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《09》
 BOX(インターネット・ストーレッジ版)

BOX Essays 版 ……●
2003年 02月09日
2003年 03月25日
上記BOXへアクセスできないときは、直接……●

件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■2-9-1

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 599人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
☆===================☆==================

★★★★★★★★★★★★★★
03−2−9号(177)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 日記を読んでいただけます!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 電話054−246−6136
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
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ブロードバンドをお楽しみのみなさんへ、
「はやし浩司のホームページ」に新しく動画コーナーをつくりました。私の生の声などを収録しま
した。どうかおいでください。サイト・トップページより、どうぞ!
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【掲示板】
マガジン読者の方のための、専用掲示板を用意しました。
どうか、おいでください。ご希望、ご質問、テーマなどいただければ、うれしいです。
会員、みなさんの相互連絡にも、ご利用ください。
     http://6302.teacup.com/bw884/bbs
    (マガジン読者の方のための、専用掲示板です)
【チャットルームへのご案内】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
☆このマガジン読者の方どうしの方+はやし浩司の、チャットはいかがですか。
 http://8411.teacup.com/hhayashi/chat をクリックしてください。
☆ ニックネーム、(BW)が、私こと、はやし浩司です。
●毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご利用ください。私もときどき、参加させ
ていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )        今日のメニュー
   γ ρρ   │σ σ ρ )        【1】子育てポイント 
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )        【2】雑談・雑感
   人   υ ( `) (  )         【3】子育てエッセー
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)          【4】フォーラム
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○

●マガジンのバックナンバーは、
http://www.emaga.com/bn/list.cgi?code=hhayashi2
(横に長すぎて読みにくいときは、一度ワードにコピーしてからお読みください。)
●また、本文がつまっていて読みにくいときは、やはり一度ワードにコピーしていただくと、ぐん
と読みやすくなります。お試しください。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

一部、以前送ったのと、ダブりますが、お許しください。

++++++++++++++++++++++++++++++++
 
育児から解放されたい!
子どもは甘えるもの(失敗危険度★★★★)(1301)

●自然な「甘え」
 スキンシップの重要性は言うまでもない。そのスキンシップと同じレベルで考えてよいのが、
「甘える」という行為である。一般論として、濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受
けた子どもほど、甘え方が自然である。「自然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい
柔和な表情で、人に甘える。甘えることができる。心を開いているから、やさしくしてあげると、
そのやさしさがそのまま子どもの心の中に染み込んでいくのがわかる。
 
これに対して幼いときから親の手を離れ、施設で育てられたような子ども(施設児)や、育児拒
否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、他人に心を許さない。許さない分だけ、人に
甘えない。一見、自立心が旺盛に見えるが、心は冷たい。他人が悲しんだり、苦しんでいるの
を見ても、反応が鈍い。感受性そのものが乏しくなる。ものの考え方が、全体にひねくれる。私
「今日はいい天気だね」、子「いい天気ではない」、私「どうして?」、子「あそこに雲がある」、私
「雲があっても、いい天気だよ」、子「雲があるから、いい天気ではない」と。

●抱かれない子ども
こんなショッキングな報告もある(二〇〇〇年)。抱こうとしても抱かれない子どもが、四分の一
もいるというのだ。「全国各地の保育士が、預かった〇歳児を抱っこする際、以前はほとんど
感じなかった『拒否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、四分の一に及ぶことが、『臨
床育児・保育研究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明した」(中日新聞)と。

●原因は「抱っこバンド」?
報告によれば、抱っこした赤ちゃんの「様態」について、「手や足を先生の体に回さない」が三
三%いたのをはじめ、「拒否、抵抗する」「体を動かし、落ちつかない」などの反応が二割前後
見られ、調査した六項目の平均で二五%に達したという。また保育士らの実感として、「体が固
い」「抱いてもフィットしない」などの違和感も、平均で二〇%の赤ちゃんから報告されたという。
さらにこうした傾向の強い赤ちゃんをもつ母親から聞き取り調査をしたところ、「育児から解放
されたい」「抱っこがつらい」「どうして泣くのか不安」などの意識が強いことがわかったという。
また抱かれない子どもを調べたところ、その母親が、この数年、流行している「抱っこバンド」を
使っているケースが、東京都内ではとくに目立ったという。

 報告した同研究会の松永静子氏(東京中野区)は、「仕事を通じ、(抱かれない子どもが)二
〜三割はいると実感してきたが、(抱かれない子どもがふえたのは)、新生児のスキンシップ不
足や、首も座らない赤ちゃんに抱っこバンドを使うことに原因があるのでは」と話している。

 果たしてあなたの子どもはだいじょうぶだろうか。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

わかっていたら、どうしてもっと早くアドバイスしてくれなかったのだ!
行きつくところまで行く(失敗危険度★★★★★)

●「うちの子にかぎって……」
 子育ては、失敗してみて、それが失敗だったとはじめて気づく。その前の段階で、私のような
ものがあれこれ言ってもムダ。ほとんどの親は、「うちの子に限って」とか、「まだ何とかなる」と
考えて、無理に無理を重ねる。が、やがてそれも限界にくる。

●燃え尽きる子ども
 よくある例が、子どもの燃え尽き(バーントアウト)。概してまじめで、従順な子どもがなりやす
い。はげしい受験勉強をくぐりぬけ、やっとの思いで目的の学校へ入学したとたん、燃え尽きて
しまう。浜松市内でも一番と目されている進学校のA高校のばあい、一年生で、一クラス中、二
〜三人。二年生で、五〜六人が、燃え尽き症候群に襲われているという(B教師談)。一クラス
四〇名だから、一〇%以上の子どもが、燃え尽きているということになる。この数を多いとみる
か、少ないとみるか? 

●初期症状を見落とすな
 燃え尽きは初期症状を的確にとらえ、その段階で適切に対処することが大切。登校前に体
や心の不調や、無気力、倦怠感を訴えたりする。不登校の初期症状に似た症状を示すことも
ある。そういうとき親が、「そうね、だれだってそういうときがあるよ」と言ってあげれば、どれだ
け子どもの心は救われることか。が、親にはそれがわからない。ある母親はあとになって、私
にこう言った。

「無理をしているという気持ちはどこかにありましたが、目的の高校へ入ってくれれば、それで
問題のすべては解決すると思っていました」と。もっともこういうふうに反省できる親はまだよい
ほうだ。中には、「わかっていたら、どうしてもっと早くアドバイスしてくれなかったのだ」と、私に
食ってかかってきた父親がいた。

●子どもの心を守る大原則
 結論を先に言えば、結局は親というのは、自分で行き着くところまで行かないと、自分で気づ
かない。一度(無理をする)→(症状が悪化する)→(ますます無理をする)の悪循環に入ると、
あとは底なしの泥沼状態に陥ってしまう。これは子育てにまつわる宿命のようなものだ。そこで
大切なことは、いつどのような形で、その悪循環に気づき、それをその段階で断ち切るかという
こと。もちろん早ければ早いほどよい。そしてつぎのことに気をつける。

(1)あきらめる……「あきらめは悟りの境地」という格言を以前、私は考えたが、あきらめる。
(2)今の状態を保つ……「何かおかしい」と感じたら、なおそうと考えないで、今の状態をそれ
以上悪くしないことだけを考える。
(3)一年単位でみる……子どもの「心」の問題は、すべて一年単位でみる。「心」の問題はその
つど一進一退を繰り返すが、それには一喜一憂しない。
 これは燃え尽きに限らず、子どもの心を考えるときの大鉄則と考えてよい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

何を偉そうなことを!
子どもを叱れない親(失敗危険度★★★★★)

●こわくて叱れない
ある雑誌社から原稿依頼があった。「子どもを叱れない親がふえているが、それについて記事
を書いてほしい」と。それについて……。

子どもをこわくて叱れないというのであれば、すでに断絶状態にあるとみる。原因は(1)リズム
の乱れ(親側がいつもワンテンポ早い)、(2)価値観の衝突(親側が旧態依然の価値観に固執
している)、それに(3)相互不信(「うちの子はダメだ」という思いが強い)。この状態で子どもを
叱れば、あとはドロ沼の悪循環!

●親の三つの役目
親には三つの役目がある。(1)ガイドとして子どもの前を歩く。(2)保護者(プロテクター)として
子どものうしろを歩く。(3)友(フレンド)として子どもの横を歩く。日本人はこのうち三番目が苦
手、……というより、「私は親だ」という親意識だけがやたらと強く、子どもを友として見ることが
できない。

●今の状態をより悪くしない
もしあなたが子どもをこわくて叱れないというのであれば、まず子どものリズムで歩き、親の価
値観を一方的に押しつけるのをやめる。そしてここが重要だが、子どもを対等の友として受け
入れる。英語国では、親子でも「お前はパパに何をしてほしい?」「パパは、私に何をしてほし
い」と聞きあっている。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。また一度断絶状態になったら、
「修復しよう」などとは考えないで、今の状態をより悪くしないことだけを考えて対処する。

●叱ることはむずかしい?
 「叱る」というのは、本当のところは、たいへんむずかしい。子どもを叱るというのは、叱る側
にそれだけの「人格」がなければならない。たとえば教える立場でいうと、よく宿題を忘れてくる
子どもがいる。宿題ならまだしも、テキストや鉛筆すら忘れてくる子どもがいる。しかし私は、ど
うしてもそういう子どもを叱ることができない。理由は簡単だ。私自身もよく忘れ物をするから
だ。自分でもできないのに、どうして子どもを叱ることができるのか。それともあなたは、あなた
の子どもに向かって、「正しいことをしなさい」「まちがったことをしてはだめだ」と子どもを叱るこ
とができるとでもいうのか。もしそうなら、きっとあなたはすばらしい人だ。

●何を偉そうなことを!
 私は幼児を教えるようになって、もう三〇年になるが、どういうわけだか「叱る」ということにつ
いて、おおきな抵抗を感ずる。ときどきは叱ることもあるが、そのたびに心のどこかで、「何を
偉そうなことを」と思ってしまう。先日も図書館の中で騒いでいる高校生がいた。その高校生た
ちを注意してやろうと考えたが、たまたま日本がかかえる不良債権のことが頭の中を横切っ
た。「七〇〇兆円とか八〇〇兆円とかいう、ぼう大な借金をつぎの世代に残して、何を偉そうな
ことを言えるのか」と。とたん注意してやろうという気持ちが吹き飛んでしまった。……そういう
意味でも、子どもを叱るというのは、とてもむずかしい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

核兵器か何かで世界の人口が半分になればいい
自己中心ママ(失敗危険度★★★)

●もともとはわがままな性格
自己中心性の強い母親は、「私が正しい」と信ずるあまり、何でも子どものことを決めてしまう。
もともとはわがままな性格のもち主で、自分の思いどおりにならないと気がすまない。

 このタイプの母親は、思い込みであるにせよ何であるにせよ、自分の考えを一方的に子ども
に押しつけようとする。本屋へ行っても、子どもに「好きな本を買ってあげる」と言っておきなが
ら、子どもが何か本をもってくると、「それはダメ、こちらの本にしなさい」と、勝手にかえたりす
る。子どもの意見はもちろんのこと、他人の話にも耳を傾けない。 

●バランス感覚
 こうした自己中心的な子育てが日常化すると、子どもから「考える力」そのものが消える。依
存心が強くなり、善悪のバランス感覚が消える。「バランス感覚」というのは、善悪の判断を静
かにして、その判断に従って行動する感覚のことをいう。このバランス感覚が欠落すると、言動
がどこか常識ハズレになりやすい。たとえばコンセントに粘土を詰めて遊んでいた子ども(小一
男児)や、友だちの誕生日のプレゼントに、虫の死骸を箱に入れて送った子ども(小三男児)が
いた。さらに「核兵器か何かで世界の人口が半分になればいい」と言った男子高校生や、「私
は結婚して、早く未亡人になって黒いドレスを着てみたい」と言った女子高校生がいた。

●家族のカプセル化
 ところで母親にも、大きく分けて二種類ある。ひとつは、子育てをしながらも、外の世界に向
かってどんどんと積極的に伸びていく母親。もう一つは自分の世界の中だけで、さらにものの
考え方を先鋭化する母親である。外の世界に向かって伸びていくのはよいことだが、反対に自
分のカラを厚くするのは、たいへん危険なことでもある。こうした現象を「カプセル化」と呼ぶ人
もいる。一度こうなると、いろいろな弊害があらわれてくる。

たとえば同じ過保護でも、異常な過保護になったり、あるいは同じ過干渉でも、異常な過干渉
になったりする。当然、子どもにも大きな影響が出てくる。五〇歳をすぎた男性だが、八〇歳の
母親の指示がないと、自分の寝起きすらできない人がいる。その母親はことあるごとに、「生ま
れつきそうだ」と言っているが、そういう男性にしたのは、その母親自身にほかならない。

●悪循環に注意!
 子育てでこわいのが、悪循環。子どもに何か問題が起きると、親はその問題を解決しようと
何かをする。しかしそれが悪循環となって、子どもはますます悪い方向に進む。とくに子どもの
心がからむ問題はそうで、「以前のほうが症状が軽かった」ということを繰り返しながら、症状
はさらに悪くなる。
 自己中心的なママは、この悪循環におちいりやすいので注意する。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

別居か、さもなくば離婚
祖父母との同居(失敗危険度★)

●好かれるおじいちゃん
 祖父母との同居について、アンケート調査をしたことがある。その結果わかったことは、「好
かれるおじいちゃん、おばあちゃん」の条件は、(1)健康であること、(2)やさしいこと、(3)経
験が豊富であること、(4)控えめであることだった(一九九三年・浜松市内で約五〇人の同居
世帯で調査)。

●子どもが生まれる前から同居が望ましい
 反対に同居する祖父母との間のトラブルで一番多いのが、子育て上のトラブル。母親の立場
でいうと、一番苦情の多かったトラブルは、「子どもの教育のことで口を出す」だった。「甘やか
しすぎて困る」というのが、それに続いた。さらに「同居をどう思うか」という質問については、子
どもが生まれる前から同居したばあいには、ほとんどの母親が、「同居はよかった」と答えてい
るのに対して、途中から同居したばあいには、ほとんどの母親が、「同居はよくない」と答えて
いた。祖父母との同居を考えるなら、子どもが生まれる前からがよいということになる。

●たいていは深刻な問題に
 そこで祖父母との間にトラブルが起きたときだが、間に子どもがからむと、たいていは深刻な
嫁姑戦争に発展する。母親もこと自分の子どものことになると、妥協しない。祖父母にしても、
孫が生きがいになることが多い。こじれると、別居か、さもなくば離婚かというレベルまで話が
進んでしまう。そこでこう考える。これは無数の相談に応じてきた私の結論のようなもの。

(1)同居をつづけるつもりなら、祖父母とのトラブルを受け入れる。とくに子どもの教育のこと
は、思い切って祖父母に任す。甘やかしなどの問題もあるが、しかし子育て全体からみると、
マイナーな問題。メリット、デメリットを考えるなら、デメリットよりもメリットのほうが多いので、割
り切ること。

(2)子どもの教育は任せる分だけ祖父母に任せて、母親は母親で、前向きに好きなことをす
る。そうした前向きの姿勢が子どもを別の面で伸ばすことになる。

(3)祖父母の言いたそうなことを先取りして子どもにいい、祖父母には「助かります」と言いな
がら、うまく祖父母を誘導する。

(4)以上の割り切りができなければ、別居を考える。
 大切なことは、大前提として、同居を受け入れるか入れないかを、明確にすること。受け入れ
るなら、さっさとあきらめるべきことはあきらめること。この割り切りがまずいと、母親自身の精
神生活にも悪い影響を与える。

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】雑感・雑談∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子どもに問題が起きたとき

Sさんへ、

 Sさんが、「落ち込んでいる」という。原因は、私のマガジン。私が気うつ症の子どもについて
書いた記事が、すべて自分の子どもに当てはまるという。ムダなものを買う(行為障害)、ささい
なことでカッとなりやすい(感情障害)、ささいなことで、極度の不安状態になる(不安障害)な
ど。Sさんの娘さん(中学生)も、ときどき「生きていて何になるの?」と言うらしい。それでSさん
は、「母親をもうやめます。友だちになります」と。

 ときどき私の書いた記事が、読者の方を、不安にしてしまうことがあるようだ。これはまった
く、私の不注意以外の何ものでもない。原則として、こうした記事を書くときは、アドバイスを添
える。反対にアドバイスのできないようなテーマについては、書かない。この点について、まず
もって、Sさんに私は謝らなければならない。その上で、改めて、この問題について、考えてみ
る。

 ただ誤解しないでほしいのは、だからといって、Sさんの娘さんが、気うつ症と言っているので
はない。たまたま症状のいくつかが重なったということだけ。その上で、つまり、Sさんの問題と
は別に、「子どもに問題が起きたとき」を考えてみる。

(子どもは信ずる)
 裏切られても、裏切られても、子どもを信ずる。裏切られても、また裏切るだろうなとわかって
いても、さらに内心では疑っていても、しかし子どもの前では、信ずる。信じているフリをする。
また裏切られても、何も言わない。その度量の深さこそが、親の愛の深さということになる。

 私の家庭でも、どの息子とは書けないが、よく息子の一人が、サイフや金庫から、お金を盗
んで使っていた。一、二度はきびしく叱ったが、しっかり管理をしなかった私たちにも落ち度が
ある。で、管理をしっかりするようになったが、それでも、盗んで使っていた。どこか行為障害的
な臭いのする盗みだったから、私たちは、それに耐えるしかなかった。子どもを叱るのはいや
だったが、それ以上に、同じ屋根の下で家族を疑うのは、もっといやだった。「盗まれるのでは
ないか」と心配するのは、さらにいやだった。だからルーズになったというわけではないが、そ
のうち、「盗みたければ盗みなさい」という気持ちになった。まあ、子どもの盗みなどというの
は、ハシカのようなもの。その時期が過ぎれば、何ごともなくすんでしまう。

(子どもは許す)
 子どもは許して忘れる。どんな問題が起きても、許して忘れる。ただひたすら、これを繰りか
えす。どんなに転んでも、子どもは子ども。あなたの子ども。他人の子どもなら、「はい、さような
ら」と言うこともできるが、自分の子どもでは、それもできない。だったら、親のほうがあきらめ
て、つきあうしかない。ときには子どもに言いたいこともあるだろう。子どもを叱りたいこともある
だろう。しかしそういうときでも、許して忘れる。

 親子というのは、決して一様ではない。同じ家に住みながら、ほとんど会話をしない親子は、
いくらでもいる。程度の差もあるが、今、何割かの家庭がそうであるといってよいほど、多い。
話しかけても一触即発。親は「静かに話すことができない」と言う。子どもは子どもで、「いちい
ちうるさい」と言う。親子であるがゆえに、確執も深く、わだかまりも大きい。

(子どもは受け入れる)
 どんな問題があっても、またその問題がどんなに大きなものであっても、受け入れる。「何と
かしよう」とか、「なおそう」などとは、考えてはいけない。「今の状態」を受け入れる。そして仮に
問題があるとしても、それ以上、悪くしないことだけを考える。

 この「受け入れる」には、二つの意味がある。ひとつは、子どもを受け入れるという意味。もう
ひとつは、あなた自身を受け入れるという意味。

 子どもとて、一人の人間。あなたの思うようにはいかない。いかなくて、当たり前。だから「うち
の子は、まあ、こんなもの」と受け入れる。

 もう一つは、あなた自身を受け入れる。親だからと無理に気負うことはない。できないことは、
できないと言う。したくないことは、したくないと言う。仮に子どもを好きになれないなら、なれな
いで構わない。そういう自分をすなおに受け入れる。あなたが気負えば気負うほど、あなたも
疲れるが、子どもも疲れる。その疲れが、親子の間をギクシャクさせる。
 
(子どもは認める)
 子どもを伸ばすコツは、悪い面をなおそうと考えるのではなく、よい面だけを見て、それをさら
に伸ばす。とくに完ぺき主義の親は、注意する。どうしても悪い面ばかりを見て、それをことさら
大げさに問題にする。が、それでも問題が解決しなかったら……。

 子どもが生きている。あなたも生きている。そういう原点に自分を置いて、そこから子育てを
見つめなおしてみる。子育てには、希望もあるが絶望もある。どちらにせよ、そういうものは、
まさに虚妄。人間が勝手につくりだしたもの。しかし生きているという原点に立ち返ってみると、
あらゆる問題が解決する。

 子育ても終わりに近づくと、たいていの親は、夢も希望も、ほとんど削られ、やがてこう思うよ
うになる。「人に迷惑さえかけなければ」とか、「健康でいてさえくれれば」と。もともと子育てとい
うのはそういうもの。百に一つくらい明るいことがあれば、じょうでき。

(子どもはあきらめる)
 悪い面については、あきらめる。「まだ何とかなる」「何とかしよう」と思えば思うほど、実際に
は逆効果。底なしの悪循環に入って、やがて身動きがとれなくなる。とくに不幸にして不幸な家
庭に育った人ほど、注意する。「よい家庭をつくろう」「よい親子関係をつくろう」「よい子どもにし
よう」と、自分を追い込んでしまう。そして頭の中で、設計図をつくり、その設計図に子どもを、
押しはめようとする。この無理が、さらに悪循環を加速させる。

 仮に今、あなたの子どもに問題があるとしても、それを「底」と思ってはいけない。底の下に
は、二番底、三番底がある。が、親にはそれがわからない。わからないまま、無理をして、その
二番底、三番底へと落ちていく。子どもの非行を例にとるまでもない。

 要は、どこで、どの段階であきらめるかということになる。実のところ、その時期は、早ければ
早いほどよい。満五、六歳でも、早すぎることはない。「まだ、幼児ですよ!」と驚く人もいるが、
私はそうは思わない。この時期、子どもは、乳幼児期から少年少女期へ移行する。人格の
「核」、つまり、「この子はこういう子だ」という、「つかみどころ」ができてくる。得意分野、不得意
分野も、はっきりしてくる。そういう「核」が見えたら、子どもの心や性格、それに能力の方向性
は、いじらないほうがよい。

(親は、バカなフリをする)
 親はときとしてバカな親を演じながら、子どもの自立を促す。バカであることを恥じることはな
い。私もときどき生徒たちを教えながら、そのバカなフリをする。生徒たちに、「こんな先生に習
うくらいなら、自分で勉強したほうがマシ」と思わせながら、生徒の自立を促す。

 親の権威など、ドブに捨てればよい。気負うことはない。立派なフリをすることもない。気楽に
構え、「私は私」と、自分を貫けばよい。Sさんも、「母親であることをやめます」と書いている
が、そのとおり。なぜそこまでSさんが母親にこだわるかといえば、ひょっとしたら、Sさんは、本
物の母親というのがどういうものか知らないからと考えてよい。どこかで勝手に、母親像をつく
ってしまった。空想かもしれないし、幻想かもしれない。しかしもともと「母親像」などというもの
はない。それがわからなければ、「日本人像とは何か」「妻像とは何か」「教師像とは何か」「人
間像とは何か」を考えてみればよい。いや、考えるだけ、ムダ。もともとそういうものは、存在し
ない。

 多くの日本人は、自ら勝手に作り出した「親像」で苦しんでいる。こういうのを、「ダカラ論」とい
う。「親だから……」「子どもだから……」と。繰りかえすが、そういったものは、もともと幻想。幻
想に振りまわされてはいけない。
(03−2−2)

     ⌒⌒⌒⌒
    ((( (( (( 
     ⌒  ⌒ 
     ・。・ β
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \   みなさんのご家庭で、このマガジンが役だって
 ゜\/│ // │ / /    いますか?
   Γ ̄ ̄│──|○   何かテーマがあれば、掲示板にでもお書きください。

   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
悪玉親意識

 親意識には善玉と悪玉がある。「私は親だから、子どもを育てる義務がある」と自覚するの
は、善玉親意識。「あんたは子どもだから……」と、子どもに向かって親風を吹かすのを、悪玉
親意識という。問題は、悪玉親意識。

 悪玉親意識の背景には、日本独特の上下意識がある。「親が上で、子どもが下」と。そしてさ
らにその背景には、子どもを人間として見るのではなく、親の所有物としてとらえる見方があ
る。先日も新聞の投書欄に、「子どもは宝……」と書いている人がいた。もう少し端的には、「子
宝」という言葉がある。しかし子どもは、本当に宝? 宝モノ?

 多分投書の人は、「子どもは大切だ」という意味で、「宝」と書いたのだろう。しかしそれでも、
モノはモノ。私はこういう言葉を聞くと、生理的な嫌悪感を覚える。それはちょうど、どこかの国
の元首が、スピーチの中で、私たちに向かって、「わが民」と言うのに似ている。元首がそう思
うのは、その元首の勝手だが、私はその元首のモノではない。財産ではない。いわんや所有
物ではない。

 そこで改めて、考えてみる。子どもは、親のモノなのか? 同じような考え方だが、今でも、妻
を夫の所有物のようにとらえている人がいる。A氏は今年七〇歳になるが、いまだかって妻を
一度だって、外に出したことはない。妻が友だちと旅行に行くことすら、許したことがない。もっ
とおかしなことに、妻の実家にさえ泊まらせたこともない。が、A氏本人は、壮年期には、ほとん
ど家にいなかった。外に愛人もいたという。つまり自分は好き勝手なことをしておきながら、妻
には、それを許さなかった。

 こういうのを私の世界では、代償的愛という。自分勝手な愛をいう。愛もどきの愛と思えばよ
い。一見、愛しているように見えるが、結局は、自分の心のスキ間を埋めるために、子どもや
妻を利用しているだけ。子どもや妻を、自分の思い通りにしたいだけ。よい例が、子どもの受
験競争に狂奔する親。「子どものため」と言いながら、自分の不安や心配を解消するために、
そうしている。

 まわりくどい言い方はやめよう。子どもは、モノではない。だからあなたの所有物ではない。
問題は、子どもをモノのように考えることではなく、いまだにそういうふうに考える親が多いとい
うこと。アフリカのどこかの国では、娘が結婚するについて、娘とヤギを交換するそうだ。そうい
う風習を見ると、日本人は笑うが、それがどっこい。この日本でも、同じような風習が残ってい
る。今でも、「嫁をもらう」とか、「嫁にくれてやる」とか言う人はいくらでもいる。結納金という制
度にしても、もとはと言えば、娘をモノとみるところから始まっている。

 子どもは一人の人間である。まったくあなたと同じ、一人の人間である。だから子どもだって、
悩むときには悩む。苦しむときには苦しむ。たしかに未熟で未経験かもしれないが、それを除
けば、あなたとどこも違わない。が、どうしてか、悪玉親意識の強い人ほど、子どもを子どもと
みる。「子どもなど、親の意思でどうにでもなる」と考える。

 「先生、どうしてうちの子は、勉強しないのでしょう。テレビゲームばかりしています」と。そこで
私が、「あなたは勉強が好きでしたか?」と聞くと、「私はもう、終わりましたから」と。さらに、「で
は、あなたもテレビゲームをしてみればいいでしょう。お子さんといっしょに、楽しんでみたら」と
言うと、「私はゲームは嫌いです」と。

 この親の言い分は、すべておかしい。自分が嫌いだった勉強を、子どもに押しつけている。さ
らに「ゲームは悪いこと、ムダなこと」と決めてかかっている。子どものもつ趣味や価値観を一
方的に否定しておいて、親の価値観を子どもに押しつけている。そのおかしさに気づいていな
い。

 もっとも勉強や趣味ならまだよい。それほど害はない。中には、心の病気で苦しんでいる子ど
もに向かって、「子どもだから……」「気のもちよう……」と安易に考える人がいる。よい例が、
学校恐怖症の子どもである。私自身も、恐怖症になったことがあるので、そのときの子どもの
気持ちがよくわかる。この年齢になっても、ふとしたことで恐怖症になってしまう。頭の中に思考
パターンができているため、と考えるとわかりやすい。しかしそれは決して、「気のもちよう…
…」などという軽いものではない。

 たとえば私は三〇歳少し前に、飛行機事故に遭遇している。そのときは、「ああ、こわかった
……」ですんだが、それ以後、しばらく飛行機に乗れなくなってしまった。いや、乗るには乗られ
るのだが、先方の現地で、不眠症になってしまう。だから結果的に、飛行機に乗られなくなって
しまった。そういう思考パターンがあるから、たとえば車に乗っていてヒヤッとするようなことが
あると、しばらくは車にも乗られなくなってしまう。ほかに、高いところ(高所恐怖症)やトンネル
(閉所恐怖症)も、苦手である。

 何度も繰り返すが、日本人は、子どもを一人の人間ととらえるのが、たいへん苦手な民族で
ある。「子どもはかわいい」と言いつつ、子どもに楽をさせたり、子どもによい思いをさせること
が、子どもをかわいがることだと誤解している親も多い。そして親にベタベタ甘える子どもイコ
ール、かわいい子イコール、よい子とする。一方、子どもは子どもで、自らを、親の所有物とと
らえ、何ら疑問に思わないでいる。つまり持ちつ、持たれつの関係ということになる。

 しかしこういう親子関係は、今、急速に崩壊しつつある。日本の社会全体から、権威主義が
崩壊し、ついで、親の権威も崩壊しつつある。こういう傾向を嘆く世代も多いが、しかし権威主
義など、クソ食らえ! 少なくとも、これからは夫婦であれ、親子であれ、教師と生徒の関係で
あれ、権威で相手をしばる時代ではない。またそういう時代であってはならない。

 だから……。あなたも勇気をもって、悪玉親意識を捨てよう。子どもに向かって、親風吹かす
のをやめよう。あなたは一人の人間として、子どもに尊敬され、またあなたの子どもを、一人の
人間として尊敬しよう。そういう人間関係を基本に、新しい親子関係を築こう。
(03−2−2)

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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

世にも不思議な留学記より

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カレッジライフ

●ハリーポッターの世界
 最近、私は『ハリーポッター』という映画を見た。しかしあの映画ほど、ハウスでの生活を思い
起こさせる映画はない。ハウスも全寮制で、各フロアには、教官がいっしょに寝泊りしていた。
食事のときや講義を受けるときは、正装の上に、ローブと呼ばれるガウンをまとった。映画の
中でもときどき食事風景が出てくるが、雰囲気もまったくあの通り。教官やシニアの学生が席
に着くハイテーブルと、学生たちが席に着くローテーブルに分かれていた。たとえば夕食はこう
して始まる。

●ハウスの夕食
 まず学生たちは、コモンルームに集まる。コモンルームというのは、談話室。そこで待ってい
ると、午後六時半きっかりに合図のチャイムが鳴る。それに合わせて、学生たちが食堂に入
り、ローテーブルの前で立って待つ。その途中で、円筒形に巻いた、ナプキンを取り出してもっ
ていく。ナプキンは、定期的に洗濯される。そうしてしばらく待っていると、シニアのコモンルー
ムから、寮長(ウォードン)を最後尾に、シニアの学生と教官たちが、ぞろぞろと入ってくる。そ
して寮長が座るのを見届けてから、学生たちも席に着く。

 食事の前のあいさつは当番制になっている。一人の学生がハイテーブルの隅に立ち、こう言
う。「これらすべての良きものに、感謝の念をささげ、このハウスに恵みのあらんことを」「アーメ
ン」と。すると一斉に食器を回す音がし、片側の柱のかげから、給仕たちが食事を運び始め
る。会話は自由だが、大声で話したり、笑ったりするのは禁止。もしその途中でベルが鳴った
ら、絶対的な静粛が求められる。たいてい寮長からの連絡事項が告げられる。「明日は、○○
国○○大使が晩餐にくるから、遅刻は許さない」とかなど。一度、その話の途中で、不用意に
スプーンで食器をたたいてしまった学生がいた。その学生は、その場で退室させられた。つま
りその夜は食事抜き。

 食事は、毎回例外なく、フルコース。スープに始まる前菜、メイン料理、それに付随する数品
の料理のあと、デザート。「ディナー」と呼ばれる晩餐会では、さらに数品ふえる。ワインも並
ぶ。ワインは、賓客と乾杯するために配られる。だいたい一時間ほどをかけて、夕食を終え
る。ディナーのときは、賓客のスピーチもあったりして、終わる時間は、まちまち。時には九時
を過ぎることもあった。

そして皆が終わると、入ってきたときとは、まったく逆に、まず寮長以下、ハイテーブルの教官
たちが席を立ち、食堂から出る。それを見届け、学生たちも食堂を出て、コモンルームに移
る。そこには、コーヒー、紅茶、ワインなどが用意してある。食事のあとは自由行動で、コモン
ルームへ行かないまま、自分の部屋に戻る学生もいた。

●夢のような生活
 寮長はディミック氏だった。イギリスきっての超大物諜報部員だったという。(もう亡くなってい
るので、暴露しても構わないと思う。)これはずっとあとになってのことだが、彼はその後、その
功績が認められて、「サー」の称号を受けたそうだ。いつかだれかが、ジェームズボンドは、彼
がモデルだったと言ったが、そんなわけでありえない話ではない。ただ映画のボンドとは違い、
ディミック氏は映画監督のヒッチコックを連想させる、太った大柄な人物だった。

 こうした厳格なカレッジライフを嫌う学生も少なくなかった。とくに私がいたインターナショナル
ハウスは厳格だったということだが、それは私が帰国してから友人に聞いて知ったことだ。私
自身は、厳格であるかないかということより、恵まれた環境を楽しんでいた。当時の寮費だけで
も、留学生のばあい、月額約二〇万円(一ドル四〇〇円)。日本の大卒の初任給がやっと五万
円を超えた時代である。私には夢のような生活だった。

    ┌┐
    │ト
    ≧≦ ∪          z
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/  〜       〆  へく ^川     どうか、よろしくご購読ください。
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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞










件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■2-11-2

後半部です
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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
ぜいたくな相談

 ときどきぜいたくな相談(?)をしてくる人がいる。たった今も、あった。小学五年生のKさんの
お母さんからだ。いわく「うちの娘は、ここが悪い」「あそこが悪い」と。

 しかしKさんは、すばらしい子どもだ。総合点をつけるとしたら、満点をあげてもよい。好奇心
も旺盛で、生活力もある。活発で、行動的。性格も安定しているし、それに明るい。心を開いて
いるから、その分、「ゆがみ」もない。すなおで、裏がない。屈託がない。もちろん勉強も、よくで
きる。友だちにも好かれ、人気者。が、さらにすばらしいのは、表情が、いつも輝いていること。
生き生きしている。が、お母さんは、「うちの子は、ダメで……」と。

 問題のある子どもは多い。しかしそういうお母さんは、お母さんで、問題のある子どもを知ら
ない。知らないから、自分の子どもにささいな欠点をみつけては、ことさら大げさにそれを問題
にする。「学校の参観日で見ると、授業中に話ばかりしている」「テストの見なおしをしない」「計
算問題を、まちがえる」など。「悪い点を取ったりすると、それを隠す」とも言った。私はそのつ
ど、「何でもないことです」と言うのだが、お母さんは、納得しない。さらに「ここが悪い」「あそこ
が悪い」と。

 実のところ、同じ相談でも、こういう相談は、気が楽でよい。相手の言うことを一つずつ打ち消
しながら、子どもをほめればよい。「Kさんは、いい子ですよ」「すばらしい子ですよ」「ほめてあ
げてくださいよ」と。そして私はこう言った。

 「今、何かと問題のある子どもが、多いです。そういう中で、Kさんのような子どもは、本当に
少ないです。むしろ、お母さんは、それに感謝しなければいけません。悪い面を見るのではな
く、いい面を見て、それをほめてあげてください。情緒も安定しているし、精神的にも問題はあ
りません。Kさんは、やがてお母さんの、すばらしい友人になります」と。

 すると今度は、お母さん自身が、「私は過干渉ママです。そうであってはいけないと思うので
すが、ついつい子どもに口を出してしまいます。どうしたらいいでしょうか」と言い出した。自分
についても、「ここが悪い」「あそこが悪い」と。

 それについても、私はこう言った。「お母さんは、過干渉ママではありません。お子さんを見れ
ばわかります。すばらしいお母さんです。だからKさんは、ああいうすばらしい子どもになったの
です。今の子育ては、完ぺきではないかもしれませんが、最善です。今のままでいいですよ。ど
うか自信をもってください」と。

 すばらしい子どもでは、そのよさは、すばらしさの中に消えてしまう。毎日ごちそうを食べてい
る人には、ごちそうのおしさがわからない。それに似た現象が起きる。が、それに加えて、親の
希望には、際限がない。「もっと」とか、「さらに」とか、言い出す。それ自体は悪いことではない
が、それが過剰期待になったとき、かえって子どもの伸びる芽を摘んでしまうことがある。幸い
にもKさんのケースでは、お母さんはそう言いながらも、良好な親子関係を保っている。Kさん
は、ときどき笑いながらこう言う。「うちのママは、本当にうるさいんだから」と。

 もちろんKさんと反対のケースもある。問題だらけなのに、それに気づかない親である。それ
については、また別の機会に書く。
(03−2−3)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

会話のない親子

 昼食のとき、ワイフとテレビを見ていたら、こんな番組があった(〇三・二月)。何でもその相
談した女性の夫が、その女性とほとんど会話をしないという。話しかけても、無表情、無感動、
無視、冷淡。子どもが病気になったときでさえ、「オレには関係ない」と。それでその女性は、
「離婚したい」「慰謝料が取れるか?」と。

 テレビの番組だから、つまり出演者が演技をしていたから、正確にはわからないが、子どもで
も、こういう子どもは、多い。

●親と会話をしない。無口、無言でいることが多い。
●話しかけると、うるさそうな表情や迷惑そうな態度をとる。
●さらに話しかけると、一触即発。「こわくて何も言えない」と訴える親もいる。
●会話がないので、何を考えているかわからない。
●旅行に誘ったりしても、反応がない。いやがる。
●無表情、無感動。誕生日を祝ってあげても、喜ばない。
●外の世界では、結構楽しそうにして、友だちとはふつうの会話をしている。
●しかし家の中では、ブスッとして、あいさつもしない。
●家の中では、一日中、テレビを見たり、ゲームをしたりする。
●家族との関わりがなく、家の手伝いなど、ほとんどしない。
●家族が困っていても、冷淡。平気で無視する。

症状的には、「うつ」を疑う。脳の機能(たとえば辺縁系の扁桃体ほか)の変調を疑う。そしてこ
れらの症状が顕著になったときは、「病気」もしくは、「障害」を疑う。つまり子どもがこうした症
状を示すからといって、説教したり、叱っても意味はない。病気は病気。インフルエンザにかか
って、熱を出している状態を思い浮かべればよい。もともと子どもの意思で、どうにかなる問題
ではない。

 で、さらにこうした症状が慢性化すると、それが子どもの性格の一部になったり、親子の生活
のパターンそのものになったりする。そうなると、改善するのは、容易ではない。ヘタをすると…
…というより、たいていそうなるが、その症状とパターンは、一生つづく。

 本来なら、こうならないよう、その初期の段階で、親がそれに気づかねばならない。しかし実
際には、不可能。(こういう私の原稿を読んでくれている人は別。そのためにこういう原稿を書
いている。)たいていの親は、「うちの子にかぎって」とか、「まだ何とかなる」とか考えながら、そ
の前兆を見逃してしまう。それにその前兆は、かなり早い段階で現れる。幼児期から小学校の
低学年時に現れる。この時期というのは、まだ子どもも小さく、親が強く叱れば、それなりに子
どもも従う。だからますますその前兆を見逃してしまう。

 よくあるのは、親が日常的に威圧的な過干渉を繰りかえすケース。静かで従順に従う自分の
子どもを見ながら、「うちの子はできがよい」とか、「しつけがしっかりしているから」と誤解する。
この誤解が、積もり積もって、子どもの心をゆがめる。

 よく子どもの家庭でのしつけが話題になるが、私は、「家庭でのしつけ」には、懐疑的である。
私など、家庭の中では、実にチャランポラン。客がこないときは、昼過ぎまで、パジャマ姿でい
ることがある。そういう私の姿を見て、「林はだらしない」と思ってもらっては困る。家庭というの
は、そういうものではないのか。チャランポラン、おおいに結構ということになる。

そこで早期診断だが、もしあなたの子どもが、つぎのようであればよい。

○日ごろから、親に向かって、言いたいこと、したいことをしている。
○甘え方や愛情の求め方が自然である。「自然」というのは、子どもらしいということ。
○あなたのいる前でも、平気で体を休めたり、心をいやしたりしている。態度が大きい。
○はっきりと自己主張をし、親がまちがったことをしたりすると、怒ったりする。
○よいニュースがあると、それをうれしそうに、親に話したりする。
○失敗したり、親に叱られたりしても、あまり気にする様子もみせない。

要するに、「いい子」ぶらないということ。子どもで一番こわいのは、仮面。親の前で、本心を見
せないこと。隠すこと。飾ること。この症状がさらにひどくなると、心と表情が、遊離するようにな
る。怒っているはずなのに、ニヤニヤ笑うなど。

 こうした症状が見られたら、家庭のあり方をかなり強く反省する。「私は親だ」という親意識を
捨て、子どもの横に友として立つ。そして親としての気負いをとり、バカになる。バカになって、
子どもの心を開く。……といっても、これは簡単なことではない。親自身の価値観を一八〇度
転換しなければならない。また一度、閉じた心を開くには、一年単位の時間がかかる。それこ
そ、想像を絶する根気との戦いということになる。

 もっとも、今。親子でも会話のない家庭はいくらでもある。程度の差もあるが、何割の家庭が
そうであるといえるほど、多い。だから親子で会話がないからといって、失敗したとか、そういう
ふうに考えてはいけない。もともと親子には、そういう宿命がついてまわる。あの芥川龍之介さ
えも、『人生の悲劇の第一幕は親子となったことにはじまってゐる』(「侏儒の言葉」)と書いてい
る。

 私は、その番組を見ながら、ワイフとこんな会話をした。

「あの夫は、心の病気にかかっていると考えるべきではないか」
「日本では、ああいう男性や夫婦に相談にのるカウンセラーがいないからね」
「そう、いきなり、離婚だの、慰謝料という話になってしまう。そういう相談にのる窓口がどこか
にあればいいんだけどね……」と。

 それにしても、安っぽい番組だった。コメンテーター(お笑いタレント)はさかんに、「離婚した
らいい……」「妻も悪い……」と言っていた。それに答えて司会者も、「そうですね。離婚しかな
いね」と。どれもあまりにも通俗的な、つまり表面的な意見でしかなかったのが、残念だった。
(03―2−3)

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【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

学習を拒否する人たち

 パン屋での光景。一人の女性(七〇歳くらい)が、パンをひとつもちあげた。それを見た夫ら
しい男(七五歳くらい)が、こう言った。「それはな、ソーセージ」「はあ……」「ソーセージ……」
「何でな?」「だからそれはソーセージ」と。男は、「それはソーセージ入りのパンだから、ダメ
だ」と言いたかったのだろう。何ともほほえましい光景だったが、しかしそれが私たち夫婦の近
未来像とわかったとき、心底、ゾーッとした。

 こういう老夫婦に、人生論を説いても意味がない。理解できない。だいたい言葉が通じない。
が、そのとき、私は「ああはなりたくない」と思いながら、その一方で、「どうしてああなってしまう
のだろう」と思った。頭脳も体の筋肉と同じなら、年齢相応に、ボケたとしても、おかしくない。し
かし同じような年齢の人でも、頭脳のほうは明晰(めいせき)な人はいくらでもいる。恩師のT教
授は、今年八〇歳になるが、英語の論文でも平気で読みこなしている。その違いは、どこから
くるのか?

 若い人でも、また子どもでも、考えることが好きな人もいれば、そうでない人もいる。私は老人
たちのこうした違いは、すでに若いとき、もっと言えば子どものときに決まるのではないかと思
っている。

 たとえば以前、私は、伸びる子どもの四条件※について書いた。その要素の一つが、好奇心
である。この好奇心が旺盛な子どもは、伸びる。そうでない子どもは、伸び悩む。が、それだけ
ではない。この好奇心が、考える原動力となる。そしてそれが基盤となって、その後、大きな差
となって現れる。

 先日も、ある男性(五五歳)と、ほぼ三〇年ぶりに会った。会って、いっしょに食事をした。
が、いくら話し込んでも、こちら側に伝わってくるものが、何もない。不思議なほど、何もない。
話を聞くとこう言った。読む新聞はスポーツ新聞だけ。仕事から帰ってくると、野球中継を見る
のが、唯一の楽しみ。休みの日は、釣りかパチンコ。それで一日を過ごす、と。そういう男性
に、釣り論やスポーツ論を聞くだけヤボ。彼はただそれを「楽しんでいる」だけ。

 私はパン屋で見た夫婦は、こういう男性の延長線上にあるのでは、と思った。ただ誤解しな
いでほしいのは、だからといって、その夫婦や、男性の生き方がまちがっているとか、おかしい
と言っているのではない。まただからといって、私が正しいと言っているのでもない。こうした
「差」は、あくまでも相対的なもので、別のだれかから見れば、今度は私がそのボケ中年に見
えるかもしれない。

 しかし……、だ。頭がボケてしまって、死を待つだけの人生に、どれほどの意味があるという
のか。当の本人たちは、それなりにハッピーなのかもしれないが、「生きる」ということは、もっと
別のことではないのか。あるいはそういうふうにボケていくことを避けられないとするなら、そう
ならそうで、ボケる前に、人は徹底的に自分を燃焼させなければならない。……となると、やは
り子どもの問題にぶつかってしまう。

 今、考えることを嫌う子どもがふえている。前にも書いたように、考えることには、ある種の苦
痛がともなう。それにめんどうだ。そのため、たいていの人は、たいていのばあい、自ら考える
ことを避けようとする。できるなら考えないですまそうとする。子どもとて例外ではない。子ども
だから考えるのが好きだろうと思うのは、とんでもない誤解である。先日のH市郊外にある、H
中学校で講演をさせてもらったが、そこの校長が、こっそりとこう話してくれた。「うちの中学で
も、約六〇%が、勉強を放棄してしまっています。勉強で苦労するくらいなら、部活でがんばっ
て、推薦で高校へ入ったほうが楽だと考えていますよ」と。

 勉強が嫌いな子どもイコール、考えない子どもということにはならないが、勉強が嫌いな子ど
もは、学ぶことを嫌う子どもと考えてほぼ、まちがいない。そして学ぶことが嫌いな子どもは、そ
の分、考えることが苦手と考えてほぼ、まちがいない。どこか無理な三段論法に見えるかもし
れないが、要するに、勉強と学習、学習と思考力は、密接に関連している。そのことは少し難
解な数学の問題を出してみればわかる。考えるという習慣そのものがない子どもは、「やりたく
ない」「わからない」と逃げてしまう。

 こうした子どものときからの「違い」が、そのあと、積もりに積もって、大きな差となって現れ
る。考える人間と、考えない人間。どちらがよいとか、悪いとかいうことではない。これはあくま
でも、私の意見だが、人間は考えるから人間である。人間が人間として、生きる価値もそこか
ら生まれる。が、もしその人が考えることをやめてしまったら……。もうその人は人間ではない
……というところまでは、言い切れないが、少なくとも生きる意味のほとんどを、なくすことにな
る。

 最後に、脳を使えば使うほど、大脳皮質は、厚くなる。神経細胞そのものの数はふえないの
だが、細胞体自体が大きくなり、樹状突起が複雑に分岐し、そこにほかの入力繊維がはいっ
てくる、グリアが増殖することなどによるとされる。それには、年齢は関係ないそうだ。つまり老
人になっても、脳を使うことによって、頭脳を明晰に保つことは可能だそうだ。私はこの説を信
じたいし、信じている。
(03−2−2)

+++++++++++++++++++++

伸びる子どもの四条件
子どもの能力を伸ばす法

プラスの暗示をかけろ!)
子どもが伸びるとき

●伸びる子どもの四条件

 伸びる子どもには、次の四つの特徴がある。(1)好奇心が旺盛、(2)忍耐力がある、(3)生
活力がある、(4)思考が柔軟(頭がやわらかい)。

(1)好奇心……好奇心が旺盛かどうかは、一人で遊ばせてみるとわかる。旺盛な子どもは、
身のまわりから次々といろいろな遊びを発見したり、作り出したりする。趣味も広く、多芸多
才。友だちの数も多く、相手を選ばない。数才年上の友だちもいれば、年下の友だちもいる。
何か新しい遊びを提案したりすると、「やる!」とか「やりたい!」とか言って、食いついてくる。
反対に好奇心が弱い子どもは、一人で遊ばせても、「退屈〜ウ」とか、「もうおうちへ帰ろ〜ウ」
とか言ったりする。

(2)忍耐力……よく誤解されるが、釣りやゲームなど、好きなことを一日中しているからといっ
て、忍耐力のある子どもということにはならない。子どもにとって忍耐力というのは、「いやなこ
とをする力」のことをいう。たとえばあなたの子どもに、掃除や洗濯を手伝わせてみてほしい。
そういう仕事でもいやがらずにするようであれば、あなたの子どもは忍耐力のある子どもという
ことになる。あるいは欲望をコントロールする力といってもよい。目の前にほしいものがあって
も、手を出さないなど。こんな子ども(小三女児)がいた。たまたまバス停で会ったので、「缶ジ
ュースを買ってあげようか?」と声をかけると、こう言った。「これから家で食事をするからいい
です」と。こういう子どもを忍耐力のある子どもという。この忍耐力がないと、子どもは学習面で
も、(しない)→(できない)→(いやがる)→(ますますできない)の悪循環の中で、伸び悩む。

(3)生活力……ある男の子(年長児)は、親が急用で家をあけなければならなくなったとき、妹
の世話から食事の用意、戸じまり、消灯など、家事をすべて一人でしたという。親は「やらせれ
ばできるもんですね」と笑っていたが、そういう子どもを生活力のある子どもという。エマーソン
(アメリカの詩人、「自然論」の著者、一八〇三〜八二)も、『教育に秘法があるとするなら、そ
れは生活を尊重することである』と書いている。

(4)思考が柔軟……思考が柔軟な子どもは、臨機応変にものごとに対処できる。同じいたずら
でも、このタイプの子どものいたずらは、どこかほのぼのとした温もりがある。食パンをくりぬい
てトンネルごっこ。スリッパをつなげて電車ごっこなど。反対に頭のかたい子どもは、一度「カ
ラ」にこもると、そこから抜け出ることができない。ある子ども(小三男児)は、いつも自分の座
る席が決まっていて、その席でないと、どうしても座ろうとしなかった。

 一般論として、「がんこ」は、子どもの成長にとって好ましいものではない。かたくなになる、意
固地になる、融通がきかないなど。子どもからハツラツとした表情が消え、動作や感情表現
が、どこか不自然になることが多い。教える側から見ると、どこか心に膜がかかったような状態
になり、子どもの心がつかみにくくなる。

●子どもを伸ばすために
子どもを伸ばす最大の秘訣は、常に「あなたは、どんどん伸びている」という、プラスの暗示を
かけること。そのためにも、子どもはいつもほめる。子どもを自慢する。ウソでもよいから、「あ
なたは去年(この前)より、ずっとすばらしい子になった」を繰り返す。もしあなたが、「うちの子
は悪くなっている」と感じているなら、なおさら、そうする。まずいのは「あなたはダメになる」式
のマイナスの暗示をかけてしまうこと。とくに「あなたはやっぱりダメな子ね」式の、その子ども
の人格の核に触れるような「格」攻撃は、タブー中のタブー。

その上で、(1)あなた自身が、自分の世界を広め、その世界に子どもを引き込むようにする
(好奇心をますため)。また(2)「子どもは使えば使うほどいい子になる」と考え、家事の手伝い
はさせる。「子どもに楽をさせることが親の愛」と誤解しているようなら、そういう誤解は捨てる
(忍耐力や生活力をつけるため)。そして(3)子どもの頭をやわらかくするためには、生活の場
では、「アレッ!」と思うような意外性を大切にする。よく「転勤族の子どもは頭がいい」と言われ
るのは、それだけ刺激が多いことによる。マンネリ化した単調な生活は、子どもの知恵の発達
のためには、好ましい環境とは言えない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

パキスタンのH氏と話す

 二月三日、知り合って五年になる、パキスタン人のH氏と、昼食をとりながら話す。途中から、
アイルランド人のW氏も合流。すぐ話は、核兵器と北朝鮮問題になった。忘れないうちに、その
会話をここに記録する。

私「パキスタンは、核兵器をもっている。なぜ放棄しないのか?」
H「日本だって、もっている」
私「日本はもっていない」
H「もっている。日本にいるアメリカ軍がもっているということは、もっているということだ」
私「もっているとしても、日本ではない」
H「そんな論理は、世界で通用しない。少し前、日本の外務大臣も、パキスタンに核兵器の放
棄を迫ったが、日本に、そんなことを言う資格はない」
私「パキスタン政府は、日本の外務大臣に何と答えたのか」
H「無視した。相手にしなかった」

私「北朝鮮の核兵器をどう思うか」
H「北朝鮮も、アメリカの核兵器を脅威に思っている」
私「しかしアメリカと北朝鮮は、対等ではない。北朝鮮は、独裁国家だ」
H「それはわかる。しかし中国には、脅威を与えている」
私「本当に、中国は脅威に感じているか」
H「マレーシアの首相も、そう言っている」
W「ぼくは日本にくる前、二年間、北京にいた。中国人は、日本に駐留するアメリカ軍を、大き
な脅威に感じている。昨年四月にあった、アメリカ軍のスパイ機侵入事件のときは、中国は一
時、臨戦体制に入った。君は知らなかったのか」
私「日本人は、気がつかなかったと思う。ぼくはそのとき、アメリカにいた」
W「だから、君たち日本人は、理解できない。あのスパイ機は沖縄から飛んできたものだ」

私「しかしもし日本からアメリカ軍がいなくなったら、韓国と北朝鮮が日本に攻めてくる。中国も
それに加わる可能性が大きい」
H「だったら、日本は自分で自分の国を守ればよい」
私「しかし法律(憲法)で、それが禁じられている」
H「だから日本は、ずるい(スニーキィ)」
私「どうしてずるいのか」
H「もっと貧しい国でも、自分の国は自分で守っている。マレーシアもタイもベトナムもだ。インド
もパキスタンも、自分で守っている」

私「日本が中国の植民地になったら、どうする」
H「そうなってもし方ない。日本は、それくらいの悪いことをした」
私「しかし日本人のほとんどは、悪いことをしたとは思っていない」
H「そこがわからないところだ。日本人は、三〇〇万人以上の外国人を殺している」
私「戦争だ。日本人も三〇〇万人、死んでいる」
H「日本がしかけた戦争だ」
W「K首相は、日本人の墓参り(靖国参拝のこと)ばかりしている。どうして日本人は、戦争で殺
された外国人たちの墓参りをしないのか」
私「していると思う。首相は、決して反省していないわけではないと思う」
H「そうは、思えない」
W「ぼくも、日本の首相が反省しているとは思えない」

H「日本が好きだから、改めて忠告する。日本は、戦争責任を認めるべきだ」
私「認めていないわけではない」
H「公式には認めていない」
私「日本は戦争の責任をとっていない。それはたいへん残念なことだと思う。それは認める」
H「どうして責任をとらないのか」
私「天皇にまで責任が及ぶからだ」
H「ドイツは、ヒットラーが死んだあと、責任をとった」
私「ドイツと日本とでは事情が違う」
H「違わない」
私「違う。天皇が戦争をしかけたわけではない」
H「その論理も、日本の外では通用しない」

私「今は、アメリカが日本を守っている」
H「日本がお金を払っているからだ」
私「同盟関係にあるからだ」
H「同盟ではない。日本はアメリカにくっつくコバンザメだ」
私「言いなりということか」
H「そうだ。ドイツは、アメリカの言いなりではない。アフガニスタンの攻撃では、日本は加担した
が、加担すべきではなかった」
私「同盟関係にあるからだ。ブッシュ大統領は、日本が北朝鮮に攻撃されたら、報復すると言
ってくれた。ギブアンドテイクという言葉がある」
H「その言葉なら、ぼくも知っている」
私「アメリカが攻撃されたら、日本もそれ相応に、アメリカに協力しなければならない」

H「同盟というのは、対等の国どうしが結ぶ条約だ。ならば日本も、ワシントンに、軍事基地を
置かせてもらえばいい」
私「日本は、戦争に負けて、成りゆきでこうなった」
H「そこが日本のずるいところだ」
私「じゃあ、日本はどうすればいい?」
H「アメリカには出ていってもらい、日本は日本で、強力な軍隊をもてばいい」
W「ほかの国々と対等になればいい」
私「法律(憲法)で禁じられている」
HとW「だったら、今度は中国の植民地になるしかない。中国が日本を植民地にしたところで、
だれも中国を非難しないだろう」
私「……」

 この会話の中で、「日本のアメリカ軍が、ほかのアジアの国々、とくに中国に大きな脅威を与
えている」という意見には、驚いた。私もそれには気づかなかった。そういう意味でも、日本人
は、相手の立場でものを考えるのが苦手。自己中心的というか、島国というか。私も正直言っ
て、日本に駐留するアメリカ軍が、ほかのアジアの国々に脅威を与えているとは考えたこともな
かった。(アメリカが脅威を与えているとは思ったことはあるが……。)

 最後に別れるとき、H氏はこう言った。「ミスター林、君は、ほかの日本人とは、少し違う」と。
その言葉を聞いたとき、私はほめられたのか、けなされたのか、わからなかった。別れたあ
と、しばらくすると、胃のあたりがチクチクと痛んだ。私なりに結構、神経を使ったらしい。
(03−2−3)

    ┌┐
    │ト
    ≧≦ ∪          z
   ━━━━━━        z
  /      \
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/  〜       〆  へく ^川     どうか、よろしくご購読ください。
〜―ノ∵しへ〜へ〜〜〜〜――//―人〇       どうか、お体を大切に!
   w         ⊂ノ            お元気で!
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市リズム幼稚園
6・24  ……静岡市アイセル21
2・21  ……川根町・教職員研修会
2・20  ……内野小学校
詳しい講演日時は、
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■2-11-1

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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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★★★★★★★★★★★★★★
03−2−11号(178)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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です! 日記を読んでいただけます!
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 電話054−246−6136
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
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ブロードバンドをお楽しみのみなさんへ、
「はやし浩司のホームページ」に新しく動画コーナーをつくりました。私の生の声などを収録しま
した。どうかおいでください。サイト・トップページより、どうぞ!
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
■【連載】:子育てワンポイントアドバイス by はやし浩司 ---------------

●最終回 親は自分の過去を再現する

 子どもが受験期を迎えると、たいていの親は言いようのない不安感に襲われ
 る。自分自身が自分の受験期にいやな思いをした人ほどそうで、記憶という
 のは、そういうもの。親は子育てをしながら、自分の過去を再現する。

 もっとも親が不安になるのは、親の勝手だが、その不安感を子どもにぶつけ
 てはいけない。ぶつけてもいけない。今はそういう時代ではない。むしろ受
 験そのものがもつ弊害というか、子どもの心への悪影響のほうが問題にされ
 始めている。親子関係そのものを破壊することも多い。しかし親子関係を犠
 牲にするほどの価値が受験にあるかというと、それは疑わしい。日本人が「
 何が本当に大切で、何が大切でないか」ということを、少しずつだが考え始
 めている。その一つの表れとして、一九九九年に文部省がした調査では、「
 もっとも大切にすべきもの」として、約四〇%が「家族」をあげた。さらに
 一九九五年ごろを境として、全国の塾数、塾の講師数ともに減少に転じてい
 る(通産省資料)。長引く不況と少子化が原因だが、それ以上に、「エリー
 トの凋落(ちょうらく)」が大きな影を落としている。Y証券会社という日
 本を代表するような証券会社が倒産したとき、そのときの社長が、「みんな、
 私が悪いんです」と、子どものように泣いてみせた。そう、あのとき日本の
 エリート神話は崩壊した!

 もちろん子育てには不安がついてまわる。子どもの将来はだいじょうぶだろ
 うか、と。そして一方、この日本には不公平格差が歴然としてある。そのコ
 ースに入った人は、必要以上に得をし、そうでない人は、公的な保護をまっ
 たくといってよいほど受けない。こうした不公平感を親たちは日常的に感じ
 ているから、ついつい子どもには「勉強しなさい」と言ってしまう。しかし
 この時点でも、おかしいのは社会であって、子どもではない。戦うべき相手
 は社会であって、子どもではない。

 話がそれたが、親は子育てをしながら、結局は、子どもの年齢ごとに自分の
 子育てを再現する。自分が受けた子育てを繰り返すといってもよい。しかし
 それがよいものであれば問題はないが、そうでないものだったら、再現しな
 いほうがよい。いや、本当の問題はこのことではない。本当の問題は再現し
 ているということにすら気づかないまま、自分の中の「過去」に振りまわさ
 れることだ。そしていつも同じような失敗を繰り返す。あなたもそういう視
 点で、一度あなたの心の中をのぞいてみてほしい。

 ☆はやし浩司のサイト: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ 

 ※「子育てワンポイントアドバイス」は今回をもって終了です。お読みいた
  だきありがとうございました。なお、近日、はやし氏の新連載を開始する
  予定です。


    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】雑感・雑談∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

本能論

 ツバメの雄は、雌の尾羽の長さに、魅力を感ずるらしい。そこである研究者が、メスの尾羽を
切ってみたところ、そのツバメは、その季節の間、雄に相手にされなかったそうだ。同じよう
に、コオロギなどは、触覚(ヒゲ)の長さで、美人、不美人が決まるそうだ。

 サルについては、メスは、お尻の赤さで決まるそうだ。赤ければ赤いほど、美人ということに
なるのだそうだが、赤いだけではいけない。シワが多ければ多いほど、また深ければ深いほど
よいそうだ。(以上、本屋での立ち読み情報。)

 で、人間はどうか。人間とサルは仲間だから、同じような反応を示すらしい。これは私という
個人の話だが、私は昔から、赤いタイトスカートの女性に弱い。そういう女性を見ると、ムラム
ラとくる。……ときた。黒いスカートや、青いスカートはダメ。とくに何も感じないのが、茶色のス
カート。嫌悪感すら覚える。長い間、その理由がわからなかったが、サルの話を聞いて、納得
した。

 人間の心理は、意外と単純なもの。自動車屋の男が、少し前、こう話してくれた。「車のバック
を見ると、ヒップがぐんと上にあがっている車と、そうでない車がある。男は車を選ぶとき、無意
識のうちにも、ヒップがあがった車を選ぶ」と。

 そういう話を思い出しながら、通り過ぎる車をながめてみた。たとえばトヨタのスパシオなど
は、たしかにヒップがあがっている。ホンダのレジェンドなどは、さがってはいないが、平ら。比
べてみると、たしかにスパシオのほうが、どこか魅力的な感じがする。

 そう言えば昔、コカコーラのビンは、女性の体に似せて、形を決めたという。とたん、売り上げ
が倍増したとか。よく知られた有名な話である。フロイトの言葉を借りるまでもなく、人間の行動
は、いつも、どこかで、性欲に支配されている? たれさがった尻(失礼!)より、あがった尻の
ほうが、若々しい。多分、自動車会社も、そういうことをどこかで考えながら、車のデザインを考
えているに違いない。

 こうした本能は、当然のことながら、だれにでもある。問題は、どこからどこまでが本能のな
せるワザであり、どこから先が、知性がなさえるワザかということ。たとえば性的に欲求不満ぎ
みの女性は、無意識のうちにも、スーパーでバナナを買い込むそうだ。(そう言えば、私のワイ
フも、このところ毎日のように、バナナを買ってくる。ギョッ!) バナナを買うというのは、その
時点では、知的な判断ということになる。しかしその裏で、実は本能がその人を操っている? 
こんな話もある。

人間が一番求める色は、緑や青だそうだ。それは太古の昔、人間が、サル、さらにその前は
魚だったことによるのかもしれない。そして一番安心できる色は、明るいベージュという説もあ
る。家のカベにせよ、内装の色にせよ、ベージュ系が多いのは、そのためと考えられている。
で、その理由がおもしろい。一説によると、あくまでも一説だが、人間は健康なウンチの色に、
一番の安心感を覚えるのだそうだ。ウンチは、言うまでもなく、健康のバロメーター。ナルホ
ド!

 こうした本能があるのは、し方ないとしても、本能に溺れると、ロクなことはない。いや、それ
以上にこわいのは、知性が、本能の影響を受けて、まちがった方向に進むこと。昔から哲学の
世界では、これが大きなテーマになっている。「まちがってものを考えるより、盲目であったほう
がよい」と言った、ハーバート。「無知は決して悪を生まない。危険な罪悪を生むのは、ただ誤
謬(ごびゅう)の観念である」と言った、ルソーなどがいる。要するに知性も、使い方をまちがえ
ると、危険ということ。本能的な叫び声を、自らの声と誤解して、それに知性をかぶせてはいけ
ない。

 ……と言っても、人間は知性だけでは生きてはいけない。またそれではおもしろくない。赤い
タイトスカートを見て、ムラムラとしても、それはそれでよいことではないか。食事にしても、健康
バランス栄養食は、たしかに体にはよいが、しかしおいしくない。体にはよくないとはわかって
いても、赤ちょうちんで食べる串焼きはおいしい。湯気のたったラーメンはおししい。脂(あぶ
ら)が飛び跳ねているビフテキはおいしい。そのおいしく感じさせる部分が、実は、本能というこ
とになる。

 何だか自分でも、何を書いているかわからなくなってきたので、この話はここまで。ただこれ
だけは言える。若いころは、何かにつけて、性欲が、私を支配していたように思う。もっともそ
れに気づいたのは、その性欲が薄れ始めた、五〇歳になってからのことだが、それがこの年
齢になると、よくわかる。そのため時間をムダにしたなという思いもあるにはあるが、同時に、
楽しかったという思いもある。よい例が、恋だ。初恋だ。だから私は、人間が本来的にもつ本能
を否定しない。本能が、人間の生活を、おもしろく楽しいものにしている。ときに豊かなものにし
ている。あなたはどんな本能をもっているだろうか。あなたも一度、自分の本能をのぞいてみた
らおもしろい。
(03−2−2)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(568)

アパート

 その近くの小学校で講演があったので、ほぼ三〇年ぶりに、昔住んでいたアパートをたずね
てみた。二階建ての長屋で、私たちの部屋は、一階の、通りから二つ目の部屋だった。その通
りに車を止めて、そのアパートを見たとき、胸がしめつけられた。

そのアパートで長男は生まれたが、母は二晩だけ、ワイフと長男の世話をしてくれた。最初は
一週間の予定だったが、狭くて、おとな三人が泊まれるようなアパートではなかった。四畳と六
畳、それに三畳ほどのキッチンしかなかった。

 トタン板の雨戸。さびた金具に、色あせたカベ。どこかゆがみ始めた屋根。いくつかには、人
の気配すらしなかった。横にいたワイフが、「昔のままね」と言った。私は声が出なかった。「あ
んなところに住んでいたのか……」と、そう思ったとたん、どんと重いものが、心をふさいだ。そ
の気持ちを察してか、ワイフが、「昔は、もう少しきれいだったわ」と言った。私は「うん」と答え
た。

こう書くからといって、私は何も母を責めているのではない。それが当時の常識だったし、私は
何も疑わず、そうしていた。子どもとして、それは当然の義務だと考えていた。

母はワイフや生まれたばかりの長男の世話をしてくれたが、私が二四万円のお金を渡すと、い
つものように、「もう帰るから」と言って、そのまま郷里へ帰っていった。それでまた、私の貯金
通帳はカラになった。私はそれを思い出しながら、ワイフにこう言った。

 「もし息子のだれかが、ああいうアパートに住んでいて、子どもが生まれたとする。そのときお
前は、その息子から、お金をもっていくようなことができるか?」と。するとワイフは、遠慮がち
な声でこう言った。「あなたのお母さんは、特別よ」と。

 当時の私は、自分の収入の約半分を、毎月、母に送り届けていた。実家での冠婚葬祭の費
用は、すべて私が負担してきた。そればかりではない。盆暮れに帰るたびに、二〇万円とか三
〇万円のお金を置いてきた。母は一応、断るフリをしたが、決して、本気ではなかった。そのつ
ど、「ふるさとを、お前の代わりに守ってやるからな」と言った。私は、そうしてほしいとは思った
ことはない。母独特の口実だと思っていた。

 それから三〇年。先月、実家に帰って母に会った。お茶を飲みながら、それとなく母にこう聞
いてみた。「母ちゃん、ぼくが毎月、母ちゃんにお金を送ったのを覚えている?」と。すると母
は、しばらく考えたフリをしながら、「覚えておらんな」と、ポツリと言った。本当に忘れたのか、
それとも、ただ忘れたフリをしているのか。昔から母は、そういう人だった。

 車を動かそうとすると、隣の家から、七〇歳くらいの女性が出てきた。私は窓をあけて、話し
かけた。「昔、このアパートに住んでいたものですが、ここの大家さんは元気ですか」と。すると
その女性はこう言った。「Fさんね。あの人は、もう一〇年前にN病院へ移り、そこでなくなった
ということですよ」と。N病院というのは、痴呆老人の入る病院である。その話を聞くと、「すみま
せん」と私は言って、車の窓を閉めた。冬の冷たい風が、その瞬間、頬を横切った。

 車が細い路地を抜けて電車通りに出るとき、ワイフがまた言った。「昔は、もう少しきれいだっ
たわ……」と。
(03−2−3)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子どもの肥満は、三歳児のときに決まる?

 「子どもの肥満の問題は、三歳児の生活習慣の乱れが原因」(03年1月)という調査結果が
発表された。

 発表したのは、富山医科薬科大学の研究チームだが、それによればこうだ(約一万人の子
どもたちについて、七年間の追跡調査)。

●三歳児のときに、「朝食を時々食べる」「おやつの時間を決めていない」というグループは、
「朝食を毎日食べる」「おやつの時間を決めている」というグループより、小学四年時に肥満に
なる例が、1・2〜1・8倍多い。

●とくにファーストフードやインスタント食品を多くとるほど、肥満の割合が高かった。

●また三歳児に、睡眠時間が11時間以上だったグループにくらべ、9時間未満のグループ
は、肥満が1・5倍多くなり、睡眠量が少ないと、肥満になりやすいことが判明。またそうした睡
眠習慣は、約半数が小四になってもかわらず、就学後も継続する傾向にある。
 
 子どもの肥満が、その後の健康によくないことは、今では、常識。小児肥満は、おとなになっ
てからの心疾患や高血圧の原因とされる。ちなみに、国民栄養調査(九七年)によれば、小中
学生の約10・7%が肥満で、七八年の7・2%から増加傾向にある。肥満児のうち約10%は、
高血圧、糖尿病などの合併症があるとされる。(以上読売新聞より)

 幼児の世界にも、慢性的な睡眠不足児というのは、たしかにいる。それについて書いた原稿
(中日新聞発表済み)が、つぎの原稿。

+++++++++++++++++++++++

「では今夜から早く寝させます」・睡眠不足の子ども

 睡眠不足の子どもがふえている。日中、うつろな目つきで、ぼんやりしている。突発的にキャ
ーキャーと声をあげて、興奮することはあっても、すぐスーッと潮が引くように元気がなくなって
しまう。顔色もどんより曇っていて、生彩がない。睡眠不足がどの程度、知能の発育に影響を
与えるかということについては、定説がない。ないが、集中力が続かないため、当然、学習効
果は著しく低下する。ちなみに睡眠時間(眠ってから目を覚ますまで)は、年中児で平均一〇時
間一五分。年長児で一〇時間。小学生になると、睡眠時間は急速に短くなる。

 原因の大半は不規則な生活習慣。「今日は土曜日だからいいだろう」と考えて、週に一度で
も夜ふかしをすると、睡眠時間も不安定になる。ある女の子(年長児)は、おばあさんに育てら
れていた。夜もおとな並に遅くまで起きていて、朝は朝で、おばあさんと一緒に起きていた。つ
まりそれが原因で睡眠不足になってしまった。また別の子ども(年長児)は、アレルギー性疾患
が原因で熟睡できなかった。腹の中のギョウ虫が原因で睡眠不足になったケースもある。で、
睡眠不足を指摘すると、たいていの親は、「では今夜から早く寝させます」などと言うが、そんな
簡単なことではない。早く寝させれば寝させた分だけ、子どもは早く目を覚ましてしまう。体内時
計が、そうなっているからである。そんなわけで、『睡眠不足、なおすに半年』と心得ること。生
活習慣というのは、そういうもので、一度できあがると、改めるのがたいへん難しい。

 なお子どもというのは、寝る前にいつも同じ行為を繰り返すという習性がある。これを欧米で
は、「ベッド・タイム・ゲーム」と呼んで、たいへん大切にしている。子どもはこの時間を通して、
「昼間の現実の世界」から、「夜の闇の世界」へ戻るために、心を整える。このしつけが悪い
と、子どもは、なかなか寝つかなくなり、それが原因で睡眠不足になることがある。まずいのは
子どもを寝室へ閉じ込め、いきなり電器を消してしまうような行為。こういう乱暴なことが日常化
すると、子どもは眠ることに恐怖心をもつようになり、床へつくことを拒否するようになる。ひど
いばあいには、情緒が不安定になることもある。毎晩夜ふかしをしたり、理由もないのにぐずっ
たりする、というのであれば、このベッドタイムゲームのしつけの失敗を疑ってみる。そこで教
訓。

 子どもを寝つかせるときは、ベッドタイムゲームを習慣化する。軽く添い寝をしてあげる。本を
読んであげる。やさしく語りかけてあげる、など。コツは、同じようなことを毎晩繰り返すようにす
ること。次にぬいぐるみを置いてあげるなど、子どもをさみしがらせないようにする。それに興
奮させないことも大切だ。年少であればあるほど、静かで穏やかな環境を用意する。できれば
夕食後は、テレビやゲームは避ける。なおこの睡眠不足と昼寝グセは、よく混同されるが、昼
寝グセの残っている子どもは、その時刻になると、パタリと眠ってしまうから区別できる。もし満
五歳を過ぎても昼寝グセが残っているようならば、その時間の間、ガムをかませるなどの方法
で対処する。

++++++++++++++++++++++++++++

富山医科薬科大学の研究チームの調査結果を知って、思い当たることがいくつかある。私は
肥満になることによって、そういう症状を示すと思っていたが、肥満タイプの子ども(とくに、ポッ
テリとどこかむくんだように太っている子ども)は、いつも眠そうな様子を見せる。私は以前、そ
れを勝手に「満腹症状」と呼んでいた。ちょうど満腹した人が、ゲップを出しながら、ウトウトと眠
り始める様子に似ていたからである。私は太っているからそういう症状を示すと思っていたが、
そうではなく、この調査結果によれば、もともと睡眠不足だから、そうなるということになる?

 また三歳児で睡眠時間が九時間以下の子どもがいるということに、私は驚いた。私の調査で
は、「睡眠時間(眠ってから目を覚ますまで)は、年中児で平均一〇時間一五分。年長児で一
〇時間」ということがわかっている。しかしこれでも、熟睡時間。九時間以下になると、どういう
影響が出るのか、私には想像もつかない。あるいは、この研究チームが調査したような結果に
なるのかもしれない。(睡眠時間が九時間以下という子どもが、何%いるのかということはわか
らないが、きわめて少数ではないのか。私が調査したときには、年中児(満五歳児)でも、九時
間以下という子どもは、いなかった。)

 どちらにせよ、またまた『三つ子の魂、百まで』が、実証された形になった。(この格言は、差
別を生むということで、公式には使えないことになっている。念のため。)私も、三歳までの家庭
のあり方、家庭教育のあり方が、子どもの心身の発育に、きわめて重要な影響を与えるという
ことを感じている。反対に、四歳や五歳になってからでは、「手遅れ」と感ずることも多い。

 むずかしい話はさておき、昔から、『寝る子は育つ』という。それは事実で、よく寝るということ
だけでも、子どもの心身は、健やかに育っていることを意味する。子どもの睡眠時間を、おろそ
かに考えてはいけない。
(03−2−3)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子どもの学力

 新学習指導要領によって、〇二年度から、教育内容は大幅に削減された。それについて、公
立の小中学校の教師について調査したところ、約七割が、「削減のしすぎ」と答えていることが
わかった(ベネッセ教育研究所)。

 「削減のしすぎ」と答えた小学校の教師……67・3%
             中学校の教師……71・7%

 「子どもの学力低下が起きる」と答えた小学校教師……76・0%
                   中学校教師……87・1%

 「新学習指導要領の見直しが必要」と答えた小学校教師……73・4%
                     中学校教師……82・4%

 この結果を見て、私はいくつかのことを考えた。まず、新学習指導要領が、文部科学省の、
局長、課長レベルの通達だけで、なされたこと。わかりやすく言えば、ほんの一部の官僚たち
の意向によって決定されたこと。

 つぎに現実問題として、削減された直後の、〇二年四月には、教える私自身が、「こんなに簡
単になってよいものか?」と思ったほどである。簡単なテストをしても、皆、一〇〇点という状況
だった。しかしそれも数か月だけのこと。やがて夏休みが終わるころになると、またもとのよう
に、できる子とできない子が現れ始めた。そしてほぼ一年がたってみると、新学習指導要領は
何だったのかという状況になっている。 

 一度のびたゴムは、もとには戻らない。この段階になって、再び、削減した内容をもとに戻す
などということは、不可能。新学習指導要領では、約三割削減されたということだが、仮に一割
復活させるというだけでも、現場は、大混乱するに違いない。それ以上に、子どもが応じないだ
ろう。

 で、三つ目の問題として、こうした混乱の責任は、だれが取るのかという問題。多分、文部官
僚のことだから、責任逃れのための諮問(しもん)機関※ぐらいは作ったかもしれない。いわゆ
る有識者による諮問機関というのである。官僚たちは、自分たちの権威を守り、自分たちのし
たいことをし、お墨付きをもらうために、こうした諮問機関を実にたくみに利用する。東大の元
教授ですら、「だいたい諮問機関のメンバーが、どういう基準で選ばれるのか、それすらわから
ない」と暴露している。

 グチを言っても始まらないが、現場の教師や子ども、それに親たちこそ、えらい迷惑。毎月の
ように変わる教育方針に振り回されるだけ。見かけはともかくも、最前線に立つ教師たちは、
みんなやる気をなくしている。そういう現実が、まったくわかっていない。

 今でも小学二年で掛け算を学ぶことになっている。それはそれとして、二〇年前、三〇年前
には、学校の教師は、残り勉強をさせてでも、子どもに掛け算の九九を暗記させていた。しか
し今は、違う。「適当」というと誤解があるが、まさに適当。「一応教えるが、覚えるか覚えない
かは、子どもたちの問題」と、どこか突き放したような教え方になってきている。(これは私の、
あくまでも個人的な印象だが……。)

 だから掛け算の学習が終わると、子どもたちはそのまま九九すら、忘れてしまう。これも私の
実感だが、その直後ですら、約二〇%の子どもは、満足に九九すら言えないのではないか。ど
の程度を、「できない」と言うかについても、議論はあるが……。

 だから小学三年生で、割り算を学ぶことになっているが、その前に、もう一度、掛け算の九九
を復習しなければならない。しかし現実には、その時間はない。だから九九がわからない子ど
もを残したまま、割り算の学習に入っていく。つまりこんなことを繰りかえしていたら、日本の子
どもたちの学力は、ますます低下していくだけ!

 親たちは、「小学二年で掛け算を学んだから、うちの子は、掛け算はできるはず」と考える。
あるいは「掛け算の九九を、ペラペラとソラで言えるから、掛け算はできるはず」と考える。しか
しこれはまったくの誤解。子どもだって、忘れるものは忘れる。掛け算の九九にしても、数か月
も使わなければ、忘れる。

 また九九をソラで言えるからといって、掛け算をマスターしたことにはならない。中には、「2×
3」は、「2+2+2」という意味ということすら理解していない子どももいる。そういう子どもが割
り算の学習に入ったら、どうなる?

 日本の教育は、今、危機的な状況にある。が、それだけではすまない。教育のこわいところ
は、その結果が、二〇年後、三〇年後に出てくるということ。つまりその分、責任の所在がわ
からなくなってしまうということ。そしてさらにこわいところは、仮に今、すばらしい教育をしたとし
ても、その成果が出てくるのは、やはり二〇年後、三〇年後ということ。こうしたことを言いかえ
ると、「日本の未来は、今の子どもたちを見ればわかる」ということになる。

 この先はまた別の機会に書くとして、今、構造改革(官僚政治の是正)が、もっとも必要なの
は、実は文部科学省なのである。そういうことが、日本の政府も国民も、まったくわかっていな
い。一つの例をあげる。

 もう一五年ほど前だろうか。世界中で、コンピュータ教育が始まった。私が印象に残っている
のは、一二年前にオーストラリアへ行ったときのこと。地方の小さな小学校を訪れたが、そこで
は何と小学三年生からコンピュータが必須だった。それからさらに数年後には、中学校での宿
題すら、フロッピーディスクで提出するのが、当たり前になっていた。

 が、日本では、実験的に数台もしくは、一〇台前後が、選ばれた小学校や中学校に置かれ
ていただけ。「日本でもコンピュータ教育を」という声が、通産省(当時)あがったが、それに「待
った」をかけたのが、何と、時の文部省である。理由は、「教員免許をもった教員がいない」と。
教員がいなければ、工学部卒の学生を教員にすればよい。……とだれしも考えるが、そういう
常識が通らないのが、日本の文部行政である。何をするにも、資格だの、許可だの、認可がい
る。教育学部で教授を育てるのに、二〇年かかる。そんなのを待っていたら、その間に、世界
はどこまで進む?

 その結果、日本のコンピュータ教育は、アジアの中ですらも、最下位になってしまった。台湾
や韓国にすら、大きく差をつけられてしまった。

 ここに書いたことは、私の記憶をたどりながら書いたことなので、細部ではまちがっているか
もしれない。しかし大筋では、まちがっていない。つまりこういうこと無数に繰りかえしながら、日
本の教育は、どんどんと遅れていく。少し前に書いた、少しショッキングなエッセーを転載する。
この原稿は、C新聞に載せてもらうつもりでいたが、編集者の意向でボツになったという経緯が
ある。

++++++++++++++++++++++++++++

学力は低下している?

 国際教育到達度評価学会(IEA、本部オランダ・一九九九年)の調査によると、日本の中学
生の学力は、数学については、シンガポール、韓国、台湾、香港についで、第五位。以下、オ
ーストラリア、マレーシア、アメリカ、イギリスと続くそうだ。理科については、台湾、シンガポー
ルに次いで第三位。以下韓国、オーストラリア、イギリス、香港、アメリカ、マレーシア、と。

この結果をみて、文部科学省の徳久治彦中学校課長は、「順位はさがったが、(日本の教育
は)引き続き国際的にみてトップクラスを維持していると言える」(中日新聞)とコメントを寄せて
いる。東京大学大学院教授の苅谷剛彦氏が、「今の改革でだいじょうぶというメッセージを与え
るのは問題が残る」と述べていることとは、対照的である。ちなみに、「数学が好き」と答えた割
合は、日本の中学生が最低(四八%)。「理科が好き」と答えた割合は、韓国についでビリ二で
あった(韓国五二%、日本五五%)。学校の外で勉強する学外学習も、韓国に次いでビリ二。
一方、その分、前回(九五年)と比べて、テレビやビデオを見る時間が、二・六時間から三・一
時間にふえている。

で、実際にはどうなのか。東京理科大学理学部の澤田利夫教授が、興味ある調査結果を公表
している。教授が調べた「学力調査の問題例と正答率」によると、つぎのような結果だそうだ。

この二〇年間(一九八二年から二〇〇〇年)だけで、簡単な分数の足し算の正解率は、小学
六年生で、八〇・八%から、六一・七%に低下。分数の割り算は、九〇・七%から六六・五%に
低下。小数の掛け算は、七七・二%から七〇・二%に低下。たしざんと掛け算の混合計算は、
三八・三%から三二・八%に低下。全体として、六八・九%から五七・五%に低下している(同じ
問題で調査)、と。

いろいろ弁解がましい意見や、文部科学省を擁護した意見。あるいは文部科学省を批判した
意見などが交錯しているが、日本の子どもたちの学力が低下していることは、もう疑いようがな
い。同じ澤田教授の調査だが、小学六年生についてみると、「算数が嫌い」と答えた子どもが、
二〇〇〇年度に三〇%を超えた(一九七七年は一三%前後)。反対に「算数が好き」と答えた
子どもは、年々低下し、二〇〇〇年度には三五%弱しかいない。原因はいろいろあるのだろう
が、「日本の教育がこのままでいい」とは、だれも考えていない。少なくとも、「(日本の教育が)
国際的にみてトップクラスを維持していると言える」というのは、もはや幻想でしかない。

++++++++++++++++++++++

みんなで考えよう、日本の教育改革

●遅れた教育改革
 二〇〇二年一月の段階で、東証外国部に上場している外国企業は、たったの三六社。この
数はピーク時の約三分の一(九〇年は一二五社)。さらに二〇〇二年に入って、マクドナルド
社やスイスのネスレ社、ドレスナー銀行やボルボも撤退を決めている。理由は「売り上げ減少」
と「コスト高」。売り上げが減少したのは不況によるものだが、コスト高の要因の第一は、翻訳
料だそうだ(毎日新聞)。悲しいかな英語がそのまま通用しない国だから、外国企業は何かに
つけて日本語に翻訳しなければならない。

 これに対して金融庁は、「投資家保護の観点から、上場先(日本)の母国語(日本語)による
情報開示は常識」(同新聞)と開き直っている。日本が世界を相手に仕事をしようとすれば。今
どき英語など常識なのだ。しかしその実力はアジアの中でも、あの北朝鮮とビリ二を争うしま
つ。日本より低い国はモンゴルだけだそうだ(TOEFL・国際英語検定試験で、日本人の成績
は、一六五か国中一五〇位・九九年)。日本の教育は世界の最高水準と思いたい気持ちはわ
からないでもないが、それは数学や理科など、ある特定の科目に限った話。日本の教育水準
は、今ではさんたんたるもの。今では分数の足し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何
ともない。「小学生レベルの問題で、正解率は五九%」(国立文系大学院生について調査、京
大・西村)だそうだ。

●日本の現状
 東大のある教授(理学部)が、こんなことを話してくれた。「化学の分野には、一〇〇〇近い
分析方法が確立されている。が、基本的に日本人が考えたものは、一つもない」と。オーストラ
リアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。しかし日本には数える
ほどしかいない。あの天下の東大には、一人もいない(注、この原稿を書いたのは、〇一年)。
ちなみにアメリカだけでも、二五〇人もの受賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと多い。「日
本の教育は世界最高水準にある」と思うのはその人の勝手だが、その実態は、たいへんお粗
末。今では小学校の入学式当日からの学級崩壊は当たり前。はじめて小学校の参観日(小
一)に行った母親は、こう言った。「音楽の授業ということでしたが、まるでプロレスの授業でし
た」と。

●低下する教育力
 こうした傾向は、中学にも、そして高校にも見られる。やはり数年前だが、東京の都立高校
の教師との対話集会に出席したことがある。その席で、一人の教師が、こんなことを言った。
いわく、「うちの高校では、授業中、運動場でバイクに乗っているのがいる」と。すると別の教師
が、「運動場ならまだいいよ。うちなんか、廊下でバイクに乗っているのがいる」と。そこで私が
「では、ほかの生徒たちは何をしているのですか」と聞くと、「みんな、自動車の教習本を読んで
いる」と。

さらに大学もひどい。大学が遊園地になったという話は、もう一五年以上も前のこと。日本では
大学生のアルバイトは、ごく日常的な光景だが、それを見たアメリカの大学生はこう言った。
「ぼくたちには考えられない」と。大学制度そのものも、日本のばあい、疲弊している! つまり
何だかんだといっても、「受験」が、かろうじて日本の教育を支えている。もしこの日本から受験
制度が消えたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育そのものも崩壊する。確かに一部の学
生は猛烈に勉強する。しかしそれはあくまでも「一部」。内閣府の調査でも、「教育は悪い方向
に向かっている」と答えた人は、二六%もいる(二〇〇〇年)。九八年の調査よりも八%もふえ
た。むべなるかな、である。

●規制緩和は教育から
 日本の銀行は、護送船団方式でつぶれた。政府の手厚い保護を受け、その中でヌクヌクと
生きてきたため、国際競争力をなくしてしまった。しかし日本の教育は、銀行の比ではない。護
送船団ならぬ、丸抱え方式。教育というのは、二〇年先、三〇年先を見越して、「形」を作らね
ばならない。が、文部科学省の教育改革は、すべて後手後手。

南オーストラリア州にしても、すでに一〇年以上も前から、小学三年生からコンピュータの授業
をしている。メルボルン市にある、ほとんどのグラマースクールでは、中学一年で、中国語、フ
ランス語、ドイツ語、インドネシア語、日本語の中から、一科目選択できるようになっている。も
ちろん数学、英語、科学、地理、歴史などの科目もあるが、ほかに宗教、体育、芸術、コンピュ
ータの科目もある。芸術は、ドラマ、音楽、写真、美術の各科目に分かれ、さらに環境保護の
科目もある。もう一つ「キャンプ」という科目があったので、電話で問い合わせると、それも必須
科目の一つとのこと(メルボルン・ウェズリー・グラマースクール)。 

 さらにこんなニュースも伝わっている。外国の大学や高校で日本語を学ぶ学生が、急減して
いるという。カナダのバンクーバーで日本語学校の校長をしているM氏は、こう教えてくれた。
「どこの高等学校でも、日本語クラスの生徒が減っています。日本語クラスを閉鎖した学校もあ
ります」と。こういう現状を、日本人はいったいどれくらい知っているのだろうか。

●規制緩和が必要なのは教育界
 いろいろ言われているが、地方分権、規制緩和が一番必要なのは、実は教育の世界。もっと
はっきり言えば、文部科学省による中央集権体制を解体する。地方に任すものは地方に任
す。せめて県単位に任す。だいたいにおいて、頭ガチガチの文部官僚たちが、日本の教育を
支配するほうがおかしい。日本では明治以来、「教育というのはそういうものだ」と思っている人
が多い。が、それこそまさに世界の非常識。あの富国強兵時代の亡霊が、いまだに日本の教
育界をのさばっている!

 今まではよかった。「社会に役立つ人間」「立派な社会人」という出世主義のもと、優良な会社
人間を作ることができた。「国のために命を落とせ」という教育が、姿を変えて、「会社のために
命を落とせ」という教育に置きかわった。企業戦士は、そういう教育の中から生まれた。が、こ
れからはそういう時代ではない。日本が国際社会で、「ふつうの国」「ふつうの国民」と認められ
るためには、今までのような教育観は、もう通用しない。いや、それとて、もう手遅れなのかもし
れない。

 いや、こうした私の意見に対して、D氏(六五歳・私立小学校理事長)はこう言った。「まだ日
本語もよくわからない子どもに、英語を教える必要はない」と。つまり小学校での英語教育は、
ムダ、と。しかしこの論法がまかり通るなら、こうも言える。「日本もまだよく旅行していないの
に、外国旅行をするのはムダ」「地球のこともよくわかっていないのに、火星に探査機を送るの
はムダ」と。私がそう言うと、D氏は、「国語の時間をさいてまで英語を教える必要はない。しっ
かりとした日本語が身についてから、英語の勉強をしても遅くはない」と。

●多様な未来に順応できるようにするのが教育
 これについて議論を深める前に、こんな事実がある。アメリカの中南部の各州の小学校で
は、公立小学校ですら、カリキュラムを教師と親が相談しながら決めている。たとえばルイサ・
E・ペリット公立小学校(アーカンソー州・アーカデルフィア)では、四歳児から子どもを預かり、
コンピュータの授業をしている。近くのヘンダーソン州立大学で講師をしている知人にそのこと
について聞くと、こう教えてくれた。「アメリカでは、多様な社会にフレキシブル(柔軟)に対応で
きる子どもを育てるのが、教育の目標だ」と。事情はイギリスも同じで、在日イギリス大使館の
S・ジャック氏も次のように述べている。「(教育の目的は)多様な未来に対応できる子どもたち
を育てること」(長野県経営者協会会合の席)と。オーストラリアのほか、ドイツやカナダでも、
学外クラブが発達していて、子どもたちは学校が終わると、中国語クラブや日本語クラブへ通
っている。こういう時代に、「英語を教える必要はない」とは!

●文法学者が作った体系
 ただ英語教育と言っても、問題がないわけではない。日本の英語教育は、将来英語の文法
学者になるには、すぐれた体系をもっている。数学も国語もそうだ。将来その道の学者になる
には、すぐれた体系をもっている。理由は簡単。もともとその道の学者が作った体系だから
だ。だからおもしろくない。だから役に立たない。こういう教育を「教育」と思い込まされている日
本人はかわいそうだ。子どもたちはもっとかわいそうだ。

たとえば英語という科目にしても、大切なことは、文字や言葉を使って、いかにして自分の意思
を相手に正確に伝えるか、だ。それを動詞だの、三人称単数だの、そんなことばかりにこだわ
っているから、子どもたちはますます英語嫌いになる。ちなみに中学一年の入学時には、ほと
んどの子どもが「英語、好き」と答える。が、一年の終わりには、ほとんどの子どもが、「英語、
嫌い」と答える。

●数学だって、無罪ではない 
 数学だって、無罪ではない。あの一次方程式や二次方程式にしても、それほど大切なものな
のか。さらに進んで、三角形の合同、さらには二次関数や円の性質が、それほど大切なものな
のか。仮に大切なものだとしても、そういうものが、実生活でどれほど役に立つというのか。こう
した教育を正当化する人は、「基礎学力」という言葉を使って、弁護する。「社会生活を営む上
で必要な基礎学力だ」と。

もしそうならそうで、一度子どもたちに、「それがどう必要なのか」、それを説明してほしい。「な
ぜ中学一年で一次方程式を学び、三年で二次方程式を学ぶのか。また学ばねばならないの
か」と、それを説明してほしい。その説明がないまま、問答無用式に上から押しつけても、子ど
もたちは納得しないだろう。現に今、中学生の五六・五%が、この数学も含めて、「どうしてこん
なことを勉強しなければいけないのかと思う」と、疑問に感じているという(ベネッセコーポレー
ション・「第三回学習基本調査」二〇〇一年)。

●教育を自由化せよ
 さてさきほどの話。英語教育がムダとか、ムダでないという議論そのものが、意味がない。こ
ういう議論そのものが、学校万能主義、学校絶対主義の上にのっている。早くから英語を教え
たい親がいる。早くから教えたくない親もいる。早くから英語を学びたい子どもがいる。早くから
学びたくない子どももいる。早くから英語を教えるべきだという人がいる。早くから教える必要
はないという人もいる。要は、それぞれの自由にすればよい。

今、何が問題かと言えば、学校の先生がやる気をなくしてしまっていることだ。雑務、雑務、そ
の上、また雑務。しつけから家庭教育まで押しつけられて、学校の先生が今まさに窒息しようと
している。ある教師(小学五年担任、女性)はこう言った。「授業中だけが、体を休める場所で
す」と。「子どもの生きるの死ぬのという問題をかかえて、何が教材研究ですか」とはき捨てた
教師もいた。

そのためにはオーストラリアやドイツ、カナダのようにクラブ制にすればよい。またそれができ
る環境をつくればよい。「はじめに学校ありき」ではなく、「はじめに子どもありき」という発想で
考える。それがこれからの教育のあるべき姿ではないのか。

また教師の雑務について、たとえばカナダでは、教師から雑務を完全に解放している。教師は
学校での教育には責任をもつが、教室を離れたところでは一切、責任をもたないという制度が
徹底している。教師は自分の住所はおろか、電話番号すら、親には教えない。だからたとえば
親がその教師と連絡をとりたいときは、親はまず学校に電話をする。するとしばらくすると、教
師のほうから親に電話がかかってくる。こういう方法がよいのか悪いのかについては、議論が
分かれるところだが、しかし実際には、そういう国のほうが多いことも忘れてはいけない。

+++++++++++++++++++++++++++

 暗い話ばかり書いたが、日本の教育がなぜこうなってしまったかといえば、実は、その責任
は、私たち親にある。何の疑問ももたないまま、また何も考えないまま、今まで、お上(かみ)の
言うとおりにしてきた。「日本の未来は、私たちがつくる。そのための子育てであり、教育だ」と
いう視点が、あまりにも欠けていた。そういう受動的な姿勢が、結果的に、今の現状をつくって
しまった。

 これはあくまでも私の個人的な見解だが、今の文部科学省に改革を求め、それを待っていた
ら、さらにここ一〇年、二〇年を浪費することになる。つまり間にあわない。だったら、一人ひと
りの親が、自主的に自分の子育て法を組み立て、自分で子育てを始めるしかない。いわば教
育のゲリラ闘争のようなものだが、残念ながら、私はそれしか方法がないのではと思う。それ
が私の今の結論である。このつづきは、読者の皆さんの意見をもう少し聞きながら、再度、考
えてみる。
(03−2−3)

●教育とは自然の性、すなわち天性に従うことでなければならない。国家あるいは社会のため
を目標とし、国民とか公民になす教育は、人の本性を傷つけるものである。(ルソー「エミー
ル」)
●忍耐力をもたねばならないようであれば、教育者としては失格である。子どもには愛情と、喜
びをもたねばならない。(ペスタロッチ「口頭による意見」)
●よき官僚は、悪しき政治家である。(ヴェーバー「職業としての政治」)

     ⌒⌒⌒⌒
    ((( (( (( 
     ⌒  ⌒ 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 607人
最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)  ……読者数(Nr. of Readers)  86人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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★★★★★★★★★★★★★★
03−2−13号(179)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 日記を読んでいただけます!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 電話054−246−6136
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ブロードバンドをお楽しみのみなさんへ、
「はやし浩司のホームページ」に新しく動画コーナーをつくりました。私の生の声などを収録しま
した。どうかおいでください。サイト・トップページより、どうぞ!
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【1】世にも不思議な留学記(番外編)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 豊かな生活、そして帰国※

●モーニングコール
 「ヒロ〜シ、ヒロ〜シ」と、朝になると、隣の別荘(ビーチハウス)のジュリーがやってきて、私を
呼んだ。すると横にいたデニスが、私をからかって、「ヒロシ、モーニングコールだ」と。

 道路の向こうからは、一日中、潮騒の音が聞こえる。目を開けると、まばゆいばかりの光線。
さわやかなそよ風。描きかけた油絵が、部屋のすみに立っている。
日本がここまで豊かになるとは、当時、だれが予想しただろうか。私は「日本がオーストラリア
の生活水準に達するには、五〇年はかかる。あるいは永遠に不可能」とさえ思っていた。前の
晩も、デニスの父親が、自宅でピーター・オトゥール主演の『アラビヤのロレンス』を見せてくれ
た。まだビデオなどない時代で、フィルムは、仲間の映写技師から借りたものだという。自宅に
大型の映写機があること自体、私には信じられなかった。

寝室を出ると、食卓には、盛りつけられたパンや果物。戸棚には、何種類ものドイツ製のビー
ル。それにワインと酒。壁を飾る、アボリジニーの壁画。デニスの姉が、何日もかけて描きあげ
たものだという。そして週末は、こうして海のそばの別荘で過ごす……。そのどのひとつをとっ
ても、当時の日本にはないものばかりだった。

「デニス、ぼくは、やはり日本へ帰るよ」
「こちらで就職しないのか?」
「週給五五ドル※だという。高卒の給料だ」
「しかし君は、学位をもっている」
「日本の学位は、オーストラリアでは認められない」
「認められない?」
「話してみたけど、ダメだった……」
 私はその数日前に受けた面接試験の話を、デニスに話した。日本にも支社があるという会社
だったが、あとで担当者が、「その給料なら雇う」と電話で知らせてきた。

●日本へ帰る
 私は日本にいる親や、別れたN子のことを考えていた。いや、それ以上に、日本のことを考
えていた。オーストラリアから見ると、どうしようもないほど小さな島国だが、しかし私の国だ。こ
のところメルボルンの町の中を歩いていても、どこかフワフワと足が浮いたような状態になる。
みなは親切だが、しかしその親切は、ある一定の限度まで。私はアジア人だ。背が低く、肌の
黄色いアジア人だ。それから生まれる違和感は、どうしようもなかった。

 しばらくすると、またジュリーが呼んだ。「ヒロ〜シ」と。するとデニスがこう言った。「ヒロシ、気
をつけろ。彼女はまだ中学生だ」と。「わかっている」と私。週末になるとジュリーの一家もこうし
て別荘にやってくる。いつしか私とも知りあいになり、何度か夕食もごちそうになった。が、も
し、その私が、仮にいつか、たとえばオーストラリアの女性と恋仲になり、結婚……ということに
なったら、多分、その女性の両親の態度は、急変するに違いない。ジュリーにかぎらず、オー
ストラリア人の家族とつきあうときは、どんなことでも、私はその一歩手前で止めなければなら
ない。客人の立場で、その立場を守っている間は、歓迎される。それを超えたら、排斥される。

 デニスとビーチに出ると、ジュリーがそこに立っていた。私は何枚か、ジュリーの写真をとっ
た。その一枚が、これである。その後、デニスの別荘は山火事(ブッシュファイア)で燃えた。ジ
ュリーの別荘も燃えて、その後、音信はない。本名は、ジュリー・ピーターズ。今、彼女は、四五
歳前後になっているはずである。きっとすばらしい人生を送っていることと思う。オーストラリア
の青い空のように、抜けるほど明るく、陽気な女の子だった。
(※当時のレートは、一ドルが四〇〇円。日本の大卒の初任給は、五〜六万円だった。) 

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】子育てチェックほか∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

どうしてうちの子を泣かすのですかア!(1298)

子育ては子離れ(失敗危険度★★★★★)

●そのうちメソメソと……
 子育てを考えたら、その一方で同時に、子離れを考える。「育ててやろう」と考えたら、その一
方で同時に、「どうやって手を抜くか」を考える。そのバランスよさが子どもを自立させる。こん
なことがあった。

 帰りのしたくの時間になっても、D君(年中児)はそのまま立っているだけ。机の上のものをし
まうようにと指示するのだが、「しまう」という言葉の意味すら理解できない。そこであれこれ手
振り身振りでそれを示すと、D君はそのうちメソメソと泣き出してしまった。多分そうすれば、家
ではだれかが助けてくれるのだろう。が、運の悪いことに、その日にかぎって、たまたま母親が
D君を迎えにきていた。D君の泣き声を聞くと教室へ飛び込んできて、私にこう言った。「どうし
てうちの子を泣かすのですかア!」と。

●遅れる「核」形成
 このタイプの親は、子どもの世話をするのを生きがいにしている。あるいは手をかけること
が、親の愛の証(あかし)と誤解している。しかし親が子どもに手をかければかけるほど、子ど
もはひ弱になる。俗にいう「温室育ち」になり、「外に出すとすぐ風邪をひく」。

特徴としては、(1)人格の「核」形成が遅れる。ふつう子どもというのは、その年齢になるとその
年齢にふさわしい「つかみどころ」ができてくる。しかしそのつかみどころがなく、教える側から
すると、どういう子どもなのかわかりにくい。(2)依存心が強くなる。何かにつけて人に頼るよう
になる。自分で判断して、自分で行動をとれなくなる。先日も新聞の投書欄で、「就職先がない
のは、社会の責任だ」と書いていた大学生がいた。そういうものの考え方をするようになる。
(3)精神的にもろくなる。ちょっとしたことでキズついたり、いじけたり、くじけたりしやすくなる。
(4)全体に柔和でやさしく、「いい子」という印象を与えるが、同時に子どもから本来人間がもっ
ているはずの野生味が消える。

●何でも半分
 人間の世界を生き抜くためには、ある程度のたくましさが必要である。たとえばモチまきのと
き、ぼんやりと突っ立っていては、モチは拾えない。生きていくときも、そうだ。そのたくましさ
を、どうやって子どもに身につけさせるかも、子育てでは重要なポイントとなる。もしあなたの子
どもが、先のD君のようであるなら、つぎのような格言が役にたつ。

 「何でも半分」……子どもにしてあげることは、何でも半分にして、それですます。靴下でも片
方だけはかせて、もう片方は自分ではかせる。あるいは服でも途中まで着させて、あとは子ど
もに任す、など。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

白砂糖は白い麻薬

子どもの体で考える(失敗危険度★★)

●缶ジュースを四本!
 体重一五キロの子どもがかん缶ジュース一本飲むということは、体重六〇キロの人が同じ缶
ジュースを四本飲むのに等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを四本は飲めない。飲めば飲ん
だで、腹の中がガボガボになってしまう。しかし無頓着な人は、子どもに平気で缶ジュースを一
本与えたりする。ソフトクリームもそうだ。横からみると、子どもの顔よりも大きなソフトクリーム
を子どもに与えている人がいる。それがいかに多い量かは、一度あなたの顔よりも大きなソフ
トクリームを特別に注文してみればよい。そういうものを一方で子どもに与えておいて、「うちの
子は小食で困ります」は、ない。(ちなみに約半数の親が、子どもの小食で悩んでいる。好き嫌
いがはげしい。食が少ない。ノロノロ食べるなど。)

●「いらんこと、言わんでください!」
 私は職業がら、そういう親子を見ると、つい口を出したくなる。先日もファミリーレストランで、
アイスフロートのジュースを飲んでいる子ども(年長児)を見かけたので、にこやかに笑いなが
らだったが、「そんなにたくさん飲まないほうがいいよ」と声をかけてしまった。が、それを聞い
た母親はこう叫んだ。「いらんこと、言わんでください!」と。いらぬお節介というわけだ。

●砂糖は白い麻薬
 ほかにスナック菓子、かき氷しかり。世界を歩いてみても、日本ほどお菓子の発達(?)した
国は少ない。もっとも味についていえば、アメリカ人のほうが、日本人よりはるかに甘党で、健
康に害があるとかないとかいうことになれば、日本ではそれほど心配しなくてもよいのかもしれ
ない。しかし一時的に甘い食品(精製された白砂糖が多い食品)を大量に摂取すると、インスリ
ンが大量に分泌され、それが脳間伝達物質であるセロトニンの分泌を促し、脳に変調をきたす
ことが知られている。そしてそのため、脳の抑制命令が阻害され、子どもは突発的に興奮しや
すくなったりするという。「白砂糖は白い麻薬」と言う学者もいる。もう二〇年ほど前に、アメリカ
で問題になったことだが、もしあなたの子どもが日常的に興奮しやすく、突発的に暴れたり、ヒ
ステリー状態になることが目立つようだったら、一度砂糖断ちをしてみるとよい。子どもによっ
ては、たった一週間砂糖断ちしただけで、別人のように静かになるということはよくある。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

「産んでやった」という意識

 Aさん(母親、六〇歳)は、いつも息子(三五歳)にこう言っていた。「お前を産んでやったでな」
「育ててやったでな」「大学まで出してやったでな」と。それがAさんの口ぐせでもあった。

 正月にそのAさんの息子に会うことがあったので、その後、どうなったか、それとなく聞いてみ
た。息子は、こう言った。「いやな言葉ですね。今でもときどき、そう言われます」と。

 「産んでやった」と、子どもの恩を着せる親は、今でも少なくない。問題は、なぜ恩着せるかだ
が、その原点に、望まない結婚、望まない出産があったとみてよい。「産みたくはなかったが、
いやいや産んでやった」「育てたくなかったが、いやいや育ててやった」「大学を出してやりたく
なかったが、いやいや苦労して出してやった」と。さらにその背景には、子どもを、人間としてみ
るのではなく、モノ、もしくは財産とみる考え方がある。

 もっとも、子どもがその言葉をすなおに受け入れてしまえば、問題はない。「産んでいただき
ました」「育てていただきました」「大学を出していただきました」と。そういう人も、いるにはい
る。たいていこのタイプの人は、親への依存性が強く、一方、その依存性を隠すために、ある
いは正当化するために、親を美化する傾向が強い。「私の親はすばらしい親だ。だからその親
を尊敬し、親に孝行するのは当然だ」と。

 自分の親を絶対だと思うのは、その人の勝手だが、その価値観を、子どもに押しつけてはい
けない。一般論として、先祖崇拝意識の強い人ほど、自分の子どもにも、それを強いることが
多い。B氏(七五歳)は、ことあるごとにこう言っている。「今の若いものは、先祖を大切にしな
い。先祖を先祖とも思わない」と。B氏のいう「先祖」というのは、結局は自分のことをいう。

 そこでチェックテスト。

(1)子どもに向かって、「親に向かって」とか、「何だ、その態度は」と言うことがある。
(2)親を粗末にする子どもは、不幸になる。できそこないだと思う。
(3)親は絶対的なもので、悪口を言ったり、批判してはいけないと思う。
(4)親孝行は美徳であり、子育ての要に親孝行がある。そういう子どもにしたい。
(5)「先祖」という言葉をよく使う。先祖あっての子孫だと考えやすい。

 こうした考え方が、まちがっているというのではない。ただ問題は、あなたの子どもがそれを
受け入れないとしたら、どうするかということ。方法は二つある。強引に押しつけるか、反対に
親のほうがあきらめる。もちろんその中間もある。たがいに妥協するという方法もある。しかし
このテストで、三〜五個、当てはまるようなら、あなた自身というより、あなたの子どもの心の中
をのぞいてみたらよい。ひょっとしたら、あなたの子どもの心は、すでにあなたの手の届かない
遠くにいってしまっているかもしれない。それだけではない。とくにこのタイプの親ほど、自分で
は、「私はすばらしい親だ」と思い込みやすい。つまりその分だけ、自分の姿や子どもの心が
見えない。見えないから、失敗しやすい。

 実のところ、私も子どものころ、母に「産んでやった」「育ててやった」と、それこそ耳にタコが
できるほど、聞かされた。当時は、どこの親もそうではなかったか。数年前、従兄弟(いとこ)会
があったので、一人、二人に聞いてみたが、従兄弟たちもそう言われたと言った。で、ある日、
私はそれに猛反発した。私が高校生のときではなかったかと思う。「いつ産んでくれと、頼んだ
ア!」と。それはただの反発ではなかったと思う。私はそう反発しながら、私は私を取り巻いて
いるクサリをはずしたかった。少し大げさな言い方に聞こえるかもしれないが、それはまさに自
由への叫び声だった……。

 と、言っても、それでクサリがはずれたわけではない。今でも、そのクサリは、私の体に巻き
ついたまま。このクサリだけは、簡単には、はずれない。親だけの問題ではない。家の問題。
先祖や墓の問題。兄弟や親類の問題。さらに近所の問題もある。そういうものが無数に、しか
も複雑にからんで、体をしめつける。それはいつ晴れるともわからない、曇った空のようなも
の。心のカベにペタリと張りついて取れない。もがいても、もがいても、取れない。

 私は自分の息子たちには、そういうクサリを感じてほしくない。できるだけ感じてほしくない。
そういう願いをこめて、このエッセーを書いた。
(03−2−5)

●建前は、それを守っている限りは、他の人々の好意をあてにできるので、少なくともその分
だけは、甘えが満たされる。(土居健郎「甘えの構造」)

     ⌒⌒⌒⌒
    ((( (( (( 
     ⌒  ⌒ 
     ・。・ β
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \   みなさんのご家庭で、このマガジンが役だって
 ゜\/│ // │ / /    いますか?
   Γ ̄ ̄│──|○   何かテーマがあれば、掲示板にでもお書きください。

   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
ギブ意識と、テイク意識

 ギブ、つまり「与える」意識と、テイク、つまり「もらう」意識は、平等ではない。

 与えたほうは、「与えた」という意識をしっかりともつ。しかしもらうほうは、「もらった」という意
識を、すぐ忘れる。もう少しわかりやすい例では、世話をしたほうは、「世話をしてやった」という
意識を、しっかりともつ。しかし世話をされたほうは、「世話をしてもらった」という意識を、すぐ
忘れる。

 これと似た意識に、被害者意識と加害者意識がある。たとえば「いじめ」にしても、いじめられ
たほうは、それを忘れない。しかしいじめたほうは、ときには、いじめたという意識すらもたない
ことが多い。

 私にもこんな経験がある。最近、親類のAさんと、どこかギクシャクしてきた。そこである日、
ワイフに、そのことを話すと、ワイフはこう言った。「でも、あの人には世話になったのよ」と。そ
こで私が、「どんなことで?」と聞くと、あれこれいろいろ話してくれた。(内容についてはここで
は書けない。)で、私も、それを思い出し、「そうだったなあ」と。

 一方、私も「してやったこと」は、よく覚えている。「あれをしてやった」とか、「これをしてやっ
た」とか。で、相手が、それに応じないようなとき、「あの人も恩知らずだ」と思ったりする。つま
り人間というのは、「してやったこと」については、過大評価し、「してもらったこと」には、過小評
価する。そういう傾向が強い。つまり「ギブ、つまり『与える』意識と、テイク、つまり『もらう』意識
は、平等ではない」ということになる。

 このことは、処世術としては、重要な意味をもつ。

 まず「してやること」については、それを過大評価しないように、心がける。いわゆる恩に着せ
ないということ。できるだけ早く忘れるようにする。一方、「してもらうこと」については、それを過
小評価しないように、心がける。いわゆる恩を忘れないということ。できるだけ心にとめておくよ
うにする。それぞれどの程度にすればよいのかという問題もあるが、そう心がけることで、ちょ
うどバランスがとれる。

 私のばあい、台所の壁に、一枚の小さな紙を張りつけている。それには、世話になった人の
名前を書きこむようにしている。このところ何かにつけて、ものをすぐ忘れるようになったので、
こうした作業は欠かせない。そして何らかの形で、そのつど恩返しをするようにしている。

 一方、不愉快な人や、不愉快なできごとは、すぐ忘れるようにしている。若いころは、ブラック
リストなるものを作って、その人を、「一生、のろってやる(冗談!)」と思ったこともあるが、そう
いうことをすれば、精神が腐(くさ)るだけ。時間のムダ。だからやめた。

 ただし、子どもに対しては、この処世術は、応用してはいけない。親は、子どもに対しては、い
つも無心。無我。見返りを求めない。損得の計算をしないから親子という。恩を着せたり、着さ
せられたりしないから親子という。親子の間には、ギブアンドテイクの論理は、通用しない。ま
たそれを考えてはいけない。これは子育ての常識。
(03−2−4)

●真にすばらしいものは、値段が安い。有害なものほど、値段が高い。(ソロー「断片」)


 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

雑感(北朝鮮問題)

 今日(二月四日)のニュースによると、アメリカ軍は、日本海に空母を展開するという。もちろ
ん空母一隻だけがくるわけではない。空母を取り囲んで、駆逐艦や護衛艦など。補給艦や潜
水艦も配備される。戦艦も含まれる。相当な軍事的圧力といってよい。「北朝鮮に脅威を与え
ない」という理由で、北朝鮮から一〇〇〇キロ離れたところに空母を置くというが、脅威を与え
ないというわけにはいかない。恐らく北朝鮮の政権内部は、てんやわんやの状態だろう。

 が、北朝鮮の今後の動向を決めるのは、実は、金正日ではない。国内情勢である。独裁者
の常として、独裁者自身は、自分の安泰を最優先に考える。だから、皮肉なことに、たいてい
は国外に向かっては、平和主義者。独裁者が外に向かって戦争をしかけるときは、国内にお
いて、自分の立場があやうくなったときである。

 こういう視点でみると、現在の北朝鮮問題は、まさに危機的状況にあると考えてよい。原油は
不足し、食料も不足している。経済はハイパーインフレ。軍の統制もままならない状態だとい
う。北朝鮮内部が、まさに壊滅状態だとするなら、金正日に残された方法は、ただひとつ。外に
向かって、戦争に打って出るしかない。

 ところでこうした北朝鮮の動向に大きな影響を与えるのが、中国とロシアということになるが、
ロシアは、北朝鮮を、完全に見限っている。問題は中国だが、中国自身も、北朝鮮と一線を引
き始めている。韓国系の朝鮮日報によれば、北朝鮮内部の中国のスパイ網が崩壊し、その報
復として、中国国内の北朝鮮のスパイ網も、大きな打撃を受けているという。たがいの関係は
かなりギクシャクし始めているらしい。一応友好国ということになっているが、中国も、北朝鮮を
もてあましているとみるのが、正しい。

 北朝鮮の孤立化はますます進んでいる。……というより、完全に孤立してしまった。ふつうな
ら北朝鮮の崩壊は、時間の問題ということになるが、そこはカルト国家。いわば、たがいの信
仰で結束している。そうは簡単には崩壊しない。この日本だって、これだけ構造改革、つまり官
僚政治の是正が求められているのに、ビクとも動かない。外から見れば、それがわかるのだ
が、日本人には、それがわからない。同じように、北朝鮮の人たちも、自分がわからない。「自
分たちは、まともだ」と思っている。

 春先から、北朝鮮の食糧問題は、ますます深刻化するという※。昨日(二月四日)、WFP(国
連世界食糧計画)が、食糧援助を各国に求め始めた。〇三年度も約一〇〇万トンの穀物が不
足すると言われている。が、肝心の農業生産力が、今年はさらに低下する可能性が高い。農
機具の老朽化もさることながら、燃料が不足している。かんがい用のポンプも使えないため、
水田に水も供給できないところもあるという。つまりすべてが、やることなすこと、裏目、裏目に
出ている。

 いまや金正日は、自分の王朝の保身しか考えていない。愚かで、あわれな独裁者である。本
来なら北朝鮮の人たちによって、袋叩きにあってもおかしくない立場だが、それを恐怖政治で
押さえこんでいる。少しでも批判的なことを口にすれば、即、逮捕。収容所送りだそうだ。そうい
うことが平気でできる指導者が、なりふりかまわず、瀬戸際外交を繰り返している。それに日本
やアメリカが翻弄(ほんろう)されている。このあたりの言葉で言うなら、「えらい、迷惑」をこうむ
っている。

 このままでは戦争は、不可避。頼みの綱は、中国とロシアしかない。あるいは内部崩壊かク
ーデター。いや、それ以上に気になるのは、こうした緊張感の中で、今まさに、北朝鮮内部で
は、地獄絵図が繰りかえされているということ。モラルや道徳、マナーは崩壊し、わずかな食料
を奪いあって、殺しあいすら起きているという。仮に、このまま平和的に問題が解決しても、そ
の心の後遺症は、これから先、何世代もつづく。すでに栄養不良による低身長にいたっては、
約六〇%の子どもに、その傾向が見られるという。

 アメリカの気持ちもわからないでもないが、北朝鮮など、本気で相手にしなければならない国
ではない。ないが、しかし核兵器は別である。ああいうものを世界に拡散してくれたら、それこ
そ世界はめちゃめちゃになってしまう。「言うことを聞かなければ、東京に原爆を落とす」と言わ
れたら、そのとき日本は、何とする? 今の北朝鮮は、そういうことが平気でできる国なのであ
る。

 平和であるほうがよいに決まっている。しかしここは日本にとっても、正念場。腹をくくってとり
かかるしかない。
(03−2−5)

※北朝鮮全体の16パーセントの子どもが急性の栄養失調でひどく衰弱しており、62パーセント
もの子ども達が多かれ少なかれ発育不良(慢性の栄養失調)だと判明。(『朝鮮民主主義人民
共和国政府と共同して行なわれた欧州連合、ユニセフ、世界食糧計画による栄養調査の報告
書』(1998年11月)参照)

※昨日の報道番組で、NセンターのK氏が、「アメリカだって核兵器をもっているではないか。
そのアメリカがほかの国に、核兵器をもつなというのはおかしい」と言っていた。しかし何もアメ
リカの核を容認するわけではないが、この論理はおかしい。今では、パキスタンや北朝鮮のよ
うな国ですら、核兵器を作ることができる。お金もかからない。そのうちどこかのゲリラですら、
作ることができるようになるだろう。そういう時代になったからこそ、だれかがそれを抑制しなけ
ればならない。もしアメリカから核兵器がなくなれば、だれがそれを抑制するのか。だれもアメ
リカの言うことなど聞かなくなる。つまり歯止めそのものがなくなってしまう。ものごとは、もう少
し、現実的に考えるべきではないのか。もちろん最終的には、世界中から核兵器を廃絶しなけ
ればならない。そのワンステップとして、今以上に、核兵器をもつ国を、ふやしてはいけない。

    ┌┐
    │ト
    ≧≦ ∪          z
   ━━━━━━        z
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/  〜       〆  へく ^川     どうか、よろしくご購読ください。
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■2-15

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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 609人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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03−2−15号(180)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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です! 日記を読んでいただけます!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 電話054−246−6136
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ブロードバンドをお楽しみのみなさんへ、
「はやし浩司のホームページ」に新しく動画コーナーをつくりました。私の生の声などを収録しま
した。どうかおいでください。サイト・トップページより、どうぞ!
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【掲示板】
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と読みやすくなります。お試しください。
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

以前載せた原稿と内容がダブりますが、お許しください。

++++++++++++++++++++++++++++++++

友を選ぶか、親を選ぶか?(1295)
友を責めるな(失敗危険度★★★)

●行為を責める
 あなたの子どもが、あなたからみて好ましくない友だちとつきあい始めたときの鉄則がこれ。
「友を責めるな、行為を責めよ」。イギリスの格言だが、たとえばどこかでタバコを吸ったとす
る。そういうときは、タバコは体に悪いとか、タバコを吸うことは悪いことだと言っても、決して相
手の子どもを責めてはいけない。名前を出すのもいけない。この段階で、たとえば「D君は悪い
子だから、つきあってはダメ」などと言うと、それは子どもに、「友を選ぶか、親を選ぶか」の、
二者択一を迫るようなもの。あなたの子どもがあなた(親)を選べばよいが、そうでなければあ
なたと子どもの間に大きなキレツを入れることになる。あとは子ども自身が自分で考え、その
「好ましくない友だち」から遠ざかるのを待つ。こういうケースでは、よく親は、「うちの子は悪くな
い。相手が悪い」と決めてかかることが多いが、あなたの子どもがその中心格になっていると
考えて対処する。が、それでもうまくいかないときがある。そういうときは、つぎの手を使う。

●信じて伸ばす
 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のよい面を見せようとする。そこであ
なたは子どもの前で、相手の子どもをほめる。○○君は、おもしろい子ね。ユーモアがあって、
お母さんは大好きよ」とか。あなたのそういう言葉は必ず相手の子どもに伝わる。その時点で、
相手の子どもは、あなたの期待にこたえようとし、その結果、あなたの子どもをよい方向に導
いてくれる。いうなればあなたはあなたの子どもを通して、相手の子どもを遠隔操作するわけ
だが、これは子育ての中でも高等技術に属する。

●一度こわれた心はもどらない 
ほとんどの親は、子どもが非行に向かうようになると、子どもを叱ってなおそうとする。暴力や
威圧を加える親もいる。しかし一度こわれた子どもの心は、そんなに簡単にはなおらない。もし
そういう状態になったら、今より症状を悪化させないことだけを考えながら、一年単位で子ども
の様子をみる。あせって何かをすればするほど、逆効果になるので注意する。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

無理をする→ますますさがるの悪循環
子どもを知る(失敗危険度★★★★)

●親の欲目
 「己の子どもを知るは賢い父親だ」と言ったのはシェークスピア(「ベニスの商人」)だが、それ
くらい自分の子どものことを知るのは難しい。親というのは、どうしても自分の子どもを欲目で
見る。あるいは悪い部分を見ない。「人、その子の悪を知ることなし」(「大学」)というのがそれ
だが、こうした親の目は、えてして子どもの本当の姿を見誤る。いろいろなことがあった。

●やってここまで
 ある子ども(小六男児)が、祭で酒を飲んでいて補導された。親は「誘われただけ」と、がんば
っていたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。またある夜一人の父親が、A君(中
一)の家に怒鳴り込んできた。「お宅の子どものせいで、うちの子が不登校児になってしまっ
た」と。A君の父親は、「そんなはずはない」とがんばったが、A君は学校でもいじめグループの
中心にいた、などなど。こうした例は、本当に多い。子どもの姿を正しくとらえることは難しい
が、子どもの学力となると、さらに難しい。

たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」と思っている。たとえ成績が悪くても、「勉強
の量が少なかっただけ」とか、「調子が悪かっただけ」と。そう思いたい気持ちはよくわかるが、
しかしそう思ったら、「やってここまで」と思いなおす。子どものばあい、(やる・やらない)も力の
うち。子どもを疑えというわけではないが、親の過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。
そこで子どもの学力は、つぎのようにして判断する。

●子どもを受け入れる
 子どもの学校生活には、ほとんど心配しない。いつも安心して子どもに任せているというので
あれば、あなたの子どもはかなり優秀な子どもとみてよい。しかしいつも何か心配で、不安が
つきまとうというのであれば、あなたの子どもは、その程度の子ども(失礼!)とみる。そしても
し後者のようであれば、できるだけ子どもの力を認め、それを受け入れる。早ければ早いほど
よい。そうでないと、(無理を強いる)→(ますます学力がさがる)の悪循環の中で、子どもの成
績はますますさがる。要するに「あきらめる」ということだが、不思議なことにあきらめると、それ
まで見えていなかった子どもの姿が見えるようになる。シェークスピアがいう「賢い父親」という
のは、そういう父親をいう。
 
    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○

【2】雑感・雑談∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

新家族主義

 ここ数年、日本人の意識が急速に変化しつつある。おそろしいほどの勢いといってもよい。ま
さにサイレント革命進行中! ひとつの例だが、99年の春、文部省がした調査では、「もっとも
大切にすべきもの」として、40%の日本人が、「家族」をあげた。同じ年の終わり、中日新聞社
がした調査では、それが45%になった。たった一年足らずの間に、5ポイントもふえたことにな
る。

 これで驚いてはいけない。それからほぼ三年。さらに読売新聞社による、親子の意識調査に
よれば、子どもの将来像について、最近の親たちは、つぎのように考えていることがわかった
(02年12月)。

 一九歳以下の子どもがいるという親に、「あなたは、自分のお子さんに、どんな人生を送って
ほしいと思いますか」と聞いたところ、

     幸せな家庭を築く    ……82%
     好きな仕事に就く    ……70%、と。

 ここで注目すべきことは、「幸せな家庭を築く」が、82%にまでなったということ。ほんの三〇
年前の日本人には、考えられなかったことだ。

(家族主義)
 先の文部省調査(40%)が発表されたその夜、ニュース番組の中で、K氏は、「日本人も小
市民的になりましたね」と批評した(99年春)。しかし「家族を大切にする」というのは、決して小
市民的な考え方ではない。むしろ子育ての要(かなめ)と位置づけても、何ら遜色ない、重要な
ポリシーである。世界の常識でもある。日本人は、むしろ、今まで、その家族をないがしろにし
すぎてきた。

 小市民的でないということは、たとえば「家族」は、愛国心の原点にもなりうるということ。ただ
日本では、「愛国心」というとき、そこに「国」という文字を入れる。が、英語で「愛国心」、つまり
「ペイトリアティズム」と言うときは、もともと「父なる大地を愛する」を意味する。わかりやすく言
えば、英語で言うところに愛国心は、日本でいう、愛郷心に近い。無数の家族愛が集まって郷
土愛になり、それが高じて愛国心になる、と。その一例が、メル・ギブソンが主演する『パトリオ
ット』という映画であった。

 あの映画の中では、家族のために戦う一人の父親がテーマになっている。日本では「パトリ
オット」を「愛国者」と訳すが、もともと「パトリオット」というのは、ここにも書いたように、ラテン語
の「パトリオータ」つまり、「父なる大地を愛する」という意味の単語に由来する。「家族のためな
ら、命がけで戦う」というのが、欧米人の共通の理念にもなっている。家族を大切にするという
ことには、そういう意味も含まれる。そしてそれが回りまわって、彼らのいう愛国心の原点にも
なっている。

(自立したよき家庭人論)
 日本では明治以来(あるいはそれ以前から)、出世主義が教育の柱になってきた。今でも、
その風潮は残っている。「立派な社会人」思想である。このことは、ちょうど約三〇年遅れで日
本の教育を追いかけている中国を見ればわかる。隣の中国では、今「立派な国民」思想がもて
はやされている。親も教師も、子どもに向ってさかんに「立派な国民になれ」と教えている(北京
第三三中学校教師談)。その姿は、まさしく一昔前の、日本の姿だが、そういう姿を見ると、「あ
あ、私たちもそうだった」とわかる。

 こうした日本独特の教育観は、さまざまな分野に影響を与えている。たとえばひとつの比較だ
が、ニュージーランドでは、小中学校は、午後三時には終わる。そのあと子どもたちは家に帰
り、夕食が終わるまで、家事を手伝うのが日課になっている。具体的なデータはないが、調査
するまでもなく、ニュージーランドでは、それは常識。が、この日本では、子どもが「勉強する」
「宿題がある」と言えば、すべてが免除される。おとなでも、「仕事がある」と言えば、すべてが
免除される。出世主義の世界では、勉強や仕事が、何かにつけて優先される。

(あと始末論)
 こんなこともある。こまかい話だが、日本では何かにつけて、「あと片づけ」が話題になる。し
かし英語国では、「あと片づけ」については、ほとんど問題にならない。そのかわり彼らは、「あ
と始末」にはうるさい。たとえば子どもが、ミキサーを使ってジュースを作ったようなとき。コップ
の始末、果物の皮の始末、さらには、ミキサーを洗って片づけるところまで、子どもにさせる。
これも「自立したよき家庭人を育てる」という意識が背景にあるからと考えてよい。

 しかしこうした子育て観は、そのまま国家の姿勢として反映されることもある。日本人は、昔
から、『和ももって、貴(とうと)しとなす』という。それはそれとして、ひとつの美徳ではあるが、そ
のため責任ということについては、たいへん甘い。相手の責任を追及することも甘いが、自分
の責任についても、甘い。わかりやすく言えば、ものごとを、たがいに、ナーナーですまそうとす
る。こうした日本の姿勢は、ときとして「無責任な国」として、外国人にはとらえられる。

(学歴信仰の原点にも)
 もちろん教育とて無縁ではない。日本型の出世主義が、一方で学歴信仰を生み、受験競争
を生んだことは言うまでもない。さらに「偉い人」というときの、偉人思想もある。日本では、地
位や立場のある人を「偉い人」という。地位や立場のない人については、あまり「偉い人」とは
言わない。一方英語国では、日本人が「偉い人」と言いそうなとき、「リスペクティド・マン(尊敬
される人)」という言い方をする。

 要するに、子どもの教育の原点に何を置くかによって、子育てのあり方も、大きく変わるとい
うこと。

(アメリカのばあい)
 一九七〇年はじめ、アメリカは、ベトナム戦争でつまずく。それは戦後、アメリカがはじめて経
験した手痛い「つまずき」でもあった。そのつまずきと平行して、あのヒッピー運動に代表される
「カウンター・カルチャ(非行などの下位文化)」の時代を、アメリカは迎えることになる。

 そのときアメリカでは、「アメリカン・ドリーム」の酔いからさめると同時に、それまでの価値観
が、ことごとく否定され始めた。離婚率の増加、同性愛、未婚の母、麻薬、性道徳の乱れが、
それに拍車をかけた。まさにアメリカは混乱の時代を迎えたわけだが、ここでそれを解決する
ために、アメリカは二つの道を模索した。

 一つは、新しい価値観の創造。もう一つは、古きよき家族主義の復活である。前者はともかく
も、後者は、ベンジャミン・フランクリンの家族主義※に代表されるものの考え方で、それ以前
からアメリカ人の精神的バックボーンにもなっていた。そのためこの家族主義は割とすんなりと
アメリカ人に支持された。たとえばそれを受けてアメリカのクリントン大統領は、「強い家族をも
てば、アメリカはより強くなる」と述べている。私はこれを、新家族主義の台頭と考えた。

(これからの日本)
 読売新聞の調査を見てもわかるように、日本人の意識は、大きく変わりつつある。この動き
は今後、加速されることはあっても、後退することはない。アメリカが七〇年代後半で求めた、
新家族主義が、この日本で主流になるだろう。それは好むと好まざるとにかかわらず、これか
らの日本のみならず、世界が進むべき道ととらえてよい。

 そこでどうだろう。あなたも今日から、自分の子どもにこう言ってみては。

 「家族を大切にしよう」「一番大切なのは、家族だ」と。この一言が、日本の子育てを変える。
日本の教育を変える。
(030207)※

※……結婚、つまり両性の結合は、それ自体はもっとも小さな社会の一つだとしても、もっとも
大規模な政府の存在そのものとなる源泉である。(ベンジャミン・フランクリン)

     ⌒⌒⌒⌒
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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
生きがいは子ども?

