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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)6-22
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(E−マガ)……読者数(Nr. of Readers) 303人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are brinnging up Children in the Forefront Line
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/井\
〔井井井〕
MMMMM \井/Hi! I am Hiroshi, and through this magazine you may know
| ⌒ ⌒ | ‖ what is happening among parents in Japan,with some knowledge
○ q ・ ・ p ‖ how to cope with Kids and how to bring up children at home.
⊆⊇ (〃 ▽ 〃) ξ)
\u ̄ ̄⊆V⊇ ̄ ̄レ/
 ̄丶 : 厂 ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数 82人
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★★★★★★★★★★★★★★★★★
02−6−22号(065)
★★★★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayahsi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Privare Room in my Website are, C-X-I
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazien is translated into English
for your vonvenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home conutry. Hiroshi
メニュー
【1】読者の方より(An E-mail from a reader in Canada)
【2】マザーコンプレックス(Inferior Complex toward Mother)
【3】エッセー(short essays)
【4】日本の常識、世界の非常識(Common Sense in Japan)
【E】English Version
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【1】
こうしてマガジンを発行させていただいていますが、
信じられぬほど遠方の方から、メールをいただくこ
とがあります。カナダにお住まいのSさんから、こん
なメールが届いています。許可をいただいて、紹介
します。
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はやし先生 こんにちは
先生からのE−マガジンを毎号楽しみにしています。
内容がたくさんあり、いつも時間をかけて読んでいます。
別に保管もして、時々読み返しています。
先日(5−30号)の 子供を伸ばす会話術はとても参考になり、
考えさせられました。
私も、子供が何もせずにダラダラとしていると、
ついつい命令口調になってしまいます。
そういう口調で話ししているとき、子供は私の話しを聞こうとしないですね。
口では「わかった」とか言うんですけど、どうでもいいって感じで、
行動が伴っていなかったんです。
話し方を変えるだけで、子供は素直に反応してくれるようになりました。
この号を読んで、まず自分から改めなければいけないなと思いました。
といっても、言ってしまった後から、「あ、言っちゃった」と思うことの
方がまだ多いのですが・・。
まだまだ子供のことは分からないことばかりです。
今はよくコミュニケーションをとって、子供のことを理解してあげて
信頼関係を築いていくことかなと考えています。
日本はそろそろ梅雨の季節ですね。
ここカナダには梅雨はなく、
今はとてもさわやかな気候です。緑やきれいな花がたくさん
咲いています。カナダは来られたことはありますか?
それでは 失礼します。
(カナダ、Sさんより)
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【2】
マザーコンプレックスをもった人は多いですね。
しかし本人は、それを「親への深い愛」と誤解
している。あるいは自分では「孝行息子(娘)」と
考えている。親を美化しながら、自分のマザコン
ぶりを正当化しようとします。子育ての目標は、
子どもを自立させること。マザコン人間は、その
自立ができない人とみます。(失礼!)
マザコン人間は、妻よりも母親のほうをとります。
母親→妻→子という優先順位をつけ、「親孝行
こそ最大の美徳」と、位置づけることもあります。
まだ思想がかたまっているわけではありませんが、
参考意見として、ここに「マザコン」についての
原稿を掲載します。これから先、この問題は何度も
反芻(はんすう)しながら、考えてみたいです。
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マザコン型人間
親が子どもに感ずる愛には、三種類ある。本能的な愛、代償的愛、それに真の愛である。こ
のうち本能的な愛と代償的愛に溺れた状態を、溺愛という。そしてその溺愛がつづくと、いわゆ る溺愛児と呼ばれる子どもが生まれる。
その溺愛児は、たいていつぎのような経過をたどる。ひとつはそのまま溺愛児のままおとな
になるタイプ。もうひとつは、その途中で、急変するタイプ。ふつうの急変ではない。たいていは げしい家庭内暴力をともなう。
で、そのまま進むと、いわゆるマザーコンプレックス(マザコン)タイプのおとなになる。おとな
になっても、何かにつけて、「ママ、ママ」とか、「お母さん、お母さん」と言うようになる。このマザ コンタイプの人の特徴は、(1)マザコン的であることを、理想の息子と思い込むこと。(圧倒的 に母と息子の関係が多いので、ここでは母と息子の関係で考える。)それはちょうど溺愛ママ が、溺愛を、「親の深い愛」と誤解するのに似ている。そして献身的かつ犠牲的に、母親に尽く すことを美徳とし、それを他人に誇る。これも溺愛ママが、自分の溺愛ぶりを他人に誇示する のに似ている。
つぎに(2)自分のマザコンぶりを正当化するため、このタイプの男性は、親を徹底的に美化
しようとする。「そういうすばらしい親だから、自分が親に尽くすのは、正しいことだ」と。そういう 前提を自分の中につくる。そのために、親のささいな言動をとらえて、それをおおげさに評価す ることが多い。これを「誇大視化」という。「巨大視化」という言葉を使う人もいる。「私の母は、 ○○のとき、こう言って、私を導いてくれました」とかなど。カルト教団の信者たちが、よく自分た ちの指導者を誇大視することがあるが、それに似ている。「親孝行こそ最大の美徳」と説く人 は、たいていこのタイプの男性とみてよい。G氏(五四歳男性)もそうだ。何かにつけて、一〇年 ほど前に死んだ自分の母親を自慢する。だれかが批判めいたことを言おうものなら、猛烈にそ れに反発する。あるいは自分を悪者にしたてても、死んだ母親をかばおうとする。
マザコンタイプの人は、自分では結構ハッピーなのだろうが、問題は、そのため、たいていは
夫婦関係がおかしくなる。妻が、夫のマザコンぶりに耐えられないというケースが多い。しかし 悲劇はそれで終わらない。マザコンタイプの夫は、自分でそれに気づくことは、まずない。「親 をとるか、妻をとるか」と迫られたりすると、「親をとる」とか、「当然、親」と答えたりする。反対 に妻に、「親のめんどうをしっかりみてくれなければ、離婚する」などと言うこともある。そもそも 結婚するとき、婚約者に「(私と結婚するなら)親のめんどうをみること」というような条件を出す ことが多い。親は親で、そういう息子を、できのよい息子と喜ぶ。あとはこの繰り返し。
******************************
マザコン・テスト(試作)
つぎの一二の質問項目のうち、六つ以上、当てはまれば、かなりのマザコン人間とみてよ
い。(権威主義的なものの考え方が混在しているタイプのマザコン人間)
( )いつも生活の中心に親がいる。親がいないと何も始まらないという感じ。重要なことは、何
でも親に相談したり、報告したりする。
( )「親は絶対」という意識が強く、親に反抗したり、親を粗末にするということは、考えられな
い。献身的かつ犠牲的な親孝行をするのが、子どもの務めと考えている。
( )「親を選ぶか、妻を選ぶか」という択一に迫られたようなとき、「親!」と当然のように考え
る。そういう意味では、妻は、親の前では家政婦のような存在でしかない。
( )親の悪口を言ったりする人を許さない。あるいは徹底的に反論し、それを「息子のカガミ」
と、かえって他人に誇示することが多い。
( )常日ごろから、「産んでいただきました」「育てていただきました」と、親に感謝することを美
徳とする。また自分の息子や娘にも、同じように思うように求める。
( )親を喜ばすことを、最大の目標とし、一方親は親で、そういう息子を、「親孝行で、できのい
い息子」と評価することが多い。
( )家庭や家族の中での上下意識が強く、自分の親には服従的である一方、自分の子どもが
反抗したりすると、「親に向かって何だ!」というような言い方をする。
( )妻や家族といるよりも親といるほうが、なごやかな雰囲気になり、安心しているような様子
や表情を見せる。
( )自分の妻よりも、母親のほうに、より広く心を開くことができる。悲しいことやつらいことが
あると、妻に相談するよりも先に、母親に相談することが多い。
( )森進一の「おふくろさん」を聞いたりすると、涙を流さんばかりに感動したり、それを「すばら
しい歌」と評価する。
( )親の間では、まさに「子ども」といった感じになる。親は親で、まるで子ども扱いをし、またそ
う扱われることを当然と納得している。
( )親を必要以上に美化することが多い。親のささいな部分をとらえて、親のすばらしさ、ある
いは自分の親のすばらしさを強調する。
こうしたマザコン人間に、それを指摘すると、猛烈に反発するので、注意すること。マザコンで
あること自体が、その人の人生観の基本になっていることが多い。したがって妻の立場でいう なら、仮に夫がマザコン人間であるなら、それを受け入れるしかない。この問題は対処のし方 をまちがえると、たいへんな家庭騒動に発展する。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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【3】
ここ数日で書いたエッセーをいくつか紹介します。
子育てに関係のあるものを選んでみました。まあ、
そういう考え方もあるのかという程度に読んでくだ
されば、うれしく思います。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(472)
いかに子離れするか
いかに子どもを育てるかという問題と、いかに子離れするかという問題は、本来、同等のも
の。しかしこの日本では、後者(子離れ)は、なおざりにされ、むしろ、親は子離れなどすべきで はないという考え方が支配的である。「親子の縁は切れるものいではない」という言い方をする 人もいる。そしてその返す刀で、子どもが親離れすることを、「悪」と決めてかかる。あるいはそ れを許さない。
こうした風習は、地方の山村地域ほど顕著で、私が生まれ育った岐阜県の地方では、親に
ベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、よい子とする。そして独立心が旺盛で、 親を親とも思わない子どもを、鬼ッ子として忌(い)み嫌う。こうした傾向は、旧来型の日本の社 会ではふつうに見られることで、多かれ少なかれ、ほとんどの日本人に残っている。そしてそれ が全体として、日本独特の親子関係をつくる。
たとえば日本人は子どもを育てるとき、子どもによい思いをさせることが、親子のきずなを太
くする方法のひとつと考える。またそうすることで、子どもは親に感謝しているはずと考える。た がいの依存心を何よりも大切にする。(甘え、甘えられる)関係といってもよい。それがあるべ き親子の理想の姿と考えている人も多い。
一般論として、子どもが依存心をもつことに無トンチャンクな親というのは、自分自身も潜在
的に、だれかに依存したいという潜在的な願望をもっている。つまりその潜在的な願望が、子 どもの依存心に甘くなるというわけである。そしてそれがさらに全体として、日本型の子育て法 として、親から子へと、代々と受けつがれていく……。
が、ここにきて、その「流れ」に大きな変化がみられるようになった。若い世代を中心に、欧米
型の個人主義が台頭し、旧来型の親子関係を否定する動きである。尾崎豊の言葉を借りるな ら、「しくまれた自由からの卒業」(「卒業」)ということになる。が、それは同時に、そのまま家庭 教育に混乱となってはねかえってきた。結果として「家庭の教育力は低下した」(S県教育委員 会)が、しかし実際には、家庭の教育力は低下していない。むしろ教育力は高くなっている。親 子のふれあいの時間は、四〇年前、三〇年前とくらべても、飛躍的にふえている。問題は、教 育力の低下ではなく、新しい価値観になじめない親たち、新しい価値観を認めない親たちにあ る。さらにもっと言えば、古い価値観を否定はしたものの、それにかわる価値観を作りだすこと ができない親たちにある。
話がそれたが、子どもを育てるということは、いかに子離れしていくかという、その一言に尽き
る。いつもこの二つの問題は、常に同時進行の形で、処理されるべき問題なのである。日本人 は子離れ、親離れの問題を、あまりにも軽んじてきた。論ずる人も、(私をのぞいて)いない。し かしそれでは、今の日本をおおう、もろもろの問題は解決しない。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(473)
代償的不満
ある女性がこう言った。「私の夫は、あと片づけをほとんどしません。親から、そういう教育を
受けていないからです」と。こういうのを代償的不満という。本来の不満を覆い隠しながら、別 の不満にすりかえる不満と考えればよい。で、どこが代償的不満?
このケースのばあい、(夫があと片づけをしない)という不満が、本来の不満。しかしこの女性
は、それを(親からそういう教育を受けていない)という形にすりかえている。が、実のところ、こ れも代償的不満。
このケースのばあい、(夫そのものへの不満)、さらには、恐らく(夫の両親への不満)も、そ
の背景にある。つまりそうい不満が、姿を変えて、(教育を受けていない)(あと片づけしない)と いう不満へとなっていった。
こうした代償的不満は、子育ての世界では、ごくふつう見られる。よくあるケースが、学校の
先生に対する親の不満。「私の子どもの先生は、宿題の出し方が不規則で、気分的で困りま す」など。こういうケースでは、その背景に、(自分の子どもをていねいにみてくれないという不 満)、さらには、恐らく(自分の子どもの学力が思うように伸びないという不満)も、ある。こうした 不満が、姿を変えて、先生への批判へとなっていく。
また子どももそうだ。たとえば子どもは、塾などへ行きたくなくなると、「行きたくない」とは言わ
ない。そういうときは、塾の先生の悪口を言い始める。「まじめに教えてくれない」「えこひいきを する」「さぼって雑誌を読んでいた」など。つまりそういうことを親に言いながら、親をして、「そん ならやめなさい」と言うようにしむける。A君(小五)は、学校の先生に、「今度宿題をやってこな かったら、親に電話する」と脅されたのがきっかけで、その日から毎日、学校の先生の悪口を 言うようになった。いわば先手を打ったということになるが、こうしたケースは日常茶飯事。
子どもの意見に耳を傾けるのは、大切なことだが、しかし本来の原因(問題)がどこにあるか
を判断することも忘れてはいけない。そのひとつのヒントが、ここでいう代償的不満。この言葉 を知っているだけでも、子どもの心がよりはっきりと読めるようになる。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(474)
臨機応変に行動する
私の印象に残っている事件に、こういうのがあった。
ある日、自分の教室へ入ると、A組のA先生のチョーク箱が、起き忘れてあった。そこで園庭
で遊んでいた、ひとりの女の子(年長児)をつかまえて、そのチョーク箱を、A組のA先生のとこ ろへもっていってくれるように頼んだ。その女の子は、「ハーイ」と元気な声でそれに応じてくれ たが、心配だったのでその女の子を見ていると、その女の子は、またチョーク箱をもってかえっ てきてしまった。
そこで私が、「どうしてチョーク箱をもって帰ってきたの?」と聞くと、その女の子はこう言った。
「だって、A組に先生がいなかったもん」と。当時、園舎はコの字型の廊下になっていて、その 女の子が走っていく様子がよくわかった。その廊下で、帰ってくるとき、その女の子は、A先生 とすれちがっていた。そこでまた私が、「廊下ですれちがったとき、どうしてA先生に渡してくれ なかったの?」と聞くと、その女の子はこう言った。「だって、先生は、教室にいなかったもん」 と。
その女の子は、(A組でA先生に渡す)ということにこだわった。その気持ちはわからないでも
ないが、チョーク箱を渡すという目的からすれば、その女の子の行動は、どこか的がはずれて いる。こういう例は、ほかにもある。
B君が教室に忘れ物をしたときのこと。私は近くにいたC君(年長児)に「これをB君にもって
いってあげて」と頼んだ。C君はすぐ追いかけたものの、これまたすぐ戻ってきてしまった。「どう したの?」と聞くと、C君はこう言った。「もういなかった」と。C君は、うわばきをはいていた。そ れで「外(庭)へは出られなかった」と。C君は、B君を呼びとめようと思えば、それができたはず である。しかしC君は、それを思いつかなかった?
このタイプの子どもは、頭がかたいというふうにも考えるが、もうひとつは社会性の不足という
ことも考えられる。その場、その場で臨機応変にものを考えることができない。もっと言えば、 頭の中で大局的にものを考えることができない。言われたことは忠実にするが、「なぜ自分が そうしなければならないか」、また「その目的は何か」ということが考えられない。威圧的な過干 渉、親の先走り、心配先行型の子育てが日常化すると、子どもは自分で考えることができなく なり、ここでいうような症状を示すようになる。
もしあなたが「うちの子の行動は、いつもどこか的がはずれている」と感ずるなら、子どもの問
題というよりは、育てかたの問題と考え、反省する。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(475)
タレントの世界
ときどき「タレントになりたい」という子どもがいる。そういうとき私は、「よしなさい」と言うことに
している。理由がある。
私は若いころ、いろいろなテレビ番組の企画を書いていた。そのとき、ときどきモデルが必要
なときがあった。そのときのこと。これから先は、事実だけを書く。
モデルが必要なときは、テレビ局の正面玄関とは別にある、裏玄関の掲示板に、メモを張
る。「Aショー、○月○日、水着モデル、一名」と。するとそのメモを、通称「人買いのおばちゃ ん」という人が読み、あちこちからモデルを集めてくる。たいていは年配の女性がその仕事をし ていたので、「おばちゃん」と呼んでいた。で、全国放送ともなると、一回の募集で、二〇〜三〇 人の若い女の子が集まった。
そういうときは、その場でオーディションを開く。N局のばあい、別棟の二階がそういう部屋に
あてられていた。その部屋の一室に、女の子たちを並べる。そしてディレクターが、こう声をか ける。「ハーイ、上を脱いで!」と。すると女の子たちが、一斉に服を脱ぎ始める。中にはモジモ ジしている女の子もいる。するとディレクターがつづいて、そういう女の子に対しては、「あんた とあんたは、もう帰っていい」と。
で、その中から、もっともスタイルのよい女の子を選ぶ。一度、裸にするのは、「テレビに出た
ときの度胸を試すため」だ、そうだ。が、ここで終わるわけではない。
ある夜、その翌日出演予定の、Kというタレントとホテルの一室で打ち合わせをしていたとき
のこと。突然、連絡なしに、モデルの女の子がそのホテルへたずねてきた。人買いのおばちゃ んに連れられてやってきた。一応「あいさつにきた」ということだったが、実は一夜をそのKとい うタレントと過ごすためである。当時はそうしたあいさつ(?)は、半ば常識だった。つまりモデル 志望の女の子は、そういう形で、体を売りながら、マスコミの世界で自分の立場をつくってい た。
それから二五年になる。今は、状況も違うだろう。システムも変わったかもしれない。モデルと
かタレントとかいっても、いろいろなレベルの人がいる。だからみながみな、こうしたオーディシ ョンやあいさつ(?)をしているわけではない。しかしその世界は、私たちがテレビ画面から見る のとは大違い。少なくとも二五年前には、その背後ではドス黒い人間の欲望と、策謀が渦巻い ていた。きれいか汚いかと言われれば、あれほど汚い世界はなかった。だから私は言う。「よし なさい」と。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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【4】
少し辛口ですが、思い切って
日本の常識を切り込んでみま
す。過激な部分もあるかもし
れませんが、常識を疑ってみ
るもの、ときには大切なことか
もしれませんね。
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日本の常識、世界の非常識
●「子はかすがい」論……たしかに子どもがいることで、夫婦が力を合わせるということはよく
ある。夫婦のきずなも、それで太くなる。しかしその前提として、夫婦は夫婦でなくてはならな い。夫婦関係がこわれかかっているか、あるいはすでにこわれてしまったようなばあいには、 子はまさに「足かせ」でしかない。日本には「子は三界の足かせ」という格言もある。
●「親のうしろ姿」論……生活や子育てで苦労している姿を、「親のうしろ姿」という。日本では
「子は親のうしろ姿を見て育つ」というが、中には、そのうしろ姿を子どもに見せつける親がい る。「親のうしろ姿は見せろ」と説く評論家もいる。しかしうしろ姿など見せるものではない。(見 せたくなくても、子どもは見てしまうかもしれないが、それでもできるだけ見せてはいけない。) 恩着せがましい子育て、お涙ちょうだい式の子育てをする人ほど、このうしろ姿を見せようとす る。
●「親の威厳」論……「親は威厳があることこそ大切」と説く人は多い。たしかに「上」の立場に
いるものには、居心地のよい世界かもしれないが、「下」の立場にいるものは、そうではない。 その分だけ上のものの前では仮面をかぶる。かぶった分だけ、心を閉じる。威厳などというも のは、百害あって一利なし。心をたがいに全幅に開きあってはじめて、「家族」という。「親の権 威」などというのは、封建時代の遺物と考えてよい。
●「育自」論……よく、「育児は育自」と説く人がいる。「自分を育てることが育児だ」と。まちが
ってはいないが、子育てはそんな甘いものではない。親は子どもを育てながら、幾多の山を越 え、谷を越えている間に、いやおうなしに育てられる。育自などしているヒマなどない。もちろん 人間として、外の世界に大きく伸びていくことは大切なことだが、それは本来、子育てとは関係 のないこと。子育てにかこつける必要はない。
●「親孝行」論……安易な孝行論で、子どもをしばってはいけない。いわんや犠牲的、献身的
な「孝行」を子どもに求めてはいけない。強要してはいけない。孝行するかどうかは、あくまでも 子どもの問題。子どもの勝手。親子といえども、その関係は、一対一の人間関係で決まる。た がいにやさしい、思いやりのある言葉をかけあうことこそ、大切。親が子どものために犠牲にな るのも、子どもが親のために犠牲になるのも、決して美徳ではない。あくまでも「尊敬する」「尊 敬される」という関係をめざす。
●「産んでいただきました」論……よく、「私は親に産んでいただきました」「育てていただきまし
た」「言葉を教えていただきました」と言う人がいる。それはその人自身の責任というより、そう いうふうに思わせてしまったその人の周囲の、親たちの責任である。日本人は昔から、こうして 恩着せがましい子育てをしながら、無意識のうちにも、子どもにそう思わさせてしまう。いわゆ る依存型子育てというのが、それ。
●「水戸黄門」論……日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がまちがっ
ているかといっても、身分制度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その身分制度(= 巨悪)にどっぷりとつかりながら、正義を説くほうがおかしい。日本人は、その「おかしさ」がわ からないほどまで、この権威主義的なものの考え方を好む。葵の紋章を見せつけて、人をひれ 伏せさせる前に、その矛盾に、水戸黄門は気づくべきではないのか。仮に水戸黄門が悪いこと をしようとしたら、どんなことでもできる。それこそ一九歳の舞妓を、「仕事のこやし」と称して、 手玉にして遊ぶこともできる。
●「釣りバカ日誌」論……男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になっている。そ
の背景にあるのが、「男は仕事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、女は関係なし」 と。しかしこれこそまさに、世界の非常識。オーストラリアでも、夫たちが仕事の同僚と飲み食 い(パーティ)をするときは、妻の同伴が原則である。いわんや休日を、夫たちだけで過ごすと いうことは、ありえない。そんなことをすれば、即、離婚事由。「仕事第一主義社会」が生んだ、 ゆがんだ男性観が、その基本にあるとみる。
●「森進一のおふくろさん」論……夜空を見あげて、大のおとなが、「ママー、ママー」と泣く民
族は、世界広しといえども、そうはいない。あの歌の中に出てくる母親は、たしかにすばらしい 人だ。しかしすばらしすぎる。「人の傘になれ」とその母親は教えたというが、こうした美化論に はじゅうぶん注意したほうがよい。マザコン型の人ほど、親を徹底的に美化することで、自分の マザコン性を正当化する傾向がある。
●「かあさんの歌」論……窪田聡氏作詞の原詩のほうでは、歌の中央部(三行目と四行目)
は、かっこ(「」)つきになっている。「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」 「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待 ってるよ」と。しかしこれほど、恩着せがましく、お涙ちょうだいの歌はない。親が子どもに手紙 を書くとしたら、「♪村の祭に行ったら、手袋を売っていたよ。あんたに似合うと思ったから、買 っておいたよ」「♪おとうは居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」「♪春になったら、村の みんなと温泉に行ってくるよ」だ。
●「内助の功」論……封建時代の出世主義社会では、「内助の功」という言葉が好んで用いら
れた。しかしこの言葉ほど、女性を蔑視した言葉もない。どう蔑視しているかは、もう論ずるま でもない。しかし問題は、女性自身がそれを受け入れているケースが多いということ。約二 三%の女性が、「それでいい」と答えている※。決して男性だけの問題ではないようだ。
※……全国家庭動向調査(厚生省九八)によれば、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」
という考えに反対した人が、二三・三%もいることがわかった。
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「おふくろさん」論
森進一が歌う『おふくろさん』は、よい歌だ。あの歌を聞きながら、涙を流す人も多い。しかし
……。日本人は、ちょうど野生の鳥でも手なずけるかのようにして、子どもを育てる。これは日 本人独特の子育て法と言ってもよい。あるアメリカの教育家はそれを評して、「日本の親たち は、子どもに依存心をもたせるのに、あまりにも無関心すぎる」と言った。そして結果として、日 本では昔から、親にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコール、「よい子」とし、一方、独 立心が旺盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。
こうした日本人の子育て観の根底にあるのが、親子の上下意識。「親が上で、子どもが下」
と。この上下意識は、もともと保護と依存の関係で成り立っている。親が子どもに対して保護意 識、つまり親意識をもてばもつほど、子どもは親に依存するようになる。こんな子ども(年中男 児)がいた。生活力がまったくないというか、言葉の意味すら通じない子どもである。服の脱ぎ 着はもちろんのこと、トイレで用を足しても、お尻をふくことすらできない。パンツをさげたまま、 教室に戻ってきたりする。あるいは給食の時間になっても、スプーンを自分の袋から取り出す こともできない。できないというより、じっと待っているだけ。多分、家でそうすれば、家族の誰 かが助けてくれるのだろう。そこであれこれ指示をするのだが、それがどこかチグハグになっ てしまう。こぼしたミルクを服でふいたり、使ったタオルをそのままゴミ箱へ捨ててしまったりす るなど。
それがよいのか悪いのかという議論はさておき、アメリカ、とくにアングロサクソン系の家庭で
は、子どもが赤ん坊のうちから、親とは寝室を別にする。「親は親、子どもは子ども」という考え 方が徹底している。こんなことがあった。一度、あるオランダ人の家庭に招待されたときのこ と。そのとき母親は本を読んでいたのだが、五歳になる娘が、その母親に何かを話しかけてき た。母親はひととおり娘の話に耳を傾けたあと、しかしこう言った。「私は今、本を読んでいるの よ。じゃましないでね」と。
子育ての目標をどこに置くかによって育て方も違うが、「子どもをよき家庭人として自立させる
こと」と考えるなら、依存心は、できるだけもたせないほうがよい。そこであなたの子どもはどう だろうか。依存心の強い子どもは、特有の言い方をする。「何とかしてくれ言葉」というのが、そ れである。たとえばお腹がすいたときも、「食べ物がほしい」とは言わない。「お腹がすいたア〜 (だから何とかしてくれ)」と言う。ほかに「のどがかわいたア〜(だから何とかしてくれ)」と言う。 もう少し依存心が強くなると、こういう言い方をする。私「この問題をやりなおしなさい」子「ケシ で消してからするのですか」私「そうだ」子「きれいに消すのですか」私「そうだ」子「全部消すの ですか」私「自分で考えなさい」子「どこを消すのですか」と。実際私が、小学四年生の男児とし た会話である。こういう問答が、いつまでも続く。
さて森進一の歌に戻る。よい年齢になったおとなが、空を見あげながら、「♪おふくろさんよ
……」と泣くのは、世界の中でも日本人ぐらいなものではないか。よい歌だが、その背後には、 日本人独特の子育て観が見え隠れする。一度、じっくりと歌ってみてほしい。
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【For English Readers】(roughly translateded by Mr IBM)
Common sense of Japan and the world are irrational.
●We have many Japanese common sensens but most of them depend on the Japanese
traditional customs, which may be wrong also in many ways.
- "A child is the pledge of affection" theory .... By surely there being a child, husband and
wife sometimes often unite power. Husband and wife's bonds also become thick by it. However, as the premise, husband and wife must be husband and wife. When a husband-and- wife relation is breaking or it has already broken, there is just a child only by "fetters." There is also a proverb "children are the fetters of three boundaries" in Japan.
- "Sight of its back of parents" theory .... The figure which is suffering troubles by a life or
child bringing up is called "parents' sight of its back." Although "a child looks at parents' sight of his back, and it is said that he grows up" in Japan, in inside, the parents who display the sight of its back to a child are. There are some critics who explain "Parents' sight of its back should show." However, the sight of its back etc. is not shown. (Even if he does not want to show, although a child may see, he still must not show as much as possible.) Those who do patronizing child bringing up and child bringing up of a tear receive formula are going to show this sight of its back.
- "Dignity of parents" theory .... There are many people who explain "It is important for
parents that it is just dignified." Although it may be the world comfortable to what surely is in the "upper" position, what is in a "lower" position is not so. Only the part wears a mask in front of the upper thing. Only a part to have worn closes the heart. A thing called dignity etc. has no merits, but it will damage the relationship of families.
The heart is called "family" only after open and being in full mutually. "Parents' authority"
etc. may consider the remains of the feudal age.
- "Bringing Self" theory .... It is good and there are those who explain "Child-rearing is
Bringing Self." "It is child-rearing to bring oneself up." Although it is not wrong, child bringing up is not such a sweet thing. Parents are brought up without acceptance or declining, while crossing many mountains and having crossed the valley, bringing up a child. There is no time which is carrying out Bringing Self etc. Although it is important to be greatly extended in the outer world as man of course, originally it be unrelated to child bringing up. It is not necessary to pretend it child bringing up.
- "Filial piety" theory .... Don't bind a child with an easy dutiful theory. Don't be and don't
ask a child neither for a bowl nor self-sacrificing and self-sacrificing "filial piety." Don't force. It is a child's problem whether it is dutiful to the last. A child's kitchen. Although it is called parent and child, the relation is decided by the human relations of 1 to 1. It is important to just negotiate about the language which has easy consideration mutually. It is never also virtues that parents also benefit a child victim and that a child benefits parents victim. The relation of "it respecting" and "being respected" is aimed at to the last.
- Argument "which I had produced" .... It is good and there are those who say, "I had
language "I had you "I had parents bear" and raise" and taught." It is parents' responsibility around the man who has made like that consider rather than a man's responsibility own the Japanese people will be made to thought to a child so, carrying out patronizing child bringing up in this way from ancient times while it will be unconscious. The so-called dependence child bringing up should curve.
- "Mito Komon" theory .... The symbol of the Japan type authoritarianism is that "Mito
Komon." There are not that time and a thing which is wrong in what or has made a mistake in the class system (feudalism). It is more amusing to explain justice, being flooded with the class system (= great evil) with fullness Japanese people like the view of this authoritarian thing to the degree which the "amusingness" does not understand. Before displaying the crest of a mallow and being able to make a man able to prostrate oneself, should not Mito Komon notice the inconsistency? Anythings will be made supposing Mito Komon is going to do a bad thing. it -- a 19-year-old dancing geisha -- it carries out and " is called, and it can be made a beanbag and can also play
- "Diary of a Fishing Nut" theory ...there is well known TV drama called , "Diary of a Fishing
Nut", but a holiday is passed by men. It has been the foundations of that drama. It being in the background is "a man is work and a woman is a home." On the extension, it is with " when playing, a woman has no relation." However, just this is just irrational. Also in Australia, when husbands eat and drink with the coworker of work (party), company of a wife is a principle. It is and it cannot be said that a bowl and a holiday are passed only by husbands. If such a thing is done, they are then and a divorce reason. The bent male view which the " work first principle society" induced concludes that it is in the foundations.
- "About his Mum whom Shinichi Mori wipes" theory .... A night sky is seen and raised is not
in the race over which an adult adult cries with "Mummy and Mummy" so, either. Mother who comes out in that song is a person wonderful to be sure. However, it is too wonderful. It is better to be cautious of such a beautification theory enough, although it is said that the mother taught it "become people's umbrella." There is a tendency which justifies its mother complex nature by idealizing parents thoroughly as a mother complex type man.
- "Song of mother" theory .... In the way of the original poetry of the Satoshi Kubota Mr.
lyrics, the central part (the third line and the fourth line) of a song is with a letter such as " ♪ I took a trouble for you to make gloves for you ""♪ Your Father is working for you sitting on the graound in the house". However, this much, it is patronizing and there is no song of a tear receive. The " glove was sold when carrying out to the festival of ♪ village. Supposing parents write a letter to a child since it thought that the gloves may be fiited to you bought it -- ""♪ obtaining -- sitting room -- the production of a haiku poem It is it sometimes appearing also in a newspaper", and "going to a hot spring with everybody of a village, if it becomes in the spring of ♪."
- "Help of one's wife's help" theory .... In the success-in-life principle society of the feudal
age, the word "Help of its wife's help" is fond, and was used. However, there is also no language which despised the lady as this language. It is not necessary to argue any longer how it despises. However, say [ that the lady herself has accepted it in many cases and ] a problem. * which about 23% of the lady has answered "Then, it is good." It never seems to be a male problem.
* .... According to national home trend investigation (Ministry of Health and Welfare 98), it
turns out that there is a person who was opposed to the idea "a husband should also pay housekeeping and child-rearing equally" also 23.3%.
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"Mum who wipes" theory
●There is a very well known
song called "Mum", sung by one
of the most famous pop singer.
This is a short essay about the song.
People say this is a very good song,
But is this true?
"Mum who wipes" whom Shinichi Mori sings is a good song. There are also many people
who shed a tear, hearing that song. However, .... As Japanese people are whether to also tame a wild bird exactly, they bring up a child. This may call it a child bringing-up method peculiar to Japanese people. The educator of a certain United States commented it, and said, "Japanese parents are too indifferent to giving a child a dependence." And as a result, from ancient times, the child who presumes upon parents all over is made into dear child equal sign and "a good child", and, on the other hand, an independent spirit dislikes a flourishing child as a "devilish child" in Japan.
It is parent and child's vertical consciousness that it is in the bottom of such a Japanese's
child bringing-up view. "For parents, in a top, a child is the bottom." Consciousness under besides is realized in relation with protection and dependence from the first. The more parents have protection consciousness, i.e., parent consciousness, to a child, the more a child comes to be dependent on parents. There was such a child (whole year boy). It is the child to whom it says that there is no vitality, or even the meaning of language does not pass. It cannot even perform wiping the hips, even if it does its business not to mention dress removing and wearing in a toilet. It returns to a classroom, with trousers lowered. Or even if the time of supply of food comes, a spoon cannot be picked out from its own bag, either. It is as it is waiting intently rather than it cannot do. Probably, it will be a house, then someone of families will help. Then, although directed this way and that, it will become funn y somewhere. The spilt milk is wiped with dress or the used towel is thrown away into a garbage box as it is.
That it is good and argument of whether being bad are set aside, and a child sets aside a
bedroom with parents among babies at the home of the United States, especially an Anglo- Saxon system. The view "parents are parents and a child is a child" puts into practice. There was such a thing. The thing was invited to the home of a certain people from the Netherlands at once and to solve. Although mother was reading the book then, the daughter who is 5 years old has spoken to the mother in something. Mother said like this, after listening to a daughter's talk briefly. "I am reading the book now. Does it drop off better ?"
It is better not to give a dependence as much as possible, if it considers "It makes a child
become independent as good home people", although how to raise by where the target of child bringing up is put is also different. Then, how is your child? The strong child of a dependence does a characteristic way of speaking. "-- somehow -- carrying out -- language -- saying -- then, it is For example, when you are hungry, it does not say, "I want food." It is called (therefore, carry out somehow) which was hungry." (therefore, carry out somehow) whose throat became it dry" is told to others. A dependence carries out such ways of speaking to becoming strong to a slight degree. With a considering-by oneself" child "where is erased?" whether it acts after erasing by the I am actually the conversation made into the boy of the fourth grader in an elementary school. Such dialogs continue forever.
Now, it returns to Shinichi Mori's song. while the adult who became good age looks at and
raises empty -- "-- ♪ -- Mum who wipes .... crying with " -- the inside in the world -- a Japanese -- don't about? Although it is a good song, back a child bringing-up view peculiar to Japanese people becomes invisible from time to time. I want you to sing thoroughly at once.
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おまけのページ
タレントの世界
ときどき「タレントになりたい」という子どもがいる。そういうとき私は、「よしなさい」と言うことに
している。理由がある。
私は若いころ、いろいろなテレビ番組の企画をアルバイトで書いていた。そのとき、ときどき
モデルが必要なときがあった。そのときのこと。これから先は、事実だけを書く。
モデルが必要なときは、テレビ局の正面玄関とは別にある、裏玄関の掲示板に、メモを張
る。「Aショー、○月○日、水着モデル、一名」と。するとそのメモを、通称「人買いのおばちゃ ん」という人が読み、あちこちからモデルを集めてくる。たいていは年配の女性がその仕事をし ていたので、「おばちゃん」と呼んでいた。で、全国放送ともなると、一回の募集で、二〇〜三〇 人の若い女性が集まった。
そういうときは、その場でオーディションを開く。N局のばあい、別棟の二階がそういう部屋に
あてられていた。その部屋の一室に、女の子たちを並べる。そしてディレクターが、こう声をか ける。「ハーイ、上を脱いで!」と。すると女の子たちが、一斉に服を脱ぎ始める。中にはモジモ ジしている女の子もいる。するとディレクターがつづいて、そういう女の子に対しては、「あんた とあんたは、もう帰っていい」と。
で、その中から、もっともスタイルのよい女の子を選ぶ。一度、裸にするのは、「テレビに出た
ときの度胸を試すため」だ、そうだ。が、ここで終わるわけではない。
ある夜、その翌日出演予定の、Kというタレントとホテルの一室で打ち合わせをしていたとき
のこと。突然、連絡なしに、モデルの女の子がそのホテルへたずねてきた。人買いのおばちゃ んに連れられてやってきた。一応「あいさつにきた」ということだったが、実は一夜をそのKとい うタレントと過ごすためである。当時はそうしたあいさつ(?)は、半ば常識だった。つまりモデル 志望の女の子は、そういう形で、体を売りながら、マスコミの世界で自分の立場をつくってい た?
それから二五年になる。今は、状況も違うだろう。システムも変わったかもしれない。モデルと
かタレントとかいっても、いろいろなレベルの人がいる。だからみながみな、こうしたオーディシ ョンやあいさつ(?)をしているわけではない。しかしその世界は、私たちがテレビ画面から見る のとは大違い。少なくとも二五年前には、その背後ではドス黒い人間の欲望と、策謀が渦巻い ていた。きれいか汚いかと言われれば、あれほど汚い世界はなかった。だから私は言う。「よし なさい」と。
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言葉教育
私はときどき、英語で原稿を書く。そこで書いたあと、アメリカやオーストラリアの友人に添削
を頼む。だが、ここでおもしろい現象に出あう。どの人も、「それで意味がわかるから、このまま でいい」と、なおしてくれない。「文法のミスはないか?」と聞くと、「あるが、それでわかるからい い」と。こうしたおおらかさは、日本には、ない。
最近、あることがあって、アメリカの友人が、冷やし中華のことを書いてきた。日本で食べた、
冷やし中華がおいしかったので、そのレシピを教えてほしい、と。そのときのことだが、彼は、 「中華」を、「tyuka」と書いてきた。正しくは、「chuka」か? ……と考えたところで、私はハタと 自分の愚かさに気づいた。そんなのは、どちらでもよいではないか、と。しかもそういうことにこ だわるのは、日本人の悪いクセだ。実際、世界広しといえども、日本人ほど「形」や「型」にこだ わる民族はいない。いないものは、いないのであって、どうしようもない。アメリカでも、オースト ラリアでも、子どもたちの作文を見ても、あちらの先生は、スペルや文法(ルール)のまちがい には、ほとんど関心を払わない。大切なのは、中身という考え方が徹底している。ウソだと思う なら、ここに私が書いていることを、あなたの周囲にいるアメリカ人やオーストラリア人に確か めてみることだ。
「言葉教育」に対して、考え方が基本的な部分で違う。日本の教育は、子どもたちが将来、文
法学者になるためには、きわめてすぐれた体系をもっている。しかし将来、文法学者になる子 どもは、いったい、何%いるというのか。数学にしても、英語にしても、そうだ。日本の教育は、 将来数学者や、英語の文法学者になるのは、きわめてすぐれた体系をもっている。しかし、将 来そういう道に進む子どもは、何%いるというのか?
日本の教育は、もともとどこかのエラーイ大学の先生たちが作った。だからおもしろくない。だ
から役にたたない。言葉教育(作文、読書)についても、同じ。茶道や華道ではあるまいし、もっ とおおらかでいいのではないのか。大切なのは、いかに考え、いかに的確に表現し、いかに正 しく相手に自分の気持ちを伝えるか、あるいはいかに正しく相手の気持ちを知るか、だ。本筋 を忘れたとき、教育は基本的な部分でゆがむ。日本の教育は、その本筋を忘れている。
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ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(477)
東京文化
この浜松では、何でも「東京からきた」というだけで、ありがたがる。その傾向がきわめて強
い。悲しき、田舎根性というのである。そしてその返す刀で、同じ地方に住む、仲間の価値を認 めない。あるいは軽く見る。タレントの世界には、こんな合言葉がある。「東京で有名になって、 地方で稼げ」と。
しかし皆さん、少し冷静に考えてみてほしい。本当に東京文化は、すぐれているか、と。考え
てみれば、あんなゴチャゴチャした、コンクリートの巨大なゴミ箱の中に住んでいるような人たち から、すぐれた文化など生まれるはずはない。そのことは朝のワイドショーを垣間(かいま)見 ればわかるはず。彼らがおりなすドラマには、一片の知性も理性もない。犬や猫でも、あそこま ではしないという、痴話(ちわ)話ばかり。が、悲劇は、ここで終わらない。
先日もある出版社へ原稿を持ちこんだら、そこの若い編集者がこう言った。「地方紙ではね
え……」と。私がC新聞でコラムを書いてますと自己紹介したときのことだ。「地方紙でいくらコ ラムを書いても、意味がない」と。そういうことを、そこらの若い編集者が言うからおかしい。中 身をまるで見ない。中身で判断しない。テレビに出ているかとか、知名度はどうかとか、そうい うことでしか、人を判断しない。
この傾向は、実はこの浜松という地方でも、同じ。私は以前、G社という出版社で、幼児教室
向けの教材一式をつくった。全部で四八巻である。その教材を使って、近くの幼児教室が教室 を始めた。私としてはそれを喜ばねばならないところだが、聞くところによると、その教室では、 私の名前を消して、その教材を使っているという。同じ浜松に住む人間が作った教材では、価 値がないとでも思っているのだろうか。(あるいはもっと別の理由があるのかもしれない。)
日本は奈良時代の昔から、中央集権国家。すべてが、中央から地方へと、上位下達方式で
流れている。その逆はめったにない。魂そのものまで抜かれてしまっているから、それを疑問 に思う人すらいない。これをうまく利用すると、日本ではうまく金儲けができる。しかしその陰 で、いかに多くの善良な文化が犠牲になっていることか。差し引きすれば、損害のほうがはる かに大きい。
つい先日も、あるタレントが、浜松市内で講演をして帰った。どこかのスポーツジムに属する
タレントだそうだが、実に軽薄な感じのする男だった。そういう男が、この浜松で「教育講演」を するおかしさを、あなたには理解できるだろうか。聞くところによると、一回の講演料が、八〇 万円! プラス宿泊費その他である。彼らにしてみれば、地方こそ、よいカモなのだ。
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誇大視化
カルト教団の指導法には、いくつかの特徴がある。その一つが「誇大視化」。「巨大視化」と呼
ぶ人もいる。ささいな矛盾や、ささいなまちがいをとらえて、ことさらそれを大げさに問題にし、さ らにその矛盾やまちがいを理由に、相手を否定するという手法である。
しかしこうした手法は、何もカルト教団に限らない。教育カルトと呼ばれる団体でも、ごくふつ
うに見られる現象である。あるいは教育パパ、教育ママと呼ばれる人たちの間でも、ごくふつう に見られる現象である。つい先日も、こんなことがあった。
私はときどき、席を立ってフラフラ歩いている子どもに、こう言うことがある。「パンツにウンチ
がついているなら、立っていていい」と。もちろん冗談だし、そういう言い方のほうが、「座ってい なさい」「立っていてはだめ」と言うより、ずっと楽しい(?)。そのときもそうだった。が、ここでハ プニングが起きた。そばにいた別の子どもが、その子ども(小二男児)のおしりに顔をうずめ て、「クサイ!」と言ってしまったのだ。「先生、コイツのおしり、本当にクサイ!」と。
で、そのときは皆が、それで笑ってすんだ。が、その夜、彼の父親から猛烈な抗議の電話が
かかってきた。「息子のパンツのウンチのことで、恥をかかせるとは、どういうことだ!」と。私 はただ平謝りに謝るしかなった。が、それで終わったわけではない。それから三か月もたった ある日のこと。その子どもが突然、私の教室をやめると言い出した。見ると、父親からの手紙 が添えられてあった。いわく、「お前は、教師として失格だ。あちこちで講演をしているというが、 今すぐ講演活動をやめろ。それでもお前は日本人か」と。
ここまで否定されると、私とて黙ってはおれない。すぐ電話をすると、母親が出たが、母親
は、「すみません、すみません」と言うだけで、会話にならなかった。で、私のほうも、それです ますしかなかったが、それがここでいう、「誇大視化」である。たしかに私は失敗をした。しかし そういう失敗は、こういう世界ではつきもの。その失敗を恐れていたら、教育そのものができな い。教育といっても、基本的には人間関係で決まる。で、そういう一部の失敗をことさら大げさ にとらえ、それでもって、相手を否定する。ふつうの否定ではない。全人格すら否定する。
そういえば、あるカルト教団では、相手の顔色をみて、その人の全人格を判断するという。
「死に際の様子を見れば、その人の全生涯がわかる」と説く教団もある。それはまさに誇大視 化である。皆さんも、じゅうぶん、この誇大視化には、注意されたい。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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講演会においでください。おいでになるときは、一度、主催者に連絡してください。
多分(いいかげんな言い方ですみません)、自由に聴講していただけると思います。
7月4日(木)……浜松市市立幼稚園PTA連合会にて講演
(主催 浜松市市立幼稚園連合会、連絡先、万ごく幼稚園)
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
11・21……北浜南小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・未定……静岡梨花幼稚園
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
7・23……浜松市東部公民館母親教室
7・20……伊平小学校
7・4……浜松市市立幼稚園PTA連合会
6・23……有玉幼稚園
ほか、横浜市(2個所)、愛知県豊田市、浜松市医療センター内での講演
を予定しています。詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! がんばっています!
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MMMMM
m | ⌒ ⌒ |
( ̄\q ・ ・ p
\´(〃 ▽ 〃) /〜〜
\  ̄Σ▽乃 ̄\/〜〜/
\ : ξ)
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┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)6-22
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====KW(8)
子育て最前線の育児論byはやし浩司(E−マガ)……読者数(Nr. of Readers) 303人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are brinnging up Children in the Forefront Line
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/井\
〔井井井〕
MMMMM \井/Hi! I am Hiroshi, and through this magazine you may know
| ⌒ ⌒ | ‖ what is happening among parents in Japan,with some knowledge
○ q ・ ・ p ‖ how to cope with Kids and how to bring up children at home.
⊆⊇ (〃 ▽ 〃) ξ)
\u ̄ ̄⊆V⊇ ̄ ̄レ/
 ̄丶 : 厂 ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
━━○━━━━━━━○━━━━━━━
最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数 82人
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上、二つの、E-マガとメルマガは同じ内容です。
(どちらか一つという方は、E-マガのほうをご購読ください。
購読の仕方は、私のサイトのトップページから、マガジンコーナーへ。)
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published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you veru much.
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02−6−22号(065)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayahsi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Privare Room in my Website are, C-X-I
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazien is translated into English
for your vonvenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home conutry. Hiroshi
メニュー
【1】読者の方より(An E-mail from a reader in Canada)
【2】マザーコンプレックス(Inferior Complex toward Mother)
【3】エッセー(short essays)
【4】日本の常識、世界の非常識(Common Sense in Japan)
【E】English Version
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【1】
こうしてマガジンを発行させていただいていますが、
信じられぬほど遠方の方から、メールをいただくこ
とがあります。カナダにお住まいのSさんから、こん
なメールが届いています。許可をいただいて、紹介
します。
**************************
はやし先生 こんにちは
先生からのE−マガジンを毎号楽しみにしています。
内容がたくさんあり、いつも時間をかけて読んでいます。
別に保管もして、時々読み返しています。
先日(5−30号)の 子供を伸ばす会話術はとても参考になり、
考えさせられました。
私も、子供が何もせずにダラダラとしていると、
ついつい命令口調になってしまいます。
そういう口調で話ししているとき、子供は私の話しを聞こうとしないですね。
口では「わかった」とか言うんですけど、どうでもいいって感じで、
行動が伴っていなかったんです。
話し方を変えるだけで、子供は素直に反応してくれるようになりました。
この号を読んで、まず自分から改めなければいけないなと思いました。
といっても、言ってしまった後から、「あ、言っちゃった」と思うことの
方がまだ多いのですが・・。
まだまだ子供のことは分からないことばかりです。
今はよくコミュニケーションをとって、子供のことを理解してあげて
信頼関係を築いていくことかなと考えています。
日本はそろそろ梅雨の季節ですね。
ここカナダには梅雨はなく、
今はとてもさわやかな気候です。緑やきれいな花がたくさん
咲いています。カナダは来られたことはありますか?
それでは 失礼します。
(カナダ、Sさんより)
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【2】
マザーコンプレックスをもった人は多いですね。
しかし本人は、それを「親への深い愛」と誤解
している。あるいは自分では「孝行息子(娘)」と
考えている。親を美化しながら、自分のマザコン
ぶりを正当化しようとします。子育ての目標は、
子どもを自立させること。マザコン人間は、その
自立ができない人とみます。(失礼!)
マザコン人間は、妻よりも母親のほうをとります。
母親→妻→子という優先順位をつけ、「親孝行
こそ最大の美徳」と、位置づけることもあります。
まだ思想がかたまっているわけではありませんが、
参考意見として、ここに「マザコン」についての
原稿を掲載します。これから先、この問題は何度も
反芻(はんすう)しながら、考えてみたいです。
******************************
マザコン型人間
親が子どもに感ずる愛には、三種類ある。本能的な愛、代償的愛、それに真の愛である。こ
のうち本能的な愛と代償的愛に溺れた状態を、溺愛という。そしてその溺愛がつづくと、いわゆ る溺愛児と呼ばれる子どもが生まれる。
その溺愛児は、たいていつぎのような経過をたどる。ひとつはそのまま溺愛児のままおとな
になるタイプ。もうひとつは、その途中で、急変するタイプ。ふつうの急変ではない。たいていは げしい家庭内暴力をともなう。
で、そのまま進むと、いわゆるマザーコンプレックス(マザコン)タイプのおとなになる。おとな
になっても、何かにつけて、「ママ、ママ」とか、「お母さん、お母さん」と言うようになる。このマザ コンタイプの人の特徴は、(1)マザコン的であることを、理想の息子と思い込むこと。(圧倒的 に母と息子の関係が多いので、ここでは母と息子の関係で考える。)それはちょうど溺愛ママ が、溺愛を、「親の深い愛」と誤解するのに似ている。そして献身的かつ犠牲的に、母親に尽く すことを美徳とし、それを他人に誇る。これも溺愛ママが、自分の溺愛ぶりを他人に誇示する のに似ている。
つぎに(2)自分のマザコンぶりを正当化するため、このタイプの男性は、親を徹底的に美化
しようとする。「そういうすばらしい親だから、自分が親に尽くすのは、正しいことだ」と。そういう 前提を自分の中につくる。そのために、親のささいな言動をとらえて、それをおおげさに評価す ることが多い。これを「誇大視化」という。「巨大視化」という言葉を使う人もいる。「私の母は、 ○○のとき、こう言って、私を導いてくれました」とかなど。カルト教団の信者たちが、よく自分た ちの指導者を誇大視することがあるが、それに似ている。「親孝行こそ最大の美徳」と説く人 は、たいていこのタイプの男性とみてよい。G氏(五四歳男性)もそうだ。何かにつけて、一〇年 ほど前に死んだ自分の母親を自慢する。だれかが批判めいたことを言おうものなら、猛烈にそ れに反発する。あるいは自分を悪者にしたてても、死んだ母親をかばおうとする。
マザコンタイプの人は、自分では結構ハッピーなのだろうが、問題は、そのため、たいていは
夫婦関係がおかしくなる。妻が、夫のマザコンぶりに耐えられないというケースが多い。しかし 悲劇はそれで終わらない。マザコンタイプの夫は、自分でそれに気づくことは、まずない。「親 をとるか、妻をとるか」と迫られたりすると、「親をとる」とか、「当然、親」と答えたりする。反対 に妻に、「親のめんどうをしっかりみてくれなければ、離婚する」などと言うこともある。そもそも 結婚するとき、婚約者に「(私と結婚するなら)親のめんどうをみること」というような条件を出す ことが多い。親は親で、そういう息子を、できのよい息子と喜ぶ。あとはこの繰り返し。
******************************
マザコン・テスト(試作)
つぎの一二の質問項目のうち、六つ以上、当てはまれば、かなりのマザコン人間とみてよ
い。(権威主義的なものの考え方が混在しているタイプのマザコン人間)
( )いつも生活の中心に親がいる。親がいないと何も始まらないという感じ。重要なことは、何
でも親に相談したり、報告したりする。
( )「親は絶対」という意識が強く、親に反抗したり、親を粗末にするということは、考えられな
い。献身的かつ犠牲的な親孝行をするのが、子どもの務めと考えている。
( )「親を選ぶか、妻を選ぶか」という択一に迫られたようなとき、「親!」と当然のように考え
る。そういう意味では、妻は、親の前では家政婦のような存在でしかない。
( )親の悪口を言ったりする人を許さない。あるいは徹底的に反論し、それを「息子のカガミ」
と、かえって他人に誇示することが多い。
( )常日ごろから、「産んでいただきました」「育てていただきました」と、親に感謝することを美
徳とする。また自分の息子や娘にも、同じように思うように求める。
( )親を喜ばすことを、最大の目標とし、一方親は親で、そういう息子を、「親孝行で、できのい
い息子」と評価することが多い。
( )家庭や家族の中での上下意識が強く、自分の親には服従的である一方、自分の子どもが
反抗したりすると、「親に向かって何だ!」というような言い方をする。
( )妻や家族といるよりも親といるほうが、なごやかな雰囲気になり、安心しているような様子
や表情を見せる。
( )自分の妻よりも、母親のほうに、より広く心を開くことができる。悲しいことやつらいことが
あると、妻に相談するよりも先に、母親に相談することが多い。
( )森進一の「おふくろさん」を聞いたりすると、涙を流さんばかりに感動したり、それを「すばら
しい歌」と評価する。
( )親の間では、まさに「子ども」といった感じになる。親は親で、まるで子ども扱いをし、またそ
う扱われることを当然と納得している。
( )親を必要以上に美化することが多い。親のささいな部分をとらえて、親のすばらしさ、ある
いは自分の親のすばらしさを強調する。
こうしたマザコン人間に、それを指摘すると、猛烈に反発するので、注意すること。マザコンで
あること自体が、その人の人生観の基本になっていることが多い。したがって妻の立場でいう なら、仮に夫がマザコン人間であるなら、それを受け入れるしかない。この問題は対処のし方 をまちがえると、たいへんな家庭騒動に発展する。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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【3】
ここ数日で書いたエッセーをいくつか紹介します。
子育てに関係のあるものを選んでみました。まあ、
そういう考え方もあるのかという程度に読んでくだ
されば、うれしく思います。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(472)
いかに子離れするか
いかに子どもを育てるかという問題と、いかに子離れするかという問題は、本来、同等のも
の。しかしこの日本では、後者(子離れ)は、なおざりにされ、むしろ、親は子離れなどすべきで はないという考え方が支配的である。「親子の縁は切れるものいではない」という言い方をする 人もいる。そしてその返す刀で、子どもが親離れすることを、「悪」と決めてかかる。あるいはそ れを許さない。
こうした風習は、地方の山村地域ほど顕著で、私が生まれ育った岐阜県の地方では、親に
ベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、よい子とする。そして独立心が旺盛で、 親を親とも思わない子どもを、鬼ッ子として忌(い)み嫌う。こうした傾向は、旧来型の日本の社 会ではふつうに見られることで、多かれ少なかれ、ほとんどの日本人に残っている。そしてそれ が全体として、日本独特の親子関係をつくる。
たとえば日本人は子どもを育てるとき、子どもによい思いをさせることが、親子のきずなを太
くする方法のひとつと考える。またそうすることで、子どもは親に感謝しているはずと考える。た がいの依存心を何よりも大切にする。(甘え、甘えられる)関係といってもよい。それがあるべ き親子の理想の姿と考えている人も多い。
一般論として、子どもが依存心をもつことに無トンチャンクな親というのは、自分自身も潜在
的に、だれかに依存したいという潜在的な願望をもっている。つまりその潜在的な願望が、子 どもの依存心に甘くなるというわけである。そしてそれがさらに全体として、日本型の子育て法 として、親から子へと、代々と受けつがれていく……。
が、ここにきて、その「流れ」に大きな変化がみられるようになった。若い世代を中心に、欧米
型の個人主義が台頭し、旧来型の親子関係を否定する動きである。尾崎豊の言葉を借りるな ら、「しくまれた自由からの卒業」(「卒業」)ということになる。が、それは同時に、そのまま家庭 教育に混乱となってはねかえってきた。結果として「家庭の教育力は低下した」(S県教育委員 会)が、しかし実際には、家庭の教育力は低下していない。むしろ教育力は高くなっている。親 子のふれあいの時間は、四〇年前、三〇年前とくらべても、飛躍的にふえている。問題は、教 育力の低下ではなく、新しい価値観になじめない親たち、新しい価値観を認めない親たちにあ る。さらにもっと言えば、古い価値観を否定はしたものの、それにかわる価値観を作りだすこと ができない親たちにある。
話がそれたが、子どもを育てるということは、いかに子離れしていくかという、その一言に尽き
る。いつもこの二つの問題は、常に同時進行の形で、処理されるべき問題なのである。日本人 は子離れ、親離れの問題を、あまりにも軽んじてきた。論ずる人も、(私をのぞいて)いない。し かしそれでは、今の日本をおおう、もろもろの問題は解決しない。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(473)
代償的不満
ある女性がこう言った。「私の夫は、あと片づけをほとんどしません。親から、そういう教育を
受けていないからです」と。こういうのを代償的不満という。本来の不満を覆い隠しながら、別 の不満にすりかえる不満と考えればよい。で、どこが代償的不満?
このケースのばあい、(夫があと片づけをしない)という不満が、本来の不満。しかしこの女性
は、それを(親からそういう教育を受けていない)という形にすりかえている。が、実のところ、こ れも代償的不満。
このケースのばあい、(夫そのものへの不満)、さらには、恐らく(夫の両親への不満)も、そ
の背景にある。つまりそうい不満が、姿を変えて、(教育を受けていない)(あと片づけしない)と いう不満へとなっていった。
こうした代償的不満は、子育ての世界では、ごくふつう見られる。よくあるケースが、学校の
先生に対する親の不満。「私の子どもの先生は、宿題の出し方が不規則で、気分的で困りま す」など。こういうケースでは、その背景に、(自分の子どもをていねいにみてくれないという不 満)、さらには、恐らく(自分の子どもの学力が思うように伸びないという不満)も、ある。こうした 不満が、姿を変えて、先生への批判へとなっていく。
また子どももそうだ。たとえば子どもは、塾などへ行きたくなくなると、「行きたくない」とは言わ
ない。そういうときは、塾の先生の悪口を言い始める。「まじめに教えてくれない」「えこひいきを する」「さぼって雑誌を読んでいた」など。つまりそういうことを親に言いながら、親をして、「そん ならやめなさい」と言うようにしむける。A君(小五)は、学校の先生に、「今度宿題をやってこな かったら、親に電話する」と脅されたのがきっかけで、その日から毎日、学校の先生の悪口を 言うようになった。いわば先手を打ったということになるが、こうしたケースは日常茶飯事。
子どもの意見に耳を傾けるのは、大切なことだが、しかし本来の原因(問題)がどこにあるか
を判断することも忘れてはいけない。そのひとつのヒントが、ここでいう代償的不満。この言葉 を知っているだけでも、子どもの心がよりはっきりと読めるようになる。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(474)
臨機応変に行動する
私の印象に残っている事件に、こういうのがあった。
ある日、自分の教室へ入ると、A組のA先生のチョーク箱が、起き忘れてあった。そこで園庭
で遊んでいた、ひとりの女の子(年長児)をつかまえて、そのチョーク箱を、A組のA先生のとこ ろへもっていってくれるように頼んだ。その女の子は、「ハーイ」と元気な声でそれに応じてくれ たが、心配だったのでその女の子を見ていると、その女の子は、またチョーク箱をもってかえっ てきてしまった。
そこで私が、「どうしてチョーク箱をもって帰ってきたの?」と聞くと、その女の子はこう言った。
「だって、A組に先生がいなかったもん」と。当時、園舎はコの字型の廊下になっていて、その 女の子が走っていく様子がよくわかった。その廊下で、帰ってくるとき、その女の子は、A先生 とすれちがっていた。そこでまた私が、「廊下ですれちがったとき、どうしてA先生に渡してくれ なかったの?」と聞くと、その女の子はこう言った。「だって、先生は、教室にいなかったもん」 と。
その女の子は、(A組でA先生に渡す)ということにこだわった。その気持ちはわからないでも
ないが、チョーク箱を渡すという目的からすれば、その女の子の行動は、どこか的がはずれて いる。こういう例は、ほかにもある。
B君が教室に忘れ物をしたときのこと。私は近くにいたC君(年長児)に「これをB君にもって
いってあげて」と頼んだ。C君はすぐ追いかけたものの、これまたすぐ戻ってきてしまった。「どう したの?」と聞くと、C君はこう言った。「もういなかった」と。C君は、うわばきをはいていた。そ れで「外(庭)へは出られなかった」と。C君は、B君を呼びとめようと思えば、それができたはず である。しかしC君は、それを思いつかなかった?
このタイプの子どもは、頭がかたいというふうにも考えるが、もうひとつは社会性の不足という
ことも考えられる。その場、その場で臨機応変にものを考えることができない。もっと言えば、 頭の中で大局的にものを考えることができない。言われたことは忠実にするが、「なぜ自分が そうしなければならないか」、また「その目的は何か」ということが考えられない。威圧的な過干 渉、親の先走り、心配先行型の子育てが日常化すると、子どもは自分で考えることができなく なり、ここでいうような症状を示すようになる。
もしあなたが「うちの子の行動は、いつもどこか的がはずれている」と感ずるなら、子どもの問
題というよりは、育てかたの問題と考え、反省する。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(475)
タレントの世界
ときどき「タレントになりたい」という子どもがいる。そういうとき私は、「よしなさい」と言うことに
している。理由がある。
私は若いころ、いろいろなテレビ番組の企画を書いていた。そのとき、ときどきモデルが必要
なときがあった。そのときのこと。これから先は、事実だけを書く。
モデルが必要なときは、テレビ局の正面玄関とは別にある、裏玄関の掲示板に、メモを張
る。「Aショー、○月○日、水着モデル、一名」と。するとそのメモを、通称「人買いのおばちゃ ん」という人が読み、あちこちからモデルを集めてくる。たいていは年配の女性がその仕事をし ていたので、「おばちゃん」と呼んでいた。で、全国放送ともなると、一回の募集で、二〇〜三〇 人の若い女の子が集まった。
そういうときは、その場でオーディションを開く。N局のばあい、別棟の二階がそういう部屋に
あてられていた。その部屋の一室に、女の子たちを並べる。そしてディレクターが、こう声をか ける。「ハーイ、上を脱いで!」と。すると女の子たちが、一斉に服を脱ぎ始める。中にはモジモ ジしている女の子もいる。するとディレクターがつづいて、そういう女の子に対しては、「あんた とあんたは、もう帰っていい」と。
で、その中から、もっともスタイルのよい女の子を選ぶ。一度、裸にするのは、「テレビに出た
ときの度胸を試すため」だ、そうだ。が、ここで終わるわけではない。
ある夜、その翌日出演予定の、Kというタレントとホテルの一室で打ち合わせをしていたとき
のこと。突然、連絡なしに、モデルの女の子がそのホテルへたずねてきた。人買いのおばちゃ んに連れられてやってきた。一応「あいさつにきた」ということだったが、実は一夜をそのKとい うタレントと過ごすためである。当時はそうしたあいさつ(?)は、半ば常識だった。つまりモデル 志望の女の子は、そういう形で、体を売りながら、マスコミの世界で自分の立場をつくってい た。
それから二五年になる。今は、状況も違うだろう。システムも変わったかもしれない。モデルと
かタレントとかいっても、いろいろなレベルの人がいる。だからみながみな、こうしたオーディシ ョンやあいさつ(?)をしているわけではない。しかしその世界は、私たちがテレビ画面から見る のとは大違い。少なくとも二五年前には、その背後ではドス黒い人間の欲望と、策謀が渦巻い ていた。きれいか汚いかと言われれば、あれほど汚い世界はなかった。だから私は言う。「よし なさい」と。
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【4】
少し辛口ですが、思い切って
日本の常識を切り込んでみま
す。過激な部分もあるかもし
れませんが、常識を疑ってみ
るもの、ときには大切なことか
もしれませんね。
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日本の常識、世界の非常識
●「子はかすがい」論……たしかに子どもがいることで、夫婦が力を合わせるということはよく
ある。夫婦のきずなも、それで太くなる。しかしその前提として、夫婦は夫婦でなくてはならな い。夫婦関係がこわれかかっているか、あるいはすでにこわれてしまったようなばあいには、 子はまさに「足かせ」でしかない。日本には「子は三界の足かせ」という格言もある。
●「親のうしろ姿」論……生活や子育てで苦労している姿を、「親のうしろ姿」という。日本では
「子は親のうしろ姿を見て育つ」というが、中には、そのうしろ姿を子どもに見せつける親がい る。「親のうしろ姿は見せろ」と説く評論家もいる。しかしうしろ姿など見せるものではない。(見 せたくなくても、子どもは見てしまうかもしれないが、それでもできるだけ見せてはいけない。) 恩着せがましい子育て、お涙ちょうだい式の子育てをする人ほど、このうしろ姿を見せようとす る。
●「親の威厳」論……「親は威厳があることこそ大切」と説く人は多い。たしかに「上」の立場に
いるものには、居心地のよい世界かもしれないが、「下」の立場にいるものは、そうではない。 その分だけ上のものの前では仮面をかぶる。かぶった分だけ、心を閉じる。威厳などというも のは、百害あって一利なし。心をたがいに全幅に開きあってはじめて、「家族」という。「親の権 威」などというのは、封建時代の遺物と考えてよい。
●「育自」論……よく、「育児は育自」と説く人がいる。「自分を育てることが育児だ」と。まちが
ってはいないが、子育てはそんな甘いものではない。親は子どもを育てながら、幾多の山を越 え、谷を越えている間に、いやおうなしに育てられる。育自などしているヒマなどない。もちろん 人間として、外の世界に大きく伸びていくことは大切なことだが、それは本来、子育てとは関係 のないこと。子育てにかこつける必要はない。
●「親孝行」論……安易な孝行論で、子どもをしばってはいけない。いわんや犠牲的、献身的
な「孝行」を子どもに求めてはいけない。強要してはいけない。孝行するかどうかは、あくまでも 子どもの問題。子どもの勝手。親子といえども、その関係は、一対一の人間関係で決まる。た がいにやさしい、思いやりのある言葉をかけあうことこそ、大切。親が子どものために犠牲にな るのも、子どもが親のために犠牲になるのも、決して美徳ではない。あくまでも「尊敬する」「尊 敬される」という関係をめざす。
●「産んでいただきました」論……よく、「私は親に産んでいただきました」「育てていただきまし
た」「言葉を教えていただきました」と言う人がいる。それはその人自身の責任というより、そう いうふうに思わせてしまったその人の周囲の、親たちの責任である。日本人は昔から、こうして 恩着せがましい子育てをしながら、無意識のうちにも、子どもにそう思わさせてしまう。いわゆ る依存型子育てというのが、それ。
●「水戸黄門」論……日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がまちがっ
ているかといっても、身分制度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その身分制度(= 巨悪)にどっぷりとつかりながら、正義を説くほうがおかしい。日本人は、その「おかしさ」がわ からないほどまで、この権威主義的なものの考え方を好む。葵の紋章を見せつけて、人をひれ 伏せさせる前に、その矛盾に、水戸黄門は気づくべきではないのか。仮に水戸黄門が悪いこと をしようとしたら、どんなことでもできる。それこそ一九歳の舞妓を、「仕事のこやし」と称して、 手玉にして遊ぶこともできる。
●「釣りバカ日誌」論……男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になっている。そ
の背景にあるのが、「男は仕事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、女は関係なし」 と。しかしこれこそまさに、世界の非常識。オーストラリアでも、夫たちが仕事の同僚と飲み食 い(パーティ)をするときは、妻の同伴が原則である。いわんや休日を、夫たちだけで過ごすと いうことは、ありえない。そんなことをすれば、即、離婚事由。「仕事第一主義社会」が生んだ、 ゆがんだ男性観が、その基本にあるとみる。
●「森進一のおふくろさん」論……夜空を見あげて、大のおとなが、「ママー、ママー」と泣く民
族は、世界広しといえども、そうはいない。あの歌の中に出てくる母親は、たしかにすばらしい 人だ。しかしすばらしすぎる。「人の傘になれ」とその母親は教えたというが、こうした美化論に はじゅうぶん注意したほうがよい。マザコン型の人ほど、親を徹底的に美化することで、自分の マザコン性を正当化する傾向がある。
●「かあさんの歌」論……窪田聡氏作詞の原詩のほうでは、歌の中央部(三行目と四行目)
は、かっこ(「」)つきになっている。「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」 「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待 ってるよ」と。しかしこれほど、恩着せがましく、お涙ちょうだいの歌はない。親が子どもに手紙 を書くとしたら、「♪村の祭に行ったら、手袋を売っていたよ。あんたに似合うと思ったから、買 っておいたよ」「♪おとうは居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」「♪春になったら、村の みんなと温泉に行ってくるよ」だ。
●「内助の功」論……封建時代の出世主義社会では、「内助の功」という言葉が好んで用いら
れた。しかしこの言葉ほど、女性を蔑視した言葉もない。どう蔑視しているかは、もう論ずるま でもない。しかし問題は、女性自身がそれを受け入れているケースが多いということ。約二 三%の女性が、「それでいい」と答えている※。決して男性だけの問題ではないようだ。
※……全国家庭動向調査(厚生省九八)によれば、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」
という考えに反対した人が、二三・三%もいることがわかった。
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「おふくろさん」論
森進一が歌う『おふくろさん』は、よい歌だ。あの歌を聞きながら、涙を流す人も多い。しかし
……。日本人は、ちょうど野生の鳥でも手なずけるかのようにして、子どもを育てる。これは日 本人独特の子育て法と言ってもよい。あるアメリカの教育家はそれを評して、「日本の親たち は、子どもに依存心をもたせるのに、あまりにも無関心すぎる」と言った。そして結果として、日 本では昔から、親にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコール、「よい子」とし、一方、独 立心が旺盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。
こうした日本人の子育て観の根底にあるのが、親子の上下意識。「親が上で、子どもが下」
と。この上下意識は、もともと保護と依存の関係で成り立っている。親が子どもに対して保護意 識、つまり親意識をもてばもつほど、子どもは親に依存するようになる。こんな子ども(年中男 児)がいた。生活力がまったくないというか、言葉の意味すら通じない子どもである。服の脱ぎ 着はもちろんのこと、トイレで用を足しても、お尻をふくことすらできない。パンツをさげたまま、 教室に戻ってきたりする。あるいは給食の時間になっても、スプーンを自分の袋から取り出す こともできない。できないというより、じっと待っているだけ。多分、家でそうすれば、家族の誰 かが助けてくれるのだろう。そこであれこれ指示をするのだが、それがどこかチグハグになっ てしまう。こぼしたミルクを服でふいたり、使ったタオルをそのままゴミ箱へ捨ててしまったりす るなど。
それがよいのか悪いのかという議論はさておき、アメリカ、とくにアングロサクソン系の家庭で
は、子どもが赤ん坊のうちから、親とは寝室を別にする。「親は親、子どもは子ども」という考え 方が徹底している。こんなことがあった。一度、あるオランダ人の家庭に招待されたときのこ と。そのとき母親は本を読んでいたのだが、五歳になる娘が、その母親に何かを話しかけてき た。母親はひととおり娘の話に耳を傾けたあと、しかしこう言った。「私は今、本を読んでいるの よ。じゃましないでね」と。
子育ての目標をどこに置くかによって育て方も違うが、「子どもをよき家庭人として自立させる
こと」と考えるなら、依存心は、できるだけもたせないほうがよい。そこであなたの子どもはどう だろうか。依存心の強い子どもは、特有の言い方をする。「何とかしてくれ言葉」というのが、そ れである。たとえばお腹がすいたときも、「食べ物がほしい」とは言わない。「お腹がすいたア〜 (だから何とかしてくれ)」と言う。ほかに「のどがかわいたア〜(だから何とかしてくれ)」と言う。 もう少し依存心が強くなると、こういう言い方をする。私「この問題をやりなおしなさい」子「ケシ で消してからするのですか」私「そうだ」子「きれいに消すのですか」私「そうだ」子「全部消すの ですか」私「自分で考えなさい」子「どこを消すのですか」と。実際私が、小学四年生の男児とし た会話である。こういう問答が、いつまでも続く。
さて森進一の歌に戻る。よい年齢になったおとなが、空を見あげながら、「♪おふくろさんよ
……」と泣くのは、世界の中でも日本人ぐらいなものではないか。よい歌だが、その背後には、 日本人独特の子育て観が見え隠れする。一度、じっくりと歌ってみてほしい。
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【For English Readers】(roughly translateded by Mr IBM)
Common sense of Japan and the world are irrational.
●We have many Japanese common sensens but most of them depend on the Japanese
traditional customs, which may be wrong also in many ways.
- "A child is the pledge of affection" theory .... By surely there being a child, husband and
wife sometimes often unite power. Husband and wife's bonds also become thick by it. However, as the premise, husband and wife must be husband and wife. When a husband-and- wife relation is breaking or it has already broken, there is just a child only by "fetters." There is also a proverb "children are the fetters of three boundaries" in Japan.
- "Sight of its back of parents" theory .... The figure which is suffering troubles by a life or
child bringing up is called "parents' sight of its back." Although "a child looks at parents' sight of his back, and it is said that he grows up" in Japan, in inside, the parents who display the sight of its back to a child are. There are some critics who explain "Parents' sight of its back should show." However, the sight of its back etc. is not shown. (Even if he does not want to show, although a child may see, he still must not show as much as possible.) Those who do patronizing child bringing up and child bringing up of a tear receive formula are going to show this sight of its back.
- "Dignity of parents" theory .... There are many people who explain "It is important for
parents that it is just dignified." Although it may be the world comfortable to what surely is in the "upper" position, what is in a "lower" position is not so. Only the part wears a mask in front of the upper thing. Only a part to have worn closes the heart. A thing called dignity etc. has no merits, but it will damage the relationship of families.
The heart is called "family" only after open and being in full mutually. "Parents' authority"
etc. may consider the remains of the feudal age.
- "Bringing Self" theory .... It is good and there are those who explain "Child-rearing is
Bringing Self." "It is child-rearing to bring oneself up." Although it is not wrong, child bringing up is not such a sweet thing. Parents are brought up without acceptance or declining, while crossing many mountains and having crossed the valley, bringing up a child. There is no time which is carrying out Bringing Self etc. Although it is important to be greatly extended in the outer world as man of course, originally it be unrelated to child bringing up. It is not necessary to pretend it child bringing up.
- "Filial piety" theory .... Don't bind a child with an easy dutiful theory. Don't be and don't
ask a child neither for a bowl nor self-sacrificing and self-sacrificing "filial piety." Don't force. It is a child's problem whether it is dutiful to the last. A child's kitchen. Although it is called parent and child, the relation is decided by the human relations of 1 to 1. It is important to just negotiate about the language which has easy consideration mutually. It is never also virtues that parents also benefit a child victim and that a child benefits parents victim. The relation of "it respecting" and "being respected" is aimed at to the last.
- Argument "which I had produced" .... It is good and there are those who say, "I had
language "I had you "I had parents bear" and raise" and taught." It is parents' responsibility around the man who has made like that consider rather than a man's responsibility own the Japanese people will be made to thought to a child so, carrying out patronizing child bringing up in this way from ancient times while it will be unconscious. The so-called dependence child bringing up should curve.
- "Mito Komon" theory .... The symbol of the Japan type authoritarianism is that "Mito
Komon." There are not that time and a thing which is wrong in what or has made a mistake in the class system (feudalism). It is more amusing to explain justice, being flooded with the class system (= great evil) with fullness Japanese people like the view of this authoritarian thing to the degree which the "amusingness" does not understand. Before displaying the crest of a mallow and being able to make a man able to prostrate oneself, should not Mito Komon notice the inconsistency? Anythings will be made supposing Mito Komon is going to do a bad thing. it -- a 19-year-old dancing geisha -- it carries out and " is called, and it can be made a beanbag and can also play
- "Diary of a Fishing Nut" theory ...there is well known TV drama called , "Diary of a Fishing
Nut", but a holiday is passed by men. It has been the foundations of that drama. It being in the background is "a man is work and a woman is a home." On the extension, it is with " when playing, a woman has no relation." However, just this is just irrational. Also in Australia, when husbands eat and drink with the coworker of work (party), company of a wife is a principle. It is and it cannot be said that a bowl and a holiday are passed only by husbands. If such a thing is done, they are then and a divorce reason. The bent male view which the " work first principle society" induced concludes that it is in the foundations.
- "About his Mum whom Shinichi Mori wipes" theory .... A night sky is seen and raised is not
in the race over which an adult adult cries with "Mummy and Mummy" so, either. Mother who comes out in that song is a person wonderful to be sure. However, it is too wonderful. It is better to be cautious of such a beautification theory enough, although it is said that the mother taught it "become people's umbrella." There is a tendency which justifies its mother complex nature by idealizing parents thoroughly as a mother complex type man.
- "Song of mother" theory .... In the way of the original poetry of the Satoshi Kubota Mr.
lyrics, the central part (the third line and the fourth line) of a song is with a letter such as " ♪ I took a trouble for you to make gloves for you ""♪ Your Father is working for you sitting on the graound in the house". However, this much, it is patronizing and there is no song of a tear receive. The " glove was sold when carrying out to the festival of ♪ village. Supposing parents write a letter to a child since it thought that the gloves may be fiited to you bought it -- ""♪ obtaining -- sitting room -- the production of a haiku poem It is it sometimes appearing also in a newspaper", and "going to a hot spring with everybody of a village, if it becomes in the spring of ♪."
- "Help of one's wife's help" theory .... In the success-in-life principle society of the feudal
age, the word "Help of its wife's help" is fond, and was used. However, there is also no language which despised the lady as this language. It is not necessary to argue any longer how it despises. However, say [ that the lady herself has accepted it in many cases and ] a problem. * which about 23% of the lady has answered "Then, it is good." It never seems to be a male problem.
* .... According to national home trend investigation (Ministry of Health and Welfare 98), it
turns out that there is a person who was opposed to the idea "a husband should also pay housekeeping and child-rearing equally" also 23.3%.
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"Mum who wipes" theory
●There is a very well known
song called "Mum", sung by one
of the most famous pop singer.
This is a short essay about the song.
People say this is a very good song,
But is this true?
"Mum who wipes" whom Shinichi Mori sings is a good song. There are also many people
who shed a tear, hearing that song. However, .... As Japanese people are whether to also tame a wild bird exactly, they bring up a child. This may call it a child bringing-up method peculiar to Japanese people. The educator of a certain United States commented it, and said, "Japanese parents are too indifferent to giving a child a dependence." And as a result, from ancient times, the child who presumes upon parents all over is made into dear child equal sign and "a good child", and, on the other hand, an independent spirit dislikes a flourishing child as a "devilish child" in Japan.
It is parent and child's vertical consciousness that it is in the bottom of such a Japanese's
child bringing-up view. "For parents, in a top, a child is the bottom." Consciousness under besides is realized in relation with protection and dependence from the first. The more parents have protection consciousness, i.e., parent consciousness, to a child, the more a child comes to be dependent on parents. There was such a child (whole year boy). It is the child to whom it says that there is no vitality, or even the meaning of language does not pass. It cannot even perform wiping the hips, even if it does its business not to mention dress removing and wearing in a toilet. It returns to a classroom, with trousers lowered. Or even if the time of supply of food comes, a spoon cannot be picked out from its own bag, either. It is as it is waiting intently rather than it cannot do. Probably, it will be a house, then someone of families will help. Then, although directed this way and that, it will become funn y somewhere. The spilt milk is wiped with dress or the used towel is thrown away into a garbage box as it is.
That it is good and argument of whether being bad are set aside, and a child sets aside a
bedroom with parents among babies at the home of the United States, especially an Anglo- Saxon system. The view "parents are parents and a child is a child" puts into practice. There was such a thing. The thing was invited to the home of a certain people from the Netherlands at once and to solve. Although mother was reading the book then, the daughter who is 5 years old has spoken to the mother in something. Mother said like this, after listening to a daughter's talk briefly. "I am reading the book now. Does it drop off better ?"
It is better not to give a dependence as much as possible, if it considers "It makes a child
become independent as good home people", although how to raise by where the target of child bringing up is put is also different. Then, how is your child? The strong child of a dependence does a characteristic way of speaking. "-- somehow -- carrying out -- language -- saying -- then, it is For example, when you are hungry, it does not say, "I want food." It is called (therefore, carry out somehow) which was hungry." (therefore, carry out somehow) whose throat became it dry" is told to others. A dependence carries out such ways of speaking to becoming strong to a slight degree. With a considering-by oneself" child "where is erased?" whether it acts after erasing by the I am actually the conversation made into the boy of the fourth grader in an elementary school. Such dialogs continue forever.
Now, it returns to Shinichi Mori's song. while the adult who became good age looks at and
raises empty -- "-- ♪ -- Mum who wipes .... crying with " -- the inside in the world -- a Japanese -- don't about? Although it is a good song, back a child bringing-up view peculiar to Japanese people becomes invisible from time to time. I want you to sing thoroughly at once.
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おまけのページ
タレントの世界
ときどき「タレントになりたい」という子どもがいる。そういうとき私は、「よしなさい」と言うことに
している。理由がある。
私は若いころ、いろいろなテレビ番組の企画をアルバイトで書いていた。そのとき、ときどき
モデルが必要なときがあった。そのときのこと。これから先は、事実だけを書く。
モデルが必要なときは、テレビ局の正面玄関とは別にある、裏玄関の掲示板に、メモを張
る。「Aショー、○月○日、水着モデル、一名」と。するとそのメモを、通称「人買いのおばちゃ ん」という人が読み、あちこちからモデルを集めてくる。たいていは年配の女性がその仕事をし ていたので、「おばちゃん」と呼んでいた。で、全国放送ともなると、一回の募集で、二〇〜三〇 人の若い女性が集まった。
そういうときは、その場でオーディションを開く。N局のばあい、別棟の二階がそういう部屋に
あてられていた。その部屋の一室に、女の子たちを並べる。そしてディレクターが、こう声をか ける。「ハーイ、上を脱いで!」と。すると女の子たちが、一斉に服を脱ぎ始める。中にはモジモ ジしている女の子もいる。するとディレクターがつづいて、そういう女の子に対しては、「あんた とあんたは、もう帰っていい」と。
で、その中から、もっともスタイルのよい女の子を選ぶ。一度、裸にするのは、「テレビに出た
ときの度胸を試すため」だ、そうだ。が、ここで終わるわけではない。
ある夜、その翌日出演予定の、Kというタレントとホテルの一室で打ち合わせをしていたとき
のこと。突然、連絡なしに、モデルの女の子がそのホテルへたずねてきた。人買いのおばちゃ んに連れられてやってきた。一応「あいさつにきた」ということだったが、実は一夜をそのKとい うタレントと過ごすためである。当時はそうしたあいさつ(?)は、半ば常識だった。つまりモデル 志望の女の子は、そういう形で、体を売りながら、マスコミの世界で自分の立場をつくってい た?
それから二五年になる。今は、状況も違うだろう。システムも変わったかもしれない。モデルと
かタレントとかいっても、いろいろなレベルの人がいる。だからみながみな、こうしたオーディシ ョンやあいさつ(?)をしているわけではない。しかしその世界は、私たちがテレビ画面から見る のとは大違い。少なくとも二五年前には、その背後ではドス黒い人間の欲望と、策謀が渦巻い ていた。きれいか汚いかと言われれば、あれほど汚い世界はなかった。だから私は言う。「よし なさい」と。
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言葉教育
私はときどき、英語で原稿を書く。そこで書いたあと、アメリカやオーストラリアの友人に添削
を頼む。だが、ここでおもしろい現象に出あう。どの人も、「それで意味がわかるから、このまま でいい」と、なおしてくれない。「文法のミスはないか?」と聞くと、「あるが、それでわかるからい い」と。こうしたおおらかさは、日本には、ない。
最近、あることがあって、アメリカの友人が、冷やし中華のことを書いてきた。日本で食べた、
冷やし中華がおいしかったので、そのレシピを教えてほしい、と。そのときのことだが、彼は、 「中華」を、「tyuka」と書いてきた。正しくは、「chuka」か? ……と考えたところで、私はハタと 自分の愚かさに気づいた。そんなのは、どちらでもよいではないか、と。しかもそういうことにこ だわるのは、日本人の悪いクセだ。実際、世界広しといえども、日本人ほど「形」や「型」にこだ わる民族はいない。いないものは、いないのであって、どうしようもない。アメリカでも、オースト ラリアでも、子どもたちの作文を見ても、あちらの先生は、スペルや文法(ルール)のまちがい には、ほとんど関心を払わない。大切なのは、中身という考え方が徹底している。ウソだと思う なら、ここに私が書いていることを、あなたの周囲にいるアメリカ人やオーストラリア人に確か めてみることだ。
「言葉教育」に対して、考え方が基本的な部分で違う。日本の教育は、子どもたちが将来、文
法学者になるためには、きわめてすぐれた体系をもっている。しかし将来、文法学者になる子 どもは、いったい、何%いるというのか。数学にしても、英語にしても、そうだ。日本の教育は、 将来数学者や、英語の文法学者になるのは、きわめてすぐれた体系をもっている。しかし、将 来そういう道に進む子どもは、何%いるというのか?
日本の教育は、もともとどこかのエラーイ大学の先生たちが作った。だからおもしろくない。だ
から役にたたない。言葉教育(作文、読書)についても、同じ。茶道や華道ではあるまいし、もっ とおおらかでいいのではないのか。大切なのは、いかに考え、いかに的確に表現し、いかに正 しく相手に自分の気持ちを伝えるか、あるいはいかに正しく相手の気持ちを知るか、だ。本筋 を忘れたとき、教育は基本的な部分でゆがむ。日本の教育は、その本筋を忘れている。
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ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(477)
東京文化
この浜松では、何でも「東京からきた」というだけで、ありがたがる。その傾向がきわめて強
い。悲しき、田舎根性というのである。そしてその返す刀で、同じ地方に住む、仲間の価値を認 めない。あるいは軽く見る。タレントの世界には、こんな合言葉がある。「東京で有名になって、 地方で稼げ」と。
しかし皆さん、少し冷静に考えてみてほしい。本当に東京文化は、すぐれているか、と。考え
てみれば、あんなゴチャゴチャした、コンクリートの巨大なゴミ箱の中に住んでいるような人たち から、すぐれた文化など生まれるはずはない。そのことは朝のワイドショーを垣間(かいま)見 ればわかるはず。彼らがおりなすドラマには、一片の知性も理性もない。犬や猫でも、あそこま ではしないという、痴話(ちわ)話ばかり。が、悲劇は、ここで終わらない。
先日もある出版社へ原稿を持ちこんだら、そこの若い編集者がこう言った。「地方紙ではね
え……」と。私がC新聞でコラムを書いてますと自己紹介したときのことだ。「地方紙でいくらコ ラムを書いても、意味がない」と。そういうことを、そこらの若い編集者が言うからおかしい。中 身をまるで見ない。中身で判断しない。テレビに出ているかとか、知名度はどうかとか、そうい うことでしか、人を判断しない。
この傾向は、実はこの浜松という地方でも、同じ。私は以前、G社という出版社で、幼児教室
向けの教材一式をつくった。全部で四八巻である。その教材を使って、近くの幼児教室が教室 を始めた。私としてはそれを喜ばねばならないところだが、聞くところによると、その教室では、 私の名前を消して、その教材を使っているという。同じ浜松に住む人間が作った教材では、価 値がないとでも思っているのだろうか。(あるいはもっと別の理由があるのかもしれない。)
日本は奈良時代の昔から、中央集権国家。すべてが、中央から地方へと、上位下達方式で
流れている。その逆はめったにない。魂そのものまで抜かれてしまっているから、それを疑問 に思う人すらいない。これをうまく利用すると、日本ではうまく金儲けができる。しかしその陰 で、いかに多くの善良な文化が犠牲になっていることか。差し引きすれば、損害のほうがはる かに大きい。
つい先日も、あるタレントが、浜松市内で講演をして帰った。どこかのスポーツジムに属する
タレントだそうだが、実に軽薄な感じのする男だった。そういう男が、この浜松で「教育講演」を するおかしさを、あなたには理解できるだろうか。聞くところによると、一回の講演料が、八〇 万円! プラス宿泊費その他である。彼らにしてみれば、地方こそ、よいカモなのだ。
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誇大視化
カルト教団の指導法には、いくつかの特徴がある。その一つが「誇大視化」。「巨大視化」と呼
ぶ人もいる。ささいな矛盾や、ささいなまちがいをとらえて、ことさらそれを大げさに問題にし、さ らにその矛盾やまちがいを理由に、相手を否定するという手法である。
しかしこうした手法は、何もカルト教団に限らない。教育カルトと呼ばれる団体でも、ごくふつ
うに見られる現象である。あるいは教育パパ、教育ママと呼ばれる人たちの間でも、ごくふつう に見られる現象である。つい先日も、こんなことがあった。
私はときどき、席を立ってフラフラ歩いている子どもに、こう言うことがある。「パンツにウンチ
がついているなら、立っていていい」と。もちろん冗談だし、そういう言い方のほうが、「座ってい なさい」「立っていてはだめ」と言うより、ずっと楽しい(?)。そのときもそうだった。が、ここでハ プニングが起きた。そばにいた別の子どもが、その子ども(小二男児)のおしりに顔をうずめ て、「クサイ!」と言ってしまったのだ。「先生、コイツのおしり、本当にクサイ!」と。
で、そのときは皆が、それで笑ってすんだ。が、その夜、彼の父親から猛烈な抗議の電話が
かかってきた。「息子のパンツのウンチのことで、恥をかかせるとは、どういうことだ!」と。私 はただ平謝りに謝るしかなった。が、それで終わったわけではない。それから三か月もたった ある日のこと。その子どもが突然、私の教室をやめると言い出した。見ると、父親からの手紙 が添えられてあった。いわく、「お前は、教師として失格だ。あちこちで講演をしているというが、 今すぐ講演活動をやめろ。それでもお前は日本人か」と。
ここまで否定されると、私とて黙ってはおれない。すぐ電話をすると、母親が出たが、母親
は、「すみません、すみません」と言うだけで、会話にならなかった。で、私のほうも、それです ますしかなかったが、それがここでいう、「誇大視化」である。たしかに私は失敗をした。しかし そういう失敗は、こういう世界ではつきもの。その失敗を恐れていたら、教育そのものができな い。教育といっても、基本的には人間関係で決まる。で、そういう一部の失敗をことさら大げさ にとらえ、それでもって、相手を否定する。ふつうの否定ではない。全人格すら否定する。
そういえば、あるカルト教団では、相手の顔色をみて、その人の全人格を判断するという。
「死に際の様子を見れば、その人の全生涯がわかる」と説く教団もある。それはまさに誇大視 化である。皆さんも、じゅうぶん、この誇大視化には、注意されたい。
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講演会においでください。おいでになるときは、一度、主催者に連絡してください。
多分(いいかげんな言い方ですみません)、自由に聴講していただけると思います。
7月4日(木)……浜松市市立幼稚園PTA連合会にて講演
(主催 浜松市市立幼稚園連合会、連絡先、万ごく幼稚園)
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
11・21……北浜南小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・未定……静岡梨花幼稚園
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
7・23……浜松市東部公民館母親教室
7・20……伊平小学校
7・4……浜松市市立幼稚園PTA連合会
6・23……有玉幼稚園
ほか、横浜市(2個所)、愛知県豊田市、浜松市医療センター内での講演
を予定しています。詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! がんばっています!
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MMMMM
m | ⌒ ⌒ |
( ̄\q ・ ・ p
\´(〃 ▽ 〃) /〜〜
\  ̄Σ▽乃 ̄\/〜〜/
\ : ξ)
┏━━┻━━━┓
┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)6-24
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====KW(8)
子育て最前線の育児論byはやし浩司(E−マガ)……読者数(Nr. of Readers) 309人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are brinnging up Children in the Forefront Line
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━
/井\
〔井井井〕
MMMMM \井/Hi! I am Hiroshi, and through this magazine you may know
| ⌒ ⌒ | ‖ what is happening among parents in Japan,with some knowledge
○ q ・ ・ p ‖ how to cope with Kids and how to bring up children at home.
⊆⊇ (〃 ▽ 〃) ξ)
\u ̄ ̄⊆V⊇ ̄ ̄レ/
 ̄丶 : 厂 ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
━━○━━━━━━━○━━━━━━━
最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数 81人
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
上、二つの、E-マガとメルマガは同じ内容です。
(どちらか一つという方は、E-マガのほうをご購読ください。
購読の仕方は、私のサイトのトップページから、マガジンコーナーへ。)
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どうかあわせて、ご愛読ください。お申し込みは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you veru much.
Please go to the "Magazine Corner" from the Top Page of my Website to
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★★★★★★★★★★★★★★★★★
02−6−24号(066)
★★★★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayahsi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Privare Room in my Website are, C-X-I
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazien is translated into English
for your vonvenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home conutry. Hiroshi
メニュー
【1】読者の方より(An E-mail from a reader in France)
【2】子どもの学習(How to guide children at home)
【3】エッセー(short essays)
【4】テレビ評論、三作(Essays on TV programs)
【E】English Version
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【1】
お礼
マガジンも満一歳を迎えました。当初は
どこかいいかげんな気持ちで発行してい
たマガジンですが、読者の方の数も、合
計で430人を超え、マガジンを発行する
ことを、自分に与えられた使命のように
感ずることも多くなりました。自分のして
きた経験が、できるだけ皆さんのお役に
たてれば、こんなうれしいことはありませ
ん。本当に、皆さん、ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
今日は、フランス在住の方からのメール
を、転載許可をいただけましたので、紹介
します。
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「はやし浩司 様
初めてメールさせて頂きます。
いつも、メールマガジンを拝見しています。
私は浜松出身で現在、フランス人の夫と、3歳になる娘とフランスに住んでいます。
母が現在、こちらに来てくれ
はやし様の講演を浜松を始め、森町の近くに聴きにいったり
大変な大ファンで、今回も中日新聞の切り抜きを沢山お土産にもってきてくれました。
今回、母と一緒にHPを見させていただき
お互いの子育て感を話したりと、はやし様を通して2人そろって勉強させていただき
ました。
一緒にインターネットを見るのは初めてで、本当によい交流が出来たことを
うれしく思っています。
母の帰国が今週にせまり、今、母になった自分の立場など考えたりしました。
これからもマガジン/HP楽しみにしています。
母より
ここに来て、HPにて沢山のお話を読ませていただきました。
孫と接するのに参考になり、自分自身の生き方として気持ちが豊かになりました。
ありがとうございます。
帰国しましたら、浜松近辺の会場に行くのを楽しみにしています。
お体を大切にしてください。
(フランス、Tさんより)」
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【2】
子どもの学習と、最近の話題について
報告します。家庭学習でお役にたてれば
うれしいです。
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家庭での学習指導のコツ
子どもの学習を指導するときには、コツがある。まさに奥義(おうぎ)の公開……というのは、
大げさだが、そのコツにはつぎのようなものがある。
(1)子どものリズムをつかむ……それぞれの子どもには、それぞれの子どものリズムがある。
このリズムをつかむ。たとえば五分も勉強すると、もう気が散ってしまい、ザワザワする子ども もいれば、三〇〜六〇分くらいなら、平気で学習に集中できる子どももいる。要は無理をしない ということ。集中力が長くつづかないようなら、六〇分、いっしょにすわって、五〜一〇分、勉強 らしきことをすれば、よしとする。「勉強というのは、黙々とすべきもの」という先入観があれば、 それは改める。
(2)イライラしたら手を引く……子ども横に座っていて、イライラするようなら、手を引く。親のイ
ライラほど、子どもに悪影響を与えるものはない。一回や二回ならともかくも、そういう状態が、 半年とか、数年もつづくようなら、あなたには子どもを指導する資格はないと思うこと。子どもを 勉強好きにする最大のコツは、子どもを楽しませること。英語の格言にも、「楽しく学ぶ子ども は、よく学ぶ」というのがある。
(3)レベルをさげる……家庭での学習は、思いきってレベルをさげる。親はどうしても、「より高
度なことを」と思うかもしれないが、そのちょっとした無理が、子どもの勉強ぐせをそいでしまう。 できるようするのではなく、やりとげたという達成感を大切にする。そしてここが大切だが、いつ も終わるときは、ほめて仕上げる。「この前より、できるようになった」「ずいぶんと進歩した」な どと言う。
(4)こまかいミスは、無視する……全体として、ほぼできれば、それでよしとする。こまかいミス
などは、無視する。一見、いいかげんな指導に見えるかもしれないが、もともと勉強というの は、そういうもの。ワークにしても、半分はお絵描きになってもよいと考える。「適当にやる」とい う姿勢は、決して悪いことではない。子どもはその「適当さ」の中で、息を抜く。自分を伸ばす。
(5)好きな勉強をさせる……家での学習は、好きな学習をさせる。一科目でも、得意科目がで
きると、その科目があとの科目を引きあげるということは、よく見られる現象。嫌いな科目や、 苦手な科目を伸ばそうと考えたら、まず好きな科目を、伸ばす。オールマイティな人間をめざす と、たいてい失敗する。「やりたい勉強をすればいいのよ」というような言い方で、子どもを指導 する。
(6)依存心をつけない……子どもが親に頼る傾向がみられたら、親は親で、好き勝手なことを
すればよい。ときにはバカな親のフリをして、子どもの自立を促すのもよい。依存心がつけば、 ある段階から伸び悩むので注意する。
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いびつな行動
こんな興味深い実験がある。日本体育大学名誉教授の正木健雄氏(教育生理学)らがした
実験だが、つぎのようなものだ。
子どもにゴム球をもたせ、ランプの色により、握ったり放させたりさせ、指示どおりにできるか
どうかを調べた実験である。
で、指示どおり、切り替えが正確にできるタイプを、「活発型」、握ってよいときに握らないの
を、「抑制型」、反対に握ってはいけないときに握るのを、「興奮型」とした。
その結果、一九六九年に調べたところ、(1)幼児段階では、興奮も抑制も弱く、(2)小学校
低学年では興奮が強くなり、その後、(3)気持ちを抑える力がつくことがわかったという(読売 新聞、〇二年六月)。
ところが、である。四年前に同じ調査をしてみたところ、六九年には見られなかった抑制型
が、小学一年生について、二〇%も現れたというのだ(長野県内、幼児〜中学生、四五〇人を 対象にした調査)。
わかりやすく言うと、六九年にはいなかったが、四年前(一九九八年)には、「握ってよいとき
に握らない子どもが」、小学一年生で、二〇%も現れたということになる※。そしてその結果、 「ふだんはおとなしいが、ささいなきっかけで、抑えがとれると、興奮する。通常の発達過程を たどらず、いびつな行動となって現れる」(同新聞)子どもがふえている、と。原因としては、「食 生活、生活リズムなどさまざまな理由が考えられるが、外での遊び、ふれあう機会が減ってい るためではないか」(信州大・寺沢宏次氏)とも。つまり運動や遊びなどで、仲間と体を動かすこ とで、前頭葉が発達するが、それがないため、「いびつな行動」となる、と。
実際、今、すなおな感情表現ができない子ども(幼稚園児)は、約二〇%はいる。皆がどっと
笑うようなときでも、笑わない子どもも、約二〇%はいる。この実験で、「二〇%」という数字が 出てきたのは、たいへん興味深い。これらの現象は、どこかで連動しているのかもしれない。
※……小学生で、興奮型の子どもが多い学年……1969年、二年生
1998年、六年生
興奮型の割合(六年 ……1969年、25%
1998年、55%
「興奮型が低学年から高学年に移り、割合がふえた。興奮する力が育ったあと、抑える力が
つくパターンが、崩れているようだ」(前述、正木健雄氏)とのこと。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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【3】
あなたはどのレベルの人?
それを知るには、あなたが今、一番気にしている
人をみればわかります。それがあなたのレベル(?)
