に入ることです。子どもはたしかにあなたから
生まれますが、生まれたときから、別の人格をもった、一人の人間です。もっと言えば、世の中
にいる無数の人たちの一人、ということです。つまり子どものもつ可能性にせよ、人間性にせ
よ、あなたには、わかっている部分より、わかっていない部分のほうが、はるかに多いというこ
とです。そういう一歩退いた、謙虚な見方が、子どもを伸びやかな子どもにします。

 最後に、自分の心の中をのぞいてみます。ある母親は、自分の子ども(二歳男児)が、生死
の境をさまようような病気になったとき、「私の命は、どうなってもよい。私の命と交換してでもよ
いから、あの子の命を救ってほしい」と、願ったといいます。こうした「自分の命すらも、おしくな
い」という至上の愛は、まさに人は、子どもをもってはじめて知ります。子どもは、ただの子ども
ではない。あなたに、もっと大切なことを教えるために、今、あなたのそばにいる……。つまり
あなたが子どもを育てるのではない。子どもが、あなたを育てます。

これから先、あなたは幾多の山を越え、谷を越える。平凡は美徳ですが、平凡から何も生まれ
ません。子育ては重労働です。ある心理学者は、「母親にとっての家庭は兵舎と同じ」というよ
うなことを書いていますが、楽な子育てというのはありません。しかしそういう苦労が、無数のド
ラマをつくり、あなたの人生を、心豊かなものにします。立ちはだかる困難を恐れないこと。あ
なたも勇気を出して、足を前に一歩、踏みだしてみてください。


     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<          
    /†_____†ヽ//      心豊かで、暖かい子育てをめざしましょう。
    ( ('    ξヽ        みんなでがんばれば、日本の子育ては
  ┏ ||   o//\) )(      変わります。よくなります。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++
子どもをよい子にする法
(子どもは使いまくれ!)

子どもをよい子にしたいとき 

●どうすれば、うちの子は、いい子になるの?
 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言ってくれ。私
は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんたの本を、何冊も読
む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使うことです。使って使って、使い
まくることです」と。

 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身につける。
自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。この忍耐力や
根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。

●一〇〇%スポイルされている日本の子ども?
 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、一〇〇%、スポ
イルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。そこで私が、「君
は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼は、こう教えてくれた。「とき
どきホームステイをさせてやるのだが、食事のあと、食器を洗わない。片づけない。シャワーを
浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きても、ベッドをなおさない」などなど。つまり、「日本の
子どもは何もしない」と。反対に夏休みの間、アメリカでホームステイをしてきた高校生が、こう
言って驚いていた。「向こうでは、明らかにできそこないと思われるような高校生ですら、家事だ
けはしっかりと手伝っている」と。ちなみにドラ息子の症状としては、次のようなものがある。

●ドラ息子症候群
(1)ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分を喜
ばせるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。自分の思い
どおりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを許さない。いつも自分が
皆の中心にいないと、気がすまない。(2)ものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。
目標を定めることができず、目標を定めても、それを達成することができない。あれこれ理由
をつけては、目標を放棄してしまう。ほしいものにブレーキをかけることができない。生活習慣
そのものがだらしなくなる。その場を楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ
消費的な行動が多くなる。(3)ものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依
存心が強い割には、自分勝手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目
立つ。(4)バランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って
行動することができない、など。

●原因は家庭教育に
 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(四・五歳)前後で表れてくる。しかし一度こ
の時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。ドラ息子、ド
ラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに原因がある
からである。また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱
って子どもをなおそうとする。あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、
それをはねのけてしまう。あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつくってしまう。

●子どもは使えば使うほどよい子に
 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。「子どもに楽な思いをさせるのが、親の愛
だ」と誤解しているようなところがある。だから子どもにも生活感がない。「水はどこからくるか」
と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。「ゴミはどうなるか」と聞くと、「どこかのおじさん
が捨ててくれる」と。あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お
父さんがいるから、いい」と答えたりする。生活への耐性そのものがなくなることもある。友だち
の家からタクシーで、あわてて帰ってきた子ども(小六女児)がいた。話を聞くと、「トイレが汚れ
ていて、そこで用をたすことができなかったからだ」と。そういう子どもにしないためにも、子ども
にはどんどん家事を分担させる。子どもが二〜四歳のときが勝負で、それ以後になると、この
しつけはできなくなる。

●いやなことをする力、それが忍耐力
 で、その忍耐力。よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。そういう力を勉強に向け
てくれたらいいのですが……」と言う親がいる。しかしそういうのは忍耐力とは言わない。好き
なことをしているだけ。幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。
たとえば台所の生ゴミを始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。風呂
場の排水口にたまった毛玉を始末できる。そういうことができる力のことを、忍耐力という。こ
んな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。そのお
ばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。その子どものお母さんは、
こう話してくれた。「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれ
るのです」と。こういう子どもは、学習面でも伸びる。なぜか。

●学習面でも伸びる
 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。漢字を覚えるにしても、計算ドリルをするにして
も、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。その苦痛を乗り越える
力が、ここでいう忍耐力だからである。反対に、その力がないと、(いやだ)→(しない)→(でき
ない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。

 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。「何をやらせればいいのですか」と。話を聞く
と、「掃除は、掃除機でものの一〇分もあればすんでしまう。買物といっても、食材は、食材屋
さんが毎日、届けてくれる。洗濯も今では全自動。料理のときも、キッチンの周囲でうろうろさ
れると、かえってじゃま。テレビでも見ていてくれたほうがいい」と。

●家庭の緊張感に巻き込む
 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。親が寝そべってテレビを見
ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。子どもを使うということは、親がキビキビと動き回
り、子どももそれに合わせて、すべきことをすることをいう。たとえば……。

 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。そしてそれをあなたの子ども
が見つけたとする。そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、それでよし。しかし
知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあり方をかなり反省したほ
うがよい。やらせることがないのではない。その気になればいくらでもある。食事が終わった
ら、食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。そこで洗わせる。フキンで拭かせる。さら
に食器を食器棚へしまわせる、など。

 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。たとえ
ば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話に出る。庭の
草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。そういう雰囲気で包むこと
をいう。何をどれだけさせればよいという問題ではない。要はそういう子どもにすること。それ
が、「いい子にする条件」ということになる。

●バランスのある生活を大切に
 ついでに……。子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。(1)生活感
のある生活に心がける。ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度の苦労がともなう
ことをわからせる。あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わなければ、家族のみんなが困る
のだ」という意識をもたせる。(2)質素な生活を旨とし、子ども中心の生活を改める。(3)忍耐
力をつけさせるため、家事の分担をさせる。(4)生活のルールを守らせる。(5)不自由である
ことが、生活の基本であることをわからせる。そしてここが重要だが、(6)バランスのある生活
に心がける。

 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した生活をいう。
ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまうような甘い生活。ある
いは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの接し方でチグハグになって
いる生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言えない。チグハグになればなるほ
ど、子どもはバランス感覚をなくす。ものの考え方がかたよったり、極端になったりする。

子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。それを
忘れてはならない。

     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

Q: 私はK女子大学、幼児教育学科四年のMNと申します。突然このようなメールをして申し訳
ありません。私、過保護、過干渉について興味がありまして、自分が母親になった事を想定し
て『ママ診断』やってみました。とてもおもしろいものであり、私は過保護傾向にあるということ
がわかりました。そこで質問なんですが、この『子育て診断』の本というのは、販売しているので
しょうか? 

 また、過保護、過干渉とはどのようなもので、どう違うのだと思われますか? 私、このことに
ついて卒業研究をしようと考えております。(東京都・SUより)

A:お問いあわせ、ありがとうございました。結論から言えば、「過保護」「過干渉」などの用語
は、定義づけされた言葉ではありません。従って、発達心理学の世界でも、また幼児教育の世
界でも、辞典にすら、載っていないというのが現状です。

 しかし現実に、子育ての現場では、過保護や過干渉は、話題になります。しかしここにも書い
たように、そもそも定義づけされていませんから、それについて本来なら、論じようがないので
す。そこで過保護や過干渉について考えるときには、まずこの「定義づけ」から出発しなければ
なりません。

【過保護】
 私は、心配過剰、サービス過剰、関心過剰を、過保護の原点においています。が、ここでもま
た別の問題にぶつかってしまいます。何をもって「過剰」というかという問題です。私は、「平均」
という尺度を用いて、過保護か過保護でないかを区別していますが、もちろんそれが正しいと
は思っていません。総じてみれば、日本人の子育て観は、国際標準からしても、かなり過保護
的です。これは子どもを「財産」と考える古来の子育て観が残っているためです。

 つぎに私は過保護の内容を、その様態に応じて、生活面、行動面、精神面の三つに分けて
考えています。(もっと細分化できますが、実益があまりありませんので、私はこの三つを柱に
考えています。)というのも、親によって、過保護と言っても、内容はさまざまであり、またそれぞ
れにおいて、強弱があるからです。食事面で過保護にしながら、行動面では放任というケース
も珍しくありません。

 つぎに原因ですが、過保護の原因は、いうまでもなく、心配過剰です。その心配過剰が転じ
て、子どもに対しては、過保護という様態になって現れます。心配過剰が原因とするなら、過保
護は、あくまでも症状というわけです。そこで問題は、心配の原因もさることながら、今度は、親
自身の情緒や精神状態も問題になってきます。さらに風土的な背景も問題になってきます。

 で、こうした背景から、いわゆる過保護児が生まれてきますが、いわゆる昔から「温室育ち」
と言われるタイプの子どもは、ここでいう精神面での過保護児をいいます。私はその特徴とし
て、たとえば社会性の欠落、人格形成の遅れ、幼児性の持続、退行性などをあげます。耐久
性のなさもありますが、「温室育ちは、外では、すぐ風邪をひく」と言われるのは、そのためで
す。詳しい症状については、別のところ(はやし浩司のサイトの随所)に書いておきましたので、
そちらを参考にしてください。ただこうした症状は、たとえば溺愛児(この定義も、なされていま
せん)の症状と、多くの部分で重なり、こうした症状があるから、過保護児ということにもなりま
せん。

 以上のような視点をふみはずすと、過保護児を論じながら、何を論じているかわからなくなり
ますので、注意してください。なお、こうした問題、つまり定義されていない現象は、教育の世界
では、よくあることです。ここがたとえば心理学や医学と異なる点です。ですから定義づけされ
ていないから、論じても無駄とか、あるいは意味がないと、決めてかかってはいけません。教育
の一つの目的は、子どもを健やかに成長させることです。それを疎外する要因の一つとして過
保護があるなら、私たちは、それについては前向きに論じていかねばなりません。

【過干渉】
 同じように過干渉の問題があります。よく誤解されますが、口うるさいのは、過干渉とは言い
ません。過保護ニせよ、過干渉にせよ、それが子どもに悪影響があるから、問題となります。し
かしただ単に口うるさいというだけであれば、子どもには、それほど影響はありません。せいぜ
い親や教師の指示に対して免疫性ができ、指示にうとくなる程度です。「〜〜しなさい!」と、か
なり強く言わないと、指示に従わない、など。

 過干渉が過干渉として問題になるのは、子どもに、精神の萎縮性がみられるときです。多く
の内閉児、萎縮児の原因に、親の威圧的な育児態度、強引、傲慢な押しつけ的姿勢があるこ
とは、以前から指摘されています。過干渉は、こうした育児態度を総称したものということにな
ります。そこで、では過干渉とは何かということになれば、私は、親の強引かつ威圧的な育児
姿勢をあげます。

 が、ここでもまた問題にぶつかってしまいます。そういう育児姿勢があるから、子どもが過干
渉児特有の症状を見せるかといえば、そうではないということです。そこで親たちを観察してみ
ますと、安定的な育児態度の親と、そうでない親がいるのがわかります。「そうでない親」という
のは、そのときの気分の状態によって、不安定に育児態度が変わる親をいいます。子どもが
同じようにお茶をこぼしても、あるときは、ニコニコ笑いながら、「ダメよ」と言っていた親が、別
の日には、大声で怒鳴り散らすなど。こうした不安定な育児姿勢は、子どもをかぎりなく不安に
させ、それが子どもの心を萎縮させます。

 ただこの時点で、たいへん興味深いのは、同じような環境で育てられながら、まったく反対の
症状をもった子どもが生まれるということです。よくある例は、兄が萎縮化し、弟がかえって粗
放化するというケースです。私は長い間、その理由がわかりませんでしたが、簡単に言えば、
子ども自身の生命力の問題だと、やがて気がつきました。親の過干渉に対してやりこめられて
しまったタイプと、その過干渉を、たくましくやり返してしまったタイプの違いと考えると、わかり
やすいでしょう。兄のほうでは何かと神経質な子育てをするが、弟のほうでは、余裕のある子
育てをするというように、親側の育児姿勢の変化によることもあります。

 で、さらにその原因をさぐっていくと、過干渉タイプの親には、一つの共通点があるのがわか
ります。それが「不安」です。

 過保護が心配を基底とするなら、過干渉は不安を基底とすると考えると、ちょうどうまく対比
できて、わかりやすいかもしれません。子ども、育児に対する不安が、親をして、過干渉に走ら
せるというわけです。そしてその不安は何かというと、いわゆる「基底不安」の問題にぶつかり
ます。その基底不安が、いろいろ姿を変えて、子どもへの過干渉的な育児態度となって現れる
わけです。もっと言えば、親自身が、子どもと、信頼関係を結べないということです。

 理由はいろいろあります。望まない結婚であったとか、望まない子どもであったとか。さらに
は、親自身の乳幼児期の原体験が原因となることもあります。私はこれを総称して、「わだか
まり」と呼んでいます。その何らかのわだかまりが、親の育児姿勢をゆがめるというわけです。

【目的は、子どもの健やかな発育】
 過保護にせよ、過干渉にせよ、こうした問題を考える目的は、子どもを健やかに発育させる
ことにあります。ここで過保護や過干渉を定義づける意味は、そこにあります。たとえば過保護
にしても、「心配」が原因とわかれば、その心配を除去してやることによって、親の過保護を是
正することができます。過干渉では、「不安」を除去してやることによって、親の過干渉を是正
することができます。そして結果として、過保護や過干渉が原因で起こる、子どもの症状を軽
減してやることができます。

私の定義づけには、多少(かなり)強引な面もありますが、そういう意味では、実益があります。
もっと言えば、現場では、役にたつということです。いつか、あなたも幼児教育の現場に立つこ
とがあると思いますが、そのとき、私がここに書いたことを参考に、子どもたちをながめてみて
ください。きっと「なるほど、そうだったのか」と思われることと思います。

 以上ですが、詳しくは、私のサイトのあちこちに書いておきましたので、また参考にしてみてく
ださい。メールおよび、お問いあわせ、ありがとうございました。今日は、これで失礼します。
(030502)
 
°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ       
°◎_/ ̄⌒―――∩      みなさんのお近くで、講演するとき、
 ///―――――∫       よろしかったら、おいでください。        
⊂⊂/      ∫        マガジンの読者と一言、言ってくだされば、
             講演をしていても、ぐんと元気が出ます。ホントです!
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

心のエアーポケット

 ときどき、愚にもつかないようなカルト教団が、世間をにぎわす。足の裏をみて病気を診断す
るとか、魔法のツボで、悪い因縁を断つとか。さらには、教祖の髪の毛を煎じて飲んでみたりす
る、など。ミイラ化した死体を前にして、「まだ生きている」とがんばった教団もあった。最近で
は、白装束に身をかため、電磁波攻撃から身を守るという集団も現れた。このニュースは、中
国でも大きく報じられたらしい。北京に住む友人(中国人)が、その集団について、メールで、こ
う書いてきた。「こちらは今、SARS問題で、たいへんだ。日本は、平和でいいね」と。

 こうしたカルト教団を調べていくと、ごくふつうの人が、ある日、突然、ふとしたきっかけで信者
となっていくことがわかる。それも、話してみると、まったくふつうの人。「どうしてこの人が…
…?」と思うこともある。その教団に属していることをのぞけば、どこもおかしいところがない。

 私は、いつしか、人間の脳には、エアーポケットのようなものがあるのではないかと思うように
なった。盲点というべきか、欠陥というべきか。その世界にスッポリと入ってしまうと、常識その
ものをなくしてしまう。当然、思考力も停止する。そしてそのまま、指導者の言いなりになってし
まう。

 問題は、その指導者だが、たいてい、どこか頭がおかしい。昔、こんなことがあった。私の実
家が属する寺に、毎週、ものすごい形相の女性がやってきた。年齢は四五歳前後だったであ
ろうか。髪はぼさぼざ、顔は赤茶けていた。眼光だけがやたらと鋭く、じっとにらまれたりする
と、みなは、それだけで震えあがってしまった。

 その女性が、檀家が集まったようなとき、ときどきやってきて、それなりの意見を言うことがあ
った。「それが、仏の道じゃあ!」「邪念を、捨てなされ!」「あなたがたは、成仏、できんぞ!」
と。すると、ほかの人たちは、一斉に黙ってしまう。よくカリスマ性という言葉が使われるが、そ
の女性には、そのカリスマ性があった。言っていることは支離滅裂で、何を言っているか、意味
がよくわからなかったが、その態度には不思議な威厳があった。言うことには、何となく、意味
があるような感じた。

 が、あとで住職に、「あの人はどういう人ですか?」と聞いたら、こう話してくれた。「ずっと精神
病院に入院しているのですがね、ときどき病室を抜け出し、ここへ来るのです」と。

 だいたい、「足の裏で病気が治る」とか、「念力で病気が治る」とかいうのは、インチキ。それ
はそれとして、大切なことは、つまりどうしてそういうカルトが生まれるかということではなく、そう
いう教団の犠牲にならないためには、どうしたらよいかということ。「私はだいじょうぶ」と思って
いる人だって、あぶない。それだけ警戒心が弱いので、ふとスキをつかれたようなとき、そのま
まカルトにのめり込んでしまう。こうした脳のエアーポケットは、ひょっとした、私も、あなたも、み
な、平等にもっている。