 結婚一〇年未満の主婦にとって、最大の生きがいは、「子ども」だそうだ。乳酸菌飲料のY社
がした調査結果によると、つぎのようになっている。

【生きがいについて】

結婚10年未満の主婦  子どもが生きがい……70・3%
            夫が生きがい  ……52・4%

結婚10〜20年    食べること   ……44・6%
            趣味      ……39・2% 
夫が生きがい  ……32・3%
  
結婚20年以上     夫が生きがい  ……30・4%
(乳酸菌飲料大手のY社 20〜50歳代、400人について調査(03年2月))

 この調査で注目すべきは、結婚暦が10年ごとに、「夫が生きがい」が、50%から30%に低
下しているということ。「30%しかいないの!」とも言えるし、「30%もいるの!」とも言える。も
っともこの問題は、もともと白黒をはっきりつけられるような問題ではない。一日の流れを見て
も、「夫が生きがい」になっている時間もあれば、「忘れてしまっている」時間もあるだろう。つま
りこうした調査は、あまり意味がない。だいたい「生きがい」という言い方が、オーバー。不適
切。どこか女性をバカにしたようなニュアンスすら、感じられる。高邁(こうまい)なボランティア
精神をもって、高徳な生き方をしている女性は、いくらでもいる。

 が、しかし、それでも、結婚10年未満の主婦たちにとって、最大の関心ごとは、「子ども」(7
0%)であることには違いないようだ。それはそれとして、しかしこの数字にも、大きな落とし穴
がある。どこに落とし穴があるか、わかるだろうか?

 この調査は、結婚した女性全体についてしたもので、子どもをもっている主婦にかぎってした
ものでないということ。1935年〜60年に生まれた女性について言えば、「子どもがいない主
婦の割合」は、約10%前後で推移している(国立統計経済研究所(INSEE)の調査)。つまり
こと「子ども」について言えば、最初から10%の主婦については、除外して考えなければならな
い。

 だからこの「70・3%」という数値を補正すると、こうなる。

 70・3÷(1−0・1)=78・1%

 つまりこと子どもをもっている主婦について言えば、78%、さらに四捨五入して、約80%の
主婦が、「子どもを生きがい」にしているということになる。しかしこんなことは、常識。(「生きが
い」という言い方にも、問題はある。ここは「日々の生活の中心的関心ごと」と言うべきではない
のか。)

 この調査では、数字も気になったが、どこかいいかげんなところも気になった。もう少しわかり
やすい例で考えてみよう。たとえばこんな調査。

 「インフルエンザにかかった子どもを調べたら、50%が、女子だった。だから女子は、インフ
ルエンザにかかりやすい」と。しかし子どもの50%が、女子なのだ。つまりこういう調査は意味
がない。同じように、このY社がした調査には、どこか、「?マーク」がつきまとう。

 調査結果をいろいろ分析してみようと思ったが、そんなわけで、このY社の調査結果は、参考
にはなったが、あまり役にたたなかった。
(030207)

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
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 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

雑談

 大型店の前を車で通ったときのこと。ワイフが、こう聞いた。「多目的トイレって、何?」と。店
のどこかに、「多目的トイレ」と書いてあったそうだ。それで私が、「お尻を洗ってくれるだけでな
く、オナニーもしてくれるんだって」と言うと、「フン」と笑った・

 しかし多目的トイレって、何だ? ……と思って、インターネットの検索エンジンを使って調べ
てみた。

 「多目的トイレというのは、身体の不自由なかたが利用しやすいように、さまざまに工夫して
あるトイレのこと。手すり、洗浄ボタン、巻紙、呼び出しボタンはすべて便器に座った状態での
位置で、できるようになっている」(S社のコマーシャル)とのこと。ナルホド!

 ……と、まあ、実にくだらないことを考えている。こういう文章は、文章の中でも、ゴミのような
もの。書いても意味はないし、読んでもらうのもつらい。おたがいに時間のムダ。

 今、一番、心配しなければならないのは、国際問題。世界は、イラク問題一色だが、それ以
上にこわいのは、北朝鮮問題。もう二年ほど前だが、こんな原稿を書いて、新聞(中日新聞)に
発表したことがある。

+++++++++++++++++++++++

最近の女子高校生は…?

 市立図書館で、女子高校生六人に聞いてみた。「君たちは将来、何をしたいか」と。私は当
然、キャリアウーマン的な人生観をもっているものとばかり思っていた。が、五人までがこう答
えた。「結婚して、はやく家庭に入りターイ」「家庭でダンナの帰りを待ちながら、料理しターイ」
と。私が「家庭の主婦になるということか」と聞くと、「そうだヨー」と。そこでさらに「仕事はしない
のか?」と聞くと、「したくないヨー。ダンナの給料だけでやっていきたいヨー」と。

 見た感じ、ごく普通の高校生である。ちょうどテスト週間で、図書館に来ていた。私は質問を
変えて、「では、どんな男と結婚したいか」と聞いた。すると一人が、「一にマスク、二に経済力
……。『これオヤジのマンション』と言うような金持ちの息子がいい」と言った。私が「心はどうす
る。結婚するというのは、心の問題だよ」と言うと、「マスクのいい人は、心もいいに決まってル
ー」と。

 あれこれ話したが、政治の話を持ちだすと、「ダサーイ」とはねのけられてしまった。私「国の
借金が七百兆円もあるんだよ。一人六百万円だよ。君たちの借金なんだよ。それはどうする
の?」。高校生「私ら、そんな話、関係ないもんネー」「そうよネー」と。さらに「もしK国が日本へ
攻めてきたら、どうするの?」と聞くと、「どうして、攻めてくるのサ〜? 私ら、な〜んも、悪いこ
としてないのにサ〜」と。

 言いたいことは山ほどある。あるが、こういう現実を見せつけられると、自分をのろいたくな
る。五十歳をすぎても、日本の将来を心配している自分が、なさけなくなる。少し飛躍した感想
かもしれないが、なぜあの三島由紀夫が腹を切ったか、その心情がよくわかる。私たちはこう
いう高校生をつくるために、がんばってきたのか、と。

 少し前だが、こんなこともあった。あるキャンプ場で国旗の掲揚をしたときのこと。何人かの
高校生が、「スター・スパングルド・バナー(星条旗)」を口ずさんでいるのを聞いた。アメリカの
国歌である。日本の国歌には言いたいこともいろいろあるが、しかし今、日本の若者たちがこ
こまで脱線しているかと思うと、ゾッとする。そう、何かが狂っている。しかし相手は子どもだ。
日本の将来をになう子どもだ。そういう子どもをさして、「失敗作」と、どうして言えるだろうか。
子どもを笑うということは、即、自分を笑うということになる。そんなことは、私にはとてもできな
い。

 ……何ともやりようのない空しさを感じながら、私は図書館を出た。

+++++++++++++++++++++++

 私は、一九六八年にUNESCOの交換学生といて、韓国にいた。そのときの経験だが、韓国
人が日本に対してもっている憎しみには、ものすごいものがあった。当然といえば、当然だ。日
本人がいかに弁解したところで、日本が朝鮮半島でした悪業の数々は、弁解できるものではな
い。私たちはいくつかの大学を回ったが、行く先々で、日本攻撃の矢面に立たされた。

 それから三五年。この憎しみは、基本的には消えていない。消えかかるたびに、古傷をえぐ
るように、歴代の首相たちが靖国神社を参拝したり、教科書を書きかえたりしている。だからい
まだに、日本といえば、韓国や中国では、「歴史認識」が、最大の問題となっている。ウソだと
思うなら、在日本中国大使館のホームページや、「朝鮮日報」(韓国系新聞社)のホームページ
をのぞいてみればよい。日本人が日本を見る見方と、韓国や中国の人が日本を見る目は、ま
ったくちがう。それがわからなければ、反対の立場で考えてみればよい。

 ある日突然、平和な日本に、北朝鮮の大軍が押し寄せてきた。ものすごい軍隊である。そし
てその軍隊にものを言わせ、日本人が日本語を話すのを禁止した。そして金日成の銅像に毎
日参拝することを強制した。一応日本の政府はあるが、北朝鮮の傀儡(かいらい)政権。北朝
鮮にたてつくと、即、逮捕。裁判なしで処刑もしくは投獄。

 こういうことを三〇年近くもしてきて、無事ですむはずはない。韓国の人や中国の人の、日本
への憎しみは、そういう歴史の中から生まれた。

 ……だからといって、現在の北朝鮮を肯定するわけではない。今の北朝鮮は、むしろそうい
う憎しみを、自分の独裁政権維持のために利用している。それはそれだが、しかし日本も反省
すべき点は反省しなければならない。でないと、日本はいつまでたっても、(現にそうだが…
…)、アジアの中の異端児として残ってしまう。相手にされない。仮に日本と北朝鮮が戦争状態
に入っても、中国はもちろんのこと、韓国ですら、日本の味方にはなってくれない。北朝鮮はた
しかに孤立しているが、同じように日本も、アジアの中では孤立している。

 今、日本はたいへん危機的な状況にある。このままいけば、もう戦争は避けられない。ただ
の戦争ではない。北朝鮮は、日本に向けて核兵器を使うと言明している。最後の望みは、アメ
リカと北朝鮮の最終会談である。この会談で、たがいにどの程度妥協するかだが、今の段階
では、その妥協すらむずかしい。日本としては、どんな取り引きをしてでも、中国やロシアに仲
介を頼むしかない。あるいは中国やロシアを巻き込んで、共同責任者になってもらうしかない。

 本来なら日本は韓国と共同歩調をとらねばならないが、今、韓国は、日本をまったく無視した
形で、独自の対北朝鮮外交を進めている。アメリカや日本を自分と切り離し、自分だけ安全圏
に置こうという考え方である。ズルイと言えばズルイが、しかし韓国には韓国の立場がある。韓
国を責めるわけにはいかない。

 日本の選択肢は、もうほとんど残されていない。今、この段階では、日本は、好むと好まざる
とにかかわらず、日米軍児同盟にしがみつき、アメリカの力に頼るしかない。軍事面だけでは
なく、情報面においても、だ。いろいろな意見はあるだろうが、ここは一蓮托生(いちれんたくし
ょう)。日米関係にヒビを入れるのは、決定的にまずい。イラク問題についても、アメリカはその
イラクで自らの血を流そうとしている。そういう現実を前にして、「イラクでの戦争は反対。しかし
日本を守ってくれ」は、ない。つまり今、日本が直面している危機は、それほどまでに差し迫っ
ている。

 それにしても、私たちは、子どもたちにいったい、何を教えてきたというのか。高校生でもよ
い。大学生でもよい。「北朝鮮が日本にミサイルを打ちくるかもしれない」などと言うと、いまどき
の子どもたちは、こう言う。「何でサー。オレたち、なんも、悪いことしてネーのにサー」と。つい
で四人の高校生にも聞いてみた。「どうして北朝鮮が日本に向けて、ミサイルを設置しているか
わかるか」と。すると全員、「わからない」と答えた。

 このノー天気ぶりこそが、日本の教育の最大の欠陥でもある。私たちがなぜ歴史を学ぶかと
いえば、過去の失敗の中から、未来に生きる教訓を学ぶためである。しかしその学習そのも
のが機能していない。「一四九二年、コロンブス、アメリカ大陸発見」というようなことを学ぶの
が、歴史だと思いこんでいる。今回の北朝鮮問題をきっかけに、もう一度、歴史教育がどうあ
るべきかを考えてみるのも大切ではないか。
(030207)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

BW教室の見学について

 このところ毎日のように、私の教室(BW教室)へ、見学の人がくる。今は、そういう時期だ
が、そうして見学してもらうことは、とても大切なことだ。私の教室の「よさ」というか、「独自性」
を理解してもらえる。が、歓迎しない見学もある。同業者によるスパイ見学である。

 長い間、こういう仕事をしていると、スパイ見学かどうかは、すぐわかる。視線が違う。スパイ
見学をする人は、視線があちこちに飛ぶ。つまり部屋の様子を観察する。そうでない、つまり子
どもの教育を考えている人の視線は、私に集中する。またスパイ見学の人は、あれこれもっと
もらしい理由を並べて、資料をごっそりともって帰る。あるいは規約や月謝ばかりを気にする。
しかしこちら側としては、そういう見学でも、差別することはできない。「どうぞ、ご自由に」という
ことになる。

 私の教室のばあい、四月の新年度に、どさっと生徒を集めてスタートするわけではない。たい
ていは三〜四人の生徒でスタートする。そういう状態で、まず「核となる子どもづくり」をする。と
くにていねいな指導をする。そしてそういう子どもを作った状態で、一人、二人と生徒をふやし
ていく。半年くらいをかけて、生徒を一〇人前後にする。

 子ども、とくに年中児(四歳)は、最初、数か月、反応のない時期がつづく。教えても、あるい
は笑わせようとしても、反応がない。私はこの時期を、「情報の蓄積期」と考えている。子ども
は、この時期を通して、情報を蓄積する。そしてそれが臨界点へきたとき、子どもは、その時点
を境に、飛躍的に伸び始める。だからこの時期は、短気は禁物。ただひたすら、教えるべきこ
とは教えながら、じっとその時期がくるのを待つ。

 が、たいていの親にはそれがわからない。途中から入ってきたような親ほど、そうで、ほかの
子どもと比較しながら、「どうしてうちの子は……?」と悩む。見学をしながら、うしろでイライラし
ているのが、よくわかる。ときにその視線が、ヤリのように、私の心を突き刺すことがある。レッ
スンそのものが、やりにくくなることもある。こういう鋭い視線は、子どもにとっても、好ましくな
い。

 今日も、一人、見学にくるという連絡が入った。毎年、こういうことを繰りかえしながら、私は
年齢を重ねていく。そうそう、一般の人には、正月の一月から新年度かもしれないが、私にとっ
ては、四月一日が新年度ということになる。毎年三月三一日の夜には、ワイフと二人だけで、
乾杯をすることにしている。

さてさて、こういう不景気な時代。来年度はどういうことになることやら……。何とか来年度も、
無事、仕事ができればよいが……と、今は、そう思っている。バブル経済のころは、市内だけ
も、一〇数か所の幼児教室があったが、今、生き残っているのは、私の教室だけになった。わ
れながら、しぶとい教室だと思っている。そう言えば、この二年間、スパイ見学の人は、来なく
なったが……。
(030207)
ある宗教団体の機関紙

 もう二〇年ほど前になる。私は、アルバイトで、ある宗教団体の機関紙を編集していたことが
ある。N市に本部を置く、信者数約X万人ほどの団体である。結構、お金にはなったが、その息
苦しさといったらなかった。たった一語、あるいはたった一句まちがえただけで、原稿をつき返
されたことがある。あるいは機関紙の紹介コーナーで、その団体に反目する作家の本を評論し
ただけで、すべて廃棄処分にされたこともある。印刷も終え、配布するままになっていた機関紙
を、である。

 こうした宗教団体では、当然のことながら、すべての指示命令が、トップから信者へ、上意下
達方式でなされる。下位信者が、上位信者に意見を言うなどということ自体、ありえない。また
その団体では、信仰歴の長いものほど位が上になるというしくみになっていた。四〇歳代の男
性が、二〇歳代の女性の前で、それこそ畳に頭をこすりつけるようにしてあいさつをしている姿
を、見かけたこともある。

 もともと信仰というのは、心の中でするもの。もっと言えば、どこまでいっても、個人の問題。
組織があるとしても、それは「心」を同じにする人たちの交流の場でしかない。しかしこうした団
体では、組織の利益や目的が、個人の利益や目的よりも優先される。ときには、個人が組織
のロボットとして、利用される。

 ……という話を書くのが、ここでの目的ではない。私はいろいろな文章を書いてきたが、あの
息苦しさだけは、もうこりごり。心の監獄に入れられたような息苦しさだった。(監獄に入ったこ
とはないが……。)ものを書くときは、まず心を解き放つ。すると文章というのは、あとから、ちょ
うど清水が岩の間からわき出るように、ついて出てくる。もちろん考えながら書くということもあ
るが、実際には、感性を大切にする。カンのようなもの。「ここに何かがあるぞ」という思いで、
書いていく。

 が、宗教団体の機関紙では、そうでない。「これを書いたら怒られるぞ」「あれを書くとまずい
な」と、そんなことばかり考える。さらに「こういうふうに書いたら、喜ばれる」「これを入れると、
信者がふえる」と、そんなことを考えるときもある。能力的には楽な仕事だった。仕事の大半
は、だれかが書いた原稿を、読みやすく、わかりやすく書きなおすというものだった。文体や文
調を整えたり、漢字や仮名づかいを統一したりするなど。それでも神経をつかった。

 結局、この仕事は、半年でやめた。それにはひとつの事件があった。それについてはここに
は書けないが、(実のところ、もうそれまでにやめると心に決めていたが)、とにかくやめた。
が、そのとき感じた解放感は、今でも忘れることができない。心と頭の上にあった、重石(おも
し)が、いっぺんに吹き飛んだような解放感だった。
 
 ……なぜこんなエッセーを書いたかって? それには理由がある。ワイフガ購読している
「M」という雑誌に、こんな記事があったからだ。ある女性作家の書いたエッセーだが、趣旨は
こうだ。

 「原稿というのは、出版社や編集者の目を通り抜けて、活字になる。またそういうきびしい
『目』を通り抜けるから、価値が生まれる。……インターネットで、日記を公開したり、マガジン
を出している人がいるが、そういう人の書いた文章には、その価値がない」と。

わかりやすく言えば、「出版社や編集者の目を通らない文章には価値がない」ということだが、
しかしその「目」のおかげで、書きたいことも書けなくなることがある。むしろそちらの弊害のほ
うが、大きいのでは? 宗教団体の機関紙のようなことはないにしても、それを薄めたようなこ
とはある? かたや電子マガジンは、気が楽。書きたいことが書ける。瞬時に、発表できる。そ
の気軽さが、ときには、欠点になることもある。しかし「私は、この女性の言っていることは正し
くない!」と思った。思ったから、このエッセーを書き始めた。内容的には、あまりかみあわない
が、それがここでいう、「カン」ということになる。

 「インターネットのおかげで、文が、はじめて本物の自由を得た」と私。
 「書きたいことが書けるから?」とワイフ。
 「それもあるけど、発表したいことが発表できる」
 「でも、読む人がいなければ、しかたないわね」
 「一人でもいれば、それでいい。今までは、それもできなかった」
 「一人もいなくなってしまったら……?」
 「お前がいる」
 「……」
 
 私はこれからも自由を大切にしながら、原稿を書いていきたい。と、まあ、どこか小学生が作
文で書くような結論になってしまったが、今は、そう思う。
(02−2−6)

    ┌┐
    │ト
    ≧≦ ∪          z
   ━━━━━━        z
  /      \
 /        \く⌒\  ∩      では、みなさん、次回も
/  〜       〆  へく ^川     どうか、よろしくご購読ください。
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   w         ⊂ノ            お元気で!
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞









件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■2-17-1

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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 610人
最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)  ……読者数(Nr. of Readers)  86人
はやし浩司の世界(Eマガ)         ……読者数(Nr. of Readers)  63人 
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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★★★★★★★★★★★★★★
03−2−17号(181)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 日記を読んでいただけます!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 電話054−246−6136
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ブロードバンドをお楽しみのみなさんへ、
「はやし浩司のホームページ」に新しく動画コーナーをつくりました。私の生の声などを収録しま
した。どうかおいでください。サイト・トップページより、どうぞ!
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【掲示板】
マガジン読者の方のための、専用掲示板を用意しました。
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++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
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   γ ρρ   │σ σ ρ )        【1】子育てポイント 
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )        【2】雑談・雑感
   人   υ ( `) (  )         【3】子育てエッセー
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)          【4】フォーラム
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●原稿ミス

 静岡県の教育委員会が学校向けに配布している雑誌に「ファミリス」という雑誌がある。とき
どき各県へ出向き、その県で同じような雑誌を見せてもらうことがあるが、ファミリスは、その中
でも光っている。そのファミリスに原稿を書かせてもらうようになって、もう三年になる。で、この
三月号に、つぎの原稿を載せてもらった。

 しかし……。こういうことがあるのかと、自分でも自信をなくしてしまったが、中身の原稿だ
け、私の方で、取り違えてしまった。昨年一二月号の原稿で、「神経質ママ」を取りあげたが、
そのときの原稿と、今回の「完ぺきママ」の原稿を、取り違えてしまった。私は連載の依頼を受
けると、たいていその連載分をまとめて出版社に届けることにしている。それでこういうミスが
起きてしまった。

 このマガジンを読んでくださっている方の中には、ファミリスを購読してくださっている方も多い
と思うが、どうかお許しいただきたい。

+++++++++++++++++++++++

あなたは神経質ママ?
(「ファミリス3月号」より転載)

●子育てはリズム
 子育てにはリズムがある。そしてそのリズムは、子どもを妊娠したときから始まる。リズムが
あることが悪いというのではない。問題はそのリズムがあっていないとき。どんな名曲でも、二
つの曲を同時に演奏すれば、騒音でしかない。そのリズムは、親子を外から観察すると、すぐ
わかる。

●子どものリズムと親のリズム
 子どもが「ほしい」と泣き出す前にミルクを与える親がいる。しかし泣き出してから、おもむろ
にミルクを用意する親もいる。子どもが歩くようになると、子どもの手をぐいぐいと引きながら、
子どもの前を歩く親がいる。しかし子どもの横かうしろに回りながら、子どもの歩調にあわせて
歩く親もいる。子どもがさらに大きくなると、子どもが「したい」と言う前に、おけいこ教室の申し
込みをする親がいる。しかしそのつど子どもの意思を確かめながら、申し込みをする親もい
る。やめるときもそうだ。子どもの意思などお構いなしにやめる親がいる。しかしそのつど子ど
もと話しあいながらやめる親もいる。

●リズムは一事が万事
こうしたリズムは一事が万事。形こそ違うが、いつも同じパターンで繰り返しつづく。こんなこと
があった。一人の母親が私のところへきて、こう言った。

 「うちの子は、ああいう(グズな)子でしょ。だから夏休みの間、サマーキャンプに入れようと思
うのですが、どうでしょうか」と。そこで私が「本人は行きたがっているのですか?」と聞くと、「そ
れが行きたがらないので困っているのです」と。

●子どものリズムで考える
 子どもを伸ばす秘訣は、子どものリズムでものを考えること。もしあなたが「うちの子はグズで
……」と思っているなら、それは子どもがグズなのではなく、あなたがあなたの子どもをそういう
子どもにしただけ。何でもかんでも子どもの一歩先を歩こうとすると、子どもはグズになる。しか
し一歩、あとを歩くだけで、あなたの子どもはまったく別の子どもになる。要は親が子どものリ
ズムにあわせるということだが、これがむずかしい。リズムというのはそういうもので、その人
の生活のリズムそのものになっていることが多い。中には子どもの世話をすることを、生活の
「柱」にしている人がいる。口では「世話がかかってたいへん」とこぼしながら、手をかけること
を生きがいにしている!

●不信感を疑ってみる
 親がせっかちになる背景には、母親自身の性格もあるが、一方で子どもへの根深い不信感
がある。こんなテストがある。

あなたと子どもが通りを歩いていたら、偶然、高校時代の友人が通りかかったとする。そのとき
その友人があなたの子どもをしげしげと見て、「いくつ?」と、年齢を聞いたとする。そのとき自
分の子どもに自信のある親は、「まだ一〇歳よ」と、「まだ」という言葉を無意識のうちにも使う。
自信のない親は、「もう……」と言って顔をしかめたりする。あなた自身はどうか、頭の中で想
像してみてほしい。もし後者のようなら、子どもをなおそうと思うのではなく、あなた自身の心を
作りかえることを考える。このタイプの親は、たいてい子どもの悪い面ばかりをみて、よい面を
みようとしない。「あそこが悪い」「ここが悪い」と、欠点ばかりを指摘する。もしそうなら、今すぐ
そういう子育て観は改める。

●謙虚な姿勢が子どもの心を開く
このテストで高得点だった人は、生活全体を一度見なおしてみる。そして今日からでも遅くない
から、子どもと歩くときは、子どものうしろを歩く。アメリカでは、親子でもこんな会話をしている。
母「あなたはママに今日、何をしてほしいの?」、子「ママは今日、ぼくに何をしてほしいの?」
と。こういう謙虚さが子どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。

++++++++++++++++++++++++++

 本誌ファミリスのほうでは、具体的な診断テストをつけた。興味のある方は、どうか本誌のほ
うを! 子育てで一番こわいのは、独善と独断。自分の姿を客観的に知るためには、こうした
診断テストが効果的。
(030210)※  

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】雑感・雑談∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

楽天的な生き方

 ものごとは、まじめに考えれば考えるほど、悲観的になる。ならざるをえない。このところ、右
を見ても、左を見ても、暗い話ばかり。そこでここでは、少し発想を変えて、明るく考えてみる。

●K国の金XXさん
 トップバッターは、あの男。自分の失政を、日本やアメリカのせいにしている。韓国へ亡命し
たFさん(元側近)も言っている。「マレに見る、おく病者」だ、そうだ。今ごろは、毎晩大酒を飲
んで、夜な夜な、側近たちをわめき散らしているに違いない。

 まあ、金XXさん、やれるもんなら、やってみなさい。たった一発でも、日本へミサイルを撃ち
込んだら、それでおしまい。日本だって、黙っていないぞ。世界だって、黙っていないぞ。世界
中から袋叩きにあうだけ。ハハハ!

●日本の経済
 何だかんだといっても、日本の実力は、ナンバーワン。まだまだ捨てたものではない。この実
力は、まだ一〇年や二〇年はゆるがない。そのうち経済問題も解決し、日本は再出発を始め
る。何といっても、日本には資産がある。対外資産がある。要するに金持ちということ。いまだ
に貿易収支は、毎年、黒字の黒字。ぼう大な黒字。すばらしいことだ。この実力がある間は、
日本は絶対に沈没しない。ハハハ!

●教育の問題
 日本の子どもたちの質は、高い。それに社会は、安全。優もないが、不可もない。何といって
も、日本の子どもたちは、まじめ。勤勉。すなお。従順。悪くとれば、いくらでも悪くとれる。しか
し中身は、すばらしい。町ですれ違っても、みんな明るい笑顔をしている。ナイフをもって暴れて
いる子どもなど、いない。

 学力はたしかに落ちているが、これからは情報は、インターネットで得る時代。もの知りや、
頭でっかちの人間は、不要。計算力が落ちたくらい、何だ。そういうときは、計算機を使えばよ
い。ハハハ!
 
●不況
 貧乏生活、大いに結構。人間、生きていくのに、それほど、お金はかからない。貧乏であれ
ばあるほど、真理がわかる。ものの道理がわかる。みんなでもっと、貧乏を楽しもう。生活がで
きなくなれば、財産を売ればよい。どうせ人間、いつも裸。生まれたときも裸。死ぬときも裸。裸
になれば、失うものはない。

 日本はまだ恵まれている。時給八〇〇円でもよいと言えば、仕事はいくらでもある。あのK国
では、毎日一〇時間も働いて、月額給料が、??円だそうだ。(為替レートがわからないから
計算できない。しかし日本円で一万円もあれば、一年間生活できるそうだ。逆算すると、月額
給料は、一〇〇〇円以下?)日本の給料が、よすぎるのだ! ハハハ!

●温暖化
 日本はだいじょうぶ。最後までだいじょうぶ。四方を温暖な海に囲まれ、中央には三〇〇〇メ
ートル級の山々が連なっている。水の心配もない。本当にラッキーな国だ。アメリカ大陸が砂漠
になっても、ヨーロッパ大陸がメチャメチャになっても、日本だけは生き残る。緑は豊富。それ
までに世界も動きだすだろう。

 仮に気温が一〇度あがっても、ことこの日本に関して言えば、かえって作物がふえる。食料
が豊富になる。ハハハ!

●人口問題
 少子化で、これから日本の人口はどんどん減っていくそうだ。二一〇〇年までに、今の人口
の三分の一になると予測する人もいる。しかし人口爆発が予測される世界にあって、これは望
ましいことだ。その分、日本人は、集約された知能集団として生き残ればよい。つまり頭で勝負
だ。

 人口が少なくなれば、その分、環境にゆとりが生まれる。最終的には、スウェーデンか、ニュ
ージーランドのような国になるかも。あるいはそういう国をめざせばよい。ハハハ!

 さあ、みなさん、日本の未来は明るい。顔を太陽に向けて、歩こう! ヘレン・ケラーもそう言
っている。多少のデコボコ道はあるかもしれないが、あまりクヨクヨせず、みんなで力をあわせ
て、乗り切ろう! まあ、ここらで戦争の一つや二つ、経験しても、そんなことでめげることはな
い。どこかのアホがバカなこと言って戦争をしかけてくるなら、受けて立ってやろうではないか。
逃げまわれば、それこそ、相手の思うツボ。まだまだ団塊の世代は、元気。がんばっている。
あと一〇年は、だいじょうぶ。私たちが、日本の機関車になる。もう一度、マキを入れて、前に
進んでやる! そう、団塊の世代を甘く見てはいけませんぞ。ハハハハハ! もう一度、ハハ
ハハハ!
(030208)

●顔を太陽に向けていれば、自分の影を見ることはない。(ヘレン・ケラー「自叙伝」)
●魂を殺す唯一の主義がある。それは悲観主義である。(バッカン「断片」)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(584)

どこかの国の、ある独裁者の精神分析

●回避性障害……どんどんと他国との接触を遮断していく。自ら宮殿のどこか地下室に引きこ
もってしまっている。こういうのを回避性障害という。
●被害妄想……日本やアメリカに、そんな意図は毛頭ない。ないことは、ほんの少しだけわれ
われとつきあってみればわかる。それを「不可侵条約だ」なんだと、勝手に騒いでいる。こうい
うのを被害妄想という。
●感情障害……いちいちピリピリと反応する。自分たちは言いたい放題のこと言い、さんざん
世界を不安にさせておきながら、他国がちょっと何かものを言うと、大騒ぎする。こういうのを感
情障害という。
●行為障害……ムダなものばかり作っている。核兵器にニセ札に覚せい剤。まともなものは
作らない。どこか行動がゆがんでいる。こういうのを行為障害という。
●精神障害……何か月も何年も無言を保ったかと思うと、ニコニコと笑ってみなの前に顔を出
す。何を考えているか、わからない。つかみどころがない。つまりそのつど、人間性がコロコロ
と変わる。こういうのを精神障害という。
●情緒障害……飛行機がこわいからといって、わざわざ数千キロを一週間もかけて、列車で
旅をする。まさに極度の恐怖症だが、こういうのを情緒障害という。

インターネットやマガジンでは、個人を誹謗(ひぼう)してはいけないことになっている。だからこ
の話は、ここまで。しかしそれにしてもかわいそうなのは、その国の人たち。国全体が収容所
のようになっているという。本気で言っているのか、あるいは言わせられているのか、あるいは
言わなければ処刑されるので、言っているのかはわからないが、涙まで流して、「万歳、万
歳!」と叫んでいる。そういう姿を見ると、かわいそうになる。あわれになる。

 戦前の日本もそうだったから、偉そうなことは言えないが、今のK国を見ていると、いろいろと
考えさせられる。本当にいろいろ考えさせられる。

【K国の独裁者に送る、世界の賢人たちの言葉】

●あらゆる力をもつものは、すべてを恐れる。(コルネイユ「シナー四幕二場」)
●羊が何匹いるかは、狼(おおかみ)には、関係なし。(ヴェルギリウス「農耕詩」)
●独裁とは、一為政者が、その権力を人々の利益のためではなく、彼自身の個人的な目的の
ために、彼自身の利益、彼自身の欲望のために用いることである。(ロック「市民政治論」)
(030209)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

重い気分

 今朝は、起きたときから、気分が重い。ときどき私は、こういう状態になる。理由はいろいろ
ある。毎年、この季節になると、花粉症が始まる。花粉症そのものは、ほとんど治ったが、完全
に治ったわけではない。時期のはじめ、数日から一週間ほど、症状が出る。

 それに何かについて、二〜三月は、いやな時期だ。生徒たちの受験期に重なる。それに新
年度の準備もしなければならない。不況で、私の仕事も大きく影響を受けている。何とか来年
度も仕事はできそうだが、再来年のことになると、まったくわからない。

 で、こういうときは、せっかくのチャンス(?)だから、自分を静かに観察してみる。「気分が重
い」ということは、どういうことなのか、と。

●気が晴れない……憂うつ感が、心というより、頭のどこかに張りついたような状態になる。
「重い」というより、「反応が鈍く」なる。何か楽しいこと、おもしろいことを考えても、「よいこらし
ょ」という感じになる。
●ため息が多くなる……自分では気づかないが、ため息が多くなる。少し前、生徒にそう言わ
れて気づいたことがある。「先生、今日は、ため息ばかりついている!」と。考え込んだとき、息
を止める。それで、無意識のうちに、息苦しくなって、ため息をつくようになるらしい。
●悲観的になる……ものごとを悪いほうへ、悪いほうへと考える。こまかいことを考える。そし
てささいなことが気になり、それを繰りかえし考えるようになる。たいていは袋小路に入って、身
動きがとれなくなる。
●頭が重くなる……感覚的にではなく、本当に、頭が重くなる。頭痛まではいかないが、その一
歩、手前の状態になる。とくに頭の前のほうが重くなる。額の中央部あたりである。ふつうの頭
痛では、前のほうが痛くなるということは、風邪をのぞいて、ない。(風邪のときは、こめかみあ
たりが痛くなる。)

こういう状態になったら、私のばあい、無理をせず、横になって、好き勝手なことをするようしに
ている。あるいはブラブラと、何も考えないで、散歩する。趣味の雑誌を読む。しかし何よりもよ
いのは、直接、生徒(幼児)たちとワイワイと騒ぐこと。たまたま今日は日曜日で、それができな
い。生徒たちとワイワイとやり始めると、たいてい数分のうちには、もとに戻ってしまうのだが…
…。ああ、明日(月曜日)が、待ちどおしい。
(030209)

●喜怒哀楽がはげしいと、感情のみならず、その行動力まで、滅ぼす。喜びにふけるものは、
また悲しみにもふける。それが世の習い。ともすれば、悲しみが喜び、喜びが悲しむ。(シェー
クスピア「ハムレット」)

     ⌒⌒⌒⌒
    ((( (( (( 
     ⌒  ⌒ 
     ・。・ β
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \   みなさんのご家庭で、このマガジンが役だって
 ゜\/│ // │ / /    いますか?
   Γ ̄ ̄│──|○   何かテーマがあれば、掲示板にでもお書きください。

   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

うちの子は問題をよく読みません
音読と黙読は違う(失敗危険度★★)

●子どもの読解力
 小学三年生くらいになると、読解力のあるなしが、はっきりしてくる。たとえば算数の文章題。
読解力のない子どもは、問題を読みきれない、読みまちがえる、など。あちこちの数字を集め
て、めちゃめちゃな式を書いたりする。親は「どうしてうちの子は、問題をよく読まないのでしょ
う」とか、「そそっかしくて困ります」とか言うが、ことはそんな簡単なことではない。

●音読と黙読
 話は少しそれるが、音読と黙読とでは、脳の中でも使う部分がまったく違う。音読は、一度自
分の声で文章を読み、その音を聞いて文の内容を理解する。つまり左脳(ウェルニッケの言語
中枢)がそれをつかさどる。一方黙読は文字を図形として認識し、その図形の意味を判断して
文の内容を理解する。つまり右脳がそれをつかさどる。音読ができるから黙読ができるとは限
らない。ちなみに文字を覚えたての幼児は、黙読では文を読むことができない。そんなわけで
子どもが文字をある程度読むことができるようになったら、黙読の練習をさせるとよい。方法
は、「口をとじて本を読んでごらん」と指示する。国立国語研究所の調査によると、黙読にする
と、小学校の低学年児で、約三〇%程度、読解力が落ちるそうだ。

●読解力は、学習の基本
 ではどうするか。もしあなたの子どもの読解力が心配なら、方法は二つある。一つは、あえて
音読をさせてみる。たとえば先の文章題でも、「声を出して問題を読んでごらん」と言って、問題
を声を出させて読ませてみる。読んだ段階で、たいていの子どもは、「わかった!」と言って、
問題を解くことができる。が、それでも効果があまりないときは、こうする。問題そのものを、別
の紙に書き写させる。子どもは文字(問題)を一度文字で書くことによって、文字の内容を「音」
ではなく、「形」として認識するようになる。少し時間はかかるが、黙読が苦手な子どもには、も
っとも効果的な方法である。

 読解力は、すべての科目に影響を与える。文章の読解力を訓練しただけで、国語はもちろん
のこと、算数や理科、社会の成績があがるということはよくある。決して軽くみてはいけない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

隠しごとがないのが、いい親子?
逃げ場を大切に(失敗危険度★★★★★)

●逃げ場で心をいやす
 どんな動物にも、最後の逃げ場というのがある。もちろん人間の子どもにもある。子どもがそ
の逃げ場へ逃げ込んだら、親はその逃げ場を荒らしてはいけない。子どもはその逃げ場に逃
げ込むことによって、体を休め、疲れた心をいやす。たいていは自分の部屋であったりする
が、その逃げ場を荒らすと、子どもの情緒は不安定になる。ばあいによっては精神不安の遠
因ともなる。あるいはその前の段階として、子どもはほかの場所に逃げ場を求めたり、最悪の
ばあいには、家出を繰り返すこともある。逃げ場がなくて、犬小屋に逃げた子どももいたし、近
くの公園の電話ボックスに逃げた子どももいた。

またこのタイプの子どもの家出は、もてるものをすべてもって、一方向に家出するというと特徴
がある。買い物バッグの中に、大根やタオル、ぬいぐるみのおもちゃや封筒をつめて家出した
子どもがいた。(これに対して目的のある家出は、その目的にかなったものをもって家を出る
ので、区別できる。)

●逃げ場は神聖不可侵
 子どもが逃げ場へ逃げたら、その中まで追いつめて、叱ったり説教してはいけない。子ども
が逃げ場へ逃げたら、子どものほうから出てくるまで待つ。そういう姿勢が子どもの心を守る。
が、中には、逃げ場どころか、子どものカバンの中や机の中、さらには戸棚や物入れの中まで
平気で調べる親がいる。仮に子どもがそれに納得したとしても、親はそういうことをしてはなら
ない。こういう行為は子どもから、「私は私」という意識を奪う。

●子どもの人格を守る
 これに対して、親子の間に秘密はあってはいけないという意見もある。「隠しごとがないほど、
いい親子」と言う人さえいる。そういうときは反対の立場で考えてみればよい。いつかあなたが
老人になり、体が不自由になったとする。そういうときあなたの子どもが、あなたの机の中やカ
バンの中を調べたとしたら、あなたはそれを許すだろうか。プライバシーを守るということは、そ
ういうことをいう。秘密をつくるとかつくらないとかいう次元の話ではない。

 むずかしい話はさておき、子どもの人格を尊重するためにも、子どもの逃げ場は神聖不可侵
の場所として大切にする。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

よく気がつく子、気がつかない子

 周囲にいつも触覚やアンテナを張り、そのつどよく気がつく子がいる。一方、どこかぼんやり
していて、まったくと言ってよいほど、周囲に注意を払わない子もいる。

 たとえば別の机の上に、A君の忘れ物があったとする。それを目ざとく見つけて、「これA君の
だ!」と言って、それをもって教室を飛びだす子がいる。しかし同じような状況でも、まったく関
心を払わない子もいる。

 あるいは掃除をさせても、棚の上のゴミなどにも気がつき、それを取りのぞいたり、きれいに
する子がいる。が、言われたことだけを、その範囲でしかしない子もいる。こんなことがあった。

 クリスマスツリーを飾ったときのこと。Aさん(小五女児)が、「先生、臭い!」と。「どうした
の?」と聞くと、「何かがこげている」と。そこで調べてみたが、よくわからない。が、その女の子
は、「電気の臭い」と。で、さらに調べてみると、コンセントのところで、電線がむき出しになって
いた。その少し前、誰かが足か何かをひっかけて、コードを無理に引っぱったらしい。それで電
線がむき出しになった。知らないでいたら、火事になっていたかもしれない。

 そのときのこと。私はもう一人の女の子のほうが気になった。Aさんが、「臭い」と言って、あち
こちその原因をさがしている間、「私は関係ない」というような顔をして、平気な顔をしていた。ど
こかぼんやりしていた。何が問題なのかさえわかっていないようだった。

 こうした「違い」は、なぜ生まれるか。よく気がつく子は、一つの行動をしても、いつも頭の中で
は別の行動、つまり可能性や危険性を考えながら行動する。一方、気がつかない子は、視野
が狭い。ほとんど考えないで行動する。頭のよしあしも、関係しているようだ。こんな事件があ
った。

 その家には灯油のポリ容器と、ガソリンのポリ容器があった。いや、もともとはガソリンのポリ
容器はなかったが、娘(二三歳)が、自分の車用に使っていたガソリン用のポリ容器をそこに
置いた。少しガソリンが残っていた。それを知らず、母親が、そのポリ容器に、灯油を入れた。
家の中のストーブに移すために、である。

 ……このあと、その直前に、父親がそれに気づいたからよいようなもの、気づかなかったら、
大惨事になっていた。父親はいつも使っているポリ容器と色が違っていたので、それで気づい
た。

 この事件では、娘の不注意、さらに母親の不注意が責められるべきである。灯油のポリ容器
とガソリンのポリ容器を並べて置く娘の、思慮のなさ。また灯油のポリ容器と並べて置いてある
からといって、中身を確かめることもなく、それに灯油を入れる母親の思慮のなさ。日ごろから
自分で考えるクセのない人、つまり気がつかない人は、こういうことを平気でする。

 もうおわかりかと思うが、よく気がつく子と、そうでない子の違いはといえば、「考えるクセ」が
あるかないかの違いということになる。「利口」という言葉があるが、利口な子どもは、よく気が
つく。つまりそれだけ日ごろから、考えるクセが身についている。

 問題は、気がつかない子。このタイプの子どもは、子どもに限らず、おとなもそうだが、自分
でそれに気づくことはまずない。つまり利口な人からは、そうでない人がわかるが、そうでない
人からは、利口な人がわからない。だから叱ったり、説教しても、ムダ。仮にそのことだけはで
きるようになっても、これは脳全体の問題だから、つぎつぎと同じような失敗を繰り返す。たとえ
ば父親が娘に、「ガソリンのポリ容器を、灯油のポリ容器と同じところに置いてはダメ」と言った
とする。そのときはそれでその問題は解決するかもしれないが、まさに一事が万事。その娘
は、別のところで、また違った問題を引き起こす。

 子どもでも、いろいろ考えながら行動する子がいる。しかしほとんど考えないで行動する子も
いる。当然のことながら、前者の子どものほうが好ましいということになるが、しかし問題がない
わけではない。考える子がどうこうというよりも、この世界、実のところ、あまり考えないで生き
るほうが、生きやすい。これはあくまでも総じてみた話だが、どこかぼんやりと、どこか間が抜
けたような人(失礼!)のほうが、生きやすい。気も楽だ。子どももそうで、あれこれよく気がつく
子は、それだけ神経も繊細で、何かと問題を起こしやすい。だから本当のところ、子どもについ
て言えば、どちらがよいのか、私にはわからない。

「この前のテスト、何点だったの?」
「ううん、もう忘れた……」
「できたの?」
「多分ね。いつもよりね」
「そのテスト、どこにあるの?」
「ええと、どこだっけ? もう捨てた……」
「捨てたの?」
「そう、どこかへ捨てた」
「どこに?」
「さがせば、どこかにあると思う……」と。

 私も、そういう生き方をしてみたい。わずらわしいことを、すべて忘れて……!
(030208)

●もっともすばらしい処世術は、妥協することなく、適応することである。(ジンメル「断想」)
●諸君は、いっしょにいる人よりも、決して利口に思われてはいけない。また物知りに思わせて
はいけない。(それが最上の処世術だ。)(チェスターフィールド「書簡」)
 
 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

自衛策

 今日、お米を合計で、六〇キロ購入してきた。わが家は、一か月約一〇キロ消費するから、
六か月分ということになる。ほかにインスタントラーメンなど、四〇食分。全部で、三万円ほどの
出費。これから先、何があるかわからない。とりあえず自分たちの生活は、自分たちで防衛す
るしかない。

 心配なのは、三男が横浜に住んでいること。米軍横須賀基地に近い。電話で「何かあった
ら、バイクで、まっすぐ戻ってくること」と連絡した。三男は笑っていたが、笑いのまま終われば
よい。朝鮮日報(韓国系新聞・二月七日)によると、「戦争はもう不可避」(ピョンヤンを取材した
イギリス人記者)という状態らしい。北朝鮮は、もうあと戻りできないところまできている。R国務
副長官ですら、「北朝鮮は、すでに一〜二発の核弾頭をもっている」と認めている。そしてそれ
らは、日本に向けられているという。北朝鮮以上の緊張感をもって、日本も防衛体制を整えね
ばならない。

 仮に日朝戦争ということになっても、日本を助けてくれる国は、アメリカ以外にない。韓国です
ら、中立を守るという。中国は、もちろん北朝鮮の側に立つか、もしくは静観。ロシアも、静観。
が、そのアメリカですら、すぐには手が出せない。朝鮮半島に駐留するアメリカ軍は、約四万
人。それだけのアメリカ兵を危険にさらすわけにはいかない。日本は、北朝鮮以上に今、孤立
している。

 水はどうする? 電気、ガスはどうする? ……いろいろな問題が起きてくる。仮に東京の中
心が核攻撃を受けたら、日本の経済はもちろんのこと、政治的機能はすべてマヒする。今度だ
けは、「何とかなる」「だれかが何とかしてくれるだろう」では、すまない。しかも日本が得意芸と
する「先延ばし」も、許されない。R国防副長官は、「五月までに北朝鮮が保有する核物質は、
核弾頭五〜六個分にふえる」と警告している(二月九日)。放置すればするほど、核弾頭の数
はふえる。

 唯一の解決策は、中国に北朝鮮を説得してもらうこと。あるいは中国にも、責任を分担しても
らうこと。しかしその中国の力にも、限界がある。このところ表向きはともあれ、中国と北朝鮮
の関係は、ギクシャクしている。それ以上のペースで、北朝鮮自らが、孤立化の道を、歩み始
めている。いや、それ以上に、北朝鮮の国家体制は崩壊状態。「破綻状態」(読売新聞)。そう
いうとき独裁者は、独裁者の常として、外に戦争をしかける。今の北朝鮮にとって、開戦の大
義名分がたつ国は、この日本をおいてほかにない。

 今、日本が置かれている立場を考えると、教育どころではない。子育てどころではない。だか
らどうしても、エッセーを書き始めると、北朝鮮の問題になってしまう。が、私が個人としてでき
ることには、限りがある。「日本のために何かをしたい」と思っても、現実には、何もできない。
結局は、「私」という個人を守るしかない。とりあえず、明日、市内の銀行へ行って、手持ちの日
本円を、ドルに交換してもらってくる。ご存知の方も多いと思うが、今、大手の銀行には、自動
販売機のように、円を投入すると、ドル紙幣に変換してくれる機械が置いてある(静岡銀行本
店など)。

 東京が攻撃されれば、その日から、インターネットも停止する。だからこのエッセーを読んで
もらえるということは、まだ一応の平和が保たれているということ。またこのエッセーをみなさん
に配信するのは、二月の一七日。そのころIAEAは、北朝鮮の核問題を国連の安保理に付託
している。どうなっていることやら……? 私にはまったく予測もつかないが、北朝鮮が劇的に
態度を軟化してくれていることを、切に望む。
 
(追伸)私は、二〇代のころ、ほとんど毎週のように外国を飛び歩いていた。その外国から帰っ
てくると、日本だけが、温室もしくは、熱帯魚が住んでいる水槽のように見えた。そういう経験か
らしても、今の日本は、のんき過ぎる。私には、この「のんきさ」のほうが、不思議でならない。
私が首相なら、都市機能をまず地方に分散する。東京都の中心部や、米軍の基地周辺に住
んでいる住民を、疎開させる。またその旨、第一級の警告を発する。東京が核攻撃を受けてか
らでは、あまりにも遅い。遅すぎる!
(030209)

●人類から愛国主義者をなくすまで、平和な世界はこないだろう。(バーナードショー「語録」)
●ある国が平和であるためには、他国の平和もまた保障されねばならない。この狭い、相互に
結合した世界にあっては、戦争も、自由も、平和も、すべてたがいに連動している。(ネール
「一つの世界をめざして」)
●平和というのは、人間の世界には、存在しない。しいて言えば、平和というのは、戦争が終
わった直後か、まだ戦争の始まらないときをいう。(魯迅)

+++++++++++++++++

まやかしの平和主義者に注意しよう。
私にはこんな経験がある。

私は学生時代、ベトナム戦争に反対
していた。しかし実際、そのベトナ
ム戦争から帰ってきた、オーストラ
リアの兵士には、とても「反対」と
は言えなかった。逆に、「ぼくたち
はアジアの平和のために戦っている。
どうして日本は、兵士を送らないの
か」と言われたとき、反論すること
ができなかった。そのときのことを
書いたのが、つぎのエッセーである。

++++++++++++++++++
世にも不思議な留学記
++++++++++++++++++

ベトナム戦争

●徴兵はクジ引きで
 徴兵は、クジ引きで決まった。そのクジで決まった誕生日の若者が徴兵され、そしてベトナム
へ行った。学生とて、例外ではない。が、そこは陽気なオーストラリア人。南ベトナムとオースト
ラリアを往復しながら、ちゃっかりと金を稼いでいるのもいた。とくに人気商品だったのが、日本
製のステレオデッキ。それにカメラ。サイゴンで買ったときの値段の数倍で、メルボルンで売れ
た。兵士が持ちこむものには、原則として関税がかけられなかった。

 そんな中、クリスという男がベトナムから戻ってきた。こう言った。「戦場から帰ってくると、み
んなサイゴンで女を買うんだ」「女を買う?」「そうだ。そしてね、みんな、一晩中、女の乳首を吸
っているんだ」「セックスはしないのか?」「とても、する気にはなれないよ。ただ吸うだけ」「吸っ
てどうするんだ?」「気を休めるのさ」と。
 
●オーストラリア人のベトナム戦争
 ベトナム戦争。日本でみるベトナム戦争と、オーストラリアでみるベトナム戦争は、まるで違っ
ていた。緊張感だけではない。だれもが口では、「ムダな戦争」とは言っていたが、一方で、「自
由と正義を守るのは、ぼくたちの義務」と言っていた。そういう会話の中で、とくに気になったの
は、「無関心」という単語。オーストラリアでは「政治に無関心」ということは、それだけでも非難
の対象になった。地方の田舎町へ行ったときのことだが、小さな子どもですら、「あの橋には、
○○万ドルも税金を使った」「この図書館には、○○万ドル使った」と話していた。彼らがいう民
主主義というのは、そういう意識の延長線上にあった。

 「日本はなぜ兵士を送らないのか?」「日本は憲法で禁じられている」「しかしこれはアジアの
問題だろ。君たちの問題ではないか!」「……」と。毎日のように私は議論を吹っかけられた。
私が、いくら、ただの留学生だと言っても、彼らは容赦しなかった。ときには数人でやってきて、
怒鳴り散らされたこともある。彼らにしてみれば、私が「日本」なのだ。もっとも彼らがそうする
背景には、「いつ戦場へ送り出されるかわからない」といった恐怖感があった。日本人の私と
は真剣さが違った。

●日本は変わったか?
 それから三四年。世界も変わったが、日本も変わった。しかしその後、日本がアジアを受け
入れるようになったかどうかということになると、それは疑わしい。先日もテレビ討論会で、一人
のアフリカ人が、小学生(六年生くらい)に向かって、「君たちはアジア人だろ!」と言ったときの
こと。その小学生は、こう言った。「違う。ぼくは日本人だ」と。そこで再び、「君たちの肌は黄色
いだろ!」と言うと、「黄色ではない。肌色だ!」と。こうした国際感覚のズレは、まだ残ってい
る。三五年前は、もっとすごかった。日本人で、自分がアジア人だと思っている人は、まずいな
かった。半ば嘲笑的に、「黄色い白人」と呼ばれていたが、日本人は、それをむしろ誇りに思っ
ていた? しかしアジア人はアジア人。この事実を受け入れないかぎり、日本はいつまでたって
も、アジアの一員にはなれない。

 話はそれたが、ベトナム戦争についても、彼らの論理は明快だ。クリスと会った夜、私は日記
にこう書いた。

「戦争に行く勇気のあるものだけが、平和を口にすることができるという。戦争に行くのがこわ
いから、戦争に反対するというのは、この国では許されない。もっと言えば、この国では、兵士
となって戦争を経験したものだけが、平和を口にすることができる。そうでないものが平和を唱
えると、卑怯者と思われる。戦争と平和は、紙でいえば、表と裏の関係らしい。平和を守るため
に戦争するという、一見、矛盾した論理が、この国では常識になっている。そんなわけで私は、
クリスに、ベトナム戦争反対とは、どうしても言えなかった」と。

++++++++++++++++++++++++++++

子どもの平和宣言

 よくどこかの会場で、小学生くらいの子どもが、平和宣言をすることがある。「私たちは、平和
を守り……。戦争に反対し……。核兵器を廃絶し……」とか。たいていは、……というより、ほ
とんどは、おとなたちが用意した原稿を、子どもが読みあげているだけ。たまたま、この原稿を
書いているときも、「地雷をなくそう、全国子どもサミット」(〇三年二月八日)があった。疑問が
ないわけでもないが、しかしそういうのなら、私も、まだ理解できる。

 しかし子どもを使って、平和宣言など、子どもに言わせてはいけない。子どもをそういうふうに
利用してはいけない。それはあまりにも酷というもの。だいたいそんな子どもに、戦争だとか、
平和がわかるわけがない。だれだって、戦争より平和のほうがよいと思っているに決まってい
る。しかし平和というのは、それを求めて積極的に戦ってこそ、得られるもの。皮肉なことに、
戦争のない平和はない。ただ「殺しあいは、いやだから」という理由だけで、逃げまわっている
人には、平和など、ぜったいにやってこない。世界は、そして人間が本来的にもつ性(さが)
は、そんな甘いものではない。

 たとえば戦後、つまりこの五八年間、日本がかろうじて平和を保つことができたのは、日本人
がそれだけの努力をしてきたからではない。日本人が平和を愛したからでもない。日本が、戦
後、五八年間という長きにわたって平和を保つことができたのは、アメリカという強大な軍事力
をもった国に、保護されていたからにほかならない。もし日本がアメリカの保護下になかった
ら、六〇年代には、中国に。七〇年代には、韓国や北朝鮮に、そのつど侵略されていただろ
う。台湾やマレーシアだって、だまっていなかった。フィリッピンに袋叩きにされていたとしても、
おかしくはない。日本は、そういうことをされても文句は言えないようなことを、ほかの国に対し
て、してしまった。しかももっと悪いことに、いまだに、公式には、日本はその戦争責任を認めて
いない。中には、今でも「あの侵略戦争は正しかった」と言う日本人すら、いる。今の北朝鮮を
容認するわけではないが、彼らが日本を憎む理由には、そういう時代的背景がある。

 わかりやすく言えば、子どもが平和宣言をして、それで平和な国がやってくるというのは、まっ
たくの幻想。平和というのは、それ自体は、薄いガラスでできた箱のように、もろく、こわれやす
い。ときには、戦争そのもののように、毒々しく、醜い。仮に今、平和であるとしても、その底流
では、つぎの戦争を求めて、人間のどす黒い欲望が渦巻いている。つまり、平和を口にするも
のは、一方で、そういうものと戦わねばならない。その戦う意思、その戦う勇気のあるものだけ
が、平和を口にすることができる。

子どもを使って平和宣言をさせるというのは、子どもを使って宣戦布告するのと同じくらい、バ
カげている。それがわからなければ、子どもに、援助交際反対宣言をさせてみればよい。子ど
もに、政治家の汚職追放宣言をさせてみればよい。あるいは覚せい剤禁止宣言でもよい。環
境保護宣言でもよい。そういうものが何であるかもわからないまま、無知な子どもに、そういう
ことを言わせてはいけない。そうそう、あのK国では、幼児までもが、「将軍様を、命がけで守り
ます」などと言っている。幼児が自分の意思で、自分で考えてそう言うのなら話はわかるが、そ
んなことはありえない。繰りかえすが、子どもを、そういうふうに利用してはいけない。

 そんなわけで、私は、小学生や中学生が、片手を空に向けて平和宣言をしている姿を見る
と、正直言って、ぞっとする。あるいはあなたは、アメリカやヨーロッパや、オーストラリアの子ど
もたちが、そういうふうに宣言をしている姿を、どこかで見たことがあるとでもいうのだろうか。
残念ながら、私はないが、ああいうことを子どもに平気でさせる国というのは、全体主義国家
か、あるいはその流れをくむ国と考えてよい。

 「地雷をなくそう、全国子どもサミット」では、ある子ども(滋賀の小学生)は、つぎのように話し
ている。「地雷でケガをした人を見るのは初めてで、結構びっくりしたからそんなにしゃべったり
できなかったけれど、何かちょっとずつだけど、声がかけられるようになったからよかったと思
っています」(TBS報道)と。私たちが聞きたいのは、子どもたちのそういう生の声である。
(030209)

●子どもたちのために平和を守るのは、私たちおとなの義務なのだ。どこまでいっても、私た
ちおとなの義務なのだ。それを忘れてはいけない。

    ┌┐
    │ト
    ≧≦ ∪          z
   ━━━━━━        z
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

あなたはダメな子ネー!
いつも前向きの暗示を(失敗危険度★★★★★)(1291)

●前向きの暗示を!
 「あなたはどんどんよくなる」「あなたはさらにすばらしい子になる」という、前向きの暗示が、
子どもを伸ばす。また前向きに伸びている子どもは、ものごとに積極的で攻撃的。何か新しい
ことを提案したりすると、「やる」「やりたい」とか言って、くいついてくる。これは家庭教育の常識
だが、しかし問題は、子どもにというより、親にある。

 親自身がまず子どもを信ずること。「うちの子はすばらしい子だ」という思いが、子どもを伸ば
す。心というのはそういうもので、長い時間をかけて、子どもに伝わる。言葉ではない。そこでテ
スト。

●「年齢はいくつ?」
 あなたが子どもを連れて街の中を歩いていたとする。すると向こうから高校時代の同級生が
歩いてきた。そしてあなたの子どもを一度しげしげと見たあと、「(年齢は)いくつ?」と聞いたと
する。そのときあなたはどのように感ずるだろうか。

 自分の子どもに自信のある親はこういうとき、「まだ」という言葉を無意識のうちに使う。「まだ
五歳ですけど……」と。「うちの子はまだ五歳だけど、すばらしい子どもに見えるでしょ」という気
持ちからそう言う。しかし自分の子どもに自信のない親は、どこか顔をしかめながら、「もう」と
いう言葉を使う。「もう五歳なんですけどねえ」と。「もう五歳になるが、その年齢にふさわしくな
い」という気持ちからそう言う。もちろんその中間ということもあるが、もしあなたが後者のような
なら、あなたの心をつくりかえる。でないと、あなたの子どもから明るさがますます消えていく。
そうなればなったで、子育ては大失敗。ではどうするか。

●うしろ向きに考える中学生
 子どもというのは、一度うしろ向きになると、どこまでもうしろ向きになる。そして自ら伸びる芽
をつんでしまう。こんな子ども(中学女子)がいた。ここ一番というところになると、いつも、「どう
せ私はダメだから」と。そこでどうしてそういうことを言うのかと、ある日聞いてみた。すると彼女
はこう言った。「どうせ、○○小学校の入試で落ちたもんね」と。その子どもは、もうとっくの昔に
忘れてよいはずの、しかも一〇年近くも前のことを気にしていた。こういうことは子どもの世界
ではあってはならない。

 そこでどうだろう。今日からでも遅くないから、あなたもあなたの子どもに向かって、「あなたは
すばらしい子」を言うようにしてみたら……。最初はウソでもよい。しかしあなたがこの言葉を自
然な形で言えるようになったとき、あなたの心は今とは変わっているはずである。当然、あなた
の子どもの表情も明るくなっているはずである。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

あなたには本当のことがわかっていない
子どもの心を大切に(失敗危険度★★★★★)

●無理は禁物
 子どもの心を大切にするということは、無理をしないということ。たとえば神経症にせよ恐怖
症にせよ、さらにはチック、怠学(なまけ)や不登校など、心の問題をどこかに感じたら、決して
無理をしてはいけない。中には、「気はもちようだ」「わがままだ」と決めつけて、無理をする人
がいる。

さらに無理をしないことを、甘やかしと誤解している人がいる。しかし子どもの心は、無理をす
ればするほど、こじれる。そしてその分だけ、立ちなおりが遅れる。しかし親というのは、それ
がわからない。結局は行きつくところまで行って、はじめて気がつく。その途中で私のようなも
のがアドバイスしても、ムダ。「あなたには本当のところがわかっていない」とか、「うちの子ども
のことは私が一番よく知っている」と言ってはねのけてしまう。あとはこの繰り返し。

●こわい悪循環
 子どもというのは、一度悪循環に入ると、「以前のほうが症状が軽かった」ということを繰り返
しながら、悪くなる。そのとき親が何かをすれば、すればするほど裏目、裏目に出てくる。もしそ
んな悪循環を心のどこかで感じたら、鉄則はただ一つ。あきらめる。そしてその状態を受け入
れ、それ以上悪くしないことだけを考えて、現状維持をはかる。よくある例が、子どもの非行。

子どもの非行は、ある日突然、始まる。それは軽い盗みや、夜遊びであったりする。しかしこの
段階で、子どもの心に静かに耳を傾ける人はまずいない。たいていの親は強く叱ったり、体罰
を加えたりする。しかしこうした一方的な行為は、症状をますます悪化させる。万引きから恐
喝、外泊から家出へと進んでいく。

●ウリのつるにナスビはならぬ
 子どもというのは、親の期待を一枚ずつはぎとりながら成長していく。また巣立ちも、決して美
しいものばかりではない。中には、「バカヤロー」と悪態をついて巣立ちしていく子どもいる。し
かし巣立ちは巣立ち。要はそれを受け入れること。それがわからなければ、あなた自身を振り
返ってみればよい。

あなたは親の期待にじゅうぶん答えながらおとなになっただろうか。あるいはあなたの巣立ち
は、美しく、すばらしいものであっただろうか。そうでないなら、あまり子どもには期待しないこ
と。昔からこう言うではないか。『ウリのつるにナスビはならぬ』と。失礼な言い方かもしれない
が、子育てというのは、もともとそういうもの。(

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】雑感・雑談∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

本を出版するということ

 この大不況下。出版界とて例外ではない。もう七、八年前から、初版の発行部数(最初に発
行する印刷部数のこと)が、極端に少なくなった。大手の出版社でも、それまでは一万〜一万
五〇〇〇部(初版)というのが当たり前だった。それが今では、六〇〇〇部とか、ばあいによっ
ては四〇〇〇部になってしまった。中小の出版社では、さらに少ない。

 発行部数が少ないということは、それだけ著者への収入(印税)が少なくなるということ。が、
さらに深刻な問題もある。売れない本は、取次店が、取り次いでくれない。あるいは売れないと
わかると、一、二か月も待たない間に、書店から本を引きあげてしまう。このため毎月の出版
点数の少ない弱小の出版社や、宣伝力のない出版社は、書店に本を並べてもらうことさえでき
ない。(本というのは、出版社→取次店→取次店と契約のある書店という経路を経て、書店に
並ぶ。)

それでも書店に並べてもらおうと思うと、いわゆる出版社から取次店への卸(おろ)し価格をさ
らにさげるか、保証金なるものを取次店に払わねばならない。保証金というのは、本が売れな
かったばあいの、違約金のようなもの。書店から出版社への返本率(たとえば一〇〇〇冊書
店に並べてもらい、五〇〇冊が返本されれば、返本率は、五〇%ということになる)が高いば
あいには、この保証金は、没収される。取次店も、タダで本を並べてくれるわけではない。こう
なると、弱小出版社の経営は、ますます苦しくなる。

 こうしたシワ寄せは、即、著者にやってくる。一五年ほど前までは、出版と同時に、印税が著
者に入った。が、今は違う。実際に売れた部数分の印税しか入らない。たとえば五〇〇〇部印
刷して、半年で二〇〇〇部しか売れなかったとする。すると、その二〇〇〇部分の印税しか、
手に入らない。しかも支払いは、半年先、さらに一年先。あるいは、印税が、現物支給という形
で相殺(そうさい)されるということも多い。印税のかわりに、その分だけ、本で支給されるという
のがそれ。たとえば印税が、五〇万円だったとする。するとその五〇万円分、自分で自分の本
を買う。

 こうなると、本を出す人など、いなくなってしまう。少なくとも本を出版しながら生計をたててい
る人にとっては、たいへんきびしい。よほどの知名度か、話題性がないと、本は売れない。一
方、出版社は、どこもリストラ、またリストラ。しかし出版社というのは、不思議と倒産しない。知
的(ソフト)産業の強みというか、ふつうの製造業とは、少し、内容が違う。仮に在庫をかかえて
も、「本」という在庫は腐ったりするようなことはない。少しずつ切り売りすれば、何とか会社だ
けは維持できる。

 そこで最近ふえているのが、自費出版を手伝うという出版会社。よく「あなたの本を出しませ
んか」という広告が新聞などに出るが、それがそういう会社。著者に制作費を負担させることに
より、リスクを回避する。ズルイといえばズルイ。巧妙といえば巧妙。そういう出版社へ原稿を
送ると、たいていこんな返事がくる。

 「すばらしい原稿です。当社でぜひ出版させてください。つきまして貴殿に、制作費、宣伝費
○百万円を負担していただきたいのです。これは初版のみの負担で、重版になれば、契約し
た印税をお支払いします。貴殿の本は、全国紙などで紹介します。こうしてベストセラーになっ
た本も何冊かあります」と。

 かく言う私も、本当に今、きびしい。きびしいが、今は、インターネットという手段がある。イン
ターネットで、自分の意見を発表できる。インターネットは、お金にはならないが、もともと原稿
でお金を稼ごうという意識はあまりないので、どうということはない。(これは多分に私の強が
り?)それだけ下積みが長かったということ。今も、下積み。これからもずっと下積み。だから
自分の意見が発表できるということだけでも、感謝している。(これは、本当!)

 が、それでもやはり、年に何冊かは、本を出したい。インターネットは、「形」として残らない。
本は、「形」として残る。それにいくらインターネットが普及したからといって、まだ本のもつ簡便
さにはかなわない。今でも私は新しい本を出版するたびに、その本を抱いて寝るが、そういう
喜びは、インターネットには、ない。

 さて、〇二年度は、一冊しか本を出せなかった。もう一つ、企画までのぼったが、その後、途
中で進行が止まってしまった。こういう不景気な時代だから、しかたない。で、今年も、また別の
企画で、動き始めた。どういう反応が出てくるかは、これからの努力。がんばってやってみるし
かない。そうそう、私自身はいまだかって一度も、自費出版というのは、したことがない。自費
出版をしたことがある方には、失礼な言い方になるかもしれないが、「自分でお金を出して出版
する」というのは、やはり邪道。少なくとも、プロのもの書きは、自費出版はしない。いや、プロと
かプロでないとかいうことではなく、これはものを書く人間のプライドのようなもの。私には、まだ
そのプライドが、かろうじて残っている? 本当にかろうじてだが……。

 それにしても、この閉塞感。何とかならないものか。今の日本、何からなにまで、沈滞してい
る。何をするにも、「ダメだろうな」という思いばかりが先にたつ。しかしこれではいけない。いけ
ないと思うから、がんばる。そう、がんばるしかない。ここで私のようなものが、発言をやめた
ら、本当にこの日本はダメになってしまう! ……少しおおげさに聞こえるかもしれないが、今
は、そう思っている。
(030211)

     ⌒⌒⌒⌒
    ((( (( (( 
     ⌒  ⌒ 
     ・。・ β
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \   みなさんのご家庭で、このマガジンが役だって
 ゜\/│ // │ / /    いますか?
   Γ ̄ ̄│──|○   何かテーマがあれば、掲示板にでもお書きください。

   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●「週刊E'news浜松」への投稿について

 「週刊E'news浜松」という電子マガジンがある。発行部数が、2300以上というからすごい。
現在、浜松市内でも、いろいろなタウン誌があるが、実読者数2300というのは、驚異的と言っ
てもよい。(たいていのタウン誌は、発行部数を、かなりごまかしている。たとえば印刷部数が、
数千部もないのに、公称発行部数を、二万部とか、三万部とかと偽っているところがある。しか
しその数千部にしても、本当に読まれているわけではない。書店の棚を飾ったあと、九五%以
上は廃棄処分にされている。そういう意味で、電子マガジンの2300部というのは、すごい!)

 このマガジンに、原稿を寄稿させてもらうようになって、もう一年になる。で、前回で「子育てポ
イント」が終了し、今回から、「ママ100景」を掲載してもらうことになった。かなりキツイ内容の
原稿である。「キツイ」というのは、「辛口」ということ。私は本来、子育て最前線で活躍している
母親を批判するのは、あまり得意ではない。批判することはあっても、その向こうに、「子ども
のため」という思いをこめて批判する。しかし今回のシリーズは、そうではない?

 そんなわけで掲載してもらうかどうか、かなり迷った原稿であるが、これも現在の子育ての一
側面ということで、掲載してもらうことにした。

+++++++++++++++++++

給食もレストラン感覚で! ---------------------------------

●足の裏をみるのですかア
 「最近の母親たちはバッグを平気でベッドの上に置く」と、ある小児科の医
 師が怒っていた。が、それだけではない。「子どもをベッドに寝させてくだ
 さい」と言うと、今度はスリッパをはかせたままベッドの上に……!そこで
 看護婦が、「スリッパをぬがせてください」と言うと、その母親は、「足の
 裏をみるのですかア」と。

●最近の親たち
 こういう非常識な母親はいくらでもいる。幼稚園へ入園するについても、最
 近の母親で、「入れていただけますか?」と聞く親はまずいない。当然入園
 できるという前提で、幼稚園へやってくる。中には幼稚園へやってきて、見
 学だの、体験学習だの、さらには給食の試食までしていく親がいるという。
 帰りぎわに主任の教師が、恐る恐る、「入園はどうしますか?」と聞くと、
 「もう二、三か所、あちこちの幼稚園を回って決めるワ」と。私にもこんな
 経験がある。

●一回休みましたから
 そのころ園長の指示で、希望者だけを集めて特別講座を開いていた。わずか
 だったが、別に講座費(月額三〇〇〇円)をとっていた。が、それがよくな
 かった。五月の連休が重なって、その子ども(年中女児)のクラスだけが、
 月三回になってしまった。それについて、その母親から、「補講してほしい」
 と。しかしたまたま月三回になったのは、私の責任ではない。そこで「補講
 はしません」というと、今度はその父親が電話に出てきて、こう言った。「
 月四回ということで、講座費を払っている。三回しかしないというのは、サ
 ギだ。ついては、お前をサギ罪で訴える」と。市内で歯科医師をしている父
 親からの電話だった。

 あるいは同じころ、たまたま月一回を病気か何かで休んだ子ども(年長男児)
 がいた。よくあることだが、あとでみると、講座費がちょうど四分の三の、
 二二五〇円になっていた。いや、そのときはそれに気づかず、「お金が足り
 ませんが……」と言うと、その母親は平然とこう言った。「一回休みました
 から」と。

●給食もレストラン感覚で
 もっともこの程度の非常識はこの世界では常識。先日も神奈川県のU幼稚園
 で講演をさせてもらったのだが、その園長がこっそりとこう教えてくれた。
 「今では、昼の給食もレストラン感覚で出してやらないと親は納得しないの
 ですよ」と。「子どもに給仕をさせないのですか?」と聞くと、「とんでも
 ない! スープでヤケドでもしようものなら、親が怒鳴り込んできます」と。

 今、子育ての世界では、非常識が常識になってしまっている。しかも何が常
 識で、何が非常識なのか、それさえわからなくなってきている。

++++++++++++++++++++++

 この原稿の中で、私をサギ罪で訴えると息巻いた父親の話を書いたが、これは一〇〇%、
事実である。その人と特定できる部分については、内容を変えたが、実際にあった話である。

 この世界、つまり子どもの教育の世界では、その底流で、親たちのドス黒い欲望が、ウズを
巻いている。「教育」と言いながら、それがどこかで人間の「欲望」と結びついているためと考え
てよい。そのひとつが、受験競争。この受験競争に巻きこまれると、親はもちろんのこと、かな
りタフな教師でも、かなり神経をすり減らす。一〇年ほど、進学塾の講師を経験したことがある
友人のF氏は、こう言った。「もうコリゴリです」と。

 今、どこの幼稚園(公立)にも、精神科に通院している教師は、一人や二人は、必ずいる。入
院してしまう教師だっている。親のほうは、「うちの子だけ……」と考えてそうするかもしれない
が、子どもを預かるほうは、そうではない。一度に数人の親たちから苦情を訴えられたりする
と、パニック状態になってしまう。若い教師ならなおさらだ。しかも、中には、「ふつうでない親」
がいる。ここに書いたように、一回、講座を休んだだけで、「サギ罪だ」と騒ぐ親だっている。こ
ういう親にからまれると、トコトン神経をすり減らす。

 で、こうして辛口風に批判はしたが、しかし決して、そういう親たちを、ダメだと言っているので
はない。こうした親たちも、これから先、自分の子育てをしながら、そして幾多の苦労を重ねな
がら、賢くなっていく。それについて、今回のシリーズの中で書ければと願っている。中には、
「よくもまあ、こんなことを書いて!」と不愉快に思う人がいるかもしれないが、それがこのエッ
セーの目的でないことだけは、わかってほしい。
(030212)※

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

あわれみの心

●善と悪は対等ではない
善があるから悪がある。悪があるから善がある。しかし善と悪は、決して対等ではない。善人
でいることは、簡単なこと。善人ぶることは、もっと簡単なこと。しかし自分の中の悪と戦うの
は、難しい。悪を追い払うのは、もっと難しい。

 ……ここまでなら、だれにだってわかる。問題は、その先。つまりその先がわからないと、人
間はいつまでも善悪論の渦(うず)に巻き込まれる。そこから一歩も抜け出られなくなる。いつ
までも堂々巡りを繰りかえすことになる。

 最大の関心ごとである、北朝鮮問題を例にあげて考えてみよう。

●北朝鮮問題にたとえると……
 極東アジアは、今、戦後最大の危機に見舞われている。まさに一触即発。明日、朝鮮半島で
戦争が起きてもおかしくないという状態である。そしてひとたび戦争が起きれば、数日の内に、
「一〇〇万人以上が死傷する」(朝鮮日報)とも言われている。

 この時点で、北朝鮮は「悪」ということになる。一方、その北朝鮮に対して、懸命に説得活動
をつづけている韓国は、「善」ということになる。日本のみならず、国際社会も、おおむねそのよ
うな見方をしている。

 が、ここまでなら、だれにだってわかる。核兵器の開発をつづけ、化学兵器や生物兵器を生
産している北朝鮮は、まさに「悪」ということになる。それについては、そのとおりだと思う。しか
しこの見方では、今ある危機的な状況を、一時的に回避することはできても、基本的な問題を
解決することはできない。

●もう少し高い視点から
 そこで見方を、もう少し、深めてみる。高い視点から見るといってもよい。するとこうなる。

 北朝鮮は「悪」だが、悪いのは北朝鮮ではない。指導者である金XXと、一部の取り巻き連中
である。その指導部が、自分たちの失政をごまかすために、国民を欺(あざむ)き、世界を不
安におとしいれている。そういう意味では、一番の犠牲者は、北朝鮮の国民自身ということにな
る。

 が、それでも問題は解決しない。そこでさらに視点を高めてみる。

 今の北朝鮮は、世界でも例をみないほどの、最貧国。人口の一〇%以上が餓死し、六〇%
以上が栄養失調というような国は、ほかにない。国家経済は破綻し、原油を買うお金もない。
そういう北朝鮮が、精一杯の虚勢を張り、一人前の国に見せている。だれにも相手にされない
から、相手にしてもらおうと、懸命にもがいている。

●あわれみの心
 そこまで踏み込んで北朝鮮をながめてみると、かわいそうという思いが、やがてあわれみに
変化していくのがわかる。同じように金XXにしても、そういう視点でみると、取るに足りない、あ
われな男に見えてくる。そういう視点に立つと、善とか悪とか、そういうものの見方そのものが、
吹き飛んでしまう。

 もうおわかりかと思う。善悪論の先にあるのが、「あわれみ」ということになる。このあわれみ
の心をもてば、善にしても、また悪にしても、それ自体が意味をもたなくなる。要するにあわれ
みの心をもつことにより、善と悪を超越することができる。北朝鮮の問題にしても、「悪」が悪で
なくなってしまう。

 が、問題がないわけではない。相手をあわれむためには、あわれむこちら側が、はるかに高
い立場に立たねばならない。相手の苦しみや悲しみを理解し、相手の立場でものを考え、相手
の心を、さらに寛大な心で包んでやらなければならない。表面的に同情したりする程度では足
りない。人間的に、相手よりも一歩も二歩も、先を行かねばならない。

●善悪論は意味がない?
 こう考えていくと、善が善であり、悪が悪であるのは、そのレベルの世界での善悪論にすぎな
いということになる。そのレベルにいるから、そのレベルで、善や悪が問題になる。が、そのレ
ベルを超えれば、善悪論そのものが、意味を失ってしまう。

たとえば暴走族のグループどうしが、縄張りを争って、戦ったとする。そのレベルでは、たがい
に正義を主張し、それなりの善悪論をふりかざして、そうする。しかしひとたび視点を高くもつ
と、暴走族の存在そのものが、無意味に見えてくる。彼らがいうところの善悪論が、無意味に
見えてくる。つまり善と悪というのは、それ自体、超越しえるものということになる。となると、善
にせよ、悪にせよ、決して絶対的なものではない。もっと言えば、絶対的な善というのは存在し
ないし、一方、絶対的な悪というのは、存在しないということになる。

 たとえばここにも書いたように、「北朝鮮の人たちはかわいそうな人たちだ」「金XXは、あわ
れな人だ」と思うことにより、「北朝鮮は悪だ。金XXは悪だ」という善悪論から、抜け出ることが
できる。が、この時点で、北朝鮮は悪だ、金XXは悪だという善悪論だけに振りまわされると、
自分も彼らと同じレベルまで低劣になってしまうのみならず、問題の本質そのものを見失ってし
まう。仮にここで、「北朝鮮は悪だ」という論理だけを振りかざして戦争すれば、その時点で、さ
らに私たちもそのレベルにまで落ちてしまう。

●独善と憎しみ
 もちろん私たちは、「座して死を待つ」(K外務大臣)わけにはいかない。相手が襲ってくるなら
ば、その相手から家族や子どもを守らねばならない。しかしそのときでも、私たちは相手をあ
われむ。あわれむことにより、相手よりも上の立場に立つことができる。またそうすることで、善
を超越し、悪を超越することができる。そして善悪を超越したとき、私たちは、同時に悪を憎む
憎しみからも、自分を解放することができる。そしてその悪の反対側にある善からも、自分を
解放することができる。

 安易な善悪論に振りまわされてはいけない。善にひたり、悪を憎むというのは、一見わかり
やすい論理だが、決してそのレベルで、善悪論を振りかざしてはいけない。なぜなら善は、そ
れを善と思った瞬間から、独善となり、その人が進むべき方向を誤らせる。一方悪を憎む心か
らは、憎しみしか生まれない。独善であるにせよ、憎しみであるにせよ、それでは問題は、まっ
たく解決しない。

 まとまりのないエッセーになってしまったが、このつづきは、またあとで考えることにする。た
だここで、私は、(1)「絶対的な善、絶対的な悪というのは、存在しないこと」、つぎに(2)「独善
にせよ、悪を憎む心にせよ、どちらにせよ、それでは問題は解決しないこと」を、発見した。さら
に私は(3)「あわれむ心は、善と悪を超越した世界にあること」を発見した。さらに(4)「人間的
な優位性は、あわれみの深さによって決まること」を発見した。今日の成果としては、まずまず
ではないか。
(030211)

+++++++++++++++++++++++
このことに関連して、以前、「よい子論」を書いた。
+++++++++++++++++++++++++++++

●よい子論

 善人も悪人も、大きな違いがあるようで、それほどない。ほんの少しだけ入り口が違っただ
け。ほんの少しだけ生きザマが違っただけ。同じように、よい子もそうでない子も、大きな違い
があるようで、それほどない。ほんの少しだけ育て方が違っただけ。そこでよい子論。

 この問題ほど、主観的な問題はない。それを判断する人の人生観、価値観、子育て観など、
すべての個人的な思いが、そこに混入する。さらに親から見た「よい子」、教師から見た「よい
子」、社会から見た「よい子」がすべて違う。またどのレベルで判断するかによっても、変わって
くる。たとえば息子が同性愛者になったことを悩んでいる親からすれば、女友だとち夜遊びを
する女の子はうらやましく思えるもの。(だからといって、同性愛が悪いというのではない。誤解
がないように。)それだけではない。どんな子どもにもいろいろな顔があって、よい面もあれば
悪い面もある。こんなことがあった。

K君(小五)というどうしようもないワルがいた。そのため母親は毎月のように学校へ呼び出さ
れていた。小さいころから空手をやっていたこともあり、腕力もあった。で、相談があったので、
私は月に一、二回程度、彼の勉強をみることにした。で、そうして一年ぐらいがたったある夜の
こと、私はK君と母親の三人でたまたま話しあうことになった。が、私はK君が悪い子だとはど
うしても思えなかった。正義感は強いし、あふれんばかりの生命力をもっていた。おとなの冗談
がじゅうぶん理解できるほど、頭もよかった。それで私は母親に、「今はたいへんでしょうが、K
君はやがてすばらしい子どもになるだろうから、がまんしなさい」と話した。で、それから一週間
後のこと。私が一人で教室にいると、いつもより三〇分も早くK君がやってきた。「どうしたん
だ?」と聞くと、K君はニコニコと笑いながら、こう言った。「先生、肩をもんでやるよ」と。

 よい子かそうでない子かというのは、結局はその子どもの生きザマをいう。もっと言えば、子
ども自身の問題であって、ひょっとしたそれは親の問題ではないし、いわんや教師の問題では
ない。まずいのは、親や教師が「よい子像」を設計し、それにあてはめようとすることだ。そして
その像に従って、子どもを判断することだ。そんな権利は、親にも教師にもない。要は子ども自
身がどう生きるかで決まる。つまりその「生きザマ」が前向きな方向性をもっていればよい子で
あり、そうでなければそうでないということになる。たいへんわかりにくい言い方になってしまっ
たが、よい子、悪い子というのも、それと同じくらいわかりにくいということ。もっと言えば、この
世の中によい人も悪い人も存在しないように、よい子も悪い子も存在しないということになる。

 ……これが私の今の結論であり、しばらくは「よい子」論を考えるのをやめる。それを考えて
も、意味はない。まったくない。

    ┌┐
    │ト
    ≧≦ ∪          z
   ━━━━━━        z
  /      \
 /        \く⌒\  ∩      では、みなさん、次回も
/  〜       〆  へく ^川     どうか、よろしくご購読ください。
〜―ノ∵しへ〜へ〜〜〜〜――//―人〇       どうか、お体を大切に!
   w         ⊂ノ            お元気で!
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【浜松の情報は……】http://www.eiyus.com/Enews/(E'news Hamamatsu)
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市リズム幼稚園
6・24  ……静岡市アイセル21
2・21  ……川根町・教職員研修会
2・20  ……内野小学校
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞









件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■2-21--2A

【3】雑感∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
「心をさらけ出す」についての補足

 最近、セックスレス夫婦がふえているという。三〇歳代の若い夫婦でも、年に数えるほどし
か、セックスをしないという人もいる。あるいはセックスをしても、事務的で、淡白?

 セックスほど、自分をさらけ出す手段はない。セックスをうまく利用すれば、夫婦の関係は、さ
らに濃密なものになる。信頼関係も深まる。しかし若い夫婦の中には、自分をさらけ出すことに
抵抗を覚える人がいるという。このタイプの人は、自分のしたいこと、してほしいことを口にする
ことができない。恥ずかしいというレベルの問題ではなく、それを口にすることで、相手がキズ
つくのではないかと恐れる。あるいは自分のプライドがキズつくのではないかと恐れる。しかし
それでは、自分をさらけ出すことはできない。またそれでは夫婦とは言えない。

 あなたはあなただ。あなたの夫(妻)は、夫(妻)だ。多少、あるいはかなり性癖がおかしくて
も、そんなことを気にしてはいけない。変態であろうが、なかろうが、そんなことを気にしてはい
けない。あなたはしたいことをしたいと言えばよい。すればよい。してほしいことをしてほしいと
言えばよい。隠すことはない。飾ることはない。あるがままをさらけ出す。

 ある男性は、(私のことではない!)、妻のXの中にワインを入れて、それを飲んでみたいと妻
に申し出た。しかしそれに対して、妻が露骨に不愉快な顔をして、それを拒んだ。「あなたは、
おかしい」と妻は言った。とたん、その男性のプライドは大きくキズつけられた。その男性は、自
信をなくした。妻に不信感までもつようになった。

 ある女性は、(私のワイフのことではない!)、結婚記念日ということで、エステサロンへ行
き、全身をピカピカに磨いた。そのとき美容員にすすめられて、ほんのわずかなXXだけを残し
て、あとは全部、きれいに剃ってもらった。夫に喜んでもらうためだった。しかしその夜、夫は妻
の下半身を見て、ゲラゲラと笑った。とたん、その女性のプライドは大きくキズつけられた。そ
の女性は、自信をなくした。夫に不信感までもつようになった。

 しかし本当の問題は、このことではない。なぜ、今、自分をさらけ出すことができない夫や、妻
がふえているかということ。そのため夫婦でありながら、たがいの信頼関係をうまく結ぶことが
できないでいる。とくに「性」については、偏見や誤解が多い。「変態」という言葉も、そういう偏
見や誤解から生まれた。

 話は少しそれるが、小学生たちに、「君たちは、オッパイが好きか?」と聞くと、ほとんどの子
どもは、「嫌い!」と答える。しかしこと男児について言うなら、オッパイの嫌いな子どもなどいな
い。だから「ウソをつくな。好きなら好きだと言え」と迫ると、「先生は、変態だ〜ア」と言う。

 そこで今度は年長児たちに、「君たちは、オッパイが好きか?」と聞くと、少しとまどった様子
を見せたあと、恥ずかしそうに、「嫌いだヨ〜」と言う。そこで同じように、「ウソをつくな。好きな
ら好きだと言え」と迫ると、「嫌いだヨ〜」と言う。が、年中児だと、「正直に言いなさい」と迫る
と、「うん、好きだよ」と言う。どうやらこのあたりで、人は、自分をごまかすという技術を身につ
けるようだ。性について、偏見や誤解をもち始めるようだ。

 これに対して、セックスレス夫婦というのは、性欲そのものが弱いからという説もある。しかし
常識で考えて、食欲に個人差がないのと同じように、性欲に個人差などあるわけがない。ある
としたら、夫婦の信頼関係がすでに崩壊しているか、さもなければ、どちらかの肉体的欠陥を
疑ってみたらよい。健康な男女なら、ふつうの性欲がある。性欲が強いか弱いかということにな
れば、それはあくまでも方向性の問題。その方向性がゆがむと、ポルノビデオを見ながらマス
ターベーションをすることはできても、本番のセックスはできない……というようなことはある。

 さて本題。あなたと夫(妻)は、夫婦だ。もしあなたが、自分をさらけ出すことができないタイプ
の人なら、そしてもしあなたが、他人との信頼関係を結ぶのが苦手なタイプの人なら、今日か
ら(今夜から)でも遅くないから、あるがままの自分を、あなたの夫(妻)にさらけ出してみよう。
どんなことをしたいのか、あるいはどんなことをしてほしいのか、それをしっかりと頭の中に描き
ながら、それをあなたの夫(妻)に求めてみよう。遠慮することはない。恥ずかしがることはな
い。あなたは何もかも捨てて、体でぶつかってみる。変態、おおいに結構。もともとセックスに
は、ノーマルも、アブノーマルもない。そんな基準をもつこと自体、おかしい。

 仮に今、あなたの夫(妻)が、かなりアブノーマルに見えても、そんなに心配しなくてもよい。五
〇歳をすぎると、急速に性欲はしぼんでくる。そうなると、かなり変態的な人でも、変態的でなく
なる。もともと性などいうのは、そういうもの。だから今は、先のことは気にしないで、おおいに
セックスを楽しんだらよい。とことん楽しんだらよい。
(030213)※

(追記)私も、このところ、あるがままの自分を書いている。できるだけ自分をさらけ出そうとし
ている。文をとおして、読者のみなさんと信頼関係が結べるかどうかはわからないが、ひとつの
実験として、そうしている。ワイフは、このエッセーを読んで聞かせたら、「ポルノみたい」と言っ
たが、たしかにポルノみたいだ。こういう文は、マガジン社でカットされるかもしれない。

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】特集・赤ちゃんがえり∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

赤ちゃんがえりについてまとめてみました。
以前、送った原稿とダブりますが、お許しください。

++++++++++++++++++++++++++++++++

北海道在住のESさんからの相談

 北海道在住のESさんから、こんな相談が届いた。

「二年ほど前にはやし先生にご著書をお贈りいただいた北海道K郡のESと申します。
その節は有難うございました。あれ以来、先生のホームページとEマガジンを楽しく読ませてい
ただき、子育ての参考にさせていただいております。    

日々、子育ての奥の深さを実感すると同時に、子供を冷静に見る、距離をおいて見ることの大
切さも知ったように思います。とはいえ、ご相談があり、メールをさせていただきました。

現在、七歳の女の子(長女)、四歳の男の子(長男)、一歳の男の子(二男)がおります。
七歳の子は年少、年長と幼稚園に馴染みにくく、表情も硬く、じっと人をみすえるようなところも
あり、子供というよりは大人を相手にしているような気持ちになったものですが
年長になった頃から友達も増え、表情が生き生きと見違えるようになりました。弟に対しても以
前とは違いとてもやさしくお姉さんらしくなりました。

これも先生の子育て論がとても参考になっていたことも大きいと、嬉しく思っています。

四歳の男の子ですが、最近、しつこいほどに(1)「お兄ちゃんになりたくない」、「大人になりたく
ない」、まだ学校は先のことにもかかわらず「学校に行きたくない」、「勉強したくない」と言い困
っています。(2)弟が生まれ赤ちゃんがえりしたのかなあとは思うものの、あまりにしつこさに
閉口してしまいます。

三人いると、確かにその子に充分手をかけてやれないのは事実ですが、(3)わたしとしては不
安にさせるような言動はないつもりです。

「〜したくない」といえば、「いいよ」と理解は示しているつもりなのですが……
性格は幼稚園では、明るく、友達ともよく遊び、活発なようです。(4)が、ここ二〜三か月あまり
元気がないようで、先生にも甘えているようです。今日も園に用事でいった時も恥ずかしそうな
さびしそうな表情で笑いかけてきて、少し胸が痛みました。

(5)家では、明るく元気なものの神経質なところがあります。例えば、手足などの少しの汚れを
気にしたり、傷ともいえないような傷を気にしたりです。そして冗談が通じにくいのか笑わそうと
していったことにいじけたり、腹をたてたりです。同じことを姉にいった場合、笑ってくれます。

長男の否定的なところを、もっと明るいほうへ向くようにしてやりたいと思うのですが、親とし
て、どう接してやればよいでしょうか?