本当に日本は肩書き社会ですね。しかし
その肩書き社会に代表される権威主義が
家庭に入ると、親子関係そのものまでおか
しくなりますよ。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(489)
自分を知るバロメーター
人間というのは、相手と同等のときは、その相手に腹もたつ。しかし自分が相手を超えたとい
う実感のあるときは、腹もたたない。言いかえると、これをうまく利用すると、あなたのレベル を、それで知ることができる。
たとえば今、あなたに不愉快に思っている相手がいたとする。「いやなヤツだ」とか、「顔を見
ただけで、けんかをしそうになる」とか。もしそうなら、あなたも、その相手と同等の人物にすぎ ないということ(失礼!)。あなたから見て、あなたよりはるかに「下」にいる人は、あなたは相手 にしないはず。あなたと同等だから、あなたは相手にする……。このことは、子どもの世界を観 察してみると、よくわかる。
たとえば「子どものいじめ」。いじめる側は、いじめる相手を「下」において、その相手をいじめ
る。本人は優越感を感じているかもしれないが、実際には、いじめる側のほうがレベルが低 い。が、その「いじめられる側」が、運動や学力で、相手を超えると、そのいじめが消える。子ど もどうしでも、相手に一目をおくようになるためである。だからよく子ども自身から、いじめの相 談を受けると、私はその子どもにつぎのように言うようにしている。「君が苦しいのは、それは 君が、相手と同じレベルの人間だからだよ。だから相手が君に対して一目おくほど、君が彼ら を通り越せばいい。それがその苦しみと戦う唯一の方法だ」と。(だからといって、いじめを肯定 しているわけではない。)
もちろんいじめといっても、内容は複雑だし、当の本人は深刻な問題だ。ここに書くほど、簡
単な問題ではない。しかし私のばあい、いつも、いじめられることで、さらに自分をたくましくして きた。そして不思議なことだが、いじめられている最中というのは、その相手をうらんだり、憎ん だりするが、自分が相手を超えてしまうと、その相手に対して、親近感すらもつようになる。相 手を「のむ」というのは、そういうことをいう。
そこで私はいつもこう考えるようにしている。「今、一番不愉快に思っている人はだれか」と。
……いや、もっとも、不愉快に思っている人は、(あくまでも今のところだが……)、近辺にはい ない。私が今、不愉快に思っているのは、日本の政治や、日本の社会にはびこるカルト(教団) だ。「敵は大きければ大きいほどよい」とは、よく言うが、大きな敵をもてばもつほど、身の回り のささいなことが気にならなくなる。(だからといって、私が大物だとは思っていない。これは私 の処世術のようなもの。ささいなことが気になったら、その時点で、できるだけ大きな敵につい て考える。そして結果として、そのささいなことを忘れ、それから遠ざかる。)
少しかっこうのよいことを書いたが、この方法は、自分のレベルを知るのに、とてもよい方法
だと思う。一度、あなたも試してみたらどうだろうか。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(482)
肩書き社会
この日本では、肩書きで、ものが動く。人の価値、さらにはその中身まで、肩書きで判断す
る。これはいわば世界の常識で、長くつづいた身分制度という封建意識が、その底流にある。 が、それだけでは終わらない。
長い間、その肩書き社会にどっぷりとつかっていると、自分の姿を見失う。ある役人(官僚)
は、こう言った。「私ももうすぐ定年でね。定年退職をしたら、長野のイナカへ帰って、村長でも やろうかな、ははは」と。「村長でも」と、「でも」と言うところが恐ろしい。
一般論として、肩書き社会を生きる人は、それだけ上下意識が強く、上下意識が強いという
ことは、それだけ権威主義的なものの考え方をするということ。このタイプの人は、独特の考え 方をするから、それがわかる。
まず無意識のうちにも、人の上下を判断する。応対のし方が、相手によって変わる。自分よ
り目上の人には、ペコペコする反面、自分の支配下にある、目下の人には、尊大ぶったり、い ばったりする。電話のかけ方を見れば、それがわかる。「ハイハイ、かしこまりました。仰せのと おりにいたします」と言ったあと、私のような肩書きのないものに対しては、「君イ〜ネ〜、そう は言ってもネ〜」と。
家庭でも、ものの考え方が権威主義的だから、「親に向かって何だ!」というような言い方が
多くなる。「親が上」「夫が上」と。そういう上下関係の中に自分を置かないと、落ち着かない。 が、その分だけ、親として、夫として、よい家庭づくりに失敗しやすい。
が、さらに悲劇はつづく。自分自身の価値すらも、その肩書きで決めるから、その肩書きか
ら、自分を解き放つことができない。定年退職をしたあとも、その肩書きを引きずって生きる人 は少なくない。私のいとこの義父がそうだった。退職したときは、国の出先機関の「長」まで勤 めた人だが、死ぬまで、本当に死ぬまで、その肩書きにこだわっていた。私が「幼稚園で働い ています」と言ったときのこと。その人は私にこう言った。「どうせ、学生運動か何かをしてい て、ロクな仕事につけなかったんだろう」と。幼稚園の教師の仕事は、「ロクな仕事ではない」 と。
肩書きを引きずって生きるのは、その人の勝手。しかしその分だけ、結局は自分でさみしい
思いをするだけ。つい先日、ここに書いたいとこの義父が八〇歳の年齢でなくなった。が、葬式 に出た母はこう言った。「あんなさみしい葬式はなかった」と。実際、この私も、「ロクな仕事」と 言われてから、その義父の家には、一度も行かなかった。会いたいという気すら、まったく起き なかった。「死んだ」と聞いたときも、「ああ、そう」ですんでしまった。心の通わない人の死という のは、そういうものかもしれない。権威主義的なものの考え方をする人は、自ら人の心を閉ざ す。
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【4】
「子どもに、どんなテレビ番組を見せたらいいですか」という
ご質問をよくもらいます。で、ここでは、もう少し大きな視野か
ら、テレビ番組を考えてみます。中には、「むずかしいことは
考えなくてもいいのでは。楽しめばそれでいいのでは」という
意見もあります。たしかにそうですが、しかしそれではいつま
でたっても、日本は変わらない……? そう考えて、つぎの
三つのエッセーを書きました。少し過激ですが、まあ、そう
いう考え方もあるのか……という程度に参考にしてください。
私自身、それほど、深刻に考えているわけではありませんの
で……。このところ少しバテぎみで、ものの考え方が、ひねく
れているのかもしれません。
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「日本の教育はバカげている」・日本の常識、世界の標準? (中日新聞で発表済み)
『釣りバカ日誌』の中で、浜ちゃんとスーさんは、よく魚釣りに行く。見慣れたシーンだが、欧
米ではああいうことは、ありえない。たいてい妻を同伴する。向こうでは家族ぐるみの交際がふ つうで、夫だけが単独で外で飲み食いしたり、休暇を過ごすということは、まず、ない。そんなこ とをすれば、それだけで離婚事由になる。
困るのは『忠臣蔵』。ボスが犯罪を犯して、死刑になった。そこまでは彼らにも理解できる。し
かし問題はそのあとだ。彼らはこう質問する。「なぜ家来たちが、相手のボスに復讐をするの か」と。欧米の論理では、「家来たちの職場を台なしにした、自分たちのボスにこそ責任があ る」ということになる。しかも「マフィアの縄張り争いなら、いざ知らず、自分や自分の家族に危 害を加えられたわけではないのだから、復讐するというのもおかしい」と。
まだある。あのNHKの大河ドラマだ。日本では、いまだに封建時代の圧制暴君たちが、あた
かも英雄のように扱われている。すべての富と権力が、一部の暴君に集中する一方、一般の 庶民たちは、極貧の生活を強いられた。もしオーストラリアあたりで、英国総督府時代の暴君 を美化したドラマを流そうものなら、それだけで袋叩きにあう。
要するに国が違えば、ものの考え方も違うということ。教育についてみても、日本では、伝統
的に学究的なことを教えるのが、教育ということになっている。欧米では、実用的なことを教え るのが、教育ということになっている。しかもなぜ勉強するかといえば、日本では学歴を身につ けるため。欧米では、その道のプロになるため。日本の教育は能率主義。欧米の教育は能力 主義。日本では、子どもを学校へ送り出すとき、「先生の話をよく聞くのですよ」と言うが、アメリ カ(特にユダヤ系)では、「先生によく質問するのですよ」と言う。日本では、静かで従順な生徒 がよい生徒ということになっているが、欧米では、よく発言し、質問する生徒がよい生徒というこ とになっている。日本では「教え育てる」が教育の基本になっているが、欧米では、educe(エ デュケーションの語源)、つまり「引き出す」が基本になっている、などなど。同じ「教育」といって も、その考え方において、日本と欧米では、何かにつけて、天と地ほどの開きがある。私が「日 本では、進学率の高い学校が、よい学校ということになっている」と説明したら、友人のオース トラリア人は、「バカげている」と言って笑った。そこで「では、オーストラリアではどういう学校が よい学校か」と質問すると、こう教えてくれた。
「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。チャールズ皇太子も学ん
だことのある由緒ある学校だが、そこでは、生徒一人一人に合わせて、カリキュラムを学校が 組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように、と。そういう学校をよ い学校という」と。
日本の常識は、決して世界の標準ではない。教育とて例外ではない。それを知ってもらいた
かったら、あえてここで日本と欧米を比較してみた。
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子どもの人権 (「お母さんといっしょ」を考える)
私は幼児教育をするようになって、三二年になる。三二年もしていると、いつも幼児の視点
で、この世界を見る。そういう視点から見ると、あのNHKの『お母さんといっしょ』など、恥ずか しくて見ていられない。おとなが、動物のぬいぐるみを着て、「♪おなかをゴロゴロ、ポンポンポ ン……」などと言って、子どもを踊らせている。それを見たりすると、「子どもをバカにするな!」 と、思わず叫びそうになる。子どもの意思や気持ちなど、まるで無視。動物の飼育でも、あそこ までしない。こんなことがあった。
その日はたまたまKさん(年中女児)の、母親が参観にきていた。そのためか、Kさんはいつ
もよりはりきって、「ハーイ」と元気な声で手をあげて、私の質問に答えた。そこで私は少し大げ さにKさんをほめた。ほめて、みなに、手をたたかせた。するとKさんが、スーッと細い涙を流し た。私はてっきりうれし泣きだろうと思ったが、それにしても大げさである。で、授業が終わって からKさんに、「どうして泣いたのかな?」と聞くと、Kさんはこう言った。「私がほめられたから、 お母さんが喜んでいると思った。お母さんが喜んでいると思ったら、涙が出てきてしまった」と。 Kさんは、自分のために涙を流したのではなく、お母さんの気持ちになって涙を流していたの だ! この事件以来、私は幼児を見る目を変えた。
幼児はたしかに未熟で未経験だ。しかしそれをのぞけば、私たちおとなとどこも違わない。嫉
妬(しっと)もするし、自尊心もある。日本人の子育てで、一番問題なのは、子どもを子どもの世 界に閉じ込め、子ども扱いすること。人権も何もあったものではない。こんなこともあった。
ある女性(六〇歳くらい)が、小学四年生くらいの女の子(孫)に、電話をかけてこう言った。
「おばあちゃんのところへ、遊びに来てよ。お小遣いをあげるから。ほしいものを買ってあげる から」と。
一見、ほほえましい光景に見えるかもしれないが、その女性のしていることは、エサで、孫の
気持ちを釣っていることに等しい。こういうことが平気でできるところに、またそういうことをする のに、何の疑問ももたないところに、日本型の子育ての問題点が隠されている。
さてあなたもそういう視点で、あの『お母さんといっしょ』を見てほしい。うむを言わせず、一方
的に子どもを踊らせている。子どもに「踊ろうか」と声をかけているふうでもないし、ほめている ふうでもない。ただ一方的に、まねをさせているだけ。少なくとも私はこの三二年間、幼児をあ のように指導したことは一度もない。幼児にも、人権というものがある。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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水戸黄門論
テレビドラマに「水戸黄門」というのがある。葵三つ葉の紋章を見せて、側近のものが、「控え
おろう!」と一喝するシーンは、あまりにも有名である。今でも、視聴率が二〇〜二五%もある というから、驚きである。
で、あの水戸黄門というのは、水戸藩二代藩主の徳川光圀(みつくに)と、家来の中山市正と
井上玄洞をモデルとした漫遊記と言われている。隠居した光圀は、水戸の郊外、西山村に移り 住み、百姓光右衛門と名乗り、そのとき、先の二人を連れて、関東を漫遊したという。それが 芝居、映画、テレビドラマになり、「水戸黄門」が生まれた。(芝居の中では、二人の家来は、 佐々木助三郎(通称「助さん」)と、渥美格之進(通称「格さん」)になっている。)
徳川光圀は実在した人物だが、ただ光圀自身は、関東地域からは一歩も出ていない。それ
はさておき、水戸黄門は、全国各地を漫遊しながら、悪代官をこらしめたり、仇討ちの助けをし たりして、大活躍をする。日本人にはたいへん痛快な物語だが、ではなぜ「痛快」と思うかとい うところに、大きな問題が隠されている。以前、オーストラリアの友人が私にこう聞いた。「ヒロ シ、もし水戸黄門が悪いことをしたら、日本人はどうするのか」と。そこで私が「水戸黄門は悪 いことはしないよ」と言うと、「それはおかしい」と。
考えてみれば、水戸黄門がたまたま善人だったからよいようなものの、もし悪人だったら、そ
の権威と権力を使って、したい放題のことができる。だれか文句を言う人がいたら、それこそ 「控えおろう!」と一喝すればすんでしまう。民衆の私たちは、水戸黄門の善行のみをみて、そ れをたたえるが、権威や権力というのは、ひとつ使われ方がまちがうと、とんでもないことにな る。だいたいにおいて水戸黄門は封建時代の柱である、身分制度という制度をフルに利用して いる。身分制度を巨悪とするなら、代官の悪行など、かわいいものだ。善行も何も、ない。「頂 点にたつ権力者は悪いことをしない」という錯覚は、恐らく日本人だけがもつ幻想ではないの か。長くつづいた封建制度の中で、日本人は骨のズイまで魂を抜かれてしまった。もっと言え ば、あの番組を痛快と思う人は、無意識のうちにも、封建時代を是認し、身分制度を是認し、さ らに権威主義を是認していることになるのでは……? あるいは権威や権力に、あこがれをい だいている……?
教育の世界には、まだ権威や権力がはびこっている。こうした権威や権力は、その世界に住
んでいる人には居心地のよいものらしいが、その外で、いかに多くの人たちが犠牲になってい ることか。
むずかしいことはさておき、あのドラマを見るとき、一度でよいから、水戸黄門の目線ではな
く、その前で頭を地面にこするつける庶民の目線で、あのドラマを見てほしい。あなたもあのド ラマを見る目が変わるはずである。
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【For English Readers】(roughly translated by Mr IBM)
Title society
A thing moves by the title in this Japan. It judges by the title to a man's worth and also its
contents. So to speak, this is the common sense in the world, and feudal consciousness called the class system which continued for a long time is in the undercurrent. But it is not finished.
Its figure will be missed if it uses for the title society firmly for a long time. A certain
government official said like this. "-- me -- already -- immediately -- retirement age when I retire --Iwill be the mayor in the country in Nagano -- returning -- a village headman -- mist wax kana and hahaha" The place called a village headman "or" "will" is fearful.
Say that those who live title society have so strong vertical consciousness as general
principles, and that vertical consciousness is strong has a view of a so authoritarian thing. Since this type of man has a peculiar view, he understands it.
First, while it is unconscious, a man's upper and lower sides are judged. How to carry out
reception changes by the partner. From oneself, while bowing his head, to the man of its superiors, it strikes arrogantly, or is proud to the man at present under its rule at him. If how to telephone is seen, it understands it. "hi-fi -- it was stiff what does not have a title like me after saying that I do as his statement" -- receiving -- Mr. "hey you even if it says so , ummm-"
Since the view of a thing is authoritarian, a way of speaking which is referred to as "Being
what toward parents" increases also at home. "A husband is a top". [ "parents are tops" and ] If he is not placed into vertical-related [ such ], it falls, wears and suits. Only が and its part tend to fail in the production of a good home as a husband as parents.
が and also the tragedy continue. Since it decides by its own value and its title, he cannot
be released from the title. After retiring, there are not little people who drag the title and live. My cousin's father-in-law was so. It adhered to the title until it died and it died truly, although it was the person for whom even the "merit" of the local branches of a country worked when it retired. The solved thing which I said, "Is working in the kindergarten." The man said to me like this. "At any rate, a student movement or something is carried out and it would not attach to trifle work." Work of the teacher of a kindergarten is with "it is not trifle work."
Dragging a title and living is the man's kitchen. However, it is as only the part carries out a
lonely thought personally after all. The father-in-law of the cousin who wrote here stopped [ at / the age of 80 years old ] being just on the other day. Mother who appeared in が and the funeral said like this. "Such a lonely funeral could not be found." Actually, this I did not go to the father's-in-law house once, either, after being called "trifle work." Even the mind of wanting to meet did not occur at all. When it heard, "It died", it is "oh, meeting" and kept. A man's death to which the heart does not go may be such a thing. Those who have a view of an authoritarian thing shut oneself people's heart.
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おまけのページ
私の政治信条 2002−6−23
こういう仕事をしていると、よく政治信条を聞かれる。左翼系であっても、右翼系であってもい
けないということだが、それについて、ここでウソ隠しなく、明白にしておく。
私は自分では「浮動票の王様」と呼んでいる。選挙のたびに支持政党が変わる。しかも私が
支持した政党が、そのつど、躍進する。それでいつしか自分をそう呼ぶようになった。
ここ一〇年だけでも、選挙で自民党に入れたことも、公明党に入れたこともある。共産党に
入れたこともあるし、自由党や民主党に入れたこともある。政治はいつも流動的であるべきだ し、またそれが「自由の象徴」と、私は思っている。よく浮動票層を、「いいかげんな人」と評す る人がいるが、浮動票層であることは、何ら恥ずべきことではない。……と、私は勝手に考え ている。もっともこうして浮動票層でいられるのは、そのスジの団体とは、一切かかわりをもた ないことによる。あちこちの教育委員会から招かれて講演をすることはあるが、だからといっ て、私はいわゆる「保守層」でもない。
私が抵抗しているのは、旧型の日本人社会である。封建時代の遺物の清算、全体主義的思
考の清算、権威主義社会の清算などなど。私たち日本人の、ものの考え方そのものの変革と いってもよい。しかしこれらは政治とは本来、関係がない。そして私は同時に、男女の平等社 会と、家族主義を訴える。その先には、「世界から相手にされる日本」があり、さらにその先に は、「日本人のグローバル化」がある。今でも、この日本は、世界から見ると、どこかおかしい。 どこか異質。つい先日も、ワールドカップで日本チームを監督したフランス人のフィリップ・トル シエ監督は、日本を去るにあたって、外国の新聞社にこう語っている。「さらば、不可解な国 (日本)」(読売新聞、〇二年六月)と※。この「不可解さ」があるかぎり、日本はいつまでたって も、世界から受け入れられることはない。
もちろんそういう私に対して、反論も多い。ときどき、そういった内容の抗議も届く。「あなたは
それでも日本人か!」と、手紙で怒ってきた女性(四〇歳)もいた。「先祖を否定するような者 は、教育講演をする資格はない」とも。(私は一度だって、先祖を否定したことはないのだが… …。)
これからも私は、政治活動をするつもりはない。どこかの団体に属するつもりもない。私はい
つも自分の身の回りをフリーにすることで、「自由」を守ってきた。だれかに遠慮したり、だれか の利益を守るようなことはしたくない。(「したくない」と言いながら、結構しているが……。それ が私の弱点でもある。そういう意味では、ずいぶんといいかげんなところがある。)
まだまだ書きたいことはあるが、これ以上書いても、堂々巡りになるだけ。教育は宗教、哲
学、科学など、あらゆる面に関係するが、同時にあらゆる政党とも関係する。ひとつの政党に こだわらねばならない理由そのものがない。
※……「私はW杯の監督で来たのだ。(タレントではない!)」(読売新聞)と。
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講演会においでください。おいでになるときは、一度、主催者に連絡してください。
多分(いいかげんな言い方ですみません)、自由に聴講していただけると思います。
7月4日(木)……浜松市市立幼稚園PTA連合会にて講演
(主催 浜松市市立幼稚園連合会、連絡先、万ごく幼稚園)
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
11・21……北浜南小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・未定……静岡梨花幼稚園
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
7・23……浜松市東部公民館母親教室
7・20……伊平小学校
7・4……浜松市市立幼稚園PTA連合会
ほか、横浜市(2個所)、愛知県豊田市、浜松市医療センター内での講演
を予定しています。詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! がんばっています!
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MMMMM
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( ̄\q ・ ・ p
\´(〃 ▽ 〃) /〜〜
\  ̄Σ▽乃 ̄\/〜〜/
\ : ξ)
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┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)6-26
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====KW(8)
子育て最前線の育児論byはやし浩司(E−マガ)……読者数(Nr. of Readers) 313人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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/井\
〔井井井〕
MMMMM \井/Hi! I am Hiroshi, and through this magazine you may know
| ⌒ ⌒ | ‖ what is happening among parents in Japan, with some knowledge
○ q ・ ・ p ‖ how to cope with Kids and how to bring up children at home.
⊆⊇ (〃 ▽ 〃) ξ)
\u ̄ ̄⊆V⊇ ̄ ̄レ/
 ̄丶 : 厂 ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数 82人
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上、二つの、E-マガとメルマガは同じ内容です。
(どちらか一つという方は、E-マガのほうをご購読ください。
メルマガが、送信容量が少ないため、ときどき内容をカットして
お届けしています。なおEマガの購読の仕方は、私のサイトの
トップページから、マガジンコーナーへ。)
よりアカデミックな(?)マガジンをご希望の方は、「はやし浩司の世界」を
どうかあわせて、ご愛読ください。お申し込みは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you very much.
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02−6−26号(067)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
メニュー
【1】スペインのTさんより
【2】 スキンシップ
【3】キレる子ども
【4】育児疲れ
【5】English Version
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【1】
スペイン在住のTさんより、
メールが届いています。
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「林先生お元気ですか?
私は、元気です。
ヒホンは、雨つづきだし、寒いです。
学校も、私のクラスは、11人です。少なくて、塾みたいです。
ふつうに、英語をしゃべれないけれど、がんばっています。
学校のホームページのアドレスは xxxxxxx です。
じゃあまた送りますので、林先生も、送って下さい。
U子より
ご無沙汰しておりますが、お元気でお過ごしでしょうか。
(銀の道)の出発地でもあるヒホンに住んで、もう一年になり、
時の経つ速さに、驚いています。
U子は、住み始めてすぐに、学校や、アパートの友達がたくさんでき、
浜松に住んでいるのと変わらないくらい、エンジョイしています。
最初は、英語で単語を並べていただけのコミュニケーションでしたが、
(スペイン人の子供でも11才以上になると英語を片言で話せます)
今は英語とスペイン語を何とか使っているようです。(随分文法が
間違っているときが、ありますが、、、)
彼女のたくましさに、感心してしまいます。
これからも、こちらの様子をメールで送りますので、見て下さい。
またスペインのT家のコミュニティーの招待状を
送りますので、開けてみてください。スペインの暮らし振りの
写真を載せています。
ではまた。お元気で。
スペインのTより」
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真昼の怪奇
Gというレストランに女房と入った。食事がほぼ終わりかけたとき、隣の席に、明らかに大学
生と思われる、若い男女が座った。そのときだ。
やや太り気味の男は、イスにデンと座ったまま。恋人と思われる女が、かいがいしくも、水を
運んだり、ジュースを運んだり、スープを運んだりしていた。往復で、三度は行き来しただろう か。私はただただそれを見て、あきれるばかり。その間、男のほうは、メニューをのぞいたり、 少し離れたところにあるプラズマテレビの画面をながめたりしているだけ。その女を手伝おうと もしない。いや、そんな意識は、毛頭もないといったふうだった。
私はよほどその男に声をかけようと思った。そしてこう聞きたかった。「あなたはどういうつも
りですか?」と。
日本では見慣れた光景かもしれない。そしてそういう光景を見ても、だれもおかしいとは思わ
ない。「そういう仕事は、女がするものだ」と、男は思っている。そして女自身も、「そういう仕事 は女がするものだ」と思っている。が、それこそ、まさに世界の非常識。そういう非常識が、日 常的にまかりとおっているところに、日本型の社会の問題がある。
いや、その男女が、五〇歳代とか六〇歳代とかいうのなら、まだ話はわかる。しかしどうみて
も大学生。そういう若い男女が、いまだにその程度の意識しかもっていないとは!
あとで女房とこんな会話をした。「家庭教育が問題だ」と。いや、教育というよりは、その男女
にしても、家庭の中で見慣れた光景を、そのレストランで繰り返しているにすぎない。教育とい うよりは、私たち自身の意識の問題なのだ。先日も、ある講演先で、「家事を夫も手伝うべき だ」というようなことを言ったら、ある男性から反論のメールが届いた。いわく、「男は仕事で疲 れて帰ってくる。その男が家に帰って、家事を手伝うというのは現実的ではない」と。
しかし言いかえると、世の男たちは、仕事にかこつけて、何もしない。「仕事」はあくまでも、方
便。方便であることは、その若い男女を見ればわかる。大学生といえば、たがいに平等のは ず。その大学生の段階で、男の側にはすでに家事を手伝うという意識すらない。きっとあのレ ストランの男も、いつか仕事から帰ってくると、妻にこう言うようになるだろう。「オイ、お茶!」 と。妻を奴隷のようにあつかいながら、その意識すらもたない。それは仕事で疲れているとか、 いないとかいうこととは関係、ない。
私はまさに、真昼の怪奇を見せつけられた思いで、そのレストランを出た。
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【2】
「抱きぐせ」が、よく話題になります。
これについて、ここで結論をだしてお
きます。
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スキンシップ
よく「抱きぐせ」が問題になる。しかしその問題も、オーストラリアやアメリカへ行くと、吹っ飛ん
でしまう。オーストラリアやアメリカ、さらに中南米では、親子と言わず、夫婦でも、いつもベタベ タしている。恋人どうしともなると、寸陰を惜しんで(?)、ベタベタしている。あのアメリカのブッ シュ大統領ですら、いつも婦人と手をつないで歩いているではないか。
一方、日本人は、「抱きぐせ」を問題にするほど、スキンシシップを嫌う。避ける。「抱きぐせが
つくと、子どもに依存心がつく」という、誤解と偏見も根強い。(依存心については、もっと別の 角度から、もっと別の視点から考えるべき問題。「抱きぐせがつくと、依存心がつく」とか、「抱き ぐせがないから、自立心が旺盛」とかいうのは、誤解。そういうことを言う人もいるが、まったく 根拠がない。)仮にあなたが、平均的な日本人より、数倍、子どもとベタベタしたとしても、恐らく 平均的なオーストラリア人やアメリカ人の、数分の一程度のスキンシップでしかないだろう。こ の日本で、抱きぐせを問題にすること自体、おかしい。もちろんスキンシップと溺愛は分けて考 えなければならない。えてして溺愛は、濃密なスキンシップをともなう。それがスキンシップへの 誤解と偏見となることが多い。
むしろ問題なのは、そのスキンシップが不足したばあい。サイレントベビーの名づけ親であ
る、小児科医の柳沢さとし氏は、つぎのように語っている。「母親たちは、添い寝やおんぶをあ まりしなくなった。抱きぐせがつくから、抱っこはよくないという誤解も根強い。(泣かない赤ちゃ んの原因として)、育児ストレスが背景にあるようだ」(読売新聞)と。
もう少し専門的な研究としては、つぎのようなものがある。
アメリカのマイアミ大学のT・フィールド博士らの研究によると、生後一〜六か月の乳児を対
象に、肌をさするタッチケアをつづけたところ、ストレスが多いと増えるホルモンの量が減ったと いう。反対にスキンシップが足りないと、ストレスがたまり、赤ちゃんにさまざまな異変が起きる ことも推察できる、とも。
先の柳沢氏は、「心と体の健やかな成長には、抱っこなどのスキンシップがたっぷり必要だ
が、まだまだじゅうぶんではないようだ」と語っている。ちなみに「一〇〇人に三人程度の割合 で、サイレントベビーが観察される」(聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院・堀内たけし氏)そ うだ。
母親、父親のみなさん。遠慮しないで、もっと、ベタベタしなさい!
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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【3】
先ごろ、文部科学省が「キレる子ども」についての
調査結果を発表しました。調査といっても、分類し
ただけですが……。こうした手法は、明治以来、た
とえば、動植物の分類法などに用いられた手法で、と
くに目新しいものではありません。
私の意見は、もう一つのマガジンの「はやし浩司の
世界」のほうで、紹介しておきます。
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キレる子ども
文部科学省が、「キレる子どもの生育歴に関する研究」を発表した(〇二年六月)。それによ
れば、「突発的に暴力をふるうなど、キレた子どもの八割近くに、過保護や行き過ぎた干渉、放 任といった家庭での不適切な対応があったことがわかった」という。
その研究によれば、こうした子どもたちの性格は、(1)耐性欠如型(ささいなことにがまんで
きないタイプ)、(2)不満型(おとなしく目立たないが、不満をためこむタイプ)、(3)攻撃型(衝 動的で自制心に欠けるタイプ)の三つに分類されたという。そしてその割合は、つぎのようであ ったという(キレたと思われる子ども、六五四件について調査。うち男子の報告例が、五七四人 で全体の88%)。
耐性欠如型……70%
不満型…… 30%
攻撃型…… 42%
で、生育状況を類型化したところ、つぎのようになったという。
不適切な養育態度(全体の76%)……過度の統制(きびしすぎるしつけ)……19%
……過保護……14%
……放任 ……15%
さらに六割を超える子どもに、「家庭での緊張感」がみられ、その内訳は、
……両親の離婚……25%
……両親の不仲……13%
……本人と家族の不仲……16%
また家庭内での暴力、体罰を受けたケースも、全体の24%にのぼり、また全体の四分の一
の子どもに、孤立やいじめなどの「友人関係の問題」がみられたという。興味深い点は、「耐性 欠如型では、子どもを過度に統制しようとする母親と、育児に無関心な父親という組み合わせ が多い」「不満型では、幼少期は『いい子』だが、そののち、不満型になる」という点を指摘して いること。
こうした分類方法は、子どもの世界を「上」からみる人が好んで用いる手法である。(明治時
代、動植物学というと、その分類が主体であった。その手法の範囲を一歩も出ていない。)しか し実際には、現場ではまったくといってよいほど、役にたたない。たとえば「学習面で遅れの目 立つ子どもを、愚鈍型(私は「ぼんやり型」と呼んでいる。この言葉は好きではない)、発育不良 型(知育の発育そのものが遅れているタイプ)、活発型(多動性があり、学習に集中できない) などに分けて考えるのに似ている(教育小辞典)。だからどうなのかという部分が、まるで浮か びあがってこない。「分類するのは簡単だが、では実際、指導してみたらいかがでしょうか」とい うことになる。キレる子どもを考えるには、もっと別の手法を使うべきである。
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キレる子どもの原因?
キレる子ども……、つまり突発的に過剰行動に出る子どもの原因として、最近にわかにクロ
ーズアップされてきたのが、「セロトニン悪玉説」である。つまり脳間伝達物質であるセロトニン が異常に分泌され、それが毒性をもって、脳の抑制命令を狂わすという(生化学者、ミラー博 士ほか)。アメリカでは、もう二〇年以上も前から指摘されていることだが、もう少し具体的に言 うとこうだ。たとえば白砂糖を多く含む甘い食品を、一時的に過剰に摂取すると、インスリンが 多量に分泌され、それがセロトニンの過剰分泌を促す。そしてそれがキレる原因となるという (岩手大学の大澤名誉教授ほか)。
このタイプの子どもは、独特の動き方をするのがわかっている。ちょうどカミソリの刃でスパス
パとものを切るように、動きが鋭くなる。なめらかな動作が消える。そしていったん怒りだすと、 カッとなり、見境なく暴れたり、ものを投げつけたりする。ギャーッと金切り声を出すことも珍しく ない。幼児でいうと、突発的にキーキー声を出して、泣いたり、暴れたりする。興奮したとき、体 を小刻みに震わせることもある。
そこでもしこういう症状が見られたら、まず食生活を改善してみる。甘い食品を控え、カルシ
ウム分やマグネシウム分の多い食生活に心がける。リン酸食品も控える。リン酸は日もちをよ くしたり、鮮度を保つために多くの食品に使われている。リン酸をとると、せっかく摂取したカル シウムをリン酸カルシウムとして、体外へ排出してしまう。一方、昔からイギリスでは、『カルシ ウムは紳士をつくる』という。日本でも戦前までは、カルシウムは精神安定剤として使われてい た。それはともかくも、子どもから静かな落ち着きが消えたら、まずこのカルシウム不足を疑っ てみる。ふつう子どものばあい、カルシウムが不足してくると、筋肉の緊張感が持続できず、座 っていても体をクニャクニャとくねらせたり、ダラダラさせたりする。
ここに書いたのはあくまでも一つの説だが、もしあなたの子どもに以上のような症状が見られ
たら、一度試してみる価値はある。効果がなくても、ダメもと。そうでなくても子どもに缶ジュース を一本与えておいて、「少食で悩んでいます」は、ない。体重一五キロの子どもに缶ジュースを 一本与えるということは、体重六〇キロのおとなが、同じ缶ジュースを四本飲むのに等しい。お となでも四本は飲めないし、飲めば飲んだで、腹の中がガボガボになってしまう。もしどうしても 「甘い食べもの」ということであれば、精製されていない黒砂糖を勧める。黒砂糖には天然のミ ネラル分がバランスよく配合されているため、ここでいうような弊害は起きない。ついでに一 言。
子どもはキャーキャーと声を張りあげるもの、うるさいものだと思っている人は多い。しかしそ
ういう考えは、南オーストラリア州の幼稚園を訪れてみると変わる。そこでは子どもたちがウソ のように静かだ。サワサワとした風の音すら聞こえてくる。理由はすぐわかった。その地方では どこの幼稚園にも、玄関先に大きなミルクタンクが置いてあり、子どもたちは水代わりに牛乳を 飲んでいた。
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すなおな子ども論
従順で、おとなしい子どもを、すなおな子どもと考えている人は多い。しかしそれは誤解。教
育、なかんずく幼児教育の世界では、心(情意)と表情が一致している子どもを、すなおな子ど もという。うれしいときには、うれしそうな表情をする。悲しいときには悲しそうな表情をする。不 愉快なときは、不愉快そうな顔をする。そういう子どもをすなおな子どもという。
しかし心と表情が遊離すると、それがチグハグになる。ブランコを横取りされても、ニコニコ笑
ってみせたり、いやなことがあっても、黙ってそれに従ったりするなど。中に従順な子どもを、 「よくできた子ども」と考える人もいるが、それも誤解。この時期、よくできた子どもというのは、 いない。つまり「いい子」ぶっているだけ。このタイプの子どもは大きなストレスを心の中でた め、ためた分だけ、別のところで心をゆがめる。よく知られた例としては、家庭内暴力を起こす 子どもがいる。このタイプの子どもは、外の世界では借りてきたネコの子のようにおとなしい。
キレるタイプの子どもは、不安状態の中に子どもを追い込まないように、穏やかな生活を何
よりも大切にする。乱暴な指導になじまない。あとは情緒が不安定な子どもに準じて、(1)濃厚 なスキンシップをふやし、(2)食生活の面で、子どもの心を落ちつかせる。カルシウム、マグネ シウム分の多い食生活に心がけ、リン酸食品をひかえる(※)。リン酸は、せっかく摂取したカ ルシウムをリン酸カルシウムとして、体外へ排出してしまう。もちろんストレスの原因(ストレッサ ー)があれば、それを除去し、心の負担を軽くすることも忘れてはならない。
※……今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。たとえば、ハム、ソーセージ(弾力
性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けても流 れず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせず、 歯ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味をおだ やかにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水によく 溶けるようにするため)など(以上、川島四郎氏)。
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キレる子ども(2)
子どもたち(小三児)を並べて、順に答案に丸をつけていたときのこと。それまでF君は、まっ
たく目立たないほど、静かだった。が、あと一人でF君というそのとき、F君が突然、暴れ出し た。突然というより、激変に近いものだった。ギャーという声を出したかと思うと、周囲にあった 机とイスを足でけって、ひっくり返した。瞬間私は彼の目を見たが、それは恐ろしいほど冷たく、 すごんでいた……。
キレる状態は、心理学の世界では、「躁(そう)状態における精神錯乱」(長崎大・中根允文氏
ほか)と位置づけられている。躁うつ病を定型化したのはクレペリン(ドイツの医学者・一八五 六〜一九二六)だが、一般的には躁状態とうつ状態はペアで考えられている。周期性をもって 交互に、あるいはケースによっては、重複して起こることが多い。それはそれとして、このキレ た状態になると、子どもは突発的に凶暴になったり、大声でわめいたりする。(これに対して若 い人の間では、ただ単に、激怒した状態、あるいは怒りが充満した状態を、「キレる」と言うこと が多い。ここでは区別して考える。)
よく子どもの情緒が不安定になると、その不安定の状態そのものを問題にする人がいる。し
かしそれはあくまでも表面的な症状にすぎない。情緒が不安定な子どもは、その根底に心の緊 張状態があるとみる。その緊張状態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一 挙に緊張感が高まり、情緒が不安定になる。先のF君のケースでも、「問題が解けなかった」と いう思いが、彼を緊張させた。そういう緊張状態のところに、「先生に何かを言われるのではな いか」という不安が入りこんで、一挙に情緒が不安定になった。言いかえると、このタイプの子 どもは、いつも心が緊張状態にある。気を抜かない。気を許さない。周囲に気をつかうなど。表 情にだまされてはいけない。柔和でおだやかな表情をしながら、その裏で心をゆがめる子ども は少なくない。これを心理学の世界では、「遊離」と呼んでいる。一度こういう状態になると、「何 を考えているかわからない子ども」といった感じになる。
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【4】
育児は重労働。そのため、育児疲れを起こす
母親は多いですね。その育児疲れについて……
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育児疲れ
育児だけならともかくも、つぎからつぎへと雑用が飛び込んでくる。何がなにやらわけがわか
らなくなる。わずらわしいことも多い。おまけに昨夜は下の子ども(二歳)が夜泣きをして、今日 は睡眠不足。夫は仕事だけ。朝早く家を出て、帰りはいつも深夜。しかも最近は、夫との関係 もどこかぎくしゃくしている。会話もない。家計もたいへん。今日も、通路へのゴミ出しのことで、 隣の人とトラブル。それに息子(小二)の通う学校の先生が、どうも気に入らない。気分的で、 つかみどころがない。息子のことで相談しても、ヘラヘラしているだけ。頭の中は情報だらけな のに、どれが大切で、どれがそうでないかもわからない。何をしても、イライラがつのるばかり。 ああ、私はどうしたらいいの?
今、ほとんどの母親たちは疲れている。日本女子社会教育会がした調査でも、七二%の母
親が、「子どものことでイライラする」と答えている。うち七%は、「いつもイライラする」と答えて いる(平成七年)。
キレる子どもが問題になっているが、キレるのは、子どもだけではない。母親だって、キレ
る。キレて、何が悪い! だいたい「男は仕事、女は家事」と、だれが決めた! 仕事をしてい たほうが、よっぽど気が楽! 世の男どもよ、「仕事、仕事」と、偉そうな顔をするな! …… と、少し熱くなりすぎたが、世の女性たちの本音は、こんなところにある。
問題は、こうしたイライラを、どう解消するか、だ。子どものできがよければ、まだ多少は救わ
れるが、できが悪いと、さらにイライラは倍加される。
【第一段階】子どもに八つ当たりをする、グチを言う、暴言をはく、子どもに体罰を加える、怒鳴
り散らす。感情のコントロールが、不安定になる。
【第二段階】何をするにも無気力になる、元気がなくなる、返事をしても上の空、むなしい、つま
らない、やる気が出てこない。感情が抑制される。
この第二段階になると、いろいろな神経症(頭重、頭痛、肩こり、腹痛など)を併発し、さらに
進むと、回避性障害(人と会うのを避ける)、節食障害(過食、拒食など)、行為障害(万引き、 ムダ買い)などの、精神障害が現れるようになる。こうなると育児ノイローゼと呼んでもよい。
そこで解消法。もっとも効果的な解消法は、「汗をかく」こと。無我夢中で汗をかくような方法
がよい。東洋医学でも、「気」がうっ積するときは、「発散」という方法で、病気をなおす。湯液(と うえき)を用いる方法もあるが、簡単に発散させる方法としては、「発汗」がある。うっ積した 「気」は、汗とともに、体外へ出る。論理的ではないが、現象的には、正しい。
あなたもイライラしたら、どこかで思いっきり、汗をかいてみるとよい。
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私のストレス発散法
ストレス(生理的なひずみ、あるいは「気」のうっ積)で苦しんでいる人は、多い。実のところ、
私は三〇歳〜三五歳のころ、偏頭痛で苦しんだ。年に数回、あるいはもっと多い頻度で、偏頭 痛の発作が起きた。それこそ四転八転の苦しみを味わった。「頭を切ってくれ!」と叫んで、ふ とんの中でもがいたことも多い。その苦しみは、偏頭痛を味わったものでないとわかるまい。
もっとも当時は、偏頭痛に対する理解も治療法もなく、(あったかもしれないが、私が相談した
医師は、別の診断名をくだしていた。ある大病院では、脳腫瘍と診断し、開頭手術まで予定し た)、市販の薬をのんでは、ゲーゲーとそれを吐き出していた。そういう意味では、まさに毎日 がストレスとの戦いでもあった。
そんな中、やがて自分なりの対処法を身につけるようになった。
まず第一に自分はストレスに弱いことを自覚した。そのため、ストレッサー(ストレスの原因)
となりやすいものは、できるだけ避けるようにした。たとえば人と会う約束も、一日一回にすると か、など。あるいはスケジュールには、余裕をもたせるなど。
つぎに、当然のことながら、治療法をさがした。たまたま東洋医学の研究もしていたので、あ
らゆる漢方薬を試してみた。しかし結局は、そのうち、たいへんよく効く西洋薬が開発されて、 それでなおるようになった。ただその薬は、のむと胃を荒らすので、できるだけのまないように している。
が、最善の治療法は、汗をかくこと。ただし、偏頭痛がひどくなってからでは、汗をかくと、か
えって……というより、運動することそのものができない。軽い段階で、思い切って汗をかく。運 動がよいことは言うまでもないが、その中でも、私のばあい、エンジン付の草刈り機で、バンバ ンと草を刈るのが効果的。一汗かくと、偏頭痛そのものが消える。だから「おかしい」と感じた ら、あたりかまわず草を刈ることにしている。理由はよくわからないが、下半身は毎日、自転車 できたえているため、走ったり、自転車にのっても、あまり汗をかかない。しかし上半身は、ほ とんど鍛えていないので、草を刈るとその上半身を使うため、汗をかくのではないか……と、勝 手にそう解釈している。
今でも、少し油断すると、頭重が起きる。しかしそれは同時に、私の健康のバロメーターでも
ある。持病もうまくつきあうと、それを反対に利用することができる。「少し頭が重くなったから、 仕事を減らせ」とか。そういうふうに、利用できる。
この話は、子育てとは関係ないが、育児疲れや育児ノイローゼで、偏頭痛になる人も多いの
で、参考のために書いた。
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【5】For English Readers、(roughly translateded by Mr IBM)
Sorry! I don't have here an English corner for today. Come and visit me in next time.
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おまけのページ
子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(492)
己こそ、己のよるべ
法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。法句経
というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。釈迦は、「自分こそが、 自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。つまり「自分のことは自分でせ よ」と教えている。
この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、もともと
「自らに由る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行動し、自分で 責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは言わない。子育ての基 本は、この「自由」にある。
子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれるタイ
プの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込んでくる。
私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」母、横から、「おばあちゃんの家でし
ょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」私、再び、子どもに向かって、「楽 しかったかな」母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いな さい」と。
このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を変え
て、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。ある母親は今の夫と いやいや結婚した。だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あなたは、ちゃん とできるようになるの!」と、はげしく叱っていた。
次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるいは自
分で行動させない。いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面で の過保護。「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護のもとだけで子育てをするな ど。子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」というタイプの子どもにな る。外へ出すと、すぐ風邪をひく。
さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がない。自
分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親はこう言った。「子ども同士が喧嘩をし ているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り飛ばしたい衝動に かられます」と。また別の母親は、自分の息子(中二)が傷害事件をひき起こし補導されたとき のこと。警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。た またまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机を叩 いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。
己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、子
どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。(中日新聞に投稿済 み)
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(496)
子育て、はじめの一歩
先日、あるところで講演をしたら、一人の父親からメールが届いた。いわく、「先生(私のこと)
は、親は子どもの友になれというが、親子にも上下関係は必要だと思う」と。
こうした質問や反論は、多い。講演だと、どうしても時間的な制約があって、話のあちこちを
端(はし)折ることが多い。それでいつも誤解を招く。で、その人への説明……。
テレビ番組にも良質のものもあれば、そうでないのもある。そういうのを一緒くたにして、「テ
レビは是か非か」と論じても意味がない。同じように、「(上下意識のある)親意識は必要か否 か」と論じても意味はない。親意識にも、つまり親子の上下関係にも、いろいろなケースがあ る。私はそれを、善玉親意識と、悪玉親意識に分けている。
善玉親意識というのは、いわば親が、親の責任としてもつ親意識をいう。「親として、しっかりと
子どもを育てよう」とか、そういうふうに、自分に向かう親意識と思えばよい。一方、悪玉親意識 というのは、子どもに向かって、「私は親だ!」「親に向かって、何だ!」と、親風を吹かすことを いう。
つまりその中身を分析することなく、全体として親意識を論ずることは危険なことでもある。同
じように「上下意識」も、その中身を分析することなく論じてはいけない。当然、子どもを指導 し、保護するうえにおいては、上下意識はあるだろうし、またそれがなければ、子どもを指導す ることも、保護することもできない。しかし子どもの人格を認めるという点では、この上下意識 は禁物である。あればじゃまになる。親子もつきつめれば、一対一の人間関係で決まる。「親 だから……」「子どもだから……」と、「だから」論で、たがいをしばるのは、ときとしてたがいの 姿を見失う原因となる。日本人は世界的にみても、上下意識が強い民族。親子の間にも、(あ るいは夫婦の間ですら)、この上下意識をもちこんでしまう。そして結果として、それがたがい の間にキレツを入れ、さらにはたがいを断絶させる。
が、こうして疑問をもつことは、実は、子育ての「ドア」を開き、子育ての「階段」をのぼる、そ
の「はじめの一歩」でもある。冒頭の父親は、恐らく、「上下関係」というテーマについてそれま で考えたことがなかったのかもしれない。しかし私の講演に疑問をもつことで、その一歩を踏み 出した。ここが重要なのである。もし疑問をもたなかったら、その上下意識についてすら、考え ることはなかったかもしれない。もっと言えば、親は、子育てをとおして、自ら賢くなる。「上下意 識とは何か」「親意識とは何か」「どうして日本人はその親意識が強いか」「親意識にはどんなも のがあるか」などなど。そういうことを考えながら、自ら賢くなる。ここが重要なのである。
子育ての奥は、本当に深い。私は自分の講演をとおして、これからもそれを訴えていきた
い。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(489)
講演について
講演をするたびに、あとで後悔する。私はもともと早口なので、「早口でしゃべってしまった」と
か、反対に、「あれを言い忘れた、これを言い忘れた」と。しかしそれ以上に心配するのは、 「来てくれた人の役にたてただろうか」ということ。中には遠いところからわざわざ来てくれた人 もいただろう。仕事のつごうをつけて来てくれた人もいただろう。そんなことばかり考える。
で、最近は、講演の前に、「一生懸命しよう」とは思わないことにしている。そう思えば思うほ
ど、あとで後悔する。それを発見した。そこで最近は、どんな小さな講演でも、「今日が最後だ から、そう思ってしろ」と、自分に言い聞かせている。そう言い聞かせて講演をすると、講演が 終わったとき、「無事、終わってよかった」と。何だかその先に、まだ人生があるのを知って、ほ っとする。
ただこういうことは言える。多分、(私も他人の講演を聞いたとき、そう思ったが)、聞きに来て
くれる人は、私が楽にしゃべっているように思うかもしれない。しかし実際には、重労働。脳の マラソンのようなものではないかと思っている。時間にすれば二時間かもしれないが、その前 後の調整がたいへん。前日くらいから体調を整え、当日は、講演の前にはほとんど食事をとら ないことにしている。これは私の低血圧によるもので、胃袋にモノが入ると、眠くなってしまうか らである。実際、ある講演では、その前に出してもらった昼食をとったため、講演中に瞬間だ が、眠ってしまったことがある。
体調を整えるということは、実のところたいへんなことでもある。これも一度だが、風邪ぎみ
で、その朝、風邪薬をのんでしまった。おかげで頭がボーッとしてしまい、途中で何を話してい るかわからなくなってしまったこともある。全市をあげての大会のような講演会だったので、あ のときほど自分の風邪をのろったことはない。
また講演しているときは、同時に三つの脳が働く。その話題についてしゃべっている脳。全体
の地図のように働いている脳。それに聴衆の反応を見る脳である。この三つの脳が同時にう まく働かないと、それこそ講演の内容がめちゃめちゃになってしまう。体や脳のコンディションが 悪いと、これがうまく働かなくなる。
講演もなれの問題。三〇歳のころは、講演というだけで、数日前から不眠症になってしまっ
た。一度、有料の講演会をしたことがあるが、そのときも、数日前から不眠症になってしまっ た。が、今は、そういうことはない。ただこういうことは言える。話としてする講演というのは、書 いた文による内容とくらべると、内容が「浅い」ということ。これは話すことにまつわる限界のよ うなものかもしれない。だから本当のところ、私は、講演よりも、書いたものを読んでもらいた い。そのほうが、私としては安心できる。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(500)
意識の違い
昔、ブラジルのサンパウロへ行ったときのこと。まだ日本人の観光客が珍しい時代で、行く
先々で、日系人が声をかけてきた。「あなたはどこから来ましたか。私の父はY県から来まし た」と。
正直言って、私にはそれが耳障りだった。うるさかった。だから心の中で、こう思った。「日系
人、日系人というが、ブラジル人ではないのか。どうしてブラジル人としてブラジル社会に溶け 込まないのか」と。たとえばブラジルにもドイツ系移民がいた。しかし彼らは移民したつぎの日 から、「私たちはブラジル人だ」と言いだす。
で、その話を帰国してから、当時、六〇歳くらいの男性に話した。私は当然その男性は、私
に同意してくれるものとばかり思っていた。が、その男性は、私の話を聞くと、私に急に怒り出 した。「君は、ブラジルに移民した日本人の気持ちが理解できないのかね。向こうの人が、日 本人の君を見て、なつかしいと思ったのだよ。それをうるさいとは何だ。どの国に移民しても、 日本人は日本人だ」と。
意識の違いというのは恐ろしい。私はその男性の剣幕に押されてしまった。当時の私は二七
歳。何かまちがったことを言ってしまったようで、そのまま小さくなった。しかし……。
カナダのプロ野球選手が、アメリカの球団に移籍してプレーするようになったら、その時点か
ら、その選手はアメリカ人になる。カナダの放送局が、その選手を追いかけ回すようなことはし ない。が、日本では、このところ毎日のように、アメリカンリーグで活躍する日本人選手が報道 されている。アメリカという国は、もともと移民国家。その中にはアジア系アメリカ人も何割かは いる。日系人もそのうちの何割かはいる。たまたまプロ野球で活躍しているからといって、「日 本人、日本人」と言うのはどうか。アメリカ人の男性と結婚した、ユキコという女性は、私にこう 言った。「イチロー、イチローと騒いでいる日系人もいるが、彼らは、アメリカ社会に同化できな い日系人ですよ」と。
どちらが正しいとかまちがっているとかいうことではない。ブラジル社会で、「日系人、日系
人」と言っている日系人と、アメリカで活躍する日本人選手を、「日本人、日本人」と言っている 日本人は、その底流でつながっている。ともに日本という島国の中でしか、世界を見ていない。 ちなみにアメリカでは、選手の人種や国籍を口にするのは、タブー。人種差別につながると考 えるからである。
私はたまたま野茂が完封試合をした(〇一年四月)とき、アメリカにいた。が、アナウンサーは
最後の最後まで、野茂が日本人だということは口にしなかった。ただ試合の最後で、「日本人 のファンが喜んでいます」と、間接的な表現で、野茂が日本人ということをにおわせていた。ア メリカ人ですら、そこまで気をつかって、野茂を、アメリカ社会に迎え入れようとしている。が、当 の日本人は、あえてそれに逆行するようなことをして騒いでいる。皆さんには、このおかしさが わかるだろうか。
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講演会においでください。おいでになるときは、一度、主催者に連絡してください。
多分(いいかげんな言い方ですみません)、自由に聴講していただけると思います。
7月4日(木)……浜松市市立幼稚園PTA連合会にて講演
(主催 浜松市市立幼稚園連合会、連絡先、万ごく幼稚園)
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
11・21……北浜南小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・未定……静岡梨花幼稚園
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
7・23……浜松市東部公民館母親教室
7・20……伊平小学校
7・4……浜松市市立幼稚園PTA連合会
ほか、横浜市(2個所)、愛知県豊田市、五島小学校、浜松市医療センター内での講演
を予定しています。詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! がんばっています!
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MMMMM
m | ⌒ ⌒ |
( ̄\q ・ ・ p
\´(〃 ▽ 〃) /〜〜
\  ̄Σ▽乃 ̄\/〜〜/
\ : ξ)
┏━━┻━━━┓
┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)6-28
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====KW(8)
子育て最前線の育児論byはやし浩司(E−マガ)……読者数(Nr. of Readers) 317人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
================
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
/井\
〔井井井〕
MMMMM \井/Hi! I am Hiroshi, and through this magazine you may know
| ⌒ ⌒ | ‖ what is happening among parents in Japan, with some knowledge
○ q ・ ・ p ‖ how to cope with Kids and how to bring up children at home.
⊆⊇ (〃 ▽ 〃) ξ)
\u ̄ ̄⊆V⊇ ̄ ̄レ/
 ̄丶 : 厂 ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
━━○━━━━━━━○━━━━━━━
最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数 81人
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
上、二つの、E-マガとメルマガは同じ内容です。ただしメルマガの
ほうでは、送信容量に限界があるため、たいていいつも内容をカット
して送っています。全文読んでくださる方はEマガのほうを、ご購読
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02−6−28号(068)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
メニュー
【1】子どもの小遣い(How we should be when we give money to children)
【2】あなたの家庭診断(Is your home a sweet home forkids?)
【3】雑感(Short Essays)
【4】子どものトラブル(How to cope with troubles at school)
【5】English Corner
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【1】
静岡県湖西市在住のOTさんより、
メールが届いています。この中で
OTさんは、子どもの小遣いにつ
いて書いておられます。みなさん
といっしょに考えてみましょう。
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私は湖西市に住んでいるOTというものです。
先日湖西市のKセンターでの先生の講演会を聞いたのですが
聞きに行った人の中には、学校のPTA活動などで
半強制的?に来させられていた知り合いがいて
「最初ははやし浩司なんて知らないし、あまり乗り気ではなかったけれどいい話だった。」
とか
「C新聞にコラムが載ってたの? 知らなかった。連載しているときに気がつけばよかった。」
などなど、私の知り合いにはとても好評な講演会だったようです。
私には二人の子供がいますが、今のところなんの問題もなく? 育っていっているようです。
しかし私の中学生の姪と甥はただ今、登校拒否中!!
小さな頃から私から見ても、親や祖父母は子供達が欲しいものを与えつづけ
私からみて、なんでもう少し我慢させないの?
と思うような育てをしていました。
そんな時、私はちょうどC新聞の「子どもの世界」で
「子どもにとっての100円は大人の1万円」というコラムを読み
骨身にしみた経験があります。
育児書とおりの子育ては、私には絶対できませんが
手探りをしながら子育てをしている今、メルマガを読んで
もう一度自分の子育てについて、これはいけないのでは・・・と思う点にを知り
我が家の子供達と共に成長していければと思っています。
これからもがんばってください。
ささやかですが、応援しています。
(静岡県湖西市OTより)
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子どもに与えるお金は、一〇〇倍せよ(失敗危険度★★★★)
●年長から小学二、三年にできる金銭感覚
子どもの金銭感覚は、年長から小学二、三年にかけて完成する。この時期できる金銭感覚
は、おとなのそれとほぼ同じとみてよい。が、それだけではない。子どもはお金で自分の欲望 を満足させる、その満足のさせ方まで覚えてしまう。これがこわい。
●一〇〇倍論
そこでこの時期は、子どもに買い与えるものは、一〇〇倍にして考えるとよい。一〇〇円のも
のなら、一〇〇倍して、一万円。一〇〇〇円のものなら、一〇〇倍して、一〇万円と。つまりこ の時期、一〇〇円のものから得る満足感は、おとなが一万円のものを買ったときの満足感と 同じということ。そういう満足感になれた子どもは、やがて一〇〇円や一〇〇〇円のものでは 満足しなくなる。中学生になれば、一万円、一〇万円。さらに高
が、中にはお金をか校生や大学生になれば、一〇万円、一〇〇万円となる。あなたにそれ
だけの財力があれば話は別だが、そうでなければ子どもに安易にものを買い与えることは、や めたほうがよい。
●やがてあなたの手に負えなくなる
子どもに手をかければかけるほど、それは親の愛のあかしと考える人がいる。あるいは高価
であればあるほど、子どもは感謝するはずと考える人がいる。しかしこれはまったくの誤解。あ るいは実際には、逆効果。一時的には感謝するかもしれないが、それはあくまでも一時的。子 どもはさらに高価なものを求めるようになる。そうなればなったで、やがてあなたの子どもはあ なたの手に負えなくなる。
先日もテレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた。何でもその朝発売になるゲーム
ソフトを手に入れるために、六〇歳前後の女性がゲームソフト屋の前に並んでいるというの だ。しかも徹夜で! そこでレポーターが、「どうしてですか」と聞くと、その女性はこう答えた。 「かわいい孫のためです」と。その番組の中は、その女性(祖母)と、子ども(孫)がいる家庭を 同時に中継していたが、子ども(孫)は、こう言っていた。「おばあちゃん、がんばって。ありがと う」と。
●この話はどこかおかしい
一見、何でもないほほえましい光景に見えるが、この話はどこかおかしい。つまり一人の祖
母が、孫(小学五年生くらい)のゲームを買うために、前の晩から毛布持参でゲーム屋の前に 並んでいるというのだ。その女性にしてみれば、孫の歓心を買うために、寒空のもと、毛布持 参で並んでいるのだろうが、そうした苦労を小学生の子どもが理解できるかどうか疑わしい。 感謝するかどうかということになると、さらに疑わしい。苦労などというものは、同じような苦労し た人だけに理解できる。その孫にすれば、その女性は、「ただのやさしい、お人よしのおばあち ゃん」にすぎないのではないのか。
●釣竿を買ってあげるより、魚を釣りに行け
イギリスの教育格言に、『釣竿を買ってあげるより、一緒に魚を釣りに行け』というのがある。
子どもの心をつかみたかったら、釣竿を買ってあげるより、子どもと魚釣りに行けという意味だ が、これはまさに子育ての核心をついた格言である。少し前、どこかの自動車のコマーシャル にもあったが、子どもにとって大切なのは、「モノより思い出」。この思い出が親子のきずなを太 くする。
●モノに固執する国民性
日本人ほど、モノに執着する国民も、これまた少ない。アメリカ人でもイギリス人でも、そしてオ
ーストラリア人も、彼らは驚くほど生活は質素である。少し前、オーストラリアへ行ったとき、友 人がくれたみやげは、石にペインティングしたものだった。それには、「友情の一里塚(マイル・ ストーン)」と書いてあった。日本人がもっているモノ意識と、彼らがもっているモノ意識は、本質 的な部分で違う。そしてそれが親子関係にそのまま反映される。
さてクリスマス。さて誕生日。あなたは親として、あるいは祖父母として、子どもや孫にどんな
プレゼントを買い与えているだろうか。ここでちょっとだけ自分の姿勢を振りかってみてほしい。
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【2】
あなたの家庭は。「家庭」として機能していますか?
家庭の役割は、家族が憩い、安らぎ、癒(いや)し
あうことですね。それについて書いてみました。
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いこいと、やすらぎと、そして、いやし
家庭の役目は三つある。(1)いこい(憩い)、(2)やすらぎ(安らぎ)、(3)いやし(癒し)。
●いこいというのは、家族との心のふれあいをいう。たがいに心を開いた状態をいう。閉じてい
ては、いこうことはできない。
心が開いているとき、子どもは自然な形で、親に甘えたり、スキンシップを求めてきたりする。
(甘えたり、スキンシップを求めてくることを悪いことと決めてかかってはいけない。)が、心が閉 じると、「すなおさ」が消える。いじけたり、つっぱったり、すねたり、ひねくれたりする。言いたい ことを言いあい、したいことをしあうというのが、本来のあるべき家庭の姿ということになる。
●家庭は安らぐ場所でなければならない。そこでテスト。あなたの子どもは、あなたのいるとこ
ろや、あなたの見えるところで、平気で体を休めたりしているだろうか。もしそうなら、それでよ し。そうではなく、あなたの姿を見ると、どこかへ消えたり、好んであなたのいないところで体を 休めているようなら、家庭のあり方をかなり反省したほうがよい。
●家族はいやしあう。そのために五つの働きがある。助け合い、はげましあい、いたわりあ
い、守りあう、教えあう。
日本人は、封建時代の昔から、「家」という形にこだわる一方、そのため中身を粗末にしてき
た。そのため「家庭論」とか、「家族論」というのが、ほとんど発達しないまま、現在に至ってい る。ウソだと思うなら、アメリカへ行って、本屋をのぞいてみるとよい。どこの本屋でも、学校教 育の本と並んで、それと同じくらい数の、家庭教育の本が並んでいる。もともとアメリカでは家 庭教育が発達して、それが学校教育になったという歴史的な背景もある。それはそれだが、ホ ームスクーラー(学校へ行かないで、家庭で学習する子ども)には、州政府が、教員まで派遣し て、家庭での学習を指導している(アーカンソー州など、ほとんどの州)。学校という場でも、「よ き家庭人」を育てるが、教育の柱になっている。
一方日本では、学校という場が、人間を選別する場として機能してきた。今もその機能は根
強く残っている。そのため「教育」というのが、「受験のための教育」と変貌(へんぼう)し、家庭 教育そのものをゆがめた。それでよいのか悪いのかという議論は、もうそれ自体、無意味とい ってもよい。今こそ、日本の教育、なかんずく、家庭教育のあり方を考えなおすときではないの か。
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あなたの家庭診断(試作)
あなたの家庭は、子どもの側からみて、家庭として機能しているだろうか。こんな診断テスト
を考えてみた。あなたとあなたの子どもの関係に焦点をあてて、判断してみてほしい。
(あなたにとって居心地のよい家庭でも、子どもにはそうでないケースは、多い。このテストで
は、子どもの側からみた、あなたの家庭を診断する。)
( )去年とくらべて、同じようなリズムで親子の生活が流れている。親は親で、子どもは子ども
で、それぞれのリズムで、生活している。大きな変化はない。(+1)
( )疲れたとき、さみしいとき、つらいときなど、家庭がその「逃げ場」になっているようだ。学校
から帰ってくると、ほっとするような様子を見せる。(+1)
( )子どもはあなたに何でも言いたいことを言えるようだ。あなたの前でも態度も大きく、したい
ことを平気でしているようだ。(+1)
( )何か新しいことができるようになったとき、あるいはよいニュースがあったようなとき、それ
が家族全体の話題になる。たがいにそれを喜びあう雰囲気がある。(+1)
( )家庭の中にも、居場所や逃げ場をもっていて、それぞれが、いてもいなくても、気をつかう
ことなく、体を休めたり、心をいやしたりすることができる。(+1)
一方、以上の五項目とは反対に……
( )親子のリズムがつかめない。どこかチグハグで、去年と比べても、大きく変化したようだ。
どこか毎日、あたふたとしているうちに過ぎていくといった感じ。(−1)
( )外から帰ってくるようなとき、どこか雰囲気が暗いときがある。気晴らしをするときも、好ん
で外の世界で(あるいは閉じこもって)しているようだ。(−1)
( )あなたの前では静かで、話しかけても、あまり返事をしない。どこかよい子ぶっているとこ
ろがある。何を考えているかわからないときがある。(−1)
( )親子の間に感動が少なくなった。よいニュースがあっても、自分だけの世界にそれを閉じ
こめようとする。自分だけで問題を解決しようとすることが多いようだ。(−1)
( )できるだけ親の顔や姿が見えないところで、体を休めている。家族と顔をあわせるのを避
け、顔を見ると、どこかへ姿を消すことが多い。(−1)
以上の質問で、プラス・マイナスを合計して、プラス点であればよし。マイナス点であれば、こ
の時点を原点として、一年単位で「よき家庭づくり」を始める。「よき家庭」というのは、そういう 意味で、健康に似ている。怠惰(たいだ)な生活をしていると、すぐ崩壊する。「よい家庭」という のは、家族が力をあわせて、つくりあげるもの。決して、向こうからやってくるものではない。
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【3】
最近書いた、雑感を掲載します。
内容がバラバラですが、お許しください。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(503)
まじめな子ども
基本的なまじめさは、幼児期に決まる。この時期までの、バランスのある生活が、子どもの
「まじめさ」をつくる。ここでいう「バランスのある生活」というのは、心静かで、おだやかな生活 をいう。まずいのは、アンバランスな生活。極端な甘やかしと、極端なきびしさが同居するよう な生活は、子どもを育てる環境としては、決して好ましいものではない。よくある例は、極端に きびしい母親と、子育てに無関心な父親、あるいはデレデレに甘い祖父母と、しつけにきびし い母親との組みあわせ。育児拒否や家庭内騒動がよくないことは、言うまでもない。こういう環 境では、子どもは静かに考えること自体できない。
そのまじめさは、いかに自分を律するかで決まる。こんな子ども(小四女子)がいた。たまた
まバス停で会ったので、私が「缶ジュースを買ってあげようか」と声をかけたときのこと。その子 どもはこう言った。「いえ、いりません。これから家に帰って夕ご飯を食べますから」と。こういう 子どもを、まじめな子どもという。
一方、自分で考える習慣のない子どもは、行動がどこか、常識ハズレになりやすい。あるとき
年長児のクラスで、私が、「ブランコを横取りされたら、君はどうしますか」と聞いたときのこと。 一人の子ども(男児)は、こう言った。「そういうヤツはぶん殴ってやる。どうせ口で言ってもわ かんねエ〜」と。
まじめな子どもは、当然のことながら、自分を律する力が強い。よく子どもの非行が話題にな
るが、非行に走るか走らないかは、その子どもの抵抗力による。もっとわかりやすく言えば、抵 抗力に弱い子どもが、非行に走るようになる。で、その抵抗力というのは、ここでいう「自分を 律する力」をいう。まじめな子どもは、誘惑を受けたときも、その誘惑を自分で判断し、一時的 に負けることはあっても、やがてその誘惑に打ちかつ。しかしそうでない子どもは、そのまま誘 惑に負けて、非行へと進む。
……だから乳幼児期の教育が重要と書けば、私の手の内が見えてしまう。しかし事実は、そ
のとおりで、私の視点からすると、小学一年生ですら、おおきな子どもに見える。中学生ともな ると、もう手の届かない、おとなに見える。だから中学生をもつ親から、「どうしたらいいでしょう か」という相談を受けると、私は実のところ、何と答えてよいのかわからなくなる。「手遅れ」とい う言葉は使いたくないが、しかしそれに近い印象をもつことは事実だ。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(504)
別れぎわの美学
その月の最後のレッスンのとき。しかもその日の授業が終わったとき、生徒の一人が、私に
メモを渡した。見ると、「今日で、BW(私の教室)をやめます」と。母親の字だった。私はそのメ モを読んで、体が震えた。「やめる」は、この世界では、クビ切りと同じ。そういうクビ切りを、た った一枚のメモですますとは!
……と言っても、そういうことはこの世界では、日常茶飯事。いちいち怒っていたのでは、仕
事はできない。「元気でね、さようなら」と言い終わるときには、もうその生徒のことは忘れるこ とにしている。が、それは同時に、私にとっても、決別のときでもある。そういうやめ方をする人 の子どもは、二度と教えない。それは私の意地というよりも、この世界に生きる人間のプライド のようなものだ。地位や肩書きのない人間は、この日本では軽く見られる。その軽く見られた 分だけ、私は私の生きざまをつらぬく。
が、当の親には、その意識がない。数週間もすると、またメールを送ってきて、「来週から、ま
たお世話になります」などと言ってきたりする。あるいは図々しくも(?)、今度は兄のことで相談 してきたりする。私はそういうとき、はっきりと「断わります」と言う。が、断われば断わったで、 そういう親ほど、デパートで販売拒否にでもあったかのように怒り出す。もともと私をその程度 の人間にしか見ていないからだ。
先日もこんなことがあった。私の書いた原稿を、私に無断で、あちこちに転送した女性がい
た。しかも私の原稿をズタズタにしたうえ、ほとんど一行ごとに、コメントを書き添えて、だ。それ には「美人はとくね」と、私を揶揄(やゆ)したようなコメントまであった。最終的には、その原稿 は私のところへ回送されてきたが、そのときほど体が怒りで震えたことはない。私はしがないも の書きだが、女房ですら、そこまではさせない。(女房だって、しない。)以後、その女性とは縁 を切ったが、この女性にも罪(?)の意識はなかった。何度かメールで、「どうして返事をくれな いのですか」と言ってきた。が、返事など書けるものではない。平気で私信を、それも許可なく 転送する人に、返事など書けない。
……と、まあ、他人の批判ばかりしているが、私も他人に対して、同じようなことをするときが
ある。もともと性格がゆがんでいるから、キズつけられるよりも、キズつけることのほうが多い かもしれない。偉そうなことは言えない。しかしこれだけは言える。
人と出会うのは、簡単なことだ。しかし別れるときは、そうでない。言いかえると、人のつきあ
いは、別れぎわの美学で決まる。つまりいかに美しく、わだかまりなく別れるかで、その人の価 値が決まる。「価値」というと少しおおげさに聞こえるかもしれないが、人間の価値は、人との 「かかわり」の中で決まる。その「かかわり」は、別れるとき清算される。別れぎわが汚いという ことは、それまでの「かかわり」を否定することになる。決してメモ一枚で、相手と別れてはいけ ない。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(505)
親に甘えない子ども
親に甘えることができない子どもは、多い。あなたの子どものことではない。あなた自身のこ
とだ。あなたは自分の親に、甘える、つまり全幅に心を開くことができるか。
ある母親はこう言った。「今でも親の前へ行くと、気が疲れます」と。「実家へ帰るのが、苦痛
でならない」と言った母親もいた。「両親とも教師で、私は今でも親の前では、いい子ぶっていま す」「親子なのに、私は親とは儀礼的なつきあいしかできません」と言った母親もいた。親子だ から、それなりに親密のはずと決めてかかってはいけない。私が知る範囲でも、何割かの母親 は、実の親たちとのつきあいのことで、悩んでいる。
が、もっと大きな悲劇は、そういう息子や娘をもちながら、とうの親たちは、「できのよい子ど
も」と誤解しているところにある。一人の母親は、こうメールに書いてきた。「私の両親は、私の ことをできのいい娘と思っているようです。それに私が東京のT大学(国立)を出たことを自慢し ていますが、私にはそれが不愉快でなりません。両親は私の仮面しか見ていないからです」 と。
そこで今、あなたとあなたの子どもの関係をみてほしい。あなたの子どもは、あなたに対し
て、全幅に心を開いているだろうか。言いたいことを言い、したいことをしているだろうか。ある いは反対に、ひょっとしたら、あなたの前で仮面をかぶってはいないだろうか。あなたの前でよ い子ぶったり、仮面をかぶっていないだろうか。前者のようであればよし。しかしそうでなけれ ば、親子のあり方を、かなり反省したほうがよい。とくに権威主義は、親子のあいだに、大きな キレツを入れる。「私は親だ」「親に向かって、何だ」というような言い方をしていて、どうして子 どもはあなたに心を開くことができるのか。
繰り返すが、「たがいに心を開いて、わかりあえる」。それが家族の第一の役目である。家族
が家族である理由は、すべてこの一語に行きつく。そのほかの問題は、すべてマイナーな問 題。どうでもよいとは言わないが、しかしこの役目の前では、ささいな問題と考えてよい。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(506)
よい親子でいるために
心というのは、一度、閉じると、開くのは容易ではない。中学生や高校生でも、親と会話すら
しない子どもは、いくらでもいる。なぜそうなるかは別として、子どもの心を安易に考えてはいけ ない。一度閉じた心を開くのは、それこそ五年単位の時間と努力を必要とする。成人してから も、ほとんど会話のない親子はいくらでもいる。私の知人のK氏は、今年三五歳になるが、父 親(六二歳)と、食事すら別々。廊下ですれ違うときも、目をそむけあっている。同居しているだ けに、ことは深刻である。K氏の妻はこう言った。「毎日が一触即発の状態です。先日も、『殺 す』『殺してみろ』のおおげんかをしました」と。
そこでもしあなたが、今、あなたの子どもの心が閉じ始めているのを感じたら、できるだけ初
期のうちに、手を打つのがよい。この問題だけは、遅れれば遅れるほど、こじれる。ある母親 は息子(小五)の受験勉強に狂奔しながら、こう言った。「私は息子には、ひどい母親に見える かもしれません。しかしいつか息子が目的の中学校に入学したとき、私のことを理解し、感謝し てくれると思います」と。が、残念ながら、そういうことはありえない。絶対にありえない。こういう ケースのばあい、閉じるどころか、心そのものが破壊される。
親というのは、皮肉なものだ。自分だって一度は子どもであったにもかかわらず、その子ども
の心がわからない。わからないまま、「子どものことは私が一番よく知っています」と、子どもの 心を、親の立場で決めてしまう。そしてやがて行き着くところまで行き、そこで失敗する。その途 中で、私のようなものがアドバイスしても、ムダ。「私にかぎって」とか、「うちの子にかぎって」と か言って、その時期を見逃してしまう。どれもこれも、結局は子どもの心を安易に考えるところ から始まる。繰り返すが、子どもの心を決して安易に考えてはいけない。
(チェックテスト)
●あなたは子どもの心を安易に考えていないか。
●あなたは子どもの心をつかんでいると誤解していないか。
●あなたは自分のエゴを子どもに押しつけていないか。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(507)
顔の見えない親たち
まさに顔が見えない。インターネットで、メールを交換していると、「文」だけの関係になる。そ
のためおかしな現象が起きる。
たとえばA市に住むAさんから、子育ての相談を受けたとする。で、数回、メールを交換したと
する。で、しばらくしたあと、今度はB市に住むBさんから、別の相談を受けたとする。で、同じ ように数回、メールを交換したとする。こういうことを、全体として、何度も繰り返していると、だ れがだれだかわからなくなってしまう。当然といえば、当然だが、そんなとき、「以前、相談した ことのあるC市のCです」というようなメールをもらうと、頭の中が大混乱してしまう。
ひとつの解決策としては、その人の写真を同時に送ってもらうことだが、まさか「写真を送って
ください」とは、言えない。相手が母親だとまずいが、父親だと、もっとまずい。へんに誤解され てしまう。たぶんこのことは、相手の人にもそうだろう。「はやし浩司は一対、どんな男なのだろ う」と思いながら、相談してくる人も多いと思う。今のところどのように解決したらよいのかわか らないが、そのうちもう少しインターネットが発達すれば、テレビ電話のようなことができるよう になるかもしれない。そうなれば、たがいに顔を見ながら、メールを打つことができるようになる だろう。
そこで私のばあいは、メールをくれる人には、住所と名前を書いてもらうことにしている。これ
はイタズラメールや、ウィルス入りのメールを防ぐ目的もあるが、そうすることで、「個性」を確認 することにしている。が、ここでもおかしな現象が起きる。名前やその人が住んでいる土地で、 その人のイメージが、勝手に頭の中でつくられてしまう。たとえば……(不謹慎だが、相手が母 親だと……)、
京都の京子さんという名前だと、舞妓さんのような女性をイメージしてしまう。大阪のマユミさん
という名前だと、都会的なキャリアウーマンをイメージしてしまう。一方岩手の岩枝さんだと… …、これは書けない。ともかくも勝手に頭の中でイメージがつくられてしまう。そしてこれが誤解 と偏見の原因となる。
さてさてどうしたらよいものか? ……と思いつつ、今朝も数人の方に、メールの返事を書い
た。
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【4】
子どもどうしのトラブルは、まさに日常茶飯事。
しかしそのトラブルがこじれて、大きな問題に
なることがある。あるいはその心配が出てきた
……? そんなときの対処法。
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子どものトラブル解決法
子どもどうしのトラブルが、一定の限度を超えて、子どもの心に影響が出てくることがある。た
とえば深刻なケースとしては、不登校(学校恐怖症)にまで発展することもある。が、そこまでは いかないにしても、相手の子どもの暴力や暴言、いじめなどが原因で、子どもの心が変調をき たすことがある。ぐずったり、元気がなくなったり、反対に家で荒れたりする。そういうトラブルが つづくと、当然のことながら親は、「学校に言うべきかどうか」で悩む。ひとつのケースを、モデ ルに考えてみる。
【K君、小三男児のケース】
K君は、スポーツも得意で、よくハメをはずすことはあるが、学校でも人気者で、性格も明る
かった。毎日そのため、いつも友だちの家で回り道をして帰ってきた。算数教室にも通ってい たが、一度、友だちの家に集合し、そこからみなといっしょに算数教室へ通っていた。
そのK君の様子がおかしくなったのは、秋も深くなった一一月のことだった。K君が「学校は
いやだ」「学校へ行きたくない」と言い出した。朝、起きてもぐずぐずしているだけで、したくすら しない。そこで父親が理由を聞くと、「M君(同級生)がいじめるからだ」と。M君は、キレると別 人のように暴れるタイプの子どもだった。父親はこう言った。
「それまでは、回り道をして帰ってくるのがふつうだったKですが、このところまっすぐ家に帰っ
てきます。それがかえって不自然な感じがします。それに母親が『算数教室のプリントをしたら』 というと、突発的に興奮状態になって、暴れます」と。
不登校が長期にわたることが多いのに、学校恐怖症がある。この恐怖症には、ある一定の
前兆現象があるのが知られている。K君のケースでも、朝起きたとき、ぐずる、不平、不満が 多くなるなどの症状がみられる。ほかの神経症による症状、たとえば腹痛、頭痛などの症状が 今のところ見られないので、まだ初期の、初期症状と考えてよい。しかし様子は慎重に判断し なければならない。この段階で、無理をして、子どもの心を見失うと、症状は一挙に加速、悪化 する。
ここでは不登校を問題にしているのではない。ここでは、だれに、どのように相談し、問題を
解決したらよいかという問題を考える。当然、最終的には学校ということになるが、その前にや るべきことは多い。(不登校については、別のところ読んでほしい。)
(1)家庭を心をいやすやすらぎの場と心得ること。外の世界で疲れた子どもを、温かくしっかり
と包み込むような雰囲気を大切にする。子どもの生活態度や生活習慣が乱れ、だらしなくなる ことが多いが、それはそれとして、大目にみる。
(2)食事面で、Ca、Mgの多い食生活にこころがけ、子どもの心を落ちつかせることを大切に
する。そして家では子どもを、「あなたはよくやっている」というような言い方をして、子どもの心 を裏から支えるようにする。
子どもどうしのトラブルが、限界を超えたら、(どこが限界かを判断するのはむずかしいが)、
学校の先生に相談、ということになる。その相談について……。
これはどんなばあいでもそうだが、自分の子どものことを先生に相談するときは、子どもの症
状だけを、ていねいに訴えて、それですますこと。親が原因さがしをしたり、理由づけをしては いけない。いわんや相手の子どもの名前を出したり、先生を批判してはいけない。あくまでも子 どもの症状だけを訴えて、それですます。判断や指導は、プロである先生に任す。それがわか らなければ、たとえばあなたが病気になったときのことを思い浮かべればよい。あなたはドクタ ーに、自分の診断名や治療法を話すだろうか。そんなことをしても、意味がない。ないばかり か、かえって、診断や治療のさまたげになる。学校という社会では、先生は、まさに教育のドク ター。が、それだけではない。
この種のトラブルは、たとえばあなたが相手の子どもの名前を口にしたりすると、問題が思わ
ぬ方向に、飛び火したりする。一〇人もいれば、一人はまともでない親がいる。そのうちさらに 一〇人のうち一人は、頭のおかしい親(失礼!)がいる。そういう人をトラブルの中に巻き込む と、それこそたいへんなことになる。現に今、私が知っている人の中には、「言ったの、言わな いの」が、こじれて、親どうしで裁判闘争している人さえいる。こうなると、子どものトラブルでは すまなくなる。
私は、つぎのような格言を考えた。
●親どうしのつきあいは、如水淡交……親どうしのつきあいは、水のように淡(あわ)く、サラサ
ラとつきあうようにする。教師との関係もそうで、濃密だから、子どもに有利とか、そういうふう に考えてはいけない。
●行為を責めても、友を責めるな……これはイギリスの格言だが、子どもが非行に走っても、
その行為を責めるにとどめ、友を責めてはいけない。「あの子と遊んではダメ」と子どもに言う ことは、子どもに「親をとるか、友をとるか」の択一を迫るようなもの。あなたの子どもがあなた をとればよいが、友をとれば、同時にあなたと子どもの間には大きなキレツが入ることになる。 同じように、学校でのトラブルでも、仮に先生に問題があっても、先生を責めてはいけない。症 状だけを訴えて、あとの判断は先生に任す。(もっともあなたが転校を覚悟しているのなら、話 は別だが……。)
●子どもどうしのトラブルは、一に静観、二にがまん。三、四がなくて、五にほかの親に相談…
…「ほかの親」というのは、同年齢もしくはやや年齢の大きい子どもをもつ親のこと。そういう親 に相談すると、「うちもこんなことがありまたよ……」というような会話で、大半の問題は解決す る。学校の先生に相談するのは、そのあとということになる。
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【5】】For English Readers、(roughly translateded by Mr IBM)
To be a good families
At once, the heart is not easy for opening, if it closes. There is a child to whom neither a
junior high school student nor a high school student also considers even conversation as parents without limit. As another, why it becomes so must not consider a child's heart easily. As for opening the heart closed at once, just it will need the time of a unit, and efforts for five years. There are parent and child who do not almost have conversation after becoming an adult without limit. Although Mr K of my acquaintance becomes 35 years old this year, even father (62 years old) and meal are separate. When passing in a passage, their eyes are averted and it suits. Things are serious because it lives together. The K's wife said like this. "Every day is in a touch-and-go state. It also carried out whether it was bigi fighting of "I will kill you" and "you shall be killed" the other day."
Then, supposing you feel that your child's heart is beginning to close now, it is good to
strike a hand within the first stage as much as possible. The more only this problem is overdue, the more it becomes complicated. A certain mother said like this, making desperate efforts a son's (smallness 5) studying for an examination. "Mother severe to a son may catch sight of me. However, when or when a son enters the target junior high school, I think that I understand and appreciate for my thing." But there cannot be none of such a things with regrettable. It cannot be by any means. The heart itself is destroyed not to mention it closes in the case of such cases.
Parents are ironical. In spite of having been a child at once also in oneself, the child's
heart is not known. A child's heart will be decided "I know about a child best" in parents' position, not understood. And it goes till the place to which it gets soon, and fails there. It is futility even if a thing like me advises by the middle. "-- me -- restricting -- " and "-- an inner child -- restricting -- " -- it will say and the time will be overlooked This all also begins from the place which considers a child's heart easily after all. Although repeated, never don't consider a child's heart easily.
(Check test)
- Don't you consider a child's heart easily?
- Don't you have misunderstanding, if a child's heart is held?
- Have not you forced your ego on the child?
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おまけのページ
「ファミリス」七月号の原稿を
転載します。なお本誌のほうでは、
具体的にママ診断していただけます。
どうか本誌のご購読をお願いします。
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ママ診断
あなたは権威主義ママ?
●親意識の背景に権威主義
「私は親だ」という意識を「親意識」という。たとえば子どもに対して、「産んでやった」「育てて
やった」と考える人は多い。さらに子どもをモノのように考えている人さえいる。ある女性(六〇 歳)は私に会うとこう言った。「親なんてさみしいものですね。息子は横浜の嫁に取られてしまい ましたよ」と。息子が結婚して横浜に住んでいることを、その女性は「取られた」というのだ。
日本人はこの親意識が、欧米の人とくらべても、ダントツに強い。長く続いた封建制度が、こう
した日本人独特の親意識を育てたとも考えられる。
●上下意識と権威主義
その親意識の背景にあるのが、上下意識。「親が上で、子が下」と。そしてその上下意識を支
えるのが権威主義。理由などない。「偉い人は偉い」と言うときの「偉い」が、それ。日本人はい つしか、身分や肩書きで人の価値を判断するようになった。
ふつう権威主義的なものの考え方をする人は、自分のまわりでいつも、人間の上下関係を意
識する。「男が上、女が下」「夫が上、妻が下」と。たった一年でも先輩は先輩、後輩は後輩と 考える。そして自分より立場が上の人に向かっては、必要以上にペコペコし、そうでない人に はいばってみせる。私のいとこ(男性)にもそういう人がいる。相手によって接し方が、別人のよ うに変化するからおもしろい。
●親意識は親子を断絶させる
この親意識が強ければ強いほど、子どもにとっては居心地の悪い世界になる。が、それだけ
ではすまない。子どもは親の前では仮面をかぶるようになり、そのかぶった分だけ、心を隠 す。親は親で子どもの心をつかめなくなる。そしてそれが互いの間に大きなキレツを入れる… …。
昔は「控えおろう!」と、三つ葉葵の紋章か何かを見せれば、人はひれ伏したが、今はそういう
時代ではない。親が親風を吹かせば吹かすほど、子どもの心は親から離れる。このテストで高 得点だった人は、あなたというより、あなたが育った環境を思い浮かべてみてほしい。あなた自 身もその権威主義的な家庭環境で育ったはずである。そして今、あなた自身があなたと親の 関係がどうなっているか、それを冷静に見つめてみてほしい。たいていはぎくしゃくしているは ずである。たとえうまくいっている(?)としても、それはあなた自身も権威主義的なものの考え 方にどっぷりとつかっているか、あるいは親に対して服従的もしくは親離れできていないかのど ちらかである。
●変わりつつある日本人の意識
こうした私のものの考え方に対して、とくに男性の立場から、「父親の権威は必要だ」と反論
する人は多い。「父親は家の中でもデ〜ンとした存在感さえあればいい」と。いや、父親どころ か、「夫の権威」にこだわる人さえいる。今でも「女房や子ども食わせてやる」と暴言を吐く夫は いくらでもいる。が、こうしたものの考え方は、これからの日本ではもう通用しない。そのひとつ のあらわれというべきか、家事をまったく手伝わない夫がまだ五〇%以上もいる一方(国立社 会保障人口問題研究所調査・二〇〇〇年)、そうした夫に不満をもつ妻がふえている。厚生省 の国立問題研究所が発表した「第二回、全国家庭動向調査」(九八年)によると、「家事、育児 で夫に満足している」と答えた妻は、五一・七%しかいない。この数値は、前回九三年のときよ りも、一〇ポイント近くも低くなっている(九三年度は、六〇・六%)。今、日本人は、大きな転換 期にきているとみてよい。
●親は友として、子どもの横を歩く
昔、オーストラリアの友人がこう言った。「親には三つの役目がある。親は、ガイドとして子ど
もの前を歩く。保護者として子どものうしろを歩く。そして友として子どもの横を歩く」と。日本人 は、子どもの前やうしろを歩くのは得意だが、友として横を歩くのがヘタ。高得点だった人は、 今日からでも遅くないから、子どもと一緒に横を歩いてみてほしい。今まで聞こえなかった子ど もの声が聞こえてくるはずである。
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講演会においでください。おいでになるときは、一度、主催者に連絡してください。
多分(いいかげんな言い方ですみません)、自由に聴講していただけると思います。
7月4日(木)……浜松市市立幼稚園PTA連合会にて講演
(主催 浜松市市立幼稚園連合会、連絡先、万ごく幼稚園)
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・未定……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
7・23……浜松市東部公民館母親教室
7・20……伊平小学校
7・4……浜松市市立幼稚園PTA連合会
ほか、横浜市(2個所)ほかでの講演を予定しています。
詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! がんばっています!
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MMMMM
m | ⌒ ⌒ |
( ̄\q ・ ・ p
\´(〃 ▽ 〃) /〜〜
\  ̄Σ▽乃 ̄\/〜〜/
\ : ξ)
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┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)6-30
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====KW(8)
子育て最前線の育児論byはやし浩司(E−マガ)……読者数(Nr. of Readers) 323人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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/井\
〔井井井〕
MMMMM \井/Hi! I am Hiroshi, and through this magazine you may know
| ⌒ ⌒ | ‖ what is happening among parents in Japan, with some knowledge
○ q ・ ・ p ‖ how to cope with Kids and how to bring up children at home.
⊆⊇ (〃 ▽ 〃) ξ)
\u ̄ ̄⊆V⊇ ̄ ̄レ/
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数 79人
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ほうでは、送信容量に限界があるため、たいていいつも内容をカット
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02−6−30号(069)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
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メニュー
今回のテーマ、「性」
今回は、今まで書いた原稿をもとに、子どもの「性」について、考えます。
【1】家族のルール(Family Rules)
【2】子どもの性(On Sex)
【3】エッセー(Essays)
【4】English Corner
【5】おまけのページ(Appendix)
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【1】
県によって違いますが、「朝食を一緒に食べる運動」(G県)、
「あいさつ運動」(S県)などを、県の教育スローガンにし
ています。そこで私も「家庭のルール」を考えてみました。
(○……我が家で守っていること。△……まあまあ守っていること。
×……努力目標としていること、です。)
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家族のルール、一〇か条
●ルール1……家族へのプレゼントは、お金で買ったものはだめ。とくに誕生日、クリスマスな
ど、心のお祝いをするときは、お金で買ったものは渡さない。家族の間で、たがいにそう取り決 めておく。△
●ルール2……食事のあとしまつは、それぞれがする。使った食器、食べ残したものは、それ
ぞれが自分で始末する。食器を洗い、フキンでふいて、それを棚へしまうまで、個人の責任と する。△
●ルール3……たがいを判定(ジャッジ)しない。相手の意見は聞き、自分の意見は言っても、
たがいを評価したり、判定したりしない。「あなたはダメな子ね」式の人格攻撃はタブー中のタ ブー。○
●ルール4……家族の言い争いは一日で消す。どんな言い争いをしても、その争いは一日で
すます。あとでむしかえしたり、「この前も……」という言い方はしてはいけない。あれこれ過去 もちだすのはタブー。△
●ルール5……家族の悪口は言わない。どんなばあいも、家族で、家族の悪口は言わない。
不平、不満も言わない。不平や不満があるときは、本人だけに言い、その範囲でおさめる。 「あなたのお父さんはだらしないね」式の批判は、タブー。○
●ルール6……喜びあい、ほめあうときは皆の前でする。何かよいニュースがあったら、おお
げさに喜びあい、ほめあう。「忠告はひそかに、賞賛は公(おおやけ)に」(シルス)と言った、古 代ローマの劇作家がいた。○
●ルール7……家族の秘密をあばかない。個人あての手紙、メール、メモなどは、絶対に見な
い。携帯電話を調べたり、バッグの中をのぞいたり、子ども部屋を調べたりするのは、タブー。 そういうことをしなければならないという状況になったら、すでに家族は破壊されたとみる。夫婦 でも、このルールは守る。○
●ルール8……家族は、助け合い、はげましあい、いたわりあい、守りあう、教えあう。これに
もうひとつ。「家族は同居する」。単身赴任などという状態は、あってはならないという前提で、 考える。仕事は大切だが、家族のために仕事を犠牲にしてはいけない。皆がそういう意識をも ったとき、日本のこのゆがんだ制度は、改善される。○
●ルール9……家族にはウソは言わない。隠しごとはしない。いつもすべて話せというわけで
はない。自分から言う必要がないと判断すれば言わなくてもよい。しかし聞かれたら、ウソは言 わない。隠しごとはしない。どうしても言いたくなければ、黙っていればよい。○
●ルール10……命令、禁止命令はしない。夫婦の間はもちろんのこと、親子の間でも、命令
はしない。しかしこれを守るのは実際にはたいへんむずかしい。だからあくまでも努力目標とい うことになる。そういう前提で、できるだけ命令口調はひかえる。×
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【2】
子どもの性について、考えてみます。
この問題については、私は「我、関せず」と
つらぬいています。どうしてそうなったかと
いうことについては、いろいろ理由があります。
それはともかくも、しかし無視することも
できませんね。
**************************
変わった性意識
うちへ遊びにきた女子高校生たち四人が、春休みにドライブに行くと言う。みんな私の教え子
だ。そこで話を聞くと、うち三人は高校の教師と、もう一人は中学時代の部活の顧問と行くとい う。しかも四人の教師のうち、独身なのは一人だけ。あとは妻帯者。私はその話を聞いて、こう 言った。「大のおとなが一日つぶしてドライブに行くということが、どういうことだか、君たちにわ かるか。無事では帰れないぞ」と。それに答えてその高校生たちは明るく笑いながら、こう言っ た。「先生、古〜イ。ヘンなこと想像しないでエ!」と。
しかし私は悩んだ。親に言うべきか否か、と。言えば、行くのをやめる。しかしそうすればした
で、それで私と彼女たちの信頼関係は消える。私は悩みに悩んだあげく、女房に相談した。す ると女房はこう言った。「ふ〜ン。私も(高校時代に)もっと遊んでおけばよかった」と。私はその 一言にドキッとしたが、それは女房の冗談だと思った。思って、いよいよ春休みという間ぎわに なって、その中の一人に電話をした。そしてこう言った。「これは君たちを教えたことのある、一 人の教師の意見として聞いてほしい。ドライブに行ってはダメだ」と。するとその女子高校生は しばらく沈黙したあと、こう言った。「じゃあ、先生、あんたが連れてってヨ。あんたは車の運転 ができないのでしょ!」と。
以来一〇年近くになるが、私は一切、この類の話には、「我、関せず」を貫いている。はっき
り言えば、今の若い人たちの考え方が、どうにもこうにも理解できない。私たち団塊の世代にと っては、男はいつも加害者であり、女はいつも被害者。遊ぶのは男、遊ばれるのは女と考え る。しかし今ではこの図式は通用しない。女が遊び、男が遊ばれる時代になった。だから時 折、援助交際についても意見を求められるが、私には答えようがない。私が理解できる常識の 範囲を超えている。ただ言えることは、世代ごとに性に対する考え方は大きく変わったし、変わ ったという前提で議論するしかないということ。避妊教育や性病教育を徹底する一方、未婚の 母問題にも一定の結論を出す。やがては学校内に託児所を設置したり、授業でセックスのし 方についての指導をすることも考えなくてはならない。
厚生省の調査によると、女子高校生の三九%が性交渉を経験し、一〇代の中絶者は、三万
五〇〇〇人に達したという(九九年)。しかしこの数字とて、控え目なものだ。つまりこの問題だ けは、「おさえる」という視点では解決しないし、おさえても意味がない。ただ許せないのは、分 別もあるはずのおとなたちが、若い人たちを食いものにして、金を儲けたり遊んだりすること だ。先に生まれた者が、あとに生まれた者を食いものにするとは、何ごとぞ!、と。私はもとも と法科出身なので、すぐこういう発想になってしまうが、こういうおとなたちは厳罰に処すればよ い。アメリカ並に、未成年者と性交渉をもったら、即、逮捕する、とか。しかしこういう考え方そ のものも、もう古いのかもしれない。
かつて今東光氏は、私が東京のがんセンターに彼を見舞ったとき、こう教えてくれた。「所
詮、性なんて、無だよ、無」と。……実は私もそう思い始めている。
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同性愛
「君には好きな子がいないのか?」と聞くと、J君(高一男子)は、さみしそうにうなずいた。ピリ
ッとした緊張感が走ったが、心のどこかで私の話を拒絶したのかもしれない。あるいは罪の意 識をもっていたのかもしれない。
J君は、決してもてないタイプの男ではない。色白で、整った顔立ちをしていた。その気になれ
ば、いくらでもガールフレンドなどできたであろう。で、そこでまた、「女の子に興味がないの か?」と聞くと、J君は黙ったまま、下を向いてしまった。
この時期に、同性愛者かどうかの傾向がはっきりする。私は女子の同性愛については、まっ
たくわからないが、男子のそれはよくわかる。私が「男」であることによるためかもしれない。本 能的な部分で、それをかぎ分けることができる。私は「濃い男」か、「薄い男」かと聞かれれば、 「濃い男」だ。女性から遠い位置にいる男を、「濃い男」、女性に近い位置にいる男を、「薄い 男」という。これは私が勝手に作った言葉だが、つまり私自身が濃い男であるがゆえに、そうで ない薄い男がよくわかる。
こういうケースでは、私としてはなすべきことは、何もない。あるがままを認めて、あるがまま
を受け入れるしかない。いつかオーストラリアの友人がこう言ったのを覚えている。「白人の男 性の、約三分の一は、同性愛者だ」と。日本では、そこまで多くないかもしれないが、しかし「い ない」わけではない。それに同性愛者といっても、いろいろなタイプがある。私の知人の中に は、同性愛者でありながら、一方で平穏な結婚生活を営んでいる人もいる。
J君が、どのようなタイプなのかはわからない。心の奥まで、私とてのぞくことはできない。た
だ「できれば……」という思いが働いて、教育の場で何とかできないものかということは考える。 ときどき冗談をまじえながら、「女性のヌード写真くらいはもっているだろ?」とか、自分の失敗 談を話したりして、それとなく反応をみるのだが、まったくと言ってよいほど、そういう話には乗 ってこない。「親に報告すべきか」ということで迷うこともあるが、しかしそれをしたところで、そ れがどうだというのか? そもそも同性愛は、まちがっているのか? それはいけないことなの か?
私はさまざまな問題にかかわってきたが、こと「性」の問題については、「我、関せず」を貫い
ている。さらに最近は、この問題は、教育の問題ではないとさえ考え始めている。もっと言え ば、性の問題は、教育の向こうにある問題、と。ただ、子どもが同性愛者になる前の段階とし て、いろいろなすべきことはあるように思う。環境、なかんずく父母の性格や子育て観が大きく 影響することは考えられる。しかしその分野まで、教育が踏み込むのは、はたして正しいことな のか。許されるべきことなのか。
J君を前にするたびに、私は深く考え込んでしまう。
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同性愛者になる子ども
実のところ、この問題は、今日、はじめて考える。だからこの原稿は、あくまでもこれからの叩
き台でしかない。あるいは「入り口」と考えてほしい。不勉強で、まちがっているかもしれない。
男子の同性愛傾向は、いくつかのパターンに分けられる。(1)女の子に興味をもたないタイ
プ、(2)女の子を嫌悪するタイプ、(3)男子に興味をもつタイプ、(4)自分が「男」というより、 「女」と思っているタイプ。いろいろなケースがあった。
タイプ(1)女の子に興味をもたないタイプ……フロイト流に段階的に分類するなら、男子は肛
門期以後、乳房期(乳房に強い関心とあこがれをもつ)、女性器期(女性の性器に強い関心を もつ)、接触期(女性との肉体的接触に強くひかれ、それを求める)という段階を経て、性にめ ざめる。このうち女の子に興味がないタイプは、肛門期以後、ここにあげたような、段階的興味 をもたない。「おっぱい」の話をすると、小学校の低学年児でも恥ずかしそうにニヤニヤする が。そういった反応がない。中学生になっても、女体や女性器に興味をもたない。女の子とは、 それなりに「友」としてつきあうが、それ以上の関係には発展しない。
タイプ(2)女の子を嫌悪するタイプ……女性そのものに嫌悪感をもち、そのため女性には関心
があっても、女性を女性と意識すると同時に、恐怖心に襲われる。強度の母親恐怖症など、何 らかの環境的理由が、子どもにそういう恐怖心をもたせる。これは女子のケースだが、印象に 残っている女の子(中学生)に、こんな子どもがいた。その女の子は、男を男とも思わないとい うか、完全に男を軽蔑していた。原因は家庭環境にあった。父親は静かでおとなしく、まったく 風采のあがらない人だった。一方、母親は、あらゆる会の会長を務めるなど、まさにバリバリ のやり手ママといったふうだった。その女の子は、そういう環境の中で、母親の、ものの考え方 や男性観をそっくりそのまま受け継いでいた。同じように母親の存在感が強過ぎることが原因 で、女性恐怖症になる男子は少なくない。
タイプ(3)男子に興味をもつ……こうした同性愛的傾向は、それぞれの時期に、一時的に見ら
れることはよくある。が、その程度が著しく超え、男子に興味をもち、理想の男性に強いあこが れをもつ。よくあるケースは、兵士やスポーツ選手、さらに筋肉的な男性を理想像と思い、そう いう男性に傾注する。男性としての自己コンプレックスの変形とも考えられる。
タイプ(4)自分が「男」というより、「女」と思っているタイプ……独特のしぐさを見せるようになる
ので、それと区別できる。隣の子どもが何かの表紙に、その子ども(小四男子)の足を蹴ったと き、「イヤ〜ン」という声を出した子どもがいた。歩き方も、どこかナヨナヨしていて、女性的なも のを身につけたり、ほしがったりする。花柄のパンツ、花柄のノートや下敷きをもっていた男子 高校生もいた。
こうした子どもへの対処法は、ケースバイケースだが、残念ながら私は指導した経験がない
ので、これ以上のことはわからない。これからのテーマとしたい。
***********************************
偏見と誤解
教育の世界には、偏見と誤解が満ちあふれている。ここでひとつ、「心の実験」をしてみよう。
あなたは「はやし浩司」という人間を、どう見ているだろうか。たぶん、あなたは私のことを、ま
じめで、融通のきかないカタブツ人間と思っているだろう。教育問題を論じているから、なおさら そういうタイプの人間だと思っている。あるいはもっと別のイメージをもっているかもしれない。 あなたが私をどういう目で見ているか、だいたいのところ察しはつく。しかしつぎの文を読んで ほしい。
「いつも寝る前に、バイアグラと鉄分を含んだ鉄剤をのんでいた男がいた。朝起きると、彼の
頭はいつも北の方角をさしていたという。また別の老人は、いつもバイアグラを、一錠だけのん でいた。ドクターが、『バイアグラは二錠のまないと効果がない』と言ったら、その老人は、こう 答えた。『いえ、わしは、小便するとき、足元をぬらさないためにのんでいるだけでサ』と。カトリ ックの神父学校では、もちろんバイアグラは厳禁。小便のあと、あれを何回まで振ってよいかも 決まっている。聞くところによると、三回まではよいそうだ。四回以上は、マスターベーションに なるからダメだそうだ」(オーストラリアのB君のメールより)。
この文を読んで、たいていの人は、強いショックを受けるにちがいない。もちろんこれはつくり
話である。私とて男だから、この程度のメールのやりとりは、いつもしている。が、問題はその ことではない。
このときあなたの頭の中では、バチバチと偏見と誤解がショートを起こして火花を飛び散って
いるにちがいない。「教育評論家が何てことを書くのだ!」「バイアグラをテーマにするなんて、 どういうことだ!」と。
さて、本題。偏見と誤解について。私たちは日常的な常識(私がいう「常識論」の常識とは別)
の中で生きている。そしてその常識が、一方でひとつの固定観念をつくる。固定観念がまちが っているというのではない。その固定観念が、ときとして偏見と誤解を生む。教育の世界はとく にそうだ。その中でも最大のものは、教職は聖職であるという偏見と誤解。中には、教師のこと を、牧師か出家者のように思っている人がいる。私も教育の世界をかいまみて三二年になる が、これほどまでの偏見と誤解が満ちあふれた世界はほかに知らない。しかし教師といって も、あなたやあなたの夫や妻と、どこも違わない。違うほうがおかしい。大学で教育言論を履修 したとか、多少の実習を受けたということをのぞけば、会社へ入社した社員と、どこも違わな い。
実は、教育論もそうだ。本来、教育論は、もっと生々しく、もっと人間くさいもの。教育を「教
育」として構えてしまうから、話がおかしくなる。そのおかしさを、逆説的にわかってほしかった から、あえてここで「心の実験」をしてみた。
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【3】
親意識には善玉と悪玉があると、
前回書きました。今日の原稿は
そのつづきと考えてくだされば
うれしいです。
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親の支配意識
あなたは今、親だ。それはわかる。しかし親といっても、その意識は、みな違う。たとえば子ど
もを支配したいという意識がある。支配意識という。その意識は、人によってみな、違う。そこで テスト。
あなたの子ども(小学生〜中学生)が、何かの賞金で、少し高額のお金を手にしたとする。そ
のとき、あなたはそのお金をどう思うだろうか。
(1)子どものお金だから、私には、関係ないと思う。どう使おうと、子どもの勝手。私の知ったこ
とではない。
(2)子どものものは、私のもの。当然、私が使う権利があると思う。使い道については、私が指
示する。あるいは私のお金として使う。
ここに書いたのは、極端な例で、もちろんその中間もある。しかし支配意識の強い親ほど、
(2)のように考える。いろいろな例がある。
ある女性(55歳)は夫が死んだあと、小さな店を継いだが、ときどきその店を手伝っていた自
分の娘(既婚、夫と別場所に住む)には、ほとんど給料を払わなかった。
ある女性(七〇歳)はこう言った。「私は今の家に嫁いで四五年になるが、夫にさえ、嫁いだこ
ろは、お手伝いか、女C(この語は今、禁止語になっている)のようにしかあつかってもらえなか った」※と。
ある母親(七五歳)は、自分の息子のできがよいのを喜び、息子を自慢のタネにして、友人た
ちの間で、いばっている。「あの息子を育てたのは、私だ」と。
支配意識の強い親ほど、「私のものは、私のもの。私の子どもは、私のもの。だから私の子
どものものは、私のもの」という考え方をする。「自分の娘だから、給料など払う必要はない」 「嫁は、家に嫁いできたのだから、まず家のために働くべき」「老後は、息子や娘の自慢話をす るのが、何よりも楽しみ」と。
しかしこうした考え方は、一方で、子どもの人格や人権を否定することになる。どう否定する
かということではない。支配意識をもつこと自体、否定していることになる。言いかえると、子ど もの人格や人権を認めるためには、親自身が、この支配意識から抜け出さなければならな い。もっと言えば、「あなたの人生はあなたのもの。どこまでいっても、あなたのもの」と、一〇 〇%の人生を子どもに手渡してこそ、子どもの人格や人権を認めたということになる。
さてあなたの支配意識は、どの程度だろうか。だれにでも、ある程度の支配意識はある。
が、もしあなたが「うちの子のことは、私が一番よく知っている」という言葉を、日常的に使って いるようなら、一度、この支配意識を疑ってみたらよい。
※……このケースは、夫が妻に対して支配意識の強いケースである。あなたは妻に対して、ど
の程度の支配意識をもっているか。反対にあなたの夫は、あなたに対してどの程度の支配意 識をもっているか。それを知るのも、何かの役にたつかもしれない。
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【4】
English Corner, translated by Mr. IBM
Life which is not influenced by others
Individuality means the life which is not influenced by others. Since it lives with personality,
man is man. In other words, there is no petty thing as the life which was conscious of others ' eyes. It also becomes wasting the life itself. Even if it sees from other people' eyes it seems to be very miserable and tiny life.
For example, there is the word "success in life." However, there is no language which was
conscious of others' eyes on the reverse side as this language. He will be missed if it poisons into such language. It is not only himself. Even country directivity will be distorted if used for a politician or a government official. Recently, there is a member of the Diet called Suzuki M. It is indescribable only with the brat attached for success-in-life avarice. We have to print such politician's unsightliness on the head firmly.
For example, there is a word of "being great." However, there is no language which
positions man's upper and lower sides as this language. In this Japan, when calling it "a great person", the person with a high status and the person with a title are said. Why is Mito Komon great although a good example is Mito Komon? Why does the public bow to him? In an English country, a way of speaking called those whom Japanese people are likely to say as "a great person", and who are respected at the time [ those ] "" is carried out. Therefore, parents say to a child like this. "Become those who are respected." Terrible big distance is between "a great person" and "those who are respected." It is not related to a status or a title when calling it "those who is respected."
For example, there is a word of "being splendid." The amusingness of this language is
understood if present China is seen. In that country, a country is raised and it is absorbed in the production of "splendid people." A few may be referred to as being just like that of former Japan. It means that "becoming splendid" becomes a great person and it wins a promotion.
For example, there is the word "appearance." Japanese people make the totalitarianism-[
somewhere ] way of life the good way of life with being peace of mind, otherwise, it being uneasy, if the same thing as everybody is done. therefore, what also has a relative happy view -- it is -- "happy since it is living life better than everybody" "-- since it is living a life worse than everybody, it has a view of misfortune" However, the more the view of such a thing becomes strong, the more he is missed.
We are alive now. Moreover, it is once [ only ] alive in this universe in the moment of time
called what 1 billion years in the life which is not. I will live appropriate for myself only in だっ た et al. and 思いっ. I am me. You are you. If it says that it is wrong, those who say it are wrong. Neither God nor the Buddha can also じゃま this way of life.