 ただここで誤解してはいけないのは、そうした教団があるから、信者がいるのではないという
こと。そういう教団を求める信者がいるから、教団が生まれ、そして育つということ。私たちはと
もすれば、「信者をだます教団は悪だ」という前提でものを考えるが、実際にはそうではなく、
「だまされたい」と思う信者がいるから、教団は勢力を伸ばす。事実、カルト教団の信者たち
は、みな、どの人も、実に和気あいあいとしている。楽しそうである。ある信者は、こう言った。
「私たちは、親子以上の親子。兄弟以上の、兄弟です」と。この温もりが、たがいの信者を結び
つける。

 だからそうした人に向かって、「あなたがたはまちがっている」とか、「あなたがたはだまされ
ている」と言っても、意味はない。彼らは彼らで、だまされていることを楽しんでいる。その教団
の教えが正しいかどうかを考える前に、その問題そのものを、脳の片すみにおいやってしま
う。こういうのを心理学では、「隔離」というが、要するに自分にとって都合の悪いことは、自ら、
考えないようにしてしている。

 そこで大切なことは、まず、こうしたカルト教団には近づかないこと。「おかしい」とか、「あやし
い」と感じたら、とにかく近づかない。「私はだいじょうぶ」と思っている人ほど、あぶない。カルト
に染まるかどうかという問題は、理性の問題ではなく、免疫性の問題だからである。むしろ「私
はあぶない」と思っている人ほど、警戒心が強く、カルトに対して抵抗力をもっている。そういう
抵抗力があればよいが、たいていの人には、それがない。だから、『君子、あやうきに近寄ら
ず』、である。

 ただこわいのは、彼らは、自分の身分や素性を隠して、あなたに近づいてくることが多いとい
うこと。何かのバザーだと思って行ったら、教団への入信をしつこく勧められたというようなこと
は、よくある。こうした子育てサイトの中にも、そういうサイトが無数にある。ほとんどがどこかの
宗教がらみのサイトと考えてよい。(またそうでないと、情熱と資金がつづかない?)いつの間
にか、その教団の餌食になっているということも、決してありえない話ではない。

 ……と書くと、「はやし浩司のサイトはだじようぶか?」ということになる。

 私は、……、もう読んでおわかりかと思う。私は、きわめて論理的な人間で、実存主義者とい
うよりは、合理主義者、あるいは現実主義者である。神秘とか、心霊とか、そういうものは、体
質的に受け入れることができない。神や仏の話はよくするが、私は哲学として、その生きザマ
を論ずることはあっても、信仰の対象として、とらえたことはない。もちろん来世論や前世論な
ど、まったく信じていない。運勢論や運命論、占いやまじないなどは、論外。もとから頭の中に、
ない。

 ……しかし、これもひょっとしたら、カルトかもしれない。無神論も、立派な宗教? あのピア
ス(アメリカのジャーナリスト)も、『無宗教……世界中の、もっとも偉大な信仰の中で、もっとも
重要な信仰』と、書いている。つまり無宗教という宗教を、私は信仰しているのかもしれない。と
なると、これも立派なカルト? ゾーッ!

 ただ私のばあい、道に迷ったようなときは、とことん常識を追求するようにしている。あるいは
静かに自分の中の常識に語りかけてみる。すると直感ではあるが、おかしいものは、おかしい
と感じ、そうでないものは、心地よく感ずる。そういう意味では、私は常識論者? これはあの
バートランド・ラッセル(イギリスの哲学者、兼ノーベル文学賞受賞者)の影響かもしれない。私
は学生時代、ラッセルの本を、片っ端から読んだ。そのラッセルは、「偉大な常識人」と評され
ていた。

 かなり話が脱線したが、とにかくカルト教団を笑う前に、彼らもまた、心のかわきを覚えた、あ
われな人だと思って、同情する。私やあなたと、どこも違わない。私やあなただって、ほんの少
し狂えば、明日にだって、カルトの信者になるかもしれない。つまりそう思うことが、結局は、自
分自身の中の常識を守ることになる。

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
10・11 ……北浜東小学校
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市リズム幼稚園
7.31  ……浜松市東部公民館
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・24  ……静岡市アイセル21
6・ 7  ……都築保育園
5・19  ……愛知県枇杷島家庭教育推進協議会・創造センター・ドレミホール
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2003年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page090.html
2003年度は、「子育て相談、Q&A」で一年間、連載させていただきます。よろしく!
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●「はやし浩司のサイト」オリジナル・テーマ音楽ができました。
       http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page317.htmlから、おいでください。
●J−BOOKでの本のお求めは……
       http://sch.jbook.jp/s.asp?category_id=00&key=%82%CD%82%E2%82%B5%8D_%8Ei
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■5-12

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
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03−5−12号(225)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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です! 
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
● 5月19日(月)愛知県枇杷島家庭教育推進協議会
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と読みやすくなります。お試しください。
    /八))))ハ   ミミヽ
    / / へ へ   へ ミミ  ─┐     今日のメニュー
   ( | σ σ |  ∂  へ ミ  |         【1】子育て相談より(2)
    )("  ) ")  ζ  ∂ ぅ             【2】Touch your Heart
   / 八 ー 八┐ ( __  ノ─┐           【3】子育てエッセー
   ((  >−< | >−< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  / みなさんからいただきましたテーマを
  / \   (3-─┼─-ε)  /   マガジンに反映させています。お声を
  ──────────────┐    どうか、お届けください!
【1】子育て相談より(2)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●私の子どもの通っている園に、たいへんうるさい親がいて困ります。何かにつけて、干渉して
きます。反対意見を言うと、機嫌が悪くなるので、それも言えません。不愉快です。しかしああ
でもないこうでもないと、頭にくることもしばしば。

★反面教師という言葉があります。あなたのまわりに「親バカ」(失礼!)がいたら、いつも「自
分はどうか?」と自問してみます。そういう親を非難するのではなく、自分自身が伸びるために
利用します。このケースでも、「頭にきちゃう」ではなく、「親というのはそういうもの。ならば自分
はどうなのか?」という視点でみるようにします。そうすれば、少しは怒りがおさまるはずです。

★このケースで気になるのは、むしろ相手側の親子です。「うちの子にかぎって」と思っている
親ほど、子どもの心がわかっていない。それだけではない。ひょっとしたら、その子どもは、親
の前で、いい子ぶっているだけ? こういうのを仮面といいます。さらにひどくなると、心(情意)
と、表情や言動が遊離するようになります。こうなると、親の側から見ても、自分の子どもが何
を考えているかわからなくなります。親子断絶の初期症状と考えて、警戒します。

★親子の信頼関係を築くためには、(さらけ出し)→(心を開く)というプロセスを踏みます。「ど
んな恥ずかしいことでも、たがいに言いあえる」「何をしても、何を言っても、たがいに許しあえ
る」という親子関係があってはじめて、たがいに信頼関係を築くことができます。しかし今、信頼
関係どころか、親子でも、心を開けないケースが、ふえています。先日も、私に、「うちの子(小
二男児)がこわいです。私のほうから、あれこれ言うことができないので、先生のほうから言っ
てください」と言ってきた、母親がいました。

★心を開けない子どもは、開けない分だけ、心をゆがめます。いじける、ひがむ、つっぱる、ひ
ねくれるなど。それを防ぐためにも、子どもには、まず言いたいことを言わせ、したいことをさせ
ます。その上で、よい面を伸ばし、悪い面を削るようにします。相手側の親子には、そういう姿
勢が感じられません。ひょっとしたら溺愛ママ? そういう視点で見てあげると、さらに怒りがお
さまるかもしれません。


●園で、ほかの親たちと話しているだけで、疲れてしまいます。リーダー格の親がいて、あれこ
れ指図してきます。

★ほかの親とのつきあいは、『如水淡交』が原則。「淡く水のように」という意味です。中に、自
己中心的で、押しつけ的なことを言ってくる親もいますが、そういう親とは、サラサラと水のよう
に交際するのが、コツです。この世界、その底流では、親たちのドロドロの、それこそ血みどろ
の戦いがウズを巻いています。それに巻き込まれると、かなり神経の太い人でも、参ってしま
います。だから交際するとしても、園や学校の行事の範囲だけにとどめます。決して深入りして
はいけません。間に子どもがいるため、一度、こじれると、とことんこじれます。もしどうしても、
ということなら、あなたの子どもが通っている園や学校とは、直接関係ない世界に住んでいる
親と交際するようにします。

★ただ子育てで注意しなければならないのは、カプセル化です。カプセル化というのは、親子
だけの狭い世界でマンツーマンの生活をすることいいます。そしてその世界だけで、独自の価
値観を熟成してしまう……。家族が、ちょうど小さなカプセルに閉じ込められるようになるので、
カプセル化といいます。一度カプセル化すると、同じ過干渉でも、極端な過干渉、あるいは同じ
溺愛でも、極端な溺愛になりますから、注意します。それを防ぐためにも、自分のまわりは、い
つも風通しをよくしておきます。つまりたがいの情報を交換することは悪いことではありません
ので、「ほっといて!」ではなく、「また教えてね!」というような、つきあい方に切りかえてみては
どうでしょうか。


●このところ、どうも好ましくない友だちとばかり遊んでいます。私の家に遊びにきても、あちこ
ちでドタンバタンと暴れたり、勝手に戸だなを開けたりします。先日は、私のバッグの中までの
ぞいていました。「そんなことをしてはダメ」と強く言うのですが、まるで効果なし。

★こういうときの鉄則は、ただ一つ。『友を責めるな、行為を責めよ』です。相手の子どもの行
動のどこか、どのように悪いかを、子どもに話しても、決して相手の子どもの名前を出してはい
けないということです。「よそのうちの冷蔵庫を勝手にあけるのはよくないね」「そのおうちの人
が入ってはいけないという部屋に入ってはいけないね」と、です。こういうケースで、「○○君と
は遊んではダメ」と、子どもに言うことは、子どもに、「親を取るか、子どもを取るか」の択一を
迫るようなもの。あなたの子どもがあなたを取ればよし。そうでなければ、あなたとあなたの子
どもの間に大きなキレツを入れることになりますから、注意してください。なおこの鉄則は、これ
から先、あなたの子どもがおとなになるまで、有効です。

★で、あえて言うなら、あなたの子どもは、その子どもといっしょにいることが、楽しいのです。
子どもというのは、無意識のうちにも、居心地のよい仲間とつきあいます。つまり『類は友を呼
ぶ』です。そこで大切なことは、あなたの子どもにとって、どこがどう居心地がよいかを知ること
です。ひょっとしたら、あなたのほうが、ガミガミとこまかいしつけをし過ぎていませんか。……
そうではないと思いますが、そんなことも疑ってみることも、ときには大切です。

★これから先、あなたの子どもは、無数の人間関係を、いろいろな場所で結びながら、その間
でのやりくり、つまり社会性を身につけていきます。そういう意味では、悪友もまた、必要なので
す。社会に対する免疫性も、そこから生まれます。だからといって悪いことを容認せよというわ
けではありませんが、一般論として、非行などのサブカルチャ(下位文化)を経験した子どもほ
ど、社会人になってから常識豊かな人になることも、よく知られています。「悪いからダメ」式
に、子どもを押さえつけるのではなく、その子どもを反面教師として、ここで書いたことを参考
に、相手の子どもを利用してみてはどうでしょうか。

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<          
    /†_____†ヽ//      心豊かで、暖かい子育てをめざしましょう。
    ( ('    ξヽ        みんなでがんばれば、日本の子育ては
  ┏ ||   o//\) )(      変わります。よくなります。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

子どもの親像を育てる法
(ぬいぐるみを抱かせろ!)

子どもに母性や父性が育つとき

●ぬいぐるみでわかる母性 
 子どもに父性や母性が育っているかどうかは、ぬいぐるみの人形を抱かせてみればわかる。
しかもそれが、三〜五歳のときにわかる。父性や母性(父性と母性を区別するのも、おかしな
ことだが……)が育っている子どもは、ぬいぐるみを見せると、うれしそうな顔をする。さもいと
おしいといった表情で、ぬいぐるみを見る。抱き方もうまい。そうでない子どもは、無関心、無感
動。抱き方もぎこちない。中にはぬいぐるみを見せたとたん、足でキックしてくる子どももいる。
ちなみに小三児の約八〇%の子どもが、ぬいぐるみを持っている。そのうち約半数が「大好
き」と答えている。

●男児もぬいぐるみで遊ぶ
 オーストラリアでは、子どもの本といえば、動物の本をいう。写真集が多い。またオーストラリ
アに限らず、欧米では、子どもの誕生日に、ペットを与えることが多い。つまり子どものときか
ら、動物との関わりを深くもたせる。一義的には、子どもは動物を通して、心のやりとりを学
ぶ。しかしそれだけではない。子どもはペットを育てることによって、父性や母性を学ぶ。そん
なわけで、機会と余裕があれば、子どもにはペットを飼わせることを勧める。犬やネコが代表
的なものだが、心が通いあうペットがよい。が、それが無理なら、ぬいぐるみを与える。やわら
かい素材でできた、温もりのあるものがよい。

●悪しき日本の偏見
 日本では、「男の子はぬいぐるみでは遊ばないもの」と考えている人が多い。しかしこれは偏
見。こと幼児についていうなら、男女の差別はない。あってはならない。つまり男の子がぬいぐ
るみで遊ぶからといって、それを「おかしい」と思うほうが、おかしい。男児も幼児のときから、
たとえばペットや人形を通して、父性を育てたらよい。ただしここでいう人形というのは、その目
的にかなった人形をいう。ウルトラマンとかガンダムとかいうのは、ここでいう人形ではない。

 また日本では、古来より戦闘的な遊びをするのが、「男」ということになっている。が、これも
偏見。悪しき出世主義から生まれた偏見と言ってもよい。その一つの例が、五月人形。弓矢を
もった武士が、力強い男の象徴になっている。三〇〇年後の子どもたちが、銃をもった軍人や
兵隊の人形を飾って遊ぶようなものだ。どこかおかしいが、そのおかしさがわからないほど、日
本人はこの出世主義に、こりかたまっている。「男は仕事(出世)、女は家事」という、あの日本
独特の男女差別思想も、この出世主義から生まれた。

●ぬいぐるみで育つ母性と父性
 話を戻す。愛情豊かな家庭で育った子どもは、静かな落ちつきがある。おだやかで、ものの
考え方が常識的。どこかほっとするような温もりを感ずる。それもぬいぐるみを抱かせてみれ
ばわかる。両親の愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、ぬいぐるみを見せただけで、スー
ッと頬を寄せてくる。こういう子どもは、親になっても、虐待パパや虐待ママにはならない。言い
かえると、この時期すでに、親としての「心」が決まる。

 ついでに一言。「子育て」は本能ではない。子どもは親に育てられたという経験があってはじ
めて、自分が親になったとき、子育てができる。もしあなたが、「うちの子は、どうも心配だ」と思
っているなら、ぬいぐるみを身近に置いてあげるとよい。ぬいぐるみと遊びながら、子どもは親
になるための練習をする。父性や母性も、そこから引き出される。

     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 しつけとは

 自分で、自分を律することを、「自律規範」という。その自律規範ができるようにすることを、
「しつけ」という。

 乳幼児期は、親があれこれ指示し、教え、さとす。それは当然のことだが、しかし同時に、子
ども自身が自分で考え、自分で行動し、さらに自分で責任をとるように仕向けなければならな
い。それを「しつけ」という。ただし、「〜〜しなさい」「〜〜してはだめ」式の、一方的な押しつけ
は、ここでいう「しつけ」ではない。

 よく誤解されるが、マナーを守らせることは、しつけではない。先日も、「うちの子は、テレビを
見ながら、食事をする。父親も、いっしょに見ながら食事をしている。子どもの教育上、よくない
から、何としてもやめさせたいが、どうしたらいいか」と、相談してきた若い母親がいた。

 しかしテレビを見ながら、どうして食事をしてはいけないのか。テレビを見ていたら、食事に集
中できないということか。あるいは消化に悪いとでもいうのか。食事のとき、家族の会話がなく
なるからというのなら、まだわかる。が、もしそうなら、テレビをほかの場所へ移せばよい。嘆く
べきは、食堂とテレビのある居間がいっしょになっているような狭い家であって、マナーではな
い(失礼!)。ちなみに私の家も、その狭い家。居間と食堂の間に壁がない。だから私はいつ
も、テレビを見ながら、食事をしている。

 マナーというのは、他人を不愉快にしないための、「心くばり」をいう。人前で鼻くそをほじらな
とか、道路にツバをはかないとか、紙くずをそこらに捨てないとか、そういうことをいう。そういう
マナーなら、いくら口うるさく言ってもかまない。しかしそれとて、子ども自身が自分で考えて、守
らなければ意味はない。親がうるさいから、親のいるところだけで守るというのであれば、マナ
ーではない。

 この若い母親は、「教育上」という言葉を使った。しかしこんなことは、教育上の問題でも、何
でもない。「教育」というのは、まさに「教え育てる」こと。英語では、「エデュケーション」という。も
ともと「引き出す」を意味する、「エデュース」に由来する。

 子育てをしていて、一番こわいのは、近視眼的になること。身のまわりにささいなことに振りま
わされるうちに、大局的なものの見方を見失ってしまう。いろいろな例がある。

●親に向かって、「ババア」とか、悪い言葉を使う。
●箸の持ち方がおかしい。
●幼稚園で、先生の話を聞いていない。
●忘れ物が多い、など。

こうした問題は、子育てにはいつもついてまわるが、しかし、それはそれとして、どこかで一線
を引かないと、何がなんだか、わけがわからなくなってしまう。それは相談を受ける私のほうも
そうで、たとえて言うなら、下ばかり見ながら歩いていて、森の中で道に迷うようなもの。