やまに登ったり、木の実を拾ったり、と外へ出ることがもともと好きですので、(6)主人とは、そ
のようなところへ連れ出してやるのが長男の気持ちを解消させるのかなあとは話しています。

どうぞアドバイスをよろしくお願いいたします。」

【はやし浩司よりESさんへ】

 ご無沙汰しています。メール、ありがとうございました。少し、考えてみます。

(1)「お兄ちゃんになりたくない」、「大人になりたくない」、まだ学校は先のことにもかかわらず
「学校に行きたくない」、「勉強したくない」と言い困っています。

 ここで一番需要なポイントは、四歳の子どもが、「お兄ちゃんになりたくない」と言っている点で
す。この言葉は「お兄ちゃんでいるのは、いやだ」とも解釈できます。どこかで「兄」としてのプレ
ッシャーを感じているのかもしれません。赤ちゃんがえりを起こした子どもに、ときどき観察され
る発言です。

 赤ちゃんがえりというのは、一種の恐怖反応と理解されています。「捨てられた」「捨てられる
のでは」という妄想性が、子どもの心をゆがめます。小児うつ病(依存型うつ病)のひとつと考え
る学者もいます。どちらにせよ、下の子が生まれたことが原因による嫉妬がからむため、叱っ
たり、説教したりしても、意味はありません。少し極端な考え方ですが、もしあなたの夫がある
日突然、愛人を家に連れてきて、「今日からいっしょに住む」と言ったら、あなたはどうするでし
ょうか。子どもの置かれた立場は、それに似た立場と考えてよいでしょう。赤ちゃんがえりを、
決して、安易に考えてはいけません。

(2)弟が生まれ赤ちゃんがえりしたのかなあとは思うものの、あまりにしつこさに閉口してしま
います。

 嫉妬がからむと、おとなでも、本態的に狂うということは、よくあります。「本態的」というのは、
人間性そのものまで影響を受けるということです。乳幼児のばあい、嫉妬心をいじるのは、タブ
ー中のタブーです。で、ESさんの子どものように、赤ちゃんげりの症状が、「親が閉口するほ
ど、症状がしつこくなる」ことは、珍しくありません。子どもによっては、下の子を殺す寸前のこと
までします。この点においても、赤ちゃんがえりを、安易に考えてはいけません。

(3)私としては不安にさせるような言動はないつもりです。「〜したくない」といえば、「いいよ」と
理解は示しているつもりなのですが……

 これは赤ちゃんがえりとは、別の問題です。子どもは、いろいろわがままを言いながら、親の
愛情を確認したり、確かめたりします。赤ちゃんがえりの症状は子どもの欲求不満に準じて、
攻撃型(下の子いじめ)、内閉型(言動が赤ちゃんぽくなる)、固着型(ものにこだわる)に分け
て考えます。子どもによっては、そのつど、いろいろな症状を示すこともあります。ときに下の子
をいじめたり、あるいは親に甘えたりするなど。心の緊張感がとれないため、ささいなことで、キ
レたり、激怒したり、かんしゃく発作を起こしたりすることもあります。

 赤ちゃんがえりと、わがままは区別して考えます。つまりそれがわがままによるものであれ
ば、親は親として、き然とした態度でのぞみます。一般的には、わがままは無視します。わがま
まを言ってもムダという雰囲気をつくります。

 ただし子どものほうから愛情を求めてきたようなときには、それには、こまめに、かつていね
いに応じてあげてください。

(4)が、ここ二〜三か月あまり元気がないようで、先生にも甘えているようです。今日も園に用
事でいった時も恥ずかしそうなさびしそうな表情で笑いかけてきて、少し胸が痛みました。

 基本的には愛情不足と考えてよいでしょう。親は「みな平等にかわいがっているから問題は
ないはず」と考えがちですが、子どもの側からすれば、「平等」ということが納得できないので
す。先の例で、あなたの夫が、「おまえも愛人も平等にかわいがっている」と言っても、あなたは
それに納得するでしょうか。

(5)家では、明るく元気なものの神経質なところがあります。例えば、手足などの少しの汚れを
気にしたり、傷ともいえないような傷を気にしたりです。そして冗談が通じにくいのか笑わそうと
していったことにいじけたり、腹をたてたりです。同じことを姉にいった場合、笑ってくれます。

 いくつか神経症による症状も出ていると思われます。神経症の原稿は、ここに張りつけてお
きますので参考にしてください。

(6)主人とは、そのようなところへ連れ出してやるのが長男の気持ちを解消させるのかなあと
は話しています。

 最後に、この問題は、結局は、子どもに、いかにすれば安心感を与えることができるかという
点に行きつきます。おとな的な発想で、「外へ連れ出せばよいのでは」と考えることはムダでは
ありませんが、方向性が少し違うように思います。あくまでもお子さんの気持ちを大切に、お子
さんの気持ちを確かめながら行動するのがよいかと思います。強引にあちこちへ連れまわす
のは、かえって逆効果になるのではと心配しています。

++++++++++++++++++++++
参考(1)(子どもの欲求不満)

子どもが欲求不満になるとき

●欲求不満の三タイプ
 子どもは自分の欲求が満たされないと、欲求不満を起こす。この欲求不満に対する反応は、
ふつう、次の三つに分けて考える。

(1)攻撃・暴力タイプ
 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状態に
あり、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。私が「このグラフは正確でないから、
かきなおしてほしい」と話しかけただけで、ギャーと叫んで私に飛びかかってきた小学生(小四
男児)がいた。あるいは私が、「今日は元気?」と声をかけて肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ
野郎!」と私を足げりにした女の子(小五)もいた。こうした攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩す
る、暴力を振るう、暴言を吐く)と、裏に隠れてするタイプ(弱い者をいじめる、動物を虐待する)
に分けて考える。

(2)退行・依存タイプ
 ぐずったり、赤ちゃんぽくなったり(退行性)、あるいは誰かに依存しようとする(依存性)。こ
のタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを叱れば叱るほ
ど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが多い。

(3)固着・執着タイプ
 ある特定の「物」にこだわったり(固着性)、あるいはささいなことを気にして、悶々と悩んだり
する(執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。最近
多く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起
こす。ある男の子(小五)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、まだ大切
そうにカバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その子どもはこう
言った。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメだというんでチョ」と。子ども
の未来を日常的におどしたり、上の兄や姉のはげしい受験勉強を見て育ったりすると、子ども
は幼児がえりを起こしやすくなる。

 またある特定のものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすためにする行為と
考えるとわかりやすい。これを代償行為というが、よく知られている代償行為に、指しゃぶり、
爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで何らかの快感を覚えることで、自分の欲求不満を
解消しようとする。

●欲求不満は愛情不足
 子どもがこうした欲求不満症状を示したら、まず親子の愛情問題を疑ってみる。子どもという
のは、親や家族の絶対的な愛情の中で、心をはぐくむ。ここでいう「絶対的」というのは、「疑い
をいだかない」という意味。その愛情に「ゆらぎ」を感じたとき、子どもの心は不安定になる。あ
る子ども(小一男児)はそれまでは両親の間で、川の字になって寝ていた。が、小学校に入っ
たということで、別の部屋で寝るようになった。とたん、ここでいう欲求不満症状を示した。その
子どものケースでは、目つきが鋭くなるなどの、いわゆるツッパリ症状が出てきた。子どもなり
に、親の愛がどこかでゆらいだのを感じたのかもしれない。母親は「そんなことで……」と言っ
たが、再び川の字になって寝るようになったら、症状はウソのように消えた。

●濃厚なスキンシップが有効
 一般的には、子どもの欲求不満には、スキンシップが、たいへん効果的である。ぐずったり、
わけのわからないことをネチネチと言いだしたら、思いきって子どもを抱いてみる。最初は抵抗
するような様子を見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。あとはカルシウム分、マグネ
シウム分の多い食生活に心がける。

 なおスキンシップについてだが、日本人は、国際的な基準からしても、そのスキンシップその
ものの量が、たいへん少ない。欧米人のばあいは、親子でも日常的にベタベタしている。よく
「子どもを抱くと、子どもに抱きグセがつかないか?」と心配する人がいるが、日本人のばあ
い、その心配はまずない。そのスキンシップには、不思議な力がある。魔法の力といってもよ
い。子どもの欲求不満症状が見られたら、スキンシップを濃厚にしてみる。それでたいていの
問題は解決する。

++++++++++++++++++++++
参考(2)(幼児がえり)

おとななんかに、なりたくない

 赤ちゃんがえりという、よく知られた現象が、幼児の世界にある。下の子どもが生まれたこと
により、上の子どもが赤ちゃんぽくなる現象をいう。急におもらしを始めたり、ネチネチとしたも
のの言い方になる、哺乳ビンでミルクをほしがるなど。定期的に発熱症状を訴えることもある。
原因は、本能的な嫉妬心による。つまり下の子どもに向けられた愛情や関心をもう一度とり戻
そうと、子どもは、赤ちゃんらしいかわいさを演出するわけだが、「本能的」であるため、叱って
も意味がない。

 これとよく似た現象が、小学生の高学年にもよく見られる。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえ
り、である。先日も一人の男児(小五)が、ボロボロになったマンガを、大切そうにカバンの中か
ら取り出して読んでいたので、「何だ?」と声をかけると、こう言った。「どうせダメだと言うんで
チョ。ダメだと言うんでチョ」と。

 原因は成長することに恐怖心をもっているためと考えるとわかりやすい。この男児のばあい
も、日常的に父親にこう脅されていた。「中学校の受験勉強はきびしいぞ。毎日、五、六時間、
勉強をしなければならないぞ」「中学校の先生は、こわいぞ。言うことを聞かないと、殴られる
ぞ」と。こうした脅しが、その子どもの心をゆがめた。
 ふつう上の子どものはげしい受験勉強を見ていると、下の子どもは、その恐怖心からか、お
となになることを拒絶するようになる。実際、小学校の五、六年生児でみると、ほとんどの子ど
もは、「(勉強がきびしいから)中学生になりたくない」と答える。そしてそれがひどくなると、ここ
でいうような幼児がえりを起こすようになる。

 話は少しそれるが、こんなこともあった。ある母親が私のところへやってきて、こう言った。「う
ちの息子(高二)が家業である歯科技工士の道を、どうしても継ぎたがらなくて、困っています」
と。それで「どうしたらよいか」と。そこでその高校生に会って話を聞くと、その子どもはこう言っ
た。「あんな歯医者にペコペコする仕事はいやだ。それにうちのおやじは、仕事が終わると、
『疲れた、疲れた』と言う」と。そこで私はその母親に、こうアドバイスした。「子どもの前では、家
業はすばらしい、楽しいと言いましょう」と。結果的に今、その子どもは歯科技工士をしている
ので、私のアドバイスは、それなりに効果があったということになる。さて本論。

 子どもの未来を脅してはいけない。「小学校では宿題をしないと、廊下に立たされる」「小学校
では一〇、数えるうちに服を着ないと、先生に叱られる」などと、子どもを脅すのはタブー。子ど
もが一度、未来に不安を感ずるようになると、それがその先、ずっと、子どものものの考え方
の基本になる。そして最悪のばあいには、おとなになっても、社会人になることそのものを拒絶
するようになる。事実、今、おとなになりきれない成人(?)が急増している。二〇歳をすぎて
も、幼児マンガをよみふけり、社会に同化できず、家の中に引きこもるなど。要は子どもが幼
児のときから、未来を脅さない。この一語に尽きる。

+++++++++++++++++++
参考(3)(子どもの神経症)(中日新聞発表済み)

子どもの神経症

 心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症という。脳の機
能が変調したために起こる症状と考えると、わかりやすい。ふつう子どもの神経症は、(1)精
神面、(2)身体面、(3)行動面の三つの分野に分けて考える。そこであなたの子どもをチェッ
ク。次の症状の中で思い当たる症状(太字)があれば、丸(○)をつけてみてほしい。

 精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる。高所恐怖症、
赤面恐怖症、閉所恐怖症、対人恐怖症など)、強迫症状(ささいなことを気にして、こわがる)、
不安症状(理由もなく思い悩む)、抑うつ症状(ふさぎ込んだり、落ち込んだりする)、不安発作
(心配なことがあると過剰に反応する)など。混乱してわけのわからないことを言ったり、グズグ
ズするタイプと、大声をあげて暴れるタイプに分けて考える。ほかに感情面での神経症として、
赤ちゃんがえり、幼児退行(しぐさが幼稚っぽくなる)、かんしゃく、拒否症、嫌悪症(動物嫌悪、
人物嫌悪など)、嫉妬、激怒などがある。

 身体面の神経症……夜驚症(夜中に突然暴れ、混乱状態になる)、夢中遊行(ねぼけてフラ
フラとさまよい歩く)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、遺尿(その意識がないまま尿もら
す)、睡眠障害(寝つかない、早朝起床、寝言、悪夢)、嘔吐、下痢、原因不明の慢性的な疾患
(発熱、ぜん息、頭痛、腹痛、便秘、ものもらい、眼病など)、貧乏ゆすり、口臭、脱毛症、じん
ましん、アレルギー、自家中毒(数日おきに嘔吐を繰り返す)、口乾、チックなど。指しゃぶり、
爪かみ、髪いじり、歯ぎしり、唇をなめる、つば吐き、ものいじり、ものをなめる、手洗いグセ
(潔癖症)、臭いかぎ(疑惑症)、緘黙、吃音(どもる)、あがり症、失語症、無表情、無感動、涙
もろい、ため息なども、これに含まれる。一般的には精神面での神経症に先だって、身体面で
の神経症が現われることが多い。

 行動面の神経症……神経症が行動面におよぶと、さまざまな不適応症状となって現われる。
不登校もその一つだが、その前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、過
食、拒食、異食、小食、偏食、好き嫌い、引きこもり、拒食などが断続的に起こることが多い。
生活習慣が極端にだらしなくなることもある。忘れ物をしたり、乱れた服装で出歩いたりするな
ど。ほかに反抗、盗み、破壊的行為、残虐性、帰宅拒否、虚言、収集クセ、かみつき、緩慢行
動(のろい)、行動拒否、自慰、早熟、肛門刺激、異物挿入、火遊び、散らかし、いじわる、いじ
めなど。

こうして書き出したら、キリがない。要するに心と身体は、密接に関連しあっているということ。
「うちの子どもは、どこかふつうでない」と感じたら、この神経症を疑ってみる。ただし一言。こう
した症状が現われたからといって、子どもを叱ってはいけない。叱っても意味がないばかりか、
叱れば叱るほど、逆効果。神経症は、ますますひどくなる。原因は、過関心、過干渉、過剰期
待など、いろいろある。

 さて診断。丸の数が、一〇個以上……あなたの子どもの心はボロボロ。家庭環境を猛省す
る必要がある。九〜五個……赤信号。子どもの心はかなりキズついている。四〜一個……注
意信号。見た目の症状が軽いからといって、油断してはならない。

+++++++++++++++++
参考(4)(子どもへの愛情)

愛情は落差の問題

 下の子どもが生まれたりすると、よく下の子どもが赤ちゃんがえりを起こしたりする。(赤ちゃ
んがえりをマイナス型とするなら、下の子をいじめたり、下の子に乱暴するのをプラス型という
ことができる。)本能的な嫉妬心が原因だが、本能の部分で行動するため、叱ったり説教して
も意味がない。叱れば叱るほど、子どもをますます悪い方向においやるので、注意する。

 こういうケースで、よく親は「上の子どもも、下の子どもも同じようにかわいがっています。どう
して上の子は不満なのでしょうか」と言う。親にしてみれば、フィフティフィフティ(50%50%)だ
から文句はないということになるが、上の子どもにしてみれば、その「五〇%」というのが不満
なのだ。つまり下の子どもが生まれるまでは、一〇〇%だった親の愛情が、五〇%に減ったこ
とが問題なのだ。もっとわかりやすく言えば、子どもにとって愛情の問題というのは、「量」では
なく「落差」。それがわからなければ、あなたの夫(妻)が愛人をつくったことを考えてみればよ
い。あなたの夫が愛人をつくり、あなたに「おまえも愛人も平等に愛している」とあなたに言った
としたら、あなたはそれに納得するだろうか。

 本来こういうことにならないために、下の子を妊娠したら、上の子どもを孤立させないように、
上の子教育を始める。わかりやすく言えば、上の子どもに、下の子どもが生まれてくるのを楽
しみにさせるような雰囲気づくりをする。「もうすぐあなたの弟(妹)が生まれてくるわね」「あなた
の新しい友だちよ」「いっしょに遊べるからいいね」と。まずいのはいきなり下の子どもが生まれ
たというような印象を、上の子どもに与えること。そういう状態になると、子どもの心はゆがむ。
ふつう、子ども(幼児)のばあい、嫉妬心と闘争心はいじらないほうがよい。

 で、こうした赤ちゃんがえりや下の子いじめを始めたら、(1)様子があまりひどいようであれ
ば、以前と同じように、もう一度一〇〇%近い愛情を与えつつ、少しずつ、愛情を減らしていく。
(2)症状がそれほどひどくないよなら、フィフティフィフティ(五〇%五〇%)を貫き、そのつど、
上の子どもに納得させるのどちらかの方法をとる。あとはカルシウム、マグネシウムの多い食
生活にこころがける。

+++++++++++++++++++++
参考(5)(赤ちゃんがえり)

赤ちゃんがえりを甘く見ない

 幼児の世界には、「赤ちゃんがえり」というよく知られた現象がある。これは下の子ども(弟、
妹)が生まれたことにより、上の子ども(兄、姉)が、赤ちゃんにもどる症状を示すことをいう。本
能的な嫉妬心から、もう一度赤ちゃんを演出することにより、親の愛を取り戻そうとするために
起きる現象と考えるとわかりやすい。本能的であるため、叱ったり説教しても意味はない。子ど
もの理性ではどうにもならない問題であるという前提で対処する。

 症状は、おもらししたり、ぐずったり、ネチネチとわけのわからないことを言うタイプと、下の子
どもに暴力を振るったりするタイプに分けて考える。前者をマイナス型、後者をプラス型と私は
呼んでいるが、このほか情緒がきわめて不安定になり、神経症や恐怖症、さらには原因不明
の体の不調を訴えたりすることもある。このタイプの子どもの症状はまさに千差万別で定型が
ない。月に数度、数日単位で発熱、腹痛、下痢症状を訴えた子ども(年中女児)がいた。ある
いは神経が異常に過敏になり、恐怖症、潔癖症、不潔嫌悪症などの症状を一度に発症した子
ども(年中男児)もいた。

 こうした赤ちゃんがえりを子どもが示したら、症状の軽重に応じて、対処する。症状がひどい
ばあいには、もう一度上の子どもに全面的な愛情をもどした上、一からやりなおす。やりなおす
というのは、一度そういう状態にもどしてから、一年単位で少しずつ愛情の割合を下の子ども
に移していく。コツは、今の状態をより悪くしないことだけを考えて、根気よく子どもの症状に対
処すること。年齢的には満四〜五歳にもっとも不安定になり、小学校入学を迎えるころには急
速に症状が落ち着いてくる。(それ以後も母親のおっぱいを求めるなどの、残像が残ることは
あるが……。)

 多くの親は子どもが赤ちゃんがえりを起こすと、子どもを叱ったり、あるいは「平等だ」という
が、上の子どもにしてみれば、「平等」ということ自体、納得できないのだ。また嫉妬は原始的
な感情の一つであるため、扱い方をまちがえると、子どもの精神そのものにまで大きな影響を
与えるので注意する。先に書いたプラス型の子どものばあい、下の子どもを「殺す」ところまで
する。嫉妬がからむと、子どもでもそこまでする。
 要するに赤ちゃんがえりは甘くみてはいけない。
(030213)

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   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )        今日のメニュー
   γ ρρ   │σ σ ρ )        【1】気難しい子 
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )        【2】さらけ出すことの大切さ
   人   υ ( `) (  )         【3】雑感
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)          【4】赤ちゃんがえり
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

気難しい子ども

Q:うちの子(年長男児)は、小さいときから気難しく、育てるのがたいへんでした。このところさ
らにそれが激しくなり、ささいなことにこだわって、ああでもない、こうでもないと文句ばかり言い
ます。ズボンでも、自分の気にいったのでないと、はきません。これから先、どのように対処し
たらよいでしょうか。(島田市KMより)

A:気難しいということは、それだけでも情緒が、かなり不安定であるとみます。原因は無数に
あるのでしょうが、そういう原因の上にさらに原因が重なり、今のような症状になったと考えられ
ます。つまり原因がどうこうということを言っても、意味がありません。

 このタイプの子どもは、それだけ(親も含めて)、人に心を開けない子どもとみます。ためしに
気難しくなっていると感じているときに、そっと抱いてみてください。心を開いている子どもは、
力を抜いて、体をすりよせてきます。そうでない子どもは、体をこわばらせます。

 ところで子どもの情緒不安は、大きく分けてつぎの三つのケースを考えます。(1)攻撃型、暴
力型、(2)引きこもり型、ぐずり型、そして(3)モノにこだわる固着型、ものごとにこだわる固執
型です。KMさんのお子さんは、この中の三つ目のタイプかと思われます。

 で、情緒不安というのは、心の緊張感がとれない状態と考えてください。言いかえると、気難
しくなっているときは、子どもの心を開くことだけを考えてください。それには、スキンシップが効
果的です。気難しくなっていると感じたとき、少し強引にでもよいですから、子どもを抱いてみて
ください。少し抵抗するような様子を見せるかもしれませんが、しばらくそのまま抱いてみます。
しばらくすると、やがて体の力を抜き、あなたにそのまま身を任すようになります。

 そのとき、

(1)抵抗するような様子を見せるが、すぐうれしそうに身を任す……それほど心配しなくてもよ
い。日常的に、スキンシップをふやす。

(2)いつまでも体をこわばらせたままで、身を任せない。あるいは抱かれることを、がんこに拒
否する。こうした症状が、いつまでもつづく……かなり根気が必要。子どもの心を溶かすことだ
けを考え、濃密なスキンシップを繰りかえす。威圧的な過干渉、神経質な過関心、強圧的な指
導、暴力、暴行などは厳禁。子どもの側からみて、ほっと安心できるような家庭環境と、その温
もりを大切にする。親の視線や干渉を極力減らし、子どもがしたいようにさせる。こうした時期
を、半年とか一年間つづける。「なおそう」と考えるのではなく、「今の状態をより悪くしないこと
だけ」を考えて対処する。

 子どもが気難しい症状をみせているときは、無理をしないこと。コツは、やりたいようにさせ、
一方で、言うべきことは言いながらも、ただひたすら「待つ」という姿勢を大切にします。説教し
たり、叱っても意味がないばかりか、かえって症状をこじらせてしまうので注意します。

 このとき子どもの側から、愛着行動(親に愛情を求めるような様子やしぐさ)を見せたら、それ
を拒まず、子どもが満足するまでスキンシップや、温かい話しかけを与えます。親のほうから、
ベタベタすればよいというものではありません。

 こうした気難しさは、子どもの自意識が発達してくると、自然になおってきます。子ども自身が
自分で自分をコントロールするようになるからです。時期的には小学三、四年生をひとつのめ
どにします。そのころを境に、急速に症状が収まってくるはずです。そこで大切なことは、それ
までに今以上に、症状をこじらせないこと。こじらせると、その分、たちなおるのが遅くなりま
す。

 子どもに何か問題があると、親は子どもをなおそうとします。しかし子どもの症状は、あくまで
も結果。(もちろんそうでないケースもありますが……。)とくに心の問題は、親のあり方、家庭
環境のあり方、子育てのし方を、まず反省します。
(030212)

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】雑感・雑談∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

あなたはあなたの夫(妻)や子どもに心を開いているか。
子どもや夫(妻)と、よい信頼関係を結んでいるか。

+++++++++++++++++++++++++++

●ショーペンハウエルの「二匹のヤマアラシ」

 寒い夜だった。二匹のヤマアラシは、たがいに寄り添って、体を温めようとした。しかしくっつ
きすぎると、たがいのハリで相手の体を傷つけてしまう。しかし離れすぎると、体が温まらない。
そこで二匹のヤマアラシは、一晩中、つかず離れずを繰りかえしながら、ほどよいところで、体
を温めあった。

 これがショーペンハウエルの「二匹のヤマアラシ」の話である。しかしこれと同じようなことは、
夫婦の間でも、そして親子の間でもある。

 男と女は、結婚する。電撃に打たれるような衝撃を受け、相思相愛で結婚したというケースは
別として、中には、孤独からのがれるために結婚する人も珍しくない。もともとは他人への依存
性が強い人で、心のスキ間を埋めるために結婚する。しかしこのタイプの人は、一方で、人づ
きあいが苦手。結婚はしたものの、結婚生活そのものが、わずらわしくてしかたない。だから、
たがいにつかず離れずを繰りかえしながら、ほどよいところで関係を保つ。

 親子でも、似たようなケースがある。子どもがそばにいないと不安でならない。「ママ、ママ」と
甘えてくれる間は、うれしい。しかしそれが一定の限度を超え、子どもがずっとそばにいると、う
るさくてしかたない。「子どもを愛している」という自覚はどこかにはあるが、しかし一方で、「で
きるだけ早く、子育てから解放されたい」と願っている。そのため親子関係も、どこかつかず離
れずの関係になる。

 奈良県のHYさん(母親)からの相談に、こんなのがあった。何でも夫がそばにいないと、さみ
しく思うのだが、しかしたまの日曜日など、夫が一日中、家の中でゴロゴロしているのを見る
と、わずらわしくてならないというのだ。いわく「ときどき私は、夫なんかいてもいなくても、どちら
でもよいと思うことがあります。しかしそのくせ夫が、そばにいないとさみしくて、気がへんになっ
てしまうのです」と。

 結論を先に言えば、このタイプの人は、乳幼児期の家庭環境に問題があったとみる。ふつう
子ども(人)というのは、絶対的に安心できる、心豊かな家庭環境の中で、心をはぐくむことが
できる。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。そういう環境があってはじめ
て、子ども(人)は心の開き方を学び、そこから、たがいの信頼関係の結び方を学ぶ。が、何ら
かの理由で、その「絶対的に安心できる、心豊かな家庭環境」が阻害されると、子ども(人)は
心を開けなくなり、ついで人との信頼関係を、じょうずに結べなくなる。

ここでいうHYさんは、まさにそのタイプの女性と考えてよい。HYさんは、夫や子どもにすら、心
を開くことができない。つまり信頼関係を結ぶことができない。そしてそれが夫婦関係や、親子
関係にまで影響を与えている。

 一般的に、心を開くことができない子ども(人)は、人と接するのが苦手。表面的には、快活
にふるまい、社交的になることはあるが、その分、精神疲労を起こしやすい。数時間、町内の
人といっしょに活動しただけで、ヘトヘトに疲れてしまったりする。しかしその一方で、心を開くこ
とができないため、孤独。さみしがり屋。ここにも書いたように、もともと他人への依存性も強
い。近くにだれかがいないと、自分の心を保つことさえできない。つまり、ここでショーペンハウ
エルの「二匹のヤマアラシ」の話にもどる。このタイプの人は、孤独(寒さ)から逃れるために人
(温もり)を求める。しかし人に近づきすぎると、自分がキズつく。それを恐れるあまり、今度は
そばには近寄れない。つまりつかず離れずの関係になる。

●「密着」と「離反」

このタイプの子ども(人)の最大の特徴は、そのため人づきあいが、どこかぎこちなくなること。
ほどほどのところで、ほどよい人間関係を築くことができない。あるとき急に接近してきたかと
思うと、今度は、同じように急に離れていく。これを心理学の世界では、「密着」「離反」という。

幼稚園の世界にも、『急速になれなれしてくる親には、要注意』という言いまわしがある。たとえ
ばある日突然、幼稚園へやってきて、「ここの幼稚園が気に入りました。すばらしい幼稚園で
す。来年からうちの息子をここへ入れます。下にももう一人、子どもがいますが、その子どもも
ここに入れます」などとワーワーと騒ぐ。しかしそういう親ほど、離れていくのも早い。

 つまりこのタイプの子ども(人)は、相手を自分の思わくだけで、引きずりまわしてしまう。引き
ずりまわすほうは、それでかまわないが、引きずりまわされるほうは、たまらない。私も若いと
き、こんな経験をしたことがある。

 ある会社の社内報の編集を手伝っていた。社長じきじきの依頼で、それなりに張り切って仕
事をしていた。が、その社長は、大の電話魔。真夜中であろうが、早朝であろうが、電話をかけ
てきて、あれこれ私に指示してきた。それだけではない。そのつど怒涛(どとう)のように、「君
はすばらしい」「今度香港へ出張してほしい」「私がもっているアパートを君に使ってもらいたい」
「君の作る会報は一級だ。ついては予算を倍増したい」などと言う。

 最初のうちはそれを真に受けて、ワイフと二人で喜びあったが、そのうちどうも様子がおかし
いのに気がついた。私がそれらの話を煮つめるため、社長の自宅へ行くと、今度は、ああでも
ない、こうでもないと私の仕事にケチをつけて、「だから約束は守れない」と言い出しりした。ま
さに私が遠ざかれば、近づいてきて、私が近づいていけば、遠ざかる……という感じだった。

 その社長は、いわゆる心を許さないタイプの社長だった。俗な言い方をすれば、コロコロと気
分が変わる。私の立場からすると、つかみどころがない。その社長は、まさに密着と離反を繰
りかえしていたことになる。
 
●さらけ出す
 
 信頼関係を結ぶためには、自分をさらけ出す。さらけ出しても、平気である。そういう自分へ
の確信をもつ。本来ならこうした信頼関係の原型は、乳幼児期に形成される。それが先に書い
た、「絶対的に安心できる、心豊かな家庭環境」ということになる。子ども(人)は、そういう環境
の中で、とくに親子関係の中で、自分をさらけ出すことを学ぶ。またさらけだしても、安心できる
ことを学ぶ。

 が、それが阻害されることがある。原因はいろいろあるが、その原因はともかくも、子ども
(人)側からみて、自分をさらけ出せなくなってしまう。さらけ出すことに自信がなくなるケースも
あるが、さらけ出すことに恐怖感を覚えることもある。母親に向かって「ババア」と言ってみた。
とたん、母親に殴られたとかなど。そういう無数の経験が積み重なって、自分をさらけ出せなく
なることもある。

 こういうことが重なると、子ども(人)は、仮面をかぶるようになる。自分を隠すようになる。た
いていは「いい子」ぶりながら、無理をするようになる。よくある例は、幼児期に、園の先生たち
に「いい子だ」「いい子だ」とほめられるようなケース。このタイプの子ども(人)は、いい子ぶる
ことで、自分の身の保全をはかる。相手(親や教師)に取り入るのがうまくなり、またその分、相
手の期待にこたえようとする。この無理が無数に重なって、やがて子どもの心をゆがめる。

 そういう意味では、幼児期から少年少女期にかけて、「いい子」で通った子どもほど、心配と
いうことになる。勉強もよくできる。言われたことは、ソツなくやりこなす。園でも学校でも、いつ
もリーダー格で、問題を起こすということもない。もちろん本来的に「いい子」というケースもない
わけではないが、たいていは「無理をしている」と考えたほうがよい。

 しかし問題は子ども(人)というより、あなた自身かもしれない。あなた自身は、夫(あるいは
妻)や子どもの前で、自分をさらけ出すことができるかということ。わかりやすい例では、あなた
は夫(あるいは妻)の前でも、平気でプリプリっと、おならを出すことができるか。あるいは悲し
いときやさみしいとき、自分の心を、すなおにそのまま表現できるか。それができればよし。し
かしそれができないようであれば、当然のことながら、子どももそれができなくなる。

 人というのは、自分がしていることには、寛容になる。していないことには、寛容になれない。
常、日ごろから、自分をさらけ出すことになれている親は、子どもがそれをしたとき、それを自
然な形で受け止めることができる。しかし自分をさらけ出すことができない親は、子どもがそれ
をするのを許さないばかりか、子どもが自分をさらけ出したりすると、それを悪いことだと決め
てかかってしまう。おさえてしまう。そしてその結果として、親が、子どもに仮面をかぶるようにし
むけてしまう。

●チェックテスト

 そこであなた自身をチェックテストしてみよう。

(1)あなたは夫(あるいは妻)の前で、したいことをし、言いたいことが言えるか。
(2)あなたは他人の中でも、それほど気をつかわず、自分をさらけ出すことができるか。
(3)あなたはあなたの親に対して、したいことをし、言いたいことをズケズケと言えるか。
(4)あなたは自分の子どもに対して、したいことをし、言いたいことを言えるか。
(5)あなたの子どもはあなたに対して、したいことをし、言いたいことを言っているか。

 このテストで、四〜五個、「YES」と答えたあなたは、いつもみなに、心を開いている人という
ことになる。信頼関係の結び方もうまく、人間関係もスムーズ。そのため友人も多いはず。

 しかしそうでなければ、まず「心を開く」ことから、始める。あなたの心を取り巻いている無数
のクサリを、一本ずつ解き放していく。根気のいる作業だが、しかし不可能ではない。もしあな
たがこのタイプの子ども(人)なら、夫(もしくは妻)の協力を得て、少しずつ心を開く訓練をす
る。

方法としては、夫(あるいは妻)の前で、したいことをする。言いたいことを言う。自分をさらけ出
してみる。というのも、この問題だけは、決してあなただけの問題ではすまない。そういう心の
開けないあなたといっしょに住むことによって、さみしい思いをしているのは、実はあなたの夫
(妻)であることを忘れてはいけない。さらにあなたという親が、そういう状態であるのに、どうし
て子どもに、「心を開け」と言えるだろうか。

 何でもないことのようだが、心を開くことができる人は、それをいとも簡単に、しかも自然な形
でできる。そうでない人には、そうでない。この問題は、その子ども(人)の乳幼児期までさかの
ぼるほど、もともと「根」の深い問題である。

 夫婦にせよ、親子にせよ、その基本は、ゆるぎない信頼関係で決まる。その信頼関係を結ぶ
ためにも、まずあなたは、あなたの心を開き、その心を空に解き放ってみる。勇気を出して、自
分をさらけ出してみる。自分を飾ることはない。自分をつくることはない。気負う必要もない。あ
なたはあなたのままでよい。そういう自分を、すなおにさらけ出してみる。

 そこはすがすがしいほど、広い世界。青い空がどこまでも、どこまでもつづく、広い世界。あな
たも心を取り巻いているクサリを解き放ち、その広い世界を、思う存分、羽ばたいてみよう! 
もし今、あなたが心の開けない人ならば……。
(030213)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●不安な世相

 北朝鮮の情報は、朝鮮日報(韓国系の報道新聞社)のサイトを開くと、よくわかる。北朝鮮も
そうだが、韓国も、まさに戦争一色。一触即発。今朝の報道によれば、「戦争が始まれば、初
日で一〇〇万人単位の死傷者が出る」(二月一一日)とあった。たいへんなことだ。

 もちろん日本とて、無事ですまない。北朝鮮の第一攻撃目標は、東京とソウルになっている。
それこそ戦争になれば、「雨、アラレのように北朝鮮のミサイルや爆弾が飛んでくる」(同新聞)
とある。

 ……で、こういう報道というのは、見たくはない。読みたくはない。しかし気になる。だからつい
つい読んでしまう。そしてその結果、あれこれ考えてしまう。言いようのない不安にかられる。仮
に東京が核攻撃を受けたとしたら、その瞬間から、日本の国家としての機能はマヒする。

 そこで私は私自身のことを考える。「私自身」というのは、こうした国際的な不安が、私自身の
精神状態にどのような影響を与えているかということ。たしかにこのところ、どこかピリピリして
いる。テレビやラジオのニュースを聞いていても、「北朝鮮」という言葉を耳にしただけで、ツン
とした緊張感が走る。金XXの顔が瞬間、テレビに映っただけで、ムッとした不快感に襲われ
る。だから私としては、このところ、北朝鮮のことは考えないようにしている。私ひとりが心配し
たところでどうにかなる問題ではない。仮に東京やソウルが「火の海」になったとしても、この浜
松市が攻撃されるのは、そのつぎ。その間に、何か、手を打つことができる。(この意見は、ま
ったくもって無責任だと思う。きっと東京やソウルに住んでいる人は怒るだろうが、しかし私とし
ては、そう思ってこの不安をぬぐい去るしかない。)

 被害妄想……不安が不安を呼び、心配が心配を呼ぶ。あれこれと考えなくてもよいことまで
考えてしまう。こういうのを被害妄想という。妄想が妄想で終わればよいが、こうした妄想は、
やがて増幅され、自分の意識ではコントロールできなくなる。いわゆるパニック状態になる。一
度こうなると、正常な判断ができなくなるばかりではなく、ささいな問題と、大きな問題の区別す
らできなくなってしまう。それこそ玄関先にころがっている犬のフンを見て激怒したり、反対に、
今すべき仕事が、どうでもよくなってしまったりする。

 私もよくパニック状態になる。ほかのことではならないが、自分の健康問題にぶつかったりす
ると、そうなる。たとえばガン検診か何かで、陽性、もしくは要精密検査という結果が出たりする
と、さあ、たいへん! 寝ても起きても、考えるのは、そのことばかり。夢の中でもうなされるこ
とがある。だからそういう検査結果が出たときには、すぐかかりつけのドクターのところへ行くこ
とにしている。そしてその場で、精密検査をしてもらうことにしている。

 それほどひどくはないが、このところ北朝鮮問題を考えていると、軽いパニック状態になって
しまう。私個人では、何ともできないところが歯がゆい。情報も入ってこない。それであれこれ
考えていると、頭の中が北朝鮮の問題でいっぱいになってしまう。

 で、そういうときは、ワイフに相談することにしている。ワイフというのは、マレに見る楽天的な
女性で、私には、よきアドバイザーである。

私「北朝鮮が戦争をしかけてきたら、どうする?」
ワ「あんな国、あっという間に負けるわよ」
私「ミサイルが飛んできたら、どうする?」
ワ「ガソリンがないのでしょ。だったら飛ばせないわよ」
私「あのな、ミサイルは、ガソリンでは、飛ばないの!」
ワ「どうせ、日本に当りっこないわよ」
私「核爆弾を積んでいたら、どうする?」
ワ「発射する前に、暴発するわよ」

 すべてがこの調子だから、すごい。しかしものごとは、そう考えるべきなのかもしれない。そこ
で改めて、私は考えた。

 ものごとを見るときには、二つの「目」がある。ひとつは悪い方に悪い方に考えていく考え方。
もう一つは、よい方によい方に考えていく考え方。たとえば子どもを見るときもそうで、そのとき
の気分で方向がまったく違うということはよくある。あるいは兄と弟に対しても、同じ自分の子ど
もなのに、方向がまったく違うということはよくある。同じように失敗しても、兄だと「いつになっ
たら!」と叱りとばすのに、弟だと「またやったわね」と、笑ってすますなど。

●悲観論者と楽観論者

 一枚の絵がある。その絵には、家があって、窓に父親と母親が、シルエット(影絵)で描かれ
ている。見方によっては、夫婦げんかをしているようにも見えるし、二人で踊っているようにも見
える。そしてその手前に、子どもの姿が、同じようにシルエットで描かれている。子どもの向き
はわからない。家のほうを向いているようにも見えるし、反対のほうを向いているようにも見え
る。外には、ヒューヒューと風が吹いている……。

 このテストでわかることは、悲観論者は、ものごとを悪いほうから見て、悪いほうへ悪いほう
へと考えていく。父親と母親は夫婦げんかをしている。子どもはこわくなって家の外に出た。し
かし外は寒く、どうしたらよいかわからないでいる。このままだと、子どもはこごえ死んでしまう
かもしれない、と。

 一方楽観論者は、ものごとをよいほうから見て、よいほうよいほうへと考えていく。父親と母親
は、宝くじか何か当たって、大喜びしている。外から帰ってきた子どもはそれを見て、親たちの
あまりの喜びように驚いている、と。

 一般的に悲観論者は、結末を悪くもっていく。一方、楽観論者は、ハッピーエンドにもってい
く。が、それだけではない。悲観論者は、ものの考え方が受け身になる。このばあいも、「子ど
もは家から追い出される」「こごえ死ぬ」というような考え方をする。つまり結果はいつも、自分
以外のものによってもたらされると考える。これに対して楽観論者は、ものの考え方が能動的
になる。「自分も親たちの喜びの輪の中に入りたい」「一緒に喜ぶ」というような考え方をする。
「今日は、家族でお祝いをする」というように考えることもある。いつも結果は、自分たちでつく
るものという考え方をする。
 
 ためしにこの絵を見せて、子ども(小六男女)たちに物語を書かせてみた。いろいろな答がか
えってきた。これらの答の中では、結末に注目してほしい。ハッピーエンドで終わった話には、
(○)、悲劇で終わった話には、(●)をつけておいた。

(A君)あるところに家があった。家の外で遊んでいる子どもが一人と、お父さん、お母さんの家
族だ。そこに台風がやってきた。お母さんは、雨戸をしめた。お父さんは、外で遊んでいる子ど
もを呼んだ。三人は家の中にこもって、台風がやむのを待っていた。三人は仲よくすごした。
(○)

(B君)ある冬の、風の強い日、家の中でA君とBさんが鬼ごっこをしていました。そこにC君が
やってきました。C君は家の中の様子をみていたが、風が強かったので、声をかけてみること
にしました。しかしA君とBさんは、鬼ごっこに夢中で、気づいてくれませんでした。C君はしょぼ
んとなって、風の強い中、ひとりで帰っていきました。(●)

(C君)家の中と外で、鬼ごっこをしています。一人は外の庭で、「もういいかい」と言っていま
す。あとの二人は、逃げているとちゅうです。一人はドアのところの倉庫で待とうと思っていて、
もう一人は、家の屋根うらにかくれて、階段をのぼろうとしています。これからどうなるのでしょ
う。

(Dさん)あるところに、仲のよい女の子二組が、遊んでしました。女の子は姉妹ではありませ
ん。毎日のように遊びました。でも、さみしがりやの女の子がいつも、その二人の遊びを見てい
ました。その女の子は、みんなの嫌われものです。でもある日、勇気をもって、「いっしょに遊ぼ
う」と言って、三人、みんなで仲よく遊びました。(○)

(Eさん)嵐の日に、小屋の中に二人がいました。そこに小さな小人がきて、入れてほしがって
います。(家の中の)一人は、入れてあげようと言っていますが、もう一人は、入れないと言って
います。言い争っているうちに、小さな小人は、どこかに行ってしまいました。(●)

(Fさん)ここに男の子と、お父さんと、お母さんの三人家族が住んでいます。ある日男の子は、
たいへんないたずらをしてしまいました。それで外にしめだされてしまいました。が、仲なおりを
して、男の子は家の中に入れてもらいました。(○)

(G君)冬の寒い夜、二人の人があったかそうな家の中で、楽しそうにおどっている。それを家
の外から、子どもが寒そうに見ている。それに気づいた(家の中の)二人が、笑っているとこ
ろ。(●)

(H君)昔、山のおくに、家がありました。家族三人でくらしていました。ある日、夫が酒をのみ、
よっぱらいながら、夜おそく帰ってきました。すると家の中で待っていた妻が、夫になぐりかかろ
うとしました。その音で子どもが起きてしまい、妻は夫をなぐることができませんでした。妻は、
「子どもが見るところではないから、外に行っていなさい」と言いました。子どもは、ねていて、も
の音で起きたので、とうぜん、パジャマすがたで、「寒い、寒い」と言って、外へ行きました。強
い風が吹いていました。妻は夫のことで頭がいっぱいらしい。(●)

(I君)ぼくはこの日、母にしかられて、外に出された。そこへ父が帰ってきた。父は、「なぜ、あ
の子を外へ出したのか」と聞いた。そこで母は、「あの子をしかったのよ」と。そこで夫婦げんか
になってしまった。ぼくは、本当はぼくが一番悪いと思いつつ、そのけんかを見て見ぬフリをし
ていた。けんかはいつのまにか終わった。窓のところに父と母が立っていたので、やさしい言
葉をかけてもらえるかと思っていたら、父にまでしかられてしまった。(●)

(J君)ぼくは無言で家を飛び出した。小学二年生のぼくのいるべきところはわかる。ぼくはしば
らく外にいたほうがいい。「アナタ! また飲んできたわね」と母。「ウルセー。飲んできて悪い
かよ。だいたい!」と父。
 いつもこんな調子で二時間はあばれている。ぼくは悲しくなる。今の今までいっしょに笑って
いたのに、一八〇度変わってけんかする。子どもにとっては、何が何だかわからない。ついに
がまんできなくて、ぼくは叫んだ。「やめて!」と。父と母は、けんかをやめて、無言でそこに立
っていた。(○)

 どちらがよいかということになれば、もちろん悲観論よりは、楽観論のほうがよいに決まって
いる。しかし悲観論が悪いばかりではない。ものには表と裏があるように、ものごとも、ときに
は裏から見て考えることも必要である。楽観論ばかりが先行しても困る。要はバランスの問題
ということか。ただこのところ私は、どうもものごとを悲観的に考える傾向が強くなったように思
う。ものごとを悪いほうに悪いほうに考えて、あれこれ気を病んだり、心配したりする。できるだ
け楽観的にものを考えようとするが、それについてはまた別の機会に考えてみることにする。
(030212)

     ⌒⌒⌒⌒
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 621人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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03−2−23号(184)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 日記を読んでいただけます!
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 電話054−246−6136
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ブロードバンドをお楽しみのみなさんへ、
「はやし浩司のホームページ」に新しく動画コーナーをつくりました。私の生の声などを収録しま
した。どうかおいでください。サイト・トップページより、どうぞ!
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心のゆがみのない子どもが、すなおな子ども(1288)
家庭教育の誤解(失敗危険度★★★★★)

●誤解
 家庭教育にはたくさんの誤解がある。その中でもとくに目立つ誤解が、つぎの五つ。この誤
解を知るだけでも、あなたの子育ては大きく変わるはず。

(1)忍耐力……よく「うちの子はサッカーだと一日中している。ああいう力を勉強に向けさせた
い」という親がいる。しかしこういう力は忍耐力とは言わない。好きなことをしているだけ。子ど
もにとって忍耐力というのは、「いやなことをする力」をいう。たとえば台所の生ゴミを手で始末
するとか、風呂場の排水口にたまった毛玉を始末するとか、そういうことができる子どもを忍耐
力のある子どもという。

(2)やさしさ……大切にしているクレヨンを、だれかに横取りされたとする。そういうときニッコリ
と笑いながら、そのクレヨンを譲りわたすような子どもを、「やさしい子ども」と考えている人がい
る。しかしこれも誤解。このタイプの子どもは、それだけ」ストレスをためやすく、いろいろな問
題を起こす。

子どもにとって「やさしさ」とは、いかに相手の立場になって、相手の気持ちを考えられるかで決
まる。もっと言えば、相手が喜ぶように自ら行動する子どもを、やさしい子どもという。そのやさ
しい子どもにするには、買い物に行っても、いつも、「これがあるとパパが喜ぶわね」「これを買
ってあげるから、妹の○○に半分分けてあげてね」と、日常的にいつもだれかを喜ばすように
しむけるとよい。

(3)まじめさ……従順で、言われたことをキチンとするのを、「まじめ」というのではない。まじめ
というのは、自己規範のこと。こんな子ども(小三女子)がいた。バス停でたまたま会ったので、
「缶ジュースを買ってあげようか」と声をかけると、こう言った。「これから家で夕食を食べます
から、いらない。缶ジュースを飲んだら、ごはんが食べられなくなります」と。こういう子どもを「ま
じめな子ども」という。

(4)すなおさ……やはり言われたことに従順に従うことを、「すなおな子ども」と考えている人は
多い。しかし教育の世界で「すなおな子ども」というときは、つぎの二つをいう。一つは、心の状
態(情意)と、顔の表情が一致している子どもをいう。怒っているときには、怒った顔をする。悲
しいときには悲しい顔をする、など。情意と表情が一致しないことを、「遊離」という。不愉快に
思っているはずなのに、笑うなど。教える側からすると、「何を考えているかわからない」といっ
た感じの子どもになる。こうした遊離は、子どもにとっては、たいへん望ましくない状態と考えて
よい。たとえば自閉傾向のある子ども(自閉症ではない)がいる。このタイプの子どもの心は、
柔和な表情をしたまま、まったく別のことを考えていたりする。

 もう一つ、「すなおな子ども」というときは、心のゆがみがない子どもをいう。何らかの原因で
子どもの心がゆがむと、子どもは、ひがみやすくなったり、いじけたり、つっぱたり、ひねくれた
りする。そういう「ゆがみ」がない子どもを、すなおな子どもという。

(5)がまん……子どもにがまんさせることは大切なことだが、心の問題とからむときは、がまん
はかえって逆効果になるから注意する。たとえば暗闇恐怖症の子ども(三歳児)がいた。子ど
もは夜になると、「こわい」と言ってなかなか寝つかなかったが、父親はそれを「わがまま」と決
めつけて、いつも無理にふとんの中に押し込んでいた。
がまんさせるということは、結局は子どもの言いなりにならないこと。そのためにも 親側に、一
本スジのとおったポリシーがあることをいう。そういう意味で、子どものがまんの問題は、決して
子どもだけの問題ではない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

うちの子は何を考えているかわからない!
仮面をかぶらせるな(失敗危険度★★★★)

●仮面をかぶる子ども
 心(情意)と表情が遊離し始めると、子どもは仮面をかぶるようになる。表面的にはよい子ぶ
ったり、柔和な表情を浮かべて親や教師の言うことに従ったりする。しかし仮面は仮面。その
仮面の下で、子どもは親や教師の印象とはまったく別のことを考えるようになる。これがこわ
い。

●心と表情の一致
 すなおな子どもというのは、心と表情が一致し、性格的なゆがみのない子どものことをいう。
不愉快だったら不愉快そうな顔をする。うれしいときには、うれしそうな顔をする。そういう子ど
もをすなおな子どもという。が、たとえば家庭崩壊、育児拒否、愛情不足、親の暴力や虐待が
日常化すると、子どもの心はいつも緊張状態に置かれ、そういう状態のところに不安が入り込
むと、その不安を解消しようと、情緒が一挙に不安定になる。突発的に激怒する子どももいる
が、反対にそうした不安定さを内へ内へとためこんでしまう子どももいる。そしてその結果、仮
面をかぶるようになる。一見愛想はよいが、他人に心を許さない。あるいは他人に裏切られる
前に、自分から相手を裏切ったりする。よくある例は、自分が好意をよせている相手に対して、
わざと意地悪をしたり、いじめたりするなど。屈折した心の状態が、ひねくれ、いじけ、ひがみ、
つっぱりなどの症状を引き起こすこともある。

●言いたいことを言わせる
 そこでテスト。あなたの子どもはあなたの前で、言いたいことを言い、したいことをしているだ
ろうか。もしそうであれば問題はない。しかしどこか他人行儀で、よそよそしく、あなたから見
て、「何を考えているかわからない」といったふうであれば、家庭のあり方をかなり反省したほう
がよい。子どもに「バカ!」と言われ怒る親もいる。しかし平気な親もいる。「バカ!」と言うこと
を許せというのではないが、そういうことが言えないほどまでに、子どもをおさえ込んではいけ
ない。

●子どもの心は風船
子どもの心は風船のようなもの。どこかで力を加えると、そのひずみは、別のどこかに必ず表
れる。で、もしあなたがあなたの子どもに、そんな「ひずみ」を感ずるなら、子どもの心を開放さ
せることを第一に考え、親のリズムを子どもに合わせる。「私は親だ」式の権威主義があれ
ば、改める。そしてその時期は早ければ早いほどよい。満六歳でこうした症状が一度出たら、
子どもをなおすのに六年かかると思うこと。満一〇歳で出たら、一〇年かかると思うこと。心と
いうのはそういうもので、簡単にはなおらない。無理をすればするほど逆効果になるので、注
意する。 
 
    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】雑感・雑談∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

いい子でいること

 いい子でいることは、たいへん。私は、たまたま勉強がよくできた。そのため、親のみなら
ず、親戚の人たちからも、期待された。私はいつしか、その期待にこたえることだけを考えるよ
うになった。つまりその期待にふさわしい未来しか、考えることができなくなってしまった。

 高校は、田舎の高校だったが、入学試験の成績は一位だった。そのため入学式では、式辞
を読まされた。が、それからが地獄だった。担任の教師は、ことあるごとに、「林に追いつけ、
林を追い越せ」と、みなをけしかけた。私の性格もあったのだろうが、私はそのうちすぐ、仲間
から浮いてしまった。

 そんなとき、私自身は、もともと理科系の頭で、将来は、建築設計士を望んでいた。もしそれ
がかなわないなら、大工でもよいと考えていた。しかしそのときすでに、たいへんおかしなことだ
が、大工になる道は、閉ざされていた。今と違って、大工の社会的地位は、それほど高くなかっ
た。もし私が「大工になる」とでも言ったら、親や親戚の人たちは、それを許してくれなかっただ
ろう。私がそれを口にできる雰囲気すら、なかった。

 しかしそれは同時に、ものすごい重圧感だった。親戚の伯父は、私にいつもこう言った。「浩
司、お前がいれば、姉(母のこと)も安心だな」「浩司、お前が、林の家のめんどうをみるんだ
な」と。いつしか私は、それが当然のことだと思うようになった。いや、それを意識したことはな
いが、それを疑ったこともなかった。

 しかしそうした期待は、五〇歳をすぎた現在も、つづいている。今でも、親戚の人間が集まっ
たりすると、私はそういう目でしか、見られない。「私はふつうの人間だ」と思っていても、何か
につけて、ほかの親戚の人たちとくらべられる。が、そういう親戚たちが、私を支えるファンかと
いうと、決してそうではない。いとこの中には、面従腹背というか、表では私に愛想よく振舞いな
がら、陰では悪口を言っている人もいる。親戚で目立つ分だけ、何かにつけて、ねたまれる?

 私はあるときから、いい子でいることをやめた。意識的に、それを拒絶するようにした。それ
までは冠婚葬祭でも、どこか私だけ、みなより多く費用を負担していたが、それもやめた。こう
いう仕事をしているから、それなりに目立つらしいが、しかしこと親戚の間では、それも苦痛で
しかない。無頓着ないとこは、「浩司は、出世したなあ」とか言うが、私自身はまったくそうは思
っていない。だいたいにおいて、「出世」という言葉が、大嫌い。ぞっとするほど、嫌い。私自身
は、そういう言葉を使ったことすらない。

 で、今、私の周辺には、その「いい子」(?)が、結構いる。小学四年生のA子さん。中学二年
生のB君。そして高校二年生のC君など。彼らもまた、親の期待を一身に集めて、それなりに
がんばっている。しかし私は同時に、彼らのもつ重圧感もわかる。だからときどき、私はこう言
う。「無理をすることはないよ。気楽にやりなよ。勉強なんてものはね、適当にやればいいんだ
から」と。もちろん彼らには、私の意図が理解できない。だから私がそう言うと、どの子どもも、
どこか驚いたような表情を見せる。それはそうだろう。しかしいつか、彼らもまた、その重圧感
と戦う日がくる。そしてそのとき、私が言っている意味が理解できる。私は心のどこかでそれを
期待しつつ、そう言う。
(030214)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


インタラクティブ・アクション

 人間は、無意識のうちにも、心の状態をジェスチャで表現する。これを英語で、インタラクティ
ブ・アクションという。日本語で何というかは知らないが、あえて訳せば、「無意識下の反応行
動」ということか。

 先日、K県のO氏という男と議論していたときのこと。いつも私にかなりの反発心をもっている
男である。私が懸命に何かを説明しても、O氏は、腕ぐみをし、体をややうしろへそらしたまま。
視線をこちらへ合わせようともせず、どこかうっすらと笑みを浮かべていた。

 これがインタラクティブ・アクションである。O氏は、どういうわけか、私に、はげしい敵対心を
もっている。それが態度や動作、行動となって、無意識のうちにも、外に出てくる。このタイプの
人は、人間の価値を、第一印象だけで決めてしまう。最初に「いやなヤツ」と思ったりすると、そ
のあと、ずっとその印象だけで人を判断する。だから私が何を説明しても、ムダ。すべてを否
定的にとらえようとする。

 子どもの心をのぞくときは、そのインタラクティブ・アクションを見ればよい。簡単な方法として
は、子どもに話しかけてみる。心がつうじあっているときは、こちらの話していることが、スーッ
と、子どもの心の中にしみこんでいくのがわかる。そうでないときは、そうでない。

(1)視線を合わせようとしない。視線が固定する。
(2)体をこわばらせたまま、反応しない。
(3)無表情、無感動、沈黙を守る。
(4)呼吸を押し殺す。緊張感が消えない。反応がぎこちなくなる。
(5)腕組みする、体をそらす、目を閉じるなど、独特のジェスチャをする。

 こうしたインタラクティブ・アクションが見られたら、子どもの心は閉じているとみる。こういう状
態では、何を説明してもムダ。言うべきことは言いながらも、その場からは離れたほうがよい。
ふつう子どもでも、こうしたインタラクティブ・アクションを見せると、親(教師)のほうもイライラし
てくる。

 一方、こういうことも言える。相手の心をつかみたかったら、逆のインタラクティブ・アクション
を試みる。たとえば心がつうじあっているときは、つぎのような反応を示す。

(1)視線を合わせ、こちらのほうに体を乗りだしてくる。
(2)体の筋肉の緊張感がとれ、なめらかな動きになる。
(3)一言一言に、敏感に反応し、相づちを打ったりする。
(4)呼吸が速くなり、表情が明るくなる。
(5)体をすりよせてきたり、甘えたりするなど、独特のジェスチャをする。

 つまりこれを逆に、演じてみせる。相手が何かを話しかけてきたら、視線を合わせ、体を乗り
出してみせたりする。相手のジェスチャをたくみにまねながら、ややそれよりもオーバーに繰り
かえしてみせる。あるいは相手よりもやや速いテンポで、反応してみせる。相手が手を振りあ
げながら話したら、それをまねて、こちらも手を振りあげながら話してみる、など。相手は、あな
たに好印象をもつはずである。

 こんな実験をした人がいる。

 A、B、C、D、Eの五人の人を前に並べて、一人の講師に講義をさせる。A、C、Eの三人に
は、ずっと、腕組みをさせ、無表情、無反応のままでいてもらう。B、Dの二人には、講師の話
に応じて、そのつど敏感に反応してもらう。相づちを打ったり、適当に笑ってもらうなど。あとで
講師に、五人の人の写真を見せ、「どの人にあなたは好感を覚えますか」と質問すると、その
講師は、BとDの二人を選んだという。昔、何かの本で読んだ話なので、内容は正確ではない
かもしれない。しかしおおむね、こんなような実験だった。つまり相手に好感をもってもらうため
には、積極的に反応してみせればよいということになる。

 このことは、子どもをカウンセリングしているときに、私がしばしば用いる方法である。子ども
の心をつかむために、積極的に、「そうだね」「そうだよ」と反応してみせる。子どもは私に好印
象をもち、心を開いてくれる。もちろん、この方法は、家庭でも応用できる。子どもが何かを話
しかけてきたら、子どもがそうである以上に、積極的に反応してみせる。子どもはあなたのそう
いう態度に好印象をもち、より心を開くはずである。「このところうちの子は、学校での様子をあ
まり話さなくなった」と思って人にとは、とくに有効である。一度、試してみてほしい。
(030214)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

メガネ

 このところ朝起きると、どこかモノがかすんで見える。白内障か?、と思ったが、原因は、メガ
ネの汚れだった。もうこのメガネも、買って一〇年になる。硬質ガラスでできているというが、表
面は、すり傷だらけ。そろそろ買い替えの時期がきたようだ。

 私がメガネをかけるようになったのは、中学一、二年のころではなかったか。周囲にメガネを
かけている人が多く、私のばあい、メガネをかけるのに、それほど抵抗はなかった。以来、四
〇年以上、メガネをかけている。

 メガネを嫌う人も多いが、もしメガネをかけていなければ、私は、三度、失明していただろうと
思う。一度は、山の中へタラの芽を取りに入ったときのこと。バシッとタラの木が、私のメガネを
たたいた。タラの芽を取ろうと、木を引き寄せたときのことだった。あとで見ると、メガネの上と
下に、大きな切り傷ができていた。

 もう一度は、バイクで運転していたときのこと。S湖のまわりを猛スピードで走っていたら、こ
れまたバシッと、メガネに何か当たった。見ると、コガネ虫だった。コガネ虫がメガネに当たり、
メガネの上で飛び散っていた。

 さらにもう一度は、こんな事件だった。中学二年生のM君と対峙して、数学を教えていたとき
のこと。私が目を閉じたまま、うつらうつらと、M君の話を聞いていた。そのときだ。何を考えた
か、M君が、シャープペンシルを、私の顔と机の間に立てた。私はそれを知らず、そのまま頭
を下へ振った。とたん激痛!

 シャープペンシルの先はメガネのおかげで目をそれ、眉間の下に突き刺さった。とたん、大
量の鮮血が顔面に飛び散った。もしそのときメガネをかけていなければ、シャープペンシルの
先は、まともの眼球に突き刺さっていた。そういう位置関係にあった。

 だからメガネに、私は三度、目を守られたことになる。いろいろ不便はあるが、これからもず
っとかけつづけるつもり。

 そのメガネについての余談だが、私は、いわゆるメガネ族だから、どういうわけか、メガネを
かけている人に親しみを覚える。女性でも、メガネをかけている人のほうに魅力を感ずる。これ
はどういう心理によるものかわからないが、本当の話。

 もう一つ余談だが、あのシャープペンシルをつき立てたM君は、いわゆるお宅族と呼ばれる
子どもで、幼いときからテレビゲームばかりしていた。そのためか、ものの考え方が、どこか現
実離れしていた。恐らくシャープペンシルをつき立てたときも、ゲーム感覚ではなかったか? 
このタイプの子どもは、常識ハズレになりやすい。
(030216)※

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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

怒りの哲学

●同じ事象でも……

 毎年、一万人近くの人が、交通事故でなくなっている。しかし「一万人」と聞いても、あまり驚
かない。なぜか。

 一方、もし隣のK国が日本を侵略してきて、一万人の日本人を殺したら、そうはいかない。日
本中が、パニックになる。

 同じような話だが、「極刑」がある。許しがたい重罪を犯した人は、この日本では死刑になる。
「死をもって償ってもらう」とかなど、裁判官は言う。それはそれだが、ではガンを宣告された人
はどうなのか。

 ガンの宣告だって、死の宣告である。しかもある日突然、宣告される。重罪を犯して死の宣
告をされるというのであれば、まだ話がわかる。しかしガンの宣告は、そうでない。

 こんな話もある。先日の突風で、私の家のテラスの屋根が吹き飛んでしまった。正確には、
塩化ビニールの屋根がこわれてしまった。この家も建ててもう二五年になる。あちこちがボロボ
ロになってきた。

 しかし、だ。数年前だが、どこかの子どもが、わが家に向けて、牛乳ビンを投げつけた。息子
の一人が、どこかでうらみを買ったらしい。牛乳ビンはカラカラとはげしい音をたてて、屋根か
ら落ちてきた。幸い被害はなかったが、瓦の一、二枚は、それで割れたかもしれない。(まだ屋
根にのぼって、確かめていないので、わからない。)

 いろいろな例をあげたが、一見、同じように見える「事象」でも、こちら側の心のもち方によっ
て、まったくとらえ方が変わってくることがある。順に考えてみよう。

 交通事故で一万人死んでも、パニックにならないのは、私たちが、日常の生活の中で、それ
を受けいれているからである。(決して容認しているわけではないが……。)何十年もかけて、
少しずつふえたということもある。なれたということもある。それに事故が、全国のあちこちで、
バラバラに起きているということもある。

 が、K国に侵略されて、一万人の日本人が殺されたら、そうはいかない。即、戦争ということ
になる。はげしい怒りや、憎しみが、日本中を襲うに違いない。なぜか。これを考える一つのヒ
ントにこんなことがある。

 私の家にいる犬のことだが、もしどこかの犬が、私の家に入ってきて、エサを盗んだら、大げ
んかになるに違いない。実際には、そういうことは今までになかったが……。しかしその犬のエ
サを、毎日のように、ヒヨドリやツグミが盗んでいく。しかしうちの犬はまったく、怒らない。無視
している。

●同じ人間だから腹がたつ?

 こういうことを考えあわせると、人間というのは、人間以外の行為には、かなり寛大だが、同
じ仲間の人間がする行為には、寛大になれないという性質があるのではないかということにな
る。その反対の例が、死刑の宣告である。

 同じ死の宣告だが、重罪を犯して死の宣告をされるというのは、同じ人間に宣告されるという
点で、恐怖に違いない。もちろんガンを宣告されるのも恐怖だが、他人や社会との関係が、そ
れで切れるわけではない。治療しながら、戦うということもできる。つまり重罪を犯した人に与え
る死の宣告は、「同じ人間がする行為には、寛大になれない」という人間の性質を、逆に利用し
たものだということもできる。極限に近い恐怖を、その犯罪を犯した人に与えることができる。
(だからといって、死刑を肯定しているわけではない。誤解のないように!)

 何とも回りくどい話になってきたが、もう一度、整理すると、こうなる。

 突風で、屋根がこわされても、腹はたたない。しかしだれかに意図的に瓦を割られると、腹が
たつ。その違いはどこから起きるかといえば、要するに、それを受け止める、こちら側の心の
問題だということ。相手が「自然」であれば、人間は、最初から、無の状態で、その問題を考え
ることができる。しかし相手が「人間」だと、そうはいかない。無の状態にはなれない。だから、
腹がたつ。

 そこで、では、同じ人間がする行為でも、もしこちら側が、先に無の状態になったら、どうなの
かということになる。私は、昨夜、こんな経験をした。

●無になればよい?

 いつものように、自転車で町から帰ってくるとき、信号を無視して走ってきた車に、私はあやう
くはねられそうになった。信号が赤になってから、ゆっくりと一呼吸置いてからのことだった。そ
の車はわき道から飛びだしてきた。見ると、若い女性だった。私は瞬間、「あぶない!」と叫ん
だが、もうそのときは、車は大通りを右折して、走り去っていくところだった。

 私は、激怒した。カーッと頭に血がのぼるのが、わかった。そのドライバーを呼び止めて、怒
鳴りつけてやりたい衝動にかられた。が、しかし、だ。そういうふうに、私がその女性を許せな
いのは、ひょっとしたら、相手が人間だからではないのか。相手が人間だから、無になれない。
だから腹がたつ? 犬やネコなら、腹はたたない?

 が、もし、私のほうが先に、無になってしまえば、腹もたたないのかもしれない。こういうケー
スでも、そういう無茶な運転をするドライバーもいるという前提で、道路を走る。仮に信号が、私
にとっては青になっていても、もう一度、確かめてから道路に出るようにする。あるいはそういう
ドライバーは、犬かネコと思えばよい。そうすれば、少なくとも、私はヒヤリとすることもなく、ま
たそのため、激怒することもない。

 要するに、無になるということだが、もちろんそれにも程度の問題がある。高徳な信仰者な
ら、あらゆることについて、そういう境地に達することができるのかもしれないが、私はできな
い。それにすべてを無にすればよいということでもない。しかし時と、ばあいによって、その無に
なることで、問題の多くを回避することはできる。つまりこちら側の心の状態を変えることで、私
の身のまわりも、ずいぶんと住みやすくなる。

 これまたますます何とも回りくどい結論になってしまったが、今日、私はそれを発見した。これ
から先、何かの処世法として、役にたててみたい。
(030215)

●知恵多ければ、いきどおりも、また多し。(旧約聖書、箴言一六章三二節)
●人間も、憤怒(ふんど)を制(おさ)えないうちは、ほんたうに自然を友とすることはできない。
(島崎藤村「飯倉だより」)
●怒りは無謀をもって始まり、後悔をもって終わる。(ピタゴラス「卓談」)
●怒りは愚考に始まり、悔恨に終わる。(ボーン「格言のハンドブック」)
 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

さらけ出す(3)

 オーストラリア人の家庭へ行ったときのこと。食後、ふと見ると、その家の奥さんが、だんなさ
んのひざの上に、抱かれるようにして、もたれかかっていた。が、子どもたち(高校生の女の子
と、私の友人の大学生)は、平気な顔をして、私と、会話をつづけていた。

 今から三五年ほど前に見た、光景である。その光景を見て、私がいかに驚いたかは、もうこ
こに書くまでもない。当時の日本の常識では、考えられない光景であった。今でも、珍しい。当
時ですら、向こうの大学生たちは、大学の構内を歩きながらでも、抱きあったり、キスをしてい
た。

 もっとも欧米人が、みな、こうした「さらけ出し」を、平気でできるわけではない。そのためアメ
リカなどでは、離婚率の増加とともに、結婚カウンセラーの数が急増しているという。こうしたカ
ウンセリングでは、主に夫婦の間の信頼関係の結び方の指導に重点を置いているという。今、
その信頼関係が結べない夫婦がふえている。もちろん、この日本でも、ふえている。

 結婚したあと、夫婦の会話がない。セックスもない。夫は家事、育児をすべて妻に任せ、自分
は、知らぬ顔。妻は妻で、家庭に閉じ込められ、爆発寸前。夫にせよ、妻にせよ、その原因
は、乳幼児期の育てられ方にあるとみる。この時期、子どもは、絶対的に安心できる家庭環境
の中で、自分をさらけ出すことを学ぶ。自分をさらけ出しても、だいじょうぶだという安心感を学
ぶ。そしてそれが基本となって、信頼関係の結び方を学ぶ。

 自分をさらけ出すから、信頼関係が結べるということにはならないが、しかしさらけ出さないこ
とには、結べない。あるがままの自分を、相手にさらけ出す。それはたがいの信頼関係を結
ぶ、大前提ということになる。

 そういう意味では、私が見た、あのオーストラリア人夫婦の光景は、参考になる。反対に、日
本の夫婦だったら、どういう反応を示すかということを考えてみればよい。たとえばあなたたち
夫婦は、どうだろうか。

(1)デパートやスーパーでも、平気で手をつないで歩くことができる。
(2)子どもの前でも、平気で抱きあってみせることができる。
(3)客の前でも、平気で、抱きあったり、キスしてみせることができる。

 いろいろなレベルがあるだろうが、日本では、こうした行為を、「はしたない」と否定する。しか
し「はしたない」とは何か? どうしてそれが悪いことなのか? 私たちも一度、そういう原点に
立ち返って、この問題を考えなおしてみる必要がある。

 なお私のこうした意見に対して、「アメリカのほうが離婚率が高いではないか」と反論する人が
いる。「日本より、はるかにさらけ出しをしているアメリカ人のほうが、離婚率が高い。つまり日
本の夫婦のほうが、たがいの関係がしっかりしている」と。

 この反論が、いかに虚構に満ちたものかは、あなたが妻の立場にいるなら、すぐわかるは
ず。日本の夫婦の離婚率がまだ低いのは、夫婦の関係がそれだけしっかりしているからでは
なく、とくに妻側が、がまんしているからにほかならない。いまだに、男尊女卑の思想は、この
日本に根強く残っている。もし日本の妻たちの意識が、アメリカ並になったら、離婚率は、アメ
リカの離婚率を、はるかに超える。

 私たちは、夫婦の間だけでも、そして子どもの前でも、もっと自分をさらけ出してもよい。言い
たいことを言い、したいことをする。夫意識など、くそ食らえ。妻意識など、くそ食らえ。親の権
威など、くそ食らえ。親意識など、くそ食らえ! まずあるがままをさらけ出す。他人のばあい
は、そうはいかないが、夫婦や、親子の間では、かまわない。それが家族の特権でもある。とく
に、つぎのような人は、そうしたらよい。

(1)他人と接していると、気をつかい、精神疲労を起こしやすい。
(2)親だから(夫だから、妻だから)という意識が強く、何かにつけて気負ってしまう。
(3)夫婦の間でも、「それはいけないこと」というようなブレーキが働くことが多い。
(4)友人が少なく、さみしがり屋なのに、友人と良好な関係をつくるのが苦手。
(5)いつも自分をよく見せようと、心のどこかで緊張してしまう。あるいは自分を飾る。

 さあ、あなたも、たった一度しかない人生だから、思う存分、自分をさらけ出して生きたらよ
い。あるがままの自分で、あるがままに生きたらよい。だれにも遠慮することはない。無理をす
ることはない。それで相手がダメだというのなら、こちらから相手を蹴飛ばしてやればよい。よ
い人ぶったりしてはいけない。自分を飾ったり、ごまかしてはいけない。さあ、あなたもあなたの
心を取り巻いている、無数のクサリを解き放ってみよう。たった一度しかない人生だから、思う
存分、自分の人生を生きてみよう! 英語国では、こう言う。「心を解き放て! 体はあとから
ついてくる!」と。よい言葉だ。
(030214)

●自由が新しい宗教であり、それが全世界に広がることは、まちがいない。(ハイネ「イギリス
断片」)
●人は生まれながらにして、自由かつ平等である。(フランス人権宣言)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

心を解き放て

あなたはクサリを感じないか?
あなたの心を、取り巻いているクサリ。
がんじがらめにしているクサリ。
そのクサリを感じないか?

それを感じたら、そのクサリをはずしてみよう。
むずかしいことではない。
あなたは思いきって、言いたいことを言えばよい。
したいことをすればよい。
おかしいと思うことがあったら、おかしいと言えばよい。
いやだと思ったら、いやだと言えばよい。

世間体というクサリ。
見栄というクサリ。
メンツというクサリ。

妻だからというクサリ。
母だからというクサリ。
女だからというクサリ。

過去というクサリ。
現在というクサリ。
未来というクサリ。

そんなクサリとは、今日でお別れ。
あなたはどこまでいっても、あなた。
この世界で、たった一人しかいない人間。
この地球で、たった一度しかない人生。
だったら、だれにも遠慮することはない。
何も恐れることはない。
ただひたすら「今」というときの中で、
今を懸命に生きればよい。

さあ、あなたも勇気を出して、青い空に向かって、叫んでみよう。
「私も人間だ! 私も生きている! これが私の命だ!」と。
そして思いきって、息を吸ってみる。
そして思いきって、息を吐き出してみる。
「今」という時を、全身で実感してみる。

心を解き放て。
解き放って、思いきって羽ばたけ。
羽ばたいて、大空を飛べ。
飛んで飛んで、飛びまくれ。

あなたを束縛するものは、何もない。
あなたを止めるものは、だれもいない。
あなたを押さえることは、だれにもできない。
あなたは自由だ。
どこまでも、どこまでも、あなたは自由だ。
(030217)

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

楽天的に生きる

 ワイフに、「楽天的に生きる秘訣(ひけつ)は何だ?」と聞くと、ワイフは、「性質の違いよ」と笑
う。そこで「どう違う?」と聞くと、「あなたは心配性よ。それは性質のようなものだから、しかたな
いわね」と。
 
 しかし考えてみれば、私たちは不思議な夫婦だ。性質がまったく正反対というか、結婚生活
が長いので、そうなったというか……。たがいにたがいの欠点や弱点を補いあいながら、生き
ている。

 たとえばワイフは、スーパーでものを買うときも、決して、レジのあの機械を疑わない。一方私
は、店員がものを通すたびに、金額を確認する。そして頭の中で、即座に計算をする。「お前
は、機械を信じすぎているようだ」と言うと、ワイフは「コンピュータで動くから、まちがえるわけ
がないでしょ」と言う。

 こうした傾向は、まさに一事が万事。「老後の資金はどうする?」と聞くと、「何とかなるわよ」
と。「お金が足りないよ」と言うと、「今住んでいる土地と家を売ればいいわよ」と。「病気(ガン)
になったらどうする?」と聞くと、「簡単にはならないわよ。なったら病院へ行けばいい」と。さら
に「お前は、いろんなことが心配にならないのか? 北朝鮮だって、いつ攻めてくるかわからな
いぞ」と聞くと、「心配しても、しかたないでしょ。私、ひとりが考えても、どうにもならないでしょ」
と。いつしか私は、ワイフは、女の体をした、男と思うようになった。見方によっては、私より、は
るかにたくましい?

 そう、私は子どものころ、「女」を、軽蔑していた。またそういうふうに育てられた。「女」と遊ぶ
だけで、当時は、仲間はずれにされた。「女たらし」と言われて、バカにされた。だから中学を卒
業するまで、女の子と遊んだ記憶がない。経験もない。今でも、心のどこかにそういう思いが残
っている。だから今の今でも、ワイフに何かのことで負けたりすると、「チクショー」と思ったりす
る。

 一方、ワイフは、これまた変わった女性で、子どものころ、同性の女の子とは、ほとんど遊ば
なかったという。いつも男の子と遊んでいたという。自分でも女と思ったことがないという。いわ
ゆる「女なんて、大嫌い」というタイプの女性である。運転をしていても、ヘタクソな女性ドライバ
ーに出会ったりすると、「やっぱり、女はヘタね」などと言う。そこで私が、「お前だって女だろ」と
言うと、「私は、ああいう女性とは違う」と言う。

 どうやらこのあたりに、楽天的に生きる秘訣が隠されているようである。要するに、自分に居
なおりながら、ずうずうしく生きるということか。「自分に居なおる」というのは、「私は私。文句あ
るの!」というふうに考えることをいう。別の言い方をすれば、サバサバ生きることをいう。その
ワイフには、ワイフ独特の、ワイフ語録というのがある。

●私は、家族のみんなが幸福になればそれでいいの。
●どうせ死ぬまでの人生よ。それまで生きればいいの。
●ちょうど死ぬとき、財産がゼロになればいいの。
●生きていくだけなら、お金はかからない。
●私は、今まで無事生きてこられたから、いつ死んでもいいの。
●天国なんてあるわけないでしょ。今が天国なの。
●私は死なないの。死んだとき死んだとわかる人はいないわ。だから死なないの。

私は仕事がら、毎日のようにいろいろな母親と接している。しかし私のワイフは、そういう母親
たちとも、明らかに違う。たとえば私は、ワイフが、息子たちに向かって、「勉強しなさい」と言っ
たのを聞いたことがない。で、ある日、私が、「どうしてお前は、息子たちに勉強しろと言わない
のか?」と聞くと、「あなたがいるからよ」と。「あなたが、じゅうぶんすぎるほどしているからよ」
と言ったこともある。しかし私のワイフなら、だれと結婚しても、息子や娘に、「勉強しなさい」と
は言わないだろう。私のワイフは、そういう女性である。

 もっともワイフがそういう性質でなかったら、私たちの家族は、今ごろは一家心中しているか
もしれない。心中まではしなくても、深刻で、かなりクラーイ家族にはなっていたはず。だからワ
イフについて、いろいろ不平、不満はないわけではないが、最近は、「まあ、私にとっては、す
ばらしいワイフだ」と、ごく自然な形で、そう思えるようになった。
(030215)

●愛するものと暮らすには、ひとつの秘訣がある。相手を変えようとしてはならない。それが秘
訣である。(シャルドンヌ「エヴァ」)
●汝が良妻をもたば、幸福者にならん。悪妻をもたば、哲学者にならん。(ソクラテス「卓談」)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

人民の自由は、国家の強さに比例する

 またまたかいま見た。K国の金XXが、どこかへ列車で、でかけたときのこと。窓の向こうに、
無数の民衆がいて、狂ったようにその列車を追いかけていた。それはまさに、「狂ったように」
である。

 しかしそういう姿を、以前、私はどこかで見たことがある。この日本でも、だ。一度は、どこか
の宗教団体へ取材に行ったときのこと。たまたまその日、「教導様」と呼ばれる指導者が、会
場へ来ていた。それを見て、とくに女性たちが、狂ったように、「センセー、センセー」と叫んで
いた。もう一度は、このH市へ、天皇がやってきたときのこと。車で通り過ぎただけだが、そのと
きも、近くにいた一群の人たちが、「バンザーイ、バンザーイ」と叫んでいた。

 ルソーは、「社会契約論」の中で、こう書いている。「人民の自由は、国家の強さに比例する」
と。つまり人民の自由が大きければ大きいほど、その国家は強い国家だということ。一方、国
家が大きければ大きいほど、人民は自由だということ。

 ここで「大きい国家」というのは、何も、面積が大きいとか、人口が多いということではない。も
ちろん軍事力や経済力があるということでもない。「大きい」ということは、それだけ「ふところが
大きい」ということ。「度量が広い」ということ。そういう視点で見ると、あのK国の小さいこと、小
さいこと。こっけいなほど、小さい。

 ……と書いて、実は、家庭も、そうである。ルソーのこの言葉をもじると、「家族の自由は、家
庭の強さに比例する」となる。

 信頼関係の強固な家庭では、家族はより大きな自由を楽しむことができる。そうでない家庭
は、どこか窮屈。英語の格言にも、『無能な教師ほど、規則を好む』というのがある。信頼関係
がなくなると、どうしても親は規則に頼るようになる。しかし規則がないから、家庭という。体を
休め、心をいやすことができるから、家庭という。

 最近よく、「しつけは家庭で」という言葉を聞くが、子どもがある程度大きくなったら、家庭は、
しつけの場から、憩いの場へと変化する。そのため家庭では、規則はできるだけ少なくする。
規則が多ければ多いほど、家庭は憩いの場としての機能を、失う。子どもをしつけるとしても、
あくまでも親子の信頼関係による。その信頼関係がないまま、しつけに走れば、どうしても規則
ばかりに頼るようになる。

 国も家庭も、「自由」が基本。生きるということは、まさに自由の追求といってもよい。その自
由を教えるのは、国ではない。学校や教科書ではない。実は家庭である。そういう意味でも、
家庭のもつ「ふところ」は、大きければ大きいほどよい。子どもはそのふところの中で、自由を
学ぶ。
(030214)

【追記】国の権威にせよ、親の権威にせよ、民衆や子どもを黙らせるには、便利な道具であ
る。権威は、それ自体が、抑圧的。しかしその陰で、民衆や子どもは、心をゆがめる。イギリス
の格言に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。表面的な従順さにだまされてはいけない。

 たとえば家庭にあっては、親が権威主義的であればあるほど、子どもは自分の心を隠す。ご
まかす。つくる。飾る。そうなれば、親子でも、命令・服従、保護・依存の関係になる。子ども側
がそれを受けいれればそれでよいが、そうでないとき、親子の間には大きなキレツが入る。全
体のトータルバランスを考えるなら、親が権威主義的であることによるメリットよりも、デメリット
のほうがはるかに大きい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

韓国の人たちへ

 昨年(〇二年)の終わり、ソウル市内で、大規模な反米デモが組織された。何でも一〇万人
以上もの人たちが集まったという。発端は、米軍の戦車に、韓国の女子中学生がひき殺され
たという事件だった。その気持ちは理解できる。しかしその反米デモの最中、デモ隊が巨大な
星条旗を、ビリビリと破ってみせたのは、まずかった。本当に、まずかった。

 アメリカ人の国旗に寄せる熱い思いは、恐らく日本人には理解できないものだろう。恐らく韓
国人にも理解できないものだろう。彼らは合衆国国家。いろいろな民族が集まって、ひとつの
国をつくっている。その合衆国の象徴、つまり愛国心の象徴が、星条旗である。

 韓国が、もともと反米的な国なら、それもしかたない。許される。しかし今のところ、アメリカは
同盟国。しかも最前線で、韓国を北朝鮮から守っている。先の朝鮮動乱では、三万三六〇〇
人ものアメリカ兵が、韓国のために犠牲になっている。いくら反米感情が高まったからといっ
て、星条旗を破ってみせてはいけない。別のところでは、星条旗を燃やしたというが、そこまで
してはいけない。

 で、結果として、その追い風にのって、反米、北朝鮮との融和政策をかかげる、N氏が大統
領の座についた。N氏は、選挙運動中、「仮に米朝(アメリカと北朝鮮)戦争になっても、韓国は
中立を守る」と公約してしまった。(これには当然のことながら、日朝戦争になっても、韓国は中
立を守るということを意味する。)そんな公約を聞いて、アメリカが怒らないわけがない。ものご
とは、もう少し、常識で考えたらよい。

 そして今、韓国は、日本のみならず、アメリカの意向さえも無視して、独自の北朝鮮外交を進
めている。「韓国が、アメリカと北朝鮮の仲介役になる」とまで言い出している。そして日本に
は、「アメリカに対話に応ずるように説得してほしい」とさえ言い出している。当初、日米韓三か
国の結束が、何よりも重要と言われていた。しかしその結束を、韓国は、つぎつぎとぶち壊して
いる。

 こうなるとアメリカの選択はただひとつ。韓国からの撤退である。少なくとも、韓国を最前線で
守らなければならない理由など、どこにもない。現に今、アメリカ軍は最前線からの撤退を決め
てしまった。この先、小数の空軍と海軍を残して、陸軍は撤退するという。しかしそうなればなっ
たで、それこそ、北朝鮮の思うツボ。あっという間に、韓国は、北朝鮮の大軍勢にのみこまれて
しまう。言いかえると、今まで韓国が韓国であったのは、最前線でアメリカ軍が、韓国を防衛し
ていてくれたおかげではないのか。

 実のところ、私は韓国の心配をしているから、こんなことを書いているのではない。韓国は韓
国の選択をすればよい。今の北朝鮮のような国がすばらしいと思うなら、それはそれでかまわ
ない。しかし私たち日本人は、ああいう国はお断り。今のままでは、やがて北朝鮮は核兵器を
ふりかざし、日本をあれこれ脅してくるだろう。「言うことを聞け、さもなければ東京に核爆弾を
ぶちこむぞ」と。そういう未来から、この日本や、日本の子どもたちを守らねばならない。だから
何としても、今のこの段階で、北朝鮮の暴走をくい止めなければならない。また暴走させてはな
らない。そのためにも、今、韓国に求められるのは、日米韓を中心とする連携プレーである。
その連携プレーの中に、中国とロシア、さらにはほかのアジアの国々を巻き込んでいく。そうい
う視点から考えても、今の韓国の独自外交は、キレツを入れるというより、世界への配信行為
と考えてよい。

 このまま韓国がさらに日米のふたつの国から離反していくというのであれば、日本も、もう韓
国など相手にせず、日米の二つの国を中心にして、今後の外交を進めていくしかない。とても
残念なことだが、日米韓の三か国の連携を強めるか、ぶち壊すかは、ひとえにこれからの韓
国の動向によって決まる。ここはどうか、賢明な選択をしてほしい。
(030215)

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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞










件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■2-25-2

劣等感と依存性

●劣等感を克服する二つの方法

 本来なら、劣等感(コンプレックス)などというものは、少なければ少ないほどよい。しかし人
はだれしも劣等感をもっている。多かれ少なかれ、劣等感のない人はいない。それは人間が、
ある時期、子どもであったことによる。つまり子どもの世界からみると、おとなたちは常に、支
配者でしかない。子どもであるがために、いくらがんばっても、おとなには勝てない。体も小さ
い。体力も弱い。知識や経験では、とても勝てない。そういう「思い」が、長い時間をかけて、子
どもの心の中に蓄積される。そしてそれが劣等感の原型となる。

 だれしも劣等感をもっているとしても、その劣等感と戦う方法として、人は取りあえず、二つの
道から選択する。ひとつは、前向きに、つまりプラス方向に戦う方法。何とか、周囲のものを見
返してやりたいと思うのがそれ。このタイプの人は、名誉や地位、肩書きを求め、他人より優位
に立つことで、その劣等感を克服しようとする。

 もうひとつは、反対に、自分をより下位に置くことにより、相手の同情を誘ったり、援助を求め
る方法。前向きに戦う方法を、プラス型というなら、こちらはマイナス型ということになる。こうい
う傾向は、女性に多い。ある女性(六〇歳)は、ことあるごとに、自分の息子や娘にこう言って
いた。「お母さんも、歳をとったからねエ〜」と。このタイプの女性は、そう言いながら、言外で、
「だから何とかしてほしい」と言う。つまりそう言いながら、相手が、「では、何とかしてあげます
よ」と言うのを待っている。

●マイナス型の克服法

一見、正反対に見える方向性だが、プラス型にせよ、マイナス型にせよ、この二つのタイプに
は、大きな共通点がある。それはともに、相手を支配したいという欲望である。つまりプラス型
は、自分を相手よりより優位な立場に置くことによって、相手を支配しようとする。一方、マイナ
ス型は、相手に同情させ、援助させることにより、相手を自分の支配下に置こうとする。

 ある母親は、息子(四〇歳)から、電話がかかってきて、息子が、「お母さん、生活費はある
のか?」と聞くと、いつもこう言っていた。「お母さんはね、イモを食べていればいいんだよ。近
所の友だちが、先週、イモを届けてくれてね。それを毎日食べているから、心配しなくていいよ」
と。

 つまりこの女性は、「心配しなくていいよ」と言いながら、その実、子どもに心配させている。心
配させながら、子どもから援助を引き出そうとしている。が、それだけではない。そういう息子
を、一方的に、「親思いの、いい息子」と位置づけることによって、自分の親としての優位性を
保とうとしている。

 こういう心理、つまり、自分の劣等性を、何らかの形で補おうとする心理を、心理学の世界で
は「補償」という。こうした補償は、多かれ少なかれ、ほとんどの人に見られる。が、その中で
も、自立心の弱い、つまりは依存心の強い人ほど、その傾向が強い。

 それをさらに説明するために、二人の人を想定してみる。

●二つのタイプ

 一人(A氏)は、仕事人間。明けても暮れても、考えることは、仕事のことばかり。出世が生き
がいで、いつも「いつかは自分もそれなりの人間になって、社会から認められたい」と願ってい
る。

 もう一人(B氏)は、いわゆるダメ人間。何をしても失敗ばかり。仕事もうまくいかない。努力も
しない。まわりの人が、「あなたは本当は、やればできるはず」と励ませば励ますほど、怠(な
ま)けてしまう。

 この二人も、見たところ、まったく正反対の人間に見える。A氏はたいへん自立心が旺盛。生
活態度も、積極的で、攻撃的だ。それにくらべてB氏は、自立心が弱く。生活態度も、消極的
で、防衛的。しかしA氏もB氏も、自分の劣等感を克服しようとしている点では、共通している。
A氏は、「何とか認められたい」と思って、そうしている。「私はすばらしい人間なのだ。だから人
が私に従うのは当然だ」と思うことで、自分の優位性を保とうする。一方、B氏も、相手に「やれ
ばできるはず」と思わせて、自分の立場をとりつくろっている。「やればできるのだが、自分が
ダメなのは、やらないからだ」と、そう相手に思わせることで、自分の優位性を保とうとする。

 少しわかりにくいかもしれないが、B氏のようなケースは、子どもの世界ではよく見られる。

●「やればできるはず」と思わせて、自分の立場を守る

 たとえばC君(小五)は、たいへん学習態度が悪い。授業中も、ふざけて遊んでばかりいる。
先生が何かを注意しても、それを茶化したり、あるいは適当にごまかしてしまう。もちろん成績
も悪い。

そういうC君をよく観察すると、ふざけることによって、自分の立場をとりつくろっているのがわ
かる。まじめに学習し、まじめに取り組んで、それで勉強ができなければ、自分はバカだという
レッテルを張られてしまう。そこでC君は、自らふざけることによって、そのレッテルが張られる
のを避けようとする。先生やまわりの仲間に、「ぼくは本当は、やればできる人間なのだが、で
きないのは、まじめにやっていないからだ」と思わせる。思わせることによって、自分の立場を
守ろうとする。

 こんなケースもある。N君(小六)は、親の期待と、自分の実力のギャップの中で、悩んでい
た。……悩んでいるはずだった。親は「何とかA中学へ」と言っていた。しかしN君には、その力
がなかった。多分そのとき、C中学どころか、D中学ですら、あぶなかったかもしれない。そこで
私はN君に、こうアドバイスした。「君の力は、君が一番よく知っているはずだ。だったら、一
度、お父さんに君の力を、正直に話したほうがよい」と。

 しかしN君は、決して、自分の実力のことは話さなかった。話せば、自分の立場がなくなってし
まうからだ。N君は、父親や母親には、「やればできる」と思わせることで、自分の立場を守って
いた。自分のわがままをとおしていた。「成績が悪いのは、先生の教え方が悪いからだ」「成績
が悪いのは、部活動が忙しく、勉強時間がないからだ」と。

●結局は依存性の問題

 こうした劣等感を、なぜもつかといえば、結局は、その人の依存性の問題に行きつく。もし真
の意味で、自立心が旺盛であるなら、そもそも劣等感など、もたない。「私は私。人は人」という
生きザマをつらぬく。が、依存性の強い人は、それができない。できない分だけ、劣等感をも
つ。

 わかりやすい例では、容姿コンプレックスがある。鼻が低い、肌が黒い、足が短い、など。そ
ういう劣等感をもつ人というのは、結局は他人に依存したいという思いが転じて、劣等感とな
る。この時点で、「私は私。人は人。人が何と思おうが、私には関係ない」という姿勢があれ
ば、容姿コンプレックスなど、吹っ飛んでしまうはず。

 が、その依存心を払拭(ふっしょく)できない。だからたとえば、顔を整形をしてみたり、あるい
は、人前に出るのを避けたりするようになる。ある女性は、テレビの番組の中で、こう話してい
た。「整形をしたおかげで、人生が、バラ色になりました。生きザマも前向きになりました。それ
までの私は、人前に出るのもいやで、家の中にずっと引きこもったままでした……」と。その女
性は、その番組の中で、整形手術を受けていた。

しかしその女性は、何も変わってはいない。「変わった」と思っているのは、彼女の脳の中で
も、表面的な部分だけ。もっとはっきり言えば、彼女自身の本質、つまり依存性は、何も変わっ
ていない。「生きザマが前向きになった」といっても、依存性そのものが消えたわけではない。
先の例でいうなら、B氏的だった彼女が、A氏的になっただけにすぎない。

 要するに、表面的な症状には、だまされてはいけないということ。とくに子どものばあいはそう
で、一見、正反対に見える子どもでも、その中身は同じということは、よくある。その一つの例と
して、ここでは劣等感を考えてみた。

【教訓】
●子どもたちに、一方的に、おとなの優位性を見せつけたり、押しつけてはいけない。おとなの
力で、子どもをねじ伏せたり、やりこめてもいけない。子どもに不要な劣等感をもたせないため
には、ときには、バカなフリをしたり、負けたフリをして、子どものほうを優位な立場に立たせ
る。そしてそうすることによって、子どもに依存心をもたせることを防ぐことができる。
(030216)

【追記】
 この原稿を読んで聞かせると、ワイフはこう言った。「整形する人というのは、整形する前も、
そして整形したあとも、他人の目を気にしているのね。つまりは他人への依存性という点では、
何も変わっていないのね」と。

 ワイフのこの言葉は、よく的(まと)をとらえているので、ここに追記として、記録しておく。それ
にワイフはこうも言った。「本当に自立心のある人は、他人の目など気にしない。他人に認めら
れるとか、認められないとか、そういうことは関係なく、マイペースでいくものね」と。この言葉
も、たしかに的をとらえている。そしていつしか話は、鈴木M氏という政治家の話になった。昨
年、贈収賄事件で逮捕された政治家である。

「ああいう政治家を見ていると、劣等感のかたまりのような気がする」と私。
「そうね、ああいう政治家は、自分の劣等感をごまかすために、政治家になったようなものね」
とワイフ。
「出世欲、名誉欲にとりつかれた人というのは、たいていこのタイプの人と見てよい」
「自分の劣等感を克服するために……?」
「いいや、そのやり方では、本当のところ、克服はできない」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「劣等感というのは、心という内面世界の問題だろ。いくら外の世界で自分をとりつくろっても、
克服はできない」
「自分をつくれということ?」
「そういうことになる」

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


権威主義と依存性

●生まれながらの劣等感

 親が権威主義的であればあるほど、子どもには依存性がつく。「どういう関係があるのか?」
と思う人もいるかもしれない。

 子どもは生まれながらにして、おとなに対して、かぎりない劣等感をもつ。子どもがおとなにな
るというのは、まさにその劣等感との戦いであるといってもよい。私も子どものころ、父にどうし
ても将棋に勝てなかった。そのつど挑戦しても、あっという間に負かされた。が、そのうち、将棋
には定石というものがあるのを知った。そこで私はどこからか定石の本を手に入れ、その定石
どおりに将棋をするようになった。とたん、私は見ちがえるほど、強くなった。そして中学へ入る
ころには、ときどき反対に父を負かすようになった。

 私のばあい、ラッキーなことに、父はそれほど権威主義的ではなかった。親としての威厳もあ
まりなかった。民主的でもなかったが、しかしいろいろな面で、父は穴だらけの人間だった。子
どものときから、その穴をよく知っていた。何をしても、父は不器用で、それにへただった。魚を
いっしょに釣りに行っても、私のほうがたくさん釣った。そういう意味では、いつも、「おやじなん
か、たいしたことない」と思っていた。言いかえると、私は生意気な子どもだった。

 しかしそういう生意気さは、むしろ子どもの成育には、大切なものである。「親を親の前で負
かす」という子どもの姿は、旧世代の人にとっては許しがたい態度かもしれない。しかし子ども
は、「親を負かす」ことから、おとなの世界に挑戦していくということを学ぶ。そして真の自立心
は、そういう挑戦的な姿勢の中から生まれる。

●子どもの自立を殺す権威主義

 が、一方、子どもの真の自立心を押し殺してしまう親がいる。問答無用式に、親の考え方や
生きザマを押しつけてしまう。結果として、子どもは、親に依存するようになり、その分、自立で
きなくなってしまう。その押し殺す道具としてよく使われるのが、「権威」である。

 もちろんだからといって、すべての権威を否定するわけではない。また自立心がない子ども
の原因が、すべて権威によるものだと言っているのではない。私がここで言いたいのは、えて
して権威は、子どもを黙らせる道具として使われ、その結果、子どもに依存心をもたせることが
あるということ。そういう意味で、親がもつ権威主義には、じゅうぶん注意したらよいと言ってい
る。

 こんな例が正しいかどうかはわからないが、私が子どものころ、祖父はよくこう言った。「学校
の教科書に書いてあったから、まちがいない」と。

 それがここでいう権威主義である。「教科書は絶対」という大権威。その大権威を前にして、
祖父は、疑うことすらしなかった。そして一も二もなく、それに従ってしまう。それがここでいう依
存性である。今でも、権威のある人の意見だと、ミソもクソもありがたがる人はいくらでもいる。
ありがたがるのは、しかたないとして、その分、その人は自分で考えるのを放棄してしまう。

 これと同じようなことが、実は親子の間でも起きる。たとえば親の権威が強すぎて、子どもが
その陰で小さくなっているようなケース。こういうケースでは、子どもは一方的に親に依存する
ようになる。親を絶対と思うことによって、親に対して、服従的な姿勢になる。親のほうから見れ
ば、従順で、いわゆる「かわいい子」にはなるが、その子どもは自立できなくなってしまう。中に
は途中で猛反発して、親から去っていく子どももいるが、たいていはそのまま自立できなくなっ
てしまう。

●私の母のばあい

 実のところ、私の母は、女性でありながら、まさに権威主義のかたまりのような人だった。何
かにつけて、私の母は「親に向かって! (何ということを言うのだ!)」と、私をよく叱った。母
にしてみれば、親は絶対的な存在であり、その親にたてつくなどということは、子どもとしてある
まじきこと、ということになっていた。では、その母が、それだけ自立心が旺盛であったかという
と、そうではない。むしろ自分の権威を子どもに押しつけることによって、私たち子どもに依存し
ようとしていた。もう少しわかりやすく言うと、権威を押しつけることによって、子どもを、自分の
支配下に置こうとした。つまり自分が依存しやすい子どもをつくるために、権威を、私たちに押
しつけていた。こうした母独特の生きザマは、「親の悪口を言うヤツは、地獄へ落ちる」という、
母がよく口にする言葉に、よく表れている。

 母は今でも、私が何か口答えをすると、こう言う。「親の悪口を言うヤツは、地獄へ落ちる」
と。残念ながら私は、地獄というものを信じていないから、「地獄へ落ちる」と脅されても、どうと
いうことはない。しかし母のような、熱心な信心者だったら、その言葉一つにおびえるだろう。つ
まりそういう意識をもって、私をおどす。母にすれば、親を批判するなどということは、もっての
ほかということになる。それはわかるが、その一方で、「地獄へ落ちる」と、子どもをおどすとこ
ろまでする。これは親の権威をキズつけたら、地獄へ落ちる。だから親に従えということを意味
する。しかしなぜそういうふうにおどすかと言えば、私という子どもを自分の支配下に置きたい
から。そして私という子どもに依存したいからにほかならない。

●権威主義

 どうも話がうまくまとめられないが、権威主義のこわいところは、それが強ければ強いほど、
子どもを劣等感の世界に閉じこめてしまうということ。私はよく水戸黄門の葵の紋章を例にあ
げる。水戸黄門の側近のものが紋章を見せ、「控えおろう!」と一喝すると、まわりのものが、
一斉に頭をさげる。日本人には、たまらないほど痛快な場面だが、そのおかしさは、今の北朝
鮮を見ればわかるはず。ああいう国では、民衆は自由にものを考えて、自由に行動することす
らできない。同じように、権威主義的な家庭環境の中では、家族は自由にものを考えて、自由
に行動することすらできない。そればかりか、家族、なかんずく子どもに、隷属意識が生まれ
る。この隷属意識が、子どもを、自ら劣等感の世界に閉じ込めてしまう。

 つまり親の権威主義など、百害あって一利なし。どこをどうつついても、肯定的な面が出てこ
ない。中には、親の権威は大切だとか、さらには、江戸時代の武士道までもちだして、権威主
義を肯定する人もいる。いろいろな思いがあって、そういう人たちは、そういう主張をするのだ
ろうが、これからはそういう時代ではない。またそうであってはならない。

 もし権威にかわるものがあるとするなら、「尊敬」ということになる。たとえ親子でも、一対一の
人間関係の中で考えたらよい。その上で、「尊敬する」「尊敬される」という次元で考えたらよ
い。親の威厳があるから、尊敬されるということではない。威厳がないから、尊敬されないとい
うことでもない。しかし親は、子どもに尊敬される存在でなければならない。また、これからの親
は、それを目ざす。

 このつづきは、また別の機会に考えてみたい。まだ頭の中で、はっきりしていないので、どう
もうまくまとめられない。だから今日は、ここまで。
(030216)

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

私たちの本当の敵とは……?

 私は一九六八年に、韓国に渡った。まだ日韓の間に国交のない時代で、私は、UNESCOの
交換学生として、渡った。

 プサン港へ着いたときは、ブラスバンドで迎えられたが、歓迎されたのは、その日、一日だ
け。あとはどこへ行っても、日本攻撃の矢面に立たされた。しかしそれは想像を絶する、日本
攻撃だった。

 これはあくまでも仮定論だが、もしあのころ、日本にアメリカ軍が駐留していなかったら、日本
は、韓国もしくは、北朝鮮に占領されていただろうと思う。当時、日本の自衛隊は、約六万人
強。かたや韓国軍は、一八万人弱。それだけではない。韓国は完全な徴兵制を敷いていた。
国民すべてが、銃の使い方、大砲の撃ち方に精通していた。私は彼らが日本に対してもつ憎し
みを知るうち、「日本がつぎに戦争するとしたら、相手は韓国だろうな」と思った。

 それから約三五年。日本はかろうじて平和を保つことができた。軍事費にそれほど多額の費
用を使うこともなく、また徴兵制を敷くこともなく、今まで平和を保つことができた。しかしここで
誤解してはならないのは、日本が平和を保つことができたのは、日本人が平和を守ったわけで
も、また平和を愛したからでもない。ここにも書いたように、アメリカ軍が、日本にいたからであ
る。

 もし当時、日本にアメリカ軍がいなければ、韓国や北朝鮮は、当然のことながら、日本に攻
め入っていた。つまりそれくらい彼らの憎しみは、大きかった。またそういう憎しみを買ってもし
かたないようなことを、日本は彼らに対してした。……してしまった。もしそのことがわからなけ
れば、反対の立場で考えてみればよい。

 ある日突然、圧倒的な軍事力をもつ北朝鮮が、日本の九州に上陸してきた。そしてまさに破
竹の進撃を繰り返し、一週間のうちには、東京都まで占領してしまった。以後、金XXの銅像へ
の参拝を義務づけられ、かつ三人以上が集まって日本語を話すのも禁止されてしまった。これ
に違背したものは、北朝鮮の憲兵によって容赦なく逮捕され、裁判にかけられることもなく投
獄。こんな状態が、何と、三〇年近くもつづいた!

 私たちを直接指導してくれたのが、あの金素雲氏(韓国を代表する詩人)だったこともある。
私は当時の手帳にこう書いた。「日本の教科書はまちがってはいないが、すべてを書いていな
い」と。

 他国の軍事政権が、その軍事力にものを言わせて、自国へ侵略してくることへの恐怖という
のは、相当なものだ。それもわからなければ、今、ここであの北朝鮮が日本へ侵略してきたと
きのことを、ほんの少しだけ頭の中で想像してみればよい。それともあなたは、北朝鮮が日本
へ侵略してきても、平気とでも言うのだろうか。あの北朝鮮が、である。当時の日本といえば、
今の北朝鮮以上に北朝鮮的であった。

 が、日本があぶなかったのは、そのときだけではなかった。それをさかのぼる一〇年前、日
本は、当時の中国に報復されても、少しもおかしくない状態だった。今から思うと、このときも、
日本はアメリカ軍に守られた。もし六〇年代に、日本にアメリカ軍が駐留していなければ、日本
はほぼ確実に、中国の植民地になっていた。中国にしても、いつなんどき、日本を植民地にし
てもおかしくない状態だった。日本は、それくらいのことをされても文句言えないようなことを、
中国に対しても、してしまった。

 こう書くからといって、何も、アメリカのおかげと言っているのではない。歴史というのは、無数
の偶然と必然が重なって決まる。考えようによっては、今の日本は、アメリカの植民地のような
もの。また仮に今、中国の植民地であったとしても、私たちは今と同じように、結構、ハッピーな
のかもしれない。北朝鮮の人だって、テレビで見るかぎり、みな幸福そうだ。今の日本だって、
外の世界からみれば、役人たちにぎゅうぎゅうに管理された官僚主義国家だが、この日本の
中で住んでいると、それもよくわからない。結構、私たちは私たちなりに、自由だと思っている。

 それはそれとして、今、日本はたいへん危機的な状況にある。今後の展開のし方によって
は、戦争になるかもしれない。日本には、その気はなくても、相手はそうではない。しかしこの
状態は、今、始まったわけではない。六〇年代にも、七〇年代にもあった。今もあるし、これか
らもある。もちろん世界が平和であるにこしたことはないが、しかし平和などというものは、少な
くとも今のこの地球では、幻想でしかない。では、どうするか?

 私たちはともすれば、「自分だけの平和」「自分の国だけの平和」を考える。しかしそれでは、
足りない。相手の国の平和を保障してあげてこそ、自分の国の平和を守ることができる。

 つぎに、戦争はいやだからという論理だけで、平和を求めてはいけない。戦争というのは、ど
ちらか一方が逃げ腰になったとき、キバをむく。言いかえると、平和を守るということは、積極
的に、戦争と向かいあわなければならない。そこに暴力団がいるなら、ばあいによっては、そ
の暴力団と戦わねばならない。いわゆる何もしない平和主義というのは、この世界では偽善で
しかない。

 そして三つ目に、私たちは平和を口にしたら、同時に、敵は私たち自身だと自覚する。仮に
北朝鮮と戦争状態になっても、敵は北朝鮮ではない。金XXでもない。私たちの敵は、私たち自
身である。私たちの心の奥に潜む、邪悪な心である。どんな戦争も、たがいの当事者たちは、
自分が正しいと信じてそれをする。相手がまちがっていると信じて戦争をする。しかしそれで
は、「戦争」は解決しない。平和な世界はいつまでたっても、やってこない。戦争を解決し、平和
な世界にするためには、私たち自身が変わらねばならない。そのために自分自身の中の敵
と、私たちは戦う。

 で、この中でとくに重要なのは、やはり三番目。少し抽象的な言い方でわかりにくいかもしれ
ないが、このことは、暴走族どうしの抗争を想定してみるとわかる。二つの暴走族のグループ
が、縄張りを争って抗争、つまり戦争を起こしたとする。当のグループたちには、それぞれに言
い分があり、また正義があるかもしれない。しかし全体としてみれば、彼らが本当に戦うべき相
手は、もう一方のグループではなく、自分自身の中に潜む、邪悪さである。が、本人たちには、
それがわからない。わからないから、いつまでたっても、なぜ繰りかえすのかさえわからないま
ま、同じような抗争事件を繰りす。

 さて、このエッセーの結論。

 とても残念なことだが、私たち日本人は、大きなまちがいを犯した。戦争というまちがいであ
る。が、そのまちがいもさることながら、さらに戦後、その責任を回避しつづけた。今も、回避し
ている。見方によっては、これも大きなまちがいである。日本人として、自分たちのまちがいを
認めることは、たいへんつらい。つらいが、一度、このあたりで、過去を清算しないと、そのまち
がいは、いつまでもつづくことになる。

 今から三五年前、韓国から帰ってきた私に対して、「君は、韓国に洗脳されたのか?」と言っ
た人がいた。ごく最近も、「君は日本人だろ。どうしてその日本人が、日本を悪く言うのか」と言
った人がいる。しかし私は韓国に洗脳されたわけでも、日本を悪く言っているのでもない。私は
私たち自身の中に潜む邪悪さこそが、悪いと言っている。悪いことをしたことを認めないで、そ
れから逃げてまわるのも、その邪悪さの一つということになる。そういう邪悪さと戦うことこそ、
今、私たちに求められている。三五年前の、あの韓国の人たちの燃えるような憎悪の念を思
い出すたびに、私は、そう思う。
(030217)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


【訂正】
半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)

 以前、「半夏者瀉心湯(はんげしゃしんとう)」には、壊れたDNAを修復する物質が含まれて
いるというようなことを書いた。恩師のT先生が、先日、私の家に遊びにきたとき、そう話してく
れた。それで私の家でも、以来、半夏者瀉心湯をのむようにした。

 で、そのことをメールで、T先生に話すと、「半夏者瀉心湯ではなく、半夏厚朴湯です」とのこ
と。私の聞きまちがいということになる。当日、いくつかの漢方薬をいくつか処方してみせたの
で、それでまちがえたのかもしれない。

 T教授のメールでは、こういうことらしい。

「林様:

  私がなめるように言われたのは「半夏厚朴湯」です。
シャシントウは聞いたことはありません。 もしかしたら、
山荘で、いろいろお出しになった中にあったのかもしれま
せん。 私は覚えてはおりませんが。 テニスクラブの中
の薬学のえらい先生(学士院賞も頂いている)の提唱です
が、だまされたと思ってなめています。 クラブの中では
信者が少なくありませんで、中には、一つ手術をして、未
だ現にガンを持っている人で、あと2年と言われた人がも
う5年経って元気、元気でテニスをしています。 その人
は勿論絶対の信者で、朝晩なめているそうです。 勿論人
によって違うかも知れませんが。 取り敢えず」と。

 方法は、寝る前に、舌の上にのせ、体に吸収させるようにするとよいとのこと。この説を信ず
るか信じないかは、みなさんの判断に任せる。私はT先生を信じているので、さっそく、半夏厚
朴湯をなめることにする。量は、市販のエキス細粒(真空乾燥で粉状になった薬)では、耳かき
いっぱい程度の、小量でよいとのこと。私たち夫婦もそうしてなめているが、一日分の量で、二
人で一週間はもつ。「そんな小量でいいのですか?」と聞くと、「小量でいいです」とのこと。なお
T先生は日本化学会の元会長。日本学士院賞も受賞している。
(030216)

●半夏厚朴湯は、もともとは婦人病の薬として知られている(金匱要略)。
胃腸が弱く、気うつ症などの神経症状に広く使われている。
不安神経症、神経性胃炎などにも効果がある。

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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【浜松の情報は……】http://www.eiyus.com/Enews/(E'news Hamamatsu)
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市リズム幼稚園
6・24  ……静岡市アイセル21
2・21  ……川根町・教職員研修会
2・20  ……内野小学校
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■2-25-1

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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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★★★★★★★★★★★★★★
03−2−25号(185)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 電話054−246−6136
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
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ブロードバンドをお楽しみのみなさんへ、
「はやし浩司のホームページ」に新しく動画コーナーをつくりました。私の生の声などを収録しま
した。どうかおいでください。サイト・トップページより、どうぞ!
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【掲示板】
●マガジン読者の方のための、専用掲示板を用意しました。
どうか、おいでください。ご希望、ご質問、テーマなどいただければ、うれしいです。
会員、みなさんの相互連絡にも、ご利用ください。
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と読みやすくなります。お試しください。毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご
利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●島根県のUYさんより

はじめまして。
HPをよく拝見させて頂いています。
 
娘の事を相談させていただきたく、メールをしています。
娘は五歳半になる年中児で、下に三歳半の妹がいます。
小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く子でし
た。
それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている態度に
は見えません。
走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないようです。
そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。
物の説明はとても難解で、結局何を言っているのか分からない事も多々あります。
 
私自身、過関心であったと思います。
気をつけているつもりですが、やはり完全には治っていません。
今、言葉の方は『おかあさん、牛乳!』や、『あの冷たいやつ!』というような言い方について
は、それでは分からないという事を伝える様にしています。
できるだけ言葉で説明をさせるようにしています。これは少しは効果があるようです。
また食生活ではカルシウムとマグネシウム、そして甘いものには気をつけています。
食べ物の好き嫌いは全くありません。
 
そこで私の相談ですが、もっとしっかり人の話を聞けるようになってほしいと思っています。
心を落ち着かせることが出来るようになるのは、やはり親の過干渉や過関心と関係があるの
でしょうか。
また些細な事(お茶を飲むときのグラスの柄が妹の方がかわいい柄っだった、公園から帰りた
くない等)で、泣き叫んだりするのは情緒不安定ということで、過干渉の結果なのでしょうか。
泣き叫ぶときは、『そーかー、嫌だったのね。』と、私は一応話を聞くようにはしていますが、私
が折れる事はありません。
その事でかえって、泣き叫ぶ機会を増やして、また長引かせている気もするのですが。。。

そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテーブルをゆら
してゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な動作はどのよう
にすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中させて動く』ことが出
来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか。
自分自信がんばっているつもりですが、時々更に悪化させているのではないかと不安に成りま
す。

できましたら,アドバイスをいただけますでしょうか。宜しくお願い致します。

【UYさんへ、はやし浩司より】

 メール、ありがとうございました。原因と対処法をいろいろ考える前に、大前提として、「今す
ぐ、なおそう」と思っても、なおらないということです。またなおそうと思う必要もありません。こう
書くと、「エエッ!」と思われるかもしれませんが、この問題だけは、子どもにその自覚がない以
上、なおるはずもないのです。

 UYさんのお子さんが、ここに書いた子どもと同じというわけではありませんが、つぎの原稿
は、少し前に私が書いたものです。まず、その原稿を先に、読んでいただけたらと思います。

+++++++++++++++++
 
汝(なんじ)自身を知れ

「汝自身を知れ」と言ったのはキロン(スパルタ・七賢人の一人)だが、自分を知ることは難し
い。こんなことがあった。

 小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中二男児)がいた。どこがどう問題児だったか
は、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。「君は、学
校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。するとその子ども
は、こう言った。「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼくを怒っ
た」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまった。いや、その子どものことではな
い。自分のことというか、自分を知ることの難しさを思い知らされたからだ。

ある日一人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好きな
子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小一男児)のように、友だちのいない
子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行くから、一緒に行っ
てほしい」と。もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあっ
たし、軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」
ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、その相談だ。

話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分でない部
分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、それに
振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。このタイプの親たちは、なぜそういうことをす
るかということに迷いを抱きながらも、もっと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のど
こかで「してはいけない」と思いつつ、それにブレーキをかけることができない。「自分であって
自分でない部分」のことを、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、
いじける、ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の中
にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部分とみてよい。それに気づくこ
とが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくことなく、いつまでも自分で
ない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰り返すことである。

++++++++++++++++++

 おとなですら、自分のことを知るのはむずかしい。いわんや、子どもをやということになりま
す。ですからUYさんが、お子さんに向かって、「静かにしなさい」「落ち着きなさい」と言っても、
子どもにその自覚がない以上、子どもの立場からしたら、どうしようもないのです。

 意識には、大きく分けて(1)潜在意識と、(2)自意識(自己意識)があります※。潜在意識と
いうのは、意識できない世界のことです。自意識というのは、自分で自覚できる意識のことで
す。いろいろな説がありますが、教育的には、小学三、四年生を境に、急速にこの自意識が育
ってきます。つまり自分を客観的に見ることができるようになると同時に、その自分を、自分で
コントロールすることができるようになるわけです。

 幼児期にいろいろな問題ある子どもでも、この自意識をうまく利用すると、それを子ども自ら
の意識で、なおすことができます。言いかえると、それ以前の子どもには、その自意識を期待
しても、無理です。たとえば「静かにしなさい」と親がいくら言っても、子ども自身は、自分ではそ
れがわからないのだから、どうしようもありません。UYさんのケースを順に考えてみましょう。

●小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く子
でした。
●それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
●話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
●真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている態度
には見えません。
●走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないようで
す。
●そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。

 これらの問題点を指摘しても、当然のことですが、満五歳の子どもに、理解できるはずもあり
ません。こういうケースで。「キーキー興奮してはだめ」「こだわっては、だめ」「落ち着いて会話
しなさい」「じっとしていなさい」「しっかりと言葉を話しなさい」と言ったところで、ムダというもので
す。たとえば細かい多動性について、最近では、脳の微細障害説、機能障害説、右脳乱舞
説、ホルモン変調説、脳の仰天説、セロトニン過剰分泌説など、ざっと思い浮かんだものだけ
でも、いろいろあります。されにさらに環境的な要因、たとえば下の子が生まれたことによる、
赤ちゃんがえり、欲求不満、かんしゃく発作などもからんでいるかもしれません。またUYさんの
メールによると、かなり神経質な子育てが日常化していたようで、それによる過干渉、過関心、
心配先行型の子育てなども影響しているかもしれません。こうして考え出したら、それこそ数か
ぎりなく、話が出てきてしまいます。

 では、どうするか? 原因はどうであれ、今の症状がどうであれ、今の段階では、「なおそう」
とか、「あれが問題」「これが問題」と考えるのではなく、あくまでも幼児期によく見られる一過性
の問題ととらえ、あまり深刻にならないようにしたらよいと思います。むしろ問題は、そのことで
はなく、この時期、親が子どものある部分の問題を、拡大視することによって、子どものほかの
よい面をつぶしてしまうことです。とくに「あれがダメ」「これがダメ」という指導が日常化します
と、子どもは、自信をなくしてしまいます。生きザマそのものが、マイナス型になることもありま
す。

 私も幼児を三五年もみてきました。若いころは、こうした問題のある子どもを、何とかなおして
やろうと、四苦八苦したものです。しかしそうして苦労したところで、意味はないのですね。子ど
もというのは、時期がくれば、何ごともなかったかのように、自然になおっていく。UYさんのお子
さんについても、お子さんの自意識が育ってくる、小学三、四年生を境に、症状は急速に収ま
ってくるものと思われます。自分で判断して、自分の言動をコントロールするようになるからで
す。「こういうことをすれば、みんなに嫌われる」「みんなに迷惑をかける」、あるいは「もっとかっ
こよくしたい」「みんなに認められたい」と。

 ですから、ここはあせらず、言うべきことは言いながらも、今の状態を今以上悪くしないことだ
けを考えながら、その時期を待たれたらどうでしょうか。すでにUYさんは、UYさんができること
を、すべてなさっておられます。母親としては、満点です。どうか自信をもってください。私のHP
を読んでくださったということだけでも、UYさんは、すばらしい母親です。(保証します!)ただも
う一つ注意してみたらよいと思うのは、たとえばテレビやテレビゲームに夢中になっているよう
なら、少し遠ざけたほうがよいと思います。このメールの終わりに、私が最近書いた原稿(中日
新聞発表済み)を、張りつけておきます。どうか参考にしてください。

 で、今度はUYさん自身へのアドバイスですが、どうか自分を責めないでください。「過関心で
はないか?」「過干渉ではないか?」と。

 そういうふうに悩むこと自体、すでにUYさんは、過関心ママでも、過干渉ママでもありませ
ん。この問題だけは、それに気づくだけで、すでにほとんど解決したとみます。ほとんどの人
は、それに気づかないまま、むしろ「私はふつうだ」と思い込んで、一方で、過関心や過干渉を
繰りかえします。UYさんにあえていうなら、子育てに疲れて、やや育児ノイローゼ気味なのかも
しれません。ご主人の協力は得られませんか? 少し子育てを分担してもらったほうがよいか
もしれません。

 最後に「そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテー
ブルをゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な動作
はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中させて動
く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか」という部分についてですが、こ
う考えてみてください。

 私の経験では、症状的には、小学一年生ぐらいをピークにして、そのあと急速に収まってい
きます。そういう点では、これから先、体力がつき、行動半径も広くなってきますから、見た目に
は、症状ははげしくなるかもしれません。UYさんが悩まれるお気持ちはよくわかりますが、一
方で、UYさんの力ではどうにもならない部分の問題であることも事実です。ですから、愛情の
糸だけは切らないようにして、言うべきことは言い、あとはあきらめます。コツは、完ぺきな子ど
もを求めないこと。満点の子どもを求めないこと。ここで愛情の糸を切らないというのは、子ど
もの側から見て、「切られた」と思わせいないことです。それを感じると、今度は、子どもの心そ
のものが、ゆがんでしまいます。が、それでも暴れたら……。私のばあいは、教室の生徒がそ
ういう症状を見せたら、抱き込んでしまいます。叱ったり、威圧感を与えたり、あるいは恐怖心
を与えてはいけません。あくまでも愛情を基本に指導します。それだけを忘れなければ、あとは
何をしてもよいのです。あまり神経質にならず、気楽に構えてください。

 約束します。UYさんの問題は、お子さんが小学三、四年生になるころには、消えています。
ウソだと思うなら、このメールをコピーして、アルバムか何かにはさんでおいてください。そし
て、四、五年後に読み返してみてください。「林の言うとおりだった」と、そのときわかってくださ
ると確信しています。もっとも、それまでの間に、いろいろあるでしょうが、そこは、クレヨンしん
ちゃんの母親(みさえさん)の心意気でがんばってください。コミックにVOL1〜10くらいを一
度、読まれるといいですよ。テレビのアニメは、コミックにくらべると、作為的です。

 また何かあればメールをください。なおこのメールは、小生のマガジンの2−25号に掲載し
ますが、どうかお許しください。転載の許可など、お願いします。ご都合の悪い点があれば、至
急、お知らせください。
(030217)

※……これに対して、「自己意識」「感覚運動的意識」「生物的意識」の三つに分けて考える考
え方もある。「感覚的運動意識」というのは、見たり聞いたりする意識のこと。「生物的意識」と
いうのは、生物としての意識をいう。いわゆる「気を失う」というのは、生物的意識がなくなった
状態をいう。このうち自己意識があるのは、人間だけと言われている。この自己意識は、四歳
くらいから芽生え始め、三〇歳くらいで完成するといわれている(静岡大学・郷式徹助教授「フ
ァミリス」03・3月号)。

++++++++++++++++++++++

子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、あ
あ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポ
ンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよ
う。動作も一貫性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突
然神妙な顔をして、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。
その間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こち
らの頭のほうがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、症状が
急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。三〇年前に
はこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ一〇年、急速にふえた。小一児で、一〇人
に二人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに
数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑
えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答え
た先生が、六六%もいる(九八年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。「指導の疲れから、病
欠、休職している同僚がいるか」という質問については、一五%が、「一名以上いる」と回答し
ている。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、九
〇%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(七五%)、「友だちをたたく」
(六六%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(六六%)、「配布物を破ったり捨てたり
する」(五二%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが
最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使う人もい
る。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの
教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。

日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を
感ずる」というのが、二〇%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」
(一四%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(一〇%)と続く。そしてそ
の結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、八%、「かなり感ずる」「やや感ず
る」という先生が、六〇%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲー
ムをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊
家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子ど
もが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、
アメリカでも起きている。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期
に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。「テレ
ビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もしません
でした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎ
る。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎ
る。

●ゲームは右脳ばかり刺激する
 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりや
すく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。その
証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができ
ない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚
が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろいが、直
感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつか
さどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こ
うした今まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えている
ことはじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということにな
る。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊を
あげる。

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】雑感・雑談∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

男はロマンティスト

 恩師のT教授の奥さんがなくなって、もう二〇年以上になる。このところときどきその奥さんに
ついて、T教授がこう書いてくる。「あの世へ行ったら、ながく待たせたねと言って、妻に謝りま
す」と。そのメールを読んで、ジーンときた。

 しかし、だ。私のワイフにこの話をすると、こう言った。「本当に待っていてくれるかしら。私な
ら、向こう(天国)で、再婚してるわ」と。「どういうことだ?」と聞くと、「だから男はおめでたいの
よ」と。

 ワイフの説によると、こうだ。女性というのは、男性が考えているほど、ロマンティストではな
い。だから二〇年もほうっておかれたら、再婚する、と。「男っておめでたいから、きっと待って
いてくれると思っているのね。しかし女にも女の立場があるのよ。二〇年も待っているわけない
でしょ」と。

 この話には、少しショックを受けた。もしこんな話をT教授に話したら、T教授は、もっとショック
を受けるかもしれない。T教授は、あの世で奥さんに会うのを、何よりも楽しみにしている。先日
の返事でも、私はこう書いた。「きっと奥さんが、金の橋の向こうで待っていてくれますよ。お楽
しみに!」と。

 しかしワイフの言うことにも一利ある。男は別れた女性のことを、いつまでも思っている。しか
し女性のほうは、そうでない。別れたとたん、その男性のことを忘れる。(これはあくまでも、ワ
イフの説だが……。)「別れたあとも、男って、女も自分のことをずっと思っていてくれると思うも
のらしいわね。でも、そんなこと、ないわ」と。

 そこで私は恐る恐る、こう聞いた。「もしお前が先に死んだら、向こうで、再婚するか?」と。す
るとワイフは、「そうね、するかもね。しかしもう結婚はめんどうだから、いや」と。そこで「じゃ
あ、お前は先に死んでも、待っていてくれないのか」と聞くと、少し迷ったあと、「さあねえ、待っ
てるでしょうね」と。何とも冷たいワイフではないか。「ぼくなら待っているぞ」と言うと、「そうね
え、あんたなら待ってるでしょうね」と。

 そのうち霊界インターネットというのも、できるかもしれない。霊界と、この世をつなぐインター
ネットだ。いや、もう気のはやいカルト教団の連中なら、考えているかもしれない。カルトの世界
にも、ハイテクがどんどん入り込んでいる。クローン人間やUFOを、教団の教えにおいている
カルト教団すら、ある。しかし本当に霊界とつながったら、おもしろい。

「ええ、奥さんですか?」
「はい、そうです」
「先生がさみしがっていますから、会いにきてあげてくださいな」
「はあ、もうこちらで再婚しましたから……」
「ええっ! 再婚なさったのですか?」
「そうですよ。あんな気難しいダンナなんて、こりごり」と。

 しかし方法がないわけではない。生前のデータをすべて、どこかにプールしておく。そしてそ
の人が死んだあと、そのデータにインターネットでアクセスする。そして相手の質問に応じて、コ
ンピュータが予想される会話を合成し、答える。そういうことができるようになれば、あたかも霊
界とインターネットしているかのような感じになる。

「もうそろそろ、私も死ぬからな」
「そうね、早くいらっしゃいよ。こちらは楽しいわよ」
「そうか。もうお前が死んでどれくらになるかねえ」
「一六七二日と一四時間三四秒よ」
「もうそんなになるのか?」
「そうよ。あんたも年をとったわねえ」
「うん、もうすぐ八〇歳だ」と。

 こういうことを想像するのも、私という男がロマンティストのせいかもしれない。現実はもっと、
シビア。そうそうこのエッセーを、恩師に送ろうかと思ったが、やめた。先にも書いたように、こ
んなエッセーを読んだら、恩師はショックを受けることだろう。純朴な先生だからこそ、ここはそ
っとしておいてやる。
(030217)※

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


雨の日曜日

 コタツに入っていたら、いつの間にか居眠り。外は雨。昼なのに、夕方のよう。鉛色の空、す
べてが元気なく、暗く沈んでいる。何かをしなければならないと思いつつ、しかしやることもな
い。

昨日読んだ、心理学の本が気になる。その中に、夢判断のことが書いてあった。夢の内容に
よって、その人の心の中の状態がわかるという。空を飛ぶ夢。列車やバスに乗る夢など。実
は、私はその両方の夢をときどき見る。

 私はたいてい見知らぬ土地にいる。そしてどこかの旅館に泊まっている。が、朝になる。そこ
で電車かバスに乗ろうとする。しかしまだ私はそのあたりをウロウロしている。時間だけが過ぎ
ていく。「早く乗らねば、乗り遅れてしまう」と、ハラハラとあせる。たいていそんなところで目がさ
める。

 こういうのを悪夢という。いやな夢だ。こういう夢で、列車やバスは、「死」を意味するのだそう
だ。その本にはそう書いてあった。つまり乗ってしまえば楽になると考えるのは、死への旅立ち
を意味するのだ、と。

 私がよく旅行している夢を見るのは、私の人生そのものが、旅行のようなものだからではな
いのか。この土地に住んで三〇年以上になるが、いまだに、どこか落ち着かない。この家にし
ても、仮の住まいという感じが、どうしてもぬぐいきれない。

 つぎに夢を見ながらハラハラするのは、今に始まったことではない。若いころは、学校の夢を
よく見た。テスト会場でテストを受けているのだが、時間がなくハラハラする。あるいはどこかの
会場に向かうのだが、その会場がどこかわからず、ハラハラする、など。今は、それが列車や
バスに置きかわった?