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【5】おまけのページ
他人に左右されない人生
個性とは……、他人に左右されない人生をいう。人間は個性的に生きるから人間。言いかえ
ると、他人の目を意識した人生ほど、つまらないものはない。人生そのものを、棒に振ることに もなる。はたから見ても、それほど見苦しい生き方もない。
たとえば「出世」という言葉がある。しかしこの言葉ほど、その裏で、他人の目を意識した言
葉はない。こうした言葉に毒されると、自分を見失う。自分だけではない。政治家や役人に利 用されると、国方向性すらゆがむ。最近でも、鈴木Mという代議士がいる。出世欲にとりつか れた餓鬼(がき)としか、言いようがない。ああいう政治家の見苦しさを、私たちはしっかりと頭 に焼きつけておかねばならない。
たとえば「偉い」という言葉がある。しかしこの言葉ほど、人間の上下を位置づける言葉はな
い。この日本では、「偉い人」というときは、地位の高い人や、肩書きのある人をいう。よい例が 水戸黄門だが、どうして水戸黄門は偉いのか。どうして民衆は、彼に頭をさげるのか。英語国 では、日本人が「偉い人」と言いそうなとき、「尊敬される人(respected man)」という言い方 をする。だから親は子どもにこう言う。「尊敬される人になりなさい」と。「偉い人」と、「尊敬され る人」との間には、ものすごく大きなへだたりがある。「尊敬される人」というときには、地位や 肩書きには関係ない。
たとえば「立派」という言葉がある。この言葉のおかしさは、今の中国をみればわかる。あの
国では、国をあげて「立派な国民」づくりに狂奔している。少し前の日本にそっくりと言ってもよ い。「立派になる」というのは、偉い人になって出世することを意味する。
たとえば「世間体」という言葉がある。日本人は皆と同じことをしていれば安心、そうでなけれ
ば不安と、どこか全体主義的な生き方をよい生き方としている。そのため幸福観も相対的なも ので、「皆よりいい生活をしているから幸福」「皆より悪い生活をしているから不幸」という考え 方をする。しかしそういうものの考え方が強くなればなるほど、自分を見失う。
私たちは今、生きている。たった一度しかない人生を、この大宇宙の中で、しかも何十億年と
いう時間の、その瞬間を生きている。だったら、思いっきり、自分らしく生きよう。私は私だ。あ なたはあなただ。もしそれがまちがっているというのなら、それを言う人のほうがまちがってい る。たとえ神や仏でも、この生き方をじゃますることはできない。
*************************************
世間体論
クイズ……「A氏(六五歳男性)の母親はBさん(他界)。しかし戸籍上は、A氏とBさんは弟姉
になっている。こんなことはありえるだろうか」
古い世代の人は、このクイズはすぐ解ける。しかし若い世代の人には、むずかしい。つまり昔
の人は、それくらい世間体を気にした。
先日もある母親から、こんな相談があった。「離婚をしたが、子どもを連れて、実家へは帰れ
ない。どうしたらいいか」と。私が「どうして?」と聞くと、「実家の両親が、世間体もあるから、実 家へ入れるわけにはいかないと言っている」と。つまり娘が離婚し、子ども(孫)を連れて帰って くることを、親たちは「恥ずかしい」というのだ。
私はこの話を聞いたとき、第一に、その母親のことよりも、その実家の両親のことをかわしそう
に思った。年齢を察するに、私と同じくらいか。その親が、いまだに自分の人生観を確立するこ とができないでいる! それだけではない。子どもを愛するということが、何であるかさえわかっ ていない!
あなたは世間体という魔物を知っているか? この世間体に毒されると、自分を見失う。家族
の心を見失う。この世間体は、もともと戦前の、もしくはそれ以前からの全体主義的なものの 考え方に由来する。みなと同じことをしていれば安心。そうでなければ不安。みなと同じことをし ている人を受け入れる。そうでない人を排斥する。そういうものの考え方が基本にあって、日本 人は、その世間体を気にするようになった。「世間が笑う」「世間が許さない」という言い方も、 そこから生まれた。
また子どもを愛するということは、子どもをあるがまま受け入れるということ。この親たちは、
子どもの苦しみや悲しみさえわかっていない。あるいはその苦しみや悲しみを、共有しようとい う意識さえない。いったいこの親たちは、何のために、どうして子育てをしてきたのか? 娘の 苦しみや悲しみを救うことよりも、世間体のほうが大切にしている。自分のメンツや見てくれ、 体裁のほうが大切にしている。その母親は離婚という状況に追いこまれたが、今どき、離婚な ど、どうということはない。その両親は、さかんに孫のことを、「かわいそうだ」「あわれだ」と言っ ているそうだが、本当にかわいそうなのは、孫ではない。娘というその母親でもない。その母親 の両親だ。自分をつかめない、両親だ。
さて冒頭のクイズ。そのA氏は、私X児(今、この言葉は禁止語になっている)として生まれ
た。そこで世間体を気にしたBさんの父親が、自分の息子として戸籍に入れた。だから戸籍上 は、A氏とBさんは、戸籍上では、弟姉となった。戦前まではよくあったことである。あなたはこ のクイズが解けただろうか。
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日本の仏教
日本の仏教には、多くの矛盾がある。矛盾だらけと言ってもよい。少し前になくなったが、東
大のN名誉教授は、さかんに「大乗非仏説」を唱えていた。つまりインドからヒマラヤ山脈の北 を回って中国、日本へと伝わった仏教(大乗仏教、北伝仏教)は、釈迦が唱えた仏教とは異質 のものである、と。
私はすべてがそうだとは言わないが、矛盾がないわけではない。たとえば、インドでは男性だ
ったカノンが、日本では観音様という女性になっていること。日本の仏像が、(ガンダーラの仏 像もそうだが)、古代インドの服装ではなく、すべてヘレニズム文化の影響を受けた古代ギリシ アの服装を身につけていること。また経典の中に、よく、貨幣の話が出てくるが、釈迦の時代に はまだ貨幣はなかったこと、などなど。釈迦の生誕地に残る仏典(法句経)は別として、それ以 外は、どうも?、というものが多い。そういうものを根拠にして、仏教を説いても、あまり意味が ないのではないのか。さらに総じてみれば日本の仏教は、あのチベット密教の影響をモロに受 けている。それが中国の土着宗教と結びついて、日本へ入ってきた。チベット密教そのものと 言う人もいる。
だからといって私は仏教を否定しているのではない。仮に仏教が否定されたとしても、
その仏教とともに生きてきた、何億何千万もの人たちの人生まで否定することはできない。た
だ、盲信するのはいけない。中には、経典の一言半句にまで深い意味を求める人もいるが、し かしここにも書いたように、矛盾がないわけではない。そういう矛盾、つまり明らかなまちがい まで押し殺して盲信するのは、危険なことでもある。
大切なことは、自分で考えることだ。先日もある著名な仏教哲学者U氏の講演をテレビで見
ていたが、その中でその哲学者はこう言っていた。「○○経にXXという言葉がありますが、つま り人間はみな、平等と釈迦は教えているのです」(NHK、〇二年六月)と。しかし、だ。何もおお げさに経典の一節をもちださなくても、人間がみな平等というのは常識ではないのか。ほんの 少し自分自身の「常識」に照らし合わせれば、小学生にだってわかる。それにその哲学者は、 こうも言っていた。「人間は白人も、黒人も、黄色人種も、みな平等だと、そういうことを釈迦は 教えているのです。すばらしいことです」と。しかしこの話はウソ。釈迦の時代に、釈迦の周辺 に、白人や黒人、黄色人種はいなかった!
私たちは何の疑いもなく、日々の生活の中で、仏教的な儀式を繰り返している。そしてそれ
があるべき方法だと、信じて疑わないでいる。しかしそういう姿勢こそ、ひょっとしたら、釈迦が もっとも嫌った姿勢ではないのか。話せば長くなるが、法句経で述べている釈迦の精神とは、 どこか違うような気がする。
ここではこの程度にしておくが、もし興味があったら、あとは皆さんが、自分でたしかめてほし
い。
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時間論
久しぶりに、自宅から市内にある教室まで歩いてみた。地図の上では、六キロだが、歩くと七
〇分もかかった。たまたまワールドカップの最中だったので、「前半と後半で、計九〇分間も走 り回るのも、結構たいへんだなあ」と、へんな感心をしながら歩いた。それともうひとつ。「江戸 時代には、みんなこの道を歩いたのかなあ」とも。が、そのうち、「時間」について考えるように なった。
車で行けば、一〇〜一五分の距離。それを歩いていくのは、時間のムダなのか。それともム
ダでないのか、と。ときどき若い男が、車で猛スピードで私の横を通り過ぎていったが、それを 見たとき、今度は反対のことを考えた。彼は時間を大切にしているのか。それとも大切にして いないのか、と。
話はぐんと現実的になるが、今、平均的な高校生で、一日、四〜五時間(各種調査)は、家で
テレビを見ている。学校での授業を、五〇分かける五時限として、一日、二五〇分。時間にな おすと、四時間と少し。つまり学校で授業を受ける時間より、家でテレビを見る時間のほうが、 長い。影響ということを考えるなら、子どもたちは学校で受ける影響よりも、テレビでのほうで、 はるかに強い影響を受けている。しかしこういうのを時間のムダというのではないのか。「娯 楽」と言えば聞こえはよいが、低俗なバラエティ番組を見ながら、ギャーギャーと笑うことが、本 当に娯楽なのか。また高校生に、そんな娯楽が必要なのか。……と書くのは、ヤボなことだ が、私はこのところ、「だからどうなのか?」ということをよく考える。年齢のせいかもしれない。 「急いで帰って、それがどうなのか」とか、「テレビを見て楽しんで、それがどうなのか」と。最近 は、億単位のお金を稼ぐ人の話を聞くと、「必要以上に、お金を稼いで、それがどうなのか」と 考えることもある。これは私のひがみのようなものかもしれない。
結論から言うと、歩くことは、決してムダではない。健康にもよいが、それ以上に、時間という
ものを、しっかりと自分でつかむことができる。一方、何か理由があって急ぐのならともかくも、 そうでなければ車に乗ることは……? ムダとは言いきれないが、「だからどうなのか」という部 分が、どうしても浮かびあがってこない。若い男が猛スピードで走り去るのを見たときも、そうだ った。私は「そんなに急いで、どうするのか?」と。
考えてみれば人生で一番大切な財産は、時間だ。この時間は、お金にはかえられない。で、
そこで重要なことは、いかに自分のものとして、そのときどきの時間をつかむか、だ。いかにし て納得してすごすかということになるかもしれない。その方法は、人さまざまだが、私のばあ い、「生きる」ということは、「考える」こと。考えたときが、まさにつかんだ時間ということになる。 だからたとえばつまらないビデオを見たりして時間をムダにしたと感じたりすると、「しまった!」 と思うことがある。
私はその六キロを歩きながら、そんなことを考えた。
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講演会においでください。おいでになるときは、一度、主催者に連絡してください。
多分(いいかげんな言い方ですみません)、自由に聴講していただけると思います。
7月4日(木)……浜松市市立幼稚園PTA連合会にて講演
(主催 浜松市市立幼稚園連合会、連絡先、万ごく幼稚園)
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・未定……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
7・23……浜松市東部公民館母親教室
7・20……伊平小学校
7・4……浜松市市立幼稚園PTA連合会
ほか、横浜市(2個所)ほかでの講演を予定しています。
詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! がんばっています!
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MMMMM
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┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)7-2
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====KW(8)
子育て最前線の育児論byはやし浩司(E−マガ)……読者数(Nr. of Readers) 325人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━
/井\
〔井井井〕
MMMMM \井/Hi! I am Hiroshi, and through this magazine you may know
| ⌒ ⌒ | ‖ what is happening among parents in Japan, with some knowledge
○ q ・ ・ p ‖ how to cope with Kids and how to bring up children at home.
⊆⊇ (〃 ▽ 〃) ξ)
\u ̄ ̄⊆V⊇ ̄ ̄レ/
 ̄丶 : 厂 ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数 79人
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ほうでは、送信容量に限界があるため、たいていいつも内容をカット
して送っています。全文読んでくださる方はEマガのほうを、ご購読
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02−7−02号(070)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
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今回のテーマ、「性」
今回は、「拝金主義」をテーマに考えて見ます。
【1】破壊される親子(Broken ties of Families)
【2】日本の拝金主義(Money is everything?)
【3】おしんとマトリックス(Oshin and Matrix)
【4】English Corner
【5】随筆(Essays)
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【1】
破壊される、親子
「子どもの将来を心配する」と言いながら、その実、あなたは
自分のエゴを子どもに押しつけていませんか? 一人の青年か
ら、こんなメールが届いています。
あなたにはこの青年の悲痛な叫び声が、聞こえますか。それは
とりもなおさず、あなたの子ども自身の叫び声でもあるのです。
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「こんにちは。たまたまネット上でコラムを見つけてHPにたどり着きまし た。僕は小さな研究
所で実習生をやってます。
いつも親のこと、人生のことについて考えてきました。今妹と2人でアパートで暮らしていま
す。妹は進学を途中で挫折してしまい、今通信制の高校にいます。妹は自閉症になってます。 いろいろ問題が多いです。僕と妹は他人の家と比べたことがないからわからないですがかなり 親にはガンガンやられてます。タバコを押し付けられたとかそういう虐待はないですが。
うちの父親は大学の教授、母親も元教師です。今はっきり言って昔の事は思い出せません。
楽しいこともあったのかもしれないですけど、なんか記憶のもやのなかです。僕は妹と違って精 神科に行ったりはしませんでした。ただ、妹の話を聞いて、ほとんどわかることばかりだったの で、多分病院に行けば自閉症と診断されたと思います。人に自分の考えが見抜かれていると か、いろいろ妹の言うことに共感できました。とにかく苦しく、かなり1人でいるときは何もできな いぐらい鬱状態だったのですが、意地でも克服してやると思い、余計なマイナスなことを考えた りしないように修行?しました。今では妄想に取り付かれることはありません。たまにふっと嫌 ーな感じが襲ってきて萎えるときはたまにありますが。弟の方はほんとにやられていて痛ましい です。
親にはかなりやられた(と思い込んでいるだけかもしれませんが)のですが、それが原因なの
か、自分が悪かったのか、自信がなくなることもあります。
まとまりのない文で申し訳ありません。
幼いころの記憶、それは母親によく脅され、殴られたということです。ただよくある虐待のよう
になつかないから、とか泣くからとかが理由ではありません。勉強のとき、親戚といっしょにい るとき、ピアノをさせられているとき、大体はそのような時です。
勉強のとき……落ち着きがない、集中力がないといわれ殴られました。また殴られるのが嫌
なので無理やり落ち着いていると、今度は100点以外で殴られました。「悔しくないのか」と。ま ったく悔しくないというと、また殴られました。
親戚と一緒にいるとき……他の従兄弟たちと行動をともにさせてくれないときが多く、理由を
聞くと、「おまえたちは落ち着きがなくきっとけがをするから」といわれました。
ピアノの練習のとき……母親がピアノの教師だったので他の生徒よりも厳しかったと思いま
す。僕はピアノよりも野球などのスポーツがやりたかったのですが、「おまえなんかどうせ玉拾 いで時間が無駄になる。それにああいう上下関係はきらいだ」と言われました。そしてピアノの 練習をやらないでいると、「おまえは親に挑戦してるのか」といわれ、なぐられました。
また、友達関係にも干渉してきました。なにを言われたかは書くのが面倒です。
僕と妹、両方ともこんな感じの子ども時代でした。
もっと良いこともあったのかもしれないですけど、思い出されるのはこんなことばかり、嫌なんだ
けど親への憎悪がつのります。
本当に、こんな事書いてもあまりプラスにならないとは思うんですけど、ここには書ききれない
ぐらい浮かんできます。
今考えたら母親はかなり神経症だったと思います。
妹は友達関係でもうまく行かず、親もなかなか遠くから見てくれないので、いつも神経をかき
乱され、そのたび悪態をつき反抗しています。
普通に考えるとうちの妹は親に逆らう相当自分勝手な奴だということになりますが、僕には親
も相当自分勝手だと今まで見て、考え抜いて、いろんな本を読んでわかってきました。妹もガキ だけど、うちの親も相当大人気ない、というか子供を受け入れる度量がないです。こんなクソ生 意気なことを自分で言うのも嫌です。永遠に理解しない親にも幻滅します。ただ、なんか哀れだ な、かわいそうだなと両親には思います。あんなに気が狂ったように自分の思うようにしようと、 自分が何とかしないと子供が落ちぶれる、という考えに取り付かれ、一生懸命子供を育てて も、尊敬されず、疎まれ、哀れまれる。実際僕は自分の両親が死んでも絶対悲しくないと思い ます、ただ、哀れだな、かわいそうだなと思います。
広島県、NR男(二五歳)より」
* *****************************
NRさんへ、はやし浩司より
拝復
メール、ありがとうございました。
あなたの「心」をとやかく言うつもりはありません。あなたはあなたです。今の
気持ちを、自然な形で、もちつづけたらよいと思います。親を許してやろうとか、
わかってやろうとか、そういうことは考えてはいけません。親が哀れで、かわいそ
うだと思うなら、それはそれでよいのです。親を恨んでいるなら、それもそれ
でよいのです。気負うことはありません。自分を責めることもありません。
あなたの悲しみは、あなたの妹さんの悲しみです。弟さんの悲しみは、あな
たの悲しみです。そういうふうに思えるあなたは、すばらしい人です。自信を
もってください。あなたはすばらしい、心のやさしい人です。尊敬します。
あなたの親、とくに母親も、どこかで大きなキズをもった人です。一度、あな
たの母親が、どのような環境で、幼児期を過ごしたから調べてみるのもよい
でしょう。またあなたという子どもが生まれたとき、あなたの両親は、本当に
あなたを望んでいたか。あるいはひょっとしたら、結婚そのものがまちがってい
たとか、そういうことも掘り下げて調べてみるとよいでしょう。つまりそうすること
によって、あなたの母親の向こうにあるものが見えてきますが、それはとり
もなおさず、あなた自身を知ることにもなるのです。母親だけを見て、自分
を発見してはいけません。母親の向こうにあるものを見るのです。そのため
にも、あなたの過去だけをみるのではなく、母親や父親の過去までみるの
です。そしてあなたが生まれたときの状況を調べてみてください。何か大き
な問題があったはずです。
今、子どもを愛せないで苦しんでいる親は、7〜10%はいます。一方、
親の前で心を開くことができない子どもも、それ以上の割合でいます。親
子だから……という、「だから」論など、どうでもよいことです。ワクを考える
必要はありません。
さらにつけ加えるなら、私はあなたの将来を心配します。あなたが受けた
キズは、今度は、あなたが自分で子育てをしたときに、何らかの形で現れ
てきます。今のあなたは、「私はそういうことをしない」と思っているかもしれ
ません。「私はだいじょうぶだ」と。しかし子育ては頭で考えてするものでは
ありません。だから、現れてくるのです。あなたもあなたの子どもに対して
虐待するかもしれないということです。だから今から、注意してください。
……しかしね、ここで解決法があるのです。それはあなた自身が自分の
過去、さらには母親や父親の過去を冷静に知ることによって、あなたは自分
のキズを知るのです。それで解決します。
この問題で、こわいのは、そういうキズがあることではなく、そういうキズがある
ことに気づかないまま、そのキズに振り回されることです。そして同じ失敗を
繰り返す。それがこわいのです。しかし幸いなことに、あなたは自分のキズ
にすでに気がついている。だからあとは時間が解決してくれるはずです。安心
して前に進んでください。あなたはいつかすばらしい父親になりますよ。その
ためにも、こわいでしょうが、あなたの過去、さらにはあなたの両親の過去を
冷静に調べてみてください。なぜ、あなたの母親は、あなたに対してそうであ
ったか、と。それがわかると、この問題は解決しますよ。
みんなひとつやふたつ、重い十字架を背負って生きています。あなたのは
少し重過ぎるかなというところですが、あなたはその十字架をしっかりと背負い
ながら、たくましく生きています。尊敬します。心から尊敬します。ふつうなら
みんなくじけて負けてしまうのです。そういう意味で、あなたはこれからの
人生をたくましく生きていく力をすでにもっているのです。どうか自分に自信を
もってください。応援します。心から応援します。
あなたからのメールをもらい、本当に感動しました。あなたのような若い人が
自分の人生をしっかりと見つめて、たくましく生きている。すばらしいことです。
むしろ私のほうが、あなたから学びたいほどです。また学ぶことも多いでしょう。
これからもいろいろご指導ください。
いつかあなたもすばらしい女性と結婚して、その女性の胸の中で、大声で
泣けばいいのです。大声で泣くのです。そういう日が必ずきます。そしてそ
のとき、あなたは自分がひとりでないことを知り、あなたの心のキズはいやさ
れます。ただ残念なことに、こうしたキズは、一生消えることはありません。
ですから、「消そう」と思わないこと。顔のキズと同じです。うまく、仲よくつきあ
えばよいのです。うまくつきあうのですよ!
生意気なことはいえませんが、あなたは決してひとりではない。戦後の日本
が、狂った日本が、あなたのような犠牲者を、あちこちにつくったのです。
そういうことも考えてみてください。
本当にメール、ありがとうございました。
はやし浩司
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【2】
日本の拝金主義。
今、時期的に、中元の真っ最中。
「中元」に贈りものを交換するのは、もともと
中国の慣習でしたが、今では、日本を代表する
文化?
しかし……。
**************************
買ったものはダメ!
オーストラリアの友人の家を訪れてみると、日本にはない習慣があるのを知る。そのひとつ、
「プレゼントは、買ったものはダメ」。
クリスマスや家族の誕生日はもちろんのこと、遠方からやってきた客のみやげまで、「買ったも
のはダメ」と決めている家庭も多い。アメリカというと、映画などで、豪華なプレゼントを交換して いるシーンをよく見かけるが、質素な家庭のほうが多いのでは。そういう家庭では、「買ったも のはダメ」と決めているところが多い。私もときどきプレゼント(みやげ)をもらうが、「プレゼント は豪華なものほどよい」という習慣になれた私には、正直言って、「あれっ」と思うようなものが ある。
オーストラリアのM君の家に行ったときは、粘土で子どもたちが作ってくれたトカゲの置きも
の。
同じくB君の家に行ったときは、乾燥させた花で作った絵。
同じくR君の家に行ったときは、石をきれいにペインティングしたもの。
同じくD君の家に行ったときは、D君が描いたガラス絵。
ときどき、本やぬいぐるみをもらうこともあるが、豪華といっても、せいぜいその程度。また向こ
うには、スプーン(スーバニア・スプーンという)を交換するという習慣があって、スプーンをあげ たり、もらったりすることはある。
しかしよくよく考えてみると、「買ったものはダメ」というルールは、すばらしいルールではない
か。プレゼントを渡すという、もともとの意味にも合致している。つまり「心のこもったプレゼント ほどよい」という考え方にたつなら(当然だが)、その人の真心(まごころ)が感じられるものの ほうがよい。お金を出してデパートのようなところで買ったものは、(日本人なら、「お金を稼ぐ のに苦労をしたから」と考えがちだが)、一見価値があるようで、その実、ない。まったく、ない。
……と考えて、では、盆暮れのつけ届けは何かということになってしまう。しかし考えてみれ
ば、これほど日本の悪しき、無意味な習慣はない? 上下関係のある人の間で、下のものが 上の人につけ届けをするということは、ワイロということにもなりかねない。いや、ワイロ、その もの。日本は戦後の高度成長期の中で、日本独特の拝金主義をうみ、それが日本人の心まで 毒してしまった? その一例が、盆や暮れのつけ届けということになる。
なるほど! 私はここまで書いて、決心した。今年からは、盆や暮れのつけ届けは断ることに
した。同時に、私は今年からつけ届けは全面的にやめることにした。ああ、私自身がいつの間 にか、日本の悪しき習慣にどっぷりとつかっていた!
……と、まだ少し迷いはあるが、この問題は、これから掘りさげて考えてみたい。
*****************************
日本の拝金主義
豪華なプレゼントであればあるほど、喜ぶ人。真心がこもっていると考える人。もらったプレ
ゼントを値踏みし、その価値(値段)で、相手の自分に対する思いを判断する人。反対に、安い プレゼントであれば、憤慨し、「バカにするな」と怒る人。ていねいな礼状を書きながら、心の奥 で、つぎのプレゼントを期待する人。
一方、豪華なプレゼントであればあるほど、相手は喜び、感謝しているはずと誤解する人。相
手の心をつかんだと誤解する人。盆や暮れのつけ届けの季節になると、相手をランク分けし、 そのランクに応じて、プレゼントの価格を決めている人。「A、B、Cさんは、一万円のもの。D、 E、Fさんは、五〇〇〇円のもの。G、H、Iさんは、三〇〇〇円のものでいい」と。
日本人よ、いつから私たちは、かくも心さみしい拝金主義者になってしまったのか? もしあ
なたが「下」の立場で、「上」の立場のものに、プレゼントを渡せば、それは立派なワイロだ。そ ういう愚劣な習慣が、めぐりめぐって、政治家へのワイロになる。そういうあなたが、どうしてあ の悪徳政治家たちを責めることができるのか。
中には、「お金を稼ぐのに苦労をする。その稼いだお金で、プレゼントを買うのだから、結果
的に、自分の苦労で感謝の念を表現していることになる」と言う人がいる。いや、実際、そう考 えていたのは私だ。しかしこの論法はおかしい。では、その苦労しているとき、本当にその相手 のことを思いながら苦労したのかということになる。稼ぐときは、ただがむしゃらに稼いで、あと でそのお金を分配しているにすぎない。感謝の気持ちなど、どこにもない。むしろその分配する とき、相手の価値を金銭的な尺度でランク分けすることによって、自分自身の心をドロで汚して いる!
もちろんビジネスの世界には、独特の慣習がある。盆や暮れのつけ届けが、ビジネスの世界
の人間関係をスムーズにするという人もいる。しかしそのルーツをさぐれば、結局は「上」のも のへのワイロにすぎない。盆や暮れのつけ届けが、すばらしい習慣だといえる根拠はどこにも ない。あるいはあなたは外国の人に、「これが日本の文化です」と、堂々とそれを胸を張って自 慢できるとでもいうのか。
この不況下。年々、盆や暮れのつけ届けの売りあげが減っているという。(一方、ミニバブル
で、高級品ほど売れているという話もあるが……。)小売業の人には痛手かもしれないが、こ れを機会に、盆や暮れのつけ届けについて考えてみることもよいことだ。私たちは戦後の高度 成長期に、デパートやスーパーにする、巧みな商戦に踊らされていただけかもしれない。
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日本の拝金主義(2)
子どものころ、母の実家へ行くのが、何よりの楽しみだった。実家は、岐阜県の板取村という
ところにあった。が、それから三〇年。私が三〇数歳になったときのことだが、その実家が、大 きく変わっていたのに気づいた。
子どものころ、よく母と伯父は、縁側でこんな話をしていた。「今年のワサビは生育がいい。ア
ユも今年はたくさんとれそうだ」と。しかし三〇年たって再び実家へ行くと、会話はすっかり変わ っていた。すべてがお金にまつわる話ばかりだった。「あそこの土地は二〇〇万円で売れた。 川向こうのAさんは、山を売って、一億円儲けた。あの岩を、三〇〇万円でほしいと言った、名 古屋の業者がいた」など。私はいくらそういう時代とはいえ、こんな田舎までお金に毒されてい ることを知って、驚いた。
が、最大の悲劇は、何といっても、人間関係まで、金銭的な尺度でおしはかろうという風潮が
生まれたことだ。よい例が、盆や暮れのつけ届け。いくらかのお金をもって、デパートへでかけ る。そしてそこで、プレゼントを値踏みする。しかし実際には、プレゼントを値踏みしているので はない。送る相手の価値を値踏みしている。「Aさんは一万円、Bさんは五〇〇〇円、Cさんは 三〇〇〇円」と。一方、それを受け取るほうは、箱の横に書かれた数字を見ながら、自分の価 値を知る。「あの人は私を五〇〇〇円に見てくれる。この人は、三〇〇〇円」と。こういう醜いこ とをしながら、それを醜いとも思わない。こういうおかしなことをしながら、それをおかしいとも思 わない。日本人の心は、そこまで商業主義に毒されている。見苦しくなっている!
中元や歳暮の贈りものの縁起について、百科事典はつぎのように書いている。もともとは「中
元」というのは、「三元の一つ。陰暦七月一五日の称。元来、中国の道教の説による習俗であ ったが、仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)と混同され、この日、半年生存の無事を祝うとともに、仏 に物を供え、死者の霊の冥幅を祈る。その時期の贈り物(を、中元という)」(小学館「国語大辞 典」)と。しかしこんな縁起など、どうでもよい。仮にそれが日本の文化であるとしても、世界にと ても誇れるような文化ではない。それともあなたは、世界の人に向かって、それをまねしなさい と、自信をもって言えるだろうか。
ものごとはあまりギズギス考えてはいけないという意見もある。私のワイフもそう言っている。
「あまりむずかしいことは考えないで、あげたい人にはあげ、くれる人からはもらっておけばい いのでは」と。実のところ、私もこう書きながら、「適当にすませばいいのでは」という思いもない わけではない。しかしこうした愚かで、意味のない習慣は、つぎの世代に残してはいけない。ム ダかムダでないかと言われれば、これほどムダな慣習はない。
あくまでもひとつの参考意見として、このエッセイを考えてほしい。
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【3】
以前、書いた原稿の一部を転載します。
原文は、数倍以上ある長文です。そち
らのほうは、Eマガの「はやし浩司の
世界」で紹介します。興味をもってくだ
さった方は、どうか、「はやし浩司の世界」
をご購読ください。
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「おしん」と「マトリックス」
昔、NHKドラマに「おしん」というのがあった。一人の女性が、小さな八百屋から身を起こし、
全国規模のチェーン店を経営するまでになったという、あのサクセス物語である。九七年に約 二〇〇〇億円の負債をかかえて倒産した、ヤオハンジャパンの社長、W氏の母親のKさんが モデルだとされている。それはともかくも、一時期、日本中が「おしん」に沸いた。泣いた。私の 実家の母も、おめでたいというか、その一人だった。ちょうどそのころ、私の実家の近くに系列 の大型スーパーができ、私の実家は小さな自転車屋だったが、そのためその影響をモロに受 けた。はっきり言えば、閉店状態に追い込まれた。
人間は生きる。生きるために食べる。食べるために働く。「生きる」ことが主とするなら、「働
く」ことは従だ。しかしいつの間にか、働くことが主になり、生きることが従になってしまった。そ れはちょうど映画「マトリックス」の世界に似ている。生きることが母体(マトリックス)なのに、働 くという仮想現実の世界のほうが、母体だと錯覚してしまう。この日本でも、そして世界でも、生 きるために働くのではなく、働くために生きている人はいくらでもいる。しかし仮想現実は仮想 現実。いくらその仮想現実で、地位や名誉、肩書きを得たとしても、それはもともと仮想の世界 でのこと。生きるということは、もっと別のこと。生きる価値というのは、もっと別のことである。
あのおしんにしても、自分が生きるためだけなら、何もああまで店の数をふやす必要はなかっ
た。その息子のW氏にしても、全盛期には世界一六カ国、グループで年商五〇〇〇億円もの 売り上げを記録したというが、そんな必要はなかった。私の父などは、自分で勝手にテリトリー を決め、「ここから先の町内は、M自転車屋さんの管轄だから自転車は売らない」などと言って いた。仮にその町内で自転車が売れたりすると、夜中にこっそりと自転車を届けたりしていた。 しかしそうした善意など、大型スーパーの前ではひとたまりもなかった。晩年の父は二、三日ご とに酒に溺れ、よく母や祖父母に怒鳴り散らしていた。仮想現実の世界の人から見れば、W氏 は勝ち組、父は負け組ということになるが、そういう価値基準で人を判断することのほうが、ま ちがっている。父は生きるために自転車屋を営んだ。働くための本分を忘れなかった。人間性 ということを考えるなら、私の父は生涯貧乏だったが、W氏にまさることはあっても、劣ることは 何もない。おしんもある時期までは生きるために働いたが、その時期を過ぎると、あたかも餓 鬼のように富と財産を追い求め始めた。つまりその時点で、おしんは働くために生きるようにな った。
名誉や地位や肩書き。そんなものにどれほどの意味があるというのか。生きるためには便利
な道具だが、それに毒されたとき、人は仮想現実の世界にハマる。自分を見失う。日本では、 あるいは世界では、W氏のような人物を高く評価する。しかしそのW氏のサクセス物語の裏 で、いかに多くの、そして善良な商店主たちが泣いたことか。私の父もその一人だが、その証 拠として、あのヤオハンジャパンが倒産したとき、一部の関係者は別として、W氏に同情して涙 をこぼした人はいなかった。
聞くところによると、W氏は再起をかけて全国で講演活動をしているという(夕刊フジ)。これま
たおめでたい人というか、W氏はいまだにその仮想現実の世界にしがみついている。ふつうの 人なら、仮想現実のむなしさに気がつき、少しは賢くなるはずだが……。
(付記)
実のところ子どもの世界も同じ。多くの親は、子育ての本分を忘れ、仮想現実の中で子育て
をしている。子どもの人間性を見る前に、あるいは人間性を育てる前に、受験だの進学だの、 有名高校だの有名大学だの、そんなことばかりにこだわっている。ある母親はこう言った。「そ うは言っても現実ですから……」と。つまり現実に受験競争があり、学歴社会があるから、人間 性の教育などと言っているヒマはない、と。しかしそれこそまさに「マトリックス」の世界。仮想現 実の世界に住みながら、そちらのほうを「現実」と錯覚してしまう。
が、それだけならまだしも、そういう仮想現実の世界にハマることによって、大切なものを大切
でないと思い込み、大切でないものを大切と思い込んでしまう。そして結果として、親子関係を 破戒し、子どもの人間性まで破壊してしまう。自分の人生をムダにしてしまう。
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【4】
English Corner, translated by Mr. IBM. Sorry for the incomplete translation but please enjoy
it! Thank you.
What is the difference between Oshin and Matrix?
Or don't we live in the world which is the virtual reality?
We think things are important, which are not important, don't we?
Then what is it which is really important for our life?
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Oshin (A well-known Japanese home drama on TV) " and "Matrix (A title of a movie)"
There was an well known home drama on TV about 20 years ago , which was about a
success story of a lady. She was poor but at the end she became very rich. (It is that success tale of having become by the time the one lady rose from the small greengrocery and managed the chain store of a national scale. It is supposed that Mr. K of the president YAOHAN JAPAN's who held the about 200 billion yen debt and went bankrupt in 97, and Mr K''s mother is a model. it -- anyway, the inside of one time and Japan -- "Oshin" it seethed with " It cried. It was [ whether mother of my parents' home is also congratulately, and ] the one person. Exactly, although the large-sized supermarket of a series was made near my parents' home and my parents' home was a small bicycle shop at the time, for the reason, the influence was received damagedly. It was driven into the closing state when saying clearly.
Man lives. He eats in order to live. He works in order to eat. If [ what "is lived" ] main,
what "is committed" is sub. However, between when, working mainly became and living has become sub. It resembles the world of a movie "a matrix" exactly. Although living is the mother's body (matrix), the way in the world of the virtual reality of working will have an illusion it be the mother's body. It does not work in this Japan or the world in order to live, but there are those who are alive in order to work without limit. However, virtual reality is virtual reality. Though a status, honor, and a title are obtained by the virtual reality how much, it is a thing in the world of from the first imagination. Living is something else. The value of living is something else. if it is [ that ] he to live even if it pushes and it makes it -- any -- such -- until -- the number of stores did not need to be increased Such necessity could not be found although it is said into six nations of the world's No.1, and a group in the heyday that the sales of the yearly turnover of no less than 500 billion yen were recorded even if it made it Mr W of the son.
My father decided the territory freely personally and had said, "From here, since a
previous neighborhood is under jurisdiction of Mr. M bicycle shop, a bicycle is not sold" etc. If the bicycle sold in the neighborhood, the bicycle was sent in the dead of night secretly. however -- a large-sized supermarkets front, such as such goodwill, -- 1 -- also accumulating -- there was nothing Father of late years is addicted to alcohol 2 and day by day [ 3 ], and shouts about at mother or grandparents well. If it sees from the man in the world of virtual reality, although Mr. W will call it a victory group and father will call it a defeat group, the way of judging a man on such a value standard is wrong. Father performed the bicycle shop, in order to live. He has not forgotten the duty for working. If humanity was considered, although my father was whole life poverty, even if it may surpass the W, there is nothing to be inferior. When it passed over the time, it was begun to pursue wealth and property, although it worked in order that it might push and ん might also be useful till a certain time just like a brat. That is, in order that it may push may work at the time, it came to live.
Honor, a status, and a title. Is it said that how much meaning is in such a thing? Although it
was a convenient tool in order to live, when it poisons to it, a man is the Hamah る to the world of virtual reality. He is missed. A person like the W is esteemed in Japan or the world. However, it is many on the reverse side of the W's [ the ] success tale, and how is the thing which good storekeepers cried? Although my father was also the one person, there was no person who sympathized with the W except some of persons concerned, and spilt the tear as the proof when that YAOHAN JAPAN went bankrupt.
According to the place to hear, Mr. W applies recovery and he says that he is carrying out
lecture activities in the whole country (evening-paper FUJI). It is called this and a congratulately person, or the W has still hung on to the world of the virtual reality. If it is an ordinary person, although the futility of virtual reality should be noticed and a few should become wise ....
(Additional remark) As a matter of fact, the same is said of a child's world. Many parents
forget the duty of child bringing up, and are doing child bringing up in virtual reality. Before seeing a child's humanity, or before raising humanity, it adheres in the famous high school, and it adheres [ taking an examination / entrance into a school of higher grade ] to such a language loan in the famous university. A certain mother said like this. "Since it is actual even if it says so" .... That is, it is that there is an entrance exam race actually, and there is no killig time called education of humanity etc. since there is a academic career-oriented society. However, it is just just the world of a "matrix." It will have an illusion "reality" in that one, living in the world of virtual reality. But if it is and it, better, it will be convinced are not important of an important thing in the world of such virtual reality, and will be convinced are important of a not important thing. And as a result, a parent-and-child relation will be destroyed and it will destroy to a child's humanity. Its life will be made into futility.
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【5】 おまけのページ
子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(525)
子どもの非行
スペインに住む、K氏より、こんなメールが届いた。私はこのメールを読んで、「ウン……」と、
考え込んでしまった。そのひとつ。子どもの非行に、夜間外出がある。もう三〇年ほど前だが、 このS県でも、子どもの夜間外出を減らすため、子どもたちは部活などで、夜、七時ごろまで学 校に拘束されることになった(中学生)。当時はそれなりに説得力はあったが、聞くところによる と、それは「塾つぶし」のためでもあったという。つまり子どもの帰校時刻を遅くすることによっ て、学校側は子どもたちが塾へ行く時間をなくした、と。
それはさておき、このメールを読むと、非行とは何か、そこまで考えさせられる。日本の基準
で考えると、スペインの子どもは、みな、非行少年、少女ということになってしまうのだが……?
「今は日が長く、夏休みに入ったので、外では子どもたち夜の一〇時位まで遊んでいます。ア
パートの子供たちが平気で夜八時ごろ、U子を遊びに誘いにきます。スペインは日本より二時 間〜三時間位、食事時間が遅いのです。昼は二時位からスタートですし、レストランですと食事 が長いので、午後四時半位まで食事をしています。夜は九時半から一〇時から食事するのが 普通です。住み始めたとき、あまりに遅くまで小学生が遊んでいるので、「君たち、何時にご飯 食べるの」と聞いて、「一〇時」と言われ、あぜんとしたことがあります。今では家族全員、スペ イン時間で行動しています」(K氏のメールより)
このメールの中には、「昼は二時位からスタートですし、レストランですと食事が長いので、午
後四時半位まで食事をしています」とある。この話は私も知っていた。反対に外国の友人たち に、「ヒロシたちは、どうしてそんなに食事の時間が短いのか」と聞かれたことがよくある。また 彼らの夏休みは長く、たいていは一か月以上、どこかのバンガローなどに住んで、バカンスを 過ごす。ものの考え方が、日本人とは基本的な部分で、違う。
かくして私も、今、食事はどうあるべきか。また、この夏休みをどう過ごすべきか、真剣に考え
始めている。「ウン……」とうなりながら……。
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山荘に客を迎える
そのシーズンになると、ときどき、友人が山荘を訪れてくれる。もっとも山荘を建てた七年前
は、うれしくて毎週のようにパーティを開いた。しかしここ数年は、その数は、ぐんと減った。理 由の第一は、疲れること。
私はもともとあまり社交的ではない。他人からみると、社交的に見えるかもしれないが、本当
の私は、そうでない。外の世界では、どうしても私は自分をかざる。ごまかす。そのかざって、ご まかした分だけ、疲れる。
で、あるときから、客の迎え方を変えた。「迎える」のではなく、「任す」ことにした。たとえば食
事にしても、材料は用意するが、料理はできるだけ客に任すことにした。「こういう材料がありま すが、どうしますか」と。するとたいてい皆、喜んで料理してくれる。最初は、どこか申し訳ない 気持ちもあったが、そのうち、そのほうが、客も喜んでくれることを知った。とくに人数が多いと きは、そうだ。
実は、家庭教育も、これに似たところがある。子どもを育てるということは、いかに手を抜くか
ということ。任すところは任せて、あとは手を抜く。しかも子どもというのは皮肉なもので、手を 抜けば抜くほど、たくましく自立していく。子ども自身も、そのほうが楽しい。生き生きする。要 は、いかに手を抜くか、だ。その抜き方がじょうずな親を、子育てじょうずな親という。
実は、今度の日曜日も、東京から二人の客がくる。そこで昨日、近くの漁港まででかけていっ
て、材料を仕入れてきた。ザザエにクルマえび、それにイカにハマグリなど。漁港で買うと、市 価の半額以下で買える。私はバーベキューにしたらおいしいと思うが、それは客次第だ。一人 は、刺身もつくれる人だから、きっとおいしい料理を作ってくれるに違いない。……とまあ、ホス トの私がそういうことを期待していてはいけないのかもしれないが、そう思っている。……とま あ、考えて客を迎えると疲れない。子育ても疲れない。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(529)
タイムトラベル
突然、一人の少女からメールが入った。オーストラリア人のソフィという少女だった。「小学校
で日本語の勉強をしているから、日本のことを教えてほしい」と。その少女は、友人の妹の子ど もだった。私はそのメールの返事を書いているとき、なつかしさで涙がこぼれた。
私は留学時代、休暇になると友人の牧場で過ごした。アデレードから北へ一〇〇キロほどの
ところにある、ナンタワラというところだった。そこでの生活は、私にとっては、まさに夢のような 生活だった。昼は一日中、あの牧場を歩き回った。夜は夜で、寝るのもおしんで、ディンゴー (野生化した犬)の、遠吠えを聞いた。その友人の妹が、イーボンという女の子だった。当時、 小学四年生くらいだった。
そのあたりでは、子どもたちは無線で勉強していた。週に一、二度、スクーリングといって、近
くの学校で授業を受けていたが、集団教育はそれだけ。何といっても隣の家まで、数キロという 土地がらである。(たまたま隣の家が接近していたので、数キロだが、実際には友人の牧場だ けでも、一〇キロ四方はあった。)たいていは親に学校まで、車で送り迎えしてもらっていた が、馬で行くこともあった。馬のほうが牧場を横切っていくので、時間的には早く学校に着くとい うことだった。
その妹、つまりイーボンの娘が、ソフィという少女だった。私はそのソフィに返事を書いている
とき、ソフィとイーボンが区別つかなくなってしまった。名前こそ違うが、しかし現在から過去に 向かってメールを書いている。……そんな思いが、頭から離れなかった。いや、もう少し親密に 交際していれば、そういう錯覚もないのだろう。が、一〇年単位で時間が途切れると、その一 〇年ずつが、どこかでくっついてしまう。今という「時」が、そのまま三〇年前とくっついてしまう。
友人の父親は数年前になくなった。あのナンタワラも砂漠化が進み、友人一家も、もう二〇
年前に、今の土地に移り住んだ。もうあの時代は、さがしても、どこにもない。が、その時代か ら、一人の少女が生まれ、その少女に、私はメールを書いている。それはまさしく、私にとって は、タイムトラベルそのもの。私はあのときという過去に向かって、あのときの未来から、イー ボンにメールを書いている。それは本当に不思議な経験だった。
「あなたのお母さんのイーボンは、本当に心のやさしい、すてきな女の子でした。いつもナンタ
ワラでは親切にしてもらいました。いつか日本へ来るようなことがあれば、ぜひ、私の家に来る ように伝えてください。いつでも大歓迎します。心から大歓迎します。ヒロシより」と。
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講演会においでください。おいでになるときは、一度、主催者に連絡してください。
多分(いいかげんな言い方ですみません)、自由に聴講していただけると思います。
7月4日(木)……浜松市市立幼稚園PTA連合会にて講演
(主催 浜松市市立幼稚園連合会、連絡先、万ごく幼稚園)
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・5……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
7・23……浜松市東部公民館母親教室
7・20……伊平小学校
7・4……浜松市市立幼稚園PTA連合会
ほか、横浜市(2個所)ほかでの講演を予定しています。
詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! がんばっています!
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MMMMM
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( ̄\q ・ ・ p
\´(〃 ▽ 〃) /〜〜
\  ̄Σ▽乃 ̄\/〜〜/
\ : ξ)
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┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)7-4
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(E−マガ)……読者数(Nr. of Readers) 330人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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〔井井井〕
MMMMM \井/Hi! I am Hiroshi, and through this magazine you may know
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○ q ・ ・ p ‖ how to cope with Kids and how to bring up children at home.
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数 79人
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上、二つの、E-マガとメルマガは同じ内容です。ただしメルマガの
ほうでは、送信容量に限界があるため、たいていいつも内容をカット
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●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second
son's website in USA,for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
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メニュー
今回のテーマ、「子どもの心理」
【1】心理テスト
【2】親の気負い、子の気負い
【3】過保護
【4】English Cornerはお休みします。
【5】随筆(Essays)
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【1】
子どもの心理について、少し違った
角度から、考えてみました。以前は
こういうテストにこり、いろいろな
テストを考えたことがあります。そ
の中のひとつが、これです。
************************
心理テスト
こんな心理テストを考えてみた。以前、何かの本で読んだテストだが、それを参考に、子ども
用(小学生用)に、つくりなおしてみた。
「一人の女の子が、夜遅くまで、ネコさんと公園で遊んでいました。お母さんは『早く帰っておい
で』と言ったのですが、ネコさんが、『もっと遊ぼう』と言って、女の子を帰してくれませんでした。 が、あたりがまっ暗になったので、ネコさんと別れて、家に帰ることにしました。女の子が家に 向かって歩いていると、橋の上に、オオカミがいました。そこで女の子は、橋の近くに仲のよい 犬さんが住んでいたのを思い出し、犬さんの家に行き、一緒に行ってほしいと頼みました。犬さ んは、『夜はこわいからイヤだ』と言って、それを断りました。しかたないので、女の子は、橋を 走って渡ることにしました。が、女の子は、オオカミにつかまり、食べられてしまいました」
この文を子どもの前で、ゆっくりと二度読み、「このお話の中で、一番悪いのはだれかな」と聞
いてみる。子どもが、「悪い」と言った相手によって、子どもの心理を知ることができる。
ネコ……ものの考え方が受動的。依存心、依頼心が強い。行動も追従的かつ服従的。
犬……正義感が強く、ものの考え方が積極的。クラスでもリーダー的な存在。
オオカミ……単純。ものごとを深く考えない。短絡的なものの考え方をする。
女の子……善悪の倫理観が強く、自分を律する力が強い。責任感も強い。
低学年児ほど、ネコ、オオカミが悪いと答え、高学年になればなるほど、犬、女の子が悪いと
答えるようになる。※
なお子どもの善悪の判断力は、年中から年長児にかけて、急速に発達する。こんなテストを
してみると、それがわかる。
「男の子が歩いていると、お金を拾いました。その男の子は、そのお金でアイスを買って、公
園でみんなに分けてあげました。みんなは、『ありがとう』と言って、喜んで食べました。この男 の子は、いい子ですか、悪い子ですか」と。
このテストをすると、年中児のほとんどは、「いい子」と答える。年長児でも、三〜四割の子ど
もは、「いい子」と答える。しかしその段階で、「お金を拾ったら、そのお金はどうしますか?」 「拾ったお金をつかってもいいのかな?」「アイスを、子どもが勝手に食べてもいいのかな?」 「お母さんが、食べてもいいと言っていないものを、食べてもいいのかな?」などと問いかける と、ほとんどの子どもは、「やっぱり悪い子だ」と言う。もっともこうした道理がわからない子ども も、年長児で一〜二割はいる。日常的に、静かに考える習慣のない子どもとみる。
************************************
最初のテストについて、小四〜中学生、一〇人の子どもの意見を聞いてみた。
「犬が悪い。いっしょに女の子についていってあげなかったから。女の子が困っているのだか
ら、ついていってあげるべきだった」(小四女子)
「ネコが悪い。夜遅くまで遊んでいた。女の子をもっと早く、家に帰してあげるべき」(小四女子)
「女の子が悪い。ネコさんの挑発にのったのが悪い。ネコさんにもっとはっきりと断るべきだっ
た。ネコというのは、オオカミとグルかもしれない」(小四男子)
「ネコが悪い。自分勝手だと思う。女の子としつこくいっしょに遊ぼうとした。だからオオカミに食
べられてしまった」(小四女子)
「ネコが悪い。夜遅くまで遊んでいたから」(小四女子)
「オオカミが悪い。女の子を食べたから」(小四男子)
最後の男の子が、「オオカミが悪い」と発言したら、いっしょにいた小四の子どもたち全員(五
人)が、「タンジュ〜ン(単純)!」と声をあげた。これもひとつの意見と考えてよい。
「女の子が悪い。帰ろうと思えば帰れたのに、帰らなかったのは女の子の責任」(小五男子)
「ネコが悪い。女の子が帰りたいと言ったのに帰してあげなかったので、ネコが悪い。女の子
の責任ではない」(中一女子)
「女の子が悪い。自分の意思で帰らなかった女の子が悪い。オオカミに食べられたのは、自業
自得。しかたのないこと」(中三男子)
「オオカミが悪い。女の子を食べたのはオオカミ。何といってもオオカミが悪い」(中三女子)
こうした結果をまとめると ネコ ……40%
女の子……30%
オオカミ…20%
イヌ ……10%、ということになる。
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【2】
気負いが強ければ強いほど、
親も疲れますが、子どもも
疲れます。子育ては、適当
にが、原則です。子どもは
この「適当」の中で心を休
め自分を伸ばします。ギス
ギスは、かえって子どもの
伸びる芽をつんでしまいま
すね。ご注意!
***********************
親の気負い、子どもの気負い
不幸にして不幸に育った人ほど、「いい親でなければならない」「いい家庭をつくらねばならな
い」という気負いが強い。その気負いが親子関係をぎくしゃくさせる。そして結果として、よい家 庭づくりに失敗しやすい。
親ばかりではない。子ども自身が、「いい子でいなければならない」という気負いをもつことが
ある。たいていはこうした気負いはプラスに作用するが、しかしその気負いが強すぎると、子ど も自身が疲れてしまう。疲れるならまだしも、あるとき突然、プッツンということにもなりかねな い。これがこわい。
子どもにかぎらず、人は、無意識のうちにも、自分の周囲に居心地のよい世界をつくろうとす
る。もっとも手っ取り早い方法は、「いい人ぶること」。弱者のフリをする。庶民の味方のフリを する。善人のフリをする。遠慮深く、控え目な人間のフリをする。正義や道徳をことさらおおげさ に説き、返す刀で悪人を批判しながら、自分はよい人間であるということを強調する。
実のところこうした「フリ」は、ものを書く人間が一番おちいりやすいワナでもある。そういう自
分をよく知っているから、私は他人の、そうしたフリを見抜くことができる。だれとはここに書け ないが、そのタイプの人はいくらでもいる。いやいや、私自身がそうかもしれない。私はいつも こうして偉そうな(?)文章を書いているが、本当の私を知ったら、皆さんは驚くかもしれない。 情緒は不安定だし、精神力も弱い。ひょっとしたら、私は懸命に教育者のフリをして生きている だけかもしれない。しかしこういう自分は長くはつづかない。やがてボロが出る。私が今、一番 恐れているのは、そういうボロが、いつ、どのような形で出てくるか、だ。
話は脱線したが、子どもを見るときは、そのフリを見抜かねばならない。「この子どもは、本
当の自分の姿をさらけ出しているか。それとも自分をごまかしているか」と。本当の自分をさら け出しているなら、それでよし。そうでなければ、心の開放をまず第一に考えて指導する。もっ とも効果的な方法は、大声で笑わせること。大声で笑うということは、心を開放するということ。 子どもは笑うことで、心を開くことができる。気負いがとれる。
結論を言えば、「気負い」などというのは、できるだけないほうがよい。とくに家族の中では、
ないほうがよい。家族はあるがまま。たがいにあるがままをさらけ出し、あるがままを受け入れ る。気負うことはない。その気楽さが、家族の風通しをよくする。「親だからとか、子どもだから」 という「だから」論。「親だから〜〜のはず、子どもだから〜〜のはず」という「はず」論。「親は 〜〜すべき、子どもは〜〜すべき」という、「べき」論は、それがあればあるほど、結局は、親 子関係をぎくしゃくさせる。
そこで私のこと。私もこうしてものを書いているが、気負うのはもうやめる。気負えば気負うほ
ど、疲れる。これからは、さらに(?)、あるがままの自分を書くことにする。それでだめなら、そ れはそれでしかたないことだ。
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【3】
子どもの過保護について、
「親のストレスが子どもをつぶす」(リヨン社)から
転載します。このところ、文部科学省の調査結果も
報告され、あちこちで、過保護が話題になっています。
************************
子どもの過保護
親が子どもに手をかけすぎるとき
●「どうして泣かすのですか!」
年中児でも、あと片づけのできない子どもは、一〇人のうち、二、三人はいる。皆が道具をバ
ッグの中にしまうときでも、ただ立っているだけ。あるいはプリントでも力まかせに、バッグの中 に押し込むだけ。しかも恐ろしく時間がかかる。「しまう」という言葉の意味すら理解できない。 そういうとき私がすべきことはただ一つ。片づけが終わるまで、ただひたすら、じっと待つ。
S君もそうだった。私が身振り手振りでそれを促していると、そのうちメソメソと泣き出してしまっ
た。こういうとき、子どもの涙にだまされてはいけない。このタイプの子どもは泣くことによって、 その場から逃げようとする。誰かに助けてもらおうとする。しかしその日は運の悪いことに、た またまS君の母親が教室の外で待っていた。母親は泣き声を聞きつけると部屋の中へ飛び込 んできて、こう言った。「どうしてうちの子を泣かすのですか!」と。ていねいな言い方だったが、 すご味のある声だった。
●親が先生に指導のポイント
原因は手のかけすぎ。S君のケースでは、祖父母と、それに母親の三人が、S君の世話をし
ていた。裕福な家庭で、しかも一人っ子。ミルクをこぼしても、誰かが横からサッとふいてくれる ような環境だった。しかしこのタイプの母親に、手のかけすぎを指摘しても、意味がない。第一 に、その意識がない。「私は子どもにとって、必要なことをしているだけ」と考えている。あるい は子どもに楽をさせるのが、親の愛だと誤解している。手をかけることが、親の生きがいになっ ているケースもある。中には子どもが小学校に入学したとき、先生に「指導のポイント」を書い て渡した母親すらいた。(親が先生に、だ!)「うちの子は、こうこうこういう子ですから、こういう ときには、こう指導してください」と。
●泣き明かした母親
あるいは息子(小六)が修学旅行に行った夜、泣き明かした母親もいた。私が「どうしてです
か」と聞くと、「うちの子はああいう子どもだから、皆にいじめられているのではないかと、心配 で心配で……」と。それだけではない。私のような指導をする教師を、「乱暴だ」「不親切だ」と、 反対に遠ざけてしまう。S君のケースでは、片づけを手伝ってやらなかった私に、かえって不満 をもったらしい。そのあと母親は私には目もくれず、子どもの手を引いて教室から出ていってし まった。こういうケースは今、本当に多い。そうそう先日も埼玉県のある私立幼稚園で講演をし たときのこと。そこの園長が、こんなことを話してくれた。「今では、給食もレストラン感覚で用意 してあげないと、親は満足しないのですよ」と。こんなこともあった。
●「先生、こわい!」
中学生たちをキャンプに連れていったときのこと。たき火の火が大きくなったとき、あわてて
逃げてきた男子中学生がいた。「先生、こわい!」と。私は子どものときから、ワンパク少年だ った。喧嘩をしても負けたことがない。他人に手伝ってもらうのが、何よりもいやだった。今で も、そうだ。そういう私にとっては、このタイプの子どもは、どうにもこうにも私のリズムに合わな い。このタイプの子どもに接すると、「どう指導するか」ということよりも、「何も指導しないほう が、かえってこの子どものためにはいいのではないか」と、そんなことまで考えてしまう。
●自分勝手でわがまま
手をかけすぎると、自分勝手でわがままな子どもになる。幼児性が持続し、人格の「核」形成
そのものが遅れる。子どもはその年齢になると、その年齢にふさわしい「核」ができる。教える 側から見ると、「この子はこういう子だという、つかみどころ」ができる。が、その「核」の形成が 遅れる。
子育ての第一目標は、子どもをたくましく自立させること。この一語に尽きる。しかしこのタイ
プの子どもは、(親が手をかける)→(ひ弱になる)→(ますます手をかける)の悪循環の中で、 ますますひ弱になっていく。昔から過保護児のことを「温室育ち」というが、まさに温室の中だけ で育ったような感じになる。人間が本来もっているはずの野性臭そのものがない。そのため温 室の外へ出ると、「すぐ風邪をひく」。キズつきやすく、くじけやすい。ほかに依存性が強い(自 立した行動ができない。ひとりでは何もできない)、金銭感覚にうとい(損得の判断ができない。 高価なものでも、平気で友だちにあげてしまう)、善悪の判断が鈍い(悪に対する抵抗力が弱 く、誘惑に弱い)、自制心に欠ける(好きな食べ物を際限なく食べる。薬のトローチを食べてしま う)、目標やルールが守れないなど、溺愛児に似た特徴もある。
●「心配」が過保護の原因
親が子どもを過保護にする背景には、何らかの「心配」が原因になっていることが多い。そし
てその心配の内容に応じて、過保護の形も変わってくる。食事面で過保護にするケース、運動 面で過保護にするケースなどがある。
しかし何といっても、子どもに悪い影響を与えるのは、精神面での過保護である。「近所のA
君は悪い子だから、一緒に遊んではダメ」「公園の砂場には、いじめっ子がいるから、公園へ 行ってはダメ」などと、子どもの世界を、外の世界から隔離してしまう。そしておとなの世界だけ で、子育てをしてしまう。本来子どもというのは、外の世界でもまれながら、成長し、たくましくな る。が、精神面で過保護にすると、その成長そのものが、阻害される。
そんなわけで子どもへの過保護を感じたら、まずその原因、つまり何が心配で過保護にして
いるかをさぐる。それをしないと、結局はいつまでたっても、その「心配の種」に振り回されるこ とになる。
●じょうずに手を抜く
要するに子育てで手を抜くことを恐れてはいけない。手を抜けば抜くほど、もちろんじょうずに
だが、子どもに自立心が育つ。私が作った格言だが、こんなのがある。
『何でも半分』……これは子どもにしてあげることは、何でも半分でやめ、残りの半分は自分で
させるという意味。靴下でも片方だけをはかせて、もう片方は自分ではかせるなど。
『あと一歩、その手前でやめる』……これも同じような意味だが、子どもに何かをしてあげるに
しても、やりすぎてはいけないという意味。「あと少し」というところでやめる。同じく靴下でたとえ て言うなら、とちゅうまではかせて、あとは自分ではかせるなど。
●子どもはカラを脱ぎながら成長する
子どもというのは、成長の段階で、そのつどカラを脱ぐようにして大きくなる。とくに満四・五歳
から五・五歳にかけての時期は、幼児期から少年少女期への移行期にあたる。この時期、子 どもは何かにつけて生意気になり、言葉も乱暴になる。友だちとの交際範囲も急速に広がり、 社会性も身につく。またそれが子どものあるべき姿ということになる。が、その時期に溺愛と過 保護が続くと、子どもはそのカラを脱げないまま、体だけが大きくなる。たいていは、ものわか りのよい「いい子」のまま通り過ぎてしまう。これがいけない。それはちょうど借金のようなもの で、あとになればなるほど利息がふくらみ、返済がたいへんになる。同じようにカラを脱ぐべき ときに脱がなかった子どもほど、何かにつけ、あとあと育てるのがたいへんになる。
いろいろまとまりのない話になってしまったが、手のかけすぎは、かえって子どものためにな
らない。これは子どもを育てるときの常識である。
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【4】English Cornerはお休みします。
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【5】おまけのページ
子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(531)
おかしな計算
先日も小学生たちが騒いでいたので、「静かにしなさい。今、先生(私)は、四五センチメート
ル、怒っている」と言ったら、子どもたちは「何、それ?」と。「つまりこれくらい怒っている」と、両 手でそのハバを示してみたのだが、「それはおかしい。怒っているのを、センチで言うなんて、 おかしい」と。たしかにおかしい。しかしそれと同じようなおかしなことを、おとなたちが今、平気 でしている?
今は、そういうシーズン。いくらかのお金をもってデパートへ行く。そして「AさんとBさんは、七
〇〇〇円。CさんとDさんは、五〇〇〇円。EさんとFさんは三〇〇〇円でいい」と。人間関係 を、お金という尺度ではかっている。しかし考えてみれば、これほどおかしなことはない。
プレゼントをもらうほうもそうだ。最近では少なくなったが、たいていは箱の横に数字が書いて
ある。三〇とか、五〇とか。そういう数字をみて、「Aさんは三〇〇〇円、Bさんは五〇〇〇円」 とかいう。相手の心を、お金という尺度ではかろうとする。しかし考えてみれば、これほどおかし なことはない。
もっともこうした関係がビジネスの世界でのことならよいが、これが家庭に入ると、親子関係
そのものまでおかしくなる。今、成人男女で、将来、どうしても親のめんどうをみると答えている 若者は、一九%(総理府、平成九年)しかいない。あの合理主義のかたまりであるかのような アメリカの若者でさえ、六三%。東南アジアの国々の若者では、何と七〇〜八〇%。日本の若 者のほとんどは、「生活力に応じて、みる」(六六%・平成六年)と答えている。これを裏から読 むと、「余裕がなければみない」ということになるのだが……。つまり親の恩も金次第。親のめ んどうも遺産しだいということになる。
考えてみれば、これもおかしなことだ。親の恩も金次第ということがおかしいと言っているので
はない。今の若者たちは、世界でも類のないほど、飽食とぜいたくを経験した子どもである。も っとも恵まれた環境で育った子どもである。その子どもたちが、「経済的に余裕があれば、み る」と。戦後の私たちは、高度成長という未曾有の経済的発展をなしとげたが、その一方でなく したものも多い。そのひとつが、人間らしい心ということになる。
……とまあ、否定的なことばかり言ってもしかたないので、ひとつの提案。オーストラリアの友
人の家では、「プレゼントは買ったものではだめ」という習慣がある。それが徹底しているた め、客でいく私のようなものにさえ、みやげに手作りのものをくれる。日本人の私たちからみる と、「あれっ」と思うようなものだが、それが彼らの常識ということになる。えてして日本人は、豪 かなプレゼントであればあるほど、相手の心をつかんだはずと考える。親子であれば、きずな が太くなったと考える。しかしこれは誤解。あるいはかえって逆効果。が、「買ったものではだ め」という習慣が徹底すると、ものの考え方が一八〇度変わる。一度、試してみる価値はあ る。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(533)
名前と自尊心
自分を大切にする。それが子どもの自尊心につながり、この自尊心が、子どもの道徳や倫理
の基礎となる。その第一歩が、「名前を大切にする」。
子どもの名前は、大切にする。子どもの名前が書いてあるものは、粗末にあつかわない。新
聞や雑誌に、子どもの名前が出たら、その新聞や雑誌は、ていねいにあつかう。切り抜いて壁 に張ったり、アルバムにしまったりする。そして日ごろから、「あなたの名前はいい名前ね」「あ なたの名前を大切にしようね」と教える。子どもは自分の名前を大切にすることから、自分を大 切にすることを学ぶ。まちがっても、子どもの名前を茶化したり、からかってはいけない。名前 は、その子どもの人格そのものと考える。
実のところ、この私も、自分の名前(はやし浩司)だけは大切にしている。人格的にも、道徳
的にもボロボロの人間だが、名前を大切にすることによって、かろうじて自分を支えている。 「名前を汚したくない」という思いが、いろいろな場面で、心のブレーキとして働くことが多い。そ れは他人の目に届くとか、届かないとかいうことではない。たとえばこうして文を書いているが、 いまだかって(当然だが)、他人の文章を盗用したことは一度もない。だれにも読んでもらえな い文とわかっていても、それはしない。できない。もしそれをしたら、そのとき、「はやし浩司」と いう「私」は終わる。
一方、こんな子どもがいた、その家は、女の子ばかりの三人姉妹。上から、麗菜、晴美、み
どり。その「みどり」という子ども(小四)にある日、「名前を漢字で書いてごらん」と指示すると、 その女の子はさみしそうにこう言った。「だって私には漢字がないもん」と。女の子が三人もつ づくと、親もそういう心理になるらしい。しかしこういうことは、本来、あってはならない。
そう言えば以前、自分の子どもに、「魔王」とかそういうような名前をつけた、親がいた。とん
でもない名前である。ときどきこうした私の常識では理解できない親が現れる。あまりにも私の 常識からはずれているため、論ずることもできない。で、今ごろあの子どもはどうしているかと、 ときどき考える。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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講演会においでください。おいでになるときは、一度、主催者に連絡してください。
多分(いいかげんな言い方ですみません)、自由に聴講していただけると思います。
7月4日(木)……浜松市市立幼稚園PTA連合会にて講演
(主催 浜松市市立幼稚園連合会、連絡先、万ごく幼稚園)
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・5……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
7・23……浜松市東部公民館母親教室
7・20……伊平小学校
7・4……浜松市市立幼稚園PTA連合会
ほか、横浜市(2個所)ほかでの講演を予定しています。
詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! がんばっています!
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MMMMM
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┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)7-6
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====KW(8)
子育て最前線の育児論byはやし浩司(E−マガ)……読者数(Nr. of Readers) 332人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━
/井\
〔井井井〕
MMMMM \井/Hi! I am Hiroshi, and through this magazine you may know
| ⌒ ⌒ | ‖ what is happening among parents in Japan, with some knowledge
○ q ・ ・ p ‖ how to cope with Kids and how to bring up children at home.
⊆⊇ (〃 ▽ 〃) ξ)
\u ̄ ̄⊆V⊇ ̄ ̄レ/
 ̄丶 : 厂 ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
━━○━━━━━━━○━━━━━━━
最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数 78人
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上、二つの、E-マガとメルマガは同じ内容です。ただしメルマガの
ほうでは、送信容量に限界があるため、たいていいつも内容をカット
して送っています。全文読んでくださる方はEマガのほうを、ご購読
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★★★★★★★★★★★★★★★★★
02−7−06号(072)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second
son's website in USA,for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
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メニュー
今回のテーマ、「」
【1】不況時代の子育て論
【2】私の履歴
【3】前回(71号)の心理テストの補充
【4】English Cornerはお休みします。
【5】随筆(Essays)
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【1】
不気味な不況感。これだけ政府がお金をバラまいても、
そのお金がどこかへ消えていく? ……消えていってしまう。
一五年前には、私の周辺にも、一〇〜一二もの幼児教室が
ありましたが、今、残っているのは、一〜二か所だけ。
が、それですめばまだよいほうなのかも……。
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不況時代の、子育て論
本格的な大不況が、近づいてきた。昨夜(〇二年七月四日)、書店で三冊の週刊誌を買って
きた。アメリカにいる二男に送るためである。週刊新潮、週刊文春、週刊朝日の三誌である。 その三誌が、まるで呼吸を合わせたかのように、日本経済の破綻(はたん)を予告している。 あの堺屋氏(経済企画庁元長官)まで、悲観的なことを書いている(文春)。大不況がやってく るのは、もう確実で、しかも秒読み段階に入ったとみてよい。
が、経済がどうなるかを考えるのは、このコラムの目的ではない。問題は、そういう大不況に
なったら、子育てをどう考えたらよいか、だ。と、言っても、私たちの世代は、すでに暗くて、貧し い時代をすでに経験している。私は昭和二二年生まれ。堺屋氏がいうところの、まさに「団塊 の世代」。子どものころ記憶にあるのは、毎日、空腹だったこと。みながみな、そうだった。だか ら私や私の家族が貧乏だったという思いは、どこにもない。そういう自分を思い出しながら、大 不況下の子育てはどうあるべきかを考えてみる。
(1)子どもは親が気にするほど、貧乏を気にしない…貧乏を気にするのは、親であって、子ど
もではない。子どもはそういう意味で、環境をあるがまま受け入れ、適応する能力をもってい る。貧乏であることを、子どもに恥じることはない。恥じてはいけない。
(2)親は卑屈にならない……いくら貧乏になっても、親は卑屈になってはいけない。親が卑屈
になると、子どもの心は「貧しく」※なる。一杯のかけそばを、分けあって食べるような、そういう 卑屈なことをしてはいけない。親は親で、前向きに気高く生きる。
(3)貧乏を楽しむ……貧乏なら貧乏で過ごし方がある。見え、体裁、メンツを捨てる。世間体な
ど、気にしてはいけない。「私は私」という生きザマを大切にする。日本がこの不況から抜け出 る日はやってくる。そのとき同じスタートラインに立ったとき、あなたの生きザマは、子どもを伸 ばす大きな原動力となる。
(4)金銭的価値観とは決別する……「プレゼントは買ったものはダメ」「買う前にリサイクル」
「不便であるのが当たり前」などを、ハウス・ルールにする。今までの金銭的価値観からものの 考え方を転換する。家の中はスッキリ、ムダなくをモットーとする。
(5)家族の意義をたてなおす……家族は励ましあい、助けあい、教えあい、いたわりあい、支
えあう。そういう家族をものの考え方の中心におく。「家族がいちばん大切」ということを、日常 的に子どもに言う。貧乏だからといって、このきずなは壊れない。むしろ貧乏であればあるほ ど、そしてその貧乏を楽しめば楽しむほど、家族のきずはな深まる。
(6)質素であることを誇りにする……質素であることを恥じることはない。むしろ誇るべきことで
ある。自動車には乗らず、自転車に乗る。バリバリのブランド品で身を包むのではなく、ヨレヨ レの雑貨品を使う。それこそが人間の気高さの象徴である。
※貧乏と、心の貧しさは別。
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不況時代の、子育て論(2)
貧乏でこわいのは、見え、メンツ、世間体。この三つに毒されると、愛すべき貧乏が、憎むべ
き貧乏に変身する。そればかりではない。自分で自分を見失ってしまう。他人の目の中で生き る人生ほど、はたから見ても、見苦しいものはない。そのためにもできるだけ早い時期に、「私 は私」という、自分の生きザマを確立する。自分が自分であるかぎり、貧乏など、何でもない。
むしろ貧乏であるほうが、他人の心がよくわかる。そしてそのわかった分だけ、心のつながり
ができる。悲しみや苦しみを、互いに共有するからだ。見苦しいといえば、少し前までテレビに よく出ていた、元野球監督の妻のSがいた。脱税で逮捕されるまで、まさにしたい放題、言いた い放題のことをしていた。顔中に、人間がもつあらゆる醜悪さを、塗りたくったような女性だっ た。
私たちが今すべきことは、ああいう人間の醜さを、しっかりと記憶にとどめておくことだ。また
ああいう人間を評価しないこと。その女性は億単位のお金を右から左へ動かしていたという。 超の上に超がつく金持ちだったかもしれないが、軽蔑すべき人間というのは、まさにああいう人 間をいう。
貧乏であることは、何ら恥ずべきことではない。むしろ誇るべきことかもしれない。質素につ
つましく生きることは、それ自体が美徳であり、すばらしいこと。ただし、貧乏と、心の貧しさは 違う。いくらベンツの大型車に乗っていても、タバコの吸殻を窓から外へ捨てる人は、心の貧し い人という。いくら豪かな家に住んでいても、自分より弱い立場の人をさげすみ、罵倒する人 は、心の貧しい人という。いくら貧乏になっても、その心の貧しい人になってはいけない。
私とて、お金は嫌いではない。いつも心のどこかで、いつかはお金持ちになりたいと願ってい
る。本を出版するときも、「売れればいい」と、いつも願うのは、自分の考えがより多くの人に理 解されることを願うというよりは、印税が少しでも多く入ることを願うからだ。しかしこんなことは 守っている。月によって、いつもの月よりも多くの収入が入ることがある。そういうときでも、い つものように、最低限の生活を守るようにしている。車だって、動けばよい。服だって、着られ ればよい。食べものだって、食べられればよい。ときにぜいたくをすることはあるが、それはあ くまでも「ときには」という話である。
私には退職金はない。天下り先もない。年金もない。息子たちの世話にはならない。すべて
が「ないないづくし」だから、いつか必ず、私は貧乏になる。長生きすればするほど、貧乏にな る。それがわかっているから、今からその貧乏になるための準備をしている。が、それは同時 に、やがてやってくる大不況の準備のためでもある。
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【2】
いくつか、私の過去についてのエッセイを
書いてみました。何かのヒントになればう
れしいです。
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私の過去(高町時代)
浜松市へきたころの私は、お金になることは何でもした。翻訳に通訳、家庭教師に代筆、進
学塾で講師をしたり、楽器メーカーの貿易部の顧問もしたりした。午前中は幼稚園に勤め、午 後からは、そういう意味では好き勝手なことをした。そんなとき、小さな塾を開いた。
浜松市内の中心部に、中央図書館がある。その図書館の近くに、高町公民館という公民館
があった。今もある。畳敷きの、全体でも二〇畳前後の公民館だった。私は週二回、この公民 館を借りて、塾を開いた。生徒は、四人。みんな女子高校生だった。今から思い出しても、あの ときの高校生たちよりまじめな(?)高校生は、それ以後、出会ったことがない。みんな時間通 りきて、ただひたすら黙々と勉強してくれた。私も、懸命というより、必死だった。何よりも生徒 がふえることを願ったが、結局、そのあと一年半の間、生徒は四人のままだった。
塾を開くのに、私はほとんど抵抗がなかった。「教えるころでお金を受け取る」ということに抵
抗を感ずる人も多いが、私はそういう意味では平気だった。学生時代、一番尊敬した人物が、 正木猛氏(現在八八歳、岐阜県美濃市で健在)という人だったということもある。塾の教師だっ た。それにむしろ「自由な教育」ということを考えるなら、塾のほうが自由だった。当時、よく言 われたことに、こんなことがあった。「塾の教師は、生徒を殴(なぐ)ってもよい。しかし学校の教 師はいけない」と。殴れば殴ったで、その生徒は、そのつぎからは塾へ来なくなる。そういう逃 げ場がある。しかし学校では、その逃げ場がない。「逃げ場がない状態で、生徒を殴るのは、 卑怯」と。しかし塾には、もっと大きな違いがある。
塾は生徒に、一度、頭をさげる。「さげる」という言い方はおかしいが、少なくとも月謝を受け
取るときは、頭をさげる。「教えさせていただきます」という姿勢から、教育がスタートする。「生 徒は向こうからやってくるものだ」と考える(多分?)学校教育とは、ここが違う。つまり熱心か 熱心でないかということになると、塾教育は、熱心にやらなければ、経営そのものが成りたたな い。あるいはそのまま閉鎖。きびしさが違う。が、結果的にみると、それが私のばあいにはよい 方向に作用した。学校で言えば、毎日が参観授業のようなものだった。幼稚園での仕事にして も、毎日、教材を用意しないと、授業そのものができなかった。
今でも、あの高町の公民館のあたりを通り過ぎると、ふとそちらのほうを見る。なつかしいと
いうよりも、そのつど、どっと、重苦しい暗雲のようなものが心をふさぐ。そのときの生徒は四人 とも、東京でも一、二を争う女子大学へと進学していった。が、どこかすっきりしない。理由はよ くわからないが、そのころの私は、経済的にも、社会的にも、どん底だったことによるのではな いか。多分……?
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私の過去(ゴーストライター時代)
私は、当時、いろいろな人のゴーストライターをしていた。その中には、全国的に有名なドクタ
ーや、美容研究家がいた。彼らのために月刊誌や週刊誌の記事、単行本などの原稿を書いて いた。研究論文まで書いていた。単行本だけでも、五〜七冊は書いただろうか。月刊誌や週刊 誌ともなると、数知れない。当時一人のドクターは、テレビの全国放送で、いつも二〜三本のレ ギュラー番組をもっていたから、その企画の原稿も書いていた。しかしそれは、お金にはなった が、むなしい稼業だった。
「娼婦」と呼ばれる女性がいる。体を売って、お金を稼ぐ。しかしゴーストライターは、魂を売っ
て、お金を稼ぐ。そのとき私は、そう感じた。いや、ゴーストライターといっても、いろいろある。 本人にまずしゃべってもらい、それをテープレコーダに録音し、それから原稿に起こすというゴ ーストライタ〜がいる。よくテレビタレントが暴露本などを出すことがあるが、そういう本は、たい ていこうしてできた本とみてよい。そういう本であれば、魂を売るということはない。しかしその 一線を超えて、よい本を書こうとすると、そうはいかない。自分で取材し、それをまとめ、さらに 思想でつつむ。そこまですると、どうしても自分の「心」が入ってしまう。問題はその「心」だ。
ゴーストライタ〜を平気で使う人というのは、もともとそのレベルの人とみてよい。少なくとも文
士ではない。そういうレベルの人のために、自分の心を売るというのは、まさに屈辱(くつじょく) でしかない。何という敗北感。何という無力感。何という虚しさ。そういうものが、一文書くたび に、どっと胸をしめつける。私のばあいも、毎日がそれらとの戦いだった。が、それだけではな い。ゴーストライターとして自分の心をその中に織り込むということは、その心は二度と使えな いことを意味する。あとで自分の名前で、同じようなことを書けば、そのまま盗作ということにな ってしまう。言いかえると、もの書きとしての自分の命を、そこで断つことを意味する。
だから二七歳ぐらいのとき、私はゴーストライターの仕事はやめた。しかし、だ。この世の中、
どこがどうおかしいのかわからないが、私がゴーストライターで書いた本は、本当によく売れ た。著者(?)の知名度もあって、本当によく売れた。しかし、だ。一方、私が自分の名前で出し た本は、売れなかった。どれもパッとしないまま、たいていは初版で絶版。よくワイフは、「あな たは世間を逆恨みしているのよ」と言うが、本当のところ、逆恨みもしたくなる。中には、出版社 へ原稿を売り渡し、その本に、著名なタレントの名前を載せて出した本がある。私が手にした のは、その原稿料のみ。しかしその本は一〇万部以上も売れた! 結果、そのタレントは、一 〇〇〇万円近い印税を手にした。こういうことはこの世界では、珍しくない。
私は以後、一度も他人のために文を書いたことがない。ときどき頼まれて、「では……」と書
き始めることもあるが、どうしても筆が進まない。今もそうだ。いくらお金を積まれても、もう二度 とゴーストライターはしたくない。できない。しない。
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【3】
前回、子どもの心理テストをお送りしました。
以後、プラス一五人(計、二五人)の子どもに
意見を聞いてみましたので、結果を補充します。
************************
先のテストで、小四〜中学生、二五人の子どもの意見を聞いてみた。
「犬が悪い。いっしょに女の子についていってあげなかったから。女の子が困っているのだか
ら、ついていってあげるべきだった」(小四女子)
「ネコが悪い。夜遅くまで遊んでいた。女の子をもっと早く、家に帰してあげるべき」(小四女子)
「女の子が悪い。ネコさんの挑発にのったのが悪い。ネコさんにもっとはっきりと断るべきだっ
た。ネコというのは、オオカミとグルかもしれない」(小四男子)
「ネコが悪い。自分勝手だと思う。女の子としつこくいっしょに遊ぼうとした。だからオオカミに食
べられてしまった」(小四女子)
「ネコが悪い。夜遅くまで遊んでいたから」(小四女子)
「オオカミが悪い。女の子を食べたから」(小四男子)
最後の男の子が、「オオカミが悪い」と発言したら、いっしょにいた小四の子どもたち全員(五
人)が、「タンジュ〜ン(単純)!」と声をあげた。これもひとつの意見と考えてよい。
「女の子が悪い。帰ろうと思えば帰れたのに、帰らなかったのは女の子の責任」(小五男子)
「ネコが悪い。女の子が帰りたいと言ったのに帰してあげなかったので、ネコが悪い。女の子
の責任ではない」(中一女子)
「女の子が悪い。自分の意思で帰らなかった女の子が悪い。オオカミに食べられたのは、自業
自得。しかたのないこと」(中三男子)
「オオカミが悪い。女の子を食べたのはオオカミ。何といってもオオカミが悪い」(中三女子)
ほかに、一五人(小六〜中一、計二五人)の集計を加えると、結果はつぎようになった。
女の子……10人(40%)
ネコ …… 8人(32%)
オオカミ… 5人(20%)
イヌ …… 2人( 8%)、ということになった。
(バックナンバーは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/より、どうぞ!)
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【4】English Corner,translated by Mr. IBM
This article is translated by Mr. IBM from my original
Japanese into English. I am very sorry for this very incomplete
Translation. I can't take time for the translation but you may
understand on what sort of things I have thinking about these days.
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The child bringing-up theory of bad days
Full-scale large depression has approached. He has bought three weekly magazines at the
bookstore last night (July 4, 02). It is for sending to the second son who is present in the United States. It is three magazines, weekly new tide, weekly Bunsyun, and the weekly Asahi, morning sun. The three magazines have announced the breakdown ( of Japanese economy beforehand as if they united the breath. It is writing that even that Mr. Sakai (Economic Planning Agency former director general) of the is pessimistic (Bunsyun). You may conclude that it was certain that large depression came and it has already moreover gone into the countdown stage.
But The purpose of this column does not consider what and economy become. A problem
is [ how when becoming such large depression, child bringing up should be considered, and ] Even if it says, our generation has already experienced the dark and poor time. I am Showa 22 birth. The places which the Sakai store says are just "post-baby boomers." It being in memory as a child is were hungry every day. Everybody was so wholly. Therefore, there is no thought that the family of mine or me was poor, anywhere. It considers how there should be any child bringing up under large depression, remembering itself. [ such ]
(1) He does not care about poverty so that parents care about a child. -- Parents care
about poverty and it is not a child. The child has the capability which unvarnished-accepts environment and is adapted in such meaning. It is not ashamed of a poor thing to a child. It must not be ashamed.
(2) Parents do not become mean.... Parents must not become mean however it may be
poor. * if parents become mean -- a child's heart -- "-- poor -- " -- it becomes It is full and such a mean thing for which it divides, and it is and a side is eaten must not be done. Parents are parents and live nobly positively.
(3) Enjoy poverty.... If poor, it is poor and there is how to pass. Vanity, appearance, and face
are thrown away. Don't care about appearance etc. It says, "I am me", and it lives and Zama is valued. The day to which Japan withdraws from and comes out of this depression is come. When it stands on the same starting line then, you live and Zama serves as the big driving force which lengthens a child.
(4) Part from a money-criterion.... It makes into the house Ruhr "it imust be not a gift
which is bought by the money", "to recycle, before buying it", "for it to be natural that it is inconvenient", etc. The view of a thing is converted from an old money-criterion. The inside of a house lets be clear and futility be mottoes.
(5) Rebuild a family's meaning.... It consoles, and a family suits, and it encourages and he
suits [ it suits and / it helps each other and / it teaches and / it suits and / he supports and ]. Such a family is set to the center of the view of a thing. It tells a child daily "a family is the most important." Poor, even so these bonds do not break. if poor, so that the poverty will be enjoyed a certain degree rather -- a family -- a crack -- it becomes deep
(6) Make a simple thing into pride.... It is not ashamed of a simple thing. Rather, it is what it
should be proud of. It does not ride in a car but rides on a bicycle. The body is not wrapped in the brand-name goods of a barricade barricade, but the miscellaneous-goods article of ssimply is used. It is just the symbol of man's nobleness.
* Poverty and the poverty of the heart are another.
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【5】おまけのページ
子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(537)
子どもの発達
幼児教育と一口でいうが、同じ幼児でも、乳幼児と幼児、就学前の幼児は、まったく違う。違
うから、私はたとえば乳幼児について聞かれても、ほとんどわからない。(常識程度にはわかっ ても、人に話せるほど、わからない。)
そこで私なりに、この時期の子どもの発達段階を考えてみた。
【乳幼児期】乳児から満四歳前後の子どもをいう。満四歳くらいから、子どもは、少年少女期へ
の移行期に入る。満四・〇歳ごろから、知的好奇心がきわめて活発になり、満四・五歳くらい から、ほうっておいても文字数に大きな興味を示すようになる。まだ乳幼児期の延長期とみる。
【移行期】満四・五歳くらいから、子どもは少年少女期への移行期に入る。何かにつけて生意
気になり、自己主張が強くなる。子ども扱いをされたくないという思いと、まだ親の庇護下にい たいという、ふたつの矛盾した願望が混在し、子どもの情緒は不安定になる。怒りっぽくなった り、ぐずりやすくなる。
【少年少女期】満五・五歳児くらいになると、少年少女期へ移行する。この時期になると、子ど
もの人格の「核」形成がすすみ、「この子はこういう子だ」という形がしっかりと見えてくる。過干 渉、溺愛が日常化すると、この核形勢が遅れ、いわゆる幼児性がそのまま持続することが多 い。
この中でとくに大切なのは、【移行期】である。この時期に、いかに教育するかが、その子ども
の一生を左右する。フロイトのいう自我(SELF)もこの時期に形成されるが、知的能力の急激 な発達にあわせて、論理性、分析能力などもこの時期に養われる。この時期はとくに、静かで 穏やかな生活を大切にし、心豊かで温かい愛情を子どもに注ぐことを忘れてはならない。人格 の核形成のみならず、子どもの性格、方向性もこの時期に決まる。言い換えると、(1)この時 期までにそうでなくても、この時期をうまく利用すると、子どもを作り変えることができる。(2)こ の時期を通りすぎたら、反対にその子どもはそういう子どもと認めたうえで、子どもの性質や性 格をいじってはいけない。無理をすればするほど、たとえば子どもは自信をなくし、親が望むの とは別の方向へすすむ。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(540)
心の抵抗
弱者は自分より不幸な人をさがしだして喜び、強者は自分より幸福な人をさがしだしてねた
む。
この格言は私が以前考えた格言だが、しかしよくよく考えてみれば、これほど日本的な格言
はない。幸福観そのものが、相対的でしかない。いつも他人の目を気にして生きていると、こう した幸福観をもつようになる。問題は、なぜ私がこのような格言を考えたか、だ。
当時、私は、世間体を気にする人を頭におきながら、この格言を考えた。世間体を気にする
人は、ものの考え方が相対的で、「他人より給料が多いから、私は能力がある。リッチだ」「他 人より給料が少ないから、私は劣っている。貧しい」と考える傾向がある。いつもどこかに「平 均(ふつう)」というものの基準があって、それを尺度にして、自分を判断したり、他人を判断し たりする。
で、さらに今、その当時の自分を分析すると、こんなことがわかる。なぜ、私という人間が、こ
うまで世間体を気にするかということ。さらに世間体に代表される生き方を、こうまで気にする かということ。それにはつぎのような理由がある。
ひとつは、私が生まれ育った岐阜の地方では、世間体という言葉が、きわめて日常的に使わ
れていたということ。「世間が笑う」「世間が許さない」とか、など。耳にタコができるほど、その 言葉を聞かされた。私は子どものときから、その言葉が嫌いで、よく母に、「世間が何だ!」「世 間が何をしてくれる!」と反発したのをよく覚えている。が、それだけではない。
当時、(今もそうだが)、学校での成績は、「順位」で評価された。「他人よりよい点数であれば
優秀」「他人より悪い点数であれば劣っている」と。私は中学時代、学年、五五〇人中、成績で は二番になったことがなかった、九教科の合計点でも、いつも二番との差が、三〇〜八〇点は あった。まさにガリ勉そのもので、先生たちが「一科目でもいいから、林を追い抜け」とほかの 生徒にハッパをかけていたのを、よく覚えている。が、高校へ入ると、一転した。私は岐阜市内 の進学高校へ入りたかったが、母がそれを許してくれなかった。そのため地元の、それほどレ ベルの高くない高校に入ることになった。私には不本意な高校だった。
そういう高校だったから、一年のころは遊んでいても、成績はいつもトップだった。が、何より
も不愉快だったのは、テストごとに、毎回成績と名前と順位が、カベに張り出されることだった。 私はそれを見るたびに、何かしら、いつもだれかに追われているような脅迫感を感じた。で、あ る夜、学校へ忍び込み、その張り紙を破ったことがある。そういう思いが、今でも残っている、 残っていて、今でも順位で判断されることに、生理的な嫌悪感を覚える。「私は私、どこまでい っても私」という思いも、そういう経験の中で熟成された。この格言には、そういう私の、心の抵 抗が織り込まれている。
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講演会においでください。おいでになるときは、一度、主催者に連絡してください。
多分(いいかげんな言い方ですみません)、自由に聴講していただけると思います。
7月4日(木)……浜松市市立幼稚園PTA連合会にて講演
(主催 浜松市市立幼稚園連合会、連絡先、万ごく幼稚園)
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・5……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
7・23……浜松市東部公民館母親教室
7・20……伊平小学校
ほか、横浜市(2個所)ほかでの講演を予定しています。
詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! がんばっています!
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MMMMM
m | ⌒ ⌒ |
( ̄\q ・ ・ p
\´(〃 ▽ 〃) /〜〜
\  ̄Σ▽乃 ̄\/〜〜/
\ : ξ)
┏━━┻━━━┓
┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)7-8
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====KW(8)
子育て最前線の育児論byはやし浩司(E−マガ)……読者数(Nr. of Readers) 336人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
================
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
/井\
〔井井井〕
MMMMM \井/Hi! I am Hiroshi, and through this magazine you may know
| ⌒ ⌒ | ‖ what is happening among parents in Japan, with some knowledge
○ q ・ ・ p ‖ how to cope with Kids and how to bring up children at home.
⊆⊇ (〃 ▽ 〃) ξ)
\u ̄ ̄⊆V⊇ ̄ ̄レ/
 ̄丶 : 厂 ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
━━○━━━━━━━○━━━━━━━
最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数 78人
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
上、二つの、E-マガとメルマガは同じ内容です。ただしメルマガの
ほうでは、送信容量に限界があるため、たいていいつも内容をカット
して送っています。全文読んでくださる方はEマガのほうを、ご購読
ください。
どちらか一方をというかたは、Eマガのほうを、ご購読ください。
また、よりアカデミックな(?)マガジンをご希望の方は、「はやし浩司の世界」を
どうかあわせて、ご愛読ください。お申し込みは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you very much.
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★★★★★★★★★★★★★★★★★
02−7−08号(073)
★★★★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second
son's website in USA,for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
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メニュー
今回のテーマ、「宗教」On Religion
【1】美しい人へ(To a beautiful lady )
【2】世にも不思議な留学記(13号)(My days in Ausitralia)
【3】あなたは権威主義ママ?(Is Authority necessary to bring up kids?)
【4】English Cornerはお休みします。
【5】随筆(Essays)
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【1】
以前書いたエッセーをお送りします。
このところここに書いたKさんのことを、
よく思い出します。本当に美しい人でした。
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美しいあなたへ、
●だれがあなたを責めることができますか
あなたは声を震わせて泣いた。それを見て私は、口をかたく結んだ。私にはあなたの苦しみ
を、どうすることもできない。悲しみを、やわらげることもできない。
あなたは最初、「六歳になる息子を愛せない」と言って、私のところに相談にきた。そういうあ
なたに、私は言った。「子どものいい面をみなさい」「親として努力をすべき」と。しかしその言葉 は、あなたを苦しめた。
あなたは心のやさしい人だ。若いときから一人の男のストーカー行為に悩んでいた。が、あな
たは「私だけががまんすれば……」と、その男に妥協した。結婚した。そして今の子どもが生ま れた。そうしてできた子どもを愛せないからといって、だれがあなたを責めることができるだろう か。あなたはこう言った。「結婚を断れば、事件になったかもしれない。夫が恐ろしかった」と。
あなたは美しい人だ。相談を受けながら、「あなたはこんなところにいる人ではない」と、私は
何度も心の中でつぶやいた。さんさんと降りそそぐ明るい陽光を浴びて、あなたは金色に輝く べき人だ。あなたがほほえんだら、その笑顔はどんなにすてきなことか。
「あなたにも夢があるでしょ?」と私が聞くと、あなたは小さな声で、「栄養士さんになりたい…
…」と。私はそのときふと、どこかであなたの料理を口にする、自分を思い浮かべた。が、私は 精一杯、自分の顔をとりつくろって、こう言った。「子育ても一段落するときがきますよ。そのと きがチャンスですよ」と。
私は冷酷な人間だ。そういうあなたに向かって、「まとわりつく子どもをいやがるのは、ストー
カーだった夫を、あなたの子どもの中に見るからだ」と言ってしまった。何という非情な言葉! あなたは自分の心の中をのぞいてしまった。あなたがそれに気づいたとき、あなたは子どもだ けではなく、あなたの夫も愛せなくなってしまった!
別れるとき、涙で赤くなったあなたの目を見ながら、私はこう思った。「勇気を出して、心を解
き放ったらいい。体はあとからついてくる」と。「今のままでは、あなたも、夫も、そして子どもも 不幸になる」と。が、私には何も言えなかった。何という無力感。何というはがゆさ。振り返る と、もうあなたはそこにいなかった……。
さようなら、Kさん。お元気で。いつか栄養士さんになったら、連絡してくださいね。夢を捨てて
はだめですよ。
**************************
このKさんとは、その前後、数回、電話で話し合いました。最後の電話でKさんは
こう言いました。「はじめ、自分の心の奥をのぞいたときには、ショックでしたが、
何とか、がんばっています。かえって自分の心を知ったことで、すっきりしまし
た。がんばれるだけ、がんばってみます」と。
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【2】
「金沢学生新聞」6月号には、「最高の教育とは」を
掲載してもらいました。それをここに転載します。
(「金沢学生新聞」2002・6月号より)
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最高の教育とは(生きる誇り)(13号)
●私はとんでもない世界に!
私の留学の世話人になってくれたのが、正田英三郎氏だった。現在の皇后陛下の父君。こ
のことは前にも書いた。そしてその正田氏のもとで、実務を担当してくれたのが、坂本Y氏だっ た。坂本竜馬の直系のひ孫氏と聞いていた。私は東京商工会議所の中にあった、日豪経済委 員会から奨学金を得た。正田氏はその委員会の中で、人物交流委員会の委員長をしていた。 その東京商工会議所へ遊びに行くたびに、正田氏は近くのソバ屋へ私を連れて行ってくれた。 そんなある日、私は正田氏に、「どうして私を(留学生に)選んでくれたのですか」と聞いたこと がある。正田氏はそばを食べる手を休め、一瞬、背筋をのばしてこう言った。「浩司の『浩(ひ ろ)』が同じだろ」と。そしてしばらく間をおいて、こう言った。「孫にも自由に会えんのだよ」と。
おかげで私はとんでもない世界に足を踏み入れてしまった。このことも前に書いたことだが、
私が寝泊まりをすることになったメルボルン大学のインターナショナルハウスは、各国の王族 や皇族の子弟ばかり。私の隣人は西ジャワの王子。その隣がモーリシャスの皇太子。さらにマ レーシアの大蔵大臣の息子などなど。毎週金曜日や土曜日の晩餐会には、各国の大使や政 治家がやってきて、夕食を共にした。元首相たちはもちろんのこと、その前年には、あのマダ ム・ガンジーも来た。ときどき各国からノーベル賞級の研究者がやってきて、数カ月単位で宿 泊することもあった。東京大学から来ていた田丸先生(二〇〇〇年度日本学士院賞受賞)もい たし、井口領事が、よど号ハイジャック事件(七〇年三月)で北朝鮮へ人質となって行った山村 運輸政務次官を連れてきたこともある。山村氏は事件のあと、休暇をとって、メルボルンへ来 ていた。
が、「慣れ」というのは、こわいものだ。そういう生活をしても、自分がそういう生活をしているこ
とすら忘れてしまう。ほかの学生たちも、そして私も、自分たちが特別の生活をしていると思っ たことはない。意識したこともない。もちろんそれが最高の教育だと思ったこともない。が、一度 だけ、私は自分が最高の教育を受けていると実感したことがある。
●落ちていた五〇セント硬貨
ハウスの玄関は長い通路になっていて、その通路の両側にいくつかの花瓶が並べてあった。
ある朝のこと、花瓶の一つを見ると、そのふちに五〇セント硬貨がのっていた。だれかが落と したものを、別のだれかが拾ってそこへ置いたらしい。当時の五〇セントは、今の貨幣価値で 八〇〇円くらい。もって行こうと思えば、だれにでもできた。しかしそのコインは、次の日も、ま た次の日も、そこにあった。四日後も、五日後もそこにあった。私はそのコインがそこにあるの を見るたびに、誇らしさで胸がはりさけそうだった。そのときのことだ。私は「最高の教育を受け ている」と実感した。
帰国後、私は商社に入社したが、その年の夏までに退職。数か月東京にいたあと、この浜松
市へやってきた。以後、社会的にも経済的にも、どん底の生活を強いられた。幼稚園で働いて いるという自分の身分すら、高校や大学の同窓生には隠した。しかしそんなときでも私を支え、 救ってくれたのは、あの五〇セント硬貨だった。私は、情緒もそれほど安定していない。精神力 も強くない。誘惑にも弱い。そんな私だったが、曲がりなりにも、自分の道を踏みはずさないで すんだのは、あの五〇セント硬貨のおかげだった。私はあの五〇セント硬貨を思い出すこと で、いつでも、どこでも、気高く生きることができた。
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【3】
「ファミリス」7月号から、「ママ診断」を
転載します。具体的な診断テストは、本誌の
ほうを、ご覧ください。
(「ファミリス」7月号より)
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ママ診断(2)
あなたは権威主義ママ?
●親意識の背景に権威主義
「私は親だ」という意識を「親意識」という。たとえば子どもに対して、「産んでやった」「育てて
やった」と考える人は多い。さらに子どもをモノのように考えている人さえいる。ある女性(六〇 歳)は私に会うとこう言った。「親なんてさみしいものですね。息子は横浜の嫁に取られてしまい ましたよ」と。息子が結婚して横浜に住んでいることを、その女性は「取られた」というのだ。
日本人はこの親意識が、欧米の人とくらべても、ダントツに強い。長く続いた封建制度が、こう
した日本人独特の親意識を育てたとも考えられる。
●上下意識と権威主義
その親意識の背景にあるのが、上下意識。「親が上で、子が下」と。そしてその上下意識を支
えるのが権威主義。理由などない。「偉い人は偉い」と言うときの「偉い」が、それ。日本人はい つしか、身分や肩書きで人の価値を判断するようになった。
ふつう権威主義的なものの考え方をする人は、自分のまわりでいつも、人間の上下関係を意
識する。「男が上、女が下」「夫が上、妻が下」と。たった一年でも先輩は先輩、後輩は後輩と 考える。そして自分より立場が上の人に向かっては、必要以上にペコペコし、そうでない人に はいばってみせる。私のいとこ(男性)にもそういう人がいる。相手によって接し方が、別人のよ うに変化するからおもしろい。
●親意識は親子を断絶させる
この親意識が強ければ強いほど、子どもにとっては居心地の悪い世界になる。が、それだけ
ではすまない。子どもは親の前では仮面をかぶるようになり、そのかぶった分だけ、心を隠 す。親は親で子どもの心をつかめなくなる。そしてそれが互いの間に大きなキレツを入れる… …。
昔は「控えおろう!」と、三つ葉葵の紋章か何かを見せれば、人はひれ伏したが、今はそういう
時代ではない。親が親風を吹かせば吹かすほど、子どもの心は親から離れる。このテストで高 得点だった人は、あなたというより、あなたが育った環境を思い浮かべてみてほしい。あなた自 身もその権威主義的な家庭環境で育ったはずである。そして今、あなた自身があなたと親の 関係がどうなっているか、それを冷静に見つめてみてほしい。たいていはぎくしゃくしているは ずである。たとえうまくいっている(?)としても、それはあなた自身も権威主義的なものの考え 方にどっぷりとつかっているか、あるいは親に対して服従的もしくは親離れできていないかのど ちらかである。
●変わりつつある日本人の意識
こうした私のものの考え方に対して、とくに男性の立場から、「父親の権威は必要だ」と反論
する人は多い。「父親は家の中でもデ〜ンとした存在感さえあればいい」と。いや、父親どころ か、「夫の権威」にこだわる人さえいる。今でも「女房や子ども食わせてやる」と暴言を吐く夫は いくらでもいる。が、こうしたものの考え方は、これからの日本ではもう通用しない。そのひとつ のあらわれというべきか、家事をまったく手伝わない夫がまだ五〇%以上もいる一方(国立社 会保障人口問題研究所調査・二〇〇〇年)、そうした夫に不満をもつ妻がふえている。厚生省 の国立問題研究所が発表した「第二回、全国家庭動向調査」(九八年)によると、「家事、育児 で夫に満足している」と答えた妻は、五一・七%しかいない。この数値は、前回九三年のときよ りも、一〇ポイント近くも低くなっている(九三年度は、六〇・六%)。今、日本人は、大きな転換 期にきているとみてよい。
●親は友として、子どもの横を歩く
昔、オーストラリアの友人がこう言った。「親には三つの役目がある。親は、ガイドとして子ど
もの前を歩く。保護者として子どものうしろを歩く。そして友として子どもの横を歩く」と。日本人 は、子どもの前やうしろを歩くのは得意だが、友として横を歩くのがヘタ。高得点だった人は、 今日からでも遅くないから、子どもと一緒に横を歩いてみてほしい。今まで聞こえなかった子ど もの声が聞こえてくるはずである。
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【4】English Corner,translated by Mr. IBM
This article is translated by Mr. IBM from my original Japanese essays
into English. I am very sorry for this very incomplete
Translation. I can't take time for the translation but you may
understand on what sort of things I have been thinking in these days.
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【5】おまけのページ
子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(543)
霊の存在
霊は存在するか、それともしないか。
この議論は、議論すること自体、無意味。「存在する」と主張する人は、「見た」とか、「感じ
た」とか言う。これに対して、「存在しない」と主張する人は、「存在しないこと自体」を証明しなけ ればならない。数学の問題でも、「解く」のは簡単だ。しかし「その問題が解けないことを証明す る」のは、至難のワザである。
ただ若い人たちの中には、霊の存在を信じている人は多い。非公式の調査でも、約七〇〜
八〇%の人が、霊の存在を信じているという(テレビ報道など)。「信ずる」といっても、度合い があるから、一概には論ずることはできない。で、それはそれとして、子どもたちの世界でも、 占いやまじないにこっている子ども(小中学生)はいくらでもいる。またこの出版不況の中でも、 そういった類(たぐい)の本だけは不況知らず。たとえば携帯電話の運勢占いには、毎日一〇 〇万件ものアクセスがあるという。
私は「霊は存在しない」という考えをもっているが、冒頭に書いたように、それを証明すること
はできない。だから「存在しない」とは断言できない。しかしこういうことは言える。
私は生きている間は、「存在しない」という前提で生きる。「存在する」ということになると、もの
の考え方を一八〇度変えなければならない。それは少しおかしなたとえかもしれないが、宝くじ のようなものだ。宝くじを買っても、「当たる」という前提で、買い物をする人はいない。「当たる かもしれない」と思っても、「当たらない」という前提で生活をする。もちろん当たれば、もうけも の。そのときはそのときで考えればよい。
同じように、私は一応霊は存在しないという前提で、生きる。見たことも、感じたこともないの
だから、これはしかたない。で、死んでみて、そこに霊の世界があったとしたら、それこそもうけ もの。それから霊の存在を信じても遅くはない。何と言っても、霊の世界は無限なのだから… …。
私たちは今、とりあえずこの世界で生きている。だからこの世界を、まず大切にしたい。神様
や仏様にしても、本当にいるかいないかはわからないが、「いない」という前提で生きたい。た だ言えることは、野に咲く花や、木々の間を飛ぶ鳥たちのように、懸命に生きるということ。人 間として懸命に生きる。そういう生き方をまちがっていると言うのなら、それを言う神様や仏様 のほうこそ、まちがっている。
……というのは少し言いすぎだが、仮に私に霊力があっても、そういう力には頼らない。頼り
たくない。私は私。どこまでいっても、私は私。
今、世界的に「心霊ブーム」だという。それでこの文を書いてみた。
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神や仏も教育者だと思うとき
●仏壇でサンタクロースに……?