 そういうときは、思い切って、視野を高くしてみる。空から地図を見るようなつもりで、自分の
子育てをながめてみる。「教育」という言葉は、そういうときに使う言葉であって、こういう、テレ
ビうんぬんという問題で使う言葉ではない。

 さて、そこで本題。私はときどき、こう思う。私たちは子どもに向かって、自律規範という言葉
を使うが、では、私なら、できるか、と。あるいはあなたならどうだろうか。「テレビを見ながら、
食事をしてはだめ」と言うくらいだから、その人は、さぞかし、すばらしい生活をしているに違い
ない。テーブルには、いつもキャンドルがともされ、BGMには、ショパンかモーツアルトの曲が
流れる。静かにときが流れ、父親と子どもが、食事中も、こんな会話をする。「お父様、その水
差しを渡していただけませんか?」「はい、どうぞ」「お父様、ありがとうございます」と。

 大切なことは、言うべきことは言いながらも、あとは子ども自身の判断に任せるということ。そ
ういう「時」と「場所」になったら、それなりにできれば、それでよしとする。反対に、あまりこまご
まとしたことを、神経質に言えば、むしろ家庭が家庭としての機能を失ってしまう。言うまでもな
く、家庭というのは、疲れた心と体をいやす場所。せめて家の中くらいでは、自由に、好き勝手
なことをしたい。……させてあげたい。

 ……とまあ、否定的なことばかり書いたが、実のところ、こういう相談をもらうたびに、私は頭
をかかえてしまう。「くだらない」とまでは、言いたくないが、しかしそれに近い。少なくとも、私が
考えなければならないような問題ではない。……と思う。(ごめん!)
(030503)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


雑感

 近所のTさんの家に、孫(三歳女児)が遊びにきた。一か月も遊んでいったという。それにつ
いて、Tさんは、こう言った。「(孫たちが帰るとき)またおいでよとは言ったが、もうしばらく、コリ
ゴリ」と。

 そのTさんが、その孫に歌を歌ってあげたそうだ。「♪まさかり、かついだ、金太郎。熊にまた
が、お馬のけいこ……」と。すると、すかさずその孫がこう言ったそうだ。「ママって、馬なの?」
と。母親の名前は、その「恵子(けいこ)」だった。

 たいていの人は、「孫はかわいい」という。しかし同じく、たいていの人は、「孫のめんどうはみ
たくない」という。こんな悲劇もある。山荘の近くに住む、Uさんが、今度、総ヒノキ造りの家を建
てた。が、畑から家に帰って、びっくり仰天。三歳になる孫が遊びにきていて、縁側で三輪車に
乗っていたというのだ。おかげで、自慢の縁側は、キズだらけ! 「孫のしたことだから、怒れ
ないしね」と、Uさんは、笑っていた。

 さて、先のTさんだが、こう言った。「まあ、よくしゃべる子どもで、一日中、ペチャペチャとしゃ
べっていて、うるさくてしかたありませんでした」と。これについて、こんな事実がある。

 昔から「女は、おしゃべり」と言う。それについて、新井康允氏という研究者は、「女性はおし
ゃべり」というタイトルで、こう書いている(「脳のしくみ」日本実業出版社)。

「女性には、(脳の)右半球にも言語機能に関係する部位があるのではという考えが、生まれま
す。心理テストでも、言語機能の左半球への集中化の度合いが女性のほうが男性より少ない
ということが報告されています。
 (中略)
 さらにウェルニッケの言語中枢部分の神経細胞の密度を男女で調べた結果では、女性のほ
うが、その部分の神経細胞の密度が男性より高いという報告もあります。
 これらのことを総合すると、ハードウェア的にも、ソフトウェア的にも、女性のほうが、言葉を
理解するのに有利な状況にあることがわかります」と。

 たしかに子どもでも、概してみれば、男子より女子のほうが、ペチャペチャとおしゃべりするよ
うだ。もちろん男子にもおしゃべりな子どももいるが、声がかん高い分だけ、女子のほうがうる
さく感ずる。

 さて、私は、「♪お馬のけいこ」という話を聞いて、笑った。この種の話は、パクリ(他人の話を
盗んでくること)が多いが、これはオリジナルな話。それだけに笑った。「なるほど、お馬のけい
こか」と。私も子どものとき、ある歌で、「♪声かけた、声かけた……」と歌ったとき、「どうして、
肥えをかけるのか?」と思ったのを覚えている。私の田舎では、し尿を腐らせたものを、「肥え」
と呼んだ。肥料のかわりに使った。

 で、冒頭の話。私も、もう孫育ては、したくない。「かわしい」とは思うが、あまり孫育てにはか
かわりたくない。「コリゴリ」という気持ちになるかどうかは別にして、一か月もつきあったら、気
がヘンになると思う。まだ経験はないが……。
(030503)

°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ       
°◎_/ ̄⌒―――∩      みなさんのお近くで、講演するとき、
 ///―――――∫       よろしかったら、おいでください。        
⊂⊂/      ∫        マガジンの読者と一言、言ってくだされば、
             講演をしていても、ぐんと元気が出ます。ホントです!
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
北朝鮮

 北朝鮮の国家衛生検閲院(名前が、仰々しい!)のチェ院長は、こんな声明を発表した。い
わく、「強力な指導部を組織したので、SARSの感染者は北朝鮮では、一人たりとも、発生して
いない」(四月二九日)と。何でもあの北朝鮮では、SARS発生国からの帰国者は、そのまま一
〇日間、隔離しているそうだ(朝鮮日報)。

 しかし油断大敵。中国と北朝鮮の国境を越えて、SARSが北朝鮮に侵入するのは、時間の
問題。ウランバートルと天津も、今日(五月三日)、WHOによって、SARS感染地域に指定さ
れた。もし仮に、SARSが北朝鮮に侵入したら、北朝鮮は、さらに壊滅的な打撃を受けるに違
いない。食糧難で、北朝鮮の人たちの体力や抵抗力は、かなり落ちている。その上、医薬品も
ない。数年前だが、北朝鮮では、ガンすらも、赤チンで治療しているという話を聞いたことがあ
る。いくら医療費が、ただだからといっても、赤チンでガンを治療するとは!。

 しかしそれにしても、かわいそうなのは、北朝鮮の人たちである。金XXの独裁政治の犠牲に
なっている。大砲や戦闘機を買うお金があれば、食糧を買えばよい。が、金XXは、武器ばかり
買っている。が、北朝鮮の人たちは、独裁者の犠牲になりながら、犠牲になっていることにすら
気づいていない? 本気かどうかは知らないが、北朝鮮の人たちは、みな、「将軍様(金XXの
こと)のおかげ」と、何かにつけて、そう言っている。それはカルト教団の信者に似ている。指導
者の餌食になり、指導者のロボットになりながら、自分では、「まとも」と思い込んでいる。とこと
んお金をまきあげられながら、「幸福になった」と喜んでいる。

 こうした北朝鮮やその国の人たちをながめていると、本当にいろいろ考えさせられる。人間
自体がもつ弱さというか、もろさというか。あるいは盲点というか、欠陥というか。そしてさらに、
「では私たちはどうなのか?」と考えることによって、今まで気づかなかったことを、気づかされ
る。私のばあい、オーストラリアへ渡ったとき、「戦前における日本人の法意識」が、その研究
テーマだった。しかし結論は、「わからない」だった。「どうして日本人は、全体主義の中で、あ
あまで道を踏みはずしてしまったか」について、「わからない」だった。

 しかし皮肉なことに、それから三〇年。今の北朝鮮を見るとことによって、はからずも、それ
が「わかった」。「それ」というのは、「戦前における日本人の法意識」である。

 今の北朝鮮は、まさに戦前の日本そのものと言ってよい。心のどこかでは、「違うはずだ」と
思ってはみるが、しかし北朝鮮を知れば知るほど、戦前の日本そのもの。あるいは、どこがど
う違うというのか。

 だから私は、今の北朝鮮を見ても、どうしても笑うことができない。「君たちはまちがっている」
とも、言えない。戦後のどこかで、日本が戦前の日本を反省していれば話も違ってくるが、日本
自身は、それをしていない。していないばかりか、今でも、「戦前の日本は正しかった」と主張す
る人は多い。そういう現状の中で、今、私たちは、どうしてあの北朝鮮に向かって、「君たちは、
まちがっている」と言うことができるだろうか。

 「強力な指導部を組織したので、SARSの感染者は北朝鮮では、一人たりとも、発生してい
ない」と、虚勢を張る北朝鮮。それがあまりにも虚勢に見えるから、おかしい。そして悲しい。
「もう、バカな虚勢を張るのは、およしなさい」と言いたいが、そんな声など、彼らには絶対に届
かない。最後の最後まで、虚勢を張り、その虚勢の重みに耐えかねて、やがて崩壊するだろ
う。どこまでもあわれで、かわいそうな国なのである。あの北朝鮮は……。
(030504)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


ほどほどの人生

 何ごとも、極端というのは、よくない。何ごとも、ほどほどに。それが結局は、常識というもので
はないか。

 昔、マザーテレサという女性が、世界中で騒がれていたころのこと。私はふと、こんなことを
考えた。「もし、私の息子が、インドへ行き、マザーテレサと同じ仕事をしたいと言いだしたら、
私は親として、それに賛成するだろうか」と。

 このつづきを話す前に、利己と利他という言葉がある。利己は、利己主義、利他は、利他主
義となる。利己主義と利他主義は、一見、正反対に見えるが、その実、違いは紙一重。方向性
が逆なだけである。だからその人が利己主義だからといって、その人を責めることもできない
し、反対に、その人が利他主義だからといって、その人をほめることもできない。要は、極端で
なければ、それでよいということ。人というのは、ときに利己主義的になったり、またときには、
利他主義的になったりしながら、生きている。

 そこでもう一度、マザーテレサについて考えてみる。マザーテレサは、徹底した利他主義者と
言ってもよい。自分の財産と言えるものは、サリーとバケツ一個だけだったという。あとはすべ
て貧しい人たちのために、付与してしまった。そういう点では、マザーテレサは、徹底した、つま
り極端な利他主義者ということになる。

 そこで問題は、何がマザーテレサをして、そうまで徹底した利他主義者にしたかだが、それに
は、彼女自身の信仰がからんでくる。マザーテレサは、神の教え(?)に従い、すべてをなげう
った。それはわかる。しかしそうした信仰性は、何もマザーテレサだけに限ったものではない。
言うまでもなく、ここでいう信仰性は、今度は、狂信性とまさに紙一重。同じころ日本中を騒が
せていたカルト教団の信者の中にも、家族やすべての財産をなげうって、信仰に埋没した人
は、いくらでもいる。そういうカルト教団の信者と、マザーテレサとは、どこがどう違うというの
か。またどこでどのように線を引けばよいのか。……ということになってしまう。

 もちろんだからといって、マザーテレサを批判しているのではない。マザーテレサは、まさに
神の領域に入った人である。私たち凡人をはるかに超越した人である。実際、マザーテレサに
よって心を救われた人は、数知れない。私たちはときとして、恵まれた立場で、ちょうど空から
地上を見るようにして、不幸な人を見る。しかしこうした見方では、地上で、はいつくばるように
して苦しんでいる人の心までは、理解できない。しかしマザーテレサは、その地上で、自ら、は
いつくばりながら、苦しんでいる人を救った。

 が、それでも、何か、心にひかかる。それが最初の問題である。「もし、私の息子が、インドへ
行き、マザーテレサと同じ仕事をしたいと言いだしたら、私は親として、それに賛成するだろう
か」と。

 私は、一応、「ノー」と答えるだろうと思う。強制はしないが、そう言う。そして多分、そのあと息
子にこう言うだろう。「人を救う道は、いろいろある。決して、一つではない。ただ大切なことは、
極端にならないこと。人は、いつも、ほどほどのところで生きている。バランスをとりながら、生
きている。過去においても、そうだった。これからも、そうだ。ほどほどの人生の中で、その目
的を見出すところに、生きる価値がある。釈迦も中庸(ちゅうよう)という言葉を使って、それを
説明している」と。

 このことをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。

 「マザーテレサは、マザーテレサよ。あの人はすばらしい人よ。それでいいのじゃ、ない」と。

 簡単に言えば、そういうことか。人は、人、それぞれ。みな、自分の道を懸命に生きている。
私も、あなたも。ワイフはこうも言った。「私たちは私たちで、常識を大切にしながら、懸命に生
きれば、それでいいのよ」と。「それは、ぼくの言葉だ」と言うと、ワイフは、「そう?」と言って笑
った。

 むずかしいことではない。私たちの心の中には、その常識が、すでに宿っている。あとはその
常識に、静かに耳を傾ければよい。人に親切にしたり、やさしくすれば、心地よい響きがする。
人をだましたり、意地悪したりすれば、いやな響きがする。それが常識。私たちは過去数十万
年もの間、その常識に従って生きてきた。もし仲間をだましたり、殺したりするのが楽しかった
ら、人類は、とっくの昔に絶滅していたことになる。今、ここにこうして私たちがいるという事実そ
のものが、私たち人間が、生きる価値のある、正しい常識をもった生き物という証拠そのもの
に、ほかならない。体が進化するように、その数十万年という時の流れの中で、心も進化を重
ねてきた。その結果が、今なのだ。

 言いかえると、あなたのまわりで、もし極端な生き方をしている人がいたら、そういう人は、ま
ず疑ってかかってみてよい。たとえば「修行」という言葉がある。好んで、凍るように冷たい滝の
水に打たれてみたり、好んで、燃えさかる炎の上を歩いてみたり。そういうことをしたからといっ
て、真理に到達できるというものではない。またしないからといって、真理に到達できないという
のでもない。私たちがもとめる「真理」というのは、ひょっとしたら、私のたちのすぐそばにあっ
て、私たちに見つけてもらうため、息を潜めて静かに待っている? 私にはよくわからないが、
今は、そう思う。

 ほどほどの人生を恥じることはない。ほどほどの人生であることを、悲しむことはない。むし
ろ、ほどほどの人生であることは、すばらしいことなのだ。朝、目をさます。窓から、白い朝の陽
光が目の中に飛びこんでくる。どこかぼんやりとした目を軽くこすりばがら、時計を見て、「もう
少し……」と思って、目を閉じる。しかしやがて目覚ましが鳴って、「起きなければ……」と思い
つつ、腹の底にぐいと力を入れる。そういう日々の繰り返しの中に、私たちがさがし求めてい
る、真理が隠されている? 反対に、もしそういう人生が無意味だというのなら、人間は過去、
数十万年もの間、何のために生きてきたのかということになる。さらに私たちの身のまわりに
生きる、ありとあらゆる命は、何のために生きているかということになる。

 まだまだ書きたいことはあるが、今日は、ここまで。この先は、またの機会に書いてみたい。

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞










件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■5-14

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M ″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /       ありがとうございます!
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03−5−14号(226)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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です! 
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
● 5月19日(月)愛知県枇杷島家庭教育推進協議会
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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と読みやすくなります。お試しください。
    /八))))ハ   ミミヽ
    / / へ へ   へ ミミ  ─┐     今日のメニュー
   ( | σ σ |  ∂  へ ミ  |         【1】子育て相談より(3)
    )("  ) ")  ζ  ∂ ぅ             【2】Touch your Heart
   / 八 ー 八┐ ( __  ノ─┐           【3】子育てエッセー
   ((  >−< | >−< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  / みなさんからいただきましたテーマを
  / \   (3-─┼─-ε)  /   マガジンに反映させています。お声を
  ──────────────┐    どうか、お届けください!
【1】子育て相談より(3)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
お母さん方からの、Q&A特集

●夫と子育てのことで、意見の衝突がはげしくなってきました。子どもは現在、年長児です。夫
が、私の言うことに、非協力的で困ります。

★『夫婦は一枚岩』というのが、子育ての鉄則です。夫婦で意見の衝突があっても、子どもの
前では見せないようにします。また『船頭は一人』という鉄則もあります。こういうケースでは、
母親は、まず父親を立てる。決して男尊女卑的なことを言っているのではありません。たがい
に高度な次元で尊敬しあってこそ、それを「平等」といいます。子どもの前では、「お父さんがそ
う言っているから、そうしなさい」と、あくまでも父親の側に立ちます。納得がいかないことがあ
れば、子どもが寝静まったあとにでも、「私はこう思うけど……」と、意見の調整をします。

★そうでなくても、むずかしいのが子育て。これから先、夫婦の心がバラバラで、どうして子育
てができるというのでしょうか。なおこういうケースでは、夫が怒鳴ったり、手をあげたりしそうで
あれば、その前に、夫の言いたそうなことを前もって、言うようにします。いわゆる夫の機先を
制するということです。「そんなことをすると、お父さんに叱られますよ!」と。夫に抵抗すればす
るほど、夫の心は、あなたや子どもから離れていきます。これは子どもの問題というより、夫婦
の問題かもしれません。どこか夫婦の間に、すきま風が吹いていませんか。私には、そちらの
ほうが気になります。

★なお、親子の信頼感は、「一貫性」で決まります。E・H・エリクソンという心理学者も、「親(とく
に母親)の安定的態度が、基本的信頼関係を結ぶ基礎である」というようなことを言っていま
す。要するに親の心がグラグラしていては、親子の間で、信頼関係を結ぶことができないだけ
ではなく、つづいて、子どもは、園や学校の先生、さらには友人との信頼関係を結べなくなると
いうこと。よきにつけ、悪しきにつけ、親は、一本スジの通った子育てをします。


●夫の生活態度がだらしなくて、困ります。食事中もテレビを見ていたりします。子どもの教育
上も、よくないと思うのですが……。どうしたらいいでしょうか。

★子育ての世界には、メジャーな問題と、マイナーな問題があります。「家庭は心と体をいやす
場所」というのは、メジャーな問題。「家庭でのこまごまとした、ルール」は、マイナーな問題とい
うことになります。マイナーな問題に引き回されていると、メジャーな問題を見失うことがありま
す。そこでこうしたマイナーな問題は、言うべきことは言いながらも、あとは適当に! その時
と、場所になればできればよいと考えて、おおらかに構えます。