 つまりそういう夢を見るときというのは、精神状態がかなり不安定になっているときとみてよ
い。何か心配ごとがあり、それがつづいたようなとき、そういう夢を見る。ただこのところ、同時
に、夢の中で居なおることも多くなった。「乗り遅れてやれ」と、自分から乗り遅れることもある。
「乗り遅れても、どういうことはない」と、自分に言って聞かせることもある。空を飛ぶ夢にして
も、山の上から飛びおりることもある。心のどこかで、「ああ、これは夢だ」とわかるときもある。
そういうときは、思う存分、空の散歩を楽しむ。

 しかし私にとって夢というのは、リアルな映画のようなもの。ときどき寝る前に、「今夜はどん
な夢を見るのだろう」と楽しみにすることがある。おかげで本当にこわい夢というのは、あまり
見ない。子どものころは、ロボットに追いかけられたというような夢を見たが、最近は見ない。
反対に、空にUFOが飛んできて、それをみんなで見あげるというような夢はよく見る。今も、居
眠りをして何かの夢を見た。少し前まで内容を覚えていたが、今は忘れてしまった。

 何だったのかなあと思いつつ、外の庭を見ると、雨がやんだようだ。心もち空が明るくなった
ような気がする。キーウィの棚からいくつかの水滴が、白く輝きながら、たれさがっている。そう
いえば先ほど見ていた夢は、どこかの温泉に入っている夢だった。コタツに入ったまま居眠り
すると、よく温泉に入っている夢を見る。なぜそういう夢を見るか? その理由など、改めて、こ
こに書くまでもない。
(030216)

     ⌒⌒⌒⌒
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    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \   みなさんのご家庭で、このマガジンが役だって
 ゜\/│ // │ / /    いますか?
   Γ ̄ ̄│──|○   何かテーマがあれば、掲示板にでもお書きください。

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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
二種類の代償的愛

 子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしたいという、親のエゴに基づいた愛
を、代償的愛という。子どもを、自分の不安や心配を解消するために利用する。自分の果たせ
なかった夢を実現させるための道具に使うこともある。いわば愛もどきの愛。自分勝手な愛。
子どもの受験勉強に狂奔する親もその一つ。「子どものため」を言いながら、結局は、自分の
不安を解消するためにそうしている。

 この代償的愛には、二種類ある。一つは攻撃的に、子どもを支配するという代償的愛。私は
『攻撃型代償的愛』と呼んでいる。「子どものことは私が一番よく知っている」という過信のもと、
何かにつけて命令口調になるのが特徴。

 もう一つは、子どもに同情させ、その同情心を利用して、結果的に子どもの心を支配するとい
う代償的愛。私は『依存型代償的愛』と呼んでいる。涙ぐましいほどまでに、「いい親」を演じな
がら、子どもにそう思わせるのが特徴。

 親によっては、こうした二種類の代償的愛を、子どもによって使い分けることがある。たとえ
ば長男には攻撃型代償的愛を、二男には依存型代償的愛を、というように。さらに、年齢に応
じて、変化することもある。若いときは、攻撃型代償的愛を繰り返し、老年になると、依存型代
償的愛を繰り返すようになるなど。

もともとこのタイプの親は、自立できない、依存性の強い親とみてよい。あるいは真の親の愛
にめざめることができない、未熟な親とみてよい。そういう自分の心のスキマを埋めるために、
子どもを利用する。原因はいろいろあるが、その人自身の精神的未完成さが原因になってい
ることが多い。

 Tさん(八〇歳女性)は、長男(五五歳)には、攻撃型代償的愛を、二男(五〇歳)には、依存
型代償的愛を繰り返していた。一見すると、まったく異なった接し方に見えるが、「代償的愛」と
いう点で、共通している。

 まず長男については、その結婚に、ことごとく反対してきた。「へんな嫁をもらうと、財産が食
いつぶされる」というのが、その理由だった。長男は、どこかいつも病気がちで、ハキのない男
だった。二人の関係を近くで見たことがある人は、こう言った。「まるで主人と奴隷の関係のよ
うだった」と。Tさんは、小さな荷物ですら、決して自分ではもたなかった。すべて長男にさせて
いたという。

 一方、二男については、こんなことがあった。二男が結婚すると報告したとき、Tさんは、「悔
しくて、悔しくて、一晩中、泣き明かした」という。恐らく息子を取られたという悔しさで、そうした
のであろう。こうした感覚は、そうでない人には理解できないものかもしれない。Tさんは、今で
もこう言っている。「息子なんて、育てるもんじゃ、ないですね。親なんて、さみしいもんですわ。
息子は横浜の嫁に取られてしまいました」と。

 こうした代償的愛は、決して、「愛」ではない。Tさんについても、Tさんは口ぐせのように、「子
どもはかわいい」と言っているが、それは自分をなぐさめる道具として、そう言っているに過ぎな
い。だから子どもが自分から離れていくのを許さない。Tさんにしても、昔からの茶碗屋を経営
しているが、長男には、給料すら渡したことがない。「私が管理していたほうが安全だ」「息子に
渡すと、パチンコ代に消えてしまう」と。一方、二男からは、そのつど、お金を取りあげていた。
実は、その取りあげ方が、たくみである。

 Tさんは、二男の前では、頼りない、細々とした言い方をする。電話などでは、今にも死にそう
な声で話す。つまりそういう話し方をしながら、まず自分に同情を寄せる。

T「母さんは、夜なべをして、手袋、編んであげたよ」
子「ありがとう、お母さん」
T「いいんだよ。父さんは、土間でわらうち仕事をしているからね」
子「ありがとう、お母さん」
T「心配しなくていいよ。あかぎれがひどいときには、生ミソすりこんでいるからね」
子「痛くないの?」
T「いんだよ、いいんだよ。根雪も溶ければ、畑仕事も待っているからね」と。
子「生活費はあるのか?」
T「心配しなくてもいいよ。母さんは、何とかやっていくからね……」と。

 このタイプの母親は、子どもに心配をかけることにより、つまり子どもの同情心をたくみに引
き出すことにより、子どもを自分の支配下に置こうとする。そして結果として、子どもを、自分の
思いどおりにコントロールする。いたたまれなくなって二男がお金を送ると、「大切に使わせても
らうよ」などと言ったりする。「あなたのかわりに、先祖様を守ってあげるからね」と言うこともあ
る。

 子どもに対してだけではない。周囲の親戚や、近所の人たちにも、同じように行動する。だか
ら、このタイプの人は、周囲の人たちには、すばらしい人という印象を与えることが多い。Tさん
も、近所では、「仏様」と呼ばれている。何一〇年もかけて、そういう技術をみがいた?

 さて、問題は私たち。私たちはどうか? 代償的愛でもって、子どもを愛していると錯覚してい
ないだろうか。あるいはときに攻撃的になったり、依存的になったりしていないだろうか。あなた
自身の「愛」を一度、ここで確かめてみるとおもしろい。
(030217)

【追記】
 親の代償的愛を受けた子どもは、どうなるかという問題がある。すべての溺愛が、代償的愛
とは言えないが、溺愛は、この代償的愛に似ている。多くの部分で重なっている。で、子どもは
子どもで、こうした親の代償的愛に気づくとことは、まずない。むしろ、自分は親の深い愛に包
まれていたと錯覚することが多い。たとえばマザコンタイプの男性。

 このタイプの男性は、親にベタベタ甘え、そして親孝行を最高の美徳と位置づける。そのため
親を、絶対視し、「私の親はすばらしい親だ。だから尽くすのは当然」というような考え方で、自
分のマザコン性を正当化する。だれかが親の悪口を言おうものなら、それに猛然と反発したり
する。たとえ妻(嫁)でも、それを許さない。最近も、私の近辺で離婚した女性がいる。その女性
の元夫もそうだった。しかしこのタイプの男性は、「母親か妻か、どちらを選べ」と迫られると、
母親を選ぶ。そして離婚して出ていく妻に対しては、「できの悪い嫁だったからしかたない」と考
える。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩












件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■2-27-2

【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

学習塾、どん底の時代

●変わる親の意識

 数年前から、学習塾(いわゆる受験目的とした進学塾)に、大きな変化が現れている。一九
九五〜七年前後を境に、都会における学習塾数、講師数は、ともに減少に転じたが、それが
このところ、さらに拍車がかかってきた。

国民生活金融公庫が行った調査によれば、つぎのような結果が出た。 

学習塾や英会話学校など学校外の教育を受講している子どもの割合が今年度は21.3%と
なり、昨年度に比べ4.6ポイント減ったという。その理由としては、

「必要性を感じない」が34.2%、
「費用の負担が重い」が28.2%、
「子どもが希望していない」が25.4%となっている。

 特に高校生を持つ家庭では半数近い45.2%が「費用負担の重さ」をあげており、デフレ不
況で親の給料が削減される中、そのしわ寄せが子どもの教育費に影響している現状が、これ
でよくわかる(TBS報道)。

●きびしさは、どこも同じ

 もちろんこうしたきびしさは、学習塾だけにかぎらない。日本全体が、そのきびしさの真っ最
中にある。教育機関とて例外ではない。私立幼稚園にしても、少子化の並をもろにかぶってい
る。私立幼稚園の経営ボーダーラインは、二〇〇人(園児数)と言われているが、そのボーダ
ーラインを切る幼稚園が、続出している。

 進学塾にいたっては、さらに深刻である。今では、個人の進学塾で、生き残っている塾はほと
んどないとみてよい。大半がすでに教室を閉じたか、もしくは塾長自身が別の仕事を兼業して
いる。残るは生徒数が三〇〇人以上という、大手、中堅の進学塾だが、こちらのほうも経営は
きびしい。これから数年をかけて、さらに淘汰(とうた)が進むものとみられる。

●本物が生き残る?

 もっともこういう中、しぶとく生き残っている塾もある。このことはもう一〇年近くも前から言わ
れていることだが、「その必要性のある塾は、生き残る」ということ。独自の教材で、独自のカリ
キュラムを組んでいる学習塾は、強い。言いかえると、本物は残るということ。私立幼稚園にし
ても、こういう不況の中、反対に園児数をふやしている幼稚園もある。

 F市のR幼稚園もその一つ。先日園長に会ったら、園長はこう言っていた。「うちだけは、ふえ
ていましてね」と。

 その幼稚園では、給食には、独自の玄米を使っている。はだし教育、裸教育も実践してい
る。それだけではないが、そういう独自の教育観が、親たちの心をとらえたらしい。

●私の教室

もちろん私の教室も、基本的には「塾」であり、こうした影響からは無縁ではない。本当のとこ
ろ、この四月からの新年度は、何とか仕事ができそうだが、来年はどうなるか、わからない。し
かし「おかげで……」というか、「ありがたい……」というか、ほとんどの幼児教室が教室を閉め
た中で、私の教室だけは、生き残っている。理由など、ここに書くまでもない。私を支えてくれる
親たちがいるからだ。が、それ以上に、私を支えてくれる子どもたちがいるからだ。子ども自身
が、親をひっぱってきてくれる。

 私は「子どもは笑えば伸びる」を持論に、「楽しい教室」だけを心がけてきた。そして教材はす
べて手作り。数年分の教材が、長さ、七〜八メートルのロッカーに、ぎっしりと入っている。もち
ろんカリキュラムも、すべて手作り。何年もかけて、親たちと話しあいながら決めてきた。一部
は、学研の「まなぶくん・幼児教室」として、市販化もされた。そういう実績がある。

 が、きびしいことには、変わりない。三〇年以上、いっさいの宣伝もせず、チラシも配らず、口
コミと紹介だけで経営してきた。これらかもその姿勢を守りたいが、実のところいつまでつづくこ
とやらと考えることも多くなった。「やれるだけやってみよう……」とワイフとは話しあっている
が、その気持ちは、この不況下、みな、同じ。どこも、同じ。

 ただここで言えることは、みなさん、それぞれの立場で、がんばりましょうという程度。立場や
仕事は違っても、これからも私たちは生きていくしかない。不況だから、生きるのをやめたとい
うわけには、いかない。そのうち、きっと、また、何かよいことがあるだろう。

 あああ、しかし、こういう話は、いやなもの。だからこの話は、ここまで!
(030218)

●しかし、みんな、もう息切れしてしまっている。「がんばろう」「がんばります」と励ましあっては
いるが、もう、どこをどうがんばればいいのか? このままさらにダラダラと不況がつづくと、そ
のうち貯金も使い果たし、(もう、使い果たしたが……)、体力そのものがなくなってしまう。近所
でも、自分の住んでいる土地や家を投げ売りする人がチラホラと出てきた。「いよいよ末期だ
な」と思ったり、「つぎは私かなあ」と思ったりする。

●ただとても残念なのは、政治家や役人は、まったく別のものさしで、この日本の中で生きてい
るということ。このH市でも、市議会議員の手当てなどは、かえってふえている! 「ムダな建物
は作らないほうがいいのでは?」と言うと、「林さん、公共事業をやめたら、もっと失業者が出ま
すよ」(友人のK氏、H市役所勤務)とのこと。「そうかなあ」と思ったり、「うまいこと言うなあ」と
思ったり……。

●私の近所のX氏は、二四年前に旧国鉄を退職したあと、毎月三〇万円以上の年金で、優雅
な生活(失礼!)をしている。ざっと計算しても、合計一億円になる! 「いいなあ」と思ったり、
「これでいいのかなあ」と思ったり……。たしか旧国鉄の債務だけでも、二〇兆円近くあるので
は? 二〇兆円といえば、全国一〇〇万人の人に、二〇〇〇万円ずつ渡す金額。一〇万人
の人に、二億円ずつ渡す金額。それとも二〇万人の人に、一億円ずつ。こういう計算をする
と、宝クジなど、バカくさくて、買えなくなる。

●正直言って、もう私も疲れた。いえ、生きるのが疲れたというのではなく、こういう問題を考え
るのが、疲れた。「どうでもなれ!」という気持ちが、ここ数年、どんどんと大きくなっている。ワ
イフも口ぐせのようにこう言う。「日本の心配もいいけど、うちの家計も心配してよ」と。ああ、私
の正義感も、風前のともし火!

●だれをうらんでも始まらないが、日本もバブル経済崩壊直後に、さっさと手を打っておけば、
こういうことにはならなかった。ずるずると、その場しのぎなことばかりをしてきたから、こういう
ことになった。いわゆる借金が借金をうみ……というのだ。私の知人なんかは、最初はたった
七五〇万円の借金だったが、二年半後には、それが一億五〇〇〇万円にまでふくらんでい
た。日本の経済も、それと同じことになっている。にもかかわらず、いまだに「道路だ」「建設だ」
なんて言っている政治家を見ると、心底、なさけなくなる。それにしても、IQが低すぎる?

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(615)

子ども大学生、親貧乏盛り

●子どもが大学生になると、ドシリとかかってくるのが
学費。本当に、ドシリと、だ。もしあなたが「何とか
なる」と考えているなら、その考えは、甘い

●警告の意味もこめて、あなたの近未来について(中日新聞掲載済み)

 少子化? 当然だ! 都会へ今、大学生を一人出すと、毎月の仕送りだけで、月平均一一
万七〇〇〇円(九九年東京地区私大教職員組合調べ)。もちろん学費は別。が、それだけで
はすまない。アパートを借りるだけでも、敷金だの礼金だの、あるいは保証金だので、初回に
四〇〜五〇万円はかかる。それに冷蔵庫、洗濯機などなど。パソコンは必需品だし、インター
ネットも常識。…となると、携帯電話のほかに電話も必要。入学式のスーツ一式は、これまた
常識。世間は子どもをもつ親から、一体、いくらふんだくったら気がすむのだ! 

 そんなわけで昔は、「子ども育ち盛り、親、貧乏盛り」と言ったが、今は、「子ども大学生、親、
貧乏盛り」と言う。大学生を二人かかえたら、たいていの家計はパンクする。

 一方、アメリカでもオーストラリアでも、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、さがさなけ
ればならないほど、少ない。たいていは奨学金を得て、大学へ通う。企業も税法上の控除制度
があり、「どうせ税金に取られるなら」と、奨学金をどんどん提供する。しかも、だ。日本の対G
NP比における、国の教育費は、世界と比較してもダントツに少ない。

欧米各国が、七−九%(スウェーデン九・〇、カナダ八・二、アメリカ六・八%)。日本はこの十
年間、毎年四・五%前後で推移している。大学進学率が高いにもかかわらず、対GNP比で少
ないということは、それだけ親の負担が大きいということ。日本政府は、あのN銀行という一銀
行の救済のためだけに、四兆円近い大金を使った。それだけのお金があれば、全国二百万
人の大学生に、一人当たり二百万円ずつの奨学金を渡せる!

 が、日本人はこういう現実を見せつけられても、誰(だれ)も文句を言わない。教育というのは
そういうものだと、思い込まされている。いや、その前に日本人の「お上」への隷属意識は、世
界に名だたるもの。戦国時代の昔から、そういう意識を徹底的に叩(たた)き込まれている。い
まだに封建時代の圧制暴君たちが、美化され、大河ドラマとして放映されている!日本人のこ
の後進性は、一体どこからくるのか。親は親で、教育といいながら、その教育を、あくまでも個
人的利益の追求の場と位置づけている。

 世間は世間で、「あなたの子どもが得をするのだから、その負担はあなたがすべきだ」と考え
ている。だから隣人が子どもの学費で四苦八苦していても、誰も同情しない。こういう冷淡さが
積もりに積もって、その負担は結局は、子どもをもつ親のところに集中する。

 日本の教育制度は、欧米に比べて、三十年はおくれている。その意識となると、五十年はお
くれている。かつてジョン・レノンが来日したとき、彼はこう言った。「こんなところで、子どもを育
てたくない!」と。「こんなところ」というのは、この日本のことをいう。彼には彼なりの思いがい
ろいろあって、そう言ったのだろう。が、それからほぼ三十年。この状態はいまだに変わってい
ない。もしジョン・レノンが生きていたら、きっとこう叫ぶに違いない。「こんなところで、孫を育て
たくない」と。

 私も三人の子どもをもっているが、そのまた子ども、つまりこれから生まれてくるであろう孫の
ことを思うと、気が重くなる。日本の少子化は、あくまでもその結果でしかない。

++++++++++++++++++++++++

●では、私たちは、やがてやってくるこういう
現実を前にして、どう対処したらよいだろう
か?
その前に、こんな深刻な話もある。

++++++++++++++++++++++++

●三つの失敗

 子育てには失敗はつきものとは言うが、その中でもこんな失敗。

ある母親が娘(高校一年)にこう言ったときのこと。その娘はこのところ、何かにつけて母親を
無視するようになった。「あんたはだれのおかげでピアノがひけるようになったか、それがわか
っているの? お母さんが、毎週高い月謝を払って、ピアノ教室へ連れていってあげたからでし
ょ。それがわかっているの!」と。それに答えてその娘はこう叫んだ。「いつ、だれがあんたに
そんなことをしてくれと頼んだ!」と。これが失敗、その一。

 父親がリストラで仕事をなくし、ついで始めた事業も失敗。そこで高校三年生になった娘に、
父親が大学への進学をあきらめてほしいと言ったときのこと。その娘はこう言った。「こうなった
のは、あんたの責任だから、借金でも何でもして、私の学費を用意してよ! 私を大学へやる
のは、あんたの役目でしょ」と。そこで私に相談があったので、その娘を私の家に呼んだ。呼ん
で、「お父さんのことをわかってあげようよ」と言うと、その娘はこう言った。「私は小さいときか
ら、さんざん勉強しろ、勉強しろと言われつづけてきた。中学生になったときも、行きたくもない
のに、進学塾へ入れさせられた。そして点数は何点だった、偏差値はどうだった、順位はどう
だったとそんなことばかり。この状態は高校へ入ってからも変わらなかった。その私に、『もう勉
強しなくていい』って、どういうこと。そんなことを言うの許されるの!」と。これが失敗、その二。

 Yさん(女性四〇歳)には夢があった。長い間看護婦をしていたこともあり、息子を医者にする
のが、夢であり、子育ての目標だった。そこで息子が小さいときから、しっかりとした設計図を
もち、子どもの勉強を考えてきた。が、決して楽な道ではなかった。Yさんにしてみれば、明けて
も暮れても息子の勉強のことばかり。ときには、「勉強しろ」「うるさい」の取っ組みあいもしたと
いう。が、やがて親子の間には会話がなくなった。しかしそういう状態になりながらも、Yさんは
息子に勉強を強いた。あとになってYさんはこう言う。「息子に嫌われているという思いはどこか
にありましたが、無事、目標の高校へ入ってくれれば、それで息子も私を許してくれると思って
いました」と。で、何とか息子は目的の進学高校に入った。しかしそこでバーントアウト。燃え尽
きてしまった。何とか学校へは行くものの、毎日ただぼんやりとした様子で過ごすだけ。私に
「家庭教師でも何でもしてほしい。このままでは大学へ行けなくなってしまう」と母親は泣いて頼
んだが、程度ですめばまだよいほうだ。これが失敗、その三.

 こうした失敗は、失敗してみて、それが失敗だったと気づく。その前の段階で、その失敗、あ
るいは自分が失敗しつつあると気づく親は、まずいない。

++++++++++++++++++++++++

否定的なことばかり書いたが、どこか否定的に
ならざるをえないほど、今の日本の教育はおか
しい。なぜか?

ひとつには、親たちの無責任な姿勢がある。だ
れもそのときは、大きく問題にする。しかし自
分の子どもが、その時期を過ぎると、みな、そ
の問題から遠ざかってしまう。「もう終わりまし
たから」と。

教育の問題は、一過性の問題にすぎないという
わけである。だから問題だけが山積みされ、あ
とへあとへと順に先送りされる。

では、どうするか?

私たちは、前もって、こうした問題をどうする
かを考えなければならない。しかしこれについ
ても問題がないわけではない。

親たちは日々の子育てに追われるあまり、先の
ことを考える余裕がない。「日本の教育改革も大
切だが、うちの子が、大学へ無事へ入れるかどう
かのほうが、問題」と。

しかし心の準備だけはしておいたほうがよい。こ
こに書いたことは、決して、あなたの子育てとは
無縁ではないはず。あるいは今、あなた自身の問
題かもしれない。

子どもが大学生になると、本当に家計はきびしい。
しかしそのきびしさの中でも、親子がわかりあい、
励ましあい、そして尊敬しあうなら、親も救われ
る。やりがい、生きがいもそこから生まれる。苦
しい仕事をしながらも、まだ楽しい。

結局は、今からそういう親子関係をめざすという
こと。それが、この問題の解決策になるのでは?

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

金XXと、私

 独裁者の金XXと、私は、どこかどう違うか? あるいは金XXと、あなたはどこがどう違うか?
 私は、それほど違わないのではないかと思う。もし金XXが、ピョンヤンの工場で修理工をして
いたら、彼は修理工になっていたと思う。一方、私が金XXの立場にいたら、私がその独裁者に
なっていたかもしれない。最近、こんなことを考える。

 先日も、道路で、無謀な運転をしている女性にでくわした。かなりあぶなかった。私が「あぶな
い!」と叫んだときには、その車は、もう別の車線に入って、走り去るところだった。そのときの
こと。もし私が金XXだったら、即座にその女性を逮捕。裁判なしで、収容所送り。そう考えた。
瞬間だったが、それくらい頭にきた。

 が、現実の私には、そんな力はない。ないから、その車を見送りながら、ブツブツとものを考
えるしかなかった。実は、こうした違いが、金XXと私の違いでもある。

 私たち庶民は、日常の生活の中で、かなりの部分、がまんして生きている。言いたいことも言
わず、したいこともしないで、生きている。他人に迷惑をかけられたり、あるいはバカにされな
がら生きている。こうした部分があるから、私は私でいられる。

 しかし金XXは、そうではない。金王朝と呼ばれていることからもわかるように、まさに王様。キ
ング。恐らく彼の周囲の取り巻きたちは、ピリピリと神経をとがらせて、彼に仕えているに違い
ない。聞くところによると、テレビのアナウンサーが、少し言い方をまちがえただけで、収容所
へ送られたこともあるという。それこそ金XXの機嫌をそこねたら、死刑になるかもしれない。

 そんな生活の中で、自分を保つのは、容易ではない。私などは単純だから、数日間、だれか
にチヤホヤされただけで、自分を見失ってしまう。そういう状態が、ずっと続いたら、もっと見失
ってしまう。(すでに自分を見失っているかもしれないが……。)

 そういう人間の「弱さ」は、(弱点と言ってもよいだろうが……)、だれも、もっている。私も、も
っている。あなたも、もっている。問題は、もっていることではなく、どうすれば、そういう弱さを
克服し、自分を保つことができるかということ。私はやはり、そのためには、いつも自分を原点
に置くということが大切だと思う。「原点」というのは、「最底辺」ということ。わかりやすく言えば、
ボトム(底)。

 地位や肩書き、名誉や財産のない世界に自分を置き、そこから「上」を見ながら、生きる。そ
ういう世界にいると、人に迷惑をかけられることはあっても、かけることはない。バカにされるこ
とはあっても、バカにすることはない。そういう世界で日常的に耐えることで、自分の中の傲慢
(ごうまん)さを、つぶすことができる。

 つい先日も、日本でもその道の第一人者といわれる、哲学者と呼ばれる人と、いっしょに食
事をした。有名大学の学長まで勤めた人である。しかし彼は、私が無肩書きの人間であること
を知ると、手のひらを返すように、態度を変えた。それがおもしろいほど露骨だったので、「あ
あ、この人は、この程度の人なんだな」と思った。と、同時に、世間からチヤホヤされるうちに、
自分を見失ってしまったのではないかと思った。そういう人は、いくらでもいる。

 ……と考えて、では、私はだいじょうぶかというと、そうでもない。私のばあい、このところ、何
かにつけて、世間を逆(さか)うらみする傾向が強くなった。ものの考え方が、ひねくれてきた。
そういう私を知って、恩師のT先生は、いつもこう言う。「林君は、何が不満なのですか。この国
は、いい国ではありませんか」と。この逆うらみの裏にあるものは何かといえば、それは、結局
は、「傲慢」そのものということになる。

 傲慢なのだが、その傲慢が、通らないから、逆うらみする? もし私のような人間が、金XXの
ような立場に立ったら、こう言うかもしれない。「私の本を買って、読め。読まないヤツは、収容
所送りだ」「私の意見を聞け。反発するヤツは、収容所送りだ」「私の意見を尊重しろ。無視し
たヤツは、収容所送りだ」と。

 事実、本当にそういうことができたら、痛快だろうなと思う。それこそ水戸黄門の三つ葉葵の
紋章のようなものだ。紋章を見せただけで、みなは、ハハーと頭をさげる。

 だから私はこう結論づける。独裁者の金XXと、私は、どこも違わない、と。ひょっとしたら、あ
なたとも違わない。なぜなら、私たちは、みな、同じ人間だから、だ。
(030218)

    ┌┐
    │ト
    ≧≦ ∪          z
   ━━━━━━        z
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■2-27-1

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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 630人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
☆===================☆==================

★★★★★★★★★★★★★★
03−2−27号(186)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 日記を読んでいただけます!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 電話054−246−6136
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
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ブロードバンドをお楽しみのみなさんへ、
「はやし浩司のホームページ」に新しく動画コーナーをつくりました。私の生の声などを収録しま
した。どうかおいでください。サイト・トップページより、どうぞ!
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と読みやすくなります。お試しください。毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご
利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )        今日のメニュー
   γ ρρ   │σ σ ρ )        【1】子育てポイント 
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )        【2】雑談・雑感
   人   υ ( `) (  )         【3】子育てエッセー
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)          【4】フォーラム
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ほら、英語教室、ほら、算数教室!
知識と「考えること(思考)」は別(失敗危険度★★)1286

●知識と思考は別
 たいていの親は、知識と思考を混同している。「よく知っている」ことを、「頭のよい子」イコー
ル、「よくできる子」と考える。しかしこれは誤解。まったくの誤解。たとえば幼稚園児でも、掛け
算の九九をペラペラと言う子どもがいる。しかしそういう子どもを、「頭のよい子」とは言わな
い。「算数がよくできる子」とも言わない。中には、全国の列車の時刻表を暗記している子ども
もいる。音楽の最初の一章節を聞いただけで、曲名をあてたり、車の一部を見ただけで、メー
カーと車種をあてる子どももいる。しかし教育の世界では、そういうのは能力とは言わない。「こ
だわり」とみる。たとえば自閉症の子どもがいる。このタイプの子どもは、こうしたこだわりをも
つことが知られている。

●考えることは苦痛
 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、考えること自体
を避けようとする。あるいは考えること自体から逃げようとする。一つの例だが、夜のテレビを
にぎわすバラエティ番組がある。ああいった番組の中では、見るからに軽薄そうなタレントが、
思いついたままをベラベラというより、ギャーギャーと言いながら騒いでいる。彼らはほとんど、
自分では何も考えていない。脳の、表層部分に飛来する情報を、そのつど適当に加工して言
葉にしているだけ。つまり頭の中はカラッポ。

●考えることを奪う教育
 パスカルは「パンセ」の中で、『人間は考えるアシである』と書いている。この文を読んで、「あ
ら、私もアシ?」と言った女子高校生がいた。しかし先にも書いたように、「考える」ということ
は、もっと別のこと。たとえば私はこうして文章を書いているが、数時間も書いて、その中に、
「思考」らしきものを見つけるのは、本当にマレなことだ。(これは多分に私の能力の限界かも
しれないが……。)つまり考えるということは、それほどたいへんなことで、決して簡単なことで
はない。そんなわけで残念だが、その女子高校生は、そのアシですら、ない。彼女もまた、ただ
思いついたことをペラペラと口にしているだけ。

 多くの親は、「ほら、英語教室」「ほら、算数教室」と子どもに知識をつけさせることを、教育と
思い込んでいる。しかし教育とはもっと別のこと。むしろこういう教育観(?)は子どもから「考え
る」という習慣をうばってしまう。そのほうがはるかに損なことだと私は思うのだが……。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

うちの子は頭がいい?
計算力は早数えで(失敗危険度★★)

●計算力は早数えで決まる
 計算力は、早数えで決まる。たとえば子ども(幼児)の前で手をパンパンと叩いてみる。早く数
えることができる子どもは、五秒前後の間に、二〇回前後の音を数えることができる。そうでな
い子どもは、「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」と数えるため、どうしても遅くなる。

●訓練で早くなる
 そこで子どもが一〜三〇前後まで数えられるようになったら、早数えの練習をするとよい。最
初は、「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」でも、少し練習すると、「イチ、ニ、サン……」になり、さらに
「イ、ニ、サ……」となる。さらに練習すると、ものを「ピッ、ピッ、ピッ……」と、信号にかえて数え
ることができるようになる。これを数の信号化という。こうなると、五秒足らずの間に、二〇個く
らいのものを、瞬時に数えることができるようになる。そしてこの力が、やがて、計算力の基礎
となる。たとえば、「3+2」というとき、頭の中で、「ピッ、ピッ、ピッ、と、ピッ、ピッで、5」と計算
するなど。

 要するに計算力は、訓練でいくらでも早くなるということ。言いかえると、もし「うちの子は計算
が遅い」と感じたら、計算ドリルをさせるよりも先に、一度、早数えの練習をしてみるとよい。た
だし一言。

●算数の力は別
 計算力と算数の力は別物である。よく誤解されるが、計算力があるからといって、算数の力
があるということにはならない。たとえば小学一年生でも、神業にように早く、難しい足し算や引
き算をする子どもがいる。親は「うちの子は頭がいい」と喜ぶが、(喜んで悪いというのではな
い)、それは少し待ってほしい。計算力は訓練で伸びるが、算数の力を伸ばすのはそんな簡単
なことではない。子どもというのは、「取った、取られた」「ふえた、減った」「多い、少ない」「得を
した、損をした」という日常的な経験を通して、算数の力を養う。またそういう刺激が、子どもを
して、算数ができる子どもにする。そういう日常的な経験も大切にする。

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】雑感・雑談∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

雑感

 数年前の夏、一人の女性が亡くなった。享年、八五歳だった。ときどき私の家の前まで散歩
でやってきた。そのため顔を合わせると、よく立ち話をした。

 その女性は、五、六年前までは、つえをついていた。しかしなくなる前は、小さな乳母車を引
いていた。ころぶからいけないからということだった。ふくよかな、やさしい顔をしていた。話し方
もおだやかで、静かだった。私はその女性から、よくこのあたりに伝わる昔話を聞いた。

 が、その女性は、ある日倒れ、そのまま昏睡状態になってしまった。病院には、四か月ほど
いただろうか。一度見舞いに行きたいと、家人に話し出たが、「来ていただいても、本人は何も
わかりませんから」と、断られてしまった。見舞いの品だけ、家人に渡した。

 それからしばらくしてから、つまりその女性がなくなってしばらくしてから、別の男の人(六〇歳
くらい)と、こんな話をした。その人は、その女性を、昔からよく知っている人だった。

私「あの方は、本当にいい人でしたね」
男「はあ、いい人? あの人がですか?」
私「そうです。いい人でしたね」
男「林さん、それはどうですかねえ……」
私「どういうことですか?」
男「いいや、若いころは、あの人は、きつい人でしたよ」
私「えええ? 本当ですか?」と。

 このあたりで「きつい人」というのは、「こわい人」「きびしい人」という意味である。ふつう、相
手を非難するときに使う。決して、ほめるときには、使わない。

 この話はそれで忘れたが、さらにそれからしばらくしてから、私はその女性と昔、職場がいっ
しょだったという女性(七〇歳くらい)と知りあいになった。そして同じような話になった。

私「あの方は、きつい人だったと言う人もいますが……」
女「そうですねえ。本当にこわい人でした」
私「こわい……?」
女「みんな、あの人にビクビクしていましたよ」
私「ビクビク……ですか?」
女「みんなを、とことんいびりましたからね」
私「いびった……?」

 話せば長くなるが、その女性は、退職するまでずっと、縫製工場で働いていた。その職場で
は最長老で、そのため社長すらも自分の下におき、好き勝手なことをしていたという。若い女
性などは、その女性に、どれほど泣かされたかわからないという。

 私は、そのつど、「はああ……?」としか、驚くしかなかった。私が知るその女性は、どこまで
も親切で、やさしかった。ここにも書いたように、穏やかで、静かだった。しかしその女性が、若
いころは、まったく別の女性だったとは……? 私は何度も、その女性の別の顔を思い浮かべ
ようとしたが、どうにもこうにも、想像すらできなかった。

 この話をワイフにすると、ワイフも、「本当?」と言って驚いた。ワイフは、私以上に、その女性
と、道ばたで会話をしている。

私「あの人が、若いころ、きつい人だってこと、信じられるか?」
ワ「ううん、できないわね」
私「そうだろ。できないだろ」
ワ「本当かしら。信じられないわ」
私「そうなんだよなあ。ぼくも信じられない……」

 もしその女性が変わったとするなら、恐らく、退職してからのことだろう。あるいは変わってい
ないのかもしれない。たとえば若いころは、仕事熱心で、みなに誤解されていただけなのかもし
れない。あるいはもう一つの可能性としては、その女性は、私たちの前では、仮面をかぶって
いたということもありえる。さらにもう一つの可能性としては、私たちに、人を見る目がなかった
ということもありえる。しかし……?

 しばらくその女性のことは忘れた。で、最近、何かのことで、その女性を思い出すことがあっ
た。人はどう言おうと、そして過去がどうであれ、私たちには、すばらしい女性だった。あるとき
は、「どうせ老人になるなら、ああいう老人になりたいものだ」と思ったことさえある。
 
私「やはり、あの人は、ぼくたちにはいい人だったね」
ワ「そうよ。私もそう思うわ」
私「それでいいよね。他人がどう思おうとも、ぼくらには関係ないから」
ワ「そうよ。人は人よ。人がどう言おうが、私たちには、いい人だったから」
私「そうだね。他人が悪く言ったから、悪い人だと思いなおすこともないしね」
ワ「そうね……」

 似たような話だが、ここ五年ほど、近くでつきあった人がいる。その人も穏やかな紳士だっ
た。が、その人は、数か月前、隣のW市に引っ越してしまった。それでその人のことを忘れて
いたが、その人は、二〇年ほど前、このH市をひっくり返すような大事件を起こした人だったと
いう。最近そのことを知った。何でもそのあと一〇年近く、刑務所に入っていたということだっ
た。「人は見かけによらぬもの」と言うが、そのときこそ、心底、そう思ったことはなかった。

 こういうことは、よくある。若いころは、そういう話は聞かなかったが、人生も終盤に近づくと、
そういう話がよく耳に入ってくる。そしてそのたびに、「へええ……?」と驚く。しかし過去はどう
であれ、その人がそのとき、よい人なら、それでよいのでは。過去をほじくりかえすことはない。
仮に過去がどうであれ、今は今だ。考えてみればそのとおりで、今あるのは、「今」という現実
でしかない。それに今さら、過去をとやかく言っても始まらない。

その紳士は、W市に引っ越してしまい、もう二度と顔を合わせることもないだろう。あの女性に
しても、もう亡くなってしまった。そして私自身も、やがてこの世から消えてなくなる。悪い人も、
悪くない人も、悪いと思った人も、悪いと思わなかった人も、みんな消えてなくなる。だから、今
は今で、今を大切にして生きるしかない。どこまでいっても、今という「時」は、私のもの。ほか
のだれのものでもない。
(030219)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育てポイント

●子どもに、子どもの育て方を教える

 子どもに子どもの育て方を教える。それが子育て。「あなたが親になったら、こういうふうに、
子育てをするのですよ」「あなたが親になったら、こういうふうに子どもを叱るのですよ」と。

 教えるだけでは足りない。身にしみこませておく。「幸せな家庭というのは、こういうものです
よ」「夫婦というのは、こういうものですよ」「家族というのは、こういうものですよ」と。そういう「し
みこみ」があってはじめて子どもは、今度は自分が親になったとき、自然な形で、子育てができ
るようになる。


●自分の過去をみる

 一般論として、不幸にして不幸な家庭の育った人(親)は、子育てがへた。どこかぎこちない。
自分の中に親像のない人とみる。

 ある父親は、ほとんどその母親だけによって育てられていた。(父親の父親は、今でいう単身
赴任の形で、名古屋に住んでいた。)そのため父親がどういうものであるか知らなかった? 
何か子どもに問題があると、子どもを、容赦なく、殴りつけていた。このように、極端にきびしい
親、あるいは反対に極端に甘い親は、ここでいう親像のない人とみる。

 また不幸な家庭に育った人は、「いい親子関係をつくろう」「いい家庭をつくろう」という気負い
ばかりが強くなり、結果として、子育てで失敗しやすい。

 もしあなたが自分の子育てのどこかで、ぎこちなさを感じたら、自分の過去を振りかえってみ
る。この問題は、自分の過去がどういうものであるかを知るだけで、解決する。まずいのは、そ
の過去に気づかないまま、その過去に振りまわされること。


●「育自」なんて、とんでもない!

 よく「育自」という言葉を使って、「育児とは、育自」と言う人がいる。しかし子育てはそんな甘
いものではない。親は子育てをしながら、子どもに、否応なしに育てられる。

 子育てはまさに、山や谷の連続。その山や谷を越えるうちに、ちょうど稲穂の穂が、実るとた
れてくるように、親の姿勢も低くなる。もし「育自」を考えるヒマがあるなら、親は親で、子育てを
忘れて、一人の人間として、外の世界で伸びればよい。そういう姿勢が、一方で、子どもを伸ば
す。自分を伸ばすことを、子育てにかこつけてはいけない。


●カプセル化に注意

 家庭という小さな世界に閉じこもり、そこで自分だけの価値観を熟成すると、子育てそのもの
がゆがむことがある。これをカプセル化という。

 最近は、価値観の多様性が進んだ。また親たちの学歴も高くなり、その分、「私が正しい」と
思う人がふえてきた。それはそれで悪いことではないが、こと子育てに関しては、常識と経験
が、ものをいう。頭で考えてするものではない。

 そのため子育てをするときは、できるだけ風通しをよくする。具体的には、ほかの親たちと交
流をふやす。が、それだけでは足りない。いつも「私はまちがっているかもしれない」という謙虚
な姿勢を保つ。そして子どもを、自分を通して見るのではなく、別個の一人の人間としてみる。
「私の子どものことは、私が一番よく知っている」「私の子どもは、私と同じように考えているは
ず」と過信している親ほど、子育てで失敗しやすい。

 このカプセル化のこわいところは、それだけではない。同じ過保護でも、カプセルの中に入る
と、極端な過保護になる。過干渉も、過関心も、極端な過干渉や、過関心になる。いわゆる子
育てそのものが、先鋭化したり、極端化したりする。


●親の主義に注意

 よく「私は○○主義で、子どもを育てています」などという人がいる。しかし「主義」などというも
のは、無数の経験と、試行錯誤の結果、身につくもの。安易に主義を決め、それに従うのは、
危険ですらある。いわんや、子育てに、主義などあってはならない。よい例が、スパルタ主義、
完ぺき主義、徹底主義など。

 これについては、以前、こんな原稿を書いたので、ここに張りつけておく。

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子育ては自然体で(中日新聞掲載済み)

 『子育ては自然体で』とは、よく言われる。しかし自然体とは、何か。それがよくわからない。
そこで一つのヒントだが、漢方のバイブルと言われる『黄帝内経・素問』には、こうある。これは
健康法の奥義だが、しかし子育てにもそのままあてはまる。

いわく、「八風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応させ、恨
み怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なることなく、みずからの
崇高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に陥ることもなく、精神的に
も悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする」(上古天真論篇)と。難解な文章だが、これ
を読みかえると、こうなる。

 まず子育ては、ごくふつうであること。子育てをゆがめる三大主義に、徹底主義、スパルタ主
義、完ぺき主義がある。

徹底主義というのは、親が「やる」と決めたら、徹底的にさせ、「やめる」と決めたら、パッとや
めさせるようなことをいう。よくあるのは、「成績がさがったから、ゲームは禁止」などと言って、
子どもの趣味を奪ってしまうこと。親子の間に大きなミゾをつくることになる。

スパルタ主義というのは、暴力や威圧を日常的に繰り返すことをいう。このスパルタ主義は、
子どもの心を深くキズつける。また完ぺき主義というのは、何でもかんでも子どもに完ぺきさを
求める育て方をいう。子どもの側からみて窮屈な家庭環境が、子どもの心をつぶす。

 次に子育ては、平静楽観を旨とする。いちいち世間の波風に合わせて動揺しない。「私は私」
「私の子どもは私の子ども」というように、心のどこかで一線を引く。あなたの子どものできがよ
くても、また悪くても、そうする。が、これが難しい。親はそのつど、見え、メンツ、世間体。これ
に振り回される。そして混乱する。言いかえると、この三つから解放されれば、子育てにまつわ
るほとんどの悩みは解消する。

要するに子どもへの過剰期待、過関心、過干渉は禁物。ぬか喜びも取り越し苦労もいけない。
「平静楽観」というのは、そういう意味だ。やりすぎてもいけない。足りなくてもいけない。必要な
ことはするが、必要以上にするのもいけない。「自足を事とする」と。実際どんな子どもにも、自
ら伸びる力は宿っている。そういう力を信じて、それを引き出す。

子育てを一言で言えば、そういうことになる。さらに黄帝内経には、こうある。「陰陽の大原理に
順応して生活すれば生存可能であり、それに背馳すれば死に、順応すれば太平である」(四気
調神大論篇)と。おどろおどろしい文章だが、簡単に言えば、「自然体で子育てをすれば、子育
てはうまくいくが、そうでなければ、そうでない」ということになる。

子育てもつきつめれば、健康論とどこも違わない。ともに人間が太古の昔から、その目的とし
て、延々と繰り返してきた営みである。不摂生をし、暴飲暴食をすれば、健康は害せられる。
精神的に不安定な生活の中で、無理や強制をすれば、子どもの心は害せられる。栄養過多も
いけないが、栄養不足もいけない。子どもを愛することは大切なことだが、溺愛はいけない、な
ど。少しこじつけの感じがしないでもないが、健康論にからめて、教育論を考えてみた。

++++++++++++++++

あなたは神経質ママ?
雑誌「ファミリス」に掲載済み

●『まじめ七割、いいかげんさ三割』
 子育ては『まじめ七割、いいかげんさ三割』と覚えておく。これはハンドルの「遊び」のようなも
の。この遊びがあるから、車も運転できる。子育ても同じ。

たとえば参観授業のようなとき、親の鋭い視線を感じて、授業がやりにくく思うことがある。とき
にはその視線が、ビンビンとこちらの体をつらぬくときさえある。そういう親の子どもは、たいて
いハキがなく、暗く沈んでいる。ふつう神経質な子育てが日常的につづくと、子どもの心は内閉
する。萎縮することもある。(あるいは反対に静かな落ち着きが消え、粗放化する子どももい
る。このタイプの子どもは、神経質な子育てをやり返した子どもと考えるとわかりやすい。)

●子育ての三悪
 子育ての三悪に、スパルタ主義、徹底主義、それに完ぺき主義がある。スパルタ主義という
のは、きびしい鍛練を主とする教育法をいう。また徹底主義というのは、やることなすことが極
端で、しかも徹底していることをいう。おけいこでも何でも、「させる」と決めたら、毎日、それば
かりをさせるなど。要するに子育ては自然に任すのが一番。人間は過去数一〇万年もの間、
こうして生きてきた。子育てのし方にしても、ここ一〇〇年や二〇〇年くらいの間に、「変わっ
た」と思うほうがおかしい。心のどこかで「不自然さ」を感じたら、その子育ては疑ってみる。

●こわい完ぺき主義
 完ぺき主義もそうだ。このタイプの親は、あらかじめ設計図を用意し、その設計図に無理やり
子どもをあてはめようとする。こまごまとした指示を、神経質なほどまでに子どもに守らせるな
ど。このタイプの親にかぎって、よく「私は子どもを愛している」と言うが、本当のところは、自分
のエゴを子どもに押しつけているだけ。自分の欲望を満足させるために、子どもを利用してい
るだけ。

●子育ての基本は自由
 子育ての基本は、子どもを自立させること。そのためにも子どもは「自由」にする。自由とはも
ともと、「自らに由(よ)る」という意味。つまり子どもには、(1)自分で考えさせ、(2)自分で行動
させ、そして(3)自分で責任を取らせる。過干渉や過関心は、子どもから考えるという習慣を奪
う。過保護は自分で行動するという力を奪う。また溺愛は、親の目を曇らせる。たとえば自分の
子ども(中三男子)が万引きをして補導されたときのこと。夜中の間にあちこちを回り、事件そ
のものをもみ消してしまった母親がいた。「内申書に書かれると、進学にさしさわりがある」とい
うのが、その理由だった。

●家庭はいやしの場に
 子どもが学校に入り、大きくなったら、家庭の役割も、「しつけの場」から、「いやしの場」へと
変化しなければならない。子どもは家庭という場で、疲れた心をいやす。そのためにも、あまり
こまごまとしたことは言わないこと。アメリカの劇作家のソローも、『ビロードのクッションの上に
座るよりも、気がねせず、カボチャの頭のほうがよい』と書いている。このテストで高得点だった
人ほど、このソローの言葉の意味を考えてみてほしい。

●子どもには自分で失敗させる
 また子どもに何か問題が起きたりすると、「先生が悪い」「友だちに原因がある」と騒ぐ人がい
る。しかしもし子どもが家庭で心をいやすことができたら、そのうちのほとんどは、そのまま解
決するはずである。そのためにも「いいかげんさ」を大切にする。「歯を磨かなければ、虫歯に
なるわよ」と言いながらも、虫歯になったら、歯医者へ行けばよい。痛い思いをしてはじめて、
子どもは歯をみがくようになる。「宿題をしなさい」と言いながらも、宿題をしないで学校へ行け
ば、先生に叱られる。叱られれば、そのつぎからは宿題をするようになる。そういういいかげん
さが、子どもを自立させる。たくましくする。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●ズル休みのすすめ

 不登校児をもつ親などと話していて、いつも気になるのは、「学校とは行かねばならないとこ
ろ」という観念で、頭がガチガチにかたまっていること(失礼!)。ときには、「どうしてそこまで学
校にこだわるのか」とさえ思ってしまう。

昔、毛沢東は、『造反有理』と言った。「反抗するものには、理由がある」という意味だが、既存
のコースに反発する子どもには、必ず、それなりの理由がある。頭から、「おかしい」とか、「ま
ちがっている」とか決めつけないで、ときには、子どもの言い分にも、耳を傾けてやる必要があ
るのではないだろうか。

 もちろん勤勉であることは、それ自体は悪いことではない。しかし日本人は、勤勉であること
を美徳とするあまり、もっと大切なものを、見失っているのではないだろうか。そういう思いをこ
めて書いたのが、つぎのエッセーである。

+++++++++++++++++++
 
常識が偏見になるとき 

●たまにはずる休みを……!

「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、たいてい
の人は目を白黒させて驚く。「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。しかしそれこ
そ世界の非常識。あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。

アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が一八歳のときにもっ
た偏見のかたまりである」と。子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑ってみる。たと
えば……。

●日本の常識は世界の非常識

(1)学校は行かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度がある。親
が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。希望すれば、
州政府が家庭教師を派遣してくれる。日本では、不登校児のための制度と理解している人が
多いが、それは誤解。アメリカだけでも九七年度には、ホームスクールの子どもが、一〇〇万
人を超えた。毎年一五%前後の割合でふえ、二〇〇一年度末には二〇〇万人に達するだろう
と言われている。

それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教育は
家庭でこそできる」という理念がそこにある。地域のホームスクーラーが合同で研修会を開い
たり、遠足をしたりしている。またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、
こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。

(2)おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ
通う。早い子どもは午後一時に、遅い子どもでも三時ごろには、学校を出る。ドイツでは、週単
位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることができる。そのクラ
ブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。学習クラブは学校の
中にあって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が一二〇〇円前後(二〇〇一年調べ)。
こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども一人当たり、二三〇マルク(日本円で
約一四〇〇〇円)の「子どもマネー」が支払われている。この補助金は、子どもが就職するま
で、最長二七歳まで支払われる。

 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特性
に合わせてクラブに通う。日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学校外教育に対
する世間の評価はまだ低い。ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をも
つが、それ以外には責任をもたない」という制度が徹底している。そのため学校側は教師の住
所はもちろん、電話番号すら親には教えない。私が「では、親が先生と連絡を取りたいときは
どうするのですか」と聞いたら、その先生(バンクーバー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ
氏)はこう教えてくれた。「そういうときは、まず親が学校に電話をします。そしてしばらく待って
いると、先生のほうから電話がかかってきます」と。

(3)進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私立中
高一貫校の入学案内書を送ってくれた。全部で七〇校近くあった。が、私はそれを見て驚い
た。どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。別紙として、は
さんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。この話をオーストラリアの友人に
話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。そこで私が、では、オーストラリアで
はどういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。そこはチャールズ皇太子
も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校がカリキュラムを
組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。木工が好きな子ども
は、毎日木工ができるように、と。そういう学校をよい学校という」と。なおそのグラマースクー
ルには入学試験はない。子どもが生まれると、親は出生届を出すと同時にその足で学校へ行
き、入学願書を出すしくみになっている。つまり早いもの勝ち。

●そこはまさに『マトリックス』の世界
 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っているようなことで
も、世界ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。そこで一度、あなた自身
の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。学校とは何か。教育はどうあ
るべきか。さらには子育てとは何か、と。その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではな
い。学校神話とはよく言ったもので、「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなた
にしても、結局は、学校神話を信仰している。「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶
対」と。それはまさに映画『マトリックス』の世界と言ってもよい。仮想の世界に住みながら、そこ
が仮想の世界だと気づかない。気づかないまま、仮想の価値に振り回されている……。

●解放感は最高!
 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さんと
動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。実は私も何度となくそうした。平日に
行くと、動物園もガラガラ。あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。「私が子どもを教育して
いるのだ」という充実感すら覚える。冒頭の話で、目を白黒させた人ほど、一度試してみるとよ
い。あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことができる。

※……一週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。だから月曜日には、午後
三時まで学校で勉強し、火曜日は午後一時に終わるというように、自分で帰宅時刻を決めるこ
とができる。

●「自由に学ぶ」
 「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On Liberty)」
を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。

 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると考えて
よい。そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいものでしかない。
それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政
治を行うための手段として用いられてきている」と。

 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由と社
会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)学校教育を
破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。いわく、「民主主義国家においては、
国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始まっているではないか」「反対に軍事
的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるということを忘れてはならない」と。

 さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という意見に
は、次のように反論している。「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の犯罪率は
むしろ増加している。学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考えるのは正しくな
い。学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察システムや裁判所シス
テムの改革によるところが大きい。青少年の犯罪については、もっと別の角度から検討すべき
ではないのか」と(以上、要約)。

 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえてい
る。なお二〇〇〇年度に、小中学校での不登校児は、一三万四〇〇〇人を超えた。中学生で
は、三八人に一人が、不登校児ということになる。この数字は前年度より、四〇〇〇人多い。

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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■3-1-1

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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 632人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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03−3−1号(187)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 電話054−246−6136
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
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ブロードバンドをお楽しみのみなさんへ、
「はやし浩司のホームページ」に新しく動画コーナーをつくりました。私の生の声などを収録しま
した。どうかおいでください。サイト・トップページより、どうぞ!
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と読みやすくなります。お試しください。毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご
利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
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   γ ρρ   │σ σ ρ )        【1】子育てポイント 
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )        【2】雑談・雑感
   人   υ ( `) (  )         【3】子育てエッセー
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)          【4】フォーラム
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
こまかい話だが……

●消しゴムについて

 消しゴムというより、消しグセは、一度、身につくと、それをなおすのは、容易ではない。だか
ら、子どもには、消しゴムをもたせないほうがよい。

 一度、消しグセが身につくと、「考えてから書く」というよりは、「書いてから考える」、あるいは
「まず書いてみて、それをみて考える」というようになる。そうなると、消しゴムを使ってばかりい
て、先へ進まなくなる。

 子どもによっては、一行書いては消し、また書いては消すという作業を繰りかえす。そのため
一時間も勉強すると、机の上が、消しクズの山になる。が、それだけではない。消しグセのある
子どもは、その分だけ時間をムダにする。

 仮に一分間に、一回、一〇秒間、消しゴムを使ったとする。それだけでも、五〇分間には、五
〇〇秒、つまり八分間以上消しゴムを使うことになる。このロスは、テストのときなどには、痛
い。

 「先生に見てもらうのは、消しゴムを使ってきれいに書こう」というような言い方にとどめ、子ど
もには消しゴムをできるだけ使わせないようにする。実際、小学校へ入ってからだと、この消し
グセをなおすのは、容易ではない。親や教師の目の届かないところでは、相変わらず、消しゴ
ムを使うからである。

 そこで、こういう消しグセのついた子どもから、無理に消しゴムを取りあげたりすると、子ども
によっては、勉強そのものが、手につかなくなることがある。いわゆる禁断症状に似た症状を
示す。イライラするだけで、考えることから逃げてしまう。

 なお都会の理科系大学では、入試試験で、消しゴムを使うのを禁止しているところが多い。
それが書き残したメモを見て、試験官が、学生の能力を判断するためである。今後、この傾向
はますます大きくなるものと思われる。

 以上のような理由から、幼児期は、子どもには消しゴムをもたせないほうがよい。


●キャップについて

 鉛筆にかぶせるキャップがある。あのキャップほど、危険なものはない。キャップ自体が危険
というよりは、こういうことだ。

 子どもは、(とくに幼稚園児は)、鉛筆を使うとき、キャップを鉛筆の反対側にはめる。そのあ
と、鉛筆を使うのをやめたあと、そのキャップをはずそうとする。事故は、このとき、起こる。

 子どもは両手で、鉛筆とキャップを握る。握ったまま、両手を広げるようにして、キャップをは
ずそうとする。しかしそのとき、不自然な力が入り、ひょいとキャップがとれることがある。その
とき、隣の子どもの顔などを、鉛筆の先でつつく。私の教室でも、いくら注意していても、数年に
一度は、ヒヤリとする。二〇年ほど前には、鉛筆のシンが、隣の子どもの、頬に突き刺さったこ
ともある。もしそれが目だったとしたら……。今思い出しても、ゾーッとする。

 鉛筆は、先がとがっているという点で、幼児には、危険な道具である。もち歩くときは、シンを
手で包むようにしてもたせるなどの注意が必要である。
(030220)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩

1284まで

子どものことは私が一番よく知っている!
子どもの横を歩く(失敗危険度★★★★)

●親意識
 親意識の強い人は、「子どものことは私が一番よく知っている」と、何でもかんでも親が決め
てしまう。子どもの意思など、まったくの無視。たとえばおけいこごとを始めるときも、またやめ
るときもそうだ。「来月から、○○音楽教室へ行きますからね」「来月から、今の教室をやめて、
△△教室へ行きますからね」と。子どもは親の意向に振りまわされるだけ。

●妊娠したときから始まる
 こうした子育てのリズムは、親が子どもを妊娠したときから始まる。ある母親は胎教と称し
て、毎日おなかの子どもに、クラッシックや英会話のテープを聞かせていた。また別の母親は、
時計とにらめっこをしながら、その時刻になると赤ちゃんがほしがらなくても、ミルクを赤ちゃん
の口につっこんでいた。さらにこんな会話をしたこともある。ある日一人の母親が私のところに
きて、こう言った。

 「先生、うちの子(小三男児)を、夏休みの間、サマーキャンプに入れようと思うのですが、どう
でしょうか?」と。その子は、ハキのない子どもだった。母親はそれを気にしていた。そこで私が
「お子さんは行きたがっているのですか?」と聞くと、「それが行きたがらないので、困っている
のです」と。こうしたリズムは、一事が万事。そこでこんなテスト。

●子どもの横を歩く
 あなたの子どもがまだヨチヨチ歩きをしていたころ、(1)あなたは子どもの前を、子どもの手
を引きながら、ぐいぐいと歩いていただろうか。それとも(2)子どものうしろや横に回りながら、
子どものリズムで歩いていただろうか。(2)のようであれば、よし。しかしもし(1)のようであれ
ば、そのときから、あなたとあなたの子どものリズムは乱れていたとみる。今も乱れている。そ
してやがてあなたは子どもとこんな会話をするようになる。

 母、「あんたは、だれのおかげでピアノを弾けるようになったか、それがわかっているの。お
母さんが毎週、高い月謝を払って、あなたを音楽教室へ連れていってあげたからよ」、子、「い
つ、だれが、お前にそんなことをしてくれと頼んだア!」と。

 そうならないためにも、子どもとリズムを合わせる。(子どもはあなたにリズムを合わせること
はできないので。)今日からでも遅くないから、子どもの横かうしろを歩く。たったそれだけのこ
とだが、あなたはすばらしい親子関係を築くことができる。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


知識や知恵を身につけさせるのが教育?
早期教育と先取り教育(失敗危険度★★★)

●子育てはリズム
 よく誤解されるが、早期教育が悪いのではない。要は「やり方」の問題。たとえば極端な例と
して、胎教がある。まだおなかの中にいる赤ちゃんに、何らかの教育をほどこすというのが胎
教だが、胎教そのものよりも、問題とすべきは、そうした母親の姿勢そのもの。まだ子どもが望
みもしないうちから(望むわけがないが……)、親が勝手に教育を始める。子どもの意思など、
まったく無視。こういうリズムは一度できると、それがずっと子育てのリズムになってしまう。そ
れが悪い。まだ子どもが興味をもたないうちから、ほら数だ、ほら文字だとやりだす。最近はや
っている英会話もそうだ。こうしたやり方は、子どもに害になることはあっても、プラスになること
は何もない。

●幼稚園児に英語の文法?
 またたいていの親は、小学校でするような勉強を、先取りして教えるのを早期教育と誤解して
いる。年中児に漢字を教えたり、英語の文法を覚えさせたりするなど。「アイは、自分のことだ
から、一人称。わかる? ユーは相手のことだから、二人称。わかる?」と。

もっとも漢字をテーマにすることは悪いことではない。漢字を複雑な図形ととらえると、漢字は
おもしろいテーマだ。それを使った応用はいくらでもできる。私もよく子どもたちの前で、漢字を
見せるが、漢字を教えるのではなく、漢字のおもしろさを教える。たとえば「牛」「馬」という漢字
をみせて、牛の絵や馬の絵を描かせたりするなど。

ここに先取り教育と、早期教育の違いがある。ただこの日本では、「知識や知恵を身につけさ
せるのが教育」ということになっている。そして早期教育とは、知識や知恵をつけさせることだと
多くの親は思っている。これは誤解というよりも、偏見と言ったほうが正しいかもしれない。

●人間の方向性を決めるのが幼児教育
 幼児教育が大学教育より重要であり、奥が深いことは、私にはわかる。それを認めるかどう
かは、幼児教育への理解の深さにもよる。たいていの人は、幼児イコール幼稚、さらに幼稚な
教育をするのが、幼児教育と思い込んでいる。しかしこれは誤解である。……というようなこと
を書いてもしかたないが、その幼児教育をすることは、これは早期教育でも、先取り教育でも
ない。この時期、人間の方向性が決まる。その方向性を決めるのが、幼児教育ということにな
る。その幼児教育が必要か必要でないかということになれば、そういった議論をすること自体、
バカげている。

 こみいった話になったが、幼児の教育を考えるときは、早期教育、先取り教育、それに幼児
教育の三つは、分けて考えるとよい。混同すればするほど、子どもの教育が見えなくなる。

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】雑感・雑談∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

家山(いえやま)

 講演で、家山という小さな町に行くことになった。

 浜松→東海道線→金谷(かなや)→大井川鉄道→家山(いえやま)

 浜松から電車に乗り、金谷まで行く。そこで大井川鉄道に乗り換え、家山まで行く。が、その
大井川鉄道が、楽しかった。各駅に停車するごとに、私とワイフは、大笑い。理由は、社内アナ
ウンスだった。

 「……運賃は、運賃箱に入れてください……」と、そのつど繰り返す。若い女性の声だった
が、「ウンチは、ウンチ箱に入れてください……」とも聞こえた。いや、「代官町」という駅まで
は、それほど、おもしろいとは思わなかった。しかしその「代官町」という駅へ着く、少しその手
前。またあの声……。
 
 「つぎは、ダイカンチョウ。ウンチンはウンチンバコに入れてください……」と。ワイフが先に気
づいて、「あんた、聞いた? 大浣腸だって。ウンチは、ウンチ箱に入れてくれだって」と。それ
で笑った。以後、家山に着くまで、アナウンスが流れるたびに、私たちは笑った。笑いつづけ
た。

 家山は、静かな町だった。どこか金沢を思わせる町並み。小さな路地を歩いてみたが、学生
時代の下宿先を思いだした。少し時間があったので、町の中央にある、天王山という名前の山
に登ってみた。周囲を三六〇度見渡せる、小さな山だが、見晴らしのよい山だった。頂上に、
見晴台が作ってあった。私たちはそこまで登った。

 さすが川根のお茶どころ。……と私は思った。山のすそを利用して、あちこちに茶畑が見え
た。町の中心には、全国でもよく知られた製茶工場がいくつかあった。「Y園、K園、H田のお茶
は、ここでできるのね」とワイフが言った。毎日飲んでいるお茶だけに、親しみが、ぐいんとわい
た。

 天王山の途中に、小さな寺があり、その右手奥に、忠魂碑が建っていた。それには、そのあ
たりから出征し、戦争でなくなった人たちの名前が刻まれていた。三百数十名の名前が、一人
ずつ書きこんであった。見ると、年齢は、二〇歳から二七、八歳くらいまで。ほとんどは、二二
歳前後に集中していた。

 忠魂碑には、「国のために戦い……終戦で平和が訪れ……自由思想の中で、国のために死
んでいった人が忘れられ……」というようなことが書いてあった。私の息子たちの年齢だったの
で、何ともやりきれないものを感じた。「人生も、これからだったのに……」と。

 しばらくイスにこしかけ、ワイフとお茶を飲んだ。風のやんだ、春のうららかな日だった。駅を
おりたとき、駅員が、「今日は暖かいですね」と言った。私が「K小学校はどちらですか?」と聞
いたときのことだった。本当に暖かい一日だった。手袋を用意していたが、いつの間にか、紙
袋の中に入っていた。

「あれね……」と私。
「何?」とワイフ。
「運賃箱ではなく、チケットボックスとか、そういうふうに言えばいいんだよ」
「チケットだけではなく、お金も入れるのよ」
「そうか……」
「それに、チケットボックスと言うと、お年寄りには理解できないかもしれないわ」
「うん……。しかし発音がおかしい。ウ・ン・チン箱と、やたらとゆっくりと言うから、かえっておか
しい」
「そう聞こえるのは、あなただけかもね」

 私とワイフはその山の下で別れた。「千頭(ぜんづ・大井川鉄道の終点)まで行ってみるわ」と
ワイフは行った。私はそのまま講演先の、K小学校に向かった。
(030222)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


努力してムダ

 先日、三〇年来の友人に、こんなメールを出した。「がんばろうとは思うけど、今まで、がんば
ってきた。これ以上、がんばる余地はもうないような気がする。がんばっても、よくならないばか
りか、かえって悪くなっていくような気がする」と。

 昨年のある日。市内でもナンバーワンと言われている進学高校(県立高校)の校長が、今
度、市内でも最大規模の市立図書館の館長に就任した。この日本ではよく見られる、ごく日常
的な人事異動だが、私は、「どうして館長に?」と思ってしまった。もちろんその館長に、個人的
な感情はまったくない。それがまちがっていると言っているのでもない。しかし「校長だったから
館長に」という、そのわかりすぎるほどわかりやすい常識が、気になった。

 不公平社会。そしてそれから生まれる不公平感。それがこの日本には、充満している。いくら
官僚主義国家といっても、ここまで不公平感が高まると、国の崩壊は、近い。この日本では、
公的な保護を受ける人は、最後の最後まで、徹底的に受ける。そうでない人は、ほとんどとい
ってよいほど、受けない。私などは、その「まったく受けない人間」だから、正直言って、生きて
いくことにバカらしさすら覚える。

 読売新聞が、さきごろこんな調査をした。「日本は努力すれば、だれでも成功できる社会だと
思うか」と。それに対して、「そうは思わない」と答えたのが……、

     中学生   ……70・6%
     高校生   ……78・1%
     大学・短大生……79・4%
     社会人   ……72・5%

 つまり大学生のうち、80%近くが、「努力しても、ムダ」(読売新聞社コメント)と答えているの
がわかる。この80%という数字は、私の実感にも近い。「実感」というのは、「日本は、新しいタ
イプの社会主義国家」(ある経済評論家の言葉)という実感。まだ十年前には、「そういう見方
もあるのかなあ?」と思ったが、今は、それが80%程度まで、確信に近いものになった。

この日本では、あらゆるものが、認可、許可、それに資格でがんじがらめになっている。一個
人が生きていこうとしても、「さあ、始めよう」と思ったその段階で、すでに無数のクサリが体に
巻きついてくる。この窒息感、閉塞(へいそく)感は、どうしようもない。日本の社会全体を、息
苦しいものにしている。が、それだけではない。この息苦しさこそが、そのまま不公平社会の
「原点」にもなっている。

 役人たちは、権限と管轄にしがみつく。そしてそれが窮屈(きゅうくつ)になってくると、さらに
権限と管轄を拡大する。そのために許可、認可事項をふやし、資格制度をもうける。そして箱
モノと呼ばれる建物をふやし、そこへ人員を配置する。

徳岡孝夫氏(評論家)は、「日本人のうち七〜八人に一人が、官族」というが、これですべてで
はない。この日本にはほかに、公務員のいわゆる天下り先機関として機能する、協会、組合、
施設、社団、財団、センター、研究所、下請け機関がある。この組織は全国の津々浦々、市町
村の「村」レベルまで完成している。あの旧文部省だけでも、こうした外郭団体が、一八〇〇団
体近くもある。そしてこういう世界では、そういう世界に住む人どうしで、仕事を回しあっている。
どこかの県立高校の校長が、市立図書館の館長になっても、まったくおかしくない「しくみ」が、
すでに、完ぺきにできあがっている。

 もちろん、それぞれの個人の人に責任があるわけではない。それぞれの人は、その「流れ」
の中で、与えられた仕事をしているに過ぎない。しかしこれだけは忘れないでほしい。こうした
人たちが、最後の最後まで、この日本を食いつぶし、やがてこの日本を破滅させるということ。
そのことは、あの旧ソ連の崩壊を見れば、わかるはず。

 ちまたでは、猛烈な不況の嵐が吹きすさんでいる。リストラはますます加速されている。昨
年、大学の同窓会に出たが、民間企業に勤めた友人たち(満五四、五歳)は、全員、例外な
く、リストラされていた。そこで転職ということになるが、その転職もままならない。旧国立大学を
出た友人たちですら、「給料が三〇万円以上の会社はないよ」と言っている。こうした現実が一
方にあるにもかかわらず、G県の県庁の検査課(年俸九〇〇万円弱)に勤める別の友人は、
こう言った。「毎日、ヒマでヒマで、どうやって時間をつぶそうかと、そればかりを考えている。パ
ソコンを相手にゲームをしていても、だれも文句を言わない。デフレ? かえってここ十年、生
活が楽になったよ」と。

 だから私もあえて言う。「この日本、努力してもムダ。構造改革(官僚政治の是正)など、夢の
また夢。総理大臣も第一野党の党首も、みんな、元中央官僚だから、話にならない。これから
も日本は、ずっとずっと、官僚主義国家。国が滅ぶまで、すっとずっと官僚主義国家」と。

 そうそう言い忘れたが、もし私が、「日本は努力すれば、だれでも成功できる社会だと思うか」
と聞かれたら、私はまちがいなく、こう答える。「ノー」と。それがこの五五年間生きてきた、私の
結論でもある。
(030222)

※国家公務員と地方公務員、公団、公社、政府系金融機関、電気ガスなどの独占的営利事
業団体の職員を含めて、官族という(徳岡孝夫氏)。

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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 子どものストレスについて

浜松市のSAさんより

 SAさんは、お子さん(年中女児)が、私の教室でストレスを感じているのではないかと心配し
ています。それについて、「心配ありません」とメールを書きました。その返事が届きましたの
で、紹介させていただきます。

++++++++++++++

メール有り難うございます。
「ストレスを感じていない」という先生のお言葉、ホッと致しました。 
分からなくても分かっているように答えること、R子(年中児)のストレスにや自信喪失につなが
るのではないかと 少し心配でした。
余り大人の感覚で子供を見ないようにしようと反省しました。
今年に入ってから数に関する授業が主なので自宅でも少し教えたりもしていたのですが、上手
に教えることが出来ません。
思わず怒ってしまったり・・・。 
昨晩は10時になるとお化けが出てくるからと早く寝るよう自分で努めていました。 
先生は花粉症なんですか? お身体ご自愛下さい。
私はU男(弟・〇歳)が大きいせいか、腰痛です。

++++++++++++++

SAさんへ、

●適度なストレスは、子どもを伸ばす

 適度なストレスは、子どもを伸ばします。それは常識ですが、幼児のばあい、ひとつ条件がつ
きます。「神経を使わせない」ということです。子どもは体力や知力を使って、疲れるということ
は、まずありません。しかし子どもは、神経疲れには、たいへん弱く、それこそほんの数分と
か、半時間だけでも神経を使ったりすると、それこそヘトヘトに疲れてしまいます。同じストレス
でも、神経疲れには注意します。

●注意すべきは、神経症

 ストレスが負担になってくると、子どもは、それを体や心で表現します。そのひとつが、神経症
です。

 ただこの神経症は、症状が千差万別で、どれといって定型がありません。「どうも様子がおか
しいな」と感じたら、神経症を疑います。幼児のばあい、よくみられる症状としては、指しゃぶ
り、夜尿症、髪いじり、潔癖症、腹痛、下痢、脚痛、頭痛など。チックなども、よく見られる症状
です。さらに症状が悪化すると、夜驚症や夢中遊行(ねぼけ)などが出てくることもあります。こ
うなれば当然、ストレスの原因を取り除かねばなりません。詳しくは、ヤフーの検索などで、「は
やし浩司 神経症」を検索してくださると、必要なページがヒットできると思います。http://
www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page079.html

●赤ちゃんがえりにご注意

 最近、下の子どもがお生まれなったということですから、上の子の心の変化をていねいに観
察してください。私が見たところ、今のところだいじょうぶのようですが、ふとしたことから、欲求
不満を感ずるようになるかもしれません。「あなたはお姉ちゃんだから」という「ダカラ論」など
で、R子さんを、追いつめないようにします。

 ここにも書きましたが、適度なストレスは、子どもの成育には欠かせないものです。みなと、ワ
イワイ騒ぎながら、自分を発散させます。そういうたがいの刺激が、子どもを伸ばします。安心
して、お任せください。

 そうそう腰痛ですが、私も重いものをもったりすると、その数時間後から腰痛が始まります。
要するに重いものをもたないことですが、しかし、そういうわけにもいきませんね。私のばあい
は、幸運にも、数日放っておくと、いつの間にか症状が消えています。どうかお体を大切に!

 それからいただきましたメールですが、次回のマガジンに掲載してもよろしいでしょうか。掲載
予定日は、三月一日になります。よろしくご了解ください。

(付記)ストレスのメカニズム

精神や肉体が、緊張状態におかれると、副腎髄質から、アドレナリンの分泌が始まる。これに
よって、心拍数がふえ、呼吸が早くなる。
こうした状態が短期間で終われば問題はないが、それが長期間にわたると、体にさまざまな異
変が起きてくる。食欲がなくなったり、精力が減退したり、さらには免疫機能が減退したり、胃
腸障害などを引き起こしたりする。下垂体前葉などから分泌されるホルモンが、影響を与える
とされる。
(030222)※


 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

真の自由を求めて……

●二種類の意識

 意識には、二種類ある。「自分で作った意識」と、「作られた意識」である。本当にそう言うか
どうかは別として、先日、テレビを見ていたら、こんなシーンが飛びこんできた。あのK国のテレ
ビドラマだったが、ある実話をもとにしたドラマだという。その兵士は、ドラマの中で、アメリカ軍
の銃弾を受け、死ぬ前、「将軍様、バンザーイ!」と叫んでいた。

 そのシーンを見ていて、私はふとこう考えた。そのK国の兵士は、本当にそう考えて、そう言
ったのか。それとも、そう言わされただけなのか、と。仮に自分の意思でそう言ったとしても、こ
の「本当にそう考えた部分」が、「自分で作った意識」ということになる。そして「言わされた部
分」が、「作られた意識」ということになる。

 しかし意識というのは、もともと脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、どういう意識であ
れ、自分がどういう意識をもっているか、自分でそれがわかる人はいない。だれしも、「私は
私」と思っている。が、ひとつだけ、自分がどんな意識をもっているか、それを知る方法がある
とすれば、自分の意識を、他人にぶつけてみることである。あるいは外国の人にぶつけてみる
ことである。できるだけ、自分とは違った意識をもっていると思われる人に、ぶつけてみるのが
よい。その結果、つまりその反射的効果として、自分がどんな意識をもっているかがわかる。

 私も昔、学生のころ、オーストラリアの友人に、「日本の商社マンは、(オーストラリアでは)、
軽蔑されている」と言われたときには、心底、驚いた。彼は「軽蔑」という言葉を使った。当時の
日本といえば、まさに高度成長期のまっただ中。文科系の学生は、みな、銀行マンや商社マン
の道をめざした。私もその一人だったが、その商社マンが、「軽蔑されている」と!

 つまり「商社マンは、すばらしい仕事」という思いは、ひょっとしたら国策の中で、「作られた意
識」ということになる。それは形こそ違うが、K国の兵士が、「将軍様、バンザーイ!」と叫んだ
意識と、それほど違わないのではないか。こう言いきるのは、乱暴なことかもしれないが、しか
しそういう面は、たしかにある。もっとわかりやすく言うと、私たちの意識の中には、「私は私」と
思いながら、実は「私は私」と思いこまされている部分が、かなりある?

●私は私でない部分を知る
 
 どうすれば、「私は私でない部分」を知ることができるか。私のばあい、私が私でない部分を、
強烈に思い知らされたのは、やはり留学時代である。それまで私がもっていた常識と、オース
トラリア人のもっている常識が、まっこうからぶつかりあうたびに、その「私でないない部分」を
思い知らされた。(だからといって、私がまちがっていたというのではない。)

 よい例が、オーストラリアの友人が、オーストラリア外務省からの手紙を破り捨てたときのこと
だった。私が「外交官ではないか! すばらしいことだ!」と言うと、その友人は、「ブタの仕事
だ」と言って、それをゴミ箱へ捨ててしまった。そしてこう言った。「ヒロシ、アメリカやイギリスな
ら行きたいが、九九%の国へは行きたくない」と。

 考えてみれば、あの国は移民国家。「外国へ出る」という意識が、日本人のそれとは正反
対。一方、当時の日本人にとっては、外国へ出るというだけでも、名誉なことになっていた。つ
まりこうしたオーストラリア人の意識を知ることで、私がどういう意識をもっているかを知ること
ができた。そしてそのことを手がかりに、自分の中の「作られた意識」を知ることができた。

●私でない部分からの解放 

 「自由とは何か」というのは、結局は、「私であってあって、私ではない部分からの解放」という
ことになる。最近でもこんなことがあった。

 友人の一人が、リストラでそれまで三〇年近く勤めていた会社をクビになってしまった。が、
その翌週から、その友人は、職探しに歩き始めた。ちょうどそのころ会ったので、私はその友
人にこう言った。「どうせ失業保険が出るのなら、そのお金で、目いっぱい、遊べばよいではな
いか。奥さんと外国へでも行ってきたら?」と。するとその友人は、「そうは言うけどねえ、林
君。不安なんだよ」と。

 またこれは別の知人の話だが、来年、いよいよ定年退職をすることになったという。それにつ
いて、「林君、ぼくはね、退職したら、北海道から九州まで、すべての県をひとつずつ観光して
みるよ」と。そこで私はこう言った。「だったら、今日から始めればいい。来年になったら、病気
になってしまうかもしれないよ」と。

 この二人の友人や知人は、それぞれ、まじめな人である。私がもともといいかげんな人間だ
から、よけいに、それがよくわかる。で、彼らは彼らなりの意識をもって、今を考え、未来を考え
ている。しかしどこからどこまでが、彼ら自身の意識であり、どこから先が、作られた意識かと
いうことになると、それがよくわからない。

 「まじめな会社人間」という部分は、これは作られた意識とみてよい。こうした勤勉さを日本人
は美徳とするが、それが本当に美徳かどうかということになると、それは疑わしい。あるいは美
徳と思いこまされているだけなのかもしれない。反対に、この美徳のもと、日本人が犠牲にして
いるものも、多い。そのひとつが、家族。家族意識。この話はまた別のところですることにして、
こうした作られた意識に、心ががんじがらめになっている間は、その人は自由にはなれない。

●真の自由人をめざして

 真の自由人になるためには、まず自分の意識を知る。そしてどこからどこまでが自分の意識
で、どこから先が、作られた意識かを知る。それはここにも書いたように、実は、一見、簡単な
ことのようで、簡単ではない。しかしそれをしないことには、真の自由人にはなれない。

 そして「作られた自分」を発見したら、それと戦う。しかしこれは、さらにむずかしい。たとえば
ここに一人のカルト教の信者がいたとする。彼は、死んでミイラ化した死体を、生きていると信
じている。そういう信者に向かって、「あなたはまちがっている」「この人は死んでいる」、さらに
は「あなたは狂信的になっていて、自分を見失っている」と言っても、その信者は、その言葉を
理解することもできないだろう。常識的な人から見れば、その信者は「作られた意識」のかたま
りということになるが、本人はそれすら理解できない。むしろ「自分は正しい」と思いこんでい
る。

 仮に、その信者が、自分はおかしいと感じたとしても、その状態から、カルトを抜くのは、きわ
めてむずかしい。私も一〇年ほど前まで、いろいろなカルト教団の信者と対峙してきたが、そ
の難しさは、想像を絶するものと言ってよい。実際には、不可能に近い。いわんや、自分で自
分の「作られた意識」に気づき、それから抜け出るのは、もっとむずかしい?

 が、方法がないわけではない。私は「常識」をあげる。いつも自分自身の中の、常識に従って
考え、行動すればよい、と。この常識論については、別のところで考えることにして、私のばあ
いは、そうしている。神や仏の教えに従うという方法もあるのだろうが、私のばあいは、常識を
優先させている。おかしいものは、おかしいと思う。すばらしいものは、すばらしいと思う。そう
いう常識を大切にしている。これはあくまでも、私だけの方法だが……。
(030222)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩

上の原稿と内容がダブリますが、お許しください。
下の原稿を先に書いて、上の原稿を、まとめてみました。
この問題は、これから先、もっと考えてみたいと思っています。
+++++++++++++++++++++++++++++

作られる意識

●洗脳

 夜のニュース番組の中で、K国の映画が紹介された。K国のゲリラ兵士が、アメリカ軍と戦
い、最後は、そのアメリカ軍につかまり、処刑されるという映画であった。その英雄は、死ぬま
ぎわ、「将軍様、バンザーイ!」と絶叫して、命を落す。

 このシーンを見ていて思い出したのが、日本映画である。戦争中、日本兵たちは、敵陣に突
入するとき、「天皇陛下、バンザーイ!」と言って死んでいったという。(実際には、「お父さ
ん!」「お母さん!」と叫んで、死んでいったというが……。)

 そのシーンを見ていて、つまりK国の英雄が、「将軍様、バンザーイ!」と死んでいくシーンを
見ていて、私は、ふと、「意識というのは、作られるもの」と思った。その映画だけではない。K
国の軍隊では、「将軍様を死守する」というのが、合言葉になっていという。「死守したい」と思う
のは、その人の勝手だが、問題は、そのことではない。問題は、そう思うこと自体、国によっ
て、コントロールされているということ。そういう意味では、洗脳というのは、本当にこわい。

●ポケモンブーム

 もう六、七年ほど前になるだろうか。「ポケモン(ポケットモンスター)」がはやり始めたころ、子
どもたちはだれもかれも、「ピカチュウはかわいい」と言いだした。ピカチュウの絵をまねて描い
てみせただけで、クラス中が騒然となってしまった。

 そこである日、私は、子どもたち(小学二、三年)に、「ピカチュウのどこがかわいいの?」と問
いかけてみた。が、その一言だけで、これまたクラス中が、騒然となってしまった。「先生は、お
かしい」とまで言われてしまった。私はあまりの異常さに驚き、一冊の本を書いた。それが「ポ
ケモンカルト(三一書房)」という本である。

 ところがこの本もまた、袋だたき。しかも驚いたことに、私を攻撃してきたのは、二〇歳を過
ぎたような大のおとなたちばかりであった。中には、「お前は、子どもたちの夢をつぶして、それ
でも教育者か!」と言ってきた人もいた。電話で何度も、抗議してきた人もいた。私は、「将軍
様、バンザーイ!」というシーンを見たとき、そのころの私を思いだしていた。

●作られる私たち

 K国の人たちも、戦前の日本人も、そして最近の子どもたちも、何か、別の大きな力によっ
て、「作られている」。しかし怖ろしいことに、本人たちには、「作られている」という意識が、ほと
んどない。その意識がないまま、結局は、その大きな力の意のまま動かされている。が、問題
は、K国の人たちでも、戦前の日本人でも、はたまた子どもたちでもない。問題は、実は、私た
ち自身である。

 私たちは、本当に、作られていないか?

 これは私の経験だが、私たちは、大学四年生になると、何も迷わず、就職の道を選んだ。こ
れは当然だとしても、そのとき、だれもが、大企業ほど、よい就職先だと思った。だからほとん
どの仲間は、銀行や証券会社、商社をめざした。そのこと自体は、まちがっていたとは思わな
いが、しかしそのあと、オーストラリアへ留学してみて、私は、世界の常識が、私がもっていた
常識と、あまりにもかけ離れていたのを知って、驚いた。

 当時の日本は、まさに高度成長期。会社員たちは、企業戦士とおだてられ、仕事のため、す
べてのものを犠牲にした。またそうすることが、美徳と考えられていた。当時、すでに担任赴任
という制度が、日本の社会に定着しはじめていた。そのため家族そのものすら、犠牲になっ
た。

 ある商社マンは、こう言った。「二年ぶりに日本へ帰ってきたとき、娘(四歳)に、『この人、だ
れ?』と言われたときは、ショックだったよ」と。こうした悲喜劇が、日本中で起こりつつあった。

●自由とは?

 そういう意味で、私自身も、私自身の力ではおよばない、もっと大きな力によって動かされて
いたことになる。ひょっとしたら、今だって、動かされているかもしれない。そういう意味で、この
問題は、決して、他人ごとではない。

 私たちは、本当に、自分の意思で、ものを考え、行動しているか?

 自由とは、「自分の意思に従い、自分で行動する」こと。これを言いかえると、自由を手に入
れるためには、自分の意思に従い、自分で行動しなければならない。さらに言いかえると、他
人の意思(大きな力なら、大きな力でもよいが……)によって、動かされている間は、自由では
ないということになる。あるいは自由だと思い込まされているだけ、ということになるかもしれな
い。

 話をもどす。冒頭にあげた、K国の英雄が、最後に「将軍様、バンザーイ!」と言って死んで
いった話を思い浮かべてみてほしい。その英雄は、本当に、自分の意思でそう考えて、そう言
ったのか。もしそうなら、それでよし。しかしもっと大きな力によって、そう洗脳されて、そう言っ
たとしたら、その英雄は、ただのロボットにすぎない。

 このことは回りまわって、結局は、私たち自身の問題になる。戦前の日本の兵隊たちが、「天
皇陛下、バンザーイ!」と言って死んでいったのも、また子どもたちがピカチュウの絵を見ただ
けで、騒然となったのも、結局は、みな、その大きな力で、動かされていただけということにな
る。で、さらに今度は、自分自身をながめてみたとき、私たち自身の中に、ここでいうロボット的
な部分がないとは、だれも断言できない。

●自由とは、自分を取りもどすこと

 実は、この話は、自由論と密接に関係している。つまりそのロボット的な部分と戦うこと自体、
自由を求めた戦いそのものと言ってもよい。私たちは、自分では、「私は自由だ」と思っている
かもしれないが、それはひょっとしたら、そう思いこんでいるだけかもしれない。脳のCPU(中
央演算装置)が狂っているため、それに気づかないでいるだけかもしれない。

 恐らく、K国の英雄も、自分では、自由を求めて戦ったつもりなのだろう。戦前の日本兵もそ
うだ。そしてピカチュウに夢中になる子どもたちも、そうだ。さらに大学四年になったとき、迷わ
ず、就職の道を求めた私もそうだ。しかし私たちは、決して、私たちではなかった!

 私たちは、本当に自由なのか?

 ここまで書いて、筆がとまってしまった。「私たちは、本当に自由なのか」と。「私たちは本当に
自分の意思に従い、自分で行動しているのか」と。

 私は、K国の映画を見たあと、しばらく考えこんでしまった。人間本来がもつ、愚かさという
か、悲しさというか、それを覚えたからだ。それは私たち自身がもつ、愚かさであり、悲しさであ
ると言ってもよい。

●息苦しさを覚えた私

今、この時点では、つまり私の視点では、K国の英雄は、かわいそうな人ということになる。一
人の独裁者に利用されているだけということになる。しかしひょっとしたら、K国の人たちの視
点からみると、私たちのほうが、まちがっているということになるかもしれない。「私は、K国の
人たちより、自由だ」と思ってみても、それがそのまま「私は正しい」ということにはならない。現
に今、私という人間にしても、今まで洗脳されっぱなしに、洗脳されてきた。いまだに戦前のま
まという部分も、この日本には少なくない。おとなといっても、ピカチュウに夢中になった子ども
たちと、それほど違わない。今、この時点において、「私はだれにも洗脳されていない」と、自信
をもって言える人は、いったい、どれだけいるだろうか。

 K国の映画の中では、その英雄は、両手をあげ、体中にアメリカ軍の銃弾をいっぱい受けて
死んでいった。何ともK国らしい映画だったが、その「らしさ」が強ければ強いほど、私には不愉
快だった。何というか、体中をクサリで巻かれるような不快感である。キャスターの人たちは、
「史実とは違うようですね」というようなことを言っていたが、私には、そんなことよりも、何とも言
えない息苦しさのほうが気になった。
(030221)

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    │ト
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【浜松の情報は……】http://www.eiyus.com/Enews/(E'news Hamamatsu)
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市リズム幼稚園
6・24  ……静岡市アイセル21
詳しい講演日時は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page042.html
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2003年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、
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2003年度は、「子育て相談、Q&A」で一年間、連載させていただきます。よろしく!
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●「はやし浩司のサイト」オリジナル・テーマ音楽ができました。
       http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page317.htmlから、おいでください。
●J−BOOKでの本のお求めは……
       http://sch.jbook.jp/s.asp?category_id=00&key=%82%CD%82%E2%82%B5%8D_%8Ei

●「賛助会」へご協力をお願いしています。
詳しくは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page322.htmlまで。
みなさんのご協力を得て、ホームページ、マガジンをより充実させたいと考えています。
●(お願い)毎年四月期と一〇月期に、マガジン発行のために、有志の方による資金的援助を
お願いしています。賛助会員になっていただいたからといって、とくに利点はありませんが、ご
相談などには、誠意をもって応じたいと思っています。よろしくお願いします。
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のぞいてやってください。
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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●私の教室の四月からの生徒さんの募集をしています。
とくに来ていただきたいのは、幼稚園、保育園の、年長児、年中児の
みなさんです。1月以後、見学は自由にしていただけるようにします
ので、おいでください。子どもの「笑い声」を、大切にした教室です。
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 634人
最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)  ……読者数(Nr. of Readers)  87人
はやし浩司の世界(Eマガ)         ……読者数(Nr. of Readers)  64人 
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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★★★★★★★★★★★★★★
03−3−3号(188)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 日記を読んでいただけます!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 電話054−246−6136
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
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ブロードバンドをお楽しみのみなさんへ、
「はやし浩司のホームページ」に新しく動画コーナーをつくりました。私の生の声などを収録しま
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利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

やる、やらないも能力のうち(1282)
馬に水を飲ますことはできない(失敗危険度★★)

●無理に水を飲ますことはできない
 イギリスの格言に、『馬を水場へ連れて行くことはできても、水を飲ますことはできない』という
のがある。要するに最終的に子どもが勉強するかしないかは、子どもの問題であって、親の問
題ではないということ。いわんや教師の問題でもない。大脳生理学の分野でも、つぎのように
説明されている。

●動機づけを決める帯状回?
 大脳半球の中心部に、間脳とか脳梁とか呼ばれている部分がある。それらを包み込んでい
るのが、大脳辺縁系といわれるところだが、ただの「包み」ではない。認知記憶をつかさどる海
馬もこの中にあるが、ほかに価値判断をする扁桃体、さらに動機づけを決める帯状回という組
織がある。つまり「やる気」のあるなしも、大脳生理学の分野では、大脳の活動のひとつとして
説明されている。(もともと辺縁系は、脳の中でも古い部分であり、従来は生命維持と種族維
持などを維持するための機関と考えられていた。しかし最近の研究では、それぞれにも独立し
た働きがあることがわかってきた(伊藤正男氏ほか)。)

●やる気が思考力を決める
 思考をつかさどるのは、大脳皮質の連合野。しかも高度な知的な思考は新皮質(大脳新皮
質の新新皮質)の中のみで行われるというのが、一般的な考え方だが、それは「必ずしも的確
ではない」(新井康允氏)ということになる。脳というのは、あらゆる部分がそれぞれに仕事を分
担しながら、有機的に機能している。いくら大脳皮質の連合野がすぐれていても、やる気が起
こらなかったら、その機能は十分な結果は得られない。つまり『水を飲む気のない馬に、水を
飲ませることはできない』のである。

●乗り気にさせるのが伸ばすコツ
 新井氏の説にもう少し耳を傾けてみよう。新井氏はこう書いている。「考えるにしても、一生懸
命で、乗り気で考えるばあいと、いやいや考えるばあいとでは、自ずと結果が違うでしょうし、結
果がよければさらに乗り気になるというように、動機づけが大切であり、これを行っているのが
帯状回なのです」(日本実業出版社「脳のしくみ」)と。

 親はよく「うちの子はやればできるはず」と言う。それはそうだが、伊藤氏らの説によれば、し
かしそのやる気も、能力のうちということになる。能力を引き出すということは、そういう意味
で、やる気の問題ということにもなる。やる気があれば、「できる」。やる気がなければ、「できな
い」。それだけのことかもしれない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子どものうしろを歩くとイライラする!
子育てじょうずな親(失敗危険度★★★)

●子どものリズムをつかめ
 子どもには子どものリズムがある。そのリズムをいかにつかむかで、「子育てがじょうずな親」
「子育てがへたな親」が決まる。子育てじょうずな親というのは、いわゆる子育てがうまい親を
いう。子どもの能力をじょうずに引き出し、子どもを前向きに伸ばしていく親をいう。

 結果は、子どもをみればわかる。子育てじょうずな親に育てられた子どもは、明るく屈託がな
い。心のゆがみ(ひねくれ症状、ひがみ症状、つっぱり症状など)がない。また心と表情が一致
していて、すなおな感情表現ができる。うれしいときは、うれしそうな顔を満面に浮かべるなど。

●子育てじょうずな親
 子育てじょうずな親は、いつも子どものリズムで子育てをする。無理をしない。強制もしない。
子どものもつリズムに合わせながら、そのリズムで生活する。そのひとつの診断法として、子ど
もと一緒に歌を歌ってみるという方法がある。子どものリズムで生活している人は、子どもと歌
を歌いながらも、それを楽しむことができる。子どもと歌いながら、つぎつぎといろいろな歌を歌
う。しかしそうでない親は、子どもと歌いながら、それをまだるっこく感じたり、めんどうに感じた
りする。あるいは親の好きな歌を押しつけたりして、一緒に歌うことができない。

●リズムは妊娠したときから始まる
 そもそもこのリズムというのは、親が子どもを妊娠したときから始まる。そのリズムが姿や形
を変えて、そのつどあらわれる。ここでは歌を例にあげたが、歌だけではない。生活全般がそ
ういうリズムで動く。そこでもしあなたが子どもとの間でリズムの乱れを感じたら、今日からでも
遅くないから、子どもと歩くときは、子どもの横か、できればうしろを歩く。

リズムのあっていない親ほど、心のどこかでイライラするかもしれないが、しかし子どもを伸ば
すためと思い、がまんする。数か月、あるいは一年のうちには、あなたと子どものリズムが合う
ようになってくる。子どもがあなたのリズムに合わせることはできない。だからあなたが子ども
のリズムに合わせるしかない。そういうことができる親を、子育てがじょうずな親という。

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】雑感・雑談∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

叱りの原点

 事情があって、犬小屋を、玄関のほうに移した。とたん、その翌朝から、ハナ(犬)が、ほえは
じめた。朝、四時一五分ごろ、新聞配達の人が来るのだが、その人にほえる。

 そこでほえるたびに、私は起きていき、ハナを叱る。この犬のほえ声ほど、近所迷惑なもの
はない。私はそれをよく知っている。

 が、叱っても、ほとんど、効果がない。犬という動物は、考える前に、声のほうが先に出るよう
だ。しかもハナは猟犬。もともとあまり知的レベルの高い犬ではない。

 初日。私はハナが何度かほえたあと、起きていき、いつもの調子で、「うるさい!」と、一喝し
た。ふだんなら、それで静かになる。その朝も、それで静かになった。

 二日目。前日とまったく同じ調子で、ほえた。そこで今度は、新聞を丸めて、たたくフリをし
た。この方法は、いつも最終的な方法として使うもので、ハナには、かなり脅威になるらしい。
そのフリをしてみせると、そのまま犬小屋にひっこんでしまった。

 犬のばあい、叱るほう、つまり私のほうには、「嫌われてもよい」という、どこか投げやり的な
叱り方になる。嫌われるとか、嫌われないとか、そういうことは、あまり考えない。いくら愛犬と
いっても、人間の子どもとは違う。第一、言葉が通じない。ある程度の体罰は、しかたない。
「痛み」を与えて、しつけるしかない。

 が、三日目もほえた。私は、朝、庭へ飛び出すと、ハナを追いかけた。追いかけて、犬小屋で
追い込んだ。そこで近くにあった、脚立で、入り口をふさいだ。ハナは、犬小屋の中で、ウーウ
ーとうなっていた。ハナは、明らかに恐怖感を覚えているようだった。

 しかし、だ。そこが犬。これだけ毎朝、叱っても、ハナは、またつぎの朝も、ほえた。いつかワ
イフが、「ハナは、バカだ」と言っていたが、そのときは、私もそう思った。学習能力が、ほとん
ど、ない。しかしハナにしてみれば、多分、言い分はあるのだろう。通行人は、家の中まで入っ
てこない。しかし新聞配達の人は、敷地の中まで入ってくる。私の家のポストは、玄関脇につい
ている。

 私は犬小屋に逃げたハナを、外へ出して説教しようとした。そして小屋に手をつっこんだとこ
ろで、おびえたハナが、さらにけたたましくほえて、私の手をかんだ。「飼犬に手をかまれる」と
は、まさにこのこと。指先から少し、血が出た。私は、近くにあった板で、入り口をふさいだ。

 その朝は、指を消毒したりしているうちに、そのまま眠られなくなってしまった。書斎に入り、
一時間ほど、原稿を書いた。書きながら、ハナのことが気になった。言うなればハナは独房に
入ったわけだが、しかしこれはいくら犬でも、かわいそうだ。一時間ほどあとに、入り口をふさい
でいた板をはずしてやった。ハナはいつものように、体を私にすりよせてきて、精一杯、愛敬を
ふりまいた。

 子育てにおいても、いかに子どもを叱るかは、重要なポイントになっている。恐怖心を与えな
い。威圧しない。暴力を加えない。言うべきことは繰りかえし、淡々と言う。そしてあとは、言っ
たことが、子どもの脳にしみこむまで、時間を待つ。……これが原則だが、犬には、この方法
は、通用しない。ここにも書いたように、言葉が通じない。それに犬という動物は、考えるよりも
先に、ほえてしまう。これは犬の本性のようなもの。

 そこで私とワイフの出した結論は、また以前の場所に、犬小屋をもどす、だった。で、この原
稿を書く少し前、その作業を完了した。考えてみれば、犬小屋を移したことが、ハナを神経質
にしたのかもしれない。犬にとっても、寝場所というのは、神聖不可侵の聖域。その寝場所を
移したのだから、ハナはハナなりに、情緒が不安定になったのかもしれない。「犬だから……」
と安易に考えた私のほうが、まちがっていた。

 で、改めて、叱り方の原点を考える。

 私がハナを叱ったとき、私は、頭に血がのぼるのを覚えた。そのとき私は、瞬間だが、ハナ
への愛情が消えたのを感じた。とくに手をかまれたときは、そうだった。「こんな犬は、保健所
に送ってやる!」とさえ思った。「怒り」というのはそういうものか。それまでの関係を、こなごな
に破壊してしまう。そればかりか、ものの考え方そのものを、破滅的にしてしまう。

 一方、「恐怖」にも、同じような作用がある。ふだんはおとなしく、やさしいハナが、私の手をか
んだのが、それだ。もっとも本気でかんだのではない。本気でかんだら、私の指など、軽く食い
ちぎってしまうだろう。牛の骨でも、バリバリと、人間がせんべいを食べるかのようにして食べて
しまう犬である。かんだというより、私の手をはらいのけたとみるべき? 

 そのとき、私の「怒り」と、ハナの「恐怖」が、真正面から、ぶつかった。しかしこうなると、叱る
ほうも、叱られるほうも、理性などない。判断力もない。ハナにも、ない。だからいくら叱っても、
意味がない。朝食のとき、ワイフはこう言った。「ハナは、なぜ自分が叱られているか、わかっ
ていないのよ」と。私は、「そうだ」とうなずいた。

 こうして朝の騒動は、多分、今日でおしまい。あとで追記の形で、明日の朝のことを書く。明
日は、ハナはほえないだろうと思うが、本当のところ、心配は心配だ。明日またほえるようなこ
とがあれば、今度こそ、近所の人はだまっていないだろう。クワバラ、クワバラ!
(030223)

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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
先を歩く母親

 親には三つの役目がある。ガイドとして、子どもの前を歩く。保護者として、子どものうしろを
歩く。そして友として、子どもの横を歩く。

 このうち、ガイドとして、子どもの前を歩くことしか考えていない親がいる。Mさん(四〇歳)が
そうだった。もうあれから五年になるだろうか、ある日、私のところへきて、こう言った。

 「先生、私はA進学塾も、B進学塾も、嫌いです。そこで先生にお願いしたいのです。私の希
望としては、C高校ぐらいには入ってほしいのですが、無理ならD高校でもいいです。ただ娘
(小六)には、これからも新体操だけはつづけてほしいと思っています。がんばれば、学校推薦
で、S高校に入れるかもしれません」と。

 Mさんと話していて、一番気になったのは、肝心の子どもの姿がまったく見えてこなかったこ
と。子どもに相談したという形跡すら、ない。何度も私が、「お子さんは、どう思っているのです
か?」と聞こうとしたが、Mさんは、一方的に、まくしたてるだけ。私の話にすら、耳を傾けようと
しなかった。

 こういう親は、少なくない。何割かがそうであると言ってもよい。「子どものことは私が一番よく
知っている」という過信と錯覚のもと、子どもの進路はもちろん、子どもの心まで、親のほうで勝
手に決めてしまう。そこで私が、「私のところは、個人の教室で、進学塾ではありません。受験
が目的なら、そういう塾へ行かれるほうがよいかと思います」と言うと、「それがわかっているか
ら、ぜひ、お願いします」と。

 そこでMさんの子どもに面談してみることにした。本人が「やりたい」と言うなら、引きうけるつ
もりでいた。しかし子どもは、最初から元気のない様子で、こう言った。「よろしくお願いします」
と。

私「本当に、ここで勉強したいの?」
子「うん……」
私「いやだったら、いやだと言えばいいんだよ」
子「いやじゃないけど……」
私「あのね、先生のほうから、うまく言って、お母さんに断ってあげようか?」
子「……そんなことしたら、お母さんに、叱られる……」
私「いいんだよ。言い方はいろいろあるからね。今は、忙しいから、引きうけられないとか、そう
いうふうに言えばいいんだから……」
子「うん……」と。

 私がそのとき見た感じでは、「勉強どころではない」だった。子どもの精神そのものが、萎縮し
ていた。C高校やD高校どころか、無事、どこかの高校へ入ることすらむずかしいのではと思っ
た。原因は母親の過干渉と過関心。もちろんMさんには、そんなことは言わない。言う必要もな
い。また言ってはならない。

 が、つぎにまた母親に会うと、こう言った。「あのEさん。あの子は、先生のところにいたんで
すってね。あのEさん、京都のK大学に入ったというじゃあ、ありませんか。すばらしいことです
わ。それにF君。あの子も先生のところにいたんですってねえ。あのF君は、東京のA私立中学
に合格したとか」と。

 私の生徒が、みな、首尾よく有名高校や大学(こういう言い方は不愉快だが……)に入学して
いるわけではない。進学率ということになれば、たしかにほかの進学塾よりは進学率は、はる
かによいかもしれない。しかしそうでない子どもも、多い。

 Mさんは、上ばかり見ていた。目が上についているようにも感じた。だから下が見えない。下
を見ようともしない。このままいけば、親の過剰期待が原因で、Mさんの子どもがバーントアウ
トする可能性はきわめて高い。不登校を繰りかえすようになるかもしれない。何らかの障害を
もつようになることだって考えられる。引きこもりや、家庭内暴力を起こすようになるかもしれな
い。しかしMさんには、それがわからない。

 さらに数日してから、私は、Mさんの子どもを預かるのを断った。親の期待が、子どもの実力
と、大きくかけ離れているときは、早めに断ったほうがよい。これは私が、この三〇年間で身に
つけた処世術のようなもの。へたに手を染めると(失礼!)、私自身も、受験競争のドロ沼に巻
きこまれてしまう。そうなればなったで、体がいくつあっても、足りない。心も、もたない。いや、
それ以上に、子どもが犠牲になる。

 そのあと、Mさんの話は聞かない。今度、そのあとどうなったか、どこかで聞いてみようと思
う。その報告は、またの機会にする。
(030225)

●教育とは、自然の性、すなわち天性に従うことである。国家、あるいは社会のためを目標と
し、国民とか公民になす教育は、人の本性を傷つけるものである。(ルソー「エミール」)
●教育の目標は、それぞれの人が、教育を終えたあとも、自己の教育を継続できるようにする
ことである。(デューイ「教育論」)

++++++++++++++++++

【追記】

 このMさんのことを書いていて、思い出した生徒(小四女児)がいる。Rという名前の女の子
だった。まじめすぎるほど、まじめな子だった。小学生だったが、几帳面(きちょうめん)な会計
士をそのまま子どもにしたような子だった。言葉づかいも、まったく乱れなかった。ときどき、母
親と話す機会があったが、「家でもそうだ」と、母親は言った。

 Rさんは、経済的には恵まれていたが、家族の愛には、そうでなかった。両親は結婚当初か
ら、まったくの別居状態だった。家族の体裁をかろうじて支えていたのは、世間体だった。

(中略)

 そのR子さんは、小学六年生になるとき、私の教室を去っていった。R子さんの妹から、R子
さんの母親が、すでにK進学塾への申し込みをしたという話を聞いていた。こういうケースで
は、私はまったく、無力でしかない。

「……先生、私、この教室をやめたくないです」
「わかっているよ」
「また、いつか教えてもらえますか」
「いいよ。いつでも、もどっておいで」
「お母さんが、どうしてもK進学塾へ行けと言うから」
「わかっているよ。うちは、進学指導はしないから、ごめんね」
「……」と。

(中略)

 そのあとRさんは、不登校を断続的に繰りかえしながらも、市内の進学高校に入学した。しか
し入学と同時に、その段階で、そのまま燃えつきてしまった。あわせて過食症と拒食症を交互
に繰りかえすようになった。数か月もの間、部屋から一歩も出てこないこともあったという。Rさ
んの母親から、何度かめの相談を受けたのは、そのころだった。

「どうしてうちの子だけが、ああなってしまったのでしょう」
「決してR子さんだけでは、ないですよ」
「街を歩いていて、同年齢の子どもが元気そうなのを見ると、自分がなさけなくなります」
「そんなふうに、思ってはいけません。だれだって、風邪をひくでしょう。それと同じです」
「あの子は、本当にいい子でした」
「今でも、いい子ですよ」
「今でも……?」と。

 R子さんを、そういう子どもにしたのは、母親かもしれない。そうでないかもしれない。しかし母
親が原因でなかったとは、私にはとても言えない。が、原因など、こうなってみると、どうでもよ
いことかもしれない。R子さんは、R子さんだ。R子さんは、精一杯、よい子を演ずることによっ
て、自分を追いこんでいった。そしてそれがある日、突然、プッツンしてしまった。

 もしその途中の段階で、母親が友として、R子さんの横を歩いていたら、R子さんは、そうはな
らなかったかもしれない。あるいは多少の問題はあっても、こうまで症状をこじらせることはな
かった。そんなこともあって、私は、改めて、こう思う。

 親は、結局は、行き着くところまで自分で、行かないと、気づかない。ほとんどの親は、子ども
が何かのサインを出し始めても、「まさか……」「うちの子にかぎって……」と、それを見落として
しまう。さらに症状が進んでも、「まだ何とかなる」「今が最悪」と、無理をする。あるいは多少、
子どものできがよかったりすると、目いっぱい、無理をする。そしてあとはお決まりの悪循環。
この段階でも、親は、底の底に、もうひとつの底。さらにその下にもうひとつの底があることを
知らない。R子さんの母親も、最初は、「このままでは、うちの子は、大学へ行けなくなってしま
う」と言っていたが、私はそのとき、「その程度ですめばまだよいほうだ」と思った。

 さて、あなたはだいじょうぶか? あなたは自信をもって、子どもの横を友として歩いていると
言えるか? もしそうでないなら、一度、自分の子育てを見なおしてみたらよい。「子どものこと
は、私が一番よく知っている」「うちの子は、まだまだ伸びるはず」「私と子どもは、良好な親子
関係を築いている」「子どもは私に感謝しているはず」と思っている親ほど、あぶない。

+++++++++++++++++

燃え尽きる子どもについて書いた原稿です。(中日新聞経済み)

++++++++++++++++++

●「助けてほしい」   
 ある夜遅く、突然、電話がかかってきた。受話器を取ると、相手の母親はこう言った。「先生、
助けてほしい。うちの息子(高二)が、勉強しなくなってしまった。家庭教師でも何でもいいから、
してほしい」と。浜松市内でも一番と目されている進学校のA高校のばあい、一年生で、一クラ
ス中、二〜三人。二年生で、五〜六人が、燃え尽き症候群に襲われているという(B教師談)。
一クラス四〇名だから、一〇%以上の子どもが、燃え尽きているということになる。この数を多
いとみるか、少ないとみるか?

●燃え尽きる子ども
 原因の第一は、家庭教育の失敗。「勉強しろ、勉強しろ」と追いたてられた子どもが、やっと
のことで目的を果たしたとたん、燃え尽きることが多い。気が弱くなる、ふさぎ込む、意欲の減
退、朝起きられない、自責の念が強くなる、自信がなくなるなどの症状のほか、それが進むと、
強い虚脱感と疲労感を訴えるようになる。概してまじめで、従順な子どもほど、そうなりやすい。
で、一度そうなると、その症状は数年単位で推移する。脳の機能そのものが変調する。ほとん
どの親は、ことの深刻さに気づかない。気づかないまま、次の無理をする。これが悪循環とな
って、症状はさらに悪化する。その母親は、「このままではうちの子は、大学へ進学できなくな
ってしまう」と泣き崩れていたが、その程度ですめば、まだよいほうだ。

●原因は家庭、そして親
 親の過関心と過干渉がその背景にあるが、さらにその原因はと言えば、親自身の不安神経
症などがある。親が自分で不安になるのは、親の勝手だが、その不安をそのまま子どもにぶ
つけてしまう。「今、勉強しなければ、うちの子はダメになってしまう!」と。そして子どもに対し
て、しすぎるほどしてしまう。ある母親は、毎晩、子ども(中三男子)に、つきっきりで勉強を教え
た。いや、教えるというよりは、ガミガミ、キリキリと、子どもを叱り続けた。子どもは子どもで、
高校へ行けなくなるという恐怖から、それに従った。が、それにも限界がある。言われたことは
したが、効果はゼロ。だから母親は、ますますあせった。あとでその母親は、こう述懐する。
「無理をしているという思いはありました。が、すべて子どものためだと信じ、目的の高校へ入
れば、それで万事解決すると思っていました。子どもも私に感謝してくれると思っていました」
と。

●休養を大切に
 教育は失敗してみて、はじめて失敗だったと気づく。その前の段階で、私のような立場の者
が、あれこれとアドバイスをしてもムダ。中には、「他人の子どものことだから、何とでも言えま
すよ」と、怒ってしまった親もいる。私が、「進学はあきらめたほうがよい」と言ったときのこと
だ。そして無理に無理を重ねる。が、さらに親というのは、身勝手なものだ。子どもがそういう
状態になっても、たいていの親は自分の非を認めない。「先生の指導が悪い」とか、「学校が合
っていない」とか言いだす。「わかっていたら、どうしてもっとしっかりと、アドバイスしてくれなか
ったのだ」と、私に食ってかかってきた父親もいた。

 一度こうした症状を示したら、休息と休養に心がける。「高校ぐらい出ておかないと」式の脅し
や、「がんばればできる」式の励ましは禁物。今よりも症状を悪化させないことだけを考えなが
ら、一にがまん、二にがまん。あとは静かに「子どものやる気」が回復するのを待つ。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

英語教育

●衰退する日本の経済力

 またまた、一人の女性(母親、三二歳)が、私のところにやってきて、こう言った。「先生、私は
小学校での英語教育に反対です。先生も、反対してください。まだ日本語も満足に話せないよ
うな子どもが、どうして英語ですか!」と。

 もうすでに、アジアの経済拠点は、シンガポールに移ってしまった。アメリカでも、アジアの経
済ニュースは、シンガポール経由で入っている。もちろん東京マーケットの情報も、である。

 一方、東証外国部から、外国企業が、どんどんと撤退している。二〇〇二年一月の段階で、
上場している外国企業は、たったの三六社。この数はピーク時の約三分の一(九一年一二月
には一二七社)。さらに二〇〇二年に入って、マクドナルド社やスイスのネスレ社、ドレスナー
銀行やボルボも撤退を決めている。理由は「売り上げ減少」と「コスト高」。売り上げが減少した
のは不況によるものだが、コスト高の要因の第一は、翻訳料だそうだ(毎日新聞)。悲しいかな
英語がそのまま通用しない国だから、外国企業は何かにつけて日本語に翻訳しなければなら
ない。が、それだけではない。

 彼らが日本に住むとき、衣食住は別として、もっとも心配するのが、健康管理である。少し前
だが、アメリカ人の友人が、こう言った。「シンガポールでは、アメリカの病院とまったく同じよう
に、ドクターに診察してもらえる。しかし日本では、そうはいかない」と。

 一事が万事。日本の国際化は、三〇年は遅れた。たとえばあの韓国ですら、列車で旅をす
ると、どこへ行っても、案内板は、ハングル文字のほか、日本語や中国語、それに英語で書か
れている。車内アナウンスまで、日本語でしている。が、日本では、英語のアナウンスは、新幹
線だけ。しかも、吹き出すほど、不自然かつ、ヘタクソな英語。「ウエルカム・ツ・シンカンセン
(新幹線にようこそ)」などと言われると、日本人の私ですら、「別に、新幹線に乗りに来たので
はない!」と言ってしまう。

●教育は、二〇年先を見ながら組みたてる

 教育というのは、二〇年先、三〇年先をみて、組みたてなければならない。そんなわけで、は
っきり言って、今ごろ英語教育をはじめても、遅すぎる。先週も、国連大使の英語のスピーチを
聞いたが、あまりにもヘタクソで、私は唖然(あぜん)としてしまった。原稿の英語を棒読みして
いるだけ。隣の席は、たまたまイラク。そのイラクに気を使うだけの余裕もなく、ただひたすら原
稿を、一心不乱に見つめながら、棒読み! 私は、こう思った。「この程度の英語力で、どうし
て外国の代表と、英語で議論などできるだろうか」と。

 こういう現実を前にして、「英語教育は必要ない」とは! 私はあきれて、その女性に反論す
ることもできなかった。

 教育をもっと自由化しろ! 英語を学びたい子どもがいる。学びたくない子どももいる。英語
を教えたい親がいる。教えたくない子どももいる。英語教育が必要と思う教師がいる。必要でな
いと思う教師もいる。だったら、ドイツやカナダ、オーストラリアのように、クラブ制を導入すれば
よい。そしてその分、学校を早く終わったり、月謝の補助をすればよい。何からなにまで、学校
で……という発想が、もう古い。北海道から沖縄まで、同じ教育を平等にという発想では、いつ
までたっても意思統一などできるわけがない。どうして日本人よ、日本の親たちよ、こんな簡単
なことがわからない! 一部の県の一部の都市では、実験的にクラブ制を導入するところもで
てきた。しかしそれは、あくまでも実験的。

 「今からでも遅くない」とは、もう言いたくない。遅すぎる。とにかく遅すぎる。今ごろ自由化して
も、二〇年後には、日本は、世界どころか、アジアの中でも、ほかのアジアの国々についてい
きだけでも精一杯。これは予想でも、何でもない。もう確実な未来である。

 どこの学校へ行っても、校舎という建物だけは、度肝を抜くほど、立派。しかし中味は、驚くほ
ど、貧弱。それはちょうど、盆暮れのつけ届けでもらう、海苔(のり)に似ている。何枚も包装紙
を解いて、豪華な化粧箱をあけると、これまたきれいな缶が並んでいる。で、その缶のフタをか
えると、数枚ずつ海苔が透明の袋に入っている。ごていねいに、一袋ずつ、乾燥剤まで入って
いる! 今の学校教育が、この海苔と同じとは言わないが、しかし見かけの豪華さにだまされ
てはいけない。教育の価値は中味。未来性があるかないかで決まる。

●教育の自由化

 学校は、三時で終わればよい。ドイツのように単位制度にして、午前中だけで終われるように
してもよい。あとは子どもたちの希望と、方向性にあわせて、子どもたちが自由にクラブに通え
るようにすればよい。学校の中にクラブを作ってもよい。あるいはほかの学校にあるクラブに
行くようにしてもよい。こうすれば学校の先生の負担も軽くなるし、先生もやる気が出てくる。外
国語にしても、英語だけが外国語ではない。韓国語も、中国語も、親や子どもの希望、さらに
は社会的なニーズに応じて、自由に選択できるようにする。民間の活力を利用すれば、教育そ
のものが、もっと生き生きしてくるはず。

 が、こうした自由化には、一つ、大きな条件がある。それは官僚体制という不公平社会を是
正しておくこと。一方で、不公平社会を野放しにすれば、結局は、進学塾だけが「クラブ」という
ことになってしまう。そうなれば、教育の自由化など、まさに絵にかいたモチで終わってしまう。

 さあ、みなさん、どうする? 私は、このままでは、本当に日本は沈没してしまうと思う。それを
心配している。もっとも、私のようなものがこういうことを心配しても、どうにもならない。しかしも
し、みなさんが、それぞれの場で、ここに書いたようなことを口にしてくれれば、それはやがて
大きな力となって、日本の教育を変えていく。ためしにあなたの子どもの先生に、「教育をもっと
自由化すればいいですね」と言ってみてほしい。その言葉に、決して先生たちは怒らないは
ず。なぜなら、今の超の上に超がつく管理教育の中で、もっとも苦しんでいるのは、学校の先
生たちにほかならないからである。
(030223)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

親としての限度

ぜいたくからは、夢は生まれない。
飽食から、夢は生まれない。
享楽から、夢は生まれない。
安楽からは、夢は生まれない。

子どもをかわいがるということは、ぜいたくをさせることではない。
子どもをかわいがるということは、飽食にすることではない。
子どもをかわいがるということは、享楽にすることではない。
子どもをかわいがるということは、子どもを安楽にすることではない。

子どもを育てるということは、限度をわきまえること。
子どもをかわいがるということは、限度を超えないこと。
子どもをおとなにするということは、限度に耐えさせること。
子どもに夢をもたせるということは、限度の中で育てること。

親としてすべきことはする。
親としてしてはいけないことはしない。
「その限度を知っている親のみが、
真の家族の喜びを与えられる」(バートランド・ラッセル)。
(0030222)

●子どもは、すべての動物の中で、もっとも扱い方がむずかしい。なぜなら子どもはまだ、訓練
されない思慮の泉をもっとも多くもつがゆえに、動物のうちで、もっともずるく、すばしこく、高慢
であるからである。(プラトン「法律」)

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ウインド・トーカーズ

ニコラス・ケイジ主演の『ウインド・トーカーズ』(新作)という映画を見た。ニコラス・ケイジが演
ずる軍曹と、一人のナバホ族の兵隊との友情をテーマにした映画である。

 場所は、第二次大戦中のサイパン島。映画の中の「敵」は、日本軍。この種の映画は、見て
いると、いつも複雑な心境になる。いくらアメリカ映画でも、私は日本人だし、いくら日本軍が敵
という映画でも、私はその子孫なのだ。日本兵がつぎつぎと殺されるシーンなどは、見るだけで
も、いやなもの。

 で、映画そのものは、ドンパチの繰り返しで、それほどよい映画とは思わなかった。しかし最
初から最後まで、私とワイフがその映画に釘づけになったのには、理由がある。そのナハボ族
の役を演じた俳優が、私の二男にウリ二つと言えるほど、よく似ていたからだ。どう似ているか
は、もしその映画を見るようなことがあれば、そのあと、二男の写真と見くらべてみてほしい。
二男の写真は、二男のホームページに出ている。二男のホームページは、私のホームページ
のトップページから、アクセスできる。

 しかも二男は、今、アメリカに住んでいる。この前会ったとき、「人種差別はないか?」と聞く
と、あっさりと、「ある」と答えた。「差別されて、いやな思いをしたことはないか?」と聞くと、それ
にもあっさりと、「しょっちゅうだ」と答えた。

二男はもちろん、アジア人。これは世界中、どこへ行っても、事情は同じだが、「日本人だから
……」という理由で、特別に見てもらえるということはない。とくに二男が住んでいる中南部あた
りでは、大学生でも、日本がどこにあるか知らない人が多い。そこで私が、「そんなところに住
んでいるなら、日本に帰ってこい」と言うと、「偏見など、世界のどこへ行ってもある」と。

 映画の中でも、ナバホ族の兵隊は、白人の兵隊たちに、あれこれいやがらせを受ける。「裸
でいると、ジャップ(日本人)も、インディアンも区別つかない」と、ヤユされるところもある。その
兵隊が、ここにも書いたように二男に似ていたため、そのつど、私は見ていて、つらかった。
「二男もいじめられていなければいいが……」とか、「同じようなめにあっているのでは……」と
か、思ったりした。

 もっともアメリカ人にしても、みながみな、人種偏見をもっているわけではない。また日本人に
しても、他国の人に偏見をもっている人は、いくらでもいる。こうした偏見や差別は、二男が言う
ように、世界のどこにもある。おかしなことだが、同じ日本人どうしでもある。結論を先に言え
ば、こうした偏見をもつ人は、それだけでも、住む世界が狭いということになる。が、それだけで
はすまない。そうした偏見が、国家どうしの戦争に発展することもある。あのバーナードショー
も、「人類から愛国主義者をなくすまで、平和な世界はこないだろう」(「語録」)と書いている。

 あちこち話が飛びそうなので、ここでこの話はやめる。『ウインドトーカーズ』そのものは、何で
もない映画だったが、そんなわけで、私は、その映画を見ながら、あれこれ考えさせられた。
(030222)

【追記】
 民族としての誇りを、自己に対してもつことは許される。しかしその誇りを、他の民族に、押し
つけてはいけない。この種の誇りは、ときとして自己の優位性を示すために利用される。そして
その返す刀で、相手を否定するために利用される。危険か危険でないかということになれば、
民族主義は、その排他性ゆえに、それ自体、危険なものである。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

がまん論

●体重が六六キロに、逆戻り!