小学一年生のときのことだった。私はクリスマスのプレゼントに、赤いブルドーザーのおもち
ゃが、ほしくてほしくてたまらなかった。母に聞くと、「サンタクロースに頼め」と。そこで私は、仏 壇の前で手をあわせて祈った。仏壇の前で、サンタクロースに祈るというのもおかしな話だが、 私にはそれしか思いつかなかった。
かく言う私だが、無心論者と言う割には、結構、信仰深いところもあった。年始の初詣は欠か
したことはないし、仏事もそれなりに大切にしてきた。が、それが一転するできごとがあった。あ る英語塾で講師をしていたときのこと。高校生の前で『サダコ(禎子)』(広島平和公園の中にあ る、「原爆の子の像」のモデルとなった少女)という本を、読んで訳していたときのことだ。私は 一行読むごとに涙があふれ、まともにその本を読むことができなかった。そのとき以来、私は 神や仏に願い事をするのをやめた。「私より何万倍も、神や仏の力を必要としている人がい る。私より何万倍も真剣に、神や仏に祈った人がいる」と。いや、何かの願い事をしようと思っ ても、そういう人たちに申し訳なくて、できなくなってしまった。
●身勝手な祈り
「奇跡」という言葉がある。しかし奇跡などそう起こるはずもないし、いわんや私のような人間
に起こることなどありえない。「願いごと」にしてもそうだ。「クジが当たりますように」とか、「商売 が繁盛しますように」とか。そんなふうに祈る人は多いが、しかしそんなことにいちいち手を貸 す神や仏など、いるはずがない。いたとしたらインチキだ。一方、今、小学生たちの間で、占い やおまじないが流行している。携帯電話の運勢占いコーナーには、一日一〇〇万件近いアク セスがあるという(テレビ報道)。どうせその程度の人が、でまかせで作っているコーナーなの だろうが、それにしても一日一〇〇万件とは! あの『ドラえもん』の中には、「どこでも電話」と いうのが登場する。今からたった二五年前には、「ありえない電話」だったのが、今では幼児だ って持っている。奇跡といえば、よっぽどこちらのほうが奇跡だ。その奇跡のような携帯電話を 使って、「運勢占い」とは……? 人間の理性というのは、文明が発達すればするほど、退化 するものなのか。話はそれたが、こんな子ども(小五男児)がいた。窓の外をじっと見つめてい たので、「何をしているのだ」と聞くと、こう言った。「先生、ぼくは超能力がほしい。超能力があ れば、あのビルを吹っ飛ばすことができる!」と。
●難解な仏教論も教育者の目で見ると
ところで難解な仏教論も、教育にあてはめて考えてみると、突然わかりやすくなることがあ
る。たとえば親鸞の『回向論』。『(善人は浄土へ行ける。)いわんや悪人をや』という、あの回 向論である。これを仏教的に解釈すると、「念仏を唱えるにしても、信心をするにしても、それ は仏の命令によってしているにすぎない。だから信心しているものには、真実はなく、悪や虚偽 に包まれてはいても、仏から真実を与えられているから、浄土へ行ける……」(大日本百科事 典・石田瑞麿氏)となる。しかしこれでは意味がわからない。こうした解釈を読んでいると、何が なんだかさっぱりわからなくなる。宗教哲学者の悪いクセだ。読んだ人を、言葉の煙で包んでし まう。要するに親鸞が言わんとしていることは、「善人が浄土へ行けるのは当たり前のことでは ないか。悪人が念仏を唱えるから、そこに信仰の意味がある。つまりそういう人ほど、浄土へ 行ける」と。しかしそれでもまだよくわからない。
そこでこう考えたらどうだろうか。「頭のよい子どもが、テストでよい点をとるのは当たり前のこ
とではないか。頭のよくない子どもが、よい点をとるところに意味がある。つまりそういう子ども こそ、ほめられるべきだ」と。もう少し別のたとえで言えば、こうなる。「問題のない子どもを教育 するのは、簡単なことだ。そういうのは教育とは言わない。問題のある子どもを教育するから、 そこに教育の意味がある。またそれを教育という」と。私にはこんな経験がある。
●バカげた地獄論
ずいぶんと昔のことだが、私はある宗教教団を批判する記事を、ある雑誌に書いた。その教
団の指導書に、こんなことが書いてあったからだ。いわく、「この宗教を否定する者は、無間地 獄に落ちる。他宗教を信じている者ほど、身体障害者が多いのは、そのためだ」(N宗機関誌) と。こんな文章を、身体に障害のある人が読んだら、どう思うだろうか。あるいはその教団に は、身体に障害のある人はいないとでもいうのだろうか。
が、その直後からあやしげな人たちが私の近辺に出没し、私の悪口を言いふらすようになっ
た。「今に、あの家族は、地獄へ落ちる」と。こういうものの考え方は、明らかにまちがってい る。他人が地獄へ落ちそうだったら、その人が地獄へ落ちないように祈ってやることこそ、彼ら が言うところの慈悲ではないのか。私だっていつも、批判されている。子どもたちにさえ、批判 されている。中には「バカヤロー」と悪態をついて教室を出ていく子どももいる。しかしそういうと きでも、私は「この子は苦労するだろうな」とは思っても、「苦労すればいい」とは思わない。神 や仏ではない私だって、それくらいのことは考える。いわんや神や仏をや。批判されたくらい で、いちいちその批判した人を地獄へ落とすようなら、それはもう神や仏ではない。悪魔だ。だ いたいにおいて、地獄とは何か? 子育てで失敗したり、問題のある子どもをもつということが 地獄なのか。しかしそれは地獄でも何でもない。教育者の目を通して見ると、そんなことまでわ かる。
●キリストも釈迦も教育者?
そこで私は、ときどきこう思う。キリストにせよ釈迦にせよ、もともとは教師ではなかったか、
と。ここに書いたように、教師の立場で、聖書を読んだり、経典を読んだりすると、意外とよく理 解できる。さらに一歩進んで、神や仏の気持ちが理解できることがある。たとえば「先生、先生 ……」と、すり寄ってくる子どもがいる。しかしそういうとき私は、「自分でしなさい」と突き放す。 「何とかいい成績をとらせてください」と言ってきたときもそうだ。いちいち子どもの願いごとをか なえてやっていたら、その子どもはドラ息子になるだけ。自分で努力することをやめてしまう。そ うなればなったで、かえってその子どものためにならない。人間全体についても同じ。スーパー パワーで病気を治したり、国を治めたりしたら、人間は自ら努力することをやめてしまう。医学 も政治学もそこでストップしてしまう。それはまずい。しかしそう考えるのは、まさに神や仏の心 境と言ってもよい。
そうそうあのクリスマス。朝起きてみると、そこにあったのは、赤いブルドーザーではなく、赤
い自動車だった。私は子どもながらに、「神様もいいかげんだな」と思ったのを、今でもはっきり と覚えている。
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子どもの宗教を考える法(宗教の話は慎重にせよ!)
教師が宗教を語るとき
●宗教論はタブー
教育の場で、宗教の話は、タブー中のタブー。こんな失敗をしたことがある。一人の子ども
(小三男児)がやってきて、こう言った。「先週、遠足の日に雨が降ったのは、バチが当たった からだ」と。そこで私はこう言った。「バチなんてものは、ないのだよ。それにこのところの水不 足で、農家の人は雨が降って喜んだはずだ」と。翌日、その子どもの祖父が、私のところへ怒 鳴り込んできた。「貴様はうちの孫に、何てことを教えるのだ! 余計なこと、言うな!」と。その 一家は、ある仏教系の宗教教団の熱心な信者だった。
また別の日。一人の母親が深刻な顔つきでやってきて、こう言った。「先生、うちの主人に
は、シンリが理解できないのです」と。私は「真理」のことだと思ってしまった。そこで「真理という のは、そういうものかもしれませんね。実のところ、この私も教えてほしいと思っているところで す」と。その母親は喜んで、あれこれ得意気に説明してくれた。が、どうも会話がかみ合わな い。そこで確かめてみると、「シンリ」というのは「神理」のことだとわかった。
さらに別の日。一人の女の子(小五)が、首にひもをぶらさげていた。夏の暑い日で、それが
汗にまみれて、半分肩の上に飛び出していた。そこで私が「これは何?」とそのひもに手をか けると、その女の子は、びっくりするような大声で、「ギャアーッ!」と叫んだ。叫んで、「汚れる から、さわらないで!」と、私を押し倒した。その女の子の一家も、ある宗教教団の熱心な信者 だった。
●宗教と人間のドラマ
人はそれぞれの思いをもって、宗教に身を寄せる。そういう人たちを、とやかく言うことは許さ
れない。よく誤解されるが、宗教があるから、信者がいるのではない。宗教を求める信者がい るから、宗教がある。だから宗教を否定しても意味がない。それに仮に、一つの宗教が否定さ れたとしても、その団体とともに生きてきた人間、なかんずく人間のドラマまで否定されるもの ではない。
今、この時点においても、日本だけで二三万団体もの宗教団体がある。その数は、全国の
美容院の数(二〇万)より多い(二〇〇〇年)。それだけの宗教団体があるということは、それ だけの信者がいるということ。そしてそれぞれの人たちは、何かを求めて懸命に信仰してい る。その懸命さこそが、まさに人間のドラマなのだ。
●「さあ、ぼくにはわからない」
子どもたちはよく、こう言って話しかけてくる。「先生、神様って、いるの?」と。私はそういうと
き「さあね、ぼくにはわからない。おうちの人に聞いてごらん」と逃げる。あるいは「あの世はあ るの?」と聞いてくる。そういうときも、「さあ、ぼくにはわからない」と逃げる。霊魂や幽霊につ いても、そうだ。ただ念のため申し添えるなら、私自身は、まったくの無神論者。「無神論」とい う言い方には、少し抵抗があるが、要するに、手相、家相、占い、予言、運命、運勢、姓名判 断、さらに心霊、前世来世論、カルト、迷信のたぐいは、一切、信じていない。信じていないとい うより、もとから考えの中に入っていない。
私と女房が籍を入れたのは、仏滅の日。「私の誕生日に合わせたほうが忘れないだろう」と
いうことで、その日にした。いや、それとて、つまり籍を入れたその日が仏滅の日だったという ことも、あとから母に言われて、はじめて知った。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(551)
耐性のない子どもたち
一人の生徒(小四)が、レッスンの途中でトイレに行った。が、すぐ帰ってきてしまった。理由を
聞くと、「ゴキブリがいたから」と。
あるいは別の日。私の家に遊びに来ていた中学生(中二女子)が、突然タクシーを呼んでくれ
と言った。理由を聞いても言わない。しかたないので、タクシーを呼んだ。で、それからしばらく してから母親に理由を聞くと、こう話してくれた。「あの子は、便座型のトイレだと、よそのトイレ が使えないのです」と。
私が小学生のころは、ボットン便所が当たり前だった。トイレットペーパーすらなかった。学校
のトイレでは、新聞紙をノート大に切った紙がヒモでぶらさげてあって、それを使った。もっと も、そのままでは使えない。使う前に、一度、手でもんで、ほぐさなければならない。だからトイ レでは、その新聞紙をクシャクシャとほぐす音が、いつも聞こえていた。
私が経験したような貧しい時代が、よい時代とは思っていない。しかし今の子どもたちより
は、生活に対して、はるかに耐性があった。が、問題は耐性がなくなったことではない。今のよ うな豊かな生活が維持できれば、それでよし。しかし生活がマイナス方向に進みはじめたとき、 果たして今の子どもに、それを乗り切る力があるかということ。仮に明日から、「トイレはボット ン便所にします」と宣言したら、子どもたちはパニック状態になってしまうかもしれない。もっとも これは極端なケースだが、しかし便利さに溺れるあまり、自分を見失っている子どもは多い。
もう一〇年も前だが、高校生たちと旅行をしたことがある。が、帰るときになると、みな、手ぶ
らである。驚いて「荷物はどうしたの?」と聞くと、「宅急便に預けた」と。で、このことを当時、あ る雑誌のコラムに書こうとしたら、編集長がこう言った。「林さん、知らなかったのですか。今で は、それが常識ですよ」と。
夏になると、青い顔をして、苦しそうにハーハーとあえいでいる子どもは、いくらでもいる。「ク
ーラーがないと、何もできない」のだそうだ。皆さんはご存知ないかもしれないが、今では、小さ なハエが一匹教室に入ってきただけで、クラスはパニック状態になる。いわんやゴキブリとなる と、大騒動! 私はそういう状態をみるたびに、「これでいいのかなあ」と思ってしまう。いうまで もなく、子どもたちには、山を登る力はある。しかし山をくだる力はない。いかにして山をくだる 力を教えていくかも、教育の大切な役目ではないのか。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(552)
山をくだる力
教育というと、山を登ることばかり教える。たとえば少し前まで、「勉強して、いい大学へ入れ」
と教える親や先生は、いくらでもいたが、子どもがすべったときの、心のケアまで考える親や教 師はいなかった。みながみな、合格することだけを考えて、子どもの尻を叩いた。しかし山の登 り方に劣らず大切なことは、山の下り方である。こんな女の子(中学生)がいた。
何でも「ここ一番!」というときになると、自ら手を引いてしまうのである。「私は、どうせダメだ
もん」と。そこで「どうして」と聞くと、こう話してくれた。「だって、私はA小学校の入試に落ちたモ ン」と。その子どもは、六年以上も前に、A小学校の入試に失敗したことを、気にしていた。しか しこういうことは本来、あってはならない。
子どもに向かって、「伸びろ!」とハッパをかけるのは、簡単なことだ。しかしその過程で、挫
折し、キズつく子どもがいる。そういう子どもはどうすればよいのか。もっと言えば、日本人は、 目が上ばかり向いているから、弱者のことは考えない。ひところ昔までは、たとえば大学入試 についても、「落ちたら落ちた生徒が悪い。あとは自分で考えろ」というのが、ごく一般的な考え 方だった。成功者をワーワーともてはやす一方、失敗者を容赦なく切り捨てた。……今も、切り 捨てている。中には自分が弱者であるにもかかわらず、その弱者であることを忘れてしまって いる人がいる。
私の母がそうだった。昔、「おしん」というテレビドラマがあった。貧しい家の少女が、全国チェ
ーンにまで、自分の店を育てるというドラマである。数年前に倒産した、ヤオハンジャパンの社 長の、Kさんがモデルと言われている。そのヤオハングループのスーパーが、私の家の近くに でき、そのため私の家は閉店に近い状態に追い込まれた。しかし当時の母は、毎日、涙をこ ぼしながら、「おしん」を見ていた!
こうした日本人独特の「おめでたさ」というのは、結局は体制側によってつくられたものと考え
てよい。なかんずく教育そのものが、そうなっている。山に登ることばかり教えるから、目が上 ばかり向くようになる。下を見ない。下がわからない。さらに自分自身が弱者であるにもかかわ らず、その弱者であることすら忘れて、強者をたたえてしまう。
山をくだる教育がどういうものかは、それからゆっくり考えることにして、これはまさに、日本
の教育がもつ最大の欠陥といってもよい。今でも、「勉強ができないのは、できない子どもが悪 い」と平気で言う人は、いくらでもいる。しかしこうした教育観は、基本的な部分で、まちがって いる!
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(553)
織田信長論
先日もテレビを見ていたら、こう言った知事(M県)がいた。「私は信長の生き方に共感を覚
えます。今の日本に必要なのは、信長型の政治家です」と。
信長のもとで、いかに多くの善良な庶民が苦しみ、犠牲になったことか。京都の川原では、毎
日四〇〜五〇人もの人が処刑されたという記録も残っている。少し冷静に歴史を見れば、彼 がまともな人間でなかったことは、だれにだってわかるはずだ。私たちはともすれば、あの時代 を、信長の目でしか見ない。が、一度でもよいから、信長にクビを切られる庶民の立場で見て はどうだろうか。県知事という、権力のトップに立ったような人には、信長は理想かもしれない が、しかし私はゴメン。もし今、信長型の政治家が出てきたら、徹底的に私は戦う。
日本以外の多くの国々では、外国の勢力によって、圧制に苦しんだという歴史がある。そうい
う国々で、そうした外国勢力をたたえるようなドラマを流そうものなら、それだけで袋叩きにあ う。あのオーストラリアでさえ、英国総督府時代のイギリスを美化するだけで、袋叩きにあう。し かし信長やそれにつづく封建領主たちのした圧制は、植民地の統治者でもしなかったような圧 政である。ウソだと思うなら、一度、新居町(静岡県浜名湖の西にある町)の関所跡へ行ってみ ることだ。当時は関所破りをしたというだけで、一族すべてが処刑された。そんな記録が残って いる。
圧制は圧制でも、信長は日本人だったから許されるという論理は、それ自体、おかしい。もし
仮に信長が、朝鮮の李朝の出身者だったら、今ごろはどう評価されていることやら。ほんの少 しだけでもよいから、それを想像してみてほしい。それともあなたは、それでも信長をたたえる だろうか。もしそうなら、鎌倉時代に、日本を襲った、蒙古のチンギスハン(モンゴル帝国の創 始者、元の太祖)をたたえたらよい。信長より、ずっとスケールが大きい。
歴史は歴史だから、それなりの評価は大切である。しかしそれ以上に大切なことは、その歴
史を冷静に評価することである。あのナポレオンは、「歴史はみなが合意のもとにつくった、作 り話である」(ナポレオン「語録」)と書いている。ときには、そういう冷めた目も大切である。で、 ないと、「歴史は繰り返す」(ツキュディデス「歴史」)ということになりかねない。
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・5……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
7・23……浜松市東部公民館母親教室
7・20……伊平小学校
ほか、横浜市(2個所)ほかでの講演を予定しています。
詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! がんばっています!
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\  ̄Σ▽乃 ̄\/〜〜/
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┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)7-10
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(E−マガ)……読者数(Nr. of Readers) 341人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━
/井\
〔井井井〕
MMMMM \井/Hi! I am Hiroshi, and through this magazine you may know
| ⌒ ⌒ | ‖ what is happening among parents in Japan, with some knowledge
○ q ・ ・ p ‖ how to cope with Kids and how to bring up children at home.
⊆⊇ (〃 ▽ 〃) ξ)
\u ̄ ̄⊆V⊇ ̄ ̄レ/
 ̄丶 : 厂 ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数(Nr. of Readers) 81人
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
上、二つの、E-マガとメルマガは同じ内容です。ただしメルマガの
ほうでは、送信容量に限界があるため、たいていいつも内容をカット
して送っています。全文読んでくださる方はEマガのほうを、ご購読
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02−7−08号(073)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second
son's website in USA,for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
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メニュー
今回のテーマ、「孤独」On Solitude
【1】自分さがし(Know yourself)
【2】自分を知る(Know yourself)
【3】子どもの情緒不安(Emotion uneasiness)
【4】English Corner
【5】随筆(Essays)
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【1】
あなたは自分のことが、どこまでわかっていますか?
「私は私」と思っている人ほど、その実、自分のこと
がわかっていない? 自分を知ることは、あなたの子
育てにも、役立ちます。
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自己分析
わかっているようで、わからないのが、自分。自分を知ることはむずかしい。「私は私」と思っ
ている人でも、本当のところは、わかっていない。私のばあい、仕事がらいつも子どもを見てい るので、子どもを通して、自分を知ることができる。その私のこと。
(帰宅拒否)私は子どものころ、いつも真っ暗になるまで、寺の境内や道路で遊んでいた。ある
いは学校から帰ってくるときも、まっすぐ家に帰ったことは、一度もなかった。そういう思い出か ら、私は帰宅拒否児だったと判断できる。
(かんしゃく発作)私は泣いたあと、よくしゃっくりをしていた。かなりはげしく泣かないと、そのあ
としゃっくりが出るということはない。私は興奮性の強い子どもだったようだ。そういうことから、 私は家庭教育の失敗による、かんしゃく発作の持ち主だったことがわかる。
(ひねくれ症状)私は中学生のころ、気がある女の子の前へくると、わざと無視したり、意地悪
をした記憶がある。小学五年生のときには、一人の女の子のノートに落書きをして、泣かせて しまったことがある。そういう思い出から、私はものの考え方が、かなりひねくれていたことがわ かる。
(分離不安)今でも、ときどき夜になると、言いようのない不安感に襲われることがある。ひとり
取り残されたかのような不安感だ。人づきあいは、あまりよくない割には、ひとりでいるのが苦 手。子どものころ、母親のあとをいつもついて回っていたのを覚えている。そういうことから、私 は分離不安だったようだ。
(情緒不安定)私は寝るとき、貝殻でつくったボタンを指でいじるクセがあった。小学三、四年生
までそれがつづいた。そのボタンをいじっていると、気持ちよかった。これは固執型の情緒不 安定児によく見られる症状である。そういう症状から、私は情緒が不安定な子どもだったよう だ。
(愛情飢餓)小学三年生ぐらいのときだった。人形がほしくてほしくてたまらなかったときがあ
る。しかし「男が人形で遊ぶなんて」と言われそうで、なかなかそれを言えなかった。で、伯母に 内緒で作ってもらい、その人形を毎晩、抱いて寝た。一方、よく「浩司は愛想がいい」と言われ た。相手に合わせて、シッポを振る(相手に取り入る)のがうまかった。そういう思い出から、私 はかなり愛情に飢えていたと判断できる。
いろいろ問題がある私だが、考えてみれば、それも当然。父親は数晩おきに酒を飲んで暴
れた。私にはそれが恐怖だった。母親は母親で、虚栄心のかたまりのような女性で、見栄やメ ンツばかりを気にしていた。戦後の混乱期のことで、親たちも生きていくだけで精一杯。戦争の 後遺症を多かれ少なかれ、どの人も引きずっていた。私はそういう時代に生まれ、そしてここ に書いたような子どもになった。
そこで今度は、あなた自身のこと。自分を知るためには、まず(1)過去の思い出を静かにさ
ぐってみる。子どものとき、あなたは自分がどういう行動をしたかなど。あるいは相手の人が、 どのように反応したかでもよい。先生があなたのことで何かを言ったことでもよい。あるいはあ なたの父親や母親の口グセでもよい。つぎに(2)そういったことを手がかりに、自分の分析を 始める。そのときある程度の知識が必要となる。恐怖症、神経症、情緒不安など。そしてある 程度、自分の症状が類型化できたら、(3)なぜそうなったかを、考えてみる。そのときとくに大 切なのか、あなたが生まれ育った、家庭環境である。父母はどういう状態だったか。家庭はど ういう状態だったか。あなたと父母の関係はどうだったか。父母に対して、どのような感情をも っていたか、など。
こうした自己分析をする理由は、二つある。ひとつは、「今の自分」を、よりよく知るため。今、
あなたは「私は私」と思っているかもしれないが、実のところ、「過去につくられた部分」のほう が大きい。しかし問題は、そういう過去があることではなく、そういう過去があることに気づかな いまま、その過去に振りまわされること。そして同じ失敗を繰り返すこと。いじけやすい、ものの 考え方がひねくれている、つっぱっている、ひがみやすい、など。しかしもしあなたが自分の過 去に気づけば、こうした問題は、そのあと多少の時間はかかるかもしれないが、それで解決す る。
もうひとつの理由は、子育ては、親から子どもへと、伝播(でんぱ)しやすい。「世代連鎖」と呼
ぶ人もいる。その連鎖が、よいものでればよいが、そうでないものもある。たとえば子どもを愛 せない、子どもに暴力を振るなど。もしそうであれば、そういう連鎖は、できるだけあなたの代 で、断ち切る。そのためにも、なぜ今、あなたが子どもを愛せないか、なぜ今、あなたが子ども に暴力を振るうかを知る。この問題も、あなたが自分の過去に気づけば、そのあと多少の時間 はかかるかもしれないが、それで解決する。
自分を知ることは、おもしろいことでもあるが、同時にこわいことでもある。しかしさらに自分
を知ると、人間自身がもつおもしろさに、あなたも気がつくはず。ついで子育ての深遠さに気づ き、子育てがどうあるべきかに気づくはず。ぜひあなたも、自分さがしをしてみてほしい。
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【2】
自分を知ることは、本当にむずかしいですね。
哲学の世界でも、「自分を知る」ことが、ひと
つの大きな命題になっています。
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汝(なんじ)自身を知れ
「汝自身を知れ」と言ったのはキロン(スパルタ・七賢人の一人)だが、自分を知ることは難し
い。こんなことがあった。
小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中二男児)がいた。どこがどう問題児だったか
は、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。「君は、学 校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。するとその子ども は、こう言った。「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼくを怒っ た」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまった。いや、その子どものことではな い。自分のことというか、自分を知ることの難しさを思い知らされたからだ。
ある日一人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好きな
子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小一男児)のように、友だちのいない 子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行くから、一緒に行っ てほしい」と。もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあっ たし、軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」 ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、その相談だ。
話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分でない部
分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、それに 振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。このタイプの親たちは、なぜそういうことをす るかということに迷いを抱きながらも、もっと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のど こかで「してはいけない」と思いつつ、それにブレーキをかけることができない。「自分であって 自分でない部分」のことを、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、 いじける、ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の中 にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部分とみてよい。それに気づくこ とが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくことなく、いつまでも自分で ない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰り返すことである。
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【3】
マガジン読者の方から、「子どもの指しゃぶり」についての
ご質問がありました。しかし指しゃぶりは、あくまでも表面
にあらわれた症状。それだけを対処療法的にやめさせようと
しても、なおりません。また無理をすれば、かえって、子ど
もの情緒を不安定にしてしまいます。どうかご注意ください。
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子どもの欲求不満を防ぐ法(スキンシップでなおせ!)
子どもが欲求不満になるとき
●欲求不満の三タイプ
子どもは自分の欲求が満たされないと、欲求不満を起こす。この欲求不満に対する反応は、
ふつう、次の三つに分けて考える。
(1)攻撃・暴力タイプ
欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状態に
あり、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。私が「このグラフは正確でないから、 かきなおしてほしい」と話しかけただけで、ギャーと叫んで私に飛びかかってきた小学生(小四 男児)がいた。あるいは私が、「今日は元気?」と声をかけて肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ 野郎!」と私を足げりにした女の子(小五)もいた。こうした攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩す る、暴力を振るう、暴言を吐く)と、裏に隠れてするタイプ(弱い者をいじめる、動物を虐待する) に分けて考える。
(2)退行・依存タイプ
ぐずったり、赤ちゃんぽくなったり(退行性)、あるいは誰かに依存しようとする(依存性)。こ
のタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを叱れば叱るほ ど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが多い。
(3)固着・執着タイプ
ある特定の「物」にこだわったり(固着性)、あるいはささいなことを気にして、悶々と悩んだり
する(執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。最近 多く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起 こす。ある男の子(小五)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、まだ大切 そうにカバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その子どもはこう 言った。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメだというんでチョ」と。子ども の未来を日常的におどしたり、上の兄や姉のはげしい受験勉強を見て育ったりすると、子ども は幼児がえりを起こしやすくなる。
またある特定のものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすためにする行為と
考えるとわかりやすい。これを代償行為というが、よく知られている代償行為に、指しゃぶり、 爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで何らかの快感を覚えることで、自分の欲求不満を 解消しようとする。
●欲求不満は愛情不足
子どもがこうした欲求不満症状を示したら、まず親子の愛情問題を疑ってみる。子どもという
のは、親や家族の絶対的な愛情の中で、心をはぐくむ。ここでいう「絶対的」というのは、「疑い をいだかない」という意味。その愛情に「ゆらぎ」を感じたとき、子どもの心は不安定になる。あ る子ども(小一男児)はそれまでは両親の間で、川の字になって寝ていた。が、小学校に入っ たということで、別の部屋で寝るようになった。とたん、ここでいう欲求不満症状を示した。その 子どものケースでは、目つきが鋭くなるなどの、いわゆるツッパリ症状が出てきた。子どもなり に、親の愛がどこかでゆらいだのを感じたのかもしれない。母親は「そんなことで……」と言っ たが、再び川の字になって寝るようになったら、症状はウソのように消えた。
●濃厚なスキンシップが有効
一般的には、子どもの欲求不満には、スキンシップが、たいへん効果的である。ぐずったり、
わけのわからないことをネチネチと言いだしたら、思いきって子どもを抱いてみる。最初は抵抗 するような様子を見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。あとはカルシウム分、マグネ シウム分の多い食生活に心がける。
なおスキンシップについてだが、日本人は、国際的な基準からしても、そのスキンシップその
ものの量が、たいへん少ない。欧米人のばあいは、親子でも日常的にベタベタしている。よく 「子どもを抱くと、子どもに抱きグセがつかないか?」と心配する人がいるが、日本人のばあ い、その心配はまずない。そのスキンシップには、不思議な力がある。魔法の力といってもよ い。子どもの欲求不満症状が見られたら、スキンシップを濃厚にしてみる。それでたいていの 問題は解決する。
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【4】English Corner,translated by Mr. IBM
This article is translated by Mr. IBM from my original Japanese essays
into English. I am very sorry for this very incomplete
Translation. I can't take time for the translation but you may
understand on what sort of things I have been thinking in these days.
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Know Yourself
Once Kilon (one of the seven wisemen of Sparta) said, "Know yourself", -- it is difficult but
to get to know oneself There was such a thing.
There was a child (inside second son child) who was quite a problem child as a schoolchild.
It cannot be written here where was a problem child how. Although it could not write, there is nothing with the day and it which the child has, and it was heard like this. Does Mr. " remember it but, as trouble was considerably applied to the school teachers?" Then, the child said like this. "I was not bad at all. The teacher made me the enemy of an eye anything and scolded me." I make it a front [ child / the ] and have been lost in thought for a while. No, it is not the child. It is because the difficulty of calling it one's thing or getting to know oneself is considered and it was told.
It came to the place whose mother of a certain one Japanese person is me, and said like
this. the time of a seat arrangement of the teacher of "school -- " -- it was called favorite children and" which may sit down side by side However, what should the child who does not have a friend do like an inner child (smallness 1 boy)? It is the utterance which lacks in consideration. Since it goes to a school to protest after this, I want you to carry out together." although I refused of course -- a problem -- a seat arrangement -- they are not things The child also had チック, and although it was light, there was also stammering (stammer). Although nervous home environment is the cause, isn't the way of saying [ "why there is not any friend" ] just a problem? It is not a protest but the consultation which the parents should do.
the portion which it is himself and is himself although it swerved from the talk -- anyway,
the problem is the portion which it is himself and is not himself Almost all men are brandished by it, not noticing the portion which it is the himself and is not himself. A good example is childcare refusal and is abuse. The wires will be pulled [ parents / this type of ] by bigger "hidden power" though illusion is held in why it does such a thing. Or brakes cannot be applied to it, thinking "don't carry out" by somewhere in hearts. Although the thing of "the portion which it is himself and is not himself" is called "distortion of the heart ", it will be moved to the distortion. It is [ which becomes / which is / which it is jealous of / timid / perverse, is peevish, and becomes rough ] it being sulky [ which for it to stretch it ] and filled, fretting, etc. If such a distortion is felt into, it may regard it as the portion which it is himself and is not himself. Noticing it is the first step which knows itself. It is unsavory to be brandished by himself who is not himself forever, without noticing oneself. [ such ] And it is repeating the always same failure.
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【5】今回のテーマ「孤独」
孤独はいやですね。何がいやかといって、
孤独ほどいやなものはない。昔、アメリカ
人の友人がいつもこう言っていました。
「友だちの数こそ、財産だよ」と。その
ときは、「そんなものかなあ」と思って
いましたが、このところ、しみじみと、
「そうだな」と納得することが多くなり
ました。
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孤独
私は子どものころから、愛想のよい人間と言われてきた。しかしそれは仮面。本当の私は、
人嫌いで、むずかしがり屋で、わがまま。自分勝手で、傲慢(ごうまん)。だから友だちの数は、 少ない。本当に心を開いて、何でも話せる人というのは、ワイフくらいしかいない……。あとは 郷里にいる姉。そういう意味では、私は、実にさみしい人間。孤独な人間。
そんな私だから、ときどき、こう考える。もしワイフや姉がいなくなったら、私はどうなるか、と。
まず第一に、私は生きる力をなくすだろう。第二に、今のような精神状態を保つことはできなく なるだろう。第三に、……?
私の知人のI氏(五一歳)は、妻を病気でなくしたあと、自(みず)からも精神病院へ入ってしま
った。約六か月入院していたが、そのあと、別人のようになってしまった。私との関係は、ここで 切れたが、それから数年たって消息を聞くと、I氏はそのあと、新婚旅行で行った東南アジアを 旅して回ったという。I氏には暗くて、苦しい六か月だったに違いない。これに似た話だが、昔、 長谷川一夫という俳優がいた。日本人で彼の名前を知らない人はいなかった。そういう俳優だ ったが、妻が死んだあと、そのあと数か月で、自分も死んでしまった。毎日、毎晩、妻の仏壇の 前で、彼女の死を悲しんでいたという。
私たちはひとりでは生きられない。仮にあなたが巨億の富を手にして、あらゆる権力を手にし
たとしても、ひとりだったら、孤独に打ち克つことはできない。たいした富もない、権力もない私 がこう結論づけるのは、危険なことだが、こんなことは常識。少し頭を働かせば、だれにだって わかる。
そこで改めて、生きる意味を考える。私たちは、どうして生きているか、と。あるいはどうすれ
ば、生きることにまつわる孤独から、自分を解放することができるか、と。あるいはそもそも生 きる意味など、考える必要はないのか、と。「生きるだけ生きて、死ぬときは、さっさと死ぬ。そ れでいい」と言う人もいる。「そのときはそのときだから、ジタバタしても、しかたないではない か」と。実のところ、私もできれば、そうしたいと思っている。今は、今なりに、結構、ハッピーな のだから、それでよいではないか、と。しかしこういう生き方は、あとでドンとツケが回ってくるの ではないか。それがこわい。
こうした恐怖から逃れるために、ひとつの方法としては、宗教がある。神や仏に身を寄せてし
まえば、それはそれなりに楽になれる。実際には、宗教というより、仲間。この仲間が、たがい に慰めあい、いたわりあう。しかし今の私には、それもできない。いや、とても残念なことだが、 いまだかって、そういう宗教にめぐりあうことができないでいる。
ああ、私は神や仏にすら、見放された人間なのか。ああ、私はそこまで孤独な人間なのか。
私はこの孤独から、いったいどうすれば逃れることができるのか。
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孤独論
孤独であることは、まさに地獄。無間地獄。だれにも心を許さない。だれからも心を許されな
い。だれにも心を開かない。だれからも心を開かれない。だれも愛さない。だれからも愛されな い。……あなたは、そんな孤独を知っているか? もし今、あなたが孤独なら、ほんの少しだ け、自分の心に、耳を傾けてみよう。あなたは何をしたいか。どうしてもらいたいか。それがわ かれば、あなたはその無間地獄から、抜け出ることができる。
人を許そうとか、人に心を開こうとか、人を愛しようとか、そんなふうに気負うことはない。あな
たの中のあなた自身を信ずればよい。あなたはあなただし、すでにあなたの中には、数一〇 万年を生きてきた、常識が備わっている。その常識を知り、その常識に従えばよい。
ほかの人にやさしくすれば、心地よい響きがする。ほかの人に親切にすれば、心地よい響き
がする。すでにあなたはそれを知っている。もしそれがわからなければ、自分の心に誠実に、 どこまでも誠実に生きる。ウソをつかない。飾らない。偽らない。あるがままを外に出してみる。 あなたはきっと、そのとき、心の中をすがすがしい風が通り過ぎるのを感ずるはずだ。
ほかの人に意地悪をすれば、いやな響きがする。ほかの人を裏切ったりすれば、いやな響き
がする。すでにあなたはそれを知っている。もしそれがわからなければ、自分に誠実に、どこま でも誠実に生きてみる。人を助けてみる。人にものを与えてみる。聞かれたら正直に言ってみ る。あなたはきっと、そのとき、心の中をすがすがしい風が通りすぎるのを感ずるはずだ。
その常識を知るためには、おかしいものは、おかしいと思う。おかしいものは、おかしいと言
う。たったこれだけのことで、あなたはあなたの常識をみがくことができる。大切なことは、「お かしい」と思うことを、自分の心の中で決してねじ曲げないこと。押しつぶさないこと。
手始めに、空を見てみよう。あたりの木々を見てみよう。行きかう人々を見てみよう。そして
今何をしたいかを、静かに、あなたの心に問いかけてみよう。つっぱることはない。いじけるこ とはない。すねたり、ひがんだりすることはない。すなおに自分の心に耳を傾け、あとはその心 に従えばよい。
たとえば、私も少し前、ワイフと口論して、家を飛び出したことがある。そのときは、「今夜は
家には戻らない」と、そう思った。しかし電車に飛び乗り、遠くまできたとき、ふと、自分の心に 問いかけてみた。「お前は、ひとりで寝たいのか?」と。すると本当の私がこう答えた。「ノー。ぼ くは、家に帰って、いつものふとんで、いつものようにワイフと寝たい」と。
そこで家に帰った。帰って、ワイフに、「いっしょに寝たい」と言った。それは勇気のいることだ
った。自分のプライド(?)をねじまげることでもあった。しかし私がそうして心を開いたとき、ワ イフも心を開いた。と、同時にワイフとのわだかまりは、氷解した。
仲よくしたかったら、「仲よくしたい」と言えばよい。さみしかったら、「さみしい」と言えばよい。
一緒にいたかったら、「一緒にいたい」と言えばよい。あなたの心に、がまんすることはない。ご まかすことはない。勇気を出して、自分の心を開く。あなたが心を開かないで、どうして相手が あなたに心を開くことができるのか。
本当に勇気のある人というのは、自分の心に正直に生きる人をいう。みなは、それができな
いから、苦しんだり、悩んだりする。本当に勇気のある人というのは、負けを認め、欠点を認 め、自分が弱いことを認める人をいう。みなは、それができないから、無理をしたり、虚勢をは ったりする。
生きている以上、私たちは、この孤独から逃れることはできない。が、もし、あなたが進んで
心を開き、ほかの人を許せば、あなたのやさしい心が、あなたの周囲の人を温かく、心豊かに する。一方、あなたが心を閉ざし、かたくなになればなるほど、あなたの「孤独」が、周囲の人を 冷たくし、邪悪にする。だから思い切って、心を解き放ってみよう。むずかしいことではない。静 かに自分の心に耳を傾け、あなたがしたいと思うことをすればよい。言いたいと思うことを言え ばよい。ただただひたすら、あなたの中にある常識に従って……。それであなたは今の孤独か ら、逃れることができる。
繰り返しになるが、おかしいものは、おかしいと思う。おかしいものは、おかしいと言う。一見、
何でもないことのように見えるかもしれないが、その何でもないことの中に、大きな真理が隠さ れている。
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・5……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
7・23……浜松市東部公民館母親教室
7・20……伊平小学校
ほか、横浜市(2個所)ほかでの講演を予定しています。
詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! がんばっています!
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MMMMM
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\  ̄Σ▽乃 ̄\/〜〜/
\ : ξ)
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┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)7-12
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(E−マガ)……読者数(Nr. of Readers) 344人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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/井\
〔井井井〕
MMMMM \井/Hi! I am Hiroshi, and through this magazine you may know
| ⌒ ⌒ | ‖ what is happening among parents in Japan, with some knowledge
○ q ・ ・ p ‖ how to cope with Kids and how to bring up children at home.
⊆⊇ (〃 ▽ 〃) ξ)
\u ̄ ̄⊆V⊇ ̄ ̄レ/
 ̄丶 : 厂 ̄
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数(Nr. of Readers) 81人
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上、二つの、E-マガとメルマガは同じ内容です。ただしメルマガの
ほうでは、送信容量に限界があるため、たいていいつも内容をカット
して送っています。全文読んでくださる方はEマガのほうを、ご購読
ください。
どちらか一方をというかたは、Eマガのほうを、ご購読ください。
また、よりアカデミックな(?)マガジンをご希望の方は、「はやし浩司の世界」を
どうかあわせて、ご愛読ください。お申し込みは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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Please subscribe to another magazine, "The Hiroshi's World",
published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you very much.
Please go to the "Magazine Corner" from the Top Page of my Website to
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★★★★★★★★★★★★★★★★★
02−7−12号(075)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second
son's website in USA, for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
みなさんへ、
何か、テーマをいただければ、それについて考えさせていただきたいと
思います。もし何か、ご質問などあれば、お知らせください。
以下の住所をクリックして、件名(Re:)のところに、「マガジン読者7−12号」
とお書きくだされば、うれしいです。掲載の際には、必ず、ご了解をいただくよう
にします。またその方と特定できる部分は、すべて改変いたしますので、ご安心く
ださい。
bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp
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メニュー
今回のテーマ、「孤独」On Solitude
【1】自分さがし(Know yourself)
【2】子どもの心をつかむ必殺ワザ(How to catch up with Kids' mind)
【3】レット・イット・ビー(Let it be.)
【4】English Corner
【5】随筆(Essays)
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【1】
読者の方より、こんなメールが届いています。
前回の「自分さがし」を読んでくださった感
想です。どうもありがとうございました。
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島田市に住む三二歳の母親です。
先生のメルマガを楽しみにしています。
内容は私にとって楽しい事ばかりではありませんが……。
数ヶ月前にたまたま図書館で、家族問題に関しての本をみつけてから
様ざまな本を読みました。子供の将来は親しだいですね。
小さい時に親の愛情をたくさんもらえば、みんないい子になるんですね。
私には兄と妹がいるのですが、私に長男が生まれたとき思ったのは、
「私の兄のような男にはなってほしくない」でした。
兄とはけんかばかりしていました。兄妹なのに、言い合いはしょっちゅう、
殴り合いもしました。夫にも言えませんが、兄の成績表を見てしまったら ほとんど
オール1で、とてもショックだった事をおぼえています。兄は万引きをした事も
あるようです。そんな兄は私にとって「いなければいい人」、他人には
言えない事ばかりしてくれる人でした。
今K男(小1)のことで悩んでします。兄は頭も悪かったし、性格も最悪、
運動まで全然だめ。だからK男もそうではないかと、
それで、なにもかもが不安になってしまいます。
今になって思うのは、こうなったのは兄のせいではないという事です。
生まれつきの性質や、親の育て方に問題があったのでしょう。小さいうちの
万引きは愛情不足からだとか。
でも母の気持ちもわかります。特に兄と同じ年の隣の子が優秀だった事もあって、
できの悪い息子に つらくあたっってしまった……。夫婦仲もそれほど
よくなかったようです。
こんな家庭に育った私にも、いろいろ問題があるはずです。
子供の言葉や行動をみていて、悪い行いは すべて私がそう育ててしまったからだと
自己嫌悪におちいりますが、それでも改善できません。
今日こそは子供に優しくしてあげよう。と毎日思っているのですが。
だらだらと書いてしまいましたが、何かお気づきのことが
ありましたら、アドバイスをお願いします。
(島田市・HT、三二歳母親)
***************************
HTさんへ、
メール、ありがとうございました。これからはできるだけ
楽しい話も盛り込みたいと考えています。実のところ私は、
たいへん楽しい男で、いつもは子どもたちの間に入って、ワ
イワイと騒いでいます。「楽しいのが当たり前」の世界にい
るため、文を書くときになると、どこか暗くなってしまうよ
うです。反省しています。
HTさんは、今、ご自分を発見なさりつつあるのだと思います。HTさんにはつらいことかもしれ
ませんが、これは同時に、とてもすばらしいことです。子育てというのはそういうものです。「自 分であって自分である部分」と、「自分であって自分でない部分」があります。問題は、「自分で あって自分でない部分」です。それがわからないと、自分で失敗しながら、その失敗に気づかな いまま、その失敗を繰り返すことになります。子育てはそういう意味で、「頭で考えてする部分」 と、「条件反射的に、何も考えないでする部分」があります。そのためにも、自分の過去を冷静 に見ることが、とても重要になります。
***************************************
(補足)
自分であって自分でない部分
子育てには、「自分であって自分である部分」と、「自分であって自分でない部分」がある。問
題は、「自分であって自分でない部分」。それがわからないと、自分で失敗しながら、その失敗 に気づかないまま、その失敗を繰り返すことになる。子育てはそういう意味で、「頭で考えてす る部分」と、「条件反射的に、何も考えないでする部分」がある。その「何も考えないでする部 分」が、よい部分であればよし。しかしたいていは悪い部分。その悪い部分が、あなたを裏から あやつる。それがこわい。子育てで失敗する人というのは、その悪い部分に操(あやつ)られて いる人とみてよい。よい例が、子どもへの暴力、暴行、虐待。子どもに暴力、暴行、虐待を繰り 返す人は、自分自身もそれらを親から受けた人が多い。これを「世代伝播(でんぱ)」という。そ れを防ぐためにも、自分の過去を冷静に見る。それは勇気がいることだが、しかし「何も考えな いでする部分」がわからないままだと、この問題は解決しない。
一方、子育てで失敗する人というのは、たいていパターンが決まっている。「子どものことは
私が一番よく知っている」とか、「私は私。私の子育てが一番正しい」と言う。それだけ自己中 心的ということになる。つまり自己中心的であればあるほど、人は自分を見失う。子どもの姿を 見失う。そして結果として失敗する。いろいろな例がある。
その母親には二人の息子がいた。異常とも思えるような家庭学習を強制し、結果、兄のほう
は高校へ入学したとたん、バーントアウト。そしてそのまま引きこもり。ふつうなら親も、ここで 自分の失敗に気づくものだが、しかしその母親は違っていた。弟にはさらにきびしい学習を強 制した。兄のときは、「勉強しなさい!」「うるさい!」の親子げんかが毎晩のようにつづいた が、弟のときは、そのけんかもなかった。そのため弟は、中学二年のときに心の病気になり、 そのまま入院。が、この段階になっても、母親は自分のした行為に気づかなかった。「子どもが そうなのは、生まれつき。私はそれをなおそうとしただけ」と言い張った。
今は、その兄弟は、父親の実家に預けられ、そこから兄は高校へ通っている。弟は、リハビ
リに通っている。こうした例は、あなたのまわりにも、ひとつやふたつは、あるはず。が、それと て、結局は、つまり母親がそうなのは、母親自身が「自分であって自分でない部分」を、無意識 のまま引きずっているだけ。そういう意味では、本当の被害者は、母親自身ということになる。
どうか、どうか、みなさんも、気をつけてほしい。あなたにとって一番大切なのは、子どもの明
るい笑顔。それこそが、家族の基本であることを、どうか忘れないでほしい。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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【2】
子どもの心をつかむために、とっておきの必殺ワザを
お教えします。ここに書いたようなことを、懸命に暗
記して、子どもの前で、一度、言ってみてほしい。そ
のときから、あなたの子どもの、あなたを見る目つき
が変わるはず。私も子どもの心をつかむため、この方
法をよく使う。
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子どもの心をつかむために
あなたは子どもの世界(小学生)を、どれほど知っているだろうか。つぎの言葉の中で、意味
を説明できるのが、いくつあるか、答えてみてほしい。
●ごぶちゃちゃニック
●アブトロニック
●ムッチョ
●ホグワーツのグリフィンドール
●マッチョ(流行語)
●ブルーアイズ、アルティミッドドラゴン
●かごちゃん、つじちゃん、ごっちん、なっち
●SAKURAドロップ
●桃色の片思い
九問のうち、七〜八問までわかれば、あなたはすばらしい親と考えてよい。子どもの心をしっ
かりと、つかんでいる。
正解は、つぎ。
○ごぶちゃちゃニック……1秒間に1500回、振動する美用具 1万円
○アブトロニック……10分で腹筋を600回、振動する美用具、19800円
○ムッチョ……筋肉モリモリ、「ムキムキマッチョ」……筋肉モリモリの人。
○ハリーポッターの通う全寮制の学校と、宿舎名
○マッチョ……筋肉モリモリ(ムッチョの最近の言葉)
○遊戯王の裏ワザ……ブルーアイズ・ホワイトドラゴンが三枚と、アルティミッドドラゴンが一
枚。それと融合カードが一枚で、ブルーアイズ・ホワイトドラゴンが降臨する。
○モーニング娘の、かごちゃん、つじちゃん、ごっちん、なっち
○宇多田ひかるの「SAKURAドロップ」
○松浦あやの「桃色の片思い」
あなたも一度、子どもの前で、こう言ってみたらどうだろう。「あのね、ブルーアイズ・ホワイトド
ラゴンが三枚と、アルティミッドドラゴンが一枚。それと融合カードが一枚で、ブルーアイズ・ホワ イトドラゴンが降臨するんだってね。あなた知っている?」と。あなたの子どもは目を白黒させ て、あなたを尊敬するようになるだろう。一度、試してみてほしい。女子だったら、「私、かごちゃ ん、つじちゃん、ごっちん、なっちの中で、やっぱりかごちゃんが一番、すてきだと思うわ」と。コ ツは、さりげなく、サラリと子どもの前で言うこと。
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【3】
一見、うまくいっている家庭
一見、うまくいっている夫婦
一見、うまくいっている親子
……みんな、そう見えるだけ。
みんな、いろいろな問題をかかえ、
懸命にがんばっているだけ。
あとはそのスレスレのところ、
かろうじて、自分をとりつくろって
生きているだけ。
だってね、どうせなるようにしか、
ならないし……。
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袋小路から抜け出る法(レット・イット・ビー!)
子育てで親が行きづまったとき
●夫婦とはそういうもの
夫がいて、妻がいる。その間に子どもがいる。家族というのはそういうものだが、その夫と妻
が愛しあい、信頼しあっているというケースは、さがさなければならないほど、少ない。どの夫 婦も日々の生活に追われて、自分の気持ちを確かめる余裕すらない。そう、『子はかすがい』 とはよく言ったものだ。「子どものため」と考えて、必死になって家族を守ろうとしている夫婦も 多い。仮面といえば仮面だが、夫婦というのはそういうものではないのか。もともと他人の人間 が、一つ屋根の下で、一〇年も二〇年も、新婚当時の気持ちのままでいることのほうがおかし い。私の女房なども、「お前は、オレのこと好きか?」と聞くと、「考えたことないから、わからな い」と答える。
●人は人、それぞれ
こう書くと、暗くてゆううつな家族ばかりを想像しがちだが、そうではない。こんな夫婦もいる。
先日もある女性(四〇歳)が私の家に遊びに来て、女房の前でこう言った。「バンザーイ、やっ たわ!」と。話を聞くと、夫が単身赴任で九州へ行くことになったという。ふつうなら夫の単身赴 任を悲しむはずだが、その女性は「バンザーイ!」と。また別の女性(三三歳)は、夫婦でも 別々の寝室で寝ているという。性生活も数か月に一度あるかないかという程度らしい。しかし 「ともに、人生を楽しんでいるわ。それでいいんじゃ、ナ〜イ?」と。明るく屈託がない。要は夫 婦に標準はないということ。同じように人生観にも家庭観にも標準はない。人は、人それぞれ だし、それぞれの人生を築く。私やあなたのような他人が、それについてとやかく言う必要はな いし、また言ってはならない。あなたの立場で言うなら、人がどう思おうが、そんなことは気にし てはいけない。
●問題は親子
問題は親子だ。私たちはともすれば、理想の親子関係を頭の中にかく。設計図をえがくこと
もある。それ自体は悪いことではないが、その「像」に縛られるのはよくない。それに縛られれ ば縛られるほど、「こうでなければならない」とか、「こんなはずはない」とかいう気負いをもつ。 この気負いが親を疲れさせる。子どもにとっては重荷になる。不幸にして不幸な家庭に育った 人ほど、この気負いが強いから注意する。「よい親子関係を築こう」というあせりが、結局は親 子関係をぎくしゃくさせてしまう。そして失敗する。
●レット・イット・ビー(あるがままに……)
そこでどうだろう、こう考えては。つまり夫婦であるにせよ、親子であるにせよ、それ自体が
「幻想」であるという前提で、考える。もしその中に一部でも、本物があるなら、もうけもの。一部 でよい。そう考えれば、気負いも取れる。「夫婦だから……」「親子だから……」と考えると、あ なたも疲れるが、家族も疲れる。簡単に言えば、今あるものを、あるがままに受け入れてしまう ということ。「愛を感じないから結婚もおしまい」とか、「親子が断絶したから、家庭づくりに失敗 した」とか、そんなようにおおげさに考える必要はない。つまるところ夫婦や家族、それに子ど もに、あまり期待しないこと。ほどほどのところで、あきらめる。そういうニヒリズムがあなたの 心に風穴をあける。そしてそれが、夫婦や家族、親子関係を正常にする。ビートルズもかつ て、こう歌ったではないか。「♪レット・イット・ビー(あるがままに……)」と。それはまさに、「智 恵の言葉」だ。
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【4】English Corner,translated by Mr. IBM
How to escapes from and comes out of a dead end (Let It Be!)
When parents come in child bringing up to a deadlock
- Husband and wife are such a thing. There is a husband and there is a wife. There is a
child between them. Although a family is such a thing, there are that the case where love each other, and they trust and suit must be looked for. [ so few ] It runs to a daily life after every husband and wife, and it is difficult to confirm one's feeling. It is what was well called right [ that ] and "child is the pledge of affection." There are also much husband and wife who are going to consider "for a child", are going to become desperate and are going to protect the family. Although it is a mask if it is called a mask, aren't husband and wife such a thing? It is more amusing that there will be others' human being under one roof no less than 10 years and no less than 20 years from the first with the feeling at the time of a newlywed. Does he like? my wife etc. -- "-- a front -- my thing -- if " is heard, it will answer "since there is no having considered, it does not understand"
- people -- a man -- respectively -- if it writes like this, only dark and melancholy families
tend to be imagined -- it meets but -- coming out -- there is nothing There are also such husband and wife. A certain lady (40 years old) came for play to my house, and also said like this in front of the wife the other day. "IHurray!" If the talk is heard, a husband will say that he will go to Kyushu by the business bachelor. Although a husband's business bachelor should be lamented if common, the lady is with "Hurray" Moreover, another lady (33 years old) says that husband and wife are also sleeping at the separate bedroom. Seemingly it is the grade whether sex life is also in several months at once, or there is nothing. However, " is enjoying life. Then, I don't care at all not to say." It is brightly carefree. In short, tell husband and wife that there is no standard. There is no standard in a home view also for a view of life similarly. A man is up to men and builds each life. Others like I or you do not need to say this and that about it, and must not say. If it says in your position, although a man will think what, such a thing must not care.
- A problem is parent and child. The problem is parent and child. We write the parent-and-
child relation of an ideal into the head sometimes. a plan there are also things Although it is not bad in itself, being bound by the "image" is not good. It has there "there being such no possibility so that it will be bound, if bound by it, and eagerness to say. [ "which must come out like this" ] This eagerness tires parents. For a child, it becomes a heavy burden. Since this eagerness is as strong as the person who made it the misfortune and grew up at the unhappy home, he is careful. The impatience "a good parent-and-child relation will be built" will make a parent-and-child relation awkward after all. And it fails.
- Let It Be (as it is ....) it will be how there -- if it considers like this that is, it is husband
and wife -- an imitation -- it is parent and child -- an imitation -- itself considers by the premise of being "fantasy" It is a good bargain supposing a part also has a genuine article in it. It is good at a part. Eagerness can also be taken if it considers so. "Since it is husband and wife, ...." if "since it is parent and child .." is considered, you will be tired, and a family is also tired. If you say simply, a certain thing should be now referred to as accepting as it is. " Since love is not felt, marriage will not be pushed, either" or "it having failed in the production of a home, since parent and child severed", and such necessity of considering exaggeratedly like are not. Seldom count on a child the place got blocked at husband and wife, a family, and it. It is abandoned in a moderate place. Such nihilism makes a wind-hole (exit) in your heart. And it normalizes husband and wife, a family, and a parent-and-child relation. Didn't Beatles sing like this once, either? "♪ Let It Be (as it is ....)." It is just " Wosemen's words."
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【5】
ここ数日に書いたエッセーをいくつか送ります。
何かのお役にたてれば、うれしいです。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(560)
はじめの一歩
子どもの方向性は、「はじめの一歩」で決まる。……と言いきるのは、少し問題があるが、し
かしほぼまちがいがない。たとえば私の二男は大のサシミ嫌い。恐らく幼児のころ、魚のサシミ を食べていやな思いをしたためだろう。生臭いサシミを食べたとかなど。そしてそういう経験 が、つぎつぎと重なって、ますますサシミ嫌いになっていった……?
食べ物だけではない。「勉強」もそうだ。何らかの理由で、子どもは一度勉強嫌いになると、
それ以後、好きになるということは、まず、ない。あるいは同じ勉強をさせようとしても、そうでな い子どもの何倍もの努力が必要となる。たとえば今、年中児(満五歳児)で、「名前をひらがな で書いてごらん」と指示すると、体をこわばらせる子どもは、一〇人のうち、一〜二人は必ず、 いる。中には涙ぐんでしまう子どももいる。文字に対して、何らかの恐怖心をもっているためと 考えてよい。そういう子どもが、その先、たとえば小学校などで、国語が好きになるということ は、まず、ない。(絶望的とは言わないが、好きになるのは、たいへんむずかしい。)
そういうわけで、子どもに経験させることは、何でも、はじめの一歩を大切にする。このはじめ
の一歩がうまくいけば、あとが楽。子どもは自分で伸びる。コツは、無理をしないこと。子どもの リズムに合わせて、慎重に進める。が、これがむずかしい。先日もある母親が、こう言って相 談にきた。
「うちの子(小一男子)は、『39は30と□』という問題ができない。みんなはできるのに、どうし
てできないか」と。そしてたまたまそばにいた息子に向かって、「どうしてこんな簡単な問題がで きないの!」と。勉強が、子どもを責める道具になっている! しかし一度、この悪循環におち いると、あとは底なしの悪循環。(親が叱る)→(子どもはますます勉強嫌いになる)→(ますま す叱る)の悪循環で、ドロ沼に落ちる。
この子どものケースでは、私はその母親にこう聞いた。「あなたは自分の子どもが、どうであ
れば、満足するのですか?」と。すると母親は、こう言った。「こんな簡単なことができないで は、困る」と。そこでさらに、「どうして、だれが困るのですか?」と聞くと、「勉強ができないと、 子どもが困る」と。で、また私が、「子どもが困っているのですか?」と聞くと、「今に、困るように なるはずだ」と。しかし実際には、その困る原因を、母親自身がつくっている! はじめの一歩 のところで、子どものやる気そのものをつぶしてしまっている。母親は、それに気づいていな い!
幼児期は、子どもの方向性をつくるための、大切な時期。ものごとは、すべて慎重にするこ
と。この世界では、こう言う。「はじめよければ、すべてよし」と。肝(きも)に銘じてほしい。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(561)
言葉能力
日本人の男性と国際結婚した母親がいた。台湾から来た人だった。が、たいへん教育熱心
な人(?)で、子ども(小一男児)がテストで、まちがえたりすると、そのつど子どもをはげしく叱 っていた。ふつうの叱り方ではない。たいていは「どうして、こんなの、できない!」「できる わ!」の大騒動になった。
そこで私に相談があった。そのときその子どもは、小学二年生になっていた。しかし原因は
はっきりしていた。その子どもは頭のよい子どもだったが、しかし言葉能力が不足していた。文 章題が読めなかった。たとえば「3足す4」と「3が4つ」の区別がつかなかった。母親が家の中 では中国語を話していたこともある。しかしそれ以上に、母親の日本語能力が、問題だった。 私と話すときも、「先生、息子、ダメ。算数、できない。どうして。これ、困る、ね」と。
そこで私は、「お子さんの言葉能力に、問題があります」と言った。するとその母親は猛烈に
反発して、「うちの子、日本語、だいじょうぶ。話せる、あるよ」と。……と書くと、簡単な会話の ように思う人がいるかもしれないが、こうした押し問答が、延々と三〇分近くもつづいた。説明 するのに時間もかかったが、そのたびにその母親は、ああでもないこうでもないと反論した。 「うちの子は、私が教えたら、できた。どうして学校では、できない、あるか」「中国では、一年生 で、20までの数の足し引き算ができる」「うちの子、頭、いい。できないはず、ない」と。が、何よ りもその母親で不愉快だったのは、異常なまでの教育に対する、過関心だった。子どものささ いなミスをとらえて、それをことさらおおげさに問題にしていた。私が「この時期は、学ぶことを 楽しむことのほうが大切です。もっとおおらかに構えてください」と言ったのだが、最後の最後ま で、「おおらか」という意味さえわかってもらえなかった。
この母親のケースは、極端なケースだが、しかしこれを薄めたケースとなると、いくらでもある。
子どもが勉強できない原因は母親にある。しかし母親はそれに気づいていない。気づかないば かりか、その責任は子どもにある、学校にあると主張する。そして結果として、子どもの伸びる 芽すら、自ら摘んでしまう……。
この母親とはそのあとも、いろいろあった。で、やがて私のほうが疲れてしまい、最後は、「ど
うぞ、自分で教育してください」と、サジを投げてしまった。そのあとその母親と子どもがどうなっ たか、消息は聞いていない。
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・5……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
7・23……浜松市東部公民館母親教室
7・20……伊平小学校
ほか、横浜市(2個所)ほかでの講演を予定しています。
詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! がんばっています!
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┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)7-14
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====KW(8)
子育て最前線の育児論byはやし浩司(E−マガ)……読者数(Nr. of Readers) 347人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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/井\
〔井井井〕
MMMMM \井/Hi! I am Hiroshi, and through this magazine you may know
| ⌒ ⌒ | ‖ what is happening among parents in Japan, with some knowledge
○ q ・ ・ p ‖ how to cope with Kids and how to bring up children at home.
⊆⊇ (〃 ▽ 〃) ξ)
\u ̄ ̄⊆V⊇ ̄ ̄レ/
 ̄丶 : 厂 ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数(Nr. of Readers) 81人
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上、二つの、E-マガとメルマガは同じ内容です。ただしメルマガの
ほうでは、送信容量に限界があるため、たいていいつも内容をカット
して送っています。全文読んでくださる方はEマガのほうを、ご購読
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published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you very much.
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★★★★★★★★★★★★★★★★★
02−7−14号(076)
★★★★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second
son's website in USA, for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
みなさんへ、
何か、テーマをいただければ、それについて考えさせていただきたいと
思います。もし何か、ご質問などあれば、お知らせください。
以下の住所をクリックして、件名(Re:)のところに、「マガジン読者7−12号」
とお書きくだされば、うれしいです。掲載の際には、必ず、ご了解をいただくよう
にします。またその方と特定できる部分は、すべて改変いたしますので、ご安心く
ださい。
bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp
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メニュー
今回のテーマ、「健康」(On Health)
【1】過去を再現する親(Parents who repeat the past.)
【2】健康論(On Health)
【3】あせる親(Uneasy Parents)
【4】English Corner
【5】随筆(Essays)
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【1】
中日新聞のコラムより、加筆、転載します。
自分の過去を知ることの大切さをわかって
もらえればうれしいです。
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子どもの心を守る法(自分の過去を見ろ!)
親が過去を再現するとき
●親は子育てをしながら過去を再現する
親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。それまでは
そうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は言いようのない不安に襲わ れる。受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「受験勉強」ではない。受験にまつわる、 「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。それらが、たとえば子どもが受 験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。つい先日も、中学一年生をもつ父母が、 二人、私の自宅にやってきた。そしてこう言った。「一学期の期末試験で、数学が二一点だっ た。英語は二五点だった。クラスでも四〇人中、二〇番前後だと思う。こんなことでは、とてもS 高校へは入れない。何とかしてほしい」と。二人とも、表面的には穏やかな笑みを浮かべてい たが、口元は緊張で小刻みに震えていた。
●「自由」の二つの意味
この静岡県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、最
難関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したのに驚い た。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分に気がつくの は、一体、いつのことだろう」と思った。
ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由はとも
かくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされた。たいて いはこんな夢だ。……どこかの試験会場に出向く。が、自分の教室がわからない。やっと教室 に入ったと思ったら、もう時間がほとんどない。問題を見ても、できないものばかり。鉛筆が動 かない。頭が働かない。時間だけが刻々と過ぎていく……。
●親と子の意識のズレ
親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がいる。
「こんなことでどうするの!」と。そういう親に向かって、「今はそういう時代ではない」と言っても ムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが、ズレている。親は親で、「すべては子どものた め」と、確信している。こうしたズレは、内閣府の調査でもわかる。内閣府の調査(二〇〇一年) によれば、中学生で、いやなことがあったとき、「家族に話す」と答えた子どもは、三九・一%し かいなかった。これに対して、「(子どもはいやなことがあったとき)家族に話すはず」と答えた 親が、七八・四%。子どもの意識と親の意識が、ここで逆転しているのがわかる。つまり「親が 思うほど、子どもは親をアテにしていない」(毎日新聞)ということ。が、それではすまない。
「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先生に話す」
はもっと少なく、たったの六・八%! 本来なら子どものそばにいて、よき相談相手でなければ ならない先生が、たったの六・八%とは! 先生が「テストだ、成績だ、進学だ」と追えば追うほ ど、子どもの心は離れていく。親子関係も、同じ。親が「勉強しろ、勉強しろ」と追えば追うほ ど、子どもの心は離れていく……。
さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってからだ。試
験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、違った方向 に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行こうよ、オレたち は。あせってみたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるようになった。……とたん、少しおおげさ な言い方だが、私の魂は解放された!
●一度、自分を冷静に見つめてみる
たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない。気
づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそうだ。それまで の二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。が、子どもが中学生になった とたん、雰囲気が変わった。そこで……。あなた自身はどうだろうか。あなた自身は自分の過 去を再現するようなことをしていないだろうか。今、受験生をもっているなら、あなた自身に静 かに問いかけてみてほしい。あなたは今、冷静か、と。そしてそうでないなら、あなたは一度、 自分の過去を振り返ってみるとよい。これはあなたのためでもあるし、あなたの子どものため でもある。あなたと子どもの親子関係を破壊しないためでもある。受験時代に、いやな思いをし た人ほど、一度自分を、冷静に見つめてみるとよい。
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ママ診断(3)(雑誌「ファミリス7月号より」
あなたは過干渉ママ?
●口うるさいのは過干渉ではない
口うるさいことを過干渉と誤解している人がいるが、口うるさい程度なら、それほど子どもに
影響はない。過干渉が過干渉として問題になるのは、(1)親側に、情緒的な未熟性があると き。親の気分で、子どもに甘くなったり、反対に極端にきびしくなったりするなど。とらえどころの ない親の気分は、子どもの心を不安にする。ばあいによっては、子どもの心を内閉させ、さら にひどくなると萎縮させる。年中児(満五歳児)でも、大声で笑えない子どもは、一〇人のうち、 一〜二人はいる。
●独特の会話
つぎに(2)親の価値観を、子どもに一方的に押しつけるとき。過干渉ママは独特の会話をす
る。たとえば先生が子どもに向かって、「この前の日曜日はどこへ行ったの?」と声をかける と、すぐその会話に割り込んできたりする。「おじいちゃんの家に行ったでしょ。どうして行ったと 言えないの!」と。そこで先生がさらに子どもに向かって、「楽しかった?」と声をかけると、また 割り込んできて、「楽しかったでしょ。楽しかったら、楽しかったと言いなさい!」と。
●過干渉の背景には親の不安や不満
親が子どもを過干渉にする背景には、子育て全体にわたる不安や不満がある。そしてさらに
その背景には、何らかの「わだかまり」があることが多い。望まない結婚であったとか、望まな い子どもであったとか、など。妊娠や出産時の心配や不安、さらには生活苦や夫への不満が わだかまりになることもある。このわだかまりが形を変えて、子どもへの過干渉となる。
言いかえると、子どもに過干渉を繰り返すようであれば、そのわだかまりが何であるかを知る。
問題はわだかまりがあることではなく、そのわだかまりに気がつかないまま、わだかまりに振り まわされること。同じパターンで同じ失敗を繰り返すこと。わだかまりは、あなたの心を裏から あやつる。これがこわい。
●過干渉児の特徴
過干渉児の特徴としては、(1)子どもらしいハツラツさが消え、ハキのない子どもになる。(反
対に粗放化するタイプの子どももいるが、このタイプの子どもは、親の過干渉をたくましくやり 返した子どもと考えるとわかりやすい。よくあるケースとしては、兄が萎縮し、弟が粗放化すると いうケース。)(2)自分で考えることが苦手になり、ものの考え方が極端になったり、かたよった りするようになる。常識ハズレになり、してよいことと悪いことの区別がつかなくなるなど。薬のト ローチを飴がわりになめてしまうなど。(3)心が萎縮してくると、さまざまな神経症を発症し、行 動ものろくなる。また仮面をかぶるようになり、いわゆる「何を考えているかわからない子」とい った感じになる。
●情緒不安と戦う
このテストで高得点を取った人は、まず自分の情緒を安定させること。『親の情緒不安、百害
あって一利なし』と心得る。が、それより大切なことは、子どもをもっと信ずること。子どもという のは、なるようにしかならないものだが、同時に、何もしないでもちゃんと育っていくもの。昔の 人は『親の意見とナスビの花は、千にひとつもアダ(ムダ)がない』と言ったが、これをもじると、 『親の不安とナズビの茎は、千に一つも役立たない』となる。あなたが不安に思ったところで、 子どもは悪くなることはあっても、よくなることは何もない。
●不安の悪循環を切る
ふつうは(不安になる)→(ますます心配な子になる)→(ますます不安になる)の悪循環の中
で、子どもはますますその心配な子どもになる。こうした悪循環を心のどこかで感じたら、思い きって目をつぶる。目をつぶって子どもに任すところは任す。もっとはっきり言えば、あきらめ る。過干渉ママにしてみれば、清水の舞台から飛びおりるほどの勇気がいることかもしれない が、子どもに明るい顔をもどしたかったら、そうする。
(詳しいテスト結果は、「ファミリス」7月号をご覧ください。)
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【2】
健康について考えてみました。
このところ私にとっても、切実な問題に
なりつつあるようです。
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私の人間性
子育てが終わると、どんとやってくるのが、老後。それまで何とかごまかしてきた持病が、ど
んと吹き出す。持病だけではない。その人の人間性まで、どんと吹き出す。気力が弱くなり、ご まかしがきかなくなるためと考えてよい。
で、私のこと。まず健康だが、こうなってみると、長い間、運動をつづけてきたことが、喜びと
なって返ってくる。私はもう三〇年近く、自転車通勤をしている。数日も自転車に乗らないでい ると、体のほうがそれを求める。おかげで成人病とは無縁。まったく健康というわけではない が、しかし同年齢の友人や知人とくらべても、健康なほうだ。
問題は、人間性。私は若いころ、ずいぶんといいかげんな人間だった。目先の利益のためな
ら、平気で正義をねじまげた。人をだましたり、キズつけたりしたこともある。言うなれば小ズル イ男で、そういうことが平気でできた。私は自分の中にそういう邪悪な部分があることを知って いる。今は、かろうじてそういう自分を抑え込んでいるが、いつまたそういう自分が出てこないと もかぎらない。いや、ときどき、顔を出す。
先日も、コンビニの前で、サイフを拾った。善良な人なら、そういうサイフを、すぐその店に届
けたりするのだろう。しかし私は、一瞬、迷った。迷って、サイフの中を見てしまった。が、幸い なことに(?)、中味は免許証とカード、それに小銭だけだった。だから店にそのまま渡すことが できた。が、しかし、もしあのサイフの中に、一〇万円とか二〇万円が入っていたとしたら、どう だったか……。私はもっと迷ったかもしれない。つまりこれが私の中の邪悪な部分である。
そこで私は気がついた。健康と同じように、人間性もまた、日々の鍛錬(たんれん)によって
つくられるものだ、と。安易なだらしない生活を繰り返していれば、人間性も影響を受ける。は っきり言えば、悪くなる。そして結果として、その人は、見苦しい人間になる。いや、鍛錬といっ ても、むずかしいことではない。ごく日常的な、ほんのささいなことでよい。たとえばウソをつか ない。ゴマかさない。人に意地悪をしない。ゴミを捨てない。人に迷惑をかけない。社会のルー ルを守る、など。常識的なことを、ふつうに守ればよい。そういう積み重ねが、積もりにつもっ て、その人の人間性をつくる。
さて私はどうか? このところときどき自分がこわくなる。今はこうして自分の気力で、自分を
抑え込んでいる。しかしその気力が弱くなったとき、自分の人間性が、モロに外に出てくる。そ のときどんな自分が、外に出てくることやら? プロ野球の元監督の妻に、Sという女性がい る。人間がもつあらゆる醜悪さを顔中に塗りたくったような女性だ。先ごろ脱税で逮捕された が、あの女性を見ていると、ああはなりたくないものだと思う。しかしその自信は、私にはない。 ひとつまちがえば、私だってああいう人間になる? それが今、こわい。
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自転車通勤
二九歳のときまで住んでいたアパートからも、それ以後移り住んだ今の自宅からも、町中の
職場まで、七キロある。私はその七キロを、自転車通勤をするようになって、もう三〇年にな る。時間にすれば、片道、約二〇分。のんびり走れば三〇分。若いころは一五分で走ったこと もある。
そういう自転車通勤を、たいへんだと思う人も多い。私が「○○町から自転車で通っていま
す」などと言うと、「それはたいへんですね」と言う人もいる。しかし実際には、楽しい。仕事が終 わって、自転車にまたがると、またがったとたん、言いようのない解放感が身を包む。が、それ だけではない。最近では、数日も自転車に乗らないでいると、体のほうがそれを求めるように なる。「ジョギング中毒」という言葉がある。走ることそのものが中毒のようになり、走らないと、 かえってイライラすることをいう。同じ中毒でも、これは好ましい中毒ということになるが、自転 車にもそれがある。乗って走ることが、快感なのだ。とくに長い坂をノンブレーキでくだりおりる 爽快(そうかい)感は、何ものにもかえがたい。真冬の厳寒期には、ときどきつらいと思うことは あるが、その時期をのぞけば、楽しい。
体を動かすことを習慣にすると、その習慣が、脳内にある種の変化をもたらすようだ。麻薬に
似た脳内物質をつくり、それがその人を気持ちよくする、とか。たとえば山荘の近くにKさんとい う、働き者の人がいる。毎日、朝から晩まで、あれこれと体を動かしている。「百姓(百の仕事 をする人)」とはよく言ったもので、農業はもちろんのこと、土木、建築、まさに何でもござれとい うような人である。先日Kさんの家を訪れたら、研磨(けんま)機で、農具を磨いていた。
Kさんを観察してみると、あのKさんも、働くというよりは、体を動かすことによる快感を楽しん
でいるのがわかる。ウソだと思うなら、夏の暑い日に、Kさんが汗をタオルでぬぐっている姿を 見てみればよい。実に晴れ晴れとした、すがすがしい表情をしている。
そこで重要なことは、いかにして、そういう習慣を自分の中につくるかということ。つけ刃(やい
ば)ではいけない。その前の段階として、それこそ数年単位の忍耐と努力が必要である。その 段階を通りぬけると、やがてそれが習慣となり、ここでいう「中毒性」をおびてくる。そうなれば あとは、自発的に体のほうが動いてくれる。そしてその結果として、健康を維持することができ る。
いや、ひとつだけわからないことがある。その自転車通勤だが、夏休みなど、一週間も自転
車に乗らないでいると、多分、ふつうの人以上に、体の調子が悪くなってしまう? 体がだるくな り、起きているのもつらいと思うこともある。頭が重くなることもある。これはどういう作用による ものなのか。今度そういうことがあったら、もう少し自分をよく観察してみる。
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健康、ふえることのない貯金
私は中学生のとき、成績は、一科目をのぞいてオール一〇だった。一学年(五五〇人)で、
一〇がもらえるのは、一科目につき、二人だけだった。その一科目というのは、保健体育だっ た。運動は苦手だったが、ペーパーテストで点を稼いでいたため、成績は九だった。
その保健体育で一〇をとっていた男がいた。幼なじみの男で、運動だけはバツグンという男
だった。鉄棒、跳び箱、マット運動、まさに何でもござれという感じだった。体育の授業のとき、 皆の前で、鉄棒の大車輪を披露したこともある。
その男が、数年前、五二歳という若さで、肺がんで死んだ。奥さんはこう言った。「ご存知のよ
うに、超の上に超がつくようなヘビースモーカーで、最後は苦しみました」と。その男は大酒飲 みでも知られていた。同窓会でも彼の酒豪ぶりが話題になったほどである。つまりその男は、 (多分?)、自分の健康を過信するあまり、タバコに溺れ、そして酒に溺れた。私はその男の死 を聞いたとき、改めて健康とは何か、考えさせられた。
長生きをすることを健康というのではない。それはわかる。健康だから、長生きできるという
ことにもならない。それもわかる。となると、健康とは何か。あえて言うなら、病気でない状態と いうことになるが、そもそも健康を定義づけること自体、意味がないのかもしれない。そこで自 分のことを考えてみる。
最近、私は自分の気力が、とみに弱くなったのを感ずる。こうして文を書いていても、集中力
は一時間もつづかない。一時間も書いていると、眠くなったり、頭がぼんやりとしてくる。若いこ ろは、数時間、あるいはそれ以上の間、文を書いていても平気だった。毎晩、真夜中の二時、 三時まで文を書いていたこともある。が、今は、一時間も書いたりすると、ソファやふとんの上 でゴロリと横になることが多い。健康といえば健康だが、しかししたいことが思うようにできない のは、つらい。つまりすでに半病人?
そういう私からみると、若い人は、健康でよいと思う。うらやましいと思ったことはない。もった
いないと思うことはある。若い人が、つまらないことで時間を浪費しているのを見たりすると、そ う思う。私も若いころはそう思ったが、健康なんてものは、いくらでもあると思っている。歳をとっ ても、自分だけは健康のままだと思っている。しかしそういう状態は、長つづきしない。健康とい うのはそういうもので、それに溺れると、健康そのものまでつぶれてしまう。
ここまで書いて、ひとつの教訓を学んだ。つまり健康というのは、ふえることのない貯金であ
る、と。つまり使い方をまちがえると、あっという間になくなってしまう。しかしじょうずに使えば、 長もちする。要は使いかたの問題ということになる。
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【3】
子育てには不安はつきものですが、
この不安、対処のし方をまちがえ
ると、子育てそのものがおかしく
なります。その中のひとつが、
「あせり」。どうかご注意ください。
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あせる親
子育ては競争と考えている人がいる。が、このタイプの親は、自分ではそれを意識していな
い。自分では、「ごく当たり前のことをしているだけ」と思っている。だからよけいに、指導がむ ずかしい。
つぎのような症状に、思い当たるようであれば、あなたはここでいう「あせる親」と考えてよ
い。
●近所や知り合いの子どもが、英会話教室や算数教室に通っているという話を聞くだけで、言
いようのない不安感に襲われる。自分の子どもだけが取り残されていくように感ずる(不安、妄 想)。
●明けても暮れても、頭の中にあるのは、子どものことばかり。テストでまちがえたりすると、そ
れが気になって、夜も眠られないことがある。こまかいことが気になる(過関心)。
●学校や塾の先生と顔を合わせるたびに、すかさず「うちの子、どうですか」と聞く。あるいは
子どもの問題点を並び立て、「どうしたらいいでしょうか」と聞くことが多い(心配過剰)。
●日常的に、子どもの意思を自分で確かめることをしない。「うちの子どものことは、私が一番
よく知っている」と思う。子どもに対する親意識が強い。子どもには命令口調が多い(過干渉)。
こういう状態(過関心、過干渉、心配過剰、不安、妄想)が、長くつづくと、親自身の精神状態
がおかしくなる。この段階から、育児ノイローゼ、うつ病に進む人も多い。しかしその前に、子ど もがおかしくなる。性格が内閉したり、萎縮したりする。反対にはげしい家庭内暴力に発展する こともある。そうなると、もう、勉強どころではない。
要はいかに早く、その初期症状に気づくか、だ。が、冒頭にも書いたように、親自身がそれに
気づくことは、まずない。私のような立場のものが、「お母さん、あせってはダメ。今は、子ども が楽しむことだけを考えてしなさい。幼稚園から帰ってきたら、よくがんばったわねとほめなさ い」と指導しても、ムダ。つぎに会うときには、すっかりそれを忘れている。そして前と同じ会話 を繰り返す。「うちの子は、ダメでねえ……」と。
子どもというのは、親があせっても、どうかなるものではない。しかしほうっておいても育つ。
そうした冷めた目が、一方で、子どもを伸ばす。もしあなたが今、自分の子育てで、あせりを感 ずるようなら、こう考えてほしい。「親のあせり、百害あって、一利なし」と。
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【4】English Corner,translated by Mr. IBM
How to escapes from and comes out of a dead end (Let It Be!)
When parents come in child bringing up to a deadlock
お休みします。
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【5】
ここ数日で書いたエッセーを送ります。
あまり意味のあるエッセーではありま
せんが、お許しください。いわば雑感
のようなものです。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(567)
勉強神話
私は少なくとも、高校一年までは、ガリ勉中のガリ勉だった。勉強が好きとか好きでないとか
そういうことではなく、いつもどこかで追いまくられながら勉強をしていた。母はそのつど、私に こう言った。「勉強しなければ、自転車屋を継げ」と。私には「死」よりも恐ろしい言葉だった。
そういう自分を振り返って、言えることがたくさんある。まず第一に、学校の勉強で学ぶこと
は、世の中の知識のほんの一部に過ぎないということ。そのことは、毎年、年末に出る総合事 典を見ればわかる。私は「イミダス」※という事典を買っているが、ある日、こんなことを調べて みた。「学校で学ぶ分野は、このイミダスの中の何分の一か」と。で、調べてみて驚いた。歴史 にせよ、科学にせよ、はたまた文学にせよ数学にせよ、学校で学ぶ知識は、多くみても、二〇 分の一もない、と。あるいはさらに厳密にみれば、もっと少ない。つまり勉強ができるからといっ て、その人が、人一倍、すばらしい知識をもっているとは限らない。私の従兄弟(いとこ)のN氏 は、勉強は苦手だったが、魚釣りにかけては、彼の右に出るものはいなかった。一緒に山を歩 いていても、つぎつぎと木の実を私にとってくれた。そういう知識は、学校の勉強の中には含ま れていなかった。
つぎに勉強ができるから、人格的にすぐれた人物ということにはならない。むしろ今、(かつて
の私がそうだったが)、勉強しかしない、勉強しかできないという子どものほうが、人格的にも問 題があることがわかってきている。私も教える立場から、いろいろな子どもに接してきたが、ど こかヘンな子どもほど、勉強がよくできた。また飛びぬけて勉強ができる子どもほど、どこかヘ ンだった。しかしそういう子どもほど、スイスイと受験勉強をやりこなし、一流大学の一流学部 へ進学していった。今でも、医師だ、弁護士だというと、どこか高邁(こうまい)な人物を想像す るが、それはまったくの幻想。ウソ。むしろ、人格的にすぐれた子どもほど、あの受験勉強にな じまず、その途中で脱落していく。子どもを大学へ送り出す立場にあった私が、そして無数の 子どもたちを見送ってきた私がそう言うのだから、まちがいない。
勉強には、勉強神話がある。この神話が、今でも、子どもはともかくも、親の世界を支配して
いる。この勉強神話をどこかで打ち破るのも、私の使命と考えている。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(568)
魚釣り論
私も子どものころは、よく魚釣りに行った。が、ある日、いつだったか、多分小学校の五、六
年生のときだったと思う。自分が釣った魚を見ながら、「魚も痛いだろうな」と思ったことがあ る。口先を針でひっかけられ、糸の先でもがいているのを見たときだ。が、そう思ったとたん、 つまりその日から、魚釣りができなくなってしまった。そこで伯父や伯母に、「魚は痛くないの か」と聞くと、皆、こう言った。「魚には神経はないから」と。しかしこれはウソだ。
魚の脳波を調べてみると、魚は釣られたとき、激痛を感ずることがわかっている。その脳波
は、人間が感ずる激痛とどこも違わない。つまり魚も痛がっている、と。考えてみれば、それは 当然で、その痛さは、あなたの口に、親指と人さし指大の釣り針をひっかけ、吊りあげられたと きのことを想像すればよい。ただ魚は声を出すことができないから、人間のようにその激痛を 訴えないだけだ。が、それだけではない。
私も熱帯魚を飼うようになってわかったことだが、あの魚という生き物は、人間が思っている
よりはるかに利口である。大きさが五ミリもない稚魚でも、二、三日も飼うと、人間がいつ、どの ようにしてエサをくれるか覚えてしまう。たとえばエサを入れるときに、スプーンでカチャカチャと 水槽を叩くと、その音だけで、エサが落ちるところに集まってくる。
さらにこれはテレビでの実験だが、あのタコにしても、犬程度(あるいはそれ以上)の知能が
あるという。目の前でビンにエサを入れ、それをフタをしてみせると、タコは一回でそれを覚え、 自分でフタをあけ、そのエサを取り出してしまう。(ビンのフタは、ネジ式のフタだった。)
こういうことを考えあわせると、人間は、何と残酷なことを、しかも平気でしているかということ
になる。生きるために魚釣りをするならまだしも、レジャーのために魚釣りをしている! もっと はっきり言えば、レジャーで魚釣りをするなどという残酷なことは、即刻、禁止したらよい。魚は 資源ではない、生き物だ。……と言うのは、少し言い過ぎだが、しかし人間は、もう少し遠慮深 くあってもよいのではないか。それがわからなければ、魚を釣ったとき、心のどこかで、「痛くな いのか」と、自問してみるとよい。あなたにも、ひょっとしたら、太古の昔、魚だったという記憶が あるかもしれない。そういう記憶が、あなたの残酷な行為に、ブレーキをかけるかもしれない。
ちなみに、私は大学一年生のときに、アミで川魚をとったのを最後に、それ以後ただの一度
も、魚釣りをしたことがない。今でもテレビで魚釣りのシーンが飛びこんできたりすると、すぐチ ャンネルをかえる。とても見ていられない。「かわいそうだ」「痛そうだ」と、そんなことばかり考え る。
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・5……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
7・23……浜松市東部公民館母親教室
7・20……伊平小学校
ほか、横浜市(2個所)ほかでの講演を予定しています。
詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! がんばっています!
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MMMMM
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┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)7-16
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====KW(8)
子育て最前線の育児論byはやし浩司(E−マガ)……読者数(Nr. of Readers) 350人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━
/井\
〔井井井〕
MMMMM \井/Hi! I am Hiroshi, and through this magazine you may know
| ⌒ ⌒ | ‖ what is happening among parents in Japan, with some knowledge
○ q ・ ・ p ‖ how to cope with Kids and how to bring up children at home.
⊆⊇ (〃 ▽ 〃) ξ)
\u ̄ ̄⊆V⊇ ̄ ̄レ/
 ̄丶 : 厂 ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数(Nr. of Readers) 80人
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上、二つの、E-マガとメルマガは同じ内容です。ただしメルマガの
ほうでは、送信容量に限界があるため、たいていいつも内容をカット
して送っています。全文読んでくださる方はEマガのほうを、ご購読
ください。
どちらか一方をというかたは、Eマガのほうを、ご購読ください。
また、よりアカデミックな(?)マガジンをご希望の方は、「はやし浩司の世界」を
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published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you very much.
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「はやし浩司の世界」……Eマガ 読者数(Nr. of Readers) 43人
★★★★★★★★★★★★★★★★★
02−7−16号(077)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second
son's website in USA, for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
みなさんへ、
前回、コンビニの前でサイフを拾った話を書きました。それについて、私は「迷った」と書きまし
たが、決してネコババをしようと考えたのではありません。「一〇万円とか二〇万円が入ってい たら、もっと迷った」というのは、つまりそのままコンビニの店長に渡すのではなく、警察に届 け、うち一割を礼金としてもらうとか、あるいは相手に恩着せがましく渡すとか、そういうことをし ようと迷ったわけです。そのまま店長に、すんなりと渡すことに、迷ったという意味です。どうか 誤解のないように。二人の読者の方から、質問やご指摘をいただきましたので、報告します。
私の家の庭に、リスの親子が出没するようになりました。昨年は、アライグマ、サル二匹、ハク
ビシンの親子などが出没しましたから、リスには驚きません。が、庭の、ポポーの実、クルミの 実、さらには柿の実など、まだ青いのに、すべて食べられてしまいました。しかたないので、ヒマ ワリの種をどっさりと買ってきて、小鳥のえさ台の上に置いてあげたのですが、それは食べな いのです。今、ヒマワリの種は、雨に打たれて、発芽しています。来年は我が家の庭には、ヒマ ワリの花がたくさん咲くことでしょう。
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メニュー
今日のテーマ、「わがままな子ども」(Spoiled Children)
【1】わがままな子ども(Spoiled Children)
【2】ほかの子とじょうずにつきあう子どもにする法(How to make kids do well with others)
【3】先生との関係を保つほう(How to make relation with teachers)
【4】English Edition
【5】随筆(Essays)
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【1】
子どものわがままについて考えてみました。
英語ではスポイルされた子どもというような
言い方をします。今、日本の子どもすべてが
そうでないかと思われるほど、そのスポイル
された子どもばかりになりました。(そうで
ない子どもを見つけるほうが、むずかしいよ
うです。)
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親が子どもに手をかけすぎるとき
●「どうして泣かすのですか!」
年中児でも、あと片づけのできない子どもは、一〇人のうち、二、三人はいる。皆が道具をバ
ッグの中にしまうときでも、ただ立っているだけ。あるいはプリントでも力まかせに、バッグの中 に押し込むだけ。しかも恐ろしく時間がかかる。「しまう」という言葉の意味すら理解できない。 そういうとき私がすべきことはただ一つ。片づけが終わるまで、ただひたすら、じっと待つ。
S君もそうだった。私が身振り手振りでそれを促していると、そのうちメソメソと泣き出してしまっ
た。こういうとき、子どもの涙にだまされてはいけない。このタイプの子どもは泣くことによって、 その場から逃げようとする。誰かに助けてもらおうとする。しかしその日は運の悪いことに、た またまS君の母親が教室の外で待っていた。母親は泣き声を聞きつけると部屋の中へ飛び込 んできて、こう言った。「どうしてうちの子を泣かすのですか!」と。ていねいな言い方だったが、 すご味のある声だった。
●親が先生に指導のポイント
原因は手のかけすぎ。S君のケースでは、祖父母と、それに母親の三人が、S君の世話をし
ていた。裕福な家庭で、しかも一人っ子。ミルクをこぼしても、誰かが横からサッとふいてくれる ような環境だった。しかしこのタイプの母親に、手のかけすぎを指摘しても、意味がない。第一 に、その意識がない。「私は子どもにとって、必要なことをしているだけ」と考えている。あるい は子どもに楽をさせるのが、親の愛だと誤解している。手をかけることが、親の生きがいになっ ているケースもある。中には子どもが小学校に入学したとき、先生に「指導のポイント」を書い て渡した母親すらいた。(親が先生に、だ!)「うちの子は、こうこうこういう子ですから、こういう ときには、こう指導してください」と。
●泣き明かした母親
あるいは息子(小六)が修学旅行に行った夜、泣き明かした母親もいた。私が「どうしてです
か」と聞くと、「うちの子はああいう子どもだから、皆にいじめられているのではないかと、心配 で心配で……」と。それだけではない。私のような指導をする教師を、「乱暴だ」「不親切だ」と、 反対に遠ざけてしまう。S君のケースでは、片づけを手伝ってやらなかった私に、かえって不満 をもったらしい。そのあと母親は私には目もくれず、子どもの手を引いて教室から出ていってし まった。こういうケースは今、本当に多い。そうそう先日も埼玉県のある私立幼稚園で講演をし たときのこと。そこの園長が、こんなことを話してくれた。「今では、給食もレストラン感覚で用意 してあげないと、親は満足しないのですよ」と。こんなこともあった。
●「先生、こわい!」
中学生たちをキャンプに連れていったときのこと。たき火の火が大きくなったとき、あわてて
逃げてきた男子中学生がいた。「先生、こわい!」と。私は子どものときから、ワンパク少年だ った。喧嘩をしても負けたことがない。他人に手伝ってもらうのが、何よりもいやだった。今で も、そうだ。そういう私にとっては、このタイプの子どもは、どうにもこうにも私のリズムに合わな い。このタイプの子どもに接すると、「どう指導するか」ということよりも、「何も指導しないほう が、かえってこの子どものためにはいいのではないか」と、そんなことまで考えてしまう。
●自分勝手でわがまま
手をかけすぎると、自分勝手でわがままな子どもになる。幼児性が持続し、人格の「核」形成
そのものが遅れる。子どもはその年齢になると、その年齢にふさわしい「核」ができる。教える 側から見ると、「この子はこういう子だという、つかみどころ」ができる。が、その「核」の形成が 遅れる。
子育ての第一目標は、子どもをたくましく自立させること。この一語に尽きる。しかしこのタイ
プの子どもは、(親が手をかける)→(ひ弱になる)→(ますます手をかける)の悪循環の中で、 ますますひ弱になっていく。昔から過保護児のことを「温室育ち」というが、まさに温室の中だけ で育ったような感じになる。人間が本来もっているはずの野性臭そのものがない。そのため温 室の外へ出ると、「すぐ風邪をひく」。キズつきやすく、くじけやすい。ほかに依存性が強い(自 立した行動ができない。ひとりでは何もできない)、金銭感覚にうとい(損得の判断ができない。 高価なものでも、平気で友だちにあげてしまう)、善悪の判断が鈍い(悪に対する抵抗力が弱 く、誘惑に弱い)、自制心に欠ける(好きな食べ物を際限なく食べる。薬のトローチを食べてしま う)、目標やルールが守れないなど、溺愛児に似た特徴もある。
●「心配」が過保護の原因
親が子どもを過保護にする背景には、何らかの「心配」が原因になっていることが多い。そし
てその心配の内容に応じて、過保護の形も変わってくる。食事面で過保護にするケース、運動 面で過保護にするケースなどがある。
しかし何といっても、子どもに悪い影響を与えるのは、精神面での過保護である。「近所のA
君は悪い子だから、一緒に遊んではダメ」「公園の砂場には、いじめっ子がいるから、公園へ 行ってはダメ」などと、子どもの世界を、外の世界から隔離してしまう。そしておとなの世界だけ で、子育てをしてしまう。本来子どもというのは、外の世界でもまれながら、成長し、たくましくな る。が、精神面で過保護にすると、その成長そのものが、阻害される。
そんなわけで子どもへの過保護を感じたら、まずその原因、つまり何が心配で過保護にして
いるかをさぐる。それをしないと、結局はいつまでたっても、その「心配の種」に振り回されるこ とになる。
●じょうずに手を抜く
要するに子育てで手を抜くことを恐れてはいけない。手を抜けば抜くほど、もちろんじょうずに
だが、子どもに自立心が育つ。私が作った格言だが、こんなのがある。
『何でも半分』……これは子どもにしてあげることは、何でも半分でやめ、残りの半分は自分で
させるという意味。靴下でも片方だけをはかせて、もう片方は自分ではかせるなど。
『あと一歩、その手前でやめる』……これも同じような意味だが、子どもに何かをしてあげるに
しても、やりすぎてはいけないという意味。「あと少し」というところでやめる。同じく靴下でたとえ て言うなら、とちゅうまではかせて、あとは自分ではかせるなど。
●子どもはカラを脱ぎながら成長する
子どもというのは、成長の段階で、そのつどカラを脱ぐようにして大きくなる。とくに満四・五歳
から五・五歳にかけての時期は、幼児期から少年少女期への移行期にあたる。この時期、子 どもは何かにつけて生意気になり、言葉も乱暴になる。友だちとの交際範囲も急速に広がり、 社会性も身につく。またそれが子どものあるべき姿ということになる。が、その時期に溺愛と過 保護が続くと、子どもはそのカラを脱げないまま、体だけが大きくなる。たいていは、ものわか りのよい「いい子」のまま通り過ぎてしまう。これがいけない。それはちょうど借金のようなもの で、あとになればなるほど利息がふくらみ、返済がたいへんになる。同じようにカラを脱ぐべき ときに脱がなかった子どもほど、何かにつけ、あとあと育てるのがたいへんになる。
いろいろまとまりのない話になってしまったが、手のかけすぎは、かえって子どものためにな
らない。これは子どもを育てるときの常識である。
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【2】
文部科学省(国立教育政策研究所)の調査によれば、
親たちの一番の関心ごとが、この問題だそうです。
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ほかの子どもとじょうずにつきあう法
子どもの社会性は、同年齢の子どもとの接触の中で、鍛(きた)えられる。たとえば双子の子
どもがいる。一般論として、双子は、いつももう一人の兄弟(姉妹)との間で鍛えられるので、そ の社会性があることが知られている。わかりやすく言えば、ほかの子どもとも、じょうずにつき あう技術にたけている。
その社会性は、つぎのようにして判断する。
たとえばブランコを横取りされたようなとき、社会性のある子どもは、その相手に向かって、
「どうして取るのよ! 私、今、使っているでしょ!」と、やり返すことができる。そうでない子ども は、たとえば柔和な笑みを浮かべて、ブランコを明け渡してしまったりする。
社会性のある子どもには、つぎのような特徴がある。(1)他人に対して押すときは押し(自己
主張し)、引くときは引く(遠慮する)という行動が明確で、わかりやすい。ワーワーと自己主張し ても、まちがっているとわかると、「そうね」などといって、自分の非をすなおに認める。人格の 「核」が明確で、教える側からすると、「この子はこういう子」という「つかみどころ」が、はっきり している。
(2)だれに対しても、心を開くことができ、性格のゆがみ(ひねくれ、いじけ、つっぱり、ひがみ
など)がない。心を開いている子どもは、親切にしてあげたり、やさしくしてあげると、その親切 ややさしさが、そのままスーッと心の中にしみこんでいくのがわかる。子どもらしく、うれしそうな 顔をして、それにこたえる。
(3)以前、嫌われる子どもについて、調べたことがある。その結果、不潔で臭い子ども。陰湿
で性格が暗く、静かな子ども。性格が悪い子ども、ということがわかった(小四児、三〇名につ いて調査)。このタイプの子どもは、嫌われるだけではなく、いじめの対象ともなるから注意す る。
子どもの社会性をつくるためには、乳幼児期から、心静かで、愛情豊かな環境で、同年齢の
子どもと一緒に遊ばせるのがよい。子どもの世界というのは、いわば動物の世界のようなも の。キズつけたり、キズつけられたりしながら、互いに成長する。親としてはつらいところだが、 そうした環境が、子どもをたくましくする。まずいのは、親子だけのマンツーマンだけの環境で 育てること。「ものわかりのよい世界」は、それだけ居心地がよい世界かもしれないが、それは 子どもにとって、決して好ましい世界ではない。
こうした社会性は、年長児(満六歳)前後には決まる。この時期、社会性のある子どもは、そ
の先もずっと社会性のある子どもになる。そうでない子どもはそうでない。それ以後は、どちら にせよ、そういう子どもだと認めたうえで、対処するしかない。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(572)
「あの子は臭い!」・嫌われっ子、親の責任
「どんな子が嫌われるか」を調査してみた。その結果、(1)不潔で臭い子ども。(2)陰湿で性
格が暗く、静かな子ども。(3)性格が悪い子ども、ということがわかった(小四児、三〇名につ いて調査)。
不潔で臭いというのは、「通りすぎたとき、プンとヘンなにおいがする」「口が臭い」「髪の毛が
汚い」「首にアカがたまっている」「服装が汚い」「服装の趣味が悪い」「鼻クソばかりほじってい る」「鼻水がいつも出ている」「髪の毛がネバネバしている」「全体が不潔っぽい」など。子どもと いうのは、おとなより、においに敏感なようだ。
陰湿で性格が暗いというのは、「いじけやすい」「おもしろくない」「ひがみやすい」「何もしゃべ
らない」など。「静か」というのもあった。私が「誰にも迷惑をかけるわけではないので、いいでは ないか」と聞くと、「何を考えているかわからないから、不気味だ」と。
またここでいう性格が悪いというのは、「上級生にへつらう」「先生の前でいい子ぶる」「自慢
話ばかりする」「意地悪」「わがままで自分勝手」「すぐいやみを言う」「目立ちたがり屋」など。一 人、「顔がヘンなのも嫌われる」と言った子どももいた。
ここにあげた理由をみてわかることは、親が少し注意すれば、防げるものも多いということ。
特に(1)の「不潔で臭い子ども」については、そうだ。このことから私は、『嫌われっ子、親の責 任』という格言を考えた。たとえばこんなことがあった。
A君(中一)は、学校でいじめにあっていた。仲間からも嫌われていた。A君も母親もそれに悩
んでいたが、そのA君、とにかく臭い。彼が体を動かすたびに、体臭とも腐敗臭とも言えない、 何とも言えない不快なにおいが、あたりを漂った。風呂での体の洗い方に問題があるようだ が、本人はそれに気づいていない。そこである日、私は思いあまって、A君にこう言った。「風 呂では、体をよく洗うのだぞ」と。が、この一言が、彼を激怒させた。彼にしても、一番気にして いることを言われたという思いがあった。彼は「ちゃんと洗っている!」と言いはなって、そのま ま教室から出ていってしまった。
幼児でも、臭い子どもは臭い。病臭のようなにおいがする。私は子どもの頭をよくなでるが、
中には、ヌルッとした髪の毛の子どももいる。A君(年中児)がそうだった。そこで忠告しようと思 ってA君の母親に会うと、その母親も同じにおいがした……!
子どもの世界とはいえ、そこは密室の世界。しかも過密。さまざまな人間関係が、複雑にから
みあっている。ありとあらゆる問題が、日常的に渦巻いている。つまりおとなたちが考えている ほど、その世界は単純ではないし、また表に現れる問題は、ほんの一部でしかない。ここにあ げる「嫌われっ子」にしても、だからといってこのタイプの子どもが、いつも嫌われているという ことにはならない。しかし無視してよいほど、軽い問題でもない。いじめの問題についても、とも すれば私たちは、表面的な現象だけを見て、子どもの世界を論ずる傾向がある。が、それだ けでは足りない。それをわかってほしかったから、ここであえて、嫌われっ子の問題を取りあげ てみた。
************************************
家庭の教育力は低下したか
二〇〇一年の秋、国立教育政策研究所が、こんな調査をした。全国一二〇〇〇人に、郵送
でアンケート方式で調査したものだが、その結果、
●コミュニケーションについて、幼児期に(子どもを)を抱き寄せたり、スキンシップをしていた
……
若い世代……96%
高年世代……86%
●しつけについて、小学校入学までに子どもがひとりで、歯みがきができた……
若い世代……21%(だいたいできた……62%)
中堅世代……33%(だいたいできた……80%)
高年世代……47%(だいたいできた……88%)
●しつけでもっとも悩んだこととして、三世代とも、「ほかの子どもとじょうずにつきあうこと」だ
が、ほかに、
若い世代……わがままをなおすこと……11%
ほかに子育てについて、若い世代は、「楽しくできた」(86%)、「生きがいがもてた」(7
8%)、「がまんすることがたくさんあった」(55%)、「わからないことがたくさんあった」(63%) と答えている。
また家庭の教育力が低下しているかという質問については、「その通り」「ある程度」を合わ
せると、
若い世代……55%
中堅世代……66%
高年世代……72%
こうした結果から、読売新聞は、「家庭のしつけ、若いほど低下?」(〇二年七月)と結論づけ
ている。しかし本当にそうか?
何度もこうしたコラムの中で書いてきたが、家庭教育は確かに混乱はしているが、しかし教
育力は低下していない。価値観が衝突し、その結果混乱し、その混乱により、さらにその結果 として、低下しているようにみえるが、これは一時的な過渡期の現象とみてよい。こうした現象 は一九七〇年代のアメリカ、それにつづくオーストラリアでも見られた現象である。つまり旧世 代の価値観が否定され、新世代の価値観が台頭するとき、家庭教育は混乱する。今の日本 がまさにその時期とみてよい。「混乱」を「低下」とみるのは、あまりにも短絡的な見方である。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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【3】
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先生との信頼関係を保つ法(悪口は言うな!)
親と先生の信頼関係が壊れるとき
●先生の悪口はタブー
子どもに「内緒よ」「先生には話してはダメよ」と言うのは、「先生に話しなさい」と言うのと同
じ。子どもは先生の前では、絶対に隠しごとができない。英語の格言にも、『子どもは家の中の ことを、通りで話す』というのがある。先生は先生で、この種の話には敏感に反応する。だいた いにおいて、親が子どもと接する時間よりも、先生が子どもと接する時間のほうが長い。だか ら、子どもの前では、学校の批判や先生の悪口は、タブー中のタブー。言えば言ったで、必ず それは先生に伝わる。それだけではない。以後、子どもは先生の指導に従わなくなる。
●先生とて生身の人間
……というようなことは、以前どこかの本にも書いた。ここではその次を書く。一度、親と教師
の信頼関係が崩れると、先生自身は、急速にやる気をなくす。一般の人は学校の先生を、神 様か牧師のように思っているかもしれない。が、先生とて生身の人間。やる気をなくしたら、そ の影響は、必ず子どもに及ぶ。教育というのは、手をかけようと思えば、いくらでも手をかけら れる。しかし手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。それこそプリント学習だけですまそうと思え ば、それもできる。プリント学習ほど、教える者にとって楽な教育はない。ここが教育のこわい ところだが、親にはそれがわからない。一方で先生の悪口を言いながら、「うちの子のめんどう を、しっかりみろ」は、ない。
たとえばこんなことを言う子ども(小二男児)がいた。「三年になっても、今の先生のままだっ
たら、校長先生に言って、先生を変えてもらうって、ママが言っていた」と。私が「どうして?」と 聞くと、「だって今の先生は、教え方がヘタクソだもん」と。もしあなたが先生で、子どもがそう話 しているのを聞いたら、どう感ずるだろうか。あなたはそれでも、怒りや悔しさを乗り越えて、教 育に専念できるだろうか。
●先生との信頼関係が子どもを伸ばす
日本では、勉強を教えるのが教育ということになっている。どこかに「学歴」を意識したもの
だ。が、大切なのは、人間関係だ。この人間関係こそが、真の教育なのだ。J君は、小学生の とき、ブラスバンド部に入り、そこで指導をしてくれた先生から、大きな影響を受けた。E君は、 中学生のとき、ペットボトルで二段式のロケットを作って、市長賞を受賞した。やはりそのとき 指導してくれた先生から、大きな影響を受けた。J君は、高校生になったとき、ある電気メーカ ーの主催する作曲コンクールで全国大会に出場したし、E君は今、宇宙工学をめざして、今、 その講座のある大学に通っている。もしJ君やE君が、これらのよい先生にめぐりあわなけれ ば、今の彼らはない。教育というのは、そういうものだ。では、どうするか。
●「よい先生」をクチグセに!
