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創刊:2001年6月5日
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件名:子育て情報(はやし浩司)
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====
子育て最前線の育児論
================
2001年6月6日号
by はやし浩司(ひろし)
トピックス
● はじめまして!
●育児診断ができるぞ
●子育て定期検診ができるぞ
●はやし浩司、ってどんな人?
●どんなことを考えている……?
●はじめまして!
今回から、E-マガジン、初登場です。よろしくお願いします。
子育ての最前線でがんばっている、お母さん、お父さんのためのマ
ガジンです。
この日本、エラーイ先生も、私のようなエラークない先生もいます。
どこが違う……かって?
エラーイ先生には、実戦経験がない。しかし私はいつも子育ての最
前線で、お母さんたちと戦ってきた。いわば、最前線の現場指揮官
というわけです。経験は豊富です。たいていの問題には、答えられ
ます。お助けできます。そんな私が皆さんのお役に、少しでもたて
ればと思い、このマガジンを発行することにしました。
はやし浩司
●育児診断ができるぞ!
あなたは過保護ママ? 過干渉ママ? それとも溺愛ママ?
診断方法 …… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
の「子育て診断」→「過保護ママ?」を開いてみてください。
30項目の質問に答えるだけ(少したいへんかな?)。でも一度は診
断してみてください。わかっているようで、意外とわかっていないの
が、自分の子育てです。
●子育て定期検診もできます!
あなたのお子さんは、園や学校から帰ってきたら、どこで疲れた心
と体を休めていますか。
あなたのいる前で、心と体を休めていればよし。しかし……。そん
な日常的な様子から、あなたの子育てを定期検診します。
検診方法 …… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
の「子育て診断」→「定期検診」を開いてみてください。
●はやし浩司って、どんな男?
現在、中日新聞で、子育て論を連載しています。2001年6月
で、もう丸4年になります(東海版、毎週土曜日朝刊)。
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
を開いてみてください。最近のコラム50作が、紹介されていま
す。決してあやしい男(あやしいかな?)ではありません。意外
とオーソドックス、正統派です。
☆ただいま、会員募集中!(無料です!)
ただいまE-マガジンの会員を募集しています。毎回定期的に、み
なさんのところに、E-マガジンセンターから、このようなマガジ
ンが送られてきます。どうか、ご登録ください。
無料です。一切、負担はありません。かつ、E-マガジンのもろもろ
の子育て情報を、無料で手に入れることができます。
会員登録のしかた ……
(1)下をクリックする
http://www.emaga.com/
(2)E-マガジンの画面が出てくる。
(3)右上の「検索」で、「最前線」と記入して、検索をクリック!
(4)私のE-マガジンが紹介されていますから、そこで購読を登録!
では、皆さんのご来訪をお待ちしています!
件名:子育て情報(はやし浩司)3
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子育て最前線の育児論
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2001年6月6日創刊号
by はやし浩司(ひろし)
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● はじめまして!
●育児診断ができるぞ
●子育て定期検診ができるぞ
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はやし浩司
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30項目の質問に答えるだけ(少したいへんかな?)。でも一度は診
断してみてください。わかっているようで、意外とわかっていないの
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あなたのお子さんは、園や学校から帰ってきたら、どこで疲れた心
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検診方法 …… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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●はやし浩司って、どんな男?
現在、中日新聞で、子育て論を連載しています。2001年6月
で、もう丸4年になります(東海版、毎週土曜日朝刊)。
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
を開いてみてください。最近のコラム50作が、紹介されていま
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はやし浩司の自己紹介
はやし浩司のホームページ
「はやし浩司」のホームページを紹介します。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
●「世にも不思議な留学記」……1970年の春、日豪経済委員会からの
奨学金を得た私は、オーストラリアのメルボルンに向か
った。しかしそこはまさに……?
(中日新聞の連載記事をさらに詳しく。現在、金沢大学学生
新聞に連載中。)
●「ポケモン・カルト」「クレヨンしんちゃん・野原家の子育て論」「ドラ
エもん・野比家の子育て論」を紹介。
●子育て診断、子育て定期検診、過保護・過干渉・溺愛度を診断
●子育て相談……子育て相談、子育てアドバイスなど。Q&Aコーナーも
ありますから、どうかご利用ください。
●はやし浩司(ひろし)……幼児教育にたずさわって30年。いつも最前
線で、子どもや親たちと対峙してきました。金沢大学を卒
業後、オーストラリアで研究生活を経たのち、三井物産勤
務、幼稚園講師を経て、現在教育評論家。地元静岡県を中
心に、1999年1月以後だけでも、100箇所以上の幼
稚園、小中学校などで講演活動を続けている。
30冊あまりの著書と、無数の市販教材など。詳しくは、
「はやし浩司」のホームページで、ご覧ください。
みなさんに提供できること……
☆このマガジンで、私は皆さんの子育てで、次のようなことが協力できます。
(1)30年で得た、ノウハウや、考え方、育て方の知恵をお話しできます。
(2)子どもの見方、考え方、対処のし方など、具体的に、お話しできます。
(3)みなさんの子育ての指針を、お話しできます。
中日新聞ホームページ
「子どもの世界・こんな育て方」を、お読みいただけます。
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
「混迷の時代の子育て論」
「世にも不思議な留学記」
「子どもの世界、こんな問題」と、連載が、計125回続きました。
そのうちの最近の約50作が、中日新聞社のホームページに収録されています。
(主な内容)
育児ノイローゼ
子どもの情緒不安
恐怖症
ADHD児など、子どもの心の問題
子育て四次元論
レット・イット・ビー
夫婦は一枚岩
許して忘れるなどの、育て方の問題
見たぞ、UFO
31年ぶりの約束
アメリカの小学校
学歴信仰など、豊富な内容です。
?教育の自由化は世界の流れ
?過去を再現する親たち
?フロイトの自我論
?ルービン報道官の退任
?子育て四次元論
?最近の女子高校生は・・・?
?子どもの情緒不安
?左脳教育と右脳教育
?フリーハンドの人生
?心をゆがめる子ども
?宗教論はタブー
?31年ぶりの約束
?スキンシップは魔法の力
?アイドリングする母親
?教育のおもしろさ
?幼児の発語障害
?「出て行け」米では ほうび
?大学生の親"貧乏盛り"
?見たぞ、巨大なUFO!
?多動性のある子ども
?学歴を誇るは小才
?子育てのすばらしさ
?燃え尽きる子ども
?「疑わしきは、罰する」
?恐怖症は"心の風邪"
?最高の教育とは・・・
?ぬいぐるみで育つ母性
?レット・イット・ビー
?高校野球に学ぶこと
?分離不安の子ども
?アメリカの教科書
?アルバムの不思議な力
?4割の善と4割の悪
?育児ノイローゼ
?日本人の持つ依存性
?子育ては自然体で
?子どものワーク教材
?生来の性質 過敏児
?学習意欲を奪う4悪
?急速に崩壊する「出世主義」
?「夫婦は一枚岩」で
?子どもの金銭感覚
?誤解だらけの幼児教育
?学歴信仰の盲信者
?許して忘れろ
?権威主義の象徴・水戸黄門
?キズつく子どもたち
はやし浩司のこと……
まじめに、ただひたすらまじめに、幼児教育とは何かを考えて
きました。(人間は、不完全で、情緒も不安定で、どうしようもあ
りませんが……。)
いくつかの主義があります。その一つが、「自由に生きる」です。
「自由」が、私にとって、青春時代から大きなテーマの一つでした。
今も、それについて考えつづけています。
昭和22年(1947年)岐阜県生まれ。現在53歳です。
みなさんへ
自由で、平等で、正義の通ずる国を、子どもたちに残しましょう。
家族を大切に、「今」を精一杯、自分らしく生きる生き様を大切にしましょう。
もし私に少しでも賛同してくださるようであれば、どうか、このマガジンを、
引き続き、ご購読ください。よろしくお願いします。
はやし浩司
子どもの自我について
フロイトの自我論
●自我は引き出す●自我の強い子どもは伸びる
フロイトの自我論は有名だ。それを子どもに当てはめてみると…。
自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、も
のの考え方が現実的(頼れるのは自分という考え方をする)、創造的(将来に向かって展望を もつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行動で きる。
反対に自我の弱い子どもは、ものごとに対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよ
く口にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、まじないや 占いにこる)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くな る。たとえばほしいものがあると、それにブレーキをかけられない、など。
一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみ
どころが、はっきりとしている。生活力も旺盛で、何かにつけ、前向きに伸びていく。反対に自 我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているかわからない 子どもといった印象を与える。
その自我は、伸ばす、伸ばさないという視点からではなく、引き出す、つぶすという視点から考
える。つまりどんな子どもでも、自我は平等に備わっているとみる。子どもというのは、あるべき 環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、威圧的な過干渉(親の価 値観を押しつける。親があらかじめ想定した設計図に子どもを当てはめようとする)、過関心 (子どもの側からみて息の抜けない環境)、さらには恐怖(暴力や虐待)が日常化すると、子ど もの自我はつぶれる。そしてここが重要だが自我は一度つぶれると、以後、修復するのがた いへんむずかしい。たとえば幼児期に一度ナヨナヨしてしまうと、その影響は一生続く。特に乳 幼児から満四〜五歳にかけての時期が重要である。
人間は、ほかの動物と同様、数十万年という長い年月を、こうして生き延びてきた。その過程
の中でも、むずかしい理論が先にあって、親は子どもを育ててきたわけではない。こうした本質 は、この百年くらいで変わっていない。子育ても変わっていない。変わったと思うほうがおかし い。要は子ども自身がもつ「力」を信じて、それをいかにして引き出していくかということ。子育 ての原点はここにある。
件名:子育て情報(はやし浩司)4
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子育て最前線の育児論
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2001年6月6日創刊号
by はやし浩司(ひろし)
トピックス
● はじめまして!
●育児診断ができるぞ
●子育て定期検診ができるぞ
●はやし浩司、ってどんな人?
●どんなことを考えている……?
●はじめまして!
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子育ての最前線でがんばっている、お母さん、お父さんのためのマ
ガジンです。
この日本、エラーイ先生も、私のようなエラークない先生もいます。
どこが違う……かって?
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前線で、お母さんたちと戦ってきた。いわば、最前線の現場指揮官
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ればと思い、このマガジンを発行することにしました。
はやし浩司
●育児診断ができるぞ!
あなたは過保護ママ? 過干渉ママ? それとも溺愛ママ?
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あなたのいる前で、心と体を休めていればよし。しかし……。そん
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はやし浩司の自己紹介
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奨学金を得た私は、オーストラリアのメルボルンに向か
った。しかしそこはまさに……?
(中日新聞の連載記事をさらに詳しく。現在、金沢大学学生
新聞に連載中。)
●「ポケモン・カルト」「クレヨンしんちゃん・野原家の子育て論」「ドラ
エもん・野比家の子育て論」を紹介。
●子育て診断、子育て定期検診、過保護・過干渉・溺愛度を診断
●子育て相談……子育て相談、子育てアドバイスなど。Q&Aコーナーも
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●はやし浩司(ひろし)……幼児教育にたずさわって30年。いつも最前
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業後、オーストラリアで研究生活を経たのち、三井物産勤
務、幼稚園講師を経て、現在教育評論家。地元静岡県を中
心に、1999年1月以後だけでも、100箇所以上の幼
稚園、小中学校などで講演活動を続けている。
30冊あまりの著書と、無数の市販教材など。詳しくは、
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☆このマガジンで、私は皆さんの子育てで、次のようなことが協力できます。
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「混迷の時代の子育て論」
「世にも不思議な留学記」
「子どもの世界、こんな問題」と、連載が、計125回続きました。
そのうちの最近の約50作が、中日新聞社のホームページに収録されています。
(主な内容)
育児ノイローゼ
子どもの情緒不安
恐怖症
ADHD児など、子どもの心の問題
子育て四次元論
レット・イット・ビー
夫婦は一枚岩
許して忘れるなどの、育て方の問題
見たぞ、UFO
31年ぶりの約束
アメリカの小学校
学歴信仰など、豊富な内容です。
?教育の自由化は世界の流れ
?過去を再現する親たち
?フロイトの自我論
?ルービン報道官の退任
?子育て四次元論
?最近の女子高校生は・・・?
?子どもの情緒不安
?左脳教育と右脳教育
?フリーハンドの人生
?心をゆがめる子ども
?宗教論はタブー
?31年ぶりの約束
?スキンシップは魔法の力
?アイドリングする母親
?教育のおもしろさ
?幼児の発語障害
?「出て行け」米では ほうび
?大学生の親"貧乏盛り"
?見たぞ、巨大なUFO!
?多動性のある子ども
?学歴を誇るは小才
?子育てのすばらしさ
?燃え尽きる子ども
?「疑わしきは、罰する」
?恐怖症は"心の風邪"
?最高の教育とは・・・
?ぬいぐるみで育つ母性
?レット・イット・ビー
?高校野球に学ぶこと
?分離不安の子ども
?アメリカの教科書
?アルバムの不思議な力
?4割の善と4割の悪
?育児ノイローゼ
?日本人の持つ依存性
?子育ては自然体で
?子どものワーク教材
?生来の性質 過敏児
?学習意欲を奪う4悪
?急速に崩壊する「出世主義」
?「夫婦は一枚岩」で
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?学歴信仰の盲信者
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はやし浩司のこと……
まじめに、ただひたすらまじめに、幼児教育とは何かを考えて
きました。(人間は、不完全で、情緒も不安定で、どうしようもあ
りませんが……。)
いくつかの主義があります。その一つが、「自由に生きる」です。
「自由」が、私にとって、青春時代から大きなテーマの一つでした。
今も、それについて考えつづけています。
昭和22年(1947年)岐阜県生まれ。現在53歳です。
みなさんへ
自由で、平等で、正義の通ずる国を、子どもたちに残しましょう。
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はやし浩司
子どもの自我について
フロイトの自我論
●自我は引き出す●自我の強い子どもは伸びる
フロイトの自我論は有名だ。それを子どもに当てはめてみると…。
自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、も
のの考え方が現実的(頼れるのは自分という考え方をする)、創造的(将来に向かって展望を もつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行動で きる。
反対に自我の弱い子どもは、ものごとに対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよ
く口にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、まじないや 占いにこる)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くな る。たとえばほしいものがあると、それにブレーキをかけられない、など。
一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみ
どころが、はっきりとしている。生活力も旺盛で、何かにつけ、前向きに伸びていく。反対に自 我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているかわからない 子どもといった印象を与える。
その自我は、伸ばす、伸ばさないという視点からではなく、引き出す、つぶすという視点から考
える。つまりどんな子どもでも、自我は平等に備わっているとみる。子どもというのは、あるべき 環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、威圧的な過干渉(親の価 値観を押しつける。親があらかじめ想定した設計図に子どもを当てはめようとする)、過関心 (子どもの側からみて息の抜けない環境)、さらには恐怖(暴力や虐待)が日常化すると、子ど もの自我はつぶれる。そしてここが重要だが自我は一度つぶれると、以後、修復するのがた いへんむずかしい。たとえば幼児期に一度ナヨナヨしてしまうと、その影響は一生続く。特に乳 幼児から満四〜五歳にかけての時期が重要である。
人間は、ほかの動物と同様、数十万年という長い年月を、こうして生き延びてきた。その過程
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名:子育て情報(はやし浩司)002号
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子育て最前線の育児論
================
2001年6月6日創刊号、2号合併号
by はやし浩司(ひろし)
最前線の育児論の、第2号をお届けします。後半、半分が
創刊号です。まだお読みになっていないかたは、どうかお
読みください。
************************************
●第2号のトピックス……子育て定期検診
***********第2号**********************
あなたの子育て、定期検診
あなたの子育てを定期検診してみませんか?
●日ごろの、何でもない行為の中に、あなたの子育ての問題点が隠されていることがありま
す。そこであなたの子育て、定期検診!
【検診方法】
Q項目を読んで、続いて本文を読む前に、少し頭のなかで、「私はどうかな?」「うちの子はどう
かな?」と、自問してみてください。そしてある程度、答が出たら、本文を読んでみてください。
Q 園や学校から、明るい表情で帰ってきますか?
不登校ばかりが問題になりますが、同じように深刻なのが、帰宅拒否。ある男の子(年長児)
は、帰りの時刻になるたびに、どこかへ隠れてしまいます。そこで先生たちがさがすのですが、 おかげでいつもバスの発車時刻が遅れてしまいます。「どうしてでしょう」とお母さんから相談が ありましたが、様子から私は「帰宅拒否」と判断しました。「家へ帰りたくない」という思いが、回 りまわって、子どもにそういう行動をさせるのですね。もしあなたのお子さんが、「いつも寄り道 をする」「帰りの時刻が遅い」ということであれば、この帰宅拒否を疑ってみてください。
Q おうちの方のいる前で、体や心を休めますか?
あなたのお子さんが、園や学校から帰ってきたとき、どこで体や心を休めるか、観察してみて
ください。あなたのいる前で、休めるようであればよし。しかし好んであなたのいないところや、 あるいはあなたの姿が見えると、逃げていくようであれば、要注意。あなたとお子さんの間に は、すでに小さな亀裂ができ始めているとみます。やがてそれが大きくなり、「断絶!」というこ とにもなりかねません。そうならないためにも、子育ての仕方そのものを反省してください。子ど もにとっては、家庭はやすらぎの場所。あれこれとこまかいことを言えば、あなたがいるところ では休めなくなりますね。
Q いやなことがあると、どこへ逃げて行きますか?
どんな動物にも最後の逃げ場というものがあります。その逃げ場は、神聖な場所と心得て、
子どもがその逃げ場に入ったら、そこを踏み荒らすようなことはしてはいけません。子どもはそ の逃げ場で、反省したり、心を調整したりします。子どもがそこから出てくるまで、静かに待ちま す。ふつう子どもの逃げ場は、自分の部屋などですが、そこを荒らすと、別の場所に逃げ場を 求めるようになります。トイレの中や、押し入れの中など。近所の公園の電話ボックスの中に逃 げた子ども(小二男児)や、犬小屋に逃げた子ども(小四女児)もいました。
Q おうちの方の絵を、楽しんで描きますか?
紙と鉛筆(クーピーなど)を用意して、「皆で、食事をしているところを描いてね」と指示してみ
てください。そのとき子どもが、楽しそうな表情で絵を書き始めれば、それでよし。もしそのとた ん、暗い表情になったり、拒否するようであれば、家庭のあり方をかなり反省しなければなりま せん。外からはわからなくても、お子さんの心の中に、大きなわだかまりができつつあるとみま す。園児の場合、お父さんとお母さんの顔を描かせると、ふつうお母さんを先に、しかも大きく 描く傾向があります。それだけお母さんのほうの印象が強いからです。
Q ハングリーな状態になっていますか?
同じように、こんな指示をして絵を描かせてみてください。「不思議な木があります。あなたの
ほしいものが何でもできる不思議な木です。木を描いて、あなたのほしいものをいっぱい描い てね」と。そのとき次々といろいろなものを描ければよし。そうでなくて、「何もいらない」「ほしい ものがない」というのであれば、かなりの飽食を疑ってみます。子どもを伸ばすコツは、いつも ややハングリーな状態に置くことです。「あれをしたい」「これがほしい」という思いが、子どもを 前向きに引っ張っていきます。与えすぎ、手のかけすぎは、禁物です。
Q 台所の生ゴミを、手で始末できますか?
ドラ息子症候群の大きな特徴は、「いやなことはしない」です。そこでテスト。あなたの子ども
に、「台所の生ゴミを始末して」と頼んでみてください。あるいはお風呂の排水口にたまった毛 玉でもいいです。そのときしぶしぶでも、それができればよし。が、ああでもない、こうでもないと 勝手な理由をつけてそれをしないというのであれば、かなりドラ息子、ドラ娘化が進行している とみます。さらに進行すると、「自分でしたら」と、生意気なことを言うようになります。ドラ息子化 を防ぐためには、家事をどんどん手伝わせること。子どもは、使えば使うほどよい子になりま す。
Q 重い荷物をもったあなたを、手伝いにきますか?
子どもの前で重い荷物を、苦しそうに運んでみてください。そのとき子どものほうから、「もっ
てあげる!」と言って、やってくればよし。そうでなく、知らぬふりをしたり、見て見ぬふりをして いるようであれば、かなりのドラ息子、ドラ娘とみます。さらにドラ息子化が進むと、頼んでもい やな顔をするばかりで、手伝おうともしません。人は自分で苦労して、はじめて他人の苦労の わかる人になります。子どもも同じ。よく「子どもに楽をさせることが、子どもを愛することだ」と 思っている人がいますが、これは誤解。苦労のわかる子どもにする……。それが子育ての基 本一つです。
Q お小遣いは、一〇〇倍にしていますか?
年長児から小学二年生ぐらいにかけて、子どもの金銭感覚は完成します。その金銭感覚
は、おとなのそれとほぼ同じになるとみてようでしょう。それと同時に、子どもは、お金で自分の 欲望を満足させる、そのさせ方まで覚えてしまいます。そこでコツ。子どもに買い与えるもの は、約一〇〇倍して考えます。たとえば一〇〇円のものは、おとなの一万円。一〇〇〇円のも のは、一〇万円と……。この時期に、一万円や二万円のものを、ホイホイと買い与えている と、やがてその子どもが高校生や大学生になったとき、一〇〇万円や二〇〇万円程度のもの を買い与えないと満足しなくなります。
Q 子どもの名前を、大切にしていますか?
子どもに「自分を大切にしようね」と言っても、あまり意味がありません。具体性がないからで
す。そういうときは、「名前を大切にしようね」と教えます。そして子どもの名前の出ているもの は、新聞でも雑誌でも切り抜いて、高いところやアルバムに張ったりして、大切にします。その とき、「いい名前だ」「すばらしい名前だ」と言うようにします。子どもは自分の名前を大切にする ことで、自分を大切にすることを覚えます。自尊心もそこから生まれます。なお家庭や教育の 現場で、子どもの名前をからかったり、茶化したりするのは、タブーです。(続きは、次号で!)
***********以下、創刊号*******************
トピックス
● はじめまして!
●育児診断ができるぞ
●子育て定期検診ができるぞ
●はやし浩司、ってどんな人?
●どんなことを考えている……?
●はじめまして!
今回から、E-マガジン、初登場です。よろしくお願いします。
子育ての最前線でがんばっている、お母さん、お父さんのためのマ
ガジンです。
この日本、エラーイ先生も、私のようなエラークない先生もいます。
どこが違う……かって?
エラーイ先生には、実戦経験がない。しかし私はいつも子育ての最
前線で、お母さんたちと戦ってきた。いわば、最前線の現場指揮官
というわけです。経験は豊富です。たいていの問題には、答えられ
ます。お助けできます。そんな私が皆さんのお役に、少しでもたて
ればと思い、このマガジンを発行することにしました。
はやし浩司
●育児診断ができるぞ!
あなたは過保護ママ? 過干渉ママ? それとも溺愛ママ?
診断方法 …… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
の「子育て診断」→「過保護ママ?」を開いてみてください。
30項目の質問に答えるだけ(少したいへんかな?)。でも一度は診
断してみてください。わかっているようで、意外とわかっていないの
が、自分の子育てです。
●子育て定期検診もできます!
あなたのお子さんは、園や学校から帰ってきたら、どこで疲れた心
と体を休めていますか。
あなたのいる前で、心と体を休めていればよし。しかし……。そん
な日常的な様子から、あなたの子育てを定期検診します。
検診方法 …… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
の「子育て診断」→「定期検診」を開いてみてください。
●はやし浩司って、どんな男?
現在、中日新聞で、子育て論を連載しています。2001年6月
で、もう丸4年になります(東海版、毎週土曜日朝刊)。
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
を開いてみてください。最近のコラム50作が、紹介されていま
す。決してあやしい男(あやしいかな?)ではありません。意外
とオーソドックス、正統派です。
☆ただいま、会員募集中!(無料です!)
ただいまE-マガジンの会員を募集しています。毎回定期的に、み
なさんのところに、E-マガジンセンターから、このようなマガジ
ンが送られてきます。どうか、ご登録ください。
無料です。一切、負担はありません。かつ、E-マガジンのもろもろ
の子育て情報を、無料で手に入れることができます。
会員登録のしかた ……
(1)下をクリックする
http://www.emaga.com/
(2)E-マガジンの画面が出てくる。
(3)右上の「検索」で、「最前線」と記入して、検索をクリック!
(4)私のE-マガジンが紹介されていますから、そこで購読を登録!
では、皆さんのご来訪をお待ちしています!
はやし浩司の自己紹介
はやし浩司のホームページ
「はやし浩司」のホームページを紹介します。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
●「世にも不思議な留学記」……1970年の春、日豪経済委員会からの
奨学金を得た私は、オーストラリアのメルボルンに向か
った。しかしそこはまさに……?
(中日新聞の連載記事をさらに詳しく。現在、金沢大学学生
新聞に連載中。)
●「ポケモン・カルト」「クレヨンしんちゃん・野原家の子育て論」「ドラ
エもん・野比家の子育て論」を紹介。
●子育て診断、子育て定期検診、過保護・過干渉・溺愛度を診断
●子育て相談……子育て相談、子育てアドバイスなど。Q&Aコーナーも
ありますから、どうかご利用ください。
●はやし浩司(ひろし)……幼児教育にたずさわって30年。いつも最前
線で、子どもや親たちと対峙してきました。金沢大学を卒
業後、オーストラリアで研究生活を経たのち、三井物産勤
務、幼稚園講師を経て、現在教育評論家。地元静岡県を中
心に、1999年1月以後だけでも、100箇所以上の幼
稚園、小中学校などで講演活動を続けている。
30冊あまりの著書と、無数の市販教材など。詳しくは、
「はやし浩司」のホームページで、ご覧ください。
みなさんに提供できること……
☆このマガジンで、私は皆さんの子育てで、次のようなことが協力できます。
(1)30年で得た、ノウハウや、考え方、育て方の知恵をお話しできます。
(2)子どもの見方、考え方、対処のし方など、具体的に、お話しできます。
(3)みなさんの子育ての指針を、お話しできます。
中日新聞ホームページ
「子どもの世界・こんな育て方」を、お読みいただけます。
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
「混迷の時代の子育て論」
「世にも不思議な留学記」
「子どもの世界、こんな問題」と、連載が、計125回続きました。
そのうちの最近の約50作が、中日新聞社のホームページに収録されています。
(主な内容)
育児ノイローゼ
子どもの情緒不安
恐怖症
ADHD児など、子どもの心の問題
子育て四次元論
レット・イット・ビー
夫婦は一枚岩
許して忘れるなどの、育て方の問題
見たぞ、UFO
31年ぶりの約束
アメリカの小学校
学歴信仰など、豊富な内容です。
?教育の自由化は世界の流れ
?過去を再現する親たち
?フロイトの自我論
?ルービン報道官の退任
?子育て四次元論
?最近の女子高校生は・・・?
?子どもの情緒不安
?左脳教育と右脳教育
?フリーハンドの人生
?心をゆがめる子ども
?宗教論はタブー
?31年ぶりの約束
?スキンシップは魔法の力
?アイドリングする母親
?教育のおもしろさ
?幼児の発語障害
?「出て行け」米では ほうび
?大学生の親"貧乏盛り"
?見たぞ、巨大なUFO!
?多動性のある子ども
?学歴を誇るは小才
?子育てのすばらしさ
?燃え尽きる子ども
?「疑わしきは、罰する」
?恐怖症は"心の風邪"
?最高の教育とは・・・
?ぬいぐるみで育つ母性
?レット・イット・ビー
?高校野球に学ぶこと
?分離不安の子ども
?アメリカの教科書
?アルバムの不思議な力
?4割の善と4割の悪
?育児ノイローゼ
?日本人の持つ依存性
?子育ては自然体で
?子どものワーク教材
?生来の性質 過敏児
?学習意欲を奪う4悪
?急速に崩壊する「出世主義」
?「夫婦は一枚岩」で
?子どもの金銭感覚
?誤解だらけの幼児教育
?学歴信仰の盲信者
?許して忘れろ
?権威主義の象徴・水戸黄門
?キズつく子どもたち
はやし浩司のこと……
まじめに、ただひたすらまじめに、幼児教育とは何かを考えて
きました。(人間は、不完全で、情緒も不安定で、どうしようもあ
りませんが……。)
いくつかの主義があります。その一つが、「自由に生きる」です。
「自由」が、私にとって、青春時代から大きなテーマの一つでした。
今も、それについて考えつづけています。
昭和22年(1947年)岐阜県生まれ。現在53歳です。
みなさんへ
自由で、平等で、正義の通ずる国を、子どもたちに残しましょう。
家族を大切に、「今」を精一杯、自分らしく生きる生き様を大切にしましょう。
もし私に少しでも賛同してくださるようであれば、どうか、このマガジンを、
引き続き、ご購読ください。よろしくお願いします。
はやし浩司
子どもの自我について
フロイトの自我論
●自我は引き出す●自我の強い子どもは伸びる
フロイトの自我論は有名だ。それを子どもに当てはめてみると…。
自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、も
のの考え方が現実的(頼れるのは自分という考え方をする)、創造的(将来に向かって展望を もつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行動で きる。
反対に自我の弱い子どもは、ものごとに対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよ
く口にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、まじないや 占いにこる)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くな る。たとえばほしいものがあると、それにブレーキをかけられない、など。
一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみ
どころが、はっきりとしている。生活力も旺盛で、何かにつけ、前向きに伸びていく。反対に自 我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているかわからない 子どもといった印象を与える。
その自我は、伸ばす、伸ばさないという視点からではなく、引き出す、つぶすという視点から考
える。つまりどんな子どもでも、自我は平等に備わっているとみる。子どもというのは、あるべき 環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、威圧的な過干渉(親の価 値観を押しつける。親があらかじめ想定した設計図に子どもを当てはめようとする)、過関心 (子どもの側からみて息の抜けない環境)、さらには恐怖(暴力や虐待)が日常化すると、子ど もの自我はつぶれる。そしてここが重要だが自我は一度つぶれると、以後、修復するのがた いへんむずかしい。たとえば幼児期に一度ナヨナヨしてしまうと、その影響は一生続く。特に乳 幼児から満四〜五歳にかけての時期が重要である。
人間は、ほかの動物と同様、数十万年という長い年月を、こうして生き延びてきた。その過程
の中でも、むずかしい理論が先にあって、親は子どもを育ててきたわけではない。こうした本質 は、この百年くらいで変わっていない。子育ても変わっていない。変わったと思うほうがおかし い。要は子ども自身がもつ「力」を信じて、それをいかにして引き出していくかということ。子育 ての原点はここにある。
件名:子育て情報(はやし浩司)2001/06/17
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====
子育て最前線の育児論
================
2001年6月17日号(003号)
by はやし浩司(ひろし)
★★★★★★★★
01−6−17号
★★★★★★★★
朝晩は気持ちのよい日になりました。お元気ですか?
「はやし浩司のホームページ」が、またまた充実しました。
また、ぜひ、ご覧になってください。
はやし浩司(ひろし)
*********************************
ホームページに、またまた新しいコーナーが、新登場!
●お子さん向けの、「読んでね」コーナー
●「子どもチェックシート」
**********************************
(近況ニュース)
★6月29日(金曜日)午前10時〜より、静岡県教育委員会主催の
「教育講演会」で、基調講演をいたします。
場所:可美総合センターにて
(午後からは、パネルディスカッションを予定しています)
お申し込みは …… 053−458−7304です。
★「別冊PHP」9月号 (7月23日発売)増刊号にて、
「子どもをほめるコツ・しかるコツ」の特集記事を書かせてもらいました。
ぜひ、書店で、お買い求めください。
************************************
中日新聞(東海版)では、
「乱舞するイメージ」を書きました。
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
を、ご覧ください。
右脳教育への疑問を、この記事の中に織り込みました。
なお新聞のほうは、「人間は考えるアシ」を掲載してもらいました。
インターネットでは、6月22日以後、紹介されます。よろしく!
*********************************
「読んでね」コーナーは、直接お子さんに呼びかけるコーナーです。
お子さんが、読んでくださることを願っています。
対象年齢は、小4〜中学生を考えて、書きました。
賢明な人、愚(おろ)かな人
賢明な人はね、なくす前に、その価値に気づくんだよ。
しかしね、愚かな人は、なくしてから、その価値に気づくんだよ。
たとえば健康。たとえば時間。たとえば家族。
それからね、愚かな人とは、つきあってはダメだよ。
愚かな人とつきあっていると、君たちまで、愚かになるよ。
いいかな。
自分よりすぐれている人を見つけて、
その人をいつも目標にするといいよ。
賢明な人はね、いつも自分より、より賢明な人をみつけて、
自分の力のないことを、嘆くのさ。
愚かな人はね、いつも自分より、より愚かな人をみつけて、
それで自分をなぐさめるのさ。
それからね、賢明な人は、愚かな人を相手にしない。
でもね愚かな人は、賢明な人に、あれこれ文句を言ってくる。
自分が愚かだとわかっていないからね。
だからちょうど、図書館で本を選ぶように、
君たちも、友や仲間を選ぶんだよ。
これはとても大切なことだよ。
バカな人
ついでにね、
「フォレスト・ガンプ」という映画の中で、
フォレストのお母さんが、こう言うよ。
「バカなことをする人を、バカと言うのよ。頭じゃ、ないのよ」と、ね。
いい映画だから、一度は見てごらん。
いいかな。バカなことをする人を、バカというんだよ。
勉強ができないとか、成績が悪いとか、そういうことではないよ。
バカなことをする人を、バカというんだよ。
タバコを吸ったり、バイクで夜中に騒いだり、
ゴミを平気で捨てたり、道路にツバをはいたり、
人をキズつけるようなことを平気で言う人を
バカって、いうんだよ。
人をいじめたり、いやがらせをしたり、仲間ハズレをしたりして
おもしろがっている人を、バカっていうんだよ。
君は、そのバカな人ではないんだよ。
だってね、
この文章を読んでね、バカの本当の意味がわかったからね。
相手のこと
イギリスのことわざに、ね、
「相手は、自分が相手を思うように、自分を思う」というのが、あるよ。
つまりね、
君が、AさんならAさんを、「いい人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いい人だ」と思っているということ。
君が、AさんならAさんを、「いやな人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いやな人だ」と思っているということ。
そういう意味でね、人間の心は、カガミのようなものだね。
だからね、みんなと仲よくしたかったら、みんなのことを「いい人だ」と
思うようにするといいよ。そうするとね、みんなも、君のことを
「いい人だ」と思うようになるよ。やってみたら?
家庭
君は、どこで心を休めているのかな?
家の中。そう家の中だよね。
でも、その家の中のどこかな?
居間かな? 台所かな?
「トイレの中」と言った人もいたよ。
「お風呂の中」と言った人もいたよ。
あるいは「ふとんの中」と言った人もいたよ。
でもね、もし君が、家族のいる、
みんなの中が、一番安心できるとしたら、
それはすばらしいことだよ。
君は、すばらしい家族をもっているということ。
うらやましい、ね。
もしそうなら、君は、君の家族を、
大切にしたらいいよ。
自信をもって、ね。
(ほか、30項目)続きはホームページで
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
**********************************
子どもチェックシート
「うちの子はどんな子だろう……?」と思われたら、ぜひ、お読みください。
過干渉児
□性格が内閉し、自信喪失ぎみ。どこかオドオドしている。
□はきはきしたところがなく、心因性の下痢、腹痛、脱毛症を訴える。
□行動は消極的で、他人について行く感じ。生活力が弱い(以上、内閉型)。
□言動が粗放(ガサツ)で、乱暴。静かな落ちつきがない。
□他人に対して無頓着、無遠慮。時にめちゃめちゃな積極性を示す(以上、粗放型)。
拒否症
□なにかの作業をさせようとすると、かたくなにそれを拒む。
□無理にさせようとすると、体をかたくし、視線をそらす。
□ため息をはく、ささいなことにこだわるなど、気うつ症状もある。
□もともと暗示に弱く、神経質で繊細な面がある。
□どちらかというと、融通がきかないタイプだと思う。
集中力のない子ども
□注意力が散漫で集中力がなく、すべてにあきっぽい。
□瞬間的な興奮性や集中力はみ見せるものの、持続性がない。
□注意しても効果なく、ぼんやりと空をみつめたり、うつろな目つきをする。
□体をダラダラとさせ、作業をさせても時間つぶしばかりをする。
□全体に伸び悩んでいる。時間をかけている割に成果がでない。
ひ弱な子ども
□外の世界ではすぐいじけ、くじけやすい。依存心が強く、すぐ助けを求める。
□決断力に欠け、意思がはっきりしない。友だちにいじめられる。
□特に友人関係でたくましさに欠け、抗議したり、喧嘩ができない。
□反面、家の中では内弁慶になり、暴言をはいたり乱暴をすることが多い。
□社会に適応しにくい性格だと思う。
(ほか30項目)続きはホームページで
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
**********************************
ホームページは
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
を、ご覧ください。
**********************************
ほかに……
「こどものページ」が充実しました!
エッセイが、全体で、10作ほど、ふえました!
**********************************
********(以下、第2号です)******************
はじめての方は、どうかお読みください。
最前線の育児論の、第2号をお届けします。
************************************
●第2号のトピックス……子育て定期検診
***********第2号**********************
あなたの子育て、定期検診
あなたの子育てを定期検診してみませんか?
●日ごろの、何でもない行為の中に、あなたの子育ての問題点が隠されていることがありま
す。そこであなたの子育て、定期検診!
【検診方法】
Q項目を読んで、続いて本文を読む前に、少し頭のなかで、「私はどうかな?」「うちの子はどう
かな?」と、自問してみてください。そしてある程度、答が出たら、本文を読んでみてください。
Q 園や学校から、明るい表情で帰ってきますか?
不登校ばかりが問題になりますが、同じように深刻なのが、帰宅拒否。ある男の子(年長児)
は、帰りの時刻になるたびに、どこかへ隠れてしまいます。そこで先生たちがさがすのですが、 おかげでいつもバスの発車時刻が遅れてしまいます。「どうしてでしょう」とお母さんから相談が ありましたが、様子から私は「帰宅拒否」と判断しました。「家へ帰りたくない」という思いが、回 りまわって、子どもにそういう行動をさせるのですね。もしあなたのお子さんが、「いつも寄り道 をする」「帰りの時刻が遅い」ということであれば、この帰宅拒否を疑ってみてください。
Q おうちの方のいる前で、体や心を休めますか?
あなたのお子さんが、園や学校から帰ってきたとき、どこで体や心を休めるか、観察してみて
ください。あなたのいる前で、休めるようであればよし。しかし好んであなたのいないところや、 あるいはあなたの姿が見えると、逃げていくようであれば、要注意。あなたとお子さんの間に は、すでに小さな亀裂ができ始めているとみます。やがてそれが大きくなり、「断絶!」というこ とにもなりかねません。そうならないためにも、子育ての仕方そのものを反省してください。子ど もにとっては、家庭はやすらぎの場所。あれこれとこまかいことを言えば、あなたがいるところ では休めなくなりますね。
Q いやなことがあると、どこへ逃げて行きますか?
どんな動物にも最後の逃げ場というものがあります。その逃げ場は、神聖な場所と心得て、
子どもがその逃げ場に入ったら、そこを踏み荒らすようなことはしてはいけません。子どもはそ の逃げ場で、反省したり、心を調整したりします。子どもがそこから出てくるまで、静かに待ちま す。ふつう子どもの逃げ場は、自分の部屋などですが、そこを荒らすと、別の場所に逃げ場を 求めるようになります。トイレの中や、押し入れの中など。近所の公園の電話ボックスの中に逃 げた子ども(小二男児)や、犬小屋に逃げた子ども(小四女児)もいました。
Q おうちの方の絵を、楽しんで描きますか?
紙と鉛筆(クーピーなど)を用意して、「皆で、食事をしているところを描いてね」と指示してみ
てください。そのとき子どもが、楽しそうな表情で絵を書き始めれば、それでよし。もしそのとた ん、暗い表情になったり、拒否するようであれば、家庭のあり方をかなり反省しなければなりま せん。外からはわからなくても、お子さんの心の中に、大きなわだかまりができつつあるとみま す。園児の場合、お父さんとお母さんの顔を描かせると、ふつうお母さんを先に、しかも大きく 描く傾向があります。それだけお母さんのほうの印象が強いからです。
Q ハングリーな状態になっていますか?
同じように、こんな指示をして絵を描かせてみてください。「不思議な木があります。あなたの
ほしいものが何でもできる不思議な木です。木を描いて、あなたのほしいものをいっぱい描い てね」と。そのとき次々といろいろなものを描ければよし。そうでなくて、「何もいらない」「ほしい ものがない」というのであれば、かなりの飽食を疑ってみます。子どもを伸ばすコツは、いつも ややハングリーな状態に置くことです。「あれをしたい」「これがほしい」という思いが、子どもを 前向きに引っ張っていきます。与えすぎ、手のかけすぎは、禁物です。
Q 台所の生ゴミを、手で始末できますか?
ドラ息子症候群の大きな特徴は、「いやなことはしない」です。そこでテスト。あなたの子ども
に、「台所の生ゴミを始末して」と頼んでみてください。あるいはお風呂の排水口にたまった毛 玉でもいいです。そのときしぶしぶでも、それができればよし。が、ああでもない、こうでもないと 勝手な理由をつけてそれをしないというのであれば、かなりドラ息子、ドラ娘化が進行している とみます。さらに進行すると、「自分でしたら」と、生意気なことを言うようになります。ドラ息子化 を防ぐためには、家事をどんどん手伝わせること。子どもは、使えば使うほどよい子になりま す。
Q 重い荷物をもったあなたを、手伝いにきますか?
子どもの前で重い荷物を、苦しそうに運んでみてください。そのとき子どものほうから、「もっ
てあげる!」と言って、やってくればよし。そうでなく、知らぬふりをしたり、見て見ぬふりをして いるようであれば、かなりのドラ息子、ドラ娘とみます。さらにドラ息子化が進むと、頼んでもい やな顔をするばかりで、手伝おうともしません。人は自分で苦労して、はじめて他人の苦労の わかる人になります。子どもも同じ。よく「子どもに楽をさせることが、子どもを愛することだ」と 思っている人がいますが、これは誤解。苦労のわかる子どもにする……。それが子育ての基 本一つです。
Q お小遣いは、一〇〇倍にしていますか?
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トピックス
● はじめまして!
●育児診断ができるぞ
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●はやし浩司、ってどんな人?
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今回から、E-マガジン、初登場です。よろしくお願いします。
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前線で、お母さんたちと戦ってきた。いわば、最前線の現場指揮官
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はやし浩司
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が、自分の子育てです。
●子育て定期検診もできます!
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(中日新聞の連載記事をさらに詳しく。現在、金沢大学学生
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稚園、小中学校などで講演活動を続けている。
30冊あまりの著書と、無数の市販教材など。詳しくは、
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(1)30年で得た、ノウハウや、考え方、育て方の知恵をお話しできます。
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育児ノイローゼ
子どもの情緒不安
恐怖症
ADHD児など、子どもの心の問題
子育て四次元論
レット・イット・ビー
夫婦は一枚岩
許して忘れるなどの、育て方の問題
見たぞ、UFO
31年ぶりの約束
アメリカの小学校
学歴信仰など、豊富な内容です。
?教育の自由化は世界の流れ
?過去を再現する親たち
?フロイトの自我論
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?左脳教育と右脳教育
?フリーハンドの人生
?心をゆがめる子ども
?宗教論はタブー
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?スキンシップは魔法の力
?アイドリングする母親
?教育のおもしろさ
?幼児の発語障害
?「出て行け」米では ほうび
?大学生の親"貧乏盛り"
?見たぞ、巨大なUFO!
?多動性のある子ども
?学歴を誇るは小才
?子育てのすばらしさ
?燃え尽きる子ども
?「疑わしきは、罰する」
?恐怖症は"心の風邪"
?最高の教育とは・・・
?ぬいぐるみで育つ母性
?レット・イット・ビー
?高校野球に学ぶこと
?分離不安の子ども
?アメリカの教科書
?アルバムの不思議な力
?4割の善と4割の悪
?育児ノイローゼ
?日本人の持つ依存性
?子育ては自然体で
?子どものワーク教材
?生来の性質 過敏児
?学習意欲を奪う4悪
?急速に崩壊する「出世主義」
?「夫婦は一枚岩」で
?子どもの金銭感覚
?誤解だらけの幼児教育
?学歴信仰の盲信者
?許して忘れろ
?権威主義の象徴・水戸黄門
?キズつく子どもたち
はやし浩司のこと……
まじめに、ただひたすらまじめに、幼児教育とは何かを考えて
きました。(人間は、不完全で、情緒も不安定で、どうしようもあ
りませんが……。)
いくつかの主義があります。その一つが、「自由に生きる」です。
「自由」が、私にとって、青春時代から大きなテーマの一つでした。
今も、それについて考えつづけています。
昭和22年(1947年)岐阜県生まれ。現在53歳です。
みなさんへ
自由で、平等で、正義の通ずる国を、子どもたちに残しましょう。
家族を大切に、「今」を精一杯、自分らしく生きる生き様を大切にしましょう。
もし私に少しでも賛同してくださるようであれば、どうか、このマガジンを、
引き続き、ご購読ください。よろしくお願いします。
はやし浩司
子どもの自我について
フロイトの自我論
●自我は引き出す●自我の強い子どもは伸びる
フロイトの自我論は有名だ。それを子どもに当てはめてみると…。
自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、も
のの考え方が現実的(頼れるのは自分という考え方をする)、創造的(将来に向かって展望を もつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行動で きる。
反対に自我の弱い子どもは、ものごとに対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよ
く口にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、まじないや 占いにこる)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くな る。たとえばほしいものがあると、それにブレーキをかけられない、など。
一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみ
どころが、はっきりとしている。生活力も旺盛で、何かにつけ、前向きに伸びていく。反対に自 我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているかわからない 子どもといった印象を与える。
その自我は、伸ばす、伸ばさないという視点からではなく、引き出す、つぶすという視点から考
える。つまりどんな子どもでも、自我は平等に備わっているとみる。子どもというのは、あるべき 環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、威圧的な過干渉(親の価 値観を押しつける。親があらかじめ想定した設計図に子どもを当てはめようとする)、過関心 (子どもの側からみて息の抜けない環境)、さらには恐怖(暴力や虐待)が日常化すると、子ど もの自我はつぶれる。そしてここが重要だが自我は一度つぶれると、以後、修復するのがた いへんむずかしい。たとえば幼児期に一度ナヨナヨしてしまうと、その影響は一生続く。特に乳 幼児から満四〜五歳にかけての時期が重要である。
人間は、ほかの動物と同様、数十万年という長い年月を、こうして生き延びてきた。その過程
の中でも、むずかしい理論が先にあって、親は子どもを育ててきたわけではない。こうした本質 は、この百年くらいで変わっていない。子育ても変わっていない。変わったと思うほうがおかし い。要は子ども自身がもつ「力」を信じて、それをいかにして引き出していくかということ。子育 ての原点はここにある。
件名:子育て情報(はやし浩司)2001/06/24
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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子育て最前線の育児論
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2001年6月24日号(004号)
by はやし浩司(ひろし)
★★★★★★★★
01−6−24号
★★★★★★★★
つゆの中休み?
うっとおしい雨がやんで今日は一日
暑い日でした。お元気ですか?
はやし浩司(ひろし)
*********************************
4号のトピックス
「子どもの叱り方、ほめ方」について考えてみました。
**********************************
叱り方・ほめ方
●叱り方・ほめ方は、家庭教育の要(かなめ)
子どもを叱るときの、最大のコツは、恐怖心を与えないこと。「威圧で閉じる子どもの耳」と考
える。中に親に叱られながら、しおらしい様子をしている子どもがいるが、反省しているから、 そうしているのではない。怖いからそうしているだけ。親が叱るほどには、効果は、ない。叱ると きは、次のことを守る。
(1)人がいうところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)、(2)大声で怒鳴らない。そ
のかわり言うべきことは、繰り返し、しつこく言う。「子どもの脳は耳から遠い」と考える。聞いた 説教が、脳に届くには、時間がかかる。(3)相手が幼児のばあいは、幼児の視線にまで、おと なの体を低くすること(威圧感を与えないため)。視線をはずさない(真剣であることを、子ども に伝えるため)。子どもの体を、しっかりと親の両手で、制止して、きちんとした言い方で話すこ と。にらむのはよいが、体罰は避ける。特に頭部への体罰は、タブー。体罰は与えるとしても、 「お尻」と決めておく。実際、約五〇%の親が、何らかの形で、子どもに体罰を与えている。
次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、「忠告は秘かに、賞賛は公(おおや
け)に」と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめること。そ のとき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめる。特 に子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。顔やスタイルについては、ほめない ほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見てくれや、かっこうばかりを気にす るようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女子中学生がいた。また「頭」に ついては、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重にする。頭をほめすぎて、子ども がうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。
叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、「励まし」。すでに悩んだり、苦しんだり、さらにはがん
ばっている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。ムダであるばかりか、かえって子どもか らやる気を奪ってしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなことでは!」式の、脅しもタブー。 結果が悪くて、子どもが落ち込んでいるときはなおさら、そっと「あなたはよくがんばった」式の 前向きの理解を示してあげる。
叱り方、ほめ方は、家庭教育の要であることはまちがいない。
************************************
はやし浩司のHPのほうでは、写真入りで、「叱り方」を解説します。
「子どもの指導法」のコーナーをお読みください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
(写真が入るのは、6月27日以後の予定です。)
**************************************
こんな怒り方は、がまんのし方は、
子どもを、ダメにする!
「別冊PHP」(1997年・7月号で発表した原稿を転載します)
子育ては、言わば、条件反射の集まりのようなものです。そのとき、その場で、いちいち考え
て子どもを叱ったり、怒ったりする人はいません。たいていの人は、「頭の中ではわかっている のですが、その場になると、ついカーッとして……」と言います。
ただ最近の傾向としては、小子化の流れの中で、子どもの機嫌をそこねまいと、叱るべきと
きに叱らない親、怒るべきときに怒らない親がふえています。あるいは強く叱ったあとに、「さっ きは、ごめんね。お母さんが悪かった」と、子どもに謝る親も珍しくありません。こういう親の心 のスキ間をねらって、子どもはドラ息子、ドラ娘化します。
また子育てに不安を抱いていたり、子どもに何らかの不信感をもっている親は、どうしても子
どもを必要以上に強く叱ったり、怒ったりします。「いったい、いつになったら、あなたは私の言 うことが聞けるの!」と、です。あとはこの悪循環の中で、子どもはますます自分で考えたり判 断したりすることができなくなり、親の叱り方はますますはげしくなるというわけです。
が、何が悪いかといって、親の情緒不安ほど悪いものはありません。先週は子どもがお茶を
こぼしたときは何も言わなかった親が、今週は、子どもがお茶をこぼしたりすると、子どもの顔 が青ざめるほど子どもを怒鳴り散らすなど。こういう環境だと、子どもの性格は内閉し、さらに 悪い場合には、精神そのものが萎縮してしまいます。
園や学校などでも、皆が大声で笑うようなときでも、皆と一緒に笑えず、口もとをゆがめてクッ
クッと笑うなど。なお悪いことに、このタイプの親は、静かで従順な子どもほど、「いい子」と誤解 して、ますます子どもを悪い方向に追いやってしまう傾向があります。
叱り方、がまんのし方は、子育ての中でも要(かなめ)と言えるほど、重要であり、またそれだ
けに難しいことおです。叱るときや、がまんするときは、「ここが教育」と心してあたるようにしま す。
ポイント1
朝、ぐずぐずする。……ストレスを発散させてやる
子どもは、自分の精神状態をうまくコントロールできません。そのため、心理的な抑圧状態が
続いたり、欲求不満が蓄積すると、それを「ぐずる」という方法で、表現します。暴れたり、暴言 を吐いたりするのをプラス型とするなら、ぐずるタイプはマイナス型ということになります。
だから表面的な症状だけをとらえて、それを悪いことだと決めてかからないこと。対処方法と
しては、ぐずるだけぐずらせながら、(たいていはぐずることによって、子どもはストレスを発散 させる)、様子をみます。それでもぐずるようであれば、原因をさがしますが、情緒が不安定な 子どもの場合、原因そのものがはっきりしないのが、ふつうです。
そういうときは、カルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、スキンシップを、よ
り濃厚なものにします。叱ったり、つきはなしたりすることは、かえって逆効果で、症状をこじら せます。
ポイント2
忙しいときに、まとわりつく……早めに子離れ、親離れの準備を
こんなことがありました。あるオランダ人夫妻(夫はイギリス人、妻はオランダ人)の家に遊び
に行ったときのこと。五歳になる女の子が、たまたま読書をしていたお母さんに話しかけてきま した。そのときお母さんは、ひととおり女の子の言い分に耳を傾けたあと、その女の子にこう言 いました。「お母さんは、今、本を読んでいます。じゃましないでね」と。
欧米人は(自分の時間)(子どもと接する時間)というのを、実にはっきりと使い分けていま
す。欧米流の子育て法が、必ずしもよいというわけではありませんが、こういう毅然(きぜん)と した態度が、「私は、私。あなたはあなた」というものの考え方を育てていきます。
つまるところ子育てというのは、子どもを自立させ、よき家庭人に育てることです。そういう視
点に立つなら、親はできるだけ早い時期に、子離れの準備をし、子どもには親離れの心がまえ をもたせます。忙しかったら、「忙しいから、あとでね……」と言う。子どもの遠慮する必要はあ りません。
ポイント3
外出時に言うことを聞かない……自己主張には耳を傾ける
自己主張とわがままは区別します。また自己主張と、とじこもり(がんこ)は区別します。自己
主張には、それをする理由がありますが、わがままにはありません。「お兄ちゃんは、この前、 ○○をしてもらったのに、ぼくはしてもらっていない」と訴えるのは、自己主張ですが、理由もな く、「あれほしてほしい、これをしてほしい」と騒ぐのは、わがままです。また自分の「カラ」に閉じ こもり、がんこになることは自己主張とは言いません。
そこで子どもがワーワーと、その自己主張を始めたら、反論すべきことは反論しながらも、子
どもの言い分には、耳を傾けるようにします。その自己主張をする子どもほど、あとあとたくま しい子どもになります。根性(がんばる力)や、忍耐力(いやなことをがまんしてする力)も、そこ から生まれます。
わがままに対しては、一般的には、無視するという方法で対処します。わがままは言ってもム
ダだという環境を整えるようにします。子どもの「がんこ」については、生まれつきの問題、さら には情緒の問題がからむため、無理をすれば、かえって逆効果です。
ポイント4
片づけをしない……こまごましたことは言わない
子どもに「先生の話をよく聞くのですよ」とか、「友だちと仲よくするのですよ」と言っても、意味
がありません。具体性がないからです。そういうときは、「先生が、どんな話をしたか、あとでマ マに話してね」とか、「この○○を、Aさんにもっていってあげてね。きっとAさん、喜ぶわよ」と言 いなおします。同じように、子どもに、「部屋のあと片づけをしなさい」と言っても、意味がありま せん。子どもには、その必要性がないからです。
こういうときは、たとえば「おもちゃは一つ」と教えます。遊ぶおもちゃはいつも一つ、と決めさ
せるわけです。こうすれば、子どもは次のおもちゃで遊びたいがため、前のおもちゃは片づけ るようになります。
しかし一言。子どもにとっては、家庭は休息とやすらぎの場所だということを忘れてはなりま
せん。アメリカの劇作家は、こう言っています。「ビロードのクッションの上よりも、カボチャの頭 の上に座ったほうが、気が休まる」と。子どもが外の世界をもつようになったら、こまごまとした ことを、あまりうるさく言わないことです。
ポイント5
兄弟げんか……よき聞き役に
兄弟げんかについて、いろいろ言われています。「歳の近い姉妹は、憎しみ相手」とか、「仲
のよい兄弟ほど、よくけんかする」とか、など。さらに下の子どもが生まれると、本能的な嫉妬 心から、上の子どもが赤ちゃんがえりを起こしたり、下の子どもに陰湿かつ執拗(しつよう)ない じめを繰り返すこともあります。
しかし常識の範囲内の、ふつうの兄弟げんかなら、させたいだけさせます。子どもは兄弟げ
んかを通して、社会性を学び、問題解決の技法を学びます。互いのライバル心が、子どもどう しを伸ばすこともあります。
ただしいくつかのルールがあります。まず暴力に訴え始めたら、制止すること。次に互いの言
い分をよく聞きながらも、親側が判断をくだしたり、一方的に一方を責めたり、罰したりしないこ とです。
要するに「よき聞き役」になるということですが、たいていはそれで兄弟げんかはおさまりま
す。
ポイント6
勉強しない……勉強は楽しいものと思わせる
子どもの勉強ぐせをそぐものに、次の四悪があります。無理、強制、条件、それに比較です。
能力を超えた勉強を与えることを無理、時間を決めたりノルマを課し、それを強要すること
を、強制といいます。さらに「100点を取ったら、おこづかいを1000円あげる」というのが、条 件。「○○君は、もう小二の漢字が読めるのよ。あなたは読めないわね」というのが、比較で す。条件づけが日常化すると、子どもは自分自身(「私は私」という考え方)を見失ってしまいま す。
ただ幼児の場合、勉強するとかしないとかいうことではなく、「勉強は楽しいものだ」という潜
在意識をつくることに心がけます。イギリスの格言にも、「楽しく学ぶ子どもは、よく学ぶ」という のがあります。この時期、一度、勉強嫌いにしてしまうと、その後、立ち直るのが、たいへんむ ずかしくなります。そのためにも四悪は避けます。
ポイント7
泣きやまない……ぼんやりする時間をふやし、ズキンシップを多くする
子どもの泣き方にもいろいろあります。
シクシク泣く、くやし泣き。サメザメ泣く、悲し泣き。グズグズ泣く、ぐずる泣き。ワーワー泣く、
訴え泣き。ギャーギャー泣く、ヒステリー泣きなど。また子どもにも、うつ症があります。ささいな ことを気にして、いつまでも泣く、ジクジク泣いたりします。あるいは突発的に大声をあげて泣き 出したり、暴れたりすることもあります。ほかにかんしゃく発作による、キーキー泣きもありま す。
園や学校などで、いい子ぶり、ストレスをためやすい子どもほど、注意します。このタイプの子
どもの対処方法は、まず(1)一人でぼんやりとできる時間と場所を用意してあげること。家族 の人があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果です。次に(2)カルシウム、マグネシウム分 の多い食生活にこころがけ、(3)やさしいスキンシップを大切にします。スキンシップには、人 知を超えた(?)不思議な力があります。魔法の力といってよいかもしれません。特に情緒が不 安定な子どもには、有効です。理由もなく、いつまでも泣き続けるようであれば、このスキンシッ プを濃厚にしてみてください。
ポイント8
ものを大切にしない……ハングリーな子どもは伸びる
ものを大切にしないというのは、いわゆるドラ息子(娘)症候群の一つですが、このタイプの子
どもが裕福な家庭の子どもばかりかというと、そうではないというのが、最近の傾向です。
その背後には、飽食と甘やかしがあるわけですが、小子化がそれに拍車をかけます。子ども
が何かをほしがる前に、何でもホイホイと与えてしまう、などです。
子どもの生活力を養う秘訣は、常に子どもをややハングリーな状態に置くことですが、家庭で
はこんなテストをしてみてください。紙とクレヨンを与え、「ここに魔法の木があります。あなたの ほしいものが、何でもできる不思議な木です。木を描いて、あなたのほしいものをいっぱい描い てみてください」と指示します。子どもが次々とほしいものを描けばよし。「ほしいものがない」と か、何か一種類のものだけを描くようであれば、飽食を疑ってみます。生活力の旺盛な子ども ほど、あらゆる方向に触覚が向いていて、その分だけ、ほしいものをいっぱいもっています。
ポイント9
言葉づかいが悪い……人前できちんと話せればよしとする
子どもの口にフタをすることはできません。神様でもできません。つまり子どもの口が悪いの
は、当たり前。また言葉づかいが悪いからといって、それを責めても意味がありません。ムダ です。むしろ悪い言葉も使えないほど、子どもを追いやってしまってはいけません。時にはお母 さんに向かって、「ババア」と言うこともありますが、ものを自由に言うということも、幼児の心の 発達には必要なのです。
むしろ言葉で注意しなければならないのは、(1)正しい言葉であるか、(2)豊かな言葉である
か、です。「ジュース、ほしい」ではなく、「私はジュースを飲みたいです」と言えるかどうか。また 夕日を見たとき、ただ「わー、すごい、すごい」だけではなく、「美しい」「感動的」「ロマンチック ね」と、いろいろな言葉で表現できるかどうか、です。こうした基本的な言葉能力は、家庭環 境、特に母親の言葉能力によるところが大きい、です。もしあなたの子どもの言葉能力が貧弱 であれば、子どもを責めるのではなく、あなた自身が反省すべきだということです。
ポイント10
テレビゲームばかりする……頭ごなしの禁止命令は避ける
もう一〇年以上も前から、教育界では、この問題について大論争が続けられています。そし
てその結論は、「時代の流れには逆らわない」です。
私が子どものころには、マンガの功罪がさかんに論じられていたように思います。一時は「マ
ンガ禁止令」まで出されたことがあります(岐阜県)。しかし当時すでに手塚治虫氏が活躍して いましたから、今から思えば、ずいぶんと時代錯誤の禁止令だったと思います。
ただマニアは別です。テレビゲームに夢中になるあまり、現実と空想の世界の区別がつかな
くなってしまったり、四六時中、そのことが頭から離れなくなったり……、というのは、もう「ゲー ム」ではありません。ある男の子(小五)は、真夜中にまで起きて、一人でゲームをしていまし た。こうなればやめさせます。
ふつうは時間と場所を決めて許すとか、反射運動型のゲーム(指先の器用さだけを競うゲー
ム)は避けるという方法で対処します。
(注意)「テレビゲーム」の害毒は、私がその後、あちこちの原稿で指摘しています。
ポイント11
おねしょ……マイナスは無視。プラスはほめる。
最近の研究では、おねしょは、多尿症や頻尿症と並んで、大脳生理学の分野で、機能障害
の一つとして説明されるようになってきています。つまり叱ってもムダであるばかりか、かえって 症状をこじらせたり、長引かせたりしまいますから注意してください。よく毎晩、真夜中に子ども を起こしてトイレへ連れていくというようなことをする人がいますが、子どもをかえって神経質に してしまい、やはり逆効果です。
ではどうするか? 子どものおねしょは、「ほめてなおす」です。つまりおねしょをした朝は、そ
れを無視。おねしょをしなかった朝は、それをほめるという方法です。そしてあとはあきらめま す。
あるお母さんは、「ようし、あと一、二年は覚悟するぞ。したければしなさい」と宣言しました
が、そう宣言したとたん、いつの間にかおねしょはなおってしまったそうです。
おねしょというのはそういうものです。子どもにとっては、とても気持ちのよいもの(濡れたふと
んは別!)であることを、理解してあげてください。
************************************
*************************************
(以下第3号です)−4号以後、購読を始められた方は、どうかお読みください。
**********************************
●お子さん向けの、「読んでね」コーナー
●「子どもチェックシート」
**********************************
(近況ニュース)
★6月29日(金曜日)午前10時〜より、静岡県教育委員会主催の
「教育講演会」で、基調講演をいたします。
場所:可美総合センターにて
(午後からは、パネルディスカッションを予定しています)
お申し込みは …… 053−458−7304です。
★「別冊PHP」9月号 (7月23日発売)増刊号にて、
「子どもをほめるコツ・しかるコツ」の特集記事を書かせてもらいました。
ぜひ、書店で、お買い求めください。
************************************
中日新聞(東海版)では、
「乱舞するイメージ」を書きました。
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
を、ご覧ください。
右脳教育への疑問を、この記事の中に織り込みました。
なお新聞のほうは、「人間は考えるアシ」を掲載してもらいました。
インターネットでは、6月22日以後、紹介されます。よろしく!
*********************************
「読んでね」コーナーは、直接お子さんに呼びかけるコーナーです。
お子さんが、読んでくださることを願っています。
対象年齢は、小4〜中学生を考えて、書きました。
賢明な人、愚(おろ)かな人
賢明な人はね、なくす前に、その価値に気づくんだよ。
しかしね、愚かな人は、なくしてから、その価値に気づくんだよ。
たとえば健康。たとえば時間。たとえば家族。
それからね、愚かな人とは、つきあってはダメだよ。
愚かな人とつきあっていると、君たちまで、愚かになるよ。
いいかな。
自分よりすぐれている人を見つけて、
その人をいつも目標にするといいよ。
賢明な人はね、いつも自分より、より賢明な人をみつけて、
自分の力のないことを、嘆くのさ。
愚かな人はね、いつも自分より、より愚かな人をみつけて、
それで自分をなぐさめるのさ。
それからね、賢明な人は、愚かな人を相手にしない。
でもね愚かな人は、賢明な人に、あれこれ文句を言ってくる。
自分が愚かだとわかっていないからね。
だからちょうど、図書館で本を選ぶように、
君たちも、友や仲間を選ぶんだよ。
これはとても大切なことだよ。
バカな人
ついでにね、
「フォレスト・ガンプ」という映画の中で、
フォレストのお母さんが、こう言うよ。
「バカなことをする人を、バカと言うのよ。頭じゃ、ないのよ」と、ね。
いい映画だから、一度は見てごらん。
いいかな。バカなことをする人を、バカというんだよ。
勉強ができないとか、成績が悪いとか、そういうことではないよ。
バカなことをする人を、バカというんだよ。
タバコを吸ったり、バイクで夜中に騒いだり、
ゴミを平気で捨てたり、道路にツバをはいたり、
人をキズつけるようなことを平気で言う人を
バカって、いうんだよ。
人をいじめたり、いやがらせをしたり、仲間ハズレをしたりして
おもしろがっている人を、バカっていうんだよ。
君は、そのバカな人ではないんだよ。
だってね、
この文章を読んでね、バカの本当の意味がわかったからね。
相手のこと
イギリスのことわざに、ね、
「相手は、自分が相手を思うように、自分を思う」というのが、あるよ。
つまりね、
君が、AさんならAさんを、「いい人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いい人だ」と思っているということ。
君が、AさんならAさんを、「いやな人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いやな人だ」と思っているということ。
そういう意味でね、人間の心は、カガミのようなものだね。
だからね、みんなと仲よくしたかったら、みんなのことを「いい人だ」と
思うようにするといいよ。そうするとね、みんなも、君のことを
「いい人だ」と思うようになるよ。やってみたら?
家庭
君は、どこで心を休めているのかな?
家の中。そう家の中だよね。
でも、その家の中のどこかな?
居間かな? 台所かな?
「トイレの中」と言った人もいたよ。
「お風呂の中」と言った人もいたよ。
あるいは「ふとんの中」と言った人もいたよ。
でもね、もし君が、家族のいる、
みんなの中が、一番安心できるとしたら、
それはすばらしいことだよ。
君は、すばらしい家族をもっているということ。
うらやましい、ね。
もしそうなら、君は、君の家族を、
大切にしたらいいよ。
自信をもって、ね。
(ほか、30項目)続きはホームページで
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
**********************************
子どもチェックシート
「うちの子はどんな子だろう……?」と思われたら、ぜひ、お読みください。
過干渉児
□性格が内閉し、自信喪失ぎみ。どこかオドオドしている。
□はきはきしたところがなく、心因性の下痢、腹痛、脱毛症を訴える。
□行動は消極的で、他人について行く感じ。生活力が弱い(以上、内閉型)。
□言動が粗放(ガサツ)で、乱暴。静かな落ちつきがない。
□他人に対して無頓着、無遠慮。時にめちゃめちゃな積極性を示す(以上、粗放型)。
拒否症
□なにかの作業をさせようとすると、かたくなにそれを拒む。
□無理にさせようとすると、体をかたくし、視線をそらす。
□ため息をはく、ささいなことにこだわるなど、気うつ症状もある。
□もともと暗示に弱く、神経質で繊細な面がある。
□どちらかというと、融通がきかないタイプだと思う。
集中力のない子ども
□注意力が散漫で集中力がなく、すべてにあきっぽい。
□瞬間的な興奮性や集中力はみ見せるものの、持続性がない。
□注意しても効果なく、ぼんやりと空をみつめたり、うつろな目つきをする。
□体をダラダラとさせ、作業をさせても時間つぶしばかりをする。
□全体に伸び悩んでいる。時間をかけている割に成果がでない。
ひ弱な子ども
□外の世界ではすぐいじけ、くじけやすい。依存心が強く、すぐ助けを求める。
□決断力に欠け、意思がはっきりしない。友だちにいじめられる。
□特に友人関係でたくましさに欠け、抗議したり、喧嘩ができない。
□反面、家の中では内弁慶になり、暴言をはいたり乱暴をすることが多い。
□社会に適応しにくい性格だと思う。
(ほか30項目)続きはホームページで
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
**********************************
ホームページは
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
を、ご覧ください。
**********************************
ほかに……
「こどものページ」が充実しました!