 正月過ぎに、体重が六三キロ台になり、喜んでいた。が、今夜、体重計に乗ってみると、何
と、六六キロ! ギョッ! あわててまた、ダイエット宣言。道理でこのところ、食事がおいしい
はずだ。昨夜も、夕飯のあと、パンを丸々一個、食べてしまった。

 『克己(こっき)』という言葉がある。「自分に克つ」という意味である。一見簡単そうだが、自分
に克つことはむずかしい。戦場で、幾百人の敵に勝つより、自分に克つことのほうが、はるか
にむずかしいと言った人もいる。私自身は、戦場に立ったことがないので、これについてはよく
わからない。が、教える立場で言うなら、「自分にきびしい教師ほど、子どもにやさしい。しかし
自分に甘い教師ほど、子どもにきびしい」というのは、正しい。

●自分との戦い

 ……と、まあ、おおげさな話は別にして、ダイエットというのは、まさに自分との戦いでもある。
食欲というのは、それくらい強い欲望と考えてよい。たとえばどこかの店で、料理を注文する。
目の前に、一人前の料理が並べられる。全部食べてしまうと、食べすぎということはわかってい
る。しかしいったん食べだすと、とまらない。そのときだ。「今日はここまで」と、箸をおく。ダイエ
ットしたことがある人なら、だれしも知っていると思うが、空腹感を残したまま、がまんして食事
を中断するのは、たいへんなことである。

 しかしこうしたがまんは、日常生活には、つきもの。その一つが、性欲。ネットサーフィンをし
ていると、ときどき、とんでもないサイトに出くわすことがある。「素人妻投稿クラブ」「混浴クラ
ブ」「輪姦クラブ」「SMクラブ」などなど。出会い系サイトのチャットルームの会話をながめてい
ると、「これが現実か!」とさえ思ってしまう。いや、そういうサイトを見たあと、自分のホームペ
ージやマガジンを読むと、自分のしていることが、バカらしく思えてくる。アクセス数にせよ、読
者数にせよ、彼らのそれは、私のホームページやマガジンとは、ゆうに二桁は違う!

●がまん

 が、ここでも、がまんする。「残り少ない人生だから、そういう楽しみがあってもいいのでは」と
いう誘惑も、ないわけではない。「どうせ排泄行為なのだから、それほどシリアスに考えることも
ないのでは」という思いも、ないわけではない。性欲を満たし、排泄(男は射精、女性はクライマ
ックス)したときの快感は、決してほかでは味わえないものである。が、それでもがまんする。

 私のばあい、もうひとつのがまんは、運動である。毎日、一、二時間のサイクリングは欠かし
たことがない。が、寒い日は、正直言って、つらい。しかしそれでも自転車にまたがる。そこで
も、やはり、同じようながまんを経験する。「できるならやめようか」とか、「今日一日ぐらいは、
さぼろうか」という思いが、いつもそのつど私を悩ます。

●自滅プログラム?

 そういう意味では、人間というのは、本来的には、怠け者なのかもしれない。「できるだけ楽を
しよう」と考えて、楽を求めるのではない。「できるだけ苦労を避けよう」と考えて、結果として、
楽な道を選ぶ? これは脳のどういうメカニズムによるものかは知らないが、考えようによって
は、自滅プログラムということになる。

 (苦労を避ける)→(運動不足になる)の悪循環を繰りかえしていれば、その人は、結局は健
康を害することになる。自滅することになる。そこで本来なら、つまり運動不足になったら、生き
るためのプログラムが作動して、食欲や性欲のように、運動を求める欲望が起きなければなら
ない。「運動不足だ。ああ、運動したい」と。しかし実際には、そういう欲望は、生まれない。

●がまんの美学

 そこで私は気がついた。食欲をがまんする力。性欲をがまんする力。そして運動するために
がまんする力は、同じものである、と。もう少しわかりやすく言うと、こうなる。

 食欲や性欲は、いわば生きていくために必要なプラスのプログラム。一方、苦労をしたくない
というのは、自滅の道につながるマイナスのプログラム。こうしたプラスとマイナスの、無数のプ
ログラムが、いつも同時に人間には作用している。が、どんなプログラムであるにせよ、度がす
ぎれば、害になる。そこで「がまん」という作用が働く。言いかえると、がまんすることこそが、人
間の意志、もっと言えば、人間が人間であるゆえんということになる。

●がまんするから人間

 がまんできるかどうかで、その人の意思の強さが決まる。そして意思の強さは、そのままその
人自身の、人間的な価値ということになる。プラスのプログラムであるにせよ、マイナスのプロ
グラムであるにせよ、本能的なプログラムに操られている間は、その人は、ただの「生きる動
物」にすぎない。しかしそうしたプログラムと戦い、自分の意思で自分をコントロールしたとき、
その人は、「生きる動物」の上に立つ「人間」ということになる。その、つまり自分をコントロール
するための一つの方法が、ここでいう「がまん」と考えてよい。

 ……と考えて、これで結論が出た。私は明日から、自信をもって、ダイエットする。しばらく苦
しい戦いがつづきそうだが、その戦いこそが、私が人間であるという証拠でもある。食欲や性
欲に負ければ、それはそのまま、人間としての私の敗北でもある。私は人間であるがために、
がまんする。人間であるということを証明するために、がまんする。「ははは。さあ、こい、食欲
め! 負けるもんか!」と。
(030224)

●あらゆる動物において、もっともはげしい欲望は、肉欲と飢餓である。(アディソン「スペクテ
ーター」)
●われわれをいちばん強く支配する欲望は、淫欲のそれである。この種の欲望は、これで足り
るということがない。満足させればさせるほど、ますます増長する。(トルストイ「読書の輪」)
●貪欲は、偶像礼拝にほかならず。(新約聖書・コロサイ人への手紙)

    ┌┐
    │ト
    ≧≦ ∪          z
   ━━━━━━        z
  /      \
 /        \く⌒\  ∩      では、みなさん、次回も
/  〜       〆  へく ^川     どうか、よろしくご購読ください。
〜―ノ∵しへ〜へ〜〜〜〜――//―人〇       どうか、お体を大切に!
   w         ⊂ノ            お元気で!
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞






件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■3-5-2

あとで伸びる子、伸び悩む子

 中学や高校の後半になって、学習面で、伸びる子と伸び悩む子がいる。どこがどう違うか?

 まず伸び悩む子どもだが、自分で勉強していくという姿勢そのものがない。依存心が強く、だ
れかに指示してもらわないと、何もできない。子どものときから、手取り、足取り、指導されてい
ると、子どもはそうなる。

 私の本業は、学習塾だから偉そうなことは言えないが、子どもは、その塾づけにしてはいけ
ない。子どもを塾づけにすれば、ある学年までは伸びるが、そのあと、伸び悩む。そこで私の
ばあい、子どもが高学年になればなるほど、「自分で勉強しなさい。わからないところだけをも
ってきなさい」というような教え方をする。一見、冷たい教え方に見えるかもしれないが、そのほ
うが、結局は、子どものためになる。

 まずいのは、子どもを塾づけにし、依存心をもたせてしまうこと。もっとも、ずるい進学塾など
は、親も子どもも、むしろ塾づけにすることによって、塾から離れられなくする。そのためにどう
するかということを、彼らは、企業戦略の一つとして、毎日のように研究している。簡単な方法
としては、「この塾を離れたら、勉強ができなくなりますよ」「成績がさがりますよ」という状態に
する。方法は、いくらでもある。

 ……こういう話は苦手なので、ここまでにしておく。私はそういう意味で、知りすぎている。詳し
く書けば、同業の仲間を裏切ることにもなる。私の姿勢はどうであれ、仲間は仲間だ。それに
いくら「私だけは違う!」と叫んでみても、世間は、そうはみてくれない。とくにこの日本では、地
位や肩書きだけで、相手を判断する。その傾向が強い。

 しかし大切なことは、子ども自身が、自ら伸びていくように、その方向性と原動力をつくるこ
と。そして子どもに任すところは、思いきって任す。親としては、やりすぎない。その限度をしっ
かりと守る。

 もちろんそれでも伸び悩む子どもというのは、いる。しかしあなたにも限界があるように、そし
て限界があったように、だれにでも限界はある。その限界を認めて、あとは子ども自身に任
す。もっとはっきり言えば、あきらめる。まずいのは、「まだ何とかなる」「うちの子はやればでき
るはず」と、子どもを追いたてること。そして伸びる芽まで、反対に摘んでしまうこと。

 では、どうするか……? それを説明するのが、私の役目ということになる。これからそれに
ついて、一つずつ説明していきたい。

●リズムを守り、無理をしない。
 学習面で子どもを伸ばすためには、リズムをつくり、そのリズムを守る。毎日のリズム、毎週
のリズム、そして学期ごとのリズム、と。そのリズムは、ときに単調で、退屈なものだが、そのリ
ズムの中で、子ども自身が変化するのを、辛抱強く、待つ。そういう意味で、学習塾を利用する
のは、悪いことではない。

 コツは、決して、無理をしないこと。子どもの能力が、七とか八のレベルなら、家庭での学習
は、五とか六のレベルで進める。大切なのは、子ども自身が感ずる達成感である。あるいは低
学年児であれば、満足感ということになる。「できる・できない」ではなく、「どう楽しんだ」かを大
切にする。

●本読みが、すべての学習の基本
 小学生のばあい、理科も社会科も、「理科的な国語」「社会科的な国語」と考えるとよい。つま
り本を読んで理解するが、理科や社会科の力の基本になる。反対に、本を読んで理解すると
いうことが苦手だと、ほとんどの科目に、その影響が出てくる。

 そんなわけで、読書を、家庭教育の中心にすえるとよい。アメリカの小中学校でも、読書(ラ
イブラリー)の授業を、たいへん重要視している。学校の図書室も、たいてい玄関を入ると、す
ぐのところにある。

 問題は、いかにして本を読ませるかだが、親がテレビを見ながら、子どもに向かって、「本を
読みなさい」は、ない。親自身が、日常的に本に接すること。そういう姿勢が、子どもを本好き
にする。

 ただ漢字と、計算練習は、別に、毎日少しずつしたほうがよい。しかし量に注意する。小学校
の低学年児では、毎日一〇〜二〇分が限度ではないか。高学年児でも三〇分を限度とする。
子どもにもよるが、毎日の課題は、過負担にならないようにするのが、コツ。

●月刊ワークブックを利用する
 現在、多くの月刊ワークブックが市販されている。チャレンジ、毎日の学習、ポピー、トレーニ
ングペーパー、エースなど。ここに名前をあげた教材は、どれも編集面ですぐれた教材であ
る。選ぶとしたら、この中のものを、推薦する。ただ子どもの好みやレベルの問題があり、どれ
がどうとは言えないが、だいたいつぎのような基準で選べばよい。

(チャレンジ)総合雑誌的で、子どもを楽しませる内容になっている。分厚い雑誌風の教材が送
られてくるが、子どもが実際取り組む内容は、見た目ほど、多くない。程度は、中レベル。中学
生、高校生用の「進研ゼミ」と連動していて、大学受験まで段階的につながっているので安心。
(ベネッセコーポレーション)

(毎日の学習)学習月刊雑誌としては、無駄のない編集になっている。勉強を意識した内容に
なっている。幅広い親子に支持され、長い年月をかけて熟成された教材と言える。程度は、中
のやや上レベル。(学研)

(ポピー)「ポピー」というやさしいネームから連想されるように、量も少なく、レベルもやや低い
が、子どもには、その分、負担が軽い。とりあえず月刊教材を……と考えている人には、選ん
で失敗がない。低学年児で、その気になれば、一時間程度ですませてしまう。親がそばについ
ていれば、予習用としても使える。(全家研)

(トレーニングペーパー)量も多く、本格的な月刊教材。遊びがほとんどない。かなり勉強ぐせ
のしっかりした子ども向き。レベルは、高いが、ステップアップ方式で編集されているので、そ
れをこなしていくうち、そのレベルまで到達できるようになっている。家庭教師などと併用する
と、効果が大きい。(教育社)

(エース)量も、内容も中レベル。子どもに負担がない編集になっている。学研の「毎日の学習」
に似た編集になっているが、「毎日の学習」より、ややレベルが低い。しかし値段が手ごろなの
で、もっとも無難な教材といえる。(リコー)

 以上、あなたの子どもの学力が心配なら、ポピーかエースを。まあまあふつう程度の学力が
あるなら、毎日の学習かチャレンジを。トップレベルをねらうなら、トレーニングペーパーを、と
いうことになる。値段的に手ごろなのは、エースかポピー。子どもの様子をみて、選ぶとよい。

●段階的に組みたてる
 子どもの教育はマラソンに似ている。スタートから飛び出すと、息切れしてしまう。あるいはい
つまでものんびりと走っているわけにはいかない。おおむね、つぎのようなステップを頭に置き
ながら、家庭教育を組みたてるとよい。

(小学一、二年児)「勉強は楽しい」ということだけを考えて、家庭学習を考える。この時期は、
「遊び半分、勉強半分」という考える。「勉強は、勉強部屋で、学習机に向かってするもの」とい
う固定観念は、あまり意味がない。

(小学三、四年児)リズムを大切にする。大きな変動は好ましくない。親があせって、リズムを乱
したりすると、学習そのものが大きな影響を受けるので注意する。子どもが自覚するまで辛抱
強く待つ。学校での学習がわかる程度にしながら、淡々と日々を過ごす。この時期は、無理を
しない。

(小学五、六年児)この時期になって、子どもに「勉強しよう」「もっとしなければ」という意欲が現
れてくる。その意欲に応じて、学習塾や進学塾をじょうずに利用するとよい。まずいのは、子ど
もの意思を確かめないまま、親が子どもを引き回すこと。この時期、一度子どもの「やる気」を
折ると、それを回復するのは、かなりむずかしい。子どもといいながら、すでに半分はおとなと
みて、子どもの心を大切にする。

●子どもの「力」を知る
 自分の子どもの能力が、どの程度かを知るのは、とても大切なこと。と、同時に、それを知る
のはたいへんむずかしい。そこで簡単なチェックテスト。つぎの項目で、あなたの子どもについ
て、あてはまるのに、(○)をつけてみてほしい。

( )ときどき、こんなこともわかっていないのと思うことがある。学校のテストでも、とんでもない
ミスをしたり、トンチンカンな答を書いたりすることが多い。
( )何となく毎回、そのつどごまかしてテストをしているような感じ。丸がついている問題でも、
あとで聞くと、まったく理解していないことがある。
( )学校の先生と話しても、ほとんどほめられることがない。クラスの仲間たちにも、軽く見られ
ているようなところがある。
( )家ではあきっぽく、無理に勉強をさせても、時間ばかりかかって、ほとんど何もしない。フリ
勉、ダラ勉が目につく。何ごとにつけ、集中力がない。
( )いつ見ても、机のまわりが雑然としている。勉強をしているという雰囲気が、あまり感じられ
ない。学校での様子を聞いても、「まあまあ」というような、あいまいな言い方をして、逃げてしま
う。
( )いつも、つきあっている仲間の子は、どの子も、できの悪そうな感じがする。趣味も享楽
的、退廃的。静かで知的な会話をすることができない。
( )趣味のハバもせまく、いつも同じ仲間と、同じようなことをしている。本といっても、読むの
はマンガばかり。作文や漢字が苦手。
( )ワークブックや教材を買い与えても、ほとんどしない。(月刊教材もたまっていく一方。)
( )何かを教えても、時間ばかりかかる。またやっとできるようになったと思っても、つぎの週に
は、きれいに忘れてしまっていることが多い。万事に逃げ腰。事務的。やる気がほとんどない。
( )幼児のときから、何かにつけて、遅れがち。言葉の発達、文字、数への興味など。そのつ
ど苦労をさせられた。親子のリズムがあまり合っていないと感ずることが多い。

 このテストで、

【○が8〜10個】?????
【○が5〜 7個】かなり能力的(学習面での)に心配な子どもとみる。(失礼!)
【○が2〜 4個】平均的な能力の子どもと思われる。
【○が0〜 1個】かなり優秀な子どもとみてよい。

 ここで、かなりきわどいことを書いてしまったが、能力を見誤ると、かえって伸びる芽を摘んで
しまう。そういう意味で、子どもの能力を的確に知るのは、子どもの能力を伸ばすための必要
不可欠な第一歩ということになる。この能力を見誤ると、(無理をする)→(ますます勉強が苦手
になる)の悪循環の中で、子どもの成績はますますさがる。

 小学三、四年生になると、子どもの学力も、かなり正確にわかっていくる。レベルも定着してく
る。そのレベルの範囲で、プラスアルファの部分として「伸び」を考えるのは、それは当然だとし
ても、あくまでもプラスアルファ。そういう視点で、子どもの学習をみる。
(030226)※

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【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

叱りの原点

 事情があって、犬小屋を、玄関のほうに移した。とたん、その翌朝から、ハナ(犬)が、ほえは
じめた。朝、四時一五分ごろ、新聞配達の人が来るのだが、その人にほえる。

 そこでほえるたびに、私は起きていき、ハナを叱る。この犬のほえ声ほど、近所迷惑なもの
はない。私はそれをよく知っている。

 が、叱っても、ほとんど、効果がない。犬という動物は、考える前に、声のほうが先に出るよう
だ。しかもハナは猟犬。もともとあまり知的レベルの高い犬ではない。

 初日。私はハナが何度かほえたあと、起きていき、いつもの調子で、「うるさい!」と、一喝し
た。ふだんなら、それで静かになる。その朝も、それで静かになった。

 二日目。前日とまったく同じ調子で、ほえた。そこで今度は、新聞を丸めて、たたくフリをし
た。この方法は、いつも最終的な方法として使うもので、ハナには、かなり脅威になるらしい。
そのフリをしてみせると、そのまま犬小屋にひっこんでしまった。

 犬のばあい、叱るほう、つまり私のほうには、「嫌われてもよい」という、どこか投げやり的な
叱り方になる。嫌われるとか、嫌われないとか、そういうことは、あまり考えない。いくら愛犬と
いっても、人間の子どもとは違う。第一、言葉が通じない。ある程度の体罰は、しかたない。
「痛み」を与えて、しつけるしかない。

 が、三日目もほえた。私は、朝、庭へ飛び出すと、ハナを追いかけた。追いかけて、犬小屋で
追い込んだ。そこで近くにあった、脚立で、入り口をふさいだ。ハナは、犬小屋の中で、ウーウ
ーとうなっていた。ハナは、明らかに恐怖感を覚えているようだった。

 しかし、だ。そこが犬。これだけ毎朝、叱っても、ハナは、またつぎの朝も、ほえた。いつかワ
イフが、「ハナは、バカだ」と言っていたが、そのときは、私もそう思った。学習能力が、ほとん
ど、ない。しかしハナにしてみれば、多分、言い分はあるのだろう。通行人は、家の中まで入っ
てこない。しかし新聞配達の人は、敷地の中まで入ってくる。私の家のポストは、玄関脇につい
ている。

 私は犬小屋に逃げたハナを、外へ出して説教しようとした。そして小屋に手をつっこんだとこ
ろで、おびえたハナが、さらにけたたましくほえて、私の手をかんだ。「飼犬に手をかまれる」と
は、まさにこのこと。指先から少し、血が出た。私は、近くにあった板で、入り口をふさいだ。

 その朝は、指を消毒したりしているうちに、そのまま眠られなくなってしまった。書斎に入り、
一時間ほど、原稿を書いた。書きながら、ハナのことが気になった。言うなればハナは独房に
入ったわけだが、しかしこれはいくら犬でも、かわいそうだ。一時間ほどあとに、入り口をふさい
でいた板をはずしてやった。ハナはいつものように、体を私にすりよせてきて、精一杯、愛敬を
ふりまいた。

 子育てにおいても、いかに子どもを叱るかは、重要なポイントになっている。恐怖心を与えな
い。威圧しない。暴力を加えない。言うべきことは繰りかえし、淡々と言う。そしてあとは、言っ
たことが、子どもの脳にしみこむまで、時間を待つ。……これが原則だが、犬には、この方法
は、通用しない。ここにも書いたように、言葉が通じない。それに犬という動物は、考えるよりも
先に、ほえてしまう。これは犬の本性のようなもの。

 そこで私とワイフの出した結論は、また以前の場所に、犬小屋をもどす、だった。で、この原
稿を書く少し前、その作業を完了した。考えてみれば、犬小屋を移したことが、ハナを神経質
にしたのかもしれない。犬にとっても、寝場所というのは、神聖不可侵の聖域。その寝場所を
移したのだから、ハナはハナなりに、情緒が不安定になったのかもしれない。「犬だから……」
と安易に考えた私のほうが、まちがっていた。

 で、改めて、叱り方の原点を考える。

 私がハナを叱ったとき、私は、頭に血がのぼるのを覚えた。そのとき私は、瞬間だが、ハナ
への愛情が消えたのを感じた。とくに手をかまれたときは、そうだった。「こんな犬は、保健所
に送ってやる!」とさえ思った。「怒り」というのはそういうものか。それまでの関係を、こなごな
に破壊してしまう。そればかりか、ものの考え方そのものを、破滅的にしてしまう。

 一方、「恐怖」にも、同じような作用がある。ふだんはおとなしく、やさしいハナが、私の手をか
んだのが、それだ。もっとも本気でかんだのではない。本気でかんだら、私の指など、軽く食い
ちぎってしまうだろう。牛の骨でも、バリバリと、人間がせんべいを食べるかのようにして食べて
しまう犬である。かんだというより、私の手をはらいのけたとみるべき? 

 そのとき、私の「怒り」と、ハナの「恐怖」が、真正面から、ぶつかった。しかしこうなると、叱る
ほうも、叱られるほうも、理性などない。判断力もない。ハナにも、ない。だからいくら叱っても、
意味がない。朝食のとき、ワイフはこう言った。「ハナは、なぜ自分が叱られているか、わかっ
ていないのよ」と。私は、「そうだ」とうなずいた。

 こうして朝の騒動は、多分、今日でおしまい。あとで追記の形で、明日の朝のことを書く。明
日は、ハナはほえないだろうと思うが、本当のところ、心配は心配だ。明日またほえるようなこ
とがあれば、今度こそ、近所の人はだまっていないだろう。クワバラ、クワバラ!
(030223)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩

 
親としての限度

ぜいたくからは、夢は生まれない。
飽食から、夢は生まれない。
享楽から、夢は生まれない。
安楽からは、夢は生まれない。

子どもをかわいがるということは、ぜいたくをさせることではない。
子どもをかわいがるということは、飽食にすることではない。
子どもをかわいがるということは、享楽にすることではない。
子どもをかわいがるということは、子どもを安楽にすることではない。

子どもを育てるということは、限度をわきまえること。
子どもをかわいがるということは、限度を超えないこと。
子どもをおとなにするということは、限度に耐えさせること。
子どもに夢をもたせるということは、限度の中で育てること。

親としてすべきことはする。
親としてしてはいけないことはしない。
「その限度を知っている親のみが、
真の家族の喜びを与えられる」(バートランド・ラッセル)。
(0030222)

●子どもは、すべての動物の中で、もっとも扱い方がむずかしい。なぜなら子どもはまだ、訓練
されない思慮の泉をもっとも多くもつがゆえに、動物のうちで、もっともずるく、すばしこく、高慢
であるからである。(プラトン「法律」)

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

先を歩く母親

 親には三つの役目がある。ガイドとして、子どもの前を歩く。保護者として、子どものうしろを
歩く。そして友として、子どもの横を歩く。

 このうち、ガイドとして、子どもの前を歩くことしか考えていない親がいる。Mさん(四〇歳)が
そうだった。もうあれから五年になるだろうか、ある日、私のところへきて、こう言った。

 「先生、私はA進学塾も、B進学塾も、嫌いです。そこで先生にお願いしたいのです。私の希
望としては、C高校ぐらいには入ってほしいのですが、無理ならD高校でもいいです。ただ娘
(小六)には、これからも新体操だけはつづけてほしいと思っています。がんばれば、学校推薦
で、S高校に入れるかもしれません」と。

 Mさんと話していて、一番気になったのは、肝心の子どもの姿がまったく見えてこなかったこ
と。子どもに相談したという形跡すら、ない。何度も私が、「お子さんは、どう思っているのです
か?」と聞こうとしたが、Mさんは、一方的に、まくしたてるだけ。私の話にすら、耳を傾けようと
しなかった。

 こういう親は、少なくない。何割かがそうであると言ってもよい。「子どものことは私が一番よく
知っている」という過信と錯覚のもと、子どもの進路はもちろん、子どもの心まで、親のほうで勝
手に決めてしまう。そこで私が、「私のところは、個人の教室で、進学塾ではありません。受験
が目的なら、そういう塾へ行かれるほうがよいかと思います」と言うと、「それがわかっているか
ら、ぜひ、お願いします」と。

 そこでMさんの子どもに面談してみることにした。本人が「やりたい」と言うなら、引きうけるつ
もりでいた。しかし子どもは、最初から元気のない様子で、こう言った。「よろしくお願いします」
と。

私「本当に、ここで勉強したいの?」
子「うん……」
私「いやだったら、いやだと言えばいいんだよ」
子「いやじゃないけど……」
私「あのね、先生のほうから、うまく言って、お母さんに断ってあげようか?」
子「……そんなことしたら、お母さんに、叱られる……」
私「いいんだよ。言い方はいろいろあるからね。今は、忙しいから、引きうけられないとか、そう
いうふうに言えばいいんだから……」
子「うん……」と。

 私がそのとき見た感じでは、「勉強どころではない」だった。子どもの精神そのものが、萎縮し
ていた。C高校やD高校どころか、無事、どこかの高校へ入ることすらむずかしいのではと思っ
た。原因は母親の過干渉と過関心。もちろんMさんには、そんなことは言わない。言う必要もな
い。また言ってはならない。

 が、つぎにまた母親に会うと、こう言った。「あのEさん。あの子は、先生のところにいたんで
すってね。あのEさん、京都のK大学に入ったというじゃあ、ありませんか。すばらしいことです
わ。それにF君。あの子も先生のところにいたんですってねえ。あのF君は、東京のA私立中学
に合格したとか」と。

 私の生徒が、みな、首尾よく有名高校や大学(こういう言い方は不愉快だが……)に入学して
いるわけではない。進学率ということになれば、たしかにほかの進学塾よりは進学率は、はる
かによいかもしれない。しかしそうでない子どもも、多い。

 Mさんは、上ばかり見ていた。目が上についているようにも感じた。だから下が見えない。下
を見ようともしない。このままいけば、親の過剰期待が原因で、Mさんの子どもがバーントアウ
トする可能性はきわめて高い。不登校を繰りかえすようになるかもしれない。何らかの障害を
もつようになることだって考えられる。引きこもりや、家庭内暴力を起こすようになるかもしれな
い。しかしMさんには、それがわからない。

 さらに数日してから、私は、Mさんの子どもを預かるのを断った。親の期待が、子どもの実力
と、大きくかけ離れているときは、早めに断ったほうがよい。これは私が、この三〇年間で身に
つけた処世術のようなもの。へたに手を染めると(失礼!)、私自身も、受験競争のドロ沼に巻
きこまれてしまう。そうなればなったで、体がいくつあっても、足りない。心も、もたない。いや、
それ以上に、子どもが犠牲になる。

 そのあと、Mさんの話は聞かない。今度、そのあとどうなったか、どこかで聞いてみようと思
う。その報告は、またの機会にする。
(030225)

●教育とは、自然の性、すなわち天性に従うことである。国家、あるいは社会のためを目標と
し、国民とか公民になす教育は、人の本性を傷つけるものである。(ルソー「エミール」)
●教育の目標は、それぞれの人が、教育を終えたあとも、自己の教育を継続できるようにする
ことである。(デューイ「教育論」)

++++++++++++++++++

【追記】

 このMさんのことを書いていて、思い出した生徒(小四女児)がいる。Rという名前の女の子
だった。まじめすぎるほど、まじめな子だった。小学生だったが、几帳面(きちょうめん)な会計
士をそのまま子どもにしたような子だった。言葉づかいも、まったく乱れなかった。ときどき、母
親と話す機会があったが、「家でもそうだ」と、母親は言った。

 Rさんは、経済的には恵まれていたが、家族の愛には、そうでなかった。両親は結婚当初か
ら、まったくの別居状態だった。家族の体裁をかろうじて支えていたのは、世間体だった。

(中略)

 そのR子さんは、小学六年生になるとき、私の教室を去っていった。R子さんの弟から、R子
さんの母親が、すでにK進学塾への申し込みをしたという話を聞いていた。こういうケースで
は、私はまったく、無力でしかない。

「……先生、私、この教室をやめたくないです」
「わかっているよ」
「また、いつか教えてもらえますか」
「いいよ。いつでも、もどっておいで」
「お母さんが、どうしてもK進学塾へ行けと言うから」
「わかっているよ。うちは、進学指導はしないから、ごめんね」
「……」と。

(中略)

 そのあとRさんは、不登校を断続的に繰りかえしながらも、市内の進学高校に入学した。しか
し入学と同時に、その段階で、そのまま燃えつきてしまった。あわせて過食症と拒食症を交互
に繰りかえすようになった。数か月もの間、部屋から一歩も出てこないこともあったという。Rさ
んの母親から、何度かめの相談を受けたのは、そのころだった。

「どうしてうちの子だけが、ああなってしまったのでしょう」
「決してR子さんだけでは、ないですよ」
「街を歩いていて、同年齢の子どもが元気そうなのを見ると、自分がなさけなくなります」
「そんなふうに、思ってはいけません。だれだって、風邪をひくでしょう。それと同じです」
「あの子は、本当にいい子でした」
「今でも、いい子ですよ」
「今でも……?」と。

 R子さんを、そういう子どもにしたのは、母親かもしれない。そうでないかもしれない。しかし母
親が原因でなかったとは、私にはとても言えない。が、原因など、こうなってみると、どうでもよ
いことかもしれない。R子さんは、R子さんだ。R子さんは、精一杯、よい子を演ずることによっ
て、自分を追いこんでいった。そしてそれがある日、突然、プッツンしてしまった。

 もしその途中の段階で、母親が友として、R子さんの横を歩いていたら、R子さんは、そうはな
らなかったかもしれない。あるいは多少の問題はあっても、こうまで症状をこじらせることはな
かった。そんなこともあって、私は、改めて、こう思う。

 親は、結局は、行き着くところまで自分で、行かないと、気づかない。ほとんどの親は、子ども
が何かのサインを出し始めても、「まさか……」「うちの子にかぎって……」と、それを見落として
しまう。さらに症状が進んでも、「まだ何とかなる」「今が最悪」と、無理をする。あるいは多少、
子どものできがよかったりすると、目いっぱい、無理をする。そしてあとはお決まりの悪循環。
この段階でも、親は、底の底に、もうひとつの底。さらにその下にもうひとつの底があることを
知らない。R子さんの母親も、最初は、「このままでは、うちの子は、大学へ行けなくなってしま
う」と言っていたが、私はそのとき、「その程度ですめばまだよいほうだ」と思った。

 さて、あなたはだいじょうぶか? あなたは自信をもって、子どもの横を友として歩いていると
言えるか? もしそうでないなら、一度、自分の子育てを見なおしてみたらよい。「子どものこと
は、私が一番よく知っている」「うちの子は、まだまだ伸びるはず」「私と子どもは、良好な親子
関係を築いている」「子どもは私に感謝しているはず」と思っている親ほど、あぶない。

+++++++++++++++++

燃え尽きる子どもについて書いた原稿です。(中日新聞経済み)

++++++++++++++++++

●「助けてほしい」   
 ある夜遅く、突然、電話がかかってきた。受話器を取ると、相手の母親はこう言った。「先生、
助けてほしい。うちの息子(高二)が、勉強しなくなってしまった。家庭教師でも何でもいいから、
してほしい」と。浜松市内でも一番と目されている進学校のA高校のばあい、一年生で、一クラ
ス中、二〜三人。二年生で、五〜六人が、燃え尽き症候群に襲われているという(B教師談)。
一クラス四〇名だから、一〇%以上の子どもが、燃え尽きているということになる。この数を多
いとみるか、少ないとみるか?

●燃え尽きる子ども
 原因の第一は、家庭教育の失敗。「勉強しろ、勉強しろ」と追いたてられた子どもが、やっと
のことで目的を果たしたとたん、燃え尽きることが多い。気が弱くなる、ふさぎ込む、意欲の減
退、朝起きられない、自責の念が強くなる、自信がなくなるなどの症状のほか、それが進むと、
強い虚脱感と疲労感を訴えるようになる。概してまじめで、従順な子どもほど、そうなりやすい。
で、一度そうなると、その症状は数年単位で推移する。脳の機能そのものが変調する。ほとん
どの親は、ことの深刻さに気づかない。気づかないまま、次の無理をする。これが悪循環とな
って、症状はさらに悪化する。その母親は、「このままではうちの子は、大学へ進学できなくな
ってしまう」と泣き崩れていたが、その程度ですめば、まだよいほうだ。

●原因は家庭、そして親
 親の過関心と過干渉がその背景にあるが、さらにその原因はと言えば、親自身の不安神経
症などがある。親が自分で不安になるのは、親の勝手だが、その不安をそのまま子どもにぶ
つけてしまう。「今、勉強しなければ、うちの子はダメになってしまう!」と。そして子どもに対し
て、しすぎるほどしてしまう。ある母親は、毎晩、子ども(中三男子)に、つきっきりで勉強を教え
た。いや、教えるというよりは、ガミガミ、キリキリと、子どもを叱り続けた。子どもは子どもで、
高校へ行けなくなるという恐怖から、それに従った。が、それにも限界がある。言われたことは
したが、効果はゼロ。だから母親は、ますますあせった。あとでその母親は、こう述懐する。
「無理をしているという思いはありました。が、すべて子どものためだと信じ、目的の高校へ入
れば、それで万事解決すると思っていました。子どもも私に感謝してくれると思っていました」
と。

●休養を大切に
 教育は失敗してみて、はじめて失敗だったと気づく。その前の段階で、私のような立場の者
が、あれこれとアドバイスをしてもムダ。中には、「他人の子どものことだから、何とでも言えま
すよ」と、怒ってしまった親もいる。私が、「進学はあきらめたほうがよい」と言ったときのこと
だ。そして無理に無理を重ねる。が、さらに親というのは、身勝手なものだ。子どもがそういう
状態になっても、たいていの親は自分の非を認めない。「先生の指導が悪い」とか、「学校が合
っていない」とか言いだす。「わかっていたら、どうしてもっとしっかりと、アドバイスしてくれなか
ったのだ」と、私に食ってかかってきた父親もいた。

 一度こうした症状を示したら、休息と休養に心がける。「高校ぐらい出ておかないと」式の脅し
や、「がんばればできる」式の励ましは禁物。今よりも症状を悪化させないことだけを考えなが
ら、一にがまん、二にがまん。あとは静かに「子どものやる気」が回復するのを待つ。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


英語教育

●衰退する日本の経済力

 またまた、一人の女性(母親、三二歳)が、私のところにやってきて、こう言った。「先生、私は
小学校での英語教育に反対です。先生も、反対してください。まだ日本語も満足に話せないよ
うな子どもが、どうして英語ですか!」と。

 もうすでに、アジアの経済拠点は、シンガポールに移ってしまった。アメリカでも、アジアの経
済ニュースは、シンガポール経由で入っている。もちろん東京マーケットの情報も、である。

 一方、東証外国部から、外国企業が、どんどんと撤退している。二〇〇二年一月の段階で、
上場している外国企業は、たったの三六社。この数はピーク時の約三分の一(九一年一二月
には一二七社)。さらに二〇〇二年に入って、マクドナルド社やスイスのネスレ社、ドレスナー
銀行やボルボも撤退を決めている。理由は「売り上げ減少」と「コスト高」。売り上げが減少した
のは不況によるものだが、コスト高の要因の第一は、翻訳料だそうだ(毎日新聞)。悲しいかな
英語がそのまま通用しない国だから、外国企業は何かにつけて日本語に翻訳しなければなら
ない。が、それだけではない。

 彼らが日本に住むとき、衣食住は別として、もっとも心配するのが、健康管理である。少し前
だが、アメリカ人の友人が、こう言った。「シンガポールでは、アメリカの病院とまったく同じよう
に、ドクターに診察してもらえる。しかし日本では、そうはいかない」と。

 一事が万事。日本の国際化は、三〇年は遅れた。たとえばあの韓国ですら、列車で旅をす
ると、どこへ行っても、案内板は、ハングル文字のほか、日本語や中国語、それに英語で書か
れている。車内アナウンスまで、日本語でしている。が、日本では、英語のアナウンスは、新幹
線だけ。しかも、吹き出すほど、不自然かつ、ヘタクソな英語。「ウエルカム・ツ・シンカンセン
(新幹線にようこそ)」などと言われると、日本人の私ですら、「別に、新幹線に乗りに来たので
はない!」と言ってしまう。

●教育は、二〇年先を見ながら組みたてる

 教育というのは、二〇年先、三〇年先をみて、組みたてなければならない。そんなわけで、は
っきり言って、今ごろ英語教育をはじめても、遅すぎる。先週も、国連大使の英語のスピーチを
聞いたが、あまりにもヘタクソで、私は唖然(あぜん)としてしまった。原稿の英語を棒読みして
いるだけ。隣の席は、たまたまイラク。そのイラクに気を使うだけの余裕もなく、ただひたすら原
稿を、一心不乱に見つめながら、棒読み! 私は、こう思った。「この程度の英語力で、どうし
て外国の代表と、英語で議論などできるだろうか」と。

 こういう現実を前にして、「英語教育は必要ない」とは! 私はあきれて、その女性に反論す
ることもできなかった。

 教育をもっと自由化しろ! 英語を学びたい子どもがいる。学びたくない子どももいる。英語
を教えたい親がいる。教えたくない子どももいる。英語教育が必要と思う教師がいる。必要でな
いと思う教師もいる。だったら、ドイツやカナダ、オーストラリアのように、クラブ制を導入すれば
よい。そしてその分、学校を早く終わったり、月謝の補助をすればよい。何からなにまで、学校
で……という発想が、もう古い。北海道から沖縄まで、同じ教育を平等にという発想では、いつ
までたっても意思統一などできるわけがない。どうして日本人よ、日本の親たちよ、こんな簡単
なことがわからない! 一部の県の一部の都市では、実験的にクラブ制を導入するところもで
てきた。しかしそれは、あくまでも実験的。

 「今からでも遅くない」とは、もう言いたくない。遅すぎる。とにかく遅すぎる。今ごろ自由化して
も、二〇年後には、日本は、世界どころか、アジアの中でも、ほかのアジアの国々についてい
きだけでも精一杯。これは予想でも、何でもない。もう確実な未来である。

 どこの学校へ行っても、校舎という建物だけは、度肝を抜くほど、立派。しかし中味は、驚くほ
ど、貧弱。それはちょうど、盆暮れのつけ届けでもらう、海苔(のり)に似ている。何枚も包装紙
を解いて、豪華な化粧箱をあけると、これまたきれいな缶が並んでいる。で、その缶のフタをか
えると、数枚ずつ海苔が透明の袋に入っている。ごていねいに、一袋ずつ、乾燥剤まで入って
いる! 今の学校教育が、この海苔と同じとは言わないが、しかし見かけの豪華さにだまされ
てはいけない。教育の価値は中味。未来性があるかないかで決まる。

●教育の自由化

 学校は、三時で終わればよい。ドイツのように単位制度にして、午前中だけで終われるように
してもよい。あとは子どもたちの希望と、方向性にあわせて、子どもたちが自由にクラブに通え
るようにすればよい。学校の中にクラブを作ってもよい。あるいはほかの学校にあるクラブに
行くようにしてもよい。こうすれば学校の先生の負担も軽くなるし、先生もやる気が出てくる。外
国語にしても、英語だけが外国語ではない。韓国語も、中国語も、親や子どもの希望、さらに
は社会的なニーズに応じて、自由に選択できるようにする。民間の活力を利用すれば、教育そ
のものが、もっと生き生きしてくるはず。

 が、こうした自由化には、一つ、大きな条件がある。それは官僚体制という不公平社会を是
正しておくこと。一方で、不公平社会を野放しにすれば、結局は、進学塾だけが「クラブ」という
ことになってしまう。そうなれば、教育の自由化など、まさに絵にかいたモチで終わってしまう。

 さあ、みなさん、どうする? 私は、このままでは、本当に日本は沈没してしまうと思う。それを
心配している。もっとも、私のようなものがこういうことを心配しても、どうにもならない。しかしも
し、みなさんが、それぞれの場で、ここに書いたようなことを口にしてくれれば、それはやがて
大きな力となって、日本の教育を変えていく。ためしにあなたの子どもの先生に、「教育をもっと
自由化すればいいですね」と言ってみてほしい。その言葉に、決して先生たちは怒らないは
ず。なぜなら、今の超の上に超がつく管理教育の中で、もっとも苦しんでいるのは、学校の先
生たちにほかならないからである。
(030223)

    ┌┐
    │ト
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
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ブロードバンドをお楽しみのみなさんへ、
「はやし浩司のホームページ」に新しく動画コーナーをつくりました。私の生の声などを収録しま
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と読みやすくなります。お試しください。毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご
利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

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私こそ親のカガミ!
代償的過保護(失敗危険度★★★★★)(1278)

●代償的過保護
 本来、過保護というのは親の愛がその背景にある。その愛があり、何かの心配ごとが引き金
となって、親は子どもを過保護にするようになる。しかしその愛がなく、子どもを自分の支配下
において、自分の思いどおりにしたいという過保護を、代償的過保護という。いわば自分の心
のスキ間をうめるための、過保護もどきの過保護。親のエゴにもとづいた、自分勝手な過保護
と思えばよい。

 代償的過保護の特徴は、(1)親としての支配意識が強く、(2)子どもを自分の思いどおりに
したいという欲望が強い。そのため(3)心配過剰、過干渉、過関心になりやすい。(4)子どもを
人間というよりは、モノとして見る目が強く、子どもが自立して自分から離れていくのを望まない
などがある。そしてそういう愛を、理想的な愛と誤解することが多い。「私こそ、親のカガミ」と言
った母親すらいた。

●子どもを自分の支配下に
このタイプの親は、一見子どもを愛しているように見えるが、(また親自身もそう思い込んでい
るケースが多いが)、その実、子どもを愛するということがどういうことか、わかっていない。わ
からないまま、さまざまな手を使って、子どもを自分の支配下に置こうとする。もともとはわがま
まな性格の人とみてよいが、それゆえにものの考え方がどうしても自己中心的になる。「私は
絶対正しい」と思うのはその人の勝手だが、その返す刀で、相手を否定したり、人の話に耳を
傾けなくなる。がんこになることも多い。

●お前には学費が三〇〇〇万円かかった!
ある父親は、息子が家を飛び出し、会社へ就職したとき、その会社の社長に電話を入れ、強
引にその会社をやめさせてしまった。またある母親は、息子の結婚にことごとく反対し、そのつ
ど結婚話をすべて破談にしてしまった。息子を生涯、ほとんど家の外へ出さなかった母親もい
るし、お金で息子をしばった父親もいる。「お前には学費が三〇〇〇万円かかったから、それ
を返すまで家を出るな」と。

結果的にそうなったとも言えるが、宗教を利用して子どもをしばった親もいた。ことあるごとに、
「親を粗末にすると、バチが当たるぞ」と教えている親もいる。そうでない親には信じられないよ
うな話だが、実際にはそういう親も少なくない。ひょっとしたら、あなたの周囲にもこのタイプの
親がいるかもしれない。いや、あなたという親にも、いろいろな面があり、その中の一部に、こ
の代償的過保護的な部分があるかもしれない。もしそうならそうで、あなたの中のどの部分が
代償的過保護であり、あるいはどこから先がそうでないかを、冷静に判断してみるとよい。

●自分に気づくだけでよい
この問題は、どこが代償的過保護的であるかに気がつくだけで、問題のほとんどは解決したと
みる。ほとんどの親は、それに気づかないまま、代償的過保護を繰り返す。そしてその結果と
して、親子の間を大きく断絶させたり、反対に子ども自立できないひ弱な子どもにしたりする。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


うちの子は生まれつきそうです!
勉強が苦手な子ども(失敗危険度★★★★★)

●勉強が苦手な子ども
 勉強が苦手な子どもといっても、一様ではない。まず第一に、学習能力そのものが劣ってい
る子どもがいる。専門的には、多動型(動きがはげしい)、愚鈍型(ぼんやりしている)、発育不
良型(知的な発育そのものが遅れている)などに分けて考える。最近よく話題になる子どもに、
学習障害児(LD児)という子どももいる。教えても覚えない。覚えてもすぐ忘れる。覚えても応
用がきかない。集中力がつづかず、教えたことがたいへん浅い段階で止まってしまう、など。

●症状をこじらせない
 しかし実際に問題なのは、能力そのものに問題があるというよりは、たとえば私のようなもの
のところに相談があったときには、すでに手がつけられないほど、症状がこじれてしまっている
ということ。たいていは無理な学習や強制的な学習が日常化していて、学習するということその
ものに、嫌悪感を覚えたり、拒否的になったりしている。中には完全に自身喪失の状態になっ
ている子どももいる。

原因は親にあるが、親自身にその自覚がないことが、ますます指導を困難にする。どの親も、
「自分は子どものために正しいことをしただけ」と思っている。中には私がそれを指摘すると、
「うちの子は生まれつきそうです!」と反論する親さえいる。(生まれた直後から、それがわかる
人などいない!)

●コースからはずれたらダメ人間?
 ……と書きながら、日本の教育はどこかゆがんでいる。日本の教育にはコースというのがあ
って、親たちは自分の子どもがそのコースからはずれることを、異常なまでに恐れる。(「異常」
というのは、国際的な基準からしてという意味。)こういうばあいでも、本来なら子どもの能力に
あわせて、子どものレベルで教育を進めるのが一番よいのだが、日本ではそれができない。ス
ポーツが得意な子どももいれば、そうでない子どももいる。勉強についても、得意な子どもがい
る一方、不得意な子どもがいる。いてもおかしくないのだが、日本ではそういうものの考え方が
できない。勉強ができないことは悪いことだと決めてかかる。このことが、本来何でもないはず
の問題を、深刻な問題にしてしまう。それだけならまだしも、子どもに「ダメ人間」のレッテルを
はってしまう。考えてみれば、おかしなことだが、そのおかしさがわからないほどまで、日本の
子育てはゆがんでいる。

●落第を喜ぶアメリカの親たち
……という問題が、勉強が苦手な子どもの問題にはいつもついて回る。だからといって、勉強
などできなくてもよいと書くのは暴論だが、子どもの勉強は子どもの視点で考える。たとえばア
メリカでは、学校の先生が親に、子どもの落第を勧めると、親はそれに喜んで従う。「喜んで」
だ。ウソでも誇張でもない。事実だ。子どもの成績がさがったりすると、親のほうから落第を頼
みにいくケースも多い。アメリカの親は、「そのほうが子どものためになる」と考える。しかし日
本ではそうはいかない。そうはいかないところに、日本の子育ての問題がある。
がまん論

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●体重が六六キロに、逆戻り!

 正月過ぎに、体重が六三キロ台になり、喜んでいた。が、今夜、体重計に乗ってみると、何
と、六六キロ! ギョッ! あわててまた、ダイエット宣言。道理でこのところ、食事がおいしい
はずだ。昨夜も、夕飯のあと、パンを丸々一個、食べてしまった。

 『克己(こっき)』という言葉がある。「自分に克つ」という意味である。一見簡単そうだが、自分
に克つことはむずかしい。戦場で、幾百人の敵に勝つより、自分に克つことのほうが、はるか
にむずかしいと言った人もいる。私自身は、戦場に立ったことがないので、これについてはよく
わからない。が、教える立場で言うなら、「自分にきびしい教師ほど、子どもにやさしい。しかし
自分に甘い教師ほど、子どもにきびしい」というのは、正しい。

●自分との戦い

 ……と、まあ、おおげさな話は別にして、ダイエットというのは、まさに自分との戦いでもある。
食欲というのは、それくらい強い欲望と考えてよい。たとえばどこかの店で、料理を注文する。
目の前に、一人前の料理が並べられる。全部食べてしまうと、食べすぎということはわかってい
る。しかしいったん食べだすと、とまらない。そのときだ。「今日はここまで」と、箸をおく。ダイエ
ットしたことがある人なら、だれしも知っていると思うが、空腹感を残したまま、がまんして食事
を中断するのは、たいへんなことである。

 しかしこうしたがまんは、日常生活には、つきもの。その一つが、性欲。ネットサーフィンをし
ていると、ときどき、とんでもないサイトに出くわすことがある。「素人妻投稿クラブ」「混浴クラ
ブ」「輪姦クラブ」「SMクラブ」などなど。出会い系サイトのチャットルームの会話をながめてい
ると、「これが現実か!」とさえ思ってしまう。いや、そういうサイトを見たあと、自分のホームペ
ージやマガジンを読むと、自分のしていることが、バカらしく思えてくる。アクセス数にせよ、読
者数にせよ、彼らのそれは、私のホームページやマガジンとは、ゆうに二桁は違う!

●がまん

 が、ここでも、がまんする。「残り少ない人生だから、そういう楽しみがあってもいいのでは」と
いう誘惑も、ないわけではない。「どうせ排泄行為なのだから、それほどシリアスに考えることも
ないのでは」という思いも、ないわけではない。性欲を満たし、排泄(男は射精、女性はクライマ
ックス)したときの快感は、決してほかでは味わえないものである。が、それでもがまんする。

 私のばあい、もうひとつのがまんは、運動である。毎日、一、二時間のサイクリングは欠かし
たことがない。が、寒い日は、正直言って、つらい。しかしそれでも自転車にまたがる。そこで
も、やはり、同じようながまんを経験する。「できるならやめようか」とか、「今日一日ぐらいは、
さぼろうか」という思いが、いつもそのつど私を悩ます。

●自滅プログラム?

 そういう意味では、人間というのは、本来的には、怠け者なのかもしれない。「できるだけ楽を
しよう」と考えて、楽を求めるのではない。「できるだけ苦労を避けよう」と考えて、結果として、
楽な道を選ぶ? これは脳のどういうメカニズムによるものかは知らないが、考えようによって
は、自滅プログラムということになる。

 (苦労を避ける)→(運動不足になる)の悪循環を繰りかえしていれば、その人は、結局は健
康を害することになる。自滅することになる。そこで本来なら、つまり運動不足になったら、生き
るためのプログラムが作動して、食欲や性欲のように、運動を求める欲望が起きなければなら
ない。「運動不足だ。ああ、運動したい」と。しかし実際には、そういう欲望は、生まれない。

●がまんの美学

 そこで私は気がついた。食欲をがまんする力。性欲をがまんする力。そして運動するために
がまんする力は、同じものである、と。もう少しわかりやすく言うと、こうなる。

 食欲や性欲は、いわば生きていくために必要なプラスのプログラム。一方、苦労をしたくない
というのは、自滅の道につながるマイナスのプログラム。こうしたプラスとマイナスの、無数のプ
ログラムが、いつも同時に人間には作用している。が、どんなプログラムであるにせよ、度がす
ぎれば、害になる。そこで「がまん」という作用が働く。言いかえると、がまんすることこそが、人
間の意志、もっと言えば、人間が人間であるゆえんということになる。

●がまんするから人間

 がまんできるかどうかで、その人の意思の強さが決まる。そして意思の強さは、そのままその
人自身の、人間的な価値ということになる。プラスのプログラムであるにせよ、マイナスのプロ
グラムであるにせよ、本能的なプログラムに操られている間は、その人は、ただの「生きる動
物」にすぎない。しかしそうしたプログラムと戦い、自分の意思で自分をコントロールしたとき、
その人は、「生きる動物」の上に立つ「人間」ということになる。その、つまり自分をコントロール
するための一つの方法が、ここでいう「がまん」と考えてよい。

 ……と考えて、これで結論が出た。私は明日から、自信をもって、ダイエットする。しばらく苦
しい戦いがつづきそうだが、その戦いこそが、私が人間であるという証拠でもある。食欲や性
欲に負ければ、それはそのまま、人間としての私の敗北でもある。私は人間であるがために、
がまんする。人間であるということを証明するために、がまんする。「ははは。さあ、こい、食欲
め! 負けるもんか!」と。
(030224)※

●あらゆる動物において、もっともはげしい欲望は、肉欲と飢餓である。(アディソン「スペクテ
ーター」)
●われわれをいちばん強く支配する欲望は、淫欲のそれである。この種の欲望は、これで足り
るということがない。満足させればさせるほど、ますます増長する。(トルストイ「読書の輪」)
●貪欲は、偶像礼拝にほかならず。(新約聖書・コロサイ人への手紙)

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】雑感・雑談∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ウインド・トーカーズ

ニコラス・ケイジ主演の『ウインド・トーカーズ』(新作)という映画を見た。ニコラス・ケイジが演
ずる軍曹と、一人のナバホ族の兵隊との友情をテーマにした映画である。

 場所は、第二次大戦中のサイパン島。映画の中の「敵」は、日本軍。この種の映画は、見て
いると、いつも複雑な心境になる。いくらアメリカ映画でも、私は日本人だし、いくら日本軍が敵
という映画でも、私はその子孫なのだ。日本兵がつぎつぎと殺されるシーンなどは、見るだけで
も、いやなもの。

 で、映画そのものは、ドンパチの繰り返しで、それほどよい映画とは思わなかった。しかし最
初から最後まで、私とワイフがその映画に釘づけになったのには、理由がある。そのナハボ族
の役を演じた俳優が、私の二男にウリ二つと言えるほど、よく似ていたからだ。どう似ているか
は、もしその映画を見るようなことがあれば、そのあと、二男の写真と見くらべてみてほしい。
二男の写真は、二男のホームページに出ている。二男のホームページは、私のホームページ
のトップページから、アクセスできる。

 しかも二男は、今、アメリカに住んでいる。この前会ったとき、「人種差別はないか?」と聞く
と、あっさりと、「ある」と答えた。「差別されて、いやな思いをしたことはないか?」と聞くと、それ
にもあっさりと、「しょっちゅうだ」と答えた。

二男はもちろん、アジア人。これは世界中、どこへ行っても、事情は同じだが、「日本人だから
……」という理由で、特別に見てもらえるということはない。とくに二男が住んでいる中南部あた
りでは、大学生でも、日本がどこにあるか知らない人が多い。そこで私が、「そんなところに住
んでいるなら、日本に帰ってこい」と言うと、「偏見など、世界のどこへ行ってもある」と。

 映画の中でも、ナバホ族の兵隊は、白人の兵隊たちに、あれこれいやがらせを受ける。「裸
でいると、ジャップ(日本人)も、インディアンも区別つかない」と、ヤユされるところもある。その
兵隊が、ここにも書いたように二男に似ていたため、そのつど、私は見ていて、つらかった。
「二男もいじめられていなければいいが……」とか、「同じようなめにあっているのでは……」と
か、思ったりした。

 もっともアメリカ人にしても、みながみな、人種偏見をもっているわけではない。また日本人に
しても、他国の人に偏見をもっている人は、いくらでもいる。こうした偏見や差別は、二男が言う
ように、世界のどこにもある。おかしなことだが、同じ日本人どうしでもある。結論を先に言え
ば、こうした偏見をもつ人は、それだけでも、住む世界が狭いということになる。が、それだけで
はすまない。そうした偏見が、国家どうしの戦争に発展することもある。あのバーナードショー
も、「人類から愛国主義者をなくすまで、平和な世界はこないだろう」(「語録」)と書いている。

 あちこち話が飛びそうなので、ここでこの話はやめる。『ウインドトーカーズ』そのものは、何で
もない映画だったが、そんなわけで、私は、その映画を見ながら、あれこれ考えさせられた。
(030222)

【追記】
 民族としての誇りを、自己に対してもつことは許される。しかしその誇りを、他の民族に、押し
つけてはいけない。この種の誇りは、ときとして自己の優位性を示すために利用される。そして
その返す刀で、相手を否定するために利用される。危険か危険でないかということになれば、
民族主義は、その排他性ゆえに、それ自体、危険なものである。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●子どもを支配する
 
 人、親子でいえば子どもを支配する方法に、三つある。命令、同情、それに脅迫。

 「○○しなさい!」と命令する。このばあい、親は、いつも子どもに対して、優位な立場にいな
ければならない。一般的には、この方法で、親は子どもを支配する。しかしときに、親子関係が
逆転することがある。そういうとき親は、同情という方法を用いる。子どもに同情させながら、結
局は自分の思いどおりに、子どもを操るという方法である。

 Aさん(女性四五歳)が、それに気づいたのは、ごく最近のことだった。ある日、伯父(七三歳)
から、突然、電話がかかってきた。伯父はAさんにこう言った。「姉(Aさんの母親)の様子が、
おかしい。一度、姉の様子をみてほしい」と。そこでAさんが、母親(七六歳)の家に行ってみる
と、母親は、いつものように元気だった。Aさんは、こう言う。

 「母は、自分がさみしくなると、あちこちに電話をします。しかしそのとき、今にも死にそうな、
か弱い声で、あちこちに電話をするのです。それが母のクセなのですが、それで、みなが心配
して、私のところに電話をしてきたりするのです」と。

 が、それだけではない。たとえばAさんが、しばらく訪問してくれなかったとすると、Aさんの母
親は、伯父に、こんな電話をするという。

 「あああ、子どもなんて、育てるもんじゃないですね。孫ができると、みんな、親のことなんか、
忘れてしまって。親なんて、さみしいもんです」と。そしてAさんには、こう言う。若くして死んだ、
叔母のBさんのことを話題にしながら、「Bさんは、早く死んでよかったね。長生きしても、いいこ
とは何もないし……。私も早く、お迎えがこないかねえ」と。

●もともと依存心の強い人
 
こうした「同情」という方法を用いる人は、もともと依存心の強い人とみてよい。人間はだれしも
歳をとると、その依存心が強くなるが、もともと強い人は、さらに拍車がかかる。そして歳を重
ねた分だけ、その方法が巧みになる。ごく自然な形で、それをすることができるようになる。こ
れはYさん(女性七〇歳)のケース。

 Yさんが、息子や娘たちにお金をせびるときには、独特の方法を使う。まず健康状態がおも
わしくないことをにおわす。つぎに生活が苦しいことをにおわす。そして息子や娘たちが心配し
て電話をかけてきたりすると、こう言う。「心配しなくてもいいよ。お母さんは、○○さんが、先週
届けてくれた竹の子を、毎日、食べているからね。おいしいよ。お前たちにも、分けてあげたい
ね」と。

 息子や娘たちは、たがいに連絡をとりあい、Yさんに、いくらかのお金を送る。するとYさん
は、息子や娘たちにこう言う。「ありがとう。これで母さんも、安心してお前たちのために、先祖
様を、お祭りすることができるよ。お前たちのために、しっかりと、古里(ふるさと)を守っておい
てあげるからね。お金は、大切に使わせてもらうよ」と。

 同情と、恩着せは、いわばペアのようなもの。この二つを巧みに使い分けながら、結局は、子
どもを、自分の思いどおりに操る。よい例が、窪田聡氏とい人が作詞した、『かあさんの歌』と
いう歌である。「♪母さんは、夜なべをして、手袋、編んでくれた。『木枯らし吹いちゃ、冷たかろ
うて。せっせと編んだだよ』……」という、あの歌である。(『木枯らし吹いちゃ、冷たかろうて。せ
っせと編んだだよ』の部分は、母からの手紙の引用という形になっている。)仮にそうであって
も、親は息子に、こんな手紙を書いてはいけない。日本では、この歌は名曲の一つになってい
るが、名曲になっているということ自体、こうした同情と恩着せが、この日本では、ごく日常的に
なされていることを意味する。

●代償的愛
 
 親が子どもに感ずる愛には、三種類ある。本能的な愛、代償的愛、そして真の愛。こうして教
条的に、「愛」を分類するのは、正しくないかもしれないが、大まかに分ければそうういうことに
なる。

 このうち代償的愛というのは、子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりに動かし
たいという愛をいう。いわば愛もどきの愛ということになる。多くのばあい、自分の心のスキ間
を埋めるために、子どもを利用する。よい例が、溺愛である。

 ある母親は、毎朝、幼稚園の門のところに立って、自分の子どもをながめていた。そこで園
長が、「心配しなくてもいいですよ。任せてくださいね」と言うのだが、いっこうにそれに応ずる気
配がない。その母親は、園長にこう言った。「あの子は、私がそばにいてあげないと、何もでき
ない子どもですから」と。そしてこんなことがあった。

 幼稚園で、お泊り保育をしたときのこと。その母親は、一晩中、泣き明かしたというのだ。しか
もその母親は、そういう自分の姿を、「あるべき親の姿」として、みなに話したという。

 一般的には、溺愛している母親は、それを親の深い愛と誤解する。溺愛していることを、むし
ろ他人に誇ることが多い。しかし溺愛は、愛ではない。ここでいう代償的愛である。ほかにも、
たとえば子どもの受験勉強に狂奔する親がいる。このタイプの親は、「子どものため」と称し
て、結局は、子どもの心など、何も考えていない。自分の不安や心配を解消するために、そうし
ているにすぎない。

 ここでいう「子どもに同情させながら、子どもを自分の思いどおりに動かす」というのは、まさ
にその代償的愛ということになる。ふつうは、命令という形で、子どもを自分の支配下におこう
とするが、それがままならなくなると、親は、同情という手段を用いる、が、それでもままならな
いと、今度は、脅迫とという手段を用いる。

●子どもを脅迫する親

 私もこの話を最初に聞いたときには、耳を疑った。しかし現実に、こんな話がある。以前書い
た原稿の一部を、転載する。

++++++++++++

ストーカーする母親

 一人娘が、ある家に嫁いだ。夫は長男だった。そこでその娘は、夫の両親と同居することに
なった。ここまではよくある話。が、その結婚に最初から最後まで、猛反対していたのが、娘の
実母だった。「ゆくゆくは養子でももらって……」「孫といっしょに散歩でも……」と考えていた
が、そのもくろみは、もろくも崩れた。

 が、結婚、二年目のこと。娘と夫の両親との折り合いが悪くなった。すったもんだの家庭騒動
の結果、娘夫婦と、夫の両親は別居した。まあ、こういうケースもよくある話で、珍しくない。し
かしここからが違った。

 娘夫婦は、同じ市内の別のアパートに引っ越したが、その夜から、娘の実母(実母!)による
復讐が始まった。実母は毎晩夜な夜な娘に電話をかけ、「そら、見ろ!」「バチが当たった!」
「親を裏切ったからこうなった!」「私の人生をどうしてくれる。お前に捧げた人生を返せ!」と。
それが最近では、さらにエスカレートして、「お前のような親不孝者は、はやく死んでしまえ!」
「私が死んだら、お前の子どもの中に入って、お前を一生、のろってやる!」「親を不幸にした
ものは、地獄へ落ちる。覚悟しておけ!」と。

それだけではない。どこでどう監視しているのかわからないが、娘の行動をちくいち知ってい
て、「夫婦だけで、○○レストランで、お食事? 結構なご身分ですね」「スーパーで、特売品を
あさっているあんたを見ると、親としてなさけなくてね」「今日、あんたが着ていたセーターね、あ
れ、私が買ってあげたものよ。わかっているの!」と。

 娘は何度も電話をするのをやめるように懇願したが、そのたびに母親は、「親に向かって、
何てこと言うの!」「親が、娘に電話をして、何が悪い!」と。そして少しでも体の調子が悪くな
ると、今度は、それまでとはうって変わったような弱々しい声で、「今朝、起きると、フラフラする
わ。こういうとき娘のあんたが近くにいたら、病院へ連れていってもらえるのに」「もう、長いこと
会ってないわね。私もこういう年だからね、いつ死んでもおかしくないわよ」「明日あたり、私の
通夜になるかしらねえ。あなたも覚悟しておいてね」と。

+++++++++++++++

 ここまで極端な例は少ないにしても、これを薄めたようなケースとなると、いくらでもある。ひょ
っとしたら、あなたの親もそうかもしれない。さらにひょっとしたら、あなた自身もそうかもしれな
い。

●真の愛を

 子どもを愛するということは、そんな簡単なことではない。では、どうすればよいかということに
ついては、またの機会に考えるとして、こうした問題では、まず、自分がそうであることに気づ
かねばならない。

 あなたは、子どもを支配しようとしていないか。命令したり、同情したり、あるいは脅迫したりし
ていないか。もしそういう傾向が見られたら、今のこの段階で、その「芽」を、つぶしておいたほ
うがよい。でないと、先にも書いたように、この芽はますます大きくなり、やがてあなたの子育て
のあり方そのものをゆがめる。そして結果として、親子関係を破壊し、あなたはさみしく、孤独
な老後を迎えることになる。
(030224)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

正直(1)

 山荘を建てるとき、ジャリを買った。最初は庭師から買った。一立米、二万円だった。つぎに
近くのコンクリート会社から買った。そのときは、一立米、一万二〇〇〇円だった。そこで最後
は、自分たちでトラックを借りて、ジャリ会社から直接買った。ジャリ会社では、「重さ(トン売
り)」でジャリを売ってくれたので、正確な値段はわからないが、一立米に換算すると、二七〇
〇円以下ではなかった。これを並べてみると、こうなる。

   庭師      ……二〇〇〇〇円
   コンクリート会社……一二〇〇〇円
   ジャリ会社   …… 二七〇〇円

 この世界、値段があってないようなもの。しかし一方で、こういうことばかりしているから、結局
は信用されない。私たちも信用しない。しかしそれが回りまわって、その業種の全体評価となっ
てしまう。

 今、若い人で、政治家は信頼できると考えている人は、ほとんどいない。その理由のひとつと
して、つまり私たちが、「政治家はどうも?」と思うのは、こうした政治家の多くが、その裏で、土
建業者、もしくは不動産業者とからんでいるからではないのか。

 このことは、地方議会だけのことではない。県議会も、そして国会も、それぞれの議員の多く
が、その裏で、土建業者、もしくは不動産業者とからんでいる。違いといえば、スケールが違う
だけ。それぞれが公共事業という利権にぶらさがって、好き勝手なことを、し放題、している?

 結局は、私たち一人ひとりが、賢くなるしかない。私も、とても残念なことだが、土建業者や不
動産業者とつきあうときは、細心の注意を払う。小さな工事を頼むときでも、彼らがもってくる見
積書や仕様書などというものは、私たちをだます、七つ道具のひとつにすぎない。そう考えるよ
うにしている。

 ほかにも、たとえば山荘の工事では、いろいろな工事を、そのつど、土建業者にしてもらっ
た。水道管を埋設するときも、四〇センチ以上、穴をほるという約束だったが、実際には、一五
センチ以下だった。疑いをもった村の人が、掘り返してみせてくれたときには、私自身の信用
にキズがついてしまった。

 政治についてもそうで、私たち一人ひとりが、賢くなるしかない。賢くなって、人間を選ぶ目を
養うしかない。つまり、今の日本の政治が、ここまで質が悪くなってしまったのは、政治家を選
ぶ、私たちが、愚かだったということになる。私のエッセーにしては、かなり飛躍した結論になっ
てしまったが、結局は、そういうことになる。

 ついでに、こんな話もある。

 あるとき市議議員のX氏が、数名の選挙参謀をつれて、私の事務所へやってきた。そしてこ
う言った。「その先の堤防に、私は石段をつけようかと考えているのですが、いかがですか」と。

 事務所のオーナーがやってきて、うれしそうにこう言った。「ぜひ、お願いします。あそこに石
段があれば、便利になります」と。

 こうしてその市議会議議員は、そのあたりの家を一軒ずつ、回った。私はそれを見ながら、
「政治家もたいへんだなあ」と思った。が、ところが、である。工事は、何と、それから一か月も
しないうちに始まってしまった!

 その政治家は、その石段工事がすでに予定になっているのを知って、つまり自分の手がらに
見せるために、そうしたのだろう。というのも、いくら何でも、一か月というのは、早過ぎる。仮に
そういう計画があったとしても、議会での承認、工事費の見積もり、入札などなど、少なくとも半
年はかかるのでは? 私はその工事を見ながら、ますます政治家を信用しなくなった。

 これはあくまでも余談だが……。
(030224)

【追記】
 またまた否定的なことばかり書いてしまった。どうもこのところ、私の精神状態はよくないよう
だ。本当なら、「こういういい政治家もいます」「こういう良心的な土建業者もいます」というような
話を書くべきかもしれない。私のエッセーを読みつづけていると、きっと読者の人も、暗くなって
しまうだろう。

 ものを書くときは、つまり自分の意思を相手に伝えようと思うときは、どんなテーマであれ、ま
ず自分の精神状態を整えなければならない。整えたうえで、自分の考えをまとめる。でないと、
かえって、読者の方を、おかしな方向に導いてしまうことになる。そこであえて実験。今度は、
同じテーマで、心を整えてから書いてみる。

++++++++++++++++++++
(同じテーマで……)

正直(2)

 山荘を建てる前、私とワイフは、土地づくりに六年をかけた。もともとミカン畑になっていたと
ころを、ユンボで削って整え、そこに杉の木を植えた。私たちは、毎週、週末を、そのあたりで
過ごした。テントを張って、野宿したこともある。

 そんな中、一人の石組み屋の人と知りあった。Kさんという。知りあったとき、もう六〇歳をす
ぎていた。私はこのKさんに頼んで、山荘のまわりの石組みをしてもらった。Kさんの本職は、ミ
カン栽培。それで石組みをしてもらうにしても、Kさんの手がすいたときということになった。こう
して、実際には、五年ほどをかけて、少しずつ、石組みをしてもらった。

 ある日、Kさんは、こう言った。「私が作った石組みは、地震があっても、ビクともしない」と。K
さんは、このあたりで出る石灰岩を、一個ずつハンマーで叩いて形を整えてから、積みあげて
いた。内側にセメントをつめたが、鉄筋は使わなかった。「これが昔からのやり方でね」と。

 そのKさんの仕事に気迫がこもるようにんばったのは、すい臓ガンの手術をしてからだ。私が
「たいへんだったらいいですよ」と言うと、「ぜひ、私にやらせてください。私が完成します」と。い
つも奥さんが仕事を手伝っていたが、「この人は、言いだしたら聞かないのです」と笑ってい
た。

 石組みは、平米(へいべい・一平方メートル)単位で、値段が決まる。Kさんは、「平米、一万
五〇〇〇円でいい」と言った。だから高さ一・五メートル、一〇メートル幅で、二二万円前後とい
うことになる。相場の値段の約半額程度。私はいつも「申しわけない」と思いつつ、Kさんの仕
事を、休みには、手伝ったりした。

 そういうKさんの、いわゆる「まじめさ」は、どういうところから生まれたのか? いつだった
か、Kさんは、こんな話をしてくれた。

 「今の子どもたちは、学校が休みだというと、喜びますね。しかし私が子どものころは、学校
へ行くのが楽しみだった。家にいるとね、仕事ばかりさせられましたから……」と。何でも、燃料
で使う焚き木集めは、子どもの仕事だったという。Kさんは、山々の尾根を指でたどりながら、
「あのあたりまで焚き木を集めに行ったものです」と言った。

 私も子どものころ、学校の給食が楽しみだったのを覚えている。家での料理は、正直言っ
て、まずいものばかりだった。その話をすると、Kさんは、「今の子どもたちは、恵まれすぎてい
ますよ」と。

 子どもというのは、皮肉なものだ。楽をさせればさせるほど、そしてよい思いをさせればさせ
るほど、ドラ息子化する。しかし反対に、使えば使うほど、忍耐力のある、たくましい子どもにな
る。生活力も、身につく。私はKさんを見ていて、そう思った。

 で、そのあと、Kさんは、一時、抗がん剤をのんでいたため、どこかふつうでない様子のときも
あったが、どうやら病気のほうは、治ってしまったようだ。それからもう八年になるが、今でも、
ミカン栽培をしている。山荘に行く途中の道で、小型トラックを出して、一袋一〇〇円のミカンを
売っている。私は週末にその街道を通りすぎるたびに、Kさんは元気なんだなと思う。いや、少
し前までは、私たちの車(赤いカローラ)を目ざとく見つけ、ミカン畑から飛び出し、よく手を振っ
てくれた。が、新しい車(水色のビッツ)にかえてからは、それもなくなった。今度、新しい車を見
せながら、あいさつに行こうと思っている。

 そうそう山荘が完成したとき、私はKさん夫婦を、一番に山荘に招待した。なべ料理をごちそ
うした。それから山荘の裏手の床に、Kさんの名をコンクリートで刻んだ。それには、「一九九
六年八月・石組みを完成する・H・K・」と書いた。

+++++++++++++++++++

●こうして「正直(1)」と、「正直(2)」を書いてみた。同じようなテーマだが、書く私の視点が違う
と、多分、みなさんに与える印象も違うのでは……。同じ土建業者といっても、Kさんのような人
もいる。
(030224)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩
司 

読書

 このところ毎日のように、本を買っている。買うといっても、値段が手ごろな新書版。だいたい
五〇〇〜六〇〇円前後。その分、夕食は、四〇〇円前後であげる。私のばあい、夕食が外食
になる。(一日の小づかいは、二〇〇〇円なのだ!)

 正直に告白するが、あの文学小説ほど嫌いなものはない。文字をもてあそぶような表現方法
が気に入らない。たいした人生経験もないような人が(失礼!)、わかったようなことを、得意顔
で書くのが気に入らない。もし「書け」と言われるなら、私だって、あの程度の文章なら、いくらで
も書ける。

 ……小さな風流が、そこかしこに渦をつくり、小枝をさざめかす。その間から白い、朝の陽光
がいく筋もの帯をたらす。こまかいさざ波が、あちこちで重なりあって、こぜわしく動きあってい
る。私は、まだ開ききらない目を、数回手でこすりながら、どこか重ぼったい頭を熱いお茶でご
まかす。そしておもむろに、その日の新聞を開く……。

 こうした文章は、技巧的であるがゆえに、「私自身」ではない。が、何よりもこわいのは、読者
に、まちがった印象を与えることだ。文章というのは、そういう意味では、衣装に似ている。飾ろ
うと思えば、いくらでも飾れる。あの文学小説には、どうしてもその「飾り」がつきまとう。

 そんなわけで私が買うほとんどの本は、実用書。しかしおかしなことだが、育児の本や、教育
の本は、ほとんど買わない。そういう本に影響されるのが、いやだからだ。二番煎じのような文
章は、書きたくない。仮に私が言っていることが、だれかの言っていることに似ているとしても、
それは偶然によるもの。私のばあい、だれかが私と同じことを言っていると知ったときには、自
分の説をひっこめるようにしている。

 こんなことがあった。

 先日、テレビを見ていたワイフが、「あれっ、この人、あなたと同じことを言っている」と言っ
た。見ると、どこかの教育評論家が、対談しているところだった。「どんなことをしゃべった?」と
聞くと、「子育ては、子どもに子どもの育て方を教えることと言っていたわ」と。

 子どもに子どもの育て方を教えるのが子育て。……というのは、私の二五年来の持論でもあ
る。私はこのことを、幼稚園で教えているときに発見した。

 ある日のこと。園児たちに、「君たちは、おとなになったら、何になりたいですか?」と聞いたと
きのこと。子どもたちはいろいろなことを言ったが、ひとり、「私、幼稚園の先生になりたい」と言
った子どもがいた。そのときだ。私はこう思った。「そうか、じゃあ、先生が、その見本を見せて
あげよう。あなたが幼稚園の先生になったら、こういう先生になればいい」と。

 「子どもに子どもの育て方を教えるのが子育て」という、私の持論は、こうして生まれた。しか
しマスコミというのは、何かにつけて、東京という中央から、地方に流れてくる。いくら私が二五
年前から持論を唱えても、そういう声は、中央には届かない。いくら本を書いても、その本その
ものが売れない。この世界では、実力よりも、知名度がモノを言う。肩書きがモノを言う。で、ど
こかのだれかが私の持論と同じことを、テレビでしゃべったとする。するとその説は、その瞬
間、全国に流れ、私の説がそのまま吹き飛ばされてしまう。

 それ以後、私が、「子どもに子どもの育て方を教えるのが子育て」といくら言っても、二番煎じ
になってしまう! だから私の立場としては、自説を引っこめるしかない。

 そういうこともあって、つまりほかの人の子育て論や教育論を読んでいると、何かにつけて、
いろいろ影響を受けるので、私は、努めて、読まないようにしている。私は私だし、そういう姿
勢はこれからも貫きたい。もしどこかに私の意見と同じようなことを言っている人がいたら、そ
れはここにも書いたように、偶然か、そうでなければ、その人が私の説を盗んだかのどちらか
と考えてもらってよい。

 しかしこれだけは、読者の方に約束する。私はいまだかって、(当然だが……)、他人の意見
や文章を、盗用したことは一度もない。引用するときは、必ず、出典先を明記する。

 あちこちに話が飛んだが、今、読んでいる本は、「釈迦の遺言」(志村武著・三笠書房)。読み
ごたえのある良書である。ほかに週刊誌などは毎週三〜四冊は買っては、アメリカに住んでい
る二男に送っている。あとはパソコン雑誌や、旅行雑誌など。ときどき料理の本や、ラジコンの
本も買う。そのときの気分。小づかいのほとんどは、そんなわけで、本代に消える。
(030225)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩










件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■3-7-1

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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 641人
最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)  ……読者数(Nr. of Readers)  88人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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★★★★★★★★★★★★★★
03−3−7号(190)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 日記を読んでいただけます!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
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    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
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ブロードバンドをお楽しみのみなさんへ、
「はやし浩司のホームページ」に新しく動画コーナーをつくりました。私の生の声などを収録しま
した。どうかおいでください。サイト・トップページより、どうぞ!
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あんたの教え方ヘタだって、ママが言っていたよ!(1276)
先生の悪口は言わない(失敗危険度★★★)

●良好な人間関係が基本
 教育もつきつめれば人間関係。それで決まる。教師と生徒との良好な人間関係が、よい教
育の基本。この基本なくして、よい教育は望めない。そこで大原則。「子どもの前では、先生の
悪口は言わない」。先生を批判したり、あるいは子どもが先生の悪口を言ったときも、それに
相槌(づち)を打ってはいけない。打てば打ったで、今度は、「あなたが言った言葉」として、そ
れは先生の耳に入る。必ず、入る。子どもというのはそういうもので、先生の前では決して隠し
ごとができない。親よりも、園や学校の先生と接している時間のほうが長い。また先生も、この
種の会話には敏感に反応する。

●先生も人間
 一方、先生もまた生身の人間。中には聖人のように思っている人もいるかもしれないが、そう
いうことを期待するほうがおかしい。子どもと接する時間が長いというだけで、先生とてこの文
を読んでいるあなたと、どこも違わない。そこでこう考えてみてほしい。もしあなたが教師で、生
徒にこう言われたとする。「あんたの教え方ヘタだって、ママが言っていたよ」と。そのときあな
たはそれを笑って無視できるだろうか。中には、「あんたの教え方ヘタだから、今度校長先生
に言って、先生をかえてもらうとママが言っていた」と言う子どもさえいる。あなたは生徒のそう
いう言葉に耐えられるだろうか。

●学校の問題は、先生がいないところ
 教育というのは、手をかけようと思えば、どこまでもかけられる。しかし手を抜こうと思うえば、
いくらでも抜ける。ここが教育のこわいところでもあるが、それを決めるのが、冒頭にあげた
「人間関係」ということになる。実際、やる気を決めるのは、教師自身ではなく、この人間関係で
ある。それを一方で破壊しておいて、「よい教育をせよ」はない。が、それだけではすまない。

●結局は子どもの損に
 あなたが先生の悪口を言ったり、先生を批判したりすると、子ども自身もまた先生に従わなく
なる。一度そうなるとそれが悪循環となって、(損とか得とかいう言い方は好きではないが…
…)、結局は子ども自身が損をすることになる。仮に先生に問題があるとしても、子どもの耳に
入らないところで、問題を処理する。子どもが先生の悪口を言ったとしても、「あなたが悪いか
らでしょ」と言ってのける。これも大原則の一つである。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


学ぶものは山に登るごとし
知識と学力(失敗危険度★★★)

●知識と学力は別
 もの知りの人が、賢い人ということにはならない。知識と学力は本来別のものであり、これを
混同すると、教育そのものが混乱する。たとえば幼稚園児が掛け算の九九をペラペラと口にし
たとしても、その子どもが賢い子どもということにはならない。いわんや算数ができるとか、頭
のよい子ということにもならない。が、もしその子どもが、「車が三台では、そのタイヤの数は一
二」と、即座に計算できれば、算数のできる子どもということになる。その計算方法を自分で考
えだしたとしたら、さらに頭のよい子ということになる。

●知識教育が教育?
 ところがこの日本では、子どもに知識をつけさせることが教育だと思い込んでいる人が多い。
教育の体系そのものがそうなっている。たとえば学校でも、「わかったか」「覚えたか」「ではつ
ぎ……」という教え方が基本になっている。アメリカやオーストラリアでは、「どう思う?」「それは
いい考えだ」という教え方が基本になっている。また入試内容にしても、学力をためすというよ
りは、知識をためすものになっている。いろいろな改善策がこころみられてはいるが、基本的
にはこの構図は明治以来、変わっていない。

その結果というか、今でこそやや少なくなったが、三〇年前にはどこの進学高校にも、いわゆ
る頭のおかしい「勉強バカ」というのがいた。勉強しかしない、勉強しかできない、頭の中は成
績の数字だけという子どもである。しかしそういう子どもほど、スイスイと一流大学の一流学部
(「一流」という言い方は本当にいやだが……)へ進学していった。私は進学塾の講師をしなが
ら、そのときはそのときで、「こんなことでいいのか」と、少なからず疑問に思ったことがある。

●学ぶことは苦しい
 では、学力とは何か。また学力はどうやって養えばよいのか。実はその答はあなた自身が一
番よく知っている。あなたが今、三五歳なら三五歳でよい。あなたは二〇歳のときから今まで
の一五年間で、何かを自ら学ぼうとしたか。あるいは学んだか。何かを発見したとか、何かを
新たにできるようになったとか、そういうことでもよい。

そのとき「知識」は除外する。知識は学力ではない。するとたいていの人は、何もないことに気
づくはず。もともと学ぶということにはある種の苦痛がともなう。美濃部達吉も「語録」の中で、
「学ぶ者は山に登るごとし」と書いている。「学ぶということは楽ではない」と。だからたいていの
人は学ぶことを、自ら避けようとする。私やあなたとて例外ではない。学力とはそういうもので
あり、また学力を養うということはそういう苦痛との戦いでもある。つまりそれだけたいへんだと
いうこと。教育のテーマそのものと言ってもよい。ここでもう一度、あなたにとって子どもの教育
とは何か、それをじっくりと考えてみてほしい。

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】雑感・雑談∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

心の遊離

●リストラ
 会社をクビになる……。それは恐ろしいほどの衝撃。多分、給料を得るために働いたことの
ない人には、その衝撃は理解できないだろう。多くの、専業主婦たちも……?

 それがよいとか悪いとか言う前に、仕事に命をかけている男は多い。そういう男が、ある日突
然、リストラを言い渡される。しかしそれは単なるクビ切りではない。その人の人生を否定する
ことに等しい。少なくとも、リストラされた人は、そう感ずる。

 先日も、こんな話を聞いた。ある男性(四〇歳)が、会社をリストラされた。しかしその男性
は、そのことを妻や子どもたちに話すことができなかった。リストラされたあとも、毎日、朝、会
社へ行くフリをしながら、毎日ブラブラしながら、時間をつぶしていた、と。

 この話をワイフにすると、ワイフは、「どうして家族に(リストラされたことを)、話せないのかし
ら?」と言った。しかし残念ながら、家庭に入った専業主婦には、その悲しみは理解できない。
私のワイフは、ふつう以上に思いやりのある女性だとは思うが、そのワイフでも理解できな
い?

●妻には話せない
 私も、似たような経験をよくする。月末になって、「さようなら」と別れたあと、一人の子どもが
小さなメモをもってくる。「何か?」と思って見ると、「今日でBW(私の教室名)をやめます」と。
いろいろなやめ方があるが、そういうやめ方をされると、いくら三〇年の経験があるとはいえ、
体中からガクリと力が抜ける。

 何という無力感。虚脱感。決して、おおげさなことを言っているのではない。「教育」というの
は、ものの販売とは違う。そこには当然、「子どもへの思い入れ」がある。その思い入れが、あ
る日突然、一方的に切られてしまう。それから与えられるショックには、独得の空しさがともな
う。

 そういうとき私は、ワイフにとても、話す気にはなれない。たいていは翌月になって、月謝のチ
ェックが終わったあと、「○○さんは、どうしたの?」ということになってはじめて、「あの子はや
めたよ……」と、私は告げる。

 問題は、どうしてこういう「心の遊離」が、夫婦の間でも起こるかということ。そこで何人かの仲
間に、メールで聞くと、いろいろなことがわかった。

「どうせ、ワイフに言っても、わからないよな」と言った人がいた。「男には男のプライドがあるか
らな」と言った人もいた。一人、「うちの家内は、ノー天気だ」と言った人もいた。

●ノー天気という無責任
 ノー天気。……「ダンナはダンナ、私は私」と、ヘンな割りきりかたをする。割りきるのはよい
のだが、そのまま仕事(収入の責任)を、夫だけに押しつけてしまう。一見、すばらしい妻に見
えるが、しかしこれほどの悪妻は、ない。夫の仕事の苦しみなど、みじんも理解しない。……し
ようとさえしない。それこそ収入がなくなると、「男のクセに!」とか、「お金がなければ、生活で
きない!」と、夫を責める。夫にもそういう雰囲気がわかるから、たとえばリストラされても、そ
れを妻に話すことができない。

 これに似たようなことは、親子の間でも、起こる。たとえば子どもの成績がさがったとする。そ
のとき親が、不用意に、「何よ、この点数は!」「こんなことでは、いい学校に入れないでし
ょ!」と言ったとする。親は、子どもを励ましたり、子どもに自覚を促すためにそう言うが、しか
し言われた子どもは、そうは取らない。取らないばかりか、つぎから、学校でのことを話さなくな
る。当然だ!

 夫は、日常のささいなことから、妻の心の中を知る。そしてそれを積み重ねながら、妻がどの
ように考え、どのように行動するかを知る。「知る」というよりも、以心伝心でそれを感ずる。

●以心伝心
 たとえば妻が、どこかのダンナをけなして、「あの人、男のクセに……」と、ふと漏らしたとす
る。それほど深い思いをもって言ったのではなくても、夫は、そうでない。そういう言葉を聞きな
がら、「自分も……」と思ってしまう。そしてそれが積もりに積もって、ここでいう「心の遊離」が
始まる。子どももそうで、たとえば親が、「あそこの子どもは、成績が悪いから、D高校しか入れ
なかった」と言ったとする。子どもは、そういう言葉を横で聞いて、親がどう考えているかを知
る。だからますます成績の話を親にしなくなる。……できなくなる。

 賢い親。そうでない親。どこが違うかといえば、日ごろから、よく考えているかどうかの違いに
よる。「考える」ということは、「いかに相手の立場で考えるか」ということ。もっとわかりやすく言
えば、会話術ということになる。たとえばワイフが、日ごろから、「あなたの仕事もたいへんね。
無理をしないでね」と、夫に言っていれば、夫だって、つまづいたようなとき、それを妻に話しや
すいかもしれない。子どももそうで、親が、日ごろから、「お前はよくがんばっているよ。無理を
するなよ」と、子どもに言っていれば、子どもだって、つまづいたようなとき、それを親に話しや
すいかもしれない。

●チェックテスト
 さてもしあなたが妻なら(このマガジンの読者は、圧倒的に女性が多いと思うので……)、こん
なことを想像してみてほしい。あなたの夫が、リストラになったとする。そのときあなたは……、

(1)自分たちの生活(家計や子どもの将来や、生活)の心配よりも、夫の立場で、夫の苦しみ
を理解する。
(2)夫の立場で、夫の苦しみを理解するよりも、自分たちの生活のほうを先に心配する。

 あなたは、(1)と(2)のどちらかを、少しだけ、頭の中で想像してみてほしい。同じように、も
し、あなたの子どもの成績がさがり、希望の(目標としていた)学校への入学がどうもむずかしく
なってきた。そのときあなたは……、

(3)子どもの将来よりも、子どもの立場で、子どものつらい気持ちのほうを心配する。
(4)子どもの立場で、子どものつらさを理解するよりも、子どもの将来が不安になり、落ちつか
なくなる。

 多分、(1)を選んだ人は、同時に、(3)を選ぶ。(2)を選んだ人は、同時に(4)を選ぶ。一
見、まったく別々の問題に見えるかもしれないが、実は、底流で、深くつながっている。こういう
のを「一事が万事」という。(2)や(4)を選んだ人は、結局は、自分のことしか考えていない。だ
から夫婦であるにせよ、親子であるにせよ、良好な人間関係を築くのに失敗する。こんな母親
がいた。

●ある母親
 その母親は、三度、結婚して、三度、離婚した。高校生になる息子がいたが、まったくの断絶
状態。見た感じは、大柄で、穏やかな人だったが、やがて理由がわかった。その母親は、何か
につけて、自分のことしか、考えていなかった。

「長男だから、家の跡をついで、家のめんどうをみてもらわねばなりません」
「あの子に嫌われると、老後が心配です」
「いい大学を出ないと、一生、貧乏ということになります」
「私は男運が悪く、どの夫も、生活力がなく、苦労しました」
「息子にはいい人と結婚してほしいです。おかしな人と結婚すると、苦労するのは私のほうです
から」と。驚いたのは、その母親は、実の兄の失敗まで、笑い話にしていたことだ。こう言った。
「兄はね、退職金で事業を始めたのですが、失敗。家屋敷もずべて、抵当で取られてしまいま
したよ。だらしない兄でね」と。

 私はその話を聞きながら、「私でも、こういう女性とでは、結婚生活をつづけることは、できな
いだろうな」と思った。それが離婚の理由だとは思わないが、しかし無関係とは言えない。

●私も……?
 かく言う私も、不況の嵐の中。懸命に自分を支えながら、生きている。ワイフや子どもの前で
は、努めて明るく振るまい、心配をかけないようにしている。しかしそういう自分を、いつまでも
ちこたえられることやら。あまり自信がない。ワイフも、息子たちも、どちらかというと、ノー天気
族。それがよい面のときもあるが、しかしノー天気であるばかりが、よいというわけではない。
(030226)

     ⌒⌒⌒⌒
    ((( (( (( 
     ⌒  ⌒ 
     ・。・ β
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \   みなさんのご家庭で、このマガジンが役だって
 ゜\/│ // │ / /    いますか?
   Γ ̄ ̄│──|○   何かテーマがあれば、掲示板にでもお書きください。

   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
ある高校生についての相談から

●プロローグ

 「プロローグ」などという大げさなものではないが、たまたまこんな歌を思い出しながら、ある
高校生についての相談を考えていた。

 ♪北風吹きぬく 寒い朝も
  心ひとつで 暖かくなる
  清らかに咲いた 可憐な花を
  緑の髪にかざして 今日も ああ
  北風の中に 聞こうよ春を
  北風の中に 聞こうよ春を

 この歌は、私たちの世代の人間なら、だれしも知っている。(若いお父さんやお母さんは、知
らないだろうと思う。)吉永小百合さんが歌った、「寒い朝」(佐伯孝夫作詞・吉田正作曲)という
歌である。口ずさんでいると、どこか心の中が、暖かくなる。

●応急処置

 ある男子高校生(二年)が、苦しんでいる。母親から、そういう相談があった。「ときどき、『ぼく
は、もうダメだ』と言います。暗く、沈んでいます。毎日、ため息ばかり。『そんなに学校がつらい
のなら、退学したら……』と言ってあげるのですが、そういう状態でも、学校へだけはがんばっ
て行きます」と。

 学歴信仰……。何も親だけの特権ではない。少ないが、子ども自身が学歴信のかたまりとい
うケースもある。「学校」「受験」という呪縛(じゅばく)から、自分を解放することができない。もと
もと生まじめな性格の子どもに多い。

 このタイプの子どもに、「退学したら……」と言っても、逆効果。かえって子どもを、崖っぷちへ
追いこんでしまう。私のばあい、このタイプの子どもは、子ども自身がヘトヘトになるまで、勉強
でしぼってやる。(……やった。最近は、高校生と対等な立場に立つのができなくなった。体
力、知力ともに、太刀打ちできなくなった。)二時間とか、三時間でよい。そのあと、子どもは、
すがすがしい表情を示す。このタイプの子どもは、勉強をしたくないのではない。したいのだ。し
かしそのとっかかりがなくて、苦しんでいる。だからそのきっかけだけを作ってやればよい。

 どこか応急処置的な教え方だが、学歴信仰というのは、そういうもの。その呪縛を解きはらう
ことを考えていたら、何年もかかってしまう。それでは間にあわない。だから「とりあえず……」
という方法で、しぼってやる。

●ある夫のケース

この大不況下。職場でキズつき、倒れていく男性は、多い。本当に多い。しかしその一歩手前
で、苦しんでいる男性は、もっと多い。毎日、悶々と悩みながら、「家族のため」と必死に、自分
にムチを打っている。もちこたえている。

 もっともそういう状態でも、家族の温かい理解があれば、まだ救われる。ワイフに相談する
と、ワイフは「あんたは病気よ」と言う。さらに自分の苦しさを訴えると、「病院へ行ったら?」と
言う。息子や娘たちにしても、そういう父親の苦しみなど、どこ吹く風。親子の会話もない。あっ
ても、どこか儀礼的。つけっぱなしになった電気ストーブを消したりすると、息子は「ケチケチす
るな!」と言う。夜遅く帰ってきた娘に、「どこへ行っていたんだ?」と声をかけると、娘は「うるさ
いわね」と言う。

 それでも必死に歯をくしばりながら、その日、その日の仕事をこなす。しかし先は、わからな
い。先月も一人、リストラで会社を去った。「つぎは私か……」と思うと、仕事どころではない。あ
る友人は、メールで、こう書いてきた。「みな、疑心暗鬼になってしまって、仕事にならない。派
手なアドバルーンばかり、どんどんとあげているが、実際、利益につながるのは、一つもない」
と。

 老後のことを考えると、不安と心配ばかりが襲う。「どうやって生きようか」ということよりも、
「どうやって死のうか」ということばかり、考える。別の知人は、半ば冗談めいて、こう書いてき
た。「ひとり、だれにも気づかれず墓に入る方法を考えています」と。

 こういうときワイフに、「そんなにグズグズ言うなら、仕事をやめたら」と言われるくらい、つら
いことはない。決して、仕事をしたくないわではない。仕事から逃げたいわけではない。仕事を
したいのだ。仕事があれば、仕事をしたいのだ。しかし、肝心の仕事がないから、悩んでいる。
苦しんでいる。どうして世のワイフたちよ、それがわからない!

●励まし、脅しは、タブー

「がんばれ」式の励まし。「こんなことでは……」式の脅しは、子どものみならず、どん底で苦し
んでいる夫には、タブー。かえってその子どもや、夫を、突き放してしまう。

言うとしたら、ねぎらいの言葉。決してひとりではないことをわからせるための、温かい言葉。
「あなたはがんばっているよ。それでいいのよ」とか、「いざとなったら、私がついているからね」
とか、そういう言葉である。

 が、中には、家庭に埋没するあまり、現実感覚のない母親やワイフがいる。このタイプの女
性は、お金は天から降ってくるものだと思っている(失礼!)。子どもの勉強にしても、「やれば
できるはず」と、能力など、いくらでも地の底からわいてくるものだと思っている(失礼!)。

 今、日本中が、大不況という暗雲に包まれている。その暗雲の中で、多くの人たちが、つらい
毎日を送っている。しかしそういう暗雲の中でも、また家庭という小さな世界でも、「♪心ひとつ
で、暖かくなる」である。
(030229)

ついでに、「寒い朝」の、二番と三番を掲載しておく。

2 北風吹きぬく 寒い朝も
  若い小鳥は 飛び立つ空へ  
  しあわせ求めて 摘みゆくバラの
  さすとげいまは忘れて 
  強く ああ
  北風の中に 待とうよ春を
  北風の中に 待とうよ春を

3 北風吹きぬく 寒い朝も
  野越え山越え 来る来る春は
  いじけていないで 手に手をとって
  望みに胸を元気に 張って ああ
  北風の中に 呼ぼうよ春を
  北風の中に 呼ぼうよ春を

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

非常識

 二月二六日のあるとき、北朝鮮が、日本海に向けて、対艦ミサイルの発射実験をした。翌日
は韓国の大統領の就任式という、その日である。

 これについて二七日は、日本中は大騒ぎ。「目的は?」「意味は?」「意図は?」と。中に、冗
談だろうが、(しかしかなりまじめに)、「大統領の就任式に向けた祝砲」というのもあった!

 しかし目的もなにもない。こうした非常識なことを平気でするのが、あの男なのである。もとも
と感覚がまともではない。またああいう男を、「まとも」と思ってはいけない。「まとも」という前提
で、つきあってはいけない。自分勝手で、わがまま。その上、短気で、何かにつけていじけてい
る。しかしこのタイプの男のつきあいにくいところは、自分は勝手し放題のことをしておきなが
ら、だれかが同じようなことを彼にすると、人一倍、大騒ぎするということ。その上、常識が通じ
ない。

 こんな話を聞いた。その人の隣家に、大きなクルミの木がある。そのクルミの木が大きくな
り、枝がその人の庭をおおうようになった。そこで隣家の奥さんに、枝を切ってほしいと伝え
た。が、この一言が、どういうわけか、その隣家の夫を激怒させた。翌日の朝、隣家の夫は、こ
う言ってきた。「木は切るが、受益者負担ということで、費用は、お宅でもってほしい」と。そこで
その人は、しかたないので、脚立とノコギリをもってきて、自分でその木の枝を切った。切った
のは、あくまでも自分の庭のほうにのびてきた枝だけだった。が、これがまたその隣人を激怒
させた。隣人は、こう言った。「他人の家の木を勝手に切ることは、法律上、許されない。損害
賠償を請求する」と。

 この隣人の言っていることは、どの部分もおかしい。しかし本人は、おかしいとは思っていな
い。正当な権利を主張しているつもりでいる。北朝鮮のあの男の言い分と、どこか似ている?

 もっとも不思議なもので、北朝鮮の言い分だけを聞いていると、どこかあの男が言っているこ
とが正しく思えるときもある。こうした情報は、朝鮮日報(韓国系メディア・日本語版)を通して、
インターネットで入手できる。

●原子炉を再稼動するのは、電力確保のためだ。
●アメリカだって核兵器をもっているではないか。
●戦争は終わっていない。休戦しているだけだ。
●原油供給を止められたから、原子力発電所を作るだけだ、などなど。

おそらく、北朝鮮の人たちは、毎日、こういう情報だけを聞いているのだろう。そしてその上で、
自分たちの考えを組みたて、結局は、あの男のよいように操られている。しかしそれが北朝鮮
の人たちの常識ということになる。

 ……となると、いったい、常識とは何かという問題にぶつかる。Aという常識をもつ人から見れ
ば、Bという常識をもつ人は、非常識に見える。Bという常識をもつ人から見れば、Aという常識
をもつ人は、非常識に見える。常識というのも、相対的なものなのか?

 このところ矢継ぎばやに、いろいろ考えさせられる。日本が危機的な状況にあるから、なおさ
らである。東京や大阪に、核ミサイルが打ち込まれるかもしれない。それが現実の問題になっ
てきた。核兵器でなければ、化学兵器かもしれない(週刊ポスト誌)。生物兵器は、ゲリラ的に
使用されるかもしれないという(同誌)。日本人の私たちから見れば、彼らの常識は、完全に狂
っているが、しかしそれが彼らの「正常な常識」らしい。そしてその彼らから見れば、私たち日
本人の常識のほうこそ、狂っているということになる。

 日本中が大騒ぎしている中、アメリカのケリー国務次官補は、こう言った。「大統領就任式と
いう、おめでたい日の前日に、ミサイル実験をするとは、非常識だ」と。ここで私ははじめて、
「非常識」という言葉を聞いた(二月二七日)。つまり、「それまで非常識という言葉を使わなか
った、日本政府や韓国政府は、非常識」ということになるのかもしれない。考えてみれば、ケリ
ー国務次官補が言うとおり、北朝鮮のあの男のすることは、どれもこれも非常識なことばかり。
韓国政府には悪いが、ああいう男を、そもそも「まとも」に扱おうとすること自体、まちがってい
る。
(030228)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩

 
狂った頭

 おかしな現象が起きた。その前夜は、いろいろ事情があって、四時間しか眠っていなかった
こともある。そしてその日は、何と、一日中、チョコレートを食べていた。おまけにこれまた事情
があって、ココアとミルクセーキの缶ジュースを、二本も飲んでしまった。甘いものをほとんど食
べない、私が、である!

 その夕方から、夢と現実の混濁(こんだく)が起きた。夢といっても、ふだん眠っているときに
見るような夢ではない。よく覚えていないが、たとえば心のどこかで、二本の物干しザオを思い
浮かべたとする。なぜそれを思い浮かべたかも、よくわからない。そしてそれが、どういうわけ
か、頭の中で、二つの考え方に結びつく。入試で言えば、本命とスベリ止めのような感じにな
る。で、子ども(中学生)に、入試の話をしていると、その朝、本当に二本の物干しザオを見た
ような気がしてくる。そこで自問してみる。「私は本当に二本の物干しザオを見たか?」と。しか
し私は見ていない。

 明らかに私の頭は、狂った。……狂っていた。何がどのように作用したのかは知らないが、
狂っていた。おそらく覚せい剤か何か、そういうものによる作用と似ているのではないか。科学
的に言えば、甘い食品を大量に摂取したことにより、インスリンが一時的に大量に分泌され、
それが脳のセロトニン(脳間伝達物質)の供給過多を引き起こし、それが一時的に脳を覚醒さ
せてしまったということになる。

 こういう現象は、子どもたちの世界でも、よく観察される。それについては、また別の機会に
考えることにして、ともかくも、その夜は、こわかった。ふつうの恐怖ではない。自分が自分をこ
わがるという恐怖である。「このまま私の脳は狂ってしまうのか」という恐怖である。

 私は大量に湯を飲んだ。インスリンとセロトニンを中和するためである。つぎに漢方薬を自分
で処方してのんだ。神気が乱れたときには、サンソウニンとチモを主体とした漢方薬がよい。そ
して当然のことながら、早く床に入った。

 翌朝、目をさますと、いつものような朝になっていた。その直前まで夢を見ていたが、目をさま
したとたん、それまでの夢と、目の前の現実が、はっきりと区別できた。私は「ああ、よかった」
と思った。

 しかしそれにても、恐ろしい経験をした。自分の頭が、勝手に動きだして、勝手にものを考え
るというのは、本当に恐ろしい。そこで私は、ここで誓う。「もうチョコレートは、二度と食べない
ぞ」と。バレンタインなんて、もうコリゴリ! クソ食らえ!!
(030228)

    ┌┐
    │ト
    ≧≦ ∪          z
   ━━━━━━        z
  /      \
 /        \く⌒\  ∩      では、みなさん、次回も
/  〜       〆  へく ^川     どうか、よろしくご購読ください。
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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞







件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■3-9-1

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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 641人
最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)  ……読者数(Nr. of Readers)  88人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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03−3−9号(191)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 日記を読んでいただけます!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 電話054−246−6136
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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と読みやすくなります。お試しください。毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご
利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
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   γ ρρ   │σ σ ρ )        【1】子育てポイント 
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
私は子育てで失敗しました。どうしたらいいか?(1271)

それ以上、何を望むか(失敗危険度★★)

●子育てで失敗した
 法句経(ほっくぎょう)にこんな説話がある。あるとき一人の男が釈迦のところへ来て、こう言
う。「釈迦よ、私は死ぬのがこわい。どうしたらこの恐怖から逃れることができるか」と。それに
答えて釈迦はこう言う。「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」
と。

 これまで多くの親たちが、こう言った。「私は子育てで失敗しました。どうしたらいいか」と。そう
いう親に出会うたびに、私は心の中でこう思う。「今まで子育てをじゅうぶん楽しんだではない
か。それ以上、何を望むのか」と。

●母親とのきずなが虐待の原因?
 子育てはたいへんだ。こんな報告もある。東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏に調査
によると、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。そしてその大半が何ら
かの形で虐待しているという。「愛情面で自分の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に
走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかがえる」とも。

七%という数字が大きいか小さいか、評価の分かれるところだが、しかし子育てというのは、そ
れ自体大きな苦労をともなうものであることには違いない。言いかえると楽な子育てというの
は、そもそもない。またそういう前提で考えるほうが正しい。いや、中には子どものできがよく、
「子育てがこんなに楽でいいものか」と思っている人もいる。しかしそういう人は、きわめてマレ
だ。

●子育てが人生を豊かに
 ……と書きながら、一方で、私はこう思う。もし私に子どもがいなければ、私の人生は何とつ
まらないものであったか、と。人生はドラマであり、そのドラマに価値があるとするなら、子ども
は私という親に、まさにそのドラマを提供してくれた。たとえば子どものほしそうなものを手に入
れたとき、私は子どもたちの喜ぶ顔が早く見たくて、家路を急いだことが何度かある。もちろん
悲しいことも苦しいこともあったが、それはそれとして、子どもたちは私に生きる目標を与えてく
れた。もし私の家族が私と女房だけだったら、私はこうまでがんばらなかっただろう。その証拠
に、息子たちがほとんど巣立ってしまった今、人生そのものが終わってしまったかのようなさみ
しさを覚える。あるいはそれまで考えたこともなかった「老後」が、どんとやってくる。今でもいろ
いろ問題はあるが、しかしさらに別の心で、子どもたちに感謝しているのも事実だ。「お前たち
のおかげで、私の人生は楽しかったよ」と。

 ……だから、子育てに失敗などない。絶対にない。今まで楽しかったことだけを考えて、前に
進めばよい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
いつになったら、できるの! 
己こそ、己のよるべ(失敗危険度★★★)

●自由とは、「己による」こと
 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。法句経
というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。釈迦は、「自分こそが、
自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。つまり「自分のことは自分でせ
よ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、もともと
「自らに由る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行動し、自分で
責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは言わない。子育ての基
本は、この「自由」にある。

●考えさせない過干渉ママ
 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれるタイ
プの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込んでくる。私、
子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」、母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。
おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」、私、再び、子どもに向かって、「楽し
かったかな」、母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いな
さい」と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を変え
て、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。ある母親は今の夫
と、今でいう「できちゃった婚」をした。どこか不本意な結婚だった。だから子どもが何か失敗す
るたびに、「いつになったら、あなたは、ちゃんとできるようになるの!」と、はげしく叱ってい
た。

●行動させない過保護ママ
 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるいは自
分で行動させない。いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面で
の過保護。「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護のもとだけで子育てをするな
ど。子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」というタイプの子どもにな
る。外へ出すと、「すぐ風邪をひく」。

●責任をとらせない溺愛ママ
 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がない。自
分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親は、「子ども(小六男児)が合宿訓練に
でかけた夜、涙がポロポロと出て眠れなかった」と言った。私が「どうしてですか?」と聞くと、こ
う言った。「あの子は私がいないと何もできない子です。みんなにいじめられているのではない
かと思うと、かわいそうで、かわいそうで……」と。また別の母親は、自分の息子(中二)が傷害
事件をひき起こし補導されたときのこと。警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪い
と言って、一歩も譲らなかった。たまたまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、
ワーワーと泣き叫んだり、机を叩いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、子
どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++
Touch your Heart byはやし浩司

子どもの巣立ち

●対等の人間として
 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私はそん
な年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の
腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子
が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ
をしめてやったとき。そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのこ
とだ。二男が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教え
てくれた。「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がな
いため、落とされそうだから」と。その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、
それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るようになった。

●時の流れは、風のようなもの
 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わっ
てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ
る。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてや
ればよかった」と、悔やむこともある。そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹
いてきて、またどこかへと去っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生
も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこ
と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかっ
た。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房が、「S
よ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

●未来に視点を置く
 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手
なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭
い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そ
ういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわ
からなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 子育てとい
うのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいなあ」と思ってし
まう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新
幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだった
なあ」と。

問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、何
らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が人
生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やがてく
る未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 

     ⌒⌒⌒⌒
    ((( (( (( 
     ⌒  ⌒ 
     ・。・ β
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \   みなさんのご家庭で、このマガジンが役だって
 ゜\/│ // │ / /    いますか?
   Γ ̄ ̄│──|○   何かテーマがあれば、掲示板にでもお書きください。

   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

雑感

 ウーロン茶を飲み始めて、もう二〇年になる。きっかけは、健康によいとか、そういうことが話
題になったからだと思う。よく覚えていない。もちろん私が子どものころには、ウーロン茶なるも
のは、日本にはなかった。私が子どものころは、番茶がほとんど。お茶といえば。番茶だった。
味は、今の麦茶に似ている。濃い茶色のお茶である。

 私はどういうわけか、毎日、お茶をたくさん飲む。自分では、血圧が低いためと言っている
が、本当のところはわからない。夏などは、昼間だけでも、三〜四リットルは飲む。冬でも、二
リットル前後、飲む。飲まないと、どこか頭がボーッとしてくる。もちろん朝も、夜も飲む。書斎に
いるときも、いつもチビチビと飲んでいる。

 反面、酒は一滴も、飲めない。奈良漬けを食べただけで、二日酔いになってしまう。断酒宣言
をして、ちょうど、一〇年になる。それまでは、ビールをコップ一杯くらいは飲めたが、今は、ま
ったく飲めない。飲んだら、二日酔いどころか、三日酔いになる。

 ほかにコーヒーは、ダメ。コーヒーは、飲んだとたん、ゲーゲーとあげてしまう。緑茶は飲める
が、どういうわけか、飲むと、頭が覚醒状態になってしまう。寝る前に飲むと、朝方まで、眠られ
なくなる。で、ウーロン茶ということになる。ウーロン茶なら、体に合っているというか、体が慣れ
たというか、ごく自然に、いくらでも飲むことができる。

 そのお茶で思い出したが、生涯において、もっともおいしかったお茶といえば、川根町で飲ん
だお茶。たまたま村の祭のときで、通りを歩いていると、村の人たちに声をかけられた。「あん
たは、本物のお茶を飲んだことがあるかね」というように、声をかけられたと思う。村の人たち
が、その家に、一〇人前後集まっていた。私とワイフは、言われるまま縁側にすわった。

 しばらくすると、その家の主人らしき男が、盆にのせて二杯のお茶をもってきた。見ると、美し
い澄んだ色をしていた。そしてその男は、こう言った。「こういうお茶はね、このあたりでも、めっ
たにできないお茶だよ」と。お茶は、香りと色、それに味で決まるという。もちろんお茶の入れ方
もある。

「色を見てみなさい。きれいなエメラルドグリーンでしょう」
「はい」
「つぎに味だよ、味。一口、飲んでみなさい」と。

 私とワイフは、少しずつ出されたお茶を味わいながら、その味に驚いた。口の中で、味と匂い
が、大きく広がったからだ。熱さもちょうど、よかった。ふつうそういうとき、「おいしいですね」と
言うが、その言葉も出てこなかった。私は味を何度も確かめながら、「これが本物のお茶だア」
と、自分に言って聞かせた。村の人たちは、そういう私たちの反応を横で見ながら、うれしそう
に笑った。

 以後、それから二〇年以上になるが、残念ながら、私たちは、それほどまでにおいしいお茶
に出あったことがない。ときどきおいしいお茶を飲むことはあるが、そのたびに、「あのお茶ほ
どではないね」と言いあっている。

 ……で、ウーロン茶の話。そのウーロン茶については、台湾から来ていた中国人が、一度お
茶を入れてくれたことがある。しかし「おいしいでしょう」と言われるほどには、そのおいしさが理
解できなかった。

 ご存知の方も多いと思うが、台湾へ行くと、超高級のウーロン茶を売っている。宝石箱のよう
な箱や、きれいな陶器のツボに入っている。もちろん値段も高い。一〇〇グラムで、数万円と
いうのもある。私自身はそういうお茶を買ったことはない。が、一度だけ、台北の出版社の社
長に、プレゼントされたことがある。そのお茶も、きれいな陶器のツボに入っていた。たしかに
おいしかった。味はよく覚えていないが、それまで口にしていたウーロン茶とは、味が、明らか
に異なっていた。あとで、「一週間ほどで飲んでしまいました」と、メールを書くと、「あのお茶
は、特別の日に飲むお茶です」と、叱られてしまった。

 毎日飲んでいるお茶だが、意外と、みな、無頓着。私も無頓着。だいたいなぜお茶が必要な
のかということもわかっていない。私もわかっていない。ただ多分、こういうことではないかと思
う。

 昔は水が汚かった。それでその水をわかして飲んだ。が、それでも臭いや色が消えない。そ
こで木や草の葉を入れて飲むようになった? いかにすれば、まずい水を飲むことができる
か。言うなればお茶というのは、そのために考え出した、人間の知恵ということになる。たった
今も、そのウーロン茶をすすりながら、私はそう考えた……。
(030228)
 

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

失業
 
 若いころ、世界中を飛び歩いていたころのこと。だれかが、こう話してくれた。「街角に浮浪者
(失礼!)が、立ち並ぶようになったら、失業率は一〇%と見てよい。通行人より、浮浪者のほ
うが多いと感じたら、二〇%。二〇%を超えたら、その国へは行かないほうがよい。危険だ」
と。

 今、日本の失業率は、五・五%だという。年齢別ではわからないが、満五〇歳以上では、そ
の一〇%を超えているのではないか。簡単に「失業」と言うが、失業することから受ける精神的
打撃は、想像以上のものである。自分の過去を否定されるのみならず、未来をも否定される。
たとえば今、自殺者が、年間、三万人(三万一〇四二人・二〇〇二年・警察庁)もいるという。
その数は、交通事故による死亡者の四倍。しかも、男性が七割、五〇歳以上が、六割以上だ
という。決して、人ごとではない。私など、まさにその予備軍のようなもの。私のばあい、自殺す
ることまでは考えないが、自殺する人の気持ちが、よくわかる。

 先日も、ある読者から、「ドクターのH氏をどう思いますか?」というメールが届いた。H氏は、
九〇歳を過ぎても現役で活躍しているドクターである。頭の回転もすばらしい。その歳になって
も、本を書いている。無数の講演もこなしている。

 しかし忘れてはならないのは、H氏は、ドクターという恵まれた身分にあるということ。もちろん
定年退職もない。しかし私のばあいは、そうは長生きできない。長生きすればするほど、みん
なに迷惑がかかる。多分というより、まちがいなく、そこまで財産がつづかない。仮に老人ホー
ムへ入居するとしても、毎月一五万円。夫婦二人で、三〇万円。一〇年で、三六〇〇万円。二
〇年で、七二〇〇万円。プラス、生活費。そんなお金、どこにもない!