★子どもの世界には、『まじめ八割、いいかげん二割』という鉄則があります。「歯をみがきなさ
い」と言いながらも、心のどこかで、「虫歯になったら、歯医者へ行けばいい」と思うようにしま
す。虫歯の痛さを知って、子どもは歯をみがくことの大切さを知ります。それだけではありませ
ん。子どもは、そのいいかげんな部分で、羽を伸ばします。子育てでまずいのは、神経質な完
ぺき主義。家庭が家庭としての機能を果たさなくなるばかりか、子どもの心をつぶしてしまいま
す。さらに子どものことで、こまごまとしたことが気になり始めたら、あなた自身の育児ノイロー
ゼを疑ってみます。

★「しつけ」と「ルール」は違います。「しつけ」は、自律規範のことをいいます。この自律規範
は、初期のころは、親から与えられますが、やがて子どもは、自分で考え、自分で判断し、自
分で行動するようになります。子どもをしつけるということは、いかにして子どもを自律させるか
ということ。一方、ルールは、あくまでもルール。むしろ『ルールがないから家庭』と言います。ま
たイギリスの教育格言にも、『無能な教師ほど、ルールを好む』というのもあります。これを言い
かえると、『無能な母親ほど、ルールを好む』(失礼!)となります。

★ルールは、つくるとしても、家庭では最小限に。夫の立場で言うなら、「家に帰ってきてから
は、のんびりとテレビでも見ながら、食事をしたい」ということではないでしょうか。私なら妻か
ら、そんなこまごまとしたルールを言われたら、気がヘンになります。なお、「食事中はテレビを
見ない」というのは、マナーでも何でもありません。「マナー」というのは、「他人の心を害さない
こと」を言います。そういうマナーは大切ですが、「テレビを見ながら、食事をしてはいけない」と
いうのは、マナーではありません。いわんや「教育上……」と、おおげさに構えなければならな
いような、問題では、ありません。ちなみに、私は、毎日、テレビを見ながら、夕食を食べていま
す。

★要するに子育てをするときは、いつもメジャーな視点を忘れないこと。いつも、「より大切なこ
とは何か」と考えながら、します。そういう視点が、あなたを親として、大きな人間にします。そし
てそういう人間から、大きな子どもが生まれます。


●このところ、近所の子どもたちが、習いごとに行くようになりました。うちの子(年中児)も行き
たいというので、行かせようと思いますが、夫は、「まだ早い」と言って、賛成してくれません。

★親には、三つの役目があります。子どもの前を歩く。子どものガイドとして。子どものうしろを
歩く。子どもの保護者として。そして子どもの横を歩く。子どもの友として。日本の親は、子ども
の前やうしろを歩くことは得意ですが、子どもの横を歩くのが苦手。そういう発想そのものがあ
りません。こういう相談のケースでも、「何かやらせる」という発想そのものが、気になります。
大切なことは、子どもの方向性を見極めながら、「あなたはどう思うの?」と、そのつど、子ども
の心を確かめながら、行動することです。習い事をするかしないかは、あくまでもその結果で
す。

★習い事をするにしても、この時期は、「楽しませること」を考えてします。(できる、できない)で
はなく、(楽しんだかどうか)をみます。そういう前向きな姿勢が、子どもを伸ばす原動力となり
ます。もう少し専門的には、「プラスのストローク(働きかけ)」をするということです。

★この時期は、ややうぬぼれ気味のほうが、あとあとよい結果を生みます。ですからそのつ
ど、「あなたはよくできる」「あなたはもっとできるようになる」と、プラスの暗示をかけていきま
す。ほかに『一芸論』(子どもに一芸をもたせる。一芸を伸ばす)や、『才能は作るものではな
く、見つけるもの』という鉄則もあります。参考にしてください。

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<          
    /†_____†ヽ//      心豊かで、暖かい子育てをめざしましょう。
    ( ('    ξヽ        みんなでがんばれば、日本の子育ては
  ┏ ||   o//\) )(      変わります。よくなります。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

親子のきずなを深める法(成長を喜べ!)

親子のきずなが切れるとき 

●親に反抗するのは、子どもの自由?
 「親に反抗するのは、子どもの自由でよい」と考えている日本の高校生は、八五%。「親に反
抗してはいけない」と考えている高校生は、一五%。この数字を、アメリカや中国と比較してみ
ると、親に反抗してもよい……アメリカ一六%、中国一五%。親に反抗してはいけない……アメ
リカ八二%、中国八四%(財団法日本青少年研究所・九八年調査)。日本だけは、親に反抗し
てもよいと考えている高校生が、ダントツに多く、反抗してはいけないと考えている高校生が、
ダントツに少ない。こうした現象をとらえて、「日本の高校生たちの個人主義が、ますます進ん
でいる」(評論家O氏)と論評する人がいる。しかし本当にそうか。この見方だと、なぜ日本の高
校生だけがそうなのか、ということについて、説明がつかなくなってしまう。日本だけがダントツ
に個人主義が進んでいるということはありえない。 アメリカよりも個人主義が進んでいると考
えるのもおかしい。

●受験が破壊する子どもの心
 私が中学生になったときのこと。祖父の前で、「バイシクル、自転車!」と読んでみせると、祖
父は、「浩司が、英語を読んだぞ! 英語を読んだぞ!」と喜んでくれた。が、今、そういう感動
が消えた。子どもがはじめてテストを持って帰ったりすると、親はこう言う。「何よ、この点数
は! 平均点は何点だったの?」と。さらに「幼稚園のときから、高い月謝を払ってあんたを英
語教室へ通わせたけど、ムダだったわね」と言う親さえいる。しかしこういう親の一言が、子ど
もからやる気をなくす。いや、その程度ですめばまだよいほうだ。こういう親の教育観は、親子
の信頼感、さらには親子のきずなそのものまで、こなごなに破壊する。冒頭にあげた「八五%」
という数字は、まさにその結果であるとみてよい。

●「家族って、何ですかねえ……」
 さらに深刻な話をしよう。現実にあった話だ。R氏は、リストラで仕事をなくした。で、そのとき
手にした退職金で、小さな設計事務所を開いた。が、折からの不況で、すぐ仕事は行きづまっ
てしまった。R氏には二人の娘がいた。一人は大学一年生、もう一人は高校三年生だった。R
氏はあちこちをかけずり回り、何とか上の娘の学費は工面することができたが、下の娘の学費
が難しくなった。そこで下の娘に、「大学への進学をあきらめてほしい」と言ったが、下の娘は
それに応じなかった。「こうなったのは、あんたの責任だから、借金でも何でもして、あんたの義
務を果たしてよ!」と。本来ならここで妻がR氏を助けなければならないのだが、その妻まで、
「生活ができない」と言って、家を出て、長女のアパートに身を寄せてしまった。そのR氏はこう
言う。「家族って、何ですかねえ……」と。

●娘にも言い分はある
 いや、娘にも言い分はある。私が「お父さんもたいへんなんだから、理解してあげなさい」と言
うと、下の娘はこう言った。「小さいときから、勉強しろ、勉強しろとさんざん言われつづけてき
た。それを今になって、勉強しなくていいって、どういうこと!」と。
 今、日本では親子のきずなが、急速に崩壊し始めている。長引く不況が、それに拍車をかけ
ている。日本独特の「学歴社会」が、その原因のすべてとは言えないが、しかしそれが原因で
ないとは、もっと言えない。たとえば私たちが何気なく使う、「勉強しなさい」「宿題はやったの」と
いう言葉にしても、いつの間にか親子の間に、大きなミゾをつくる。そこでどうだろう、言い方を
変えてみたら……。

たとえば英語国では、日本人が「がんばれ」と言いそうなとき、「テイク・イット・イージィ(気楽に
やりなよ)」と言う。「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。よい言葉だ。あなたの子どもがテス
トの点が悪くて、落ち込んでいるようなとき、一度そう言ってみてほしい。「気楽にやりなよ」と。
この一言が、あなたの子どもの心をいやし、親子のきずなを深める。子どももそれでやる気を
起こす。   

     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●短い瞬間

 オーストラリアの友人のR君が、「作者不詳」として、こんな詩を送ってくれた。訳は、私が感じ
たまま、つまり原文を読んで感じたまま、直感でつけた。どうか「誤訳」と、笑わないでほしい。

I read of a man who stood to speak
  At the funeral of a friend
  He referred to the dates on her tombstone
  From the beginning to the end.

友の葬式の日、皆の前で、
私は、追悼の言葉を述べた男の話を読んだことがある。
その男は、その女性の、生まれた日と、
死んだ日について、話した。

  He noted that first came her date of birth
  And spoke the following date with tears,
  But he said what mattered most of all
  Was the dash between those years.

その男は、彼女が生まれた日付を言った。
そして涙ながらに、つづく死んだ日付について話した。
しかし、誕生と死の間の
その時の流れの、何と短いことよ。

  For that dash represents all the time
  That she spent alive on earth...
  And now only those who loved her
  Know what that little line is worth.

その日付から日付までが、すべての時を表し、
彼女が、この地上で生きたことを示す。
いまや彼女を愛した人たちのみが、
その一行に、彼女のすべての価値を知る。

  For it matters not how much we own;
  The cars ... the house ... the cash,
  What matters is how we live and love
  And how we spend the dash.

どれだけ私たちがもっているか。
車や、家や、お金にせよ、そんなことは問題ではない。
大切なことは、いかに生きて、いかに愛して、
その短い瞬間を、どう過ごしたか、だ。

  So think about it long and hard
  Are there things you'd like to change?
  For you never know how much time is left,
  That can still be rearranged.

だから深く、静かに考えてみたらよい。
あなたには、変えたいものがあるか、と。
残された時間は、あまりにも少ない。
やりなおしがきくのは、今しかない。

  If we could just slow down enough
  To consider what's true and real,
  And always try to understand
  The way other people feel.

何が真実で、何が本物か、それを考えるために、
ほんの少しだけ時間をスローダウンすしてみるがよい。
そしていつも、ほかの人たちの感じ方を
理解してみるがよい。

  And be less quick to anger,
  And show appreciation more
  And love the people in our lives
  Like we'd never loved before.

怒りを鎮めよ、
もっと人に愛を示せ、
私たちの人生の中の人々をもっと愛せよ、
私たちが愛されたことがないほどまでに人を、愛せよ。

  If we treat others with respect
  And more often wear a smile...
  Remembering that this special dash
  Might only last a little while.

ほかの人を敬うなら、
そしてもっと微笑むなら、
この短い瞬間は、もう少しだけ、
長くつづくだろう。

  So when your eulogy's been read
  With your life's actions to rehash...
  Would you be proud of the things they say
  About how you spent your Dash?
  (Author Unknown)

あなたを作り変えるなら、いつか、あなたの葬儀で、
あなたの賛美が読まれるとき、
彼らが口にすることを、あなたは誇りに思うだろう。
あなたがその短い瞬間をどう過ごしたかについて……。
(作者不詳)

 当然のことながら、詩の訳ほど、むずかしいものはない。そこでこの作者には悪いが、この詩
を読んで、私が感じたままを、私の感覚で、詩にしてみる。うまくできるかどうかはわからない
が、やってみる。

●短い瞬間(改作)

墓石に、刻まれし
生年月日と、享年月日。
その一行の、何と重いことよ。
それがその人の人生の、すべて。

一人の男が、皆の前に立ち、
その墓石の日付を、
涙ながらに、
悲しみをこめて読んだ。

名誉や地位や財産に
どれほどの意味があるというのか。
大切なことは、いかにその人が、
自分の人生を生きたか、だ。

愛する者よ、愛されし者よ、
あなたが愛された以上に、
人を愛せよ、
さらにさらに、人を愛せよ。

何と、人生の短きことよ。
何と、人生のはかなきことよ。
今、変わらずして、
あなたはいつ変わる?

人をうらむな、
人を怒るな、
ほんの少しだけ、
心を許して、あとは忘れよ。

やがていつか、人が
あなたの墓の一行を読むとき、
あなたは、その人たちの心を、
暖かく包むであろう。
 (作者不詳の英詩を改作)

 (030505)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


転移

 以前、こんなことがあった。

 そのとき私は、ある男と、かなりはげしく対立していた。ワイフも巻き込んだ、大騒動になって
いた。そのときのこと。その男はブルーの大型車に乗っていたのだが、街を歩いていて、ブル
ーの大型車を見かけるたびに、ぞっとしたのを覚えている。もちろんブルーの大型車など、いく
らでも走っている。その男の車ではないとわかっていても、どういうわけか、ぞっとした。

 こういうのを心理学では、「転移」と呼ぶ。一つの感情が、まったく別のときと場所で、本人の
意思とは関係なく、同じような条件が重なったとき、再現されることをいう。ただし再現といって
も、本人には、その意識は、ほとんどない。もう少し深刻な問題では、こんなことがある。

 ある男性(四五歳)は、どういうわけだか、結婚できなかった。まわりの人がいくらすすめて
も、結婚できなかった。縁談の話まではいくつかあったが、いつもその直前で、破談になってし
まった。同性愛者ではなかったが、しかし女性に対して、原罪的な恐怖感をもっていた。その男
性は、こう言った。「性欲はふつうにあるのですが、どうしても女性を抱くことができない」と。

 彼が結婚に踏みきれなかった原因は、実は母親にあった。母親は、当時としては珍しい女性
議員で、市議会でも先頭に立って、はげしい政治活動をしていた。恐らくその男性は、そういう
母親をみて、自分の中にゆがんだ女性像をつくってしまったに違いない。その男性は、こうも言
った。「ぼくには、ロリコン趣味があります。おかしいでしょう」と。女性恐怖症の男性が、ロリコ
ンになりやすいことは、心理学的にも証明されている。

 しかしこうした現象も、「転移」という言葉で説明できる。その男性は、女性をまじかにしたと
き、その女性の中に、子どものころのきびしい母親を思い出していたのかもしれない。あるい
はもっとほかに、乳幼児のある時期に、具体的な何かがあったのかもしれない。女性への恐
怖心だけではなく、憎しみや、嫌悪感など。「女性の太い腕を見るとぞっとする一方、女性の大
きい尻で、思いっきり顔をおさけつけてもらうと、気持ちがいい」とも言った。感じ方が、かなりマ
ゾ的であった。

 こうしたケースでは、実際に、その男性が、女性に対して恐怖感なり、嫌悪感を覚えていると
きに、「子どものころ、同じような思いをしませんでしたか?」というような誘導のし方で、その人
の深層心理をさぐる。そしてその男性が、「そう言えば子どものころ……」というような話をすれ
ば、しめたもの。まず、心をゆがめた原因が何であるかを、本人自身に気づかせること。それ
が、治療の第一歩になる。

 もちろん反対の転移もある。これは厳密な意味での転移と言えるかどうかは別にして、私に
は、こんな経験がある。

 私は今でも、パソコンのキーボードを見ると、何とも言えないなつかしさがこみあげてくる。そ
うした思いは、実は、中学二年生のときにつくられた。私は念願のタイプライターを買ってもら
い、毎日、それをピカピカにみがいて大切にしていた。だからよく人の話として聞くような、つま
りキーボードに対する恐怖症のようなものは、私にはない。

 言いかえると、こうした転移、もしくは転移に似た心の現象をうまく利用すると、子どもを、じょ
うずに導くことができる。要するに子どもの中に、前向きな姿勢を育てるということになるが、そ
れが子どもを伸ばすための最大のコツということになる。
(030506)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩

 
°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ       
°◎_/ ̄⌒―――∩      みなさんのお近くで、講演するとき、
 ///―――――∫       よろしかったら、おいでください。        
⊂⊂/      ∫        マガジンの読者と一言、言ってくだされば、
             講演をしていても、ぐんと元気が出ます。ホントです!
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

浜松祭り

 五月五日の夕方。予定どおりに、浜松祭りを見るために、街まで行った。そしてこれまた予定
通りに、デジタル写真をたくさんとった。友人や息子たちに送るためである。

 太鼓の音は、いつ聞いても、胸を躍らせる。ほかの楽器にはない、不思議な響きがある。何
というか、眠っていた野生の本能をたたき起こすかのような、響きである。そういう太鼓や、そ
れにラッパの音に合わせて、大群衆がかけ声とともに、行軍する。私などはもう慣れたほうだ
からそういうことはないが、はじめてみた人は、その迫力に圧倒されるに違いない。

 帰りに、ワイフと二人で、Hという店で、焼きそばを食べた。それに明日、ある友人を訪問する
ことになっているので、その手土産(みやげ)を買った。家を出るときは、どこかのどが痛くて調
子が悪かったが、祭りの迫力で我を忘れたせいか、家に帰ってきたときには、かえって調子が
よくなっていた。これも祭りのおかげ?