エッセイが、全体で、10作ほど、ふえました!
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件名:子育て情報(はやし浩司)-4号
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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子育て最前線の育児論
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2001年6月24日号(004号)
by はやし浩司(ひろし)
★★★★★★★★
01−6−24号
★★★★★★★★
つゆの中休み?
うっとおしい雨がやんで今日は一日
暑い日でした。お元気ですか?
はやし浩司(ひろし)
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4号のトピックス
「子どもの叱り方、ほめ方」について考えてみました。
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叱り方・ほめ方
●叱り方・ほめ方は、家庭教育の要(かなめ)
子どもを叱るときの、最大のコツは、恐怖心を与えないこと。「威圧で閉じる子どもの耳」と考
える。中に親に叱られながら、しおらしい様子をしている子どもがいるが、反省しているから、 そうしているのではない。怖いからそうしているだけ。親が叱るほどには、効果は、ない。叱ると きは、次のことを守る。
(1)人がいうところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)、(2)大声で怒鳴らない。そ
のかわり言うべきことは、繰り返し、しつこく言う。「子どもの脳は耳から遠い」と考える。聞いた 説教が、脳に届くには、時間がかかる。(3)相手が幼児のばあいは、幼児の視線にまで、おと なの体を低くすること(威圧感を与えないため)。視線をはずさない(真剣であることを、子ども に伝えるため)。子どもの体を、しっかりと親の両手で、制止して、きちんとした言い方で話すこ と。にらむのはよいが、体罰は避ける。特に頭部への体罰は、タブー。体罰は与えるとしても、 「お尻」と決めておく。実際、約五〇%の親が、何らかの形で、子どもに体罰を与えている。
次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、「忠告は秘かに、賞賛は公(おおや
け)に」と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめること。そ のとき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめる。特 に子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。顔やスタイルについては、ほめない ほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見てくれや、かっこうばかりを気にす るようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女子中学生がいた。また「頭」に ついては、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重にする。頭をほめすぎて、子ども がうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。
叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、「励まし」。すでに悩んだり、苦しんだり、さらにはがん
ばっている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。ムダであるばかりか、かえって子どもか らやる気を奪ってしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなことでは!」式の、脅しもタブー。 結果が悪くて、子どもが落ち込んでいるときはなおさら、そっと「あなたはよくがんばった」式の 前向きの理解を示してあげる。
叱り方、ほめ方は、家庭教育の要であることはまちがいない。
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はやし浩司のHPのほうでは、写真入りで、「叱り方」を解説します。
「子どもの指導法」のコーナーをお読みください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
(写真が入るのは、6月27日以後の予定です。)
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こんな怒り方は、がまんのし方は、
子どもを、ダメにする!
「別冊PHP」(1997年・7月号で発表した原稿を転載します)
子育ては、言わば、条件反射の集まりのようなものです。そのとき、その場で、いちいち考え
て子どもを叱ったり、怒ったりする人はいません。たいていの人は、「頭の中ではわかっている のですが、その場になると、ついカーッとして……」と言います。
ただ最近の傾向としては、小子化の流れの中で、子どもの機嫌をそこねまいと、叱るべきと
きに叱らない親、怒るべきときに怒らない親がふえています。あるいは強く叱ったあとに、「さっ きは、ごめんね。お母さんが悪かった」と、子どもに謝る親も珍しくありません。こういう親の心 のスキ間をねらって、子どもはドラ息子、ドラ娘化します。
また子育てに不安を抱いていたり、子どもに何らかの不信感をもっている親は、どうしても子
どもを必要以上に強く叱ったり、怒ったりします。「いったい、いつになったら、あなたは私の言 うことが聞けるの!」と、です。あとはこの悪循環の中で、子どもはますます自分で考えたり判 断したりすることができなくなり、親の叱り方はますますはげしくなるというわけです。
が、何が悪いかといって、親の情緒不安ほど悪いものはありません。先週は子どもがお茶を
こぼしたときは何も言わなかった親が、今週は、子どもがお茶をこぼしたりすると、子どもの顔 が青ざめるほど子どもを怒鳴り散らすなど。こういう環境だと、子どもの性格は内閉し、さらに 悪い場合には、精神そのものが萎縮してしまいます。
園や学校などでも、皆が大声で笑うようなときでも、皆と一緒に笑えず、口もとをゆがめてクッ
クッと笑うなど。なお悪いことに、このタイプの親は、静かで従順な子どもほど、「いい子」と誤解 して、ますます子どもを悪い方向に追いやってしまう傾向があります。
叱り方、がまんのし方は、子育ての中でも要(かなめ)と言えるほど、重要であり、またそれだ
けに難しいことおです。叱るときや、がまんするときは、「ここが教育」と心してあたるようにしま す。
ポイント1
朝、ぐずぐずする。……ストレスを発散させてやる
子どもは、自分の精神状態をうまくコントロールできません。そのため、心理的な抑圧状態が
続いたり、欲求不満が蓄積すると、それを「ぐずる」という方法で、表現します。暴れたり、暴言 を吐いたりするのをプラス型とするなら、ぐずるタイプはマイナス型ということになります。
だから表面的な症状だけをとらえて、それを悪いことだと決めてかからないこと。対処方法と
しては、ぐずるだけぐずらせながら、(たいていはぐずることによって、子どもはストレスを発散 させる)、様子をみます。それでもぐずるようであれば、原因をさがしますが、情緒が不安定な 子どもの場合、原因そのものがはっきりしないのが、ふつうです。
そういうときは、カルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、スキンシップを、よ
り濃厚なものにします。叱ったり、つきはなしたりすることは、かえって逆効果で、症状をこじら せます。
ポイント2
忙しいときに、まとわりつく……早めに子離れ、親離れの準備を
こんなことがありました。あるオランダ人夫妻(夫はイギリス人、妻はオランダ人)の家に遊び
に行ったときのこと。五歳になる女の子が、たまたま読書をしていたお母さんに話しかけてきま した。そのときお母さんは、ひととおり女の子の言い分に耳を傾けたあと、その女の子にこう言 いました。「お母さんは、今、本を読んでいます。じゃましないでね」と。
欧米人は(自分の時間)(子どもと接する時間)というのを、実にはっきりと使い分けていま
す。欧米流の子育て法が、必ずしもよいというわけではありませんが、こういう毅然(きぜん)と した態度が、「私は、私。あなたはあなた」というものの考え方を育てていきます。
つまるところ子育てというのは、子どもを自立させ、よき家庭人に育てることです。そういう視
点に立つなら、親はできるだけ早い時期に、子離れの準備をし、子どもには親離れの心がまえ をもたせます。忙しかったら、「忙しいから、あとでね……」と言う。子どもの遠慮する必要はあ りません。
ポイント3
外出時に言うことを聞かない……自己主張には耳を傾ける
自己主張とわがままは区別します。また自己主張と、とじこもり(がんこ)は区別します。自己
主張には、それをする理由がありますが、わがままにはありません。「お兄ちゃんは、この前、 ○○をしてもらったのに、ぼくはしてもらっていない」と訴えるのは、自己主張ですが、理由もな く、「あれほしてほしい、これをしてほしい」と騒ぐのは、わがままです。また自分の「カラ」に閉じ こもり、がんこになることは自己主張とは言いません。
そこで子どもがワーワーと、その自己主張を始めたら、反論すべきことは反論しながらも、子
どもの言い分には、耳を傾けるようにします。その自己主張をする子どもほど、あとあとたくま しい子どもになります。根性(がんばる力)や、忍耐力(いやなことをがまんしてする力)も、そこ から生まれます。
わがままに対しては、一般的には、無視するという方法で対処します。わがままは言ってもム
ダだという環境を整えるようにします。子どもの「がんこ」については、生まれつきの問題、さら には情緒の問題がからむため、無理をすれば、かえって逆効果です。
ポイント4
片づけをしない……こまごましたことは言わない
子どもに「先生の話をよく聞くのですよ」とか、「友だちと仲よくするのですよ」と言っても、意味
がありません。具体性がないからです。そういうときは、「先生が、どんな話をしたか、あとでマ マに話してね」とか、「この○○を、Aさんにもっていってあげてね。きっとAさん、喜ぶわよ」と言 いなおします。同じように、子どもに、「部屋のあと片づけをしなさい」と言っても、意味がありま せん。子どもには、その必要性がないからです。
こういうときは、たとえば「おもちゃは一つ」と教えます。遊ぶおもちゃはいつも一つ、と決めさ
せるわけです。こうすれば、子どもは次のおもちゃで遊びたいがため、前のおもちゃは片づけ るようになります。
しかし一言。子どもにとっては、家庭は休息とやすらぎの場所だということを忘れてはなりま
せん。アメリカの劇作家は、こう言っています。「ビロードのクッションの上よりも、カボチャの頭 の上に座ったほうが、気が休まる」と。子どもが外の世界をもつようになったら、こまごまとした ことを、あまりうるさく言わないことです。
ポイント5
兄弟げんか……よき聞き役に
兄弟げんかについて、いろいろ言われています。「歳の近い姉妹は、憎しみ相手」とか、「仲
のよい兄弟ほど、よくけんかする」とか、など。さらに下の子どもが生まれると、本能的な嫉妬 心から、上の子どもが赤ちゃんがえりを起こしたり、下の子どもに陰湿かつ執拗(しつよう)ない じめを繰り返すこともあります。
しかし常識の範囲内の、ふつうの兄弟げんかなら、させたいだけさせます。子どもは兄弟げ
んかを通して、社会性を学び、問題解決の技法を学びます。互いのライバル心が、子どもどう しを伸ばすこともあります。
ただしいくつかのルールがあります。まず暴力に訴え始めたら、制止すること。次に互いの言
い分をよく聞きながらも、親側が判断をくだしたり、一方的に一方を責めたり、罰したりしないこ とです。
要するに「よき聞き役」になるということですが、たいていはそれで兄弟げんかはおさまりま
す。
ポイント6
勉強しない……勉強は楽しいものと思わせる
子どもの勉強ぐせをそぐものに、次の四悪があります。無理、強制、条件、それに比較です。
能力を超えた勉強を与えることを無理、時間を決めたりノルマを課し、それを強要すること
を、強制といいます。さらに「100点を取ったら、おこづかいを1000円あげる」というのが、条 件。「○○君は、もう小二の漢字が読めるのよ。あなたは読めないわね」というのが、比較で す。条件づけが日常化すると、子どもは自分自身(「私は私」という考え方)を見失ってしまいま す。
ただ幼児の場合、勉強するとかしないとかいうことではなく、「勉強は楽しいものだ」という潜
在意識をつくることに心がけます。イギリスの格言にも、「楽しく学ぶ子どもは、よく学ぶ」という のがあります。この時期、一度、勉強嫌いにしてしまうと、その後、立ち直るのが、たいへんむ ずかしくなります。そのためにも四悪は避けます。
ポイント7
泣きやまない……ぼんやりする時間をふやし、ズキンシップを多くする
子どもの泣き方にもいろいろあります。
シクシク泣く、くやし泣き。サメザメ泣く、悲し泣き。グズグズ泣く、ぐずる泣き。ワーワー泣く、
訴え泣き。ギャーギャー泣く、ヒステリー泣きなど。また子どもにも、うつ症があります。ささいな ことを気にして、いつまでも泣く、ジクジク泣いたりします。あるいは突発的に大声をあげて泣き 出したり、暴れたりすることもあります。ほかにかんしゃく発作による、キーキー泣きもありま す。
園や学校などで、いい子ぶり、ストレスをためやすい子どもほど、注意します。このタイプの子
どもの対処方法は、まず(1)一人でぼんやりとできる時間と場所を用意してあげること。家族 の人があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果です。次に(2)カルシウム、マグネシウム分 の多い食生活にこころがけ、(3)やさしいスキンシップを大切にします。スキンシップには、人 知を超えた(?)不思議な力があります。魔法の力といってよいかもしれません。特に情緒が不 安定な子どもには、有効です。理由もなく、いつまでも泣き続けるようであれば、このスキンシッ プを濃厚にしてみてください。
ポイント8
ものを大切にしない……ハングリーな子どもは伸びる
ものを大切にしないというのは、いわゆるドラ息子(娘)症候群の一つですが、このタイプの子
どもが裕福な家庭の子どもばかりかというと、そうではないというのが、最近の傾向です。
その背後には、飽食と甘やかしがあるわけですが、小子化がそれに拍車をかけます。子ども
が何かをほしがる前に、何でもホイホイと与えてしまう、などです。
子どもの生活力を養う秘訣は、常に子どもをややハングリーな状態に置くことですが、家庭で
はこんなテストをしてみてください。紙とクレヨンを与え、「ここに魔法の木があります。あなたの ほしいものが、何でもできる不思議な木です。木を描いて、あなたのほしいものをいっぱい描い てみてください」と指示します。子どもが次々とほしいものを描けばよし。「ほしいものがない」と か、何か一種類のものだけを描くようであれば、飽食を疑ってみます。生活力の旺盛な子ども ほど、あらゆる方向に触覚が向いていて、その分だけ、ほしいものをいっぱいもっています。
ポイント9
言葉づかいが悪い……人前できちんと話せればよしとする
子どもの口にフタをすることはできません。神様でもできません。つまり子どもの口が悪いの
は、当たり前。また言葉づかいが悪いからといって、それを責めても意味がありません。ムダ です。むしろ悪い言葉も使えないほど、子どもを追いやってしまってはいけません。時にはお母 さんに向かって、「ババア」と言うこともありますが、ものを自由に言うということも、幼児の心の 発達には必要なのです。
むしろ言葉で注意しなければならないのは、(1)正しい言葉であるか、(2)豊かな言葉である
か、です。「ジュース、ほしい」ではなく、「私はジュースを飲みたいです」と言えるかどうか。また 夕日を見たとき、ただ「わー、すごい、すごい」だけではなく、「美しい」「感動的」「ロマンチック ね」と、いろいろな言葉で表現できるかどうか、です。こうした基本的な言葉能力は、家庭環 境、特に母親の言葉能力によるところが大きい、です。もしあなたの子どもの言葉能力が貧弱 であれば、子どもを責めるのではなく、あなた自身が反省すべきだということです。
ポイント10
テレビゲームばかりする……頭ごなしの禁止命令は避ける
もう一〇年以上も前から、教育界では、この問題について大論争が続けられています。そし
てその結論は、「時代の流れには逆らわない」です。
私が子どものころには、マンガの功罪がさかんに論じられていたように思います。一時は「マ
ンガ禁止令」まで出されたことがあります(岐阜県)。しかし当時すでに手塚治虫氏が活躍して いましたから、今から思えば、ずいぶんと時代錯誤の禁止令だったと思います。
ただマニアは別です。テレビゲームに夢中になるあまり、現実と空想の世界の区別がつかな
くなってしまったり、四六時中、そのことが頭から離れなくなったり……、というのは、もう「ゲー ム」ではありません。ある男の子(小五)は、真夜中にまで起きて、一人でゲームをしていまし た。こうなればやめさせます。
ふつうは時間と場所を決めて許すとか、反射運動型のゲーム(指先の器用さだけを競うゲー
ム)は避けるという方法で対処します。
(注意)「テレビゲーム」の害毒は、私がその後、あちこちの原稿で指摘しています。
ポイント11
おねしょ……マイナスは無視。プラスはほめる。
最近の研究では、おねしょは、多尿症や頻尿症と並んで、大脳生理学の分野で、機能障害
の一つとして説明されるようになってきています。つまり叱ってもムダであるばかりか、かえって 症状をこじらせたり、長引かせたりしまいますから注意してください。よく毎晩、真夜中に子ども を起こしてトイレへ連れていくというようなことをする人がいますが、子どもをかえって神経質に してしまい、やはり逆効果です。
ではどうするか? 子どものおねしょは、「ほめてなおす」です。つまりおねしょをした朝は、そ
れを無視。おねしょをしなかった朝は、それをほめるという方法です。そしてあとはあきらめま す。
あるお母さんは、「ようし、あと一、二年は覚悟するぞ。したければしなさい」と宣言しました
が、そう宣言したとたん、いつの間にかおねしょはなおってしまったそうです。
おねしょというのはそういうものです。子どもにとっては、とても気持ちのよいもの(濡れたふと
んは別!)であることを、理解してあげてください。
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(以下第3号です)−4号以後、購読を始められた方は、どうかお読みください。
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●お子さん向けの、「読んでね」コーナー
●「子どもチェックシート」
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(近況ニュース)
★6月29日(金曜日)午前10時〜より、静岡県教育委員会主催の
「教育講演会」で、基調講演をいたします。
場所:可美総合センターにて
(午後からは、パネルディスカッションを予定しています)
お申し込みは …… 053−458−7304です。
★「別冊PHP」9月号 (7月23日発売)増刊号にて、
「子どもをほめるコツ・しかるコツ」の特集記事を書かせてもらいました。
ぜひ、書店で、お買い求めください。
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中日新聞(東海版)では、
「乱舞するイメージ」を書きました。
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
を、ご覧ください。
右脳教育への疑問を、この記事の中に織り込みました。
なお新聞のほうは、「人間は考えるアシ」を掲載してもらいました。
インターネットでは、6月22日以後、紹介されます。よろしく!
*********************************
「読んでね」コーナーは、直接お子さんに呼びかけるコーナーです。
お子さんが、読んでくださることを願っています。
対象年齢は、小4〜中学生を考えて、書きました。
賢明な人、愚(おろ)かな人
賢明な人はね、なくす前に、その価値に気づくんだよ。
しかしね、愚かな人は、なくしてから、その価値に気づくんだよ。
たとえば健康。たとえば時間。たとえば家族。
それからね、愚かな人とは、つきあってはダメだよ。
愚かな人とつきあっていると、君たちまで、愚かになるよ。
いいかな。
自分よりすぐれている人を見つけて、
その人をいつも目標にするといいよ。
賢明な人はね、いつも自分より、より賢明な人をみつけて、
自分の力のないことを、嘆くのさ。
愚かな人はね、いつも自分より、より愚かな人をみつけて、
それで自分をなぐさめるのさ。
それからね、賢明な人は、愚かな人を相手にしない。
でもね愚かな人は、賢明な人に、あれこれ文句を言ってくる。
自分が愚かだとわかっていないからね。
だからちょうど、図書館で本を選ぶように、
君たちも、友や仲間を選ぶんだよ。
これはとても大切なことだよ。
バカな人
ついでにね、
「フォレスト・ガンプ」という映画の中で、
フォレストのお母さんが、こう言うよ。
「バカなことをする人を、バカと言うのよ。頭じゃ、ないのよ」と、ね。
いい映画だから、一度は見てごらん。
いいかな。バカなことをする人を、バカというんだよ。
勉強ができないとか、成績が悪いとか、そういうことではないよ。
バカなことをする人を、バカというんだよ。
タバコを吸ったり、バイクで夜中に騒いだり、
ゴミを平気で捨てたり、道路にツバをはいたり、
人をキズつけるようなことを平気で言う人を
バカって、いうんだよ。
人をいじめたり、いやがらせをしたり、仲間ハズレをしたりして
おもしろがっている人を、バカっていうんだよ。
君は、そのバカな人ではないんだよ。
だってね、
この文章を読んでね、バカの本当の意味がわかったからね。
相手のこと
イギリスのことわざに、ね、
「相手は、自分が相手を思うように、自分を思う」というのが、あるよ。
つまりね、
君が、AさんならAさんを、「いい人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いい人だ」と思っているということ。
君が、AさんならAさんを、「いやな人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いやな人だ」と思っているということ。
そういう意味でね、人間の心は、カガミのようなものだね。
だからね、みんなと仲よくしたかったら、みんなのことを「いい人だ」と
思うようにするといいよ。そうするとね、みんなも、君のことを
「いい人だ」と思うようになるよ。やってみたら?
家庭
君は、どこで心を休めているのかな?
家の中。そう家の中だよね。
でも、その家の中のどこかな?
居間かな? 台所かな?
「トイレの中」と言った人もいたよ。
「お風呂の中」と言った人もいたよ。
あるいは「ふとんの中」と言った人もいたよ。
でもね、もし君が、家族のいる、
みんなの中が、一番安心できるとしたら、
それはすばらしいことだよ。
君は、すばらしい家族をもっているということ。
うらやましい、ね。
もしそうなら、君は、君の家族を、
大切にしたらいいよ。
自信をもって、ね。
(ほか、30項目)続きはホームページで
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
**********************************
子どもチェックシート
「うちの子はどんな子だろう……?」と思われたら、ぜひ、お読みください。
過干渉児
□性格が内閉し、自信喪失ぎみ。どこかオドオドしている。
□はきはきしたところがなく、心因性の下痢、腹痛、脱毛症を訴える。
□行動は消極的で、他人について行く感じ。生活力が弱い(以上、内閉型)。
□言動が粗放(ガサツ)で、乱暴。静かな落ちつきがない。
□他人に対して無頓着、無遠慮。時にめちゃめちゃな積極性を示す(以上、粗放型)。
拒否症
□なにかの作業をさせようとすると、かたくなにそれを拒む。
□無理にさせようとすると、体をかたくし、視線をそらす。
□ため息をはく、ささいなことにこだわるなど、気うつ症状もある。
□もともと暗示に弱く、神経質で繊細な面がある。
□どちらかというと、融通がきかないタイプだと思う。
集中力のない子ども
□注意力が散漫で集中力がなく、すべてにあきっぽい。
□瞬間的な興奮性や集中力はみ見せるものの、持続性がない。
□注意しても効果なく、ぼんやりと空をみつめたり、うつろな目つきをする。
□体をダラダラとさせ、作業をさせても時間つぶしばかりをする。
□全体に伸び悩んでいる。時間をかけている割に成果がでない。
ひ弱な子ども
□外の世界ではすぐいじけ、くじけやすい。依存心が強く、すぐ助けを求める。
□決断力に欠け、意思がはっきりしない。友だちにいじめられる。
□特に友人関係でたくましさに欠け、抗議したり、喧嘩ができない。
□反面、家の中では内弁慶になり、暴言をはいたり乱暴をすることが多い。
□社会に適応しにくい性格だと思う。
(ほか30項目)続きはホームページで
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
**********************************
ホームページは
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
を、ご覧ください。
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ほかに……
「こどものページ」が充実しました!
エッセイが、全体で、10作ほど、ふえました!
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件名:子育て情報(はやし浩司)-4号2001/06/24
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====
子育て最前線の育児論
================
2001年6月24日号(004号)
by はやし浩司(ひろし)
★★★★★★★★
01−6−24号
★★★★★★★★
つゆの中休み?
うっとおしい雨がやんで今日は一日
暑い日でした。お元気ですか?
はやし浩司(ひろし)
*********************************
4号のトピックス
「子どもの叱り方、ほめ方」について考えてみました。
**********************************
叱り方・ほめ方
●叱り方・ほめ方は、家庭教育の要(かなめ)
子どもを叱るときの、最大のコツは、恐怖心を与えないこと。「威圧で閉じる子どもの耳」と考
える。中に親に叱られながら、しおらしい様子をしている子どもがいるが、反省しているから、 そうしているのではない。怖いからそうしているだけ。親が叱るほどには、効果は、ない。叱ると きは、次のことを守る。
(1)人がいうところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)、(2)大声で怒鳴らない。そ
のかわり言うべきことは、繰り返し、しつこく言う。「子どもの脳は耳から遠い」と考える。聞いた 説教が、脳に届くには、時間がかかる。(3)相手が幼児のばあいは、幼児の視線にまで、おと なの体を低くすること(威圧感を与えないため)。視線をはずさない(真剣であることを、子ども に伝えるため)。子どもの体を、しっかりと親の両手で、制止して、きちんとした言い方で話すこ と。にらむのはよいが、体罰は避ける。特に頭部への体罰は、タブー。体罰は与えるとしても、 「お尻」と決めておく。実際、約五〇%の親が、何らかの形で、子どもに体罰を与えている。
次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、「忠告は秘かに、賞賛は公(おおや
け)に」と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめること。そ のとき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめる。特 に子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。顔やスタイルについては、ほめない ほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見てくれや、かっこうばかりを気にす るようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女子中学生がいた。また「頭」に ついては、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重にする。頭をほめすぎて、子ども がうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。
叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、「励まし」。すでに悩んだり、苦しんだり、さらにはがん
ばっている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。ムダであるばかりか、かえって子どもか らやる気を奪ってしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなことでは!」式の、脅しもタブー。 結果が悪くて、子どもが落ち込んでいるときはなおさら、そっと「あなたはよくがんばった」式の 前向きの理解を示してあげる。
叱り方、ほめ方は、家庭教育の要であることはまちがいない。
************************************
はやし浩司のHPのほうでは、写真入りで、「叱り方」を解説します。
「子どもの指導法」のコーナーをお読みください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
(写真が入るのは、6月27日以後の予定です。)
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こんな怒り方は、がまんのし方は、
子どもを、ダメにする!
「別冊PHP」(1997年・7月号で発表した原稿を転載します)
子育ては、言わば、条件反射の集まりのようなものです。そのとき、その場で、いちいち考え
て子どもを叱ったり、怒ったりする人はいません。たいていの人は、「頭の中ではわかっている のですが、その場になると、ついカーッとして……」と言います。
ただ最近の傾向としては、小子化の流れの中で、子どもの機嫌をそこねまいと、叱るべきと
きに叱らない親、怒るべきときに怒らない親がふえています。あるいは強く叱ったあとに、「さっ きは、ごめんね。お母さんが悪かった」と、子どもに謝る親も珍しくありません。こういう親の心 のスキ間をねらって、子どもはドラ息子、ドラ娘化します。
また子育てに不安を抱いていたり、子どもに何らかの不信感をもっている親は、どうしても子
どもを必要以上に強く叱ったり、怒ったりします。「いったい、いつになったら、あなたは私の言 うことが聞けるの!」と、です。あとはこの悪循環の中で、子どもはますます自分で考えたり判 断したりすることができなくなり、親の叱り方はますますはげしくなるというわけです。
が、何が悪いかといって、親の情緒不安ほど悪いものはありません。先週は子どもがお茶を
こぼしたときは何も言わなかった親が、今週は、子どもがお茶をこぼしたりすると、子どもの顔 が青ざめるほど子どもを怒鳴り散らすなど。こういう環境だと、子どもの性格は内閉し、さらに 悪い場合には、精神そのものが萎縮してしまいます。
園や学校などでも、皆が大声で笑うようなときでも、皆と一緒に笑えず、口もとをゆがめてクッ
クッと笑うなど。なお悪いことに、このタイプの親は、静かで従順な子どもほど、「いい子」と誤解 して、ますます子どもを悪い方向に追いやってしまう傾向があります。
叱り方、がまんのし方は、子育ての中でも要(かなめ)と言えるほど、重要であり、またそれだ
けに難しいことおです。叱るときや、がまんするときは、「ここが教育」と心してあたるようにしま す。
ポイント1
朝、ぐずぐずする。……ストレスを発散させてやる
子どもは、自分の精神状態をうまくコントロールできません。そのため、心理的な抑圧状態が
続いたり、欲求不満が蓄積すると、それを「ぐずる」という方法で、表現します。暴れたり、暴言 を吐いたりするのをプラス型とするなら、ぐずるタイプはマイナス型ということになります。
だから表面的な症状だけをとらえて、それを悪いことだと決めてかからないこと。対処方法と
しては、ぐずるだけぐずらせながら、(たいていはぐずることによって、子どもはストレスを発散 させる)、様子をみます。それでもぐずるようであれば、原因をさがしますが、情緒が不安定な 子どもの場合、原因そのものがはっきりしないのが、ふつうです。
そういうときは、カルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、スキンシップを、よ
り濃厚なものにします。叱ったり、つきはなしたりすることは、かえって逆効果で、症状をこじら せます。
ポイント2
忙しいときに、まとわりつく……早めに子離れ、親離れの準備を
こんなことがありました。あるオランダ人夫妻(夫はイギリス人、妻はオランダ人)の家に遊び
に行ったときのこと。五歳になる女の子が、たまたま読書をしていたお母さんに話しかけてきま した。そのときお母さんは、ひととおり女の子の言い分に耳を傾けたあと、その女の子にこう言 いました。「お母さんは、今、本を読んでいます。じゃましないでね」と。
欧米人は(自分の時間)(子どもと接する時間)というのを、実にはっきりと使い分けていま
す。欧米流の子育て法が、必ずしもよいというわけではありませんが、こういう毅然(きぜん)と した態度が、「私は、私。あなたはあなた」というものの考え方を育てていきます。
つまるところ子育てというのは、子どもを自立させ、よき家庭人に育てることです。そういう視
点に立つなら、親はできるだけ早い時期に、子離れの準備をし、子どもには親離れの心がまえ をもたせます。忙しかったら、「忙しいから、あとでね……」と言う。子どもの遠慮する必要はあ りません。
ポイント3
外出時に言うことを聞かない……自己主張には耳を傾ける
自己主張とわがままは区別します。また自己主張と、とじこもり(がんこ)は区別します。自己
主張には、それをする理由がありますが、わがままにはありません。「お兄ちゃんは、この前、 ○○をしてもらったのに、ぼくはしてもらっていない」と訴えるのは、自己主張ですが、理由もな く、「あれほしてほしい、これをしてほしい」と騒ぐのは、わがままです。また自分の「カラ」に閉じ こもり、がんこになることは自己主張とは言いません。
そこで子どもがワーワーと、その自己主張を始めたら、反論すべきことは反論しながらも、子
どもの言い分には、耳を傾けるようにします。その自己主張をする子どもほど、あとあとたくま しい子どもになります。根性(がんばる力)や、忍耐力(いやなことをがまんしてする力)も、そこ から生まれます。
わがままに対しては、一般的には、無視するという方法で対処します。わがままは言ってもム
ダだという環境を整えるようにします。子どもの「がんこ」については、生まれつきの問題、さら には情緒の問題がからむため、無理をすれば、かえって逆効果です。
ポイント4
片づけをしない……こまごましたことは言わない
子どもに「先生の話をよく聞くのですよ」とか、「友だちと仲よくするのですよ」と言っても、意味
がありません。具体性がないからです。そういうときは、「先生が、どんな話をしたか、あとでマ マに話してね」とか、「この○○を、Aさんにもっていってあげてね。きっとAさん、喜ぶわよ」と言 いなおします。同じように、子どもに、「部屋のあと片づけをしなさい」と言っても、意味がありま せん。子どもには、その必要性がないからです。
こういうときは、たとえば「おもちゃは一つ」と教えます。遊ぶおもちゃはいつも一つ、と決めさ
せるわけです。こうすれば、子どもは次のおもちゃで遊びたいがため、前のおもちゃは片づけ るようになります。
しかし一言。子どもにとっては、家庭は休息とやすらぎの場所だということを忘れてはなりま
せん。アメリカの劇作家は、こう言っています。「ビロードのクッションの上よりも、カボチャの頭 の上に座ったほうが、気が休まる」と。子どもが外の世界をもつようになったら、こまごまとした ことを、あまりうるさく言わないことです。
ポイント5
兄弟げんか……よき聞き役に
兄弟げんかについて、いろいろ言われています。「歳の近い姉妹は、憎しみ相手」とか、「仲
のよい兄弟ほど、よくけんかする」とか、など。さらに下の子どもが生まれると、本能的な嫉妬 心から、上の子どもが赤ちゃんがえりを起こしたり、下の子どもに陰湿かつ執拗(しつよう)ない じめを繰り返すこともあります。
しかし常識の範囲内の、ふつうの兄弟げんかなら、させたいだけさせます。子どもは兄弟げ
んかを通して、社会性を学び、問題解決の技法を学びます。互いのライバル心が、子どもどう しを伸ばすこともあります。
ただしいくつかのルールがあります。まず暴力に訴え始めたら、制止すること。次に互いの言
い分をよく聞きながらも、親側が判断をくだしたり、一方的に一方を責めたり、罰したりしないこ とです。
要するに「よき聞き役」になるということですが、たいていはそれで兄弟げんかはおさまりま
す。
ポイント6
勉強しない……勉強は楽しいものと思わせる
子どもの勉強ぐせをそぐものに、次の四悪があります。無理、強制、条件、それに比較です。
能力を超えた勉強を与えることを無理、時間を決めたりノルマを課し、それを強要すること
を、強制といいます。さらに「100点を取ったら、おこづかいを1000円あげる」というのが、条 件。「○○君は、もう小二の漢字が読めるのよ。あなたは読めないわね」というのが、比較で す。条件づけが日常化すると、子どもは自分自身(「私は私」という考え方)を見失ってしまいま す。
ただ幼児の場合、勉強するとかしないとかいうことではなく、「勉強は楽しいものだ」という潜
在意識をつくることに心がけます。イギリスの格言にも、「楽しく学ぶ子どもは、よく学ぶ」という のがあります。この時期、一度、勉強嫌いにしてしまうと、その後、立ち直るのが、たいへんむ ずかしくなります。そのためにも四悪は避けます。
ポイント7
泣きやまない……ぼんやりする時間をふやし、ズキンシップを多くする
子どもの泣き方にもいろいろあります。
シクシク泣く、くやし泣き。サメザメ泣く、悲し泣き。グズグズ泣く、ぐずる泣き。ワーワー泣く、
訴え泣き。ギャーギャー泣く、ヒステリー泣きなど。また子どもにも、うつ症があります。ささいな ことを気にして、いつまでも泣く、ジクジク泣いたりします。あるいは突発的に大声をあげて泣き 出したり、暴れたりすることもあります。ほかにかんしゃく発作による、キーキー泣きもありま す。
園や学校などで、いい子ぶり、ストレスをためやすい子どもほど、注意します。このタイプの子
どもの対処方法は、まず(1)一人でぼんやりとできる時間と場所を用意してあげること。家族 の人があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果です。次に(2)カルシウム、マグネシウム分 の多い食生活にこころがけ、(3)やさしいスキンシップを大切にします。スキンシップには、人 知を超えた(?)不思議な力があります。魔法の力といってよいかもしれません。特に情緒が不 安定な子どもには、有効です。理由もなく、いつまでも泣き続けるようであれば、このスキンシッ プを濃厚にしてみてください。
ポイント8
ものを大切にしない……ハングリーな子どもは伸びる
ものを大切にしないというのは、いわゆるドラ息子(娘)症候群の一つですが、このタイプの子
どもが裕福な家庭の子どもばかりかというと、そうではないというのが、最近の傾向です。
その背後には、飽食と甘やかしがあるわけですが、小子化がそれに拍車をかけます。子ども
が何かをほしがる前に、何でもホイホイと与えてしまう、などです。
子どもの生活力を養う秘訣は、常に子どもをややハングリーな状態に置くことですが、家庭で
はこんなテストをしてみてください。紙とクレヨンを与え、「ここに魔法の木があります。あなたの ほしいものが、何でもできる不思議な木です。木を描いて、あなたのほしいものをいっぱい描い てみてください」と指示します。子どもが次々とほしいものを描けばよし。「ほしいものがない」と か、何か一種類のものだけを描くようであれば、飽食を疑ってみます。生活力の旺盛な子ども ほど、あらゆる方向に触覚が向いていて、その分だけ、ほしいものをいっぱいもっています。
ポイント9
言葉づかいが悪い……人前できちんと話せればよしとする
子どもの口にフタをすることはできません。神様でもできません。つまり子どもの口が悪いの
は、当たり前。また言葉づかいが悪いからといって、それを責めても意味がありません。ムダ です。むしろ悪い言葉も使えないほど、子どもを追いやってしまってはいけません。時にはお母 さんに向かって、「ババア」と言うこともありますが、ものを自由に言うということも、幼児の心の 発達には必要なのです。
むしろ言葉で注意しなければならないのは、(1)正しい言葉であるか、(2)豊かな言葉である
か、です。「ジュース、ほしい」ではなく、「私はジュースを飲みたいです」と言えるかどうか。また 夕日を見たとき、ただ「わー、すごい、すごい」だけではなく、「美しい」「感動的」「ロマンチック ね」と、いろいろな言葉で表現できるかどうか、です。こうした基本的な言葉能力は、家庭環 境、特に母親の言葉能力によるところが大きい、です。もしあなたの子どもの言葉能力が貧弱 であれば、子どもを責めるのではなく、あなた自身が反省すべきだということです。
ポイント10
テレビゲームばかりする……頭ごなしの禁止命令は避ける
もう一〇年以上も前から、教育界では、この問題について大論争が続けられています。そし
てその結論は、「時代の流れには逆らわない」です。
私が子どものころには、マンガの功罪がさかんに論じられていたように思います。一時は「マ
ンガ禁止令」まで出されたことがあります(岐阜県)。しかし当時すでに手塚治虫氏が活躍して いましたから、今から思えば、ずいぶんと時代錯誤の禁止令だったと思います。
ただマニアは別です。テレビゲームに夢中になるあまり、現実と空想の世界の区別がつかな
くなってしまったり、四六時中、そのことが頭から離れなくなったり……、というのは、もう「ゲー ム」ではありません。ある男の子(小五)は、真夜中にまで起きて、一人でゲームをしていまし た。こうなればやめさせます。
ふつうは時間と場所を決めて許すとか、反射運動型のゲーム(指先の器用さだけを競うゲー
ム)は避けるという方法で対処します。
(注意)「テレビゲーム」の害毒は、私がその後、あちこちの原稿で指摘しています。
ポイント11
おねしょ……マイナスは無視。プラスはほめる。
最近の研究では、おねしょは、多尿症や頻尿症と並んで、大脳生理学の分野で、機能障害
の一つとして説明されるようになってきています。つまり叱ってもムダであるばかりか、かえって 症状をこじらせたり、長引かせたりしまいますから注意してください。よく毎晩、真夜中に子ども を起こしてトイレへ連れていくというようなことをする人がいますが、子どもをかえって神経質に してしまい、やはり逆効果です。
ではどうするか? 子どものおねしょは、「ほめてなおす」です。つまりおねしょをした朝は、そ
れを無視。おねしょをしなかった朝は、それをほめるという方法です。そしてあとはあきらめま す。
あるお母さんは、「ようし、あと一、二年は覚悟するぞ。したければしなさい」と宣言しました
が、そう宣言したとたん、いつの間にかおねしょはなおってしまったそうです。
おねしょというのはそういうものです。子どもにとっては、とても気持ちのよいもの(濡れたふと
んは別!)であることを、理解してあげてください。
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(以下第3号です)−4号以後、購読を始められた方は、どうかお読みください。
**********************************
●お子さん向けの、「読んでね」コーナー
●「子どもチェックシート」
**********************************
(近況ニュース)
★6月29日(金曜日)午前10時〜より、静岡県教育委員会主催の
「教育講演会」で、基調講演をいたします。
場所:可美総合センターにて
(午後からは、パネルディスカッションを予定しています)
お申し込みは …… 053−458−7304です。
★「別冊PHP」9月号 (7月23日発売)増刊号にて、
「子どもをほめるコツ・しかるコツ」の特集記事を書かせてもらいました。
ぜひ、書店で、お買い求めください。
************************************
中日新聞(東海版)では、
「乱舞するイメージ」を書きました。
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
を、ご覧ください。
右脳教育への疑問を、この記事の中に織り込みました。
なお新聞のほうは、「人間は考えるアシ」を掲載してもらいました。
インターネットでは、6月22日以後、紹介されます。よろしく!
*********************************
「読んでね」コーナーは、直接お子さんに呼びかけるコーナーです。
お子さんが、読んでくださることを願っています。
対象年齢は、小4〜中学生を考えて、書きました。
賢明な人、愚(おろ)かな人
賢明な人はね、なくす前に、その価値に気づくんだよ。
しかしね、愚かな人は、なくしてから、その価値に気づくんだよ。
たとえば健康。たとえば時間。たとえば家族。
それからね、愚かな人とは、つきあってはダメだよ。
愚かな人とつきあっていると、君たちまで、愚かになるよ。
いいかな。
自分よりすぐれている人を見つけて、
その人をいつも目標にするといいよ。
賢明な人はね、いつも自分より、より賢明な人をみつけて、
自分の力のないことを、嘆くのさ。
愚かな人はね、いつも自分より、より愚かな人をみつけて、
それで自分をなぐさめるのさ。
それからね、賢明な人は、愚かな人を相手にしない。
でもね愚かな人は、賢明な人に、あれこれ文句を言ってくる。
自分が愚かだとわかっていないからね。
だからちょうど、図書館で本を選ぶように、
君たちも、友や仲間を選ぶんだよ。
これはとても大切なことだよ。
バカな人
ついでにね、
「フォレスト・ガンプ」という映画の中で、
フォレストのお母さんが、こう言うよ。
「バカなことをする人を、バカと言うのよ。頭じゃ、ないのよ」と、ね。
いい映画だから、一度は見てごらん。
いいかな。バカなことをする人を、バカというんだよ。
勉強ができないとか、成績が悪いとか、そういうことではないよ。
バカなことをする人を、バカというんだよ。
タバコを吸ったり、バイクで夜中に騒いだり、
ゴミを平気で捨てたり、道路にツバをはいたり、
人をキズつけるようなことを平気で言う人を
バカって、いうんだよ。
人をいじめたり、いやがらせをしたり、仲間ハズレをしたりして
おもしろがっている人を、バカっていうんだよ。
君は、そのバカな人ではないんだよ。
だってね、
この文章を読んでね、バカの本当の意味がわかったからね。
相手のこと
イギリスのことわざに、ね、
「相手は、自分が相手を思うように、自分を思う」というのが、あるよ。
つまりね、
君が、AさんならAさんを、「いい人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いい人だ」と思っているということ。
君が、AさんならAさんを、「いやな人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いやな人だ」と思っているということ。
そういう意味でね、人間の心は、カガミのようなものだね。
だからね、みんなと仲よくしたかったら、みんなのことを「いい人だ」と
思うようにするといいよ。そうするとね、みんなも、君のことを
「いい人だ」と思うようになるよ。やってみたら?
家庭
君は、どこで心を休めているのかな?
家の中。そう家の中だよね。
でも、その家の中のどこかな?
居間かな? 台所かな?
「トイレの中」と言った人もいたよ。
「お風呂の中」と言った人もいたよ。
あるいは「ふとんの中」と言った人もいたよ。
でもね、もし君が、家族のいる、
みんなの中が、一番安心できるとしたら、
それはすばらしいことだよ。
君は、すばらしい家族をもっているということ。
うらやましい、ね。
もしそうなら、君は、君の家族を、
大切にしたらいいよ。
自信をもって、ね。
(ほか、30項目)続きはホームページで
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
**********************************
子どもチェックシート
「うちの子はどんな子だろう……?」と思われたら、ぜひ、お読みください。
過干渉児
□性格が内閉し、自信喪失ぎみ。どこかオドオドしている。
□はきはきしたところがなく、心因性の下痢、腹痛、脱毛症を訴える。
□行動は消極的で、他人について行く感じ。生活力が弱い(以上、内閉型)。
□言動が粗放(ガサツ)で、乱暴。静かな落ちつきがない。
□他人に対して無頓着、無遠慮。時にめちゃめちゃな積極性を示す(以上、粗放型)。
拒否症
□なにかの作業をさせようとすると、かたくなにそれを拒む。
□無理にさせようとすると、体をかたくし、視線をそらす。
□ため息をはく、ささいなことにこだわるなど、気うつ症状もある。
□もともと暗示に弱く、神経質で繊細な面がある。
□どちらかというと、融通がきかないタイプだと思う。
集中力のない子ども
□注意力が散漫で集中力がなく、すべてにあきっぽい。
□瞬間的な興奮性や集中力はみ見せるものの、持続性がない。
□注意しても効果なく、ぼんやりと空をみつめたり、うつろな目つきをする。
□体をダラダラとさせ、作業をさせても時間つぶしばかりをする。
□全体に伸び悩んでいる。時間をかけている割に成果がでない。
ひ弱な子ども
□外の世界ではすぐいじけ、くじけやすい。依存心が強く、すぐ助けを求める。
□決断力に欠け、意思がはっきりしない。友だちにいじめられる。
□特に友人関係でたくましさに欠け、抗議したり、喧嘩ができない。
□反面、家の中では内弁慶になり、暴言をはいたり乱暴をすることが多い。
□社会に適応しにくい性格だと思う。
(ほか30項目)続きはホームページで
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
**********************************
ホームページは
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
を、ご覧ください。
**********************************
ほかに……
「こどものページ」が充実しました!
エッセイが、全体で、10作ほど、ふえました!
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件名:子育て情報(はやし浩司)004
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
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子育て最前線の育児論
================
2001年7月6日号(004号)
by はやし浩司(ひろし)
★★★★★★★★
01−7−6号
★★★★★★★★
*************************
★静岡県教育委員会発行の、「ファミリス」に、9月号から
連載記事が載ります。どうかご覧になってください。
「教育委員会」というと、コワ〜イイメージをもって
おられる方も多いと思いますが、私の記事は、きわめて
実用的です。楽しみにしておいてください。
★「別冊PHP」9月号(7・23発売)に特集記事が載ります。
どうかご覧になってください。
★「浜松百撰」で、子育て対談をします。7月24日予定ですので、
記事はそれ以後載ると思います。ご注目ください。
**************************
あなたの子育てをチェックしてみませんか?
お子さんのちょっとした、しぐさの中に、
実は重大な警告が隠されている……というようなことが
よくあります。
たとえば……
(机とお子さんの相性)
●お子さんが好きそうな食べ物や、おもちゃをそっと
机の上に置いてみてあげてください。
そのときお子さんが
(1)そのまま机に座って、食べ物を食べたり、おもちゃ
で遊んだりすれば、だいじょうぶ。
(2)しかしその食べ物やおもちゃを、別の場所に移動して
食べたり、遊んだりするようであれば、お子さんと
机の相性はよくないとみます。
長い間、相性の悪い机を使っていると、勉強嫌い……
ということにもなりかねませんので、ご注意ください。
●同じように、たとえば親子の断絶なども、ちょっとした様子
から、その初期症状を知ることができます。
それをまとめたのが、「子育て診断」です。わかりやすい15項目に
してみましたので、どうかご活用ください。
詳しくは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
の中、
(育児診断)→(子育て危険度早期診断)をご覧になってください。
7月10日に、新居町教育委員会のほうで、講演をします。その席を
借りて、結果の集計をし、その結果は、また私のホームページのほうに
掲載しておきますので、11日以後、結果をお知りになりたい方は、どう
かまたご覧になってください。
**************************************
親子の断絶が始まるとき
●最初は小さな亀裂
最初は、それは小さな亀裂で始まる。しかしそれに気づく親は少ない。「まさか……」「ま
だ何とかなる……」と思っているうちに、やがて互いの間の不協和音は大きくなる。そしてそれ
が、断絶へと進む……。
今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は五五%もいる。「父親のようになりたく
ない」と思っている中高校生は七九%もいる(「青少年白書」平成十年)。が、この程度ならまだ よいほうだ。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。まさに 一触即発。親が何かを話しかけただけで、子どもは「ウッセー!」と。そこで親は親で、「親に向 かって、何だ、その態度は!」となる。あとはいつもの大げんか!
……こう書くと、たいていの親はこう言う。「うちはだいじょうぶ」と。「私は子どもに感謝されて
いるはず」と思っている親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。
あなたの子どもが、学校から帰ってきたら、どこで体を休めているか、それを観察してみてほし
い。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気にしないで、体を休め ているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好とみてよい。しかし好んであな たの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げて行くようであれ ば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中高校生の多くが、心が休まる場所としてあ げたのが、(1)風呂の中、(2)トイレの中、それに(3)ふとんの中だそうだ(「学外研」九八年報 告)。
●断絶の三要素
親子を断絶させるものに、三つある。権威主義、相互不信、それにリズムの乱れ。「私は親
だ」というのが権威主義。「子どものことは、私が一番よく知っている」という親ほど、あぶない。 この権威主義が強ければ強いほど、子どもは親の前では、仮面をかぶる。いい子ぶる。その 分だけ、子どもの心は離れる。次に相互不信。「うちの子はすばらしい」という自信が、子ども を伸ばす。しかし親が「心配だ」「不安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。 人間の心は、鏡のようなもの。イギリスの格言にも、「相手は、あなたが思っているように、あな たのことを思う」というのがある。つまりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、 あなたの子どもも、あなたを「すばらしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子の間 を密にする。が、そうでなければ、そうでなくなる。三つ目にリズム。あなたの子どもがまだヨチ ヨチ歩きをしていたころを思い出してみてほしい。そのときあなたは子どもの横か、うしろを歩 いていただろうか。そうであれば、それでよし。しかしあなたが子どもの前を、子どもの手を引 きながら、ぐいぐいと歩いていたとするなら、あなたと子どものリズムは、そのときから狂い始め ていたとみる。おけいこ塾でも何でも、あなたは子どもの意思を無視して、勝手に決めていた はずだ。やがてあなたは子どもと、こんな会話をするようになるかもしれない。親「あんたは誰 のおかげでピアノがひけるようになったか、それがわかっているの! お母さんが高い月謝を 払って、毎週ピアノ教室へ連れていってあげたからよ!」子「いつ誰が、そんなこと、あんたに 頼んだ!」と。
権威主義は百害あって一利なし。頭ごなしの命令は、タブー。子どもを信じ、今日からでも遅
くないから、子どものうしろを歩く。決して前を歩かない。アメリカでは、親子でも、「お前はパパ に何をしてほしい」とか、「ママはぼくに何をしてほしい」と聞き合っている。そういう謙虚さが、子 どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。
************************************
これからも、よろしくご購読ください。
はやし浩司
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(以下、003号です。)
まだの方はどうかお読みください。
朝晩は気持ちのよい日になりました。お元気ですか?
「はやし浩司のホームページ」が、またまた充実しました。
また、ぜひ、ご覧になってください。
はやし浩司(ひろし)
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ホームページに、またまた新しいコーナーが、新登場!
●お子さん向けの、「読んでね」コーナー
●「子どもチェックシート」
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(近況ニュース)
★6月29日(金曜日)午前10時〜より、静岡県教育委員会主催の
「教育講演会」で、基調講演をいたします。
場所:可美総合センターにて
(午後からは、パネルディスカッションを予定しています)
お申し込みは …… 053−458−7304です。
★「別冊PHP」9月号 (7月23日発売)増刊号にて、
「子どもをほめるコツ・しかるコツ」の特集記事を書かせてもらいました。
ぜひ、書店で、お買い求めください。
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中日新聞(東海版)では、
「乱舞するイメージ」を書きました。
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
を、ご覧ください。
右脳教育への疑問を、この記事の中に織り込みました。
なお新聞のほうは、「人間は考えるアシ」を掲載してもらいました。
インターネットでは、6月22日以後、紹介されます。よろしく!
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「読んでね」コーナーは、直接お子さんに呼びかけるコーナーです。
お子さんが、読んでくださることを願っています。
対象年齢は、小4〜中学生を考えて、書きました。
賢明な人、愚(おろ)かな人
賢明な人はね、なくす前に、その価値に気づくんだよ。
しかしね、愚かな人は、なくしてから、その価値に気づくんだよ。
たとえば健康。たとえば時間。たとえば家族。
それからね、愚かな人とは、つきあってはダメだよ。
愚かな人とつきあっていると、君たちまで、愚かになるよ。
いいかな。
自分よりすぐれている人を見つけて、
その人をいつも目標にするといいよ。
賢明な人はね、いつも自分より、より賢明な人をみつけて、
自分の力のないことを、嘆くのさ。
愚かな人はね、いつも自分より、より愚かな人をみつけて、
それで自分をなぐさめるのさ。
それからね、賢明な人は、愚かな人を相手にしない。
でもね愚かな人は、賢明な人に、あれこれ文句を言ってくる。
自分が愚かだとわかっていないからね。
だからちょうど、図書館で本を選ぶように、
君たちも、友や仲間を選ぶんだよ。
これはとても大切なことだよ。
バカな人
ついでにね、
「フォレスト・ガンプ」という映画の中で、
フォレストのお母さんが、こう言うよ。
「バカなことをする人を、バカと言うのよ。頭じゃ、ないのよ」と、ね。
いい映画だから、一度は見てごらん。
いいかな。バカなことをする人を、バカというんだよ。
勉強ができないとか、成績が悪いとか、そういうことではないよ。
バカなことをする人を、バカというんだよ。
タバコを吸ったり、バイクで夜中に騒いだり、
ゴミを平気で捨てたり、道路にツバをはいたり、
人をキズつけるようなことを平気で言う人を
バカって、いうんだよ。
人をいじめたり、いやがらせをしたり、仲間ハズレをしたりして
おもしろがっている人を、バカっていうんだよ。
君は、そのバカな人ではないんだよ。
だってね、
この文章を読んでね、バカの本当の意味がわかったからね。
相手のこと
イギリスのことわざに、ね、
「相手は、自分が相手を思うように、自分を思う」というのが、あるよ。
つまりね、
君が、AさんならAさんを、「いい人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いい人だ」と思っているということ。
君が、AさんならAさんを、「いやな人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いやな人だ」と思っているということ。
そういう意味でね、人間の心は、カガミのようなものだね。
だからね、みんなと仲よくしたかったら、みんなのことを「いい人だ」と
思うようにするといいよ。そうするとね、みんなも、君のことを
「いい人だ」と思うようになるよ。やってみたら?
家庭
君は、どこで心を休めているのかな?
家の中。そう家の中だよね。
でも、その家の中のどこかな?
居間かな? 台所かな?
「トイレの中」と言った人もいたよ。
「お風呂の中」と言った人もいたよ。
あるいは「ふとんの中」と言った人もいたよ。
でもね、もし君が、家族のいる、
みんなの中が、一番安心できるとしたら、
それはすばらしいことだよ。
君は、すばらしい家族をもっているということ。
うらやましい、ね。
もしそうなら、君は、君の家族を、
大切にしたらいいよ。
自信をもって、ね。
(ほか、30項目)続きはホームページで
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
件名:子育て情報(はやし浩司)2001-7-6-(2)
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子育て最前線の育児論
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2001年7月6日号(004号)
by はやし浩司(ひろし)
(前回のが、文字化けしたとの苦情がありましので、
再度送ります。)
★★★★★★★★
01−7−6号
★★★★★★★★
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★静岡県教育委員会発行の、「ファミリス」に、9月号から
連載記事が載ります。どうかご覧になってください。
「教育委員会」というと、コワ〜イイメージをもって
おられる方も多いと思いますが、私の記事は、きわめて
実用的です。楽しみにしておいてください。
★「別冊PHP」9月号(7・23発売)に特集記事が載ります。
どうかご覧になってください。
★「浜松百撰」で、子育て対談をします。7月24日予定ですので、
記事はそれ以後載ると思います。ご注目ください。
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あなたの子育てをチェックしてみませんか?
お子さんのちょっとした、しぐさの中に、
実は重大な警告が隠されている……というようなことが
よくあります。
たとえば……
(机とお子さんの相性)
●お子さんが好きそうな食べ物や、おもちゃをそっと
机の上に置いてみてあげてください。
そのときお子さんが
(1)そのまま机に座って、食べ物を食べたり、おもちゃ
で遊んだりすれば、だいじょうぶ。
(2)しかしその食べ物やおもちゃを、別の場所に移動して
食べたり、遊んだりするようであれば、お子さんと
机の相性はよくないとみます。
長い間、相性の悪い机を使っていると、勉強嫌い……
ということにもなりかねませんので、ご注意ください。
●同じように、たとえば親子の断絶なども、ちょっとした様子
から、その初期症状を知ることができます。
それをまとめたのが、「子育て診断」です。わかりやすい15項目に
してみましたので、どうかご活用ください。
詳しくは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
の中、
(育児診断)→(子育て危険度早期診断)をご覧になってください。
7月10日に、新居町教育委員会のほうで、講演をします。その席を
借りて、結果の集計をし、その結果は、また私のホームページのほうに
掲載しておきますので、11日以後、結果をお知りになりたい方は、どう
かまたご覧になってください。
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親子の断絶が始まるとき
●最初は小さな亀裂
最初は、それは小さな亀裂で始まる。しかしそれに気づく親は少ない。「まさか……」「ま
だ何とかなる……」と思っているうちに、やがて互いの間の不協和音は大きくなる。そしてそれ
が、断絶へと進む……。
今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は五五%もいる。「父親のようになりたく
ない」と思っている中高校生は七九%もいる(「青少年白書」平成十年)。が、この程度ならまだ よいほうだ。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。まさに 一触即発。親が何かを話しかけただけで、子どもは「ウッセー!」と。そこで親は親で、「親に向 かって、何だ、その態度は!」となる。あとはいつもの大げんか!
……こう書くと、たいていの親はこう言う。「うちはだいじょうぶ」と。「私は子どもに感謝されて
いるはず」と思っている親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。
あなたの子どもが、学校から帰ってきたら、どこで体を休めているか、それを観察してみてほし
い。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気にしないで、体を休め ているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好とみてよい。しかし好んであな たの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げて行くようであれ ば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中高校生の多くが、心が休まる場所としてあ げたのが、(1)風呂の中、(2)トイレの中、それに(3)ふとんの中だそうだ(「学外研」九八年報 告)。
●断絶の三要素
親子を断絶させるものに、三つある。権威主義、相互不信、それにリズムの乱れ。「私は親
だ」というのが権威主義。「子どものことは、私が一番よく知っている」という親ほど、あぶない。 この権威主義が強ければ強いほど、子どもは親の前では、仮面をかぶる。いい子ぶる。その 分だけ、子どもの心は離れる。次に相互不信。「うちの子はすばらしい」という自信が、子ども を伸ばす。しかし親が「心配だ」「不安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。 人間の心は、鏡のようなもの。イギリスの格言にも、「相手は、あなたが思っているように、あな たのことを思う」というのがある。つまりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、 あなたの子どもも、あなたを「すばらしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子の間 を密にする。が、そうでなければ、そうでなくなる。三つ目にリズム。あなたの子どもがまだヨチ ヨチ歩きをしていたころを思い出してみてほしい。そのときあなたは子どもの横か、うしろを歩 いていただろうか。そうであれば、それでよし。しかしあなたが子どもの前を、子どもの手を引 きながら、ぐいぐいと歩いていたとするなら、あなたと子どものリズムは、そのときから狂い始め ていたとみる。おけいこ塾でも何でも、あなたは子どもの意思を無視して、勝手に決めていた はずだ。やがてあなたは子どもと、こんな会話をするようになるかもしれない。親「あんたは誰 のおかげでピアノがひけるようになったか、それがわかっているの! お母さんが高い月謝を 払って、毎週ピアノ教室へ連れていってあげたからよ!」子「いつ誰が、そんなこと、あんたに 頼んだ!」と。
権威主義は百害あって一利なし。頭ごなしの命令は、タブー。子どもを信じ、今日からでも遅
くないから、子どものうしろを歩く。決して前を歩かない。アメリカでは、親子でも、「お前はパパ に何をしてほしい」とか、「ママはぼくに何をしてほしい」と聞き合っている。そういう謙虚さが、子 どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。
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これからも、よろしくご購読ください。
はやし浩司
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(以下、003号です。)
まだの方はどうかお読みください。
朝晩は気持ちのよい日になりました。お元気ですか?
「はやし浩司のホームページ」が、またまた充実しました。
また、ぜひ、ご覧になってください。
はやし浩司(ひろし)
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ホームページに、またまた新しいコーナーが、新登場!
●お子さん向けの、「読んでね」コーナー
●「子どもチェックシート」
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(近況ニュース)
★6月29日(金曜日)午前10時〜より、静岡県教育委員会主催の
「教育講演会」で、基調講演をいたします。
場所:可美総合センターにて
(午後からは、パネルディスカッションを予定しています)
お申し込みは …… 053−458−7304です。
★「別冊PHP」9月号 (7月23日発売)増刊号にて、
「子どもをほめるコツ・しかるコツ」の特集記事を書かせてもらいました。
ぜひ、書店で、お買い求めください。
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中日新聞(東海版)では、
「乱舞するイメージ」を書きました。
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
を、ご覧ください。
右脳教育への疑問を、この記事の中に織り込みました。
なお新聞のほうは、「人間は考えるアシ」を掲載してもらいました。
インターネットでは、6月22日以後、紹介されます。よろしく!
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「読んでね」コーナーは、直接お子さんに呼びかけるコーナーです。
お子さんが、読んでくださることを願っています。
対象年齢は、小4〜中学生を考えて、書きました。
賢明な人、愚(おろ)かな人
賢明な人はね、なくす前に、その価値に気づくんだよ。
しかしね、愚かな人は、なくしてから、その価値に気づくんだよ。
たとえば健康。たとえば時間。たとえば家族。
それからね、愚かな人とは、つきあってはダメだよ。
愚かな人とつきあっていると、君たちまで、愚かになるよ。
いいかな。
自分よりすぐれている人を見つけて、
その人をいつも目標にするといいよ。
賢明な人はね、いつも自分より、より賢明な人をみつけて、
自分の力のないことを、嘆くのさ。
愚かな人はね、いつも自分より、より愚かな人をみつけて、
それで自分をなぐさめるのさ。
それからね、賢明な人は、愚かな人を相手にしない。
でもね愚かな人は、賢明な人に、あれこれ文句を言ってくる。
自分が愚かだとわかっていないからね。
だからちょうど、図書館で本を選ぶように、
君たちも、友や仲間を選ぶんだよ。
これはとても大切なことだよ。
バカな人
ついでにね、
「フォレスト・ガンプ」という映画の中で、
フォレストのお母さんが、こう言うよ。
「バカなことをする人を、バカと言うのよ。頭じゃ、ないのよ」と、ね。
いい映画だから、一度は見てごらん。
いいかな。バカなことをする人を、バカというんだよ。
勉強ができないとか、成績が悪いとか、そういうことではないよ。
バカなことをする人を、バカというんだよ。
タバコを吸ったり、バイクで夜中に騒いだり、
ゴミを平気で捨てたり、道路にツバをはいたり、
人をキズつけるようなことを平気で言う人を
バカって、いうんだよ。
人をいじめたり、いやがらせをしたり、仲間ハズレをしたりして
おもしろがっている人を、バカっていうんだよ。
君は、そのバカな人ではないんだよ。
だってね、
この文章を読んでね、バカの本当の意味がわかったからね。
相手のこと
イギリスのことわざに、ね、
「相手は、自分が相手を思うように、自分を思う」というのが、あるよ。
つまりね、
君が、AさんならAさんを、「いい人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いい人だ」と思っているということ。
君が、AさんならAさんを、「いやな人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いやな人だ」と思っているということ。
そういう意味でね、人間の心は、カガミのようなものだね。
だからね、みんなと仲よくしたかったら、みんなのことを「いい人だ」と
思うようにするといいよ。そうするとね、みんなも、君のことを
「いい人だ」と思うようになるよ。やってみたら?
家庭
君は、どこで心を休めているのかな?
家の中。そう家の中だよね。
でも、その家の中のどこかな?
居間かな? 台所かな?