子どもの前では、「あなたの先生はすばらしい」「よい先生だ」だけを繰り返す。子どもが悪口
を言っても、「それはあなたたちが悪いからでしょう」とたしなめる。そういう親の姿勢が先生に 伝わったとき、先生もやる気を出す。信頼には信頼でこたえようとする。多少の苦労ならいとわ なくなる。仮に先生との間で何か問題が起きたとしても、それは子どもとは関係のない世界で、 子どもの知らないところで処理する。子どもに相談するのもタブー。損か得かという言い方はあ まり好きではないが、しかしそのほうが子どもにとって得なことは、言うまでもない。
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【4】English Corner,translated by Mr. IBM
This is an article I wrote about Japanese laughers.
Japanese laugh when they should not do. This is about it.
Laughter of Japanese people
It was colliding with the car which jumped out of the byroad very nearly on the other day.
When seen, it was an about 30-year-old lady. When it thought, "It is dangerous!" and the lady was seen, the lady was grinning, with the look diverted. It is the so-called bitter smile.
There is no laughter this laughter is not understood to be in the world. The person who
missed the train smiles on others on a platform. The child whom the pitcher which applied the hit by the pitch laughs for a batter and who took the bad point in respect of the test laughs. In a foreign country, a bitter smile of Japanese people is caught with the laughter which made the partner despose. Owing to, it may be quarreling.
Such laughter is also, before considering why Japanese people laugh at such times.
The foreigner who picks up and builds Japanese mistakes well with a natural thing. As he
was watching television, the foreigner who had said the place which should be referred to as "Bearing" "carried out a dick stick" was also in a this front. Probably it mistook purposely and the televiewer was made laugh, since it was a variety program. Japanese people very often laugh at が and such times. It is laughed as a galley galley. However, a foreigner does not laugh. When it laughs at such times, it means making a partner into despise. I also have such experience.
A song will be sung in front of a studying-abroad time and everybody. I sang "seven
narcissuses" (excellent piece of music of the BROTHER FOUR). In がそ, the place which should be sung with "crust (ear of bread)" has been sung with "xxxxx (cant of a female crotch)." Although I had sung with the sufficient feeling by the guitar performance of a friend, when it became the part, all the friends of Australia pressed down the mouth all at once. Having heard and laughed at the reason later is rather me who laughed.. If it is made them, laughing at others' failure is a taboo in a taboo.
Japanese people laugh in order to deceive one's failure. If a partner mistakes
simultaneously, since its predominancy is shown, it will laugh. If this also follows a root, it is in the feudal age which continued for a long time. Even the heart as a race has been distorted in the oppressed environment. Although it was the talk that it was not believed by the young present person, when I was a child, using the contempt word, Japanese people were calm and were laughing also at those who have an obstacle in the body. When the foreign man was seen very much to recently, it was laughed as "guy gin and guy gin."
Anything, although it is what is not, "laughter" changes with countries. And laughter of
Japanese people is never the standard in the world. At least, in a foreign country, parents teach a child "Don't laugh neither at others' misfortune nor failure." However, isn't such a thing common sense as man?
Laughter of Japanese people was considered.
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【5】
ここ数日で書いたエッセーを送ります。
あまり意味のあるエッセーではありま
せんが、お許しください。いわば雑感
のようなものです。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(563)
日本の教育の元凶
私は子どものころ、チャンバラ映画が好きだった。が、ある日のこと。Nという日本を代表する
俳優の映画をみていたときのこと。日本のチャンバラ映画は、かっこうばかりで、中身がないこ とに気づいた。Nは、いかにも強そうなかっこうばかりをしているだけ。刀を振り回すと、相手が その刀の中に入り、自動的に(?)倒れていった。
一方、同じころ、ブルース・リーの映画を見た。彼の演技は衝撃的だった。映画を見ていると
き、自分の手足が勝手に動いた。ブルース・リーの演技には、それだけ中身がぎっしりとつまっ ていた。
こうした日本映画と、外国映画の違いを一言で言えば、権威主義と実力主義の違いというこ
とになる。映画だけではない。当時の日本には、(今も……)、その権威主義が、色濃く残って いた。とくに教育の世界はそうで、たとえば同じ教師にも、歴然とした「格」があった。一番偉い のが、大学の教授、つぎが高校の教師で、つぎが中学校の教師、小学校の教師と。幼稚園の 教師は番外で、評価の対象にもならなかった。こんなことがあった。
ある日東京のW大学の教授が、この浜松へやってきて、幼児教育について講演をした。私も
聞いたが、最初から最後まで、トンチンカンな講演だった。あとで話を聞くと、その教授は、乳 児のハイハイ(歩行)のし方を研究している教授ということだった。乳幼児のハイハイを調べる と、爬(は)虫類(ワニやトカゲなど)の歩き方を同じだという。それはそれとしておもしろい話だ が、そういう教授が、「幼児教育とは……」と講演をするから、話がおかしくなる。
では、今、この日本が実力主義の世界になったかというと、それは疑わしい。いまだに権威
主義がハバをきかせている。よい例が日本のNHK。まさに権威主義のかたまりといっても過 言ではない。どう権威主義的かということについては、外国の放送局とくらべてみるとわかる。 たとえば日本のNHKは、アメリカのNBCと、北朝鮮のピョンヤン放送の中間あたりにあるので は? ひとつずつの番組を見ていると、それなりに民主的な感じはする。が、たとえばオースト ラリアなどにしばらく住み、その状態で、日本のNHKを思い出すと、そういう印象をもつ。地位 や肩書きのある人には、どこかペコペコし、そうでない人には、どこか「出してやる」という傲(ご う)慢さを感ずる。
こうした権威主義がいつごろ日本に生まれたかという問題は、いまさら論じても意味はない。
大切なことは、こうした権威主義が、一方で日本が進むべき道の、大きな障害になっていると いうこと。もっと言えば、権威主義は、「自由」や「平等」の大敵になっている。しかしそれだけで はすまない。権威のある人は、必要以上に「得」をし、そうでない人は「損」をする。そしてこの 不公平感が、結局は日本の学歴社会の温床になっている。教育そのものをゆがめる元凶にな っている。権威主義を考えるときには、そういう問題も含まれる。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(569)
携帯電話(ショートストーリー)
ある男が山に入った。五〇年という長い年月の間、山の中で修行をした。そしてその結果、
その男は、テレパシーを使えるようになった。自分の思い浮かべた簡単な絵を、相手に伝える ことができるようになった。その男は自分の能力に喜んで、山をおりた。自分の能力で、世間 の人たちを驚かしてやろうと考えた。その能力で、金儲けをしてやろうと考えた。
しかしちまたへおりてきて、その男は驚いた。どの人も小さな箱をもっていて、だれとでも自由
に会話をしていた。「それは何か」と聞くと、みなは、こう言った。「携帯電話」と。が、その男が 本当に驚いたのは、そのことではない。その携帯電話を使って、若い女が、こんな会話をして いたからだ。「ねえ、今夜のおかず、何にする? ううん、それでいいわ。じゃあ、それを作って 待っているからね」と。
その男は、自分が五〇年もかかって得た能力が、携帯電話一台にもおよばないことを知っ
た。しかもその能力を使って、夕食の献立を相談しているとは! がっかりして街の中を歩いて いると、テレビ局の前にやってきた。見ると何人かの超能力のポスターがはってあった。そこで その男は、受け付けの女性に、自分にも超能力があることを話した。その話を聞いて、ひとり のディレクターがやってきた。男が実演をしてみせると、ディレクターは喜んで、その男をテレビ に出演させることにした。
男は、テレビ番組の中で実演をしてみせた。こちらの部屋にいるだれかが選んだ数字を、隣
の部屋にいる別の男に、その数字を伝えるという実演だった。しかしそれは決して楽な実演で はなかった。実演に入る前に、その男はいつものように座禅を組み、半時間あまりも神経を集 中させなければならなかった。そしてひとつ数字を送るたびに、全身から体力と気力が、ごっそ りと抜け落ちていくのを感じた。が、実演は大成功だった。彼はいちやく有名人となり、そのた めあちこちからショーの仕事が舞い込むようになった。
今もその男は、超能力者として、日本全国でショーをしながら回っている。ただし仕事の打ち
合わせのためには、超能力ではなく、携帯電話を使っているが……。
(教訓)こうした矛盾は、現代社会にはつきもの。ムダなことをしながら、それをムダとも思わな
い。実はそこに現代社会の最大の矛盾がある。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(576)
日本人の笑い
先日、横道から飛び出した車と、あやうく衝突しようになった。見ると、三〇歳くらいの女性だ
った。「あぶない!」と思ってその女性を見ると、女性は視線をそらしたまま、ニヤニヤ笑ってい た。いわゆる苦笑い(?)である。
この笑いほど、世界で理解されない笑いはない。ほかにプラットホームで、電車に乗り遅れた
人が笑う。打者にデッドボールを当てたピッチャーが笑う、テストの点で悪い点をとった子ども が笑う、など。外国では、日本人の苦笑いは、相手をバカにした笑いととらえられる。それが原 因で、けんかになることもある。
なぜ、こういうとき日本人は笑うかということを考える前に、こんな笑いもある。
日本語を覚えたての外国人は、当然のことながら、よくまちがえる。この前もテレビを見てい
たら、「辛抱する」というべきところを、「チン棒する」と言っていた外国人がいた。お笑い番組だ ったので、わざとまちがえて視聴者を笑わせていたのだろう。が、こういうとき日本人は実によ く笑う。ゲラゲラと笑う。しかし、外国人は笑わない。こういうとき笑うと、相手をバカにしたことに なる。私にもこんな経験がある。
留学時代、みなの前で歌を歌うことになった。私は「七つの水仙」(ブラザーズフォーの名曲)
を歌った。がその中で、「crust(パンの耳)」と歌うべきところを、「xxxxx(股の隠語)」と歌って しまった。私は友人のギター演奏で気持ちよく歌っていたのだが、その箇所になると、オースト ラリアの友人たちはみな、一斉に口を押さえた。あとでその理由を聞いて笑ったのは、むしろ 私のほうだった。彼らにしてもれば、他人の失敗を笑うことは、タブー中のタブーなのだ。
日本人は自分の失敗をごまかすために笑う。同時に相手がまちがえると、自分の優位性を
示すために笑う。これもルーツをたどれば、長くつづいた封建時代にある? 抑圧された環境 の中で、民族としての心までゆがんでしまった。今の若い人には信じられないような話だが、私 が子どものころには、たとえば身体に障害のある人をも、日本人は蔑視語を使って、平気で笑 っていた。ごく最近まで、外国の人を見ると、「ガイジン、ガイジン」と笑っていた。
何でもないようなことだが、「笑い」も国によって、違う。そして日本人の笑いは、決して世界の
標準ではない。少なくとも、外国では、「他人の不幸や失敗を笑ってはいけない」と、親は子ども に教える。しかしこんなことは、人間として常識ではないか。
日本人の笑いについて、考えてみた。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・5……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
7・23……浜松市東部公民館母親教室
7・20……伊平小学校
ほか、横浜市(2個所)ほかでの講演を予定しています。
詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! がんばっています!
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\  ̄Σ▽乃 ̄\/〜〜/
\ : ξ)
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┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)7-18
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(E−マガ)……読者数(Nr. of Readers) 352人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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/井\
〔井井井〕
MMMMM \井/Hi! I am Hiroshi, and through this magazine you may know
| ⌒ ⌒ | ‖ what is happening among parents in Japan, with some knowledge
○ q ・ ・ p ‖ how to cope with Kids and how to bring up children at home.
⊆⊇ (〃 ▽ 〃) ξ)
\u ̄ ̄⊆V⊇ ̄ ̄レ/
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数(Nr. of Readers) 80人
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上、二つの、E-マガとメルマガは同じ内容です。ただしメルマガの
ほうでは、送信容量に限界があるため、たいていいつも内容をカット
して送っています。全文読んでくださる方はEマガのほうを、ご購読
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どちらか一方をというかたは、Eマガのほうを、ご購読ください。
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「はやし浩司の世界」……Eマガ 読者数(Nr. of Readers) 43人
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02−7−18号(078)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second
son's website in USA, for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
みなさんへ、
「子育てワンポイント」が、もうすぐ、計600作になります。
ホームページのほうに収録しておきますので、興味のある方は、
どうか、お読みください。トップページより「子育てワンポイ
ント」へお進みください。何しろ量が多いので、ダウンロード
に時間がかかるかもしれません。どうか短気を起こされません
よう、お願いします。
前回、メルマガを2回、配信してしまいましたが、これは
メルマガを配信する、BIGLOBE社の手違いによるも
のです。ご迷惑をおかけしました。
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メニュー
今日のテーマ、「心の旅」(Inner Trip)
【1】子どもの見方(How to understand kids)
【2】心の旅(Inner trip)
【3】どこまで事実を書くべきか(To what extent...?)
【4】English Edition
【5】随筆(Essays)
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【1】
子どもの見方について、
書いてみました。
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ケチな子ども
長男や長女など、一番年長の子は、ケチになりやすい。それは下の子が生まれると同時に、
生活環境が守勢に回るからと考えてよい。親のほうは「平等にかわいがりました」と言うが、長 男や長女にしてみれば、「平等」ということが不満なのだ。それまで一〇〇%あった自分への 愛情や関心、さらにはモノやプレゼントが、半分の五〇%に減ったことが不満なのだ。そういう 意味で、『愛情は落差の問題』と覚えておくとよい。
が、ケチだけではない。長男や長女は、「してもらう」ことになれているため、どこへ行っても、
またどんな場所でも、「してもらう」のが当然と考える。「当然」というのは、無意識のうちにも、そ うであるべきと考える。だから態度がどうしても大きくなる。(本当は大きく見えるだけかもしれ ない。本人にはその自覚はない。)加えて甘やかされて育っていることが多いから、他人への 配慮も少なくなる。昔から『総領の甚六』というが、それはそういったサマをいったもの。
が、問題はこの先。一度こうした態度が身につくと、その態度は、それこそ死ぬまでつづく。こ
のケチにしても、途中で、それがなおるということは、まず、ない。たとえば兄弟会か何かで集 まっても、長男や長女が費用を率先して支払うということは、まず、ない。たいていは下のもの に払わせるか、割り勘を主張する。長男や長女は、自分のものが減るとか、取られるというこ とには、敏感に反応する。
一方、二番目の子どもや、さらに末っ子は、これに対して、モノやお金に執着心がない。その
ため、寛大になる。あくまでも比較の問題だが、たいていはどこの家庭でも、それが顕著に表 れる。「兄貴はケチだが、弟はキップがよい」と。
ただしケチと、質素は別。ケチというのは、モノやお金への執着心や依存心をいう。質素とい
うのは、つつましく生きる生きザマそのものをいう。だからケチな人というのは、自分では結構 ハデな生活をすることが多い。ブランド品を身につけたり、高級車を乗り回すなど。質素な人 は、お金のあるなしにかかわらず、そういったハデさを求めない。
そうそう、こんなケチな人がいた。ある日、その人の家を訪れてみて驚いた。何と、コンドーム
が洗って干してあった! 世の中にはいろいろなケチがいるが、コンドームを洗って使う人は 少ない。しかも堂々と! 何回か外食に誘ったことがあるが、一度だって、自分で支払ったこと はない。いつも「林さん、ごちそうさま」ですんでしまった。で、家の中は、ガラクタだらけ。破れ たズボンまで、大切にしまっていた。モノを捨てられない性分らしい。その人も、やはり長男だっ た。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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忘れ物が多い子ども
忘れ物が多い子どもといっても、一様ではない。(1)注意力そのものが散漫な子ども、(2)モ
ノに執着心がなく、モノのあつかいが、ぞんざいな子ども、(3)生活習慣そのものが、乱れてい る子ども、(4)大脳の機能そのものに問題があると思われる子ども、など。ほかに無気力な子 ども、知恵の発達そのものが遅れている子ども、親の過干渉で精神が萎縮している子どもも忘 れ物が多い。
●注意力が散漫な子ども……ひとつのことに夢中になると、ほかのことを忘れてしまうタイプ。
「今日のレッスンはおしまい」などと先生が言うと、帰ることだけを考えて、まっすぐ教室から出 ていってしまうタイプ。いつも机の上に、ノートやテキストを置き忘れていく。
●モノに執着心のない子ども……このタイプの子どもは、自分のモノ、他人のモノという感覚が
うとい。飽食とぜいたくの中で、モノをふんだんに与えられて育った子どもとみる。忘れるという よりは、平気でなくすといったふうになる。いくら鉛筆を買ってあげても、すぐなくしてしまうという 子どもは、このタイプを疑ってみる。
●生活習慣がだらしない子ども……心からバランス感覚(ものごとの善悪を静かに考えて判断
する能力)がなくなると、子どもの言動は極端になりやすい。たとえば「文句のあるヤツはぶっ 殺してやる」式のものの考え方をする。そして一方、生活習慣や態度がだらしなくなる。モノの あつかいが乱暴になったり、ぞんざいになったりする。他人の心を静かに思いやるなどの繊細 さが消えることが多い。考え方も投げやりになり、その結果として、忘れ物が多くなる。非行化 する、その一歩手前の症状とみる。
●大脳の機能に問題があると思われる子ども……このタイプの子どもは、忘れ物が病的にな
ることが多い。バッグや帽子をどこかへ置くのだが、置いた先から、どこへ置いたかを忘れてし まう。そこで親は子どもにメモをもたせたりするが、今度は、そのメモをどこかへ置き忘れてし まう。いつも何かのさがしものをしているといったタイプの子ども。
どのタイプの子どもにせよ、忘れ物をしたからといって、子どもを叱ってもあまり意味がない。
全体としてみれば、忘れ物というのは、子どもの世界ではごく日常的にみられる現象で、それ ほどおおげさに考える必要はない。とくに幼児や小学校の低学年児は、記憶の内容に、優劣 をつけることができないため、(つまりどれが大切な情報で、どれが大切でない情報かを区別 することができないので)、忘れ物が多くなる。たとえば先生から「これをお母さんに渡して」と受 け取った手紙も、友だちから「B子に渡して」と受け取った手紙も、この時期の子どもには、同じ 手紙でしかない。新しい情報が入るたびに、古い情報を忘れるということもある。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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【2】
心の旅って、ご存知ですか。
私はときどき心の実験を自分でして
楽しんでいます。みなさんも、一度
心の実験をなさってみらえれたら
いかがでしょうか。それまで知らなかった
世界を見ることができるかもしれませんよ。
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*
私の過去(心の実験)
私はときどき心の実験をする。たとえば東京の山手線に乗ったとき、東京から新橋へ行くの
に、わざと反対回りに乗るなど。あるいは渋谷へいくとき、山手線を三周くらい回ってから行っ たこともある。一周回るごとに、自分の心がどう変化するかを知りたかった。しかし私の考え方 を大きく変えたのは、つぎのような実験をしたときのことだ。
私はそのとき大阪の商社に勤めていた。帰るときは、いつも阪急電車を利用していた。その
ときのこと。あの阪急電車の梅田駅は、長い通路になっていた。その通路を歩いていると、た いていいつも、電車の発車ベルが鳴った。するとみな、一斉に走り出した。私も最初のころは みなと一緒に走り、長い階段をかけのぼって、電車に飛び乗った。しかしある夜のこと、ふと 「急いで帰って、それがどうなのか」と思った。寮は伊丹(いたみ)にあったが、私を待つ人はだ れもいなかった。そこで私は心の実験をした。
ベルが鳴っても、わざとゆっくりと歩いた。それだけではない。プラットホームについてからも、
横のほうに並べてあるイスに座って、一電車、二電車と、乗り過ごしてみた。それはおもしろい 実験だった。しばらくその実験をしていると、走って電車に飛び乗る人が、どの人もバカ(失 礼!)に見えてきた。当時はまだコンピュータはなかったが、乗車率が、一三〇〜一五〇%くら いになると電車を発車させるようにダイヤが組んであった。そのため急いで飛び乗ったようなと きには、イスにすわれないしくみになっていた。
英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。「早く楽になろうと思ってがんばっているう
ちに、疲れてしまって、何もできなくなる」という意味だが、愚かな生き方の代名詞にもなってい る格言である。その電車に飛び乗る人がそうだった。みなは、早く楽になりたいと思って電車に 飛び乗る。が、しかし、そのためにかえって、よけいに疲れてしまう。
……それから三〇年あまり。私たちの世代は企業戦士とか何とかおだてられて、あの高度
成長期をがむしゃらに生きてきた。人生そのものが、毎日、発車ベルに追いたてられるような 人生だった。どの人も、いつか楽になろうと思ってがんばってきた。しかし今、多くの仲間や知 人は、リストラの嵐の中で、つぎつぎと会社を追われている。やっとヒマになったと思ったら、人 生そのものが終わっていた……。そんな状態になっている。私とて、そういう部分がないわけで はない。こう書きながらも、休息を求めて疲れるようなことは、しばしばしてきた。しかしあのと き、あの心の実験をしなかったら、今ごろはもっと後悔しているかもしれない。そのあと間もな く、私は商社をやめた。今から思うと、あのときの心の実験が、商社をやめるきっかけのひとつ になったことは、まちがいない。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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拾ったサイフ
生徒(小四男児)三人と、街の中を歩いているときのこと。道路にサイフが落ちていた。見た
目には立派なサイフだった。生徒がいる手前、ここはかっこよく始末しなければいけないと思 い、中身を調べた。どこかの高校生のサイフだった。身分証明書と、ビデオショップのカード、 コンビニのカードが入っていた。お金はなかった。が、そのカードの中にはさんであるものを見 て、私は驚いた。何と、コンドームが二つ入っていた! 生徒たちが「何が入っている?」と聞 いたが、私は答えられなかった。そんな私の気持ちが理解できないまま、子どもたちは「交番 へもっていこう」と、私にせがんだ。
私はその場で考えこんでしまった。私が高校生のときは、ガールフレンドの手を握ったことも
なかった。コンドームというものが、あることすら知らなかった。私はそのサイフを手にしたま ま、交番のほうに向かって歩いた。歩きながら、いろいろなことを考えた。
「高校に届ければ、中身がわかってしまう。その高校生は、何らかの処分を受けるかもしれな
い」「だれかがお金を抜いたあと、また捨てたサイフに違いない」「いったい、この高校生は、毎 日、何を考えている」などなど。交番といっても、駅前の交番まで、五〇〇メートルはある。
途中、……といっても、それが目的だったが、生徒たちとコンビニへ入った。いくつかの文房
具を買ったあと、レジの男に、サイフを拾ったことを話した。内心では、その男がサイフを預か ってくれないかと願ったが、その男はこう言った。「駅前に交番がありますよ」と。再び私はその サイフをもって、通りに出た。生徒たちは、すっかり交番まで行く気になっている。が、そのとき のことだ。私はときどき、クソまじめに生きているのが、バカらしくなるときがある。そのときがそ うだった。私はこう考えた。
「コンドームを持ち歩くような高校生のために、どうして私が、そのサイフを交番へ届けなけれ
ばならないのか」と。しかもお金が入っているならまだしも、カラのサイフだ。サイフという「形」を とれば、ただのゴミ。そう思った瞬間、決心した。私は身分証明書だけが、少し気がかりだった が、そのサイフをゴミ箱に捨てることにした。子どもたちに、「このサイフは捨てるよ」と言うと、 「どうして?」と聞いた。「だって、お金なんか、入っていないからね」「……」「お金が入っていな ければ、交番へ届けてもしかたないし……」「……だって、先生、サイフだよ」「そうだな……。ど うしようか?」
そのとき一人の生徒が、こんな名案を出した。「だったら、落ちていたところに、また置いてお
けばいい」と。なるほど! それならだれも文句は言わない。私たちは体をUターンさせると、も とあった場所にもどった。ちょうどその前に自動販売機があった。私はサイフをその販売機の 上に置いた。「これなら落とした人が戻ってくるかもしれない」と。
翌日見ると、そのサイフはなくなっていた。
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【3】
どこまで本当のことを書くべきか。
こうしたコラムを書くときは、いつ
も神経をつかいます。そんなことを
わかっていただければうれしいです。
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モデルケース
こうしたコラムを書くとき、一番、神経をつかうのは、具体例を挿入するときである。私たちの
世界には、医師や弁護士、公務員のような守秘義務というのはないが、しかしそれに似たもの はある。あるというより、それを守らないと、たいへんなことになる。
そこで私はつぎのような手法をとる。具体例として、よい例としてあげるときでも、二つのケー
スをひとつにしたり、反対にひとつのケースを二つに分けたりする。私自身が実際経験したケ ースでも、「聞いた話」にしたり、あるいは反対に「聞いた話」を、私自身が経験したようにする。 (人から聞いた話は、私のばあい、めったに取りあげないが……。)
問題は、悪い例である。これには神経をつかう。名前や住居を変えるのは当然のことなが
ら、時代を変えたり、背景を変えたり、ストーリーを変えたりする。たいていはもとの形がわから ないほどまでに変える。さらに前後を入れ替えたり、ほかの話を混ぜたりする。その人自身が 私のコラムを読んでも、自分のことだとは思わないだろう……というところまで変える。いわん や他人が読んで、その人とわかるようなことを書くと、それこそたいへんなことになる。そんなわ けでよく、「ここに書いてあることは本当ですか?」と聞かれることがあるが、答は半分イエス で、半分ノーということになる。これは子育てコラムを書く人間の、最低のルールでもある。
ただときどき、本当のことをズバリと書くときがある。抗議の気持ちをこめて書くときは、遠慮
しない。以前、陰湿ないじめにあっていた幼児(年中女児)がいた。しかもいつもその女の子を 足蹴りにしていじめていたのは、その幼稚園でPTA会長をしている女性だった。その女性は自 由に幼稚園へ出入りできる立場をうまく利用して、その女の子をいじめていた。(いじめというよ り、虐待と言ったほうがよいかもしれない。)その話を書いたときには、事実を書いた。そのコラ ムは地元の新聞にも載ったが、身に覚えのあるその女性は、それを読んで、さぞかしゾーッと したことだろうと思う。
またよく「事実は小説よりも奇なり」と言われるが、あまりにもありえない話を書くときは、事実
を書くようにしている。……などなど。結構、この仕事も神経をつかう仕事なのである。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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どこまで本当のことを書くべきか。
その一例をここにあげます。これは
中日新聞のコラムとして発表したも
です。
(A)の部分は、事実です。
(B)の部分は、背景を変えました。
(C)の部分は、ほぼ事実を書きました。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(583)
いじめの陰に嫉妬
陰湿かつ執拗ないじめには、たいていその裏で嫉妬がからんでいる。この嫉妬というのは、
恐らく人間が下等動物の時代からもっていた、いわば原始的な感情の一つと言える。それだけ に扱いかたをまちがえると、とんでもない結果を招く。
市内のある幼稚園でこんなことがあった。その母親は、その幼稚園でPTAの役員をしてい
た。その立場をよいことに、いつもその幼稚園に出入りしていたのだが、ライバルの母親の娘 (年中児)を見つけると、その子どもに執拗ないじめを繰り返していた。手口はこうだ。その子ど もの横を通り過ぎながら、わざとその子どもを足蹴りにして倒す。そして「ごめんなさいね」と作 り笑いをしながら、その子どもを抱きかかえて起こす。起こしながら、その勢いで、またその子 どもを放り投げて倒す。以後、その子どもはその母親の姿を見かけただけで、顔を真っ青にし ておびえるようになったという。
ことのいきさつを子どもから聞いた母親は、相手の母親に、それとなく話をしてみたが、その母
親は最後までとぼけて、取りあわなかったという。父親同士が、同じ病院に勤める医師だった ということもあった。被害にあった母親はそれ以上に強く、問いただすことができなかった。似 たようなケースだが、ほかにマンションのエレベータの中で、隣人の子ども(三歳男児)を、やは り足蹴りにしていた母親もいた。この話を、八〇歳を過ぎた私の母にすると、母は、こう言って 笑った。「昔は、田舎のほうでは、子殺しというものまであったからね」と。(A)
子どものいじめとて例外ではない。Tさん(小三女児)は、陰湿なもの隠しで悩んでいた。体操
着やカバン、スリッパは言うに及ばず、成績表まで隠されてしまった。しかもそれが一年以上も 続いた。Tさんは転校まで考えていたが、もの隠しをしていたのは、Tさんの親友と思われてい たUという女の子だった。それがわかったとき、Tさんの母親は言葉を失ってしまった。「いつも 最後まで学校に残って、なくなったものを一緒にさがしていてくれたのはUさんでした」と。Tさん は、クラスの人気者。背が高くて、スポーツマンだった。一方、Uは、ずんぐりした体格の、どう みてもできがよい子どもには見えなかった。Uは、親友のふりをしながら、いつもTさんのスキを ねらっていた。そして最近でも、こんなことがあった。(B)
ある母親から、「うちの娘(中二)が、陰湿なもの隠しに悩んでいます。どうしたらいいでしょう
か」と。先のTさんの事件のときもそうだったが、こうしたもの隠しが長期にわたって続くときは、 身近にいる子どもをまず疑ってみる。そこで私が、「今一番、身近にいる友人は誰か」と聞くと、 その母親は、「そういえば、毎朝、迎えにきてくれる子がいます」と。そこで私は、こうアドバイス した。「朝、その子どもが迎えにきたら、じっとその子どもの目をみつめて、『おばさんは、何で も知っていますからね』とだけ言いなさい」と。その母親は、私のアドバイス通りに、その子ども にそう言った。以後、その日を境に、もの隠しはウソのように消えた。(C)
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【4】English Corner,translated by Mr. IBM
This is an article I wrote about my experience.
My past (experiment of the heart)
I sometimes experiment in the heart. For example, when it rides on Yamanote Line in
Tokyo, it has ridden on going to Shinbashi from Tokyo purposely at the circumference of the contrary. Or when going to Shibuya, after turning around Yamanote Line about 3 rounds, it has carried out. Whenever it turned 1 round, I wanted to know how its heart will change. However, the time of conducting the following experiments changed my view a lot.
I was working for the trading company in Osaka then. When returning, the Hankyu train
was always used. The solved thing. The Umeda station of that Hankyu train had become the long passage. Whenever he was walking along the passage, the departure bell of a train rang mostly. Then, it started running all at once wholly. It ran at the time of the beginning together with everybody, I also applied and climbed long stairs, and it jumped in the train. however, the thing of a certain night -- I thought suddenly, "return in a hurry and how is it? " Although the dormitory suited Itami, those who wait for me had nobody. Then, I experimented in the heart.
Even if the bell rang, he walked slowly purposely. There is nothing so then. a platform --
since -- it sits on chairs currently arranged in the way of width, and rode unenthusiastically with one train and two trains It was an interesting experiment. If the experiment is conducted for a while, every man has had looked stupid those visible who run and jump in a train. Although there was still no computer those days, when the rate of entrainment became about 130 - 150%, the diagram was constructed so that a train might be started. Therefore, when it jumped in in a hurry, it had become the structure which cannot sit on chairs
The proverb of "getting tired in quest of rest" is in English. Although it is the meaning "get
tired and nothing becomes impossible while it thinks that it will become easy early and its best is done", it is the proverb which is also the pronoun of a foolish way of life. Those who jump in the train were so. Everybody wants to become easy early and jumps in a train. For が, however its reason, it will get tired on the contrary too many.
And a little more than 30 years. our generation -- a corporate warrior -- it was flattered
somehow and that high growth time has been lived hard without thinking a lot et al. The life itself was the life which was followed to the departure bell and which shines every day. Every man thought that he would become easy in when, and has done his best. however, a present friend and a present acquaintance many -- the inside of the storm of restructuring -- one after anotherit is run after a company When thinking that it became free in time at last, the life itself had finished. It is in such a state. I and such a portion are not necessarily. Though written like this, what is tiring in quest of rest has often been done. However, if it does not experiment in that heart at that time, it may repent more now. I resigned from the trading company soon the back. When it considers from now on, it is certain that the experiment of the heart at that time was set to one of the causes which resigns from a trading company.
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【5】
ここ数日で書いたエッセーを送ります。
あまり意味のあるエッセーではありま
せんが、お許しください。いわば雑感
のようなものです。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(577)
NHKの大河ドラマ
歴史は歴史として、正しく評価しなければならない。しかし必要以上に、美化してはいけない。
とくにあの封建時代を美化していはいけない。
昨日(二〇〇二年七月)も、NHKの大河ドラマの『利家とまつ』を見た。しかし前田利家といえ
ば、これまた類をみないほどの圧制暴君だった。どう暴君であったかは、また別のところに書く ことにして、あの金沢城の中には、少し前まで刀の試し切りをした場所まで残っていた。つまり 新しい刀ができると、利家らは生きている人間を裸にしてつりさげ、その人間をその刀で切って いたという! NHKの大河ドラマを見ていると、利家たちはきわめて人間味にあふれた、知的 な人物に描かれているが、本当にそうか? そのまま信じてしまうのは、たいへん危険なことで もある。
だいたいあの当時の封建領主は、今の暴力団のようなもの。まともな人間を想像するほうが
おかしい。いわんや民衆のために、民衆のことを考えて戦ったのではない。刀をもった人間が いかに恐ろしい存在であったかは、数年前、佐賀県で起きたバスジャック事件を思い出せばわ かる。あのときは、刃渡り四〇センチの包丁をもったたった一人の少年に、日本中がおびえ た。利家の時代といえば、ほんの一部の為政者にすべての富が集中する一方、ほとんどの民 衆は、恐怖政治のもと、極貧の生活を強いられた。しかもそういう時代が、そのあと、三〇〇年 もつづいた!
封建時代を美化するということは、時代の流れそのものを逆行させることになる。たとえば今
にみる、日本独特の男尊女卑思想、家制度、職業による差別意識(身分制度)、上下意識、さ らには権威主義、出世主義などなど、こうした問題はすべて、あの時代に由来する。役人によ る官僚政治も、その一つに加えてよい。が、それだけではない。
一〇年ほど前、浜松市の駅前に、これまた豪華な高層ビルが建った。建築費が二〇〇〇億
円とも三〇〇〇億円とも言われている。(同じころ東京都庁ビルが建ったが、それは一七〇〇 億円。国立劇場は四〇〇億円。)土地代を含めたら、もっとになる。いったいいくらの税金が使 われたのか。使われなかったのか。複雑なカラクリがあって、私のような市民には知る由もな い。が、それにしても、ムダな建物である。地下にある二つのホールをのぞけば、あとは事務 所とホテル。展望台にしても、今は閑古鳥が鳴いている。そのビルについて、市役所で部長を している知人にそれとなく抗議すると、その知人はこう言った。「ああいう建物は建てられるとき に建てておけばいいのです。江戸時代の城のようなものです。後世に残るのは、ああいう建物 です」と。封建時代の築城精神がこうした人たちの心の中に生きている! 私はそれに驚い た!
あの時代はいくら美化しても、美化しきれるものではない。美化すればするほど、自己矛盾に
陥(おちい)ってしまう。そんな冷めた目であの番組を見ているのは、私だけだろうか。
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・5……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
7・23……浜松市東部公民館母親教室
7・20……伊平小学校
ほか、横浜市(2個所)ほかでの講演を予定しています。
詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! がんばっています!
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MMMMM
m | ⌒ ⌒ |
( ̄\q ・ ・ p
\´(〃 ▽ 〃) /〜〜
\  ̄Σ▽乃 ̄\/〜〜/
\ : ξ)
┏━━┻━━━┓
┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)7-20
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====KW(8)
子育て最前線の育児論byはやし浩司(E−マガ)……読者数(Nr. of Readers) 356人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数(Nr. of Readers) 80人
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上、二つの、E-マガとメルマガは同じ内容です。ただしメルマガの
ほうでは、送信容量に限界があるため、たいていいつも内容をカット
して送っています。全文読んでくださる方はEマガのほうを、ご購読
ください。
どちらか一方をというかたは、Eマガのほうを、ご購読ください。
また、よりアカデミックな(?)マガジンをご希望の方は、「はやし浩司の世界」を
どうかあわせて、ご愛読ください。お申し込みは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
のトップページより、「マガジン購読」コーナーへ、お進みください。
Please subscribe to another magazine, "The Hiroshi's World",
published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you very much.
Please go to the "Magazine Corner" from the Top Page of my Website to
apply for subscription of the magazine. Free to read!
「はやし浩司の世界」……Eマガ 読者数(Nr. of Readers) 43人
★★★★★★★★★★★★★★★★★
02−7−20号(079)
★★★★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second
son's website in USA, for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
みなさんへ、
●「子育てワンポイント」の、1〜600作を、
一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
ご希望の方に、1枚1000円でお分けします。(郵送料込み)です。
詳しくは、このマガジンの末尾をご覧ください。
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メニュー
今日のテーマ、「映像文化」(How the Image affects Kids)
【1】瀬戸市のYUさんより(An E-mail from YU in Seto, Aichi, Japan)
【2】映像と子どもへの影響(It might damage the Kids' brains)
【3】札幌市のFSさんより(An E-mail from Ms. FS in Sapporo-city)
【4】English Edition
【5】随筆(Essays)
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【1】
愛知県瀬戸市にお住まいのYUさんから、
こんなメールが届いています。皆さんと
いっしょに、この問題を考えてみたいと
思います。
文中、「ジェンダー」という言葉が出てき
ますが、これは、文化的、思想的、役割的
な性差のことをいいます。(肉体的な性差
を、SEXといいます。)「男だから……」
「女だから……」と、決めてかかること自
体おかしいのです。このおかしさが、この
日本ではいまだに大手を振って歩いていま
すね。
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(お詫び)
YUさんからのメールを、ここに掲載させていただく
予定でしたが、転載の了解がまにあいませんでしたので、
掲載は、了解をいただいたのち、いたします。
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私が子どものころの「女」
私が子どものときですら、男子が女子と遊ぶということ自体、考えられなかった。そのため
か、私には、女子と遊んだ記憶がない。どこにもない。ないものはないのであって、どうしようも ない。遊べば遊んだで、「女たらし」と呼ばれ、そのまま皆から、仲間はずれにされた。男女の 境(さかい)がはっきりしていたというのではなく、その根底に、はげしい女性蔑視のものの考え 方があった。「女」は人間ではなかった!
Tさん(七八歳女性)は、夫と結婚し、昔からに旧家に嫁いできた。二四歳のときのことだっ
た。そのころを振り返って、Tさんはこう言う。「私なんか、一人の人間にあつかってもらったこと はなかった。女中かそれ以下の存在でしかなかった」と。いわんや夫の仕事に口を出したり、 意見を述べるなどということは、ありえなかった。仮に夫が愛人を自宅へ連れてきても、文句を 言うことすらできなかった。Tさんの家でも実際、それに近いことはあったらしいが、当時は、そ ういう時代だった。「時代」といっても、今からたった半世紀前のことである。
で、この状態は、今、急速に変わりつつある。が、まだその過渡期といってもよい。都会はと
もかくも、地方へ行くと、この傾向はいまだに残っている。少し前、九州のある都市で講演させ てもらったが、主催者の人がこう話してくれた。「このあたりでは、今でも、嫁が嫁の実家に帰る ときは、シーツをもたせる習(なら)わしになっています」と。つまり娘が実家へ帰るとしても、実 家のシーツは使わせてもらえない、と。いや、都会でも、こうした男尊女卑思想は、根強く残っ ている。今でも「男は仕事、女は家事」と平気で言う人は、いくらでもある。しかし家事は仕事で はないとでもいうのだろうか。あるいは仕事をしている夫が偉くて、家事をしている妻は、そうで ないというのだろうか。こうした偏見が、日本の家庭に、いまだに暗い影を落としている。
ただこの問題を考えるとき、二つのポイントがある。ひとつは、そういう男尊女卑社会につい
て、男たちの意識が、ほとんどないということ。脳のCPUがいかれているから、男たちがそれを 自分で気がつくということは、ほとんど、ない。ふたつめに、そういう男尊女卑社会を、肝心の 女性たちが受け入れてしまっているということがある。女性にしても、骨のズイまで、魂を抜か れてしまっている! こういう男性や女性のものの考え方を変えるのは、容易なことではない。
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【2】
映像文化が、子どもの脳に与える影響について
考えてみました。後半の「子どもの脳が乱舞するとき」は、
以前、一度、このマガジンでとりあげたものです。
重要な問題だと思いますので、もう一度、掲載します。
私たちはあまりにも、安易に、子どもたちに動きの
はげしいアニメや映画を見せていないでしょうか?
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映像文化
劇場で映画を見るとどうなるかを、子どもたち(小学四〜六年生)に聞いてみた。
見ると、たいてい頭が痛くなる……1人
見ると、ときどき痛くなる ……2人
ほぼ何ともない ……2人(そのときの体の調子によるとのこと)
何ともない ……4人
眠くなったりする ……1人
この質問をした背景に、私自身は、「いつも痛くなる」ということがある。先日もデパートで、子
どもたちがテレビゲーム(「スーパーマリオ・サンシャイン」)をしているのを、横で見ていたが、 それだけで、私は頭が痛くなってしまった。どういうメカニズムによるのかはわからないが、日 常的でない刺激が、脳にダメージを与えるらしい。年齢的な問題もある。最近では家庭でビデ オを見ていても、頭痛が起きることがある。いや、子どもだって無難ではない。この調査でもわ かるように、一〇人中、三人までが、「痛くなる」「ときどき痛くなる」と答えている。
ここでいう「日常的でない刺激」というのは、はげしい光の点滅による刺激をいう。その刺激
が脳にある種の緊張感をつくり、その緊張感が頭痛を起こすということは、容易に察しがつく。 よい例が、九七年に起きた「ポケモンパニック事件」である。その年の一二月一六日、テレビ東 京系列のポケモンを見ていた子どもが、光過敏性てんかんという、わけのわからない症状を示 して倒れた。はげしいけいれんと、嘔吐。その日の午後一一時までにNHKが確認したところ、 埼玉県下だけでも、五九人。全国で三八二人。さらに翌々日の一八日までには、その数は全 国で、〇歳児から五八歳の人まで、七五〇人にもなった。気分が悪くなったという被害者まで 含めると、全国で一万人以上! 大阪では発作を起こして、呼吸障害になった上、意識不明の 重症におちいった五歳の子ども(女児)もいた。「酸素不足により脳障害の後遺症が残るかもし れない」(大阪府立病院)と。たかが映画ではないかと、軽く片づけることはできない。
が、問題はここで終わらない。こうした刺激が、子どもから、「論理的にものを考える力」をう
ばう危険性すらある。今、授業中、イメージが乱舞してしまい、静かな指導になじまない子ども が急増している。これはあくまでも私の推察だが、その理由の一つに、ここでいう「日常的でな い刺激」があるのでは……? 法律の世界には、「疑わしきは罰せず」という不文律がある。し かし子どもの世界では、「疑わしきは、先手先手で、どんどん罰する」。それが原則である。
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子どもの脳が乱舞するとき
●収拾がつかなくなる子ども
「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、あ
あ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポ ンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよ う。動作も一貫性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突 然神妙な顔をして、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。 その間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こち らの頭のほうがヘンになる。
多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、症状が
急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。三〇年前に はこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ一〇年、急速にふえた。小一児で、一〇人 に二人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに 数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑 えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。
●崩壊する学級
「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答え
た先生が、六六%もいる(九八年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。「指導の疲れから、病 欠、休職している同僚がいるか」という質問については、一五%が、「一名以上いる」と回答し ている。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、九 〇%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(七五%)、「友だちをたたく」 (六六%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(六六%)、「配布物を破ったり捨てたり する」(五二%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。
●「荒れ」から「新しい荒れ」へ
昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが
最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使う人もい る。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの 教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。
日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を
感ずる」というのが、二〇%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」 (一四%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(一〇%)と続く。そしてそ の結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、八%、「かなり感ずる」「やや感ず る」という先生が、六〇%(同調査)もいるそうだ。
●原因の一つはイメージ文化?
こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲー
ムをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊 家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子ど もが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、 アメリカでも起きている。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期 に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。「テレ ビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もしません でした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎ る。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎ る。
●ゲームは右脳ばかり刺激する
こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりや
すく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。その 証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができ ない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚 が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろいが、直 感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつか さどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こ うした今まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えている ことはじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということにな る。
学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊を
あげる。
(付記)
●ふえる学級崩壊
学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。一九九九年一月になされた日
教組と全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告さ れている。「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、北海 道や東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫りにさ れた」(中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がっている」とも。
北海道のある地方都市で、小学一年生七〇名について調査したところ、
授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない……一九人
教師の指示を行動に移せない ……一七人
何も言わず教室の外に出て行く ……九人、など(同大会)。
●心を病む教師たち
こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在籍する
約六万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、九三年度から四年間は毎年二一〇人 から二二〇人程度で推移していたが、九七年度は、二六一人。さらに九八年度は三五五人に ふえていることがわかった(東京都教育委員会調べ・九九年)。
この病気休職者のうち、精神系疾患者は。九三年度から増加傾向にあることがわかり、九六
年度に一時減ったものの、九七年度は急増し、一三五人になったという。この数字は全休職 者の約五二%にあたる。(全国データでは、九七年度は休職者が四一七一人で、精神系疾患 者は、一六一九人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、うつ状態が約 半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護者などの対人関係のストレス によるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。
●その対策
現在全国の二一自治体では、学級崩壊が問題化している小学一年クラスについて、クラスを
一クラス三〇人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策をとってい る(共同通信社まとめ)。また小学六年で、教科担任制を試行する自治体もある。具体的に は、小学一、二年について、新潟県と秋田県がいずれも一クラスを三〇人に、香川県では四 〇人いるクラスを、二人担任制にし、今後五年間でこの上限を三六人まで引きさげる予定だと いう。福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小一でクラスが三〇〜三六人のばあいでも、 もう一人教員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、一部の 小学校では、六年に、国語、算数、理科、社会の四教科に、教科担任制を試験的に導入して いる。大分県では、中学一年と三年の英語の授業を、一クラス二〇人程度で実施している(二 〇〇一年度調べ)。
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【3】
札幌市のFSさんより、こんなメールが届いて
います。転載許可をいただきましたので、ここ
に転載します。
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「はじめまして。
場面かん黙で検索をして先生のHPに辿りつきました。
10月で4歳になる娘は、両親以外の人と話をしません。
3歳5ヶ月から保育所に通っていますが、先生やお友だちとは
ゼスチャーや首振り、手を引っ張るなどの意思表示をしています。
大人を動かそうとし、頼ろうとすることが多いです。
お友だちとの関わりは、誘われれば一緒に遊びます。
ただ、笑っても声は出ません。「ご機嫌だね」と保母さんに声を
かけられると、「しまった!」という顔をして無表情になります。
どうしてもの要求は「ママ、〜って言って」と言います。
少人数で遊んでいる時は良いのですが、人数が多くなってくると
逃げ出してしまいます。小さい頃は滑り台の順番など
うしろに誰かが来ると避けて誰もいなくなるまで滑れませんでした。
また、音の出るおもちゃは慣れるまで時間がかかり、
100円を入れて動く遊具(デパートの上にあるような)は、乗れません。
財布を出しただけで脅えてしまいます。
お家で遊ぶ時は、自分の家でないと安心できないのか、
お友だちの家へ行くのは嫌がります。
何かをしている時、うまくいかないとすぐに「キー!」となってしまい、
「こうやってみたら?」等のアドバイスは届かないようです。
これは、家だけで、保育所では何も言わずにあきらめるようです。
保育所では、年少の頃は「言わないとわからないよ」といった方向で
指導されていました。今は「甘え」だけではないと思って下さったようで
お尻を叩く程度で声がけをして下さっています。
身辺自立は、夜間のオムツがまだ取れていません。
食事は自分でしますが、箸はにぎり箸です。(左きき)
着替えは、ボタンを親または保母に頼ります。
現在、言葉の遅い子供たちを集めた少人数制の母子通所(札幌市)に
通っています。約3ヶ月が経ちます。
そこではじめて「場面かん黙」ではないか?と言われました。
理解については、できている部分とできていない部分があり、
本人がこうと思い込んだらそれを変えるのが難しいと言われました。
母子通所は、5名の子供たちで娘以外は自閉傾向のお子さんで、
言葉を獲得していくという段階のようです。
そこの先生は、このままここで「お話するのは楽しい」ということを
教えていったほうがよいのか、言葉を話さなくてもコミュニケーションが
とれてしまうここにいてよいのか迷っているようです。
また、いろいろな要素が入り乱れ、場面かん黙に対するケアで
あっているのかどうかも判断しにくいと言われました。
先天性の病気と関わりがあるかどうかわかりませんが、
今まで相談したところでは、先天性の病気のことを話すと
「じゃあ、仕方ないね」みたいな対応なので、
あまり書きたくはないのですが、全く関係ないわけでも
ないと思いますので、書きます。
娘は22q11.2欠失症候群という染色体起因障害児です。
口唇裂と心臓病等があり、知的発達は3歳程度と言われています。
身体障害者手帳1級と療育手帳B2を所持しています。
(ただし、療育判定の際は話しませんでした)
3歳までは、心臓の治療で長期、短期入院など病院で過すことも
多かったです。病院は完全看護で、親は付き添いができません。
また、口唇の手術は心臓との兼ね合いから3歳時に行いました。
単語の話し始めは2歳半、2語文は3歳。
原因はわかりませんが、言葉が不明瞭な部分が多いです。
口唇裂で通っている病院では、口蓋裂ではないので、
顎治での訓練などの対象にはならないと言われました。
知的な面では軽度の遅れなので、理解はできている部分が多いようです。
発達を診てもらっている医師に勧められ、保育所に入所しました。
健常のお友だちの影響を受け、運動面では、かなり成長してきたと思います。
こういった経過から、児童相談所や発達外来では
母子の関わりが薄いせいではないかと言われました。
今までの経過から容易に想像できる発言とは思います。
また、保母さんは逆で、入院が長かったせいで、母親が
過保護になっているのではないかと言われました。
動作がみんなに追いつけば、自然と言葉もでるのではないかと。
過保護、過干渉については私も認めるところがあり、
保母さんに指摘されてからは「待つ」ことと、
「早くしなさい」を禁句にするようになりました。
それからまだ半年ですし、待ちきれないことも多々あります。
生活動作などは「やってもらおう」という気持ちが大きいようで、
母子で根競べです。
病気について、私は隠すことをしていません。
本人も年齢に応じて、理解できる説明をしていこうと思っています。
染色体の病気についてサークルをやっていますので、
「病気や障害なんかに負けないぞ!」という気負いは
人一倍大きく、娘にも無理をさせていたのかも知れません。
娘は娘でいいじゃないと病気に甘えて、
させるべきことをさせていなかったからかもしれない。
逆にそう思われるのがいやで、娘に1度にたくさんの要求を
してしまったような部分があるかもしれない。
病気を見て娘を見ていなかったのかもしれない。
挨拶やごめんなさいが言えないのも、世間体を気にして
強制していました。(でも、絶対に言いません)
何が問題でどうしたらよいのか、というのがつかめないでいます。
もう自分1人では、どうすることもできなくなってきました。
私はこれからどんなことに気をつけて行くべきなんでしょうか?
長文になり、申し訳ありません。ご指導宜しくお願いします。
札幌市 FSより」
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はやしより、FSさんへ
メール、ありがとうございました。
22q11,2の問題と、かん黙性、恐怖症は
切り離して対処します。かん黙症については、
とにかく無理をしないこと。なおそうと思って
なおるものではありません。心がいつも緊張
していて、外部からの接触を、自ら拒絶する
(これを防衛機制という)という働きによるも
のです。私の経験でも、5〜6歳までは、無理
をしないという対処のし方が最善かと思い
ます。無理をすればするほど、立ち直りが
遅れます。
若いころは、「なおそう」という意識ばかりが
先行して、失敗の連続でした。しかしある時期
から、「あきらめる」という方法をとりました。
「なおそう」と思うのではなく、「認め、受け入れ
る」のです。そうすると、指導する側も余裕が
でき、その分、子どもの心に近づくことができ
ました。(親のほうが、あせるケースが多くて
そちらを指導するのが、かえってたいへんな
くらいです。)
かん黙しているからといって、知的な活動が
停止しているわけではありませんから、症状
や表情は、無視して、教えるべきことは教え
るという姿勢を大切にしますが、もっとも効
果的なのは、やはり母親のやさしい、愛情
あふれる指導です。母親がイライラしたり、
子どもを突き放すと、子どもは行き場をなく
してしまいますね。
また恐怖症については、同じように、心が緊
張状態にあるとみます。私自身も恐怖症に
なりやすい精神構造をしていて、お子さんの
気持ちがよく理解できます。本当にこわいの
ですよ。(私は飛行機恐怖症、閉所恐怖症
などがあります。)
22q11,2については、お母さんの姿勢は
すばらしいと思います。隠さねばならないよ
うなことではありませんし、だからといって、
どうということはありません。お母さんにして
も、つらい時期はあったと思いますが、文面
から察するに、すでに受け入れられておられ
るようですから、そういう姿勢を前向きに、
貫くことこそ、お子さんを守ることになります。
応援します。もうご存知かと思いますが、い
ろいろな会がありますから、何かあれば
相談なさるとよいと思います。
http://mama22112.soc.or.jp/
など。
全体に「気負い型」の子育てをなさって
おられるご様子、しかしそれにもお気づき
のご様子。それでよいと思います。親が気負え
ば気負うほど親も疲れますが、子どもも疲れ
ます。そしてその疲れが、親子の間にキレツ
を入れることになります。そうなれば、それこそ
本当に大失敗ということになります。
問題のない子どもというのはいないし、その
ため問題のない子育てはないのです。要は
どこまで「許して忘れる」かの問題に行き当
たります。親は、これを繰り返しながら、
子どもに育てられるのですね。すでに
お母さん自身の中に、そしていただいた
メールの中に、神々しさを感ずるのは
私だけではないと思います。どうか自信を
もって前に進んでください。心から応援します。
はやし浩司
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【4】English Corner,translated by Mr. IBM
お休みします。
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【5】
エッセイー
雑感のようなものです。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(584)
子どもを伸ばすために
「取った、取られた」、「ふえた、減った」、「得をした、損をした」、そんな感覚を通して、子ども
は数の世界でいうところの、「考える力」を養う。よく誤解されるが、計算力があるから「考える 力」があるということにはならない。計算力は訓練で伸びるが、「考える力」は、訓練では伸びな い。そういう意味で、「考える力」は生活と密接に関係する。言いかえると、「考える力」は、生活 を通して養う。ワークブックやドリルがムダとは言わないが、しかし生活力のともなわない「力」 は、いわばメッキのようなもの。やがてすぐ、「はげる」。
……ということは、この世界では常識だが、では、どうすれば、生活の中で、そうした緊張感
ができるか、だ。ふつう一人っ子は、「取った、取られた」の経験が少ないから、ここでいう「考 える力」が弱くなると考えがち。しかし実際には、そういうことはない。要は環境の問題。もっと 言えば、育て方の問題ということになる。
コツは、子どもをややハングリーな状態におく。質素な生活を旨とし、日常的に手伝いをよくさ
せる。子どもというのは皮肉なもので、手をかけ、お金をかけ、時間(ヒマ)をかければかける ほど、ドラ息子化する。が、反対に、使えば使うほど、生活力や忍耐力のある子どもになる。学 習面でも伸びる。学習にはある種の苦痛がともなう。その苦痛を乗り越える力が、忍耐力だか らである。そしてその時期は、二〜四歳までが勝負。四・五〜五・五歳の移行期を過ぎると、急 速にこのしつけはできなくなる。へたに子どもに仕事を頼もうものなら、「自分のことは自分でし な!」と言われる。
……というくらい、この時期の、この時期までのしつけが、重要である。たいていの親は、そ
の重要性を知ることなく、子どもを甘やかしたり、楽にさせたりする。平気で高価なものを、買 い与える。遊園地や行楽地へ連れて行き、よい思いをさせることが、親子の絆(きずな)を太く することだと誤解している。が、その実、子どもを子どもあつかいしている。子どもをかわいがっ ているようで、子どもの人格をふみにじっている。それにすら気づかないでいる。
子どもを大切にするということは、子どもを一人の人間として認め、その人格を尊重すること
である。たとえばおけいこ塾へ入れるときも、一度は子どもの意思を確かめることだ。一方で、 そういう親の謙虚な気持ちが、親子の絆を太くする。
子どもを伸ばすということは、いかにして子ども自身がもつ「伸びようとする力」を引き出すか
で決まる。子どもというのは、親や教師が伸ばそうと思って伸びるものではないし、そう思えば 思うほど、これまた皮肉なことに、子どもは伸び悩む。
子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(585)
シンプルライフのすすめ
今朝(〇二年七月のある朝)も、子育ての相談で、午前中のほとんどがつぶれてしまった。大
津市に住む人からのものだった。途中、「電話料はだいじょうぶだろうか?」と何度も心配する ほど、長い電話だった。生活も、それほど楽ではない人のようだった。
こうした相談を受けるたびに、どうして子育てが、こうも複雑になってしまったのかと思う。本
来なら、人間の生活はもっとシンプルなはず。それと同時に、子育てももっとシンプルなはず。 しかしこうして受ける相談は、それも深刻なものばかり。そしてその深刻な分だけ、内容が複 雑!
私たちは文明と引き換えに、何かもっと大切なものをなくしてしまった。そのひとつが、シンプ
ルライフではないか。複雑であるがゆえに、何か価値あることをしていると思いがちだが、その 実、無価値なものを追いかけているだけ……ということが多い。ムダも多い。たとえば飽食とぜ いたくの中で、食べるものは食べながら、一方でダイエットのためにお金を使う。近くのスーパ ーへ行くだけでも車に乗りながら、夜はアスレチッククラブに通う。車にしても、一部屋もあるよ うな大きな車。スーパーへ行くのに、クーラー、ソファなど、家財道具いっさいを運ぶようなこと を、平気でしている。生活をシンプルにするということは、こういうケースでは、食事の量を減ら し、スーパーへは歩いていくことを意味する。生活そのものを単純化することを意味する。
……と書いて、子育ての話に戻る。こうまで子育てが複雑になってしまったのは、一方でムダ
なことをしながら、そのムダなことの穴埋めをするために、さらにムダなことをしているためと考 えてよい。たとえば子育ての目標は、子どもを自立させること。しかし一方で、自立させることを じゃましながら、他方で、「どうしたらいいか」と悩む。よい例が過干渉であり、過関心だ。過負 担で、オーバーヒートさせてておきながら、他方で、「どうしてうちの子はハキがないのでしょう か」と。
人間は、数一〇万年という気が遠くなるほどの年月を経て、ここまで進化してきた。数一〇万
年である! その人間の質が、ここ一〇〇年、あるいは一〇〇〇年で変わったと考えるほうが おかしい。子育てにしてもそうで、変わったと考えるほうがおかしい。本来、子育てというのは、 もっとシンプルなものであったはず。そういう視点に立ち返って子育てをもう一度ながめてみる と、私たちはムダにムダを重ねながら、子育てを不必要に複雑にしているだけということがわ かる。
冒頭にあげた相談も、そうだった。その母親は、子ども(三歳男児)の問題点だけをあれこれ
あげながら、「どうしたらいいでしょうか」「どうしたらいいでしょうか」と悩んでいた。「このままで は小学校へ入ってから、落ちこぼれてしまう」ということまで悩んでいた。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(590)
かわりのハシゴ論
学歴信仰という言葉がある。「信仰」とはよく言ったもの。それはまさに信仰。
ところで、宗教的指導者が、信者を指導するとき、よく使うのが、神や仏の権威を利用する手
法である。「私はこう思う」と言っても、だれもついてこない。が、「聖書にはこう書いてある」「経 典にはこう書いてある」と言えば、だれも逆らわない。その逆らわないことを、うまく利用しなが ら、宗教的指導者は、結局は、自分の利益につなげる。金銭的利益もあるが、自分の名誉を 高めたり、さらには政治的発言力を高めたりすることもある。
よく誤解されるが、宗教があるから信者がいるのではない。それを求める信者がいるから、
宗教が生まれる。彼らの多くは、何かの救いを求めて、宗教に身を寄せる。だからそういう信 者に向かって、「あなたがたの宗教はまちがっている」と言っても、意味はない。ハシゴをはず す(=宗教を否定する)のは簡単なことだが、何かかわりのハシゴを用意してあげないと、困る のは信者自身ということになる。
教育論もこれに似たところがある。いまだに権威主義が、学校教育の「柱」になっている。神
や仏こそもちださないが、「文部科学省」という名前さえ出せば、教師も親も、「ハハアー」とそ れに従う。学校五日制にしても、学習要領三割削減にしても、一般の民は、「上」から命令され るまま、それに従うだけ。
さらに受験競争はたしかにおかしい。まちがっている。進学塾でしていることは、指導ではあっ
ても、決して教育ではない。そういう進学塾を否定するのは、簡単なことだ。しかし今の、この 日本の不公平社会をそのままにしておいて、進学塾を否定しても意味はない。その入り口で、 受験競争に勝ったというだけで、生涯、その恩恵に浴している人はいくらでもいる。たとえばあ のN銀行が倒産したとき、政府は、四兆円という税金を、その銀行に注いだ。行員二〇〇〇人 足らずの銀行だったから、行員一人当たり、二〇億円の支援ということになる。二〇億円であ る! 国家公務員の天下り問題については、もうここに改めて書くまでもない。こういうバカげ たことを一方でしながら、学歴無用論をいくら説いても意味がない。進学塾を攻撃しても、意味 がない。
宗教がかかえる問題と、教育がかかえる問題は、どこか似ている。そしてそれを支える信者
と親も、どこか似ている。カルトをカルトとも気づかず妄信する信者がいる一方、学歴信仰を信 仰と気づかず妄信する親がいる。言いかえると、学齢信仰を妄信している親に向かって、「あ なたはまちがっている」と言うのは、カルトを信仰している信者に向かって、「あなたはまちがっ ている」と言うのと同じということ。それくらいこの問題の「根」は深い。またそういう覚悟で、この 問題を考える必要がある。
講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・5……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
7・23……浜松市東部公民館母親教室
7・20……伊平小学校
ほか、横浜市(2個所)ほかでの講演を予定しています。
詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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子育てワンポイント・1〜600作は、いかがですか?
よろしかったら、どうかお買い求めください。
●子育てのコツ、1〜600を、一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
ご希望の方に、一枚1000円でお送りします。
一枚ずつ、手作りで、お送りします。
単行本の分量して、約6冊分(以上)の分量があります。
●CD版ですから、検索しやすく、なっています。たとえばワード上で、
「夜驚症」で検索すれば、すぐその項目をヒットできます。
【申し込み方法】
(1)下のメールアドレスをクリックして、郵便番号、住所、お名前を
お知らせください。
(2)折り返し、私のほうから、確認のメールを出します。
(3)もう一度、あなた様から「申し込んだ」旨の確認に返信をください。
(4)CD(ワード版)を先に送ります。同封の為替用紙で、1000円を
後ほど、ご送金ください。領収書は先に、同封します。
きっとみなさんの子育てで、お役にたつと思います。
よろしくお願いします。
アドレス……
bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp
ご注意!
●申し込みが、10人前後になるまで待って、それからCDに焼いて送ります。 それまでしばら
くお待ちください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! よろしくお願いします!
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MMMMM
m | ⌒ ⌒ |
( ̄\q ・ ・ p
\´(〃 ▽ 〃) /〜〜
\  ̄Σ▽乃 ̄\/〜〜/
\ : ξ)
┏━━┻━━━┓
┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)7-22※
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(E−マガ)……読者数(Nr. of Readers) 359人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数(Nr. of Readers) 81人
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●二男のホームページができました。よろしかったら、
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son's website in USA, for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
みなさんへ、
●「子育てワンポイント」の、1〜600作を、
一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
ご希望の方に、1枚1000円でお分けします。(郵送料込み)です。
詳しくは、このマガジンの末尾をご覧ください。
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メニュー
今日のテーマ、「親、されど親、ああそれでも親」(On Parents)
【1】子育てで失敗する親たち(Parents who spoiled kids)
【2】世にも不思議な留学記(My young days in Australia)
【3】黄帝内経(こうていだいけい)(Chinese Medical Science)
【4】English Edition
【5】随筆(Essays)
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■■■■
【1】
ご家庭で役立つ子育てエッセイを
送ります。以前書いたものですが、
未発表のものです。
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ちゃんと箸並べと靴並べをしてくれます!
互いに別世界(失敗危険度★★★)
●子育てに尺度はない
子育てには尺度はない。標準もなければ、平均もない。あるのは「自分」という尺度だけ。そう
いう意味では、親は独断と偏見の世界にハマりやすい。こんなことがあった。
F君(年中児)という、これまたどうしようもないドラ息子がいた。自分勝手でわがまま。ゲームに
負けただけで、机を蹴っておお暴れしたりした。そこである日、私は母親にこう言った。「もっと 家事を分担させ、子どもを使いなさい」と。が、母親はこう言った。「ちゃんとさせています!」 と。そこで驚いて、どんなことをさせていますかと聞くと、こう言った。「ちゃんと箸並べと靴並べ をしてくれます」と。
●「うちの子は何もしてくれないんですよ」
一方、こんな子どももいた。ある日道で通りかかると、Y君(年長男児)は、メモを片手に、町
の中を走り回っていた。父親は会社勤め、母親は洋品店を経営していた。だからこまかい仕事 は、すべてY君の仕事だった。が、ある日、私がそのことでY君をほめると、母親はこう言った。 「いいえ、先生。うちの子は何もしてくれないんですよ」と。
箸並べや靴並べ程度でほめる親もいれば、家事のほとんどをさせながら、「何もしてくれな
い」とこぼす親もいる。たまたま同じ時期に私はF君とY君に接したので、その違いがよけいに 強烈に記憶に残った。つまり、互いに別世界。
●互いに信じられない
こうした例は幼児教育の世界では、実に多い。たとえばかなり能力的に遅れがある子どもで
も、「優秀な子ども」と親が誤解しているケースがある一方で、すばらしい能力をもっているにも かかわらず、「うちの子はだめだ」と親が誤解しているケースもある。そして互いに互いのこと が信じられない。
私が「A君(年長児)は、幼稚園へ行くとき、身の回りのしたくはすべて自分でしているのだそう
ですよ」と言うと、そうでない子どもをもつ親は、「信じられません」と言う。また反対に、「B君 (年長児)は、幼稚園へ行くとき、服をまだお母さんに着せてもらっているそうですよ」と言うと、 そうでない子どもをもつ親も、やはり、「信じられません」と言う。尺度というのはそういうもの で、親はいつも自分や自分の子どもを基準にして考える傾向がある。言いかえると、いかにし て自分の尺度を疑ってみるかも、子育てでは重要なポイントとなる。
***************************************
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エサを「ホレホレ」と見せつけて手なずける
恩を着せない(失敗危険度★★★★★)
●日本型子育て法
日本人の子育てには、ひとつの大きな特徴がある。もう二五年ほど前のことだが、アメリカ人
の教育家が日本人の子育てを批評してこう言った。「日本人は自分の子どもに依存心をもた せることに、あまりにも無頓着すぎる」と。つまり日本人は子どもを育てるときも、親に依存心を もたせるように育てる。そしてその結果、親にベタベタと甘える子どもイコール、かわいい子イコ ール、よい子とする。反対に独立心の旺盛な子どもを、「鬼の子」として嫌う。
●ペットを手なずけるように
日本人は、子どもに依存心をもたせるような育て方をする。それはちょうどペットの犬を飼いな
らすような方法と言ってもよい。たとえば犬を飼いならすとき、エサを「ホレホレ」と見せつけな がら、「(主人の)言うことを聞いたらあげるよ」と言う。同じように日本人も、まず子どもに何か よい思いをさせたあと、「もっとよい思いをしたかったら、(親の)言うことを聞きなさい」としつけ る。たとえばある女性(六四歳)は、小学五年生になった孫(男児)に、電話でこう言った。「お ばあちゃんのところへ遊びにきてくれたら、小遣いをあげるよ。ほしいものを買ってあげるか ら、おいでよ」と。
こういう言い方になれてしまっている人には、何でもない言葉に聞こえるかもしれないが、そう
でない人には、かなり不愉快な言い方に聞こえるはず。たとえばオーストラリアでもアメリカで も、こういう言い方はしない。子育てのし方が基本的な部分で違う。相手が子どもでも、「食事 がほしかったら、それなりの仕事をしなさい」としつける。いわんや孫をエサで釣るようなことは しない。
●「先生はわかってくれているからいい」
その依存心は、相互的なもの。「産んでやった」「育ててやった」と親は子どもに恩を着せる。
着せながら、親は子どもに依存する。一方子どもは子どもで、「産んでもらった」「育ててもらっ た」と恩を着せられる。着せられながら、子どもは親に依存する。
こうした依存性の強い人は、万事に「甘い」。何かにつけて、してもらうのが当たり前という考
え方をする。考え方も、甘い。ある子ども(小五女児)はこう言った。「明日の遠足は休むと、学 校の先生に連絡したの?」と私が聞くと、「今日、足が痛いと言ったから、先生はわかってくれ ているはず」と。そこでまた私が、「休むなら休むで、しっかりと連絡したほうがいいんじゃない の?」と言うと、「先生はわかってくれているからいい」と。
●「だから何とかしてくれ」
もう一つの特徴として、このタイプの子どもは、「だから何とかしてくれ」言葉をよく使う。たとえ
ば何か食べたいときも、「食べたい」とは言わない。「おなかがすいたア、(だから何とかしてく れ!)」というような言い方をする。「先生、おしっこオ、(だから何とかしてくれ!)」というのもそ うだ。
子どもだけではない。ある女性(七〇歳)はことあるごとに、彼女の息子(四五歳)にこう言って
いる。「私も歳をとりましたからね」と。しかも電話でそれを言うときは、今にも消え入りそうな 弱々しい声で言うという。こうした言い方は、先に書いた、「だから何とかしてくれ」言葉そのも のと言ってよい。その女性は、息子に「歳をとったから、何とかしろ」と言っている。
日本語の特徴ということにもなるが、言いかえると、日本人はそれくらい依存心の強い国民と
いうことになる。長くつづいた封建時代の中で、骨のズイまで、自由(自らに由る力)を奪われ たためと私は考える。「長いものには巻かれろ」「みんなで渡ればこわくない」と。
●日本人は依存型民族?
一方、自立心の旺盛な子どもは、攻撃的にものごとに取り組む。生きざまそのものが攻撃的
で、前向き。このことについては前にも書いたので、問題はそのつぎ、つまりどうすれば自立心 の旺盛な子どもにすることができるか、である。
が、この問題は、冒頭にも書いたように相互的なもの。子どもに自立心をもってほしかったら、
親自身が自立しなければならない。が、たいていは親自身に、その自覚がない。親自身が「甘 え」の中にどっぷりつかっているため、自分が依存型の人間であることに気づかないことが多 い。あるいは反対に、依存的であることを、むしろ美化してしまう。よい例が、森進一が歌う『お ふくろさん』である。大のおとなが、夜空を見あげながら、「ママ〜」と涙をこぼす民族は、世界 広しといえども、そうはない。そういう歌が、国民的な支持を受けているということ自体、日本人 が依存性の強い国民であるというひとつの証拠と考えてよい。
子育ての目標は、子どもを自立させること。そのためにもまずあなた自身が自立する。その
第一歩として、子どもには恩を着せない。
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うちの子はどうして勉強しないのかしら?
母親が一番保守的?(失敗危険度★★)
●ワーク選びの基準
本来、地位や名誉、肩書きとは無縁のはずの、いわゆるステイ・アト・ホーム・ワイフ(専業主
婦)が、一番保守的というのは、実に皮肉なことだ。この母親たちが、もっとも肩書きや地位に こだわる。子供向けの同じワークブックでも、四色刷りの豪華なカバーで、「○○大学××教授 監修」と書かれたものほど、よく売れる。中身はほとんど関係ない。中身はほとんど見ない。見 ても、ぱっと見た目の編集部分だけ。子どものレベルで、子どもの立場で見る母親は、まずい ない。たいていの親は、つぎのような基準でワークブックを選ぶ。
(1)信用のおける出版社かどうか……大手の出版社なら安心する。
(2)権威はどうか……大学の教授名などがあれば安心する。
(3)見た目の印象はどうか……デザイン、体裁がよいワークブックは子どもにやりやすいと思
う。
(4)レベルはどうか……パラパラとめくってみて、レベルが高ければ高いほど、密度がこけれ
ばこいほど、よいと考える。中にはぎっしりと文字がつまったワークブックほど、割安と考える親 もいる。
●肩書きを切り売りする教授たち
しかしこういうことは大手の出版社では、すでにすべて計算ずみ。親たちの心理を知り尽くし
た上で、ワークブックを制作する。が、ここに書いた(1)〜(4)がすべて、ウソであるから恐ろし い。大手の出版社ほど、制作は下請け会社のプロダクションに任す。そしてほとんど内容がで きあがったところで、適当な教授さがしをし、その教授の名前を載せる。この世界、肩書きや地 位を切り売りしても、みじんも恥じないような教授はいくらでもいる。出版社にしても、ほしいの は、その教授の「肩書き」。「中身」や「力」ではない。だいたいにおいて、大学の教授ともあろう 人が、子どものワークブックなどにかかわるはずがない。
●ワークブック選びは慎重に
今でもときどき、テカテカの紙で、鉛筆では文字も書けないようなワークブックをときどき見か
ける。また問題がぎっしりとつまっていて、計算はおろか、式すら書けないワークブックも多い。 さらにおとなが考えてもわからないような難解な問題ばかりのワークブックもある。見た目には よいかもしれないが、こういうワークブックを子どもに押しつけて、「うちの子はどうして勉強しな いのかしら?」は、ない。
私も長い間、ワークブックの制作にかかわってきたが、結論はひとつ。かなり進歩的と思わ
れる親でも、こと子どもの教育となると、保守的。保守的な面を批判したりしても、「そうは言っ てもですねエ……」とはねのけてしまう。しかしこの母親たちが変わらないかぎり、日本の教育 は変わらない。
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(注意)
●相性の悪いワークを買うと、そのワークのため、子どもの学習がストップしてしまうということ
は、よくあります。「相性が悪い」と感じたら、思い切って捨てる。そういう姿勢が、子どものやる 気を守ります。
●(算数のワークブックの場合)、見開きページを見て、左上の問題と、右下の問題の、落差が
大きすぎるのは、避けます。たとえば左上の(1)の問題は、眠っていてもできるような簡単な問 題。しかし左下の(5)番の問題は、進学塾で指導しても解けないようなむずかしい問題だった りするのは、買ってはいけません。こういうワークブックをかかえたら最後、子どもは確実に勉 強嫌いになります。ご注意! 大手の、G社、S館、O社のワークブックは、たいていは子どもを 実際に教えたこともない、下請けプロダクションが制作するため、こうした「落差」が大きく、お 薦めしません。一度、親の目で、内容を確かめてみることが大切です。決して、豪華な、センス のよい装丁にだまされてはいけません。
●子どもにとって大切なのは、「達成感」です。「やったー!」という喜びが、子どもを将来に向
かって伸ばします。多少めちゃめちゃなやり方でも、大きな丸をつけてほめてあげます。こまか いことをうるさく言わないのが、コツです。
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お母さんが苦労するのは、お父さんのせいよ
父親は母親がつくる(失敗危険度★★)
●互いに高次元な立場で!
こう書くと、すぐ「男尊女卑思想だ」と言う人がいる。しかしもしあなたという読者が、男性な
ら、私は反対のことを書く。
あなたが母親なら、父親をたてる。そして子どもに向かっては、「あなたのお父さんはすばらし
い人よ」「お父さんは私たちのために、仕事を一生懸命にしてくれているのよ」と言う。そういう 語りかけがあってはじめて、子どもは自分の中に父親像をつくることができる。もちろんあなた が父親なら、反対に母親をたてる。「平等」というのは、互いに高次元な立場で認めあうことを いう。まちがっても、互いをけなしてはいけない。中に、こんなことを言う母親がいる。
●父親の悪口を言う母親
「あなたのお父さんの稼ぎが悪いから、お母さん(私)は苦労するのよ」とか、「お父さんは会
社で、ただの倉庫番よ」とか。母親としては子どもを自分の味方にしたいがためにそう言うのか もしれないが、言えば言ったで、子どもはやがて親の指示に従わなくなる。そうでなくてもむず かしいのが、子育て。父親と母親の心がバラバラで、どうして子育てができるというのか。こん な子どもがいた。
●男を男とも思わない
男を男とも思わないというか、頭から男をバカにしている女の子(小四)だった。M子という名前
だった。相手が男とみると、とたんに、「あんたはダメね」式の言葉をはくのだ。男まさりというよ り、男そのものを軽蔑していた。もちろんおとなの男もである。そこでそれとなく聞いてみると、 母親はある宗教団体の幹部。学校でもPTAの副会長をしていた。一方父親は、地元のタクシ ー会社に勤めていたが、同じ宗教団体の中では、「末端」と呼ばれるただの信徒だった。どこ かボーッとした、風采のあがらない人だった。そういった関係がそのまま家族の中でも反映さ れていたらしい。
●夫婦像をつくるのは親
で、それから二〇年あまり。その女の子のうわさを聞いたが、何度見合いをしても、結婚には
至らないという。まわりの人の意見では、「Mさんは、きつい人だから」とのこと。私はそれを聞 いて、「なるほど」と思った。「あのMさんに合う夫をさがすのは、むずかしいだろうな」とも。
子どもはあなたという親を見ながら、自分の親像をつくる。だから今、夫婦というのがどういう
ものなのか。父親や母親というのがどういうものなのか、それをはっきりと子どもに示しておか ねばならない。示すだけでは足りない。子どもの心に染み込ませておかねばならない。そういう 意味で、父親は母親をたて、母親は父親をたてる。
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日本の子どもは何もしない
使えば使うほどよい子(失敗危険度★★★★)
●子どもは使え
「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言ってくれ。私
は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんたの本を、何冊も読 む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使うことです。使って使って、使い まくることです」と。
そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身につける。
自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。この忍耐力や 根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。
●「日本の子どもはスポイルされている」
ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、一〇〇%、スポ
イルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。そこで私が、「君 は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼は、こう教えてくれた。
「ときどきホームステイをさせてやるのだが、食事のあと、食器を洗わない。片づけない。シャ
ワーを浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きても、ベッドをなおさない」などなど。つまり、 「日本の子どもは何もしない」と。反対に夏休みの間、アメリカでホームステイをしてきた高校生 が、こう言って驚いていた。「向こうでは、明らかにできそこないと思われるような高校生です ら、家事だけはしっかりと手伝っている」と。ちなみにドラ息子の症状としては、次のようなもの がある。
●ドラ息子の症状
(1)ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分を喜
ばせるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。自分の思い どおりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを許さない。いつも自分が 皆の中心にいないと、気がすまない。(2)ものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。 目標を定めることができず、目標を定めても、それを達成することができない。あれこれ理由 をつけては、目標を放棄してしまう。ほしいものにブレーキをかけることができない。生活習慣 そのものがだらしなくなる。その場を楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ 消費的な行動が多くなる。(3)ものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依 存心が強い割には、自分勝手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目 立つ。(4)バランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って 行動することができない、など。
あなたの子どもをドラ息子、ドラ娘にしたくなかったら、とにかく使うこと。それ以外にあなたの
子どもをよい子にする方法はない。
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【2】
世にも不思議な留学記が、好評です。
自分で「好評」というのもヘンですが、
読者の方からの反応が大きいです。
で、以前、新聞に載せたものを、ここに
再掲載します。
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イソロクはアジアの英雄だった(本物の自由を求めて)
●自由とは「自らに由る」こと
オ−ストラリアには本物の自由があった。自由とは、「自らに由る」という意味だ。こんなこと
があった。
夏の暑い日のことだった。ハウスの連中が水合戦をしようということになった。で、一人、二、
三ドルずつ集めた。消防用の水栓をあけると、二〇ドルの罰金ということになっていた。で、私 たちがそのお金を、ハウスの受け付けへもっていくと、窓口の女性は、笑いながら黙って受け 取ってくれた。消防用の水の水圧は、水道の比ではない。まともにくらうと学生でも、体が数メ −トルは吹っ飛ぶ。私たちはその水合戦を、消防自動車が飛んで来るまで楽しんだ。またこん なこともあった。
一応ハウスは、女性禁制だった。が、誰もそんなことなど守らない。友人のロスもその朝、ガ
−ルフレンドと一緒だった。そこで私たちは、窓とドアから一斉に彼の部屋に飛び込み、ベッド ごと二人を運び出した。運びだして、ハウスの裏にある公園のまん中まで運んだ。公園といっ ても、地平線がはるかかなたに見えるほど、広い。ロスたちはベッドの上でワ−ワ−叫んでい たが、私たちは無視した。あとで振り返ると、二人は互いの体をシ−ツでくるんで、公園を走っ ていた。それを見て、私たちは笑った。公園にいた人たちも笑った。そしてロスたちも笑った。 風に舞うシ−ツが、やたらと白かった。
●「外交官はブタの仕事」
そしてある日。友人の部屋でお茶を飲んでいると、私は外務省からの手紙をみつけた。許可
をもらって読むと、「君を外交官にしたいから、面接に来るように」と。そこで私が「おめでとう」と 言うと、彼はその手紙をそのままごみ箱へポイと捨ててしまった。「ブタの仕事だ。アメリカやイ ギリスなら行きたいが、九九%の国へは行きたくない」と。彼は「ブタ」という言葉を使った。あ の国はもともと移民国家。「外国へ出る」という意識そのものが、日本人のそれとはまったくち がっていた。同じ公務の仕事というなら、オーストラリア国内で、と考えていたようだ。また別の 日、フィリッピンからの留学生が来て、こう言った。「君は日本へ帰ったら、軍隊に入るのか」 と。「今、日本では軍隊はあまり人気がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)の、伝統ある 軍隊になぜ入らない」と、やんやの非難。当時のフィリッピンは、マルコス政権下。軍人になる ことイコ−ル、出世を意味していた。マニラ郊外にマカティと呼ばれる特別居住区があった。軍 人の場合、下から二階級昇進するだけで、家つき、運転手つきの車があてがわれた。またイソ ロクは、「白人と対等に戦った最初のアジア人」ということで、アジアの学生の間では英雄だっ た。これには驚いたが、事実は事実だ。日本以外のアジアの国々は、欧米各国の植民地にな ったという暗い歴史がある。
そして私の番。ある日、一番仲のよかった友だちが、私にこう言った。「ヒロシ、もうそんなこと
言うのはよせ。ここでは、日本人の商社マンは軽蔑されている」と。私はことあるごとに、日本 へ帰ったら、M物産という会社に入社することになっていると、言っていた。ほかに自慢するも のがなかった。が、国変われば、当然、価値観もちがう。私たち戦後生まれの団塊の世代は、 就職といえば、迷わず、商社マンや銀行マンの道を選んだ。それが学生として、最良の道だと 信じていた。しかしそういう価値観とて、国策の中でつくられたものだった。私は、それを思い知 らされた。時まさしく日本は、高度成長へのまっただ中へと、ばく進していた。
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自由とは裸になること(皆でした、ストリーキング)
●「裸文化」のちがい?
綿棒にしても乾燥機にしても、それまでの日本にはないものばかりだった。猫だって、オース
トラリアでは、首輪をつけ、家の中で飼われていた。また何と、あの国では、男が、そして夫 が、食後の皿洗いをしていた! 私はまさに浦島太郎の心境だった。見るもの、聞くもの、すべ てが珍しかった。が、何に驚いたかといって、「裸」に対する、彼らの感覚にほど、驚いたもの はない。女子学生にしても、ブラジャーをつけているものは、まずいない。下すらはいていない 女子学生もいた。そういうのが、床に平気であぐらをかいて座る。またドライブをしていて、美し い海岸を見つけたりすると、皆一斉に、裸になって泳ぎ始める。男も、女もない。何度かそうい う機会はあったが、私にはできなかった。一度理由を聞かれたことがあるが、私は「日本人に は、武士道というものがあって、そういうのは見せない」と、変な言い訳をしたのを覚えている。 またある夜のこと。友人となったばかりの女子学生の部屋でお茶を飲んでいると、その学生 は、私の横で服を着替え始めた。そういう学生がパンティ一枚の姿で、私の横でウロウロす る。もっともそのときは驚くというよりは、「男」として意識してもらえない、自分が情けなかった。
●ストリーキング
そんな中、メルボルン大学でも、ストリーキングがはやり始めた。頭だけを紙袋で隠し、すっ裸
で走り回るという、あれである。ちょうどベトナム戦争の最中で、徴兵制の問題もからんでい た。大学には重苦しい空気が流れていた。一見無邪気に見える戯れにも、それなりの意味が あった。そういう流れの中で、私たちのハウスも、そのストリーキングをすることになった。が、 私たちのハウスは、男子カレッジ。女子がいない。そこで隣のセントヒルダ(女子)カレッジに声 をかけると、すぐ五、六人が応じてくれた。全員、オーストラリア人。アジア人が少ないということ もあって、つまり身元がすぐバレてしまうということもあって、私は衣服の運び係をすることにな った。皆が脱いだ服を、別の集合場所へ運ぶという係である。時はランチタイム。場所は大学 構内のカフェ(食堂)。その時間と場所には、もっとも多くの学生が集まる。
その日のことはよく覚えている。私が別の集合場所で待っていると、カフェのほうから、スプー
ンでテーブルを叩く音が、ガチャガチャと聞こえてきた。ヒューヒューと口笛を吹く音が、それに 混じった。遠くから見ると、仲間たちが体をユサユサとゆらしながら、テーブルの間を走り回っ ているのがわかった。そしてそのあとを、毛布を広げてもった職員が、一人、二人と追いかけ ていた。一応つかまえるフリはしているが、つかまえる様子はまったくない。学生たちと一緒に なって、笑いながら走っていた。
それからちょうど三〇年。あの時代を振り返ってみると、それまでの金沢での学生生活を
「陰」とするなら、オーストラリアでの学生生活は「陽」ということになる。しぐれと雪、そして曇天 に象徴される金沢。一方、オーストラリアには、さんさんと輝く陽光と青い空があった。今でこそ 日本も豊かになったが、当時はそうではない。私は日本がオーストラリアの生活水準に達する には、五〇年、あるいはそれ以上にかかると思った。永遠に不可能だと感じたこともある。生 活だけではない。人間そのものも、だ。自由に生きるということは、「裸」になること。身の束縛 をはずして生きることをいう。オーストラリアの学生には、その自由感覚が、骨の髄まで染(し) み込んでいた。
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ゲテモノ食い(所変われば、「食」変わる)
●日本食はゲテモノ?
国変われば、食べ物変わる。あるとき何人かのオーストラリア人学生が、食堂でこう話しかけ
てきた。「日本人は生の魚を食べるというが、病気にならないのか」「日本人は、アルコール(日 本酒)を火にかけて飲むというが、本当か。原理的にそういうことはありえない」と。その中の一 人の学生は、両親がイギリスから移住してきたばかりで、キザな英語(スノビッシュ)を話してい た。アジアの学生の間では、人種差別者(レィシスト)と嫌われていた。私は「そうだ。日本人は いつもおかしなものを食べる」と言った。言って、彼らを、食事に招待した。
その夜、四人の仲間が集まった。私は白いご飯を、皿の上に載せると、その上に生卵をかけ
た。白いご飯と生卵は、メルボルン市内の日本レストランから手に入れた。次に糸引き納豆 と、たくあんの入った袋の封を切った。私は「腐った大豆と、それにトイレの中で育った植物の 根だ」と、説明した。糸引き納豆と、たくあんは、井口領事の奥さんから分けてもらった。あたり に異様な臭いがたちこめた。たくあんの臭いは、まさに「あの」臭い。私はそれらを生卵の上に 載せると、スプーンで、それらを勢いよくかき混ぜた。そして口に入れる前にこう言った。「これ が日本人の主食だ。君たちが日本を廃墟にしたため、ぼくたちにはこういうものしか、食べるも のがない」と。仲間たちは、次に私が何をするか、じっと固唾(かたず)を飲んで見守っていた。 私はスプーンで一口、二口、口へ入れたあと、演技たっぷりに、ゲーゲーと皿の上に吐き出し てみせた。とたん、一人の仲間が、トイレへ走った。続いてもう一人も、トイレへ走った。残った 二人は、「ヒロシ、オー、ノー」と言ったきり、顔をまっ青にして、体をワナワナと震わせた。トイレ のほうからは、ゲーゲーと、ものを吐き出す声が聞こえてきた。
●友人の逆襲
この話はハウス中の友人たちの知るところとなり、今度は私が逆襲を受けるはめになった。
マレーシアの留学生がやってきて、「食事に来ないか」と。仲のよい男だったので、まさかと思 いながら、彼の部屋に行くと、すでに数人の仲間が集まっていた。インスタントラーメンをごちそ うしてくれるということだった。一人の仲間がこう言った。「日本のラーメンは、いい。すぐやわら かくなっていい」と。あちらのラーメンは、見るからに粗悪品という感じのものだった。それはそ れとして、さあ、できあがりというところで、一人が、アヒルの絵のついた缶詰をもってきた。そし てその缶詰を開けると、……何と、その中に、アヒルの頭が並んでいるではないか! しかも 目もくちばしも、そして羽までついている。ゾッとして見ていると、彼はそれをラーメンの中に入 れて、スプーンの腹でぐいぐいとつぶし始めた。私は完全に食欲をなくしていた。が、それで終 わったわけではない。私が目を丸くして驚いていると、一人がやおらアヒルの頭を口に入れ、そ れを舌の先に載せ、「アーアー」と、私に見せつけた。今度は私がトイレへ駆け込む番となっ た。
オーストラリア人は、腐ったチーズを食べていた。白いカビの生えたチーズだ。ニュージーラ
ンドの学生は、海老をわざと腐らせて食べていた。スペイン系の学生たちは、生肉をパイナッ プルにはさんで食べていた。うっすらと赤い血のついた生肉である。今でこそ知っている人も多 いが、三〇年前はそうでない。私はそのつど、目を白黒させて驚いた。
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【3】
黄帝内経(こうていだいけい)って、ご存知ですか?
多分、みなさん、ご存知ないと思います。
黄帝内経というのは、今、私たちが「漢方」とか、
「中国医学」「東洋医学」とか言っている医学の
バイブルのような本です。この原稿は、7月30日の
講演用に、7月21日(日曜日)に書いたものです。
ご存じない方には、おもしろくもない内容
(=役にたたない内容)なので、無視してください。
メルマガ読者の方は、省略することになると
思います。(送信容量に限界があるためです。)
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●神々の言葉
私はどういうわけか、黄帝内経(こうていだいけい)という書物に興味をもっている。漢方(東
洋医学)のバイブルと言われている本である。東洋医学のすべてがこの本にあるとは言わない が、しかしこの本がその原点にあることはまちがいない。
その黄帝内経を読むと、最初に気づくのは、バイブルとは言いながら、聖書の記述方法と逆
であること。黄帝内経は、黄帝という聖王と、岐伯(きはく)という学者の問答形式で書かれてい るが、黄帝はもっぱら聞き役に回っているということ。そしてその疑問や質問、さらには矛盾に つぎつぎと答えているのは、岐伯のほうであるということ。
一方聖書(新約聖書)のほうは、弟子たちが、「主、イエスキリストは、このように言った」とい
う形式で書かれている。つまり弟子たちが聞き役であり、キリストから聞いた話をその中に書い ている。
そこでなぜ、黄帝内経では、このような記述方法を使ったかということ。もし絶対的な権威と
いうことになるなら、「黄帝はこう言った」と書いたほうがよい。(そういう部分もあるが……。)岐 伯の言葉ではなく、黄帝の言葉として、だ。しかしこれには二つの理由がある。
黄帝内経という書物は、医学書として分類されている。前一世紀の図書目録である、漢書
「藝文志」に医書として分類されていることによる。ここで医書として分類されたことが正しいか どうかという疑問はある。さらに「医書」という言葉を使っているが、現代流に、だからといって 「科学、化学、医学」というふうに厳密に分類されていたかどうかという疑問はある。が、それは さておき、仮に医書であるとしても、それは今で言う、科学の一分野でしかない。科学である以 上、絶対的な権威を、それにもたせるのは、きわめて危険なことでもある。その科学に矛盾が 生じたときのことを考えればよい。矛盾があれば、黄帝という聖王の無謬性(一点のまちがい もない)にキズがつくことになる。ここが宗教という哲学と大きく違う点である。つまり黄帝内経 の中では、岐伯の言葉として語らせることによって、「含み」をもたせた。
もうひとつの理由は、仮に医書なら医書でもよいが、体系化できなかったという事情がある。
黄帝内経は、いわば、健康医学についての、断片的な随筆集という感じがする。しかし断片的 な随筆を書くのと、その分野で体系的な書物を書くのは、まったく別のことである。たとえばこ の私は、こうして子育てについての随筆をたくさん書いているが、いまだに「教育論」なるもの は、書いていない。これから先も、多分、書けないだろうと思う。もう少しわかりやすい例で言え ば、日々の随筆は書くことはできても、人生論を書くことはできない。できないというより、たい へん困難なことである。つまり黄帝内経は医学書(科学書でもよいが)といいながら、体系化で きるほどまでに完成されていない。これは実は聖書についても同じことが言えるが……。
●黄帝内経(こうていだいけい)の謎
私が黄帝内経(こうていだいけい)という書物に、最初に興味をもったのは、その中につぎの
ような記述があることを知ったときのことだ。
黄帝が岐伯(ぎはく)に、「この宇宙はどうなっているか」と聞いたときのこと。岐伯は、「岐伯
曰地為人之下太虚之中者也」(「五運行大論篇」)と答えている。これを訳すと、「地は人の下に あります。しかも宇宙の真中に位置します」(小曾戸丈夫氏訳)、あるいは「地は人の下にあり、 虚空の中央にあるものです」(薮内清氏訳)となる。しかしもう少し、漢文に厳密に翻訳すると、 こうなる。「地は、人の下にあって、太虚の中にある」と。「地が、人の下にある」というには、常 識だが、(またなぜこうした常識をあえて付け加えたかというのも、おもしろいが)、「太虚の中 にある」というのは、当時の常識と考えてよいのか。漢書「藝文志」という図書目録が編纂され たのは、前一世紀ということになると、少なくとも、それ以前の常識、あるいはこの部分が仮に 唐代の王冰(おうひょう)の増さんによるものだとしても、西暦七六二年の常識ではなかったは ずである。ここでいう「太虚」というのは、「虚」の状態よりも何もない状態をいう。小曾戸氏も薮 内氏も、「太虚」の訳をあいまいにしているが、太虚というのは、空気という「気」もない状態と考 えるのが正しい。「空気」というのは、読んで字のごとく、「カラの気」という意味。気のひとつであ る。その気がない状態を、虚。さらに何もない状態を太虚という。今風に言えば、まさに真空の 状態ということになる。
もしここで王冰の増さんによるとするなら、なぜ王冰が、当時の常識的な天文学の知識に沿
って、この部分を書かなかったかという疑問も残る。当時の中国は、漢の時代に始まった、蓋 天(がいてん)説、こん天説、さらには宣夜説が、激論を戦わせていた時代である。恐らく事実 は逆で、あまりにも当時の常識とはかけ離れていたため、王冰は、この部分の増さんには苦 心したのではなかろうか。(あくまでも王冰の増さん説にのっとるならの話だが……。)その証 拠に、その部分の前後には、木に竹をつぐような記述が随所に見られる。つまりわざと医学書 らしく無理をして改ざんしたと思われるようなところがある。さらに百歩譲って、もしこの部分 が、大気の流れをいうものであるとするなら、こんなことをこんなところに書く必要はない。この 文につづくつぎのところでは、気象の変化について述べているのである。王冰としても、散逸し た黄帝内経を改ざんしながらも、改ざんしきれなかったのではないかと思う。
話はそれたが、私はこの一文を読んだとき、電撃に打たれるような衝撃を受けた。当時の私
は、「黄帝」を、司馬遷の「史記」の第一頁目をかざる、黄帝(「五帝本紀第一」)の黄帝ととらえ た。その黄帝との問答であるとするなら、その時代は、推定でも、紀元前三五〇〇年。今から 五五〇〇年前ということになる。(だからといって、黄帝内経がそのころの書物というのは、正 しくないが……。)少なくとも、この一文が、私が漢方にのめりこむきっかけになったことには、 まちがいない。
●黄帝内経(こうていだいけい)は改ざんされたか
黄帝内経(こうていだいけい)は、時代によって、そして写本化されるたびに、改ざんされた。
それぞれの研究家や医家たちが、自分たちにつごうがよいように、古い文句を削り、新しい文 句を付け加えた。これは動かしがたい事実である。
たとえば「五運行大論篇」においても、天地の動静を岐伯(きはく)が説明したあと、薮内氏の
訳した本のほうでは、「上の司天は右転し、下の在泉は左転し、左右から三六五日余でまたも との位置にもどる」とあるが、王冰が編さんとしたとされる黄帝内経を訳した、小曾戸氏のほう では、「歳運は五年で交替するのに六気は六年で交替するのですから、運と気のめぐり方には 一年のずれを生じます……」とある。薮内氏のほうは、中国本土にも残っていない黄帝内経太 素(京都の仁和寺所蔵)を翻訳したものと思われる(これはあくまでも私の推察だが……)。つ まり、より原書に近いとみてよい。一方、王冰の黄帝内経は、無理に医書に位置づけようとし た痕跡が随所に見られる。この部分もそうだが、さらにこれはとても残念なことだが、翻訳した 小曾戸氏の翻訳にも、その傾向が見られる。たとえば小曾戸氏は、随所に、「気」という言葉を 補って翻訳している。たとえば……
「上者右行」を、「司天の気は右にめぐり」と訳すなど。(原文の漢文には「気」などという言葉
はどこにもない!)
こうした改ざんは、意味不明で、難解な文章を何とか理解しようしたために改ざんされたとも
とれるが、もうひとつは当時の常識に当てはめようとしたためになされたとも考えられる。中国 には、地球説はおろか、地動説すらなかったという常識に従ったとも考えられる。そういう時代 に、地球説を唱え、地動説を唱えたらどうなるか。ヨーロッパでそれをしたため、弾圧された人 すらいた。コペルニクスが、その人である(一五四三年「天球の回転について」)。宇宙創造に 関する記述は、それ自体が宗教と密接に結びついている。さらに中国では、中国式権威主義 がはびこり、その権威からはずれた学説は、容赦なく排斥された。そういう時代的背景を忘れ てはいけない。
が、それでも地動説の片りんが残った! 私たちが黄帝内経を科学書として着目しなければ
ならない点は、まさにこの一点にある。そして今、私が黄帝内経の中の地動説を唱えるについ て、多くの人は、「解釈の曲解だ」「なるほどそういうふうに考えれば考えられないこともない」と いうように反論する。しかしこの視点はおかしい。もしこの部分が、あからさまに地球説をい い、地動説をいっていたとしたら、まっさきに削除されたであろうということ。それにゆえにあい まいに改ざんされたともとれるし、あいまいであるがゆえに、今に残ったというふうに考えられ る。今、あいまいだからといって、さらにその内容を負(マイナス)の方向に引くことは許されな い。私たちが今すべきことは、そのあいまいな部分を、よりプラスの方向に引きつけて、その向 こうにある事実を見ることなのである。「そういうふうにも解釈できる」という言いかたではなく、 「改ざんしてもしきれなかった」という言いかたにすべきでなのである。
●三六五日余で、もとに戻るものは何か
黄帝内経(こうていだいけい)には、黄帝が、天地の動静はどうかと聞いたことに対して、「上
の司天は右転し、下の在泉は左転し、左右から三六五日余でまたもとの位置にもどる」とあ る。ここで考えることは、「何が、戻るか」である。
今、高校生に、「天地の動きの中で、三六五日余でもどるものは、何か」と聞けば、彼らは迷
わずこう答える。「地球」と。そう、地球の公転である。地球は、太陽のまわりを、三六五日余で 一周し、またもとの位置に戻ってくる。こんなことは常識。
しかし黄帝内経読むときは、あえてこの常識は否定される。第一、私たちは黄帝内経は、医
学書であって、科学の本ではないという前提で読む。第二、私たちは黄帝内経の時代に、そん な常識はなかったという前提で読む。しかしもう一度、この部分を、すなおに読んでほしい。こう ある。
「黄帝は問う。天地の動静はどうかと」。この部分をすなおに読めば、黄帝は地球の動きにつ
いて聞いたものだということがわかる。季節の移り変わりを聞いたものではない。いわんや大 気の変化を聞いたものではない。そういうふうに思わせるように改ざんされただけ、と考えるほ うが正しい。その理由はいくつかある。
もし季節の変化や大気の変化を述べるためになら、この文章を地球説、地動説のあとに書く
必要はない。関連性がまったくなくなってしまう。
つぎにもし季節の変化大気の変化を述べているとしても、そんなことは当時の常識で、改め
て書くまでもないことである。仮に季節の移り変わりを書いたものであるとするなら、それこそま さに木に竹をつぐような文章になってしまう!
ただ翻訳自体もわかりにくくなっている。これを訳した薮内氏自身も、「中国には地球説はお
ろか、地動説すらなかった」(「中国の科学」)と述べている。薮内氏自身も、そういう前提で訳し ている。だからあえて、わかりにくく訳した。とくに私の頭を悩ましたのは、「左右から」という部 分である。何が、左右から、なのか。あるいは薮内氏は、「……から」と訳したが、本当にそれ は正しいのか。「左右に」もしくは、「左右に(回って)」と訳したらいけないのか。もし「左右に(回 って)」と訳すと、意味がすっきりする。
「上の司天は右転し、下の在泉は左転し、左右に回って三六五日余でまたもとの位置にもど
る」と。
地球の公転するさまを、南の位置(上の司天)からみると、時計回りに回っている。つまり右
転している。北の位置(下の在泉)からみると、時計とは反対回りに回っている。つまり左転し ている。こうして右転、左転しながら、回る、と。黄帝内経のこの部分は、まさにそれをいったも のである。
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【4】English Corner,translated by Mr. IBM
お休みします。
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【5】
この数日で書いたエッセイーを送ります。
このところ暑いので、どうしても考え方が
過激になります。気候と思想は、そういう
意味で関係があるのかもしれませんね。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(591)
弁証法的教育論
弁証法、つまり問答形式で、相手の矛盾をつきながら、自説の正当性を主張する論法を弁
証法という。昔、ギリシアのエレア学派のゼノンが用いた論法だが、有名なのは、ソクラテスの 問答形式による弁証法である。
この弁証法を、教育論に使ってみると、こうなる。
教育には権威が必要であると説く人がいる。一方、権威は必要ないと説く人がいる。一見対
等の議論に見えるかもしれないが、決して対等ではない。権威があれば、教育がしやすいのは 当然のことで、これを否定すると、それまで権威にたよっていた教育は崩壊の危機に立たされ る。(日本の教育は、まさにこの権威の上に成り立っている。)そこで権威は必要ないと説く人 は、ただ必要ないと説くだけでは足りない。それによる教育の混乱についてまで責任を負わね ばならない。
そこで弁証法の登場である。権威は必要ないと説く人は、一度、「必要である」という立場に
自分を置く。そしてその立場で、「権威」の矛盾をついていく。「どうして教科書は絶対なのか」 「どうして学校は行かねばならないところなのか」「どうして学校の先生は偉いのか」「偉いという のは、どういうことなのか」と。そしてそうした疑問に、相手が答えられればよし。しかしそういう 疑問、さらには矛盾に相手が答えられなければ、相手の説がまちがっているということになる。
が、この段階で、相手がこちらの疑問につぎつぎと答えることができたとすると、今度は相手
の説が正しいということになるが、ただ正しいというだけではない。それ以上に、正当性が裏づ けられることになる。つまり弁証法というのは、そういう方法で、自説の絶対性を証明するため に利用されることもある。
ついでながら、私は「教育には権威など必要ない」と説くものの一人である。しかしよく誤解さ
れるが、「権威」と「尊敬」は、別である。教師個人は、尊敬されるべき存在であっても、決して 「偉い」存在ではない。権威を否定するからといって、尊敬されることを忘れてはならない。それ は当然のことである。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(592)
生きる力
こう書くからといって、公務員の人は気分を悪くしないでほしい。多分、悪くするだろうが、しか
しここは聞いてほしい。
今、教育の目標のひとつが、「生きる力」を養うことになっている。どこへ行っても、「上」のほ
うから、話題になる。しかし皮肉なことに、今、もっともその力に欠けるのが、教育の世界では ないのか。生きる力は、その人がよりきびしい状況に置かれてはじめて、その人自身から、わ き出てくるもの。教えられてできるものではない。いわんや教育の問題ではない。
よく学校の先生と話していると、塾を批判する。もちろん塾にも多くの問題がある。しかし学校
の先生と、塾の先生の大きな違いは、そもそも生徒集めのきびしさから始まる。学校の先生に すれば、生徒は向こうからやってくるもの。塾の先生にすれば、生徒は、一人ずつ、頭をさげて きてもらうもの。こういう前提で始まるから、当然、立場も違う。学校で勉強ができなければ、子 どもの責任、親の責任ということになるが、塾で勉強ができなければ、即、クビ! 塾の先生の 立場でいうなら、退職金はもちろん、年金も、天下り先もない。このきびしさが、そのまま授業 に反映される。
そこで生きる力について。
それぞれの世界にはそれぞれのきびしさがある。それはわかる。しかしたとえば私たちが、近
くの市の出先機関へ出向いたようなとき、まず驚くのが、その「だらしなさ」である。必要以上に 多いと思われる職員が、仕事をしているふうでもなし、していないふうでもなし、どこかダラダラ しながら時間をつぶしている。掃除にしても、外部の清掃業者がしている。一方、生徒数が、三 〇〇人を超える塾(あるいは私立幼稚園)でも、外部の清掃業者に掃除を委託しているところ は、まず、ない。たいていは塾の教師(あるいは園の教師)が、交替で受けもっている。塾長 (園長)自らが掃除を率先して行っているところも、多い。
生きる力というのは、人が絶壁に立たされてはじめて生まれる。子どもでも、水槽の中で、エ
サを与えられ、温度調整までされているような環境(失礼!)の中では、生きる力は生まれな い。言いかえると、本当にたくましい子どもを育てようと思うなら、一度、水槽から出し、子ども 自身を絶壁に立たせなければならない。そしてもし子どもに教えることがあるとするなら、子ど もに向かって、「生きる力をもちなさい」と言うのではなく、親や教師自身が自ら絶壁に立ち、そ のきびしさに立ち向かう姿を子どもに見せることである。それをしないで、つまり自分たちは水 槽の中で、安穏な生活をしながら、子どもにだけ生きる力を求めるのは、あまりにも身勝手と いうものではないだろうか。
私の言っていることで気分を悪くする人もいると思うが、その前に、一度この問題を冷静に考え
てみてほしい。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・5……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
7・23……浜松市東部公民館母親教室
ほか、横浜市(2個所)ほかでの講演を予定しています。
詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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子育てワンポイント・1〜600作は、いかがですか?