 体が動かなくなったら、仕事もやめなければならない。同時に、収入も止まる。「九〇歳まで
生きたい」とは、思うが、どうやったら生きられるか、経済的な意味で、その方法がわからな
い。「まあ、今のうちに燃焼するだけ燃焼して、そのときがきたら、サッサと死ぬ」と、今は、そん
なふうに考えている。

【万年失業者の私から……】

 私たちは、どうせ負け組。川原の枯れススキ。どうあがいても、「上」には、出られない。「がん
ばりましょう」と励ます、勇気もない。またそんなふうに励まされても、どうしようもない。できるこ
とといえば、精一杯、身のまわりのものを大切にして、細々と質素に生きるだけ。未来? そん
なものは、もう、ない。夢にせよ、希望にせよ、そんなものぶらさげて生きる年齢でもない。い
や、この年齢になると、「だからどうなの?」と、そこまで考えてしまう。

 私は懸命に生きてきた。あなたも懸命に生きてきた。みんな、懸命に生きてきた。今も、私は
懸命に生きている。あなたも懸命に生きている。みんな、懸命に生きている。これからも私は、
懸命に生きていく。あなたも懸命に生きていく。みんな、懸命に生きていく。その「形」がどうであ
れ、その懸命に生きている姿に、価値がある。本当の価値がある。私はその価値を信じたい
し、信じている。

 もともと生きるということは、不完全でボロボロなもの。形なんて、ない。コースも、ない。ある
ように見えるのは、幻想。みんな、精一杯、自分の人生をとりつくろって生きているだけ。それ
以上に、壊すのが、こわいから。それ以上に、失うのが、こわいから。中身なんか、どこにもな
い。だから互いに、懸命に支えあって生きている。夫婦にせよ、親子にせよ、家族にせよ、友
人や、近隣にせよ、そして社会にせよ、国にせよ、みんな、だ。

 だから不完全でボロボロであることを、恥じることはない。恥じる必要もない。ただ、居なおれ
ばよい。「私は私だ」と。少なくとも、私は、そう生きている。毛玉がすり切れたようなセーターを
着て、古ぼけたジャンパーをはおり、自転車に乗って、トコトコと道の横を走っている。自転車
にこだわるわけではないが、私の人生そのものが、その自転車に乗っているようなもの。大型
の高級車で走るような人生とは、まったく異質の世界。「雑草は強い」と、自分ではそう言って
聞かせているが、本当のところ、その雑草も、このところ元気がない。不況、不況で、仕事も元
気がない。どうしようもない。

 もう少し若ければ、若いときのように、電柱に「翻訳します」という張り紙をして回るのだが、今
は、そういう時代でもない。「家庭教師をします」でもよい。いや、いざとなったら、やる。やるし
かない。私は今まで、懸命に生きてきたし、生きている。だからこれからも、最後の最後まで、
懸命に生きる。ただ一つだけ、若いころと違うのは、このところ、「自分のため……」という意識
が、ほとんど消えたこと。「家族のため……」「社会のため……」「未来の子どもたちのため…
…」という意識ばかりが先に立つようになった。自分の人生など、どうせ先が知れている。どう
あがいても、どうにもならない。が、不思議なことだ。そういう意識をもつと、心のどこかで、「じ
ゃあ、もう少しがんばってみるか」という気持ちがわいてくる。そしてそれが私をうしろから支え
る、原動力になる。

 居なおろう。どん底、おおいに結構。そう、声、高らかに叫んでみよう。どん底であるがゆえ
に、人は、「真実」に近くなる。またどん底から見ると、人間の愚かさがよくわかる。何が大切
で、何がそうでないかが、よくわかる。それはちょうど、病気になってはじめて、健康の価値が
わかるようなものかもしれない。しかしどん底は、病気とは違う。どん底はどん底でも、生きてい
れば、そのうち、一つや二つは、よいことがある。前向きに生きていけば、そのよいことが、必
ず、向こうからやってくる。

 以上、失業で苦しんでいる人のためというよりは、自殺する一歩手前で、悩んでいる人のた
めというよりは、自分のために書いた。だから、今日も、私はがんばる。がんばって、これから
山荘へ遊びに行く。小雨など、もろともせず! ははは。私は生きているのだ!
(030301)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

メルボルン

 オーストラリアのメルボルンは、世界で一番住みやすい都市だそうだ。先日、何かの雑誌で、
そう読んだ。一年中、気候は温暖。自然環境に恵まれ、食べ物も安い。山荘に向かう車の中
で、オーストラリアのブッシュソング(民謡)を聞いていたら、そのメルボルンを思い出した。思い
出したというより、つぎつぎと、あの町でのことが、頭に浮かんできた。

 メルボルンへ行ったら、シティ(中心部)を、ブラブラと歩いてみるとよい。コーナーごとに、歴
史的な建物が並んでいる。少し郊外へ行くと、たとえばビクトリアマーケット(市場)などがある。
移動するには、トラムと呼ばれる市内電車に乗ればよい。

 メルボルン大学は、メルボルンの市内から、北へ歩いて三〇〜四〇分くらいのところにある。
市の三分の一は公園と言われていることからもわかるように、メルボルンには緑が多い。町の
中に公園があるというよりは、公園の中に町があるといったふう。メルボルンのことを、「庭園
都市(ガーデンシティ)」ともいう。車のナンバープレートには、そう書いてある。

 とくにメルボルン大学の周辺には、緑が多い。大学自体の敷地はそれほどでもないが、周辺
を、いくつかのカレッジが取り囲み、その周辺をまたいくつかの公園が取り囲んでいる。私がい
た、インターナショナルハウスの裏の公園だけでも、反対側の地平線が見えないほど、広かっ
た。そうそうその公園では、よく散歩した。その公園でのこと。いつも森の中に子どもたちの列
が、出たり入ったりしていた。何かがあるとは思っていたが、何があるかは知らなかった。あと
で、つまり日本へ帰ってから、友人に、「あそこには何があったのか?」と聞くと、その友人はこ
う言った。「ヒロシは、行ったことがないのか。あそこにはあのあたりでも最大の動物園がある」
と。

 私は何かにつけて、よくシティまで行った。たいていはトラムに乗っていったが、歩いていくこ
とも多かった。私は歩くのが好きだった。その途中で、いろいろなものを見るのは、本当に楽し
かった。英語そのものが好きだったから、英語を読んでいるだけで、ハッピーな気分になれ
た。日本語にはない表現を読んだり、聞いたりすると、そのつど「なるほど」と思ったりした。

 「来年の三月には、オーストラリアへ行こう」と声をかけると、ワイフは、うれしそうに笑った。
「大学では、ゲストルームに泊まればいい」とも。OBであれば、安い値段で、ゲストルームに泊
まれるはずである。「角のミルクバーは、まだあるそうだ。今、カナダに住んでいる人が、そう話
してくれた」と。

 私はいつもシティへ行くときは、その角のミルクバーに立ち寄った。ミルクバーというのは、菓
子屋と簡単なレストランをかねたような店。日用的な雑貨のほとんどは、その店でそろった。と
くに野イチゴでつくったジャムがおいしかった。また「ミルクバー」という名前からもわかるよう
に、そこではミルクセーキも売っていた。女学生たちが、よくテーブルに座って、そのミルクセー
キを飲んでいたのを覚えている。

 「あなたにとって、一番、幸福なときだったのね」と、今度は、ワイフが口を開いた。私は迷わ
ず、「そうだよ」と答えた。私にとって、もっとも幸福だったのは、あのころだ。あのころほど、そ
の前にも、あとにも、心が輝いていたことはなかった。一日一日が、それまでの一年一年に感
じた。これは決してオーバーな言い方ではない。本当にそう感じた。一日でできる思い出が、そ
れまでの一年分より多かった。深かった。

 そして今、こう思う。あの時代が幸せだったというよりも、ああいう思い出ができたということが
幸せだ、と。思う存分、自分の青春時代を燃焼できた。その満足感が、今でも、心を満たしてく
れる。私にとって、メルボルンというのは、そういう町だ。そしてその名前を耳にするたびに、な
つかしさと、いとおしさが、胸いっぱいに、広がる。

 「オーストラリアへ行こうか?」と私。
 「行くって?」とワイフ。
 「つまり移住だよ」
 「いいわね」
 「アポロベイという海のそばの町がいい」
 「アポロベイ?」
 「そう、小さな町だけど、毎日、乗馬だってできる」

 「いつか……」と思って、もう二〇年が過ぎてしまった。このままぐずぐずしていたら、また二〇
年、たってしまう。決断するなら、この二、三年のうちかもしれない。今なら、健康だし、人生を
楽しむ余力がまだある。

 やがて車はI町に入り、ゆるい坂を登り始めた。あいにくの雨だった。私はカセットデッキの電
源を切った。温風ヒーターのスイッチも切った。同時に、私は雨の中、車の外に走り出ると、山
荘の入り口をふさぐクサリを、はずした。それを見て、ワイフが、車を山荘へとすべらせた。私
は、あとを追いかけた。冷たい雨が顔をぬらしたが、心の中では、私はまだ、ブッシュソングを
歌っていた。
(020301)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

天皇は元首

 衆議院憲法調査会(中山太郎会長)で、「天皇は元首としたほうがわかりやすい」という意見
が相ついだという(〇三年二月)。

 私は、戦後生まれの世代だが、天皇について論ずるときは、いつも背筋に、ツンとした緊張
感を覚える。私が子どものころには、まだ戦時色が、濃く残っていた。「天皇」と呼び捨てにする
ことすら、許されなかった。「陛下」もしくは、「天皇陛下」と言わねばならなかった。

 私はこういう議論を聞くたびに、「では、天皇自身はどうなのか」ということを考える。「象徴」で
あるにせよ、「元首」であるにせよ、天皇自身は、それを望んでいるのか、と。もし天皇自身が、
「私は象徴なんかではいやだ。元首にしてほしい」と言うのであれば、それはそれでかまわな
い。あるいは反対に、「私は象徴はいやだ。ごくふつうの民として、ふつうの生活を送りたい」と
言ったら、どうなのか。そういう議論がないまま、一方的に、天皇に、「あなたは天皇です」「あな
たは国の象徴です」「元首です」と押しつけてよいものか?

 仮に元首なら元首でもよい。しかし今の平成天皇のように、人格的にも高邁(こうまい)な人
で、日本人に親しまれている人ならよい。しかし何世代かあとに、あるいはいつか、天皇が、あ
る日突然、今のK国の金XXのようにならないともかぎらない。そういう危険性は、どう回避する
のか。天皇自身にはその気がなくても、官僚たちが天皇を思うように操り、日本をとんでもない
方向に導くことだって考えられる。現に、昭和天皇の時代には、そうなった。その結果、日本
は、あの第二次世界大戦を引き起こしている。

 こういう話は、たいへん微妙な話なので、私のようなものが意見を言うことすら、どこかはば
かれる。しかし法のもとの平等ということを前提に考えるなら、天皇の存在は、明らかに、その
平等の原則に反する。この私ですら、「人間はみな、平等です」と、子どもたちの前で、自信を
もって言うことができない。このはがゆさは、いったい、どこからくるのか。なぜなのか。

 こういうことは、国会という場で、国民の総意として決まるものだから、決まれば決まって、私
には異論はない。私とて、一人の日本人として、それに従う。しかし今のように、天皇自身の声
がまったく聞こえないところで、天皇の待遇を、「会議」が勝手に決めてしまうことは、どうかと思
う。もっとわかりやすく言えば、天皇自身の人権はどうなるのかということ。もし私なら、もっとず
っと低い立場で、たとえば「お前の家系は、明日から、代々、○○財団の理事長をやってもら
う」と決められたら、こう言うだろうと思う。「待ってほしい。私は、自分の人生は自分で決めるか
ら」と。

 私は天皇制に賛成とか、反対とか言っているのではない。その議論をする前に、私は、何
か、もっと大切なことを忘れているような気がしてならないと言っている。どうも今の政治家たち
は、人の心を「ハズ論」で考える傾向が強い。「空港を作れば、便利になるハズ」「道を作れば、
国民は喜ぶハズ」と。天皇の問題にも、そのハズ論ばかりが先行している? 「天皇はそれで
幸福なハズ」「皇族の人たちは、それで喜んでいるハズ」と。しかし本当に、そうなのか?

 ……この問題は微妙なので、ここでやめる。どうも苦手。こういう話は……。ああ、疲れた!
(030228)

【北朝鮮問題】
●小学校の高学年、中学生たち(約二〇人)に聞いてみた。「君たちの学校の先生は、今の北
朝鮮問題について、何か説明してくれるか?」と。それに対して、全員、例外なく、「ない!」と。
現行の学校教育の中では、政治教育は、タブーになっている。それはわかるが、明日にでもミ
サイルが飛んでくるかもしれないという現実の中で、こんなことでよいのか。政治教育ばかりし
ている、北朝鮮。一方、まったくしない、日本。どちらも、少し極端すぎるのではないか? ただ
ただ疑問?

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


役にたたない教育?

●すべての国民は、国の教育機関で、平等な教育を受ける権利がある。……ということで、学
校教育は発達した。しかしそれが達成されたあとは、「教育」そのものに対する考え方は変わ
ってくる。変わって当然である。それはちょうど、食事に似ている。貧しい時代には、腹がふくれ
れば、それでよかった。しかし人々の意識が、ある一定のレベルを超えると、それは必要なこ
とかもしれないが、それでは足りない。料理が発達し、人々が食生活に楽しみを求めるように
なったのと同じように、親や子どもたちは、教育に、「中身」を求めるようになった。

+++++++++++++++

●何のための歴史教育

 生きた歴史教育は、「今」という時点で考えて、はじめて可能である。それはたとえて言うな
ら、料理の教育に似ている。料理にしても、自分で作ってみて、はじめてそれがわかる。

 昨夜も高校受験をひかえた中学生と話しあってみた。彼はこのあたりでも一番と呼ばれる進
学校を受験することになっている。たまたまアヘン戦争の話をしたが、こう言った。

「道光帝が、林則徐を広州に派遣した。で、アヘンを没収し、イギリス貿易を中止したんだ。そ
れで一八四〇年に、イギリス議会が、清に対して宣戦を布告した……」と。

 そんな彼でも、私が「では、どうして今の北朝鮮が日本を目の仇(かたき)にしているのか」と
聞いても、「知らない」「わからない」と言う。「あんな国は、あっという間にやっつけてやる」とも
言う。「しかし向こうは、一〇〇万人の兵隊をもっているよ。日本は二〇万人だよ」と、私が言う
と、「アメリカが、核兵器で始末してくれるさ」と。

●実用的でないのが教育?

 こうした例は、英語にも、国語にもある。恩師のT教授も、理科もそうだという。(私には理科
教育はよくわからないが……。)日本の教育は、伝統的に、どこかおかしい? 本当におかし
い? 教えるべきことを教えないで、教えなくてもよいようなことばかり、教えている? 何かしら
役にたたないようなことを教えるのが教育と、誤解しているような面すらある。反対に、実用的
なことは教えてはいけないというような風潮すら、ある。

 アメリカでは、中学校での上級数学(Advance Math)では、中古車の買い方から教え始め、
小切手の切り方まで教える。高校で車の運転のし方を教えるところも多い。もちろん免許も学
校で取れる(地方の高校など)。

●学者になるには、すぐれた体系
 
が、この日本では、その道のエラーイ先生がたが、教科書をつくる。だから日本の教科書は、
将来、数学者や歴史学者、英語の文法学者になるには、きわめてすぐれた体系をもっている。
しかしみながみな、数学者や歴史学者、さらには、英語の文法学者になるわけではない。そう
いう道に進むのは、全体の一%もいないのでは? 

 歴史教育にしても、なぜ私たちが歴史を学ぶかといえば、過去を学び、未来にその経験や失
敗を生かすためである。頭でっかちのモノ知りを育てるためではない。少し前だが、こんなこと
を暗記している中学三年生がいた。

 「富山のチューリップ、長野の高原野菜、浜名湖のウナギ……」と。そこで私が、「高原野菜っ
て何?」と聞くと、「知らない……」と。さらに「浜名湖でウナギの養殖なんか、もうしてないよ。み
んな台湾や中国から輸入しているよ」と言うと、「いいの、そんなことは!」と。こういう教育の現
実を、いったい、どれほどの人が知っているだろうか。英語にしても、学校で習う英語は、まっ
たく役にたたない。そんなことは、四〇年も前から言われつづけてきた。五〇年かもしれない。
しかしやっと重い腰をあげたのは、ほんの数年前。その成果が出てくるのは、これから先、さら
に二〇年後?

●教育の自由化を

 みなさん、もっと教育を自由化しよう。もっと教育を自由に考えよう。もっと教育を自由の流れ
の中に置こう。ドイツやイタリアのように。カナダやオーストラリアのように。今の日本の教育
は、いまだに戦前のあの軍国主義時代の亡霊を引きずっている。学校万能主義。第一主義。
絶対主義などなど。私たちは、あの北朝鮮の教育体制を見て笑うが、どこがどう違うのか。私
には、その「違い」がわからない。

 たとえばドイツでは、子どもたち(中学生)は、たいてい午前中で授業を終え、そのあと、好き
なクラブに通っている。いろいろなクラブがある。月謝は一〇〇〇円程度。費用はチャイルドマ
ネーによって、国によって補助されている。イタリアもそうだ。そして大学についても、ヨーロッパ
は、全体として、すでに完全に共通化された。こういう時代が、もう世界の常識だというのに、い
まだに、学歴社会だのなんのと、バカみたい。いい学校だの、いい大学だのと、バカみたい。
学生たちは、その道のプロになるために大学へ行く。大学院へ行く。しかも、だ。欧米では、奨
学金を手にした学生たちは、自由に大学間を渡りあるいている。

●人間選別の弊害

 今ごろ教育改革しても、遅い。遅過ぎる。この日本では、せっかくすぐれた才能をもっていて
も、進学という関門を通りすぎるたびに、ふるい落されていく。つい先日も、O君というマレにみ
る、優秀な子ども(小学生)がいた。小学三年生のときには、中学三年生でもできないような難
解な数学を、自分で考えた方法で解いていた。しかしこういう子どもを伸ばす機関が、日本に
はない。理解もない。そこで東京の私立中学を受験したが、残念ながら、どこも不合格。「社会
ができなかったから……」と、O君は言った。

 こういうO君のような例は、本当に多い。が、これからは、もうそういう時代ではない。貧しい
時代の学校教育から、豊かな時代の学校教育へと変身しなければならない。その豊かな時代
とは何かといえば、それぞれの人が、自分の個性を光らせて生きる時代をいう。これに対し
て、「全教科、まんべんなくできる子どものほうが、望ましい」という意見もある。しかしその「全
教科」にしても、本当に全教科なのか。私は以前、毎年、冬に刊行される「時事辞典」※を調べ
てみたが、学校で習う勉強など、その辞典の二〇分の一から三〇分の一にもならない。「全教
科」「基礎学力」といいながら、何をもって全教科というのか。何をもって、基礎学力というの
か。

 たとえばオーストラリアのグラマースクールでは、中学一年レベルで、外国語にしても、ドイツ
語、フランス語、中国語、インドネシア語、日本語から選択できる。芸術にしても、美術、音楽、
演劇などが、それぞれ独立している。ほかに宗教もあれば、読書、キャンピング、コンピュータ
などもある。全体に広く浅く教えながら、子どもの多様性を認める教育システムになっている。
そして学外クラブも発達していて、それ以上に学びたい子どもは、それぞれのクラブに通ってい
る。

●自由度で決まる、国の力

 国家の力は、いかに民衆が自由であるかによって決まる。教育とて例外ではない。すぐれた
教育というのは、いかに多くの、将来への選択肢を子どもに与えることができるかで決まる。

 話がぐんぐんと脱線してしまったが、なぜ私たちが子どもを教育するかといえば、子どもたち
が将来、多様性のある社会の中で、柔軟(フレキシブル)に、力強く生きていくことができるよう
にするためである。とくに歴史教育は、先にも書いたように、過去を学び、未来にその経験や
失敗を生かすためである。しかしその歴史教育一つとっても、子どもたちの世界では、まったく
役にたっていない。日本よ、日本の親たちよ、本当にこんなことでよいのか?

※「イミダス」の索引の中から、学校の授業(英数国社理)で扱うような項目と、そうでない項目
を分けてみた。その結果、ここでいう二〇分の一から三〇分の一という数字を算出した。


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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■3-11-2A

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

「私」論

●基底不安

 家庭という形が、まだない時代だった。少なくとも、戦後生まれの私には、そうだった。今でこ
そ、「家族旅行」などいうのは、当たり前の言葉になったが、私の時代には、それすらなかっ
た。記憶にあるかぎり、私の家族がいっしょに旅行にでかけたのは、ただの一度だけ。伊勢参
りがそれだった。が、その伊勢参りにしても、夕方になって父が酒を飲んで暴れたため、私た
ちは夜中に、家に帰ってきてしまった。

 私はそんなわけで、子どものころから、温かい家庭に飢えていた。同時に、家にいても、いつ
も不安でならなかった。自分の落ちつく場所(部屋)すら、なかった。

 ……ということで、私は、どこかふつうでない幼児期、少年期を過ごすことになった。たとえば
私は、父に、ただの一度も抱かれたことがない。母が抱かせなかった。父が結核をわずらって
いたこともある。しかしそれ以上に、父と母の関係は、完全に冷えていた。そんな私だが、かろ
うじてゆがまなかった(?)のは、祖父母と同居していたからにほかならない。祖父が私にとっ
ては、父親がわりのようなところがあった。

 心理学の世界には、「基底不安」という言葉がある。生まれながらにして、不安が基底になっ
ていて、そのためさまざまな症状を示すことをいう。絶対的な安心感があって、子どもの心とい
うのは、はぐくまれる。しかし何らかの理由で、その安心感がゆらぐと、それ以後、「不安」が基
本になった生活態度になる。たとえば心を開くことができなくなる、人との信頼関係が結べなく
なる、など。私のばあいも、そうだった。

●ウソつきだった私

 よく私は子どものころ、「浩司は、商人の子だからな」と、言われた。つまり私は、そう言われ
るほど、愛想がよかった。その場で波長をあわせ、相手に応じて、自分を変えることができた。
「よく気がつく子だ」「おもしろい子だ」と言われたのを、記憶のどこかで覚えている。笑わせじょ
うずで、口も達者だった。当然、ウソもよくついた。

 もともと商人は、ウソのかたまりと思ってよい。とくに私の郷里のM市は、大阪商人の影響を
強く受けた土地柄である。ものの売買でも、「値段」など、あってないようなもの。たがいのかけ
引きで、値段が決まった。

客「これ、いくらになる?」
店「そうですね、いつも世話になっているから、一〇〇〇円でどう?」
客「じゃあ、二つで、一五〇〇円でどう?」
店「きついねえ。二つで、一八〇〇円。まあ、いいでしょう。それでうちも仕入れ値だよ」と。

 実際には、仕入れ値は、五〇〇円。二個売って、八〇〇円のもうけとなる。こうしたかけ引き
は、日常茶飯事というより、すべてがその「かけ引き」の中で動いていた。商売だけではなく、
近所づきあい、親戚づきあい、そして親子関係も、である。

 もっとも、私がそういう「ウソの体質」に気づいたのは、郷里のM市を離れてからのことであ
る。学生時代を過ごした金沢でも、そして留学時代を過ごしたオーストラリアでも、この種のウ
ソは、まったく通用しなかった。通用しないばかりか、それによって、私はみなに、嫌われた。さ
らに、この浜松でも、そうだ。距離にして、郷里から、数百キロしか離れていないのに、たとえば
この浜松では、「かけ引き」というのをまったくしない。この浜松に住んで、三〇年以上になる
が、私は、客が店先で値段のかけ引きをしているのを、見たことがない。

 私はウソつきだった。それはまさに病的なウソつきと言ってもよい。私は自分を飾り、相手を
楽しませるために、よくウソをついた。しかし誤解しないでほしいのは、決して相手をだますた
めにウソをついたのではないということ。金銭関係にしても、私は生涯において、モノやお金を
借りたことは、ただの一度もない。いや、一度だけ、一〇円玉を借りたが、それは緊急の電話
代だった。

●防衛機制

 こうした心理状態を、「防衛機制」という。自分の身のまわりに、自分にとって居心地のよい世
界をつくり、その結果として、自分の心を防衛する。私によく似た例としては、施設児がいる。
生後まもなくから施設などに預けられ、親子の相互愛着に欠けた子どもをいう。このタイプの子
どもも、愛想がよくなることが知られている。

 一方、親の愛情をたっぷりと受けて育ったような子どもは、どこかどっしりとしていて、態度が
大きい。ふてぶてしい。これは犬もそうで、愛犬家のもとで、ていねいに育てられたような犬は、
番犬になる。しかしそうでない犬は、だれにでもシッポを振り、番犬にならない。私は、そういう
意味では、番犬にならない人間だった。

 ほかに私の特徴としては、子どものころから、忠誠心がほとんどないことがある。その場、そ
の場で、相手に合わせてしまうため、結果として、ほかのだれかを裏切ることになる。そのとき
は気づかなかったが、今から思い出すと、そういう場面は、よくあった。だから学生時代、あの
ヤクザの世界に、どこかあこがれたのを覚えている。映画の中で、義理だ、人情だなどと言っ
ているのを見たとき、自分にない感覚であっただけに、新鮮な感じがした。

 が、もっとも大きな特徴は、そういう自分でありながら、決して、他人には、心を許さなかった
ということ。表面的には、ヘラヘラと、ときにはセカセカとうまくつきあうことはできたが、その
実、いつも相手を疑っていた。そのため、相手と、信頼関係を結ぶことができなかった。いつも
心のどこかで、「損得」を考えて行動していた。しかしこのことも、当時の私が、知る由もないこ
とであった。私は、自分のそういう面を、母を通して、知った。

●母の影響

 私の母も、よくウソをついた。で、ある日、私の中に「ウソの体質」があるのは、母の影響だと
いうことがわかった。が、それだけではなかった。私の母は、私という息子にさえ、心を開くこと
をしない。詳しくは書けないが、八〇歳をすぎた今でも、私やワイフの前で、自分を飾り、自分
をごまかしている。そういう母を見たとき、母が、以前の私そっくりなのを知った。つまりそういう
母を通して、過去の自分を知った。

 が、そういう私という夫をもつことで、一番苦しんだのは、私のワイフである。私たちは、何と
なく結婚したという、そういうような結婚のし方をした。まさにハプニング的な結婚という感じであ
る。電撃に打たれるような衝撃を感じて結婚したというのではない。そのためか、私たちは、当
初から、どこか友だち的な夫婦だった。いっしょにいれば、楽しいという程度の夫婦だった。

 そういうこともあって、私は、ワイフと、夫婦でありながら、信頼関係をつくることができなかっ
た。「この女性が、私のそばにいるのは、お金が目的だ」「この女性は、もし私に生活力がなけ
れば、いつでも私から去っていくだろう」と。そんなふうに考えていた。同時に、私は嫉妬(しっ
と)深く、猜疑心(さいぎしん)が強かった。町内会の男たちとワイフが、親しげに話しているのを
見ただけで、頭にカーッと血がのぼるのを感じたこともある。

 まるで他人のような夫婦。当時を振りかえってみると、そんな感じがする。それだけに皮肉な
ことだが、新鮮といえば、新鮮な感じがした。おかげで、結婚後、五年たっても、一〇年たって
も、新婚当初のままのような夫婦生活をつづけることができた。これは男女のどういう心理によ
るものかは知らないが、事実、そうだった。

 が、そういう自分に気づくときがやってきた。私は幸運(?)にも、幼児教育を一方でしてき
た。その流れの中で、子どもの心理を勉強するようになった。私はいつしか、自分の子ども時
代によく似ている子どもを、さがすようになった。と、言っても、これは決して、簡単なことではな
い。

●自分をさがす

 「自分を知る」……これは、たいへんむずかしいことである。何か特別な事情でもないかぎ
り、実際には、不可能ではないか。どの人も、自分のことを知っているつもりで、実は知らな
い。私はここで「自分の子ども時代によく似ている子ども」と書いたが、本当のところ、それはわ
からない。無数の子どもの中から、「そうではないか?」と思う子どもを選び、さらにその子ども
の中から共通点をさがしだし、つぎの子どもを求めていく……。こうした作業を、これまた無数
に繰りかえす。

 手がかりがないわけではない。

 私は毎日、真っ暗になるまで、外で遊んでいた。
 私は毎日、家には、まっすぐ帰らなかった。
 私は休みごとに、母の実家のある、I村に行くのが何よりも楽しみだった。

 こうした事実から、私は、帰宅拒否児であったことがわかる。

 私は泣くと、いつもそのあとシャックリをしていた。
 静かな議論が苦手で、喧嘩(けんか)になると、すぐ興奮状態になった。
 私は喧嘩をすると、相手の家の奥までおいかけていって、相手をたたいた。

 こうした事実から、私は、かんしゃく発作のもち主か、興奮性の強い子どもであったことがわ
かる。

 私はいつも母のフトンか、祖父母のフトンの中に入って寝ていた。
 町内の旅行先で、母のうしろ姿を追いかけていたのを覚えている。
 従兄弟(いとこ)たちと寝るときも、こわくてひとりで、寝られなかった。

 こうした事実から、私は分離不安のもち主だったことがわかる。

 ……こうした事実を積み重ねながら、「自分」を発見する。そしてそうした「自分」に似た子ども
をさがす。そしてそういう子どもがいたら、なぜ、その子どもがそうなったかを、さぐってみる。印
象に残っている子ども(年長男児)に、T君という男の子がいた。
 
●T君

 T君は、いつも祖母につられて、私の教室にやってきた。どこかの病院では、自閉症と診断さ
れたというが、私はそうではないと思った。こきざみな多動性はあったが、それは家庭不和など
からくる、落ち着きなさであった。脳の機能障害によるものなら、子どもの気分で、静かになっ
たり、あるいはおとなしくなったりはしない。T君は、私がうまくのせると、ほかの子どもたちと同
じように、ゲラゲラと笑ったり、あるいは気が向くと、静かにプリント学習に取りくんだりした。

 そのT君の祖母からいつも、こんなことを言われていた。「母親が会いにきても、絶対に会わ
せないでほしい」と。その少し前、T君の両親は、離婚していた。が、その日が、やってきた。

 まずT君の母親の姉がやってきて、こう言った。「妹(T君の母親)に、授業を参観させてほし
い」と。私は祖母との約束があったので、それを断った。断りながら、姉を廊下のほうへ、押し
出した。私はそこにT君の母親が泣き崩れてかがんでいるのを見た。私はつらかったが、どう
しようもなかった。T君が母親の姿を見たら、T君は、もっと動揺しただろう。そのころ、T君は、
やっと静かな落ち着きを取りもどしつつあった。

 T君が病院で、自閉症と誤診されたのは、T君に、それらしい症状がいくつかあったことによ
る。決して病院を責めているのではない。短時間で、正確な診断をすることは、むずかしい。こ
うした心の問題は、長い時間をかけて、子どもの様子を観察しながら診断するのがよい。しか
し一方、私には、その診断する権限がない。診断名を口にすることすら、許されない。私はT君
の祖母には、「自閉症ではないと思います」ということしか、言えなかった。

●T君の中の私

 T君は、暴力的行為を、極度に恐れた。私は、よくしゃもじをもって、子どもたちのまわりを歩
く。背中のまがっている子どもを、ピタンとたたくためである。決して痛くはないし、体罰でもな
い。

 しかしT君は、私がそのしゃもじをもちあげただけで、おびえた。そのおびえ方が、異常だっ
た。私がしゃもじをもっただけで、体を震わせ、興奮状態になった。そして私から体をそらし、手
をバタつかせた。私が「T君、君はいい子だから、たたかないよ。心配しなくてもいいよ」となだ
めても、状態は同じだった。一度、そうなると、手がつかられない。私はしゃもじを手から離し、
それをT君から見えないところに隠した。

 こういうのを「恐怖症」という。私は、T君を観察しながら、私にも、似たような恐怖症があるの
を知った。

 私は子どものころ、夕日が嫌いだった。赤い夕日を見ると、こわかった。
 私は子どものころ、酒のにおいが嫌いだった。酒臭い、小便も嫌いだった。
 私は毎晩、父の暴力を恐れていた。

 私の父は、私が五歳くらいになるころから、アルコール中毒になり、数晩おきに近くの酒屋で
酒を飲んできては、暴れた。ふだんは静かな人だったが、酒を飲むと、人が変わった。そして
食卓のある部屋で暴れたり、大声で叫びながら、近所を歩きまわったりした。私と姉は、その
たびに、家の中を逃げまわった。

●フラシュバック

 そんなわけで今でも、ときどき、あのころの恐怖が、もどってくることがある。一度、とくに強烈
に覚えているのは、私が六歳のときではなかったかと思う。姉もその夜のことをよく覚えてい
て、「浩ちゃん、あれは、あんたが六歳のときよ」と教えてくれた。

 私は父の暴力を恐れて、二階の一番奥にある、物干し台に姉と二人で隠れた。そこへ母が
逃げてきた。が、階下から父が、「T子(母の名)! T子!」と呼ぶ声がしたとき、母だけ、別の
ところへ逃げてしまった。

 そこには私と姉だけになってしまった。私は姉に抱かれると、「姉ちゃん、こわいよ、姉ちゃ
ん、こわいよ」と声を震わせた。

 やがて父は私たちが隠れている隣の部屋までやってきた。そして怒鳴り散らしながら、また
別の部屋に行き、また戻ってきた。怒鳴り声と、はげしい足音。そしてそのつど、バリバリと家
具をこわす音。私は声をあげることもできず、声を震わせて泣いた……。

 声を震わせた……今でも、ときどきあの夜のことを思い出すと、そのままあの夜の状態にな
る。そういうときワイフが横にいて、「あなた、何でもないのよ」と、なだめて私を抱いてくれる。
私は年がいもなく、ワイフの乳房に口をあて、それを無心で吸う。そうして吸いながら、気分を
やすめる。

 数年前、そのことを姉に話すと、姉は笑ってこう言った。「そんなの気のせいよ」「昔のことでし
ょ」「忘れなさいよ」と。残念ながら、姉には、「心の病気」についての理解は、ほとんどない。な
いから、私が受けた心のキズの深さが理解できない。

●ふるさと

 私にとって、そんなわけで、「ふるさと」という言葉には、ほかの人とは異なった響きがある。ど
こかの学校へ行くと、「郷土を愛する」とか何とか書いてあることがあるが、心のどこかで、「そ
れができなくて苦しんでいる人もいる」と思ってしまう。

 私はいつからか、M市を出ることだけしか考えなくなった。M市というより、実家から逃げるこ
とばかりを考えるようになった。今でも、つまり五五歳という年齢になっても、あのM市にもどる
というだけでも、ゾーッとした恐怖感がつのる。実際には、盆暮れに帰るとき、M市に近づくと、
心臓の鼓動がはげしくなる。四〇歳代のころよりは、多少落ち着いてはきたが、その状態はほ
とんど変わっていない。

 しかし無神経な従兄弟(いとこ)というのは、どこにでもいる。先日もあれこれ電話をしてきた。
「浩司君、君が、あの林家の跡取りになるんだから、墓の世話は君がするんだよ」と言ってき
た。しかし私自身は、死んでも、あの墓には入りたくない。M市に葬られるのもいやだが、あの
家族の中にもどるのは、もっといやだ。私は、あの家に生まれ育ったため、自分のプライドす
ら、ズタズタにされた。

 私が今でも、夕日が嫌いなのは、その時刻になると、いつも父が酒を飲んで、フラフラと通り
を歩いていたからだ。学校から帰ってくるときも、そのあたりで、何だかんだと理由をつけて、
友だちと別れた。ほかの時代ならともかくも、私にとってもっとも大切な時期に、そうだった。

●自分を知る

 そういう自分に気づき、そういう自分と戦い、そういう自分を克服する。私にはずっと大きなテ
ーマだった。しかし自分の心のキズに気づくのは、容易なことではない。心のキズのことを、心
理学の世界では、トラウマ(心的外傷)という。仮に心にキズがあっても、それ自体が心である
ため、そのキズには気づかない。それはサングラスのようなものではないか。青いサングラス
でも、ずっとかけたままだと、サングラスをかけていることすら忘れてしまう。サングラスをかけ
ていても、赤は、それなりに赤に見えてくる。黄色も、それなりに黄色に見えてくる。

 たとえば私は子どものころ、頭にカーッと血がのぼると、よく破滅的なことを考えた。すべてを
破壊してしまいたいような衝動にかられたこともある。こうした衝動性は、自分の心の内部から
発生するため、どこからが自分の意思で、どこから先が、自分の意思でないのか、それがわか
らない。あるいはすべてが自分の意思だと思ってしまう。

 あるいは自分の思っていることを伝えるとき、ときとして興奮状態になり、落ちついて話せなく
なることがあった。一番よく覚えているのは、中学二年になり、生徒会長に立候補したときのこ
と。壇上へあがって演説を始めたとたん、何がなんだか、わからなくなってしまった。そのとき
は、「あがり性」と思ったが、そんな簡単なものではなかった。頭の中が混乱してしまい、口だけ
が勝手に動いた。

 私がほかの人たちと違うということを発見したのは、やはり結婚してからではないか。ワイフと
いう人間を、至近距離で見ることによって、自分という人間を逆に、浮かびあがらせることがで
きた。そういう点では、私のワイフは、きわめて常識的な女性だった。情緒は、私よりはるかに
安定していた。精神力も強い。たとえば結婚して、もう三〇年以上になるが、私はいまだかっ
て、ワイフが自分を取り乱して、ワーワーと泣いたり、叫んだりしたのを、見たことがない。

 一方、私は、よく泣いたり、叫んだりした。情緒も不安定で、何かあると、すぐふさいだり、落
ちこんだりする。精神力も弱い。すぐくじけたり、いらだったりする。私はそういう自分を知りな
がら、他人も似たようなものだと思っていた。少なくとも、私が身近で知る人間は、私によく似て
いた。祖母も、父も、母も、姉も。だから私が、ほかの人と違うなどというのは、思ったことはな
い。違っていても、それは「誤差」の範囲だと思っていた。

●衝撃

 ふつうだと思っていた自分は、実は、ふつうではなかった。……もっとも、私は、他人から見
れば、ごくうつうの人間に見えたと思う。幸いなことにというか、心の中がどうであれ、人前で
は、私は自分で自分をコントロールすることができた。たとえばいくらワイフと言い争っていて
も、電話がかかってきたりすると、その瞬間、ごくふつうの状態で、その電話に出ることができ
た。

 自分がふつうでないことを知るのは、衝撃的なことだ。私の中に、別の他人がいる……という
ほど、大げさなことではないが、それに近いといってもよい。自分であって、自分でない部分で
ある。それが自分の中にある! そのことは、子どもたちを見ているとわかる。

 ひがみやすい子ども、いじけやすい子ども、つっぱりやすい子どもなど。いろいろな子どもが
いる。そういう子どもは、自分で自分の意思を決定しているつもりでいるかもしれないが、本当
のところは、自分でない自分にコントロールされている。そういう子どもを見ていると、「では、私
はどうなのか?」という疑問にぶつかる。

 この時点で、私も含めて、たいていの人は、「私は私」「私はだいじょうぶ」と思う。しかしそう
は言い切れない。言い切れないことは、子どもたちを見ていれば、わかる。それぞれの子ども
は、それぞれの問題をかかえ、その問題が、その子どもたちを、裏から操っている。たとえば
分離不安の子どもがいる。親の姿が見えなくなると、ギャーッとものすごい声を張りあげて、あ
とを追いかけたりする。先にあげた、T君も、その一人だ。

 その分離不安の子どもは、なぜそうなるのか。また自分で、なぜそうしているかという自覚は
あるのか。さらにその子どもがおとなになったとき、その後遺症はないのか、などなど。

●なぜ自分を知るか

 ここまで書いて、ワイフに話すと、ワイフは、こう言った。「あなたは自分を知れと言うけど、知
ったところで、それがどうなの?」と。

 自分を知ることで、少なくとも、不完全な自分を正すことができる。人間の行動というのは、一
見、複雑に見えるが、その実、同じようなパターンの繰りかえし。その繰りかえしが、こわい。本
来なら、「思考」が、そのパターンをコントロールするが、その思考が働く前に、同じパターンを
繰りかえしてしまう。もっとわかりやすく言えば、人間は、ほとんどの行動を、ほとんど何も考え
ることなしに、繰りかえす。

 そのパターンを裏から操るのが、ここでいう「自分であって、自分でない部分」ということにな
る。よい例が、子どもを虐待する親である。

●子どもを虐待する親

 子どもを虐待する親と話していて不思議だなと思うのは、そうして話している間は、そういう親
でも、ごくふつうの親であるということ。とくに変わったことはない。ない、というより、むしろ、子
どものことを、深く考えている。もちろん虐待についての認識もある。「虐待は悪いことだ」とも
言う。しかしその瞬間になると、その行動をコントロールできなくなるという。

 ある母親(三〇歳)は、子ども(小一)が、服のソデをつかんだだけで、その子どもをはり倒し
ていた。その衝撃で、子どもは倒れ、カベに頭を打つ。そして泣き叫ぶ。そのとたん、その母親
は、自分のしたことに気づき、あわてて子どもを抱きかかえる。

 その母親は、私のところに相談にきた。数回、話しあってみたが、理由がわからなかった。し
かし三度目のカウンセリングで、母親は、自分の過去を話し始めた。それによるとこうだった。

 その母親は、高校を卒業すると同時に、一人の男性と交際を始めた。しばらくはうまく(?)い
ったが、そのうち、その母親は、その男性が、自分のタイプでないことに気づいた。それで遠ざ
かろうとした。が、とたん、相手の男性は、今でいうストーカー行為を繰りかえすようになった。

 執拗(しつよう)なストーカー行為だった。で、数年がすぎた。が、その状態は、変わらなかっ
た。本来なら、その母親はその男性と、結婚などすべきではなかった。しかしその母親は、心
のやさしい女性だった。「結婚を断れば、実家の親たちに迷惑がかかるかもしれない」というこ
とで、結婚してしまった。

 「味気ない結婚でした」と、その母親は言った。そこで「子どもができれば、その味気なさから
解放されるだろう」ということで、子どもをもうけた。それがその子どもだった。

 このケースでは、夫との大きなわだかまりが、虐待の原因だった。子どもが母親のソデをつ
かんだとき、その母親は、無意識のうちにも、結婚前の心の様子を、再現していた。

●だれでも、キズはある

 だれでも、キズの一つや二つはある。キズのない人は、いない。だから問題は、キズがあるこ
とではなく、そのキズに気づかないまま、そのキズに振りまわされること。そして同じ失敗を繰り
かえすこと。これがこわい。

 そのためにも、自分を知る。自分が、いつ、どのような形で、今の自分になったかを知る。知
ることにより、その失敗から解放される。

 ここにあげた母親も、しばらくしてから私のほうから電話をすると、こう話してくれた。「そのと
きはショックでしたが、そこを原点にして、立ちなおることができました」と。

 しかし自分を知ることには、もう一つの重要な意味がある。

●真の自由を求めて

 自分の中から、自分でないものを取り去ることによって、その人は、真の自由を手に入れる
ことができる。別の言葉で言うと、自分の中に、自分でない部分がある間は、その人は、真の
自由人ということにはならない。

 たとえば本能で考えてみる。わかりやすい。

 今、目の前にたいへんすてきな女性がいる。(あなたが女性なら、男性ということになる。)そ
の女性と、肌をすりあわせたら、どんなに気持ちがよいだろうと、あなたは頭の中で想像する。

 ……そのときだ。あなたは本能によって、心を奪われ、その本能によって行動していることに
なる。極端な言い方をすれば、その瞬間、本能の奴隷(どれい)になっていることになる。(だか
らといって、本能を否定しているのではない。誤解のないように!)

 人間の行動は、こうした本能にかぎらず、そのほとんどが、実は、「私は私」と思いつつ、結局
は、私でないものに操られている。一日の行動を見ても、それがわかる。

 家事をする。仕事をする。育児をする。すべての行為が何らかの形で、私であって私でない
部分によって、操られている。スーパーで、値ごろなスーツを買い求めるような行為にしても、も
ろもろの情報に操られているといってもよい。もっともそういう行為は、生活の一部であり、問
題とすべきではない。

 問題は、「思想」である。思想面でこそ、あらゆる束縛から解放されたとき、その人は、真の
自由を、手に入れることになる。少し飛躍した結論に聞こえるかもしれないが、その第一歩が、
「自分を知る」ということになる。

●自分を知る

 私は私なのか。本当に、私と言えるのか。どこからどこまでが本当の私であり、どこから先
が、私であって私でない部分なのか。

 私は嫉妬深い。その嫉妬にしても、それは本当に私なのか。あるいはもっと別の何かによっ
て、動かされているだけなのか。今、私はこうして「私」論を書いている。自分では自分で考えて
書いているつもりだが、ひょっとしたら、もっと別の力に動かされているだけではないのか。

 もともと私はさみしがり屋だ。人といるとわずらわしく感ずるくせに、そうかといって、ひとりで
いることができない。ショーペンハウエルの「ヤマアラシの話」※は、どこかで書いた。私は、そ
のヤマアラシに似ている。まさにヤマアラシそのものと言ってもよい。となると、私はいつ、その
ようなヤマアラシになったのか。今、こうして「私」論を書いていることについても、自分の孤独
をまぎらわすためではないのか。またこうして書くことによって、その孤独をまぎらわすことがで
きるのか。

 自分を知るということは、本当にむずかしい。しかしそれをしないで、その人は、真の自由を
手に入れることはできない。それが、私の、ここまでの結論ということになる。

●私とは……

 私は、今も戦っている。私の体や心を取り巻く、無数のクサリと戦っている。好むと好まざると
にかかわらず、過去のわだかまりや、しがらみを引きずっている。そしてそういう過去が、これ
また無数に積み重なって、今の私がある。

 その私に少しでも近づくために、この「私」論を書いてみた。
(030304)

※ショーペンハウエルの「ヤマアラシの話」……寒い夜だった。二匹のヤマアラシは、たがいに
寄り添って、体を温めようとした。しかしくっつきすぎると、たがいのハリで相手の体を傷つけて
しまう。しかし離れすぎると、体が温まらない。そこで二匹のヤマアラシは、一晩中、つかず離
れずを繰りかえしながら、ほどよいところで、体を温めあった。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 641人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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03−3−11号(192)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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です! 日記を読んでいただけます!
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 電話054−246−6136
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
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と読みやすくなります。お試しください。毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご
利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )        今日のメニュー
   γ ρρ   │σ σ ρ )        【1】子育てポイント 
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )        【2】Touch your Heart
   人   υ ( `) (  )         【3】子育てエッセー
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)          【4】フォーラム
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

字がヘタだから、書道に!
悪筆、言ってなおらず(失敗危険度★)

●年長児でわかる悪筆
 年長児くらいになると、子どもの悪筆が目立ってくる。小学校へ入ると、さらにそれがはっきり
とわかるようになる。手の運筆能力が固定化してくるためと考えられる。その運筆能力は、子
どもに丸(○)を描かせてみるとわかる。運筆能力のある子どもは、きれいな、つまりスムーズ
な丸を描くことができる。そうでない子どもは、多角形に近いぎこちない丸を描く。

ちなみに縦線を描くときと横線を描くときは、指、手、手首の動きは基本的に違う。違うことは
一度、自分で縦線と横線を描き、それらがどう変化するかを観察してみるとわかる。さらに丸を
描くときは、これからがきわめて複雑な動きをするのがわかる。つまりきれいな丸を描くという
のは、それだけたいへんということ。

●書道教室へ行けばうまくなる?
 悪筆が目立ってくると、親はすぐ、「書道教室へ」と考えるが、これは誤解。運筆能力のない
子どもでも、書道をならわせると、見た目にはきれいな文字を書くようになる。が、今度は時間
ばかりかかるようになる。学校の授業でも、先生が黒板に文字を書く速さについていけないな
ど。以前、M君(小二)という男の子がいた。文字はきれいだが、とにかく遅い。皆が書き終わ
っても、まだノロノロと書いている。そこである日、私はきつく注意した。「はやく書きなさい!」
と。とたんM君ははやく書くようになったが、私はその文字を見て驚いた。文字がめちゃめちゃ
なんていうものではなかった。しかしそれがM君の本来の文字だったのだ。

●運筆能力はぬり絵で
 運筆能力を養うためには、ぬり絵がよい。ぬり絵をしながら、子どもは運筆能力を養う。ぬり
絵をしながら子どもは、こまかい四角や丸い部分を、いろいろな線を使って塗りつぶそうとす
る。そうなればしめたもの。(ぬり絵になれていない子どもは、横線なら横線ばかりで色を塗ろ
うとするから、線があちこち飛び出したりする。)文字の学習に先立って、子どもにはぬり絵をさ
せる。あとあと文字がきれいに書けるようになる。

 なおクレヨンと鉛筆のもち方は基本的に違う。クレヨンは三本の指でつかむようにしてもつ。
鉛筆は、親指と人さし指でつかみ、中指でうしろから支えるようにしてもつ。(だからといってそ
れが正しいもち方と決めてかかってもいけないが……。)鉛筆を使い始めたら、一度正しいもち
方を教えるとよい。ちなみに年長児で、鉛筆を正しくもてる子どもは約五〇%。クレヨンをもつ
ようにしてもつ子どもが、三〇%。残りの二〇%は、きわめて変則的なもち方をするのがわか
っている(筆者調査)。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


ああ、運動をつづけてよかった
ふつうこそ最善(失敗危険度★★★)

●なくしてから気づく
 ふつうであることにはすばらしい価値が隠されている。賢明な人はその価値をなくす前に気づ
き、そうでない人はそれをなくしてはじめて気づく。健康しかり、家族しかり、そして子どものよさ
もまたしかり。

 私は三人の息子のうち、二人をあやうく海でなくしかけたことがある。とくに二男が助かったの
は奇跡中の奇跡。そういうことがあったためか、それ以後、二男の育て方がほかの二人とは
変わってしまった。二男に何か問題が起きるたびに、私は「ああ、こいつは生きているだけでい
い」と思いなおすようになった。たとえば二男はひどい花粉症で、毎年その時期になると、不登
校を繰り返した。中学二年生のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。しかしそのつ
ど、「生きているだけでいい」と思いなおすことで、私は乗り越えることができた。

●子どもは下から見ろ
 子どもに何か問題が起きたら、子どもは下から見る。「下(欠点)を見ろ」というのではない。
「生きている」という原点から見る。が、そういう視点で見ると、あらゆる問題が解決するから不
思議である。またそれで解決しない問題はない。

 ……と書いて余談だが、最近読んだ雑誌の中に、こんな印象に残った話があった。その男性
(五〇歳)は長い間、腎不全と闘っていたが、腎臓移植手術を受け、ふつうの人と同じように小
便をすることができるようになった。そのときのこと。その人は自分の小便が太陽の光を受け、
黄金色に輝いているのを見て、思わずその小便を手で受けとめたという。私は幸運にも、生ま
れてこのかたただの一度も病院のベッドで寝たことがない。ないが、その人のそのときの気持
ちがよく理解できる。いや、最近になってこんなふうに考えるようになった。

●健康であることの喜び
 私はこの三〇年間、往復約一時間の道のりを、自転車通勤をしている。ひどい雨の日以外
は、どんなに風が強くても、またどんなに寒くても、それを欠かしたことがない。しかし三〇年も
していると、運動をしていない人とは大きな差となって表れる。たとえば今、同年齢の多くの友
人たちは何らかの成人病をかかえ、四苦八苦している。しかし私はそうした成人病とは無縁
だ。そういう無縁さが、ある種の喜びとなってかえってくる。「ああ、運動をつづけてよかった」
と。その喜びは、小便を手で受けとめた人と、どこか共通しているのではないか。

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

真の自由を子どもに教えられるとき 

●真の自由を手に入れる方法はあるのか? 
 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。「私は自由
だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。が、もしその恐
怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。しかしそれは可能なのか
……? その方法はあるのか……? 一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、
ひょっとしたら私は、死の恐怖から、自分を解放することができるかもしれない。自分の子育て
の中で、私はこんな経験をした。

●無条件の愛
 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会話をし
た。息子「アメリカで就職したい」、私「いいだろ」、息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカの
その地方では、花嫁の居住地で式をあげる習わしになっている。結婚式には来てくれるか」、
私「いいだろ」、息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」、私「いいだろ」と。その一つずつの段
階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグイと押し殺さなければならなか
った。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のときは、さすがに私も声が震えた。息子「アメ
リカ国籍を取る」、私「……日本人をやめる、ということか……」、息子「そう……」、私「……い
いだろ」と。

 私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するがゆえ
に、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には『無条件の愛』という言葉がある。私
が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私は、自分の心が
抜けるほど軽くなったのを知った。

●息子に教えられたこと
 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめることでもない。
「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、許し、愛し、受け
入れるということ。「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなければ、死をこわがる理由など
ない。一文なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、
おいでになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれができれば、私
は死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。その境地に達することができ
るようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし一つの目標にはなる。息子が
それを、私に教えてくれた。

     ⌒⌒⌒⌒
    ((( (( (( 
     ⌒  ⌒ 
     ・。・ β
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \   みなさんのご家庭で、このマガジンが役だって
 ゜\/│ // │ / /    いますか?
   Γ ̄ ̄│──|○   何かテーマがあれば、掲示板にでもお書きください。

   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
子どもとしての気負い

 「私は親だから……」というのは、親の気負い。しかし子どもにも、その気負いがある。「私は
子だから……」と。

 Sさん(四〇歳女性)は、毎週、実家へ帰っている。七〇歳になる父親がいるからである。
が、その父親とは、うまくいっていない。Sさんは、こう言う。「父は、私をうらんでいます。父は
養子をもらって、私に実家のあとを継がせようと考えていました。しかし私は家を出てしまいま
したから」と。

 Sさんは、何度か、父親に自分のところにくるように頼んだ。が、父親は、それをがんとして、
拒んだ。しかしそのうち、道路でころんでから、自由に歩くことができなくなってしまった。そこで
Sさんは、そうして通いながら、父親のめんどうをみている。が、悲劇はつづく。

 父親が、「かなりボケてきた」というのだ。がんこで、怒りっぽくなったという。「先日も、パック
のまま料理を並べたら、『こんなもの食えるか! ちゃんと皿に盛りつけろ!』と、それを床に投
げてしまいました」と。

 Sさんの心の晴れる日はない。「そうかと言って、知らぬ顔をしているわけにもいきません。親
ですから……」と。「ああいう父ですから、施設には入ってくれそうにもありませんし……」とも。

 わがままな子どもをもって苦しむ親もいるが、一方、わがままな親をもって苦しむ子どももい
る。親子ではないが、もう少し深刻なケースでは、こんなのもある。

 K氏(五〇歳)は、身寄りがなくなった兄(六〇歳)を引き取ることになった。が、引き取って、
同居したとたん、K氏の妻(四二歳)を、あたかも自分の妻のように扱い始めたという。が、そ
れだけではない。妻が風呂に入っていたりすると、用もないのに脱衣場のそばでウロウロした
り、妻の下着をタンスから出して見たりするなど。

 妻はこう言う。「夫にへんなライバル心があるのですね。夫より、自分のほうがすぐれている
と、そんなことばかり言うのです。子どものころの話をもちだして、ぼくのほうが優秀で、やさし
いと、です」と。

 が、事件は、起きた。ある日のこと。K氏の妻が、ひとりでエレクトーンを弾いていたときのこ
と。うしろからやってきた、その兄が、妻に、抱きついてきたというのだ。妻は、思わず兄をつき
倒したというが、その事件のあと、妻は、数日、実家へ帰ってしまった。そのK氏もこう言う。「そ
うかと言って、兄を、追い出すこともできません。身内ですから……」と。

 こういうケースは、多い。本当に多い。親は子どもをもうけて、親になるが、しかしその子ども
は子どもで、同時に、無数の「しがらみ」にしばられる。そしてそのしがらみの中で、もがき、苦
しむ。「子だから……」「身内だから……」と。

 そんなわけで、「気負い」というのは、何も、親から子どもへの一方的なものばかりではない。
子どもから親への気負いもある。しかしその気負いも、良好な人間関係があるなら、それほど
苦にはならない。むしろ生きがいになることが多い。が、その人間関係が破壊されると、とたん
に苦痛になる。冒頭に書いたSさんは、こう言う。

 「毎週、水曜日に実家に行くようにしています。パートの仕事が休みだからです。しかしその水
曜日が近づくと、気が重くなります。頭痛が始まることもあります。だいたい月曜日くらいから様
子がおかしくなって、水曜日の朝は、起きるのもつらいくらいです。父に会っても、話すこともな
いし、そばにいるだけで神経がすり減ってしまいます」と。
 
 ともすれば私たちは、親の立場だけで、ちょうど上から下を見るように、子どもの世界を見が
ちである。しかしときには、子どもの立場で、自分はどういう存在なのかを見なければならな
い。でないと、結果として、いつかどこかで、その子どもをかえって苦しめることになる。こうした
問題は、多かれ少なかれ、どの家庭にもあるものだが、親が子どもの心を見失ったとき、この
問題は、悲劇になる。さて、あなたはだいじょうぶか? だいじょうだと自信をもって言えるか?
 一度、自問してみたらよい。
(030302)

【教訓】
●子どもには、恩着せがましいことは言わない。
●子どもには、親のうしろ姿を、押し売りしない。
●子どもの自立を考えたら、親も、自分の自立を考える。
●子どもを、自分の心のスキ間を埋めるために、利用しない。
●親は、最後の最後まで、気高く、前向きに生きる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

「私はダメな人間」VS「私には、ダメな点がある」

 子どもが、「私はダメな人間」と言うときと、「私には、ダメな点がある」と言うときは、はっきり
と区別する。

 「私はダメな人間」と言うときは、「私」イコール、「ダメな人間」を意味する。こういう言い方を
する子どもは、自分で立ちなおることができない。以前、こんな子ども(中学女子)がいた。

 ここ一番というときになると、決まって、「どうせ、私はダメだもんね」と。理由を聞くと、「どうせ
私はS小学校の入試に落ちたもんね」と。その子どもは、その年齢になっても、小学校の入試
で失敗したことを、まだ苦にしていた!

 しかし「私には、ダメな点がある」というのは、まだ「私」が主体的に働いているという点で、問
題はない。ほとんどの人は、そういう「ダメな点」を克服するために、戦う。そして前向きに伸び
ていく。このことを最初に指摘したのは、フロイトの弟子のA・アドラーという学者である。彼によ
れば、ウィークポイント、つまり劣等感は、だれにでもあるものであり、その劣等感を意識したと
き、人は不安状態に追いこまれるという。そしてその不安状態が逃れるため、人は、ばあいに
よっては、逃避したり、反対に不安状態を克服するために、努力したりするという。

 子育てでは、子どもに、「ダメな点がある」というところまでは思わせても、「私はダメな人間」
というところまでは、思わせてはいけない。これを私は、「核攻撃」と呼んでいる。人格の「核」と
いう中枢部まで、攻撃することをいう。たとえば子どもが何かの失敗をしたようなとき。「あなた
はやっぱりダメな子ね」と言うのは、ここでいう核攻撃ということになる。その言い方が、子ども
の心の核に近ければ近いほど、子どもの人格に与える影響は、大きい。

 先の女子中学生も、入試に失敗したとき、何らかの形で、まわりの人から核攻撃を受けたに
ちがいない。もっとわかりやすく言えば、そのとき、キズついた。子どもの世界では、本来、こう
いうことは、あってはならない。

 子どもとて、ときとして、自信をなくす。劣等感に悩むこともある。そんなとき、子どもがどんな
言い方をしているか、少しだけ注意深く聞いてみるとよい。とくに受験期をひかえた子どもな
ど。「今度のテスト、数学で失敗した」というような言い方をするなら、それほど、心配しなくても
よい。しかし「がんばったけど、私、やっぱりダメだった」というような言い方をしたら、注意す
る。そういうとき、子どもを励ましたり、叱ったり、脅したりすると、かえって子どもを窮地に追い
こむことになる。子どもを励ますとしても、どこかに希望を残すような励まし方をするとよい。「数
学はダメでも、英語がよかったから、いいじゃない」「今度は、調子が悪かっただけよ」とか。
(030303)

●われわれのもっている天性で、徳となりえない欠点はなく、欠点となりえない徳もない。(ゲー
テ「ヴィルヘルム・マイステル」)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

Q:三歳の息子ですが、このところ反抗がひどくて困ります。どう対処したらよいでしょうか。(静
岡県G市・MK)

第一反抗期

 あなたの子どもに、第一反抗期は、あったか? 

外部の刺激に左右され、そのたびに精神的に動揺することを情緒不安という※。二〜四歳の
第一反抗期、思春期の第二反抗期に、とくに子どもは動揺しやすくなる。

 子どもは、この反抗期をとおして、親に対して、絶対的安心感をもつことができるようになる。
どんなことをしても、またどんなことを言っても許されるのだという安心感である。この安心感
が、親と子どもの間の信頼関係の基本になる。ここでいう「絶対的」というのは、疑いをいだか
ないという意味。

 よく誤解されるが、子どもが親に反抗することは、悪いことではない。悪いのは、子どもがそ
の反抗心を自分の心の中に、おし隠してしまうことである。俗にいう、「いい子ぶる子ども」とい
うのは、それだけ自我の発達※が遅れるのみならず、親も含めて、人と信頼関係が結べない
子どもとみる。

 このタイプの子どもは、自分の心を守るために、さまざまな特殊な行為(問題行動)を繰りか
えすことが知られている。

●異常な依存心……だれかにベタベタに甘える。だれかれなく、愛想がよくなり、こびを売るよ
うになる。しかし心を開けないため、孤独。不安。他人に対して愛想がよくすることにより、身の
まわりに、「自分は愛されている」という環境をつくろうとする。

●引きこもり……人との接触を断ち、自分の世界に閉じこもる。人と接すると、必要以上に気
をつかい、神経疲労を起こしやすい。不登校の原因となることもある。つまり人との関係を断ち
きることによって、身の保全をはかろうとする。

●異常な敵対心……行動が攻撃的になり、自分以外のすべてのものは、「敵」と位置づけて、
排斥したり、否定したりする。非行、集団非行に走るケースも多い。攻撃的に相手を否定する
ことで、自分の優位性を保とうする。

●異常な隷属心……たいていは親に対してだが、その人に異常なまでに隷属する。隷属する
ことによって、身の保全をはかる。このタイプの子どもは、必要以上に相手にへつらったり、ペ
コペコする。

これらの行為は、子どもによって、さまざまに変化する。しかし共通しているのは、信頼関係が
結べないことによる、不安と孤独、焦燥と心配を解消するため、自分の心を守ろうとしている点
である。これを心理学の世界では、「防衛機制」という。

 そこであなたの子どもチェック。

 あなたの子どもは、二〜四歳の第一反抗期のとき、あなたという親に対して、好き勝手なこと
をし、また言っていたか。あなたは親として、それを許していたか。もしそうなら、それでよし。し
かしもしあなたの子どもが、あなたの前でいい子ぶったり、反抗らしい反抗もしないまま、今に
至っているなら、かなり注意したほうがよい。これから先、ここでいうような問題行動を起こす可
能性は、たいへん高い。あるいはすでにそれは始まっているかもしれない。

 子どもというのは、それぞれの時期に、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして、成長する。反抗
期はまさにそのカラを脱ぐ時期と考えてよい。それぞれの時期にうまくカラを脱げなかった子ど
もは、あるとき、そのカラを一挙に脱ごうとする。たいていは激しい摩擦と、軋轢(あつれき)を
引き起こす。たとえば家庭内暴力を起こす子どもも、こうしたメカニズムで説明できることが多
い。

 だから、子どもが反抗することを、悪いことと決めてかかってはいけない。一応、親としてそれ
をたしなめながらも、「この子は今、自我を形成しているのだ」と思い、一歩、退いた視点で子
どもを見るようにする。
(030303)

※……情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を許
さない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目を気にする、よい子ぶるなど。その緊張
状態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不
安定になる。症状が進むと、周囲に溶け込めず、引きこもったり、怠学、不登校を起こしたり
(マイナス型)、反対に攻撃的、暴力的になり、突発的に興奮して暴れたりする(プラス型)。

表情にだまされてはいけない。柔和な表情をしながら、不安定な子どもはいくらでもいる。この
タイプの子どもは、ささいなことがきっかけで、激変する。母親が、「ピアノのレッスンをしよう
ね」と言っただけで、激怒し、母親に包丁を投げつけた子ども(年長女児)がいた。また集団的
な非行行動をとったり、慢性的な下痢、腹痛、体の不調を訴えることもある。

※……「自我」というのは、要するに、その子どもの「わかりやすさ」をいう。教える側からみる
と、「つかみどころ」ということになる。自我の発達している子どもは、何を考え、何をしたいか
が、外から見ても、たいへんわかりやすい。したいことをし、言いたいことを言う。YES、NOを
はっきりと言う。一方、自我の軟弱な子どもは、それがわからない。何を考えているかすら、わ
からないときがある。どこか仮面をかぶったような感じになる。
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

防衛機制

 心の状態が、不安や心配などで、不安定になったとき、その不安定さから身を守るため、人
間には、独得の心理が働く。これを防衛機制という。

 この防衛機制は、つぎの四つに分けて考えるとよい。

●異常な依存心……だれかにベタベタに甘える。だれかれなく、愛想がよくなり、こびを売るよ
うになる。見た感じ、セカセカしている。しかし心を開けないため、孤独、不安。他人に対して愛
想がよくすることにより、身のまわりに、「自分は愛されている」という環境をつくろうとする。

 子どものばあい、だれにも愛想がよいというのは、決して好ましいことではない。たとえば新し
い環境で、新しい人に接したようなとき、ふつう、子どもは警戒する。警戒して、あたりを注意深
くながめたり、相手を観察したりする。しかしこのタイプの子どもは、相手の求めているものを
敏感に察知し、その相手が好みそうな自分を先に演出する。つまり相手に取り入るのがうま
い。無意識のうちにも、相手に好かれることをだけを考え、そして行動する。それが「愛想がよ
い」という形で、外に現れる。

●引きこもり……人との接触を断ち、自分の世界に閉じこもる。人と接すると、必要以上に気
をつかい、神経疲労を起こしやすい。不登校の原因となることもある。つまり人との関係を断ち
きることによって、身の保全をはかろうとする。

 不安や心配が、自分のコントロールできる範囲を超えたとき、子どもは、二つの反応を示す。
攻撃的に暴れるタイプと、内閉して、引きこもるタイプである。家庭内暴力を繰りかえす子ども
は、前者。引きこもる子どもは、後者と考えることもできる。このうち引きこもるタイプは、自分と
他人とのかかわりを最小限にすることで、人と接することから生ずるる不安や心配から、自分
を遠ざけようとする。

●異常な敵対心……行動が攻撃的になり、自分以外のすべてのものは、「敵」と位置づけて、
排斥したり、否定したりする。非行、集団非行に走るケースも多い。攻撃的に相手を否定する
ことで、自分の優位性を保とうする。

 他人との信頼関係を結ぶことができないため、人間関係を、短絡的な発想で、結論づけよう
とする。ささいな恩や義理に一生を捧げると誓ってみたり、ささいな裏切りを、ことさら大げさに
取りあげたりするなど。ふつう正常な、つまり心静かな人間関係を結ぶことができない。「♪行
儀よく、まじめなんか、できやしなかった。夜の校舎、窓ガラス、壊して回った」(尾崎豊「卒業」)
というような発想に傾きやすくなる。

●異常な隷属心……たいていは親に対してだが、その人に異常なまでに隷属する。隷属する
ことによって、身の保全をはかる。このタイプの子どもは、必要以上に相手にへつらったり、ペ
コペコする。

 このタイプの子どもは、隷属することにより、思考することそのものを停止してしまう。まさに
親の言いなりといった感じになる。そのため親は、そういう子どもを、「すなおな、いい子」と評
価することが多い。が、実際には、自分で考えないため、言動が、どこか常識ハズレになりや
すい。薬のトローチをお菓子がわりになめてしまった子ども(小二男児)、父親が大切にしてい
たウィスキーのフタを、あけてしまった子ども(小四男児)などがいた。

 こうした防衛機制は、その症状の軽重に応じて、はっきり現れるばあいもあるし、そうでない
ばあいもある。どういう症状であるにせよ、不安や心配が、その基底にあるとみる。言いかえる
と、「気のせい」「気はもちよう」と、安易に子どもの心を決めてかかってはいけない。
(030203)

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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■3-13-1B

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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 643人
最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)  ……読者数(Nr. of Readers)  89人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
☆===================☆==================

★★★★★★★★★★★★★★
03−3−13号(193)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 日記を読んでいただけます!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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   γ ρρ   │σ σ ρ )        【1】子育てポイント 
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )        【2】Touch your Heart
   人   υ ( `) (  )         【3】子育てエッセー
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)          【4】フォーラム
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

立派な社会人になれ!
いい学校から、いい家庭へ(失敗危険度★★★★)

●いい家庭を!
 「いい学校」を口にする親はいても、「いい家庭」を口にする親は少ない。「いい学校」を誇る
親はいても、「いい家庭」を誇る親は少ない。日本人は伝統的に、仕事第一主義。学歴第一主
義。もっと言えば出世第一主義。しかしその陰で犠牲にしているものも多い。その一つが、「家
庭」であり「家族」。そのよい例が、単身赴任。私が学生時代には、「短期出張」と言った。商社
のばあい、六か月以内の短期出張は、単身赴任が原則。しかし六か月で短気出張が終わると
はかぎらない。いわゆる出張のハシゴというので、一度外国へ出ると、数年は日本へ帰ってこ
られなかった。

それについて、ある日オーストラリアの教授がこう聞いた。「日本には短期出張について、法的
規制はないのか」と。そこで私が「ない」と答えると、まわりにいた学生までもが、「家族がバラ
バラにされて何が仕事か」と騒いだ。日本の常識は、決して世界の常識ではない。が、こんな
家族もある。

●すばらしい家族
 その娘の一人が、やや重い精神病をわずらった。しかし親は、それをすなおに受け入れた。
そして家族が力を合わせてその娘を支えることにした。娘は学校へは行かなかったが、母親
は娘にあれこれ経験させることだけは忘れなかった。その中の一つが、絵画。娘はその絵画
をとおして、やがてろうけつ染に興味をもつようになった。で、中学二年生のときに、市内で個
展を開くまでになった。こういう家族をすばらしい家族という。

●親子関係を破壊する子育て
 一方、こんな親は多い。子どもの受験勉強で無理に無理を重ねて、親子関係そのものを破
壊してしまうような親だ。その日のノルマがやっていないと、その父親は、子どもを真夜中でも
ふとんの中から引きずり出してそれをさせていた。私が「何もそこまで……」と言うと、その親は
こう言った。「いえ、私は嫌われてもかまいません。息子さえいい中学へ入ってくれれば。息子
もそれで私を許してくれるでしょう」と。

このタイプの親の頭の中には、「いい家族」はない。脳のCPU(中央演算装置)そのものがズレ
ているから、私のような意見そのものが理解できない。それはちょうど映画『マトリックス』に出
てくるような世界のようなもの。現実と仮想世界が入れかわり、仮想世界に住みながら、そこが
仮想世界だとすら気がつかない。本来大切にすべきものを粗末にし、本来大切でないものを
大切だと思い込んでしまう。

●友だちの数が財産
 少し前、アメリカ人の友人だが、私にこう言った。「ヒロシ、一番大切なのは、友だちだよ。友
だちの数こそが財産だよ」と。彼のこの言葉を借りるなら、「一番大切なのは、家族だよ。家族
のきずなこそ財産だよ」ということになる。

欧米が何でもよいわけではないが、欧米と日本とでは、家族に対する考え方そのものが違う。
たとえばオーストラリアでは、学校の先生も親も、子どもには、「よき家庭人になれ」と教える。
「よい市民になれ」と言うときもある。カナダでもアメリカでもそうだ。フランスでもドイツでもそう
だ。しかしこの日本では、「社会で役にたつ人」、あるいは「立派な社会人」が教育の柱になって
いる。「社会」という言葉は、「全体」という言葉の代名詞と考えてよい。この違いが積もりに積も
って、日本の単身赴任になり、それに驚いたオーストラリアの学生になった。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


うちの子は、まだ何とかなる!
あきらめは悟りの境地(失敗危険度★★★)

●子育てはあきらめの連続
 親の欲望には際限がない。子どもができなければできないで悩むが、少しでもできるようにな
ると、「もっと……」と考える。たとえば中学への進学。「せめてC中学、それが無理ならD中学」
と言っていた親でも、子どもがC中学へ入れそうだとわかってくると、今度は「B中学」と言い出
す。しかしこういう親はまだラッキーなほうだ。中には、D中学、E中学と、どんどんと志望校をさ
げていかなければならないときがある。しかし一度こういう状態になると、あとは何をしても空回
り。親があせればあせるほど、子どもの力は落ちていく。「そんなはずはない」「まだ何とかな
る」とがんばればがんばるほど、子育ては袋小路に入る。そしてやがてにっちもさっちもいかな
くなる。

要するにどこであきらめるかだが、受験にかぎらず、子育てをしていて、あきらめることを恐れ
てはいけない。子育てはまさに、あきらめの連続。またあきらめることにより、その先に道が開
ける。しかもその時期は早ければ早いほどよい。もともと子育てというのはそういうもの。

●自分で失敗するしかない
 ……と言っても、これは簡単なことではない。どの親も、自分で失敗(失敗という言葉を使うの
は適切でないかもしれないが)とはっきりとわかるまで、自分が失敗するとは思っていない。「う
ちの子にかぎって」「私はだいじょうぶ」という思いの中で、行きつくところまで行く。また行きつく
ところまで行かないと気がつかない。

子どもの限界にできるだけはやく気づくこと。それがわかれば親も納得し、その段階であきら
める。そこで一つの方法だが、子どもに何か問題が生じたら、「自分ならどうか」「自分ならでき
るか」「自分ならどうするか」という視点で考える。あるいは「自分が子どものときはどうだった
か」と考えるのもよい。子どもの中に自分を置いて、その問題を考える。たとえば子どもに向か
って、「勉強しなさい」と言ったら、すかさず、「自分ならできるか」「自分ならできたか」と考える。
それでもわからなければ、こういうふうに考えてみる。

●あなたなら耐えられるか?
 もしあなたが妻として、つぎのように評価されたら、あなたはそれに耐えられるだろうか。「あ
なたの料理のし方、七六点。接客態度、五四点。家計簿のつけ方、八〇点。主婦としての偏差
値四五点。あなたにふさわしい夫は、○○大学卒業程度の、収入四○○万円程度の男」と。ま
たそういうあなたを見て、あなたの夫が、「もっと勉強しろ!」「何だ、この点数は!」とあなたを
叱ったら、あなたはそれに一体どう答えるだろうか。子どもが置かれた立場というのは、それに
近い。

●親は身勝手?
 親というのは身勝手なものだ。子どもに向かって「本を読め」という親は多くても、自分で本を
読んでいる親は少ない。子どもに向かって「勉強しろ」という親は多くても、自分で勉強する親
は少ない。そういう身勝手さを感じたら、あきらめる。そしてここが子育ての不思議なところだ
が、親があきらめたとたん、子どもに笑顔がもどる。親子のきずながその時点からまた太くなり
始める。もし今、あなたの子育てが袋小路に入っているなら、一度、勇気を出して、あきらめて
みてほしい。それで道は開ける。

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

子どもに生きる意味を教えるとき 

●高校野球に学ぶこと
 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからすれば
よい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。たとえば高校野球。私たちがなぜあの
高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからではないのか。たか
がボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、そ
れほどない。「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この
世の中に一体、どれだけいるだろうか。

●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか
 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想的なミュ
ージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはなぜ生まれ、な
ぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。それから三〇年あまり。私もこ
の問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけではないが、トルストイの『戦争
と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだした。

 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、人生の
目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエー
ル。そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進
むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。つまり懸命に生きること自体に
意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。
映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っている。『人生はチョコレートの
箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』と。

●懸命に生きることに価値がある
 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャーも、
それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みんな必死だ。
命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが
宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、
そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあっ
て、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言うなら、懸命
に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。言いかえると、そうでない人に、人生
の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘志もない。毎日、ただ流されるまま、その日
その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわからない。さらに言いかえると、「私た
ちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教える
ことがあるとするなら、懸命に生きる、その生きざまでしかない。あの高校野球で、もし、選手
たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をしていたら、高校野球としての意味は
ない。感動もない。見るほうも、つまらない。そういうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶ
し。人生もそれと同じ。そういう人生からは、結局は何も生まれない。高校野球は、それを私た
ちに教えてくれる。

     ⌒⌒⌒⌒
    ((( (( (( 
     ⌒  ⌒ 
     ・。・ β
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \   みなさんのご家庭で、このマガジンが役だって
 ゜\/│ // │ / /    いますか?
   Γ ̄ ̄│──|○   何かテーマがあれば、掲示板にでもお書きください。

   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
心霊体験(?)

 今朝、不思議な体験をした。

 朝、五時ごろだと思う。となりに寝ていたワイフが、起きて、部屋の外に出た。私が見たときに
は、引き戸を閉めて、廊下へ出るところだった。廊下には常夜灯がついている。

 私はその直前まで、夢を見ていた。どこかを皆で、歩いている夢だった。前を、T君という小
学生が歩いていた。私の夢の出演者は、たいてい私の生徒たちだ。T君は、私の生徒だった。

 で、目が覚めた。そのとき、ワイフのうしろ姿を見た。きっとトイレに行くのだろうと思った。そ
う思ったので、枕もとの電気を、つけてやった。戻ってきたとき、真っ暗では困るだろうと思っ
た。

 が、しばらく待っていたが、ワイフは部屋にもどってこなかった。昨夜は早く寝たので、早く起
きてしまったのかと思った。

 が、そのとたん、ドキリ! 何とワイフが、横で寝ているではないか。私は、ソーッとした。部屋
を出たはずのワイフが横で寝ている。これはどういうことだ。私はすっかり、目が覚めてしまっ
た。だから起きて、書斎に入った。

 八時ごろになって、ワイフが起きてきた。土曜日の朝は、朝寝坊することが多い。そこで居間
へ行き、こう聞いた。「お前、五時ごろ、トイレへ行かなかったか?」と。するとワイフはしばらく
考えたあと、こう言った。「昨夜(今朝)は行かなかったわ」と。

「しかし、お前が部屋を出て行くのを見たぞ」
「きっと夢よ」
「夢じゃない。ちゃんと、電気をつけた」
「……」
「お前が出て行ったと思ったのに、そのお前が、出て行かなかった。どういうことだ?」
「私は、起きてから、トイレへ行ったわ」
「しかしたしかに、お前は出て行った」
 
 こういうのを、心霊の世界では、幽体離脱というらしい。もちろん私は信じないが、ワイフは幽
体となって、部屋を出て行った? しかしそんなことはありえない。

 私は悶々とした一日を過ごした。あれは気のせいではない。夢でもない。私はちゃんと、見
た。たしかに見た。そのとき、それまで見ていた夢のことを、はっきりと覚えている。それに何度
も繰りかえすが、枕もとの電気をつけた。夢なら、電気はついていないはず。

 あるいはとうとう私の頭は狂ったのか。このところ、へんな現象が起きている。先日は、バレ
ンタインでもらったチョコレートを食べ過ぎて、頭の調子がおかしくなった。

 で、その日は夕食まで、気分が晴れなかった。アルツハイマー型痴呆症に、似たような症状
があるというような話を聞いたこともある。このところ、もの忘れをするようになった。あれこれ
考えていたら、ワイフがこう言った。

「あなたが朝、話したことね。あれ、S(長男)よ。Sがね、早く起きて、私たちの寝室に入ってき
たんだって。何か、さがしものがあってね」と。

 はははは。もう一度。はははは。つまり長男が、朝早く、さがしものをするため、私たちの部
屋に入ってきた。しかしそのとき私は、まだ眠っていた。が、長男が出て行くとき目が覚めて、
それをワイフと見まちがえた。寒いときは、長男は、ワイフのジャンパーをはおることがある。
そう言えば、私が見たそれは、赤いジャンパーをはおっていた。考えてみれば、ワイフは、トイ
レに行くときは、ジャンパーをはおらない。

 こうして私の心霊体験は、終わった。よかったと思うと同時に、何かしら、がっかりした。
(030308)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

心を許さない子ども

 無視、冷淡、親の拒否的態度は、子どもに深刻な影響を与える。乳幼児期に、心のさらけ出
しができないため、親のみならず、他人と良好な人間関係を結べなくなる。子どもは、絶対的な
信頼関係のある親子関係の中で、心をはぐくむことができる。「絶対的な信頼関係」というの
は、どんなことをしても、また何をしても、許されるという信頼関係である。親に対して疑いをい
だかない安心感をいう。

 この信頼関係が欠落すると、子どもは絶対的な安心感を得られなくなり、不安を基底とした
心理状態になる。これを「基底不安」というが、その不安を解消しようと、子どもはさまざまな方
法で、心を防衛する。(1)服従的態度(ヘラヘラとへつらう)、(2)攻撃的態度(威圧したり、暴
力で相手を屈服させる)、(3)回避的行動(引きこもる)、(4)依存的行動(同情を求める)など
がある。これを「防衛機制」という。

 このタイプの子どもは、孤独と不安を繰りかえしながら、そのつど相手を求めたり、拒絶した
りする。まさに「近づけば遠ざかり、遠ざかれば近づく」の人間関係をつくる。本人はそれでよい
としても、困惑するのは、周囲の人たちである。あるときはベタベタと近づいてきたかと思うと、
つぎに会うと、一転、冷酷な態度をとったりする。親しみと憎しみ、依存と拒絶、密着と離反、親
切と不親切が、同居しているように感ずることもある。

 が、悲劇はつづく。

 他者とのつながりがうまく結べない分だけ、独善的、独断的な行動が多くなる。一見すると主
体的な生き方に見えるかもしれないが、その主体そのものがない。私の印象に残っている女
の子(中二)に、Bさんという子どもがいた。

 Bさんは、がんばり屋だった。能力的には、それほどでもなかったが、そのため勉強も、よくで
きた。親は、そんなBさんを、よくほめた。先生も、ほめた。とくに気になったのは、融通(ゆうづ
う)がきかなかったこと。ジョークを言っても、通じない。このタイプの子どもは、自分だけのカラ
に閉じこもりやすく、がんこになりやすい。

 そのBさんが、ここに書いた、決して心を許さないタイプの子どもだった。そのときまでに、す
でに私のところへ五、六年、通っていたが、いつも心を風呂敷で包んだような感じがした。俗に
いう「いい子」ではあったが、何を考えているか、よくわからなかった。

 決して勉強が好きというわけではなかった。しかしBさんにとっての勉強は、まさに自己主張
の道具だった。(勉強ができる)=(優秀であるという証明)=(みなにチヤホヤされる)というよ
うに、である。ここにも書いたように、一見、主体性があるようで、どこにもない。Bさんは、いつ
も自分の評価を他人の目の中でしていた。

 もうおわかりかと思う。このBさんが、とっていた一連の行為は、自分の心の中の不安を解消
するためであった。勉強という手段を用いて、他人に対して優位に立つことにより、自分にとっ
て居心地のよい世界を、まわりに作るためであった。先にあげた防衛機制の中の、(2)攻撃
的態度の一つということになる。

 Bさんは、勉強がよくできる分だけ、孤独だった。友だちもいなかった。しかも自分より目立つ
仲間は、すべてライバルだった。Bさんの前で、ほかの子どもをほめたりすると、嫉妬心から
か、Bさんは、よく顔をしかめた。が、そのBさんが、ある日、とうとう勉強でつまずいてしまっ
た。最初は「勉強がわからない」と、よくこぼした。つぎに数か月先のテストのことを心配したり
した。親はBさんに頼まれるまま、進学塾をもう一つふやし、家庭教師もつけた。しかしそうす
ればするほど、Bさんの勉強は空回りをし始めた。

 とたん、Bさんは、プツンしてしまった。ふつうの燃え尽き症候群と違うのは、無気力症状は出
てこないこと。別の形で、攻撃的になるということ。Bさんのケースでは、そのまま、本当にあっ
という間に、非行の道へ入ってしまった。髪の毛を染め、ツメにマニキュアをし、そしてあやしげ
な下着を身につけるようになった。と、同時に、私の教室をやめた。しばらくしてから、ほかの
子どもたちに、Bさんが、学校でも札つきのワルになったという話を聞いた。

 Bさんを知る、ほかの母親たちは、こう言う。「えっ? あのBさんが、ですか?」と。実のとこ
ろ、この私ですら、その変化に驚いたほどである。授業中でも、先生を汚い言葉で罵倒(ばと
う)して、部屋から出て行くこともあるという。

 ……では、どうするかということではない。あなたの子どもは、だいじょうぶかということ。あな
たの子どもは、乳幼児のとき(二〜四歳の第一次反抗期)から、あなたに対して、好き勝手なこ
とをしていただろうか。わがままというのではない。言いたいことを言い、したいことをしたかと
いうこと。もしそうなら、それでよし。しかし乳幼児のとき、どこかおとなしく、仮面をかぶり、手が
かからない子どもだったとしたら、ここでいう「心を許せない子ども」を疑ってみたらよい。そして
今は、その「いい子」かもしれないが、そのうちそうでなくなるかもしれないと、警戒をしたほうが
よい。

 心の問題は、簡単にはなおらない。なおらないが、警戒するだけでも、仮に問題が起きたとき
でも、原因がわかっているから、対処しやすいはず。またあなたの子どもが〇〜二歳であるな
ら、これからの反抗期を、うまく通り過ぎることを考える。この時期は、子どもの心を形成すると
いう意味で、きわめて重要な時期である。
(030308)

+++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(659)

ブーメラン効果

 子どもに「勉強しなさい」と言えば言うほど、子どもが勉強しなくなる……ということは、よくあ
る。子どもが、親の下心を見抜いているときほど、そうである。こういうのを、「ブーメラン効果」
という。

 たとえば一人のセールスマンがやってくる。愛想のよい男で、どこかヘラヘラしている。そして
「今日はいい天気ですね。それにしても奥様は、美しい」と言ったとする。ペラペラと、口もうま
い。

 そういうときあなたは、そのセールスマンをどう思うだろうか。そのセールスマンの言うことを、
そのまま信ずるだろうか。多分、あなたはこう思うに違いない。「私を美しいと言うのは、私をお
だてて、モノを買わせるためだ」と。

 そこまで相手の心を見抜くと、あとはセールスマンが何を言っても、ムダ。あなたはそれを受
けつけない。セールスマンがうまいことを言えば言うほど、あなたは、ますますそのセールスマ
ンの言うことを、拒絶するようになる。

「今日は、とくにお安くしておきます」(うまいこと言って!)
「半額にしておきます」(本当はそれでも、かなり儲けるんだろ!)
「試しに使っていただけたらと思います」(あとで、高額なものを売りつけるんだろ!)と。

 自分の言葉が相手に向かい、結局のその言葉で、自分が損をする。心理学の世界では、も
う少し別の意味でこの言葉を使うが、それがブーメランに似ているから、「ブーメラン効果」とい
う。

 要するに、下心を見抜かれると、こちらが言うほど、効果がないばかりか、かえって逆効果に
なるということ。子どもを指導するときは、このブーメラン効果に注意する。いや、その前に、下
心などもたないこと。いつもたがいにストレートであるから、親子という。下心をもつということ
は、すでに親子関係は、危険な状態になっているとみてよい。
(030308)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

親の希望

 私の教室では、受験期を迎えた子どもには、「自学」を指導する。方法は、自分で本屋へ行
かせ、自分で参考書やワークブックを買わせる。それを一日、一冊の割合で、子どもにやらせ
る。

 荒っぽいやり方だが、この方法は、たいへん効果がある。勉強というのは、結局は、「自分で
やるしかない」。それが「勉強」である。

 しかしいきなりこの方法を用いても、失敗する。その一、二年前から、少しずつ、その体勢に
もっていく。子どもに依存心をもたせないよう、子どものやる気をなくさせないよう、慎重にその
体勢づくりをする。

 この方法は、一見、冷たい指導に見えるが、子どもの学習指導でこわいのは、その依存心を
もたせてしまうこと。その依存心をもたせると、ある一定の時期までは伸びる(?)が、その時
期をすぎると、伸びなくなってしまう。

 が、ここで私と親の衝突が起きる。

 少し成績が伸びたりすると、ほとんどの親は、「うちの子はやれば、できる」「もっとしぼれば、
もっと伸びる」と考える。そしてこの段階で、どこか進学塾へ……、ということになる。

 私の仲間(友人ではない)の中には、その進学塾を経営している人が、何十人もいる。だから
そういう進学塾を批判するのはつらいが、(カット、また別の機会に……)、そういうこと。

 が、親には、それがわからない。夏休みになったりすると、「家でブラブラしているよりは、夏
休みの特訓教室に入ってくれたほうがよい」と考えて、進学塾に通わせる。しかしとたん、私が
それまでにつくりあげてきた体勢が、総崩れになってしまう。が、それだけでは、すまない。

 船頭が二人だと、船は前に進まない。同じように、受験指導についても、指導者が二人だと、
子どもの学習は、かえって混乱する。私のばあい、進学塾ではないから、親が「進学を……」と
言ったときには、そのまま引きさがるようにしている。もう少し若いころには、中学三年生につ
いては、七月のはじめから、一一月の末まで、毎日三〜四時間、無料で教えていた。(このS
県では、高校受験が、人間選別の関門になっている。)私を信頼してくれる親や子どもには、そ
ういう教え方で、私は答えていた。

 が、このところ、体力もつづかなくなった。だからそういう指導は、やめた。しかし心意気だけ
は、まだ残っている。

 数日前も、どこかの進学塾のコマーシャルが、新聞に載っていた。A中学、合格者、一二三
人。K中学、合格者、五六人。R中学、合格者、三二〇人、と。しかしその陰で、いかに多くの
子どもたちが、キズつき、倒れ、そして……、ことか! 親たちは、こういう数字だけを見て、「う
ちの子も……」と考えるが、そうでないケースのほうが、もっと多い。失敗して、かえって成績を
さげるケースとなると、さらに多い。

 要は全体として、どうとらえるかだが、当然のことながら、こうした進学塾では、失敗したケー
スなどは、発表しない。自分たちの成果を誇ることはあっても、失敗したことは隠す。

 親というのは、自分で失敗してみるまで、それが失敗だったとは気づかない。それまでは、
「まだ何とかなる」「やればもっとできるはず」と、子どもを追いたてる。子どもは子どもで、その
瞬間だけ、「(進学塾へ)行きたい」「行ってみる」などと言う。しかしどうせ長くはつづかない。た
いていは、半年もすると、オーバーヒート。

 しかしさらに皮肉なことに、親というのは、子どもがそういう状態になっても、原因が自分にあ
ったとは思わない。「子どものため」という、へんな思い込みが、判断を誤らせる。仮に子どもが
燃え尽き症候群を示したとしても、だ。だから、私は、ただ黙って引きさがるしかない。「息子
が、○○進学塾に籍を移したいといっていますので……」「わかりました」と。これは「受験勉
強」にまつわる、宿命のようなもの。親と争っても、しかたない。親と争ったところで、どうにかな
る問題ではない。私ができることといえば、静かに彼らを見送るだけ。それだけ。
(030305)

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

人間の盾(たて)

 二月四日のTBSニュースによれば、日本から行った、一〇人前後の人たちが、戦争を防ぐ
ため、イラクで、「人間の盾」になっているという。しかもイラクの受け入れ団体からの要請を受
けて、石油精製所や発電所、食糧倉庫などに居場所を移したという。これらの施設は、アメリカ
軍の攻撃目標とされているところだという。

 これに対して、メンバーの一人は、日本にこんなメールを送ってきている。

 「きのうは人間の楯として、バグダッド市内のアル・ダラという発電所に泊まりにいきました。
湾岸戦争以降もこの発電所は度々、空爆を受けては建てなおしていると耳にしました。電気、
ガス、ベッド、水、食料など不自由なものは特にないです」(TBS報道)と。

 私はこのニュースを聞いて、「?」と思ってしまった。どういう思想的背景があるのかは知らな
い。またその思想が、どのように昇華されて、このような行動にでたのかは知らない。しかし
「勇気ある、すばらしい行動」とは、私にはとても思えない。またそういう方法をとったところで、
戦争が阻止できるとも、思わない。仮に、その盾となった人たちが死傷したとしても、戦争を防
いだ英雄になるとも、思わない。

 どんな行動にせよ、「行動」そのもにには、敬意を払う。またそれだけの行動をするには、そ
れなりの「思い」や「決意」があってのことだろう。私のような門外漢が、安易にあれこれ批判す
ること自体、許されない。人間の盾になっている人についての情報がないので、これ以上、コメ
ントのしようがない。しかし「?」な行動であることは、確か、だ。

 ……もちろん、だからといって、戦争を肯定しているわけではない。アメリカがイラクを攻撃し
てよいとも思っていない。ただ今回、北朝鮮の問題とからめてみると、アメリカを除いて、だれ
が、ああいった独裁政権の暴走を防いでくれるかという問題がある。

 過去はさておき、またその経緯(いきさつ)がどうであれ、今まさに、日朝関係は、一触即発
の状態にある。こういった状況のとき、だれが、あの北朝鮮をおさえてくれるのか。だれが、こ
の日本を守ってくれるのか。もしイラクがこのまま暴走すれば、その脅威は、北朝鮮の比では
ない。何といっても、イラクには、石油という「マネー」がある。そのマネーを使って、好き勝手な
ことができる。そんなことをされれば、中近東は、一挙に不安定になる。もしそれがわからなけ
れば、北朝鮮がいくつかの核ミサイルをもったときのことを想像してみればよい。そのとき日本
は、「平和を守ります」などと、のんきなことを言っていることができるだろうか。

 よいことをするから善人というわけではない。悪いことをしないから、善人というわけでもな
い。人は、悪と戦ってはじめて、善人になる。

 同じように、平和な生活をしているから、善人というわけではない。戦争をしないから、善人と
いうわけではない。人は、戦争そのものと戦って、はじめて、善人になる。そこで改めて、人間
の盾になっている人たちのことを考えてみる。

 彼らは一見、その戦争と戦っているように見えるが、どこか、ピントがハズレているように見え
る(失礼!)。どこか、やるべきことが違っているように見える(失礼!)。それだけのエネルギ
ーと行動力があるなら、もっと別の方法でそれができないものかとさえ、思う。仮に彼らが正し
いとしても、彼らの家族は、今ごろ、どう思っているだろうか。もしそれが私の息子なら、私は、
きっと毎晩、眠られぬ夜をすごすに違いない。あるいは、「帰ってきてほしい」と懇願するかもし
れない。もっとはっきり言えば、「イラクの受け入れ団体からの要請を受けて……」という部分
からもわかるように、彼らもまた、フセインという独裁者に利用されているだけということにな
る。もしそうなら、それは「盾」というよりは、「人質」ということになるのでは? その可能性がな
いとは、だれにも言えない。

 そんなわけで、私は、人間の盾となっている日本人に、理解は示すが、彼らを支持はしない。
彼らには彼らの思想や背景があってのことだろうが、それがわからない。わからないから、こ
れ以上のことは、書けない。今は、「?」ということにしておく。
(030305)

●やむをえず戦う戦争は、正しい。希望を断たれるときは、武器もまた、神聖なものにならん。
(ホメロス「イリアス」)
●戦争を防止するもっとも、たしかな方法は、戦争を恐れないことである。(ランドルフ「演説」)
●戦争は、人類を悩ます、最大の病気である。(ルター「卓談」)
●平和というのは、人間の世界には、存在しない。しいて平和と呼ばれているものがあるとす
れば、戦争の終わった直後、あるいは、まだ戦争の始まらないときをいう。(魯迅「墳」)

【付記】「反戦」とか「平和」とかいう言葉を口にする人は、自ら、戦場に出向くだけの勇気と覚
悟のある人にかぎられる。そうした勇気や覚悟のない人が、平和を口にすることは許されな
い。「戦争はいやだから」という理由だけで、平和を口にすることくらいなら、だれにだってでき
る。

 このことは、学生時代、ベトナムから帰ってきた、Cという兵士(オーストラリア人)と話してい
て知った。彼はこう言った。「ぼくたちは、君たちアジア人のために戦っている。そのアジア人の
君が、どうして、何もしないのか?」と。私は、Cに返す言葉がなかった。いわんや、そのCに向
かって、「戦争反対!」とは、とても言えなかった。

 今、私にはアメリカ人の孫がいる。もしその孫が、はるばる日本までやってきて、北朝鮮と戦
うと言ったら、私はこう言うだろう。「よしなさい。アジアのことは、私のほうで何とかするから」
と。

 つまり「平和」というのは、それほどまでに、重いということ。決して、軽々しく口にしてはいけな
い。……と思う。

【雑感】こんどの北朝鮮問題では、本当にいろいろ考えさせられた。今も、考えている。そして
最終的には、平和とは何か。そこまで考えている。

 日本は戦後、六〇年近くも、平和を保つことができた。しかし誤解してはいけないのは、日本
がこれほどまで長く、平和を保つことができたのは、日本人が平和を愛したからではない。平
和を守ったからでもない。いきさつはともあれ、日本にアメリカ軍が駐留していたからにほかな
らない。

 もし日本にアメリカ軍がいなければ、戦後直後には、ソ連に。六〇年代には、中国に。そして
七〇年代には、韓国、北朝鮮、あるいはその連合軍に、日本は、侵略をされていただろうとい
うこと。私は六〇年代の終わりに韓国に渡ったが、彼らがもつ日本への憎悪感は、ふつうでは
なかった。

 仮にあのとき、つまり七〇年代のはじめに、韓国と北朝鮮が統一し、その勢いで日本へ彼ら
が攻め入ったとしても、だれもそれを止めなかっただろう。中国はもちろん、東南アジアの各国
だって、それを支持したかもしれない。つまりそうされてもしかたないようなことを、日本は、先
の戦争で、してしまった。

 たまたまアメリカだったから、よかったのか。今も、アメリカの植民地のようなものだから、偉
そうなことは言えないが、もしソ連や、中国だったら、そのあとの日本はどうなっていたことや
ら。北朝鮮だったら、どうなっていたことやら。想像するだけでも、ゾーッとする。

 日本の平和はかくも、薄い氷の上に成りたっていたのか。私は今回の一連の北朝鮮問題を
考えながら、私はそれを思い知らされた。平和を口にするのは簡単なこと。しかしその平和を
守るために、私たちはいったい、何をしてきたというのか。今の今でも、「北朝鮮は、アメリカが
何とかしてくれますよ」と言う人がいる。しかしアメリカ人だって、日本人と同じ人間ではないか。
どうして彼らが、好きこのんで、日本人のために命など、落とすだろうか。

 日本の平和は、日本人自らが、守るしかない。いきさつはともあれ、今の今、頭のおかしい独
裁者が、日本に向けて、せっこらせっこらと、核兵器とミサイルを作っている。先の米朝協議
(〇二年一〇月)でも、北朝鮮の姜第一外務次官)高官は、アメリカのケリー国務次官補に、は
っきりとこう言明している。「核は日本だけを対象としたものだ」と。つまり「日本を攻撃するため
に、核兵器をもっている」と。

 平和主義者には、二種類ある。「いざとなったら戦争も辞さない」という平和主義者。もう一つ
は、「殺されても文句は言いません」という平和主義者。このほかに、「戦争はいやだから」とい
う平和主義者もいるが、これはエセ。どちらにせよ、つまりどの平和主義を信奉するかは、そ
の人の自由だが、私は「座して死を待つ」(川口外務大臣)ような平和主義には反対である。私
自身はともかくも、私の家族や子どもたちが、目の前で殺されるようなことは許さない。絶対に
許さない。

    ┌┐
    │ト
    ≧≦ ∪          z
   ━━━━━━        z
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/  〜       〆  へく ^川     どうか、よろしくご購読ください。
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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞






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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
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と読みやすくなります。お試しください。毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご
利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )        今日のメニュー
   γ ρρ   │σ σ ρ )        【1】子育てポイント 
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )        【2】Touch your Heart
   人   υ ( `) (  )         【3】子育てエッセー
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)          【4】フォーラム
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

でも、あの子はD小学校ですって!
ブランドにこだわる親たち(失敗危険度★★★)

●テーマはブランド
 参観日のあと、母親たちが校門の内側に立ってワイワイと話し合っている。教育の話かとお
もいきや、そうではなかった。一人の母親がもっていたブランドのバッグについてだった。「どこ
で買ったの?」「わあ、ステキ!」「いくらだった?」「あら、いいわネ〜。私もこんなほしいわ」「あ
ら、あなたのも、ステキじゃない」と。

●人間の思考回路
 人間には思考回路というのがある。人というのは、一度自分の頭の中にその思考回路をつく
ると、その思考回路にそって、ものを考えたり、行動したりするようになる。脳の神経細胞のシ
ナプス(神経細胞の接合部)※が、そのようにできあがったためと私は勝手に考えている。たと
えば暴力団の男たちは、何か問題が起きると、暴力を使ってそれを解決しようとする。私のよ
うなモノ書きは、何か問題がおきると、文を書いてそれを解決しようとする。それが思考回路で
ある。

●ブランドで選ぶ幼稚園
 同じように、ブランドにこだわる親というのは、そのときどきにおいて、ブランドにこだわるよう
になる。そのほうが本人も楽ということもある。で、一度その思考回路ができあがると、その思
考回路からはずれたことをするのは容易なことではない。それはそれとして、このタイプの親
は、子どもの教育でもまた、ブランドを重視する。幼稚園でも、学校でも、ブランドで選ぶなど。
中身ではない。あくまでもブランドだ。それはもう信仰のようなもの。理由など必要ない。ブラン
ドのある幼稚園や学校なら、安心し、そうでなければ不安になる。そしてその返す刀で、(子ど
もの中身が変わったわけではないのに)、それ以外の幼稚園や学校へ通っている子どもを
「下」にみる。「うちの子はA小学校よ。でも、あの子はD小学校ですって」と。

●しかし失敗も多い
 が、いつもいつもうまくいくとは限らない。このタイプの親は、反対に自分の子どもが、その
「下」に落とされると、奇怪な行動をとり始める。毎朝、車で自分の息子を送り迎えしていた母
親がいた。息子の学校の制服を近所の人に見られると恥ずかしいというのが、その理由だっ
た。もう一〇年も前のことだが、毎朝、学校の制服を、駅前の喫茶店で着替えさせていた親す
らいた。プライドをキズつけられると、親はそこまでする。こうした親の心理を理解できないわけ
ではないが、その結末はいつもおかしい。そして悲しい。

※……人の大脳には、一〇〇億の神経細胞があると考えられ、その一個ずつの神経細胞
に、約一〇万個のシナプスがあると考えられている。すると大脳全体で、一〇の一五乗のシナ
プスがあることになり、その数はDNAの遺伝子情報の一〇の九乗〜一〇乗を超えることにな
る(新井康允氏)。人間の思考が、DNAの設計図の外にあることがこれでわかる。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


A中学では、うちの子は不幸になります!
占いにこる親たち(失敗危険度★★★★)

●かわいそうな人たち
 占いや運勢にこる人というのは、自分で考えることのできない、かわいそうな人とみてよい。
一見、人間は知的な生き物に見えるが、イヌやサルと、それほど違わない。「思考」ということ
になると、「思考していない人」のほうが、「思考している人」より、はるかに多い。

だいたいにおいて、他人の運命が読み取れるような人が、駅前の路地や喫茶店、さらにはデ
パートの通路などで、若い女性を相手に占いなどするだろか。自分で自分を占い、お金をどん
と儲けて、豪邸で遊んで暮らせばよい。自分で自分を占うことはできないというのなら、仲間の
占い師にみてもらえばよい。ああいったものは、一〇〇%インチキ。そう断言して、まちがいな
い。

●私も預言者?
 ただ私は、数一〇分も子どもと接すると、その子どもの能力や性質、さらには問題点やこれ
から先その子どもがそうなり、どういう問題を引き起こすかが手にとるようにわかる。しかしこれ
は超能力のようなものではなく、経験だ。三〇年も毎日子どもをみていると、そういうことができ
るようになる。しかし私は、たとえわかっていても、それは言わない。親に頼まれても言わない。
万が一、まちがっていたら……という迷いがあるからだ。それに治療法も用意しないで、診断
名だけをくだすのは、良心のある人間のすることではない。が、そういった連中は、平気で、相
手の運命を、あたかも知り尽くしたかのように口にする。

先日もテレビを見ていたら、『浄霊』と称して、若い娘にこう言っていたインチキ霊媒師がいた。
「あなたの体に乗り移っている悪霊は悪質です。ほうっておくと、あなたの命すらあぶない」(〇
二年四月)と。こういうことを平気で口にすることができる人は、人格そのものが崩壊した人と
みてよい。

●子どもの教育も占いで……
 若い女性ならまだしも、母親の中にも、いくらでもいる。そして子どもの教育すら、そういう占
いや運勢に頼っている……! こういう親を前にすると、会話そのものがかみ合わない。

 「先生、A中学と、B中学の件ですが、私は息子をB中学へ入れたいのですが……」
 「どうしてA中学ではだめなのですか? 距離も近いでしょう」
 「それが先週、うちの主人がG神社で占ってもらったら、A中学では、子どもが不幸になるとい
うのです」
 「不幸って?」
 「いじめにあったりして、結局は転校することになるって。そういう結果が出ました」と。

 そういうとき、私の頭の中では、私の思考回路がショートを起こす。バチバチと火花が飛び散
る。
    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

子育てのすばらしさを教えられるとき

●子をもって知る至上の愛    
 子育てをしていて、すばらしいと思うことが、しばしばある。その一つが、至上の愛を教えられ
ること。ある母親は自分の息子(三歳)が、生死の境をさまよったとき、「私の命はどうなっても
いい。息子の命を救ってほしい」と祈ったという。こうした「自分の命すら惜しくない」という至上
の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。

●自分の中の命の流れ
 次に子育てをしていると、自分の中に、親の血が流れていることを感ずることがある。「自分
の中に父がいる」という思いである。私は夜行列車の窓にうつる自分の顔を見て、そう感じたこ
とがある。その顔が父に似ていたからだ。そして一方、息子たちの姿を見ていると、やはりどこ
かに父の面影があるのを知って驚くことがある。先日も息子が疲れてソファの上で横になって
いたとき、ふとその肩に手をかけた。そこに死んだ父がいるような気がしたからだ。いや、姿、
形だけではない。ものの考え方や感じ方もそうだ。私は「私は私」「私の人生は私のものであっ
て、誰のものでもない」と思って生きてきた。しかしその「私」の中に、父がいて、そして祖父が
いる。自分の中に大きな、命の流れのようなものがあり、それが、息子たちにも流れているの
を、私は知る。つまり子育てをしていると、自分も大きな流れの中にいるのを知る。自分を超え
た、いわば生命の流れのようなものだ。

●神の愛と仏の慈悲
 もう一つ。私のような生き方をしている者にとっては、「死」は恐怖以外の何ものでもない。死
はすべての自由を奪う。死はどうにもこうにも処理できないものという意味で、「死は不条理な
り」とも言う。そういう意味で私は孤独だ。いくら楽しそうに生活していても、いつも孤独がそこに
いて、私をあざ笑う。すがれる神や仏がいたら、どんなに気が楽になることか。が、私にはそれ
ができない。しかし子育てをしていると、その孤独感がふとやわらぐことがある。自分の子ども
のできの悪さを見せつけられるたびに、「許して忘れる」。これを繰り返していると、「人を愛す
ることの深さ」を教えられる。いや、高徳な宗教者や信仰者なら、深い愛を、万人に施すことが
できるかもしれない。が、私のような凡人にはできない。できないが、子どもに対してならでき
る。いわば神の愛、仏の慈悲を、たとえミニチュア版であるにせよ、子育ての場で実践できる。
それが孤独な心をいやしてくれる。

●神や仏の使者
 たかが子育てと笑うなかれ。親が子どもを育てると、おごるなかれ。子育てとは、子どもを大
きくすることだと誤解するなかれ。子育ての中には、ひょっとしたら人間の生きることにまつわ
る、矛盾や疑問を解く鍵が隠されている。それを知るか知らないかは、その人の問題意識の
深さにもよる。が、ほんの少しだけ、自分の心に問いかけてみれば、それでよい。それでわか
る。子どもというのは、ただの子どもではない。あなたに命の尊さを教え、愛の深さを教え、そし
て生きる喜びを教えてくれる。いや、それだけではない。子どもはあなたの命を、未来永劫に
わたって、伝えてくれる。つまりあなたに「生きる意味」そのものを教えてくれる。子どもはそうい
う意味で、まさに神や仏からの使者と言うべきか。いや、あなたがそれに気づいたとき、あなた
自身も神や仏からの使者だと知る。そう、何がすばらしいかといって、それを教えられることぐ
らい、子育てですばらしいことはない。

     ⌒⌒⌒⌒
    ((( (( (( 
     ⌒  ⌒ 
     ・。・ β
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \   みなさんのご家庭で、このマガジンが役だって
 ゜\/│ // │ / /    いますか?
   Γ ̄ ̄│──|○   何かテーマがあれば、掲示板にでもお書きください。

   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

雑感

【事実1】アメリカの中西部のある町で、タクシーに乗る。メーターはついていない。料金は、乗
るとき、運転手と話しあって決める。「一人で一〇ドル、二人で二〇ドル……」と。日本でいう第
一種免許(営業用のタクシーの免許)など、ない。私を乗せてくれた運転手は、こう言った。「こ
の町にはタクシー会社がなくてね。市長(メイヤー)に頼まれて、タクシー会社を開いている」と。

【事実2】〇一年の一〇月。「ここ数日内に、新たなテロがある」と、ブッシュ大統領が警告した
その日。私とワイフは、アメリカに向かった。そのときのこと。成田空港では、三度、荷物検査
を受けた。帰り道、リトルロック(アーカンソー州の州都)の空港では、一度、荷物検査を受け
た。三度と一度。しかし中身はまるで違った。成田空港での検査は、「いかにも検査していま
す」という内容の検査。一方、リトルロックでの検査は、カービン銃をかかえた兵士二人がそば
に立っていて、冷や汗が出るほど、あたりは緊張感に包まれていた。

【事実3】タイのバンコクには、無数のオートバイが走っている。どれも、日本でいう白タク(無免
許オートバイ・タクシー)。若者は、少しお金ができると、バイクを買って、それでオートバイ・タク
シーを始める。そしてそれでお金がたまると、今度は、ツクツクと呼ばれるオート三輪を購入し
て、それで白タクを始める。さらにお金がたまると、車を買う。さらにお金がたまると、メーター
付きのタクシー。さらにお金がたまると、クーラー付きのタクシー……と。

【事実4】世界で狂牛病が騒がれていたころ。オーストラリアの国際空港におりると、どこの空
港にも、見なれないカーペットが敷いてあった。靴の底についたドロを、落すためである。客は
空港へ入る前に、靴の底を、そこでよくぬぐうように指示される。もちろん肉製品などは、すべ
てその場で没収。リストにのっている食品類も、すべて没収。

【事実5】私が子どものころには、自転車にも「鑑札」と呼ばれる、ナンバーがついていた。自動
車やオートバイにナンバーをつけるように、自転車にも、というわけである。おかげで自転車屋
はそれで結構、収入がふえたが、今から思うと、実にムダな制度だった。祖父がある日こう言
ったのを覚えている。「浩司、この店いっぱいの自転車より、時計屋の陳列の、一段に並んで
いる時計のほうが、金額が多い」と。一台二万円として、自転車二〇台で、四〇万円。時計一
個一万円として、陳列一段分の四〇個で、四〇万円、と。私はそれを聞いたとき、子どもなが
らに、「どうして時計には、鑑札をつけないのか」と思った。

 事実1から事実5までを読んで、あなたはこれらの話の共通点は何だと思うか。ためしに小
学五年のU君に読んで聞かせたら、U君はこう言った。「日本は、何かしら、バカみたい」と。

 そう、何か、おかしい。日本はやらなくてもよいようなことばかりやって、一方、やるべきことを
やっていない? 日本が超の上に超がつく超管理国家であることは、外国へ出てみると、よく
わかる。そこで行政改革(官僚政治の是正)ということになるが、ここまでくると、行政改革など
夢のまた夢。

 たしかに必要な管理はある。役人にやってもらわねばならないサービスもある。決してすべて
がムダと言っているのではない。しかし他方、不必要な管理も多過ぎるのも事実。この日本で
は、何をするにも、許可、認可、資格がいる。この日本では、許可、認可、資格のいらない職業
はといえば、総理大臣と塾の教師だけという人もいる。つまりそれくらい、息苦しい。

 が、それだけではすまない。この息苦しさが、社会そのものを硬直化させている。もちろん教
育とて例外ではない。欧米では、大学への入学後、学部変更や、大学から大学への転籍すら
自由。ヨーロッパでは、大学で取得する単位そのものが共通化されている。世界は今、そうい
う時代になっているのに、いまだにこの日本では……。

 もうやめよう。こんな話は。しかしこれだけは言える。生きる活力というのは、不完全なスキ間
から生まれる。不完全さを恥じることはない。むしろ問題とすべきは、完全すぎることによる弊
害である。社会が管理されてくると、人々は、言われたことはするが、それ以上のことはしなく
なる。一見効率のよい社会に見えるかもしれないが、その社会の隅々に、無責任というチリが
たまるようになる。そしてそのチリが積もりに積もって、やがて矛盾となって、社会に吹き出す。

 たとえば今、北朝鮮の核ミサイルが、日本めがけて飛んでくるかもしれないという状況の中
で、「どの程度まで防衛するか」という、基準すら、この日本にはない。いや、基準などいらな
い。へたに基準などあるから、対応できなくなってしまう。大砲の弾、一発うつたびに、「上」に
許可を求めていて、どうして国の防衛など、できるだろうか。よい例が、先の阪神大震災であ
る。ときの自衛隊は、「上」からの発動命令がないという理由だけで、半日以上も、まったく動か
なかった。

 今、私たち日本人に求められているのは、「野生的なたくましさ」である。もちろん文化的であ
るにこしたことはないが、四面を野獣に囲まれたような国際環境の中で、その「たくましさ」なくし
て、どうして生き残ることができるというのか。たとえば教育でも、無数のコースがあって、もっと
自由に、子どもたちが選択できてもよいのではないか。アメリカには、通常の私立、公立の学
校のほか、バウチャースクール、ホームスクール、チャータースクールなどがある。教師がいな
い、コンピュータだけの学校もある。学校の設立そのものが、自由化されている。もちろん失敗
も多いが、そういう失敗の中から、また別の新しい活力が生まれてくる。それがアメリカのダイ
ナミズムの源泉にもなっている。

 管理された社会の中、まさに「しくまれた自由」(尾崎豊)の中で、自分たちが管理されている
ことも知らない。日本人がもつ悲劇性は、すべてこの一点に集約される。それがわかってほし
かったら、ここに五つの事実を、思いつくまま、あげてみた。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆

●日本の現状認識

 いろいろ今、日本は、たいへんだが、しかし今まで、ラッキーだった。とくに私たち団塊の世代
(戦後生まれの世代)は、戦争を経験することもなく、平和と繁栄の時代を謳歌(おうか)するこ
とができた。いろいろ苦労はしたが、いつも前向きな苦労だった。いつもその前に、夢や希望
が広がっていた。

 教育にしても、そしてそれぞれの子育てにしても、いろいろ問題はあるにはあったが、そして
今もあるが、全体としてみれば、すばらしい時代だった。これはあくまでも相対的な見方でしか
ないが、悲惨な戦争も、深刻な飢餓も、政治的な混乱も経験しなかった。「相対的」というの
は、ほかの国々が経験した、戦争や飢餓、混乱とくらべると、日本がかかえた問題など、何で
もなかったということ。

 しかし今、日本は、重大なターニングポイントにさしかかりつつある。そのことは「個人」という
レベルでみると、わかる。バブル経済崩壊以後、景気が悪くなり、収入は激減したが、何とか、
それまでの蓄(たくわ)えで、もちこたえることができた。言うなれば、それまでの繁栄の中で得
た備蓄があった。

 が、その不況の時代が長すぎた。今の平成不況になって、すでに一〇年以上になる。本来な
ら、生活の質を落として、それに対応しなければならなかったが、日本人は、その「質」を落とさ
なかった。私の家でも、たとえば電気代、ガス代にしても、以前と同じだった。結果、その蓄え
を食いつぶしてしまった……。

 実は、国の財政も、これと同じ。国家税収が、五〇兆円から四〇兆円へと、この間に、一〇
兆円近くも減った。しかし支出がそれだけ減ったかというと、そういうことはなかった。相も変わ
らず、ぜいたくな生活をつづけながら、足りない分は、赤字国債という借金でまかなった。今の
今も、私の山荘のすぐ裏では、第二東名の工事が進んでいる。度肝を抜くほど豪華な道路で
ある。まるで山の中に、ギリシャのパルテノン宮殿かゼウス神殿の列柱が、無数に並んでいる
かのよう。その工事費だけでも、一二兆円弱。国家税収の四分の一を投入している! 現在
の東名高速道路ですら、利用者が頭打ちになっているというのに、だ。

 その上、今、日本の平和も、風前のともし火。となりのK国は、日本に向けて、せっこらせっこ
らと、核ミサイルを製造している。が、この日本は何もすることができない。すべてアメリカ頼
み。加えて経済も、破綻状態。かろうじて日本を支えているのは、輸出と、海外投資。輸出は
輸出だが、わかりやすく言えば、日本が世界のサラ金になっている。しかしそれとていつまで続
くことやら。もうすぐ国や地方団体の借金だけで、一〇〇〇兆円になる。国家税収の二五年
分。国民一人あたり、約一億円! こんな借金、返せるわけがない。

 暗い話ばかりつづくが、人生には、山もあれば、谷もある。同じように、日本にも、山もあれ
ば、谷もある。ときには嵐がやってくることもある。しかし嵐がこわいと、逃げまわっているわけ
には、いかない。立ち向かうときには、立ち向かう。しかも、それは早ければ早いほどよい。短
期間であれば、あるほど、よい。今のようにズルズルと、先送り、先延ばしにすればするほど、
被害は、大きくなる。

 で、これからの日本は、どうなるか? 「日本は再生する」と主張する人もいるが、この説は
現実的ではない。

 世界の経済学者の中には、「日本、オーストリア説」、さらには、「スペイン説」「大英帝国説」
を唱える人もいる。しかし現実は、刻一刻と、「アルゼンチン説」、さらには「メキシコ説」に傾き
つつある。やがて日本も、今のアルゼンチンやメキシコのようになるという説である。しかし、本
当にこわいのは、そのことではない。日本人自身が、未来に向かって、自信をなくすことであ
る。私たちはともかくも、子どもたちが、である。

●子どもたちの未来

 よく誤解されるが、貧しいことは、何ら、恥ずべきことではない。世間に対してはともかくも、自
分の子どもに対しては、とくにそうである。また貧しいからといって、子どもの心がゆがんだり、
卑屈になることはない。もしゆがんだり、卑屈になるとしたら、親自身の生きザマが、ぐらつい
たときである。

 たとえば私たちは、子どものころ、大きな磁石をもって、川の中を歩いた。鉄くずを拾うためで
ある。そしてその鉄くずを、鉄くず屋へもっていく。そうすると、結構な小づかいになった。ときに
は父親の一日の収入より、多く稼いだこともある。子どもにとっての、貧しさ、そしてそれから生
まれる、たくましさ。さらに未来への希望や自信といったものは、そういうものをいう。

 もっとも当時と今とでは、時代が異なる。今の子どもたちが鉄くずを拾って歩くなどということ
は、考えられない。しかし「形」は変わっても、方法はいくらでもある。あるが、その前に、こうま
で子どもたちの世界が管理されてしまうと、それもままならない。お金を稼ぐとしても、援助交際
か下着売りで、ということになる。友だちと遊ぶにしても、数万円もかかるゲーム機で、というこ
とになる。

 私は、やはり一つの方法としては、一芸論をあげる。その一芸なら一芸だけに、秀(ひい)で
るという方法である。教育という場でいうなら、得意分野だけを、どんどんと伸ばしていくという
方法である。そのとき大切なことは、子どもの夢というのは、子ども自身が実現できる範囲で、
子どもの身近に置いてあげるということ。子どもの世界には、子どもの夢というのがある。

 たとえば私のばあい、子どものころの夢というのは、ブルドーザーを動かしてみること。ヘリコ
プターに乗ってみること。大工になることだった。とくに大工になる夢は強くもった。毎日、近くの
寺の境内で泥んこ遊びをしながら、そんなことばかり考えていた。

 で、ある日のこと。母が私にこう聞いた。「お前はおとなになったら、何になりたいか」と。すか
さず私が、「ぼくは、土方(どかた)になる」と答えたら、母は血相を変えて、私を叱った。「そん
なものに、なるんじゃ、ない!」と。土方というのは、工事現場で働く肉体労働者を言った。私が
小学二、三年生のころのことではなかったか。

 しかし子どもというのは、そういう身近な夢を積み重ねて、やがて自分の未来を組み立ててい
く。小学生の中には、「私は、おとなになったら、医者になる」とか言う子どももいるにはいる
が、たいていは、親がそう言わせている。あるいは、スポーツ(水泳などの個人競技)で、力を
伸ばし、その分野の選手になるという子どももいる。しかしそういうのは、私がここでいう夢と
は、違う。

 子どもの夢というのは、子ども自身が、自分でもつもの。おとなたちが用意した世界で、おと
なたちに誘導されてつくるものではない。が、今、社会にせよ、親にせよ、子どものもつ夢という
のは、そういうものだと決めてかかりすぎているのでは?