「トイレの中」と言った人もいたよ。
「お風呂の中」と言った人もいたよ。
あるいは「ふとんの中」と言った人もいたよ。
でもね、もし君が、家族のいる、
みんなの中が、一番安心できるとしたら、
それはすばらしいことだよ。
君は、すばらしい家族をもっているということ。
うらやましい、ね。
もしそうなら、君は、君の家族を、
大切にしたらいいよ。
自信をもって、ね。
(ほか、30項目)続きはホームページで
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
かりに、子どもの心の中を知ろうというのが、このテストです。ぜひご家庭で、活用してみてくだ さい。 ない日の様子です。 てください。 もは……。 の様子はどうですか。 です。そのときあなたの子どもは……。 が、断絶へと進む……。 ない」と思っている中高校生は七九%もいる(「青少年白書」平成十年)。が、この程度ならまだ よいほうだ。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。まさに 一触即発。親が何かを話しかけただけで、子どもは「ウッセー!」と。そこで親は親で、「親に向 かって、何だ、その態度は!」となる。あとはいつもの大げんか! いるはず」と思っている親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。 い。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気にしないで、体を休め ているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好とみてよい。しかし好んであな たの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げて行くようであれ ば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中高校生の多くが、心が休まる場所としてあ げたのが、(1)風呂の中、(2)トイレの中、それに(3)ふとんの中だそうだ(「学外研」九八年報 告)。 だ」というのが権威主義。「子どものことは、私が一番よく知っている」という親ほど、あぶない。 この権威主義が強ければ強いほど、子どもは親の前では、仮面をかぶる。いい子ぶる。その 分だけ、子どもの心は離れる。次に相互不信。「うちの子はすばらしい」という自信が、子ども を伸ばす。しかし親が「心配だ」「不安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。 人間の心は、鏡のようなもの。イギリスの格言にも、「相手は、あなたが思っているように、あな たのことを思う」というのがある。つまりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、 あなたの子どもも、あなたを「すばらしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子の間 を密にする。が、そうでなければ、そうでなくなる。三つ目にリズム。あなたの子どもがまだヨチ ヨチ歩きをしていたころを思い出してみてほしい。そのときあなたは子どもの横か、うしろを歩 いていただろうか。そうであれば、それでよし。しかしあなたが子どもの前を、子どもの手を引 きながら、ぐいぐいと歩いていたとするなら、あなたと子どものリズムは、そのときから狂い始め ていたとみる。おけいこ塾でも何でも、あなたは子どもの意思を無視して、勝手に決めていた はずだ。やがてあなたは子どもと、こんな会話をするようになるかもしれない。親「あんたは誰 のおかげでピアノがひけるようになったか、それがわかっているの! お母さんが高い月謝を 払って、毎週ピアノ教室へ連れていってあげたからよ!」子「いつ誰が、そんなこと、あんたに 頼んだ!」と。 くないから、子どものうしろを歩く。決して前を歩かない。アメリカでは、親子でも、「お前はパパ に何をしてほしい」とか、「ママはぼくに何をしてほしい」と聞き合っている。そういう謙虚さが、子 どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。 校を起こすケース、あるいは集団教育になじめず不登校を起こすケースなど。私の息子の一 人はひどい花粉症で、毎年春先になると、決まって不登校を繰り返した。花粉症による睡眠不 足が、その引き金になった。が、こうした不登校の中でも比較的多く、また期間が長期化する のタイプの不登校に、不安障害による不登校がある(長崎大・中根充文ほか)。一九四一年に アメリカのジョンソンという学者が、「学校恐怖症」と名づけたのが、それである。このタイプの 不登校には、段階的な特徴があるのが知られている。 さ、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感など。午前中は症状が重く、午後は軽くなり、夕方になると 静かに収まってくる。床につく前に親が、「明日は学校へ行くの?」と聞くと、明るい声で「行く」と 答えたりする。この段階で、親が学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめるから」と か言ったりする。そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめるから」と言い出したりする。タ ーゲット(原因とする人や理由)がそのつど移動するのが特徴である。 りする。親が無理に学校へ連れていこうとすると、狂人のように暴れたりする。しかしいったん、 学校へ行かなくてもよいとわかると、一転して今度は別人のように静かで穏やかな表情を見せ る。あまりの変わりように、たいていの親は、「これが同じ子どもか?」と思うことが多い。 自分の世界に閉じこもるようになる。暴力、暴言などの攻撃的態度は減り、見た目には穏やか な状態になり、落ち着く。ただ心の緊張感は残り、親の不用意な言葉などで、突発的に激怒し たり、暴れたりすることはある。この状態で症状は、数か月から数年という単位で、一進一退を 繰り返す。 っては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。 のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまうことである。あるいは子どもの言う理 由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある子どもの(心の問題)を見逃してしまう。しかしこ のタイプの子どもが不登校児になるのは、第二期の対処のまずさによることが多い。ある母親 はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバーでドアをはずした。そし て泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ連れていった。その母親 は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖心から、子どもをはげしく叱り続けた。 が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、子どもの心に取り返しが つかないほど大きなキズを残す。もしこの段階で、親が、「そうね、誰だって学校へ行きたくない ときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症状はそれほど重くならなくて すむかもしれない。 と。そういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を、未然に防ぐことができる。 かりに、子どもの心の中を知ろうというのが、このテストです。ぜひご家庭で、活用してみてくだ さい。 ない日の様子です。 てください。 もは……。 の様子はどうですか。 です。そのときあなたの子どもは……。 な年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の 腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。 が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ をしめてやったとき。そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのこ とだ。二男が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教え てくれた。「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がな いため、落とされそうだから」と。その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、 それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るようになった。 てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ る。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてや ればよかった」と、悔やむこともある。そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹 いてきて、またどこかへと去っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生 も終わりに近づく。 と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかっ た。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房が、「S よ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。 なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭 い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そ ういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわ からなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 子育てとい うのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいなあ」と思ってし まう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新 幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだった なあ」と。 何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が 人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やが てくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 校を起こすケース、あるいは集団教育になじめず不登校を起こすケースなど。私の息子の一 人はひどい花粉症で、毎年春先になると、決まって不登校を繰り返した。花粉症による睡眠不 足が、その引き金になった。が、こうした不登校の中でも比較的多く、また期間が長期化する のタイプの不登校に、不安障害による不登校がある(長崎大・中根充文ほか)。一九四一年に アメリカのジョンソンという学者が、「学校恐怖症」と名づけたのが、それである。このタイプの 不登校には、段階的な特徴があるのが知られている。 さ、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感など。午前中は症状が重く、午後は軽くなり、夕方になると 静かに収まってくる。床につく前に親が、「明日は学校へ行くの?」と聞くと、明るい声で「行く」と 答えたりする。この段階で、親が学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめるから」と か言ったりする。そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめるから」と言い出したりする。タ ーゲット(原因とする人や理由)がそのつど移動するのが特徴である。 りする。親が無理に学校へ連れていこうとすると、狂人のように暴れたりする。しかしいったん、 学校へ行かなくてもよいとわかると、一転して今度は別人のように静かで穏やかな表情を見せ る。あまりの変わりように、たいていの親は、「これが同じ子どもか?」と思うことが多い。 自分の世界に閉じこもるようになる。暴力、暴言などの攻撃的態度は減り、見た目には穏やか な状態になり、落ち着く。ただ心の緊張感は残り、親の不用意な言葉などで、突発的に激怒し たり、暴れたりすることはある。この状態で症状は、数か月から数年という単位で、一進一退を 繰り返す。 っては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。 のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまうことである。あるいは子どもの言う理 由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある子どもの(心の問題)を見逃してしまう。しかしこ のタイプの子どもが不登校児になるのは、第二期の対処のまずさによることが多い。ある母親 はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバーでドアをはずした。そし て泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ連れていった。その母親 は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖心から、子どもをはげしく叱り続けた。 が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、子どもの心に取り返しが つかないほど大きなキズを残す。もしこの段階で、親が、「そうね、誰だって学校へ行きたくない ときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症状はそれほど重くならなくて すむかもしれない。 と。そういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を、未然に防ぐことができる。 な年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の 腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。 が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ をしめてやったとき。そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのこ とだ。二男が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教え てくれた。「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がな いため、落とされそうだから」と。その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、 それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るようになった。 てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ る。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてや ればよかった」と、悔やむこともある。そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹 いてきて、またどこかへと去っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生 も終わりに近づく。 と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかっ た。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房が、「S よ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。 なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭 い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そ ういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわ からなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 子育てとい うのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいなあ」と思ってし まう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新 幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだった なあ」と。 何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が 人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やが てくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 校を起こすケース、あるいは集団教育になじめず不登校を起こすケースなど。私の息子の一 人はひどい花粉症で、毎年春先になると、決まって不登校を繰り返した。花粉症による睡眠不 足が、その引き金になった。が、こうした不登校の中でも比較的多く、また期間が長期化する のタイプの不登校に、不安障害による不登校がある(長崎大・中根充文ほか)。一九四一年に アメリカのジョンソンという学者が、「学校恐怖症」と名づけたのが、それである。このタイプの 不登校には、段階的な特徴があるのが知られている。 さ、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感など。午前中は症状が重く、午後は軽くなり、夕方になると 静かに収まってくる。床につく前に親が、「明日は学校へ行くの?」と聞くと、明るい声で「行く」と 答えたりする。この段階で、親が学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめるから」と か言ったりする。そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめるから」と言い出したりする。タ ーゲット(原因とする人や理由)がそのつど移動するのが特徴である。 りする。親が無理に学校へ連れていこうとすると、狂人のように暴れたりする。しかしいったん、 学校へ行かなくてもよいとわかると、一転して今度は別人のように静かで穏やかな表情を見せ る。あまりの変わりように、たいていの親は、「これが同じ子どもか?」と思うことが多い。 自分の世界に閉じこもるようになる。暴力、暴言などの攻撃的態度は減り、見た目には穏やか な状態になり、落ち着く。ただ心の緊張感は残り、親の不用意な言葉などで、突発的に激怒し たり、暴れたりすることはある。この状態で症状は、数か月から数年という単位で、一進一退を 繰り返す。 っては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校C て、こう書いてあった。「一三年ぶりに屈辱を晴らしました。今、どうしてあのとき泣き続けたか、 その理由がわかりました」と。 れに七歳の三男だった。が、九合目を過ぎたところで、そこから見あげると、山頂が絶壁の向 こうに見えた。私は多分そのとき三男にこう言ったと思う。「お前には無理だから、ここに残って いろ」と。女房も同じ意見だった。で、女房と三男を山小屋に残して、私たちは頂上をめざし た。つまりその間中、三男はよほど悔しかったのだろう、山小屋で泣き続けていたという。 今の彼にしてみれば富士山など、そこらの山を登るくらい簡単なことだろう。その日も、大学の 教授たちとグループを作って登山しているということだった。女房が朝、新聞を見ながら、「きっ とE君はご来光をおがめたわ」と喜んでいた。が、私はその三男のハガキを見て、胸がしめつ けられた。あのとき私は、三男の気持ちを確かめなかった。私たちが登山していく姿を見なが ら、三男はどんな思いでいたのか。そう、振り返ったとき、三男が女房のズボンに顔をうずめて 泣いていたのは覚えている。しかしそのまま泣き続けていたとは! っていることに気づかないトゲもある。私はこの一三年間、三男がそんな気持ちでいたことを知 る由もなかった。何という不覚! 私はどうして三男に心にもっと耳を傾けてやらなかったの か。何でもないようなトゲだが、子育ても終わってみると、そんなトゲが心を突き刺す。私はや はりあのとき、時間はかかっても、そして背負ってでも、三男を連れて登頂すべきだった。重苦 しい気持ちで女房にそれを伝えると、女房はこう言って笑った。「だって、あれは、E君が足が 痛いと言ったからでしょ」と。「Eが、痛いと言ったのか?」「そう、E君が痛いから歩けないと泣 いたのよ。それで私も残ったのよ」と。とたん、心の中をスーッと風が通り抜けるのを感じた。軽 い風だった。さっそくそのあと、三男にメールを出した。「登頂、おめでとう。よかったね」と。 な年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の 腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。 が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ をしめてやったとき。そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのこ とだ。二男が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教え てくれた。「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がな いため、落とされそうだから」と。その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、 それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るようになった。 てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ る。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてや ればよかった」と、悔やむこともある。そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹 いてきて、またどこかへと去っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生 も終わりに近づく。 と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかっ た。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房が、「S よ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。 なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭 い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そ ういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわ からなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 子育てとい うのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいなあ」と思ってし まう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新 幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだった なあ」と。 何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が 人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やが てくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 ちの子は小さいから……」と思っているうちに、互いの間の不協和音はやがて大きくなる。そし てそれが、断絶へと進む……。 い」と思っている中高校生は79%もいる(「青少年白書」平成十年)。が、この程度ならまだ救 われる。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。まさに一触 即発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもはやり返す。そこで親は親で、 「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの大げんか! るはず」と言う親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。 い。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気にしないで、体を休め ているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好とみてよい。しかし好んであな たの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げて行くようであれ ば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中学生の多くが、心が休まる場所としてあげ たのが、(1)風呂の中、(2)トイレの中、それに(3)ふとんの中だそうだ(「学外研」九八年報 告)。 だ」というのが権威主義。「子どものことは、私が一番よく知っている」「子どもは親に従うべき」 という親ほど、あぶない。親が権威主義的であればあるほど、子どもは親の前では、仮面をか ぶる。いい子ぶる。が、その分だけ、子どもの心は離れる。親は親で、子どもの心を見失う。次 に相互不信。「うちの子はすばらしい」という自信が、子どもを伸ばす。しかし親が「心配だ」「不 安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。人間の心は、鏡のようなものだ。イギ リスの格言にも、「相手は、あなたが思っているように、あなたのことを思う」というのがある。つ まりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、あなたの子どもも、あなたを「すば らしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子の間を密にする。が、そうでなければ、 そうでなくなる。三つ目にリズム。あなたの子どもがまだヨチヨチ歩きをしていたころを思い出し てみてほしい。そのときあなたは子どもの横か、うしろを歩いていただろうか。そうであれば、そ れでよし。しかしあなたが子どもの前を、子どもの手を引きながら、ぐいぐいと歩いていたとする なら、あなたと子どものリズムは、そのときから狂い始めていたとみる。おけいこ塾でも何でも、 あなたは子どもの意思を無視して、勝手に決めていたはずだ。今もそうだ。これからもそうだ。 そしてあなたは、やがて子どもと、こんな会話をするようになる。親「あんたは誰のおかげでピ アノがひけるようになったか、それがわかっているの! お母さんが高い月謝を払って、毎週ピ アノ教室へ連れていってあげたからよ!」、子「いつ誰が、そんなこと、お前に頼んだア!」と。 くないから、子どものうしろを歩く。決して前を歩かない。アメリカでは親子でも、「お前はパパに 何をしてほしい?」「パパはぼくに何をしてほしい?」と聞きあっている。そういう謙虚さが、子ど もの心を開く。親子の断絶を防ぐ。 実家へ帰るときになったときのこと。簡単な食事の用意、戸じまりはもちろんのこと、四歳にな る妹の世話まですべて一人でやりこなした。そのつど母親が実家から電話をして、あれこれ指 示したというが、母親はこう言って笑った。「やらせればできるもんですね」と。こういう子どもを 「たくましい子ども」という。 どもにさせる。中に、「子どもに楽をさせるのが、親の愛」と考えている人がいるが、これは誤 解。こんな子ども(年中児)がいた。帰りの時刻になっても、机の上のものを片づけようともしな い。そこで身ぶり手ぶりで、片づけるよう指示したのだが、そのうちメソメソと泣き出してしまっ た。「片づける」という意味すら、わからないようだった。が、その日は運の悪いことに、母親が その子どもを迎えにきていた。母親は子どもの泣き声を聞きつけると教室の中へ飛び込んで きた。そしてていねいだが、すご味のある声でこう言った。「どうして、うちの子を泣かすのです か!」と。 「つかみどころ」がはっきりしている。「この子どもはこういう子どもだ」という輪郭(りんかく)のこ とだと思えばよい。反対に自我の弱い子どもは、そのつかみどころがない。「何を考えているか わからない子ども」ということになる。ものの考え方が、優柔不断で、グズグズした感じになる。 フロイドの自我論はよく知られているが、それを子どもにあてはめると、次のようになる。 子は大きく変わるという。それを子どもに当てはめた表が、次のものである。 く出てくる。 る。 コンクールに出る」「友だちの誕生日のプレゼント用に、船の模型を作る」など。 行為にブレーキをかけることができる。自制心が強く、そのお金には手を出さない。 うになる。 ないカードやおもちゃをたくさん集める、など。もらった小遣いも、すぐ使ってしまう。 ものを買っても、欲望を満足させたという喜びのほうが強く、悪いことをしたという意識が生まれ ない。 象を、一貫した全体的な「自分」として意識する体験(心理学)。人格の中枢機関(精神分析)な ど。自我のとらえ方は、必ずしも一致していない。英語ではego、selfという。 もも、生まれながらにして、その自我は平等に備わっている。つまり子どもというのは、あるべ き環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、親の過干渉、過関心が 続くと、その自我はつぶれる。 理由がある。しかしわがままには、ない。たとえば「お兄ちゃんは、この前、○○を買ってもらっ たのに、どうしてぼくはだめなのか」と言うのは、自己主張。「あれがほしい、これがほしい」と泣 き叫ぶのは、わがままということになる。一般に自己主張には、ていねいに耳を傾けてあげ る。わがままは無視するという方法で、対処する。 そういうのは忍耐力とは言わない。子どもの場合(おとなもそうだが)、いやなことをする力のこ とを忍耐力という。たとえばあなたの子どもに、台所の生ゴミを手で始末させてみてほしい。そ のときそれをいやがらずにすれば、あなたの子どもは忍耐力のある子どもということになる。 もの。その苦痛を乗り越える力が、忍耐力ということになる。 う」。……と、講演会の席などで話すと、親は驚く。「乳児のときから……!」と。その通り。子育 てのリズムは、実は子どもが乳児のときから始まる。もっと正確には、子どもを妊娠したときか ら始まる。ある母親は、子どもを妊娠したとき、胎教とか何とか言って、クラシック音楽を聞か せた。その子どもが生まれると、時間に正確にミルクを与えた。そして子どもが四歳になると、 音楽教室と英会話教室へ通わせた。この母親に共通するのは、「何でも子どもが望む前に与 える」というリズムである。一度このリズムができると、そのリズムを変えるのは容易ではない。 (1)子どもの前を手を引きながら歩いていた。(2)子どもの手を握りながら、子どもの横を歩い ていた。(3)子どものうしろを、子どもをガードするように歩いていた。 とにつけ権威主義的で、「子どものことは、私が一番よく知っている」と言う。そして子どものこと を何でも先に決めてしまう。おけいこごとでも、何でもだ。しかしその裏で、子どもの心があなた から離れ始めているのに気づかない。最初は小さな亀裂だが、その亀裂はやがて大きくなる。 そして断絶へ……と。 ども「では、パパは、ぼくに何をしてほしいの」と。こういう謙虚な気持ちが、互いの心を開く。 で、子どもの心を確かめながら子育てをしてみてほしい。たったそれだけのことだが、あなたは 親子の断絶を防ぐことができる。 と言ったとする。そのとき、あなたは(1)、子どもを起こして、一緒に宿題をすませてあげる。 (2)、「宿題をやっていないのは、あなたが悪い。明日、学校で叱られてきなさい」と言って、そ のまま寝させる。 るなら、あなたは子どもの自立を考えた子育てをしていることになる。「自立」とは、自らが立つ ということ。つまり、自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとるということ。一見冷たい子育 てに見えるかもしれないが、子どもを自立させるということは、自分で責任をとらせるというこ と。が、もし(1)のようであれば、これまた一見、子ども思いのやさしい親に見えるかもしれない が、こういう子育て観(リズム)は、子どもから自立心を奪う。それだけではない。そういう甘さの 間げきをぬって、子どもがドラ息子、ドラ娘化する危険性もある。 自分で考えさせ、自分で行動させ、自分で責任をとらせるということ。特に三番目の「自分で責 任をとらせる」ということが大切。こんな親がいた。 かえる」ということで、その夜のうちにあちこちを走り回り、事件そのものをもみ消してしまった。 その子どもがそのあと、ますますドラ息子化したことは言うまでもない。 いうことはない。たとえばミルクでも、子どもが泣いてから与える、など。そういう姿勢が、子ども をたくましくする。 たとえば冷蔵庫から牛乳パックを取り出して飲んだとする。そのときそのパックをまた冷蔵庫 へ戻せば、それでよし。しかしそのままにしておくようであれば、あと始末のできない子どもとみ る。 スポイルされているよ」と。「スポイル」というのは、「ドラ息子」という意味である。そこで私が、 「では君は、一体、子どものどういうところをみてそう思うのか」と聞くと、こう話してくれた。 わない。シャワーを浴びても、アワを流さない。朝起きても、ベッドをなおさない。何もしないの だよ」と。 にはうるさい。かなり突っ張ったような子どもでも、食後は食器をシンクへ運び、それを自分で 洗ったりしている。反対にこの日本では、「勉強する」「宿題がある」と言えば、子どもはすべて を免除される。親、「スキヤキの焼き豆腐がないから、スーパーで買ってきて」、子、「勉強があ る」、親、「じゃあ、いいわ」と。 つ人になれ」と。一方、アメリカやオーストラリアでは、こう言う。「よき家庭人にんれ」と。「よき 市民になれ」と言うときもある。フランス人に確かめたら、フランスでもそうだそうだ。ドイツでも そうだそうだ。私はこうした違いから、日本人の子育てを、出世主義。欧米の子育てを、家族主 義と呼んでいる。もちろん彼らにそういう主義があるわけではない。それが彼らにしてみれば、 常識なのだ。 さらには権威主義とからみついている。そしてそれが全体として学歴信仰や学校神話と結びつ いている。一方、たとえばアメリカ人にしても、日本でいうような学歴社会はない。大学にして も、入学後の学部変更は自由だし、大学から大学への転籍すらほぼ自由化されている。学校 にしても、九七年度だけでも、いわゆる家庭で勉強する「ホームスクーラー」が、一〇〇万人を 超えた。二〇〇一年末には、二〇〇万人になるだろうと言われている。「LIF(自由に学ぶ)」と いう組織も、できている。こうした違いの背景にあるのが、ここでいう家族主義である。子どもの ときから、アメリカの子どもたちは、「よき家庭人として自立する」ことを徹底的に叩き込まれて いる。だから大学生にしても、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、さがさなければなら ないほど、少ない。どこの大学へ入るかよりも、どこからどの程度の奨学金を得るかのほう が、彼らにしてみれば重要なのだ。「大学へ行くのは、その道のプロになるため」という意識も、 そこから生まれる。 き、その車についているスイッチに、たいへん興味をもった。そこで父親がパソコンを買い与え ると、案の定S君は、そのパソコンにのめり込んでいった。小学三年生のときにはベーシック言 語を。中一のときには、C言語をマスターしてしまった。今は、大手のコンピュータソフト会社 で、プログラムの分析技師をしている。 てみたところ、まさに水を得た魚のように泳ぎ始めた。このB子さんは、そののち、中学三年の ときには、水泳の全国大会にまで出場するようになった。 もがいる。しかしこのタイプの子どもは、一度つまずくと、それこそ坂をころげ落ちるように、成 績がさがる。そういうときのために、というわけではないが、子どもには一芸をもたせるとよい。 その一芸が子どもを側面から支える。 しているとか、ゲームをうまくできるというのは一芸ではない。モデルガンをたくさんもっていると いうのも、一芸ではない。一芸というのは、努力と才能によって、前向きに伸びていくものをい う。 芸を伸ばす。 産劇の中で、社長が、「みんな、私が悪いのです」と泣いてみせたのが、それを象徴している。 私たちが学生時代には、大企業の社長がマスコミの前で大泣きするなどということは、考えら れなかった。また就職先にしても、都会の大企業へ就職できたのは「出世組」。そうでないの は、「失敗組」と考えられていた。 うせロクな仕事にはつけなかったのだろう」と。私が「幼児教育を開いています」と言ったときの ことである。こうした職業観は、日本人が共通してもっていたものであり、それが一方で日本の 教育をゆがめてきた。 ロになるために勉強している。大学生たちも、そういう意識をしっかりともっている。日本もやが てそうなるだろうし、またそうしなければならない。権威者が、力もないまま、いばったり、権力 を振り回すような時代は、もう終わったのだ。 いうことは同時に、私たちの意識もプロ化しなければならない。言うなれば、「互いに力のなさ をなぐさめあうような甘い社会」からの脱皮をするということ。今までの日本の社会は、あまりに も、「ムラ」的であった。(このムラ意識は日本のよさだと主張する人もいるにはいるが、もしそ うなら、「国際化」などという言葉は使わないことだ。それともアフリカの原住民のように、東洋 の島国でひっそりと、静かに暮らすということか。) が、ここでいう一芸論は、そういうプロ型社会の到来を予想したものである。 もが三拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、二つの曲を同時に演奏すれば、それは 騒音でしかない。そこでテスト。 が、子どもの横か、うしろに立ってゆっくりと歩いていれば、よし。しかし(2)子どもの前に立っ て、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩いているようであれば、要注意。今は、小さな亀裂か もしれないが、やがて断絶…ということにもなりかねない。このタイプの親ほど、親意識が強 い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と豪語する。へたに子どもが口答えでも しようものなら、「何だ、親に向かって!」と、それを叱る。そしておけいこごとでも何でも、親が 勝手に決める。やめるときも、親が勝手に決める。子どもは子どもで、親の前では従順に従 う。そういう子どもを見ながら、「うちの子は、できのよい子」と錯覚する。が、仮面は仮面。長く は続かない。 のか」、子「パパは、ぼくに何をしてほしいのか」と。この段階で、互いにあいまいなことを言うの を許されない。それだけに、実際そのように聞かれると、聞かれたほうは、ハッとする。緊張す る。それはあるが、しかし日本人よりは、ずっと相手の気持ちを確かめながら行動している。 と。その途中で変わるということは、まず、ない。ある女性(三二歳)は、こう言った。「今でも、 実家の親を前にすると、緊張します」と。別の男性(四〇歳)も、父親と同居しているが、親子の 会話はほとんど、ない。どこかでそのリズムを変えなければならないが、リズムは、その人の人 生観と深くからんでいるため、変えるのは容易ではない。しかし変えるなら、早いほうがよい。 早ければ早いほどよい。もしあなたが子どもの手を引きながら、子どもの前を歩いているような ら、今日からでも、子どもの歩調に合わせて、うしろを歩く。たったそれだけのことだが、あなた は子育てのリズムを変えることができる。いつかやがて、すばらしい親子関係を築くことができ る。 …」という発想なんです。母親なら、「子育てにもリズムがあります」と言うと、 かな?」と、自問してみてください。そしてある程度、答が出たら、本文を読んでみてください。 もの横にいるか、子どものうしろにいて、子どもの背中を見ながら歩いていれば、それでよし。 もしあなたが子どもの手を引きながら、子どもの前を歩いているようなら、要注意。あなたは子 どものリズムで子育てをしていないことになります。このリズムの乱れは、今は小さなものです が、一事が万事。あらゆる面で、あなたの子育てに影響してきます。へたをすれば、やがて、 親子の間に亀裂……そして断絶ということにもなりかねません。子育てじょうずなママは、子ど もの心をつかむのがじょうず。子どものリズムで歩くことができるママをいいます。 は、帰りの時刻になるたびに、どこかへ隠れてしまいます。そこで先生たちがさがすのですが、 おかげでいつもバスの発車時刻が遅れてしまいます。「どうしてでしょう」とお母さんから相談が ありましたが、様子から私は「帰宅拒否」と判断しました。「家へ帰りたくない」という思いが、回 りまわって、子どもにそういう行動をさせるのですね。もしあなたのお子さんが、「いつも寄り道 をする」「帰りの時刻が遅い」ということであれば、この帰宅拒否を疑ってみてください。 ください。あなたのいる前で、休めるようであればよし。しかし好んであなたのいないところや、 あるいはあなたの姿が見えると、逃げていくようであれば、要注意。あなたとお子さんの間に は、すでに小さな亀裂ができ始めているとみます。やがてそれが大きくなり、「断絶!」というこ とにもなりかねません。そうならないためにも、子育ての仕方そのものを反省してください。子ど もにとっては、家庭はやすらぎの場所。あれこれとこまかいことを言えば、あなたがいるところ では休めなくなりますね。 子どもがその逃げ場に入ったら、そこを踏み荒らすようなことはしてはいけません。子どもはそ の逃げ場で、反省したり、心を調整したりします。子どもがそこから出てくるまで、静かに待ちま す。ふつう子どもの逃げ場は、自分の部屋などですが、そこを荒らすと、別の場所に逃げ場を 求めるようになります。トイレの中や、押し入れの中など。近所の公園の電話ボックスの中に逃 げた子ども(小二男児)や、犬小屋に逃げた子ども(小四女児)もいました。 てください。そのとき子どもが、楽しそうな表情で絵を書き始めれば、それでよし。もしそのとた ん、暗い表情になったり、拒否するようであれば、家庭のあり方をかなり反省しなければなりま せん。外からはわからなくても、お子さんの心の中に、大きなわだかまりができつつあるとみま す。園児の場合、お父さんとお母さんの顔を描かせると、ふつうお母さんを先に、しかも大きく 描く傾向があります。それだけお母さんのほうの印象が強いからです。 ほしいものが何でもできる不思議な木です。木を描いて、あなたのほしいものをいっぱい描い てね」と。そのとき次々といろいろなものを描ければよし。そうでなくて、「何もいらない」「ほしい ものがない」というのであれば、かなりの飽食を疑ってみます。子どもを伸ばすコツは、いつも ややハングリーな状態に置くことです。「あれをしたい」「これがほしい」という思いが、子どもを 前向きに引っ張っていきます。与えすぎ、手のかけすぎは、禁物です。 に、「台所の生ゴミを始末して」と頼んでみてください。あるいはお風呂の排水口にたまった毛 玉でもいいです。そのときしぶしぶでも、それができればよし。が、ああでもない、こうでもないと 勝手な理由をつけてそれをしないというのであれば、かなりドラ息子、ドラ娘化が進行している とみます。さらに進行すると、「自分でしたら」と、生意気なことを言うようになります。ドラ息子化 を防ぐためには、家事をどんどん手伝わせること。子どもは、使えば使うほどよい子になりま す。 てあげる!」と言って、やってくればよし。そうでなく、知らぬふりをしたり、見て見ぬふりをして いるようであれば、かなりのドラ息子、ドラ娘とみます。さらにドラ息子化が進むと、頼んでもい やな顔をするばかりで、手伝おうともしません。人は自分で苦労して、はじめて他人の苦労の わかる人になります。子どもも同じ。よく「子どもに楽をさせることが、子どもを愛することだ」と 思っている人がいますが、これは誤解。苦労のわかる子どもにする……。それが子育ての基 本一つです。 は、おとなのそれとほぼ同じになるとみてようでしょう。それと同時に、子どもは、お金で自分の 欲望を満足させる、そのさせ方まで覚えてしまいます。そこでコツ。子どもに買い与えるもの は、約一〇〇倍して考えます。たとえば一〇〇円のものは、おとなの一万円。一〇〇〇円のも のは、一〇万円と……。この時期に、一万円や二万円のものを、ホイホイと買い与えている と、やがてその子どもが高校生や大学生になったとき、一〇〇万円や二〇〇万円程度のもの を買い与えないと満足しなくなります。 す。そういうときは、「名前を大切にしようね」と教えます。そして子どもの名前の出ているもの は、新聞でも雑誌でも切り抜いて、高いところやアルバムに張ったりして、大切にします。その とき、「いい名前だ」「すばらしい名前だ」と言うようにします。子どもは自分の名前を大切にする ことで、自分を大切にすることを覚えます。自尊心もそこから生まれます。なお家庭や教育の 現場で、子どもの名前をからかったり、茶化したりするのは、タブーです。 んだら、その死をていねいに弔(とむら)います。そこであなたのお子さんはどうでしょうか。ペッ トなどが死んだとき、それを心から悲しみますか。もしそうなら、それでよし。そういう気持ちが、 命を大切にする気持ちにつながります。しかし反対に、生きものを平気で殺したり、もてあそん でいるようであれば、心のどこかにキズがないかを疑ってみてください。心にキズがある子ども は、たとえば昆虫の頭をもぎって遊ぶなど、ぞっとするようなことを平気でしたりします。 なたのことをよい人だと思っているものです。お子さんと園や学校の先生との関係も、そうで す。「今日、先生は、どんな話をしたかな?」と問いかけてみてください。あなたのお子さんが、 先生の話を楽しそうにするなら、それでよし。しかし先生の話になると、突然顔を曇らせたり、 不愉快な表情をするようであれば、要注意。先生の悪口を並べるときもそうです。子どもの前 では、「あなたたちが悪いからでしょ」とたしなめながらも、一度、先生と話し合いの場をもって みてはどうでしょうか。 す。そこでこんなことを観察してみてください。あなたの子どもが学校から帰ってきたとき、どこ で体を休めるか、をです。子どもは(おとなも)、無意識のうちにも、一番居心地のよいところ で、体を休めます。そこを勉強部屋にすれば、勉強が好きになる……というわけです。あるい は反対に、子どもの机の上に、子どもの好きな食べ物を置いてみてください。そのとき子ども が机に座ってそれを食べればよし。別の場所にわざわざ移して食べるようであれば、その机は 子どもとの相性がよくないとみます。 あれこれ夢や希望を話せばよし。そうでなく、顔を曇らせたり。「なりたいものがない」と言うよう であれば、注意。「明日は今日より、よい世界になる」という、前向きな姿勢が子どもを伸ばしま す。子どもの未来を脅したり、不安にさせるようなことを言ったりするのは、タブー。今、小学校 の高学年児で、「中学校に入りたくない」と言う子どもがふえています。兄や姉のはげしい受験 競争を見ている子どもほどそうで、赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起こしたりします。 すか。もしそうなら、それでよし。あなたの子どもは、前向きにどんどんと伸びていきます。幼児 期から小学生の間は、むしろうぬぼれ気味にさせるのが、子どもを伸ばすコツです。「もう、そ んなことができるの!」「すごいわね!」と、子どもの成長を喜んでみせてください。が、反対 に、「まだできないの?」「いつになったらできるの?」は禁句。あなたの子どもは、(できない) →(逃げる)→(ますますできなくなる)の悪循環の中で、伸びることを止めてしまうかもしれませ ん。 坂をころげ落ちるように、成績がさがったりします。そういうときのため……、というだけではあ りませんが、子どもには一芸をもたせます。「これだけは誰にも負けない」というのが、その一 芸です。まわりの子どもたちからみて、「これだけは、あいつしかいない」という状態にします。 この一芸は、子どもを側面から支えるのみならず、その一芸が、やがて子どもの「柱」になるこ ともあります。ただしゲームがうまいとか、カードをたくさん集めているというのは、一芸ではあり ません。 笑っていれば、よし。しかし皆の中でも、大声で笑えず、クックッと小さい声で笑うとか、どこか 萎縮した様子があれば、子育てのあり方そのものを大きく反省してみてください。過干渉(子ど もの心や気持ちまで親が決めてしまう)、過関心(子どもの行動に神経質になる)になっていな いか、など。おうちの方の情緒不安(ときどきカッとなって、激しく叱る)は、百害あって一利な し。明るく、はつらつとしているのが、子どものあるべき姿です。そういう前提で、子育て全体を 見なおします。 もって!」ではなく、「あなたはカバンをもちます」と、正しい言い方で話しかけてみてください。さ らに「すごい、すごい」ではなく、「すばらしい」「すてきですね」「きれいだね」など、一つのことを いろいろな言い方でしてみせます。さらに子どもが文字を覚え始めたら、「お・と・う・さ・ん」と、 音を一つずつ区切って発音してみせます。こうした積み重ねがあって、子どもは、作文が好き になり、さらには論理的にものを考えることができる子どもになります。 お菓子を買うときも、「これを妹の○○に分けてあげると、妹は喜ぶわね」「お父さんにこれをも っていってあげると、喜ぶわよ」と、です。そして「他人を喜ばすことは、結局は自分にとっても 楽しいことだ」とわからせます。言い換えると、人にやさしい人というのは、そういう行為が自然 にできる人のことを言います。やさしい人というのは、一見、損ばかりしているように見えます が、いつの間か、そのまわりに、たくさんの人が集まるようになります。それこそまさに本当の 財産、ですね。 い通りにしたいという愛もあります。これを代償的愛といいます。いわば「愛もどきの愛」という ことになります。親の見栄やメンツのために、子どもを「よい学校(?)」に入れたがるというの が、それです。子どもへの愛の深さは、どこまで「許して忘れるか」、言い換えると、子どもをど こまで自分の中に受け入れるかで、決まります。もちろん子どもに好き勝手なことをさせろとい うことではありません。子どもにどんなに問題があっても、自分のこととして、受け入れてしまう ということです。 ものか」「父親や母親は、どうあるべきか」を、しっかりと子どもに見せておきます。見せるだけ ではなく、子どもの体の中に染み込ませておきます。夫婦が仲よく生活する姿、助けあい、いた わりあう姿など。子育ての基本は、子どもを育てることではありません。子どもに、子ども(あな たから見れば孫)の育て方を教えるのが、子育てです。「あなたが親になったら、こういうふうに 子どもを育てるのですよ」「こういうふうに子どもを叱るのですよ」とです。 し。そういう前向きな姿勢が、子ども自らを伸ばします。好奇心の旺盛な子どもほど、行動力も あり、趣味も多芸多才。一人で遊ばせておいても、身の回りから次々と発明していきます。が、 反対に、「いやだ」「やりたくない」と逃げるようであれば、日ごろの子どもへの接し方を反省して みてください。「あなたはダメな子」式の、暗いイメージを与えるのは禁物。あなた自身が、「うち の子は何をしてもダメ」と思っているなら、あなた自身の心を作り変えます。子どもは親がもっ ているイメージどおりの子どもになります。 がやってきました。久しぶりの対面です。そのときその友人が、あなたの子どもをしげしげと見 て、「いくつかな?」と聞いたとします。そのとき自分の子どもに自信のある親は、「まだ五歳で す」と、「まだ」という言葉を使います。しかし自信のない親は、顔をしかめながら、「もう五歳な んですがねえ」と言います。親に信じられている子どもは、表情も明るく、伸びやかです。親も 子育てを楽しんでいます。それが「良」循環となって、子どもはますます伸びていきます。 か?」、母親、子どもの会話をさえぎりながら、「おばあちゃんの家へ行ったでしょ。だったら、 そう言いなさい。……どうしてはっきりと言えないの。言いなさい」と。子どもを信じられないとい う不信感が、母親をして、過干渉ママにします。一方子どもは子どもで、ますます表情が暗くな っていきます。あとはこの悪循環。子どものことは子どもに任す。そういう一歩退いた姿勢が、 子どもの自立をうながし、子どもをたくましい子どももにします。 通りに。反対に「うちの子はダメな子だ」と思っていると、やはりその通りになります。ですから 子どもに向かっては、「あなたはいい子」「あなたはすばらしい子」を口グセにします。子どもと いうのは、自分を認めてくれる人の前では、よい面だけを見せようとします。つまりそういう子ど もの性質をうまく利用して、子どもを伸ばします。ただしほめるのは、やさしさと努力。スタイル や顔は、ほめないようします。「頭」については、ほめてよい場合と、そうでない場合があります ので、慎重にします。 動していますか。親意識、つまり親子の間の上下意識の強い人ほど、「私が親だから」「子ども のことは、私が一番よく知っている」と、子どもの気持を確かめることなく、親が何でもかんでも 勝手に決めてしまいます。一方的に、です。しかしこういう姿勢は、親子の間に大きな亀裂を入 れることになります。しかもあなたが気づかないうちに、です。子どもは、自らに由(よ)らせま す。自分で考えさえ、行動させ、責任を取らせます。それが「自由」の本当の意味です。 ちの子は小さいから……」と思っているうちに、互いの間の不協和音はやがて大きくなる。そし てそれが、断絶へと進む……。 い」と思っている中高校生は79%もいる(「青少年白書」平成十年)。が、この程度ならまだ救 われる。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。まさに一触 即発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもはやり返す。そこで親は親で、 「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの大げんか! るはず」と言う親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。 い。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気にしないで、体を休め ているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好とみてよい。しかし好んであな たの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げて行くようであれ ば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中学生の多くが、心が休まる場所としてあげ たのが、(1)風呂の中、(2)トイレの中、それに(3)ふとんの中だそうだ(「学外研」九八年報 告)。 だ」というのが権威主義。「子どものことは、私が一番よく知っている」「子どもは親に従うべき」 という親ほど、あぶない。親が権威主義的であればあるほど、子どもは親の前では、仮面をか ぶる。いい子ぶる。が、その分だけ、子どもの心は離れる。親は親で、子どもの心を見失う。次 に相互不信。「うちの子はすばらしい」という自信が、子どもを伸ばす。しかし親が「心配だ」「不 安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。人間の心は、鏡のようなものだ。イギ リスの格言にも、「相手は、あなたが思っているように、あなたのことを思う」というのがある。つ まりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、あなたの子どもも、あなたを「すば らしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子の間を密にする。が、そうでなければ、 そうでなくなる。三つ目にリズム。あなたの子どもがまだヨチヨチ歩きをしていたころを思い出し てみてほしい。そのときあなたは子どもの横か、うしろを歩いていただろうか。そうであれば、そ れでよし。しかしあなたが子どもの前を、子どもの手を引きながら、ぐいぐいと歩いていたとする なら、あなたと子どものリズムは、そのときから狂い始めていたとみる。おけいこ塾でも何でも、 あなたは子どもの意思を無視して、勝手に決めていたはずだ。今もそうだ。これからもそうだ。 そしてあなたは、やがて子どもと、こんな会話をするようになる。親「あんたは誰のおかげでピ アノがひけるようになったか、それがわかっているの! お母さんが高い月謝を払って、毎週ピ アノ教室へ連れていってあげたからよ!」、子「いつ誰が、そんなこと、お前に頼んだア!」と。 くないから、子どものうしろを歩く。決して前を歩かない。アメリカでは親子でも、「お前はパパに 何をしてほしい?」「パパはぼくに何をしてほしい?」と聞きあっている。そういう謙虚さが、子ど もの心を開く。親子の断絶を防ぐ。 実家へ帰るときになったときのこと。簡単な食事の用意、戸じまりはもちろんのこと、四歳にな る妹の世話まですべて一人でやりこなした。そのつど母親が実家から電話をして、あれこれ指 示したというが、母親はこう言って笑った。「やらせればできるもんですね」と。こういう子どもを 「たくましい子ども」という。 どもにさせる。中に、「子どもに楽をさせるのが、親の愛」と考えている人がいるが、これは誤 解。こんな子ども(年中児)がいた。帰りの時刻になっても、机の上のものを片づけようともしな い。そこで身ぶり手ぶりで、片づけるよう指示したのだが、そのうちメソメソと泣き出してしまっ た。「片づける」という意味すら、わからないようだった。が、その日は運の悪いことに、母親が その子どもを迎えにきていた。母親は子どもの泣き声を聞きつけると教室の中へ飛び込んで きた。そしてていねいだが、すご味のある声でこう言った。「どうして、うちの子を泣かすのです か!」と。 「つかみどころ」がはっきりしている。「この子どもはこういう子どもだ」という輪郭(りんかく)のこ とだと思えばよい。反対に自我の弱い子どもは、そのつかみどころがない。「何を考えているか わからない子ども」ということになる。ものの考え方が、優柔不断で、グズグズした感じになる。 フロイドの自我論はよく知られているが、それを子どもにあてはめると、次のようになる。 子は大きく変わるという。それを子どもに当てはめた表が、次のものである。 く出てくる。 る。 コンクールに出る」「友だちの誕生日のプレゼント用に、船の模型を作る」など。 行為にブレーキをかけることができる。自制心が強く、そのお金には手を出さない。 うになる。 ないカードやおもちゃをたくさん集める、など。もらった小遣いも、すぐ使ってしまう。 ものを買っても、欲望を満足させたという喜びのほうが強く、悪いことをしたという意識が生まれ ない。 象を、一貫した全体的な「自分」として意識する体験(心理学)。人格の中枢機関(精神分析)な ど。自我のとらえ方は、必ずしも一致していない。英語ではego、selfという。 もも、生まれながらにして、その自我は平等に備わっている。つまり子どもというのは、あるべ き環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、親の過干渉、過関心が 続くと、その自我はつぶれる。 理由がある。しかしわがままには、ない。たとえば「お兄ちゃんは、この前、○○を買ってもらっ たのに、どうしてぼくはだめなのか」と言うのは、自己主張。「あれがほしい、これがほしい」と泣 き叫ぶのは、わがままということになる。一般に自己主張には、ていねいに耳を傾けてあげ る。わがままは無視するという方法で、対処する。 そういうのは忍耐力とは言わない。子どもの場合(おとなもそうだが)、いやなことをする力のこ とを忍耐力という。たとえばあなたの子どもに、台所の生ゴミを手で始末させてみてほしい。そ のときそれをいやがらずにすれば、あなたの子どもは忍耐力のある子どもということになる。 もの。その苦痛を乗り越える力が、忍耐力ということになる。 う」。……と、講演会の席などで話すと、親は驚く。「乳児のときから……!」と。その通り。子育 てのリズムは、実は子どもが乳児のときから始まる。もっと正確には、子どもを妊娠したときか ら始まる。ある母親は、子どもを妊娠したとき、胎教とか何とか言って、クラシック音楽を聞か せた。その子どもが生まれると、時間に正確にミルクを与えた。そして子どもが四歳になると、 音楽教室と英会話教室へ通わせた。この母親に共通するのは、「何でも子どもが望む前に与 える」というリズムである。一度このリズムができると、そのリズムを変えるのは容易ではない。 (1)子どもの前を手を引きながら歩いていた。(2)子どもの手を握りながら、子どもの横を歩い ていた。(3)子どものうしろを、子どもをガードするように歩いていた。 とにつけ権威主義的で、「子どものことは、私が一番よく知っている」と言う。そして子どものこと を何でも先に決めてしまう。おけいこごとでも、何でもだ。しかしその裏で、子どもの心があなた から離れ始めているのに気づかない。最初は小さな亀裂だが、その亀裂はやがて大きくなる。 そして断絶へ……と。 ども「では、パパは、ぼくに何をしてほしいの」と。こういう謙虚な気持ちが、互いの心を開く。 で、子どもの心を確かめながら子育てをしてみてほしい。たったそれだけのことだが、あなたは 親子の断絶を防ぐことができる。 と言ったとする。そのとき、あなたは(1)、子どもを起こして、一緒に宿題をすませてあげる。 (2)、「宿題をやっていないのは、あなたが悪い。明日、学校で叱られてきなさい」と言って、そ のまま寝させる。 るなら、あなたは子どもの自立を考えた子育てをしていることになる。「自立」とは、自らが立つ ということ。つまり、自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとるということ。一見冷たい子育 てに見えるかもしれないが、子どもを自立させるということは、自分で責任をとらせるというこ と。が、もし(1)のようであれば、これまた一見、子ども思いのやさしい親に見えるかもしれない が、こういう子育て観(リズム)は、子どもから自立心を奪う。それだけではない。そういう甘さの 間げきをぬって、子どもがドラ息子、ドラ娘化する危険性もある。 自分で考えさせ、自分で行動させ、自分で責任をとらせるということ。特に三番目の「自分で責 任をとらせる」ということが大切。こんな親がいた。 かえる」ということで、その夜のうちにあちこちを走り回り、事件そのものをもみ消してしまった。 その子どもがそのあと、ますますドラ息子化したことは言うまでもない。 いうことはない。たとえばミルクでも、子どもが泣いてから与える、など。そういう姿勢が、子ども をたくましくする。 たとえば冷蔵庫から牛乳パックを取り出して飲んだとする。そのときそのパックをまた冷蔵庫 へ戻せば、それでよし。しかしそのままにしておくようであれば、あと始末のできない子どもとみ る。 スポイルされているよ」と。「スポイル」というのは、「ドラ息子」という意味である。そこで私が、 「では君は、一体、子どものどういうところをみてそう思うのか」と聞くと、こう話してくれた。 わない。シャワーを浴びても、アワを流さない。朝起きても、ベッドをなおさない。何もしないの だよ」と。 にはうるさい。かなり突っ張ったような子どもでも、食後は食器をシンクへ運び、それを自分で 洗ったりしている。反対にこの日本では、「勉強する」「宿題がある」と言えば、子どもはすべて を免除される。親、「スキヤキの焼き豆腐がないから、スーパーで買ってきて」、子、「勉強があ る」、親、「じゃあ、いいわ」と。 つ人になれ」と。一方、アメリカやオーストラリアでは、こう言う。「よき家庭人にんれ」と。「よき 市民になれ」と言うときもある。フランス人に確かめたら、フランスでもそうだそうだ。ドイツでも そうだそうだ。私はこうした違いから、日本人の子育てを、出世主義。欧米の子育てを、家族主 義と呼んでいる。もちろん彼らにそういう主義があるわけではない。それが彼らにしてみれば、 常識なのだ。 さらには権威主義とからみついている。そしてそれが全体として学歴信仰や学校神話と結びつ いている。一方、たとえばアメリカ人にしても、日本でいうような学歴社会はない。大学にして も、入学後の学部変更は自由だし、大学から大学への転籍すらほぼ自由化されている。学校 にしても、九七年度だけでも、いわゆる家庭で勉強する「ホームスクーラー」が、一〇〇万人を 超えた。二〇〇一年末には、二〇〇万人になるだろうと言われている。「LIF(自由に学ぶ)」と いう組織も、できている。こうした違いの背景にあるのが、ここでいう家族主義である。子どもの ときから、アメリカの子どもたちは、「よき家庭人として自立する」ことを徹底的に叩き込まれて いる。だから大学生にしても、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、さがさなければなら ないほど、少ない。どこの大学へ入るかよりも、どこからどの程度の奨学金を得るかのほう が、彼らにしてみれば重要なのだ。「大学へ行くのは、その道のプロになるため」という意識も、 そこから生まれる。 き、その車についているスイッチに、たいへん興味をもった。そこで父親がパソコンを買い与え ると、案の定S君は、そのパソコンにのめり込んでいった。小学三年生のときにはベーシック言 語を。中一のときには、C言語をマスターしてしまった。今は、大手のコンピュータソフト会社 で、プログラムの分析技師をしている。 てみたところ、まさに水を得た魚のように泳ぎ始めた。このB子さんは、そののち、中学三年の ときには、水泳の全国大会にまで出場するようになった。 もがいる。しかしこのタイプの子どもは、一度つまずくと、それこそ坂をころげ落ちるように、成 績がさがる。そういうときのために、というわけではないが、子どもには一芸をもたせるとよい。 その一芸が子どもを側面から支える。 しているとか、ゲームをうまくできるというのは一芸ではない。モデルガンをたくさんもっていると いうのも、一芸ではない。一芸というのは、努力と才能によって、前向きに伸びていくものをい う。 芸を伸ばす。 産劇の中で、社長が、「みんな、私が悪いのです」と泣いてみせたのが、それを象徴している。 私たちが学生時代には、大企業の社長がマスコミの前で大泣きするなどということは、考えら れなかった。また就職先にしても、都会の大企業へ就職できたのは「出世組」。そうでないの は、「失敗組」と考えられていた。 うせロクな仕事にはつけなかったのだろう」と。私が「幼児教育を開いています」と言ったときの ことである。こうした職業観は、日本人が共通してもっていたものであり、それが一方で日本の 教育をゆがめてきた。 ロになるために勉強している。大学生たちも、そういう意識をしっかりともっている。日本もやが てそうなるだろうし、またそうしなければならない。権威者が、力もないまま、いばったり、権力 を振り回すような時代は、もう終わったのだ。 いうことは同時に、私たちの意識もプロ化しなければならない。言うなれば、「互いに力のなさ をなぐさめあうような甘い社会」からの脱皮をするということ。今までの日本の社会は、あまりに も、「ムラ」的であった。(このムラ意識は日本のよさだと主張する人もいるにはいるが、もしそ うなら、「国際化」などという言葉は使わないことだ。それともアフリカの原住民のように、東洋 の島国でひっそりと、静かに暮らすということか。) が、ここでいう一芸論は、そういうプロ型社会の到来を予想したものである。 度、それに(4)運動能力。このうち情緒の安定度は、子どもが肉体的に疲れていると思われる ときをみて、判断する。運動会や遠足のあと、など。そういうときでも、ぐずり、ふさぎこみ、不機 嫌、無口(以上、マイナス型)、あるいは、暴言、暴力、イライラ、激怒(以上、プラス型)がなけ れば、情緒が安定した子どもとみる。子どもは、肉体的に疲れたときは、「疲れた」とは言わな い。「眠い」と言う。子どもが「疲れた」というときは、神経的な疲れを疑う。子どもはこの神経的 な疲れにたいへん弱い。それこそ日中、五〜一〇分、神経をつかっただけで、ヘトヘトに疲れ てしまう。 第一反抗期、思春期の第二反抗期に、特に子どもは動揺しやすくなる。 ない。気を抜かない。周囲に気をつかう。他人の目を気にする。いい子ぶるなど。その緊張状 態の中に、不安が入りこむと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安 定になる。さらに症状が進むと、周囲に溶けこめず、引きこもったり、怠学、不登校を起こした り、反対に攻撃的、暴力的になったり(マイナス型)、突発的に興奮して暴れたりすることもある (プラス型)。表情にだまされてはいけない。柔和な表情をしながら、不安定な子どもはいくらで もいる。このタイプの子どもは、ささいなことがきっかけで、激変する。母親が、「ピアノのレッス ンをしようね」と言っただけで、激怒し、母親に包丁を投げつけた子ども(年長女児)がいた。 まず反省すべきは、家庭である。強度の過干渉(子どもにガミガミと押しつける)、過関心(子ど もの側からみて神経質で、気が抜けない環境)、家庭不和(不安定な家庭環境、愛情不足、家 庭崩壊、暴力、虐待)、威圧的な家庭環境など。子どもが小学生になったら、家庭は、「心を休 める場。疲れた心をいやす、いこいの場」でなければならない。アメリカの随筆家のソローも、 「ビロードのクッションの上より、カボチャの頭」と書いている。人というのは、高価なビロードの クッションの上にすわるよりも、カボチャの頭の上にすわったほうが気が休まるという意味だ が、多くの母親にはそれがわからない。わからないまま、家庭を「しつけの場」と位置づける。 たった一度のはげしいしつけが、子どもの心をゆがめてしまうこともある。ある女の子(三歳 児)は、母親にはげしく叱られたのが原因で、その日から一人二役のひとり言を言うようになっ てしまった。 る。叱ったり、冷たく突き放すのは、かえって情緒を不安定にする。一番よい方法は、子ども自 身が誰にも干渉されないような時間と場所をもつこと。親があれこれ気をつかうこと(過関心) は、かえって逆効果になる。そしてカルシウムやマグネシウム分の多い食生活に心がける。特 にカルシウムは天然の精神安定剤と呼ばれている。戦前までは、「安定剤」の薬として使われ ていた。錠剤で与えるという方法もあるが、牛乳や煮干など、食品として与えるほうがよいこと は言うまでもない。なお情緒というのは、一度不安定になると、数か月から数年単位で症状が 推移する。親があせって何とかしようと思えば思うほど、逆効果で、一度キズついた心は、そん なに簡単にはなおらない。つまりそういう前提で、「それ以上症状を悪化させないことだけ」を考 えて、あとは子どものリズムに合わせる。 つくウソ(空想的虚言)は、区別して考える。 など)のためにつくウソをいう。子ども自身がウソをついている自覚がある。母「だれ、ここにあ ったお菓子を食べたのは?」子「ぼくじゃないよ」母「手を見せないさい」子「何もついてないよ。 ちゃんと手を洗ったから……」と。 る。「昨日、幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というウソがそれにあたる。その思い こみが激しく、現実と空想の世界がわからなくなってしまったのを、空想的虚言という。こんなこ とがあった。 が手に大きなアザをつくってきました。子どもに話を聞くと、先生につねられたと言うではありま せんか。どうしてそういうことをするのですか。先生は体罰反対ではなかったのですか!」と。も のすごい剣幕だった。が、私には思い当たることがない。そこで「知りません」と言うと、その母 親は、「どうしてそういうウソを言うのですか。相手が子どもだと思って、いいかげんなことを言 ってもらっては困ります!」と。 につねられた」と。その状況を聞くと。聞きもしないのに、ことこまかに、つまりシャーシャーと話 をつなげた。が、そのあとA君に聞くと、A君も「知らない」と。結局その子どもは、強圧的な母親 の注意をそらすために、自分でわざとアザをつくったらしい……? ほかに私の印象に残って いるケースで、「私はイタリアの女王様」と言い張っていた女の子(年長女児・オーストラリア)が いた。 はならない」というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世 界にハマるようであれば、注意せよという意味である。このタイプの子どもは、現実と空想の間 に垣根がなくなってしまい、現実の世界に空想をもちこんだり、反対に、空想の世界に限りない リアリティをもとこんだりする。そして一度虚構の世界をつくりあげると、それがあたかも現実で あるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式のウソをつく。ウソをウソと自覚しないのが、そ の特徴である。 うウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、威圧や暴力を加えれば加える ほど、子どもはウソがうまくなる。 かべ、むしろ「できのいい子」という印象を与えることが多い。子どもらしいハツラツとした表情 が消え、教える側から見ると、心のどこかに膜がかかっているようになる。いわゆる「何を考え ているかわからない子ども」となる。 兄弟で同じような症状を見せるケースも多いので、遺伝的な要素もあるかもしれない。しかし原 因の第一は、強圧的な家庭環境にあると考えて、親子関係のあり方そのものを反省する。特 にこのタイプの子どもの場合、親が強圧的であればあるほど、空想的虚言の世界に、子どもを 追い込んでしまうことになるから注意する。 もが三拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、二つの曲を同時に演奏すれば、それは 騒音でしかない。そこでテスト。 が、子どもの横か、うしろに立ってゆっくりと歩いていれば、よし。しかし(2)子どもの前に立っ て、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩いているようであれば、要注意。今は、小さな亀裂か もしれないが、やがて断絶…ということにもなりかねない。このタイプの親ほど、親意識が強 い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と豪語する。へたに子どもが口答えでも しようものなら、「何だ、親に向かって!」と、それを叱る。そしておけいこごとでも何でも、親が 勝手に決める。やめるときも、親が勝手に決める。