 二〇代のころは、よく祭りに出た。しかしその中でも、一番楽しかったのは、一〇人くらいの
グループで、勝手に、町内を練り歩いたこと。浜松市の北西部から、南西部まで、ほぼ市内を
縦断するように、練(ね)ったことがある。「練る」というのは、このたりの言葉で、「ワッセ、ワッ
セ」とかけ声をかけながら、独特の歩き方で歩くことをいう。

 途中、ラブホテルを見つけると、そのラブホテルの周囲をぐるぐると回ってみたり、関係のな
い町内の屋台の周辺を練ってみたりした。リーダーをしてくれたのは、今はなくなったが、Iさん
という男だった。一度、台風が浜松へやってきたとき、夜中に、私のアパートに助けにきてくれ
たことがある。いい人だった。

 あと覚えているのは、その翌日は、声はガラガラ、体中、筋肉痛でゴチゴチになっていたこ
と。が、今は、そんなふうにして勝手に練ることはできないらしい。それがよいか悪いかは別に
して、今の浜松祭りには、昔のような野生臭さは、ない。おそろいの衣装に、提灯。それに腕に
は、許可証まで縫いこんでいる。各町内の先頭には、無線機をもった男が立ち、そのつど、ど
こかと連絡を取りあっている。祭りといえば、祭りだが、どこかもの足りない。そう感じているの
は、私だけだろうか。

 明日から、また仕事。連休は、かくして無事、終わった。今年も、どこへも旅行には、行かな
かった。行きたくもなかった。連休中は、どこへ行っても割高だし、それに混雑している。だから
私のばあい、自宅で静かに過ごすことにしている。

 ……ということで、今日の日記は、これでおしまい。そうそう祭りを見ていて、もう一つ、感じた
ことがある。「ああ、私の世代は、もう終わった」と実感したこと。祭りで見る人は、見知らぬ若
い人ばかり。そういう人たちが、元気いっぱい、練っているのをみると、どんどん自分が、ワキ
に追いやられていくように感じた。
(030505)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


錯誤行為

 人は、ときとして、思ってもみないことを、言ったり、したりする。言ったり、したあと、どうしてあ
んなことを言ったのだろうと悔やんだり、あるいは、どうしてあんなことをしたのだろうと悔やん
だりする。とくに、夫婦や、親子の間では、それがよく起こる。

 心理学の世界では、これを「錯誤行為」と呼ぶ。日本語にも、「ついポロリと本音が出てしまっ
て……」というのが、ある。それである。が、私のばあい、このところ、その「ポロリ」が多くなっ
た?

 で、子育てでは、いつもこの錯誤行為がついてまわる。よくあるケースは、「頭の中ではわか
っているのですが、ついその場になると……」というのである。「先生の話を聞いていると、そう
いうときは、そうしなければならないとわかっているのですが、つい、カーッとなってしまって…
…」と。

 これは(そうでなくてはいけない)という自分と、(そうあってほしい)という自分が、頭の中で、
人格を混乱させるために起きる現象と考えると、わかりやすい。もう少しわかりやすい例で考え
てみよう。

 相手の老人は、このところ体調が悪いようだ。年齢も八五歳だという。顔色も悪い。歩くのや
っとという感じである。そういう老人と、しばらく話し込み、帰りぎわ、「長い間、おじゃましました」
と言うつもりだった。が、頭の中で、どこがどう混信したのか、私は「長生きをして、おじゃましま
した」と言ってしまったことがある。とっさに言いなおしてはみたが、バツの悪さは消えなかっ
た。

 これはその老人のことを、内心ではよく思っていないことが原因と考えてよい。その老人の息
子(五〇歳)から、いつもその老人の悪口を聞いていた。わがままで、いばっていた。あらかじ
め与えられた情報が、私の頭のどこかにあって、それが「長生きをして、おじゃましました」とい
う言い方になってしまった? つまりこれがここでいう、錯誤行為ということになる。

 こうした錯誤行為は、当然のことながら、気が緩んだときに、起こりやすい。それにもう一つ。
年齢とともに、自分をコントロールしようとする気力が弱くなる。その気力が弱くなっても、錯誤
行為は起こりやすい。ほかに緊張がつづいたようなとき。疲れたようなときなどにも起こりやす
い。

 さらに問題はつづく。「ポロリと本音が出る」というのは、「ボロが出る」ということにもなる。年
齢とともに、自分をごまかそうという気力が薄れ、ボロが出やすくなる。いくら善人ぶっていて
も、中身が中身なら、いつまでも人を欺(あざむ)けるものではない。私は、このところ、それが
気になってしかたない。

 私は、もともと素性があまりよくない。気が小さくて、小ずるい。忠誠心もないし、人には心を
開かない。謙虚はふりをしているが、野心満々。誠実なふりをしているが、邪悪な自分を押し
殺すのが精一杯。情緒は不安定だし、精神力も、弱い。そういう私が、必死になって、虚勢を
張って善人ぶっている。

 もっとも善人ぶることぐらい、簡単なことはない。さも知ったかぶりの顔をしながら、にこやか
な笑みを浮かべていればよい。瞬間だけなら、私だって、世界の哲学者らしく演ずることはでき
る。しかしそういう自分は、長つづき、しない。

 同じように、今は、一応、善人で通っている。もちろん犯罪歴はないし、金銭で人に迷惑をか
けたことはない。しかし私の限界はここまで。そういう自分が、これから先、ボロを出す。シッポ
を出す。化けの皮がはがれる。私は、それがこわい。つまり錯誤行為がこわいのではなく、錯
誤行為によって、自分がさらけ出されるのが、こわい。

 私は気がつくのが遅すぎた。もっと早い時期に気づいていれば、もう少し何とかなったかもし
れない。だから私が予想する、私の老後は、実に悲惨なものだ。友もいなく、目的もなく、積み
重ねてきた実績も誇りもなく、ただ孤独の世界で、静かに死を待つだけ。それが今、すぐそこに
見える。私にとって、「錯誤行為」というのは、そういう意味では、切実な問題なのである。
(030506)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


北朝鮮

 朝鮮日報(韓国系報道新聞社)は、北朝鮮について、詳細な情報を報道している。それをま
とめると、つぎのようになる(「北朝鮮レポート」)。

●北朝鮮の飢餓状態は、九〇年後半の状況に似てきた。
●農民市場の米価格は、以下のように、上昇している。
    02年 7月……1キロあたり、44ウォンに設定(経済改善管理措置)
    03年はじめ、1キロあたり、120〜150ウォンに上昇
    03年 4月……1キロあたり、230ウォンに上昇
  (一般勤労者の一か月の平均給与は、2000〜2500ウォン)
●ハムフン市では、軍需産業で働く労働者以外、米の配給は停止されている。軍需工場以外
の労働者は、給料も支払われていない。
●金日成の誕生日(4月15日)にも、例年なら、肉1キロ、サラダ油1キロ、酒1ビン、タバコ5
箱、卵一人一個、アメ1袋が配給されたが、今年は、ピョンヤン以外では、配給は停止されて
いる。
●やせたコッチェビ(浮浪少年)が、地方の駅周辺に多数たむろしている。
●数か月以内に各国からの食料援助がなければ、今年も数十万人もの餓死者が出るものと
予想される、と。

現在、北朝鮮の食糧事情と経済事情は、深刻というレベルを超え、悲惨な状態になっているら
しい。餓死者が数十万人いるということは、その周辺に、その予備軍とも言える人たちが、一
〇倍はいるということになる。一〇倍の数百万人となれば、全人口の数割ということになる。そ
れだけではない。その周辺では、モラルや秩序の崩壊も起こる。こんな「地上の楽園」が、どこ
にある?

 ……と言いつつ、どういうわけか、同情心があまりわいてこない。そのかわり、へたに金XXを
援助すれば、こういう状態を長引かせるだけという思いが強い。むしろその一方で、「北朝鮮の
人たちのためにも、早くこういう状態を終わらせなければ」と願う。そのためにも、どうせ兵糧攻
めにするなら、世界が掛け声を合わせて、一、二の三!、で終わらせるのがよい。数か月の飢
餓状態なら、人は耐えられるが、数年となると、そうはいかない。

 それにしても、やっかいなことになった。すなおに「助けてください」と言えばよいものを、反対
に、核兵器で世界を脅している。それだけではない。彼の意に反した人を、金XXは、つぎつぎ
と処刑しているという。そしてその数は、一説によると、数十万人以上と言われている。とんで
もない独裁者である。救いようがないバカというのは、ああいう金XXのような人間を言うのだろ
う。私は神ではないが、もし神なら、ああいう人間を、まっさきに地獄へ落とす。

 唯一、救いなのは、表向きはどうであれ、中国がアメリカに同調し始めたこと。韓国の動き
は、このところ迷走しているが、少なくとも、アメリカは韓国を見放し始めた。「韓国がどう思うと
も、やるべきことはやる」というのが、アメリカの姿勢らしい。アルゼンチンについで、西側で最
大の反米国家の韓国を、命をかけて守らなければならない義務は、アメリカにはない。アメリカ
の政府高官たちも、それに気づき始めた。

 問題は、私たちの国の日本だ。このままズルズルと先延ばしすればするほど、ことは、複雑
になる。さりとて、今すぐ、何かができるわけではない。だれだって戦争はいやだし、したくな
い。そこで一番望ましいのは、北朝鮮の人たちが、心を開いてくれること。もちろん日本人の私
たちに、北朝鮮を侵略する意図など、毛頭ない。もし日本のどこかに、そういうアホなことを計
画する人がいたら、この私が許さない。そういうことを、何らかの方法で、北朝鮮の人たちに直
接、伝える方法はないものか。

 ……とあれこれ考えるが、どれもこれも袋小路に入ってしまう。そして北朝鮮の現状を知れば
知るほど、北朝鮮がかかえる問題というよりは、人間自体がかかえる問題に、行きづまりを覚
えてしまう。人間の愚かさというか、限界というか、そういうものを感じてしまう。

 さあ、どうするか。近く、アメリカのブッシュ大統領と、韓国のノムヒョン大統領の会談がある。
とりあえずは、それに注目したい。もしこの会談で、米韓の決裂がはっきりすれば、日本は、そ
れなりの覚悟をするしかない。ノムヒョン大統領が、どこまで現実を認識するかにかかっている
が、それはあまり期待できない。ノムヒョン大統領自身は、アメリカよりも、北朝鮮により近い。
「同胞」だからしかたないにしても、考えようによっては、韓国と北朝鮮をまとめて、北朝鮮と呼
んでもよいのかもしれない。もしそうならそうで、日本にとっては、ますますやっかいなことにな
る。はからずも、アメリカの高官たちは今、日本にこう言っている。「日本も、いつまでもアメリカ
に頼っていないで、自分で準備せよ」と。しかし残念ながら、今の日本には、その準備どころ
か、その危機感すら、ない。
(030507)※

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
10・11 ……北浜東小学校
10・11 ……浜北市・内野小学校
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市リズム幼稚園
7.31  ……浜松市東部公民館
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・24  ……静岡市アイセル21
6・ 7  ……都築保育園
5・19  ……愛知県枇杷島家庭教育推進協議会・創造センター・ドレミホール
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■5-16

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M ″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
● 5月19日(月)愛知県枇杷島家庭教育推進協議会
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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このところ、少しいそがしいので、お休みします。

    /⌒⌒^\
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     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<          
    /†_____†ヽ//      心豊かで、暖かい子育てをめざしましょう。
    ( ('    ξヽ        みんなでがんばれば、日本の子育ては
  ┏ ||   o//\) )(      変わります。よくなります。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

以前、書いた原稿を、再度、送ります。(69)
+++++++++++++++++++
子どもの心をつかむ法(恩を着せるな!)

子どもの心が離れるとき 

●フリーハンドの人生 
 「たった一度しかない人生だから、あなたはあなたの人生を、思う存分生きなさい。前向きに
生きなさい。あなたの人生は、あなたのもの。家の心配? ……そんなことは考えなくていい。
親孝行? ……そんなことは考えなくていい」と、一度はフリーハンドの形で子どもに子どもの
人生を手渡してこそ、親は親としての義務を果たしたことになる。子どもを「家」や、安易な孝行
論でしばってはいけない。負担に思わせるのも、期待するのも、いけない。もちろん子どもがそ
のあと自分で考え、家のことを心配したり、親に孝行をするというのであれば、それは子どもの
勝手。子どもの問題。

●本当にすばらしい母親?
 日本人は無意識のうちにも、子どもを育てながら、子どもに、「産んでやった」「育ててやった」
と、恩を着せてしまう。子どもは子どもで、「産んでもらった」「育ててもらった」と、恩を着せられ
てしまう。

 以前、NHKの番組に『母を語る』というのがあった。その中で日本を代表する演歌歌手のI氏
が、涙ながらに、切々と母への恩を語っていた(二〇〇〇年夏)。「私は母の女手一つで、育て
られました。その母に恩返しをしたい一心で、東京へ出て歌手になりました」と。はじめ私は、I
氏の母親はすばらしい人だと思っていた。I氏もそう話していた。しかしそのうちI氏の母親が、
本当にすばらしい親なのかどうか、私にはわからなくなってしまった。五〇歳も過ぎたI氏に、そ
こまで思わせてよいものか。I氏をそこまで追いつめてよいものか。ひょっとしたら、I氏の母親
はI氏を育てながら、無意識のうちにも、I氏に恩を着せてしまったのかもしれない。

●子離れできない親、親離れできない子
 日本人は子育てをしながら、子どもに献身的になることを美徳とする。もう少しわかりやすく
言うと、子どものために犠牲になる姿を、子どもの前で平気で見せる。そしてごく当然のこととし
て、子どもにそれを負担に思わせてしまう。その一例が、『かあさんの歌』である。「♪かあさん
は、夜なべをして……」という、あの歌である。戦後の歌声運動の中で大ヒットした歌だが、しか
しこの歌ほど、お涙ちょうだい、恩着せがましい歌はない。窪田聡という人が作詞した『かあさ
んの歌』は、三番まであるが、それぞれ三、四行目はかっこ付きになっている。つまりこの部分
は、母からの手紙の引用ということになっている。それを並べてみる。

「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」
「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」
「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」

 しかしあなたが息子であるにせよ娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、あなたは
どう感ずるだろうか。あなたは心配になり、羽ばたける羽も、安心して羽ばたけなくなってしまう
に違いない。

●「今夜も居間で俳句づくり」
 親が子どもに手紙を書くとしたら、仮にそうではあっても、「とうさんとお煎べいを食べながら、
手袋を編んだよ。楽しかったよ」「とうさんは今夜も居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」
「春になれば、村の旅行会があるからさ。温泉へ行ってくるからね」である。そう書くべきであ
る。つまり「かあさんの歌」には、子離れできない親、親離れできない子どもの心情が、綿々と
織り込まれている! ……と考えていたら、こんな子ども(中二男子)がいた。自分のことを言う
のに、「D家(け)は……」と、「家」をつけるのである。そこで私が、「そういう言い方はよせ」と言
うと、「ぼくはD家の跡取り息子だから」と。私はこの「跡取り」という言葉を、四〇年ぶりに聞い
た。今でもそういう言葉を使う人は、いるにはいる。

●うしろ姿の押し売りはしない
 子育ての第一の目標は、子どもを自立させること。それには親自身も自立しなければならな
い。そのため親は、子どもの前では、気高く生きる。前向きに生きる。そういう姿勢が、子ども
に安心感を与え、子どもを伸ばす。親子のきずなも、それで深まる。子どもを育てるために苦
労している姿。生活を維持するために苦労している姿。そういうのを日本では「親のうしろ姿」と
いうが、そのうしろ姿を子どもに押し売りしてはいけない。押し売りすればするほど、子どもの
心はあなたから離れる。 

 ……と書くと、「君の考え方は、ヘンに欧米かぶれしている。親孝行論は日本人がもつ美徳
の一つだ。日本のよさまで君は否定するのか」と言う人がいる。しかし事実は逆だ。こんな調査
結果がある。平成六年に総理府がした調査だが、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた日
本の若者はたったの、二三%(三年後の平成九年には一九%にまで低下)しかいない。自由
意識の強いフランスでさえ五九%。イギリスで四六%。あのアメリカでは、何と六三%である
(※)。欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。今、日本は、大きな転換期に
きているとみるべきではないのか。

●親も前向きに生きる
 繰り返すが、子どもの人生は子どものものであって、誰のものでもない。もちろん親のもので
もない。一見ドライな言い方に聞こえるかもしれないが、それは結局は自分のためでもある。
私たちは親という立場にはあっても、自分の人生を前向きに生きる。生きなければならない。
親のために犠牲になるのも、子どものために犠牲になるのも、それは美徳ではない。あなたの
親もそれを望まないだろう。いや、昔の日本人は子どもにそれを求めた。が、これからの考え
方ではない。あくまでもフリーハンド、である。ある母親は息子にこう言った。「私は私で、懸命
に生きる。あなたはあなたで、懸命に生きなさい」と。子育ての基本は、ここにある。

※……ほかに、「どんなことをしてでも、親を養う」と答えた若者の割合(総理府調査・平成六
年)は、次のようになっている。
 フィリッピン ……八一%(一一か国中、最高)
 韓国     ……六七%
 タイ     ……五九%
 ドイツ    ……三八%
 スウェーデン ……三七%
 日本の若者のうち、六六%は、「生活力に応じて(親を)養う」と答えている。これを裏から読
むと、「生活力がなければ、養わない」ということになるのだが……。 


     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ことわざ

 いろいろなことわざがある。「ことわざ辞典」を、パッとめくり、「ナ」の項を見ただけでも、ズラ
リと出てくる。その中の最初の三つ。

なせば成る……その気でやれば、できないことはない。
何もが辛抱……どんなことをするにも、辛抱が大切。
習い性となる……あとから身についた習慣が、その人の性質になる、ほか。

 こうしたことわざの多くは、子育てのポイントを端的に表現していて、役にたつ。しかし使い方
をまちがえると、教条的になり、かえって思考力を奪うことにもなりかねない。とくに子育てにお
いては、押しつけがましくなることもある。わかりやすく言えば、親はどうしても自分にとってつご
うのうよいことわざだけを、口にしやすい。

 私の耳に残っていることわざに、こんなのがある。どれも私の親や伯父、伯母がよく口にして
いたものである。

親の意見と、ナズビの花は、千に一つもムダがない……親の言うことにはムダがない。
親の意見と、冷や酒は、あとできく……そのときは、親の意見の価値はわからないもの。
親の恩は、子をもって知る……自分で子どもをもって、親の恩を知る。
親思う心にまさる、親心……子どもが親を思うより、親が子どもを思う気持ちのほうが強い。

 私の時代には、親は絶対的な存在だった。今でも、そう考えている人は多い。いや、それが
まちがっているというのではない。当時は、そういう「秩序」の中で、家庭はもちろん、親類も、
地域も、それで動いていた。たとえば私が子どものころは、風呂に入る順序も、祖父、父、兄…
…というふうに決まっていた。食事でも、一番大きな魚から順に、同じように決まっていた。こう
したことわざを読んでいると、当時の様子が、つぎつぎと頭の中に浮かんでくる。