よろしかったら、どうかお買い求めください。
●子育てのコツ、1〜600を、一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
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●CD版ですから、検索しやすく、なっています。たとえばワード上で、
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【申し込み方法】
(1)下のメールアドレスをクリックして、郵便番号、住所、お名前を
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(2)折り返し、私のほうから、確認のメールを出します。
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きっとみなさんの子育てで、お役にたつと思います。
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ご注意!
●申し込みが、10人前後になるまで待って、それからCDに焼いて送ります。 それまでしばら
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! よろしくお願いします!
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┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)7-24
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(E−マガ)……読者数(Nr. of Readers) 364人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数(Nr. of Readers) 81人
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上、二つの、E-マガとメルマガは同じ内容です。ただしメルマガの
ほうでは、送信容量に限界があるため、たいていいつも内容をカット
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published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you very much.
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「はやし浩司の世界」……Eマガ 読者数(Nr. of Readers) 43人
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02−7−24号(081)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
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●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second
son's website in USA, for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
みなさんへ、
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ご希望の方に、1枚1000円でお分けします。(郵送料込み)です。
詳しくは、このマガジンの末尾をご覧ください。
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メニュー
今日のテーマ、「親、されど親、ああそれでも親」(On Parents)
【1】ジェンダー(文化的性差)(Gender)
【2】世にも不思議な留学記(My young days in Australia)
【3】生きるということ(How to live?)
【4】English Edition
【5】随筆(Essays)
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【1】
文化的性差、それをジェンダーという。
前々回掲載の予定でしたが、瀬戸市のYUさんの
了解が間に合わず、今回の掲載となりました。
みなさんとご一緒に、この問題を考えてみたいと
思います。
(肉体的性差をSEXという。SEXの違いは
あっても、ジェンダーには、いろいろな問題が
あります。)
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こんにちは
蒸し暑い日が続きますね。
内容の濃いメルマガで、
楽しく読ませていただいております。
さて、「何かお題は?」とありまして
お題になるかどうかは解りませんが
最近の身近な出来事をメールいたします。
私は最近ママさんテニスなるものを始めました。
練習活動時間が夜の八時から九時半なのですが
夫や子供たちに話したところ、「行け、行け」と言われ参加しています。
私も家庭で、子供や夫のあらさがしをするより、
白球を追いかける方が精神衛生上とてもよい。
(家族もそれを願っていた)
ストレス発散になり、楽しいので友人主婦も二、三人誘ってみました。
すると、友人も体験でテニスに参加してみたのですが
その後の返事というのがこのようなものでした。
(1) 「今年は自治会の役員だから、私が夜の集まりに出かけるため
旦那に子供を預けているんだ。自分のバレーのために預けると
預けてばかりになり、旦那が良い顔をしない。」とか
(2) 「旦那に子供を預けると、旦那の機嫌が悪くなるから
子供に被害が及んでないか心配。」
(3) 「子供を夜、寝かしつけるためには私が必要だから出来ない。」とか・・・
私は友人に「ところで、テニスはやる気はあるの?」と聞くと、
三人とも「ある」という答え。
(1)私が思うには、自治会の役員は家族の代表の仕事だから
夫が子供をみるのはあたりまえ。
(2)子供の面倒をみていて、機嫌が悪くなる男の人って何?
(3)夫婦二人の子供だから、寝かしつけはどちらがやってもいいし
お父さんに寝かしつけられても、子供もその習慣に慣れると思うのですが。
三人の友人は何の疑問も抱かず、
「テニスは今はできないわ〜。やりたかったのに〜」と
くやしがっておりました。
私は三人の夫も夫だけど、友人三人の考えにも「あ〜あ」という感じでした。
夫の領域、妻の領域が暗黙のうちにあるのでしょうが、
たいして確認もせずに決めてしまうのか。と思いました。
私は二年ぐらい前に「市民子育て会議」という講座で
ジェンダー(文化的性差)なるものを初めて知りました。
その内容には、もう、目からウロコでした。
男性にもそのような視点に気付いて欲しいけど
まず、女性が気付かなくては話にならないと感じた
エピソードでした。
まあ、無理やりテニスに誘って
夫婦仲に波風立てるのもイヤだから
勧誘はそこで終わりにしたのですが、私が憤りを感じてしまいまして・・・
このメルマガは多くの子持ちの人が読者だと思います。
そのような所に気付いてくれたれなあ、という思いと
持って行く場のない私の怒りの処理のために、メールを送ります。
お仕事がんばってください。
(愛知県瀬戸市、YUさんより)
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子どもに性教育を語る法(男女の差別を撤廃せよ!)
子どもに性教育を語るとき
●性の解放とは偏見からの解放
若いころ、いろいろな人の通訳として、全国を回った。その中でもとくに印象に残っているの
が、ベッテルグレン女史という女性だった。スウェーデン性教育協会の会長をしていた。そのベ ッテルグレン女史はこう言った。「フリーセックスとは、自由にセックスをすることではない。フリ ーセックスとは、性にまつわる偏見や誤解、差別から、男女を解放することだ」「とくに女性であ るからという理由だけで、不利益を受けてはならない」と。それからほぼ三〇年。日本もやっと ベッテルグレン女史が言ったことを理解できる国になった。
話は変わるが、先日、女房の友人(四八歳)が私の家に来て、こう言った。「うちのダンナなん
か、冷蔵庫から牛乳を出して飲んでも、その牛乳をまた冷蔵庫にしまうことすらしないんだわ サ。だから牛乳なんて、すぐ腐ってしまうんだわサ」と。話を聞くと、そのダンナ様は結婚してこ のかた、トイレ掃除はおろか、トイレットペーパーすら取り替えたことがないという。私が、「ペー パーがないときはどうするのですか?」と聞くと、「何でも『オーイ』で、すんでしまうわサ」と。
●家事をしない男たち
国立社会保障人口問題研究所の調査によると、「家事は全然しない」という夫が、まだ五
〇%以上もいるという(二〇〇〇年)(※)。年代別の調査ではないのでわからないが、五〇歳 以上の男性について言うなら、何か特別な事情のある人を除いて、そのほとんどが家事をして いないとみてよい。この年代の男性は、いまだに「男は仕事、女は家事」という偏見を根強くも っている。男ばかりではない。私も子どものころ台所に立っただけで、よく母から、「男はこんな ところへ来るもんじゃない」と叱られた。こうしたものの考え方は今でも残っていて、女性自ら が、こうした偏見に手を貸している。「夫が家事をすることには反対」という女性が、二三%もい るという(同調査)!
が、その偏見も今、急速に音をたてて崩れ始めている。私が九九年に浜松市内でした調査
では、二〇代、三〇代の若い夫婦についてみれば、「家事をよく手伝う」「ときどき手伝う」という 夫が、六五%にまでふえている。欧米並みになるのは、時間の問題と言ってもよい。
●男も昔はみんな、女だった?
実は私も、先に述べたような環境で育ったため、生まれながらにして、「男は……、女は…
…」というものの考え方を日常的にしていた。高校を卒業するまで洗濯や料理など、したことが ない。たとえば私が小学生のころは、男が女と一緒に遊ぶことすら考えられなかった。遊べば 遊んだで、「女たらし」とバカにされた。そのせいか私の記憶の中にも、女の子と遊んだ思い出 がまったく、ない。が、その後、いろいろな経験を通して、私がまちがっていたことを思い知らさ れた。その中でも決定的に私を変えたのは、次のような事実を知ったときだ。
つまり人間は男も女も、母親の胎内では一度、皆、女だったという事実だ。このことは何人もの
ドクターに確かめたが、どのドクターも、「知らなかったのですか?」と笑った。正確には、「妊娠 後三か月くらいまでは胎児は皆、女で、それ以後、Y遺伝子をもった胎児は、Y遺伝子の刺激 を受けて、睾丸が形成され、女から分化する形で男になっていく。分化しなければ、胎児はそ のまま成長し、女として生まれる」(浜松医科大学O氏)ということらしい。このことを女房に話す と、女房は「あなたは単純ね」と笑ったが、以後、女性を見る目が、一八〇度変わった。「ああ、 ぼくも昔は女だったのだ」と。と同時に、偏見も誤解も消えた。言いかえると、「男だから」「女だ から」という考え方そのものが、まちがっている。「男らしく」「女らしく」という考え方も、まちがっ ている。ベッテルグレン女史は、それを言った。
※……国立社会保障人口問題研究所の調査によると、「掃除、洗濯、炊事の家事をまったくし
ない」と答えた夫は、いずれも五〇%以上であったという。
部屋の掃除をまったくしない夫 ……五六・〇%
洗濯をまったくしない夫 ……六一・二%
炊事をまったくしない夫 ……五三・五%
育児で子どもの食事の世話をまったくしない夫 ……三〇・二%
育児で子どもを寝かしつけない夫(まったくしない)……三九・三%
育児で子どものおむつがえをまったくしない夫 ……三四・〇%
(全国の配偶者のいる女性約一四〇〇〇人について調査・九八年)
●平等には反対?
これに対して、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」と答えた女性は、七六・七%いる
が、その反面、「反対だ」と答えた女性も二三・三%もいる。男性側の意識改革だけではなく、 女性側の意識改革も必要なようだ。ちなみに「結婚後、夫は外で働き、妻は主婦業に専念す べきだ」と答えた女性は、半数以上の五二・三%もいる(同調査)。
こうした現状の中、夫に不満をもつ妻もふえている。厚生省の国立問題研究所が発表した
「第二回、全国家庭動向調査」(一九九八年)によると、「家事、育児で夫に満足している」と答 えた妻は、五一・七%しかいない。この数値は、前回一九九三年のときよりも、約一〇ポイント も低くなっている(九三年度は、六〇・六%)。「(夫の家事や育児を)もともと期待していない」と 答えた妻も、五二・五%もいた。
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*
男らしさ、女らしさ
男らしさ、女らしさを決めるのが、「アンドロゲン」というホルモンであることは、よく知られてい
る。男性はこのアンドロゲンが多く分泌され、女性には少ない。さらに脳の構造そのものにも、 ある程度の性差があることも知られている。そのため男は、より男性的な遊びを求め、女はよ り女性的な遊びを求めるということらしい。(ここでどういう遊びが男性的で、どういう遊びが男 性的でないとは書けない。それ自体が、偏見を生む。)
男と女というのは、外観ばかりでなく、脳の構造においても、ある程度の違いはあるようだ。た
とえば以前、オーストラリアの友人がこう教えてくれた。その友人には二人の娘がいたのだが、 その娘たち(幼児)が、「いつもピンク色のものばかりほしがる」と。そこでその友人は、「男と女 というのは、生まれながらにして違う部分もあるのではないか」と。
が、それはそれとして、「男らしく」「女らしく」という考え方はまちがっている。またそういう差別
をしてはならない。とくに子どもに対して、「男らしさ」「女らしさ」を強要してはいけない。しかしこ んなことはある。ごく最近、あった事件だ。
私はこの世界へ入ってから、一つだけかたく守っている大鉄則がある。それは男児はからか
っても、女児はからかわない。男児とはふざけて抱いたり、つかまえたりしても、女児には頭や 肩以外は触れないなど。(頭というのはほめるときに、頭をなでるこという。肩というのは、背中 のことだが、姿勢が悪いときなど、肩をぐいともちあげて姿勢をなおすことをいう。)が、女児の 中には、相手から私にスキンシップを求めてくるときがある。体を私にすりよせてくるのだ。しか しそういうときでも、私はていねいにそれをつき放すようにしている。こういう行為は誤解を生 む。その女の子(小三)もそうだった。何かにつけて私にスキンシップを求めてきた。私がイス に座って休んでいると、平気でそのひざの中に入ってこようとした。しかし私はそれをいつもか わした。が、ところが、である。その女の子が学校で、彼女の友だちに、「あのはやしは、私に ヘンなことをする」と言いふらしているというのだ。私が彼女を相手にしないのを、どうも彼女 は、ゆがんでとらえたようである。しかしこういう噂(うわさ)は決定的にまずい。親に言うべきか どうか、かなり迷った。で、女房に相談すると、「無視しなさい」と。
この問題も、アンドロゲンのなせるわざなのか? 男と女は平等とは言いながら、その間には
微妙なニュアンスの違いがある。それを越えてまで平等とは、私にも言いがたいが、しかしそ の微妙な違いを、決して「すべての違い」にしてはいけない。昔の日本人はそう考えたが、あく までもマイナーな違いでしかない。やがてこの日本でも、「男らしく」「女らしく」と言うだけで、差 別あるいは偏見ととらえるようになるだろう。そういう時代はすぐそこまできている。そういう前 提で、この問題は考えたらよい。
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【2】
世にも不思議な留学記
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隣人は西ジャワの王子だった(マダム・ガンジーもやってきた)
●世話人は正田英三郎氏だった
私は幸運にも、オーストラリアのメルボルン大学というところで、大学を卒業したあと、研究生
活を送ることができた。世話人になってくださったのが正田英三郎氏。皇后陛下の父君であ る。おかげで私は、とんでもない世界(?)に足を踏み入れてしまった。
私のインターナショナル・ハウスは、各国の皇族や王族の子息ばかり。西ジャワの王子やモー
リシャスの皇太子。ナイジェリアの王族の息子に、マレーシアの大蔵大臣の息子など。ベネズ エラの石油王の息子もいた。「あんたの国の文字で、何か書いてくれ」と頼んだとき、西ジャワ の王子はこう言った。「インドネシア語か、それとも家族の文字か」と。「家族の文字」というのに は、驚いた。王族には王族しか使わない文字というものがあった。また「マレーシアのお札に は、ぜんぶうちのおやじのサインがある」と聞かされたときにも、驚いた。一人名前は出せない が、香港マフィアの親分の息子もいた。「ピンキーとキラーズ」(当時の人気歌手)が香港で公 演したときの写真を見せ、「横に立っているのが兄だ」と笑った。今度は私の番。「おまえのお やじは、何をしているか」と聞かれた。そこで「自転車屋だ」というと、「日本で一番大きい自転 車屋か」と。私が「いや、田舎の自転車屋だ」というと、「ビルは何階建てか」「車は、何台もって いるか」「従業員の数は何人か」と。
●マダム・ガンジーもやってきた
そんなわけで世界各国から要人が来ると、必ず私たちのハウスへやってきては、夕食を共に
し、スピ−チをして帰った。よど号ハイジャック事件で、北朝鮮に渡った山村政務次官が、井口 領事に連れられてやってきたこともある。山村氏はあの事件のあと、休暇をとって、メルボルン に来ていた。その前年にはマダム・ガンジーも来たし、『サー』の称号をもつ人物も、毎週のよう にやってきた。インドネシアの海軍が来たときには、上級将校たちがバスを連ねて、西ジャワ の王子のところへ、あいさつに来た。そのときは私は彼と並んで、最敬礼する兵隊の前を歩か された。また韓国の金外務大臣が来たときには、「大臣が不愉快に思うといけないから」という 理由で、私は席をはずすように言われた。当時は、まだそういう時代だった。変わった人物で は、トロイ・ドナヒュ−という映画スタ−も来て、一週間ほど寝食をともにしていったこともある。 『ルート66』という映画に出ていたが、今では知っている人も少ない。
そうそう、こんなこともあった。たまたまミス・ユニバースの一行が、開催国のアルゼンチンか
らの帰り道、私たちのハウスへやってきた。そしてダンスパーティをしたのだが、ある国の王子 が日本代表の、ジュンコという女性に、一目惚れしてしまった。で、彼のためにラブレターを書 いてやったのだが、そのお礼にと、彼が彼の国のミス代表を、私にくれた。「くれた」という言い 方もへんだが、そういうような、やり方だった。その国では、彼にさからう人間など、誰もいな い。さからえない。おかげで私は、オーストラリアへ着いてからすぐに、すばらしい女性とデート することができた。そんなことはどうでもよいが、そのときのジュンコという女性は、後に大橋巨 泉というタレントと結婚したと聞いている。
……こんな話を今しても、誰も「ホラ」だと思うらしい。私もそう思われるのがいやで、めったに
この話はしない。が、私の世にも不思議な留学時代は、こうして始まった。一九七〇年の春。 そのころ日本の大阪では、万博が始まろうとしていた。
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【3】
生きることについて考えてみました。
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子育て随筆byはやし浩司
死者を悼(いた)む
幼児を教えていて、ふと不思議に思うことがある。子どもたちの顔を見ながら、「この子たち
は、ほんの五、六年前には、この世では姿も、形もなかったはずなのに」と。しかしそういう子ど もたちが今、私の目の前にいて、そして一人前の顔をして、デンと座っている。「この子たち は、五、六年前には、どこにいたのだろう」「この子たちは、どこからきたのだろう」と思うことも ある。
一方、この年齢になると、周囲にいた人たちが、ポツリポツリと亡くなっていく。そのときも、ふ
と不思議に思うことがある。亡くなった人たちの顔を思い浮かべながら、「あの人たちは、どこ へ消えたのだろう」と。年上の人の死は、それなりに納得できるが、同年齢の友人や知人であ ったりすると、ズシンと胸にひびく。ときどき「あの人たちは、本当に死んだのだろうか」「ひょっ としたら、どこかで生きているのではないだろうか」と思うこともある。いわんや、私より年下の 人の死は、痛い。つぎの原稿は、小田一磨君という一人の教え子が死んだとき、書いたもので ある。
「ぼくは楽しかった」・脳腫瘍で死んだ一磨君
一磨(かずま)君という一人の少年が、一九九八年の夏、脳腫瘍で死んだ。三年近い闘病生
活のあとに、である。その彼をある日見舞うと、彼はこう言った。「先生は、魔法が使えるか」 と。そこで私がいくつかの手品を即興でしてみせると、「その魔法で、ぼくをここから出してほし い」と。私は手品をしてみせたことを後悔した。
いや、私は彼が死ぬとは思っていなかった。たいへんな病気だとは感じていたが、あの近代
的な医療設備を見たとき、「死ぬはずはない」と思った。だから子どもたちに千羽鶴を折らせた ときも、山のような手紙を書かせたときも、どこか祭り気分のようなところがあった。皆でワイワ イやれば、それで彼も気がまぎれるのではないか、と。しかしそれが一年たち、手術、再発を 繰り返すようになり、さらに二年たつうちに、徐々に絶望感をもつようになった。彼の苦痛でゆ がんだ顔を見るたびに、当初の自分の気持ちを恥じた。実際には申しわけなくて、彼の顔を見 ることができなかった。私が彼の病気を悪くしてしまったかのように感じた。
葬式のとき、一磨君の父は、こう言った。「私が一磨に、今度生まれ変わるときは、何になり
たいかと聞くと、一磨は、『生まれ変わっても、パパの子で生まれたい。好きなサッカーもできる し、友だちもたくさんできる。もしパパの子どもでなかったら、それができなくなる』と言いました」 と。そんな不幸な病気になりながらも、一磨君は、「楽しかった」と言うのだ。その話を聞いて、 私だけではなく、皆が目頭を押さえた。
ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の冒頭は、こんな詩で始まる。「誰の死なれど、人の
死に我が胸、痛む。我もまた人の子にありせば、それ故に問うことなかれ」と。私は一磨君の 遺体を見送りながら、「次の瞬間には、私もそちらへ行くから」と、心の奥で念じた。この年齢に なると、新しい友や親類を迎える数よりも、死別する友や親類の数のほうが多くなる。人生の 折り返し点はもう過ぎている。今まで以上に、これからの人生があっと言う間に終わったとして も、私は驚かない。だからその詩は、こう続ける。「誰がために(あの弔いの)鐘は鳴るなりや。 汝がために鳴るなり」と。
私は今、生きていて、この文を書いている。そして皆さんは今、生きていて、この文を読んで
いる。つまりこの文を通して、私とあなたがつながり、そして一磨君のことを知り、一磨君の両 親と心がつながる。もちろん私がこの文を書いたのは、過去のことだ。しかもあなたがこの文 を読むとき、ひょっとしたら、私はもうこの世にいないかもしれない。しかし心がつながったと き、私はあなたの心の中で生きることができるし、一磨君も、皆さんの心の中で生きることがで きる。それが重要なのだ。
一磨君は、今のこの世にはいない。無念だっただろうと思う。激しい恋も、結婚も、そして仕
事もできなかった。自分の足跡すら、満足に残すことができなかった。瞬間と言いながら、その 瞬間はあまりにも短かった。そういう一磨君の心を思いやりながら、今ここで、私たちは生きて いることを確かめたい。それが一磨君への何よりの供養になる。」
あの世はあるのだろうか。それともないのだろうか。釈迦は『ダンマパダ』(原始経典のひと
つ、漢訳では「法句経」)の中で、つぎのように述べている。
「あの世はあると思えばあるし、ないと思えばない」と。わかりやく言えば、「ない」と。「あの世
があるのは、仏教の常識ではないか」と思う人がいるかもしれないが、そうした常識は、釈迦が 死んだあと、数百年あるいはそれ以上の年月を経てからつくられた常識と考えてよい。もっと はっきり言えば、ヒンズー教の教えとブレンドされてしまった。そうした例は、無数にある。
たとえば皆さんも、日本の真言密教の僧侶たちが、祭壇を前に、大きな木を燃やし、護摩(ご
ま)をたいているのを見たことがあると思う。あれなどはまさにヒンズー教の儀式であって、それ 以外の何ものでもない。むしろ釈迦自身は、「そういうことをするな」と教えている。(「バラモン よ、木片をたいて、清浄になれると思ってはならない。なぜならこれは外面的なことであるから」 (パーリ原典教会本「サニュッタ・ニカーヤ」))
釈迦の死生観をどこかで考えながら、書いた原稿がつぎの原稿である。
「家族の喜び
親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそむけ
る。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。「私は ダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。が、近所の人 には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親子がふえている。いや、 そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生きていてくれるだ けでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか願うようになる。
「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言っ た父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが 大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったま ま、口をつぐんでしまう。
法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずね
る。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れることが できるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたこ とを喜べ、感謝せよ」と。私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私 は、この釈迦の言葉で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そう いうふうに苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、じ ゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、何を望むのですか」と。
子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかり
ではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。しかしそれでも 巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしかない。親がせい ぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドアをあけ、部 屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生*は手記の中にこう書いてい る。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれない。 が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。
今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受
賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二〜一九七〇)は、こう書き残している。「子どもた ちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決して程度 をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」と。こうい う家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。」
ではなぜ、私たちは生きるか、また生きる目的は何かということになる。釈迦はつぎのように
述べている。
「つとめ励むのは、不死の境地である。怠りなまけるのは、死の足跡である。つとめ励む人は
死ぬことがない。怠りなまける人は、つねに死んでいる」(四・一)と述べた上、「素行が悪く、心 が乱れて一〇〇年生きるよりは、つねに清らかで徳行のある人が一日生きるほうがすぐれて いる。愚かに迷い、心の乱れている人が、一〇〇年生きるよりは、つねに明らかな智慧あり思 い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。怠りなまけて、気力もなく一〇〇年生きるより は、しっかりとつとめ励む人が一日生きるほうがすぐれている」(二四・三〜五)(中村元訳)と。
要するに真理を求めて、懸命に生きろということになる。言いかえると、懸命に生きることは
美しい。しかしそうでない人は、そうでない。こうした生き方の差は、一〇年、二〇年ではわから ないが、しかし人生も晩年になると、はっきりとしてくる。
先日も、ある知人と、三〇年ぶりに会った。が、なつかしいはずなのに、そのなつかしさが、
どこにもない。会話をしてもかみ合わないばかりか、砂をかむような味気なさすら覚えた。話を 聞くと、その知人はこう言った。「土日は、たいていパチンコか釣り。読む新聞はスポーツ新聞 だけ」と。こういう人生からは何も生まれない。
つぎの原稿は、そうした生きざまについて、私なりの結論を書いたものである。
「子どもに生きる意味を教えるとき
●高校野球に学ぶこと
懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからすれば
よい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。たとえば高校野球。私たちがなぜあの 高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからではないのか。たか がボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、そ れほどない。「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この 世の中に一体、どれだけいるだろうか。
●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか
私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想的なミュ
ージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはなぜ生まれ、な ぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。それから三〇年あまり。私もこ の問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけではないが、トルストイの『戦争 と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだした。
生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、人生の
目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエー ル。そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進 むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。つまり懸命に生きること自体に 意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。 映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っている。『人生はチョコレートの 箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』と。
●懸命に生きることに価値がある
そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャーも、
それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みんな必死だ。 命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが 宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、 そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。
私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあっ
て、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言うなら、懸命 に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。言いかえると、そうでない人に、人生 の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘志もない。毎日、ただ流されるまま、その日 その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわからない。さらに言いかえると、「私た ちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教える ことがあるとするなら、懸命に生きる、その生きざまでしかない。あの高校野球で、もし、選手 たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をしていたら、高校野球としての意味は ない。感動もない。見るほうも、つまらない。そういうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶ し。人生もそれと同じ。そういう人生からは、結局は何も生まれない。高校野球は、それを私た ちに教えてくれる。」
私も、つぎの瞬間には、この世から消えてなくなる。書いたものとはいえ、ここに書いたような
ものは、やがて消えてなくなる。残るものといえば、この文を読んでくれた人がいたという「事 実」だが、そういう人たちとて、これまたやがて消えてなくなる。しかしその片鱗(りん)は残る。 かすかな余韻といってもよい。もっともそのときは、無数の人たちの、ほかの余韻とまざりあっ て、どれがだれのものであるかはわからないだろう。しかしそういう余韻が残る。この余韻が、 つぎの世代の新しい人たちの心に残り、そして心をつくる。
言いかえると、つまりこのことを反対の立場で考えると、私たちの心の中にも、過去に生きた
人たちの無数の余韻が、互いにまざりあって、残っている。有名な人のも、無名な人のも。もっ と言えば、たとえば私は今、「はやし浩司」という名前で、自分の思想を書いているが、その 実、こうした無数の余韻をまとめているだけということになる。その中には、キリスト教的なもの の考え方や、仏教的なものの考え方もある。ひょっとしたらイスラム教的なものの考え方もある かもしれない。もちろん日本の歴史に根ざすものの考え方もある。どれがどれとは区別できな いが、そうした無数の余韻が、まざりあっていることは事実だ。
この項の最後に、私にとって「生きる」とは何かについて。私にとって生きるということは考え
ること。具体的には、書くこと。仏教的に言えば、日々に精進することということになる。それに ついて書いたのがつぎの文である。この文は、中日新聞でのコラム「子どもの世界」の最終回 用に書いたものである。
「「子どもの世界」最終回
●ご購読、ありがとうございました。
毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新聞を届
けてくれる。聞きなれたバイクの音だ。が、すぐには取りにいかない。いや、ときどき、こんな意 地悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中から引っ張ったらどうな るか、と。きっと配達の人は驚くに違いない。
今日で「子どもの世界」は終わる。連載一〇九回。この間、二年半あまり。「混迷の時代の子
育て論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸四年になる。しかし新聞にものを書くと言うの は、丘の上から天に向かってものをしゃべるようなもの。読者の顔が見えない。反応もわから ない。だから正直言って、いつも不安だった。中には「こんなことを書いて!」と怒っている人だ っているに違いない。私はいつしか、コラムを書きながら、未踏の荒野を歩いているような気分 になった。果てのない荒野だ。孤独と言えば孤独な世界だが、それは私にとってはスリリング な世界でもあった。書くたびに新しい荒野がその前にあった。
よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくはないです
が、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うことが 多い。女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にとって「生きる」ということは、 「考える」こと。「考える」ということは、「書く」ことなのだ。私はその荒野をどこまでも歩いてみた い。そしてその先に何があるか、知りたい。ひょっとしたら、ゴールには行きつけないかもしれ ない。しかしそれでも私は歩いてみたい。そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。
私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないとわからない。大きな記事があ
ると、私の記事ははずされる。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと私は起きあ がる。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出ている朝は、そのまま 読み、出ていない朝は、そのまままた床にもぐる。たいていそのころになると横の女房も目をさ ます。そしていつも決まってこう言う。「載ってる?」と。その会話も、今日でおしまい。みなさん、 長い間、私のコラムをお読みくださり、ありがとうございました。」
(02−7−23)
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【4】English Corner,translated by Mr. IBM
お休みします。
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【5】
「子育てポイント」が、600作を超えました。
マガジンに発表しようと、自分で自分の体にムチを
打ちながら書いた600作です。何かをやり遂げた
ような満足感を覚えます。毎回、少しずつですが
読者の方がふえたのが、大きな励みになりました。
みなさん、どうもありがとうございました。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(603)
よい先生VS悪い先生
● 子どもたちが無意識のうちに判断している
私のような、もともと性格のゆがんだ男が、かろうじて「まとも?」でいられるのは、「教える」と
いう立場にあるからだ。子ども、なかんずく幼児に接していると、その純粋さに毎日のように心 を洗われる。何かトラブルがあって、気分が滅入っているときでも、子どもたちと接したとたん、 それが吹っ飛んでしまう。よく「仕事のストレス」を問題にする人がいる。しかし私の場合、職場 そのものが、ストレス解消の場となっている。
その子どもたちと接していると、ものの考え方が、どうしても子ども的になる。しかし誤解しな
いでほしい。「子ども的」というのは、幼稚という意味ではない。子どもは確かに知識は乏しく、 未経験だが、決して、幼稚ではない。むしろ人間は、おとなになるにつれて、多くの雑音の中 で、自分を見失っていく。醜くなる人だっている。「子ども的である」ということは、何ら恥ずべき ことではない。特に私の場合、若いときから、いろいろな世界をのぞいてきた。教育の世界や 出版界はもちろんのこと、翻訳や通訳の世界も経験した。いくつかの会社の輸出入を手伝った り、医学の世界をかいま見たこともある。しかしこれだけは言える。園や学校の先生には、心 のゆがんだ人は、まずいないということ。少なくとも、ほかの世界よりは、はるかに少ない。
そこで「よい先生」論である。いろいろな先生に会ってきたが、目線が子どもと同じ高さにいる
先生もいる。が、中には上から子どもを見おろしている先生もいる。このタイプの先生は妙に 権威主義的で、いばっている。そういう先生は、そういう先生なりに、「教育」を考えてそうしてい るのだろうが、しかしすばらしい世界を、ムダにしている。それはちょうど美しい花を見て、それ を美しいと感動する前に、花の品種改良を考えるようなものだ。昔、こんな先生がいた。ことあ るごとに、「親のしつけがなっていない」「あの子は問題児」とこぼす先生である。決して悪い先 生ではないが、しかしこういう先生に出会うと、子どもから明るさが消える。
そこでよい先生かどうかを見分ける簡単な方法…。休み時間などの様子を、そっと観察して
みればよい。そのとき、子どもたちが先生の体にまとわりついて、楽しそうにはしゃいでいれ ば、よい先生。そうでなければ、そうでない先生。よい先生かどうかは、実は子どもたち自身 が、無意識のうちに判断している。
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・5……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
ほか、横浜市(2個所)ほかでの講演を予定しています。
詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
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一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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(2) 折り返し、私のほうから、確認のメールを出します。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! よろしくお願いします!
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┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)7-26
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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 368人
最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数(Nr. of Readers) 79人
How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
★★★★★★★★★★★★★
02−7−26号(083)
★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
●上、二つの、Eマガとメルマガは同じ内容です。ただしメルマガのほうでは、送信容量に限界
があるため、たいていいつも内容をカットして送っています。全文読んでくださる方はEマガの ほうを、ご購読ください。
●どちらか一方をというかたは、Eマガのほうを、ご購読ください。
●また、よりアカデミックな(?)マガジンをご希望の方は、「はやし浩司の世界」を
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published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you very much.
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●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second
son's website in USA, for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
みなさんへ、
●「子育てワンポイント」の、1〜600作を、
一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
ご希望の方に、1枚1000円でお分けします。(郵送料込み)です。
詳しくは、このマガジンの末尾をご覧ください。
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メニュー
今日のテーマ、「仏教の五戒と、ユダヤ教の十戒」
(Five Commandments & Ten Commandments)
【1】乱れる言葉(Funny Japanese)
【2】世にも不思議な留学記(My young days in Australia)
【3】家庭教育の四つの柱(Four roles of Parenting)
【4】English Edition
【5】随筆(Essays)
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【1】
乱れる言葉
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子どもの言葉
●乱れる言葉
ある夏の暑い日、一人の女の子(小二)がこう言った。「私、今日、プール、ない!」と。ほかの
子どもが、「今日、私、プール、あった」と言った言葉に対してそう言った。私はそときふと、「IB Mの翻訳ソフトなら、こういう会話をどう翻訳するだろうか」と考えた。ちなみに、私がもっている ソフトで、実際、翻訳してみた。つぎのがそれである。
「私、今日、プール、ない!」……"Pool and there is nothing me and today." (プール、私と
今日、何もない)
「今日、私、プール、あった」……"today and me -- a pool -- "(今日と私……プール)
仮にもう少し原文に忠実に翻訳して、たとえばアメリカ人に、「Me, today, pool, no!」「Today
me, pool, yes」と言っても、多分その意味は通じないだろう。
そこで私はその女の子に、つぎのように質問しながら、正しい言葉で言いなおさせた。
私「あなたはプールをもっていないの?」
女「私が、もってるんじゃ、ない」
私「プールがどうしたの?」
女「プールがなかった」
私「どこになかったの?」
女「そうじゃなくて、プールはあるけど、プールのレッスンはなかったということ」
私「プールがレッスンするの?」
女「あのねえ、私がプールへ行かなかったということ」
私「どうして?」
女「だからさあ、プールがなかったの」
私「プールがなくなってしまったの?」
女「そうじゃなくてエ、今日は水泳のレッスンはなかったということ」
私「だったら、最初から、そう言ってね」と。
こういうとき英語では、「私は今日、スイミングのレッスンには行かなかった」というような言い
方をする。IBMの翻訳ソフトで、翻訳させると、今度はちゃんと、「"I did not go to the lesson of swimming today."」と翻訳できた。
今、書店へ行くと、日本語についてはあの本がたくさん並んでいる。その理由が、少しは理解
できた。
(02−7−25)
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【2】
世にも不思議な留学記
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オーストラリアの気候(日本はやはり島国だった)
●車で大陸を横断する
「君はどの島から来たのか」と聞かれたことがある。そこで私はムッとして、「島ではない。メイ
ンランド(本州)だ」と答えると、皆は、どっと笑った。私が冗談を言ったと思ったらしい。英語で 「メインランド」というときは、中国大陸やヨーロッパ大陸のような大陸をいう。しかし日本はやは り島国だった。
その夜、私とボブとマイクは、車に乗った。夜の一〇を過ぎていた。寒い夜だった。冬の気候
としては、ありふれた気候だった。が、それがまちがいだった。私たちは徹夜で、走ることにし ていた。時速一二〇キロ前後で走れば、昼までにはアデレードへ着く……、私たちはそんな計 算をしていた。私は数枚の毛布と、かばんに日用品を詰めて車のうしろに載せた。そして、出 発。一時間も走ると、スミを垂れ流したかのような暗闇、また暗闇。牧場を突ききって走ってい るはずだが、それは見えない。が、それからが地獄だった。気温が急激にさがり始めたのだ。 最初、私が「寒い」と言った。運転しているボブは、「ヒーターがきかない」と言い出した。確かに 熱風が出ているはずなのだが、その熱気は、すぐどこかへ消えてしまう。マイクもうしろの席 で、毛布にくるまって震えていた。私も座席に足をあげ、全身を毛布でくるんで小さくなってい た。が、それでも体の震えは止まらなかった。運転しているボブも寒いはずだが、彼だけは「寒 い」とは言わなかった。運転しながら、次々とパンをかじっていた。私はそのときほど人種の違 いを意識したことはない。
私はアジア人。寒さに弱い。マイクはユダヤ人。細い体つきで、寒さには強くないらしい。が、ボ
ブだけは、脂肪太りで丸々としていた。しかも全身が、剛毛でおおわれている。いつか「ぼくの 体には蚊も近寄れない」と笑っていたのを覚えている。つまりボブの祖先は、北欧民族だ。が、 そのボブも、そのうち泣き言を言い始めた。ぞっとするような泣き言だ。いわく、「車が止まった ら、ぼくたちは死ぬかもしれない」と。さらに時間がたつとこう言った。「車がもたないかもしれな い」と。身をズタズタに切り裂くような寒さ。身の置き場がない。オーストラリアでは、「真鍮(しん ちゅう)のサル」と表現する。どうしてそういう言い方をするのかは知らないが、真鍮のサルとい うのは、そういう寒さのことを言う。
●朝日が痛い!
日本の気候を規準にして、大陸の気候を考えるのは、正しくない。いくら暑くても、また寒くて
も、日本の気候は日本の気候。しかしオーストラリアの気候は、その日本人の常識をはるかに 超えていた。私は車の中で、何度か死を覚悟した。車は平原を走っていた。砂漠の端だったか もしれない。ともかくも寒かった。が、南オーストラリア州へ入るころに、夜が白み始めた。まっ 白な朝だ。そしてその下に広がる、まっ赤な大地。ボブは平静を装っていたが、内心は穏やか ではなかったと思う。気温はまださがり続けていた。が、そのときだ。まっ白な太陽が、うしろの ほうから地平線に顔を出した。スーッと光の筋が流れた。そしてその筋が、顔に当たった。「痛 い!」と、私は感じた。光が痛いのだ。その光は車の動きに合わせて右、左とゆれたが、その たびに顔や手に当たった。やはり痛い。私はその痛さを体の中に染み込ませるようにして、顔 をなでた。そのときはじめてボブが、口を開いて、こう言った。「グッド・モーニング」と。
あのときのボブ、つまりロバート・ベアは、南オーストラリア州で農業指導員をしている。マイ
ク、つまりマイケル・アイゼンは、今、オーストラリアで医師をしている。
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【3】
もうひとつのマガジン、「はやし浩司の世界」から、
家庭教育の「柱」についての原稿を転載します。
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子育て随筆byはやし浩司
●家庭教育の四つの柱
仏教の五戒と、ユダヤ教の十戒
仏教でいう五戒と、ユダヤ教(旧約聖書)の十戒は、恐ろしく似ている。まずそれらを並べて
おくので、読者自身の目で確かめてほしい。
●仏教の五戒
(1)生きものを殺すなかれ。
(2)盗みをするなかれ。
(3)邪淫(じゃいん)を行うなかれ。
(4)偽りを言うなかれ。
(5)酒を飲むなかれ。(何ものも所有するなかれ。)
(注、釈迦の生誕地に残る原始仏教の経典、『スッタニパータ』の中の一節。(1)〜(4)は、釈
迦滅後まもなくできたが、(5)は、ずっとあとになってからつけ加えられたという。ふつう仏教で は、(5)だけを、「遮罪」(それ自体は悪いことではない)というふうにして、(1)〜(4)の「性罪」 (それ自体悪いこと)とは区別する。)
●ユダヤ教の十戒
(1)あなたは私のほかに、何ものも神としてはならない。
(2)あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない。
(3)あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。
(4)安息日を覚えて、これを聖とせよ。主は六日のうちに天と地とその中のすべてのものを造
って七日目に休まれたからである。
(5)あなたの父と母を敬え。
(6)あなたは殺してはいけない。☆
(7)あなたは姦淫(かいいん)してはいけない。☆
(8)あなたは盗んではいけない。☆
(9)あなたは隣人について、偽証してはならない。☆
(10)あなたは隣人の家をむさぼってはならない。
(注、シナイ山でモーセが、神から授かった言葉が、この十戒と言われている。(1)〜(4)は、
信仰のし方に関するもの。(6)〜(10)が、生活のし方ということになる。)
この五戒と十戒の中の共通点には、☆印をつけておいた。ほかに『スッタニパータ』の中で
は、釈迦は、父母を敬えと教えているが、五戒の中には含まれてはいない。が、仏教では常識 である。
この二つを並べてみたとき、最初に思い浮かぶのが、最大公約数という言葉である。教育に
たずさわるものの悪いクセかもしれない。しかしこれら二つを、最大公約数的にまとめると、こ うなる。家庭教育の「柱」と考えてよい。
(1)殺してはいけない。
(2)淫(みだ)らな性行為をしてはいけない。
(3)盗みをしてはいけない。
(4)ウソをついてはいけない。
釈迦の時代には、飲酒にはとくべつの意味があったようだ。今のアルコールを想像してはい
けない。あるいは今でいう麻薬のような作用があったと考えるべきではないか。粗悪な酒で、そ のため身を滅ぼす人があとを絶たなかったという。『スッタニパータ』の中にも、そういう説話が いくつか載っている。インドの他の宗教では、第五の「酒を飲むなかれ」のかわりに、「何ものも 所有しない(所有物をなくせ)」になっているという(中村元氏指摘)。もしそうなら、この「何もの も所有しない」は、十戒の「あなたは隣人の家をむさぼってはならない」と、どこかその心を共 有する。
ところでこの仏教の五戒を、小学五年生の子どもたち(一二人)に話していたときのこと。私
が、「お釈迦様の話では、一に、生きものを殺してはいけない。二に、人のものを盗んではいけ ない、四に、ウソを言ってはいけない、五に、酒を飲んではいけないと言っている」と説明する と、一斉に、「三は、何だ!」と聞いた。
困って私が、「つまりだね、いろいろな人と、めちゃめちゃ、ラブラブしてはいけないということ
だよ」と言うと、みな、ギャーギャーと笑い出した。で、しばらくすると、少し冷静になり、「殺して はだめって、虫もいけないのか」「魚はどうなのか」「牛はどうなのか」とか、「ぼくの父は、酒を 飲んでいる」とか、言い出した。
(1)「殺してはいけない」ということ。
要するに、相手の立場になって考えろということ。自分が死にたくなかったら、相手も死にたく
ないと思っているということ。「自分だけは正しい」「自分だけが大切」という自己中心性は、多 かれ少なかれだれにでもあるものだが、相手の立場になって考えるということは、結局は、そ の自己中心性との戦いということになる。
問題は、人間全体がもっている自己中心性である。この地球をマクロ(全体的)に見ても、人
間は人間だけのことしか考えていない。まさにしたい放題のことをしている。世界的に見ても、 日本人ほど自然破壊力の強い民族は、そうはいない。恐らく世界一ではないか。よく「日本人 は自然を愛する民族だ」と言うが、これはまったくのウソ。たまたま日本に緑が多いのは、放っ ておいても緑だけは育つという、恵まれた自然環境による。自然を愛するという気持ちによるも のではない。ウソだと思うなら、車で少しわき道を走ってみるとよい。めったに人が通らないよう な林道や山道まで、完全舗装。がけはコンクリートのブロックでおおわれている。今ではそうで ない道をさがすほうが、むずかしい。こういう環境の中で、今、無数の動植物が、絶滅しつつあ る。
(2)「淫(みだ)らな性行為をしてはいけない」ということ。
性欲というのは、実にやっかいなものだ。これがあるから、その種族は代々と生き延びること
ができる。人間が生物である以上、絶対必要不可欠な本能である。が、それだけにあつかい 方がむずかしい。自意識でコントロールできない。食欲と同じで、ムラムラと感ずるときは、感 ずる。よく子どもたちは私にこう聞く。「先生は、スケベか」「先生も、エロビデオを見るか」と。そ ういうとき私はいつも、「君たちのお父さんと同じだよ。お父さんに聞いてきな」と答えるようにし ている。
ただ幸運なことに(?)、私は、バーやキャバレーなど、いわゆる「女遊び」の世界とは、無縁
の世界に住んでいる。商社マン時代の一時期をのぞいて、そういうところへ顔を出したことす ら、ない。遊んでみたいという気持ちはあるにはあったが、しかし時間がなかった。若いころ は、進学塾の講師や家庭教師などで、いつも仕事が終わるのが午後一一時ごろ。もともと誘 惑に弱い人間だから、私を誘う人間がいたら、割と簡単についていったかもしれない。たまた ま私が品行方正(?)だったのは、私がそれだけ自分を律する力が強かったというよりは、チャ ンスがなかったと言うほうが正しい。
この問題は、「教育」というより、親の生きザマの問題なのかもしれない。夫婦がいたわりあ
い、助けあい、はげましあい、愛しあう姿は、子どもに遠慮なく見せる。そういう姿を見ながら、 子どもは、「淫(みだ)ら」というのはどういうことなのかを、間接的に学ぶ。
(3)「盗みをしてはいけない」ということ。
私は小学六年生のとき、隣人の家の裏にあった、ライターを盗んだことがある。隣人といって
も、私の家の借家で、出入りは自由だった。あともう一度は、大学三年生のとき、通路に積ん であったその会社の備品の中から、テープレコーダーのテープを一巻(当時は直径一五センチ ほどもあるテープだった)を盗んだことがある。
これが私の生涯における二度の盗みである。先のライターは、やがて母が見つけ、母がその
ライターを隣人に返しにいった。テープは、そのまま自分のものして、使っていた。いや、ほか にも、返し忘れて自分のものにしたものがある。図書館の本がそれだが、返しそびれて三〇年 になる。他人に対しては結構、正義感が強く、盗みを許さない私だが、こうして思い出してみる と、あまり偉そうなことは言えない。しかしこういうことは言える。
よく玄関先にある植木鉢を盗んでいく人がいる。そういう話を聞くと、その盗んだ人はどうやっ
て花を楽しむのかということ。そちらのほうが気になる。花の美しさを味わうという清純な気持ち と、盗みとは、その時点で、矛盾(むじゅん)してしまう。反対にその盗んだ花を見るたびに、自 分の醜い部分を見せつけられて、不愉快になるのではないか。一度、どうなのか、そういう人 に聞いてみたい。
(4)「ウソをついてはいけない」ということ。
私はもともとウソつきの人間だった。私の家は、自転車屋という商店で、日常的にウソの中で
育ったということもある。地域にもよるが、岐阜県というところは、大阪式の商売圏内にあって、 値段にしても、そのときの「かけひき」で決まる。(この静岡県では、そのかけひきが、まったくな い!)そのかけひきというのは、まさにウソの張り合い。売り手は一円でも高く買おうとするし、 買い手は一円でも安く買おうとする。そのときウソがつぎからつぎへと出てくる。
たとえば定価が三万円の自転車があったとする。客はそれを二万五〇〇〇円にせよという。
そういうとき商人は、とっさにウソをつく。迷ったり、間を置いたりすると、ウソとバレるから、とっ さにウソをつく。「仕入れが二万五〇〇〇円なんですよ。一〇〇〇円だけ儲けさせてください よ」と。つづいて、「この話は問屋さんには内緒ですよ。ウチがこの値段で売っているとわかる と、叱られますから」と。(実際には、仕入れ値は二万円。問屋にバレても、叱られることはな い。)まだ客が買い渋っているようなら、こう言ってたたみかける。「まあ、いいでしょう。あなた には世話になっているから、二〇〇〇円のランプをただでつけてあげますよ」と。(ランプの仕 入れ値は、一〇〇〇円だから、結局は五〇〇〇円の儲けということになる。)
私が自分の中のウソつき体質を、徹底的に忌み嫌ったのは、オーストラリアでの留学時代だ
が、それには苦い経験がある。これについてはまた別の機会に書くことにして、日本人は、ウ ソをつくのがうまいというか、人をだますことに、たいへんうとい。欧米では、「正直でありなさい (Be honest!)」というのが、子育ての柱になっているが、日本の親で、そういうふうに子ども を指導している親を、私は過去三〇年間、見たことがない。聞いたこともない。国民性の違いと いうより、長く続いた封建時代の結果と考えてよい。
ただし一言。五戒とか十戒とか、そういうふうに、教条的にものごとを並べて考えるのは、正
しくない。原始的な人たちの間では、それなりにわかりやすく、説得力もあったかもしれない が、こうした教条にとらわれると、それ以外の、ほかの大切な部分を見落してしまう。だからあく までも「参考」ととらえるのが、正しい。中に、仏や神の言葉として、一語一句、ギスギスに解釈 する人がいるが、そういう姿勢は、かえって仏や神の教えを見失うことになる。自分の人生を 生きるのは、ほかならぬ、私たち自身だからである。
(02−7−24)
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【4】English Corner,translated by Mr. IBM
お休みします。
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【5】
「子育てポイント」が、600作を超えました。
マガジンに発表しようと、自分で自分の体にムチを
打ちながら書いた600作です。何かをやり遂げた
ような満足感を覚えます。毎回、少しずつですが
読者の方がふえたのが、大きな励みになりました。
みなさん、どうもありがとうございました。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(594)
世間体は子育てを見苦しくする
●親のメンツと世間体
今でも世間体を気にする人は多い。しかし世間体を気にすればするほど、それは他人の目
の中で生きることになる。そしてそれは同時に、自分の人生をムダにすることになる。
生きる美しさというのは、いかにその人がその人らしい人生を送っているかで決まる。が、他
人の目の中で生きる人には、それがない。ないばかりか、皮肉なことに、はた(=世間)から見 ても、それほど見苦しい人生はない。私の知人に、こんな女性(七〇歳)がいる。ことあるごと に「世間」という言葉を使う。「世間が笑う」「世間体が悪い」「世間が許さない」など。長くつづい た封建時代の悪弊とも言える。あの江戸時代には、人々は、他人と変わったことをすることす ら許されなかった。
もっともこうした生きざまが、その人個人のものであれば、問題はない。が、こうしたものの考
え方が子育ての領域に入ってくると、話がかなりおかしくなる。ある母親は、毎朝、自分の娘 (高一)を車で駅まで送っていた。近所に娘の学校の制服を見られるのが恥ずかしいというの が、その理由だった。
またこれは隣の豊橋市でのことだが、そこでは市内のS進学高校に入れなかった子どもは、名
古屋市のB高校に入学するのが習わしになっているという。豊橋市に住んでいる友人が、そう 話してくれた。B高校は全寮制。S進学高校に入れなかった子どもは、親のメンツのために (?)B高校へ進学する……ということらしい。(もちろんそうでないケースも多いと思うが… …。)
●世間が何だ!
しかしそれですめばよいが、こうした親の生きざまは、やがて親子の間に深刻なキレツを入
れることになる。子どもというのは、「どんなことがあっても、親は私を守ってくれる」という安心 感があってはじめて、豊かな心をはぐくむことができる。親にしても、「どんなことがあっても、私 は子どもを支えます」というのが、真の愛情ということになる。もっと言えば、「世間が何と言おう と、また世間が何と思おうと、私はあなたを守りますからね」という確たる信念が、親子のきず なを深める。が、こうした生きざまは、子どもの側に疑念や不信感をもたせ、ついで、心に大き なキズを入れることになる。たいていはそのまま親子の断絶へとつながっていく。
「世間」という言葉が頭をかすめたら、すかさずこう思いなおしてみたらよい。「あなたはあな
たよ」と。たったこれだけのことだが、それであなたはあなたの子どもの心を守ることになる。親 子のきずなもそれで太くなる。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(595)
知識はメッキ
私も法律の勉強を、五年間もした。私にとっては、おもしろくない勉強だった。いくつかの資格
はとったが、卒業後、その資格を生かしたことはただの一度もない。で、それから三〇年。同 窓会に出て、法曹の道に進んだ仲間と話しても、会話がうまくかみあわない。つまりそれだけ 「法律」とは遠ざかってしまったということ。専門用語を忘れてしまったということもある。では、 私の法律の勉強がムダだったのかというと、そうでもない。ものの考え方というか、論理的に思 考を積み重ねていくクセだけは残った。反対によく雑誌などで他人の教育論を読んだりする が、ときどきあまりの論理性のなさに、驚くことがある。中には感情論だけで教育論を組み立て ている人がいる。つまりそういうことがわかるということは、やはり私が法律の勉強をしたため とみてよい。
あのアインシュタイン(一八七九〜一九五五、ドイツの物理学者)は、こう言っている。「教育と
は、学校で習ったことをすべて忘れ去ったあとに残っているものをいう」(「教育について」)と。 学校で習ったことを忘れたからといって、教育がムダだったということにはならない。むしろ「忘 れる」ことを理由に、教育を否定する人のほうが、問題だ。……と言っても、知識教育をそのま ま肯定することもできない。知識そのものは、生きるための武器であり、ないよりはあったほう がよい。しかし知識が多いからといって、アインシュタインが言うところの、「あとに残っているも の」になるとは限らない。大切なのは、その中身であり、思考プロセスということになる。
こうした前提で、子どもの教育を考えると、教育がどうあるべきかがわかってくる。たとえばこ
んなことがある。中学生に教えているとき、その子どもがもっている能力のほんの少し先の問 題を出してみると、ただ「できない」「わからない」「まだ習ってない」とこぼし、自分では考えよう ともしない子どもがいる。が、反対にあちこちテキストを見ながら、調べ始める子どもいる。この 時点で重要なことは、「その問題が解ける、解けない」ということではない。「解くためにどのよう な思考プロセスを働かすか」ということである。もちろん「できない」とこぼす子どもより、調べだ す子どものほうがすばらしい。またそういう方向に子どもを導くのが、教育ということになる。
教えられてできるようになるのが、知識教育。しかしそれで得た知識は、メッキのようなもの。
時間がたてば、必ずはげる。しかし思考プロセスは残る。残ってあらゆる場面で、それが働くよ うになる。たとえば私のことだが、先に書いたように、いつもものごとを論理的に考えるクセだ けは残った。こういった文章を書くについても、あいまいな言い方だけはしていないつもりであ る。あいまいなことは書かないというよりも、書く前に筆を止めてしまう。自分なりに結論が出た 部分のみを書くようにしている。そういう姿勢こそが私が学生時代に受けた「教育」ということに なる。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(596)
先生と話すときは、わが子は他人
●話しにくい親たち
親と話していて、「うちではふつうです」「K塾では問題がありません」と言われることぐらい、会
話がしにくいことはない。たとえば、私「このところ元気がありませんが……」、母「家ではふつう です」、私「どこかで無理をしていませんか」、母「K塾では問題なく、やっています」と。
先生と話すときは、わが子でも他人と思うこと。そう思うことで、親は聞き上手になり、あなた
の知らない子どもの別の面を知ることができる。たとえば子どもが問題を起こしたりすると、ほ とんどの親は、「うちの子にかぎって!」とか、「友だちに誘われただけ」とか言う。しかし大半 は、その子ども自身が主犯格(失礼!)とみてよい。子どもを疑えということではない。子どもと いうのはそういうもので、問題を起こす子どもほど、親の前では自分を隠す。ごまかす。
溺愛ママと呼ばれる母親ほど、親子の間にカベがない。一体化している。だから子どもに何
か問題が起きたりすると、母親は自分のこととして考えてしまう。先生に何か問題がありますな どと言われたりすると、自分に問題があると言われたように思う。思うから、「子ども(私)には 問題はありません」となる。しかしこういう盲目性が強ければ強いほど、親は子どもの姿を見失 う。そして結果として、子どもの問題点を見逃してしまうことになる。
●先生は本音でほめる
先生というのは、学校の先生も塾の先生も限らず、子どもをほめるときには、本音でほめる。
しかし問題を指摘するときは、かなり遠慮がちに指摘する。つまり何か先生のほうから問題を 指摘されたときには、かなり大きな問題と思ってまちがいない。そういう謙虚さが、子どもの問 題を知るてがかりとなる。言いかえると、子育てじょうずな人というのは、一方で聞きじょうず。 自分のみならず、自分の子どもをいつも客観的にみようとする。会話をしていても、「先生の意 見ではどうですか?」「どうしたらいいでしょうか?」「先生はどう思いますか?」という言葉がよく 出てくる。そうでない人はそうでない。中には、「あんたはいらんこと、言わないでくれ」と言った 母親すらいた。しかしそう言われると、教師としてできることは、もう何もない。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(597)
互いに別世界
●子育てには基準がない
子育てには尺度がない。標準もなければ、平均もない。あるのは「自分」という尺度だけ。そう
いう意味では、親は独断と偏見の世界にハりやすい。こんなことがあった。S君(年中児)とい う、これまたどうしようもないドラ息子がいた。自分勝手でわがまま。ゲームに負けただけで、机 を蹴っておおあばれしたりした。そこである日、私は母親にこう言った。「もっと家事を分担さ せ、子どもをつかいなさい」と。が、母親はこう言った。「ちゃんとさせています!」と。そこで驚 いて、どんなことをさせていますかと聞くと、こう言った。「ちゃんと箸並べと靴並べをしてくれま す」と。
一方、こんな子どももいた。ある日道で通りかかると、Y君(年長男児)は、メモを片手に、町
の中を走り回っていた。父親は会社勤め、母親は洋品店を経営していた。だからこまかい仕事 は、すべてY君の仕事だった。が、ある日、私がそのことでY君をほめると、母親はこう言った。 「いいえ、先生。うちの子は何もしてくれないんですよ」と。
箸並べや靴並べ程度でほめる親もいれば、家事のほとんどをさせながら、「何もしてくれな
い」とこぼす親もいる。たまたま同じ時期に私はS君とY君に接したので、その違いがよけいに 強烈に記憶に残った。つまり、互いに別世界。
●風通しをよくする
こうした例は幼児教育の世界では、実に多い。たとえばかなり能力的に遅れがある子どもで
も、「優秀な子ども」と親が誤解しているケースがある一方で、すばらしい能力をもっているにも かかわらず、「うちの子はだめだ」と親が誤解しているケースがある。先日も、学校の勉強につ いていくだけでもたいへんだろうな思われる子ども(小五女児)をもった親が、こう相談してき た。「今度学習内容が三割削減されるというが、それでは学力がさがるのではないかと心配 だ」と。その母親は、「私立中学では今までどおり教えるというが、それは不公平だ」とも言った が、こうしたおめでたさ(失礼!)は、多かれ少なかれ、どの親ももっている。それはというも の、結局は、互いに別世界に住んでいるからにほかならない。互いにもう少し風通しがよけれ ば、こうした誤解は防げるのだが……。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(598)
船頭は一人
●父親の悪口は言わない
そうでなくても難しいのが、子育て。夫婦の心がバラバラで、どうして子育てができるのか。そ
の中でもタブー中のタブーが、互いの悪口。ある母親は、娘(年長児)にいつもこう言っていた。 「お父さんの給料が少ないでしょう。だからお母さんは、苦労しているのよ」と。あるいは「お父さ んは学歴がなくて、会社でも相手にされないのよ。あなたはそうならないでね」と。母親としては 娘を味方にしたいと思ってそう言うが、やがて娘の心は、母親から離れる。離れるだけならま だしも、母親の指示に従わなくなる。
この文を読んでいる人が母親なら、まず父親を立てる。そして船頭役は父親にしてもらう。賢
い母親ならそうする。この文を読んでいる人が父親なら、まず母親を立てる。そして船頭役は 母親にしてもらう。つまり互いに高い次元に、相手を置く。たとえば何か重要な決断を迫られた ようなときには、「お父さんに聞いてからにしましょうね」(反対に「お母さんに聞いてからにしよ う」)と言うなど。仮に意見の対立があっても、子どもの前ではしない。父、子どもに向かって、 「テレビを見ながら、ご飯を食べてはダメだ」、母「いいじゃあないの、テレビぐらい」と。こういう 会話はまずい。こういうケースでは、父親が言ったことに対して、母親はこう援護する。「お父さ んがそう言っているから、そうしなさい」と。そして母親としての意見があるなら、子どものいない ところで調整する。子どもが学校の先生の悪口を言ったときも、そうだ。「あなたたちが悪いか らでしょう」と、まず子どもをたしなめる。相づちを打ってもいけない。もし先生に問題があるな ら、子どものいないところで、また子どもとは関係のない世界で、処理する。これは家庭教育の 大原則。
●夫婦は一枚岩
ある著名な教授がいる。数十万部を超えるベストセラーもある。彼は自分の著書の中で、こう
書いている。「子どもには夫婦喧嘩を見せろ。意見の対立を教えるのに、よい機会だ」と。しか し夫婦で哲学論争でもするのならともかく、夫婦喧嘩のような見苦しいものは、子どもに見せて はならない。夫婦喧嘩などというのは、たいていは見るに耐えないものばかり。
子どもは親を見ながら、自分の夫婦像をつくる。家庭像をつくる。さらに人間像までつくる。そ
ういう意味で、もし親が子どもに見せるものがあるとするなら、夫婦が仲よく話しあう様であり、 いたわりあう様である。助けあい、喜びあい、なぐさめあう様である。古いことを言うようだが、 そういう「様」が、子どもの中に染み込んでいてはじめて、子どもは自分で、よい夫婦関係を築 き、よい家庭をもつことができる。欧米では、子どもを「よき家庭人」にすることを、家庭教育の 最大の目標にしている。その第一歩が、『夫婦は一枚岩』、ということになる。(はやし浩司のサ イト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・5……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! よろしくお願いします!
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┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)7-28
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 372人
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数(Nr. of Readers) 79人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
★★★★★★★★★★★★★
02−7−28号(084)
★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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メニュー
今日のテーマ、「家庭内宗教戦争」(Religious War at Home)
【1】友だち親子(Parents as a friend)
【2】世にも不思議な留学記(My young days in Australia)
【3】家庭内宗教戦争(Religious War at Home)
【4】English Edition
【5】随筆(Essays)
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【1】
親には三つの役目がある。
ガイドとして、子どもの前を歩く。
保護者として、子どものうしろを歩く。
そして友として、子どもの横を歩く、ですね……。
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友だち親子
二〇〇二年の三月、玩具メーカーのバンダイが、こんな調査をした。「理想の親子関係」につ
いての調査だが、それによると……。
一緒にいると安心する ……94%
何でもおしゃべりする ……87%
友だちのように仲がよい……77%
親は偉くて権威がある ……68%
(全国の小学四〜六年生、二〇〇人、および五歳以上の子どもをもつ三〇〜四四歳の父母六
〇〇人を対象に、インターネットを使ってアンケート方式で調査。)
一方で「現実の親子関係」では、
子どもと何でもおしゃべりすると答えた父親 ……72%
父親と何でもおしゃべりすると答えた子ども ……49%
この調査からわかることは、子どもは親に、「友だち親子」を求めているということ。それにつ
いて、バンダイキャラクター研究所の土居由希子氏は、「友だちのような親子関係は、『家族の 機能が失われつつある』という文脈で語られることが多いが、実はそうではない。家族がひとつ にまとまるために、これまでの伝統や習慣にかわって、仲のよさや、共通の趣味や話題が必 要となっているようだ」(読売新聞)とコメントを寄せている。
親には三つの役目がある。ガイドとして、子どもの前を歩く。保護者として、子どものうしろを
歩く。そして友として、子どもの横を歩く。日本人は、総合的にみても、子どもの前やうしろを歩 くのは得意だが、子どもの横を歩くのは、苦手。バンダイの調査に対して、「親の威厳こそ大 切」という意見もある。しかしこうした封建時代の遺物をひきずっているかぎり、子どもは親の 前で心を開くことはない。はからずも、「いっしょにいると、
安心する」を、94%の親子が支持している。この数字のもつ意味は大きい。
(02−7−25)
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【2】
世にも不思議な留学記
(以前に送ったのと、ダブるかもしれませんが、
お許しください。)
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反日感情(クラクションに驚いた馬)
●クラクションで破られた静かな朝
毎朝五時ごろ、一頭だての馬車が、ハウスの前を通る。私の部屋は玄関のま上あたりの三
階にあった。時々、その馬車の通る音で目がさめた。牛乳配達の馬車だ。配達人がおりて、馬 車から離れると、馬は言われなくても、自然に歩調をゆるめ、配達人がもどってくるまで、そこ で待つ。そして配達人がもどってくると、どこかためらいがちに、また走り始める。
徹夜で勉強しているときは、その時刻になると、カーテンをあけて、その馬車が来るのを待った
こともある。カンカンと、道路を走る音が遠くから聞こえてくる。が、ある朝のことだ。私が見てい ると、配達人が馬車から離れたところで、うしろから一台の自動車がやってきて、ブブーとクラ クションを鳴らした。馬は一瞬驚いて、跳ねあがった。配達人は、馬の声に驚いて、いつものな めらかな動きをやめ、さっと馬のところに走った。
私はその光景を見ていて、何とも言われない不快感を覚えた。せっかちなその一台の自動
車のおかげで、あたりの静寂がかき乱されたからだ。が、続いてその不快感は、激怒に変わっ た。見ると、その自動車を運転していたのは、アジア人だった。日本人だったかもしれない。当 時メルボルン市には、ビジネスマンやその家族を中心に、約五〇〇名の日本人が住んでい た。オーストラリア人なら、こういうとき、決してクラクションを鳴らさない。静かに待っている。つ まりこういうことをするから、アジア人は嫌われる。日本人は嫌われる。
●反日感情はささいなことから
オーストラリアの子どもは、アジア人を見ると、こうはやしたてる。「チャイニーズ、ジャパニー
ズ、ギブミー、マネー(中国人、日本人、お金おくれ)」と。別のところでは、私が日本人だとわか ると、手を合わせて、「アッソ、アッソ(ああ、そうですか)」と言ってきた子どもたちがいた。親日 的だと喜んでいたら、あとで友人がこう教えてくれた。「ヒロシ、君はからかわれたのだよ」と。 「アス・ソウ」というのは、ここに書くのもはばかれるが、「お尻の穴が・痛い」という意味である。
私は大阪万博(一九七〇)のとき、メルボルンにいたが、日本での評価はともかくも、オースト
ラリアでの評価は、さんたんたるものだった。「トイレは携帯トイレが必要」「赤く染めた日本人 の髪は、まるで陰毛のよう。万博は、まるで陰毛博覧会」(新聞記事)と。こんなのもあった。 「大阪のガス爆発事故現場から一〇マイル。万博のガスパビリオンは、大口をあけて笑ってい た」と。当時の日本は、オーストラリアにとっては、重要な貿易国ではあったが、まだアメリカに 次いで、第二位の国だった。戦争体験をもった人も多い。だから日本に対しては根強い反日感 情が残っていた。そういう中、日本は急速に経済力をつけ、そして同時に傲慢になっていった。 それがオーストラリア人の国民感情を逆なでした。同じころ、こんな新聞社説もあった。「オース トラリアの駐車場から、日本の車が消えるのを夢見ている」と。
しかし国民感情などというものは、政府のプロパガンダだけで作られるものではない。日々の
ささいなことで作られる。もしあの馬車の光景を、オーストラリアの学生が見たとしたら、それだ けで反アジア感情をもったであろう。反日感情だったかもしれない。私は私をからかった、オー ストラリアの子どもたちの心情が、そのとき理解できたような気がした。
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*
ローンの新年(男も女も、皆、素っ裸!)
●ローンという避暑地
グレート・オーシャン街道という道がある。第一次大戦のあと、退役軍人たちが戦勝を記念し
て作った道だ。この街道がジーロンから、ローンという避暑地を通って、南オーストラリア州まで 続く。友人のデニスの別荘は、そのローンの手前、車で半時間ほどのところにある。私は日本 へ帰国するまでの二ヶ月間、この別荘で残りの日々を過ごした。と言っても、ずっとその別荘に いたわけではない。ここを拠点に、メルボルンの間を往復したり、アデレードまで足をのばした りした。そうでないときは、ローンの町で、終日泳いだり、映画を見たりして時間をつぶした。そ のローン。毎年大晦日には、数千人の若者が集まるという。そして新年の合図とともに、その 若者たちが乱痴気(らんちき)騒ぎをするという。私たちも大晦日には、ローンへ行くことにし た。友だちの中には「行かないほうがよい」とアドバイスしてくれた者もいた。が、そう言われれ ば言われるほど、好奇心がわいた。
その日の午後。つまり一二月三一日は、よく晴れわたった暑い日だった。午後少しまで泳い
で、一度デニスの別荘まで戻った。そこで早い夕食をすますと、再びローンへ向かった。あたり の様子は一変していた。あれほど閑散としていたローンの町が、若い男女であふれかえってい たのだ。砂浜で野外映画の準備をしているグループ。かたまって騒いでいるグループ。ギター を演奏しているグループなど。大半はその間を行き来しながら、ビールを飲んだり、何かを食 べていた。そう、砂浜の中央には巨大なトランポリが置いてあり、それで遊んでいる若者もい た。
ふと見ると、デニスがホテルの壁をよじ登っているではないか。二階の窓から数人の女の子に
声をかけられ、その気になってしまったらしい。私は何度か呼びとめたが、私を無視して、その まま部屋の中に消えてしまった。私は一人だけになってしまった。知り合いもいなかった。しか たないので、そのままデニスが戻ってくるのを待った。こういうとき白人というのは、実に冷た い。徹底して、「私は私、お前はお前」という考え方をする。夜がふけると、あちこちで花火がな った。それに合わせて、歓声また歓声。さらに夜がふけると、ローンの町は、もう足の踏み場も ないほどになった。デニスが戻ってきたのは、そのころだった。そしてあのカウントダウンが始 まった。
●そして皆……!
「テン、ナイン、エイト……」。そして「ワン、ゼロ」となったところで、一斉に声が宙を舞った。
「ハッピーニューイヤー!」と。とたんまわりにいた若者たちが、一斉に衣服を脱ぎ始めたの だ。衣服といっても、簡単な水着の者が多い。そういう者たちが、そのまま身につけているもの を脱いだ。裸だ。皆、素っ裸だ。男も女も、ない。皆、だ。異様な雰囲気になった。興奮のあま り、ビール瓶や空き缶を商店めがけて投げつけるものもいる。ガチャンガチャンと、何かが割 れる音がひっきりなしに聞こえてくる。花火も最高潮に達した。私は再度デニスと別れて、とい うより恐怖心に襲われて、ローンのはずれにある小さな橋のところまで逃げて行った。私はガ タガタと震えていた。いくら見ても、アジア人らしき人間は、私一人しかいない。いつ袋叩きにあ ってもおかしくない雰囲気だった。途中騎馬警官が何人か来たが、その警官までもが、皆と一 緒になって新年を祝っている。取り締まろうという気持さえないようだ。こうして私は一九七一年 の一月一日を迎えた。
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【3】
少し深刻な問題です。
読者の方から、「家庭内宗教戦争」について考えて
ほしいというテーマをいただきました。
それについて、この一日、考えてみました。
あくまでもひとつの参考意見として、ここに
掲載します。
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家庭内宗教戦争
福井県S市に住む男性(四七歳)から、こんな深刻なメールが届いた。いわく「妻が、新興宗
教のT仏教会に入信し、家の中がめちゃめちゃになってしまいました」と。長いメールだった。そ のメールを箇条書きにすると、だいたいつぎのようになる。
●明けても暮れても、妻が話すことは、教団の指導者のT氏のことばかり。
●ふだんの会話は平穏だが、少し人生論などがからんだ話になると、突然、雰囲気が緊迫し
てしまう。
●「この家がうまくいくのは、私の信仰のおかげ」「私とあなたは本当は前世の因縁で結ばれて
いなかった」など、わけのわからないことを妻が言う。
●朝夕の、儀式が義務づけられていて、そのため計二時間ほど、そのために時間を費やして
いる。布教活動のため、昼間はほとんど家にいない。地域の活動も多い。
●「教団を批判したり、教団をやめると、バチが当る」ということで、(夫が)教団を批判しただけ
で、「今にバチが当る」と、(妻は)それにおびえる。
●何とかして妻の目をさまさせてやりたいが、それを口にすると、「あなたこそ、目をさまして」
と、逆にやり返される。
今、深刻な家庭内宗教戦争に悩んでいる人は、多い。たいていは夫が知らないうちに妻がど
こかの教団に入信するというケース。最初は隠れがちに信仰していた妻も、あるときを超える と、急に、おおっぴらに信仰するようになる。そして最悪のばあい、夫婦は、「もう一方も入信す るか、それとも離婚するか」という状況に追い込まれる。
こうしたケースで、まず第一に考えなければならないのは、(夫は)「妻の宗教で、家庭がバラ
バラになった」と訴えるが、妻の宗教で、バラバラになったのではないということ。すでにその前 からバラバラ、つまり危機的な状況であったということ。それに気がつかなかったのは、夫だけ ということになる。よく誤解されるが、宗教があるから信者がいるのではない。宗教を求める信 者がいるから、宗教がある。とくにこうした新興宗教は、心にスキ間のできた人を巧みに勧誘 し、結果として、自分の勢力を伸ばす。しかしこうした考え方は、釈迦自身がもっとも忌み嫌っ た方法である。釈迦、つまりゴータマ・ブッダは、『スッタニパータ』(原始仏教の経典)の中で、 つぎのように述べている。
「それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法を
よりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」(二・二六)と。生きるのはあくまでも自分 自身である。そしてその自分が頼るべきは、「法」である、と。宗派や教団をつくり、自説の正し さを主張しながら、信者を指導するのは、そもそもゴータマ・ブッダのやり方ではない。ゴータ マ・ブッダは、だれかれに隔てなく法を説き、その法をおしみなく与えた。死の臨終に際しても、 こう言っている。
「修行僧たちよ、これらの法を、わたしは知って説いたが、お前たちは、それを良く知ってたも
って、実践し、盛んにしなさい。それは清浄な行いが長くつづき、久しく存続するように、というこ とをめざすものであって、そのことは、多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のため に、世間の人々を憐(あわ)れむために、神々の人々との利益・幸福になるためである」(中村 元訳「原始仏典を読む」岩波書店より)と。そして中村元氏は、聖徳太子や親鸞(しんらん)の 名をあげ、数は少ないが、こうした法の説き方をした人は、日本にもいたと書いている(同書)。
また原始仏教というと、「遅れている」と感ずる人がいるかもしれない。事実、「あとの書かれ
た経典ほど、釈迦の真意に近い」と主張する人もいる。たとえば今、ぼう大な数の経典(大蔵 経)が日本に氾濫(はんらん)している。そしてそれぞれが宗派や教団を組み、「これこそが釈 迦の言葉だ」「私が信仰する経典こそが、唯一絶対である」と主張している。それはそれとし て、つまりどの経典が正しくて、どれがそうでないかということは別にして、しかしその中でも、も っとも古いもの、つまり歴史上人物としてのゴータマ・ブッダ(釈迦)の教えにもっとも近いものと いうことになるなら、『スッタニバータ(経の集成)』が、そのうちのひとつであるということは常 識。中村元氏(東大元教授、日本の宗教学の最高権威)も、「原始仏典を読む」の中で、「原典 批判研究を行っている諸学者の間では異論がないのです」(「原始仏典を読む」)と書いてい る。で、そのスッタニバータの中で、日本でもよく知られているのが、『ダンマパダ(法句)』であ る。中国で、法句経として訳されたものがそれである。この一節は、その法句経の一節であ る。
私の立場ではこれ以上のことは書けないが、一応、私の考えを書いておく。
●ゴータマ・ブッダは、『スッタニパーダ』の中では、来世とか前世とかいう言葉は、いっさい使っ
ていない。いないばかりか、「今を懸命に生きることこそ、大切」と、随所で教えている。
●こうした新興宗教教団では、「信仰すれば功徳が得られ、信仰から離れればバチがあたる」
と教えるところが多い。しかし無量無辺に心が広いから、「仏(ほとけ)」という。(だからといっ て、仏の心に甘えてはいけないが……。)そういう仏が、自分が批判されたとか、あるいは自分 から離れたからといって、バチなど与えない。とくに絶対真理を求め、世俗を超越したゴータマ・ ブッダなら、いちいちそんなこと、気にしない。大学の教授が、幼稚園児に「あなたはまちがっ ている」とか、「バカ!」と言われて、怒るだろうか。バチなど与えるだろうか。ものごとは常識で 考えたらよい。
●こうしたケースで、夫が妻の新興をやめさせようとすればするほど、妻はかたくなに心のドア
を閉ざす。「なぜ妻は信仰しているか」ではなく、「なぜ妻は信仰に走ったか」という視点で、夫 婦のあり方をもう一度、反省してみる。時間はかかるが、夫の妻に対する愛情こそが、妻の目 をさまさせる唯一の方法である。
ゴータマ・ブッダは、「妻は最上の友である」(パーリ原点協会本「サニュッタ・ニカーヤ」第一
巻三二頁)と言っている。友というのは、いたわりあい、なぐいさめあい、教えあい、助けあい、 そして全幅の心を開いて迎えあう関係をいう。夫婦で宗教戦争をするということ自体、その時 点で、すでに夫婦関係は崩壊したとみる。繰り返すが、妻が信仰に走ったから、夫婦関係が危 機的な状況になったのではない。すでにその前から、危機的状況にあったとみる。
ただこういうことだけは言える。
この文を読んだ人で、いつか何らかの機会で、宗教に身を寄せる人がいるかもしれない。あ
るいは今、身を寄せつつある人もいるかもしれない。そういう人でも、つぎの鉄則だけは守って ほしい。
(1)信仰宗教には、夫だけ、あるいは妻だけでは接近しないこと。
(2)入信するにしても、必ず、夫もしくは、妻の理解と了解を求めること。
(3)仏教系の信仰宗教に入信するにしても、一度は、『ダンマパダ(法句経)』を読んでからにし
てほしいということ。読んで、決して、損はない。
(02−7−24)
【注】
法句経を読んで、まず最初に思うことは、たいへんわかりやすいということ。話し言葉のまま
と言ってもよい。もともと吟詠する目的で書かれた文章である。それが法句経の特徴でもある が、今の今でも、パーリ語(聖典語)で読めば、ふつうに理解できる内容だという(中村元氏)。 しかしこの日本では、だいぶ事情が違う。
仏教の経典というだけで、一般の人には、意味不明。寺の僧侶が読む経典にしても、ほとん
どの人には何がなんだかさっぱりわけがわからない。肝心の中国人が聞いてもわからないの だからどうしようもない。さらに経典に書かれた漢文にしても、今ではそれを読んで理解できる 中国人は、ほとんどいない。そういうものを、まことしやかにというか、もったいぶってというか、 祭壇の前で、僧侶がうやうやしく読みあげる。そしてそれを聞いた人は、意味もなくありがたが る……。日本の仏教のおかしさは、すべてこの一点に集約される。
それだけではない。釈迦の言葉といいながら、経典のほとんどは、釈迦滅後、数百年からそ
れ以上の年月をおいてから、書かれたものばかり。中村元氏は、生前、何かの本で、「大乗非 仏説」(チベット⇒中国⇒日本へ入ってきた大乗仏教は、釈迦の説いた仏教ではない)を唱え ていたが、それが世界の常識。こうした世界の常識にいまだに背を向けているのが、この日本 ということになる。たとえば法句経をざっと読んでも、「人はどのように生きるべきか」ということ は書いてあるが、来世とか前世とか、そんなことは一言も触れていない。むしろ法句経の中に は、釈迦が来世を否定しているようなところさえある。法句経の中の一節を紹介しよう。
「あの世があると思えば、ある。ないと思えば、ない」※
来世、前世論をさかんに主張するのは、ヒンズー教であり、チベット密教である。そういう意味
では、日本の仏教は、仏教というより、ヒンズー教やチベット密教により近い。「チベット密教そ のもの」と主張する学者もいる。チベット密教では、わけのわからない呪文を唱えて、国を治め たり、人の病気を治したりする。護摩(ごま)をたくのもそのひとつ。みなさんも、僧侶が祭壇で バチバチと護摩をたいているところを見たことがあると思う。あれなどはまさにヒズー教の儀式 であって、仏教の儀式ではない。釈迦自身は、そうしたヒンズー教の儀式を否定すらしている。 「木片を焼いて清らかになると思ってはいけない。外のものによって、完全な清浄を得たいと願 っても、それによっては清らかな心とはならない。バラモンよ、われは木片を焼くのを放棄して、 内部の火をともす」(パーリ原点協会本「サニュッタ・ニカーヤ」第一巻一六九ページ)と。
仏教は仏教だが、日本の仏教も、一度、原点から見なおしてみる必要があるのではないだろう
か。
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【4】English Corner,translated by Mr. IBM
お休みします。
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【5】
子育てのコツをポイント風にまとめてみました。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(599)
子どもが伸びるとき、つぶれるとき
子どもを叱るとき、最も大切なことは、恐怖心を与えないこと。「威圧で閉じる子どもの耳」と
覚えておく。中に親に叱られながら、しおらしくしている子どもがいる。が、反省しているから、そ うしているのではない。怖いからそうしているだけ。親が叱るほどには、効果は、ない。叱るとき は、次のことを守る。
(1)人がいるところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)、(2)大声で怒鳴らない。そ
のかわり言うべきことは、繰り返し言う。「子どもの脳は耳から遠い」と覚えておく。話した説教 が、脳に届くには、時間がかかる。(3)相手が幼児のばあいは、幼児の目線にまで、おとなの 体を低くする(威圧感を与えないため)。視線をはずさない(真剣であることを示すため)。子ど もの体を、しっかりと親の両手で固定し、きちんとした言い方で話す。にらむのはよいが、体罰 は避ける。特に頭部への体罰は、タブー。体罰は与えるとしても、「お尻」と決めておく。(4)興 奮状態になったら、手をひく。あきらめる。そしてここが重要だが、(5)叱ったことについて、子 どもが守れるようになったら、「ほら、できるわね」と、ほめてしあげる。
次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、「忠告は秘かに、賞賛は公(おおや
け)に」と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめる。そのと き頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめる。特に子 どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。が、顔やスタイルについては、ほめないほ うがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見てくれや、かっこうばかりを気にする ようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女子中学生がいた。また「頭」につ いては、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重にする。頭をほめすぎて、子どもが うぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。
叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、励まし方。すでに悩んだり、苦しんだり、さらにはがん
ばっている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。意味がないばかりか、かえって子ども から、やる気を奪ってしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなことでは!」式の、脅しもタブ ー。結果が悪く、子どもが落ち込んでいるようなときはなおさら、「あなたはよくがんばった」式 の前向きの理解を示してあげる。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(600)
子育てリズム論
●子どもの心を大切に●子どものうしろを歩こう
子育てはリズム。親子でそのリズムが合っていれば、それでよし。しかし親が四拍子で、子ど
もが三拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、二つの曲を同時に演奏すれば、それは 騒音でしかない。そこでテスト。
あなたが子どもと通りをあるいている姿を、思い浮かべてみてほしい。そのとき、(1)あなた
が、子どもの横か、うしろに立ってゆっくりと歩いていれば、よし。しかし(2)子どもの前に立っ て、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩いているようであれば、要注意。今は、小さな亀裂か もしれないが、やがて断絶…ということにもなりかねない。このタイプの親ほど、親意識が強 い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と豪語する。へたに子どもが口答えでも しようものなら、「何だ、親に向かって!」と、それを叱る。そしておけいこごとでも何でも、親が 勝手に決める。やめるときも、親が勝手に決める。子どもは子どもで、親の前では従順に従 う。そういう子どもを見ながら、「うちの子は、できのよい子」と錯覚する。が、仮面は仮面。長く は続かない。
ところでアメリカでは、親子の間でも、こんな会話をする。父「お前は、パパに何をしてほしい
のか」、子「パパは、ぼくに何をしてほしいのか」と。この段階で、互いにあいまいなことを言うの を許されない。それだけに、実際そのように聞かれると、聞かれたほうは、ハッとする。緊張す る。それはあるが、しかし日本人よりは、ずっと相手の気持ちを確かめながら行動している。
このリズムのこわいところは、子どもが乳幼児のときに始まり、おとなになるまで続くというこ
と。その途中で変わるということは、まず、ない。ある女性(三二歳)は、こう言った。「今でも、 実家の親を前にすると、緊張します」と。別の男性(四〇歳)も、父親と同居しているが、親子の 会話はほとんど、ない。どこかでそのリズムを変えなければならないが、リズムは、その人の人 生観と深くからんでいるため、変えるのは容易ではない。しかし変えるなら、早いほうがよい。 早ければ早いほどよい。もしあなたが子どもの手を引きながら、子どもの前を歩いているような ら、今日からでも、子どもの歩調に合わせて、うしろを歩く。たったそれだけのことだが、あなた は子育てのリズムを変えることができる。いつかやがて、すばらしい親子関係を築くことができ る。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(601)
常識は偏見のかたまり
●ふえるホームスクール●おけいこ塾は悪?
アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が十八歳のときにもっ
た偏見のかたまりである」と。
●学校は行かねばならぬという常識…アメリカにはホームスクールという制度がある。親が教
材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。希望すれば、州政 府が家庭教師を派遣してくれる。日本では、不登校児のための制度と理解している人が多い が、それは誤解。アメリカだけでも九七年度には、ホームスクールの子どもが、一〇〇万人を 超えた。毎年一五%前後の割合でふえ、〇一度末には二〇〇万人になるだろうと言われてい る。それを指導しているのが、「LIF」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教育は家庭でこそ できる」という理念がそこにある。地域のホームスクーラーが合同で研修会を開いたり、遠足を したりしている。またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、こうした子ど もの受け入れを表明している。
●おけいこ塾は悪であるという常識…ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ通
う。早い子どもは午後一時に、遅い子どもでも三時ごろには、学校を出る。ドイツでは、週単位 で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることができる。そのクラブだ が、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。学習クラブは学校の中に あって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が千円前後。こうした親の負担を軽減するた めに、ドイツでは、子ども一人当たり、二三〇マルク(日本円で約一四〇〇〇円)の「子どもマ ネー」が支払われている。この補助金は、子どもが就職するまで、最長二七歳まで支払われ る。こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特 性に合わせてクラブに通う。日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学外教育に対 する世間の評価はまだ低い。ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をも つが、それ以外には責任をもたない」という制度が徹底している。そのため学校側は教師の住 所はもちろん、電話番号すら親には教えない。
日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っていることでも、世界
ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(602)
あのとき母だけでも…
●問題の根源は深い●封建時代の亡霊と戦う
あのとき、もし、母だけでも私を支えていてくれてていたら…。が、母は「浩ちゃん、あんたは
道を誤ったア」と言って、電話口の向こうで泣き崩れてしまった。私が「幼稚園で働いている」と 言ったときのことだ。
日本人はまだあの封建時代を清算しいていない。その一つが、職業による差別意識。この
日本には、よい仕事(?)と悪い仕事(?)がある。どんな仕事がそうで、どんな仕事がそうでな いかはここに書くことはできない。が、日本人なら皆、それを知っている。先日も大手の食品会 社に勤める友人が、こんなことを言った。何でもスーパーでの売り子を募集するのだが、若い 女性で応募してくる人がいなくて、困っている、と。彼は「嘆かわしいことだ」と言ったので、私は 彼にこう言った。「それならあなたのお嬢さんをそういうところで働かせることができるか」と。
いや、友人を責めているのではない。こうした身勝手な考え方すら、封建時代の亡霊といって
もよい。目が上ばかり向いていて、下を見ない。「自尊心」と言えば聞こえはいいが、その中身 は、「自分や、自分の子どもだけは別!」という差別意識でしかない。が、それだけではすまな い。こうした差別意識が、回りまわって子どもの教育にも暗い影を落としている。この日本には よい学校とそうでない学校がある。よい学校というのは、つまりは進学率の高い学校をいい、 進学率が高い学校というのは、それだけ「上の世界」に直結している学校をいう。
「すばらしい仕事」と、一度は思って飛び込んだ幼児教育の世界だったが、入ってみると、事
情は違っていた。その底流では、親たちのドロドロとした欲望が渦巻いていた。それに職場は まさに「女」の世界。しっと縄張り。ねたみといじめが、これまた渦巻いていた。私とて何度、年 配の教師にひっぱたかれたことか!
母に電話をしたのは、そんなときだった。私は母だけは私を支えてくれるものとばかり思って
いた。が、母は、「あんたは道を誤ったア」と。その一言で私は、どん底に叩き落とされてしまっ た。それからというもの、私は毎日、「死んではだめだ」と、自分に言って聞かせねばならなか った。いや、これとて母を責めているのではない。母は母として、当時の常識の中でそう言った だけだ。
子どもの世界の問題は、決して子どもの世界だけの問題ではない。問題の根源は、もっと深
く、そして別のところにある。
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・5……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
ほか、横浜市(2個所)ほかでの講演を予定しています。
詳しくは順次、サイトの「ニュース」で報告します。
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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子育てワンポイント・1〜600作は、いかがですか?
よろしかったら、どうかお買い求めください。
●子育てのコツ、1〜600を、一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
ご希望の方に、一枚1000円でお送りします。
一枚ずつ、手作りで、お送りします。
単行本の分量して、約6冊分(以上)の分量があります。
●CD版ですから、検索しやすく、なっています。たとえばワード上で、
「夜驚症」で検索すれば、すぐその項目をヒットできます。
【申し込み方法】
☆下のメールアドレスをクリックして、郵便番号、住所、お名前を
お知らせください。
☆折り返し、私のほうから、確認のメールを出します。
☆もう一度、あなた様から「申し込んだ」旨の確認に返信をください。
☆CD(ワード版)を先に送ります。同封の為替用紙で、1000円を
後ほど、ご送金ください。領収書は先に、同封します。
きっとみなさんの子育てで、お役にたつと思います。
よろしくお願いします。
アドレス……
bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp
ご注意!
●申し込みが、10人前後になるまで待って、それからCDに焼いて送ります。 それまでしばら
くお待ちください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! よろしくお願いします!
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MMMMM
m | ⌒ ⌒ |
( ̄\q ・ ・ p
\´(〃 ▽ 〃) /〜〜
\  ̄Σ▽乃 ̄\/〜〜/
\ : ξ)
┏━━┻━━━┓
┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)7-30
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====KW(8)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 3XX人
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数(Nr. of Readers) XX人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
★★★★★★★★★★★★★
02−7−30号(085)
★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
上、二つの、Eマガとメルマガは同じ内容です。ただしメルマガの
ほうでは、送信容量に限界があるため、たいていいつも内容をカット
して送っています。全文読んでくださる方はEマガのほうを、ご購読
ください。
どちらか一方をというかたは、Eマガのほうを、ご購読ください。
また、よりアカデミックな(?)マガジンをご希望の方は、「はやし浩司の世界」を
どうかあわせて、ご愛読ください。お申し込みは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
のトップページより、「マガジン購読」コーナーへ、お進みください。
Please subscribe to another magazine, "The Hiroshi's World",
published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you very much.
Please go to the "Magazine Corner" from the Top Page of my Website to
apply for subscription of the magazine. Free to read!
●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second
son's website in USA, for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
みなさんへ、
●「子育てワンポイント」の、1〜600作を、
一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
ご希望の方に、1枚1000円でお分けします。(郵送料込み)です。
詳しくは、このマガジンの末尾をご覧ください。
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メニュー
今日のテーマ、「子育てのすばらしさ」(What we are taught by kids)
【1】息子たちへ(To our sons)
【2】世にも不思議な留学記(My young days in Australia)
【3】子育てのすばらしさ(What we are taught by kids)
【4】English Edition
【5】随筆(Essays)
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【1】
巣立っていく、息子たちへ
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たった一度の人生
息子たちへ
たった一度しかない人生だから、
お前たちは、お前たちの人生を、
思う存分、生きなさい。
思う存分生きて、この広い世界を
思いきり、羽ばたきなさい。
だれにも遠慮することはない。
己が命ずるまま、己が人生を生きなさい。
他人の目を気にしてはいけない。
他人に左右されてはいけない。
お前たちの人生は、どこまでいっても、
おまえたち自身のもの。
親孝行……? バカなことは考えなくてもいい。
家の心配……? バカなことは考えなくてもいい。
そんなヒマがあったら、お前たちの人生を
ただひたすら、前向きに生きなさい。
パパもママも、自分の人生を、最後の最後まで、
しっかりと自分で生きるから、
何も心配しなくていい。
そう、パパもママも、自分の人生を
思う存分、生きてきた。つらいことや
苦しいこと、悲しいこともあったけど、
それなりに結構、楽しく生きてきた。
いやいや、お前たちのおかげで、
どれほど人生が潤(うるお)ったことか。
どれほど励まされたことか。
どれほど楽しかったことか。
どれほど生きがいを与えられたことか。
感謝すべきは、むしろパパやママのほうだよ。
いつかパパもママも、人生を終えるときがくる。
あの世があるかどうか、パパにもママにも
わからないけど、あればあの世で、
お前たちがくるのを待っている。
だから、あわてなくていいから、
ゆっくりときなさい。いつまでも待っている。
それまで、どんなことがあっても、
自分の人生を生きなさい。
たった一度しかない人生だから、ね。
そうそう、言い忘れたが、
ありがとう。心からお礼を言うよ。
今まで、お前たちのおかげで、
パパもママの成長したよ。
……成長することができたよ。
心から、ありがとう。
そうそう言い忘れたが、
ここはお前たちの故郷だよ。
さみしいことや、つらいことがあったら、
いつでも帰っておいで。
羽を休めに、帰っておいで。
いつでもドアをあけて、待っているからね。
(02−7−25)
**********************************
みなさんがこのマガジンを読んでくださっているころ、
私は、埼玉県所沢市で、東洋医学の講演をしています。
「はやし浩司が東洋医学?」と思われる人も多いと思
いますが、まあ、どういうわけだか、そういうことに
なりました。お笑いください。
*********************
東洋医学への思い
ほぼ一五年ぶりに、東洋医学について、講演をすることになった。一度は、興味をもって飛び
込んだ世界だが、五年、一〇年とするうちにかなり事情が変わったきた。当初は、民間療法と しての位置づけで、それなりに入りやすい世界だった。が、しばらくすると、ドクターたちのグル ープが、そこへ入ってきた。もともとあった団体は、幹部にこそ、ドクターたちが名前を連ねてい たが、大半は社会の陰で細々と営業を営む、鍼灸師や按摩師たちであった。しかし新しくでき た団体は、ドクター中心だった。一応だれでも入会できるというようなことは言っていたが、それ は最初だけだった。フタをあけてみると、資格もったドクターしか入会できなかった。もちろん私 は入会を断られた。
今でもこのしくみはほとんど変わっていない。資格をもったドクターたちは、数回、何らかの研
究会、もしくは研修会に参加するだけで、その道の専門家に変身することができる。……でき た。大義名分など、いくらでもつけられる。しかし本音を言えば、金儲け。「○○病○○会指定 医師」「○○漢方研究医」という看板を、診察室の横に張りつけておけば、それで患者がふえ る。当初は、ほとんどどの研究会にも参加できた私だったが、やがてそれもままならなくなっ た。どこの会でも、最初は気安く話しかけてくれたドクターたちだったが、私が有資格者でない とわかると、態度を急変させた。よそよそしくなったり、高圧的になったりした。
私は生薬に興味をもち、そのつど、知り合いの薬剤師などから入手していたが、それもまま
ならなくなった。規制につぐ規制。管理もきびしくなった。結局、今では、薬剤師の指導、もしく はドクターの処方箋がないと生薬すら入手することはできない。私は心のどこかで、身の引き ぎわを考えるようになった。
実際には、もうひとつ、このあと大きな事件があった。これについては、まだここに書くことは
できない。ともかくもそういう事件が重なり、私は最後のカケに出た。自分の名前で本を出し、 自分の力を世に問うてみることにした。それが飛鳥新社から出した、「目で見る漢方診断」(一 九八八年)である。この本は、それぞれの記事について、出典をすべて明らかにしたこと。読者 対象を一般大衆にしてわかりやすくした。出典を明らかにしたのは、「私」の権威ではどうにも ならないことを知っていたからである。ほかにも何冊か本を書いたが、そのつど、編集者から、 「君の名前では本は売れない」とか、「君の本で患者が死んだら、君は責任をとれるかね」と言 われた。この「目で見る漢方診断」も、当初は当然、だれか著名なドクターの名前で出版する 予定だったらしい。原稿が完成するときになって、「私の名前で出したい」と編集者に伝えると、 社長自ら、「何とかほかの人の名前で出せないか」と、何度も打診してきた。しかし私は断っ た。
結果、発売直後は東京の書店でも飛ぶような売れ行きを示したが、それは数週間もつづか
なかった。やがて初版を売りきり、そこで絶版ということになってしまった。それがわかったと き、私は、この東洋医学の世界から足を洗うことにした。断筆ということは、ものを書く人間にと っては、自分の過去を否定することに等しい。私は本だなから一〇冊前後の本残し、すべてを 処分した。一〇冊というのは、どうしても残しておきたかった本である。それ以外の本は、見る のもつらかった。
その私が、講演をする? 当初は何度も断った。しかし主催者の人が、「目で見る漢方診断」
の理解者であることを知り、そしてその本を高く評価してくれたことが、私の心を動揺させた。も しその講演依頼を、せめて一五年前にもらったら、私は天にも昇るような気持ちで、それに応 じただろう。そんな無念な思いもあった。
依頼をもらってから、私は東洋医学の本を、一四年ぶりに読んだ。自分の本も読んだ。いろ
いろな思いが、そのつど心をふさいだ。講演を引き受けてよかったのか、悪かったのか。恐らく この講演が、私にとって東洋医学の、最後の講演になるだろう。いや、いつも、どんな講演で も、「これが最後だ」と自分に言ってきかせながらしている。しかしそれは、自分の緊張感をふ るいたたせるためのもの。しかし今度は違う。まさに人生、最後の講演になるだろう。
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【2】
世にも不思議な留学記
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王子の悩み(王子はみんなの友だち)
●王子や皇太子は皆、偽名!
ハウスの留学生は、各国の皇太子や王子、あるいは、皇室や王家の子息ばかりだった。ほ
かの連中は、その国のケタはずれの金持ちばかり。このことは前にも書いた。しかし日本へ帰 国したあと、その国から来た人に、そういう男を知っているかと聞いても、皆、「知らない」「そん な男はいない」と言う。そんなはずはない。そこである日、それも五年ほどもたってからのことだ が、同じハウスにいたオーストラリアの友人にそのことを聞くと、こう教えてくれた。「ヒロシ、君 は知らなかったのか。彼らは皆、偽名を使っていた」と。つまり警護上の理由で、ハウスでは、 偽名を使っていたというのだ。しかも私が彼らの仲のよい友人だと思っていた男たちは、友人 ではなく、それぞれの国の大使館から派遣された、護衛官であったという。
もちろん私は本名で通した。護衛官など、私にはつくはずもない。が、こんなことがあった。ハ
ウスでは、毎晩二人一組で電話交換をすることになっていた。外からかかってきた電話を、そ れぞれの部屋につなぐ係だ。その夜は、私とM国の王子が当番になっていた。しかし彼は約束 の時間になっても来なかった。そこで私は彼の部屋に電話をつなぎ、「早く来い」と命令をした。 しかしやってきたのは、彼の友人(あとで護衛官とわかった男)だった。私は怒った。怒ってま た電話をつなぎ、「君が来るべきだ。代理をよこすとは、一体、どういうことだ」と叱った。やがて 「ごめん、ごめん」と言ってその王子はやってきたが、それから数日後のこと。その友人が私の 部屋にやってきて、こう言った。「君は、わが国の王子に何をしているのか、それがわかってい るのか。モスリム(イスラム教)には、地下組織がある。この町にもある。じゅうぶん気をつけ ろ」と。その地下組織では、秘密の裁判はもちろんのこと、そこで有罪と決まると、誘拐、処刑 までするということだった。
その王子。どういうわけだか、私には気を許した。許して、いろいろなことを話してくれた。彼
の国では、日本の女性とつきあうことが、ステータスになっているとか、など。夜遊びをしたこと もある。モグリの酒場に忍び込んで、禁制の酒を一緒に飲んだこともある。が、一見、華々しく 見える世界だが、彼は、王子であるがゆえに、そこから生ずる重圧感にも苦しんでいた。ほん の一時期だけだったが、自分の部屋に引きこもってしまい、誰にも会おうとしなくなってしまった こともある。詳しくは書けないが、たびたび奇行を繰り返し、ハウスの中で話題になったこともあ る。
●「あなたはホテルへ帰る」
そうそう私が三〇歳になる少し前のこと。私は彼の国を旅行することになった。旅行と言って
も、ほんの一両日、立ち寄っただけだが、彼が王族の一員として、立派に活躍しているのを知 った。街角のところどころに、王様と並んで、彼の肖像画がかかげられていた。それを見なが ら、私がふと、タクシーの運転手に、「彼はぼくの友だちだ」と言うと、運転手はこう言った。「王 子は、私の友だち。あなたの友だち。みんなの友だち」と。そこで私が「彼と一緒に勉強したこ とがある」と言うと、「王子は、私とも勉強した。あなたとも勉強した。みんなと勉強した」と。そこ でさらに私が、「彼の家へ連れていってほしい。彼をびっくりさせてやる」と言うと、「あなたはホ テルへ帰る。私は会えない。あなたも会えない。誰も会えない」と。まったく会話がかみ合わな かった。
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【3】
「はやし浩司の世界」(Eマガ)で発表した
原稿を転載します。
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子育てのすばらしさ
子育てのすばらしさを教えられるとき
●子をもって知る至上の愛
子育てをしていて、すばらしいと思うことが、しばしばある。その一つが、至上の愛を教えられ
ること。ある母親は自分の息子(三歳)が、生死の境をさまよったとき、「私の命はどうなっても いい。息子の命を救ってほしい」と祈ったという。こうした「自分の命すら惜しくない」という至上 の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。
もちろんそのときは苦しいことに違いない。しかし夫婦でも、このレベルまでたがいの愛情を
昇華することはむずかしい。ある日私はワイフにこう聞いた。「もし私の腎臓がふたつともダメ になったら、お前は、お前の腎臓をひとつ、くれるか?」と。それに答えて、ワイフはしばらく考 えたあと、こう言った。「考えておくわ」と。しかしそんなワイフでも、私が、「では息子の腎臓が ふたつともダメになったらどうするか」と聞くと、一も二もなく、こう言った。「あげるわ」と。総合 的にみれば、親子の絆(きずな)は、夫婦よりも強固ということになるのか。少なくとも、「夫のた めに……」とか、「妻のために……」と、自らの命を犠牲にまでする人は、少ない。
●自分の中の命の流れ
次に子育てをしていると、自分の中に、親の血が流れていることを感ずることがある。「自分
の中に父がいる」という思いである。私は夜行列車の窓にうつる自分の顔を見て、そう感じたこ とがある。その顔が父に似ていたからだ。そして一方、息子たちの姿を見ていると、やはりどこ かに父の面影があるのを知って驚くことがある。
先日も息子が疲れてソファの上で横になっていたとき、ふとその肩に手をかけた。そこに死ん
だ父がいるような気がしたからだ。いや、姿、形だけではない。ものの考え方や感じ方もそう だ。私は「私は私」「私の人生は私のものであって、誰のものでもない」と思って生きてきた。し かしその「私」の中に、父がいて、そして祖父がいる。自分の中に大きな、命の流れのようなも のがあり、それが、息子たちにも流れているのを、私は知る。つまり子育てをしていると、自分 も大きな流れの中にいるのを知る。自分を超えた、いわば生命の流れのようなものだ。
●私の父
とくに私の父は不運な人だった。まじめだけが取り柄(え)の人だったが、結婚と同時に、出
征。戦地の台湾では、貫通銃創を受けるほどの重傷を負った。帰国後は肺結核を患い、それ こそ病気のデパートのような人になってしまった。もともと学者肌の人だったから、家業の商売 はまったくヘタ。ときどきほかの事業にも手を出したが、結局はどれも失敗。パチンコ屋にも手 を出したことがあるが、わずか三日で、店をたたんでしまった。
そんなとき、つまりそれと平行して、父は酒に溺れた。今から思うと、うつ病の気があったの
かもしれない。酒が入っていないときは、穏やかでやさしい父だったが、酒が入ると、別人のよ うに人が変わった。二、三日置きに酒を飲んでは、大声で怒鳴ったり、暴れたりした。私が五、 六歳くらいのときだった。
私は当時は、そしておとなになるまで、さらに父が死ぬまで、父をうらんだ。和が二七歳のと
き父は死んだが、涙は出なかった。しかしそんな父だったが、私が四〇歳を過ぎるころから、 父への思いが変わってきた。父は父で、孤独だった。私の母とは、一応夫婦ではあったが、私 は物心とくころから、父と母が静かに会話をしているのを見たことがない。父に責任がなかった とは言えないが、私が生まれ育った家庭というのは、そういうものだった。いや、四〇歳を過ぎ るころから、父の気持ちが理解できるようになった。と、同時に、うらみは理解に変わり、その 理解は、同情へと変わった。息子の肩に手をかけたのは、そういう私の思いからだった。
●神の愛と仏の慈悲
もう一つ。私のような生き方をしている者にとっては、「死」は恐怖以外の何ものでもない。死
はすべての自由を奪う。死はどうにもこうにも処理できないものという意味で、「死は不条理な り」とも言う。そういう意味で私は孤独だ。いくら楽しそうに生活していても、いつも孤独がそこに いて、私をあざ笑う。すがれる神や仏がいたら、どんなに気が楽になることか。が、私にはそれ ができない。
しかし子育てをしていると、その孤独感がふとやわらぐことがある。自分の子どものできの悪さ
を見せつけられるたびに、「許して忘れる」。これを繰り返していると、「人を愛することの深さ」 を教えられる。いや、高徳な宗教者や信仰者なら、深い愛を、万人に施すことができるかもし れない。が、私のような凡人にはできない。できないが、子どもに対してならできる。いわば神 の愛、仏の慈悲を、たとえミニチュア版であるにせよ、子育ての場で実践できる。それが孤独 な心をいやしてくれる。
が、子育てのすばらしさは、これだけではない。
●真の自由を手に入れる方法はあるのか?