子どもは子どもで、親の前では従順に従 う。そういう子どもを見ながら、「うちの子は、できのよい子」と錯覚する。が、仮面は仮面。長く は続かない。 のか」、子「パパは、ぼくに何をしてほしいのか」と。この段階で、互いにあいまいなことを言うの を許されない。それだけに、実際そのように聞かれると、聞かれたほうは、ハッとする。緊張す る。それはあるが、しかし日本人よりは、ずっと相手の気持ちを確かめながら行動している。 と。その途中で変わるということは、まず、ない。ある女性(三二歳)は、こう言った。「今でも、 実家の親を前にすると、緊張します」と。別の男性(四〇歳)も、父親と同居しているが、親子の 会話はほとんど、ない。どこかでそのリズムを変えなければならないが、リズムは、その人の人 生観と深くからんでいるため、変えるのは容易ではない。しかし変えるなら、早いほうがよい。 早ければ早いほどよい。もしあなたが子どもの手を引きながら、子どもの前を歩いているような ら、今日からでも、子どもの歩調に合わせて、うしろを歩く。たったそれだけのことだが、あなた は子育てのリズムを変えることができる。いつかやがて、すばらしい親子関係を築くことができ る。 ように成長する。子どもが悪くなるときも、そうだ。(悪くなる)→(何とかしようと親があせる)→ (さらに悪くなる)の悪循環の中で、子どもは、トントンと悪くなる。その一つが、非行。暴力、暴 行、窃盗、万引き、性行為、飲酒、喫煙、集団非行、夜遊び、外泊、家出など。最初は、遠慮 がちに、しかも隠れて悪いことしていた子どもでも、(叱られる)→(居直る)→(さらに叱られる) の悪循環を繰り返すうちに、ますます非行に走るようになる。この段階で親がすべきことは、 「それ以上、症状を悪化させないこと」だが、親にはそれが理解できない「なおそう」とか、「元に 戻そう」とする。しかし一度、盆からこぼれた水は、簡単には戻らない。が、親は、無理に無理 を重ねる……。 調すると考えるとわかりやすい。「心の病気」ととらえる人もいる。実際アメリカでは、非行少年 に対して薬物療法をしているところもある。それはともかくも、その特徴としては、(1)拒否的態 度(「ジュースを飲むか?」と声をかけても、即座に、「ウッセー」と拒否する。意識的に拒否する というよりは、条件反射的に拒否する)、(2)破滅的態度(ものの考え方が、投げやりになり、 他人に対するやさしさや思いやりが消える。無感動、無関心になる。他人への迷惑に無頓着 になる。バイクの騒音を注意しても、それが理解できない)、(3)自閉的態度(自分のカラに閉 じこもり、独自の価値観を先鋭化する。「死」「命」「悪霊」などという言葉に鋭い反応を示すよう になる。「家族が迷惑すれば、結局はあなたも損なのだ」と話しても、このタイプの子どもには それが理解できない。親のサイフからお金を抜き取って、それを使い込むなど)、(4)野獣的 態度(行動が動物的になり、動作も、目つきが鋭くなり、肩をいからせて歩くようになる。考え方 も、直感的、直情的になり、「文句のあるヤツは、ぶっ殺せ」式の、短絡したものの考え方をす るようになる)などがある。 ならない。しかしこれがむずかしい。このタイプの親に限って、その自覚がないばかりか、さら に強制的に子どもをなおそうとする。はげしく叱ったり、暴力を加えたりする。これがますます子 どもの非行を悪化させる。こじらせる。 分をコントロールすることができる。が、その糸が切れたとき、あるいは子どもが「切れた(捨て られた)」と感じたとき、子どもの非行は一挙に加速する。だから子どもの心がゆがみ始めたら (そう感じたら)、なおさら、その糸を大切にする。「どんなことがあっても、私はあなたを愛して いますからね」という姿勢を、徹底的に貫く。子どもというのは、自分を信じてくれる人の前で は、自分のよい面を見せようとする。そういう性質をうまく使って、子どもを非行から立ちなおら せる。そのためにも最後の「糸」は切ってはいけない。切れば切ったで、ちょうど糸の切れた凧 ように、子どもは行き場をなくしてしまう。そしてここが重要だが、このタイプの子どもは、「なお そう」とは思わないこと。現在の症状を今より悪化させないことだけを考えて、時間をかけて様 子をみる。一般に、この非行も含めて、「心の問題」は、一年単位(一年でも短いほうだが… …)で、その推移を見守る。こじらせればこじらせるほど、その分、子どもの立ちなおりは遅れ る。 込んでしまった。忘れていた悪夢の再来? 人それぞれだが、私にとっては、まさに悪夢としか 言いようがない。 い足をひきずりながら通った。私を知る人は、「林さんは、明るくて面白い人だった」と言う。中 学時代の友人はそう言う。大学時代の友人もそう言う。しかし高校時代の友人(友人と言える 人は一人もいないが……)は、恐らく、そうは言っていない。それが私にはよくわかる。 る。前回のときは、「二度とこんな会に出るか!」と思った。いつも一人、私を揶揄(やゆ)する 男がいる。今度もそいつは顔を出すだろうが、こう言った。「林君、君だけは出世すると思った よ」と。その前のときはこう言った。「君だけは、肩で風を切って同窓会に来ると思ったよ」と。ど んなうらみがあるのか知らないが、そういう失敬なことをズケズケという。そうそう三〇歳のとき は、こう言った。「林君、君は行方不明だったんだってな」と。あとで話を聞くと、何度同窓会の 知らせを出しても、「あて先不明」で返送されてしまったという。それもそのはずだ。もともとの住 所の番号が違う。私の住所は、五桁だが、四桁しかない。私が住んでいる「I町」だけでも、人 口は六万人。郷里の美濃市の二倍はあるのだ! 番号が違ったら、手紙など届くはずもない。 また「はやし・ひろし」という名前ほど、ありふれた名前もない。最近その人は亡くなったが、少 し前まで、この「浜松市I町」には、同姓同名の人が一人いた。浜松市内には、「はやしひろし」 という人は、五〜六名もいる。住所を勝手にまちがえておきながら、「行方不明」とは! 行方不明だった」「行方不明だった」と笑った。皆が皆、そうではないが、「私」という存在は、そ ういう存在だったらしい。それには、一つの理由がある。 〇名中、二番になったことは一度もない。私の得点は五五〇点満点中、いつも五二〇〜五四 〇点はあった。二番とはいつも四〇〜五〇点の差はあった。通知表も、体育の実技が九だっ た以外は、オール一〇だった。(当時は一〇は、学年でそれぞれの科目につき二人しかつか なかった。)こんなところでウソを書いてもしかたないので、事実を書く。これはウソでも何でもな い。私は当然、岐阜市の進学高校をめざしていた。が、私の家は、それだけの財力がなかっ た。で、私は不本意なまま、地元の高校へ入った。しかしこれが悲劇の始まりだった。 いっても、自分の名誉と出世(?)を最優先に考える教師だった。いつも生徒同士を競わせ、 「お前は勝った」「お前は負けた」と、私たちに競争をけしかけた。そういう点で、私はいつも皆 のターゲットにされた。「林に追いつけ」「林を抜かせ」と。 る。最初のころこそ、私は自分の右に出るものがいないことを喜んだ。また私とT教師との間 は、良好な人間関係を保っていた。が、そのうち私は、勉強する意欲を急速になくしてしまっ た。一年の夏休みになるころには、転校まで考え、それを担任に相談した。が、そんな相談に 担任がのってくれるはずがない。私と担任の関係は急速に悪化した。 か、それとも従順だったかは知らないが、ともかくも、当時はそういう時代だった。高校二年の とき、Aさんという女の子に恋をして、何度かデートをしたことがある。それがほかの生徒に見 つかり、担任に密告された。担任のT教師は私を、彼の研究室へ呼びつけ、「受験生が何をし ているか!」と怒鳴り散らした。しかしすでに当時、私は担任が、私のことを心配してそう怒鳴っ たのではなく、自分の名聞名利のためにそう怒鳴ったのを見ぬいていた。私を「何だ、こんな 成績で!」と叱る一方、ほかの生徒には、「今がチャンスだ。林を抜かせ!」とハッパをかけて いた。それを私は知っている。T教師という教師はそういう教師だったし、私の生涯において、T 教師が三年間も私の担任だったということは、不幸なことだった。私には、彼に対抗するだけ の経験も知恵もなかった。私は美濃町という小さな町から出たことすらなかった。世間知らずと いうより、純朴なままだった。 られ、またスミに行くことで私はやっとのことで、自分の世界をつくることができた。そういう私を 皆は、どう見ていたのか。それが同窓会で、いつも皮肉を言う男の言葉の中に読み取ることが できる。彼らとて、私を揶揄(やゆ)しながら、結局は、T教師の犠牲者に過ぎないのだ。 まったことだ。私は工学部をめざしていた。建築家になりたかった。それがだめなら大工でもよ いと考えていた。が、高校三年になるとき、担任がこう言った。「君は京都大学の工学部は無 理だが、文学部なら入れる」と。すでにそのころ私の成績は急降下しはじめていた。当時は、 今もそうだが、理科系の大学をねらうか、文科系の大学をねらうかで、受講する科目そのもの がまったく違っていた。クラスも二つに分けられた。一度文科系を選んだら最後、それは同時 に理科系のコースからの離脱を意味した。(理科系のコースを選んだ学生が、文科系を受験す ることはできても、その逆はできなかった。)私は京都大学にこだわっていたわけではないが、 そのときは担任の指示に従った。担任といえども、まさに「暴君」。実際、T教師は肝っ玉の小さ い、はげしい性格の男だった。彼の意向に反したら、高校生活そのものが送れなかった。 学ほど嫌いな科目はなかった。ただ幸か不幸か、英語だけはばつぐんに成績がよかった。高 校二年のときには、同じ全国模試を受けても、高校三年生より上位の成績をとっていた。それ に古文の成績もよかった。それで「文学部に」ということになった。それはわかるが、しかしそれ でも私には文学部は肌に合わなかった。 が、もう一つ別の大学を受けたいと担任に申し出た。国立は、京都大学文学部を受験すること になっていた。当時は国立一期校と二期校に分かれ、国立大学は二度、受験のチャンスがあ った。京都大学のほうへは、担任が勝手に願書を出していた。私はもう一通の成績証明書な どを受け取ると、それを金沢大学の方へ出した。金沢大学では法文学部法学科を志望先にし た。このことは担任には話さなかった。文学というのはどうにもこうにも肌に合わなかったし、そ れに成績はまださがり続けていた。私自身は京都大学の文学部にはとても合格できないと思 いはじめていた。そこでどこかの大学の「法学部」ということにしたが、京都大学の法学部はさ らに難しかった。私は金沢大学なら受かると思った。確信はなかったが、「より安全な道」という ことで、そうした。 た。私はそのときまで、京都大学の文学部を受験することになっていた。が、米原まで来たとこ ろで、私ははじめてY君にぼくも金沢大学を受験することを打ち明けた。米原で、京都へ行く列 車と、金沢へ行く列車が分かれた。Y君は、この話に驚いた。が、私はすぐさまそのことを、担 任には黙っていてほしいと頼んだ。Y君は穏やかな、やさしい男だった。Y君は承諾してくれた。 い。冷静に思えば、結構それなりに楽しさもあったのかもしれない。しかしそれに続く大学生 活。さらにそれに続く留学生活が、格段に楽しかったこともあり、正直言って、高校生活など霧 のかなたへ吹っ飛んでしまった。大学生のころは、毎月毎月が、高校時代の一年分の思い出 に匹敵したし、さらに留学時代は一日一日が、それまでの大学時代の一年分に相当した。高 校時代を思い出すとしても、怒涛のように押し寄せる留学時代の思い出の前では、あまりにも 貧弱でしかない。が、それでも思い出すとしたら、修学旅行であり、コーラス部であり、運動会 だ。N君と真夜中に高校へ忍び込み、運動場で寝ていたこともある。二人でプールで泳いだこ ともある。あとは先にも書いた、Aさんとのデート。……が、その程度でしかない。いやいや、こ うして何か思い出を、と思ってさがさなければならないほど、私の高校時代はつまらないものだ ったし、それ以上に強いエネルギーでいやな思い出が私を襲ってくる。私は、クラスでものけ者 だった。露骨に私を仲間ハズレにする連中もいた。恐らく私をのけ者にした連中には、私をの け者にしたという意識すらないだろう。私は、変な言いかただが、きわめて自然な形で、日常的 にのけ者にされていた。これは何年かたってからのことだが、その中の一人に、それとなく当 時の気持ちをさぐってみたことがある。しかし私は彼にはその意識がまったくなかったことを知 って、驚いた。しかし私の思い過ごしということでもない。これは加害者と被害者の意識の違い ではないか。加害者というのは、いつの時代でも、自分のした行為をすぐ忘れてしまう。一方、 被害者はそれを忘れない……。 然のことだ。新聞に私の名前がないことを知り、当日の朝、担任から「残念だったな」という電 話をもらったのを覚えている。しかしその二日後。今度は私の名前が、金沢大学の合格者の ほうで載っていた。このあとのことは知らないが、担任が激怒したことは、容易に察することが できる。それ以後、担任のT教師は、私とはまったく口をきかなかったし、それから一〇年あま り、私は年賀状を出し続けたが、返事は一度とてもらえなかった。 様か何かがいて、私をもう一度、青春時代に戻してやると言っても、私は即座にそれを断わ る。あの時代は私にとって、まさに地獄の時代だった。今でも、あのM高校の前を通っただけ で、何とも言いようのないゆううつ感を覚える。そういう高校の同窓会である。友というより、同 窓生には、何の責任も問題もない。いや、ひょっとしたら、彼らとて、あの暗い高校時代の犠牲 者かもしれない。本当のところは、私には知る由もないが、しかしその可能性はある。ああいっ た高校時代が楽しかったというのは、よほどの人だと思う。いやいや、こんなことがあった。私 のそうした心情を、それから二〇年近くもたってから、Y君という同窓生に打ち明けたことがあ る。そしたらY君はこう言った。「林、お前だけは、T教師にかわいがられ、T教師とうまくいって いたと思っていたけどな」と。私という人間は、どこまでも誤解されやすい人間らしい。 いほうがいいわ」と言った。こういうとき、判断はたいてい女房に任せる。私はずいぶんと優柔 不断なところがあって、「出ろ」というなら、出てしまう。が、やはり心に決めた。私は死ぬまで、 二度と高校時代の同窓会には出ない……だろう。多分。出ないと決めたから、このように私の 高校時代を正直に書いた。私には、もう無駄にできる時間など、一秒もない。願わくば、今後 は私には同窓会の案内書など無用。高校の同窓会のことで、心をわずらわすのは、これで最 後にしたい。同窓会の世話役を引き受け、苦労している人には申し訳ないと思う。思うが、あの 時代は私にとっては、苦痛でしかない。どうかそれをわかってほしい。さようなら。 度、それに(4)運動能力。このうち情緒の安定度は、子どもが肉体的に疲れていると思われる ときをみて、判断する。運動会や遠足のあと、など。そういうときでも、ぐずり、ふさぎこみ、不機 嫌、無口(以上、マイナス型)、あるいは、暴言、暴力、イライラ、激怒(以上、プラス型)がなけ れば、情緒が安定した子どもとみる。子どもは、肉体的に疲れたときは、「疲れた」とは言わな い。「眠い」と言う。子どもが「疲れた」というときは、神経的な疲れを疑う。子どもはこの神経的 な疲れにたいへん弱い。それこそ日中、五〜一〇分、神経をつかっただけで、ヘトヘトに疲れ てしまう。 第一反抗期、思春期の第二反抗期に、特に子どもは動揺しやすくなる。 ない。気を抜かない。周囲に気をつかう。他人の目を気にする。いい子ぶるなど。その緊張状 態の中に、不安が入りこむと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安 定になる。さらに症状が進むと、周囲に溶けこめず、引きこもったり、怠学、不登校を起こした り、反対に攻撃的、暴力的になったり(マイナス型)、突発的に興奮して暴れたりすることもある (プラス型)。表情にだまされてはいけない。柔和な表情をしながら、不安定な子どもはいくらで もいる。このタイプの子どもは、ささいなことがきっかけで、激変する。母親が、「ピアノのレッス ンをしようね」と言っただけで、激怒し、母親に包丁を投げつけた子ども(年長女児)がいた。 まず反省すべきは、家庭である。強度の過干渉(子どもにガミガミと押しつける)、過関心(子ど もの側からみて神経質で、気が抜けない環境)、家庭不和(不安定な家庭環境、愛情不足、家 庭崩壊、暴力、虐待)、威圧的な家庭環境など。子どもが小学生になったら、家庭は、「心を休 める場。疲れた心をいやす、いこいの場」でなければならない。アメリカの随筆家のソローも、 「ビロードのクッションの上より、カボチャの頭」と書いている。人というのは、高価なビロードの クッションの上にすわるよりも、カボチャの頭の上にすわったほうが気が休まるという意味だ が、多くの母親にはそれがわからない。わからないまま、家庭を「しつけの場」と位置づける。 たった一度のはげしいしつけが、子どもの心をゆがめてしまうこともある。ある女の子(三歳 児)は、母親にはげしく叱られたのが原因で、その日から一人二役のひとり言を言うようになっ てしまった。 る。叱ったり、冷たく突き放すのは、かえって情緒を不安定にする。一番よい方法は、子ども自 身が誰にも干渉されないような時間と場所をもつこと。親があれこれ気をつかうこと(過関心) は、かえって逆効果になる。そしてカルシウムやマグネシウム分の多い食生活に心がける。特 にカルシウムは天然の精神安定剤と呼ばれている。戦前までは、「安定剤」の薬として使われ ていた。錠剤で与えるという方法もあるが、牛乳や煮干など、食品として与えるほうがよいこと は言うまでもない。なお情緒というのは、一度不安定になると、数か月から数年単位で症状が 推移する。親があせって何とかしようと思えば思うほど、逆効果で、一度キズついた心は、そん なに簡単にはなおらない。つまりそういう前提で、「それ以上症状を悪化させないことだけ」を考 えて、あとは子どものリズムに合わせる。 う雑誌に発表しました。以後、何度も反芻(はんすう)し、こうして改めて皆さんにお伝えできるこ とを喜んでいます。お子さんの学習環境を考える上で、参考にしていただければ、うれしく思い ます。 と疲れてくる。問題はその疲れたとき。そのとき子どもがその机の前に座ったまま休むことがで きれば、よし。そうでなければ子どもは、学習机から離れる。勉強というのは一度中断すると、 なかなかもとに戻らない。 上に置いてみてほしい。そのとき子どもがそのまま机の前に座ってそれを食べれば、よし。もし その食べ物を別のところに移して食べるようであれば、相性はかなり悪いとみる。反対に自分 の好きなことを、何でも自分の机にもっていってするようであれば、相性が合っているということ になる。相性の悪い机を使っていると、勉強嫌いの原因ともなりかねない。 ると圧迫感が生まれる。もう一五年ほども前のことだが、小学一年生について調査してみた。 結果、棚式の机の場合、購入後三か月で約八〇%の子どもが物置にしていることがわかっ た。最近の机にはいろいろな機能がついている。が、子どもがそれにあきたとき、机はそのま ま物置台になる。机は買うとしても、棚のない平机をすすめる。あるいは低学年児の場合、机 はまだいらない。たいていの子どもは台所のテーブルなどを利用して勉強している。この時期 は勉強をあまり意識するのではなく、「勉強は楽しい」という思いを大切にする。親子のふれあ いを大切にする。子どもに向かっては、「勉強しなさい」ではなく、「一緒にやろうね」と言うなど。 合)。 よすぎると、気が散って勉強できないということもある。 ない。意外と盲点なのが、イス。深々としたイスはかえって疲れる。ひじかけがあると、作業が 格段と楽になる。ひじかけがないと、腕を机の上に置こうとするため、どうしても体が前かがみ になり、姿勢が悪くなる。またイス全体が前にかがむようになっているイスがある。確かにその ときは能率があがるかもしれないが、このタイプのイスでは体を休めることができない。 るかを観察してみるとよい。好きなマンガなどを、どこで読んでいるかをみるのもよい。たいて いは台所のイスとか、居間のソファの上だが、もし「うちの子は勉強しない」というのであれば、 思い切って、そういうところを勉強場所にしてみるとよい。子どもは進んで勉強するようになる ……かもしれない。 性があえば、子どもは進んで学習する。相性が合わなければ、子どもは何かにつけ、逃げ腰 になる。子どもの学習意欲そのものをつぶしてしまうこともある。子どもの学習を家庭で指導す るときは、この相性を見極めながらする。 置からは、窓の外がよく見え、勉強で疲れたときなど、そのまま気を休めることができる。ドア が背側にあるので、やや不安は残るが、ほぼ理想的な勉強部屋といえる。この部屋の中学生 (中一男児)は、「マンガを読むときも、イスに座って読む」と話してくれた。 の者たちが、一斉に頭をさげる……。 ーンでもある。今でもあのテレビ番組の視聴率が、二〇〜二五%もあるというから、驚きであ る。が、それはさておき、オーストラリア人には、それが理解できない。ある日一人の友人が私 にこう聞いた。「ヒロシ、水戸黄門が悪いことをしたら、日本人はどうするのか」と。そこで私が、 「いいや、水戸黄門は悪いことはしないよ」と言うと、彼は再度、「それでも悪いことをしたらどう するのか」と聞いた。 続いた封建時代が、こういう民族を作った。たとえば男が上で女が下。夫が上で妻が下。先生 が上で生徒が下。そして親が上で子が下、と。たとえば日本には「先輩・後輩」という言葉があ る。たった一年でも先輩は先輩、後輩は後輩という考え方をする。そして後輩は先輩に対し て、絶対的な服従を誓う。いや、今でこそ、この関係は弱くなったが、私が高校生のときはそう だった。テニス部にしても、一年生は球集めだけ。二年生になってやっとラケットをもたせてもら い、三年生になってはじめて試合に出られた。が、オーストラリアにはそれがなかった。なかっ たというより、そういう意識そのものがなかった。私は日本の大学を卒業したあと、研究生とし て、オーストラリアのメルボルン大学に学んだ。そこでのこと。教官と学生がファーストネームで 呼びあっているのを見て、私は心底驚いた。私が住んでいたカレッジには、世界中から皇族や 王族の子息たちが集まっていた。そのためもあって、毎週金曜日や土曜日には、オーストラリ アでも著名な学者や政治家が毎週のようにやってきては夕食をともにしていった。しかしそうい う人たちに対してでさえ、オーストラリアの学生たちはきわめて自然に、しかも気楽に話しかけ ていた! 夫婦関係だってあぶない。権威主義を支えるのは、上下意識だが、その上下意識から上下関 係が生まれる。そしてこの上下関係は、保護と依存。命令と服従の関係で成り立っている。 「上」の立場にいる者にとっては、たいへん居心地のよい世界かもしれないが、「下」のものにと ってはそうではない。その居心地の悪い世界で、いつしか下の者は、上の者の心から離れる。 ウソだと思うなら、あなたの周囲の家庭をいくつか観察してみるとよい。父親にせよ、母親にせ よ、親が権威主義的な家庭ほど、親子関係はぎくしゃくしている。 こであなた自身を診断してみよう。この診断は、あなたの夫あるいは妻にしてもらうとよい。権 威主義的な人ほど、目上の人(身分や地位のある人)に対して、必要以上にペコペコし、目下 の人に対しては、尊大かつ横柄な態度で接する。そのことは電話での応対ぶりを観察してみる とわかる。そこでテスト。 ら、それでよし。しかし(2)目上の人に対する態度と、目下の人に対する態度が、まるで別人 のように違うというのであれば、あなたの夫(妻)は、かなり権威主義的な人だと思ってよい。心 の中に潜む上下意識が、無意識のうちにも、相手そのもののを差別し、そしてここでいうような 「違い」となって現われる。冒頭にあげた水戸黄門が大好きという人ほど、あぶない。一度静か に自分自身を観察してみてほしい。 もが親を育てる。よく「育自」という言葉を使って、「子育てとは自分を育てること」と言う人がい る。まちがってはいないが、しかし子育てはそんな甘いものではない。親は子育てで苦労しな がら、それこそ幾多の山や谷を越えて、「子どもを産んだ親」から、「真の親」へと、いやおうな しに育てられる。たとえばはじめて幼稚園へ子どもを連れてきたような親は、確かに若くてきれ いだ。しかしどこかツンツンとして、中身がない(失礼!)。バスの運転手さんや炊事室のおば さんにだと、あいさつもしない。しかしそんな親でも、子どもが幼稚園を卒園するころには、ちょ うど稲穂の穂が実って頭をさげるように、姿勢が低くなる。人間味ができてくる。 てから気づく。健康しかり。生活しかり。そして子どものよさも、またしかり。 は、助かったのはまさに奇跡中の奇跡。あの浜名湖という広い海の真ん中で。しかもほとんど 人のいない海の真ん中で、一人魚を釣っている人がいた。あとで話を聞くと、国体の元水泳選 手だったという。私たちはそのとき、湖上に舟を浮かべて、昼寝をしていた。子どもたちは近く の浅瀬で泳いでいるはずだった。が、三歳になったばかりの三男が「お兄ちゃんがいない!」と 叫んだとき、見ると上の二人の息子たちが流れにのまれるところだった。私は海に飛び込み、 何とか長男は助けたが、二男はもう海の中に沈むところだった。私は舟を出すため、懸命にい かりをたぐろうとしたが、ロープが長くのびてしまっていて、それもできなかった。そのときだっ た。ふと振り返ると、その元水泳選手という人が、海から二男を助け出すところだった。 なおすことで、乗り越えることができた。花粉症がひどくて、不登校を繰り返したときも。受験勉 強を放棄して、作曲ばかりしていたときも。それぞれ、「生きているだけでいい」と思いなおすこ とで乗り越えることができた。私の母はいつも、こう言っている。「上見てキリなし。下見てキリな し」と。人というのは、上ばかりみていると、いつまでたっても安穏とした生活はやってこないと いうことだが、子育てで行きづまったら、「下」から見る。「下」を見ろというのではない。下から 見る。「生きている」という原点から子どもを見る。そうするとあらゆる問題が解決するから不思 議である。 と、オーストラリアの友人がいつもこう言った。「ヒロシ、許して忘れろ」と。英語では「Forgive & Forget」という。この「フォ・ギブ(許す)」という言葉は、「与えるため」とも訳せる。同じように 「フォ・ゲッツ(忘れる)」は、「得るため」とも訳せる。つまり「許して忘れる」ということは、「子ど もに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れろ」ということになる。そしてその深 さ、つまりどこまで子どもを許し、そして忘れるかで、親の愛の深さが決まる。許して忘れるとい うことは、子どもに好き勝手なことをさせろという意味ではない。子どもを受け入れ、自分のこと として、あるがままを認めるということ。それを繰り返しながら、親は真の親になっていく。 いう原点から見る。そしてそれでも袋小路に入ってしまったら、この言葉を思い出してほしい。 「許して忘れる」と。それだけであなたの心はずっと軽くなるはずである。 ように成長する。子どもが悪くなるときも、そうだ。(悪くなる)→(何とかしようと親があせる)→ (さらに悪くなる)の悪循環の中で、子どもは、トントンと悪くなる。その一つが、非行。暴力、暴 行、窃盗、万引き、性行為、飲酒、喫煙、集団非行、夜遊び、外泊、家出など。最初は、遠慮 がちに、しかも隠れて悪いことしていた子どもでも、(叱られる)→(居直る)→(さらに叱られる) の悪循環を繰り返すうちに、ますます非行に走るようになる。この段階で親がすべきことは、 「それ以上、症状を悪化させないこと」だが、親にはそれが理解できない「なおそう」とか、「元に 戻そう」とする。しかし一度、盆からこぼれた水は、簡単には戻らない。が、親は、無理に無理 を重ねる……。 調すると考えるとわかりやすい。「心の病気」ととらえる人もいる。実際アメリカでは、非行少年 に対して薬物療法をしているところもある。それはともかくも、その特徴としては、(1)拒否的態 度(「ジュースを飲むか?」と声をかけても、即座に、「ウッセー」と拒否する。意識的に拒否する というよりは、条件反射的に拒否する)、(2)破滅的態度(ものの考え方が、投げやりになり、 他人に対するやさしさや思いやりが消える。無感動、無関心になる。他人への迷惑に無頓着 になる。バイクの騒音を注意しても、それが理解できない)、(3)自閉的態度(自分のカラに閉 じこもり、独自の価値観を先鋭化する。「死」「命」「悪霊」などという言葉に鋭い反応を示すよう になる。「家族が迷惑すれば、結局はあなたも損なのだ」と話しても、このタイプの子どもには それが理解できない。親のサイフからお金を抜き取って、それを使い込むなど)、(4)野獣的 態度(行動が動物的になり、動作も、目つきが鋭くなり、肩をいからせて歩くようになる。考え方 も、直感的、直情的になり、「文句のあるヤツは、ぶっ殺せ」式の、短絡したものの考え方をす るようになる)などがある。 ならない。しかしこれがむずかしい。このタイプの親に限って、その自覚がないばかりか、さら に強制的に子どもをなおそうとする。はげしく叱ったり、暴力を加えたりする。これがますます子 どもの非行を悪化させる。こじらせる。 分をコントロールすることができる。が、その糸が切れたとき、あるいは子どもが「切れた(捨て られた)」と感じたとき、子どもの非行は一挙に加速する。だから子どもの心がゆがみ始めたら (そう感じたら)、なおさら、その糸を大切にする。「どんなことがあっても、私はあなたを愛して いますからね」という姿勢を、徹底的に貫く。子どもというのは、自分を信じてくれる人の前で は、自分のよい面を見せようとする。そういう性質をうまく使って、子どもを非行から立ちなおら せる。そのためにも最後の「糸」は切ってはいけない。切れば切ったで、ちょうど糸の切れた凧 ように、子どもは行き場をなくしてしまう。そしてここが重要だが、このタイプの子どもは、「なお そう」とは思わないこと。現在の症状を今より悪化させないことだけを考えて、時間をかけて様 子をみる。一般に、この非行も含めて、「心の問題」は、一年単位(一年でも短いほうだが… …)で、その推移を見守る。こじらせればこじらせるほど、その分、子どもの立ちなおりは遅れ る。 う雑誌に発表しました。以後、何度も反芻(はんすう)し、こうして改めて皆さんにお伝えできるこ とを喜んでいます。お子さんの学習環境を考える上で、参考にしていただければ、うれしく思い ます。 ど前のことだが、こんな講演を聞いたことがある。アメリカのある自閉症児専門施設の先生の 講演だが、そのときその講師の先生は、こう言っていた。「うちの施設では、とにかく『抱く』とい う方法で、すばらしい治療成績をあげています」と。その施設の名前も先生の名前も忘れた。 が、その後、私はいろいろな場面で、「なるほど」と思ったことが、たびたびある。言い換える と、スキンシップを受けつけない子どもは、どこかに何か「心の問題」があるとみてよい。たとえ ば緘黙児や自閉症児など、情緒障害児と呼ばれる子どもは、相手に心を許さない。許さない 分だけ、抱かれない。無理に抱いても、体をこわばらせてしまう。抱く側は、何かしら丸太を抱 いているような気分なる。これに対して心を許している子どもは、抱く側にしっくりと身を寄せ る。さらに肉体が融和してくると、呼吸のリズムまで同じになる。で、この話をある席で話した ら、そのあと一人の男性がこう言った。「子どもも女房も同じですな」と。つまり心が通いあって いるときは、女房も抱きごこちがよいが、そうでないときは悪い、と。不謹慎な話だが、しかし妙 に言い当てている。 濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受けた子どもほど、甘え方が自然である。「自 然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい柔和な表情で、人に甘える。甘えることがで きる。心を開いているから、やさしくしてあげると、そのやさしさがそのまま子どもの心の中に染 み込んでいくのがわかる。これに対して幼いときから親の手を離れ、施設で育てられたような 子ども(施設児)や、育児拒否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、他人に心を許さ ない。許さない分だけ、人に甘えない。一見、自立心が旺盛に見えるが、心は冷たい。他人が 悲しんでいたり、苦しんでいるのを見ても、反応が鈍い。感受性そのものが乏しくなる。ものの 考え方が、全体にひねくれる。私「これはよい本だね」、子「値段が高い」、私「読んでみたら」、 子「表紙がダサイ」と。このタイプの子どもは、「信じられるのは自分だけ」というような考え方を する。だれかに親切にされても、それを受け入れる前に、それをはねのけてしまう。「あの人が 私に親切なのは、私がもっている本がほしいからよ」と。自分からその人から遠ざかってしまう こともある。こういうのを防衛機制という。その人に裏切られて自分の心がキズつくことを恐れ るあまり、先手を打って遠ざかり、自分の心を防衛しようとする。そのためどうしても自分のカラ にこもりやすい。異常な自尊心や嫉妬心、虚栄心をもちやすいのはそのため。あるいは何らか のきっかけで、ふつうでないケチになることもある。こだわりが強くなり、お金や物に執着したり する。完ぺき主義から、拒食症になった女の子(中三)もいた。もしあなたの子どもが、あなたと いう親に甘えることを知らないなら、あなたの子育てのし方のどこかに、大きな問題があるとみ てよい。今は目立たないかもしれないが、やがて深刻な問題になる。その危険性が高い。 きづまりを覚えたら、子どもは抱いてみる。ぐずったり、泣いたり、だだをこねたりするようなと きである。「何かおかしい」とか、「わけがわからない」と感じたら、やさしく抱いてみる。しばらく は抵抗する様子を見せるかもしれないが、やがて収まる。と、同時に、子どもの情緒(心)も安 定する。 抱っこする際、以前はほとんど感じなかった「拒否、抵抗する」などの違和感のある赤ちゃん が、四分の一に及ぶことが、「臨床育児・保育研究会」(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判 明」と。「……その結果、抱っこした赤ちゃんの「様態」について、「手や足を先生の体に回さな い」が三三%いたのをはじめ、「拒否、抵抗する」「体を動かし、落ちつかない」などの反応が二 割戦後見られ、調査した六項目の平均で二五%に達した。また保育士らの実感で、「体が固 い」「抱いてもフィットしない」などの違和感も平均で二〇%の赤ちゃんから報告された。さらに こうした傾向の強い赤ちゃんの母親から聞き取り調査をしたところ、「育児から解放されたい」 「抱っこがつらい」「どうして泣くのか不安」などの意識が強いことがわかった。またこの数年、 流行している「抱っこバンド」を使っている母親が、東京都内では特に目立った。 てきたが、『新生児のスキンシップ不足や、首もすわらない赤ちゃんに抱っこバンドを使うことに 原因があるのでは』と話す」とも。 しかもそれが、三〜五歳のときにわかる。父性や母性が育っている子どもは、ぬいぐるみを見 せると、うれしそうな顔をする。さもいとおしいといった表情で、ぬいぐるみを見る。抱き方もうま い。そうでない子どもは、無関心、無感動。抱き方もぎこちない。中にはぬいぐるみを見せたと たん、足でキックしてくる子どももいる。ちなみに小三児の約八〇%の子どもが、ぬいぐるみを 持っている。そのうち約半数が「大好き」と答えている。 アに限らず、欧米では、子どもの誕生日に、ペットを与えることが多い。つまり子どものときか ら、動物との関わりを深くもたせる。一義的には、子どもは動物を通して、心のやりとりを学 ぶ。しかしそれだけではない。子どもはペットを育てることによって、父性や母性を学ぶ。そん なわけで、機会と余裕があれば、子どもにはペットを飼わせることを勧める。犬やネコが代表 的なものだが、心が通いあうペットがよい。が、それが無理なら、ぬいぐるみを与える。やわら かい素材でできた、ぬくもりのあるものがよい。日本では、「男の子はぬいぐるみでは遊ばない もの」と考えている人が多い。しかしこれは偏見。こと幼児についていうなら、男女の差別はな い。あってはならない。つまり男の子がぬいぐるみで遊ぶからといって、それを「おかしい」と思 うほうが、おかしい。男児も幼児のときから、たとえばペットや人形を通して、父性を育てたらよ い。ただしここでいう人形というのは、その目的にかなった人形をいう。ウルトラマンとかガンダ ムとかいうのは、ここでいう人形ではない。 偏見。悪しき出世主義から生まれた偏見と言ってもよい。そのあらわれが、五月人形。弓矢を もった武士が、力強い男の象徴になっている。三〇〇年後の子どもたちが、銃をもった軍人や 兵隊の人形を飾って遊ぶようなものだ。どこかおかしいが、そのおかしさがわからないほど、日 本人はこの出世主義に、こりかたまっている。「男は仕事(出世)、女は家事」という、あの日本 独特の男女差別思想も、この出世主義から生まれた。 考え方が常識的。どこかほっとするようなぬくもりを感ずる。それもぬいぐるみを抱かせてみれ ばわかる。両親の愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、ぬいぐるみを見せただけで、スー ッと頬を寄せてくる。こういう子どもは、親になっても、虐待パパや虐待ママにはならない。言い 換えると、この時期すでに、親としての「心」が決まる。 めて、自分が親になったとき、子育てができる。もしあなたが、「うちの子は、どうも心配だ」と思 っているなら、ぬいぐるみを身近に置いてあげるとよい。ぬいぐるみと遊びながら、子どもは親 になるための練習をする。父性や母性も、そこから引き出される。 ばせてみればよい。そしてそのあと、子どもがどんな本を読んでいるかを観察する。サッカーが 好きな子どもは、サッカーの本を見る。動物が好きな子どもは、動物の本を見る。そのときそ の子どもが読んでいる本が、その子どもの方向性である。その方向性に、すなおに従えば、子 どもは本が好きになる。さからえば、本が嫌いになる。無理をすれば子どもの伸びる「芽」その ものをつぶすこともある。ここでいくつかのコツがある。 ても無理をする傾向がある。六歳の子どもには、七歳用の本を与えようとする。七歳の子ども には、八歳用の本を与えようとする。この小さな無理が、子どもを本嫌いにする。「うちの子ども はどうも本が嫌いなようだ」と感じたら、思いきってレベルをさげる。そして本の選択は、子ども 自身に任す。こういう親がいた。本屋で子どもに、「好きな本を一冊買ってあげる」と言っておき ながら、子どもが何か本をもってくると、「こんな本はダメ。もっといい本にしなさい」と。こういう 身勝手さが、子どもから本から遠ざける。 前で感動してみせる。「この本はおもしろいわ」とか。これは本に限らない。子どもに何かものを 与えるときは、それなりのお膳立てをする。少しだけでもひざに抱いて、読んであげるとか。こ れを動機づけという。この動機づけがうまくいくと、あとは子どもは自分で伸びる。そうでなけれ ばそうでない。この動機づけのよしあしで、その後の子どもの取り組み方は、まったく違う。ま ずいのは、買ってきた本を、袋に入れたまま、子どもにポイと渡すような行為。無理や強制が よくないことは、言うまでもない。 あるはず」と喜ぶが、たいていは文字を音にかえているだけ。内容はまったく理解していない。 親「うさぎさんは、どこへ行ったのかな」、子「……わかんない」、親「うさぎさんは誰に会ったの かな?」、子「……わかんない」と。もしそうであれば子どもが本を読んだら、一ページごと、質 問してみるとよい。「うさぎさんは、どこへ行きましたか」「うさぎさんは、誰に会いましたか」と。 あるいは本を読み終えたら、その内容について絵をかかせるとよい(※)。読解力のある子ど もは、一枚の絵だけで、全体のストーリーがわかるような絵をかく。そうでない子どもは、ある部 分だけにこだわった絵をかく。なお読解力のある子どもは、一ページを読むごとに深く考える様 子をみせたり、そのつど挿し絵を見ながら読む。本の読み方としては、そのほうが好ましいこと は言うまでもない。 字、脱字についても同じ。要は意味が伝わればよしとする。そういうおおらかさが子どもを文字 好きにする。が、日本人はどうしても「形」にこだわる傾向が強い。こだわり過ぎる。書き順もそ うだが、文法もそうだ。接続詞という言葉こそ使わないが、小学二年生から、その接続詞の使 い方を学ぶ。こういうことばかりに神経質になるから、子どもは作文が嫌いになる。小学校の 高学年児で、作文が好きと言う子どもは、五人に一人もいない。大嫌いと言う子どもは、五人 に三人はいる。 いけない。作者の意図をそこなう」「本というのは言葉の流れや、文のリズムを味わうものだ」と いう意見をもらった。図書館などで、子どもたちに本の読み聞かせをしている人からのものだっ た。 い。そういう人は、自分の本の中で、幼児が知るはずもないというような言葉を平気で並べる。 たとえばある幼児向けの本の中には、次のような言葉があった。「かわべの ほとりで、 ひと りの つりびとが うつら うつらと つりいとを たれたまま、 まどろんでいた」と。この中だけ でも、幼児には理解ができそうもないと思われる言葉が、「川辺」「釣り人」「うつら」「釣り糸」「ま どろむ」と続く。こうした言葉の説明を説明したり、問いかけたりすることは、決してその本の「よ さ」をそこなうものではない。が、それだけではない。意味のわからない言葉から受けるストレス は相当なものだ。パソコンを相手にしていると、そういう場面によく出あう。「TIFFファイル(イン ターネットファックスファイル)を、EASYFAXPRO2001EXのファックスビューワーに関連付け ますか」などという表示が突然出てきたりすると、パソコン歴三〇年以上の私ですら、いまだに ドキッとする。あくまでも子どもの立場で考えたらよい。 どもたちに集まってもらった。そしてその子どもたちがほかの子どもたちと、どこがどうちがうか を調べたことがある。結果、次の三つの特徴があるのがわかった。 いうような話し方をしていた。「ジャン」を取ると、「ぼく、行く、学校」となる。たまたま戦国自衛隊 という映画を見てきた中学生がいたので、「どんな映画だった?」と聞くと、その子どもはこう言 った。「先生、スゴイ、スゴイ。バババ……戦車……バンバン。ヘリコプタ−、バリバリ」と。何度 か聞きなおしてみたが、映画の内容は、まったく伝わってこなかった。 会話が終わるとか。何を聞いても、「まあまあ」と言う、など。母「学校はどうだったの?」、娘「ま あまあ」、母「テストはどうだったの?」、娘「まあまあ」と。 も外国語を話すように、照れてしまった。それはちょうど日本語を習う外国人のようでもあっ た。私「山の上に、白い雲がありますと、言ってごらん」、子「山ア……、上にイ〜、白い……へ へへへ」と。 とを告げると、その母親はこう言った。「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ……」と。 日、「帽子、帽子!ハンカチ!ハンカチ!バス、バス、ほらバス!」というような話し方をしてい て、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。こういうばあいは、たとえめんどうで も、「帽子をかぶりましたか。ハンカチをもっていますか。もうすぐバスが来ます」と言ってあげ ねばならない。……と書くと、決まってこう言う親がいる。「うちの子はだいじょうぶ。毎晩、本を 読んであげているから」と。 からといって、ドイツ語が話せるようにはならない。また年中児ともなると、それこそ立て板に水 のように、ペラペラと本を読む子どもが現れる。しかしたいてい、文字を音にかえているだけ で、内容はまったく理解していない。なお文字を覚えたての子どもは、黙読では文を理解できな い。一度文字を音にかえ、その音を自分の耳で聞いて、その文を理解する。黙読は文字を 「形」として認識するため、一度右脳を経由する。一方音読は左脳がつかさどる。黙読と音読と では、脳の中でも使う部分が違う。そんなわけである程度文字を読めるようになったら、黙読 の練習をするとよい。具体的には「口を閉じて読んでごらん」と、口を閉じさせて本を読ませると よい。 もらいたいために、書いた。相手が幼児だから、幼稚なことを教えるのが幼児教育だと思って いる人も多い。しかし、この国語力も含めて、あらゆる「力」の基本は、幼児期に決まる。それ を私は言いたかった。 と疲れてくる。問題はその疲れたとき。そのとき子どもがその机の前に座ったまま休むことがで きれば、よし。そうでなければ子どもは、学習机から離れる。勉強というのは一度中断すると、 なかなかもとに戻らない。 上に置いてみてほしい。そのとき子どもがそのまま机の前に座ってそれを食べれば、よし。もし その食べ物を別のところに移して食べるようであれば、相性はかなり悪いとみる。反対に自分 の好きなことを、何でも自分の机にもっていってするようであれば、相性が合っているということ になる。相性の悪い机を使っていると、勉強嫌いの原因ともなりかねない。 ると圧迫感が生まれる。もう一五年ほども前のことだが、小学一年生について調査してみた。 結果、棚式の机の場合、購入後三か月で約八〇%の子どもが物置にしていることがわかっ た。最近の机にはいろいろな機能がついている。が、子どもがそれにあきたとき、机はそのま ま物置台になる。机は買うとしても、棚のない平机をすすめる。あるいは低学年児の場合、机 はまだいらない。たいていの子どもは台所のテーブルなどを利用して勉強している。この時期 は勉強をあまり意識するのではなく、「勉強は楽しい」という思いを大切にする。親子のふれあ いを大切にする。子どもに向かっては、「勉強しなさい」ではなく、「一緒にやろうね」と言うなど。 合)。 よすぎると、気が散って勉強できないということもある。 ない。意外と盲点なのが、イス。深々としたイスはかえって疲れる。ひじかけがあると、作業が 格段と楽になる。ひじかけがないと、腕を机の上に置こうとするため、どうしても体が前かがみ になり、姿勢が悪くなる。またイス全体が前にかがむようになっているイスがある。確かにその ときは能率があがるかもしれないが、このタイプのイスでは体を休めることができない。 るかを観察してみるとよい。好きなマンガなどを、どこで読んでいるかをみるのもよい。たいて いは台所のイスとか、居間のソファの上だが、もし「うちの子は勉強しない」というのであれば、 思い切って、そういうところを勉強場所にしてみるとよい。子どもは進んで勉強するようになる ……かもしれない。 性があえば、子どもは進んで学習する。相性が合わなければ、子どもは何かにつけ、逃げ腰 になる。子どもの学習意欲そのものをつぶしてしまうこともある。子どもの学習を家庭で指導す るときは、この相性を見極めながらする。 置からは、窓の外がよく見え、勉強で疲れたときなど、そのまま気を休めることができる。ドア が背側にあるので、やや不安は残るが、ほぼ理想的な勉強部屋といえる。この部屋の中学生 (中一男児)は、「マンガを読むときも、イスに座って読む」と話してくれた。 分析方法が確立されている。が、基本的に日本人が考えたものは、一つもない」と。あるいは こんなショッキングな報告もある。世界的な標準にもなっている、TOEFL(国際英語検定試験) で、日本人の成績は、一六五か国中、一五〇位(九九年)。「アジアで日本より成績が悪い国 は、モンゴルぐらい。北朝鮮とブービーを争うレベル」(「週刊新潮」)だそうだ。オーストラリアあ たりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。しかし日本には数えるほどし かいない。あの天下の東大には、一人もいない。ちなみにアメリカだけでも、二五〇人もの受 賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと多い。「日本の教育は世界最高水準にある」と思うの は勝手だが、その実態は、たいへんお粗末。今では小学校の入学式当日からの学級崩壊は 当たり前。はじめて小学校の参観日(小一)に行った母親は、こう言った。「音楽の授業というこ とでしたが、まるでプロレスの授業でした」と。 の教師との対話集会に出席したことがある。その席で、一人の教師が、こんなことを言った。 いわく、「うちの高校では、授業中、運動場でバイクに乗っているのがいる」と。すると別の教師 が、「運動場ならまだいいよ。うちなんか、廊下でバイクに乗っているのがいる」と。そこで私が 「では、ほかの生徒たちは何をしているのですか」と聞くと、「みんな、自動車の教習本を読んで いる」と。 分数の足し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。「小学生レベルの問題で、 正解率は五九%」(※)(国立文系大学院生について調査、京大・西村)だそうだ。日本では大 学生のアルバイトは、ごく日常的な光景だが、それを見たアメリカの大学生はこう言った。「ぼく たちには考えられない」と。大学制度そのものも、日本のばあい、疲弊している! つまり何だ かんだといっても、「受験」が、かろうじて日本の教育を支えている。もしこの日本から受験制度 が消えたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育そのものも崩壊する。確かに一部の学生は 猛烈に勉強する。しかしそれはあくまでも「一部」。内閣府の調査でも、「教育は悪い方向に向 かっている」と答えた人は、二六%もいる(二〇〇〇年)。九八年の調査よりも八%もふえた。 むべなるかな、である。 生きてきたため、国際競争力をなくしてしまった。しかし日本の教育は、銀行の比ではない。護 送船団ならぬ、丸抱え方式。教育というのは、二〇年先、三〇年先を見越して、「形」を作らね ばならない。が、文部科学省の教育改革は、すべて後手後手。南オーストラリア州にしても、す でに一〇年以上も前から、小学三年生からコンピュータの授業をしている。メルボルン市にあ る、ほとんどのグラマースクールでは、中学一年で、中国語、フランス語、ドイツ語、インドネシ ア語、日本語の中から、一科目選択できるようになっている。(メルボルン市にあるウェズリー・ グラマースクールに問い合わせたところ、中学一年で、中国語、インドネシア語、フランス語、 日本語、ドイツ語の中から一科目選択できるとのこと。もちろん数学、英語、科学、地理、歴史 などの科目もあるが、ほかに宗教、体育、芸術、コンピュータなど。芸術は、ドラマ、音楽、写 真、美術の各科目に分かれ、さらに環境保護の科目もある。もう一つ「キャンプ」という科目が あったので、電話で聞くと、それも必須科目の一つだとのこと。) ある。もっとはっきり言えば、文部科学省による中央集権体制を解体する。だいたいにおい て、頭ガチガチの文部官僚たちが、日本の教育を支配するほうがおかしい。日本では明治以 来、「教育というのはそういうものだ」と思っている人が多い。が、それこそまさに世界の非常 識。あの富国強兵時代の亡霊が、いまだに日本の教育界をのさばっている! 人間を作ることができた。「国のために命を落とせ」という教育が、姿を変えて、「会社のために 命を落とせ」という教育に置きかわった。企業戦士は、そういう教育の中から生まれた。が、こ れからはそういう時代ではない。日本が国際社会で、「ふつうの国」「ふつうの国民」と認められ るためには、今までのような教育観は、もう通用しない。いや、それとて、もう手遅れなのかもし れない。よい例が、日本の総理大臣だ。 〇〇〇年春)。本当はそうではないのかもしれないが、私にはそう見える。総理なのだから、通 訳なしに、日本のあるべき姿、世界のあるべき姿を、もっと堂々と主張すべきではないのか。 が、そういう迫力はどこにもない。列国の元首の中に埋もれて、ヘラヘラしているだけ。そういう 総理しか生み出せない国民的体質、つまりその土壌となっているのが、ほかならぬ、日本の教 育なのである。言いかえると、日本の教育の実力は、世界でも一五〇位レベル? 政治も一 五〇位レベル? どうして北朝鮮の、あの悪政を、笑うことができるだろうか。 たという。 究する大学院生約一三〇人に、中学、高校レベルの問題を解かせた。結果、二五点満点で平 均は、一六・八五点。同じ問題を、学部の学生にも解かせたが、ある国立大学の文学部一年 生で、二二・九四点。多くの大学の学部生が、大学院生より好成績をとったという。 九%と、東京の私立短大生なみでしかなかったという。わかりやすくいえば、経済学を研究す る大学院生も、東京の私立短大の学生も、小学校でするような(足し算、引き算、かけ算、わり 算の)計算問題で、一〇〇点満点中、六〇点も取れなかったということだ。 生の学力は、数学については、シンガポール、韓国、台湾、香港に次いで、第五位。以下、オ ーストラリア、マレーシア、アメリカ、イギリスと続く。理科については、台湾、シンガポールに次 いで第三位。以下韓国、オーストラリア、イギリス、香港、アメリカ、マレーシアと続く。 ということ。たとえば中学校では週四〜五時間を数学の時間をあてている。アメリカのばあい、 単位制を導入しているので、日本と単純には比較できないが、週三〜四時間。さらにアメリカ でもオーストラリアでも、小学一、二年の間は、テキストすら使っていない学校が多い。 だけをみて、学力を判断することはできない。この結果をみて、文部科学省の徳久治彦中学 校課長は、「順位はさがったが、(日本の教育は)引き続き国際的にみてトップクラスを維持し ていると言える」(中日新聞)とコメントを寄せている。東京大学大学院教授の苅谷剛彦氏が、 「今の改革でだいじょうぶというメッセージを与えるのは問題が残る」と述べていることとは、対 照的である。ちなみに、「数学が好き」と答えた割合は、日本の中学が最低(四八%)。「理科 が好き」と答えた割合は、韓国についでビリ二であった(韓国五二%、日本五五%)。学校の外 で勉強する学外学習も、韓国に次いでビリ二。一方、その分、前回(九五年)と比べて、テレビ やビデオを見る時間が、二・六時間から三・一時間にふえている。 の者たちが、一斉に頭をさげる……。 ーンでもある。今でもあのテレビ番組の視聴率が、二〇〜二五%もあるというから、驚きであ る。が、それはさておき、オーストラリア人には、それが理解できない。ある日一人の友人が私 にこう聞いた。「ヒロシ、水戸黄門が悪いことをしたら、日本人はどうするのか」と。そこで私が、 「いいや、水戸黄門は悪いことはしないよ」と言うと、彼は再度、「それでも悪いことをしたらどう するのか」と聞いた。(欧米では、主従関係は契約で成り立っている。日本はこれに対して、忠 誠心=終身雇用関係で成り立っている。この違いはあるにはあるが……。) 続いた封建時代が、こういう民族を作った。たとえば男が上で女が下。夫が上で妻が下。先生 が上で生徒が下。そして親が上で子が下、と。たとえば日本には「先輩・後輩」という言葉があ る。たった一年でも先輩は先輩、後輩は後輩という考え方をする。そして後輩は先輩に対し て、絶対的な服従を誓う。いや、今でこそ、この関係は弱くなったが、私が高校生のときはそう だった。テニス部にしても、一年生は球集めだけ。二年生になってやっとラケットをもたせてもら い、三年生になってはじめて試合に出られた。が、オーストラリアにはそれがなかった。なかっ たというより、そういう意識そのものがなかった。私は日本の大学を卒業したあと、研究生とし て、オーストラリアのメルボルン大学に学んだ。そこでのこと。教官と学生がファーストネームで 呼びあっているのを見て、私は心底驚いた。私が住んでいたカレッジには、世界中から皇族や 王族の子息たちが集まっていた。そのためもあって、毎週金曜日や土曜日には、オーストラリ アでも著名な学者や政治家が毎週のようにやってきては夕食をともにしていった。しかしそうい う人たちに対してでさえ、オーストラリアの学生たちはきわめて自然に、しかも気楽に話しかけ ていた! 夫婦関係だってあぶない。権威主義を支えるのは、上下意識だが、その上下意識から上下関 係が生まれる。そしてこの上下関係は、保護と依存。命令と服従の関係で成り立っている。 「上」の立場にいる者にとっては、たいへん居心地のよい世界かもしれないが、「下」のものにと ってはそうではない。その居心地の悪い世界で、いつしか下の者は、上の者の心から離れる。 ウソだと思うなら、あなたの周囲の家庭をいくつか観察してみるとよい。父親にせよ、母親にせ よ、親が権威主義的な家庭ほど、親子関係はぎくしゃくしている。 こであなた自身を診断してみよう。この診断は、あなたの夫あるいは妻にしてもらうとよい。権 威主義的な人ほど、目上の人(身分や地位のある人)に対して、必要以上にペコペコし、目下 の人に対しては、尊大かつ横柄な態度で接する。そのことは電話での応対ぶりを観察してみる とわかる。そこでテスト。 ら、それでよし。しかし(2)目上の人に対する態度と、目下の人に対する態度が、まるで別人 のように違うというのであれば、あなたの夫(妻)は、かなり権威主義的な人だと思ってよい。心 の中に潜む上下意識が、無意識のうちにも、相手そのもののを差別し、そしてここでいうような 「違い」となって現われる。冒頭にあげた水戸黄門が大好きという人ほど、あぶない。一度静か に自分自身を観察してみてほしい。 もが親を育てる。よく「育自」という言葉を使って、「子育てとは自分を育てること」と言う人がい る。まちがってはいないが、しかし子育てはそんな甘いものではない。親は子育てで苦労しな がら、それこそ幾多の山や谷を越えて、「子どもを産んだ親」から、「真の親」へと、いやおうな しに育てられる。たとえばはじめて幼稚園へ子どもを連れてきたような親は、確かに若くてきれ いだ。しかしどこかツンツンとして、中身がない(失礼!)。バスの運転手さんや炊事室のおば さんにだと、あいさつもしない。しかしそんな親でも、子どもが幼稚園を卒園するころには、ちょ うど稲穂の穂が実って頭をさげるように、姿勢が低くなる。人間味ができてくる。 てから気づく。健康しかり。生活しかり。そして子どものよさも、またしかり。 は、助かったのはまさに奇跡中の奇跡。あの浜名湖という広い海の真ん中で。しかもほとんど 人のいない海の真ん中で、一人魚を釣っている人がいた。あとで話を聞くと、国体の元水泳選 手だったという。私たちはそのとき、湖上に舟を浮かべて、昼寝をしていた。子どもたちは近く の浅瀬で泳いでいるはずだった。が、三歳になったばかりの三男が「お兄ちゃんがいない!」と 叫んだとき、見ると上の二人の息子たちが流れにのまれるところだった。私は海に飛び込み、 何とか長男は助けたが、二男はもう海の中に沈むところだった。私は舟を出すため、懸命にい かりをたぐろうとしたが、ロープが長くのびてしまっていて、それもできなかった。そのときだっ た。ふと振り返ると、その元水泳選手という人が、海から二男を助け出すところだった。 なおすことで、乗り越えることができた。花粉症がひどくて、不登校を繰り返したときも。受験勉 強を放棄して、作曲ばかりしていたときも。それぞれ、「生きているだけでいい」と思いなおすこ とで乗り越えることができた。私の母はいつも、こう言っている。「上見てキリなし。下見てキリな し」と。人というのは、上ばかりみていると、いつまでたっても安穏とした生活はやってこないと いうことだが、子育てで行きづまったら、「下」から見る。「下」を見ろというのではない。下から 見る。「生きている」という原点から子どもを見る。そうするとあらゆる問題が解決するから不思 議である。 と、オーストラリアの友人がいつもこう言った。「ヒロシ、許して忘れろ」と。英語では「Forgive & Forget」という。この「フォ・ギブ(許す)」という言葉は、「与えるため」とも訳せる。同じように 「フォ・ゲッツ(忘れる)」は、「得るため」とも訳せる。つまり「許して忘れる」ということは、「子ど もに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れろ」ということになる。そしてその深 さ、つまりどこまで子どもを許し、そして忘れるかで、親の愛の深さが決まる。許して忘れるとい うことは、子どもに好き勝手なことをさせろという意味ではない。子どもを受け入れ、自分のこと として、あるがままを認めるということ。それを繰り返しながら、親は真の親になっていく。 いう原点から見る。そしてそれでも袋小路に入ってしまったら、この言葉を思い出してほしい。 「許して忘れる」と。それだけであなたの心はずっと軽くなるはずである。 体的に幼稚園の名前を出すということはできない。しかしよい幼稚園を選ぶポイントはある。そ の一。まず園長を見る。園長が運動服でも着て、園児の中で汗をかいている幼稚園はすばら しい。理由がある。教育というのは、手をかけようと思えば、どこまでも手がかけられる。反面、 手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。しかし園長が率先して教育の中に飛び込んでくるような 幼稚園では、現場の先生は手を抜くことができない。 は、親には受けがよい。しかしそれは子どもの世界ではない。よい幼稚園というのは、園舎の あちこちに子どもの臭いがする。落書きがあったり、いたずらをしたあとが残っていたりする。 そういう臭いがする幼稚園は、よい幼稚園ということになる。そして三つ目のポイントは、哲学 があるかどうかということ。富士宮市にR幼稚園というのがある。その幼稚園では、独自に玄米 食の給食をしている。給食の時間になると、子どもたちが「♪カメカメカメよ、カメさんよ」と歌を 歌いながら、玄米を懸命にかみながら食べている。大阪市のI幼稚園の園長は、ものを大切に するという意図から、いつもヨレヨレのスーツを着ている。浜松市のK幼稚園では、無数の動物 を飼っている。私が見に行ったときも、アヒルの子どもが生まれて、子どもたちはワイワイと喜 んでいた。そういう幼稚園は、すばらしい。 は、すばらしい。よい幼稚園には活気がある。先生もハツラツとしている。明るい声が飛び交っ ている。静岡市の郊外にR幼稚園という幼稚園がある。その職員室でお茶を飲んでいたときの こと。若い先生たちが、大きな声で、「今日の資料できていますかア!」「ハイ、できてるわ よ!」と、皆が声をかけあっていた。そういう幼稚園は、すばらしい。「先生」というには、「先に 生き生きとするから先生」、……というのは、こじつけだが、しかし先生と言うのは、そうでなくて はいけない。その活気の中に、子どもたちが巻き込まれていく。あるいは先生が庭にいたりす ると、子どもたちが、先生のまわりに集まってくる。先生に飛びついたりして、楽しそうにはしゃ いでいる。そういう幼稚園はすばらしい。子どもと先生の関係を、外から観察してみるとそれが わかる。もちろんあまり推薦できない幼稚園もある。経営第一主義の幼稚園だ。それを感じた ら、子どもをやらないほうがよい。こういう幼稚園はやることだけはどこか派手だが、一本スジ が通っていない。それについてはここにはこの程度しか書けないが、要するにここに書いたす ばらしい幼稚園の、反対の幼稚園だと思えばよい。 どもたちが自由かったつに意見を言い、作業のときになると、シーンと静まりかえる。しっかりと した口調で、テキパキと指導を進める。そういう授業のできる先生はすばらしい。が、一番のポ イントは、子ども好きの先生かどうかということ。教えることを楽しんでいるかどうかでみる。子 どもが何かを失敗したときの様子をみれば、それがわかる。先生が子どもを叱るときでも、子 ども好きの先生だとどこかなごやかな雰囲気になる。そうでない先生は、ピリピリとした雰囲気 になる。 うな人間にこういうことを言われると、頭にカチンとくるものだ。「教育は権威だ」「運動着など着 られるか」と言う園長もいるにはいる。そういう気持ちはよくわかる。一応ここでは、私は常識的 なことを書いた。あくまでも一つの参考になればよい。 いう立場にあるからだ。子ども、なかんずく幼児に接していると、その純粋さに毎日のように心 を洗われる。何かトラブルがあって、気分が滅入っているときでも、子どもたちと接したとたん、 それが吹っ飛んでしまう。よく「仕事のストレス」を問題にする人がいる。しかし私のばあい、職 場そのものが、ストレス解消の場となっている。 いでほしい。「子ども的」というのは、幼稚という意味ではない。子どもは確かに知識は乏しく、 未経験だが、決して、幼稚ではない。むしろ人間は、おとなになるにつれて、多くの雑音の中 で、自分を見失っていく。醜くなる人だっている。「子ども的である」ということは、何ら恥ずべき ことではない。特に私のばあい、若いときから、いろいろな世界をのぞいてきた。教育の世界 や出版界はもちろんのこと、翻訳や通訳の世界も経験した。いくつかの会社の貿易業務を手 伝ったり、医学の世界をかいま見たこともある。しかしこれだけは言える。園や学校の先生に は、心のゆがんだ人は、まずいないということ。少なくとも、ほかの世界よりは、はるかに少な い。 先生もいる。が、中には上から子どもを見おろしている先生もいる。このタイプの先生は妙に 権威主義的で、いばっている。そういう先生は、そういう先生なりに、「教育」を考えてそうしてい るのだろうが、しかしすばらしい世界を、ムダにしている。それはちょうど美しい花を見て、それ を美しいと感動する前に、花の品種改良を考えるようなものだ。昔、こんな先生がいた。ことあ るごとに、「親のしつけがなっていない」「あの子は問題児」とこぼす先生である。決して悪い先 生ではないが、しかしこういう先生に出会うと、子どもから明るさが消える。 とクレヨンを渡して、「園の先生と遊んでいるところをかいてね」と指示する。そのとき子どもが あれこれ先生の話をしながら、楽しそうに絵をかけばよし。そうでなく、子どもが暗い表情にな ったり、絵をかきたがらないようであれば、子どもと先生の相性は、よくないとみる。もしそうで あれば、この時期はできるだけ早い機会に、園長なら園長に相談して、子どもと先生の関係を 調整したほうがよい。 品川区で実施されることになった。評価結果は項目ごとに四段階で示され、年度末に公表し、 学校選びの目安にしようというもの。一つの自治体が小中学校に外部評価を導入するのはた いへん珍しい。学校そのものを外部のきびしい目にさらすことで、学校改革を促す試みとして、 今注目されている。 〇人に「評価モニター」を委託し、月に一度以上学校を訪れてもらい、一年間かけて学校の様 子を評価してもらおうというもの。具体的には、(1)教員の指導が行き届いているか、(2)いじ めなどで子どもが不当な扱いを受けていないか、(3)学校の方針は妥当かなど、約二〇項目 についてA〜Dの四段階で評価する。結果は品川区のホームページで公表し、区が新入生に 配る学校案内にも掲載されるという。また評価の低かった項目については、各学校に改善計 画を提出させ、評価結果とあわせて公表するという。 ということだが、私ももう二〇年近く前に、浜松市内の小学校について、学校に対する評価を 調査したことがある。しかしその結果、(1)評価は、複数の学校を相互に比較してはじめて可 能。(2)客観的評価は、たいへん難しいの二点で、「この種の調査は、あまり意味がない」とい う結論を出したことがある。その学校しか知らない父母や子どもに、「あなたの学校をどう思い ますか」と質問しても、その質問自体にあまり意味がないということ。そこで県外からの転校生 や、兄弟で別々の学校に通っている子どもやその父母に聞き取り調査をしてみたが、今度は サンプル数そのものが少なくて、「結果」と言えるほどまでに集計できなかった。さらに親の評 価はたいへん主観的なもので、「友だち先生」をよい先生とする親もいれば、悪いとする親もい る。また同じ先生でも、比較的勉強がよくできる子どもの親はよい先生と評価し、勉強ができな い子どもの親は悪い先生と評価するということもわかった。品川区のお手並みを拝見したい。 がある。 きて、「あなたのもっているペンをくれ」と頼んだという。理由を聞くと、「ぼくはそのペンで勉強を して、この国を救う立派な人間になりたい」と。そのタレントは、感きわまった様子で、ほとんど 涙ながらにこの話をしていた(二〇〇〇年夏、H市での教育講演)。しかしこの話はどこかおか しい。だいたい「国を救う」という高邁な精神をもっている子どもが、「ペンをくれ」などと、物乞い などするだろうか。仮にペンを手に入れても、インクの補充はどうするのか。「だから日本の子 どもたちよ、豊かであることに感謝せよ」ということを、そのタレントは言いたかったのだろうが、 この話はどこか不自然である。こんな事実もある。 国に送ったことがある。で、その二年後、その文房具がどう使われているか、二人の教師が見 に行った。が、それらの文房具はほとんど手つかずのまま、倉庫に眠っていたという。理由を 聞くと、その学校の先生はこう言った。「父親の一日の給料よりも高価なノートや鉛筆を、どうし て子どもに渡せますか」と。「石版にチョークのほうが、使いやすいです」とも。そういう話ならわ かるが、「立派な人間になりたい」とは? しい。貧しい親子が、一杯のかけそばを分けあって食べたという、あの話である。国会でも取り あげられ、その後、映画にもなった。しかし私がその場にいた親なら、かけそばには箸をつけ ない。「私はいいから、お前たちだけで食べろ」と言って、週刊誌でも読んでいる。私には私の 生きる誇りというものがある。その誇りを捨てたら、私はおしまい。親としての私もおしまい。ま たこんな話も……。 にこう言った。「お願いだから、ぼくのために負けてくれ。でないと、ぼくはママに叱られる」と。 そこでA君は最初はB君のうしろを走ったが、わざと負ければ、かえってB君のためにならない 思い、途中から本気で走ってB君を追い抜き、B君に勝った、と。ある著名な教育家が、ある雑 誌の巻頭で披露していた話だが、この話は、視点そのものがおかしい。その教育者は、二人 の会話をどうやって知ったというのだろうか。それに教えたことのある人ならすぐわかるが、こう いう高度な判断能力は、小学二年生には、まだない。仮にあったとしても、あの騒々しい運動 会で、どうやってそれができたというのだろうか。さらに、こんな話も……。 生の顔はおかしい」と言った。そこでその教師が鏡を見ると、確かにへんな顔をしていた。原因 は、その前の職員会議だった。その会議で不愉快な思いをしたのが、そのまま顔に出ていた。 そこでその教師は、三〇分間ほど、近くのたんぼのあぜ道を歩いて気分を取りなおし、そして 再び授業に臨んだという。その教師は、「そういうことまでして、私は子どもたちの前に立つとき は心を整えた」とテレビで話していたが、この話もおかしい。その三〇分間だが、子どもたちは どこで何をしていたというのだろうか。その教師の話だと、子どもたちは教室に残されたままだ ったということになるのだが……? らよい。こうした美しい話のほとんどは、ウソか作り話。中身のない教育者ほど、こうした美しい 話で自分の説話を飾りたがる。 ばせてみればよい。そしてそのあと、子どもがどんな本を読んでいるかを観察してみる。サッカ ーが好きな子どもは、サッカーの本を読む。動物が好きな子どもは、動物の本を読む。そのと き子どもが読んでいる本が、その子どもの方向性である。その方向性にすなおに従えば、子ど もは本が好きになる。さからえば、本が嫌いになる。無理をすれば子どもの伸びる「芽」そのも のをつぶすことにもなりかねない。ここでいくつかのコツがある。 ても無理をする傾向がある。六歳の子どもには、七歳用の本を与えようとする。七歳の子ども には、八歳用の本を与えようとする。この小さな無理が、子どもから本を遠ざける。そこで「うち の子どもはどうも本が好きではないようだ」と感じたら、思いきってレベルをさげる。本の選択 は、子どもに任す。こういう親がいた。本屋で子どもに、「好きな本を一冊買ってあげる」と言っ ておきながら、子どもが何か本をもってくると、「こんな本はダメ。もっといい本にしなさい」と。こ ういう身勝手さが、子どもから本から遠ざける。 前で感動してみせる。「この本はおもしろいわ」とか。これは本に限らない。子どもに何かものを 与えるときは、それなりのお膳立てをする。これを動機づけという。本のばあいだと、子どもを ひざに抱いて、少しだけでもその本を読んであげるとよい。この動機づけがうまくいくと、あとは 子どもは自分で伸びる。そうでなければそうでない。この動機づけのよしあしで、その後の子ど もの取り組み方は、まったく違ってくる。まずいのは、買ってきた本を袋に入れたまま、子ども にポイと渡すような行為。子どもは読む意欲そのものをなくしてしまう。無理や強制がよくないこ とは、言うまでもない。 あるはず」と喜ぶが、たいていは文字を音にかえているだけ。内容はまったく理解していない。 親「うさぎさんは、どこへ行ったのかな」、子「……わかんない」、親「うさぎさんは誰に会ったの かな?」、子「……わかんない」と。もしそうであれば子どもが本を読んだら、一ページごとに質 問してみるとよい。「うさぎさんは、どこへ行きましたか」「うさぎさんは、誰に会いましたか」と。 あるいは本を読み終えたら、その内容について絵をかかせるとよい。読解力のある子どもは、 一枚の絵だけで、全体のストーリーがわかるような絵をかく。そうでない子どもは、ある部分だ けにこだわった絵をかく。なお読解力のある子どもは、一ページを読むごとに深く考える様子を みせたり、そのつど挿し絵を見ながら読む。本の読み方としては、そのほうが好ましいことは言 うまでもない。 字、脱字についても同じ。要は意味が伝わればよしとする。そういうおおらかさが子どもを文字 好きにする。が、日本人はどうしても「型」にこだわりやすい。書き順もそうだが、文法もそうだ。 接続詞という言葉こそ使わないが、小学二年生から、その接続詞の使い方を学ぶ。こういうこ とばかりに神経質になるから、子どもは作文が嫌いになる。小学校の高学年児で、作文が好 きと言う子どもは、五人に一人もいない。大嫌いと言う子どもは、五人に三人はいる。 は、途中で、あれこれ質問してはいけない。作者の意図をそこなう」「本というのは言葉の流れ や、文のリズムを味わうものだ」という意見をもらった。図書館などで、子どもたちに本の読み 聞かせをしている人からだった。 い。そういう人は、自分の本の中で、幼児が知るはずもないというような言葉を平気で並べる。 たとえばある幼児向けの本の中には、次のような言葉があった。「かわべの ほとりで、 ひと りの つりびとが うつら うつらと つりいとを たれたまま、 まどろんでいた」と。この中だけ でも、幼児には理解ができそうもないと思われる言葉が、「川辺」「釣り人」「うつら」「釣り糸」「ま どろむ」と続く。こうした言葉の説明を説明したり、問いかけたりすることは、決してその本の「よ さ」をそこなうものではない。が、それだけではない。意味のわからない言葉から受けるストレス は相当なものだ。パソコンを相手にしていると、そういう場面によく出あう。「TIFFファイル(イン ターネットファックスファイル)を、EASYFAXPRO2001EXのファックスビューワーに関連付け ますか」などという表示が突然出てきたりすると、パソコン歴三〇年以上の私ですら、いまだに ドキッとする。あくまでも子どもの立場で考えたらよい。 ッグの中にしまうときでも、ただ立っているだけ。あるいはプリントでも力まかせに、バッグの中 に押し込むだけ。しかも恐ろしく時間がかかる。「しまう」という言葉の意味すら理解できない。 そういうとき私がすべきことはただ一つ。片づけが終わるまで、ただひたすら、じっと待つ。 た。こういうとき、子どもの涙にだまされてはいけない。このタイプの子どもは泣くことによって、 その場から逃げようとする。誰かに助けてもらおうとする。しかしその日は運の悪いことに、た またまS君の母親が教室の外で待っていた。母親は泣き声を聞きつけると部屋の中へ飛び込 んできて、こう言った。「どうしてうちの子を泣かすのですか!」と。ていねいな言い方だったが、 すご味のある声だった。 ていた。裕福な家庭で、しかも一人っ子。ミルクをこぼしても、誰かが横からサッとふいてくれる ような環境だった。しかしこのタイプの母親に、手のかけすぎを指摘しても、意味がない。第一 に、その意識がない。「私は子どもにとって、必要なことをしているだけ」と考えている。あるい は子どもに楽をさせるのが、親の愛だと誤解している。手をかけることが、親の生きがいになっ ているケースもある。中には子どもが小学校に入学したとき、先生に「指導のポイント」を書い て渡した母親すらいた。(親が先生に、だ!)「うちの子は、こうこうこういう子ですから、こういう ときには、こう指導してください」と。 か」と聞くと、「うちの子はああいう子どもだから、皆にいじめられているのではないかと、心配 で心配で……」と。それだけではない。私のような指導をする教師を、「乱暴だ」「不親切だ」と、 反対に遠ざけてしまう。S君のケースでは、片づけを手伝ってやらなかった私に、かえって不満 をもったらしい。そのあと母親は私には目もくれず、子どもの手を引いて教室から出ていってし まった。こういうケースは今、本当に多い。そうそう先日も埼玉県のある私立幼稚園で講演をし たときのこと。そこの園長が、こんなことを話してくれた。「今では、給食もレストラン感覚で用意 してあげないと、親は満足しないのですよ」と。こんなこともあった。 逃げてきた男子中学生がいた。「先生、こわい!」と。私は子どものときから、ワンパク少年だ った。喧嘩をしても負けたことがない。他人に手伝ってもらうのが、何よりもいやだった。今で も、そうだ。そういう私にとっては、このタイプの子どもは、どうにもこうにも私のリズムに合わな い。このタイプの子どもに接すると、「どう指導するか」ということよりも、「何も指導しないほう が、かえってこの子どものためにはいいのではないか」と、そんなことまで考えてしまう。 