 母は、よくこう言った。私が何か、口答えしたりすると、「親の意見と、ナズビの花は、千に一
つもムダがないでな!」と。つまり、「私の言うことは、すべて大切だから、聞け!」と。「親の意
見と、冷や酒は、あとできく」とも言った。ほかによく耳に残っているものに、「孝行のしたい時分
に、親はなし」というのもあった。今から思うと、何とも手前勝手なことわざばかりだったが、当
時は、それを疑問にも思わなかった。

 こうしたことわざを聞いて、「そうだ」と思う人もいれば、「???」と思う人もいる。とくに、つぎ
の二つは、そうだ。「親の恩は、子をもって知る」と「親思う心にまさる、親心」。

「親の恩は、子をもって知る」というのは、子どもに向かって、「お前も自分で苦労すれば、親の
ありがたさがわかるだろう」という意味。また「親思う心にまさる、親心」というのは、「だからお
前も、親のことをもっと思え」という意味。

 そういう意味では、昔の子育ては、自立した人間を育てるというよりは、親のめんどうをみる
子どもを育てるのが目的だったようだ。「親孝行」という言葉も、そういう目的のためにさかんに
使われた。つまり親のめんどうをみる子どもは、よい子であり、そうでない子どもは、できそこな
いと。実際には、子どもたちは、つぎのようにして洗脳された。

 親戚が集まると、伯父や伯母たちは、決まって、近所の息子や娘の話をした。自分の息子や
娘たちのいる前で、である。

伯父「Aさんの息子は、いい息子や。今度、親たちを○○温泉に連れていったそうだ」
伯母「そうかな。それはいい息子やな。しかしBさんの娘は、いかん。あの娘は、家を出たきり、
もう一年も、帰ってこないそうや」
伯父「しかし何といっても、Cさんとこの息子は、最高や。今度、親のために、離れを建ててやっ
たそうや」
伯母「ほう、それはすごいことや。息子は、そういう子どもにせないかんなあ」と。

 見えみえの意図を感じながらも、子どもたちは、自分たちがどうあるべきかを教えられていっ
た。ただおもしろいのは、そういう子どもたちが、いつしかおとなになり、親になると、今度は、
同じような話を、自分の子どもの前でしていることである。つまりは私のいとこたちということに
なるが、そのいとこたちが、そういう話をする。

こういうもの世代伝播(でんぱ)というのか? よきにつけ、悪しきにつけ、子育ては、こうして繰
りかえされていく。そしてそういう繰りかえしの中から、ことわざが生まれてくる。それがよいこと
なのか、悪いことなのかは、別にして……。
(030509)※
 
°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ       
°◎_/ ̄⌒―――∩      みなさんのお近くで、講演するとき、
 ///―――――∫       よろしかったら、おいでください。        
⊂⊂/      ∫        マガジンの読者と一言、言ってくだされば、
             講演をしていても、ぐんと元気が出ます。ホントです!
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

竹は、木か、草か?

 私の家の周辺には、たくさんの空き地がある。その一角に、竹やぶがある。今ごろの季節に
は、竹の子が取れて、それなりに役には立っているが、しかこのところ、その竹やぶの竹がふ
えすぎた。家の敷地のすぐ横まで生えてきて、風の強い日には、壁をこするようになった。そこ
で切ることにしたが……。

 もし雑草なら、何の迷いもなく、刈る。しかし竹となると、そうはいかない。一応、隣人に許可
を求めなければならない。しかし隣人は、遠くに住んでいる。その上、高齢。

 近所の人に相談すると、「勝手に切ってもいいじゃないの」と。思い悩んでいたら、たまたま、
その隣人の弟という人に出会ったので、「切ってもいいですか?」と声をかけると、「どうぞ、どう
ぞ」と。そこで竹を少し切ることにしたが、しかしどういうわけか、抵抗を感じた。冒頭に書いた
ように、雑草を刈るのとは、かなり感覚が違う。しかし毎年、少しずつでも切っていかないと、竹
というのは、どんどんふえる。いくら許可をもらったからといって、地主の弟だ。もし文句を言わ
れたら、どうしょう? ……と、そこまで考えてしまった。

 そこで改めて考えてみる。竹は、木か、それとも雑草か、と。法律的には、所有権になじむ立
木(たちぎ)か、それとも所有権になじまない雑草かということになる。

 もし竹やぶの竹を、意図的に栽培し、商業ベースで伐採、販売していれば、まちがいなく「立
木」ということになる。勝手に切り倒すことは、それ自体、財産権の侵害行為になる。しかしこの
あたりの竹は、ほとんどが、自然発生。地主の弟も、そう言っていた。となると、雑草ということ
になる。雑草ということなら、いくら切っても、罪にはならない。むしろ感謝されるはず。

 そこで私はこう考えた。まず切り倒した竹は、そのまま、そこに並べておく。もち帰ったりしな
い。また一応、弟という身内の人の許可はもらっているので、何か問題が起きたら、その旨、
相手に伝える。「弟さんが、いいと言ってくれましたので」と。しかし近所の人は、私が無断で切
っていると思うかもしれない。「あの林は、地主が遠くに住んでいることをいいことに、勝手に竹
を切っている」と。そういうふうに誤解されるのもいやだ。

 ……と考えながら、家の周囲の竹を、何本か切ったが、どうも、気がひける。心の中で、「雑
草だ、雑草だ」と念じても、その声がどこかへ消えてしまう。やはり、竹というのは、木なのか。
どうも心の中が、すっきりしない。
(030507)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

教室の改造

 今日は、Tレンターカー会社で、小型トラックを借りてきた。大きなテーブルを運ぶためであ
る。レンタル料は、六時間で、六〇〇〇円。プラス消費税と、ガソリン代。

 テーブルを、今度、教室で、私の机として使うことにした。大のおとな六人が、ゆったりと座れ
るほど大きなテーブルだ。しかし今では、無用の長物。それで、教室で使うことにした。そのテ
ーブルを運びながら、ワイフと、こんな会話をした。

私「生活には、こうした緊張感が、必要だね」
ワ「私たちには、このところ、こうした緊張感が、なかったわね」
私「そういう意味では、ラッキーだったのかな?」
ワ「そうね、みんな健康だったし、大きな問題もなかった」
私「あるフランスの哲学者は、『平凡は美徳』と言っている」
ワ「平凡であることには、すばらしい価値が隠されているということね」
私「そうだね。しかし問題がないわけではない。その時点で時間が止まってしまう」
ワ「でも、それは、ぜいたくな悩みよ」

 ここでいう「緊張感」というのは、あれこれ前向きに、考えたり、準備したりすることをいう。た
だその日を無難に過ごそうと思えば、それは決してむずかしいことではない。しかしそういう生
活が長くつづくと、どこかだらけてくる。そのだらけが、どこか時間を停滞させる。

 そこで教室の改造ということになった。本当は、ほかにいろいろ理由があったが、結果的に、
そうなった。とたん、忘れかけていた緊張感が、どっと押し寄せてきた。やらなければならない
ことが、たくさんできた。明日は、F市で講演だが、あさっては、机やイスを、家具店で買ってこ
なければならない。自前で作ることも可能だが、もうそれだけの体力はない。丸ノコを操作した
り、電気カンナを使うのは、結構、たいへんだ。それにビスを手でしめるのも、だ。

 が、本音を言えば、どこか自信がない。「本当に改造できるのだろうか」という迷いがある。以
前の私は、もっと自信家で、こわいもの知らずだった。そのことは木を登るときにも感じた。子
どものころは、木登りがうまく、一〇メートル近い木でも平気で登ったりした。しかしつい先日、
あることで山荘の前の木に登ろうかと考えたときのこと。どうしても、それができなくなってしまっ
た。「体がついてくるだろうか」「腕だけで、木にぶらさがれるだろうか」などと考えているうちに、
木に登れなくなってしまった。つまり、自分に自信がなくなってしまった。

 しかしやるしかない。生徒たちには、「今度、大改造する」と、宣言してしまった。みんな、「ビ
フォー、アフターだ」と楽しみにしている。最近、テレビなどで、家の改造番組が、よく紹介されて
いる。生徒たちは、それを言った。

 そんな今日(五月八日)、教室へ二人の親が、見学にやってきた。うれしかった。教室に入る
かどうかは、まだわからないが、しかしこうした動きが、ふと、私の気力を呼び戻してくれる。「よ
うし、がっかりさせないぞ!」と。

 BW教室のみなさん、これからも、よろしくお願いします。
(030508)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

老子の道徳経を読む

 恩師のK先生(医学博士)が、老子を読むようにと手紙で、勧めてくれた。K先生は、今年、八
四歳になる。健康であるとはいえないが、その年齢の人にしては、元気。思考能力もしかっりし
ている。K先生は、手紙の冒頭で、老子道徳経のつぎの一節をあげた。

人を知る者は智、自ずから知る者は明。 
人に勝つ者は力有り、自ずから勝つ者は強し。 
足るを知る者は富み、強(つと)め行う者は志有り。 
其の所を失わざる者は久しく、死して亡びざる者は寿(いのちなが)し(第三三章)。

 K先生は、とくに『死して亡びざる者は寿(いのちなが)し』のところに注目し、その一例として、
釈迦をあげた。「現在になっても、釈迦の誕生日を祝うということが、命、長しの意味だ」と。ま
たK先生の手紙には、こうあった。

 「開巻第一に飛び込んできたのは、『死して亡びざる者は寿(命、長)し』という言葉であった。
『老子眞解』の著者、志賀先生もこの王弼(おうひつ)注老子道徳経の、この一語に心が惹か
れたと、述懐しておられる。

 第一章から入ると、道の道とすべきは、常の道に非ずという句があり、私はいきなり一撃をく
らった形になり、先へ進むことができなくなった。無名は転地の始、有名は万物の母、凡て有
は皆、無から始まる。このあと、常無欲、常有欲、更に玄となり、妙となり、無為と議論がつづく
が、私自身は理科出身で、漢学の意味もよく理解できず、論理学の素養もなくて、よくわからな
い」と。

 私は、老子に触れるのは、これがはじめて。常識程度には知っていたが、それはあくまでも
常識。まったくの門外漢と言ったほうが正しい。しかし、だ。五五歳にして、はじめて老子を精読
することになろうとは! 道徳経は、三七章まである。分量は、それほど多くないから、解説書
を頼りに、ざっと読むだけなら、一時間もかからない。私は道徳経を読みながら、その内容もさ
ることながら、「私は何をしてきたのか?」という思いにかられた。

 この世の中には、当然のことだが、私が知っていることより、知らないことのほうが、はるか
に多い。もちろんその大半は、知る必要もない、愚劣なことばかり。が、しかし中には、そうでな
いものもある。時間というのが無限にあるなら、愚劣なことに時間を費やすのも悪くない。が、
時間にかぎりがある今、愚劣なことで時間を無駄にするヒマはない。……と、まあ、そんなふう
に考えながら、自分なりにがんばってきたが、それにしても、こうまで知らないことがあったと
は! 道徳経を読みながら、その内容よりも、私は、むしろそちらのほうに、驚いた。

 そう、私は、こう思った。老子の道徳経を読むのは、恐らく人生において、これが最初で最後
になるだろう、と。これから先、老子の研究家になるというのなら、話もまた違ってくるが、私に
はそのつもりはない。ここで老子を読んで、もしこの先、時間があれば、孔子から順に、ほかの
思想家の思想に触れてみたい。そういう思いは、たとえて言うなら、無数の本を前にして、ある
本の第一ページを読み始めたようなものだ。同じ本を読みかえすような時間があったら、でき
るだけ別の本を読んでみたい。

 私はT先生の手紙を、一言一句、パソコンで打ちなおした。大切な文章を精読するには、これ
にまさる方法はない。またそのほうが、記憶にもよく残る。永久に保存できる。で、あとで見た
ら、A四用紙、四〇字かける三六行の分量で、六ページもあった。

 もちろん老子のような世界的な思想家のすべてを、たった一日で理解することなど、不可能。
それは、よくわかっている。しかし今、それくらいのペースでしても、私は死ぬまでに、世界の思
想の、何万分の一にも到達できないだろう。何億分の一かもしれない。だから今夜、私は、K
先生の手紙と同時に、道徳経を真剣に読んだ。

 K先生の手紙を、ここに引用する。

 「第三十章、三十一章において、戦争について老子の教えが書かれていることに、私は興味
をもった。老子が生きた時代は、だいたい二千五百年前にさかのぼる。時代的には周末、春
秋戦国時代と考えられている。

 周王室の権力が、しだいに衰退して、諸侯が天下を争って、戦争を繰り返していた時代でも
ある。最近の国どうしの戦争とくらべると、小さいかもしれないが、紛争を武力によって解決しよ
うとする考え方は、同じである。

 老子の無為自然の道の考え方に反しているという点では、同一である。老子の言葉を、少し
引用させていただく。

以道佐人主者、不以兵強天下。
其事好還。
師之所処、荊蕀生焉、
大軍之後、必有凶年。
善者果而已、不敢以取強。
果而勿衿、果而勿伐、
果而勿驕、果而不得已、果而勿強。
物壮則老。
是謂不道。
不道早已。
  
 著者の全訳をお借りして、わかりやすく言えば、つぎのようになる。

「この道で、人君を輔ける者さえ、武力で天下を強くしない。その為すところは、為為に還る。戦
争で田畑が荒れ、いばらが生える。大戦争のあとには、必ず凶作の年がある。善く戦争をする
者は、難を救うことだけで、あえて強くなろうとしない。難を救うも、驕(おご)り高ぶらない。武力
の暴気起は一時的なもので、この道は早く止む。

 戦争によって多くの人が死亡し、負傷する。工場や農場生産物が失われことも大きく、戦争
によって失われる損害は、はかり知れない。東西の歴史書を見れば、有史以来、戦争は絶え
間なく行われている。そして住民は、すべて平和を願っている。

 老子より少し遅れるが、ヨーロッパでも同じように戦争が行われている。ローマ帝国でも、アク
チウムの海戦で、オクタビヤヌスが勝利し、ローマに凱旋したとき、ローマ市民は平和になった
ことを歓喜して迎えた。

 これから永久に戦争のない時代になったと言って、平和の祭壇を捨てて喜んだという。しかし
これも、内乱につぐ内乱によって、いつの間にか、こわされてしまったということを、何かの歴史
の書で読んだことがある。

 老子でなくても、誠に悲しい人間の宿命ではないだろうか」と。

 若いときには、時間は、永遠にあると思うもの。それは貯金に似ている。どんな人でも、生ま
れたときには、億万長者。使っても、使っても、使いきれない。しかし四〇歳、五〇歳となってい
くと、その貯金が、急速に減り始める。ある日気がついてみたら、残高が、ほとんどゼロに近い
ということもある。とたん、焦燥(あせり)と、悔恨(こうかい)が、どっと心をふさぐ。「急がなけれ
ば」という思いと、「時間をムダにした」という思いが、交互にやってくる。

 もしこの文を読んでいる人が若い人なら、今からでも早すぎることはない。早すぎることはな
いから、今日から真理の探究を始めたらよい。まさに『少年、老いやすく、学、なりがたし』(朱
子、1130−1200)である。

(参考)
少年老い易く
学成り難し
一寸の光陰
軽んずべからず
未だ覚めず
池塘春草の夢
階前の梧葉
已に秋声
(030508)

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
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  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■5-18-1

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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
●5月19日(月)愛知県枇杷島家庭教育推進協議会 
      創造センター・ドレミホール、10:30〜12:00、おいでください!
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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   ((  >−< | >−< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  / みなさんからいただきましたテーマを
  / \   (3-─┼─-ε)  /   マガジンに反映させています。お声を
  ──────────────┐    どうか、お届けください!
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●命令より、理由づけ

 子どもに指示を与えるときは、命令より、理由づけを大切にする。「手を洗いなさい」ではな
く、「手が汚れているね。どうしたらいい?」と。「歯をみがきなさい」ではなく、「歯をみがかない
と、虫歯になるわよ」と言う。

 日本語の特徴というか、日本では、子どもに指示を与えるとき、どうしても命令口調になりや
すい。一方、英語国では、命令口調が少なく、反対に、理由づけが多い。仮に英語国で、子ど
もに何かを命令したりすると、反対に「命令しないで」と言い返されたりする。私も昔、オーストラ
リアにいたころ、ガールフレンドに何かのことで命令したことがある。そのとき、私は「私はあな
たの奴隷ではないから、命令しないで」と言われてしまった。
 
 そこであなたの今日、一日の会話を思い出してみてほしい。あなたは子どもと、どんな会話を
しただろうか。そしてその会話はどんなものだっただろうか。親意識が強く、権威主義的な親ほ
ど、子どもに対して、命令口調が多くなる。さて、あなたは、どうか?