私は学生時代、いつごろからかははっきりしないが、心のどこかで「自由」を求めるようになっ
た。私だけではない。あの時代には、私のように考える仲間は少なくなかった。そのひとつの理 由として、抑圧感からの解放があった。あの時代の若者たちは、いつも何かにじっと耐えてい た。時はちょうど七〇年安保闘争の時代だったが、正直いって、あの時代、政治をそこまで知 り尽くしていた仲間はほとんどいなかった。「お祭騒ぎ」というと語弊があるが、私たちが安保闘 争に加わったのは、ほぼそれに近いものだった。私たちは仲間と隊列を組み、「アンポ、フン サイ!」と叫ぶことで、胸の中にたまったうっぷんを晴らしていた。
その自由だが、「私は自由だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる
自由を奪う。が、もしその恐怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることにな る。しかしそれは可能なのか……? その方法はあるのか……? 一つのヒントだが、もし私 から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の恐怖から、自分を解放することができる かもしれない。自分の子育ての中で、私はこんな経験をした。
●無条件の愛
息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会話をし
た。
息子「アメリカで就職したい」、私「いいだろ」、息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカのその
地方では、花嫁の居住地で式をあげる、習わしになっている。結婚式には来てくれるか」、私 「いいだろ」、息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」、私「いいだろ」と。その一つずつの段階 で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグイと押し殺さなければならなかっ た。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のときは、さすがに私も声が震えた。息子「アメリ カ国籍を取る」、私「……日本人をやめる、ということか……」、息子「そう……」、私「……いい だろ」と。
私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するがゆえ
に、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には『無条件の愛』という言葉がある。私 が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私は、自分の心が 抜けるほど軽くなったのを知った。
●息子に教えられたこと
「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめることでもない。
「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、許し、愛し、受け 入れるということ。「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなければ、死をこわがる理由など ない。一文なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、 おいでになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれができれば、私 は死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。その境地に達することができ るようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし一つの目標にはなる。息子が それを、私に教えてくれた。
●神や仏の使者
たかが子育てと笑うなかれ。親が子どもを育てると、おごるなかれ。子育てとは、子どもを大
きくすることだと誤解するなかれ。子育ての中には、ひょっとしたら人間の生きることにまつわ る、矛盾や疑問を解く鍵が隠されている。それを知るか知らないかは、その人の問題意識の 深さにもよる。が、ほんの少しだけ、自分の心に問いかけてみれば、それでよい。それでわか る。
子どもというのは、ただの子どもではない。あなたに命の尊さを教え、愛の深さを教え、そして
生きる喜びを教えてくれる。いや、それだけではない。子どもはあなたの命を、未来永劫にわ たって、伝えてくれる。つまりあなたに「生きる意味」そのものを教えてくれる。子どもはそういう 意味で、まさに神や仏からの使者と言うべきか。いや、あなたがそれに気づいたとき、あなた 自身も神や仏からの使者だと知る。そう、何がすばらしいかといって、それを教えられることぐ らい、子育てですばらしいことはない。
(02−7−23)
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【4】English Corner,translated by Mr. IBM
お休みします。
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【5】
エッセーを集めてみました。
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子育て随筆byはやし浩司
信頼関係
知人や友人の中には、愛人のいる人がいる。ほとんどは遊びで交際しているが、しかし私
は、そういう知人や友人は、その時点から信用しないことにしている。妻を平気で裏切るような 人は、仲間を裏切ることなど、何でもない。が、問題は、それだけではすまない。
ある女性(四六歳)はこう言った。「私の夫は、一〇年ほど前、同じ会社の女性と不倫をした
ことがあります。その事件は一応、解決したのですが、以後、女性から電話がかかってくるた びに、夫を疑うようになってしまいました」と。「夫がだれかと小声でヒソヒソと話しているのを見 ただけで、心臓がドキドキします」とも。
一方、夫は夫で、妻を信用しなくなる。昔から、『泥棒の家は、戸締りが厳重』という。自分に
負い目がある分だけ、「もしや妻も……」と思ってしまうらしい。そしてそうしたたがいへの不信 感が、結局は夫婦の関係をぎくしゃくさせる。
子どもの教育についても、同じことが言える。よく「教育は信頼関係で成りたつ」という。事実、
その通りで、この信頼関係が崩壊すると、教育そのものが成りたたなくなる。いろいろな例があ る。
たとえば子どもがしたワークブックに丸をつけて返したとする。そのとき、私のほうは、多少ま
ちがっていても、大きな丸をつけて返すときがある。こまごまとした指導になじまない子どもは 多い。むしろそれより大切なことは、子どもが学習することを楽しんだこと。やり終えたという達 成感を覚えること。そして「これくらいできればいいよ」というおおらかさが、子どもを伸ばす。 が、それがわからない親が多い。「わからない」というより、そういう指導を、「いいかげん」と評 価してしまう。今でもときどき、電話でこう言ってくる人がいる。「うちの息子(小一)の書いた漢 字の、トメ、ハネ、ハライがめちゃめちゃだ。どうしてなおしてくれないのか」と。そういうことを指 導するのが、教育と思い込んでいる!
が、こうした私の指導は、誤解を招きやすい。ほかにたとえば私は、子どもが「わからない」と
言ってきても、簡単には教えない。その子どもの能力からして、少し考えればわかるだろうと思 うようなときは、「自分で考えなさい」と突っぱねる。それについても、「あの林先生は、きちんと 教えていない」と。
信頼関係があれば、こうした誤解は、生まれない。私が同じことをしても、私がしたことを、よ
い方向から見てくれる。が、この信頼関係は、ちょっとしたことでこわれる。ただこわれかたはさ まざまだし、簡単にこわれる人もいるし、そうでない人もいる。そういう違いはあるが、こわれる ときは、簡単にこわれる。こんなことがあった。事実を正確に、そのまま書く。
日曜日の朝のことだった。K子(年中児)の父親から、突然、電話がかかってきた。そしても
のすごい剣幕で、こう怒鳴った。「お前は、うちの娘を萎縮させてしまったというではないか。ど うしてくれる!」と。寝耳に水とは、まさにこのこと。驚いて事情を聞くと、父親はこう言った。「う ちの娘は、明るくて元気な子だ。しかしお前の教室へ行くようになったからというもの、どんどん 元気がなくなってしまった。どうしてだ!」と。
そのK子は、いつも祖母にあたる女性につれられて、私の教室にやってきていた。が、回を
重ねるごとに、表情が暗くなっていった。理由はすぐわかった。その祖母の女性がたいへん神 経質な人で、授業が終わるたびに、教室を出たところで、ああでもない、こうでもないと、K子を 叱っていたのだ。私が聞いたときも、こう言っていた。「どうして、あのとき手をあげなかった の! あんた、あんな問題、わからないわけではないでしょ! おばあちゃん、恥ずかしくてた まらないわ。どうしてくれるの!」と。ふつうの言い方ではない。かなりきつい言い方だった。
私は怒りをおさえることができなかった。当時、私はまだ三〇歳そこそこ。今ならもう少しじょ
うずに話せるかもしれないが、そのときはそうではなかった。その女性にこう言った。「あなたが そんなことを言ったら、K子さんは、かえって自信をなくしてしまうでしょう。どうしてそんなバカな ことを言うのですか。そんなに気になるなら、来週からは参観は結構です。私に任せて、あなた は外で待っていてください」と。
そのときその女性が、なぜそう言ったのか、いまだにその理由はわからないが、その女性は
それに答えて、私にこう叫んだ。「わたしゃね、こう見えても、息子を、東京のR大学を出してい るんだよオ!」と。
父親から電話があったのは、それから数日後のことだった。しかし「萎縮させた」と言われて
は、私も黙っておられない。そこで私は、その父親にこう言った。「私の教え方に疑問をもって いるなら、あなたが一度、自分の目で参観なさったらよいでしょう」と。父親はそれに応じた。
私の教室は、教室といっても、一クラス、五〜八人の小さな教室である。実験教室と私は呼
んでいる。ある時期は、何か問題のある子どもだけを教えていた。そのため教室はすべて公 開している。一度だって、非公開でしたことはない。だから、「手を抜く」ということができない。 たいていいつも、二〜四人の親たちが、うしろで見ている。しかしその父親が参観にくるという 日は、さすがの私も緊張した。それはちょうど、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘のようなもの だった。少しおおげさな言い方だが、私はそのときはそう感じた。
で、父親は表情をかたくして、私の教室にやってきた。そして腕を組んだまま、微動だにしな
かった。が、私の教室は「笑い」を売り物にしている。「笑えば伸びる」が、私の持論である。幼 児クラスでは、子どもたちは、五〇分の授業中、ほとんど笑いぱなしに笑っている。そのときは しかし、さらに私は子どもたちを笑わせた。その女の子をのぞいて、ほかの子どもたちは、いつ もの何倍もの大声で笑いつづけた。
私にはひとつの覚悟があった。その授業のあと、その女の子には退会してもらうつもりでい
た。信頼関係をなくしたら、もう教育などできない。とくに私の教室ではそうだ。一クラス五〜八 人といっても、合計しても、学生の家庭教師代よりも安い。営利を考えたら、とてもできない仕 事だった。
が、授業が終わったとき、父親は私のところにきて、こう言った。「よくわかりました。私がまち
がっていました。許してください。これからもうちの娘をよろしくお願いします」と。
結局その女の子は、小学校へ入学するまで、私の教室に通ってくれた。
信頼するということは、疑わないこと。よく若い人が、恋人に向かって、「あなたを信じている
わ」と言うことがある。あれなどは、まさに詭弁(きべん)。本当に信じていたら、そういう言葉は 出てこない。疑っているから、「信じているわ」という。このことは、夫婦でも、また親子でも同 じ。絶対的な信頼関係が、人間関係を深く、豊かなものにする。繰り返すが、「絶対的」というの は、「疑いをいだかない」という意味。ことよい教育を願うなら、この信頼関係を大切にする。親 も、教師も、だ。
(02−7−26)
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「母親は錯乱状態になって、暴れました」・己こそ、己のよるべ
法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。法句経
というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。釈迦は、「自分こそが、 自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。つまり「自分のことは自分でせ よ」と教えている。
この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、もともと
「自らに由る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行動し、自分で 責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは言わない。子育ての基 本は、この「自由」にある。
子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれるタイ
プの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込んでくる。
私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」母、横から、「おばあちゃんの家でし
ょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」私、再び、子どもに向かって、「楽 しかったかな」母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いな さい」と。
このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を変え
て、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。ある母親は今の夫と いやいや結婚した。だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あなたは、ちゃん とできるようになるの!」と、はげしく叱っていた。
次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるいは自
分で行動させない。いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面で の過保護。「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護のもとだけで子育てをするな ど。子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」というタイプの子どもにな る。外へ出すと、すぐ風邪をひく。
さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がない。自
分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親はこう言った。「子ども同士が喧嘩をし ているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り飛ばしたい衝動に かられます」と。また別の母親は、自分の息子(中二)が傷害事件をひき起こし補導されたとき のこと。警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。た またまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机を叩 いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。
己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、子
どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・5……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
7・30……国立身体障害者リハビリセンター(埼玉県所沢市)
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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子育てワンポイント・1〜600作は、いかがですか?
よろしかったら、どうかお買い求めください。
●子育てのコツ、1〜600を、一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
ご希望の方に、一枚1000円でお送りします。
一枚ずつ、手作りで、お送りします。
単行本の分量して、約6冊分(以上)の分量があります。
●CD版ですから、検索しやすく、なっています。たとえばワード上で、
「夜驚症」で検索すれば、すぐその項目をヒットできます。
【申し込み方法】
(9)下のメールアドレスをクリックして、郵便番号、住所、お名前を
お知らせください。
(10)折り返し、私のほうから、確認のメールを出します。
(11)もう一度、あなた様から「申し込んだ」旨の確認に返信をください。
(12)CD(ワード版)を先に送ります。同封の為替用紙で、1000円を
後ほど、ご送金ください。領収書は先に、同封します。
きっとみなさんの子育てで、お役にたつと思います。
よろしくお願いします。
アドレス……
bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp
ご注意!
●申し込みが、10人前後になるまで待って、それからCDに焼いて送ります。 それまでしばら
くお待ちください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! よろしくお願いします!
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MMMMM
m | ⌒ ⌒ |
( ̄\q ・ ・ p
\´(〃 ▽ 〃) /〜〜
\  ̄Σ▽乃 ̄\/〜〜/
\ : ξ)
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┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)8-1
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====KW(8)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 379人
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数(Nr. of Readers) 78人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
★★★★★★★★★★★★★
02−8−1号(086)
★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
●上、二つの、Eマガとメルマガは同じ内容です。ただしメルマガの
ほうでは、送信容量に限界があるため、たいていいつも内容をカット
して送っています。全文読んでくださる方はEマガのほうを、ご購読
ください。
どちらか一方をというかたは、Eマガのほうを、ご購読ください。
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●愛知県豊田町にて講演会をもちます。おいでください。
9月26日(木) 豊田産業文化センター 午前9:30〜12:00
主催 豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
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●「静岡県ホームページグランプリ」に、私のサイトを、応募作品として、提出
してみました。
これは皆さんの投票で、静岡県で発行しているホームページをコンテスト形式
で、審査しようというものです。皆さんの清き一票を、どうか私のサイトに投
票してください。
【投票方法】
(5)私のサイト(ホームページ)を開いてみてください。
下のアドレスをクリックすれば、私のサイトを開くことができます。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
(6)サイトのトップページ、最上段に、「グランプリ」応募タグがはりつけて
あります。そのタグをクリックするだけで、一票が投票できます。
「はやし浩司のホームページは、よい」と思ってくださる方は、どうか
清き一票をお願いします。結果は、そのつど、報告されます。
よろしくお願いします。
投票ができるのは、8月5日からです。一人で何票でも、投票できます。
(少しいいかげんですが、もともとお祭り(イベント)ですから……。)
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●また、よりアカデミックな(?)マガジンをご希望の方は、「はやし浩司の世界」を
どうかあわせて、ご愛読ください。お申し込みは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
のトップページより、「マガジン購読」コーナーへ、お進みください。
Please subscribe to another magazine, "The Hiroshi's World",
published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you very much.
Please go to the "Magazine Corner" from the Top Page of my Website to
apply for subscription of the magazine. Free to read!
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*
●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second
son's website in USA, for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
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みなさんへ、
●「子育てワンポイント」の、1〜600作を、
一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
ご希望の方に、1枚1000円でお分けします。(郵送料込み)です。
詳しくは、このマガジンの末尾をご覧ください。
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メニュー
今日のテーマ、「自分を知る」(Let's know ourselves)
【1】和歌山県のESさんより(A mail from a reader)
【2】世にも不思議な留学記(My young days in Australia)
【3】若者の非行(delinquency of the young people)
【4】English Edition
【5】随筆(Essays)
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【1】
和歌山県のESさんより、こんなメールが
届いています。掲載の了解をいただきまし
たので、紹介します。多かれ少なかれ、み
な、同じような問題をかかえています。
ESさん、決して、あなたひとりではあり
ませんよ! がんばるしかないのです!
がんばりましょう!
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はやし 浩司様
メール、どうもありがとうございました。
先生のお話は、とてもわかりやすく頭で噛み砕いて考えることなく、自然と心の中に入ってきま
す。
「子育て情報」を読んでいるだけでも、助けられたと感じることが多いのに、直接メールをいた
だけるなんて本当に感慨深いものがあります。
不本意な結婚・・・。
今まさに、この暗いわだかまりが本来の自分を狂わそうとしているのを感じます。
籍を入れて4年以上過ぎるのに、いっこうに収まりそうもありません。
できちゃった婚でした。でも、子どもを授かったとわかった時点ではとても幸せでした。やさしく
て穏やかな雰囲気の旦那がとても大好きで、尊敬もしてました。
事が起きたのは籍を入れようとしていた直前です。何気なく戸棚の上のサイフを見ると、それ
は免許証。どうしても信じられなくて、何度も見返しました。が、間違いなく生年月日は昭和32 年でした。自分は昭和49年生まれ。年の差17歳!? 結婚当時、私は22歳で彼は自称30 歳。
騙されました。その後も学歴・職種も嘘。その上、バツ一だった・・・などなど、でるわでるわ。
・・・天国から地獄です。
旦那はこういうことを問い詰めると、
「たいしたことだと思ってなかった。」
と本気で言ってます。
さらには
「世の中子どもができなくて困っている人は沢山いる」
「もっとつらい状況の中で結婚している人もいる」
・・・と私には「!?」と思えるような発言も度々。
このとき子どもは胎動を感じるぐらい大きくなっていました。実家に帰ろうにもあんな感じだし
(親どうしも喧嘩に暴力)、仕事もすでに退職した後(保育士でした)。一人で子どもを産んで育 てるのも多分無理。
いろいろ考えた結果、籍を入れました。
旦那は変わらずに穏やかでした。でも、それ以外はまったく得体の知れない男との結婚生活
のスタートです。
―相手をどれだけ許せるか
先生が以前このようなテーマで書かれていた時、私は旦那を許せるかどうか挑戦してみまし
た。
その後も続いている嘘と妙な言い訳。いったい何が原因でこうなってしまったのだろう、と。
旦那の実家はとても熱心なT仏教会の信者です。母親はお手伝いさんが何人もいたような名
家のお嬢様。父親は自民党の元和歌山県議会議員(今は心筋梗塞で倒れ、無理ができず、ブ ラブラしています)。
旦那は長男で、生まれてすぐに入信してます。
―結婚の条件にも私が入信することが第一に言われました。すぐには困ると私が返すと、「そ
んなことは周りの人が許さない」と言われて、入会してしまいました。
これだけ考えても特殊な環境だったことに気づきます。
籍を入れたのを境に旦那は仕事や自分の過去のことに、口をつぐんでしまっています。だか
ら、詳しくはわからないのですが、甘やかされて育ったこととか、政治の汚い世界を垣間見てし まったこと、両親は育児よりも宗教活動に専念していたこと・・・がなんとなく伺えます。
多感な時期に、両親は政治と宗教活動・・・。
しかも父親は名の知れた人。
私には想像もつかない世界です。
そんな中で旦那もこころを壊していったのかもしれません。
旦那につらい過去があったからといって、許せるかと言えばできません。でも、ここまで考えて
みて、不思議と気持ちが楽になりました。
諦めがついたような。
旦那を純粋に愛していたときの自分が戻ってきたような。
そんな感じがしています。
私の中の暗いわだかまりはやはり治まりそうにありませんが、
先生のメールを読んでいるとそれとの戦い方が見えてくる気がします。
大学受験に失敗した私は、幸か不幸かいつのまにか保育士になっていました。
あの女の怨念渦巻く世界(おおげさですか?)の中の保育に比べたら、自分の子どもを育てる
ことのなんと楽しいこと。
「本当に大好きな人の子どもだったらいいのに……」
悪魔の声を振り払いつつ、いつかはこの思いが子どもにバレルかもしれないと恐れつつも、
毎日子どもと遊び転げています。
私も常々こう考えていました。
子どもをまっすぐ育てる=家庭を大事にする=旦那を大事にする
今できることはこれしかないでしょう。
それに、これだけで一杯一杯です。
本当に自分はこれでいいのか?と、家庭を捨てて天国でも地の果てでも行こうかと迷うことも
あります。
でも今、先生のメールを見て、「まだやっていける!」そう思えます。
いま、この時期に先生のメールマガジンと出会えたことをとても意味深く感じています。
逃げるだけでは解決できないと思い知らされます。
長々と失礼致しました。
これからも末永く愛読させてもらえたらうれしいです。
本当にありがとうございました。
(和歌山県K市、ES、28歳)
***********************************
子どもの指しゃぶりについて、
読者の方より質問をいただき
ましたので、少し別の角度か
ら考えてみました。
*****************
子どもの指しゃぶり
子どもがふつうでない行為を、習慣的に繰り返すようであれば、代償行為を疑う。心の緊張
感をほぐすためにする行為と考えるとわかりやすい。よい例が、指しゃぶり、貧乏ゆすり、もの いじり、髪いじりなど。ふつう、はたから見ると、「どうしてそんなことをするのだろう」と思われる 行為が多い。こうした行為を無意識のうちにも繰り返すことにより、子どもは自分の心(情緒) を安定させようとする。
一般論として、体の一部に刺激を加えると、その刺激は神経を通って、大脳の皮質部にとど
く。そしてその刺激が長くつづくと、体は刺激をやわらげるため、脳や脊髄の神経細胞からエン ドリフィンや、エンケファリンなど、数一〇種類の麻薬様の物資が放出される。この物質が脳に 陶酔感を引き起こす。それを利用したのが、針麻酔ということになる。
針麻酔では、体のいくつかの部位に針を刺し、そこに低周波電流を断続的に通電し、麻酔効
果を得る。体験者の話では、「しばらくすると、甘く、けだるい感じに襲われる」という。それはさ ておき、こうした代償行為は、もともと不安定な心(情緒)を自ら落ちつけようとする行為のた め、しかっても意味がない。そればかりか、無理にやめさせようとすると、かえって子どもの心 (情緒)を不安定にすることになるから注意する。子ども自身に罪の意識をもたせないように、 配慮する。
ところで話はそれるが、こうした陶酔感は、性行為によっても同じように得られるという(「脳の
しくみ」新井康允)。そして神経細胞から放出される麻薬洋の物質ため、中毒性や習慣性が生 まれることもあるという。あるいはそれをやめると、禁断症状も出てくることもあるという。そう言 えば……ということでもないが、私の知人の中には、五〇歳を過ぎたというのに、いまだに女性 をまさにとっかえ、ひっかえ、不倫を繰り返している男性がいる。ヒマなときは、テレクラでアル バイトをしているという。その男の妻は、そういう男を、「病気ですから……」とあきらめている。
事実、ここに書いたような行為(指しゃぶりなど)をしている子どもを観察すると、実に気持ち
よさそうな表情をするのがわかる。陶酔感に浸(ひた)っているという感じである。子どもの指し ゃぶりには、そういう意味も含まれる。
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【2】
世にも不思議な留学記
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モラトリアム(反戦運動の指導者?)
●私がデモの指導者?
「アイスオブマイ」……、日記にはそうある。カタカナで書いてあるため、今となっては、それが
どういう意味なのか、わからない。アイスオブマイ、つまり、その年の五月八日に予定されてい る、モラトリアム(反戦)運動の別名である。アメリカで起きている反戦運動を、オーストラリアで もしようという。四月へ入ると、数人の学生が、私のところにやってきた。そして「デモのし方を 教えてくれ」と頼んだ。「ジグザグ行進のしかたや、スクラムの組み方を教えてくれ。できれば、 君が指揮をとってくれないか」とも。もちろん私は断った。留学生がそこまでしたら、国外退去を 命じられる。それを言うと、「ノーワリーズ(心配ない)。メルボルン大学すべてで、君を守る」と。 私は再度、断った。が、結局、どういうわけだか、そのデモを指導することになってしまった。
ある日の午後、構内へ呼ばれて行くと、そこにJ君とG君が立っていた。そしてそのうしろに二
〇〜三〇人の学生が集まっていた。見ると、全員が笛をもっている。私が「笛は一人でいい」と 言うと、「このほうがにぎやかだ」と。そこで指導を始めたが、リズムが合わない。日本では、 「アンポ・フンサイ」と、二拍子で言いながら行進する。しかしオーストラリアのそれは、「一、二、 三、四、ベトナム戦争のクソッタレをやめろ、五、六、七、八、ベトナム戦争のクソッタレをやめ ろ」を繰り返す。テンポが速い。速すぎる。同じジグザム行進をしても、ブラジルのサンバのよう な動きになってしまう。組んだ腕を上下させるので、アヒルのダンスのようにも見える。悲壮感 がまるでない。その上、その間中、皆が笛を吹く。うるさくてたまらない。
そこで今度はかけ声を変えてみた。「マオ、マオ、マオチュートン(毛沢東)、ホー、ホー、ホーチ
ミン(北ベトナムの指導者)」と。しかしそれでもテンポが速すぎる。そこで私が「相手はどんなの だ。機動隊が来るのか」と聞くと、「オーストラリアには、まだそういうのはない」と。そこでさら に、「では、どんなのが来るのか」と聞くと、「多分、騎馬警官だろう」と。オーストラリアには馬に 乗った警官がいる。騎馬警官の威圧感は、想像する以上のものだ。そこで私は考え込んでし まった。馬を相手にジグザグ行進しても、意味がない。蹴散らされるのがオチだ。で、このジグ ザグ行進はしないことになった。
●数万人までにふくれあがった反戦デモ
四月の中旬を過ぎると、オーストラリアの放送局は、毎日のように議会中継を始めた。モラト
リアムの是非を問う討論が、熱っぽく続いた。当時のオーストラリアは、保守政権。一人の高校 生が反戦バッジをつけたかどで、停学処分になったというニュースもあった。そして五月八日。 その日はやってきた。私は朝から、町へ出た。そして私がデモに加わると、あちこちで拍手が わき起こった。私はいつの間にか、「日本の活動家」ということになってしまっていた。そしてど んどん前へ前へと押し出されてしまった。心の奥で、「マズイ、マズイ」と思いながらも、私はどう することもできなかった。当時の私は、そういう優柔不断なところがあった。が、デモは、予想を 上回る、大規模なものだった。当初は大学生を中心に、数千人程度だと思われていた。が、フ タをあけてみると、数万人規模にふくれあがっていた。騎馬警官が無数に取り締まりにきてい たが、圧倒的に多数の群集を前にして、手も足も出せなかった。ここにある写真は、そのとき、 私がうしろの方角を撮ったものである。
(注)「アイズオブマイ」について、あとで考えてみて、「Eyes of May」ではなかったかと思。いま
す。オーストラリアではMAYを、「マイ」と発音する。記憶は定かではないが……。
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【3】
「だれにも迷惑をかけないからいい」という論理は、
自分自らを最低のレベルまで自分を落すことを意味
する。もしこんな論理ばかりがまかりとおったら、
人間社会は、動物社会と同じになってしまう。いや、
動物だって、そんなことはしない。
************************
倫理規範
昨日、テレビの「討論バトル」という番組をみた(〇二年七月)。今回は、暴走族と、四人の講
師(?)たちとのバトルだった。チャンネルをかえていたら、たまたまその番組が飛び込んでき た。
案の定、四人の講師たちは、暴走族の若者たちを完全否定。ジャッジ役のおとなたちも、完
全否定。暴走族の若者が、一人の講師に向かってあれこれ反発すると、四〇歳くらいの女性 はこう言った。「あなたがたは、人生の先輩者の意見を、もっと前向きに聞くことができない の!」と。
私は、暴走族の若者たちをかばう気持ちは、毛頭ない。好きか嫌いかと言われれば、嫌いに
決まっている。しかしああまで一方的に、彼らを否定することもできない。理由の第一は、彼ら は、一見「強者」のフリをしているが、その実、社会の底辺を生きる、「弱者」でしかないというこ と。学校の先生からは見放され、親たちからも見放され、将来への夢や希望も、ことごとくつぶ された若者たちである。それだけに将来に対する不安や心配も大きい。運転免許証以外、資 格をもっている若者はいないだろう。身を寄せる、温かい家庭すらもっていない。彼らは彼らな りに、精一杯、自己主張しているだけ。ゆいいつ心を開くことができる相手というのは、自分と 同じような立場で、同じような苦しみのわかる仲間だけ。そういう仲間の間で、たがいに慰めあ っている。不安や心配と戦っている。もしそれが悪いというのなら、では、ほかに彼らには、ど んな方法があるというのか。
はからずも一人の若者がこう叫んだ。「お前たち(おとな)に、偉そうなことを言う資格などある
のかよ!」と。その通り。私たちおとなに、彼らを責める資格などない。この日本だけをみても、 不正義と不公平が満ち満ちている。コースに乗っただけという理由で、その恩恵を受ける人 は、とことん受ける。そうでない人は、少しばかりがんばったところで、どうにもならない。こうし た無力感は、多かれ少なかれ、だれで感じている。が、若いがゆえに、彼らはそれを人一倍、 強く感ずるのだろう。それを彼らは、暴走させているだけだ。
いや、実のところ、この私とて、毎日、暴走しそうな自分を必死に押し殺して生きている。体に
は無数のクサリががんじがらめに取り巻いている。こうしたクサリから解放されたら、どれほど 気が楽になることか。できるなら私も、バイクの音をバリバリとたてながら、天下の国道を、思う 存分、自由気ままに走り回ってみたい。しかし現実は、どこへ行っても、規制、また規制。生き ることすらままならない。何をするにも、資格だの認可だの許可がいる。職をなくしたから、では 明日からリヤカーでも引いて、屋台のラーメン屋でもしたいと思っても、それは不可能。調理師 の免許、保健所や市役所への届け出、検査、認可が必要である。尾崎豊の言葉を借りるな ら、私たちはまさに「しくまれた自由」(「卒業」)の中で、あがきもがいているだけ?
今の日本のしくみの中では、ある一定の割合で、彼らのような若者が生まれる。学校での勉
強でも、いまだに「みんなが百点でも困る。差がつかないから。しかしみんなが〇点だともっと 困る。差がわからないから」が基本になっている。一〇%のエリートを生み出す一方、一〇% の落ちこぼれが、必然的に生まれる。そういうしくみになっている。言いかえると、彼らこそ、こ うしたゆがんだ教育体制の犠牲者にすぎない。もっと言えば、彼らが彼らであるのは、彼らか ら夢や希望を奪ってしまった私たちにこそ、その責任がある。さらにもっと言えば、彼らは重い 心の病気にかかっている。そういう若者を、一方的に否定することはできない。いや、否定した ところで、問題は何も解決しない。
少し前、こんなエッセイを書いた。中日新聞にも載せてもらった。
「若者たちが社会に反抗するとき
●尾崎豊の「卒業」論
学校以外に学校はなく、学校を離れて道はない。そんな息苦しさを、尾崎豊は、『卒業』の中で
こう歌った。「♪……チャイムが鳴り、教室のいつもの席に座り、何に従い、従うべきか考えて いた」と。「人間は自由だ」と叫んでも、それは「♪しくまれた自由」にすぎない。現実にはコース があり、そのコースに逆らえば逆らったで、負け犬のレッテルを張られてしまう。尾崎はそれ を、「♪幻とリアルな気持ち」と表現した。
宇宙飛行士のM氏は、勝ち誇ったようにこう言った。「子どもたちよ、夢をもて」と。しかし夢をも
てばもったで、苦しむのは、子どもたち自身ではないのか。つまずくことすら許されない。ほん の一部の、M氏のような人間選別をうまくくぐり抜けた人だけが、そこそこの夢をかなえること ができる。大半の子どもはその過程で、あがき、もがき、挫折する。尾崎はこう続ける。「♪放 課後街ふらつき、俺たちは風の中。孤独、瞳に浮かべ、寂しく歩いた」と。
●若者たちの声なき反抗
日本人は弱者の立場でものを考えるのが苦手。目が上ばかり向いている。たとえば茶パツ、
腰パン姿の学生を、「落ちこぼれ」と決めてかかる。しかし彼らとて精一杯、自己主張している だけだ。それがだめだというなら、彼らにはほかに、どんな方法があるというのか。そういう弱 者に向かって、服装を正せと言っても、無理。尾崎もこう歌う。「♪行儀よくまじめなんてできや しなかった」と。彼にしてみれば、それは「♪信じられぬおとなとの争い」でもあった。
実際この世の中、偽善が満ちあふれている。年俸が二億円もあるようなニュースキャスター
が、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめて見せる。いつもは豪華な衣装を身につけて いるテレビタレントが、別のところで、涙ながらに難民への寄金を訴える。こういうのを見せつ けられると、この私だってまじめに生きるのがバカらしくなる。そこで尾崎はそのホコ先を、学 校に向ける。「♪夜の校舎、窓ガラス壊して回った……」と。もちろん窓ガラスを壊すという行為 は、許されるべき行為ではない。が、それ以外に方法が思いつかなかったのだろう。いや、そ の前にこういう若者の行為を、誰が「石もて、打てる」のか。
●CDとシングル盤だけで二〇〇万枚以上!
この「卒業」は、空前のヒット曲になった。CDとシングル盤だけで、二〇〇万枚を超えた(CB
Sソニー広報部、現在のソニーME)。「カセットになったのや、アルバムの中に収録されたもの も含めると、さらに多くなります」とのこと。この数字こそが、現代の教育に対する、若者たち の、まさに声なき抗議とみるべきではないのか。」
もちろん若者たちにも言いたいことはある。それは、「自分の心にすなおに耳を傾けてみてほ
しい」ということ。彼らとて、どこかに本当の自分があるはず。その本当の自分に、すなおに耳 を傾けてみるということ。人にやさしくしたり親切にすれば、心地よい響きがする。そういう自分 があるはず。イキがって、つっぱって、人をキズつけたり、人をおどせば、いやな響きがする。 そういう自分があるはず。そういう自分に、もっとすなおに耳を傾けてみてほしい。決して自分 をごまかしたり、茶化したり、そまつにしてはいけない。そしてあとは、本当の自分に従う……。
番組に中で、若者たちは、まるで動物園のケダモノ(ケダモノでも、ああまで動物的ではない
が……)のように、叫び、騒いでいた。まるで知性や理性を、自ら否定しているかのようでもあ った。そういう姿を見て、あきれる人もいる。私のワイフもそうだった。横で番組を見ながら、「こ の番組の目的な何かしら?」「わざとこういう人たちを戦わせて、おもしろがっているだけ?」「こ ういうのは討論ではないわ。どういう意味があるの?」と。番組に対する疑問を、さかんに口に していた。なるほど、そういう見方もある。しかし私はワイフのようには、考えることができなか った。理由は簡単だ。
私は立場的には、つまり社会的には、それを批判する人たちよりも、批判される人たちのほ
うに、近い。たとえばホームレスの人を見ても、思わず「がんばってくださいよ」と声をかけたくな るときがある。(暴走族の若者たちと、ホームレスの人を同列に置くことはできないが、社会的 弱者であるという点で、共通している。)一般社会とホームレスの人の間に自分を置いたとき、 私自身は一般社会の人たちよりも、ホームレスの人たちのほうに、はるかに近い。仮に収入 がなくなれば、私は明日からでも公園の空き地に寝泊まりするようになるかもしれない。私はそ ういう自分をよく知っている。だから……。その番組が終わったあと、どうしてもこの文が書きた くなって、書いた。
(02−7−25)
(付記)
●日本は超管理型社会
最近の中学生たちは、尾崎豊をもうすでに知らない。そこで私はこの歌を説明したあと、中学
生たちに「夢」を語ってもらった。私が「君たちの夢は何か」と聞くと、まず一人の中学生(中二 女子)がこう言った。「ない」と。「おとなになってからしたいことはないのか」と聞くと、「それもな い」と。「どうして?」と聞くと、「どうせ実現しないから」と。もう一人の中学生(中二男子)は、「そ れよりもお金がほしい」と言った。そこで私が、「では、今ここに一億円があったとする。それが 君のお金になったらどうする?」と聞くと、こう言った。「毎日、机の上に置いてながめている」 と。ほかに五人の中学生がいたが、皆、ほぼ同じ意見だった。今の子どもたちは、自分の将来 について、明るい展望をもてなくなっているとみてよい。このことは内閣府の「青少年の生活と 意識に関する基本調査」(二〇〇一年)でもわかる。
一五〜一七歳の若者でみたとき、「日本の将来の見とおしが、よくなっている」と答えたのが、
四一・八%、「悪くなっている」と答えたのが、四六・六%だそうだ。
●超の上に「超」がつく管理社会
日本の社会は、アメリカと比べても、超の上に「超」がつく超管理社会。アメリカのリトルロック
(アーカンソー州の州都)という町の近くでタクシーに乗ったときのこと(二〇〇一年四月)。タク シーにはメーターはついていなかった。料金は乗る前に、運転手と話しあって決める。しかも運 転してくれたのは、いつも運転手をしている女性の夫だった。「今日は妻は、ほかの予約で来 られないから……」と。
社会は管理されればされるほど、それを管理する側にとっては便利な世界かもしれないが、
一方ですき間をつぶす。そのすき間がなくなった分だけ、息苦しい社会になる。息苦しいだけな らまだしも、社会から生きる活力そのものを奪う。尾崎豊の「卒業」は、そういう超管理社会に 対する、若者の抗議の歌と考えてよい。
(参考)
●新聞の投書より
ただ一般世間の人の、生徒の服装に対する目には、まだまだきびしいものがある。中日新
聞が、「生徒の服装の乱れ」についてどう思うかという投書コーナーをもうけたところ、一一人の 人からいろいろな投書が寄せられていた(二〇〇一年八月静岡県版)。それをまとめると、次 のようであった。
女子学生の服装の乱れに猛反発 ……八人
やや理解を示しつつも大反発 ……三人
こうした女子高校生に理解を示した人 ……〇人
投書の内容は次のようなものであった。
☆「短いスカート、何か対処法を」……学校の校則はどうなっている? きびしく取り締まってほ
しい。(六五歳主婦)
☆「学校の現状に歯がゆい」……人に迷惑をかけなければ何をしてもよいのか。誠意と愛情を
もって、周囲の者が注意すべき。(四〇歳女性)
☆「同じ立場でもあきれる」……恥ずかしくないかっこうをしなさい。あきれるばかり。(一六歳
女子高校生)
☆「過激なミニは、健康面でも問題」……思春期の女性に、ふさわしくない。(六一歳女性)
☆
●学校教育法の改正
校内暴力に関して、学校教育法が二〇〇一年、次のように改定された(第二六条)。
次のような性行不良行為が繰り返しあり、他の児童の教育に妨げがあると認められるとき
は、その児童に出席停止を命ずることができる。
一、他の児童に傷害、心身の苦痛または財産上の損失を与える行為。
二、職員に傷害または心身の苦痛を与える行為。
三、施設または設備を損壊する行為。
四、授業その他の教育活動の実施を妨げる行為、と。
文部科学省による学校管理は、ますますきびしくなりつつある。
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【4】English Corner,translated by Mr. IBM
お休みします。
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【5】
自分を変えるためには、まず自分を知ることですね。
あなたの中にあって、あなたでない部分。それをまず
さぐります。
私の体験を告白します。
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自分を変えるために……
あなたは本当に、あなたか?
あなたは「私は私」と、本当にそのように、
自信をもって言えるか?
●私の不安発作
ときどき、自分が夜の闇に吸い込まれていくように感じて、言いようのない不安に襲われるこ
とがある。私は夜が苦手。子どものころから苦手だった。そういう不安に襲われると、この年齢 (五四歳)になっても、ひとりで寝ることができない。ワイフが床に入るのを待ってから、自分も その床に身をすべらせる。
夜が苦手になった理由は、父が酒乱だったことによる。私が四、五歳くらいのときから父の酒
グセが悪くなり、父は数日おきに酒を飲んだ。見さかいなく暴れた。ときにはそういう騒動を、お もしろおかしく見たこともあるが、私には恐怖だった。父が酒を飲んで暴れるたびに、そして大 声で怒鳴り散らすたびに、私と姉は、二階の奥にあった物干し台の陰に身を隠し、それにおび えた。今でも、「姉ちゃん、こわいよ」「姉ちゃん、こわいよ」と声を震わせて泣いた自分の声を、 よく覚えている。姉は私より、五歳年上だった。
●心のキズにきづいたのは、三〇歳を過ぎてから
しかし私がこうした自分の心のキズに気づいたのは、私が三〇歳を過ぎてからだった。それ
までは自分の心にキズがあるなどとは、思ってもみなかった。が、今から思い出すと、いろいろ な症状があった。たとえば私は酒臭い人が大嫌いだった。近くにいるだけで、生理的な嫌悪感 を覚えた。赤い夕日が沈むのを見ると、ときどき不安になった。暗いトンネルに入ると、ぞっと するような恐怖感に襲われた。カッとなると、すべてを破壊してしまいたいような衝動にかられ た。自分を消してしまいたいような衝動で、そのためときどきワイフに暴力を振るったこともあ る。父が母に暴力を振るっていたのを見たことがあるためか、自分の暴力は正しいと思い込ん でいた。そして最大の症状は、ここに書いたように、夜がこわかったということ。
●不安発作の原因
一度不安発作に襲われると、自分でもどうやって身を守ってよいのかわからなくなる。たいて
いはふとんの中で、体を丸めて、ガタガタ震える。あるいはワイフの体にしがみついて眠る。し かしそれでも、なぜ自分がそういう発作に襲われるのか、理由がわからなかった。が、ある夜 のこと。私がワイフにふとんの中で、私の子どものころの話を語っていたときのこと。やがて話 が父の酒乱の話しになり、暴力の話になった。そして姉と物干し台で震えていたときの話にな った。そのときのことだ。突然、私はあの不安発作に襲われた。
体がガタガタと震えだし、そして自分が夜の闇に吸い込まれていくのを感じた。そして年甲斐
もなく、大声で、「姉ちゃん、こわいよ」「姉ちゃん、こわいよ」と泣き出した。ワイフは、私を自分 の体で包みながら、「あなた、何でもないのよ」となだめてくれたが、そのときはじめて私はわか った。私が感じる不安は、あの夜感じた不安と同じだった。そしてそれはあの夜から始まってい たのを知った。
赤い夕日が沈むのを見ると不安になるのは、そのころ父はいつも近くの酒屋で酒を飲んでい
たからだ。いつだったか、父が真っ赤な夕日を背景に、フラフラと通りを歩いているのをみかけ たことがある。そのときの光景が、今でもはっきりと覚えている。
また私が暗いトンネルが苦手なのは、暗闇がこわいということよりも、何らかの恐怖症が形を
変えたためと考えられる。子どもというのは、一度恐怖症になると、その思考プロセスだけは残 り、いろいろな恐怖症に姿を変える。私のばあいも、暗闇恐怖症が、飛行機事故で今度は、飛 行機恐怖症になったりした。
●私の中の私でない部分
が、ここで私の中に大きな変化が起きたのを知った。「私は私」と思っていたが、私の中に、
私でない部分を知ったとき、そのときから、本当の自分が見えてきた。私は、私の中の別の私 に動かされていただけだった。たとえば私が酒臭い人を嫌うのも、赤い夕日が沈むのを見る と、ときどき不安になるのも、また暗いトンネルに入ると、ぞっとするような恐怖感に襲われるの も、カッとなると、すべてを破壊してしまいたいような衝動にかられるのも、すべて、私の中の別 の私がそうさせていることに気づいた。これは私にとっては、大きな発見だった。この先を話す 前に、こんなことがある。
●子どもを見ていて……
子どもを教えていると、それぞれの子どもが、何らかの問題をかかえている。問題のない子
どもなどいないと言ってもよい。それほど深刻なケースでなくても、いじけたり、すねたり、つっ ぱったり、ひねくれたり、ひがんだりする子どもは多い。そういう子どもを観察してみると、子ど も自身の意思というよりは、何か別の力によって動かされているのがわかる。もちろん本人 は、自分の意思で行動していると思っているようだが、別の思考パターンが作動しているのが わかる。
原因はいろいろある。たいていは家庭環境や家庭教育。年齢が大きくなるにつれて、学校と
いう場が原因になることもある。私が印象に残っている女の子に、A子さんという子ども(年長 児)がいた。ある朝、私が園庭でA子さんに、「今日はいい天気だね」と話しかけたときのこと。 A子さんは、こう言った。「今日は、いい天気ではない。あそこに雲がある」と。そこでまた私が、 「雲があっても、いい天気だよ」と言うと、さらにかたくなな様子になり、「あそこに雲がある!」 と。ものの考え方がどこかひねくれていた。で、話を聞くと、A子さんの家は、父子家庭。ある日 担任の先生がA子さんの家を訪れてみると、父親の飲む酒ビンが、床にころがっていたとい う。
●いつ、それに気づくか?
が、問題はこのことではない。そういう「すなおでない性格」について、子ども自身がいつ、どの
ような形で気がつくか、だ。が、このことも、問題ではない。問題は、そういう自分であって自分 でない部分に気がつくことがないまま、自分であって自分でない部分に引き回されること。そし て同じ失敗を繰り返す。これが問題である。しかしなおす方法がないわけではない。まず、自分 自身の中に潜む心のキズがどんなものであるかを、客観的に知る。
私のばあいは、あの夜、ワイフの胸の中で、「姉ちゃん、こわいよ」と泣いたときから、自分が
変わったように思う。それまで心の奥底に潜んでいた「わだかまり」に気づくと同時に、それを 外に吐き出すことができた。もっともそれですぐすべての問題が解決したわけではないが、少し ずつ、そのときからわだかまりがこわれていった。同じような症状はそれからも繰り返し出た が、(今でも、出るが……)、そのつど、なぜ自分がそうなるかがわかり、そしてそれに合わせ て、症状も軽くなっていった。
そこで……
●自分を変えるために
(1)もしあなたが、いつも同じようなパターンで、同じような失敗を繰り返すようであれば、自分
さがしをしてみる。どこかにおおきなわだかまりや、心のキズがあるはずである。
(2)あなたの過去に問題があることが問題ではない。問題は、そういう問題に気づくことがない
まま、その過去に振り回されること。ただし、自分の心の中をのぞくことは、こわいことだが、勇 気を出して、それをすること。
(3)心の中のキズやわだかまりは、あなたを、無意識のまま、あなたを裏から操(あやつ)る。
ふつうは操られていることに気づかないまま、操られる。たとえば子どもへの暴力など。親はと っさに暴力を振るうが、あとで「なぜそんなことをしたかわからない」というケースが多いのは、 そのため。
(4)しかしあなたが自分の中の、「自分であって自分でない部分」に気づけば、そのときから、
この問題は解決する。
(5)同じような症状(反応)が出たとき、「ああ、これは私であって、私でない部分」と自分自身を
客観的にみる。あとは時間が解決してくれる。
これは私の体験からの報告である。
(追記)
こうした自分自身の体験を、公開するのは、一方で、そういう自分と決別するためでもある。
自分自身を思いきってさらけ出すのも、ひとつの解決方法かもしれない。なお私のばあい、そ れ以上に心がゆがまなかったのは、(多分?、あるいはかなりゆがんでいるのかもしれない)、 やさしい祖父母が同居していたためと考えられる。もうひとつは、近くに親類が何人かいて、私 のめんどうをみてくれた。ああいう家庭環境で、もし祖父母や親類が近くにいなかったら、今ご ろの私は、どうなっていたか……。それを考えると、ぞっとする。そういう意味で、よく子どもの 非行が問題になるが、私はすべて子どもの責任にするのは、まちがっていると思う。
(02−9−29)
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・17……島田市立第四保育園
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・5……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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子育てワンポイント・1〜600作は、いかがですか?
よろしかったら、どうかお買い求めください。
●子育てのコツ、1〜600を、一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
ご希望の方に、一枚1000円でお送りします。
一枚ずつ、手作りで、お送りします。
単行本の分量して、約6冊分(以上)の分量があります。
●CD版ですから、検索しやすく、なっています。たとえばワード上で、
「夜驚症」で検索すれば、すぐその項目をヒットできます。
【申し込み方法】
(9)下のメールアドレスをクリックして、郵便番号、住所、お名前を
お知らせください。
(10)折り返し、私のほうから、確認のメールを出します。
(11)もう一度、あなた様から「申し込んだ」旨の確認に返信をください。
(12)CD(ワード版)を先に送ります。同封の為替用紙で、1000円を
後ほど、ご送金ください。領収書は先に、同封します。
きっとみなさんの子育てで、お役にたつと思います。
よろしくお願いします。
アドレス……
bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp
ご注意!
●申し込みが、10人前後になるまで待って、それからCDに焼いて送ります。 それまでしばら
くお待ちください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! よろしくお願いします!
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MMMMM
m | ⌒ ⌒ |
( ̄\q ・ ・ p
\´(〃 ▽ 〃) /〜〜
\  ̄Σ▽乃 ̄\/〜〜/
\ : ξ)
┏━━┻━━━┓
┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)8-3
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====KW(8)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 384人
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数(Nr. of Readers) 78人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
★★★★★★★★★★★★★
02−8−3号(087)
★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●愛知県豊田町にて講演会をもちます。おいでください。
9月26日(木) 豊田産業文化センター 午前9:30〜12:00
主催 豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
(当然ですが)、こうした県外での講演会は、いつもガラガラです。どうか、お近くの人がいらっし
ゃれば、連絡していただけませんか。いつも主催者の方に申し訳ない気持ちで講演を終えてい ます。どうかよろしくお願いします。
●「静岡県ホームページグランプリ」に、私のサイトを、応募作品として、出し
てみました。
これは皆さんの投票で、静岡県で発行しているホームページをコンテスト形式
で、審査しようというものです。皆さんの清き一票を、どうか私のサイトに投
票してください。
【投票方法】
☆私のサイト(ホームページ)を開いてください。
下のアドレスをクリックすれば、私のサイトを開くことができます。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆サイトのトップページ、最上段に、「グランプリ」応募タグがはりつけて
あります。そのタグをクリックするだけで、一票が投票できます。
「はやし浩司のホームページは、よい」と思ってくださる方は、どうか
清き一票をお願いします。結果は、そのつど、報告されます。
よろしくお願いします。
投票ができるのは、8月5日からです。一人で何票でも、投票できます。
(少しいいかげんですが、もともとお祭り(イベント)ですから……。)
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*
●また、よりアカデミックな(?)マガジンをご希望の方は、「はやし浩司の世界」を
どうかあわせて、ご愛読ください。お申し込みは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
のトップページより、「マガジン購読」コーナーへ、お進みください。
Please subscribe to another magazine, "The Hiroshi's World",
published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you very much.
Please go to the "Magazine Corner" from the Top Page of my Website to
apply for subscription of the magazine. Free to read!
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*
●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second
son's website in USA, for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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*
●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
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*
みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
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*
みなさんへ、
●「子育てワンポイント」の、1〜600作を、
一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
ご希望の方に、1枚1000円でお分けします。(郵送料込み)です。
詳しくは、このマガジンの末尾をご覧ください。
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メニュー
今日のテーマ、「人間とは何か」(On human-beings)
【1】講演の感想が届きました(Letters from listeners of my lecture)
【2】世にも不思議な留学記(My young days in Australia)
【3】はやし浩司の人間論(On human-beings)
【4】English Edition
【5】随筆(Essays)
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【1】
少し心恥ずかしいですが、7月にした講演会の感想が
75人の方から届きました。うれしかったです。その
中のいくつかを紹介します。
浜松市立幼稚園PTA会連合会第38回夏季研修会・基調講演の感想より
(平成14年7月4日、西遠教育センターにて)
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●今目の講演を聴いて、なんだかとても子育てに対する気持ちが軽くなりました。長い間
1つの悩みに悩まされ、出口もこのまま見えない、わからないままになってしまうのか
と思っていましたか、長い暗いトンネルを抜けて、明るい出口が待っているんだと期待
感が出てきました。自分の心の中で、無意識のうちに避けようとしています。この先も
何も変わらないと思っていましたが、どうしてこんな事になるのか、本当の原因、心の
奥に潜む自分の気持ちを知りたいと思いました。とても話も聞きやすく、勉強になりま
した。
●初めからとても聞きやすく、最後まで、あきずに講演を聞けたと思います。自分では、
頑張ってるつもりでも、やはり、先生のお話の中で、ためになることが多々ありました。
自分の過去を今一度振り返り、子供と向き合って生活していきたいし、将来の子供の為に
も、今が大事なんだと改めて感じさせられた講演だった様に思います。
少しずつになるとはおもいますが、自分なりに頑張っていければと思います。
ありがとうございました。
●とても、良いお話を聞かせていただいたと思います。もっともっと、いろいろなお話を
聞きたいなと思います。私自身とても子供に対して厳しくしてしまいます、先生のお話
を聞いて気付きました。母親としてのイメージが私にはないからなのだと…私も母
のいない子供でした。でも私には娘がいます。私は、娘が子育てできるように、娘を育
てていかなければいけないなと思いました。
●とても貴重なお話でした。改めて自分の子育てを見つめる事が出来ましたむお話を聞い
て反省する事ばかりでした。子供の話をしっかり聞いているか? 子供の目線になって考
えているか? 親の理想を押し付けてばかりいた様な気がします。これからは今日聞いた
お話を参考にして子育てをしていきたいと思います。
●子育てと、割り切って、子育てをしている訳ではなく、とにかく子供と何でも一緒にな
って遊んで生活しているだけなので、あまり難しい事はわからないが、はやし先生のお
話は、こんな私でもわかり易く、なる程なあと感心させられるお話でした、特に素直な
子供とは、という事をお語しされた時、自分の子供は果たして素直な子供だろうか、と
考えてみた時、少し不安になりましたが、はやし先生いわく「自分はゆがんだ子供だっ
た」というのを聞いて、ゆがんだ子供でもりっぱな方になり得る事もあり、素直だから
とか、ゆがんだ子供だからとか、気にするよりも、どれだけ子供の目線にたったことが
できるのか頼張ってみようと思う。
●久し振りに感動するお話を拝聴させていただいた思いで一杯です。私も何年も幼稚園
に勤めさせていただいているのに、自分の中味の無さに(知らなかったことに)ショックを受けた
ことや、4つ目の、自分の心をみていくことという所ではジーンとして
しまいました。
●迷った時の4つの方向性ということで、大変わかりやすく楽しいエピソード等、とても
よくわかりました。よく「テレビ寺子屋」を見ていますが、あまり理想ばかり言われても萎縮して
しまい、ますます子育てに自信が無くなることがあります。子育ての悩み、母親としての葛藤、 父親としての育児のかかわりなど、今目のお話は大変身近に感じました。
元気の良い声量は、劇団員を思わせるほど迫力があって良かったです。もっともっと
たくさんお誘を聞きたいと思いました。
(以上、原文のまま。OCRで収録しました。)
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【2】
世にも不思議な留学記
金沢学生新聞より転載
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英語と日本語(言葉のごまかし)(14号)
●何という愛国心!
オーストラリアでは、「安保(日米安全保障)条約」は、ズバリ、「ミリタリー・ツリーティ(軍事条
約)」と訳されていた。「自衛隊」は、「アーミィ(軍隊)」と訳されていた。そこで私がある日、「日 本の軍隊は軍隊ではない。セルフ・デフェンス・アーミィ(自己防衛隊)だ」と言ったら、まわりに いた学生たちが、「何、それ?」と言って、笑った。
英語と日本語は必ずしも一致しない。ある日のこと、講義が終わってたまり場でお茶を飲ん
でいたときのこと。私はふとこう聞いてみた。「もしインドネシア軍がオーストラリアへ攻めてきた ら、君たちはこのカントリーを守るために戦うか」と。オーストラリアではインドネシアが仮想敵 国ということになっていた。パプアニューギニアの領有権をめぐって、互いに対立していた。が、 そこにいた五、六人の学生全員が、「守らない」と答えた。「父の故郷のスコットランドへ逃げ る」と言ったのもいた。何という愛国心! あきれていると一人の学生がこう言った。「ヒロシ、 オーストラリア人が手をつないで一列に並んでもすき間ができるんだよ。どうやってこの広いカ ントリーを守ることができるのか」と。
英語で「カントリー」というときは、「大地」という土地をいう。が、日本ではカントリーを「国」と訳
す。だからアメリカ人たちが、カントリーソングを大声で歌ったりすると、日本人は「アメリカ人 も、結構愛国的ではないか」などと感心したりする。あるいは日本人の中には、「愛国心は、世 界の常識」などと言う人がいる。しかし「愛国心」を意味する「ペイトリアチズム」という英語の単 語にしても、もともとはラテン語の「パトリオータ」、つまり「父なる大地を愛する人」に由来する。 日本語では「愛国心」に「国」という文字を入れるが、彼らは愛国心といっても、そもそも体制を 意味する「国」など、考えていない。同じ愛国心といっても、国によってそのとらえ方がまるで違 う。そこで私は言葉を変えた。変えて、「では、君たちの家族がインドネシア軍に襲われたらどう する」と聞いたら、みな、いっせいに血相を変えて、こう叫んだ。「ヒロシ、そのときは、命がけで 戦う!」と。
●言葉でごまかす日本政府
一方、こんなこともあった。大学で使うテキストの中に、「日本は官僚主義国家」と書いてあっ
た。「君主(ローヤル)官僚主義国家」と書いてあるのもあった。これには私が反発した。「日本 は民主主義国家で、官僚主義国家ではない」と。しかし教官以下、だれも私の言うことに耳を 貸そうとしなかった。で、このことはしばらくしてからまた別のところで話題になった。スミス氏と いう研究者の家で食事の世話になっていたときのこと。スミス氏はこう言った。「あの北朝鮮で すら、正式の名称は、朝鮮民主主義人民共和国と、民主主義という言葉を並べているではな いか。ヒロシは、あの国が本当に民主主義の国だと思うか」と。東大からきていた松尾教授(刑 法)も横にいて、「そうです、そうです」と笑っていたが、私はもうそれには反論することができな かった。
……で、それから三二年。ふりかえってみると、日本はやはり官僚主義国家だった。今もそう
だ。日本が民主主義国家だと思っているのは、恐らく日本人だけではないのか。事実、私がオ ーストラリアでかいま見た彼らの民主主義は、日本のそれとはまったく異質のものであった。そ れに今でも言葉をごまかすのが、政治手法のひとつになっている。「銀行救済」を「預金者保 護」と言いかえてみたり、「官僚政治の是正」を「構造改革」と言いかえてみたりしている。この 手法は、軍事条約を安保条約と言いかえたり、軍隊を自衛隊と言いかえた手法と、どこも違わ ない。これはあくまでも余談だが……。
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【3】
少しおおげさですが、「人間論」を書いてみました。
あちこちに書いた自分の意見をまとめたような原稿
です。まだ人に見せられるようなものではないかも
しれませんが、何かの参考にしていただければ、う
れしいです。
************************
はやし浩司の人間論
●大切なのは、常識
宗教の研究者と話をしていると、ときどき何がなんだか、さっぱりわけがわからなくなるときが
ある。ささいな文書の一言一句をほじくり返しては、解釈はどうだの、意味はどうだのと言う。し かし生きる哲学はそういうものではない。またそういうことを知っているからといって、ワイズマ ンということにはならない。もっと人生はわかりやすいもの。
私たちにとって大切なのは、「常識」。むずかしいことではない。その常識こそが、大切。何か
わからないことがあったり、行きづまったりしたら、自分自身の中の常識に耳を傾ければよい。 正しいことは、それ自体、心地よい響きがする。まちがっていることは、それ自体不愉快な響き がする。あとはその常識に従って考え、行動すればよい。
●常識をみがく
ただ大切なことは、毎日、その常識をみがくこと。音楽を聴いたり、本を読んだり、人と会話を
したり、野や山を散歩したりして、自分の常識をみがく。といっても、それはむずかしいことでは ない。ごくふつうの、日常的な、何でもない生活の中に、その常識は隠されている。そういう生 活をしながら、その中で常識をみがく。よい友と交われば、別れたあと、さわやかな感じがす る。そうでないときは、どこか重い気持ちになる。人に親切にしたり、やさしくすれば、自分の心 がぬくもる。しかし人に意地悪をしたり、迷惑をかければ、あと味が悪い。常識をみがくと、そう いう心の動きが、さらにはっきりとわかるようになる。
私はこのことを、あるとき農家の女性(八〇歳くらい)と話していて気づいた。その女性はたい
へん穏やかな女性だった。久しぶりに山道で会うと、心底うれしそうな顔で私を迎えてくれた。 昔でいう小学校しか出ていず、その村に嫁いできてからというもの、自然だけを相手にしてきた 人である。にもかかわらず、深い知性と教養を兼ね備えていた。が、それ以上に私の心をとら えたのは、どこまでも深みのある人間性だった。私が山荘の近くに生える雑草の話をすると、 その雑草の害や、いつごろどのようにその雑草を始末すればよいかを、ていねいに説明してく れた。こうした人間性は、たとえば難解な経文をソラで言えるから身につくとか、経文の解釈が できるからといって、身につくものではない。そういったものを超えた、もっと言えば、人間が数 十万年の進化の過程で得た、もっと大きな流れの中で身につくもの。常識は、その過程で生ま れた?
●常識が人類を生き延びさせた
もしこの常識がなければ、人間という生物は、たがいに憎みあい、たがいに殺しあって、とっく
の昔に滅びたはずである。つまり私たちは進化というと、肉体的な「形」の問題ばかりにこだわ る。が、同じように、精神的な「心」もまた、進化の過程で、そのつど選択されてきたはずであ る。それがわからなければ、野を歩くアリを見てみればよい。彼らは実に協力的に仲間と助け あって生きている。大きな虫の死骸(がい)を見つけたりすると、皆が力をあわせて、それを運 んでいる。人間もまた、そうした「心の進化」を経験しているはずである。ここに書いたように、 自分の心がぬくもったり、反対にあと味が悪く感じたりするのは、まさにそうした気が遠くなるほ ど、長い年月を経て、人間が得た、「心の動き」と言ってもよい。それが常識ということになる。 繰り返すが、もし人間に、「人を殺すと気持ちがよい」という感情があったとするなら、その進化 の過程で、とっくの昔に人間は滅んでいたはずである。
そういう意味では、まず自分自身の常識を信ずる。おかしいものはおかしい。ヘンなものはヘ
ン。それは直感に近いものだが、その直感でじゅうぶん。むずかしいことではない。本当に簡 単なことだ。あとはその常識に従って、自分の意見を組み立てる。そしてそれに従って行動す ればする。こう書くと、「君は、神や仏の教えを否定するのか」と言う人がいる。実際、冒頭にあ げた宗教の研究者は私にそう言った。何かの宗教団体に属している人で、知識だけはやたら と豊富だった。私はそのとき、こう反論した。
●人間らしく生きる
私たちにとって大切なことは、一人の人間として、精一杯、人間らしく生きること、と。あくまで
も人間だ。未熟で不完全かもしれないが、それを恥じることはない。そういう生き方を神や仏が まちがっているというのなら、それをいう神や仏のほうがまちがっている。あらゆる動物は、そ れぞれの動物として、懸命に生きている。そこにそれぞれの動物が生きる意味があり、美しさ がある。生きるドラマもそこから生まれる。人間とて例外ではない。
むしろ恥ずべきことは、知ったかぶりをして、ほかの人に対して優越感を覚えることだ。あるい
はほかの人を下に見ることだ。こうした宗教の研究者(本当は信者と言ってもよいのかもしれ ないが……)の悪いところは、すぐ傲慢(ごうまん)になって、「相手を救済する」とか、「世の中 を改変する」とか言だすことだ。こうした言葉は政治の世界では有効かもしれないが、こと心の 世界では、通用しない。彼らはよく「私は絶対、正しい」と言う。しかし相手に向かってそう言うと いうことは、「あなたはまちがっている」と言うに等しい。そういう失敬なことが、まるでわかって いない。
大切なことは、それぞれの人が、それぞれの世界で、心豊かに、穏やかに、安らいだ気持ち
で、平和な生活をすることだ。仮に先にあげた女性(八〇歳くらい)に、仏教の知識がまるでな いとしても、それでその女性の価値がさがるわけではない。むしろペラペラと難解な仏教用語 を並べるその研究者より、人間的には、はるかにすぐれている。あるいは何が劣っているとい うのか。
●宗教を否定しているのではない
もちろんだからといって、私は宗教を否定しているのではない。私の座右には、「スッタニパ
ータ(原始仏教の経典)」や「ダンマパダ(法句経)」の経本がある。旧約聖書や新約聖書もあ る。一度、イスラム教の勉強もしてみたいと思っている。私が書く原稿にも、こうした本からの引 用も多い。すぐれた思想には、ハッとするような輝きがある。
しかしどこまでいっても、生きるのは私たち。そうした書物をどう読み、どう理解するかは、私た
ち自身が決める。たとえばあの世があるかどうかは、私にはわからない。天国があるのかどう かも、私にはわからない。見たこともない世界を信じろといくら言われても、私にはどうしてもで きない。つまりそれが今の私の常識ということになる。その常識を私はねじ曲げろと言われて も、私にはそれがどうしてもできない。だから今は、一応、「そういう世界はない」という前提で 生きている。
それはちょうど宝くじのようなものではないのか。いくら宝くじを買ったからといって、当たるこ
とをアテにして、土地を買ったり家を買ったりする人はいない。お金の使い道は、当たったとき 考えればよい。当たれば当たったで、もうけもの。人生もそうだ。死んでみて、あの世や天国が あれば、そのときは、それで、もうけもの。しかしそういうものをアテにして、今の人生を組みた てることはできない。少なくとも私には、どうしてもできない。
●神や仏への反論
神や仏がいるのなら、私が死んだとき、多分、神や仏は私にこう言うだろう。「あなたもずい
ぶんと勝手なことをしましたね」と。しかしもしそうなら、私はこう反論するだろう。「私は懸命に 生きてきた。それがまちがっているというのなら、あなた、あなたのほうがまちがっている。私は 理屈っぽい人間だから、もしあなたが姿をちゃんと見せてくれたら、私はあなたを信じ、あなた の僕(しもべ)になっただろう。姿も見せないで、信じろと言ったあなたのほうがまちがっている」 と。
●生きる意味
私たちはここにも書いたように、未熟で不完全だ。それを恥じることはない。もしここに神や
仏が現れて、病気を治したり、国を治めたら、人間は自ら努力することをやめてしまう。しかし それこそ、人間の敗北。私たちはすべての病気を治せるわけではない。生きることにしても、 いつも悲しみや苦しみがついて回る。それから逃れることはできない。政治にしても、今、見る とおりである。しかしそういう未熟で不完全であるから、私たちはそれと戦う。そこに人間が生 きる意味がある。美しさがある。生きるドラマもそこから生まれる。
つまり懸命に生きるがゆえに、私たちは人間なのである。
(02−7−31)
お休みします。
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【5】
最近書いた、エッセーをお届けします。
今回は、あまり子育てに関係がありま
せんが、お許しください。
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新幹線に乗って……
新幹線に乗るたびに、あのヘタクソな英語を聞かされる。国籍不明の発音。妙に抑揚が強
く、どこか不自然に間延びした、まさに英語もどきの英語。その上、決まって、「Welcome to Shinkan−sen(新幹線にようこそ)」と。日本語に訳すとそれほど違和感はないが、英語で 聞くと、思わず、「私は新幹線に乗りにきたのではない!」と言いそうになる。(ウエルカム・ツ ー・シンカンセンというのは、目的として、新幹線に乗りにきた人に、使う言葉。)それにいちい ち、「Ladies & Gentleman」と言う。確かにそういうときに使う言葉だが、どうもすなおに聞 けない。(英語国で英語でそれを言うときは、さらっと瞬間的に言うので、違和感がないのだが ……。)
その新幹線。先日乗ったときには、空席がなくて、非禁煙車の中にすわってしまった。しかし
これが苦痛の始まりだった。数列前の男が、それこそ五〜一〇分おきにタバコを吸っていた。 けむいのなんのと言ったらなかった。非禁煙車だからといって、自由にタバコを吸ってよいとい うわけではない。その男は、吸わなければ損と言わんばかりに吸っていたが、けむい理由はそ の男ではなかった。三〇分ほどがまんして、ふとうしろの席を見ると、何と真うしろの男がタバ コを吸っていた。吸っていないときは、タバコを手にもったまま。私の顔との距離は、五〇セン チも離れていない。けむいはずだ!
こうなると立っていたほうがマシ。そこで禁煙車に移ると、空気の違いが瞭然。たまたま運よ
く、あの込んでいた電車内で空席ができ、私はそこに座わることができた。それにしてもけむか った。あんなタバコを吸っていて、体によいわけがない。脳細胞が破壊される。あるいは脳細 胞にじゅうぶん、酸素が行き渡らなくなる。思考力そのものが低下する。よく喫煙は嗜好だと か、喫煙する人にも、喫煙する権利があるというが、タバコなど、全面的に販売禁止したらよ い。販売も、許可を得た人だけが、通信販売で購入できるとか。……とまあ、ときどき考え方が 過激になるが、しかしそれくらいの覚悟と自覚をもって、この問題は考えるべきではないのか。 たとえばせっかく禁煙しても、他人の吸ったタバコの煙に巻き込まれるうちに、また喫煙を始め る人は多い。そういう意味でも、嫌煙運動をもっと徹底させたらよい。それにこんな話も聞いて いる。
昔、京都大学のN教授(産婦人科学)が、ホテルの一室で、こっそりとこう話してくれた。「胎児
の奇形がふえています。タバコが原因だということは、疫学上(統計的に)はわかっているので すが」と。私が「証拠はないのですか」と聞くと、N教授は、「人体実験をするわけにはいかない でしょう」と笑った。そう、今、その奇形児や染色体異常児が、急増している。親の代では影響 なくても、子どもや孫の代になって影響が出てくることもある。また私の経験からしても、ヘビー スモーカーの子どもは、概して体が小さく、知能の発達も遅れがちになる。髪の毛も細く、手で さわった感じでは、すべすべしている。
電車をおりるとき、私は「二度と非禁煙車には乗らない」と心に決めた。あのへたくそな英語
に見送られながら……。
(02−7−31)
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大きな問題(心の実験)
子育ての問題にぶつかったら、視野を高くもつ。すると、その問題が解決するときがある。ひ
とつ、こんな心の実験をしてみよう。あなたはつぎの話を読んで、どう思うだろうか。
公園デビューのマナーについて、テレビで報道していた。いろいろあるらしい。たとえば母親
どうしは、子どもの名前で呼びあう。たけし君の母親だったら、「たけしママ」。さとみちゃんのマ マだったら、「さとみママ」と。親たちがすわるベンチにもルールがあって、一番よい席は、「ボス ママ」のためにあけておくのだそうだ。さらに公園ママたちが誘いあい、グループをつくって旅行 に行くのは禁止。やり方をまちがえると、派閥から仲間ハズレにされるという。
そういえば先日も、どこかの電子マガジンでも、公園デビューを特集していた。で、ここでま
ず、あなたの心を整理してみてほしい。この問題について、あなたは、やはり大切な問題だと 思うだろうか。それとも、それほど大切な問題ではないと思うだろうか。その気持ちを心のどこ かにとめて、今度は、つぎの話を読んでほしい。
南太平洋に、ツバル共和国という小さな島国がある。人口は一万人少しの小さな国だが、こ
の島国が今、存続の危機に立たされているという。毎年、潮位が高くなる二〜三月になると、 飛行機の滑走路は地面からふき出した海水で水びたしになり、家々はひざまで水がつかると いう。高潮による被害も、九〇年代から急増し、サイクロンのたびに、安全な知りあいの家に 避難するありさまだという。
原因は地球温暖化によるものだが、地球の気温が、たった〇・一〜二度あがっただけで、こ
の惨状である。ちなみに、オーストラリアの研究機関によると、平均潮位の上昇幅は、年間〇・ 九ミリだそうだ。(たった、〇・九ミリである!)この調査結果によると、この一〇年間で、たった 九ミリしかあがっていないことになる。しかし現状はまるで違う。つまり、ここに地球温暖化の恐 ろしさがある。
多くの気象研究所は、今後一〇〇年間に、地球の気温は、三〜四度上昇すると言っている。
研究機関によりハバがあるが、だいたいそんなところらしい。が、一方、そんな程度ではすまな いと主張する人も多い。仮に地球の気温が一〜二度も上昇すると、不測の事態が新しい不測 の事態を生み、これが加速度的な悪循環となって、地球の気温は、まさに二次曲線的に上昇 すると予測するというのだ。たとえば二〇年前には、ツンドラ凍土地帯の凍土がとけ出すとか、 海流そのものの流れが変わるなどということは、だれも予測していなかった。しかし凍土がとけ れば、それこそ天文学的な数量のメタンガスが発生する。海流の流れが変われば、海水の温 度変化のみならず、海の炭酸ガス吸収効果そのものに異変をきたす。こうした変化により、一 説によれば、西暦二一〇〇年には、一〇度以上、あるいはへたをすれば、あらゆる生物が死 滅する温度まで、気温は上昇するかもしれないという。現に今、この日本でも、ここ四〇年で、 気候はすっかり変わってしまった。
私が子どものころは、川で泳げる期間は、かなり限られていた。梅雨が明けるまで寒く、その
梅雨があけてはじめて、夏の到来。それでも気温が三〇度を超える日は、あまりなかった。そ して八月一五日の旧盆を過ぎると、肌寒い風が吹き始め、とても川には入れなかった。が、今 は違う。五月から三〇度を超える日が始まり、その暑さは、九月の終わりまでつづく。こうした 劇的な変化が生じているにもかかわらず、日本の気象庁は、「地球の気温は、零点何度しか あがってません」などと、ノー天気なことを言っている。あるいは、よく気象庁が使う、「平年並 み」という言葉を鵜呑みにしてはいけない。気象庁が言う平年並みという数字は、過去三〇年 間の平均気温を、一〇年ごとに調べたものをいう。だからもし三〇年ごとに一〇度ずつ気温が あがっても、その平均値であれば、「平年並み」ということになってしまう。
……わかりやすく言えば、地球という惑星は、今、たいへんな状態になっている。いや、だか
らといって、つまりこうした問題をここで取りあげたところで、どうにかなる問題ではない。しかし そういう問題があることを知るということは、回りまわって、子どもたちの未来を守ることにな る。このままでは、あと一〇年もしないうちに、真夏の気温は日本でも四〇度を超えるようにな り、さらに数度もあがれば、クーラーもきかなくなる。もちろん食糧生産も壊滅的なダメージを受 ける。
さてさて皆さんを、心配させるようなことを書いたが、そういう心境になったところで、もう一
度、公園デビューの話を読んだときの、あなたの気持ちを思い出してみてほしい。多分、あな たは、最初に公園デビューを読んだときと、今とでは、公園デビューに対する考え方が変わっ たと思う。地球温暖化の話とくらべると、公園デビューのマナーなど、どうでもよい問題と思うよ うになったかもしれない。そう、実にどうでもよい問題。くだらない問題。つまらない問題。考える のも情けない問題。私も先日、ある子育てマガジンでこの問題を伝えられたとき、あまりのレベ ルの低さに驚いてしまった(失礼!)。
私がここに公園デビューと、地球温暖化の話を並べた意図は、もうわかっていただけたと思
う。子育ての問題を考えるときは、いつも視点を高くもつ。そしてその視点が高ければ高いほ ど、身の回りのささいな問題が、小さく見えてくる。これは子育てにまつわる問題を考えるときに は、たいへん重要な手法の一つである。
私たちはともすれば、どうでもよい、ささいな問題に心を奪われ、一方で、いつの間にか、もっと
大切な問題を見失ってしまう。そんなわけで子育ての問題を考えるときは、何が大切な問題 で、何が大切な問題ではないかを、そのつど判断しなければならない。その実験として、公園 デビューと、地球温暖化の問題を並べてみた。
(02−7−28)
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・17……島田市第四保育園
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・5……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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子育てワンポイント・1〜600作は、いかがですか?
よろしかったら、どうかお買い求めください。
●子育てのコツ、1〜600を、一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
ご希望の方に、一枚1000円でお送りします。
一枚ずつ、手作りで、お送りします。
単行本の分量して、約6冊分(以上)の分量があります。
●CD版ですから、検索しやすく、なっています。たとえばワード上で、
「夜驚症」で検索すれば、すぐその項目をヒットできます。
【申し込み方法】
(1)下のメールアドレスをクリックして、郵便番号、住所、お名前を
お知らせください。
(2)折り返し、私のほうから、確認のメールを出します。
(3)もう一度、あなた様から「申し込んだ」旨の確認に返信をください。
(4)CD(ワード版)を先に送ります。同封の為替用紙で、1000円を
後ほど、ご送金ください。領収書は先に、同封します。
きっとみなさんの子育てで、お役にたつと思います。
よろしくお願いします。
アドレス……
bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp
ご注意!
●申し込みが、10人前後になるまで待って、それからCDに焼いて送ります。 それまでしばら
くお待ちください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! よろしくお願いします!
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MMMMM
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( ̄\q ・ ・ p
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\ : ξ)
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┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)8-5
8−5用○
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====KW(8)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 387人
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数(Nr. of Readers) 78人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
★★★★★★★★★★★★★
02−8−5号(088)
★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●愛知県豊田町にて講演会をもちます。おいでください。
9月26日(木) 豊田産業文化センター 午前9:30〜12:00
主催 豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
(当然ですが)、こうした県外での講演会は、いつもガラガラです。どうか、お近くの人がいらっし
ゃれば、連絡していただけませんか。いつも主催者の方に申し訳ない気持ちで講演を終えてい ます。よろしくお願いします。
●「静岡県ホームページグランプリ」に、私のサイトを、応募作品として、出し
てみました。
これは皆さんの投票で、静岡県で発行しているホームページをコンテスト形式
で、審査しようというものです。皆さんの清き一票を、どうか私のサイトに投
票してください。
【投票方法】
☆私のサイト(ホームページ)を開いてください。
下のアドレスをクリックすれば、私のサイトを開くことができます。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆サイトのトップページ、最上段に、「グランプリ」応募タグがはりつけて
あります。そのタグをクリックするだけで、一票が投票できます。
「はやし浩司のホームページは、よい」と思ってくださる方は、どうか
清き一票をお願いします。結果は、そのつど、報告されます。
よろしくお願いします。
投票ができるのは、8月5日からです。一人で何票でも、投票できます。
(少しいいかげんですが、もともとお祭り(イベント)ですから……。)
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*
●また、よりアカデミックな(?)マガジンをご希望の方は、「はやし浩司の世界」を
どうかあわせて、ご愛読ください。お申し込みは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
のトップページより、「マガジン購読」コーナーへ、お進みください。
Please subscribe to another magazine, "The Hiroshi's World",
published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you very much.
Please go to the "Magazine Corner" from the Top Page of my Website to
apply for subscription of the magazine. Free to read!
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*
●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second
son's website in USA, for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
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みなさんへ、
●「子育てワンポイント」の、1〜600作を、
一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
ご希望の方に、1枚1000円でお分けします。(郵送料込み)です。
詳しくは、このマガジンの末尾をご覧ください。
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メニュー
今日のテーマ、「心の進化論」(Mental Evolution)
【1】夏休み特集(Good Parenting in Summer)
【2】世にも不思議な留学記(My young days in Australia)
【3】はやし浩司の常識論(Follow your common sense to find the truth)
【4】English Edition
【5】随筆(Essays)
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口
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【1】
子育てで役立つ情報をお届けします。
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私こそ親のカガミ!
代償的過保護(失敗危険度★★★★★)
●代償的過保護
本来、過保護というのは親の愛がその背景にある。その愛があり、何かの心配ごとが引き金
となって、親は子どもを過保護にするようになる。しかしその愛がなく、子どもを自分の支配下 において、自分の思いどおりにしたいという過保護を、代償的過保護という。いわば自分の心 のスキ間をうめるための、過保護もどきの過保護。親のエゴにもとづいた、自分勝手な過保護 と思えばよい。
代償的過保護の特徴は、(1)親としての支配意識が強く、(2)子どもを自分の思いどおりに
したいという欲望が強い。そのため(3)心配過剰、過干渉、過関心になりやすい。(4)子どもを 人間というよりは、モノとして見る目が強く、子どもが自立して自分から離れていくのを望まない などがある。そしてそういう愛を、理想的な愛と誤解することが多い。「私こそ、親のカガミ」と言 った母親すらいた。
●子どもを自分の支配下に
このタイプの親は、一見子どもを愛しているように見えるが、(また親自身もそう思い込んでい
るケースが多いが)、その実、子どもを愛するということがどういうことか、わかっていない。わ からないまま、さまざまな手を使って、子どもを自分の支配下に置こうとする。もともとはわがま まな性格の人とみてよいが、それゆえにものの考え方がどうしても自己中心的になる。「私は 絶対正しい」と思うのはその人の勝手だが、その返す刀で、相手を否定したり、人の話に耳を 傾けなくなる。がんこになることも多い。
●お前には学費が三〇〇〇万円かかった!
ある父親は、息子が家を飛び出し、会社へ就職したとき、その会社の社長に電話を入れ、強
引にその会社をやめさせてしまった。またある母親は、息子の結婚にことごとく反対し、そのつ ど結婚話をすべて破談にしてしまった。息子を生涯、ほとんど家の外へ出さなかった母親もい るし、お金で息子をしばった父親もいる。「お前には学費が三〇〇〇万円かかったから、それ を返すまで家を出るな」と。
結果的にそうなったとも言えるが、宗教を利用して子どもをしばった親もいた。ことあるごとに、
「親を粗末にすると、バチが当たるぞ」と教えている親もいる。そうでない親には信じられないよ うな話だが、実際にはそういう親も少なくない。ひょっとしたら、あなたの周囲にもこのタイプの 親がいるかもしれない。いや、あなたという親にも、いろいろな面があり、その中の一部に、こ の代償的過保護的な部分があるかもしれない。もしそうならそうで、あなたの中のどの部分が 代償的過保護であり、あるいはどこから先がそうでないかを、冷静に判断してみるとよい。
●自分に気づくだけでよい
この問題は、どこが代償的過保護的であるかに気がつくだけで、問題のほとんどは解決したと
みる。ほとんどの親は、それに気づかないまま、代償的過保護を繰り返す。そしてその結果と して、親子の間を大きく断絶させたり、反対に子ども自立できないひ弱な子どもにしたりする。
+++++++++++++++++++++++++++
うちの子は生まれつきそうです!
勉強が苦手な子ども(失敗危険度★★★★★)
●勉強が苦手な子ども
勉強が苦手な子どもといっても、一様ではない。まず第一に、学習能力そのものが劣ってい
る子どもがいる。専門的には、多動型(動きがはげしい)、愚鈍型(ぼんやりしている)、発育不 良型(知的な発育そのものが遅れている)などに分けて考える。最近よく話題になる子どもに、 学習障害児(LD児)という子どももいる。教えても覚えない。覚えてもすぐ忘れる。覚えても応 用がきかない。集中力がつづかず、教えたことがたいへん浅い段階で止まってしまう、など。
●症状をこじらせない
しかし実際に問題なのは、能力そのものに問題があるというよりは、たとえば私のようなもの
のところに相談があったときには、すでに手がつけられないほど、症状がこじれてしまっている ということ。たいていは無理な学習や強制的な学習が日常化していて、学習するということその ものに、嫌悪感を覚えたり、拒否的になったりしている。中には完全に自身喪失の状態になっ ている子どももいる。
原因は親にあるが、親自身にその自覚がないことが、ますます指導を困難にする。どの親も、
「自分は子どものために正しいことをしただけ」と思っている。中には私がそれを指摘すると、 「うちの子は生まれつきそうです!」と反論する親さえいる。(生まれた直後から、それがわかる 人などいない!)
●コースからはずれたらダメ人間?
……と書きながら、日本の教育はどこかゆがんでいる。日本の教育にはコースというのがあ
って、親たちは自分の子どもがそのコースからはずれることを、異常なまでに恐れる。(「異常」 というのは、国際的な基準からしてという意味。)こういうばあいでも、本来なら子どもの能力に あわせて、子どものレベルで教育を進めるのが一番よいのだが、日本ではそれができない。ス ポーツが得意な子どももいれば、そうでない子どももいる。勉強についても、得意な子どもがい る一方、不得意な子どもがいる。いてもおかしくないのだが、日本ではそういうものの考え方が できない。勉強ができないことは悪いことだと決めてかかる。このことが、本来何でもないはず の問題を、深刻な問題にしてしまう。それだけならまだしも、子どもに「ダメ人間」のレッテルを はってしまう。考えてみれば、おかしなことだが、そのおかしさがわからないほどまで、日本の 子育てはゆがんでいる。
●落第を喜ぶアメリカの親たち
……という問題が、勉強が苦手な子どもの問題にはいつもついて回る。だからといって、勉強
などできなくてもよいと書くのは暴論だが、子どもの勉強は子どもの視点で考える。たとえばア メリカでは、学校の先生が親に、子どもの落第を勧めると、親はそれに喜んで従う。「喜んで」 だ。ウソでも誇張でもない。事実だ。子どもの成績がさがったりすると、親のほうから落第を頼 みにいくケースも多い。アメリカの親は、「そのほうが子どものためになる」と考える。しかし日 本ではそうはいかない。そうはいかないところに、日本の子育ての問題がある。
+++++++++++++++++++++++++++++++++
やる、やらないも能力のうち
馬に水を飲ますことはできない(失敗危険度★★)
●無理に水を飲ますことはできない
イギリスの格言に、『馬を水場へ連れて行くことはできても、水を飲ますことはできない』という
のがある。要するに最終的に子どもが勉強するかしないかは、子どもの問題であって、親の問 題ではないということ。いわんや教師の問題でもない。大脳生理学の分野でも、つぎのように 説明されている。
●動機づけを決める帯状回?
大脳半球の中心部に、間脳とか脳梁とか呼ばれている部分がある。それらを包み込んでい
るのが、大脳辺縁系といわれるところだが、ただの「包み」ではない。認知記憶をつかさどる海 馬もこの中にあるが、ほかに価値判断をする扁桃体、さらに動機づけを決める帯状回という組 織がある。つまり「やる気」のあるなしも、大脳生理学の分野では、大脳の活動のひとつとして 説明されている。(もともと辺縁系は、脳の中でも古い部分であり、従来は生命維持と種族維 持などを維持するための機関と考えられていた。しかし最近の研究では、それぞれにも独立し た働きがあることがわかってきた(伊藤正男氏ほか)。)
●やる気が思考力を決める
思考をつかさどるのは、大脳皮質の連合野。しかも高度な知的な思考は新皮質(大脳新皮
質の新新皮質)の中のみで行われるというのが、一般的な考え方だが、それは「必ずしも的確 ではない」(新井康允氏)ということになる。脳というのは、あらゆる部分がそれぞれに仕事を分 担しながら、有機的に機能している。いくら大脳皮質の連合野がすぐれていても、やる気が起 こらなかったら、その機能は十分な結果は得られない。つまり『水を飲む気のない馬に、水を 飲ませることはできない』のである。
●乗り気にさせるのが伸ばすコツ
新井氏の説にもう少し耳を傾けてみよう。新井氏はこう書いている。「考えるにしても、一生懸
命で、乗り気で考えるばあいと、いやいや考えるばあいとでは、自ずと結果が違うでしょうし、結 果がよければさらに乗り気になるというように、動機づけが大切であり、これを行っているのが 帯状回なのです」(日本実業出版社「脳のしくみ」)と。
親はよく「うちの子はやればできるはず」と言う。それはそうだが、伊藤氏らの説によれば、し
かしそのやる気も、能力のうちということになる。能力を引き出すということは、そういう意味 で、やる気の問題ということにもなる。やる気があれば、「できる」。やる気がなければ、「できな い」。それだけのことかもしれない。
(1283)
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【2】
世にも不思議な留学記
(以前送ったのとダブルかもしれません。お許しください。)
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日本は中国の属国だ!(処刑になったタン君)
●日本人にまちがえられたタン君
私の一番仲のよかった友人に、タン君というのがいた。マレ−シアン中国人で、経済学部に
籍をおいていた。最初、彼は私とはまったく口をきこうとしなかった。ずっとあとになって理由を 聞くと、「ぼくの祖父は、日本兵に殺されたからだ」と教えてくれた。そのタン君。ある日私にこう 言った。「日本は中国の属国だ」と。そこで私が猛烈に反発すると、「じゃ、お前の名前を、日本 語で書いてみろ」と。私が「林浩司」と漢字で書くと、「それ見ろ、中国語じゃないか」と笑った。 そう、彼はマレーシア国籍をもっていたが、自分では決してマレーシア人とは言わなかった。 「ぼくは中国人だ」といつも言っていた。マレー語もほとんど話さなかった。話さないばかりか、 マレー人そのものを、どこかで軽蔑していた。
日本人が中国人にまちがえられると、たいていの日本人は怒る。しかし中国人が日本人にま
ちがえられると、もっと怒る。タン君は、自分が日本人にまちがえられるのを、何よりも嫌った。 街を歩いているときもそうだった。「お前も日本人か」と聞かれたとき、タン君は、地面を足で蹴 飛ばしながら、「ノー(違う)!」と叫んでいた。
そのタン君には一人のガ−ルフレンドがいた。しかし彼は決して、彼女を私に紹介しようとし
なかった。一度ベッドの中で一緒にいるところを見かけたが、すぐ毛布で顔を隠してしまった。 が、やがて卒業式が近づいてきた。タン君は成績上位者に与えられる、名誉学士号(オナー・ ディグリー)を取得していた。そのタン君が、ある日、中華街のレストランで、こう話してくれた。 「ヒロシ、ぼくのジェニーは……」と。喉の奥から絞り出すような声だった。「ジェニーは四二歳 だ。人妻だ。しかも子どもがいる。今、夫から訴えられている」と。そう言い終わったとき、彼は 緊張のあまり、手をブルブルと震わした。
●赤軍に、そして処刑
そのタン君と私は、たまたま東大から来ていた田丸謙二教授の部屋で、よく徹夜した。教授
の部屋は広く、それにいつも食べ物が豊富にあった。田丸教授は、『東大闘争』で疲れたとか で、休暇をもらってメルボルン大学へ来ていた。教授はその後、東大の総長特別補佐、つまり 副総長になられたが、タン君がマレーシアで処刑されたと聞いたときには、ユネスコの国内委 員会の委員長もしていた。この話は確認がとれていないので、もし世界のどこかでタン君が生 きているとしたら、それはそれですばらしいことだと思う。しかし私に届いた情報にまちがいが なければ、タン君は、マレーシアで、一九八〇年ごろ処刑されている。タン君は大学を卒業する と同時に、ジェニーとクアラルンプールへ駆け落ちし、そこで兄を手伝ってビジネスを始めた。 しばらくは音信があったが、あるときからプツリと途絶えてしまった。何度か電話をしてみたが、 いつも別の人が出て、英語そのものが通じなかった。で、これから先は、偶然、見つけた新聞 記事によるものだ。その後、タン君は、マレーシアでは非合法組織である赤軍に身を投じ、逮 捕、投獄され、そして処刑されてしまった。遺骨は今、兄の手でシンガポールの墓地に埋葬さ れているという。田丸教授にその話をすると、教授は、「私なら(ユネスコを通して)何とかでき たのに……」と、さかんにくやしがっておられた。そうそう私は彼に出会ってからというもの、「私 は日本人だ」と言うのをやめた。「私はアジア人だ」と言うようになった。その心は今も私の心の 中で生きている。
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【3】
外に出て、人に親切にしてみよう。
正直に、誠実に生きてみよう。
そのときあなたは、あなたの心の中を、
さわやかな風が通り抜けるのを感ずるはずだ。
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脳と心と快感
人間の体は、数十万年という、まさに気が遠くなるほどの年月を経て、ここまで進化してき
た。指一本、爪の形や位置にしても、そこには、長い進化の歴史が刻まれている。それは常識 だが、実は、人間の心も、環境に適応するため、そのつど進化してきたと考えるのが、正しい。
私は今、脳の中心部にある、扁桃体と呼ばれている部分に、たいへん興味をもっている。こ
の扁桃体というのは、大脳の辺縁系の中、つまり新皮質部の下にある原始的な脳の一部だと 思えばよい。(原始的という言い方は正しくないかもしれない。大脳連合野の新皮質部が比較 的あとになって発達した脳であることに対して、そう言う。新皮質部は、人間の思考など、知的 活動をつかさどる。)この扁桃体が、人間の情動活動に、たいへん深く関わっているということ が、最近の研究でわかってきた(伊藤正男氏の思考システムより)。
たとえばこの扁桃体を、サルの実験などで、刺激したり、反対に破壊したりすると、情動的な
大きな変化が起こるという(新井康允氏)。たとえば「サルの扁桃体とその周囲の大脳皮質を 壊すと、情緒的反応性の低下が見られ、ヘビやイヌをふだんは怖がるのに、扁桃体を破壊さ れたサルは、ヘビやイヌを近づけても、平気になってしまう」「扁桃体とその周囲の大脳皮質を 壊された雄ネコは、ウサギに交尾しようとしたり、ばあいによっては、ヒトに性行動を示した例も 報告されています」(新井康允氏「脳のしくみ」)と。
こうした事実から、新井康允氏は、つぎのように結論づけている。
「このようなことから、扁桃体は、外から入ってくる刺激について、それぞれ生物学的な意味
づけや、生物学的価値判断をくだし、快、不快、恐怖といった情動反応を起こさせるメカニズム があると考えられます」(同書)と。
伊藤正男氏も、「(思考は大脳連合野がつかさどるが)、満足、不満足の価値判断は、新皮
質が行うのではなく、扁桃体の快、不快システムを転用して、満足、不満足の価値判断をくだし ているのではないか」(同書)と述べている。つまり私たちのもつ常識的な反応は、知的な活動 によるものというよりは、もっと原始的なレベルで、脳の機能の一部として起きているのではな いかということ。たとえば人に親切にしたり、やさしくしたりすると、たしかに気持ちがよいが、そ うした快感は、脳そのものが判断しているということだ。で、もしこれが事実なら、これは重大な 意味をもつ。
仮に、これはあくまでもこれは仮定の問題だが、もし人間が、仲間を殺すことに快感を覚える
ようなシステムをもっていたとするなら、人間はとっくの昔に絶滅していただろうということ。もし 人間が、仲間に意地悪をしたり、いじめることに快感を覚えるようなシステムをもっていたとし たら、人間はとっくの昔に絶滅していただろうということ。人間が今の今、こうして生き延びてい ること自体、脳のシステムの中で、それを判断するしくみが働いたということになる。たがいに 助けあい、たがいに誠実であることに快感を覚えるようになっているということになる。つまりこ うした扁桃体があるということが、まさに進化の結果といえるのではないのか。
もしこのことがわからなければ、今、こんな実験をしてみるとよい。どんなことでもよい。あな
たの身の回りのことで、何か問題がおきたとき、正直に、そして誠実に、その問題に対処して みてほしい。人に親切にするのもよい。そのとき、あなたは今まで感じなかった、快感を覚える はずである。この快感の根源こそが、新井氏や伊東氏のいうところによる、(多分? まちがっ ているかもしれないが……)、扁桃体の快、不快システムによるものということになる。私はこ のことを、こんな事件を通して、学んだ。
少し前だが、私は一〇〇円のペンを七本買って、一〇〇〇円札を出した。で、レジの女性か
らつり銭を渡され、店を出ようとするとき、手の中を見ると、つり銭が三〇〇円以上あるのに気 づいた。私は瞬間、「アッ」と思った。が、一、二歩、歩いたところで、振りかえり、「あのう……」 と言った。見ると、いつの間にか店長の女性もそこに立っていて、ニコニコ笑いながら、こう言 った。「今、すべての商品を一〇%引きにしていますから」と。
私はその一言で、心の中が晴れ晴れとした。そうした状態を、快感というのなら、それはまさ
に快感だった。私もニコニコ笑いながら、「そうですか。ありがとうございます」と頭をさげたが、 その快感は、私の大脳連合野によるもの、つまり知的活動によるものというよりは、もっと深い ところから湧(わ)きあがってくるものだった。
だから……、というのは失礼かもしれないが、(というのも、すでにそんなことを実践している
人も多いと思うので)、こうした知識を一度頭に入れながら、あなたも一度、心の実験をしてみ てほしい。何かのことで、そういう立場に立たされたら、正直に、そして誠実に対処してみてほ しい。人に親切にしてあげたり、やさしくしてあげるのもよい。そしてそのとき、あなたの心(情 動活動)が、あなたの中でどう反応するかを静かに観察してみてほしい。それが、あなたの中 の扁桃体による作用ということになる。
むずかしい話になってしまったが、以上をまとめると、こういうことになる。
●人に親切にしてあげたり、やさしくしてあげると、気持ちがよい。
●人に正直に接したり、誠実に接すると、気持ちがよい。
●その快感は、大脳辺縁系の扁桃体が判断して、生み出す。
●つまりそういう機能があるがため、人間は今日の今日まで、進化の過程で生き延びることが
できた。そうでなければ、もうとっくの昔に絶滅していたはずである。進化論というと、肉体という 「形」ばかりが問題になるが、「心」もまた、問題とされるべきである。それがわからなければ、 あなたも心の実験をしてみるとよい。だれかに、親切に。だれかに、やさしく。だれかに、正直 に。だれかに、誠実に。あなたもきっと、今までにない快感を覚えるはずだ。あなたの脳の中に は、そういうシステムがすでに、できている。それを信じて、一度実験してみてほしい。私がここ に書いたことの意味を理解してもらえるはずである。
(02−8−1)
【4】
English Edition
お休みします。
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【5】
この原稿は、載せるかどうか迷ったものです。
まあ、ひとつの意見として、お読みください。
まだこれについては、私自身の考えが煮詰ま
ったものではありません。
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野口英世の母親
●母シカの手紙
二〇〇四年に新千円札が発行されるという。それに、野口英世の肖像がのるという。そうい
う人物の母親を批判するのも、勇気がいることだが、しかし……。
野口英世が、アメリカで研究生活をしているとき、母シカは、野口英世にあてて、こんな手紙
を書いている。
「おまイの しせにわ みなたまけました……(中略)……はやくきてくたされ いつくるトおせ
てくたされ わてもねむられません」(一九一二年(明治四五年)一月二三日)(福島県耶麻郡 猪苗代町・「野口英世記念館パンフレット」より)
この母シカの手紙について、「野口英世の母が書いた手紙はあまりにも有名で、母が子を思
う気持ちがにじみ出た素晴らしい手紙として広く知られています」(新鶴村役場・企画開発課パ ンフ)というのが、おおかたの見方である。母シカは、同じ手紙の中で、「わたしも、こころぼそく ありまする。どうかはやくかえってくだされ……かえってくだされ」と懇願している。
これに対して、野口英世は、一九一二年二月二二日に返事を書いている。「シカの家の窮状
や帰国の要請に対して、英世としてはすぐにも帰国したいが、世界の野口となって日本やアメ リカを代表している立場にあるのでそれもかなわないが、家の窮状を解決することなどを切々 と書いています」(福島県耶麻郡猪苗代町・野口英世記念館)ということだそうだ。
ここが重要なところだから、もう一度、野口英世と母シカのやり取りを整理してみよう。
アメリカで研究生活をしている野口英世に、母シカは、(1)そのさみしさに耐えかねて、手紙
を書いた。内容は、(2)生活の窮状を訴え、(3)早く帰ってきてくれと懇願するものであった。
それに対して野口英世は返事を書いて、(1)「日本とアメリカを代表する立場だから、すぐに
は帰れない」、(2)「帰ったら、窮状を打開するため、何とかする」と、答えている。しかし、だ。 いくらそういう時代だったとはいえ、またそういう状況だったとはいえ、親が子どもに、こんな手 紙など書くものだろうか。それがわからなければ、反対の立場で考えてみればよい。あなたの ところにある日、あなたの母親から手紙が届いた。それには切々と、家の窮状を訴え、ついで 「帰ってきてくれ」と書いてあったとする。もしあなたがこんな手紙を手にしたら、あなたはきっと 自分の研究も、落ちついてできなくなってしまうかもしれない。
●ベタベタの依存心
日本人は子育てをしながら、無意識のうちにも、子どもに恩を着せてしまう。「産んでやった」
「育ててやった」と。一方、子どもは子どもで、やはり無意識のうちにも、「産んでもらった」「育て てもらった」と、恩を着せられる。たがいにベタベタの依存心で、もちつもたれつの関係になる。 そういう子育てを評して、あるアメリカ人の教育家は、こう言った。「日本人ほど、子どもに依存 心をもたせることに無頓着な民族はいない」と。
そこでもう一度、母シカの手紙を読んでみよう。母シカは、「いつ帰ってくるか、教えてくださ
い。私は夜も眠られない。心細いので、早く帰ってきてください。早く帰ってきてください」と。
この手紙から感ずる母シカは、人生の先輩者である親というより、子離れできない、未熟な
親でしかない。親としての尊厳もなければ、自覚もない。母シカがそのとき、病気か何かで伏せ っていたのならまだしも、母シカがそうであったという記録はどこにもない。事実、野口英世記 念館には、野口英世がそのあと帰国後にとった写真が飾ってあるが、いっしょに写っている母 シカは、どこから見ても元気そうである。
……と書くと、猛反発を買うかもしれない。先にも書いたように、「母が子を思う気持ちがにじ
み出た素晴らしい手紙」というのが、日本の通説になっているからである。いや、私も昔、学生 のころ、この話を何かの本で読んだときには、涙をこぼした。しかし今、自分が親になってみる と、この考え方は変わった。それを話す前に、自分のことを書いておく。
●私のこと
私は二三、四歳のときから、収入の約半分を、岐阜県の実家に仕送りしてきた。今のワイフ
といっしょに生活するようになったころも、毎月三万円の仕送りを欠かしたことがない。大卒の 初任給が六〜七万円という時代だった。が、それだけではない。母は私のところへ遊びにきて は、そのつど私からお金を受け取っていった。長男が生まれたときも、母は私たちの住むアパ ートにやってきて、当時のお金で二〇万円近くをもって帰った。母にしてみれば、それは子ども としての当然の行為だった。(だからといって、母を責めているのではない。それが当時の常識 だったし、私もその常識にしばられて、だれに命令されるわけでもなく、自らそうしていた。)し かしそれは同時に、私にとっては、過大な負担だった。私が二七歳ごろのときから、実家での 法事の費用なども、すべて私が負担するようになった。ハンパな額ではない。土地柄、そういう 行事だけは、派手にする。たいていは近所の料亭を借りきってする。その額が、二〇〜三〇万 円。そのたびに、私は貯金通帳がカラになったのを覚えている。
そういう母の、……というより、当時の常識は、いったい、どこからきたのか。これについては
また別のところで考えることにして、私はそれから生ずる、経済的重圧感というよりは、社会的 重圧感に、いやというほど、苦しめられた。「子どもは親のめんどうをみるのは当たり前」「子ど もは先祖を供養するのは当たり前」「親は絶対」「親に心配かける子どもは、親不孝者」などな ど。私の母が、私に直接、それを求めたということはない。ないが、間接的にいつも私はその 重圧感を感じていた。たとえば当時のおとなたちは、日常的につぎのような話し方をしていた。 「あそこの息子は、親不孝の、ひどい息子だ。正月に遊びにきても、親に小遣いすら渡さなか った」「あそこの息子は、親孝行のいい息子だ。今度、親の家を建て替えてやったそうだ」と。そ れは、今から思えば、まるで真綿で首をジワジワとしめるようなやり方だった。
こういう自分の経験から、私は、自分が親になった今、自分の息子たちにだけは、私が感じ
た重圧感だけは感じさせたくないと思うようになった。よく「林は、親孝行を否定するのか」とか 言う人がいある。「あなたはそれでも日本人ですか」と言ってきた女性もいた。しかしこれは誤 解である。誤解であることをわかってほしかったから、私の過去を正直に書いた。
●本当にすばらしい手紙?