そのものが遅れる。子どもはその年齢になると、その年齢にふさわしい「核」ができる。教える 側から見ると、「この子はこういう子だという、つかみどころ」ができる。が、その「核」の形成が 遅れる。 プの子どもは、(親が手をかける)→(ひ弱になる)→(ますます手をかける)の悪循環の中で、 ますますひ弱になっていく。昔から過保護児のことを「温室育ち」というが、まさに温室の中だけ で育ったような感じになる。人間が本来もっているはずの野性臭そのものがない。そのため温 室の外へ出ると、「すぐ風邪をひく」。キズつきやすく、くじけやすい。ほかに依存性が強い(自 立した行動ができない。ひとりでは何もできない)、金銭感覚にうとい(損得の判断ができない。 高価なものでも、平気で友だちにあげてしまう)、善悪の判断が鈍い(悪に対する抵抗力が弱 く、誘惑に弱い)、自制心に欠ける(好きな食べ物を際限なく食べる。薬のトローチを食べてしま う)、目標やルールが守れないなど、溺愛児に似た特徴もある。 てその心配の内容に応じて、過保護の形も変わってくる。食事面で過保護にするケース、運動 面で過保護にするケースなどがある。 君は悪い子だから、一緒に遊んではダメ」「公園の砂場には、いじめっ子がいるから、公園へ 行ってはダメ」などと、子どもの世界を、外の世界から隔離してしまう。そしておとなの世界だけ で、子育てをしてしまう。本来子どもというのは、外の世界でもまれながら、成長し、たくましくな る。が、精神面で過保護にすると、その成長そのものが、阻害される。 いるかをさぐる。それをしないと、結局はいつまでたっても、その「心配の種」に振り回されるこ とになる。 だが、子どもに自立心が育つ。私が作った格言だが、こんなのがある。 させるという意味。靴下でも片方だけをはかせて、もう片方は自分ではかせるなど。 しても、やりすぎてはいけないという意味。「あと少し」というところでやめる。同じく靴下でたとえ て言うなら、とちゅうまではかせて、あとは自分ではかせるなど。 から五・五歳にかけての時期は、幼児期から少年少女期への移行期にあたる。この時期、子 どもは何かにつけて生意気になり、言葉も乱暴になる。友だちとの交際範囲も急速に広がり、 社会性も身につく。またそれが子どものあるべき姿ということになる。が、その時期に溺愛と過 保護が続くと、子どもはそのカラを脱げないまま、体だけが大きくなる。たいていは、ものわか りのよい「いい子」のまま通り過ぎてしまう。これがいけない。それはちょうど借金のようなもの で、あとになればなるほど利息がふくらみ、返済がたいへんになる。同じようにカラを脱ぐべき ときに脱がなかった子どもほど、何かにつけ、あとあと育てるのがたいへんになる。 らない。これは子どもを育てるときの常識である。 助けてほしい。うちの息子(高二)が、勉強しなくなってしまった。家庭教師でも何でもいいから、 してほしい」と。浜松市内でも一番と目されている進学校のA高校のばあい、一年生で、一クラ ス中、二〜三人。二年生で、五〜六人が、燃え尽き症候群に襲われているという(B教師談)。 一クラス四〇名だから、一〇%以上の子どもが、燃え尽きているということになる。この数を多 いとみるか、少ないとみるか? のことで目的を果たしたとたん、燃え尽きることが多い。気が弱くなる、ふさぎ込む、意欲の減 退、朝起きられない、自責の念が強くなる、自信がなくなるなどの症状のほか、それが進むと、 強い虚脱感と疲労感を訴えるようになる。概してまじめで、従順な子どもほど、そうなりやすい。 で、一度そうなると、その症状は数年単位で推移する。脳の機能そのものが変調する。ほとん どの親は、ことの深刻さに気づかない。気づかないまま、次の無理をする。これが悪循環とな って、症状はさらに悪化する。その母親は、「このままではうちの子は、大学へ進学できなくな ってしまう」と泣き崩れていたが、その程度ですめば、まだよいほうだ。 症などがある。親が自分で不安になるのは、親の勝手だが、その不安をそのまま子どもにぶ つけてしまう。「今、勉強しなければ、うちの子はダメになってしまう!」と。そして子どもに対し て、しすぎるほどしてしまう。ある母親は、毎晩、子ども(中三男子)に、つきっきりで勉強を教え た。いや、教えるというよりは、ガミガミ、キリキリと、子どもを叱り続けた。子どもは子どもで、 高校へ行けなくなるという恐怖から、それに従った。が、それにも限界がある。言われたことは したが、効果はゼロ。だから母親は、ますますあせった。あとでその母親は、こう述懐する。 「無理をしているという思いはありました。が、すべて子どものためだと信じ、目的の高校へ入 れば、それで万事解決すると思っていました。子どもも私に感謝してくれると思っていました」 と。 が、あれこれとアドバイスをしてもムダ。中には、「他人の子どものことだから、何とでも言えま すよ」と、怒ってしまった親もいる。私が、「進学はあきらめたほうがよい」と言ったときのこと だ。そして無理に無理を重ねる。が、さらに親というのは、身勝手なものだ。子どもがそういう 状態になっても、たいていの親は自分の非を認めない。「先生の指導が悪い」とか、「学校が合 っていない」とか言いだす。「わかっていたら、どうしてもっとしっかりと、アドバイスしてくれなか ったのだ」と、私に食ってかかってきた父親もいた。 や、「がんばればできる」式の励ましは禁物。今よりも症状を悪化させないことだけを考えなが ら、一にがまん、二にがまん。あとは静かに「子どものやる気」が回復するのを待つ。 つくウソ「空想的虚言」は、区別して考える。 示、吹聴、自慢、見栄など)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついているという自覚 がある。母「誰、ここにあったお菓子を食べたのは?」、子「ぼくじゃないよ」、母「手を見せなさ い」、子「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから……」と。 「昨日、通りを歩いたら、幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というのがそれ。その思 い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態を、空想的虚言とい う。こんなことがあった。 が手に大きなアザをつくってきました。子どもに話を聞くと、あなたにつねられたと言うではあり ませんか。どうしてそういうことをするのですか。あなたは体罰反対ではなかったのですか!」 と。ものすごい剣幕だった。が、私には思い当たることがない。そこで「知りません」と言うと、そ の母親は、「どうしてそういうウソを言うのですか。相手が子どもだと思って、いいかげんなこと を言ってもらっては困ります!」と。 で、A君につねられた」と。そのあと聞きもしないのに、ことこまかに話をつなげた。が、そのあ とA君に聞くと、A君も「知らない……」と。結局その子どもは、何らかの理由で母親の注意をそ らすために、自分でわざとアザをつくったらしい……、ということになった。こんなこともあった。 落とした」と。そこでカバンの中をもう一度調べさせると、集金の袋と一緒に入っていたはずの 明細書だけはカバンの中に残っていた。明細書だけ残して、お金だけを落とすということは、常 識では考えられなかった。そこでその落としたときの様子をたずねると、その女の子は無表情 のまま、やはりことこまかに話をつなげた。「バスが急にとまったとき体が前に倒れて、それで そのときカバンがほとんど逆さまになり、お金を落とした」と。しかし落としたときの様子を覚え ているというのもおかしい。落としたなら落としたで、そのとき拾えばよかった……? た。何でもその女の子が、親に隠れて高価な人形を買ったというのだ。値段を聞くと、落とした という金額とほぼ一致していた。が、この事件だけではなかった。そのほかにもおかしなことが たびたび続いた。「宿題ができなかった」と言ったときも、「忘れ物をした」と言ったときも、その つど、どこかつじつまが合わなかった。そこで私は意を決して、その女の子の家に行き、父親 にその女の子の問題を伝えることにした。が、私の話を半分も聞かないうちに父親は激怒し て、こう叫んだ。「君は、自分の生徒を疑うのか!」と。そのときはじめてその女の子が、奥の 部屋に隠れて立っているのがわかった。「まずい」と思ったが、目と目があったその瞬間、その 女の子はニヤリと笑った。 さがらなかった、オーストラリア人の女の子(六歳)がいた。「イタリアには女王はいないよ」とい くら話しても、その女の子は「私は女王!」と言いつづけていた。 はならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世 界にハマるようであれば、注意せよという意味である。このタイプの子どもは、現実と空想の間 に垣根がなくなってしまい、現実の世界に空想をもちこんだり、反対に、空想の世界に限りない リアリティをもちこんだりする。そして一度、虚構の世界をつくりあげると、それがあたかも現実 であるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式のウソを、シャーシャーとつく。ウソをウソと自 覚しないのが、その特徴である。 うウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、はげしく叱れば叱るほど、子 どもはますますウソがうまくなる。 い子」という印象を与えることが多い。ただ子どもらしいハツラツとした表情が消え、教える側か ら見ると、心のどこかに膜がかかっているようになる。いわゆる「何を考えているかわからない 子ども」といった感じになる。 原因の第一は、強圧的な家庭環境にあると考えて、親子関係のあり方そのものを反省する。 とくにこのタイプの子どものばあい、強く叱れば叱るほど、虚構の世界に子どもをやってしまう ことになるから注意する。 影響はない。過干渉が過干渉として問題になるのは、(1)親側に、情緒的な未熟性があると き。親の気分で、子どもに甘くなったり、反対に極端にきびしくなったりするなど。とらえどころの ない親の気分は、子どもの心を不安にする。ばあいによっては、子どもの心を内閉させ、さら にひどくなると萎縮させる。年中児(満五歳児)でも、大声で笑えない子どもは、一〇人のうち、 一〜二人はいる。つぎに(2)親の価値観を、子どもに一方的に押しつけるとき。過干渉ママは 独特の会話をする。たとえば先生が子どもに向かって、「この前の日曜日はどこへ行った の?」と声をかけると、すぐその会話に割り込んできたりする。「おじいちゃんの家に行ったでし ょ。どうして行ったと言えないの!」と。そこで先生がさらに子どもに向かって、「楽しかった?」 と声をかけると、また割り込んできて、「楽しかったでしょ。楽しかったら、楽しかったと言いなさ い!」と。 らの背景には、何らかの「わだかまり」があることが多い。望まない結婚であったとか、望まな い子どもであったとか、など。生活や子育てそのものの不安や不満が、わだかまりになることも ある。このわだかまりが形を変えて、子どもへの過干渉となる。言いかえると、子どもに過干渉 を繰り返すようであれば、そのわだかまりが何であるかを知る。問題はわだかまりがあること ではなく、そのわだかまりに気がつかないまま、わだかまりに振りまわされ、同じパターンで同 じ失敗を繰り返すこと。わだかまりは、あなたの心を、裏からあやつる。これがこわい。 対の粗放化するタイプの子どももいるが、このタイプの子どもは、親の過干渉をたくましくやり 返した子どもと考えるとわかりやすい。よくあるケースは、兄が萎縮し、弟が粗放化するという ケース。)(2)自分で考えることが苦手になり、ものの考え方が極端になったり、かたよったりす るようになる。常識ハズレになり、してよいことと悪いことの区別がつかなくなるなど。薬のトロ ーチを飴がわりになめてしまうなど。(3)心が萎縮してくると、さまざまな神経症を発症し、行動 ものろくなる。また仮面をかぶるようになり、いわゆる「何を考えているかわからないグズな子」 といった感じになる。 あって一利なし」と心得る。が、何より大切なことは、子どもをもっと信ずる」こと。これについて はまたまた別のテストで、詳しく書く。 家庭に育った人ほど、その気負いが強い。そしてその気負いが強ければ強いほど、親も疲れ るが子どもも疲れる。そして結局は、子育てで失敗しやすい。 た動物は、自分では子育てができない。「子育ての情報」、つまり「親像」が、脳にインプットさ れていないからである。人間とて例外ではない。「親に育てられた」という経験があって、自分も 親になったとき子育てができる。こんな例がある。一人の父親がこんな相談をしてきた。娘を抱 いても、どの程度、どのように抱けばよいのか、それがわからないというのだ。その人は「抱き グセがつくのでは……」と心配していたが、その人は、彼の父親を戦争でなくし、母親の手だけ で育てられていた。つまりその人は「父親というものがどういうものなのか」ということがわかっ ていなかった。しかし問題はこのことではない。 なわけで多かれ少なかれ、だれしも、何らかのキズをもっている。問題は、そういうキズがある ことではなく、そのキズに気づかないまま、それに振りまわされることである。かく言う私も団塊 の世代で、貧困と混乱の中で幼児期を過ごしている。親たちも食べていくだけで精一杯。家庭 的な温もりに飢えていたような気がする。そのためか今でも、「家庭」への思いは人一倍強い。 が、悲しいことに、頭の中で想像するだけで、温かい家庭というのがどういうものか、本当のと ころはわかっていない。だから自分の子どもを育てながらも、いつもどこかでとまどっていたよ うに思う。ただ人間のばあいは、たとえ不幸な家庭で育ったとしても、近くの人たちの子育てを みたり、あるいは別の形で学習したりして、自分の中に親像をつくることができる。だから不幸 な家庭に育ったからといって、必ずしも不幸になるというわけではない。 次の世代にそれを伝えてはいけない。あなたは当然、あなたの子どもには幸福になってほしい と願っている。だとしたらあなたの子どもは、その幸福な家庭で包んであげなければならない。 「温かい家庭というのは、こういうものですよ」「夫婦というのは、こういうものですよ」と。そういう 体験が子どもの中にしみ込んでいてはじめて、あなたの子どもは将来、温かい家庭を、自然な 形でつくることができる。このテストで高得点だった人は、少し肩の力を抜く一方、とくにこの点 を意識して、子育てを見なおしてみてほしい。 あることが悪いというのではない。問題は親子で、そのリズムが合っていないとき。どんな名曲 でも、二つの曲を同時に演奏すれば、騒音でしかない。そのリズムは、親子を外から観察する と、すぐわかる。 にミルクを用意する親もいる。子どもが歩くようになると、子どもの手をぐいぐいと引きながら、 子どもの前を歩く親がいる。しかし子どもの横かうしろに回りながら、子どもの歩調に合わせて 歩く親もいる。子どもがさらに大きくなると、子どもが「したい」と言う前に、おけいこ教室の申し 込みをする親がいる。しかしそのつど子どもの意思を確かめながら、申し込みをする親もい る。こうしたリズムは一事が万事。形こそ違うが、いつも同じパターンで繰り返しつづく。こんな ことがあった。一人の母親が私のところへきて、こう言った。 うのですが、どうでしょうか」と。そこで私が「本人は行きたがっているのですか?」と聞くと、「そ れが行きたがらないので困っているのです」と。 …」と思っているなら、それはあなたの子どもがグズ(失礼!)なのではなく、あなたがあなたの 子どもをそういう子どもにしただけ。何でもかんでも子どもの一歩先を歩こうとすると、子どもは グズに見える。しかし一歩、あとを歩くだけで、あなたの子どもはまったく別の子どもになる。要 は子育てのリズムを変えるということだが、これが簡単ではない。リズムというのはそういうも ので、その人の人生観そのものになっていることが多い。中には子どもの世話をすることを、 生きがいにしている人がいる。口では「世話がかかってたいへん」とこぼしながら、かけることを 楽しんでいる。 がある。こんなテストがある。あなたと子どもが通りを歩いていたら、偶然高校時代の友人が通 りかかった。そのときその友人があなたの子どもしげしげと見て、「いくつ?」と、年齢を聞いた とする。そのとき自分の子どもに自信のある親は、「まだ一〇歳です」と、「まだ」という言葉を 無意識のうちにも使う。自信のない親は、「もう……」と言って顔をしかめたりする。あなた自身 はどうか、頭の中で想像してみてほしい。もし後者のようなら、子どもをなおそうと思うのではな く、あなた自身の心を作りかえること。このテストで高得点だった人は、生活全体を一度見なお してみてほしい。 めてしまう。もともとはわがままな性格の持ち主で、自分の思いどおりにならないと気がすまな い人とみてよい。このタイプの母親は、思い込みであるにせよ何であるにせよ、自分の考えを 一方的に子どもに押しつけようとする。本屋でも、子どもに「好きな本を買ってあげる」と言って おきながら、子どもが何か本をもってくると、「それはダメ、こちらの本にしなさい」と勝手に変え たりする。子どもの意見はもちろんのこと、他人の話にも耳を傾けない。こうした自己中心的な 子育てが日常化すると、子どもから「考える」力そのものがなくなる。依存心が強くなり、善悪の バランス感覚が消える。「バランス感覚」というのは、善悪の判断を冷静にして、その判断に従 って行動する感覚のことをいう。そのため、どうしても常識ハズレになりやすい。コンセントに粘 土を詰めて遊んだり、友だちの誕生日のプレゼントに、虫の死骸を箱に入れて送ったりするな ど。 と。そしてその中でものの考え方を極端化したり、先鋭化したりすること。とくに高学歴の母親 やプライドが強い母親ほど、この傾向が強い。本来ならそうならないためにも、風通しをよくしな ければならないのだが、人づきあいはほとんどしない。あるいはしても、儀礼的なものであった り、ある特定の範囲の人としかしない。「私は正しい」と思うのはその人の勝手だが、相手に向 かっては、「あなたはまちがっている」とはねのけてしまう。そこでこのテストで高得点だった人 は、子育てそのものが、どこか常識とかけはなれていないかを疑ってみる。子育てというのは、 理論どおりにはいかないこと。子どもは設計図どおりにはいかないこと。あるいはあなたの思 いどおりにはいかないこと。そういう前提で、子育てのあり方全体を考えなおす。が、悲劇はこ こで終わらない。 んどんと前向きに伸びていこうとする母親。もうひとつは自分の世界の中だけで、さらにものの 考え方を絶対化する母親である。前向きに伸びていくのはよいことだが、反対に自分のカラを 厚くするのは、たいへん危険なことでもある。こうした現象を「カプセル化」と呼ぶ人もいる。一 度こうなると、いろいろな弊害が現れてくる。たとえば同じ過保護でも、異常な過保護になった り、あるいは同じ過干渉でも、異常な過干渉になったりする。当然、子どもにも大きな影響が出 てくる。五〇歳をすぎた男性だが、八〇歳の母親の指示がないと、自分の寝起きすらできない 人を私は知っている。その母親はことあるごとに、「生まれつきそうだ」と言っているが、そうい う男性にしたのは、その母親自身である。子育ての軌道修正は、できるだけ早い時期にするに こしたことはない。 ッグの中にしまうときでも、ただ立っているだけ。あるいはプリントでも力まかせに、バッグの中 に押し込むだけ。しかも恐ろしく時間がかかる。「しまう」という言葉の意味すら理解できない。 そういうとき私がすべきことはただ一つ。片づけが終わるまで、ただひたすら、じっと待つ。 た。こういうとき、子どもの涙にだまされてはいけない。このタイプの子どもは泣くことによって、 その場から逃げようとする。誰かに助けてもらおうとする。しかしその日は運の悪いことに、た またまS君の母親が教室の外で待っていた。母親は泣き声を聞きつけると部屋の中へ飛び込 んできて、こう言った。「どうしてうちの子を泣かすのですか!」と。ていねいな言い方だったが、 すご味のある声だった。 ていた。裕福な家庭で、しかも一人っ子。ミルクをこぼしても、誰かが横からサッとふいてくれる ような環境だった。しかしこのタイプの母親に、手のかけすぎを指摘しても、意味がない。第一 に、その意識がない。「私は子どもにとって、必要なことをしているだけ」と考えている。あるい は子どもに楽をさせるのが、親の愛だと誤解している。手をかけることが、親の生きがいになっ ているケースもある。中には子どもが小学校に入学したとき、先生に「指導のポイント」を書い て渡した母親すらいた。(親が先生に、だ!)「うちの子は、こうこうこういう子ですから、こういう ときには、こう指導してください」と。 か」と聞くと、「うちの子はああいう子どもだから、皆にいじめられているのではないかと、心配 で心配で……」と。それだけではない。私のような指導をする教師を、「乱暴だ」「不親切だ」と、 反対に遠ざけてしまう。S君のケースでは、片づけを手伝ってやらなかった私に、かえって不満 をもったらしい。そのあと母親は私には目もくれず、子どもの手を引いて教室から出ていってし まった。こういうケースは今、本当に多い。そうそう先日も埼玉県のある私立幼稚園で講演をし たときのこと。そこの園長が、こんなことを話してくれた。「今では、給食もレストラン感覚で用意 してあげないと、親は満足しないのですよ」と。こんなこともあった。 逃げてきた男子中学生がいた。「先生、こわい!」と。私は子どものときから、ワンパク少年だ った。喧嘩をしても負けたことがない。他人に手伝ってもらうのが、何よりもいやだった。今で も、そうだ。そういう私にとっては、このタイプの子どもは、どうにもこうにも私のリズムに合わな い。このタイプの子どもに接すると、「どう指導するか」ということよりも、「何も指導しないほう が、かえってこの子どものためにはいいのではないか」と、そんなことまで考えてしまう。 そのものが遅れる。子どもはその年齢になると、その年齢にふさわしい「核」ができる。教える 側から見ると、「この子はこういう子だという、つかみどころ」ができる。が、その「核」の形成が 遅れる。 プの子どもは、(親が手をかける)→(ひ弱になる)→(ますます手をかける)の悪循環の中で、 ますますひ弱になっていく。昔から過保護児のことを「温室育ち」というが、まさに温室の中だけ で育ったような感じになる。人間が本来もっているはずの野性臭そのものがない。そのため温 室の外へ出ると、「すぐ風邪をひく」。キズつきやすく、くじけやすい。ほかに依存性が強い(自 立した行動ができない。ひとりでは何もできない)、金銭感覚にうとい(損得の判断ができない。 高価なものでも、平気で友だちにあげてしまう)、善悪の判断が鈍い(悪に対する抵抗力が弱 く、誘惑に弱い)、自制心に欠ける(好きな食べ物を際限なく食べる。薬のトローチを食べてしま う)、目標やルールが守れないなど、溺愛児に似た特徴もある。 てその心配の内容に応じて、過保護の形も変わってくる。食事面で過保護にするケース、運動 面で過保護にするケースなどがある。 君は悪い子だから、一緒に遊んではダメ」「公園の砂場には、いじめっ子がいるから、公園へ 行ってはダメ」などと、子どもの世界を、外の世界から隔離してしまう。そしておとなの世界だけ で、子育てをしてしまう。本来子どもというのは、外の世界でもまれながら、成長し、たくましくな る。が、精神面で過保護にすると、その成長そのものが、阻害される。 いるかをさぐる。それをしないと、結局はいつまでたっても、その「心配の種」に振り回されるこ とになる。 だが、子どもに自立心が育つ。私が作った格言だが、こんなのがある。 させるという意味。靴下でも片方だけをはかせて、もう片方は自分ではかせるなど。 しても、やりすぎてはいけないという意味。「あと少し」というところでやめる。同じく靴下でたとえ て言うなら、とちゅうまではかせて、あとは自分ではかせるなど。 から五・五歳にかけての時期は、幼児期から少年少女期への移行期にあたる。この時期、子 どもは何かにつけて生意気になり、言葉も乱暴になる。友だちとの交際範囲も急速に広がり、 社会性も身につく。またそれが子どものあるべき姿ということになる。が、その時期に溺愛と過 保護が続くと、子どもはそのカラを脱げないまま、体だけが大きくなる。たいていは、ものわか りのよい「いい子」のまま通り過ぎてしまう。これがいけない。それはちょうど借金のようなもの で、あとになればなるほど利息がふくらみ、返済がたいへんになる。同じようにカラを脱ぐべき ときに脱がなかった子どもほど、何かにつけ、あとあと育てるのがたいへんになる。 らない。これは子どもを育てるときの常識である。 と片づけ。「使った食器をシンクへもっていき、そこで食器を洗い、ナプキンでふく」は、あと始 末。日本人はあと片づけには、うるさいが、あと始末には甘い。これは日本人の国民性のよう なもの。日本人は何かにつけて、責任の所在をはっきりさせるよりも、ものごとをナーナーです まそうとする。 屋だと、散らかっているのが当たり前という状態。しかしあと始末にはうるさい。冷蔵庫から出 したものを、テーブルの上に置いておこうものなら、子どもたちは親にひどく叱られる。そうそう 以前、こんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「ヒロシ、日本の子どもたちは、皆、スポイ ルされているよ」と。「スポイル」というのは、「ドラ息子化している」という意味だ。そこで私が「君 はどんなところを見てそう言うのか」と聞くと、こう話してくれた。 が、それについて、「食事の前に料理を手伝わない」「食後も食器を洗わない」「シャワーを浴び ても、アワを流さない」「朝起きても、ベッドをなおさない」「……何もしないのだよ」と。 う。アメリカの作家のソローも、こう言っている。「ビロードのクッションの上に座るよりも、カボチ ャンの頭に座るほうが、休まる」と。しかしあと始末は別。子どもにはどんどんとあと始末をさせ る。そういう習慣が、責任感の強い子どもをつくる。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne. jp/~hhayashi/) どものうしろを歩く。子どもの保護者として。そして三つ目に、子どもの横を歩く。子どもの友とし て。昔、オーストラリアの友人が話してくれたことだ。 い。自分の子どもを「友」としてとらえていえる人は、少ない。あるいはそう感じていても、一方で 昔からの「親意識(権威意識)」が強いため、どうしても子どもを「下」に見てしまう。そこでテス ト。 (1)「『親に向かって、何だ!』と子どもを叱る。そういうことを言うのは許さない」、(2)「子ども のことだから口が悪いのは当たり前。相手にしない」の、どちらだろうか。親意識の強い人ほ ど、(1)のように感ずるし、そうでない人ほど、(2)のように感ずる。もちろんその中間もある。 またこう書いたからといって、子どもが親に「バカヤロー」と言うのを容認せよということでもな い。むしろ問題は、子どもがそういうことを言えないほどまでに、親の親意識で子どもを抑え込 んでしまうこと。子どもは親の前では仮面をかぶるようになり、そのかぶった分だけ、子どもの 心はあなたから離れる。 かせということでもない。子どもの「友」になるということは、子どもを「下」に見るのではなく、対 等の人間としてみるということ。たとえばアメリカでは、親子でもこんな会話をしている。父「お前 は、パパに何をしてほしい?」、子「パパは、ぼくに何をしてほしい?」と。こうした謙虚な気持ち が、子どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~ hhayashi/) い」という親がいる。しかしこういう力は忍耐力とは言わない。好きなことをしているだけ。子ど もにとって忍耐力というのは、「いやなことをする力」をいう。たとえば台所の生ゴミを手で始末 する、風呂場の排水口にたまった毛玉を始末するとか、そういうことができる子どもを忍耐力 のある子どもという。 ブランコを明け渡すような子どもを、「やさしい子ども」と考えている人がいる。しかしこれも誤 解。このタイプの子どもは、それだけ」ストレスをためやすく、いろいろな問題を起こす。子ども にとって「やさしさ」とは、いかに相手の立場になって、相手の気持ちを考えられるかで決まる。 もっと言えば、相手が喜ぶように自ら行動する子どもを、やさしい子どもという。そのやさしい子 どもにするには、買い物に行っても、いつも、「これがあるとパパが喜ぶわね」「これを買ってあ げるから、妹の○○に半分分けてあげてね」と、日常的にいつもだれかを喜ばすようにしむけ るとよい。 というのは、自己規範のこと。こんな子ども(小三女子)がいた。バス停でたまたま会ったので、 「缶ジュースを買ってあげようか」と声をかけると、こう言った。「これから家で夕食を食べます から、いらない。缶ジュースを飲んだら、ごはんが食べられなくなります」と。こういう子どもを「ま じめな子ども」という。 多い。しかし教育の世界で「すなおな子ども」というときは、心の状態(情意)と、顔の表情が一 致している子どもをいう。怒っているときには、怒った顔をする。悲しいときには悲しい顔をす る、など。情意と表情が一致しないことを、「遊離」という。子どもにとっては、たいへん望ましく ない状態と考えてよい。たとえば自閉傾向のある子ども(自閉症ではない)がいる。このタイプ の子どもの心は、柔和な表情をしたまま、まったく別のところにある。 はかえって逆効果になるから注意する。たとえば暗闇恐怖症の子ども(三歳児)がいた。子ど もは夜になると、「こわい」と言ってなかなか寝つかなかったが、父親はそれを「わがまま」と決 めつけて、いつも無理に寝させていた。がまんさせるということは、結局は子どもの言いなりに ならないこと。そのためにも 親側に、一本スジのとおったポリシーがあることをいう。そういう 意味で、子どものがまんの問題は、決して子どもだけの問題ではない。(はやし浩司のサイト: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) った」「トクをした」「損をした」など。お金で物欲を満たす、その満たし方まで、この時期に覚え てしまう。そういうわけでこの時期の金銭感覚が狂うと、あとがたいへん。そこで、子どもに買い 与えるものは、心の中で100倍するとよい。たとえば一〇〇円のものは一万円。一〇〇〇円 のものは一〇万円、と。つまり子どもが一〇〇円のものから得る満足感は、おとなが一万円の ものから得る満足感と同じということ。一〇〇〇円のものから得る満足感は、おとなが一〇万 円のものから得る満足感と同じということ。この時期に、一〇〇〇円や一万円のものをホイホ イと買い与えていると、やがて子どもが大きくなり、高校生や大学生になったとき、それこそ一 〇万円のものや、一〇〇万円のものを買い与えないと、満足しなくなる。もしあなたにそれだけ の財力があれば話は別だが、安易な気持ちで買い与えるようなことは、やめたほうがよい。 いる。戦後のあのひもじい時期を過ごした人ほど、この傾向が強い。しかしこれはまったくの誤 解。ではどうするか。 る。子どもの心をつかみたかったら、子どもにものを買い与えるより、魚釣りに行けという意味 だが、これは子育ての基本でもある。多くの親は、「高価なものを買い与えてやったから、子ど もは親に感謝しているはず」と考える。しかし実際には、感謝などしていない。「ありがとう」とは 言うが、その場だけ。あるいはたいていのばあい、かえって逆効果。 養う原動力となる。また子どもの心をとらえるということは、もっと別のこと。そういうことも考え ながら、子どもの金銭教育を考える。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi /) ル、「よくできる子」と考える。しかしこれは誤解。まったくの誤解。たとえば幼稚園児でも、掛け 算の九九をペラペラと言う子どもがいる。しかしそういう子どもを、「頭のよい子」とは言わな い。「算数がよくできる子」とも言わない。中には、全国の列車の時刻表を暗記している子ども もいる。音楽の最初の一章節を聞いただけで、曲名をあてたり、車の一部を見ただけで、メー カーと車種をあてる子どももいる。しかし教育の世界では、そういうのは能力とは言わない。「こ だわり」とみる。たとえば自閉症の子どもがいる。このタイプの子どもは、こうしたこだわりをも つことが知られている。 を避けようとする。あるいは考えること自体から逃げようとする。一つの例だが、夜のテレビを にぎわすバラエティ番組がある。ああいった番組の中では、見るからに軽薄そうなタレントが、 思いついたままをベラベラというより、ギャーギャーと騒いでいる。彼らはほどんど、自分では 何も考えていない。脳の、表層部分に飛来する情報を、そのつど適当に加工して言葉にしてい るだけ。つまり頭の中はカラッポ。 ら、私もアシ?」と言った女子高校生がいた。しかし先にも書いたように、「考える」ということ は、もっと別のこと。たとえば私はこうして文章を書いているが、数時間も書いて、その中に、 「思考」らしきものを見つけるのは、本当にマレなことだ。(これは多分に私の能力の限界かも しれないが……。)つまり考えるということは、それほどたいへんなことで、決して簡単なことで はない。そんなわけで残念だが、その女子高校生は、そのアシですら、ない。彼女もまた、ただ 思いついたことをペラペラと口にしているだけ。 思い込んでいる。しかし教育とはもっと別のこと。むしろこういう教育観(?)は子どもから「考え る」という習慣をうばってしまう。私はそれを心配する。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs. ne.jp/~hhayashi/) 子どもを伸ばす。前向きに伸びている子どもは、ものごとに積極的で攻撃的。何か新しいこと をしようかと提案すると、「やる」「やりたい」とか言って、くいついてくる。これは家庭教育の常識 だが、しかし問題は、子どもにというより、親にある。 す。心というのはそういうもので、長い時間をかけて、相手に伝わる。言葉ではない。そこでテ スト。 こうからやってきた。そしてその同級生があなたの子どもをしげしげと見たあと、「(年齢は)いく つ?」と聞いたとする。そのとき、だ。あなたはどう感ずるだろうか。こういうとき、自分の子ども に自信のある親は、「まだ」という言葉を使う。「まだ一〇歳ですけど……」と。その心は、「どう だ。うちの子はまだ一〇歳だけど、すばらしい子どもに見えるだろ」というところにある。一方、 自分の子どもに自信のない親は、「もう」という言葉を使う。顔をしかめて、「もう一〇歳なんで すけどねえ……」と。その心は、「一〇歳だけれど、いろいろできが悪くて……」というところに ある。 をつんでしまう。こんな子ども(中学女子)がいた。ここ一番というところになると、いつも、「どう せ私はダメだから」と。そこでどうしてそういうことを言うのかと、ある日聞いてみた。すると彼女 はこう言った。「どうせ、○○小学校の入試で落ちたもんね」と。その子どもは、もうとっくの昔に 忘れてよいはずの、しかも一〇年近くも前のことを気にしていた。こういうことは子どもの世界 ではあってはならない。 すばらしい子」を言うようにしてみたら……。最初はウソでもよい。しかしあなたがこの言葉を自 然な形で言えるようになったとき、あなたの心は今とは変わっているはずである。当然、あなた の子どもの表情も明るくなっているはずである。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~ hhayashi/) てしまう。子どもの意思など、まったくの無視。たとえばおけいこごとを始めるときも、またやめ るときもそうだ。「来月から、○○音楽教室へ行きますからね」「来月から、今の教室をやめて、 △△教室へ行きますからね」と。子どもは親の意向に振りまわされるだけ。 て、毎日おなかの子どもに、クラッシックや英会話のテープを聞かせていた。また別の母親は、 時計とにらめっこをしながら、その時刻になると赤ちゃんがほしがらなくても、ミルクを赤ちゃん の口につっこんでいた。さらにこんな会話をしたこともある。ある日一人の母親が私のところに きて、こう言った。 でしょうか?」と。その子は、ハキのない子どもだった。母親はそれを気にしていた。そこで私が 「お子さんは行きたがっているのですか?」と聞くと、「それが行きたがらないので、困っている のです」と。こうしたリズムは、一事が万事。そこでこんなテスト。 を引きながら、ぐいぐいと歩いていただろうか。それとも(2)子どものうしろや横に回りながら、 子どものリズムで歩いていただろうか。(2)のようであれば、よし。しかしもし(1)のようであれ ば、そのときから、あなたとあなたの子どものリズムは乱れていたとみる。今も乱れている。そ してやがてあなたは子どもとこんな会話をするようになる。 さんが毎週、高い月謝を払って、あなたを音楽教室へ連れていってあげたからよ」、子「いつ、 だれが、お前にそんなことをしてくれと頼んだア!」と。 はできないので。)今日からでも遅くないから、子どもの横かうしろを歩く。たったそれだけのこ とだが、あなたはすばらしい親子関係を築くことができる。(はやし浩司のサイト:http://www2. wbs.ne.jp/~hhayashi/) 時間、自由に遊ばせてみる。そしてそのあと、子どもがどんな本を読んでいるかを、静かに観 察する。そのときその子どもが読んでいる本が、その子どもの方向性である。たとえばサッカ ーの好きな子どもは、サッカーの本を読む。乗り物や機械的なものが好きな子どもは、そういう 類の本を読む。この方向性をうまく利用すれば、子どもは伸びるし、それにさからえば、子ども は伸びない。こんな例がある。 本を選んでくると、「こんな本ではダメ。もっとおもしろいのにしなさい」と。こういう親の身勝手さ は、子どもの方向性をつぶす。それがたとえ親の意向に反したものであっても、「おもしろそう ね。ママも読んでみたいわ」と言ってあげる。そして子どもの方向性を前向きに伸ばしてあげ る。たとえば本は嫌いでも、ゲームの攻略本は読むという子どもはいくらでもいる。そういうとき は、ゲームの攻略本を利用して、本のおもしろさを子どもに教えればよい。 ても、水を飲ませることはできない」というのがある。つまり最終的にどういう方向を選ぶかは、 子どもの問題。親のできることにも限界があるということ。また多くの親は、「うちの子はやれば できるはず」と言う。それはそうだが、しかしやる、やらないも、「力」のうち。そういうときは「や ってここまで」とあきらめる。このあきらめが子どもを伸ばす。 この一芸が子どもを側面から支え、ばあいによっては、子どもの職業となることもある。そうい う意味でも、子どもの方向性は大切にする。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~ hhayashi/) 形を抱かせてみればわかる。母性や父性が育っている子どもは、ぬいぐるみを手にすると、さ もいとおしいといった表情で、それを抱く。中には頬をすりよせてくる子どももいる。しかしそうで ない子どもは、ぬいぐるみをみたとたん、足でキックしたりしてくる。私が調べたところ、幼稚園 の年長児で、男女を問わず、一〇人のうち八名が、ぬいぐるみを見せるとうれしそうな顔をし、 約二人弱が、反応を示さないか、あるいはキックしたりするのがわかった。さらに小学校の四、 五年児について調べてみると、約八〇%が、「ぬいぐるみ大好き」と答え、そのうち約半数が、 ごく日常的に多くのぬいぐるみと接しているのがわかった。 験が身にしみこんでいて、今度は自分が親になったとき、子育てができるようになる。それを 「親像」という。が、不幸にして、不幸な家庭で育てられ、この親像がしっかりしていない人がい る。しかし問題は親像がないことではない。むしろ何不自由なく、親の温かい愛情に恵まれて 育った人のほうが少ない。問題は、その親像のないことに気づかないまま、それに引きまわさ れ、同じ失敗を何度も繰り返すことである。ある父親は、私にこう相談してきた。「娘を抱いてい ても、どれだけ抱けばいいのか。どう抱けばいいのか。それがわからない」と。その父親は、彼 の父親を戦争でなくし、母親の手だけで育てられていた。つまり彼の中には「父親像」がなかっ た。 もは、将来、やさしいパパやママになることができる。(そうでない子どもは、そうでなくなるとは 言えないが……。)そんなわけでもし心配な点があるなら、子どもにはぬいぐるみをもたせると よい。これには男女の差別はない。またあってはならない。男の子でも、ぬいぐるみで遊んでい る子どもはいくらでもいる。 人には負けない」というもの。周囲の側からすれば、「このことについては、あいつにかなうもの はいない」というもの。この一芸が子どもを伸ばす。あるいは子どもを側面から支える。中に は、「勉強、一本!」という子どももいるが、このタイプの子どもは、一度勉強でつまずくと、あと は坂をころげ落ちるかのように、成績がさがる。 様子を観察していると、「これは!」というものに気がつく。それが一芸。ある女の子(一歳)は、 風呂の中でも平気で湯にもぐって遊んでいた。そこで母親がその子どもを水泳教室へ入れて みたが、案の定、「水を得た魚」のように泳ぎ始めた。また別の男の子(五歳児)は、父親が新 車を購入すると、スイッチに興味をもち、「このスイッチは何だ」と聞きつづけた。そこで私に相 談があったので、パソコンを買ってあげることをすすめた。この子どもも予想通り、パソコンに 夢中になり、やがて小学三年生になるころには、ベーシック言語で、自分でつくったゲームで遊 ぶようになった。 芸ではない。一芸というのは、将来に向って創造的なもの、あるいは努力と練習によって、より 光る要素のあるものをいう。そういう一芸を子どもの中に見つけたら、思い切り時間とお金をか ける。この「思い切りのよさ」が、子どもの一芸を伸ばす。 へ行かなかった。毎日、近くの公園でゴルフばかりしていた。しかし一〇年後、会ってみると、 彼はゴルフのプロコーチになっていた。当時私は四〇歳前後だったが、そのときすでに、私の 年収の何倍ものお金を稼いでいた。同じように中学時代、手芸ばかりしている女の子がいた。 学校ではほとんど目立たなかったが、今、市内の中心部で、大きなブテイックの店を構えてい る。一芸には、そういう意味も含まれる。 「学校の席がえをするときのこと。先生が、『好きな子どうし並んでいい』と言ったが、(私の子ど ものように)友だちのいない子どもはどうすればいいのか。そういう子どもに対する配慮が足り ない。こういうことは許せない。先生、一緒に学校へ抗議に行ってくれないか」と。その子どもに は、チックもあった。軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、そういうこ とはこの母親にはわかっていない。もし問題があるとするなら、むしろ母親のほうだ。こんなこ ともあった。 るなら、歩いていていい」と。しかしこの一言が、父親を激怒させた。ある夜、猛烈な抗議の電 話がかかってきた。いわく、「おしりのウンチのことで、子どもに恥をかかせるとは、どういうこと だ!」と。その子ども(小三男児)は、たまたま学校で、「ウンチもらし」と呼ばれていた。小学二 年生のとき、学校でウンチをもらし、大騒ぎになったことがある。もちろん私はそれを知らなか った。 と。さらにはなぜ、小学二年生のときにそれをもらしたかということだ。さらにこうした子どもどう しのトラブルは、まさに日常茶飯事。教える側にしても、いちいちそんなことに神経を払ってい たら、授業そのものが成りたたなくなる。子どもたちも、息がつまるだろう。教育は『まじめ七 割、いいかげんさ三割』である。子どもは、この「いいかげんさ」の部分で、息を抜き、自分を伸 ばす。ギスギスは、何かにつけてよくない。 つぶす。人間関係も破壊する。もっと言えば、子どもというのは、ある意味でキズまるけになり ながら成長する。キズをつくことを恐れてはいけないし、子ども自身がそれを自分で解決しよう としているなら、親はそれをそっと見守るべきだ。へたな口出しは、かえって子どもの成長をさ またげる。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) 症にせよ、さらにはチック、怠学(なまけ)や不登校など、心の問題をどこかに感じたら、決して 無理をしてはいけない。中には、「気はもちようだ」「わがままだ」と決めつけて、無理をする人 がいる。さらに無理をしないことを、甘やかしと誤解している人がいる。しかし子どもの心は、無 理をすればするほど、こじれる。そしてその分だけ、立ちなおりが遅れる。しかし親というのは、 それがわからない。結局は行きつくところまで行って、はじめて気がつく。その途中で私のよう なものがアドバイスしても、ムダ。「あなた本当のところがわかっていない」とか、「うちの子ども のことは私が一番よく知っている」と言ってはねのけてしまう。あとはこの繰り返し。 しながら、悪くなる。そのとき親が何かをすれば、すればするほど裏目、裏目に出てくる。もしそ んな悪循環を心のどこかで感じたら、鉄則はただ一つ。あきらめる。そしてその状態を受け入 れ、それ以上悪くしないことだけを考えて、現状維持をはかる。よくある例が、子どもの非行。 子どもの非行は、ある日突然、始まる。それは軽い盗みや、夜遊びであったりする。しかしこの 段階で、子どもの心に静かに耳を傾ける人はまずいない。たいていの親は強く叱ったり、体罰 を加えたりする。しかしこうした一方的な行為は、症状をますます悪化させる。万引きから恐 喝、外泊から家出へと進んでいく。 しいものばかりではない。中には、「バカヤロー」と悪態をついて巣立ちしていく子どもいる。し かし巣立ちは巣立ち。要はそれを受け入れること。それがわからなければ、あなた自身を振り 返ってみればよい。あなたは親の期待にじゅうぶん答えながらおとなになっただろうか。あるい はあなたの巣立ちは、美しく、すばらしいものであっただろうか。そうでないなら、あまり子ども には期待しないこと。昔からこう言うではないか。『ウリのつるにナスビはならぬ』と。失礼な言 い方かもしれないが、子育てというのは、もともとそういうもの。(はやし浩司のサイト:http:// www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) から、正式には、この日本には多動児、つまり集中力欠如型多動性児(ADHD児)はいないと いうことになる。それはともかくも、実際には、このタイプの子どもは、二〇名のうち約一人の割 でいる。が、問題はこのことではない。 えた。多動児だった。そのため、本当に苦労した。親も苦労した。学校の先生も苦労した。どう 苦労したかは、教えたものでないとわからないだろう。が、その子も、小学高学年になるころに は落ち着きはじめ、中学生になるころには、騒々しさは残ったものの、まあ、ふつうの子どもと いう感じになった。そのD君にこう話しかけたときのこと。私がそれとなく、「君は、小学生のこ ろ、腕白で、みんなに迷惑をかけたのだが、それを覚えているか」と聞くと、D君は、こう言っ た。「いいや、ぼくは何もしてない。みんな、ぼくのことを目の敵にして、ぼくばかり叱った」と。そ こであれこれ遠まわしな言い方で、D君自身に問題がなかったのかを聞いてみたが、D君は 「なかった。ぼくはふつうだった」と。 おそらく彼が教職の道を選んで、教師になって、多動児について学んでも、「自分がそうだっ た」とは決して思わないだろう。いや、私が考え込んだのは、実のところD君のことではない。自 分のことだ。私は私のことは一番よく知っていると思っている。しかしそう思っているのは、自分 だけ。実のところ、自分のことはまったくわかっていないのでは……、と。 た別の機会に書く。ともかくも、私はD君を前にして、本当に考え込んでしまった。「人間という のは、そういうものか」と。D君はそれを私に教えてくれた。(はやし浩司のサイト:http://www2. wbs.ne.jp/~hhayashi/) 読解力のない子どもは、問題を読みきれない、読みまちがえる、など。あちこちの数字を集め て、めちゃめちゃな式を書いたりする。親は「どうしてうちの子は、問題をよく読まないのでしょ う」とか、「そそっかしくて困ります」とか言うが、ことはそんな簡単なことではない。 自分の声で文章を読み、その音を聞いて文の内容を理解する。つまり左脳がそれをつかさど る。一方黙読は文字を図形として認識し、その図形の意味を判断して文の内容を理解する。つ まり右脳がそれをつかさどる。音読ができるから黙読ができるとは限らない。ちなみに文字を 覚えたての幼児は、黙読では文を読むことができない。そんなわけで子どもが文字をある程度 読むことができるようになったら、黙読の練習をさせるとよい。方法は、「口をとじて本を読んで ごらん」と指示する。ある研究団体の調査によれば、黙読にすると、小学校の低学年児で、約 三〇%程度、読解力が落ちることが」わかっている(国立国語研究所)。 音読をさせてみる。たとえば先の文章題でも、「声を出して問題を読んでごらん」と言って、問題 を声を出させて読ませてみる。読んだ段階で、たいていの子どもは、「わかった!」と言って、 問題を解くことができる。が、それでも効果があまりないときは、こうする。問題そのものを、別 の紙に書き写させる。子どもは文字(問題)を一度文字で書くことによって、文字の内容を「音」 ではなく、「形」として認識するようになる。少し時間はかかるが、黙読が苦手な子どもには、も っとも効果的な方法である。 のこと、算数や理科、社会の成績があがったということはよくある。決して軽くみてはいけない。 (はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) い。早く数えることができる子どもは、五秒前後の間に、二〇回前後の音を数えることができ る。そうでない子どもは、「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」と数えるため、どうしても遅くなる。 初は、「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」でも、少し練習すると、「イチ、ニ、サン……」になり、さらに 「イ、ニ、サ……」となる。さらに練習すると、ものを「ピッ、ピッ、ピッ……」と、信号にかえて数え ることができるようになる。これを数の信号化という。こうなると、五秒足らずの間に、二〇個く らいのものを、瞬時に数えることができるようになる。そしてこの力が、やがて、計算力の基礎 となる。たとえば、「3+2」というとき、頭の中で、「ピッ、ピッ、ピッ、と、ピッ、ピッで、5」と計算 するなど。 が遅い」と感じたら、計算ドリルをさせるよりも先に、一度、早数えの練習をしてみるとよい。た だし一言。 があるということにはならない。たとえば小学一年生でも、神業にように早く、難しい足し算や引 き算をする子どもがいる。親は「うちの子は頭がいい」と喜ぶが、(喜んで悪いというのではな い)、それは少し待ってほしい。計算力は訓練で伸びるが、算数の力を伸ばすのはそんな簡単 なことではない。子どもというのは、「取った、取られた」「ふえた、減った」「多い、少ない」「得を した、損をした」という日常的な経験を通して、算数の力を養う。またそういう刺激が、子どもを して、算数ができる子どもにする。そういう日常的な経験も忘れないように!(はやし浩司のサ イト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) 後まで残っていた。そこで母親に秘訣を聞くと、こう話してくれた。「乳幼児期は、ほとんど、は だしで過ごしました。雨の日でもはだしだったので、近所の人に白い目で見られたこともありま す」と。その子どもは二歳になるときには、うしろ向きにスキップして走ることができたそうだ。 を受けて、その敏捷性を養う。反対に分厚い底の靴に、分厚い靴下をはいて、どうして敏捷性 を養うことができるというのか。一つの目安として、階段をおりる様子を観察してみればよい。 敏捷な子どもは、スタスタとリズミカルに階段をおりることができる。そうでない子どもは、手す りにつかまって一段ずつ、恐る恐るおりる。階段をリズムカルにおりられない子どもは、年中児 で一〇人に一人はいる。あるいは傾いた土地や、川原の石ころの間を歩かせてみればよい。 敏捷な子どもは、ピョンピョンと平気で飛び跳ねるようにして歩くことができる。そうでない子ども はそうでない。もしあなたの子どもの敏捷性が心配なら、今日からでも遅くないから、はだしに するとよい。あるいはよくころぶ(※)とか、動作がどこか遅いというようなときも、はだしにする とよい。(分厚い靴や分厚い靴下をはきなれた子どもは、はだしをいやがるが、そうであるなら なおさら、はだしにしてみる。) に、あれこれ運動をさせてもあまり上達は望めない。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs. ne.jp/~hhayashi/) きは歩く様子をまうしろから観察してみる。X脚になって足が互いにからむようであれば、一度 小児科のドクターに相談してみるとよい。) い。一時期、幼児教育の世界では、ぬり絵を嫌う時期もあったが、今改めてぬり絵のよい点が 見なおされている。子どもはぬり絵をすることで、運筆能力を発達させる。ためしにあなたの子 どもに丸(○)を描かせてみるとよい。運筆能力の発達した子どもは、きれいな(スムーズな)丸 を描く。そうでない子どもは多角形に近い、ぎこちない丸を描く。言うまでもなく、文字は複雑な 曲線が組み合わさってできている。その曲線を描く力が、運筆能力ということになる。またぬり 絵でも、運筆能力の発達している子どもは、小さな四角や形を、縦線、横線、あるいは曲線を うまく使ってぬりつぶすことができる。そうでない子どもは、横線なら横線だけで、無造作なぬり 方をする。 はさむようにしてもつ。鉛筆は、中指の横腹に鉛筆を置き、親指と人差し指で支えてもつ。鉛筆 をもつようになったら、一度、正しい(?)もち方を練習するとよい。(とくに正しいもち方というの はないが、あまり変則的なもち方をしていると、長く使ったとき、手がどうしても疲れやすくな る。)ちなみに年長児で約五〇%が鉛筆を正しく(?)もつことができる。残りの三〇%はクレヨン をもつようにして鉛筆をもつ。残りの二〇%は、それぞれたいへん変則的な方法で鉛筆をも つ。 は腕がどのように変化するかを観察してみてほしい。たとえば横線は手首の運動だけで描くこ とができる。しかし縦線は、指と手が複雑に連動しあってはじめて描くことができる。さらに曲線 は、もっと複雑な動きが必要となる。何でもないことのように思う人もいるかもしれないが、幼児 にとって曲線や円を描くことはたいへんな作業なのだ。 自由に絵を描かせるようにするとよい。ぬり絵が効果的なことは、ここに書いたとおりである。 (はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) るようになる。もう少しわかりやすく言うと、仮面をかぶるようになる。その仮面をかぶった分だ け、子どもの心は親から離れる。 レ。このうち価値観のズレの一つが、ここでいう親の権威主義である。もともと権威というの は、問答無用式に相手を従わせるための道具と考えてよい。「男が上で女が下」「夫が上で妻 が下」「親が上で子が下」と。もっとも子どもも同じように権威主義的なものの考え方をするよう になれば、それはそれで親子関係はうまくいくかもしれない。が、これからは権威がものを言う 世界ではない。またそういう時代であってはならない。 話のかけ方をみればよい。権威主義的なものの考え方を日常的にしている人は、無意識のう ちにも人間の上下関係を判断するため、相手によって電話のかけ方がまるで違う。地位や肩 書きのある人には必要以上にペコペコし、自分より「下」と思われる人には、別人のように尊大 ぶったりいばってみせたりする。このタイプの人は、先輩、後輩意識が強く、またプライドも強 い。そのためそれを無視したり、それに反したことをする人を、無礼だとか、失敬だとか言って 非難する。もしあなたがそうなら、一度あなたの価値観を、それが本当に正しいものかどうかを 疑ってみたらよい。それはあなたのためというより、あなたの子どものためと言ったほうがよい かもしれない。 門」である。側近のものが三つ葉葵の紋章を見せ、「控えおろう!」と一喝すると、周囲のもの が皆頭をさげる。ああいうシーン見ると、たいていの日本人は「痛快!」と思う。しかしそれが痛 快と思う人ほど、あぶない。このタイプの人は心のどこかでそういう権威にあこがれを抱いてい る人とみてよい。ご注意! (はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) 「ガムをかむと頭がよくなる」と。この世界ではもっとも権威ある雑誌である。で、その話を母親 たちの席で話すと、「では……」と言って、それを実行する人が何人か出た。で、その結果だ が、たとえばN君は、数年のうちに本当に頭がよくなってしまった。I君もそうだった。これらの子 どもは、年中児のときからかみ始め、小学一、二年になるころには、はっきりとわかるほどそ の効果が表れてきた。N君もI君も、幼稚園児のときは、ほとんど目立たない子どもだった。ど こかボーッとしていて、反応も鈍かった。が、小学二年生のころには、一〇人中、一、二番を争 うほど、積極的な子どもになっていた。 とくに次のような子どもに効果がある。どこか知恵の発育が遅れがちで、ぼんやりしているタイ プの子ども。集中力がなく、とくに学習になると、ぼんやりとしてしまう子どもなど。 ない。この時期まだ昼寝グセが残っている子どもは多い。子どもによっては、昼ごろになると、 急速に集中力をなくしてしまい、ぼんやりとしてしまうことがある。が、ガムをかむことによって、 それをなおすことができる。五、六歳になってもまだ昼寝グセが残っているようなら、一度ガム をかませてみるとよい。 導する。とっかえひっかえガムをかむ子どもがいるが、今度は甘味料のとり過ぎを心配しなけ ればならない。息を大きく吸い込んだようなとき、大きなガムをのどにひっかけてしまうようなこ ともある。走ったり、騒いでいるようなときにはガムをかませないなどの指導も大切である。もち ろんかんだガムは、紙に包んでゴミ箱に入れるというマナーも守らせるようにしたい。(はやし 浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) がおとなになり親になったら、こういうふうに子どもを育てるのですよ」「こういうふうに子どもを 叱るのですよ」と。つまり子どもに子育ての見本を見せる。見せるだけでは足りない。しっかりと 体にしみこませておく。 である」と。つまり人間というのは(ほかの高度な動物もそうだが)、自分が親に育てられたとい う経験があってはじめて、自分が親になったとき子育てができる。たとえば一般論として、人工 飼育された動物は、自分では子育てができない。人間はなおさらで、つまり子育てというのは、 本能でできるのではなく、「学習」によってできるようになる。が、それだけではない。もしあなた があなたの子どもに将来、心豊かで温かい家庭を築いてほしいと願っているなら(当然だが… …)、今あなたはここで、心豊かで温かい家庭とはどういうものかを子どもに見せておかねばな らない。あるいはそういう環境で子どもを包んであげる。さらに「父親とはこういうものです」「母 親とはこういうものだ」と、その見本を見せておく。そういう経験が体にしみこんでいて子どもは はじめて、自分が親になったとき、自然な形で子育てができるようになる。 れただろうか。もしそうならそれでよし。しかしそうでないなら、一度あなたの子育てを見なおし てみたほうがよい。あなたの子育てはどこかぎこちないはずである。たとえば極端に甘い親、 極端にきびしい親、あるいは家庭をかえりみない親というのは、たいてい不幸にして不幸な家 庭に育った人とみてよい。つまりしっかりとした「親像」が入っていない。が、問題はそのことで はなく、そのぎこちなさが、親子関係をゆがめ、さらにそのぎこちなさを次の世代に伝えてしまう こともある。しかしあなた自身がその「過去」に気づくだけで、それを防ぐことができる。まずい のはその「過去」に気づくことなく、それにいつまでも振り回されること。そしてそのぎこちなさを 次の世代に伝えてしまうことである。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) てする。あるいは「覚えたか」ではなく、「楽しんだか」を考えてする。これを動機づけというが、 その動機づけがうまくいくと、あとは子ども自身の力で伸びる。要はそういう力をどのように引き 出すかということ。たとえば文字学習についても、文字そのものを教える前に、文字は楽しい、 おもしろいということを子どもにわからせる。まずいのは、たとえばトメ、ハネ、ハライ、さらには 書き順や書体にこだわり、子どもから学習意欲を奪ってしまうこと。私も少し前、テニススクー ルに通ったが、そこのコーチは、スタイルばかりにこだわっていた。(私はストレス解消のため、 思いっきりボールを叩きたかっただけだが……。)おかげで私はすぐやる気をなくしてしまっ た。 水場へ連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」というのがある。最終的に「す る、しない」は、子ども自身が決めるということ。……と書くと、「それでは遅れてしまう。まにあ わない」という人がいる。しかしそれが、子どもの能力。よく親は「うちの子はやればできるは ず」と言うが、「やる、やらない」も能力のうち。「やればできるはず」と思ったら、「やってここま で」と思い、あきらめる。このあきらめが親子の間に風をとおす。親があせればあせるほど、そ の分だけ、子どもの伸びは鈍化する。いわんや子どもを前にしてイライラしたら、子どもの勉強 からは手を引く。 あまり勉強を意識せず、「三〇分すわって、それらしきことを五分もすればじょうでき」と思うこ と。またワークにしてもドリルにしても、半分はお絵かきになってもよい。勉強といっても、何も 作法があるわけではない。床に寝そべってするのもよし、ソファに座ってするのもよし。そのう ち子ども自身がもっとも能率のよい方法をさがしだす。そういうおおらかさが子どもを伸ばす。 (はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) たとき、大声でゲラゲラ笑うことができる子どもに、心のゆがんだ子どもはまずいない。しかし 今、大声で笑えない子どもがふえている。年中児で一〇人のうち、一〜二人はいる。皆が笑っ ているようなときでも、顔をそむけてクックッと苦しそうに笑うなど。親の威圧的な過干渉、息の 抜けない過関心が日常化すると、子どもの心は萎縮する。 ば分離不安の子どもがいる。親の姿が見えるうちは、静かで穏やかな様子を見せるが、親の 姿が見えなくなったとたん、ギャーッとものすごい声をはりあげて、親のあとを追いかけたりす る。そういう子どもを観察してみると、その子ども自身の「意思」というよりは、もっと別の「力」に よってそう動かされているのがわかる。それがここでいう「その子どもであって、その子どもでな い部分」ということになる。そういう子どもの心を表す言葉としては、日本語にはつぎのようなも のがある。ねたむ、ひねくれる、つっぱる、いじける、こだわる、すねるなど。そういった症状が 見られたら、子どもの心はどこかゆがんでいるとみてよい。 笑わせることに心がけている。だいたい一回の学習で、五〇分ほど教えるが、その五〇分間、 ずっと笑わせつづけるということもある。とくに心のどこかに何らかのキズをもっている子どもに はこの方法は、たいへん有効である。軽い情緒障害なら、数か月でその症状が消えることも多 い。が、それだけではない。子どもは笑うことにより、ものごとを前向きにとらえようとする。学 習の動機づけには、たいへんよい。英語の格言にも、「楽しく学ぶ子どもはよく学ぶ」というの がある。「楽しかった」という思いが、子どもを伸ばす原動力になる。(はやし浩司のサイト:http: //www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) こまでの経済大国になった。もしここでガツガツすることをやめたら、日本はあっという間に、世 界の大波にのみこまれてしまうだろう。「スキあらば……」と日本をねらっている国はいくらでも ある。 でもごくふつうの国、あるいはそれ以下になってしまう。ロンドン大学名誉教授の森嶋氏も、「二 〇五〇年には本当に日本はダメになってしまう」と警告している。 からの日本や世界で生きていくことができる子どもは、ガツガツした子どもである。ぬるま湯に どっぷりとつかり、のんきに過ごしている子どもには、未来はない。言いかえると、どうすればそ のガツガツした子どもを育てられるかということ。それがこれからの子どもをどう育てるかのヒ ントになる。そこで……。 べさせるもの、あらゆる面で質素にする。中には「高価なものを買い与えることが、親の愛のあ かし」と考えている人がいるが、これはとんでもない誤解である。 が、子どもをドラ息子(娘)にする。そのためにも、生活の場では、子どもを中心に置かない。い つも脇に置く。食事の献立でも休日の過ごし方でも、親は親で、親中心の生活を組み立てれば よい。 どもは忍耐力を養い、生活力もそこから生まれる。「子どもに楽をさせることが親の愛のあか し」というのも誤解。使えば使うほど、他人の苦労もわかるようになり、その分だけ、子どもはや さしく思いやりのある子どもになる。 れが子どものあるべき姿ということになる。今この日本では、どこかナヨナヨし、従順で、満足 げにおっとりしている子どもほど、「いい子」と見る風潮がある。しかしそういう子どもは、これか らの世界で生き残ることはできない。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi /) 償的愛(親のエゴ、あるいは親の心のスキ間を埋めるための愛)、それに真の愛(子どもを一 人の人間と認めた相互信頼に基づく愛)である。このうち問題なのは、代償的愛である。多くの 親は、この代償的愛をもって、親の愛と誤解する。よい例が子どもの受験勉強に狂奔する親で ある。あるいは子どものテストの成績が悪いからといって、子どもにわめき散らしている親であ る。このタイプの親は、「子どものため」を口にしながら、結局は自分のエゴのために子どもを 利用しているだけ。それはちょうど年頃の男が、自分の性欲や支配欲を満たすために女性を 愛する(?)愛に似ている。あるいはストーカーの男が、相手の迷惑も顧みず、相手の女性を 追いかけまわす愛に似ている。どこまでも自分勝手で、どこまでもわがままな愛ということにな る。 忘れる」は、英語では、「フォ・ギブ & フォ・ゲッ」という。この「フォ・ギブ(許す)」という単語 は、「与える・ため」とも訳せる。「フォ・ゲッ(忘れる)」は、「得る・ため」とも訳せる。つまり許して 忘れるということは、子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れろという 意味になる。 に言いなりになれということでもない。子どもを許して忘れるということは、どんなに子どもので きが悪くても、またどんな問題をかかえても、それを自分のこことして受け入れてしまうというこ と。つまりその度量の深さによって、親の愛の深さが決まる。 ではない。子どもを愛するということは、ある意味でつらくて苦しいこと。そのつらさや苦しみに 耐えてこそ、親は親であり、子どもを真に愛したことになる。(はやし浩司のサイト:http:// www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) の劇作家だが、総じてみれば、家庭というのは、カボチャの頭でなければならない。子どもは 学校で疲れた心を、そのカボチャの頭の上でいやす。が、それだけではない。こんなテストが ある。 のときあなたのいる前で、あなたのことを気にしないで心を休めているようであれば、あなたと 子ども関係は良好とみてよい。しかしもしあなたの子どもが、好んであなたのいないところで心 を休めるとか、あなたの姿を見たとたん、どこかへ逃げていくようであれば、あなたと子どもの 関係はかなり悪化しているとみてよい。今は小さなキレツかもしれないが、やがて断絶というこ とにもなりかねない。ちなみに子ども(中学生)が、「心が休まる場所」としてあげたのは、(1) 風呂の中、(2)トイレの中、それに(3)フトンの中(学外研・九八年報告)だそうだ。 の場」から、「いこいの場」、あるいは「いやしの場」とならなければならない。子どもは学校で疲 れた心を、その家庭でいやす。よく子どもに何か問題が起きたりすると、「そら、学校が悪い」 「そら、先生が悪い」と言う人がいる。学校や先生に問題がないとは言わないが、しかし、もし 子どもが家庭でじゅうぶん心を休めることができたら、それらの問題のほとんどは、その家庭 の中で解決するはずである。そのためにも、つぎのことに注意する。 どこかへ逃げていく」というのであれば、子どもが心を休めている様子を見せたら、何も言わな い、何も見ない、何も聞かない。できればあなたのほうがその場から遠ざかる。あれこれ気を つかうのもやめる。仮にだらしない様子を見せたとして、それは無視する。「家庭」というのは、 もともとそういうもの。そういう前提で、家庭のあり方を反省する。 は、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。「君は、学 校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。するとその子ども は、こう言った。「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼくを怒っ た」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまった。いや、その子どものことではな い。自分のことというか、自分を知ることの難しさを思い知らされたからだ。 を知れ」という有名な言葉を残している。フランスの哲学者のモンテーニュ(1533〜1592)も 「随想録」の中で、こう書いている。「各人は自己の前を見る。私は自己の内部を見る。私は自 己が相手なのだ。私はつねに自己を考察し、検査し、吟味する」と。「自分を知る」ということ は、一見簡単なことに思えるが、その実、たいへん難しい。 る部分と、自分であって自分でない部分がある。たとえば多動性児(ADHD児)と呼ばれる子ど もがいる。その多動児にしても、その多動性は、その子ども自身を離れたところで起こる。子ど も自身にはその意識すらない。だからその子どもをしかっても意味がない。このことは親につ いても言える。 子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小一男児)のように、友だちのいない 子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行くから、一緒に行っ てほしい」と。もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあっ たし、軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」 ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、その相談だ。 分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、それに 振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。このタイプの親たちは、なぜそういうことをす るかということに迷いを抱きながらも、もっと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のど こかで「してはいけない」と思いつつ、それにブレーキをかけることができない。「自分であって 自分でない部分」のことを、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、 いじける、ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の中 にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部分とみてよい。それに気づくこ とが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくことなく、いつまでも自分で ない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰り返すことである。 全国規模のチェーン店を経営するまでになったという、あのサクセス物語である。九七年に約 二〇〇〇億円の負債をかかえて倒産した、ヤオハンジャパンの社長、W氏の母親のカツさん がモデルだとされている。それはともかくも、一時期、日本中が「おしん」に沸いた。泣いた。私 の実家の母も、おめでたいというか、その一人だった。ちょうどそのころ、私の実家の近くに系 列の大型スーパーができ、私の実家は小さな自転車屋だったが、そのためその影響をモロに 受けた。はっきり言えば、閉店状態に追い込まれた。 く」ことは従だ。しかしいつの間にか、働くことが主になり、生きることが従になってしまった。そ れはちょうど映画「マトリックス」の世界に似ている。生きることが母体(マトリックス)なのに、働 くという仮想現実の世界のほうが、母体だと錯覚してしまう。この日本でも、そして世界でも、生 きるために働くのではなく、働くために生きている人はいくらでもいる。しかし仮想現実は仮想 現実。いくらその仮想現実で、地位や名誉、肩書きを得たとしても、それはもともと仮想の世界 でのこと。生きるということは、もっと別のこと。生きる価値というのは、もっと別のことである。 あのおしんにしても、自分が生きるためだけなら、何もああまで店の数をふやす必要はなかっ た。その息子のW氏にしても、全盛期には世界一六カ国、グループで年商五〇〇〇億円もの 売り上げを記録したというが、そんな必要はなかった。私の父などは、自分で勝手にテリトリー を決め、「ここから先の町内は、M自転車屋さんの管轄だから自転車は売らない」などと言って いた。仮にその町内で自転車が売れたりすると、夜中にこっそりと自転車を届けたりしていた。 しかしそうした善意など、大型スーパーの前ではひとたまりもなかった。晩年の父は二、三日ご とに酒に溺れ、よく母や祖父母に怒鳴り散らしていた。仮想現実の世界の人から見れば、W氏 は勝ち組、父は負け組ということになるが、そういう価値基準で人を判断することのほうが、ま ちがっている。父は生きるために自転車屋を営んだ。働くための本分を忘れなかった。人間性 ということを考えるなら、私の父は生涯貧乏だったが、W氏にまさることはあっても、劣ることは 何もない。おしんもある時期までは生きるために働いたが、その時期を過ぎると、あたかも餓 鬼のように富と財産を追い求め始めた。つまりその時点で、おしんは働くために生きるようにな った。 な道具だが、それに毒されたとき、人は仮想現実の世界にハマる。自分を見失う。日本では、 あるいは世界では、W氏のような人物を高く評価する。しかしそのW氏のサクセス物語の裏 で、いかに多くの、そして善良な商店主たちが泣いたことか。私の父もその一人だが、その証 拠として、あのヤオハンジャパンが倒産したとき、一部の関係者は別として、W氏に同情して涙 をこぼした人はいなかった。 たおめでたい人というか、W氏はいまだにその仮想現実の世界にしがみついている。ふつうの 人なら、仮想現実のむなしさに気がつき、少しは賢くなるはずだが……。 をしている。子どもの人間性を見る前に、あるいは人間性を育てる前に、受験だの進学だの、 有名高校だの有名大学だの、そんなことばかりにこだわっている。ある母親はこう言った。「そ うは言っても現実ですから……」と。つまり現実に受験競争があり、学歴社会があるから、人間 性の教育などと言っているヒマはない、と。しかしそれこそまさに「マトリックス」の世界。仮想現 実の世界に住みながら、そちらのほうを「現実」と錯覚してしまう。が、それだけならまだしも、 そういう仮想現実の世界にハマることによって、大切なものを大切でないと思い込み、大切で ないものを大切と思い込んでしまう。そして結果として、親子関係を破戒し、子どもの人間性ま で破壊してしまう。自分の人生をムダにしてしまう。 の逃げ場へ逃げ込んだら、親はその逃げ場を荒らしてはいけない。子どもはその逃げ場に逃 げ込むことによって、体を休め、疲れた心をいやす。たいていは自分の部屋であったりする が、その逃げ場を荒らすと、子どもの情緒は不安定になる。ばあいによっては精神不安の遠 因ともなる。あるいはその前の段階として、子どもはほかの場所に逃げ場を求めたり、最悪の ばあいには、家出を繰り返すこともある。逃げ場がなくて、犬小屋に逃げた子どももいたし、近 くの公園の電話ボックスに逃げた子どももいた。またこのタイプの子どもの家出は、もてるもの をすべてもって、一方向に家出するというと特徴がある。買い物バッグの中に、大根やタオル、 ぬいぐるみのおもちゃや封筒をつめて家出した子どもがいた。