●文字学習の前に、正しい発音

 世界広しといえども、幼児期に発音教育をしない国は、それほどない。が、この日本では、そ
の発音教育を、ほとんどしない。あるいはあなたは保育園や幼稚園で、発音教育をしている先
生の姿を見たことがあるだろうか。

 たまたま先ほども、わらび餅売りの車が家の前を通り過ぎた。隣のT市(愛知県)からやってく
るわらび餅売りだが、T市の人たちは、独特の発音をする。「わらび〜もち、早く来ないと、いっ
ちゃうよ〜」と言うのだが、それが、「ウェラビィー、メォチ〜、ヒェヤクゥ〜、コネエェ〜ト、イッチ
ャウイヨ〜」と聞こえる。

 こういう発音を、一方で野放しにしておいて、子どもに向かって、「正しく書きなさい」はない。
ちなみに、「昨日」を、「きのう」と正しく書ける年長児は、ほとんどいない。たいていは、「きの
お」「きの」「きお」とか書く。そういうときは、一度、一音ずつ音を区切って発音してみせるとよ
い。「き・の・う」と。そのとき、手をパンパンとたたいてみせるとさらに効果的。

 ただしい発音は、文字学習の基礎である。文字学習に先立って、あるいは、文字学習と平行
してするとよい。口をしっかりと動かしながら、息をしっかり吐き、一音ずつ区切って言うとよ
い。

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<          
    /†_____†ヽ//      心豊かで、暖かい子育てをめざしましょう。
    ( ('    ξヽ        みんなでがんばれば、日本の子育ては
  ┏ ||   o//\) )(      変わります。よくなります。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

心の病気

 心も、ときに病気になる。その代表的なものに、(1)抑うつ神経症、(2)不安神経症、(3)強
迫神経症、(4)心気神経症、(5)恐怖症などがある。この中でとくに(1)抑うつ神経症を、「心
の風邪」と言う人がいる。となると、(2)不安神経症は、下痢、(3)強迫神経症は、頭痛、(4)
心気神経症は、胃炎、(5)恐怖症は、二日酔いということか。あまりよいたとえではないかもし
れないが、要するに、だれでも、下痢をしたり、頭痛になったりするように、簡単に不安神経症
になったり、強迫神経症になったりするということ。

 私のばあい、いつもこのどれかを経験している。

(1)抑うつ神経症
ときどきワイフが先に死んだら、どうしようかと考える。ひとりで生きていく自信は、私には、まっ
たくない。しかし一度、そう考えだすと、生きる目的すら、なくしてしまう。今までの人生があっと
いう間に終わったように、これからの人生も、あっという間に終わってしまうだろうとか、私の老
後は、孤独であわれなものになるだろうとか、そんなことまで考える。ただ私のばあい、病識
(自分で病気とわかること)があるので、それなりに対処できる。「今の私は、本当の自分では
ない」と考えて、カルシウム剤をたくさんとって、睡眠時間を長くしたりする。軽いばあいには、
たいてい翌朝にはなおっている。心がふさいで重苦しく、晴れないことを、抑うつ神経症という。

(2)不安神経症
一度、パソコンにウィルスが侵入したのではないかと、大あわてしたことがある。心臓はドキド
キし、体中から冷や汗が出た。最終的には、パソコンをリカバリーをすることで問題を解決した
が、夜中に始めて、一段落したころには朝になっていた。ほかに私はちょっとしたことで、被害
妄想がとりとめなく大きくなることがある。つぎつぎとものごとを悪いほうへ、悪いほうへ考えて
しまう。俗にいう、とりこし苦労タイプの人間である。あとになって、「どうしてあんなことで悩んだ
のだろう」と思うことが多い。突発的にはげしい不安感に襲われ、呼吸が苦しくなったり、動悸
がはげしくなることを、不安神経症という。

(3)強迫神経症
山荘には、防犯装置と、自動火災連絡装置が設置してある。自動火災連絡装置というのは、
山荘内で、ガス漏れや火災があったとき、私の自宅のほうに電話がかかってくるしくみの装置
をいう。で、一度だけだが、それがかかってきたことがある。私はあわてて山荘へ向ったが、そ
のときは、本当に生きた心地がしなかった。途中、携帯電話で隣人に電話をしたが、あいにくと
隣人は不在。が、その直後からおかしな現象が起きた。山荘でたき火をしたあとなど、水で火
を消すのだが、いくら消しても、どこかもの足りなさを覚えた。たき火コーナーが、プールのよう
に水びたしになっても、不安感が消えなかったこともある。自分の意思に反して、勝手に悩んだ
り、心配したりすることを、強迫神経症という。

(4)心気神経症
今まで経験しなかったような病状が現れたりすると、「もしや」と思うことがある。数か月前だ
が、生徒たちからたくさんのチョコレートをもらった。そのチョコレートを食べ過ぎたせいか、脳
が一時的に覚醒(興奮)状態になってしまった。(私は本当はチョコレートは食べられない体
質。)脳が勝手に乱舞してしまった。私はそのときはチョコレートのせいだとはわからなかった
ので、脳腫瘍ではないかと疑ってしまった。とたん、極度の不安状態になってしまった。ワイフ
が「何でもないわよ」となだめてくれたが、私はフトンの中で、体を丸めてガタガタ震えていた。
悪い病気にかかってしまったのではないかと、極度の不安状態になることを、心気神経症とい
う。

(5)恐怖症
私には高所恐怖症や閉所恐怖症にあわせて、飛行機恐怖症などがある。恐怖症というのは、
一度なると、いろいろな形で現れてくる。数年前は、あやうく交通事故を起こしかけたが、その
あと、私は自転車に乗られなくなってしまった。夜、自転車で道路を走っていたが、走っている
車が、どれも私のほうに向って走ってくるように感じた。私は数百メートル走っては自転車から
おり、また走ってはおりた。あとでみたら、手が、汗でべっとりと濡れていた。何かとくべつのこ
とで、ものごとに激しい恐怖感を覚えることを、恐怖症という。ほかに動物恐怖症、お面恐怖
症、先端恐怖症などもある。

 私のばあい、肉体的には健康だが、精神的にはあまり健康ではない。よく落ちこむし、ときに
激怒して、自分がわからなくなることがある。ここにあげた恐怖症にせよ、強迫神経症にせよ、
いろいろな形で、よく経験する。

 こういう心の病気になったとき、こわいのは、脳のCPU(中央演算装置)が狂うためか、狂っ
ている私のほうが正しいのか、そうでないときの私のほうが正しいのか、それがわからなくなる
こと。たとえば抑うつ状態になったとき、かえってそうでない人のほうが、おかしく見えるときが
ある。私のことで言うなら、落ちこんでいる自分のほうが、本当の自分のように思うことがある。
そして「今まで落ちこまなかったのは、私がバカだったから」というような考え方をしてしまう。

 また恐怖症にせよ、心気神経症にせよ、私の経験からしても、自分ではコントロールできない
ということ。自分に「だいじょうぶだ」と何度言い聞かせても、もう一人別の自分が、それを打ち
消してしまう。あるいは頭の中ではだいじょうぶと思っていても、体は勝手に動いてしまう。もう
二〇年近くも前のことだが、私はテレビのアンテナをつけるために、屋根にあがったことがあ
る。しかしおりるとき、勝手に足がすくんでしまい、それ以上、動けなくなってしまった。結局、近
くの電気屋さんに来てもらい、助けてもらったが、そのときも、いくら「だいじょうぶだ」と自分に
言ってきかせても、自分では、どうしようもなかった。

 だから……。今、いろいろな心の病気をかかえた子どもに接すると、そういう子どもの心の状
態がよくわかる。親は、「気のせいだ」「気はもちようだ」などと言うが、私はそうは言わない。先
日も「トンネルがこわい」と訴えてきた小学生(小一男児)がいた。その子どもに接したときも、
私は、こう言った。「こわいよね。ぼくもトンネルがこわくて、ときどき入れないときがある。天井
がコンクリートか何かで、しっかりしていればいいけど、岩がむき出しであったりすると、ぞっと
するね」と。

 熱を出して苦しんでいる子どもに無理をさせないように、心の病気にかかっている子どもに無
理をしてはいけない。心の病気は、外から見えないだけに、人は安易に考える傾向があるが、
決して安易に考えてはいけない。こじらせればこじらせるほど、立ちなおりがむずかしくなる。
(030511)※

     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │‖┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

固着

 日本人は、「心」を大切にする民族である。おそらく世界一ではないか。もっともデリケートな
民族と言ってもよい。たとえば心理学を勉強していると、「こんなこと、日本では常識ではない
か」と思うような場面に、よくであう。その一つが、「固着」。

 心理学で固着というのは、何らかの精神的外傷を受けた人が、無意識のうちにも、その外傷
に支配されることをいう。たとえば子どものころ、身体のことで、みなにからかわれた人が、そ
の後、自分の容姿を過剰なまでに気にするようになる。あるいは自分の容姿のことで、悶々と
悩みつづけ、人との接触を避けるようになる、など。容姿にこだわりながら、自分自身は、どう
してこだわっているのかわからない。あるいはこだわっているという意識そのものが、ない。

 ……と書くと、どこか仰々しいが、日本語では、これを簡単に、「わだかまり」、もしくは、「こだ
わり」という。「固着」という名前をつけるから、かえって話がわかりにくくなる。「結婚のとき、い
ろいろありましてね。それが今でも、夫婦の間のわだかまりになっています」などというときの、
わだかまりである。

 わだかまりが大きければ大きいほど、それにこだわるあまり、自分の心を解放ですることが
できなくなる。どこかしら束縛されたような状態になる。そういう状態を、心理学では、「固着」と
いう。

 そこで、その固着、つまり、わだかまりについて……。

 このわだかまりというのは、人間の心を裏から操(あやつ)る。しかし操られるほうは、ふつ
う、操られていることにすら、気づかない。あくまでも、自分の意思でそうしていると思っている。
ときどき、「なぜ、自分はこんなことをしているのだろう」と思うことはあるが、それでも気づくこと
はない。いろいろな例がある。

 ある母親は、小学一年生の息子が、母親の服のそでをつかんだだけで、その息子を、「イヤ
ー!」と叫んで、手で払いのけていた。ときには、押し倒してしまうこともあった。自分でもなぜ
そうするかわからないと言っていたが、何度か、カウンセリングするうちに、理由がわかった。

 その母親は、独身時代、一人の男のストーカー行為に苦しんでいた。高校時代の友人たちと
東北を旅したときも、その男は、見え隠れしながら、その母親についてきたという。で、いろいろ
あって、その母親は、その男と結婚してしまった。本来なら、結婚などしてはいけなかったが、
その母親はこう言った。「結婚を断ったら、事件になったかもしれません。実家の両親に迷惑を
かけたくなかったし、私ひとりががまんすればいいと思い、結婚しました」と。その母親は、心の
やさしい人だった。

 が、当然のことながら、それにつづく結婚生活は、味気ないものだった。そこでその母親がつ
ぎにとった方法は、子どもをつくることだった。「子はかすがいといいますから、子どもができれ
ば、何とかなると思いました」と。その子どもが、小学一年生の息子だった。

 この母親のばあい、息子が母親にまとわりついたとたん、無意識のうちにも、独身時代の不
愉快な経験が、その母親の中でよみがえったことになる。そしてそれが、その母親を裏から操
っていたということになる。そして「いやだ」という思いだけが独走し、子どもを手で払いのける
……。

 こうしたわだかまりは、大小さまざま、それぞれの人に無数にある。わだかまりがない人は、
いない。もちろん、あなたにもある。しかし問題は、そういうわだかまりがあるということではな
く、そのわだかまりに振りまわされ、同じような失敗を繰りかえすこと。そこで今度は、あなた自
身のことを振りかえってみてほしい。あなたは、日々の生活のどこかで、いつも同じように、同
じようなパターンで、失敗していないだろうか。子育てでだけではない。夫婦げんかにせよ、近
隣とのトラブルにせよ、何でも、そうだ。もしそうなら、あなたの心のどこかに潜む、わだかまり
を、さぐってみるとよい。この問題は、そのわだかまりが何であるかがわかるだけで、そのあ
と、しばらく時間がかかるが、それで解決する。
(030510)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

固定観念

 総じてみれば、私たちの日常的な生活のほとんどは、過去の自分を引きずっているようなも
の。「私は私」と思っている部分にしても、実際には、私でない部分が多い。たとえば今日、私
は、教室の模様がえのため、いくつかの家具屋を回った。一番迷ったのは、教室の入り口に
置くカウンターと、下駄箱だった。しかしそういうものは、家具屋には置いてない。

 そこで私は発想を変えた。カウンターは、二つの同じ戸棚を背中合わせに重ねてつくればよ
い。接着剤でくっつける。また下駄箱は、本箱を利用すればよい。棚には、何かクッションを入
れる、と。しかしたったこれだけのことがわかるまでに、数時間もかかった。「カウンターはどこ
にある?」「下駄箱はどこにある?」と。そのとき私は、「カウンターというのは、カウンターでな
ければならない」「下駄箱は、下駄箱でなければならない」という固定観念しかもっていなかっ
た。

 で、こうした固定観念というのは、当然のことながら、過去の私の生活の中で、つくりあげられ
てきたものである。そしていつの間にか、「カウンターというのは、こういうものでなければならな
い」「下駄箱というのは、こういうものでなければならない」と、自分で思いこんでしまった。

 実は、ぐんと現実的な話になるが、……と言うより、かなり飛躍するが、子育ては、まさに固
定観念のかたまりのようなもの。とくに今、子育てを始めたばかりの、若い父親や母親はそうで
ある。ほとんどの父親や母親は、「子育てというのは、こういうものだ」「子どもというのは、こう
でなければならない」と、考える。しかしそれが本当に正しいかどうかとなると、「??」である。

たとえば今度、二男に子どもが生まれた。私の初孫である。その二男を見ていると、本人たち
は気づいていないだろうが、私が二男にしたのと、そっくり同じことを、自分の子どもにしている
のがわかる。遊具の与え方にせよ、抱き方にせよ、あやし方にせよ、多少形は違うが、中身
は、ほとんど同じと言ってよい。つまり二男は二男なりに、自分の中でつくりあげた固定観念に
応じて、子育てをしているにすぎない。

 ……となると、「私」とは、何かということになる。つまり「私は私」と思っている部分は、「私」の
中の、ほんの一部にすぎないということ。その大部分は、「私であって、私でない部分」というこ
とになる。このことは、大脳生理学の分野でも証明されている。意識として自覚できる部分は、
脳全体の中では、数十万分の一に過ぎないという。つまり脳のほとんどの部分は、私たちの意
識とは、まったく関係なく動いている。いや、むしろその意識ですら、「私であって、私でない部
分」に動かされていることも多い。その一つが、ここでいう固定観念である。

 そこで私は気がついた。「私であって私である部分」をもつためには、自分の中に潜む固定
観念を、こなごなになるほどまでに、破壊しなければならない、と。何かにつけて私たちは、も
のごとを「こうでなければならない」「こうあるべきだ」と考えやすい。しかしそう考えることは、
「私であって、私でない部分」に、引きずり回されることになる。つまりそうであるなら、いつまで
も自分を解放することができない。

 ……とまあ、何とも、むずかしい話を書いてしまった。ここまで読んでくださった方には、たい
へん申しわけないと思っている。そこでここでは、こう考えてほしい。

 子どもを考え、子育てを考えるときは、できるだけ固定観念を、もたないようにする。この固
定観念があればあるほど、子育てのワクは狭くなり、そして子どもも、小さくなる。それだけでは
ない。そのワクにとらわればとらわれるほど、そのワクの中で苦しむことになる。たとえば子ど
もが不登校を起こしたりすると、たいていの親は、狂乱状態になる。なぜそうなるかといえば、
「学校とは行かねばならないところ」という固定観念にしばられるからである。

 しかしこの段階で、親が、「行きたくなければ行かなくてもいい」「学校だけがすべてではない」
「勉強より心のほうが大切だ」と考えることができれば、もう少しおおらかに子どもの不登校を
考えることができる。つまり固定観念から抜け出るということが、その人の心を悩みから解放す
るということになる。

 で、もう一度、むずかしい話に戻るが、要するに、自由になるということは、いかにして、「私」
を、「私であって、私でない部分」から、解放するかということに行き着く。私は、今日、家具屋で
家具を見ながら、別の心で、そんなことを考えていた。
(030510)

●「真の自由を手に入れようとするならば、心中の奴隷を除去することから、始めねばならな
い」(梁啓超「新民説」)
 
°ミ彡彡   ⊂〜〜〜
゜ν0∂〇 _ノノ       
°◎_/ ̄⌒―――∩      みなさんのお近くで、講演するとき、
 ///―――――∫       よろしかったら、おいでください。        
⊂⊂/      ∫        マガジンの読者と一言、言ってくだされば、
             講演をしていても、ぐんと元気が出ます。ホントです!
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

Gという霊能者

 先日、Gという霊能者が死んだ。私はその女性を、直接は知らないが、その女性に関して
は、こんな話がある。

 私のたいへん親しい友人に、M氏(四八歳)がいる。昔からの茶園農家だが、どういうわけだ
か、同居している父親との折りあいが悪い。結婚もした。子どもも二人いる。しかしこの三〇年
間、父親とはほとんど会話すらないという。

 そこでGという霊能者に、おうかがいを立てることにした。その費用が、三〇分間で、二〇万
円! 今から一〇年ほど前のことだが、それにしても高額である。当時、Gという霊能者は、ほ
とんど毎週のようにテレビに出ていた。超有名人であった。

 ここから先は、Gという霊能者の名誉のこともあるから、正確に書く。

 Gという霊能者は、私の友人にこう言ったという。「あなたの家には、神様と仏様がまつってあ
りますね。どちらか一つにしなさい。神様と仏様がけんかをしている。それが、家庭不和の原因
だ」と。

 しかしそのあたりの農家は、みな、神様と仏様の両方をまつっている。まつっていない家のほ
うが、少ない。私の実家も、店を入るとすぐに、神棚があって、その横には、大黒様がまつって
ある。そしてつぎの部屋には仏壇が置いてある。(だから私の家は、騒動が絶えなかったの
か?)

 そこでその友人は家に帰って、「神様か、仏様の、どちらかを捨てる」と言い出した。とたん、
いつもの大げんか! 最後は、「殺す」「殺してやる」の大騒動になってしまった!