で、野口英世の母シカについて。私の常識がおかしいのか、どんな角度から母シカの手紙を
読んでも、私はその手紙が、「母が子を思う気持ちがにじみ出た素晴らしい手紙」とは、思えな い。そればかりか、親ならこんなことを書くべきではないとさえ、思い始めている。そこでもう一 度、母シカの気持ちを察してみることにする。
母シカは野口英世を、それこそ女手ひとつで懸命に育てた。当時は、私が子どものころより
もはるかに、封建意識の強い時代だった。しかも福島県の山村である。恐らく母シカは、「子ど もが親のめんどうをみるのは当たり前」と、無意識であるにせよ、強くそれを思っていたに違い ない。だから親もとを離れて、アメリカで暮らす野口英世そのものを理解できなかったのだろ う。文字の読み書きもできなかったというから、野口英世の仕事がどういうものかさえ、理解で きなかったかもしれない。一方、野口英世は野口英世で、それを裏返す形で、「子どもが親の めんどうをみるのは当たり前」と感じていたに違いない。野口英世が母シカにあてた手紙は、ま さにそうした板ばさみの状態の中から生まれたと考えられる。
どうも、奥歯にものがはさまったような言い方になってしまった。本当のところ、こうした評論
のし方は、私のやり方ではない。しかし野口英世という、日本を代表する偉人の、その母親を 批判するということは、慎重の上にも、慎重でなければならない。現に今、その母シカをたたえ る団体が存在している。母シカを批判するということは、そうした人たちの神経を逆なでするこ とにもなる。だからここでは、私は結論として、つぎのようにしか、書けない。
私が母シカなら、野口英世には、こう書いた。「帰ってくるな。どんなことがあっても、帰ってく
るな。仕事を成就するまでは帰ってくるな。家の心配などしなくてもいい。親孝行など考えなくて もいい。私は私で元気でやるから、心配するな」と。いきなり、「帰ってきておくれ」ではなく、「元 気か?」と、せめて様子をたずねる手紙でもよかった。あるいはあなたなら、どんな手紙を書く だろうか。一度母シカの気持ちになって考えてみてほしい。
(02−8−2)
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・17……島田市立第四保育園
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・5……静岡梨花幼稚園
9・26……愛知県豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
9・11……蜆塚幼稚園
8・20……南部公民館
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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子育てワンポイント・1〜600作は、いかがですか?
よろしかったら、どうかお買い求めください。
●子育てのコツ、1〜600を、一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
ご希望の方に、一枚1000円でお送りします。
一枚ずつ、手作りで、お送りします。
単行本の分量して、約6冊分(以上)の分量があります。
●CD版ですから、検索しやすく、なっています。たとえばワード上で、
「夜驚症」で検索すれば、すぐその項目をヒットできます。
【申し込み方法】
☆下のメールアドレスをクリックして、郵便番号、住所、お名前を
お知らせください。
☆折り返し、私のほうから、確認のメールを出します。
☆もう一度、あなた様から「申し込んだ」旨の確認に返信をください。
☆CD(ワード版)を先に送ります。同封の為替用紙で、1000円を
後ほど、ご送金ください。領収書は先に、同封します。
きっとみなさんの子育てで、お役にたつと思います。
よろしくお願いします。
アドレス……
bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp
ご注意!
●申し込みが、10人前後になるまで待って、それからCDに焼いて送ります。 それまでしばら
くお待ちください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! よろしくお願いします!
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( ̄\q ・ ・ p
\´(〃 ▽ 〃) /〜〜
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\ : ξ)
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┃ Bye ┃また、次号をよろしくお願いします!
┗━━━━━━┛See you again in the next magazine!
件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)8-7
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====KW(8)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) XXX人
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数(Nr. of Readers) XX人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
★★★★★★★★★★★★★
02−8−7号(089)
★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●愛知県豊田町にて講演会をもちます。おいでください。
9月26日(木) 豊田産業文化センター 午前9:30〜12:00
主催 豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
(当然ですが)、こうした県外での講演会は、いつもガラガラです。どうか、お近くの人がいらっし
ゃれば、連絡していただけませんか。いつも主催者の方に申し訳ない気持ちで講演を終えてい ます。くれぐれも、よろしくお願いします。
●「静岡県ホームページグランプリ」に、私のサイトを、応募作品として、出し
てみました。
これは皆さんの投票で、静岡県で発行しているホームページをコンテスト形式
で、審査しようというものです。皆さんの清き一票を、どうか私のサイトに投
票してください。
【投票方法】
☆私のサイト(ホームページ)を開いてください。
下のアドレスをクリックすれば、私のサイトを開くことができます。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆サイトのトップページ、最上段に、「グランプリ」応募タグがはりつけて
あります。そのタグをクリックするだけで、一票が投票できます。
「はやし浩司のホームページは、よい」と思ってくださる方は、どうか
清き一票をお願いします。結果は、そのつど、報告されます。
よろしくお願いします。
投票ができるのは、8月5日からです。一人で何票でも、投票できます。
(少しいいかげんですが、もともとお祭り(イベント)ですから……。)
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*
●また、よりアカデミックな(?)マガジンをご希望の方は、「はやし浩司の世界」を
どうかあわせて、ご愛読ください。お申し込みは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
のトップページより、「マガジン購読」コーナーへ、お進みください。
Please subscribe to another magazine, "The Hiroshi's World",
published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you very much.
Please go to the "Magazine Corner" from the Top Page of my Website to
apply for subscription of the magazine. Free to read!
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*
●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second
son's website in USA, for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
●マガジンのバックナンバーは、サイトの「トップページ」から、「マガジン購読
コーナー」へ。そのページからお読みいただけます。
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
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*
みなさんへ、
●「子育てワンポイント」の、1〜600作を、
一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
ご希望の方に、1枚1000円でお分けします。(郵送料込み)です。
詳しくは、このマガジンの末尾をご覧ください。
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メニュー
今日のテーマ、「家庭論」(On Sweet Home)
【1】SHさんへの返事(My Reply to Ms. SH)
【2】世にも不思議な留学記(My young days in Australia)
【3】あなたの子育て失敗危険度(Good Parenting)
【4】English Edition
【5】随筆(Essays)
∂
⌒
(※ *)
⊂ ̄⊃
∫_ ヽ
′ ( ̄( ヽ
\暑\
)い)
( (
 ̄ ̄
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【1】
北海道しほろ町の方から、小二のお子さんについての
相談がありました。その方への返事を、ここに転載し
ます。
***********************
SH様へ
拝復
お手紙ありがとうございました。
NU君についてですが、まずもって、私自身は直接、会っていないこともあり、どういう症状なの
か、具体的にわかりません。二、三度お手紙を読みましたが、私がここで判断するには、きわ めて不じゅうぶんです。ですから、どういう問題があって、どう対処したらよいのかということに ついては、残念ながらお答えすることはできません。どうかお許しください。
こういうケースでは、直接NU君をよく知っている、担任の先生から、詳しく話を聞くのが一番か
と思います。そのとき大切なことは、よき聞き役に回るということです。コツは、カリカリしない で、NU君を、できるだけ客観的な立場で見ることです。小学二年生ということですから、もうそ ろそろ親離れが始まっているころですから、これはそれほどむずかしいことではないと思いま す。
で、その先生の話として、
(1)話をよく聞くことができない。
(2)落ち着いていない。
(3)授業中も、上の空である。
(4)カウンセリングを受けると、(成績が)ぐんとのびる可能性がある、ということですね。
そしてあなたの判断としては、
(1)小さいときから、ひとり遊びが多かった。
(2)恥ずかしがり屋だった。
(3)「ごっこ」遊びができた。
(4)家でみるかぎり、情緒も不安定ではない。
(5)どうも自信喪失のようだ。
(6)やさしく、いい子だ。
(7)学校の成績はよくない、ということですね。
そして今回、頭が痛いということから、保健室へ行った。それで先生が、深刻にそれをとらえて
お母さんに話した、ということですね。
ここで注意しなければならないのは、子どもに何か問題があると、親は、その責任を自分に求
め、自分を責めることはよくあります。お母さんも、今、そういう状態かと思います。「もっと勉強 をみてあげていればよかった」とです。しかしこれはムダであるばかりか、かえって問題の本質 を見誤りますから、注意してください。あなたというお母さんは、すばらしい親子関係をつくっ た。精一杯、がんばってきた。現に今、「姉弟、仲よく、子どもたちのリズムづくりと、規則正しい 生活にこころがけてきた」と書いておられます。まずもって大切なことは、あなた自身が、自信 をもつことです。あなたというお母さんは、すばらしいお母さんです。じゅうぶん、やるべきことを してきたではありませんか。では、順に問題を考えてみましょう。
こういうケースでは、ドクターの診断と同じように、最悪のケースから、消去法で考えていきま
す。
(1)いろいろな問題が考えられますが、総じてみれば、今はその過渡期です。仮に多動性があ
るとしても、小学三年生を境に、症状は急速に収まっていきます。ここでじたばたしても、たとえ ばカウンセリングを受けてもムダとは言いませんが、それでよくなるとかいうことはあまり期待 できません。(放っておいても、よくなります。今はそういう時期です。)
(2)授業中、落ち着いていないことについては、まず試してみるべきことがあります。食生活の
改善です。日常的に甘い食品が多いようであれば、それを思い切って断ってください。そしてそ の一方で、カルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがけます。それだけでかなり落 ち着くはずです。戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていました。冷蔵庫か ら、思い切って甘い食品を消し、捨てます。「もったいない」という思いがあったら、子どもを救う ためと思い、そうしたます。そういう思いが、つぎからあなたの買い物習慣を変えます。これを 二〜三週間つづけてみてください。効果がはっきりと出てくるはずです。あとで、それに関する 原稿を、この手紙に張りつけておきます。
(3)学力の面ですが、どういうテストなのかはわかりませんが、五〇点前後というのは、たしか
にあまりよくないですね。ご心配な気持ちはよくわかります。しかしこれについては、方法として は、お母さんが、ご家庭で指導なさるのが一番かと思います。また一朝一夕に解決できるとい う問題でもありませんね。ただ今は、時代も変わり、昔のように「勉強」に対する考え方も変わ ってきましたので、それほど気にすることもないのではと思っています。それよりも大切なこと は、親子の関係を深くし、たがいにわかりあい、なぐさめあい、いたわりあい、教えあい、励まし あう関係をつくることです。そういう関係の大切さの前では、勉強ができる、できないなど、何で もない問題ですよ。
以上、あまりよい回答になっていないかもしれませんが、どうかお許しください。いつかインター
ネットを始められたら、どうか、「はやし浩司のサイト」へ遊びにおいでください。下にアドレスな どを張りつけておきます。やってみれば何でもない世界ですから、ぜひインターネットを始めて みてください。だれも、お母さんのことを「化石」などとは思っていませんよ。楽しみにしていま す。
敬具
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【2】
世にも不思議な留学記
(以前送ったのとダブルかもしれません。お許しください。)
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王子の悩み(王子はみんなの友だち)
●王子や皇太子は皆、偽名!
ハウスの留学生は、各国の皇太子や王子、あるいは、皇室や王家の子息ばかりだった。ほ
かの連中は、その国のケタはずれの金持ちばかり。このことは前にも書いた。しかし日本へ帰 国したあと、その国から来た人に、そういう男を知っているかと聞いても、皆、「知らない」「そん な男はいない」と言う。そんなはずはない。そこである日、それも五年ほどもたってからのことだ が、同じハウスにいたオーストラリアの友人にそのことを聞くと、こう教えてくれた。「ヒロシ、君 は知らなかったのか。彼らは皆、偽名を使っていた」と。つまり警護上の理由で、ハウスでは、 偽名を使っていたというのだ。しかも私が彼らの仲のよい友人だと思っていた男たちは、友人 ではなく、それぞれの国の大使館から派遣された、護衛官であったという。
もちろん私は本名で通した。護衛官など、私にはつくはずもない。が、こんなことがあった。ハ
ウスでは、毎晩二人一組で電話交換をすることになっていた。外からかかってきた電話を、そ れぞれの部屋につなぐ係だ。その夜は、私とM国の王子が当番になっていた。しかし彼は約束 の時間になっても来なかった。そこで私は彼の部屋に電話をつなぎ、「早く来い」と命令をした。 しかしやってきたのは、彼の友人(あとで護衛官とわかった男)だった。私は怒った。怒ってま た電話をつなぎ、「君が来るべきだ。代理をよこすとは、一体、どういうことだ」と叱った。やがて 「ごめん、ごめん」と言ってその王子はやってきたが、それから数日後のこと。その友人が私の 部屋にやってきて、こう言った。「君は、わが国の王子に何をしているのか、それがわかってい るのか。モスリム(イスラム教)には、地下組織がある。この町にもある。じゅうぶん気をつけ ろ」と。その地下組織では、秘密の裁判はもちろんのこと、そこで有罪と決まると、誘拐、処刑 までするということだった。
その王子。どういうわけだか、私には気を許した。許して、いろいろなことを話してくれた。彼
の国では、日本の女性とつきあうことが、ステータスになっているとか、など。夜遊びをしたこと もある。モグリの酒場に忍び込んで、禁制の酒を一緒に飲んだこともある。が、一見、華々しく 見える世界だが、彼は、王子であるがゆえに、そこから生ずる重圧感にも苦しんでいた。ほん の一時期だけだったが、自分の部屋に引きこもってしまい、誰にも会おうとしなくなってしまった こともある。詳しくは書けないが、たびたび奇行を繰り返し、ハウスの中で話題になったこともあ る。
●「あなたはホテルへ帰る」
そうそう私が三〇歳になる少し前のこと。私は彼の国を旅行することになった。旅行と言って
も、ほんの一両日、立ち寄っただけだが、彼が王族の一員として、立派に活躍しているのを知 った。街角のところどころに、王様と並んで、彼の肖像画がかかげられていた。それを見なが ら、私がふと、タクシーの運転手に、「彼はぼくの友だちだ」と言うと、運転手はこう言った。「王 子は、私の友だち。あなたの友だち。みんなの友だち」と。そこで私が「彼と一緒に勉強したこ とがある」と言うと、「王子は、私とも勉強した。あなたとも勉強した。みんなと勉強した」と。そこ でさらに私が、「彼の家へ連れていってほしい。彼をびっくりさせてやる」と言うと、「あなたはホ テルへ帰る。私は会えない。あなたも会えない。誰も会えない」と。まったく会話がかみ合わな かった。
▲ ▲
▲▼▼ ▼▼▲
▼ ▲◎▲ ▼
▲◎◎▲▲
▲ 口 ▲
▼ 口 ▼
口
凸凸凸凸凸
〜〜〜凹凹凹凹凹凹凹〜〜〜
〜〜 〜〜 〜〜〜 〜
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【3】
あなたの子育てでどうか、お役立てください。
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子どものうしろを歩くとイライラする!
子育てじょうずな親(失敗危険度★★★)
●子どものリズムをつかめ
子どもには子どものリズムがある。そのリズムをいかにつかむかで、「子育てがじょうずな親」
「子育てがへたな親」が決まる。子育てじょうずな親というのは、いわゆる子育てがうまい親を いう。子どもの能力をじょうずに引き出し、子どもを前向きに伸ばしていく親をいう。
結果は、子どもをみればわかる。子育てじょうずな親に育てられた子どもは、明るく屈託がな
い。心のゆがみ(ひねくれ症状、ひがみ症状、つっぱり症状など)がない。また心と表情が一致 していて、すなおな感情表現ができる。うれしいときは、うれしそうな顔を満面に浮かべるなど。
●子育てじょうずな親
子育てじょうずな親は、いつも子どものリズムで子育てをする。無理をしない。強制もしない。
子どものもつリズムに合わせながら、そのリズムで生活する。そのひとつの診断法として、子ど もと一緒に歌を歌ってみるという方法がある。子どものリズムで生活している人は、子どもと歌 を歌いながらも、それを楽しむことができる。子どもと歌いながら、つぎつぎといろいろな歌を歌 う。しかしそうでない親は、子どもと歌いながら、それをまだるっこく感じたり、めんどうに感じた りする。あるいは親の好きな歌を押しつけたりして、一緒に歌うことができない。
●リズムは妊娠したときから始まる
そもそもこのリズムというのは、親が子どもを妊娠したときから始まる。そのリズムが姿や形
を変えて、そのつどあらわれる。ここでは歌を例にあげたが、歌だけではない。生活全般がそ ういうリズムで動く。そこでもしあなたが子どもとの間でリズムの乱れを感じたら、今日からでも 遅くないから、子どもと歩くときは、子どもの横か、できればうしろを歩く。
リズムのあっていない親ほど、心のどこかでイライラするかもしれないが、しかし子どもを伸ば
すためと思い、がまんする。数か月、あるいは一年のうちには、あなたと子どものリズムが合う ようになってくる。子どもがあなたのリズムに合わせることはできない。だからあなたが子ども のリズムに合わせるしかない。そういうことができる親を、子育てがじょうずな親という。
子どものことは私が一番よく知っている!
子どもの横を歩く(失敗危険度★★★★)
●親意識
親意識の強い人は、「子どものことは私が一番よく知っている」と、何でもかんでも親が決め
てしまう。子どもの意思など、まったくの無視。たとえばおけいこごとを始めるときも、またやめ るときもそうだ。「来月から、○○音楽教室へ行きますからね」「来月から、今の教室をやめて、 △△教室へ行きますからね」と。子どもは親の意向に振りまわされるだけ。
●妊娠したときから始まる
こうした子育てのリズムは、親が子どもを妊娠したときから始まる。ある母親は胎教と称し
て、毎日おなかの子どもに、クラッシックや英会話のテープを聞かせていた。また別の母親は、 時計とにらめっこをしながら、その時刻になると赤ちゃんがほしがらなくても、ミルクを赤ちゃん の口につっこんでいた。さらにこんな会話をしたこともある。ある日一人の母親が私のところに きて、こう言った。
「先生、うちの子(小三男児)を、夏休みの間、サマーキャンプに入れようと思うのですが、どう
でしょうか?」と。その子は、ハキのない子どもだった。母親はそれを気にしていた。そこで私が 「お子さんは行きたがっているのですか?」と聞くと、「それが行きたがらないので、困っている のです」と。こうしたリズムは、一事が万事。そこでこんなテスト。
●子どもの横を歩く
あなたの子どもがまだヨチヨチ歩きをしていたころ、(1)あなたは子どもの前を、子どもの手
を引きながら、ぐいぐいと歩いていただろうか。それとも(2)子どものうしろや横に回りながら、 子どものリズムで歩いていただろうか。(2)のようであれば、よし。しかしもし(1)のようであれ ば、そのときから、あなたとあなたの子どものリズムは乱れていたとみる。今も乱れている。そ してやがてあなたは子どもとこんな会話をするようになる。
母、「あんたは、だれのおかげでピアノを弾けるようになったか、それがわかっているの。お
母さんが毎週、高い月謝を払って、あなたを音楽教室へ連れていってあげたからよ」、子、「い つ、だれが、お前にそんなことをしてくれと頼んだア!」と。
そうならないためにも、子どもとリズムを合わせる。(子どもはあなたにリズムを合わせること
はできないので。)今日からでも遅くないから、子どもの横かうしろを歩く。たったそれだけのこ とだが、あなたはすばらしい親子関係を築くことができる。
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知識や知恵を身につけさせるのが教育?
早期教育と先取り教育(失敗危険度★★★)
●子育てはリズム
よく誤解されるが、早期教育が悪いのではない。要は「やり方」の問題。たとえば極端な例と
して、胎教がある。まだおなかの中にいる赤ちゃんに、何らかの教育をほどこすというのが胎 教だが、胎教そのものよりも、問題とすべきは、そうした母親の姿勢そのもの。まだ子どもが望 みもしないうちから(望むわけがないが……)、親が勝手に教育を始める。子どもの意思など、 まったく無視。こういうリズムは一度できると、それがずっと子育てのリズムになってしまう。そ れが悪い。まだ子どもが興味をもたないうちから、ほら数だ、ほら文字だとやりだす。最近はや っている英会話もそうだ。こうしたやり方は、子どもに害になることはあっても、プラスになること は何もない。
●幼稚園児に英語の文法?
またたいていの親は、小学校でするような勉強を、先取りして教えるのを早期教育と誤解して
いる。年中児に漢字を教えたり、英語の文法を覚えさせたりするなど。「アイは、自分のことだ から、一人称。わかる? ユーは相手のことだから、二人称。わかる?」と。
もっとも漢字をテーマにすることは悪いことではない。漢字を複雑な図形ととらえると、漢字は
おもしろいテーマだ。それを使った応用はいくらでもできる。私もよく子どもたちの前で、漢字を 見せるが、漢字を教えるのではなく、漢字のおもしろさを教える。たとえば「牛」「馬」という漢字 をみせて、牛の絵や馬の絵を描かせたりするなど。
ここに先取り教育と、早期教育の違いがある。ただこの日本では、「知識や知恵を身につけさ
せるのが教育」ということになっている。そして早期教育とは、知識や知恵をつけさせることだと 多くの親は思っている。これは誤解というよりも、偏見と言ったほうが正しい。
●人間の方向性を決めるのが幼児教育
幼児教育が大学教育より重要であり、奥が深いことは、私にはわかる。それを認めるかどう
かは、幼児教育への理解の深さにもよる。たいていの人は、幼児イコール幼稚、さらに幼稚な 教育をするのが、幼児教育と思い込んでいる。しかしこれは誤解である。……というようなこと を書いてもしかたないが、その幼児教育をすることは、これは早期教育でも、先取り教育でも ない。この時期、人間の方向性が決まる。その方向性を決めるのが、幼児教育ということにな る。その幼児教育が必要か必要でないかということになれば、そういった議論をすること自体、 バカげている。
こみいった話になったが、幼児の教育を考えるときは、早期教育、先取り教育、それに幼児
教育の三つは、分けて考えるとよい。混同すればするほど、子どもの教育が見えなくなる。
(1286)
【4】
English Edition
お休みします。
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【5】
はやし浩司の家庭論
●あなたの子どもは、どちらのタイプ
あくまでも一般論としてだが、愛情豊かな家庭で、心穏やかに育てられた子どもは、どっしり
とした落ちつきがある。心のゆがみ(すね、いじけ、ひねくれ、つっぱり)がなく、やさしくしてあげ ると、そのやさしさがそのままスーッと、子どもの心にしみこんでいくのがわかる。
反対に、不幸にして親の愛情が不安定な家庭に育った子どもは、どこかセカセカしていてい
る。落ちつきがない。他人に取り入るのがうまく、愛想もよい。口もうまく、必要以上にへつらっ たり、お世辞を並べたりする。一見、明るい子どもに見えるが、その実、心を許さない。やさしく してあげても、それがはね返されてしまう。心の裏を疑ったり、下心をさぐろうとする。
あなたの子どもというより、あなた自身は、どちらのタイプに近いだろうか。それを判断する前
に、こんな感想をもらった。これは私の講演に対しての感想だが、その中のいくつかに、私は 考えさせられた(二〇〇二年度浜松市立幼稚園PTA連絡協議会での講演に対する感想よ り)。
☆私は自分の過去に疑間を持ったことはありませんでした。しかし今回、先生の「愛想よくして
いると疲れる」というお話を聞き、思いあたるふしがあります。子どものころから私は、「おやす みなさい」と電気を消した瞬間、ホッとしたのを覚えています。きっと親の前で、いつも心が緊張 していたのだと思います。心を開いていなかった私が育てた子どもは、やはり心を閉ざしている のか……、心の隅にとめておきたいと思います。
☆私の母親は、私が娘のわがままに手をやいていると、娘に「あんたのお母さんは、(私のこと
です)ほんとに手のかからない、いい子だったのにねえと話しています。実際、大病をした記億 もなく、幼稚園のころからずっとカギっ子で、ひとりで遊ぶことが多く、親になにかを、ほしがるこ ともなかったような気がします。そんな私は本当にいい子だったのかなと思います。そんなわけ で、わがままな娘でも私にはいい子に思えます。
●よい子ぶるのはたいへん?
よい子ぶるというのは、たいへん。それだけで疲れること。この疲れが、親子の間にミゾをつ
くる。そのミゾが、キレツになり、やがて断絶へとつながっていく。今、実の親なのに、その親の 前にいると、落ちつかない、居心地が悪い、心臓がドキドキする、緊張するなどと訴える、若い 親がふえている。(「ふえている」というのは、あくまでも私の実感だが、昔はあまりそういう話は 聞かなかった。)この母親も、「子どものころから『おやすみなさい』と電気を消した瞬間、ホッと しました。きっと親の前で、いつも心が緊張していたのだと思います」と書いている。二人目の 母親も、「私は本当にいい子だったのか」と疑問を投げかけている。
そこで改めて、「愛情とは何か」を考えてみる。私たちは平気で、「子どもを愛しています」と言
う。しかし本当に、そんなに簡単に言えることなのか。この世界には、「代償的愛」という言葉が ある。(実のところ、この代償的愛という言葉は、私が考えたものだが……。)代償的愛という のは、子どもを自分の思いどおりにしたいという、親のエゴにもとづいた、自分勝手な愛をい う。いわば愛もどきの愛と思えばよい。よい例が、子どもの受験勉強に狂奔する親。「子どもの ため」と言いながら、結局は自分のメンツや見栄のためにそうしている。
子どもを愛するということは、どこまで子どもを許して忘れるか、その度量の深さで決まる。
「許して忘れる」ということは、もちろん子どもに好き勝手なことをさせろという意味ではない。許 して忘れるというのは、子どもの立場で、子どもをあるがままに、自分のこととして受け入れる ことをいう。それがわからなければ、あなた自身のことを振り返ってみればよい。
●あなたの親子関係はどうか?
あなたは親の前で、のびのびと体を休めることができただろうか。何でも言いたいことを言
い、したいことができただろうか。テストで悪い点をとってきたとき、あなたの親は、あなたを慰 めてくれただろうか。そしておとなになった今、いろいろな悩みや苦しみを、あなたの親は心を 開いて聞いてくれるだろうか。あなたのよき理解者として、あなたの言うことに耳を傾けてくれる だろうか。相談にのってくれるだろうか。あなたは、「私の親はすばらしい親だ」と、自信をもっ て言えるだろうか。そうであるなら、それでよし。そうでないなら、あなたというより、あなたの親 に問題があると考える。
●「君の奥さんは、君の前でオナラを出すかね」
少し話はそれるが、こんなことがあった。ある文士たちの集まる会に顔を出したときのこと。
一人の男性(七〇歳くらい)が、いきなり私にこう聞いた。「林君、君の奥さんは、君の前で、オ ナラを出すことができるかね」と。
私はこの質問に驚いて、とっさに、「うちのワイフはそういうことはしません」と答えた。すると
その男性のみならず、まわりにいた人たちまで一斉に、「そりゃあ、かわいそうだ、かわいそう だ」と言った。「夫の前で平気でオナラを出せない妻はかわいそうだ」と。
この話には、私も少なからず、ショックを受けた。「そういえば……」という思いが、心をふさい
だ。私のワイフは、私の前では遠慮をしている? あるいは私には心を開いていない?
●態度が大きいのは、よい兆候
実は子どももそうで、心を許している子どもは、その分だけ、親の前でも態度が大きい。平気
でオナラを出したり、鼻をほじったりする。ソファにデンと横になったり、好き勝手なことをする。 一見、ぞんざいな態度に見えるかもしれないが、本来、家庭というのはそういうもの。が、この 機能が狂うときがある。
もしあなたの子どもが、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げていくとか、好んで親のいないとこ
ろで体や心を休めているようであれば、あなたは家庭や親子のあり方をかなり、反省したほう がよい。今は小さなキレツだが、やがて断絶……、ということにもなりかねない。が、そこまでい かなくても、あなたはつぎことを疑ってみてほしい。あなたの子どもは、あなたの前で、無理をし ていないか、と。チェック項目を考えてみたので、一度、あなたとあなたの子どもをチェックして みてほしい。
●あなたの親子関係をチェック
【あなたから見たあなたの子どもは……】(子どもの様子)
( )外でも家の中でも、よくがんばっていると思う。
( )甘えたり、ぐずったりすることもなく、子育てが楽。
( )全体に、できのよい子だと思う。しっかりしている。
( )何ごとにつけ、がまん強く、親の期待にはよくこたえてくれる。
( )感情をむきだしにすることはなく、いろいろ気をつかっているようだ。
【あなた自身の子育て観は……】(親の子育て観)
( )おけいこでも、何でも、子どものことは、たいてい親のほうで決める。
( )子育てには、やはり親の権威が、子育てでは必要と思う。よく命令口調になる。
( )子どもは親に従うべきと考えることが多い。親をバカにした態度は許せない。
( )子どもの世界の遊び(ゲーム、テレビ番組)は、くだらないと思うことが多い。
( )立派な社会人になってほしいと、子どもに期待することが多い。
【あなたの子どもの、家庭での様子は……】(家庭の機能)
( )学校から帰ってきても、すぐ自分の部屋に閉じこもる。会話は少ない。
( )学校から帰ってきても、明るい声で「ただいま」と言うことは少ない。
( )帰宅時間が不自然に遅いことがある。休日などの外出が多い。
( )家庭のルールはよく守り、親には従順に従ってくれる。
( )家の中にいるときよりも、外で友だちといるほうが気が休まるようだ。
おおざっぱに作ったので、不正確かもしれないが、このテストで、半分以上(一五問中、八問
以上)当てはまるようであれば、親子のあり方、家庭のあり方を、かなり反省してみたほうがよ い。とくに注意してほしいのは、権威主義。今でも、「親の権威は必要だ」と説く評論家は多い。 が、こうした封建時代の亡霊を引きずっていては、親子の間に、真の人間関係をつくることは できない。親が権威主義的であればあるほど、子どもは親の前で仮面をかぶる。そしてその仮 面をかぶった分だけ、子どもの心はあなたから離れる。
●子どもが大きくなるにつれて変わる家庭の機能
子どもが乳幼児のときは、家庭は「しつけの場」だが、しかし子どもが大きくなれば、その機
能は変わる。「しつけの場」から、「憩(いこ)い、やすらぎ、いやしの場」になる。また子どもの心 は、「絶対的な安心感のある家庭」ではぐくまれる。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」 という意味。そこで最初の話にもどるが、子どもにとってあるべき家庭とはどんな家庭かという こと。
裕福であるとか、そうでないとかいうことではない。父親と母親がいるとか、いないとか、そうい
うことでもない。貧しくても、それはそれで一向に構わない。母子家庭であっても、父子家庭で あっても、一向に構わない。大切なことは、親と子が、今ある関係の中で、わかりあい、助けあ い、なぐさめあい、いたわりあい、教えあい、守りあうということ。それが重要だということ。よく 問題になるが、親の離婚が問題ではない。離婚にいたる家庭騒動が、子どもの心に暗い陰を 落とす。子どもの環境に対する適応能力は、おとなが考える以上のもの。だから仮に離婚する にしても、子どもの前での騒動は、できるだけ少なくする。
●友だち親子、おおいに結構!
また「友だち親子」を否定する人も多い。「親子の間には、上下関係は必要」と。もちろん親に
は、ガイド、あるいは保護者としての役目はある。しかしもうひとつ、「友としての役目」も忘れて はならない。日本人は、この「友としての役目」を、あまりにも、ないがしろにしてきた。今でもそ うだ。しかしそんなことは議論しても意味はない。親にはいろいろな役目があるとしても、ではど うして友だち親子であっては、いけないのかということになる。親子が友だち的であるというこ と、さらには親友的であるということは、誇るべきことであって、何ら恥ずべきことではない。む しろ子育ての目標にしてもよい。
現に今、八〇%近い子どもたちが、親に、「仲のよい友だちであってほしい」(バンダイ調査)と
願っている。それでも、「それはおかしい」と思う人がいるなら、あなた自身はどうだったか。今 はどうかということを思い起こしてみてほしい。あなたはあなたの親の前で、思いっきり羽をの ばすことができたか。今もできるか。悲しいことやつらいことがあったとき、あなたは親になぐさ めてもらったか。今もなぐさめてもらっているか。あなた自身、「親はどうあるべきか」、もうその 答はわかっているはずだ。
●子どもにとって、大切な家庭とは……
子どもにとって幸せな家庭とは、体や心を休め、安らぐ家庭をいう。あなたの子どもが、あな
たの前で、大きな態度でそうしているなら、それだけでも、あなたの家庭はすばらしい家庭とい うことになる。繰り返すが、あくまでも一般論としてだが、愛情豊かな家庭で、心穏やかに育て られた子どもは、どっしりとした落ちつきがある。心のゆがみ(すね、いじけ、ひねくれ、つっぱ り)がなく、やさしくしてあげると、そのやさしさがそのままスーッと、子どもの心にしみこんでいく のがわかる。
さて、あなたの家庭はどうか。あなたの子どもはどうか。
(02−8−2)
(注) 二〇〇二年の三月、玩具メーカーのバンダイが、こんな調査をした。「理想の親子関係」
についての調査だが、それによると……。
一緒にいると安心する ……94%
何でもおしゃべりする ……87%
友だちのように仲がよい……77%
親は偉くて権威がある ……68%
(全国の小学四〜六年生、二〇〇人、および五歳以上の子どもをもつ三〇〜四四歳の父母六
〇〇人を対象に、インターネットを使ってアンケート方式で調査。)
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電子マガジンのおもしろさ
新聞や雑誌に、いままでいろいろな原稿を書いてきた。本も出してきた。しかし今、私は電子
マガジンに、全力を注いでいる。「全力」というのも、おおげさだが、今は、ほかのことはほとん ど考えていない。読者の数こそ、まだ、わずか五〇〇人と少しで、新聞や雑誌の読者数とは比 較にはならない。が、それがどういうわけだか、おもしろい。
その理由の第一に、私と読者が直接につながっているということ。それに新聞や雑誌では、
仮に発行部数が数十万部とは言っても、実際、読んでくれる人はそのうちの数パーセント以 下? あるいはもっと少ない? しかしマガジンのほうは、読んでみたいと思ってくれる人だけ が、購読してくれる。読みたくない人は、購読しない。購読しても、フィーリングが合わなけれ ば、すぐ解除される。五〇〇人という読者は、まさに私の心の通った友人ということになる。ま だある。
マガジンは、紙に印刷されていない分だけ、資源をムダにしない。それに今日書いた原稿
を、そのまま即座に、読者に読んでもらうことができる。たとえばワードで文書を作成する。そ れができたら、インターネットにつないで、IDナンバーと、パスワードを入れる。「配信予約画 面」をクリックして、そこへ原稿をコピーして張りつける。あとは「送信ボタン」をクリックすればよ い。簡単すぎるほど、簡単。簡単すぎてこわいときもあるが、しかしそれくらい、簡単。
それに読者の方からの直接の反応もある。これはインターネットの強みだと思う。意見や希
望、相談などが、そのまま返ってくる。書籍のばあいは、読者カードというのは、だいたい一〇 〇〇〜二〇〇〇部に一枚くらいの割合でしか返ってこない。しかし電子マガジンのほうは、毎 日のように、あれこれとメールが届く。そういう意味でも、私と読者の密着度は高い。
ただ、今まで、紙の上に印刷された世界だけで生きてきたので、とまどいはある。どこかもの
足りない感じがしないでもない。しかしそれは何かの代金を、現金でもらうのと、銀行振り込み でもらうような違いではないか。実際には、どこも違わない。それに今はまだ、新聞や雑誌のほ うが優位を保っているが、それは時間の問題。やがてそれも逆転するだろう。私もマガジンを 発行するようになって一年と少しになるが、最初のころは、マガジンの価値をそれほど認めて いなかった。マガジンの情報は、どこか(軽い?)感じがした。
読者が何人になればよいとは考えていないが、毎回少しずつでもその数がふえていくという
のは、たしかに大きな励みになる。新しい読者の方を失望させたくないという思いが、私の執 筆意欲をこの上なく、かりたてる。反対に減り始めたら、急速にその意欲は減退するかもしれ ない。そういう心配はあるが、しかし今までは、毎回少しずつだが、ふえてきた。そういう楽しみ を直接感ずることができるのも、電子マガジンの強味ということになる。
私はマガジンを読んでくれる人には、私のノウハウのすべてを提供する。すべてを、だ。決し
て出し惜しみしない。そのあと、その情報をどう判断し、どう利用するかは、それは読者の方の 問題であって、私の問題ではない。
読者のみなさん、これからもよろしくお願いします。
⌒ 、、
し 〉 ‐◯‐
( ) ′`
(⌒ ) ∝≒
――――― <^川
 ̄ ̄ ̄ へ フ川
/人\ ≪⌒)
ノ(⌒ ̄ ̄ ̄ ̄〕〕)
〜〜〜〜ゞ〜〜//〜〜
〜〜
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・17……島田市立第四保育園
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・26……愛知県豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
9・11……蜆塚幼稚園
9・5……静岡梨花幼稚園
8・20……南部公民館
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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☆折り返し、私のほうから、確認のメールを出します。
☆もう一度、あなた様から「申し込んだ」旨の確認に返信をください。
☆CD(ワード版)を先に送ります。同封の為替用紙で、1000円を
後ほど、ご送金ください。領収書は先に、同封します。
きっとみなさんの子育てで、お役にたつと思います。
よろしくお願いします。
アドレス……
bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp
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ご注意!
●申し込みが、10人前後になるまで待って、それからCDに焼いて送ります。 それまでしばら
くお待ちください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! よろしくお願いします!
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MMMMM \│/
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q ・ ・ p /│\
(〃 ▽ 〃) ⌒⌒
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 ̄(( ・ ・ )) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ̄ω ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ω ̄)
へへへへへへへへへ See you again in the next magazine!
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)8-9
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 390人
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数(Nr. of Readers) 78人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
★★★★★★★★★★★★★
02−8−9号(090)
★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●愛知県豊田町にて講演会をもちます。おいでください。
9月26日(木) 豊田産業文化センター 午前9:30〜12:00
主催 豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
(当然ですが)、こうした県外での講演会は、いつもガラガラです。どうか、お近くの人がいらっし
ゃれば、連絡していただけませんか。いつも主催者の方に申し訳ない気持ちで講演を終えてい ます。くれぐれも、よろしくお願いします。
●「静岡県ホームページグランプリ」に、私のサイトを、応募作品として、出し
てみました。
これは皆さんの投票で、静岡県で発行しているホームページをコンテスト形式
で、審査しようというものです。皆さんの清き一票を、どうか私のサイトに投
票してください。
【投票方法】
☆私のサイト(ホームページ)を開いてください。
下のアドレスをクリックすれば、私のサイトを開くことができます。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆サイトのトップページ、最上段に、「グランプリ」応募タグがはりつけて
あります。そのタグをクリックするだけで、一票が投票できます。
「はやし浩司のホームページは、よい」と思ってくださる方は、どうか
清き一票をお願いします。結果は、そのつど、報告されます。
よろしくお願いします。
投票ができるのは、8月5日からです。一人で何票でも、投票できます。
(少しいいかげんですが、もともとお祭り(イベント)ですから……。)
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●また、よりアカデミックな(?)マガジンをご希望の方は、「はやし浩司の世界」を
どうかあわせて、ご愛読ください。お申し込みは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
のトップページより、「マガジン購読」コーナーへ、お進みください。
Please subscribe to another magazine, "The Hiroshi's World",
published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you very much.
Please go to the "Magazine Corner" from the Top Page of my Website to
apply for subscription of the magazine. Free to read!
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●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second
son's website in USA, for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
●マガジンのバックナンバーは、サイトの「トップページ」から、「マガジン購読
コーナー」へ。そのページからお読みいただけます。
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
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みなさんへ、
●「子育てワンポイント」の、1〜600作を、
一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
ご希望の方に、1枚1000円でお分けします。(郵送料込み)です。
詳しくは、このマガジンの末尾をご覧ください。
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メニュー
今日のテーマ、「性善説」(Are we good people?)
【1】みんな仲間です(Let's be all friends!)
【2】世にも不思議な留学記(My young days in Australia)
【3】人間はみな、善人(All people are good people)
【4】English Edition
【5】随筆(Essays)
∂
⌒
(※ *)
⊂ ̄⊃
∫_ ヽ
′ ( ̄( ヽ
\暑\
)い)
( (
 ̄ ̄
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【1】
イギリスの詩人ワーズワース(一七七〇〜一八五〇)は、次のように歌っている。
空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
私が子どものころも、そうだった。
人となった今も、そうだ。
願わくば、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
子どもは人の父。
自然の恵みを受けて、それぞれの日々が、
そうであることを、私は願う。
●子どもを伸ばす最大の秘訣は、あなたが子どものときにしたかったことを、今、子どもと一緒
にすること。あなたにも、子ども時代があった。あなたにも、いろいろしたいことがあった。それ を今、子どもとすること。親子の絆(きずな)もそれで深まる。
●子ども的であることを恥じてはいけない。むしろ人は、おとなになるにつれて、純朴な心を忘
れ、自分を見失う。知識や経験が、その人をかえって俗悪にすることもある。が、おとなだけの 世界に住んでいると、それがわからない。わからないまま、愚かなことを繰り返し、結局は人生 そのものをムダにする。
●さあ、あなたも、童心にかえって、子どもと外に出よう。そしてあのころの輝いた日々を、もう
一度取り戻そう! 子どもと一緒に、もう一度、人生を楽しむのだ!
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転載許可がいただけなかったため、掲載することはでき
ませんが、長野県須坂市のMKさん(女性)から、育児
ノイローゼについてのご質問がありました。「生きている
のもつらい」とのこと。それについて……。
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心の病気
臨終状態になると、脳のある特殊な部分(前脳と後脳の境目あたりにある、谷間になった部
分)が活動し始めるという。そしてそれが活動し始めると、その人はきわめて甘美な感覚に包 まれ、(人によって具体的に何を見るかは違うらしいが)、色とりどりの美しい世界を夢見るとい う。(反対に、健康な人でも、脳のその部分に電気的な刺激を加えると、同じような現象が起こ るという。)よく知られた現象に、臨死体験という現象がある。死線をさまよったような人が、そ の死線から生還したりすると、よく不思議な世界を見たという。「きれいな川を渡ろうとしたが、 うしろから私を呼ぶ声がしたので、もどってきた」とか、「川の向こうに、花畑があって、無数の 美しい花が咲いていた」とか、など。あの臨死体験は、こうした脳の特殊な活動によるものと考 えられる。つまり臨終状態になると、その人を死の恐怖や苦痛から救うため、脳自らが、最後 の最終プログラムを実行し始めるというわけである。
同じように、人間の脳には、自滅プログラムなるものも組み込まれているようだ。極度の不安
や心配、異常な体験がつづいたりすると、このプログラムが動き出し、その人を死においやる こともあるという。よく知られた話に、戦場の兵士の話がある。最前線で戦っていると、兵士た ちはやがて、死ぬのがこわくなくなってしまうという。自暴自棄というような生やさしいものではな いそうだ。死ぬことそのものが、何でもなくなってしまうという。あるいは仲間たちの無残な姿を みても、何も感じなくなってしまうという。
もちろん正常な状態では、人は、死に対して恐怖心をいだき、死の危険があるときは、自らを
それから守ろうとする。が、この自滅プログラムが動き出すと、こうした正常な判断力が抑制さ れ、かわって「死への甘美な誘い」が始まる。そして一度こういう状態になると、そのプログラム を止めるのは容易ではない。最悪なばあいは、自殺へと進む。あるいはその前の段階でも、ま わりの人たちがあれこれ説得してもムダ。わかりやすく言えば、脳のCPU(中央演算装置)が おかしくなっているから、それを理解することもできない。
臨死体験はともかくも、問題はこの自滅プログラム、だ。この自滅プログラムは、ふとしたき
っかけで、だれでも動き始める。年間三万人以上という、自殺者の数字をあげるまでもない。こ の文章を読んでいるあなただって、あぶない。あるいはすでにその自滅プログラムが働いてい るかもしれない。いや、この私だって、何かのことで落ちこんだり、孤独になったりすると、「死 んだほうが楽」とか、「生きていても意味がない」と思うようになる。しかしそれは明らかに病 気!
この脳ミソだって、病気になることがある。ただ脳ミソの病気は、外からはわからないというこ
と。とくにこの脳ミソの病気をもっている人ほど、外の世界ではそれをごまかそうと、反対の態 度をとる人が多い。うつ病で悶々と悩んでいても、人前では、かえって明るく快活にふるまうな ど。
もうひとつの問題は、脳のCPUそのものがおかしくなるため、、自分では気づかないばかり
か、自分では正常だと思い込んでしまう。たとえばまわりの人が、「あなた、少しおかしいから、 精神科でみてもらったら」などというと、かえってそう言った人を、「おかしい」と思ってしまう。
本当のところ、私もときどきそういう状態になる。同じ中高年の人の自殺の話を聞いたりする
と、とても人ごととは思えない。そういうとき、実際、どちらが本当の私か、わからなくなる。「生 きていてもムダ」と思う私が本当なのか、それとも、「死にたくない」と思う私が本当なのか、と。
しかしやはり病気なのだ。明らかに病気なのだ。正常か、正常でないかということになれば、
決して正常ではない。病気だ。そんなわけで、もしあなたが「死にたい」とか、「死んだら楽にな る」と考えたとしたら、それは病気なのだ。そういう前提で、あなた自身を客観的にみたらよい。
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【以前掲載した原稿ですが、お許しください】
母親が育児ノイローゼになるとき
●頭の中で数字が乱舞した
それはささいな事故で始まった。まず、バスを乗り過ごしてしまった。保育園へ上の子ども(四
歳児)を連れていくとちゅうのできごとだった。次に風呂にお湯を入れていたときのことだった。 気がついてみると、バスタブから湯がザーザーとあふれていた。しかも熱湯。すんでのところ で、下の子ども(二歳児)が、大やけどを負うところだった。次に店にやってきた客へのつり銭 をまちがえた。何度レジをたたいても、指がうまく動かなかった。あせればあせるほど、頭の中 で数字が勝手に乱舞し、わけがわからなくなってしまった。
●「どうしたらいいでしょうか」
Aさん(母親、三六歳)は、育児ノイローゼになっていた。もし病院で診察を受けたら、うつ病と
診断されたかもしれない。しかしAさんは病院へは行かなかった。子どもを保育園へ預けたあ と、昼間は一番奥の部屋で、カーテンをしめたまま、引きこもるようになった。食事の用意は何 とかしたが、そういう状態では、満足な料理はできなかった。そういうAさんを、夫は「だらしな い」とか、「お前は、なまけ病だ」とか言って責めた。昔からの米屋だったが、店の経営はAさん に任せ、夫は、宅配便会社で夜勤の仕事をしていた。
そのAさん。私に会うと、いきなり快活な声で話しかけてきた。「先生、先日は通りで会ったの
に、あいさつもしなくてごめんなさい」と。私には思い当たることがなかったので、「ハア……、別 に気にしませんでした」と言ったが、今度は態度を一変させて、さめざめと泣き始めた。そして こう言った。「先生、私、疲れました。子育てを続ける自信がありません。どうしたらいいでしょう か」と。冒頭に書いた話は、そのときAさんが話してくれたことである。
●育児ノイローゼ
育児ノイローゼの特徴としては、次のようなものがある。
(ア)生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞、
(イ)思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低
下)、
(ウ)精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、日
常活動への興味の喪失)、
(エ)睡眠障害(早朝覚醒に不眠)など。さらにその状態が進むと、Aさんのように、
(オ)風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)、
(カ)ムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)、
(キ)ささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)、
(ク)同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロールができなくな
る(感情障害)、
(ケ)他人との接触を嫌う(回避性障害)、
(コ)過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。
(サ)また必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。こうした兆候が見ら
れたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながることも珍しくない。子ども が間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。
●夫の理解と協力が不可欠
ただこうした症状が母親に表れても、母親本人がそれに気づくということは、ほとんどない。
脳の中枢部分が変調をきたすため、本人はそういう状態になりながらも、「私はふつう」と思い 込む。あるいは症状を指摘したりすると、かえってそのことを苦にして、症状が重くなってしまっ たり、さらにひどくなると、冷静な会話そのものができなくなってしまうこともある。Aさんのケー スでも、私は慰め役に回るだけで、それ以上、何も話すことができなかった。
そこで重要なのが、まわりにいる人、なかんずく夫の理解と協力ということになる。Aさんも、
子育てはすべてAさんに任され、夫は育児にはまったくと言ってよいほど、無関心であった。そ れではいけない。子育ては重労働だ。私は、Aさんの夫に手紙を書くことにした。この原稿は、 そのときの手紙をまとめたものである。
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MKさんと、みなさんへ、
つらいことや、悲しいことや、苦しいこともあるかもしれませんが、
みんなで力を合わせて、生きていきましょう! あなたは決して、
ひとりぼっちではない。このマガジンの読者すべてが、あなたの味方
です。仲間です。がんばって生きていきましょう!
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【2】
世にも不思議な留学記
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白豪主義の国に、日本の旗が立った(やり過ぎるな!)
●徹底したエリート教育
私をのぞいて、メルボルン大学の私のハウスには、世界各国から、エリ−トが集まっていた。
そのことは何度も書いたとおりだが、しかし信じられないようなことも、しばしば起きた。コロン ボ計画で来ていたアフリカの学生は、いつもトイレのフタの上で便をして、メードを困らせてい た。ゴミ箱から暗号表のようなものがみつかり、その筋の捜査官が夜中に飛び込んできたこと もある。また、たまたまインド・パキスタン紛争の最中で、インド人のマヘシュワリ君と、パキスタ ンのア−マド君が、皆の前で、とっくみあいの大口論をしたこともある。ハウスの中で何か事件 があるたびに、オーストラリア人の学生たちは、「ソ連の陰謀だ」とか、「ソ連の新兵器だ」とか 言って、はやしたてた。
食事は毎晩例外なくフルコ−スで、たっぷり一時間はかかった。そしてそれが終わると、コモ
ンルーム(ホール)へ皆が移動し、そこでワインやティ−を楽しんだ。全員がス−ツの上に、ロ ーブというガウンを着ることになっていた。徹底したエリ−ト教育で、一カ月の寮費だけでも、当 時のレ−トで二〇万円弱はした。大卒の初任給が、手取りで五万円(日本)という時代である。 官費の援助がなければ、私のような人間にはとてもまかなえる額ではなかった。
●ハウスで催した「ジャパン・ナイト」
そのハウスでは月に一、二回の割で、各国の学生が、それぞれのお国自慢をすることになっ
ていた。その国の料理を出し、その国の文化を披露する。そこで「日本人のあなたにも……」と いうことになった。日本人留学生は私一人だけだった。私がそれを相談すると、井口領事が、 「それならば……」と協力してくれた。時おりしも日本の大阪では万博が開催されていた。その 宣伝もかねて、ジェトロとJALが全面的に協力をしてくれた。ジェトロは、万博の巨大なパネル や展示品を、そしてJALは、着物やハッピなどを無償で提供してくれた。メルボルン大学のオリ エンタル(東洋)学部の連中も協力してくれた。おかげで、あのパ−クビルの大学通りに、戦後 初めて、日本の国旗が並んだ。『白豪主義』の、あのオーストラリアで! 井口領事たちが、直 立不動のまま、国旗を見あげていたのが印象的だった。
料理はちらし寿司と、焼き鳥。皆が見よう見まねで作った。学生とゲスト、合わせて二五〇人
分である。朝から作りはじめて、夕方、ようやく間に合った。出し物は、日本舞踊に、民謡、謡 (うたい)など。友だちを、にわか日本人にしたてての、まさにぶっつけ本番。何とか日本のム −ドを出すことだけには成功した。ただ学生運動を紹介したのは、まずかった。アジア人の仲 間にヘルメットをかぶってもらい、角材をもたせて、ハウスの中を行進してもらった。が、これが あとで大問題となった。スポンサ−の東京商工会議所からきつい、お目玉をくらった。「旗を立 てた功績は認めるが、やりすぎるな!」と。ちょうど七〇年安保闘争が終わったころで、日本も オ−ストラリアも、学生運動にはピリピリしていた。
そんなとき私は、日本の友人にこんな手紙を書いた。「ここでの生活は、一日を一年に感ず
る。毎日が興奮と驚きの連続だ」と。それは決して誇張ではない。そう、あのころの緑は、どこ までも深く、空は青く、どこまでも澄んでいた。私はまさに、青春時代のまっただ中にいた。 (1353)
▲ ▲
▲▼▼ ▼▼▲
▼ ▲◎▲ ▼
▲◎◎▲▲
▲ 口 ▲
▼ 口 ▼
口
凸凸凸凸凸
〜〜〜凹凹凹凹凹凹凹〜〜〜
〜〜 〜〜 〜〜〜 〜
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【3】
人間は本来、善人。
だから数十万年という時代を生き延びることができた。
もし悪人なら、たがいにたがいを殺しあい、
とっくの昔に絶滅していたはず。
子どもたちを見ていると、それがよくわかる。
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子育て随筆byはやし浩司
性善説と性悪説
胎児は母親の胎内で、過去数十万年の進化の過程を、そのまま繰り返す。ある時期は、魚
そっくりのときもあるそうだ。
同じように、生まれてから、知能の発達とは別に、人間は、「心の進化」を、そのまま繰り返
す。……というのは、私の説だが、乳幼児を観察していると、そういうことを思わせる場面に、 よく出会う。たとえば生後まもなくの新生児には、喜怒哀楽の情はない。しかし成長するにつれ て、さまざまな感情をもつようになる。よく知られた現象に、「天使の微笑み」というのがある。 眠っている赤子が、何を思うのか、ニコニコと笑うことがある。こうした「心」の発達を段階的に 繰り返しながら、子どもは成長する。
最近の研究では、こうした心の情動をコントロールしているのが、大脳の辺縁系の中の、扁
桃体(へんとうたい)であるということがわかってきた。確かに知的活動(大脳連合野の新新皮 質部)と、情動活動は、違う。たとえば一人の幼児を、皆の前でほめたとする。するとその幼児 は、こぼれんばかりの笑顔を、顔中に浮かべる。その表情を観察してみると、それは知的な判 断がそうさせているというよりは、もっと根源的な、つまり本能的な部分によってそうしているこ とがわかる。が、それだけではない。
幼児、なかんずく四〜六歳児を観察してみると、人間は、生まれながらにして善人であること
がわかる。中に、いろいろ問題のある子どもはいるが、しかしそういう子どもでも、生まれなが らにそうであったというよりは、その後の、育て方に問題があってそうなったと考えるのが正し い。子どもというのは、あるべき環境の中で、あるがままに育てれば、絶対に悪い子どもには ならない。(こう断言するのは、勇気がいることだが、あえてそう断言する。)
こうした幼児の特質を、先の「心の進化」論にあてはめてみると、さらにその特質がよくわか
る。
仮に人間が、生まれながらにして悪人なら……と仮定してみよう。たとえば仲間を殺しても、
それを快感に覚えるとか。人に意地悪をしたり、人をいじめても、それを快感に覚えるとか。新 生児についていうなら、生まれながらにして、親に向かって、「ババア、早くミルクをよこしやが れ。よこさないとぶっ殺すぞ」と言ったとする。もしそうなら、人間はとっくの昔に、絶滅していた はずである。つまり今、私たちがここに存在するということは、とりもなおさず、私たちが善人で あるという証拠ということになる。私はこのことを、アリの動きを観察していて発見した。
ある夏の暑い日のことだった。私は軒先にできた蜂の巣を落とした。私もワイフも、この一、
二年で一度ハチに刺されている。今度ハチに刺されたら、アレルギー反応が起きて、場合によ っては、命取りになるかもしれない。それで落とした。殺虫剤をかけて、その巣の中の幼虫を地 面に放り出した。そのときのこと。時間にすれば一〇分もたたないうちに、無数の小さなアリが 集まってきて、その幼虫を自分たちの巣に運び始めた。
最初はアリたちはまわりを取り囲んでいただけだが、やがてどこでどういう号令がかかってい
るのか、アリたちは、一方向に動き出した。するとあの自分の体の数百倍以上はあるハチの 幼虫が、動き出したのである!
私はその光景を見ながら、最初は、アリたちにはそういう行動本能があり、それに従っている
だけだと思った。しかしそのうち、自分という人間にあてはめてみたとき、どうもそれだけではな いように感じた。
たとえば私たちは夫婦でセックスをする。そのとき本能のままだったら、それは単なる排泄行
為に過ぎない。しかし私たちはセックスをしながら、相手を楽しませようと考える。そして相手が 楽しんだことを確認しながら、自分も満足する。同じように、私はアリたちにも、同じような作用 が働いているのではないかと思った。つまりアリたちは、ただ単に行動本能に従っているだけ ではなく、「皆と力を合わせて行動する喜び」を感じているのではないか、と。またその喜びがあ るからこそ、そういった重労働をすることができる、と。
この段階で、もし、アリたちがたがいに敵対し、憎みあっていたら、アリはとっくの昔に絶滅し
ていたはずである。言いかえると、アリはアリで、たがいに助けあう楽しみや喜びを感じている に違いない。またそういう感情(?)があるから、そうした単純な、しかも過酷な肉体労働をする ことができるのだ、と。
もう結論は出たようなものだ。人間の性質について、もともと善なのか(性善説)、それとも悪
なのか(性悪説)という議論がよくなされる。しかし人間は、もともと「善なる存在」なのである。 私たちが今、ここに存在するということが、何よりも、その動かぬ証拠である。繰り返すが、もし 私たち人間が生まれながらにして悪なら、私たちはとっくの昔に、恐らくアメーバのような生物 にもなれない前に、絶滅していたはずである。
私たち人間は、そういう意味でも、もっと自分を信じてよい。自分の中の自分を信じてよい。
自分と戦う必要はない。自分の中の自分に静かに耳を傾けて、その声を聞き、それに従って 行動すればよい。もともと人間は、つまりあらゆる人々は、善人なのである。
(02−8−3)
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子育て随筆byはやし浩司
老いては子に従え論(2)
新幹線に乗っていたら、横に座った女性たち(六五歳くらい)が、大きな声で、こう言いあって
いた。「老いては子に従えと言いますからねえ」「そうです、そうです」と。それを聞いて私は思わ ず、「待った!」と言いそうになったが、やめた。そんなところで議論しても、始まらない。その女 性たちだって、それを望んでいない。しかしこういう言い方をすることにより、そしてこういう言い 方を、何も考えずにするために、「古い考え」が修正されることなく、代々と伝えられていく。私 はむしろ、そちらのほうを強く感じた。
少し前書いた、原稿を、ここに転載する。
「老いては子に従え
昔から「老いては子に従え」(「老いては則ち子に従う」(龍樹「大智度論」))という。しかし本当
にそうか? この格言を裏から読むと、「老いるまでは、子に従わなくてもよい」という意味にな る。もしそうなら、これほどごう慢な考え方もない。
ある女性(七〇歳)は、息子(四〇歳)の通帳から無断で預金を引き出し、それを使ってしまっ
た。そのことが発覚すると、その女性は、「親が先祖を守るために、子どもの貯金を使って何 が悪い」と居なおったという。問題はそのあとだが、その女性の周囲の人たちの意見は、二つ に分かれた。「たとえ親でもまちがったことをしたら、子どもに謝るべきだ」という意見と、「親だ から子どもに謝る必要はない」という意見である。このケースで、「老いては子に従え」というこ とを声高に言う人ほど、後者の考え方をする。つまり「親には従え」と。
が、この「老いては子に従え」という考え方には、もう一つの問題が隠されている。つまり依存
性の問題である。「子に従う」というのは、まさに「依存性」の表れそのものといってよい。「老い たら子どもにめんどうをみてもらわねばならないから、子どもには従え」という考え方が、その 底流にある。しかし本当にそれでよいのか?
老いても子どもに従う必要はない。親は親で、それこそ死ぬまで前向きに生きればよい。もち
ろん親ががんこになり、自分の考えを子どもに押しつけるのはよくないが、そんなことは親子に 限らず、どんな世界でも常識ではないか。この格言が生まれた背景には、「いつまでも親風(= 親の権威)を吹かすのはよくない。老いたら親風を吹かすのをやめろ」という意味がこめられて いる。つまり親の権威主義が、その前提にある。となると、もともとこの格言は、権威主義的な ものの考え方が基本になっていることを示す。言いかえると、権威主義的な親子関係を否定す る家庭では、そもそもこの格言は意味をもたない。
少しまわりくどい言い方になってしまったが、私たちはときとして安易に過去をひきずってしま
うことがある。たとえばこの格言にしても、今でも広く使われている。しかし無意識であるにせ よ、「老いては子に従え」と言いつつ、その一方で、親の権威主義を肯定し、さらにその背後で 過去の封建主義的な体質を引きずってしまう。それがこわい。そこでどうだろう。あえてこう言 いなおしてみたら……。
「老いたら、親は自分の生きザマを確立し、それを子どもに手本として見せよう」と。
ちなみに小学六年生一〇人に、「親でもまちがったことをしたら、子どもに謝るべきか」と聞い
たところ、全員が、「当然だ」と答えた。いくらあなたが権威主義者でも、この流れをもう変える ことはできない。」
さて冒頭の女性たちだが、もちろんそういう女性たちに、「あなたの考え方はおかしい」と言う
必要はない。言ってはならない。人はそれぞれだし、その人たちはその人たちで、懸命に生き てきた。「老いては子に従え」という考え方は、そういう人生の結果として今、彼女たちの生きザ マになっている。
が、別のところで書いたように、思考と情報は違う。もしその女性たちが、自分で考えて、そ
の格言をつくったとか、あるいはいろいろ考えた結果、その格言に行き着いたというのであれ ば、それはそれで価値がある。しかしそうではなく、世間の中で、ただ流されるまま、その格言 を代々受け継いでいるというのであれば、それはただ単なる情報でしかない。つまり価値がな い。そればかりか、ひょっとしたら、古くてまちがった考えを、後世へそのまま伝えてしまうこと になるかもしれない。
だからといって、私の考え方が正しいとは限らない。「老いては子に従うべきなのかどうか」に
ついては、まだよくわからないところがある。第一に、私自身、そこまで老いてはいない。本当 の意味で、老人がもつ孤独やさみしさも、わかっていない。今はワイフも近くにいて、健康だか ら、そのように考えることができるが、それこそひとりになったり、病気になったりしたら、考え 方も変わるかもしれない。それはわかるが、それでもこう思う。「老いたら、なおさら、子どもに 自分の生きザマを示してやろう」と。私にとっては、老いは受け入れるものではなく、戦うもの。 この原稿には、そういう私の決意をこめて書いた。
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子育て随筆byはやし浩司
子どものウソ
ある母親の娘(二四歳)が、会社の上司(二九歳男性)と、一泊出張に行くことになった。二人
だけである。それについて母親が娘に、「だいじょうぶ?」と聞くと、その娘は即座に、「あんな オジン(おじさん)、関係ないわよ」と笑ってみせたという。この話をワイフから聞いたとき、私 は、「あぶないね」と答えた。
子どもは、自分の心をごまかすことができない。そういう点では、子どもというのは、心の見本
のようなもの(失礼!)。子どもを見ていると、人間の心がそのままわかるときがある。たとえば ウソ。子どもというのは、実によくウソをつく。しかもさまざまなウソをつく。病的な虚言癖(空想 的虚言)は別にして、こうしたウソを見ぬき、うまく対処するのも、教育のひとつかもしれない。 そこで最初の話だが、残念だが、この娘は母親にウソを言っている。
娘は、「あんなオジン、関係ないわよ」と言った。母親を安心させようとして、娘はそう言った
が、この「安心させるような言い方」が、問題。娘は何らかのうしろめたさを感じているから、そ う言った。つまりその娘は、「何がどうあぶないか」を、すでに知っている。そうした疑いを、根底 から切りくずすために、「あんなオジン」と。本当に何ともないなら、たとえば母親に、「何が?」 とか、「どうして?」と言うはずである。子どもでも、この種のウソをつく子どもは少なくない。
先日も、私のもっていた三色ペンがなくなった。そこで一番あやしいと思った子ども(小二男
子)に、「あのペンを知らないか?」と聞くと、その子どもはこう言った。「ああ、あのペンね。あ んなインクの切れたようなペン、だれももっていかないよ」と。そこで私が、「どうしてインクが切 れていることを知っているの?」と聞くと、「だって、先生がこの前、黒色はつかないって、言って いたじゃん」と。たしかにそう言ったことはあるが、そこまではっきりと覚えているとは! それ はともかくも、この子どもも、「あんなペン」というような言い方をして、まず私の疑いを、根底か らくずそうとしているのがわかる。そしてその上で、「知らない」と。もし本当にペンのことを知ら ないなら、「どのペン?」とか、「何の話?」とか言うはずである。
私がワイフに、「その娘さんは、あぶないね」と言うと、ワイフは、「あぶないって……?」と。と
くに私のワイフは、人を疑うことを知らない女性である。純朴過ぎるほど、純朴。世の中にはい ろいろな女性がいるが、私のワイフほど、カタブツな女性はいない。だから何がどうあぶないの か、理解できないらしい。つまりこのことからも、私のワイフには、そういう状況そのものが、脳 にインプットされていないのがわかる。恐らく私が、「仕事で、明日の夜は、若い女性とホテル に泊まる」と言っても、「あら、そう」で終わってしまうに違いない。
が、私にはわかる。世の男性たちが、どう考えるか、それがわかる。私にそういう経験がある
とかないとか、そういうことではない。これは男の生理のようなもの。数歳年下の独身の女性 と、どこかのホテルで一泊するとなれば、二九歳前後の若い男が、何をどう考えるかは、男の 常識。この年齢の男性に、そうした本能的な誘惑をはねのける力を期待するほうが、無理。
……と、書いても、今どき、「あぶないね」という言い方をするほうがおかしいのかも。女子高
校生の六〇%が、卒業までに初体験をすます時代である。二四歳の女性が、どこで何をしよう が、それはその女性の勝手。いちいち心配しなければならない問題でもない。そういうことをそ の母親も知っているらしい。ワイフに、つづけて、こう言ったという。
「あんなブスな娘。だれかに相手にしてもらえるだけでも、ありがたく思わなくちゃ」と。
親たちの意識も、今、そこまで変わってきている。
(02−8−3)
【4】
English Edition
お休みします。
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【5】
最近書いたエッセーをお届けします。
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ほら、英語教室、ほら、算数教室!
知識と「考えること(思考)」は別(失敗危険度★★)
●知識と思考は別
たいていの親は、知識と思考を混同している。「よく知っている」ことを、「頭のよい子」イコー
ル、「よくできる子」と考える。しかしこれは誤解。まったくの誤解。たとえば幼稚園児でも、掛け 算の九九をペラペラと言う子どもがいる。しかしそういう子どもを、「頭のよい子」とは言わな い。「算数がよくできる子」とも言わない。中には、全国の列車の時刻表を暗記している子ども もいる。音楽の最初の一章節を聞いただけで、曲名をあてたり、車の一部を見ただけで、メー カーと車種をあてる子どももいる。しかし教育の世界では、そういうのは能力とは言わない。「こ だわり」とみる。たとえば自閉症の子どもがいる。このタイプの子どもは、こうしたこだわりをも つことが知られている。
●考えることは苦痛
考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、考えること自体
を避けようとする。あるいは考えること自体から逃げようとする。一つの例だが、夜のテレビを にぎわすバラエティ番組がある。ああいった番組の中では、見るからに軽薄そうなタレントが、 思いついたままをベラベラというより、ギャーギャーと言いながら騒いでいる。彼らはほとんど、 自分では何も考えていない。脳の、表層部分に飛来する情報を、そのつど適当に加工して言 葉にしているだけ。つまり頭の中はカラッポ。
●考えることを奪う教育
パスカルは「パンセ」の中で、『人間は考えるアシである』と書いている。この文を読んで、「あ
ら、私もアシ?」と言った女子高校生がいた。しかし先にも書いたように、「考える」ということ は、もっと別のこと。たとえば私はこうして文章を書いているが、数時間も書いて、その中に、 「思考」らしきものを見つけるのは、本当にマレなことだ。(これは多分に私の能力の限界かも しれないが……。)つまり考えるということは、それほどたいへんなことで、決して簡単なことで はない。そんなわけで残念だが、その女子高校生は、そのアシですら、ない。彼女もまた、ただ 思いついたことをペラペラと口にしているだけ。
多くの親は、「ほら、英語教室」「ほら、算数教室」と子どもに知識をつけさせることを、教育と
思い込んでいる。しかし教育とはもっと別のこと。むしろこういう教育観(?)は子どもから「考え る」という習慣をうばってしまう。そのほうがはるかに損なことだと私は思うのだが……。
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うちの子は頭がいい?
計算力は早数えで(失敗危険度★★)
●計算力は早数えで決まる
計算力は、早数えで決まる。たとえば子ども(幼児)の前で手をパンパンと叩いてみる。早く数
えることができる子どもは、五秒前後の間に、二〇回前後の音を数えることができる。そうでな い子どもは、「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」と数えるため、どうしても遅くなる。
●訓練で早くなる
そこで子どもが一〜三〇前後まで数えられるようになったら、早数えの練習をするとよい。最
初は、「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」でも、少し練習すると、「イチ、ニ、サン……」になり、さらに 「イ、ニ、サ……」となる。さらに練習すると、ものを「ピッ、ピッ、ピッ……」と、信号にかえて数え ることができるようになる。これを数の信号化という。こうなると、五秒足らずの間に、二〇個く らいのものを、瞬時に数えることができるようになる。そしてこの力が、やがて、計算力の基礎 となる。たとえば、「3+2」というとき、頭の中で、「ピッ、ピッ、ピッ、と、ピッ、ピッで、5」と計算 するなど。
要するに計算力は、訓練でいくらでも早くなるということ。言いかえると、もし「うちの子は計算
が遅い」と感じたら、計算ドリルをさせるよりも先に、一度、早数えの練習をしてみるとよい。た だし一言。
●算数の力は別
計算力と算数の力は別物である。よく誤解されるが、計算力があるからといって、算数の力
があるということにはならない。たとえば小学一年生でも、神業にように早く、難しい足し算や引 き算をする子どもがいる。親は「うちの子は頭がいい」と喜ぶが、(喜んで悪いというのではな い)、それは少し待ってほしい。計算力は訓練で伸びるが、算数の力を伸ばすのはそんな簡単 なことではない。子どもというのは、「取った、取られた」「ふえた、減った」「多い、少ない」「得を した、損をした」という日常的な経験を通して、算数の力を養う。またそういう刺激が、子どもを して、算数ができる子どもにする。そういう日常的な経験も大切にする。
(1288)
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人生のゴール
ゆっくりと窓のほうを見る。薄く、青白い朝の光。網戸の向こうに、ぼんやりと緑の木が見え
る。しばらくじっとそうしていると、静けさをついて、遠慮がちに一匹のヒグラシがなき始めた。カ ナカナカナ……、と。するとあちこちから、別のヒグラシたちがそれに声を合わせた。カナカナカ ナ……、と。
ヒグラシの声は、それぞれ、みな、違う。高い声、低い声、強い声、やさしい声など。そういう
無数のヒグラシが、ちょうど海岸に打ち寄せる潮騒のように、ザブーン、ザブーンと、おおらか なテンポでなく。しかしそれは、いわば伴奏。近くにいるヒグラシが、それに合わせて、これまた ひときわ大きな声で、カナカナカナ……と、なく。ゆっくりとクレシェンド、デクレシェンドを繰り返 す。もし世界で一番美しい音楽は、と聞かれれば、私は迷わず、このヒグラシの合唱をあげ る。いや、私はそれ以上に美しい音楽を知らない。
横をふと見ると、ワイフもいつの間にか目をさまし、ヒグラシの合唱に耳を傾けていた。「だろ
……?」と声をかけると、「ウン」とうなずいた。ワイフは私と違って、一度眠ると、めったに途中 で目をさまさない。昨夜も寝る前に、私が「ヒグラシがないたら、起こしてあげるから」と言うと、 「お願い」と言っていた。
ときどき私は、人は何のために生きるかということを考える。人生のゴールは何か、とも。忙
しい毎日、その忙しさの中で、ふと自分が押しつぶされそうになるときだ。が、そういうとき私 は、迷わず、やすらいだ生活、あるいはやすらいだ心を考える。それはスゴロクでいえば、「あ がりの世界」だ。その先はもうない。あるいはそれ以上の世界が、どこにあるというのか。私は ヒグラシの声に耳を傾けながら、「今がそのゴールだ」と、何度も自分に言って聞かせた。
こうした世界から見ると、名誉や地位、肩書きの意味そのものが、消えてしまう。名声を得る
ことの意味さえ消えてしまう。巨億の富をためることの意味も消えてしまう。いや、私とてお金は 嫌いではないない。お金がなければ不幸になる。が、やすらいだ生活は、お金では買えない。 ともすれば私たちは、日々の雑音の中で、何が大切で、何が大切でないかを見失ってしまう。 そして邪悪なものに身を染めながら、それが邪悪であることすら、わからなくなってしまう。心が 汚れるといってもよい。ヒグラシの声を聞いていると、その無心さゆえに、その心が洗われてい くのがわかる。
……やがて遠くでウグイスがないた。ホトトギスもないた。かすかだが、セミもなき始めた。時
計を見ると、午前五時、少し前。が、それにあわせて、ヒグラシの合唱は終わりに近づいた。一 匹、また一匹となくのをやめた。一番近くでないていたヒグラシも、プツリと声を止めた。しばらく してワイフを見ると、ワイフは満足そうな顔をして、寝返りをうった。私も寝返りをうった。そして また、目を閉じた。
(02−8−4)
⌒ 、、
し 〉 ‐◯‐
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(⌒ ) ∝≒
――――― <^川
 ̄ ̄ ̄ へ フ川
/人\ ≪⌒)
ノ(⌒ ̄ ̄ ̄ ̄〕〕)
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・17……島田市立第四保育園
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・26……愛知県豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
9・11……蜆塚幼稚園
9・5……静岡梨花幼稚園
8・20……南部公民館
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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子育てワンポイント・1〜600作は、いかがですか?
よろしかったら、どうかお買い求めください。
●子育てのコツ、1〜600を、一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
ご希望の方に、一枚1000円でお送りします。
一枚ずつ、手作りで、お送りします。
単行本の分量して、約6冊分(以上)の分量があります。
●CD版ですから、検索しやすく、なっています。たとえばワード上で、
「夜驚症」で検索すれば、すぐその項目をヒットできます。
【申し込み方法】
☆下のメールアドレスをクリックして、郵便番号、住所、お名前を
お知らせください。
☆折り返し、私のほうから、確認のメールを出します。
☆もう一度、あなた様から「申し込んだ」旨の確認に返信をください。
☆CD(ワード版)を先に送ります。同封の為替用紙で、1000円を
後ほど、ご送金ください。領収書は先に、同封します。
きっとみなさんの子育てで、お役にたつと思います。
よろしくお願いします。
アドレス……
bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp
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ご注意!
●申し込みが、10人前後になるまで待って、それからCDに焼いて送ります。 それまでしばら
くお待ちください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! よろしくお願いします!
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q ・ ・ p /│\
(〃 ▽ 〃) ⌒⌒
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 ̄(( ・ ・ )) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ̄ω ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ω ̄)
へへへへへへへへへ See you again in the next magazine!
へ へへへ へへへ
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件名:H. Hayashi, Japan-子育て情報(はやし浩司)8-11
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 393人
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数(Nr. of Readers) 79人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
★★★★★★★★★★★★★
02−8−11号(091)
★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●愛知県豊田町にて講演会をもちます。おいでください。
9月26日(木) 豊田産業文化センター 午前9:30〜12:00
主催 豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
(当然ですが)、こうした県外での講演会は、いつもガラガラです。どうか、お近くの人がいらっし
ゃれば、連絡していただけませんか。いつも主催者の方に申し訳ない気持ちで講演を終えてい ます。くれぐれも、よろしくお願いします。
●「静岡県ホームページグランプリ」に、私のサイトを、応募作品として、出し
てみました。
これは皆さんの投票で、静岡県で発行しているホームページをコンテスト形式
で、審査しようというものです。皆さんの清き一票を、どうか私のサイトに投
票してください。
【投票方法】
☆私のサイト(ホームページ)を開いてください。
下のアドレスをクリックすれば、私のサイトを開くことができます。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆サイトのトップページ、最上段に、「グランプリ」応募タグがはりつけて
あります。そのタグをクリックするだけで、一票が投票できます。
「はやし浩司のホームページは、よい」と思ってくださる方は、どうか
清き一票をお願いします。結果は、そのつど、報告されます。
よろしくお願いします。
投票ができるのは、8月5日からです。一人で何票でも、投票できます。
(少しいいかげんですが、もともとお祭り(イベント)ですから……。)
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●また、よりアカデミックな(?)マガジンをご希望の方は、「はやし浩司の世界」を
どうかあわせて、ご愛読ください。お申し込みは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
のトップページより、「マガジン購読」コーナーへ、お進みください。
Please subscribe to another magazine, "The Hiroshi's World",
published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you very much.
Please go to the "Magazine Corner" from the Top Page of my Website to
apply for subscription of the magazine. Free to read!
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●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second
son's website in USA, for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
●マガジンのバックナンバーは、サイトの「トップページ」から、「マガジン購読
コーナー」へ。そのページからお読みいただけます。
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
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みなさんへ、
●「子育てワンポイント」の、1〜600作を、
一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
ご希望の方に、1枚1000円でお分けします。(郵送料込み)です。
詳しくは、このマガジンの末尾をご覧ください。
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メニュー
今日のテーマ、「子どもの心」(How to see Kids' mind)
【1】読者の方より(An E-mail form a reader in Okazaki)
【2】世にも不思議な留学記(My young days in Australia)
【3】子どもの心(How to see Kids' mind)
【4】English Edition
【5】辛口随筆(Essays)
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∫_ ヽ
′ ( ̄( ヽ
\暑\
)い)
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【1】
豊橋市のGTさんより、メールをいただきました。
了解がいただけましたので、紹介します。
「子育ては遺伝する」というご意見です。
同感です。
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先生のEマガジンのお陰で助けられています。
年少になる長男は、何事にも好奇心が旺盛。だめよ、いけないよ、と言うことは、やって
みたい。買い物に行っても、自分でどこかに行ってしまい、おちおち買い物ができる
ような状況じゃないような子ども。また、一月に二男を出産してからは、ますます大変
に。etc
大声を出して怒るのが当たり前になっていたのですね。恥ずかしいことですが、も
し、私が大人の人におなじように大声を出したとしたら、私は、沢山の友人を無くしてい
たと思います。
その日も、午前中幼稚園の参観会に参加しましたが、先生の言うこと
を聞かず、歌わず、踊らず。(もちろん子どもなりの理由はあったのですが)
午後に は、私の実家からおばあちゃん(私の母)が遊びに来てくれました。
ところが子どもは、ちゃん とおばあちゃんと言う存在が、親が一目置いている存在
であることを承知しているよ うで、ますます増長ムード。おもちゃを一つずつ片付けて、
遊びなさい。と言う言葉 にも耳を貸さず、部屋中(居間)散乱状態に。(子どもなり
に嬉しかっただけかもし れませんが、その時の私にはそういう風に思えた)
そのような時に、思わずビシッと 平手で子どもをたたいてしまいったような訳です。
遊びに来ていたおばあちゃん(私 にとっては、母)は、その間、孫が怒られる姿を
見て心が痛んだのでしょう。帰って から、手紙をくれました。私も、長男のようなと
ころのある子どもであったこと。自 分自身育児に悩んでいたこと。私に相当厳し
かったこと。などを…育児は遺伝する (?)と聞いたことがありますが、私自身がな
りたくなかったような育児の実践者に なっていたのです。
私の父は、軍隊経験者で、その影響か、とても厳しく、タバコの火を押し付けられたり
したこともたまにありました。母の手紙を読んだ後、「私が子ど もに言わずして、
誰が言ってくれるのか」、子どもだって、将来、「あんな変なことを した」と言われる
よりは、「いい子だった」と言われたほうが言いに決まってい る。と、自分を正当化
しようとしました。
しかし、母の手紙が私を動かしたんでしょ うね。幼稚園で以前教えてもらっていた
先生のHPにアクセスしようと言う気になった のですから。まだ、全部読破した訳で
はありませんが、育児は自分を律することだと 思いました。律し続けるために、
先生の頻回に届くEマガジンが、とても助けになっ ています。とても大変なことでし
ょうが、どうぞ、ずっとがんばってください。(で はなくて、気楽にね。って言わなくて
はいけないんでしたっけね。)よろしくお願い します。
愛知県豊橋市 GTより
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GT様へ
メール、ありがとうございました。
マガジン発行は一見、たいへんそうに見えますが、
今までに書き溜めておいたものを、編集して載せて
いること。
もうひとつは、私の場合、話すよりも書くことの
ほうが楽ということがあります。
まあ、いつまで続くかわかりませんが、気力のつづく
かぎり、がんばって発行してみようと思います。
頭の刺激と、ボケ防止にはいいと思います。
毎朝、1〜2時間は、マガジン制作のために
パソコンに向かっています。マガジン発行そのものは
驚くほど、楽です。
ワードで作った原稿を、そのまま配信できますから……。
少しずつですが、読者の方がふえているのが
励みになります。ほとんど宣伝媒体をもっていませんの
で、たぶん、みなさんの口コミ紹介のおかげと思います。
感謝しています。ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
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【2】
世にも不思議な留学記
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たった一匹のネズミを求めて(そのネズミになる)
●牧場を襲った無数のネズミ
私は休暇になると、決まって、アデレ−ド市の近くにある友人の牧場へ行って、そこでいつも
一、二週間を過ごした。「近く」といっても、数百キロは、離れている。広大な牧場で、彼の牧場 だけでも浜松市の市街地より広い。その牧場でのこと。ある朝起きてみると、牧場全体が、さ ざ波がさざめくように、波うっていた! 見ると、おびただしい数のネズミ、またネズミ。……と言 っても、畳一枚ぐらいの広さに、一匹いるかいないかという程度。しかも、それぞれのネズミに 個性があった。農機具の間で遊んでいるのもいたし、干し草の間を出入りしているのもいた。 あのパイドパイパ−の物語に出てくるネズミは、一列に並んで、皆、一方向を向いているが、そ ういうことはなかった。
が、友人も彼の両親も、平然としたもの。私が「農薬で駆除したら」と提案すると、「そんなこと
をすれば、自然のライフサイクルをこわすことになるから……」と。農薬は羊の健康にも悪い影 響を与える。こういうときのために、オーストラリアでは州による手厚い保障制度が発達してい る。そこで私たちはネズミ退治をすることにした。方法は、こうだ。まずドラム缶の中に水を入 れ、その上に板切れを渡す。次に中央に腐ったチーズを置いておく。こうすると両側から無数 のネズミがやってきて、中央でぶつかり、そのままポトンポトンと、水の中に落ちた。が、何と言 っても数が多い。私と友人は、そのネズミの死骸をスコップで、それこそ絶え間なく、すくい出さ ねばならなかった。
が、三日目の朝。起きてみると、今度は、ネズミたちはすっかり姿を消していた。友人に理由
を聞くと、「土の中で眠っている間に伝染病で死んだか、あるいは集団で海へ向かったかのど ちらかだ」と。伝染病で死んだというのはわかるが、集団で移動したという話は、即座には信じ られなかった。移動したといっても、いつ誰が、そう命令したのか。ネズミには、どれも個性が あった。そこで私はスコップを取り出し、穴という穴を、次々と掘り返してみた。が、ネズミはお ろか、その死骸もなかった。一匹ぐらい、いてもよさそうなものだと、あちこちをさがしたが、一 匹もいなかった。ネズミたちは、ある「力」によって、集団で移動していった。
●人間にも脳の同調作用?
私の研究テ−マの一つは、『戦前の日本人の法意識』。なぜに日本人は一億一丸となって、
戦争に向かったか。また向かってしまったのかというテ−マだった。が、たまたまその研究がデ ッドロックに乗りあげていた時期でもあった。あの全体主義は、心理学や社会学では説明でき なかった。そんな中、このネズミの事件は、私に大きな衝撃を与えた。そこで私は、人間にも、 ネズミに作用したような「力」が作用するのではないかと考えるようになった。わかりやすく言え ば、脳の同調作用のようなものだ。最近でもクロ−ン技術で生まれた二頭の牛が、壁で隔てら れた別々の部屋で、同じような行動をすることが知られている。そういう「力」があると考える と、戦前の日本人の、あの集団性が理解できる。……できた。
この研究論文をまとめたとき、私の頭にもう一つの、考えが浮かんだ。それは私自身のこと
だが、「一匹のネズミになってやろう」という考えだった。「一匹ぐらい、まったくちがった生き方 をする人間がいてもよいではないか。皆が集団移動をしても、私だけ別の方角に歩いてみる。 私は、あえて、それになってやろう」と。日本ではちょうどそのころ、三島由紀夫が割腹自殺をし ていた。
(1355)
▲ ▲
▲▼▼ ▼▼▲
▼ ▲◎▲ ▼
▲◎◎▲▲
▲ 口 ▲
▼ 口 ▼
口
凸凸凸凸凸
〜〜〜凹凹凹凹凹凹凹〜〜〜
〜〜 〜〜 〜〜〜 〜
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【3】
従順で、おとなしい子どもをすなおな子どもというのではない。
そういう子どもほど、あとあと、心配?
そんな誤解を解くために……。
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心のゆがみのない子どもが、すなおな子ども
家庭教育の誤解(失敗危険度★★★★★)
●誤解
家庭教育にはたくさんの誤解がある。その中でもとくに目立つ誤解が、つぎの五つ。この誤
解を知るだけでも、あなたの子育ては大きく変わるはず。
☆忍耐力……よく「うちの子はサッカーだと一日中している。ああいう力を勉強に向けさせた
い」という親がいる。しかしこういう力は忍耐力とは言わない。好きなことをしているだけ。子ど もにとって忍耐力というのは、「いやなことをする力」をいう。たとえば台所の生ゴミを手で始末 するとか、風呂場の排水口にたまった毛玉を始末するとか、そういうことができる子どもを忍耐 力のある子どもという。
☆やさしさ……大切にしているクレヨンを、だれかに横取りされたとする。そういうとき、ニッコリ
笑いながら、そのクレヨンを譲りわたすような子どもを、「やさしい子ども」と考えている人がい る。しかしこれも誤解。このタイプの子どもは、それだけ」ストレスをためやすく、いろいろな問 題を起こす。
子どもにとって「やさしさ」とは、いかに相手の立場になって、相手の気持ちを考えられるかで決
まる。もっと言えば、相手が喜ぶように自ら行動する子どもを、やさしい子どもという。そのやさ しい子どもにするには、買い物に行っても、いつも、「これがあるとパパが喜ぶわね」「これを買 ってあげるから、妹の○○に半分分けてあげてね」と、日常的にいつもだれかを喜ばすように しむけるとよい。
☆まじめさ……従順で、言われたことをキチンとするのを、「まじめ」というのではない。まじめと
いうのは、自己規範のこと。こんな子ども(小三女子)がいた。バス停でたまたま会ったので、 「缶ジュースを買ってあげようか」と声をかけると、こう言った。「これから家で夕食を食べます から、いらない。缶ジュースを飲んだら、ごはんが食べられなくなります」と。こういう子どもを「ま じめな子ども」という。
☆すなおさ……やはり言われたことに従順に従うことを、「すなおな子ども」と考えている人は
多い。しかし教育の世界で「すなおな子ども」というときは、つぎの二つをいう。一つは、心の状 態(情意)と、顔の表情が一致している子どもをいう。怒っているときには、怒った顔をする。悲 しいときには悲しい顔をする、など。情意と表情が一致しないことを、「遊離」という。不愉快に 思っているはずなのに、笑うなど。教える側からすると、「何を考えているかわからない」といっ た感じの子どもになる。こうした遊離は、子どもにとっては、たいへん望ましくない状態と考えて よい。たとえば自閉傾向のある子ども(自閉症ではない)がいる。このタイプの子どもの心は、 柔和な表情をしたまま、まったく別のことを考えていたりする。
もう一つ、「すなおな子ども」というときは、心のゆがみがない子どもをいう。何らかの原因で
子どもの心がゆがむと、子どもは、ひがみやすくなったり、いじけたり、つっぱたり、ひねくれた りする。そういう「ゆがみ」がない子どもを、すなおな子どもという。
☆がまん……子どもにがまんさせることは大切なことだが、心の問題とからむときは、がまん
はかえって逆効果になるから注意する。たとえば暗闇恐怖症の子ども(三歳児)がいた。子ど もは夜になると、「こわい」と言ってなかなか寝つかなかったが、父親はそれを「わがまま」と決 めつけて、いつも無理にふとんの中に押し込んでいた。
がまんさせるということは、結局は子どもの言いなりにならないこと。そのためにも 親側に、一
本スジのとおったポリシーがあることをいう。そういう意味で、子どものがまんの問題は、決して 子どもだけの問題ではない。
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うちの子は何を考えているかわからない!
仮面をかぶらせるな(失敗危険度★★★★)
●仮面をかぶる子ども
心(情意)と表情が遊離し始めると、子どもは仮面をかぶるようになる。表面的にはよい子ぶ
ったり、柔和な表情を浮かべて親や教師の言うことに従ったりする。しかし仮面は仮面。その 仮面の下で、子どもは親や教師の印象とはまったく別のことを考えるようになる。これがこわ い。
●心と表情の一致
すなおな子どもというのは、心と表情が一致し、性格的なゆがみのない子どものことをいう。
不愉快だったら不愉快そうな顔をする。うれしいときには、うれしそうな顔をする。そういう子ど もをすなおな子どもという。が、たとえば家庭崩壊、育児拒否、愛情不足、親の暴力や虐待が 日常化すると、子どもの心はいつも緊張状態に置かれ、そういう状態のところに不安が入り込 むと、その不安を解消しようと、情緒が一挙に不安定になる。突発的に激怒する子どももいる が、反対にそうした不安定さを内へ内へとためこんでしまう子どももいる。そしてその結果、仮 面をかぶるようになる。一見愛想はよいが、他人に心を許さない。あるいは他人に裏切られる 前に、自分から相手を裏切ったりする。よくある例は、自分が好意をよせている相手に対して、 わざと意地悪をしたり、いじめたりするなど。屈折した心の状態が、ひねくれ、いじけ、ひがみ、 つっぱりなどの症状を引き起こすこともある。
●言いたいことを言わせる
そこでテスト。あなたの子どもはあなたの前で、言いたいことを言い、したいことをしているだ
ろうか。もしそうであれば問題はない。しかしどこか他人行儀で、よそよそしく、あなたから見 て、「何を考えているかわからない」といったふうであれば、家庭のあり方をかなり反省したほう がよい。子どもに「バカ!」と言われ怒る親もいる。しかし平気な親もいる。「バカ!」と言うこと を許せというのではないが、そういうことが言えないほどまでに、子どもをおさえ込んではいけ ない。
●子どもの心は風船
子どもの心は風船のようなもの。どこかで力を加えると、そのひずみは、別のどこかに必ず表
れる。で、もしあなたがあなたの子どもに、そんな「ひずみ」を感ずるなら、子どもの心を開放さ せることを第一に考え、親のリズムを子どもに合わせる。「私は親だ」式の権威主義があれ ば、改める。そしてその時期は早ければ早いほどよい。満六歳でこうした症状が一度出たら、 子どもをなおすのに六年かかると思うこと。満一〇歳で出たら、一〇年かかると思うこと。心と いうのはそういうもので、簡単にはなおらない。無理をすればするほど逆効果になるので、注 意する。
(1291)
【4】
ENGLISH EDITION
お休みします。
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【5】
子育て随筆byはやし浩司
子どもの勉強
子どもに勉強させる方法に、二つ、ある。実際には三つあるが、まず、二つ。
【子どもを追い詰めてさせる方法】……よい例が、受験勉強。不安をうまく利用したり、あるい
は不合格の恐怖を一方で与えたりしながら、子どもに勉強させる。受験塾や進学塾がこの方 法を使う。少し前だが、東京のN塾の進学案内ビデオを見た。三〇分ほどのビデオだったが、 最後の一〇分間は、不合格で泣き崩れる親子の姿が、延々と写しだされていた。会場には四 〇人ほどの親たちがいたが、ビデオが終わったときには、あたりは異様な雰囲気に包まれて いた。
【子どもを楽しませて勉強させる方法】……一見、むずかしそうだが、コツさえ覚えれば簡単。
あなたが子どもの心になって、自分のしたいことをすればよい。したくなかったことは、しなけれ ばよい。自分も楽しむつもりで、子どもとつきあう。とくに子どもが低学年児のうちは、「教えよ う」という気持ちは抑えて、「楽しむ」ことを考える。一時間何かをしても、一〇分間、勉強らしき ものをすればよいとする。ワークブックなど、半分がお絵描きになってもよい。そういうおおらか さが子どもを伸ばす。「できる、できない」よりも、「楽しんだかどうか」、あるいは「やり終えた」と いう達成感を大切にする。
もう一つは、子どもにその自覚をもたせて勉強させる方法。たとえば昔、「父が病気で苦しん
で死んだので、ぼくは医者になって、そういう病気と戦いたい」と言った子どもがいた。そういっ た自覚を子どもがもつようにしむける。理想的といえば理想的。が、今の教育システムの中で は、「?」。「勉強というのは、与えられてするもの」という意識が、子どもばかりではなく、親にも あって、それをやりこなすだけで、精一杯。現実には、勉強しかしない、勉強しかできないような 子どもほど、つまり、あまり問題意識をもたない子どもほど、スイスイと受験戦争を勝ち抜いて いく。
どの方法であるにせよ、あるいは混在した方法も考えられるが、しかし今、その「勉強」が、
大きな曲がり角にきている。子どもたち自身が、勉強に疑問をもってしまっている。浜松市内に あるH中学校の校長が、こっそりとこう教えてくれた。「勉強でがんばるより、部活でがんばっ て、推薦で高校へ入るほうがいいと言う子どもがふえています。うちの中学でも、約六〇%の 子どもがそうでないかとみています」と。この数字は、全国どこでもだいたい同じとみてよい。私 の実感でも、(というのも、はっきりとした統計をとることができないので)、本気で進学を考えて 勉強している中学生は、一五〜二〇%もいない。残りの子どもたちは、勉強そのものから逃げ てしまっている。あるいは勉強はくだらないとか、つまらないとか考えている。
なぜこうなってしまったのかということは別に考えることにして、こうした現状も一方で理解す
る必要がある。昔流に、「勉強して、いい高校、いい大学。さらにはいい会社」という論理が通じ なくなってきている。全国の進学塾にしても、一九九五〜九七年前後を境にして、塾数、講師 数ともに、頭打ちから、減少に転じている。県によっては、毎年七〜一〇%前後の減少を記録 しているところもある(講師数・通産省調べ※)。少子化と不況だけでは説明がつかない数字で ある。
さてあなたは自分の子どもに勉強をさせるのに、どんな方法を使っているだろうか。
※通産省の調べによると、
1986−91年 塾数の増加率……33・4% 講師数……62・4%
1991−96年 塾数の増加率…… 8・1% 講師数…… 5・0%
東京(−3・8%)、長野(−6・6%)、静岡(−5・2%)、京都(−11・9%)など、1991−96
年にかけて、講師数が減少に転じている地域も多い。
(02−8−6)
⌒ 、、
し 〉 ‐◯‐
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――――― <^川
 ̄ ̄ ̄ へ フ川
/人\ ≪⌒)
ノ(⌒ ̄ ̄ ̄ ̄〕〕)
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本当に暑い!
このところ何かにつけ、イライラする?
辛口の社会時評です。ストレス解消のために?
(8月6日)
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子育て随筆byはやし浩司
犬の遠吠え!
●どこかおかしいぞ、この日本!
H市の市役所に勤める知人のK氏(五〇歳課長)はこう言った。「こういう時代になってみると、
公務員になって、つくづくよかったと思います。デフレで物価も安くなり、生活も楽になりました」 「公務員に公僕意識? そんなもの、絶対にありませんよ。公僕意識など、絶対にない。私が 保証します」「公務員の数は、今の二分の一でじゅうぶん。三分の一でもいいかな」と。……こ れが公務員の人たちの偽らざる本音ではないのか。
もちろん教師やドクターなど、公務員といっても忙しい人は本当に忙しい。しかし全体としてみ
ると、ヒマな人も少なくない。もう一人の知人(五二歳男性)は、G県の検査課に勤務している が、「毎日、パソコン相手に、どうやって時間をつぶすか、そればかりを考えている」と言ってい る。そういう人もいる。
●どんとやってくる老後
子育てが終わると、どんとやってくるのが、老後。子育てで夢中の間は、それに気づかない。
「子どもたちよ、早くおとなになれ」「早く子育てから解放されたい」と思いながら、別の心で、そ れなりに自分が年をとっていくのを納得していた。が、かくも、早く流れていくものとは……!
●一億円もかかる?
気がついてみると、このところ体力も気力も、がくんと落ちた。集中力もつづかない。当然の
ことながら、その分、収入も減った。ときどき「このままだと、自分はどうなるのか」と考える。多 分、みじめな老後になることだろう。退職金も天下り先も、年金もない。国民年金というのに は、二四歳のときから加入しているが、あんなものはアテにならない。それがよいとは思わない が、この日本では、公務員になったほうが、絶対、得! 何といっても、官僚主義国家。完全終 身雇用に完全年功序列。近所のU氏など、旧国鉄を満五五歳で退職してから、以来、月額三 二万円と少しの年金を受け取っている。それがもう二六年になる。総額で、ちょうど一億 円!! 私が彼と同じような生活をしようと思えば、今、この段階で、一億円の貯金がなければ ならない。しかしそんな貯金、どこにある! 「ああ、私もどこかの公務員になっておけばよかっ た……」と、思うのは、敗北を認めるようなもの。だから、そう思いたくないが、この不公平感 が、受験戦争の元凶になっていることを忘れてはならない。
●結局は、私が悪い
先週も、ワイフとこう話し合った。「こうなったら、健康しかない。幸い、ぼくたちは健康だから、
死ぬまで健康でいよう」と。健康なら、何とか働くことができる。その分、多少なりとも、収入が 見込める。「だから健康でいよう」と。
しかしもしその健康も、あやしくなったら……? 考えるだけでも、ぞっとする。さらに仕事がな
くなったら……? ますますぞっとする。どこかの老人ホームへ入ろうと考えていたが、それす らむずかしくなる。考えてみれば、こういう社会をつくってしまった、私が悪いのだ。公務員の人 だけが、どうしてこうまで手厚く保護されるのだろう。また手厚く保護しなければならないのだろ う。公務員といっても、国家公務員や地方公務員だけではない。
●それぞれの人に責任があるわけではないが……
よく政府は、「日本の公務員の数は、欧米と比べても、それほど多くない」と言う。が、これは
ウソ。国家公務員と地方公務員の数だけをみれば確かにそうだが、日本にはこのほか、公 団、公社、政府系金融機関、電気ガスなどの独占的営利事業団体がある。これらの職員の数 だけでも、「日本人のうち七〜八人に一人が、官族」(徳岡孝夫氏)だそうだ。が、これですべて ではない。この日本にはほかに、公務員のいわゆる天下り先機関として機能する、協会、組 合、施設、社団、財団、センター、研究所、下請け機関、さらに隠れファミリー企業などがある。 この組織は全国の津々浦々、市町村の「村」レベルまで完成している。あの旧文部省だけで も、こうした外郭団体が、一八〇〇団体近くもある。
こうした組織や団体の人は、この不況下にあっても、不況など、どこ吹く風。わが世の春を謳
歌している。が、そのためたまりにたまった、国の借金が、もうすぐ一〇〇〇兆円! 一〇〇 〇兆円だ! 日本人一人あたり、約六八〇〇万円! これは年収五〇〇万円(国の税収が五 〇兆円)の人が、毎月二五万円(赤字国債三〇兆円)ずつの借金をしながら、なおかつほか に、一億円の借金をかかえていることに等しい。年収五〇〇万円の人に、一億円の借金など、 返せるわけがない。一人ひとりの公務員の方に責任があるわけではないが、またすべて人件 費というわけではないが、どうかどうか、心のどこかで、うしろめたさを少しは感じてほしい。こ の日本、あまりにも不公平! 不公平すぎる!
●破産するのは確実
……と、ぼやいても、どうしようもない。どのみち、この日本は破産する。ここ数か月以内とい
う学者もいるが、数年以内という学者もいる。しかし遅れれば遅れるほど、借金は雪だるま式 にふえ、その被害は拡大する。今日は無事でも、明日、どうなるかわからない。本当は、あの バブルがはじけた直後に、清算しておくべきだった。あのころならまだ日本には体力があった。 しかし今、その体力すら使い切ってしまった。愚かな、愚かな政治の結末。そういう政治家を選 んできた、愚かな、愚かな国民の結末。先日も、テレビで暴走族の若者が、こう叫んでいた。 「お前ら、おとなに偉そうなことを言う資格はあるのかよォ!」と。一人のおとなが、彼らを口汚く ののしったときのことだ。そう、私たちおとなに、偉そうなことを言う資格はない。
ああ、私の老後は、お先、まっ暗。このところワイフは真剣なまなざしで、「どこかの国へ、移
住しようか」と言っている。まだ夢のような話だが、それも選択肢のひとつとして、考えたほうが よいかもしれない。考えてみれば、私は、この日本から優遇されたことは、ただの一度もない。 あるといえば、ワイフが出産したとき、市から祝い金を、そのつど一〇万円と少しもらっただけ (※注)。それだけ。このままどこかの国に移住しても、未練はない。仮に国が破産するときに なっても、最後の最後まで生き残るのが公務員。そしてそのあと再生するにしても、まっ先に息 を吹き返すのも、これまた公務員。構造改革(官僚政治の是正の別語)などいう言葉がある が、与党はおろか、野党の党首もみな、元中央官僚。そういう世界で、どうして構造改革などで きるというのか。
●悲しき地方根性
さらに悲しいかな、この浜松という地方都市ですら、何でもかんでも、「中央(東京)からきた」
というだけでありがたがる。国会議員も市長も、みな、元中央官僚。日本が民主主義国家だと 思っているのは、日本人だけ。学生のころ、オーストラリアで使っているテキストでは、「日本は 官僚主義国家」となっていた。「君主(ローヤル)官僚主義国家」となっているのもあった。当時 の私はこれに猛反発したが、それから三二年。日本は官僚主義国家だった。今もそうだ。役人 たち(官僚、公務員すべて)が、役人による、役人のための、役人の政治をしている。民主主義 など、隠れ蓑(みの)に過ぎない。ひとつの例を出そう。
●審議会という曲者
役人が政治を動かしたいと考えるときは、まず審議会という名前の諮問委員会をつくる。委
員は各界の有識者ということになるが、こういう委員会では、いつも人選が問題になる。どうし てその人が選ばれたか、その基準が明確ではない。そんなわけで、たいていは、役人につごう のよいイエスマンだけが選ばれる。
そういう委員会をつくり、会合を開く。しかしこの段階で、大筋の議案、討論内容は、役人が
つくる。あとは会合を数回開く。各委員の数が多ければ多いほど、それぞれの委員の発言時 間は少なくなる。しかしそれこそ役人の思うツボ。たいていは一回の会合で、一人一〇分間程 度の発言時間しかない。議論などできるわけがない。そしてそういう会合を数回開いて、委員 長に結論を出させる。これを答申というが、あとはそのお墨付きを手にして、役人たちはまさに したい放題。国家的事業の計画や国家的方針の変更はもちろんのこと、あなたの町の小さな 事業も、すべてこの方式が基本で決定されている。たとえば今回の学校五日制にしても、学習 要領の削減にしても、こうした流れで決まり、文部省の課長程度が発する一枚の紙切れ通達 で日本中が動いてしまった。
●私の遠吠え
悲観的なことばかり書いた。暗い話ばかり書いた。どうも自分の老後を考えると、こういう話
になってしまう。明るい話など、どこをつついても、出てこない。かくなる上は、やはり自分のこと は自分で守るしかない。どうせ私がこうして騒いでも、まさに犬の遠吠え。この日本という社会 は微動だにしない。何といっても、歴史が長い。奈良時代の昔から、日本は君主官僚政治の 国。だから今日も吠える。私は吠える。このところやや元気がなくなった声をふりしぼって、吠 える。
ワオー、ワオー、ワオー!
もう一度、怒りをこめて、ワオー、ワオー、ワオー!
(02−8−5、はやし浩司)
※注……もろもろの行政サービスや、施設の使用など、日本人として恩恵を受けてきたことは
事実。そういう事実をふまえて、よく「お前は、それなりに国の世話になっているではないか」と 言う人がいる。しかし日本あっての、日本人なのか。それとも日本人あっての、日本なのか。前 者はまさに全体主義を代表する考え方、後者はまさに民主主義を代表する考え方ということに なる。官僚社会には、まだこの全体主義的な発想が、色濃く残っている。
※注……たとえば日本道路公団だけでも、OBが、七〇九社(平均三人強)に天下りしている。
これは約二五〇〇人の九〇%以上。しかし実際には、そのほか隠れファミリー企業への天下 りも多く、ほぼ一〇〇%が関連企業へ天下りしているとみてよい。これに対して、民営化推進 委員会は再三、道路公団に関連会社の経営内容を示すデータの提出をもとめているが、「公 団側は完全には応じていない」(読売新聞〇二年八月)とのこと。
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講演会のお知らせ
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・21……北浜南小学校
10・30……五島小学校
10・17……島田市立第四保育園
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・26……愛知県豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
9・11……蜆塚幼稚園
9・5……静岡梨花幼稚園
8・20……南部公民館
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「子育てストレスが子どもをつぶす」リヨン社・1300円+税が
発売中です。どうかよろしくお願いします。
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは
(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。
〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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くお待ちください。
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以上、コマーシャルばかりで、すみません! よろしくお願いします!
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