(これに対して目的のある家出 は、その目的にかなったものをもって家を出るので、区別できる。) が逃げ場へ逃げたら、子どものほうから出てくるまで待つ。そういう姿勢が子どもの心を守る。 が、中には、逃げ場どころか、子どものカバンの中や机の中、さらには戸棚や物入れの中まで 平気で調べる親がいる。仮に子どもがそれに納得したとしても、親はそういうことをしてはなら ない。こういう行為は子どもから、「私は私」という意識を奪う。 立場で考えてみればよい。いつかあなたが老人になり、体が不自由になったとする。そういうと きあなたの子どもが、あなたの机の中やカバンの中を調べたとしたら、あなたはそれを許すだ ろうか。プライバシーを守るということは、そういうことをいう。秘密をつくるとかつくらないとかい う次元の話ではない。 の場所として大切にする。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) 「友を責めるな、行為を責めよ」。イギリスの格言だが、たとえばどこかでタバコを吸ったとす る。そういうときは、タバコは体に悪いとか、タバコを吸うことは悪いことだと言っても、決して相 手の子どもを責めてはいけない。名前を出すのもいけない。この段階で、たとえば「D君は悪い 子だから、つきあってはダメ」などと言うと、それは子どもに、「友を選ぶか、親を選ぶか」の、 二者択一を迫るようなもの。あなたの子どもがあなた(親)を選べばよいが、そうでなければあ なたと子どもの間に大きなキレツを入れることになる。あとは子ども自身が自分で考え、その 「好ましくない友だち」から遠ざかるのを待つ。こういうケースでは、よく親は、「うちの子は悪くな い。相手が悪い」と決めてかかることが多いが、あなたの子どもがその中心格になっていると 考えて対処する。が、それでもうまくいかないときがある。そういうときは、つぎの手を使う。 なたは子どもの前で、相手の子どもをほめる。○○君は、おもしろい子ね。ユーモアがあって、 お母さんは大好きよ」とか。あなたのそういう言葉は必ず相手の子どもに伝わる。その時点で、 相手の子どもは、あなたの期待にこたえようとし、その結果、あなたの子どもをよい方向に導 いてくれる。いうなればあなたはあなたの子どもを通して、相手の子どもを遠隔操作するわけ だが、これは子育ての中でも高等技術に属する。 威圧を加える親もいる。しかし一度こわれた子どもの心は、そんなに簡単にはなおらない。もし そういう状態になったら、今より症状を悪化させないことだけを考えながら、一年単位で子ども の様子をみる。あせって何かをすればするほど、逆効果になるので注意する。(はやし浩司の サイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) の思いやりのある子どもに育てるコツがこれ、「相手を喜ばす」。 れがあるとパパが喜ぶわね」とか、「あとでお姉さんに半分分けてあげてね。お姉さんは喜ぶ わよ」とか言うなど。昔、幼稚園にこんな子ども(年長男児)がいた。見るといつも三輪車にだれ かを乗せ、それをうしろから押していた。そこで私が、「たまにはだれかに押してもらったら?」 と声をかけると、その子どもはこう言った。「先生、ぼくはこのほうが楽しい」と。そういう子ども をやさしい子どもという。 を横取りされても、ニコニコ笑ってそのまま明け渡してしまうなど。むしろこのタイプの子どもほ ど、表情とは裏腹のところでストレスをためやすく、その分、心をゆがめやすい。教える側から 見ると、いわゆる「何を考えているかわからない子」といった感じになる。 つを避ける。(1)闘争心、(2)嫉妬心、(3)不満と不安。攻撃的な闘争心は、子どもの動物的 な本能を刺激する。ばあいによっては、善悪の判断ができなくなり、性格そのものが、凶暴化 することもある。嫉妬心はえてして情緒不安の原因となる。赤ちゃんがえりに見られるように、 本能的な部分で子どもの心をゆがめることもある。またこの時期、不満や不安は、子どもの性 格をゆがめる。攻撃的になったり、反対にものに固着したり執着したりする。さらに神経症や情 緒不安、さらには精神不安の原因になることもある。要するにこの時期は、心静かで穏やかな 環境を大切にする。 のである。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) 「ベッドタイムゲーム」(日本語では、「就眠儀式」)という。このベッドタイムゲームのしつけが悪 いと、子どもはなかなか寝つかなくなるばかりでなく、ばあいによっては情緒そのものが不安定 になることもある。もしあなたの子どもが寝る前になると決まって、ぐずったり(マイナス型)、暴 れたりするようであれば(プラス型)、このしつけの失敗を疑ってみる。 前少なくとも一時間はテレビやゲームなど、はげしい刺激は避ける。(3)ベッドのまわりにぬい ぐるみなどを置いてあげ、心が暖まる雰囲気をつくるなどがある。毎晩本を読んであげるとか、 静かな音楽を聞かせるというのもよい。まずいのは子どもを子ども部屋に閉じ込め、強引に電 気を消してしまうような行為。こうした乱暴な行為が繰り返されると、子どもは眠ることそのもの に恐怖心を抱くようになる。 がわかっている(二〇〇一年・筆者調査)。「どんな夢?」と聞くと、「ワニに追いかけられる夢」 「暗い穴にいる夢」「怪獣の夢」という答が返ってきた。子どもの世界がどこか不安定になって いると考えてよい。 で一〇時間(筆者調査)。子どもが小学生になると、睡眠時間はぐんと短くなるが、それでも最 低九時間半を確保する。睡眠不足が知能の発育に影響を与えるというデータはないが、しかし 睡眠不足が続くと集中力が弱くなる。あるいは突発的に興奮することはあっても、すぐ潮が引く ようにぼんやりとしてしまう。園や学校などでの学習面で影響が出てくる。なお年中児になって も「昼寝グセ」が残っているようなら、その時間ガムをかかせるという方法でなおす。(はやし浩 司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) っとも静かな「時」を迎える。雑念や俗念、不安や心配、さらには恐怖や妄想から解放される。 つまりこの時間、自分の「原点」をそこで見つめることができる。もっと言えば、その人がもっと もその人らしくなる……。 間である、と。言いかえると、考えるかどうかで、その人の「質」が決まる。知識や知恵ではな い。技術や肩書きでもない。反対に考えない人間がどうなるか。その例というわけではないが、 深夜のバラエティ番組に出てくる若者たちを見ればそれがわかる。実に「軽い」。軽すぎて、「こ れが同じ人間か」とさえ思うときがある。自ら考える習慣のない人間は、そうなる。 の時を過ごせるような時間と場所を用意することである。総じてみれば日本人は、集団教育の し過ぎ(……され過ぎ)。一人で静かに考えるという習慣そのものもないし、その価値を認めな い。子どもが机に向かってひとりぼんやりしていたとすると、親や先生は、「何、しているん だ!」と、それを叱る。しかし大切なことは、「自分で考えること」だ。子どもがあれこれ自分で考 える様子を見せたら、そっとしておいてあげる。 間を大切にする。そういう意味でも、静かな目覚めを大切にする。またそのためにも、睡眠時 間はたっぷりととる。まずいのは、「もう起きなさい!」と、まだ眠気まなこの子どもを、床の中 から引きずり出すような行為。子どもが静かにものを考えることができる、せっかくの時間その ものを奪ってしまう。 であってもよいのではないか。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) の自立と、親の自立である。依存心というのは相互的なもので、子どもに依存心をもたせるこ とに無頓着な親は、一方で、自分自身もだれかに依存したいという潜在的な願望をもっている と考えてよい。つまり子どもを自立させたいと思ったら、親もまた自立しなければならない。こん な親(六〇歳女性)がいた。 られてしまいました」と。そしてさらに顔をしかめて、「親なんてさみしいもんですわ」と。その親 は、息子が結婚して、横浜に住んでいることを、「取られた」というのだ。 分にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコール、よい子とし、親に反発する独立心の旺盛 な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。こうした親の意識の背景にあるのが、依存心ということにな る。もう少しわかりやすい言葉でいうなら、「甘え」ということになる。 を生きなさい。たった一度しかない人生だから、思いっきり大空を飛びなさい。親孝行……? そんなこと考えなくてもいい」と、一度は子どもの背中をたたいてあげる。それでこそ親は親とし ての義務を果たしたことになる。もちろんそのあと子どもが自分で考えて、親のめんどうをみる というのであれば、それは子どもの勝手。子どもの問題。 代が、こういう民族性をつくったとも言える。どこかの国に移住しても、すぐ日本人どうしが集ま り、そこにリトル東京(日本人街)をつくったりする。親子関係もそうで、互いに甘え、甘えられる 親子ほど、よい親子と評価する。しかし依存心が強ければ強いほど、その人から「私」を奪う。 しかしこれは、これからの日本人の生き方ではない。少なくとも、こうした生き方は、世界ではも う通用しない。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) 「高価なものを買ってあげたから、子どもとのきずなは強くなった」と考える人がいる。親は子ど もはそれで感謝するだろうと思ってそうする。あるいはそれで子どもの心をつかんだと考える。 しかしこれは誤解。あるいはかえって逆効果。先日も一人の祖母が、孫(小四女児)のため に、数万円もするような服を買ってあげているところがテレビで紹介されていた。レポーター が、「(そんな高価なもの)、いいんですか?」と聞くと、その女性は、「いいんです、いいんです。 かわいい孫のことですから」と言っていた。が、こんな愚かなこと(失礼!)をするから、子ども はドラ息子、ドラ娘になる。金銭感覚そのものがマヒする。たとえ一時的に感謝することはあっ ても、その感謝は決して長続きしない。 子どもの心をつかみたかったら、釣竿を買ってあげるより、子どもと魚釣りに行けという意味だ が、これはまさに子育ての核心をついた格言である。少し前、どこかの自動車のコマーシャル にもあったが、子どもにとって大切なのは、「モノより思い出」。この思い出が親子のきずなを太 くする。 オーストラリア人も、彼らは驚くほど生活は質素である。少し前、オーストラリアへ行ったとき、 友人がくれたみやげは、石にペインティングしたものだった。それには、「友情の一里塚(マイ ル・ストーン)」と書いてあった。日本人がもっているモノ意識と、彼らがもっているモノ意識は、 基本的な部分で違う。そしてそれが親子関係にそのまま反映される。 プレゼントを買い与えているだろうか。ここでちょっとだけ自分の姿を振り返ってみてほしい。 本。この基本なくして、よい教育は望めない。そこで大原則。「子どもの前では、先生の悪口は 言わない」。先生を批判したり、あるいは子どもが先生の悪口を言ったときも、それに相槌(づ ち)を打ってはいけない。打てば打ったで、今度は、「あなたが言った言葉」として、それは先生 の耳に入る。必ず、入る。子どもというのはそういうもので、先生の前では決して隠しごとがで きない。親よりも、園や学校の先生と接している時間のほうが長い。また先生も、この種の会 話には敏感に反応する。 いうことを期待するほうがおかしい。子どもと接する時間が長いというだけで、先生とてこの文 を読んでいるあなたと、どこも違わない。そこでこう考えてみてほしい。もしあなたが教師で、生 徒にこう言われたとする。「あんたの教え方ヘタだって、ママが言っていたよ」と。そのときあな たはそれを笑って無視できるだろうか。中には、「あんたの教え方ヘタだから、今度校長先生 に言って、先生をかえてもらうとママが言っていた」と言う子どもさえいる。あなたは生徒のそう いう言葉に耐えられるだろうか。 いくらでも抜ける。ここが教育のこわいところでもあるが、それを決めるのが、冒頭にあげた 「人間関係」ということになる。実際、やる気を決めるのは、教師自身ではなく、この人間関係で ある。それを一方で破壊しておいて、「よい教育をせよ」はない。が、それだけではすまない。 なる。一度そうなるとそれが悪循環となって、(損とか得とかいう言い方は好きではないが… …)、結局は子ども自身が損をすることになる。仮に先生に問題があるとしても、子どもの耳に 入らないところで、問題を処理する。子どもが先生の悪口を言ったとしても、「あなたが悪いか らでしょ」と言ってのける。これも大原則の一つである。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs. ne.jp/~hhayashi/) いる。しかしこれは誤解。その子どもがまじめかどうかは、その子どもがどれだけ自己規範(自 分で考え、その判断に従って行動すること)を守れるかどうかで決まる。こんな子どもがいた。 てあげようか」と声をかけると、その子はこう言った。「いいです。これから家に帰って、夕ご飯 を食べますから。ジュースを飲んだら、夕ご飯が食べられなくなります」と。こういう子どもをまじ めな子どもという。 そのことを、私は二匹の犬を飼ってみて知った。 犬とする)。もう一匹は、愛犬家のもとで手厚く育てられた犬(これをB犬とする)。この二匹の 犬は、我が家へ来てからずっと、性格は幼犬のときのまま。A犬は、もう一五才にもなるが、忠 誠心も弱く、裏の木戸があいていようものなら、すぐ遊びに出て行ってしまう。だれにでもシッポ を振るから、番犬にはならない。一方B犬のほうは、態度も大きいが、忠誠心も強い。見知ら ぬ人が来たりすると、けたたましくほえる。実のところ人間も犬と同じ。生後まもなくから、親の 手を離れて育った子どもや、育児拒否、家庭騒動、虐待を経験した子どもは、A犬のような性 格をもつ。一方、心穏やかな環境で、親の愛をたっぷりと受けて育ったような子どもは、B犬の ような性格をもつ。これ以上のことは、あれこれ誤解を招くので。ここでは書けないが、子ども をここでいう「まじめな子ども」にしたかったら(当然だが……)、B犬が育ったような環境で、子 どもを育てる。もっと言えば、子どもの側からみて、絶対的な安心感のある家庭で、子どもを育 てる。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。そういう家庭があってはじめて子 どもは、善悪を静かに判断して、それに従って行動できるようになる。(はやし浩司のサイト: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) 仮想現実の世界を母体(マトリックス)と思い込んだ人たち(?)が、本当の母体を知るという映 画だったが、しかしそれは映画の世界だけの話ではない。 は子どもに生きるために必要な知識や経験を、武器として与えることをいう。しかしそれが今、 逆転している。教育のために、子どもを育てるのが、この日本では子育ての基本になってい る。そら進学だ、そら受験だ、と。人間を育てる世界を母体(マトリックス)とするなら、教育の世 界は、いわば仮想現実の世界ということになる。が、ほとんどの親はその仮想現実の世界に ハマりながら、それが仮想現実の世界だとすら気づかないでいる……! こんなことがあっ た。 た。私のところへ来ても、ただひたすらコツコツと勉強をしていたが、そんなわけで学校での成 績は思わしくなかった。で、最初の期末試験が終わったときのこと。K君の母親から電話がか かってきた。いわく、「成績が悪かった。もっと息子をしぼってほしい」と。しかし私はこう言っ た。「K君には、よくがんばったねと言うことはできても、これ以上がんばれとは、私には言えな い」と。すると今度は父親から電話がかかってきて、「うちの息子はどうしても、S高(静岡県で も最難関の進学高校)へ入ってもらわねばならない。S高へ入れてもらえるか」と。そこで私 が、「うちは進学塾ではありません」と言うと、「君はうちの子ではS高は無理と言っているの か。失敬ではないか!」と、怒り出してしまった。 実の世界で子どもを育てていた。本末転倒という言葉があるが、まさにその本末が転倒してい た。 る。一度仮想現実の世界にハマってしまうと、それが現実の世界だと思い込んでしまう。さて、 あなたも一度、あなたの仮想現実の世界を疑ってみたらどうだろうか。 義や完ぺき主義はともかくも、問題は極端主義。子育てはどこか標準的、どこかいいかげん、 どこかふつうという感じが大切。「どこか極端?」と感ずるような子育て法は、効果よりもその弊 害を疑ってみたほうがよい。 いう暗黙の了解がある。自分の正しさを前向きに主張しても、他人のそれは批判しない。しか し、だ。それでもおかしな教育法がある。昔、Tヨットスクールという団体があった。それもその ひとつだが、最近でも、不登校の子どもやそれをもつ親に向かって、「バカヤロー」とか、「おま えら!」とか叫んでなおす(?)という女性が現れた。NHKテレビでも紹介されたというから驚き である(新聞の広告)。私は彼女が書いた本を二冊ほど読んだが、とても読むに耐えない内容 の本だった。感情的というか、感情的すぎるほどの本だった。だいたいにおいて、不登校を 「悪」と決めてかかる発想が、短絡的である。 ようだが、これは一方で、子どもの不登校問題を地道に考え、指導してきた人たちへの冒涜 (ぼうとく)でもある。仮にそれでなおったかのように見えるとしても、さらに大きなキズを子ども の心に残すかも知れない。そのことはあのTヨットスクールですでに証明されたことでもある。 いる人にとっては、魅力的な教育法に見えるかもしれないが、こうした極端な教育法はまず疑 ってみたほうがよい。あるいは近づかないほうがよい。 ない。もしそれがわからなければ、子どもを「あなた」と置き換えてみるとよい。いつも「自分な ら、それを望むだろうか」「自分なら、それができるだろうか」「自分なら、どうなるだろうか」と考 えればよい。それでよい。 (?)だけで、おお泣きする子どもはいくらでもいた。一方、その少しあと、今度は、ミイラ化した 死体を、「生きている」とがんばったカルト教団が現れた。 の「質」は同じとみる。つまり生きていない生き物(?)を死んだと思い込む回路と、死んだ人間 を生きていると思い込む回路は、方向性こそ逆だが、その中身は同じ。子どもも、そしておとな も、ふとしたきっかけで、こうした回路にハマりやすい。 れても、「S方式」と言い出す。「M方式」と言い出したら、あけてもくれても「M方式」と言い出 す。親や子どもではない。教育者自身がそう言い出す。そしてそれを盲信するあまり、ほかの 教育法を徹底的に攻撃する……。次のような症状があれば、教育カルトを疑ってみる。 う。 「私」がどこかへ消える。「この教育法で学んだすばらしい子どもたちの演奏をお聞きください」 と雑誌に書いていた人がいた。「私」というものがあれば、おこがましくて、ここまでは書けな い。 発言が多くなる。「この方式で学んだ子どもたちが、やがてゾロゾロと東大の赤門をくぐることに なるでしょう」と書いている団体が、実際にある。 「考える」ということには、それ自体苦痛がともなう。そこで人は自分の思想を他人に預ける。し かしこれはたいへん危険なことでもある。いつしかとんでもない世界にハマりながら、それにす ら気づかなくなる。それこそミイラ化した死体を見ながら、「生きている」とがんばるようなことも するようになる。 /~hhayashi/) も、家に帰りたがらない子どもがふえている。もっとも子どものばあい、「帰りたくない」とは言わ ない。態度や行動で、それを示す。そこでもしあなたの子どもが、毎日家に帰ってくるのが、不 自然に遅いとか、回り道をしてくるとか、あるいはいつも友だちの家に寄ってくるというのであれ ば、この帰宅拒否を疑ってみる。こんな子ども(年長男児)がいた。 など。で、そのたびに幼稚園中が大騒ぎ。やがて先生が手を焼き、親に迎えにきてほしいとい う手紙を出したが、このケースで、まず疑ってみるべきは、帰宅拒否である。「家に帰りたくな い」という思いが、子どもをしてこうした行動をとらせるようになる。 らみて、息が抜けない、気が休まらないなど。それをまず疑ってみる。親の神経質な過干渉、 過関心が原因となることも多い。ほかに家庭騒動、不和、崩壊などもある。家庭が家庭として 機能していないとみる。 と、意気揚々と帰ってくるだろうか。もしそうならそれでよい。しかしここに書いたように、様子が へんだと感じたら、家庭のあり方をかなり反省したほうがよい。こうした状態が長く続けば続く ほど、子どもの心に深刻な影響を与える。最悪のばあいには、外泊、家出、さらには集団非行 へと進みかねない。 ればならない。またそれができてこそ、「家庭」という。そういう家庭を用意するのは、親の義務 と考えてよい。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) は、「親のうしろ姿」という。こうしたうしろ姿は、親が見せたくなくても、子どもは見てしまうもの だが、しかしそれを子どもに押し売りしてはいけない。よい例が、窪田聡という人が作詞した、 「かあさんの歌」である。「♪かあさんは夜なべをして、手袋編んでくれた……」というあの歌で ある。しかしあの歌ほど、恩着せがましく、お涙ちょうだいの歌はない。そういう歌が、日本の名 曲になっているところに、日本の子育ての問題点が隠されている。ちなみに、歌詞は、三番ま であるが、三、四行目は、かっこつきになっている。つまりその部分は、母からの手紙の引用と いうことになっている。 事。お前もがんばれよ」「♪根雪も溶けりゃ、もうすぐ春だで。畑が待っているよ」と。 たける羽もはばたけなくなってしまう。たとえそうであっても、親が子どもに手紙を書くとしたら、 「村祭りに行ったら、手袋を売っていたから、買って送るよ」「おとうは居間で俳句づくり。新聞に もときどき、載るよ」「春になったら、みんなで温泉に行ってくるからね」である。 着せる。子どもは子どもで、「産んでもらった」とか「育ててもらった」とか言って、恩を着せられ る。そしてそういう関係の中から、日本独特の親意識が生まれ、親孝行論が生まれる。しかし 子どもが親のために犠牲になる姿など、美徳でも何でもない。いわんや親がそれを子どもに求 めたり、期待してはいけない。親は親で、自分の人生を前向きに生きる。そしてそういう姿を見 て、子どもは子どもの人生を前向きに生きる。親子といえども、その関係は、一人の人間対一 人の人間の関係である。一見冷たい人間関係に見えるかもしれないが、一人の人間として互 いに認めあう。それが真の親子関係の基本である。あのイギリスのバートランド・ラッセル(イギ リス・ノーベル文学賞受賞者、哲学者)もこう言っている。「子どもたちに尊敬されると同時に、 子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれども、決して限度を超えないことを知って いる、そんな両親のみが、家族の真の喜びを与えられる」と。(はやし浩司のサイト:http:// www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) たようなとき、あなたのところにやってきて、「見て、見て!」と言うだろうか。もしそうならそれで よし。しかしそういう会話が親子の間から消えているようなら、あなたはあなたの子育てをかな り反省したほうがよい。 活力(自立し、自分で何でもできる)、(3)頭の柔軟さ(頭がやわらかく、臨機応変にものごとに 対処できる)がある。もちろん生まれつきの能力も関係するが、これは遺伝子の問題だから、 教育的にはあまり論じても意味がない。で、こうした三大要素を側面から支えるのが、家庭、な かんずく「親」ということになる。こんな家庭があった。 秘訣をさぐると、それは母親の言葉にあるのがわかった。子どもたちが何か、新しいことがで きるようになるたびに、その母親がそれを心底、喜んでみせるのである。下の子が上の子のお さがりをもらうときもそうだ。母親は下の子に、上の子のおさがりを着させながら、「おお、あん たもお兄ちゃんのが着られるようになったわね」と、喜んでみせていた。こうした家庭のリズム が、子どもたちを伸びやかにしていた。 する。そういう前向きな姿勢が親にあってはじめて、子どもも伸びる。が、そうでない親もいる。 「あんたはダメな子ね」式の言い方をいつもする親である。子どもの表情が暗くなって当然。こ ういう家庭では、子どもは決して、「見て、見て!」とは言わない。「どうせ、ぼくはダメだ」と逃げ てしまう。もしそうなら、今日からでも遅くないから、子どもの成長を喜ぶようにする。たとえテス トの点が悪くても、「去年よりはずっとよくなったわね」などと言う。そういう姿勢が子どもを伸ば す。子どもの表情を明るくする。 くらい自分の子どものことを知るのは難しい。親というのは、どうしても自分の子どもを欲目で 見る。あるいは悪い部分を見ない。「人、その子の悪を知ることなし」(「大学」)というのがそれ だが、こうした親の目は、えてして子どもの本当の姿を見誤る。いろいろなことがあった。 っていたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。ある夜一人の父親が、A君(中一)の 家に怒鳴り込んできた。「お宅の子どものせいで、うちの子が不登校児になってしまった」と。A 君の父親は、「そんなはずはない」とがんばったが、A君は学校でもいじめグループの中心に いた、などなど。こうした例は、本当に多い。子どもの姿を正しくとらえることは難しいが、子ども の学力となると、さらに難しい。たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」と思ってい る。たとえ成績が悪くても、「勉強の量が少なかっただけ」とか「調子が悪かっただけ」と。そう思 いたい気持ちはよくわかるが、しかしそう思ったら、「やってここまで」と思いなおす。子どものば あい、(やる・やらない)も力のうち。子どもを疑えというわけではないが、親の過剰期待ほど、 子どもを苦しめるものはない。そこで子どもの学力は、つぎのようにして判断する。 あれば、あなたの子どもはかなり優秀な子どもとみてよい。しかしいつも何か心配で、不安が つきまとうというのであれば、あなたの子どもは、その程度の子ども(失礼!)とみる。そしても し後者のようであれば、できるだけ子どもの力を認め、それを受け入れる。早ければ早いほど よい。そうでないと、(無理を強いる)→(ますます学力がさがる)の悪循環の中で、子どもの成 績はますますさがる。要するに「あきらめる」ということだが、不思議なことにあきらめると、それ まで見えていなかった子どもの姿が見えるようになる。シェークスピアがいう「賢い父親」という のは、そういう父親をいう。 れに苦しんでいる人は多い。親を前にすると体中が緊張する(三四歳女性)、実家へ帰るのが 苦痛(三〇歳女性)など。しかし世の中には、親をだます子どもがいるが、子どもをだます親も いる。Tさん(七〇歳)がそうだ。Tさんは息子(四五歳)がもっている土地の権利書を言葉巧み に取りあげて、それを他人に転売してしまった。権利関係が複雑な土地だったこともあるが、そ の息子はこう言う。「親でなかったら、刑務所へぶち込んでいるところです」と。が、当のTさんに は、罪の意識がまったくない。間に入った人がそれとなく息子の気持ちを伝えると、Tさんはこう 言った。「親が息子の財産をつかって何が悪い。私が息子たちにかわって、先祖や家を守って やっているのだ」と。 本。「親が上で、子は下」という関係では、そもそも良好な人間関係など育たない。親子はあく までも平等だ。その基本なくして、親孝行はありえない。言いかえると、親は、子どもを「モノ」と か、「所有物」として考えるのではなく、一人の「人間」として認める。すべてはここから始まる。 つまり親は子どもを育てながら、自らも「尊敬される親」にならなければならない。子どもが親を 孝行するかしないかは、あくまでもその「結果」でしかない。さらに言いかえると、子どもが親を 軽蔑し、親孝行を考えなくなったとしても、その責任は子どもにはない。そういう親子関係しか 作れなかった親自身にある。きびしいことを言うようだが、親になるということは、それくらいた いへんなことでもある。 と言ってもよい。そういう親からは、自立した子どもは生まれない。前にも書いたが、依存心と いうのは、あくまでも相互的なものである。そんなわけで子どもを自立させたかったら、親自身 も子どもから自立する。またそうであったほうが、結局は子どもから尊敬される親になる。 て、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともかくも、間に子 どもがいるため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。 育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それに皆が皆、ま ともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある人もいる。さらに は、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、四〇歳前後で、二〇人に一人はい る。このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをいう。そういうま ともでない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことになる。 先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」とか何とか 言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろう。しかしそれでも 頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせは、子どものところに集 まる。しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですから… …」となる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが勝ち。 らないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。すべてではな いことは、実はあなた自身が一番よく知っている。あなたは子どものころ、あなたの親は、あな たのすべてを知っていただろうか。それに相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういっ た苦情が耳に届くということは、よほどのことと考えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝 ち」。これは親同士のつきあいの大鉄則と考えてよい。 ゼになることも、珍しくはない。精神的な打撃によって起こる心的障害のことをノイローゼという が、精神病というほど重くはない。ないが、対処のし方をまちがえると、深刻な結果を招くことが ある。次のような症状が続いたら、育児ノイローゼを疑ってみる。 い、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低下)、(3)精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びな どの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、日常活動への興味の喪失)、(4)睡眠障害(早 朝覚醒に不眠)など。さらにその状態が進むと、(5)風呂に熱湯を入れても、それに気づかな かったり(注意力欠陥障害)、(6)ムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)、(7)ささ いなことで極度の不安状態になる(不安障害)、(8)同じようにささいなことで激怒したり、子ど もを虐待するなど感情のコントロールができなくなる(感情障害)、(9)他人との接触を嫌う(回 避性障害)、(10)過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。(11)また必要以上に 自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。 部分)が変調するため、本人はそういう状態になりながらも、「自分ではふつう」と思い込む。あ るいは他人に「異常」を指摘されたりすると、反対に過度の罪悪感に襲われ、かえって深く落ち 込んでしまうこともある。そこで重要なのが、夫ということになるが、その夫の協力が得られな いことが多い。で、もしここに書いたような症状のうち、いくつかに思い当たることがあれば、 「今の状態はふつうではない」という前提で、自分のまわりを見なおす必要がある。できれば子 育てそのものから離れる。でないと、(こういうことを書くと、ますます症状がひどくなってしまう かもしれないが)、子どもに影響が出てくる。そんなわけで、もし症状がひどいようであれば、一 度、精神科のドクターに相談してみる。 相手の心を、「こうだろう」と思って代弁すると、「君の判断で通訳しないでくれ」と言われる。 が、日本では、甘い。親が子どもの心を決めてしまうことも、珍しくない。 ます」と。しかし肝心の息子は、そ知らぬ顔でプイと遠くを見ている……。 割り込んできて、「おばあちゃんちへ行ったでしょ。ね、そうでしょ」、私、再び子子どもに向かっ て、「楽しかったかな?」、母、再び会話に割り込んできて、「楽しかったでしょ。そうでしょ! ど うしてあんたは自分で楽しかったと言えないの!」と。 ことは私が一番よく知っていると」と思い込む親。「親は何も私のことをわかってくれない」と思う 子ども。いや、子どもが小さいうちは、まだよい。子どもが親に合わせるが、少し大きくなると、 そうはいかない。子「うるさい!」、親「何よ、親に向かって!」となる。 うことは、常に子どもの心を確かめるということ。自分がそう思うからといって、子どももそう思う と考えるのは、まちがい。まったくのまちがい。そういう前提で、子どもの心を確かめる。よくあ るケースは、おけいこごとなど、親が勝手に決めてしまうケース。「来週から、ピアノ教室へ行き ますからね」と。やめるときもそうだ。子どもの心を確かめることもなく、「来月から別の教室へ 行きます。今、行っているところは、今月でおしまい」と。 去ってみると、あっという間のできごとのようになる。子育てはとくにそうで、大きくなった自分の 子どもをみると、乳幼児のころの子どもが本当にあったのかと思うことさえある。もちろん子育 ては苦労の連続。苦労のない子育てはないし、そのときどきにおいては、うんざりすることも多 い。しかしそういう時のほうが、思い出の中であとあと光り輝くから、これまた不思議である。 偽らずに生きよう」と教える高校教師。一方、進学指導中心の学校側。この二つのはざまで一 人の高校生が自殺に追い込まれるという映画である。この「今を生きる」という生き方が、ひょ っとしたら日本人に、一番欠けている生き方ではないのか。ほとんどの親は幼児期は小学校 入学のため、小学校は中学校入学のため、中学や高校は大学入試のため、と考えている。子 どもも、それを受け入れてしまう。こうしたいつも未来のために「今」を犠牲にする生き方は、一 度身につくと、それがその人の一生の生き方になってしまう。社会へ出てからも、先へ進むこと ばかり考えて、今をみない。結果として、人生も終わるときになってはじめて、「私は何をしてき たのだろう」と気がつく。実際、そういう人は多い。英語には『休息を求めて疲れる』という格言 がある。愚かな生き方の代名詞にもなっているような格言だが、やっと楽になったと思ったら、 人生も終わっていた、と。 ものがあるとするなら、それはあとからついてくるもの。地位や肩書きや名誉にしてもそうだ。 まっさきにそれを追い求めたら、生き方が見苦しくなるだけ。子どももしかり。幼児期にはうんと 幼児らしく、少年少女期には、うんと少年や少女らしく生きることのほうが重要。親の立場でい うなら、子どもと「今」という時を、いかに共有するかということ。そのためにも、子育ての「時」は 急がない。今は今で、じっくりと子育てをする。そしてそれが結局は、親子の思い出を深くし、親 子のきずなを深めることになる。 方で同時に、「どうやって手を抜くか」を考える。そのバランスよさが子どもを自立させる。こん なことがあった。 まうようにと指示するのだが、「しまう」という言葉の意味すら理解できない。そこであれこれ手 振り身振りでそれを示すと、D君はそのうちメソメソと泣き出してしまった。多分そうすれば、家 ではだれかが助けてくれるのだろう。が、運の悪いことに、その日はたまたま母親がD君を迎 えにきていた。D君の泣き声を聞くと教室へ飛び込んできて、私にこう言った。「どうしてうちの 子を泣かすのですか!」と。 が、親の愛の証(あかし)と誤解している。しかし親が子どもに手をかければかけるほど、子ど もはひ弱になる。俗にいう「温室育ち」になり、「外に出すとすぐ風邪をひく」。特徴としては、(1) 人格の「核」形成が遅れる。ふつう子どもというのは、その年齢になるとその年齢にふさわしい 「つかみどころ」ができてくる。しかしそのつかみどころがなく、教える側からすると、どういう子 どもなのかわかりにくい。(2)依存心が強くなる。何かにつけて人に頼るようになる。自分で判 断して、自分で行動をとれなくなる。先日も新聞の投書欄で、「就職先がないのは、社会の責 任だ」と書いていた大学生がいた。そういうものの考え方をするようになる。(3)精神的にもろく なる。ちょっとしたことでキズついたり、いじけたり、くじけたりしやすくなる。(4)全体に柔和でや さしく、「いい子」という印象を与えるが、同時に子どもから本来人間がもっているはずの野生 臭が消える。 き、ぼんやりと突っ立っていては、モチは拾えない。生きていくときも、そうだ。そのたくましさ を、どうやって子どもに身につけさせるかも、子育てでは重要なポイントとなる。もしあなたの子 どもが、先のD君のようであるなら、つぎのような格言が役にたつ。 だけはかせて、もう片方は自分ではかせる。あるいは服でも途中まで着させて、あとは子ども に任す、など。 二%の母親が、「子どものことでイライラする」(日本女子社会教育会・平成七年)と答えている が……。ただこういうことは言える。子育てを楽しんでいる親の子どもは、表情が生き生きとし て、明るいということ。そうでない親の子どもは、そうでない。 幼稚だとか、愚かだとか考えてはいけない。子どもは未経験で知識はなく、未熟な面はある が、しかしおとなが考えているよりはるかにその世界は純粋で美しい。人間の「原点」がそこに あると言っても過言ではない。いろいろなことがあった。 を振って走れ!」と号令をかけると、何を思ったかその子どもは、「先生、バイバーイ、先生、バ イバーイ」と言って走り出した。あるいは子どもたち(年長児)に、「春になると木に芽が出てきま す」と話したときのこと。何人かの子どもたちが、「こわい、こわい」と言い出した。「芽」を「目」と 誤解したためだ。子どもといっても、心はおとな。私の子ども観を変えた事件に、こんなことが あった。 た。たまたまその女の子の母親が授業参観に来ていた。何か質問すると、「ハーイ」と言って元 気よく手をあげた。そこで私が少しおおげさにほめて、みんなに手を叩かせた。するとその女 の子はポロポロと涙をこぼし始めた。私はてっきりうれし泣きと思ったが、それにしても合点が いかない。そこで授業が終わったあと、「どうして泣いたの?」と聞くと、その女の子はこう言っ た。「私がほめられたから、ママが喜んでいると思った。ママが喜んでいると思ったら、涙が出 てきちゃった」と。その女の子は、母親の気持ちになって涙をこぼしていたのだ! まるところあなたの姿勢による。あなたも一度、まさに童心に返って、子どもとともにその世界 を楽しんでみたらどうだろうか。子育てもぐんと楽しくなる。そしてそれに合わせてあなたの子ど もの表情も明るくなる。 て、子どもに国語力が育つはずがない。こういうときは、たとえめんどうでも、「あなたはカバン をもちます。ハンカチはもっていますか。もうすぐバスが来ますから、急いでしたくをしなさい。帽 子を忘れないでください」と。こうした会話環境があってはじめて、子どもは国語力を身につけ ることができる。が、こんな方法もある。 生程度の力があったのではないか。紙芝居を渡しても、その場でスラスラと物語をつくってみ せた。そこで母親にその秘訣を聞くと、こう話したくれた。 に連れていったのだが、そのとき母親は、自分の声で吹き込んだ物語のテープを聞かせつづ けたという。物語は、子ども向けのものから、もう少し年齢の大きい子ども向けのものまで、い ろいろあったという。 き込んだカセットテープをその子ども(小一)に、毎晩眠る前に聞かせた。数か月もすると、そ の子どもはその物語をソラで言えるようになったという。 語は何でもよいが、読んで聞かせる目的なら、二〜四年レベルの高いものでも構わない。大き な書店へ行くと、学校の教科書を売っている。そういうところで、いろいろな教科書を手に入れ て読んであげるとよい。値段も安いし、内容もよく吟味されている。また国語に限らず、社会や 理科、あるいは道徳の教科書でもよい。子どもが興味をもっていることなら一番よいが、あまり こだわらなくてもよい。 る。あなたも子どもの前では、正しい日本語で話してみてほしい。 ジュースを四本飲むのに等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを四本は飲めない。飲めば飲ん だで、腹の中がガボガボになってしまう。しかし無頓着な人は、子どもに平気で缶ジュースを一 本与えたりする。ソフトクリームもそうだ。横からみると、子どもの顔よりも大きなソフトクリーム を子どもに与えている人がいる。それがいかに多い量かは、一度あなたの顔よりも大きなソフ トクリームを特別に注文してみればよい。そういうものを一方で子どもに与えておいて、「うちの 子は小食で困ります」は、ない。(ちなみに約半数の親が、子どもの小食で悩んでいる。好き嫌 いがはげしい。食が少ない。ノロノロ食べるなど。) アイスフロートのジュースを飲んでいる子ども(年長児)を見かけたので、にこやかに笑いなが らだったが、「そんなにたくさん飲まないほうがいいよ」と声をかけてしまった。が、それを聞い た母親はこう叫んだ。「いらんこと、言わんでください!」と。いらぬお節介というわけだ。 国は少ない。もっとも味についていえば、アメリカ人のほうが、日本人よりはるかに甘党で、健 康に害があるとかないとかいうことになれば、日本ではそれほど心配しなくてもよいのかもしれ ない。しかし一時的に甘い食品(精製された白砂糖が多い食品)を大量に摂取すると、インスリ ンが大量に分泌され、それが脳間伝達物質であるセロトニンの分泌を促し、脳に変調をきたす ことが知られている。そしてそのため、脳の抑制命令が阻害され、子どもは突発的に興奮しや すくなったりするという。もう二〇年ほど前に、アメリカで問題になったことだが、もしあなたの子 どもが日常的に興奮しやすく、突発的に暴れたり、ヒステリー状態になることが目立つようだっ たら、一度砂糖断ちをしてみるとよい。子どもによっては、たった一週間砂糖断ちしただけで、 別人のように静かになるということはよくある。 は、耳がよい。親の会話などでも、聞いていないようで聞いてしまう。だから子どもの近くでは、 めったな話を軽率にしてはいけないという意味だが、私ははじめてこの格言を知ったとき、別 の意味に考えた。 かかる。たとえば子どもが母親のサイフからお金を盗んで使ったとする。そういうとき親は、そ れが悪いことだと子どもに教えるが、子どもがそれが悪いことだと本当に理解するようになるま でには、しばらく時間がかかる。親があせって早く理解させようとしてもムダ。強く叱ったり怒っ たりすれば、一応しおらしい顔で、反省しているかのような様子を見せることもあるが、わかっ ていてそうしているのではない。こわいからそうしているだけ。叱られじょうずな子どもほど、叱 られ方がうまい。このタイプの子どもは、叱る割には効果はない。親は言うべきことを繰り返し 言いながらも、あとはそれが子どもの脳に届くまで、待つ。ただひたすら待つ。そういう意味で、 『子どもの耳は長い』と。 りしたら負け。子どもが親のリズムに合わせることができない以上、親が子どものリズムに合 わせるしかない。親と子どもは平等ではあっても、決して対等ではない。親は絶対的な「強者」 であるのに対して、子どもは絶対的な「弱者」。強者は弱者に対して、どこまでも謙虚でなけれ ばならない。それに親が絶対的に正義ということも、ありえないのだ。……とまあ、少し難しい 話になってしまったが、要するに、「しょせん相手は子ども」というおおらかさが、子どもを伸ば す。善悪の判断もそれで身につく。まずいのは一方的に、ガンガンと親の価値観を子どもに押 しつけるような行為。子どもは自分で考える力そのものをなくしてしまう。そうなると、子どもはま すます常識ハズレになり、もっと大きな失敗を繰り返すようになる。 のリズムは、よほどのことがない限り、一生つづく! 親もいれば、赤ちゃんのことはまったく気にせず、マイペースで自分の仕事をつづける母親も いる。 れば、赤ちゃんが泣いてからもしばらくミルクをあげない母親もいる。 と言っても、なかなか動かない母親もいる。やめるときも、母親が決め、勝手にやめる母親も いれば、そのつど子どもに「どうするの?」と、子どもの意思を確かめながら行動する母親もい る。 わることはない。ある日一人の母親が私のところにきてこう言った。「先生、うちの子はああい う子でしょ。だから夏休みの間、洋上スクールに入れようと思うのですが、どうでしょうか」と。そ こで私が「本人は行きたがっているのですか」と聞くと、「いえね、それが行きたがらないので困 っているのです」と。 せることができない以上、親が子どものリズムに合わせるしかない。でないと、やがてあなたは 子どもと、こんな会話をするようになる。 母さんが高い月謝を払って、毎週ピアの教室へ連れていってあげたからでしょ!」、子「だれが そんなことしてくれと、いつあんたに頼んだア!」と。 先のこともわからないまま、そのときの気分で親と約束をしてしまうこがある。よくある例が、子 どもが水泳教室へ入りたいというから、親が水泳教室へ入れたようなばあい。やがて子どもは そのハードな練習にいやになり、「行きたくない」と言ったとする。こういうとき親は子どもに、「ち ゃんと約束したから行きなさい」と子どもに、それを強要したりする。あるいは「子どものときか ら、こんないいかげんなことでは、うちの子はダメになる」と思い込んで、さらに無理に無理を重 ね、水泳教室へ通わせたりする。しかし……。 に求めると、子どもからかえって伸びる芽をつんでしまう。ある程度は押しても、それで動かな いときは、親のほうが引く。「そんなに行きたくないなら、いいわ」と。まずいのは、子どもをとこ とん追いつめるような行為。子どもは行き場をなくし、それが原因となって情緒が不安定になっ たり、精神的におかしくなったりする。(反対に粗放化する子どももいる。) す。心を休める。よくあるのが、「そういういいかげんなことで、子どもはいいかげんな人間にな りませんか」という相談。しかし心配は無用。子どものまじめさや、それに対するいいかげんさ は、もっと別のところで決まる。このことについては、ほかで説明するが、それよりも、親の完ぺ き主義のほうが、はるかに弊害が大きい。いいかげんな親か、完ぺき主義の親か、どちらがい いかと聞かれれば、子どもにとっては、いいかげんな親のほうがはるかによい。しかしいいか げんばかりでも困る。だから「子育てはまじめ八割、いいかげんさ二割」。それくらいの割合が よい。 が、子育てはそんな甘いものではない。親は子どもを育てながら、いやおうなしに育てられる。 ある父親は、体の弱い息子(中一)と毎朝近くの湖の周囲をランニングした。また別の母親は、 子どもと毎週図書館通いをした。その父親や、母親はこう言った。「自分のためだけなら、そこ まではしなかった」と。とくにできの悪い子(失礼!)をもった親ほど、子どもに育てられる。子育 てというのはそういうものだが、こんな例もある。 は、「自分の命はどうなってもよいから、息子の命を救ってほしい」と、自分の心の中で祈りつ づけたという。こうしたことはあってはならないことだが、しかし自分の命すらも惜しくないという 深い愛は、人は子どもをもってはじめて知る。 園へ連れてくるような母親は、たしかに若くてきれいだが、どこかツンツンとしていて、中身がな い(失礼!)。バスの運転手さんや炊事室のおばさんにだと、あいさつもしない。しかしそんな親 でも、子育てで苦労をしながら、野を越え、山を越え、そして谷を越えるうちに、しだいに姿勢が 低くなる。人間的な丸みができてくる。 い。むしろ実際には、子どもに教えを請うつもりで、子どもに接するとよい。子どもは未熟だと か、未完成だとか、そういうふうに決めてかかってはいけない。むしろ子どもの世界のほうにこ そ、真理が隠されていることがある。私も自分の子育て論でわからないところがあると、子ども の世界へ入って、そこで考えるようにしている。それだけではない。子どもと接していると、何が 大切で何が大切でないか、それを教えられることがある。あるいは忘れかけていた感動や生き る力を教えられることもある。 てからだが、あなたも一度そういう謙虚な気持ちで、あなたの子どもと接してみてはどうだろう か。 ある。子どもの世界はまさにおとなの社会の縮図。おとなの世界をよくしないで、子どもの世界 だけをよくしようとしても、それはおとなの身勝手。もっと言えば、ムダ。子どもの世界をよくしよ うと考えたら、おとなの世界をよくする。たとえばいじめにしても、非行にしても、おとなたちの世 界にもそれがあるのに、どうして子どもに向かって、それをやめろと言えるのか。子どもしても はじめて読んだカタカナが、「ソープ」であったり「ホテル」であったりする(「クレヨンしんちゃ ん」)。 ら、この世界、何とつまらないものになってしまうことか。善と悪のハバがあるから、この世界は おもしろい。無数のドラマもそこから生まれる。旧約聖書の中にも、こんな説話が残っている。 ノアが、神にこう聞いたときのこと。「神よ、どうして人間を滅ぼそうとしているのか。(滅ぼすくら いなら)、最初から完全な人間をつくればよかった」と。それに対して神は、「(人間に)希望を与 えるため」と。つまり人間は悪いこともするが、一方努力によって、神のような人間にもなれる。 「それが希望だ」と。 〇歳になると、どんどんそういう気持ちは薄れた。薄れて、その反対に、結局は問題の根源は おとなの世界にあることを知った。「犠牲」という言い方はあまり好きではないが、子どもたちこ そ、その犠牲者に過ぎない。我欲と貪欲のウズに巻き込まれ、子どもたちにしっかりとしたビジ ョンを示せない私たちおとなのほうにこそ、その責任がある。たとえば援助交際にしても、子ど もたちにそれをやめろという前に、どうしておとなたちが、おとなに向かって、それをやめろと言 わないのか。あなたの友人や仲間が若い女の子と援助交際していても、みんな、見て見ぬフリ をしている! るか」「自分はどうか」と自問してみる。そしてここが重要だが、自分にできないことは、子ども に求めないこと。期待しないこと。「子どもの世界は社会の縮図」というのは、そういう意味であ る。 は気持ち悪い。ジンマシンのよう。小石の見える川は気持ち悪い。ジンマシンのよう」と。この 詩はあちこちで話題になったが、基本的には、この「状態」は今も続いている。小さな虫を見た だけで、ほとんどの子どもは逃げ回る。落ち葉をゴミと考えている子どもも多い。自然教育が声 高に叫ばれてはいるが、どうもそれが子どもたちの世界までそれが入ってこない。 人間世界と自然を分離して考えることはなかった。人間もあくまでも自然の一部に過ぎなかっ た。が、ベーコン以来、人間は自らを自然と分離した。分離して、「自然は征服されるもの」(ベ ーコン)と考えるようになった。それがイギリスの海洋冒険主義、植民地政策、さらには一七四 〇年に始まった産業革命の原動力となっていった。 「(自然に)抗するものは、容赦なく蹴飛ばされる」(随筆)と書いている。が、戦後、アメリカ型社 会の到来とともに、アメリカに伝わったベーコン流のものの考え方が、日本を支配した。その顕 著な例が、田中角栄氏の「列島改造論」である。日本の自然はどんどん破壊された。埼玉県で は、この四〇年間だけでも、三〇%弱の森林や農地が失われている。 考えるベーコン流のものの考え方の放棄である。もっと言えば、人間も自然の一部でしかない という事実の再認識である。さらにもっと言えば、山の中に道路を一本通すにしても、そこに住 む動物や植物の了解を求めてからする……というのは無理としても、そういう謙虚さをもつこと である。少なくとも森の中の高速道路を走りながら、「ああ、緑は気持ちいいわね。自然を大切 にしましょうね」は、ない。そういう人間の身勝手さは、もう許されない。 約八〇%の子どもが机を、物置にしていることがわかった。いろいろな附属品ついいる棚は、 一時的に子どもの関心を引くことはできても、あくまでも一時的。棚式の机は長く使っていると、 圧迫感が生まれる。その圧迫感が子どもを勉強から遠ざける。あなたも一度、カベに机を向け て置き、その机でしばらく作業をしてみるとよい。圧迫感がどういうものか、理解できる。そんな わけで机は買うとしても、長い目で見て、平机が好ましい。あるいはこの時期、まだ机はいらな い。 りやすい民族。型を決めないと落ちつかない。学習机その延長線上にある。小学校の低学年 児の場合、大半の子どもは、台所のテーブルなど利用して学習している。もしそうであれば、そ れでよい。この時期、あまり勉強を意識する必要はない。「勉強は楽しい」という思いを子ども がもつようにするのが大切。そこであなたの子どもと机の相性テスト。 そのまま机に向かって座って食べればよし。そうでなく、その食べ物を別の場所に移して食べ るようであれば、机との相性はよくないとみる。長く使っていると、それが勉強嫌いの遠因にな ることもある。 んな勉強でも、一〇〜三〇分もすれば疲れてくる。問題はその疲れたときだ。子どもがそのま ま机に向かって休めればよし。そうでないと子どもは机から離れ、そこで勉強が中断する。勉 強というのは、一度中断すると、なかなかもとに戻らない。だから机は休むためにある。が、そ れでもなかなか勉強しないというのであれば、奥の手を使う。 る。たいては台所のテーブルとか、居間のソファだが、そういうところを思いきって勉強部屋に する。あなたの子どもは進んで勉強するようになるかもしれない。 する。 番離れた、一番うしろの窓側の席ということがわかった。子どもというのは無意識のうちにも、 居心地のよい場所を求める。その席からは、入り口と図書室全体が見渡せた。このことから、 子ども部屋について、つぎのようなことに注意するとよい。 い。ドアが背中側にあると、落ち着かない。 あるが、窓の外の景色に気をとられ過ぎるようであれば、窓から机をはずす。 などを用意する。 れが子どもを勉強嫌いにすることもある。 ワフワしたイスは、一見座りごこちがよく見えるが、長く使っているとかえって疲れる。また座る と前に傾斜するイスがあるが、たしかに勉強中は能率があがるかもしれない。しかしそのイス では、休むことができないため、勉強が中断したとき、そのまま子どもは机から離れてしまう。 一度中断した勉強はなかなかもとに戻らない。子どもの学習机は、勉強するためではなく、休 むためにある。それを忘れてはならない。 るようになる。部屋を与えるとしたら、そのころを見計らって用意するとよい。それ以前につい ては、ケースバイケースで考える。 を押しつけることを無理。時間や量を決め、それを押しつけることを強制。無理や強制が日常 化すれば、子どもが勉強嫌いになって当然。さらに……。 〇点ばかりだったのよ」というのを、比較という。この比較は一度クセになると、あらゆる面です るようになるから注意する。勉強嫌いになるだけならまだしも、子どもから「私は私」というもの の考え方をうばう。 る。他人と違ったことをすることができない。あるいは自分と違ったことをする人を、排斥する。 そして幸福感も相対的なもので、「隣の人よりいい生活だから、幸せ」「隣の人より悪い生活だ から、不幸」というような考え方をする。ここでいう「比較」というのは、そういう日本人独特のも のの考え方と深く結びついている。 を一〇〇〇円あげる」など、何かの条件をつけて子どもを釣るのを、条件という。この条件も、 一度クセになると、習慣になるから注意する。が、それだけではすまない。条件が日常化する と、子どもから「勉強は自分のためにするもの」という意識をうばう。そして子どもが小さいうち はまだしも、この条件はやがてエスカレートし、中学生になると、バイク。さらに大学生になる と、自動車となる。そうなればなったで、苦労するのはあたな自身だ。実際、今、親に感謝しな がら高校に通っている高校生はいない。大学生でも少ない。中には、「親がうるさいから大学 へ行ってやる」と豪語する高校生すらいる。そうなる。 ためでしょ」とはねのける。こういう毅然(きぜん)とした態度が、結局は子ども自立させる。 が、それだけに弊害も大きい。 こでは、ほかの訳者と同じように、「人」と訳したが、どうもしっくりこない。「おとな」、あるいは 「人格者」と訳すこともできる。つまりワーズワースがこの詩の中で言わんとしていることは、子 ども時代がその人の原点であるということ。いくらおとなになっても、その子ども時代の美しい 心や純粋な心を忘れてはいけないということ。もっと言えば、人はおとなになるにつれて、知識 や経験はたしかに豊富になるが、ともすればそれと引き換えに、子ども時代に覚えた感動を踏 みにじってしまう。ワーズワースは、そうであってはいけない、と。 してそのつど、ふとどこかで袋小路に入りそうになったとき、この詩を思い出して、自分を取り 戻すようにしている。たしかに子どもは未熟で未経験だが、決して幼稚ではない。自尊心もあ れば、嫉妬心もある。むしろ人はおとなになればなるほど、悪賢く、そして醜くなっていく。その ため失うものも多い。 すばらしいことなのだ。あなたも一度、空の虹を見ながら、童心に返って、「わーっ」と大声をあ げて感動してみたらどうだろう。遠慮することはない。「わーっ」とだ。あなたも子どものころを純 粋さを、心のどこかに感ずるはずだ。 だけを、ただひたすら繰り返した。で、その調査の中でも、最初にしたのが、つぎのような調査 だった。私は静かな住宅団地に住む子どもは静かで、街中の交通のはげしいところに住む子 どもは騒々しいと思っていた。それを証明したくて、調査をした。が、結果はハズレ。住環境と 子どもの静かさ、騒々しさはまったく関係がないことがわかった。静かな環境に住んでいる子ど もでも、騒々しい子どもはいくらでもいた。騒々しい環境に住んでいる子どもでも、静かな子ども はいくらでもいた。 受けない。とくに満四・五歳までの子どもは、あたかも水のように自在に形を変えて、それぞれ の環境に適応していく。むしろ引っ越しなどは、子どもによい影響を与えることが知られてい る。よく「転勤族の子どもは頭がいい」と言うが、それもその一つ。そんなわけで、私は『子ども は水』という格言を考えた。が、子どもは、愛情の変化には、たいへん敏感に反応する。こんな ことがあった。 が投げやりになり、言動が乱暴になるなど。私が経験した中での最年少は、小学一年生のI君 だった。彼は夏休みを境に、ここでいうツッパリ症状が出てきた。そこで母親に聞くと、母親は 「思い当たることはありません」と。そこでさらに調べてみると、こういうことだった。 でき、I君はそこでひとりで寝ることになった。I君はI君なりに、親の愛情が変化を感じたのかも しれない。私がそれを指摘すると、母親は「そんなことで!」と言ったが、もとのようにまた床を 移すと、ツッパリ症状もウソのように消えた。 するにこしたことはない。 たりする。時には大声で歌を歌ったり、笑ったりする。それが子どものふつうの姿と考えてよ い。そういう意味で、『子どもは見るものでは、聞くものではない』という。イギリスの格言であ る。 えば親の神経質な過干渉が日常的につづくと、子どもの心は内閉する。さらに症状が進むと、 精神の発達そのものが阻害され、心が萎縮する。今、幼稚園の年中児でも、皆がドッと笑うよ うなときでも、大声で笑えない子どもが、一〇人のうち、一人二人はいる。 向が強い。少なくとも二、三〇年前までは、そう考えられていた。今でも、そういうふうに思って いる先生や親は多い。しかしそれは世界の常識ではない。たとえば日本では、学校の先生 は、「わかったか?」「では、つぎ!」と授業を進める。しかしアメリカやオーストラリアでは、「君 はどう思う?」「それはいい考えだ」と言って授業を進める。日本では、先生が教えたことをスラ スラとできる子どもを優秀な生徒と考え、アメリカやオーストラリアでは、自分の考えをしっかり ともち、それを発言できる子どもを、優秀な生徒と考える。科目にしても、向こうには「ドラマ(演 劇)」という科目があるくらいだ。さらに日本では子どもを学校へ送り出すとき、「先生の話をしっ かりと聞くのですよ」と言う。しかしアメリカでは(特にユダヤ系の家庭では)、「わからないところ があったら、先生によく質問するのですよ」と言う、などなど。日本で常識になっていることでも、 外国ではそうでないということはいくらでもある。 以前、オーストラリアの幼稚園を訪問したことがあるが、日本の子どもたちとは比較にならない ほど静かだったのには驚いた。サワサワとした風の音すら聞こえていた。「子どもはうるさいも の」と言っても、その内容は国によってかなり違う。 生の学力は、数学については、シンガポール、韓国、台湾、香港についで、第五位。以下、オ ーストラリア、マレーシア、アメリカ、イギリスと続くそうだ。理科については、台湾、シンガポー ルに次いで第三位。以下韓国、オーストラリア、イギリス、香港、アメリカ、マレーシア、と。 は)引き続き国際的にみてトップクラスを維持していると言える」(中日新聞)とコメントを寄せて いる。東京大学大学院教授の苅谷剛彦氏が、「今の改革でだいじょうぶというメッセージを与え るのは問題が残る」と述べていることとは、対照的である。ちなみに、「数学が好き」と答えた割 合は、日本の中学生が最低(四八%)。「理科が好き」と答えた割合は、韓国についでビリ二で あった(韓国五二%、日本五五%)。学校の外で勉強する学外学習も、韓国に次いでビリ二。 一方、その分、前回(九五年)と比べて、テレビやビデオを見る時間が、二・六時間から三・一 時間にふえている。 している。教授が調べた「学力調査の問題例と正答率」によると、つぎのような結果だそうだ。 六年生で、八〇・八%から、六一・七%に低下。分数の割り算は、九〇・七%から六六・五%に 低下。小数の掛け算は、七七・二%から七〇・二%に低下。たしざんと掛け算の混合計算は、 三八・三%から三二・八%に低下。全体として、六八・九%から五七・五%に低下している(同じ 問題で調査)、と。 意見などが交錯しているが、日本の子どもたちの学力が低下していることは、もう疑いようがな い。同じ澤田教授の調査だが、小学六年生についてみると、「算数が嫌い」と答えた子どもが、 二〇〇〇年度に三〇%を超えた(一九七七年は一三%前後)。反対に「算数が好き」と答えた 子どもは、年々低下し、二〇〇〇年度には三五%弱しかいない。原因はいろいろあるのだろう が、「日本の教育がこのままでいい」とは、だれも考えていない。少なくとも、「(日本の教育が) 国際的にみてトップクラスを維持していると言える」というのは、もはや幻想でしかない。(はや し浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) 願いをかなえてあげてください」と。あるいは「学校の先生はB中学でも合格できると言っている のですが、息子はどうしてもC中学のほうがいいと言って私の言うことを聞きません。しかたな いので、C中学にしました」と。さらにこんな例もある。 突発的に泣き叫んだり、暴れたりした。が、母親の悩みはそのことではなかった。ある日私に こう言った。「ああいう子でしょ。中学の面接試験のときだけでも、落ち着いていてくれればいい のですが……」と。 人に子どもの制服を見られると恥ずかしいから」という理由で、毎朝、駅まで子どもを送り迎え していた親がいた。あるいは高校の進学校別懇談会に、やはり「恥ずかしいから」という理由 で、一度も出席しなかった親もいた。不登校児になった子どもを、親戚の叔父に預けてしまっ た親もいた。こうした親の気持ちはわからないわけではないが、しかしこうした卑屈な気持ち は、親子の間に大きなキレツを入れることになる。どう入れるかは別のところで書くとして、「子 どもは飾らない」。ありのままを認めて、ありのままを受け入れる。そして子どもは子どもで、あ りのままの自分を、外の世界に向かって見せることができるようにする。つまりありのままの 「自分」に自信をもたせるようにする。こうした姿勢が、子どもの中に「私は私」という意識を育 てる。また「私は私」と堂々と生きるところから、その人の価値が生まれる。 きれば生きるほど、結局は「私」を犠牲にすることになる。が、これほどつまらない人生はな い。他人から見ても、これほど見苦しい生き方もない。たとえば見栄やメンツにこだわればこだ わるほど、その分、時間をムダにする。世間体を気にすればするほど、結局はその世間から 笑われる。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) さに千差万別。「どこかおかしい」と感じたら、この神経症を疑う。その神経症は、大きくつぎの 三つに分けて考える。 (周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩 む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱してわけのわからないことを言ってグズグズしたり、反 対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもある。 頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発 熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面で の神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号とと らえて警戒する。 に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無 関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出 歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもある。 庭環境である。こんな母親がいた。学校でその子ども(小四男児)の吃音(どもり)が笑われた というのだ。その母親は「教師の指導が悪いからだ」と怒っていたが、その子どもにはほかに、 チックによる症状(目をクルクルさせる)もあった。問題は「笑われた」ということではなく、現に 今、吃音があり、チックがあるということだ。たいていは親の神経質な過干渉が原因で起こる。 なおすべきことがあるとするなら、むしろそちらのほうだ。子どもというのは、仮に園や学校でつ らい思いをしても、(またそういう思いをするから子どもは成長するが)、家庭の中でキズついた 心をいやすことができたら、こうした症状は外には出てこない。 環境をゆるめる。親があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。子どもがひとりでぼんやりと できる時間と場所を大切にする。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) とがある。何かを教えるのではなく、「好きな勉強をしなさい。本読みでも、宿題でもいい」と言っ て、子どもの自由に任せる。(クラスといっても、私のばあいは、一クラス、五〜六名の小さなク ラスだが……。)この方法は、下の子どもが上の子どもの勉強グセを受け継ぐには、たいへん 効果的である。週一回程度でも、数か月もすると、下の子どもは上の子どもを見習って、黙々 と勉強するようになる。実際、私はこの方法で、ツッパリ始めた子どもをなおしたこともあるし、 騒々しくて落ち着かない子どもをなおしたことがある。 り好きの親の子どもは、釣りが好きになる。読書好きの親の子どもは、読書が好きになる。社 交的な親の子どもは社交的になる。しかし押しつけはいけない。親が本を読まないのに、「うち の子はどうして本を読まないでしょう」は、ない。子どもというのはそういうもので、親の考え方 や感じ方をそのまま受け継いでしまう。たとえば今あなたが、「男なんてつまらないもの」とか、 「うちの夫はだらしない」などと思っていると、あなたの娘もそう思うようになる。これは一つのテ ストだが、こんなことをしてみると、親子の密着度を知ることができる。 絵をどこかへ隠し、つぎに子どもに、同じように山、川、木を二本、家、雲、太陽を描かせてみ る。子どもの絵ができあがったら、あなたの絵と見比べてみる。親子の密着度が高い親子ほ ど、実によく似た絵をかく。年長児で三〇組に一組は、ほとんど同じ絵を描く。 を前向きに伸ばす。ただし一言。あなたが努力しても、子どもがそれに乗ってこなければ、それ はそれでおしまい。あのレオナルド・ダ・ビンチもこう言っている。『食欲がない時に食べれば、 健康をそこなうように、意欲をともなわない勉強は、記憶をそこない、また記憶されない』と。何 ごとも無理強いは禁物。子どもというのは、親の期待を一枚ずつ剥ぎ取りながら成長するも の。そういう前提で、子育てを考えること。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~ hhayashi/) でもある。「いつか楽になろう、なろうと思っているうちに、歳をとってしまい、結局は何もできな くなる」という意味である。「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた」と。 所を巡礼をしてみたい、と。そういう話を聞くと、私はすぐこう思う。「ならば、なぜ今、しないの か?」と。 や地位、それに肩書きとは無縁の世界だったが、そんなものにどれほどの意味があるというの か。私たちは生きるために稼ぐ。稼ぐために働く。これが原点だ。だから○○部長の名前で稼 いだ一〇〇万円も、幼稚園の講師で稼いだ一〇〇万円も、一〇〇万円は一〇〇万円。問題 は、そのお金でどう生きるか、だ。サラリーマンの人には悪いが、どうしてそうまで会社という組 織に、義理立てをしなければならないのか。 の時間をつかめない。たとえばそれは子どもの世界を見ればわかる。幼稚園は小学校の入学 のため、小学校は中学校や高校への進学のため、またその先の大学は就職のため……と。 社会へ出てからも、そうだ。子どものときからそういう生活のパターンになっているから、それを 途中で変えることはできない。いつまでたっても「今」をつかめない。つかめないまま、人生を終 わる。 験が終わったら、ひとりで映画を見に行こう」と。しかし実際そのテストが終わると、その気力も 消えてしまった。どこか抑圧された緊張感の中では、「あれをしたい、これをしたい」という願望 が生まれるものだが、それから解放されたとたん、その願望も消える。先の「四国八十八か所 を巡礼してみたい」と言った人には悪いが、退職後本当にそれをしたら、その人はよほど意思 の強い人とみてよい。私の経験では、多分、その人は四国八十八か所めぐりはしないと思う。 退職したとたん、その気力は消えうせる……? う結果は明日になればやってくる。そのためにも、「休息を求めて疲れる」ような生き方だけは してはいけない。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) よばず、逆さ文字、鏡文字など。このとき大切なことは、こまかい指導はしないこと。日本人は とかく「型」にこだわりやすい。トメ、ハネ、ハライがそれだが、今どき毛筆時代の名残をこうま でこだわらねばならない必要はない。……というようなことを書くと、「君は日本語がもつ美しさ を否定するのか」と言う人が必ずいる。あるいは「はじめに書き順などをしっかりと覚えておか ないと、あとからたいへん」と言う人がいる。しかし文字の使命は、自分の意思を相手に伝える こと。「美しい」とか「美しくない」というのは、それは主観の問題でしかない。また、これだけパソ コンが発達してくると、書き順とは何か、そこまで考えてしまう。 びっくりした。スペルはもちろん、文法的におかしなものがいっぱいあった。そこで私がそのクラ スの先生(小三担当)に、「なおさないのですか」と聞くと、その先生はこう言った。「シェークスピ アの時代から正しいスペルなんてものはないのです。音が伝わればいいのです。またルール (文法)をきつく言うと、子どもたちは書く意欲をなくします」と。 い。ちゃんとなおしてほしい」と。しかしこの時期大切なことは、「文字はおもしろい」「文字は楽 しい」という思いを子どもがもつこと。そういう「思い」が、子どもを伸ばす原動力となる。このタイ プの親や祖父母は、エビでタイを釣る前に、そのエビを食べようとするもの。現に今、「作文は 大嫌い」という子どもはいても、「作文は大好き」という子どもは少ない。よく日本のアニメは世 界一というが、その背景に子どもたちの作文嫌いがあるとするなら、喜んでばかりはおれな い。 またそれでじゅうぶん間に合う。そういうおおらかさが子どもを勉強好きにする。(はやし浩司の サイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) したことがない人とみてよい。自分で子育てをしてみると、この考えが消える。「クレヨンしんち ゃん」の中に、こんなシーンがある。 親の顔を見てみたい」と。するとその高校生たちが、しんのすけを見て、こう叫ぶ。「何だ、こい つ。親の顔を見てみたい」※と。みさえがその方向を見ると、しんのすけがチンチン丸出しで歩 いてくる……。 多い。しかし成功したからといって、それはその人の力というよりは、子ども自身の力によると ころが大きい。反対に、失敗したからといって、その人の責任ではない。その人はその人なり に、一生懸命しているのだ。一生懸命しても、あるいは皮肉なことに一生懸命すればするほ ど、子どもだけがどんどんわき道に入ってしまう……。子育てというのは、もともとそういうも の。 い、と。たとえばこんな教授がいた。それまでは受験雑誌などにエッセイを書いていたし、彼の 書いた「受験攻略法」(仮称)は、数一〇万部を超えるベストセラーになった。が、彼の息子のう ち、長男は京大に入ったが、二男は京都のある私立大学に入った。それについてその教授 は、「私は二男を、東大もしくは京大へ入れることができなかった。教育に失敗した」と、「失敗」 という言葉を使って、「受験攻略法」について書くのをやめてしまった。「失敗」という言葉がそう いうふうにも使われることもある。 鉄則がある。「他人の子育てを笑うものは、いつか自分が笑われる」と。たとえばAさんはいつ も、その出身高校でその人を判断していた。「あの親は結構、教育熱心でしたけど、息子さん はC高校ですってねエ」と。しかしいざ自分の娘(中三)が受験となったときのこと。娘にはその 力がなかった。だからAさんは、毎晩のように娘と、「勉強しなさい」「うるさい」の大乱闘を繰り 返すことになった。こうした例はあなたのまわりにも、一つや二つは必ずあるはずだ。だから繰 り返す。他人の子育てには謙虚であること。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~ hhayashi/) 自分の受験期にいやな思いをした人ほどそうで、記憶というのは、そういうもの。親は子育てを しながら、自分の過去を再現する。 ぶつけてもいけない。今はそういう時代ではない。むしろ受験そのものがもつ弊害というか、子 どもの心への悪影響のほうが問題にされ始めている。親子関係そのものを破壊することも多 い。しかし親子関係を犠牲にするほどの価値が受験にあるかというと、それは疑わしい。日本 人が「何が本当に大切で、何が大切でないか」ということを、少しずつだが考え始めている。そ の一つの表れとして、一九九九年に文部省がした調査では、「もっとも大切にすべきもの」とし て、約四〇%が「家族」をあげた。さらに一九九五年ごろを境として、全国の塾数、塾の講師数 ともに減少に転じている(通産省資料)。長引く不況と少子化が原因だが、それ以上に、「エリ ートの凋落(ちょうらく)」が大きな影を落としている。Y証券会社という日本を代表するような証 券会社が倒産したとき、そのときの社長が、「みんな、私が悪いんです」と、子どものように泣い てみせた。そう、あのとき日本のエリート神話が崩壊した! 一方、この日本には不公平格差が歴然としてある。そのコースに入った人は、必要以上に得 をし、そうでない人は、公的な保護をまったくといってよいほど受けない。こうした不公平感を親 たちは日常的に感じているから、ついつい子どもには「勉強しなさい」と言ってしまう。