 もう五、六年も前のことだが、あの宇宙飛行士のM氏が、このH市で講演会を開いた。そして
さかんに、「子どもたちよ、夢をもて。もって、宇宙へ飛び出そう」などと言っていた。親にとって
は、たいへん心地よい講演会だったが、それを聞いて、いったい、どれだけの子どもが感動し
たというのだろうか。その講演会に行ってきたある女の子(中一)に、私が、「君たちも、宇宙飛
行士になってみたら」と声をかけると、その子どもは、こう言った。「どうせ、なれないもんね」と。

 要するに、この日本には、コースというものがあって、子どもたちは、そのコースからはずれ
ることすら許されない。そして子どもたちのもつ夢というのは、その範囲にせばめられる。少なく
とも、親や教師は、そういう形で、子どもに夢を実現せよと迫る。しかしこんなことをすれば、子
どもが窒息するだけだ。

 私のばあいも、高校二年まで、建築士になるのが夢だった。建築士が無理なら、大工でもよ
かった。しかし当時の進学指導の中で、どういうわけか文科系に落とされ、さらに文学部から
法学部へと、コースを変えられてしまった。この時点で、私の夢は完全につぶされてしまった。

 今でも、こういう形で、夢をつぶされていく子どもは、少なくない。しかしこういう状況の中で、
「子どもたちよ、自信をもて」と叫んで、いったい、どれだけの子どもが、それに納得するという
のだろうか。また自信をもつというのだろうか。

 子どもには、子どもの夢がある。そこでまず大切なことは、子どもの話す夢に耳を傾けてやる
こと。そしてそれを何らかの形で実現させてあげ、さらにそれを積み重ねて、方向性をつくって
あげること。「つくってあげる」というより、手伝ってあげると言ったほうが、よいかもしれない。と
もかくも、そういう流れの中から、子どもは、未来に向かって、自信をもつようになる。

●終わりに

 この不況下の中で、かえって受験競争が、復活するきざしを見せ始めている。「とにかく学歴
を」という考え方が、強くなっている。中には、「公務員になってほしいから」と言う親すら、いる。
「どうしてですか?」と聞くと、「仕事が楽だし、一生、食べていくには困らないから」と。しかし皮
肉なことに、そういうふうにして、子どもを追いつめれば追いつめるほど、子ども自身は、夢を
つぶされ、自分の未来を悲観するようになる。

 が、これでは何も、問題は解決しない。しないばかりか、日本そのものが崩壊してしまう。そう
そう言い忘れたが、「日本、ロシア説」というのもある。日本中、公務員だらけになってしまっ
て、ロシアのように、国全体が崩壊するという説である。決して冗談で言っているのではない。
日本は、すでに、その瀬戸際に立たされている。この原稿を書いている朝の新聞(三月八日)
も、「株価の低迷から、銀行の三月危機は、いよいよ現実に」(Y新聞)とある。

 まさに日本は、正念場を迎えた。
(030308)

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


 私のばあい、春は花粉症で始まり、花粉症で終わる。……以前は、そうだった。しかしこの八
年間、症状は、ほとんど消えた。最初の一週間だけ、つらい日がつづくが、それを過ぎると、花
粉症による症状が、消える。……消えるようになった。

 一時は、杉の木のない沖縄に移住を考えたほど。花粉症のつらさは、花粉症になったことの
ない人には、わからない。そう、何がつらいかといって、夜、安眠できないことほど、つらいこと
はない。短い期間ならともかくも、それが年によっては、二月のはじめから、五月になるまでつ
づく。そのうち、体のほうが参ってしまう。

 そういうわけで、以前は、春が嫌いだった。二月になると、気分まで憂うつになった。しかし今
は、違う。思う存分、春を楽しめるようになった。風のにおいや、土や木のにおい。それもわか
るようになった。ときどき以前の私を思い出しながら、わざと鼻の穴を大きくして、息を思いっき
り吸い込むことがある。どこか不安だが、くしゃみをすることもない。それを自分でたしかめな
がら、ほっとする。

 よく人生を季節にたとえる人がいる。青年時代が春なら、晩年時代は、冬というわけだ。この
たとえには、たしかに説得力がある。しかしふと立ち止まって考えてみると、どうもそうではない
ような気がする。

 どうして冬が晩年なのか。晩年が冬なのか。みながそう言うから、私もいつしかそう思うように
なったが、考えてみれば、これほど、おかしなたとえはない。人の一生は、八〇年。その八〇
年を、一年のサイクルにたとえるほうが、おかしい。もしこんなたとえが許されるなら、青年時代
は、沖縄、晩年時代は、北海道でもよい。あるいは青年時代は、富士山の三合目、晩年時代
は、九合目でもよい。

 さらに、だ。昔、オーストラリアの友人たちは、冬の寒い日にキャンプにでかけたりしていた。
今でこそ、冬でもキャンプをする人はふえたが、当時はそうではない。冬に冷房をかけるような
もの。私は、そんな違和感を覚えた。

 また同じ「冬」でも、オーストラリアでは、冬の間に牧草を育成する。乾燥した夏に備えるため
だ。まだある。砂漠の国や、赤道の国では、彼らが言うところの「涼しい夏」(日本でいう冬)の
ほうが、すばらしい季節ということになっている。そういうところに住む友人たちに、「ぼくの人生
は、冬だ」などと言おうものなら、反対に「すばらしいことだ」と言われてしまうかもしれない。

 が、日本では、春は若葉がふき出すから、青年時代ということになるのだが、何も、冬の間、
その木が死んでいるというわけではない。寒いから、休んでいるだけだ。……とまあ、そういう
言い方にこだわるのは、私が、晩年になりつつあるのを、認めたくないからだ。自分の人生
が、冬に象徴されるような、寒い人生になっているのを認めたくないからだ。

 しかし実際には、このところ、その晩年を認めることが、自分でも多くなった。若いときのよう
に、がむしゃらに働くということができなくなった。当然、収入は減り、その分、派手な生活が消
えた。世間にも相手にされなくなったし、活動範囲も狭くなった。それ以上に、「だからどうな
の?」という、迷いまかりが先に立つようになった。

 あとはこのまま、今までの人生を繰りかえしながら、やがて死を迎える……。「どう生きるか」
よりも、「どう死ぬか」を、考える。こう書くと、また「ジジ臭い」と言われそうだが、いまさら、「どう
生きるか」を考えるのも、正直言って、疲れた。さんざん考えてきたし、その結果、どうにもなら
なかった。「がんばれ」と自分にムチを打つこともあるが、この先、何をどうがんばったらよいの
か!

 本当なら、もう、すべてを投げ出し、どこか遠くへ行きたい。それが死ぬということなら、死ん
でもかまわない。そういう自分が、かろうじて自分でいられるのは、やはり家族がいるからだ。
今夜も、仕事の帰り道に、ワイフとこんな会話をした。

「もしこうして、ぼくを支えてくれるお前がいなかったら、ぼくは仕事などできないだろうね」
 「どうして?」
 「だって、仕事をしても、意味がないだろ……」
 「そんなこと、ないでしょ。みんなが、あなたを支えてくれるわ」
 「しかし、ぼくは疲れた。こんなこと、いつまでもしていても、同じことのような気がする」
 「同じって……?」
 「死ぬまで、同じことを繰りかえすなんて、ぼくにはできない」
 「同じじゃ、ないわ」
 「どうして?」
 「だって、五月には、二男が、セイジ(孫)をつれて、アメリカから帰ってくるのよ」
 「……」
 「新しい家族がふえるのよ。みんなで楽しく、旅行もできるじゃ、ない。今度は、そのセイジが
おとなになって、結婚するのよ。私は、ぜったい、その日まで生きているわ」

 セイジ……。と、考えたとたん、心の中が、ポーッと温かくなった。それは寒々とした冬景色の
中に、春の陽光がさしたような気分だった。

 「セイジを、日本の温泉に連れていってやろうか」
 「温泉なんて、喜ばないわ」
 「じゃあ、ディズニーランドに連れていってやろう」
 「まだ一歳になっていないのよ」
 「そうだな」と。

 ゲオルギウというルーマニアの作家がいる。一九〇一年生まれというから、今、生きていれ
ば、一〇二歳になる。そのゲオルギウが、「二十五時」という本の中で、こう書いている。

 「どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっ
ていても、今日、リンゴの木を植えることだ」と。

 私という人間には、単純なところがある。冬だと思えば、冬だと思ってしまう。しかしリンゴの
木を植えようと思えば、植える。そのつど、コロコロと考えが変わる。どこか一本、スジが通って
いない。あああ。

 どうであるにせよ、今は、春なのだ。それに乗じて、はしゃぐのも悪くない。おかげで、花粉症
も、ほとんど気にならなくなるほど、楽になった。今まで、春に憂うつになった分だけ、これから
は楽しむ。そう言えば、私の高校時代は、憂うつだった。今、その憂うつで失った部分を、取り
かえしてやろう。こんなところでグズグズしていても、始まらない。

 ようし、前に向かって、私は進むぞ! 今日から、また前に向かって、進むぞ! 負けるもの
か! 今は、春だ。人生の春だ! 
(030307)

【追記】「青春」という言葉に代表されるように、年齢と季節を重ねあわせるような言い方は、も
うしないぞ。そういう言葉が一方にあると、その言葉に生きザマそのものが、影響を受けてしま
う。人生に、春も、冬もない。元気よく生きている毎日が、春であり、夏なのだ!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

浮気な空想

 不謹慎な話だが、先日、電車に乗ったときのこと。通路の反対側に、美しい女性が座った。
年齢は三〇歳少し前だっただろうか。私はその女性を見ながら、こんな浮気な想像をした。

 この女性と知りあいになる。ラブラブ関係になり、そのあと結婚する……と。しかしここでハタ
と考えてしまった。「また一から、始めなければならない」と。

 そう、すべてを、一から始めなければならない。私がしてきたことを、すべて、最初から、その
上、まったく同じことを繰りかえさなければならない。いくら美しい女性でも、その美しさだけで
は、たがいの関係をつなぐことはできない。

 話は変わるが、私は子どものころから、同じ作業を二度繰りかえすということが、苦手だっ
た。だからある日、駅の改札口で切符を切っている駅員を見たとき、「よく、こんな仕事ができ
るものだ」と、へんに感心したことがある。ほかに、たとえば編物をしている女性を見たときも、
同じように感じたのを覚えている。

 これは私の性質のようなものかもしれない。だから仮に今、神様か何かに、もう一度過去に
戻り、同じ人生を繰りかえせと言われたら、多分、私はそれを断るだろうと思う。英語の言い方
を借りるなら、「ワンズ・イナフ(一度でたくさん)!」と。

 そういう私だから、頭の中でその女性との未来を想像するうち、だんだん想像すること自体、
めんどうになってきた。家庭をもち、子どもをもうける。そしてその子どもを、これまた一から育
てる。

 このままの状態で、つまり今までにつかんだ知恵や知識をもったまま、体だけ若くなるという
のなら、若くなりたいが、そうでないなら、若くなりたいとは思わない。若い人には申し訳ない
が、あんな未熟な時代に戻るのだけは、ごめん。もうこりごり。たとえば今、二男が結婚生活を
始め、子どもをもうけた。二男はとても幸福そうだが、その幸福感とて、私はすでに経験したも
のだ。二男の幸福そうな写真を見ると、「よかった」とは思うが、その先にあるものがわかってし
まうため、決して「うらやましい」とは、思わない。「これから先、たいへんだぞ」と、思わずそんな
ことを言いそうになってしまう。

 そのあたりまで考えていると、ちょうど空に散ったシャボン玉のように、浮気な想像が、パチン
と音をたてて割れてしまう。

 私は自分の人生を、自分なりに懸命に生きてきた。いろいろやり残したことはあるが、まあ、
こんなものだと、納得している。むしろこのところ、この年齢まで、ほぼ無事に人生を過ごしてこ
られたことを、喜んでいる。大きな事故もなかったし、病気もしなかった。人間、ぜいたくを言え
ばキリがないが、私はそれなりに、したいことができた。

 で、結論。どうせ同じような人生になるなら、私は、さらに先に進んでみたい。だれが見ても、
老人ぽい顔になりつつあるが、それでも、もっと先へ進んでみたい。その先に、「死」が待って
いるとしても、その限界まで進んでみたい。だから私は静かに目を閉じた。閉じて、その女性の
姿を消した。つまりその美しい女性と、心の中で別れた。

 ついでに、一言。この話をあとでワイフにすると、ワイフはこう言った。「だから、あんたはオメ
デタイのよ。あなたがいろいろ空想するのは、あなたの勝手だけど、相手にも人を選ぶ権利と
いうものがあるのよ。あなたが結婚を申し込んでも、相手の女性は、それを断るわよ。どうして
そういうことが、あなたにはわからないの!」と。ナルホド!
(030307)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

崩壊か、戦争か?

 北朝鮮の食糧事情が、急速に悪化しているという。朝鮮日報(韓国系報道新聞)によれば、
「九五年から九八年の、大量餓死者が出た状況に近づきつつある」という。とくに今年に入って
から、状況が悪化しているという。特別待遇を受けているビョンソン科学院の博士ですら、一か
月分の食料として、二〇日分のトウモロコシが配給されているだけという。エリート階級ですら、
この程度だから、あとは推してはかるべし。

 こういう状況を知ると、では、北朝鮮の人たちを助けるべきという考え方と、そうでないという
考え方に分かれる。本来なら助けるべきなのだろうが、大きな問題が一つ、ある。過去におい
て日本は、百数一〇万トンにもおよぶ食糧援助をしてきたが、そのほとんどは、末端の庶民に
は届くことがなかったという。党幹部や軍に優先的に、配分されたという。しかも今、その党幹
部や軍が、日本に向けて、核ミサイルを着々と準備しているという。そういう話を聞くと、「今
は、助けるべきではない」という考えに傾いてしまう。

 本来なら、国がこういう状態になれば、政権そのものが転覆(てんぷく)するはずだが、そこは
独裁国家。徹底した情報管理と恐怖政治で、国民をしばりあげている。日本の歌謡曲を口ずさ
んだだけで、強制収容所に送られるという報道もあった。

 が、それでも、あの金XXは、自国の不満を抑えきれなくなってきたらしい。そこで金XXが選
択しようとしている道は、外に向かっての戦争ということになる。「北朝鮮が苦しいのは、金XX
の失政によるものではなく、アメリカや日本のせいだ」というわけである。何とも小ズルイやり方
だが、ここで忘れてならないのは、悪党はあの金XXだけではないということ。それを取り巻く党
幹部、さらにその周辺で、甘い汁を吸う、二〇万人ともいわれる党員たちがいるということ。こう
いう組織が、全体として、今の北朝鮮という国家をつくりあげている。

 まあ、どんな方向から考えても、ハタ迷惑な国なのだが、当の本人たちには、それがわかっ
ていない。あげくのはては、自分の国の人たちを危険にさらしながら、ギリギリの瀬戸際外交を
繰りかえしている。アメリカにしても、日本にしても、あんな国、侵略する意図など毛頭ない。な
いことは、ほんの少しだけアメリカ人や日本人とつきあってみればわかること。本音を言えば、
相手に、したくもない。

 が、それを偉そうに、不可侵条約だの、国交正常化だのと、騒いでいる。ストックホルムの国
際平和研究所の調べによれば、これほどまでの経済難でありながら、北朝鮮は、ロシア、中
国、カザフスタンから、ミサイルや潜水艦などを、大量に武器を購入しているという。そんなお
金があるなら、食糧を買えばよいと思うのだが、そういう常識が通ずるような国ではない。

 では、どうすればよいのか。

 対話が重要なことは言うまでもないが、以前のような食料援助をつづければ、そのうち北朝
鮮は、大量の核兵器をもってしまうことになる。私は、日本もそれなりの覚悟をして、短期間
で、北朝鮮を兵糧攻めにするのが、一番、よいと思う。短期間なら、一般の人も耐えられるだ
ろう。食料の流入を止めなくても、今まで援助していた分を、もうやめると言えばよい。それなら
制裁をしたということにもならない。そしてあとは一挙に、金XX体制を自然死に追い込む。

 あとはさわらぬ神に、たたりなし。韓国へ亡命した、北朝鮮の上級工作員も、こう言ってい
る。「(金XX体制を崩壊に追いこむための)最善の方法は、(日本語でいう)シカトだ」と。つまり
無視すればよい、と。もともとまともに相手にしなければならないような国ではない。いわんや
戦争などして、日本人が犠牲にならなければならないような国でもない。自由だ、平等だ、平和
だと叫んで、戦わねばならないような国でもない。その価値もない。今の北朝鮮は、どうしようも
ないほど、あわれで、かわいそうな国だ。そういう視点で、つまり一歩、退いた視点で、ながめ
る。

 もちろん攻撃してくれば、そのときは、戦う。そのときは、容赦しない。私たちは、少なくとも私
は、座して死を待つような、軟弱な人間ではない。
(030307)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

チャットルーム

 チャットルームを開設して、二か月になる。しかしその間、参加してくださった方は、ほんの数
名。いろいろな意見交換ができると思っていたが、当初の思惑(おもわく)は、完全にはずれ
た。

 で、理由をいろいろ考えてみた。第一、私のマガジンにせよ、サイトにせよ、これほどまでに
おもしろくないものはない。自分で読んでみて、そう思うのだから、どうしようもない。そういうお
もしろくない世界に住む私と、チャットをするというのも、かなりの勇気がいる。私は読者の方の
立場で、ものを考えていなかった。

 しかしとにかく数名の方とは、チャットができた。正直言って、それは本当に楽しかった。だい
たい一時間と時間を決めているが、その時間が、あっという間に過ぎてしまう。本当にあっとい
う間だ。ただ、不安がないわけではない。三重県のPさん、浜松市のSさんなどは、日ごろから
メールを交換していたので、安心して(?)チャットができる。しかし初対面の方は、そうはいか
ない。男性か、女性かもわからない。年齢もわからない。住所も家族構成もわからない。わか
らないまま、いわばトンネルの中をさぐるようにして会話を始める。不用意な発言が、相手の方
をキズつけるということもありえる。

 多分、相手の方は、私のことをよく知っている。私は、マガジンやサイトで、自己紹介をしてい
る。この一方向性が、私を不安にする。だからしばらくチャットをしていると、何とも言えない閉
塞感(へいそくかん)を覚える。「ひょっとしたら、からかわれているのでは……」と思うこともあ
る。「この人は、隣の人かもしれない」とか、「本当に女性なのか」とか、おかしなことを考えるこ
ともある。

 そこで私は一つのルールを、決めた。これは私の勝手なルールだが、読者の方へのお願い
と言ってもよい。もしご理解いただけるなら、どうか協力してほしい。もっともこんなこと書いた
ら、チャットルームは、ますます閑散としてくるだろうが、しかたない。

 お願いというのは、もしできれば、チャットに先立って、メールでもよいから、簡単な自己紹介
をしてほしいということ。「何県の方ですか?」と聞いたとき、「それは言えません」などと答えら
れたりすると、そのあと、チャットをどうつづけたらよいのか、わからなくなってしまう。そう思うの
は、多分、私だけではないのでは? 何しろ人類がいまだかって経験したことのない分野だけ
に、ルールそのものが確立されていない?

 私がほしいのは、テーマ。みなさんの子育てで役にたてそうな、テーマ。みなさんが、今、ご家
庭で、子育てで、どんなことを問題にしているか、それを知りたい。チャットをしながら、そのテ
ーマが煮詰まれば、私としても、それほど、うれしいことはない。そういうふうにしていただいた
テーマを、これからのマガジンの中で、どんどんと生かしていきたい。

 ……と書きつつ、もうしばらく、チャットルームを開設する。毎週月曜日、午後11:00〜12:
00ということにしている。(どこか高慢な言い方で、失礼!) 「こんなテーマで」というようなご意
見のある方は、どうか寄せてほしい。質問などは、大歓迎!
(030307)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

■■■■■■■■■■■
BW教室のコマーシャル
■■■■■■■■■■■

今日は、思う存分、私の教室を宣伝させてください。
マガジンの中に、宣伝をにおわすような、姑息(こそく)な手段は取りたくありません。ですから
堂々と(?)、宣伝します。

私の教室は、楽しいです。ウソだと思うなら、見学においでください。
現在、4月からの生徒さんを募集しています。

4月からの新年中児……毎週金曜日、3:00〜
4月からの新年長児……毎週水曜日、3:00〜
           毎週木曜日、4:00〜より。

(3月29日〜4月9日までは、春休みになります。)

月謝は、9000円、入会時に、諸費用など、プラス10000円かかります。 
ほかの学年は、またお問い合わせください。
bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp 

見学においでくださる方は、前もって、メールもしくは、053(浜松)452−8039(常時留守番
電話)まで、お電話くだされば、うれしいです。たまに、日時変更や、休講があります。見学の日
時をご連絡します。 

この教室には、はやし浩司の、三〇年にわたる経験と実績が、集約されています。

見て驚くな! 聞いて驚くな! あなたの子どもを、バリバリと、元気のある子どもにします。約
束します!

以上、コマーシャルでした。よろしくお願いします。


    ┌┐
    │ト
    ≧≦ ∪          z
   ━━━━━━        z
  /      \
 /        \く⌒\  ∩      では、みなさん、次回も
/  〜       〆  へく ^川     どうか、よろしくご購読ください。
〜―ノ∵しへ〜へ〜〜〜〜――//―人〇       どうか、お体を大切に!
   w         ⊂ノ            お元気で!
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞






件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■3-17-1

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 647人
最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)  ……読者数(Nr. of Readers)  89人
はやし浩司の世界(Eマガ)         ……読者数(Nr. of Readers)  63人 
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
☆===================☆==================

★★★★★★★★★★★★★★
03−3−17号(195)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 日記を読んでいただけます!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 電話054−246−6136
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●マガジンの購読申し込みは……
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(横に長すぎて読みにくいときは、一度ワードにコピーしてからお読みください。)
●また、本文がつまっていて読みにくいときは、やはり一度ワードにコピーしていただくと、ぐん
と読みやすくなります。お試しください。毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご
利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )        今日のメニュー
   γ ρρ   │σ σ ρ )        【1】子育てポイント 
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )        【2】Touch your Heart
   人   υ ( `) (  )         【3】子育てエッセー
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)          【4】フォーラム
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

あなたのご主人は、どちらの大学ですか?
学歴に興奮する親たち(失敗危険度★★★★)

●おもしろい習性(失礼!)
 親というのは、自分で自分の子どもをバカと呼ぶのは平気だが、しかし他人に言われるのを
許さない。それはそうだが、それと同じように、自分の子どもが評価される場に落とされると、
独特の心理状態になる。動物的な嫉妬心や闘争心が刺激されるらしい。

その一つ、親、とくに母親は、学歴の話になると、興奮状態になる。これは親が共通してもつ習
性(?)ではないか。夫の学歴、自分の学歴、さらに子どもの学歴となると、興奮状態になる。
なぜそうなのかということは、別として、これをうまく利用して、金儲けにつなげている人たちが
いる。いわゆる受験屋と呼ばれる人たちである。

●ある教育機器メーカーの戦略
 ある教育機器メーカーの説明会でのこと。私も興味があったので、招待状をもって、その会
にでかけた。予定では九時三〇分に始まるということだったが、行ってきると、黒板に、「一〇
時から」と書いてあった。そこでしばらく待っていると、うしろのほうからヒソヒソ話が聞こえてき
た。サクラである。主催者の教育機器メーカーが送り込んだサクラである。

耳を傾けると、「あなたのご主人は、どちらの大学ですか?」「あなたのお子さんは、将来、公
立、それとも私立?」と。とたん、会場の中におかしな緊張感が漂い始めた。しかしそれこそま
さに、その会社のねらいである。サクラが、「あの中学はむずかしいそうよ」「進学塾では役に
たたないそうよ」と言い出した……。

●親たちは興奮状態に!
 それに拍車をかけるように、一〇時からの説明会では、まずビデオが映し出された。N研とい
う東京の進学塾が制作したビデオだが、子どもの受験勉強の様子、受験会場に行く様子、受
験しているときの様子、そして合否発表の様子がつぎつぎと映し出された。意味のないビデオ
だが、しかし合否発表のところでは、受験に落ちて、泣き崩れる母親や子どもの姿が、これで
もかこれでもかとつづいた。時間にすれば、約一〇分間程度だったが、会場がますます異様な
雰囲気になるのがわかった。しかしそれこそがまさにその会社のねらいでもあった。

 やがてその会社の教育機器の説明会が始まり、それが終わると同時に、ワンセット二四万
円もする教材が、飛ぶように売れていた。驚いたというより、それはあきれんばかりの光景だっ
た。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


近所に人に息子の制服をみられたくナ〜イ!
見え、メンツ、世間体(失敗危険度★★★★★)

●家庭教育の元凶
 見え、メンツ、それに世間体。どれも同じようなものだが、この三つが家庭教育をゆがめる。
裏を返せば、この三つから解放されたら、家庭教育にまつわるほとんどの悩みは解消する。

まず(1)見え。「このH市では出身高校で人物は評価されます」と、断言した母親がいた。「だ
からどうしてもうちの子はA高校に入ってもらわねば、困ります」と。しかし見えにこだわると、親
も苦しむが、それ以上に、子どもも苦しむ。

 つぎに(2)メンツ。ある母親は中学校での進学校別懇談会には、「恥ずかしいから」と、一度
も顔を出さなかった。また別の母親は、子どもが高校へ入学してからというもの、毎朝、自動車
で送り迎えしていた。「近所の人に、子どもの制服を見られたくないから」というのが、その理由
だった。また駅の近くの親戚の家で、毎朝、制服に着がえてから、通学していた子どももいた。
が、こういう姿勢は子どもの自尊心を傷つける。
 
最後に(3)世間体。見えやメンツにこだわる親は、やがて世間体をとりつくろうようになる。「ど
うしてもうちの子どもにはA高校を受験してもらいます」と言った親がいた。私が「無理だと思い
ますが」と言うと、「一応、そういうところを受験して、すべったという形を作っておきたいのです」
と。不登校児になった子どもを、親戚の叔父に預けてしまった親すらいた。こうした親は何とか
「形」だけは整えようとするわけだが、ここから多くの悲喜劇が生まれる。私のような立場の人
間が、「世間は、あなたのことを、そんなに気にしていませんよ」と言っても、ムダ。このタイプの
親は、世界は自分を中心にして回っているかのように錯覚している。あるいは世界中が自分に
注目しているようかのように錯覚している。

●「しかたないので、C中学にしました」
 見えやメンツ、それに世間体を気にするということは、結局は自分を飾るということ。そういう
親には共通点がある。自分の周囲をウソで塗りかためる。たとえば……。

「私はどこの中学でもいいと思っているのですが、息子がどうしてもA中学と言いますので、先
生、息子の願いをかなえてあげてください」と。そこでその息子にそれとなく聞くと、「ぼくはどこ
でもいいけど、ママがそうしてもA中学にしろと言ってうるさい」と。あるいは「学校の先生はB中
学でも合格できると言っているのですが、息子はどうしてもC中学のほうがいいと言って私の言
うことを聞きません。しかたないので、C中学にしました」と。このときも息子に聞くと、「先生がB
中学は無理だと言ったので、C中学にした」と。さらにこんな例もある。

 Tさん親子の間には、息子が中学生になるころから、会話という会話はほとんどなかった。食
事も別々、廊下ですれ違っても目をそむけあう。どんな会話をしても、すべて一触即発。そんな
関係であるにもかかわらず、Tさん(四五歳女性)は、ことあるごとにその息子が東京のT理科
大学に入学したことを自慢していた。「猛勉強をしてくれたおかげで、T理科大学に入ってくれま
してね」と。Tさんの家の居間には、息子の卒業証書が高々とかかげられている。もちろん息子
はほとんど家には帰っていないのだが……。

●私は私、人は人という人生観
他人の目の中で生きれば生きるほど、結局は「自分」を犠牲にすることになる。が、これほどつ
まらない人生もない。自分の人生をドブへ捨てるようなもの。しかしそれは同時に、他人の目か
ら見ても、それほど見苦しい人生はない。笑うとか笑われるとかいうことになれば、そのほうが
笑われる。皮肉といえば、これほど皮肉なことはない。

この見えやメンツ。それに世間体と闘う方法があるとすれば、それは「私は私、人は人」とい
う、人生観をもつこと以外にない。が、これは容易なことではない。人生観というのはそういうも
ので、一朝一夕には確立できない。

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++
家族のきずな

●ルービン報道官の退任 
二〇〇〇年の春、J・ルービン報道官が、国務省を退任した。約三年間、アメリカ国務省のス
ポークスマンを務めた人である。理由は妻の出産。「長男が生まれたのをきっかけに、退任を
決意。当分はロンドンで同居し、主夫業に専念する」(報道)と。

 一方、日本にはこんな話がある。以前、「単身赴任により、子どもを養育する権利を奪われ
た」と訴えた男性がいた。東京に本社を置くT臓器のK氏(五三歳)だ。いわく「東京から名古屋
への異動を命じられた。そのため子どもの一人が不登校になるなど、さまざまな苦痛を受け
た」と。単身赴任は、六年間も続いた。

●家族がバラバラにされて、何が仕事か!
 日本では、「仕事がある」と言えば、すべてが免除される。子どもでも、「勉強する」「宿題があ
る」と言えば、すべてが免除される。仕事第一主義が悪いわけではないが、そのためにゆがめ
られた部分も多い。今でも妻に向かって、「お前を食わせてやる」「養ってやる」と暴言を吐く夫
は、いくらでもいる。その単身赴任について、昔、メルボルン大学の教授が、私にこう聞いた。
「日本では単身赴任に対して、法的規制は、何もないのか」と。私が「ない」と答えると、周囲に
いた学生までもが、「家族がバラバラにされて、何が仕事か!」と騒いだ。

 さてそのK氏の訴えを棄却して、最高裁第二小法廷は、一九九九年の九月、次のような判決
を言いわたした。いわく「単身赴任は社会通念上、甘受すべき程度を著しく超えていない」と。
つまり「単身赴任はがまんできる範囲のことだから、がまんせよ」と。もう何をか言わんや、であ
る。

 ルービン報道官の最後の記者会見の席に、妻のアマンポールさんが飛び入りしてこう言っ
た。「あなたはミスターママになるが、おむつを取り替えることができるか」と。それに答えてル
ービン報道官は、「必要なことは、すべていたします。適切に、ハイ」と答えた。

●落第を喜ぶ親たち
 日本の常識は決して、世界の標準ではない。たとえばこの本のどこかにも書いたが、アメリカ
では学校の先生が、親に子どもの落第をすすめると、親はそれに喜んで従う。「喜んで」だ。親
はそのほうが子どものためになると判断する。が、日本ではそうではない。軽い不登校を起こ
しただけで、たいていの親は半狂乱になる。こうした「違い」が積もりに積もって、それがルービ
ン報道官になり、日本の単身赴任になった。言いかえると、日本が世界の標準にたどりつくま
でには、まだまだ道は遠い。

     ⌒⌒⌒⌒
    ((( (( (( 
     ⌒  ⌒ 
     ・。・ β
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \   みなさんのご家庭で、このマガジンが役だって
 ゜\/│ // │ / /    いますか?
   Γ ̄ ̄│──|○   何かテーマがあれば、掲示板にでもお書きください。

   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
女の先生

 最近、私の教室で人気があるのが、女の先生。子ども(幼児)たちが、「男の先生より、女の
先生のほうがいい」と言ったから、女の先生になってやる。

 方法は、まず、ヘアーピース(かつら)をかぶり、セーターの下に、ボールを二個入れる。「若
い先生のほうがいいのか? 年をとった先生のほうがいいのか?」と聞くと、「若い先生!」と。

 そういうときは、二個のボールを胸の上のほうに入れる。そしてこう言う。

 「私的には、サー。幼児教育なんて、サー。どうでもいいのオ。てな、感じジー。ところであんた
のお父さんにさア、いい弟なんか、いないイ〜」と。

 子どもたちは腹をかかえて笑う。そこで、「じゃあ、年をとった先生をしてあげる」と声をかける
と、「して、して!」と。

 今度は、ボールを腹の上あたりまでさげて、こう言う。

 「あんたたち、女だと思って、バカにするんじゃ、ないのよ。私しゃね、こう見えても……。あ
あ、くやしい。世の中の男が、みんなバカなのよ。くやしいイ!」と。

 ところがあるクラスでそれをすると、子どもたちが、「おばあちゃんをやってくれ!」と。おばあ
ちゃんの先生というのは、私もしたことがない。が、子どもたちの要望ということであれば……、
ということで、ボールを、下腹部あたりまでさげて、こう言った。

 「あんた、エッ、名前、何て言うのさ。えっ、よく聞こえないよ。何だって?」と。

 もっともこういう演技を、幼稚園でしたら、即、クビになるだろう。私の教室は、すべて公開して
いる。父母がいつも参観している。つまり親たちと暗黙の了解ができている。が、私がこういう
「ふざけ」をするには、ちゃんとした理由がある。

 幼児教室というのは、親たちが、子どもが幼児であるだけに、神経質になっている。ときに
は、親どうしが、パチパチと火花を飛ばすことがある。そういうときは、親自身を笑わせねばな
らない。つまり親をリラックスさせる。それがないと、とても授業など、できない。

 こうした技術は、私がこの三〇年をかけて、身につけたもの。そんなわけで私の教室には、
笑いが絶えない。だから私は親たちには、こう言っている。「子育てで疲れたら、BW(私の教
室名)へ、参観においでなさい。ストレスの解消になりますよ」と。
(030308)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(664)

作文教室

 エッセーを書くとき、もっとも注意しなければならないのは、わかりやすい文を書くということ。
たとえば……。

 「私の親が子どものころ、親に口答えすると、親は、親にたたかれたそうです。そこで親は私
が親になっても、子どもをたたくなと言いましたが、私が親になると、やっぱり、子どもをたたい
てしまいます。そこで親に、親の因果は子に伝わると話すと、親は、私の親も、親によくたたか
れたと話してくれました」と。

 ボケーッと読んでいると、頭の中が混乱してしまう。事実、そういうメールをよくもらう。書いて
いる本人はそれでわかっているつもりかもしれないが、読むほうは、そうではない。まるでから
んだ糸をほぐすようにして読まねばならない。

 そこで私の作文教室。(少し偉そうな言い方ですみません。)

(1)文は短く……わかりやすくするため、文は短くする。たとえば、「今日は晴れだったので、ド
ライブに行きます」は、「ドライブに行きます。晴れだから」とする。文も生き生きとしてくる。
(2)同じ言葉を使わない……同じような言葉は、避ける。意図的に使うこともあるが、繰り返さ
れると、わずらわしく感ずることがある。たとえば「今日は、とくに、特別の日だから……」という
のが、それ。「とくに」と、「特別に」が、ダブっている。
(3)難解な言葉は使わない……「そのように思慮して」と書くより、「そのように思って」のほうが
よい。文はあくまでも、中身で勝負。
(4)ダブリは避ける……同じような表現が、同一エッセーの中に出てくるのを、ダブリという。最
初のほうで、「人生は風のようなもの」と書いて、またあとのほうで、「風のように人生は流れて
いく」と書くのがそれ。
(5)あて字は使わない……「書いて下さい」というのがそれ。「下さい」で、「下」という字を使う
が、「下」には、「くれる」という意味はない? これは好みの問題だから、何とも言えないが、私
はできるだけ使わないよいうにしている。
(6)「……思う」は不要……自分のエッセーで、自分で思ったことを書いているのに、「私は…
…と思う」は不要。たとえば、「私はAさんが正しいと思う」と書くときは、「Aさんが正しい」と書け
ばよい。
(7)ムダな敬語は使わない……これは私のクセでもあるが、敬語は、できるだけ避ける。「恩
師が言われた」ではなく、「恩師が言った」でよい。こういう敬語を、日本語の「美」ととらえる人
もいるが、私は、そういう上下意識が、好きではない。いちいち頭の中で、上下関係を判断しな
ければならないというのは、めんどうなこと。
(8)あいまいな表現はしない……子どもは、よく、「今日、プールがあった」と言う。「今日、学校
で、プールのレッスンがありました」と言う意味だが、そうならそうで、そう書けばよい。あいまい
な言い方は、読者を不安にさせる。
(9)読んでもらうという姿勢を大切に……文というのは、相手に読んでももらうことで生きる。そ
ういう謙虚な姿勢を忘れてはいけない。

 以上、思いついたまま書いたが、あなたの子どもの作文指導でも役にたつはず。ぜひ、家庭
でも、応用してみてほしい。

 さて冒頭の話だが、親といっても、だれの親かわからなくなってしまう。家族関係を表現する
のに、もっとよい方法がないものか? そこで私のばあい、文そのものを、区切ってしまう。「区
切る」というのは、文を分け、その間に説明を入れるようにしている。先の文も、私なら、つぎの
ように書く。

 「私の父が子どものころのこと。父が祖父に、口答えすると、よく父は、祖父にたたかれたそ
うです。祖父は厳格な人でした。そこで父は、私にこう言いました。『お前が親になっても、子ど
もだけはたたくな』と、です。しかし私も親になってみると、私は私の子どもをたたいてしまいま
す。そこで父に、『こうした因果は、代々と伝わるものかもしれない』と話すと、『祖父も、そのま
た親によくたたかれていたようだ』と話してくれました」と。

 こう書くと、文もわかりやすくなる。(多分?)

 それから文というのは、一度、完成したら(?)、自分で声を出して読んでみるとよい。文のも
つリズムがそれでわかる。私のばあい、そのリズム、あるいはリズム感を大切にしている。ま
た読むことで、不自然な言いまわしに気がつくことが多い。ぜひ、試してみてほしい。
(030309)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩
司 

プラスのストローク(働きかけ)

 子どもは、プラスのストローク(働きかけ)があって、伸びる。たとえば赤ちゃんが懸命に体を
動かしたり、声を発したとする。そのとき大切なことは、親が、その動きをほめ、声に、愛情豊
かに答えてあげること。こうしたストロークは、人間の心の発育には、必要不可欠なものと言わ
れている。が、このストロークがないと、子どもは発育そのものを止めてしまうという。いろいろ
例を聞いたことがある。

 ある子ども(幼児)は、生後まもなくから施設へ入れられていた。体の発育のみならず、知育
の発育も遅れていた。が、別の施設へ移され、そこで保母さんたちによって、濃厚なスキンシッ
プを与えられたところ、体重が急速にふえ、知育も著しく発達し始めたという。

 ある学者は、たとえマイナスのストロークであるにせよ、暴力や威圧を受けた子どものほう
が、無視、冷淡、拒否的な態度を経験した子どもよりも、まだ心理的にはよい結果をもたらすと
も言っている。マイナスのストロークであるにせよ、ないよりは、まし、というわけである。

 子どもを伸ばす、最大の秘訣は、プラスのストロークを、子どもに常に与えること。「あなたは
愛されている」「あなたは守られている」「あなたは信じられている」と。子ども自身のことについ
ても、「あなたはすばらしい」「あなたはどんどんいい子になる」「あなたは何をしても、じょうずに
できる」と。

 一方、マイナスのストロークは、子どもを、負の方向に引っぱってしまう。これは当然だが、し
かし子どもというのは、おもしろい性質がある。四種類の教師がいる。

(最初に叱って)→(あとでほめる)
(最初にほめて)→(あとでほめる)
(最初にほめて)→(あとでけなす)
(最初に叱って)→(あとで叱る)

 この中で、子どもにとって一番好ましい教師は、最初の、(最初に叱って)→(あとでほめる教
師)だそうだ。またそういう教師は、子どもを伸ばすことができる。二宮尊徳も、そう書いてい
る。以前、書いた原稿を、ここに張りつけておく。(順に下へいくほど、好ましくない教師というこ
とになる。)

++++++++++++++++++++++++

三つほめ、二つ叱れ

 「かわいくば、五つ数えて三つほめ、二つ叱って、よき人となせ」と言ったのは、二宮尊徳だ
が、まさにその通り。子どもを叱ったら、必ずほめて仕上げる。「ほら、あなたもちゃんとできる
でしょ」と。決して叱りっぱなしにしてはいけない。これは子育ての大原則。

……と言っても、実際にその場になると難しいので、頭の中で格言として、この言葉を何度も繰
り返しておくとよい。「叱ったら、ほめる」と。
 叱り方にもコツがある。

(1)子どもに威圧感を与えない……「威圧で閉じる、子どもの耳」と覚えておく。親がガミガミと
叱れば叱るほど、子どもの耳は閉じる。つまり叱っても意味がないということ。
(2)相手が幼児のときは、目線を幼児の目線まで落とす……親のほうが腰を落とし、幼児の
目線まで自分の目線を落とす。
(3)子どもの肩をしっかりと固定し、視線を子どもの目からはずさない……両手で子どもの肩
を両側からはさみ、肩をしっかりと固定する。そして叱るときは、子どもの目をしっかりと見つ
め、視線をはずさないようにする。
(4)言うべきことを繰り返す……怒鳴ったり、大声をあげたりしない。言うべきことをしっかりと
繰り返す。
(5)

そして最後、というより、しばらく時間をおいて、子どもが叱ったことを守ったり、できるようにな
ったら、ほめて仕上げる。

 ふつう叱るときは内緒で、ほめるときは皆の前でする。古代ローマの劇作家のシルスも、『忠
告は秘かに、賞賛はおおやけに』と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少し
おおげさにほめる。そのとき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあと
は繰り返しほめる。

 ただ、一つだけ条件がある。子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。が、顔や
スタイルについては、ほめないほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見て
くれや、かっこうばかりを気にするようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女
子中学生がいた。また「頭」については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重に
する。頭をほめすぎて、子どもがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。

+++++++++++++++++++++++++

このストロークは、サイレントベービー(笑わない子ども、表情のない子ども、さらには泣かない
子ども)との関連も指摘されている。決して、安易に考えてはいけない。
(030308)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


親の気負い、子の気負い

●子の気負い
 「親だから……」と気負うのを、親の気負いという。それはよく知られているが、「子だから…
…」という気負いもある。これを子の気負いという。

●相互依存性 
 こうした気負いは、相互的なもの。決して、一方的なものではない。親としての気負いの強い
人ほど、一方で、子としての気負いが強い。「よい親であろう」と思う反面、「よい子どもであろ
う」とする。だからどちらを向いても、疲れる。

 こうした気負いの背景にあるのが、依存性。もう少しわかりやすい言葉でいうと、「甘え」。親
に対しては、しっかりと親離れできていない。一方、子どもに対しては、しっかりと子離れできて
いない。結果として、どこかベタベタの人間関係になる。

 このベタベタの人間関係が、祖父母→親→自分→子へと、脈々とつながっている。だからふ
つう、その中にいる人は、それに気づかない。それがその人にとっては、ふつうの人間関係で
あり、またたいていのばあい、それが「あるべき人間関係」と考える。

●未熟な人間性
 依存型家庭につかっていると、依存性が強い分だけ、代々、子どもは精神的に自立できなく
なる。自立できないまま、それがひとつの「生活」として定着してしまう。

 たとえば日本には「かわいい」という言葉がある。「かわいい子ども」「子どもをかわいがる」と
いうような使い方をする。

 しかし日本語で「かわいい子ども」と言うときは、親にベタベタと甘える子どもを、かわいい子
どもという。自立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、かわいい子どもとは、あまり言わ
ない。

 また「子どもをかわいがる」というのは、子どもに楽をさせること。子どもによい思いをさせるこ
とをいう。

 こういう子ども観を前提に、親は子どもを育てる。そしてその結果として、子どもは自立できな
い、つまりは、人間的に未熟なまま、おとなになっていく。

●親の支配
 依存型家庭では、子どもが親に依存する一方、親は、子どもに依存する。その依存性も、相
互的なもの。自分自身の依存性が強いため、同時に子どもが自分に依存性をもつことに甘く
なる。その相互作用が、たがいの依存性を高める。

 しかし親が、子どもに依存するわけにはいかない。そこで親は、その依存性をカモフラージュ
しようとする。つまり子どもに依存したいという思いを、別の「形」に変える。方法としては、(1)
命令、(2)同情、(3)権威、(4)脅迫、(5)服従がある。

●命令……支配意欲が強く、親のほうが優位な立場にいるときは、子どもに命令をしながら、
親は子どもに依存する。「あんたは、この家の跡取りなんだから、しっかり勉強しなさい!」と言
うのが、それ。
●同情……支配意欲が強く、親のほうが劣位な立場にいるときは、、子どもに同情させなが
ら、結果的に、子どもに依存する。「お母さんも、歳をとったからね……」と弱々しい言い方で言
うのが、それ。
●権威……封建的な親の権威をふりかざし、問答無用に、子どもを屈服させる。そして「親は
絶対」という意識を子どもに植えつけることで、子どもに依存する。「親に向かって、何てこと言
うの!」と、子どもを罵倒(ばとう)するのが、それ。
●脅迫……脅迫するためによく使われるのが、宗教。「親にさからうものは、地獄へ落ちる」
「親不孝者は、不幸になる」などという。「あんたが不幸になるのを、墓場で笑ってやる」と言っ
た母親すら、いた。
●服従……子どもに隷属することで、子どもに依存する。親側が明らかに劣位な立場にたち、
それが長期化すると、親でも、子どもに服従的になる。「老いては子に従えと言いますから…
…」と、ヘラヘラと笑って子どもに従うのが、それ。

●親であるという幻想
 人間の自己意識は、三〇歳くらいまでに完成すると言われている。言いかえると、少し乱暴
な言い方になるが、三〇歳をすぎると、人間としての進歩は、そこで停滞すると考えてよい。そ
うでない人も多いが、たいていの人は、その年齢あたりで、ループ状態に入る。それまでの過
去を、繰りかえすようになる。

 たとえば三〇歳の母親と、五歳の子どもの「差」は、歴然としてあるが、六〇歳の母親と、三
五歳の子どもの「差」は、ほとんどない。しかし親も子どもも、それに気づかない。この段階で、
「親だから……」という幻想にしがみつく。

 つまり親は、「親だから……」という幻想にしがみつき、いつも子どもを「下」に見ようとする。
一方、子どもは子どもで、「親だから……」という幻想にしがみつき、親を必要以上に美化した
り、絶対化しようとする。

 しかし親も、子どもも、三〇歳をすぎたら、その「差」は、ほとんどないとみてよい。中には、努
力によって、それ以後、さらに高い境地に達する親もいる。しかし反対に、かなり早い時期に、
親よりはるかに高い境地に達する子どももいる。

 そういうことはあるが、親意識の強い親、あるいはそういう親に育てられた子どもほど、この
幻想をいだきやすい。この幻想にしばられればしばられるほど、「一人の人間としての親」、
「一人の人間としての子ども」として、相手をみることができなくなる。

●批判
 こうした私の意見に対して、「林の意見は、ドライすぎる」と批判する人がいる。「親子というの
は、そういうものではない」と。

少し話はそれるが、ここまで書いて、こんな問題を思い出した。親は子どものプライバシーの、
どこまで介入してよいかという問題である。ある母親は、「子どものカバンの中まで調べてよい」
と言った。別の母親は、「たとえ自分の子どもでも、子ども部屋には勝手に入ってはいけない」
と言った。どちらが正しいかということについては、また別の機会に考えるとして、私が言ってい
ることは、本当にドライなのか? このことは、反対の立場で考えてみればわかる。

 もしあなたの子どもが、いつか、あなたがた夫婦の問題で悩んだとしたら、あなたはそれを喜
ぶだろうか。

●カルト抜き
 こうした生きザマの問題は、思想の根幹部分にまで、深く根をおろしている。ここでいう依存
性にしても、その人自身の生きザマと、密接にからんでいる。だからそれを改めるのは容易で
はない。それから抜け出るのは、さらに容易ではない。

 しかも親子であるにせよ、そういう人間関係が、生活のパターンとして、定着している。生きザ
マを変えるということは、そういう生活のあらゆる部分に影響がおよんでくる。

 これは一例だが、Y氏(五〇歳男性)は、子どものころ、母親に溺愛された。それは異常な溺
愛だったという。そこでY氏は、典型的なマザコンになってしまったが、それに気づき、自分の
中のマザコン性を自分の体質から消すのに、一〇年以上もかかったという。

 親子関係というのは、そういうもの。それを改めるにしても、口で言うほど、簡単なことではな
い。それはいわばカルト教の信者から、カルトを抜くような苦痛と努力、それに忍耐が必要であ
る。時間もかかる。

●因縁を断つ
 そんなわけで、私たちが親としてせいぜいできるここといえば、そうした「カルト」を、子どもの
代には伝えないということ程度でしかない。少し古臭い言い方になるが、昔の人は、それを「因
縁を断つ」と言った。

 私たちはこうした依存性のみならず、親として、「悪い因」を子どもに伝えてはいけない。今、
あなたが親離れできない親、子離れできない子どもであったとしても、子どもには、親離れさ
せ、ついであなたの子どもが親になったときには、子離れできる親にしなければならない。

 しかしこと、この問題について言えば、ここに書いたような問題があることに気づくだけでも、
つまりあなたがあなた自身を疑ってみることだけでも、問題のほとんどは解決したとみてよい。
このあと、多少、時間はかかるが、それで問題は解決する。
(030306)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


自己開示

 自分のことを話すという行為は、相手と親しくなりたいという意思表示にほかならない。これを
「自己開示」という。その自己開示の程度によって、相手があなたとどの程度、親しくなりたがっ
ているかが、わかる。

(1)自分の弱点の開示(私は計算が苦手)
(2)自分の失敗の開示(私はケースを割ってしまった)
(3)自分の欠点の開示(私は怒りっぽい人間だ)
(4)自分の家族の開示(私の母は、おもしろい人だ)
(5)自分の体のことの開示(私は、足が短いことを気にしている)
(6)自分の心の問題の開示(私は、よく、うつ状態になる)
(7)自分の犯罪的事実の開示(二年前に、万引きをしたことがある)

 (1)の軽度な自己開示から、(7)の重大な自己開示まで、段階がある。相手があなたに、ど
の程度まで自己開示しているかを知れば、あなたとどの程度まで親しくなりたがっているかが
わかる。もしあなたと交際している相手が、自分の体の問題点や、病気、さらには心の問題に
ついて話したとするなら、その相手は、あなたとかなり親しくなりたいと願っていると考えてよ
い。

 子どもの心も、この自己開示を利用すると、ぐんとつかみやすくなる。コツは、よき聞き役にな
ること。「そうだね」「そうのとおり」と、前向きなリアクション(反応)を示してやる。批判したり、否
定するのは、最小限に抑える。

 反対に、子どもがどの程度まで自己開示するかで、子どもの心の中をのぞくことができる。と
きどきレッスンの途中で、「きのうねえ、パパとママがねえ……」と話し始める子ども(幼児)が
いる。私はそういうとき、「そんな話はみんなの前で、してはいけないよ」とたしなめることにして
いる。それはそれとして、子どもがそういう話をしたいと思う背景には、私と親しくなりたいという
願望が隠されているとみる。が、こんな失敗をしたこともある。

あるとき、「きのうねえ、パパとママがねえ……」と言い出した子ども(年中男児)がいた。「何
だ?」と声をかけると、その子どもはこう言った。「寝るとき、裸で、レスリングしていたよ」と。

 さてあなたは、だれに対して、どのレベルまでの自己開示をしているだろうか。それを知ると、
あなたの心の中の潜在意識をさぐることができる。
(030309)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


接種理論

 あらかじめ、マイナスの情報を子どもに与え、子どもの心の中に免疫性を植えつけておく。そ
うすると、子どもが何かのことで失敗しても、子どもは、その失敗をより軽く、乗り越えることが
できる。これを「接種理論」という。病気の予防接種のように、あらかじめ抵抗力をつけておくこ
とに似ているから、この名前がつけられた。

 たとえば受験指導のとき、受験指導と同時に、不合格になったときの対策や、心構えを話し
ておく。あるいは、「受験では、人間の価値は決まらない」などと、話しておく。そうすることで、
たとえ受験で失敗しても、その失敗を、その子どもは、より軽く乗り越えることができる。この方
法はさまざまな分野で、応用できる。

 たとえばよく、子どもにはどの程度まで家計の内容を話しておくべきかということが、親たちの
間で、話題になる。それぞれの家庭には、それぞれの事情があり、一概には、どうということは
言えないが、ある程度の「予防接種」をしておくことは、それなりに大切なことである。とくに今の
ように、経済的に不安定な時代においては、そうではないか。

 さらに子どもがおとなになるにつれて、自分で発見していくことについても、そうである。家族
の秘密や、祖先の秘密など。子どもの側からみて、「ウソだった」という印象を与えないようにす
る。たとえば……。

 A子さん(中一)は、先夫との間にできた子どもだった。しかし母親は、そのことをずっと、A子
さんに隠していた。再婚した夫を、A子さんは、実の父親だと信じていた。しかし学校で、血液
型の話が出た。A子さんは、自分と父親の血液型があわないのに気づいた。A子さんは、AB
型。父親は、O型だった。O型の親からは、絶対にAB型の子どもは生まれない。

 このA子さんのケースで、まずかったのは、両親が、そのことについてまったく話しておかなか
ったこと。さらにA子さんが疑ったときも、それをがんこに否定してしまったこと。そのあとA子さ
んが事実を知ったとき、その衝撃がいかに大きいものであったかを想像することは、それほ
ど、むずかしいことではない。

 ……と書いたが、このA子さんのケースは、実際にあった話ではない。私がここで創作した。
しかしもしこういうケースで、A子さんに、ある程度の免疫性があれば、その衝撃を小さくするこ
とができたかもしれない。たとえば「お母さんは、以前、別の人と結婚していたのよ」程度のこと
は話しておく、など。

 もっとも、こんなことは、「理論」と言うほど、おおげさなものではない。しかし心のすみに入れ
ておくと、どこかで役にたつかもしれない。
(030309)

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

夫の肌に触れると、ゾッとする?

 今朝の新聞を読んでいたら、週刊誌のコマーシャルに、こんなのがあった。「家庭内危機の
真実」と題して、「あの人の肌に触れるだけで、ゾッとする。離婚したい」(週刊Y誌)と。

 この話をしながら、ワイフに、「お前は、どうだ?」と聞くと、「私は、あなたに触られても、もう
何も感じない。でも、若いとき、痴漢に足をさわられたときは、ゾッとしたわ」と。

 私は、こういう話、つまりセックスレスの若い夫婦の話を聞くと、正直言って、「もったいない」
と思う。「若いときは、思う存分、セックスを楽しめばいいのに」と。するとワイフがこう言った。
「男は、ゾッとすることはないの?」と。

 男も、多分、フィーリングの合わない女性に触られたら、ゾッとすると思う。思うが、触られた
経験がない。それに私に触りたいなどという女性は、いないだろう。ただ、男のばあい、触って
みたい女性と、触りたくない女性はいる。しかしその違いは、微妙なものだ。

 会話の終わりで、ワイフは、こう言った。「今なら、痴漢でも、触らせてあげるわ」と。しかし残
念ながら、ワイフの年齢になると、痴漢ですら、見向きもしない。

 ……と書いて、まじめな話。若くしてセックスレスになってしまうというのは、どこかに大きな問
題がある。どこにどうあるかは、私にはわからないが、(そこまで調べてみようという気にはなら
ないが)、若いときは、ここに書いたように、もっとセックスを楽しめばよい。俗な言い方をすれ
ば、「やってやって、やりまくる」。そういう夫婦の交流が、それ以後の夫婦関係を、濃密なもの
にする。

 しかしそれにしても……。夫の肌に触れるだけで、ゾクゾクではなく、ゾッとするようでは、結
婚生活もおしまい。ここに書いてあるように、離婚するしかない。
(030309)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


生きる価値

 政府の広報番組を見た。年金についての、番組だった。厚生年金のばあい、満六〇歳から、
毎月一〇万円が支給される。満六二歳から、毎月二〇万円が支給される。(あるタクシー運転
手のばあい。モデルケース)しかし被受給者に収入があるばあいには、その額は大幅に削減さ
れる。

 これについて、その運転手は、番組の中で、こう悩んでいた。「仕事をつづけるべきか、どう
か」「アルバイトに切り替えるべきか、どうか」「どうすれば、年金をできるだけ多くもらえるか」
と。

 私はその番組を見ながら、いろいろなことを考えた。その一。この運転手は、「もらえるもの
は、もらわなければ損」と考えているようだった。それは当然のことだが、「健康である喜び」
「仕事ができる喜び」、さらには「生きる価値」を、その運転手がどう評価しているのか。それが
たいへん気になった。

 私も一度だけ、失業保険の受給資格があったことがある。しかし私は一円ももらわなかっ
た。私のプライドが許さなかった。今もそういう感覚が残っていて、もしできるなら、国の世話に
はならず、最後の最後まで、自分の力で生きたいと思っている。「思っている」というのは、あく
までも今の時点で、そう思うだけということ。しかしその運転手のようには、悩まない。

 その運転手は、満五九歳。運転手としての給料は、月額三五万円ほどだという。だったら、
私なら、仕事をつづける。仮に年金が八〜九割カットされても、だ。年金をもらうために、仕事
を減らし、給料を減らすというのは、どうか。少なくとも、私にはそういう発想は、ない。

 年金よりも、大切なものがある。それは時間と生きがいである。いくら年金がもらえるからと
いって、何もせず、ブラブラと毎日を無益に過ごすことは、私にはできない。事実、私の近辺に
は、そういう年金生活者がたくさんいる。しかし私はそういう人たちを、うらやましいとは思わな
い。言い方は悪いが、そういう人たちは、自分の人生という時間を食いつぶしているだけ(失
礼!)。

 若い人には、未来は長いが、老人には、短い。それゆえに、刻一刻と消えていく「時間」を、
精一杯、大切に使わねばならない。問題は、「どう大切にするか」ということになる。毎朝起き
て、毎日同じような生活をして、そして毎晩同じように寝る。適当に散歩して、庭いじりして、家
事をする。ときどき近所の仲間たちと時間を共有して、世間話をする。一見すばらしい人生に
見えるかもしれないが、それが本当に「大切にすることか」というとになると、疑わしい。

 昔、ロンドンやパリのタクシー運転手は、プロ意識が強く、日本の運転手にはないプライドを
もっているという話を聞いたことがある。私も同じような経験をしたことがある。アルゼンチンの
ブエノスアイレスで、タクシーに乗ったときのことだった。その運転手は、そこらの外交官よりマ
ナーが洗練(せんれん)されていて、流暢(りゅうちょう)な英語をしゃべった。

 が、しかし、年金を一円でも多くもらうために、仕事そのものを放り出すというのは、まさにそ
のプライドを、かなぐり捨てることになるのではないのか(失礼!)。「今まで、つまらない仕事を
いやいやしてきました。だから、年金をもらうために、仕事をやめます」と。しかしそれを認める
ことは、自分の人生の敗北を認めることに等しい。

 それに仮に仕事をやめ、年金生活に入ったとしても、いったい、どのような人生が、その先で
待っているというのか。人間的にも、社会的にも、人は、仕事をしているから人なのである。タ
クシーの運転手というのは、そういう意味でも、すばらしい仕事である。毎日、いろいろな人の
人生観の一端に触れることもできる。もし本気で日記を書いたら、タクシーの運転手だったら、
毎日、本が一冊ずつ書けるかもしれない。

 ……と書きつつ、現実は、もう少し、違ったものかもしれない。私は二〇数歳のときから、国
民年金に加入しているが、ときどきワイフにこう聞く。「ぼくたちは、何歳からもらえるのかね?」
と。それに答えて「六五歳からよ」と。国民年金基金は、もう破産状態にあるという。だから本当
にもらえるようになるかどうかはわからないが、どこかでその年金に望みを託すようなところ
も、ないわけではない。

 しかし今は、こう思う。私はできるだけ、最後の最後まで、働く。そしてそのあと、どうにもこう
にもならなくなったら、年金の世話になる、と。しかし私が年金の世話になるときは、私がもう最
期のときを迎えたということ。自分で、そう覚悟している。
(030309)

【追記】「年金」とは言うが、結局は、そのツケは、今の子どもたちが背負うことになる。私たち
がもつべき意識は、できるだけそういう子どもたちに負担をかけないことではないのか。「目、
いっぱい、もらえるものはもらわなければ損」という発想は、つまるところ、国への依存性(甘
え)から発生する。日本人は、どうしてこうまで、依存型の民族になってしまったのか? これも
私は、官僚政治の弊害の一つと考えるが、それについては、また別のところで考えたい。

■■■■■■■■■■■
BW教室のコマーシャル
■■■■■■■■■■■

今日は、思う存分、私の教室を宣伝させてください。
マガジンの中に、宣伝をにおわすような、姑息(こそく)な手段は取りたくありません。ですから
堂々と(?)、宣伝します。

私の教室は、楽しいです。ウソだと思うなら、見学においでください。
現在、4月からの生徒さんを募集しています。

4月からの新年中児……毎週金曜日、3:00〜
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(3月29日〜4月9日までは、春休みになります。)

月謝は、9000円、入会時に、諸費用など、プラス10000円かかります。 
ほかの学年は、またお問い合わせください。
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見学においでくださる方は、前もって、メールもしくは、053(浜松)452−8039(常時留守番
電話)まで、お電話くだされば、うれしいです。たまに、日時変更や、休講があります。見学の日
時をご連絡します。 

この教室には、はやし浩司の、三〇年にわたる経験と実績が、集約されています。

見て驚くな! 聞いて驚くな! あなたの子どもを、バリバリと、元気のある子どもにします。約
束します!

以上、コマーシャルでした。よろしくお願いします。

    ┌┐
    │ト
    ≧≦ ∪          z
   ━━━━━━        z
  /      \
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/  〜       〆  へく ^川     どうか、よろしくご購読ください。
〜―ノ∵しへ〜へ〜〜〜〜――//―人〇       どうか、お体を大切に!
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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞







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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 647人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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03−3−19号(196)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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です! 日記を読んでいただけます!
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 (定員になりました!)
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
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●また、本文がつまっていて読みにくいときは、やはり一度ワードにコピーしていただくと、ぐん
と読みやすくなります。お試しください。毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご
利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )        今日のメニュー
   γ ρρ   │σ σ ρ )        【1】子育てポイント 
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )        【2】Touch your Heart
   人   υ ( `) (  )         【3】子育てエッセー
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)          【4】フォーラム
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ただのやさしい、お人よしのおばあちゃん?(1254)
子どもに与えるお金は、一〇〇倍せよ(失敗危険度★★★★)

●年長から小学二、三年にできる金銭感覚
 子どもの金銭感覚は、年長から小学二、三年にかけて完成する。この時期できる金銭感覚
は、おとなのそれとほぼ同じとみてよい。が、それだけではない。子どもはお金で自分の欲望
を満足させる、その満足のさせ方まで覚えてしまう。これがこわい。

●一〇〇倍論
 そこでこの時期は、子どもに買い与えるものは、一〇〇倍にして考えるとよい。一〇〇円のも
のなら、一〇〇倍して、一万円。一〇〇〇円のものなら、一〇〇倍して、一〇万円と。つまりこ
の時期、一〇〇円のものから得る満足感は、おとなが一万円のものを買ったときの満足感と
同じということ。そういう満足感になれた子どもは、やがて一〇〇円や一〇〇〇円のものでは
満足しなくなる。中学生になれば、一万円、一〇万円。さらに高

 が、中にはお金をか校生や大学生になれば、一〇万円、一〇〇万円となる。あなたにそれ
だけの財力があれば話は別だが、そうでなければ子どもに安易にものを買い与えることは、や
めたほうがよい。

●やがてあなたの手に負えなくなる
子どもに手をかければかけるほど、それは親の愛のあかしと考える人がいる。あるいは高価
であればあるほど、子どもは感謝するはずと考える人がいる。しかしこれはまったくの誤解。あ
るいは実際には、逆効果。一時的には感謝するかもしれないが、それはあくまでも一時的。子
どもはさらに高価なものを求めるようになる。そうなればなったで、やがてあなたの子どもはあ
なたの手に負えなくなる。

先日もテレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた。何でもその朝発売になるゲーム
ソフトを手に入れるために、六〇歳前後の女性がゲームソフト屋の前に並んでいるというの
だ。しかも徹夜で! そこでレポーターが、「どうしてですか」と聞くと、その女性はこう答えた。
「かわいい孫のためです」と。その番組の中は、その女性(祖母)と、子ども(孫)がいる家庭を
同時に中継していたが、子ども(孫)は、こう言っていた。「おばあちゃん、がんばって。ありがと
う」と。

●この話はどこかおかしい
 一見、何でもないほほえましい光景に見えるが、この話はどこかおかしい。つまり一人の祖
母が、孫(小学五年生くらい)のゲームを買うために、前の晩から毛布持参でゲーム屋の前に
並んでいるというのだ。その女性にしてみれば、孫の歓心を買うために、寒空のもと、毛布持
参で並んでいるのだろうが、そうした苦労を小学生の子どもが理解できるかどうか疑わしい。
感謝するかどうかということになると、さらに疑わしい。苦労などというものは、同じような苦労し
た人だけに理解できる。その孫にすれば、その女性は、「ただのやさしい、お人よしのおばあち
ゃん」にすぎないのではないのか。

●釣竿を買ってあげるより、魚を釣りに行け
 イギリスの教育格言に、『釣竿を買ってあげるより、一緒に魚を釣りに行け』というのがある。
子どもの心をつかみたかったら、釣竿を買ってあげるより、子どもと魚釣りに行けという意味だ
が、これはまさに子育ての核心をついた格言である。少し前、どこかの自動車のコマーシャル
にもあったが、子どもにとって大切なのは、「モノより思い出」。この思い出が親子のきずなを太
くする。

●モノに固執する国民性
日本人ほど、モノに執着する国民も、これまた少ない。アメリカ人でもイギリス人でも、そしてオ
ーストラリア人も、彼らは驚くほど生活は質素である。少し前、オーストラリアへ行ったとき、友
人がくれたみやげは、石にペインティングしたものだった。それには、「友情の一里塚(マイル・
ストーン)」と書いてあった。日本人がもっているモノ意識と、彼らがもっているモノ意識は、本質
的な部分で違う。そしてそれが親子関係にそのまま反映される。

 さてクリスマス。さて誕生日。あなたは親として、あるいは祖父母として、子どもや孫にどんな
プレゼントを買い与えているだろうか。ここでちょっとだけ自分の姿勢を振りかってみてほしい。

+++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

一方的にものを言わないでほしい!
視野のせまい親たち(失敗危険度★★)

●摩擦(まさつ)はつきもの
こういう仕事、つまり評論活動をしていると、いつもどこかで摩擦を生ずる。それは評論の宿命
のようなものだ。たとえば以前、「離婚家庭で育った子どもは、離婚率が高い」ということを、新
聞のコラムに書いたことがある。あくまでもそれはコラムの一部であり、そのコラム自体は離婚
問題を考えたものではなかった。が、その直後から、一〇人近い人からはげしい抗議が届い
た。私は何も離婚を批判したのでも、また離婚が悪いと書いたのでもない。ただの統計上の事
実を書いた。それに離婚が離婚として問題になるのは、離婚にまつわる家庭騒動であって、離
婚そのものではない。その騒動が子どもの心に影響を与える。

が、そういう人たちにはそれがわからない。「離婚家庭でもがんばっている子どもがいる」「離
婚者に対する偏見だ」「離婚家庭で育った子どもは幸福になれないということか」など。こうした
コラムを不愉快に思う気持ちはわからないでもないが、どこかピントがズレている。ほかにも似
たような事件があった。

●「一方的にものを言わないでほしい」
同じく本の中で、「公務員の人は仕事が楽で、うらやましい」というようなことを書いた。これは
お役所の外では、常識と言ってもよい。その常識的な意見を書いた。が、それについても、「私
の夫は毎朝六時に起きて……」と、長々と、数ページにもわかって、その夫の生活をことこまか
に書いてきた人がいた。そして最後に、「私の夫のようにがんばっている公務員も多いから、一
方的にものを言わないでほしい」と。さらにこんなことも。

●いじめられる側にも問題
 二〇年ほど前から、いじめが大きく話題になり始めた。その前は校則が話題になったが、と
もかくもそのいじめが話題になった。私も地元のNHKテレビに二度ほどかりだされて意見を述
べることになったが、そのときのこと。そのいじめを調べていくうちに、当時、いくつかの「おや
っ?」と思うような事実に出くわした。もちろんいじめは悪い。許されないことだが、しかしいじめ
られる側にも、まったく問題がないというわけではない。もっともその問題というのは、子ども自
身の問題というよりは、家庭環境の問題といったほうがよい。

いじめられっ子のひとつの特徴は、社会性のなさ。乳幼児のときから親子だけのマンツーマン
だけの環境で育てられていることが多い。そのため問題を解決するための技法を身につけて
いないということがある。いじめられても、いじめられっぱなし。やり返すことができない。たとえ
ばブランコを横取りされても、それに抗議することができない、など。そこで私は「家庭環境にも
問題があるのでは」と発言した。が、これがよくなかった。その直後から猛烈な抗議の嵐。もの
すごいものだった。(テレビの反響は、新聞や雑誌の比ではない!)「あなたは評論家として、
即刻、筆を折れ!」というのまであった。

●個人攻撃をしているのではない!
 こうした抗議は、評論活動にはつきもの。いちいちそれで滅入っていては、評論などできな
い。しかしどうしてこうも、こういう人たちは近視眼的なのだろうかと思う。私は全体としてものを
言うことはあっても、決して個人攻撃をしているわけではない。いじめにしても、私はいまだかっ
て一度もそれを是認したことはない。が、こういう人たちは、文の私の意見の一部だけを取りあ
げ、あたかも自分が攻撃されたかのように思うらしい(?)。学校の先生とて、例外ではない。
親たちの執拗な抗議を受けて、精神を病んだり、転校をさせられた先生は少なくない。こんなこ
とも……。

●学校の先生もたいへん!
 まだバブル経済、はなやかりしころのこと。ある学校のある先生が、たまたま仕事を手伝い
にきていた一人の母親に、ふとこう口をすべらせてしまった。「塾へ、四つも五つも行かせてい
るバカな親がいる」と。その先生は「バカ」という言葉を使ってしまった。これがまずかった。当
時(今でもそうだが)、子どもを塾へ四つや五つ行かせている親は珍しくなかった。水泳教室、
音楽教室、算数教室、英語教室と。しかしその話は一夜のうちに、父母全員にいきわたってし
まった。そして「Aさんがバカと言われた」「いや、バカというのはBさんのことだ」となってしまっ
た。結局この問題は教育委員会レベルの問題にまで発展し、その先生は任期半ばで、その学
校を去ることになってしまった。

 視野が狭くなればなるほど、結局は自分の姿が見えなくなる。そして自分の姿を見失えば見
失うほど、その人は愚かになる。これも子育てでハマりやすいワナの一つということになる。

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

トゲが心に刺さるとき

●三男からのハガキ   富士山頂からハガキが届いた。見ると三男からのものだった。登頂し
た日付と時刻に続いて、こう書いてあった。「一三年ぶりに雪辱を果たしました。今、どうしてあ
のとき泣き続けたか、その理由がわかりました」と。 
 一三年前、私たち家族は富士登山を試みた。私と女房、一三歳の長男、一〇歳の二男、そ
れに七歳の三男だった。が、九合目を過ぎ、九・五号目まで来たところで、そこから見あげる
と、山頂が絶壁の向こうに見えた。そこで私は、多分そのとき三男にこう言ったと思う。「お前に
は無理だから、ここに残っていろ」と。女房と三男を山小屋に残して、私たちは頂上をめざし
た。つまりその間中、三男はよほど悔しかったのだろう、山小屋で泣き続けていたという。

●三男はずっと泣いていた!  三男はそのあと、高校時代には山岳部に入り、部長を務め、
全国大会にまで出場している。今の彼にしてみれば富士山など、そこらの山を登るくらい簡単
なことらしい。その日も、大学の教授たちとグループを作って登山しているということだった。女
房が朝、新聞を見ながら、「きっとE君はご来光をおがめたわ」と喜んでいた。が、私はその三
男のハガキを見て、胸がしめつけられた。あのとき私は、三男の気持ちを確かめなかった。私
たちが登山していく姿を見ながら、三男はどんな思いでいたのか。そう、振り返ったとき、三男
が女房のズボンに顔をうずめて泣いていたのは覚えている。しかしそのまま泣き続けていたと
は!

●後悔は心のトゲ  「後悔」という言葉がある。それは心に刺さったトゲのようなものだ。しかし
そのトゲにも、刺さっていることに気づかないトゲもある。私はこの一三年間、三男がそんな気
持ちでいたことを知る由もなかった。何という不覚! 私はどうして三男にもっと耳を傾けてや
らなかったのか。何でもないようなトゲだが、子育ても終わってみると、そんなトゲが心を突き刺
す。私はやはりあのとき、時間はかかっても、そして背負ってでも、三男を連れて登頂すべきだ
った。重苦しい気持ちで女房にそれを伝えると、女房はこう言って笑った。「だって、あれは、E
君が足が痛いと言ったからでしょ」と。「Eが、痛いと言ったのか?」「そう、E君が痛いから歩け
ないと泣いたのよ。それで私も残ったのよ」「じゃあ、ぼくが登頂をやめろと言ったわけではない
のか?」「そうよ」と。とたん、心の中をスーッと風が通り抜けるのを感じた。軽い風だった。さっ
そくそのあと、三男にメールを出した。「登頂、おめでとう。よかったね」と。

     ⌒⌒⌒⌒
    ((( (( (( 
     ⌒  ⌒ 
     ・。・ β
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \   みなさんのご家庭で、このマガジンが役だって
 ゜\/│ // │ / /    いますか?
   Γ ̄ ̄│──|○   何かテーマがあれば、掲示板にでもお書きください。

   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

● サニー様からの投稿より

 サニー様から、私のHPの掲示板に、つぎのような投稿があった。この問題について、考えて
みたい。

++++++++++++++++

はやし先生

(前略)

さて、今日のメルマガに、

(以下引用)だから、子どもが反抗することを、悪いことと決めてかかってはいけない。一応、親
としてそれをたしなめながらも、「この子は今、自我を形成しているのだ」と思い、一歩、退いた
視点で子どもを見るようにする。

※……情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を許
さない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目を気にする、よい子ぶるなど。その緊張
状態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不
安定になる。症状が進むと、周囲に溶け込めず、引きこもったり、怠学、不登校を起こしたり
(マイナス型)、反対に攻撃的、暴力的になり、突発的に興奮して暴れたりする(プラス型)。(こ
こまで引用)

 うちの場合は反抗期も十分あったのに(今でも喧嘩になると『このくそ婆!』とかいうのです
よ!)。

結局小さい頃のその時期に私がその反抗を押さえつけていた(許してやらなかった)ことに発
端があるわけで、反抗しそこなったことが今マイナス型として現れているなら、この今のマイナ
ス型の時期も自我を形成していると考えていいんでしょうか?

 母親ばかりのせいではない、と自分を慰める一方、どこの家庭もそうでしょうが、母親が子供
にかかわる時間は膨大に多い。そのこどもとの時間を楽しめるときと、楽しめないときがあり、
それも仕方がないと思いながら、、、。

すみません。ここ2,3日ホルモンのバランスが悪いらしく非常に情緒が不安定で(私は周期的
にこういうことがあるのですが)誰とも話したくなく、また、周りのすべてに対し攻撃的になってい
ます。鬱症状というわけです。

友人に話しても、母親はみな多かれ少なかれそういうことがあるようです。
C新聞にも、卵巣機能の低下によるホルモンのバランスの崩れで、二〇代から四〇代の女性
が更年期障害の症状を訴えるケースが多いという記事が出ていました。専門医に相談するべ
しと。

でも実情は、お医者様は男性が多く、その症状を訴えても、『それくらいガマンできないか?』と
か『ジャー薬飲んでみる?』という程度のリアクションで、もう二度と相談するか!という結果に
なるのが常なのです。(私も友人もそうでした)

私も自分を探そうと試みたことはありますが、非常につらいことで、ともすると親を恨んでしまい
そうですので、今はやめました。

とりあえず自分が情緒不安を周期的に持っている、ということだけキモに銘じ、そういう時はな
るべくヒトと接触を持たないように今は心がけています。

++++++++++++++++++

サニー様へ

 自分の過去をみることは、こわいですね。本当にこわい。自分という人間がわかればわかる
ほど、その周囲のことまで、わかってしまう。「親を恨んでしまいそう」というようなことが書いて
ありましたが、そこまで進む人も少なくありません。

 若いころ、ブラジルのリオデジャネイロへ行ったことがあります。空港から海外沿いにあるリ
オへ向かう途中、はげ山の中に、いわゆる貧民部落が見えるところがあります。ブラジルは、
貧しい国ですが、そのあたりの人たちは、本当に貧しい。しかし私が、直接、そういう人たちを
見たのは、観光で、どこかの丘に登ったときのことです。四、五人の子どもたちが、どこからと
なく現れました。気がついたら、そこにいたという感じです。(印象に残っているのは、バスから
おりたとき、土手の向こうから、カモシカのように軽い足取りで、ヒョイヒョイと現れたことです。)

 その子どもたちの貧しさといったら、ありませんでした。どこがどうというより、私はそういう子
どもを見ながら、「親は、どうして子どもなんか、つくったのだろう」と思いました。「子どもを育て
る力がないなら、子どもなど、つくるべきではない」と。

 しかしそれは、そのまま私の問題であることに気づきました。私も、戦後直後生まれの、これ
またひどいときに生まれました。しかし「ひどいときだった」とわかったのは、ずっとおとなになっ
てからで、私自身は、まったくそうは思っていませんでした。(当然ですが……。)「ひどい」と
か、「ひどくないか」とかは、比較してみて、はじめてわかることなのですね。

 私もある時期、親をうらみました。とくに私の親は、ことあるごとに、「産んでやった」「育ててや
った」「大学を出してやった」と、私に言いました。たしかにそうかもしれませんが、そういう言葉
の一つ、一つが、私には、たいへんな苦痛でした。で、ある日、とうとう爆発。私が高校生のと
きだったと思います。「いつ、だれが産んでくれと、あんたに頼んだ!」と、母に叫んでしまいま
した。

 で、今から考えてみると、子どもの心を貧しくさせるのは、金銭的な貧しさではなく、心の貧し
さなのですね。私たちの世代は、みんな貧乏でしたが、貧乏を貧乏と思ったことはありませんで
した。靴といっても、ゴム靴。靴下など、はいたことがありません。ですから歩くたびに、キュッキ
ュッと音がしました。蛍光灯など、まだない時代でした。ですから近所の家に、それがついたと
き、みなで、見に行ったこともあります。私が小学三年生のときです。

 貧しいというのは、子どものばあい、ここに書いたように、心の貧しさを言います。……と考え
ていくと、ブラジルで見た、あの子どもたちは、本当に貧しかったのかどうかということになる
と、本当のところは、わからないということになります。身なりこそ、貧しそうでしたが、見た感じ
は、本当に楽しそうでした。

 一方、この日本は、どうかということになります。ものはあふれ、子どもたちは、恵まれた生活
をしています。で、その分、心も豊かになったかどうかということになると、どうもそうではないよ
うな気がします。どこかやるべきことをやらないで、反対に、しなくてもよいようなことばかり、一
生懸命している? そんな感じがします。

 さて、疑問に思っておられることについて、順に考えていきたいと思います。

 乳児期に、全幅の安心感、全幅の信頼関係、全幅の愛情を受けられなかった子どもは、い
わゆる「さらけ出し」ができなくなります。「さらけ出し」というのは、あるがままの自分を、あるが
ままにさらけ出すということです。そのさらけ出しをしても、親や家族は、全幅に受け止めてくれ
る。そういう安心感を、「絶対的安心感」といいます。「絶対的」というのは、「疑いをいだかな
い」という意味です。

 この時期に、親の冷淡、育児拒否、拒否的態度、きびしいしつけなどがあると、子どもは、そ
の「さらけ出し」ができなくなります。いわゆる一歩、退いた形になるわけです。ばあいによって
は、仮面をかぶったり、さらにひどくなると、心と表情を遊離させたりすうようになります。おとな
の世界では、こういうことはよくあります。あって当たり前ですが、家族の世界では、本来、こう
いうことは、絶対に、あってはいけません。

 おならをする。ゲボをはく。ウンチをもらす。小便をたれる。オナラをする。ぞんざいな態度を
する。わがままを言う。悪態をつく。……いろいろありますが、要するに、そういうことが、「一定
のおおらかな愛情」の中で、処理されなければなりません。

 これは教育の場でも、同じです。よく子どもたちは私に、「クソジジイ!」と言います。悪い言葉
を容認せよというわけではなりませんが、そういう言葉が使えないほどまでに、子どもを、抑え
つけてはいけないということです。言いたいことを言わせながら、したいことをさせながら、しか
し軽いユーモアで、サラリとかわす。そういう技術も必要だということです。

 また夫婦も、そうです。私は結婚以来、ずっと、ダブルのふとんでいっしょに、寝ています。
で、ワイフも、私も、よく、フトンの中で、腸内ガスを発射します。若いころは、そういうとき、よく
ワイフを、足で蹴っ飛ばして、外へ追い出したりしました。「お前だろ?」と言うと、「あんたでし
ょ!」と、言いかえしたりしたからです。

 しかし齢をとると、そういうこともなくなりました。あきらめて、顔だけフトンの外に出し、泳ぐと
きのように(私は、そう思っていますが……)、口をとがらせて、息をすったり、吐いたりしていま
す。かといって、腸内ガスを許しているわけではありませんが、しかしそれも、ここでいう「さらけ
出し」なのですね。

 そういうさらけ出しをおたがいにしながら、子どもは、絶対的な安心感を覚え、その安心感を
もとに、人間どうしの、信頼関係の結び方を学びます。

 幼児でも、信頼関係の結べる子どもと、そうでない子どもは、すぐわかります。私は、ご存知
のように、年中児(満四歳)から、教えさせていただいていますが、そのとき、子どもをほめた
り、楽しませてあげたりすると、その気持ちが、スーッと子どもの心の中にしみこんでいくのが
わかる子どもと、そうでない子どもがいるのがわかります。

 しみこんでいく子どもを、「すなおな子ども」と言います。そういう子どもは、そのまま、私との
間に、信頼関係ができます。もう少し、別の言い方をすれば、「心が開いている」ということかも
しれません。心が開いているから、私が言ったことが、そのまま、心の中に入っていく……。そ
んな感じになります。

 一方、心を開くことができない子どももいます。このタイプの子どもは、いわゆる「すなおさ」が
ありません。何かをしてあげても、それを別の心でとらえようとします。ひねくれる。いじける。つ
っぱる。ひがむ。ねたむなど。さらに症状が進むと、心そのものを閉じてしまいます。極端な例
では、自閉傾向(自閉症ではありません)があります。

 が、こうして心を開けない子どもは、孤独なんですね。さみしがり屋なんですね。そこで、ショ
ーペンハウエルの「二匹のヤマアラシ」の話が出てきます。寒い夜、二匹のヤマアラシが、体を
暖めあおうとします。しかし近づきすぎると、たがいのハリで、相手をキズつけてしまう。しかし
離れすぎると、寒い。二匹のヤマアラシは、ちょうどよいところで、暖めあう。自分の位置を決
める……。

 このタイプの子どもは(おとなも)、孤独をまぎらわすため、外の世界へ出る。しかしそこで
は、どうも、居心地が悪い。うまく人間関係が、結べない。疲れる。しかたないので、また引っ込
む。しかし引っ込むと、さみしい。これを繰りかえします。繰りかえしながら、ちょうどよいところ
で、自分の位置を決める……。

 このとき、子どもは、自分の心を守るため、さまざまな症状を見せます。よく知られているの
が、欲求不満を解消するための、代償行為です。指しゃぶり、髪いじり、夜尿症などがありま
す。さらに症状が進むと、神経症を併発し、さらに進むと、情緒障害や精神障害にまで発展し
ます。

 が、子ども自身も、他人から、自分の心を守ろうとします。それを「防衛機制」といいます。相
手に対して、カラにこもる、攻撃的になる、服従的になる、依存性をもつなど。サニーさんが、ご
指摘なのは、このあたりのことなのですね。サニーさんの問題を、もう少し整理してみると、こう
なります。

(反抗期はあった)(しかしそれを、押さえつけてしまった)と。

 たしかにそういう親は、多いし、サニーさんだけが、そうだとはいうことにはなりません。いま
だに親の権威をふりかざし、「親に向かって何よ!」と、本気で子どもに怒鳴り散らす人もいま
す。しかし問題は、抑えることではなく、ここにも書いたように、「一定のおおらかな愛情」の中
で、それができたかどうかということです。いくら抑えても、子ども自身が気にしないケースもあ
れば、軽く抑えても、子どもが深刻に気にするケースもあります。

 そこで今度は、親自身の問題ということになります。

 不幸にして不幸に育った親は、いわゆる「自然な形での親像」が、体の中にしみこんでいませ
ん。ふつう子育てというのは、自分が受けた子育てを、そのまま再現する形で、子どもに対して
します。それを私は、「親像」と呼んでいます。その親像がないため、子育てが、どこかぎこちな
くなります。極端に甘くなったり、きびしくなったりするなど。気負い先行型、心配先行型、不安
先行型の子育てをすることもあります。

 そこで掘りさげていくと、つまり、自分の子育ての失敗(こういう言葉は不適切かもしれません
が……)の原因は、つまるところ、「自然な形での親像」のなさに気づくわけです。「私はどうして
自然な形での、子育てができないのか?」と。そしてそれがわかってくると、今度は、原因をさ
がし、そして行き着くところ、自分の「親」に向かうわけです。「私をこんな親にしたのは、私の両
親が悪いからだ」と、です。

 「私も自分を探そうと試みたことはありますが、非常につらいことで、ともすると親を恨んでし
まいそうですので……」と、サニーさんは、書いておられます。実のところ、私も、同じように、悩
んだことがあります。

 が、私のばあいは、「戦後のあの時代だったから、しかたない」とか、「親は親で、食べていく
だけで、しかたなかった」というような考え方で、理解するようになりました。今から思えば、貧
乏は貧乏でしたが、しかし同じ貧乏の中でも、まだほかの家庭よりは、よかったという思いもあ
ります。だからその「怒り」のようなものは、やがて社会へと向けられていったと思います。

 今でも、あの戦争を美化する人もいますが、私はいつも、「バカな戦争」と位置づけています。
「あんなバカな戦争をするから、いけないのだ」と、です。私が不幸だったのも、親が不幸だっ
たのも、結局は、戦争が悪いのです。あの戦争は、もともと正義もない、大義名分もない、メチ
ャメチャな戦争だったのです。

 ということで、自分なりに処理しました。そこでサニーさんの件ですが、「(親を恨んでしまいそ
うなので)、やめます」とあります。ここなんですね。ここです。まだ、サニーさんは、どこかよい
子ぶろうとしている。恨みたかったら、恨めばよいのです。多分、そうお書きになったのは、か
なり深い部分で、サニーさんが、自分の心の問題に、気がつき始めておられるからです。むし
ろ、これはすばらしいことなのです。

 実はこの種の問題のこわいところは、そういう自分自身に気づかないまま、同じ失敗を繰り
かえすところにあります。それだけではありません。今度は、同じ失敗を、つぎの世代に伝えて
しまうところにあります。もし仮にここでサニーさんが、自分の心を抑えてしまうと、今度また、同
じ失敗を、サニーさんの、子どもが繰りかえすことになります。これを、教育の世界では、「世代
連鎖」とか、「世代連覇」とか言います。

 これは極端な例ですが、「虐待」「暴力」も、同じようなパターンで、代々と伝わってしまいま
す。

 しかしひと通り、親を恨むと、今度は、「あきらめの境地」、さらには「許す境地」へと、入りま
す。ですから、遠慮せず、恨みなさい。恨んで恨んで、恨みなさい。遠慮することはありません。
そしてあなた自身の親というよりは、あなたの心の中に潜んでいる、(親から受け継いだも
の)、つまり(私であって、私でないもの)を、恨めばよいのです。

 私も、子どものときから、父が酒を飲んで暴れる姿を、毎週のように見てきました。そういう意
味では、暴力的な体質が、身についてしまいました。小学五、六年生ごろまでは、何かにつけ
て、喧嘩(けんか)ばかりしていました。結婚してからも、ワイフに暴力を振るったことも、しばし
ばあります。

 しかしそういう自分の気づき、その原因に気づき、そして親を恨み、やがて、そうであっては
いけないことに気づきました。

 さて本題ですね。長い前置きになりました。

 残念ながら、「マイナスの自我」というのは、ありません。私も聞いたことがありません。「自
我」というのは、英語では「セルフ」、心理学の世界では、「意識する体験」、哲学の世界では、
「意識する主体」、精神分析の世界では、「人格の中枢」をいいます。教育の世界では、「つか
みどころ」ということになるでしょうか。「この子は、こういう子だ」という、つかみどころをいいま
す。それは、(ある・なし)で決まるもので、(プラスの自我、マイナスの自我)という考え方には、
なじみません。

 で、仮に自我の発達が阻害され、情緒的な問題があったとしても、マイナスの自我ということ
にはならないと思います。あえて言うなら、ここに書いたように、「自我の阻害(そがい)」という
ことになるかもしれません。しかしサニーさんのお子さんのばあい、むしろ、今、不登校という形
であるにせよ、お子さんが、そういう「わかりやすい形」であることからして、強烈な自我がある
と考えてよいと思います。自我(フロイト学説)についての原稿は、最後に張りつけておきます
から、また参考にしてくいださい。

 以上、こうしてサニーさんの過去をほじくりかえしましたが、そこで今は、こう考えてみてくださ
い。

 過去は、過去。今は、今。明日は、今の結果として、明日になれば、必ず、やってくる、と。

 つまりこうして過去がわかったとしても、その過去に引きずりまわされてはいけないというこ
と、です。サニーさんが、今、そこにいるように、子どもたちもまた、そこにいる。その「事実」だ
けを見すえながら、あとはそこを原点として、前向きに生きていくということです。悩んだところ
で、過去は変えられないのです。あくまでも、今は、今です。大切なことは、その「今」を、懸命
に生きていく。結果は、必ず、あとからついてきます。

 お子さんたちについても、すばらしいお子さんたちではないですか。そこでね、サニーさんも、
もう気負いを捨て、あるがままの自分をさらけ出せばよいのです。子どもたちに向かって、さり
げなく、とげとげしくなく、いやみなく、こう言えばよいのです。

 「私も、これからは好き勝手なことをするからね。あんたたちも、自分で考えて、好き勝手なこ
とをしなさい」と。

 「こういうことを言うと、キズつくのでは……」「また喧嘩になるのでは……」と思ったとしたら、
サニーさん自身が、さらけ出しをしていないことになりますね。つまりそれでは、親子の信頼関
係は結べないということ。信頼関係を結ぶためには、まずサニーさんのほうが子どもに向かっ
て、さらけ出しをしなければなりません。

 で、話をもとに戻しますが、心の豊かさというのは、その信頼関係をいうのですね。いくら金銭
的に貧しくても、そんなのは、子どもの世界では、問題ではない。またそれで子どもの心がゆが
むことはない。ゆがむとすれば、心の貧しさです。しかしですね、もし、もしですよ、サニーさん
の子どもたちが、そのことをサニーさんに教えようとして、今の問題(問題という言い方も好きで
はありませんが……)をかかえているとしたら、見方も変わってくるのではないでしょうか?

 サニーさんのまわりには、いろいろ問題もあるし、サニーさんとは、見方も違うかもしれませ
んが、人間が求める幸福などというものは、そんなに遠くにあるのではないような気がします。
ほんのすぐそばで、あなたに見つけてもらうのを待っているような気がします。それがあのブラ
ジルの子どもたちです。

 だってそうでしょう。人間は、過去、数十万年もの間、生きてきたのです。そういう中で、いつ
も幸福を求めて生きてきた。それがここ一〇〇年ぐらいの間で、学校だの、勉強だの、進学だ
のと言い出して、子どもの世界のみならず、親たちの世界までゆがめてしまった。そして勝手
に、新しい幸福をつくりだし、一方、勝手に新しい不幸をつくりだしてしまった。そして新しい問
題まで、つくりだしてしまった。少なくとも、ブラジルの子どもたちが、今の日本の子どもたちより
不幸だとは、とても思えないです。一方、今の日本の子どもたちが、ブラジルの子どもたちよ
り、幸福だとは、とても思えないのです。

 この問題については、また別のところで考えてみますが、ときには、そういう原点に立ちかえ
って考えてみることも必要ではないかということです。まとまりのない話になってしまいました
が、また投稿してください。喜んで返事を書きます。

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子どもの自我を伸ばす法(自我をつぶすな!)
子どもの自我がつぶれるとき

●フロイトの自我論 

フロイトの自我論は有名だ。それを子どもに当てはめてみると……。
 自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、も
のの考え方が現実的(頼れるのは自分だけという考え方をする)、創造的(将来に向かって展
望をもつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行
動できる。

 反対に自我の弱い子どもは、ものごとに対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよ
く口にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、まじないや
占いにこる)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くな
る。たとえばほしいものがあると、それにブレーキをかけることができない、など。

 一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみ
どころが、はっきりとしている。生活力も旺盛で、何かにつけ、前向きに伸びていく。反対に自
我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているかわからない
子どもといった感じになる。

●自我は引き出す
その自我は、伸ばす、伸ばさないという視点からではなく、引き出す、つぶすという視点から考
える。つまりどんな子どもでも、自我は平等に備わっているとみる。子どもというのは、あるべき
環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、威圧的な過干渉(親の価
値観を押しつける。親があらかじめ想定した設計図に子どもを当てはめようとする)、過関心
(子どもの側からみて息の抜けない環境)、さらには恐怖(暴力や虐待)が日常化すると、子ど
もの自我はつぶれる。そしてここが重要だが自我は一度つぶれると、以後、修復するのがた
いへん難しい。たとえば幼児期に一度ナヨナヨしてしまうと、その影響は一生続く。とくに乳幼児
から満四〜五歳にかけての時期が重要である。

●要は子どもを信ずる
 人間は、ほかの動物と同様、数一〇万年という長い年月を、こうして生きのびてきた。その過
程の中でも、難しい理論が先にあって、親は子どもを育ててきたわけではない。こうした本質
は、この百年くらいで変わっていない。子育ても変わっていない。変わったと思うほうがおかし
い。要は子ども自身がもつ「力」を信じて、それをいかにして引き出していくかということ。子育
ての原点はここにある。

(参考)
●フロイトの自我論
 フロイト(オーストリアの心理学者、一八五六〜一九三九)は、自我の強弱によって、人の様
子は大きく変わるという。それを子どもに当てはめて考えてみたのが、次の表である。

自我……意識される客体としての自己に対して、自分を意識する主体(哲学)。個々の心理現
象を、一貫した全体的な「自分」として意識する体験(心理学)。人格の中枢機関(精神分析)な
ど。自我のとらえ方は、必ずしも一致していない。英語ではego、selfという。

(表は省略)



+++++++++++++++++++++++++++++

サニー様へ

 このままマガジンへの掲載の許可をお願いします。つごうの悪い点があれば、至急、ご指摘く
ださい。よろしくご理解の上、ご協力いただけたらと思います。
(030312)※

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司








件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■3-19-2

兵庫県のHKさんより

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名はHKと申します。
  
 早生まれで二月の、先月四歳になりました、息子が一人おります。
 F男という名前です。
 
 めぐりめぐってはやし先生のHPにたどり着いた次第でございます。
 どうぞよろしくお願い致します。
 
 まずは息子の事から話します。
 
 二歳になるころにうちのF男にどもりの症状が出ました。
 そのときは一週間くらいで治り、今も全くそういうチックは無く、生活しております。
 
 昔から育児サークルへ行っても私のそばから離れず、神経質っぽく、
 すぐ、よく泣く子供でした。今もちょっと言われただけですぐ泣く子です。

 公園に行っても、お母さんも一緒にというのがもう口癖のようになっていました。
 早生まれで三歳になってすぐ三年保育の保育園へ通わせるようになりました。
 最初のうちは泣きましたが、他にも泣いている子どもがいるので、
 そのまま通わせました。
 
でも思いのほかすぐに泣かずにバスに乗れるようになりましたが、
 いまいち、保育参観なども見ていても、覇気が無く、
 つまらなそうでした。
 
そのうち、お遊戯会などがあり、楽しいというようになりました。
 でも、冬休み明けにまた嫌がるようになり、
 しぶしぶ行くといった感じでした。
 
幼稚園でのお友達も、同じ学年の年少さんとではなく、
 一つ下の、小さい年少さんが五人ほどいるのですが、その子達と遊んでいるようです。
 同じ年少さんは遊んでくれないと言っています。
 
家では、一人で遊ぶ時間もちょっと出てきましたが、
 じっくり一人遊びができなくて悩んでいます。
 ちょっと遊んでも、すぐ「お母さん、一緒に遊ぼう」「遊んで」というのが
 口癖です。私も私で、遊んでやればいいのですが、家事もあったりして、
 少しの合間に遊んであげてもまた次の用事があるときに
 離れるときに泣かれるとやなので、
 遊んであげない事がほとんどです。

 遊んでいても、自分の思うとおりにいかないと、すぐ息子の機嫌が悪くなり泣いたり、
怒ったりして、 
 不安定だなと感じます。
 私もどちらかと言うと、イライラしがちな短気な性格です。
 先生のHPを見ていてこれだと思ったのが、自分がブランコを使っていても、
 自分より強そうな子だと、ニヤニヤしながら貸してしまう、そういうタイプの子です。
 
 
 先日、二月の保育参観と、役員会の時にむすこの幼稚園での生活の様子で
気になった事があるので、相談したいと思い、メールをさせて頂きました。

家で一人遊びができないといいましたが、園でもそうみたいでした。
 だいたいの年少さんは、皆それぞれ一人遊びをやりながら
友達とかかわっているといった感じなのですが、
 
うちの子だけ、その日、との時によっても違うのですが、
 この子と思うと、そのこに執拗について回ります。
 ついてこられる子は迷惑そうな感じで、やめて! 付いてこないで!と言われても
 ニコニコして、ついて回っています。 
 それはいかがなものでしょうか?

 一人遊びができないというのは、私が十分に遊んでやらなかったからでしょうか?
 どうも、相手にされてないようで、
うちの子が入っていっても遊びに入れてくれないので、
 お友達同士が遊んでいる後ろを、まねしてついてまわっいることも多いようです。
 
  
 昔からママ友達五人ほどで集まることが多いのですが、
 自然に子供は一〇人ほど集まります。
 ほとんど男の子ばかりなのですが、その中でも皆は二階で遊んでいるのに、
 うちの子だけ未だに溶け込めず、一人で下でもてあましているといった感じです。

 でも、昔はずっと私のひざの上から離れなかったということを考えると、
離れるだけましと考えているのですが……
 
親としてはもっともっとと欲が出てきてしまうのですね。
 良くないですよね。
 
 私もこういうHPを見れば見るほど、神経質になってしまい、
 あ〜しなければ、こ〜しなければ、今こう言ったら機嫌悪くなりそうとか、
 いちいち考えてしまい、
 自然に息子と接することができなくなってきました。
 
 もっと、ゆっくり、息子を見てやろうと思うのですが、
ちょっとした事がすぐ気になってしまい、
 いちいち考え過ぎてしまいます。
 
自分の悪い癖です。
 先生の話にもあった、息子と二人で歩いていても息子のペースが
遅すぎていつも私が先に立って歩くタイプです。

 父親もそういうタイプです。
 先生のHPを見てからは気をつけています!
 あまり過干渉にならないようにも気をつけています!
 子供と遊ぶのが苦手な方です。
 でも、もう一人子供が欲しいのですが、もう2度も流産していて、
 もうそろそろまた頑張ろうかと思っているところです。
 
 長々と聞いて頂きまして、有難うございました。
 ほんとはもっともっと話したいことが沢山あるのですが、まとまらないので、
 この辺で。
 
 アドバイス、お待ちしております。
 どうか、よろしくお願い申し上げます!
 
    兵庫県H市、HKより

++++++++++++++++++++++++++

【HKさんへ】

HKさんの問題点を整理してみると、つぎのようになる。
 
●二歳になるころにうちのF男にどもりの症状が出ました。
 そのときは一週間くらいで治り、今も全くそういうチックは無く、生活しております。
 
●昔から育児サークルへ行っても私のそばから離れず、神経質っぽく、
 すぐ、よく泣く子供でした。今もちょっと言われただけですぐ泣く子です。
 
●幼稚園でのお友達も、同じ学年の年少さんとではなく、
 一つ下の、小さい年少さんが五人ほどいるのですが、その子達と遊んでいるようです。
 同じ年少さんは遊んでくれないと言っています。
 
●じっくり一人遊びができなくて悩んでいます。
 ちょっと遊んでも、すぐ「お母さん、一緒に遊ぼう」「遊んで」というのが口癖です。
 
●遊んでいても、自分の思うとおりにいかないと、すぐ息子の機嫌が悪くなり泣いたり、
怒ったりして、 不安定だなと感じます。
 
●私もどちらかと言うと、イライラしがちな短気な性格です。

●家で一人遊びができないといいましたが、園でもそうみたいでした。
 だいたいの年少さんは、皆それぞれ一人遊びをやりながら
友達とかかわっているといった感じなのですが、
 
●うちの子だけ、その日、その時によっても違うのですが、
 この子と思うと、そのこに執拗について回ります。
 ついてこられる子は迷惑そうな感じで、やめて! 付いてこないで!と言われても
 ニコニコして、ついて回っています。 
 それはいかがなものでしょうか?

●一人遊びができないというのは、私が十分に遊んでやらなかったからでしょうか?
 どうも、相手にされてないようで、
うちの子が入っていっても遊びに入れてくれないので、
 お友達同士が遊んでいる後ろを、まねしてついてまわっいることも多いようです。
 
●ほとんど男の子ばかりなのですが、その中でも皆は二階で遊んでいるのに、
 うちの子だけ未だに溶け込めず、一人で下でもてあましているといった感じです。

●先生の話にもあった、息子と二人で歩いていても息子のペースが
遅すぎていつも私が先に立って歩くタイプです。

●父親もそういうタイプです。
 先生のHPを見てからは気をつけています!
 あまり過干渉にならないようにも気をつけています!
 子供と遊ぶのが苦手な方です。
 でも、もう一人子供が欲しいのですが、もう二度も流産していて、
 もうそろそろまた頑張ろうかと思っているところです。
 
++++++++++++++++++

●HKさんのお子さんのF男君について、考えてみる。

 二歳のときに、吃音(どもり)が出たということから、F男君を包む家庭環境が、どこか神経質
であったことがうかがわれる。子どもの側からみて、全幅の安心感を得られないような状況と
考えられる。

 ……と言っても、第一子のばあい、ほとんどの親は、神経質な子育てをする。不安先行型、
心配先行型の子育てである。しかしこれはある意味では、当然のことであって、だからといっ
て、親を責めることはできない。(HKさんも、自分を責めてはいけない。)

 メールを読んで、気になるのは、親子のリズムが、合っていないこと。どこかにHKさんの「設
計図」があり、HKさんは、その設計図に合わせて、子どもを「作ろう」という意識が強いこと。た
とえば子どもが泣くことについても、「泣いてはだめ」という前提で考えてしまう? なぜ、泣くの
か、あるいは「泣いても、私がガードしてあげよう」という視点が、あまり感じられない?

 子どもが泣くのは、子ども側から、それ自体が親への働きかけとみると同時に、ストレスの発
散をしながら、心の調整(バランス)をとっていると考える。またその前提として、F男君が、やや
情緒が不安定になっているとみる。

 幼児のばあい、情緒不安は、(1)攻撃型、(2)内閉型、(3)固執型に分けて考える。ささいな
ことが引き金となって、(とくに不安、心配)、子どもの心は一挙に不安定になる。不安や心配を
解消するためである。

 「泣く」という行為は、風邪にたとえると、「熱」のようなもの。熱だけを冷ます方法もないわけ
ではないが、しかし熱をさげたからといって、病気がなおるわけではない。同じように、「泣く」と
いう行為だけをみて、それをなおそうとしても、意味はない。ないなばかりか、かえって症状をこ
じらせてしまう。

 F男君のケースでは、乳児期に、何らかの原因で、不安(基底不安)を覚えてしまったことが
考えられる。親自身が、それに気づかないことが多い。軽い置き去り、拒否的態度など。迷子
かもしれないし、無視(親はその気がなくても)、冷淡など。分離不安的な症状、孤立恐怖症的
な症状が、F男君には、みられる。

 こうした不安が基本にあって、いくつかの恐怖症を併発している。対人恐怖症も、その一つ。
仲間と遊べないが、年下の子どもと遊べるというのは、年下の子どもとの世界のほうが、居心
地がよいからである。一般論から言えば、より年下の子どもとの世界を求めるのは、愛情不足
(愛情を求める代償行為)が原因と考える。親にはその自覚がなくても、子どもは満足していな
いということ。

 親のイライラほど、子どもの心に悪影響を与えるものはない。もっとも約七〇%の母親が、何
らかの形でイライラしているから、だからといって、HKさんは、自分を責めてはいけない。

 しかし疑ってみるべきは、母親自身の欲求不満。家庭に閉じ込められることから発生する不
満、結婚生活の心配、望まない結婚であったとか、望まない子どもであったとか、など。そうい
う欲求不満が、ときとして、イライラに転ずることもある。そういう自分自身の欲求不満を、F男
君にぶつけていないか? 

 ひとり遊びができないのは、あくまでも、その結果でしかない。F男君は、不安なのだ。基本的
に不安なのだ。母子の間に、絶対的な安心感を覚えることができないでいる。絶対的というの
は、「疑いをいだかない」という意味。

●では、どうするか?

 濃厚なスキンシップを、大切にする。その前に、HKさん自身の中にある、不安や心配、「うち
の子は問題がある」式の心配を、払拭(ふっしょく)する。そのために、子どもの前では、「あな
たはいい子」を繰り返すとよい。

 方法としては、添い寝、手つなぎ、抱っこをふやす。子どもが求めてきたときは、子どものほう
から、体を放そうというそぶりをみせるまで、力強く、抱く。「もういい?」と、声をかけてあげると
よい。

 とにかく、F男君自身が、いだいているであろう、「不安」と戦うこと。F男君のことではない。あ
なたの不安でもない。F男君の不安である。そのために、F男君には、全幅の安心感を与える
ことだけを考える。まさに何があっても、「許して忘れる」こと。

 HKさんは、「私は短気だ」と言っているが、戦うべきは、その短気ということになる。しかし心
配してはいけない。子どもは、満四歳半くらいから、幼児期から少年少女期への移行期に入
る。このとき、もう一度、子どもの性格そのものを、つくりかえることができる。この時期をのが
してはいけない。最後のチャンスと考えてよい。

 大きな失敗ではないが、しかしHKさんは、心配先行型、不安先行型の子育てをし、どこかで
F男君の心を置き去りにしてきた。それはそれとして、これからは、それを改める。F男君のうし
ろを、一歩退いて、歩く。これから一年半が勝負と、思うこと。この時期をのがすと、悪い面も、
すべて性格として定着してしまうので、注意する。それこそずっと、ハキのない子どもになってし
まう。

 私のHPを読んで不安になるというのは、むしろよいこと。不安になることを、不安に思っては
いけない。HKさん自身が、自分の問題点に気づき、それを改めようとしているためと考えてよ
い。しかしこの不安も、「私は、子どもを愛している」「子どもが好きだ」「どんなことがあっても、
許して忘れる」と宣言すれば、消える。そしてそのときから、私のHPを、気楽に読めるようにな
る。

(マガジンも発行しています。どうかご購読ください。無料です。)

 こうした問題を考えるとき、大切なことは、何が「原因」で、何が、「随伴症状」かということ。た
とえば分離不安にしても、ひとり遊びができない(孤立恐怖症)にしても、さらには対人恐怖症
にしても、その症状だけを問題にすると、「原因」を見失ってしまう。そして対症療法ばかりを繰
り返しているうちに、かえって症状をこじらせてしまう。

 原因は、ここにも書いたように、子ども自身がもっている、「基底不安」。その不安だけを見す
えながら、親子のあり方を、再構築するとよい。あとの問題は、それが解決すれば、自然消滅
する。

●具体的には……

(1)濃厚なスキンシップを与える。とくに子どもが求めてきたときは、いやがらず、力いっぱい、
抱く。
(2)「あなたはいい子」「すばらしい子」を口ぐせにする。
(3)CA、MG分の多い、食生活にこころがける。甘い食品をひかえる。
(4)HKさん自身の心の問題と戦う。過去を冷静にみつめ、その過去と決別する。何か、わだ
かまりがあるときは、それに気づく。気づくだけで、よい。子どもを育てるのではない。これから
生涯の友を育てるのだと考える。そういう意味で、子どもの横に立ったものの考え方をする。
(5)随伴症状(ひとり遊びができない。よく泣く)は、子どもが安心感を覚え、満足感を覚えるよ
うになった段階で、消えるので、この際、無視。おおらかに受けとめること。

 さあ、HKさん、自信をもって、前に進みましょう。あなたはこれから先、子どもと人生を分かち
あうのです。子どもを子どもと思うのではなく、友として、迎えいれるのです。親の気負いなど、
どこかへ捨てなさい。子どもに教えられることを、恥じてはいけません。謙虚になるのです。親
意識も、捨てなさい。あなたの子どもがさみしそうだったら、親友として、そのさみしさを共有す
ればいいのです。そうすれば、あなたの不安も、解消します。約束します。

(HKさんへ)

 以上のように、HKさんからのメール、および、私の返信を、次回のマガジン(3−19号、予
定)に掲載しますが、よろしいでしょうか。よろしくご理解の上、ご協力いただけたらと思いま
す。ご都合の悪い点があれば、改めますので、できるだけ早く、お教えいただけたらと思いま
す。勝手なお願いですみません。マガジンの購読申し込みは、私のHPのトップページからでき
ます。
(030311)

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

心筋梗塞(こうそく)

 三〇年来の友が、心筋梗塞(こうそく)で倒れた。仕事で滋賀県のO市にいたのだが、そこで
倒れた。幸い、まわりにいた人たちが機敏に行動してくれたため、一命はとりとめた。が、当然
のことながら、絶対安静。

 一週間後、奥さんから電話が入った。「すぐ見舞いに行きたい」と申し出たが、断られた。「数
日前、多くの人に見舞いに来てもらったが、かえってよくなかった」と、奥さんは言った。

 心筋梗塞。こわい病気だ。発作のあと、約五〇%の人が命を落すという。それに痛いらしい。
「焼けひばしを、胸に刺したような痛み」と表現した人もいる。死の恐怖そのものを感ずる人も
多いと聞く。

 こういう話を聞くと、本当に、気が滅入る。人生のはかなさを感じてしまう。それに年齢が近い
から、「つぎは、私?」などと、考えてしまう。私だけが、特別ということは、ありえない。今、元気
なのは、たまたまそうであるにすぎない。

 で、明日は、近くの公民館で、集団検診を受けることになっている。毎年、血液検査や尿検査
は欠かしたことがない。私の家系は、幸い、ガンとはほとんど縁がない。たぶんDNAが、しっか
りしているためだろう。心配なのは、循環器系の病気。祖父も父も、脳梗塞や心筋梗塞で命を
落している。あとは親類の中には、胃腸の弱い人が多い。精神的に不安定な人も多い。祖母
はヒステリー症だったし、父は、アルコール依存症だった。

 よく人は、「死ぬまでの命」という。しかし問題は、その死に方だ。不思議なもので、今のこの
年齢から将来をみると、死ぬ直前のことまでは、あれこれ想像できる。しかしそれ以後のことに
なると、スッポリと暗闇に包まれてしまう。予想すらできない。それは、「私」という主体が消えて
しまうからではないか。

 生きている間は、「ああしよう」「こうしよう」と思う。しかし死んだあとは、その「私」が、どこにも
いない。たとえばこの書斎にある膨大な数の本にしても、「私」が想像できる範囲では、「いつ
か古本屋に出せばいい」とか、考えることができる。しかし死んだあとのことになると、その
「私」がいない。だから、そういったことが考えられない。

 何とも不吉なことを書いてしまったが、もちろんこんなことを書くからといって、その友が死ぬ
ということではない。今は、治療法も発達しているから、それほど深刻に考えることもない。別
の友は、四三歳くらいのときに心筋梗塞を起こしたが、今でもピンピンしている。程度にもよる
のだろうが、はげしい運動さえ気をつければ、何でもないらしい。

 ともかくも、今回のことで、改めて、健康のありがたさをかみしめた。いや、昨夜も、寒かっ
た。小雨が降っていた。しかし私は、自転車にまたがった。そして全身に力を入れると、思い切
って、ペダルをこいだ。途中、心臓の鼓動をたしかめたが、どうやら今のところは、だいじょうぶ
なようだ。しかし……。その心筋梗塞で倒れた友も、今の私のように元気だった。油断はできな
い。

 みなさんも、どうか、くれぐれも、お体を大切に! 大切にしましょう!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

もし、あなたの子どもが……

●このところの北朝鮮問題で、私の「平和論」は、大きく変わった。平和というのは、自分の世
界を、平和に守ることだと考えていた。こちらから争いをしかけなければ、それで平和は保てる
ものだと考えてきた。しかし平和を守るためには、それだけでは足りない。相手が、無茶を言っ
て、戦争をしかけてくることだって、ありえる。そういうとき、「私は、戦うのは、いやです」と言っ
て、逃げるわけにはいかない。あるいは核兵器、生物兵器、科学兵器など、大量破壊兵器を、
良識のコントロールのきかない独裁者が手にしたら、世界は、どうなる? 独裁者にそれを許
したら、それこそ世界は、メチャメチャになってしまう。そういう視点でも、もう一度、平和論を考
えなおさなければならない。

++++++++++++++++++

●まだ、私の平和論は流動的だが……

 今月二日、日本海上空で、北朝鮮のミグ戦闘機がアメリカ軍の偵察機に異常接近した。その
ときのこと。北朝鮮のパイロットは、手信号を使って偵察機を北朝鮮に強制着陸させようとした
という(二月八日、ニューヨークタイムズ誌)。

 報道によると、アメリカ軍のRC135偵察機は、北朝鮮のミグ戦闘機四機に異常接近された
際、一機のパイロットから手信号で「戦闘機についてくるよう」に指示されていたというのだ(TB
S国際ニュース)。

 この事件は、日本海で起きた。そしてこういう事件を聞くと、日本人の多くは、「これはアメリカ
と北朝鮮の問題」と、考えやすい。しかし本当に、そうか? 本来なら、この偵察は、日本がし
なければならない任務である。その任務を、今、アメリカ軍がしている。はっきり言えば、日本
のために、してくれている。もしそうでないというのなら、ほかのどこの国が、日本のために、そ
れをしてくれるというのか。RC135には、三〇名以上のアメリカ人が乗っているという。アメリ
カ人といっても、私やあなたと同じ、人間である。

 そこで少しだけ、頭の中で想像してみてほしい。簡単に偵察飛行というが、今のような状況で
は、北朝鮮軍に、いつ落とされてもおかしくない。つまりたいへん危険な任務である。そういう飛
行機に、あなたの子どもが乗っているとしたら、あなたはいったい、どんな気持ちになるだろう
か。

 それにしても理解できないのは、韓国だ。三八度線をはさんで、四万人近いアメリカ兵が、最
前線で、北朝鮮ににらみをきかせている。最前線、だ。北朝鮮と開戦ということになれば、まっ
先に攻撃目標になる。そういうアメリカ軍に対して、韓国の人たちは、反米を唱え、アメリカ国
旗を群集の中で破いてみせた。もしアメリカ軍が韓国に駐留していなければ、韓国は、あっと
いう間に、北朝鮮に占領されてしまうだろう。占領されないまでも、悲惨な戦争が、長くつづくこ
とはまちがいない。

 北朝鮮の金XXの頭がおかしいとか、おかしくないとか言う前に、ともかくも、金XXは、日本を
攻撃目標にしている。日本占領計画まで立てている。そのために核兵器を用意している。そう
いう北朝鮮の暴走を、中国が抑えてくれるか? ノー。そういう暴走を、ロシアが抑えてくれる
か? ノー。本来なら、そういう北朝鮮に対して、日本自身が対峙(たいじ)しなければならな
い。

 忘れてならないのは、日本は、アジアでは、アメリカ以上に、孤立しているということ。はっきり
言えば、嫌われている。日本は、先の戦争で、そうされてもしかたないようなことをしてしまっ
た。しかも、なおタチの悪いことに、日本は、その反省すらしていない。謝罪すらしていない。公
式には戦争責任すら、認めていない。「賠償」という言葉を使うと、戦争責任を認めることにな
る。だから、「経済援助」という形で、ずっと世界を欺いてきた。

 繰り返すが、戦後、日本がかろうじて平和を保つことができたのは、日本人が平和を愛した
からでも、平和を守ったからでもない。たまたまアメリカ軍が、日本に駐留していたからにほか
ならない。もしアメリカ軍が日本に駐留していなかったら、戦後直後には、ソ連に、六〇年代に
は毛沢東中国に、七〇年代には金日成朝鮮に、そのつど占領されていた。あの韓国にして
も、アメリカ軍による仁川上陸がなければ、金日成に、まちがいなく占領されていた。

 今日もテレビの日曜討論会を見ていたら、解説者のT氏が、「アメリカは、自分たちの民主主
義を、(日本も含めて)他国に、押しつけすぎる」と、言っていた。しかし私は、アメリカに押しつ
けられたにせよ、今のこの日本が民主主義国家になって、やはり、民主主義でよかったと思
う。ソ連型の共産主義や、北朝鮮型の独裁国家よりは、ずっといいと思う。戦前の日本のよう
な、全体主義国家よりも、ずっとずっといいと思う。

 反対に、これはあくまでも仮定だが、あのまま日本が、全体主義国家のままだったら、今ごろ
日本はどうなっていたことか。ほんの少しだけ、頭の中で想像してみてほしい。日本は強大で、
すばらしい国になっていただろうか。それともアメリカ、ソ連、それに中国によって、さらにひどく
袋だたきにあっていただろうか。

 こうした意見に対して、「アメリカは日本を植民地にしようとしている」という意見がある。ある
いは先日、メールで、こう書いてきた人がいた。「アメリカは、日本を○○番目の州にしようとし
ている。それがわからないのか!」と。

 しかし日本は、日本人は、どうしてこうまでオメデタイのか? アメリカへ行って、アメリカ人と
話してみると、彼らにはそんな意図など、みじんもないことがわかる。だいたい、アメリカ人は、
もう、日本など相手にしていない。それはちょうど、北朝鮮が、「日本はわが国(北朝鮮)を侵略
しようとしている」と騒ぐのに似ている。だれもあんな北朝鮮など、相手にしていない。相手にし
たくもない。

 さらに日本や韓国は、アメリカ軍の最前線基地になっていると主張する人もいる。東西冷戦
時代には、たしかにそういう面もあった。が、今は、その冷戦も終わった。はっきり言って、今
のアメリカに、韓国を防衛しなければならない理由など、どこにもない。アメリカにとって、「実
益」が、まったくない。日本も、それに近い。しかもその上、韓国には反米政権が誕生した。私
はアメリカ人ではないが、それを知ったアメリカ人が、どう思うか。私はアメリカ人の心情がよく
理解できる。

 私はよく、子ども(生徒)たちに、世界地図を見せる。教室にも、特大のが張ってある。私はそ
れを見せながら、こう言う。「日本の大きさは、カルフォニア州と同じ大きさだよ。テキサス州の
半分だよ。世界の中で、日本がどういう国かを見ながら、日本がどうあるべきかを考えなけれ
ばならない。それが、国際感覚だよ」と。

 「自分がしなくても、だれかが何とかしてくれるだろう」という、依存性。この依存性こそが、日
本人の最大の特徴とも言える。それが家庭の中でも、日本国内でも、そして国際社会でも、ハ
バをきかせている。だからといって、暴力的になれとか、攻撃的になれとかいうのではない。あ
るいは軍備を拡充しろといっているのではない。ただ、ときとして、世界には、とんでもない国が
現れるということ。そういう国が、とんでもないことをしでかす。そういう国が、確率論的に現れ
る。

 今の北朝鮮が、そのとんでもない国ということになる。そのとんでもない国に対して、私たち
は、あまりにも無防備だった。もっと言えば、あまりにも他人任せだった。アメリカのやり方に
は、問題がないわけではない。しかしいくらアメリカでも、自国の若者たちを、好きこのんで戦
場に送り出しているわけではない。危険にさらしているわけではない。その上、彼らの世界とは
直接、関係のない、遠い、極東の日本海で、それをしている。そういうアメリカや、北朝鮮に対
して、「これはアメリカと北朝鮮の問題」などと、言っていてよいのだろうか。私は、それこそ、無
責任というものだと思う。

 戦闘機のパイロットならいざ知らず、偵察機の乗組員たちは、本当に心細いことだろう。不安
なことだろう。そしてそういう乗組員たちの家族は、さぞかし心配なことだろう。それを思うと、私
はとても、「戦争、反対!」とは、言えなくなってしまう。仮に「反対!」と言うなら、アメリカ軍がし
ている任務を、あなたがしてみることだ。「自分の子どもが戦争に行くのは反対だが、かわりに
アメリカの子どもがそれをするのは、かまわない」というのは、あまりにも身勝手すぎる。私の
孫(アメリカ人)が、日本や韓国を守るために日本へ来ると言ったら、私はこう言うだろう。

 「心配しなくていい。日本は、私たち日本人が守るから」と。もう少し別の言い方をすれば、こ
うなる。「北朝鮮の核問題は、日本が責任をもって解決するから、心配しなくてもいい」と。

 私の平和論が、これでかたまったわけではない。まだ流動的である。しかし今までは、どうで
あれ、またこれから先、どうなるかは知らないが、しかし今の時点では、ここに書いたように考
える。ただここで言えることは、「平和」と「ぜいたく」は、似ているということ。どちらもそれに溺
れたとたん、「平和」は「戦争」に、「ぜいたく」は「貧乏」に早がわりする。要は、平和なときに戦
争の準備をし、ぜいたくな生活をしているときに、貧乏の準備をするということ。今が、そのとき
だ。
(030310)

●事実、今のノ政権になってから、アメリカ軍は、韓国からの撤退を決めた。最終的には、空
軍と海軍の司令部だけを残し、陸軍は撤退するつもりらしい。が、肝心の韓国では、動揺を恐
れて、「撤退」ではなく、「調整」という言葉を使っている(朝鮮日報誌)。アメリカは、「冷戦時代
は終わったから」「韓国に経済的負担をかけたくないから」などと言っているが、本音は、「バカ
くさいから」だ。今のノ氏(韓国大統領)は、選挙遊説中、「仮に米朝戦争になっても、韓国は中
立を守る」「アメリカと対等になる」「米朝の仲介役をする」などと述べている。おまけに巨大な星
条旗を、群集の中で、破ってみせるパフォーマンスまで、してみせた! 私がアメリカの大統領
なら、「ならば、どうぞご勝手に」と言って、サッサと、韓国から兵を引きあげる。アメリカ軍の韓
国からの撤退は、そういう流れの中にある?