 この一連の話は、すべておかしい。私はその友人にこう言った。

私「二〇万円なんて、大金でしょう?」
友「しかし、あんな有名な人にみてもらえるなら、安いと思ってね」
私「テレビに出ているだけでしょう?」
友「ほかの霊能者よりは、いいと思ってね」
私「だいたい人間の心などというものは、人間自身が決めるもの。神様や仏様ではない」
友「霊ではないのか?」
私「そんなものはない。かりにあるとしても、いちいち人間のことなど、気にしない」
友「しかし世の中には、不思議なことがいっぱいある」
私「不可思議なものは、何でも霊のしわざにしたがるもの。しかしそうするということは、自分の
理性を否定するのと同じでしょう」

 順に考えてみよう。

 仮に霊界なるものがあったとしよう。しかしその世界に住む霊たちが、人間界の人間のことな
ど、気にするだろうか。神様にせよ、仏様にせよ、まつったからご利益があるというのなら、そ
の神様や仏様は、インチキと断言してよい。自分をまつってくれた人間だけに、こっそりとご利
益を与えるというのは、そもそも神様や仏様のすることではない。悪魔のすることである。ワイ
ロをもらって、政治に手心を加える悪徳政治家と、どこかどう違うというのか。
 
 つぎに神様と仏様がけんかをしているという、発想がおもしろい。まさにマンガ的。どう反論し
ようかと、しばらく考えてみたが、あまりにもバカげていて、反論する気にもなれない。ただ日本
人は、どうしても「家」にこだわりやすい。だから、神様と仏様が、その家の中でけんかをしたと
いう話を聞くと、どこかありそうな話に思うかもしれない。「家」の中で、神様と仏様が、たがいに
勢力を求めてけんかした、と。が、もしそれほど「家」にこだわらない民族の家庭では、神様や
仏様は、どうするのだろうか。たとえば私の家もそうだ。しかしそれにしても……? もうひとつ
おまけに、「??」。

 ときどき、異常なまでに思いこみのはげしい子どもというのは、ときどきいる。一度、こうだと
思ったら、かたくなまでに、それに固執する。そして自説をがんとして、曲げない。一〇年ほど
前だが、「幽霊を見た」と言った女の子(小三)がいた。話を聞くと、ことこまかく、それを説明し
てくれた。こう書くのは、Gという霊能者に失礼かもしれないが、Gという霊能者は、そういう子ど
もの延長線上にいるのではないか。

 ここから先は、信ずる、信じないという話になってくるので、私には何とも言えないが、私はそ
ういうものは「ない」という前提で生きている。私の人生の中でも、ほとんど考えたことがない。
子どものころは、ふつうの子どものように、幽霊やお化けをこわがった覚えがある。今も、とき
どき何かのことで、ゾーッとすることはある。そういうことはあるが、それ以後、運命論や運勢
論、前世論や来世論など、自分の中へ取り入れたことは、一度もない。だから……。霊界だ
の、霊能者だのと言っている人を見ると、「この人たちは本気なのだろうか?」と、そう思ってし
まう。

 さてGという霊能者だが、どこか宗教性をおびた人だったから、これから先、その霊能者を信
奉する人たちが生まれてくることはじゅうぶん、考えられる。「私はGの生まれ変わり」と主張す
る人も出てくるかもしれない。あるいはもっと別の霊能者たちが、「三〇分、二〇万円」の後釜
をねらって、続々と生まれてくるかもしれない。しかしそこに、人間の愚かさというよりは、人間
の織りなすドラマのおもしろさがある。私たちに直接害がないなら、つまりあくまでも、そういう
条件つきだが、ドラマはドラマとして楽しめばよい。

●「私は、彼岸(悟りを開いた理想の世界)を信じない。彼岸なんてものは、存在しない。枯れ
た木々は永久に死に、凍死した鳥は二度とよみがえらない」(ヘッセ「ナルチスとゴルトムント」)
(030511)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

北朝鮮VS韓国

 今日は、五月一一日、日曜日。もうすぐブッシュ大統領とノ・ムヒョン大統領の、首脳会談が
始まる。この会談は、アメリカと韓国のみならず、日本を含めた極東アジアの平和と安全にとっ
ては、きわめて重要な会談になる。(今日の午後、ノ・ムヒョン大統領が、アメリカへ向うことに
なてちる。)

 だいたいにおいて、あの韓国に、反米親北政権が誕生したこと自体、私には、信じられなか
った。韓国の教職員組合は、日本のそれよりはるかに左傾化している。ノ・ムヒョン政権は、そ
の結果生まれたとも言えるが、それにしても……?

 今のノ・ムヒョン氏は、大統領選挙のとき、反米を唱えながら、米軍基地撤退を公約にかか
げた。そして選挙演説の中では、「仮に米朝戦争になっても、韓国は中立を守る」などと、とん
でもないことまで口にしている。さらに数十万人のデモ隊を組織し、その中央で、巨大な星条旗
をビリビリに破いてみせるようなパフォーマンスまでしてみせた。

 それだけではない。アメリカに向かって、「これからはアメリカとは対等につきあう」とか、「アメ
リカと北朝鮮の仲介役を、韓国がする」などと言った。この一言は、ブッシュ政権を激怒させ
た。それもそのはず。三八度線をはさんで、最前線で、韓国を守っているのは、ほかならぬア
メリカ兵たちだからである。しかもその数、三万六〇〇〇人!

 そこでアメリカは、ノ・ムヒョン政権誕生と同時に、アメリカ軍の撤退を決めてしまった。表向き
は、最前線からプサン市、テグ市周辺への後方移動ということになっているが、実質的には、
撤退である。
 
 これにあわてたのが韓国政府。まさかアメリカがそこまでやるとは、思っていなかったのだろ
う。そこで韓国政府は、韓国軍にはまだその準備ができていないことを理由に、今度は、一
転、撤退に反対し始めた。撤退計画そのものの延期まで求めている。さらに撤退反対集会を
起こしたり、首相を米軍基地へ慰問に行かせたりしている。

 しかし、ときすでに遅し。北朝鮮との南北会談は決裂。多国間協議からも、韓国ははずされ
てしまった。あの北朝鮮も国際オンチなら、韓国も、それに劣らないほど、国際オンチ。最近に
なって、やっと「アメリカと日本と共同して……」と言い出したが、それまでは、日本の「ニ」の字
もなかった。つまり、日本を、完全に無視!

 こうなれば、日本は、アメリカと共同歩調をとるしかない。わかりやすく言えば、韓国は、準北
朝鮮。そう思ってまちがいない。アメリカはともかくも、仮に日朝戦争といことにでもなれば、韓
国は、北朝鮮側につく。いきさつはどうであれ、もともと韓国という国は、そういう国なのであ
る。

 そういう状況の中で、ノ・ムヒョン大統領は、ブッシュ大統領と会談する。かなり下手(したで)
に出るしかないのだろうが、どこまで下手に出るか? そこが今回の会談のポイントとなる。韓
国にとっては、アメリカは必要な国だが、アメリカにとっては、韓国は必要な国ではない。最前
線で、体を張って守らねばならない理由など、アメリカにはどこにもない。それをノ・ムヒョン大
統領は、どこまで自覚しているか。会談が決裂することは、まずないが、ノ・ムヒョン氏が従来
の路線を変えないかぎり、米韓のキレツは決定的なものになる。すべては、ノ・ムヒョン大統領
が、どこまで現実主義的なものの考え方ができるかにかかっている。

 核開発をつづける北朝鮮。その北朝鮮の高官は、「核兵器は日本をターゲットにしたもの」
と、ことあるごとに明言している。北朝鮮に、それだけの能力があるかどうかは別にして、日本
人の危機感のなさも、これまた問題である。東京都の真ん中で、原爆が炸裂(さくれつ)した
ら、日本はどうなるか。それをほんの少しだけ、想像してみればよい。それでももしあなたが、
「北朝鮮は、そこまでしないだろう」とか、「アメリカがその前に何とかしてくれるだろう」と考えて
いるとしたら、それは大きなまちがい。今の今も、数十万人の自国民を餓死させ、数十万人の
自国民を強制収容所に送っている金XXである。東京に原爆を撃ちこむことぐらい、わけがな
い。

 北朝鮮が、まともな国でないことは、もうだれの目にも明らかである。国全体が、カルト化して
いて、まともな常識すら通じない。どこかの評論家が、巨大なオウムSR教のような国だと評し
たが、まさにそのとおり。あるイギリス人(元駐朝大使)も、「ピョンヤンに住む政府高官たち
は、自分たちの国が、地上の楽園だと本気で信じている」と言っている。

 今の北朝鮮が、北朝鮮のようであることについては、日本にも責任がある。それはそれとし
て、しかし私たちは私たちで、この日本や、そこに住む子どもたちを守らねばならない。先日
も、ある子ども(小五男児)が、私にこう聞いた。「先生、北朝鮮は、本当に日本に攻めてくる
の? だいしょうぶ?」と。それに答えて私は、こう言った。「何も心配しなくてもいいよ。ぼくが
いるからね。ぼくが戦って、君たちを守るからね」と。すると、その子どもはホッと安心したような
表情を見せ、そのあと、うれしそうな顔で笑った。
(0305011)

(注)この原稿は、去る五月一一日に書いたものです。発表するころには、世界の情勢が大き
く変わっているかもしれません。もしそうなら、どうかお許しください。)

●「平時における賢者は、常に戦争に備える」(ホメロス「諷刺詩」)

     ∫∬∫
     /Ξ\    ∫∬∫
    ≡⌒ ⌒≡  /⌒\
   ∇ ⊂ーυー⊃ {⌒∨⌒ξ\    ホレホレ、バアーさんや、
  巛ヽ/ヽо丿\ @'Χ°@))     今日も一日、終わったナー……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   皆さんも、お元気でナー……。
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
12・11 ……入野小学校
10・23 ……北浜東小学校区小中学校合同
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7・ 8  ……浜松市南部公民館
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■5-20

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●6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●文字は使って生きる

文字の目的は、「書くこと」ではない。「自分の意思を伝えること」である。こんなわかりきったこ
とが、この日本では、逆転している。たとえばどうしてこの日本には、いまだに、トメ、ハネ、ハラ
イが、あるのか。その上、書き順まである。ある程度の約束ごとは大切なことだが、しかしそれ
ばかりにこだわっていると、肝心の「自分の意思を伝えること」が、おろそかになってしまう。

 もちろんだからといって、トメ、ハネ、ハライ、それに書き順を無視してよいというのではない。
ただそれにも程度というものがある。それにこうまで情報化時代が進んでくると、「書く」という意
味そのものが変わってくる。たとえば私はこうして文章を書いているが、すべてパソコンを使っ
て書いている。

 こういうことを言うと、「日本語の美しさがそこなわれる」と反論する人が、必ずといってよいほ
どいる。「子どものころ、正しい書き順を教えておかないと、あとがたいへん」と言う人もいる。し
かし三〇年ほど前、こんな議論もあった。

 当時、「今どきの子どもは、ナイフで鉛筆も削れない」と、よく批評された。そのとき私はこう反
論した。「ナイフで削らなくても、鉛筆削りがある。鉛筆削りで削れば、ずっと早く削れるし、時間
も節約できる。鉛筆を削るときは、鉛筆削りを使えばよい」と。

 これはナイフの話だが、その時代ごとに、こうした議論が、打ち寄せる波のように、それぞれ
の分野で起こっては消える。このトメ、ハネ、ハライも、そのひとつかもしれない。(あるいはそう
でないかもしれない?)私は個人的には、もう書き順も、適当でよいのではと思っている。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●もとの木阿弥

 『もとの木阿弥(もくあみ)』という言葉がある。いろいろやってはみたが、結局は、もとに戻っ
てしまうという意味である。苦労や努力が、水のアワになってしまうことをいう。

 子育てをしていると、そういう状況によく陥(おちい)る。私の世界でも、こんなことがあった。

 小学三年生の子どもだったが、まだ掛け算があやしかった。そこで小学二年生のクラスに入
れてみた。その子どもは、それまで「算数は、わからないもの」と思っていたらしい。しかし一年
レベルをさげたことで、むしろ生き生きと勉強し始めた。で、半年もすると、その勢いもあって、
やがて何とか、小三レベルの学習も、こなすようになった。そこで私は小三クラスへ移した。
が、そのとたん、親の無理が始まった。

 親は、「もっと、もっと……」と、子どもに勉強を強いるようになった。ワークブックもどっさりと
買い込んだ。とたん、その子どもは、オーバーヒート。かえって前よりも、勉強嫌いになってしま
った。そして一度、こういうつまづき方をすると、二度目がない。四年生になったとき、親のほう
から、「もう一度、学年をさげて教えてみてほしい」と言ってきたが、子どもがそれを受けつけな
かった。そしてそのまま私の実験教室へこなくなってしまった。

 子どもには子どもの「力」がある。その力を見極め、ほどほどのところであきらめるべきこと
は、あきらめる。この「あきらめ」が、子どもの心に穴をあけ、子どもを伸ばす。子育てをしてい
て、あきらめることを恐れてはいけない。でないと、結局は、『もとの木阿弥』になってしまう。

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>−−<          
    /†_____†ヽ//      心豊かで、暖かい子育てをめざしましょう。
    ( ('    ξヽ        みんなでがんばれば、日本の子育ては
  ┏ ||   o//\) )(      変わります。よくなります。
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

このところ、教室の改造にかかりきりになっているため、時間がありません。
お休みします。ごめんなさい!

++++++++++++++++++++++++++++++

教室の模様替え(2)

 今日は、テーブルにハケで色を塗った。しかしムラができた。そこで今度は、スプレーを買っ
てきて、その上に塗り重ねた。が、ところどころ、表面が盛りあがってしまった。「アレッ」と思っ
て、もう一度ペンキの説明書きをみると、ハケで縫ったほうは、水性ペンキ。スプレーのほう
は、油性ペンキになっていた。

 つぎに五〇センチ角になったジュータンをしきつめた。一枚、二八〇円。一平方メートル張る
のに、四枚。全体で、一七坪の教室だから、エーと……。

 そのジュータンを一枚ずつ張っていったが、途中で、少しずつ、列がずれてきた。教室全体
が、正確な長方形でないためらしい。思ったよりむずかしかった。

 夕方一時間ほど、時間があったので、ワイフと二人で、近くの電気屋へ行き、テレビを選ぶ。
私の教室では、テレビ画面を、黒板がわりにしている。今度は、パソコンと連動させ、ハイテク
なレッスンをめざす。

私「画面は三二インチにしたい」
ワ「大きいわね。それに値段も一〇万円を超えるわよ」
私「大きければ大きいほど、見やすいし……。今度の教室に、今までの経験のすべてを燃やし
つくしたい」
ワ「燃やしつくす?」
私「そう、今の仕事ができるのも、あと一〇年だと思う」
ワ「一〇年……?」
私「この一〇年で、ぼくの経験のすべてを出しつくす。これが幼児教育だと言えるような幼児教
育をしてみる。つまり総決算というわけ」と。

 そのあと棚を六個、家具屋から届けてみらう。配置に悩んだが、一つの壁に向けてズラリと
並べたら、うまく収まった。あとは小物入れ用の棚をいくつか用意すればよい。

 ほかにイスは、回転式のものにした。生徒が使う机は、上下が調整できる可変式のものにし
た。私の教室は、幼稚園の年中児から高校三年生までやってくる。今まではそれぞれの机を
用意していた。

 夜のクラスで、中学生たちに、「今度、この教室を、大改造する」と宣言すると、みな、「どうや
ってエ?」と、いぶかしがった。(本当は改造ではなく、移動。しかしそれは内緒!)

 そんな中、小さな事件が起きた。

 ジュータン屋へ行き、足りないジュータンを注文していると、そこへ行きつけの自転車屋のお
かみさんが、やってきた。そしてヘラヘラと笑いながら、こう言った。「アーラ、林先生。まだ幼児
教室、やってんのオ?」と。いつもなら軽いあいさつをするところだったが、私はその一言に、
ムッときた。だから少し間をおいて、こう言った。「奥さん、それは失礼な言い方ですよ。私は二
〇年近く、あなたの家で自転車を買っているのですから」と。

 するとそのおかみさんは、まったく悪びれる様子もなく、相変わらずヘラヘラと笑いながら、
「そうですようねエ〜、失礼ですよねえ。ホント、ホント」と。そこで私は、さらに頭にきたので、
「もしあなたがだれかに、『まだ、自転車屋、やってるの?』と言われたら、あなたは怒りません
か」と言うと、「ホント、ホント」と笑いつづけた。

 ジュータン屋を出たところで、ワイフが待っていた。ワイフにそのことを話すと、「ああいう低劣
な人間は、無視しなさいよ」と。しかししばらくの間、怒りが収まらなかった。このところ毎日のよ
うに、教室の模様替えに四苦八苦している。そういう私に、何という失敬な言葉! 自転車屋だ
から低劣というのではない。私もその自転車屋の息子である。低劣というのには、二つの意味
がある。自分の愚かさを知らないこと。他人の賢さを知らないこと。(だからといって、私が賢い
というのではない。)

 が、やはり、結論は、相手にしない、だった。

私「電話で文句言ってやろうかと思った」
ワ「やめなさいよ。あなたが相手にしなければならないような人ではないから」
私「しかし、頭にきた。もうあの自転車屋では、二度と自転車を買ってやらないぞ」
ワ「そうね」と。

 さて明日は、テレビを買う。ほかに小物入れをいくつか買う。また朝から、いそがしい。で、お
そらく、今回の模様替えが、私の生涯において、最後になるだろう。あとは、なるようにしかなら
ない。生徒がいれば、このまま教える。いなくなれば、教室をたたんで、オーストラリアへ移住
する。大切なことは、そのつど懸命に生きること。たとえ乞食(失礼!)になっても、乞食として
懸命に生きる。この日本で成功するかしないかは、本人の能力と努力というよりは、運とコネ。
失敗したからといって、その人の能力が劣っているとか、努力が足りなかったということではな
い。この国では、もともと不公平が基盤になっている。その不公平をうまく利用した人が、成功
し、そうでない人は、失敗する。

 そうそう帰りにワイフもこう言った。「やれるだけのことはやってみましょうよ。それでだめな
ら、しかたないわね。ほとんどの幼児教室がつぶれた中で、あなたの教室だけは残っている。
それがあなたの力よ」と。

 そんなわけで、今回の模様替えは、どこかさみしい。先が見えないというか、先を考えれば考
えるほど、その先がしぼんでしまう。「それではいけない」とは思うが、しかしその感じだけは、
どうしようもない。
(030513)

     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
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