しかしこ の時点でも、おかしいのは社会であって、子どもではない。戦うべき相手は社会であって、子ど もではない。 る。自分が受けた子育てを繰り返すといってもよい。しかしそれがよいものであれば問題はな いが、そうでないものだったら、再現しないほうがよい。いや、本当の問題はこのことではな い。本当の問題は再現しているということにすら気づかないまま、自分の中の「過去」に振りま わされることだ。そしていつも同じような失敗を繰り返す。あなたもそういう視点で、一度あなた の心の中をのぞいてみてほしい。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) ここでいう「さえ」というのは、子どものひらめきや直感力、洞察力を言うが、頭のやわらかい子 どもは、さえが鋭く、しかも頻繁に現れる。 一人の子ども(年長児)が、すかさずこう言った。「わかった、だからカラスは黒いんだ」と。こう いうのをさえという。学習に限らない。遊びにしても、「ああすればいい」とか、「こうすればいい」 とか、つぎつぎとアイディアを出してくる。こういうさえを見せたら、おとなの立場で意見を加えた りしながらも、そのさえを伸ばすようにする。「それはおもしおろいね」「そればすばらしい考え だ」とかなど。こんな子ども(四歳男児)もいた。 でその子どもはすっかり気をよくしてしまい、それ以来、集金の客がきてもスリッパを出したり、 お茶を出したりするようになったという。「うちの子はよく気が回るのです」と母親は笑っていた が、「よく気が回る」というのも、ここでいうさえと考えてよい。 考えようとする。いわゆる融通のきかない子どもといった感じになる。決められたことや、言わ れたことはきちんとするものの、それ以外のことはしようとしないなど。そしてひとりにしておく と、「退屈だ」「つまらない」と言い出す。 お金をかけろということではない。木の葉をかんで、味を調べさせたり、石を拾ってきてペイン ティングしてみるなど。おもちゃのトラックにお寿司を並べた母親がいたが、それでもよい。子ど もの側から見て、子どもの頭の中でかたまりつつある常識をいつも破るようにする。(はやし浩 司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。 わかりやすい。そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)である(アメ リカ小児栄養学・ヒューパワーズ博士)。つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を 大量に摂取すると、インスリンが大量に分泌され、そのインスリンが脳間伝達物質であるセロト ニンの大量分泌をうながし、それが脳の抑制命令を阻害する、と。 のを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、子どもの 必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約一〇〜一五グラム。この量は イチゴジャム大さじ一杯分程度。もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶 暴になったり、あるいはキーキーと声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すよう なら、一度、カルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、砂糖は白い麻薬と考 え、砂糖断ちをしてみるとよい。子どもによっては一週間程度でみちがえるほど静かに落ち着 く。 ると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出してしまう。と言っ ても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。たとえば、ハム、ソーセージ(弾力性 を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けても流れ ず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせず、歯 ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味をおだや かにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水によく溶 けるようにするため)など(以上、川島四郎氏)。かなり本腰を入れて対処する。 出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということは、不必要 なことである」と。つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を 加えた食品(ジャンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジャ ンクフードは)疲労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコール処理不 能、アレルギーなどの原因になっている」とも。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~ hhayashi/) り、笑ったりする。「静」のときは、子どもたちが一転して静かに、黙々と作業をする。そういう授 業をよい授業という。またそういう指導ができる教師を、すぐれた教師という。が、そうでない授 業はそうでない。そうでない教師はそうでない。「動」と「静」の区別がつかないばかりか、いつも ダラダラと時間だけが過ぎていくといった感じになる。 教師にとってもかなりたいへんなことで、それだけの準備と労力が必要である。実際、小学校 の低学年児を相手に、真剣に授業をしたら若い教師でもヘトヘトになる。子どもたちのもつエネ ルギーは想像以上のものだし、もともと教育というのは、そういうもの。 育園や幼稚園を選ぶときにも応用できる。私はこういう評論活動をしているため、よく「どこの 幼稚園がいいですか」と聞かれる。立場上、名前を出すことはできないが、一つの目安はあ る。つぎのような点を見ると、よい保育園や幼稚園を選ぶことができる。 ことをすればよいとみる。家庭でする勉強というのは、しょせんそういうもの。小学一年生や二 年生が、家へ帰ってから、一時間も二時間も、黙々と漢字の書き取りをするほうがおかしい。 もしそうなら、心の病気を疑ってみたほうがよい。 らにその症状が進むと、(1)フリ勉、(2)時間つぶしがうまくなる。フリ勉というのは、いかにも 勉強していますという様子だけを見せる勉強法をいう。が、その実、何もしていない。たとえば 一時間で、計算問題を数問解くだけ、あるいは英文を数行書くだけなど。つぎに時間つぶし。 つめをほじったり、鉛筆をかんだりして、時間ばかりムダにする。先生や親の視線を感ずると、 そのときだけ、いそいそと本のページをめくってみせたりする。 よい。……というより、一度、こういう症状(これを「空回り」という)が身につくと、それをなおす のは容易ではない。たいてい(親が叱る)→(ますますフリ勉、時間つぶしがうまくなる)の悪循 環の中で、子どもは勉強から遠ざかっていく。 が、子どもの勉強としては望ましい。実際、勉強ができる子どもというのは、そういう勉強のし 方をする。私が今知っている子どもに、K君(小四男児)という子どもがいる。彼は中学一年レ ベルの数学の問題を、自分の解き方で解いてしまう。そのK君だが、「家ではほとんど勉強しな い」(母親)とのこと。「学校の宿題も、朝、学校へ行ってからしているようです」とも。 間が四三%、一時間から一時間三〇分が三一%だそうだ(静岡県出版文化会発行「ファミリ ス」県内一〇〇名について調査・二〇〇一年)。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/ ~hhayashi/) 今、あなたは子どもに、幸せな家庭というものがどういうものか、夫婦とはどういうものか、親子 とはどういうものかを見せておく。見せるだけでは足りない。子どもの体にしみこませておく。そ ういう「しみこみ」があってはじめて、子どもが自分で家庭をもったとき、自然な形で、幸せな家 庭を築くことができる。「幸せにするのが最高の教育」(イギリスの教育格言)というのはそうい う意味。 が必要である。たとえば一般論として人工飼育された動物は、自分では子育てができない。子 育ての情報が脳にインプットされていないからである。人間の子どももしかり。不幸にして不幸 な家庭に育った人ほど、「幸せな家庭を築こう」「理想的な親になろう」という気負いが強く、か えって幸せな家庭づくりに失敗しやすい。ただ人間がほかの動物と違うところは、仮に不幸な 家庭に育っても、親類や近所の家庭をのぞくことによって、自分の中に別の家庭像、親像をつ くることができるということ。だから自分の過去が不幸だったからといって、絶望的になることは ない。問題は、不幸な家庭に育ったということではなく、そういう自分自身の心のキズに気づか ないまま、それに振り回されること。そしていつまでも同じ失敗を繰り返すことである。たとえば 子どもに暴力を振るう親というのは、自分自身も親に暴力を振るわれた経験をもっていること が多い。それを世代伝播(でんぱ)というが、そういう形で繰り返す。もしあなたにそういう面が あるなら、自分自身の過去はどうだったかと、静かに自分をみつめてみる。それでよい。この 問題だけは、自分の中の心のキズに気づくだけでよい。時間はかかるが、それでなおる。 ことでもない。「幸せな家庭」というのは、家族が理解しあい、いたわりあい、信じあい、励まし あい、なぐさめあい、助けあい、守りあい、教えあう家庭をいう。そういう家庭で子どもを包む。 それが「最高の教育」と。 歳になった息子が、そっと体を私の腰にすりよせてきました。小さいながらもペニスが固くなっ ているのがわかりました。やめさせたかったのですが、そうすれば息子のプライドをキズつける ように感じたので、そのまま黙ってウソ寝をしていました。こういうとき、どう対処したらいいので しょうか」(三二歳母親)と。 ろなものを入れて快感を覚える。(2)肛門期……排便、排尿の快感がきっかけとなって肛門に 興味を示したり、そこをいじったりする。(3)男根期……満四歳くらいから、性器に特別の関心 をもつようになる。 ス(生理的ひずみ)を疑ってみる。子どもはストレスを解消するために、何らかの代わりの行為 をする。これを代償行為という。指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、体ゆすり、手洗いグセなど。自 慰もその一つと考える。つまりこういう行為が日常的に見られたら、子どもの周辺にそのストレ スの原因(ストレッサー)となっているものがないかをさぐってみる。ふつう何らかの情緒不安症 状(ふさぎ込み、ぐずぐず、イライラ、気分のムラ、気難しい、興奮、衝動行為、暴力、暴言)を ともなうことが多い。そのため頭ごなしの禁止命令は意味がないだけではなく、かえって症状を 悪化させることもあるので注意する。 の情緒を調整しようとする。反対にこのスキンシップが不足すると、情緒が不安定になり、情緒 障害や精神不安の遠因となることもある。子どもが理由もなくぐずったり、訳のわからないこと を言って、親をてこずらせるようなときは、そっと子どもを抱いてみるとよい。最初は抵抗するそ ぶりを見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。 ラッと受け流すようにする。罪悪感をもたせないようにするのがコツ。 ても、そこにとまどいが生まれ、そのとまどいが、子どもの異性観や性意識をゆがめることが ある。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) チェーンの「マクドナルド」の創始者と言えば、だれでも知っている。が、当のマクドナルド氏自 身は、早い時期にレストランの権利を別の人物に売り渡している。それについて生前、テレビ のレポーターが、「損をしたと思いませんか」と聞いたときのこと。マクドナルド氏はこう答えてい る。「もしあのまま会社に残っていたら、今ごろはニューヨークのオフィスで、弁護士や会計士に 囲まれてつまらない生活をしていることでしょう。(こういう農場でのんびり暮らしている)今のほ うが、ずっと幸せです」と。 たことがある。とくに二男は助かったのが奇跡としか言いようがない。そんなこともあって、私は 二男に何か問題があるたびに、「こいつは生きていてくれるだけでいい」と思いなおすことで、 それらの問題を乗り越えることができた。生きることを原点にしてものを考えるということは、そ ういうことをいう。 方だが、アメリカやオーストラリアでは珍しくない。私の友人のピーター君も、宝石加工会社を おこし、四〇数歳の若さで「輸出高ナンバーワン」で、オーストラリア政府から表彰されている。 しかしそののちまもなく権利を売り渡し、今はシドニー郊外で悠悠自適の隠居生活を楽しんで いる。ほかにもこういう例は多い。よく知られた人物としては、ジェームズ・ルービン報道官がい る。彼は妻の出産を理由に、ホワイトハウスの報道官を退任。今はロンドン郊外で「主夫業」 (報道)をしている。 ば、ちょうどその反対のことで、彼らもまた同じように、「あれっ」と思うもの。アメリカ人やオース トラリア人にしてみれば、日本人の生き方のほうが奇異に見えることだって多い。……いや、だ からといって日本人の生き方がまちがっているというのではない。日本人は日本人で、今、精 一杯がんばっている。こういう生き方しかできないといえば、それはし方ないことだ。しかし心の 基本が、どこにあるかで生き方そのものも変わってくる。ものの考え方も変わってくる。もちろ ん子育てのし方も変わってくる。仕事は大切だ。名誉も地位も肩書きも大切だ。しかしそれは 決して世界の常識ではない。世界の常識は、もう少し違った位置にある。 る。個人について言えば、結局は自分の人生をムダにすることになる。 (五、六年生くらい)がいた。それに対して、アフリカ人の留学生が、「君たちの肌は黄色いでは ないか」とたたみかけると、その小学生はさらに、こう叫んだ。「黄色ではない。肌色だ!」と(二 〇〇〇年)。 思っている小学生は一人もいないことがわかった(二〇〇一年、小学生約二〇人について調 査)。「欧米人とアジア人の中間」「欧米人に近いアジア人」、あるいは中には「ぼくたちは欧米 人」と答えた子どももいた。 が消える……らしい。また、そういう教育をしていない。三〇年前のことだが、私がオーストラリ アという国から日本を見ても、日本人の目は欧米には向いていたが、アジアにはまったくといっ てよいほど向いていなかった。そういう日本人をさして、「黄色い白人」というニックネームすら つけられたが、日本人はそれをむしろ「誇り」に思ったようなところがある。(実際には、日本人 はバカにされたのだが……。) 日本史を東洋史と切り離してしまったところにある。しかしこれは世界の常識ではない。たとえ ばフランスの大学では、日本語学部や日本語学科は、朝鮮学部や朝鮮語学科の中に組み入 れられている。また欧米の大学では東洋学部というときは、中国研究を意味し、日本学科はそ の一部でしかない。……いや、こう書くと、「君は日本人としての誇りを捨てるのか」という人が 必ずといってよいほど現れる。しかし私は何も日本人を否定しているのではない。日本人はア ジア人であり、その先では人間だ。日本人が人間であるとか、アジア人であると言ったところ で、日本人を否定したことにはならない。むしろ短絡的な民族主義は、えてして国粋主義に姿 を変える。それがこわい。「日本人はすばらしい」と思うのはその人の勝手だが、だからといっ て、その返す刀で、「他の民族は劣っている」と考えるのは、まちがいだということ。 見なければならない。でないと、結局は、日本はいつまでたっても東洋の島国から抜け出るこ とができないままになってしまう。私はそれを心配する。(はやし浩司のサイト:http://www2. wbs.ne.jp/~hhayashi/) が、まさにその通り。子どもを叱ったら、必ずほめて仕上げる。「ほら、あなたもちゃんとできる でしょ」と。決して叱りっぱなしにしてはいけない。これは子育ての大原則。……と言っても、実 際にその場になると難しいので、頭の中で格言として、この言葉を何度も繰り返しておくとよ い。「叱ったら、ほめる」と。 叱れば叱るほど、子どもの耳は閉じる。つまり叱っても意味がないということ。 目線まで自分の目線を落とす。 を両側からはさみ、肩をしっかりと固定する。そして叱るときは、子どもの目をしっかりと見つ め、視線をはずさないようにする。 繰り返す。 なったら、ほめて仕上げる。 告は秘かに、賞賛はおおやけに』と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少し おおげさにほめる。そのとき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあと は繰り返しほめる。 スタイルについては、ほめないほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見て くれや、かっこうばかりを気にするようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女 子中学生がいた。また「頭」については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重に する。頭をほめすぎて、子どもがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。(はやし浩司の サイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) 「甘える」という行為である。一般論として、濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受 けた子どもほど、甘え方が自然である。「自然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい 柔和な表情で、人に甘える。甘えることができる。心を開いているから、やさしくしてあげると、 そのやさしさがそのまま子どもの心の中に染み込んでいくのがわかる。 拒否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、他人に心を許さない。許さない分だけ、人 に甘えない。一見、自立心が旺盛に見えるが、心は冷たい。他人が悲しんだり、苦しんでいる のを見ても、反応が鈍い。感受性そのものが乏しくなる。ものの考え方が、全体にひねくれる。 私「今日はいい天気だね」、子「いい天気ではない」、私「どうして?」、子「あそこに雲がある」、 私「雲があっても、いい天気だよ」、子「雲があるから、いい天気ではない」と。 もいるというのだ。「全国各地の保育士が、預かった〇歳児を抱っこする際、以前はほとんど 感じなかった『拒否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、四分の一に及ぶことが、『臨 床育児・保育研究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明した」(中日新聞)と。 三%いたのをはじめ、「拒否、抵抗する」「体を動かし、落ちつかない」などの反応が二割前後 見られ、調査した六項目の平均で二五%に達したという。また保育士らの実感として、「体が固 い」「抱いてもフィットしない」などの違和感も、平均で二〇%の赤ちゃんから報告されたという。 さらにこうした傾向の強い赤ちゃんをもつ母親から聞き取り調査をしたところ、「育児から解放 されたい」「抱っこがつらい」「どうして泣くのか不安」などの意識が強いことがわかったという。 また抱かれない子どもを調べたところ、その母親が、この数年、流行している「抱っこバンド」を 使っているケースが、東京都内ではとくに目立ったという。 〜三割はいると実感してきたが、(抱かれない子どもがふえたのは)、新生児のスキンシップ不 足や、首も座らない赤ちゃんに抱っこバンドを使うことに原因があるのでは」と話している。 かし私はその話を聞いたとき、「ではなぜ、今しないのか?」と思った。 「死に顔でその人の生涯が決まる」と教えている日本最大の宗教教団すらある。しかし大切な のは、結果ではなく、「今」だ。が、それだけではない。こうした結果を大切にする考え方は、日 本人の生き方そのものにも大きな影響を与えている。その一つが、「未来」のためにいつも 「今」を犠牲にするという生き方。たとえば幼稚園は小学校入学のため、小学校は中学校や高 校の入学のため、さらに高校は大学入試のため、大学は就職するためと考える親は多い。そ う考えるのは親の勝手だとしても、子どももまた、そういう生き方を身につけてしまう。そしてい つまでたっても「今」がつかめなくなる。しかしそれは愚かな生き方そのもの。イギリスには、 『休息を求めて疲れる』という格言がある。「いつか楽になろうなろうと思ってがんばっているう ちに、疲れてしまい何もできなくなる」という意味である。 一生つづくと言ってもよい。その一例として、休暇の過ごし方がある。たとえば今、一〇日間の 休暇が与えられたとする。そういうとき欧米の人なら、その「時」をそのまま楽しむ。……楽しむ ことができる。しかし日本人は、休暇中は今度は、休暇が終わってからの仕事を考える。子ど ももそうだ。子どもが学校から三日間の休日を与えられたとする。そして子どもが家でブラブラ していたとする。すると親はそれを見て不安に思ったりする。「こんなことでいいの!」と。つまり 日本人は休みを休みとして楽しむことすらできない。別の友人はこう言った。「一〇日も休みを もらっても、過ごし方がわらない」と。こうした生き方は、よく「仕事中毒」という言葉で説明され るが、そんな簡単なことではない。根は深い。 ら帰ったあとの老後の話ばかりすると思う。それはちょうど試験週間の学生のようなものだ。試 験中というのは、ほとんどの学生は「試験が終わったら映画を見にいこう」とか、「旅行しよう」と か考えるが、いざ試験が終わると、何もしたくなくなる。あなたにもそういう経験があると思う が、抑圧された環境の中では夢だけがひとり歩きする。しかしその抑圧から解放されると、同 時に夢も消える。いや、その前に健康がそれまで続くかどうかさえわからない。命だってあぶな い。そんなあやふやな「未来」に夢を託してはいけない。夢があるなら、条件をつけないで、 「今」始めることだ。繰り返すが、結果は必ずあとからついてくる。 の過関心、とくに神経質な過関心は、子どもの心をつぶす。 のものがやりにくく感ずることがある。「強い」というより、「刺すような」視線である。それがピリ ピリと伝わってくる。そこでそれとなくその親の方をみるのだが、表情を見る限り、とくに緊張し ている様子はない。柔和な笑顔を浮かべていることさえある。しかし視線だけが、異常に強い ……! る。(反対に粗放化する子どももいる。このタイプの子どもは、親の過関心をはね返した子ども とみる。)子どもらしいハツラツとした表情が消え、顔もどんよりと曇ってくる。また自分で考えて 行動することができなくなるため、外の世界では、常識ハズレな行動をしやすい。バスの窓か ら体を乗り出してみせた子ども(小四男児)や、先生のコップに、殺虫剤を入れた子ども(中一 男子)がいた。が、そういう事件を起こしても、親にはその自覚がない。ないばかりか、かえって 子どもを激しく叱ったりする。この悪循環が、子どもをますます悪い方向に追い込む。 こっそり調べたりする。子ども部屋に監視カメラをつけている親だっている。こうした親は、口で は「私は子どもを愛しています」と言うが、その実、子どもを愛していない。自分の心のすき間を 埋めるために、子どもを利用しているだけ(失礼!)。さらにその原因は何かと言えば、子ども を信じられないという不信感がある。「うちの子は何をしても心配だ」という思いが転じて、過関 心になる。もちろん親自身の情緒的欠陥が原因となることもある。このタイプの親は、うつ型タ イプの人が多く、一度こまかいことを気にし始めると、そのことばかり気にするようになる。そし てささいなことを問題にしては、おおげさに騒ぐ……。 一度思い切って、子どものことは忘れ、子育てそのものから離れてみる。方法はいくらでもあ る。サークルでも、ボランティアでも何でもすればよい。自分のまわりに、子育てとは関係のな い世界をもつ。そしてその結果として、子育てそのものから遠ざかる。(はやし浩司のサイト: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) (母体)。それが今、逆転している。仕事が生きることより優先され、仕事のために生きている 人はいくらでもいる。たとえば休暇。 ったら、休みなったで、今度は仕事のことばかり考える。よく日本人は休暇のすごし方を知らな いと言われるが、その理由の一つはこんなところにもある。子どもの教育とて例外ではない。 土日が休みになって、子どもが家でゴロゴロと横になって休んでいたとする。そういうとき親は、 「勉強はしなくていいの?」とか、「もうすぐテストでしょ」とか言って、子どもを追い立てる。 にハマると、本来大切でないものまで大切と思い込むようになる。学歴だの出世だの、地位だ の肩書きだの、そんなことばかりを気にするようになる。それだけならまだしも、その一方で、 本来大切にすべきものを、粗末にするようになる。よい例が、単身赴任だ。昔、私のオーストラ リアの友人たちがこう言った。「家族がバラバラにされて何が仕事か!」と。 本分を忘れると、自分の人生そのものまで犠牲にすることになる。やっと楽になったと思った ら、人生も終わっていた……、と。 いからだ。教育に目的があるとするなら、私たちの知識や経験を武器として、子どもに与えるこ とだ。つまりそれが教育のマトリックス(母体)。たしかにこの日本には学歴社会があり、それに まつわる受験競争もある。しかし何のために子どもを教育するのかという本分は忘れてはいけ ない。これを忘れると、子ども自身もまた、いつまでたっても自分の人生をつかめなくなる。い や、その前に、あなたと子どもの関係は、まちがいなく断絶する。 んがえりをマイナス型とするなら、下の子をいじめたり、下の子に乱暴するのをプラス型という ことができる。)本能的な嫉妬心が原因だが、本能の部分で行動するため、叱ったり説教して も意味がない。叱れば叱るほど、子どもをますます悪い方向においやるので、注意する。 して上の子は不満なのでしょうか」と言う。親にしてみれば、フィフティフィフティ(50%50%)だ から文句はないということになるが、上の子どもにしてみれば、その「五〇%」というのが不満 なのだ。つまり下の子どもが生まれるまでは、一〇〇%だった親の愛情が、五〇%に減ったこ とが問題なのだ。もっとわかりやすく言えば、子どもにとって愛情の問題というのは、「量」では なく「落差」。それがわからなければ、あなたの夫(妻)が愛人をつくったことを考えてみればよ い。あなたの夫が愛人をつくり、あなたに「おまえも愛人も平等に愛している」とあなたに言った としたら、あなたはそれに納得するだろうか。 上の子教育を始める。わかりやすく言えば、上の子どもに、下の子どもが生まれてくるのを楽 しみにさせるような雰囲気づくりをする。「もうすぐあなたの弟(妹)が生まれてくるわね」「あなた の新しい友だちよ」「いっしょに遊べるからいいね」と。まずいのはいきなり下の子どもが生まれ たというような印象を、上の子どもに与えること。そういう状態になると、子どもの心はゆがむ。 ふつう、子ども(幼児)のばあい、嫉妬心と闘争心はいじらないほうがよい。 ば、以前と同じように、もう一度一〇〇%近い愛情を与えつつ、少しずつ、愛情を減らしていく。 (2)症状がそれほどひどくないよなら、フィフティフィフティ(五〇%五〇%)を貫き、そのつど、 上の子どもに納得させるのどちらかの方法をとる。あとはカルシウム、マグネシウムの多い食 生活にこころがける。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) らもっていた原始的な感情ではないか。この二つをいじると、子どもの心はゆがむ。とくに嫉妬 心は、人間をして、えてして常識ハズレの行動へとかりたてる。 ろいろなケースがある。K子さん(小四)は、学校で、陰湿なもの隠しに苦しんでした。かばんや 上履きなどは言うにおよばず、教科書やノート、運動着さらには通知表まで隠された。そのた めK子さんと母親は、転校まで考えていた。が、ひょんなことから、その犯人(こういう言い方は 好きではないが……)がわかった。そのもの隠しをしていたのは、そのK子さんの一番の親友 と思われていた子どもだった。その子どもは、いつもK子さんの心配をしながら、最後の最後ま でいっしょになくなったものをさがしてくれていたという。 隠しをしていた子どもは、背も低く、器量も悪かった。そんなところにその子どもが嫉妬する理 由があったのかもしれない。 ので、私はその母親にこう聞いた。「Oさんの一番そばにして、親友と思われる子どもはだれで すか?」と。する母親はこう言った。「そう言えば、毎朝、娘を迎えにきてくれる子がいます」と。 私はその子どもをまず疑ってみるべきだと話したあと、母親にこう言った。「明日その子が迎え にきたら、その子の目をしっかりと見て、『おばさんは何でも知っていますからね』とだけ言いな さい」と。その母親は翌日、私が言ったとおりにしたが、その日を境に、Oさんのまわりでのもの 隠しは、ピタリとなくなった。 る。幼児期は「静かな心」づくりを大切にする。この時期に一度、攻撃的な闘争心(興奮状態に なって、見境なく相手を暴力で攻撃するという闘争心)が身につくと、それをなおすのは容易で はない。スポーツの世界では、こうした闘争心がもてはやされることもある。たとえばサッカーな どでも、能力というよりも、攻撃心の強い子どもほど、よい成績をあげたりする。ある程度の攻 撃心は、子どもを伸ばすのに必要だが、幼児期にはそれにも限度があるのでは……? もっ ともこれ以上のことは、親自身の判断と方針に任せるしかない。それがよいと思う人は、そうす ればよいし、それが悪いと思う人は、やめればよい。あくまでも参考意見の一つと考えてほし い。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) どもに出会ったとき、「この子の心の問題がなおるには、数年かかるだろうな」と思ったとする。 で、それなりの対処をしているのだが、数か月もたたないうちに、「なおった?」ような状態にな ることがある。たとえばF君(年中児・五歳)がそうだった。最初母親も、「三歳のとき、病院で自 閉症と診断されました」と話していた。(たしかに自閉傾向はあったが、私がみたところ自閉症 ではなかった。母親が聞きまちがえたのだろうとそのときはそう思った。)自分勝手な行動が目 立ち、私の言うことなどほとんど聞かなかった。が、指導を始めて数か月後のこと。ふと気づく と、F君が別人のようにおとなしく、しおらしい様子で、私の指示に従っていた! 驚いてうしろ で参観していた母親のほうを見ると、母親はそれを見て喜んでいたが、どうもおかしい。そこで 母親からあれこれ話を聞くと、F君はある訓練教室で訓練を受けているという。はげしい暴力的 な訓練で有名な訓練教室である。 い。無理をすれば一見、なおったかのように見えることがある。私はこれを仮面治癒と呼んで いるが、仮面は仮面。なおったのではない。症状はさらに奥の深いところにもぐったと考える。 心の問題は、決しておさえてなおるものではない。むしろ反対に、不登校にせよ、引きこもりに せよ、もろもろの情緒障害にせよ、心の問題は、外へ解放させることによってなおす。一年単 位の恐ろしく時間のかかる作業だが、これが大原則である。こうした問題で、たとえば別の形 で強度の恐怖心を与えたりすると、子どもは退避的に、自己コントロールするようになる。F君 がその教室で受けた訓練は、そういうものだったが、しかしそれは風邪をひいて熱を出してい る子どもに、頭から水をかけるようなものである。熱はさがるかもしれないが、それですむわけ がない。事実そのあと数か月もすると、F君に妙な現象が出てきた。絵を描いているときでも、 何を思ったのかひとりでニヤニヤ笑ってみせたり、突発的に大声を張りあげて、泣き叫んだり するなど。 くしないことだけを考えて、無理をしない。無理をすればするほど逆効果。さらに無理をすれ ば、ここでいう仮面治癒を引き起こすことがある。こうなると、「教育」という場で対処できる問題 ではなくなってしまう。その訓練教室では、「なおった、なおった」とさかんに宣伝しているが、本 当に「なおった」とみてよいのか。私がいう仮面治癒に、皆さんもじゅうぶん注意してほしい。 人格がドンと前に出てくる。ごまかしがきかなくなる。たとえばTさん(七〇歳女性)は近所でも、 「仏様」と呼ばれていた。が、このところ様子がおかしくなってきた。近所を散歩しながら、よそ の家の庭先にあったような植木鉢や小物を盗んできてしまうのだ。人はそれを、Tさんが老人 になったせいだと話していたが、実のところTさんの盗みグセは、Tさんが二、三〇歳のときか らあった。ただ若いときは巧妙というか、そういう自分をごまかすだけの気力があった。しかし 七〇歳近くもなって、その気力そのものが急速に弱まってきた。と同時に、それと反比例する かのように、Tさんの醜い性格が前に出てきた……。 かしいことではない。ゴミを捨てないとか、ウソをつかないとか、約束は守るとか、そういうことで 決まる。しかもそれはその人が幼児期からの心構えで決まる。子どもが中学生になるころに は、すでにその人の人格の方向性は決まる。あとはその方向性に沿っておとなになるだけ。途 中で変わるとか、変えるとか、そういうこと自体、ありえない。たとえばゴミを捨てる子どもがい る。子どもが幼稚園児ならていねいに指導すれば、一度でゴミを捨てなくなる。しかし中学生と もなると、そうはいかない。強く叱っても、その場だけの効果しかない。あるいは小ずるくなっ て、人前ではしないが、人の見ていないところでは捨てたりする。 かしくなる。小中学校で学ぶ道徳にしてもそうだ。人間がもつしつけなどというのは、もっと常識 的なもの。むずかしい本など読まなくても、静かに自分の心に問いかけてみれば、それでわか る。してよいことをしたときには、心は穏やかなままである。しかししてはいけないことをしたとき には、どこか不快感が心に充満する。そういう常識に従って生きることを教えればよい。そして それを教えるのが、「しつけ」ということになる。そういう意味ではしつけというのは、国や時代を 超える。そしてそういう意味で私は、「しつけは普遍」という。 ためにやってきた。約束の時刻までまだしばらくあるということで、何気なく、……というより部 屋の空気を入れかえるために窓をあけて眼下を見ると、露天風呂。しかも女湯! その無防 備さに、私は我が目を疑った。私の部屋からその露天風呂までは、ちょうど一〇階分の落差 がある。女性たちがはっりと見える距離ではないが、しかし遠過ぎるという距離でもない。とた ん、私の鼓動が高まるのを覚えた。 が、今では自分からこの名前を使うことがある。しかしこの言葉はどこかいやだ。「教育者」と いうイメージが強過ぎる。たしかに私はいろいろな子育て論を論ずるが、しかし教育者ではな い。いわんや教育者という言葉から受けるような聖職者ではない。その証拠に、現に今、心臓 がドキドキしている。五四歳にもなって、そんな世界とはまあ、半ばあきらめたというか、無縁の 世界にいるはずなのに、何という現象。何という愚かさ。しかしそれにしても露天風呂の女性た ちの大胆さといったらない。大きな石の上に、まさにあぐらをかいて連れ添った別の女性と話し 込んでいる。小さな風呂だが、バシャバシャと足で蹴って、水しぶきをたてているのもいる。私 はやがてそういう光景を見ている自分がなさけなくなった。今の私はまさに本能の虜(とりこ)に なっている。「見たところでどうということはないではないか」という私。これが理性のあるほうの 私。しかし「見ていたい」という私。これが本能の私。が、そのうち、こんなことに気づいた。「こう した無防備さこそが、ホテル側の意図的な戦略ではないか?」「わざと私のような人間に見せ るようにしくんでいる?」と。とたん自分の心の中で、スーッと本能が冷めていくのを感じた。 や弟とどこも違わない、ただの人間である。この私ですらそうなのだから……という言い方は変 だが、私はだれが見ても、「まじめな人間?」に見えるらしい。その私ですらそうなのだから、少 なくとも男の教師は皆、そうであるとみてよい。露天風呂に遊ぶ若い女性を見て、「何も感じな い」と、窓をしめる教師などいない。いたらいたで、その「ふつうでないこと」を疑ってみたほうが よい。おなかがすけば何かを食べたくなる。それと同じように、こうした性欲はだれにでもある。 もっともあったからといって、それがまちがっているというのではない。それが正常な人間という ことになる。 こすこともある。そういうとき世間は、鬼の首でもとったかのように騒ぐが、そもそもそういうスキ を与えたのもその世間ではないのか。もっとはっきり言えば、教育のシステムをそういう前提、 つまり教師といえどもただの人間であるという前提で組み立てるべきではないのか。私はそん なことを考えながら、今度は本気で窓を閉じた。 ったり、柔和な表情を浮かべて親や教師の言うことに従ったりする。しかし仮面は仮面。その 仮面の下で、子どもは親や教師の印象とはまったく別のことを考えるようになる。これがこわ い。 不愉快だったら不愉快そうな顔をする。うれしいときには、うれしそうな顔をする。そういう子ど もをすなおな子どもという。が、たとえば家庭崩壊、育児拒否、愛情不足、親の暴力や虐待が 日常化すると、子どもの心はいつも緊張状態に置かれ、そういう状態のところに不安が入り込 むと、その不安を解消しようと、情緒が一挙に不安定になる。突発的に激怒する子どももいる が、反対にそうした不安定さを内へ内へとためこんでしまう子どももいる。そしてその結果、仮 面をかぶるようになる。一見愛想はよいが、他人に心を許さない。あるいは他人に裏切られる 前に、自分から相手を裏切ったりする。よくある例は、自分が好意をよせている相手に対して、 わざと意地悪をしたり、いじめたりするなど。屈折した心の状態が、ひねくれ、いじけ、ひがみ、 つっぱりなどの症状を引き起こすこともある。 ろうか。もしそうであれば問題はない。しかしどこか他人行儀で、よそよそしく、あなたから見 て、「何を考えているかわからない」といったふうであれば、家庭のあり方をかなり反省したほう がよい。子どもに「バカ!」と言われ怒る親もいる。平気な親もいる。「バカ!」と言うことを許せ というのではないが、そういうことが言えないほどまでに、子どもをおさえ込んではいけない。子 どもの心は風船のようなもの。どこかで力を加えると、そのひずみは、別のどこかに必ず表れ る。で、もしあなたがあなたの子どもに、そんな「ひずみ」を感ずるなら、子どもの心を開放させ ることを第一に考え、親のリズムを子どもに合わせる。「私は親だ」式の権威主義があれば、 改める。そしてその時期は早ければ早いほどよい。満六歳でこうした症状が一度出たら、子ど もをなおすのに六年かかると思うこと。満一〇歳で出たら、一〇年かかると思うこと。心という のはそういうもので、簡単にはなおらない。無理をすればするほど逆効果になるので、注意す る。 ものがあれこれ言ってもムダ。ほとんどの親は、「うちの子に限って」とか、「まだ何とかなる」と 考えて、無理に無理を重ねる。が、やがてそれも限界にくる。 い。はげしい受験勉強をくぐりぬけ、やっとの思いで目的の学校へ入学したとたん、燃え尽きて しまうなど。浜松市内でも一番と目されている進学校のA高校のばあい、一年生で、一クラス 中、二〜三人。二年生で、五〜六人が、燃え尽き症候群に襲われているという(B教師談)。一 クラス四〇名だから、一〇%以上の子どもが、燃え尽きているということになる。この数を多い とみるか、少ないとみるか? や心の不調や、無気力、倦怠感を訴えたりする。不登校の初期症状に似た症状を示すことも ある。そういうとき親が、「そうね、だれだってそういうときがあるよ」と言ってあげれば、どれだ け子どもの心は救われることか。が、親にはそれがわからない。ある母親はあとになって、私 にこう言った。「無理をしているという気持ちはどこかにありましたが、目的の高校へ入ってくれ れば、それで問題のすべては解決すると思っていました」と。もっともこういうふうに反省できる 親はまだよいほうだ。中には、「わかっていたら、どうしてもっと早くアドバイスしてくれなかった のだ」と、私に食ってかかってきた父親がいた。 かない。一度(無理をする)→(症状が悪化する)→(ますます無理をする)の悪循環に入ると、 あとは底なしの泥沼状態に陥ってしまう。これは子育てにまつわる宿命のようなものだ。そこで 大切なことは、いつどのような形で、その悪循環に気づき、それをその段階で断ち切るかという こと。もちろん早ければ早いほどよい。そしてつぎのことに気をつける。 以上悪くしないことだけを考える。 つど一進一退を繰り返すが、それには一喜一憂しない。 まつわるほとんどの問題は解決する。親はこの三つに毒されると、とんでもないこと(失礼!) をし始める。常識そのものが狂う。 治大学、どっちがカッコいいですかね」と。そこで私が「どうしてそんなことを聞くのか?」と言う と、「結婚式での披露宴のこともありますから」と。まだ恋人もいないような高校生が、結婚式で の見てくれを気にしていた。 制の学校に入るということが、どこか習わしになっている。(もちろんそうでない子どもも多いが ……。)もともと無理をして受験したような子どもが多い。で、地元に残って、ランクの低い高校 へ入るよりは、そのほうが格好がつくと親や子どもは考える。 建時代が、こういう民族性をつくったと考えられる。まわりの人と同じことをしていれば安心、そ うでなければ不安と。今でも、「世間が許さない」「世間が笑う」「世間体が悪い」などという言葉 を日常的に使う人はいくらでもいる。それが子どもの世界に入ると、子どもの姿そのものまで 見失うことになる。たとえば自分の子どもが不登校児になったとき、子どもを地元の精神科医 院に通わせるのは「恥ずかしいから」という理由で、隣町の精神科医院に通わせていた母親が いた。あるいは近所をブラブラされると、やはり「恥ずかしいから」という理由で、不登校になっ た子どもを一日中マンションの一室に閉じ込めていた母親もいた。 いだろうか。そういうものを気にするということは、その人自身が小さな世界で生きていることを 意味する。 い。こんなことがあった。 は、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。「君は、学 校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。するとその子ども は、こう言った。「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼくを怒っ た」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまった。いや、その子どものことではな い。自分のことというか、自分を知ることの難しさを思い知らされたからだ。 子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小一男児)のように、友だちのいない 子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行くから、一緒に行っ てほしい」と。もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあっ たし、軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」 ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、その相談だ。 分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、それに 振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。このタイプの親たちは、なぜそういうことをす るかということに迷いを抱きながらも、もっと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のど こかで「してはいけない」と思いつつ、それにブレーキをかけることができない。「自分であって 自分でない部分」のことを、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、 いじける、ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の中 にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部分とみてよい。それに気づくこ とが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくことなく、いつまでも自分で ない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰り返すことである。 ではないが)は、京都に住むUさんだ。Uさんは某一流大学(この言い方も好きではない)を出 たあと、これまた某一流銀行(この言い方も好きではない)に入社。あとはトントン拍子に出世 して、現役時代はその銀行のドイツ支店の支店長も経験している。 り、今は長野県の山村で理容店を営んでいる。魚釣りがうまく、そのあたりでは「名人」というニ ックネームで呼ばれている。が、それだけではない。魚釣りが高じて、Bさんは釣り竿を自分で 作るようになり、今ではBさんが作る釣り竿は、「芸術品」とまで評判されている。 み、Bさんは負け組みということになる。しかし今、結果としてこの二人を比較すると、勝ち組 み、負け組みという言い方すら、空しく聞こえてくる。Uさんはあのバブル経済が崩壊したあと、 子会社の金融会社に出向している。それなりに出世したとはいえ、し烈な競争世界で犠牲にし たものも多い。金融会社に出向する少し前、Uさんは私の家にやってきて、こう言った。「いえ ね、こうなってみると、何もかもむなしいよ。女房なんか、『私の人生は何だったの。返して!』 と言って、ぼくを困らすのだよ」と。Uさんはともかくも、夫の出世を陰で支えてきた妻の悲哀も、 また大きい。 っても、それをおかしいと思う人は一人もいない。しかし今、もし私にもう一度人生が与えられ、 Uさんか、それともBさんのどちらか一つの人生を選べと言われたら、私は迷わず、Bさんの人 生を選ぶ。現在の私の生活そのものがBさんのそれに近いこともある。が、理由はもっとほか にある。 働くことはあくまでも補助的なことだ。その補助的なことが、本末転倒して、「柱」になったとして も、それは錯覚でしかない。Uさんは銀行という会社のために人生を捧げたが、銀行に人生を 捧げること自体おかしなことなのだ。一見華々しい社会に見えるが、それは生きることとは本 来、無関係なものである。いくら華々しく働いたとしても、その人の人生が豊かになるわけでは ない。人生の豊かさ、美しさは、もっと別のところにある。もっと言えば、その人が裸になったと き、その人の価値が決まる。つまり「生きる」という原点をみる限り、BさんのほうがUさんより、 はるかに豊かな人生を送ったということになる。Bさんには地位や肩書きがないにしても、それ がないからといって、Bさんの人生には何ら影響はない。 しかしいくらこの知識があるからといって、その子どもが教養のある子どもということにはならな い。教養とは、もともとその人の深い人間性と結びついたもの。たとえばA君がB君に「チビ!」 と言ったとする。そのときそれを聞いたC君がA君に、「そういうことを言ってはダメ」とたしなめ たとする。そのたしなめる原動力となる深い人間性を、教養という。 子どもイコール、教養のある子どもということになってしまっている! あるいは勉強のよくでき る子どもイコール、教養のある子どもとか、人格的にすぐれた子どもということになってしまって いる! しかしこれはとんでもない誤解である。むしろ事実は逆で、勉強のできる子どもよりも、 勉強のできない子どものほうにこそ、豊かな人間性を感ずることのほうが多い。福田恒存も 「伝統に対する心構」の中でこう書いている。「教育と教養は別物です。……教養を身につけた 人間は、知識階級よりも職人や百姓のうちに多く見出される」と。福田ばかりではない。世界の 哲学者も、知識に対する見方はきびしい。「思考と知識はつねに歩みを一緒にすべきである。 さもなければ、知識は死物で、不毛のまま死滅する」(語録)と言ったパスツール。「教養と知識 は別物だ。危険だと思われるのは、勉強していくにつれて陥る、あの呪われた知識というヤツ だ。どんなものもみな、頭を通らなくては気がすまなくなる」(青春時代)と言ったヘッセなどがい る。 かしその知識は常に両刃の剣。使い方をまちがえると、とんでもないことになる。そこでその使 い方を教えるのが、教養ということになる。 いだろうか。そうでなければそれでよいが、もしそうなら、一度、知識と教養を頭の中で分けて みたらどうだろうか。あなたの子どもについて言うなら、勉強がよくできるとかできないとかとい うことではなく、「うちの子は本当に教養があるのだろうか」と、一度じっくりと観察してみたらど うだろうか。 歳になった息子が、そっと体を私の腰にすりよせてきました。小さいながらもペニスが固くなっ ているのがわかりました。やめさせたかったのですが、そうすれば息子のプライドをキズつける ように感じたので、そのまま黙ってウソ寝をしていました。こういうとき、どう対処したらいいので しょうか」(三二歳母親)と。 ろなものを入れて快感を覚える。(2)肛門期……排便、排尿の快感がきっかけとなって肛門に 興味を示したり、そこをいじったりする。(3)男根期……満四歳くらいから、性器に特別の関心 をもつようになる。 ス(生理的ひずみ)を疑ってみる。子どもはストレスを解消するために、何らかの代わりの行為 をする。これを代償行為という。指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、体ゆすり、手洗いグセなど。自 慰もその一つと考える。つまりこういう行為が日常的に見られたら、子どもの周辺にそのストレ スの原因(ストレッサー)となっているものがないかをさぐってみる。ふつう何らかの情緒不安症 状(ふさぎ込み、ぐずぐず、イライラ、気分のムラ、気難しい、興奮、衝動行為、暴力、暴言)を ともなうことが多い。そのため頭ごなしの禁止命令は意味がないだけではなく、かえって症状を 悪化させることもあるので注意する。 分の情緒を調整しようとする。反対にこのスキンシップが不足すると、情緒が不安定になり、情 緒障害や精神不安の遠因となることもある。子どもが理由もなくぐずったり、訳のわからないこ とを言って、親をてこずらせるようなときは、そっと子どもを抱いてみるとよい。最初は抵抗する そぶりを見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。 ラッと受け流すようにする。罪悪感をもたせないようにするのがコツ。 ても、そこにとまどいが生まれ、そのとまどいが、子どもの異性観や性意識をゆがめることが ある。 ど前のことだが、こんな講演を聞いたことがある。アメリカのある自閉症児専門施設の先生の 講演だが、そのときその講師の先生は、こう言っていた。「うちの施設では、とにかく『抱く』とい う方法で、すばらしい治療成績をあげています」と。その施設の名前も先生の名前も忘れた。 が、その後、私はいろいろな場面で、「なるほど」と思ったことが、たびたびある。言いかえる と、スキンシップを受けつけない子どもは、どこかに「心の問題」があるとみてよい。 許さない分だけ、抱かれない。無理に抱いても、体をこわばらせてしまう。抱く側は、何かしら 丸太を抱いているような気分になる。これに対して心を許している子どもは、抱く側にしっくりと 身を寄せる。さらに肉体が融和してくると、呼吸のリズムまで同じになる。心臓の脈動まで同じ になることがある。で、この話をある席で話したら、そのあと一人の男性がこう言った。「子ども も女房も同じですな」と。つまり心が通いあっているときは、女房も抱きごこちがよいが、そうで ないときは悪い、と。不謹慎な話だが、しかし妙に言い当てている。 濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受けた子どもほど、甘え方が自然である。「自 然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい柔和な表情で、人に甘える。甘えることがで きる。心を開いているから、やさしくしてあげると、そのやさしさがそのまま子どもの心の中に染 み込んでいくのがわかる。 拒否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、他人に心を許さない。許さない分だけ、人 に甘えない。一見、自立心が旺盛に見えるが、心は冷たい。他人が悲しんだり、苦しんでいる のを見ても、反応が鈍い。感受性そのものが乏しくなる。ものの考え方が、全体にひねくれる。 私「今日はいい天気だね」、子「いい天気ではない」、私「どうして?」、子「あそこに雲がある」、 私「雲があっても、いい天気だよ」、子「雲があるから、いい天気ではない」と。 きづまりを感じたら、子どもは抱いてみる。ぐずったり、泣いたり、だだをこねたりするようなとき である。「何かおかしい」とか、「わけがわからない」と感じたときも、やさしく抱いてみる。しばら くは抵抗する様子を見せるかもしれないが、やがて収まる。と、同時に、子どもの情緒(心)も 安定する。 る」という意味だが、子どもは「絶対的な安心感のある家庭」の中でこそ、心をはぐくむことがで きる。「絶対的」というのは、不安感や疑いを抱かないという意味。子どもというのは、転勤や転 校のような環境の変化など、物理的な変化にはたいへんタフな適応能力をみせる。が、心、と くに愛情がからんだ変化にはたいへんもろい。もろいだけならまだしも、愛情がからんだ変化 は子どもの心に大きな影響を与える。たとえば離婚。離婚そのものは子どもにはほとんど影響 はないとみてよい。離婚が離婚として子どもに影響を与えるのは、離婚にいたるまでの家庭不 和、家庭騒動である。離婚するとしても、子どもの前での騒動は最小限にする。 境ではぐくまれる。それがよいか悪いかということはさておき、(あまり好ましくないのは言うまで もないが)、親の愛情をたっぷりと受けて育ったような溺愛児は、柔和で心も穏やか。それにた いへんやさしい。反対に生まれてまもなくから施設などに預けられた子どもは、愛情飢餓(き が)の状態におかれ、独特の症状を示す。だれにも愛想がよい反面、他人に心を許さない。許 さない分だけ、孤立感が強く、情緒的に不安定になるなど。ほかに知育の発達が遅れがちに なるとか、貧乏ゆすりなどの症状がつきやすいことを指摘する学者もいる(長畑氏ほか)。さら に親の育児拒否や虐待を経験した子どもは、心の発達そのものが阻害されることが知られて いる。 の格言に、「子どもを幸せにするのが、最高の教育」というのがある。「幸せ」の中身も問題だ が、「幸せな家庭」がどういうものであるかをいつも考えながら、そういう家庭づくりを考える。そ れが本当の意味で「よい子」を育てるための、必要条件ということになる。 がある。子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。おとなの世界をなおさないで、子どもの 世界だけをよくしようとしても、無理。子どもがはじめて読んだカタカナが、「ホテル」であった り、「ソープ」であったりする(「クレヨンしんちゃん」V1)。つまり子どもの世界をよくしたいと思っ たら、社会そのものと闘う。 のように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないというような世界になってしまった ら、何とつまらないことか。言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の世界を豊かでおもし ろいものにしている。無数のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書についても、こんな説話が 残っている。 最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いたときのこと。神はこう答え ている。「希望を与えるため」と。もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はより よい人間になるという希望をなくしてしまう。つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい 人間にもなれる。神のような人間になることもできる。旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」 と。 わかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子どもの世界だけ をどうこうしようとしても意味がない。たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問 題ではない。問題は、そういう環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。そうでないと いうのなら、あなたの仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいることについて、あなたは どれほどそれと闘っているだろうか。私の知人の中には五〇歳にもなるというのに、テレクラ通 いをしている男がいる。高校生の娘もいる。そこで私はある日、その男にこう聞いた。「君の娘 が中年の男と援助交際をしていたら、君は許せるか」と。するとその男は笑いながら、こう言っ た。「うちの娘は、そういうことはしないよ。うちの娘はまともだからね」と。私は「相手の男を許 せるか」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女性が悪い」と。こういうおめ でたさが積もり積もって、社会をゆがめる。子どもの世界をゆがめる。それが問題なのだ。 悪と戦ってはじめて、人は善人になる。そういう視点をもったとき、あなたの社会を見る目は、 大きく変わる。子どもの世界も変わる。 状を見せるケースを、「学校恐怖症」、行為障害に近い不登校を「怠学(truancy)」といって区 別している。これらの不登校は、症状と経過から、三つの段階に分けて考える(A・M・ジョンソ ン)。心気的時期、登校時パニック時期、それに自閉的時期。これに回復期を加え、もう少しわ かりやすくしたのが次である。 吐き気、気分の悪さなどの身体的不調を訴える。症状は午前中に重く、午後に軽快し、夜にな ると、「明日は学校へ行くよ」などと、明るい声で答えたりする。これを症状の日内変動という。 学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったりする。そこでA君を排除 すると、今度は「B君がいじめる」と言いだしたりする。理由となる原因(ターゲット)が、そのつ ど移動するのが特徴。 たように暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう今日は休んでもいい」などと言うと、 一転、症状が消滅する。ある母親は、こう言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌まで 歌っていました」と。たいていの親はそのあまりの変わりように驚いて、「これが同じ子どもか」 と思うことが多い。 態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。ただ心の緊張感は残り、どこかピリピ リした感じは続く。そのため親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすること はある(感情障害)。この段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的な不 安感をもつ。おののく)の症状を示すこともある。が、ふだんの生活を見る限り、ごくふつうの子 どもといった感じがするため、たいていの親は、自分の子どもをどうとらえたらよいのか、わか らなくなってしまうことが多い。こうした状態が、数か月から数年続く。 びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やが て登校できるようになる。日に一〜二時間、週に一日〜二日、月に一週〜二週登校できるよう になり、序々にその期間がンなる。 はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけて、無理をする。この無理が症状を悪 化させ、(2)のパニック期を招く。この段階でも、もし親が無理をせず、「そうね、誰だって学校 へ行きたくないときもあるわよ」と言えば、その後の症状は軽くすむ。一般にこの恐怖症も含め て、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考える。なおそうと無理をすれ ばするほど、症状はこじれる。悪化する。 言い方をする。たとえば能力が遅れている子どもの親には、決して「能力が遅れています」とは 言わない。……言えない。言えば、たいへんなことになってしまう。こういうとき先生は、「お宅 の子どもは、運動面はすばらしいのですが……(勉強は、さっぱりできない)」「私のほうでも努 力してみますが……(家庭で何とかしてほしい)」と言う。あるいは問題のある子どもの親に向 かっては、「先生方の間でも、注目されています……(悪い意味で目立つ)」「元気で活発なの はいいのですが……(困り果てている)」「私の力不足です……(もうギブアップしている)」「ほ かの父母からの苦情は、私のほうでおさえておきます……(問題児だ)」などと言う。ほかに「静 かな指導になじまないようです……(指導が不可能だ)」「女の子に、もう少し人気があってもい いのですが……(嫌われている)」「協調性に欠けるところがあります……(わがままで苦労して いる)」「ほかの面では問題はないのですが……(学習面では問題あり)」というのもある。 言われたときは、すなおに喜んでよい。先生は、おせじではほめない。おせじを使わなければ ならない理由そのもがない。裏を返して言うと、もしあなたの子どもが、園や学校の先生にほめ られたことがないというのであれば、子どものどこかに問題がないか、それを疑ってみたほうが よい。幼児のばあい、一つの目安として、誕生パーティがある。あなたの子どもが、ほかの子ど もの誕生パーティによく招待されるならよし。そうでないなら、かなりの問題のある子どもとみて よい。実際、誰を招待するかを決めるのは親。その親は、自分の子どもや先生から耳にする、 日ごろの評判を基準にして、それを決める。 エゴが、互いに真正面からぶつかり合う。ふつうの世界と違うのは、そこに「子ども」が介在す ること。だから本音と建前が、複雑に交錯する。こうした教師言葉は、そういう世界から必然的 に生まれた。ある意味でやむをえないものかもしれない。だいたいあなたという「親」だって、先 生の前では本音を言わない。……言えない。言えば、たいへんなことになってしまう。それをあ なたは、よく知っている。 いう立場にあるからだ。子ども、なかんずく幼児に接していると、その純粋さに毎日のように心 を洗われる。何かトラブルがあって、気分が滅入っているときでも、子どもたちと接したとたん、 それが吹っ飛んでしまう。よく「職場のストレス」を問題にする人がいる。しかし私のばあい、職 場そのものが、ストレス解消の場となっている。 いでほしい。「子ども的」というのは、幼稚という意味ではない。子どもは確かに知識は乏しく未 経験だが、決して幼稚ではない。むしろ人間は、おとなになるにつれて、多くの雑音の中で、自 分を見失っていく。醜くなる人だっている。「子ども的である」ということは、何ら恥ずべきことで はない。とくに私のばあい、若いときから、いろいろな世界をのぞいてきた。教育の世界や出版 界はもちろんのこと、翻訳や通訳の世界も経験した。いくつかの会社の貿易業務に携わったこ ともあるし、医学の世界をかいま見たこともある。しかしこれだけは言える。園や学校の先生に は、心のゆがんだ人は、まずいないということ。少なくとも、ほかの世界よりは、はるかに少な い。 先生もいる。が、中には上から子どもを見おろしている先生もいる。このタイプの先生は妙に 権威主義的で、いばっている。そういう先生は、そういう先生なりに、「教育」を考えてそうしてい るのだろうが、しかしすばらしい世界を、ムダにしている。それはちょうど美しい花を見て、それ を美しいと感動する前に、花の品種改良を考えるようなものだ。昔、こんな先生がいた。ことあ るごとに、「親のしつけがなっていない」「あの子は問題児」とこぼす先生である。決して悪い先 生ではないが、しかしこういう先生に出会うと、子どもから明るさが消える。 とクレヨンを渡して、「園(学校)の先生と遊んでいるところをかいてね」と指示する。そのとき子 どもがあれこれ先生の話をしながら、楽しそうに絵をかけばよし。そうでなく、子どもが暗い表 情になったり、絵をかきたがらないようであれば、子どもと先生の相性は、よくないとみる。もし そうであれば、この時期はできるだけ早い機会に、園長なら園長に相談して、子どもと先生の 関係を調整したほうがよい。 どもを過保護にした。また別の母親は、子どもが重病を患ったことが原因で、食事面で子ども を過保護にした。親が子どもを過保護にする背景には、親がわに何らかの「心配」があるとみ てよい。そのわだかまりが形を変えて、親は子どもを過保護にする。 もを小さな世界に閉じ込め、親子だけのマンツーマンの状態で育てるなど。そして「近所のA君 は悪い子だから、いっしょに遊んではダメ」「あの公園には乱暴な子がいるから行ってはダメ」 と、子どもの世界を、外の世界から遮(しゃ)断してしまう。そのため子どもは俗にいう「温室育 ち」になり、いわゆる「外へ出るとすぐ風邪をひく」タイプの子どもになる。 の子どもに比べて、全体に幼い感じになる。幼児性がそのまま持続することもある。(2)ブラン コを横取りされても、それに抗議できないなど、社会性がなくなる。そのためストレスを内にた めやすく、内弁慶外幽霊になりやすい。(3)柔和でやさしいが、ハキがなく、ものごとに追従的 になりやすい。そのためいわゆる野性味がなくなり、全体にひ弱な感じになる。それが年齢とと もにはっきりしてくるため、親は親でますます過保護にする。この悪循環がますます子どもをひ 弱にする。どこかでその悪循環を断ち切らねばならないが、たいていの親はこう言う。「子ども がああなのは、生まれつきです」と。しかし実際には、そういう子どもにしたのは、親自身にほ かならない。それともあなたは赤ちゃんをみて、その赤ちゃんが過保護児かどうか、それがわ かるとでもいうのだろうか。 が何であるかがわかるだけでも、この問題の大半は解決したとみる。まずいのはそれに気づ かないまま、いつまでもそのタネに振りまわされること。心のわだかまりというのはそういうもの で、あなたをいつも裏から操(あやつ)る。 飼っていたモルモットが死んだとき、「乾電池を入れかえれば動く」と言った子ども(三歳男児) がいた。「どうして起きないの?」と聞いた子ども(三歳男児)や、「病院へ連れて行こう」と言っ た子ども(三歳男児)もいた。子どもが死を理解できるようになるのは、三歳以後だが、しかし その概念はおとなとはかなり違ったものである。三〜七歳の子どもにとって「死」は、生活の一 部(日常的な生活が死によって変化する)でしかない。ときにこの時期の子どもは、家族の死す ら平気でやり過ごすことがある。 っちになる」という、孤立することへの恐怖心と考えてよい。たとえば母親が臨終を迎えたとき、 子どもが恐れるのは、「母親がいなくなること」であって、死そのものではない。ちなみに小学五 年生の子どもたちに、「死ぬことはこわいか?」と質問してみたが、八人全員が、「こわくない」 「私は死なない」と答えた。一人「六〇歳くらいになったら、考える」と言った子ども(女子)がい た。質問を変えて、「では、お父さんやお母さんが死ぬとしたらどうか」と聞くと、「それはいや だ」「それは困る」と答えた。 れを嘆き悲しんだとする。その様子から子どもは、「死ぬ」ということがただごとではないと知 る。そこで大切なことは、「死はいつも厳粛に」である。死を茶化してはいけない。もてあそんで もいけない。どんな生き物の死であれ、いつも厳粛にあつかう。たとえば飼っていた小鳥が死 んだとする。そのときその小鳥を、ゴミか何かのように紙で包んでポイと捨てれば、子どもは 「死」というものはそういうものだと思うようになる。しかしそれではすまない。死があるから生が ある。死への恐怖心があるから、人は生きることを大切にする。死をていねいにとむらうという ことは、結局は生きることを大切にすることになる。が、死を粗末にすれば、子どもは生きるこ と、さらには命そのものまで粗末にするようになる。 目的もあるが、死をとむらうことで、生きることの大切さを教えるためと考えてよい。そんなこと も頭に入れながら、子どもにとって「死」は何であるかを考えるとよい。 を音に変えているだけ。私「ウサギさんは、だれに会いましたか?」、子「……わかんない」、私 「クマさんは、うれしかったのかな?」、子「……わかんない」と。読みの深い子どもは、一ペー ジごとに、挿絵を見たり、前のページをのぞいたりするので、むしろ読む速度が落ちる。またそ ういう読み方のほうが好ましいことは言うまでもない。 と、草の中に大きな穴がありました。リスさんは、その穴に落ちて、おおけがをするところでし た。そこでリスさんは、あとから来た人が穴に落ちないように、立て札を立てることにしました。 その立て札には何と書けばよいでしょうか」と。 が書けない文字があったら、そのつど教えてもかまわない。で、このテストで子どもが、「ここは 穴があるからあぶない」とか、「穴に気をつけて」というような文章が書ければよし。「これは立 て札です」とか、「あなたはここを歩いています」とか、どこかトンチンカンなことを書くようであれ ば、あまり表現力はないとみる。ちなみに年長児で、まあまあそれらしき文章を書くことができ るのは約五〇%。 本などを読み聞かせてもらっている子どもとみる。どこか抑揚が不自然と感じたら、子どもには たくさん本を読んであげるとよい。 る人がいる。決してムダではないが、国語力というのは、日常生活の中で身につく。たとえば 「ウサギさんの足はヒリヒリ痛みました」という文章があったとする。親はそれを読んであげるこ とで、「ヒリヒリ」の意味を子どもが理解したと思う。しかしそれだけでは足りない。子どもがその 言葉の意味を理解するようになるためには、実際、子どもがけがをしたようなとき、「ヒリヒリ痛 いの?」と聞いてあげねばならない。そういう体験があってはじめて、子どもは「ヒリヒリ」の意味 がわかるようになる。 もっと言えば、子どもが将来、国語が得意になるかどうかは、親の言葉能力で決まるというこ と。学校で学ぶ国語は、その延長線上にあるにすぎない。いわんやワークやドリルで、国語力 がつくと考えるのは大きな誤解である。 の。この遊びがあるから、車も運転できる。子育ても同じ。 きにはその鋭い視線が、ビンビンとこちらの体をつらぬくときがある。そういう親の子どもは、た いていハキがなく、暗く沈んでいる。親の鋭い視線が日常的につづくと、子どもの心は内閉す る。萎縮することもある。(あるいは反対に静かな落ち着きが消え、粗放化する子どももいる。 このタイプの子どもは、神経質な子育てをやり返した子どもと考えるとわかりやすい。) のは、きびしい鍛練を主とする教育法をいう。また極端主義というのは、やることなすことが極 端で、しかも徹底していることをいう。おけいこでも何でも、「させる」と決めたら、毎日、それば かりをさせるなど。要するに子育ては自然に任すのが一番よい。人間は過去数一〇万年もの 間、こうして生きてきた。子育てのし方にしても、ここ一〇〇年や二〇〇年くらいの間に、「変わ った」と思うほうがおかしい。つまり心のどこかで「不自然さ」を感じたら、その子育ては疑って みる。 子どもをあてはめようとする。こまごまとした指示を、神経質なほどまでに子どもに守らせるな ど。このタイプの親にかぎって、「私は子どもを愛している」とよく言うが、本当のところは、どう か? 自分の欲望を満足させるために、子どもを利用しているだけ……? ともと、「自らに由(よ)る」という意味。そのため子どもには(1)自分で考えさせ、(2)自分で行 動させ、そして(3)自分で責任を取らせる。過干渉や過関心は、子どもから考えるという習慣を 奪う。過保護は自分で行動するという力を奪う。また溺愛は、親の目を曇らせる。自分の子ど も(中三男子)が万引きをして補導されたときのこと。夜中の間にあちこちを回り、事件をもみ 消してしまった母親がいた。「進学にさしさわりがある」というのが、その理由だった。 変化しなければならない。子どもは家庭という場で、疲れた心をいやす。そのためにも、あまり こまごまとしたことは言わないこと。アメリカの劇作家のソローも、『ビロードのクッションの上に 座るよりも、気がねせず、カボチャの頭のほうがよい』と書いている。このテストで高得点だった 人ほど、このソローの言葉の意味を考えてみてほしい。 る。しかしもし子どもが家庭で心をいやすことができたら、そのうちのほとんどは、そのまま解 決するはずである。そのためにも「いいかげんさ」を大切にする。「歯を磨かなければ、虫歯に なるわよ」と言いながらも、虫歯になったら、歯医者へ行けばよい。痛い思いをしてはじめて、 歯をみがくようになる。「宿題をしなさい」と言いながらも、宿題をしないで学校へ行けば、先生 に叱られる。叱られれば、子どももそのつぎからは、宿題をするようになる。そういういいかげ んさが、子どもを自立させる。たくましくする。 あることが悪いというのではない。問題はそのリズムがあっていないとき。どんな名曲でも、二 つの曲を同時に演奏すれば、騒音でしかない。そのリズムは、親子を外から観察すると、すぐ わかる。 にミルクを用意する親もいる。子どもが歩くようになると、子どもの手をぐいぐいと引きながら、 子どもの前を歩く親がいる。しかし子どもの横かうしろに回りながら、子どもの歩調にあわせて 歩く親もいる。子どもがさらに大きくなると、子どもが「したい」と言う前に、おけいこ教室の申し 込みをする親がいる。しかしそのつど子どもの意思を確かめながら、申し込みをする親もい る。やめるときもそうだ。子どもの意思などお構いなしにやめる親がいる。しかしそのつど子ど もと話しあいながらやめる親もいる。 があった。一人の母親が私のところへきて、こう言った。 うのですが、どうでしょうか」と。そこで私が「本人は行きたがっているのですか?」と聞くと、「そ れが行きたがらないので困っているのです」と。この親子のケースでも、親子のリズムがまった くあっていない。 ……」と思っているなら、それは子どもがグズ(失礼!)なのではなく、あなたがあなたの子ども をそういう子どもにしただけ。何でもかんでも子どもの一歩先を歩こうとすると、子どもはグズに なる。しかし一歩、あとを歩くだけで、あなたの子どもはまったく別の子どもになる。要は親が子 どものリズムにあわせるということだが、これが簡単ではない。リズムというのはそういうもの で、その人の生活のリズムそのものになっていることが多い。中には子どもの世話をすること を、生活の「柱」にしている人がいる。口では「世話がかかってたいへん」とこぼしながら、かけ ることを生きがいにしている! があるとみてよい。こんなテストがある。 その友人があなたの子どもしげしげと見て、「いくつ?」と、年齢を聞いたとする。そのとき自分 の子どもに自信のある親は、「まだ一〇歳です」と、「まだ」という言葉を無意識のうちにも使う。 自信のない親は、「もう……」と言って顔をしかめたりする。あなた自身はどうか、頭の中で想 像してみてほしい。もし後者のようなら、子どもをなおそうと思うのではなく、あなた自身の心を 作りかえること。 から、子どもと歩くときは、子どものうしろを歩く。アメリカでは、親子でもこんな会話をしている。 母「あなたはママに今日、何をしてほしいの?」、子「ママは今日、ぼくに何をしてほしいの?」 と。こういう謙虚さが子どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。 がいつもワンテンポ早い)、(2)価値観の衝突(親側が旧態依然の価値観に固執している)、そ れに(3)相互不信(「うちの子はダメだ」という思いが強い)。この状態で子どもを叱れば、あと はドロ沼の悪循環! 子どものうしろを歩く。(3)友(フレンド)として子どもの横を歩く。