●日本が今後、とるべき道は、とにかく、今の金XX体制を、自然死させること。「体制が崩壊す
れば、朝鮮半島は大混乱する」と、さかんに韓国の大統領は心配しているが、戦争よりは、よ
い。へたに経済援助をしたり、食料援助をして、ダラダラと延命させればさせるほど、結局は金
XXの思うツボ。世界が不安定になる。かえって北朝鮮の人たちを苦しめることになる。

    ┌┐
    │ト
    ≧≦ ∪          z
   ━━━━━━        z
  /      \
 /        \く⌒\  ∩      では、みなさん、次回も
/  〜       〆  へく ^川     どうか、よろしくご購読ください。
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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞







件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■3-21-1

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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 651人
最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)  ……読者数(Nr. of Readers)  89人
はやし浩司の世界(Eマガ)         ……読者数(Nr. of Readers)  63人 
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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★★★★★★★★★★★★★★
03−3−21号(197)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 日記を読んでいただけます!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。 
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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●また、本文がつまっていて読みにくいときは、やはり一度ワードにコピーしていただくと、ぐん
と読みやすくなります。お試しください。毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご
利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
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あの思い出を全部消せ!
理由なき怒り(失敗危険度★★)

●原稿を読んでもらったが……
 その母親がどんなメンツにこだわっているか、それは外からではわからない。わからないか
ら失敗もする。しかし今になっても、「どうして?」と首をかしげるような事件もあった。

 ある日のこと。その日はたまたま公開授業の日だった。園長も顔を出していた。で、私は一
通りの授業をほぼ終えたあと、一人の父親に前で助手をしてもらうことにした。その父親は母
親とともに最前列にいた。私はその父親に教材と原稿を渡し、それを子どもたちの前で読んで
もらった。

●執拗な電話
 その授業はその授業なりに、わきあいあいの雰囲気でなされた。その父親は少し照れては
いたが、それは当然のことだ。じょうずかへたかと言われれば、じょうずなはずがない。が、そ
の夜から、母親からものスゴイ剣幕の電話。「よくもうちの主人に恥をかかせてくれたわね!」
と。母親だって一緒に笑っていたはずだ。が、そうではなかった。それはそれで理解できたの
で、私はていねいに謝ったが、その程度では母親の怒りをしずめることはできなかった。

その電話はその夜だけでも、ネチネチと一時間以上もつづいた。翌日の夜もやはり一時間以
上つづいた。三日目になると、さすがに私の女房も電話のベルが鳴るたびに、体を震わせてお
びえるようになった。が、その三日目には電話はなかった。が、そのまた翌日から、ほとんど毎
日、その母親から電話がかかってきた。私が「では、どうすればいいですか」と聞くと、「あの思
い出を全部消せ!」とか、「時間をもとに戻せ!」とか、メチャメチャなことを言いだした。

●電話におびえた女房
 当時の私はまだ二五歳そこそこ。今ならもう少し賢い言い方で電話をかわしたかもしれない
が、そのときはそうではなかった。私はともかくも、女房は電話のベルが鳴るたびに、体をワナ
ワナと震わせた。

●いまだに謎
 ……で、今でも、なぜあの母親がああまで怒ったのか、私には理解できない。ただそのあと
その母親は、ある種の精神病になって入退院を繰り返したという話を風のたよりに聞いたこと
がある。その病気と関係があったのかもしれない。あるいはそれとは別に、うつ状態になって
いたのかもしれない。うつ状態になると、そういったとんでもない被害妄想をもつこともあるとい
う。もっとも今でもその母親がまとも(?)なら、こんな文章はとてもここに書けない。もし私がこ
んな文章を書いたのがわかったら、その母親は私を殺しにくるかもしれない。私の記憶に残っ
ている母親の中でも、最高に恐ろしい母親だった。

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++
母親がアイドリングするとき 

●アイドリングする母親
 何かもの足りない。どこか虚しくて、つかみどころがない。日々は平穏で、それなりに幸せの
ハズ。が、その実感がない。子育てもわずらわしい。夢や希望はないわけではないが、その充
実感がない……。今、そんな女性がふえている。Hさん(三二歳)もそうだ。結婚したのは二四
歳のとき。どこか不本意な結婚だった。いや、二〇歳のころ、一度だけ電撃に打たれるような
恋をしたが、その男性とは、結局は別れた。そのあとしばらくして、今の夫と何となく交際を始
め、数年後、これまた何となく結婚した。

●マディソン郡の橋
 R・ウォラーの『マディソン郡の橋』の冒頭は、こんな文章で始まる。「どこにでもある田舎道の
土ぼこりの中から、道端の一輪の花から、聞こえてくる歌声がある」(村松潔氏訳)と。主人公
のフランチェスカはキンケイドと会い、そこで彼女は突然の恋に落ちる。忘れていた生命の叫
びにその身を焦がす。どこまでも激しく、互いに愛しあう。つまりフランチェスカは、「日に日に無
神経になっていく世界で、かさぶただらけの感受性の殻に閉じこもって」生活をしていたが、キ
ンケイドに会って、一変する。彼女もまた、「(戦後の)あまり選り好みしてはいられないのを認
めざるをえない」という状況の中で、アメリカ人のリチャードと結婚していた。

●不完全燃焼症候群
 心理学的には、不完全燃焼症候群ということか。ちょうど信号待ちで止まった車のような状態
をいう。アイドリングばかりしていて、先へ進まない。からまわりばかりする。Hさんはそうした不
満を実家の両親にぶつけた。が、「わがまま」と叱られた。夫は夫で、「何が不満だ」「お前は幸
せなハズ」と、相手にしてくれなかった。しかしそれから受けるストレスは相当なものだ。

昔、今東光という作家がいた。その今氏をある日、東京築地のがんセンターへ見舞うと、こん
な話をしてくれた。「自分は若いころは修行ばかりしていた。青春時代はそれで終わってしまっ
た。だから今でも、『しまった!』と思って、ベッドからとび起き、女を買いに行く」と。「女を買う」
と言っても、今氏のばあいは、絵のモデルになる女性を求めるということだった。晩年の今氏
は、裸の女性の絵をかいていた。細い線のしなやかなタッチの絵だった。私は今氏の「生」へ
の執着心に驚いたが、心の「かさぶた」というのは、そういうものか。その人の人生の中で、い
つまでも重く、心をふさぐ。

●思い切ってアクセルを踏む
 が、こういうアイドリング状態から抜け出た女性も多い。Tさんは、二人の女の子がいたが、
下の子が小学校へ入学すると同時に、手芸の店を出した。Aさんは、夫の医院を手伝ううち、
医療事務の知識を身につけ、やがて医療事務を教える講師になった。またNさんは、ヘルパー
の資格を取るために勉強を始めた、などなど。「かさぶただらけの感受性の殻」から抜け出し、
道路を走り出した人は多い。だから今、あなたがアイドリングしているとしても、悲観的になるこ
とはない。時の流れは風のようなものだが、止まることもある。しかしそのままということは、な
い。子育ても一段落するときがくる。そのときが新しい出発点。アイドリングをしても、それが終
着点と思うのではなく、そこを原点として前に進む。方法は簡単。勇気を出して、アクセルを踏
む。妻でもなく、母でもなく、女でもなく、一人の人間として。それでまた風は吹き始める。人生
は動き始める。

     ⌒⌒⌒⌒
    ((( (( (( 
     ⌒  ⌒ 
     ・。・ β
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \   みなさんのご家庭で、このマガジンが役だって
 ゜\/│ // │ / /    いますか?
   Γ ̄ ̄│──|○   何かテーマがあれば、掲示板にでもお書きください。

   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●おとなの優位性

 たとえば、カレンダーを見せて、「これはカーレンジャーだ」と、まちがえてみせる。「3たす4は
……」と聞いて、計算機を使って計算してみせる。さらに戦いごっこをして、簡単に負けてみせ
る。

 こういう姿を見て、子どもは、「何だ、おとなも、たいしたことないな。ぼくたちと変わらないでは
ないか」と思う。いつもいつもそうであってよいわけではないが、ときとして、こうして子どもに自
信をもたせる。またそのおおらかさが、子どもを伸ばす。

 まずいのは、いつも一方的に、おとなの優位性を、子どもに押しつけること。よい例が、権威
主義。

 今でも、親の権威を説く人は多い。権威というのは、相手を問答無用に黙らせるには、たい
へん便利な「道具」だが、しかし弊害も大きい。その第一。親の権威が強ければ強いほど、子
どもは自分の心を隠すようになる。ごまかすようになる。飾るようになる。ほかの世界ならとも
かくも、親子の世界では、こんなことは決して、あってはならない。いまどき、三つ葉葵(あおい)
の紋章を見せて、「控えおろう!」と叫ぶほうが、おかしい。バカげている。

 権威主義とまでいかなくても、親意識(悪玉親意識)の強い人もいる。独特の話し方をする。
子どもが何か、口答えしようものなら、「何よ、親に向かって!」と。「親は絶対」と思うのは、そ
の人の勝手だが、それを子どもに押しつけてはいけない。
 
 子育てじょうずな親というのは、バカなフリをして、子どもを伸ばす。「こんな親、アテにできな
い」と思わせつつ、子どもに自立を促す。子どもに負けることを恥じることはない。親というの
は、ある時期がきたら、子どもに任すものは任せて、身を引く。そして親としてではなく、一人の
人間として、その生きザマを子どもに示す。子どもがあなたと対等になったとき、そのとき、子
育ては完成する。
(030313)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

雑感

 よく「孫はかわいい」という。かわいいと思うのは事実だが、しかし「孫をもった」という実感は、
まだ弱い。もう少し正確には、「おじいちゃんになった」という実感は、まだ弱い。まだ抱いたこと
がないせいかもしれない。

 二男は、数日おきに写真を送ってくれる。見るたびに、少しずつ、顔が変化するようだ。その
孫の特徴といえば、いつもビックリしたような目をしていること。大きな目で、しかもまん丸。目
は、嫁さんに似たようだ。

 二男と孫が、この五月に日本へ帰ってくる。「浜松祭りを見せたい」と二男は言うが、その前
後は、航空券も値段が高いらしい。それであれこれ迷っているらしい。一方、私は私で、嫁さん
に何を見せたらよいのか、あれこれ迷う。

 半僧坊……このあたり最大の、禅宗の修行寺がある。
 焼き鳥屋……焼き鳥を食べさせてやりたい。ほかに、日本料理はもちろんのこと、中華料理
に、スペイン料理。嫁さんは、米国文学の学位とスペイン語の学位をもっている。
 ショッピング……日本のゆかたを買ってやりたい。
 あとは孫を預かってやり、その間、自由に日本を旅行させてやりたい。嫁さんには、あちこち
行きたいところがあるようだ。

 おかげで今から、窮乏生活。お金は使えない。その分、二男が来たら、いっしょにおいしいも
のを食べよう。そのときのために、少し、前もってダイエットもしておかなければならない。何日
間、日本にいるか知らないが、日本では、毎日、違った料理を食べても、食べきれない。それ
にしても、アメリカの料理というのは、貧弱。まずい。向こうでは、いつも朝食には、「ワッフルハ
ウス」で、ワッフルを食べていた。甘くて甘くて、最後まで、口に合わなかった。あとは、「何とか
おばさんの、家庭料理」という店や、「マクドナルド」など。市内では、日本料理も食べたが、ブ
ロッコリーに、かつおの削り粉をかけた前菜には、驚いた。中華料理店もあったが、どこかあ
やしげな雰囲気だった。ピザは、最小サイズを頼んだが、それでもワイフと二人でも、食べ切
れなかった。 

 きっと嫁さんも、日本で、逆のカルチャショックを覚えるに違いない。

 その嫁さんで、すばらしいと思うのは、「すなお」なこと。私は、日本でも、あれほどまでにすな
おな女性を見たことがない。心と感情、それに表情が、まったくといってよいほど、一致してい
る。広大な牧場で、生まれ育ったためだろう。心をごまかすということができないらしい。「君
は、息子を愛しているか?」と聞くと、臆面もなく、堂々と、「Yes, I do love him.」と言っ
た。そしてこんなことがあった。

 結婚式が終わって、リトルロック(アーカンソー州)の「ダブルツリー」というホテルに帰ったとき
のこと。「ダブルツリー」というには、まさに「林」。それでそのホテルが気に入って、いつもそこ
に泊まっている。リトルロックでも、最大のホテルである。

 何と、結婚式を終えたばかりの嫁さんが、ロビーにいるではないか! 二男は、ハネームー
ンのホテルに、同じホテルを選んだ。

 一瞬驚いて、うれしそうな顔をしたが、どこか悲しげ。一度部屋に戻って、ロビーにおりてみる
と、二男も立っていた。しかし嫁さんは、一方で、懸命につくり笑いをしながら、ベソをかいてい
る! 子どものようなベソだ!

 「どうしたの?」と聞いても、答えない。そこで二男に向かって、「どうしたんだ?」と聞くと、「パ
パとママがいるもんで……」と。

 嫁さんは、早く二人だけになりたかったのだろう。そこへ私とワイフが現れたから、たまらな
い。その気持ちは、ヨークわかった。だから私は二男に、数百ドルの小づかいを渡すと、こう言
った。「あたりまえだよな。これでおいしいものを食べてきな」と。

 あとでワイフとこんな話をした。

私「日本人の嫁さんなら、ああいうとき、どうするだろう?」
ワ「がまんして、親とつきあうでしょうね」
私「そう思う。顔では笑いながら、心の中では別のことを考える……?」
ワ「アメリカ人というのは、自分をごまかせないのね」
私「ごまかすという作法を知らない」
ワ「ありのままという感じだわ」
私「ホント、ホントにそうだ。すべてがストレートという感じだね」と。

 私は嫁さんに、空に抜けるようなすがすがしさを感じた。二男に対しても、私たち夫婦に対し
ても、全幅に心を開いているのがわかった。きっとすばらしい乳幼児期を過ごしたのだろう。

ああ、それにしても、五月が待ち遠しい。

 二男や嫁さん、びっくり目玉の孫は、このマガジンから、ご覧いただけます。興味のある人
は、どうか見てやってください。私には、かわいい顔をした孫です。(こういうのをジジバカという
のかも? かわいい顔と思っているのは、私だけです。)
(030314)※
 
●二男のホームページです。
のぞいてやってください。
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

優者の論理VS劣者の論理

 世の中には、優者の論理と、劣者の論理がある。そしてその論理は、まっこうから対立する。

 まず優者の論理。

●私は正しい。
●私がすることは、正しい。
●私が言うことは、みんなに受け入れらる。
●私は世の中を、よくしようとしている。
●人は私に触れれば、私を好きになる。
●人から見れば、私はよい人に見える。

これに対して、劣者の論理。

●私はゆがんでいる。
●私はときどき、まちがいをおかす。
●私が言うことは、みんなの意見とは違う。
●私のような人間は、静かにしていたほうがよい。
●人は、私を知れば、がっかりして、遠ざかる。
●人から見れば、私は悪い人間に見える。

こうした違いは、いわばその人の人生の総決算として、決まるもの。日々の積み重ねが月とな
り、その月々の積み重ねが、優者を優者にし、劣者を劣者にする。

 しかしその糸口は、ほんのささいなことで決まる。もう少しわかりやすく言えば、それは人生の
入り口、なかんずく、乳幼児期で決まる。その入り口で、どちらの道を選ぶか、それで決まる。
実は、ここに幼児教育の重要性の一つがある。

 私の教室(BW実験教室)では、最初に来た子ども(満四〜五歳児)を、ベタベタにほめる。ど
んな意見を言っても、どんなことをしても、ほめる。親にも、家で、そうするように指導する。そし
てプラスの暗示を、徹底的に与えつづける。最低でも、三か月は、これをつづける。とくに「勉
強」という、学習の動機づけでは、これはきわめて重要な作業である。

 (できる・できない)は、別の問題。(正しい・まちがっている)は、別の問題。そんなことは、こ
の重要性の前では、何でもない。まったく、何でもない。

【事例1】Fさんという女の子(年中児)がいた。静かで、ハキのない子どもだった。そこで私はF
さんが何を言っても、ほめた。が、不思議なことに、ほめればほめるほど、顔が、暗くゆがむの
である。

 原因はすぐわかった。ある日帰り際、様子を見ると、Fさんの祖母が、Fさんを、こう言って叱
っていた。

 「あんたができないから、先生は、ああしてわざとあんたをほめてくれるのよ。それがわから
ないの! おばあちゃん、恥ずかしくて、たまらないわ」と。

 私はそれを耳にして、その祖母に思わず、こう叫んでしまった。「あなたは、何てことを言うの
ですか! Fさんの伸びる芽をつんでしまっている! それがわからないのですか!」と。

【事例2】計算マラソンの問題を出したときのこと。計算マラソンというのは、(3+2−1+5−3
……)というように、数字が三〇〜五〇個並ぶ、計算遊びのことをいう。途中で一か所でも計算
をまちがえると、当然のことながら、最後の答が狂ってくる。

 その問題を、K君(小二)が、何度も失敗しながら、挑戦した。が、三度目のとき、私はその答
がまちがっていることを知りながら、「よく、やったね。おめでとう!」と言って、丸をつけてあげ
た。

 が、その翌日、母親が私のところへやってきて、こう言った。「あの答は、まちがっています。
どうして丸をつけたのですか?」と。見ると、計算機で確かめながらしたのだろう、こまかい数字
がいっぱい、書いてある。

 私はそれに答えて、こう言った。「一生懸命やったから、丸をつけました。それでいいのです」
と。

 子どもの心は、無数の暗示でつくられていく。そしてその暗示は、日々の生活の、あらゆる場
面で、与えられる。そしてそれが積み重なって、優者と劣者を分ける。

 さて、あなたはどうだろうか。あなた自身は、優者の論理をもっているだろうか。それとも劣者
の論理をもっているだろうか。あるいはあなたの子どもはどうだろうか。優者の論理をもってい
るだろうか。劣者の論理をもっているだろうか。

 子どものばあい、優者にするのは、むずかしいことではない。あなたの口ぐせが、子どもを優
者にし、一方で、子どもを劣者にする。さらに言えば、あなたはどのような印象を、子どもに対し
てもっているだろうか。「うちの子は、すばらしい。どこへ出しても、恥ずかしくない」と思っている
なら、それでよし。が、そうでないなら、まず、あなたの心を作り変えること。口ぐせは、あくまで
も、あなたの「心」の結果でしかない。

さてさて日ごろ、あなたはどんな言葉を子どもに浴びせかけているか、一度、振りかえってみる
とよい。
(030313)

【追記】
 私はもともと、ここでいう劣者の論理の持ち主だった。今も、心のどこかで、それがどっかりと
腰をすえている。だからこうして自分の意見を書きながらも、「こんなことを書くと、嫌われるの
では……」「まちがっているのでは……」と思うことがある。

 とくに、どういうわけだか、女性には自信がない。きっと乳幼児期に、キズがついたのだろう。
私の母は、私を溺愛したが、一方で、きびしい人だった。私が今でももっている、「女性恐怖症
的な感覚」は、そういうところから身についたのかもしれない。

 さらに「性」に対して、暗いイメージをもっている。いまだに「セックスは悪いこと」という邪悪な
誤解から、身を解き放つことができないでいる。

 こうして考えると、優者の論理、劣者の論理というのは、同じ人間の中にも、無数に混在して
いるということになる。このつづきは、またの機会に考えてみたい。

++++++++++++++++++++

●あなたの口ぐせ診断

あなたは日ごろ、どういう姿勢で、子どもと接しているだろうか。つぎのような姿勢であれば、か
なり反省したほうがよい。

(1)何をしても、うちの子はダメだと思うことが多い。
(2)ひとりにしておくと、心配になることが多い。
(3)「子どもを信じたい」と思いつつ、毎日が、その戦い。
(4)子どもが何か失敗すると、カーッとなり、取り乱すことが多い。
(5)子どもの将来を考えると、不安に感ずることが多い。

 もしそうなら、ウソでもよいから、今日からでも、「あなたはいい子」「すばらしい子」を繰りかえ
す。そしてそれを最低でも、六か月はつづける。いつか自然な形で、あなたが「あなたはいい
子」と言えるようになったとき、あなたの子どもは、その「いい子」になっている。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

がり勉のA君

事例……A君(中二)は、勉強ばかりしている。勉強しているというより、学校でよい成績をとる
のが趣味のようになっている。明けても暮れても、勉強ばかり。土日などは、家でも一〇時間
近く、勉強している。もちろん成績は、トップクラス。両親は、そういうA君をみて、喜びつつも、
しかしどこか心配している……。

●なぜ勉強するか?

 がり勉の子どもがすべて、そうだというのではない。しかし人間関係がうまく結べない子ども
は、(おとなもそうだが……)、自分の周辺に居心地のよう世界をつくろうとして、ときとして自分
に向かって、攻撃的になることがある。そしてその結果として、明けても暮れても、勉強ばかり
をするようになることがある。このタイプの子どもは、勉強で目立つことにより、自分の立場を
守ろうとする。

 一般論として、自分を守ろうとして、攻撃的になるのを、プラス型、引きこもるのを、マイナス
型と考えるとわかりやすい。攻撃型は、積極的に自分にとって居心地のよい世界をつくろうとす
る。引きこもり型は、逃避することで、自分にとって居心地のよい世界をつくろうとする。ほかに
同情型(相手に同情を求め、結果として、居心地のよい世界をつくる)、服従型(ペコペコと服
従し、忠誠心を誓うことで、居心地のよい世界をつくる)などもある。

 さらにその攻撃型は、外に向かうタイプと、内に向かうタイプがある。外に向かうのは、暴力
をともなうことが多い。相手を暴力で威圧したり、威嚇したりする。が、中に、その攻撃性を自
分に向ける子どもがいる。たとえば学力やスポーツの成績で、人並みはずれた成績をあげ、
周囲を圧倒しょうとする。ここでいうがり勉タイプの子どもは、こうして生まれる。

 勉強というのには、独得の苦痛がともなう。その苦痛を乗り越える力が、「がんばり」というこ
とになる。しかしこのタイプの子どもの「がんばり」は、ふつうではない。明けても暮れても、勉
強。ただひたすら、勉強。分厚い参考書と、黙々と取り組むなど。

 まさに勉強しかしない、勉強しかできないといった状態になる。勉強ぶりそのものが、自虐的
になるのが特徴。勉強を楽しむというよりは、自分を痛めつけるようにして、勉強をつづける。
朝は、五時に起きて、まず朝勉強。学校でも、休み時間でも、参考書とにらめっこ。夜は、毎
晩、一二時まで勉強するなど。B君(高一)のばあい、驚いたことに、体験旅行のときも、バッグ
の中に、英語の単語カードをしのばせていた!

 またこのタイプの子どもは、強迫観念をもつことが多い。「なぜ、そんなに勉強するのか?」と
聞いても、「楽しいから」とは、決して言わない。反対に、数か月先にある、模擬テストの心配を
したりする。C君(高三)という子どもがいた。進学高校でもトップクラスだったが、頭の中は、偏
差値だらけ。「A大学のB学部は、○○点で、合格確実圏、○○点で、合格可能圏……」と。

 今の学歴社会の中では、こうした子どもほど、スイスイと一流大学の一流学部(本当にこうい
うランク分けは、不愉快だが……)へ、入学していく。しかし悲劇は、ここで終わらない。

 昔、東大のある教授が、こっそりと、こう話してくれた。「東大へやってくる学生のうち、三分の
一は、頭がおかしい」と。「実験中に、突然、フラスコを床にたたきつけて割ってしまったのがい
る」とも。そこでその教授が、父親を呼んで退学を勧めると、父親は「何とか、卒業だけはさせ
てほしい」と、食いさがって譲らなかったという。

 そして社会へ出てからも、こうした生きザマは変わらない。変えることができない。が、私のと
ころへ相談にくるケースで多いのは、そういう夫をもった妻からのもの。いろいろなケースがあ
る。その中でも多いのが、「主人は、仕事第一主義で、仕事ばかりしています。今の生活その
ものが、受験勉強のつづきみたいな感じがします」というもの。妻とさえ、心の信頼関係を築け
ない。ある夫のばあい、妻が不満をぶつけると、こう言ったという。「文句があるなら、(家を)出
ていってくれてもいい」と。

 私は三〇年以上、子どもたちと接している。そして無数の受験生を教えてきた。もちろんほと
んどは、すぐれた子どもたちで、それぞれが、それぞれの道へと進んでいる。しかし一方、この
受験教育に、疑問がないわけではない。「これでいいのかなあ」とか、「こんなことでいいのかな
あ」と思うことも、しばしばある。ここに書いたのは、その疑問の一つということになる。
(030312)

【付記】

 もう一五年ほど前だが、こんな相談を受けた。一人の女性(六〇歳くらい)がやってきて、こう
言った。「うちの孫(小三)は、毎日、学校から帰ってくると、二時間ほど算数や国語のワークブ
ックをする。漢字が好きで、毎日、一〜二時間は、書き取りをしている。もっと伸ばしてやりたい
が、どうしたらいいか」と。

 それに答えて私は、こう言った。「よしなさい。活発ざかりの子どもが、毎日、家で数時間も勉
強するほうが、おかしい。その年齢だと、三〇分が限度。しかも遊びながらの、三〇分です」
と。

 その女性は、不満そうな顔をして帰ったが、それから半年後。またその女性がやってきて、
今度は、こう言った。「孫が、バーントアウトして(燃え尽きて)しまいました。まったく何もしない
で、毎日、ぼんやりと過ごしています。どうしたらいいでしょうか」と。

 こういうケースは、少なくない。くれぐれも、注意されたい。

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


何とか理論

 トヨタのカローラには、一〇年以上乗った。ボロボロになった。それで長い間、迷って、今度
は、トヨタのビッツにした。そのときのこと。それまではあちこちの車のカタログや、値段を見くら
べたりしていたが、ビッツに決めたとたん、それらを見るのがいやになった。新聞の折り込み広
告を見ても、それを脇へ捨てるようになった。そういう広告を見て、迷ったり、後悔したりするの
が、不愉快だったからだ。

 こういう心理を説明するのに、何とか理論というのがある。昔、何かの本で読んだことがあ
る。人間は、悩むことを避けるため、それ以上、あれこれ比較するのをやめる。ここにも書いた
ように、比較すると、またその悩みが復活してしまう。

 もっとも、こんなことは常識で、何とか理論と身がまえなければならないようなことではない。し
かし、子育ては、そういうわけにはいかない。「そういうわけにはいかない」というのは、一度、
何かのことで決定をくだしても、そういう場面がつぎからつぎへとやってくる。その上、こちらに
はその気がなくとも、相手のほうから比較してくる。「おたくのお子さんはどうですか?」「あなた
はどうしますか?」と。

 実際、ほかのことならともかくも、子育てをしながら、子育ての世界で、自分の道をつらぬくの
は、むずかしい。かなり精神的にタフな人でも、子どもが受験期にさしかかると、おかしくなる人
はいくらでもいる。もともと精神的に弱い人は、なおさらである。子どもの定期テストのときでさ
え、食事がのどを通らないとこぼした母親もいる。

 で、問題は、なぜこういう愚劣な、(まさに愚劣だが)、受験戦争が、こうまで毎年、毎年、繰り
かえされるかということ。子どもたちが、学習や勉強で苦しむのは、それなりにしかたないとして
も、なぜ、こうまで親たちまで巻きこまれてしまうかということ。むしろ親たちのほうが、おかしく
なる?

 その理由の一つに、この何とか理論がある。子どもが受験期にいる間は、親も、それなりに
迷い、苦しむ。問題意識もあって、学歴社会や受験競争の弊害について、意見をもっている。
しかしその時期を過ぎると、親たちがこの問題から、逃げてしまう。そしてほとんどの親は、こう
言う。「子どもの受験勉強など、もううんざりです」と。で、結果として、学歴社会も、受験競争
も、そのまま残ってしまう。

 だから、繰りかえす。毎年、毎年、同じことを繰りかえす。あまり関係ない話かもしれないが、
こんなこともある。

 高校生たちをつれて近くの書店へ行ったときのこと。私たちが高校時代に使った参考書が、
今でもそのまま生きているのには、驚いた。「チャート式○○」という参考書である。ほかにもい
ろいろあった。私はそうした参考書を手に取りながら、「なつかしい」というようりは、「?」と思っ
た。もうあれから四〇年以上にになるのに、この世界は、まったく進歩していない? むしろそ
ういう事実に、私は「?」と思った。
(030313)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

補償

 子ども(小四男子)が、こう言った。「今年は、カニの値段が高いんだって。おじいちゃんが、
そう言っていた」と。そこで私が、」「どうして?」と聞くと、「鈴木Mが、逮捕されたからだってエ」
と。鈴木Mというのは、先ごろ、贈収賄(ぞうしゅうわい)事件で逮捕された、国会議員である。
外務省を舞台に、好き勝手なことをしていたらしい。

 心理学の世界に、「補償」という言葉がある。たとえば自分に何らかの劣等感があったとす
る。そのとき、生命力の弱い人は、その劣等感をもちながら、その劣等性に悩んだり、苦しん
だりする。

 しかし反対に生命力の強い人は、その劣等感を払いのけようとする。そしてその劣等性と
は、まったく別の自分を作りあげようとする。これが、A・アドラーがいう「補償」という心理作用
である。つまりその人は、劣等性を感ずる自分とは、まったく別の自分をつくることにより、その
劣等感から解放されようとする。

 たとえば、身体的コンプレックスをもっていた一人の男性が、いたとする。彼は身長も低く、胸
も薄い。そこでその人はある日一念発起して、ボディビルディングを始めた。そして数年後に
は、筋肉モリモリの肉体に、自分を改造した。

 つまりその人は、自分の劣等性を補うために、その反動として、別の自分をつくりあげたと言
える。こうした例は、多い。程度の違いはあるだろうが、あなた自身も、そういう経験をしたこと
があるかもしれない。

 この「補償」は、それまでの心理的抑圧感、圧迫感が強ければ強いほど、より強烈なパワー
となってその人を支配する。これは私の例だが……

●私は子どものころから、庭のある家に大きなあこがれをいだいていた。私の家は、町の中の
商店で、庭が、まったくなかった。だから、今の家に移り住むときも、庭の広さを、第一の条件
にした。これはここでいう「補償」とは、少し違ったものかもしれないが、私自身は、庭のない家
に、かなりの劣等感を覚えていた。よく覚えているのは、小学五、六年生のときだったと思う
が、家の敷地調べというのをしたことがある。私の家は、三〇坪しかなかった。しかし友だちの
家は、農家が多く、数百坪とか、そういう家ばかりだった。私はその数字を見比べながら、言い
ようのない劣等感を覚えた。だからおとなになってから、少しでもお金ができると、土地ばかり
買っていた。つまりその原動力になったのは、子どものころからもっていた、劣等感ということ
になる。

これは親たちの例だが、学歴コンプレックスをもっている親ほど、子どもの教育に熱心になる
傾向がある。「うちの夫は、学歴がなくて苦労しています。ですから、息子には、そういう思いを
させたくありません」と言った母親がいた。

 で、冒頭にあげた、鈴木M氏。彼の生いたちは、ときどきテレビなどで紹介されたので、ご存
知の方も多いと思う。幼少年期には、かなり苦労した人らしい。で、ある政治家の秘書になり、
その経験を生かして、政界におどり出た。

 もちろん私は鈴木M氏を、個人的には知らない。しかしテレビや週刊誌などで見る鈴木M氏
は、まさに「がむしゃら」という感じだった。あの種のがむしゃら性というのは、ふつうの心理状
態では生まれない。しかし補償という心理作用を、鈴木M氏にあてはめてみると、どこかうまく
説明がつく。これはあくまでも私の推察だが、鈴木M氏は、何らかの形で、大きな劣等感を覚
えた。その劣等感を、長く自分の中に蓄積した。そしてそれをバネとなって、鈴木M氏は、鈴木
M氏になった……?

 だからといって、鈴木M氏のがむしゃら性が、まちがっているというのではない。(贈収賄した
ことはまちがっているが……。)今、活躍している有名人の中にも、このタイプの人は、いくらで
もいる。ここにも書いたように、多かれ少なかれ、人はだれしも、何らかの劣等感をもってい
る。そしてその劣等性を補うために、努力したり、がんばったりする。

ただ、ここで言えることは、そうした補償という心理作用は、あくまでも、自分に向けられたもの
でなければならないということ。子どもに向けてはいけない。自分の劣等感を克服するために、
子どもを利用してはいけないということ。「夫は、学歴がなくて苦労していますから……」という
のは、あまりにも親の身勝手というもの。

 カニの話から、鈴木M氏を思い出し、ついで、子育てについて考えたので、ここにメモした。
(030314)

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【浜松の情報は……】http://www.eiyus.com/Enews/(E'news Hamamatsu)
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
9・ 6  ……新居・雄踏・舞阪・公立保育園合同研修会
9・ 4  ……静岡市リズム幼稚園
7.31  ……浜松市東部公民館
7・ 8  ……浜松市南部公民館
6・24  ……静岡市アイセル21







件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■3-23-1

彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 654人
最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)  ……読者数(Nr. of Readers)  90人
はやし浩司の世界(Eマガ)         ……読者数(Nr. of Readers)  63人 
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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★★★★★★★★★★★★★★
03−3−23号(198)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
ホームページの中の、キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワード
です! 日記を読んでいただけます!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。 
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
パンツのウンチで恥をかかせるとは!
結婚するというのは冗談です(失敗危険度★★)

●やがて大騒動になるとは!
 乱暴な子どもというのは、いる。「こんにちは」と言いながら、足でこちらを蹴飛ばしてくる。「さ
ようなら」と言いながら、また蹴飛ばしてくる。丸井さん(年中女児)もそうだった。そこである日、
丸井さんが私をいつものように蹴飛ばしてきたので、すかさずこう言った。「丸井さん、ぼくは君
がおとなになっても、結婚しないからな。結婚するなら、あの大野さんとする」と。たまたま大野
さんの顔が目に入った。だからそう言った。が、この一言が、やがて大問題になるとは!

●「もちろん冗談です」
 それからちょうど一週間後のこと、同じクラスの母親の一人に会うと、その母親がこう言っ
た。「先生、大野さんの件ですけどね。何でも大野さんが、私はおとなになったら、林先生と結
婚するんだと、真剣に悩んでいるというのですよ」と。大野さんが私の冗談を真に受けてしまっ
たらしい。「まずかった……」と思っていると、たまたまその日、大野さんの父親が大野さんを迎
えにきていた。そこで立ち話だったが、私はこう言った。「実のところ、大野さんといつか結婚す
ると言ってしまいましたが、あれはもちろん冗談です。ご本人は本気にされてしまったようです
が、どうかお許しください」と。

●私の失敗談
 が、その夜のこと。夕食を終えて、そろそろ風呂の用意をと考えていたら、玄関先で人の気
配が……。出てみると、大野さんの父親と母親がものすごい剣幕で立っているではないか。「ど
うしたのですか?」と声をかけると、「説明してほしい」「どういうことですか」と。父親は、「大野さ
ん」というところを、自分の妻のことだと思ってしまったらしい。私が大野さんの妻に結婚の話を
した、と。

私はこの幼児教育の世界へ入ってからというもの、子どもでもすべて名字で呼んでいる。それ
が誤解を招いた。つまり父親は、私が母親とただならぬ関係にあると誤解した。こんな失敗を
したこともある。

●ウンチのついたパンツ
子どもを指導するとき、「○○をするな」とか「○○をしなさい」とかいう命令は、できるだけ避け
たい。これは私の教育理念の一つでもある。で、たとえば授業中フラフラと歩いているような子
どもには、私はこう言う。「パンツにウンチがついているなら、立っていていい」と。そしてそれで
も立っていたら、さらに「おしりがかゆいのか?」と真顔で聞いたりする。そのときもそうだった。
小学三年生のK君が、フラフラと歩いていた。そこで「ウンチがついているなら、立っていてい
い」と。ところがそのあとハプニングが起きた。私がそう言い終わらないうちに、別の子どもが、
K君のおしりに顔をうずめて、「先生、本当にくさ〜い」と。

 その夜K君の父親から、猛烈な抗議の電話がかかってきた。「息子のパンツのことで、皆に
恥をかかせるとは、どういうことだ!」と。
 これらの話は、この本のタイトルとは関係ない。つまり私の失敗談ということになる。

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++
自由が育てる常識 

●心の常識
 魚は陸の上にあがらない。鳥は水の中にもぐらない。そんなことをすれば、死んでしまうこと
を、魚も鳥も知っているからだ。そういうのを常識という。

 人間も同じ。数十万年という気が遠くなるほどの年月をかけて、人間はその常識を身につけ
た。その常識を知ることは、そんなに難しいことではない。自分の心に静かに耳を傾けてみれ
ばよい。それでわかる。たとえば人に対する思いやりや、やさしさは、ここちよい響きとなって心
にかえってくる。しかし人を裏切ったり、ウソをついたりすることは、不快な響きとなって心にか
えってくる。

●バカなことをする人がバカ
 子どもの教育では、まずその常識を大切にする。知識や経験で、確かに子どもは利口には
なるが、しかしそういう子どもを賢い子どもとは、決して言わない。賢い子どもというのは、常識
をよくわきまえている子どもということになる。映画『フォレスト・ガンプ』の中で、ガンプの母親
はこう言っている。「バカなことをする人を、バカと言うのよ。(頭じゃないのよ)」と。その賢い子
どもにするには、子どもを「自由」にする。

 自由というのは、もともと「自らに由る」という意味である。無責任な放任を自由というのでは
ない。つまり子ども自らが、自分の人生を選択し、その人生に責任をもち、自分の力で生きて
いくということ。しかし自らに由りながら生きるということは、たいへん孤独なことでもある。頼れ
るのは自分だけという、きびしい世界でもある。言いかえるなら、自由に生きるということは、そ
の孤独やきびしさに耐えること、ということになる。子どもについて言うなら、その孤独やきびし
さに耐えることができる子どもにするということ。もっとわかりやすく言えば、生活の中で、子ど
も自身が一人で静かに自分を見つめることができるような、そんな時間を大切にする。

●静かに見つめる
 が、今の日本では、その時間がない。学校や幼稚園はまさに、「人間だらけ」。英語の表現を
借りるなら、「イワシの缶詰」。自宅へ帰っても、寝るまでガンガンとテレビがかかっている。あ
るいはテレビゲームの騒音が断えない。友だちの数にしても、それこそ掃いて捨てるほどい
る。自分の時間をもちたくても、もつことすらできない。だから自分を静かに見つめるなどという
ことは、夢のまた夢。親たちも、利口な子どもイコール、賢い子どもと誤解し、子どもに勉強を
強いる。こういう環境の中で、子どもはますます常識はずれの子どもになっていく。人間として、
してよいことと、悪いことの区別すらできなくなってしまう。あるいは悪いことをしながらも、悪い
ことをしているという意識そのものが薄い。だからどんどん深みにはまってしまう。

 子どもが一人で静かに考えて、自分で結論を出したら、たとえそれが親の意思に反するもの
であっても、子どもの人生は子どもに任せる。たとえ相手が幼児であっても、これは同じ。そう
いう姿勢が、子どもの心を守る。そしてそれが子どもを自由人に育て、その中から、心豊かな
常識をもった人間が生まれてくる。

     ⌒⌒⌒⌒
    ((( (( (( 
     ⌒  ⌒ 
     ・。・ β
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \   みなさんのご家庭で、このマガジンが役だって
 ゜\/│ // │ / /    いますか?
   Γ ̄ ̄│──|○   何かテーマがあれば、掲示板にでもお書きください。

   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
生意気な子ども

 生意気な子どもというのは、どこにもいる。ふつうの生意気ではない。教師を教師とも思わな
い。おとなやおとなの世界を、完全に軽蔑(けいべつ)しきっているような子どもである。私の経
験では、思春期を迎えた女子に多いように思うが、もちろん男子にもいる。

 以前、こんな原稿(中日新聞掲載済み)を書いた。

+++++++++++++++++

生意気な子どもたち

子「くだらねエ、授業だな。こんなの、簡単にわかるよ」
私「うるさいから、静かに」
子「うるせえのは、テメエだろうがア」
私「何だ、その言い方は」
子「テメエこそ、うるせえって、言ってんだヨ」
私「勉強したくないなら、外へ出て行け」
子「何で、オレが、出て行かなきゃ、ならんのだヨ。貴様こそ、出て行け。貴様、ちゃんと、金、も
らっているんだろオ!」と。
そう言って机を、足で蹴っ飛ばす……。

 中学生や高校生との会話ではない。小学生だ。しかも小学三年生だ。もの知りで、勉強だけ
は、よくできる。彼が通う進学塾でも、一年、飛び級をしているという。しかしおとなをおとなとも
思わない。先生を先生とも思わない。今、こういう子どもが、ふえている。問題は、こういう子ど
もをどう教えるかではなく、いかにして自分自身の中の怒りをおさえるか、である。あるいはあ
なたなら、こういう子どもを、一体、どうするだろうか。

 子どもの前で、学校の批判や、先生の悪口は、タブー。言えば言ったで、あなたの子どもは
先生の指導に従わなくなる。冒頭に書いた子どものケースでも、母親に問題があった。彼が幼
稚園児のとき、彼の問題点を告げようとしたときのことである。その母親は私にこう言った。「あ
なたは黙って、息子の勉強だけをみていてくれればいい」と。つまり「よけいなことは言うな」と。
母親自身が、先生を先生とも思っていない。彼女の夫は、ある総合病院の医師だった。ほか
にも、私はいろいろな経験をした。こんなこともあった。

 教材代金の入った袋を、爪先でポンとはじいて、「おい、あんたのほしいのは、これだろ。取
っておきナ」と。彼は市内でも一番という進学校に通う、高校一年生だった。あるいは面と向か
って私に、「あんたも、こんなくだらネエ仕事、よくやってんネ。私ゃネ、おとなになったら、あん
たより、もう少しマシな仕事をスッカラ」と言った子ども(小六女児)もいた。やはりクラスでは、
一、二を争うほど、勉強がよくできる子どもだった。

 皮肉なことに、子どもは使えば使うほど、苦労がわかる子どもになる。そしてものごしが低くな
り、性格も穏やかになる。しかしこのタイプの子どもは、そういう苦労をほとんどといってよいほ
ど、していない。具体的には、家事の手伝いを、ほとんどしていない。言いかえると、親も勉強
しかさせていない。また勉強だけをみて、子どもを評価している。子ども自身も、「自分は優秀
だ」と、錯覚している。

 こういう子どもがおとなになると、どうなるか……。サンプルにはこと欠かない。日本でエリート
と言われる人は、たいてい、このタイプの人間と思ってよい。官庁にも銀行にも、そして政治家
のなかにも、ゴロゴロしている。都会で受験勉強だけをして、出世した(?)ような人たちだ。見
かけの人間味にだまされてはいけない。いや、ふつうの人はだませても、私たち教育者はだま
せない。彼らは頭がよいから、いかにすれば自分がよい人間に見えるか、また見せることがで
きるか、それだけを毎日、研究している。

 教育にはいろいろな使命があるが、こういう子どもだけは作ってはいけない。日本全体の将
来にはマイナスにこそなれ、プラスになることは、何もない。

+++++++++++++++++++++

 こうした子どもが、ある一定の割合で、現れるというのは、たいへん興味深い。概して、(1)頭
がよく、それなりに勉強がよくできる。(2)一人っ子か、裕福な家庭で、わがままに育てられて
いる。(3)親自身が、子どもの教育に過関心で、「勉強がすべて」という価値観をもっている。
原因はともあれ、こうした環境が、子どもの心をゆがめる。

ここで「軽蔑しきっている」という言葉を使ったが、ふつうの軽蔑ではない。子どもというのは、そ
のときどきにおいて、親や先生に向かって、「ジジイ」とか、「ババア」とか言う。しかし大半は、
冗談とわかるような言い方をする。だから言われたほうも、軽くそれを受け流すことができる。
しかしこのタイプの子どもには、まったくそれが感じられない。子どもらしい、かわいらしさが、ま
ったく消える。

さげすんだ目つき、横柄な態度と言葉、おとなをなめきった態度など。私に向かっても、「この
ヘンタイ野郎!」と言って、腹を蹴ってきた女の子(小六)もいた。そういうトゲトゲしいことを、平
気で言ったり、したりするようになる。

 問題は、なぜそういう子どもになるかということよりも、親自身が、それに気づいていないとい
うこと。親自身の価値観が、一般社会とは価値観がズレているから、説明すらできない。私が
その子どもの問題点を指摘しようとしても、この原稿の中にも書いたように、「あなたは黙って、
息子の勉強だけをみていてくれればいい」というようなことを言う。「勉強さえできれば、うちの
子は、いい子」というような考え方をしている。

 その上、このタイプの子どもは、概して頭がいい(?)。勉強だけは、よくできる。教師の前と、
親の前で、別々の人間を演じながら、その双方をうまく操る。こんなことがあった。Hさんという
小六になった女の子がいた。それほど裕福な家庭ではなかったが、一人娘で、わがままいっ
ぱいに育てられていた。

 そのHさんの態度が、粗放化し始めたのは、その一年ほど前からのことだった。皆が、どっと
笑うようなときども、その笑い声にまじって、「くだらねえこと、言ってるんじゃねえよ。時間のム
ダだろオ!」と。

 そこで私はHさんを強く、たしなめた。が、たびたびそういうことが重なったので、ある日こう言
った。「一度、君のお母さんに相談するよ」と。が、それから一か月もたたないうちに、母親から
電話があって、「今度六年生になりますから、どこか進学塾へ移ります」と。

 こういうことはよくあること。Hさんは、家で、私の先手をとったわけである。こういうケースで
は、子どもは、まず、家で私の悪口を言い始める。悪口をさんざん言って、親をして、「林はくだ
らない教師」と思わせるように、しむけていく。あるいは子ども自身が、「もっと、高度な勉強をし
たい。だからもっとレベルの高い、進学塾に行きたい」とか何とか言うときもある。こういう仕事
を三〇年以上もしていると、そういった子どもの心が手に取るようにわかる。

 で、そのときも迷った。本当のことを言うべきかどうか、と。しかし結局は、何も言わなかっ
た。言う必要もない。私の世界にかぎらず、教育の世界には、「一〇%のニヒリズム」という言
葉がある。どんなに教育に没頭しても、最後の一〇%は、自分のためにとっておくという意味で
ある。でないと、身も心も、ズタズタにされてしまう。

 その日が最後のレッスンというとき、そのHさんが、また暴言を吐いた。「あんたの教え方は、
ヘタクソって、言ってんだよ。今日でこの教室を、やめてヤラー、このバカヤロー!」と。そのと
きは、私も遠慮せず、Hさんをたしなめた。しっかりと、にらみつけながら、こう言った。「なぜ、
私が怒っているか、わかっているね。これから先、君は、どんな人間になるかは知らないが、
私のこの目だけは忘れないほうがいいよ」と。

 それがよいか悪いかということになれば、悪いに決まっているが、このタイプの子どもほど、
この受験社会を、スイスイとくぐり抜けていく。そして結果として、日本の支配階層をつくり、日
本という社会をつくっていく。で、私は、いつも、こういう子どもだけは作ってはいけないと思って
いる。思っているが、どういうわけか、ある一定の割合で、こういう子どもができてしまう。これも
現代の教育がかかえる、矛盾の一つということになる。
(030315)

【生意気な子どもにしないためのアドバイス】

 生意気な子どもイコール、ドラ息子、ドラ娘と考えてよい。そのドラ息子には、つぎのような特
徴がある。

●ドラ息子症候群

(1)ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分を喜
ばせるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。自分の思い
どおりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを許さない。いつも自分が
皆の中心にいないと、気がすまない。

(2)ものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目標を定めることができず、目標を
定めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつけては、目標を放棄してしまう。
ほしいものにブレーキをかけることができない。生活習慣そのものがだらしなくなる。その場を
楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費的な行動が多くなる。


(3)ものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が強い割には、自分
勝手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。(4)バランス感覚が
消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って行動することができない、な
ど。

 こうした子どもにしないために……。これは以前、中日新聞で発表した記事である。
++++++++++++++++++++

●どうすれば、うちの子は、いい子になるの?
 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言ってくれ。私
は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんたの本を、何冊も読
む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使うことです。使って使って、使い
まくることです」と。

 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身につける。
自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。この忍耐力や
根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。

●一〇〇%スポイルされている日本の子ども?
 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、一〇〇%、スポ
イルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。そこで私が、「君
は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼は、こう教えてくれた。「とき
どきホームステイをさせてやるのだが、食事のあと、食器を洗わない。片づけない。シャワーを
浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きても、ベッドをなおさない」などなど。

つまり、「日本の子どもは何もしない」と。反対に夏休みの間、アメリカでホームステイをしてき
た高校生が、こう言って驚いていた。「向こうでは、明らかにできそこないと思われるような高校
生ですら、家事だけはしっかりと手伝っている」と。ちなみにドラ息子の症状としては、次のよう
なものがある。

●原因は家庭教育に
 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(四・五歳)前後で表れてくる。しかし一度こ
の時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。ドラ息子、ド
ラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに原因がある
からである。また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱
って子どもをなおそうとする。あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、
それをはねのけてしまう。あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつくってしまう。

●子どもは使えば使うほどよい子に
 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。「子どもに楽な思いをさせるのが、親の愛
だ」と誤解しているようなところがある。だから子どもにも生活感がない。「水はどこからくるか」
と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。「ゴミはどうなるか」と聞くと、「どこかのおじさん
が捨ててくれる」と。あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お
父さんがいるから、いい」と答えたりする。

生活への耐性そのものがなくなることもある。友だちの家からタクシーで、あわてて帰ってきた
子ども(小六女児)がいた。話を聞くと、「トイレが汚れていて、そこで用をたすことができなかっ
たからだ」と。そういう子どもにしないためにも、子どもにはどんどん家事を分担させる。子ども
が二〜四歳のときが勝負で、それ以後になると、このしつけはできなくなる。

●いやなことをする力、それが忍耐力
 で、その忍耐力。よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。そういう力を勉強に向け
てくれたらいいのですが……」と言う親がいる。しかしそういうのは忍耐力とは言わない。好き
なことをしているだけ。幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。
たとえば台所の生ゴミを始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。風呂
場の排水口にたまった毛玉を始末できる。そういうことができる力のことを、忍耐力という。

こんな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。そのお
ばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。その子どものお母さんは、
こう話してくれた。「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれ
るのです」と。こういう子どもは、学習面でも伸びる。なぜか。

●学習面でも伸びる
 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。漢字を覚えるにしても、計算ドリルをするにして
も、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。その苦痛を乗り越える
力が、ここでいう忍耐力だからである。反対に、その力がないと、(いやだ)→(しない)→(でき
ない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。

 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。「何をやらせればいいのですか」と。話を聞く
と、「掃除は、掃除機でものの一〇分もあればすんでしまう。買物といっても、食材は、食材屋
さんが毎日、届けてくれる。洗濯も今では全自動。料理のときも、キッチンの周囲でうろうろさ
れると、かえってじゃま。テレビでも見ていてくれたほうがいい」と。

●家庭の緊張感に巻き込む
 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。親が寝そべってテレビを見
ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。子どもを使うということは、親がキビキビと動き回
り、子どももそれに合わせて、すべきことをすることをいう。たとえば……。

 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。そしてそれをあなたの子ども
が見つけたとする。そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、それでよし。しかし
知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあり方をかなり反省したほ
うがよい。やらせることがないのではない。その気になればいくらでもある。食事が終わった
ら、食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。そこで洗わせる。フキンで拭かせる。さら
に食器を食器棚へしまわせる、など。

 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。たとえ
ば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話に出る。庭の
草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。そういう雰囲気で包むこと
をいう。何をどれだけさせればよいという問題ではない。要はそういう子どもにすること。それ
が、「いい子にする条件」ということになる。

●バランスのある生活を大切に
 ついでに……。子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。(1)生活感
のある生活に心がける。ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度の苦労がともなう
ことをわからせる。あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わなければ、家族のみんなが困る
のだ」という意識をもたせる。(2)質素な生活を旨とし、子ども中心の生活を改める。(3)忍耐
力をつけさせるため、家事の分担をさせる。(4)生活のルールを守らせる。(5)不自由である
ことが、生活の基本であることをわからせる。そしてここが重要だが、(6)バランスのある生活
に心がける。

 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した生活をいう。
ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまうような甘い生活。ある
いは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの接し方でチグハグになって
いる生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言えない。チグハグになればなるほ
ど、子どもはバランス感覚をなくす。ものの考え方がかたよったり、極端になったりする。

子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。それを
忘れてはならない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

ブルース

●優等生ブルース

 小学生のときから、勉強がよくできた。スポーツも万能。だから親にも、先生にも期待されて
いる。そこでA君は、いつの間にか、自分で「そういう人間」をめざすようになった。「そういう人
間」というのは、そういう人間である。

 A君は、いつも周囲に注目されているのを知っている。それは悪くない世界だ。が、同時に、
みなの期待を裏切ることもできない。だから、いつもA君は、優等生であろうとしている。……優
等生でなければならない。

 しかし本当のA君は、どこにいるのか? 何を望んでいるのか? 何をしたいのか? それが
わからないまま、A君は、孤独だった。

●劣等生ブルース 

 毎日、学校へ行っても、ハラハラしている。先生に指されないことだけを願いながら、体を小
さく丸めている。が、ときどき指されてしまう。そして「前に来い」「お前、説明してみろ」などと言
われる。とたん、教室は、笑いのウズ。

 B君は、そんなとき、いつも、みなの前で、おどけて見せる。ひょうきんな顔をして、その場を
茶化す。みなに「バカ」と思われるより、「おもしろい」と思われるほうが、まだまし。

 しかし本当のB君は、どこにいるのか? 何を望んでいるのか? 何をしたいのか? それ
がわからないまま、B君は、孤独だった。

●中間層ブルース

 勉強も、スポーツもほどほどにできる。しかしとくに、目立つということはない。夢も希望もな
い。毎日、それとなく過ごしている。

 C君の趣味は、テレビゲームとカードゲーム。塾も二つ通っているが、本当のところは、行き
たくない。しかし行かなければ、立場がない。立場がなくなる。しかしこのところ、家にも居場所
がなくなってきた。親は、C君の顔を見るたびに、「宿題はあるの?」「勉強はすんだの?」と言
う。

 しかし本当のB君は、どこにいるのか? 何を望んでいるのか? 何をしたいのか? それ
がわからないまま、C君は、孤独だった。

●ブルース

 それぞれの子どもが、それぞれの立場で、ブルースを口ずさんでいる。優等生といわれてい
る子どもも、またそうでない子どもも。それが学校というところ。それが人生というもの。しかし
忘れてならないのは、彼らもまた、私やあなたと同じ、人間だということ。

 ……と考えて、我が身を振りかえってみる。そしてこう思う。何のことはない。私たちだって、
同じではないか、と。私たちもそれぞれが、それぞれの立場で、それぞれのブルースを口ずさ
んでいる。

 しかし本当の私は、どこにいるのか? 何を望んでいるのは? 何をしたいのか? それが
わからないまま、私たちもまた、孤独な世界を生きている?

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

反動感情

●反動感情
 人は、ときとして、本当の自分の心を隠し、それと正反対の感情をもつことがある。私は、こ
れを勝手に「反動感情」と呼んでいる。心理学の世界に、「反動形成」という言葉がある。反動
形成というのは、自分の心を抑圧すると、その反動から、正反対の自分を演ずるようになるこ
とをいう。たとえば性的興味を押し殺したような人は、他方で、人前では、まったく性には関心
がないように振るまうことがある。性に対して、ある種の罪悪感をもった人が、そうなりやすい。
ほかに、たとえば神経質な人が、外の世界では、おおらかな人間のフリをするのも、それ。そ
の反動形成に似ているから、「反動感情」とした。

●Aさんのケース
 私がAさん(三四歳女性、当時)に会ったのは、私が四〇歳くらいのことだった。もともとは奈
良県の生まれの人で、夫の転勤とともに、このH市にやってきた。どこかその古都の雰囲気を
感じさせる、静かな人だった。Aさんは、いつもこう言っていた。「私は、夫を愛しています」「娘
を愛しています」と。

 当時、「愛する」という言葉を、ふだんの会話の中で使う人は、それほど多くはなかった。それ
で私の印象に強く残ったのだが、話を聞くと、どうもそうではなかった。つまり私は最初、Aさん
の家庭について、心豊かな、愛に包まれた、すばらしい家族を想像していた。が、そうではなか
ったということ。

 Aさんは、不本意な結婚をした。そしてそのまま、不本意な子どもを産んだ。それがそのとき
六歳になる娘だった。

Aさんには、結婚前に、ほかに好きな人がいたのだが、ささいなことがきっかけで、別れてしま
った。今の夫と結婚したのは、その好きな人を忘れるため? あるいは、その好きな人に、腹
いせをするため? ともかくも、それを感じさせるような、どこか、ゆがんだ結婚だった。

 Aさんは、夫とは、フィーリングが合わなかった。合わなかったというより、「(信仰を始める前
までは)、夫の体臭をかいだだけで、気持ちが悪くなったこともある」(Aさん)という。が、離婚は
しなかった。……できなかった。Aさんの実家と、夫の実家は、同業で、たがいにもちつ、もた
れるの関係にあった。離婚すれば、ともに実家に迷惑がかかる。

 そこでAさんは、キリスト教系宗教団体に入信。そのまま熱心な信者になった。そしてその教
え(?)に従い、「愛する」という言葉を、よく使うようになった?

●反動形成
 たとえばあなたがXさんを、嫌ったとする。そのときXさんと、それほど近い関係でなければ、
あなたは、そのままXさんと距離をおくことで、Xさんを忘れようとする。「いやだ」という感覚を味
わうのは、不愉快なこと。人は、無意識のうちにも、そういう不快感を避けようとする。

 が、そのXさんと、何かの理由で離れることができないときは、一時的には、Xさんに反発する
ものの、やがて、それを受け入れ、反対に、自分の心の中で、反対の感情を作ろうとする。反
対の感情を作ることで、その不快感を克服しようとする。これが私がいう、「反動感情」である。
このばあい、あなたはXさんを、積極的に自分の心の中に入れこもうとする。わかりやすく言え
ば、好きになる。(正確に言えば、好きだというフリをする。)好きになることで、不快感を克服し
ようとする。

 よくある例としては、(1)相手につくし、服従する方法。(2)相手に対して敗北を認め、自分を
劣位に置く方法。(3)自分の弱さを強調し、相手の同情を誘う方法などがある。自分という「主
体」を消すことで、相手に対する感情を消す。そして結果的に、「好き(affection)」という状態を
つくるが、このばあい、「好き」といっても、それはネガティブな好意でしかない。若い男女が、電
撃的に打たれるような恋をしたときに感ずるような、「好き(love)」とは、異質のものである。

 特徴としては、自虐的(自分さえ犠牲になれば、それですむと考える)、厭世的(自分や社会
は、どうなってもよいと考える)な人間関係になる。これに関してよく似たケースに、「ストックホ
ルム症候群」※というのがある。これはたとえば、テロリストの人質になったような人が、そのテ
ロリストといっしょに生活をつづけるうち、そのテロリストに好意をいだくようになり、そのテロリ
ストのために献身的に働き始めるようになることをいう。

 先にあげたAさんのケースでも、Aさんは、口グセのように、「愛しています」と、よく言ったが、
どこか不自然な感じがした。あるいは、Aさんは、そう思いこんでいただけなのかもしれない。A
さんは、夫や子どもに尽くすことで、自らの感情を押し殺してしまっていた?

●偽(にせ)の愛
 Aさんが口にする「愛」は、反動感情でつくられた、いわば偽の愛ということになる。しかし夫
婦はもちろんのこと、親子でも、こうした偽の愛を、本物の愛と信じ込んでいる人は、いくらでも
いる。

 Bさん(四〇歳女性)は、こう言った。夫が、一週間ほど、海外出張で上海へ行くことになった
ときのこと。「飛行機事故で死んでくれれば、補償金がたくさんもらえますね」と。「冗談でし
ょ?」と言うと、ま顔で、「本気です」と。しかしそのBさんにしても、表面的には、仲のよい夫婦
に見えた。たがいにそう演じていただけかもしれない。そこで「じゃあ、どうして離婚しないので
すか?」と聞くと、「私たちは、そういう夫婦です」と。

 親子でも、そうだ。C氏(四五歳男性)は、高校生になる息子と、家の中では、あいさつすらし
なかった。たがいに姿を見ると、それぞれの部屋に姿を、隠してしまった。しかしC氏は、人前
では、よい親子を演じた。演ずるだけではなく、息子が中学生のときは、その学校のPTAの副
会長まで努めた。

 一方、息子は息子で、ある時期まで、父親に好かれようと、懸命に努力した。私がよく覚えて
いるのは、その息子がちょうど中学生になったときのこと。父親に、敬語を使っていたことだ。
父親に電話をしながら、「お父さん、迎えにきてくださいますか」と。

 しかしこうした偽の愛は、長くはつづかない。仮面をかぶればかぶるほど、たがいを疲れさせ
る。問題は、そのどちらかが、その欺瞞(ぎまん)性に気づいたときである。今度は、その反動
として、その絆(きずな)は粉々にこわれる。もっともそこまで進むケースは、少ない。たいてい
は、夫婦であれば、どちらかが先に死ぬまで、その偽の愛はつづく。つづくというより、もちつづ
ける。

 ここまで書いて、ヘンリック・イプセンの「人形の家」を思い出した。娘時代は、親の人形として
生活し、結婚してからは、夫の人形として生活した、ある女性の物語である。その中でも、よく
知られた会話が、夫ヘルメルと、妻ノラの会話。ヘルメルが、ノラに、「(家事という)神聖な義務
を果せ」と迫ったのに対して、ノラはこう答える。「そんなこともう信じないわ。あたしは、何よりも
まず人間よ、あなたと同じくらいにね」(「人形の家」岩波書店)と。そのノラが、親に感じていた
愛、あるいは夫に感じていた愛が、ここでいう反動感情で作られた愛ではないかということにな
る。もし、ノラが「愛」のようなものを感じていたとしたら、ということだが……。

 しかしこの問題は、結局は、私たち自身の問題であることがわかる。私たちは今、いろいろな
人とつきあっている。が、そのうちの何割かの人たちは、ひょっとしたら、嫌いで、本当は、つき
あいたくないのかもしれない。無理をしてつきあっているだけなのかもしれない。あるいは「私
はそういうつきあいはしていない」と、自信をもって言える人は、いったい、どれだけいるだろう
か。

 さらにあなたの子どもはどうかという問題もある。あなたの子どもは、あなたという親の前で、
ごく自然な形で、自分をすなおに表現しているだろうか。あるいは反対に、無理によい子ぶって
いないだろうか。そしてそういうあなたの子どもを見て、あなたは「私たちはすばらしい親子関
係を築いている」と、思いこんでいないだろうか。ひょっとしたら、あなたの子どもは、あなたと良
好な関係にあるフリをしているだけかもしれない。本当はあなたといっしょに、いたくない。いた
くないが、し方がないから、いっしょにいるだけ、と。もしあなたが、「うちの子は、いい子だ」と思
っているなら、その可能性は、ぐんと高くなる。一度、子どもの心をさぐってみてほしい。
(030314)

 ストックホルム症候群……スウェーデンの首都、ストックホルムで起きた銀行襲撃事件に由来
する(一九七三年)。その事件で、六日間、犯人が銀行にたてこもるうち、人質となった人たち
が、その犯人に協力的になった現象を、「ストックホルム症候群」と呼ぶ。のちにその人質とな
った女性は、犯人と結婚までしたという。

 イプセンの「人形の家」……自己の立場と、出世しか大切にしない夫、ヘルメル。好意でしたこ
とをののしられてから、ノラは、一人の人間としての自分に気づく。それがここに取りあげた会
話。最後に、ノラは、偽善的な夫に愛想をつかし、ヘルメルと、三人の子どもを残して、家を出
る。

【付記】

 父親に虐待されていた子ども(小二男児)がいた。いつも体中に大きなアザを作っていた。そ
こでその学校の校長が、地元の教育委員会に相談。児童相談所がのり出して、その子どもを
施設へ保護した。

 が、悲しいかな、そこが子ども心。そんな父親でも、施設の中では、「お父さんに会いたい、会
いたい」と泣いていたという。そこで相談員が、「あなたはお父さんのことを好きなの?」と聞く
と、その子どもは、「好き」と答えたという。

 こうした子どもの心理も、反動感情で説明できる。つまり父親の虐待に対して、その子ども
は、本当の自分の感情とは反対の感情をもつことで、与えられた状況に適応しようとした。そ
の子どものばあい、「いやだ」と言って、家を飛びだすわけにもいかない。また父親に嫌われた
ら、生きていくことすらできない。そこでその子どもは、「好きだ」という感情を、自分の中につく
ることで、自分の心を防衛したと考えられる。

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●SZさんへ、

今日、リンゴの木を植えることだ!

 このところ、反対に読者の方に励まされることが、多くなった。一生懸命、励ましているつもり
が、逆に私が励まされている? 今朝(三月一六日)も、SZさんから、そういうメールをもらっ
た。「先生は、リンゴの木を植えていますよ」と。三月一五日号のマガジンで、つぎのように書い
たことについて、だ。

「ゲオルギウというルーマニアの作家がいる。一九〇一年生まれというから、今、生きていれ
ば、一〇二歳になる。そのゲオルギウが、「二十五時」という本の中で、こう書いている。

 『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっ
ていても、今日、リンゴの木を植えることだ』と。」

 「二十五時」は、角川書店や筑摩書房から、文庫本で、翻訳出版されている。内容は、ヨハ
ン・モリッツという男の、収容所人生を書いたもの。あるときはユダヤ人として、強制収容所に。
またあるときは、ハンガリア人として、ルーマニア人キャンプに。また今度は、ドイツ人として、
ハンガリア人キャンプに送られる。そして最後は、ドイツの戦犯として、アメリカのキャンプに送
られる……。

 人間の尊厳というものが、たった一枚の紙切れで翻弄(ほんろう)される恐ろしさが、この本
のテーマになっている。それはまさに絶望の日々であった。が、その中で、モリッツは、「今日、
リンゴの木を植えることだ」と悟る。

 ゲオルギウは、こうも語っている。「いかなる不幸の中にも、幸福が潜んでいる。どこによいこ
とがあり、どこに悪いことがあるか、私たちはそれを知らないだけだ」(「第二のチャンス」)と。
たいへん参考になる。

 もっとも私が感じているような絶望感にせよ、閉塞(へいそく)感にせよ、ゲオルギウが感じた
であろう、絶望感や閉塞感とは、比較にならない。明日も、今日と同じようにやってくるだろう。
来年も、今年と同じようにやってくるだろう。そういう「私」と、明日さえわからなかったゲオルギ
ウとでは、不幸の内容そのものが、違う。程度が、違う。が、そのゲオルギウが、『どんなときで
も、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっていても、今日、
リンゴの木を植えることだ』と。

 私も、実はSZさんに励まされてはじめて、この言葉のもつ意味の重さが理解できた。「重さ」
というよりも、私自身の問題として、この言葉をとらえることができた。もちろんSZさんにそう励
まされたからといって、私には、リンゴの木を植えているという実感はない。ないが、「これから
も、最後の最後まで、前向きに生きよう」という意欲は生まれた。

SZさん、ありがとう! 近くそのハンガリーへ転勤でいかれるとか、どうかお体を大切に。ゲオ
ルギウ(Constantin Virgil Gheorgiu) は、ヨーロッパでは著名な作家ですから、また耳にされる
こともあると思います。「よろしく!」……と言うのもへんですが、私はそんなうような気持ちでい
ます。(ただし左翼作家ですから、少し、ご注意くださいね。)
(030316)

    ┌┐
    │ト
    ≧≦ ∪          z
   ━━━━━━        z
  /      \
 /        \く⌒\  ∩      では、みなさん、次回も
/  〜       〆  へく ^川     どうか、よろしくご購読ください。
〜―ノ∵しへ〜へ〜〜〜〜――//―人〇       どうか、お体を大切に!
   w         ⊂ノ            お元気で!
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞






件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司●H. Hayashi■■3-25-1

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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 659人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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★★★★★★★★★★★★★★
03−3−25号(199)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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です! 日記を読んでいただけます!
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●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 定員になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。 
    【この講演会に、全力を傾けます。どうか成功させてください。】 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●マガジンの購読申し込みは……
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(横に長すぎて読みにくいときは、一度ワードにコピーしてからお読みください。)
●また、本文がつまっていて読みにくいときは、やはり一度ワードにコピーしていただくと、ぐん
と読みやすくなります。お試しください。毎週月曜日、午後11:00〜に時間帯を合わせて、ご
利用ください。私もときどき、参加させていただきます。では、楽しく、仲よく、ご利用ください!

   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )        今日のメニュー
   γ ρρ   │σ σ ρ )        【1】子育てポイント 
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )        【2】Touch your Heart
   人   υ ( `) (  )         【3】子育てエッセー
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)          【4】フォーラム
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
だれにも迷惑をかけないからいい!
子どもの個性(失敗危険度★★)

●子どもの茶パツ
 浜松市という地方都市だけの現象かもしれないが、どの小学校でも、子どもの茶パツに眉を
ひそめる校長と、それに抵抗する母親たちの対立が、バチバチと火花を飛ばしている。講演な
どに言っても、それがよく話題になる。

 まず母親側の言い分だが、「茶パツは個性」とか言う。「だれにも迷惑をかけるわけではない
から、どうしてそれが悪いのか」とも。今ではシャンプーで髪の毛を洗うように、簡単に茶パツに
することができる。手間もそれほどかからない。

●低俗文化の論理
 しかし個性というのは、内面世界の生きざまの問題であって、外見のファッションなど、個性と
はいわない。こういうところで「個性」という言葉をもちだすほうがおかしい。また「だれにも迷惑
をかけないからいい」という論理は、一見合理性があるようで、まったくない。裏を返していう
と、「迷惑をかけなければ何をしてもよい」ということになるが、「迷惑か迷惑でないか」を、そこ
らの個人が独断で決めてもらっては困る。こういうのを低俗文化の論理という。こういう論理が
まかり通れば通るほど、文化は低俗化する。

文化の高さというのは、迷惑をかけるとかかけないとかいうレベルではなく、たとえ迷惑をかけ
なくても、してはいけないことはしないという、その人個人を律するより高い道徳性によって決ま
る。「迷惑をかけない」というのは、最低限の人間のモラルであって、それを口にするというの
は、その最低限の人間のレベルに自分を近づけることを意味する。

●学校側の抵抗
で、学校側の言い分を聞くのだが、これがまたはっきりしない。「悪いことだ」と決めてかかって
いるようなところがある。中学校だと、校則を盾にとって、茶パツを禁止しているところもある
が、小学校のばあいは、茶パツにするかしないかは親の意思ということになる。が、学校の校
長にしてみれば、茶パツは、風紀の乱れの象徴ということになる。学校全体を包むモヤモヤと
した風紀の乱れが、茶パツに象徴されるというわけだ。だから校長にしても、それが気になる。
……らしい。

●まるで宇宙人の酒場!
 が、視点を一度外国へ移してみると、こういう論争は一変する。先週もアメリカのヒューストン
国際空港(テキサス州)で、数時間乗り継ぎ便を待っていたが、あそこに座っていると、まるで
映画「スターウォーズ」に出てくる宇宙の酒場にいるかのような錯覚すら覚える。身長の高い低
い、体形の太い細いに合わせて、何というか、それぞれがどこか別の惑星から来た生物のよう
な、強烈な個性をもっている。顔のかたちや色だけではない。服装もそうだ。国によって、まる
で違う。アメリカ人にしても……、まあ、改めてここに書くまでもない。そういうところで茶パツを
問題にしたら、それだけで笑いものになるだろう。色どころか、髪型そのものが、奇想天外とい
うにふさわしいほど、互いに違っている。ああいうところだと、それこそ頭にちょうちんをぶらさ
げて歩いていても、だれも見向きもしないかもしれない。

●結局は島国の問題?
 言いかえると、茶パツ問題は、いかにも島国的な問題ということになる。北海道のハシから沖
縄のハシまで、同じ教科書で、同じ教育をと考えている日本では、大きな問題かもしれないが、
しかしそれはもう世界の常識ではない。

 そんなわけでこの問題は、もうそろそろどうでもよい問題の部類に入るのかもしれない。ただ
この日本では、「どうぞご勝手に」と学校が言うと、「迷惑をかけなければ何をしてもよい」という
論理ばかりが先行して、低俗文化が一挙に加速する可能性がある。学校の校長にしても、そ
れを心配しているのではないか? 私にはよくわからないが……。

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )  子育ては重労働。
   人   υ ( `) (  )    しかしどうせ育てなければならないのなら、
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)     あきらめて、育てましょう!
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ      前向きに!
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

子どもは人の父

●俗化するおとなたち
 イギリスの詩人ワーズワース(一七七〇〜一八五〇)は、次のように歌っている。

  空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
  私が子どものころも、そうだった。
  人となった今も、そうだ。
  願わくば、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
  子どもは人の父。
  自然の恵みを受けて、それぞれの日々が、
  そうであることを、私は願う。

 訳は私がつけたが、問題は、「子どもは人の父」という部分の訳である。原文では、「The 
Child is Father of the Man. 」となっている。この中の「Man」の訳に、私は悩んだ。ここではほ
かの訳者と同じように「人」と訳したが、どうもニュアンスが合わない。詩の流れからすると、「そ
の人の人格」ということか。つまり私は、「その人の人格は、子ども時代に形成される」と解釈し
たが、これには二つの意味が含まれる。一つは、その人の人格は子ども時代に形成されるか
ら注意せよという意味。もう一つは、人はいくらおとなになっても、その心は結局は、子ども時
代に戻るという意味。

誤解があるといけないので、はっきりと言っておくが、子どもは確かに未経験で未熟だが、決し
て、幼稚ではない。子どもの世界は、おとなが考えているより、はるかに広く、純粋で、豊かで
ある。しかも美しい。人はおとなになるにつれて、それを忘れ、そして醜くなっていく。知識や経
験という雑音の中で、俗化し、自分を見失っていく。私を幼児教育のとりこにした事件に、こん
な事件がある。

●「ぼく、ごくろうって名前じゃ、ない」
 ある日、園児に絵をかかせていたときのことである。一人の子ども(年中男児)が、とてもてい
ねいに絵をかいてくれた。そこで私は、その絵に大きな花丸をかき、その横に、「ごくろうさん」
と書き添えた。が、何を思ったか、その子どもはそれを見て、クックッと泣き始めたのである。
私はてっきりうれし泣きだろうと思ったが、それにしても大げさである。そこで「どうしたのか
な?」と聞きなおすと、その子どもは涙をふきながら、こう話してくれた。「ぼく、ごくろうっていう
名前じゃ、ない。たくろう、ってんだ」と。

●子どもの心を大切に
 もし人が子ども時代の心を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。もし人が
子ども時代の笑いや涙を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。ワーズワー
スは子どものころ、空にかかる虹を見て感動した。そしてその同じ虹を見て、子どものころの感
動が胸に再びわきおこってくるのを感じた。そこでこう言った。「子どもは人の父」と。私はこの
一言に、ワーズワースの、そして幼児教育の心のすべてが、凝縮されているように思う。

     ⌒⌒⌒⌒
    ((( (( (( 
     ⌒  ⌒ 
     ・。・ β
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \   みなさんのご家庭で、このマガジンが役だって
 ゜\/│ // │ / /    いますか?
   Γ ̄ ̄│──|○   何かテーマがあれば、掲示板にでもお書きください。

   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
依存性の確認

●近くの大型店で見た、一コマ。

 近くの大型スーパーに行ったときのこと。若い母親が、子どもの先を、小走りにして、逃げる。
見ると子どもは、三歳くらい。男の子。子どもはその母親を泣きながら、追いかけている。子ど
もは、決して泣きまねをしているのではない。本気で泣いている。が、それを見て、母親は、笑
いながら、もっとはっきり言えば、うれしそうな顔をしながら、ジグザグに走っていた……。

 こういうのを、「依存性の確認」という。つまりこの母親は、自分の子どもが泣きながら走るの
を見ながら、自分の親としての立場を確認している。しかし卑怯(ひきょう)と言えば、これほど
卑怯なやり方は、ない。

 だいたい、親と子どもは対等ではない。いわんや相手の子どもは三歳児。そういう子どもに、
親としての優越性を見せつけるというのは、精神的に完成したおとなのすることではない。
 
●依存心
 
 日本型の子育ての最大の特徴は、子どもに依存心をもたせることに、あまりにも無頓着であ
ること。つまり子どもに依存心をもたせながら、もたせているという意識そのものがない。いろ
いろな例がある。

 ある青年は、こんな手記を残している。

 「私は子どものころ、母に溺愛されました。その溺愛に気づいたのは、高校生くらいのときで
す。私は母に猛烈に反発しました。母を殴ったり、蹴ったりしたこともあります。が、やがて母の
ほうから、愛情を切ってきたのを知ると、心も落ちつき始めました。それまでは、母の、一方的
な溺愛がうるさくてしかたありませんでした。私が暴れたのは、母の溺愛をやめさせたかったか
らです。

 それから一〇年近くたったときのこと。ほとんど実家には帰ったことがないのですが、帰って
みると、母は、小さな犬を飼っていました。その犬を見ていたときのことです。母がやってきて、
犬に、お菓子を見せびらかし始めました。そして見せびらかしながら、『ホレホレ、お菓子がほ
しかったら、ついておいで、ついておいで』と。その母の言葉を聞いたとき、私の記憶のどこか
に、同じ言葉が残っているのを知りました。私も子どものころ、そうして母に手なずけられたの
を知りました」(佐賀県在住のSE氏より)と。

●親としての権威

 親は、自分の優位性を子どもに押しつけることで、自分の親としての権威を保とうとする。そ
の一つの方法が、ここでいう依存性の確認である。いろいろな例がある。

 ある女性(六〇歳くらい)は、孫(小学四年生くらい、女児)に電話をかけて、こう言っていた
(テレビ番組)。「おばあちゃんの家に、遊びにおいでよ。ほしいものを買ってあげるから、お小
づかいもあげるからア……」と。

 また別の女性(やはり六〇歳くらい)は、孫(六歳くらい、男児)を、近くのスーパーに連れてい
き、こう言っていた。「おばあちゃんが、チョコを買ってあげたことは、ママとパパには内緒だ
よ。でないと、おばあちゃんが叱られるからね。わかったね」と。

 こういう言い方は、一見、子どもをかわいがっているように見えるが、その実、子どもの人格
を、まったく無視している。もっといえば、子どもを、より劣位において、自分の優位性を保とう
としている。

●なぜ依存性をつけるか 

 親がなぜ、子どもの依存性に無頓着になるかといえば、二つの理由がある。一つは、自分自
身も、その親から、同じような子育てを受けているということ。もう一つは、これは日本人全体
の問題と言ってもよいが、日本人全体が、こうした子育てに代表されるように、依存型社会に
なっていること。相互依存型社会といってもよい。

 よい例に、「だから、なんとかしてくれ言葉」がある。たとえば子どもでも、何か食べ物がほし
いときでも、「○○を食べたい」「○○を作ってほしい」とは、言わない。「おなかがすいたア〜
(だから何とかしてくれ)」というような言い方をする。

 おとなでも、同じような言い方をする人は、いくらでもいる。私の伯母にも、いつも電話をかけ
てきて、それも、今にも死にそうなか弱い声で、こう言った人がいる。「おばちゃんも、歳をとっ
たからねエ〜」と。つまり伯母は、そういう言い方をしながら、言外で、「だから何とかしてほし
い」と言っていたのだ。

 こうした依存性が、家庭の中にも入り、そして親子関係にも入っている。そしてそれが日本独
特の、親子関係をつくっている。

●依存型子育ての特徴

 依存型子育ての特徴として、つぎのようなものがある。

(主体性の無視)子どもの意思を無視する。おけいこ塾でも何でも、親が勝手に決め、またや
めるときも、親が勝手に決める。「子どもは親に依存するもの」という意識が強いため、そういう
ふうなものの考え方をする。

(独善と誤解)「私の子どものことは、私が一番よく知っている」「子どもは、私のすることに感謝
しているはず」という論理で、動くことが多い。子どもを、自分の子分か、付録のようにしか考え
ていない。

(独特のよい子論)このタイプの親は、自分自身も親に依存する一方、子どもに向かっては、そ
の依存性を求める。親にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、よい子と考え
る。そうでない、独立心の旺盛な、親を親とも思わない子どもを、「できそこない」と位置づけ
る。

(権威主義)自分自身の親を絶対化する傾向が強い。そしてたいていは、自分自身も、マザコ
ン的。そこで、このタイプの親は、そういう依存性を正当化するため、親を必要以上に美化し、
一方で、親孝行を、親子関係の最大の美徳と位置づける。

(支配性)依存型の親は、子どもを自分の支配化において、子どもを、思うように操りたいと考
える。方法としては、命令型、同情型(弱い親であることを演出する)、服従型(子どもにペコペ
コする)、それに権威主義型(親の権威を一方的に押しつける)などがある。

●あなたはだいじょうぶ?

 子育ての目標を、どこに置くかによっても、子育てのし方は変わってくる。が、もし子育ての目
標を、「よき家庭人としての自立」に置くとしたら、こうした依存性は、百害あって一利なし。完全
に依存性をなくせということではない。ないが、できるだけ少なくしたほうが、よい。言うまでもな
く、依存と自立は、敵対関係にある。依存性が強くなればなるほど、子どもの自立は遅れる。
(0303018)※

+++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司※

幸福論

 見た目には清楚(せいそ)な感じがする女子高校生だった。顔にはマスクがかけられていた
が、美人型であることは、わかった。そういう子どもが、「今は、二人のおとなと援助交際してい
ます」(テレビ報道)と。「なぜ、そういうことをするの?」とレポーターが聞くと、「楽しいから」「お
金がほしいから」と。決して、貧しい家庭の子どもではない。東京都でも、いわゆるお嬢様学校
と知られている女子高校に通っている。

 そういう子どもはそういう子どもなりに、充実感と幸福感を味わっているに違いない。週に一、
二回、交際するだけで、二〇万円近いお金を稼いでいる。身につけている小物にしても、数万
円から数十万円もするような、ブランド品ばかり……。しかし本人の意識とは逆に、不幸と言え
ば、これほど不幸な女子高校生はいない。まさに空虚そのもの。その女子高校生は、その空
虚さにさえ、気づいていない?

 私はその番組を見ながら、こんなことを考えた。「こういう女子高校生でも、やがて結婚して、
母親になるのかなあ」と。あるいはしばらくすると、「いつかは、自分の愚かさに気づくことがあ
るのかなあ」とか、「考えてみれば、若い母親たちも、それほど違わないのでは?」とか、考える
ようになった。

 もちろんすべての母親が、こうした女子高校生の延長線上にいるというわけではない。大半
の母親たちは、そういう援助交際に代表されるような、ハレンチな世界とは無縁の世界にい
る。しかし意識となると、それほど、違わないのではないのか。あるいは濃いか薄いかの違い
はあるが、だれしも、その女子高校生と似たような意識をもっているのではないのか。

 ……と考えて、それはつまるところ、私の問題であることに気づいた。「援助交際は悪いこと
だ」ということはわかっているが、私だって、お金と、機会があれば、遊びの一つとして、それを
するかもしれない。女子高校生と援助交際する男が、私より性欲が強いというわけではない。
一方、私のほうが、弱いというわけでもない。ただ違うのは、ほんの少しだけ、理性の力が強い
ということになるが、その違いは、わずかなものだ。

 が、私が気づいたのは、そのことではない。私が気づいたのは、私自身がもっている充実感
にせよ、幸福感にせよ、その女子高校生が感じているであろう充実感や幸福感と、それほど違
わないのではないかということ。そのことは、二〇代の若い母親、三〇代、四〇代の母親と、
順にみていくと、わかる。母親たちは、年齢を重ねるごとに、「おとな」になっていくが、しかし若
いころもっていたであろう愚かさが、完全に消えるわけではない。中には、四〇代になっても、
五〇代になっても、援助交際をしている女子高校生と、それほど違わないと思われる母親すら
いる。

 もっとも五〇代の母親ということになると、それは即、私自身ということになる。ただ私が、そ
ういう女子高校生と違う点は、私は、そういう私を、少しだけ客観的に見ることができるというこ
と。そして、そういう行為から生まれる空虚感を、自分で知っているということ。しかしそれを除
けば、私は、そういう女子高校生と、どこも違わない。いや、どこが違うというのか。

 お金は嫌いではないから、いくらあってもかまわない。そしてお金になることなら、何だってす
る。違法なことはしないが、しかしスレスレのところまでは、する。そしてそういうお金で買ったも
のに満足し、充実感や幸福感を覚える。一方で、虚しいとわかっていても、毎日が、その繰り
かえし。その繰りかえしから、どうしても自分を解き放つことができないでいる。

 私はその女子高校生のことを考えながら、「私もそうだった」と思うことはあっても、「私は違っ
た」とは、どうしても思えない。そして今、自分の過去を振りかえってみて、「今の自分は、あの
ころの自分とは違う」とは、とても思えない。思えないから、このエッセーを書いた。ああああ!

 「人間の最大の幸福は、日ごと、徳について語りうることなり。魂なき生活は人間に値する生
活にあらず」(プラトン『ソクラテスの弁明』)と説いたのは、ソクラテスだが、今は、その言葉を
信じて、前に進むしかない。
(0303018)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

反復強迫

+++++++++++++

●親というのは、自分が受けた子育てを、自分の子どもに向かって、無意識のまま、再現する
ことがある。再現しているという意識そのものが、ない。だから「無意識」という。それがよいも
のであれば、問題はない。しかしときとして、悪いものを再現することがある。しかもそれが、子
どもに対して、復讐(ふくしゅう)的になることさえある。

+++++++++++++

●しつけはきびしく……
 「子どものしつけには、きびしさが必要」と説く、教育評論家がいる。「最近の子どもの『乱れ』
は甘やかしが原因だ。だから家庭でのしつけを、もっときびしくせよ」と。「私の父親は、ゼウス
(ギリシア神話の主神)のように威厳のある人だった。私が風邪をひいて、父親のひざの上で、
食べ物を吐いたときのこと。父は『無礼者!』と、私をたたいた。今の親たちに欠けているの
は、そういうきびしさだ」とも。

 こういうのを、心理学の世界では、『反復強迫』という。自分が子ども時代に感じた、強迫観念
(抑圧感や欲求不満)を、おとなになってから、つぎの世代に無意識のまま、反復することがあ
る。そういうところから、そういう名前がつけられた。

つまりこのタイプの人は、自分が子ども時代にもった強迫観念を、今度は自分が親になったと
き、自分の子どもに対して、それを再現する。「復讐」という言葉を使う学者もいる。この教育評
論家のばあいは、「評論」という形で、すべての子どもに対して、復讐的に再現していることにな
る。すべてがそうであるとはかぎらないが、それを疑わせるケースは、いくらでもある。

●子どもに復讐する母親
 ある母親は、子ども(女児、八歳)に、きびしいノルマを課していた。ワークブックを、毎日、五
枚するというのも、その一つ。そのノルマを果たしていないときは、その母親は、夜中でも、フト
ンの中から引きずり出して、子どもに勉強させていた。「約束は、守りなさい!」と。そこで私
が、「どうしてそこまでさせるのですか?」と聞くと、「いいかげんな人間には、なってほしくない
からです」と。

 この母親も、実は、自分が少女時代に、同じような経験をしていた。厳格で神経質な両親。そ
の母親自身も、そういう両親に同じようにノルマを課せられ、勉強させられていた。そのときの
思い(抑圧感や欲求不満)が、復讐という形で、今度は、自分の子どもに対してしていたことに
なる。こんなケースもある。

 ある女性(四〇歳)は、マンションのエレベーターの中で、近所のA子さん(年中児)を見ると、
そのA子さんを、足で蹴り倒していた。そのためA子さんは、エレベーターに近寄るだけで、お
びえるようになった。そこでA子さんの母親は、A子さんから理由を聞き、相手の女性に、それ
となく抗議をした。が、その女性は、「エレベーターが揺れて体が当たっただけ」「めまいがした
だけ」と、言い張った。

A子さんは、背が高く、色の白い子どもだった。その女性は、そういうA子さんに嫉妬(しっと)し
たわけだが、その原因は、実は、その女性自身の少女時代にあった。その女性は、子どもの
ころ、背が低く、肌の色が黒かった。足も短かった。そこで背が高く、肌の色が白く、足が長い
友だちに、はげしく嫉妬していた。その女性のばあい、そういうゆがんだ心理状態が、一度心
の奥にもぐり、それがおとなになってから、復讐という形で、再び現れてきたと考えられる。

●強迫観念
 ここでいう「強迫観念」というのは、きびしいしつけから生まれる抑うつ感や、欲求不満、嫉妬
や、満たされない愛情などから生まれる、精神的不全感をいう。子育てには、きびしさも、ある
程度は必要かもしれないが、それも度をこすと、子どもの心をゆがめる。先の評論家は、「無
礼者!」と、自分をたたいた父親を礼さんしていたが、本当にそうか? そう礼さんしてよいの
か? 私の教室でも、その季節になると、ゲボを吐く子どもが続出する。しかし私は、「何でもな
いよ」「気にしなくていいよ」と言いながら、汚れた机や床を、だまって拭く。子どもがおもらしをし
たときも、そうだ。「無礼者!」と、子どもをたたく気には、とてもなれない。

 この『反復強迫』は、無意識のうちにそれを繰りかえすという点で、やっかいなものである。自
分で自分の子ども時代に受けた強迫に再現しながら、「再現している」という意識そのものがな
い。ないまま、再現する。ときとして、それが復讐的になることもある。極端な例としては、子ど
もを虐待する親がいる。このタイプの親は、自分の子どもを虐待しながら、虐待しているという
意識そのものがない。つまり自分の子どもを虐待することで、自分を虐待した親に、無意識の
まま復讐している。

●あなたはだいじょうぶ?
 そこで、あなた自身は、どうかということを、少しだけ、振りかえってみるとよい。もしあなたが
心豊かで、恵まれた環境の中で、伸び伸びと育ったのなら、それでよし。そうでないなら、心の
どこかに、ここでいう「強迫観念」がないかどうかを疑ってみる。もう一つ、こんなケースもあっ
た。

 ある母親は、自分の子ども(小学男児)が、勉強ができないことを、異常なまでに気にしてい
た。そして学校での成績が悪かったりすると、ヒステリックなまでに、子どもを叱ったり、ときに
は、暴力まで振るっていた。しかしやがてその母親は、なぜそうするかに、気づいた。

 その母親の実の兄は、軽い知的障害者だった。そのためその母親は、子どものときから、兄
に対して、はげしいコンプレックスを抱いていた。その母親は、こう言った。「私の結婚式のとき
も、兄のことばかりが気になりました。兄が病気か何かで、結婚式を欠席してくれることだけを
願っていました」と。

 つまりその母親は、自分の兄に対してもっていたコンプレックスを、自分の子どもに対して、
再現していたことになる。(このばあいは、復讐というよりも、「息子が、兄のようになっては困
る」という強迫観念と言ったほうが、正しいかもしれないが……。)

●まず、自分に気づくこと
 で、もしあなたにここでいう『反復強迫』があるとするなら、まず、それに気づくこと。この問題
は、それに気づくだけでも、ほとんどが解決したとみる。まずいのは、それに気づかないまま、
同じ失敗を繰りかえすこと。そこであなたの心を診断してみよう。つぎの項目のうち、三個以
上、当てはまれば、ここでいう『反復強迫』を疑ってみたらよい。

【自己診断】

(1)自由奔放(ほんぽう)に生きている、自分の子どもや、近所の子どもたちを見ると、うらやま
しいというより、腹立たしくおもうことがある。
(2)自分の過去や、自分が置かれた環境を思い出すと、「自分は不幸だった」と思うことが多
い。が、それゆえに、自分は、成長できたと、思うことが多い。
(3)私は子どものころ、いつも何かに耐えて生きてきたように思う。したいこともできなかった
し、言いたいことも言えなかったように思う。
(4)子どもが勉強やスポーツ、習いごとなど、ほかの子どもよりうまくできなかったりすると、わ
れを忘れて子どもを責めたり、叱ったりすることがある。
(5)自分の子どもに対して、わざと、いやな思いをさせたり、不便な思いをさせることがある。ま
たそうすることが、子どものためと思うことがある。
(6)子どものある欠点だけが、異常に気になることがある。そしてささいなことで、子どもをはげ
しく叱ったり、暴力を振るったりすることがある。

 親は子どもを育てながら、自分が受けた子育てを再現する。よい意味での再現なら問題はな
いが、悪い意味での再現には、注意する。子どもを育てるという喜びとは別に、ときとして、そ
の子どもを、復讐の対象とすることもあるということ。じゅうぶん、注意されたし。
(030317)

 ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι
  §   ・。・ β§
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\    もしよろしかったら、どなたかに、このマガジンの
 ○\/│  //│\ \    ことを話していただけませんか?
 ゜\/│ // │ / /     みんなで力をあわせて、日本の、日本人の
   Γ ̄ ̄│──-\○       子育てを変えていきましょう!
   │  │    \       心豊かな、日本の未来のために!

【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

教育に狂奔(きょうほん)する親たち

なぜ母親たちは、不安なのか?

++++++++++++++++++++++

●子どもを叱る母親たち
 ある英会話教室。三歳児からの英会話教室。親子同伴の英会話教室。週一回。月謝は、七
〇〇〇円。講師はアメリカ人。歌にゲームに、リトミックあり。なごやかな雰囲気。たいていは母
親たちが子どもを連れてくる。和気あいあいと、楽しんでいる?

 が、なごやかなのはそこまで。レッスンが終わり、部屋の外に出たとたん、母親たちが、いっ
せいに子どもを叱り始める。

 「どうして、あのとき、あなたは手をあげなかったの!」
 「A君はできたのに、どうしてあなたはできなかったの!」
 「キリンは、ジラーフでしょ。もう忘れてしまったの!」
 「あなただけよ。フラフラ歩いていたのは!」
 「あなた、先生の話を、ちゃんと聞いてなかったでしょ。ママ、恥ずかしかったわ!」
 「今度、名前を聞かれたら、ちゃんと、マイネーム・イズ○○って、言うのよ!」と。

 こうした母親をだれが、責めることができるだろうか。こうした教育を、だれがおかしいと言え
るだろうか。実は、そういう母親自身も、子どものとき、彼女たちの親から、そういう教育を受け
ている。

 私が三〇年前に、幼児向けの英語教室を開いたときも、そうだった。いや、そのころのほう
が、まだ、どこか穏やかだった。「どうせできなくてもいい」というような、おおらかさがあった。し
かしまったくなかったわけではない。この私とて、そういう親たちに振りまわされたことが、しば
しばあった。つまりそのころの子どもたちが、今、おとなになり、母親になった。子どもをもうけ
て、子育てをしている。おかしいと言えば、おかしい。たしかに日本の子育ては、おかしい。しか
し本当におかしいのは、そういう「おかしさ」自体に気づいていない、母親たちである。

●「子どもを愛している?」 
 そういう母親たちでも、臆面(おくめん)もなく、「私は子どもを愛している」と公言してはばから
ない。またそうして子どもを叱ることについても、「子どものため」と言う。たかが三歳の子どもで
はないか。たかが英会話教室ではないか。私も昔、こう言った。「楽しむことですよ」「楽しめ
ば、前向きの姿勢が生まれます」「子どもはがんばったのだから、おうちでは、ほめてあげてく
ださい」と。

 私は、そういう母親たちを見ると、「本当に、この親は、子どもを愛しているのだろうか?」とさ
え思う。あるいは「愛するということが、どういうことだか、わかっているのだろうか」とさえ思う。
「私は私。私の子どもは、私の子ども」と考える前に、自分の子どもを、他人の目を通して見て
いる? そして自分の子どもの心を、見失ってしまっている?

 中には、泣き叫んでいやがる子どもを教室へ連れてきて、その教室の前で、子どもを叱って
いる母親すらいる。「どうして、ちゃんと英語を勉強しないの!」「あなたが行くと言ったから、通
うようになったのよ。約束は守りなさい!」と。見ると、まだ三歳くらいの子どもである。

●なぜ、母親は狂奔するか
 この日本では、子育てそのものが、「不安」という基盤の上に成りたっている。このことは、オ
ーストラリアとくらべてみると、よくわかる。オーストラリアは、昔、「ラッキーカントリー」と呼ばれ
た。鉱物資源が豊富だったからだ。地面を掘るだけで、お金になった。今もそうだ。それに世
界に名だたる、農業国。食べていくだけなら、だれも困らない。

 しかし日本には、そういう安心感がない? 日本も昔は農業国で、それなりに安心感があっ
たのだろうが、その基盤が、どうもあやしくなった。……と書いても、ピンとこない人も多いかも
しれない。私は、実は、このことを田舎(いなか)生活をするようになってから、知った。

●週末の田舎生活
 私は週末は、H市の郊外のS村で過ごしている。H市での生活は、いわば都会生活。これら
二つの生活は、質的にまったく異なっている。その第一、都会生活は、一見便利でムダがない
が、底力がまったくない。「お金の切れ目が、命の切れ目」。一方、S村での生活には、そうした
不安感がない。まったくないわけではないが、都会生活で感ずるような不安感はない。季節ご
とに食べ物が、豊富にできる。二月のシイタケ、三月の山菜、五月の野イチゴ、六月のビワ…
…というように。

村の人たちも、たがいに助けあっている。水にしても、自分たちで山から引いている。ゴミにし
ても、量そのものが少ない。自分たちで燃やすか、生ゴミは、そのまま肥料として使う。燃料に
しても、マキや木の葉は、あたりに捨てるほど、ある。私は畑までもっていないが、畑をもってい
る人は、ほとんどの食べ物を自給自足している。

 が、都会生活は、ここにも書いたように、それがない。「不安」の上に成りたっている。水道の
水が止まったら、万事休す。手のほどこしようがない。電気やガスが止められても、万事休す。
収入が途絶えれば、さらに万事休す。田舎のほうでは、仮に収入がなくても、何とかそのまま
生活ができる。しかし都会ではそうはいかない。その「いかない」ところが、不安の原点になっ
ている。

●結局は、コース
 こうした不安を、母親たちは、いつも肌で感じている。いざとなっても、戦う方法すら知らない。
術(すべ)もない。仮に夫が失業すれば、考えることといえば、せいぜいパートの仕事に出るこ
とくらいなもの。山菜を集めてくる、野菜を育てる、家畜を育てるといった、人間が本来的にも
つ野生的なたくましさを、発揮することもできない。

 同じように、子どもたちの教育ということになると、コースに乗った教育しか考えられなくなる。
父親の仕事を、子どもに継がせることもできない。とくにこの日本では、ありとあらゆる職業
が、許認可、資格で、がんじがらめになっている。夫が失業したから、明日からラーメン屋の屋
台を引いて回る、ということさえ、この日本ではままならない。

 だから……と、子どもの教育に狂奔する母親たちを擁護するわけではないが、そういう立場
にいる母親を、どうして責めることができるだろうか。また「あなたは、まちがっている」と、どうし
て言うことができるだろうか。

●結局は、犠牲者
 こうした母親たちも、懸命に生きている。そしてそれぞれが与えられた社会の中で、懸命に生
きている。子育ても、その中の一つ。子どもの将来を考えれば考えるほど、彼女たちは、不安
になる。不安になって当然。社会のしくみそのものが、そうなっている。

 こういう社会で、生き残るためには、自分自身を社会に適応させなければならない。子どもが
生き残るためにも、そうだ。学歴社会も、受験社会も、みんなおかしい。おかしいが、「おかし
い」と言って背を向けたとたん、その人自身が、その社会からはじき飛ばされてしまう。

 英会話教室が終わったあと、子どもたちを叱る母親たち。頭のどこかでは、いけないことだと
知りつつも、結局は、彼女たち自身、どうしようもないのだ。生き残るためには、どうしようもな
いのだ。
(030317)

+++++++++++++++++++++++

●不安の構造

 私は今、この原稿を、H市内のビルの一室で書いている。三階の一室だ。窓の外は、ビルば
かり。少し離れたところに、四〇数階建ての高層ビルも見える。見晴らしのよい部屋だが、この
閉塞感(へいそくかん)は、どこからくるのか。

 都会での生活は、ガラス窓を境に、部屋の中と外の世界が、完全に遮断(しゃだん)されてい
る。私はいつか、この遮断性こそが、閉塞感の原因と考えた。好きなときに、飛び出すこともで
きない。その上、都会の土地は、一センチ単位で仕切られている。仮に飛び出したところで、
隣の土地の上を、自由に歩くことさえできない。

 私はときどき、いろいろ事情があって、この部屋に寝泊りしようとしたことがある。しかしもう一
五年になるが、一度とて、それをしたことがない。「したことがない」というより、できなかった。ビ
ルの一室というのは、まさに仕切られた箱。よどんだ空気。分厚いカベ。空調のモーターの音。
どうしても落ちついて、眠られない。それで夜中に、結局は、タクシーに乗って、家に帰ってしま
った。

 これは「部屋」という物理的な話だが、子どもの世界も、これによく似ている。子どもが生まれ
てから、社会に出るまで、子どもの世界は、がんじがらめに管理されている。学校以外に道は
なく、学校を離れて道はない。しかも子どもを守るのは、あなたという親だけ。一歩、マンション
の外に出れば、そこはすべて、「他人の世界」、「野獣の世界」。

 たいていの親は、「うちの子は、外の世界で、しっかりとやっていかれるかしら?」と思う前
に、「やっていけるはずはない」と、それを打ち消してしまう。それはまさに、絶壁に立たされた
ような孤独感と言ってもよい。「だれに頼ることもできない」「だれも助けてくれない」という孤独
感。つまり、現代の子育てには、こうした孤独感が、いつもついて回る。またその孤独感と無縁
でいることができない。

 だから親たちは、教育に狂奔する。……せざるをえない。こういうギスギスの世界から、抜け
出るためには、それなりのコースに乗り、それなりの地位を得て、それなりの収入を得るしかな
い。そうでなければ、社会からはじき飛ばされてしまう。ある母親は、ホームレスの人たちを子
どもに見せながら、こう言ったという。「あなたも、ちゃんと勉強しないと、ああいう人たちになっ
てしまうのよ」と。そうした思いは、多かれ少なかれ、ほとんどの親がもっている。そういう閉塞
感が、ますます私や、あなたを孤独にする。

●追いつめられる母親たち

 こうした不安と戦うには、いくつかの方法がある。しかし大半の若い母親たちは、その不安が
何であるかも知らず、あるいはその不安にさえ気づかないまま、それに振りまわされている。た
とえばここに一人の母親(三五歳)がいる。昨年、長男が、小学校に入学した。が、父親が中
国人ということもあって、長男の言葉の発達が、遅れた。遅れたというより、バイリンガルの子
どもによく見られる現象だが、言葉が混乱した。

 たとえば算数の文章題が、その長男には、読みきれない。数字だけをつなげて、トンチンカン
な式を作ったりする。もちろん答は、メチャメチャ。そこで私が、「算数の力というよりは、言葉
の問題です」と告げた。「どうして、うちの子は、算数ができないのでしょうか?」という質問を受
けたからだ。

 が、その母親は、すかさず、こう言った。「どこか、そういうことを教えてくれる教室はないでし
ょうか? 先生のところで、教えていただけませんか?」と。

 その母親は懸命だった。またそれ以外に、解決方法が思いつかなかった。しかしここで誤解
してはいけないのは、算数の文章題が読みきれなくて、不安に思っているのは、子どもではな
く、母親のほうだということ。そしてその不安を解消するために、「どうしたらいいのか?」と悩ん
でいる!

 そういう母親に向かって、たとえば、「あなたの子どもは、ふつうの子どもです。能力もふつう
です。だから、それほど高望みせず、ふつうの生活をめざしなさい」と言うことはできない。本来
なら、そう考えることが、こうした不安と戦うための最善の方法だが、ほとんどの母親にとって
は、「ふつう」というのは、それはそのまま敗北を意味する。しかしそう考える母親に対して、だ
れが、「あなたはまちがっている」と、言うことができるだろうか。

●結局は、人生観 

 結局は、親自身の人生観の問題ということになる。行き着くところは、そこということになる。
しかし大半の、……というより、ほとんどの親たちは、その人生観をもつヒマもなく、子育てを始
めてしまう。それに人生観などというのは、一朝一夕に確立できるものではない。だから若い母
親たちに人生観がないからといって、その母親を責めることはできない。

 では、どうするか? どうしたらよいのか? ……と考えたところで、私は袋小路に入ってしま
った。

 もともと私のこんな意見は、いらぬお節介(せっかい)というもの。だいたいにおいて、若い母
親たちに、「あなたがたは、自分でないものに、振りまわされていますよ」と言ったところで、彼
女たちは、それすら理解できない。あるいは反対に、「だからどうなの?」と言いかえされてしま
う。これは子育てそのものにまつわる、宿命のようなもの。どんな親も、自分で失敗してみるま
で、失敗と気づくことはない。また自分がどんな子育てをしたかは、子育てが終わって、はじめ
てわかるもの。その途中では、絶対にわからない。

 だから……。結局は、どうしようもない? 「どうしてうちの子は、算数の問題ができないので
しょう?」と聞かれれば、「言葉の問題がありますから」としか、答えようがない。そしてその上
で、たとえば具体的に、「本を筆写させるといいですよ。文章題を声を出して読ませるといいで
すよ」というような指導で終わってしまう。親のもつ不安が、とりあえず解決できれば、それでよ
い。

 今日も、一人の生徒が、私の教室での時間変更を申しでてきた。どこかの進学塾へも通うよ
うにになったという。「みなが大手の進学塾に行くというので、うちもそうします。ついては時間を
変えてほしい」と、メールにはあった。きっとその母親も、不安になったのだろう。いや、最近で
は、このH市という地方都市でも、子ども自身が不安になるケースも、珍しくない。しかし私がで
きることといえば、せいぜい、そういう母親や子どもの意向に従うことでしかない。あとは、その
母親の問題。その子どもの問題。私の問題ではない。

 しかしこれだけは言える。親が不安になるのは、親の勝手だが、それを子どもにぶつけては
いけないということ。でないと、つまり不安をぶつけられた子どもは、その不安を、つぎの世代
に伝えてしまう。あるいはその子ども自身も、生涯、その不安の虜(とりこ)になってしまう。不幸
か、不幸でないかということになれば、その子どもにとっても、それほど、不幸なことはない。

 考えてみれば、現代人は、きわめて不幸な生活をしている。しかし不思議なことに、そうした
不幸を、不幸とさえ自覚していない? たとえば援助交際をしながら、多額の小づかいを稼い
でいる女子高校を思い浮かべてみればよい。彼女たちは彼女たちに、ブランド品に身を包み、
おいしいものを食べ、結構、幸福感や、充実感を覚えているのかもしれない。しかし一歩、退い
た視点で見れば、彼女たちほど、不幸な高校生はいない。しかし彼女たちに、それが不幸なこ
とであることを、どうやって教えればよいのか。いや、その前に、それを教える必要はあるの
か。

 今、日本全体が、そうしたモヤモヤとした不安のウズの中にある。そしてそういう不安と、みな
が、懸命に戦っている。母親たちも、そして教育も、決して例外ではありえない。子育てに狂奔
する母親たちは、その、ほんの一例にすぎない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

1000号になれば……?

 今、こうして「子育て随筆byはやし浩司」シリーズで、エッセーを書いている。それが、この号
で第683号になる。目標は、1000号。あと少しで、1000号!

 とくに「1000」という数字にこだわっているわけではないが、こうして目標をもたないと、どうし
ても自分に甘くなる。書いたところで、収入に結びつくわけではない。だれかに頼まれているわ
けでもない。だから、どうしても、甘くなる。こうしてエッセーを書くというのは、そういう「甘え」と
の戦いでもある。

 同じように、マガジンの読者が、三誌合計で、812人になった(3月17日現在)。こちらのほう
も、数字にこだわっているわけではないが、やはり目標をもたないと、力が入らない。E−マガ
の「子育て最前線の育児論byはやし浩司」は、現在、659人。E−マガだけで、1000人にな
れば、と願っている。

 随筆が1000号になったにせよ、読者が1000人になったにせよ、その先に、何があるか私
にはわからない。どうなるかもわからない。しかし「何か」があるような気がする。少し前、ケビ
ン・コスナー主演の「フィールド・オブ・ドリームズ」という映画を見た。よい映画だった。英語の
脚本も、書店で売っていたので、買った。私は今、その1000という数字にこだわりながら、あ
の映画を頭の中に思い浮かべた。

 映画の中で、ケビン・コスナーが演ずる農場主は、不思議な声を聞く。「People will come」(そ
れを作れば、人々がやってくるだろう)と。そこでその農場主は、トウモロコシ畑をつぶして、野
球場をつくる。どこかファンタジックな映画だが、しかし最後に親子が、黙々とキャッチボールを
する姿は、感動的だった。何度見ても、あのシーンでは、泣かされる。

 で、あの映画の中に、もう一人、光る脇役がいる。黒人の作家である。彼は現代社会に嫌気
を覚え、社会のスミで、隠れて生きている。そこへ「声」に導かれた農場主がやってきて、今度
は、二人で、その声の秘密を解き始める。私は、映画のストーリーとは別に、その作家の気持
ちが、痛いほど、よく理解できた。私と、その作家(元、超有名な売れっ子作家ということになっ
ていた)とでは、比較のしようがないが、私とて、いつなんどき、筆を折ってもおかしくない立場
にいる。ときどき、なぜ私がこうして毎日、文を書きつづけているか、わからないときさえある。

 読んでおわかりのように、私の文章は回りくどくて、ヘタクソ。中身はない。読んだところで、
得るものはない。だいたいにおいて、いくら本を書いても、私の本など、売れない。もうあきらめ
た。

 が、しかし、「1000」の向こうには、何かがあるような気がする。もし、この「子育て随筆byは
やし浩司」(私のホームページの「随筆集」からアクセスできる)が、1000号を超えたら……。
もし読者の数が、1000人を超えたら……。何かがそこにあるような気がする。そしてその気
持ちは、あの農場主が、不思議な声を聞いたときの気持ちに似ているのでは……。勝手にそ
う思っているだけだが、それは私にとっては、「希望」でもある。

 もっともマガジンのほうは、ときとして、読者の数が減ることがある。あるいは数週間の間、ふ
えないこともある。E−マガの「はやし浩司の世界」や、メルマガのほうは、この数か月、読者が
ほとんどふえていない。だから1000人になることは、目標ではあっても、期待していない。こ
ればかりは私の努力では、どうにもならない。しかし「子育て随筆byはやし浩司」を、1000号
まで書くというのは、目標になる。これはだれにも、じゃまされない。(すでに、あちこちで「はや
し浩司」を、攻撃している人もいるようだが……。どうせくだらない連中だから、私は相手にして
いない。)

 そうそう、もう一つ、目標がある。それはE−マガの発行回数が、この3月27日号で、第200
号になるということ。その先、1000号までつづけるのも、一つの目標になっている。二日に一
度発行しても、計算すると、1000号になるのは、4年4か月と17日後ということになる。200
7年8月10日前後か。遠い道のりだが、がんばるしかない。

 どちらにせよ、ほかに宣伝方法をもたない、電子マガジン。こうまで読者の方がふえたのは、
皆さんのおかげと、感謝している。皆さんの口コミがあったからこそ、ここまで読者の数がふえ
た。本当に、感謝している。

私はこのマガジンを通して、私のすべてを、皆さんに伝えたい。私がつかんだ経験とノウハウ
を、すべて、だ。そして私自身は、その先に何があるかわからないが、行けるところまで、行っ
てみたい。そう、私にも、その声が聞こえるような気がする。「それをすれば、人々がやって来
るだろう」と。

それを信じて、私はがんばります! どうか読者の皆さん、これからもよろしくお願いします!
(0303016)

    ┌┐
    │ト
    ≧≦ ∪          z
   ━━━━━━        z
  /      \
 /        \く⌒\  ∩      では、みなさん、次回も
/  〜       〆  へく ^川     どうか、よろしくご購読ください。
〜―ノ∵しへ〜へ〜〜〜〜――//―人〇       どうか、お体を大切に!
   w         ⊂ノ            お元気で!
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



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