日本人はこのうち三番目が苦 手、……というより、「私は親だ」という親意識だけがやたらと強く、子どもを友として見ることが できない。 値観を一方的に押しつけるのをやめる。そしてここが重要だが、子どもを対等の友として受け 入れる。英語国では、親子でも「お前はパパに何をしてほしい?」「パパは、私に何をしてほし い」と聞きあっている。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。また一度断絶状態になったら、 「修復しよう」などとは考えないで、今の状態をより悪くしないことだけを考えて対処する。 にそれだけの「人格」がなければならない。たとえば教える立場でいうと、よく宿題を忘れてくる 子どもがいる。宿題ならまだしも、テキストや鉛筆すら忘れてくる子どもがいる。しかし私は、ど うしてもそういう子どもを叱ることができない。理由は簡単だ。私自身もよく忘れ物をするから だ。自分でもできないのに、どうして子どもを叱ることができるのか。それともあなたは、あなた の子どもに向かって、「正しいことをしなさい」「まちがったことをしてはだめだ」と子どもを叱るこ とができるとでもいうのか。もしそうなら、きっとあなたはすばらしい人だ。 して、おおきな抵抗を感ずる。ときどきは叱ることもあるが、そのたびに心のどこかで、「何を偉 そうなことを」と自分で思ってしまう。そして叱ることをやめてしまう。……そういう意味でも、子ど もを叱るというのは、とてもむずかしい。この問題については、また別のところで考えてみる。 ケースなど。しかしふつう過保護というときは、精神面での過保護をいう。子どもにつらい思い や苦しい思いをさせない。あるいは子どもがそういう状態になりそうになると、すぐ助けてしまう など。「(近所の)A君は乱暴な子だから、あの子とは遊んではダメ」「あの公園にはいじめっ子 がいるから、あそこへは行ってはダメ」と、交友関係をせばめてしまうのも、それ。こういう環境 にどっぷりとつかると、子どもは俗にいう、『温室育ち』になる。 規則が守れず、自分勝手になる。鉛筆を落としても、「鉛筆が落ちたア〜」と言うだけで、自分 では拾おうとしない。(2)幼児性が持続し、人格の「核」形成が遅れる。年齢に比べて幼い感じ がし、教える側からみると、「この子はこういう子どもだ」というつかみどころがはっきりしない。 (3)何ごとにつけ優柔不断で、決断力がない。生活力も弱く、柔和でやさしい表情はしているも のの、野性的なたくましさに欠ける。ブランコを横取りされても、ニコニコ笑いながら、それをあ け渡してしまうなど。そのためいじけやすく、くじけやすい。ちょっとしたことで、すぐ助けを求め たりする。よく『温室育ちは外へ出ると、すぐ風邪をひく』というが、それは子どものこういう様子 を言ったもの。 子どもを過保護にする。このテストで高得点だった人は、まずその種が何であるかを知る。もし 「うちの子は何をしても心配だ」ということであれば、不信感そのものと戦う。(過保護にする)→ (心配な子になる)→(ますます過保護にする)の悪循環の中で、あなたの子どもはますます、 その心配な子どもになる。 子になる」を子どもの前で繰り返す。最初はどこかぎこちない言い方になるかもしれないが、あ なたがそれを自然な形で言えるようになったとき、あなたの子どもは、その「いい子」になる。そ ういう意味では、子どもの心はカガミのようなもの。長い時間をかけて、あなたの子どもはあな たの口グセどおりの子どもになる。 った」と考える人は多い。さらに子どもをモノのように考えている人さえいる。ある女性(六〇歳) は私に会うとこう言った。「親なんてさみしいものですね。息子は横浜の嫁に取られてしまいま したよ」と。息子が結婚して横浜に住んでいることを、その女性は「取られた」というのだ。日本 人はこの親意識が、欧米の人とくらべても、ダントツに強い。長く続いた封建制度が、こうした 日本人独特の親意識を育てたとも考えられる。 えるのが権威主義。理由などない。「偉い人は偉い」と言うときの「偉い」が、それ。日本人はい つしか、身分や肩書きで人の価値を判断するようになった。 識する。「男が上、女が下」「夫が上、妻が下」と。たった一年でも先輩は先輩、後輩は後輩と 考える。そして自分より立場が上の人に向かっては、必要以上にペコペコし、そうでない人に はいばってみせる。私のいとこ(男性)にもそういう人がいる。相手によって接し方が、別人のよ うに変化するからおもしろい。 はすまない。子どもは親の前では仮面をかぶるようになり、そのかぶった分だけ、心を隠す。 親は親で子どもの心をつかめなくなる。そしてそれが互いの間に大きなキレツを入れる……。 時代ではない。親が親風を吹かせば吹かすほど、子どもの心は親から離れる。親意識の強い 人は、あなたというより、あなたが育った環境を思い浮かべてみてほしい。あなた自身もその 権威主義的な家庭環境で育ったはずである。そして今、あなた自身があなたと親の関係がどう なっているか、それを冷静に見つめてみてほしい。たいていはぎくしゃくしているはずである。た とえうまくいっている(?)としても、それはあなた自身も権威主義的なものの考え方にどっぷり とつかっているか、あるいは親に対して服従的もしくは親離れできていないかのどちらかであ る。 影響はない。過干渉が過干渉として問題になるのは、(1)親側に、情緒的な未熟性があると き。親の気分で、子どもに甘くなったり、反対に極端にきびしくなったりするなど。とらえどころの ない親の気分は、子どもの心を不安にする。ばあいによっては、子どもの心を内閉させ、さら にひどくなると萎縮させる。年中児(満五歳児)でも、大声で笑えない子どもは、一〇人のうち、 一〜二人はいる。 その背景には、何らかの「わだかまり」があることが多い。望まない結婚であったとか、望まな い子どもであったとか、など。妊娠や出産時の心配や不安、さらには生活苦や夫への不満が わだかまりになることもある。このわだかまりが形を変えて、子どもへの過干渉となる。 問題はわだかまりがあることではなく、そのわだかまりに気がつかないまま、わだかまりに振り まわされること。同じパターンで同じ失敗を繰り返すこと。わだかまりは、あなたの心を裏から あやつる。これがこわい。 対に粗放化するタイプの子どももいるが、このタイプの子どもは、親の過干渉をたくましくやり 返した子どもと考えるとわかりやすい。よくあるケースとしては、兄が萎縮し、弟が粗放化すると いうケース。)(2)自分で考えることが苦手になり、ものの考え方が極端になったり、かたよった りするようになる。常識ハズレになり、してよいことと悪いことの区別がつかなくなるなど。薬のト ローチを飴がわりになめてしまうなど。(3)心が萎縮してくると、さまざまな神経症を発症し、行 動ものろくなる。また仮面をかぶるようになり、いわゆる「何を考えているかわからない子」とい った感じになる。 なし』と心得る。が、それより大切なことは、子どもをもっと信ずること。子どもというのは、なる ようにしかならないものだが、同時に、何もしないでもちゃんと育っていくもの。昔の人は『親の 意見とナスビの花は、千にひとつもアダ(ムダ)がない』と言ったが、これをもじると、『親の不安 とナズビの茎は、千に一つも役立たない』となる。あなたが不安に思ったところで、子どもは悪く なることはあっても、よくなることは何もない。 家庭に育った人ほど、その気負いが強い。しかしその気負いが強ければ強いほど、親も疲れ るが子どもも疲れる。そのため結局は、子育てで失敗しやすい……。 た動物は、自分では子育てができない。「子育ての情報」、つまり「親像」が、脳にインプットさ れていないからである。人間とて例外ではない。「親に育てられた」という経験があってはじめ て、自分も親になったとき子育てができる。こんな例がある。 それがわからない、と。その人は「抱きグセがつくのでは……」と心配していたが、彼は、彼の 父親を戦争でなくし、母親の手だけで育てられていた。つまりその人は父親というものがどうい うものなのか、それがわかっていなかった。しかし問題はこのことではない。 けで多かれ少なかれ、だれしも、何らかのキズをもっている。問題は、そういうキズがあること ではなく、そのキズに気づかないまま、それに振りまわされることである。よく知られた例として は、子どもを虐待する親がいる。 が多い。いや、かく言う私も団塊の世代で、貧困と混乱の中で幼児期を過ごしている。親たちも 食べていくだけで精一杯。いつもどこかで家庭的な温もりに飢えていた。そのためか今でも、 「家庭」への思いは人一倍強い。が、悲しいことに、頭の中で想像するだけで、温かい家庭とい うのがどういうものか、本当のところはわかっていない。だから自分の息子たちを育てながら も、いつもどこかでとまどっていた。たとえば子どもたちに何かをしてやるたびに、よく心のどこ かで、「しすぎたのではないか」と後悔したり、「してやった」と恩着せがましく思ったりするなど、 どこかチグハグなところがあった。 あるいは本や映画の中で擬似体験をすることで、自分の中に親像をつくることができる。だか ら不幸な家庭に育ったからといって、必ずしも不幸になるというわけではない。そこで大切なこ とは、たとえあなたの過去が不幸なものであったとしても、それはそれとしてあなたの代で切り 離し、つぎの世代にそれを伝えてはいけないということ。その努力だけは忘れてはならない。 こにどう残っているかは、実はあなた自身が一番よく知っている。日本人は肩書きや地位のあ る人にはペコペコする反面、そうでない人は、ぞんざいにあつかう。またこの日本、公的な保護 を受ける人は徹底的に受け、そうでない人は受けない。そういう不公平を親たちは毎日肌で感 じている。だから親はこう言う。「何だかんだといっても、結局は学歴ですよ」と。 ことあるごとに、S高校の出身であることを自慢していた。会話の中に、それとなく出身校を織 り込むというのが、彼の言い方だった。「今度、S高校の同窓会がありまして」とか、「S高校の 仲間とゴルフをしましてね」とか。が、S氏の息子がいよいよ高校受験ということになった。が、 息子にはそれだけの「力」がなかった。だから毎晩のように、S氏と息子は、「勉強しろ!」「うる さい!」の大乱闘を繰り返していた。 り高度な勉強を求めて、大学間を自由に転籍している。しかもそれが今、国際間でもなされ始 めている。彼らにしてみれば、最終的にどこで学位を認められるかは重要なことだが、そんな わけで「出身校」には、ほとんどこだわっていない。大学教育のグローバル化の中で、やがて 日本もそういう方向に向かうのだろうが(向かわざるをえないが)、少なくともこれからは学歴 や、地位、それに肩書きをぶらさげて生きるような時代ではない。それに親が受験競争に狂奔 すればするほど、子どもの心はあなたから離れる。 とくに悪いということはない。しかし子どもが受験期を迎えると、親子関係は急速に悪化する。 なぜそうなのかというところに、日本の子育ての問題点が隠されている。一度あなたも、自分 の心にメスを入れてみてはどうだろうか。 本能的な愛というのは、若い男性が女性の裸を見たときに感ずるような愛をいう。たとえば母 親は赤ん坊の泣き声を聞くと、いたたまれないほどのいとおしさを感ずる。それが本能的な愛 で、その愛があるからこそ親は子どもを育てる。もしその愛がなければ、人類はとっくの昔に滅 亡していたことになる。 一方的な思い込みで、相手を追いかけまわすような、ストーカー的な愛を思い浮かべればよ い。相手のことは考えない、もともとは身勝手な愛。子どもの受験競争に狂奔する親も、同じよ うに考えてよい。「子どものため」と言いながら、結局は親のエゴを子どもに押しつけているだ け。 たとき感ずる愛をいう。その愛の深さは子どもをどこまで許し、そして忘れるかで決まる。英語 では『Forgive & Forget(許して忘れる)』という。つまりどんなに子どものできが悪くても、また 子どもに問題があっても、自分のこととして受け入れてしまう。その度量の広さこそが、まさに 真の愛ということになる。 親側に情緒的な未熟性や精神的な問題があって、そこへ夫への満たされない愛、家庭不和、 騒動、家庭への不満、あるいは子どもの事故や病気などが引き金となって、親は子どもを溺愛 するようになる。 性の持続(年齢に比して幼い感じがする)、(2)人格形成の遅れ(「この子はこういう子だ」とい うつかみどころがはっきりしない)、(3)服従的になりやすい(依存心が強いわりに、わがままで 自分勝手)、(4)退行的な生活態度(約束や目標が守れず、生活習慣がだらしなくなる)など。 全体にちょうどひざに抱かれておとなしくしているペットのような感じがするので、私は「ペット 児」(失礼!)と呼んでいる。柔和で、やさしい表情をしているが、生活力やたくましさに欠ける。 が、溺愛は愛ではない。このテストで高得点だった人は、まずそのことをはっきりと自分で確認 すること。そしてつぎに、その上で、子どもに生きがいを求めない。子育てを生きがいにしな い。子どもに手間、ヒマ、時間をかけないの三原則を守り、子育てから離れる。 の。この遊びがあるから、車も運転できる。子育ても同じ。 にはその視線が、ビンビンとこちらの体をつらぬくときさえある。そういう親の子どもは、たいて いハキがなく、暗く沈んでいる。ふつう神経質な子育てが日常的につづくと、子どもの心は内閉 する。萎縮することもある。(あるいは反対に静かな落ち着きが消え、粗放化する子どももい る。このタイプの子どもは、神経質な子育てをやり返した子どもと考えるとわかりやすい。) のは、きびしい鍛練を主とする教育法をいう。また極端主義というのは、やることなすことが極 端で、しかも徹底していることをいう。おけいこでも何でも、「させる」と決めたら、毎日、それば かりをさせるなど。要するに子育ては自然に任すのが一番。人間は過去数一〇万年もの間、 こうして生きてきた。子育てのし方にしても、ここ一〇〇年や二〇〇年くらいの間に、「変わっ た」と思うほうがおかしい。心のどこかで「不自然さ」を感じたら、その子育ては疑ってみる。 子どもをあてはめようとする。こまごまとした指示を、神経質なほどまでに子どもに守らせるな ど。このタイプの親にかぎって、よく「私は子どもを愛している」と言うが、本当のところは、自分 のエゴを子どもに押しつけているだけ。自分の欲望を満足させるために、子どもを利用してい るだけ。 変化しなければならない。子どもは家庭という場で、疲れた心をいやす。そのためにも、あまり こまごまとしたことは言わないこと。アメリカの劇作家のソローも、『ビロードのクッションの上に 座るよりも、気がねせず、カボチャの頭のほうがよい』と書いている。こまごまとしたことが気に なるなら、このソローの言葉の意味を考えてみてほしい。 る。しかしもし子どもが家庭で心をいやすことができたら、そのうちのほとんどは、そのまま解 決するはずである。そのためにも「いいかげんさ」を大切にする。「歯を磨かなければ、虫歯に なるわよ」と言いながらも、虫歯になったら、歯医者へ行けばよい。痛い思いをしてはじめて、 子どもは歯をみがくようになる。「宿題をしなさい」と言いながらも、宿題をしないで学校へ行け ば、先生に叱られる。叱られれば、そのつぎからは宿題をするようになる。そういういいかげん さが、子どもを自立させる。たくましくする。 もともとはわがままな性格のもち主で、自分の思いどおりにならないと気がすまない。 に押しつけようとする。本屋へ行っても、子どもに「好きな本を買ってあげる」と言っておきなが ら、子どもが何か本をもってくると、「それはダメ、こちらの本にしなさい」と、勝手にかえたりす る。子どもの意見はもちろんのこと、他人の話にも耳を傾けない。 存心が強くなり、善悪のバランス感覚が消える。「バランス感覚」というのは、善悪の判断を静 かにして、その判断に従って行動する感覚のことをいう。そのため言動がどこか常識ハズレに なりやすい。たとえばコンセントに粘土を詰めて遊んでいた子ども(小一男児)や、友だちの誕 生日のプレゼントに、虫の死骸を箱に入れて送った子ども(小三男児)がいた。さらに「核兵器 か何かで世界の人口が半分になればいい」と言った男子高校生や、「私は結婚して、早く未亡 人になって黒いドレスを着てみたい」と言った女子高校生がいた。 かってどんどんと積極的に伸びていく母親。もう一つは自分の世界の中だけで、さらにものの 考え方を先鋭化する母親である。外の世界に向かって伸びていくのはよいことだが、反対に自 分のカラを厚くするのは、たいへん危険なことでもある。こうした現象を「カプセル化」と呼ぶ人 もいる。一度こうなると、いろいろな弊害があらわれてくる。 になったりする。当然、子どもにも大きな影響が出てくる。五〇歳をすぎた男性だが、八〇歳の 母親の指示がないと、自分の寝起きすらできない人がいる。その母親はことあるごとに、「生ま れつきそうだ」と言っているが、そういう男性にしたのは、その母親自身にほかならない。 何かをする。しかしそれが悪循環となって、子どもはますます悪い方向に進む。とくに子どもの 心がからむ問題はそうで、「以前のほうが症状が軽かった」ということを繰り返しながら、症状 はさらに悪くなる。 ではない。同じように受験生をもった親に、「どこを受験するの?」「受験日はいつ?」「何学部 に受験するの?」などと聞くものではない。私はいつか、『受験家族は病人家族』という格言を つくったが、その通り。受験生をかかえる家族は、(もちろんそうでない家族も多いが)、「病人 家族」と考え、そっとしておいてあげることこそ、心づかいというもの。が、中には無神経な人が いる。先日も会うと、いきなりこう話しかけてきた女性(五〇歳)がいた。 の? 林さんのお子さんのことですから、さぞかしいいところに入ったのでしょうね」と。元、幼稚 園の教師で、数年間一緒に仕事をしたこともある女性だった。私はあまりのレベルの低い会話 にア然とした。いや、それ以上に、その女性が私を彼女と同レベルに思い込んでいる様子が不 愉快だった。 ポールでは、相手の出身大学を聞きあうのが初対面の会話のようにもなっている。「あなたは どこの大学ですか?」「で、学位は?」とかなど。新しいタイプの身分意識といってもよい。どこ か時代が逆戻りして、封建時代へ向かいつつあるかのような錯覚すら覚える。今のこの日本で はそこまでひどくはないが、一〇年前には、あるいは二〇年前には、台湾やシンガポール以上 に、学歴を気にした。今でも気にしている人は多い。 によっては、極度の緊張状態にある家族もある。子どもが受験期を迎えると、大半の親たちは 食事もノドを通らないほど、それを気にする。それがおかしいとか、おかしくないとかいう前に、 事実はそうなのだ。だから「進学校は話題にしない」。これは会話のエチケットのようなものだ。 かれるおじいちゃん、おばあちゃん」の条件は、(1)健康であること、(2)やさしいこと、(3)経 験が豊富であること、(4)控えめであることだった(一九九三年・浜松市内で約五〇人の同居 世帯で調査)。 でいうと、一番苦情の多かったトラブルは、「子どもの教育のことで口を出す」だった。「甘やか しすぎて困る」というのが、それに続いた。さらに「同居をどう思うか」という質問については、子 どもが生まれる前から同居したばあいには、ほとんどの母親が、「同居はよかった」と答えてい るのに対して、途中から同居したばあいには、ほとんどの母親が、「同居はよくない」と答えて いた。祖父母との同居を考えるなら、子どもが生まれる前からがよいということになる。 嫁姑戦争に発展する。母親もこと自分の子どものことになると、妥協しない。祖父母にしても、 孫が生きがいになることが多い。こじれると、別居か、さもなくば離婚かというレベルまで話が 進んでしまう。そこでこう考える。これは無数の相談に応じてきた私の結論のようなもの。 は、思い切って祖父母に任す。甘やかしなど問題もあるが、しかし子育て全体からみると、マイ ナーな問題。メリット、デメリットを考えるなら、デメリットよりもメリットのほうが多いので、割り切 ること。 ればよい。そうした前向きの姿勢が子どもを別の面で伸ばすことになる。 がら、うまく祖父母を誘導する。 るなら、さっさとあきらめるべきことはあきらめること。この割り切りがまずいと、母親自身の精 神生活にも悪い影響を与える。 ふつう、次の三つに分けて考える。 あり、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。私が「このグラフは正確でないから、 かきなおしてほしい」と話しかけただけで、ギャーと叫んで私に飛びかかってきた小学生(小四 男児)がいた。あるいは私が、「今日は元気?」と声をかけて肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ 野郎!」と私を足げりにした女の子(小五)もいた。こうした攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩す る、暴力を振るう、暴言を吐く)と、裏に隠れてするタイプ(弱い者をいじめる、動物を虐待する) に分けて考える。 のタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを叱れば叱るほ ど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが多い。 する(執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。最近 多く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起 こす。ある男の子(小五)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、まだ大切 そうにカバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その子どもはこう 言った。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメだというんでチョ」と。子ども の未来を日常的におどしたり、上の兄や姉のはげしい受験勉強を見て育ったりすると、子ども は幼児がえりを起こしやすくなる。 考えるとわかりやすい。これを代償行為というが、よく知られている代償行為に、指しゃぶり、 爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで何らかの快感を覚えることで、自分の欲求不満を 解消しようとする。 調すると考えるとわかりやすい。「心の病気」ととらえる人もいる。実際アメリカでは、非行少年 に対して薬物療法をしているところもある。それはともかくも前兆がないわけではない。その一 つ、生活習慣がだらしなくなる。たとえば目標や規則が守れない(貯金を使ってしまう。時間に ルーズになる)、自己中心的(ゲームに負けると怒る。わがままで自分勝手)になり、無礼、無 作法な態度(おとなをなめるような言動、暴言)が目立つようになる。この段階で家庭騒動、家 庭崩壊など、子どもを取り巻く環境が不安定になると、症状は一挙に悪化する。 エ〜」と拒否する。意識的に拒否するというよりは、条件反射的に拒否する)、(2)破滅的態度 (ものの考え方が、投げやりになり、他人に対するやさしさや思いやりが消える。無感動、無関 心になる。他人への迷惑に無頓着になる。バイクの騒音を注意しても、それが理解できない)、 (3)自閉的態度(自分のカラに閉じこもり、独自の価値観を先鋭化する。「死」「命」「殺」などと いう、どこか悪魔的な言葉に鋭い反応を示すようになる。「家族が迷惑すれば、結局はあなた も損なのだ」と話しても、このタイプの子どもにはそれが理解できない。親のサイフからお金を 抜き取って、それを使い込むなど)、(4)野獣的態度(行動が動物的になり、動作も、目つきが 鋭くなり、肩をいからせて歩くようになる。考え方も、直感的、直情的になり、「文句のあるヤツ は、ぶっ殺せ」式の、短絡したものの考え方をするようになる)など。心の中はいつも緊張状態 にあって、ささいなことで激怒したり、キレやすくなる。また一度激怒したり、キレたりすると、感 情をコントロールできなくなることが多い。 分をコントロールすることができる。が、その糸が切れたとき、あるいは子どもが「切れた(捨て られた)」と感じたとき、子どもの非行は一挙に加速する。だから子どもの心がゆがみ始めたら (そう感じたら)、なおさら、その糸を大切にする。「どんなことがあっても、私はあなたを愛して いますからね」「どんなことがあっても、私はあなたのそばにいますからね」という姿勢を、徹底 的に貫く。 が、たとえばつぎのようなものがある。 ケチになりやすい。それに反して二男や二女は、モノにこだわらなくなり、気前よくなったり、ズ ボらになったりしやすい。 人っ子の性格をもちやすいことを言ったもの。ともにわがままで、社会性がなくなるなど。反対 に双子というのは、互いによい影響を受けやすく、社交的で活発になる。 いによっては、互いに憎しみあうことがある。私の知人の娘たちだが、一人の男性をとりあっ て、まさに殺し合い寸前までのことをしたという。 もったような状態になり、甘えん坊になりやすいことを言ったもの。 なりやすいことがある。兄には神経質に手をかけすぎたり、反対に弟は放任したりすることなど によるが、そういうとき親はよくこう言う。「足して二で割れば、お互いに平均児なんですけどね エ」と。 る。そのときでも、すぐ下に弟がいたりすると、さらに男まさりになったりする。いわゆる姉御(あ ねご)タイプになりやすい。 思いが強いからである。そのため、どうしてもあれこれ手をかけてしまう。また親側にも、子育 ての余裕ができ、子どもをより広い包容力で包むことができる。そのため末っ子は甘えん坊に なりやすい。つまり依存心がつきやすい。 不足から、人なつっこくなりやすい。しかしその反面、心を許さないという面もある。 とした性格になることを言ったもの。つまりそれだけできが悪くなることを言ったもの。 中で、長い時間をかけて性格がつくられていく。そういう面はたしかに否定できない。 小学五年生の子どもを、中学生の間に座らせて勉強させるなど。しばらくの間はそれにとまど うが、やがてそれになれてくると、子どもに変化が現れてくる。こんなことがあった。 など。そこで親と相談して、中学生の間に座らせてみることにした。で、それから数か月後、気 がついてみると、N君のつっぱり症状はウソのように消えていた。あとで母親に話を聞くと、こう 教えてくれた。N君の趣味はサッカー。その一緒にすわった中学生の中に、サッカー選手がい たのだ。N君は毎回家へ帰ると、親たちにその中学生の話ばかりしていたという。それがよか った。N君はいつしかその中学生をまねるようになり、勉強グセまでもらってしまった。母親はこ う言った。「サッカーの試合があったりすると、こっそりと隠れて応援に行っていたようです」と。 をあたえるものはない。そこでもしあなたの周辺に、(1)一〜二歳年上で、(2)めんどうみのよ い子どもがいたら、無理をしてでもよいから、その子どもと遊ばせるとよい。「無理をして」という のは、親どうしが友だちになったり、仲よくしながらという意味である。あなたの子どもはその子 どもの影響を受けて、すばらしい子どもになる。 るが、そうすればしたで、それは子どもに向っては、友を取るか、親を取るかの二者択一を迫 るようなもの。あなたの子どもがあなたを取ればよいが、友を取ればその時点で親子の間に大 きなキレツを入れることになる。そういうときは、どこがどう悪いかだけを話し、あとは子どもの 判断に任せるようにする。 じめて、その価値に気づく。健康しかり、家族しかり、そして子どものよさもまたしかり。(納 得?) も結果。結果はいつもあとからついてくるもの。大切なのは、いかに「今」というときを懸命に生 きるかということ。(納得?) 経験や知識のウズの中で自分を見失う。あるいは中には、見苦しくなる人だっている。(納 得?) まをいう。世間体を気にしながら、いつも他人の目の中で生きることは、結局はその人の人生 を見苦しくする。(納得?) っとも大切にしなければならないのは、家族である。(納得?) 地よい響きがする。人を裏切ったり、キズつけたりすると、不愉快なひびかがする。そういう常 識をいつも大切にしながら、ものを考える。(納得?) 忘れる。つまり「許して忘れる」。この度量の深さによって、親の愛の深さが決まる。(納得?) うこと。子どもの夢や希望を大切にしながら、子ども自身が生きることを楽しみにさせるのがコ ツ。(納得?) らこういうふうに子育てをするのですよ」「あなたが親になったら、こういうふうに子どもを叱るの ですよ」と。子育てでもっとも大切なことは、幸福な家庭というのがどういうものであるか、その 見本をしっかりと子どもに見せておくこと。(納得?) なたの人生はあなたのもの。たった一度しかない人生だから、思う存分、この世界を羽ばたき なさい」と言って背中をたたいてあげる。それでこそ親は親としての義務を果たしたことになる。 (納得?) 教育の要は、「親孝行」。親にさからう子どもは、必ず失敗する。(納得?) いう意味でも父親は、家庭の中心で、デーンとすわっていればよい。父親が家事をするなど、 言語道断。(納得?) におおいに勉強して、よい高校、よい大学へ入ることは重要なことである。(納得?) 段である。人間は平等であるとはいうものの、力のある人、努力した人が成功するのは当然で あり、その結果、その人がよい生活をしたところで、だれも文句はないはずだ。(納得?) い。親にはいつも「先人の知恵」がある。その知恵というのは、親から子どもへと代々受け継が れていくものである。(納得?) 自由を放任しすぎた結果である言ってもよい。子どもは義務教育の中で、耐え忍ぶことを学ば なければならない。(納得?) からの英語教育には反対である。まずすべきは正しい日本語、美しい日本語の取得であり、 英語教育はそのつぎでよい。(納得?) たおかげで、その恩恵を受けた国も多い。日本がすべて悪いという論法は、おかしい。(納 得?) 識を教えることは大切なことである。国旗や国歌を尊重するのは、日本人として当たり前のこと である。(納得?) も、自国の教科書の中では、自分の国をたたえているではないか。子どもたちにまちがったこ とを教えないという意味でも、教科書の検定制度は必要である。(納得?) アヌ・リーブズの映画「マトリックス」を見たとき、私はこの世界も、同じようなものだと思いまし た。本当に大切なもの(マトリックス)を忘れ、多くの人たちは、バーチャルな、つまりは人間が つくりあげた架空の世界に生きている、と。 を音に変えているだけ。私「ウサギさんは、だれに会いましたか?」、子「……わかんない」、私 「クマさんは、うれしかったのかな?」、子「……わかんない」と。読みの深い子どもは、一ペー ジごとに、挿絵を見たり、前のページをのぞいたりするので、むしろ読む速度が落ちる。またそ ういう読み方のほうが好ましいことは言うまでもない。 と、草の中に大きな穴がありました。リスさんは、その穴に落ちて、おおけがをするところでし た。そこでリスさんは、あとから来た人が穴に落ちないように、立て札を立てることにしました。 その立て札には何と書けばよいでしょうか」と。 が書けない文字があったら、そのつど教えてもかまわない。で、このテストで子どもが、「ここは 穴があるからあぶない」とか、「穴に気をつけて」というような文章が書ければよし。「これは立 て札です」とか、「あなたはここを歩いています」とか、どこかトンチンカンなことを書くようであれ ば、あまり表現力はないとみる。ちなみに年長児で、まあまあそれらしき文章を書くことができ るのは約五〇%。 本などを読み聞かせてもらっている子どもとみる。どこか抑揚が不自然と感じたら、子どもには たくさん本を読んであげるとよい。 る人がいる。決してムダではないが、国語力というのは、日常生活の中で身につく。たとえば 「ウサギさんの足はヒリヒリ痛みました」という文章があったとする。親はそれを読んであげるこ とで、「ヒリヒリ」の意味を子どもが理解したと思う。しかしそれだけでは足りない。子どもがその 言葉の意味を理解するようになるためには、実際、子どもがけがをしたようなとき、「ヒリヒリ痛 いの?」と聞いてあげねばならない。そういう体験があってはじめて、子どもは「ヒリヒリ」の意味 がわかるようになる。 もっと言えば、子どもが将来、国語が得意になるかどうかは、親の言葉能力で決まるというこ と。学校で学ぶ国語は、その延長線上にあるにすぎない。いわんやワークやドリルで、国語力 がつくと考えるのは大きな誤解である。 本飲む量に等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを四本は飲めない。飲めば飲んだで、腹の中 がガボガボになってしまう。アイスやソフトクリームもそうだ。子どもの顔よりも大きなソフトクリ ームを一個子どもに食べさせておきながら、「うちの子は小食で困っています」は、ない。 でまず疑ってみるべきは、低血糖。一度に甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を大量に 与えると、その血糖値をさげようとインスリンが大量に分泌される。が、血糖値がさがっても、さ らに血中に残ったインスリンが、必要以上に血糖値をさげてしまう。つまりこれが甘い食品を大 量にとることによる低血糖のメカニズムだが、一度こういう状態になると、脳の抑制命令が変 調をきたす。そしてここに書いたように、突発的に興奮状態になって大声をあげたり、暴れたり する。このタイプの子どもは、興奮してくるとなめらかな動きがなくなり、カミソリでものを切るよ うに、スパスパした動きになることが知られている。アメリカで「過剰行動児」として、二〇年ほ ど前に話題になったことがある。日本でもこの分野の研究者は多い(岩手大学名誉教授の大 澤氏ほか)。そこでもしあなたの子どもにそういう症状が見られたら、一度砂糖断ちをしてみる とよい。効果がなくて、ダメもと。一周間も続けると、子どものによってはウソのように静かに落 ち着く。 事がのろい」など。幼稚園児についていうなら、全体の約五〇%が、この問題で悩んでいる。 で、もしそうなら、一度冷蔵庫をカラにしてみる。お菓子やスナック菓子類は、思いきって捨て る。「もったいない」という思いが、つぎからのムダ買いを止める力になる。そして子どもが食事 の間に口にできるものを一掃する。子どもの小食で悩んでいる親というのは、たいてい無意識 のうちにも、間食を黙認しているケースが多い。もしそうなら、間食はいっさい、やめる。 よりも多い食物を与えながら、「少ない」と悩んでいるケースもある。子どもが健康なら、小食 (?)でも問題はないとみる。 よ」とか、「先生の話をよく聞くのですよ」とかなど。こういうことを言っても、言う親の気休め程度 の意味しかない。こういうときは、たとえば「これを○○君にもっていってあげてね。○○君は喜 ぶわ」とか、「今日、学校から帰ってきたら、終わりの会で先生が何と言ったか、あとでママに話 してね」と言いかえる。「交通事故に気をつけるのですよ」というのもそうだ。 溝の中に入って遊ぶのをやめなかった。母親が「汚いからダメ」と言っても、効果がなかった。 そこでその母親は、家庭排水がどこをどう通って、その下水溝に流れるかを説明した。近所の 家からはトイレの汚水も流れこんでいることを、順に歩きながらも見せた。子どもは相当ショッ クを受けたようだったが、その日からその子どもは下水溝では遊ばなくなった。 してみせる。ダンボールで車をつくり、交通事故のありさまを迫真の演技でしてみせるのであ る。……車がやってくる。子どもが角から飛び出す。車が子どもをはね飛ばす。子どもが苦し みながら、あたりをころげまわる……と。気の弱い子どもだと、「こわい」と泣き出すかもしれな いが、子どもの命を守るためと考えて、決して手を抜いてはいけない。迫真の演技であればあ るほど、よい。たいてい一回の演技で、子どもはこりてしまい、以後道路へは飛び出さなくな る。 劇法を試してみるとよい。具体的であるがために、説得力もあり、子どももそれで納得する。 親はいても、「いい家庭」を誇る親は少ない。日本人は伝統的に、仕事第一主義。学歴第一主 義。もっと言えば出世第一主義。しかしその陰で犠牲にしているものも多い。その一つが、「家 庭」であり「家族」。こんな家族がいる。 そして家族が力を合わせてその娘を支えることにした。娘は学校へは行かなかったが、母親 は娘にあれこれ経験させることだけは忘れなかった。その中の一つが、絵画。娘はその絵画 をとおして、やがてろうけつ染に興味をもつようになった。で、年齢的には中学二年生のとき に、市内で個展を開くまでになった。こういう家族をすばらしい家族という。 壊してしまうような親だ。その日のノルマがやっていないと、その父親は、子どもを真夜中でも ふとんの中から引きずり出してそれをさせていた。私が「何もそこまで……」と言うと、その親は こう言った。「いえ、私が多少嫌われてもし方ないことです。息子さえいい中学へ入ってくれれ ば。息子もいい学校へ入ってくれれば、私を許してくれるでしょう」と。このタイプの親の頭の中 には、「いい家族」はない。脳のCPU(中央演算装置)そのものがズレているから、私のような 意見そのものが理解できない。それはちょうど映画『マトリックス』に出てくるような世界のような もの。現実と仮想世界が入れ替わり、仮想世界に住みながら、そこが仮想世界だとすら気が つかない。本来大切にすべきものを粗末にし、本来大切でないものを大切だと思い込んでしま う。 だちの数こそが財産だよ」と。彼のこの言葉を借りるなら、「一番大切なのは、家族だよ。家族 のきずなこそ財産だよ」ということになる。 とわかるようになる。手の運筆能力が固定化してくるためと考えられる。その運筆能力は、子 どもに丸(○)を描かせてみるとわかる。運筆能力のある子どもは、きれいな、つまりスムーズ な丸を描くことができる。そうでない子どもは、多角形に近いぎこちない丸を描く。(縦線を描くと きと横線を描くときは、指、手、手首の動きは基本的に違う。違うことは一度、自分で縦線と横 線を描き、それらがどう変化するかを観察してみるとわかる。さらに丸を描くときは、これから がきわめて複雑な動きをするのがわかる。つまりきれいな丸を描くというのは、それだけたい へんということ。) のない子どもに書道をならわせると、見た目にはきれいな文字を書くようになるが、今度は時 間ばかりかかって、先へ進めなくなってしまう。学校の授業でも、先生が黒板に文字を書く速さ についていけない子どもはいくらでもいる。以前、M君(小二男児)がいた。文字はきれいだ が、とにかく遅い。皆が書き終わっても、まだノロノロと書いている。そこである日、私はきつく 注意した。「はやく書きなさい!」と。とたんM君ははやく書くようになったが、私はその文字を 見て心底驚いた。文字がめちゃめちゃだったのだ。しかしそれがM君の本来の文字だった。 塗り絵で訓練すると、こまかい四角や丸い部分を、いろいろな線を使って塗りつぶそうとする。 そうなればしめたもの。(塗り絵になれていない子どもは、横線なら横線ばかりで色を塗ろうと するから、線があちこち飛び出したりする。)文字の学習に先立って、子どもには塗り絵をさせ る。あとあと文字がきれいに書けるようになる。 鉛筆は、親指とひとさし指でつかみ、中指でうしろから支えるようにしてもつ。(だからといってそ れが正しいもち方ということにはならないが……。)鉛筆を使い始めたら、一度正しいもち方を 教えるとよい。ちなみに年長児で、鉛筆を正しくもてる子どもは約五〇%。クレヨンをもつように してもつ子どもが、三〇%。残りの二〇%は、きわめて変則的なもち方をするのがわかってい る(筆者調査)。 る心があるはず」とか。先日も朝のワイドショーを見ていたら、キャスターの一人がそう言ってい た。しかし実際には、人知れず子どもを愛することができないと悩んでいる母親は多い。「弟は 愛することができるが、兄はどうしてもできない」とか、あるいは「子どもがそばにいるだけで、 わずらわしくてしかたない」とかなど。私の調査でも子どもを愛することができないと悩んでいる 母親は、約一〇%(私の母親教室で約二〇〇人で調査)。東京都精神医学総合研究所の調 査でも、自分の子どもを気が合わないと感じている母親は、七%もいることがわかっている。そ して「その大半が、子どもを虐待していることがわかった」(同、総合研究所調査・有効回答五 〇〇人・二〇〇〇年)そうだ。 という。(妹尾氏らは虐待の診断基準を作成し、虐待の度合を数字で示している。妹尾氏は、 「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」などの一七項目を作成し、それぞ れについて、「まったくない……〇点」「ときどきある……一点」「しばしばある……二点」の三段 階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あり」が、有効回答(四九四人)のう ちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、「虐待なし」が、六一%であったという。) し根が深いのではないか。その一つのヒントとして、今の母親たちの世代というのは、日本が 高度成長をやり遂げた時期に乳幼児期を過ごしている。そしてそのうちの大半が、かなり早い 時期から親の手を離れ、保育園や保育所へ預けられた経験をもっている。つまり生まれなが らにして、本来あるべき親の愛情が希薄な状態で育てられている。もちろんそれだけが理由と は言えないが、子育てというのは本能でできるようになるわけではない。親の温かい愛情に包 まれて育ってはじめて、親になったとき、自分も子どもを温かい愛情で包むことができる。この ことを考え合わせると、子どもを虐待する親というのは、そもそもそういう温かい愛情を知らな い親と考えてよい。そしてその理由として、日本が戦後経験した、いびつな社会構造にあるの ではないかと考えられる。私たち日本人は、仕事第一主義のもと、「家庭」や「家族」をあまりに もないがしろにし過ぎた。つまり今にみる子どもへの虐待は、あくまでもその結果でしかないと いうことになる。 どもを虐待する親を、ただ一方的に責める傾向があるが、その親たちもまた現在の社会が生 み出した犠牲者と考えてよい。虐待に対する一つの見方としてこの原稿をとらえてほしい。 とわかるようになる。手の運筆能力が固定化してくるためと考えられる。その運筆能力は、子 どもに丸(○)を描かせてみるとわかる。運筆能力のある子どもは、きれいな、つまりスムーズ な丸を描くことができる。そうでない子どもは、多角形に近いぎこちない丸を描く。(縦線を描くと きと横線を描くときは、指、手、手首の動きは基本的に違う。違うことは一度、自分で縦線と横 線を描き、それらがどう変化するかを観察してみるとわかる。さらに丸を描くときは、これから がきわめて複雑な動きをするのがわかる。つまりきれいな丸を描くというのは、それだけたい へんということ。) のない子どもに書道をならわせると、見た目にはきれいな文字を書くようになるが、今度は時 間ばかりかかって、先へ進めなくなってしまう。学校の授業でも、先生が黒板に文字を書く速さ についていけない子どもはいくらでもいる。以前、M君(小二男児)がいた。文字はきれいだ が、とにかく遅い。皆が書き終わっても、まだノロノロと書いている。そこである日、私はきつく 注意した。「はやく書きなさい!」と。とたんM君ははやく書くようになったが、私はその文字を 見て心底驚いた。文字がめちゃめちゃだったのだ。しかしそれがM君の本来の文字だった。 塗り絵で訓練すると、こまかい四角や丸い部分を、いろいろな線を使って塗りつぶそうとする。 そうなればしめたもの。(塗り絵になれていない子どもは、横線なら横線ばかりで色を塗ろうと するから、線があちこち飛び出したりする。)文字の学習に先立って、子どもには塗り絵をさせ る。あとあと文字がきれいに書けるようになる。 鉛筆は、親指とひとさし指でつかみ、中指でうしろから支えるようにしてもつ。(だからといってそ れが正しいもち方ということにはならないが……。)鉛筆を使い始めたら、一度正しいもち方を 教えるとよい。ちなみに年長児で、鉛筆を正しくもてる子どもは約五〇%。クレヨンをもつように してもつ子どもが、三〇%。残りの二〇%は、きわめて変則的なもち方をするのがわかってい る(筆者調査)。 ッパをひもでつないで、電車ごっこなど。時計を水の入ったコップに入れて遊んでいた子ども (小三)がいた。母親が「どうしてそんなことをするの?」と聞いたら、「防水と書いてあるから、 その実験をしているのだ」と。ただし同じいたずらでも、コンセントに粘土をつめる。絵の具を溶 かして、車にかけるなどのいたずらは、好ましいものではない。善悪の判断にうとい子どもは、 とんでもないいたずらをする。 ある。アメリカの「サイエンス」という雑誌に、そういう論文が紹介された。で、この話をすると、 ある母親が、「では」と言って、ほとんど毎日、自分の子どもにガムをかませた。しかもそれを 年長児のときから、数年間続けた。で、その結果だが、その子どもは本当に、頭がよくなってし まった。この方法は、どこかぼんやりしていて、何かにつけておくれがちの子どもに、特に効果 がある。……と思う。 三、四年生以上の力があったと思う。で、その秘訣を母親に聞いたら、こう教えてくれた。「赤ち ゃんのときから、毎日本を読んで、それをテープに録音して、聴かせていました」と。母親の趣 味は、ドライブ。外出するたびに、そのテープを聴かせていた。 る。子どもの運動能力の基本は、敏しょう性によって決まる。その敏しょう性。一人、ドッジボー ルの得意な子ども(年長男児)がいた。その子どもは、とにかくすばしっこかった。で、母親にそ の理由を聞くと、「赤ちゃんのときから、はだしで育てました。雨の日もはだしだったため、近所 の人に白い目で見られたこともあります」とのこと。子どもを将来、運動の得意な子どもにした かったら、できるだけはだしで育てるとよい。 たとえばサッカーが好きな子どもには、サッカーの本を与える。ゲームが好きな子どもなら、ゲ ームの攻略本でもよい。児童文学書などを無理に与えても、たいてい失敗する。私もあの文学 者の書いた本が、どうも性に合わない。最近はほとんど読んだことがない。(これはたまたま私 が出会った文学者というのが、どの人もまともでないという印象を受けたためだと思う。) は書店へ行くと、どうしても一、二年レベルの高い本に手を子どもに買い与えようとする。しかし ちょっとしたこの無理が、子どもを本から遠ざける。しかし子どもを本好きにさせようと考えるな ら、レベルをさげる。(もともとレベルというのは、いいかげんなものだということもあるが、いわ ゆる児童文学者というのは、本当に子どものレベルを知っていて本を書いているのではない。 せいぜい漢字の使い方で、年齢別にしているに過ぎない。) っている。どうせ買い与えるなら、教科書がよい。内容も吟味されているが、値段も安い。何も 国語の教科書に限らない。算数でも社会でもよい。理科でもよい。最近の教科書は子どもが楽 しみやすいように工夫してあるので、読み物としてもそれなりにおもしろい。 せる。これを動機づけという。動機づけがうまくいくと、あとは子どもが自らの力で本を読むよう になる。こうなればしめたもので、あとは子ども自身に任せればよい。 年調査)によれば、「毎日、趣味で読書をするか」という問いに対して、日本の生徒(一五歳)の うち、五三%が、「しない」と答えている。この割合は、参加国三二か国中、最多であった。また 同じ調査だが、読解力の点数こそ、日本は中位よりやや上の八位であったが、記述式の問題 について無回答が目立った。無回答率はカナダは五%、アメリカは四%。しかし日本は二 九%! 文部科学省は、「わからないものには手を出さない傾向。意欲のなさの表れともとれ る」(毎日新聞)とコメントを寄せている。 長していく喜びを知る。それだけではない。子どもはアルバムを通して、過去と、そして未来を 学ぶ。ある子ども(年中男児)は、父親の子ども時代の写真を見て、「これはパパではない。お 兄ちゃんだ」と言い張った。子どもにしてみれば、父親は父親であり、生まれながらにして父親 なのだ。一方、自分の赤ん坊時代の写真を見て、「これはぼくではない」と言い張った子ども (年長男児)もいた。ちなみに年長児で、自分が哺乳ビンを使っていたことを覚えている子ども は、まずいない。哺乳ビンを見せて、「こういうのを使ったことがある人はいますか?」と聞いて も、たいてい「知らない」とか、「ぼくは使わなかった」と答える。記憶が記憶として残り始めるの は、満四・五歳前後からとみてよい(※)。このころを境にして、子どもは、急速に過去と未来の 概念がわかるようになる。それまでは、すべて「昨日」であり、「明日」である。「昨日の前の日 が、おととい」「明日の次の日が、あさって」という概念は、年長児にならないとわからない。が、 一度それがわかるようになると、あとは飛躍的に「時間の世界」を広める。その概念を理解す るのに役立つのが、アルバムということになる。話はそれたが、このアルバムには、不思議な 力がある。 た。また別の子ども(小三男児)は、寝る前にいつも、絵本がわりにアルバムを見ていた。つま りアルバムには、心をいやす作用がある。それもそのはずだ。悲しいときやつらいときを、写真 にとって残す人は、まずいない。アルバムは、楽しい思い出がつまった、まさに宝の本。が、そ れだけではない。冒頭に書いたように、子どもはアルバムを見ながら、そこに自分の未来を見 る。さらに父親や母親の子ども時代を知るようになると、そこに自分自身をのせて見るようにな る。それは子どもにとっては恐ろしく衝撃的なことだ。いや、実はそう感じたのは私自身だが、 私はあのとき感じたショックを、いまだに忘れることができない。母の少女時代の写真を見たと きのことだ。「これがぼくの、母ちゃんか!」と。あれは私が、小学三年生ぐらいのときのことだ ったと思う。 た。小さな移動式の書庫のようになっていて、そこには一〇〇冊近いアルバムが並んでいた。 それを見て、私も、息子たちがいつも手の届くところにアルバムを置いてみた。最初は、恩師 のまねをしただけだったが、やがて気がつくと、私の息子たちがそのつど、アルバムを見入っ ているのを知った。ときどきだが、何かを思い出して、ひとりでフッフッと笑っていることもあっ た。そしてそのあと、つまりアルバムを見終わったあと、息子たちが、実にすがすがしい表情を しているのに、私は気がついた。そんなわけで、もし機会があれば、子どものそばにアルバム を置いてみるとよい。あなたもアルバムのもつ不思議な力を発見するはずである。 なことがあった。S君(年中児)は父親が新車を買ってきたときのこと、車の中のスイッチに異 常なまでの興味をもった。そこで母親から相談があったので、私はパソコンを買ってあげること をすすめた。パソコンはスイッチのかたまりのようなもの。案の定S君はそのパソコンにのめり こみ、小学三年生のときにはベーシックを。中学生になるころには、C言語をマスターするまで になった。Tさん(二歳児)もそうだ。お風呂に入っても、お湯の中に平気でもぐって遊んでいた という。そこで母親が水泳教室へ入れてみたのだが、まさに水を得た魚のようにTさんは泳ぎ 始めた。そのTさんは中学生のときには、全国大会に出場するまでに成長した、などなど。 は坂をころげ落ちるかのように、勉強から遠ざかってしまう。そのためだけというわけではない が、子どもには一芸をもたせる。その一芸が子どもを側面から支える。さらに「芸は身を助け る」の格言どおり、その一芸がその子どもの天職となることもある。M君(高校生)は、不登校 を繰り返し、ほとんど高校へは行かなかった。そのかわり近くの公園で、ゴルフばかりしてい た。で、それから一〇年後、ひょっこり私の家にやってきて、いきなりこう言った。「先生、ぼくの ほうが先生より、(お金を)稼いでいるよね」と。M君はゴルフのプロコーチになっていた。 「これだけは絶対、人に負けない」という状態にする。また周囲の子どもの側からすれば、「こ れについては、あいつしかできない」という状態にする。 ルガンやゲームのカードを集めるというのは、ここでいう芸ではない。 大きな影響を受ける。よくある例が、「成績がさがったから、(好きな)サッカーはやめさせる」と いうもの。こういうケースで、サッカーをやめさせればさせたで、成績はかえってさがる。こんな ケースがある。 さがったこともあり、父親がそれを強引に禁止した。とたん。H君の情緒は不安定になってしま った。まず朝起きられなくなり、つづいて昼と夜が逆転し始めてしまった。食事も不規則になり、 食べたり食べなくなったりするなど。何とか学校へは行くものの、感情的な反応そのものが鈍く なってしまった……。 いることが多い。いわば自分の心のすきまを生めるための代償的行為ともいえるもので、それ を奪うと、子どもによってはここにあげるH君のようになる。H君は学校で疲れた心を、音楽を 作曲することでなぐさめていた。それを父親が奪ってしまったのだから、H君の症状は当然とい えば当然の結果でもあった。 子(中学生)は手芸で、また別の男の子(小学生)はスケボーで自分を光らせていた。もしそう であるなら、それを奪う権利は親にもない。さらに……。 進んでいる。たとえばアメリカでは、大学でも入学後の学部変更や、さらには大学から大学へ の転籍すら自由化されている。より高度な勉強を求めて、大学から大学へと渡り歩いている学 生すらいる。「学歴」にこだわる理由そのものがない。そしてそれが今、国際間でもなされてい る。日本もやがてそうなるのだろうが、そういう意味でも子どもの一芸を大切にする。 のよいところは、夏休みの間と違って、旅行するにも、格安で、また行楽地がふだんよりもすい ていることです。いろいろ計画があります。このマガジンは、今のところ毎週発行しています が、春休み中は、気が向いたら(失礼!)、不定期にときどき発行するつもりでいます。そのと きはよろしくお願いします。皆さんの子育てでお役にたてるよう、できるだけ実用的な記事を集 めました。 にお会いできたのが、何よりも収穫でした。隣の席でいつもすばらしい意見を聞かせてくれた のが、藤井フミヤ氏でした。私にはたいへんよい経験になりました。私をのぞいて、皆さん、第 一級の世界でがんばっておられる人たちでした。 勉というのは、いかにも勉強していますというような様子だけを見せる勉強をいう。しかしその 実、何もしない。ダラ勉というのは、簡単な計算問題を一〇〜三〇分もかけてするなど。あるい は描かなくてもよいようなグラフを、いつまでも描きつづけたりする。さらに時間ツブシというの は、勉強のあいまに、シャーペンの芯を出したり入れたり、ときにあちこちに落書きをしたりしな がら時間をつぶすことをいう。小学校の低学年で一度、こういう症状を見せると、その修復は たいへんむずかしい。それがその子どもの勉強方法として定着してしまうからである。無理、強 制が日常的につづくと、子どもはそうなるが、この段階でそれに気づく親はまずいない。「やれ ばできるはず」「そんなはずはない」と子どもを追い立てる。その悪循環がますます子どもをし て、勉強から遠ざける。 の能力と思い、あきらめる。しかもその時期は早ければ早いほどよい。小学一年生でも早過ぎ るということはない。……と書くと、たいてい「まだ一年生ですよ!」と言う親がいる。しかし一年 生だから、あきらめる。もう少し年齢が大きくなって、自意識でコントロールできるようになると、 自分で勉強に向かうようになる。しかしその前に勉強グセをつぶしてしまうと、ここに書いたよう に修復そのものがむずかしくなる。(あるいは不可能になる。) つもカンニングをして、その場をごまかすようになる。しかもそれが天才的に(?)うまくなる。先 生の目を盗み、隣の子どもの答などを、そのまま丸写しにしたりする。小学二年生で、このタイ プの子どもは、二〇人もいれば必ず一人はいる。もうこうなると、学力が身につくことなど、望 むべくもない。 味をいだかせるような努力)をしっかりとしながら、達成感(やり遂げたという喜び)を感じさせな がら、少しずつ学習に向かわせる。英語には、「火をともして、引き出す」という格言がある。家 庭教育の鉄則にもなっている。それはある意味でたいへんなことだが、子どもに勉強させるの は、それくらいたいへんなことだということを、まず親が自覚すること。またその前提で、子ども の勉強を考えること。 その子どもの人間性そのものにまで影響を与える。「原始的」というのは、犬やネコをみれば わかる。犬やネコは、一方だけをかわいがると、他方ははげしく嫉妬する。また「人間性」という のは、情緒面のみならず、精神面にも大きな影響を与えるということ。そしてそれは多くのばあ い、行動となって表れる。 になったりする。幼児のばあい、原因不明の身体の不調(発熱、下痢、嘔吐)を訴えることもあ る。「外」に出ると、いじめや動物への虐待となることが多い。嫉妬がからんでいるばあいに は、それが相手に向けられたときには、「殺す」というところまでする。残虐かつ陰湿になるの が特徴で、容赦しないのが特徴。弟に向かって自転車で突進したケースや、弟を逆さづりにし て頭から落としたケース、さらに妹の人形をバラバラにしてしまったケースや、妹をトイレに閉じ 込めてしまったケースなどがある。一人、妹にお菓子と偽り、チョークを口の中に入れた女の 子(小二)もいた。また動物への虐待では、飼っていたハトの背中に花火をくくりつけ、ハトを殺 してしまったケース、つかまえてきたカエルを地面にたたきつけて殺してしまったケースなどが ある。 は、愛情問題を疑ってみる。そういうときは抱いてみるとわかる。最初は抵抗する様子を見せ るかもしれないが、強引に抱き込んだりすると、そのまま静かに落ち着く。 る。中に、わざと子どもを嫉妬させながら、親への依存心をもたせる人がいる。一昔前の親が よく使った方法だが、依存心をもたせるという意味で、好ましくないことは言うまでもない。 で、調査そのものがあまり意味がない。が、それと同時に弊害も表面化してきた。それらを並 べると…… 報は流さない。一方的に相手を観察するだけで、自分の正体は明かさない。あるいは他人の 意見を知り、それを攻撃することはできても、自分の意見は述べない。情報が一方通行化す る。 世界から抹殺してしまう。その後その相手からメールが入っても、それを受けつけないか、無 視する。 をしながら、その色分けをはっきりする。中間色的なつきあいができなくなる。 の感じない状態のほうが、つきあいやすい。自分の側の臭いや味、感情も文の上でコントロー ルしようとする。一方、現実の世界の人間とは、心を結べなくなる。 「バカだなあ」と書いたとする。相手は冗談のつもりで書いたとしても、その「冗談」の部分はわ からない。わからないから、こちらの感情でその文を読んで、ときには憤慨したり、怒ったりす る。 に固執する。 うとする。またそれを知らない人を、よそ者的に排斥しようとする。 化、愚鈍化が進む。一日の行動が決められず、電話の運勢占いにすべてをかける。 の人と直接対面すると、何も話せない。 会話能力の低下、思考能力の低下をきたす。 がなくなった分だけ、黙々と携帯に文字を打ち込んでいる。 虚言、それに(3)虚言。空想的虚言というのは、脳の中に虚構の世界をつくりあげ、それをあ たかも現実であるかのように錯覚してつくウソのことをいう。行為障害による虚言は、神経症に よる症状のひとつとして表れる。習慣的な万引き、不要なものをかいつづけるなどの行為障害 と並べて考える。これらのウソは、自己正当化のためにつくウソ(いわゆる虚言)とは区別して 考える。空想的虚言については、ほかで書いたのでここでは省略する。 要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症というが、ふつう神経症に よる症状は、つぎの三つに分けて考える。 (周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、虚言癖(日常的にウソをつ く)、不安症状(理由もなく悩む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱してわけのわからないことを 言ってグズグズしたり、反対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもある。 頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発 熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面で の神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号とと らえて警戒する。 に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無 関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出 歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもある。 る。叱ったり、ウソを追いつめても意味がないばかりか、症状をさらに悪化させる。愛情豊かな 家庭環境を整え、濃厚なスキンシップを与える。あなたの親としての愛情が試されていると思 い、一年単位で、症状の推移を見守る。「なおそう」と思うのではなく、「これ以上症状を悪化さ せないことだけ」を考えて対処する。神経症による症状がおさまれば、ウソも消える。 るという。日本語クラスを閉鎖した学校もあるという。国外での「日本離れ」は、今、急速に進ん でいる。こうした現状を、日本人はどれだけ知っているだろうか。東京の株式市場に上場して いる外国企業も、125あまりから、現在は36社(90年)程度にまで減っている(2000年1 月)。今年に入って、マクドナルド、ネスレ、ドレスナー銀行も日本からの撤退を決めている。ア ジアの経済の中心は、シンガポールに移ってしまった。いまだに「日本は経済大国だ」「アジア の中心だ」と思っている人が多いのには、驚かされる。日本の教育改革は、30年は遅れた。 教育がにっちもさっちもいかなくなって、いまごろ「改革」を叫んでも、その成果が出るのは、さ らに20年後、30年後。私はもう知らないぞ! ……と言いつつ、今日もかろうじてがんばって います。 「子育てべたな親」が決まる。子育てじょうずな親というのは、いわゆる子育てがうまい親をい う。子どもの能力をじょうずに引き出し、子どもを前向きに伸ばしていく親をいう。 い。心のゆがみ(ひねくれ症状、ひがみ症状、つっぱり症状など)がない。また心と表情が一致 していて、すなおな感情表現ができる。うれしいときは、うれしそうな顔を満面に浮かべるなど。 子どものもつリズムに合わせながら、そのリズムで生活する。そのひとつの診断法として、子ど もと一緒に歌を歌ってみるという方法がある。子どものリズムで生活している人は、子どもと歌 を歌いながらも、それを楽しむことができる。子どもと歌いながら、つぎつぎといろいろな歌を歌 う。しかしそうでない親は、子どもと歌いながら、それをまだるっこく感じたり、めんどうに感じた りする。あるいは親の好きな歌を押しつけたりして、一緒に歌うことができない。 を変えて、そのつど現れる。ここでは歌を例にあげたが、歌だけではない。生活全般がそういう リズムで動く。そこでもしあなたが子どもとの間でリズムの乱れを感じたら、今日からでも遅くな いから、子どもと歩くときは、子どもの横か、できればうしろを歩く。リズムのあっていない親ほ ど、心のどこかでイライラするかもしれないが、しかし子どもを伸ばすためと思い、がまんする。 数か月、あるいは一年のうちには、あなたと子どものリズムが合うようになってくる。子どもがあ なたのリズムに合わせることはできない。だからあなたが子どものリズムに合わせるしかな い。そういうことができる親を、子育てじょうずな親という。 のようにおとなしくなることを、「内弁慶、外幽霊」という。といっても、それは二つに分けて考え る。自意識によるものと、自意識によらないもの。緊張したり、恐怖感を感じて外幽霊になるの が、前者。情緒そのものに何かの問題があって、外幽霊になるのが、後者ということになる。た とえばかん黙症などがあるが、それについてはまた別のところで考える。 症状であって、問題はない。しかしその程度を超えて、子ども自身の意識では制御できなくなる ことがある。対人恐怖症、集団恐怖症など。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりや すい。その図式はつぎのように考えるとわかりやすい。 経験がじゅうぶん、身についていない。この時期、子どもは同年齢の子どもととっくみあいのけ んかをしながら成長する。→同年齢の子どもたちの中に、いきなりほうりこまれる。→そういう 変化に対処できず、恐怖症になる。→おとなしくすることによって、自分を防御する。 によって、その分、ストレスを自分の内側にためやすいということ。そしてそのストレスが、子ど もの心に大きな影響を与える。家の中で暴れたり、暴言をはくのをプラス型とするなら、ぐずっ たり、引きこもったりするのはマイナス型ということになる。こういう様子がみられたら、それを なおそうと考えるのではなく、家の中ではむしろ心をゆるめさせるようにする。リラックスさせ、 心を開放させる。多少の暴言などは、大目に見て許す。とくに保育園や幼稚園、さらには小学 校に入学したりすると、この緊張感は極度に高くなるので注意する。仮に家でおさえつけるよう なことがあると、子どもは行き場をなくし、さらに対処がむずかしくなる。 る。親子だけのマンツーマンの子育ては、子どもにとっては、決して好ましい環境とはいえな い。 流れの教育の基本でもある。エデュケーションの語源は、「EDUCE(引き出す)」である。 言っているのではない。「教育」に対する考え方が、基本的な部分で正反対だということ。日本 では、子どもをある特定の形につくりあげるのが教育ということになっている。一方、欧米で は、子ども自身の方向を認め、その選択を子ども自身に任せているということ。この違いは、 いろいろな場面で表れる。 しアメリカでは、「どう思う?」「それはいい考えだ」と言って授業を進める。そのため日本では、 子どもに子ども自身の考えをあまりもたせない。一方、アメリカでは、子どものときから、子ども の言葉で子どもに話させる。わかりやすく言えば、日本の教育は、まず学校があって教師がい る。そこへ生徒がやってくるという図式で成り立っている。一方、欧米では、まず子どもがいて、 その周囲に教師がいて、学校があるという図式で成り立っている。わかりにくい話かもしれない が、要するに「学校中心」か、「子ども中心」かという話になる。だから……。 で」だ。これはウソでも誇張でもない。事実だ。むしろ子どもの成績が落ちたりすると、親のほう から落第を頼みにいくケースも多い。「うちの子はまだ、進級する準備ができていない(レディで きていない)」と。アメリカの親たちは、「そのほうが子どものためになる」と考える。が、この日 本ではそうはいかない。いかないことは、あなた自身が一番よく知っている。 米とでは、まるで違う。そういうことも考えながら、「灯をともして、引き出す」の意味を、もう一度 考えてみてほしい。あなたもきっと、「なるほど」と納得するはずだ。 う理由で、反対意見も多いが、しかしこんなことは日本以外の国では常識。アメリカではもう三 〇年も前から、大学入学後の学部変更は自由。転籍も自由。それも即日に転籍できる。で、 学生たちはより高度な授業を求めて、大学の間をさまよい歩いている。そのため学科のスクラ ップアンドビルドは、日常茶飯事。やる気のない教官はどんどんクビになっている。学生に人気 がなければ、学部すら閉鎖される。その結果だが……。 君。もう一人は一九九九年に横浜の国立大学に入学したB君。そのB君を見て、A君が驚い た。「よくアルバイトをする時間があるな」と。アメリカの大学生にしてみれば、アルバイトなどは 考えられない。実によく勉強する。毎週金曜日に試験があるということもあるが、毎晩夜遅くま で勉強しても、それでも時間が足りないそうだ。アメリカでは、オーストラリアでもそうだが、一単 位ずつお金を出して講座を買うシステムになっている。(実際にはまとめて買うが……。)その お金は、たいてい奨学金でまかなう。だから私たちがモノを選んで買うように、彼らもまたよい 講座を選んで買う。そういう意識があるから、いいかげんな講義を許さない。私も一度、オース トラリアの大学で日本語を教えていたことがある。そのとき一人の学生が私にこう聞いた。 「『は』と『が』の違いを説明してほしい」と。「私は行く」と、「私が行く」はどう違うかというのだ。 そこで私が「わからない」と答えると、その学生はこう言った。「君は、この講義でお金を受け取 っているのか」と。それで私が「受け取っていない。私はボランティアだ」と言うと、「じゃあ、い い」と。だから教えるほうも必死だ。 できるはずもない。しかし今まで、日本の大学教育は、そのぬるま湯につかりすぎた。教授人 事も、「そこに人がいるから人事が慣例化している」(東大元教授)で、改革ということになった が、それにしても遅過ぎた。今の改革が成果を生み出すのは、さらに二〇年後、三〇年後とい うことになる。そのころ世界はどこまで進んでいることやら。日本はどこまで遅れていることや ら。考えれば考えるほど、暗澹(たん)たる気持ちになるのは私だけではあるまい。 勉というのは、いかにも勉強していますというような様子だけを見せる勉強をいう。しかしその 実、何もしない。ダラ勉というのは、簡単な計算問題を一〇〜三〇分もかけてするなど。あるい は描かなくてもよいようなグラフを、いつまでも描きつづけたりする。さらに時間ツブシというの は、勉強のあいまに、シャーペンの芯を出したり入れたり、ときにあちこちに落書きをしたりしな がら時間をつぶすことをいう。小学校の低学年で一度、こういう症状を見せると、その修復は たいへんむずかしい。それがその子どもの勉強方法として定着してしまうからである。無理、強 制が日常的につづくと、子どもはそうなるが、この段階でそれに気づく親はまずいない。「やれ ばできるはず」「そんなはずはない」と子どもを追い立てる。その悪循環がますます子どもをし て、勉強から遠ざける。 の能力と思い、あきらめる。しかもその時期は早ければ早いほどよい。小学一年生でも早過ぎ るということはない。……と書くと、たいてい「まだ一年生ですよ!」と言う親がいる。しかし一年 生だから、あきらめる。もう少し年齢が大きくなって、自意識でコントロールできるようになると、 自分で勉強に向かうようになる。しかしその前に勉強グセをつぶしてしまうと、ここに書いたよう に修復そのものがむずかしくなる。(あるいは不可能になる。) つもカンニングをして、その場をごまかすようになる。しかもそれが天才的に(?)うまくなる。先 生の目を盗み、隣の子どもの答などを、そのまま丸写しにしたりする。小学二年生で、このタイ プの子どもは、二〇人もいれば必ず一人はいる。もうこうなると、学力が身につくことなど、望 むべくもない。 味をいだかせるような努力)をしっかりとしながら、達成感(やり遂げたという喜び)を感じさせな がら、少しずつ学習に向かわせる。英語には、「火をともして、引き出す」という格言がある。家 庭教育の鉄則にもなっている。それはある意味でたいへんなことだが、子どもに勉強させるの は、それくらいたいへんなことだということを、まず親が自覚すること。またその前提で、子ども の勉強を考えること。 えています。これもみなさんのおかげです。ありがとうございます。 です。地方に住んでいる私たちが、それを受け入れてしまっている! 数年前に、駅前に公立 の大学ができましたが、学長以下80人の教官すべて、東京からきた人です(学生課調べ)。こ ういうことばかりしているから、地方はいつまでたっても「地方、地方」とバカにされるのです。み なさん、意識の改革をすすめましょう。みなさんの意識が変われば、日本も変わるのです。 のよいところは、夏休みの間と違って、旅行するにも、格安で、また行楽地がふだんよりもすい ていることです。いろいろ計画があります。このマガジンは、今のところ毎週発行しています が、春休み中は、気が向いたら(失礼!)、不定期にときどき発行するつもりでいます。そのと きはよろしくお願いします。皆さんの子育てでお役にたてるよう、できるだけ実用的な記事を集 めました。 にお会いできたのが、何よりも収穫でした。隣の席でいつもすばらしい意見を聞かせてくれた のが、藤井フミヤ氏でした。私にはたいへんよい経験になりました。私をのぞいて、皆さん、第 一級の世界でがんばっておられる人たちでした。 その子どもの人間性そのものにまで影響を与える。「原始的」というのは、犬やネコをみれば わかる。犬やネコは、一方だけをかわいがると、他方ははげしく嫉妬する。また「人間性」という のは、情緒面のみならず、精神面にも大きな影響を与えるということ。そしてそれは多くのばあ い、行動となって表れる。 になったりする。幼児のばあい、原因不明の身体の不調(発熱、下痢、嘔吐)を訴えることもあ る。「外」に出ると、いじめや動物への虐待となることが多い。嫉妬がからんでいるばあいに は、それが相手に向けられたときには、「殺す」というところまでする。残虐かつ陰湿になるの が特徴で、容赦しないのが特徴。弟に向かって自転車で突進したケースや、弟を逆さづりにし て頭から落としたケース、さらに妹の人形をバラバラにしてしまったケースや、妹をトイレに閉じ 込めてしまったケースなどがある。一人、妹にお菓子と偽り、チョークを口の中に入れた女の 子(小二)もいた。また動物への虐待では、飼っていたハトの背中に花火をくくりつけ、ハトを殺 してしまったケース、つかまえてきたカエルを地面にたたきつけて殺してしまったケースなどが ある。 は、愛情問題を疑ってみる。そういうときは抱いてみるとわかる。最初は抵抗する様子を見せ るかもしれないが、強引に抱き込んだりすると、そのまま静かに落ち着く。 る。中に、わざと子どもを嫉妬させながら、親への依存心をもたせる人がいる。一昔前の親が よく使った方法だが、依存心をもたせるという意味で、好ましくないことは言うまでもない。 で、調査そのものがあまり意味がない。が、それと同時に弊害も表面化してきた。それらを並 べると…… 報は流さない。一方的に相手を観察するだけで、自分の正体は明かさない。あるいは他人の 意見を知り、それを攻撃することはできても、自分の意見は述べない。情報が一方通行化す る。 世界から抹殺してしまう。その後その相手からメールが入っても、それを受けつけないか、無 視する。 をしながら、その色分けをはっきりする。中間色的なつきあいができなくなる。 の感じない状態のほうが、つきあいやすい。自分の側の臭いや味、感情も文の上でコントロー ルしようとする。一方、現実の世界の人間とは、心を結べなくなる。 「バカだなあ」と書いたとする。相手は冗談のつもりで書いたとしても、その「冗談」の部分はわ からない。わからないから、こちらの感情でその文を読んで、ときには憤慨したり、怒ったりす る。 に固執する。 うとする。またそれを知らない人を、よそ者的に排斥しようとする。 化、愚鈍化が進む。一日の行動が決められず、電話の運勢占いにすべてをかける。 の人と直接対面すると、何も話せない。 会話能力の低下、思考能力の低下をきたす。 がなくなった分だけ、黙々と携帯に文字を打ち込んでいる。 虚言、それに(3)虚言。空想的虚言というのは、脳の中に虚構の世界をつくりあげ、それをあ たかも現実であるかのように錯覚してつくウソのことをいう。行為障害による虚言は、神経症に よる症状のひとつとして表れる。習慣的な万引き、不要なものをかいつづけるなどの行為障害 と並べて考える。これらのウソは、自己正当化のためにつくウソ(いわゆる虚言)とは区別して 考える。空想的虚言については、ほかで書いたのでここでは省略する。 要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症というが、ふつう神経症に よる症状は、つぎの三つに分けて考える。 (周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、虚言癖(日常的にウソをつ く)、不安症状(理由もなく悩む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱してわけのわからないことを 言ってグズグズしたり、反対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもある。 頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発 熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面で の神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号とと らえて警戒する。 に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無 関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出 歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもある。 る。叱ったり、ウソを追いつめても意味がないばかりか、症状をさらに悪化させる。愛情豊かな 家庭環境を整え、濃厚なスキンシップを与える。あなたの親としての愛情が試されていると思 い、一年単位で、症状の推移を見守る。「なおそう」と思うのではなく、「これ以上症状を悪化さ せないことだけ」を考えて対処する。神経症による症状がおさまれば、ウソも消える。
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